ひだかみゆき

超次元サッカーの元陸上部大好きマンです。

プロフィールタグ

投稿日:2016年06月01日 16:27    文字数:54,788

HOPE:3 ふたつの願い

コメントを送りました
ステキ!を送りました
ステキ!を取り消しました
ブックマークに登録しました
ブックマークから削除しました
コメントはあなたと作品投稿者のみに名前と内容が表示されます
サイトから再掲。
ふたりの距離https://pictbland.net/items/detail/163497の続きです。
豪風えっちありなのでこの作品のみR18扱いということになりました。
豪炎寺と風丸さんの視点がページ毎に入れ替わります。念のため。

以下は当時のあとがき。

やっと完結です。ぶっちゃけこの長い話で描きたかったのは、ラストシーンだったりします
はっぴいえんどって大昔のバンドの『朝』って曲が、そのラストシーンのイメージです。全然上手くいってない気がしますが。
長ったらしい上に、最後にはえろだらけのw、このお話に付き合っていただいた方、ありがとうございました。
もしかしたら、ちょっとだけ続くんじゃよ……もとい、続きを書くかも、です。
<2010/7/14~10/12脱稿>
1 / 16
 夕焼けに染まる空を見上げていると、物悲しくなるのは俺だけではないんだろう。部活を終えたあとの、軽い疲労感を抱え家路につく時。妹の夕香があの小さな白い部屋で眠っているのを見舞ったあと、溜息をつきながら鉄塔広場で物思いにふける時。西の暮れ行く空と、夕陽に照らされてやがて暗闇に沈む町並みを見ていると、胸が妙に締め付けられるのは。円堂は
「明日も頑張ろう、って気になれるんだ」
と言うけれど、俺にはとてもそんな気分になれない。それは多分、円堂と最も仲の良いあいつだって、同じ気持ちを抱えている筈だ。
 あの日も、夕焼けを見ているあいつを見て、胸が苦しくなるのと同時に、どうしようもなく恋しさがこみ上げてきた。その日は何故だか、様子がおかしかったので、あいつも何か悩み事でも抱えていたに違いない。
――だから、奪った。
 柔らかく温かい、あいつの唇を。
 決して侵すべきではない、純なる物を。
 行為のあと、どれだけ悔やむ羽目になるだろうとも、あの時の俺に取って、それが一番の選択だった。


ふたつの願い


「おかえしだ」
 そういってあいつは河川敷から走り去った。
 たった24時間ぽっちのあと、あいつは逆に俺に口づけた。唇の柔らかさと温かさは全く変わりない。
 だが、あいつに取ってその行動が、大きく意味が違うのは確かなようだ。
 あいつの瞳に映る赤い陽光がきらめいていたのだけは、良く覚えている。


 眠ったままで一向に目覚める気配のない夕香の様子を看たあと、コンビニで夕飯を適当に見繕い、帰路についた。今夜も父さんは夜遅くまで診察だし、お手伝いのフクさんにわざわざ一食だけの支度をさせるのも悪いから、もう帰ってもらっている。明日は学会があるので、父さんとは丸二日も顔を合わせないことになるだろう。そんな日常にはもう、とっくの昔に慣れてしまった。
「ただいま」
 真っ暗なマンションの一室。誰も応えてくれないけれど、ただいまの挨拶だけは欠かせない。寂しくはない。それどころか、今の俺にはそんなことを感じるヒマさえなかった。
 リビングのテレビを付けた。いま流行のお笑いタレントのくだらないトークが部屋に響く。いつもなら、それさえ耳障りに聞こえるのに、今日は違った。
 コンビニ弁当を腹に詰めながら、ずっとあいつのことを考えていた。風丸、あいつの一挙一動が頭の隅から離れない。今までずっと見ているだけで終わっていたのに、どうしても堪えきれなかった。一度行動に移してしまったら、もう後戻りはできなかった。
 俺はあいつが、風丸が欲しいんだ。
 いつも円堂に向けているその目を、俺の方に向けて欲しい。俺だけを見て欲しい。
 そこまで考えて、ふっと笑いをこぼす。いくら何でも高望みじゃないのか?
 ……だが、今日のあいつは確実に、円堂じゃなく、俺を意識していた。そして河川敷でのキス。
 あいつは明日もサッカー部を休むのかも知れない。俺を避けるのかも知れない。でも、それは阻止するべきだろうか。
 明日はあいつの家の前で、待ち伏せしてやろう。そう思いついて携帯を取り出した。風丸の家なら、円堂が知ってる筈だ。


 翌朝、円堂から聞き出した住所と目印をたよりに、風丸の自宅を探り当てた。こじんまりとした二階建ての家。門とフェンスには、結構な数のプランターが下がっていて、色とりどりの花が植えられていた。それに思わず見とれていると、玄関から学ランに身を包んだ風丸が出てきた。
「あ」
 格子型の低いフェンスの扉に手をかけたまま、風丸が呆気にとられた顔で俺を見た。
「……お前っ、何でっ」
 おはようの挨拶も忘れて、風丸は眉をひそめた。
「ここの住所は円堂に教えてもらった」
「そうじゃなくて。なんでお前、わざわざ俺の家まで来てるんだ? お前んちから学校に行くには遠回りだろ?」
 風丸の態度が、明らかに俺を警戒しているのが分かる。俺はわざと笑みを浮かべて、風丸に近寄った。
「今日もサッカー部を休むんじゃないかと思ってな」
 はっと風丸が息を飲む音が聞こえた。
「昨日は……、用事があっただけだ。今日はいつも通りに出るぞ」
「そうか?」
 俺が疑問を投げかけると、唇を結んで睨む。長い前髪から覗く、片方の目が赤茶色にきらめいていた。
「俺は来ないんじゃないかと思った。昨日、俺にあんなことをしたから」
 俺の言葉ひとつで、風丸の頬が上気する。本当に分かりやすい奴だ。
「別に……。あんなの、大したことじゃない」
「そうか。慣れているのか? お前」
「慣れてるわけ……っ!」
 俺に抗議しようとしたその口が、通りの向こうから飛んできた快活な声で、思わず止まる。
「おはよう、風丸! って、あれ。豪炎寺?」
 円堂が片手を降って、俺たちに走りよった。
「お、おはよう。円堂」
 困惑した顔で、風丸が円堂に向き合う。俺は円堂に片手を上げて応えた。
「昨日はすまない」
「……ああ。なるほど、そういうワケか!」
 俺と風丸の顔を交互に見て、円堂は納得した声を上げた。
「な、なんだよ、円堂?」
「いや、こっちの話さ」
 訝しげに尋ねる風丸に、「うんうん」と頷きながら、円堂は肩をぽんと叩いて俺の左側に回った。俺を挟んで、風丸と円堂が並ぶ形になる。
 いつもなら、円堂が真ん中なので妙な気分がする。
「まあ、それは兎も角。体の方は大丈夫なのか?」
 昨日雷門中に、木戸川静修の武方三兄弟をシュートを受けて倒れた円堂に、風丸は気遣う言葉をかけた。
「大丈夫だって! もう平気さ」
 威勢良く胸を張る円堂を、だが風丸は浮かない顔で見つめていた。
「平気、ってこてんぱんにやられたんだろ?」
「ん……。確かにあいつらの三身一体のシュートは凄い、でも俺、気持ちであいつらには負けたくないんだ」
 まっすぐに前を見据え、自分に言い聞かせるように話す円堂の言葉を、風丸は食い入るように見ると反芻した。
「気持ちで……負けたくない……」
 言い終えたかと思うと、いきなり俺に振り向いた。赤茶色の色素の薄い瞳が、俺の顔を映す。それは一瞬のことだったが、俺の心を充分にとらえた。
 それから学校へ向かいながら、三人でサッカー部のことなどを話し合った。風丸は何か考え込んでいるようで、時おり俯く。円堂は風丸の背後から、俺に親指を立てるポーズを取った。
「なあ。昨夜の電話って、風丸と一緒に登校する気で俺にかけてきたんだな? いきなり風丸んちの住所訊いてきたから、どうしたのかと思ったぜ」
 クラスが別の風丸を廊下で見送って、同じ教室へ行く途中、円堂がそう話しかけた。
「ああ。……まあな」
 真相は言うべきじゃないな、と、考えて俺は頷く。
「じゃ、風丸と仲良くしてくれるんだな。豪炎寺」
 そう言えばこの間、円堂にそんな相談を持ちかけられていたんだった。
 仲良くすると言っても、円堂が思っているような意味じゃない。第一、下手をしたら俺がしようとしている行為は、円堂と風丸の仲を引き裂いてしまうのかも知れない。そんな俺の本心も知らずに、にこにこと笑顔を向ける円堂の顔を、俺はまともに見れる訳はなかった。

1 / 16
2 / 16


 今朝は本当に驚いた。登校しようと、玄関を開けた途端、門の前にあいつの姿を認めたから。
 一昨日からずっと、あいつには振り回されっぱなしだ。あいつにキスされたあの時から。
 あんまり悔しいから、昨日の帰り道、あいつに逆にキスしてやった。それなのに落ち着くかと思った俺の心臓はドキドキと鳴り続け、もうずっとあいつの顔が頭の中から離れない。
 豪炎寺、何で俺なんだよ。
 何で俺なんかにキスしたんだよ。
 俺がそんなに……好き、なのか?
 机に頬杖を付いて、右手に持ったシャーペンを何気なくノックする。
 何故なんだ? どうして?
 頭の中で必死に答えを出そうとするけれど、ノートの上にシャーペンの先から押し出された芯が落ちてくばかりだ。授業の内容が、全く頭に入らない。
 俺……どうしちまったんだ?
 ガキの頃からちっぽけなことでくよくよするのは、俺の悪い癖だ。中学になったら改めようと決心していたのに。こんなの、大した問題じゃない筈だ。それなのに、俺の頭の中はぐちゃぐちゃにかき乱されてる。
 落ち着け。落ち着こう。
 流石に今日はサッカー部は休めない。
 平静を装え。豪炎寺のことくらいで動揺するな。
 俺は息を整えると、目をつぶった。トラブルを難なくこなす自分をイメージする。頭の中で何度もシミュレーションして自分を取り戻す。これで大丈夫。
 ノートの上に散らばったシャープの芯を、苦笑いして元に戻した。
 その日の授業を終えて、放課後を告げるチャイムが鳴ると、急いで仕度を整えた。一番先に部室へ入ってしまえば、あいつとそれほど顔を合わせることもないだろう。だが、教室の引き戸を開けた途端に、目の前に現れたのは、色素の薄い髪を逆立てた頭の持ち主だ。
「風丸」
 俺を呼ぶ、あいつの少し低い声。耳障りでない分、余計にしゃくに触る。
「サッカー部に行くぞ」
 はあ、と俺は溜息をついた。今朝だけじゃなく、授業が終わってもか。
 いや、対策は立ててある。
 まず、豪炎寺とは目を合わせない。あいつの視線に晒されると、動じるまいって決めてた意思が崩れる。問題は炎をの風見鶏の練習をするときだが……。ボールにだけ集中していれば何とかなるんじゃないのか。あとは極めて平静を装っていれば、大丈夫だろう。
「豪炎寺! ……っと、風丸!」
 顔を合わせないように豪炎寺の後ろを歩いていると、円堂が手を挙げて教室から出てきた。俺の姿を認めると、にかっと笑った。俺の気も知らないで……。
「まっすぐ部室行くんだろ」
「ああ」
 ぶっきらぼうに答えるあいつと並んだ円堂は、俺に振り返って、
「風丸。隣り来いよ」
と、豪炎寺の横を指差した。
「何言ってるんだ。廊下で横並びしてぞろぞろ歩いてたら、邪魔だろ?」
「あ、そっか」
 円堂は一瞬、廊下を見渡すと俺の後ろに回った。おもむろに俺の背中をぐいっと押して、豪炎寺の隣りに押し込もうとする。
「お前がこっちに行けば良いんだよな」
「やめろよ、円堂」
「良いじゃん、お前がこっちでも」
 抵抗する俺を円堂はぐいぐいと押し出す。でもあいつの隣りを歩くのは、気恥ずかしさばかりが先に立つので、つい億劫になる。俺が踏みとどまろうとしてると、無理に押された所為で、その場につんのめりそうになった。
「おい」
 体のバランスが崩れてしまい、倒れそうになった俺の腕を、豪炎寺が掴んで引いた。肩を掬うように抱きとめられる。背中をひやりとした物が流れたが、何とか倒れるのは阻止できた。ほっとして顔を上げると、うっかり豪炎寺と目が合ってしまった。底の深い吸い込まれそうな、黒い瞳。
「大丈夫か?」
「あ……ああ」
 あいつが心配そうに俺の顔を覗く。俺はその瞳に一瞬囚われてしまったことにたじろいだ。
「円堂、悪ふざけもそこまでにしろ。風丸が足をくじいたらどうする?」
「あー……。悪い」
 円堂がしゅんとして俺に謝った。
「そう言うつもりじゃなかったんだけどさ。やっぱ無理矢理は良くないよ、なぁ」
 豪炎寺は俺の腕を放さないままだ。
「もう大丈夫だ。ありがとう」
 背中に回された手が、妙に熱がこもってるように思えて、俺の胸がぎゅっと何かに掴まれたようになった。俺は礼を言うと、豪炎寺の手から逃れた。あいつは何故だか、苦笑いした。
 合わすまいとした豪炎寺の目は、とても澄んでいて、俺の心を見透かしているんじゃないかと思った。先に歩いて行くあいつの背中を追って、円堂と一緒に後ろから付いて行きながら、俺は豪炎寺を受け入れてしまえば、全て楽になるんじゃないかと思い始めていた。

2 / 16
3 / 16


 次の日曜が試合とあって、サッカー部は一種の緊張感に包まれている。ことに、帝国学園から雷門中に転校してきてからまだ日が浅い鬼道は、気難しい顔で円堂にアドバイスをしている。同じようについこの間入ってきた一之瀬は、はつらつとした顔をして遊びめいたリフティングをしている。まるで鬼道とは反対の態度だ。
「壁山と栗松はどうした?」
 着替えをすませた風丸が、みんなの顔を見回して言う。そう言えば、あの巨体といがぐり頭の、ふたりの1年の姿が見えない。
「あれ? 変ですね。授業の時は見たんだけど」
 同じ1年の宍戸が首を捻りながら答えた。
「……そうか」
 何故だか風丸が神妙な顔をした。何か心当たりでもあるんだろうか。小さな溜息をつくと、宍戸と少林を呼んだ。
「ほら、お前ら。これやるよ。約束だったろ」
 ハーフパンツのポケットから、ポリ袋に包まれたミサンガを取り出すと、残った1年たちに手渡した。
「わぁっ! ありがとうございます、風丸さん!」
 宍戸と少林は顔をほころばせて、風丸に礼を言った。早速ふたりで向き合って、それぞれの手首にミサンガを付け合っている。風丸は微笑んで1年たちを見ていた。
「何だよ、風丸。俺たちの分は?」
 半田が不服そうに風丸に食いかかる。
「お前らの分までやるなんて、言った覚えはないぜ」
「えーっ」
「風丸って意外とケチなんだ~」
 がっかりして肩を落とす半田と、得意の毒舌を吐くマックスをちらりと横目で見た風丸は、表情を崩したと思うと、ポケットに手を突っ込んだ。すぐさま半田たちに手のひらの中身を見せた。
「なんてな。ちゃんとお前らの分も用意してあるさ」
「あ~?」
「てめぇ、騙したな」
 染岡が背後から風丸の首を捕らえると、頭をぐりぐりと拳で軽く小突く。風丸は苦笑いしていた。その隙間を縫って、マックスが風丸の手のひらから色とりどりのミサンガを奪い取って、他の部員たちに渡した。みな互いに向かい合って手首に結び合うのを、風丸はにこやかな顔で見守っていた。今朝俺があった時や、さっきのようなうろたえる様子は見せない。飽くまでもみんなの前では冷静な態度を崩さないのは、流石と言うべきなんだろうか。
「壁山と栗松。何で来ないんだろうね。せっかく風丸さんが……」
 宍戸と少林が、しっかりと手首に結んだミサンガに目を落とすと寂しげに呟いた。風丸の耳にも入ったらしく、眉を曇らせている。それに気付いた俺は、あいつに近寄った。
「お前、あいつらの心当たりあるんじゃないのか?」
「えっ?」
 そっと囁くと困った顔で俺を見上げたが、すぐに首を横に振る。
「いや、ないぜ、そんなの」
 だが俺には、風丸が何か隠しているんじゃないかとしか思えない。それを問いつめるべきか迷ったが、和気あいあいとミサンガを付けているみんなを見ていた円堂が、両手を鳴らして練習に入るよう声をかけたので、その場はやめてしまった。
 結局、今日はふたりの1年を欠いたものの、練習のメニューは滞りなく終了した。ただ練習の最中に風丸の様子を伺うと、時折渋い顔で円堂の方を向いたり、空いている後輩ふたり分のスペースを見て溜息をついていた。あいつの姿を追っていると、まれに互いに目が合った。だが風丸は俺と目が合うとすぐに俯くか、そっぽを向いてしまう。それが俺にはとても癪だった。何か悩みを抱えている様なのに、俺どころか円堂にさえ相談しようともしない風なのが、やけに――。
「今日も雷雷軒行くかー? それとも駄菓子屋でさぁ……」
 練習で目一杯疲れているのも関わらず、談笑しながら寄り道の相談をしている仲間たちを避けるように、こっそり風丸が出て行くのを見つけて、俺は急いで仕度を整えるとあいつを追った。
「……はい。そうなんですか。すみませんでした」
 校庭の片隅で、携帯に耳を当ててふっと溜息をついていた風丸を呼び止めた。
「何やってるんだ、お前」
 俺を見て、一瞬ぎょっとしたが、浮かない顔で風丸は携帯を閉じた。
「壁山と栗松の家にさ。帰ってるか聞いたんだが……」
「いなかったのか?」
 風丸は俺の問いに頷いて答えた。
「お前はあいつらのこと、何か知っているんだろう?」
 一拍沈黙が流れた。だが観念したのか、低く抑えた声で風丸は話し始めた。
「知っていると言うか……。あいつら、昨日円堂が木戸川の奴らに倒されたことで相当ショックを受けたみたいだ。自分たちが力不足だって思い込んでるようだった。俺があの時一緒に付いててやれば……」
 そう言って俯く。憂いの表情が風丸を覆っていた。
「お前の所為じゃないだろう?」
 何とか、風丸が抱えているものを軽くしてあげたくて、俺は声をかけたが、一瞬睨んだかと思えばすぐに目を逸らした。
「俺はあいつらに相談されたのに、まともに返せなかったんだ。もう少し上手いこと言ってやれれば」
「お前が気に病むことじゃない」
「でも」
 上目遣いで俺を見上げる。ああ、そうか。一昨日からの記憶を辿って気付く。俺の所為か。俺がお前にキスしたからか。
 風丸は溜息をつくと、俺に背中を向けた。
「すまん。なんか……、考えがまとまらないんだ。俺、どうしたらいいのかな。でももう部活は休まない。あんなことでもう振り回されたくないんだ」
 向けられた背中は拒絶の意味なのか。風丸はそう言うなり、校門へと歩き出した。俺も後を追って校門へと向かう。風丸は口を閉ざしたままで、俺に振り向こうとはしない。
 校門の前の横断歩道を渡って、左手側にある河川敷へと進む。俺のマンションは風丸の家とは反対方向だったが、同じ道を歩いた。今の風丸を放っておく気にはれなかった。風丸はずっと口を閉じ、俯いたままだ。一緒に歩いてても、俺を追い払わなかったのは幸いか。
 西に沈む夕陽が辺りを赤く染めてゆく。俺は夕焼けに彩られた空を見上げて、河川敷に儲けられたグラウンドに目を移す。ふたつの人影が目に入った。
「おい、風丸!」
 俯いて前を歩く風丸の腕を俺は掴んだ。
「あれを見ろ」
 俺はグラウンドを指差した。指の先にふたつの黒い人影がある。やたらでかいのと、小さいの。指し示されたものを見て、風丸がやっと我に返った。
「……あいつら!」
 風丸は身をひるがえすと、道ばたから河川敷への斜面を駆け下りた。俺も風丸を追う。グラウンドのゴールポストの前で、しょんぼり立っているふたつの人影目指して。
「壁山! 栗松!」
 風丸の声に1年のふたりははっとこちらを向いた。おろおろと辺りを見回す。
「風丸さん……。それに、豪炎寺さんも」
「こんな所で、何やってるんだ!? お前ら」
 俺たちの姿を認めると、壁山と栗松はしゅんと肩を落とした。
「どうして部活に来なかった!?」
「だ、だって……」
 風丸に問われて、ふたりは互いに目を見合わせた。
「俺たちじゃ、今のサッカー部の力になんかなれないでやんす」
「俺たち、自分の力がどれ程のもんだってくらい分かってるっス。きっとキャプテンや先輩たちの足を引っ張るに決まって……」
「バカ野郎!」
 俺たちしか居ないグラウンドに、風丸の怒声が響いた。壁山と栗松がびくりと首を引っ込める。
「そんなことで諦めるのか? お前たちのサッカーの情熱ってそんなもんなのか? たかが円堂が倒されたくらいで……。お前らは悔しくないのかよ!?」
「う、うう……」
 壁山が唸りながら、河川敷を見回す。いつもの、トイレに逃げ込む癖なんだろう。でも、このグラウンドから公衆トイレまではかなり遠い。
「お、俺たちだって、どうにかできるものなら、どうにかしたいでやんすよ。でも、今度の相手にキャプテンが……」
「だったら、ゴールまで割らせなければいい」
 栗松が言い終わるのを待たずに、俺は口を出した。
「お前たちディフェンス陣が相手のボールを食い止めればいい。そうじゃないのか?」
 俺の問いかけに、風丸が目を見張ったかと思うと、こくんと頷いた。
「豪炎寺の……言う通りだ」
 そう呟くと、壁山と栗松の顔を見据えた。
「俺たちがやらなきゃ、木戸川には勝てないぞ」
「そりゃ、そうでやんすけど……」
「俺たちだって、そう考えたっス。だからここでこっそり特訓しようと……。でも上手い方法全然見つからなかったっス」
「だからって、こんな所でグズグズしてていいと思ってるのか?」
 頭を抱えている後輩ふたりを何とか諭そうとしている風丸の肩を、俺は手をかけて振り向かせた。訝しげな顔で俺を見る風丸に、俺は任せるよう相槌を打つ。風丸は二、三度瞬きをしたがすぐにふたりの前から身を引いた。
 分かってくれたらしい。俺は壁山と栗松にこう言い放った。
「特訓の仕方が分からないのなら、俺が教えてやる。ボールを寄越せ」

3 / 16
4 / 16


 サッカー部の練習に来なかった壁山と栗松のことを思うと、胸が痛む。理由がどうであれ、俺の対応がまずかったのは間違いない。豪炎寺のことで悩んでる場合じゃなかったんだ。ただでさえ、次の試合が近いと言うのに。
 学校からの帰り道に、豪炎寺が後ろを付いてきたが、そんなことを煩わしいと思う暇さえ俺にはなかった。
 いつも通りに河川敷の側を歩いていると、不意に豪炎寺が声をかけてきた。
「あれを見ろ」
 豪炎寺が指差した方、河川敷のグラウンドに見えるふたつの人影。それが目に入った瞬間、俺は河川敷の斜面を駆け下りていた。壁山と栗松はこんな所に居たんだ。
 どうやらふたりとも、昨日見たと言う木戸川のシュートに恐れをなしたらしい。自分たちだけでなんとかしようとはしていたらしいが、結局無理だったと。俺が説得していると、豪炎寺は態度でふたりに発破をかけだした。
「特訓の仕方が分からないのなら、俺が教えてやる。ボールを寄越せ」
 豪炎寺は学ランの上を脱ぐと、壁山の側に転がっているサッカーボールを指差した。
「はい……」
 壁山が申し訳なさそうに巨体を縮ませると、ボールを豪炎寺の前に置いた。
「構えろ。俺が相手をしてやる」
「は、はいっス!」
 豪炎寺は壁山目がけてドリブルし、その巨体にチャージした。壁山も最初はおろおろとしていたが、何とかブロックし始めた。手持ち無沙汰そうに栗松がそれを見ている。
 俺もはっと気付いて、栗松に呼びかけた。
「栗松。お前には俺が相手になる。ボールをくれ」
 俺も豪炎寺と同じように学ランの上を脱いで、ゴールの脇に鞄と一緒に置いた。栗松がボールを持ってくる。俺たちも豪炎寺たちと同様に特訓を始めた。
 夕焼けに染まる頃から陽が落ちて暗くなるまでの一時間ほど。部活の後だから、正直体にはしんどい。けれども気持ちは逆に晴れ渡っていた。
「も……、もうダメでやんす」
「へろへろっス~!」
 ふたりの後輩がグラウンドにへばり込む。豪炎寺も俺も、肩で息をするのが精一杯で、できるものなら冷たい地面の上に体を投げ出したかった。流石にそれはできないな、と膝に手を置いて隣りを見ると、豪炎寺が荒く息を吐きながら額を流れる汗を拭っていた。宵闇に浮かび上がるあいつの横顔は、悔しいけれどもとても格好いい。胸の奥が何故かずきんと熱くなった。
 うわ。何だって、胸をときめかせてるんだろう、俺。
 頭を振り、自分の頬に手を当てて確かめる。妙に熱く感じるのは、きっと今まで壁山と栗松の特訓に付き合ってやった所為だ。それだけの事だ。
 俺はズボンのポケットにふと手を入れてみて、新品のミサンガが2本入っているのに気付いた。へばり込んでいるふたりに話しかける。
「壁山、栗松」
 俺の声に反応して、むくりとふたりは頭を上げた。
「ほら。これを受け取れ。お前らの分だ」
 ポケットのミサンガを壁山と栗松に渡した。
「こ、これ……」
「ミサンガ……でやんすか」
「ああ。部のみんなはもうこれを付けてる。お前らが来るのを待ってるんだぞ」
 途端にふたりは涙ぐんで鼻をすすった。
「風丸さん……、豪炎寺さん……」
「感激っス。明日からちゃんと部に戻るっス」
 泣きじゃくるふたりを見て、俺はやっとほっと息を付いた。豪炎寺を見ると、俺に頷いてきた。俺も頷き返して、放り投げた鞄の上の上着を取った。
「あれ……?」
 胸ポケットに入れた携帯の着信ランプが点滅している。画面を開いて確かめると、母からのメールだった。
『今日は残業で遅くなります。
 先にご飯食べててね。
        お母さんより』
「どうした?」
 携帯を見ている俺を、訝しげに豪炎寺が覗き込んできた。
「いや、母さんからさ。今日は遅くなる、って……」
 豪炎寺に答えながら、ふと昨日の木戸川の監督の言葉を思い出したのは何故だろう。頭に閃いた思いつきをどうしようかと逡巡する間もなく、俺はつい口に出した。
「なあ、豪炎寺。お前、晩飯はどうするんだ?」
「晩飯か……。うちの親も、今日は遅いからコンビニで弁当でも買うつもりだ」
「だったら、俺んち来ないか?」
「えっ?」
 真顔で豪炎寺が俺をじっと見たので、急に恥ずかしくなる。
「あ……いや。どうせ食べるんなら、ひとりよりふたりの方がいいしさ。大したもんは出せないけど……」
 熱くなる頬を押さえながら、俺は必死に平静を装う。こんなの、前からよく円堂を誘ってたし、どうって事はない、はずだ。
「そうだな……。邪魔する」
 そう言ってふっと微笑んだ豪炎寺の顔を、俺はまともに目を合わせられなかった。



 俺の家までの長いようで短い距離。俺と豪炎寺はぽつりぽつりと話をしながら歩いた。さっき別れた壁山と栗松の事、飯の好みはどんなのか、とか。豪炎寺は元々口数が少ない方だから、どうしても俺の方が多く話す事になる。それでも、あいつは何故だか楽しそうだった。
 俺の家に着いて、朝も豪炎寺と一緒だったなと気付いた。なんだか不思議な気分だった。
「入れよ、豪炎寺」
 真っ暗な家の鍵を開けて、豪炎寺を招き入れると、あいつはきょろきょろと家の中を見回していた。リビングに入って部屋の明かりを点けると、とりあえずくつろぐように勧めた。豪炎寺はやはり落ち着かないようだった。
 鞄の中を探って、汚れたユニフォームを洗濯しようと思って、ふと気付いた。俺は洗面所に行こうとした足を止めて、ソファに座っている豪炎寺を呼んだ。
「豪炎寺、なんか汚れ物ないか? ついでに洗っといてやるから」
 俺の手の中の汚れたユニフォームを見て、豪炎寺は戸惑う表情をした。
「いいのか?」
「ああ。家のは乾くまで全自動だから、手間いらないしさ。一時間もすれば仕上がるぜ」
 豪炎寺は、
「じゃあ、頼む」
と、鞄の中に詰め込んであったユニフォームとストッキングを引っ張りだして、俺に渡した。
「ああ、やっとくぜ」
 俺は泥だらけのユニフォームを受け取ると、リビングの奥の洗面所に向かった。洗濯機に自分のと豪炎寺の分を放り込んで、洗剤も入れ、セットする。スイッチを入れた途端に水音がして洗濯をし始めた。
 さて、飯の支度をしなくちゃ……、と思ってまだ制服のまんまなのに苦笑いした。流石に着替えた方がいいな。急いで自分の部屋に行ってさっさと制服を脱ぐ。豪炎寺を待たせちゃいけない。
 着替えると急いでリビングに戻る。部屋は無音で、豪炎寺はソファに座ったままだった。
「なんだ。テレビでも見てればいいのに」
 俺が声をかけると、豪炎寺は曖昧に頷く。
「いや、別に、見たい番組もないし」
「そうなのか?」
 俺が冷蔵庫の側の棚にかけてあったエプロンを手に取り、付けていると豪炎寺は、
「手伝う。少しくらいなら、俺も作れる」
と立ち上がった。そう言えるのなら、ある程度はできるんだろうか。折角だから、そうしてもらおうか。
「ん……。じゃあ、食器の用意してくれるか? 棚にあるもの、適当に使っていいから」
「ああ」
 豪炎寺に手伝ってもらって、俺は飯の支度にかかった。とは言っても、冷蔵庫の中に昨日の残り物がいくつかあったし、豪炎寺は手慣れてるのか、そつなく手伝ってくれる。サッカーがあれだけ上手いのに、勉強もそれなりにできて、日常の事も何事もなくこなす。なるほど。クラスの女子に豪炎寺のファンクラブがあるのも分かる気がした。
 豪炎寺と俺と、ふたり分の食事はほどなく出来上がった。正直、美味いかどうかは分からない。それでも、豪炎寺が喜んでくれれば良い、俺はそれだけを考えて味をつけた。

4 / 16
5 / 16


「さあ、食おうぜ」
 風丸は調理中付けていたエプロンの紐をほどいて畳むと、テーブルの席に着いた。俺は感心して、卓上に並べられた料理と風丸の顔を見る。
「慣れてるんだな」
「ん……。うちは共働きで、父さんは長期出張が多くて半分単身赴任みたいなもんだしさ。母さんも今日みたいに残業が多い仕事だから、俺もこれくらいは手伝わないと。円堂んちみたいに親が持ち家に住んでれば楽なんだけど、うちはまだローンが残ってるからな……」
「そうか」
 風丸の話を聞いて、うちの場合はどうなんだろうかと考えた。木戸川にいた頃は一軒家だったが、ローンの話とかは俺もまだ小さかったからよく分からない。夕香が入院してから、なるべく稲妻病院に近い方がいいだろうと、今のマンションに越してきたが……。父さんと俺と夕香だけになってしまったので、広過ぎたのもあるのかも知れないが、前の家を売り払ってもほんの少し上乗せする程度ですんだ、とは聞いている。どっちにせよ、風丸の家とは家庭環境が違うのは間違いないだろう。
「ま、そんな話はともかく。遠慮なく食ってくれよ。……お前の口に合うかどうかは保証できないけどな」
「ああ」
 目の前に置かれた箸を手に取ると、白飯を一口噛み締めてから、野菜炒めをつまんだ。口に入れ噛みしめる。味は悪くない。
「……どうだ?」
 風丸が上目遣いで俺を伺う。素直に感想を言ってやった。
「うまいぜ。結構いける」
「ホントか?」
 破顔して俺と同じように、飯を食い始める風丸は上機嫌だった。
「正直、不味いって言われたらどうしようかと思ったぜ。適当に味付けしたからな」
「適当なのか?」
「んー。たまに失敗して、とんでもない味になる。我慢して食うけどさ。でもやってみると案外、料理も面白いぜ。筋力付けるメニューとか考えてるんだ」
 楽しげな顔で俺に話す風丸を見ると、ここに来て良かったと思う。昼間まではどこか頑な所もあったが、今、目の前で微笑んでいる風丸と同じ時間を過ごすのは楽しい。こんな風に誰かと笑いながら夕飯を食うのも久し振りだ。……とはいえ、雷門中に来てから、練習の帰りに雷雷軒に寄るのも頻繁だったが。それでもやはり、外食ではなく家で寛いで食べるというのは格別なことだ。
 俺は作ってくれた飯を食いながら、今度はどうせなら、俺のマンションで風丸と一緒に夕飯を食いたいと思った。
 結局、おかわりまでして俺は夕飯を平らげた。それは勿論、風丸が俺の為にわざわざ作ってくれたというのもあるが、久し振りに食事を楽しんだ満足感もあったからに違いない。
「ごちそうさま。美味かった」
 空になった皿の前に箸を置く。テーブルの向かいに座っている風丸は急須を取ると、中に茶葉を入れながら俺に尋ねる。
「お茶いるか?」
「ああ、もらう」
 風丸は頷くとポットから湯を注いで、ふたり分の緑茶を淹れると片方の湯のみを俺の前に置いた。
「なんか……変な気分だな」
 妙に感慨深げな風丸を見て、俺は首を傾げた。
「いや。こうして夕飯食って、お茶飲んでてさ。目の前にいるのが、こないだまで全然別の学校にいたお前だなんてさ。不思議な感じがするぜ」
 俺は風丸が淹れてくれた緑茶を一口啜りながら、ぽつりぽつりと始めた話を聞いていた。
「お前が雷門に転校してこなければ、俺もサッカー部に入ることもなく、陸上部のままだったんだろうな。そう思うとさ。一緒に練習したり、こんな風に飯を食うことさえなかったんだろうな」
「それは……、俺だって同じだ」
「そうか?」
「そうだ。……円堂とはどうだったんだ?」
「ああ。小学校の頃はよく、お互いの家を行き来してたな。雷門に入ってからは、部活で時間がかち合わなくなって、あんまりそう言うのもなくなったけれど」
「でも今は同じ部だろう」
「まあ、そうだけど。ほらあいつ、キャプテンだし。やっぱチームのみんな全員を見てあげなくちゃならないだろ。だから……」
 そう言うなり口を噤んだ。ふと見せた、どこか寂しげな瞳は、風丸の円堂に対して抱えている思いを示しているように思えた。
「あ。もう片付けとくな」
 両手で包み込むように抱えていた湯のみを一瞬覗き込むと――多分、もう空だったんだろう――、肩を竦めて風丸は立ち上がった。
「手伝うか?」
 俺も立とうとすると、苦笑いをして制止のポーズを取る。
「いや。食器洗い器に放り込めばすむから。豪炎寺はリビングでテレビでも観ててくれよ」
「……ああ」
 と言われても、大して観たい番組がある訳じゃない。サッカーの試合中継でもやっていればいいのだが、あいにく試合のない日だ。何よりなじみのない部屋に一人きりにされて、正直落ち着かない。
 リビングを見回すと、あちこちに鉢植えが置いてあった。そう言えば、風丸の家の庭にも玄関にも、プランターや鉢植えが置いてあったな。どれも色鮮やかな花が咲いている。俺のマンションにはせいぜい葉ばかりの観葉植物があるくらいで、だから妙にこの部屋の鉢植えが目立つ。
「豪炎寺、洗濯終わってたぜ」
 それほど時間をおかずに、風丸が洗い立てのユニフォームを俺に手渡した。既にちゃんと折り畳んであった。
「悪いな」
「別に、ついでだし。あ、そうだ。リンゴ食べるか?」
「リンゴ?」
「ちゃんとしたデザードがあれば良かったんだけどな。冷蔵庫にはそれしかなくってな」
 済まなそうな顔の風丸に、俺は慌てた。
「いや。……ああ、もらう」
「そうか。じゃあ用意するから待ってろよ」
 ぱっと顔を輝かせる風丸と鉢植えの花とが、俺の中で重なった。思わず苦笑いする。いくら何でも……。
 風丸はすぐに器に盛ったリンゴとフルーツナイフを持って、リビングのソファに座った。リンゴを手に取ると、ナイフで半分に割る。真っ赤に色づいているリンゴはそのまま、風丸の染まった頬の色に似ていた。半分に割ったリンゴを更に、三等分して風丸は赤い皮を剥き始めた。
「ほら、食えよ」
 剥いたリンゴのひとかけらを皿に置くと、風丸は俺に勧めた。フォークが添えられていたが、俺は手づかみでリンゴを取る。一口齧ると、思っている以上に爽やかな酸味が広がった。
「剥いてもらって食うのは久し振りだ」
 何の気なしにそう言うと、風丸は不思議そうに首を捻った。
「どういう意味だ? あ……、そっか」
 合点がいったのか、すぐに頷く。
「もしかして、今まではお前が剥いてあげる方か?」
「……そうだ」
 以前はよく、夕香にせがまれてリンゴを剥いてやった。尤も、一年近くそんな機会には恵まれてないが。
「あ。うさぎリンゴとかできるのか?」
「まあな」
 風丸はにっこり笑うと、まだ皮が付いたままの櫛形のリンゴを手に取った。赤い表皮を丸みにそって刃を入れると、Vの字型に切り込みを入れた。
「こんな風か?」
 半ばおどけたように、うさぎ型に切ったリンゴを手に掲げてみせた。
「上出来だ」
 俺が言うと照れているのか、はにかむ表情を見せる。「ん」とリンゴを差し出す風丸を見て、つい、俺は悪戯めいたことをしてみたくなった。俺はリンゴを風丸が持つ手ごと引き寄せると、そのまま口に含んだ。歯で噛み割るとリンゴの断片から新鮮な果汁が零れ落ちる。それは風丸の指を伝って流れてゆくので、俺は舌で舐めとった。
「あっ……」
 風丸の頬が見る見るうちに赤く染まるのが分かる。俺は慌てふためく風丸に構わず、残りのリンゴも直接触れた指からかぶりつく。甘酸っぱい果肉を咀嚼し、濡れた風丸の指を舐めた。
「うわ! あ……あ、やめろって」
 抗議の声を上げる風丸の指をねぶり、見上げると顔を真っ赤に染めて肩を震わせている。俺の行為が嫌なのか、それとも恥ずかしがってるだけなのか。確かめるため、俺は風丸の両肩を掴むと、ソファの座面にその身を押し倒した。
「豪炎寺……!」
 風丸は上気した顔を横に向けていたが、やがて弱々しい声を上げた。
「……ここじゃ嫌だ。俺の……部屋で」
 ちょっとやりすぎたか。可哀想なくらい身を縮めている。
「すまない」
 きつく掴んでいた両肩から手を離すと、風丸は起き上がって手に持っていたナイフをテーブルの上に置いた。一歩間違えたら流血沙汰になっていたのかと気付いて、俺はもう一度謝る。
「悪かった」
 だが風丸は口を真一文字に固く結ぶと、ソファから立ち上がった。
「来いよ」

