高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2026年05月24日 20:00    文字数:20,664

可愛いバラは棘まで可愛い

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真面目で堅物な高校生、三春(みはる)。
ある日彼は同級生の新園(にいぞの)に一目惚れしてしまう。
初めての体験に混乱した三春は親友の金崎(かなざき)に話を聞いてもらうことに…。

イベント「ローズフェスティバル2026」に合わせて書いたお話です。
テーマは「バラ」。
真面目というかほぼ天然な三春の奮闘をごらんください!
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 生涯一度の衝撃は、その日突然訪れた。


 とりたててものすごい何かを成し遂げたわけではなく、かといって大きなトラブルに見舞われたわけでもなく、それなりに楽しく過ごしてきた高校生活も1年が過ぎた。新生活に浮き足立っていた周囲の雰囲気もだいぶ落ち着いてきた気がする。
 実験器具の後片付けに時間がかかってしまった俺は、春の気配が濃い校舎の渡り廊下を歩いていた。穏やかな午後の日差しが床に薄い影を作る。窓がないから吹き抜ける風も気持ちよくて、教室に戻るのがもったいないくらいに爽やかだ。このままふらりと散歩するのも悪くない。今日の授業はすべて終わっていて残す時間はロングホームルームだけだから、多少遅れても問題ないだろう。
 いや、駄目だ。文化祭実行委員の奴がクラスの出し物の内容を決めるのだと張り切っていたから確実に文句を言われる。少し急ぐか。
 廊下の先には同じく移動教室だったらしい他のクラスの連中がのんびり歩いている。それを早足で追い越そうとする、が、話が盛り上がったのか、そのうちの1人が大きくこちらにはみ出してきた。それを咄嗟に避けようとした瞬間、腕の中からペンケースが滑り落ちてしまった。しかも運悪く中途半端に蓋が開いていたようで、ペンが何本か廊下を転がっていく。ああ、慌てるもんじゃないな。
 急いでそれらを拾い上げて、駆け足の体勢に戻る。
「なあ」
 それは春風のように柔らかく、けれど突風のように胸を貫いた。
 振り向くと、1人の男子生徒がしゃがみこんでいる。かすかな風になびく茶色の髪。
「拾いそびれてる」
 つっけんどんな口調。顔を上げた彼の、長めの前髪から覗く気の強そうな薄茶の瞳。
 目が合った瞬間、俺は世界がはじけるように輝くのを感じた。


 なんだかひどくふわふわする。教室に入ると案の定実行委員に「三春みはる! 遅いぞ!」とどやされたけれど、自分がなんて答えたのか覚えてないくらいだ。挙げ句の果てには、うちのクラスが文化祭で何をやるのかまったくわからないままチャイムが鳴った。うっすらと芝居だとかコントだとかいう単語が出てきていた気がするが、俺はいったい何をするんだ? しかもその流れのまま帰りのホームルームも終わっているらしい。いつの間に……。
「三春~」
 声をかけながらにやにや近付いてきたのは友人の金崎かなざきだ。
「なんかずいぶんボケっとしてんじゃん。どした」
「いいところに来てくれた。少し話を聞いてくれ」
「これから部活なんだけどー」
「少し、だから。ちょっとで済む。今すぐ脳内の情報を整理して吐き出さないとぶっ倒れる気がするんだ」
「なんだそれ」
 金崎は笑うが、俺のこれは冗談ではない。本当にそう思っていて、実際立ち上がる瞬間にぐらりと上体が揺らいだ。マジかよ、と金崎はますます笑う。うん、さすがに自分でもびっくりしている。
 一見軽薄そうに見えるチャラ眼鏡の金崎は、意外と所属している園芸部の活動に熱心だ。だから今日の活動場所だという裏庭に向かう間に話を聞いてもらうことにした。俺もクラスメイトがまだ大勢いる中で話すのはなんとなく気が引けたから都合がいい。しかし改めて校内を歩いてみると、人がいない場所って意外とないんだな。
 昇降口から出て裏庭のほうに曲がったところで、金崎が口を開いた。
「んで? どしたんだよ」
 どうした……どうしたんだろう、俺は。なんとか脳内から該当しそうな言葉を引っ張り出す。
「それが……一目惚れしたらしい」
「ほう」
「俺は運命というものを知ってしまったかもしれない。いや、今までだって姿を見たことはあったんだ、去年は隣のクラスだったし。だけどあんな、至近距離で目を覗き込んでしまったら、もう駄目だ。雷に打たれたような衝撃ってこういうのをいうんだな」
「おー、典型的なやつだ。それで、それで?」
 胸が詰まって息苦しいような感覚に、俺は深く息を吐いた。
「あの瞬間から頭の中は彼のことばかりだ。落ちたペンを拾ってくれた指のすらりとした造形の素晴らしさといったらなかった。ふわふわの髪は日差しに透けて美しかった。教室に戻っていく背中が同じ制服に見えないくらいまぶしかった。友達と話す横顔も凛としていてすごく綺麗だった。声、そう、声がやたら胸に馴染んで、抱き締められたように心地よかったんだ」
 仰のいて空を見ると、友達に呼ばれて立ち上がって駆けていく瞬間の身のこなしがありありと浮かぶ。あれは羽が生えているようだった。
 目を落として花壇に咲く黄色い花を見れば、飛び込んでしまえそうなほど深い瞳の輝きが頭の中にいっぱいになる。あれは……そう。
「なにより……俺を見上げたその瞳が、まるで朝露を浴びた一輪のバラのようだった」
 生まれたばかりの朝の光を浴びてきらきらと輝く……。
「突然詩人になるじゃん」
「恋は人を詩人にするんだな、初めて知った」
 金崎はふんふん、と頷くと、花壇の中にひょろりと伸びる枝に触れた。その先には間もなく咲くであろう蕾がひとつ。
「おまえの例えを借りると、つまりおまえの恋はまだ蕾なんだな。このバラみたいに」
「それ、バラなのか」
「ああ。まだ咲く前だ。恋の花は片っぽだけ咲いてても先には進めない、お互い花開いてからが始まりだと思うぞ。おまえにとっちゃ一目惚れかもしれないけど、まともにしゃべったこともないんだろ。それで運命とか言われても相手も困っちゃうんじゃね?」
 ……たしかに。
「運命かどうかはともかく、せっかくだしとりあえず仲良くなろうぜ。ちなみにどこの誰だか聞いてもいいもんか?」
 何か面白がっている気がしないでもないが、中学からの友人で信頼できる奴だ。素直に話して力になってもらいたい。
「D組の新園にいぞの。知ってるか?」
 金崎は腕を組んで斜め上を見上げた後、ぽんと手を叩いた。
「新園……あー、新園優斗ゆうとか。部活の奴が同中の友達だってんで、何回か話したことあるぞ。ふーん、あの目つき悪……いやキリッとした奴な」
「意志が強そうで可愛いと思った」
「うはは、そういう感じか! いーねえ」
 そのまま腕を伸ばした金崎が、頭の後ろで手を組む。
「いやー、おまえってさ。見てくれが悪いわけでも性格がねじれてるわけでもないのに浮いた噂の一つもないなーと思ってたけど、まさか男相手にそんなこと言い出すとは意外だったな」
「男? ……ああ、そういえばそうか」
 あまりの衝撃に気付かなかった。言われてみれば同性か。だが、あの射抜かれた衝撃に比べれば、そんなことはひどく些細なものに思えた。
 金崎は俺の肩をぽんと叩く。
「ま、三春らしいっちゃらしいや。とにかく明日、話しかけてみようぜ」
 そうだな、そうしよう。
 明日話ができる……。それだけで明日が待ち遠しい。今夜は眠れるだろうか。


 金崎の部活仲間とやらの情報で、新園は部活に入っていないことがわかった。この学校は部活動がそこそこ盛んだから部活に参加していないというのは珍しい。といいつつ、俺も帰宅部だ。小さな共通点が嬉しく思える。
 クラスにいるところを呼び出すと本人にも周囲にも何事かと思われてしまうんじゃないかという金崎の提案で、俺たちは下駄箱の先で登校してくる新園を待つことになった。ここは廊下にしては少し広く、朝の挨拶がてらおしゃべりを楽しむ生徒も多いので、俺たちが不審に思われることはないだろう。
 寝不足のせいか、うわの空で金崎の話を聞いていると、……あ。
 心臓が一瞬止まった。かと思ったらばくばくとものすごい音で鼓動を知らせてくる。上半身が熱くなって、頭の中身が全部蒸発してしまいそうだ。
 人の流れの中に見えるふわふわの茶色。すらりとした手足。昨日はシャツ姿だった。登下校の時は、そうか、ブレザーをきちんと着るんだ。大変だ、指先は震えるし足元の感覚もない。
「おー、新園~」
 目。目が。こっちを見た。可愛い。ぱちぱちとまばたきしてる。可愛い。
 どうしてだろう、昨日見たときよりも断然可愛い。
「金崎? なんか用?」
 あっ。いい声。しみる……。
 というかそうか金崎は名前を知られているのか。羨ましい。
「おはよー。いや、こいつがさ」
「こいつ? ……ああ、昨日ペン転がしてた奴じゃん」
「えっ」
 ぱっと辺りが明るくなった。俺のこと、覚えてくれてたんだ。たった一瞬目が合っただけの俺を!
「そうそう。こいつ三春っていうんだけど、親切にされたのがよっぽど嬉しいらしくてさ。お礼したいんだって」
 お礼がしたいなんて言った記憶はないけど、できるもんならしたい。させてほしい。お願いします。
 新園は不審げに眉をひそめる。
「そんなん、いらね」
「まあまあそう仰らず。新園は今日の昼は弁当? 学食?」
「学食のつもり」
「おっ、そりゃちょうどよかった、俺たちも学食行くつもりだったんだ。っつーわけで、昼一緒に食わね?」
「は? ……まあ、ついてくる分には構わねぇけど」
「やったー」
 とんとん拍子に話が進む。俺があたふたしてる間に、昼飯を一緒に食えることになっている……!? あまりの展開の早さに俺は弁当袋を背中に隠し呼吸を整えることで精いっぱいだった。
 記憶が曖昧だった午前の授業が終わるや否や、金崎に連れられて食堂へ向かう。ああ、なんということだ。本当に新園がいる。新園は既に食堂の前に立っていて、手には食券を持っていた。
「あれ。もう食券買ったんだ。三春がお礼するって言ったのに」
「あの程度のことで奢ってもらう理由にはなんねえよ」
「そこをなんとか! こいつも張り切ってるしさ」
「……じゃあ、ジュースで手ぇ打ってやる。りんごな」
 えっ。りんごジュースだって? な、なんて可愛らしいんだ。いや、お茶でも炭酸でもなんでも可愛い。お礼をさせてくれること自体がもう可愛い。
 きっと味なんかわかんないだろうから、いっそ味の強いカレーを注文する。俺はともかく新園は何を食べるのだろう。カウンターで受け取るところを肩越しに見ると、なるほど、オムライスか! しかもかなりの大盛りだ。見た目はスレンダーだが、男子高校生だもんな。うん、可愛い。そのうえ俺とは「米」というジャンルでお揃いじゃないか。これはとても幸先がいい。
 学食はそれなりに混んでいたけれど、席を選べないほどではなかった。俺たちは目についた壁際の席に……いや待て、どこに座ればいいんだ? 隣……はおかしいか? 突然隣に座るとかなんだよと思われる可能性がある。となると向かい合わせ、いや、これはこれで刺激が強いんだが。散々迷って、斜め向かいに座ることにする。
 それにしても、やっぱり綺麗だ。まばたきのたびに上下する睫毛、スプーンを使うしなやかな指先、オムライスを食べる大きく開かれた口、咀嚼するために元気よく動く頬。
「オムライス好きなんだ?」
 いい質問だ、金崎。新園はわずかに間をあけて頷いた。
「ん」
 簡素。素晴らしい。
「そっちのクラスって文化祭なにやんの」
「喫茶店」
 うん、やっぱり文化祭と言ったら飲食店だよな。こんな可愛い子が接客してくれたら大人気ですごいことになってしまいそうだ。
「へー、人気ある出し物って被ったら抽選なんだろ」
「知らん。当たったんじゃね」
 運が味方してくれたということか。きっとクラスの熱意が伝わったんだろう。D組の実行委員に感謝だ。
「なんか特殊な衣装とか着ちゃうやつ? メイド服とか」
「さあ。女子はドレス着るとか言ってたけど」
 それはぜひ男子も素敵な恰好をしてほしいな。女子がドレスなら男子はなんだろう。スーツとかだろうか。それはぜひとも見てみたい。
 それにしても、ちゃんと答えてくれる新園は優しい。自分から話したりはしないけど、聞いたことにはきちんと答えてくれる。誠実な性格なんだな。
「おい」
 どん、と金崎が肘でつついてくる。なんだ。
「新園と仲良くなりたいのはおまえだろ。おまえが話さなくてどーすんだ」
「えっ」
 話す……。え、話していいのか? と、突然ハードルが高すぎやしまいか。
 にやにやしてる金崎から、おそるおそる新園のほうに目を移す。あっ。丸い目がじっと俺を見ている。胸が潰れそうになる。いや、ここはもう、度胸だ。行くしかない。
「あっ、あー……。その、三春純也じゅんやです」
「はあ。新園優斗です」
 俺に向けられた昨日ぶりの言葉。澄んだメロディのように心地よい名前。とろけそうなほど甘い響き。
 いや駄目だ、ここで怯んでいてはいけない。
「昨日はありがとう。その場でお礼が言えなくてごめんなさい」
「だから、そんな大したことしてねえってば」
「ああ、うん、新園にとってはそうかもしれないんだけど、俺にとってはその、けっこう重要な出来事だったというか」
「ふーん」
 本当になんでもないことのように、新園はオムライスを口に運ぶ。意識するほどでもないということは、新園にとってあれは当然の行為だということになる。名前も知らない俺を助けてくれる、それは純粋な優しさだろう。なんて尊い。
「あ、と、今日はその、なんだか強引に誘ってしまったような形になったけど、大丈夫だっただろうか。一緒に食事をする友達もいるんだろう」
「いるけど、毎日一緒ってわけでもねえよ。外で食べたいときとかひとりでふらっと外行くし」
 ああうん、自然の中で食事するのもいいな。とても絵になる。
 しかも、いいことを聞いた。食事の相手が絶対決まっているというわけではないらしい。これは踏み込んでもいいのではないだろうか。
「そういうことなら、新園がよければなんだが……。これからも昼、誘ってもいいかな」
 新園は小さく肩をすくめた。
「好きにすれば」
 俺は心の中で拳を握る。それは許しの言葉だ。昼食を共にしてもいいという許可が下りたのだ。あまりの感激で、やはりカレーはほとんど味がしなかった。


