投稿日:2023年06月11日 22:50 文字数:8,259
1こ目;僕は君の宝物 第1話
ステキ数:2
2021年6月11日よりPixivにて連載を開始したシリーズ作品『僕+君→Waltz!』を、2周年を機にこちらでもトライアルで公開してみることにしました。様子を見てよさそうであれば、今後も公開して行く予定です。
(なお、現在は85話まで公開中です)
>>以下、当時のキャプション
ネガティブで面倒くさがりだけど周りにはふわふわにこにこだと思われている、「野木沢 蒼生(のぎさわ あおい)」。
想定外の事態に果たして対応できるのか…!?
BのLですけども本格的にBのLになるまでには少々お時間をいただきます。
まずは冒頭の時間軸に戻れるように頑張ります!(笑)
(なお、現在は85話まで公開中です)
>>以下、当時のキャプション
ネガティブで面倒くさがりだけど周りにはふわふわにこにこだと思われている、「野木沢 蒼生(のぎさわ あおい)」。
想定外の事態に果たして対応できるのか…!?
BのLですけども本格的にBのLになるまでには少々お時間をいただきます。
まずは冒頭の時間軸に戻れるように頑張ります!(笑)
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僕は面倒が嫌いだ。
面倒なことからは出来る限り遠ざかるように、平穏な日々を過ごしてきた。
なのに、なんだってこんな、
「好きだ、蒼生」
「蒼生のことが好きだよ」
……同時に男2人に告白されるような事態に巻き込まれているんだ……!?
思い出が走馬灯のようによみがえってきたので振り返ることにする。
僕の名前は野木沢蒼生。これと言って特徴はない、物語でいえばその他大勢のひとりだ。生まれだって何の変哲もないごく一般の家庭だし。敢えて少し平均からずれる要素があるとしたら、きょうだいの数かな。5歳と3歳違いの兄がいるのに加え、やたらと家族ぐるみで仲のいい隣の寺田家に2つ年上の女の子がいたので、両家で合計して上から4番目として扱われて育った。
2番目の兄は比較的静かなタイプだったけど、長男と長女がやんちゃでとにかく元気だったので、どこに行ってもまず2人が騒ぎだし、逃げようとする次男を引っ張り込んで結局一緒に遊び出す。物心ついた時には3人セットって感じで。僕が一緒に遊べるような年齢になってもそれは変わらなかった。
別にそれはどうでもいいんだ、あのノリについてくのしんどかったし。面倒だったのは、
「こらー! 紅輝! 緑! 優美ちゃんも! みんなでキャンプに来たんだから、遊んでばかりいないで手伝いなさい!!」
「やだー」
「知らなーい」
「もう、あんたたちはいつもいつも!」
「あ、お母さん、僕。僕手伝うよ。これ、こっちに持って行けばいいの?」
「あら……蒼生はいい子ね」
こういうパターンが多かったこと。
僕だって手伝いは面倒だし出来れば遊んでいたいと毎回思ってた。でも、これで母の機嫌悪くなると、そのほうが後で面倒だ。キャンプ途中でお母さんが機嫌悪くなるなんて最悪じゃないか。
上に3人もいると、怒られずに済む方法とか、相手が機嫌悪くならないように振る舞う方法とか、そういうのがなんとなくわかってくる。最初の頃は兄たちに点数稼ぎだと疎まれる時期もあったけど、慣れてきたら僕が手伝うのが当たり前になって、特に気にされなくなった。僕もそれが一番楽だったし、ちょうど良かった。
言うこと聞いてにこにこしてれば角も立たない。これ以上いいことはないと思う。
そういえば、どうしてこんなに何もかもが面倒だと思うようになったんだっけ。おそらくいろんな出来事が積み重なった結果だと思うんだけど。
ああ、たぶん、アレは結構大きかったな。
いつだったかな、兄のクラスのママ友お茶会が僕の家で開かれたことがあった。兄と友人たちはさっさと外に遊びに行っていて、母を含めた何人かがリビングの机を囲んでいた。残された僕は静かにしていればリビングにいてもいいと言われたので、ソファに座って買ってもらったばかりの絵本を読んでいた。
勇敢なウサギが村一番のお嬢さんウサギを守りながら一緒に旅をして村を救い、最後はお嬢さんウサギと結婚して幸せに暮らしました、という冒険ものの絵本だ。登場人物のほとんどはウサギなので、イラストは可愛らしい。その割に主人公ははケガを負い、危険を乗り越え、村に迫った危機に立ち向かう、なかなかにハードな内容だった。それだけに、最後の「綺麗なお嬢さんと結婚しました」のシーンがふわふわ柔らかなタッチで、幸せそうに笑うふたりが描かれているのがいかにもハッピーエンドって感じですごく心に残った。
読み終えて満足していると、集中していて聞こえなかったママ友会の声が耳に飛び込んできた。きゃあきゃあ楽しそうな声。なのに、
「えー、ひっどーい」
「お宅そんな感じなんだぁ」
