退院して数日、松葉杖をつきながらではあるがやっと出社できるようになった。正直今は家にいるよりこちらの方が安心できる。
早速パソコンを立ち上げメールを見ると大量の通知。それらを捌いていき、重要案件を取捨選択する。一番重要なのは……神羅カンパニーとの打ち合わせだと判断する。そう思いスケジュールを確認しようとするとちょうど相手側から連絡が来た。
内容は急ではあるが今日の午後からそちらで打ち合わせを行えないか、という趣旨だった。
「アンナ、午後の予定は」
「特に重要なものは入っていないわ」
ならば、と了承のメールを送信する。さて、どんな面倒な話が飛び出てくることやら。
『……攻略対象、2名受信』
会議室でプレジデント・神羅を待っている間、一八は色々と考え込んでいた。勿論打ち合わせの内容についてもだが、ここ2週間ほど増えない“攻略対象”についても気になっていた。
サポートセンターによると攻略対象は一八と会った瞬間メーターが表示されるのですぐわかるとのこと。出社して全ての課を周ったがメーターが表示された社員はいなかった。今のところ社員に攻略対象がいない、となればあとは外部の人間だ。
仁が対象に入るなら自分とそれなりに関わりがある人物が攻略対象なのだろうか。それを考えると後は……と思考したところで扉が開く。入ってきたのは相変わらず金にしか興味のない顔をしたプレジデント・神羅だ。
「久しぶりだな三島くん。怪我はいいのか?」
「えぇおかげさまで。それで、本日はどのような要件で?」
「あぁ実はな、我が社の新商品について相談があってな」
「新商品?」
「あぁ。今開発しているものなんだが……これを見てくれないか」
そうして会議は淡々と進んでいく。
「今回も良い取引ができたよ、いつもありがとう」
「いえ、こちらも良いビジネスパートナーを持てたことに感謝しています」
正直取引の内容については微妙だがこれもビジネスである。そう思って一八が席を立とうとすると「あーちょっと待ってくれ」と引き止められる。
「どうかしましたかプレジデント」
「いや外で待たせているんだがな、うちのエースを紹介しようと思って……宝条、入れ」
「失礼します」
入ってきたのは銀糸を靡かせ、青色をした切れ長の瞳をした美青年。
──見覚えがある。いや、正確にいえば前世で自分はこの男と出会って──
「セフィロス・宝条と申します。以後、よろしくお願い致します」
その男、セフィロスは深々と頭を下げる。その動作に合わせて揺れる長い髪も、縦長の瞳孔も、美しい声色も。全てがかつての一八の記憶にあるものと合致していた。
セフィロス・宝条、いやセフィロス。前世で一八に寄り添い、恋に落として愛に溺れされた男。その近くに表示されたメーターには『好感度:95』『危険度:99』と書かれていた。
一八は目の前の男を見つめるしかない。かつて自分の隣にいた恋人で、ついぞ会うことが叶わなかった男。何故ここに、と思うが考えてみればセフィロスはかつて別世界の神羅カンパニーに所属していたのだ。この世界の神羅にいてもおかしくない。
しかしそれにしても初対面のはずなのに、何故こんなにも好感度と危険度があるのか。
「おい三島くん、どうかしたかね」
プレジデントの言葉でふと我に帰る。
「あ、いえなんでもありません。少し考え事をしていまして。……その、彼は?」
「あぁ、宝条はうちのエースでな。ここ十年、彼のおかげで売上は伸びるばかりだ」
「いえ、まだまだ若輩者です」
「ははっ、謙遜するな。まぁそういうわけだ。三島くん、これからは宝条も打ち合わせに参加するだろうから、G社を案内できるかな」
何を言ってやがるこのジジイ、と言いそうになる唇を結び、笑顔を作る。これは仕事、ビジネスだ。そう言い聞かせながら立ち上がり、セフィロスに手を伸ばし、握手を交わす。
「よろしく頼む。社内案内はうちの秘書に……」
「いえ、大変恐縮なのですが三島代表。見聞を広めるため代表にご同行させて頂けないでしょうか」
ふざけやがって、またも言いそうになる唇はギリギリのところで結べた。
「熱心で何よりだ宝条。じゃあ三島くん、宝条を案内してやってくれないか」
「……はい」
頭の血管が切れそうになる感覚に耐えながら一八は笑顔を作る。そうして一八はセフィロスと共に会議室を後に、社内を案内する運びとなった。
「G社は素晴らしいですね。神羅にも引けを取らないとはこのことだ」
社内を周らせてとりあえず社長室に戻ってきたが、正直疲れ切っていた。なんせあの後ずっと、セフィロスの口から出るのはG社への賛辞くらいだからだ。ついでに言えば好感度も危険度も先程から変わらず95と99のまま。
適当に相槌を打ちつつ、どうすればこの男から情報を引き出せるか考える。スマホを取り出してサポートセンターに聞きたいが、今取り出せるような状況ではない。
「そういえば宝条さんはお幾つで?」
「28です。代表、わざわざ別会社の一社員、それも年下に敬語は不要ですよ」
