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投稿日:2018年11月19日 20:08    文字数:2,281

「幸福なおとなたち」サンプル

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11月24日 或る図書館にて8発行『幸福なおとなたち』サンプル
もりしき+門下生たちの話と思ったんですが、門下生の合間にちらちらもりしきが顔出してるような話になりました。
しき先生の出番が少ない。ちょっといちゃついてる描写はあります。
もうちょっと…門下生とわちゃわちゃするもりしきを…掘り下げたかった…(遺言)

『幸福なおとなたち』本文28P/A5/全年齢/400円
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「僕についてくるといい。そうすれば、君は君の先生に会うことができるよ」
紫色の髪の年若い男の言葉に惹かれるまま、差し出された手を取ると、不意に浮遊感が体を包んだ。足場を失って慌ててよろめいたのも束の間、次の瞬間には茶色い地面を踏みしめていた。思わず顔を上げてあたりを見回せば、そこは本で満たされた部屋である。なぜ自分がここにいるのか、それは先に案内を買って出た男から聞かされていたが、俄には理解しかねた。しかし目の前に広がる光景は確かに現実なのだということは分かる。古びた書物のほこりっぽい匂い、肌を通して感じる生暖かな空気、窓から差し込む陽光のまばゆさを持ち、彩りに満ちた世界は、少し前までいた無機質な白い世界とは何もかもが異なっている。
自分の正面に立っている二人組に目を向けて、そこで思わず目を見開いた。目の前の一人、黒のスパイクシューズに白いパンツを穿き、紺色の上着を着た精悍な顔つきの、亜麻色の髪を持つ青年に釘付けになる。親しみの籠もった目、満面の笑みでこちらを見つめている。自分の目の前にその人が立っているというだけで、胸は熱く高ぶり、目の下から暖かいものがこみ上げてくるまま、名前を呼ぶべく口を開いた。
「…ノボ、さん?」
「おう。久しぶりだな、サッチー」
目の前に立っているその人は自分の師、正岡子規に違いなかった。確かめるようにたどたどしく喉を震わして出た音は震えていたが、それでも子規は気にする様子もなく、朗らかに笑って頷いてくれた。
もうずいぶんと聞いていなかった、懐かしい子規の声に名前を呼ばれて、どうして心動かされないことがあるだろう。お会いできて嬉しいです、とか、お加減はいかがですか、とか、言いたいことはたくさんあるはずなのに、顔を見たら何を言ったらいいのか、すっかり分からなくなってしまった。がっしりとしていて、肉付きもいい体、健康的な顔つきを見ているにつれてじわじわと涙腺からこみ上がってきていたものが、とうとうぽろりと粒になってこぼれ落ちた。
子規が驚いて目を丸くする。それから慌てた様子で駆け寄ってきて、なだめるように肩に自分の手を置いた。
「…おひさしぶりです、ノボさん」
嗚咽を漏らしそうになってゆがむ唇を無理に持ち上げながら、絞り出すようにして左千夫は言った。