5 / 16
6 / 16


 風丸の部屋があるのは、二階の突き当たりだった。俺の先に立って風丸は、部屋に入ると壁のスイッチを入れた。暗闇からぽっと浮かび上がった風丸の部屋は、白と水色を基調にコーディネートされている。それなりに物は少なくなかったが、散らかっているように見えないのはきちんと片付いている所為だろう。白地に青のストライプの入ったカバーが掛けられたベッドの脇には、出窓になっていてそこには他の室内同様、鉢植えの花が置いてあった。
「お前の家……」
「うん?」
 目に映えるオレンジ色で彩られた鉢植えを眺めながら、俺はこの家に入ってから感じていた、素直な疑問を風丸に投げかけた。
「どの部屋にも花が咲いているんだな」
「ああ……」
 ぱちぱち瞬きをした後、風丸は合点がいったのか軽く頷く。
「母さんの趣味だよ。庭の奴も全部。ま、一応俺の部屋のは自分で面倒みてるけどな」
「そうか」
「それがどうかしたのか?」
「いや……。花は病院で見る方が多いからな」
「あ」
 と、風丸は小さく声を上げると、複雑そうな顔で下を向いた。別に当たり前の事を言ったまでだし、大した理由なんかない。だが風丸は俺に遠慮しているようだ。
 ベッドの向かい側には、白いローボードが置いてある。その上には額に入った表彰状や小振りのトロフィー、メダルがいくつも飾ってあり、それが俺の目を引いた。どれも記されている日付は2、3年間のものだが、最新らしいのは今年の春頃で終わっている。俺はトロフィーのひとつを手に取った。ずしりとした重みが手に伝わる。それはそのまま風丸がそれまでの間、実績を残してきた証だ。
「風丸……。お前はサッカーのためにこれを全部捨てたのか」
「え?」
 風丸が息を呑む。これだけの数の賞状やトロフィーがあるのなら、今から先ももっと増やせたはずだ。風丸はそれを不意にした。
「別に捨てたワケじゃないけどな」
 陸上に戻る意思はまだあるのだろうか。俺は横に立つ風丸の横顔を見る。顔にかかる長い前髪で表情はよく分からなかった。
「円堂のためか?」
 俺は風丸という存在を気にし始めてからずっと、心の中でわだかまっていた事を口にした。風丸が円堂に思いを寄せているのは、とうに分かっている。
「まあな。最初は確かに、円堂の熱意に負けたってのはある。でもサッカーには陸上とは違った楽しさがあるって気付いてしまったしさ。……自分で思ってるよりも、サッカーにハマっちまったのかな?」
「陸上に戻る気はあるのか?」
 俺が訊くと、風丸はかぶりを振った。
「まだそこまで決めてない。けど、俺ここにサッカーの大会のメダルを並べたいんだ」
 思わず風丸の顔を覗き込んだ。その赤茶色に輝く瞳がまっすぐ上を向いている。俺は息を呑み込むと、手に持っていたトロフィーを元に戻した。
「俺、サッカーが好きになったのは、円堂のせいだけじゃないと思うぜ?」
 風丸の目は俺に向いている。ほんの少し頬を赤らめたが、やっぱりその視線はまっすぐだった。
 風丸の腕を掴んで引き寄せる。両腕で抱き込む。それでも風丸は俺に視線を向けたままだ。抵抗はしない。風丸のどちらかと言えば細い体をぎゅっと抱きしめ、互いの吐息がかかるほどに顔を近づけた。赤茶色の瞳が微かにうるんでまぶたを伏せる。
 俺は片手で顎を捕らえると、唇を奪った。やはり風丸は俺にされるがままになっている。深く口づけて舌を差し入れると、流石にびくりと体を震わす。風丸の舌に絡ませて、何度も吸った。いくらむさぼっても俺の欲望は枯れる事はなかった。ずっとこうしていたい。もっと風丸と繋がりたい。俺は唇を深く重ねたまま、風丸の両肩を掴んだ。
「風丸……!」
 唇の感触を惜しみながら一旦離れると、風丸はとろんとしたまなざしで俺を見上げる。唇は、俺と風丸自身の唾液で濡れそぼっていた。
「悪いが我慢できない。……しよう」
「え?」
 と、風丸の唇が形を作った。ほんの少し首を傾げた。
「セックスしよう」
 切羽詰まった俺の態度は、端からみたら滑稽だったに違いない。それでも風丸は笑いもせず、頬を染めるとこくんと頷いた。
「風丸……」
 風丸は俺の右手を両手で包むと、ベッドへと導いた。
「豪炎寺、俺……」
 風丸の声は途中から小さくなって、ほとんど聞こえない。何を俺に伝えたかったのかは分からないが、真っ赤に染まったその顔は、少なくとも悪い意味ではないんだろう。俺が頷くと、風丸も頷き返す。それが合図だった。
俺たちはベッドに腰掛けると、再び口づけを交わす。角度を変えて深く口づける。細めの肩を抱きすくめて、薄い背中をかき回すと、風丸も同じように俺の背に腕を回した。俺は体ごと風丸をベッドに押し付けると、柔らかい髪をそっと撫でた。思っている以上に風丸の髪は細くて、俺の指に絡みついてはするりと抜けてゆく。
 風丸の顔の半分を覆っている前髪をかきあげて、ベッドの上へ流した。普段見えない左目が覗く。両目ともに赤みがかって煌めいている。
「きれいだ」
 俺は囁くと、風丸の左目元に唇を落とした。目尻にもまぶたにも唇をはわせると、風丸がはっと息を漏らす。その吐息が俺を駆り立てた。組しいていた風丸のシャツの裾から右手を潜り込ませた。
「うわっ」
 風丸の右肩をベッドに押し付けた格好で、俺はシャツを首元までめくり上げた。さらけ出された風丸の肌。思ってたよりも滑らかそうで、むだな脂肪は見当たらない。手のひらで撫でると、しっかり筋肉は付いているのに柔らかかった。
「くすぐったい……」
 露出した肌を手でまさぐっていると、まぶたをぎゅっとつぶって、風丸はうめき声を上げた。脇腹から胸元まで擦り上げると、太腿を俺に擦りつけてきた。特に脚と脚の間の中心を俺の腰にすり寄せている。
「風丸」
 風丸の肌の感触を楽しみながら、薄い胸を擦っていた俺は、すがりついてくる風丸の行為の意味に思い当たった。ベッドに押し付けていた風丸の体から身を起こし、ジーンズの厚い布地に覆われた中心を上から触った。
「……あ!」
 風丸のそこは予想した通り、かたく硬直している。俺のキスと愛撫でそこまでになってしまったのか。いや、でもそれは俺も同じだ。どくどくと脈打って鎌首をもたげている。
 風丸の様子を伺うと、目を伏せて顔を背けていた。両手で拳を作り、身はかたく縮ませているのは恥ずかしさのためだろうか。でも俺は風丸が欲しい。どうせなら風丸にも快楽を感じてほしい。
「怖がらなくていい」
「怖がってなんか……」
 顔を背けたまま、強がりを言う。俺は苦笑いした。
「体を楽にしていろ」
 囁いて耳元に唇を落とすと、風丸のジーパンのボタンを外した。ファスナーを下ろして、下着の中に指を忍び込ませる。
「んっ……!」
 下着の布地を持ち上げている、硬直した性器をそっと握ってやると、風丸が低くうめいて反応した。俺は空いた手を風丸の首の後ろに差し入れると、あやすように抱き込んだ。
 可哀想なくらい勃起させている風丸の性器を握りしめると、根元からゆっくり擦ってやる。
「あ! ……くっ」
 思わず声が出たのを、歯を食いしばって耐えている風丸。俺は風丸の頭を撫でながら、耳元で囁いた。
「風丸、我慢しなくていい。声も何もかも、出したいなら出していいんだ」
 風丸は薄目を開けて、潤んだ瞳を俺に向ける。いいのか、とでも言うように小首を傾げるので、俺は頷いてやった。
 手の中の風丸のたかぶるものを再び擦ると、ゆっくりと甘い吐息をはきだした。
「あ……んん」
 俺は風丸のものを扱きながら、首筋に唇をはわせる。耳朶を軽く噛むと一層吐息が甘くなる。最初はゆっくりと、やがて激しく右手を動かすと、風丸の喘ぎ声も次第に高くなった。
「あっ、……ああ。ん……、豪炎寺、もういい!」
 激しく擦り上げていた俺の右手を、突然風丸は手を払おうとした。
「なぜだ」
「いいって。もぅ……出る、からっ……!」
 風丸のちょっと怒った声。紅潮した顔は、怒りのせいとも快楽のせいとも、どちらにも思えた。俺は苦笑いすると、部屋を見回して、机の上にあったティッシュの箱を引き寄せて、2、3枚手に取る。それを、風丸の今にも吐き出したがっている性器の先にあてがった。
「ほら。いいぞ、思い切り出せ」
「んん……!」
 俺が風丸のものを押さえ込んでいた指をゆるめて、促してやると躊躇いながらも体をぶるりと震わせた。次の瞬間、ティッシュの中に熱い、白濁したものがあふれ出した。
「ああっ……!」
 頭をのけぞらせて、ひときわ甲高い声を上げると、風丸は満足したのか深い溜息をついた。俺の手の中のティッシュはぬめり気を帯びている。俺はそれを丸めると、もう数枚、箱から引き抜いたティッシュでぐったりとした風丸の精液で塗れた体を拭いてやった。
「……すまん、豪炎寺」
「良かったか?」
 俺が訊くと、風丸は照れているのか体ごと横を向いた。
「慣れてるな、お前」
「いつも自分ひとりでやる要領でしたまでだ」
「そうなのか?」
「お前はしないのか? オナニー」
「し、してるに決まってるだろ! それくらい……」
 顔を真っ赤にして風丸は、首だけを俺に向けて睨んだ。
「してるのか……」
「当たり前だろ」
 風丸はそう言ってから、ばつが悪そうに首をすくめた。
「いや、その。男なら……するだろう、普通」
 俺は苦笑いで応えた。風丸がまた顔を背けるので、肩に手をかけて振り向かせる。
「お前が気持ち良くなったのなら、それでいい。今度は……、お前が俺を気持ち良くさせてくれ」
「え……」
 風丸は躊躇した表情を見せる。戸惑っているんだろう。でもすぐに風丸は頷いてくれた。
「わ、分かった」
 俺はほっと胸を撫で下ろした。ベッドに身を委ねている風丸の体を抱きすくめようとして、まだ自分が学ランのままだったのに気付いた。急いで上を脱いで、シャツのボタンを外す。ズボンのベルトを解くと、風丸はむくりと起き上がって、おずおずと俺の股間に手を伸ばした。俺のかたく張ったボクサーパンツの上をそっと撫でた。そして。
 風丸の次の行為は、突然階下から鳴り響いたドアホンの音で遮られる。次に、ドアの鍵が外れて開く音が聞こえた。
「まずい!」
 階下からの音に、思わず動きを止めた俺を、風丸は慌てて押し上げた。 

6 / 16
7 / 16


 まるで半分夢の中にいるみたいだった。正直、豪炎寺に流されてしまった感は否めない。でも俺はそれでもいいと思ったし、あいつが求めるんなら多分、最後までしてしまったに違いない。
 誰が一番好きか、って訊かれたらそれは円堂に決まってるし、一生その気持ちは変わらない、変わるはずがない……んだろう。でもそれなのに、何故なんだろうな。自分自身でも分からない。円堂とは別に、肉体の行為までしなくても充分だし。いやだからと言って、豪炎寺とならあんな事を平気でできるのかと訊かれると……。
 自分の中で気持ちは確実に混乱している。
 ともあれ、母さんが帰って来なかったら、こうして逡巡する間もなく、俺は豪炎寺と結ばれてたんだろうな、とは思う。
 母さんの帰りは思ってたより早かったんだろうか。それとも、あのとき互いの行為にふけっていて、時間が経つのさえ二人とも忘れてしまったんだろうか。
 どっちにせよ、豪炎寺と抱き合っている最中に母さんが帰って来たという事実に、俺は慌てた。もしかしたら、あいつは呆れてしまったかも知れない。急いで服を整え――首元までTシャツが上げられ、ジーパンは下着ごと膝の下まで下がってるとんでもない格好だった――、今までの行為なんか感じさせないよう、取り澄ました顔を作るのは難儀だった。それでも、母さんが俺の部屋まで上がってくるまでには、何事もなかったように体制を整えた。
「ただいま~」
 暢気な声で母さんがドアをノックする。俺はできるだけすました顔で、
「おかえり」
と、返事した。
「お友達来てるの? 守くん?」
 部屋を覗き込んだ母さんが、学ラン姿の豪炎寺を見て首を傾げた。豪炎寺ももう、外したボタンは元に戻っていた。
「あら……。あなたは確か豪炎寺くん、ね?」
 母さんはフットボールフロンティアの中継試合を観てたようで、豪炎寺の顔を覚えてるようだった。豪炎寺は母さんに頭を下げると、
「はい」
と一言答えた。
「こんばんは。一郎太の母です」
「……どうも」
 母さんも豪炎寺に軽く頷くと、にっこり笑って話を続けた。
「守くん以外のお友達がうちに来るなんて珍しいのよ。でも、いっちゃんは最近よくあなたの話を……」
「母さんっ!」
 いきなり母さんが小学校の頃まで呼んでた名前を出すものだから、俺は心底慌てた。
「やめてくれよ。俺もう中学生なんだからそう呼ぶのは!」
「あらだって、いっちゃんはいっちゃんでしょ」
「だから!」
 円堂にならともかく、豪炎寺の前でそんな風に呼んでほしくなかった。融通の利かない母さんの口を何とか止めようとしていると、豪炎寺が口を挟んできた。
「そろそろ、俺帰ります」
「まあ、ゆっくりしていけばいいのに」
 母さんはきょとんと小首を傾げる。だが豪炎寺は首を振った。
「もう遅いですし」
「そうなの。またいらっしゃい」
 豪炎寺は頷くと、頭を下げて部屋を出ると階段を下りてゆく。リビングに置いたままの肩掛け鞄を取ると、玄関で靴を履いた。俺が階段を下りて行くと、顎でしゃくる仕草をした。俺とふたりだけで話がしたいのか。豪炎寺に誘われるままに、玄関を抜けてポーチに出た。辺りはすっかり夜の闇で覆われて、そよ風が吹いている。
「今日はありがとう」
 足を外に向けて、顔だけ振り返って豪炎寺はそう言った。
「いや、別にそんなんでも」
 風が俺の髪を舞い上げて、頬に触れる。夜の静けさと冷気が心地いい。
「今度は俺がお前にメシをおごる」
「あ、うん」
「それから……、おふくろさんをあんまり困らせるな」
「え」
 俺は豪炎寺の顔を見つめた。いきなり言った言葉の意味を掴めずにいると、言いにくそうにぼそりと口に出す。
「いや、……『いっちゃん』って」
「ああ……」
 俺の愛称をしっかり覚えてると分かって、たじろいだ。思わず頬が熱くなる。それと同時に、この間木戸川の監督の言葉がふとよぎった。豪炎寺には、そんな文句を言える母親の存在すらないのだ。それを思うと、俺の一時の恥ずかしさなんか、些細なわがままに過ぎないんだ。俺はなんだか申し訳なくなった。
「うん……。分かった」
 頷くと豪炎寺は柔らかな微笑みを返す。熱っぽい目で俺を見た。その視線が妙にくすぐったく思えて、目を逸らそうとすると、豪炎寺は俺の唇に触れるか触れないかの位置まで、顔を近づけた。
「さっきの続きは今度、またしよう」
 そう囁くと豪炎寺はきびすを返して、片手を上げた。「あばよ」と別れのポーズを取る。そのまま、豪炎寺がいつもの帰る方向へと、まっすぐ歩いて行ってしまった。
 さっきの続き、って……。
 俺の部屋で、ふたり肌を触れ合わせて、互いに快楽にふけって……。
 今さらながら、恥ずかしさで堪らなくなる。体が熱くなる。
 いや、気持ち良かったのは俺だけで、豪炎寺の方はそれほどでもなかったのかも知れない。だってあいつはまだ……。
 なぜ、最後までしてあげられなかったんだろう。そこまでいかなくても、せめてあいつを少しでも満足させてやれれば……。
 夜道に消えていく豪炎寺の背中を見送りながら、そんなことを思っていると、家の中から母さんが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「お風呂わいたわよ。早く入りなさい」
 親が側にいるのに、なんて事を考えているんだろうと、気付かされて俺は慌てて返事した。
 こみ上げる照れを覆い隠して、替えの下着とパジャマを用意し、温かい湯でほっと一息つくと、同時にさっきまで豪炎寺と過ごした時間を思い出し、顔が熱くなるのを感じた。
 どうせひとりで飯を食べるのも味気ないから、豪炎寺を誘ったのはまあいい。円堂とはよくやってたし、同じ部の仲間なんだから、別に、普通のことだ。でも抱き合ったり、キスしたり、……互いに股間を触りあったりするのは、どう考えても恋人同士のすることだ。
 舌を絡めたりもした。いや、気持ちは良かったけど。まるで体が宙に浮いてしまってるようだったけれども。
 よく考えたら、飯を食ったあと歯を磨いてなかったな。リンゴを食べたあとだから、酸味でごまかせたかも。けど……、臭くなかっただろうか。そう言えばあれだけ練習したあとなのに、汗もろくに拭いてなかった。湯に浸かってた腕をあげて臭いを嗅いでみた。とはいえ、風呂に入っているんじゃ、今頃気付いたってムダか。
 湯船の中で膝を抱えて顔をうつむけた。口元まで温かい湯に体を委ねていると、何故だかさっきまでの行為が夢の中の出来事のように思えてきた。なのに、顔が思わずほころぶのは何故だろう。
 豪炎寺の愛撫は優しかった。サッカーをしてる時は激しさを見せるけど、それ以外の時はどっちかと言うと、ぶっきらぼうで、あまり考えていることを口に出す方じゃない、あいつ。でもさっきの豪炎寺は俺をこわれものを扱うみたいに優しくて、ぎゅっと抱きしめたり、頭を撫でてくれた。
 キスされて、体に触れられただけで俺の体は反応してしまった。豪炎寺は俺の胸ばかり触ってきた……ように思う。男の、真っ平らな胸なんか触って面白いものなんだろうか。
 自分で自分の胸を触ってみる。豪炎寺がやってたみたいに、撫でさすってみたけれど、さっきみたいに甘い感触は得られなかった。俺はがっかりして、その直後、そんな行為をしてしまったことに自己嫌悪した。自分で自分の体を撫でるなんて、何をやってるんだ、俺は。
 俺の頭の中は豪炎寺のことで一杯になってしまって、もうぐちゃぐちゃだ。この間までは豪炎寺の存在そのものに苛立ちさえ覚えていたはずなのに。今は、今日一緒に同じ時を過ごして、見つめあって、そして……。その記憶ばかりを何度も反芻していた。
 明日はあいつのことがまた違って見えるに違いない。もっと違う気持ちで向かい合えるに違いない。そして今度はあいつと最後まで……。
 とりあえず、今度豪炎寺とふたりだけで過ごす時は、体を綺麗にしておかなくちゃならないな。せめてシャワーくらいは浴びておいた方がいい。本当はそんな時、一番綺麗にしなければならないのは、尻の部分だって分かるのには、後になってからのことだったけれども。



 次の日、いつになく目覚めのいい朝を迎えた。朝いちばんの光がカーテンの隙間から射して、俺を起こす。思い切り背伸びをすると、日課のランニングをこなした。いつも通りの朝のはずなのに、目に映る風景はまるで輝いていた。それは多分、気のせいじゃない。
 家に帰ると、母さんが用意してくれた朝食をとって、学校へ行く支度をした。髪を整えながら鏡を覗いて、ほころぶ自分の顔を確かめた。うん。髪もちゃんと結えたし、完璧だ。
 意気揚々と母さんに「行ってきます」の挨拶をすると玄関を出た。昨日みたいに、門の所に豪炎寺が待ってるかと期待したけれど、流石に今朝はいなかった。がっかりはしたけれども……、でもどうせ学校へ行けば豪炎寺に会えるんだし。そう思い直して俺は歩き始めた。いつものように、途中で円堂が合流した。
「おはようっ、風丸」
「おはよう!」
「ん?」
 円堂が妙な顔で俺の顔を見る。
「どうかしたか?」
 俺が訊くと、円堂はにんまり笑った。
「いや、今日の風丸はすんげーいい顔してるからさっ!」
「そ、そうか……?」
 朝からずっと豪炎寺のことを考えてたせいだ。嫌だな。顔に出ちまってたのか。
「そう言えば、今日は豪炎寺は一緒じゃないんだな?」
 いきなり円堂がそんなことを言うので、俺の心臓は跳ね上がる。
「いや、昨日は……昨日は特別だったんだろ」
 元々、俺がちゃんとサッカー部に来るように、豪炎寺が迎えに来たんだったな。そう思い出していると、円堂が何の気なしに切り出してきた。
「ふ~ん。そういやさ」
「何だよ?」
「お前に言わなきゃならないことがあったんだ」
 円堂は何故だか、妙に改まった顔で声を低く落としている。俺は首をひねった。
「俺に?」
「うん……。実はさ。俺、豪炎寺に頼んでたことがあったんだよ」
『豪炎寺』って言葉が出るだけで、俺の胸はどきんと高鳴る。昨夜のベッドの中でのあいつの顔が頭に浮かんでしまい、俺は慌てた。赤くなる頬を押さえて、なんとか平静を装うとした。
「それがお前の話さなきゃならないことかよ?」
「いやさ、実は……。お前と仲良くする気、ないかって」
 俺はすぐに円堂の言葉に対応できなかった。一体円堂は、何を言ってるんだ?
「っていうか、豪炎寺とお前が、俺とみたいに親友になってくれりゃいいな、って思ったまででさ。だってお前は、豪炎寺と似てるとこあるし」
 円堂の言っていることがさっぱり理解できない。それどころか俺の心のどこかが、急速に冷えてゆくのが分かる。
 なぜ? どうしてなんだ?
 自分自身に問いかけてみても、俺の心は暗く歪んでゆく。
「俺と豪炎寺のどこが似てるって言うんだよ……」
 ぼそりと呟くと、円堂は俺の気持ちなんか知らないのか、暢気に答えた。
「んー。どこ、って言われると困るけど、お互いマジメすぎるっていうかさー」
 俺が知りたいのはそんなことじゃない。どうして円堂はそんな考えに至ったんだ?
「な……んで、そんなこと、豪炎寺に頼んだんだよっ……!」
「だってさ。お前とは小さい頃からの付き合いだし、豪炎寺はせっかくサッカー部に入ってくれたじゃないか。だから、どうせならお前と豪炎寺も、俺たちみたいに仲良くなってくれればいいに決まってるじゃないか。だから俺、豪炎寺に頼んでみたんだ」
 俺にはさっぱり分からない。そして、俺の知らない間に、そんな取り決めがあっただなんて。
「豪炎寺も乗り気だったしさ。だから昨日」
「どうして俺の知らない所で、勝手に決めるんだよ!」
 円堂の言葉を遮って、俺は噛み付くように怒りをあらわにした。円堂が面食らったのか、口をあんぐり開けた。
「あ……悪い。確かに、豪炎寺もお前の気持ちを確かめた方がいいって言ってた。でもさ」
 円堂は必死で弁解の言葉を並べる。けれど俺の怒りは収まらない。俺にとって円堂の行為は裏切りそのものだったから。
「余計なお世話だぜ、そういうの」
 それだけ言い放つと、俺は円堂を置いて学校へと駆け出した。困りきった声で円堂が俺を呼ぶけど、そんなのはおかまいなしだ。走ってるうちに、勝手に涙がこぼれ落ちる。堪らなく悔しくて、俺は拳で目元をぬぐって走り続けた。
 変だと思ったんだ。あいつがいきなり俺に近づいてきて、キスしたのは、円堂があんなことを頼んだからなんだろう。
 親友だとかそんなものにかこつけて、俺を体のいい性欲処理の相手にするつもりなんだ。
 だから、だから……。
 だから俺に近づいたのか。
 ああ、そう言えば一緒に買い物に言ったあの日、豪炎寺は不良たちに俺を自分の女呼ばわりしてたな。やっぱり……。
 そこまで考えついたときは、目の前に見慣れた校舎が構えていた。登校してきた生徒たちが暢気に「おはよう」の挨拶を交わしている。俺の気持ちとは裏腹に、お気楽そのものだ。
 明るそうなみんなとは違って、俺はひとり、暗い世界の真ん中にいた。

7 / 16
8 / 16


 昨日は夜遅くまであいつの部屋にいたので、日課とも言える夕香の見舞いに行けなかった。代わりとしては何だが、朝、登校する前に稲妻病院へ行くことにする。
 白い小さな部屋で、機械と白いシーツに包まれている妹は、一年近くも前と変わらなく目を閉じたまま眠り続けている。
「昨日は来れなくてごめんな」
 声をかけて頭を撫でても、夕香は瞬きひとつせず、眠ったままだ。
 ベッド脇のチェストに置かれた花瓶を取り上げ、病室の外にある給湯室へ行く。しおれかけのピンクの花をポリ製のゴミ箱に捨て、明るい黄色のチューリップに活けかえた。そう言えば、風丸の部屋にあった鉢植えも、黄色の花だったな。あいつの雰囲気にはあまり似合ってるようには思えなかったが、出窓に咲いていた花の辺りだけはそこだけ妙に明るかったことを覚えている。あの細かい花弁がたくさんついている花は、何という名前だったろうか。
 思い出そうとして、結局やめた。代わりに昨日見たあいつの顔ばかりが心に浮かぶ。ベッドの中で震えながら、熱に浮かされていたように目を伏せる風丸を、俺はずっと見ていたかった。できるのなら、あれ以上にあいつのもっと奥へ触れたかった。俺の欲望をあいつの中に埋めたかった。
 目の前の黄色のチューリップが、俺を現実に引き戻す。朝っぱらから、しかも夕香の眠る病院で、俺は何を考えているんだ。苦笑いして花瓶を持った。
 あのあと、マンションの自分の部屋に戻って、最初にしたのはネットで調べものをすることだった。まさか、風丸とあんなに急接近するとは想像してなかったし、あいつをなるべく傷つけずに体をひとつにする方法を知りたかった。調べてみて、自分の性知識のなさに溜息をついたが……。まあ、やり方は理解したからこれで大丈夫だろう。
 とりあえず、風丸と事を結ぶのに必要なものはネットで注文済みだ。手間は多少かかるのかも知れないが、何とかなるだろう。目の前の花を整えると、俺は夕香の病室に戻った。
 夕香。お前の事は忘れない。けれど少しの間だけ、俺のわがままを許してくれないか……。



 病室を後にし、俺は学校へ向かった。稲妻病院と雷門中とはさほど離れていないから、朝一番に見舞いに行っても、ゆうに授業に間に合う。それでもギリギリだったから、教室に入ったのはホームルーム開始の予鈴が鳴る直前だ。席に着くと、机ふたつ離れた場所の円堂が困ったような顔を俺に向けた。何か言いたそうだったが、すぐに担任が入ってきたので、話を聞けたのは一時限目の授業の前だった。
「ごめん、豪炎寺。お前に謝らなきゃならないかも」
「何の話だ?」
 思い当たることがないので、俺も首を捻るしかない。むしろ、円堂に風丸とのことを話すべきなんだろうか。だが、それは勿論、風丸の気持ちを確認してからだが……。
「風丸のことなんだけど」
 何故だか済まなそうな顔の円堂から出た言葉に、俺は驚く羽目になる。
「ほらさ。俺、お前に風丸と仲良くしてほしい、って約束してただろ。それを今朝、風丸に話したら、いきなしあいつ怒りだして……」
「お前、風丸にまだそのことを言ってなかったのか?」
「うん……。いや、今まで忘れててさ。昨日、お前らがいい雰囲気だったから、それ思い出して話してみたんだ。そしたら」
 ああ……、なるほど。俺は納得した。だが、いきなりそんなことを聞かされた風丸の気持ちはどうだったんだろう。
 怒りだした。そうか、あいつは……。
「嫌がっていたのか、風丸は」
「んー。よく分からない。ともかく風丸に今まで話してなかったのは、マズかったみたいだ。ごめん」
 円堂は頭を下げた。でもこればかりは円堂だけの所為ではないだろう。
「お前が謝る必要はない。俺もあいつに言ってなかった」
「ホントか?」
 俺は頷いて円堂にきちんと今までの経緯を話そうとしたが、それは一時限目の予鈴と共に、数学の教師が教室に入ってきたことで遮られた。仕方なく席に戻りながら円堂に言う。
「風丸には俺が言っておく」
「分かった、頼むぜ」
 日直の号令で一斉に席を立つクラスメイトに紛れ込む円堂を見やりながら、俺は風丸にどう弁解しようか頭を悩ませた。



 その日、風丸と話ができたのは昼休みになってからで、あいつの教室へ行くと、あからさまに不機嫌な顔をされた。
「話は円堂から聞いた。お前に話さなかったのは、悪いと思ってる」
 風丸はつんと横を向いたまま。横顔の筋の通った鼻のラインは、いつもなら綺麗だと思うところだが、今はそれどころじゃない。視線を俺に合わせようともしない風丸は、横向きのまま言葉を返す。
「よく俺の前にツラを出せるな」
 それだけ言うと、また不機嫌な顔を作る。
「お前が怒るのは分かる。でも、昨夜は」
「ここでそう言うこと話す気か!?」
 怒りに震える声が、風丸の気分を表していた。まっすぐ向き直って俺を一瞥する。顔が上気しているのは、怒りと羞恥の所為だろうか。
「分かった。ふたりだけで話したい」
 俺がそう告げると、渋りながらも席を立った。
 どこで話すべきか迷ったが、本校舎の屋上にした。誰もいない屋上には、ただ風が吹き抜けている。風丸は階段へと下りる入り口の裏に足を向けると、壁際に背をもたれて腕を組んだ。
「で、何の用だ」
 にこりともせず俺を睨む。
「お前は……、何をそんなに怒っているんだ?」
 俺の言葉に、風丸は眉間にしわを寄せた。
「確かに俺は、円堂にお前と仲良くしてくれないかと頼まれた。だが、どうしてそれがお前の怒りを買うんだ? 今まで言わなかったからか? そのことについては謝る。だから」
 俺は頭を下げたが、風丸は腕をかたくなに組んだままだ。
「豪炎寺……。お前は俺の本当の気持ちを知ってるのか……?」
「お前の……? 何の気持ちだ?」
 俺が風丸の顔を伺おうとしたが、長い前髪がそれを拒んだ。俯いた風丸は苦しそうに唇を震わせる。
「それは、俺の、円堂の……」
 呟くようにそこまで言ったが、急に口をつぐんだ。風丸の組んだ腕はまるで、かたく自分自身を抱きしめているようだった。
「いや、お前に言ってもしょうがないか。結局のところ、お前は俺を簡単にセックスできる相手だって思ってるんだろ?」
 俺には風丸が言っている意味が理解できない。どうしてそんな考えに至る? 同時に少し呆れた。
「それこそ、お前は何故そう思い込んでいるんだ?」
 そう返すと、風丸は苦々しい笑いを顔に浮かべた。
「円堂に頼まれたから、俺に近づけるいい機会だと思って、俺の体をお前の好きにしようと思ったんだろ?」
 ああ、なるほど。こいつが誤解してるのは、そういうことか。
 俺は大きく息を吐いた。大体、円堂の頼みは俺にとって青天のへきれきであり、むしろありがた迷惑だった。風丸はそれに気付いていない。
 ここは実力行使だろう。怒りに満ちている風丸の顔を逆に睨みかえした。
 組んだままの風丸の腕を掴むと、かたく結んだその唇に口づけた。俺の本心を伝えるには、それが一番だと思ったからだ。風丸の瞳が大きく開かれる。
 次の瞬間、脇腹に痛烈な痛みを感じた。息が止まる。風丸が俺に蹴りを入れてきたと分かったのは、
「バカ野郎!」
という罵声とともに、階段を駆け下りる足音が聞こえてからだ。
 誤解を解くどころか、余計に怒らせてしまい、俺は途方に暮れた。


 結局、その日の授業が終わって部活の時間になっても、俺は風丸とまともに会話すらできなかった。流石に休みはしなかったが、風丸はディフェンス陣の強化とやらで、土門たちと一緒に特訓にいそしんでいた。俺の顔など見向きもしない。
 円堂は困ったような顔で時々俺に目配せし、鬼道は俺と風丸の間の、不穏な空気を読み取ったのか、
「どうかしたのか?」
 と声をかけてきたが、俺は何事もないように振る舞った。
 唯一の救いは、壁山と栗松、昨日休んだふたりが一番に俺のところにやってきて、礼を言ってくれたことだけだ。
 やがて赤い夕焼けが訪れて、部活の時間は終わりを告げたが、風丸はさっさと支度を終えてしまったらしく、真っ先にみんなより先に帰ってしまったらしい。部のみんなはいつものように、寄り道の話をしていたが、俺もまたひとりで帰ることにした。
 夕焼けに照らされた町並みを見つめながら、俺はマンションではなく、夕香の眠る病室へと足を向けた。