聞こえてきたのは愚痴ばかり。それはどれもお父さんたちに対する文句だった。割とショックだったのは、それに母も加わっていたこと。普段そんなこと口にしないのに、父がいない時にはそういう言い方をするんだ、となんだか僕が悪口を言われたような気になった。
今にして思えば、ああいう小さな不満みたいなものを言い合うのがストレスの発散方法だったのかなってわかるし、そういう話のほうが共感を得やすいんだと理解もできる。でもその時の僕は、「好き合って結婚してもこういう感じなんだ」って思ってしまった。いつか僕も結婚したら、外でこんな風に言われるのかな、なんかそれって面倒だな、って。
よく考えたら、今まで、ずっと幸せですって夫婦に会ったことないんだよな。幸せそうなウサギのイラストが頭に残ってる。ずっと幸せ、だなんてたぶん物語の中にしか存在してないんだ。
そう、あと、上の兄が原因なとこもあると思う。
アレはもうちょっと僕が大きくなった頃……小学生の頃だ。僕は相変わらず本が好きで、リビングのソファでいつも本を読んでいた。父が読書家で、家には小さいながら書斎があった。特に止められることもなかったから、勝手に読めそうな本を引っ張り出しては読むのが好きだった。たぶんそれをわかってくれていたんだろう、書斎には児童書や伝記なんかも置かれていた。どんなジャンルでも毛嫌いせずまず読んでみる、をモットーにしてたけど、その頃好きだったのは特に推理もので……いや、それはいいか。ちなみにリビングで読むのは、いつ手伝いに呼ばれても大丈夫なようにだ。
どたばたと上の階から足音が降りてきて、顔を覗かせたのは上の兄の紅輝だ。
「あれ、蒼生だけか。母さんは?」
「買い物に行ったよ」
「ふーん。ちょっと彼女から呼び出しあったから出掛けてくるわ」
「うん、いってらっしゃい」
僕が言い終わる前に、その姿は見えなくなっていた。そのままばたばたと廊下を走って、玄関から出て行く音。鍵のかかる音までを聞いてから、僕は手元の本に目を落とした。
今回の本も面白いな。まさかあの時点で犯人が示唆されてたなんて。この視点は盲点だった。じゃあ犯人の動機は……。
そこに、ピンポーン、とチャイムが鳴る。いいところだったのに……。しぶしぶ玄関に向かう。
「こんにちはぁ」
あれ、これ兄の友人の声だ。ドアを開けると、思った通りの顔がそこにあった。彼は僕の顔を見るなり、
「お、ニコちゃんこんにちは」
と笑った。ニコちゃんっていうのは一時期兄の友人たちから呼ばれてた僕のあだ名だ。いつもニコニコしてるから、だって。
「紅輝いる? 遊ぶ約束してたんだけどさ、待ち合わせ場所に来なくて。電話しても出ないし、寝てんじゃないかと思って来てみたんだけど」
「え……? こうちゃんはさっき彼女さんに呼ばれて出ていっちゃいましたけど……」
「うっわ……マジかあいつ……最悪じゃん」
僕には兄が本当に約束を忘れていたのか、それともすっぽかしたのかはわからない。でも、目の前の彼がこぼした「最悪」の声色にぎゅっと苦しくなった。
「……あの、ごめんなさい」
「あっ、ごめんな、ニコちゃんのせいじゃないのに。今日は帰るよ」
……こんなことはこれきりじゃなかった。ぶっちゃけ今でも時々ある。彼女が出来ると、友人なんてこんなもんなんだな。
こうちゃんもこうちゃんで、こんなふうにしょっちゅう呼び出されるし、バイト代をプレゼントにつぎ込むし、それを自慢げに話してくるし。そんなに一生懸命にならなきゃ維持出来ないんだなあって思うと、つくづく恋愛って面倒だ。いやおそらくこうちゃんがこういう人だっていうのもあるんだろうけど。
こう言うと家族仲が悪いみたいに誤解されちゃうかな。そういうのは本当になくて、時々あれって思うことはあるけど、仲良くやってると思う。
ただ、なんかこう……こういう小さい「面倒」を積み重ねて来た結果、とりあえず表面だけ取り繕ってにこにこ笑ってる面倒くさがりの僕が出来上がったというわけだ。こんな僕自身が一番面倒くさい。それは僕が一番わかってる。
僕について他に特筆すべき事項があるとすれば、隣の寺田家のことだろう。野木沢家は男3人兄弟だけど、寺田家は上と下が女の子で間に男を挟む3人きょうだいだ。僕の人生を振り返るにあたって、ここの長男の話を抜きにしては何にも語れない。……いや我ながら「何にも」って怖いな……。
寺田健太。それが彼の名前だ。彼……健ちゃんは、僕から遅れること4日でこの世に生を受けた。4日だよ? そんなもん誤差じゃん。でも周りの大人たちが事あるごとに僕を「4日だけお兄ちゃん」ともてはやした。産院まで同じだったので、健ちゃんが僕に出会ったのは生後0日だという嘘か真かよくわからない話と一緒に「4日だけお兄ちゃん」を吹き込まれて育った健ちゃんは、とても素直にそれを受け止めた。おかげで僕は双子でもないのに生後4日でお兄ちゃんになった。
だけど、それは別に嫌じゃなかった。最初からそうだったから不思議にも思わなかったし。何より、僕よりも小さな健ちゃんが、
「あーいちゃ、あーいちゃ」
ってくっついてくるのがとても可愛いと思ったからだ。
