[Ⅵ番街]華焔 碧(かえん あおみどり)

※当サイトの作品は全て個人の創作したフィクションです。

※オリジナルの創作で、キャラ固定、設定非固定で好きに描いてます。

※実在の人物・団体・宗教・政治・思想・事件・歴史とは一切関係がありません。

※予告無く流血・暴力・残酷描写が含まれている場合があります。

※作品の説明とタグはネタばれやオチが判ってしまうのを防ぎたいので、必要最低限に留めています。

投稿日:2016年04月22日 04:14    文字数:5,993

迷うと言う事は……。

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 ―登場人物と設定―
【枯月 景】職業:芸人。

枯月と、彼の先輩にあたる人物の御話。

『最後を決めるのは、貴方に譲りましょう』
1 / 1

本日最後の仕事、舞台のネタ見せを終えれば、相方は後輩を引き連れてあっという間に楽屋を出て行ってしまった。

世間一般の会社員の皆様は、ご帰宅も夕飯もすでに済ませたであろう時間。

そんな世間と、オレ達の時間は一切無関係の不規則な職業。

まだ帰るのは惜しいと、今から出番があると言う、やはり後輩の芸人と楽屋で他愛無い会話を交える。

十数年も芸歴を積み重ねれば後輩の数も増える。

片手で数えるほどしか会話した事がない後輩もいれば、名前すら知らない奴だっている。

顔は知っているが、肝心の名前が判らないなんていう事もある。

こうして時間を潰してはいたが、すっかり飽きてしまい身支度を整えて劇場から出た。

空は黒く染まり、輝く月に雲の一部が覆い被さり、おもむきを一層と惹き立てている。

しかしここは都会。それ以上に強い明かり達が月明かりを打ち消してしまい、まるで天と地が逆さまといったところか。


歩道を歩いていると、1人の園児らしき女の子がうずくまっている。

こんな時間に親とはぐれてしまったのか?難儀なものだ。

すれ違う人々は非情なもので、まるで女の子がそこに存在しないかのように誰もが通り過ぎてしまう。

もちろん、例外なくオレもその一人だ。


「お兄ちゃん…」

「え?」

辺りを見回すとオレ以外にもお兄さんと呼ばれるような人はいるが、なぜか直感で自分だと思い反応してしまった。

この瞬間、オレは通り過ぎる人々から外されてしまった。

「あ……もしかしてオレの事? お父さんとかお母さんはどうしたのかな?」


女の子と目線を合わせるために屈んで膝に手をつくと、その子は興味を示した顔でオレの顔を覗き込んできた。

うずくまったままオレを見上げた女の子の表情は年相応のあどけなさを持ち、つい微笑ましく思いオレの顔が綻んでしまう。


「お菓子ちょうだい」


街の光を反射させた眼は輝き、オレに一つの期待の色を示している。

しかしあいにく、オレの今の持ち合わせは、カバンの中にネタ帳と衣装と財布、ポケットには携帯電話と煙草とライターが入っているだけ。

オレはこの子の些細な願いを叶えてあげる事は出来ない。


「ゴメンな。今は君にあげられるお菓子は持ってないんだ。お父さんとお母さんはどこ行ったの?」

「持ってないの?」

「うん、ゴメンな」

「ふ~ん……。お兄ちゃんバイバーイ」

「へ? どこ行くの?」


女の子は手を振り人、風に飛ばされ浮遊する木の葉のように、人だかりに消えるように行ってしまった。

幻を見たような感覚に包まれしばらく起っていたが、いつまでもここにいても通行人の邪魔になってしまうので、気を取り直して駅へ歩を進めた。




駅構内は街とは比べようの無い程の人が集まり、改札を抜けては目的の線路を目指して右往左往と忙しなく歩いている。

喧騒とした足音と話声が絶える事無く響く迷路のような構内は、人それぞれの人生を詰め込むには充分過ぎる光景かもしれない。

