ひだかみゆき

超次元サッカーの元陸上部大好きマンです。

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投稿日:2016年05月25日 16:39    文字数:40,147

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サイトから再掲。
円←風、円←ヒロ前提のヒロ風でおまけに寝取られ豪風エンドです…。
正直ややこしいな。

以下は当時のあとがき。

うちではめずらしいヒロ風豪風です。
…円←ヒロで円←風前提だったり、豪炎寺がちょっとゲス入ってたりで、後味があまりよくありません。
地雷多そうなのであまり評価良くないだろうなぁ…と思ってたんですが、意外に切ないお話と受けとめていらっしゃる方が多くてビックリしましたw。
元々は、とある曲の歌詞から思いついたので、ヒロ風悲恋落ちになるのは避けようがありませんでした。
ヒロ風で今度書くときはもっと軽いお話にしたいですね。
<2013/11/29脱稿>
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 あいつを親友として見れなくなったのは、いつの頃だったのだろう。
 少なくとも、小学校のときは全くもってごく普通の関係だったし、中学にあがったばかりなら、それぞれ入った部活が違うものだから、単なる長いつきあいの腐れ縁みたいなものだ。
 でも、二年になったときあいつのサッカー部は存続危機になり、汚名挽回の試合に俺が助っ人に入ってからは、流されるようにあいつの側で支えるようになった。
 ただきっかけはそれだけじゃない気がする。
 契機はあの、ジェネシスとの試合のときだ。思い出したくもない酷い試合のあと、怪我を負った俺は一緒に円堂と戦えなくなり離ればなれになった。
 勿論あんな体じゃ、あいつらの足手まといになるのは火を見るよりも明らかだったし。
 ……ともかく、そんなことは問題じゃなかった。
 あの日、不思議に光るあの石を見せられてから、俺の中から円堂という存在が消えることはなかった。
 多分、それが俺にとってはじめての……。


「……風丸? どうした、風丸」
 いきなり名前を呼ばれて、俺は現実に呼び覚まされた。黒曜石のような瞳が俺をじっと見てる。
「豪炎寺?」
 はっと息を呑んで、俺は体裁を取り繕おうとした。円堂のことを考えるのに没頭していたようだ。こんなことでぼんやりしてるだなんて、ほんと、どうかしている。
「すまん。なんでもないよ」
「なら、いいが」
 長テーブルの向かいに座っていた豪炎寺は、赤ペンを入れ終えたプリントを俺に返した。俺も慌てて数学の問題プリントに赤を入れると、豪炎寺に返す。
「ここ、ケアレスミスしてるぞ」
「あ、本当だ」
 豪炎寺が指し示した計算問題を、俺はシャーペンで直した。
 ふと部屋を見回すと、みんなも同じようにプリントに取り組んでいる。壁山と栗松なんか、お互い頭をかかえてプリントと格闘していた。円堂は隣のテーブルで鬼道と向かいあって、プリントを前にうんうん唸っている。
「あ~、ダメだっ! こんな問題、頭がこんがらがりそうだよ」
「円堂。複雑そうに見えるが、なんてことはない問題だぞ。この大きな台形の面積から、この円の四分の一だけ面積を引けばいい。それを方程式に当てはめるだけだ」
「って言ったって……」
 ミーティング室は今、仮の学習室になっている。ここはライオコット島に設けられた、日本選手陣の専用宿舎で、俺たちはジュニアサッカーの世界大会に出場する為にここに集められた。
 考えると、不思議なものだ。
 あれからもう三ヶ月。円堂が立て直したサッカー部は、部員不足のときとは打って変わって、あっという間に日本一を狙えるチームになった。勿論、それまで色々と紆余曲折はあったけれども。
 俺はそれまでいた陸上部はやめてしまい、何度か挫折を味わったものの今ではすっかりサッカーの虜だ。それもこれも、円堂のお陰なのだが。
 隣のテーブルをぼんやり見てると、また豪炎寺が咎める声をかけてきた。
「風丸……」
「す、すまん!」
「やっぱりお前は……」
 豪炎寺は何か俺に言いかけたが、思い直したように黙りこんだ。俺はばつが悪くなり、手元のプリントを確認してホワイトボードの前の机にプリントを置く。
 今日のノルマはこのプリントをやって終わり。俺はまだ終わってない円堂が気になったが、豪炎寺が急かしたので部屋を出ていくしかなかった。
「円堂なら気にするな。鬼道が見てやってるからな」
 うちのチーム一の秀才である鬼道なら、円堂に手を焼くことも煩わしくないのだろう。
 廊下に出ると、開け放した窓から潮の香りが漂ってきた。ここ、ライオコット島は日本よりもずっと南側に位置し、一年中温暖な気候なのだそうだ。
「なにか、飲み物持ってくるか?」
 豪炎寺が食堂を指さして持ちかけてくれたが、俺は首を横に振った。窓辺にもたれて潮風に吹かれてると、胸に広がる、もやもやしたものが払われていく気がした。
「やあ、風丸くん。豪炎寺くん」
 食堂の方からヒロトがやってきた。彼は俺たちよりずっと早くプリントを終わらせたみたいで、先にミーティング室から出ていた。
「水でも飲んでくる」
 豪炎寺は食堂に行ってしまったので、俺はヒロトと取り残された格好だ。
「いい風だねぇ。心が洗われるようだよ」
 ヒロトが側にきて窓辺に立ったので、俺は一歩ずれて場所を譲った。
 俺は正直、こいつが苦手だ。
 にこやかで誰にでも柔和な表情をするが、エメラルドみたいな妖しい瞳で見つめられると、なんとなく落ち着かなくなる。
「風丸くん。星は好きかい?」
 窓から夜空を見上げて、ヒロトは不意にそう言った。
「星?」
「うん」
 ヒロトは暗い空に散りばめられた光の数々を、指で追いながら俺に話しかける。
「いや。普通……かなぁ。特別好きってわけじゃ」
「そう? 俺は好きだよ。ここは赤道に近い所為か、日本じゃ見られない星座も見つかる」
「ふーん」
 俺はヒロトにならって、窓辺から空を見上げる。でも、どれが日本で見れて、どれが見られないのかまでは、全然わからなかった。
「ねえ、風丸くん。前々から思っていたのだけれど」
 ヒロトは妙に馴れ馴れしい声色で、俺にささやきかけた。
「きみと俺とはもっと仲良くなれるんじゃないかな?」
 俺は思わず、ヒロトの顔をまじまじと見る。
「な……なんで。俺はお前のこと、よく知らない……」
 いや、知らないと言うか。俺の知っているヒロトというヤツは、エイリア学園打倒の為に俺たちが日本中を帆走していたころ、ジェネシスのキャプテンという正体を隠して……円堂に近づいた我慢ならない人間ってことだけだ。本当はサッカーの好きないいヤツだ、って円堂は言うけど、俺にはそのイメージが心にこびりついている。
「だったら、それこそ親睦深めてお互いを知るべきじゃないかなぁ。俺たちはきっと仲良くなれるよ。だって……、同じだから」
「同じ、ってどこがだよ!? サッカーのポジションなら全然違うだろ」
 尋ねるとヒロトは口元に笑みを浮かべた。にこやかだけど、妖艶だった。
「俺たちは同じものが大好きだ。そうだろう?」
「だから俺は星のことは別に、って今言っただろう」
 そう言うと、ヒロトは首を振る。
「違うよ。星は星でも暖かくて闇をも照らす太陽みたいな……彼のことだよ」
 俺は息を呑んだ。ヒロトは確実に円堂のことを話してる。
 そしてそれは、俺が円堂に惚れてることを知っている、ってことだ。
「ヒロト……お前」
 俺はヒロトの顔を見すえた。ヒロトは目を細めて首をすくめる。
「違わないかい? お互い、おんなじものが好きなハズなんだけどな……」
「俺は……」
 ヒロトにじっと見つめられると、俺はそれこそヘビに睨まれたカエルみたいに動けなくなる。まるで、あのジェネシスの試合の再来のように。
 そのとき、豪炎寺が食堂から戻ってきたので、俺はそっちに駆けよってしまった。
「どうした?」
 豪炎寺は不審な顔つきで、俺とヒロトの顔を交互に見比べている。
「さっきのプリントのことだけど、教えて欲しいとこがあるんだ」
 俺は豪炎寺を部屋に行くよう、促す。豪炎寺は「ああ」と頷くと、俺を伴って階段へ向かった。俺はヒロトに「ごめん」と一言ことわって、彼の前から去ることにした。
 これは逃げだ。
 あのときと同じ……。
「教えて欲しい問題はどこだ?」
 階段をのぼりながら豪炎寺が訊いた。
「え。あ、うん……」
 とっさに思いついた言い訳だったから、いきなり聞かれると答えに窮してしまう。俺が考えあぐねてると、豪炎寺はぽつりと言った。
「やっぱりな」
「えっ?」
「あいつが苦手なんだろう、お前は」
 階段の踊り場で、豪炎寺は皮肉げに尋ねる。
「すまん、豪炎寺。俺……」
「いい。お前が困ってると思って声をかけた。それだけだ」
 階段のあかりは薄暗くて、豪炎寺の横顔に影がおちている。豪炎寺はそれきり、何も俺に尋ねなかった。
「じゃあ。また明日」
 そう言って、俺たちはそれぞれ与えられた部屋に戻る。俺はジャージのままベッドに突っ伏した。開け放したままの窓から、潮の香りがただよう。あの日、福岡で味わったものと似ていた。
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 次の日も朝から練習。ディフェンダーとして登録されたのにもかかわらず、俺はほとんどミッドフィルダーとしての起用が多かった。今日の練習もドリブルがメインで、どちらかといえば前線にボールを運ぶ役目を任されている。  練習の合間、ゴールポストを伺った。円堂は立向居と一緒にキーパーの練習をしている。フットボールフロンティアの頃は俺はディフェンスだったのに、今は円堂が遠い……。
「大丈夫かい、風丸くん」
 不意に声をかけてきたのはヒロトだった。昨日のことがあるから、話しづらい。
「いや。なんでもない」
 ヒロトに見つめられると、何もかもを見透かされそうな気がして、俺は視線をそらした。
「それならいいのだけど」
 ヒロトはまだ俺になにか言いたげだってが、他のフォワード陣から呼ばれたのか、名残惜しそうに「じゃあ」と言う。俺はほっとして、練習に戻った。


 今日の練習を終えたあと、俺は宿舎に戻って風呂に入った。ここの風呂は共同で、入る時間が交代で決められている。今日、俺は一番最後に当て割られたので、のんびり入れるな、と思った。
 脱衣所に入ると、他のみんなは既に入り終えたようで、俺ひとりだ。
 しめた。こんな気分のときは、のんびりひとりでお湯に浸かるのが一番だ。
 汚れたジャージを脱ごうとして、棚に置かれたカゴに目をやると、別のカゴに誰かのユニフォームが脱ぎっぱなしになっている。
 誰だよ、洗濯に出し忘れたの。しょうがないな。
 と、俺が代わりに出してやるかと土ぼこりで汚れたユニフォームを引っ張りだして、ぎょっとした。
 背番号1のユニフォーム。
 円堂のものだ。
 あいつは忘れっぽいからな……。すぐこうやって誰かに迷惑をかける。
 溜息をついて円堂のユニフォームを手にしてると、なんだか……なんとなくだけれども、ある種の欲求が胸の奥からうずうずと湧いてきた。
 誰もいない脱衣所。
 みんなは多分、風呂を浴びおえてリビングルームでテレビを観てるか、自室でくつろいでるだろう。
 こんな格好のチャンスは滅多にない。
 俺は思いきって、円堂のユニフォームを鼻元に持ってくると、そっと匂いを嗅いだ。
 埃の匂い。
 汗の匂い。
 そして円堂特有の、お日さまの匂い……。
 円堂の匂いを嗅いでいると、とてつもなく胸が切なくなった。
 どきどきして、心が焼けつくようだ。
 人がいないことを幸いにして、ジャージを脱いで、下に着てたユニフォームをインナーごとカゴに投げすてると、裸の胸に円堂のものをなすりつけた。
 円堂……。
 円堂…………。
 こうやって円堂のユニフォームを抱きしめてると、円堂自身と抱きあってるようで、すごく興奮した。
 股間が熱くなって、勃ちあがるのが自分でも分かる。
 円堂。
 俺がお前に、こんな気持ちを抱えてるだなんて、知ったらびっくりするだろうな。
 きっと気持ち悪いって思われる。
 だから、言えない。
 お前に対するこの気持ちは、絶対に知られちゃいけない。
 誰にも、誰にもだ……。
 俺の股間は触ってもいないのに、爆発しそうになってて、辛抱堪らなかった。
 いっそのこと、この円堂のユニフォームで扱いてしまおうか。
 どうせならグローブがあれば、円堂の手で扱かれるみたいで、最高に気持ちよくなるだろうな。でもあいにく、円堂が忘れたのはユニフォームだけだ。
 俺はもう、止められなくなって、ハーフパンツを下着ごとずり下ろした。円堂のユニフォームでいきり勃った俺のペニスをそっと包む。
 ……円堂……。
 俺のペニスは先っぽがもうぐちょぐちょになってて、円堂のユニフォームにほんの少し滲みができた。
 円堂のことを考えるだけで、俺の胸は張り裂けそうになるのに、こんなことしてたら頭がおかしくなる。でも、もう俺はそのことだけでいっぱいで、宿舎の脱衣所という空間にもかかわらず、最後までやってしまおうと思った。
 俺はもう一度、円堂のユニフォームを胸に抱きかかえた。
「円堂……っ!」
「風丸くん、いるのかい?」
 あんまり夢中になっていたから、脱衣所のドアをノックして開けられたことに気づくのに、一瞬遅れた。
「風丸くん……」
 脱衣所に顔を覗かせたのは、ヒロトだった。


「風丸くん、ごめんね。部屋にいないようだったから、まだ風呂かと思って呼びに来ただけなんだ。覗くつもりじゃなかった。ああ、勿論さっきのことは誰にも言わないよ。それだけは君に約束する。絶対だ」
 ヒロトの弁解を、俺はベッドの上で膝をかかえて聞いていた。
「ごめん。びっくりするよね。あんなこと見られてしまったんだから。でも、恥ずかしがることなんて全然ないよ。誰だってすることだから」
 ヒロトはそっと、なだめるように俺の背中を撫でさすった。
「誰でもするって……」
「うん」
「するわけないだろ……!」
 恥ずかしさのあまり、俺は自暴自棄になる。いつもなら、仲間たちにかけないような、攻撃的な言い方をしてしまった。
「するよ」
 けれど、ヒロトはきっぱりと言う。
「俺もするよ。いつも円堂くんに触ったり、触られたりする想像をしながらね」
 俺はびっくりして顔をあげると、ヒロトの顔を見た。ヒロトは頬を赤く染めて、夢見るような表情だ。
「俺の想像の中で、円堂くんは俺のことだけ見つめてくれて、俺の体に触れてきたりキスしてくれたりするんだ。だから俺も、円堂くんの肌に触れて、熱いところにキスを返したり舐めてあげるんだ。そうすると円堂くんはとても気持ち良さそうにする」
 ヒロトの声は次第に高くなり、甘ったるそうな顔をする。疼くように心臓の辺りを手のひらで撫で回すと、堪らないとでも言うように吐息ををはいた。
「ね。同じだろう?」
「あ、……いや、う、うん」
 いきなり聞かれて俺は否定さえできずに、ただ、頷くしかなかった。するとヒロトはにっこりと笑う。
「うん。やっぱり」
「で、でも。実際の円堂はそんなこと……しない、ぜ?」
「そんなことは分かってるよ。って言うか、円堂くんが俺の想像通りのことするわけないよ。だからこそ俺は円堂くんが好きなんだ」
 ヒロトの言うことは、にわかには信じられなくて、俺は思わず眉をひそめる。
「風丸くんは」
「えっ?」 「風丸くんはどうなの。ホントのところ」
 ヒロトは容赦なく核心を尋ねてくる。俺は無視できなくて、でも、はっきり口に出せなくて、心の底から参ってしまった。
「そ、それは……」
「円堂くんが見返りしてくれるって、思ってる?」
「俺は……」
 そんなことは決まってる。
「俺はそんなの期待してない」
 ヒロトにはっきり言ってやった。そうしたら、彼は翠いろの目を細めて微笑んだ。その瞳は、優雅でどこか哀しげだった。
「ああ……、俺の見こんだ通りだよ。やっぱりきみと俺とは同じなんだ」
「同じ、って」
「同じなんだよ、俺たちは。同じひとを好きになって、同じように恋い焦がれて、想いを告げられずにいる」
 ヒロトの瞳を見ていると、何だか吸い込まれそうになる。見覚えのあるその視線は、以前福岡で見たものと同じだった。ヒロトがグランと名乗って現れたそのときと。
 胸の奥で、警告音が鳴り響くのを感じる。危険だ。それ以上、深入りするな、と。
 でも、ヒロトの言葉は俺の心を揺さぶる。逆らえなくなりそうになりながらも、俺はヒロトの瞳から目を逸らすことができない。
「ねえ、風丸くん。俺たち、もっと仲良くならないかな。お互い円堂くんのことを好きなんだ。気持ちを共有するべきだよ!」
 昨日も同じことを言っていたな。と、思い出したが、俺にはヒロトの目的が一体何なのかは、いまだに図りかねてる。
「共有ったって。そんなことして、どうする気だよ?」
 ついつい、ぶっきらぼうになる俺の声。だけどヒロトはそんなの、お構いなしのようだ。
「ひとりじゃ、辛いって時もあるだろ? でもふたりなら、同じ気持ちを分かち合えるし、ときには慰めあうことだってできる」
「慰めあう、って」
 ヒロトの翠いろの目が、妖しく煌めいて、なんだか無性に怖くなった。ベッドの上で座りこんでた尻を後ずさる。 「風丸くん。さっき、きみは円堂くんを思って、ユニフォームに気持ちをぶつけてたじゃないか。どうせ慰めるんなら、ふたりの方がずっといいよ」
「いや、俺は」
「ひとりでこっそり永遠に伝わらない気持ちを抱えたままでいるのは、辛くない? ふたりなら、その辛さだって和らぐ」
 耳を塞ぎたかった。これ以上ヒロトの話を聞いていたら、頭が変になりそうだった。ヒロトの声は妖しくて、かたく閉じて保っていた心の奥底がほころんで、零れてしまう。
「やめてくれ!」
 俺はやっとの思いで声を絞りだした。
「出てってくれよ。俺をこれ以上、振り回さないでくれ!」
 そこまで言うと、俺は立てた両膝に顔をうつぶせた。体を縮こませて、身を護る。
「……ごめん」
 気遣う声でヒロトは言った。
「風丸くんの気持ち、考えてなかったね。確かにそんなこと、いきなり言われたら誰だって、変に思うよ」
 ヒロトは済まなそうに俺の肩にそっと手をおくと、ベッドから立ち上がった。
「それじゃ、退散するよ。でも、気持ちが変わったのなら、いつでも言ってくれないか。俺はずっと待ってるから」  そう言い残して、ヒロトは出て行った。俺はベッドの上に取り残される。
 悪いとは思うけれど、俺にはヒロトの考えてることがさっぱり分からなかった。
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 次の日も朝から猛特訓だ。昨日みたいな失態はもう二度とするもんかと、心に決めた。円堂はいつものキーパーユニフォームに身を包んでる。俺がつい、使ってしまったあのユニフォームはまだ洗濯中だろうから、円堂がいま着てるわけじゃないけれど、深緑とオレンジ色のコンビのシャツを見てると、胸がちりちり痛む。
 いくら後悔しても、自分がしてしまったことは元には戻らない。確かに、円堂のユニフォームを抱きしめてるだけで凄く興奮した。でもあいつに、ヒロトにそれを見られた今となっては……。
 フォワード陣のところで特訓中のヒロトを、そっと伺った。昨日、あいつが言ってたことが鮮やかに浮かびあがる。
 あいつも俺と同じように……してるって言うのか。
 そう思い出してたら、ヒロトと目があった。ヒロトは俺と視線が合うと、ふっと微笑みを返す。俺は……顔が熱くなるのを感じて、そっぽを向いた。
 ダメだ、ダメだ。
 こんなの絶対に。
 必死に胸に蓋をして、忘れてしまおうとする。いまはそんなこと、考えてる場合じゃない。目の前のボールを追え。
 けれどどんなにサッカーのことを考えようとしても、いつの間にか気持ちは胸の内から溢れてこぼれ落ちてく。
「ひとりは辛くないかい?」
 ヒロトは昨日、そう言ってた。
 たったひとりで。
 誰にも想いを打ち明けられずに。
 ヒロトも俺と同じように、辛い気持ちを抱えてるのか。
 目の前に転がるボールを思いきり蹴る。ボールは勢いをつけて、グラウンドを走ってくけど、気持ちが晴れることはなかった。
 頭上の空は、雲ひとつないのに。


 その夜。俺はヒロトの部屋にいた。結局その日一日中、俺の中からヒロトのことを消してしまうのは無理だった。
「風丸くん」
 ヒロトは心底嬉しそうだ。
「絶対来てくれると思ってた」
 俺はでも、部屋の入り口に突っ立ってるばかりで、ヒロトのそばには近寄れなかった。
「お、俺はその、」
 何やってるんだ、俺は。内心、自分自身に呆れてる。
「その……」
 息が詰まる。体はゼンマイがきれたからくり人形みたいに動けない。
 ヒロトはそんな俺を見て、にっこり笑うと、腰掛けてた椅子から立ちあがった。
「緊張してるのかい? それとも……おびえてる?」
「おびえてなんか!」
 つい、怒鳴ってしまった。ああ、こんなことしたいんじゃない。俺は……。
 顔を伏せて首を振ってると、ヒロトが近づいてくる気配がする。ヒロトの手が、俺の首元に触れた。
 びくついて顔をあげた。
「ああ、驚かないで。リラックスだよ、風丸くん」
 ヒロトは耳元で囁くと、手を回してそっと背中をなでた。
「おびえなくて良いよ。俺のこと、受けいれてくれるだけでいいんだ」
「受けいれる……お前を?」
 ヒロトは「うん」と頷いた。
 俺はただ知りたい。お前がひとりでの行為がどんなに辛く思ってるかを。
 それは俺が感じるより、もっと苦しいのか、それとも。
 ヒロトは右手で俺の背中をさすっていたが、やがて左手を添えると、俺を抱き寄せてきた。
「うわっ!?」
「驚かないで」
「いや、だって」
 俺が慌ててると、ヒロトはくすっと笑みを見せる。
「目、つぶって」
 ヒロトはそう囁いて、俺に促す。どうしようかと思ったけど、言う通りにした。そしたら、こう言われた。
「風丸くん。この手は俺の手じゃない。円堂くんの手だ」
 俺の頬をヒロトの頬がかすめる。
 何を言ってるんだ、ヒロト。お前の手が円堂の手であるわけがない。
 そう、言い返してやりたかったけど、ヒロトの手が俺の腰を宥めるようにとんとん叩くので、何も言えなかった。  目を閉じた暗い世界の中で、俺はヒロトの体温を感じている。ヒロトの肌は色が白く透き通っているけど、暗闇の中ではそれも見られない。頬と、上半身に感じる暖かさ。耳元をかすめる吐息。
 なんだか、本当に円堂に抱きしめられてる気がした。これは錯覚だろうか。
「風丸くん、きみも俺をぎゅっと抱きしめて。同じようにさ」
 ヒロトに乞われるままに、俺もヒロトの体を抱きしめた。体の内に火が点いたみたいに思えた。
「ああ……。円堂くん」
 ヒロトも俺の手を、円堂の手だと思い込んでるのだろうか。うっとりと溜息をついている。
 突然、熱い抱擁は解かれた。どうしたのかと目を開けると、ヒロトは俺を見てにっこりしてる。頬が上気していた。
「どう? 風丸くん」
「『どう』って言われても……」
 そんなこと訊かれても。俺はなんて答えればいいんだ?
 俺が答えに窮していると、ヒロトはベッドを示した。そこに座れと言うのか。それとも。
 俺は困惑しながらも、ベッドの端に注意深く座った。ヒロトは口元に笑みを浮かべて、俺と向かいあう。
「風丸くん。昨日はあれで満足したかい?」
「満足って何が……?」
 そう尋ねて、はっと気づいた。昨日のって、俺が円堂のユニフォームでオナニーしてたことかよ。とてつもなく、恥ずかしくなる。
「途中だったよね。俺が入ってこなかったら、最後までやれたのに。お詫びと言っては何だけど、今夜は最後までしてあげるよ」
 最後まで、ってどう言うことだ。頭の中が疑問符でいっぱいになっていると、いきなりヒロトは俺の股間に手を乗せた。
「ヒ、ヒロト! いきなり何を!?」
「うん、まだ勃ってないね」
 ヒロトの手が、俺の股間を撫でだした。
「や……やめろよ!」
「あれっ? 風丸くんは何故俺の部屋に来たんだい?」
「それは……」
 エメラルドグリーンの瞳が煌めいていた。優しく、そして妖しく。
「大丈夫。さっきも言ったろう? 俺の手は円堂くんの手なんだよ」
 思わず目をつぶる。このままヒロトの目を見ていると、気がおかしくなりそうだ。
「素直だね、風丸くん。そう、そのまま感じて」
 ヒロトの声が耳元をくすぐる。こんなことで勃つわけないのに、俺の股間をヒロトの手はまさぐってる。
「あっ……」
 ジャージの布越しだというのに、ヒロトは巧みに俺を促す。思わず声が出た。
 ヒロトが耳元で笑ってる。恥ずかしくて、俺は居たたまれなくなった。
「ふふ。風丸くんは可愛いなあ……」
 いつの間にか、俺の逸物はヒロトの手でかたく反り返ってる。ジャージの下をヒロトはずり下げた。
「ほら。風丸くんのはもう、はちきれそうだ。すっきりさせてあげるよ」
 俺のをこんなにさせたのは、何処のどいつなんだ。そう言いたかったけど、ヒロトが醸しだす異様な雰囲気に俺は飲まれてしまってる。
 ヒロトの指が俺のを直に触る。
「……ふっ」
 我慢してるけど、つい息が漏れる。俺の反応にヒロトは目を細めた。
 ヒロトの愛撫はとても巧みで、俺の感じるところをピンポイントに攻めてくる。まるでゴールを刺すシュート。
 俺は堪らなくなって、荒く息をついだ。隣の部屋に聞こえてしまいそうで、ベッドカバーをぎゅっと握って必死に声をこらえてた。
 空気にさらされた下半身が汗ばむ。頭の中は真っ白になって、全神経がヒロトの触れる場所に集中している。
 ヒロトの指遣いが激しくなった。
「あっ……あっあ!」
 ダメだ。そう思ったころはもう、俺はヒロトの手の中に熱い迸りを吐きだしてた。
「風丸くん」
 ヒロトは満足そうに俺に微笑みかける。
「気持ち良かった?」
 俺はヒロトを睨んだ。こんなことして何が楽しいんだ?
 ヒロトは俺が睨むのもお構いなしに、ティッシュを箱から引き出すと、俺のもので汚れた手を拭った。
「いっぱい出たね。もしかして溜まってた?」
 そんな恥ずかしいこと、よく言えるもんだ。目を伏せると、今度は再び俺の股間に手を出してきた。
「うわっ!」
 慌てて飛び退くと、ヒロトは苦笑いした。
「こっちも綺麗にしなきゃ。……それとも、俺の口でして欲しい?」
 バカなこと言うな。俺は思いきり首を振った。
「自分で拭く」
 そう言うと、ヒロトは箱から新しいティッシュを出してよこした。
「はい」
 ヒロトの手からティッシュを奪い取ると、俺はだらしなくなってしまった自身を拭う。放出した開放感はあるものの、それがヒロトの手の中と言うことと、俺が出した白く濁ったものがべたべたとしてて気持ち悪い。
 情けなくて涙が出そうだ。
「風丸くん」
 使用済みのティッシュを丸めてると、ヒロトがゴミ箱を抱えて差し出した。俺は溜息をついてそこに入れた。
「迷惑だったかい?」
 俺は咄嗟に、どう答えたらいいのかわからなかった。黙ってると、ヒロトはそのエメラルドの瞳を揺らして、俺に何か訴えかける。その色はとてつもなく悲しげだ。
 ああ、まずい。こんな目で見られてしまうと、俺はついついお節介をかけたくなる。胸の奥がずきずきする。
 悪い癖だと思う。でも目の前に困ってる奴がいると、うっかり手を差し伸べてしまいたくなる。
「いや……その。あ、ありがとう……」
 でも、どう話しかければいいのか分からなくて、とりあえず礼だけ言った。
「どういたしまして」
 にっこりと笑顔が返ってくる。
「風丸くんが満足してくれたのなら、それでいいよ」
 なんだか申し訳なくなる。俺は熱を放出できて満足したけれど、ヒロト自身はどうなんだろう。ヒロトは俺にも同じことを求めてるんじゃないのか?
「ヒロト。お前も……俺にして欲しいのか?」
 恐る恐る訊いてみた。エメラルドの目が細くなった。
「それは……風丸くん次第かな。無理矢理は趣味じゃないんだ」
「そ……」
 俺は選択を求められてる。ヒロトを満足させてやるか、それとも突っぱねるか。たださっき、自分だけが気持ちいい思いをしたのが、後ろめたかった。
「……秘密、だぞ」
「うん?」
「誰にも言うなよ。こんなこと」
「当たり前じゃないか」
 ヒロトは笑い飛ばす。
 もう、引くに引けない状態だった。
「男同士だから、どこが気持ちいいか分かるよね。自分がしてもらいたい所を刺激するといいよ」
 アドバイスに従って、俺はさっきしてもらったみたいにヒロトのを摩った。自分で見たこともない角度からのそれは、なんだか俺と同じモノじゃなく、全く別の物体に思える。
 指を添えて扱き、特に感じそうな箇所を攻めると、ヒロトは蕩けるように体を震わせた。
「あっ……は。いいよ、風丸くん。いや、円堂……くん」
 ヒロトはうわずった声で円堂の名前を呼び始めた。ああ、そうか。ヒロトにとって、俺の手は円堂の手なんだ。
 異様な光景だった。俺はヒロトの局部をねっとりと攻め、ヒロトは円堂の名を呼びながら、俺に扱かれて甘い吐息を吐いていた。
 やがてヒロトは極限に達したので、噴き出させたものを俺はティッシュで拭いてやった。ヒロトは目を半開きにして、ベッドに体を横たえた。
「ありがとう……風丸くん」
「あ、ああ」
 体を弛緩させうっとりしているヒロトに、俺が毛布をかけてやると、そう礼をいわれた。複雑な気分だ。早くここを出なきゃな……。
「ヒロト。俺、もう部屋に戻るぜ」
「うん……。おやすみ風丸くん」
「ああ、おやすみ。明日も練習で早いからな」
 俺とヒロトが秘密の関係を持ったのは、こういう経過だった。
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 日々の練習に次ぐ練習で、夜にはチームのみんなはぐったりしている。夕食をとったあとの恒例の自習時間には、欠伸をこらえて問題を解いてるヤツや、机に突っ伏して惰眠を貪るヤツが大半だ。円堂は問題を解いてるよりも、まだ特訓し足りないって顔だ。久遠監督の言うところだと、適度な休息も基礎的な体力づくりには有効らしい。
 監督の考えも尤もだとは思うけれど、そのぶん体を動かしたいと思う円堂の気持ちもわかる。特に、こんな切ない気分のときは……。
 テーブルの向かいで鼻の下に鉛筆をはさみ、プリントの問題なんて上の空でサッカーに没頭してる円堂を見てると、ぎゅっと抱きついて胸の中に飛び込んでしまいたい、なんて思ってしまう。
 ダメなんだ。こんな考えを持つのさえ。
 自分でたしなめるけど、一度浮かんだ欲望はどうしようもなく俺を誘惑する。
 堪らなくなって、視線をそらすとヒロトと目が合った。ヒロトは俺に気づくと、ふっと微笑みを浮かべて合図する。
 俺はどきんとした。
 それは、秘かな宴のはじまりだった。