「そうですか。なら遠慮なく。……宝条とセフィロス、どっちで呼べばいいんだ」
「セフィロスでお願いします。宝条にはあまりいい思い出がないので」
「そうか。じゃあセフィロス、貴様も敬語を取ってくれ。別会社の代表に敬語を使う必要はない」
「……わかった」
こうやって敬語を抜けば懐かしい感覚に襲われる。傲慢で自信家で、自分勝手でわがままな男だった。しつこく愛を囁いてくるセフィロスが嫌いで嫌いで、でもいつの間にか絆されて、セフィロスと過ごす時間が心地よくなって。いつしか互いに愛を伝え合うようになって。
それからは互いに真っ逆さま。よくぞまあ、あそこまで溺れたものだと客観的に見ると少し引いてしまう。だがそれくらい居心地が良く、そして好きだったのだ。そんなことを思い出していれば目の前にいるセフィロスが微笑みを浮かべる。
「不思議なものだ」
月のような美しさを湛える笑みが、一八の心を突き刺す。だがそれと同時にスマホがバイブを鳴らした。画面を見るとサポートセンターが珍しくチャット画面を開いている。そこに書かれていたメッセージは『イベント発生』の文字。
まさかこのタイミングで、と思った瞬間のこと。
「気分が悪いのか?」
いつの間にか近くにセフィロスがいた。あと数mm指を伸ばせば手籠に出来る距離で、一八の瞳を見つめている。
「いや、大丈夫だ」
「顔色が良くない気が」
「気のせいだ。……そろそろ帰る時間だろう。今日はありがとう」
「……どうして」
「ん?」
グッ、と突然腕を強い力で掴まれる。そのまま引き寄せられ、抱き締められる形でセフィロスの腕の中に収まった。
好感度と危険度の数値がぐんと上がる。それはまるでメーターを振り切るように、急激に数値を上げていく。
「おい!何を、」
「運命、なのか?」
「は?」
「こんなに、胸が苦しくなるなんて」
「なに、を」
言っているのか。そう問おうとした言葉を飲み込むほどの力強さでセフィロスは一八を抱き寄せていた。その力は強く、痛く、息苦しくなるほど。
ふわりと香ったのはかつての恋人と同じ匂いだ。それに思わず身体が震えそうになる。
「お前は何者なんだ。私の心を奪って、暖かくさせて、一体私は何を求めている?教えてくれ、私にはわからない。私はどうしたら良いんだ」
抱き締められたまま机にもたれかかるような体勢にされてしまう。抵抗しようとしても、体格差のせいで全く動かせない。そうしている間にセフィロスは顔を近づけてきた。
鼻先が触れそうな程の至近距離で、互いの視線が絡み合う。パチリと火花が散るような感覚に襲われ、頭がクラリとした。
「やめっ……」
「やめない。教えてくれ、何故お前を見てしまうんだ」
「やめろ、や……やめ、」
その声で、耳元で愛を紡ぐな。前世で抱かれたときに何度も聞いた声。忘れるはずがない。
「やめて、くれ」
セフィロスの唇が、一八の首筋に触れるとそのまま軽く歯を立てた。痛みを感じるような強さではなく、甘噛み程度の強さだ。それでも、かつての甘い記憶を呼び起こすのには十分すぎた。理由がわからぬ涙が目に滲むのを感じながら、一八は必死に理性を保つ。
ここで流されてはいけない。ここで流されたらバッドエンド直行の可能性が……!
そう考えているうちにセフィロスは首から口を離した。その隙にドンッ、と体を思いっきり押し返す。何とか距離を取ることには成功した。
「きさ、ま!何のつもりだ!!?」
「…………すまない。お前を欲したいという衝動が急に湧いてきて、気づいたらこうしていた」
「ふざけ……!」
いや、と思考が急回転を始める。もしや、いや本当に可能性だけの話だが、セフィロスはカズヤと同じように前世から、はたまた並行世界から何か影響を受けているのではないか。だとすればこの突拍子もない行動も納得できるような気がする。
そして、それが本当ならば非常にまずい。この男の強引さも執着心も前世で散々味わってきた経験から、自分の一挙動一挙動が何もかもバッドエンドに繋がりそうな予感がして下手に動けない。そう考えれば考える程冷や汗が出てくる。
「……セフィロス。俺を、昔から知っているのか」
「名前は知っていたが、今日初めて会ったはずだ。……なのに、何故かお前を見ると胸が高鳴って、苦しくて、どうにかなりそうだ」
「…………」
恐らく嘘ではないのだろう。だが何かしら前世、もしくは並行世界から影響があるのは間違いない。この男は危険すぎる。しかしだからといって、目の前の男を突き放すことが出来るかと言えば話は別だ。
この男との日々は心地よかった。愛を囁かれ、求められ、共に過ごす時間が楽しくて世界が綺麗に見えた。
「それは勘違いだと思うぞ」
「は……」
「第一、男に惚れるなんて相当の覚悟がいるぞ。今その場の気分で惚れる惚れないを判断していたら、いつか後悔することになる」
「……」
