投稿日:2016年06月01日 16:36 文字数:52,532
HOPE4:マリーゴールド
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ふたつの願いhttps://pictbland.net/items/detail/163501の続きです。
豪風つきあってますが離ればなれになってしまいます。
えろはギリ少なめなのでR18にはしませんでした。
エイリア編のお話なので全体的に暗いw
以下は当時のあとがき。
意外に時間がかかってしまいましたが、HOPEシリーズの続きです。
流石にこれ以上の続きはない、かな……?
まあ、ひょっこり続きのアイデアが出ないとも限らないですけどw。
本当言うと、15話(15ページ)目の豪炎寺と夕香とのやり取りだけがこの話で一番書きたかった部分です。なんでこんなに長くなったんだか。
<2011/12/1脱稿>
ふたつの願いhttps://pictbland.net/items/detail/163501の続きです。
豪風つきあってますが離ればなれになってしまいます。
えろはギリ少なめなのでR18にはしませんでした。
エイリア編のお話なので全体的に暗いw
以下は当時のあとがき。
意外に時間がかかってしまいましたが、HOPEシリーズの続きです。
流石にこれ以上の続きはない、かな……?
まあ、ひょっこり続きのアイデアが出ないとも限らないですけどw。
本当言うと、15話(15ページ)目の豪炎寺と夕香とのやり取りだけがこの話で一番書きたかった部分です。なんでこんなに長くなったんだか。
<2011/12/1脱稿>
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「これ。お前に」
中学サッカーの大会であるフットボールフロンティアで、俺が元居た学校の木戸川静修を何とか下した雷門中は、とうとう優勝まであとひとつ、という所まで上り詰めた。その決勝戦を僅かに控えたある日の事だ。
自宅のマンションを訪ねてきた風丸は、部屋に入るなり持っていたポリ袋を俺に手渡した。
「なんだ?」
袋の中を覗きこんでぱっと目に飛び込んできたのは、鮮やかな黄色だった。
「こないださ。うちの親にお前んちが殺風景だって言ったら、これを持ってけ、ってさ」
ポリ袋から現れたのは、鉢植えの花だ。小振りの素焼きの鉢との対も相まって、その鮮やかな黄色は眩しく見える。
それにしても殺風景か……。
確かに、風丸の家と見比べるとそうなんだろうが、ずいぶん言ってくれる。
兎も角、いきなり渡されたので、俺が訳も分からず固まっていると、風丸は気まずそうな顔をした。
「あ、いや。やっぱ迷惑かな、こういうの。俺の部屋にあるのと一緒だけどさ。持って帰るぜ」
ああ、そうか。道理で見た覚えがあるはずだ。風丸の部屋の出窓にある鉢植えと同じなのだ。と、気づいた時には元のポリ袋に戻そうとした風丸の手から、鉢植えを奪い取っていた。
「いや、もらっておく」
「でも……」
「俺のために持ってきたんだろう。大切にする」
おずおずと伸ばされた風丸の手をそっとどかして、俺は鉢植えを机の上に置いた。眼の覚めるような黄色は、写真立て以外何も置いていない机の上で、鮮やかに俺の心にしみてゆく。
「そうか。それならいいけど。まあ、そう高級でもないけどな。マリーゴールドって言ってさ。ごくありふれた花だよ」
そんな名前だったのか。そういえば、夕香がまだ元気に走り回っていた頃、花屋の店先でこの黄色の花に見とれていたのを思いだした。そうだ、確かにこの花だ。
俺が鮮やかな花をじっと見ていると、風丸はベッドのへりに腰掛けて、フクさんが淹れてくれた紅茶をすすりはじめた。
「……しかし、この花はあまりお前のイメージには合わないな」
本当に、ふと思ったのを言ったまでだ。だが、返ってきた風丸の答えは、俺の心をざわめかせる。
「だろうな。そもそもその花を選んだのは円堂だし」
ほんのり暖かだった空気が、急速に冷えるのを感じた。
一瞬生じた沈黙に、風丸がしまったという顔をする。
「あ……いや。でもこれ見てると、なんだか心が軽くなって、明日も頑張ろうって気になるんだ。だからさ」
両手の中で立ちこめる湯気を、風丸は吹き消した。俺の心に小さな苦みが広がって、胸が重くなる。机の上の鉢植えは、黄色の花びらが放射線状に広がって、まるで太陽のようだ。
そうか、なるほど。この花は円堂を思わせるのか。
こうして俺と風丸とが、同じサッカー部の仲間の域を超えた付き合いを始めて、もう数日が過ぎていた。流石に毎日という訳にはいかないが、ふたりきりになるのも多くなった。初めて体を繋いでからも、何度か抱きあっている。その度に風丸の体は俺に馴染んでいった。軟らかく、だがしなやかな風丸の肌。俺は堪らなくその感触が好きだった。
紅茶を一口すすって、風丸は机の上に置かれたトレーにカップを戻すと、鉢植えを覗きこんだ。
「俺、この花結構好きなんだぜ。だからお前にも好きになってくれると、俺も嬉しい」
ふと目が合うと、風丸ははにかんだ笑みを漏らした。その表情が愛おしくて、俺は自分の腕の中に閉じこめてしまいたくなる。
風丸の手首をつかむと、そのままぐっと引き寄せた。勢いで風丸の体はつんのめって、俺の膝の上に乗りあげる形になる。
「うわっ」
驚いて見上げる風丸の顎を捉えた。
「じゃあ、鉢植えの礼をしなくちゃな」
「えっ」
肩をつかんで風丸の体をベッドに横たわらせる。流石に風丸は慌てだした。
「何するんだよ。あっちにお手伝いさんいるんだろ?」
ばたつかせる手足をしっかり押さえつけて、俺は風丸の上に伸しあがった。
「フクさんは覗くような事はしない」
「いや、だからって!」
真っ赤な顔で風丸は俺を押しとどめようとしたが、もう、一度火の点いた気持ちは止めようがなかった。
取り繕おうとする風丸の口を俺は唇で塞いだ。
「信じられないぜ、……全く」
俺の枕に顔を埋めて、風丸はぶつぶつ文句を垂れている。俺はまだ気怠さの残る体を起こして、ゴミ箱に丸めたティッシュを放りこんだ。
「お手伝いさんにバレたらどうする気なんだよ?」
「だが、してる最中、フクさんは呼びにこなかっただろう」
「そういう問題じゃないだろ……」
膨れっ面で風丸は俺を見上げた。熱情の残るその肌は、ほんのり赤く染まっている。いつもは頭の上でくくっている髪の毛は、ほどけて毛先が肩や背中を覆ってまとわりつき、とても色っぽい。
その時、鳴ったドアのノックに、風丸は軽い悲鳴を上げると、掛け布団を引っ掴んで、その中にくるまってしまった。
俺も急いで床に散らばった服を元のように着けると、部屋の中が見えないように苦心してドアを開ける。フクさんは廊下で一歩下がって待っていた。
「お食事の用意ができましたよ、修也さん。お友達の分もよそっておきましょうか?」
「ありがとう。後片付けは俺がやるから、今日はもう上がってください」
「宜しいのですか? お風呂の用意もしておきましょうか」
「ああ、頼みます」
俺がそう返事すると、フクさんは頷いてバスルームに行ってしまった。
「風丸。飯の支度できたそうだ。食ってくよな?」
部屋に戻って布団にくるまっている風丸に声をかけた。だが、返事がない。掛け布団をめくってみると、震えている背中が見えた。
「嫌なんだよ……。こんなの、ホントにさ」
その声も震えていた。俺は布団を掛けなおすと、そっと風丸の頭をなでてやる。
「すまない。もうしない」
「頼むぜ……?」
振り向いた風丸の目尻には、涙がうっすら浮かんでいた。
中学サッカーの大会であるフットボールフロンティアで、俺が元居た学校の木戸川静修を何とか下した雷門中は、とうとう優勝まであとひとつ、という所まで上り詰めた。その決勝戦を僅かに控えたある日の事だ。
自宅のマンションを訪ねてきた風丸は、部屋に入るなり持っていたポリ袋を俺に手渡した。
「なんだ?」
袋の中を覗きこんでぱっと目に飛び込んできたのは、鮮やかな黄色だった。
「こないださ。うちの親にお前んちが殺風景だって言ったら、これを持ってけ、ってさ」
ポリ袋から現れたのは、鉢植えの花だ。小振りの素焼きの鉢との対も相まって、その鮮やかな黄色は眩しく見える。
それにしても殺風景か……。
確かに、風丸の家と見比べるとそうなんだろうが、ずいぶん言ってくれる。
兎も角、いきなり渡されたので、俺が訳も分からず固まっていると、風丸は気まずそうな顔をした。
「あ、いや。やっぱ迷惑かな、こういうの。俺の部屋にあるのと一緒だけどさ。持って帰るぜ」
ああ、そうか。道理で見た覚えがあるはずだ。風丸の部屋の出窓にある鉢植えと同じなのだ。と、気づいた時には元のポリ袋に戻そうとした風丸の手から、鉢植えを奪い取っていた。
「いや、もらっておく」
「でも……」
「俺のために持ってきたんだろう。大切にする」
おずおずと伸ばされた風丸の手をそっとどかして、俺は鉢植えを机の上に置いた。眼の覚めるような黄色は、写真立て以外何も置いていない机の上で、鮮やかに俺の心にしみてゆく。
「そうか。それならいいけど。まあ、そう高級でもないけどな。マリーゴールドって言ってさ。ごくありふれた花だよ」
そんな名前だったのか。そういえば、夕香がまだ元気に走り回っていた頃、花屋の店先でこの黄色の花に見とれていたのを思いだした。そうだ、確かにこの花だ。
俺が鮮やかな花をじっと見ていると、風丸はベッドのへりに腰掛けて、フクさんが淹れてくれた紅茶をすすりはじめた。
「……しかし、この花はあまりお前のイメージには合わないな」
本当に、ふと思ったのを言ったまでだ。だが、返ってきた風丸の答えは、俺の心をざわめかせる。
「だろうな。そもそもその花を選んだのは円堂だし」
ほんのり暖かだった空気が、急速に冷えるのを感じた。
一瞬生じた沈黙に、風丸がしまったという顔をする。
「あ……いや。でもこれ見てると、なんだか心が軽くなって、明日も頑張ろうって気になるんだ。だからさ」
両手の中で立ちこめる湯気を、風丸は吹き消した。俺の心に小さな苦みが広がって、胸が重くなる。机の上の鉢植えは、黄色の花びらが放射線状に広がって、まるで太陽のようだ。
そうか、なるほど。この花は円堂を思わせるのか。
こうして俺と風丸とが、同じサッカー部の仲間の域を超えた付き合いを始めて、もう数日が過ぎていた。流石に毎日という訳にはいかないが、ふたりきりになるのも多くなった。初めて体を繋いでからも、何度か抱きあっている。その度に風丸の体は俺に馴染んでいった。軟らかく、だがしなやかな風丸の肌。俺は堪らなくその感触が好きだった。
紅茶を一口すすって、風丸は机の上に置かれたトレーにカップを戻すと、鉢植えを覗きこんだ。
「俺、この花結構好きなんだぜ。だからお前にも好きになってくれると、俺も嬉しい」
ふと目が合うと、風丸ははにかんだ笑みを漏らした。その表情が愛おしくて、俺は自分の腕の中に閉じこめてしまいたくなる。
風丸の手首をつかむと、そのままぐっと引き寄せた。勢いで風丸の体はつんのめって、俺の膝の上に乗りあげる形になる。
「うわっ」
驚いて見上げる風丸の顎を捉えた。
「じゃあ、鉢植えの礼をしなくちゃな」
「えっ」
肩をつかんで風丸の体をベッドに横たわらせる。流石に風丸は慌てだした。
「何するんだよ。あっちにお手伝いさんいるんだろ?」
ばたつかせる手足をしっかり押さえつけて、俺は風丸の上に伸しあがった。
「フクさんは覗くような事はしない」
「いや、だからって!」
真っ赤な顔で風丸は俺を押しとどめようとしたが、もう、一度火の点いた気持ちは止めようがなかった。
取り繕おうとする風丸の口を俺は唇で塞いだ。
「信じられないぜ、……全く」
俺の枕に顔を埋めて、風丸はぶつぶつ文句を垂れている。俺はまだ気怠さの残る体を起こして、ゴミ箱に丸めたティッシュを放りこんだ。
「お手伝いさんにバレたらどうする気なんだよ?」
「だが、してる最中、フクさんは呼びにこなかっただろう」
「そういう問題じゃないだろ……」
膨れっ面で風丸は俺を見上げた。熱情の残るその肌は、ほんのり赤く染まっている。いつもは頭の上でくくっている髪の毛は、ほどけて毛先が肩や背中を覆ってまとわりつき、とても色っぽい。
その時、鳴ったドアのノックに、風丸は軽い悲鳴を上げると、掛け布団を引っ掴んで、その中にくるまってしまった。
俺も急いで床に散らばった服を元のように着けると、部屋の中が見えないように苦心してドアを開ける。フクさんは廊下で一歩下がって待っていた。
「お食事の用意ができましたよ、修也さん。お友達の分もよそっておきましょうか?」
「ありがとう。後片付けは俺がやるから、今日はもう上がってください」
「宜しいのですか? お風呂の用意もしておきましょうか」
「ああ、頼みます」
俺がそう返事すると、フクさんは頷いてバスルームに行ってしまった。
「風丸。飯の支度できたそうだ。食ってくよな?」
部屋に戻って布団にくるまっている風丸に声をかけた。だが、返事がない。掛け布団をめくってみると、震えている背中が見えた。
「嫌なんだよ……。こんなの、ホントにさ」
その声も震えていた。俺は布団を掛けなおすと、そっと風丸の頭をなでてやる。
「すまない。もうしない」
「頼むぜ……?」
振り向いた風丸の目尻には、涙がうっすら浮かんでいた。
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フットボールフロンティア決勝戦はいよいよ明日に迫った。その日の部活は軽いトレーニングを終えた後、響木監督にすぐ上がるように言い渡された。
「もう終わるんですか。まだまだ練習し足りないんですけど」
キャプテンである円堂が少し不満げに訴える。あの、サッカーが死ぬ程好きなんじゃないかと思えるあいつの事だ。練習すらないのは不満なんだろう。だが、監督は厳しい顔つきで応えた。
「確かに気がすむまで特訓したいのは分かる。しかし、本番に備えてコンディションを整えるのも大事なことだぞ」
納得したのか、円堂は頷くと部員全員の顔を見わたして言う。
「よーし。みんな! 今日はこれで解散だ。明日は悔いのないように、めいっぱい頑張ろうぜ!」
そう鼓舞すると、みんなも拳を振りあげて応えた。
そんな訳で、俺たちはそこで帰る事になった。
突然振ってわいた、空白の時間。どう過ごそうかと思って、ふと、ロッカーを開けて着替えようとしている風丸を呼び止めた。
「風丸。これから家に来ないか?」
俺の誘いに、風丸はぱっと頬を染める。
「いいけど。……明日は試合だぞ」
暗に拒絶の意を伝える。思わず苦笑した。
「いや、そうじゃなくて。昨日プロリーグの中継、録画しておいた。一緒に観ようと思ってな」
「ホントか? じゃあ行く」
俺のマンションにはケーブルテレビの回線が引いてある。風丸の家では観られないスポーツ中継が映るので、羨ましがっていたのを思いだしたのだ。
顔を輝かせる風丸を見て、ふと笑みを漏らすと、円堂がひょいと顔をのぞかせた。
「風丸ちょっと」
「ああ。悪い、豪炎寺」
円堂に呼ばれると、風丸はすぐさま俺の前から離れてしまった。
ホワイトボードの前で、ふたりが何か話しているのを眺めていると、いつの間にいたのか、松野が俺の背後から話しかけてきた。
「あのさー、豪炎寺」
松野は俺たちと同じ2年で、かなりエキセントリックな奴だ。親しい奴は皆、マックスと呼んでいる。
「なんだ?」
「風丸とさ。何かあった?」
一瞬、言葉が詰まった。松野の、どこかぎょろりとした黒目が、まるで俺と風丸の関係を全て見透かしているようだったからだ。
「……何もないぞ」
「ふ~ん……。あっそ」
頭の後ろで腕組みすると、松野は俺から風丸の視線を移す。風丸はと言えば、まだ円堂と話を続けていた。
「風丸ってさー、キャプテンと仲いいよね」
「小学校の頃からの付きあいだそうだからな」
不思議だが、目の前で円堂と風丸が仲睦まじくしていても、気が立つような事はなかった。ふたりの間には俺でさえ入り込めそうにない絆があるのは知っている。円堂は俺にとってもかけがえのない友人だ。
だと言うのに、俺とふたりだけの時、風丸が円堂の事を口にするたびに心がざわめくのは何故だろう。もしかしたら、俺は円堂自身じゃなく、風丸の中にある円堂の存在そのものに、嫉妬してるのかも知れない。
そんな事を頭の中に浮かべていると、風丸が困惑した顔で、円堂を連れて俺の前に戻ってきた。
「あのな、豪炎寺。円堂が一緒に駄菓子屋行こうって言うんだ」
その程度の事で、浮かない顔するのか?
