投稿日:2023年06月22日 23:12 文字数:17,538
明日咲く花~後編~
ステキ数:1
初恋の人に再会した充。
頼りがいのある立派な男性だと思われたい一心で、毎日のように思い人の元へ通いますが…。
先日のローズフェスティバル参加作品の後編です。
おまたせしました!
前編はこちら> https://pictbland.net/items/detail/2073548
頼りがいのある立派な男性だと思われたい一心で、毎日のように思い人の元へ通いますが…。
先日のローズフェスティバル参加作品の後編です。
おまたせしました!
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じわじわ暑い放課後の道を、今日も橋本深山コンビと並んで帰る。
「もうすぐ梅雨だなあ」
雑貨屋の店先に並べられた色鮮やかな傘を眺めて、深山が呟いた。そうか、こっちは少し遅いのか。俺が今まで住んでいたあたりでは、今年はとっくに梅雨に入った。それだけ遠くに越してきたってことなんだな。なんとなくしみじみする。季節の移り変わりで引っ越しを実感するんだなあ……。
が、橋本が発した「わー!」という大きな声で強制的に現実に戻された。こいつの声は、大概でかい。
「なんだなんだ」
「そういえばこの前、傘壊しちゃったんだった! 雨降る前に新しいの買わないとじゃん!」
「橋本って、しょっちゅう物壊してない? なんか、扱いが雑っつうか。もっと愛着持ったら壊さないんじゃないか? そうだ、あの傘なんかどうよ」
「どれ? あれ? あらま~、くまちゃんのお耳ついちゃって、可愛らしいオレに似合っちゃうかしら……って、ちびっこ用だろうが! 肩びっしゃびしゃになるわ!」
2人の掛け合いに、俺も改めてそっちに目をやった。可愛い装飾やアニメ柄の傘が行儀よく飾られているのが見える。その隣のラックの前には4人組の女子がいた。彼女たちは、様々な色が散りばめられたビニールの傘を、手に取って広げたりたたんだりしてはしゃいでいる。へえ、色と色を区切るように黒い線が走っていて、ステンドグラスのようだ。そういえば、あの手の傘、最近よく見るな。
「あれなんかいいんじゃないか。流行ってんだか知らないけど」
「なるほど~、雨の日のわずかな光で色とりどりに染め上げられたオレが見たいと」
「……うーん……」
「いや、せめて乗っかるかツッコむか、して!?」
「深山の持ってる傘っていいよな。あの骨が多いやつ」
「風に強いから便利だよ」
「ほほー、スルーのほうか……」
橋本は何故か満足げに頷いている。
うん。やりとりの軽快さが心地いい。どうなるかまったく見通しのたたなかった高校生活が、こいつらを中心に毎日楽しく過ごせてる。いい友達に巡り会えてよかった。
それにしても、梅雨か。雨の季節になったら、花屋に並ぶ花も変わるんだろうか。カラフルな傘もいいけれど、店の中を彩る鮮やかな花々を心ゆくまで眺めていたい。相変わらず花の名前はわからない俺だが、きっと隣に立つ人が教えてくれるはずだ。
だらだらしゃべりながら歩いていると、見慣れた分岐に辿り着いた。だけど、毎日新鮮にどきっとする。俺はわざとらしく2人に向けてぴっと敬礼のポーズをとってみせた。
「それじゃ、俺はここで」
「おー。バイトだっけ?」
「まだ見習いだけどね」
「なんだそりゃ。まあ、頑張って」
「ありがと」
手を振って、2人の背中を見送る。そしてそのまま体をくるりと家とは違う方向に延びるその道に向け、気合い十分な一歩を踏み出した。すっかり通い慣れた、フラワーエリーに向かう道だ。
あの日、俺はぼんやりと花束を抱えて帰り、ばあちゃんにそれを渡して、夕飯を食べ、風呂に入ったあたりで急に我に返った。で、びっくりした。……俺、暴走してたよな? 朔也さんに再会して嬉しかった、そこまでは自分でも理解出来る。けど、久し振りに会っていきなり「付き合ってください」はちょっと突っ走りすぎじゃないだろうか。でも、だけどさ、言われたほうも驚いただろうけど、言ったほうもびっくりしてたんだから、そのあたりは痛み分けということにしておいてほしい。むしろ、「ダメ」って言われた俺のほうが大打撃だったわけで……。
いや、冷静になれ、俺。俺だってもう高校生だ。朔也さんが言うほど子供じゃない。真面目でしっかりして頼りがいがあるというところをきちんと見せていかなければ、朔也さんに認めてもらえないだろう。心に余裕を持つことが大切だ。冷静に。大人らしく。
フラワーエリーの店舗に足を踏み入れると、つんと花の香りに包まれる。
「いらっしゃいま……って、なんだ、充か」
ぱっと顔を上げた朔也さんが、俺の顔を見ると、その表情を和らげた。
朔也さん!
「また今日も来たんだ」
「朔也さん好きです! 付き合ってください!!」
俺の言葉に、仕事の顔がふにゃりと緩むのが愛おしい。わずかに首を傾ける仕草、なんて魅力的なんだ! たくさんの花に囲まれた姿は、まさに花の妖精と呼ぶにふさわしい。
ふっとその顔がさらに可笑しそうに崩れる。
「まったく、飽きねえ奴だな」
ああっ、今の表情。カメラに収めておくべきだった。国宝級だ。今すぐ申請しよう。誰一人異論を唱える奴なんかいない。
って、朔也さんは重そうな鉢に手をかけた。あっ、美しい手が!