 ひっそりと深い夜の闇の中、ヒロトと俺は円堂のことを思い浮かべながら、行き場のない欲情をぶつけ合っていた。裸になり互いに手と指とで撫であう。
 挿入はしない。ただ扱いてやるだけ。
 たまに屹立したモノとモノで擦りあう。敏感な箇所同士で刺激すると、堪らなく気持ちがいい。
 ヒロトの、どちらかと言えば青白い肌が俺の愛撫でほの紅く染まるのが、俺にはとても可愛らしく見えた。
「風丸くん、良かった?」
 俺が欲を吐きだすと、決まってヒロトはそう訊いた。
「ん……」
と、頷くと嬉しそうな顔で応えるのが、どこか誇らしい。
 でも、お互い溜め込んだものを出して、気怠い体をベッドに横たえると、立ち昇っていた熱は急速に冷めていく。それにつれて、俺は虚しさを覚える。
「俺、戻るぜ。もう……遅いし」
 脱ぎ散らかした下着とジャージをつけると、言い訳してその場を去ろうとした。すると、ヒロトは俺の手をそっと握った。
「風丸くん。……また今度」
 握られた手が熱い。思わずたじろいだ。
「あ、ああ」
 急いでヒロトの部屋を出て、廊下で大きく息を吐くと、開け放たれた窓からそよぐ潮風の匂いがした。満月が真上にあるので、夜中近いのに案外明るい。
 俺は窓辺にもたれて、冷んやりとした潮の香りでしばらく頭をさらした。


 そんな日々がしばらく続いた。ヒロトとは、自然に日中も一緒にいることも多くなった。
「風丸。お前、最近ヒロトと仲いいんだな!」
 なにも事情を知らないはずの円堂が、ある日そんなことを言った。
 俺は曖昧に頷くと、円堂はいつもの太陽のような笑顔を俺に向ける。
「ほら、本戦に入る前に緑川が抜けちゃっただろ。ヒロトのヤツ、そのこと気にしてたみたいだからさ~」
 緑川はヒロトと同じ養護施設の出身で、アジア予選まではイナズマジャパンのメンバーだったが、体力不足の為本戦からは外れてしまった。俺は合宿所にいる間、緑川の面倒をよく見てやったので、円堂はそれを覚えていた上でそう切り出したんだろうか。
「あいつは別に、そんなことで落ち込んでるようには見えなかったぜ?」
「けどさ。お前が話しかけてくれるから、寂しくないんじゃないか? よく笑うようになったし!」
「気にかけてたのか……」
 なんのかんの言っても、円堂はまわりをよく見てる。でも、ヒロトが抱えている本当の想いは円堂には一生通じないんだろうな。そう考えたら、あいつが憐れに感じる。
 それは多分、俺自身の気持ちも……。
「うん。でも普段はヒロトばっかり構うワケにはいかないだろ。風丸が相手してくれるのなら、すげー助かる。って思ってさ」
「キャプテンだからな。お前は」
 俺がそう言うと、円堂は「へへっ」とにやけた。
 ああ、これで良いんだ。
 たとえ自分の想いが通じなくても、円堂に頼りにされるのなら、それだけで充分だ。これこそが、昔から培ってきた絆だ。
 でも、それを持たないヒロトはどうするのだろう?
 昼飯後の食堂は俺と円堂しかいなくて、他のみんなは自室でしばしの休息を貪っているはず。ヒロトもおそらく……。
 俺はなんとなく気持ちが落ち着かなくなり、ヒロトを訪ねてみようかと食堂を出た。選手ひとりずつに与えられてる部屋は二階にある。階段を昇ると、出くわしたのは豪炎寺だった。
「風丸」
 俺を呼んだから、なにかあるのかと思ったけど、当の豪炎寺は別に用はなかったみたいだ。
 ただ、なにも言わずに俺を見つめてるだけだった。


「風丸くん。イカロスの話を知ってるかい?」
 その晩ヒロトの部屋を訪れて、いきなり出た話題がそれだった。
「イカロスって……、ロウソクの羽根で空を飛んだヤツだったっけ?」
「そう。昔のこと、ギリシャにイカロスって少年がいたんだ。彼は父親と共に閉じ込められた迷宮から、ロウで固めた翼で太陽をめざした」
 小学校のころ、そんな歌を聴いたことがある。確かその歌詞では、イカロスは悲劇的な結末を迎えてたハズだ。
「でも、ロウの翼はあまりにも脆くて、熱い太陽に近づくと溶けてしまうんだ。イカロスの体は耐えきれなくて空からまっ逆さに落ちてしまった……。可哀想だよね」
 どうしてヒロトは、こんな例え話をしたのか。嫌な予感で身震いした。
「俺たちはイカロスだよ。円堂くんという太陽に恋い焦がれてる。でも、不用意に彼に近づこうとすると、その炎で焼け落ちてしまうのさ」
 ああ、やっぱり……。
「でもイカロスは身を焦がされるのも厭わずに、太陽を目指したんじゃないかな。待っているのが破滅だとしても、愚かなロウの翼で飛び立たずにはいられなかったんだ」
 俺にはヒロトの言いたいことが、ある意味理解できるけど、でもやっぱり分からないな……と思った。何も言えずに黙っていると、ヒロトはにっこりと笑みを浮かべた。
「風丸くんは円堂くんの何処が好きなんだい?」
 ヒロトは突拍子もなく話題を変えてくるので、すぐに対応できなくなるのはしょっちゅうだ。
「何処って……。あいつは」
 胸の内に円堂の屈託のない笑顔が浮かぶ。小学校の頃からずっと一緒だったから、それはまるで空気のように思えるけど、思えばあの笑顔に俺は癒されてたと気づく。言葉なんかなくたって、側にいるだけで感じられていた。
 俺はそのことをヒロトに告げると、納得して頷いた。
「そうだね。それこそが円堂くんの良さだ」
 俺はなんだか、心がくすぐられた。
「風丸くん。きみは可愛いなぁ」
 急になに言い出すんだ。俺は恥ずかしくなって、ヒロトを睨んだ。


 強豪イギリスチームとの試合を辛くも勝利で抑え、俺たちは次のアルゼンチン戦に向けて特訓の日々を過ごしていた。みんなは気合い十分だったが、鬼道が何故だか、焦ってる感じなのが気になった。
「鬼道のヤツ、なにかあったのか?」
「う~ん。俺も気になってるけど……」
 円堂にそれとなく訊いてみたが首をひねるだけで、よくは分からないみたいだ。本戦から代表入りした佐久間が鬼道といつもつるんでるので、尋ねてみると妙に渋い顔をして、
「……不動の所為じゃないか?」
と答えた。
 不動は前から鬼道に突っかかっていたので、またか、と思ったが、最近のあいつはそれほど煩くないはずだ。
「不動がなにかしたのか?」
 理由を知ろうと訊いてみると、佐久間は何故か複雑そうな顔で、
「いや……。悪さをしたってワケじゃないんだ」
と、お茶を濁す。終いには、
「お前たちが心配するようなことじゃないさ。鬼道はちょっとナーバスになってるだけだ」
そう言って、何もないような振りをする。
 なんだよ、却って気になるだろ。
 俺はもう一度、円堂に相談してみた。すると今度は、円堂は親身になって俺の話を聞いてくれた。
「分かった。俺、それとなく鬼道に訊いてみる。お前はもう気にすんなよ。任せとけって」
 胸を張って、拳でぱんと叩く円堂。やっぱりいいなぁ。こんな円堂だからこそ、俺は頼りにしてしまうのかもしれない。
 このとき円堂に相談したことで、とんでもない事態になるだなんて、俺は全く思いもよらなかった。


 次の日、身が入ってないのを理由に、監督から練習参加から外された鬼道と佐久間を追って、円堂が一晩合宿所を留守にしてしまった。
「何処にいるんだよ、お前。全然帰ってこないから、みんな心配してるんだぞ!」
 その晩遅くに、円堂からかかってきた電話を受けて、俺は憤りをぶつけた。
「ごめんっ。ちょっとトラブルに合っちゃって……。鬼道と佐久間、それに不動も一緒だよ。明日にはちゃんと戻るから」
「だから、何処にいるんだって?」
「イタリア街さ」
「イタリア?」
 ライオコット島のイタリア街は合宿所のある日本街からはかなり離れている。
「一体、なんでそんなとこに……?」
「ああ、イタリアチームのフィディオたちとも一緒なんだ。彼らが大ピンチでさ。とにかく、次の試合は明後日だから、迷惑はかけないよ。心配すんな!」
 円堂の話は、全くと言っていいほど埒が明かない。詳しく聞きたかったが、必要最低限を言うだけで、通話は即座に切られた。
「円堂っ? 円堂ってば」
 無残に受話口から響く電子音に舌打ちして、俺は電話を切るとみんなに円堂からの連絡を伝えた。もちろん、納得はされなかったが……。
「ったく、四人揃ってどこほっつき歩いてるんだ。試合が近いだろうが」
「イタリアっすかぁ。ピザにラザニアにジェラート。美味しそうっすねぇ」
 染岡なんかは不信がってるし、壁山は食べ物のことで羨ましげにしている。
「まあまあ。心配すんなって言ってんだし。円堂のことだから大丈夫だろ」
 楽観家の綱海がなだめると、他のヤツらも同調して、円堂たちが留守の間に目一杯特訓してビックリさせてやろうという話に収まってしまった。
「じゃあ、俺と豪炎寺さんとヒロトさんで出す必殺技、完成させましょう!」
 一番年下の虎丸が自信ありげに言う。全くみんな、気楽なものだ。
 おそらくみんなの中で、不安なのは俺だけ……なのかもしれない。
「風丸、お前心配そうだな」
 豪炎寺が俺の顔色を伺ったので、平気な振りをした。
「大丈夫さ。円堂はすぐ面倒ごとに首を突っ込む……。いつものことだぜ」
「大丈夫そうには見えないが」
 豪炎寺は結構鋭いから、俺の精一杯なんてたちまちバレちまう。
「平気、平気。ただ、連絡が遅すぎたからムカついてるだけだ」
「そうか……なら良いが。心配ごとがあるのなら、いつでも相談してくれ」
 俺にそう言うと、豪炎寺は自室に戻ってしまった。
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5 / 10

「初めてだね。円堂くんのいない夜」
 その日の晩もヒロトと共に過ごした。俺の顔をみて慰めの言葉をかける。
「風丸くん。寂しい?」
 ヒロトの手が、ジャージの上から俺の股間をくすぐる。でもなんか、俺はノリが悪い。
「別に……寂しくなんか」
 心の中は切ない気持ちで一杯になっている。たったの半日、円堂の姿を見れないというだけで、俺の胸は千々に乱れてる。重たいものがぐるぐる駆けめぐって、気分が塞ぐ。
「俺にはホントのこと言いなよ。大好きな円堂くんがいなくて、寂しくてしょうがない、って」
「う……」
 ヒロトも相当鋭かった。まあ……、俺の気持ちを知ってるからだろうけど。
「寂しいさ。でもそれでグダついてるのも、バカらしいし……」
 そう言うと、ヒロトは苦笑いする。
「そうだね。円堂くんがいないから、俺もつまらないな」
 軽く溜息をつくと、ヒロトは俺の顔をじっと見上げた。
「でも、俺には風丸くんがいる。だから、ちょっと寂しくない」
 急に悪戯めいた表情を浮かべると、ヒロトは俺をベッドに押し倒した。
「おい。何するんだ?」
 いきなりだったので、戸惑ってしまった。
「風丸くん」
 甘えた声を出して、ヒロトは俺のシャツをめくって、中に指を差し込んだ。白く透きとおる手が俺の肌をかすめた。
「……あっ!?」
 俺の乳首が冷たい指でつままれる。びくんと、俺の体が反応した。
「風丸くん……。これ好きかい?」
「や……やめろよ」
 俺が睨むのもなんともせず、ヒロトは俺の乳首をこねくり回した。初めて味わう刺激に、俺はめまいがしそうになった。
「あれ? 風丸くんは満更でもないって顔だよ。気持ち……良いんだよね?」
 俺の上に馬乗りになって、ヒロトは俺の胸に悪戯をしかける。ヒロトが弄る先から、なんとも言えない甘い感覚がじんわりと広がって、思わず体を委ねそうになる。
 ちっ、畜生。気持ちいいよ、くそっ!
「風丸……くん?」
 語尾をあげて、ヒロトは俺に答えを求めた。仕方なく頷いたら、にやりと笑った。
「やっぱり風丸くん、可愛い」
 転げるような笑みを浮かべると、ヒロトは馬乗りの姿勢から、前のめりになった。何をする気だと伺ってると、俺の胸をやわやわと揉み始めた。
「バカ! 女の胸じゃないんだぞ」
 罵倒してもヒロトは、俺の薄い胸を愛おしそうに撫でて、あまつさえ乳首を口に含んだ。
「うわっ!」
 俺の胸の先は、ヒロトのざらついた舌で、ちゅうっと吸い上げられる。歯を軽く立てて甘噛みしたり、舌先で転がしてきた。
「待て待て待てって! 待てよ、ヒロト!!」
 俺は必死にやめさせようとするけど、ヒロトは構わず俺の胸に吸いついてる。やめろって、マジで。頭変になりそう。
「おっぱい出ないなぁ……。飲みたいのに、風丸くんのおっぱい」
「バカ、出るワケないだろ!」
 俺はヒロトの頭を引き剥がそうとした。でも、俺の胸をさわさわと揉んで、乳首を口に含んでるヒロトは、なんと言うかその、まるで赤ん坊みたいに思えてきた。そう思った途端、抵抗する気が消えてしまう。俺はされるがままになって、ただ、ヒロトの頭を撫でていた。


 翌日、円堂たちを欠いた俺たちにもたらされたのは、突然の試合日の変更だった。
「大変です~! アルゼンチンとの試合、開始が早まりました!」
「早まったって……、いつだよ?」
 マネージャーの音無に染岡が尋ねる。慌ててる彼女の代わりに、木野が教えてくれた。
「それが……今日の二時半からですって」
「おいおい。まんま一日前かよ!?」
 綱海と土方が顔を見合わせて、あんぐりと口を開けてた。
 いきなりの試合日繰り上げ。みんなに動揺が走るのは無理もない。一日分の練習時間が減らされるのだから。しかも……。
「円堂も鬼道も、まだ戻ってこないじゃねぇか。どうするんだ?」
 染岡が渋面で俺を見た。
 一番の問題はそれだ。昨日の円堂の電話では、今日には戻ると言っていた。時間の詳細は聞いてない。
「監督の指示を仰ぐべきなんじゃないかな」
 ヒロトが助け舟を出してくれた。だが、今朝は未だに監督たちの顔を見ていない……。
「そのことなんですけど……」
 マネージャーの久遠が青ざめた顔で前に進みでた。彼女は監督の娘なんだ。
「お父さんは……朝から実行委員会に呼ばれていないんです」
「何でこんな時に?」
「じゃ、響木監督は!?」
 誰かが同時に尋ねたので、久遠はびくっと体を震わせてる。
「あの……響木監督も、一緒です」
 彼女の声は今にも消え入りそうだ。
「監督までいないって、どうなってんだよ?」
 みんな、頭を抱えてる。豪炎寺が俺の側に近寄ると言った。
「どうする? 風丸」
「どうするって……」
 豪炎寺だけじゃない。みんなの視線が俺に向いていた。円堂も鬼道もいないとなると、この場を収めるのはわずかな人間しかないから。
 俺しか……いないワケか。
「俺は円堂の言葉を信じる。四人が戻るのを待とう」
「戻って来なかったら……、どうするんですか、風丸くん?」
 目金がファイルを抱えて尋ねた。
「来るさ! あいつらが試合を放棄するワケがない」
「万が一、ということもあるでしょう? 大会規約に寄ると……、試合時間に選手が揃わない場合、試合放棄とみなし、負けとなります」
「そんな!」
「試合もせずに負けなんて、やだよぅ!」
 小暮が、駄々を捏ねるように言った。
「試合時のメンバーは最低十一人いれば良いようです。監督が居ない場合は……登録選手以外の代理を立てれば大丈夫ですが」
「キャプテンはどうするっすか?」
 壁山が不安げな声を出した。
「キャプテンは、風丸くんが良いんじゃないかな? みんなを纏められるのは、風丸くんしかいないと思う」
 みんなが、互いに顔を見合わせてると、ヒロトが俺に目配せした。
「お、俺……?」
 思わず身じろぎした。でも、みんなは俺を見て、納得した顔をしている。
「いいんじゃね?」
「風丸さんなら、俺たち安心できます!」
「俺も風丸が適任だと思う」
 豪炎寺にそう言われてしまったので、俺はもう断ることもできなくなった。
「俺は……」
 俺がキャプテンをやったのは、ダークエンペラーズのときだけだ。あのときは、エイリア石の所為で不安も焦りも感じなかった。でもそんなものとはもう、俺は訣別した。
 今の俺に、みんなを導く力があるのか?
 円堂の背中を思い出す。あいつはみんなの想いをあの背中で背負ってた。俺も……、みんなに応えなければならない。
「分かった……。俺に任せろ!」
 みんなが喜びの声でどよめいた。でも俺が鼓舞してるのは、俺自身なのかもしれないな……。
「俺、余計なこと言ったかな?」
 みんなが試合前の調整に、それぞれグラウンドに向かったとき、俺の顔をヒロトが伺った。俺は首を横に振る。
「良かった。でも、風丸くんを推薦したのは本心だから」
「いや、後押ししてくれたお陰で決心がついたよ」
「俺もなるべくきみをフォローするよ。万が一円堂くんが間に合わなくても、絶対勝とう」
 ヒロトが俺の肩に手をかけて笑いかける。その笑みが俺には、すごく頼もしかった。
5 / 10
6 / 10

 円堂たちは、結局間に合わなかった。監督たちもどうやら来れないようだったが、目金を代理人に立てることで何とかなった。
 問題は……俺たちの力が全く相手チームに敵わなかったことだ。
 いつになく、真上から照りつける太陽の光が、じりじりと俺たちを焼きつける。俺の知っている太陽は、もっと暖かなのに。
 焦りを感じている俺たちに、アルゼンチンチームは鉄壁過ぎた。ヒロトや染岡がどんなに果敢に攻め込もうとも、敵キャプテンのテレスは確実にボールを奪う。なんて、ディフェンス力だろう。それだけじゃない。フォワード陣も強力なシュートをお見舞いしてくる。
「すみません……。俺が不甲斐ないばっかりに」
 ハーフタイムに入って、みんなは意気消沈してる。特に、前半で点を入れられてしまった立向居はしょんぼりと肩を落としてる。
 ダメだ、こんなんじゃ。俺はみんなに気合いをかけるべきかどうか、悩んだ。そのとき。
「風丸」
 豪炎寺が俺にそっと耳打ちした。なにごとだろうと、ベンチから離れて彼から話を聞く。
「後半、虎丸とヒロトを上げて、俺にボールを寄越してくれ」
 豪炎寺の口から出た名前から、三人が新しい必殺技の練習をしていたのを思い出す。
「完成したのか?」
「まだ完璧じゃない。でも、必ず決めてみせる」
 その真剣な眼差しは、俺の胸を確かに打った。
「分かった。ボールはお前に届けるよ。だから頼むぜ」
「ああ、任せろ」
 豪炎寺が頷く。そのあとぼそりと呟いた。
「お前の…………に」
 終わりぎわが良く聞こえない。聞きなおそうと思ったが、審判が後半戦の開始を伝えてきたので、それは後にしようと思い直した。


 試合終了のホイッスルが鳴り響く。結果は敗北……。後半、確かに豪炎寺は虎丸とヒロトとの必殺技を決めてくれた。立向居も必死にゴールを守ってくれた。が、あともう一押し、という所で逆転どころか引き分け持ち込むのさえできなかった。
 まだ明るい日差しがピッチを照らしてる。けれど、俺たちの心には暗く影を落とす。左腕のキャプテンマークが重い……。
 円堂はこんな重圧をいつも感じてたんだろうか。赤いキャプテンマークに触れてみて、その重みを俺は嫌というほど感じてた。
「風丸、お前の所為じゃない」
 豪炎寺はそう言ってくれたけど、円堂たちの留守を護れなかった現実が、俺を威圧していた。
 ピッチに立ち尽くしてたヒロトが、遠くから俺の顔をじっと見ている。不意に、昨日のイカロスの話を思い出した。
 ロウで固めた翼が、熱い陽の光で焦げて溶けてしまうように、俺のサッカープレイも所詮は同じものだったのだろうか。代表に選ばれて、世界の選手たちと競い合えることに有頂天になっていたけれど、本当はそんな実力なんて、てんで程遠かったのかもな……。
 そう思ったら、胸が締め付けられるように苦しくなった。