8 / 16
9 / 16


 夕焼けに赤く照らされた河川敷を、俺はゆっくり川沿いに歩いた。ベンチが置かれた、自販機のある広場に来るとこの間、木戸川静修の監督と話したときのことを思い出す。
(豪炎寺と仲良くやってくれないか……?)
 円堂といい、あの監督といい、何故同じようなことを言うのだろう。
 みんな、勝手だ。俺の気持ちなんか知らないで。
 ……俺の、気持ち?
(お前は……、何をそんなに怒っているんだ?)
 俺の中で、昼休みの豪炎寺が言った言葉が浮かび上がった。
 そりゃ、怒るに決まってるだろ。あんな……、あんなことされた翌日、そんなこと聞かされちゃ。それなのに昼間、豪炎寺がいきなりキスしたというのに、俺の心臓はばくばく鳴った。そんなの、自分自身が許せない。
 ……許せないって、何故だ?
 川べりに沿って落下防止用の柵が立てられてる。俺は鉄製の手すりを握りしめながら、あいた手で心臓の辺りを拳でぎゅっと掴んだ。
 俺の脳裏に浮かぶのは、豪炎寺の姿ばかりだ。
 あいつがボールを蹴る、綺麗な放物線を描いてゴールに決める、その姿。あまり喋らないけれど、そ瞳は口以上に物語る。何より、俺を見据えるその瞳は深い。
 そんな……。俺は。
 夕陽に照らされた川面は、赤く煌めいていた。まるで、あいつのシュートみたいに。



 重たい足取りで俺は病室に辿りついた。白いベッドの中の夕香は、朝見舞いに来たときと変わらない。
 変わってしまったのは、俺に対するあいつの態度だ。
 ベッド脇に置かれた椅子に腰掛ける。大きく溜息をついた。
 これは自業自得なのかも知れないな。確かにあいつの言う通り、円堂の頼みを安請け合いし、それがあいつを傷つけた。
 そうだ、これは罰だ。夕香が苦しんでいるというのに、それを忘れて風丸にかまけた罰だ。
 すまない、夕香。お兄ちゃんが悪かった。
 俺はまぶたを閉じたままの夕香の額を撫でてやろうと手を伸ばした。その時、制服の袖口からするりと赤いものが手首に纏わり落ちるのに目がいった。
 ミサンガ。この前の試合の前、円堂も交えて一緒に買い物に行ったとき、あいつが着けてくれたもの。
(口に出さなくていいから、何か願い事かけてくれよ)
 あの時は今の状態になるなんて、思いもしなかった。だが、もう、俺の願いは叶えられないだろう。
 俺はミサンガに指をかけた。綻びかけている所に力を入れればすぐに引きちぎれるはずだ。
 もういい。もうこんな苦い思いをするのなら、最初から何もなかったことにすればいい。俺はミサンガにかけた指に力をこめようとした。
「…………ダメ」
 えっ。
 小さな、微かだったが確かな声が、懐かしいあの声がベッドの中から聞こえた。
「……ダメだよ、お兄ちゃん……」
 今度ははっきりと聞こえる。
「夕香? 夕香なのか!?」
 慌ててベッドの中を確かめる。だが、夕香のまぶたは下りたままで、ぴくりともせず、ほんの少し動いた唇はすぐに寝息へと変わった。
 夕香、お前は……。
 そうか。そうだな。お前の言う通りだ。これじゃダメなんだ。
 ありがとう、夕香。お前のお陰で目が覚めた。
 夕香。今度、あいつを連れて来るよ。あいつはちょっと意地っ張りだけど、仲間思いの良い奴だ。絶対お前も気に入る。だからもうひとりお兄ちゃんができたと思って、甘えてくれないか。
 夕焼けが闇へと馴染む病室で、俺は誓いを立てた。眠りの世界に居るというのに、一瞬でも目を覚まして俺に伝えてくれた妹の為にも――。



 翌朝、一番に向かったのは、円堂の所だった。早急に話をつけなくてはならない。円堂が登校する前に、直接家まで行った。風丸は一緒でない時の方がいい。
「あれ? おはよう、豪炎寺」
 玄関のドアを開けた円堂が、人なつこい笑顔で言う。
「円堂、お前に言わなきゃならないことがある」
「大事な話か?」
 俺を見て、円堂がすぐ真顔になったのは自分でも知らない内に、ただならない気を出していた所為なのか。
「ああ、かなり」
「なんだよ?」
 真摯な顔で応じる円堂に、俺は以前から頼まれていた話を出した。
「あの話は無かったことにしてくれないか」
「どうしてだ。乗り気だったじゃないか。昨日だって風丸と一緒に……」
 そこまで言って円堂は、はっとなった。声を低めて小声で囁く。
「もしかしてお前……、風丸のこと嫌いだったのか?」
「嫌いじゃない」
 むしろ、「風丸のことが好きだ」と言うべきなんだろうが、円堂の想像する「好き」と、俺の言う「好き」には大きな隔たりがある。円堂には一生分からない感情に違いない。円堂は不思議そうに首を捻っている。
「だったら、なんで?」
「あいつには、ちゃんと正面から向き合いたい。誰かのつてでの付き合いなら、それは本物とは言えないんじゃないか?」
「んんー」
 円堂は一度首を左右に傾けたが、空を見上げると、
「ん」
と応えた。
「よく分かんないけど、お前自身が心から風丸と友達になりたいって思ってるのなら、それでいいぜ」
 そう言うと、晴天に負けないくらいの笑顔を見せた。俺がなりたいのは「友人」ではないが、円堂に取ってはそれが、一番なんだろう。まあ、いつかは本当のことを言わねばならないな。
「ありがとう。じゃあ、俺は先に行く」
 俺はきびすを返すと、学校へ向かった。円堂が「えー?」と声を出す。多分、一緒に登校するから風丸が来るのを待っているのか。でもできるのなら、俺は風丸とふたりきりで話がしたい。昨日のこともあるし、円堂が一緒では、ダメだ。
 午前の授業が過ぎ、昼休みになって風丸のクラスに行くと、席はもぬけの殻だった。
「風丸? どっか行ったぜ。行き先は……知らないな」
 風丸のクラスの男子たちに訊いてはみたが、返ってきたのはそれだけだった。午後の授業が始まるまで、校内を探したが、風丸の姿は見つけられなかった。
 仕方がない。放課後を待つか。どうせ部活の時には必ず鉢合わせになる。そう、高を括った。
 生憎その日は掃除当番だった。適当に切り上げて部室に向かったが、風丸の姿はそこにも無かった。
 鬼道と打ち合わせをしていた円堂に訊くと、困った風な顔でこう返してきた。
「実はな。風丸はひとりで特訓したいからって、頼んできたんだ。どこでするのかは、教えてくれなくてさ」
「そうか……」
 俺と円堂の顔色をみて、鬼道がどうかしたのかと尋ねたが、俺は苦笑いで
「なんでもないさ」
と、首を振った。

9 / 16
10 / 16


 足りない。俺には足りないものが多すぎる。
 もう俺はサッカー以外は見ない。円堂は昔からの大事な親友、サッカー部のみんなはかけがえのない仲間、それだけだ。
 誰よりも速く走って、相手のボールを奪う。そして攻撃陣へ繋いでゆく。俺の役割はそれだ。だから俺は、それだけ見ていればいい。
 もう、恋だの何だのに惑わされたりしない。



 昼休み、給食を急いで腹に詰めこむと、こっそり修練所で特訓した。
 頭の中でイメージを作り上げる。これは陸上部にいる頃からやっていたから、慣れたものだ。イメージの中の敵チームの攻撃をブロックして味方へとパス。
 ああ……。俺に足りないものって、決定的なディフェンス力じゃないのか。
 いくら足が一番速かろうが、陸上で求められるものとサッカーで求められるものとは、質の根本が違う。
 昼休みは、俺が思ってる以上に時間がたつのが早かった。脱いだ学ランとカッターシャツの上に置いておいた携帯で時間を確かめると、あっという間に時間が過ぎているのに驚かせられた。がっかりして俺はユニフォームから制服に着替えた。
 やっぱり放課後の方がたっぷり特訓できるな。そう考えて、俺は円堂に言っておかなくちゃな、と決めた。
 なにより、ひとりで特訓していると、余計なことを考えずに済む。あいつと一緒の所で練習していたら、せっかくの決心が薄れる。今はひたすら、サッカーに集中しなければいけないんだ。俺のためらいも何もかも、全部……後回しだ。
 放課後がきて部室に行き、一番に円堂の特訓の話をした。円堂は何か言いたげだったけど、すぐに、
「ああ。お前の気がすむまでやってきたらいいさ。ガンバれよ!」
と、そう言って、俺を送り出してくれた。
 今は円堂の気遣いが嬉しい。その気持ちに報いる為にも、俺は強くならなくちゃいけないんだ。円堂も大変なんだ。余計な気なんて回してほしくないから、だからこそ……。
 昼休みの時のように、修練所へ行くことも考えたが、他にもいい場所があると閃いた。俺は本校舎裏にある、陸上部グラウンドへと足を向けた。



「特訓……ですか。ここで?」
 俺が元居た陸上部では、各々で練習に打ち込んでいた。俺が頼みこむと場所を貸してくれることを承知してくれた。何のかんの言ってもまだ俺のことを仲間と思ってくれてる。みんなの気持ちが心にしみた。
 1年の宮坂が、俺を手伝うと言ってきた。前から俺を慕ってくれた後輩だ。
「わざわざ俺なんかの相手をしなくてもいいんだぞ」
 俺はそう言ってやったが、宮坂は笑ってトラックに赤いコーンを並べた。
「いいんですよ。風丸さんの力になれるなら! あ、ここでいいですか?」
 ジグザグになるようコーンを置きながら、宮坂はけなげな事を言ってくれた。
「ああ。それでOKだ。すまんな。ボール、打ってくれ」
 宮坂は明るい声で「はい!」と返事すると、俺の方へボールを転がした。それをさばいてキープしながら、コーンの外周を次々回してゆく。何セットか続けたが、なかなか俺がイメージするプレーにはならない。途中で足がもつれそうになる。
 ダメだ。ダメだダメだ。こんなんじゃ。もっと飛ぶように、速く走らなきゃ。
「……風丸さん。あんまり根つめない方が」
 見かねたんだろう。宮坂がおずおずと俺に話しかけてくる。俺はかがめた膝を拳で叩いて、自分の体に活を入れた。
 その時だ。俺の視界にプラチナに脱色した逆立てた頭の持ち主が入ってきたのは。
 やばい。
 とっさに思って、辺りを見回す。けれども、陸上のトラックには、俺の身を隠す場所なんてない。俺は舌打ちして、近づいてくる豪炎寺を待った。
「風丸」
 俺はそっぽを向く。本当に、今の俺は、お前の顔を見たくないんだ。
「こんな所で特訓か?」
「どこでやろうと俺の勝手だろう」
 顔をそむけたまま、俺は応えた。
「邪魔しないでくれないか。お前に構ってるヒマなんてないんだ」
「特訓なら、サッカー部でやればいい。お前はもう、陸上部の人間じゃないんだろう?」
 何故だか、その言葉が妙に心に障った。なんだよ。人の気も知らないで……。
「俺はここでやりたいんだ」
 いらつきながらそう言うと、豪炎寺は俺の行く手をはばむように、前に出る。
「どけよ。邪魔だ」
「だったら、俺を超えて行けばいい」
 挑戦的な豪炎寺の態度に、俺はむっとして「分かった」と叫んだ。
 足を一歩踏み出すと、豪炎寺もその前に足を出してくる。逆方向へ体を向けると、豪炎寺もそっちへ立ちはだかる。まるで試合の時のオフェンスとディフェンスだ。
 俺たちの傍らで、宮坂がタオルを握りしめて、おろおろしているのが見える。悪いな、宮坂。お前にとっては迷惑きわまりないだろうな。
 俺は肩を斜めに出して、強引に豪炎寺を突き除けようとした。だけどやっぱり、豪炎寺も肩を肘で押し返してくる。俺は足でフェイントをかけると、くるりと交わして横へ飛び退った。すると、
「ヒートタックル!」
豪炎寺が必殺技で応酬してきた。あいつの体に炎がまとわりついて赤く燃え上がる。その熱に俺は、思わずもんどりうった。
「おいっ!」
トラックの上に尻餅をつかされ、俺は豪炎寺の顔を睨みあげた。
「卑怯だぞ。必殺技使うなんて聞いてない!」
「使わないとは言ってない」
 豪炎寺は眉をつりあげ、口の端を下げて皮肉めいた顔を見せた。だったら俺も必殺技で豪炎寺を抜くんだった。
 そう悔やんでいた俺に、豪炎寺は右手を差し出した。
「お前の負けだ、風丸。諦めて一緒に俺と帰るんだな」
 俺は豪炎寺に敵わないままなんだろうか。そう思うと悔しくてたまらなかった。尻餅をついたまま、目から悔し涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えていると、更に豪炎寺は言った。
「俺はお前が一体、何を誤解しているのかは知らない。けれど、お前のいるべき場所は陸上部じゃない。サッカー部だ。お前が俺をどう思おうと今さら弁解することはない。だけど、これだけは言っておく」
 下を向いたままの俺には豪炎寺の表情は見えない。けれどもその言葉は確実に、俺の心に突き刺さった。
「俺は円堂に言われたように、お前と友人となりたいとは思わない。俺は……お前を俺だけのものしたい…………」
 えっ?
 見上げると、豪炎寺は照れたように目を逸らした。
「それってどういう……?」
「行くぞ」
 目を逸らしたまま、豪炎寺は俺の手首を掴むと、引き上げた。そのままサッカー部室のある中央校舎側の校庭へ俺を引いて行こうとする。トラックの上には、まだコーンが置いたままだ。
「あ! 僕が片付けておきます!」
 宮坂が俺と豪炎寺に呼びかけた。けなげな後輩が後片付けを引き受けてくれるのを、俺は託す羽目になった。
「すまん、宮坂」
 俺は振り返ろうとしたが、豪炎寺は掴んだ手首をぐっと引き寄せた。
「あんま強く引っ張るな!」
 豪炎寺の強引さに辟易しながら、俺はさっきの言葉を反芻する。「俺だけのものにしたい」だなんて、まるで愛の告白みたいな……!
「逃げないのなら、緩めてやる」
「誰が逃げるかよ」
 まるで売り言葉に買い言葉だ。けれども妙に胸が熱くなってきた。
「今まで何度も俺から逃げた」
 そう来るかよ。俺は呆れて溜息をついた。
「もう、俺は逃げない。お前に何されようと」
「本当か?」
 豪炎寺は振り返って俺の目をじっと見る。俺も黙って見返す。何度か瞬きをすると、やっと俺を掴んでいた手を緩めた。
「帰るぞ。1年の奴らがお前がいないから寂しがってる」
 来い、と俺に目配せすると、豪炎寺は部室へと歩き出した。俺は頷くとその背中に着いていった。なんだかその背中は強くて温かいような気がした。
 サッカー部のグラウンドではみんながそれぞれ練習をしている。円堂が大声を張り上げて鼓舞してるのが聞こえる。
「あ、風丸!」
 俺たちに気付いて、円堂が駆け寄ってきた。
「どうだったんだ? 特訓の成果は」
 円堂はそのぬけの天気みたいな笑顔だ。
「いや……。あまりいい結果は出なかったな」
 俺が首を降ると、円堂は肩に手をそっと置いた。
「大丈夫さ。お前だから、いつかきっと実になる時が来る」
 その言葉、その笑顔。俺が心の底から渇望していたもの。けれどもそれは妙に、まるで故郷に帰ってきたみたいに、懐かしい気がした。
 何故だろう。どうしてそんな風に思ったんだろう。
 円堂とはガキの頃からずっと一緒で、毎日のように顔を合わせていた。それなのに、今、俺の心にあふれるこの感情は。
 俺の側に円堂がいるのは、ごく当たり前のことで、それはとても尊いものだ。
 とてつもなく、大事で、これが壊れてしまうのは惜しい気がした。
 そんなバカな。俺は円堂ともっと近い所に行きたかったんじゃなかったのか?
 俺は円堂の顔をじっと見る。胸からこみ上げるのは、奇妙な懐かしさだ。俺はかぶりを振って周りを見る。サッカー部の仲間たち。そして、豪炎寺。
 ――あ。
 豪炎寺を見た途端、胸の中に一滴のしずくが落ちて、それが波紋のように広がった。とくん、と鼓動が響く。
 俺、は……。
 気付かなければ良かったんだろうか。そうすれば今までの日常の中に埋もれてしまっていたのかも知れない。でも。
 その鼓動は妙に甘ったるくて、そして苦い。痛みと心地よさ。その両方を感じる。
 何なのだろう、これは。
 俺が円堂と一緒にいて、常に感じるのは安らぎだった。でも豪炎寺に感じるのは、それとは全く違うものだ。
 その正体を俺は探すべきなんだろうか。いや。
 認める、べきなんだろうか。俺は戸惑いを感じていた。

10 / 16
11 / 16


 なかば無理矢理だったが、風丸をサッカー部へ戻すことはできた。納得はしているんだろうか。そこまでは分からない。
 ただ、俺に対しての怒りまで収まっているのかは、どうか。あいつとはポジションが違うから、練習も基礎的なもの以外は、一緒というわけにはいかない。昨日と違って、時々は目が合うが、そのたび風丸は俺から視線を逸らしてしまう。
 人の気持ちが分からないのが、こんなにもどかしいと思ったのは、多分初めてのことだ。
 グラウンドが夕焼けで赤く染まり、生徒たちを追い出すサイレンが鳴るとともに、今日の練習は終わる。
「腹減ったっス」
「俺もうクタクタだよ」
 仲間たちが空腹と疲労を訴え、それを満たす為の寄り道の相談を始めた。
「豪炎寺はどうするんだ?」
 染岡が訊いてくるので、俺はどうしようかと決めかねていると、低めのアルトが代わりに応えた。
「悪い。豪炎寺は俺と先約があるんだ」
 一斉に部員たちの目が、俺の背後にいる風丸に集中した。そんなものをものともせず、風丸は続ける。
「一昨日、俺が夕飯おごってやったから、今日は豪炎寺がおごってくれる番なんだ」
 みんながざわめいた。けれど一番驚いたのは、俺だ。風丸は俺の目をじっと見て逸らさない。
 その瞳。赤みを帯びた色素の薄い目が俺をまっすぐ見つめている。
「……ああ、そうだ。今日は風丸と一緒だ」
 俺が頷くと、みんなは納得したのか、寄り道の相談を続けた。風丸はロッカーの前で制服に着替えている。俺もさっさと着替えた。
 一体、風丸はどういうつもりなんだ。昨日の今日で、更に今の態度だ。気持ちが掴めない。
 まあ、いい。俺は決心した。再びチャンスが訪れたならそれに賭けるまでだ。
 学ランのボタンを留めていると、先に着替えを済ませた風丸が側にやってきた。
「先に出てるぜ」
 俺が頷くと、風丸は先に立って部室を出てゆく。急いでボタンを留め終わると、鞄を肩にかけて風丸を追った。途中で円堂がこっそり右の親指を立てて、合図を送った。扉を開けると、風丸は薄暗くなってゆく空に向かって、俺を待ちわびていた。
「風丸」
 背中に呼びかけると、地面を蹴りながら風丸は応える。
「今日も、帰ってくるの遅いんだ。うちの母親」
「そうか」
「約束してたもんな。それを叶えないのは、なんか……気が済まないしさ」
 そう言って振り向く。形の整った見目のいい顔が、何故か震えているように思えた。
 約束? 何のことだったろう。大体晩飯の話だって、おごるのおごられるのと言った話はしてないはずだ。
「豪炎寺。お前、料理できるって言ってたよな。どんなのが作れるんだ?」
 俺がまだ戸惑っているうちに、風丸はどんどん前を歩きながら話を進める。
「どんなの、って。そうだな。カレーライス、ハンバーグ、スパゲッティ、グラタン、オムライス、それから……」
 俺が作った覚えのある料理を挙げていると、それを聞いていた風丸がぷっと噴きだした。
「なんだよ、それ。まるでファミレスのメニューだな」
「悪いか」
 そんな風にからかわれるとは思ってなかった。
「夕香が……、妹が好きなものばかりだからな」
 俺がそう言うと、風丸ははっと息をのんで、「すまん」と謝った。
「俺はどっちかって言うと、和食が好きだな。あのさ、今日」
 風丸が俺の顔をいきなり覗き込んできた。
「何だ?」
「どうせなら肉じゃがが食いたいな。お前、作ったことあるか?」
「いや、ない」
 俺は首を振った。でもそんなに食いたいのなら、要望に応えてやるか。俺は携帯を取り出すと、家にかけた。
「ああ、フクさん? 晩飯のことなんだが、肉じゃがお願いできないか?」
 夕食の支度をしていたらしい、家政婦のフクさんは、俺からの突然の連絡に驚いたようだ。
「どうしたのですか? 修也さん」
「ああ……。これから友達をひとり、うちに連れてくるから」
「そうでしたか」
 フクさんは喜んで承諾してくれた。話を終えて通話を切ると、風丸が目を丸くして俺を見ている。
「お……お前、家に誰かいるのか?」
「どういう意味だ?」
 風丸が一体何に驚いているのか、俺にはさっぱり分からない。
「いやだって。お前のうちは父親と妹さんだけだって……!」
 風丸が途中で気まずそうに、口を手で押さえる。いつの間に俺の家の事情を知ったのだろう。
「どこで知った? 俺の家のことを」
 すると済まなそうな顔で、風丸が答えた。
「こないだ。ほら、木戸川静修の監督が来てたって言っただろ。そんとき……」
 ああ、なるほど。二階堂監督が、風丸に教えてしまったらしい。俺は肩をすくめた。
「そうか……。いや、今話したのは、通いの家政婦さんだ。今は夕香の看病を主に看てもらってるが、掃除とか洗濯とかは、その人がやっている」
「そ、そうだったのか。お前が料理できる、って言ってたから、てっきり」
「流石に自分ひとりの時にはしないぞ」
「悪い」
 風丸は頭を下げた。自分の非を認めたなら、即座に謝るのは風丸の性分なんだろうな。そういう所はきっちりしている。俺にはそれがとても好ましく思える。
「いや、誤解が解けたのなら、それでいい」
「お前が知らないのなら、俺が作り方教えてやろうかと思ったけど……。余計なお世話だったな」
 苦笑いして、風丸は地面を蹴とばした。
「お前は作れるのか?」
「一応な。母親に教わったんだけど、意外と簡単なんだぜ」
「じゃあ今度、教えてくれ」
 俺が言うと、風丸がぱっと頬を染めた。視線を地面に落として「ああ」と答える。尖らせた唇の形が綺麗だと思った。
「行こう。腹減ってるんだろ」
 俺が促すと、顔を上げてふっと微笑んだ。
「うん」
 街灯のあかりが風丸の笑顔を照らす。白い顔が浮かび上がって、暗闇にとても映えた。

11 / 16
12 / 16


 豪炎寺の家は、最近稲妻町に完成したばかりの、バカに背の高いマンションだ。背ばかりでなく値段の方もそれなり、と聞いた。いつだったか、通りがかった時に母さんが羨ましそうに見上げていたのを思い出す。
「いいわねぇ。最上階からだと稲妻町全体が見渡せるんですって」
「でもマンションじゃ、ガーデニングとかあんまできないだろ?」
「それはそうなんだけれど」
 母さんは花が好きだから、それがちょっとネックなようだった。まあせいぜい、小振りの一軒家を銀行からローンを借りてやっとのことで手にしたうちからみれば、その程度の悩みをするまでもなく、高望みには違いはないのだけれども。
 今、俺はそのマンションのエレベーターに乗っている。豪炎寺が押したボタンは「11」を示している。
「お前んちって、高い所にあるんだな。眺めもいいんだろ?」
「まあ、そうだな」
 昇ってゆくエレベーターの中、豪炎寺は俺の問いに静かな口調で答えた。
「値段の方も高いのか?」
「いや、買ったのは親父だから、よく知らないな」
 ああ、そうか。豪炎寺の父親は医者だって、木戸川の監督が言ってたな。このくらいのマンションなら簡単に手にすることができるんだろう。両親共働きでやっとローンを返すことのできるうちとは大違いだ。
 そう思ったら、妙に緊張してしまった。
 11階を示すボタンが点滅すると、まもなくエレベーターのドアが開く。豪炎寺が顎をしゃくって、下りろ、と合図した。このマンションは戸別にエレベーターが備えられているタイプで、下りた先がポーチに直結していた。低いフェンスの扉を開けて、インターホンを鳴らすと、豪炎寺は帰ってきたと告げた。話した相手が、さっき言ってた家政婦さんなんだろう。ドアを開けると、優しそうな中年の女の人が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。修也さん」
「ただいま。……友達をつれてきた」
「こんばんは」
 俺が頭を下げると、柔和な笑顔を返してくる。
「どうぞ、いらっしゃいませ。お夕飯の仕度はできておりますよ」
 家政婦さんは後半を豪炎寺に向けて言った。
「ああ、ありがとうフクさん。もう帰っていいよ。あとは俺がやっておくから」
「宜しいのですか?」
「うん、適当にやっておくから。やりきれなかった所は悪いけど明日お願いする」
「かしこまりました」
 家政婦さんは一礼すると、奥に引っ込んでしまった。
「あがれよ」
 玄関のタタキに突っ立ったままの俺に、豪炎寺が肩から鞄を下ろしながら言った。
「ん。ああ」
 靴を脱いでフローリングへあがる。廊下のすぐ先にあるドアが豪炎寺の部屋らしかった。スイッチを入れて灯りを点ける。豪炎寺の部屋は余計なものがなくて、机と本棚とベッドくらいしかめぼしいものがない。ちょっと殺風景な所為か、壁に貼られた有名なサッカープレイヤーのポスターだけが目を引いた。
 部屋のすみに鞄を置いて、学ランの上を脱いでいると、豪炎寺が俺にクローゼットから出したハンガーを渡してくれた。
「飯はできてるそうだから、手を洗えよ」
 自分も学ランを脱ぎながら、洗面所を指差した。俺は、
「ありがとう」
と礼を言うと、示されたドアを開けた。まだ真新しく使い込まれてない洗面ユニット。向かい合わせに置いてある洗濯機も新品同様だった。手を洗いながら、室内を見回す。脱衣所もかねている洗面所は、更にバスルームに続いてるらしかった。
 ああ……。体も洗わせてほしいな。
 俺は備えつけのタオルで手を拭くと、すぐに豪炎寺の部屋に戻った。
「あのさ、豪炎寺」
「なんだ?」
 ちょうど豪炎寺は俺に背を向けて、着替えをしていた。
「後でいいから、シャワーを貸してくれないか?」
「シャワー?」
 背中合わせみたいに、互いに背を向けあった格好で言葉を交わす。
「それなら飯を食ったあと、風呂に入ればいい」
「ああ。……すまん」
 俺は手持ちぶさたに背中を向けたまま、豪炎寺が着替え終わるのを待った。シンプルなTシャツと、パンツに着替えた豪炎寺が俺の肩に手を置く。
「来いよ」
 頷いてあとについて行くと、脇の玄関で家政婦さんが、俺たちにお辞儀して出て行ってしまった。
 短い廊下を抜け、広いリビングに入る。その続きの部屋がダイニングコーナーだ。テーブルの上には既にふたり分の食事が並んでいた。俺が頼んだ肉じゃがもそれぞれ小鉢に盛られている。
「お茶はどうする? 冷たいのがいいか、それとも熱い方なのか?」
「冷たいのでいいぜ」
 豪炎寺が緑茶のペットボトルを出してくれた。そう言えばさっきから喉が渇いていた。グラスに注いでくれたのを受けとると、俺は一気に飲み干してしまった。思わずふうと声が出る。こんなにも俺は緊張してるのか? 向かいに座った豪炎寺に目をやると、俺の一挙一動をずっと見ていたようで、微かに笑い顔だ。
「あ……」
 いやだな。顔が熱い。
「お茶、おかわりいるか?」
「ああ、もらう。いや、自分で注ぐぜ」
「そうか」
 豪炎寺は俺に2リットルのペットボトルを手渡してくれた。
「じゃあ、食おうか」
 箸を持つと豪炎寺は、食事に手をつけ始めた。俺は空になったグラスにお茶を注ぐと、置かれている箸を手に持った。正直、豪炎寺の目の前で、飯なんか食えないんじゃないかと思ったが、口にした料理はかなり美味くて、練習で腹がぺこぺこだったのも手伝って、ほとんどの皿に手をつけてしまった。
「肉じゃが、どうだ?」
「ああ、美味い。火の通り具合もちょうどいいな。ほっこりしてて」
「そうか、良かった。フクさんに明日伝えておく」
 豪炎寺は飯をぱくついている俺を目を細めて見ている。並んでいる料理はどれも美味くて、俺の作ったものとはそれこそ雲泥の差だ。それに気づいてしまうと、申し訳なくなった。
「……すまん。豪炎寺」
 俺が箸を置くと、豪炎寺は眉をひそめた。
「お前、いつもこんな美味いの食ってるんだな。一昨日あんなもの食わしちまって、悪かったぜ」
 俺がそう詫びると、豪炎寺は肩をすくめて箸を置いた。
「いや。お前が作ったのだって、充分美味かったぞ。それに毎日、って訳じゃないし。俺ひとりの時とかは、コンビニ弁当で済ましている」
「そうなのか?」
「それに、あの時は久し振りに、ひとりの食事じゃなかったからな。やっぱり誰かと一緒に飯を食うのは楽しいし、その分だけ飯も美味い。……俺はフクさんの作った料理も、お前が作ってくれたのも、どっちも美味しいと思う」
 それは俺に対するお世辞だったのかも知れない。けれども、豪炎寺の言葉は充分なくらい、俺の心をくすぐった。
「そっか。……ならいいけど」
「まだ、残ってるぞ。おかわりもあるし、遠慮しないで食えよ」
 再び箸を取った豪炎寺が俺に勧める。俺は結局、並んだ料理を全部平らげてしまった。
「ふー。もうお腹いっぱいだ。こんなに食ったの久し振りだな」
「俺もだ。やっぱり、ひとりよりふたりで食う方がいい」
 お互いに腹をさすって、椅子の上でくつろいだ。豪炎寺は空っぽの皿を片付けながら席を立つ。
「風呂の支度をしてこよう」
「あ。やっぱりシャワーでいいぜ」
「遠慮するな」
 豪炎寺はそう言うと、ダイニングから奥に消える。俺は覚悟を決めるときが来たのだと、自分に言い聞かせた。あのことをやるには、あらかじめ準備をしておかなくちゃならない。やり方はネットを検索するだけで、すぐに調べることができた。あと必要なのは、ほんの少しの心構えだけだ。
「風呂はもう沸いてた。フクさんがちゃんとやってくれたみたいだ」
 汚れた皿を片付けようとしていた俺に、戻ってきた豪炎寺がいきなり声をかけた。
「あ、……うん」
「先に入ればいい」
「分かった、ありがとう」
 豪炎寺は皿を揃えて流しに持って行き、入れ替わりに俺は洗面所に向かう。曇りガラスの扉の向こうは電気が付けてあった。服を脱ごうとして、まだ母さんに何の連絡も入れてなかったのを思い出した。
『友達の家に泊めてもらうことになった』
 メールでそう打とうとして、まだ豪炎寺とそんな約束まではしていないと気付いた。でも今夜はあんなこと、するんだろう……。だったらやっぱり一晩泊めてほしいが……。
 迷ったあげく、
『友達の家に行ってる。もしかしたら泊まるかもしれない』
と直してから、メールを送った。
 それから髪をくくってるゴムを解いて、服も全部脱いでしまう。風呂場に入ると、一番に目につくのはシャワーヘッド。俺は意を決してそれを掴んだ。
「風丸」
 薄いドアを隔てた洗面所から、豪炎寺の声が聞こえた。俺は思わず身をかたくする。
「な、なんだ?」
「俺の奴で悪いが、パジャマ、ここへ置いておく。洗濯はしてあるからな、一応」
「ああ、ありがとう!」
 声が上擦った。豪炎寺は俺の返事を聞くと、洗面所を出て行ったらしい。指が震えてる。こんなことで動揺するなんて。
 でも。
 豪炎寺が持ってきたのはパジャマだ。ってことはつまり、俺を泊めるつもりなんだろう。
 胸がどくんと高鳴った。今夜、豪炎寺と一緒に夜を過ごすことを考えると、それだけで頭の中がどうにかなってしまいそうになる。
 そうだ。
 落ち着け。冷静になれ、俺。
 左胸に手を当てて、高鳴る鼓動を押さえると俺は、覚悟を決めてシャワーヘッドを握り直した。