「朔也さん、それ運ぶの? 俺がやります!」
「手伝ってもらわなくても大丈夫だよ」
「いえ! 俺が手伝いたいんです!」
「……バイト代は出ねえよ?」
「あなたの笑顔でじゅうぶんです!!」
「ははっ、なにそれ」
ほら。周りで咲く花より、もっと鮮やかにきらきら輝く笑顔。学校で1日過ごしてきた体力が、一瞬にしてすべて回復した。それ以上に、体中が気力で溢れかえりそうになる。それを朔也さんへの告白として口に出しても、まだまだ体の中は「好き」でいっぱいだ。ずっとずっと、俺の中でくすぶっていた思いを口に出来るだけでも嬉しい。
「じゃ、それ、1つ残して全部倉庫のほうに持って行って」
「承知しました!」
俺はその大きな鉢を持ち上げて、朔也さんに掲げて見せた。眉を寄せながら笑うの、あ、ちょっと可愛い。いやめちゃくちゃ可愛い!
「はいはい、力持ち力持ち。倉庫には糸島くんがいるから」
指示を仰げということですね。了解です!
毎日通ってるから、店内のレイアウトはすっかり覚えてしまった。レジの脇から温室のほうに向かうところに倉庫がある。店先に置ききれない在庫なんかがしまってある場所だ。失礼します、と声をかけてから倉庫に入る。
「あー、新田くん、お疲れ様」
「お疲れ様です!」
床にしゃがんでファイルとにらめっこしてた糸島さんが、ひらりと手を振った。糸島さんは、近くの大学で学ぶ大学生なのだそうだ。近所だから通いやすいって適当な理由でバイトを始めたところ、花束を作るセンスがズバ抜けていて、今ではものすごく重宝されているらしい。見た目は軽いが、とても気のいいお兄さんだ。俺が毎日告白を続けても、まったく邪険にされたりしないから、器が大きいんだと思う。
「新田くんも、無給なのに飽きないな」
「それ、朔也さんにも言われました! 俺、働きに来てるんじゃなくて、朔也さんに頼りになるところを見せたくて来てるんで!」
「ははは、まあこっちはいろんな意味で助かるから、ありがたいよ」
言いながら立ち上がった糸島さんは、俺に持っていたファイルを渡した。
「オレら、頼まれてる花束作らなきゃなんで、こっちよろしく」
「在庫管理ですね! わかりました!」
このお店は、朔也さんのお父さんのご実家だ。お父さんのお父さん、つまりお祖父さんにあたる方が、庭いじりが好きな人で、盆栽から始まり様々な鉢植えに手を出していたんだそうだ。するとあまりの見事さに近所の人から譲ってほしいと言われ、それをきっかけに商売を始めたんだとか。そして、この店名のエリーとは、大好きな奥さんの名前をもじったもの。その奥さん……朔也さんのお祖母さんが体の調子を崩されているため、今は朔也さんが店長代理を務めている。
少しずつ話を聞くうちに、気付けば店の成り立ちから店名の由来まで覚えてしまった。それだけ毎日通って、毎日朔也さんと話をしたということだ。……朔也さんは、あまり自分の話をしてくれないかわりに、店の話はよくしてくれた。朔也さんにとって、この店はそれだけ大切な存在なんだろうな。
そして! 今、俺は! そんな店の! 在庫管理を! 任されている!
これは頼りにされているということで間違いない!
さっき運び込んだ鉢を加えたうえで、倉庫にしまわれた土の袋や鉢などの数がファイルに書かれた数とぴったり合うことを確認すると、俺は意気揚々と店に戻る。糸島さんが花束を作っていて、朔也さんは、……いた! 切り花を整えてる! 綺麗! 似合う! 珠玉の存在!
「朔也さん! 終わりました!」
「お疲れさん。合ってた?」
「バッチリです!」
「ん、優秀」
……ああー……笑顔……。至福……。
「そのファイルをレジ台に置いて、次こっちな」
「はいっ」
言われた通りにして、朔也さんの斜め後ろから作業の仕方を聞く。うなじのあたりでぴょんと跳ねる髪が、呼吸ごとに優しく揺れるのが眩しい。美しい黄色い花を背景に、なんて映える光景なんだろう。
いや、ちゃんと話も聞いてるから大丈夫。俺が朔也さんの話を聞き逃すはずがないからな! ……だから、あの時。昔の朔也さんが告げてくれた言葉も、俺はきちんと聞いたはずなんだ。「もしも……」の続きを。
糸島さんが追加の花を取りに来る。
「若店長、ご機嫌ですね」
「手が多いぶん、楽だからな」
「ふーん……。早いとこ新田くんを正式バイトにすりゃいいじゃないスか。ねえ新田くん」
「えっ、いいんですか!?」
「オレにその権限はありません!」
えー。
そっか、店長は一応お祖父さんだもんな。
いや、でも、ダメだとは言われなかった。来るのはいいんだな。それに、俺も「手」として数えられてる! そうかぁ……俺、朔也さんの「手」なんだなぁ……。
よし。だいぶ認められるっぽい発言を聞いたので、今日もチャレンジだ。
「ところで朔也さん、考えてくれました? デートの件」
朔也さんは次々と切り花を抜き取りながら、「んー」と気のない返事をした。実は、何度も誘ってるんだけど、まだ快い返事がもらえていない。
「だから、付き合うのもまだOKしてないのに、デートもなにもないだろ」
「お試しでお願いしますよ~」
「そもそも休みが合わないって言ってるじゃないか」
そうなんだよな。フラワーエリーの定休日は木曜日だ。普通ならそれ以外に、従業員の休みがあってもいいはずだ。でも今はお祖父さんがいないから、人手が足りないとかで定休日以外に朔也さんが休む日はない。糸島さんだってかなりの頻度でバイトに入ってる。新しいバイトを雇うには、それこそお祖父さんが戻らないとどうしようもないってことか。でも、この体制で本当に大丈夫なのかな。
「……忙しそうですね」
慌ただしそうな朔也さんと糸島さんを目で追う。さっきから2人でいくつ花束を作っているんだろう。
「ああ、今日、シルバーダンスクラブの大会があって。入賞者全員に贈呈するんだってさ」
ふーん。さすがにそれは手伝えない。売り物に手を出すわけにはいかないからさ。店員でもバイトでもない俺は、雑用くらいなら出来るけど、そこまでだ。もっと役に立てたらいいのにな。朔也さん、本当にバイトで雇ってくれないかな……。
家に帰ると、居間の机に何故かありさが座っていて、俺を見るなり不機嫌そうに顔をしかめた。
「みっくん遅ーい!」
? 遅い?