 円堂たちは試合終了のずっと後になって、やっと俺たちと合流した。お互いに謝ったけど、円堂や鬼道の話だとあの影山が裏で絡んでいた、と聞かされた。それは無理もないな、って思う。特に鬼道のことを思うと、気の毒になる。
 アルゼンチンとの試合が急遽変更されたのも、どうやら影山絡みらしい。
「ひでぇ……。どこまで汚ねえんだよ、影山のヤツ」
 染岡が吐き捨てる。でも俺には、世界に到底届かなかった現実の所為で、そんなことに憤慨する気にまではならなかった。
 夜がきて、夕食の時間になっても、俺の心は暗いまま。無理やり食事を詰め込んだけど、美味しいとか考えるのさえ億劫になる。
「風丸!」
 夕食あとの自由時間。円堂が俺に手招きした。
「なんの用だ……?」
 誘われるまま円堂の部屋に行くと、笑顔でベッドに座れと勧めてきた。一体何なのだろうと、内心首を傾げる。
「今日の試合だけどさ」
「あ、ああ……」
 円堂が合流したときは、既に俺たちの敗北を知っていた。試合会場に向かっていたらしいが、途中で間に合わなくなり、中継放送で経過を見ていたらしい。
「すまん……。俺、お前みたいにみんなを導けなかった」
「なに言ってんだ? 風丸。お前は良くやったよ!」
 円堂のベッドに並んで座ったけど、俺はまともに顔を見れないから、床に視線を向けて謝る。けれど円堂は俺の背中をぽんと撫でた。
「で、でも」
「惜しかったよな。豪炎寺たちの新しい必殺技、完成したのにな。でも、この一敗は明日に繋がる。そうだろ、風丸」
 現金なもんだ。さっきまでの重く苦しい気持ちは、円堂のたった一言で解き放たれる。がんじがらめにされて、奥底に落ち込んでいた心は、あっという間に軽くなり、ふわりと舞い上がる。まるで、羽根が生えたようだ。
「あっ」
 イカロスの翼。
 イカロスが本当に欲しかったのは本物の、自由に飛べる翼じゃないのか。ロウの翼が与えてくれるのは、ほんの、いっときだけの飛行。でも、本物の翼ならいつまでも飛んでいける。
 ……俺が、俺が本当に欲しいものは。
「どした? 風丸」
 円堂が俺の顔を覗きこんでる。俺は軽く首を振って顔をあげた。
「円堂……。俺、強くなりたい。本物の強さが欲しい」
 本物の、どこまでも行ける翼が。
 円堂は一瞬きょとんとしてたけど、俺の言葉を聞いてにっこり微笑んだ。
「ああ。なれるさ、風丸なら! 一緒に強くなろうぜ!」
 そう言って、俺の背中を暖めるように撫でる。涙が出そうになった。


 円堂の存在は俺に勇気を与えてくれる。俺の焦がれる太陽は、そこにあるだけで何も必要なくなる。俺はそれを知った。
 けれど、ヒロトはどうなんだろう?
 ヒロトはロウの翼を捨てて、本物を手に入れる勇気があるんだろうか。
 笑顔での部屋を出たあと、ヒロトに呼び止められた。すぐさま部屋に招き入れたヒロトは、俺をベッドの上に誘った。
「風丸くん」
 妖しげな瞳が、三日月みたいに細くなって揺れていた。
「あれ? もう落ち込んでないんだ。慰めてあげようと思ったのに」
 俺の頬を白い両手で包みこんで、不思議そうに首を傾げる。
「あ、もしかして円堂くんが……?」
 思い当たったのかそう言うので、俺は頷いた。
「じゃあ、俺の出番はないかな?」
 軽く苦笑いする。なんだか、気の毒だ。
「仕方ないね。……でも、体の方は流石に……」
「んぁ!」
 いきなり、シャツの上から俺の乳首をいじってくる。やべえ……感じるっての。
「ふふっ、堪らないみたいだね。ここが風丸くんの弱点なんだ」
 イタズラをしかける悪童みたいに、ヒロトはにやりと笑うと、俺の股間に手を伸ばす。ジャージの生地の上を手で滑らせた。
「ちょっと触っただけなのに、こんなに硬い。風丸くん……」
 俺の股の間をまさぐりながら、器用に口で俺のTシャツを捲くしあげた。胸元を舌先でつついたあと、口に含む。濡れた咥内が音を立てて俺のをしゃぶった。
 くそっ! 気持よすぎて頭がくらくらする。思わず
「はぁ……っん」
と、牝猫めいた声が出ちまった。
「風丸くん……。本当に可愛いなぁ」
 くすくす笑うと、ヒロトはちゅっと乳首を吸いあげた。
「……やめろよ。そういうの」
「ダメ。風丸くんが可愛いすぎるからもっと感じさせてあげなくちゃ」
 苦言を呈しても、ヒロトは俺の言うことなんか聞かなかった。片手をジャージの中に侵入させ、俺の硬くなった中心をいじり始める。
「ん……あぁ」
 ヒロトの愛撫はとても巧みで、俺の感じるところを的確に攻める。シーツの上で快楽にのたうち廻って、俺は切なくなった。でも心の隅では、なんとなく冷めてる。
 こんなことしてたって、本当に欲しいものなんか手に入りやしないのに……。
 絶頂まで追いつめられ、俺はヒロトの手の内に欲を吐きだした。それをティッシュで拭いながら、ヒロトは目を妖しく細める。
「風丸くん……。俺は、円堂くんのことが好きなきみがとても好きだよ……」
「え?」
 ベッドに体をゆだねて、夜の寒さにほてった肌を冷ましていると、ヒロトは俺に覆いかぶさってきた。顔を近づけ、俺の唇にヒロトのそれを重ねようとしてる。
「や、やめろよ!」
 あわてて俺はヒロトの頭を掴むと、突き放した。翠いろの瞳が哀しみに染まっている。
「風丸くん、俺は」
「そういうことはしないって、約束だろ!?」
「そうだけど、俺はきみを……」
 ヒロトは困惑した顔で、どこかおろおろしてる。けれど俺はベッドから降りて、乱れたジャージを直した。
「悪い。それ以上は……だめだ」
「風丸くん」
 なにか言いたげだったけど、俺は急いで部屋を出る。ドアを閉めて、背中を向けた。大きく溜息をひとつ吐く。
 合宿の廊下は微かな灯りだけで、暗闇とまじって物寂しい。もう一度息をついて自分の部屋に戻ろうとして……、ふと、闇の中にぽつんと人影があるのに気づいた。
「風丸」
 それは豪炎寺だった。
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 暗闇に豪炎寺の姿が浮かびあがる。よく分からないけど、なぜだろう。怒ってるように見えた。
「なんだ……? 豪炎寺」
 恐る恐る呼びかける。
「聞きたいことがある」
 そう言ったので、何も考えずに今度は豪炎寺の部屋に行った。今夜はなんて日だろう。円堂にヒロトに……。でも、ふたりの目的はある程度分かったけれども、豪炎寺は俺になんの用があるのか、全く考えつかない。
 豪炎寺の部屋で突っ立ったまま、俺はただ、気難しい顔をした彼を見てるだけだ。
「お前、ヒロトの部屋でなにをしていた……?」
 はっと息を飲む。そうか、ちょうど出てきたところだった。
「なにって、……話してただけだぜ?」
 まさか、互いに体を慰めあってた、だなんて言えるわけないし、そもそも今夜はヒロトにしてやれなかった。……あんなことさえなければ。
 体はさっきの快楽をまだ覚えている。けれども、キスされそうになったときの、なんと言うか不快感がまだ胸の中にわだかまっていた。
 ああ、なんで豪炎寺の前でこんなこと考えてるんだろう。そう思うと、頬がかっと熱くなった。
「話だけか?」
「そうだけど」
 豪炎寺はなんか、苛立ってるように見える。その原因が、俺には分からなくて首を傾げるしかなかった。
「じゃあ、なんで顔が赤いんだ?」
「え」
 ヤバい。豪炎寺は結構聡いから、俺の気持ちなんか、だだ漏れかもしれない。
「いっ、いや! 別に……なんにもないんだぜ。それはホントだから」
「嘘だ」
 いきなり豪炎寺は俺の肩を掴んだ。力が入りすぎてるのか、痛みを感じる。
「いっ……! な、なんだよ。いきなり」
 まったく、なにがなんだか分からない。抗議の声をあげたけど、肩をぎゅっと掴みあげる豪炎寺は、勢いをつけて俺をベッドの上に押し倒した。
「風丸……! お前が、お前が好きなのは円堂じゃないのか!?」
 いきなり出たその名前に、俺は却って異質なものを覚えた。
「好きって。まあ……確かにそうだぜ? 俺のかけがえのない親友だよ」
 それは本当に、心から思う。でも、この間まで抱いていた邪なものなんかなくなってて、純粋な気持ちだけだ。アルゼンチンとの試合は俺を打ちのめしたけれど、代わりに円堂という大切な存在を確認出来たからだ。
「そういう意味じゃないだろう?」
 俺の答えに豪炎寺は苛ついている。でもそんなこと言われたって、俺にはますます、豪炎寺の気持ちが分からない。
「ならなぜ、お前はヒロトの部屋に毎晩のように行くんだ? そもそもお前はそこで何をしている?」
 なんでそんなこと、豪炎寺は知ってるんだろう? 豪炎寺は、俺がヒロトといることが気に入らないんだろうか。だとしたら……。
 考えてみても、余計に理解できない。だって、まるで、豪炎寺は俺とヒロトに嫉妬してるみたいだから。
 嫉妬……? ははっ、まさか。
 苦笑いしそうになった俺を、豪炎寺は乱暴な手でジャージの襟を掴んで締めあげてくる。
「言えよ。言ってくれ、風丸」
 その手があまりにも激しくて、苦しくなった。息ができない。
「……やめて、くれよ。……俺、ホントに……ヒロトとは、話……だけで」
「……してるんだろう?」
「だから、なにを……?」
「…………セックスだ」
 苦々しい顔で豪炎寺が吐きだす。豪炎寺はやはり嫉妬してるのか? 誰に?
「してるわけないだろ」
 それは確かに真実なのに、豪炎寺がそんな風に誤解してることに、何故だか可笑しくなって、俺は呆れ笑いした。
 あとから考えれば、よくない行為だったに違いない。でもそれは、豪炎寺を逆上させるのに充分だった。
「嘘だ!!」
 完全に頭に血が昇ったのか豪炎寺は、俺のジャージの上を左右に引っ張った。無理な力でファスナーが壊れたが、俺も、豪炎寺もそんなことに構ってられなかった。
 俺の思考は停止してしまって、いま起きていることに反応できない。できるだけの抵抗はした。でも、俺の必死は豪炎寺の乱暴な手ですべて封じこまれる。
 俺の両手はベッドに押し付けられ、ジャージ下は下着ごと引き下ろされ放り投げられた。下半身が夜の冷気にさらされる。
「俺はお前が、円堂のことを好きなんだろうと思って、諦めてた。いや。むしろ、相手が円堂だから許してた。でも、円堂以外の奴と付き合うんなら、俺は絶対許さない!」
 なに言ってんだ、豪炎寺。許すの許さないのとか。俺は混乱する頭を抑えて、豪炎寺をなだめなきゃな……と思った。
「あ、あの。お前なんか勘違いしてるぞ?」
 でも豪炎寺は、俺の言うことなんかちっとも聞いちゃくれなかった。
「言い訳なら無駄だ。どうせ訊くのなら、お前の体に訊く」
 融通のきかなさに辟易する。一体どうしちまったんだ? と、思ってるうちに豪炎寺は、自身のジャージも下ろして、俺の両脚をぐっと持ちあげた。
「お、おい! 何を……?」
 急激に寒けを覚えた。俺の体は豪炎寺の目の前であられもなく広げられ、誰にも見せたことのない箇所が晒されていた。
 豪炎寺……。お前、俺を抱く気なのか?
 ごくりと息を呑んだ。
 目の前の豪炎寺は、いつもの、優しく俺を見る表情とは違ってた。
 こんな顔、俺は知らない。
 冷たくて、欲情に溢れてる、こんな豪炎寺、俺は知らない。
 大きく声をあげたかった。
 でもこんなこと、誰にも知られたくない。
 ただ俺は、途轍もなく恐ろしかった。
 あのとき、福岡で遭ったジェネシスとの試合よりも、それよりもずっと恐ろしかった。
 豪炎寺は俺の体をムリヤリ開き、閉じられた箇所をこじ開け、そして乱暴に侵入した。
 まるで焼けた鉄を押しあてる痛み。暖かさとは違う、体を焦がす熱。そんなもので俺は翻弄されていく。
 俺にまたがって体を揺り動かす豪炎寺は、何だか試合のときの真摯な姿じゃなくって、とても辛い顔をしてる。
 俺はただ、吹き荒れる暴風に身をさらして、千切れそうな痛みを抑えて、ひたすら耐えるしかなかった。
 声も出せず、豪炎寺の気が済むまで……。


 すべてが終わったとき、俺は顔を両手で覆って泣きじゃくってた。涙は止まる気配がなかった。豪炎寺は黙ったまま、俺の体から身を起こした。
「俺は……俺は、ヒロトとは恋人とか、そんなんじゃないんだ。ホントだよ……。信じてくれ……」
 俺が言えるのはそれしかなかったけど、豪炎寺は俺から視線を逸らすだけ。それでも、俺の体をタオルで拭いたあと、脱がしたジャージを渡してくれた。それを受け取って、俺はおびえたまま、服を整えると逃げるように豪炎寺の部屋を出た。
 よろけそうな体を引きずって、暗い廊下を抜け、自室に戻る。自分のベッドに横たわって、やっと自分を取り戻した。
 とにかく今は眠ろう、そう思った。なんで豪炎寺が俺にあんなことしたのか、未だに分からないけど。眠ればそれも、夢になっちまえばいい。夢に……。


 朝は浅い眠りのあと、やっと訪れた。あんなに願ったのに、昨日のことは夢でもなんでもなく、ただ事実だった記憶が残されてた。貫かれた箇所はずきずき痛み、どことなく頭が重い。
 多少無理でも、起きあがろうとした。でも、どんな顔をして豪炎寺と顔を合わせればいいのか……。それを考えると、途端に気力が消えてく。
 諦めて、今日は練習を休むことにした。
「風丸、大丈夫か? 昨日の試合ならもう……」
 円堂が心配そうな顔で俺を伺う。そんなんじゃない。アルゼンチン戦のことはもう気にしてないのに、円堂は誤解してるみたいだ。
 でも本当のことなんか言えない。俺はただ、苦笑するしかなかった。
「なんか、顔色悪いぜ。体調よくないみたいだな。うん。今日は休んだ方がいい」
 勝手に納得したのか、円堂は俺を気遣いながらも、練習に赴く。ちょっとだけ、ほっとした。
 理由が理由だけに、後ろめたい気持ちは残ったままだが、俺はやっと安心してベッドに潜り込んだ。横になって布団にくるまれていると、まどろみが俺を包む。そのまま、俺は眠ってしまった。
 夕べはろくに寝てないから、昼まで目を覚まさなかった。マネージャーに昼飯を持ってきてもらって平らげたら、やっと気分が落ち着いてきた。
 ベッドに起き上がって、痛む疵あとに顔をしかめてると、ノックの音がする。てっきりマネージャーの誰かが食事の皿を下げにきたんだろうと思ったら、部屋を覗いたのはヒロトだった。
「風丸くん。ちょっと、いいかい?」
 一息ついて心地良くなった気分にいきなり冷水をかけられた。昨夜のことですっかり忘れてたが、豪炎寺以上にヒロトとは話なんかしたくない。
「悪い。まだ気分良くない」
 俺はそっぽを向いた。
「大事な話なんだ」
「ムリだよ……」
 そう言うと、どこか悲しげな声でヒロトは
「そうだね。後にするよ」
と断ってドアを閉じた。
 ヒロトの気配がなくなると、やっと俺は振りかえる。部屋に充満していた、窓からそそぐ太陽の光が翳っている。俺は壁にもたれて、光が照ったり遮られたりしてるのをぼんやり見ていた。


 夜になってようやく、俺は部屋から出られるくらいに回復した。食堂に行ったら、円堂が「大丈夫か?」と声をかけに来る。
「ありがとう。もう大丈夫さ。明日はちゃんと練習に参加する」
「ホントか! 良かった。みんな心配してたからさ」
 円堂の後ろで壁山が同様の頷きを見せた。鬼道も寄ってきて、俺を伺う。
「風丸、無理はするな」
「平気だよ。やっぱり一日体を動かしてないと、不安になるし」
「ならば良いのだが」
 来るかと危惧したが、ヒロトは黙ったままで俺を見るだけだった。豪炎寺はもう食事を終えたのか、姿を見ない。ほっとして俺は、円堂たちと夕食をとった。
 そのまま課題のプリントを終えた俺は、自分の部屋に戻ろうと、ひとり宿舎の階段をあがった。
「あっ」
 俺の部屋の前に、豪炎寺が居た。
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「済まなかった」
 豪炎寺を部屋に入れてしまったのは、自分でもどうかしてると思う。でも、廊下で騒がれて昨日のことを誰かに知られるのは、一番嫌だった。
 部屋に入るなり、豪炎寺は俺の足元にひざまづいた。両手を床につき、土下座する。
「ヒロトから聞いた。お前とは全く何もないってな。……俺の勘違いで、お前に酷いことをしてしまった。済まない。本当に済まない」
 なんで謝るんだよ、豪炎寺。ワケ分かんねーよ。俺の心をあれだけかき乱して……。
 体が穢されたのなんか、もう、どうでも良かった。ただ、俺にあんなことをした豪炎寺の気持ちが分からない。
「なにを今更……」
 どうしようもなくて、それだけ言うと、豪炎寺はこう返した。
「謝ったくらいで、償いになるとは思ってない。だから、お前の気が済むまで、俺を殴れ」
『殴れ』って……。そんなんで俺の気が済むワケないだろ。俺が知りたいのはそんなことじゃないんだ。
 足元で床に頭をこすりつけてる豪炎寺に、俺は屈んで向きあった。顔が見えないから、手を伸ばして頬に触れた。なぜだろう。豪炎寺の顔は濡れていた。
「え……?」
 豪炎寺の顔を上げさせて、確かめる。細いつり目に、涙が浮かんでる。
「お前……」
 本当に、ワケが分からない。なんでお前は俺なんかの為に、頭を下げてるんだ? こんな、俺の為に……。
「風丸……。俺を殴れ」
 涙を浮かべて、そう訴える豪炎寺を見てると、俺の胸はもやもやし始めた。
 ああ、悪いクセだ。
 こんな風に、俺に何かを求めてる奴が居ると、どうしようもなく手を差し伸べてしまいたくなる。
「お前……なんで俺にあんなこと……?」
 ただ、どうしても知りたかったことだけは聞いておかなくちゃ。そう思った。
「済まない。お前を俺のものにしたかった」
 なんで俺なんかを?
「お前には迷惑な話だろうが……。好きだった、お前が。ずっと前から」
「豪炎寺、お前……」
 なんでだよ。俺はお前に愛される資格なんてないよ。お前からすれば、ヒロトとのことなんか、誤解とは言い切れないのに。でも。
「迷惑じゃないぜ」
「風丸……?」
「謝らなきゃならないのは、俺の方だ」
「なに言ってる。俺はお前に最低な行為をした」
 俺は首を振った。でも、豪炎寺は再び頭を下げだす。
「もう、いいよ。もう……止めてくれ。そんなことする必要ないだろ」
「俺の気が済まない」
 どうすれば、豪炎寺が平謝りするのを止められるのか。俺は考えあぐねてた挙句、もうなにも浮かばなくて、思い切ってうずくまる豪炎寺の背中にそっと手を置いた。
「俺、お前になにをしてあげれば良いのかな?」
 涙で濡れている豪炎寺の頬に唇を寄せる。温もりが冷えた肌に伝わった。
「俺はお前に償いたいだけだ」
「じゃあ、教えてくれよ」
 豪炎寺は顔をあげて、首を捻った。
「俺、お前に教えて欲しいことがあるんだ」
「……何だ?」
 豪炎寺の声はちょっと掠れてた。
「……気持ちいいセックス」
 俺がそう言った途端、豪炎寺は信じられない顔をした。少し呆けたあと、眉をひそめる。
「お前、なにを言って……」
「俺は本気だ。知らないんだ。本当のセックスって奴」
 豪炎寺は黙ってしまった。まるでその場に固まってしまったように、一体の銅像のように。
 俺は固まったままの豪炎寺の手に俺の手を乗せると、鼻を付き合わせるように顔を寄せた。引き締まった、意思の強さを感じる唇に、俺は口づけた。
 昨日、ヒロトに抱いた嫌悪感はなかった。


 豪炎寺の行為は昨日とは全く打って変わってる。まるで壊れもののように、慎重に俺を抱いた。始終、俺の体を気遣ってるのは、後ろめたさの裏返しなんだろうか。
 優しく口付けてゆっくりと俺を慣らしてく豪炎寺は、まさに俺の知ってる彼で、昨日のことは何かの間違いだったんじゃないかと思う。
 豪炎寺のモノで貫かれても、痛みよりもずっと凄いものを味わった。
 そう。俺は感じてしまったんだ。
 初めて味わうその感覚に、俺は翻弄されてしまった。
 これが本当のセックスなんだ。そう思うと、俺はなんだか安心してしまった。
「痛くなかったか?」
 終わったあと、そう訊くので頷いたら、ほっとした顔を俺に見せた。
「そうか。……俺は。凄く良かった」
「昨日は良くなかったのか?」
 訊き返すと、一瞬苦笑いで俺の額に唇を寄せる。
「昨日は……後悔ばかりだ」
 ああ、豪炎寺は苦しんでたんだ。俺以上に……。
 考えてみると、俺は今まで豪炎寺の気持ちに全く気づいてなかった。なんでだろう。ずっと円堂に気持ちが向きっぱなしだったからかと、思い返した。
 いままでの俺は視野が狭かったのか。こんな身近に俺を思ってくれる人がいたのに……。
「あ、あの。豪炎寺」
「うん?」
 体を起こして、豪炎寺に向かいあった。何か、ちゃんとした言葉をかけなくちゃダメだ。そう思った。
「豪炎寺……ごめん。俺……」
 なのに、いざとなると、なにを言えば良いのか。思い浮かばなくて、俺の口から出せたのはそれだけだった。
 だけど豪炎寺は、首を横に振る。
「いや。それは俺が言うべきことだ」
 俺の肩をそっと抱くと、目を細めて呟いた。
「風丸。ありがとう」
 それは、とてつもなく優しかった。
「あ……」
 俺は胸が詰まった。目の前の豪炎寺の姿がみるみるうちに滲んだ。喉から嗚咽が漏れて、頬を流れる涙が止まらない。
「ごっ、ごめん……。俺っ」
 豪炎寺は驚いた顔をして、困ったように手を俺の背中に回した。
「俺、気づかなくて。お前の気持ち……ごめん、ほんとに……ごめん」
「いいんだ。風丸」
 止めたくても、涙は止まらなかった。昨日のあのときから、俺の心は凍りついてしまったけど、いまは、ありとあらゆる感情が湧きあがって、もう止める術を知らない。
「こんな、俺は、嫌なんだけど。……すげえ情けない。すまん……」
 まともに喋るのさえできなかった。どうしようもなくて、俺は豪炎寺の胸に体を預ける。
「誰だってそういうときもある。謝ることなんてない」
 豪炎寺はこんなダメな俺を、ずっと抱きしめてくれた。俺の背中に回して、優しく撫でるその手が安らぎだった。


 俺は決断しなくてはならない。
 俺はもう、ヒロトとはあんなことはできない。あんなことがあって豪炎寺と夜を過ごしたとなっては、そんな資格もないだろう。そして、このままでいるのはヒロトにも豪炎寺にも悪いと思った。
 次の日、午後の練習が終わり、夕食までのわずかな自由時間。俺はヒロトを伴って夕暮れの海岸に佇む。
「なんだい、風丸くん。話って?」
 正直ためらう。でも、ヒロトには早急に話をつけなければ。
「ヒロト。もう、あんなことは止めようぜ」
「あんなことって?」
 小首を傾げて、俺の言葉を疑うヒロト。ごめん。こんな話、酷だよな。でも。
「俺はもう、お前とベッドで慰めあうのは、もう止める」
 きっぱりそう言うと、呆気に取られた表情で返された。
「どうしてだい?」
 心が揺らぎそうになる。でもこれは、ヒロトを最大限に考えてのことなんだ。
「よくないだろ。こんなこと……」
「風丸くん」
 ヒロトの、印象的な翠の瞳が細くなる。なんだか、もの哀しくて淋しげに見えた。
「風丸くん。もしかして、円堂くん以外に好きな人ができた?」
 心臓がどきんと鳴った。ヒロトに問われるまで、いや、問われたいまでも俺は豪炎寺を好きかなんて、考えてもみなかった。
「い、いや……」
 もっとはっきり言うか、それともきちんと肯定するべきなのに、俺は曖昧にしか答えられない。ついうつ向いていると、ヒロトは薄く笑みを浮かべる。
「ごめん。余計なこと言ったね。分かったよ……風丸くんに迷惑はかけない」
 そしてヒロトは俺に背中を向けると、浜辺を去って行った。俺は何も言えない。
 風が吹きすさんで、俺の髪を乱した。鼻に潮の香りがつんと広がった。