12 / 16
13 / 16


 風丸が風呂に入ってる間、準備をしておかなければな。そう思った。台所に積み重なった汚れた食器は、後回しにした。俺の部屋に戻るとベッドをチェックする。フクさんが綺麗にしてくれたので、シーツはぱりっとした洗い立てのものに換えられている。それはまあ、いいとして。
 机の上に荷物が載っている。小さなダンボールの包みだ。それを開けて中身を確かめた。小さな箱に収められたやはり小振りの、液体が入ったボトル。俺はそれを取り出し、ベッドに備えつけられた引き出しにしまった。これさえあれば、何とかなるはずだ。
 台所に戻って、食器洗い器に汚れた皿を一旦水道の水ですすいでから詰め込んだ。こうしておけば翌朝困ることもないだろう。ふきんでテーブルを拭いておく。拭いてる途中、風丸が風呂から出たら、着替えが必要じゃないかと気がついた。急いで部屋に戻って、替えのパジャマをクローゼットから出してきた。俺のものだが、まあ仕方がないだろう。汗がしみた制服では居心地が悪いだろうし、まさか裸のままにさせておく訳にもいかない。
 風呂場の脱衣カゴにパジャマを置いてやって、ふと、この薄いドア一枚隔てた場所に、何も着てない裸の姿で風丸は居るのだ、と思うとやけに心臓がどくどくと鳴った。俺は首を降って、苦笑する。ドア越しに風丸にパジャマを持ってきたと教えてやったが、
「ありがとう」
と答えたきり、それ以上風丸は何も言わなかった。
 リビングに戻って風丸が出るのを待ったが、結構長い風呂だった。湯船でのんびり浸かっているのか? 意外に遠慮のない奴なんだな。
 なんだか落ち着かない。風丸は今、俺の家の風呂で体を洗っている。この間、あいつのベッドで見た素肌が脳裏に浮かぶ。あの滑らかな肌が。
 正直、この待っているという時間は退屈と言うか、手持ちぶさただ。何をしていたらいいのか、自分でも分からない。こんな風に落ち着かず、浮ついた気分になるのは初めてだ。よく考えればここの所、初めて経験することばかりだ。そう、口づけも……。
 夕焼けに染まる鉄塔広場で交わした初めてのキス。味までは覚えていない。ただ、あの時の、温もりだけは記憶に残っている。2度目のキスはあいつの方から。その時にはもう、俺の風丸の気持ちは本物なのだと気付かされた。
「風呂、ありがとうな」
 不意に声をかけられた。風丸が風呂から上がったのにも気付かなかったのか、俺は。
 振り向くと、俺のパジャマを着た風丸が、タオルで髪の毛を拭きながら立っている。湯上がりの肌がほんのり桃色に染まっていた。
「あ」
 思わず見とれてしまった。風丸が逆にたじろぐ。
「どうしたんだよ。俺のことじろじろ見て」
「いや。……俺も風呂入ってくる」
 俺がリビングのソファから立ち上がり、風呂場へ行こうとすると、すれ違いざまに風丸は言った。
「お前の部屋で待ってるぜ」
 心臓が跳ねあがる。風丸の顔はタオルで隠れてしまい、よく見えなかった。
 脱衣所へ行くと、急いで服を脱ぎ捨て、風呂場に入ると湯船に飛び込んだ。体が温まるとすぐにシャワーを捻って、頭から浴びた。頭をごしごしと洗い、体もなるべく早く洗い終える。
 早く、風丸の元に行きたかった。もどかしい。
 風丸は、俺の部屋で待っているんだ。
 必要最低限だけ、頭と体を洗い終えると、あとはシャワーだけで済ませた。濡れた体を拭くのさえ面倒くさいくらいだ。タオルで叩くように拭い、スウェットの上下に着替えた。手ぐしで髪を整えると、とりもなおさず俺の部屋に向かう。
 俺の部屋のドアは閉ざされていた。一旦、気を引き締めようと深呼吸をした。ノックしてからドアを開けると、果たして風丸は俺のベッドに腰掛けて待ちわびていた。
「待たせたか?」
 俺の声に風丸は頭を上げる。俺のパジャマに身を包んで、膝の上には両手を置いていた風丸は、いつものように髪をくくっていない。まだほんのり濡れているが、長い髪の毛は風丸の肩をすっかり覆っていている。流れるような青い髪。
「な、何だよ、豪炎寺」
 訝しげな顔を風丸は俺に向ける。
「いや。お前が髪を下ろしてるのを、初めて見たから……」
 答えると、じっと視線を俺に注いではにかみ気味に首を傾げた。
「俺だって、お前が髪下ろしてるの、初めて見るぜ?」
 思わず自分の垂れた前髪を指で掴んだ。風呂上がりはいつもこうだから、改めて指摘されると戸惑う。
「髪を洗ったあとだからな。お互い様だ」
 俺がそう言うと、風丸は「そうか」と小声で答えた。
 見慣れない格好は、普段見せない素の自分なのかもしれないな。でもそれをさらけ出すのは、気を許してくれているのか。風丸にとって、俺はどれだけの存在なのだろうか。
「円堂には、お前が髪を下ろしているのを、見せたことがあるのか?」
「円堂?」
 その名を出せば、複雑そうな顔をする。それは充分わかっているつもりだが、俺は、やはり知りたい。
「ああ。ガキの頃、よく泊まりに行ってたからな。でもあいつは結んでいる方が俺らしい、って言ってたな」
「俺は……」
 視線を足下に落とした風丸に呼びかけると、不思議そうにこちらを向いた。
「俺はお前が下ろしているのも、似合うと思うな」
 風丸の頬が赤く染まった。視線が宙を泳ぐ。やがて苦笑いすると、溜息をついてベッドから立ち上がった。
「全く、自分でもどうかしてると思うぜ。決心したはずなのに、いざとなると体が震えるんだ。おかしいよな」
「何がだ?」
 そう言ってから、風丸は緊張しているのだと気がついた。
「……うん。大丈夫だ」
 深呼吸すると風丸は、おもむろにパジャマのボタンを外し始めた。突然の行為に、俺は何も言えずに見ているだけしかできない。ボタンを全部外してしまうと、今度はズボンのゴムに手をかけてそのまま足下まで降ろす。屈んでするりと脱ぐと、体に引っ掛けたままの上着も床に放り落とした。
「豪炎寺」
 下着も何もかも脱いでしまった風丸は、俺に素肌を晒してまっすぐ向かい合った。
「俺、覚悟の上でここに来たんだ。今日はお前に、何をされたっていい」
「えっ?」
 暗黙のうちに分かっていたはずだが、いざ口に出して言われると、疑ってしまう。けれど俺に向けられる風丸のまっすぐな瞳は、それが嘘じゃないと語っている。
「だから……、だからってワケじゃないけど、次の試合ではお前が点を入れてくれ。……お願いだ」
 まぶたを閉じて頭を下げる、風丸の両の腕が震えている。風丸の決意はそこまでのものなのか。
「お前に言われなくても、俺が点を入れるつもりだ。でも、お前がそこまで言うのなら……。次の試合はお前の為に入れてやる」
 俺がそう宣言すると、風丸が潤んだ瞳で顔を上げた。解かれた長い髪は、風丸が顔をほんのちょっと揺り動かす度に、ふわりと揺れる。
「そ……そっか。ありがとう」
 肩をすくめて礼を言う風丸に、俺はどうしても確かめたいことがあって、問いかけた。
「しかし……、風丸。お前は円堂のことが好きなんじゃなかったのか? なのに何故、俺に抱かれようとする?」
 一瞬、風丸の目が見開かれる。だが、すぐにその目は伏せられた。
「豪炎寺……。お前、それを知ってて……?」
 俺は頷くことで、それに応えた。
「そうか。……うん。確かに俺、円堂のことが好きだ」
 風丸の口調はとてもはっきりしている。改めて言われると少しがっかりしたが、だがすぐに風丸は言葉を重ねた。
「でも、俺はなによりも、あいつとの絆の方がもっとずっと大切なんだ。」
「どうしてだ? お前はあいつとキスしたり、それ以上のことをしたいとは思わないのか?」
 自分でも、こんなことを訊くのはバカらしいと分かってる。これから抱こうとする相手に尋ねるべきじゃない。でも、俺はどうしても知りたかった。風丸の本心はどこにあるのか。
 だが風丸は首を振った。
「いいや。円堂とはそこまでの仲になんかならなくていい。はっきり言って、あいつとそんなことになったら、今まであいつと築いてきたものが、全部なくなってしまう。……俺はそれが怖いのかもな」
「俺とならいいのか?」
 あまりにも野暮な言葉。けれど風丸は俺を見すえ、そしてゆっくり頷いた。
「お前になら、許す」

13 / 16
14 / 16


 俺になら許す?
 きっぱりとした風丸の答えに、戸惑っているのは多分、俺の方だ。
「参ったな……。昨日の今日で、その態度か」
 軽い溜息とともにそう吐き出すと、裸の体を持てあましていたのか、風丸は口を尖らせた。
「しょうがないだろ。俺自身もこんな気持ちになるなんて、思ってもみなかったんだからな」
 体の前で両手を組み合わせて俯く風丸が、たまらなく愛おしくて、俺はそっと肩に手を置いた。
「あ……」
 顔を上げた風丸と視線が合う。片手で薄い背中を抱き寄せ、細めの顎を捕らえると、頬が赤く染まるのが見えた。
「安心しろ。悪いようにはしない」
 耳元で囁くと風丸は、
「うん」
と頷いた。
 ごく自然に唇を重ねた。呼吸をするのも忘れて、互いを確かめあう。最初は触れ合うだけ。何度も角度を変えて重ねていると、次第にじれったくなる。俺は風丸の唇をこじ開けて、口内へと舌を滑らせた。
「う……ん」
 風丸が軽く唸る。探り当てた舌に自分のそれを絡めると、更に鼻にかかった声でうめいた。されがままになっているかと思ったが、意外に俺の動きにあわせて舌を絡ませてきた。風丸の腕が俺の背中に回って、しがみつくように抱きしめてくる。俺も風丸の背中を撫でまわして、片方の手は腰を抱いた。しばらくそうして深い口づけを交わしていたが、舌を動かすのも辛くなってきた頃、やっと俺は甘い唇から離れた。
「はぁ……」
 風丸は乱れた呼吸を取り戻すように、肩を上下させた。濡れた唇と赤く染まった頬が、俺を欲望へとかき立てる。
「風丸」
 両手で脇腹から腰へと続く、なだらかなラインを撫でていると、感じてしまったのか、「んっ」と息を漏らした。そんなところでも気持ち良いのか。もっと感じさせる箇所はないのかと、撫でている手を尻の方に下ろしていくと、不意に風丸は顔を上げた。
「おい」
 不満そうに俺を見上げている。
「なんだ?」
「お前も脱げよ。俺だって肌に触れたい」
 俺のスウェットの上を掴むと、片手を裾から入れて腹に伸ばしてきた。少しくすぐったい。
 苦笑いすると俺は、風丸をベッドに座らせて、スウェットを脱いだ。焦ってすんなりいかない。体裁を取りつくろうのも面倒に思って、俺は着ているのものを全部引っぱるように脱ぎ捨てた。そのままベッドに腰掛けている風丸と向かい合った。お互い、何も着けてない。いや――正確に言えば、風丸の右足首には水色の、俺の右手には赤のミサンガだけが、それぞれ肌を飾っていた。
 俺は風丸に向かって伺うように頷いた。風丸もこくんと頷き返した。それが互いに了解の合図だ。
 隣りに腰をかけ両肩を抱くと、風丸の手のひらが俺の胸元に触れてきた。腕の中に閉じ込めて、唇を頬に寄せると口づけで応えてくれる。またお互い、夢中で唇を貪りあう。舌と舌を絡み合わせた。流石に二度目ともなると、慣れてきたのかぎこちなさは消えている。
 風丸は俺の背に回している手に、時々ぐっと力を込める。俺が風丸の舌を吸うように舐めあげたり、触れている肌を手のひらで撫であげると、特にだ。風丸はそこが気持ち良いんだな。だったらもっと良くしてやろう。
 俺は風丸の耳元に息を吹きかけると、腕の中の上半身をベッドに押し倒した。
「あっ」
 風丸がたじろぐのにも構わず、俺はベッドに押し付けた薄い胸を手でまさぐった。
「……は」
 風丸の上にまたがって、胸から腹へ手のひらを滑らせていると、いきなり手を掴まれた、
「あんま触れんな」
「でも俺は触れたい」
「嫌だぜ。……お前みたいに、筋肉ついてないし、俺」
  風丸は俺の手首を掴んだまま、そっぽを向いている。風丸の肌はとてもなめらかで、余計な脂肪がついてないが、手触りは手のひらに吸い付くようだった。確かに筋肉質ではないが、しなやかなラインは見栄えのいいものだ。
「そうか? 見劣りするような体ではないだろう」
「でも」
 風丸は掴んでいた俺の腕から手を離すと、俺の腹部に手を触れた。
「お前が羨ましいぜ。全身筋肉ついてて」
「俺のは、シュートの特訓をしてるうちについたものだ。お前は速く走るための体なんだろう」
「それは……、そうだけどさ。俺あんまし、鍛えても筋肉つかないんだよな」
「俺はお前の体、好きだぜ」
 浮かなそうな顔にそう言ってやると、風丸は落ちつかなそうにそわそわと手を動かした。恥ずかしがっているのかと思うと、悪戯をしかけたくなった。脇腹を手のひらでゆっくり撫でさする。
「綺麗な肌だな。傷ひとつない」
「わ……」
 風丸の全身がピンク色に染まる。さっきみたいに胸に手を這わせると、風丸の吐息が荒くなる。両胸の頂きにある特に敏感な部分を指でつまんだ。
「あ。……うぅ」
 指先で転がすようにこねくり回すと、風丸のそこは一層かたくなりつんと上を向いた。夢中になった俺は口に含むと、舌で吸いあげた。
「はぁ……っ! やめろよ。俺、女じゃねぇんだぞ」
 風丸が、両手で俺の頭を掴んで懇願した。風丸は狼狽して目尻にうっすらと涙が浮かんでいた。だが、俺は風丸の乳首を攻めたてるのを止めなかった。
「どうしてだ。感じてるんじゃないのか? お前のここはこんなに立ってる」
「だって……!」
 風丸が感じているのは乳首だけじゃなくて、俺の腹にさっきから当たっている股間のものが屹立の兆しを見せていることで、よく分かっていた。
「男でも、お前は感じてる。違うのか?」
 指で根元からきゅっと乳首を転がせてやると、風丸は小さく叫び声を上げた。高く甘い声だった。勿論、そんな声を聞くのは初めてのことだった。
「意外と意地悪だな。お前」
 赤らめた顔で、風丸は俺を睨む。苦笑いで俺はそれを受け止めた。
「できる限り、お前を感じさせてやりたいんだ。その方がお互い、楽しめるだろう」
「そ……、そうか?」
 肩をすくめて尋ねる風丸に、俺は頷いてみせた。

14 / 16
15 / 16


 覚悟はしていた。だから風呂場で尻をきれいに洗っておいたし……。そこを洗うときは流石に躊躇した。排出するための場所に、シャワーの湯を当てるだなんて。でも、あいつに抱かれるときは、シャワーなんて目じゃないものを入れられるんだ。それを思えばだいぶマシに思える。やっぱり最低のエチケットは必要だしな。恥ずかしいことは恥ずかしいけれども。
 体の隅々まできれいに洗い終えて浴室を出ると、豪炎寺が用意してくれたパジャマが置いてあるのを見つけた。すまないと思いながら、タオルでまだ濡れたままの体を拭く。パジャマに袖を通したら、洗いたてなのかきちんと糊がかけられてぱりっとしていた。ボタンを全部閉めると、なぜだか豪炎寺の臭いに包まれてる気がした。
 頭もまだ濡れてるから拭いたけれど、俺の髪じゃすぐには水分を拭いきれない。仕方がないからタオルをしばらくの間借りておこうと思った。
 風呂から出て豪炎寺に声をかけると、あいつはなんだか慌ててるようだった。俺と同じように風呂に入ってしまったから、ひとりで豪炎寺の部屋で待った。ベッドに腰をかけて、髪を乾かしながら。
 思わず指が震えるのは、怖じけてるのか。
 ダメだな、俺。ここまで来たら何があったって動じない態度でいなくちゃ。
 豪炎寺が戻ってきたのは、俺の髪を何とか拭きおえた頃だ。まだ完全には乾いていない。ドアが開く音がするから見たら、息をはずませた豪炎寺が立っていた。いつも立ててる髪が下りてて、毛先が額の上にかかってる。そんなの、初めて見たからつい、見とれてしまったけれども。
 怖じ気づく心は押さえ込んだ。勇気は奮い立たせた。
 豪炎寺と今夜、何があったってこれは流されたワケじゃない。俺が選び取ったんだ。
 豪炎寺は俺の、円堂への気持ちを知っていた。でも、それでもあいつは俺を求めてたのか。確かに俺は円堂のことが好きだけれども、今まで培ってきた絆を壊してしまうのはとても嫌だった。あいつとはいつまでも親友で、何でも相談できる相手。それでいい。それ以上は何も求めない。そう誓った。
 俺が今、賭けたいのは目の前にいるんだ。
 豪炎寺はありのままの俺を受けいれてくれた。俺の体ははっきり言って貧相で、豪炎寺のたくましい体と比べると見劣りする。それでも豪炎寺は俺の体を好きだと言ってくれた。それだけでとてつもなく嬉しい。
 あの夜と同じようにキスをした。舌と舌を絡める、深いキス。初めて豪炎寺と鉄塔広場でキスをしたときも、優しかったけれど、今はもっと激しくて、それでいてとても甘いように思える。豪炎寺とキスしていると、俺の体は宙にふわりと浮いて、夢の中にいるみたいな気分になる。
 俺、豪炎寺とキスするのが好きなんだ。あのとき、あんなに動揺してたくせに、我ながら現金だな。
 豪炎寺はキスだけじゃなく、俺の胸を触ってきた。まさか、乳首を吸われるとは思ってなかったけれど。ちゅっと音なんか立てるし、まるで女相手にされてるみたいで、すげぇ恥ずかしい。そんな俺を豪炎寺はいたずらっぽく見ていた。もしかしてからかわれてるんだろうか?
「できる限り、お前を感じさせてやりたいんだ。その方がお互い、楽しめるだろう」
「そ……、そうか?」
 俺が豪炎寺を見ると、ふっと笑って頷いた。そんな顔されるとなんだか憎めなくなる。
 まあいいか。豪炎寺に俺のすべてを委ねるつもりだったし。
 俺は気を取りなおして、ベッドに横たわる。豪炎寺は胸元をいじってた手を、徐々に下半身に下ろしていく。腰骨の辺りを撫でられると、なんだかむずむずしてきた。そう思ってたら、今度は俺の太腿を撫でさすりはじめる。内側の柔らかい部分に触られると思わず声が出た。
「ぅあっ……!」
「ここが感じるのか?」
 太腿のつけ根を執拗に触ってくる。気がついたら俺は、股を開いて勃ちあがりかけてる性器を豪炎寺の腹に押し付けていた。
「お前のは、もうこんなになってるな」
 俺の哀れな性器を見て、豪炎寺は苦笑いした。
「楽にしてやるぜ」
 そう言うと、俺の勃起し始めてるものをそっと掴んだ。豪炎寺の指が当たってるところだけ、じんじん痺れた。そのまま握りしめようとするのを、俺は止めた。
「ダメだ。豪炎寺……」
「何故だ?」
 いぶかし気な豪炎寺の手を、俺は引きはがす。だってこんなの、俺が気持ちいいだけだ。
「こないだの続きやるんだろ? だったら今度は、俺がお前を気持ちよくさせてやる」
 俺はベッドに起き上がると、まず、豪炎寺にキスをした。面食らったんだろうか、豪炎寺はちょっと驚いてる。少し身を引いてベッドの上にしゃがむと、豪炎寺の股間に手を伸ばした。
「……風丸!」
 困惑してる豪炎寺の声。けれど俺はそれに構わず、豪炎寺のものをそっと握った。そこはもう、俺に負けないくらい勃っていた。俺がゆっくりさすると、更にぴんとそそり立った。
「……くっ!」
 ゆっくり扱いてやると、豪炎寺が荒い息をはいた。先端の割れ目の部分を親指でこすると、豪炎寺の息が熱っぽく変わる。裏筋にそって指を這わせると、びくんと跳ねて、先端が濡れはじめた。
 自分以外のものを扱くなんて、初めてのことだから俺は夢中になってしまった。指だけじゃなくて、もっと違うようにしたらどうなるんだろう。豪炎寺は感じてくれるだろうか。好奇心が手伝って、俺は握ってた豪炎寺のものに顔を寄せると、そっと口に含んでみた。
「バカ、やめろ!」
 口でくわえて舌先を豪炎寺の性器の先端に這わせると、いきなり頭を掴まれた。ちゅぽっと湿った音を立てて、唇は豪炎寺のものからムリヤリ離された。
「どうしてだ?」
 俺が見上げると、豪炎寺の顔は上気してて、呼吸が荒かった。
「どうして、ってお前」
「俺、どうせお前とするなら、俺だけじゃなくて、お前にも感じてほしいって思うぜ。不公平だろ。一緒に気持ちよくなりたい」
「風丸……」
 豪炎寺は首を振る。俺の両腕を掴むと、しゃがんでいた体を引き上げた。俺がこうするの、気に入らないのか……?
「気持ちよくないのか?」
「いや、気持ちは……良すぎるくらいだ」
「だったら」
 けれども豪炎寺は更に首を横に振る。
「初めてなんだ。どうせならお前の口より……」
 豪炎寺の視線は俺の股間に集中している。それだけで俺の何を求めてるのかが分かった。豪炎寺は俺と体を繋げたがっているんだ。とうとう、来るべきものが来たのか。
「わ、わかった」
 胸の奥がずきずきとうずく。それを堪えながらベッドに仰向けになった。
「いつでも、いいぜ」
 豪炎寺が微かに笑った。俺はそんな顔をまともに見られなくって、横を向いた。
 心臓の音が高くなり止まらない。俺は壁に目を向けてたけれど、豪炎寺はすぐには俺に触なかった。体をずらせたかと思ったら、ベッドの小さな引き出しから、何かを取り出した。
「なんだ、それ……?」
 俺が訊くと、豪炎寺は指でつまんで見せてくれた。小さなプラスチックのボトルだ。
「お前と……するのに必要なものだ。できることなら、痛くないようにしたいからな」
 痛い。やっぱりそうなのか。俺の、あそこに豪炎寺のを入れるんだから。でもそんなものをそうやって使う気だ?
「体を楽にしていろ」
 豪炎寺はそう告げると、俺の腰の辺りにまたがる格好で、しゃがみ込んだ。俺の太腿と掴んでぐっと押し開く。
「わ……」
 見ていられなくて、俺は目をつぶった。豪炎寺の手が、俺の普段隠している部分を暴いて、さらけ出す。自分自身でも滅多に見られない場所を、豪炎寺が見てる。そう思うと、とてつもなく恥ずかしい。たとえきれいに洗ってたって、やっぱり、そんな所見られなくない。
 豪炎寺がふっと息をはいた。次にぴちゃっと微かだけれど、いやに耳に響く水音が聴こえる。豪炎寺が俺の右太腿のつけ根を掴むと、次の瞬間、俺のそこに豪炎寺の指が触れた。
 冷たい。
「ひゃっ……!」
 思わず豪炎寺を見る。俺の下半身に多いかぶさって、豪炎寺は股間に指を差し入れようとしていた。
「しばらく我慢しててくれ」
「何だよ、今の」
「ローションだ。お前のここは女みたいになってないから、これで代用する」
 豪炎寺の指が俺のそこを突いた。溜息をついて、俺は枕に頭を埋める。枕は微かに豪炎寺の臭いがした。
「はぁ……、めんどくさいな」
「仕方がない。男同士でやろうって言うんだからな」
「……そっか」
「ちから、抜いていろ」
 豪炎寺は持ってるボトルの中身を指に取って湿らせる。俺の閉じかかる太腿を掴んで、まだかたい窄みに指を差し入れる。今度は何とか堪えた。
「……ぅ……」
 声を押し殺すけれど、尻の穴に侵入してうごめくものが豪炎寺の指だと思うと、頭がどうにかなりそうだ。それにもの凄くむず痒い。俺は声を出さないようにするだけで、精一杯だ。
 豪炎寺は俺のそこに指を入れて、ぐるりと回したり、軽く前後に抜き差ししている。俺はじんじんして変な気分だ。
 一旦指を引き抜くと、豪炎寺は指先にボトルの中身を塗りたくってそのままそれを、俺の尻に差し込む。さっきよりすんなりと、俺のそこは豪炎寺の指を受け入れた。
「分かるか? 少しだが、ほぐれてきている」
 そう言うと、指を更に奥に突き入れた。次の瞬間、豪炎寺の指が俺の中の何かを刺激した。
「はあぅっ!!」
 あ。何だ?
 俺の体に激烈な何かが突き抜けた。
 頭がじわりと痺れて、まるで雷に打たれたみたいだ。
「風丸……。そうか、ここがお前の一番弱い所か」
 豪炎寺が目を見張った。

15 / 16
16 / 16


 俺の腕の中に今、風丸がいる。
 全てを俺に委ね、本当の素のままの風丸は、俺の愛撫で震えている。
 俺がどんなにこのときを待ち続けていたのか。
 俺はもう止まらない。風丸のすべてを食らい尽くしてやる。風丸は覚悟の上で俺の元へ来たのだから。
 風丸と体を繋ぐために、あらかじめ入手したローションでその場所をほぐしておく。最初は俺の中指でさえ窮屈だったが、何度も湿らせてゆっくり広げてやれば、次第に馴染んでゆく。指が第二間接まで入るようになった頃、風丸の態度が変わり始めた。
 指を折り曲げると、風丸は体をびくんと反らせて、甲高い声を上げた。どうしたのかと顔を覗き込むと、風丸は顔を真っ赤に上気させ、目は涙で潤んでいる。風丸の中に埋めた指をもう一度曲げて、その先に当たる部分を刺激してやると切なげな声を漏らした。
「風丸……。そうか、ここがお前の一番弱い所か」
 指をゆっくりと抽送してやると、それにつれて風丸のものもぐっと勃ちあがる。先端はぬらぬらと濡れていた。
 俺は面白くなって、特に感じている部分を更に刺激してやると、風丸がついに音を上げた。
「タ、タイム! いい加減にしてくれよ!」
 いまだかたく俺の指を締めつける、風丸のそこをほぐしている俺の手を風丸は掴んだ。
「何故だ? お前のここはまだキツい。ちゃんと慣らしておかないと、あとで痛い思いをするのはお前だ」
「で、でも。俺だってお前の指じゃなくて、お前自身でイキたい……」
 潤んだ瞳はひたすら俺だけを映していた。
「まだだ。もう少し堪えろ」
 俺だってできるものなら、早く風丸の中に自分を埋めてしまいたい。けれど体はまだ俺を受け入れるまでには至ってないだろう。
「俺、平気だぜ。少し痛いくらいガマンする」
 風丸は苦笑いして俺を見上げた。殊勝なことを言ってくれる。だが、まだだ。もう少し慣らさなければ。
 俺は指にたっぷりローションを塗りたくると、風丸の、俺を受け入れてくれる場所になすりつけた。入り口をぐるりと回し、中指だけでなく人さし指も差し込んだ。そこを充分に慣らし、二本目の指も楽に動かせるようになった頃、風丸は荒く息をはきながら、シーツの上で体を泳がせていた。全身に汗が浮きあがり、肌は仄赤くにじんでいる。大きく開いた太腿の付け根の間のすぼみは、俺の指を優にくわえこんで、収まりきれなくなったローションが垂れて尻をぐっしょり濡らしていた。柔らかそうなふたつの膨らみの上方でそそり立つ肉の棒は、切っ先が腹に当たっていて、風丸の限界を示していた。
「風丸」
 もういい頃だろう。俺は二本の指を引き抜くと、風丸に覆いかぶさって優しく抱き込んだ。
「挿れるぞ」
 囁いて軽く口づけ、目配せすると風丸は頷いて微かに笑った。俺はベッドに委ねている風丸の腰骨の辺りを両手で掴むと、濡れそぼってひくつく中心のすぼみに、荒ぶる先端を押しあてた。そのまま狭い肉の孔を穿つ。
「……ぐっ……!」
 くぐもった声で風丸がうめいた。眉間に大きくしわを寄せた風丸は、苦しげな顔をしている。相当痛いのだろう。俺のが入っているのはまだ先端だけだが、風丸のそこは見かけ以上に狭く、自身を引きちぎられてしまうかと思った。それでも俺は待った。風丸の体が馴染んで、俺が動けるようになるまで。
 最初のうちこそ、きつく俺を拒んでいた風丸のそこは、ある程度まで進めるとまるでスポンジのように柔らかくなって、受け入れるようになる。苦しそうにうめいていた風丸が、ほっと息を吐くのを合図に、俺は更に穿っていった。
「くっ……!」
「辛いか?」
 俺が訊くと、しかめ面を横に振る。
「平気、だ……」
 そうつぶやいて、俺の背中に手を回した。その姿があまりに愛おしくて、俺はもっと奥へと進める。とうとうそれ以上は進めないほどになり、風丸の体は俺を根元まで受け入れた。風丸のそこはじわりと俺のもの全体を締めつけて、今にも射精してしまいそうになる。けれど俺は堪えた。どうせならもっと、風丸の痴態を味わいたかった。乱れるさまを見ていたかった。
「動くぞ」
 俺は顔を埋めていた風丸の耳元に囁いてやる。吐息がかかると、風丸は敏感に反応する。溜息ともつかない甘い息を吐いた。
 俺はベッドにひざまづくと、繋がったままの風丸の体をつかみあげて、両脚を限界まで押し開いた。風丸は体が柔らかい。練習でストレッチをしているときも、他の仲間より体を屈伸させていたな。
 両の太腿を胸元まで押し付けてみても、苦もなくその体勢を受け入れる。むしろ、風丸には恥ずかしいポーズを取らされる方が、堪らないようだった。
「んぅ……」
 頬どころか全身を赤く染めて、風丸はうめき声を上げる。俺は高くあがった尻の中心めがけて、何度も突き入れた。
「ああっ……!」
 ローションで濡らした風丸のそこはほどなく慣れて、激しく動かす俺自身を充分に悦しませる。俺が調べた限りだが、人よってはにはどう慣らしても受け入れない場合もあるらしい。風丸は大丈夫なようだ。俺の昂りを程よく締めつけて受けとめる。
「俺たちは体の相性がいいみたいだな」
 ゆっくりと腰を動かしながら、ベッドに組みしいた風丸に囁くと、薄目を開けて「ん?」と首を傾げた。内側からの熱に浮かれてるようで、どことなくうっとりとした目をしている。
「風丸、気持ちいいか?」
 俺の問いに風丸はしっかり頷いた。
「ん……気持ち、いいぜ。豪炎寺は? 俺の体はどうなんだ……?」
「凄く、いい。最高だ、お前の体は」
 俺が答えると、風丸は微かに笑いを浮かべた。その笑顔にあおられて俺は、一層腰を振って風丸の中に叩きつけた。
「ああっ」
  堪えきれずに上げた風丸の声が、快楽を伝えていた。俺はもっと風丸を悦ばせようと、さっき指で慣らしていたときに気付いた弱い箇所をめがけて自身を突きあげた。
「んっ、……はぁっ!!」
 風丸の体が思わずのけぞる。大きく開いた脚が小刻みに震えてる。痙攣したように左右に揺れて、俺自身をぎゅっと締めつけた。
 吐精してしまいそうになるのを何とか堪えた。まだだ。風丸の感じる所をもっともっと突いてやる。俺が動くたびに漏らす、風丸の声は次第に甘く変わってゆく。口の端から唾液がこぼれて、風丸の頬と顎を濡らしていた。俺は風丸にぴったりと体を密着させると、あふれた唾液を吸いとった。そのまま腰を揺り動かしながら、開いている風丸の口に舌を這わせた。互いに舌を絡めあい、吸いあげた。鼻にかかる風丸のうめき声が耳をくすぐる。
「……風丸」
 囁いて、更に深く自身を風丸の程よくほぐれた肉のすぼみに叩きつけた。水音の混じる湿った音が、ベッドの軋みと混じって、リズミカルに響く。風丸の昂りも可哀想なくらいかたく直立して、俺の腹に当たった。先端は濡れそぼって限界なようだった。
「あ……、ああっ! ご、豪炎寺っ! お、俺、もうっ……!!」
 風丸が俺にすがりついて目で訴えてくる。俺ももう堪えきれない。これで終わりとばかりに猛烈に腰を揺り動かすと、風丸は甲高く鳴き声をあげた。俺の腹に熱いものが爆発した。先に達してしまったのか、風丸は熱く滾るものを吐きだすと同時に、俺の昂りをぎゅっと締めつけた。その強烈な刺激に耐えきれなくなり、俺も風丸の中に、思いきり欲望を吐きだした。荒い息を何度もはいて、抱き込んでいた風丸の上に体を投げだした。風丸も深い呼吸で胸を上下させている。互いの体は汗びっしょりで、肌と肌の間でぬめりを帯びていた。
「……豪炎寺……。すまん、俺もう……」
 俺の耳元でそう呟くと、風丸はぱたんとシーツに腕を投げだした。まぶたを閉じてそれきり沈黙する。どうしたのかと思って体を起こすと、安らかに寝息を立てていた。昼間あれだけ練習した上に、激しく抱き合ったんだ。風丸は疲れていたんだろう。
 実は言うと俺自身も、風丸との初体験で体力を消耗していた。眠りに引きずられようとしている体を何とか起こした。動いた拍子で風丸の中に埋めていた自身が、吐きだした精液と共にごぽりと音を立てて離れた。ティッシュで俺と風丸の、もう役目を終えた性器と汚れた肌を拭いてやる。けれど俺ももう限界を迎えていて、丸めたティッシュをゴミ箱に投げ入れるのが精一杯だった。ベッドに体を投げだし、寝息を立てている風丸の体を抱きしめる。眠っている風丸の体はとても暖かくて、その晩はいつになく安らかに夜を過ごした。
 そう、それはおそらく、夕香がまだ元気な頃以来のことだった。



 目を覚ましたとき、俺は光の世界にいた。まぶたを閉じていても暖かさを感じる。そっと目を開けると、いつもの自分の部屋は、朝の光であふれていた。カーテンを開けっ放しで眠ってしまっていたと、たった今気付いた。
 横を見ると、目の飛び込むのは青いつややかな髪だ。風丸はまだ眠っているようで、裸の胸がゆっくり上下している。
 俺は手を伸ばして、シーツの広がる青をすくった。指先でつまみ上げると、するりとこぼれ落ちる。
 朝の光が風丸を包んで、まだ眠っているその顔はとてつもなく綺麗だ、と思った。昨日何度もついばんだ唇は小さく開いていて、俺はもう一度口づけたくなった。そっと唇を寄せて触れようとすると、小さなうめき声が聞こえる。
「ん……」
 まぶたを何度も瞬かせたかと思えば、風丸は急に大きな瞳を見開くと、俺を見てほんのり微笑んだ。
「……おはよう。もう起きてたのか」
 ふと時計を見上げると、まだ針は5の辺りを指している。
「ああ、いや。ちょっと目が覚めただけだ」
「そっか。俺いつもこの時間に起きるから」
 風丸は大きく手をあげて伸びをする。
「ずいぶん早起きだな」
「朝はランニングするのが日課なんだ」
 風丸はベッドに起き上がろうとして、突然動きを止めた。かと思うと、再びベッドに体を預けて、タオルケットを胸まで引き上げる。
「そうなのか。俺のよければトレーニングウェア貸してやろうか」
 「い、いや。いいんだ、今日は」
 風丸が慌てたように首を横に振る。不思議に思ったが、まだベッドには昨日の余韻が残っていて、俺はまた風丸を抱きたくなった。
「ん?」
 タオルケットの下に手を伸ばして、風丸の体に触れ、引き寄せた。
「だったら、時間もあるし、昨夜の続き……」
「だっ、ダメだ!」
 慌てた風丸が、うわずった声を上げる。
「あ、明日は試合だろう! ……そんなことしてる場合じゃない」
「しかし」
 朝、起き抜けの所為か、俺のはもう勃ちあがりかけている。おまけに横に裸のままの風丸がいるのでは、俺も欲望を抑えきれない。風丸の上に覆いかぶさり、腰を捕らえて太腿を掴みあげようとした。
「痛っ!」
 風丸が顔をしかめた。よく見ると昨日、俺が指と自身で貫いた箇所が、赤く引きつれて腫れていた。
「……すまない。そんなにした覚えはないんだが、激しすぎたか?」
「あ、いや。何ともない。これくらい……平気だ」
 だがその口ぶりと違い、風丸はしかめ面のままだ。
「薬でも塗っておいた方がいいんじゃないのか?」
 俺は風丸が痛がっている場所をよく見ようと、脚を掴むと、突然風丸が声を上げた。
「あっ!?」
「どうした?」
 そんなに痛むのかと尋ねると、風丸は首を振って起きあがった。俺を横に押しやって、足下の辺りをごそごそとやりはじめる。
「あった」
 風丸は向き直ると、指で細いものをつまみ上げて俺に見せた。水色の紐状のものだ。
「ミサンガが切れてる」
 確かに昨日まで、風丸の右足首を飾っていたミサンガは、結び目数ミリの所でちぎれていた。
 願をかけて結び、それが自然に切れれば願いが叶うというミサンガ。だが、風丸の望みはもう……。
「残念だったな。お前の願いは……」
「違うんだ」
   風丸は首を振る。心なしか頬に赤みが差していた。
「円堂のことなんだろう? それとも本当にフットボールフロンティア優勝を願ったのか?」
 風丸はもう一度横に首を振る。微かだが、確実に俺に告げる。
「俺が願ったのは、円堂とじゃなくて、『好きな奴と結ばれたい』……だ」
 胸が熱くなるのを感じる。顔を真っ赤にして、上目遣いで俺を見る風丸の願いは、成就されたのだというのか。だとすれば。
 笑いがこぼれ落ちそうになるのを隠そうとして、俺は風丸に手を伸ばした。暖かいその体を抱きしめて、頬をすり寄せたかった。下に垂らした手をあげた途端、手首に違和感がした。ぷつんと俺の手首にあった赤いものが、シーツに落ちた。
「お前のも切れた」
 風丸が溜息に似た息づかいで驚く。
 ああ、そうか。目の前の風丸は眩しい光に包まれ、俺のベッドに座っている。俺の願いもまた――。
 心から沸きあがる喜びを抑えきれない。俺が笑うと風丸は首を傾げた。
「じゃあ、お前も叶ったのか? 何だよ、お前の願いって」
「秘密だ」
 俺の答えを聞くと、風丸はむくれた。
「何だよ。俺はちゃんと答えてやったのに!」
 ほんのささやかだが、だが、叶えられそうになかった願いはやっと叶った。
 尖らせた唇をすぐに緩めて、風丸はそっと俺に顔を近づけた。
 俺が願ったもの。それは、俺にだけ向けてくれる風丸の笑顔だ。
 そっとまぶたを閉じて俺に口づけをねだる。俺は頷いてその願いを叶えてやった。

16 / 16
コメントを送りました
ステキ!を送りました
ステキ!を取り消しました
ブックマークに登録しました
ブックマークから削除しました

コメント

ログインするとコメントを投稿できます

是非、コメントを投稿しましょう
ほとんどの作者の方は、「萌えた」の一言でも、好意的なコメントがあれば次作品への意欲や、モチベーションの向上につながります。
コメントは作品投稿者とあなたにしかコメントの内容が表示されず、文字制限は140文字までとなりますので、あまり長いコメントを考える必要はありません。
是非、コメントを投稿して頂き、皆様と共にBLを愛する場所としてpictBLandを盛り上げていければと思います。

閲覧制限が掛かった作品です

この作品は投稿者から閲覧制限が掛けられています。性的な描写やグロテスクな表現などがある可能性がありますが閲覧しますか?