「約束してたか?」
「して……っ、ないけど! なんか最近毎日遅いんでしょ? そんなんで勉強大丈夫なの!?」
「もちろん、問題ナシ」
そりゃ、毎日遅くても大丈夫なように、日々の授業をマジで真剣に聞いてるからな。予習は早起きでカバーしてるし。朔也さんに会うためなら、そんなの大した苦労じゃない。
「んで、今日はどうした」
「その……ちょっと勉強教えてほしくて」
「けど俺、今からばあちゃんと夕飯の支度が」
すると台所のほうから、ばあちゃんがひょいと顔を出す。
「こっちは大丈夫だから。充ちゃんはありさちゃんの宿題見てあげて」
半分は断る口実だったんだけどな。ばあちゃんにそう言われちゃ仕方ないか……。
「うん、わかった。高いとこの皿取る時には呼んで」
「そうさせてもらうね」
ばあちゃんはにこにこしながら、タマネギを手に台所に戻っていった。
しかしなあ。別にわざわざ俺のところに聞きに来なくても、他に適任はいるだろうに。俺が遅いとわかってるなら尚更さ。
「どこがわかんないの」
「えっとね……。こことここ、それからこことこっち。このへんは全部」
「大量だな。授業中なにしてんの?」
「じゅ、授業中はわかるんだもん」
ああ、よくあるやつだ。教科書の文字を教師の言葉で聞いてると、なんとなく理解した気になるんだよな。で、あとで見返すと理解出来なくて、首を傾げる結果になる。俺も昔経験した。集中のおかげか最近はなくなったけどな。
それにしても、この量か。まったく、仕方ない奴だ。俺はありさが広げた教科書を覗き込む。学校が違うから、俺が中学時代に使ってた教科書とは違う。とはいえ、書いてあることは大して変わらないはずだ。受験からさほど間もあいてないし、記憶が抜けてるってことはないだろ。……うん、大丈夫そうだ。
「……ねえ、みっくん」
「ん? どこか引っかかった?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど。あのー、高校生活、楽しい?」
「楽しいよ」
何が聞きたいんだろう。ありさの声は、なにかを探るような雰囲気だ。なんだ、まだ高校入るまで1年近くあるのに、もう不安になってるのか。中学から高校にそのまま上がる友達だってかなりの人数いるだろうし、心配することないのにな。
ありさはチラッと下から俺の顔を覗き込んでくる。その頃にはすっかりにやにや顔だ。
「あー、もしかして彼女とかできたとか~? でもー、みっくん鈍いから、まさかね~」
「ありさに心配されなくても大丈夫だよ」
俺のが年上だけれど、何故か昔からありさは俺を弟のように扱う。実際は俺のほうが面倒みてやってることのほうが多いんだけどなぁ。
「ねえ、仕方ないから、来週の開校記念日、遊びに連れてってあげようかー?」
開校記念日? ああ、同じ付属校だから中学と高校で日付が一緒なのか。
「ね、予定ないでしょ。来週の木曜日」
「……木曜日?」
教えなきゃならない量の多さになんとなく眠くなってきていた頭が、一気に覚めた。木曜日……木曜日!? フラワーエリーの定休日だ!
「悪い。予定あるわ」
「えっ」
「さっさと終わらせよう。ほら、次の問題」
ありさは戸惑った様子を見せながらペンを握ったけれど、俺の脳内はもうそれどころではなかった。これはもはや、運命に違いない!
翌週、木曜日。空はよく晴れて雲一つなく、頬を撫でる風が爽やかな、外出にはこれ以上ない、もってこいの天気だ。けれど、俺は駅前にある自販機の横に立って、頭を抱えていた。
冷静に考えて……これは正しい選択だったんだろうか。
ありさから情報を得た日の翌日、学校が終わると俺はまっすぐ朔也さんのところに走った。
「今度の木曜、休みが被るんですけど、遊びに行きませんか!」
店に入るなり俺が詰め寄ると、朔也さんは横目でカレンダーを見た。
「へ? ああ、おまえんとこ、開校記念日か。なるほどな。うん、いいよ。どこへ連れてってくれるんだ?」
「……えっ」
いつもの感じからすると絶対玉砕するだろうなと思っていたから、まさかのOKの返事に思考がフリーズした。どこへ? どこ? 俺はこのあたりのどこを知ってる? ぐるぐる考え込む俺に、朔也さんが噴き出した。
「ふっ、ふ、ははっ。だよな。わかんないよな。おまえ地元じゃないもんな。じゃあ、オレの行きたいところでいい?」
「っあ、はいっ、もちろんです!」
そして俺は今、こうして朔也さんから指定された待ち合わせ場所に来ているわけだ。
だが……。
自分でもわかっていたじゃないか。忙しい朔也さんは、木曜日しか休みがない。1週間の疲れを癒すとしたら今日しかないんだ。それを、俺に付き合わせていいんだろうか。そう考えると、急に悪いことをしている気分になってくる。
「充」
「うええっ、はいっ!」
突然声をかけられて、俺は文字通り飛び上がった。ぽかんと手を振りかけた体勢のまま止まっていた朔也さんは、その手をそのまま口に持って行った。
「……っ、こんな絵に描いたみたいな驚き方する奴、本当にいるんだな」
うわぁ……。口を押さえて笑う姿が、可愛い。店名が書かれたエプロン姿も可愛いと思ったけど、七分袖のグリーンのシャツが似合ってる。え、革紐のネックレスとか付けるんだ。ぼ、帽子が、ちょっと大きめなのが、うわ、似合う、可愛い!