だからこそ拒んだ。前世のセフィロスが惚れたのは悪逆非道を重ね、孤独を望んだ前世の三島一八であり、今世の自分ではない。何もかも変わってしまった世界で前世の気持ちに振り回されるなんて御免だ。ただでさえ息子の仁を憎い目で見てしまいそうになる気持ちだって苦しいのに、これ以上の苦しみはもう耐えられない。
「セフィロス、貴様は疲れているんだ。早く帰って休め。タクシー代はこっちで持つ」
セフィロスの方を見れば好感度も危険度メーターの値も相当下がっている。これはバッドエンド回避できただろうとタクシーチケットを取り出そうとした瞬間。
「私は、」
「!?」
「確かに少し疲れていたかもしれない」
距離を取っていたはずのセフィロスが目の前に現れカズヤの頬を撫でる。そのまま顎を掴まれ顔を上に向かされた。
「だがこの思いは何であろうと本物だ」
柔らかいものが唇に触れる感覚。キスされていると気付くまでに数秒かかった。その間に舌が口内に侵入してくる。慌てて押し返そうとした手ごと抱き寄せられ、逃げることが出来ない。
ねちっこく口内を探られ、息苦しさと酸欠で頭がクラリとする。
「っ、ふ……」
やっと解放されたときには足腰が立たず、セフィロスに支えられなければ床にへたり込んでいたことだろう。
「……っ」
「これだけは、本当のことだ」
「……う、ぁ」
セフィロスのメーターはいつの間にかどちらもバグっており、危険な状態になっていることを知らせていた。
サポートセンターに確認せずともわかる。バッドエンド確定。その文字が頭に浮かび血の気が引く感覚に襲われた。早く、早くどうにか……!と思っても足が動かない。
セフィロスの瞳が強く鈍く輝く。終わった、と確信したその時。コンコン、と執務室をノックする音が響いた。
「失礼。宝条様、お迎えが来ております」
入ってきたのは一八の秘書、アンナだ。相変わらず不敵な眼差しだがそれが今救いになるなんて思ってもいなかった。セフィロスのメーター値がそれぞれ好感度:90と危険度:80にまで下がっているのが証左だ。
「迎え?頼んでいないはずだが」
「プレジデントから言われたんだ。ちゃんと迎えに行けと」
アンナの後ろから現れたのは金色の髪をツンツンと逆立たせた二十代前半ほどの青年が姿を現す。相変わらずの姿だ、と前世の記憶が語っている。
「そうか。……ああ代表、彼は私の部下、クラウドです」
「クラウド・ストライフ……です。よろしくお願いします」
ぎこちなさそうな敬語は社会に出たばかりであることをよく示している。普段なら微笑ましいと思っていただろうが、そのクラウドのそばに現れたものに目がいく。それは攻略対象にしか現れないメーター。
(好感度20……危険度10……!)
クラウドが攻略対象であることよりもその数値が安全であることに目がいった。現在進行系でバッドエンドルートまっしぐらだった一八にとってこの数値は希望以外の何物でもない。
「……よろしく頼む」
不安が晴れていく感覚、とはこのことか。セフィロスはともかくとしてクラウドがこの数値でよかった。攻略対象であることについては後で考える。今はとにかくバッドエンドを回避したいのだ。
「宝条、今日はありがとう」
なんて業務上の言葉をかければセフィロスが悲しげに眉を下げる。しかしそれも一瞬のこと。すぐに笑みを浮かべると、ビジネス的な握手を交わす。これで終わりだ。そう思った瞬間、セフィロスが耳元に顔を寄せてきた。
何をするつもりだ、と思ったが既に遅く。セフィロスの唇がカズヤの耳に近づき。
──愛している、カズヤ。
ぶわっ、と全身が震える。ふざけるな、アンナとクラウドがいる前で……! そう叫ぼうとしたところで2人は部屋から出て行ってしまった。それどころかセフィロスもそれに着いていくように退出していく始末。執務室に残されたのは一八ただ一人だ。
『一八様、何とか回避できましたね。攻略対象の更新もされました』
サポートセンターのアナウンスに怒鳴る気力はもう失せている。とにかく、疲れてしまった。
「……あと何人だ。攻略対象は」
『現在登録されている攻略対象は「風間仁」「セフィロス・宝条」「クラウド・ストライフ」の3名、未登録の攻略対象は6名です』
「はぁ〜……」
あと6人、こんな思いをしなくてはいけないのかと思うだけで胃がギリギリと痛くなってくる。それでも、せめてバッドエンドは回避したい。そう決意し、サポートセンターに質問する。
「そういえば……未登録の攻略対象に女はいるのか?それくらいなら答えられるだろう」
『検索……検索…………攻略対象に女性はいません』
「そうか」
つまり男と結ばれるのは確定、だったらその中で最良を掴み取る。今後の自分の人生のため、生き延びるため。一八は強く決意する。
「絶対に、生き残ってやる……!」
後に現れる意外な攻略対象に困惑したり、イベントで胸をドキドキさせられたりと大変な目に遭うのだが、それはまた明日のお話である。
こんな世界に一八を転生させた天使は何を思うのか、その問いに対する解答はこの世界じゃもう得られない。