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  慈雨
  • 2014年11月09日 01:16
    進撃SS
    ひとつ前ID:63177の前日譚
    現パロというかパラレルというか。ちょい転生がらみ。
    ピクニックといえば、汎ヨーロッパ・ピクニック(1989年8月19日)。
    メインは東独在住のペトラ一家。ハンガリーにやってきたペトラ父にリヴァイが接触。

    最後のエルリパートは蛇足。自己満足な予告。エルリ+エレンの前振り。エレンの話は時代背景は関係ないです。ほのぼのやるんだ、ほのぼの……て思いつつ手をつけてない。早く書こう。
    リヴァイ/ペトラ・ラル一家/リヴァイ班/エルヴィン・スミス
    2014年3月31日支部投稿
    この記事は省略されています。続きを読むにはここをクリックしてください。




    「ピクニックに行こう」


     そのポスターは奇妙だった。
     違和感の正体を見きわめるべく、ラルは前のめりで樫の木に貼られたポスターを凝視した。
    「――なんだ、ピクニックか」
     背後から聞こえたのは、ハンガリー語だった。
     ラルは、はっと振り返った。
    「コンサートか、映画かと思った」
     黒髪の小柄な青年は、ドイツ語で語りかけるように言った。
     ここは、ハンガリーだった。バラトン湖畔のキャンプ場だ。
     ポスターは、ドイツ語で書かれていた。キャンプ場周辺の施設はドイツ語で事足りるとはいえ、違和感はぬぐえない。
     東ドイツ国民にとって、ハンガリーやチェコスロバキアは出国しやすい。「東側」といわれる社会主義国にしか国外旅行は許されないといっていい。とはいっても、ラルに今回の許可が下りたのは、申請一ヵ月後だった。当局から何か疑われるようなことをしたのかと、申請後十日を過ぎたあたりから、ラルはひやひやしていた。
    「コンサートなんかあるのかい?」
    「先月、カラヤンが死んだからね。追悼のミニコンサートがあったりする」
     ヘルベルト・フォン・カラヤンは、ベルリン・フィルの首席指揮者だった。ラルも名前だけは知っている。
    「コンサートなら、こんな物騒な絵は描かないだろう」
     ラルは、その絵をなぞった。有刺鉄線に白い薔薇が添えられている。
    「そう、だから、映画かもと思った」
    「映画って?」
    「『白薔薇』っていう映画が、何年か前にあったので」
     ぽかんとするラルに、青年は肩をすくめてみせた。
    「コンサートや映画なら、デートに誘いやすい」
     ハンガリーは、東側で最も表現の自由が許されているという。難しいハンガリー語は読めないラルにも、雑誌のレイアウトから開放的な気風は伝わってくる。
    「……なあ、兄さんは、ハンガリーの人?」
     青年は頷いた。
    「これは、政治集会だよな?」
     ピクニックに誘ってはいるものの、目的はヨーロッパの将来を語る集会と、大々的に謳っている。黒と赤で刷られたシンプルなポスターに、力強い活字が躍っている。
    「こんなもん貼って、大丈夫なのか?」
    「駄目なら、とっくに破り捨てられてる」
    「それもそうか」
    「ドイツ語だから、ハンガリー人は関係ない」
     ラルは苦笑いをした。
     青年は開催地を指した。
    「そこはいいところだ。森と湖があって、旅行者も少なくない」
    「兄さんもキャンプかい?」
    「いや、ナンパ。カタリナ・ビットみたいな美人がいないかと思って」
     青年は、そわそわと見回す。
    「見ないねえ」
     ファミリー層の多いキャンプ場だ。河岸が違う。東ドイツの誇る銀盤の女王が、一人で歩くような場所ではない。
    「ブロンドのグラマーでもいいんだ」
    「見つけたら、教えてやるよ」
    「頼んだよ」
     お互い名乗らずに別れた。旅先の会話は、えてしてその場限りのものだ。