「朔也さん今日も素敵です……」
「ははっ、ありがと」
こんな綺麗な人と並んで歩けるなんて、今更ながら緊張してきた。大丈夫かな。俺は浮いてないかな。一緒に出掛けられるんだと思って、先週末に浮き足だって繁華街に買いに行った服だけど。テンションで選んだから、ちょっと自信がない。ちら、と近くのコンビニに目をやる。ガラスに映った姿を確認して、……うん、大丈夫だ。たぶん。
「何を確認してるんだよ。だーいじょうぶ、モテそうな感じ出てるから」
「えっ! モテますか!? 朔也さんに!」
「やっぱりオレか~」
なんで考えてたことがバレてるんだろう。なんだか朔也さんには隠し事をしても無駄な気がする。いや、隠すより先に俺が自分で言っちゃってるのもあるんだけど。
そうだ。思っていることはちゃんと言うべきだ。朔也さんの前では堂々としていたい。
「さ、行くか」
「あの、朔也さん。本当に今日、大丈夫でしたか」
「? なにが?」
「だって、1週間に1日しかないお休みで、」
「あー」
朔也さんは本当に今気が付いたように、ぽんと手を叩いた。
「なるほど、そういうことも気にしてくれるわけね。ありがとな。でも、気にすんな。オレのほうから行きたいとこ指定したんだし。それに、こんな機会は滅多にないだろ? たまには外でぱーっと遊びたいしさ」
あ。たしかに。学生だったら、授業はまあ……アレだけど、友達と遊ぶ時間もある。だから週に5日だか6日だか行ったところで、つまんないってことはない。でも、朔也さんがしているのは「仕事」だ。それもほとんど忙しくて外にも出られないらしい。土日の昼食はほぼ宅配だって言ってた。それじゃあ、まったく違った場所に行きたくなっても不思議はない。働いた経験はないけど、なんとなくわかる気がする。
すると、ほんの少しむすっとしたような顔で、朔也さんが俺を見上げてくる。うわー、やたらとキュート。初めて見る顔かも。
「てか。おまえの中のオレって幾つなの。まだ全然体力ありますけど」
「えっ。えーと……」
年齢? 朔也さんの? 考えたことなかったけど、……妖精みたいに可愛いしなあ。
「15歳くらい?」
「なんでおまえと年齢逆転してんだよ」
「だって、めちゃくちゃ可愛いから……」
「どういう夢の見方だよ。せめてハタチくらいに見られてんのかと思ってた。実際はそれよりちょっと上。充より8つ上だよ」
「8……ってことは22? それでそんなに可愛いんですか!? 奇跡!?」
「あはは、欲目って怖いねえ。おまえから見たオレってどんな顔してんだろな。……あー、ほら、そんなことより、さっさと行こう。もうすぐバスが出る時間だ」
8歳差……。ということは、出会った頃の朔也さんは……中学生くらいか。花のような美少年だとは思っていたけれど、今の俺より年下だったんだな。はあ……思い出すたび美しい……。
朔也さんが連れて来てくれたのは、小さな遊園地だった。いや、広い公園の中の一角に幾つか遊具があるような感じかな。入園料はかからなくて、それぞれの乗り物に乗るためにチケットを買う仕組みだ。つい数か月前まで近所だったトレジャーパークとシステムは同じだけれど、規模が違う。乗り物の数は少ないし、小さな子向けの乗り物も多いし、客の数もまばらだった。まあ、空いているのは平日の昼間だからっていうのもあるんだろうけどな。幼稚園にもまだ通っていなそうな子とおじいちゃんおばあちゃんの組み合わせが目立つ。でも朔也さんは気にせず、小さなコースターに並んだ。
「まずはこれな。乗りたいのあったら教えて」
「はい!」
そう頷いたけど、ここはベテランらしい朔也さんにお任せしたほうがよさそうだ。
朔也さんは、効率よくあちこちを巡る。規模が小さいからつまんないとか、そんなことはなかった。ドーナツ状の水路をただぐるぐる回るだけのボートも、遠心力でひたすら回されるブランコも、向こう側が見えるほどの短い距離をぐるりと回る小さな電車も、……いや、回るの多いな。動きは全部単調で、スピードもそんなに速くない。でも、隣で朔也さんが笑っていると、それだけで楽しかった。目が合うたびに、すごく嬉しかった。友達と来ても楽しいとは思うけど、好きな人がこんなに近くにいることが、こんなに幸せなことだとは知らなかった。こういうところって、誰と来るかが大事なんだな。
そういえば、俺がもっともっと小さかった頃は、あちこちの遊園地に連れて行ってもらってたっけ。昔過ぎて記憶が曖昧だけど、いろんな景色が頭の中に残ってる。でも、楽しかったことより、両親が小さな諍いを繰り返してたことのほうが印象深い。それが嫌で、ひとりでうろちょろして迷子になることも多かったっけ。今思い返せば、それが余計に両親の溝を深めてたのかもしれない。ちゃんと見ていないからだとかなんとか、お決まりのフレーズを何回も聞いた。
「充? どした?」
「あっ。いえ! 好きな人と来る遊園地の醍醐味を噛みしめてました!」
「それならいいけど。次、あれいこう」
長い綺麗な指がすいっと指し示したのは、ずっと視界に入っていた、ひときわ存在感のある観覧車だった。
今までやたらでかいのを毎日間近で見てたから、それに比べればかなり小ぶりだ。順番が来て乗り込んだカゴも、うーん。男2人だと、少し窮屈な感じだな。でも、そのぶん、向かい合う距離が近くてドキドキする。窓枠に肘を乗せ、頬杖をつくみたいに景色を眺める横顔は、どこか愁いを帯びて美しい。ああ、どの角度でも絵になる。
