シロジクロエ

特殊装丁の小説本を作っている創作BLサークルです。

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投稿日:2021年10月07日 18:04    文字数:2,334

『白玉楼』本文サンプル

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10/10Jgarden50新刊。
異世界の図書館が舞台の特殊装丁本「蔵書票シリーズ」読切新作。全年齢。既刊『I am GHOST』のスピンオフ的位置づけですが、単品でもお読みいただける読切です。
装丁サンプル:https://pictbland.net/items/detail/1598458

通販サイト
【BOOTH】 https://rwks.booth.pm/
【pictSPACE】 https://pictspace.net/rwks

(あらすじ)
近衛家の当主となった雪路は、弟の夜遊びを諫めるため赴いた街で、一人の浮浪者と出会う。彼の言葉に雪路は興味を惹かれ…。蔵書票シリーズ初、漢詩モチーフの物語。
1 / 1
 雑踏はパーティーの次に好まない。猥雑な繁華街などもってのほかだ。
 しかしやむにやまれぬ事情で、雪路(ゆきじ)は護衛一人を伴って夜の街を歩いていた。早春の夜は冷え冷えとして、霧雨で烟っている。喧騒さえなければ幽玄な夜であったかもしれないのに。
「まったく、夜遊びなんぞどこで覚えたんだか」
 つい、ため息まじりの呟きが洩れる。
 母の死後も弟の素行がよくなることはなく、彼は主席と非行少年の両立を器用につづけていた。
「あれの父親は、手本のような真人間だったぞ。だれに似たのか見当もつかん」
 雪路と六華(りっか)は異父兄弟だが、母の再婚相手を雪路は一度も疎ましく思ったことはなかった。疎んじる理由が継父本人になかったからだ。自分の父もそうだったが、誠実な人間は早逝の運命にあるらしい。六華はさぞ長生きするだろう。
「一度ほんとうに捕まればいいんだ」
 ぶつぶつと文句を言いながら大股に歩く長身の主に、護衛も笑いを噛み殺しつつ置いていかれないよう足早についていく。
 現行犯を押さえて家に連れ戻せば、少しのあいだでもおとなしくしているだろうという妻の提案が元で、兄自らこうして足を運ぶことになったのだが。酒を飲めるわけでもなし、気が滅入る一方だった。裏で暗躍するのが仕事とはいえ、当主が屋敷を出て行動することなど本来はありえないのだ。
「調べだと、このあたりの店に入り浸っているらしいが……」
 一軒一軒店の名前を確認しながら歩いていると、パブの戸口から男が一人転がり出てきた。ぶつかりそうになった雪路はぎょっとして足を止める。
「中じゃ困るんでね、ここで話をしようじゃねえか」
 店を叩き出されたのだろう。飲み過ぎて暴れたか、金が足りなかったか。屈強な用心棒が立ちはだかっているのを見ると、どうやら両方らしい。
 だが地面に這いつくばっている男は、ひどくみすぼらしい身なりで体つきも貧相だ。宿なしが酔って店に入り込んでしまったか。なにやら言い返しているが、すぐに力で黙らされるだろう。
 よくある光景で、関わり合いになることはない。護衛も眉をひそめて先を急がせようとする。
 さっきからなにかを喚いていた男の声が、不意に耳へ飛び込んできた。