券売機で切符を買い、改札を通り抜けホームへ向かう階段を上る。

その間に階段を走り下りて行く人、待ち切れずにエスカレーターの右側を歩いて行く人が何人もいる。

あと数段で上り切る手前まで行くと、歩道で出会った女の子が頂上で通せんぼをする様に立っていた。


「あれ? お父さんとお母さんには会えたの?」

「……お兄ちゃんはお菓子をくれなかったから」

「え? ぅおあ!」

女の子が小さな手の平を前に突き出すと軽く腹を押された。

子供特有の小さな力で押されたにもかかわらず、オレの身体は引かれるように後ろに倒れ、身体に流れ込む衝撃ととも階段を転がり落ちて行く。

廻り続ける視界は過ぎて行き、最後に大きな打撃音が脳内に鳴り響いた。

薄れて行く意識に、叫び声と怒声が聞こえる。

うつ伏せに倒れた身体は恐ろしい痛みが駆け抜け、流れ出る赤い液体が霞む視界に映る。

口内からも血があふれたのだろうか、不味い匂いと鉄の味で呼吸が狭くなる。

早く助けてくれ、死にたくない。

いや、この痛みが解放されるなら今すぐこの鼓動を止めてしまいたい。


「お疲れ様です。迎えに来ましたよ」


役に立たなくなった視界に、黒いブーツが映った。

身体は指一本動かす事が出来ないため、眼球だけを動かしてブーツのぬしを確認する。

オレを見降ろしている人物は、数十分前まで劇場の楽屋で一緒にいたよく見知った人物。

いや、帰る直前まで、オレはこいつと会話を交わしていた。

後輩芸人の一人、枯月かれつき あかり

舞台のスーツ姿とは違い、普段着のカジュアルな服装を着こなしている。


「か…れ……つき………助け…」

「それは後から決めます。まずは眠って下さい……」


枯月がオレの顔に手をかざすと、身体の中にあったと思われる何かが吸いとられ、それと同時に熱が体中から冷めるように痛みと苦しみ消えて行く。

途端に穏やかな睡魔に襲われ、それに逆らう事が出来なくなったオレはそのまま大人しく眠りについた。




……………!?


眠りから覚めると、橙色の明かりがわずかに照らされた暗い空間にいた。

見わたす限り、悲しい程の殺風景な室内にはなにも無く、真冬と同じ冷たい空気に満ちている。

仰向けに寝かされた身体は金縛りにあったかのように全く動かないが、階段から落ちた時の恐ろしい痛みは全く感じない。

もしかして助かったのか?

枯月が救急車を呼んで助けてくれたのか?


「気分はいかがですか?」


声が聞こえた方向を向くと、いつの間に着替えたのか、シャツもネクタイもブーツも黒で統一されたスーツを着た枯月がいた。

駅で悲惨な事故の当事者になったばかりのオレからすれば縁起が悪い。


「!? 枯月! ずっといたのか?」

「いいえ。貴方がここに運ばれた後に来ました。とりあえずそこから出て下さい」

「え? どこから出るんうわぁ!」


枯山に腕を引っ張られてしまい、ベッドから落ちると思い身体が強張ったが、以外にも足がしっかりと床に着地した。

反射的に後ろを振り向くと、白い布を首まで被せられた自分が、簡素な安置台に仰向けで横たわっている。

唯一露わにされた顔は青ざめ、傷と内出血により醜い状態だ。

見たくも無かった自分の姿に、脳内でさまざまな想定が浮かぶが、この状況に適した答えが出ず、言葉を失ってしまう。


「オレ……まさか死んだのか?」

「まだ完全に死んでいません。僕が貴方を仮死状態に留めています」

「じゃあここは……どこだ?」

「ここは遺体安置所です。人間は死後24時間経たないと検死も弔いも出来ません。今はその時間を利用して貴方と話しているんです」


非現実的な状況と話があっという間に頭に詰め込まれ理解できない。

そしてなぜ枯月はここにいて、おそらく幽体離脱しているオレと会話ができるのか。

こいつは本当にオレが知っている枯月なのか…?