どこか遠くを見つめたまま、朔也さんがぽつりとつぶやいた。
「なあ。昔、ここに来たことがあったのは覚えてる?」
「え」
突然の質問に驚く。ここ? はっきりした思い出はない、と思う。今日来てから、懐かしいという感じはしなかったから。ただ、来ていてもおかしくないんだよな。ばあちゃんちに泊っていたら、遊びに来る先としてはちょうどいいし。
あれ、だけど。
「どうして朔也さんがそれを知ってるんですか」
「だって、オレとおまえが初めて会ったのここだもん」
「……は」
「そうかぁ、それ含めて覚えてないか。そうだよな、ちびっこだったもんな」
…………え?
朔也さんと……。
俺が言葉を探しているのに気が付いているのかどうか、朔也さんは静かな顔で窓の外を指さす。
「充、下見てみ。見える? あのへん。生垣の迷路があるの」
観覧車のカゴはほぼ頂上にあった。窓から見下ろすと、緑の壁が複雑な道を作っているのがはっきり見える。
「おまえ、あそこで迷子になってたんだぜ。いとことはぐれたっつって」
「そうでしたっけ……」
「んじゃ、降りたら行ってみよっか」
思考が、迷路に入る前からあっち行ったりこっち行ったり大騒ぎで走り回ってる。そういえば、そうだ。神々しいほど美しい朔也さんの姿は、脳に焼き付くようにしっかり覚えていたけれど、どこで出会ったかなんてまったく意識していなかった。まず出会わなければ告白なんて話にはならないもんな、出会った瞬間があるのは当然だ。でも、朔也さんに再会できたことが嬉しくて、そんな基本的なことにすら考えが至らなかった。俺と朔也さんが出会った場所? あそこが?
観覧車を降りて、迷路の入り口に向かう。真新しい看板には、にこやかなウサギとクマが描かれていた。見覚え……が、あるような、ないような。
係の人にチケットを渡して中に入ると、両側は鮮やかな緑の生垣だ。看板にもいたウサギが「チェックポイントを目指そう!」と跳ねている絵が括りつけられている。見覚え……と思ってじっとそれを見つめていると、「おまえとイラストのギャップがすごい」と朔也さんがけたけた笑う。ほんの少し幼く見えて、可愛い。
「ってか、すご。充、ほぼ生垣と同じサイズじゃん」
「うわ、ほんとですね。背伸びすればゴール見えるんじゃないかな」
「どうだ?」
「うーん……ダメだ、ぎりぎりわかんないです」
「あははははっ、そりゃそっか」
残念、と言いながら俺の肩をぽんと叩き、朔也さんは迷路を進み始める。俺はその背に遅れないように追いかける。迷路の中ではぐれてしまったら、きっとゴールまで会えない。もう離れるのは嫌だ。
ちらりと朔也さんが俺を見る。それから、わずかに目を細める。まるで、俺がついてきてることを確認してるみたいだ。
「……ここ、ちょっと前にリニューアルしてさ。今はだいぶ小さい子でもゴールできるように作り替えられてるんだけど。あの頃は、この生垣ももっと高くて、大人でもなかなか出られないくらいに複雑だったんだ」
話しながら、朔也さんはさくさくと進む。分かれ道でも悩まない。でも時々行き止まりにぶつかるから、正しい道を知っているというわけではなさそうだ。自分の判断に迷いがないってことなのかな、と思うと、頼もしいしかっこいい。
「どのあたりだったかなあ……。オレは一緒に来てた友達何人かと、ゴールまでのタイムを競ってたんだよね。そしたら、泣きそうになりながら十字路の真ん中できょろきょろしてるおまえがいてさ。そこに出くわしたのが、オレ」
「運命の出会いですね」
「はは、そりゃどうか知らんけど。でも、ま、おまえにはそう思えたかもな。助けてもらえると思ったのか、ずーっとぐじゅぐじゅ言いながらオレの服の裾掴んで、必死についてきたっけ」
う。
俺は、幼少時から知的で思慮深くてクールで大人びた性格、という自覚があった。のに、朔也さんの昔話を聞くごとに、どんどんそのイメージが崩れていく。
「2人で外に出たら、オレの友達とおまえの家族が待ち構えてた。もう少しで係員呼ぶとこだったんだってさ。で、助けてくれてありがとうってすっげえ感謝されて、オレたちは昼飯をごちそうになったんだけど」
「……記憶がないです」
「そこ覚えてないで、よく好きだって言い続けるよなあ。……あ、嫌味じゃなくてな。オレの何がおまえの心に響いたんだろうなって、単純な疑問」
さらりとした朔也さんの言葉は、たしかに深い響きはなさそうだった。
でも、それは俺の心にポツンと水を落とした。
朔也さんの。
なにが。
なに、と聞かれると、正直困る。だって、理由なんてない。とにかく綺麗で、目が離せなかった。花に呼ばれる虫みたいに、ただひたすら引き寄せられた。衝撃……に近いんだろうか。考えれば考えるほど、最初の小さな思いが、波紋のように心の中で広がっていく。ただ、心が、好きだと言った。それがどんどん俺の中ではっきりとしていく。ただ、それをどうやって説明したらいいんだろう。
説明に悩む俺をまったく気にしない様子で、朔也さんが「あ」と声を上げた。俺もつられて目を上げる。そこにはさっきのウサギがいて、チェックポイントと大きく表記されていた。脇には屋根が付いた小さな台があり、その上にはスタンプが置いてある。朔也さんはすたすたとそれに近付くと、入り口で貰った用紙にスタンプを押した。なんだろう。よくわからない、三角が散らばったような緑の絵。絵、というより、マーク?