 俺が豪炎寺と本格的に付きあうようになったのは、俺たちがFFインターナショナルの世界大会でなんとか優勝を勝ち取り、無事日本に戻ってきて、それからのことだ。
 豪炎寺は寡黙だけれど、俺にはとても優しかった。いつも俺のことを考えていてくれる。なにより、余計な声はかけずに、俺の背中を宥めるように撫でてくれると、なんだか凄く安心できるんだ。
 彼の住んでいるマンションに遊びに行ったりするけれど、まだ小学生の妹のことを考えて、豪炎寺の部屋ではエッチはしない。するのはいつも、俺の部屋だ。
 豪炎寺とは数えきれないほどしたけれど、もう初めてのときのようなことはされなかった。あの夜は本当に魔がさしただけなんだろう。
「良かったよ、風丸」
 俺の抱くと、豪炎寺は必ずそう言った。俺に感想は求めない。そうして、快楽に浸っている俺の頭を愛おしそうに撫でる。そうされると、俺も嬉しくなって、ぎゅっと豪炎寺の逞しい体を抱きしめた。
 ただ、ひとつだけ気になったのは、豪炎寺は俺を抱くときいつも、赤ん坊のように胸を撫でまわしてくる。俺の薄い胸を揉んで、乳首を舐めまわし吸い上げる。その度に、どうしてもヒロトのことを思い出す。
 ヒロトと豪炎寺を比べている俺は、正直ひどい人間だと思う。顔も性格も何もかも違うというのに。
 それでも唯一、俺に寄り添う場所を与えてくれたのは豪炎寺だけだった。円堂はみんなのものだったけれど、豪炎寺は、彼を愛する家族以外は、俺だけに全てを許してくれた。
 中学生世界一を決める大会を終えてから、俺はヒロトには会っていない。ヒロトと仲のいい緑川とはよくメールをしあっているので、近況は知ってはいたが、それ以外のことに関しては俺には遠い存在になっていた。
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 結局、俺は中学を卒業した後もずっとサッカーを続けた。高校で進路を決めるころには、ついにプロチームから請われるようにまでなった。やはりあの、世界一のチームに居た、という事実が箔をつけることになったらしい。
 イナズマジャパンのメンバーも大半が俺と同じプロの道に進んだ。円堂や鬼道や吹雪……もちろん豪炎寺も一緒だった。そのうち何人かは、海外へと赴いた。不動が真っ先にヨーロッパに行ったらしい、と風の噂で聞いた。
 ヒロトはプロには行かなかった。緑川からたびたび貰うメールで、吉良家と正式に養子縁組をし、刑を受けている星二郎の代わりにその地位を継ぐのだと知った。
 ヒロトはサッカーはもう、辞めてしまったのだろうか。緑川はお日さま園の仲間たちと、よくサッカーをしてると聞いたが、ヒロトのことまでは分からなかった。
 俺たちがプロの道へと進みはじめたころ、次第に世間の風潮も変わっていくのを感じた。イナズマジャパンが世界一チームとなったのを切っ掛けに、日本ではサッカー史上主義、と呼ばれる風潮が生まれた。サッカーの勝負がすべてを決める社会。その言葉を聞くと、豪炎寺はいつも難しい顔をした。
 俺は豪炎寺との関係を続けていたが、円堂は高校のころマネージャーのひとりと付きあい始め、そのまま結婚へとゴールインした。
 俺はもう、豪炎寺と付きあってたから、円堂のことは微笑ましく見れた。付きあいの長い親友が結婚するのは、流石に感慨深かったけれども。
 円堂が結婚したのは、かれこれ二年も前のことだ。披露宴で俺は半田と一緒にスピーチしたけれど、ヒロトは社長業が多忙という理由で欠席していた。
 ぽつんと空いた披露宴の席。一緒に招待された緑川も来なかったから……なんでもその当時から秘書としてヒロトをサポートしてるらしい……、本当に忙しいんだろうと思った。
 ヒロトはまだ円堂のことが好きなんだろうか。読み上げられた祝電からは、そんなことまでは読み取れなかった。
「風丸。お前はサッカー史上主義をどう思う?」
 披露宴を終えて、二次会で散々円堂と彼女を肴にして飲んだあとのこと。酔いを覚ましながら河川敷でふたり、風に吹かれてたら、豪炎寺から不意に尋ねられた。
「どうって……。う~ん、全てをサッカー第一に考える風潮はどうかと思うけどな。でも、平等にチャンスを与えられるようになったのは良いことだよ」
 円堂がサッカーをはじめたころは大変だったからさ、と続けて言うと豪炎寺はただ、
「そうか……」
と答えた。
「気になることでもあるのか?」
 俺が訊くと曖昧に笑みを浮かべる。
 その日の豪炎寺はどこか変だった。でも俺は、あいつがなにを考えていたのか全く気付いていなかった。それは豪炎寺が出した、サインだったかも知れないのに。そのあとの彼の熱い抱擁に我を忘れて、覚えた違和感は気の所為なんだとしまい込んでしまった。
 豪炎寺が俺の前から消えたのは、翌日のことだった。

 それが二年前の話だ。

 俺は極力手を尽くして、豪炎寺の行方を探った。でも、全く手がかりはなかった。サッカーで気を紛らわそうとしても、豪炎寺のことが胸にちらつく。俺たちを追ってプロになった一年後輩の壁山に、心配をかけるほど俺は焦燥しきってた。
 豪炎寺はどこに行ってしまったのだろう。たった八年のあいだに、俺にはかけがえのない存在になっていた。
 もう、俺と豪炎寺とは終わってしまったんだろうか? そんなハズない。それとも……?
 堂々巡りを繰り返す日々を過ごしていた時、海外遠征していた円堂と鬼道が日本に帰ってきた。円堂は体の不調を治すためだったと聞いたが、鬼道の方は理由が分からない。
 出迎えたそのとき、初めて豪炎寺の行方を知らされた。この二年のあいだに、サッカー界では中学生の選手たちを総括する組織が生まれていた。その名はフィフスセクター。プロチームとはあまり関係なかったので、俺は概要しか知らなかったが、内実はかなりえげつないものだったらしい。その組織のトップ、聖帝ことイシドシュウジの正体こそが豪炎寺だと言うのだ。
「そんなバカな! どうして豪炎寺がそんな……?」
「俺も信じられん。だが、佐久間から聞いた話だと、イシドシュウジは豪炎寺に瓜二つなのだそうだ。つまり……」
 鬼道とは今でも親しい仲の佐久間は、いま帝国学園サッカー部のコーチをしている。佐久間は遠目であるが、イシドシュウジの姿を目撃していた。
「それでお前は、イタリアから帰ってきたのか、鬼道?」
 一日違いで早く帰国した円堂は、出迎えた鬼道に尋ねた。頷いた鬼道は、気難しい顔をする。
「日本が大変なことになりそうだと聞いて、居てもたっても居られなくてな。俺は帝国学園で総帥となり、フィフスセクターを調査するつもりだ」
 俺は混乱している。本当に豪炎寺は聖帝イシドシュウジなのか……。円堂も雷門中で監督として潜り込むらしい。ふたりとも詳細を探ると言うので、俺もできる限り協力することにした。
 勿論、プロリーグの試合があるから、大したことは出来ないけれど。
 そのころ俺の元に、とある中学生の少年から手紙が届いた。なんでも、フィフスセクターの指示により、サッカーの試合勝敗が予め決められているのだと、手紙にはあった。
 俺は失望した。豪炎寺が聖帝だとすると、こんな真面目に頑張っている少年たちを苦しめてると言うのか。
 十年前の彼が、誰よりも不正とか、理不尽を嫌っていたことを考えると、どうしても聖帝イシドシュウジの行いが豪炎寺という男と結びつかない。聖帝が豪炎寺だと言うなら、何故、名を隠してまでこんなことをするのか。彼だって、十年前はひどい大人たちに苦しめられたって言うのに、今度は逆に少年たちを苦しめてるのはどういう了見なのか……。
 どうしてなんだ? 豪炎寺……。
 困惑する想いだけが、俺を支配している。


 それから、なぜか俺の部屋に転がり込んできた不動と、壁山と一緒に俺もフィフスセクターの周囲を探りはじめた。こうなってはもう、のほほんと現を抜かす訳にはいかなくなった。
 正直、調査をしてるあいだは、ヒロトのことなどすっかり忘れていた。全く、それどころじゃない。
 フィフスセクターについて調べてるとき、俺たちはあることに気づいた。それは、恵まれない環境の少年たちに、匿名で多大な額の医療費や報奨金が支払われているらしい。
「一体、誰なんすかねぇ?」
「こればっかりは、俺たちには調べようがないな……」
 壁山と不動が掴んだ情報を、俺は円堂と鬼道に託した。
「それなら、そっち関係に詳しいヤツがいる」
 円堂がそう言うので、その件は任せることにした。
「それよりもっと、重要なことを掴んだ。俺ひとりでは手に負えない。風丸、できれば他にも」
「壁山と不動か? 俺が声をかければ、協力してくれるさ」
 プロリーグは丁度、シーズンオフに入る。俺も壁山も多少は時間があった。
「ありがとう。お前らには迷惑かけるな……」
「いいさ。俺とお前の仲だろ」
 円堂と俺とのあいだは極めて良好で、その存在は互いに嬉しい。俺は、十年前に過ちを冒さないままでいて、本当に良かったと思う。
「で、調べたいことって何だよ?」
「日本列島からかなり離れた場所にある孤島だ。ゴッドエデンって呼ばれている」


 ゴッドエデンの調査には、かなりの時間がかかった。フィフスセクターが極秘に少年たちに過酷な特訓させている施設がある。調べれば調べるほど、その事実におののく。  俺は焦燥していた。

 俺たちがフィフスセクターの調査をしてる一方、革命を興そうと鬼道や響木さんたちが暗躍していた。俺たちの後輩である、雷門中サッカー部は全国大会のホーリーロードで、指示勝敗をものともせず勝ち進んでいた。立ち上がるべきは大人ではなく、当の少年たち。それがみんなの意思だった。
 フィフスセクターが裏で密かに金品を伴う不正を行っている、という事実が浮かび上がった。その証拠を仲間の一部が掴んだらしい。それさえ提示できれば、組織の解体へと繋げられる。
 それは俺たちにとって、一縷の望みだ。
 ホーリーロード決勝の日、その日が最大のチャンスだった。俺と壁山と、そして不動が一部始終を見守るため、決勝戦が行われるホーリーロードスタジアムに向かった。都内に設けられたその会場は、派手な金色に光る素材で建てられている。
「あれが虚飾のスタジアムだぜ」
 会場を見あげた不動が皮肉交じりに言う。俺たちは意気込んで、会場に乗り込んだ。
 フィフスセクター解体の最後の一手は雷門中の勝利にかかっている。革命を興すことで、次期聖帝を選ぶ選挙の票をひっくり返せば、イシドシュウジを更迭できるのだ。
 俺は少々、身震いしてる。豪炎寺を改心できるんだろうか? もしさせても、俺の元に帰ってくるとは限らない。
 俺たちの観客席はフィールドのほぼ中ほどにあり、試合の展開が把握しやすい場所にある。階段のゲートをくぐってスタジアム内に入ると、通路の向こうから妙に目立つ紅い髪の男に出くわした。
「風丸……くん?」
 男は眼鏡をかけていたが、印象的な翠の瞳は確かに見覚えがあった。
「お前、ヒロト……なのか?」
 まさか。なんでヒロトがこんなところに?
 ヒロトは薄い菫がかった色のスーツに身を包んでる。俺の知ってるころの髪形とは違っていたが、年相応のものを感じさせる。なにより、双眸にかけられた眼鏡が理知的さを発揮していた。
「十年ぶり……かな」
 にっこりと妖しげに微笑う。ああ、紛れもない。こいつはヒロトだ。
「お前……なぜここに?」
 声が震えるのは、なんとか抑える。ヒロトは、背後にむけて曰くありげに顎をしゃくった。後ろにいたのは、俺のよく知ってる奴だ。
「あーっ、緑川さん?」
 俺の後ろから壁山がすっとんきょうな声を出す。緑川が俺たちに気づいて、ぱっと顔を輝かせた。
「風丸に壁山! 不動も……?」
 意外そうな顔をされ、不動が鼻白む。
「俺がいちゃ悪いか? あぁ?」
「そんなことは無いよ」
 答えたのはヒロトだった。
 俺たちはそこでやっと、事の真相を聞かされた。ヒロトと緑川も、自分たちの手を尽くしてフィフスセクターの近辺を探っていたこと。例の、裏で行われているらしい、金のやりとりの証拠を掴んだのは、誰あろう彼らだった。
「出来れば、決勝戦が行われる前に告発したかったんだけどね。どうやら、もう、遅かったようだ」
 ヒロトは残念そうに首を横に振る。
「えーっ。じゃあ、そうすると……」
「あとは、あいつらの頑張りに賭けるしかないってことだろ」
 眉間にシワを寄せる壁山に、不動がフィールドを見下ろして言った。
 ベンチでは、鬼道を伴った円堂が雷門中イレブンに喝を入れてるのが見える。対する聖堂山中のベンチには、イシドシュウジ……即ち豪炎寺の姿があった。
「あれ、砂木沼さんじゃないか?」
 イシドと共に選手たちを激励する男に、緑川は訝しげな顔をした。
「最近連絡がないと思ってたら、あんな所にいたのか」
「『男子三日会わざれば刮目して見よ』とは言うものの……」
 砂木沼は、ヒロトや緑川と同じく、十年前のエイリア事件に関わったお日さま園の関係者だ。特に気にかかっていたのだろうか、緑川が溜息をついている。この試合は本当に、昔からの付きあいの俺たちにとって、因縁深いものとなっているのか。
 聖堂山は、聖帝イシドシュウジ自身が監督を務めるらしい。選手たちもそれぞれ有力なポテンシャルを持っている。
「この試合……。一筋縄ではいかないだろうね」
 ヒロトが言うまでもなく、今から行われる試合は過酷なものとなった。キックオフが始まってからの45分、フィールドでは息をつく暇もないほど目まぐるしい展開が続いていた。天馬たちは元々のキャプテンである、神童を欠いているにもかかわらず、かなり善戦している。
「これは、いけるんじゃないか!?」
「うん。良い試合だ」
 思わず、ヒロトと意気投合して……俺は我に返る。まるで、まんま十年の年月が巻き戻ったかのようだ。
「風丸くん」
 ハーフタイムに入ると、ヒロトは俺に手招きして席から離れようと促す。緑川に飲み物を買いに行かせると、壁山も食い物を調達しに一緒に売店へ連れ立ってしまった。不動が
「俺もションベン行くわ」
と席を立ったので、俺はヒロトと二人きりになってしまった。
「あ……。ヒロト、俺……」
 なんだか落ち着かない。何か言うべきだろうと、繰り出す言葉を頭に思い浮かべてると、ヒロトはにこやかな笑顔を俺に向けた。
「きみの試合、よくビデオに撮って観てるよ。前シーズンの活躍、凄かったじゃないか」
「あ……、ああ。ありがとう」
 差しさわりのない会話に、ヒロトは大人になったんだな……、と思わせた。むしろ、未だに十年も前のことでうじうじしてる俺の方が、よっぽど子供なんだと自覚してしまう。
「ヒロト、お前は……まだサッカーしてるのか?」
 尋ねると、ヒロトは肩をすくめた。
「なかなか時間がなくてね。事業が軌道に乗れば、もう少し楽になるんだけどなぁ……」
 苦笑いしながら、それにいまはそれどころじゃないしね、と付け加えた。
 ハーフタイムも終わりになるころ、聖堂山側のベンチが急に騒がしくなった。戻って来た不動が、眉をひそめる。
「なんか、キナ臭い感じだぞ」
 不動が俺たちに顎でしゃくった。五人分の飲み物と軽食を両手いっぱい抱えた壁山と緑川が、ベンチを観て首をかしげた。
「聖堂山の選手が前半と違わなくないか?」
 俺は、スタジアムの観客席とフィールドを隔てるフェンス越しに覗き見た。確かにほとんどの選手が入れ替わってる。イシドシュウジ……もとい、豪炎寺の姿を探した。豪炎寺の横に、総髪の見知らぬ壮年の男が立っていた。
「どうやら、黒幕のお出ましのようだね」
「黒幕……?」
 神妙な顔のヒロトに尋ねると、腕組みをして答える。
「そうさ。彼こそがフィフスセクターを背後で牛耳っている男……。千宮寺大悟」
 ヒロトは豪炎寺の隣に立っている男を指差した。
「あいつが背後で牛耳っている、だって? じゃあ、豪炎寺は……」
「豪炎寺くんは彼なりに、革命を興そうとしてたんだよ。フィフスセクターの内部に自ら入ることによってね」
 ヒロトは厳かな声で語る。
「君たちが掴んだと言う、恵まれない少年たちへの支援金の出処はね。俺たちが調べたところ、突き当たったのは豪炎寺くんの名前だったのさ」
 俺は混乱してきた。人を人と思わぬ、非情で冷酷な男こそ聖帝イシドシュウジではなかったのか? でも実際の豪炎寺は、辛い現実に向かわされている少年たちを密かに支え、立ち上がらせているというのか。
 どっちが本当の豪炎寺なのか。俺の知っている彼は、片方しかない。
「どうして豪炎寺くんが、名を偽ってまであんなことをしたのか、俺には想像つかない。でも、きみなら本当の彼が分かる筈だよ」
 ヒロトがまっすぐな視線で俺を見つめる。
 俺はただ……、頷くだけしか出来なかった。
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 ホーリーロード決勝戦は、特別許可によって……勿論、観客たちのブーイングはあったものの……聖堂山がドラゴンリンクと呼ばれるチームにそっくり成り代わることで混乱を極めたが、その苦戦を乗り越えた天馬たち、雷門中イレブンが勝利を収めた。フィフスセクター真の支配者、千宮寺大悟は不正発覚によって失脚し、聖帝は公正選挙で新たな人物にその立場を委ねられた。
「新しい聖帝には響木正剛氏が当選いたしました!」
 スクリーンヴィジョンに、俺たちがよく知っている男の姿が映る。
「響木監督が聖帝だなんて、感慨深いっすねぇ~」
 壁山が溜息ともつかない吐息を漏らす。俺たちはほっと安堵した。響木監督は即座に、フィフスセクターの解体を申し知らせたからだ。
「いざとなると、呆気ないもんだな」
 俺が呟くと、不動がにやにやしながら、俺の肩に肘を乗せた。
「風丸クンはずっと気を揉んでたからねぇ……」
 俺がにらむと、悪びれた顔で肩をすくめる。
「これでやっと、本来の業務に専念できるよ。ですよね、社長」
 皮肉気味に緑川が言うと、ヒロトが苦笑いする。
「みんなで祝杯をあげたいところだけど……。すまない。野暮用があるので」
 ヒロトは片手をあげた。
 ああ、そうか。もう、これですべてが終わったんだ……。
「ほっとしたら、腹減ったっす。飛鷹さんのトコで、ラーメンでも食いに行きましょうよ~」
 ざわめきと共に観客たちが席を離れだし、壁山が腹ごしらえの相談を始めたとき、ヒロトがすれ違いざまにそっと耳打ちした。
「風丸くん、今晩ふたりだけで話がしたい」
 ホテルの名前がしるされたマッチ箱を俺の手に押しこむ。
「待ってる」
 そう囁くと、ヒロトは緑川を連れてスタジアムを去っていった。


 どうしたら良いんだろう。俺は悩みながらも、ヒロトが教えてくれたホテルまで来てしまった。
 よく名の知れた、老浦のホテルはだが、都心の空を貫くようにそびえ立っている。入ると、内部は落ちついた雰囲気に満ちていて、時折商談に来たらしいビジネスマンや、パリッとしたスーツに身を包んだ外国人がちらほら見える。
 俺はフロントに行って、マッチに走り書きされたルームナンバーを告げた。
「風丸一郎太さまですね。吉良さまからお伺いしております」
 フロントは担当者のホテルマンを呼ぶと、俺をヒロトがとった部屋に案内してくれた。
 上階へ向かうエレベーターの中で、俺の鼓動が速く打ち始めるのを感じた。
 十年振りの再会。ヒロトはあのころのように優しく、そして眼差しは誘惑に満ちていた。もしかしたらあのときのまま、時間も取り戻せるんじゃないか。俺とヒロトの時間は、凍りついてしまったけど、再び溶けてしまえるかもしれない。
 そうなったら、多分もう止められない。
 あの時は豪炎寺のことがあったし、それに俺もかなり臆病だった。ヒロトに惹かれてしまうのが怖かった。
 でも今なら……。
 ホテルマンの案内で、長いエレベーターと廊下の順路を抜けると、品の良い頑丈なドアが俺を待ち受けていた。ホテルマンがノックする。
「お客さま、どうぞ」
 ホテルマンは俺を部屋に招いて、深く礼をすると扉を閉めた。部屋には更にもう一枚のドアが閉ざしている。俺はノックした。
「風丸……」
 驚いた。
 部屋にいたのは、ヒロトじゃなくて、豪炎寺だったから。
 豪炎寺はラフな服装で、特徴的な逆立てた髪をおろして頭の後ろで括っている。何度か見た、イシドシュウジの格好ではなかった。
 俺は驚きのあまり、ドアの前で突っ立ってた。動きたくても動けない。
「俺は人に呼ばれて来たんだ。お前はなぜここに?」
「それは……ヒロトに言われて」
 それだけをなんとか言うと、豪炎寺は苦く笑う。
「お前もそうか。基山……いや、今は吉良ヒロトだったな。あいつにしてやられた」
「お前……なんで、二年間も音沙汰なしだったんだ?」
 訊きたいことは幾らでもあった。俺と豪炎寺が会えない時間を埋めつくすには、何もかもが圧倒的に不足していた。
 豪炎寺はなんだか気難しい顔をしたが、しぶしぶ頷いた。
「サッカー史上主義が少年たちに及ぶのは予測していた。千宮司に話を持ち込まれたとき、俺は大人たちの悪意をはねのける意識改革を始めねばと感じた。そのために必要な壁、それが聖帝だ。俺はそれにすべてを捧げる決意をした……」
 豪炎寺の言い口がしゃくに障る。俺はイラついた。
「そんなこと、訊きたいんじゃねえよ!」
「風丸、お前はダークエンペラーズの件がある。お前はもう二度とあんな真似はしないのだろう?」
「当たり前だ!」
 今さら、あんなことを思い出させるとは思わなかった。十年前に俺が犯した誤ち……。円堂や大切な仲間たちを裏切るだなんて、いま考えても身震いがするくらい、愚かな行為だった。
「即答だな。……だからこそ俺は、お前を巻きこむまい、と決めた」
 頭がくらりとする。目の前の豪炎寺が揺らいだ。
「互いが密であれば、決意が鈍る。お前の居場所は晴れやかな舞台だけで良い。……だから、お前や円堂の前から俺は姿を消した」
「だからって! そんな……」
 そんなのは理不尽だ。俺はずっと、豪炎寺のそばに居たのに。止められるものなら、幾らでも止めたのに。豪炎寺の姿はしだいに滲んでゆく。
「お前のせいで、苦しんだ子供たちが大勢いるんだぞ?」
 俺の喉はからからに渇いてく。
「分かっている。すべてが終わったら、次は贖罪についやすつもりだ」
 俺はもう豪炎寺を見ていられなくて、ただ、足元の豪奢な絨毯に目をおとした。
「……それに、俺の罪はこれだけではない」
 豪炎寺の言葉に思わず顔をあげた。
「まだなにかあるのか……?」
「十年前の話だ」
 十年前?
 思いあたるのはあのとき、豪炎寺が俺をむりやり抱いたことしかない。
「あれは。終わったことだろ」
 俺がもう許した話だ。けれど豪炎寺は横に首を振った。
「あのときは……。俺はすでに知っていたんだ」
 知っていた?
「な、何を……」
「お前とヒロトが部屋でやっていたことだ」
 冷や汗が出た。一体いつ? なんで豪炎寺はそんなことを……。
「お前たちが惹かれていくのを、俺は危惧した。だから俺は強硬手段にでた。むりやりでも、俺のモノにしてしまえば、お前の心は断ち切れるだろうと」
 豪炎寺の姿が揺れる。俺はちゃんと立っているのかさえ、分からなくなっている。額を片手でおさえた。気を落ちつけないと。
「で、でも。俺は……」
「済まなかった。だが、お前に対する気持ちは変わらない。いまでも、たとえ会えなくても、誰のモノであろうとも、俺はお前を愛している」
 豪炎寺の言葉はいやになるほど甘ったるく、心を撃った。
 十年ものあいだお前と一緒だったんだ。俺だって、お前に対する執着くらいあるんだぞ。
「豪炎寺……」
 俺は豪炎寺を見つめた。豪炎寺も俺をじっと見ている。互いの視線がからみあう。
 もういい。この二年間の仕打ちなんか水に流せばいいじゃないか。また新しく、ふたりの関係を始めれば……。
 だが、それを断ち切る音が部屋に響いた。
 ルームサービスが頼んでもいないシャンパンのワゴンを運んできた。薄いピンク色の液体が入ったボトルは、氷でじゅうぶんに冷されている。
「吉良さまからお客さまへのプレゼントです」
 ホテルマンは慇懃なお辞儀をする。
「あと、風丸さまにお事付をお渡しするようにと」
 蜜蝋で閉じられた手紙をうやうやしく俺に手渡すと、ルームサービス係は再び礼をして部屋を去った。
 あっけに取られたが、ヒロトの手紙を開封した。豪炎寺が黙ったまま頷くので、それに甘える。

『風丸くん、おめでとう
 俺がきみにしてあげられる最高のプレゼントは
 これくらいしか思いつかなかった
 
 円堂くんのことが好きなきみが俺は大好きだったよ
 でもあのころ、きみに惹かれる自分が
 とても怖かったのが俺の本音だ……

 どうか豪炎寺くんと幸せになって欲しい

 でもまだ、
 きみが最後のチャンスをくれると言うなら
 今すぐロビーにきてくれ

 豪炎寺くんと俺、
 どちらを選ぶかは、きみ次第だ』

 手紙はこれだけ記されていた。
 何故だ。
 どうして、今ごろ、ヒロトはこんな手紙を……。
 互いに惹かれていくのが怖かったのは、俺だけじゃなくて、ヒロトもそうだった。あのころ、そんなことを全く気づきもしなかったのは、何故なのだろう。
 いまならまだ間に合う。いまなら、十年の月日を飛びこえて引き戻せる。
 俺は読んでいた手紙から顔をあげて、そこでやっと気づいた。
 豪炎寺が黙って俺を見ていたことを。
 思わず体が震えた。
 豪炎寺は溜息ともつかない吐息をつくと、俺に言った。
「御託を言う気はない。決めるのはお前だ。ただ……」
 そこまで言うと、豪炎寺は細めた目を天井に向ける。
「俺を選んでくれるのなら、何も言わずに、キスしてくれ」
 それっきり口を噤んだ。
 俺はどうすれば良いんだろう。
 豪炎寺か、それともヒロトか。
 どちらを選ぶべきなのかという迷宮が、俺の心をがんじがらめにする。
 ああ、でも……。
 ヒロトの元へと続くドアを見て行きかけて、やっぱり豪炎寺に振りかえる。迷いの中で俺は、豪炎寺の顔を一瞥した。
 豪炎寺は黙ったままで、だけど俺のことをじっと見つめている。その目は、深い憂いを帯びていた。
 あ……。
 俺は囚われる。豪炎寺の視線に。
 なにも言わない、黙ったままだけど、豪炎寺の気持ちは確実に俺に伝わる。
 俺に、ここにいて欲しい、と。
 ……悪いクセだ。そんな目で見られると、俺はすべてを投げだして手を差しのべてしまいたくなる。
 最後のチャンスなんだぞ。ヒロトのところに行かなくていいのか?
 俺の中のどこかで、そんな言葉が聞こえる。けれど、だけども、俺は。
 震える体で、俺は豪炎寺に近づいた。視線が重なる。互いの息づかいが聞こえる。
「良いのか? ヒロトのことは……」
 耳元で豪炎寺がつぶやいた。
「ヒロトは、あいつは……」
 あの妖しい、翠いろの瞳の誘惑を断ち切り、俺は断言した。
「ただの、友だちだよ」
 それだけ言うと、俺は豪炎寺の唇に口づけた。