小さい健ちゃんは、上の3人よりやんちゃでパワフルだったような気がする。興味のあるものが目に入ると、鉄砲玉のように走り出す。それだけならともかく側にいる僕の手を引っ張って走り出すので、当時僕の怪我の原因はほぼこれによる転倒だったらしい。アルバムにはあちこちに擦り傷を作った僕と腕に引っ付く健ちゃんのツーショットが山のようにある。もしかすると健ちゃんにとって僕はお兄ちゃんじゃなくてお気に入りのぬいぐるみみたいなものだったんじゃないかな……。
そんな感じだったので、幼稚園に入る頃には僕はすっかり「健ちゃん係」だった。健ちゃんが友達とケンカになったら仲裁し、物を壊したら先生に一緒に謝り、怪我をしたらすぐに先生のところに引っ張って行った。そのたびに健ちゃんは「ありがとう」と笑う。たぶんあの頃の僕は健ちゃん係としての自負もあったんだと思う。最終的には先生たちも健ちゃんのことは僕に頼んでくるようになったのがなんだか誇らしかった。
小学生になっても基本的にその関係は変わらなかった。少しずつ健ちゃんのほうが背が高くなっていったせいか、腕にすがりついてくるよりも後ろから飛び付いてくる回数が多くなったくらい。僕を見つけるとすぐに突進してくるから、さすがにちょっと耐性がついたのか、僕もあんまり転ばなくなった。
「蒼生ーっ」
の声を聞くと身構えるようになったしね。
でも、わりとすぐ、健ちゃんの距離感がバグってるんじゃないかってことには気が付いた。仲良しの友達同士がくっついてるのはよく見るけど、こんな四六時中飛び付いてくるのはなかなかないよなって。だって一時期陰で呼ばれてたあだ名、「トーテムポール」だよ? もう僕単体ですらないんだよ? まるきりセット扱いだったもんな。まあそんなのどうでもよかったけど。
そういえばその頃だったな。両親が不在で、健ちゃんは姉妹と遊びに行ってて、僕だけが寺田家に帰ったあの日。どっちかの親がいなくてお互いの家に帰ることは結構あったけど、子供が僕ひとりっていうのは珍しかった。
ただいま、と声をかけて鍵が開いたままの玄関からダイニングに入ると、テーブルで健ちゃんのお母さんが小さな本を眺めていた。
「あ、蒼生ちゃんおかえり」
「ただいま。ななママ何見てるの?」
ななママっていうのは、名前が菜々美さんだから。こう呼ばないと怒られる。両家合わせて6人きょうだいみたいに育ったから、僕たちにも母扱いしてほしいんだそうだ。なんとなく慣れないのは僕くらいらしい。ちなみに僕の母は里奈なので寺田家ではりなママと呼ばれてる。りなとななで似てるから姉妹みたい、というのが仲良くなるきっかけだったそうだ。ああ、そういえば健ちゃんも僕の母のこと「おばさん」って呼ぶか。
ななママは見ていた本の表紙を見せてにっこりと笑う。表紙には生まれて間もない健ちゃんの写真があった。
「これね、大きいアルバムに入りきらない小さい写真を集めたアルバム。ひとりずつみんなのぶんこっそり作ってるの。これ、健太のだけど蒼生ちゃんには内緒で見せてあげる」
僕に見せたい健ちゃんの写真? なんだろうと思って手招きをするななママの側に寄った。ページにはうんと小さい時の健ちゃんと僕が並んで座っている。それは何枚かの連続写真で、健ちゃんがいつもの勢いで僕に至近距離から突進して……うわ。
「ね、可愛いでしょ! ふふふ、すっごい勢いでちゅーしてるの。ちゅーは我慢しましょうねって親の私たちも約束してたから、これホントのファーストキスなのよね」
ご丁寧に、「健太のファーストキス 蒼生ちゃんと」のキャプションがついている。
「……これ、健ちゃんは」
「知らないわよ。みんなには内緒にしておいて後でバラそうと思ってるんだけど、どうしても誰かに言いたかったから、蒼生ちゃんにだけ、ね」
嬉しそうに笑う。うん、それは黙っておいてあげたほうが健ちゃんの為だ。いざ本当にそういうことになった時、この事実を知ったらショックを受けそうだもんね。それにほぼ赤ちゃんだから、これは数に加えなくていいと思う。
はあ。僕は頭を抱えたくなった。健ちゃんの距離感のバグりはもうここから始まってたんだな……。
どこに行くにも両家総出だったから、小学生の頃までは健ちゃんに会ってない日は本当に数えるほどしかなかったと思う。クラスはずっと一緒だったし、休みの日もお互いの家に遊びに行ってたし。これだけ一緒にいたら飽きそうなものだけど、不思議とそう思うことはなかった気がする。
そうは言っても会わない日だってもちろんある。例えば休みの日、午前中から買い物の手伝いに行く日とか。
「紅輝、買い物行くから荷物持ちに付き合ってくれる?」
「えー、友達と遊びに行く予定にしてるから無理」
「先週もそう言ってたじゃない!」
「付き合いがあるんだよ」
これはまた言い争いが始まりそうだな。僕は読んでいた本を閉じ、ぱたぱたと母に近付く。
「僕一緒に行く。プリン買ってぇ」
「プリン? いいわよ買ってきてあげる」
「ううん、いろんな種類があるから選びたいの」
母はそう、と表情を緩めた。本の続きを読みたかったけど、悪い空気の中で読むの楽しくないし。後回しにしよう。