「お前…どうゆう事だ? こんなオレと話が出来るのも変だ」

「僕は人間として転生して、この国の死者の管理を任された死神です。今は死神の姿に戻って貴方を導きに来ました」

「死神? 日本は仏教の国だろ。死神は違う宗教のやつだろ?」

「死神は死者を死後の世界に案内するのが仕事です。本当は死神は無宗教の存在なんですよ。あと……日本は宗教が入り混じった複雑な国なんですけど…」


目の前にいる枯月は、いつもと全く変わりない落ち着いた口調で喋る。

それなのに、いつもとは全く違う存在で、それがより一層と恐ろしい。

表情も彼らしい穏やかさが浮かんでいるのに、人間特有の生気が感じられない。

そしてなにより、彼が纏う空気がオレを怯ませる。


「貴方にお菓子を頂戴って言った女の子は悪魔ですね。今日はハロウィンだから、世界中に悪魔が降りて来て来ているんですよ」

「え? ……あ、あの女の子が!?」

「そうです。でも運悪く貴方はお菓子を持ってなかったから…」

「仕方ないだろ…。でも、渡さなかったらイタズラする程度じゃないのか?」

「こんな事する悪魔は仲間内からも嫌われる醜悪な悪魔ですからね。そもそも殺しちゃうのが目的ですから」


枯月の話を聞いて、あの女の子を思い出した。

あの子はどこにでもいるような日本人の顔立ちをした子で、悪魔と思えるような面影は何一つ無かった。

でもこんな状況で自分は死神だと言う枯月が言うのだから、真実として受け止めるしかなさそうだ。

いや、今の彼を相手に否定など、言える訳がない。

わずかな時間で、あり得ない量の情報を詰め込まれた頭はパンクしそうで、生身の身体では無いのに頭痛がする。

でも一つだけ分かった事は、オレは今、仮死状態とは言えあの事故で死んだ。

このあとオレはどうなるんだ?

まだこの世にあり余るほどの未練があるから、もしかしたら幽霊になって彷徨い続けるのか……?


「オレはこの後……お前と一緒に天国か地獄に行くのか?」

「そうですね、今日の貴方は運悪く、あの悪魔に殺されちゃいましたからね。……生き返りたいですか?」

「な!? そんなん生き返りたいに決まってんだろ!」

「だったら一度、冷静になって生き返った後の事を考えて下さい」


そう言われ、自分の死体を見る。

考えるまでも無く、入院して治療に専念して、見事に芸人として復活劇を果たす。

最高じゃないか。

芸人としては申し分ない、美味しい事じゃないか。

もしかしたら、これでテレビや雑誌にオファーが殺到して、仕事が増え、芸人として売れるかもしれない。

とは思っていても、こんな考えを素直に言うのはさすがにはばかれるか……。
ここは無難な答えを言ってしまおう。

「別にそんな深く考える必要無いだろ。入院して大人しく治せば良いんだから…」

「……貴方は愚かですね」

「なんだと!―――――!!!!」


枯月がパチンッと指を鳴らすと、体中に激しい痛みが襲う。

耐えられずに床に倒れ込むと、痛みにより身体が全く動かず、呼吸も苦しくなる。

口内は血の匂いと味が充満し、吐き気がこみ上げてきた。

この状態は事故直後と全く同じ、あの時と同じ苦しさだ。

眼球だけを動かして枯月を見ると、冷え切った表情でオレを見ている。

もう一度、枯月が指を鳴らすと痛みが一瞬で消えたが、痛みの余韻で力尽き動けない。


「死は峠を越えれば、一瞬で楽になります。実際に貴方は階段から落ちたあと、苦痛から逃げるために死を望みましたね?」

「あ………」


言われて思い出したが、オレはあの時、耐えられない痛みと苦しみで死を望んでしまっている。


「その望み通りに僕は迎えに来たんですよ。でも貴方は今、死ぬ事に未練がありますね?」


枯月に言われて気づいた。
今のオレには残酷でありそれ以上に身勝手な矛盾がある。


「もし生き返ったら、またあのような痛みと苦しみが貴方を待っていますよ? あとは言わなくても分かりますね?」


浅はかなオレの人生プランは儚く砕け、現実的な人生と生活が想像出来た。

生き返ればまた苦痛を味わい、長すぎる入院生活で手術と治療、そしてリハビリに苦しむ事になる。

もし退院しても、最悪、身体に多すぎるハンデが残る可能性が大いにある。

傷跡だってそうだ。

術後はオレはどんな姿になっているのか?