「よし、1個目だ。あと3つか? この調子ならすぐに見つかりそうだな」
「この枠の中に押せばいいんですよね」
「そうだけど……。ははっ、だいぶズレてる。充って結構不器用なんだ」
「ち、違……。手が震えてるんですよ! 今日はずっと心臓バクバクなんですから。ほら、手のひらだって汗びっしょりでしょ。触ってみてください」
「どさくさに紛れて手を繋ごうとしてない?」
「ぎくーっ」
あははは、と朔也さんの明るい笑い声が響く。ちぇ、ダメか。
でも……。今日、たくさん笑ってくれてるな。それに、たくさん話をしてくれる。嬉しい。好きな人が楽しそうにしてるのって、見てるこっちも嬉しくなるんだな。
チェックポイントは全部で4つ。それを探しながら、やっぱり朔也さんはおしゃべりだった。俺たち、ここで出会った日のあとも、何度か会って遊んでいたらしい。俺がばあちゃんに頼んで、公園に呼び出して一緒に遊んでたんだそうだ。なんで俺はそこを覚えてないんだ。勿体なすぎる。だってあんな美少年、もっと記憶に残しておくべきだろ。今の朔也さんはとても綺麗だ。美しい。でも美少年の時も儚げで可愛かったのに。
ていうか、ばあちゃん。俺がフラワーエリーに行くって言った時に、その店に昔よく遊んでた子がいるよって教えてくれたらよかったのに! そしたらもっとクールに再会出来たのになあ。
ポイントにあるスタンプは、次が水色だった。上半分を切り取ったそれは、空のように見える。次の黄緑色は、さっきの緑と合わせると、葉っぱの濃淡になった。最後に埋まった濃いピンクは、バラだ。そうか。全部スタンプを押すと、バラの絵が出来上がる仕組みなのか。
出来上がったそれを、朔也さんは満足そうに見つめていた。
夢中で遊んでいたせいか、ふと見上げた時計はすっかり午後になっていた。目の前の可愛い顔を見るのにいっぱいいっぱいで、時計なんか見る暇なかったから。
「朔也さん、おなかすきません?」
「ん? ああ、こんな時間か。じゃ、飯食って帰ろう」
えっ。
「ちょっと早くないですか!?」
「夕方までにはおうち帰んないといけないからな」
「子供扱いじゃないですか」
「子供だろ」
そう言って、ちょっと意地悪な顔で笑う。むむむ。そりゃ年齢的にはそうですけど、と言い返しかけて、やめた。いくら本人が大丈夫だって言っても、朔也さんは明日からまたお仕事だ。少しでも早く帰って、体を休めてもらったほうがいい。俺のせいで疲れさせちゃうわけにはいかないから。
遅めの昼食は、年季の入った建物の中にあるフードコートだった。なんとなく、初めての一緒の食事はもう少し豪華なところを考えていたけれど、遊園地の中でちゃんと食べられるところはここだけみたいだった。他には外にフードワゴンがあるくらいだし。
でも、なんの変哲もないラーメンが、めちゃくちゃ美味しかった。それだけじゃなくて、箸を上げる仕草とか、髪をかき上げる指先とか、麺をすする唇の動きとかが、手を伸ばせば届く距離で見放題だったのはすごい。なんか、もう、色気の見本市のようだ。体全部が朔也さんの名前を叫びながら飛びつきそうなのを、ぎりぎり押さえ込めた俺はとても立派だと思う。
まあ、朔也さんがにっこり笑って拒否の姿勢を見せたせいだけど。ガードが堅い。
外に出ると、夏が近いせいか、空はまだ明るい。帰ることに納得はしたけど、本当はこんなに早く帰りたくない。朔也さんとまだ一緒にいたい。
そう思っていると、朔也さんがまたさっさと歩きだした。……そっちは遊園地の奥では?