閲覧する際は、キーワードタグや作品の説明をよくご確認頂き、閲覧して下さい。

HOPE:3 ふたつの願い

キーワードタグ イナズマイレブン  豪風  R18 
作品の説明 サイトから再掲。
ふたりの距離https://pictbland.net/items/detail/163497の続きです。
豪風えっちありなのでこの作品のみR18扱いということになりました。
豪炎寺と風丸さんの視点がページ毎に入れ替わります。念のため。

以下は当時のあとがき。

やっと完結です。ぶっちゃけこの長い話で描きたかったのは、ラストシーンだったりします
はっぴいえんどって大昔のバンドの『朝』って曲が、そのラストシーンのイメージです。全然上手くいってない気がしますが。
長ったらしい上に、最後にはえろだらけのw、このお話に付き合っていただいた方、ありがとうございました。
もしかしたら、ちょっとだけ続くんじゃよ……もとい、続きを書くかも、です。
<2010/7/14~10/12脱稿>
HOPE:3 ふたつの願い
1 / 16
 夕焼けに染まる空を見上げていると、物悲しくなるのは俺だけではないんだろう。部活を終えたあとの、軽い疲労感を抱え家路につく時。妹の夕香があの小さな白い部屋で眠っているのを見舞ったあと、溜息をつきながら鉄塔広場で物思いにふける時。西の暮れ行く空と、夕陽に照らされてやがて暗闇に沈む町並みを見ていると、胸が妙に締め付けられるのは。円堂は
「明日も頑張ろう、って気になれるんだ」
と言うけれど、俺にはとてもそんな気分になれない。それは多分、円堂と最も仲の良いあいつだって、同じ気持ちを抱えている筈だ。
 あの日も、夕焼けを見ているあいつを見て、胸が苦しくなるのと同時に、どうしようもなく恋しさがこみ上げてきた。その日は何故だか、様子がおかしかったので、あいつも何か悩み事でも抱えていたに違いない。
――だから、奪った。
 柔らかく温かい、あいつの唇を。
 決して侵すべきではない、純なる物を。
 行為のあと、どれだけ悔やむ羽目になるだろうとも、あの時の俺に取って、それが一番の選択だった。


ふたつの願い


「おかえしだ」
 そういってあいつは河川敷から走り去った。
 たった24時間ぽっちのあと、あいつは逆に俺に口づけた。唇の柔らかさと温かさは全く変わりない。
 だが、あいつに取ってその行動が、大きく意味が違うのは確かなようだ。
 あいつの瞳に映る赤い陽光がきらめいていたのだけは、良く覚えている。


 眠ったままで一向に目覚める気配のない夕香の様子を看たあと、コンビニで夕飯を適当に見繕い、帰路についた。今夜も父さんは夜遅くまで診察だし、お手伝いのフクさんにわざわざ一食だけの支度をさせるのも悪いから、もう帰ってもらっている。明日は学会があるので、父さんとは丸二日も顔を合わせないことになるだろう。そんな日常にはもう、とっくの昔に慣れてしまった。
「ただいま」
 真っ暗なマンションの一室。誰も応えてくれないけれど、ただいまの挨拶だけは欠かせない。寂しくはない。それどころか、今の俺にはそんなことを感じるヒマさえなかった。
 リビングのテレビを付けた。いま流行のお笑いタレントのくだらないトークが部屋に響く。いつもなら、それさえ耳障りに聞こえるのに、今日は違った。
 コンビニ弁当を腹に詰めながら、ずっとあいつのことを考えていた。風丸、あいつの一挙一動が頭の隅から離れない。今までずっと見ているだけで終わっていたのに、どうしても堪えきれなかった。一度行動に移してしまったら、もう後戻りはできなかった。
 俺はあいつが、風丸が欲しいんだ。
 いつも円堂に向けているその目を、俺の方に向けて欲しい。俺だけを見て欲しい。
 そこまで考えて、ふっと笑いをこぼす。いくら何でも高望みじゃないのか?
 ……だが、今日のあいつは確実に、円堂じゃなく、俺を意識していた。そして河川敷でのキス。
 あいつは明日もサッカー部を休むのかも知れない。俺を避けるのかも知れない。でも、それは阻止するべきだろうか。
 明日はあいつの家の前で、待ち伏せしてやろう。そう思いついて携帯を取り出した。風丸の家なら、円堂が知ってる筈だ。


 翌朝、円堂から聞き出した住所と目印をたよりに、風丸の自宅を探り当てた。こじんまりとした二階建ての家。門とフェンスには、結構な数のプランターが下がっていて、色とりどりの花が植えられていた。それに思わず見とれていると、玄関から学ランに身を包んだ風丸が出てきた。
「あ」
 格子型の低いフェンスの扉に手をかけたまま、風丸が呆気にとられた顔で俺を見た。
「……お前っ、何でっ」
 おはようの挨拶も忘れて、風丸は眉をひそめた。
「ここの住所は円堂に教えてもらった」
「そうじゃなくて。なんでお前、わざわざ俺の家まで来てるんだ? お前んちから学校に行くには遠回りだろ?」
 風丸の態度が、明らかに俺を警戒しているのが分かる。俺はわざと笑みを浮かべて、風丸に近寄った。
「今日もサッカー部を休むんじゃないかと思ってな」
 はっと風丸が息を飲む音が聞こえた。
「昨日は……、用事があっただけだ。今日はいつも通りに出るぞ」
「そうか?」
 俺が疑問を投げかけると、唇を結んで睨む。長い前髪から覗く、片方の目が赤茶色にきらめいていた。
「俺は来ないんじゃないかと思った。昨日、俺にあんなことをしたから」
 俺の言葉ひとつで、風丸の頬が上気する。本当に分かりやすい奴だ。
「別に……。あんなの、大したことじゃない」
「そうか。慣れているのか? お前」
「慣れてるわけ……っ!」
 俺に抗議しようとしたその口が、通りの向こうから飛んできた快活な声で、思わず止まる。
「おはよう、風丸! って、あれ。豪炎寺?」
 円堂が片手を降って、俺たちに走りよった。
「お、おはよう。円堂」
 困惑した顔で、風丸が円堂に向き合う。俺は円堂に片手を上げて応えた。
「昨日はすまない」
「……ああ。なるほど、そういうワケか!」
 俺と風丸の顔を交互に見て、円堂は納得した声を上げた。
「な、なんだよ、円堂?」
「いや、こっちの話さ」
 訝しげに尋ねる風丸に、「うんうん」と頷きながら、円堂は肩をぽんと叩いて俺の左側に回った。俺を挟んで、風丸と円堂が並ぶ形になる。
 いつもなら、円堂が真ん中なので妙な気分がする。
「まあ、それは兎も角。体の方は大丈夫なのか?」
 昨日雷門中に、木戸川静修の武方三兄弟をシュートを受けて倒れた円堂に、風丸は気遣う言葉をかけた。
「大丈夫だって! もう平気さ」
 威勢良く胸を張る円堂を、だが風丸は浮かない顔で見つめていた。
「平気、ってこてんぱんにやられたんだろ?」
「ん……。確かにあいつらの三身一体のシュートは凄い、でも俺、気持ちであいつらには負けたくないんだ」
 まっすぐに前を見据え、自分に言い聞かせるように話す円堂の言葉を、風丸は食い入るように見ると反芻した。
「気持ちで……負けたくない……」
 言い終えたかと思うと、いきなり俺に振り向いた。赤茶色の色素の薄い瞳が、俺の顔を映す。それは一瞬のことだったが、俺の心を充分にとらえた。
 それから学校へ向かいながら、三人でサッカー部のことなどを話し合った。風丸は何か考え込んでいるようで、時おり俯く。円堂は風丸の背後から、俺に親指を立てるポーズを取った。
「なあ。昨夜の電話って、風丸と一緒に登校する気で俺にかけてきたんだな? いきなり風丸んちの住所訊いてきたから、どうしたのかと思ったぜ」
 クラスが別の風丸を廊下で見送って、同じ教室へ行く途中、円堂がそう話しかけた。
「ああ。……まあな」
 真相は言うべきじゃないな、と、考えて俺は頷く。
「じゃ、風丸と仲良くしてくれるんだな。豪炎寺」
 そう言えばこの間、円堂にそんな相談を持ちかけられていたんだった。
 仲良くすると言っても、円堂が思っているような意味じゃない。第一、下手をしたら俺がしようとしている行為は、円堂と風丸の仲を引き裂いてしまうのかも知れない。そんな俺の本心も知らずに、にこにこと笑顔を向ける円堂の顔を、俺はまともに見れる訳はなかった。

1 / 16
2 / 16


 今朝は本当に驚いた。登校しようと、玄関を開けた途端、門の前にあいつの姿を認めたから。
 一昨日からずっと、あいつには振り回されっぱなしだ。あいつにキスされたあの時から。
 あんまり悔しいから、昨日の帰り道、あいつに逆にキスしてやった。それなのに落ち着くかと思った俺の心臓はドキドキと鳴り続け、もうずっとあいつの顔が頭の中から離れない。
 豪炎寺、何で俺なんだよ。
 何で俺なんかにキスしたんだよ。
 俺がそんなに……好き、なのか?
 机に頬杖を付いて、右手に持ったシャーペンを何気なくノックする。
 何故なんだ? どうして?
 頭の中で必死に答えを出そうとするけれど、ノートの上にシャーペンの先から押し出された芯が落ちてくばかりだ。授業の内容が、全く頭に入らない。
 俺……どうしちまったんだ?
 ガキの頃からちっぽけなことでくよくよするのは、俺の悪い癖だ。中学になったら改めようと決心していたのに。こんなの、大した問題じゃない筈だ。それなのに、俺の頭の中はぐちゃぐちゃにかき乱されてる。
 落ち着け。落ち着こう。
 流石に今日はサッカー部は休めない。
 平静を装え。豪炎寺のことくらいで動揺するな。
 俺は息を整えると、目をつぶった。トラブルを難なくこなす自分をイメージする。頭の中で何度もシミュレーションして自分を取り戻す。これで大丈夫。
 ノートの上に散らばったシャープの芯を、苦笑いして元に戻した。
 その日の授業を終えて、放課後を告げるチャイムが鳴ると、急いで仕度を整えた。一番先に部室へ入ってしまえば、あいつとそれほど顔を合わせることもないだろう。だが、教室の引き戸を開けた途端に、目の前に現れたのは、色素の薄い髪を逆立てた頭の持ち主だ。
「風丸」
 俺を呼ぶ、あいつの少し低い声。耳障りでない分、余計にしゃくに触る。
「サッカー部に行くぞ」
 はあ、と俺は溜息をついた。今朝だけじゃなく、授業が終わってもか。
 いや、対策は立ててある。
 まず、豪炎寺とは目を合わせない。あいつの視線に晒されると、動じるまいって決めてた意思が崩れる。問題は炎をの風見鶏の練習をするときだが……。ボールにだけ集中していれば何とかなるんじゃないのか。あとは極めて平静を装っていれば、大丈夫だろう。
「豪炎寺! ……っと、風丸!」
 顔を合わせないように豪炎寺の後ろを歩いていると、円堂が手を挙げて教室から出てきた。俺の姿を認めると、にかっと笑った。俺の気も知らないで……。
「まっすぐ部室行くんだろ」
「ああ」
 ぶっきらぼうに答えるあいつと並んだ円堂は、俺に振り返って、
「風丸。隣り来いよ」
と、豪炎寺の横を指差した。
「何言ってるんだ。廊下で横並びしてぞろぞろ歩いてたら、邪魔だろ?」
「あ、そっか」
 円堂は一瞬、廊下を見渡すと俺の後ろに回った。おもむろに俺の背中をぐいっと押して、豪炎寺の隣りに押し込もうとする。
「お前がこっちに行けば良いんだよな」
「やめろよ、円堂」
「良いじゃん、お前がこっちでも」
 抵抗する俺を円堂はぐいぐいと押し出す。でもあいつの隣りを歩くのは、気恥ずかしさばかりが先に立つので、つい億劫になる。俺が踏みとどまろうとしてると、無理に押された所為で、その場につんのめりそうになった。
「おい」
 体のバランスが崩れてしまい、倒れそうになった俺の腕を、豪炎寺が掴んで引いた。肩を掬うように抱きとめられる。背中をひやりとした物が流れたが、何とか倒れるのは阻止できた。ほっとして顔を上げると、うっかり豪炎寺と目が合ってしまった。底の深い吸い込まれそうな、黒い瞳。
「大丈夫か?」
「あ……ああ」
 あいつが心配そうに俺の顔を覗く。俺はその瞳に一瞬囚われてしまったことにたじろいだ。
「円堂、悪ふざけもそこまでにしろ。風丸が足をくじいたらどうする?」
「あー……。悪い」
 円堂がしゅんとして俺に謝った。
「そう言うつもりじゃなかったんだけどさ。やっぱ無理矢理は良くないよ、なぁ」
 豪炎寺は俺の腕を放さないままだ。
「もう大丈夫だ。ありがとう」
 背中に回された手が、妙に熱がこもってるように思えて、俺の胸がぎゅっと何かに掴まれたようになった。俺は礼を言うと、豪炎寺の手から逃れた。あいつは何故だか、苦笑いした。
 合わすまいとした豪炎寺の目は、とても澄んでいて、俺の心を見透かしているんじゃないかと思った。先に歩いて行くあいつの背中を追って、円堂と一緒に後ろから付いて行きながら、俺は豪炎寺を受け入れてしまえば、全て楽になるんじゃないかと思い始めていた。

2 / 16
3 / 16


 次の日曜が試合とあって、サッカー部は一種の緊張感に包まれている。ことに、帝国学園から雷門中に転校してきてからまだ日が浅い鬼道は、気難しい顔で円堂にアドバイスをしている。同じようについこの間入ってきた一之瀬は、はつらつとした顔をして遊びめいたリフティングをしている。まるで鬼道とは反対の態度だ。
「壁山と栗松はどうした?」
 着替えをすませた風丸が、みんなの顔を見回して言う。そう言えば、あの巨体といがぐり頭の、ふたりの1年の姿が見えない。
「あれ? 変ですね。授業の時は見たんだけど」
 同じ1年の宍戸が首を捻りながら答えた。
「……そうか」
 何故だか風丸が神妙な顔をした。何か心当たりでもあるんだろうか。小さな溜息をつくと、宍戸と少林を呼んだ。
「ほら、お前ら。これやるよ。約束だったろ」
 ハーフパンツのポケットから、ポリ袋に包まれたミサンガを取り出すと、残った1年たちに手渡した。
「わぁっ! ありがとうございます、風丸さん!」
 宍戸と少林は顔をほころばせて、風丸に礼を言った。早速ふたりで向き合って、それぞれの手首にミサンガを付け合っている。風丸は微笑んで1年たちを見ていた。
「何だよ、風丸。俺たちの分は?」
 半田が不服そうに風丸に食いかかる。
「お前らの分までやるなんて、言った覚えはないぜ」
「えーっ」
「風丸って意外とケチなんだ~」
 がっかりして肩を落とす半田と、得意の毒舌を吐くマックスをちらりと横目で見た風丸は、表情を崩したと思うと、ポケットに手を突っ込んだ。すぐさま半田たちに手のひらの中身を見せた。
「なんてな。ちゃんとお前らの分も用意してあるさ」
「あ~?」
「てめぇ、騙したな」
 染岡が背後から風丸の首を捕らえると、頭をぐりぐりと拳で軽く小突く。風丸は苦笑いしていた。その隙間を縫って、マックスが風丸の手のひらから色とりどりのミサンガを奪い取って、他の部員たちに渡した。みな互いに向かい合って手首に結び合うのを、風丸はにこやかな顔で見守っていた。今朝俺があった時や、さっきのようなうろたえる様子は見せない。飽くまでもみんなの前では冷静な態度を崩さないのは、流石と言うべきなんだろうか。
「壁山と栗松。何で来ないんだろうね。せっかく風丸さんが……」
 宍戸と少林が、しっかりと手首に結んだミサンガに目を落とすと寂しげに呟いた。風丸の耳にも入ったらしく、眉を曇らせている。それに気付いた俺は、あいつに近寄った。
「お前、あいつらの心当たりあるんじゃないのか?」
「えっ?」
 そっと囁くと困った顔で俺を見上げたが、すぐに首を横に振る。
「いや、ないぜ、そんなの」
 だが俺には、風丸が何か隠しているんじゃないかとしか思えない。それを問いつめるべきか迷ったが、和気あいあいとミサンガを付けているみんなを見ていた円堂が、両手を鳴らして練習に入るよう声をかけたので、その場はやめてしまった。
 結局、今日はふたりの1年を欠いたものの、練習のメニューは滞りなく終了した。ただ練習の最中に風丸の様子を伺うと、時折渋い顔で円堂の方を向いたり、空いている後輩ふたり分のスペースを見て溜息をついていた。あいつの姿を追っていると、まれに互いに目が合った。だが風丸は俺と目が合うとすぐに俯くか、そっぽを向いてしまう。それが俺にはとても癪だった。何か悩みを抱えている様なのに、俺どころか円堂にさえ相談しようともしない風なのが、やけに――。
「今日も雷雷軒行くかー? それとも駄菓子屋でさぁ……」
 練習で目一杯疲れているのも関わらず、談笑しながら寄り道の相談をしている仲間たちを避けるように、こっそり風丸が出て行くのを見つけて、俺は急いで仕度を整えるとあいつを追った。
「……はい。そうなんですか。すみませんでした」
 校庭の片隅で、携帯に耳を当ててふっと溜息をついていた風丸を呼び止めた。
「何やってるんだ、お前」
 俺を見て、一瞬ぎょっとしたが、浮かない顔で風丸は携帯を閉じた。
「壁山と栗松の家にさ。帰ってるか聞いたんだが……」
「いなかったのか?」
 風丸は俺の問いに頷いて答えた。
「お前はあいつらのこと、何か知っているんだろう?」
 一拍沈黙が流れた。だが観念したのか、低く抑えた声で風丸は話し始めた。
「知っていると言うか……。あいつら、昨日円堂が木戸川の奴らに倒されたことで相当ショックを受けたみたいだ。自分たちが力不足だって思い込んでるようだった。俺があの時一緒に付いててやれば……」
 そう言って俯く。憂いの表情が風丸を覆っていた。
「お前の所為じゃないだろう?」
 何とか、風丸が抱えているものを軽くしてあげたくて、俺は声をかけたが、一瞬睨んだかと思えばすぐに目を逸らした。
「俺はあいつらに相談されたのに、まともに返せなかったんだ。もう少し上手いこと言ってやれれば」
「お前が気に病むことじゃない」
「でも」
 上目遣いで俺を見上げる。ああ、そうか。一昨日からの記憶を辿って気付く。俺の所為か。俺がお前にキスしたからか。
 風丸は溜息をつくと、俺に背中を向けた。
「すまん。なんか……、考えがまとまらないんだ。俺、どうしたらいいのかな。でももう部活は休まない。あんなことでもう振り回されたくないんだ」
 向けられた背中は拒絶の意味なのか。風丸はそう言うなり、校門へと歩き出した。俺も後を追って校門へと向かう。風丸は口を閉ざしたままで、俺に振り向こうとはしない。
 校門の前の横断歩道を渡って、左手側にある河川敷へと進む。俺のマンションは風丸の家とは反対方向だったが、同じ道を歩いた。今の風丸を放っておく気にはれなかった。風丸はずっと口を閉じ、俯いたままだ。一緒に歩いてても、俺を追い払わなかったのは幸いか。
 西に沈む夕陽が辺りを赤く染めてゆく。俺は夕焼けに彩られた空を見上げて、河川敷に儲けられたグラウンドに目を移す。ふたつの人影が目に入った。
「おい、風丸!」
 俯いて前を歩く風丸の腕を俺は掴んだ。
「あれを見ろ」
 俺はグラウンドを指差した。指の先にふたつの黒い人影がある。やたらでかいのと、小さいの。指し示されたものを見て、風丸がやっと我に返った。
「……あいつら!」
 風丸は身をひるがえすと、道ばたから河川敷への斜面を駆け下りた。俺も風丸を追う。グラウンドのゴールポストの前で、しょんぼり立っているふたつの人影目指して。
「壁山! 栗松!」
 風丸の声に1年のふたりははっとこちらを向いた。おろおろと辺りを見回す。
「風丸さん……。それに、豪炎寺さんも」
「こんな所で、何やってるんだ!? お前ら」
 俺たちの姿を認めると、壁山と栗松はしゅんと肩を落とした。
「どうして部活に来なかった!?」
「だ、だって……」
 風丸に問われて、ふたりは互いに目を見合わせた。
「俺たちじゃ、今のサッカー部の力になんかなれないでやんす」
「俺たち、自分の力がどれ程のもんだってくらい分かってるっス。きっとキャプテンや先輩たちの足を引っ張るに決まって……」
「バカ野郎!」
 俺たちしか居ないグラウンドに、風丸の怒声が響いた。壁山と栗松がびくりと首を引っ込める。
「そんなことで諦めるのか? お前たちのサッカーの情熱ってそんなもんなのか? たかが円堂が倒されたくらいで……。お前らは悔しくないのかよ!?」
「う、うう……」
 壁山が唸りながら、河川敷を見回す。いつもの、トイレに逃げ込む癖なんだろう。でも、このグラウンドから公衆トイレまではかなり遠い。
「お、俺たちだって、どうにかできるものなら、どうにかしたいでやんすよ。でも、今度の相手にキャプテンが……」
「だったら、ゴールまで割らせなければいい」
 栗松が言い終わるのを待たずに、俺は口を出した。
「お前たちディフェンス陣が相手のボールを食い止めればいい。そうじゃないのか?」
 俺の問いかけに、風丸が目を見張ったかと思うと、こくんと頷いた。
「豪炎寺の……言う通りだ」
 そう呟くと、壁山と栗松の顔を見据えた。
「俺たちがやらなきゃ、木戸川には勝てないぞ」
「そりゃ、そうでやんすけど……」
「俺たちだって、そう考えたっス。だからここでこっそり特訓しようと……。でも上手い方法全然見つからなかったっス」
「だからって、こんな所でグズグズしてていいと思ってるのか?」
 頭を抱えている後輩ふたりを何とか諭そうとしている風丸の肩を、俺は手をかけて振り向かせた。訝しげな顔で俺を見る風丸に、俺は任せるよう相槌を打つ。風丸は二、三度瞬きをしたがすぐにふたりの前から身を引いた。
 分かってくれたらしい。俺は壁山と栗松にこう言い放った。
「特訓の仕方が分からないのなら、俺が教えてやる。ボールを寄越せ」

3 / 16
4 / 16


 サッカー部の練習に来なかった壁山と栗松のことを思うと、胸が痛む。理由がどうであれ、俺の対応がまずかったのは間違いない。豪炎寺のことで悩んでる場合じゃなかったんだ。ただでさえ、次の試合が近いと言うのに。
 学校からの帰り道に、豪炎寺が後ろを付いてきたが、そんなことを煩わしいと思う暇さえ俺にはなかった。
 いつも通りに河川敷の側を歩いていると、不意に豪炎寺が声をかけてきた。
「あれを見ろ」
 豪炎寺が指差した方、河川敷のグラウンドに見えるふたつの人影。それが目に入った瞬間、俺は河川敷の斜面を駆け下りていた。壁山と栗松はこんな所に居たんだ。
 どうやらふたりとも、昨日見たと言う木戸川のシュートに恐れをなしたらしい。自分たちだけでなんとかしようとはしていたらしいが、結局無理だったと。俺が説得していると、豪炎寺は態度でふたりに発破をかけだした。
「特訓の仕方が分からないのなら、俺が教えてやる。ボールを寄越せ」
 豪炎寺は学ランの上を脱ぐと、壁山の側に転がっているサッカーボールを指差した。
「はい……」
 壁山が申し訳なさそうに巨体を縮ませると、ボールを豪炎寺の前に置いた。
「構えろ。俺が相手をしてやる」
「は、はいっス!」
 豪炎寺は壁山目がけてドリブルし、その巨体にチャージした。壁山も最初はおろおろとしていたが、何とかブロックし始めた。手持ち無沙汰そうに栗松がそれを見ている。
 俺もはっと気付いて、栗松に呼びかけた。
「栗松。お前には俺が相手になる。ボールをくれ」
 俺も豪炎寺と同じように学ランの上を脱いで、ゴールの脇に鞄と一緒に置いた。栗松がボールを持ってくる。俺たちも豪炎寺たちと同様に特訓を始めた。
 夕焼けに染まる頃から陽が落ちて暗くなるまでの一時間ほど。部活の後だから、正直体にはしんどい。けれども気持ちは逆に晴れ渡っていた。
「も……、もうダメでやんす」
「へろへろっス~!」
 ふたりの後輩がグラウンドにへばり込む。豪炎寺も俺も、肩で息をするのが精一杯で、できるものなら冷たい地面の上に体を投げ出したかった。流石にそれはできないな、と膝に手を置いて隣りを見ると、豪炎寺が荒く息を吐きながら額を流れる汗を拭っていた。宵闇に浮かび上がるあいつの横顔は、悔しいけれどもとても格好いい。胸の奥が何故かずきんと熱くなった。
 うわ。何だって、胸をときめかせてるんだろう、俺。
 頭を振り、自分の頬に手を当てて確かめる。妙に熱く感じるのは、きっと今まで壁山と栗松の特訓に付き合ってやった所為だ。それだけの事だ。
 俺はズボンのポケットにふと手を入れてみて、新品のミサンガが2本入っているのに気付いた。へばり込んでいるふたりに話しかける。
「壁山、栗松」
 俺の声に反応して、むくりとふたりは頭を上げた。
「ほら。これを受け取れ。お前らの分だ」
 ポケットのミサンガを壁山と栗松に渡した。
「こ、これ……」
「ミサンガ……でやんすか」
「ああ。部のみんなはもうこれを付けてる。お前らが来るのを待ってるんだぞ」
 途端にふたりは涙ぐんで鼻をすすった。
「風丸さん……、豪炎寺さん……」
「感激っス。明日からちゃんと部に戻るっス」
 泣きじゃくるふたりを見て、俺はやっとほっと息を付いた。豪炎寺を見ると、俺に頷いてきた。俺も頷き返して、放り投げた鞄の上の上着を取った。
「あれ……?」
 胸ポケットに入れた携帯の着信ランプが点滅している。画面を開いて確かめると、母からのメールだった。
『今日は残業で遅くなります。
 先にご飯食べててね。
        お母さんより』
「どうした?」
 携帯を見ている俺を、訝しげに豪炎寺が覗き込んできた。
「いや、母さんからさ。今日は遅くなる、って……」
 豪炎寺に答えながら、ふと昨日の木戸川の監督の言葉を思い出したのは何故だろう。頭に閃いた思いつきをどうしようかと逡巡する間もなく、俺はつい口に出した。
「なあ、豪炎寺。お前、晩飯はどうするんだ?」
「晩飯か……。うちの親も、今日は遅いからコンビニで弁当でも買うつもりだ」
「だったら、俺んち来ないか?」
「えっ?」
 真顔で豪炎寺が俺をじっと見たので、急に恥ずかしくなる。
「あ……いや。どうせ食べるんなら、ひとりよりふたりの方がいいしさ。大したもんは出せないけど……」
 熱くなる頬を押さえながら、俺は必死に平静を装う。こんなの、前からよく円堂を誘ってたし、どうって事はない、はずだ。
「そうだな……。邪魔する」
 そう言ってふっと微笑んだ豪炎寺の顔を、俺はまともに目を合わせられなかった。



 俺の家までの長いようで短い距離。俺と豪炎寺はぽつりぽつりと話をしながら歩いた。さっき別れた壁山と栗松の事、飯の好みはどんなのか、とか。豪炎寺は元々口数が少ない方だから、どうしても俺の方が多く話す事になる。それでも、あいつは何故だか楽しそうだった。
 俺の家に着いて、朝も豪炎寺と一緒だったなと気付いた。なんだか不思議な気分だった。
「入れよ、豪炎寺」
 真っ暗な家の鍵を開けて、豪炎寺を招き入れると、あいつはきょろきょろと家の中を見回していた。リビングに入って部屋の明かりを点けると、とりあえずくつろぐように勧めた。豪炎寺はやはり落ち着かないようだった。
 鞄の中を探って、汚れたユニフォームを洗濯しようと思って、ふと気付いた。俺は洗面所に行こうとした足を止めて、ソファに座っている豪炎寺を呼んだ。
「豪炎寺、なんか汚れ物ないか? ついでに洗っといてやるから」
 俺の手の中の汚れたユニフォームを見て、豪炎寺は戸惑う表情をした。
「いいのか?」
「ああ。家のは乾くまで全自動だから、手間いらないしさ。一時間もすれば仕上がるぜ」
 豪炎寺は、
「じゃあ、頼む」
と、鞄の中に詰め込んであったユニフォームとストッキングを引っ張りだして、俺に渡した。
「ああ、やっとくぜ」
 俺は泥だらけのユニフォームを受け取ると、リビングの奥の洗面所に向かった。洗濯機に自分のと豪炎寺の分を放り込んで、洗剤も入れ、セットする。スイッチを入れた途端に水音がして洗濯をし始めた。
 さて、飯の支度をしなくちゃ……、と思ってまだ制服のまんまなのに苦笑いした。流石に着替えた方がいいな。急いで自分の部屋に行ってさっさと制服を脱ぐ。豪炎寺を待たせちゃいけない。
 着替えると急いでリビングに戻る。部屋は無音で、豪炎寺はソファに座ったままだった。
「なんだ。テレビでも見てればいいのに」
 俺が声をかけると、豪炎寺は曖昧に頷く。
「いや、別に、見たい番組もないし」
「そうなのか?」
 俺が冷蔵庫の側の棚にかけてあったエプロンを手に取り、付けていると豪炎寺は、
「手伝う。少しくらいなら、俺も作れる」
と立ち上がった。そう言えるのなら、ある程度はできるんだろうか。折角だから、そうしてもらおうか。
「ん……。じゃあ、食器の用意してくれるか? 棚にあるもの、適当に使っていいから」
「ああ」
 豪炎寺に手伝ってもらって、俺は飯の支度にかかった。とは言っても、冷蔵庫の中に昨日の残り物がいくつかあったし、豪炎寺は手慣れてるのか、そつなく手伝ってくれる。サッカーがあれだけ上手いのに、勉強もそれなりにできて、日常の事も何事もなくこなす。なるほど。クラスの女子に豪炎寺のファンクラブがあるのも分かる気がした。
 豪炎寺と俺と、ふたり分の食事はほどなく出来上がった。正直、美味いかどうかは分からない。それでも、豪炎寺が喜んでくれれば良い、俺はそれだけを考えて味をつけた。

4 / 16
5 / 16


「さあ、食おうぜ」
 風丸は調理中付けていたエプロンの紐をほどいて畳むと、テーブルの席に着いた。俺は感心して、卓上に並べられた料理と風丸の顔を見る。
「慣れてるんだな」
「ん……。うちは共働きで、父さんは長期出張が多くて半分単身赴任みたいなもんだしさ。母さんも今日みたいに残業が多い仕事だから、俺もこれくらいは手伝わないと。円堂んちみたいに親が持ち家に住んでれば楽なんだけど、うちはまだローンが残ってるからな……」
「そうか」
 風丸の話を聞いて、うちの場合はどうなんだろうかと考えた。木戸川にいた頃は一軒家だったが、ローンの話とかは俺もまだ小さかったからよく分からない。夕香が入院してから、なるべく稲妻病院に近い方がいいだろうと、今のマンションに越してきたが……。父さんと俺と夕香だけになってしまったので、広過ぎたのもあるのかも知れないが、前の家を売り払ってもほんの少し上乗せする程度ですんだ、とは聞いている。どっちにせよ、風丸の家とは家庭環境が違うのは間違いないだろう。
「ま、そんな話はともかく。遠慮なく食ってくれよ。……お前の口に合うかどうかは保証できないけどな」
「ああ」
 目の前に置かれた箸を手に取ると、白飯を一口噛み締めてから、野菜炒めをつまんだ。口に入れ噛みしめる。味は悪くない。
「……どうだ?」
 風丸が上目遣いで俺を伺う。素直に感想を言ってやった。
「うまいぜ。結構いける」
「ホントか?」
 破顔して俺と同じように、飯を食い始める風丸は上機嫌だった。
「正直、不味いって言われたらどうしようかと思ったぜ。適当に味付けしたからな」
「適当なのか?」
「んー。たまに失敗して、とんでもない味になる。我慢して食うけどさ。でもやってみると案外、料理も面白いぜ。筋力付けるメニューとか考えてるんだ」
 楽しげな顔で俺に話す風丸を見ると、ここに来て良かったと思う。昼間まではどこか頑な所もあったが、今、目の前で微笑んでいる風丸と同じ時間を過ごすのは楽しい。こんな風に誰かと笑いながら夕飯を食うのも久し振りだ。……とはいえ、雷門中に来てから、練習の帰りに雷雷軒に寄るのも頻繁だったが。それでもやはり、外食ではなく家で寛いで食べるというのは格別なことだ。
 俺は作ってくれた飯を食いながら、今度はどうせなら、俺のマンションで風丸と一緒に夕飯を食いたいと思った。
 結局、おかわりまでして俺は夕飯を平らげた。それは勿論、風丸が俺の為にわざわざ作ってくれたというのもあるが、久し振りに食事を楽しんだ満足感もあったからに違いない。
「ごちそうさま。美味かった」
 空になった皿の前に箸を置く。テーブルの向かいに座っている風丸は急須を取ると、中に茶葉を入れながら俺に尋ねる。
「お茶いるか?」
「ああ、もらう」
 風丸は頷くとポットから湯を注いで、ふたり分の緑茶を淹れると片方の湯のみを俺の前に置いた。
「なんか……変な気分だな」
 妙に感慨深げな風丸を見て、俺は首を傾げた。
「いや。こうして夕飯食って、お茶飲んでてさ。目の前にいるのが、こないだまで全然別の学校にいたお前だなんてさ。不思議な感じがするぜ」
 俺は風丸が淹れてくれた緑茶を一口啜りながら、ぽつりぽつりと始めた話を聞いていた。
「お前が雷門に転校してこなければ、俺もサッカー部に入ることもなく、陸上部のままだったんだろうな。そう思うとさ。一緒に練習したり、こんな風に飯を食うことさえなかったんだろうな」
「それは……、俺だって同じだ」
「そうか?」
「そうだ。……円堂とはどうだったんだ?」
「ああ。小学校の頃はよく、お互いの家を行き来してたな。雷門に入ってからは、部活で時間がかち合わなくなって、あんまりそう言うのもなくなったけれど」
「でも今は同じ部だろう」
「まあ、そうだけど。ほらあいつ、キャプテンだし。やっぱチームのみんな全員を見てあげなくちゃならないだろ。だから……」
 そう言うなり口を噤んだ。ふと見せた、どこか寂しげな瞳は、風丸の円堂に対して抱えている思いを示しているように思えた。
「あ。もう片付けとくな」
 両手で包み込むように抱えていた湯のみを一瞬覗き込むと――多分、もう空だったんだろう――、肩を竦めて風丸は立ち上がった。
「手伝うか?」
 俺も立とうとすると、苦笑いをして制止のポーズを取る。
「いや。食器洗い器に放り込めばすむから。豪炎寺はリビングでテレビでも観ててくれよ」
「……ああ」
 と言われても、大して観たい番組がある訳じゃない。サッカーの試合中継でもやっていればいいのだが、あいにく試合のない日だ。何よりなじみのない部屋に一人きりにされて、正直落ち着かない。
 リビングを見回すと、あちこちに鉢植えが置いてあった。そう言えば、風丸の家の庭にも玄関にも、プランターや鉢植えが置いてあったな。どれも色鮮やかな花が咲いている。俺のマンションにはせいぜい葉ばかりの観葉植物があるくらいで、だから妙にこの部屋の鉢植えが目立つ。
「豪炎寺、洗濯終わってたぜ」
 それほど時間をおかずに、風丸が洗い立てのユニフォームを俺に手渡した。既にちゃんと折り畳んであった。
「悪いな」
「別に、ついでだし。あ、そうだ。リンゴ食べるか?」
「リンゴ?」
「ちゃんとしたデザードがあれば良かったんだけどな。冷蔵庫にはそれしかなくってな」
 済まなそうな顔の風丸に、俺は慌てた。
「いや。……ああ、もらう」
「そうか。じゃあ用意するから待ってろよ」
 ぱっと顔を輝かせる風丸と鉢植えの花とが、俺の中で重なった。思わず苦笑いする。いくら何でも……。
 風丸はすぐに器に盛ったリンゴとフルーツナイフを持って、リビングのソファに座った。リンゴを手に取ると、ナイフで半分に割る。真っ赤に色づいているリンゴはそのまま、風丸の染まった頬の色に似ていた。半分に割ったリンゴを更に、三等分して風丸は赤い皮を剥き始めた。
「ほら、食えよ」
 剥いたリンゴのひとかけらを皿に置くと、風丸は俺に勧めた。フォークが添えられていたが、俺は手づかみでリンゴを取る。一口齧ると、思っている以上に爽やかな酸味が広がった。
「剥いてもらって食うのは久し振りだ」
 何の気なしにそう言うと、風丸は不思議そうに首を捻った。
「どういう意味だ? あ……、そっか」
 合点がいったのか、すぐに頷く。
「もしかして、今まではお前が剥いてあげる方か?」
「……そうだ」
 以前はよく、夕香にせがまれてリンゴを剥いてやった。尤も、一年近くそんな機会には恵まれてないが。
「あ。うさぎリンゴとかできるのか?」
「まあな」
 風丸はにっこり笑うと、まだ皮が付いたままの櫛形のリンゴを手に取った。赤い表皮を丸みにそって刃を入れると、Vの字型に切り込みを入れた。
「こんな風か?」
 半ばおどけたように、うさぎ型に切ったリンゴを手に掲げてみせた。
「上出来だ」
 俺が言うと照れているのか、はにかむ表情を見せる。「ん」とリンゴを差し出す風丸を見て、つい、俺は悪戯めいたことをしてみたくなった。俺はリンゴを風丸が持つ手ごと引き寄せると、そのまま口に含んだ。歯で噛み割るとリンゴの断片から新鮮な果汁が零れ落ちる。それは風丸の指を伝って流れてゆくので、俺は舌で舐めとった。
「あっ……」
 風丸の頬が見る見るうちに赤く染まるのが分かる。俺は慌てふためく風丸に構わず、残りのリンゴも直接触れた指からかぶりつく。甘酸っぱい果肉を咀嚼し、濡れた風丸の指を舐めた。
「うわ! あ……あ、やめろって」
 抗議の声を上げる風丸の指をねぶり、見上げると顔を真っ赤に染めて肩を震わせている。俺の行為が嫌なのか、それとも恥ずかしがってるだけなのか。確かめるため、俺は風丸の両肩を掴むと、ソファの座面にその身を押し倒した。
「豪炎寺……!」
 風丸は上気した顔を横に向けていたが、やがて弱々しい声を上げた。
「……ここじゃ嫌だ。俺の……部屋で」
 ちょっとやりすぎたか。可哀想なくらい身を縮めている。
「すまない」
 きつく掴んでいた両肩から手を離すと、風丸は起き上がって手に持っていたナイフをテーブルの上に置いた。一歩間違えたら流血沙汰になっていたのかと気付いて、俺はもう一度謝る。
「悪かった」
 だが風丸は口を真一文字に固く結ぶと、ソファから立ち上がった。
「来いよ」