 それから週に何度か、俺たちは3人で食事をすることになった。毎回学食利用ということもあって財政難には陥ったが、夏休みに田舎のじいちゃんちの倉庫で大掃除を手伝うことを条件に小遣いを増額してもらい事なきを得た。高校がバイト禁止というのはなかなかに厳しい。
 でも、そのおかげで新園と食事ができるのはこの上ない喜びだ。勇気を出して隣に座ってみたが、一瞬不思議そうな顔をしたものの新園は何も言わなかった。可愛い。
 距離が近くなったことで、俺は彼の香りが爽やかな柑橘系なのだということを知った。いっそ抱き上げて胸に顔をうずめて深呼吸してみたい。が、さすがにそれは時期尚早だろう。
 そういえば一度、怪訝な顔をされたこともあったな。
「あんま見んなよ、食べづれえな」
 横顔をじっと見つめすぎていただろうか。俺自身としては無意識だったのだが、新園が言うならそうなんだろう。嫌だと思われることはしたくない。お互いの意思は常に確認しておいたほうがいいと思った。
「嫌か?」
「んー……嫌ってわけじゃねえけど。ほどほどで頼むわ」
 俺の言葉に少し考える仕草を見せた新園は、そう言って視線を前に向けた。そうか、嫌じゃないのか。
 そんなやり取りもあって、なんだか少しずつ仲良くなれてきた気がする。嬉しい。俺も自分から話を振れるようになってきたし、一言ごとに舞い上がらずに済むようにもなってきたし、いい傾向だな。まあ、綺麗な声に聞き惚れてときどき会話が途切れてしまうのをやめるのには、まだ少し時間がかかりそうだけれど。
 さて、今日も誘いに行くかな。
 教室を出ようとすると、金崎に呼び止められた。
「三春ー。俺しばらく昼は園芸部のほう行くわ。そろそろ文化祭の準備が大詰めでさ」
「そうか、わかった」
 ……ん? ということは、新園と2人きり……?
 初めてのケースだ。緊張する。新園は可愛いから、話をしている相手の顔をしっかり見る。普段は3人で、半分は金崎のほうに視線が行っているのだが、これが2人きりということになる、と、どうなる?
 いや、落ち着け。学食には他にもたくさん生徒がいるんだから、大丈夫だ。大丈夫。
「新園」
 D組のドアから中に向かって声をかけると、入り口から2列目の3番目に座った新園が顔を上げる。あっ可愛い。この角度がいい。少し斜めに顔をこっちに向けてわずかに見上げるこの角度。その角度が変わって、瞳がきらりと光る。
 気付けば新園は俺の目の前に立っていた。うわ可愛い。
「おい。何ぼけっとしてんだよ。昼飯行くんだろ」
「はいっ」
 うーん……首を傾げる仕草もいいな。
「ずいぶん挙動不審じゃん。授業中寝てたんか? んでまだ目が覚めてねぇんじゃねーの。しょうがねえ奴だな。ってかいつもの眼鏡は?」
「金崎は園芸部のほうに……」
「へー」
 さして興味もないように頷いた新園は、廊下に出て歩き始めた。俺はその後ろをついていくんだが、つむじが見える。ふわふわの髪の誘惑がすごい。顔を埋めて深呼吸したい。
 なんとか衝動をこらえながら学食に着くと、なぜか今日に限ってずいぶんと混雑していた。入り口は入ろうとする学生で溢れかえっていて只今満席の札がかかっている。珍しいこともあるもんだ。
「すげえ混んでんな」
「うん。昼休み終わるまでに食事にありつくのは難しそうだな。購買でパンでも買って、教室で食べようか」
「そうすっか」
 幸い、購買の総菜パンはかなり残っていた。甘い菓子パンもまだある。何を選ぶのかな。……コロッケパンに焼きそばパンにソーセージパンに……追加のコロッケも買うのか。デザート用にだろうか、クリームパンも手に取る。腕白なんだなあ。可愛いな。
 どっちの教室のがいいかなと考えてると、新園はひとりでさっさと歩いていく。渡り廊下の方向だけど、そっちには行かずに途中で曲がって中庭に出た。ここが中庭か……。用事がなければわざわざ来るような場所じゃないから知らなかったけれど、ベンチがいくつか置いてあって食事をしてもいいようになっているらしい。今日は誰もいないみたいだが。
「ここ、たまに来んだ」
 え。それってつまり、新園のお気に入りの場所に案内してくれたということだ。なんてありがたいことだろう。嬉しい。
 ベンチは座面が木製で背もたれのないタイプだ。近所の公園にあるのと似たようなベンチだから、ほぼこれは公園デートといっても差し支えはないのでは?
 慣れた様子で手前のベンチに座る新園。デートなら近付いてもいいはずだ。俺は新園のすぐ隣に座る。あ、肩が触れた。どっくんと心臓が跳ねるのと一緒に体ごと飛び跳ねてしまいそうになる。ふわっと柑橘系の香り。じんわりと伝わってくる体温。近くにある横顔。ここは天国か?
 やっぱり今日のメンチカツパンも味がしないが、気分は最高だった。
 焼きそばパンを頬張っていた新園が最後の一口を飲み込み、眉をひそめて俺を見た。ちょっと乗り出すような格好で、顔が近い。とても近い。綺麗な目。
「なあ、おまえ距離感おかしいって言われねえ?」
「え。言われたことないけど」
「そう? だいぶ近ぇぞ」
「あー……これ、相手が新園だからだ。こんな至近距離で話すことなんて他の人とはやらないよ」
 目の前で首を傾げるのが、可愛い。
「むしろ人との距離は取りたいほう。だけど、新園には近くに寄りたくて仕方ない。くっついてると……なんだろう、嬉しいけど安心するみたいな感じがする」
「ふーん」
 険しいように見えた表情がふっと緩む。
「別にいいけど」
 えっ。
 これも許されるのか。
「じゃあ今日一緒に帰らない?」
 気付いた時には口から出てた。新園はきょとんとしてたけど、すぐに頷いてくれた。頷いてくれた!
「しょうがねえな」
 とは言われたけど。口調は呆れてたけど。あと、「とりあえず今の“じゃあ”の意味わかんねえな」とも言われたけど。それは俺自身にも根拠がわからないからどうしようもない。
 とにかく、OKをもらえたことがやたら嬉しかった。


 じわじわと胸のあたりがくすぐったい。昼だけじゃなくて帰り道まで一緒にいられるなんて。しかも待ち合わせですれ違わないために連絡先も交換した。画面に表示される“新園”という文字のなんと美しいことか。外へ向かおうとする躍動感のある“新”、四角に囲まれた慎ましやかな“園”、なんてバランスがとれた苗字なんだ。ご先祖の人もこんなにその名にふさわしい存在がこの世に現れるなんて果たして予想していただろうか。
 さらに、彼の連絡先の中に俺の名が並んでいる事実がある。すごい。新園の持ち物の中に俺の名前が刻まれているんだぞ。俺たちはたしかに繋がったのだと思うと、ひどく誇らしい。こんな満足感を覚えたことなんて久しくなかった。
 今日はとてもいい日だ。食事が終わった後も時間があったから、新園のいろんなことを知ることができた。好きな色は緑で、好きな肉料理はハンバーグで、好きな麺料理はミートソースパスタで、好きな飲み物は炭酸系で、好きな果物はりんご、好きな目玉焼きの食べ方はご飯に載せて醤油をかけて混ぜる……。振り返ってみると食べ物の話ばっかりだったな。食事を終えたばかりで話題に出しやすかったというのもあったけど、食べ物の話になるとほんの少しだけ声のトーンが上がるんだ。食いしん坊なんだなと思うととても可愛い。文化祭が終わって時間ができたら、食事に誘ってもいいだろうか。
 ああ、ふわふわした気分だ。たぶん俺の足は今、床を踏んではいない。1センチくらい浮いてると思う。だって足の裏に何の感触もないんだ。予鈴間近でざわめいてるはずの教室も妙に静まり返って感じる。頭の中に響くのはぽつぽつと質問に答えてくれた新園の可愛い声だけだ。
 だからだろう、席についてしばらくは呼びかけられていることに気付かなかった。
「ねえ。ミハルンってば」
 腕をつつかれて驚く。見上げればすぐ近くに女子生徒が2人立っていた。誰かと思えばクラスメイトの江田と井倉だ。
「突然どうした」
 俺の言葉に顔を見合わせた2人は溜め息をつく。
「突然じゃないよー。さっきから何度も声かけてたんだから」
「そうなのか。悪い、まったく聞こえなかった」
「もー……。まあいいや。ね、今日はザッキー一緒じゃないの? 聞きたいことがあるんだけど」
 その愉快な呼び名は金崎のことだ。そういえばまだ戻ってきていないみたいだな。
「今日は部活のほうに行ってる。そろそろ戻ると思うけど」
「あれ? 園芸部ってお昼も活動してるんだっけ」
「いや、文化祭の準備だと。俺も詳しく聞いたわけじゃないからこの表現が合ってるかどうかわからないけど、裏庭の花壇の周りで喫茶店をやるらしい。ガーデンパーティがどうとか言ってた」
「え、素敵じゃん」
 そこに噂をすればなんとやら、開けっ放しのドアからふらりと金崎が入ってきた。俺たち3人の視線が向かっていることに気付いたのか、すぐにこっちにやってくる。
「なんだなんだ、密談でもしてた?」
「金崎に用事だって」
「えっ! もしかして借金の肩代わりのお願い? 無理よ一文無しだからっ」
「それ私が借金してる前提じゃん!」
 江田が金崎の腕をはたいて、ぺしんと小気味のいい音が鳴る。なんだ、何が始まったんだ。頭上で繰り広げられるやり取りをなんとなく見ていると、井倉と目が合った。彼女は「あ」と呟いて江田の袖を引く。
「やば、授業始まっちゃうよ。聞いておかないと気になって次の授業に身が入んない! ねえザッキー、知ってたら教えてもらいたいんだけど、園芸部って花言葉とか詳しい?」
「花言葉ぁ? んー、一般的にはそうでもないと思うけど、そういうの好きな先輩がいてよく話聞いてるから、モノによっちゃわかるかも」
 聞きたいことって花言葉のことか。たしかに金崎が帰ってこないと俺だけじゃなんの意味もないな。そういうものがあるということは知っているが、中身についてはまったくわからない。それどころか、何に使うのかもまったくわからん。
「江田ちゃんと昨日のドラマの話しててー。来週に続くラストシーンがなんか意味深で」
「そう。主役といい感じに見えた年上の同僚の女性が退職することになって、知らなかった主役がびっくりして追いかけるのね。そしたら女の人が貰った花束の中からバラを1本だけ取って主役に渡すの。今までありがとうって。んで主役がじっとそれを見つめて、女の人が歩いてってエンドロール。なんか意味あるよね?」
 それはたしかに意味ありげだ。見た人はこれが何を表しているのか知りたくなるから次回の視聴に繋がるということなんだろう。
 ふむ、と金崎は腕を組む。
「そうねー。バラの花言葉ってめちゃくちゃいろいろあるんだけど、全体としては“愛”だから意味がないってことはないんじゃない? しかもバラ1本って“一目惚れ”って意味なんだ」
 金崎の発言に驚く。どうやら花言葉とは花一種に一つの意味がある、とかではないらしい。なんと本数にまで意味があるのか。はー、そんなの絶対に覚えられないな。
「じゃあやっぱりあの人も主役に気があるんだよ。なのに何も言わずにいなくなろうとするなんて、絶対なんかあるじゃん!」
「そういえば1話で花屋の男が出てきたよね。あれも思わせぶりだったし!」
「かも! だってあの花屋、火曜9時ドラマの前のクールにライバル役で出て人気になった人なんでしょ!?」
「そうだよ、名前なんだっけ」
「えっと、たしか~」
 普段からドラマはあまり見ることがないので、彼女たちが金崎と出演俳優の話をしていてもさっぱりわからず、話題についていけない。ただ、2人とも非常に熱意を持ってドラマを見ていたんだなあということだけが伝わってくる。
「花を贈って告白とかちょーっと気障ったらしいかもって思ってたけど、そう考えるとロマンチックでいいかも」
「あの人にそんなこと言われたらたしかにぐらっと来ちゃうよね」
 もはや何の話をしてるんだ。どっちかって言うとおしゃべりをしたいだけだったんじゃないかと思うくらい話し続けた彼女らは、気が済んだのか「ありがとー」と言って席に戻っていった。
 やれやれ、静かになった。
「……部内に詳しい人がいるにしても、聞かれてすぐあんなふうに意味まで出てくるのはすごいな」
 素直に感心したことを伝えると、金崎は得意げに胸を張る。
「だろー。俺記憶力にはちょっと自信があんのよ」
 そのわりにテストの成績はいつも俺と似たり寄ったりの真ん中らへんにいるけどな。
「でもま冗談抜き、その先輩って語り口がめっちゃ面白いんだよ。漫談っていうの? そういう感じのさ。だからついつい聞いちゃうんだよな」
「部活って面白い先輩がいると楽しそうだよな。そういうのを聞いてると少し羨ましい。園芸部は朝早いから誘われても無理」
「ははは、誘う前に断るなよ。それで断られたのこれで何回目だって感じだけど。でも、マジ、うちの部活面白い先輩多いのよ。もう何年も前に卒業しちゃったかつての部長にすごくバラが好きな人がいてさ。ほら、うちの高校って裏庭にすげえバラ園があるだろ。入り口のほうにちょっと咲いてるやつじゃなくて、もっと奥のほうに。あれもその人が先々代の残してったバラの花壇を発展させて作ったものすごくこだわりのある作品なんだ。おかげでバラに関しては部員全員詳しいぞ」
 あー、裏庭……。通りかかったことはあるが、バラ園は見たことがない。こう考えてみると、校内でも行ったことのない場所って結構あるな。
「正直見たことがないからなんとも言えなくて申し訳ない」
「マジか。そこらへんの公園にあるような小さいバラ園なんて目じゃないくらいすごいんだぞ。おまえは知らねえかもしれんけど、告白の聖地とか言われてて学校内の噂にもなってんだ。それというのもバラ園を完成に導いたその部長がそこで告られてラブラブな学生生活を過ごしたという話があってな」
 学校の中にそんなスポットがあるとは。すごいな。
 俺の脳内にぱっとイメージが浮かぶ。……美しい庭園。そこに新園が立てばきっと絵にも描き表せないほど美しいだろう。告白の聖地にきりりとした表情で立つ新園……。
 告白、か。告白……いや、それはもっと段階を踏んでからだ。まだ好きな食べ物のことくらいしか知らない。新園だって俺のことをほとんど知らな……そうだ、新園の情報を知りたい一心で、俺自身のことはあまり話していなかった。それで「好き」を伝えるなんて新園を困らせるだけだ。
 でも。
「花に言葉を託すのは悪くないな。言葉で伝えるのはまだ早いけれど、想いを載せることだけならすぐにでもできる」
「三春はそういうの好きそうじゃん」
「俺の愛はどの花に載せれば新園に届けられるんだろう」
「お、調子でてきたな」
 金崎はにやにや笑って俺の背中を叩くと、チャイムの音に弾かれるように席に戻っていった。