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Duty Friend

キーワードタグ イナズマイレブン  豪風  ヒロ風  R18 
作品の説明 サイトから再掲。
円←風、円←ヒロ前提のヒロ風でおまけに寝取られ豪風エンドです…。
正直ややこしいな。

以下は当時のあとがき。

うちではめずらしいヒロ風豪風です。
…円←ヒロで円←風前提だったり、豪炎寺がちょっとゲス入ってたりで、後味があまりよくありません。
地雷多そうなのであまり評価良くないだろうなぁ…と思ってたんですが、意外に切ないお話と受けとめていらっしゃる方が多くてビックリしましたw。
元々は、とある曲の歌詞から思いついたので、ヒロ風悲恋落ちになるのは避けようがありませんでした。
ヒロ風で今度書くときはもっと軽いお話にしたいですね。
<2013/11/29脱稿>
Duty Friend
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 あいつを親友として見れなくなったのは、いつの頃だったのだろう。
 少なくとも、小学校のときは全くもってごく普通の関係だったし、中学にあがったばかりなら、それぞれ入った部活が違うものだから、単なる長いつきあいの腐れ縁みたいなものだ。
 でも、二年になったときあいつのサッカー部は存続危機になり、汚名挽回の試合に俺が助っ人に入ってからは、流されるようにあいつの側で支えるようになった。
 ただきっかけはそれだけじゃない気がする。
 契機はあの、ジェネシスとの試合のときだ。思い出したくもない酷い試合のあと、怪我を負った俺は一緒に円堂と戦えなくなり離ればなれになった。
 勿論あんな体じゃ、あいつらの足手まといになるのは火を見るよりも明らかだったし。
 ……ともかく、そんなことは問題じゃなかった。
 あの日、不思議に光るあの石を見せられてから、俺の中から円堂という存在が消えることはなかった。
 多分、それが俺にとってはじめての……。


「……風丸? どうした、風丸」
 いきなり名前を呼ばれて、俺は現実に呼び覚まされた。黒曜石のような瞳が俺をじっと見てる。
「豪炎寺?」
 はっと息を呑んで、俺は体裁を取り繕おうとした。円堂のことを考えるのに没頭していたようだ。こんなことでぼんやりしてるだなんて、ほんと、どうかしている。
「すまん。なんでもないよ」
「なら、いいが」
 長テーブルの向かいに座っていた豪炎寺は、赤ペンを入れ終えたプリントを俺に返した。俺も慌てて数学の問題プリントに赤を入れると、豪炎寺に返す。
「ここ、ケアレスミスしてるぞ」
「あ、本当だ」
 豪炎寺が指し示した計算問題を、俺はシャーペンで直した。
 ふと部屋を見回すと、みんなも同じようにプリントに取り組んでいる。壁山と栗松なんか、お互い頭をかかえてプリントと格闘していた。円堂は隣のテーブルで鬼道と向かいあって、プリントを前にうんうん唸っている。
「あ~、ダメだっ! こんな問題、頭がこんがらがりそうだよ」
「円堂。複雑そうに見えるが、なんてことはない問題だぞ。この大きな台形の面積から、この円の四分の一だけ面積を引けばいい。それを方程式に当てはめるだけだ」
「って言ったって……」
 ミーティング室は今、仮の学習室になっている。ここはライオコット島に設けられた、日本選手陣の専用宿舎で、俺たちはジュニアサッカーの世界大会に出場する為にここに集められた。
 考えると、不思議なものだ。
 あれからもう三ヶ月。円堂が立て直したサッカー部は、部員不足のときとは打って変わって、あっという間に日本一を狙えるチームになった。勿論、それまで色々と紆余曲折はあったけれども。
 俺はそれまでいた陸上部はやめてしまい、何度か挫折を味わったものの今ではすっかりサッカーの虜だ。それもこれも、円堂のお陰なのだが。
 隣のテーブルをぼんやり見てると、また豪炎寺が咎める声をかけてきた。
「風丸……」
「す、すまん!」
「やっぱりお前は……」
 豪炎寺は何か俺に言いかけたが、思い直したように黙りこんだ。俺はばつが悪くなり、手元のプリントを確認してホワイトボードの前の机にプリントを置く。
 今日のノルマはこのプリントをやって終わり。俺はまだ終わってない円堂が気になったが、豪炎寺が急かしたので部屋を出ていくしかなかった。
「円堂なら気にするな。鬼道が見てやってるからな」
 うちのチーム一の秀才である鬼道なら、円堂に手を焼くことも煩わしくないのだろう。
 廊下に出ると、開け放した窓から潮の香りが漂ってきた。ここ、ライオコット島は日本よりもずっと南側に位置し、一年中温暖な気候なのだそうだ。
「なにか、飲み物持ってくるか?」
 豪炎寺が食堂を指さして持ちかけてくれたが、俺は首を横に振った。窓辺にもたれて潮風に吹かれてると、胸に広がる、もやもやしたものが払われていく気がした。
「やあ、風丸くん。豪炎寺くん」
 食堂の方からヒロトがやってきた。彼は俺たちよりずっと早くプリントを終わらせたみたいで、先にミーティング室から出ていた。
「水でも飲んでくる」
 豪炎寺は食堂に行ってしまったので、俺はヒロトと取り残された格好だ。
「いい風だねぇ。心が洗われるようだよ」
 ヒロトが側にきて窓辺に立ったので、俺は一歩ずれて場所を譲った。
 俺は正直、こいつが苦手だ。
 にこやかで誰にでも柔和な表情をするが、エメラルドみたいな妖しい瞳で見つめられると、なんとなく落ち着かなくなる。
「風丸くん。星は好きかい?」
 窓から夜空を見上げて、ヒロトは不意にそう言った。
「星?」
「うん」
 ヒロトは暗い空に散りばめられた光の数々を、指で追いながら俺に話しかける。
「いや。普通……かなぁ。特別好きってわけじゃ」
「そう? 俺は好きだよ。ここは赤道に近い所為か、日本じゃ見られない星座も見つかる」
「ふーん」
 俺はヒロトにならって、窓辺から空を見上げる。でも、どれが日本で見れて、どれが見られないのかまでは、全然わからなかった。
「ねえ、風丸くん。前々から思っていたのだけれど」
 ヒロトは妙に馴れ馴れしい声色で、俺にささやきかけた。
「きみと俺とはもっと仲良くなれるんじゃないかな?」
 俺は思わず、ヒロトの顔をまじまじと見る。
「な……なんで。俺はお前のこと、よく知らない……」
 いや、知らないと言うか。俺の知っているヒロトというヤツは、エイリア学園打倒の為に俺たちが日本中を帆走していたころ、ジェネシスのキャプテンという正体を隠して……円堂に近づいた我慢ならない人間ってことだけだ。本当はサッカーの好きないいヤツだ、って円堂は言うけど、俺にはそのイメージが心にこびりついている。
「だったら、それこそ親睦深めてお互いを知るべきじゃないかなぁ。俺たちはきっと仲良くなれるよ。だって……、同じだから」
「同じ、ってどこがだよ!? サッカーのポジションなら全然違うだろ」
 尋ねるとヒロトは口元に笑みを浮かべた。にこやかだけど、妖艶だった。
「俺たちは同じものが大好きだ。そうだろう?」
「だから俺は星のことは別に、って今言っただろう」
 そう言うと、ヒロトは首を振る。
「違うよ。星は星でも暖かくて闇をも照らす太陽みたいな……彼のことだよ」
 俺は息を呑んだ。ヒロトは確実に円堂のことを話してる。
 そしてそれは、俺が円堂に惚れてることを知っている、ってことだ。
「ヒロト……お前」
 俺はヒロトの顔を見すえた。ヒロトは目を細めて首をすくめる。
「違わないかい? お互い、おんなじものが好きなハズなんだけどな……」
「俺は……」
 ヒロトにじっと見つめられると、俺はそれこそヘビに睨まれたカエルみたいに動けなくなる。まるで、あのジェネシスの試合の再来のように。
 そのとき、豪炎寺が食堂から戻ってきたので、俺はそっちに駆けよってしまった。
「どうした?」
 豪炎寺は不審な顔つきで、俺とヒロトの顔を交互に見比べている。
「さっきのプリントのことだけど、教えて欲しいとこがあるんだ」
 俺は豪炎寺を部屋に行くよう、促す。豪炎寺は「ああ」と頷くと、俺を伴って階段へ向かった。俺はヒロトに「ごめん」と一言ことわって、彼の前から去ることにした。
 これは逃げだ。
 あのときと同じ……。
「教えて欲しい問題はどこだ?」
 階段をのぼりながら豪炎寺が訊いた。
「え。あ、うん……」
 とっさに思いついた言い訳だったから、いきなり聞かれると答えに窮してしまう。俺が考えあぐねてると、豪炎寺はぽつりと言った。
「やっぱりな」
「えっ?」
「あいつが苦手なんだろう、お前は」
 階段の踊り場で、豪炎寺は皮肉げに尋ねる。
「すまん、豪炎寺。俺……」
「いい。お前が困ってると思って声をかけた。それだけだ」
 階段のあかりは薄暗くて、豪炎寺の横顔に影がおちている。豪炎寺はそれきり、何も俺に尋ねなかった。
「じゃあ。また明日」
 そう言って、俺たちはそれぞれ与えられた部屋に戻る。俺はジャージのままベッドに突っ伏した。開け放したままの窓から、潮の香りがただよう。あの日、福岡で味わったものと似ていた。
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 次の日も朝から練習。ディフェンダーとして登録されたのにもかかわらず、俺はほとんどミッドフィルダーとしての起用が多かった。今日の練習もドリブルがメインで、どちらかといえば前線にボールを運ぶ役目を任されている。  練習の合間、ゴールポストを伺った。円堂は立向居と一緒にキーパーの練習をしている。フットボールフロンティアの頃は俺はディフェンスだったのに、今は円堂が遠い……。
「大丈夫かい、風丸くん」
 不意に声をかけてきたのはヒロトだった。昨日のことがあるから、話しづらい。
「いや。なんでもない」
 ヒロトに見つめられると、何もかもを見透かされそうな気がして、俺は視線をそらした。
「それならいいのだけど」
 ヒロトはまだ俺になにか言いたげだってが、他のフォワード陣から呼ばれたのか、名残惜しそうに「じゃあ」と言う。俺はほっとして、練習に戻った。


 今日の練習を終えたあと、俺は宿舎に戻って風呂に入った。ここの風呂は共同で、入る時間が交代で決められている。今日、俺は一番最後に当て割られたので、のんびり入れるな、と思った。
 脱衣所に入ると、他のみんなは既に入り終えたようで、俺ひとりだ。
 しめた。こんな気分のときは、のんびりひとりでお湯に浸かるのが一番だ。
 汚れたジャージを脱ごうとして、棚に置かれたカゴに目をやると、別のカゴに誰かのユニフォームが脱ぎっぱなしになっている。
 誰だよ、洗濯に出し忘れたの。しょうがないな。
 と、俺が代わりに出してやるかと土ぼこりで汚れたユニフォームを引っ張りだして、ぎょっとした。
 背番号1のユニフォーム。
 円堂のものだ。
 あいつは忘れっぽいからな……。すぐこうやって誰かに迷惑をかける。
 溜息をついて円堂のユニフォームを手にしてると、なんだか……なんとなくだけれども、ある種の欲求が胸の奥からうずうずと湧いてきた。
 誰もいない脱衣所。
 みんなは多分、風呂を浴びおえてリビングルームでテレビを観てるか、自室でくつろいでるだろう。
 こんな格好のチャンスは滅多にない。
 俺は思いきって、円堂のユニフォームを鼻元に持ってくると、そっと匂いを嗅いだ。
 埃の匂い。
 汗の匂い。
 そして円堂特有の、お日さまの匂い……。
 円堂の匂いを嗅いでいると、とてつもなく胸が切なくなった。
 どきどきして、心が焼けつくようだ。
 人がいないことを幸いにして、ジャージを脱いで、下に着てたユニフォームをインナーごとカゴに投げすてると、裸の胸に円堂のものをなすりつけた。
 円堂……。
 円堂…………。
 こうやって円堂のユニフォームを抱きしめてると、円堂自身と抱きあってるようで、すごく興奮した。
 股間が熱くなって、勃ちあがるのが自分でも分かる。
 円堂。
 俺がお前に、こんな気持ちを抱えてるだなんて、知ったらびっくりするだろうな。
 きっと気持ち悪いって思われる。
 だから、言えない。
 お前に対するこの気持ちは、絶対に知られちゃいけない。
 誰にも、誰にもだ……。
 俺の股間は触ってもいないのに、爆発しそうになってて、辛抱堪らなかった。
 いっそのこと、この円堂のユニフォームで扱いてしまおうか。
 どうせならグローブがあれば、円堂の手で扱かれるみたいで、最高に気持ちよくなるだろうな。でもあいにく、円堂が忘れたのはユニフォームだけだ。
 俺はもう、止められなくなって、ハーフパンツを下着ごとずり下ろした。円堂のユニフォームでいきり勃った俺のペニスをそっと包む。
 ……円堂……。
 俺のペニスは先っぽがもうぐちょぐちょになってて、円堂のユニフォームにほんの少し滲みができた。
 円堂のことを考えるだけで、俺の胸は張り裂けそうになるのに、こんなことしてたら頭がおかしくなる。でも、もう俺はそのことだけでいっぱいで、宿舎の脱衣所という空間にもかかわらず、最後までやってしまおうと思った。
 俺はもう一度、円堂のユニフォームを胸に抱きかかえた。
「円堂……っ!」
「風丸くん、いるのかい?」
 あんまり夢中になっていたから、脱衣所のドアをノックして開けられたことに気づくのに、一瞬遅れた。
「風丸くん……」
 脱衣所に顔を覗かせたのは、ヒロトだった。


「風丸くん、ごめんね。部屋にいないようだったから、まだ風呂かと思って呼びに来ただけなんだ。覗くつもりじゃなかった。ああ、勿論さっきのことは誰にも言わないよ。それだけは君に約束する。絶対だ」
 ヒロトの弁解を、俺はベッドの上で膝をかかえて聞いていた。
「ごめん。びっくりするよね。あんなこと見られてしまったんだから。でも、恥ずかしがることなんて全然ないよ。誰だってすることだから」
 ヒロトはそっと、なだめるように俺の背中を撫でさすった。
「誰でもするって……」
「うん」
「するわけないだろ……!」
 恥ずかしさのあまり、俺は自暴自棄になる。いつもなら、仲間たちにかけないような、攻撃的な言い方をしてしまった。
「するよ」
 けれど、ヒロトはきっぱりと言う。
「俺もするよ。いつも円堂くんに触ったり、触られたりする想像をしながらね」
 俺はびっくりして顔をあげると、ヒロトの顔を見た。ヒロトは頬を赤く染めて、夢見るような表情だ。
「俺の想像の中で、円堂くんは俺のことだけ見つめてくれて、俺の体に触れてきたりキスしてくれたりするんだ。だから俺も、円堂くんの肌に触れて、熱いところにキスを返したり舐めてあげるんだ。そうすると円堂くんはとても気持ち良さそうにする」
 ヒロトの声は次第に高くなり、甘ったるそうな顔をする。疼くように心臓の辺りを手のひらで撫で回すと、堪らないとでも言うように吐息ををはいた。
「ね。同じだろう?」
「あ、……いや、う、うん」
 いきなり聞かれて俺は否定さえできずに、ただ、頷くしかなかった。するとヒロトはにっこりと笑う。
「うん。やっぱり」
「で、でも。実際の円堂はそんなこと……しない、ぜ?」
「そんなことは分かってるよ。って言うか、円堂くんが俺の想像通りのことするわけないよ。だからこそ俺は円堂くんが好きなんだ」
 ヒロトの言うことは、にわかには信じられなくて、俺は思わず眉をひそめる。
「風丸くんは」
「えっ?」 「風丸くんはどうなの。ホントのところ」
 ヒロトは容赦なく核心を尋ねてくる。俺は無視できなくて、でも、はっきり口に出せなくて、心の底から参ってしまった。
「そ、それは……」
「円堂くんが見返りしてくれるって、思ってる?」
「俺は……」
 そんなことは決まってる。
「俺はそんなの期待してない」
 ヒロトにはっきり言ってやった。そうしたら、彼は翠いろの目を細めて微笑んだ。その瞳は、優雅でどこか哀しげだった。
「ああ……、俺の見こんだ通りだよ。やっぱりきみと俺とは同じなんだ」
「同じ、って」
「同じなんだよ、俺たちは。同じひとを好きになって、同じように恋い焦がれて、想いを告げられずにいる」
 ヒロトの瞳を見ていると、何だか吸い込まれそうになる。見覚えのあるその視線は、以前福岡で見たものと同じだった。ヒロトがグランと名乗って現れたそのときと。
 胸の奥で、警告音が鳴り響くのを感じる。危険だ。それ以上、深入りするな、と。
 でも、ヒロトの言葉は俺の心を揺さぶる。逆らえなくなりそうになりながらも、俺はヒロトの瞳から目を逸らすことができない。
「ねえ、風丸くん。俺たち、もっと仲良くならないかな。お互い円堂くんのことを好きなんだ。気持ちを共有するべきだよ!」
 昨日も同じことを言っていたな。と、思い出したが、俺にはヒロトの目的が一体何なのかは、いまだに図りかねてる。
「共有ったって。そんなことして、どうする気だよ?」
 ついつい、ぶっきらぼうになる俺の声。だけどヒロトはそんなの、お構いなしのようだ。
「ひとりじゃ、辛いって時もあるだろ? でもふたりなら、同じ気持ちを分かち合えるし、ときには慰めあうことだってできる」
「慰めあう、って」
 ヒロトの翠いろの目が、妖しく煌めいて、なんだか無性に怖くなった。ベッドの上で座りこんでた尻を後ずさる。 「風丸くん。さっき、きみは円堂くんを思って、ユニフォームに気持ちをぶつけてたじゃないか。どうせ慰めるんなら、ふたりの方がずっといいよ」
「いや、俺は」
「ひとりでこっそり永遠に伝わらない気持ちを抱えたままでいるのは、辛くない? ふたりなら、その辛さだって和らぐ」
 耳を塞ぎたかった。これ以上ヒロトの話を聞いていたら、頭が変になりそうだった。ヒロトの声は妖しくて、かたく閉じて保っていた心の奥底がほころんで、零れてしまう。
「やめてくれ!」
 俺はやっとの思いで声を絞りだした。
「出てってくれよ。俺をこれ以上、振り回さないでくれ!」
 そこまで言うと、俺は立てた両膝に顔をうつぶせた。体を縮こませて、身を護る。
「……ごめん」
 気遣う声でヒロトは言った。
「風丸くんの気持ち、考えてなかったね。確かにそんなこと、いきなり言われたら誰だって、変に思うよ」
 ヒロトは済まなそうに俺の肩にそっと手をおくと、ベッドから立ち上がった。
「それじゃ、退散するよ。でも、気持ちが変わったのなら、いつでも言ってくれないか。俺はずっと待ってるから」  そう言い残して、ヒロトは出て行った。俺はベッドの上に取り残される。
 悪いとは思うけれど、俺にはヒロトの考えてることがさっぱり分からなかった。
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 次の日も朝から猛特訓だ。昨日みたいな失態はもう二度とするもんかと、心に決めた。円堂はいつものキーパーユニフォームに身を包んでる。俺がつい、使ってしまったあのユニフォームはまだ洗濯中だろうから、円堂がいま着てるわけじゃないけれど、深緑とオレンジ色のコンビのシャツを見てると、胸がちりちり痛む。
 いくら後悔しても、自分がしてしまったことは元には戻らない。確かに、円堂のユニフォームを抱きしめてるだけで凄く興奮した。でもあいつに、ヒロトにそれを見られた今となっては……。
 フォワード陣のところで特訓中のヒロトを、そっと伺った。昨日、あいつが言ってたことが鮮やかに浮かびあがる。
 あいつも俺と同じように……してるって言うのか。
 そう思い出してたら、ヒロトと目があった。ヒロトは俺と視線が合うと、ふっと微笑みを返す。俺は……顔が熱くなるのを感じて、そっぽを向いた。
 ダメだ、ダメだ。
 こんなの絶対に。
 必死に胸に蓋をして、忘れてしまおうとする。いまはそんなこと、考えてる場合じゃない。目の前のボールを追え。
 けれどどんなにサッカーのことを考えようとしても、いつの間にか気持ちは胸の内から溢れてこぼれ落ちてく。
「ひとりは辛くないかい?」
 ヒロトは昨日、そう言ってた。
 たったひとりで。
 誰にも想いを打ち明けられずに。
 ヒロトも俺と同じように、辛い気持ちを抱えてるのか。
 目の前に転がるボールを思いきり蹴る。ボールは勢いをつけて、グラウンドを走ってくけど、気持ちが晴れることはなかった。
 頭上の空は、雲ひとつないのに。


 その夜。俺はヒロトの部屋にいた。結局その日一日中、俺の中からヒロトのことを消してしまうのは無理だった。
「風丸くん」
 ヒロトは心底嬉しそうだ。
「絶対来てくれると思ってた」
 俺はでも、部屋の入り口に突っ立ってるばかりで、ヒロトのそばには近寄れなかった。
「お、俺はその、」
 何やってるんだ、俺は。内心、自分自身に呆れてる。
「その……」
 息が詰まる。体はゼンマイがきれたからくり人形みたいに動けない。
 ヒロトはそんな俺を見て、にっこり笑うと、腰掛けてた椅子から立ちあがった。
「緊張してるのかい? それとも……おびえてる?」
「おびえてなんか!」
 つい、怒鳴ってしまった。ああ、こんなことしたいんじゃない。俺は……。
 顔を伏せて首を振ってると、ヒロトが近づいてくる気配がする。ヒロトの手が、俺の首元に触れた。
 びくついて顔をあげた。
「ああ、驚かないで。リラックスだよ、風丸くん」
 ヒロトは耳元で囁くと、手を回してそっと背中をなでた。
「おびえなくて良いよ。俺のこと、受けいれてくれるだけでいいんだ」
「受けいれる……お前を?」
 ヒロトは「うん」と頷いた。
 俺はただ知りたい。お前がひとりでの行為がどんなに辛く思ってるかを。
 それは俺が感じるより、もっと苦しいのか、それとも。
 ヒロトは右手で俺の背中をさすっていたが、やがて左手を添えると、俺を抱き寄せてきた。
「うわっ!?」
「驚かないで」
「いや、だって」
 俺が慌ててると、ヒロトはくすっと笑みを見せる。
「目、つぶって」
 ヒロトはそう囁いて、俺に促す。どうしようかと思ったけど、言う通りにした。そしたら、こう言われた。
「風丸くん。この手は俺の手じゃない。円堂くんの手だ」
 俺の頬をヒロトの頬がかすめる。
 何を言ってるんだ、ヒロト。お前の手が円堂の手であるわけがない。
 そう、言い返してやりたかったけど、ヒロトの手が俺の腰を宥めるようにとんとん叩くので、何も言えなかった。  目を閉じた暗い世界の中で、俺はヒロトの体温を感じている。ヒロトの肌は色が白く透き通っているけど、暗闇の中ではそれも見られない。頬と、上半身に感じる暖かさ。耳元をかすめる吐息。
 なんだか、本当に円堂に抱きしめられてる気がした。これは錯覚だろうか。
「風丸くん、きみも俺をぎゅっと抱きしめて。同じようにさ」
 ヒロトに乞われるままに、俺もヒロトの体を抱きしめた。体の内に火が点いたみたいに思えた。
「ああ……。円堂くん」
 ヒロトも俺の手を、円堂の手だと思い込んでるのだろうか。うっとりと溜息をついている。
 突然、熱い抱擁は解かれた。どうしたのかと目を開けると、ヒロトは俺を見てにっこりしてる。頬が上気していた。
「どう? 風丸くん」
「『どう』って言われても……」
 そんなこと訊かれても。俺はなんて答えればいいんだ?
 俺が答えに窮していると、ヒロトはベッドを示した。そこに座れと言うのか。それとも。
 俺は困惑しながらも、ベッドの端に注意深く座った。ヒロトは口元に笑みを浮かべて、俺と向かいあう。
「風丸くん。昨日はあれで満足したかい?」
「満足って何が……?」
 そう尋ねて、はっと気づいた。昨日のって、俺が円堂のユニフォームでオナニーしてたことかよ。とてつもなく、恥ずかしくなる。
「途中だったよね。俺が入ってこなかったら、最後までやれたのに。お詫びと言っては何だけど、今夜は最後までしてあげるよ」
 最後まで、ってどう言うことだ。頭の中が疑問符でいっぱいになっていると、いきなりヒロトは俺の股間に手を乗せた。
「ヒ、ヒロト! いきなり何を!?」
「うん、まだ勃ってないね」
 ヒロトの手が、俺の股間を撫でだした。
「や……やめろよ!」
「あれっ? 風丸くんは何故俺の部屋に来たんだい?」
「それは……」
 エメラルドグリーンの瞳が煌めいていた。優しく、そして妖しく。
「大丈夫。さっきも言ったろう? 俺の手は円堂くんの手なんだよ」
 思わず目をつぶる。このままヒロトの目を見ていると、気がおかしくなりそうだ。
「素直だね、風丸くん。そう、そのまま感じて」
 ヒロトの声が耳元をくすぐる。こんなことで勃つわけないのに、俺の股間をヒロトの手はまさぐってる。
「あっ……」
 ジャージの布越しだというのに、ヒロトは巧みに俺を促す。思わず声が出た。
 ヒロトが耳元で笑ってる。恥ずかしくて、俺は居たたまれなくなった。
「ふふ。風丸くんは可愛いなあ……」
 いつの間にか、俺の逸物はヒロトの手でかたく反り返ってる。ジャージの下をヒロトはずり下げた。
「ほら。風丸くんのはもう、はちきれそうだ。すっきりさせてあげるよ」
 俺のをこんなにさせたのは、何処のどいつなんだ。そう言いたかったけど、ヒロトが醸しだす異様な雰囲気に俺は飲まれてしまってる。
 ヒロトの指が俺のを直に触る。
「……ふっ」
 我慢してるけど、つい息が漏れる。俺の反応にヒロトは目を細めた。
 ヒロトの愛撫はとても巧みで、俺の感じるところをピンポイントに攻めてくる。まるでゴールを刺すシュート。
 俺は堪らなくなって、荒く息をついだ。隣の部屋に聞こえてしまいそうで、ベッドカバーをぎゅっと握って必死に声をこらえてた。
 空気にさらされた下半身が汗ばむ。頭の中は真っ白になって、全神経がヒロトの触れる場所に集中している。
 ヒロトの指遣いが激しくなった。
「あっ……あっあ!」
 ダメだ。そう思ったころはもう、俺はヒロトの手の中に熱い迸りを吐きだしてた。
「風丸くん」
 ヒロトは満足そうに俺に微笑みかける。
「気持ち良かった?」
 俺はヒロトを睨んだ。こんなことして何が楽しいんだ?
 ヒロトは俺が睨むのもお構いなしに、ティッシュを箱から引き出すと、俺のもので汚れた手を拭った。
「いっぱい出たね。もしかして溜まってた?」
 そんな恥ずかしいこと、よく言えるもんだ。目を伏せると、今度は再び俺の股間に手を出してきた。
「うわっ!」
 慌てて飛び退くと、ヒロトは苦笑いした。
「こっちも綺麗にしなきゃ。……それとも、俺の口でして欲しい?」
 バカなこと言うな。俺は思いきり首を振った。
「自分で拭く」
 そう言うと、ヒロトは箱から新しいティッシュを出してよこした。
「はい」
 ヒロトの手からティッシュを奪い取ると、俺はだらしなくなってしまった自身を拭う。放出した開放感はあるものの、それがヒロトの手の中と言うことと、俺が出した白く濁ったものがべたべたとしてて気持ち悪い。
 情けなくて涙が出そうだ。
「風丸くん」
 使用済みのティッシュを丸めてると、ヒロトがゴミ箱を抱えて差し出した。俺は溜息をついてそこに入れた。
「迷惑だったかい?」
 俺は咄嗟に、どう答えたらいいのかわからなかった。黙ってると、ヒロトはそのエメラルドの瞳を揺らして、俺に何か訴えかける。その色はとてつもなく悲しげだ。
 ああ、まずい。こんな目で見られてしまうと、俺はついついお節介をかけたくなる。胸の奥がずきずきする。
 悪い癖だと思う。でも目の前に困ってる奴がいると、うっかり手を差し伸べてしまいたくなる。
「いや……その。あ、ありがとう……」
 でも、どう話しかければいいのか分からなくて、とりあえず礼だけ言った。
「どういたしまして」
 にっこりと笑顔が返ってくる。
「風丸くんが満足してくれたのなら、それでいいよ」
 なんだか申し訳なくなる。俺は熱を放出できて満足したけれど、ヒロト自身はどうなんだろう。ヒロトは俺にも同じことを求めてるんじゃないのか?
「ヒロト。お前も……俺にして欲しいのか?」
 恐る恐る訊いてみた。エメラルドの目が細くなった。
「それは……風丸くん次第かな。無理矢理は趣味じゃないんだ」
「そ……」
 俺は選択を求められてる。ヒロトを満足させてやるか、それとも突っぱねるか。たださっき、自分だけが気持ちいい思いをしたのが、後ろめたかった。
「……秘密、だぞ」
「うん?」
「誰にも言うなよ。こんなこと」
「当たり前じゃないか」
 ヒロトは笑い飛ばす。
 もう、引くに引けない状態だった。
「男同士だから、どこが気持ちいいか分かるよね。自分がしてもらいたい所を刺激するといいよ」
 アドバイスに従って、俺はさっきしてもらったみたいにヒロトのを摩った。自分で見たこともない角度からのそれは、なんだか俺と同じモノじゃなく、全く別の物体に思える。
 指を添えて扱き、特に感じそうな箇所を攻めると、ヒロトは蕩けるように体を震わせた。
「あっ……は。いいよ、風丸くん。いや、円堂……くん」
 ヒロトはうわずった声で円堂の名前を呼び始めた。ああ、そうか。ヒロトにとって、俺の手は円堂の手なんだ。
 異様な光景だった。俺はヒロトの局部をねっとりと攻め、ヒロトは円堂の名を呼びながら、俺に扱かれて甘い吐息を吐いていた。
 やがてヒロトは極限に達したので、噴き出させたものを俺はティッシュで拭いてやった。ヒロトは目を半開きにして、ベッドに体を横たえた。
「ありがとう……風丸くん」
「あ、ああ」
 体を弛緩させうっとりしているヒロトに、俺が毛布をかけてやると、そう礼をいわれた。複雑な気分だ。早くここを出なきゃな……。
「ヒロト。俺、もう部屋に戻るぜ」
「うん……。おやすみ風丸くん」
「ああ、おやすみ。明日も練習で早いからな」
 俺とヒロトが秘密の関係を持ったのは、こういう経過だった。
3 / 10
4 / 10