ショッピングモールの中にあるスーパーは、それなりに混んでいた。僕は母が押すカートの後ろについて歩く。
「今日は魚にしようと思うんだけど、蒼生何が食べたい?」
「うーん、んー……と、塩焼きがいいな」
「ああ、そう。じゃあこれにしましょ。本当はお寿司にしようと思ったんだけど」
「えっ、お寿司、いいな。お寿司にしよう」
「でもカートに入れちゃったし、こっちでいいわ」
あー……間違ったか……。
自分の中に正解があるのに、なんで僕に聞くんだろう。それで、なんで僕に正解を言っちゃうんだろう。僕の中には、選択を失敗した後悔が残る。
そこに、
「蒼生ーっ」
あれ? 聞き慣れた声。僕は咄嗟に身構える。それから少し間を置いて、背中にどさっと衝撃。首を回すと、肩に擦り寄る健ちゃんの顔。
その向こうに見えたななママがにこにこ手を振っている。
「りなママと蒼生ちゃんもお買い物?」
「そうなの。今日は健太くんも一緒なのね」
「珍しいでしょ。どうしてもアイスが食べたいって言うから仕方なく連れてきたの」
アイス? ぱっと健ちゃんが顔を上げた。
「オレ、蒼生とふたりでアイス食べに行く! いいよね! 買い物終わったら迎えに来て!」
母たちは顔を見合わせる。母は笑って頷いた。
「行ってらっしゃい。蒼生、アイス食べるならプリンはなしよ」
「! うん、いいよ」
「それじゃ行こう!」
ああ、待って待って。僕はなにも持ってないんだから。健ちゃんの勢いに笑顔をこぼす母から小銭を受け取る……とほぼ同時に健ちゃんは僕の腕を掴んだ。だから待ってってば。
「駄目だよ健ちゃん、走ったら危ないよ」
今にも走りだしそうだった健ちゃんの服の裾を握る。それには思い至りませんでした、という顔で健ちゃんが振り向いた。いやいや、お店の中で走っちゃ駄目でしょ。
「やべぇ、オレ今蒼生と食べるアイスのことで頭いっぱいだったわ」
どれだけアイス食べたかったの……。まあ、そういう純粋なとこが健ちゃんのいいとこだと思うけどね。
アイスクリーム屋の鮮やかな看板の前に立つと、健ちゃんが腕を組んでメニューをにらむ。僕はどうしようかな。いつも食べてるやつが失敗しなくていいな。
「な、蒼生」
「何?」
「今な、オレらが持ってるお金を足すとさ、このデラックスサンデーが食べられる」
「……なるほど」
いくつか種類があるそれは、どれもクッキーやチョコレートが刺さって美味しそうだ。でもそれはアイスクリームじゃなくてソフトクリームで、普段食べるのとは違う味のやつ。それが口に合うかどうかはわからない。
「オレは、このキャラメルソフトっていうのが食べてみたい。だってさ、キャラメルは美味しいんだし。それに新しいの食べてみるっておもしろそうじゃね? あっ、もちろん違うのでもいいけど」
やけに真剣な面持ちでそんなことを言う。面白そう、か。うん。
「乗った。それ食べてみよう」
「うん、半分こな!」
健ちゃんは嬉しそうに笑う。さっきの重い気持ちがどこかに行っちゃった。
健ちゃんは、いつも僕の心を軽くしてくれる。きっと本人はそんなこと気付いてないんだろうけどね。
クラスもずっと一緒だった僕と健ちゃんだけど、3年生になって始まるクラブ活動で初めて選択が別れた。僕が読書クラブといういかにもインドアなクラブを選んだのに対し、健ちゃんはサッカークラブに入った。ああ、健ちゃんらしい。大声で指示を出しあい、チームメイトとじゃれあうようにボールを追いかける姿は、とてもいきいきしていて楽しそうだった。それまでの放課後は僕に付き合って図書館の隣の席で居眠りしてたりしてたけど、これが本来の健ちゃんだと思う。
この頃から、健ちゃんの周りには男子も女子も関係なくたくさんの子が集まるようになってきた。明るくて優しくて元気がよくて、自然と人の中心になっちゃう感じ。その健ちゃん自身は僕にくっついてくるから、僕はなんとなく健ちゃんのグループに一緒にいるようになった。時々勢いについていけなくなりそうにはなったけど、笑っていればなんとかなった。でも、それは健ちゃんがいつも僕を会話に引き入れてくれてたからだと思う。
それを客観的に理解出来たのは、6年生の運動会で赤組と白組に別れた時だ。校庭の端の席からぼんやり競技を眺めていると、反対側の応援席で声をあげる健ちゃんの姿が目に入った。見慣れてるせいか、一度気付いてしまうとずっとその姿を追ってしまう。健ちゃんはやっぱり、たくさんの子たちの中心にいた。隣の子と笑いあい、後ろの子とハイタッチして、周りの子たちと同時に立ち上がる。遠くで視界の中に人がたくさんいると、つい比べて見ちゃうものだ。なんか、こうして見ると健ちゃんってカッコいいんだな。すり寄ってくる幼い顔ばかり見てたから、そんなふうに思ったことなかった。
あと、もうひとつ気付いたことがある。長い時間見てたけど、健ちゃん、別に誰かに抱きついたりしないな……? 軽く肩組んだりふざけてぶつかりあったりはしてるけど。あれは……僕限定なの?