「別に、行けば良いんじゃないか?」
「いやだって、お前んちでサッカーの試合……」
「サッカー!?」
風丸が漏らした言葉に、円堂が即座に反応する。
「なに? なんだよ風丸。サッカーって。試合がどうしたって?」
「あっ……、いや」
一瞬、しまったという顔をする風丸。円堂が瞳を煌めかせるのとは対称的だ。
「豪炎寺の家でプロの試合みようって約束したんだ。録画したって言うから……」
「えっ、プロの試合!? いいなぁ~!」
嬉々とした円堂を見て、風丸は弱りきった顔を俺に見せる。
「豪炎寺……。その、円堂も……一緒じゃダメか?」
風丸が懇願のこもった瞳を向ける。仕方なく俺は頷いた。
「……俺は構わないが」
「ホントか? よーし、豪炎寺んちでサッカーの観戦だー!」
屈託のない笑顔で言われると、俺も憎めなくなる。だが、その円堂の声に、周りのみんなもざわめきだしてしまった。
「豪炎寺の家でサッカー観戦って、どういう事だよ?」
「つーか、駄菓子屋行く話はどうなってんだ」
聞きただす染岡と半田に、更に1年生たちがじっと目を向ける。
「いいなぁ……。豪炎寺さんの家でサッカー観戦……。いいなぁ」
うるうるとした目の1年生たち。円堂が顎をしゃくって示した。
「だってさ」
俺の答えを伺う円堂たちの横で、風丸が肩をすくめて溜息をついた。
「いや……。来たい奴は来ればいいんじゃないのか」
不承不承こたえると、そこにいた全員が諸手を上げて「わぁ!」と歓喜した。
こうしてサッカー部員たちの予定は決まってしまった。
「おおーっ、スッゲー!!」
見事に決まったゴールシーンを見て、リビングにいるみんなが沸き立った歓声を上げる。
「今のボール捌き……、参考になりますねぇ」
目金が興味深そうに顎を擦ると、鬼道が横で感心した。
「分かるのか? 今のプレー」
「当たり前じゃないですか。僕のメガネを疑わないでくださいよ」
ふたつのレンズを光らせながら、目金が得意のうんちくを始める。テレビの一番前を陣取った染岡が、拳を握りしめた。
「見てろよ。あと数年もすれば、あのユニフォームでゴールを決めるのは俺だ!」
「すごい自信だな。プロから声がかかると決まってもいないのに」
「プロが俺に注目しないワケがねーだろ!」
テレビを囲んで、十数人もの人間がリビングを占拠している光景は壮観だ。みんなが座り込んでる間で、フクさんは忙しそうにお茶や菓子を振るまっている。
俺がリビングの壁に背をもたれて、部屋を眺めてると風丸がついと側に寄ってきた。
「ちょっといいか?」
みんなに気づかれないように、そっと俺のシャツの袖を指で引いて囁く。俺はリビングを見回した。
みんな、テレビの画面に見入っている。俺は風丸に目配せすると、そこを抜け出した。
「すまん。俺がうっかり円堂に言ってしまったから」
俺の部屋に入るなり、風丸は頭を下げた。
「不注意だったよ。円堂がサッカーの話なんか聞いたら、飛びつくのに決まってるのに」
項垂れたままの風丸の肩に、俺は手を置いた。
「気にするな。あいつらの顔見ただろ。あんな嬉しそうな顔をしてビデオ見てるのを見たら、これで良かったって思う」
「でも」
風丸が頭を上げる。その瞳はどことなく揺れていた。
「お前は、俺とふたりだけのつもりで……」
「元々、今日一日は練習のはずだった。たまにはこんなのもいいさ」
肩に置いた手に力をこめて、風丸の目をじっと見つめた。そうしてやると、風丸は思い直したように頷いた。
「そうか。そうだな」
「埋め合わせは、明日の試合が終わってからにしよう。誰にも邪魔されないようにな」
そう囁いてやると、風丸の頬がぽっと染まる。肩をとんとんと叩いて、手のひらで包み込むように撫でてみる。風丸の口がやっと綻んだ。
「だな。俺だって邪魔されるのなんかまっぴらだ」
「期待してる」
煌めく瞳に視線を合わせてそう言ってやった。元から大きな瞳は更に大きく見開かれる。次の瞬間、はにかんだ形に変わる。
俺を見上げる瞳は、たまらなく愛おしくて無性に口づけしたくなる。肩に置いたままの手が、風丸の体を抱きしめようと疼きだす。我慢できない。
両腕をつかんでそっと引き寄せた。
体をびくんと跳ねあげ、風丸は固まる。
掴んだ腕が、汗ばむのが分かる。
風丸の染まった肌は耳にまで及び、切ない吐息が漏れた。
リビングからまた歓声が沸きあがる。
みんなテレビに夢中だ。俺の部屋までには来ない。口づけるなら、今だ。
風丸の顔に自分の顔を近づけた。互いの鼻先が触れる。
風丸はそっとまぶたを閉じた。次の行為を促すかのように。
阻むものは何もない。はずだった。
「豪炎寺、あのさー」
廊下から松野の声が俺の耳に届いた。
と、同時に風丸がぱっと俺から顔をそらす。
「トイレ、どこ?」
薄く開いたドアの向こうから壁山の、
「も、漏れそうっス~!」
と、情けない声が聞えた。俺が教えようとするより早く、風丸が大きくドアを開く。
「ほら、こっちだ」
「ありがとうございまス~!」
壁山の巨体が、風丸が示した先のドアの中に消えた。俺は溜息をついて入り口に寄っかかっていると、松野は曰くありげな顔をした。
「邪魔しちゃった?」
言葉の裏には、明らかに何かを含んでいる。
「何の話だ?」
「んー。……何でもないよ」
松野の、黒くまん丸な目が、一瞬俺をじっと見たが、トイレから壁山が出てくると、すぐに視線は動いてしまった。
「スッキリしたっス!」
「じゃ僕、次に入るね~」
壁山と入れ替わりにトイレの中に消えた。
「こら、ちゃんと手を洗えよ」
心底、晴れ晴れとした顔の壁山に、風丸は洗面所を示している。
「分かってるっスよ、風丸さん。豪炎寺さんちの紅茶とクッキー、めちゃくちゃウマいっスから!」
洗面所でふんふんと鼻歌まじりに手を洗う壁山を見やった風丸は、肩をすくめて俺の所に戻ってきた。
「まったく。世話が焼けるぜあいつ」
軽い溜息をついて、俺と顔を見合わせる。だがその視線は、窓辺へと移った。
サッシの窓のへりに、マリーゴールドの鉢植えが置いてある。黄色みを帯びた花弁の群れは、きれいに揃ってさんさんとした陽を浴びていた。
「あ、ちゃんと手入れしてるんだ」
花弁にそっと指で触れて、風丸は口元を綻ばせた。
「折角お前がくれたからな」
風丸がこの鉢植えを持ち込んでから、俺は毎日のように水をやり世話をしていた。きちんと手を入れてやれば、花はその新鮮さのままで心地いい匂いを放つ。手をかければかける程、花は俺に微笑む気がした。
部屋の窓辺で、俺たちは円堂に呼ばれるまでのあいだ、鉢植えのマリーゴールドを寄り添って眺めていた。
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そして。とうとう俺たちはフットボールフロンティアの決勝戦を迎えた。試合はいつにも増して苦しい戦いだったが、くじけそうになる度に円堂の、そして仲間たちの鼓舞が俺たちを奮いたたせる。後半終了の瀬戸際で、相手キーパーの隙をついて放った俺のシュートが、勝利の決め手となったのだ。
「勝った! 俺たち勝ったんだよ!!」
試合終了を示すホイッスルが鳴り響くと、疲労でへとへとになったみんなは、一瞬の静けさの後スタンドに広がる大歓声で、やっと勝利の実感を分かち合った。
円堂が雄叫びを上げてピッチを走り回っている時、ふと見まわした先にあったのは、俺を見つめる風丸の笑顔だった。目が合うと、俺に向けて親指をくいっと上げる。頷いて俺も返した。
はずむ気持ちでロッカールームに戻ると、俺の元に驚くべき連絡が入った。
「修也さん、優勝おめでとうございます。ご馳走を用意したい所ですが……。すみません。今すぐ、病院へ来ていただけませんか?」
妙に気ぜわしいフクさんの声に、異変を覚えた。
「夕香に何かあったのか!?」
めいっぱい走り回った後の、けだるい体に緊張が走った。携帯を持つ手が冷たく思える。
「いえ。実は夕香さんが……目をお覚ましに……!」
「えっ?」
体の震えはぴたっと止まった。
「分かった。すぐそっちに行く」
これは奇跡じゃないのか。眠ったままで、一生を終えるかも知れないと覚悟していた夕香が、再び目を覚ましたなどと。
矢も楯もたまらず、俺はスタジアムから病院へ急ぐ事にした。
「どうかしたのか?」
あんまり慌てていたんだろう。急いで荷物をまとめ、着替えももどかしくユニフォームにジャージの上だけ羽織って、ロッカールームを出ようとした俺に、風丸が首を傾げて顔を覗きこんできた。
「すまない。詳しい事はあとで話す。病院に行ってくる」
「病院?」
風丸ははっと息を呑んで、理解したのか頷いた。
「あれ? どうしたんだ、豪炎寺」
出際に円堂が呼びかけてきたが、俺は、
「悪い。急いでる」
とだけ言うのがやっとだった。
スタジアムを飛び出して、タクシーを捕まえ、稲妻病院の場所を運転手に告げても、俺の心ははやるばかりだ。
それほど混んでない道なのに、タクシーが信号待ちで止まる度に、動いてくれと苛立ってしまうくらいだ。
早く、夕香に会いたかった。
早く、あの無邪気な笑顔を見たかった。
すごいだろ。約束通りにお兄ちゃんは優勝したんだぞ、と伝えたかった。
運賃を支払うのもそこそこに、病院前に着いたタクシーから、俺は飛び降りた。
今日が日曜日で、外来の診察がなかったのは幸いだ。もし、人でごった返してたなら、俺は患者だろうが突き飛ばしてまで、病室まで走りぬけていたかも知れない。
肩で息をしてやっと辿りついた病室は、拍子抜けするくらいいつもの通りで、廊下はしんと静まり返っている。はやる気持ちで開けたドアの向こうに、白いベッドに横たわった夕香は、いきなり響いた音にゆっくり首を動かした。
「夕香」
恐る恐る呼びかけると、ぼんやりした目を向けて俺を見た。まぶたを何度か上下させる。
「お……にいちゃん……?」
弱々しいが確かな、その声。
もう一度聞きたいと願った声だ。
「夕香……!」
もう一度呼びかけると、俺を見上げてふっと微笑む。
胸がこみ上げてくるのを押さえながら、夕香の頭をそっと撫でる。
目の前の夕香が見る見るうちに滲んで、ぼやけていくのは、俺の頬を熱く濡らす涙の所為だ。
「そこをどきなさい、修也」
気がついたら、後ろに父さんがいた。
俺が脇に退くと、父さんは椅子に腰掛けて、夕香に話しかけた。
「私が分かるかね」
「うん。……お父さん」
夕香の声を聞いた途端、父さんは黒ぶちの眼鏡を外して、目元を手で覆いゆっくり息を吐きだした。
俺は側に立って夕香と父さんを見つめてると、ジャージのポケットに突っ込んであった携帯が震えた。慌てて病室を出て確かめると、携帯のディスプレーにメールの着信マークが灯ってる。
風丸からだ。
『大変そうだな。
妹さん、大丈夫か?』
たったそれだけの文面だった。だが風丸らしい気遣いを感じる。
振り返ってみると、色々心配をかけたように思う。俺は病院の廊下でひとり、メールの返信をした。
『すまない。
急いでたせいで、ちゃんと話せなかったな。
夕香が目を覚ましたんだ。
今、父さんが診ている』
とりあえず要点だけ記すと、送信ボタンを押した。一息ついていると、すぐに返信が届いた。
『本当なのか?
良かったな、豪炎寺。
円堂の言葉を借りれば、
勝利の女神が妹さんにも微笑んだ
ってヤツだな!』
思わず苦笑した。風丸はこんな時まで、円堂なのか。
『ありがとう。
でもできれば、円堂じゃなくて
お前自身の言葉が欲しい。』
ちょっとためらったが、そう返すと間もなく返事が来る。
『すまん。
きっと、お前の願いが天に届いたんだよ。
お前の気持ち、報われて良かったな。』
携帯のディスプレーに映る、風丸からのメールを読んでいると、あいつの気持ちが心に染みた。と同時に、やと夕香を取り戻したんだと、実感がわいてくる。廊下の窓から見える夕焼けを眺めていると、また携帯のバイブレーションが震えた。
『こんな時にごめんな。
……あのさ。
お前の妹さんの事、みんなに伝えてもいいか?
特に円堂なんか、お前が心配でたまらないみたいだ。』
風丸がよこしたメールを見て、俺が何もかも放り出してスタジアムを出たのだと気づかされた。すぐに返事を打つ。
『わかった。
夕香の事は話して構わない。
みんなには宜しく頼む。』
ちょっと言葉足らずかと思ったが、構わず送信すると、ほんの少し経って返事は届いた。
『OK!
簡単だけど、円堂と監督に話しといた。
これから円堂がみんなに説明するってさ。
実は今、雷雷軒で打ち上げ中なんだ。
俺がメールばっか打ってるから、からかわれたぜ。』
メールの文面から、風丸の様子がありありと分かる。他の部員たちに散々突っ込まれてるんだろう。
俺が肩をすくめていると、手の中の携帯が灯って震えた。
『今、円堂がみんなに報告した所だ。
みんな、良かったなって、お前に伝えてくれって。
それから、これは監督からの伝言。
一週間、部活は休みにするから、ゆっくり休め。だってさ。
もっとも円堂はその間も特訓するんだろうけどな。
……本当に良かったな。豪炎寺。
今は妹さんのそばにいてやれよ。
じゃあ、おやすみ。
今日はもう、メールはこれで終わりにする。
さっきからマックスがにやにや俺を見てるんだ。』
文面どうりに、風丸からのメールはそこで終わった。俺も『おやすみ』のメールを返信すると、携帯を閉じた。
ほんのささやかなやり取りだったが、少しずつ風丸との仲が深まるのを実感する。間に潜む、円堂の存在が気になると言えば気になるが、それもおいおい感じられなくなるのだろうか。
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夕香が、元のように起きれるようになってから数日が過ぎた。俺が思っている以上に、夕香の回復は早くて、目が覚めている時間も徐々に長くなり、少しずつだがリハビリも始めてる。
面会謝絶が解かれた次の日、俺は初めて風丸を夕香に会わせる事にした。
「こんにちは。って言うか、はじめまして、かな?」
ゆったりした上着の割に、体のラインの出るぴったりしたズボンを着た風丸は、夕香の目線まで腰をかがめると、柔らかな笑顔で話しかけた。
「俺、君のお兄さんと同じサッカー部の、風丸一郎太、って言うんだ。今日は君に会いにきたんだよ。体の具合はどうだい?」
風丸の問いに、夕香は顔を赤らめると、こくんと頷いた。
「はじめまして。うん、だいじょうぶだよ」
「そうだ。おみやげ持ってきたんだ。プリン、食べれるかな?」
小洒落たケーキショップの箱を風丸が差し出すと、夕香は顔を輝かせた。
「わーい。夕香、プリンだーいすき!」
「じゃ、さっそく食べよう」
風丸は箱からガラスの容器に入ったプリンと、プラスチックのスプーンを取り出すと、夕香に手渡した。夕香ははしゃぎながらふたを取り去るとふるふるとふるえるプリンをスプーンですくい、ぱくんと口に入れる。
「おいしーい!」
「ダメだぞ、夕香。お礼を先に言わないと」
苦笑いしながらも、俺は注意した。夕香はきょとんと目を丸くしたが、すぐにしゅんと身をすくめた。
「ごめんなさい。ありがとう。……うーんと、風丸おにいちゃん」
「どういたしまして。いいんだよ、それくらい。夕香ちゃんが喜んでくれたら」
笑ってかぶりを振ると、風丸は俺に振り向いた。
「お前の分もあるぜ」
風丸が膝の上に乗せた箱を示したが、俺は首を振った。
「ありがとう。でも俺はいい」
「じゃ、残りはしまっとくから、あとで食べるといい。豪炎寺、これ冷蔵庫に入れておいてくれよ」
夕香に笑いかけると、風丸は箱を閉じて俺に手渡した。それを受け取ると、病室に備えつけられている小型の冷蔵庫に入れた。
夕香はにこにことプリンを口にし、風丸はそれを眺めて静かに笑っている。
冷蔵庫にの中にスポーツドリンクのペットボトルがあるので、俺はそれを取ると風丸に渡した。
「ありがとう」
風丸は礼を言うと、ペットボトルのふたをパキンと開ける。
「夕香ちゃん、お前に似てるよな」
「そうか……?」
「目元の感じとかさ。すごく似てるぜ。……ほら俺、一人っ子だろ。だからこんな可愛い妹がいるなんて、お前が羨ましいよ」
そう言って風丸はドリンクに口を付けた。俺は心をくすぐられる感じがして堪らなかった。
風丸は一時間ほど夕香を見舞うと、帰る事になった。夕香が引き止めたが、風丸は
「ごめんな。でも夕香ちゃん、疲れてないか?」
と、首を振る。
「だいじょーぶだもん」
夕香はなおも風丸を留めようとしたが、俺がたしなめると、肩を落として物足りなさそうな顔をする。
「じゃ、また来てね。風丸おにいちゃん」
「うん、約束だ」
指切りげんまんで再訪を誓うと、風丸は夕香の頭を撫でた。
夕香に手を振って病室を出る風丸を、俺は見送る事にした。一緒に1階の待ち合いフロアまで付き添った。
「来て良かったよ。夕香ちゃん、本当に可愛いよな」
階段を並んで降りながら、風丸は朗らかに笑う。2階と1階の踊り場で、俺は風丸の肘を掴んだ。
「ん……? なんだよ」
風丸はきょとんと首を傾げる。天窓から注ぐ陽光が、風丸の瞳に映ってきらきらと煌めいた。唇が妙に紅く見える。そう言えばここ1週間、口づけさえしていない。
「あ、明日」
思わず口がつっかえる。心臓がどくんと震えた。
「明日の昼過ぎ、家に来ないか。夕香のリハビリにフクさんが付き添うそうだから、俺ひとりなんだ」
風丸の頬がほんのり染まる。恥ずかしそうに目を逸らした。
「うん。……いいけど」
「本当か?」
ほっとした途端に、目の前の存在がとてつもなく愛おしく思える。俺は辺りを見回し人の気配がないのを確かめた。今は外来の時間は終わっているので、階下には誰もいない。
俺は風丸の体をぎゅっと抱きしめると、その形のいい唇に口づけた。ぴくんと風丸の体が跳ねたが、それ以上は抵抗もせずにいる。
口づけはほんの5秒にも満たなかった。
だが俺にとっては、充分すぎるほど、至福の時だった。
「こんなトコでするなよ……」
口づけのあと、風丸は顔を真っ赤にしながらも、ぼそりと文句を言った。その瞳はうるんでいる。俺が「すまない」と抱きしめていた体を開放してやると、風丸はくるりと背を向けた。
「明日……」
背を向けたまま、風丸はよく通る声で言った。
「体……きれいにしておくから。俺」
「えっ」
聞き返そうとしたが、風丸はすっと階段を降りてしまう。
追いかけたが風丸の足は速かった。最後の段を降りた頃には、風丸はもう、受付カウンターを抜け、玄関の入り口まで遠ざかってく。
「じゃあ、明日な!」
振り返った風丸の顔は、紅潮こそしていたが晴れやかな表情をしていた。
「期待してる」
ほっとして俺が言うと、風丸はすぐに唇をとがらせた。
「なに言ってんだ、お前」
そう答えると、自動ドアを抜けていた。
そのまま見送っていると、風丸はもう一度振り返って大きく俺に手を振る。すぐに踵を返して、外へ走り去った。
胸が熱くなるのを感じながら、俺は小さくなる風丸の背中を見続けた。
久し振りに、風丸とふたりきりになれると思うと、心が疼く。さっき交わした僅かな口づけでは、とてもじゃないが物足りなかった。