5 / 16
6 / 16


 風丸の部屋があるのは、二階の突き当たりだった。俺の先に立って風丸は、部屋に入ると壁のスイッチを入れた。暗闇からぽっと浮かび上がった風丸の部屋は、白と水色を基調にコーディネートされている。それなりに物は少なくなかったが、散らかっているように見えないのはきちんと片付いている所為だろう。白地に青のストライプの入ったカバーが掛けられたベッドの脇には、出窓になっていてそこには他の室内同様、鉢植えの花が置いてあった。
「お前の家……」
「うん?」
 目に映えるオレンジ色で彩られた鉢植えを眺めながら、俺はこの家に入ってから感じていた、素直な疑問を風丸に投げかけた。
「どの部屋にも花が咲いているんだな」
「ああ……」
 ぱちぱち瞬きをした後、風丸は合点がいったのか軽く頷く。
「母さんの趣味だよ。庭の奴も全部。ま、一応俺の部屋のは自分で面倒みてるけどな」
「そうか」
「それがどうかしたのか?」
「いや……。花は病院で見る方が多いからな」
「あ」
 と、風丸は小さく声を上げると、複雑そうな顔で下を向いた。別に当たり前の事を言ったまでだし、大した理由なんかない。だが風丸は俺に遠慮しているようだ。
 ベッドの向かい側には、白いローボードが置いてある。その上には額に入った表彰状や小振りのトロフィー、メダルがいくつも飾ってあり、それが俺の目を引いた。どれも記されている日付は2、3年間のものだが、最新らしいのは今年の春頃で終わっている。俺はトロフィーのひとつを手に取った。ずしりとした重みが手に伝わる。それはそのまま風丸がそれまでの間、実績を残してきた証だ。
「風丸……。お前はサッカーのためにこれを全部捨てたのか」
「え?」
 風丸が息を呑む。これだけの数の賞状やトロフィーがあるのなら、今から先ももっと増やせたはずだ。風丸はそれを不意にした。
「別に捨てたワケじゃないけどな」
 陸上に戻る意思はまだあるのだろうか。俺は横に立つ風丸の横顔を見る。顔にかかる長い前髪で表情はよく分からなかった。
「円堂のためか?」
 俺は風丸という存在を気にし始めてからずっと、心の中でわだかまっていた事を口にした。風丸が円堂に思いを寄せているのは、とうに分かっている。
「まあな。最初は確かに、円堂の熱意に負けたってのはある。でもサッカーには陸上とは違った楽しさがあるって気付いてしまったしさ。……自分で思ってるよりも、サッカーにハマっちまったのかな?」
「陸上に戻る気はあるのか?」
 俺が訊くと、風丸はかぶりを振った。
「まだそこまで決めてない。けど、俺ここにサッカーの大会のメダルを並べたいんだ」
 思わず風丸の顔を覗き込んだ。その赤茶色に輝く瞳がまっすぐ上を向いている。俺は息を呑み込むと、手に持っていたトロフィーを元に戻した。
「俺、サッカーが好きになったのは、円堂のせいだけじゃないと思うぜ?」
 風丸の目は俺に向いている。ほんの少し頬を赤らめたが、やっぱりその視線はまっすぐだった。
 風丸の腕を掴んで引き寄せる。両腕で抱き込む。それでも風丸は俺に視線を向けたままだ。抵抗はしない。風丸のどちらかと言えば細い体をぎゅっと抱きしめ、互いの吐息がかかるほどに顔を近づけた。赤茶色の瞳が微かにうるんでまぶたを伏せる。
 俺は片手で顎を捕らえると、唇を奪った。やはり風丸は俺にされるがままになっている。深く口づけて舌を差し入れると、流石にびくりと体を震わす。風丸の舌に絡ませて、何度も吸った。いくらむさぼっても俺の欲望は枯れる事はなかった。ずっとこうしていたい。もっと風丸と繋がりたい。俺は唇を深く重ねたまま、風丸の両肩を掴んだ。
「風丸……!」
 唇の感触を惜しみながら一旦離れると、風丸はとろんとしたまなざしで俺を見上げる。唇は、俺と風丸自身の唾液で濡れそぼっていた。
「悪いが我慢できない。……しよう」
「え?」
 と、風丸の唇が形を作った。ほんの少し首を傾げた。
「セックスしよう」
 切羽詰まった俺の態度は、端からみたら滑稽だったに違いない。それでも風丸は笑いもせず、頬を染めるとこくんと頷いた。
「風丸……」
 風丸は俺の右手を両手で包むと、ベッドへと導いた。
「豪炎寺、俺……」
 風丸の声は途中から小さくなって、ほとんど聞こえない。何を俺に伝えたかったのかは分からないが、真っ赤に染まったその顔は、少なくとも悪い意味ではないんだろう。俺が頷くと、風丸も頷き返す。それが合図だった。
俺たちはベッドに腰掛けると、再び口づけを交わす。角度を変えて深く口づける。細めの肩を抱きすくめて、薄い背中をかき回すと、風丸も同じように俺の背に腕を回した。俺は体ごと風丸をベッドに押し付けると、柔らかい髪をそっと撫でた。思っている以上に風丸の髪は細くて、俺の指に絡みついてはするりと抜けてゆく。
 風丸の顔の半分を覆っている前髪をかきあげて、ベッドの上へ流した。普段見えない左目が覗く。両目ともに赤みがかって煌めいている。
「きれいだ」
 俺は囁くと、風丸の左目元に唇を落とした。目尻にもまぶたにも唇をはわせると、風丸がはっと息を漏らす。その吐息が俺を駆り立てた。組しいていた風丸のシャツの裾から右手を潜り込ませた。
「うわっ」
 風丸の右肩をベッドに押し付けた格好で、俺はシャツを首元までめくり上げた。さらけ出された風丸の肌。思ってたよりも滑らかそうで、むだな脂肪は見当たらない。手のひらで撫でると、しっかり筋肉は付いているのに柔らかかった。
「くすぐったい……」
 露出した肌を手でまさぐっていると、まぶたをぎゅっとつぶって、風丸はうめき声を上げた。脇腹から胸元まで擦り上げると、太腿を俺に擦りつけてきた。特に脚と脚の間の中心を俺の腰にすり寄せている。
「風丸」
 風丸の肌の感触を楽しみながら、薄い胸を擦っていた俺は、すがりついてくる風丸の行為の意味に思い当たった。ベッドに押し付けていた風丸の体から身を起こし、ジーンズの厚い布地に覆われた中心を上から触った。
「……あ!」
 風丸のそこは予想した通り、かたく硬直している。俺のキスと愛撫でそこまでになってしまったのか。いや、でもそれは俺も同じだ。どくどくと脈打って鎌首をもたげている。
 風丸の様子を伺うと、目を伏せて顔を背けていた。両手で拳を作り、身はかたく縮ませているのは恥ずかしさのためだろうか。でも俺は風丸が欲しい。どうせなら風丸にも快楽を感じてほしい。
「怖がらなくていい」
「怖がってなんか……」
 顔を背けたまま、強がりを言う。俺は苦笑いした。
「体を楽にしていろ」
 囁いて耳元に唇を落とすと、風丸のジーパンのボタンを外した。ファスナーを下ろして、下着の中に指を忍び込ませる。
「んっ……!」
 下着の布地を持ち上げている、硬直した性器をそっと握ってやると、風丸が低くうめいて反応した。俺は空いた手を風丸の首の後ろに差し入れると、あやすように抱き込んだ。
 可哀想なくらい勃起させている風丸の性器を握りしめると、根元からゆっくり擦ってやる。
「あ! ……くっ」
 思わず声が出たのを、歯を食いしばって耐えている風丸。俺は風丸の頭を撫でながら、耳元で囁いた。
「風丸、我慢しなくていい。声も何もかも、出したいなら出していいんだ」
 風丸は薄目を開けて、潤んだ瞳を俺に向ける。いいのか、とでも言うように小首を傾げるので、俺は頷いてやった。
 手の中の風丸のたかぶるものを再び擦ると、ゆっくりと甘い吐息をはきだした。
「あ……んん」
 俺は風丸のものを扱きながら、首筋に唇をはわせる。耳朶を軽く噛むと一層吐息が甘くなる。最初はゆっくりと、やがて激しく右手を動かすと、風丸の喘ぎ声も次第に高くなった。
「あっ、……ああ。ん……、豪炎寺、もういい!」
 激しく擦り上げていた俺の右手を、突然風丸は手を払おうとした。
「なぜだ」
「いいって。もぅ……出る、からっ……!」
 風丸のちょっと怒った声。紅潮した顔は、怒りのせいとも快楽のせいとも、どちらにも思えた。俺は苦笑いすると、部屋を見回して、机の上にあったティッシュの箱を引き寄せて、2、3枚手に取る。それを、風丸の今にも吐き出したがっている性器の先にあてがった。
「ほら。いいぞ、思い切り出せ」
「んん……!」
 俺が風丸のものを押さえ込んでいた指をゆるめて、促してやると躊躇いながらも体をぶるりと震わせた。次の瞬間、ティッシュの中に熱い、白濁したものがあふれ出した。
「ああっ……!」
 頭をのけぞらせて、ひときわ甲高い声を上げると、風丸は満足したのか深い溜息をついた。俺の手の中のティッシュはぬめり気を帯びている。俺はそれを丸めると、もう数枚、箱から引き抜いたティッシュでぐったりとした風丸の精液で塗れた体を拭いてやった。
「……すまん、豪炎寺」
「良かったか?」
 俺が訊くと、風丸は照れているのか体ごと横を向いた。
「慣れてるな、お前」
「いつも自分ひとりでやる要領でしたまでだ」
「そうなのか?」
「お前はしないのか? オナニー」
「し、してるに決まってるだろ! それくらい……」
 顔を真っ赤にして風丸は、首だけを俺に向けて睨んだ。
「してるのか……」
「当たり前だろ」
 風丸はそう言ってから、ばつが悪そうに首をすくめた。
「いや、その。男なら……するだろう、普通」
 俺は苦笑いで応えた。風丸がまた顔を背けるので、肩に手をかけて振り向かせる。
「お前が気持ち良くなったのなら、それでいい。今度は……、お前が俺を気持ち良くさせてくれ」
「え……」
 風丸は躊躇した表情を見せる。戸惑っているんだろう。でもすぐに風丸は頷いてくれた。
「わ、分かった」
 俺はほっと胸を撫で下ろした。ベッドに身を委ねている風丸の体を抱きすくめようとして、まだ自分が学ランのままだったのに気付いた。急いで上を脱いで、シャツのボタンを外す。ズボンのベルトを解くと、風丸はむくりと起き上がって、おずおずと俺の股間に手を伸ばした。俺のかたく張ったボクサーパンツの上をそっと撫でた。そして。
 風丸の次の行為は、突然階下から鳴り響いたドアホンの音で遮られる。次に、ドアの鍵が外れて開く音が聞こえた。
「まずい!」
 階下からの音に、思わず動きを止めた俺を、風丸は慌てて押し上げた。 

6 / 16
7 / 16


 まるで半分夢の中にいるみたいだった。正直、豪炎寺に流されてしまった感は否めない。でも俺はそれでもいいと思ったし、あいつが求めるんなら多分、最後までしてしまったに違いない。
 誰が一番好きか、って訊かれたらそれは円堂に決まってるし、一生その気持ちは変わらない、変わるはずがない……んだろう。でもそれなのに、何故なんだろうな。自分自身でも分からない。円堂とは別に、肉体の行為までしなくても充分だし。いやだからと言って、豪炎寺とならあんな事を平気でできるのかと訊かれると……。
 自分の中で気持ちは確実に混乱している。
 ともあれ、母さんが帰って来なかったら、こうして逡巡する間もなく、俺は豪炎寺と結ばれてたんだろうな、とは思う。
 母さんの帰りは思ってたより早かったんだろうか。それとも、あのとき互いの行為にふけっていて、時間が経つのさえ二人とも忘れてしまったんだろうか。
 どっちにせよ、豪炎寺と抱き合っている最中に母さんが帰って来たという事実に、俺は慌てた。もしかしたら、あいつは呆れてしまったかも知れない。急いで服を整え――首元までTシャツが上げられ、ジーパンは下着ごと膝の下まで下がってるとんでもない格好だった――、今までの行為なんか感じさせないよう、取り澄ました顔を作るのは難儀だった。それでも、母さんが俺の部屋まで上がってくるまでには、何事もなかったように体制を整えた。
「ただいま~」
 暢気な声で母さんがドアをノックする。俺はできるだけすました顔で、
「おかえり」
と、返事した。
「お友達来てるの? 守くん?」
 部屋を覗き込んだ母さんが、学ラン姿の豪炎寺を見て首を傾げた。豪炎寺ももう、外したボタンは元に戻っていた。
「あら……。あなたは確か豪炎寺くん、ね?」
 母さんはフットボールフロンティアの中継試合を観てたようで、豪炎寺の顔を覚えてるようだった。豪炎寺は母さんに頭を下げると、
「はい」
と一言答えた。
「こんばんは。一郎太の母です」
「……どうも」
 母さんも豪炎寺に軽く頷くと、にっこり笑って話を続けた。
「守くん以外のお友達がうちに来るなんて珍しいのよ。でも、いっちゃんは最近よくあなたの話を……」
「母さんっ!」
 いきなり母さんが小学校の頃まで呼んでた名前を出すものだから、俺は心底慌てた。
「やめてくれよ。俺もう中学生なんだからそう呼ぶのは!」
「あらだって、いっちゃんはいっちゃんでしょ」
「だから!」
 円堂にならともかく、豪炎寺の前でそんな風に呼んでほしくなかった。融通の利かない母さんの口を何とか止めようとしていると、豪炎寺が口を挟んできた。
「そろそろ、俺帰ります」
「まあ、ゆっくりしていけばいいのに」
 母さんはきょとんと小首を傾げる。だが豪炎寺は首を振った。
「もう遅いですし」
「そうなの。またいらっしゃい」
 豪炎寺は頷くと、頭を下げて部屋を出ると階段を下りてゆく。リビングに置いたままの肩掛け鞄を取ると、玄関で靴を履いた。俺が階段を下りて行くと、顎でしゃくる仕草をした。俺とふたりだけで話がしたいのか。豪炎寺に誘われるままに、玄関を抜けてポーチに出た。辺りはすっかり夜の闇で覆われて、そよ風が吹いている。
「今日はありがとう」
 足を外に向けて、顔だけ振り返って豪炎寺はそう言った。
「いや、別にそんなんでも」
 風が俺の髪を舞い上げて、頬に触れる。夜の静けさと冷気が心地いい。
「今度は俺がお前にメシをおごる」
「あ、うん」
「それから……、おふくろさんをあんまり困らせるな」
「え」
 俺は豪炎寺の顔を見つめた。いきなり言った言葉の意味を掴めずにいると、言いにくそうにぼそりと口に出す。
「いや、……『いっちゃん』って」
「ああ……」
 俺の愛称をしっかり覚えてると分かって、たじろいだ。思わず頬が熱くなる。それと同時に、この間木戸川の監督の言葉がふとよぎった。豪炎寺には、そんな文句を言える母親の存在すらないのだ。それを思うと、俺の一時の恥ずかしさなんか、些細なわがままに過ぎないんだ。俺はなんだか申し訳なくなった。
「うん……。分かった」
 頷くと豪炎寺は柔らかな微笑みを返す。熱っぽい目で俺を見た。その視線が妙にくすぐったく思えて、目を逸らそうとすると、豪炎寺は俺の唇に触れるか触れないかの位置まで、顔を近づけた。
「さっきの続きは今度、またしよう」
 そう囁くと豪炎寺はきびすを返して、片手を上げた。「あばよ」と別れのポーズを取る。そのまま、豪炎寺がいつもの帰る方向へと、まっすぐ歩いて行ってしまった。
 さっきの続き、って……。
 俺の部屋で、ふたり肌を触れ合わせて、互いに快楽にふけって……。
 今さらながら、恥ずかしさで堪らなくなる。体が熱くなる。
 いや、気持ち良かったのは俺だけで、豪炎寺の方はそれほどでもなかったのかも知れない。だってあいつはまだ……。
 なぜ、最後までしてあげられなかったんだろう。そこまでいかなくても、せめてあいつを少しでも満足させてやれれば……。
 夜道に消えていく豪炎寺の背中を見送りながら、そんなことを思っていると、家の中から母さんが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「お風呂わいたわよ。早く入りなさい」
 親が側にいるのに、なんて事を考えているんだろうと、気付かされて俺は慌てて返事した。
 こみ上げる照れを覆い隠して、替えの下着とパジャマを用意し、温かい湯でほっと一息つくと、同時にさっきまで豪炎寺と過ごした時間を思い出し、顔が熱くなるのを感じた。
 どうせひとりで飯を食べるのも味気ないから、豪炎寺を誘ったのはまあいい。円堂とはよくやってたし、同じ部の仲間なんだから、別に、普通のことだ。でも抱き合ったり、キスしたり、……互いに股間を触りあったりするのは、どう考えても恋人同士のすることだ。
 舌を絡めたりもした。いや、気持ちは良かったけど。まるで体が宙に浮いてしまってるようだったけれども。
 よく考えたら、飯を食ったあと歯を磨いてなかったな。リンゴを食べたあとだから、酸味でごまかせたかも。けど……、臭くなかっただろうか。そう言えばあれだけ練習したあとなのに、汗もろくに拭いてなかった。湯に浸かってた腕をあげて臭いを嗅いでみた。とはいえ、風呂に入っているんじゃ、今頃気付いたってムダか。
 湯船の中で膝を抱えて顔をうつむけた。口元まで温かい湯に体を委ねていると、何故だかさっきまでの行為が夢の中の出来事のように思えてきた。なのに、顔が思わずほころぶのは何故だろう。
 豪炎寺の愛撫は優しかった。サッカーをしてる時は激しさを見せるけど、それ以外の時はどっちかと言うと、ぶっきらぼうで、あまり考えていることを口に出す方じゃない、あいつ。でもさっきの豪炎寺は俺をこわれものを扱うみたいに優しくて、ぎゅっと抱きしめたり、頭を撫でてくれた。
 キスされて、体に触れられただけで俺の体は反応してしまった。豪炎寺は俺の胸ばかり触ってきた……ように思う。男の、真っ平らな胸なんか触って面白いものなんだろうか。
 自分で自分の胸を触ってみる。豪炎寺がやってたみたいに、撫でさすってみたけれど、さっきみたいに甘い感触は得られなかった。俺はがっかりして、その直後、そんな行為をしてしまったことに自己嫌悪した。自分で自分の体を撫でるなんて、何をやってるんだ、俺は。
 俺の頭の中は豪炎寺のことで一杯になってしまって、もうぐちゃぐちゃだ。この間までは豪炎寺の存在そのものに苛立ちさえ覚えていたはずなのに。今は、今日一緒に同じ時を過ごして、見つめあって、そして……。その記憶ばかりを何度も反芻していた。
 明日はあいつのことがまた違って見えるに違いない。もっと違う気持ちで向かい合えるに違いない。そして今度はあいつと最後まで……。
 とりあえず、今度豪炎寺とふたりだけで過ごす時は、体を綺麗にしておかなくちゃならないな。せめてシャワーくらいは浴びておいた方がいい。本当はそんな時、一番綺麗にしなければならないのは、尻の部分だって分かるのには、後になってからのことだったけれども。



 次の日、いつになく目覚めのいい朝を迎えた。朝いちばんの光がカーテンの隙間から射して、俺を起こす。思い切り背伸びをすると、日課のランニングをこなした。いつも通りの朝のはずなのに、目に映る風景はまるで輝いていた。それは多分、気のせいじゃない。
 家に帰ると、母さんが用意してくれた朝食をとって、学校へ行く支度をした。髪を整えながら鏡を覗いて、ほころぶ自分の顔を確かめた。うん。髪もちゃんと結えたし、完璧だ。
 意気揚々と母さんに「行ってきます」の挨拶をすると玄関を出た。昨日みたいに、門の所に豪炎寺が待ってるかと期待したけれど、流石に今朝はいなかった。がっかりはしたけれども……、でもどうせ学校へ行けば豪炎寺に会えるんだし。そう思い直して俺は歩き始めた。いつものように、途中で円堂が合流した。
「おはようっ、風丸」
「おはよう!」
「ん?」
 円堂が妙な顔で俺の顔を見る。
「どうかしたか?」
 俺が訊くと、円堂はにんまり笑った。
「いや、今日の風丸はすんげーいい顔してるからさっ!」
「そ、そうか……?」
 朝からずっと豪炎寺のことを考えてたせいだ。嫌だな。顔に出ちまってたのか。
「そう言えば、今日は豪炎寺は一緒じゃないんだな?」
 いきなり円堂がそんなことを言うので、俺の心臓は跳ね上がる。
「いや、昨日は……昨日は特別だったんだろ」
 元々、俺がちゃんとサッカー部に来るように、豪炎寺が迎えに来たんだったな。そう思い出していると、円堂が何の気なしに切り出してきた。
「ふ~ん。そういやさ」
「何だよ?」
「お前に言わなきゃならないことがあったんだ」
 円堂は何故だか、妙に改まった顔で声を低く落としている。俺は首をひねった。
「俺に?」
「うん……。実はさ。俺、豪炎寺に頼んでたことがあったんだよ」
『豪炎寺』って言葉が出るだけで、俺の胸はどきんと高鳴る。昨夜のベッドの中でのあいつの顔が頭に浮かんでしまい、俺は慌てた。赤くなる頬を押さえて、なんとか平静を装うとした。
「それがお前の話さなきゃならないことかよ?」
「いやさ、実は……。お前と仲良くする気、ないかって」
 俺はすぐに円堂の言葉に対応できなかった。一体円堂は、何を言ってるんだ?
「っていうか、豪炎寺とお前が、俺とみたいに親友になってくれりゃいいな、って思ったまででさ。だってお前は、豪炎寺と似てるとこあるし」
 円堂の言っていることがさっぱり理解できない。それどころか俺の心のどこかが、急速に冷えてゆくのが分かる。
 なぜ? どうしてなんだ?
 自分自身に問いかけてみても、俺の心は暗く歪んでゆく。
「俺と豪炎寺のどこが似てるって言うんだよ……」
 ぼそりと呟くと、円堂は俺の気持ちなんか知らないのか、暢気に答えた。
「んー。どこ、って言われると困るけど、お互いマジメすぎるっていうかさー」
 俺が知りたいのはそんなことじゃない。どうして円堂はそんな考えに至ったんだ?
「な……んで、そんなこと、豪炎寺に頼んだんだよっ……!」
「だってさ。お前とは小さい頃からの付き合いだし、豪炎寺はせっかくサッカー部に入ってくれたじゃないか。だから、どうせならお前と豪炎寺も、俺たちみたいに仲良くなってくれればいいに決まってるじゃないか。だから俺、豪炎寺に頼んでみたんだ」
 俺にはさっぱり分からない。そして、俺の知らない間に、そんな取り決めがあっただなんて。
「豪炎寺も乗り気だったしさ。だから昨日」
「どうして俺の知らない所で、勝手に決めるんだよ!」
 円堂の言葉を遮って、俺は噛み付くように怒りをあらわにした。円堂が面食らったのか、口をあんぐり開けた。
「あ……悪い。確かに、豪炎寺もお前の気持ちを確かめた方がいいって言ってた。でもさ」
 円堂は必死で弁解の言葉を並べる。けれど俺の怒りは収まらない。俺にとって円堂の行為は裏切りそのものだったから。
「余計なお世話だぜ、そういうの」
 それだけ言い放つと、俺は円堂を置いて学校へと駆け出した。困りきった声で円堂が俺を呼ぶけど、そんなのはおかまいなしだ。走ってるうちに、勝手に涙がこぼれ落ちる。堪らなく悔しくて、俺は拳で目元をぬぐって走り続けた。
 変だと思ったんだ。あいつがいきなり俺に近づいてきて、キスしたのは、円堂があんなことを頼んだからなんだろう。
 親友だとかそんなものにかこつけて、俺を体のいい性欲処理の相手にするつもりなんだ。
 だから、だから……。
 だから俺に近づいたのか。
 ああ、そう言えば一緒に買い物に言ったあの日、豪炎寺は不良たちに俺を自分の女呼ばわりしてたな。やっぱり……。
 そこまで考えついたときは、目の前に見慣れた校舎が構えていた。登校してきた生徒たちが暢気に「おはよう」の挨拶を交わしている。俺の気持ちとは裏腹に、お気楽そのものだ。
 明るそうなみんなとは違って、俺はひとり、暗い世界の真ん中にいた。

7 / 16
8 / 16


 昨日は夜遅くまであいつの部屋にいたので、日課とも言える夕香の見舞いに行けなかった。代わりとしては何だが、朝、登校する前に稲妻病院へ行くことにする。
 白い小さな部屋で、機械と白いシーツに包まれている妹は、一年近くも前と変わらなく目を閉じたまま眠り続けている。
「昨日は来れなくてごめんな」
 声をかけて頭を撫でても、夕香は瞬きひとつせず、眠ったままだ。
 ベッド脇のチェストに置かれた花瓶を取り上げ、病室の外にある給湯室へ行く。しおれかけのピンクの花をポリ製のゴミ箱に捨て、明るい黄色のチューリップに活けかえた。そう言えば、風丸の部屋にあった鉢植えも、黄色の花だったな。あいつの雰囲気にはあまり似合ってるようには思えなかったが、出窓に咲いていた花の辺りだけはそこだけ妙に明るかったことを覚えている。あの細かい花弁がたくさんついている花は、何という名前だったろうか。
 思い出そうとして、結局やめた。代わりに昨日見たあいつの顔ばかりが心に浮かぶ。ベッドの中で震えながら、熱に浮かされていたように目を伏せる風丸を、俺はずっと見ていたかった。できるのなら、あれ以上にあいつのもっと奥へ触れたかった。俺の欲望をあいつの中に埋めたかった。
 目の前の黄色のチューリップが、俺を現実に引き戻す。朝っぱらから、しかも夕香の眠る病院で、俺は何を考えているんだ。苦笑いして花瓶を持った。
 あのあと、マンションの自分の部屋に戻って、最初にしたのはネットで調べものをすることだった。まさか、風丸とあんなに急接近するとは想像してなかったし、あいつをなるべく傷つけずに体をひとつにする方法を知りたかった。調べてみて、自分の性知識のなさに溜息をついたが……。まあ、やり方は理解したからこれで大丈夫だろう。
 とりあえず、風丸と事を結ぶのに必要なものはネットで注文済みだ。手間は多少かかるのかも知れないが、何とかなるだろう。目の前の花を整えると、俺は夕香の病室に戻った。
 夕香。お前の事は忘れない。けれど少しの間だけ、俺のわがままを許してくれないか……。



 病室を後にし、俺は学校へ向かった。稲妻病院と雷門中とはさほど離れていないから、朝一番に見舞いに行っても、ゆうに授業に間に合う。それでもギリギリだったから、教室に入ったのはホームルーム開始の予鈴が鳴る直前だ。席に着くと、机ふたつ離れた場所の円堂が困ったような顔を俺に向けた。何か言いたそうだったが、すぐに担任が入ってきたので、話を聞けたのは一時限目の授業の前だった。
「ごめん、豪炎寺。お前に謝らなきゃならないかも」
「何の話だ?」
 思い当たることがないので、俺も首を捻るしかない。むしろ、円堂に風丸とのことを話すべきなんだろうか。だが、それは勿論、風丸の気持ちを確認してからだが……。
「風丸のことなんだけど」
 何故だか済まなそうな顔の円堂から出た言葉に、俺は驚く羽目になる。
「ほらさ。俺、お前に風丸と仲良くしてほしい、って約束してただろ。それを今朝、風丸に話したら、いきなしあいつ怒りだして……」
「お前、風丸にまだそのことを言ってなかったのか?」
「うん……。いや、今まで忘れててさ。昨日、お前らがいい雰囲気だったから、それ思い出して話してみたんだ。そしたら」
 ああ……、なるほど。俺は納得した。だが、いきなりそんなことを聞かされた風丸の気持ちはどうだったんだろう。
 怒りだした。そうか、あいつは……。
「嫌がっていたのか、風丸は」
「んー。よく分からない。ともかく風丸に今まで話してなかったのは、マズかったみたいだ。ごめん」
 円堂は頭を下げた。でもこればかりは円堂だけの所為ではないだろう。
「お前が謝る必要はない。俺もあいつに言ってなかった」
「ホントか?」
 俺は頷いて円堂にきちんと今までの経緯を話そうとしたが、それは一時限目の予鈴と共に、数学の教師が教室に入ってきたことで遮られた。仕方なく席に戻りながら円堂に言う。
「風丸には俺が言っておく」
「分かった、頼むぜ」
 日直の号令で一斉に席を立つクラスメイトに紛れ込む円堂を見やりながら、俺は風丸にどう弁解しようか頭を悩ませた。



 その日、風丸と話ができたのは昼休みになってからで、あいつの教室へ行くと、あからさまに不機嫌な顔をされた。
「話は円堂から聞いた。お前に話さなかったのは、悪いと思ってる」
 風丸はつんと横を向いたまま。横顔の筋の通った鼻のラインは、いつもなら綺麗だと思うところだが、今はそれどころじゃない。視線を俺に合わせようともしない風丸は、横向きのまま言葉を返す。
「よく俺の前にツラを出せるな」
 それだけ言うと、また不機嫌な顔を作る。
「お前が怒るのは分かる。でも、昨夜は」
「ここでそう言うこと話す気か!?」
 怒りに震える声が、風丸の気分を表していた。まっすぐ向き直って俺を一瞥する。顔が上気しているのは、怒りと羞恥の所為だろうか。
「分かった。ふたりだけで話したい」
 俺がそう告げると、渋りながらも席を立った。
 どこで話すべきか迷ったが、本校舎の屋上にした。誰もいない屋上には、ただ風が吹き抜けている。風丸は階段へと下りる入り口の裏に足を向けると、壁際に背をもたれて腕を組んだ。
「で、何の用だ」
 にこりともせず俺を睨む。
「お前は……、何をそんなに怒っているんだ?」
 俺の言葉に、風丸は眉間にしわを寄せた。
「確かに俺は、円堂にお前と仲良くしてくれないかと頼まれた。だが、どうしてそれがお前の怒りを買うんだ? 今まで言わなかったからか? そのことについては謝る。だから」
 俺は頭を下げたが、風丸は腕をかたくなに組んだままだ。
「豪炎寺……。お前は俺の本当の気持ちを知ってるのか……?」
「お前の……? 何の気持ちだ?」
 俺が風丸の顔を伺おうとしたが、長い前髪がそれを拒んだ。俯いた風丸は苦しそうに唇を震わせる。
「それは、俺の、円堂の……」
 呟くようにそこまで言ったが、急に口をつぐんだ。風丸の組んだ腕はまるで、かたく自分自身を抱きしめているようだった。
「いや、お前に言ってもしょうがないか。結局のところ、お前は俺を簡単にセックスできる相手だって思ってるんだろ?」
 俺には風丸が言っている意味が理解できない。どうしてそんな考えに至る? 同時に少し呆れた。
「それこそ、お前は何故そう思い込んでいるんだ?」
 そう返すと、風丸は苦々しい笑いを顔に浮かべた。
「円堂に頼まれたから、俺に近づけるいい機会だと思って、俺の体をお前の好きにしようと思ったんだろ?」
 ああ、なるほど。こいつが誤解してるのは、そういうことか。
 俺は大きく息を吐いた。大体、円堂の頼みは俺にとって青天のへきれきであり、むしろありがた迷惑だった。風丸はそれに気付いていない。
 ここは実力行使だろう。怒りに満ちている風丸の顔を逆に睨みかえした。
 組んだままの風丸の腕を掴むと、かたく結んだその唇に口づけた。俺の本心を伝えるには、それが一番だと思ったからだ。風丸の瞳が大きく開かれる。
 次の瞬間、脇腹に痛烈な痛みを感じた。息が止まる。風丸が俺に蹴りを入れてきたと分かったのは、
「バカ野郎!」
という罵声とともに、階段を駆け下りる足音が聞こえてからだ。
 誤解を解くどころか、余計に怒らせてしまい、俺は途方に暮れた。


 結局、その日の授業が終わって部活の時間になっても、俺は風丸とまともに会話すらできなかった。流石に休みはしなかったが、風丸はディフェンス陣の強化とやらで、土門たちと一緒に特訓にいそしんでいた。俺の顔など見向きもしない。
 円堂は困ったような顔で時々俺に目配せし、鬼道は俺と風丸の間の、不穏な空気を読み取ったのか、
「どうかしたのか?」
 と声をかけてきたが、俺は何事もないように振る舞った。
 唯一の救いは、壁山と栗松、昨日休んだふたりが一番に俺のところにやってきて、礼を言ってくれたことだけだ。
 やがて赤い夕焼けが訪れて、部活の時間は終わりを告げたが、風丸はさっさと支度を終えてしまったらしく、真っ先にみんなより先に帰ってしまったらしい。部のみんなはいつものように、寄り道の話をしていたが、俺もまたひとりで帰ることにした。
 夕焼けに照らされた町並みを見つめながら、俺はマンションではなく、夕香の眠る病室へと足を向けた。