     ほどなくして、キャンプ場は、ピクニックを取り沙汰する囁きに満ちてきた。
     ピクニックの主催は、民主フォーラムという政党だった。ハンガリーは、共産党一党主義を脱し、多党政治がはじまっていた。
     遡ること三ヶ月前、ハンガリーは、オーストリア国境の鉄条網を撤去している。国境警備隊が庭仕事をするようにペンチで切るのを、ラルは本国のニュースで見た。
     あのニュースが、今回のバカンスを決めた。自由のにおいのする国は、六歳の娘を遊ばせるには、うってつけに思えた。
    「ねえ、あなた、地図を出して」
     炊事場から戻ってきた妻が、開口一番にせがんだ。
    「飯の支度は?」
    「その前に……ぺトラのいないところで」
     娘は、キャンプ場でできた友達と、鬼ごっこをしている。
     妻は夫を車に押しこんだ。愛車のトラバントは独身時代に購入予約して、娘が三歳のとき、やっと納車された。
     ダッシュボードの陰で地図を広げると、「ここ」と妻が指さす。
    「ショプロン……?」
    「ピクニックの行き先」
     ハンガリーの国境にある土地だ。オーストリアに、若い山羊の角のように張り出している。
     妻はそこから西に指を滑らせる。
    「ボンの伯母さんを頼れないかしら?」
    「――おい……何の話だ?」
    「大きな町だもの。仕事も見つかると思う」
     妻の言わんとしていることはわかる。西ドイツへの亡命を提案している。ショプロンに人が殺到すれば、国境警備隊は応対に追われる。行きずりの青年は、森があると言っていた。彼のいう「旅行者」とは、旅券のない不法侵入者のことではないかと思い当たる。
    「どこにいても不満は残ると思うのよ。だったら、よりよい方を選びたい」
    「西側がよいと思うのか?」
    「選ぶ自由があるだけ、ましだわ」
     妻の親族は、西ドイツ各所に散らばっている。西から届くクリスマスカードは、デザインや色使いから豊かさを感じさせた。
    「あなたが行かないなら、ぺトラと二人で行く」
    「そんな簡単なものじゃないだろう!」
     東ドイツは、夫妻が生まれ育った国だ。二人が生まれたときには国境線が引かれていた。ティーンエイジャーのころ、ベルリンの壁が築かれた。西ドイツは経済自由化のため貧富の差が拡大し、失業者があふれていると聞かされ、東ドイツが国家としていかに優れているか教えこまれた。
    「私、最初からそのつもりだった」
    「最初って?」
    「あなたがハンガリーに行こうって言った時から、亡命の意思があると思った」
    「そんなこと、考えたことない」
     思い出のある品は、部屋に置いたままだ。歯科技工士の仕事も、仕上げていないものがある。これでは亡命ではない。夜逃げだ。
    「……ドレスデンには、何も言ってない」
     両親や兄弟は、ドレスデンに住んでいる。もう二年ほど会っていない。
    「私だって、ママには言ってない。何も知らない方がいいのよ」
     秘密警察から関与を疑われたとき、年老いた親が激しい責めに耐えることを考え、胸が痛んだ。知らぬ存ぜぬが通る相手ではない。
    「これからのことを考えて。ハンガリーは、私たちの味方だわ」
    「わかんねえだろ、そんなこと」
    「白い薔薇だもの」
     妻は地図を丁寧に畳む。
    「ポスターに描いてあったでしょう?」
    「ああ……あれ……」
    「反ナチの運動の象徴だわ」
    「……ああ、そういうことか」
     どこかちぐはぐなポスターだと感じていた。
    「アルバムは持ってきた。手紙もね」
     妻は、最後通牒を突きつけたのだ。



     ピクニック当日、ラル一家は電車でショプロンに入った。
     トラバントはキャンプ場に置き去りにしてきた。荷物のほとんども積んだままだ。いざというときぺトラを抱えて走るために、夫婦の手荷物はそれぞれひとつまで減らした。ぺトラはテディベアを抱きしめている。
     緊張感にみなぎる軽装の家族は、彼らだけではなかった。一大事を知らされているのか、青ざめたこどももいる。やたら饒舌な若者のグループがあって、もしや彼がいるのではないかとラルは目で追ってしまう。
     ぺトラは鼻歌を歌っている。
     娘には、ピクニックとだけ伝えている。大勢の人がいるので浮かれているぺトラは、行き先は知らない。
     風に乗って若い女性の演説が聞こえてくる。足を止めて、耳を傾けるものはいない。野原のなかの轍をたどって進んでいく。
     道の脇には、国境警備隊が立っている。彼らは、武装していなかった。制服のシャツも色違いで、揃っているものといえば、制帽だけだった。
     二歳くらいだろうか、腰に紐をつけた男の子が転倒した。誰もが先を急いでいる。他人の子にかまっている余裕がない。
     小柄な警備兵が、男の子を抱きあげた。
     息を飲む音が、そこここから聞こえる。空手とはいえ、相手は兵士だ。東ドイツでは国境に地雷が埋められ、亡命者は即銃殺される。
     警備兵は男の子を肩車した。こどもは怖がりもしない。上機嫌で片言で話しかけている。
     一心不乱の行列を逆走するこどもがいた。十歳くらいの少年だ。
     肩車されていたこどもが歓声を上げた。
    「――オルオ!」
     少年は名前を呼び、警備兵の前で両手を広げる。警備兵に引き渡された男の子は、少年にぎゅっと抱き締められ、地面に下ろされると頭をぺしっと叩かれた。男の子は不満げな奇声を上げる。
     少年が緊張した声で、兵士に礼を言った。
    「ビッテ」
     短い兵士の声に、ラルは立ち止まった。
     帽子をかぶり直そうとした警備兵と、目が合った。黒髪の青年だった。
     彼もラルに気付き、口元をほころばす。
     軽口が、ラルの口をついて出た。
    「カタリナ・ビットは見つかったかい?」
    「いや、いないもんだね」
     警備兵はにやりとして、帽子を目深にかぶり直した。
     ぺトラは、振り返りつつ兵士に小さく手を振った。
     目の前では、弟の紐をつかんだ少年が走っている。
     誰もが、森を目指していた。
     1989年8月19日、遅い午後の出来事だった。