風丸、そして夕香。
ふたつに増えた愛しい者を思うと、これからの毎日が充実してゆく予感で、俺の心はいっぱいになった。
そんな気持ちを抱えながら病室へ戻ると、夕香はベッドの上で絵本のページをめくっていた。
「おにいちゃん、あのね」
あどけない顔で俺を見上げる。俺と目が合うと、夕香は何故かもじもじと体を揺らした。
「どうした?」
俺が椅子に腰かけると、夕香は思いきったように言った。
「あのね。風丸おにいちゃんって、おにいちゃんの……こいびと?」
多分、俺は面食らった顔をしていたに違いない。躊躇したが、観念した。
「……ああ。分かるか、夕香」
夕香は俺が思っている以上に聡いのだ。今更隠してもしょうがない。
「うん、だっておにいちゃん。やさしい目で見てたもの」
こくんと頷いたあと、夕香は顔を赤らめた。
「だいじょうぶだよ。夕香、風丸おにいちゃんのこと、大好きだし!」
「本当か?」
「うんっ。あのね。風丸おにいちゃんって、目がきらきらしてて、髪もさらさらでとってもキレイなんだもん!」
夕香の答えに思わず苦笑した。
「そうか、夕香はお兄ちゃんと同じ所が好きなんだな」
紛れもなく、俺と夕香は血の繋がった肉親なのだと思い知らされた。
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翌日、約束通りに俺のマンションを訪れた風丸は、昨日の夕香との話を聞かされ、溜息をついた。
「なんで、教えちまうんだよ……」
「隠してどうする。いつかはバレるんじゃないのか」
俺のベッドの上、何ひとつ肌につけていない風丸は、タオルケットにくるまって横たわっている。蒼い髪は下ろしていて、素肌にまとわりついていた。
「そりゃ、そうかも知れないけれど」
眉間にしわを寄せ、上目遣いで俺を見た。風丸の隣りで胡座をかいている俺自身も、何も着ていない。床の上には、さっきまで着ていた服や下着が散らばっている。
久し振りに風丸と肌を重ねた。もう何度目かというのに、風丸は恥じらって簡単に体を開こうとしなかった。それでも強引に押し進めると、ためらいながらも行為に応じた。
普段、どちらかと言うと落ちついている方なので、行為の時、慌てたり、恥ずかしがったりする風丸は、変な感じがする。それでも、その反応は俺にだけにしか見せないのだと思うと、得意な気がしないでもない。
「夕香はお前のこと気に入っている。悪いようにはしないさ」
不安げな風丸の肩をすくうように抱き寄せて囁くと、
「そうなのか?」
と、俺を見上げた。
「しっかり釘を刺しておいた。他人にバラしたりはしない」
「なら、いいんだけど」
伏せがちなまぶたに口づけをひとつ、落としてやると、風丸は俺の胸に頭を凭れかけた。
俺はふと、今まで懸念していた事を口にしてみた。
「この際だ。そろそろ円堂に俺たちの事を教えた方がいいんじゃないのか?」
途端に、風丸の目が大きく見開く。赤みがかった瞳はカーテンの隙間から射す陽光で煌めいた。
「いや、それはその……」
「ダメなのか? だが、ずっと隠しておくワケにもいかないだろう」
風丸の瞳は見る見るうちに輝きを失い、まぶたがゆっくりと伏せられる。
「円堂は俺たちを非難したりしないはずだ。きっと祝福してくれるさ」
肩を抱く手に力をこめて揺すってみても、風丸は力なく俯くだけだ。
「……ごめん。なんて言うかさ。決心がつかないんだ。円堂にどんな顔して言えばいいのか分からない。少し、時間をくれないか」
実際の所、風丸が戸惑うのも分からなくはない。風丸に取って円堂は、長い間親しくしていた仲だし、ましてや、この間まで密かに思いを寄せていた相手だ。
それでも、円堂には話しておくべきだと、俺は思う。そうすれば、常に風丸にまとわりついている、円堂という存在も消えてしまうんじゃないか……。
俺は多分、風丸の中に居る円堂が怖いのかもしれない。心も体も、俺の物にできても、まるで風丸のすべてを手に入れたようには思えない。その為には、どうしても風丸の中から円堂を追い出さなくては。
「豪炎寺。俺さ」
風丸はためらいがちに話しだす。
「俺、お前の事、好きだぜ。でもやっぱり、円堂に話すのはまだちょっと……。こんなの女々しいかもしれないけど」
風丸は裸の俺の胸に頭を預けて、低い声で呟いた。俺は返す言葉も失ってただその、頼りなさげな背中を抱いていた。指先に風丸の髪の先が当たる。その髪のひとつかみを弄んでみた。風丸の髪はしなやかで独特のこしがある。丸めて離すとつるんとはじけて零れ落ちる。
今はただ、その感触だけを楽しんだ。
「俺の髪なんかいじって面白いか?」
「まあな」
きょとんと目を丸くしたが、風丸は照れたように頬を染める。
「違うとこも触っていいんだぜ」
そう言うなり、空いた方の手を風丸自身の胸元に導いた。
「ん……」
顔こそ赤らめてたが、風丸は俺の指先を胸の突起にあてさせ、次の行為を促した。こんな風丸を見るのは、多分、初めてだ。
俺はためらわずにそのほの紅い突起に触れてみる。風丸が望んでいるんだ。遠慮はいらない。
最初は翳めるくらいにそっと、徐々に強く指先で摘みあげる。風丸が堪らなそうな声を漏らした。その声、その表情が俺に火を点ける。
「風丸」
名前を呼んで、しなやかな体をベッドの上に押しつけた。背急な俺の行為にも、風丸はたじろぐ様子を見せない。俺の顔をまっすぐ見つめて、こくんと了解の合図をした。俺は風丸の上にのしかかって、その柔らかな頬に自分の頬を擂りよせた。
風丸の髪からいい匂いがする。シャンプーの香りか。
鼻先でたぐり寄せて、耳を探し当てると、息を吹きかけて耳たぶを軽く噛んだ。風丸がはぁ、と息を漏らす。
いきなり頭を掴まれた。俺に口づけてくる。互いに唇を深く合わせた。
俺も、風丸も、熱情が昂ってるのが分かった。
「豪炎寺……」
風丸は囁くと、自ら閉じた体を再び開いて、俺を受け入れようとした。
そのとき。
ドーンという、振動が外を揺るがしたのを感じた。
互いに顔を見合わせ、俺と風丸は慌てて外を伺った。
2度目の轟音が響く。
「雷門中の方だ」
風丸が空に上がった煙を確かめると叫んだ。
甘い時間を過ごしている場合じゃなくなった。
何より問題は、異音がしたのが雷門中という事だ。サッカー部は休みだったが、他の部活や委員会でまだ生徒たちは残っている。
それに、夕香の居る稲妻病院は雷門中とさほど離れていない。そっちにも何か危険な事が起こっているのであれば……!
「悪い、豪炎寺。俺、見に行くぜ」
脱ぎ捨てた服を着けながら、風丸は俺を呼んだ。
「ああ、俺も」
一緒に行くべきか、夕香の元に急ぐべきか、迷いながら俺も下着とズボンをはいていると、風丸は首を振った。
「いや。お前は夕香ちゃんの所に行けよ。俺は雷門中に行く。あとで落ち合おうぜ」
「ああ、そうだな」
風丸は俺に気を使ったに違いない。俺はその言葉に甘えて、病院に向かう事にした。夕香の無事が心配だった。
仕度を整えると、俺たちは病院と、雷門中へ向かう道で、それぞれに別れた。
「じゃあ、あとでな!」
そう言って手を振り駈けだす風丸の背中を、俺は何の気もなしに見送った。それが、俺たちの運命の分岐点だと気づきもせずに──。
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夕香は無事だった。ただ、かなり怯えていて、俺の顔を見るなり抱きついてきた。
フクさんの説明によると、リハビリの最中に突然、外から大きな音が轟き、建物が揺れたらしい。結局、病院には何の被害もなかったが、外からの異音に患者たちがざわめいていて、職員たちが慌ただしく対応に追われている。
父さんに話を聞こうかと思ったが、やめた。俺は夕香を落ちつかせると、フクさんに後を託す事にした。轟音がしたのは雷門中の方らしい。
風丸は大丈夫なのか。携帯にはまだ何の連絡もない。
病院の外に出て、ついさっき風丸と別れた道を走った。あの少し頼りなさげな風丸の背中が目の前にちらつく。幻影のそれを、俺は追った。
辿りついた雷門中は、いや、雷門中だった場所は、俺の想像を超えた惨状を呈していた。何もかもがめちゃくちゃに壊れて、グラウンドも校舎も見る影もない。
唖然として、コンクリートの塊と化した校舎の前で立ち尽くしていると、不意に俺を名を呼ばれた。
見覚えのあるふたりの大人。
理事長と校長だった。
「豪炎寺くん、大丈夫かね?」
理事長が歩きにくそうに、転がっている塊をよけながら、俺に向かってきた。
「俺は大丈夫です」
理事長の後ろから、汗をハンカチで拭きながら校長もやってきた。
「あの。一体何が起こったんですか?」
目の前の惨状が自分でも信じられずに、俺は理事長と校長に尋ねた。校長がおろおろと、せわしなくハンカチを指で動かしていた。
「それが……。いきなり宇宙人が襲ってきたのだ」
「宇宙人?」
俺はぽかんとしてふたりを見た。大の大人が話す内容とは思えなかったからだ。大体、目の前の光景と、校長の口から出た言葉が結びつかない。
「正しくは宇宙人、と名乗る奴らだ。生徒たちと変わらない容姿だったんだが、彼らがいきなり私たちの前に現れたかと思ったら、サッカーで勝負をしろ、と宣告してきたのだ」
「は、はぁ……」
理事長が校長に代わって、俺に説明する。
「サッカー部は休み中だったので、丁度都合のついていたOBの方たちに対応してもらったのだが……。彼らの力を持ってしても……」
理事長が言葉を濁して首を振った。まだ砂埃の舞う瓦礫の山を見やって、苦しげな顔をする。それだけで、何が起こったのかは大体読み取れた。
その時、携帯の着信音が響いた。俺の物ではない単調なメロディーだ。理事長が胸ポケットから携帯を取り出し、慎重な仕草で出る。
「……ああ。夏未か。うむ……。おお、丁度いい。豪炎寺くんならここに居る」
厳格そうな表情を崩さない所を見ると、あまり、良くない内容の通話のようだ。理事長は携帯を切ると、俺の顔をじっと見た。
「豪炎寺くん、頼む。今すぐ傘美野中へ行ってくれ」
「傘美野中?」
傘美野は隣町の公立校だ。何故、いきなりそんな所へ行けと言うのか。
「宇宙人と名乗る奴らが現れたらしい。円堂くんたちが君を待っている」
俺は雷を打たれたように理事長を見た。
風丸の姿を見ないと思ったが、円堂が傘美野中へ行っているのなら、多分一緒なんだろう。
「急いで向かってくれたまえ。車を出してあげたいのだが、今出払っていてな」
「分かりました」
俺は慌てて礼をすると、瓦礫と化した雷門中から走りだした。
見事なまで破壊された校舎。立ちのぼる、粉塵。
救急車のサイレンがいやに耳に残る。
呻き声を漏らして、担架で運ばれていく仲間たち。
土煙が舞う中、風丸は途方に暮れた顔で立ち尽くしていた。
その背中を、俺は一生忘れる事はないだろう。
途中で、怪我をしたOBを病院に運んだ帰りだという古株さんと出会い、彼の車で傘美野中に送ってもらう事になった。嫌な予感で一杯の俺がやっと、隣町の中学に着いた時、俺が見たのは異様ななりをした奴らが、円堂たちを打ちのめしている場面だった。
自らを『宇宙人』と称した奴らは、雷門中の次にこの傘美野中を襲いに来たらしい。奴らはサッカー部に『試合』を申し込み、そしてそれを代わりに受けたのは円堂たちだった。
奴らは、圧倒的な力で円堂たちを翻弄した。俺は傷ついた仲間と交代して奴らとの『試合』に挑んだが、俺のシュートはいとも簡単に止められてしまった。
奴らが異様なのは、その出立ちだけではない。その動きも、力も、何もかもが人間の域を超えていた。
結局、『試合』に勝ったあいつらは、まるで罰を与えるみたいに、黒光りするボールで傘美野中の校舎を破壊した。
つまり、雷門中も同じように、『試合』に負けた所為で壊されてしまったのだろう。
被害は校舎だけでなく、半田や松野、影野や、1年の宍戸と少林寺も、負傷させられた。残ったみんなも、無傷ではなく、何とか立って歩けるという酷いものだ。
俺は夕香の身を案じて、一旦稲妻病院に戻ったが、救急車で運ばれたみんなも大部屋の方に入院していると、フクさんから教えられた。
なら、丁度いい。見舞いに行こうと夕香の病室から、下の階にある大部屋の方へ向かう事にした。階段を下りていく途中で、逆に階段を上がってくる風丸に出くわした。
「豪炎寺……」
「半田たちの見舞いに来たのか?」
俺が訊くと、風丸は頷いて手にしていた花束を示した。浮かない顔をしている。とりあえず一緒に大部屋に行くと、疲れきった顔が出迎えた。
「具合はどうなんだ?」
ベッドに半身を起こしていた半田が苦笑いで、風丸の問いに首を振った。
「俺はマシな方だけどさ。宍戸と影野はここに運ばれてからずっと起き上がれないんだ」
ふたりに宛てがわれたベッドを見ると、ぐったりとシーツに埋もれるように眠っていた。
風丸は眉を曇らせたが、すぐにいつもの勇ましい声を出す。
「俺んちの庭のやつだけど、花持って来たんだ。今すぐ生けてくるから」
その声が妙に明るく響く。どことなく薄暗い病室にはそぐわなかった。
強張った笑顔で給湯室に行った風丸を、俺は追いかけた。
入り口から覗くと、備え付けの花瓶に入っていた古い水を捨てていた。流し台には色とりどりの切り花が広げてある。
「……豪炎寺、俺さ」
俺が来たのに気がついたのか、ひそりと風丸は呟く。
「悔しいぜ。俺の足、あいつらに全然敵わなかった」
うつむき加減の風丸は、長い髪が顔を覆ってて表情がよく分からない。蛍光灯のあかりは風丸に奇妙なくらいに暗い影を落とし、震える声だけが狭い給湯室に響いた。
「今まであれだけ努力したのが、バカみたいに思えるよ。俺なんて結局、あの程度の実力だったのかな……」
「……そんな事、ないだろう。それを言うなら、俺だってあいつらに通用しなかった」
風丸の喉からくぐもった息が漏れた。蛇口を捻って、水を花瓶に流し込む。
頭は上げないままだ。
「……半田がな。あいつの事、1年の頃から知ってるんだけど」
一瞬の間のあと、風丸は苦しげな声で話しだした。
「俺、陸上部だったけど、よく円堂たちの練習を見に行ってたんだよ。半田はな。あいつ、2年の始めの頃は腐ってたけど。でも、あいつだって円堂に負けないくらい、サッカーが大好きなんだよ! なのに……」
絞るような風丸の声。
流しの蛇口の下に置かれた花瓶は、いつの間にか水で溢れかえっていて、こぽこぽと水音がしていた。風丸はそれも構わずに、頭を俯けている。
「風丸」
俺は風丸の肩を揺すって、蛇口を締めた。風丸はやっと花瓶の水が溢れたのに気づいて、俺の顔を見た。
頬にひとすじ、涙が光った。
「……すまん。ちょっと弱気になっちまったみたいだ。半田たちの仇、いつか絶対討たなきゃな」
拳で目元を拭って、風丸は頭を上げた。声は少し湿っていたが、その瞳には強い光が宿っていた。
半田やみんな、そして夕香を見舞った後も、風丸はいつもの落ちついた調子だった。給湯室での事が、まるでウソみたいに思える。
でも俺には、そんな風丸にどこか違和感を抱いていた。
今にして思えば、その時にはもう、風丸の心は壊れてしまっていたのかもしれない。
その翌日も、日本のどこかで中学校が襲われたというニュースが報じられていた。俺が知っている限り、どこもサッカーの強豪校ばかりだ。
理事長の命により俺たちは、昨日、雷門中や傘美野中を襲った、宇宙人たちを討つべく日本中を旅する事になってしまった。『エイリア学園』を名乗る奴らの凶暴を、そのまま黙って見逃すわけにはいかなくなったのだ。
奴らはサッカーで勝負を挑む。奴らに対抗するには、サッカーの強い者たちが必要だったのだ。
後になってから考えれば、何故俺たちだったのか。どうして、襲われるのは中学校ばかりなのか。大人たちが直接介入しないのはどうしてなのか……と、疑問ばかりが残るのだが、その時の俺たちには、そんな事まで気が回らなかった、というのが実情だ。
夕香にはしばらく会えなくなるだろう。折角、元の平穏な生活に戻れると思ったのに、なんて皮肉だろう。
でも俺もじっとしてられなかった。昨日の風丸の、あんな姿を見るのも、まっぴらだ。
せめて夕香とぎりぎりまで過ごそうと、病室を訪ねると、そこには予想もしなかった事態が、俺を待っていた。
「豪炎寺修也くん、だね?」
長いコートを身に包み、どう見ても怪しい身なりの三人の男たちが病室の前で俺を待ち構えていた。
奴らが言うには、自分たちは『エイリア学園』を信望する者、で、いきなり俺にとんでもない申し入れをしてきた。
俺に、円堂たちを裏切って、エイリア学園に入れ、と。
「冗談じゃない。お前らの話なんか聞けるわけが」
「妹さんがどうなってもいいのかね?」
「妹さんはやっとベッドから起き上がれるようになったそうだねぇ。また寝たきりにしたいのかい?」
にやにやとした、薄笑いを黒いサングラスの下に浮かべる男たち。
俺の心臓はびくんと跳ね上がった。卑怯な奴らだ。夕香を人質に取ろうと言うのか。
夕香の笑顔が俺の目の前に浮かぶ。次に風丸の、憂いを含んだ横顔と、怪我に苦しむ仲間たち、そして円堂の悔しそうな顔……。それらが次々に浮かんでは消えた。
「君にとっても良い話だと思うのだがねぇ。妹さんの、リハビリなんか必要にならなくなる治療法を、私たちは知っているのだが」
男たちは俺を試す気なのか。でも俺はかぶりを振った。
そんな、ムシのいい話なんかあるわけがない。
「おや、残念だねぇ。だが心しておきたまえ。君があのチームに居る以上、妹さんの身柄は常に我々の手の内にあるという事をね」
俺が黙っていると、奴らはやっと俺の前から立ち去った。
「全ては君の返事次第だよ」
そう、言い残して。
6 / 16 |
7 / 16 |
「今日からあなたたちの監督を務める事になった、吉良瞳子よ。このキャラバンについていけないと判断した人には、すぐに降りてもらいます。覚悟しておく事ね」
理事長のに招集された俺たちは、響木監督に代わって新たにチームを率いるという女性と引き合わされた。瞳子監督は聡明そうで、けれど冷酷な印象を受けた。深い瞳はどこまでも見通してるみたいで、俺が迷いの中でもがいている事まで気づいてるんじゃないかと、思わせるほどだ。
結局、答えを見いだせないまま、俺はキャラバンに乗る事になった。円堂はもちろん、風丸にさえ、あの男たちに脅されてるとは打ち明けられなかった。夕香の身が心配というのも第一だが、何よりもそれを伝える事で、風丸たちにまで被害が及ぶんじゃないか、と思うと気が気じゃない。
今チームは入院した半田たちを除くと、10人しか居ない。試合をするには一人欠いた状態だ。それでも円堂は、半ばはしゃいだ顔でみんなを精一杯鼓舞している。
俺の心は、逆に暗い道の中だ。
このままチームに居続けるべきか。それともあいつらの要求を呑んで、夕香の安全を図るのか。
できれば俺はみんなと一緒に戦いたい。風丸が言っていたように、入院した仲間たちの仇を討ちたい気持ちもある。
でも、そうすると夕香はどうなる?