 日々の練習に次ぐ練習で、夜にはチームのみんなはぐったりしている。夕食をとったあとの恒例の自習時間には、欠伸をこらえて問題を解いてるヤツや、机に突っ伏して惰眠を貪るヤツが大半だ。円堂は問題を解いてるよりも、まだ特訓し足りないって顔だ。久遠監督の言うところだと、適度な休息も基礎的な体力づくりには有効らしい。
 監督の考えも尤もだとは思うけれど、そのぶん体を動かしたいと思う円堂の気持ちもわかる。特に、こんな切ない気分のときは……。
 テーブルの向かいで鼻の下に鉛筆をはさみ、プリントの問題なんて上の空でサッカーに没頭してる円堂を見てると、ぎゅっと抱きついて胸の中に飛び込んでしまいたい、なんて思ってしまう。
 ダメなんだ。こんな考えを持つのさえ。
 自分でたしなめるけど、一度浮かんだ欲望はどうしようもなく俺を誘惑する。
 堪らなくなって、視線をそらすとヒロトと目が合った。ヒロトは俺に気づくと、ふっと微笑みを浮かべて合図する。
 俺はどきんとした。
 それは、秘かな宴のはじまりだった。


 ひっそりと深い夜の闇の中、ヒロトと俺は円堂のことを思い浮かべながら、行き場のない欲情をぶつけ合っていた。裸になり互いに手と指とで撫であう。
 挿入はしない。ただ扱いてやるだけ。
 たまに屹立したモノとモノで擦りあう。敏感な箇所同士で刺激すると、堪らなく気持ちがいい。
 ヒロトの、どちらかと言えば青白い肌が俺の愛撫でほの紅く染まるのが、俺にはとても可愛らしく見えた。
「風丸くん、良かった?」
 俺が欲を吐きだすと、決まってヒロトはそう訊いた。
「ん……」
と、頷くと嬉しそうな顔で応えるのが、どこか誇らしい。
 でも、お互い溜め込んだものを出して、気怠い体をベッドに横たえると、立ち昇っていた熱は急速に冷めていく。それにつれて、俺は虚しさを覚える。
「俺、戻るぜ。もう……遅いし」
 脱ぎ散らかした下着とジャージをつけると、言い訳してその場を去ろうとした。すると、ヒロトは俺の手をそっと握った。
「風丸くん。……また今度」
 握られた手が熱い。思わずたじろいだ。
「あ、ああ」
 急いでヒロトの部屋を出て、廊下で大きく息を吐くと、開け放たれた窓からそよぐ潮風の匂いがした。満月が真上にあるので、夜中近いのに案外明るい。
 俺は窓辺にもたれて、冷んやりとした潮の香りでしばらく頭をさらした。


 そんな日々がしばらく続いた。ヒロトとは、自然に日中も一緒にいることも多くなった。
「風丸。お前、最近ヒロトと仲いいんだな!」
 なにも事情を知らないはずの円堂が、ある日そんなことを言った。
 俺は曖昧に頷くと、円堂はいつもの太陽のような笑顔を俺に向ける。
「ほら、本戦に入る前に緑川が抜けちゃっただろ。ヒロトのヤツ、そのこと気にしてたみたいだからさ~」
 緑川はヒロトと同じ養護施設の出身で、アジア予選まではイナズマジャパンのメンバーだったが、体力不足の為本戦からは外れてしまった。俺は合宿所にいる間、緑川の面倒をよく見てやったので、円堂はそれを覚えていた上でそう切り出したんだろうか。
「あいつは別に、そんなことで落ち込んでるようには見えなかったぜ?」
「けどさ。お前が話しかけてくれるから、寂しくないんじゃないか? よく笑うようになったし!」
「気にかけてたのか……」
 なんのかんの言っても、円堂はまわりをよく見てる。でも、ヒロトが抱えている本当の想いは円堂には一生通じないんだろうな。そう考えたら、あいつが憐れに感じる。
 それは多分、俺自身の気持ちも……。
「うん。でも普段はヒロトばっかり構うワケにはいかないだろ。風丸が相手してくれるのなら、すげー助かる。って思ってさ」
「キャプテンだからな。お前は」
 俺がそう言うと、円堂は「へへっ」とにやけた。
 ああ、これで良いんだ。
 たとえ自分の想いが通じなくても、円堂に頼りにされるのなら、それだけで充分だ。これこそが、昔から培ってきた絆だ。
 でも、それを持たないヒロトはどうするのだろう?
 昼飯後の食堂は俺と円堂しかいなくて、他のみんなは自室でしばしの休息を貪っているはず。ヒロトもおそらく……。
 俺はなんとなく気持ちが落ち着かなくなり、ヒロトを訪ねてみようかと食堂を出た。選手ひとりずつに与えられてる部屋は二階にある。階段を昇ると、出くわしたのは豪炎寺だった。
「風丸」
 俺を呼んだから、なにかあるのかと思ったけど、当の豪炎寺は別に用はなかったみたいだ。
 ただ、なにも言わずに俺を見つめてるだけだった。


「風丸くん。イカロスの話を知ってるかい?」
 その晩ヒロトの部屋を訪れて、いきなり出た話題がそれだった。
「イカロスって……、ロウソクの羽根で空を飛んだヤツだったっけ?」
「そう。昔のこと、ギリシャにイカロスって少年がいたんだ。彼は父親と共に閉じ込められた迷宮から、ロウで固めた翼で太陽をめざした」
 小学校のころ、そんな歌を聴いたことがある。確かその歌詞では、イカロスは悲劇的な結末を迎えてたハズだ。
「でも、ロウの翼はあまりにも脆くて、熱い太陽に近づくと溶けてしまうんだ。イカロスの体は耐えきれなくて空からまっ逆さに落ちてしまった……。可哀想だよね」
 どうしてヒロトは、こんな例え話をしたのか。嫌な予感で身震いした。
「俺たちはイカロスだよ。円堂くんという太陽に恋い焦がれてる。でも、不用意に彼に近づこうとすると、その炎で焼け落ちてしまうのさ」
 ああ、やっぱり……。
「でもイカロスは身を焦がされるのも厭わずに、太陽を目指したんじゃないかな。待っているのが破滅だとしても、愚かなロウの翼で飛び立たずにはいられなかったんだ」
 俺にはヒロトの言いたいことが、ある意味理解できるけど、でもやっぱり分からないな……と思った。何も言えずに黙っていると、ヒロトはにっこりと笑みを浮かべた。
「風丸くんは円堂くんの何処が好きなんだい?」
 ヒロトは突拍子もなく話題を変えてくるので、すぐに対応できなくなるのはしょっちゅうだ。
「何処って……。あいつは」
 胸の内に円堂の屈託のない笑顔が浮かぶ。小学校の頃からずっと一緒だったから、それはまるで空気のように思えるけど、思えばあの笑顔に俺は癒されてたと気づく。言葉なんかなくたって、側にいるだけで感じられていた。
 俺はそのことをヒロトに告げると、納得して頷いた。
「そうだね。それこそが円堂くんの良さだ」
 俺はなんだか、心がくすぐられた。
「風丸くん。きみは可愛いなぁ」
 急になに言い出すんだ。俺は恥ずかしくなって、ヒロトを睨んだ。


 強豪イギリスチームとの試合を辛くも勝利で抑え、俺たちは次のアルゼンチン戦に向けて特訓の日々を過ごしていた。みんなは気合い十分だったが、鬼道が何故だか、焦ってる感じなのが気になった。
「鬼道のヤツ、なにかあったのか?」
「う~ん。俺も気になってるけど……」
 円堂にそれとなく訊いてみたが首をひねるだけで、よくは分からないみたいだ。本戦から代表入りした佐久間が鬼道といつもつるんでるので、尋ねてみると妙に渋い顔をして、
「……不動の所為じゃないか?」
と答えた。
 不動は前から鬼道に突っかかっていたので、またか、と思ったが、最近のあいつはそれほど煩くないはずだ。
「不動がなにかしたのか?」
 理由を知ろうと訊いてみると、佐久間は何故か複雑そうな顔で、
「いや……。悪さをしたってワケじゃないんだ」
と、お茶を濁す。終いには、
「お前たちが心配するようなことじゃないさ。鬼道はちょっとナーバスになってるだけだ」
そう言って、何もないような振りをする。
 なんだよ、却って気になるだろ。
 俺はもう一度、円堂に相談してみた。すると今度は、円堂は親身になって俺の話を聞いてくれた。
「分かった。俺、それとなく鬼道に訊いてみる。お前はもう気にすんなよ。任せとけって」
 胸を張って、拳でぱんと叩く円堂。やっぱりいいなぁ。こんな円堂だからこそ、俺は頼りにしてしまうのかもしれない。
 このとき円堂に相談したことで、とんでもない事態になるだなんて、俺は全く思いもよらなかった。


 次の日、身が入ってないのを理由に、監督から練習参加から外された鬼道と佐久間を追って、円堂が一晩合宿所を留守にしてしまった。
「何処にいるんだよ、お前。全然帰ってこないから、みんな心配してるんだぞ!」
 その晩遅くに、円堂からかかってきた電話を受けて、俺は憤りをぶつけた。
「ごめんっ。ちょっとトラブルに合っちゃって……。鬼道と佐久間、それに不動も一緒だよ。明日にはちゃんと戻るから」
「だから、何処にいるんだって?」
「イタリア街さ」
「イタリア?」
 ライオコット島のイタリア街は合宿所のある日本街からはかなり離れている。
「一体、なんでそんなとこに……?」
「ああ、イタリアチームのフィディオたちとも一緒なんだ。彼らが大ピンチでさ。とにかく、次の試合は明後日だから、迷惑はかけないよ。心配すんな!」
 円堂の話は、全くと言っていいほど埒が明かない。詳しく聞きたかったが、必要最低限を言うだけで、通話は即座に切られた。
「円堂っ? 円堂ってば」
 無残に受話口から響く電子音に舌打ちして、俺は電話を切るとみんなに円堂からの連絡を伝えた。もちろん、納得はされなかったが……。
「ったく、四人揃ってどこほっつき歩いてるんだ。試合が近いだろうが」
「イタリアっすかぁ。ピザにラザニアにジェラート。美味しそうっすねぇ」
 染岡なんかは不信がってるし、壁山は食べ物のことで羨ましげにしている。
「まあまあ。心配すんなって言ってんだし。円堂のことだから大丈夫だろ」
 楽観家の綱海がなだめると、他のヤツらも同調して、円堂たちが留守の間に目一杯特訓してビックリさせてやろうという話に収まってしまった。
「じゃあ、俺と豪炎寺さんとヒロトさんで出す必殺技、完成させましょう!」
 一番年下の虎丸が自信ありげに言う。全くみんな、気楽なものだ。
 おそらくみんなの中で、不安なのは俺だけ……なのかもしれない。
「風丸、お前心配そうだな」
 豪炎寺が俺の顔色を伺ったので、平気な振りをした。
「大丈夫さ。円堂はすぐ面倒ごとに首を突っ込む……。いつものことだぜ」
「大丈夫そうには見えないが」
 豪炎寺は結構鋭いから、俺の精一杯なんてたちまちバレちまう。
「平気、平気。ただ、連絡が遅すぎたからムカついてるだけだ」
「そうか……なら良いが。心配ごとがあるのなら、いつでも相談してくれ」
 俺にそう言うと、豪炎寺は自室に戻ってしまった。
4 / 10
5 / 10

「初めてだね。円堂くんのいない夜」
 その日の晩もヒロトと共に過ごした。俺の顔をみて慰めの言葉をかける。
「風丸くん。寂しい?」
 ヒロトの手が、ジャージの上から俺の股間をくすぐる。でもなんか、俺はノリが悪い。
「別に……寂しくなんか」
 心の中は切ない気持ちで一杯になっている。たったの半日、円堂の姿を見れないというだけで、俺の胸は千々に乱れてる。重たいものがぐるぐる駆けめぐって、気分が塞ぐ。
「俺にはホントのこと言いなよ。大好きな円堂くんがいなくて、寂しくてしょうがない、って」
「う……」
 ヒロトも相当鋭かった。まあ……、俺の気持ちを知ってるからだろうけど。
「寂しいさ。でもそれでグダついてるのも、バカらしいし……」
 そう言うと、ヒロトは苦笑いする。
「そうだね。円堂くんがいないから、俺もつまらないな」
 軽く溜息をつくと、ヒロトは俺の顔をじっと見上げた。
「でも、俺には風丸くんがいる。だから、ちょっと寂しくない」
 急に悪戯めいた表情を浮かべると、ヒロトは俺をベッドに押し倒した。
「おい。何するんだ?」
 いきなりだったので、戸惑ってしまった。
「風丸くん」
 甘えた声を出して、ヒロトは俺のシャツをめくって、中に指を差し込んだ。白く透きとおる手が俺の肌をかすめた。
「……あっ!?」
 俺の乳首が冷たい指でつままれる。びくんと、俺の体が反応した。
「風丸くん……。これ好きかい?」
「や……やめろよ」
 俺が睨むのもなんともせず、ヒロトは俺の乳首をこねくり回した。初めて味わう刺激に、俺はめまいがしそうになった。
「あれ? 風丸くんは満更でもないって顔だよ。気持ち……良いんだよね?」
 俺の上に馬乗りになって、ヒロトは俺の胸に悪戯をしかける。ヒロトが弄る先から、なんとも言えない甘い感覚がじんわりと広がって、思わず体を委ねそうになる。
 ちっ、畜生。気持ちいいよ、くそっ!
「風丸……くん?」
 語尾をあげて、ヒロトは俺に答えを求めた。仕方なく頷いたら、にやりと笑った。
「やっぱり風丸くん、可愛い」
 転げるような笑みを浮かべると、ヒロトは馬乗りの姿勢から、前のめりになった。何をする気だと伺ってると、俺の胸をやわやわと揉み始めた。
「バカ! 女の胸じゃないんだぞ」
 罵倒してもヒロトは、俺の薄い胸を愛おしそうに撫でて、あまつさえ乳首を口に含んだ。
「うわっ!」
 俺の胸の先は、ヒロトのざらついた舌で、ちゅうっと吸い上げられる。歯を軽く立てて甘噛みしたり、舌先で転がしてきた。
「待て待て待てって! 待てよ、ヒロト!!」
 俺は必死にやめさせようとするけど、ヒロトは構わず俺の胸に吸いついてる。やめろって、マジで。頭変になりそう。
「おっぱい出ないなぁ……。飲みたいのに、風丸くんのおっぱい」
「バカ、出るワケないだろ!」
 俺はヒロトの頭を引き剥がそうとした。でも、俺の胸をさわさわと揉んで、乳首を口に含んでるヒロトは、なんと言うかその、まるで赤ん坊みたいに思えてきた。そう思った途端、抵抗する気が消えてしまう。俺はされるがままになって、ただ、ヒロトの頭を撫でていた。


 翌日、円堂たちを欠いた俺たちにもたらされたのは、突然の試合日の変更だった。
「大変です~! アルゼンチンとの試合、開始が早まりました!」
「早まったって……、いつだよ?」
 マネージャーの音無に染岡が尋ねる。慌ててる彼女の代わりに、木野が教えてくれた。
「それが……今日の二時半からですって」
「おいおい。まんま一日前かよ!?」
 綱海と土方が顔を見合わせて、あんぐりと口を開けてた。
 いきなりの試合日繰り上げ。みんなに動揺が走るのは無理もない。一日分の練習時間が減らされるのだから。しかも……。
「円堂も鬼道も、まだ戻ってこないじゃねぇか。どうするんだ?」
 染岡が渋面で俺を見た。
 一番の問題はそれだ。昨日の円堂の電話では、今日には戻ると言っていた。時間の詳細は聞いてない。
「監督の指示を仰ぐべきなんじゃないかな」
 ヒロトが助け舟を出してくれた。だが、今朝は未だに監督たちの顔を見ていない……。
「そのことなんですけど……」
 マネージャーの久遠が青ざめた顔で前に進みでた。彼女は監督の娘なんだ。
「お父さんは……朝から実行委員会に呼ばれていないんです」
「何でこんな時に?」
「じゃ、響木監督は!?」
 誰かが同時に尋ねたので、久遠はびくっと体を震わせてる。
「あの……響木監督も、一緒です」
 彼女の声は今にも消え入りそうだ。
「監督までいないって、どうなってんだよ?」
 みんな、頭を抱えてる。豪炎寺が俺の側に近寄ると言った。
「どうする? 風丸」
「どうするって……」
 豪炎寺だけじゃない。みんなの視線が俺に向いていた。円堂も鬼道もいないとなると、この場を収めるのはわずかな人間しかないから。
 俺しか……いないワケか。
「俺は円堂の言葉を信じる。四人が戻るのを待とう」
「戻って来なかったら……、どうするんですか、風丸くん?」
 目金がファイルを抱えて尋ねた。
「来るさ! あいつらが試合を放棄するワケがない」
「万が一、ということもあるでしょう? 大会規約に寄ると……、試合時間に選手が揃わない場合、試合放棄とみなし、負けとなります」
「そんな!」
「試合もせずに負けなんて、やだよぅ!」
 小暮が、駄々を捏ねるように言った。
「試合時のメンバーは最低十一人いれば良いようです。監督が居ない場合は……登録選手以外の代理を立てれば大丈夫ですが」
「キャプテンはどうするっすか?」
 壁山が不安げな声を出した。
「キャプテンは、風丸くんが良いんじゃないかな? みんなを纏められるのは、風丸くんしかいないと思う」
 みんなが、互いに顔を見合わせてると、ヒロトが俺に目配せした。
「お、俺……?」
 思わず身じろぎした。でも、みんなは俺を見て、納得した顔をしている。
「いいんじゃね?」
「風丸さんなら、俺たち安心できます!」
「俺も風丸が適任だと思う」
 豪炎寺にそう言われてしまったので、俺はもう断ることもできなくなった。
「俺は……」
 俺がキャプテンをやったのは、ダークエンペラーズのときだけだ。あのときは、エイリア石の所為で不安も焦りも感じなかった。でもそんなものとはもう、俺は訣別した。
 今の俺に、みんなを導く力があるのか?
 円堂の背中を思い出す。あいつはみんなの想いをあの背中で背負ってた。俺も……、みんなに応えなければならない。
「分かった……。俺に任せろ!」
 みんなが喜びの声でどよめいた。でも俺が鼓舞してるのは、俺自身なのかもしれないな……。
「俺、余計なこと言ったかな?」
 みんなが試合前の調整に、それぞれグラウンドに向かったとき、俺の顔をヒロトが伺った。俺は首を横に振る。
「良かった。でも、風丸くんを推薦したのは本心だから」
「いや、後押ししてくれたお陰で決心がついたよ」
「俺もなるべくきみをフォローするよ。万が一円堂くんが間に合わなくても、絶対勝とう」
 ヒロトが俺の肩に手をかけて笑いかける。その笑みが俺には、すごく頼もしかった。
5 / 10
6 / 10

 円堂たちは、結局間に合わなかった。監督たちもどうやら来れないようだったが、目金を代理人に立てることで何とかなった。
 問題は……俺たちの力が全く相手チームに敵わなかったことだ。
 いつになく、真上から照りつける太陽の光が、じりじりと俺たちを焼きつける。俺の知っている太陽は、もっと暖かなのに。
 焦りを感じている俺たちに、アルゼンチンチームは鉄壁過ぎた。ヒロトや染岡がどんなに果敢に攻め込もうとも、敵キャプテンのテレスは確実にボールを奪う。なんて、ディフェンス力だろう。それだけじゃない。フォワード陣も強力なシュートをお見舞いしてくる。
「すみません……。俺が不甲斐ないばっかりに」
 ハーフタイムに入って、みんなは意気消沈してる。特に、前半で点を入れられてしまった立向居はしょんぼりと肩を落としてる。
 ダメだ、こんなんじゃ。俺はみんなに気合いをかけるべきかどうか、悩んだ。そのとき。
「風丸」
 豪炎寺が俺にそっと耳打ちした。なにごとだろうと、ベンチから離れて彼から話を聞く。
「後半、虎丸とヒロトを上げて、俺にボールを寄越してくれ」
 豪炎寺の口から出た名前から、三人が新しい必殺技の練習をしていたのを思い出す。
「完成したのか?」
「まだ完璧じゃない。でも、必ず決めてみせる」
 その真剣な眼差しは、俺の胸を確かに打った。
「分かった。ボールはお前に届けるよ。だから頼むぜ」
「ああ、任せろ」
 豪炎寺が頷く。そのあとぼそりと呟いた。
「お前の…………に」
 終わりぎわが良く聞こえない。聞きなおそうと思ったが、審判が後半戦の開始を伝えてきたので、それは後にしようと思い直した。


 試合終了のホイッスルが鳴り響く。結果は敗北……。後半、確かに豪炎寺は虎丸とヒロトとの必殺技を決めてくれた。立向居も必死にゴールを守ってくれた。が、あともう一押し、という所で逆転どころか引き分け持ち込むのさえできなかった。
 まだ明るい日差しがピッチを照らしてる。けれど、俺たちの心には暗く影を落とす。左腕のキャプテンマークが重い……。
 円堂はこんな重圧をいつも感じてたんだろうか。赤いキャプテンマークに触れてみて、その重みを俺は嫌というほど感じてた。
「風丸、お前の所為じゃない」
 豪炎寺はそう言ってくれたけど、円堂たちの留守を護れなかった現実が、俺を威圧していた。
 ピッチに立ち尽くしてたヒロトが、遠くから俺の顔をじっと見ている。不意に、昨日のイカロスの話を思い出した。
 ロウで固めた翼が、熱い陽の光で焦げて溶けてしまうように、俺のサッカープレイも所詮は同じものだったのだろうか。代表に選ばれて、世界の選手たちと競い合えることに有頂天になっていたけれど、本当はそんな実力なんて、てんで程遠かったのかもな……。
 そう思ったら、胸が締め付けられるように苦しくなった。