金だってどうする?

売れていない芸人が用意出来る金額じゃない。

そしてオレはその全てに耐える事が出来るのか?


「枯月! オレは……生き返ったあとを考えると確かに恐い! 正直、耐え切る自信が無い!」


でもオレは、そんな事に恐れ諦める訳にはいかない。


「でも、オレを生き返らせてくれ! チャンスをくれ!」

「本当に生き返りたいんですね?」

「オレはまだ芸人をやりたい! もし復帰するまでにオレが少しでも死を望んだら、その時は、もう一度、死神になって迎えに来てくれ!」


突き刺さる枯月の視線は、きっとオレに起こるこれからの全ての厳しさを訴えるに違いない。

無言のまま鋭利な眼差しでオレを見つめ、何かを考えているようだ。

死神ゆえの風格なのか、人間の枯月なら漂わせる事の無い威圧感にやはり怯えてしまう。


「その言葉は死神の僕と契約を結ぶ事になりますけど…取り消せませんよ? 貴方が不慮の事故とか、老衰で死ぬまでですよ?」

「それでも良い! 頼む!」

「……分かりました。僕は見舞いには来ませんからね。人間の僕と再開する時は貴方が復帰した時、と言う事で」

「ありがとう! オレ、絶対に堪えるから!」


込み上げてくる感謝と喜びに、情けなくも後輩相手に土下座をして礼を言う。

今のオレはこれが精一杯だ。


「契約は結ばれました。ご命運を祈ります」


黒い煙が風に溶け込むように枯月は消えてしまった。

そして、オレの意識も突然遮断された。




意識が再び戻ると、オレは清潔感が漂う真っ白い空間にいた。

静かな、程良く狭い空間。

きっとここは個室なのだろう。

当然、身体はまだ動かない。

機械の電子音を頼りに、わずかに動く首と目を動かすと、心電図がオレの心音を正確に刻んでいる。

呼吸器が酸素を送り、麻酔がまだ効いているのか、事故直後の息苦しさと痛みから襲ってこない。

幾多の管に繋がれた身体が、意識の無い間に行われた処置を物語っている。

まだ何も始まっていない。

これはまだ、束の間の休息に過ぎない。




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迷うと言う事は……。
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本日最後の仕事、舞台のネタ見せを終えれば、相方は後輩を引き連れてあっという間に楽屋を出て行ってしまった。