正岡子規の門弟である、伊藤左千夫が帝国図書館に転生したのは、まだうだるような夏の暑さが続く、九月のはじめのことだった。
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 よく聴き親しんでいる声が、人を呼んでいる。
 それに続いてこの頃聞くようになった声が二つ、返事をしたのが聞こえてきた。
 窓の外に視線を転じれば、松葉色の頭と藍色と白磁色混じりの頭の二人が、亜麻色の頭の男に駆け寄っていくのが見えた。べーすぼーるの練習に連れて行くのだろうか。遠目から見ても分かる、にこやかな笑顔で頷くと、二人を引き連れて図書館の外へと歩いて行く男の背中を、森は見ていた。
「森先生は、ノボさんとちゃんと会えてますか?」
 声をかけられて振り返ると、補修室の寝台と寝台とを分けるカーテンが開いて、有碍書で侵蝕された身体の補修を終えた左千夫が姿を現した。靴を履き終え、腰掛けていた寝台からとんと立ち上がると、森のいる窓際までやってくる。桃色の頭の上、片側にある短い尻尾がぴょこぴょこと揺れた。
「ああ。今日は朝食の時に挨拶をしたな」
 ここ数日確かにめっきりと減っている恋人との逢瀬を気にかけてくれているらしい。年下のかれに心配されるような態度を見せていたのだろうかと思って、森は苦笑した。
「そういうことじゃないんですけど…」
 唇をとがらせ、頬をぷくりと膨れさせる。子供のような仕草は無意識にしているのか、装っているのか判別がつかない。はぐらかすような返答に満足していないことだけは確かだったが。
「今の二人には正岡殿が必要だ。ここでの生活に慣れるためにもな。君が来た時と同じように」
「…」
「もう少し、様子を見たらまた会いに行くさ」
 無意識に腹のあたりで手を組んでいる。左手を包む右手で左手の手袋の下、薬指の付け根に収まっている指輪の感触を確かめながら森は、日が照っていてもすこし寒そうに見える、水色の空を眺めて返した。
この頃一緒に過ごす時間がとれていないことに、少しの寂しさも感じていないというわけではなかった。しかしかれの弟子二人が師に向ける嬉しそうな、生き生きとした表情、弟子達に朗らかな笑顔を向けるかれを見ると、かれらの時間を故意に奪いたくないという気持ちが強くなる
「…俺は、漱石殿や君たちが正岡殿と過ごす時間を、恋人だからといって奪いたいとは思わない。それに、正岡殿と楽しそうにしている君たちを見るのも、俺は存外気に入っているんだ」
 脳裏に門下や友人に囲まれる子規の光景を思い浮かべて、森は左千夫に微笑んだ。じっとこちらを見上げる左千夫の眉が下がる。何か言いたいけれど、適切な返しが見つからない――、そんな曖昧な笑みだった。


「そこで何をしている」
真夜中でも灯りがついている食堂の入り口で、わずかに扉を開けて出来た隙間から、中の様子を伺う者がいる。図書館の地下にある館長室へと向かおうとしていた森は、その不審な光景に足を止めた。この図書館内で見たことのない人物に、もしやと思いながら間近まで近づいて、背中に呼びかけるとびくりと肩が揺れる。子規よりも年若い姿の青年は、慌てた様子で振り向くなり、こちらが誰であるのかも気にせず唇の前で人差し指を立てて見せた。
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「幸福なおとなたち」サンプル
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「僕についてくるといい。そうすれば、君は君の先生に会うことができるよ」
紫色の髪の年若い男の言葉に惹かれるまま、差し出された手を取ると、不意に浮遊感が体を包んだ。足場を失って慌ててよろめいたのも束の間、次の瞬間には茶色い地面を踏みしめていた。思わず顔を上げてあたりを見回せば、そこは本で満たされた部屋である。なぜ自分がここにいるのか、それは先に案内を買って出た男から聞かされていたが、俄には理解しかねた。しかし目の前に広がる光景は確かに現実なのだということは分かる。古びた書物のほこりっぽい匂い、肌を通して感じる生暖かな空気、窓から差し込む陽光のまばゆさを持ち、彩りに満ちた世界は、少し前までいた無機質な白い世界とは何もかもが異なっている。
自分の正面に立っている二人組に目を向けて、そこで思わず目を見開いた。目の前の一人、黒のスパイクシューズに白いパンツを穿き、紺色の上着を着た精悍な顔つきの、亜麻色の髪を持つ青年に釘付けになる。親しみの籠もった目、満面の笑みでこちらを見つめている。自分の目の前にその人が立っているというだけで、胸は熱く高ぶり、目の下から暖かいものがこみ上げてくるまま、名前を呼ぶべく口を開いた。
「…ノボ、さん?」
「おう。久しぶりだな、サッチー」
目の前に立っているその人は自分の師、正岡子規に違いなかった。確かめるようにたどたどしく喉を震わして出た音は震えていたが、それでも子規は気にする様子もなく、朗らかに笑って頷いてくれた。
もうずいぶんと聞いていなかった、懐かしい子規の声に名前を呼ばれて、どうして心動かされないことがあるだろう。お会いできて嬉しいです、とか、お加減はいかがですか、とか、言いたいことはたくさんあるはずなのに、顔を見たら何を言ったらいいのか、すっかり分からなくなってしまった。がっしりとしていて、肉付きもいい体、健康的な顔つきを見ているにつれてじわじわと涙腺からこみ上がってきていたものが、とうとうぽろりと粒になってこぼれ落ちた。
子規が驚いて目を丸くする。それから慌てた様子で駆け寄ってきて、なだめるように肩に自分の手を置いた。
「…おひさしぶりです、ノボさん」
嗚咽を漏らしそうになってゆがむ唇を無理に持ち上げながら、絞り出すようにして左千夫は言った。