折角、元のように元気な夕香の姿を見れると思ったのに、俺のわがままで夕香を危険に晒すのか?
しかし、あいつらの言う通りにするという事は、俺はみんなの敵として戦わなければならない。
そうなったら、風丸も円堂もショックを受けるだろう。昨日見たよりももっと風丸は落ち込むかもしれない。
エイリア学園が奈良に現れた、という情報を元に、キャラバンは西へ進路を向けていた。みんなは意気揚々とバスに乗っている。俺は沈んだ気持ちでタラップを踏んだ。
こんな気持ちのまま、円堂とも風丸とも、顔を合わせたくなかった。俺はすぐさま奥の座席に座ると、窓の外をじっと睨んだ。
風丸が何か話したそうに俺を見たが、呼ばれたのか、円堂と一緒の席に座ってしまった。
俺には却って好都合だ。今の俺の気持ちは、決してみんなに悟られてはいけない。
キャラバンに乗って数時間、高速を飛ばして奈良へ辿りついた。俺たちはそこで、エイリア学園が公園を襲撃し、財前総理を攫ったと聞かされた。
なんて奴らだ。みんなが口々に非難する。
とりあえず、俺たちは現場の公園でエイリア学園が襲ったという手掛かりを捜す事になった。何人かで手分けして、公園内に散らばった。
「豪炎寺」
風丸が真剣な目で俺を呼ぶ。断る理由は見つけられなかった。
「お前はどう思う? あいつらの目的ってさ、何なんだろう。日本中の中学校を襲ったかと思ったら、今度は総理誘拐だぜ?」
公園内を雑然と歩きながら、俺は黙って風丸の後についていった。
風丸に、今、俺が置かれた状況を話すべきかどうか、悩む。
あいつらが言っていた言葉が呪詛のように、俺をがんじがらめにする。俺はこのままここに居るべきなのか。
一人で悩み続けるのは、とても辛い事だ。それは夕香が眠っている間、ずっと俺が味わっていたからこそ、余計に身にしみる。風丸に打ち明けてしまえば、楽になれるかもしれない。
けれども、それすらも躊躇ってしまう。それを伝えてしまえば、最悪、夕香だけでなく風丸までもがあいつらの毒牙にかかってしまったら……。
それを思うと、とてもじゃないが風丸には教えられない。
「豪炎寺!?」
風丸の声で我に返った。奴らの事を考えていて、風丸の話はろくに聞いてなかった。
「どうしたんだよ……? お前、キャラバンに乗ってから、どっか変だぞ」
首を傾げて、風丸は俺の顔を覗きこんだ。心配そうな表情をしている。
「悪い……。色々あった所為で、疲れてるみたいだ」
本当の事はもちろん言えない。
風丸の瞳が悲しげな色をした。長いまつ毛が微かに震える。
「そうか。無理もないけどな。あんな事さえ起こらなければ……」
沈む声で道を曲がろうとして、風丸は突然、呻き声をあげてその場にしゃがみこんだ。
「どうした? 風丸」
右足首を押さえた風丸が、顔をしかめたのを、俺は見逃さなかった。
「いや。何でもないさ」
風丸は立とうとしたが、一瞬くぐもった声を漏らす。
右の足首。まさか。
「見せてみろ」
「何でもないって!」
振り払おうとする手をのけて、俺は地べたに座り込んだ風丸の右足を確かめた。ジャージの裾をまくり上げると、その足首には包帯が巻かれていた。
「風丸、お前……!」
何も着けてない、素足の風丸を、俺は知っている。太腿は案外筋肉がついているが、足首はきゅっと締まっていて、紛れもなく速く走るための足をしている。だが、今目の前の風丸の足は、包帯で覆われていて心無しか腫れているように膨らんでいる。
思い当たるのは、昨日のエイリア学園との試合だ。風丸が何度も奴らに吹っ飛ばされたのを覚えている。
「ちょっと捻っただけだ。テーピングしてるから平気さ。入院してるみんなと比べたら、これくらい……大したもんじゃない」
そう言うと風丸は、元のようにジャージの裾を元に戻した。顔を顰めながらも立ちあがる。
「大丈夫なんだな?」
風丸が顔に似合わず意地っ張りで、一度決めた事はかたくなにそれを貫く性分だと分かっていながらも、俺は尋ねた。
案の定、風丸は黙って頷いた。
よく診たわけではないが、風丸の今の状態で、果たしてまともに試合ができるのだろうか。
「無理はするな」
「分かってるよ」
本調子ではないだろうに、風丸は毅然とした顔をしている。なるべくなら、体に負担をかけずに済めばいいんだが。
昨日の病院での、弱々しい風丸の顔を思えば、無理してるのだろうと想像に難くない。
そんな風丸を見ていられなくなりそうで、視線を公園の風景に移した。ふと、木陰に黒い影が見えた気がした。
背中に思わず冷たいものが走る。まさか。
ああ……そうか。昨日の、あの男たちだ。
俺には監視がついているのだ。あいつらの自信ありげな顔、多分そうだ。
財前総理は大勢のSPたちの目の前で攫われたのだと聞いた。だとすれば、夕香なんて、赤子の手を捻るようなものだろう。脅しなんてものじゃない。奴らは、本気だ。
もう、俺に迷ってる時間はないのかもしれない。
目の前の風丸を見る。まだ風丸はかたくなな顔のまま、辺りを捜している。
ならば、いっそ。
俺は覚悟を決めた。風丸とは……もう一緒にいられないだろう。
できる事なら、ずっとそばに居たい。整った顔を眺めて、さらりとした髪を指に絡ませたい。暖かでしなやかな体を抱いていたい。
「何だよ? 怖い顔してるな、お前」
風丸が怪訝な顔で小首を傾げた。その唇は健康そうな紅色で、触れるととても柔らかそうだ。
衝動が俺の中を駆け巡った。しばらく会えないのなら、抱けるのは今しかない。
「豪炎寺?」
俺は激情のままに、風丸の体を抱きしめた。
ジャージの布地越しに、風丸の体温が伝わる。
たじろぐ風丸をそのまま背後の木の幹に押しつけた。
逃れられない風丸の顎を捉えて、唇を奪う。
「やめろって!!」
俺の頬に熱い痛みが走ったのは、次の瞬間だった。
「落ちつけよ! 何やってんだよ、お前!」
風丸は怒った顔で俺を睨む。頬の痛みは、熱くなった俺を冷ました。
「こんな……みんなが苦しんでる時に! こんな事しようとするなんて。俺、お前のこと見損なったぜ」
「すまない……」
取り繕う言葉を見失ったまま、ただ謝るしかなかった。風丸も押し黙って、それ以上は何も言わない。
気まずい沈黙が流れていると、公園の林の向こうから、見慣れた顔が現れた。
「豪炎寺! 風丸! ここにいたのか」
「円堂……」
その顔を認めた途端、強張っていた風丸の顔がほっと緩んだ。怪我をした足を心持ち庇うように、風丸は俺に背を向けて円堂の元に駈けだす。
その光景が俺の心をざわめかせる。
やはり、風丸にとって、円堂という存在は特別なもので、たとえ誰が接近しようが、誰もふたりの間には入る事はできないのだ。
改めて、それを思い知らされる。
「どうしたんだ? 円堂」
「ああ。向こうの鹿のモニュメントの像の近くで黒いサッカーボールが見つかったんだ」
「そうか。やっぱりエイリア学園の奴らが……」
「うん。そうなんだけど。ちょっと、そのことでトラブルがあってさ。だからみんなを呼んでるとこなんだけど」
「何だよ、トラブルって……?」
ただならぬ円堂の雰囲気に、風丸は神妙な顔をした。
「とにかく広場の方に来てくれ!」
「分かった。すぐ行く」
連れ立って風丸は円堂と一緒に広場の方へ向かう。俺は見送っていると、円堂が首を傾げた。
「豪炎寺も来てくれよ!」
「いや……。すまない。後で行くから、先に行っててくれ」
円堂と一緒の風丸を見るだけで、俺の中に嵐が吹き荒れる。そんな感情を、俺は初めて知った。
「そっか。なるべく早くな」
俺の心を知ってか知らずか、円堂は風丸と肩を並べて広場へと行ってしまった。風丸がちらりと俺に振り返ったが、円堂に促されてすぐに駈けだしてしまった。
思えば、俺と風丸がふたりだけでいれたのは、この時が最後だった。
抱きしめたその手を離してしまったこと。
それを後悔するのは、ずっと後になる。
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ふたりに遅れて、広場に向かった。エイリア学園の奴らに壊された巨大な鹿の像が、尖った断面をさらし、その惨劇を物語っている。
どうやら、そこで起こったトラブルとは、財前総理のSPたちが俺たちをエイリア学園の関係者だと勘違いしてきた、ということらしい。勘違いの正体は、例の黒いサッカーボールだ。壁山たちが見つけたそれを、SPたちはこれこそが宇宙人の証明だと言い張った。
「いや。だから俺たちは宇宙人なんかじゃないって!」
円堂が必死に身の潔白をはかろうとしているのに、特に、相手側の、俺たちと年の変わらなそうな少女は頑として聞き入れなかった。
「だったらあたしたちと勝負してよ、サッカーでさ!」
売り言葉に買い言葉とは、こういうことなんだろう。円堂は勇ましい態度でそれを受け、彼らと試合する羽目になってしまった。
風丸は大丈夫だろうか。さっき診た感じでは、休んだ方がいいのかもしれない。
だが毅然とした態度を風丸は保ったままだ。円堂たちに自分の怪我を悟られまいと、平然としている。
「風丸。お前はミッドフィルダーに入ってくれないか?」
試合のオーダーを監督から任された鬼道は、いきなりそう切り出した。
「え? だって風丸は」
円堂が怪訝そうに鬼道を見た。風丸はずっとディフェンダーだったし、以前、鬼道からコンバートの意思を尋ねられた時は、断ったからだ。
「俺たちは今、10人しかいない。しかもだ。入院していなくなった選手は……」
「ん? 半田とマックスと少林と宍戸が……。あっ!」
円堂が指を折りながら仲間を数える。入院中の仲間たちは影野を除き、みんなミッドフィルダーだった。
「俺に、半田たちの代わりにミッドフィルダーをしてくれ、と?」
風丸は目を見張ると鬼道に向かって言った。
「分かった。俺、やるよ!」
きっぱりと言う風丸に、昨日の、給湯室での姿がダブる。
無理をしてるんじゃないのか。そう言いたかったが、さっきの諍いが俺と風丸の間に見えない壁を作っていた。
気遣うひと言でさえ、今の俺には言えない。
そうこうしている内、試合は始まってしまった。危惧した通り、風丸の動きは精彩を欠いているようだ。いつもなら、ディフェンスラインから素早くセンターまで上がってくるのに、前線に出るのさえ、やっとのようだ。
見ていられない。
俺は鬼道にわけを話そうと近づいた。その時、タイムを告げるホイッスルが鳴った。
「どうしたんですか、瞳子監督?」
試合を止めた当人に円堂が話しかけると、彼女は額にかかる前髪を指で払って言った。
「風丸くん。それから、染岡くんと壁山くん。あなたたちはベンチに下がりなさい」
監督のその言葉で、チームの中に動揺が走った。
「何でですか、監督!?」
「7人で戦えって言うのかよ!」
不審がる者があれば、反発する奴もいる。特に風丸は監督に食って掛かった。
「俺はまだやれます! 戦わせてください!」
だが、監督はかたくなに拒否した。
「あなたが今、どういう状態なのか、自分でも分かっているでしょう? チームの足を引っ張る気なら、今すぐ東京に帰ってもらって結構よ」
それを聞いた途端、風丸は俯いてしまった。それ以上は何も言わずにベンチへと歩き出す。染岡が、
「どういう言い草だよ!」
と抗議の声を上げたが、彼女はそれを無視した。次にマネージャーのふたりを呼ぶ。
「あの3人の手当をしてあげて」
木野と音無は慌てて救急箱を持ってきた。それぞれベンチの3人に手当を始める。
「あいつら……怪我をしていたのか!」
鬼道がひとこと唸ると、瞳子監督を感心した顔で見た。俺も、怪我をしていたのは風丸だけじゃなかったと、初めて気がついた。
正直、俺はほっとした。これで風丸も無理をしないだろう。
SPたちとの試合は、3人を欠いた状態ではあるものの、何とか勝利を収めた。俺たちとそう変わらない年頃の少女は、実は攫われた総理の娘で、塔子と名乗った。
「実はさ。あたし、あんたたちが雷門中のサッカー部だってこと、知ってるんだよね。フットボールフロンティアでの、あんたたちの活躍、ばっちり見てたしさ!」
それを聞いた途端、円堂があんぐりと口を開ける。
「じゃ、じゃあ。俺たちを宇宙人呼ばわりしたのって……!?」
「ごめん! あんたたちの実力、知りたかっただけなんだ。……パパを取り戻す力があるのか、見極めようと思って」
財前総理は宇宙人に囚われたままだ。救出するために協力して欲しい。彼女は俺たちに頼みこんだ。
無論、円堂がそれを断るわけはない。彼女と了解の握手を交わしていると、そこへあの、エイリア学園の奴らが電波ジャックで、俺たちへ挑戦を申し込んできた。
予告の場所は奈良市内のテレビ局だ。俺たちはキャラバンでテレビ局に向かう事となった。もちろん、塔子も一緒だ。
座席に着くと、俺は風丸の様子を伺う。足の怪我はまだ酷いのだろうか。気になったが、俺と目が合うと、風丸は視線をそらしてしまう。
嫌われてしまったのか。
折角思いを告げて、結ばれたかと思ったのに、こんなにも簡単に崩れるものだったのか。
公園から、テレビ局は丁度市内の反対側に位置しているらしく、意外に到着するまで時間がかかった。やっとついたそこは、エイリア学園の強襲予告で騒然としている。局員たちは慌ただしく建物の中を駆け回っている。そんな中、俺たちは屋上へ向かった。エレベーターで着いた先には、立派なフィールドが設えてあった。
「すごい! こんな所にサッカー場があるだなんて」
感嘆して円堂はフィールドを見回している。こんな時でもサッカーを優先する円堂が、ある意味俺は羨ましかった。円堂のように、何も考えずにただサッカーに打ち込めれば、どんなにか良いだろうか……。
「豪炎寺、風丸。ちょっといいか?」