 何回か新園と一緒に帰る機会には恵まれたが、自分のことを話すタイミングが計れないまま時間が過ぎ、週末はいよいよ文化祭だ。
 土曜日の午前が学内公開、午後と日曜が一般公開というスケジュールで、その準備のために今日の放課後から明日金曜のまるまる1日が用意されている。他の学校がどうしているのかは知らないが、授業を潰して準備に充てていいというのはなかなか行事に力を入れている学校なのだろうと思う。
 うちのクラスはショートコントから感動ものの芝居やダンスコーナーなど短い出し物を準備している。それを複数組み合わせたものを1セットとして、1日の中で繰り返す形だ。そうやってこまごまやることで、客がいつ出入りしてもいいようにするのだという。
 人前に立つのも得意不得意があるから、俺みたいな苦手タイプは基本教室の飾りつけや小道具の担当だが、とりあえず1人1回は出番があるように調整されている。つまり、俺にも出番があるというわけだ。芝居のパートのその他大勢役でセリフはほんの少しなのだが、実は現時点で既に緊張している。模造紙にタイムテーブルを書こうとしているものの、手が震えてまともな字が書ける気がしない。
 喉もカラカラに渇いているので、いったん休憩させてもらうことにした。息を吐いて周りを見ると、各パートに分かれたクラスメイト達はいきいきと練習している。……俺の番なんて一生回ってこなければいいのに。
 廊下に出ると、座り込んで作業をしている生徒たちでごった返していた。めったに見られない光景で少し面白い。看板に塗料を塗っている脇を抜けて自販機があるほうに向かおうとすると、その途中にD組がある。喫茶店をやるということだけれど、まだそれっぽい装飾はされていない。ロッカーの上に見える窓に紙製のテープが緩やかに張られているくらいだ。
 新園はいるかな。一目でも新園の姿が見られたらいいな。ドアは開け放してあるからそっと中の様子を窺う。入ってすぐに布がたたんで置いてあり、その奥で何人かが円になって作業をしている。あ、いた。黄色い紙っぽいもので花をせっせと作ってる。可愛いな。作り物の花だけれど、花に囲まれている姿は明るい屋外の花畑の中にいるようにきらきらと輝いていた。一生懸命な顔が可愛い。それを見られただけでもクラスを抜けてきた甲斐があるというものだ。うん、少し気持ちが楽になった気がする。
 ぱっと新園が顔を上げた。目が合う。いつも通り心臓がばくんと跳ねた。治まらない胸の高鳴りを抑えようとシャツの胸元あたりを握り締めるが、ちっとも効果がないようだ。
 そんなことをしていると、ぴょんと立ち上がった新園が軽い足取りでこっちにやってくる。えっ。
「なんか用?」
 相変わらず素っ気ない口調だが、今の足取りはなんだ。足下に置かれた花を踏まないように軽く跳んだ姿は、まるで物語に登場する妖精のよう。
「や、その。目が合ったのが嬉しかっただけで、用とかじゃないんだが」
「相変わらず変な奴。どっか行くつもりだった?」
「ああ、喉が渇いたから自販機まで。そうだ、一緒に行かないか」
「いいけど」
 嬉しい答えがやってきた。新園は本当に忙しくて手が離せない場合でなければ誘いに乗ってくれる。優しいな。……あ、今は花を作っている、まさに忙しい最中じゃないか。誘ってしまって迷惑じゃなかっただろうか。
 けれど新園は首だけクラスメイトに向けてひらりと手を振った。
「ちょっと休憩してくる」
「はいよー」
 そうか、新園もずっと作業していて疲れたんだな。それで一緒に休憩してくれるんだろう。どのクラスも大変そうだ。
 自販機は学食の近くにある。俺たちと同じように休憩に訪れた生徒が何人もいて、そばにあるベンチは全部埋まっていた。学食も文化祭準備のために閉まってるから仕方ない。飲み物を買って階段を半分下り、踊り場の壁に体を預ける。ここは職員室の近くだから、生徒はあまり来ないだろう。
 新園は俺と肩が触れるくらい近くに寄りかかり、パックのりんごジュースを勢いよくごくごくと飲んでふうっと息を吐いた。俺が普段から距離が近いから、それに合わせてくれたんだろうか。可愛い。
「大変そうだな。あの花は何に使うんだ?」
「今作ってるやつ? 教室の中の飾りにも使うんだけど、メインは廊下の装飾。ロッカーに紙貼って、その上に花で店の名前を作るんだって。背景の花と名前の花で色違いにするってんで、今やってんのは背景のほう」
「たしかにそれは量が必要だな」
 すごいな、わざわざ名前まで付けるのか。ああ、たしかに言われてみれば去年の文化祭でも様々な名前の出店があったような気がする。喫茶店を出し物にできるのは学年で2クラスまでだが、クラブ活動のほうでは無制限だからな。それだけ数があったら内容だけでなく名前で差別化を図るのも当然のことか。
 新園がぷらぷらと手首を振る。だいぶ疲れているようだ。どうすれば癒やしてあげられるだろうと考えを巡らせていると、新園は大きく息を吐いた。
「ったく、計画んときに盛り上がりすぎると後がやべえってのわかりそうなもんなのにな。でもま、量はえげつねえけど質が求められてない分ちょっと気楽ではあんだけど」
「ふうん?」
「ああ、美術部の奴が入り口に置く看板作ってんだよ。気合い入ったやつ。それをぐるっと飾る花はどうしてもクオリティ高いバラがいいってんで、本物みたいなバラを作るんだってさ。そっちの班にされたらたまったもんじゃねえし。ってかそんなんどっかで買ってきたほうが早いのに、どうしてもやりたいんだとさ」
 どうしたんだろう。今日はずいぶん饒舌だ。可愛いな。
 すいっと視線が俺のほうを向く。まっすぐな眼差しが俺の目を覗き込んでくる。ぐ……っ。この角度は知らなかったから刺激が強い。近くで並んで立つとよくわかる。新園とは少し身長に差があるから、真横に立って目を合わせると見下ろす感じになるんだな。つまりそれって新園は上目遣いってことで、しかもそれがすぐ近くにあって、うわ。
「どっちにしても花制作班は事前準備が大変だってことで、当日の接客時間は短くて済むんだよ。んで、三春の出番はどうなってんの」
 えっ。
 なっ。
 なまっ、
 名前っ、今、新園の口から俺の名前が……っ!?
「三春?」
「あ……っ、ああ、一応あるけど、演技がひたすらへたくそなんで、最低限の出番がちょっとあるくらいで……」
「ふーん。おまえ演技できなそうだもんな。全部顔に出るから」
 すごいことだ。今まで、おまえ、としか言われなかったのに。それで不便はしてなかったもののいつかは呼んでくれたらいいなと思っていた。が、まさか今呼んでくれるとは。どんな心境の変化があったんだろう、いや、もしかしたらただ単にタイミングの問題だったのかもしれない。どっちでもいい、好きな人の口から自分の名前を聞くのがこんなに嬉しいことだなんて思ってもみなかった。
「てことは、あれか? 文化祭の間はわりと暇な感じ?」
「そ、そうだな」
「愉快な眼鏡と一緒に回るのか」
「いや金崎はクラスの出番がないときはほとんど部活のほうに行くって言ってた」
「へえ」
 あれ、と思う。初めて俺になにかを聞いてくれた。そして、それは、まるで……。
「じゃあ……新園、よかったら俺と一緒に回らないか」
「ん。オレも暇だから、そうする」
 やっぱり、俺からの誘いを待っていた……?
 自分から言い出すのが恥ずかしかったんだろうか。そんな照れ屋なところも、
「好きだ……」
「え」
 ?
 新園がきょとんとした顔で俺を見上げてくる。……? え……俺、声に出て……?
「今なんつった」
「い、いや」
「なんだよ。はっきり言えよ」
 これは完全にやらかした。まさか勝手に口から零れてしまうとは。
 どうしよう。どうする。まだ早いと頭ではわかってたはずなのに。新園を困らせてしまう。どうする。
 けれど新園はちっとも引かない。むしろ空いていた手で俺の袖を掴む。
「言えって」
 困っている、というより怒ってるんだろうか。駄目だ、誤魔化せない。
「……新園が好き」
「それは恋愛的な意味で?」
「れっ、恋愛的な意味で」
「ふーん」
 俺は視線を落とす。頭がぐわんぐわんと回っている。
 否定されるのが怖いなんて、自分勝手な告白をしておいて俺はなんて卑怯なことを考えているんだろう。
 新園はそれきり黙ってしまって、余計に焦る。
 何か、何か言わなければ。
「その……、いきなりこんなこと言って困らせてごめん、でも、新園が好きだって気持ちは本当なんだ。だから、すぐに答えをくれなくてもいい、そうだ、文化祭のあと、俺の気持ちに応えてくれるならバラの花を、駄目だったら他の花をくれないか。よかったら考えてみてほしい」
 自分でも何を言ってるかわからない。
 もうどうしようもなくなって、俺は飛び出すように階段を駆け上がった。
 新園は黙ったままだった、と思う。


 その夜、俺は布団に潜ってひとりで頭を抱えていた。
 困らせたことを反省したくせに、さらに困らせることを言ってしまった。
 いくら新園が花を作っているところを見たからと言って、答えに花を用意しろだなんて、どうにも強引な話だ。
 おそらく金崎と女子たちが話していた話題とごっちゃになってしまったんだろう。いや、誰のせいでもない。俺が焦ってしまった、それだけだ。
 今頃、新園は何を思っているだろう。俺の言葉を負担に思っているはずだ。申し訳ないことをしたと思う。でも、だけど、心から溢れてしまった。止められなかった。だって好きなんだ。
 明日どういう顔をして新園に会えばいいんだろう。