世間一般の会社員の皆様は、ご帰宅も夕飯もすでに済ませたであろう時間。

そんな世間と、オレ達の時間は一切無関係の不規則な職業。

まだ帰るのは惜しいと、今から出番があると言う、やはり後輩の芸人と楽屋で他愛無い会話を交える。

十数年も芸歴を積み重ねれば後輩の数も増える。

片手で数えるほどしか会話した事がない後輩もいれば、名前すら知らない奴だっている。

顔は知っているが、肝心の名前が判らないなんていう事もある。

こうして時間を潰してはいたが、すっかり飽きてしまい身支度を整えて劇場から出た。

空は黒く染まり、輝く月に雲の一部が覆い被さり、おもむきを一層と惹き立てている。

しかしここは都会。それ以上に強い明かり達が月明かりを打ち消してしまい、まるで天と地が逆さまといったところか。


歩道を歩いていると、1人の園児らしき女の子がうずくまっている。

こんな時間に親とはぐれてしまったのか?難儀なものだ。

すれ違う人々は非情なもので、まるで女の子がそこに存在しないかのように誰もが通り過ぎてしまう。

もちろん、例外なくオレもその一人だ。


「お兄ちゃん…」

「え?」

辺りを見回すとオレ以外にもお兄さんと呼ばれるような人はいるが、なぜか直感で自分だと思い反応してしまった。

この瞬間、オレは通り過ぎる人々から外されてしまった。

「あ……もしかしてオレの事? お父さんとかお母さんはどうしたのかな?」


女の子と目線を合わせるために屈んで膝に手をつくと、その子は興味を示した顔でオレの顔を覗き込んできた。

うずくまったままオレを見上げた女の子の表情は年相応のあどけなさを持ち、つい微笑ましく思いオレの顔が綻んでしまう。


「お菓子ちょうだい」


街の光を反射させた眼は輝き、オレに一つの期待の色を示している。

しかしあいにく、オレの今の持ち合わせは、カバンの中にネタ帳と衣装と財布、ポケットには携帯電話と煙草とライターが入っているだけ。

オレはこの子の些細な願いを叶えてあげる事は出来ない。


「ゴメンな。今は君にあげられるお菓子は持ってないんだ。お父さんとお母さんはどこ行ったの?」

「持ってないの?」

「うん、ゴメンな」

「ふ~ん……。お兄ちゃんバイバーイ」

「へ? どこ行くの?」


女の子は手を振り人、風に飛ばされ浮遊する木の葉のように、人だかりに消えるように行ってしまった。

幻を見たような感覚に包まれしばらく起っていたが、いつまでもここにいても通行人の邪魔になってしまうので、気を取り直して駅へ歩を進めた。




駅構内は街とは比べようの無い程の人が集まり、改札を抜けては目的の線路を目指して右往左往と忙しなく歩いている。

喧騒とした足音と話声が絶える事無く響く迷路のような構内は、人それぞれの人生を詰め込むには充分過ぎる光景かもしれない。

券売機で切符を買い、改札を通り抜けホームへ向かう階段を上る。

その間に階段を走り下りて行く人、待ち切れずにエスカレーターの右側を歩いて行く人が何人もいる。

あと数段で上り切る手前まで行くと、歩道で出会った女の子が頂上で通せんぼをする様に立っていた。


「あれ? お父さんとお母さんには会えたの?」

「……お兄ちゃんはお菓子をくれなかったから」

「え? ぅおあ!」

女の子が小さな手の平を前に突き出すと軽く腹を押された。

子供特有の小さな力で押されたにもかかわらず、オレの身体は引かれるように後ろに倒れ、身体に流れ込む衝撃ととも階段を転がり落ちて行く。

廻り続ける視界は過ぎて行き、最後に大きな打撃音が脳内に鳴り響いた。

薄れて行く意識に、叫び声と怒声が聞こえる。

うつ伏せに倒れた身体は恐ろしい痛みが駆け抜け、流れ出る赤い液体が霞む視界に映る。

口内からも血があふれたのだろうか、不味い匂いと鉄の味で呼吸が狭くなる。

早く助けてくれ、死にたくない。

いや、この痛みが解放されるなら今すぐこの鼓動を止めてしまいたい。


「お疲れ様です。迎えに来ましたよ」


役に立たなくなった視界に、黒いブーツが映った。

身体は指一本動かす事が出来ないため、眼球だけを動かしてブーツのぬしを確認する。

オレを見降ろしている人物は、数十分前まで劇場の楽屋で一緒にいたよく見知った人物。

いや、帰る直前まで、オレはこいつと会話を交わしていた。

後輩芸人の一人、枯月かれつき あかり

舞台のスーツ姿とは違い、普段着のカジュアルな服装を着こなしている。


「か…れ……つき………助け…」

「それは後から決めます。まずは眠って下さい……」


枯月がオレの顔に手をかざすと、身体の中にあったと思われる何かが吸いとられ、それと同時に熱が体中から冷めるように痛みと苦しみ消えて行く。

途端に穏やかな睡魔に襲われ、それに逆らう事が出来なくなったオレはそのまま大人しく眠りについた。




……………!?


眠りから覚めると、橙色の明かりがわずかに照らされた暗い空間にいた。

見わたす限り、悲しい程の殺風景な室内にはなにも無く、真冬と同じ冷たい空気に満ちている。

仰向けに寝かされた身体は金縛りにあったかのように全く動かないが、階段から落ちた時の恐ろしい痛みは全く感じない。

もしかして助かったのか?

枯月が救急車を呼んで助けてくれたのか?