「朔也さん?」
「こっちからも出られるんだよ」
なるほど、公園の中を通って帰る道があるんだな。後ろからついていくと、たしかに奥のほうに「公園側出口」と書かれたゲートがあった。ああ、今日が終わってしまう。
ゲートと言っても、入場料があるわけじゃないから、ただの木でできたアーチがあるだけだった。それをくぐれば、公園の中を貫く大きな道に出る。緑豊かな公園だから、遊園地から急に森の中に入ったみたいに感じる。朔也さんはそのまま道を突っ切ると、向かいにある同じようなアーチをくぐった。
ここは、さっきまでの遊園地とも、公園の道とも、また少し雰囲気が違う。急に空が広がった感じ。植木が俺の背よりも高く整えられて、壁のようにぐるりとその空間を外界から切り離していた。生垣の迷路と似ているけれど、あっちより全然広い空間だ。緑の壁に囲まれたそこは、庭園というほうがイメージに合う。中央に高い木が植えられていて、それを囲むように花壇が何重もの輪を作っていた。どの花壇にも、色鮮やかに咲き乱れる、綺麗なバラ。見渡す限りのバラは、朔也さんの店の一角を思い出させた。あれは、この庭をイメージしたんだろうか。
「わー。綺麗ですね。バラがこんなに……」
「さっきの迷路のスタンプ、バラだっただろ。ここの公園の目玉が、このローズガーデンなんだ」
弾むような言葉に朔也さんの横顔を見る。朔也さんはうっとりとした表情でその景色を眺めていた。なにか、愛おしいものを見つめるような眼差し。ちょっとだけ、胸の奥がずきっとする。その理由は、少し考えてなんとなくわかった。朔也さんが俺を見ていないからだ。
「すごい眺めだろ」
「……はい。やっぱり、朔也さんは花が好きなんですね。だからお祖父さんの後を継いで花屋になったんですか」
朔也さんはすっと視線を動かして俺を見ると、少し考え込むような表情をした。それから、少し間を開けて、ふっと笑う。
「昔はそうでもなかったんだけどな。今は好きだよ。だから、まあ、そうなのかもな」
また目を一瞬落として、再び庭園を見渡す。その表情は、とても綺麗だけれど、やっぱりどこか遠くて。なぜか、寂しそうに見えた。
さく、と朔也さんが足元の土を踏む。あ、置いて行かれる。嫌だ。慌ててそのあとを追う。
庭園の反対側に、出入り口がもうひとつあるようだ。朔也さんはまっすぐそこに向かっている。さっきの植木で出来たアーチと形は似ているけれど、向かう先にあるのは金属のフレームで出来てるようだ。そこに葉っぱが絡みついていて、幾つも蕾が付いていた。それはまもなく花開くだろう、柔らかな蕾だ。可愛らしい薄いピンクの、
……バラ?
ピンクのバラのアーチ。
あれは。
ばあちゃんの家から、自分の家に帰る日。
離れたくない気持ちが溢れて、思いに気付いた日。
「朔也さ……っ」
「帰ろう、充」
足早にアーチを潜り抜けた朔也さんは、それきり何も言わなかった。
翌日、授業が終わると、俺は脇目も振らず学校を飛び出した。
フラワーエリーに着く頃にはさすがに息も上がっていたけれど、そんなのを気にしている余裕なんてなかった。
朔也さんは切り花のコーナーで、オレンジの花を整えていた。
「おー、充。昨日の今日でもう会いに来たのか」
昨日見せた寂しそうな表情は微塵も感じさせない、いつも通りの明るい笑顔。
「っ、朔也さん」
ああ、落ち着け、呼吸。もうわかった。全部わかったんだ。早く。早く、伝えたい。
俺は手を伸ばして、こちらを向いて咲いていたバラを一輪、筒の中から引き抜き、朔也さんに差し出した。淡い、ピンクの。
「一目惚れでした。あなたしかいない。俺、あなたの心を射止めるためにここに戻って来たんです」
ぜえぜえと息の音がうるさい、我ながら、なんともかっこ悪い告白だ。でも、今更だろ。
呆然と、俺の差し出したバラを見つめる目が、かすかに揺れる。
「……思い出したんだ?」
「はい。今はまだお互い子供だから、もしも、このバラの花言葉が調べられるくらい大きくなって、それでもまだ好きだったら……もう一度告白してくれって。そういう約束でしたよね。思い出して、昨日家に帰ってからあれこれ調べました。でも、花言葉って種類がたくさんあって、同じ花でもいろんな意味があるから、どれが朔也さんに似合うか悩んで……いや」
俺は頭を振る。
もっと大事なことを伝えなくちゃ。
「大好きです。付き合ってください」
何度も告げた言葉を、今は自信を持って言える。
朔也さんはまっすぐに俺を見る。俺を見てる。それだけでいいけど、それだけじゃ嫌だ。
「約束……。案の定、忘れてたから。おまえはオレが好きなんじゃなくて、……ただ思い出にこだわってるだけだと思ってた」
だから、ダメだって言ったんですか。
「それを俺が覚えていることに賭けて、ずっと俺を試していたんですね」
「……ごめん」
「いえ、そういうところがとてもチャーミングで可愛いと思います」
「昨日も言ったけど、オレ、結構な年上だぞ」
「可愛いもんは可愛いです。事実は曲げられません」
そうか、と朔也さんが呟いた。
いや、だって、可愛いよ。告白を断り続けてる俺との初めてのデートに、俺と出会って俺に告白された場所をわざわざ選んだんだ。ずっと、俺に思い出してほしかったんだ。覚えていない俺をもどかしく感じていたんだ。もう一度、ちゃんと告白させるために。そう考えると、愛しくて愛しくてどうしようもなくなる。
「それで……答えは」
答えを促すのはかっこ悪いような気もしたけれど、もう待ちきれない。でも、朔也さんは、そんな俺を許してくれたんだろう。
泣きそうな顔で、笑う。
それから、俺に抱きついてきて……っ。
「待たせすぎだ、ばーか。しかも、うちの店のバラを勝手に小道具にしやがって」
「あっ」
で、でも、他の店で買うのも違うと思ったし。
てか、あの、うわ。手。背中に。手が。ぎゅって。あの。えっと。ええっと。これ。どうしたら、
背中にあった手が、ふっと動いた。俺は思わず目で追う。柔らかく動いて、指先が、俺と同じ薄ピンクのバラを2本抜き取った。それを俺との間にあるバラに合わせる。
「……オレだって、一目惚れだったよ。でも小さいおまえにオレの想いを背負わせるのはいけないと思ってた。だからあんな意地悪な約束をした。ごめんな」
後半部分はなるほど、と思ったけど、一番大事なとこは最初だった。一目惚れ? つまり、好きってこと? 朔也さんも? 俺を?