 とうとう文化祭の当日だ。
 結局、昨日は怖くてD組に行くことができなかった。芝居で使う小道具が足りなくて慌てて作っていて忙しかったせいもある。けど一番大きな理由は、
「ビビってんね~」
 それだ。金崎の言葉はとても軽いが、きっかりと的を射ている。
「いざとなると怖じ気づいちゃうの、情けな~」
「言い返す言葉もない」
 金崎には昨日、教室から一歩も出ずちまちま作業をしていたのを不審がられた挙げ句、経緯をすべて話すことになった。そのおかげで延々呆れた態度をとられている。
 しかしそれに飽きたのか、金崎は俺の肩をばしっと叩いた。
「まあ、結果は文化祭終わってからなんだろ。とりあえず今は自分のできることをしてくださーい。ほら、このコントが終わったら俺ら出番だぞ」
「……あぁ」
 部活のほうにメインで出たいという金崎の出番は、俺同様にわずかなシーンしかない。この賑やかなキャラクターはコント向きだからもったいないとクラスの連中は口を揃えたが、俺もそう思う。
 が、今はそれどころではない。新園に図らずも告白してしまった件と、人前でセリフをしゃべる件とで頭の許容量がいっぱいいっぱいだ。最初の出番は午前中だから、見に来ているのが生徒だけで空席が目立つのがまだ救いだ。一般公開が始まって席が埋まってしまい、全員の目がこちらに向いたら……と思うと眩暈しかしない。
 俺は合図とともに舞台に見立てた教壇に上り、つっかえながらもなんとか2つのセリフを言い終えた。その横で身振り手振りを交えて流暢に話し続ける金崎には尊敬の念しか浮かばない。
 はあ。ようやく1回目の出番が終わったが……1回でこんなに疲弊するのならば、何回も繰り返したら2日間でどのくらい神経が磨り減るんだろう。生き残れるかどうか五分五分くらいの確率ではないだろうか。廊下の壁際にしゃがみ込むと、金崎がけらけら笑う。
「緊張しすぎじゃね? もっと気楽に行こうぜ兄弟」
「既になにもかもが終わった気分なんだ……」
「そりゃ大げさ……。! いやいや、こりゃ始まったばっかりだろ。それじゃ俺は部活のほう行くんで、頑張ってな~」
「ああ……」
 とりあえず見送るか、と顔を上げると、金崎とすれ違ってこっちに来るのは。
 え。
 でも。
 まさか。
「なにしてんのそんなとこで」
「新園」
 奇妙なものを見る目で近付いてきた新園が俺を見下ろす。
「……ドレスじゃない」
「あんな動きづらいの誰が着るかばーか。てかオレ今日裏方だし」
 呆れたように肩をすくめて。
 俺は性懲りもなく、そんな仕草も可愛いなあと思っていた。
「どうしてここに」
 そう聞くと、新園は俺の腕を引っ張る。それに任せて立ち上がると、じいっと俺の目を覗き込んでくる。
「行くぞ」
「えっ、どこに」
「約束しただろ、文化祭一緒に回るって」
 えっ。
 様にならない告白をされたことなど気にしていないのか、新園はまったく普段通りの態度だ。ありがたいけど。
「午後になって一般客が入ると混むからな、まずは中庭で部活連中のやってる屋台を巡って昼飯にする」
「あっ、はい」
 どうしたことだ、これは。俺は夢でも見ているのか?
 新園は俺の先に立って、ずんずんと校舎を進む。
 受付でパンフレットをもらい、焼きそばとフランクフルトとたこ焼きとお好み焼きを食べながらパンフレットを2人で覗き込んでどこに行こうか決め、体育館の巨大迷路をぐるぐる巡り、ミニゲーム屋台でピンボールに挑戦し、お化け屋敷を冷やかして、小ホールで軽音部の演奏を流し見し、具が少ないクレープを食べて……。
 やっぱり夢だろう、俺にとって都合のいい展開過ぎる。
 でもその割には、淡々とした表情でイベントをこなしている新園の初めて聞く小さな鼻歌がやけにリアルに胸に響いてくる。態度には出ないけど、ちゃんと楽しんでる姿が可愛い。とても可愛い。
 ふいに新園が、
「今何時?」
 言うや否や俺の腕を掴み、袖をまくって腕時計を覗き込んでくる。なんだそれ、“可愛い”が限界を突破しているじゃないか。
「やべ、そろそろ交代の時間だわ」
「もうそんな時間か」
「なんかあっという間だったな。今日はこっからラストまで調理当番なんだよ。三春もそろそろ出番だよな」
「う、うん」
「まあ頑張ってこいや。片付けまで終わったら荷物持って裏庭のバラ園で待ち合わせで。んじゃ」
「……っへぇ?」
 ちょ、……?
 なん……なんて……?


 午後の出番も散々だった。だって、新園の言葉が頭を離れなかったんだ。クラスメイトによると一応はセリフをしゃべっていて問題なく芝居は終わったらしいが、まったく記憶がない。
 文化祭が終わったら、と伝えた。文化祭は2日間ある。だから少なくとも今日の話ではないだろうと思っていた。完全に不意をつかれた。
 しかもバラ園で待ち合わせだと言う。これは俺が「OKならバラを」と言ったことへの答えか?
 いや目立たないように人がいない場所で断るためかもしれない。
 それか純粋に帰るために待ち合わせただけかもしれない。
 どれだ。どれなんだ。
 クラスでの本日の締めを終え、俺は覚悟を決めて裏庭に向かう。鼓動はその速度の2倍は早くなっていたと思う。
 日の傾いてきた裏庭ではまだ園芸部がテーブルの片付けなどを行っていた。雨は降らない予報だが、外にあるものは念のため片付けておくのだろう。そういえば金崎もクラスの片付けには来ていなかったな。他にも部活優先でクラスにいなかった者はそこそこいた。
 たしかバラ園はここからさらに奥に行ったところだ。大昔は茶道部の部室があったらしいが、今はテニスコートの近くに移築されている。その後はしばらく空き地になると聞いた当時の部長が、空いている間だけでもと交渉してバラ園にしたそうだ。それがかなり立派になってしまったので学校から正式にバラ園と認められた。と、金崎は話していた。
 ……ああ、たしかにこれはすごい。かなり広めの敷地には見渡す限り様々な色のバラが咲いていた。赤にピンクに黄色に白、色鮮やかな花が整然と並んでいる。入り口は金属製のアーチになっていて、それにも絡みついたバラが咲く。想像してたよりずっと見事だな。ここに新園がいると思うとあまりの美しさに気絶しそうだ。
 その新園はどこにいるんだろう。中に入ったが誰もいない。まだ来ていないのかな。
 ふと中央に半円形の屋根があるのに気が付いた。そこにもバラが咲いているから、おそらく入り口のアーチと同じつくりなのだろう。回り込むと中に入れるように大きく口を開いていて、覗き込むと緑色のベンチが、
 あ。
 いた。
 花咲くドームの中に座る新園は、本当に、本当に花の精みたいで。
 感極まって泣きそうになったところで、新園が俺に気付く。
「芝居、どうだった?」
 俺を見上げて、なんてことのない口調で聞いてくる。
「あ、え、うん。なにやら頭がごちゃごちゃで何しゃべってるか自分でもわかんなかった。たぶん周りが精一杯フォローしてくれたんだと思う」
「三春って緊張しぃだよな。まあとりあえず1日目、お疲れさん」
「ありがとう。新園もお疲れ様」
 ひとつ頷いて、新園が視線を落として黙り込む。しん、と静まり返る。心臓のばくばくがうるさくて俺が他の音を聞き取れなかっただけかもしれない。
 風が吹いてたのだけはわかる。新園の柔らかな髪が揺れていたから。
 しばらくして、ふわっと新園が顔を上げた。
「三春」
「……はい」
 真っ白だ。
 頭の中が空っぽになってしまったような。
「例の……おまえの気持ちの話だけど。2日経って、ちょっと冷静になった今でも変わんねえ感じ?」
「ん、うん」
「そっか。こういうの、あんま長引かせんのよくねえよなと思って」
 ゆっくりと新園が立ち上がる。
 顔が近くなる。
 綺麗な顔はいつも通りの涼しげな表情で、考えは読み取れない。
 すると新園は背中に隠していた何かをすっと俺に向けて差し出した。
「これ」
 ぎくりとする。
 一輪の赤い花。
 とても鮮やかで綺麗だけれど、一重に咲くその花は、周りにあるバラとは違う。
 バラじゃない。
 じゃあつまりこれは断りの……。
 そう思ったけれど、心の中で「ちょっと待て」と声が響く。
 これは造花ではない、フィルムで包まれ、赤いリボンが結ばれた生の花だ。断るためにわざわざ生花を持ってくるだろうか。だって新園のクラスには紙製の花がたくさんあるじゃないか。
 新園の目を見ると、きまり悪そうにぱっと逸らされる。きゅっと唇をつぐんで、説明してくれそうな気配はない。
 これはどう判断すれば……。
 そのときぱっと頭が冴えた。ここは園芸部の管轄だ。クラスに顔を見せなかったあいつ、俺はあいつにここに呼び出されたことをさっき教えてしまっている。
「いるんだろ、暇人園芸部っ」
 辺りを見渡しながら声を上げる。すると、背後のバラの陰からひょいと金崎が顔を見せた。やっぱり。
「ありゃー、バレてたか」
「おせっかいなおまえの姿が見えないのはおかしいと思ってたんだ。この花について教えてください」
 にやにや笑い、金崎は俺たちのそばにやってくる。
「一重咲きだから一見わかんないかもしんねえけど、これはちゃんとしたバラだよ。そういう品種。いやー、お互い照れ屋だと解説まで必要なんだな。興味本……優しい俺がいてよかったなー。ま、最後まで見学したかったけど、ここはおとなしく退散しましょ。それじゃ、あとは若い2人でごゆっくり~」
 ぽんぽん、と俺と新園の肩を順に叩くと、金崎はさっさとバラ園から去っていく。途中気になるフレーズはあったが、面倒見のいい友人を持って本当にありがたいと思う。
 同じように金崎の背を見送る新園に、改めて向き直る。新園も俺を見上げた。
「……えーと。そういうことでいいんだろうか」
「……ん」
 小さく。
 頷いて。
 ああ、夢みたいだ。
「おまえにあんなふうに言われて、ちゃんと考えたんだよ。答えるにしても、あからさまにバラだとなんか恥ずかしくてさ。金崎に相談に乗ってもらったんだ」
「なるほど、そういうことだったのか」
 そこに金崎が隠れて様子を窺っていたのは、俺の発言のせいだけではなく、新園の相談の結果でもあったわけだ。
 新園は、それからふーっと大きく息を吐いて、もう一度、今度は大きく頷いた。
「三春。ちゃんと言葉でも答えたいからさ、もっかい言って」
「わかった」
 息を大きく吸って。吐いて。
「新園。好きです。俺と付き合ってください」
 すると新園は改めてバラをすっと差し出した。俺はそれを、しっかりと受け取る。
「はい。こちらこそよろしくおねがいします」
 答えた新園は、ふいにくすぐったそうに、……笑った。
 え、
「可愛い!」
 さらにふふっと笑う。
「でけえ声。おまえそんな声出せんのかよ」
 可愛い。あまりにも可愛い。
 天使か?
「ご、ごめん、新園がびっくりするくらい可愛かったから……」
「たいがいフィルターかかってんな」
「最初から可愛かったよ」
「ふっ、どうだか。まあでもそうなのかもな。三春、初めて話した瞬間からオレのこと好き好きーって目で見てたもんな。おかげで絆されちゃったわ」
 俺……そんなに態度に出てたのか。自分では全然わからなかった。でも、そうか、しょうがないんだな。だって一目惚れだったんだから。
「あの……新園、抱き締めてもいいか?」
「好きにしなよ」
「では遠慮なく」
 おずおずと手を差し出し、背中に回して、そっと抱き締める。ああ。爽やかな香り。それにバラの香りが漂ってきて、花束を抱えた気分だ。
 そして、手のひらで感じる同じ速度の鼓動。
「……もしかして、新園も俺のこと好き?」
「だから言ったろ、絆されたって。好きじゃなきゃ告白に応えるわけねえだろ。ちなみにそのバラ、花屋行って自分で買ったやつだからな。貰い物で答えるわけにはいかねえから」
「そういうとこも好き。すごく好き。大好き」
「いきなり素直になりやがって」
 新園はぱっと顔を上げて俺を見上げる。あっ、好きな角度。
「なあ、文化祭の芝居、明日も出番あるんだろ」
「うん、ある」
「オレの接客の時間とかち合わなかったら見に行ってやるよ」
「え……新園に見られてたらもっと緊張してぐちゃぐちゃになってしまうかもしれない」
「そこはかっこいいとこ見せろよ」
 とん、と俺の胸を拳で叩いて、新園は笑う。
「んで、明日は恋人として文化祭楽しもうぜ」
「かっわいぃ!」
「うるせえ」
 至近距離で見る笑顔は、こんな美しいバラ園の中でも一番に綺麗で可愛かった。
 こんな可愛い人が、この瞬間からは俺の恋人なんだ。
 なんて甘い響きだろう。
 俺がじっと見つめていると、照れてしまったのか唇を尖らせてふいっとそっぽを向く。
「視線もうるせえ」
 それさえも可愛くて可愛くて。
 このバラ園にまつわる「告白の聖地」の噂は、明日からさらに真実味を持って語られるに違いない。