 円堂たちは試合終了のずっと後になって、やっと俺たちと合流した。お互いに謝ったけど、円堂や鬼道の話だとあの影山が裏で絡んでいた、と聞かされた。それは無理もないな、って思う。特に鬼道のことを思うと、気の毒になる。
 アルゼンチンとの試合が急遽変更されたのも、どうやら影山絡みらしい。
「ひでぇ……。どこまで汚ねえんだよ、影山のヤツ」
 染岡が吐き捨てる。でも俺には、世界に到底届かなかった現実の所為で、そんなことに憤慨する気にまではならなかった。
 夜がきて、夕食の時間になっても、俺の心は暗いまま。無理やり食事を詰め込んだけど、美味しいとか考えるのさえ億劫になる。
「風丸!」
 夕食あとの自由時間。円堂が俺に手招きした。
「なんの用だ……?」
 誘われるまま円堂の部屋に行くと、笑顔でベッドに座れと勧めてきた。一体何なのだろうと、内心首を傾げる。
「今日の試合だけどさ」
「あ、ああ……」
 円堂が合流したときは、既に俺たちの敗北を知っていた。試合会場に向かっていたらしいが、途中で間に合わなくなり、中継放送で経過を見ていたらしい。
「すまん……。俺、お前みたいにみんなを導けなかった」
「なに言ってんだ? 風丸。お前は良くやったよ!」
 円堂のベッドに並んで座ったけど、俺はまともに顔を見れないから、床に視線を向けて謝る。けれど円堂は俺の背中をぽんと撫でた。
「で、でも」
「惜しかったよな。豪炎寺たちの新しい必殺技、完成したのにな。でも、この一敗は明日に繋がる。そうだろ、風丸」
 現金なもんだ。さっきまでの重く苦しい気持ちは、円堂のたった一言で解き放たれる。がんじがらめにされて、奥底に落ち込んでいた心は、あっという間に軽くなり、ふわりと舞い上がる。まるで、羽根が生えたようだ。
「あっ」
 イカロスの翼。
 イカロスが本当に欲しかったのは本物の、自由に飛べる翼じゃないのか。ロウの翼が与えてくれるのは、ほんの、いっときだけの飛行。でも、本物の翼ならいつまでも飛んでいける。
 ……俺が、俺が本当に欲しいものは。
「どした? 風丸」
 円堂が俺の顔を覗きこんでる。俺は軽く首を振って顔をあげた。
「円堂……。俺、強くなりたい。本物の強さが欲しい」
 本物の、どこまでも行ける翼が。
 円堂は一瞬きょとんとしてたけど、俺の言葉を聞いてにっこり微笑んだ。
「ああ。なれるさ、風丸なら! 一緒に強くなろうぜ!」
 そう言って、俺の背中を暖めるように撫でる。涙が出そうになった。


 円堂の存在は俺に勇気を与えてくれる。俺の焦がれる太陽は、そこにあるだけで何も必要なくなる。俺はそれを知った。
 けれど、ヒロトはどうなんだろう?
 ヒロトはロウの翼を捨てて、本物を手に入れる勇気があるんだろうか。
 笑顔での部屋を出たあと、ヒロトに呼び止められた。すぐさま部屋に招き入れたヒロトは、俺をベッドの上に誘った。
「風丸くん」
 妖しげな瞳が、三日月みたいに細くなって揺れていた。
「あれ? もう落ち込んでないんだ。慰めてあげようと思ったのに」
 俺の頬を白い両手で包みこんで、不思議そうに首を傾げる。
「あ、もしかして円堂くんが……?」
 思い当たったのかそう言うので、俺は頷いた。
「じゃあ、俺の出番はないかな?」
 軽く苦笑いする。なんだか、気の毒だ。
「仕方ないね。……でも、体の方は流石に……」
「んぁ!」
 いきなり、シャツの上から俺の乳首をいじってくる。やべえ……感じるっての。
「ふふっ、堪らないみたいだね。ここが風丸くんの弱点なんだ」
 イタズラをしかける悪童みたいに、ヒロトはにやりと笑うと、俺の股間に手を伸ばす。ジャージの生地の上を手で滑らせた。
「ちょっと触っただけなのに、こんなに硬い。風丸くん……」
 俺の股の間をまさぐりながら、器用に口で俺のTシャツを捲くしあげた。胸元を舌先でつついたあと、口に含む。濡れた咥内が音を立てて俺のをしゃぶった。
 くそっ! 気持よすぎて頭がくらくらする。思わず
「はぁ……っん」
と、牝猫めいた声が出ちまった。
「風丸くん……。本当に可愛いなぁ」
 くすくす笑うと、ヒロトはちゅっと乳首を吸いあげた。
「……やめろよ。そういうの」
「ダメ。風丸くんが可愛いすぎるからもっと感じさせてあげなくちゃ」
 苦言を呈しても、ヒロトは俺の言うことなんか聞かなかった。片手をジャージの中に侵入させ、俺の硬くなった中心をいじり始める。
「ん……あぁ」
 ヒロトの愛撫はとても巧みで、俺の感じるところを的確に攻める。シーツの上で快楽にのたうち廻って、俺は切なくなった。でも心の隅では、なんとなく冷めてる。
 こんなことしてたって、本当に欲しいものなんか手に入りやしないのに……。
 絶頂まで追いつめられ、俺はヒロトの手の内に欲を吐きだした。それをティッシュで拭いながら、ヒロトは目を妖しく細める。
「風丸くん……。俺は、円堂くんのことが好きなきみがとても好きだよ……」
「え?」
 ベッドに体をゆだねて、夜の寒さにほてった肌を冷ましていると、ヒロトは俺に覆いかぶさってきた。顔を近づけ、俺の唇にヒロトのそれを重ねようとしてる。
「や、やめろよ!」
 あわてて俺はヒロトの頭を掴むと、突き放した。翠いろの瞳が哀しみに染まっている。
「風丸くん、俺は」
「そういうことはしないって、約束だろ!?」
「そうだけど、俺はきみを……」
 ヒロトは困惑した顔で、どこかおろおろしてる。けれど俺はベッドから降りて、乱れたジャージを直した。
「悪い。それ以上は……だめだ」
「風丸くん」
 なにか言いたげだったけど、俺は急いで部屋を出る。ドアを閉めて、背中を向けた。大きく溜息をひとつ吐く。
 合宿の廊下は微かな灯りだけで、暗闇とまじって物寂しい。もう一度息をついて自分の部屋に戻ろうとして……、ふと、闇の中にぽつんと人影があるのに気づいた。
「風丸」
 それは豪炎寺だった。
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 暗闇に豪炎寺の姿が浮かびあがる。よく分からないけど、なぜだろう。怒ってるように見えた。
「なんだ……? 豪炎寺」
 恐る恐る呼びかける。
「聞きたいことがある」
 そう言ったので、何も考えずに今度は豪炎寺の部屋に行った。今夜はなんて日だろう。円堂にヒロトに……。でも、ふたりの目的はある程度分かったけれども、豪炎寺は俺になんの用があるのか、全く考えつかない。
 豪炎寺の部屋で突っ立ったまま、俺はただ、気難しい顔をした彼を見てるだけだ。
「お前、ヒロトの部屋でなにをしていた……?」
 はっと息を飲む。そうか、ちょうど出てきたところだった。
「なにって、……話してただけだぜ?」
 まさか、互いに体を慰めあってた、だなんて言えるわけないし、そもそも今夜はヒロトにしてやれなかった。……あんなことさえなければ。
 体はさっきの快楽をまだ覚えている。けれども、キスされそうになったときの、なんと言うか不快感がまだ胸の中にわだかまっていた。
 ああ、なんで豪炎寺の前でこんなこと考えてるんだろう。そう思うと、頬がかっと熱くなった。
「話だけか?」
「そうだけど」
 豪炎寺はなんか、苛立ってるように見える。その原因が、俺には分からなくて首を傾げるしかなかった。
「じゃあ、なんで顔が赤いんだ?」
「え」
 ヤバい。豪炎寺は結構聡いから、俺の気持ちなんか、だだ漏れかもしれない。
「いっ、いや! 別に……なんにもないんだぜ。それはホントだから」
「嘘だ」
 いきなり豪炎寺は俺の肩を掴んだ。力が入りすぎてるのか、痛みを感じる。
「いっ……! な、なんだよ。いきなり」
 まったく、なにがなんだか分からない。抗議の声をあげたけど、肩をぎゅっと掴みあげる豪炎寺は、勢いをつけて俺をベッドの上に押し倒した。
「風丸……! お前が、お前が好きなのは円堂じゃないのか!?」
 いきなり出たその名前に、俺は却って異質なものを覚えた。
「好きって。まあ……確かにそうだぜ? 俺のかけがえのない親友だよ」
 それは本当に、心から思う。でも、この間まで抱いていた邪なものなんかなくなってて、純粋な気持ちだけだ。アルゼンチンとの試合は俺を打ちのめしたけれど、代わりに円堂という大切な存在を確認出来たからだ。
「そういう意味じゃないだろう?」
 俺の答えに豪炎寺は苛ついている。でもそんなこと言われたって、俺にはますます、豪炎寺の気持ちが分からない。
「ならなぜ、お前はヒロトの部屋に毎晩のように行くんだ? そもそもお前はそこで何をしている?」
 なんでそんなこと、豪炎寺は知ってるんだろう? 豪炎寺は、俺がヒロトといることが気に入らないんだろうか。だとしたら……。
 考えてみても、余計に理解できない。だって、まるで、豪炎寺は俺とヒロトに嫉妬してるみたいだから。
 嫉妬……? ははっ、まさか。
 苦笑いしそうになった俺を、豪炎寺は乱暴な手でジャージの襟を掴んで締めあげてくる。
「言えよ。言ってくれ、風丸」
 その手があまりにも激しくて、苦しくなった。息ができない。
「……やめて、くれよ。……俺、ホントに……ヒロトとは、話……だけで」
「……してるんだろう?」
「だから、なにを……?」
「…………セックスだ」
 苦々しい顔で豪炎寺が吐きだす。豪炎寺はやはり嫉妬してるのか? 誰に?
「してるわけないだろ」
 それは確かに真実なのに、豪炎寺がそんな風に誤解してることに、何故だか可笑しくなって、俺は呆れ笑いした。
 あとから考えれば、よくない行為だったに違いない。でもそれは、豪炎寺を逆上させるのに充分だった。
「嘘だ!!」
 完全に頭に血が昇ったのか豪炎寺は、俺のジャージの上を左右に引っ張った。無理な力でファスナーが壊れたが、俺も、豪炎寺もそんなことに構ってられなかった。
 俺の思考は停止してしまって、いま起きていることに反応できない。できるだけの抵抗はした。でも、俺の必死は豪炎寺の乱暴な手ですべて封じこまれる。
 俺の両手はベッドに押し付けられ、ジャージ下は下着ごと引き下ろされ放り投げられた。下半身が夜の冷気にさらされる。
「俺はお前が、円堂のことを好きなんだろうと思って、諦めてた。いや。むしろ、相手が円堂だから許してた。でも、円堂以外の奴と付き合うんなら、俺は絶対許さない!」
 なに言ってんだ、豪炎寺。許すの許さないのとか。俺は混乱する頭を抑えて、豪炎寺をなだめなきゃな……と思った。
「あ、あの。お前なんか勘違いしてるぞ?」
 でも豪炎寺は、俺の言うことなんかちっとも聞いちゃくれなかった。
「言い訳なら無駄だ。どうせ訊くのなら、お前の体に訊く」
 融通のきかなさに辟易する。一体どうしちまったんだ? と、思ってるうちに豪炎寺は、自身のジャージも下ろして、俺の両脚をぐっと持ちあげた。
「お、おい! 何を……?」
 急激に寒けを覚えた。俺の体は豪炎寺の目の前であられもなく広げられ、誰にも見せたことのない箇所が晒されていた。
 豪炎寺……。お前、俺を抱く気なのか?
 ごくりと息を呑んだ。
 目の前の豪炎寺は、いつもの、優しく俺を見る表情とは違ってた。
 こんな顔、俺は知らない。
 冷たくて、欲情に溢れてる、こんな豪炎寺、俺は知らない。
 大きく声をあげたかった。
 でもこんなこと、誰にも知られたくない。
 ただ俺は、途轍もなく恐ろしかった。
 あのとき、福岡で遭ったジェネシスとの試合よりも、それよりもずっと恐ろしかった。
 豪炎寺は俺の体をムリヤリ開き、閉じられた箇所をこじ開け、そして乱暴に侵入した。
 まるで焼けた鉄を押しあてる痛み。暖かさとは違う、体を焦がす熱。そんなもので俺は翻弄されていく。
 俺にまたがって体を揺り動かす豪炎寺は、何だか試合のときの真摯な姿じゃなくって、とても辛い顔をしてる。
 俺はただ、吹き荒れる暴風に身をさらして、千切れそうな痛みを抑えて、ひたすら耐えるしかなかった。
 声も出せず、豪炎寺の気が済むまで……。


 すべてが終わったとき、俺は顔を両手で覆って泣きじゃくってた。涙は止まる気配がなかった。豪炎寺は黙ったまま、俺の体から身を起こした。
「俺は……俺は、ヒロトとは恋人とか、そんなんじゃないんだ。ホントだよ……。信じてくれ……」
 俺が言えるのはそれしかなかったけど、豪炎寺は俺から視線を逸らすだけ。それでも、俺の体をタオルで拭いたあと、脱がしたジャージを渡してくれた。それを受け取って、俺はおびえたまま、服を整えると逃げるように豪炎寺の部屋を出た。
 よろけそうな体を引きずって、暗い廊下を抜け、自室に戻る。自分のベッドに横たわって、やっと自分を取り戻した。
 とにかく今は眠ろう、そう思った。なんで豪炎寺が俺にあんなことしたのか、未だに分からないけど。眠ればそれも、夢になっちまえばいい。夢に……。


 朝は浅い眠りのあと、やっと訪れた。あんなに願ったのに、昨日のことは夢でもなんでもなく、ただ事実だった記憶が残されてた。貫かれた箇所はずきずき痛み、どことなく頭が重い。
 多少無理でも、起きあがろうとした。でも、どんな顔をして豪炎寺と顔を合わせればいいのか……。それを考えると、途端に気力が消えてく。
 諦めて、今日は練習を休むことにした。
「風丸、大丈夫か? 昨日の試合ならもう……」
 円堂が心配そうな顔で俺を伺う。そんなんじゃない。アルゼンチン戦のことはもう気にしてないのに、円堂は誤解してるみたいだ。
 でも本当のことなんか言えない。俺はただ、苦笑するしかなかった。
「なんか、顔色悪いぜ。体調よくないみたいだな。うん。今日は休んだ方がいい」
 勝手に納得したのか、円堂は俺を気遣いながらも、練習に赴く。ちょっとだけ、ほっとした。
 理由が理由だけに、後ろめたい気持ちは残ったままだが、俺はやっと安心してベッドに潜り込んだ。横になって布団にくるまれていると、まどろみが俺を包む。そのまま、俺は眠ってしまった。
 夕べはろくに寝てないから、昼まで目を覚まさなかった。マネージャーに昼飯を持ってきてもらって平らげたら、やっと気分が落ち着いてきた。
 ベッドに起き上がって、痛む疵あとに顔をしかめてると、ノックの音がする。てっきりマネージャーの誰かが食事の皿を下げにきたんだろうと思ったら、部屋を覗いたのはヒロトだった。
「風丸くん。ちょっと、いいかい?」
 一息ついて心地良くなった気分にいきなり冷水をかけられた。昨夜のことですっかり忘れてたが、豪炎寺以上にヒロトとは話なんかしたくない。
「悪い。まだ気分良くない」
 俺はそっぽを向いた。
「大事な話なんだ」
「ムリだよ……」
 そう言うと、どこか悲しげな声でヒロトは
「そうだね。後にするよ」
と断ってドアを閉じた。
 ヒロトの気配がなくなると、やっと俺は振りかえる。部屋に充満していた、窓からそそぐ太陽の光が翳っている。俺は壁にもたれて、光が照ったり遮られたりしてるのをぼんやり見ていた。


 夜になってようやく、俺は部屋から出られるくらいに回復した。食堂に行ったら、円堂が「大丈夫か?」と声をかけに来る。
「ありがとう。もう大丈夫さ。明日はちゃんと練習に参加する」
「ホントか! 良かった。みんな心配してたからさ」
 円堂の後ろで壁山が同様の頷きを見せた。鬼道も寄ってきて、俺を伺う。
「風丸、無理はするな」
「平気だよ。やっぱり一日体を動かしてないと、不安になるし」
「ならば良いのだが」
 来るかと危惧したが、ヒロトは黙ったままで俺を見るだけだった。豪炎寺はもう食事を終えたのか、姿を見ない。ほっとして俺は、円堂たちと夕食をとった。
 そのまま課題のプリントを終えた俺は、自分の部屋に戻ろうと、ひとり宿舎の階段をあがった。
「あっ」
 俺の部屋の前に、豪炎寺が居た。
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「済まなかった」
 豪炎寺を部屋に入れてしまったのは、自分でもどうかしてると思う。でも、廊下で騒がれて昨日のことを誰かに知られるのは、一番嫌だった。
 部屋に入るなり、豪炎寺は俺の足元にひざまづいた。両手を床につき、土下座する。
「ヒロトから聞いた。お前とは全く何もないってな。……俺の勘違いで、お前に酷いことをしてしまった。済まない。本当に済まない」
 なんで謝るんだよ、豪炎寺。ワケ分かんねーよ。俺の心をあれだけかき乱して……。
 体が穢されたのなんか、もう、どうでも良かった。ただ、俺にあんなことをした豪炎寺の気持ちが分からない。
「なにを今更……」
 どうしようもなくて、それだけ言うと、豪炎寺はこう返した。
「謝ったくらいで、償いになるとは思ってない。だから、お前の気が済むまで、俺を殴れ」
『殴れ』って……。そんなんで俺の気が済むワケないだろ。俺が知りたいのはそんなことじゃないんだ。
 足元で床に頭をこすりつけてる豪炎寺に、俺は屈んで向きあった。顔が見えないから、手を伸ばして頬に触れた。なぜだろう。豪炎寺の顔は濡れていた。
「え……?」
 豪炎寺の顔を上げさせて、確かめる。細いつり目に、涙が浮かんでる。
「お前……」
 本当に、ワケが分からない。なんでお前は俺なんかの為に、頭を下げてるんだ? こんな、俺の為に……。
「風丸……。俺を殴れ」
 涙を浮かべて、そう訴える豪炎寺を見てると、俺の胸はもやもやし始めた。
 ああ、悪いクセだ。
 こんな風に、俺に何かを求めてる奴が居ると、どうしようもなく手を差し伸べてしまいたくなる。
「お前……なんで俺にあんなこと……?」
 ただ、どうしても知りたかったことだけは聞いておかなくちゃ。そう思った。
「済まない。お前を俺のものにしたかった」
 なんで俺なんかを?
「お前には迷惑な話だろうが……。好きだった、お前が。ずっと前から」
「豪炎寺、お前……」
 なんでだよ。俺はお前に愛される資格なんてないよ。お前からすれば、ヒロトとのことなんか、誤解とは言い切れないのに。でも。
「迷惑じゃないぜ」
「風丸……?」
「謝らなきゃならないのは、俺の方だ」
「なに言ってる。俺はお前に最低な行為をした」
 俺は首を振った。でも、豪炎寺は再び頭を下げだす。
「もう、いいよ。もう……止めてくれ。そんなことする必要ないだろ」
「俺の気が済まない」
 どうすれば、豪炎寺が平謝りするのを止められるのか。俺は考えあぐねてた挙句、もうなにも浮かばなくて、思い切ってうずくまる豪炎寺の背中にそっと手を置いた。
「俺、お前になにをしてあげれば良いのかな?」
 涙で濡れている豪炎寺の頬に唇を寄せる。温もりが冷えた肌に伝わった。
「俺はお前に償いたいだけだ」
「じゃあ、教えてくれよ」
 豪炎寺は顔をあげて、首を捻った。
「俺、お前に教えて欲しいことがあるんだ」
「……何だ?」
 豪炎寺の声はちょっと掠れてた。
「……気持ちいいセックス」
 俺がそう言った途端、豪炎寺は信じられない顔をした。少し呆けたあと、眉をひそめる。
「お前、なにを言って……」
「俺は本気だ。知らないんだ。本当のセックスって奴」
 豪炎寺は黙ってしまった。まるでその場に固まってしまったように、一体の銅像のように。
 俺は固まったままの豪炎寺の手に俺の手を乗せると、鼻を付き合わせるように顔を寄せた。引き締まった、意思の強さを感じる唇に、俺は口づけた。
 昨日、ヒロトに抱いた嫌悪感はなかった。


 豪炎寺の行為は昨日とは全く打って変わってる。まるで壊れもののように、慎重に俺を抱いた。始終、俺の体を気遣ってるのは、後ろめたさの裏返しなんだろうか。
 優しく口付けてゆっくりと俺を慣らしてく豪炎寺は、まさに俺の知ってる彼で、昨日のことは何かの間違いだったんじゃないかと思う。
 豪炎寺のモノで貫かれても、痛みよりもずっと凄いものを味わった。
 そう。俺は感じてしまったんだ。
 初めて味わうその感覚に、俺は翻弄されてしまった。
 これが本当のセックスなんだ。そう思うと、俺はなんだか安心してしまった。
「痛くなかったか?」
 終わったあと、そう訊くので頷いたら、ほっとした顔を俺に見せた。
「そうか。……俺は。凄く良かった」
「昨日は良くなかったのか?」
 訊き返すと、一瞬苦笑いで俺の額に唇を寄せる。
「昨日は……後悔ばかりだ」
 ああ、豪炎寺は苦しんでたんだ。俺以上に……。
 考えてみると、俺は今まで豪炎寺の気持ちに全く気づいてなかった。なんでだろう。ずっと円堂に気持ちが向きっぱなしだったからかと、思い返した。
 いままでの俺は視野が狭かったのか。こんな身近に俺を思ってくれる人がいたのに……。
「あ、あの。豪炎寺」
「うん?」
 体を起こして、豪炎寺に向かいあった。何か、ちゃんとした言葉をかけなくちゃダメだ。そう思った。
「豪炎寺……ごめん。俺……」
 なのに、いざとなると、なにを言えば良いのか。思い浮かばなくて、俺の口から出せたのはそれだけだった。
 だけど豪炎寺は、首を横に振る。
「いや。それは俺が言うべきことだ」
 俺の肩をそっと抱くと、目を細めて呟いた。
「風丸。ありがとう」
 それは、とてつもなく優しかった。
「あ……」
 俺は胸が詰まった。目の前の豪炎寺の姿がみるみるうちに滲んだ。喉から嗚咽が漏れて、頬を流れる涙が止まらない。
「ごっ、ごめん……。俺っ」
 豪炎寺は驚いた顔をして、困ったように手を俺の背中に回した。
「俺、気づかなくて。お前の気持ち……ごめん、ほんとに……ごめん」
「いいんだ。風丸」
 止めたくても、涙は止まらなかった。昨日のあのときから、俺の心は凍りついてしまったけど、いまは、ありとあらゆる感情が湧きあがって、もう止める術を知らない。
「こんな、俺は、嫌なんだけど。……すげえ情けない。すまん……」
 まともに喋るのさえできなかった。どうしようもなくて、俺は豪炎寺の胸に体を預ける。
「誰だってそういうときもある。謝ることなんてない」
 豪炎寺はこんなダメな俺を、ずっと抱きしめてくれた。俺の背中に回して、優しく撫でるその手が安らぎだった。


 俺は決断しなくてはならない。
 俺はもう、ヒロトとはあんなことはできない。あんなことがあって豪炎寺と夜を過ごしたとなっては、そんな資格もないだろう。そして、このままでいるのはヒロトにも豪炎寺にも悪いと思った。
 次の日、午後の練習が終わり、夕食までのわずかな自由時間。俺はヒロトを伴って夕暮れの海岸に佇む。
「なんだい、風丸くん。話って?」
 正直ためらう。でも、ヒロトには早急に話をつけなければ。
「ヒロト。もう、あんなことは止めようぜ」
「あんなことって?」
 小首を傾げて、俺の言葉を疑うヒロト。ごめん。こんな話、酷だよな。でも。
「俺はもう、お前とベッドで慰めあうのは、もう止める」
 きっぱりそう言うと、呆気に取られた表情で返された。
「どうしてだい?」
 心が揺らぎそうになる。でもこれは、ヒロトを最大限に考えてのことなんだ。
「よくないだろ。こんなこと……」
「風丸くん」
 ヒロトの、印象的な翠の瞳が細くなる。なんだか、もの哀しくて淋しげに見えた。
「風丸くん。もしかして、円堂くん以外に好きな人ができた?」
 心臓がどきんと鳴った。ヒロトに問われるまで、いや、問われたいまでも俺は豪炎寺を好きかなんて、考えてもみなかった。
「い、いや……」
 もっとはっきり言うか、それともきちんと肯定するべきなのに、俺は曖昧にしか答えられない。ついうつ向いていると、ヒロトは薄く笑みを浮かべる。
「ごめん。余計なこと言ったね。分かったよ……風丸くんに迷惑はかけない」
 そしてヒロトは俺に背中を向けると、浜辺を去って行った。俺は何も言えない。
 風が吹きすさんで、俺の髪を乱した。鼻に潮の香りがつんと広がった。