「この恨みが流れる血は、千年の後に土の中で碧玉となるだろうよ!」
 雪路の足を止めるのに、それ以上の言葉はなかった。
「恨血千年土中碧……」
 思わず呟いた雪路は、その男を改めて見なおす。主人のお下がりなのか上着の生地は上等だが、あちこち擦り切れて汚らしい。伸び放題の蓬髪は、しばらく櫛を通した気配もない。かけている眼鏡の反射もあって顔が見えないため年齢も推し量れないが、その声は役者のように深い低音だった。
 彼は開きなおったようにあごを上げ、一息つくとその深い声を腹から出す。
「秋風地を吹いて百草乾く、華容碧影晩寒を生ず、我三十に当って意を得ず、一心愁謝……」
「なんの呪文だ、この酔っぱらい……」
 用心棒に蹴り飛ばされ、最後まで詠み上げることは叶わなかったが、雪路にはその意味が理解できた。
 秋風が吹きすさび、全ての草は乾ききって、目に映る山の陰影も寒々しく、「三十歳」になった自分は失意の底にある……正しくは二十であるところを三十と詠んだのは、きっとわざとだ。ではこの男の歳は三十程度なのだろう。憂鬱な心は枯れた蘭のようだと続くはずだった。
 ただの浮浪者が酔って口にする戯れ言にしては、あまりにも……。
 彼が蹴られた拍子に足下まで飛んできた眼鏡を拾い上げると、雪路はコートの裾をさばいて彼の後ろに立った。
 用心棒がぎょっとした顔で見上げる。長身の雪路は、立場相応の身なりでなくとも他人を怯ませるだけの迫力を持っていた。
「知人だ。代わりに払おう、手を引いてくれ」
 言いながら、護衛に目くばせで指示を出す。彼は戸惑ったようだが、主人の命令に従って財布を出した。
 地面に座り込んだままの男を助け起こそうと腕を掴む。ごわついた服の上からでもわかるほど、細い腕だ。
「だれだ!?」
 こちらを睨みつけた瞳の色が、鮮やかなエメラルドグリーンだった。その目を見た瞬間、雪路の中で無関係の点が線となって繋がる。
「借金取りか知らないが離せ……っ」
 痩せ細った腕で抵抗しようとする相手に、雪路は抱きかかえるようにしてそっと耳打ちした。
「天下の鬼才でしたら、壺中で天に喚んでも雲は開かぬとご存じでしょう」
「なに……」
 彼は揺らめく碧玉で、呆然とこちらを見つめた。
 鬼才とは、先ほど彼が詠んだ詩の作者を称える異名。飛び抜けた才を持ちながら不遇のままに生涯を終えた詩人……その作品を諳んじて己の境遇に重ね合わせたこの男になら、それだけで通じるはずだ。
 役目を済ませた護衛が、おそるおそる尋ねてくる。
「あの、六華さまは……」
「放蕩息子の捜索は中止だ。この際、問題を起こすまで放っておく」
 補導でもなんでもされればいい。頭を下げて回るのも、効かない説教を垂れるのも、それまで先送りにしてしまおう。
 雪路が兄として跡継ぎとして、常識的な判断で身を引いてきた場面でも、六華は躊躇もせず飛び出していく。常にその背中を見つめ、そして危なくなる前に襟首を掴んで引き戻すのが、彼が生まれたときから自分に課せられた役割のひとつなのだと思っている。
 今さらそれを投げ出す気はないが。
「わたしだって、そろそろ非行に走ってもいいだろう」
 護衛にそれだけ告げると、不安そうにこちらを見上げる男へ、拾った眼鏡を差し出す。
 今は不肖の弟など、どうでもいい。
 思わぬ拾い物のことしか考えたくなかった。