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可愛いバラは棘まで可愛い
1 / 1

 生涯一度の衝撃は、その日突然訪れた。


 とりたててものすごい何かを成し遂げたわけではなく、かといって大きなトラブルに見舞われたわけでもなく、それなりに楽しく過ごしてきた高校生活も1年が過ぎた。新生活に浮き足立っていた周囲の雰囲気もだいぶ落ち着いてきた気がする。
 実験器具の後片付けに時間がかかってしまった俺は、春の気配が濃い校舎の渡り廊下を歩いていた。穏やかな午後の日差しが床に薄い影を作る。窓がないから吹き抜ける風も気持ちよくて、教室に戻るのがもったいないくらいに爽やかだ。このままふらりと散歩するのも悪くない。今日の授業はすべて終わっていて残す時間はロングホームルームだけだから、多少遅れても問題ないだろう。
 いや、駄目だ。文化祭実行委員の奴がクラスの出し物の内容を決めるのだと張り切っていたから確実に文句を言われる。少し急ぐか。
 廊下の先には同じく移動教室だったらしい他のクラスの連中がのんびり歩いている。それを早足で追い越そうとする、が、話が盛り上がったのか、そのうちの1人が大きくこちらにはみ出してきた。それを咄嗟に避けようとした瞬間、腕の中からペンケースが滑り落ちてしまった。しかも運悪く中途半端に蓋が開いていたようで、ペンが何本か廊下を転がっていく。ああ、慌てるもんじゃないな。
 急いでそれらを拾い上げて、駆け足の体勢に戻る。
「なあ」
 それは春風のように柔らかく、けれど突風のように胸を貫いた。
 振り向くと、1人の男子生徒がしゃがみこんでいる。かすかな風になびく茶色の髪。
「拾いそびれてる」
 つっけんどんな口調。顔を上げた彼の、長めの前髪から覗く気の強そうな薄茶の瞳。
 目が合った瞬間、俺は世界がはじけるように輝くのを感じた。


 なんだかひどくふわふわする。教室に入ると案の定実行委員に「三春みはる! 遅いぞ!」とどやされたけれど、自分がなんて答えたのか覚えてないくらいだ。挙げ句の果てには、うちのクラスが文化祭で何をやるのかまったくわからないままチャイムが鳴った。うっすらと芝居だとかコントだとかいう単語が出てきていた気がするが、俺はいったい何をするんだ? しかもその流れのまま帰りのホームルームも終わっているらしい。いつの間に……。
「三春~」
 声をかけながらにやにや近付いてきたのは友人の金崎かなざきだ。
「なんかずいぶんボケっとしてんじゃん。どした」
「いいところに来てくれた。少し話を聞いてくれ」
「これから部活なんだけどー」
「少し、だから。ちょっとで済む。今すぐ脳内の情報を整理して吐き出さないとぶっ倒れる気がするんだ」
「なんだそれ」
 金崎は笑うが、俺のこれは冗談ではない。本当にそう思っていて、実際立ち上がる瞬間にぐらりと上体が揺らいだ。マジかよ、と金崎はますます笑う。うん、さすがに自分でもびっくりしている。
 一見軽薄そうに見えるチャラ眼鏡の金崎は、意外と所属している園芸部の活動に熱心だ。だから今日の活動場所だという裏庭に向かう間に話を聞いてもらうことにした。俺もクラスメイトがまだ大勢いる中で話すのはなんとなく気が引けたから都合がいい。しかし改めて校内を歩いてみると、人がいない場所って意外とないんだな。
 昇降口から出て裏庭のほうに曲がったところで、金崎が口を開いた。
「んで? どしたんだよ」
 どうした……どうしたんだろう、俺は。なんとか脳内から該当しそうな言葉を引っ張り出す。
「それが……一目惚れしたらしい」
「ほう」
「俺は運命というものを知ってしまったかもしれない。いや、今までだって姿を見たことはあったんだ、去年は隣のクラスだったし。だけどあんな、至近距離で目を覗き込んでしまったら、もう駄目だ。雷に打たれたような衝撃ってこういうのをいうんだな」
「おー、典型的なやつだ。それで、それで?」
 胸が詰まって息苦しいような感覚に、俺は深く息を吐いた。
「あの瞬間から頭の中は彼のことばかりだ。落ちたペンを拾ってくれた指のすらりとした造形の素晴らしさといったらなかった。ふわふわの髪は日差しに透けて美しかった。教室に戻っていく背中が同じ制服に見えないくらいまぶしかった。友達と話す横顔も凛としていてすごく綺麗だった。声、そう、声がやたら胸に馴染んで、抱き締められたように心地よかったんだ」
 仰のいて空を見ると、友達に呼ばれて立ち上がって駆けていく瞬間の身のこなしがありありと浮かぶ。あれは羽が生えているようだった。
 目を落として花壇に咲く黄色い花を見れば、飛び込んでしまえそうなほど深い瞳の輝きが頭の中にいっぱいになる。あれは……そう。
「なにより……俺を見上げたその瞳が、まるで朝露を浴びた一輪のバラのようだった」
 生まれたばかりの朝の光を浴びてきらきらと輝く……。
「突然詩人になるじゃん」
「恋は人を詩人にするんだな、初めて知った」
 金崎はふんふん、と頷くと、花壇の中にひょろりと伸びる枝に触れた。その先には間もなく咲くであろう蕾がひとつ。
「おまえの例えを借りると、つまりおまえの恋はまだ蕾なんだな。このバラみたいに」
「それ、バラなのか」
「ああ。まだ咲く前だ。恋の花は片っぽだけ咲いてても先には進めない、お互い花開いてからが始まりだと思うぞ。おまえにとっちゃ一目惚れかもしれないけど、まともにしゃべったこともないんだろ。それで運命とか言われても相手も困っちゃうんじゃね?」
 ……たしかに。
「運命かどうかはともかく、せっかくだしとりあえず仲良くなろうぜ。ちなみにどこの誰だか聞いてもいいもんか?」
 何か面白がっている気がしないでもないが、中学からの友人で信頼できる奴だ。素直に話して力になってもらいたい。
「D組の新園にいぞの。知ってるか?」
 金崎は腕を組んで斜め上を見上げた後、ぽんと手を叩いた。
「新園……あー、新園優斗ゆうとか。部活の奴が同中の友達だってんで、何回か話したことあるぞ。ふーん、あの目つき悪……いやキリッとした奴な」
「意志が強そうで可愛いと思った」
「うはは、そういう感じか! いーねえ」
 そのまま腕を伸ばした金崎が、頭の後ろで手を組む。
「いやー、おまえってさ。見てくれが悪いわけでも性格がねじれてるわけでもないのに浮いた噂の一つもないなーと思ってたけど、まさか男相手にそんなこと言い出すとは意外だったな」
「男? ……ああ、そういえばそうか」
 あまりの衝撃に気付かなかった。言われてみれば同性か。だが、あの射抜かれた衝撃に比べれば、そんなことはひどく些細なものに思えた。
 金崎は俺の肩をぽんと叩く。
「ま、三春らしいっちゃらしいや。とにかく明日、話しかけてみようぜ」
 そうだな、そうしよう。
 明日話ができる……。それだけで明日が待ち遠しい。今夜は眠れるだろうか。


 金崎の部活仲間とやらの情報で、新園は部活に入っていないことがわかった。この学校は部活動がそこそこ盛んだから部活に参加していないというのは珍しい。といいつつ、俺も帰宅部だ。小さな共通点が嬉しく思える。
 クラスにいるところを呼び出すと本人にも周囲にも何事かと思われてしまうんじゃないかという金崎の提案で、俺たちは下駄箱の先で登校してくる新園を待つことになった。ここは廊下にしては少し広く、朝の挨拶がてらおしゃべりを楽しむ生徒も多いので、俺たちが不審に思われることはないだろう。
 寝不足のせいか、うわの空で金崎の話を聞いていると、……あ。
 心臓が一瞬止まった。かと思ったらばくばくとものすごい音で鼓動を知らせてくる。上半身が熱くなって、頭の中身が全部蒸発してしまいそうだ。
 人の流れの中に見えるふわふわの茶色。すらりとした手足。昨日はシャツ姿だった。登下校の時は、そうか、ブレザーをきちんと着るんだ。大変だ、指先は震えるし足元の感覚もない。
「おー、新園~」
 目。目が。こっちを見た。可愛い。ぱちぱちとまばたきしてる。可愛い。
 どうしてだろう、昨日見たときよりも断然可愛い。
「金崎? なんか用?」
 あっ。いい声。しみる……。
 というかそうか金崎は名前を知られているのか。羨ましい。
「おはよー。いや、こいつがさ」
「こいつ? ……ああ、昨日ペン転がしてた奴じゃん」
「えっ」
 ぱっと辺りが明るくなった。俺のこと、覚えてくれてたんだ。たった一瞬目が合っただけの俺を!
「そうそう。こいつ三春っていうんだけど、親切にされたのがよっぽど嬉しいらしくてさ。お礼したいんだって」
 お礼がしたいなんて言った記憶はないけど、できるもんならしたい。させてほしい。お願いします。
 新園は不審げに眉をひそめる。
「そんなん、いらね」
「まあまあそう仰らず。新園は今日の昼は弁当? 学食?」
「学食のつもり」
「おっ、そりゃちょうどよかった、俺たちも学食行くつもりだったんだ。っつーわけで、昼一緒に食わね?」
「は? ……まあ、ついてくる分には構わねぇけど」
「やったー」
 とんとん拍子に話が進む。俺があたふたしてる間に、昼飯を一緒に食えることになっている……!? あまりの展開の早さに俺は弁当袋を背中に隠し呼吸を整えることで精いっぱいだった。
 記憶が曖昧だった午前の授業が終わるや否や、金崎に連れられて食堂へ向かう。ああ、なんということだ。本当に新園がいる。新園は既に食堂の前に立っていて、手には食券を持っていた。
「あれ。もう食券買ったんだ。三春がお礼するって言ったのに」
「あの程度のことで奢ってもらう理由にはなんねえよ」
「そこをなんとか! こいつも張り切ってるしさ」
「……じゃあ、ジュースで手ぇ打ってやる。りんごな」
 えっ。りんごジュースだって? な、なんて可愛らしいんだ。いや、お茶でも炭酸でもなんでも可愛い。お礼をさせてくれること自体がもう可愛い。
 きっと味なんかわかんないだろうから、いっそ味の強いカレーを注文する。俺はともかく新園は何を食べるのだろう。カウンターで受け取るところを肩越しに見ると、なるほど、オムライスか! しかもかなりの大盛りだ。見た目はスレンダーだが、男子高校生だもんな。うん、可愛い。そのうえ俺とは「米」というジャンルでお揃いじゃないか。これはとても幸先がいい。
 学食はそれなりに混んでいたけれど、席を選べないほどではなかった。俺たちは目についた壁際の席に……いや待て、どこに座ればいいんだ? 隣……はおかしいか? 突然隣に座るとかなんだよと思われる可能性がある。となると向かい合わせ、いや、これはこれで刺激が強いんだが。散々迷って、斜め向かいに座ることにする。
 それにしても、やっぱり綺麗だ。まばたきのたびに上下する睫毛、スプーンを使うしなやかな指先、オムライスを食べる大きく開かれた口、咀嚼するために元気よく動く頬。
「オムライス好きなんだ?」
 いい質問だ、金崎。新園はわずかに間をあけて頷いた。
「ん」
 簡素。素晴らしい。
「そっちのクラスって文化祭なにやんの」
「喫茶店」
 うん、やっぱり文化祭と言ったら飲食店だよな。こんな可愛い子が接客してくれたら大人気ですごいことになってしまいそうだ。
「へー、人気ある出し物って被ったら抽選なんだろ」
「知らん。当たったんじゃね」
 運が味方してくれたということか。きっとクラスの熱意が伝わったんだろう。D組の実行委員に感謝だ。
「なんか特殊な衣装とか着ちゃうやつ? メイド服とか」
「さあ。女子はドレス着るとか言ってたけど」
 それはぜひ男子も素敵な恰好をしてほしいな。女子がドレスなら男子はなんだろう。スーツとかだろうか。それはぜひとも見てみたい。
 それにしても、ちゃんと答えてくれる新園は優しい。自分から話したりはしないけど、聞いたことにはきちんと答えてくれる。誠実な性格なんだな。
「おい」
 どん、と金崎が肘でつついてくる。なんだ。
「新園と仲良くなりたいのはおまえだろ。おまえが話さなくてどーすんだ」
「えっ」
 話す……。え、話していいのか? と、突然ハードルが高すぎやしまいか。
 にやにやしてる金崎から、おそるおそる新園のほうに目を移す。あっ。丸い目がじっと俺を見ている。胸が潰れそうになる。いや、ここはもう、度胸だ。行くしかない。
「あっ、あー……。その、三春純也じゅんやです」
「はあ。新園優斗です」
 俺に向けられた昨日ぶりの言葉。澄んだメロディのように心地よい名前。とろけそうなほど甘い響き。
 いや駄目だ、ここで怯んでいてはいけない。
「昨日はありがとう。その場でお礼が言えなくてごめんなさい」
「だから、そんな大したことしてねえってば」
「ああ、うん、新園にとってはそうかもしれないんだけど、俺にとってはその、けっこう重要な出来事だったというか」
「ふーん」
 本当になんでもないことのように、新園はオムライスを口に運ぶ。意識するほどでもないということは、新園にとってあれは当然の行為だということになる。名前も知らない俺を助けてくれる、それは純粋な優しさだろう。なんて尊い。
「あ、と、今日はその、なんだか強引に誘ってしまったような形になったけど、大丈夫だっただろうか。一緒に食事をする友達もいるんだろう」
「いるけど、毎日一緒ってわけでもねえよ。外で食べたいときとかひとりでふらっと外行くし」
 ああうん、自然の中で食事するのもいいな。とても絵になる。
 しかも、いいことを聞いた。食事の相手が絶対決まっているというわけではないらしい。これは踏み込んでもいいのではないだろうか。
「そういうことなら、新園がよければなんだが……。これからも昼、誘ってもいいかな」
 新園は小さく肩をすくめた。
「好きにすれば」
 俺は心の中で拳を握る。それは許しの言葉だ。昼食を共にしてもいいという許可が下りたのだ。あまりの感激で、やはりカレーはほとんど味がしなかった。