太陽が傾きはじめた空を見上げていると、鬼道が俺と風丸を呼び寄せた。
「どうしたんだ、鬼道?」
俺たちの顔をかわりばんこに見て、鬼道は気難しい表情をとる。
「風丸、足の具合はどうだ?」
鬼道にそう言われ、風丸はしっかりテーピングされた足の爪先を、とん、と床へ打ちつけた。
「大丈夫だ。さっき手当てしてもらったから、だいぶ良くなってるよ。今度の試合には出れる」
「それは良かった。だが、あんまり無理するな。……とは言えない状況だがな」
神妙な鬼道の顔に、俺と風丸は眉をひそめた。
「さっきのSPたちとの試合では、なんとかなったが、エイリア学園相手では、流石に誰もベンチに下げるわけにはいかない。で、次の試合の戦術だが……」
鬼道のゴーグルの奥が奇妙に光って見えたのは、何故だろう。
「今の俺たちの攻撃で得点になるのは何だと思う?」
鬼道の問いかけに俺は考えこんだ。
「イナズマブレイクか? それともザ・フェニックス……?」
「3人で攻撃するからな。皇帝ペンギン2号もあるだろ?」
風丸が相槌を打った。だが、鬼道は首を振った。
「皇帝ペンギン2号は兎も角……イナズマブレイクとザ・フェニックスは今回は使わない方がいい」
「なぜだ?」
鬼道は問答めいた事を言う。そのふたつのシュートの共通点はひとつしか無かった。
「円堂……か」
俺の答えに鬼道は頷く。
「ああ、どちらも強力な事は強力なんだが、円堂が加わる以上、どうしてもゴールががら空きになる。失点のリスクは少しでも避けたい。と、なると」
円堂が加わらないシュートで残るのは、片手で数えるほどしかない。
「炎の風見鶏か」
「ああ」
俺が風丸とのコンビネーション技を出すと、鬼道はおごそかに答えた。
「他にもあるだろ? イナズマ落しとドラゴントルネードも」
風丸が言うと鬼道は気むずかしそうに眉を曇らす。
「狙えるべきなら狙うべきだが……。俺は考えるに、エイリア学園の奴らとの戦いはスピードが勝負だ。壁山と染岡では荷が重い。皇帝ペンギン2号も3人の息を合わせるから、その分遅れが出る。……今俺たちが奴らに対抗するには、風丸、お前の足が必要なんだ」
鬼道は俺と風丸の顔を見比べると、再び話しだした。
「奴らの攻撃は強力だがスキがないわけではない。俺は、奴らのスキを何とか見つける。カウンターで反撃を狙うといいだろう。後は……お前たちに託したい」
鬼道は話し終えると、俺たちに相槌を求めた。
俺は軽く頷いたが、風丸はわずかな間、まぶたを伏せた。それでも、決意したのかすぐに目を上げた。
「必要なのはスピード……か。分かった」
その瞳はまるで太陽の輝きを秘めているようだ。
「ふたりとも、頼むぞ」
俺たちと話を終えると、鬼道は円堂と話をするため背を向けた。風丸は俺に向かいあうと決意あふれる顔で俺を見る。
「豪炎寺、やろう。奴らに一矢報いるんだ。半田たちの仇、絶対討ってやる!」
その顔に、悲壮感が俺には見えた。
「俺は全力で行く。だから俺のスピードに合わせてくれ」
その声がかすかに震えていた。
「そうだな」
その時の俺はそう答えるだけしかなかった。気遣いたい気持ちはあったが、風丸はそれを拒むだろう。風丸は俺の答えを聞くと、強張った表情をくずし、笑顔を見せた。
もしかしたら、今ならちゃんと訳を話せるかもしれない。
だが、風丸の話をしようと向き直った時、視界の端に映ったのは、黒いコートの、怪しい男たちだった。
「どうしたんだ? 豪炎寺」
風丸と話をしている場合じゃなくなった。ぎょっとして俺は奴らの姿を追う。
風丸は首を捻ったが、晴れ渡っていた空が突然暗くなりだすと、はっと身を強張らせた。暗くなった空の中心が、闇の渦を作り出し、そしてその中から、異様な姿をした者たちが現れたからだ。
エイリア学園の奴らだ。
風丸は身震いしながら、奴らの顔をじっと睨む。
そして俺にとって、最後の決断の時が迫っているという事実が突きつけられた。
夕香を取るか、風丸を取るのか。
そしてその選択に『両方』と言う答えはなかった。
運命を知らせるホイッスルがフィールドに鳴り響いた。
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試合は惨敗の結果で終わった。
シュートを決めるチャンスはあった。だが夕香を思うといつも通りの結果を出せない。チームの力になりたい気持ちと、夕香の身を案じる気持ちがないまぜになって、それが集中できなくさせている。
瞳子監督は草々に戦術を変え、チームみんなの体を守ると同時に、円堂に実戦の経験を積ませるのも兼ねて、俺たちに守備を捨てさせる作戦に出た。
もちろん、みんなからはブーイングだ。円堂が反撃のきっかけを掴んだのもあって、最終的には納得した。
エイリア学園の奴らが去ってしまうと、例の三人の男たちも姿を消した。
やはり俺を監視していたんだろう。それを確認しようと、男たちがいた場所に足を向けると、風丸が俺を追ってきた。
「どうしてだよ!? 豪炎寺。俺に合わせてくれるんじゃなかったのか」
風丸は試合中の俺に、納得してない様子だ。
「お前、ホントに変だぞ。SPとの試合の時と、動きが全然違うじゃないか」
「それは……」
風丸が俺を責めるのも尤もだ。たとえ自分たちの力が及ばなくとも、一矢報いたいという気持ちは分かる。
俺の行為は、風丸にとっては裏切りでしかない。
けれども、俺は……。
「……すまない」
それだけ、言うのがやっとだった。
短い言葉と、ただ頭を下げるだけの俺に、風丸は驚いた表情を浮かべた。
「俺……分からないよ。ただ、謝られたってさ。何か理由があるんじゃないのか?」
それは、言えない。夕香が人質にとられていると教えたところで、風丸を惑わせるだけだ。
黙ったまま、頭をもう一度下げる。俺を見て風丸は、一歩後ずさって頭を振った。
「なんでだよ……」
風丸の声に、ほんの少し湿った色が混じる。それに気づいた時、遠くから円堂が俺たちを呼んだ。
「すぐここを出るぞ。財前総理が見つかったって!」
「本当か?」
「ああ。だから一旦東京に戻る事になったって」
「分かったよ。今行く」
円堂に返事をすると、風丸は一瞬俺に向き直ったが、すぐに踵を返した。
俺は、走り去る風丸の背中を、黙って見ているしかなかった。
思えば、風丸とふたりだけで言葉を交わしたのは、これが最後だった。まっすぐでひたむきな瞳も、軽やかに走る姿も、さらりとした髪も、今は遠い。
キャラバンに戻った俺に告げられたのは、瞳子監督の勧告命令だった。
「豪炎寺くん。あなたにはキャラバンから降りてもらいます」
理由は言わない。彼女はただ、深い色のまなざしを向けるだけだ。
「なんでだよ! 豪炎寺を下ろすなんて、なに考えてやがんだ!?」
染岡が監督に噛みついた。彼女は何も言わない。
次に直訴したのは風丸だった。
「そうですよ! 豪炎寺はうちのエースストライカーなんです。豪炎寺なしでどうやって、あいつらに勝てって言うんです?」
だが、やっと口を開いた監督が言ったのはこうだった。
「チームの足を引っぱる者は必要ありません。風丸くん、あなたならよく分かっているのではないかしら?」
「……うっ」
愕然とした表情で風丸は目を見開いた。チームのみんながざわめき始めた。
「豪炎寺さんがシュートを外したから……?」
栗松と壁山が互いに顔を見合わす。みんなの視線が俺に集中した。
これはいい潮時なのかもしれない。今の俺の、どっちも選べない気持ちのままでは、本当にチームの迷惑になってしまう。
「分かりました」
俺はそれだけ告げると、キャラバンに置いたままだったスポーツバックを手にした。無造作に肩に背負うと、両腕を組んで動向を見守っていた監督に頭を下げた。
円堂が引き止めようと俺を追ってくる。
「豪炎寺! 待ってくれよ」
それを無視して俺は足を進めた。
キャラバンは鹿公園に止めてあったので、進んだ先には、エイリア学園の奴らが壊した鹿の巨像が虚しく立っていた。まだ、警察の捜査がすんでないので、黄色い『立ち入り禁止』と記されたバリケードテープが張りめぐらされている。
「ホントに行っちまうのかよ、豪炎寺」
俺を追ってきたのが、円堂だけだった事に、内心、がっかりしたと同時にほっとした。
俺が頷くと、円堂は深刻そうな顔をする。
「俺、瞳子監督に思い直してもらうように、掛け合ってみるよ。だから」
円堂は必死に引き止めようとしている。だが、今の俺にはチームに留まる資格なんてない。それに。
「……俺は、お前たちと戦いたくはないんだ」
俺が放った言葉に、円堂は青ざめた。俺の真意は伝わったのかどうか……。円堂は呆然としながらも、笑顔を作る。
「俺、お前が必ず戻ってくるって、信じてる」
真っ赤にやけた夕陽が、辺りを包み込んだ。円堂の顔には夕焼けが映えて力強い輝きに満ちていた。
こんな俺を円堂は信じてくれるのか。風丸との絆に嫉妬していた自分が恥ずかしい。
気がついたら、俺の目には溢れんばかりの涙があふれてた。それをこらえて、俺は円堂に背を向ける。たとえ、円堂が信じてくれていても、その気持ちには応えられない。それが、事実だ。
「待ってるからな! 豪炎寺!!」
唇を噛みしめて、俺は公園を後にした。
俺がキャラバンに、大手を振って戻ってこられる時はくるんだろうか。見上げた空は夕焼けで赤く染まった色に、夜の闇が混じりだしている。ぽつんと星がひとつ、瞬いた。
ふと、ジャージのポケットから携帯の着信音が聞こえる。
風丸からだろうと取り出したが、ディスプレーに映っているのは知らない番号だった。訝しみながら出ると、聞き覚えのある声がした。
「もしもし、豪炎寺くん?」
俺は携帯を握りなおした。どうして、今、彼女が俺にかけてくるのか。むっとして俺は出た。
「何の用ですか」
「……東京へは戻らない方がいいわ。彼らが見張っているでしょう」
心臓が止まるかと思った。何故彼女はその事を知っている?
「行く宛てがないのなら、沖縄へ行きなさい。彼らもそこまでは追ってこないでしょう」
「沖縄?」
何故? 俺はそう訊きたかったが、彼女は答える事はないかもしれないと、それ以上は言わなかった。事実、彼女は俺の問いには答えずにこう結んだ。
「今はじっと機会を待つことね。いずれ、あなたの力が必要になる。……それまでは」
それだけ言うと、通話はぷつりと切れた。
俺は切れた携帯を握りしめたまま、歩道の真ん中で立ち尽くしていた。自分の中で彼女への疑問と、これからどうするべきかが、ぐるぐる回っていく。
彼女はどこまで知っているのか。俺が夕香を盾に脅されているのも、その所為でさっきの試合でシュートを決められなかったのも、全て分かっていたのだろうか。
だとすれば、彼女とは一体何者なのか……?
夜の闇が、一層濃さを増して辺りは深く黒に沈んでゆく。
俺は何もかもが分からなくなり、行き場を失っている。
「沖縄……か」
彼女が携帯の通話越しに放った言葉が、浮かびあがる。
この際だ。乗ってみるか。
俺は肩に背負ったスポーツバッグを掛けなおすと、街中へと急ぐ事にした。
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ギラつく陽射しが砂浜をじりじりと焼いている。目も眩みそうな光を避けて、俺はフードを被りなおした。
「ねぇ、お兄ちゃん。俺にサッカー教えてよ」
「悪い。また今度な」
すがりつく目をした子供に詫びると、竹でできた潜り戸から豪快な声が飛んだ。
「こらぁー。お兄ちゃんは忙しいんだ。邪魔するんじゃないぞ!」
俺が世話になっている家の長男が、まだ小さな弟を叱りつけた。
「洗濯終わったら、あんちゃんが教えてやるって言ったろ」
「だってぇ。あんちゃんより豪炎寺のお兄ちゃんの方が、すごく上手いもん」
「って、お前なぁ!」
弟にズバリと言われたのが堪えたのか、長男は頭を抱えた。
「すまない、土方。いつも世話になってるのに、大した礼もできなくて」
俺が土方の弟の背中をぽんと押してやると、渋々長男の元に戻った。土方は苦笑する。
「いいって事さ、豪炎寺。お前は特訓してすげぇ必殺技あみ出すんだろ? 俺たち兄弟の事は気にすんな」
土方はにかっと笑うと、手に持っていた包みを俺に手渡した。その笑顔が、円堂のものと奇妙なほどそっくりで、俺の心は複雑に乱れる。
「じゃ、これ。昼メシとお茶な」
「ありがとう」
俺は土方に礼を言うと、ひと気のない浜辺に向かった。
沖縄に来てから、もう数週経つ。俺はたまたま出会った土方の世話になりながらずっと、ひたすらボールを追い、筋力を鍛える。そんな特訓の日々を送っていた。
チームに戻れようと、戻れまいと、今の俺に必要なのはエイリア学園の奴らを打ち破る、絶対的な力を身につける事だ。土方のように、こっそりと俺に味方する者はいても、基本的には特訓するのはひとりきりだ。
紺碧の空の天辺で陽は全てを焼き尽くす。俺はある程度の特訓を終えると、休憩をとろうと木陰へ移動した。
土方の用意してくれた握り飯をお茶で流し込む。豪勢な食事とはほど遠いが、今の俺にとっては充分すぎるほどありがたい。
時刻を見ようとパーカーのポケットから携帯を取りだす。ディスプレーは12時半ばを示している。握り飯をかじりながら、手のなかの携帯の着信を確かめた。
新着は何もない。一番新しいのは、俺が奈良からここに来る直前に届いたものだけだ。
風丸からのメールだった。
何度も読み返したそれを、俺は今日も表示する。
『豪炎寺、今どうしてる?
あれから何度も考えたんだが
俺にはやっぱりお前がわざと
シュートを外したなんて
思えない。
何か特別な理由でもあるんじゃ
ないのか?
よかったら、俺にだけでいい。
わけを教えてくれないか?