そうか、小さい頃から一緒の僕が側にいると、健ちゃんの精神年齢を引き下げちゃうんだな。僕がいなければああいう年相応の表情が出来るんだ。
僕は両足を椅子の座面に上げて、膝を抱えた。健ちゃんは僕のことを「4日だけお兄ちゃん」として、たぶん少しは好きでいてくれているんだと思う。他人の好意なんて消費期限がある信頼感の薄いものだと思ってるけど、肉親の情っていうのはあるものなんだろう。だから、健ちゃんの好意は信じていいと思ってる。
でも、今だけなんだよな。いずれ健ちゃんは、……例えばあの周りを囲んでるような女の子の誰かとお付き合いするようになるんだろう。僕の出番はそれまでだ。
つきっ、と、胸の中央を刺されたような痛みが走った。そうか、これって子供の結婚式に出る親の気持ちなのかな……。
面倒なことからは出来る限り遠ざかるように、平穏な日々を過ごしてきた。
なのに、なんだってこんな、
「好きだ、蒼生」
「蒼生のことが好きだよ」
……同時に男2人に告白されるような事態に巻き込まれているんだ……!?
思い出が走馬灯のようによみがえってきたので振り返ることにする。
僕の名前は野木沢蒼生。これと言って特徴はない、物語でいえばその他大勢のひとりだ。生まれだって何の変哲もないごく一般の家庭だし。敢えて少し平均からずれる要素があるとしたら、きょうだいの数かな。5歳と3歳違いの兄がいるのに加え、やたらと家族ぐるみで仲のいい隣の寺田家に2つ年上の女の子がいたので、両家で合計して上から4番目として扱われて育った。
2番目の兄は比較的静かなタイプだったけど、長男と長女がやんちゃでとにかく元気だったので、どこに行ってもまず2人が騒ぎだし、逃げようとする次男を引っ張り込んで結局一緒に遊び出す。物心ついた時には3人セットって感じで。僕が一緒に遊べるような年齢になってもそれは変わらなかった。
別にそれはどうでもいいんだ、あのノリについてくのしんどかったし。面倒だったのは、
「こらー! 紅輝! 緑! 優美ちゃんも! みんなでキャンプに来たんだから、遊んでばかりいないで手伝いなさい!!」
「やだー」
「知らなーい」
「もう、あんたたちはいつもいつも!」
「あ、お母さん、僕。僕手伝うよ。これ、こっちに持って行けばいいの?」
「あら……蒼生はいい子ね」
こういうパターンが多かったこと。
僕だって手伝いは面倒だし出来れば遊んでいたいと毎回思ってた。でも、これで母の機嫌悪くなると、そのほうが後で面倒だ。キャンプ途中でお母さんが機嫌悪くなるなんて最悪じゃないか。
上に3人もいると、怒られずに済む方法とか、相手が機嫌悪くならないように振る舞う方法とか、そういうのがなんとなくわかってくる。最初の頃は兄たちに点数稼ぎだと疎まれる時期もあったけど、慣れてきたら僕が手伝うのが当たり前になって、特に気にされなくなった。僕もそれが一番楽だったし、ちょうど良かった。
言うこと聞いてにこにこしてれば角も立たない。これ以上いいことはないと思う。
そういえば、どうしてこんなに何もかもが面倒だと思うようになったんだっけ。おそらくいろんな出来事が積み重なった結果だと思うんだけど。
ああ、たぶん、アレは結構大きかったな。
いつだったかな、兄のクラスのママ友お茶会が僕の家で開かれたことがあった。兄と友人たちはさっさと外に遊びに行っていて、母を含めた何人かがリビングの机を囲んでいた。残された僕は静かにしていればリビングにいてもいいと言われたので、ソファに座って買ってもらったばかりの絵本を読んでいた。
勇敢なウサギが村一番のお嬢さんウサギを守りながら一緒に旅をして村を救い、最後はお嬢さんウサギと結婚して幸せに暮らしました、という冒険ものの絵本だ。登場人物のほとんどはウサギなので、イラストは可愛らしい。その割に主人公ははケガを負い、危険を乗り越え、村に迫った危機に立ち向かう、なかなかにハードな内容だった。それだけに、最後の「綺麗なお嬢さんと結婚しました」のシーンがふわふわ柔らかなタッチで、幸せそうに笑うふたりが描かれているのがいかにもハッピーエンドって感じですごく心に残った。
読み終えて満足していると、集中していて聞こえなかったママ友会の声が耳に飛び込んできた。きゃあきゃあ楽しそうな声。なのに、
「えー、ひっどーい」
「お宅そんな感じなんだぁ」
聞こえてきたのは愚痴ばかり。それはどれもお父さんたちに対する文句だった。割とショックだったのは、それに母も加わっていたこと。普段そんなこと口にしないのに、父がいない時にはそういう言い方をするんだ、となんだか僕が悪口を言われたような気になった。
今にして思えば、ああいう小さな不満みたいなものを言い合うのがストレスの発散方法だったのかなってわかるし、そういう話のほうが共感を得やすいんだと理解もできる。でもその時の僕は、「好き合って結婚してもこういう感じなんだ」って思ってしまった。いつか僕も結婚したら、外でこんな風に言われるのかな、なんかそれって面倒だな、って。
よく考えたら、今まで、ずっと幸せですって夫婦に会ったことないんだよな。幸せそうなウサギのイラストが頭に残ってる。ずっと幸せ、だなんてたぶん物語の中にしか存在してないんだ。