 それから週に何度か、俺たちは3人で食事をすることになった。毎回学食利用ということもあって財政難には陥ったが、夏休みに田舎のじいちゃんちの倉庫で大掃除を手伝うことを条件に小遣いを増額してもらい事なきを得た。高校がバイト禁止というのはなかなかに厳しい。
 でも、そのおかげで新園と食事ができるのはこの上ない喜びだ。勇気を出して隣に座ってみたが、一瞬不思議そうな顔をしたものの新園は何も言わなかった。可愛い。
 距離が近くなったことで、俺は彼の香りが爽やかな柑橘系なのだということを知った。いっそ抱き上げて胸に顔をうずめて深呼吸してみたい。が、さすがにそれは時期尚早だろう。
 そういえば一度、怪訝な顔をされたこともあったな。
「あんま見んなよ、食べづれえな」
 横顔をじっと見つめすぎていただろうか。俺自身としては無意識だったのだが、新園が言うならそうなんだろう。嫌だと思われることはしたくない。お互いの意思は常に確認しておいたほうがいいと思った。
「嫌か?」
「んー……嫌ってわけじゃねえけど。ほどほどで頼むわ」
 俺の言葉に少し考える仕草を見せた新園は、そう言って視線を前に向けた。そうか、嫌じゃないのか。
 そんなやり取りもあって、なんだか少しずつ仲良くなれてきた気がする。嬉しい。俺も自分から話を振れるようになってきたし、一言ごとに舞い上がらずに済むようにもなってきたし、いい傾向だな。まあ、綺麗な声に聞き惚れてときどき会話が途切れてしまうのをやめるのには、まだ少し時間がかかりそうだけれど。
 さて、今日も誘いに行くかな。
 教室を出ようとすると、金崎に呼び止められた。
「三春ー。俺しばらく昼は園芸部のほう行くわ。そろそろ文化祭の準備が大詰めでさ」
「そうか、わかった」
 ……ん? ということは、新園と2人きり……?
 初めてのケースだ。緊張する。新園は可愛いから、話をしている相手の顔をしっかり見る。普段は3人で、半分は金崎のほうに視線が行っているのだが、これが2人きりということになる、と、どうなる?
 いや、落ち着け。学食には他にもたくさん生徒がいるんだから、大丈夫だ。大丈夫。
「新園」
 D組のドアから中に向かって声をかけると、入り口から2列目の3番目に座った新園が顔を上げる。あっ可愛い。この角度がいい。少し斜めに顔をこっちに向けてわずかに見上げるこの角度。その角度が変わって、瞳がきらりと光る。
 気付けば新園は俺の目の前に立っていた。うわ可愛い。
「おい。何ぼけっとしてんだよ。昼飯行くんだろ」
「はいっ」
 うーん……首を傾げる仕草もいいな。
「ずいぶん挙動不審じゃん。授業中寝てたんか? んでまだ目が覚めてねぇんじゃねーの。しょうがねえ奴だな。ってかいつもの眼鏡は?」
「金崎は園芸部のほうに……」
「へー」
 さして興味もないように頷いた新園は、廊下に出て歩き始めた。俺はその後ろをついていくんだが、つむじが見える。ふわふわの髪の誘惑がすごい。顔を埋めて深呼吸したい。
 なんとか衝動をこらえながら学食に着くと、なぜか今日に限ってずいぶんと混雑していた。入り口は入ろうとする学生で溢れかえっていて只今満席の札がかかっている。珍しいこともあるもんだ。
「すげえ混んでんな」
「うん。昼休み終わるまでに食事にありつくのは難しそうだな。購買でパンでも買って、教室で食べようか」
「そうすっか」
 幸い、購買の総菜パンはかなり残っていた。甘い菓子パンもまだある。何を選ぶのかな。……コロッケパンに焼きそばパンにソーセージパンに……追加のコロッケも買うのか。デザート用にだろうか、クリームパンも手に取る。腕白なんだなあ。可愛いな。
 どっちの教室のがいいかなと考えてると、新園はひとりでさっさと歩いていく。渡り廊下の方向だけど、そっちには行かずに途中で曲がって中庭に出た。ここが中庭か……。用事がなければわざわざ来るような場所じゃないから知らなかったけれど、ベンチがいくつか置いてあって食事をしてもいいようになっているらしい。今日は誰もいないみたいだが。
「ここ、たまに来んだ」
 え。それってつまり、新園のお気に入りの場所に案内してくれたということだ。なんてありがたいことだろう。嬉しい。
 ベンチは座面が木製で背もたれのないタイプだ。近所の公園にあるのと似たようなベンチだから、ほぼこれは公園デートといっても差し支えはないのでは?
 慣れた様子で手前のベンチに座る新園。デートなら近付いてもいいはずだ。俺は新園のすぐ隣に座る。あ、肩が触れた。どっくんと心臓が跳ねるのと一緒に体ごと飛び跳ねてしまいそうになる。ふわっと柑橘系の香り。じんわりと伝わってくる体温。近くにある横顔。ここは天国か?
 やっぱり今日のメンチカツパンも味がしないが、気分は最高だった。
 焼きそばパンを頬張っていた新園が最後の一口を飲み込み、眉をひそめて俺を見た。ちょっと乗り出すような格好で、顔が近い。とても近い。綺麗な目。
「なあ、おまえ距離感おかしいって言われねえ?」
「え。言われたことないけど」
「そう? だいぶ近ぇぞ」
「あー……これ、相手が新園だからだ。こんな至近距離で話すことなんて他の人とはやらないよ」
 目の前で首を傾げるのが、可愛い。
「むしろ人との距離は取りたいほう。だけど、新園には近くに寄りたくて仕方ない。くっついてると……なんだろう、嬉しいけど安心するみたいな感じがする」
「ふーん」
 険しいように見えた表情がふっと緩む。
「別にいいけど」
 えっ。
 これも許されるのか。
「じゃあ今日一緒に帰らない?」
 気付いた時には口から出てた。新園はきょとんとしてたけど、すぐに頷いてくれた。頷いてくれた!
「しょうがねえな」
 とは言われたけど。口調は呆れてたけど。あと、「とりあえず今の“じゃあ”の意味わかんねえな」とも言われたけど。それは俺自身にも根拠がわからないからどうしようもない。
 とにかく、OKをもらえたことがやたら嬉しかった。


 じわじわと胸のあたりがくすぐったい。昼だけじゃなくて帰り道まで一緒にいられるなんて。しかも待ち合わせですれ違わないために連絡先も交換した。画面に表示される“新園”という文字のなんと美しいことか。外へ向かおうとする躍動感のある“新”、四角に囲まれた慎ましやかな“園”、なんてバランスがとれた苗字なんだ。ご先祖の人もこんなにその名にふさわしい存在がこの世に現れるなんて果たして予想していただろうか。
 さらに、彼の連絡先の中に俺の名が並んでいる事実がある。すごい。新園の持ち物の中に俺の名前が刻まれているんだぞ。俺たちはたしかに繋がったのだと思うと、ひどく誇らしい。こんな満足感を覚えたことなんて久しくなかった。
 今日はとてもいい日だ。食事が終わった後も時間があったから、新園のいろんなことを知ることができた。好きな色は緑で、好きな肉料理はハンバーグで、好きな麺料理はミートソースパスタで、好きな飲み物は炭酸系で、好きな果物はりんご、好きな目玉焼きの食べ方はご飯に載せて醤油をかけて混ぜる……。振り返ってみると食べ物の話ばっかりだったな。食事を終えたばかりで話題に出しやすかったというのもあったけど、食べ物の話になるとほんの少しだけ声のトーンが上がるんだ。食いしん坊なんだなと思うととても可愛い。文化祭が終わって時間ができたら、食事に誘ってもいいだろうか。
 ああ、ふわふわした気分だ。たぶん俺の足は今、床を踏んではいない。1センチくらい浮いてると思う。だって足の裏に何の感触もないんだ。予鈴間近でざわめいてるはずの教室も妙に静まり返って感じる。頭の中に響くのはぽつぽつと質問に答えてくれた新園の可愛い声だけだ。
 だからだろう、席についてしばらくは呼びかけられていることに気付かなかった。
「ねえ。ミハルンってば」
 腕をつつかれて驚く。見上げればすぐ近くに女子生徒が2人立っていた。誰かと思えばクラスメイトの江田と井倉だ。
「突然どうした」
 俺の言葉に顔を見合わせた2人は溜め息をつく。
「突然じゃないよー。さっきから何度も声かけてたんだから」
「そうなのか。悪い、まったく聞こえなかった」
「もー……。まあいいや。ね、今日はザッキー一緒じゃないの? 聞きたいことがあるんだけど」
 その愉快な呼び名は金崎のことだ。そういえばまだ戻ってきていないみたいだな。
「今日は部活のほうに行ってる。そろそろ戻ると思うけど」
「あれ? 園芸部ってお昼も活動してるんだっけ」
「いや、文化祭の準備だと。俺も詳しく聞いたわけじゃないからこの表現が合ってるかどうかわからないけど、裏庭の花壇の周りで喫茶店をやるらしい。ガーデンパーティがどうとか言ってた」
「え、素敵じゃん」
 そこに噂をすればなんとやら、開けっ放しのドアからふらりと金崎が入ってきた。俺たち3人の視線が向かっていることに気付いたのか、すぐにこっちにやってくる。
「なんだなんだ、密談でもしてた?」
「金崎に用事だって」
「えっ! もしかして借金の肩代わりのお願い? 無理よ一文無しだからっ」
「それ私が借金してる前提じゃん!」
 江田が金崎の腕をはたいて、ぺしんと小気味のいい音が鳴る。なんだ、何が始まったんだ。頭上で繰り広げられるやり取りをなんとなく見ていると、井倉と目が合った。彼女は「あ」と呟いて江田の袖を引く。
「やば、授業始まっちゃうよ。聞いておかないと気になって次の授業に身が入んない! ねえザッキー、知ってたら教えてもらいたいんだけど、園芸部って花言葉とか詳しい?」
「花言葉ぁ? んー、一般的にはそうでもないと思うけど、そういうの好きな先輩がいてよく話聞いてるから、モノによっちゃわかるかも」
 聞きたいことって花言葉のことか。たしかに金崎が帰ってこないと俺だけじゃなんの意味もないな。そういうものがあるということは知っているが、中身についてはまったくわからない。それどころか、何に使うのかもまったくわからん。
「江田ちゃんと昨日のドラマの話しててー。来週に続くラストシーンがなんか意味深で」
「そう。主役といい感じに見えた年上の同僚の女性が退職することになって、知らなかった主役がびっくりして追いかけるのね。そしたら女の人が貰った花束の中からバラを1本だけ取って主役に渡すの。今までありがとうって。んで主役がじっとそれを見つめて、女の人が歩いてってエンドロール。なんか意味あるよね?」
 それはたしかに意味ありげだ。見た人はこれが何を表しているのか知りたくなるから次回の視聴に繋がるということなんだろう。
 ふむ、と金崎は腕を組む。
「そうねー。バラの花言葉ってめちゃくちゃいろいろあるんだけど、全体としては“愛”だから意味がないってことはないんじゃない? しかもバラ1本って“一目惚れ”って意味なんだ」
 金崎の発言に驚く。どうやら花言葉とは花一種に一つの意味がある、とかではないらしい。なんと本数にまで意味があるのか。はー、そんなの絶対に覚えられないな。
「じゃあやっぱりあの人も主役に気があるんだよ。なのに何も言わずにいなくなろうとするなんて、絶対なんかあるじゃん!」
「そういえば1話で花屋の男が出てきたよね。あれも思わせぶりだったし!」
「かも! だってあの花屋、火曜9時ドラマの前のクールにライバル役で出て人気になった人なんでしょ!?」
「そうだよ、名前なんだっけ」
「えっと、たしか~」
 普段からドラマはあまり見ることがないので、彼女たちが金崎と出演俳優の話をしていてもさっぱりわからず、話題についていけない。ただ、2人とも非常に熱意を持ってドラマを見ていたんだなあということだけが伝わってくる。
「花を贈って告白とかちょーっと気障ったらしいかもって思ってたけど、そう考えるとロマンチックでいいかも」
「あの人にそんなこと言われたらたしかにぐらっと来ちゃうよね」
 もはや何の話をしてるんだ。どっちかって言うとおしゃべりをしたいだけだったんじゃないかと思うくらい話し続けた彼女らは、気が済んだのか「ありがとー」と言って席に戻っていった。
 やれやれ、静かになった。
「……部内に詳しい人がいるにしても、聞かれてすぐあんなふうに意味まで出てくるのはすごいな」
 素直に感心したことを伝えると、金崎は得意げに胸を張る。
「だろー。俺記憶力にはちょっと自信があんのよ」
 そのわりにテストの成績はいつも俺と似たり寄ったりの真ん中らへんにいるけどな。
「でもま冗談抜き、その先輩って語り口がめっちゃ面白いんだよ。漫談っていうの? そういう感じのさ。だからついつい聞いちゃうんだよな」
「部活って面白い先輩がいると楽しそうだよな。そういうのを聞いてると少し羨ましい。園芸部は朝早いから誘われても無理」
「ははは、誘う前に断るなよ。それで断られたのこれで何回目だって感じだけど。でも、マジ、うちの部活面白い先輩多いのよ。もう何年も前に卒業しちゃったかつての部長にすごくバラが好きな人がいてさ。ほら、うちの高校って裏庭にすげえバラ園があるだろ。入り口のほうにちょっと咲いてるやつじゃなくて、もっと奥のほうに。あれもその人が先々代の残してったバラの花壇を発展させて作ったものすごくこだわりのある作品なんだ。おかげでバラに関しては部員全員詳しいぞ」
 あー、裏庭……。通りかかったことはあるが、バラ園は見たことがない。こう考えてみると、校内でも行ったことのない場所って結構あるな。
「正直見たことがないからなんとも言えなくて申し訳ない」
「マジか。そこらへんの公園にあるような小さいバラ園なんて目じゃないくらいすごいんだぞ。おまえは知らねえかもしれんけど、告白の聖地とか言われてて学校内の噂にもなってんだ。それというのもバラ園を完成に導いたその部長がそこで告られてラブラブな学生生活を過ごしたという話があってな」
 学校の中にそんなスポットがあるとは。すごいな。
 俺の脳内にぱっとイメージが浮かぶ。……美しい庭園。そこに新園が立てばきっと絵にも描き表せないほど美しいだろう。告白の聖地にきりりとした表情で立つ新園……。
 告白、か。告白……いや、それはもっと段階を踏んでからだ。まだ好きな食べ物のことくらいしか知らない。新園だって俺のことをほとんど知らな……そうだ、新園の情報を知りたい一心で、俺自身のことはあまり話していなかった。それで「好き」を伝えるなんて新園を困らせるだけだ。
 でも。
「花に言葉を託すのは悪くないな。言葉で伝えるのはまだ早いけれど、想いを載せることだけならすぐにでもできる」
「三春はそういうの好きそうじゃん」
「俺の愛はどの花に載せれば新園に届けられるんだろう」
「お、調子でてきたな」
 金崎はにやにや笑って俺の背中を叩くと、チャイムの音に弾かれるように席に戻っていった。