「気分はいかがですか?」


声が聞こえた方向を向くと、いつの間に着替えたのか、シャツもネクタイもブーツも黒で統一されたスーツを着た枯月がいた。

駅で悲惨な事故の当事者になったばかりのオレからすれば縁起が悪い。


「!? 枯月! ずっといたのか?」

「いいえ。貴方がここに運ばれた後に来ました。とりあえずそこから出て下さい」

「え? どこから出るんうわぁ!」


枯山に腕を引っ張られてしまい、ベッドから落ちると思い身体が強張ったが、以外にも足がしっかりと床に着地した。

反射的に後ろを振り向くと、白い布を首まで被せられた自分が、簡素な安置台に仰向けで横たわっている。

唯一露わにされた顔は青ざめ、傷と内出血により醜い状態だ。

見たくも無かった自分の姿に、脳内でさまざまな想定が浮かぶが、この状況に適した答えが出ず、言葉を失ってしまう。


「オレ……まさか死んだのか?」

「まだ完全に死んでいません。僕が貴方を仮死状態に留めています」

「じゃあここは……どこだ?」

「ここは遺体安置所です。人間は死後24時間経たないと検死も弔いも出来ません。今はその時間を利用して貴方と話しているんです」


非現実的な状況と話があっという間に頭に詰め込まれ理解できない。

そしてなぜ枯月はここにいて、おそらく幽体離脱しているオレと会話ができるのか。

こいつは本当にオレが知っている枯月なのか…?


「お前…どうゆう事だ? こんなオレと話が出来るのも変だ」

「僕は人間として転生して、この国の死者の管理を任された死神です。今は死神の姿に戻って貴方を導きに来ました」

「死神? 日本は仏教の国だろ。死神は違う宗教のやつだろ?」

「死神は死者を死後の世界に案内するのが仕事です。本当は死神は無宗教の存在なんですよ。あと……日本は宗教が入り混じった複雑な国なんですけど…」


目の前にいる枯月は、いつもと全く変わりない落ち着いた口調で喋る。

それなのに、いつもとは全く違う存在で、それがより一層と恐ろしい。

表情も彼らしい穏やかさが浮かんでいるのに、人間特有の生気が感じられない。

そしてなにより、彼が纏う空気がオレを怯ませる。


「貴方にお菓子を頂戴って言った女の子は悪魔ですね。今日はハロウィンだから、世界中に悪魔が降りて来て来ているんですよ」

「え? ……あ、あの女の子が!?」

「そうです。でも運悪く貴方はお菓子を持ってなかったから…」

「仕方ないだろ…。でも、渡さなかったらイタズラする程度じゃないのか?」

「こんな事する悪魔は仲間内からも嫌われる醜悪な悪魔ですからね。そもそも殺しちゃうのが目的ですから」


枯月の話を聞いて、あの女の子を思い出した。

あの子はどこにでもいるような日本人の顔立ちをした子で、悪魔と思えるような面影は何一つ無かった。

でもこんな状況で自分は死神だと言う枯月が言うのだから、真実として受け止めるしかなさそうだ。

いや、今の彼を相手に否定など、言える訳がない。

わずかな時間で、あり得ない量の情報を詰め込まれた頭はパンクしそうで、生身の身体では無いのに頭痛がする。

でも一つだけ分かった事は、オレは今、仮死状態とは言えあの事故で死んだ。

このあとオレはどうなるんだ?

まだこの世にあり余るほどの未練があるから、もしかしたら幽霊になって彷徨い続けるのか……?