そう、あと、上の兄が原因なとこもあると思う。
アレはもうちょっと僕が大きくなった頃……小学生の頃だ。僕は相変わらず本が好きで、リビングのソファでいつも本を読んでいた。父が読書家で、家には小さいながら書斎があった。特に止められることもなかったから、勝手に読めそうな本を引っ張り出しては読むのが好きだった。たぶんそれをわかってくれていたんだろう、書斎には児童書や伝記なんかも置かれていた。どんなジャンルでも毛嫌いせずまず読んでみる、をモットーにしてたけど、その頃好きだったのは特に推理もので……いや、それはいいか。ちなみにリビングで読むのは、いつ手伝いに呼ばれても大丈夫なようにだ。
どたばたと上の階から足音が降りてきて、顔を覗かせたのは上の兄の紅輝だ。
「あれ、蒼生だけか。母さんは?」
「買い物に行ったよ」
「ふーん。ちょっと彼女から呼び出しあったから出掛けてくるわ」
「うん、いってらっしゃい」
僕が言い終わる前に、その姿は見えなくなっていた。そのままばたばたと廊下を走って、玄関から出て行く音。鍵のかかる音までを聞いてから、僕は手元の本に目を落とした。
今回の本も面白いな。まさかあの時点で犯人が示唆されてたなんて。この視点は盲点だった。じゃあ犯人の動機は……。
そこに、ピンポーン、とチャイムが鳴る。いいところだったのに……。しぶしぶ玄関に向かう。
「こんにちはぁ」
あれ、これ兄の友人の声だ。ドアを開けると、思った通りの顔がそこにあった。彼は僕の顔を見るなり、
「お、ニコちゃんこんにちは」
と笑った。ニコちゃんっていうのは一時期兄の友人たちから呼ばれてた僕のあだ名だ。いつもニコニコしてるから、だって。
「紅輝いる? 遊ぶ約束してたんだけどさ、待ち合わせ場所に来なくて。電話しても出ないし、寝てんじゃないかと思って来てみたんだけど」
「え……? こうちゃんはさっき彼女さんに呼ばれて出ていっちゃいましたけど……」
「うっわ……マジかあいつ……最悪じゃん」
僕には兄が本当に約束を忘れていたのか、それともすっぽかしたのかはわからない。でも、目の前の彼がこぼした「最悪」の声色にぎゅっと苦しくなった。
「……あの、ごめんなさい」
「あっ、ごめんな、ニコちゃんのせいじゃないのに。今日は帰るよ」
……こんなことはこれきりじゃなかった。ぶっちゃけ今でも時々ある。彼女が出来ると、友人なんてこんなもんなんだな。
こうちゃんもこうちゃんで、こんなふうにしょっちゅう呼び出されるし、バイト代をプレゼントにつぎ込むし、それを自慢げに話してくるし。そんなに一生懸命にならなきゃ維持出来ないんだなあって思うと、つくづく恋愛って面倒だ。いやおそらくこうちゃんがこういう人だっていうのもあるんだろうけど。
こう言うと家族仲が悪いみたいに誤解されちゃうかな。そういうのは本当になくて、時々あれって思うことはあるけど、仲良くやってると思う。
ただ、なんかこう……こういう小さい「面倒」を積み重ねて来た結果、とりあえず表面だけ取り繕ってにこにこ笑ってる面倒くさがりの僕が出来上がったというわけだ。こんな僕自身が一番面倒くさい。それは僕が一番わかってる。
僕について他に特筆すべき事項があるとすれば、隣の寺田家のことだろう。野木沢家は男3人兄弟だけど、寺田家は上と下が女の子で間に男を挟む3人きょうだいだ。僕の人生を振り返るにあたって、ここの長男の話を抜きにしては何にも語れない。……いや我ながら「何にも」って怖いな……。
寺田健太。それが彼の名前だ。彼……健ちゃんは、僕から遅れること4日でこの世に生を受けた。4日だよ? そんなもん誤差じゃん。でも周りの大人たちが事あるごとに僕を「4日だけお兄ちゃん」ともてはやした。産院まで同じだったので、健ちゃんが僕に出会ったのは生後0日だという嘘か真かよくわからない話と一緒に「4日だけお兄ちゃん」を吹き込まれて育った健ちゃんは、とても素直にそれを受け止めた。おかげで僕は双子でもないのに生後4日でお兄ちゃんになった。
だけど、それは別に嫌じゃなかった。最初からそうだったから不思議にも思わなかったし。何より、僕よりも小さな健ちゃんが、
「あーいちゃ、あーいちゃ」
ってくっついてくるのがとても可愛いと思ったからだ。
小さい健ちゃんは、上の3人よりやんちゃでパワフルだったような気がする。興味のあるものが目に入ると、鉄砲玉のように走り出す。それだけならともかく側にいる僕の手を引っ張って走り出すので、当時僕の怪我の原因はほぼこれによる転倒だったらしい。アルバムにはあちこちに擦り傷を作った僕と腕に引っ付く健ちゃんのツーショットが山のようにある。もしかすると健ちゃんにとって僕はお兄ちゃんじゃなくてお気に入りのぬいぐるみみたいなものだったんじゃないかな……。
そんな感じだったので、幼稚園に入る頃には僕はすっかり「健ちゃん係」だった。健ちゃんが友達とケンカになったら仲裁し、物を壊したら先生に一緒に謝り、怪我をしたらすぐに先生のところに引っ張って行った。そのたびに健ちゃんは「ありがとう」と笑う。たぶんあの頃の僕は健ちゃん係としての自負もあったんだと思う。最終的には先生たちも健ちゃんのことは僕に頼んでくるようになったのがなんだか誇らしかった。