 何回か新園と一緒に帰る機会には恵まれたが、自分のことを話すタイミングが計れないまま時間が過ぎ、週末はいよいよ文化祭だ。
 土曜日の午前が学内公開、午後と日曜が一般公開というスケジュールで、その準備のために今日の放課後から明日金曜のまるまる1日が用意されている。他の学校がどうしているのかは知らないが、授業を潰して準備に充てていいというのはなかなか行事に力を入れている学校なのだろうと思う。
 うちのクラスはショートコントから感動ものの芝居やダンスコーナーなど短い出し物を準備している。それを複数組み合わせたものを1セットとして、1日の中で繰り返す形だ。そうやってこまごまやることで、客がいつ出入りしてもいいようにするのだという。
 人前に立つのも得意不得意があるから、俺みたいな苦手タイプは基本教室の飾りつけや小道具の担当だが、とりあえず1人1回は出番があるように調整されている。つまり、俺にも出番があるというわけだ。芝居のパートのその他大勢役でセリフはほんの少しなのだが、実は現時点で既に緊張している。模造紙にタイムテーブルを書こうとしているものの、手が震えてまともな字が書ける気がしない。
 喉もカラカラに渇いているので、いったん休憩させてもらうことにした。息を吐いて周りを見ると、各パートに分かれたクラスメイト達はいきいきと練習している。……俺の番なんて一生回ってこなければいいのに。
 廊下に出ると、座り込んで作業をしている生徒たちでごった返していた。めったに見られない光景で少し面白い。看板に塗料を塗っている脇を抜けて自販機があるほうに向かおうとすると、その途中にD組がある。喫茶店をやるということだけれど、まだそれっぽい装飾はされていない。ロッカーの上に見える窓に紙製のテープが緩やかに張られているくらいだ。
 新園はいるかな。一目でも新園の姿が見られたらいいな。ドアは開け放してあるからそっと中の様子を窺う。入ってすぐに布がたたんで置いてあり、その奥で何人かが円になって作業をしている。あ、いた。黄色い紙っぽいもので花をせっせと作ってる。可愛いな。作り物の花だけれど、花に囲まれている姿は明るい屋外の花畑の中にいるようにきらきらと輝いていた。一生懸命な顔が可愛い。それを見られただけでもクラスを抜けてきた甲斐があるというものだ。うん、少し気持ちが楽になった気がする。
 ぱっと新園が顔を上げた。目が合う。いつも通り心臓がばくんと跳ねた。治まらない胸の高鳴りを抑えようとシャツの胸元あたりを握り締めるが、ちっとも効果がないようだ。
 そんなことをしていると、ぴょんと立ち上がった新園が軽い足取りでこっちにやってくる。えっ。
「なんか用?」
 相変わらず素っ気ない口調だが、今の足取りはなんだ。足下に置かれた花を踏まないように軽く跳んだ姿は、まるで物語に登場する妖精のよう。
「や、その。目が合ったのが嬉しかっただけで、用とかじゃないんだが」
「相変わらず変な奴。どっか行くつもりだった?」
「ああ、喉が渇いたから自販機まで。そうだ、一緒に行かないか」
「いいけど」
 嬉しい答えがやってきた。新園は本当に忙しくて手が離せない場合でなければ誘いに乗ってくれる。優しいな。……あ、今は花を作っている、まさに忙しい最中じゃないか。誘ってしまって迷惑じゃなかっただろうか。
 けれど新園は首だけクラスメイトに向けてひらりと手を振った。
「ちょっと休憩してくる」
「はいよー」
 そうか、新園もずっと作業していて疲れたんだな。それで一緒に休憩してくれるんだろう。どのクラスも大変そうだ。
 自販機は学食の近くにある。俺たちと同じように休憩に訪れた生徒が何人もいて、そばにあるベンチは全部埋まっていた。学食も文化祭準備のために閉まってるから仕方ない。飲み物を買って階段を半分下り、踊り場の壁に体を預ける。ここは職員室の近くだから、生徒はあまり来ないだろう。
 新園は俺と肩が触れるくらい近くに寄りかかり、パックのりんごジュースを勢いよくごくごくと飲んでふうっと息を吐いた。俺が普段から距離が近いから、それに合わせてくれたんだろうか。可愛い。
「大変そうだな。あの花は何に使うんだ?」
「今作ってるやつ? 教室の中の飾りにも使うんだけど、メインは廊下の装飾。ロッカーに紙貼って、その上に花で店の名前を作るんだって。背景の花と名前の花で色違いにするってんで、今やってんのは背景のほう」
「たしかにそれは量が必要だな」
 すごいな、わざわざ名前まで付けるのか。ああ、たしかに言われてみれば去年の文化祭でも様々な名前の出店があったような気がする。喫茶店を出し物にできるのは学年で2クラスまでだが、クラブ活動のほうでは無制限だからな。それだけ数があったら内容だけでなく名前で差別化を図るのも当然のことか。
 新園がぷらぷらと手首を振る。だいぶ疲れているようだ。どうすれば癒やしてあげられるだろうと考えを巡らせていると、新園は大きく息を吐いた。
「ったく、計画んときに盛り上がりすぎると後がやべえってのわかりそうなもんなのにな。でもま、量はえげつねえけど質が求められてない分ちょっと気楽ではあんだけど」
「ふうん?」
「ああ、美術部の奴が入り口に置く看板作ってんだよ。気合い入ったやつ。それをぐるっと飾る花はどうしてもクオリティ高いバラがいいってんで、本物みたいなバラを作るんだってさ。そっちの班にされたらたまったもんじゃねえし。ってかそんなんどっかで買ってきたほうが早いのに、どうしてもやりたいんだとさ」
 どうしたんだろう。今日はずいぶん饒舌だ。可愛いな。
 すいっと視線が俺のほうを向く。まっすぐな眼差しが俺の目を覗き込んでくる。ぐ……っ。この角度は知らなかったから刺激が強い。近くで並んで立つとよくわかる。新園とは少し身長に差があるから、真横に立って目を合わせると見下ろす感じになるんだな。つまりそれって新園は上目遣いってことで、しかもそれがすぐ近くにあって、うわ。
「どっちにしても花制作班は事前準備が大変だってことで、当日の接客時間は短くて済むんだよ。んで、三春の出番はどうなってんの」
 えっ。
 なっ。
 なまっ、
 名前っ、今、新園の口から俺の名前が……っ!?
「三春?」
「あ……っ、ああ、一応あるけど、演技がひたすらへたくそなんで、最低限の出番がちょっとあるくらいで……」
「ふーん。おまえ演技できなそうだもんな。全部顔に出るから」
 すごいことだ。今まで、おまえ、としか言われなかったのに。それで不便はしてなかったもののいつかは呼んでくれたらいいなと思っていた。が、まさか今呼んでくれるとは。どんな心境の変化があったんだろう、いや、もしかしたらただ単にタイミングの問題だったのかもしれない。どっちでもいい、好きな人の口から自分の名前を聞くのがこんなに嬉しいことだなんて思ってもみなかった。
「てことは、あれか? 文化祭の間はわりと暇な感じ?」
「そ、そうだな」
「愉快な眼鏡と一緒に回るのか」
「いや金崎はクラスの出番がないときはほとんど部活のほうに行くって言ってた」
「へえ」
 あれ、と思う。初めて俺になにかを聞いてくれた。そして、それは、まるで……。
「じゃあ……新園、よかったら俺と一緒に回らないか」
「ん。オレも暇だから、そうする」
 やっぱり、俺からの誘いを待っていた……?
 自分から言い出すのが恥ずかしかったんだろうか。そんな照れ屋なところも、
「好きだ……」
「え」
 ?
 新園がきょとんとした顔で俺を見上げてくる。……? え……俺、声に出て……?
「今なんつった」
「い、いや」
「なんだよ。はっきり言えよ」
 これは完全にやらかした。まさか勝手に口から零れてしまうとは。
 どうしよう。どうする。まだ早いと頭ではわかってたはずなのに。新園を困らせてしまう。どうする。
 けれど新園はちっとも引かない。むしろ空いていた手で俺の袖を掴む。
「言えって」
 困っている、というより怒ってるんだろうか。駄目だ、誤魔化せない。
「……新園が好き」
「それは恋愛的な意味で?」
「れっ、恋愛的な意味で」
「ふーん」
 俺は視線を落とす。頭がぐわんぐわんと回っている。
 否定されるのが怖いなんて、自分勝手な告白をしておいて俺はなんて卑怯なことを考えているんだろう。
 新園はそれきり黙ってしまって、余計に焦る。
 何か、何か言わなければ。
「その……、いきなりこんなこと言って困らせてごめん、でも、新園が好きだって気持ちは本当なんだ。だから、すぐに答えをくれなくてもいい、そうだ、文化祭のあと、俺の気持ちに応えてくれるならバラの花を、駄目だったら他の花をくれないか。よかったら考えてみてほしい」
 自分でも何を言ってるかわからない。
 もうどうしようもなくなって、俺は飛び出すように階段を駆け上がった。
 新園は黙ったままだった、と思う。


 その夜、俺は布団に潜ってひとりで頭を抱えていた。
 困らせたことを反省したくせに、さらに困らせることを言ってしまった。
 いくら新園が花を作っているところを見たからと言って、答えに花を用意しろだなんて、どうにも強引な話だ。
 おそらく金崎と女子たちが話していた話題とごっちゃになってしまったんだろう。いや、誰のせいでもない。俺が焦ってしまった、それだけだ。
 今頃、新園は何を思っているだろう。俺の言葉を負担に思っているはずだ。申し訳ないことをしたと思う。でも、だけど、心から溢れてしまった。止められなかった。だって好きなんだ。
 明日どういう顔をして新園に会えばいいんだろう。