「オレはこの後……お前と一緒に天国か地獄に行くのか?」

「そうですね、今日の貴方は運悪く、あの悪魔に殺されちゃいましたからね。……生き返りたいですか?」

「な!? そんなん生き返りたいに決まってんだろ!」

「だったら一度、冷静になって生き返った後の事を考えて下さい」


そう言われ、自分の死体を見る。

考えるまでも無く、入院して治療に専念して、見事に芸人として復活劇を果たす。

最高じゃないか。

芸人としては申し分ない、美味しい事じゃないか。

もしかしたら、これでテレビや雑誌にオファーが殺到して、仕事が増え、芸人として売れるかもしれない。

とは思っていても、こんな考えを素直に言うのはさすがにはばかれるか……。
ここは無難な答えを言ってしまおう。

「別にそんな深く考える必要無いだろ。入院して大人しく治せば良いんだから…」

「……貴方は愚かですね」

「なんだと!―――――!!!!」


枯月がパチンッと指を鳴らすと、体中に激しい痛みが襲う。

耐えられずに床に倒れ込むと、痛みにより身体が全く動かず、呼吸も苦しくなる。

口内は血の匂いと味が充満し、吐き気がこみ上げてきた。

この状態は事故直後と全く同じ、あの時と同じ苦しさだ。

眼球だけを動かして枯月を見ると、冷え切った表情でオレを見ている。

もう一度、枯月が指を鳴らすと痛みが一瞬で消えたが、痛みの余韻で力尽き動けない。


「死は峠を越えれば、一瞬で楽になります。実際に貴方は階段から落ちたあと、苦痛から逃げるために死を望みましたね?」

「あ………」


言われて思い出したが、オレはあの時、耐えられない痛みと苦しみで死を望んでしまっている。


「その望み通りに僕は迎えに来たんですよ。でも貴方は今、死ぬ事に未練がありますね?」


枯月に言われて気づいた。
今のオレには残酷でありそれ以上に身勝手な矛盾がある。


「もし生き返ったら、またあのような痛みと苦しみが貴方を待っていますよ? あとは言わなくても分かりますね?」


浅はかなオレの人生プランは儚く砕け、現実的な人生と生活が想像出来た。

生き返ればまた苦痛を味わい、長すぎる入院生活で手術と治療、そしてリハビリに苦しむ事になる。

もし退院しても、最悪、身体に多すぎるハンデが残る可能性が大いにある。

傷跡だってそうだ。

術後はオレはどんな姿になっているのか?

金だってどうする?

売れていない芸人が用意出来る金額じゃない。

そしてオレはその全てに耐える事が出来るのか?


「枯月! オレは……生き返ったあとを考えると確かに恐い! 正直、耐え切る自信が無い!」


でもオレは、そんな事に恐れ諦める訳にはいかない。


「でも、オレを生き返らせてくれ! チャンスをくれ!」

「本当に生き返りたいんですね?」

「オレはまだ芸人をやりたい! もし復帰するまでにオレが少しでも死を望んだら、その時は、もう一度、死神になって迎えに来てくれ!」


突き刺さる枯月の視線は、きっとオレに起こるこれからの全ての厳しさを訴えるに違いない。

無言のまま鋭利な眼差しでオレを見つめ、何かを考えているようだ。

死神ゆえの風格なのか、人間の枯月なら漂わせる事の無い威圧感にやはり怯えてしまう。


「その言葉は死神の僕と契約を結ぶ事になりますけど…取り消せませんよ? 貴方が不慮の事故とか、老衰で死ぬまでですよ?」

「それでも良い! 頼む!」

「……分かりました。僕は見舞いには来ませんからね。人間の僕と再開する時は貴方が復帰した時、と言う事で」

「ありがとう! オレ、絶対に堪えるから!」


込み上げてくる感謝と喜びに、情けなくも後輩相手に土下座をして礼を言う。

今のオレはこれが精一杯だ。


「契約は結ばれました。ご命運を祈ります」


黒い煙が風に溶け込むように枯月は消えてしまった。

そして、オレの意識も突然遮断された。




意識が再び戻ると、オレは清潔感が漂う真っ白い空間にいた。

静かな、程良く狭い空間。

きっとここは個室なのだろう。

当然、身体はまだ動かない。

機械の電子音を頼りに、わずかに動く首と目を動かすと、心電図がオレの心音を正確に刻んでいる。

呼吸器が酸素を送り、麻酔がまだ効いているのか、事故直後の息苦しさと痛みから襲ってこない。

幾多の管に繋がれた身体が、意識の無い間に行われた処置を物語っている。

まだ何も始まっていない。

これはまだ、束の間の休息に過ぎない。




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