8 / 16
9 / 16


 夕焼けに赤く照らされた河川敷を、俺はゆっくり川沿いに歩いた。ベンチが置かれた、自販機のある広場に来るとこの間、木戸川静修の監督と話したときのことを思い出す。
(豪炎寺と仲良くやってくれないか……?)
 円堂といい、あの監督といい、何故同じようなことを言うのだろう。
 みんな、勝手だ。俺の気持ちなんか知らないで。
 ……俺の、気持ち?
(お前は……、何をそんなに怒っているんだ?)
 俺の中で、昼休みの豪炎寺が言った言葉が浮かび上がった。
 そりゃ、怒るに決まってるだろ。あんな……、あんなことされた翌日、そんなこと聞かされちゃ。それなのに昼間、豪炎寺がいきなりキスしたというのに、俺の心臓はばくばく鳴った。そんなの、自分自身が許せない。
 ……許せないって、何故だ?
 川べりに沿って落下防止用の柵が立てられてる。俺は鉄製の手すりを握りしめながら、あいた手で心臓の辺りを拳でぎゅっと掴んだ。
 俺の脳裏に浮かぶのは、豪炎寺の姿ばかりだ。
 あいつがボールを蹴る、綺麗な放物線を描いてゴールに決める、その姿。あまり喋らないけれど、そ瞳は口以上に物語る。何より、俺を見据えるその瞳は深い。
 そんな……。俺は。
 夕陽に照らされた川面は、赤く煌めいていた。まるで、あいつのシュートみたいに。



 重たい足取りで俺は病室に辿りついた。白いベッドの中の夕香は、朝見舞いに来たときと変わらない。
 変わってしまったのは、俺に対するあいつの態度だ。
 ベッド脇に置かれた椅子に腰掛ける。大きく溜息をついた。
 これは自業自得なのかも知れないな。確かにあいつの言う通り、円堂の頼みを安請け合いし、それがあいつを傷つけた。
 そうだ、これは罰だ。夕香が苦しんでいるというのに、それを忘れて風丸にかまけた罰だ。
 すまない、夕香。お兄ちゃんが悪かった。
 俺はまぶたを閉じたままの夕香の額を撫でてやろうと手を伸ばした。その時、制服の袖口からするりと赤いものが手首に纏わり落ちるのに目がいった。
 ミサンガ。この前の試合の前、円堂も交えて一緒に買い物に行ったとき、あいつが着けてくれたもの。
(口に出さなくていいから、何か願い事かけてくれよ)
 あの時は今の状態になるなんて、思いもしなかった。だが、もう、俺の願いは叶えられないだろう。
 俺はミサンガに指をかけた。綻びかけている所に力を入れればすぐに引きちぎれるはずだ。
 もういい。もうこんな苦い思いをするのなら、最初から何もなかったことにすればいい。俺はミサンガにかけた指に力をこめようとした。
「…………ダメ」
 えっ。
 小さな、微かだったが確かな声が、懐かしいあの声がベッドの中から聞こえた。
「……ダメだよ、お兄ちゃん……」
 今度ははっきりと聞こえる。
「夕香? 夕香なのか!?」
 慌ててベッドの中を確かめる。だが、夕香のまぶたは下りたままで、ぴくりともせず、ほんの少し動いた唇はすぐに寝息へと変わった。
 夕香、お前は……。
 そうか。そうだな。お前の言う通りだ。これじゃダメなんだ。
 ありがとう、夕香。お前のお陰で目が覚めた。
 夕香。今度、あいつを連れて来るよ。あいつはちょっと意地っ張りだけど、仲間思いの良い奴だ。絶対お前も気に入る。だからもうひとりお兄ちゃんができたと思って、甘えてくれないか。
 夕焼けが闇へと馴染む病室で、俺は誓いを立てた。眠りの世界に居るというのに、一瞬でも目を覚まして俺に伝えてくれた妹の為にも――。



 翌朝、一番に向かったのは、円堂の所だった。早急に話をつけなくてはならない。円堂が登校する前に、直接家まで行った。風丸は一緒でない時の方がいい。
「あれ? おはよう、豪炎寺」
 玄関のドアを開けた円堂が、人なつこい笑顔で言う。
「円堂、お前に言わなきゃならないことがある」
「大事な話か?」
 俺を見て、円堂がすぐ真顔になったのは自分でも知らない内に、ただならない気を出していた所為なのか。
「ああ、かなり」
「なんだよ?」
 真摯な顔で応じる円堂に、俺は以前から頼まれていた話を出した。
「あの話は無かったことにしてくれないか」
「どうしてだ。乗り気だったじゃないか。昨日だって風丸と一緒に……」
 そこまで言って円堂は、はっとなった。声を低めて小声で囁く。
「もしかしてお前……、風丸のこと嫌いだったのか?」
「嫌いじゃない」
 むしろ、「風丸のことが好きだ」と言うべきなんだろうが、円堂の想像する「好き」と、俺の言う「好き」には大きな隔たりがある。円堂には一生分からない感情に違いない。円堂は不思議そうに首を捻っている。
「だったら、なんで?」
「あいつには、ちゃんと正面から向き合いたい。誰かのつてでの付き合いなら、それは本物とは言えないんじゃないか?」
「んんー」
 円堂は一度首を左右に傾けたが、空を見上げると、
「ん」
と応えた。
「よく分かんないけど、お前自身が心から風丸と友達になりたいって思ってるのなら、それでいいぜ」
 そう言うと、晴天に負けないくらいの笑顔を見せた。俺がなりたいのは「友人」ではないが、円堂に取ってはそれが、一番なんだろう。まあ、いつかは本当のことを言わねばならないな。
「ありがとう。じゃあ、俺は先に行く」
 俺はきびすを返すと、学校へ向かった。円堂が「えー?」と声を出す。多分、一緒に登校するから風丸が来るのを待っているのか。でもできるのなら、俺は風丸とふたりきりで話がしたい。昨日のこともあるし、円堂が一緒では、ダメだ。
 午前の授業が過ぎ、昼休みになって風丸のクラスに行くと、席はもぬけの殻だった。
「風丸? どっか行ったぜ。行き先は……知らないな」
 風丸のクラスの男子たちに訊いてはみたが、返ってきたのはそれだけだった。午後の授業が始まるまで、校内を探したが、風丸の姿は見つけられなかった。
 仕方がない。放課後を待つか。どうせ部活の時には必ず鉢合わせになる。そう、高を括った。
 生憎その日は掃除当番だった。適当に切り上げて部室に向かったが、風丸の姿はそこにも無かった。
 鬼道と打ち合わせをしていた円堂に訊くと、困った風な顔でこう返してきた。
「実はな。風丸はひとりで特訓したいからって、頼んできたんだ。どこでするのかは、教えてくれなくてさ」
「そうか……」
 俺と円堂の顔色をみて、鬼道がどうかしたのかと尋ねたが、俺は苦笑いで
「なんでもないさ」
と、首を振った。

9 / 16
10 / 16


 足りない。俺には足りないものが多すぎる。
 もう俺はサッカー以外は見ない。円堂は昔からの大事な親友、サッカー部のみんなはかけがえのない仲間、それだけだ。
 誰よりも速く走って、相手のボールを奪う。そして攻撃陣へ繋いでゆく。俺の役割はそれだ。だから俺は、それだけ見ていればいい。
 もう、恋だの何だのに惑わされたりしない。



 昼休み、給食を急いで腹に詰めこむと、こっそり修練所で特訓した。
 頭の中でイメージを作り上げる。これは陸上部にいる頃からやっていたから、慣れたものだ。イメージの中の敵チームの攻撃をブロックして味方へとパス。
 ああ……。俺に足りないものって、決定的なディフェンス力じゃないのか。
 いくら足が一番速かろうが、陸上で求められるものとサッカーで求められるものとは、質の根本が違う。
 昼休みは、俺が思ってる以上に時間がたつのが早かった。脱いだ学ランとカッターシャツの上に置いておいた携帯で時間を確かめると、あっという間に時間が過ぎているのに驚かせられた。がっかりして俺はユニフォームから制服に着替えた。
 やっぱり放課後の方がたっぷり特訓できるな。そう考えて、俺は円堂に言っておかなくちゃな、と決めた。
 なにより、ひとりで特訓していると、余計なことを考えずに済む。あいつと一緒の所で練習していたら、せっかくの決心が薄れる。今はひたすら、サッカーに集中しなければいけないんだ。俺のためらいも何もかも、全部……後回しだ。
 放課後がきて部室に行き、一番に円堂の特訓の話をした。円堂は何か言いたげだったけど、すぐに、
「ああ。お前の気がすむまでやってきたらいいさ。ガンバれよ!」
と、そう言って、俺を送り出してくれた。
 今は円堂の気遣いが嬉しい。その気持ちに報いる為にも、俺は強くならなくちゃいけないんだ。円堂も大変なんだ。余計な気なんて回してほしくないから、だからこそ……。
 昼休みの時のように、修練所へ行くことも考えたが、他にもいい場所があると閃いた。俺は本校舎裏にある、陸上部グラウンドへと足を向けた。



「特訓……ですか。ここで?」
 俺が元居た陸上部では、各々で練習に打ち込んでいた。俺が頼みこむと場所を貸してくれることを承知してくれた。何のかんの言ってもまだ俺のことを仲間と思ってくれてる。みんなの気持ちが心にしみた。
 1年の宮坂が、俺を手伝うと言ってきた。前から俺を慕ってくれた後輩だ。
「わざわざ俺なんかの相手をしなくてもいいんだぞ」
 俺はそう言ってやったが、宮坂は笑ってトラックに赤いコーンを並べた。
「いいんですよ。風丸さんの力になれるなら! あ、ここでいいですか?」
 ジグザグになるようコーンを置きながら、宮坂はけなげな事を言ってくれた。
「ああ。それでOKだ。すまんな。ボール、打ってくれ」
 宮坂は明るい声で「はい!」と返事すると、俺の方へボールを転がした。それをさばいてキープしながら、コーンの外周を次々回してゆく。何セットか続けたが、なかなか俺がイメージするプレーにはならない。途中で足がもつれそうになる。
 ダメだ。ダメだダメだ。こんなんじゃ。もっと飛ぶように、速く走らなきゃ。
「……風丸さん。あんまり根つめない方が」
 見かねたんだろう。宮坂がおずおずと俺に話しかけてくる。俺はかがめた膝を拳で叩いて、自分の体に活を入れた。
 その時だ。俺の視界にプラチナに脱色した逆立てた頭の持ち主が入ってきたのは。
 やばい。
 とっさに思って、辺りを見回す。けれども、陸上のトラックには、俺の身を隠す場所なんてない。俺は舌打ちして、近づいてくる豪炎寺を待った。
「風丸」
 俺はそっぽを向く。本当に、今の俺は、お前の顔を見たくないんだ。
「こんな所で特訓か?」
「どこでやろうと俺の勝手だろう」
 顔をそむけたまま、俺は応えた。
「邪魔しないでくれないか。お前に構ってるヒマなんてないんだ」
「特訓なら、サッカー部でやればいい。お前はもう、陸上部の人間じゃないんだろう?」
 何故だか、その言葉が妙に心に障った。なんだよ。人の気も知らないで……。
「俺はここでやりたいんだ」
 いらつきながらそう言うと、豪炎寺は俺の行く手をはばむように、前に出る。
「どけよ。邪魔だ」
「だったら、俺を超えて行けばいい」
 挑戦的な豪炎寺の態度に、俺はむっとして「分かった」と叫んだ。
 足を一歩踏み出すと、豪炎寺もその前に足を出してくる。逆方向へ体を向けると、豪炎寺もそっちへ立ちはだかる。まるで試合の時のオフェンスとディフェンスだ。
 俺たちの傍らで、宮坂がタオルを握りしめて、おろおろしているのが見える。悪いな、宮坂。お前にとっては迷惑きわまりないだろうな。
 俺は肩を斜めに出して、強引に豪炎寺を突き除けようとした。だけどやっぱり、豪炎寺も肩を肘で押し返してくる。俺は足でフェイントをかけると、くるりと交わして横へ飛び退った。すると、
「ヒートタックル!」
豪炎寺が必殺技で応酬してきた。あいつの体に炎がまとわりついて赤く燃え上がる。その熱に俺は、思わずもんどりうった。
「おいっ!」
トラックの上に尻餅をつかされ、俺は豪炎寺の顔を睨みあげた。
「卑怯だぞ。必殺技使うなんて聞いてない!」
「使わないとは言ってない」
 豪炎寺は眉をつりあげ、口の端を下げて皮肉めいた顔を見せた。だったら俺も必殺技で豪炎寺を抜くんだった。
 そう悔やんでいた俺に、豪炎寺は右手を差し出した。
「お前の負けだ、風丸。諦めて一緒に俺と帰るんだな」
 俺は豪炎寺に敵わないままなんだろうか。そう思うと悔しくてたまらなかった。尻餅をついたまま、目から悔し涙がこぼれ落ちそうになるのを堪えていると、更に豪炎寺は言った。
「俺はお前が一体、何を誤解しているのかは知らない。けれど、お前のいるべき場所は陸上部じゃない。サッカー部だ。お前が俺をどう思おうと今さら弁解することはない。だけど、これだけは言っておく」
 下を向いたままの俺には豪炎寺の表情は見えない。けれどもその言葉は確実に、俺の心に突き刺さった。
「俺は円堂に言われたように、お前と友人となりたいとは思わない。俺は……お前を俺だけのものしたい…………」
 えっ?
 見上げると、豪炎寺は照れたように目を逸らした。
「それってどういう……?」
「行くぞ」
 目を逸らしたまま、豪炎寺は俺の手首を掴むと、引き上げた。そのままサッカー部室のある中央校舎側の校庭へ俺を引いて行こうとする。トラックの上には、まだコーンが置いたままだ。
「あ! 僕が片付けておきます!」
 宮坂が俺と豪炎寺に呼びかけた。けなげな後輩が後片付けを引き受けてくれるのを、俺は託す羽目になった。
「すまん、宮坂」
 俺は振り返ろうとしたが、豪炎寺は掴んだ手首をぐっと引き寄せた。
「あんま強く引っ張るな!」
 豪炎寺の強引さに辟易しながら、俺はさっきの言葉を反芻する。「俺だけのものにしたい」だなんて、まるで愛の告白みたいな……!
「逃げないのなら、緩めてやる」
「誰が逃げるかよ」
 まるで売り言葉に買い言葉だ。けれども妙に胸が熱くなってきた。
「今まで何度も俺から逃げた」
 そう来るかよ。俺は呆れて溜息をついた。
「もう、俺は逃げない。お前に何されようと」
「本当か?」
 豪炎寺は振り返って俺の目をじっと見る。俺も黙って見返す。何度か瞬きをすると、やっと俺を掴んでいた手を緩めた。
「帰るぞ。1年の奴らがお前がいないから寂しがってる」
 来い、と俺に目配せすると、豪炎寺は部室へと歩き出した。俺は頷くとその背中に着いていった。なんだかその背中は強くて温かいような気がした。
 サッカー部のグラウンドではみんながそれぞれ練習をしている。円堂が大声を張り上げて鼓舞してるのが聞こえる。
「あ、風丸!」
 俺たちに気付いて、円堂が駆け寄ってきた。
「どうだったんだ? 特訓の成果は」
 円堂はそのぬけの天気みたいな笑顔だ。
「いや……。あまりいい結果は出なかったな」
 俺が首を降ると、円堂は肩に手をそっと置いた。
「大丈夫さ。お前だから、いつかきっと実になる時が来る」
 その言葉、その笑顔。俺が心の底から渇望していたもの。けれどもそれは妙に、まるで故郷に帰ってきたみたいに、懐かしい気がした。
 何故だろう。どうしてそんな風に思ったんだろう。
 円堂とはガキの頃からずっと一緒で、毎日のように顔を合わせていた。それなのに、今、俺の心にあふれるこの感情は。
 俺の側に円堂がいるのは、ごく当たり前のことで、それはとても尊いものだ。
 とてつもなく、大事で、これが壊れてしまうのは惜しい気がした。
 そんなバカな。俺は円堂ともっと近い所に行きたかったんじゃなかったのか?
 俺は円堂の顔をじっと見る。胸からこみ上げるのは、奇妙な懐かしさだ。俺はかぶりを振って周りを見る。サッカー部の仲間たち。そして、豪炎寺。
 ――あ。
 豪炎寺を見た途端、胸の中に一滴のしずくが落ちて、それが波紋のように広がった。とくん、と鼓動が響く。
 俺、は……。
 気付かなければ良かったんだろうか。そうすれば今までの日常の中に埋もれてしまっていたのかも知れない。でも。
 その鼓動は妙に甘ったるくて、そして苦い。痛みと心地よさ。その両方を感じる。
 何なのだろう、これは。
 俺が円堂と一緒にいて、常に感じるのは安らぎだった。でも豪炎寺に感じるのは、それとは全く違うものだ。
 その正体を俺は探すべきなんだろうか。いや。
 認める、べきなんだろうか。俺は戸惑いを感じていた。

10 / 16
11 / 16


 なかば無理矢理だったが、風丸をサッカー部へ戻すことはできた。納得はしているんだろうか。そこまでは分からない。
 ただ、俺に対しての怒りまで収まっているのかは、どうか。あいつとはポジションが違うから、練習も基礎的なもの以外は、一緒というわけにはいかない。昨日と違って、時々は目が合うが、そのたび風丸は俺から視線を逸らしてしまう。
 人の気持ちが分からないのが、こんなにもどかしいと思ったのは、多分初めてのことだ。
 グラウンドが夕焼けで赤く染まり、生徒たちを追い出すサイレンが鳴るとともに、今日の練習は終わる。
「腹減ったっス」
「俺もうクタクタだよ」
 仲間たちが空腹と疲労を訴え、それを満たす為の寄り道の相談を始めた。
「豪炎寺はどうするんだ?」
 染岡が訊いてくるので、俺はどうしようかと決めかねていると、低めのアルトが代わりに応えた。
「悪い。豪炎寺は俺と先約があるんだ」
 一斉に部員たちの目が、俺の背後にいる風丸に集中した。そんなものをものともせず、風丸は続ける。
「一昨日、俺が夕飯おごってやったから、今日は豪炎寺がおごってくれる番なんだ」
 みんながざわめいた。けれど一番驚いたのは、俺だ。風丸は俺の目をじっと見て逸らさない。
 その瞳。赤みを帯びた色素の薄い目が俺をまっすぐ見つめている。
「……ああ、そうだ。今日は風丸と一緒だ」
 俺が頷くと、みんなは納得したのか、寄り道の相談を続けた。風丸はロッカーの前で制服に着替えている。俺もさっさと着替えた。
 一体、風丸はどういうつもりなんだ。昨日の今日で、更に今の態度だ。気持ちが掴めない。
 まあ、いい。俺は決心した。再びチャンスが訪れたならそれに賭けるまでだ。
 学ランのボタンを留めていると、先に着替えを済ませた風丸が側にやってきた。
「先に出てるぜ」
 俺が頷くと、風丸は先に立って部室を出てゆく。急いでボタンを留め終わると、鞄を肩にかけて風丸を追った。途中で円堂がこっそり右の親指を立てて、合図を送った。扉を開けると、風丸は薄暗くなってゆく空に向かって、俺を待ちわびていた。
「風丸」
 背中に呼びかけると、地面を蹴りながら風丸は応える。
「今日も、帰ってくるの遅いんだ。うちの母親」
「そうか」
「約束してたもんな。それを叶えないのは、なんか……気が済まないしさ」
 そう言って振り向く。形の整った見目のいい顔が、何故か震えているように思えた。
 約束? 何のことだったろう。大体晩飯の話だって、おごるのおごられるのと言った話はしてないはずだ。
「豪炎寺。お前、料理できるって言ってたよな。どんなのが作れるんだ?」
 俺がまだ戸惑っているうちに、風丸はどんどん前を歩きながら話を進める。
「どんなの、って。そうだな。カレーライス、ハンバーグ、スパゲッティ、グラタン、オムライス、それから……」
 俺が作った覚えのある料理を挙げていると、それを聞いていた風丸がぷっと噴きだした。
「なんだよ、それ。まるでファミレスのメニューだな」
「悪いか」
 そんな風にからかわれるとは思ってなかった。
「夕香が……、妹が好きなものばかりだからな」
 俺がそう言うと、風丸ははっと息をのんで、「すまん」と謝った。
「俺はどっちかって言うと、和食が好きだな。あのさ、今日」
 風丸が俺の顔をいきなり覗き込んできた。
「何だ?」
「どうせなら肉じゃがが食いたいな。お前、作ったことあるか?」
「いや、ない」
 俺は首を振った。でもそんなに食いたいのなら、要望に応えてやるか。俺は携帯を取り出すと、家にかけた。
「ああ、フクさん? 晩飯のことなんだが、肉じゃがお願いできないか?」
 夕食の支度をしていたらしい、家政婦のフクさんは、俺からの突然の連絡に驚いたようだ。
「どうしたのですか? 修也さん」
「ああ……。これから友達をひとり、うちに連れてくるから」
「そうでしたか」
 フクさんは喜んで承諾してくれた。話を終えて通話を切ると、風丸が目を丸くして俺を見ている。
「お……お前、家に誰かいるのか?」
「どういう意味だ?」
 風丸が一体何に驚いているのか、俺にはさっぱり分からない。
「いやだって。お前のうちは父親と妹さんだけだって……!」
 風丸が途中で気まずそうに、口を手で押さえる。いつの間に俺の家の事情を知ったのだろう。
「どこで知った? 俺の家のことを」
 すると済まなそうな顔で、風丸が答えた。
「こないだ。ほら、木戸川静修の監督が来てたって言っただろ。そんとき……」
 ああ、なるほど。二階堂監督が、風丸に教えてしまったらしい。俺は肩をすくめた。
「そうか……。いや、今話したのは、通いの家政婦さんだ。今は夕香の看病を主に看てもらってるが、掃除とか洗濯とかは、その人がやっている」
「そ、そうだったのか。お前が料理できる、って言ってたから、てっきり」
「流石に自分ひとりの時にはしないぞ」
「悪い」
 風丸は頭を下げた。自分の非を認めたなら、即座に謝るのは風丸の性分なんだろうな。そういう所はきっちりしている。俺にはそれがとても好ましく思える。
「いや、誤解が解けたのなら、それでいい」
「お前が知らないのなら、俺が作り方教えてやろうかと思ったけど……。余計なお世話だったな」
 苦笑いして、風丸は地面を蹴とばした。
「お前は作れるのか?」
「一応な。母親に教わったんだけど、意外と簡単なんだぜ」
「じゃあ今度、教えてくれ」
 俺が言うと、風丸がぱっと頬を染めた。視線を地面に落として「ああ」と答える。尖らせた唇の形が綺麗だと思った。
「行こう。腹減ってるんだろ」
 俺が促すと、顔を上げてふっと微笑んだ。
「うん」
 街灯のあかりが風丸の笑顔を照らす。白い顔が浮かび上がって、暗闇にとても映えた。

11 / 16
12 / 16


 豪炎寺の家は、最近稲妻町に完成したばかりの、バカに背の高いマンションだ。背ばかりでなく値段の方もそれなり、と聞いた。いつだったか、通りがかった時に母さんが羨ましそうに見上げていたのを思い出す。
「いいわねぇ。最上階からだと稲妻町全体が見渡せるんですって」
「でもマンションじゃ、ガーデニングとかあんまできないだろ?」
「それはそうなんだけれど」
 母さんは花が好きだから、それがちょっとネックなようだった。まあせいぜい、小振りの一軒家を銀行からローンを借りてやっとのことで手にしたうちからみれば、その程度の悩みをするまでもなく、高望みには違いはないのだけれども。
 今、俺はそのマンションのエレベーターに乗っている。豪炎寺が押したボタンは「11」を示している。
「お前んちって、高い所にあるんだな。眺めもいいんだろ?」
「まあ、そうだな」
 昇ってゆくエレベーターの中、豪炎寺は俺の問いに静かな口調で答えた。
「値段の方も高いのか?」
「いや、買ったのは親父だから、よく知らないな」
 ああ、そうか。豪炎寺の父親は医者だって、木戸川の監督が言ってたな。このくらいのマンションなら簡単に手にすることができるんだろう。両親共働きでやっとローンを返すことのできるうちとは大違いだ。
 そう思ったら、妙に緊張してしまった。
 11階を示すボタンが点滅すると、まもなくエレベーターのドアが開く。豪炎寺が顎をしゃくって、下りろ、と合図した。このマンションは戸別にエレベーターが備えられているタイプで、下りた先がポーチに直結していた。低いフェンスの扉を開けて、インターホンを鳴らすと、豪炎寺は帰ってきたと告げた。話した相手が、さっき言ってた家政婦さんなんだろう。ドアを開けると、優しそうな中年の女の人が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。修也さん」
「ただいま。……友達をつれてきた」
「こんばんは」
 俺が頭を下げると、柔和な笑顔を返してくる。
「どうぞ、いらっしゃいませ。お夕飯の仕度はできておりますよ」
 家政婦さんは後半を豪炎寺に向けて言った。
「ああ、ありがとうフクさん。もう帰っていいよ。あとは俺がやっておくから」
「宜しいのですか?」
「うん、適当にやっておくから。やりきれなかった所は悪いけど明日お願いする」
「かしこまりました」
 家政婦さんは一礼すると、奥に引っ込んでしまった。
「あがれよ」
 玄関のタタキに突っ立ったままの俺に、豪炎寺が肩から鞄を下ろしながら言った。
「ん。ああ」
 靴を脱いでフローリングへあがる。廊下のすぐ先にあるドアが豪炎寺の部屋らしかった。スイッチを入れて灯りを点ける。豪炎寺の部屋は余計なものがなくて、机と本棚とベッドくらいしかめぼしいものがない。ちょっと殺風景な所為か、壁に貼られた有名なサッカープレイヤーのポスターだけが目を引いた。
 部屋のすみに鞄を置いて、学ランの上を脱いでいると、豪炎寺が俺にクローゼットから出したハンガーを渡してくれた。
「飯はできてるそうだから、手を洗えよ」
 自分も学ランを脱ぎながら、洗面所を指差した。俺は、
「ありがとう」
と礼を言うと、示されたドアを開けた。まだ真新しく使い込まれてない洗面ユニット。向かい合わせに置いてある洗濯機も新品同様だった。手を洗いながら、室内を見回す。脱衣所もかねている洗面所は、更にバスルームに続いてるらしかった。
 ああ……。体も洗わせてほしいな。
 俺は備えつけのタオルで手を拭くと、すぐに豪炎寺の部屋に戻った。
「あのさ、豪炎寺」
「なんだ?」
 ちょうど豪炎寺は俺に背を向けて、着替えをしていた。
「後でいいから、シャワーを貸してくれないか?」
「シャワー?」
 背中合わせみたいに、互いに背を向けあった格好で言葉を交わす。
「それなら飯を食ったあと、風呂に入ればいい」
「ああ。……すまん」
 俺は手持ちぶさたに背中を向けたまま、豪炎寺が着替え終わるのを待った。シンプルなTシャツと、パンツに着替えた豪炎寺が俺の肩に手を置く。
「来いよ」
 頷いてあとについて行くと、脇の玄関で家政婦さんが、俺たちにお辞儀して出て行ってしまった。
 短い廊下を抜け、広いリビングに入る。その続きの部屋がダイニングコーナーだ。テーブルの上には既にふたり分の食事が並んでいた。俺が頼んだ肉じゃがもそれぞれ小鉢に盛られている。
「お茶はどうする? 冷たいのがいいか、それとも熱い方なのか?」
「冷たいのでいいぜ」
 豪炎寺が緑茶のペットボトルを出してくれた。そう言えばさっきから喉が渇いていた。グラスに注いでくれたのを受けとると、俺は一気に飲み干してしまった。思わずふうと声が出る。こんなにも俺は緊張してるのか? 向かいに座った豪炎寺に目をやると、俺の一挙一動をずっと見ていたようで、微かに笑い顔だ。
「あ……」
 いやだな。顔が熱い。
「お茶、おかわりいるか?」
「ああ、もらう。いや、自分で注ぐぜ」
「そうか」
 豪炎寺は俺に2リットルのペットボトルを手渡してくれた。
「じゃあ、食おうか」
 箸を持つと豪炎寺は、食事に手をつけ始めた。俺は空になったグラスにお茶を注ぐと、置かれている箸を手に持った。正直、豪炎寺の目の前で、飯なんか食えないんじゃないかと思ったが、口にした料理はかなり美味くて、練習で腹がぺこぺこだったのも手伝って、ほとんどの皿に手をつけてしまった。
「肉じゃが、どうだ?」
「ああ、美味い。火の通り具合もちょうどいいな。ほっこりしてて」
「そうか、良かった。フクさんに明日伝えておく」
 豪炎寺は飯をぱくついている俺を目を細めて見ている。並んでいる料理はどれも美味くて、俺の作ったものとはそれこそ雲泥の差だ。それに気づいてしまうと、申し訳なくなった。
「……すまん。豪炎寺」
 俺が箸を置くと、豪炎寺は眉をひそめた。
「お前、いつもこんな美味いの食ってるんだな。一昨日あんなもの食わしちまって、悪かったぜ」
 俺がそう詫びると、豪炎寺は肩をすくめて箸を置いた。
「いや。お前が作ったのだって、充分美味かったぞ。それに毎日、って訳じゃないし。俺ひとりの時とかは、コンビニ弁当で済ましている」
「そうなのか?」
「それに、あの時は久し振りに、ひとりの食事じゃなかったからな。やっぱり誰かと一緒に飯を食うのは楽しいし、その分だけ飯も美味い。……俺はフクさんの作った料理も、お前が作ってくれたのも、どっちも美味しいと思う」
 それは俺に対するお世辞だったのかも知れない。けれども、豪炎寺の言葉は充分なくらい、俺の心をくすぐった。
「そっか。……ならいいけど」
「まだ、残ってるぞ。おかわりもあるし、遠慮しないで食えよ」
 再び箸を取った豪炎寺が俺に勧める。俺は結局、並んだ料理を全部平らげてしまった。
「ふー。もうお腹いっぱいだ。こんなに食ったの久し振りだな」
「俺もだ。やっぱり、ひとりよりふたりで食う方がいい」
 お互いに腹をさすって、椅子の上でくつろいだ。豪炎寺は空っぽの皿を片付けながら席を立つ。
「風呂の支度をしてこよう」
「あ。やっぱりシャワーでいいぜ」
「遠慮するな」
 豪炎寺はそう言うと、ダイニングから奥に消える。俺は覚悟を決めるときが来たのだと、自分に言い聞かせた。あのことをやるには、あらかじめ準備をしておかなくちゃならない。やり方はネットを検索するだけで、すぐに調べることができた。あと必要なのは、ほんの少しの心構えだけだ。
「風呂はもう沸いてた。フクさんがちゃんとやってくれたみたいだ」
 汚れた皿を片付けようとしていた俺に、戻ってきた豪炎寺がいきなり声をかけた。
「あ、……うん」
「先に入ればいい」
「分かった、ありがとう」
 豪炎寺は皿を揃えて流しに持って行き、入れ替わりに俺は洗面所に向かう。曇りガラスの扉の向こうは電気が付けてあった。服を脱ごうとして、まだ母さんに何の連絡も入れてなかったのを思い出した。
『友達の家に泊めてもらうことになった』
 メールでそう打とうとして、まだ豪炎寺とそんな約束まではしていないと気付いた。でも今夜はあんなこと、するんだろう……。だったらやっぱり一晩泊めてほしいが……。
 迷ったあげく、
『友達の家に行ってる。もしかしたら泊まるかもしれない』
と直してから、メールを送った。
 それから髪をくくってるゴムを解いて、服も全部脱いでしまう。風呂場に入ると、一番に目につくのはシャワーヘッド。俺は意を決してそれを掴んだ。
「風丸」
 薄いドアを隔てた洗面所から、豪炎寺の声が聞こえた。俺は思わず身をかたくする。
「な、なんだ?」
「俺の奴で悪いが、パジャマ、ここへ置いておく。洗濯はしてあるからな、一応」
「ああ、ありがとう!」
 声が上擦った。豪炎寺は俺の返事を聞くと、洗面所を出て行ったらしい。指が震えてる。こんなことで動揺するなんて。
 でも。
 豪炎寺が持ってきたのはパジャマだ。ってことはつまり、俺を泊めるつもりなんだろう。
 胸がどくんと高鳴った。今夜、豪炎寺と一緒に夜を過ごすことを考えると、それだけで頭の中がどうにかなってしまいそうになる。
 そうだ。
 落ち着け。冷静になれ、俺。
 左胸に手を当てて、高鳴る鼓動を押さえると俺は、覚悟を決めてシャワーヘッドを握り直した。