(本文より抜粋)
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『白玉楼』本文サンプル
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 雑踏はパーティーの次に好まない。猥雑な繁華街などもってのほかだ。
 しかしやむにやまれぬ事情で、雪路(ゆきじ)は護衛一人を伴って夜の街を歩いていた。早春の夜は冷え冷えとして、霧雨で烟っている。喧騒さえなければ幽玄な夜であったかもしれないのに。
「まったく、夜遊びなんぞどこで覚えたんだか」
 つい、ため息まじりの呟きが洩れる。
 母の死後も弟の素行がよくなることはなく、彼は主席と非行少年の両立を器用につづけていた。
「あれの父親は、手本のような真人間だったぞ。だれに似たのか見当もつかん」
 雪路と六華(りっか)は異父兄弟だが、母の再婚相手を雪路は一度も疎ましく思ったことはなかった。疎んじる理由が継父本人になかったからだ。自分の父もそうだったが、誠実な人間は早逝の運命にあるらしい。六華はさぞ長生きするだろう。
「一度ほんとうに捕まればいいんだ」
 ぶつぶつと文句を言いながら大股に歩く長身の主に、護衛も笑いを噛み殺しつつ置いていかれないよう足早についていく。
 現行犯を押さえて家に連れ戻せば、少しのあいだでもおとなしくしているだろうという妻の提案が元で、兄自らこうして足を運ぶことになったのだが。酒を飲めるわけでもなし、気が滅入る一方だった。裏で暗躍するのが仕事とはいえ、当主が屋敷を出て行動することなど本来はありえないのだ。
「調べだと、このあたりの店に入り浸っているらしいが……」
 一軒一軒店の名前を確認しながら歩いていると、パブの戸口から男が一人転がり出てきた。ぶつかりそうになった雪路はぎょっとして足を止める。
「中じゃ困るんでね、ここで話をしようじゃねえか」
 店を叩き出されたのだろう。飲み過ぎて暴れたか、金が足りなかったか。屈強な用心棒が立ちはだかっているのを見ると、どうやら両方らしい。
 だが地面に這いつくばっている男は、ひどくみすぼらしい身なりで体つきも貧相だ。宿なしが酔って店に入り込んでしまったか。なにやら言い返しているが、すぐに力で黙らされるだろう。
 よくある光景で、関わり合いになることはない。護衛も眉をひそめて先を急がせようとする。
 さっきからなにかを喚いていた男の声が、不意に耳へ飛び込んできた。
「この恨みが流れる血は、千年の後に土の中で碧玉となるだろうよ!」
 雪路の足を止めるのに、それ以上の言葉はなかった。
「恨血千年土中碧……」
 思わず呟いた雪路は、その男を改めて見なおす。主人のお下がりなのか上着の生地は上等だが、あちこち擦り切れて汚らしい。伸び放題の蓬髪は、しばらく櫛を通した気配もない。かけている眼鏡の反射もあって顔が見えないため年齢も推し量れないが、その声は役者のように深い低音だった。
 彼は開きなおったようにあごを上げ、一息つくとその深い声を腹から出す。
「秋風地を吹いて百草乾く、華容碧影晩寒を生ず、我三十に当って意を得ず、一心愁謝……」
「なんの呪文だ、この酔っぱらい……」
 用心棒に蹴り飛ばされ、最後まで詠み上げることは叶わなかったが、雪路にはその意味が理解できた。
 秋風が吹きすさび、全ての草は乾ききって、目に映る山の陰影も寒々しく、「三十歳」になった自分は失意の底にある……正しくは二十であるところを三十と詠んだのは、きっとわざとだ。ではこの男の歳は三十程度なのだろう。憂鬱な心は枯れた蘭のようだと続くはずだった。
 ただの浮浪者が酔って口にする戯れ言にしては、あまりにも……。
 彼が蹴られた拍子に足下まで飛んできた眼鏡を拾い上げると、雪路はコートの裾をさばいて彼の後ろに立った。
 用心棒がぎょっとした顔で見上げる。長身の雪路は、立場相応の身なりでなくとも他人を怯ませるだけの迫力を持っていた。
「知人だ。代わりに払おう、手を引いてくれ」
 言いながら、護衛に目くばせで指示を出す。彼は戸惑ったようだが、主人の命令に従って財布を出した。
 地面に座り込んだままの男を助け起こそうと腕を掴む。ごわついた服の上からでもわかるほど、細い腕だ。
「だれだ!?」
 こちらを睨みつけた瞳の色が、鮮やかなエメラルドグリーンだった。その目を見た瞬間、雪路の中で無関係の点が線となって繋がる。
「借金取りか知らないが離せ……っ」
 痩せ細った腕で抵抗しようとする相手に、雪路は抱きかかえるようにしてそっと耳打ちした。
「天下の鬼才でしたら、壺中で天に喚んでも雲は開かぬとご存じでしょう」
「なに……」
 彼は揺らめく碧玉で、呆然とこちらを見つめた。
 鬼才とは、先ほど彼が詠んだ詩の作者を称える異名。飛び抜けた才を持ちながら不遇のままに生涯を終えた詩人……その作品を諳んじて己の境遇に重ね合わせたこの男になら、それだけで通じるはずだ。
 役目を済ませた護衛が、おそるおそる尋ねてくる。
「あの、六華さまは……」
「放蕩息子の捜索は中止だ。この際、問題を起こすまで放っておく」
 補導でもなんでもされればいい。頭を下げて回るのも、効かない説教を垂れるのも、それまで先送りにしてしまおう。
 雪路が兄として跡継ぎとして、常識的な判断で身を引いてきた場面でも、六華は躊躇もせず飛び出していく。常にその背中を見つめ、そして危なくなる前に襟首を掴んで引き戻すのが、彼が生まれたときから自分に課せられた役割のひとつなのだと思っている。
 今さらそれを投げ出す気はないが。
「わたしだって、そろそろ非行に走ってもいいだろう」
 護衛にそれだけ告げると、不安そうにこちらを見上げる男へ、拾った眼鏡を差し出す。
 今は不肖の弟など、どうでもいい。
 思わぬ拾い物のことしか考えたくなかった。


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