俺は絶対お前が戻ってきて
くれるって信じてるから
風丸』
読み終えて、毎度のように溜息をつく。
風丸からのメールはそれっきりで、俺も、何度も返信しようと思ったが、いざ文面を打ってみてもなかなか踏ん切りがつかないまま出せなかった。
いくら待っても来ない返事に、風丸もしびれを切らしてしまったかもしれない。
風丸や円堂、そしてキャラバンのみんなが、必死になってエイリア学園に対抗しているだろうと、ずっと気になっていた。
たまにテレビのニュースで奴らとの試合が流れていた。だが、最初のチームであるジェミニストームを下したかと思ったら、また新たな、更に強いチームが現れたらしく、苦戦を強いられ続けているようだ。
テレビのモニターに映るチームは、円堂をはじめ、みんなとても辛そうで、特に風丸は以前病室を訪れた時のように、どこか暗い表情をしているのが気にかかる。
できるものなら今すぐにでも、みんなの元に駆けつけたい。
まだ辛い顔のままの風丸を抱きしめてやりたい。
だが……、今は無理だ。
携帯を持ったまま座りこんでいる俺に一瞬、潮風が吹いた。ふと辺りに目をやると、木々の下に色とりどりの大輪の花が咲いている。赤、白、ピンク、紫……そして太陽のような黄色。
その花を見ると、どうしても風丸が俺にくれたあの花を思いださずにはいられない。
俺が沖縄に来てやっと、あの花の世話をフクさんに頼むのを忘れていた事に気がついた。あの日、突然俺たちを襲った事件があってから、あの花の存在がずっと頭の中から飛んでしまっていた。
もう、あの花は枯れてしまったかもしれない……。
俺がキャラバンに戻れたのは、更に数週あとの事だ。
特訓の甲斐もあって、これぞという必殺技を習得した俺は、沖縄までやってきた円堂たちと再び相まみえた。塔子の仲間である、財前総理のSPたちの暗躍のお陰もあって、エイリア学園の魔の手から夕香を救い出す事ができたのだ。エイリア学園のファーストランクらしい、イプシロンの奴らを撤退させる事もできた。
円堂や鬼道、そして懐かしい顔ぶれや新しい仲間たち。そんな彼らと一緒に戦えるようになって、孤独の中で特訓している間ずっと、俺がどれだけそれを渇望していたか、どれだけそれが幸福なのかを、改めて思い知った。
……だが、やっとの思いで戻ったチームの中に、風丸の姿はなかった。
染岡と栗松が負傷のためにキャラバンを降りたとは、テレビの中継に映っていなかったのと、古株さんが教えてくれたので、分かってはいたが。俺が風丸不在の理由を尋ねると、何故だかみんなから笑顔が消えた。
不思議に思って、俺は他のみんながいない場所で円堂から訊く事にした。
「風丸はどうしたんだ?」
風丸の名を出しただけで、みんなと同じように、円堂の顔から笑みが消える。
「風丸は……」
「どうしたって言うんだ? 何があった?」
言い淀むのをせき立てると、やっと円堂は口を開く。
「風丸は今……、稲妻病院だ」
「病院?」
円堂の言葉は俺の心を、冷水をかけたみたいに凍りつかさせた。
「怪我をしたのか!?」
俺がテレビで風丸を見たのは、大阪の試合が最後だ。
円堂はなかなか答えない。ただ、下ろされた拳がぶるぶる震えている。
「……お前がさ、キャラバンを降りたあと、風丸はなんか悩んでたみたいなんだ。なのに俺、あいつの事、大丈夫だろうって相談も何も乗ってあげられなかった。もっと、あいつと話し合わなきゃいけなかったのに……俺は」
下を向いている所為か、円堂の顔はよく見えない。震える声にかすかに涙が混じっている。いつも太陽のように笑っている印象しか俺にはないので、今の円堂はひどく異質に見える。
俺がいない間、円堂と風丸の間に何があったのか。それは定かではないがどちらにせよ、俺には入り込めない領域な事は確かだ。
しかし風丸が今、病院にいるという事と、円堂の様子から見ると、かなりひどい怪我をしているんじゃないのか。俺はそう考えていると、いつの間にいたのか、鬼道が俺の肩を叩いた。
「ちょっといいか?」
顎でしゃくって、鬼道は浜辺を指し示した。
太陽は相変わらず砂浜を焼き、ゆらゆらと空気が揺れ動いた。浜辺はひと気がなく、近くの畑に高く生い茂るサトウキビがざわざわとざわめいている。
「風丸の事だが……」
単刀直入に切りだす鬼道の顔は、どこかこわばっていた。
「お前が他の奴らに訊こうとしていたと聞いてな」
ゴーグルのぶ厚いレンズに阻まれて、鬼道の表情は伺えない。だが、重苦しい口ぶりや態度は分かる。
「教えてくれるのか?」
「……あまり、いい話ではないぞ」
鬼道は前置きすると、これまで起こった事を話しはじめた。風丸が何か悩みを抱えていたらしい事と、福岡で円堂のじいさんのものであるノートが見つかった事、そしてそれを奪いにエイリア学園の最強チームがやってきた事……。
「では風丸は奴らに?」
「ああ。潰された」
鬼道は苦しげな重い声で、そう答えた。俺はその光景を想像してみた。目が眩みそうになる。
「ほら、フォワードの吹雪って奴がいるだろう。あいつはその頃からまともに試合に出られなくなった。風丸はあいつの分までカバーしようとして、それで……」
鬼道の声が時折詰まるのは、その時の事を思いだしてるからだろうか。確かに、いい話なんてものじゃない。
「かと言って、吹雪の奴を責めるな。あいつだって、今、相当苦しんでいる。俺たちがどうこうして何とかなるような、そんな軽いものじゃない」
「分かった……」
「風丸が傷を負った時の、円堂の落ち込みようは酷いものだったぞ。風丸とちゃんと話をしてなかった所為だと言って、自分を責めている。今の円堂にも、あまり風丸の話はしない方がいい」
「そうか……」
「これは、円堂も知らない話だが……」
鬼道はひときわ声を落とすと、ひそやかに俺に囁いた。
「春奈から聞いた話だ。入院する前の風丸は、毎日のように胃腸薬を常用していたらしい」
俺はぎょっとなって鬼道の顔を見た。自分でも顔が青ざめるのが分かる。
「チームの誰もが、風丸を失った事で気落ちしている。……俺だって風丸がいなくなったのは辛い。あいつの代わりになれる者なんて、そうはいない」
鬼道の声が震えている。風丸の存在がどれだけチームに必要不可欠だったのか、それは鬼道の様子が充分伝えていた。
「俺たちに今、できる事はひとつ。風丸の思いを背負って戦う事だけだ。そしてエイリア学園を必ず……討つ!」
鬼道は握りしめた拳を震わせると、そこで言葉を切った。
「話はこれで終わりだ。悪いがこれ以上は俺も……」
「いや、充分だ。ありがとう、鬼道」
俺が礼を言うと、鬼道はやっと笑みを浮かべてマントをひるがえすとキャラバンへと戻っていった。
気がつけば潮風がびゅんと吹きつけ、ヤシの木の大きな葉も揺れていた。風は波のように草原を凪いでゆく。
俺はずっと風丸の事を思い浮かべた。
夕香は今、SPたちの手で保護され安全な場所にいるそうだから、風丸はちょうど入れ替わるように稲妻病院に入院したのか。
無性に風丸に会いたかった。
失意の底にいるはずに違いない。風丸を思いきり、抱きしめて慰めてやりたい。
目を開けていられないほどの太陽の光で満ちている浜辺を、俺は細目で眺めながらただ、風丸を思った。
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キャラバンは沖縄から急遽、東京に戻る事になった。瞳子監督が言うには、これで日本最強のチームメイトは揃った、という事でいよいよエイリア学園の本拠地に向かうのだ。
鬼道は帝国学園にどうしても用がある、と言いだしたので、富士の樹海にあるというエイリアの本部へ行く前に、特訓も兼ねて稲妻町に滞在する事となった。
監督がどうも勇み足のような気配を醸しだし、チームメイトの吹雪が更に気落ちしているのは気にかかるが……。
「で、用って何だよ?」
沖縄から東京までのフェリーに乗り、デッキの上で過ぎ去る波しぶきを見送りながら、円堂が鬼道に尋ねた。
「帝国に残っている必殺技の秘伝書だ。強力な身体能力が必要だが、今の俺たちなら覚えられるはずだ」
「何だ、それ。スッゲー技なのか!?」
鬼道は円堂ににやりと笑い返す。
「ああ。未だ誰も実現させていないんだが、ジェネシスを倒すには是非とも習得しようと思ってな」
「なるほど! それは覚えがいありそうだな!」
円堂は拳を突きだして闘志をみなぎらせていた。
東京に戻れるのなら、稲妻病院には寄れないだろうか。俺はどうしても風丸に会いたかった。
「病院?」
円堂と鬼道に一応、抜けて稲妻病院へ行く伺いを立てた。了解はすぐに得られた。
「染岡と栗松も稲妻病院にいるらしい。元気がどうか、見て来てくれないか?」
「お前は行かないのか、円堂?」
何の気なしに訊いたのだが、円堂は目を伏せるとデッキの縁に肘をついてもたれかかった。ただ、海原を眺めている。
「俺は……、俺は特訓するさ! あいつらのシュート、絶対止めなきゃ。立向居はムゲン・ザ・ハンドを一瞬でも出せたんだ。俺だって負けられない」
円堂の背中が震えてた。
「だから、だから俺の分までみんなを励ましてくれ! 今に仇とってやるってさ」
「……ああ」
円堂だって本当はみんなの見舞いに行きたいんだろう。特に、俺が戻ってから、円堂の口から「風丸」の名が出る事はない。忘れてるわけじゃない。何も言わないが、我慢してるだろうとは分かっていた。
俺はあいづちを打つのが精一杯で、それ以上、円堂には何も話しかけられなかった。今の円堂は、エイリア学園を倒す事以外の何も、拒んでるかに見えた。
海を渡ってやっと、俺は稲妻町に戻ってきた。あの日、夕香が囚われる事に怯えながら出発してから、もう何年も経ってるみたいに感じた。本当はほんの数週の事だったが。
戻って来たとは言え、夕香の安全が図られただけで、俺たちをめぐる一番の問題は残ったままだ。それでもこの町の風景は変わりなく、ひどく懐かしい。
不思議なものだ。ほんの数ヶ月前は俺は木戸川で大好きなサッカーを避けてつまらない日々を過ごしていたのに。夕香の看病のためにここに移り住んで、円堂たちに出会ってからというもの、この町が俺の中ですっかり馴染みのものとなっていたらしい。
瞳子監督と仲間たちの許可を取って、俺は稲妻病院へ向かった。通いなれた道を進むたびに、鼓動が高鳴るのを抑えられない。
塔子が教えてくれた通り、夕香は安全な場所へと移ってしまったので、病院には今はいない。だから半田たちの病室へ向かった。
階段を昇りかけたところで、見知った顔と出くわす。
「染岡」
「おう!」
ピンク色の五分刈り頭が苦笑いで応えた。
松葉杖をついた染岡の右足には、包帯が痛々しいほど巻いてある。
「見舞いにきてくれたのか」
俺が頷くと嬉しそうに照れ笑いした。
「お前、キャラバンに戻ったんだな。沖縄の試合、テレビで見てたぜ」
「心配かけてすまなかった」
「いいって事よ。お前、ちゃんと強くなってるじゃねぇか。お前が俺たちの分も戦ってくれると思うと心強いぜ。そりゃ、できるもんなら、今すぐにでも合流したいんだがな」
俺は染岡の顔をまじまじと見た。こいつがそんな殊勝な事を言うとは思わなかった。
「分かった。お前の気持ちもこの足にこめる」
包帯に目を落とし、一瞬、忌々しげな顔をしたが、すぐに染岡は真顔になった。
「頼むぜ、豪炎寺」
俺は深く頷いた。
「ところで、風丸の病室はどこなんだ?」
「風丸? ヤツなら俺と同じ部屋だぜ。半田たちの隣りだ」
「そうか、ありがとう」
俺は染岡に礼を言うと、病室に急いだ。半田たちの部屋を通り抜けて──あいつらにはあとで顔を出そう、悪いが。そう心で詫びながら、入り口の横にかかっているプレートに風丸の名があるのを一応確認してから、ドアをノックした。
「あっ、豪炎寺さん!」
左右にふたつずつ並べられているベッドには、ひとりの姿しかなかった。いがぐり頭の後輩だ。
「見舞いにきたんだが……。お前ひとりか?」
栗松は鬼道の話によると、大阪で何者かに襲撃されたらしい。多分エイリア学園のひとりではないかと言われてるが、未だ判明してない。
栗松の頭は包帯で半分隠され、左腕は肩から白い布で吊ってあった。
「はいでやんす。さっきまで風丸さんがいたんでやんすが……。染岡さんは喉がかわいたってジュース買いに行ってるでやんすよ」
「染岡にはもう会った。風丸はどこに行った?」
「さあ……。黙って行っちゃったでやんすから」
首を横に振る栗松に、俺は外を見てくると言って、廊下に出た。辺りを見回して、階段の方で蒼い髪の毛がそっと揺れた。気がした。
「風丸!?」
屋上へと続く階段の真下まで行ってみたが、人の姿はない。上にいるのか?
俺は階段をのぼって、『開放厳禁』の張り紙がしてあるドアを開いた。
「風丸!」
屋上は洗濯干場になっていて、白いシーツや患者服が風にひるがえっている。見回しても、誰の気配もなかった。
あの特徴的な蒼く長い髪は、見間違いだったのか?
俺はがっかりして元の階段を降りた。半田たちの病室を訪れると、先客が来ていた。
「豪炎寺じゃないか!」
御影専農中の杉森と、俺が以前通っていた木戸川静修の西垣だった。
「お前たち、どうしてここに?」
「雷門中とエイリア学園の試合を中継で見てるうちに、いてもたってもいられなくなってな。俺たちのところも部員の半分は入院中だ」
杉森がこう説明すると、今度は西垣が言葉を継いだ。
「一之瀬と土門は、アメリカにいた頃からチームメイトだったしな。あいつらが頑張ってるのに、なんにもしないワケにもいかないだろう」
「サッカーの強豪校で、まだ無傷な部員たちでお前たち雷門中をバックアップしようって話が持ち上がっている。俺はその相談も兼ねて響木監督とこれから会う事になっているんだ」
「そうだったのか」
俺が納得して杉森と西垣を見ると、隣りに見知らぬ顔がいるのに気づいた。色素のうすい髪を、無造作にうしろに流している少年だ。
「そいつは?」
「ああ。豪炎寺は知らないんだったな。そいつは闇野カゲト。雷門の転校生だよ。俺たちはシャドウ、って呼んでる」
半田が代わりに答えた。シャドウが黙って頷き、俺を見る。その瞳は妙に深く、暗闇のようだった。
「ところでお前たち。風丸を見なかったか? 隣りの部屋にはいなかったんだが」
シャドウの視線が俺を射抜くのを奇妙に感じながらも、当初の目的を思いだしてみんなに訊いてみた。
「あれ? 会わなかったの? 風丸ならさっきまであっちで見かけたけど」
松野が不思議そうな目を向ける。俺はかぶりを振った。
「いや。見てないが」
「おかしいなぁ。松葉杖だから、そんな遠くには行けないハズだけど」
松野は猫みたいに目を細めると、ひそひそと俺にだけ聞こえるように囁いた。
「風丸さ。ここに転院してから、ずっと変なんだよね。ベッドの上で塞ぎ込んじゃってさぁ。なに話しかけても、上の空なんだ」
松野の話を聞いた途端、俺の胸は締めつけられた。風丸にすぐに会わなければ。今までの事を謝って、そして抱きしめれば……。
風丸は今も、苦しみを抱えているはずだ。
隣りの病室で、戻ってくるのを待とう。そう思った時、ジャージのポケットに入れていた携帯が鳴りだした。
病室のみんなに断り、廊下で応じると、かけてきたのは円堂だ。
「どうした? 円堂」
「大変だ、豪炎寺! 今すぐ雷門に戻ってくれ!」
円堂は切羽詰まった声で、俺は驚きを隠せなかった。
「何かあったのか?」
「あいつが、あいつがいきなり来たんだよ!!」
俺には円堂の様子が分からないままで、更に尋ねる羽目になった。
「あいつとは?」
「アフロディだよ!」
世宇中のキャプテンの名だ。奴が現れたとは、もしや影山と何か関係でもあるのだろうか。影山は愛媛の深海に消えた、とは聞いたが。未だ俺たちには奴は禁忌の存在だ。それに関係していたアフロディが現れたとなると……。
「分かった。すぐ戻る」
風丸の事は気になる。だが、みんなの身に何か起こったのなら、黙って見過ごすわけにはいかない。
俺は溜息をつくと、いったん風丸の病室を覗いた。ベッドはもぬけの殻のままだ。諦めて、半田たちの部屋に戻り、雷門中に帰らなければならない事を伝えた。
帰り際、松野に伝言を残した。
「すまないが、風丸に伝えてくれ。『すまなかった』って」
「いいけどさー。直接言った方がよくない? ……まあ、それどころじゃないんだろうけど」
肩をすくめる松野に、尤もだと思いながらも、俺は稲妻病院をあとにした。
俺は知らなかった。
この時にはもう、全てが手遅れだったと言う事に──。
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それから。俺たちにとって驚く事が次々に起こった。
アフロディは敵としてやってきたのではなく、雷門に協力しにきたので、杞憂に終わったが、それから休む間もなくエイリアの本拠地へと向かった。
瞳子監督の事情、エイリア学園の正体、全ての事が驚愕だったが、それも最強のチームであるジェネシスを打ち倒すことで、決着がついた。
チームメイトの吹雪の問題も、やっとあいつ自身が抱えていたもうひとりの自分とひとつになった事で、解決した。
エイリアの本拠地は富士の樹海の奥で爆発し、もう、人の気持ちを変えてしまうというエイリア石も吹っ飛んだらしく、これ以上の被害が世界に及ぶ事もないんだろう。
色々あった。円堂も俺も、みんなも。
でもこれで全て片付いたんだ。
富士の樹海を脱出して、瞳子監督とジェネシスのキャプテンのヒロトとはそこで別れを惜しんだ。
そして、俺たちは稲妻町へ帰る事になる。
キャラバンの中で、チームみんなの明るく弾んだ声が響いている。俺は携帯を開いて、着信を確かめた。
ディスプレーには何も映ってない。
がっかりして携帯を閉じた。松野はちゃんと風丸の伝言してくれただろうか。この数日間は全く音沙汰がなかった。
でも、どっちにせよちょっとの辛抱だ。稲妻町へ帰ったら、時間をかけてでも風丸と仲直りしよう、そう心に誓った。
いよいよ懐かしい稲妻町にキャラバンは入った。まっすぐ雷門中へ向かう。
だが。着いた先は、生徒も出迎えの先生も誰もいなかった。
「一体どうしたのかしら」