12 / 16
13 / 16


 風丸が風呂に入ってる間、準備をしておかなければな。そう思った。台所に積み重なった汚れた食器は、後回しにした。俺の部屋に戻るとベッドをチェックする。フクさんが綺麗にしてくれたので、シーツはぱりっとした洗い立てのものに換えられている。それはまあ、いいとして。
 机の上に荷物が載っている。小さなダンボールの包みだ。それを開けて中身を確かめた。小さな箱に収められたやはり小振りの、液体が入ったボトル。俺はそれを取り出し、ベッドに備えつけられた引き出しにしまった。これさえあれば、何とかなるはずだ。
 台所に戻って、食器洗い器に汚れた皿を一旦水道の水ですすいでから詰め込んだ。こうしておけば翌朝困ることもないだろう。ふきんでテーブルを拭いておく。拭いてる途中、風丸が風呂から出たら、着替えが必要じゃないかと気がついた。急いで部屋に戻って、替えのパジャマをクローゼットから出してきた。俺のものだが、まあ仕方がないだろう。汗がしみた制服では居心地が悪いだろうし、まさか裸のままにさせておく訳にもいかない。
 風呂場の脱衣カゴにパジャマを置いてやって、ふと、この薄いドア一枚隔てた場所に、何も着てない裸の姿で風丸は居るのだ、と思うとやけに心臓がどくどくと鳴った。俺は首を降って、苦笑する。ドア越しに風丸にパジャマを持ってきたと教えてやったが、
「ありがとう」
と答えたきり、それ以上風丸は何も言わなかった。
 リビングに戻って風丸が出るのを待ったが、結構長い風呂だった。湯船でのんびり浸かっているのか? 意外に遠慮のない奴なんだな。
 なんだか落ち着かない。風丸は今、俺の家の風呂で体を洗っている。この間、あいつのベッドで見た素肌が脳裏に浮かぶ。あの滑らかな肌が。
 正直、この待っているという時間は退屈と言うか、手持ちぶさただ。何をしていたらいいのか、自分でも分からない。こんな風に落ち着かず、浮ついた気分になるのは初めてだ。よく考えればここの所、初めて経験することばかりだ。そう、口づけも……。
 夕焼けに染まる鉄塔広場で交わした初めてのキス。味までは覚えていない。ただ、あの時の、温もりだけは記憶に残っている。2度目のキスはあいつの方から。その時にはもう、俺の風丸の気持ちは本物なのだと気付かされた。
「風呂、ありがとうな」
 不意に声をかけられた。風丸が風呂から上がったのにも気付かなかったのか、俺は。
 振り向くと、俺のパジャマを着た風丸が、タオルで髪の毛を拭きながら立っている。湯上がりの肌がほんのり桃色に染まっていた。
「あ」
 思わず見とれてしまった。風丸が逆にたじろぐ。
「どうしたんだよ。俺のことじろじろ見て」
「いや。……俺も風呂入ってくる」
 俺がリビングのソファから立ち上がり、風呂場へ行こうとすると、すれ違いざまに風丸は言った。
「お前の部屋で待ってるぜ」
 心臓が跳ねあがる。風丸の顔はタオルで隠れてしまい、よく見えなかった。
 脱衣所へ行くと、急いで服を脱ぎ捨て、風呂場に入ると湯船に飛び込んだ。体が温まるとすぐにシャワーを捻って、頭から浴びた。頭をごしごしと洗い、体もなるべく早く洗い終える。
 早く、風丸の元に行きたかった。もどかしい。
 風丸は、俺の部屋で待っているんだ。
 必要最低限だけ、頭と体を洗い終えると、あとはシャワーだけで済ませた。濡れた体を拭くのさえ面倒くさいくらいだ。タオルで叩くように拭い、スウェットの上下に着替えた。手ぐしで髪を整えると、とりもなおさず俺の部屋に向かう。
 俺の部屋のドアは閉ざされていた。一旦、気を引き締めようと深呼吸をした。ノックしてからドアを開けると、果たして風丸は俺のベッドに腰掛けて待ちわびていた。
「待たせたか?」
 俺の声に風丸は頭を上げる。俺のパジャマに身を包んで、膝の上には両手を置いていた風丸は、いつものように髪をくくっていない。まだほんのり濡れているが、長い髪の毛は風丸の肩をすっかり覆っていている。流れるような青い髪。
「な、何だよ、豪炎寺」
 訝しげな顔を風丸は俺に向ける。
「いや。お前が髪を下ろしてるのを、初めて見たから……」
 答えると、じっと視線を俺に注いではにかみ気味に首を傾げた。
「俺だって、お前が髪下ろしてるの、初めて見るぜ?」
 思わず自分の垂れた前髪を指で掴んだ。風呂上がりはいつもこうだから、改めて指摘されると戸惑う。
「髪を洗ったあとだからな。お互い様だ」
 俺がそう言うと、風丸は「そうか」と小声で答えた。
 見慣れない格好は、普段見せない素の自分なのかもしれないな。でもそれをさらけ出すのは、気を許してくれているのか。風丸にとって、俺はどれだけの存在なのだろうか。
「円堂には、お前が髪を下ろしているのを、見せたことがあるのか?」
「円堂?」
 その名を出せば、複雑そうな顔をする。それは充分わかっているつもりだが、俺は、やはり知りたい。
「ああ。ガキの頃、よく泊まりに行ってたからな。でもあいつは結んでいる方が俺らしい、って言ってたな」
「俺は……」
 視線を足下に落とした風丸に呼びかけると、不思議そうにこちらを向いた。
「俺はお前が下ろしているのも、似合うと思うな」
 風丸の頬が赤く染まった。視線が宙を泳ぐ。やがて苦笑いすると、溜息をついてベッドから立ち上がった。
「全く、自分でもどうかしてると思うぜ。決心したはずなのに、いざとなると体が震えるんだ。おかしいよな」
「何がだ?」
 そう言ってから、風丸は緊張しているのだと気がついた。
「……うん。大丈夫だ」
 深呼吸すると風丸は、おもむろにパジャマのボタンを外し始めた。突然の行為に、俺は何も言えずに見ているだけしかできない。ボタンを全部外してしまうと、今度はズボンのゴムに手をかけてそのまま足下まで降ろす。屈んでするりと脱ぐと、体に引っ掛けたままの上着も床に放り落とした。
「豪炎寺」
 下着も何もかも脱いでしまった風丸は、俺に素肌を晒してまっすぐ向かい合った。
「俺、覚悟の上でここに来たんだ。今日はお前に、何をされたっていい」
「えっ?」
 暗黙のうちに分かっていたはずだが、いざ口に出して言われると、疑ってしまう。けれど俺に向けられる風丸のまっすぐな瞳は、それが嘘じゃないと語っている。
「だから……、だからってワケじゃないけど、次の試合ではお前が点を入れてくれ。……お願いだ」
 まぶたを閉じて頭を下げる、風丸の両の腕が震えている。風丸の決意はそこまでのものなのか。
「お前に言われなくても、俺が点を入れるつもりだ。でも、お前がそこまで言うのなら……。次の試合はお前の為に入れてやる」
 俺がそう宣言すると、風丸が潤んだ瞳で顔を上げた。解かれた長い髪は、風丸が顔をほんのちょっと揺り動かす度に、ふわりと揺れる。
「そ……そっか。ありがとう」
 肩をすくめて礼を言う風丸に、俺はどうしても確かめたいことがあって、問いかけた。
「しかし……、風丸。お前は円堂のことが好きなんじゃなかったのか? なのに何故、俺に抱かれようとする?」
 一瞬、風丸の目が見開かれる。だが、すぐにその目は伏せられた。
「豪炎寺……。お前、それを知ってて……?」
 俺は頷くことで、それに応えた。
「そうか。……うん。確かに俺、円堂のことが好きだ」
 風丸の口調はとてもはっきりしている。改めて言われると少しがっかりしたが、だがすぐに風丸は言葉を重ねた。
「でも、俺はなによりも、あいつとの絆の方がもっとずっと大切なんだ。」
「どうしてだ? お前はあいつとキスしたり、それ以上のことをしたいとは思わないのか?」
 自分でも、こんなことを訊くのはバカらしいと分かってる。これから抱こうとする相手に尋ねるべきじゃない。でも、俺はどうしても知りたかった。風丸の本心はどこにあるのか。
 だが風丸は首を振った。
「いいや。円堂とはそこまでの仲になんかならなくていい。はっきり言って、あいつとそんなことになったら、今まであいつと築いてきたものが、全部なくなってしまう。……俺はそれが怖いのかもな」
「俺とならいいのか?」
 あまりにも野暮な言葉。けれど風丸は俺を見すえ、そしてゆっくり頷いた。
「お前になら、許す」

13 / 16
14 / 16


 俺になら許す?
 きっぱりとした風丸の答えに、戸惑っているのは多分、俺の方だ。
「参ったな……。昨日の今日で、その態度か」
 軽い溜息とともにそう吐き出すと、裸の体を持てあましていたのか、風丸は口を尖らせた。
「しょうがないだろ。俺自身もこんな気持ちになるなんて、思ってもみなかったんだからな」
 体の前で両手を組み合わせて俯く風丸が、たまらなく愛おしくて、俺はそっと肩に手を置いた。
「あ……」
 顔を上げた風丸と視線が合う。片手で薄い背中を抱き寄せ、細めの顎を捕らえると、頬が赤く染まるのが見えた。
「安心しろ。悪いようにはしない」
 耳元で囁くと風丸は、
「うん」
と頷いた。
 ごく自然に唇を重ねた。呼吸をするのも忘れて、互いを確かめあう。最初は触れ合うだけ。何度も角度を変えて重ねていると、次第にじれったくなる。俺は風丸の唇をこじ開けて、口内へと舌を滑らせた。
「う……ん」
 風丸が軽く唸る。探り当てた舌に自分のそれを絡めると、更に鼻にかかった声でうめいた。されがままになっているかと思ったが、意外に俺の動きにあわせて舌を絡ませてきた。風丸の腕が俺の背中に回って、しがみつくように抱きしめてくる。俺も風丸の背中を撫でまわして、片方の手は腰を抱いた。しばらくそうして深い口づけを交わしていたが、舌を動かすのも辛くなってきた頃、やっと俺は甘い唇から離れた。
「はぁ……」
 風丸は乱れた呼吸を取り戻すように、肩を上下させた。濡れた唇と赤く染まった頬が、俺を欲望へとかき立てる。
「風丸」
 両手で脇腹から腰へと続く、なだらかなラインを撫でていると、感じてしまったのか、「んっ」と息を漏らした。そんなところでも気持ち良いのか。もっと感じさせる箇所はないのかと、撫でている手を尻の方に下ろしていくと、不意に風丸は顔を上げた。
「おい」
 不満そうに俺を見上げている。
「なんだ?」
「お前も脱げよ。俺だって肌に触れたい」
 俺のスウェットの上を掴むと、片手を裾から入れて腹に伸ばしてきた。少しくすぐったい。
 苦笑いすると俺は、風丸をベッドに座らせて、スウェットを脱いだ。焦ってすんなりいかない。体裁を取りつくろうのも面倒に思って、俺は着ているのものを全部引っぱるように脱ぎ捨てた。そのままベッドに腰掛けている風丸と向かい合った。お互い、何も着けてない。いや――正確に言えば、風丸の右足首には水色の、俺の右手には赤のミサンガだけが、それぞれ肌を飾っていた。
 俺は風丸に向かって伺うように頷いた。風丸もこくんと頷き返した。それが互いに了解の合図だ。
 隣りに腰をかけ両肩を抱くと、風丸の手のひらが俺の胸元に触れてきた。腕の中に閉じ込めて、唇を頬に寄せると口づけで応えてくれる。またお互い、夢中で唇を貪りあう。舌と舌を絡み合わせた。流石に二度目ともなると、慣れてきたのかぎこちなさは消えている。
 風丸は俺の背に回している手に、時々ぐっと力を込める。俺が風丸の舌を吸うように舐めあげたり、触れている肌を手のひらで撫であげると、特にだ。風丸はそこが気持ち良いんだな。だったらもっと良くしてやろう。
 俺は風丸の耳元に息を吹きかけると、腕の中の上半身をベッドに押し倒した。
「あっ」
 風丸がたじろぐのにも構わず、俺はベッドに押し付けた薄い胸を手でまさぐった。
「……は」
 風丸の上にまたがって、胸から腹へ手のひらを滑らせていると、いきなり手を掴まれた、
「あんま触れんな」
「でも俺は触れたい」
「嫌だぜ。……お前みたいに、筋肉ついてないし、俺」
  風丸は俺の手首を掴んだまま、そっぽを向いている。風丸の肌はとてもなめらかで、余計な脂肪がついてないが、手触りは手のひらに吸い付くようだった。確かに筋肉質ではないが、しなやかなラインは見栄えのいいものだ。
「そうか? 見劣りするような体ではないだろう」
「でも」
 風丸は掴んでいた俺の腕から手を離すと、俺の腹部に手を触れた。
「お前が羨ましいぜ。全身筋肉ついてて」
「俺のは、シュートの特訓をしてるうちについたものだ。お前は速く走るための体なんだろう」
「それは……、そうだけどさ。俺あんまし、鍛えても筋肉つかないんだよな」
「俺はお前の体、好きだぜ」
 浮かなそうな顔にそう言ってやると、風丸は落ちつかなそうにそわそわと手を動かした。恥ずかしがっているのかと思うと、悪戯をしかけたくなった。脇腹を手のひらでゆっくり撫でさする。
「綺麗な肌だな。傷ひとつない」
「わ……」
 風丸の全身がピンク色に染まる。さっきみたいに胸に手を這わせると、風丸の吐息が荒くなる。両胸の頂きにある特に敏感な部分を指でつまんだ。
「あ。……うぅ」
 指先で転がすようにこねくり回すと、風丸のそこは一層かたくなりつんと上を向いた。夢中になった俺は口に含むと、舌で吸いあげた。
「はぁ……っ! やめろよ。俺、女じゃねぇんだぞ」
 風丸が、両手で俺の頭を掴んで懇願した。風丸は狼狽して目尻にうっすらと涙が浮かんでいた。だが、俺は風丸の乳首を攻めたてるのを止めなかった。
「どうしてだ。感じてるんじゃないのか? お前のここはこんなに立ってる」
「だって……!」
 風丸が感じているのは乳首だけじゃなくて、俺の腹にさっきから当たっている股間のものが屹立の兆しを見せていることで、よく分かっていた。
「男でも、お前は感じてる。違うのか?」
 指で根元からきゅっと乳首を転がせてやると、風丸は小さく叫び声を上げた。高く甘い声だった。勿論、そんな声を聞くのは初めてのことだった。
「意外と意地悪だな。お前」
 赤らめた顔で、風丸は俺を睨む。苦笑いで俺はそれを受け止めた。
「できる限り、お前を感じさせてやりたいんだ。その方がお互い、楽しめるだろう」
「そ……、そうか?」
 肩をすくめて尋ねる風丸に、俺は頷いてみせた。

14 / 16
15 / 16


 覚悟はしていた。だから風呂場で尻をきれいに洗っておいたし……。そこを洗うときは流石に躊躇した。排出するための場所に、シャワーの湯を当てるだなんて。でも、あいつに抱かれるときは、シャワーなんて目じゃないものを入れられるんだ。それを思えばだいぶマシに思える。やっぱり最低のエチケットは必要だしな。恥ずかしいことは恥ずかしいけれども。
 体の隅々まできれいに洗い終えて浴室を出ると、豪炎寺が用意してくれたパジャマが置いてあるのを見つけた。すまないと思いながら、タオルでまだ濡れたままの体を拭く。パジャマに袖を通したら、洗いたてなのかきちんと糊がかけられてぱりっとしていた。ボタンを全部閉めると、なぜだか豪炎寺の臭いに包まれてる気がした。
 頭もまだ濡れてるから拭いたけれど、俺の髪じゃすぐには水分を拭いきれない。仕方がないからタオルをしばらくの間借りておこうと思った。
 風呂から出て豪炎寺に声をかけると、あいつはなんだか慌ててるようだった。俺と同じように風呂に入ってしまったから、ひとりで豪炎寺の部屋で待った。ベッドに腰をかけて、髪を乾かしながら。
 思わず指が震えるのは、怖じけてるのか。
 ダメだな、俺。ここまで来たら何があったって動じない態度でいなくちゃ。
 豪炎寺が戻ってきたのは、俺の髪を何とか拭きおえた頃だ。まだ完全には乾いていない。ドアが開く音がするから見たら、息をはずませた豪炎寺が立っていた。いつも立ててる髪が下りてて、毛先が額の上にかかってる。そんなの、初めて見たからつい、見とれてしまったけれども。
 怖じ気づく心は押さえ込んだ。勇気は奮い立たせた。
 豪炎寺と今夜、何があったってこれは流されたワケじゃない。俺が選び取ったんだ。
 豪炎寺は俺の、円堂への気持ちを知っていた。でも、それでもあいつは俺を求めてたのか。確かに俺は円堂のことが好きだけれども、今まで培ってきた絆を壊してしまうのはとても嫌だった。あいつとはいつまでも親友で、何でも相談できる相手。それでいい。それ以上は何も求めない。そう誓った。
 俺が今、賭けたいのは目の前にいるんだ。
 豪炎寺はありのままの俺を受けいれてくれた。俺の体ははっきり言って貧相で、豪炎寺のたくましい体と比べると見劣りする。それでも豪炎寺は俺の体を好きだと言ってくれた。それだけでとてつもなく嬉しい。
 あの夜と同じようにキスをした。舌と舌を絡める、深いキス。初めて豪炎寺と鉄塔広場でキスをしたときも、優しかったけれど、今はもっと激しくて、それでいてとても甘いように思える。豪炎寺とキスしていると、俺の体は宙にふわりと浮いて、夢の中にいるみたいな気分になる。
 俺、豪炎寺とキスするのが好きなんだ。あのとき、あんなに動揺してたくせに、我ながら現金だな。
 豪炎寺はキスだけじゃなく、俺の胸を触ってきた。まさか、乳首を吸われるとは思ってなかったけれど。ちゅっと音なんか立てるし、まるで女相手にされてるみたいで、すげぇ恥ずかしい。そんな俺を豪炎寺はいたずらっぽく見ていた。もしかしてからかわれてるんだろうか?
「できる限り、お前を感じさせてやりたいんだ。その方がお互い、楽しめるだろう」
「そ……、そうか?」
 俺が豪炎寺を見ると、ふっと笑って頷いた。そんな顔されるとなんだか憎めなくなる。
 まあいいか。豪炎寺に俺のすべてを委ねるつもりだったし。
 俺は気を取りなおして、ベッドに横たわる。豪炎寺は胸元をいじってた手を、徐々に下半身に下ろしていく。腰骨の辺りを撫でられると、なんだかむずむずしてきた。そう思ってたら、今度は俺の太腿を撫でさすりはじめる。内側の柔らかい部分に触られると思わず声が出た。
「ぅあっ……!」
「ここが感じるのか?」
 太腿のつけ根を執拗に触ってくる。気がついたら俺は、股を開いて勃ちあがりかけてる性器を豪炎寺の腹に押し付けていた。
「お前のは、もうこんなになってるな」
 俺の哀れな性器を見て、豪炎寺は苦笑いした。
「楽にしてやるぜ」
 そう言うと、俺の勃起し始めてるものをそっと掴んだ。豪炎寺の指が当たってるところだけ、じんじん痺れた。そのまま握りしめようとするのを、俺は止めた。
「ダメだ。豪炎寺……」
「何故だ?」
 いぶかし気な豪炎寺の手を、俺は引きはがす。だってこんなの、俺が気持ちいいだけだ。
「こないだの続きやるんだろ? だったら今度は、俺がお前を気持ちよくさせてやる」
 俺はベッドに起き上がると、まず、豪炎寺にキスをした。面食らったんだろうか、豪炎寺はちょっと驚いてる。少し身を引いてベッドの上にしゃがむと、豪炎寺の股間に手を伸ばした。
「……風丸!」
 困惑してる豪炎寺の声。けれど俺はそれに構わず、豪炎寺のものをそっと握った。そこはもう、俺に負けないくらい勃っていた。俺がゆっくりさすると、更にぴんとそそり立った。
「……くっ!」
 ゆっくり扱いてやると、豪炎寺が荒い息をはいた。先端の割れ目の部分を親指でこすると、豪炎寺の息が熱っぽく変わる。裏筋にそって指を這わせると、びくんと跳ねて、先端が濡れはじめた。
 自分以外のものを扱くなんて、初めてのことだから俺は夢中になってしまった。指だけじゃなくて、もっと違うようにしたらどうなるんだろう。豪炎寺は感じてくれるだろうか。好奇心が手伝って、俺は握ってた豪炎寺のものに顔を寄せると、そっと口に含んでみた。
「バカ、やめろ!」
 口でくわえて舌先を豪炎寺の性器の先端に這わせると、いきなり頭を掴まれた。ちゅぽっと湿った音を立てて、唇は豪炎寺のものからムリヤリ離された。
「どうしてだ?」
 俺が見上げると、豪炎寺の顔は上気してて、呼吸が荒かった。
「どうして、ってお前」
「俺、どうせお前とするなら、俺だけじゃなくて、お前にも感じてほしいって思うぜ。不公平だろ。一緒に気持ちよくなりたい」
「風丸……」
 豪炎寺は首を振る。俺の両腕を掴むと、しゃがんでいた体を引き上げた。俺がこうするの、気に入らないのか……?
「気持ちよくないのか?」
「いや、気持ちは……良すぎるくらいだ」
「だったら」
 けれども豪炎寺は更に首を横に振る。
「初めてなんだ。どうせならお前の口より……」
 豪炎寺の視線は俺の股間に集中している。それだけで俺の何を求めてるのかが分かった。豪炎寺は俺と体を繋げたがっているんだ。とうとう、来るべきものが来たのか。
「わ、わかった」
 胸の奥がずきずきとうずく。それを堪えながらベッドに仰向けになった。
「いつでも、いいぜ」
 豪炎寺が微かに笑った。俺はそんな顔をまともに見られなくって、横を向いた。
 心臓の音が高くなり止まらない。俺は壁に目を向けてたけれど、豪炎寺はすぐには俺に触なかった。体をずらせたかと思ったら、ベッドの小さな引き出しから、何かを取り出した。
「なんだ、それ……?」
 俺が訊くと、豪炎寺は指でつまんで見せてくれた。小さなプラスチックのボトルだ。
「お前と……するのに必要なものだ。できることなら、痛くないようにしたいからな」
 痛い。やっぱりそうなのか。俺の、あそこに豪炎寺のを入れるんだから。でもそんなものをそうやって使う気だ?
「体を楽にしていろ」
 豪炎寺はそう告げると、俺の腰の辺りにまたがる格好で、しゃがみ込んだ。俺の太腿と掴んでぐっと押し開く。
「わ……」
 見ていられなくて、俺は目をつぶった。豪炎寺の手が、俺の普段隠している部分を暴いて、さらけ出す。自分自身でも滅多に見られない場所を、豪炎寺が見てる。そう思うと、とてつもなく恥ずかしい。たとえきれいに洗ってたって、やっぱり、そんな所見られなくない。
 豪炎寺がふっと息をはいた。次にぴちゃっと微かだけれど、いやに耳に響く水音が聴こえる。豪炎寺が俺の右太腿のつけ根を掴むと、次の瞬間、俺のそこに豪炎寺の指が触れた。
 冷たい。
「ひゃっ……!」
 思わず豪炎寺を見る。俺の下半身に多いかぶさって、豪炎寺は股間に指を差し入れようとしていた。
「しばらく我慢しててくれ」
「何だよ、今の」
「ローションだ。お前のここは女みたいになってないから、これで代用する」
 豪炎寺の指が俺のそこを突いた。溜息をついて、俺は枕に頭を埋める。枕は微かに豪炎寺の臭いがした。
「はぁ……、めんどくさいな」
「仕方がない。男同士でやろうって言うんだからな」
「……そっか」
「ちから、抜いていろ」
 豪炎寺は持ってるボトルの中身を指に取って湿らせる。俺の閉じかかる太腿を掴んで、まだかたい窄みに指を差し入れる。今度は何とか堪えた。
「……ぅ……」
 声を押し殺すけれど、尻の穴に侵入してうごめくものが豪炎寺の指だと思うと、頭がどうにかなりそうだ。それにもの凄くむず痒い。俺は声を出さないようにするだけで、精一杯だ。
 豪炎寺は俺のそこに指を入れて、ぐるりと回したり、軽く前後に抜き差ししている。俺はじんじんして変な気分だ。
 一旦指を引き抜くと、豪炎寺は指先にボトルの中身を塗りたくってそのままそれを、俺の尻に差し込む。さっきよりすんなりと、俺のそこは豪炎寺の指を受け入れた。
「分かるか? 少しだが、ほぐれてきている」
 そう言うと、指を更に奥に突き入れた。次の瞬間、豪炎寺の指が俺の中の何かを刺激した。
「はあぅっ!!」
 あ。何だ?
 俺の体に激烈な何かが突き抜けた。
 頭がじわりと痺れて、まるで雷に打たれたみたいだ。
「風丸……。そうか、ここがお前の一番弱い所か」
 豪炎寺が目を見張った。

15 / 16
16 / 16


 俺の腕の中に今、風丸がいる。
 全てを俺に委ね、本当の素のままの風丸は、俺の愛撫で震えている。
 俺がどんなにこのときを待ち続けていたのか。
 俺はもう止まらない。風丸のすべてを食らい尽くしてやる。風丸は覚悟の上で俺の元へ来たのだから。
 風丸と体を繋ぐために、あらかじめ入手したローションでその場所をほぐしておく。最初は俺の中指でさえ窮屈だったが、何度も湿らせてゆっくり広げてやれば、次第に馴染んでゆく。指が第二間接まで入るようになった頃、風丸の態度が変わり始めた。
 指を折り曲げると、風丸は体をびくんと反らせて、甲高い声を上げた。どうしたのかと顔を覗き込むと、風丸は顔を真っ赤に上気させ、目は涙で潤んでいる。風丸の中に埋めた指をもう一度曲げて、その先に当たる部分を刺激してやると切なげな声を漏らした。
「風丸……。そうか、ここがお前の一番弱い所か」
 指をゆっくりと抽送してやると、それにつれて風丸のものもぐっと勃ちあがる。先端はぬらぬらと濡れていた。
 俺は面白くなって、特に感じている部分を更に刺激してやると、風丸がついに音を上げた。
「タ、タイム! いい加減にしてくれよ!」
 いまだかたく俺の指を締めつける、風丸のそこをほぐしている俺の手を風丸は掴んだ。
「何故だ? お前のここはまだキツい。ちゃんと慣らしておかないと、あとで痛い思いをするのはお前だ」
「で、でも。俺だってお前の指じゃなくて、お前自身でイキたい……」
 潤んだ瞳はひたすら俺だけを映していた。
「まだだ。もう少し堪えろ」
 俺だってできるものなら、早く風丸の中に自分を埋めてしまいたい。けれど体はまだ俺を受け入れるまでには至ってないだろう。
「俺、平気だぜ。少し痛いくらいガマンする」
 風丸は苦笑いして俺を見上げた。殊勝なことを言ってくれる。だが、まだだ。もう少し慣らさなければ。
 俺は指にたっぷりローションを塗りたくると、風丸の、俺を受け入れてくれる場所になすりつけた。入り口をぐるりと回し、中指だけでなく人さし指も差し込んだ。そこを充分に慣らし、二本目の指も楽に動かせるようになった頃、風丸は荒く息をはきながら、シーツの上で体を泳がせていた。全身に汗が浮きあがり、肌は仄赤くにじんでいる。大きく開いた太腿の付け根の間のすぼみは、俺の指を優にくわえこんで、収まりきれなくなったローションが垂れて尻をぐっしょり濡らしていた。柔らかそうなふたつの膨らみの上方でそそり立つ肉の棒は、切っ先が腹に当たっていて、風丸の限界を示していた。
「風丸」
 もういい頃だろう。俺は二本の指を引き抜くと、風丸に覆いかぶさって優しく抱き込んだ。
「挿れるぞ」
 囁いて軽く口づけ、目配せすると風丸は頷いて微かに笑った。俺はベッドに委ねている風丸の腰骨の辺りを両手で掴むと、濡れそぼってひくつく中心のすぼみに、荒ぶる先端を押しあてた。そのまま狭い肉の孔を穿つ。
「……ぐっ……!」
 くぐもった声で風丸がうめいた。眉間に大きくしわを寄せた風丸は、苦しげな顔をしている。相当痛いのだろう。俺のが入っているのはまだ先端だけだが、風丸のそこは見かけ以上に狭く、自身を引きちぎられてしまうかと思った。それでも俺は待った。風丸の体が馴染んで、俺が動けるようになるまで。
 最初のうちこそ、きつく俺を拒んでいた風丸のそこは、ある程度まで進めるとまるでスポンジのように柔らかくなって、受け入れるようになる。苦しそうにうめいていた風丸が、ほっと息を吐くのを合図に、俺は更に穿っていった。
「くっ……!」
「辛いか?」
 俺が訊くと、しかめ面を横に振る。
「平気、だ……」
 そうつぶやいて、俺の背中に手を回した。その姿があまりに愛おしくて、俺はもっと奥へと進める。とうとうそれ以上は進めないほどになり、風丸の体は俺を根元まで受け入れた。風丸のそこはじわりと俺のもの全体を締めつけて、今にも射精してしまいそうになる。けれど俺は堪えた。どうせならもっと、風丸の痴態を味わいたかった。乱れるさまを見ていたかった。
「動くぞ」
 俺は顔を埋めていた風丸の耳元に囁いてやる。吐息がかかると、風丸は敏感に反応する。溜息ともつかない甘い息を吐いた。
 俺はベッドにひざまづくと、繋がったままの風丸の体をつかみあげて、両脚を限界まで押し開いた。風丸は体が柔らかい。練習でストレッチをしているときも、他の仲間より体を屈伸させていたな。
 両の太腿を胸元まで押し付けてみても、苦もなくその体勢を受け入れる。むしろ、風丸には恥ずかしいポーズを取らされる方が、堪らないようだった。
「んぅ……」
 頬どころか全身を赤く染めて、風丸はうめき声を上げる。俺は高くあがった尻の中心めがけて、何度も突き入れた。
「ああっ……!」
 ローションで濡らした風丸のそこはほどなく慣れて、激しく動かす俺自身を充分に悦しませる。俺が調べた限りだが、人よってはにはどう慣らしても受け入れない場合もあるらしい。風丸は大丈夫なようだ。俺の昂りを程よく締めつけて受けとめる。
「俺たちは体の相性がいいみたいだな」
 ゆっくりと腰を動かしながら、ベッドに組みしいた風丸に囁くと、薄目を開けて「ん?」と首を傾げた。内側からの熱に浮かれてるようで、どことなくうっとりとした目をしている。
「風丸、気持ちいいか?」
 俺の問いに風丸はしっかり頷いた。
「ん……気持ち、いいぜ。豪炎寺は? 俺の体はどうなんだ……?」
「凄く、いい。最高だ、お前の体は」
 俺が答えると、風丸は微かに笑いを浮かべた。その笑顔にあおられて俺は、一層腰を振って風丸の中に叩きつけた。
「ああっ」
  堪えきれずに上げた風丸の声が、快楽を伝えていた。俺はもっと風丸を悦ばせようと、さっき指で慣らしていたときに気付いた弱い箇所をめがけて自身を突きあげた。
「んっ、……はぁっ!!」
 風丸の体が思わずのけぞる。大きく開いた脚が小刻みに震えてる。痙攣したように左右に揺れて、俺自身をぎゅっと締めつけた。
 吐精してしまいそうになるのを何とか堪えた。まだだ。風丸の感じる所をもっともっと突いてやる。俺が動くたびに漏らす、風丸の声は次第に甘く変わってゆく。口の端から唾液がこぼれて、風丸の頬と顎を濡らしていた。俺は風丸にぴったりと体を密着させると、あふれた唾液を吸いとった。そのまま腰を揺り動かしながら、開いている風丸の口に舌を這わせた。互いに舌を絡めあい、吸いあげた。鼻にかかる風丸のうめき声が耳をくすぐる。
「……風丸」
 囁いて、更に深く自身を風丸の程よくほぐれた肉のすぼみに叩きつけた。水音の混じる湿った音が、ベッドの軋みと混じって、リズミカルに響く。風丸の昂りも可哀想なくらいかたく直立して、俺の腹に当たった。先端は濡れそぼって限界なようだった。
「あ……、ああっ! ご、豪炎寺っ! お、俺、もうっ……!!」
 風丸が俺にすがりついて目で訴えてくる。俺ももう堪えきれない。これで終わりとばかりに猛烈に腰を揺り動かすと、風丸は甲高く鳴き声をあげた。俺の腹に熱いものが爆発した。先に達してしまったのか、風丸は熱く滾るものを吐きだすと同時に、俺の昂りをぎゅっと締めつけた。その強烈な刺激に耐えきれなくなり、俺も風丸の中に、思いきり欲望を吐きだした。荒い息を何度もはいて、抱き込んでいた風丸の上に体を投げだした。風丸も深い呼吸で胸を上下させている。互いの体は汗びっしょりで、肌と肌の間でぬめりを帯びていた。
「……豪炎寺……。すまん、俺もう……」
 俺の耳元でそう呟くと、風丸はぱたんとシーツに腕を投げだした。まぶたを閉じてそれきり沈黙する。どうしたのかと思って体を起こすと、安らかに寝息を立てていた。昼間あれだけ練習した上に、激しく抱き合ったんだ。風丸は疲れていたんだろう。
 実は言うと俺自身も、風丸との初体験で体力を消耗していた。眠りに引きずられようとしている体を何とか起こした。動いた拍子で風丸の中に埋めていた自身が、吐きだした精液と共にごぽりと音を立てて離れた。ティッシュで俺と風丸の、もう役目を終えた性器と汚れた肌を拭いてやる。けれど俺ももう限界を迎えていて、丸めたティッシュをゴミ箱に投げ入れるのが精一杯だった。ベッドに体を投げだし、寝息を立てている風丸の体を抱きしめる。眠っている風丸の体はとても暖かくて、その晩はいつになく安らかに夜を過ごした。
 そう、それはおそらく、夕香がまだ元気な頃以来のことだった。



 目を覚ましたとき、俺は光の世界にいた。まぶたを閉じていても暖かさを感じる。そっと目を開けると、いつもの自分の部屋は、朝の光であふれていた。カーテンを開けっ放しで眠ってしまっていたと、たった今気付いた。
 横を見ると、目の飛び込むのは青いつややかな髪だ。風丸はまだ眠っているようで、裸の胸がゆっくり上下している。
 俺は手を伸ばして、シーツの広がる青をすくった。指先でつまみ上げると、するりとこぼれ落ちる。
 朝の光が風丸を包んで、まだ眠っているその顔はとてつもなく綺麗だ、と思った。昨日何度もついばんだ唇は小さく開いていて、俺はもう一度口づけたくなった。そっと唇を寄せて触れようとすると、小さなうめき声が聞こえる。
「ん……」
 まぶたを何度も瞬かせたかと思えば、風丸は急に大きな瞳を見開くと、俺を見てほんのり微笑んだ。
「……おはよう。もう起きてたのか」
 ふと時計を見上げると、まだ針は5の辺りを指している。
「ああ、いや。ちょっと目が覚めただけだ」
「そっか。俺いつもこの時間に起きるから」
 風丸は大きく手をあげて伸びをする。
「ずいぶん早起きだな」
「朝はランニングするのが日課なんだ」
 風丸はベッドに起き上がろうとして、突然動きを止めた。かと思うと、再びベッドに体を預けて、タオルケットを胸まで引き上げる。
「そうなのか。俺のよければトレーニングウェア貸してやろうか」
 「い、いや。いいんだ、今日は」
 風丸が慌てたように首を横に振る。不思議に思ったが、まだベッドには昨日の余韻が残っていて、俺はまた風丸を抱きたくなった。
「ん?」
 タオルケットの下に手を伸ばして、風丸の体に触れ、引き寄せた。
「だったら、時間もあるし、昨夜の続き……」
「だっ、ダメだ!」
 慌てた風丸が、うわずった声を上げる。
「あ、明日は試合だろう! ……そんなことしてる場合じゃない」
「しかし」
 朝、起き抜けの所為か、俺のはもう勃ちあがりかけている。おまけに横に裸のままの風丸がいるのでは、俺も欲望を抑えきれない。風丸の上に覆いかぶさり、腰を捕らえて太腿を掴みあげようとした。
「痛っ!」
 風丸が顔をしかめた。よく見ると昨日、俺が指と自身で貫いた箇所が、赤く引きつれて腫れていた。
「……すまない。そんなにした覚えはないんだが、激しすぎたか?」
「あ、いや。何ともない。これくらい……平気だ」
 だがその口ぶりと違い、風丸はしかめ面のままだ。
「薬でも塗っておいた方がいいんじゃないのか?」
 俺は風丸が痛がっている場所をよく見ようと、脚を掴むと、突然風丸が声を上げた。
「あっ!?」
「どうした?」
 そんなに痛むのかと尋ねると、風丸は首を振って起きあがった。俺を横に押しやって、足下の辺りをごそごそとやりはじめる。
「あった」
 風丸は向き直ると、指で細いものをつまみ上げて俺に見せた。水色の紐状のものだ。
「ミサンガが切れてる」
 確かに昨日まで、風丸の右足首を飾っていたミサンガは、結び目数ミリの所でちぎれていた。
 願をかけて結び、それが自然に切れれば願いが叶うというミサンガ。だが、風丸の望みはもう……。
「残念だったな。お前の願いは……」
「違うんだ」
   風丸は首を振る。心なしか頬に赤みが差していた。
「円堂のことなんだろう? それとも本当にフットボールフロンティア優勝を願ったのか?」
 風丸はもう一度横に首を振る。微かだが、確実に俺に告げる。
「俺が願ったのは、円堂とじゃなくて、『好きな奴と結ばれたい』……だ」
 胸が熱くなるのを感じる。顔を真っ赤にして、上目遣いで俺を見る風丸の願いは、成就されたのだというのか。だとすれば。
 笑いがこぼれ落ちそうになるのを隠そうとして、俺は風丸に手を伸ばした。暖かいその体を抱きしめて、頬をすり寄せたかった。下に垂らした手をあげた途端、手首に違和感がした。ぷつんと俺の手首にあった赤いものが、シーツに落ちた。
「お前のも切れた」
 風丸が溜息に似た息づかいで驚く。
 ああ、そうか。目の前の風丸は眩しい光に包まれ、俺のベッドに座っている。俺の願いもまた――。
 心から沸きあがる喜びを抑えきれない。俺が笑うと風丸は首を傾げた。
「じゃあ、お前も叶ったのか? 何だよ、お前の願いって」
「秘密だ」
 俺の答えを聞くと、風丸はむくれた。
「何だよ。俺はちゃんと答えてやったのに!」
 ほんのささやかだが、だが、叶えられそうになかった願いはやっと叶った。
 尖らせた唇をすぐに緩めて、風丸はそっと俺に顔を近づけた。
 俺が願ったもの。それは、俺にだけ向けてくれる風丸の笑顔だ。
 そっとまぶたを閉じて俺に口づけをねだる。俺は頷いてその願いを叶えてやった。

16 / 16
ステキ!を送ってみましょう!
ステキ!を送ることで、作品への共感や作者様への敬意を伝えることができます。
また、そのステキ!が作者様の背中を押し、次の作品へと繋がっていくかもしれません。
ステキ!は匿名非公開で送ることもできますので、少しでもいいなと思ったら是非、ステキ!を送ってみましょう!

PAGE TOP