 とうとう文化祭の当日だ。
 結局、昨日は怖くてD組に行くことができなかった。芝居で使う小道具が足りなくて慌てて作っていて忙しかったせいもある。けど一番大きな理由は、
「ビビってんね~」
 それだ。金崎の言葉はとても軽いが、きっかりと的を射ている。
「いざとなると怖じ気づいちゃうの、情けな~」
「言い返す言葉もない」
 金崎には昨日、教室から一歩も出ずちまちま作業をしていたのを不審がられた挙げ句、経緯をすべて話すことになった。そのおかげで延々呆れた態度をとられている。
 しかしそれに飽きたのか、金崎は俺の肩をばしっと叩いた。
「まあ、結果は文化祭終わってからなんだろ。とりあえず今は自分のできることをしてくださーい。ほら、このコントが終わったら俺ら出番だぞ」
「……あぁ」
 部活のほうにメインで出たいという金崎の出番は、俺同様にわずかなシーンしかない。この賑やかなキャラクターはコント向きだからもったいないとクラスの連中は口を揃えたが、俺もそう思う。
 が、今はそれどころではない。新園に図らずも告白してしまった件と、人前でセリフをしゃべる件とで頭の許容量がいっぱいいっぱいだ。最初の出番は午前中だから、見に来ているのが生徒だけで空席が目立つのがまだ救いだ。一般公開が始まって席が埋まってしまい、全員の目がこちらに向いたら……と思うと眩暈しかしない。
 俺は合図とともに舞台に見立てた教壇に上り、つっかえながらもなんとか2つのセリフを言い終えた。その横で身振り手振りを交えて流暢に話し続ける金崎には尊敬の念しか浮かばない。
 はあ。ようやく1回目の出番が終わったが……1回でこんなに疲弊するのならば、何回も繰り返したら2日間でどのくらい神経が磨り減るんだろう。生き残れるかどうか五分五分くらいの確率ではないだろうか。廊下の壁際にしゃがみ込むと、金崎がけらけら笑う。
「緊張しすぎじゃね? もっと気楽に行こうぜ兄弟」
「既になにもかもが終わった気分なんだ……」
「そりゃ大げさ……。! いやいや、こりゃ始まったばっかりだろ。それじゃ俺は部活のほう行くんで、頑張ってな~」
「ああ……」
 とりあえず見送るか、と顔を上げると、金崎とすれ違ってこっちに来るのは。
 え。
 でも。
 まさか。
「なにしてんのそんなとこで」
「新園」
 奇妙なものを見る目で近付いてきた新園が俺を見下ろす。
「……ドレスじゃない」
「あんな動きづらいの誰が着るかばーか。てかオレ今日裏方だし」
 呆れたように肩をすくめて。
 俺は性懲りもなく、そんな仕草も可愛いなあと思っていた。
「どうしてここに」
 そう聞くと、新園は俺の腕を引っ張る。それに任せて立ち上がると、じいっと俺の目を覗き込んでくる。
「行くぞ」
「えっ、どこに」
「約束しただろ、文化祭一緒に回るって」
 えっ。
 様にならない告白をされたことなど気にしていないのか、新園はまったく普段通りの態度だ。ありがたいけど。
「午後になって一般客が入ると混むからな、まずは中庭で部活連中のやってる屋台を巡って昼飯にする」
「あっ、はい」
 どうしたことだ、これは。俺は夢でも見ているのか?
 新園は俺の先に立って、ずんずんと校舎を進む。
 受付でパンフレットをもらい、焼きそばとフランクフルトとたこ焼きとお好み焼きを食べながらパンフレットを2人で覗き込んでどこに行こうか決め、体育館の巨大迷路をぐるぐる巡り、ミニゲーム屋台でピンボールに挑戦し、お化け屋敷を冷やかして、小ホールで軽音部の演奏を流し見し、具が少ないクレープを食べて……。
 やっぱり夢だろう、俺にとって都合のいい展開過ぎる。
 でもその割には、淡々とした表情でイベントをこなしている新園の初めて聞く小さな鼻歌がやけにリアルに胸に響いてくる。態度には出ないけど、ちゃんと楽しんでる姿が可愛い。とても可愛い。
 ふいに新園が、
「今何時?」
 言うや否や俺の腕を掴み、袖をまくって腕時計を覗き込んでくる。なんだそれ、“可愛い”が限界を突破しているじゃないか。
「やべ、そろそろ交代の時間だわ」
「もうそんな時間か」
「なんかあっという間だったな。今日はこっからラストまで調理当番なんだよ。三春もそろそろ出番だよな」
「う、うん」
「まあ頑張ってこいや。片付けまで終わったら荷物持って裏庭のバラ園で待ち合わせで。んじゃ」
「……っへぇ?」
 ちょ、……?
 なん……なんて……?


 午後の出番も散々だった。だって、新園の言葉が頭を離れなかったんだ。クラスメイトによると一応はセリフをしゃべっていて問題なく芝居は終わったらしいが、まったく記憶がない。
 文化祭が終わったら、と伝えた。文化祭は2日間ある。だから少なくとも今日の話ではないだろうと思っていた。完全に不意をつかれた。
 しかもバラ園で待ち合わせだと言う。これは俺が「OKならバラを」と言ったことへの答えか?
 いや目立たないように人がいない場所で断るためかもしれない。
 それか純粋に帰るために待ち合わせただけかもしれない。
 どれだ。どれなんだ。
 クラスでの本日の締めを終え、俺は覚悟を決めて裏庭に向かう。鼓動はその速度の2倍は早くなっていたと思う。
 日の傾いてきた裏庭ではまだ園芸部がテーブルの片付けなどを行っていた。雨は降らない予報だが、外にあるものは念のため片付けておくのだろう。そういえば金崎もクラスの片付けには来ていなかったな。他にも部活優先でクラスにいなかった者はそこそこいた。
 たしかバラ園はここからさらに奥に行ったところだ。大昔は茶道部の部室があったらしいが、今はテニスコートの近くに移築されている。その後はしばらく空き地になると聞いた当時の部長が、空いている間だけでもと交渉してバラ園にしたそうだ。それがかなり立派になってしまったので学校から正式にバラ園と認められた。と、金崎は話していた。
 ……ああ、たしかにこれはすごい。かなり広めの敷地には見渡す限り様々な色のバラが咲いていた。赤にピンクに黄色に白、色鮮やかな花が整然と並んでいる。入り口は金属製のアーチになっていて、それにも絡みついたバラが咲く。想像してたよりずっと見事だな。ここに新園がいると思うとあまりの美しさに気絶しそうだ。
 その新園はどこにいるんだろう。中に入ったが誰もいない。まだ来ていないのかな。
 ふと中央に半円形の屋根があるのに気が付いた。そこにもバラが咲いているから、おそらく入り口のアーチと同じつくりなのだろう。回り込むと中に入れるように大きく口を開いていて、覗き込むと緑色のベンチが、
 あ。
 いた。
 花咲くドームの中に座る新園は、本当に、本当に花の精みたいで。
 感極まって泣きそうになったところで、新園が俺に気付く。
「芝居、どうだった?」
 俺を見上げて、なんてことのない口調で聞いてくる。
「あ、え、うん。なにやら頭がごちゃごちゃで何しゃべってるか自分でもわかんなかった。たぶん周りが精一杯フォローしてくれたんだと思う」
「三春って緊張しぃだよな。まあとりあえず1日目、お疲れさん」
「ありがとう。新園もお疲れ様」
 ひとつ頷いて、新園が視線を落として黙り込む。しん、と静まり返る。心臓のばくばくがうるさくて俺が他の音を聞き取れなかっただけかもしれない。
 風が吹いてたのだけはわかる。新園の柔らかな髪が揺れていたから。
 しばらくして、ふわっと新園が顔を上げた。
「三春」
「……はい」
 真っ白だ。
 頭の中が空っぽになってしまったような。
「例の……おまえの気持ちの話だけど。2日経って、ちょっと冷静になった今でも変わんねえ感じ?」
「ん、うん」
「そっか。こういうの、あんま長引かせんのよくねえよなと思って」
 ゆっくりと新園が立ち上がる。
 顔が近くなる。
 綺麗な顔はいつも通りの涼しげな表情で、考えは読み取れない。
 すると新園は背中に隠していた何かをすっと俺に向けて差し出した。
「これ」
 ぎくりとする。
 一輪の赤い花。
 とても鮮やかで綺麗だけれど、一重に咲くその花は、周りにあるバラとは違う。
 バラじゃない。
 じゃあつまりこれは断りの……。
 そう思ったけれど、心の中で「ちょっと待て」と声が響く。
 これは造花ではない、フィルムで包まれ、赤いリボンが結ばれた生の花だ。断るためにわざわざ生花を持ってくるだろうか。だって新園のクラスには紙製の花がたくさんあるじゃないか。
 新園の目を見ると、きまり悪そうにぱっと逸らされる。きゅっと唇をつぐんで、説明してくれそうな気配はない。
 これはどう判断すれば……。
 そのときぱっと頭が冴えた。ここは園芸部の管轄だ。クラスに顔を見せなかったあいつ、俺はあいつにここに呼び出されたことをさっき教えてしまっている。
「いるんだろ、暇人園芸部っ」
 辺りを見渡しながら声を上げる。すると、背後のバラの陰からひょいと金崎が顔を見せた。やっぱり。
「ありゃー、バレてたか」
「おせっかいなおまえの姿が見えないのはおかしいと思ってたんだ。この花について教えてください」
 にやにや笑い、金崎は俺たちのそばにやってくる。
「一重咲きだから一見わかんないかもしんねえけど、これはちゃんとしたバラだよ。そういう品種。いやー、お互い照れ屋だと解説まで必要なんだな。興味本……優しい俺がいてよかったなー。ま、最後まで見学したかったけど、ここはおとなしく退散しましょ。それじゃ、あとは若い2人でごゆっくり~」
 ぽんぽん、と俺と新園の肩を順に叩くと、金崎はさっさとバラ園から去っていく。途中気になるフレーズはあったが、面倒見のいい友人を持って本当にありがたいと思う。
 同じように金崎の背を見送る新園に、改めて向き直る。新園も俺を見上げた。
「……えーと。そういうことでいいんだろうか」
「……ん」
 小さく。
 頷いて。
 ああ、夢みたいだ。
「おまえにあんなふうに言われて、ちゃんと考えたんだよ。答えるにしても、あからさまにバラだとなんか恥ずかしくてさ。金崎に相談に乗ってもらったんだ」
「なるほど、そういうことだったのか」
 そこに金崎が隠れて様子を窺っていたのは、俺の発言のせいだけではなく、新園の相談の結果でもあったわけだ。
 新園は、それからふーっと大きく息を吐いて、もう一度、今度は大きく頷いた。
「三春。ちゃんと言葉でも答えたいからさ、もっかい言って」
「わかった」
 息を大きく吸って。吐いて。
「新園。好きです。俺と付き合ってください」
 すると新園は改めてバラをすっと差し出した。俺はそれを、しっかりと受け取る。
「はい。こちらこそよろしくおねがいします」
 答えた新園は、ふいにくすぐったそうに、……笑った。
 え、
「可愛い!」
 さらにふふっと笑う。
「でけえ声。おまえそんな声出せんのかよ」
 可愛い。あまりにも可愛い。
 天使か?
「ご、ごめん、新園がびっくりするくらい可愛かったから……」
「たいがいフィルターかかってんな」
「最初から可愛かったよ」
「ふっ、どうだか。まあでもそうなのかもな。三春、初めて話した瞬間からオレのこと好き好きーって目で見てたもんな。おかげで絆されちゃったわ」
 俺……そんなに態度に出てたのか。自分では全然わからなかった。でも、そうか、しょうがないんだな。だって一目惚れだったんだから。
「あの……新園、抱き締めてもいいか?」
「好きにしなよ」
「では遠慮なく」
 おずおずと手を差し出し、背中に回して、そっと抱き締める。ああ。爽やかな香り。それにバラの香りが漂ってきて、花束を抱えた気分だ。
 そして、手のひらで感じる同じ速度の鼓動。
「……もしかして、新園も俺のこと好き?」
「だから言ったろ、絆されたって。好きじゃなきゃ告白に応えるわけねえだろ。ちなみにそのバラ、花屋行って自分で買ったやつだからな。貰い物で答えるわけにはいかねえから」
「そういうとこも好き。すごく好き。大好き」
「いきなり素直になりやがって」
 新園はぱっと顔を上げて俺を見上げる。あっ、好きな角度。
「なあ、文化祭の芝居、明日も出番あるんだろ」
「うん、ある」
「オレの接客の時間とかち合わなかったら見に行ってやるよ」
「え……新園に見られてたらもっと緊張してぐちゃぐちゃになってしまうかもしれない」
「そこはかっこいいとこ見せろよ」
 とん、と俺の胸を拳で叩いて、新園は笑う。
「んで、明日は恋人として文化祭楽しもうぜ」
「かっわいぃ!」
「うるせえ」
 至近距離で見る笑顔は、こんな美しいバラ園の中でも一番に綺麗で可愛かった。
 こんな可愛い人が、この瞬間からは俺の恋人なんだ。
 なんて甘い響きだろう。
 俺がじっと見つめていると、照れてしまったのか唇を尖らせてふいっとそっぽを向く。
「視線もうるせえ」
 それさえも可愛くて可愛くて。
 このバラ園にまつわる「告白の聖地」の噂は、明日からさらに真実味を持って語られるに違いない。

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