    [newpage]


     ワゴンで運ばれてきたお茶のにおいに、金髪の男は苦笑いした。
     ドアでワゴンを受け取ったのは、ハンガリーの警備兵だった。サマーニットを身につけた彼は、小柄で童顔であることも相まって学生のように見える。。
     トリノのホテルの一室で、彼らは昼前のお茶会をはじめようとしていた。
     薄いカーテンを通した陽射しは、コーヒーテーブルにつく彼らの輪郭をやわらかく包んでいる。ことに金髪は光輪を放つようで、男の相貌を一層浮世離れしたものに見せていた。
    「わざわざ淹れさせたのか?」
    「たまに飲みたくなるんだよ、四年に一回くらい」
    「オリンピックと同じ周期で?」
    「薬効もねえのに、こんな馬糞臭えのを、毎日飲めるか」
     黒髪の警備兵は、慣れた手つきでお茶を給仕する。
    「ハンガリーはどうだった?」
    「ソ連が動かないのが、気味悪い。駐屯兵は夜な夜なバーを占拠してた――いや、それはいいんだ。密約があったとか考えれば、納得できる。本当に気味が悪いのは、ホーネッカーだ」
     エーリッヒ・ホーネッカーは、東ドイツの国家主席だ。ピクニックの一週間前、緊急入院した。
    「タイミングがよすぎねえか。ホーネッカーのお茶に何か仕込んでたか?」
     金髪の男は一口飲んで咳きこんだ。
    「まずいよな?」
    「いや……そんなにひどくない」
    「俺には合わねえな。名前もひどい」
     深緑の缶の表示は『ロシアン・キャラバン』とある。 
    「赤嫌いが命名したのか?」
    「パンクとコミュニズムは、ロンドンのファッションだ――本当は、ロマンチックなストーリーがあるらしい。リヴァイが騒ぐから、本店で訊いてしまったじゃないか」
    「またひとつお利口になったな。口直しのコーヒーもある」
     コーヒーポットを掲げるリヴァイに、金髪の男は両手を広げた。
     リヴァイは彼の膝に乗り、金色の頭を抱いた。
    「今日こそチロルに帰らねえと」
    「いいじゃないか」
    「エレンが……」
     男は腰を撫でる手を止めて、リヴァイを見上げた。
     エレンは、リヴァイがチロルで育てている男の子で、七つになる。
    「十日も預けっぱなしで、先方に悪い」
    「俺が一人でいい子にしていられると?」
    「山羊のベルを付け替えたり、仔牛に乗ったりするのか?」
    「しないな」
     エレンは、牧歌的な風景のなかで、微笑ましいやんちゃを仕掛けているらしい。リヴァイが詫びを入れているかと思うと、金髪の男は二度おかしい。リヴァイの腹に顔をうずめて、笑いをかみ殺している。
    「でも、違うものの下着をはずしたり、乗ったりしてるだろう?」
     風向きが変わった。
     リヴァイが金髪に指を入れて、顔を仰向かせようとしている。
    「まあね。オリンピック周期でしか逢えない本命相手に、腕が鈍らないように」
     前回逢ったのは、半年前の日本だ。天皇崩御の直後でも、政治的には大きな混乱はないように見えた。
    「ま、練習は必要だ」
    「基礎の反復は大切だからね。成果を見せるよ、リヴァイ」
     どちらからともなく、唇を合わせた。
    「……コーヒーがさめる」
     この期に及んで、リヴァイは気をそらした。
    「紅茶も」
    「あれは、さめるとましになる」
    「さめるまで、時間を潰そう?」」
     男はリヴァイを抱えて、ベッドに下ろした。
    「さめるまでだ……エルヴィン」
     エルヴィンは、念を押す唇をついばんだ。結構よく喋る男は、それだけで黙った。
     二人は、熱いものを求めあいながら、滅びた帝国の名前を持つお茶が冷えていくのを待った。
                                           〈了〉

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