小学生になっても基本的にその関係は変わらなかった。少しずつ健ちゃんのほうが背が高くなっていったせいか、腕にすがりついてくるよりも後ろから飛び付いてくる回数が多くなったくらい。僕を見つけるとすぐに突進してくるから、さすがにちょっと耐性がついたのか、僕もあんまり転ばなくなった。
「蒼生ーっ」
の声を聞くと身構えるようになったしね。
でも、わりとすぐ、健ちゃんの距離感がバグってるんじゃないかってことには気が付いた。仲良しの友達同士がくっついてるのはよく見るけど、こんな四六時中飛び付いてくるのはなかなかないよなって。だって一時期陰で呼ばれてたあだ名、「トーテムポール」だよ? もう僕単体ですらないんだよ? まるきりセット扱いだったもんな。まあそんなのどうでもよかったけど。
そういえばその頃だったな。両親が不在で、健ちゃんは姉妹と遊びに行ってて、僕だけが寺田家に帰ったあの日。どっちかの親がいなくてお互いの家に帰ることは結構あったけど、子供が僕ひとりっていうのは珍しかった。
ただいま、と声をかけて鍵が開いたままの玄関からダイニングに入ると、テーブルで健ちゃんのお母さんが小さな本を眺めていた。
「あ、蒼生ちゃんおかえり」
「ただいま。ななママ何見てるの?」
ななママっていうのは、名前が菜々美さんだから。こう呼ばないと怒られる。両家合わせて6人きょうだいみたいに育ったから、僕たちにも母扱いしてほしいんだそうだ。なんとなく慣れないのは僕くらいらしい。ちなみに僕の母は里奈なので寺田家ではりなママと呼ばれてる。りなとななで似てるから姉妹みたい、というのが仲良くなるきっかけだったそうだ。ああ、そういえば健ちゃんも僕の母のこと「おばさん」って呼ぶか。
ななママは見ていた本の表紙を見せてにっこりと笑う。表紙には生まれて間もない健ちゃんの写真があった。
「これね、大きいアルバムに入りきらない小さい写真を集めたアルバム。ひとりずつみんなのぶんこっそり作ってるの。これ、健太のだけど蒼生ちゃんには内緒で見せてあげる」
僕に見せたい健ちゃんの写真? なんだろうと思って手招きをするななママの側に寄った。ページにはうんと小さい時の健ちゃんと僕が並んで座っている。それは何枚かの連続写真で、健ちゃんがいつもの勢いで僕に至近距離から突進して……うわ。
「ね、可愛いでしょ! ふふふ、すっごい勢いでちゅーしてるの。ちゅーは我慢しましょうねって親の私たちも約束してたから、これホントのファーストキスなのよね」
ご丁寧に、「健太のファーストキス 蒼生ちゃんと」のキャプションがついている。
「……これ、健ちゃんは」
「知らないわよ。みんなには内緒にしておいて後でバラそうと思ってるんだけど、どうしても誰かに言いたかったから、蒼生ちゃんにだけ、ね」
嬉しそうに笑う。うん、それは黙っておいてあげたほうが健ちゃんの為だ。いざ本当にそういうことになった時、この事実を知ったらショックを受けそうだもんね。それにほぼ赤ちゃんだから、これは数に加えなくていいと思う。
はあ。僕は頭を抱えたくなった。健ちゃんの距離感のバグりはもうここから始まってたんだな……。
どこに行くにも両家総出だったから、小学生の頃までは健ちゃんに会ってない日は本当に数えるほどしかなかったと思う。クラスはずっと一緒だったし、休みの日もお互いの家に遊びに行ってたし。これだけ一緒にいたら飽きそうなものだけど、不思議とそう思うことはなかった気がする。
そうは言っても会わない日だってもちろんある。例えば休みの日、午前中から買い物の手伝いに行く日とか。
「紅輝、買い物行くから荷物持ちに付き合ってくれる?」
「えー、友達と遊びに行く予定にしてるから無理」
「先週もそう言ってたじゃない!」
「付き合いがあるんだよ」
これはまた言い争いが始まりそうだな。僕は読んでいた本を閉じ、ぱたぱたと母に近付く。
「僕一緒に行く。プリン買ってぇ」
「プリン? いいわよ買ってきてあげる」
「ううん、いろんな種類があるから選びたいの」
母はそう、と表情を緩めた。本の続きを読みたかったけど、悪い空気の中で読むの楽しくないし。後回しにしよう。
ショッピングモールの中にあるスーパーは、それなりに混んでいた。僕は母が押すカートの後ろについて歩く。
「今日は魚にしようと思うんだけど、蒼生何が食べたい?」
「うーん、んー……と、塩焼きがいいな」
「ああ、そう。じゃあこれにしましょ。本当はお寿司にしようと思ったんだけど」
「えっ、お寿司、いいな。お寿司にしよう」
「でもカートに入れちゃったし、こっちでいいわ」
あー……間違ったか……。
自分の中に正解があるのに、なんで僕に聞くんだろう。それで、なんで僕に正解を言っちゃうんだろう。僕の中には、選択を失敗した後悔が残る。
そこに、
「蒼生ーっ」
あれ? 聞き慣れた声。僕は咄嗟に身構える。それから少し間を置いて、背中にどさっと衝撃。首を回すと、肩に擦り寄る健ちゃんの顔。