雷門夏未が父親である理事長の姿がないので、不振そうに言う。そこへひとりの職員らしき男が、彼女に近づいてきた。
どうも、生徒たちは今、まだ校舎の工事が終わってないので、登校していないらしく、理事長たちは用事があるらしかった。これから歓迎パーティの準備をするので、マネージャーたちは職員たちと校舎の奥へ行ってしまった。
「じゃ、稲妻病院行って、風丸たちに勝利の報告しようぜ!」
円堂のひとことで俺たちは病院へ向かう。
ああ……。これでやっと風丸に合える。俺は胸がわくわくした。
だが訪ねた病室は、風丸どころか他の入院しているみんなの姿がなかった。
「何で、誰もいないんだ?」
俺たちが病院中を探しまわっていると、不意に後ろから声をかけられた。
「おにい……ちゃん?」
「夕香!?」
ピンクのゆったりしたパジャマを着た夕香が、そこに立っていた。
「おかえり! おにいちゃん。夕香、もどってきたの。もうすぐ退院できるって!」
抱きよってくる夕香のか細い体を、俺は抱きしめた。どうやら、エイリアの関係者たちは逮捕されてしまったらしく、夕香ももう安全だというので、帰されたのだろう。
「ああ……! 良かったな、夕香」
「夕香ちゃん、はじめまして。退院かぁ。おめでとう!」
円堂が嬉しそうに夕香に笑いかけた。
「うんっ。ええと……あなたが円堂おにいちゃんだよね? 夕香、いつもテレビでおうえんしてたよ」
「ありがとう。ところで風丸たちを知らないかなぁ?」
「風丸おにいちゃん? もしかしたら河川敷ってところでリハビリしてるかも」
「えっ!?」
夕香の口から意外な場所が出た。
「そっか、河川敷か。グラウンドでサッカーしてるかもしれないな!」
円堂はほっとした顔でみんなを呼んだ。
「風丸たちは河川敷らしい。この際だからリハビリ手伝うついでに一緒にサッカーしようぜ!」
こんな時まで、サッカーをやりたがる円堂に俺たちは苦笑しながらも、河川敷へと急いだ。夕香にはあとで戻ってくると伝えて。
河川敷はいつも通りに明るい陽射しの中でたたずんでいた。だが、やはりそこにも風丸たちの姿はなかった。ただ、グラウンドの隅に黒こげになったゴムのようなものが、散らばっていた。
「どうしちゃたんだ。風丸、染岡、半田……。他のみんなも一体どこへ行っちまったんだ?」
円堂がおぼつかない顔つきで、辺りを見回す。だが、河川敷は風が吹くばかりで、人の気配はない。
その時、遠くでドーンという、轟音が響いた。
この音は聞き覚えがある。何処でだっただろう。
「何だよ、今の?」
チームのみんなは、辺りに漂う不穏な空気に戸惑いを隠せない。
「鉄塔の方だ」
鬼道が鉄塔を指差す。高くそびえる鉄の塔めがけて、円堂が走りだす。俺たちもあとに続いた。
小高い丘の上にある鉄塔は、言わば稲妻町のシンボルだ。俺が円堂と初めて出会ったのもここだ。円堂は鉄塔から見える、稲妻町の景色が好きだと言っていた。小学校の頃から、よく風丸とここで遊んでいたとも聞いた。ここはこの町の住民にとって、特別な場所なのだ。俺もまた……。
風丸と初めてキスを交わしたのもここだ。
西の空に夕日が輝く、この場所で。
俺たちが異変に気づいて着いた先で、やっと何が起こったのかが分かった。鉄塔は一部が無惨なまでに壊されていたのだ。地面に壊れた鉄塔の一部が、突き刺さるように倒れている。
「ひどいな……これは」
誰ともなく、壊された鉄塔を見上げて言った。
「円堂、どうなってやがんだ? お前らの仲間も、町も」
沖縄からキャラバンに参加した綱海が首をひねりながら尋ねた。彼だけは、風丸たちの事情をまったく知らない。問われた円堂も、わけが分からない、という顔をする。
「そう言われてもさ。俺だって……。早く風丸たちに会いたいのに」
「多分なぁ、こうやないの? 町を挙げてのサプライズパーティ! ……ちゃうな、やっぱ」
大阪から仲間入りしたリカが、おどけた調子で言ったが、みんなの中に漂う嫌な予感は消えないままだ。
俺は重く、気ばかりがあせる気持ちを抑えて、広場の周りを見回した。風丸たちが河川敷で練習していたらしいのは、目撃したと言う人がいるので、稲妻町内にいるのは間違いないのだ。
鉄塔下にある資材小屋の方へ一歩踏みだすと、視界の先に明るい黄色が飛びこんできた。ひどく見覚えのある……。
気がついたら駈けだしていた。小屋そばの植え込みに引っかかっているそれを、急いで掴む。間違いなかった。
「誰か見つけたのか、豪炎寺?」
円堂と鬼道が、慌てて追ってくる。自分では気がつかなかったが、俺は相当血相を変えていたらしい。
「円堂、これは風丸のユニフォームじゃないのか!?」
見間違えるはずもない。背番号2の雷門のユニフォームを、俺は広げてみせた。奈良で別れるまで、ずっと目で追ってきた。沖縄でひとり特訓してる間、ずっと忘れる事のなかった、風丸の後ろ姿を。
「どうして風丸のユニフォームがここに?」
円堂は顔を真っ青にしている。土門たちが広場の他の場所で、残りの部員たちの分のユニフォームも見つけてきた。
「こ、こんなことって……!」
「風丸さんたちはリハビリしてたんじゃ……」
みんなの中に、動揺が走った。木暮がひょいと顔をだして呟く。
「もしかして風丸さんたち、さらわれちゃったのかもね」
「滅多なこと言うんじゃねぇよ!」
綱海が木暮をどなりつけた。途端に、木暮は立向居の背後に逃げこんだ。
「なんだよ。ちょっとそう思っただけだろ」
「……でも、そうなのかも知れないよ。風丸くんたちのユニフォームを、誰かがイタズラで置いておいたとは思えないし……」
吹雪が、眉をひそめて言う。
「あたし、角巣に訊いてみる!」
塔子が父親の財前総理を護るSPのひとりに連絡を取ろうとした時、円堂の携帯が鳴った。
「はい。あっ、響木監督! ……えっ?」
響木監督からの電話だった。ほっとした次の瞬間、円堂の顔が青ざめた。
「大変だ、みんな! 理事長のところに、研崎から連絡が入ったらしい!」
研崎とは、エイリアの首領で尚かつ、瞳子監督の父親・吉良の側近だった男だ。
「あいつは逮捕されたんじゃなかったのか?」
鬼道が眉間に深くしわを刻んだ。
「それがあのエイリアの研究所の爆発事故のあと、消息を絶ってたらしいんだ。それで……」
円堂が監督からの連絡をみんなに伝えようとしていると、今度は鬼道の携帯が鳴りだす。
「春奈か。どうした?」
音無からだったらしいが、鬼道が携帯のスピーカーに耳を傾けていると、いきなり顔を歪めた。
「春奈っ! 何が起こった、春奈ぁっ!」
鬼道が悲痛な声を上げる。
「どうした、鬼道!?」
俺が鬼道の肩を揺さぶると、悔しげな声でこう返された。
「春奈が……研崎に捕らえられた。雷門夏未と木野も一緒だ……!」
「何だって!?」
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マネージャーたちに一体何が起こったのか。鬼道は妹の音無の事もあり、いつになく戦慄した表情だ。円堂も、他のみんなも一致団結して雷門中に戻る事にした。
風丸たちの失踪も関係しているんだろうか。
せっかく全て、終わったと言うのにどうなっているんだろう。
俺たちをとりまく異様な雰囲気に惑わされながら、雷門中への道を急いだ。
「ようこそ。お待ちしておりましたよ、雷門サッカー部の諸君。いえ……、ジェネシスを打ち倒した地上最強のサッカーチーム、とでも呼んだ方が良いでしょうかね?」
雷門中のグラウンドで待ち構えていたのは、吉良の秘書・研崎とそして、彼の背後にたたずんでいる黒いフードを被った怪しい人間たちだった。特にその中のひとりは、研崎に付き従うように寄り添っていた。
「研崎! マネージャーたちをどうしたんだ!?」
「春奈に何かをしたなら、お前を絶対に許さない!!」
円堂と鬼道が食って掛かるように叫ぶと、研崎はにやりと笑った。
「おやおや……、忘れていましたよ。彼女たちならほら、そこに」
いつの間に居たのか、サングラスとコートの異様な男たちがマネージャーを後ろ手にして俺たちの背後に立っていた。男たちを見て、俺の心は激しく揺さぶられた。
俺を脅した奴らに違いなかった。
「円堂くん!」
「お兄ちゃん!」
木野と雷門夏未が円堂の元に、音無が鬼道の胸に飛び込んだ。開放された彼女たちを、研崎はしたり顔で見ていた。
「その方たちはお返しします。いえ、何も危害など加えていませんよ。……それに彼女たちはもう、用済みですしね」
「研崎ィ!」
鬼道が叫ぶ。円堂はじっと研崎をにらむ。当の研崎は薄笑いをその顔に浮かべていた。
「いったい、何が目的なんだ?」
「あなたたちに最後の勝負をしてもらいたいのですよ」
「最後の? エイリア学園はもう全て倒した。それにジェネシス以上のチームはもうないはずだぞ」
円堂の顔が引きつっていた。研崎とは対照的だ。
「そうでしょうね。私が作り上げたチームは旦那さま……いいえ、吉良星二郎でさえ存じていませんからね。紹介しましょう。あなたたちにとって最高な相手ですよ。さぁ、ご挨拶しなさい」
研崎はにやにやと笑いながら、側に従えたフードを被った人物の肩に手を置いた。俺たちとそう変わらない背丈だ。全身黒のいでたちに白の手袋が、異様に目立った。その、白の手袋がフードをそっと除けた。
俺ははっと息を呑んだ。黒いフードから、蒼い髪がふわりと覗く。
「久し振りだな」
忘れもしない、その声。
それは変わり果てた姿の風丸だった。
風丸だけではない。他の、研崎の後ろに居た奴らも、同じようにフードを外す。染岡、半田、松野……。入院していたサッカー部の仲間たちだった。
誰もが、異様な成りで俺たちににやりと笑っていた。風丸は頭の上で括っていたゴムを外して、髪を下ろしている。だが、さらりと流れるような蒼い髪の先は、奇妙なかたちに宙に浮かんでいる。獣のような瞳孔は爛々と紅く光っていた。
「う、ウソだろ!? 風丸、何で研崎なんかのところにいるんだよ!? それにその格好まるで……」
円堂が驚愕そのものの顔で叫んだ。
「『まるでエイリアみたいだ』そう言いたいのか?」
風丸は能面のような表情のうえに、刃みたいな笑いを浮かべる。
「その通りだよ」
黒いフードの中から風丸が取り出したのは、黒いサッカーボールだった。俺の額につめたい汗が流れる。風丸は黒いボールを地面の上に置くと、勢いざまに蹴りあげた。鋭いシュートが円堂を襲う。
「ぐっ!」
円堂がその凄まじい勢いのボールを、受けとめきれずに地面にこぼした。鬼道が叫んだ。
「研崎。きさま、風丸たちにエイリア石を使ったのか!?」
「ふふふ。その通りですよ」
研崎は風丸のフードの下の、やはり黒くぴったりとしたユニフォームの襟から首元をさぐると、紫色の石のついた鎖を俺たちに示した。
「彼らは、我々の手で生まれ変わったのです。あなたたちと戦う為にね」
研崎はそう言うと、高笑いをあげる。風丸は研崎の手の中の妖しく光るエイリア石をうっとりと眺めていた。
「円堂。俺たちと戦え。俺たちは強くなったんだ。そのちから、たっぷり見せてやるからさ」
風丸は敵意をむき出しにして、円堂に戦いを挑んできた。円堂はかたくなに話し合おうとしたが、風丸は同意しない。
鬼道も俺たちも、風丸たちと戦いたくはなかった。研崎はやれやれと肩を竦める。
「せっかく君たちにエイリア石の力を見せたいと、彼らは望んでいるのですがね。仕方がない、風丸くん。校舎を壊してしまいなさい」
研崎はサングラスの男たちに黒いボールを用意させると、風丸に渡した。
「はい……。雷門中を破壊します」
風丸のその声は、まるで感情が見えなかった。機械のように、建て替えられたばかりの雷門中校舎に向きあう。研崎のその命令は、あまりにも卑怯だった。
最初に、エイリア学園に雷門中を破壊された時、誰よりも悲しんだのは風丸たちだったのに……。
「よせっ! 風丸にそんな事させないでくれ!!」
「だったら、俺たちと戦うんだな。円堂」
風丸はふりむくと、口をゆがめて笑った。
円堂にも、俺たちにもそれを拒む理由はなくなった。
「いいよな、みんな。あいつらに、風丸たちに、本当のサッカーを見せてやろうぜ。エイリア石になんか頼らなくても、サッカーは楽しいんだって!」
円堂のひとことに、チームのみんなが同意した。俺だって怒りが収まらない。あんな風丸を見たくなんかなかった。
暗く、重い空気がグラウンドに立ちこめていた。そして、俺たちと風丸たち、ダーク・エンペラーズとの死闘が始まった。
俺と吹雪のキックオフでゲーム開始となったが、ボールはすぐにあいつらに奪われる。
「遅すぎる。こんな物か、お前たちのちからは」
風丸を始めとして、ダーク・エンペラーズは驚異のスピードで、俺たちを翻弄する。もちろん、俺たちの手を知り尽くしているからこそなんだろうが、どんなに渾身のプレーをしようと、味方にパスしたボールはすぐにブロックされ、とてつもなく速く重いキックでシュートを放つ。
円堂は、瞳子監督の指示でリベロに転向していたから、今回もピッチに上がっている。風丸が近くに走ってくるたび、必死に説得の呼びかけをしていた。
「目を覚ましてくれ、風丸。お前たちが俺たちに敵対することなんてないんだ」
「目を覚ませ、だと? 俺たちは自分たちの意志で今の場所を選んだ。見せてやる、このちからを!」
ボールをキープしていた円堂から、風丸は半ば力ずくでボールを奪った。勢いで円堂はピッチの上にもんどり打った。
「そんなのはニセモノのちからだ! お願いだ! エイリア石なんか捨ててくれよ。そして本当のサッカーをしようぜ、風丸!」
だが、風丸は円堂の説得に全く耳を貸さなかった。それどころか激昂して獣のような形相になる。それを見て俺たちはぞっとした。
「円堂……、お前が羨ましいよ。でも、俺は知ってしまった。絶望ってヤツをな!」
「絶望ってなんだ、風丸。福岡でのことか? でも、それはお前のせいなんかじゃな……」
「黙れ!!」
重く立ちこめる空気が、風丸の叫びで一変する。
「お前たちに、俺の絶望が分かってたまるか!」
思わずひるんでしまったのか、円堂は口をわななかせている。俺は円堂に手を貸して立ち上がらせてやると、風丸の前に立ちはだかった。
「どけよ」
「いいや」
風丸は俺を見向きもせずに言い放った。だが、俺は風丸の前からどかなかった。
「俺には、分かる」
「……なに?」
風丸は目をむいて、俺を見た。
俺たちの前に現れてからずっと、風丸は円堂だけを目で追って、円堂だけに話しかけていた。まるで、世界には風丸と円堂だけしか存在しないかのように。
だが、風丸は初めて俺を見たのだ。
「俺だって、何度も絶望した。母さんが亡くなった時、夕香が事故に遭った時、チームを離れなければならなかった時……。だから、お前の気持ちは、分かる」
「俺の気持ちが……分かる、だと……!?」
風丸が解き放っていた、忌々しい雰囲気がいきなり途絶えた。説得するのなら、今しかない。
「そうだ。だがエイリア石に頼ってたって、何もならない。だからもう」
「豪炎寺……」
風丸が突然苦しみだしたのは、その時だった。呼吸をするのさえ苦しそうに、胸を抑えている。
「風丸!」
俺と円堂とが同時に呼びかける。
俺たちの声が風丸の心に届かなければ、この戦いは終わらない。
その場にうずくまっていた風丸が、もう一度呼びかけた俺たちにふっと顔を上げた。
潤んだ瞳で微笑んだ、気がした。
だが、紫の妖しい光が風丸を包み込む。
風丸の首から下げている、エイリア石が反応したのだと気がついた時には、俺と円堂とが突風で吹き飛ばされたあとだ。
「ふざけるなぁっ! 俺は気に入っているんだ、このちからを!」
俺たちにそう告げると、くるりと背を向け風丸はゴールに走りだした。
「染岡! マックス! 見せてやろうぜ!! 俺たちの最強のシュートを!!」
「おおっ!」
風丸が、染岡と松野とともに放ったシュートは、まさに最強だった。ゴールを守っていた立向居がその強烈さに倒れ、立ち上がれなくなるくらいに──。
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あの苦しい戦いから、きっちり3日経った。
結局、風丸をエイリア石の呪縛から解放したのは、円堂の力だった。円堂の力強い言葉だけが、風丸のかたくなな心を開く鍵だった。
やはり、俺は最後まで円堂と風丸の間で築かれた絆に打ち勝つことはできなかったと言う事か……。
今、キャラバンを乗せたフェリーは沖縄に向かっている。
日本を、エイリア学園から、吉良星二郎そして研崎の陰謀から救った、という功労で俺たちは褒美代わりの旅行を満喫していた。
とは言っても、それは日本中から集められた仲間たちを、自宅へと送って行くのも兼ねていたのだが。
まずは最南端である綱海の地元へ向かっていた。
甲板にはずっと旅をして、そして共に戦った仲間たち、そして入院していた部員たちのはしゃぐ声が響いている。
紺碧の空と海がずっと続く中、やっと見えてきた陸地にみんな想いを馳せているんだろう。
もう俺たちを脅かすものなんて、何もないのだから。
フェリーの甲板をぐるりと見回して、俺はみんなから少し離れた所で蒼いポニーテールの後ろ姿が、円堂の隣りでぽつんとたたずんでいるのを見つけた。
この旅行が始まってからというもの、風丸はずっと円堂と行動を共にしていた。他の、入院していた仲間たちと違って、風丸は終始浮かない顔だ。
無理もない事かも知れない。後から聞いた話だと、風丸は福岡で緊急手術を受けた際、エイリア石を用いた研崎によってそそのかされたらしい。風丸の性格を考えれば、ダーク・エンペラーズの件で自分を責めているのだろう。そんな風丸の様子が気にかかるのか、円堂はずっと風丸のそばにいて、やたらと話しかけたり、もしくはただ黙って一緒に風景を眺めていたりした。
俺は風丸とふたりきりで話をしたかったが、今の所それは叶わなかった。
「もうすぐ沖縄だぞー!」
綱海がみんなに呼びかけている。潮風が頬をかすめた。
海岸にギラつく太陽が照りつける。既に風は秋のにおいを漂わせているが、それでもまだ、ここは充分過ぎるくらい暑かった。