正岡子規の門弟である、伊藤左千夫が帝国図書館に転生したのは、まだうだるような夏の暑さが続く、九月のはじめのことだった。
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 よく聴き親しんでいる声が、人を呼んでいる。
 それに続いてこの頃聞くようになった声が二つ、返事をしたのが聞こえてきた。
 窓の外に視線を転じれば、松葉色の頭と藍色と白磁色混じりの頭の二人が、亜麻色の頭の男に駆け寄っていくのが見えた。べーすぼーるの練習に連れて行くのだろうか。遠目から見ても分かる、にこやかな笑顔で頷くと、二人を引き連れて図書館の外へと歩いて行く男の背中を、森は見ていた。
「森先生は、ノボさんとちゃんと会えてますか?」
 声をかけられて振り返ると、補修室の寝台と寝台とを分けるカーテンが開いて、有碍書で侵蝕された身体の補修を終えた左千夫が姿を現した。靴を履き終え、腰掛けていた寝台からとんと立ち上がると、森のいる窓際までやってくる。桃色の頭の上、片側にある短い尻尾がぴょこぴょこと揺れた。
「ああ。今日は朝食の時に挨拶をしたな」
 ここ数日確かにめっきりと減っている恋人との逢瀬を気にかけてくれているらしい。年下のかれに心配されるような態度を見せていたのだろうかと思って、森は苦笑した。
「そういうことじゃないんですけど…」
 唇をとがらせ、頬をぷくりと膨れさせる。子供のような仕草は無意識にしているのか、装っているのか判別がつかない。はぐらかすような返答に満足していないことだけは確かだったが。
「今の二人には正岡殿が必要だ。ここでの生活に慣れるためにもな。君が来た時と同じように」
「…」
「もう少し、様子を見たらまた会いに行くさ」
 無意識に腹のあたりで手を組んでいる。左手を包む右手で左手の手袋の下、薬指の付け根に収まっている指輪の感触を確かめながら森は、日が照っていてもすこし寒そうに見える、水色の空を眺めて返した。
この頃一緒に過ごす時間がとれていないことに、少しの寂しさも感じていないというわけではなかった。しかしかれの弟子二人が師に向ける嬉しそうな、生き生きとした表情、弟子達に朗らかな笑顔を向けるかれを見ると、かれらの時間を故意に奪いたくないという気持ちが強くなる
「…俺は、漱石殿や君たちが正岡殿と過ごす時間を、恋人だからといって奪いたいとは思わない。それに、正岡殿と楽しそうにしている君たちを見るのも、俺は存外気に入っているんだ」
 脳裏に門下や友人に囲まれる子規の光景を思い浮かべて、森は左千夫に微笑んだ。じっとこちらを見上げる左千夫の眉が下がる。何か言いたいけれど、適切な返しが見つからない――、そんな曖昧な笑みだった。


「そこで何をしている」
真夜中でも灯りがついている食堂の入り口で、わずかに扉を開けて出来た隙間から、中の様子を伺う者がいる。図書館の地下にある館長室へと向かおうとしていた森は、その不審な光景に足を止めた。この図書館内で見たことのない人物に、もしやと思いながら間近まで近づいて、背中に呼びかけるとびくりと肩が揺れる。子規よりも年若い姿の青年は、慌てた様子で振り向くなり、こちらが誰であるのかも気にせず唇の前で人差し指を立てて見せた。
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