その向こうに見えたななママがにこにこ手を振っている。
「りなママと蒼生ちゃんもお買い物?」
「そうなの。今日は健太くんも一緒なのね」
「珍しいでしょ。どうしてもアイスが食べたいって言うから仕方なく連れてきたの」
アイス? ぱっと健ちゃんが顔を上げた。
「オレ、蒼生とふたりでアイス食べに行く! いいよね! 買い物終わったら迎えに来て!」
母たちは顔を見合わせる。母は笑って頷いた。
「行ってらっしゃい。蒼生、アイス食べるならプリンはなしよ」
「! うん、いいよ」
「それじゃ行こう!」
ああ、待って待って。僕はなにも持ってないんだから。健ちゃんの勢いに笑顔をこぼす母から小銭を受け取る……とほぼ同時に健ちゃんは僕の腕を掴んだ。だから待ってってば。
「駄目だよ健ちゃん、走ったら危ないよ」
今にも走りだしそうだった健ちゃんの服の裾を握る。それには思い至りませんでした、という顔で健ちゃんが振り向いた。いやいや、お店の中で走っちゃ駄目でしょ。
「やべぇ、オレ今蒼生と食べるアイスのことで頭いっぱいだったわ」
どれだけアイス食べたかったの……。まあ、そういう純粋なとこが健ちゃんのいいとこだと思うけどね。
アイスクリーム屋の鮮やかな看板の前に立つと、健ちゃんが腕を組んでメニューをにらむ。僕はどうしようかな。いつも食べてるやつが失敗しなくていいな。
「な、蒼生」
「何?」
「今な、オレらが持ってるお金を足すとさ、このデラックスサンデーが食べられる」
「……なるほど」
いくつか種類があるそれは、どれもクッキーやチョコレートが刺さって美味しそうだ。でもそれはアイスクリームじゃなくてソフトクリームで、普段食べるのとは違う味のやつ。それが口に合うかどうかはわからない。
「オレは、このキャラメルソフトっていうのが食べてみたい。だってさ、キャラメルは美味しいんだし。それに新しいの食べてみるっておもしろそうじゃね? あっ、もちろん違うのでもいいけど」
やけに真剣な面持ちでそんなことを言う。面白そう、か。うん。
「乗った。それ食べてみよう」
「うん、半分こな!」
健ちゃんは嬉しそうに笑う。さっきの重い気持ちがどこかに行っちゃった。
健ちゃんは、いつも僕の心を軽くしてくれる。きっと本人はそんなこと気付いてないんだろうけどね。
クラスもずっと一緒だった僕と健ちゃんだけど、3年生になって始まるクラブ活動で初めて選択が別れた。僕が読書クラブといういかにもインドアなクラブを選んだのに対し、健ちゃんはサッカークラブに入った。ああ、健ちゃんらしい。大声で指示を出しあい、チームメイトとじゃれあうようにボールを追いかける姿は、とてもいきいきしていて楽しそうだった。それまでの放課後は僕に付き合って図書館の隣の席で居眠りしてたりしてたけど、これが本来の健ちゃんだと思う。
この頃から、健ちゃんの周りには男子も女子も関係なくたくさんの子が集まるようになってきた。明るくて優しくて元気がよくて、自然と人の中心になっちゃう感じ。その健ちゃん自身は僕にくっついてくるから、僕はなんとなく健ちゃんのグループに一緒にいるようになった。時々勢いについていけなくなりそうにはなったけど、笑っていればなんとかなった。でも、それは健ちゃんがいつも僕を会話に引き入れてくれてたからだと思う。
それを客観的に理解出来たのは、6年生の運動会で赤組と白組に別れた時だ。校庭の端の席からぼんやり競技を眺めていると、反対側の応援席で声をあげる健ちゃんの姿が目に入った。見慣れてるせいか、一度気付いてしまうとずっとその姿を追ってしまう。健ちゃんはやっぱり、たくさんの子たちの中心にいた。隣の子と笑いあい、後ろの子とハイタッチして、周りの子たちと同時に立ち上がる。遠くで視界の中に人がたくさんいると、つい比べて見ちゃうものだ。なんか、こうして見ると健ちゃんってカッコいいんだな。すり寄ってくる幼い顔ばかり見てたから、そんなふうに思ったことなかった。
あと、もうひとつ気付いたことがある。長い時間見てたけど、健ちゃん、別に誰かに抱きついたりしないな……? 軽く肩組んだりふざけてぶつかりあったりはしてるけど。あれは……僕限定なの?
そうか、小さい頃から一緒の僕が側にいると、健ちゃんの精神年齢を引き下げちゃうんだな。僕がいなければああいう年相応の表情が出来るんだ。
僕は両足を椅子の座面に上げて、膝を抱えた。健ちゃんは僕のことを「4日だけお兄ちゃん」として、たぶん少しは好きでいてくれているんだと思う。他人の好意なんて消費期限がある信頼感の薄いものだと思ってるけど、肉親の情っていうのはあるものなんだろう。だから、健ちゃんの好意は信じていいと思ってる。
でも、今だけなんだよな。いずれ健ちゃんは、……例えばあの周りを囲んでるような女の子の誰かとお付き合いするようになるんだろう。僕の出番はそれまでだ。
つきっ、と、胸の中央を刺されたような痛みが走った。そうか、これって子供の結婚式に出る親の気持ちなのかな……。
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