 俺が豪炎寺と本格的に付きあうようになったのは、俺たちがFFインターナショナルの世界大会でなんとか優勝を勝ち取り、無事日本に戻ってきて、それからのことだ。
 豪炎寺は寡黙だけれど、俺にはとても優しかった。いつも俺のことを考えていてくれる。なにより、余計な声はかけずに、俺の背中を宥めるように撫でてくれると、なんだか凄く安心できるんだ。
 彼の住んでいるマンションに遊びに行ったりするけれど、まだ小学生の妹のことを考えて、豪炎寺の部屋ではエッチはしない。するのはいつも、俺の部屋だ。
 豪炎寺とは数えきれないほどしたけれど、もう初めてのときのようなことはされなかった。あの夜は本当に魔がさしただけなんだろう。
「良かったよ、風丸」
 俺の抱くと、豪炎寺は必ずそう言った。俺に感想は求めない。そうして、快楽に浸っている俺の頭を愛おしそうに撫でる。そうされると、俺も嬉しくなって、ぎゅっと豪炎寺の逞しい体を抱きしめた。
 ただ、ひとつだけ気になったのは、豪炎寺は俺を抱くときいつも、赤ん坊のように胸を撫でまわしてくる。俺の薄い胸を揉んで、乳首を舐めまわし吸い上げる。その度に、どうしてもヒロトのことを思い出す。
 ヒロトと豪炎寺を比べている俺は、正直ひどい人間だと思う。顔も性格も何もかも違うというのに。
 それでも唯一、俺に寄り添う場所を与えてくれたのは豪炎寺だけだった。円堂はみんなのものだったけれど、豪炎寺は、彼を愛する家族以外は、俺だけに全てを許してくれた。
 中学生世界一を決める大会を終えてから、俺はヒロトには会っていない。ヒロトと仲のいい緑川とはよくメールをしあっているので、近況は知ってはいたが、それ以外のことに関しては俺には遠い存在になっていた。
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 結局、俺は中学を卒業した後もずっとサッカーを続けた。高校で進路を決めるころには、ついにプロチームから請われるようにまでなった。やはりあの、世界一のチームに居た、という事実が箔をつけることになったらしい。
 イナズマジャパンのメンバーも大半が俺と同じプロの道に進んだ。円堂や鬼道や吹雪……もちろん豪炎寺も一緒だった。そのうち何人かは、海外へと赴いた。不動が真っ先にヨーロッパに行ったらしい、と風の噂で聞いた。
 ヒロトはプロには行かなかった。緑川からたびたび貰うメールで、吉良家と正式に養子縁組をし、刑を受けている星二郎の代わりにその地位を継ぐのだと知った。
 ヒロトはサッカーはもう、辞めてしまったのだろうか。緑川はお日さま園の仲間たちと、よくサッカーをしてると聞いたが、ヒロトのことまでは分からなかった。
 俺たちがプロの道へと進みはじめたころ、次第に世間の風潮も変わっていくのを感じた。イナズマジャパンが世界一チームとなったのを切っ掛けに、日本ではサッカー史上主義、と呼ばれる風潮が生まれた。サッカーの勝負がすべてを決める社会。その言葉を聞くと、豪炎寺はいつも難しい顔をした。
 俺は豪炎寺との関係を続けていたが、円堂は高校のころマネージャーのひとりと付きあい始め、そのまま結婚へとゴールインした。
 俺はもう、豪炎寺と付きあってたから、円堂のことは微笑ましく見れた。付きあいの長い親友が結婚するのは、流石に感慨深かったけれども。
 円堂が結婚したのは、かれこれ二年も前のことだ。披露宴で俺は半田と一緒にスピーチしたけれど、ヒロトは社長業が多忙という理由で欠席していた。
 ぽつんと空いた披露宴の席。一緒に招待された緑川も来なかったから……なんでもその当時から秘書としてヒロトをサポートしてるらしい……、本当に忙しいんだろうと思った。
 ヒロトはまだ円堂のことが好きなんだろうか。読み上げられた祝電からは、そんなことまでは読み取れなかった。
「風丸。お前はサッカー史上主義をどう思う?」
 披露宴を終えて、二次会で散々円堂と彼女を肴にして飲んだあとのこと。酔いを覚ましながら河川敷でふたり、風に吹かれてたら、豪炎寺から不意に尋ねられた。
「どうって……。う~ん、全てをサッカー第一に考える風潮はどうかと思うけどな。でも、平等にチャンスを与えられるようになったのは良いことだよ」
 円堂がサッカーをはじめたころは大変だったからさ、と続けて言うと豪炎寺はただ、
「そうか……」
と答えた。
「気になることでもあるのか?」
 俺が訊くと曖昧に笑みを浮かべる。
 その日の豪炎寺はどこか変だった。でも俺は、あいつがなにを考えていたのか全く気付いていなかった。それは豪炎寺が出した、サインだったかも知れないのに。そのあとの彼の熱い抱擁に我を忘れて、覚えた違和感は気の所為なんだとしまい込んでしまった。
 豪炎寺が俺の前から消えたのは、翌日のことだった。

 それが二年前の話だ。

 俺は極力手を尽くして、豪炎寺の行方を探った。でも、全く手がかりはなかった。サッカーで気を紛らわそうとしても、豪炎寺のことが胸にちらつく。俺たちを追ってプロになった一年後輩の壁山に、心配をかけるほど俺は焦燥しきってた。
 豪炎寺はどこに行ってしまったのだろう。たった八年のあいだに、俺にはかけがえのない存在になっていた。
 もう、俺と豪炎寺とは終わってしまったんだろうか? そんなハズない。それとも……?
 堂々巡りを繰り返す日々を過ごしていた時、海外遠征していた円堂と鬼道が日本に帰ってきた。円堂は体の不調を治すためだったと聞いたが、鬼道の方は理由が分からない。
 出迎えたそのとき、初めて豪炎寺の行方を知らされた。この二年のあいだに、サッカー界では中学生の選手たちを総括する組織が生まれていた。その名はフィフスセクター。プロチームとはあまり関係なかったので、俺は概要しか知らなかったが、内実はかなりえげつないものだったらしい。その組織のトップ、聖帝ことイシドシュウジの正体こそが豪炎寺だと言うのだ。
「そんなバカな! どうして豪炎寺がそんな……?」
「俺も信じられん。だが、佐久間から聞いた話だと、イシドシュウジは豪炎寺に瓜二つなのだそうだ。つまり……」
 鬼道とは今でも親しい仲の佐久間は、いま帝国学園サッカー部のコーチをしている。佐久間は遠目であるが、イシドシュウジの姿を目撃していた。
「それでお前は、イタリアから帰ってきたのか、鬼道?」
 一日違いで早く帰国した円堂は、出迎えた鬼道に尋ねた。頷いた鬼道は、気難しい顔をする。
「日本が大変なことになりそうだと聞いて、居てもたっても居られなくてな。俺は帝国学園で総帥となり、フィフスセクターを調査するつもりだ」
 俺は混乱している。本当に豪炎寺は聖帝イシドシュウジなのか……。円堂も雷門中で監督として潜り込むらしい。ふたりとも詳細を探ると言うので、俺もできる限り協力することにした。
 勿論、プロリーグの試合があるから、大したことは出来ないけれど。
 そのころ俺の元に、とある中学生の少年から手紙が届いた。なんでも、フィフスセクターの指示により、サッカーの試合勝敗が予め決められているのだと、手紙にはあった。
 俺は失望した。豪炎寺が聖帝だとすると、こんな真面目に頑張っている少年たちを苦しめてると言うのか。
 十年前の彼が、誰よりも不正とか、理不尽を嫌っていたことを考えると、どうしても聖帝イシドシュウジの行いが豪炎寺という男と結びつかない。聖帝が豪炎寺だと言うなら、何故、名を隠してまでこんなことをするのか。彼だって、十年前はひどい大人たちに苦しめられたって言うのに、今度は逆に少年たちを苦しめてるのはどういう了見なのか……。
 どうしてなんだ? 豪炎寺……。
 困惑する想いだけが、俺を支配している。


 それから、なぜか俺の部屋に転がり込んできた不動と、壁山と一緒に俺もフィフスセクターの周囲を探りはじめた。こうなってはもう、のほほんと現を抜かす訳にはいかなくなった。
 正直、調査をしてるあいだは、ヒロトのことなどすっかり忘れていた。全く、それどころじゃない。
 フィフスセクターについて調べてるとき、俺たちはあることに気づいた。それは、恵まれない環境の少年たちに、匿名で多大な額の医療費や報奨金が支払われているらしい。
「一体、誰なんすかねぇ?」
「こればっかりは、俺たちには調べようがないな……」
 壁山と不動が掴んだ情報を、俺は円堂と鬼道に託した。
「それなら、そっち関係に詳しいヤツがいる」
 円堂がそう言うので、その件は任せることにした。
「それよりもっと、重要なことを掴んだ。俺ひとりでは手に負えない。風丸、できれば他にも」
「壁山と不動か? 俺が声をかければ、協力してくれるさ」
 プロリーグは丁度、シーズンオフに入る。俺も壁山も多少は時間があった。
「ありがとう。お前らには迷惑かけるな……」
「いいさ。俺とお前の仲だろ」
 円堂と俺とのあいだは極めて良好で、その存在は互いに嬉しい。俺は、十年前に過ちを冒さないままでいて、本当に良かったと思う。
「で、調べたいことって何だよ?」
「日本列島からかなり離れた場所にある孤島だ。ゴッドエデンって呼ばれている」


 ゴッドエデンの調査には、かなりの時間がかかった。フィフスセクターが極秘に少年たちに過酷な特訓させている施設がある。調べれば調べるほど、その事実におののく。  俺は焦燥していた。

 俺たちがフィフスセクターの調査をしてる一方、革命を興そうと鬼道や響木さんたちが暗躍していた。俺たちの後輩である、雷門中サッカー部は全国大会のホーリーロードで、指示勝敗をものともせず勝ち進んでいた。立ち上がるべきは大人ではなく、当の少年たち。それがみんなの意思だった。
 フィフスセクターが裏で密かに金品を伴う不正を行っている、という事実が浮かび上がった。その証拠を仲間の一部が掴んだらしい。それさえ提示できれば、組織の解体へと繋げられる。
 それは俺たちにとって、一縷の望みだ。
 ホーリーロード決勝の日、その日が最大のチャンスだった。俺と壁山と、そして不動が一部始終を見守るため、決勝戦が行われるホーリーロードスタジアムに向かった。都内に設けられたその会場は、派手な金色に光る素材で建てられている。
「あれが虚飾のスタジアムだぜ」
 会場を見あげた不動が皮肉交じりに言う。俺たちは意気込んで、会場に乗り込んだ。
 フィフスセクター解体の最後の一手は雷門中の勝利にかかっている。革命を興すことで、次期聖帝を選ぶ選挙の票をひっくり返せば、イシドシュウジを更迭できるのだ。
 俺は少々、身震いしてる。豪炎寺を改心できるんだろうか? もしさせても、俺の元に帰ってくるとは限らない。
 俺たちの観客席はフィールドのほぼ中ほどにあり、試合の展開が把握しやすい場所にある。階段のゲートをくぐってスタジアム内に入ると、通路の向こうから妙に目立つ紅い髪の男に出くわした。
「風丸……くん?」
 男は眼鏡をかけていたが、印象的な翠の瞳は確かに見覚えがあった。
「お前、ヒロト……なのか?」
 まさか。なんでヒロトがこんなところに?
 ヒロトは薄い菫がかった色のスーツに身を包んでる。俺の知ってるころの髪形とは違っていたが、年相応のものを感じさせる。なにより、双眸にかけられた眼鏡が理知的さを発揮していた。
「十年ぶり……かな」
 にっこりと妖しげに微笑う。ああ、紛れもない。こいつはヒロトだ。
「お前……なぜここに?」
 声が震えるのは、なんとか抑える。ヒロトは、背後にむけて曰くありげに顎をしゃくった。後ろにいたのは、俺のよく知ってる奴だ。
「あーっ、緑川さん?」
 俺の後ろから壁山がすっとんきょうな声を出す。緑川が俺たちに気づいて、ぱっと顔を輝かせた。
「風丸に壁山! 不動も……?」
 意外そうな顔をされ、不動が鼻白む。
「俺がいちゃ悪いか? あぁ?」
「そんなことは無いよ」
 答えたのはヒロトだった。
 俺たちはそこでやっと、事の真相を聞かされた。ヒロトと緑川も、自分たちの手を尽くしてフィフスセクターの近辺を探っていたこと。例の、裏で行われているらしい、金のやりとりの証拠を掴んだのは、誰あろう彼らだった。
「出来れば、決勝戦が行われる前に告発したかったんだけどね。どうやら、もう、遅かったようだ」
 ヒロトは残念そうに首を横に振る。
「えーっ。じゃあ、そうすると……」
「あとは、あいつらの頑張りに賭けるしかないってことだろ」
 眉間にシワを寄せる壁山に、不動がフィールドを見下ろして言った。
 ベンチでは、鬼道を伴った円堂が雷門中イレブンに喝を入れてるのが見える。対する聖堂山中のベンチには、イシドシュウジ……即ち豪炎寺の姿があった。
「あれ、砂木沼さんじゃないか?」
 イシドと共に選手たちを激励する男に、緑川は訝しげな顔をした。
「最近連絡がないと思ってたら、あんな所にいたのか」
「『男子三日会わざれば刮目して見よ』とは言うものの……」
 砂木沼は、ヒロトや緑川と同じく、十年前のエイリア事件に関わったお日さま園の関係者だ。特に気にかかっていたのだろうか、緑川が溜息をついている。この試合は本当に、昔からの付きあいの俺たちにとって、因縁深いものとなっているのか。
 聖堂山は、聖帝イシドシュウジ自身が監督を務めるらしい。選手たちもそれぞれ有力なポテンシャルを持っている。
「この試合……。一筋縄ではいかないだろうね」
 ヒロトが言うまでもなく、今から行われる試合は過酷なものとなった。キックオフが始まってからの45分、フィールドでは息をつく暇もないほど目まぐるしい展開が続いていた。天馬たちは元々のキャプテンである、神童を欠いているにもかかわらず、かなり善戦している。
「これは、いけるんじゃないか!?」
「うん。良い試合だ」
 思わず、ヒロトと意気投合して……俺は我に返る。まるで、まんま十年の年月が巻き戻ったかのようだ。
「風丸くん」
 ハーフタイムに入ると、ヒロトは俺に手招きして席から離れようと促す。緑川に飲み物を買いに行かせると、壁山も食い物を調達しに一緒に売店へ連れ立ってしまった。不動が
「俺もションベン行くわ」
と席を立ったので、俺はヒロトと二人きりになってしまった。
「あ……。ヒロト、俺……」
 なんだか落ち着かない。何か言うべきだろうと、繰り出す言葉を頭に思い浮かべてると、ヒロトはにこやかな笑顔を俺に向けた。
「きみの試合、よくビデオに撮って観てるよ。前シーズンの活躍、凄かったじゃないか」
「あ……、ああ。ありがとう」
 差しさわりのない会話に、ヒロトは大人になったんだな……、と思わせた。むしろ、未だに十年も前のことでうじうじしてる俺の方が、よっぽど子供なんだと自覚してしまう。
「ヒロト、お前は……まだサッカーしてるのか?」
 尋ねると、ヒロトは肩をすくめた。
「なかなか時間がなくてね。事業が軌道に乗れば、もう少し楽になるんだけどなぁ……」
 苦笑いしながら、それにいまはそれどころじゃないしね、と付け加えた。
 ハーフタイムも終わりになるころ、聖堂山側のベンチが急に騒がしくなった。戻って来た不動が、眉をひそめる。
「なんか、キナ臭い感じだぞ」
 不動が俺たちに顎でしゃくった。五人分の飲み物と軽食を両手いっぱい抱えた壁山と緑川が、ベンチを観て首をかしげた。
「聖堂山の選手が前半と違わなくないか?」
 俺は、スタジアムの観客席とフィールドを隔てるフェンス越しに覗き見た。確かにほとんどの選手が入れ替わってる。イシドシュウジ……もとい、豪炎寺の姿を探した。豪炎寺の横に、総髪の見知らぬ壮年の男が立っていた。
「どうやら、黒幕のお出ましのようだね」
「黒幕……?」
 神妙な顔のヒロトに尋ねると、腕組みをして答える。
「そうさ。彼こそがフィフスセクターを背後で牛耳っている男……。千宮寺大悟」
 ヒロトは豪炎寺の隣に立っている男を指差した。
「あいつが背後で牛耳っている、だって? じゃあ、豪炎寺は……」
「豪炎寺くんは彼なりに、革命を興そうとしてたんだよ。フィフスセクターの内部に自ら入ることによってね」
 ヒロトは厳かな声で語る。
「君たちが掴んだと言う、恵まれない少年たちへの支援金の出処はね。俺たちが調べたところ、突き当たったのは豪炎寺くんの名前だったのさ」
 俺は混乱してきた。人を人と思わぬ、非情で冷酷な男こそ聖帝イシドシュウジではなかったのか? でも実際の豪炎寺は、辛い現実に向かわされている少年たちを密かに支え、立ち上がらせているというのか。
 どっちが本当の豪炎寺なのか。俺の知っている彼は、片方しかない。
「どうして豪炎寺くんが、名を偽ってまであんなことをしたのか、俺には想像つかない。でも、きみなら本当の彼が分かる筈だよ」
 ヒロトがまっすぐな視線で俺を見つめる。
 俺はただ……、頷くだけしか出来なかった。
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 ホーリーロード決勝戦は、特別許可によって……勿論、観客たちのブーイングはあったものの……聖堂山がドラゴンリンクと呼ばれるチームにそっくり成り代わることで混乱を極めたが、その苦戦を乗り越えた天馬たち、雷門中イレブンが勝利を収めた。フィフスセクター真の支配者、千宮寺大悟は不正発覚によって失脚し、聖帝は公正選挙で新たな人物にその立場を委ねられた。
「新しい聖帝には響木正剛氏が当選いたしました!」
 スクリーンヴィジョンに、俺たちがよく知っている男の姿が映る。
「響木監督が聖帝だなんて、感慨深いっすねぇ~」
 壁山が溜息ともつかない吐息を漏らす。俺たちはほっと安堵した。響木監督は即座に、フィフスセクターの解体を申し知らせたからだ。
「いざとなると、呆気ないもんだな」
 俺が呟くと、不動がにやにやしながら、俺の肩に肘を乗せた。
「風丸クンはずっと気を揉んでたからねぇ……」
 俺がにらむと、悪びれた顔で肩をすくめる。
「これでやっと、本来の業務に専念できるよ。ですよね、社長」
 皮肉気味に緑川が言うと、ヒロトが苦笑いする。
「みんなで祝杯をあげたいところだけど……。すまない。野暮用があるので」
 ヒロトは片手をあげた。
 ああ、そうか。もう、これですべてが終わったんだ……。
「ほっとしたら、腹減ったっす。飛鷹さんのトコで、ラーメンでも食いに行きましょうよ~」
 ざわめきと共に観客たちが席を離れだし、壁山が腹ごしらえの相談を始めたとき、ヒロトがすれ違いざまにそっと耳打ちした。
「風丸くん、今晩ふたりだけで話がしたい」
 ホテルの名前がしるされたマッチ箱を俺の手に押しこむ。
「待ってる」
 そう囁くと、ヒロトは緑川を連れてスタジアムを去っていった。


 どうしたら良いんだろう。俺は悩みながらも、ヒロトが教えてくれたホテルまで来てしまった。
 よく名の知れた、老浦のホテルはだが、都心の空を貫くようにそびえ立っている。入ると、内部は落ちついた雰囲気に満ちていて、時折商談に来たらしいビジネスマンや、パリッとしたスーツに身を包んだ外国人がちらほら見える。
 俺はフロントに行って、マッチに走り書きされたルームナンバーを告げた。
「風丸一郎太さまですね。吉良さまからお伺いしております」
 フロントは担当者のホテルマンを呼ぶと、俺をヒロトがとった部屋に案内してくれた。
 上階へ向かうエレベーターの中で、俺の鼓動が速く打ち始めるのを感じた。
 十年振りの再会。ヒロトはあのころのように優しく、そして眼差しは誘惑に満ちていた。もしかしたらあのときのまま、時間も取り戻せるんじゃないか。俺とヒロトの時間は、凍りついてしまったけど、再び溶けてしまえるかもしれない。
 そうなったら、多分もう止められない。
 あの時は豪炎寺のことがあったし、それに俺もかなり臆病だった。ヒロトに惹かれてしまうのが怖かった。
 でも今なら……。
 ホテルマンの案内で、長いエレベーターと廊下の順路を抜けると、品の良い頑丈なドアが俺を待ち受けていた。ホテルマンがノックする。
「お客さま、どうぞ」
 ホテルマンは俺を部屋に招いて、深く礼をすると扉を閉めた。部屋には更にもう一枚のドアが閉ざしている。俺はノックした。
「風丸……」
 驚いた。
 部屋にいたのは、ヒロトじゃなくて、豪炎寺だったから。
 豪炎寺はラフな服装で、特徴的な逆立てた髪をおろして頭の後ろで括っている。何度か見た、イシドシュウジの格好ではなかった。
 俺は驚きのあまり、ドアの前で突っ立ってた。動きたくても動けない。
「俺は人に呼ばれて来たんだ。お前はなぜここに?」
「それは……ヒロトに言われて」
 それだけをなんとか言うと、豪炎寺は苦く笑う。
「お前もそうか。基山……いや、今は吉良ヒロトだったな。あいつにしてやられた」
「お前……なんで、二年間も音沙汰なしだったんだ?」
 訊きたいことは幾らでもあった。俺と豪炎寺が会えない時間を埋めつくすには、何もかもが圧倒的に不足していた。
 豪炎寺はなんだか気難しい顔をしたが、しぶしぶ頷いた。
「サッカー史上主義が少年たちに及ぶのは予測していた。千宮司に話を持ち込まれたとき、俺は大人たちの悪意をはねのける意識改革を始めねばと感じた。そのために必要な壁、それが聖帝だ。俺はそれにすべてを捧げる決意をした……」
 豪炎寺の言い口がしゃくに障る。俺はイラついた。
「そんなこと、訊きたいんじゃねえよ!」
「風丸、お前はダークエンペラーズの件がある。お前はもう二度とあんな真似はしないのだろう?」
「当たり前だ!」
 今さら、あんなことを思い出させるとは思わなかった。十年前に俺が犯した誤ち……。円堂や大切な仲間たちを裏切るだなんて、いま考えても身震いがするくらい、愚かな行為だった。
「即答だな。……だからこそ俺は、お前を巻きこむまい、と決めた」
 頭がくらりとする。目の前の豪炎寺が揺らいだ。
「互いが密であれば、決意が鈍る。お前の居場所は晴れやかな舞台だけで良い。……だから、お前や円堂の前から俺は姿を消した」
「だからって! そんな……」
 そんなのは理不尽だ。俺はずっと、豪炎寺のそばに居たのに。止められるものなら、幾らでも止めたのに。豪炎寺の姿はしだいに滲んでゆく。
「お前のせいで、苦しんだ子供たちが大勢いるんだぞ?」
 俺の喉はからからに渇いてく。
「分かっている。すべてが終わったら、次は贖罪についやすつもりだ」
 俺はもう豪炎寺を見ていられなくて、ただ、足元の豪奢な絨毯に目をおとした。
「……それに、俺の罪はこれだけではない」
 豪炎寺の言葉に思わず顔をあげた。
「まだなにかあるのか……?」
「十年前の話だ」
 十年前?
 思いあたるのはあのとき、豪炎寺が俺をむりやり抱いたことしかない。
「あれは。終わったことだろ」
 俺がもう許した話だ。けれど豪炎寺は横に首を振った。
「あのときは……。俺はすでに知っていたんだ」
 知っていた?
「な、何を……」
「お前とヒロトが部屋でやっていたことだ」
 冷や汗が出た。一体いつ? なんで豪炎寺はそんなことを……。
「お前たちが惹かれていくのを、俺は危惧した。だから俺は強硬手段にでた。むりやりでも、俺のモノにしてしまえば、お前の心は断ち切れるだろうと」
 豪炎寺の姿が揺れる。俺はちゃんと立っているのかさえ、分からなくなっている。額を片手でおさえた。気を落ちつけないと。
「で、でも。俺は……」
「済まなかった。だが、お前に対する気持ちは変わらない。いまでも、たとえ会えなくても、誰のモノであろうとも、俺はお前を愛している」
 豪炎寺の言葉はいやになるほど甘ったるく、心を撃った。
 十年ものあいだお前と一緒だったんだ。俺だって、お前に対する執着くらいあるんだぞ。
「豪炎寺……」
 俺は豪炎寺を見つめた。豪炎寺も俺をじっと見ている。互いの視線がからみあう。
 もういい。この二年間の仕打ちなんか水に流せばいいじゃないか。また新しく、ふたりの関係を始めれば……。
 だが、それを断ち切る音が部屋に響いた。
 ルームサービスが頼んでもいないシャンパンのワゴンを運んできた。薄いピンク色の液体が入ったボトルは、氷でじゅうぶんに冷されている。
「吉良さまからお客さまへのプレゼントです」
 ホテルマンは慇懃なお辞儀をする。
「あと、風丸さまにお事付をお渡しするようにと」
 蜜蝋で閉じられた手紙をうやうやしく俺に手渡すと、ルームサービス係は再び礼をして部屋を去った。
 あっけに取られたが、ヒロトの手紙を開封した。豪炎寺が黙ったまま頷くので、それに甘える。

『風丸くん、おめでとう
 俺がきみにしてあげられる最高のプレゼントは
 これくらいしか思いつかなかった
 
 円堂くんのことが好きなきみが俺は大好きだったよ
 でもあのころ、きみに惹かれる自分が
 とても怖かったのが俺の本音だ……

 どうか豪炎寺くんと幸せになって欲しい

 でもまだ、
 きみが最後のチャンスをくれると言うなら
 今すぐロビーにきてくれ

 豪炎寺くんと俺、
 どちらを選ぶかは、きみ次第だ』

 手紙はこれだけ記されていた。
 何故だ。
 どうして、今ごろ、ヒロトはこんな手紙を……。
 互いに惹かれていくのが怖かったのは、俺だけじゃなくて、ヒロトもそうだった。あのころ、そんなことを全く気づきもしなかったのは、何故なのだろう。
 いまならまだ間に合う。いまなら、十年の月日を飛びこえて引き戻せる。
 俺は読んでいた手紙から顔をあげて、そこでやっと気づいた。
 豪炎寺が黙って俺を見ていたことを。
 思わず体が震えた。
 豪炎寺は溜息ともつかない吐息をつくと、俺に言った。
「御託を言う気はない。決めるのはお前だ。ただ……」
 そこまで言うと、豪炎寺は細めた目を天井に向ける。
「俺を選んでくれるのなら、何も言わずに、キスしてくれ」
 それっきり口を噤んだ。
 俺はどうすれば良いんだろう。
 豪炎寺か、それともヒロトか。
 どちらを選ぶべきなのかという迷宮が、俺の心をがんじがらめにする。
 ああ、でも……。
 ヒロトの元へと続くドアを見て行きかけて、やっぱり豪炎寺に振りかえる。迷いの中で俺は、豪炎寺の顔を一瞥した。
 豪炎寺は黙ったままで、だけど俺のことをじっと見つめている。その目は、深い憂いを帯びていた。
 あ……。
 俺は囚われる。豪炎寺の視線に。
 なにも言わない、黙ったままだけど、豪炎寺の気持ちは確実に俺に伝わる。
 俺に、ここにいて欲しい、と。
 ……悪いクセだ。そんな目で見られると、俺はすべてを投げだして手を差しのべてしまいたくなる。
 最後のチャンスなんだぞ。ヒロトのところに行かなくていいのか?
 俺の中のどこかで、そんな言葉が聞こえる。けれど、だけども、俺は。
 震える体で、俺は豪炎寺に近づいた。視線が重なる。互いの息づかいが聞こえる。
「良いのか? ヒロトのことは……」
 耳元で豪炎寺がつぶやいた。
「ヒロトは、あいつは……」
 あの妖しい、翠いろの瞳の誘惑を断ち切り、俺は断言した。
「ただの、友だちだよ」
 それだけ言うと、俺は豪炎寺の唇に口づけた。

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