「ここが豪炎寺が特訓してた場所なんだってな」
円堂が風丸を連れて、海辺を眺めながら感慨深げに言った。俺も頷いて、はるか遠い沖合を眺めた。頬に当たる潮風が心地いい。
浜辺では仲間たちがそれぞれ海を眺めたり、波打ち際ではしゃいでいる。その声を耳にしながら海を見ていると、綱海が遠くから手を振って走り寄ってきた。
「円堂。今夜はバーベキューするからよ、ちょっと打ち合わせしたんだが、いいか?」
「ん? ああ!」
円堂が綱海に答えると、すぐに側で立っている風丸にそっと話しかけた。
「ごめん。ちょっと晩メシの相談してくる。すぐ戻るからさ。ここで待っててくれ!」
風丸が頷くと、ぽんと背中を叩いてニカっと笑うと、円堂は名残惜しそうに何度も振り返りながら、綱海と一緒にサトウキビ畑の方へ行ってしまった。
今、風丸の側にいるのは俺だけだ。みんなは遠くの浜辺で遊んでいるし、ふたりだけで話をできるのはこれがチャンスだ。
「風丸」
「ん?」
俺の声に気づいて視線を向けた風丸の横顔は、まだどこかかたくなで、笑みは見えなかった。
「すまなかった。メールの返事すらできなくて……」
俺が頭を下げると、風丸はゆっくり首を振った。
「謝らなくていいさ。だって夕香ちゃんが人質に取られてたんだろう? そんな事されたら、俺だってそうする」
「だが……」
風丸と再び逢えたら、話したい事はたくさんあった。それは星の数ほどなのに、胸の内にこみ上げてくる想いは思っていたよりも熱く、喉がつかえて何故だか言葉にできない。必死になって風丸に伝えようとするが、そのたび、他に言わなければならない事があるような気がして堪らなかった。
潮風が吹いてサトウキビ畑がざわざわと鳴った。
「風丸、俺は……!」
風丸は大きな目を見開いて、首を傾げている。
浜辺に打ち返す波の音と、吹きすさぶ風、照りつける陽光とどこまでも蒼い、海と空。
ひとりきりでただボールを追っていたあの日と、全く変わらない景色。
それを感じた時、あの頃ずっと抱えていた想いを真っ先に伝えるべきなんだと、俺はやっと気づいた。
「ここで、ひとりで特訓していた時。俺はこの景色をお前に見せたいって、ずっと思ってた」
風が、蒼く長い髪を舞いあげる。
目を細めて、風丸は目を海へと向けた。
俺と風丸、ふたり肩を並べて海と空とを眺めていた。
「風丸ー!」
綱海との打ち合わせがすんだのか、円堂がサトウキビ畑から急いで走ってくる。
「これからバーベキューの準備するからさ。手伝ってくれないか」
「円堂……、うん」
風丸が返事すると、円堂はすかさず手を差しだした。風丸は迷わずその手を取る。
「豪炎寺は?」
手を握りしめて風丸を引き寄せる円堂は、くったくのない顔で訊く。俺は首を真横にふった。
「まだここにいる。後で行くから」
「そっか」
俺の返事を聞くと、円堂は風丸を連れてサトウキビ畑の向こうへ歩きだした。風丸は一度、俺の方へ振り返ったが円堂に促されるとポニーテールをひるがえして行ってしまった。
後に残されたのは、波の音と俺だけだ。
「あーあ。風丸にべったりだね、キャプテン」
ぎょっとして俺は、すぐそばで聞こえた声の正体を突きとめた。いつの間にか松野が俺の隣りに立っていた。
トレードマークのポーカーフェイスは一見、松野が何を考えているのか、分かりかねる。俺は苦笑いで応じた。
「僕ねー。気づいてたよ、実は」
意味深なセリフに、俺は思わず松野の黒くて丸い瞳を見つめた。
「豪炎寺さ、風丸と付きあってたんでしょ?」
俺は返事もできずにいる。
「『なんで分かった?』って顔だね。分かるよ。だって風丸の態度見ればバレバレだもん」
「……そうか。でも」
俺と風丸とは、もう──。
潮騒が俺の心を映すように、大きなうねりをあげて浜辺に打ちつけた。俺は何も言えなくなり、ただ風に吹かれていると、松野が何か思いだしたように「あ!」と叫んだ。
「豪炎寺が病院に見舞いに来た時ね。言い忘れてたんだけどさー。風丸がさ……」
俺は松野の声に耳を澄ませた。
「ベッドの上でずっと膝を抱えたまんまだったからさ。何かあったの? って尋ねたけど、答えてくれなくって。でもよく見たらさぁ。ずっと大事そうにケータイ持ってたんだよ。……もしかして、誰かからの連絡、待ってたのかもねー、って」
携帯。それを聞いた途端、俺の脳裏に風丸がよこした最後のメールを思いだした。
待っていたのか風丸は。
俺の返事をずっと……。
「見舞いの時、豪炎寺に伝えてれば、良かったかな? って、今思いだしたんだ」
松野が言いにくそうな顔で俺を見る。俺は首をふった。もう、終わった事だ。
ヤシの植え込みの向こうで、半田たちが松野を呼ぶ声がする。振り返ると、悪びれもせずに松野は、
「ゴメーン。じゃあ僕、行くね」
と、おどけた調子で謝ると、半田たちのいる浜辺に走り去った。
波が打ちつける浜辺に、俺はひとりきりだった。
ただ、波と風の音だけが辺りに響いてた。
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キャラバンは帰路につく仲間たちを乗せて、はるか沖縄から北海道までの長い道のりを走り続けた。綱海が、立向居が、浦部が、木暮が、それぞれ俺たちに別れを告げた。吹雪と北の国で再会を誓うと、あとは東京へ向かうだけになった。
残るのはサッカー部員と塔子ひとりだけだ。
旅はもうじき終わる。
結局、あのあとも風丸は円堂と共にいて、俺と話をする状態にはならなかった。
旅の始めにはふさぎ込みがちだった風丸だが、終わるころには次第に笑みが戻っていく事だけが、幸いだ。
バスが海峡を越え、山脈を何度も過ぎ、ようやく東京へ入ると、みんなはほっとした顔を見せる。
「これで終わったんだな。全てが」
雷門中のグラウンドに降りたった円堂は、部員全員の顔を見回すとそう告げた。
「じゃあな、円堂! また今度あたしとサッカーしよう!」
迎えに来たSPたちの前で、塔子が円堂の頬にキスをする。円堂を含む周りがあっとなったが、当の本人はあっけらかんとした顔で手を振った。黒塗りのリムジンが、校門から出て行くのを見送ると、今度こそ、サッカー部と雷門中の関係者だけになった。
ここから、それぞれ自宅に帰る事になった。
「風丸! 久し振りにいっしょに帰ろうぜ」
円堂が風丸を誘ってる。風丸は当然のように頷いた。
それを皮切りにして、みんなはそれぞれ帰り始めた。夕陽が辺りを紅く染めて俺たちを見送る。
俺はひとり、マンションへと戻る。
通いなれた自宅への道を歩いていると、思わず胸がこみ上げてくる。やっと俺は全てのものから解放されたのだと実感した。振り返れば、たかが数週間の事だったが、しかし、失ったものの大きさは、胸の内にあるうつろな部分が教えてくれた。
今はもう、何もかも忘れてただ眠りたい、そう思った。
目の前に自宅のあるマンションが見えてきた時には、やっと楽になれた気がした。
「おかえりなさい。おにいちゃん!」
玄関で、笑顔の夕香が出迎えてくれた時は、正直涙が出そうになり、堪えるのが精一杯だった。
「ただいま、夕香。病院はもういいのか?」
「うん。もうちょっとリハビリはつづけなくちゃならないけど」
「そうか。良かった」
そうだ。それでいい。俺には夕香がいる。
夕香の面倒さえ見ていれれば、それで満足なんだ。
それで……。
「それからね。おにいちゃん、これっ」
夕香は背後に置いてあったものを俺に見せた。
俺の目に飛び込む、鮮やかな黄色。
それが、もう枯れたものと思ってたマリーゴールドの鉢植えだと気づくまで、少しの時間が必要だった。
「あのね、おにいちゃん。夕香が入院してるとき、風丸おにいちゃんが来てくれてね。それでこのお花のこと、教えてもらったの。フクさんにおねがいして、おせわしたんだよ。ダメだよ、おにいちゃん。こんなキレイなお花、からしたりしちゃ」
「夕香……!」
胸に熱く込み上げてくる、今までずっと抱えていたものが、次々と脳裏に浮かんだ。枯れたはずの花は、目にも鮮やかに息づいている。
「……ありがとう」
震える手で、夕香の頭を撫でた。
と、その瞬間、ジャージのポケットに入れたままの携帯が軽快なメロディを奏でだした。
この着信音は、たったひとりにしか設定していない。急いで取り出して、通話ボタンを押した。
「……豪炎寺、か?」
その声は、俺が忘れる事のなかった、透明感のある少し低めのアルトだ。
「風丸……」
「迷ったんだけどさ。俺、やっぱりお前に伝えたいことがあって。だから……」
「どこだ?」
震える声で訊いた。
「え?」
「今、どこにいる!?」
一瞬の間の後、風丸は消え入りそうな声で答えた。
「……鉄塔広場だ」
その答えを聞いた途端、俺は携帯を手にしたまま廊下に飛びだした。まだエレベーターは俺が降りた階のままだ。乗り込んで1階のボタンを押す。やけにのろく動いている気がした。
今度こそ風丸を抱きしめるんだ。いや、抱きしめなくちゃならない。
どんなに蔑まされたって、泣いてすがりついてでも、風丸を離しちゃいけない。でなければ、今度こそこれで最後になってしまう。
たとえ、強欲だと思われようとも、俺には風丸が必要だった。
そうしなければ、本当に取り戻すべきものを、俺は未だ手にしていない。
1階に降りて、エレベーターのドアが開くと同時に飛び出してエントランスを駆けぬける。マンションの自動ドアが開くのももどかしく思いながら、外へと走りだす。マンションから鉄塔広場まで、10分ほど。俺は試合中でもないのに、全力疾走した。こんな時こそ風丸ほどの速力があればいいのに、と思ったのは初めてだった。
息を切らせて鉄塔広場へと続く、ゆるやかな階段を駆け上がると、遠くに見えるベンチにぽつんとひとつの人影を見つけた。
「風丸!!」
お願いだ。そこを動かないでくれ。
お前の足は速いから、今逃げられたら追いつく気がしない。
こんな鬼ごっこはもうまっぴらだ。
風丸はその場を動かなかった。携帯を耳に当てたまま、首を傾げてる。張りあげた俺の声に気づいたのか、携帯を持っていた手を下ろした。息せき切って走ってきた俺を、じっと見ている。
「豪炎寺」
携帯を閉じて、風丸は静かに話しかけてくる。
「俺、どうしてもお前に言いたいことがあったんだ」
どちらかと言えば、風丸は無表情で、声も堅い調子だった。地に沈む間際の太陽が、最後の足掻きみたいに紅い光を町のすみずみまで伸ばし染めている。
「何だ? 教えてくれ」
息も絶え絶えに、俺は問う。
「あのとき、お前が俺に言ってくれただろう」
「あのときって?」
「ダーク・エンペラーズの試合のときだ」
その言葉を言う時だけ、風丸の顔は奇妙にこわばった。
「お前は言ってくれたよな。『俺の気持ちが分かる』って。あの言葉は俺の胸にちゃんと届いていたよ」
紅い光は風丸の顔に映えて、輝いている。
あの時、必死で言った言葉は届かなかったと思っていたが、それは違っていたのか。
「それから」
俺が黙ったままでいると、風丸は付け加えるように続けた。
「お前が特訓してたっていう、沖縄の海。あの場所、すごく綺麗だったよ。……もう一度見てみたいな」
夕陽は風丸の顔を鮮やかに照らす。一陣の風が吹きぬけた。
「伝えたかったのは、それだけだ。ごめんな、手間とらせて。じゃあ」
そう言うなり、風丸はくるりと背を向けた。ポニーテールがふわりと揺れた。一歩踏み出す風丸の腕を、俺はあわてて掴んだ。
風丸がはっと顔を上げる。
俺はもう、風丸を逃がすまいと、しなやかな体を抱きしめた。ぐっと腕に力をこめると、暖かな温もりが伝わってくる。
「どうして……豪炎寺」
「もう離さない」
「でも、俺」
「分かってる。悪いのは俺だ」
「豪炎寺の所為じゃない。俺が待てなかっただけだ」
「だったら」
俺は風丸の両肩に手をかけて、顔を覗きこんだ。
「俺はもう、お前を待たせたりしない」
視線が合って、じっと見つめあった。
風丸の瞳が夕陽で煌めいてる。ずっと見ていたかった瞳だ。
「……ホントか?」
風丸の呟きに俺が頷くと、陽に照らされた瞳にじわりと涙の粒が盛りあがる。堪えきれないのか、ぽろりと溢れた。
俺は指で涙を払ってやると、風丸に口づけた。しばらく唇を重ね合わせ、抱きしめる手に一層力をこめると、風丸も俺の背中に手を伸ばして、ぎゅっと抱きついてきた。
それが、どんなに俺が望んでいた事か。
俺が見失ったと思っていたものは、まだ息づいていた。やっと、俺の元に戻ってきたんだ。
まだ交わし足りない口づけを、やっとの思いで止めた。
今は少しずつ。いっぺんには手に入れない方がいい。
「風丸」
「ん?」
今にも沈みかかる夕陽の、最後の光を浴びて、風丸は俺に聞きかえした。
「また一緒に行こう、沖縄へ。今度はふたりっきりだ」
煌めく瞳はゆっくり微笑んだ。
「……約束だぞ」
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それから1週間が過ぎた。日本中をにぎわせたエイリア学園事件のニュースが次第に世間の人々から忘れられはじめていた。
季節も、少しずつ秋の気配が深まり、それと共に町には静けさを取り戻してゆくのが分かる。
夕香もすっかり体の調子が良くなり、リハビリの必要もなくなった。
今日は久しぶりに遊園地に行こうという話になり、夕香ははしゃいで支度に追われている。
俺が窓辺に置いたマリーゴールドの鉢植えに水をやっていると、インターホンが鳴った。
「修也さん、風丸さんがいらっしゃいましたよ」
「ありがとう。あがってもらってくれ」
フクさんに礼を言うと、ほどなくして、風丸が俺の部屋に入ってきた。
「おはよう、豪炎寺。なんだ、水やりしてたのか」
「ああ」
俺はじょうろを片付けると、風丸とふたり並んで鉢植えを眺めた。秋特有の長い陽射しに、マリーゴールドの黄色い花弁が輝いている。
「あっ、風丸おにいちゃん! 見て見てー。夕香、リボンつけてもらったんだよ」
夕香は風丸が来たと知ると、フクさんに結ってもらった髪を誇らしげに見せびらかした。
「うん。よく似合ってるよ」
風丸が頭を撫でると、夕香は頬を染めて見あげる。
「ありがとう。したく終わらせてくるね」
ぱたぱたとスリッパを鳴らして自分の部屋に戻る夕香を見て、風丸は微笑ましげな顔をした。
「風丸。この間の約束のことなんだが」
「ん? 約束って?」
あの日、風丸と再び抱きあった時から、ずっと心に抱えていた事を俺は口にした。
「その、一緒に沖縄へ行こうって」
「ああ。それが?」
きょとんとして俺を見る。怪訝もなさそうで、俺には却って気まずい。
「お前に、もう待たせないと言っただろう。だけどその、流石にその約束はすぐには叶えてあげられそうにはない……」
機嫌を伺いながら、やっとの思いで言うと、風丸は苦笑する。
「なんだ。そんなことかよ。それくらい、いつまでも待つよ」
「すまない」
「謝るなよ。沖縄は遠いからなぁ。中学生の身であんなとこまで、簡単に行けるなんて思ってないさ」
「お前がそう言ってくれて、安心した」
「沖縄もいいけど、俺は夕香ちゃんとお前と一緒に遊園地行くの、すごく楽しみなんだぜ。そのくらいの約束なら、何年でも待てるし」
笑ってそう言う風丸が、朝の光にとても映えていた。
「何年でも、ってその間ずっと俺に付きあってくれるのか?」
俺がそう訊くと、ぽっと頬を染める。
「それは、その……」
照れた顔で視線を宙にそらす風丸のバッグの中から、携帯の着信音が流れた。風丸は携帯を取り出すと、ディスプレーを確かめる。
「円堂だ」
首をひねると、着信ボタンを押した。
「なんだよ、円堂。えっ……?」
風丸は軽く溜息をつく。
「ダメだ。今日は大事な用があるんだ。いくらお前の頼みでも、それは聞けないな」
携帯を手にしながら、空いた手を腰にあててきっぱりと言う。
「無理だよ。本当に大事な用なんだ。他を当たれよ」
通話を一方的に切ると、風丸は俺をじっと見た。
「特訓に付きあってくれ、だってさ。……全く」
携帯を閉じる風丸に俺は軽く疑問を投げた。
「いいのか?」
「なに言ってるんだ? お前と夕香ちゃんと一緒に出かける方が、大事に決まってるだろ。……ああ、そろそろ言った方がいいかな?」
バッグに携帯を放り込むと、風丸はにっこり笑った。
「明日言うよ、円堂に。俺たち付きあってる、って」
「風丸……!」
俺は風丸の顔をまじまじと見た。いつになく穏やかな笑顔で俺に返してくる。
「まあ、どうせなら今言っちまった方がいいんだけど。これからも今日みたいに、お前や夕香ちゃんと一緒にいる時間が増えるだろうし、いちいち円堂に言い訳するのも面倒だろ? それとも……」
上目遣いで風丸は俺を見た。
「お前はまだ、言わない方がいいのか?」
そんな事、ずっと前からもう決まってる。俺は首を横に振った。
「いや。明日、一緒に言おう」
「決まりだな!」
風丸は笑顔で頷く。
「おにいちゃん。準備できたよ!」
夕香が俺の部屋に入ってきた。ピンク地にフリルのついたワンピースは夕香のお気に入りのスタイルだ。小振りの赤いバッグを手にさげている。
「うん。じゃあ、出かけようか」
「わーい! ゆうえんちだぁ!」
夕香がはしゃいだ声で玄関に向かう。フクさんに後を頼んで、俺たちは玄関を出た。エレベーターに乗りこみ、駅へと向かう途中、夕香はくるくる輝く瞳で、俺たちに尋ねた。
「ねえ、おにいちゃん。これってデート?」
風丸が面食らって頬を染める。俺はにこやかに答えた。
「そうだ」
「お、お前……」
顔を真っ赤にしながらも、とがめる口調の風丸に俺は
「違うのか?」
と聞いた。きらめく瞳で見あげる夕香と、俺とを見て風丸はしかたなそうな顔で笑う。 「ああ……。うん、そうだな」
「わーい! デートだぁ」
腕を翼のように広げて歩道を駈けてゆく夕香。それを、
「あんまり急いじゃ、転んじゃうよ」
と声をかけて、風丸は俺に振りむく。暖かな陽射しの中、俺は爽やかに吹きぬける風を感じた。それがとても心地いい。
マンションの部屋の窓辺ではマリーゴールドが揺れて、俺たちを見送っていた。
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