「朔也さんっ」
思わず手が動いて、朔也さんの背中を抱き締める。
「っあ、充、バラが潰れるっ」
「わ、ぁっ」
慌てて2人の間に挟まれたバラを両手で掴んだ。一度手を放して、体で挟んでしまった……ということは、エプロンの朔也さんはいいけど、俺は……。
「ふ、ははっ。制服濡れてんじゃん。おまえ、決まんないなあ」
あーあ。ちょこっとだけだからすぐに乾くと思うけど、決まらない、というのは朔也さんの言う通りだ。
でも。
どうでもいいや。
かっこつかなくたって、俺のことが好きだって言ってくれた。
……りょ、両想い。これが。噂の。
「でもさ。ちょっと不安だったんだ」
「え? 俺がなかなか思い出さなかったことにですか」
「それもあったけど。充の親、離婚したんだろ。愛が壊れるところを見てきたおまえは、もしかしたらオレが振り向いた途端、興味をなくすんじゃないかって。……オレが頷いた今でも、オレのこと、好き?」
「当たり前じゃないですか。親と俺は別です」
むしろ、愛情はお互いにきちんと育てていかないといけないんだって教えてもらったように思う。俺はずっと朔也さんのことが好きだった。壊れる愛の形を見ても、その気持ちは変わらなかった。でも、これからは、それをもっと育てていくんだ。
「そうか。……じゃあ、もう1本」
朔也さんは、俺にバラをもう1本手渡した。4本。
「この意味は、わかるか? それでもオレにくれるつもりはあるか?」
はい。
昨日じっくり調べましたからね。
「もちろんです。“死ぬまで気持ちは変わりません”から」
「正解」
朔也さんは、また泣きそうな目で、柔らかく笑った。
とても綺麗だ。
美しい花だ。
俺はそれに惹きつけられて、
「だっ、ダメだ!」
寸前まで近付けた顔を、朔也さんに両手で押さえつけられる。もうちょっとだったのに。
「んぐぐ、なんでですか! 今いい雰囲気だったでしょ!」
「高校生のうちはダメだろっ」
「キスもダメなんですか!? 普通、そういうのってその先の話でしょ!」
「……っ、ぅー……、じゃ、じゃあ、き、キスはそのうち……。だけど、その先はダメ!」
「高校生の性欲なめてんですか!」
「ああもう、オレだってさんざん待たされたんだから、我慢しろ!」
「へ? 待ってたんですか? そういうコトも? 俺が成長して会いに来るまで?」
「ぐぅ……っ」
目の前の朔也さんの顔が、ぱっと赤く色づく。みるみるうちに、耳まで赤くなっていく。
えっ……可愛い。
「くそっ……。ちびっこの告白だったと思ってたのに……っ」
「ちびっこだって成長しますもん。純粋な好意だって成長していくものでしょう? それとも、俺があなたをそういう目で見ているの、嫌でした?」
「……嫌だったら、我慢しろとか言わないだろ……」
うわ。
うわ。
可愛い。
そうですよね、嫌なら「我慢しろ」じゃなくて「諦めろ」とかですもんね!
「朔也さっ」
ごほん、と咳払い。
あれ。
「えー……。カップル成立おめでとうございます。よかったですね若店長、さんっざんオレに愚痴ってましたもんね。あんたらがウブで健気ながら、ドすけべなことにも興味津々だということはしーっかり伝わりました。もう今日は2人とも帰ってください。若店長もそんなんじゃ仕事になんないでしょ」
「い、糸島くん」
ばん、と机を叩く音。
「うるせー! 出てけバカップル!」
バイトの糸島さんに追い払われて、俺と朔也さんは店の前で目を見合わせた。ってか、いたんだ。
「追い出されたな」
「追い出されましたね」
朔也さんは代理だけど、店長なのに。店長がバイトに叩き出されるなんて。なんだかおかしくなってきて、笑ってしまった。朔也さんもつられるみたいに笑う。
そうして2人で笑い合っていると、「嬉しい」で体の中がいっぱいになる。
まだいまいち実感はないけれど、今日からこの人が俺の恋人なんだ。
おぼろげな記憶の中にしかいなかったこの人は、たしかに俺の隣にいてくれてるんだ。
ようやく笑いが収まったらしい朔也さんが、エプロンを外す。
「まあ、追い出された以上、戻るわけにはいかないよな。どうする?」
夕日の赤に隠されているけれど、朔也さんの頬はまだ赤い。だから、たぶん、俺の誘いも、朔也さんの答えも決まってる。
「じゃあ、付き合って初めてのデート、行きましょ」
ほら。
頷く笑顔が、キラキラ眩しい。
俺が手を差し出す。
朔也さんが俺の手を握る。
あったかい。
「……好きだよ、充」
「! 俺も大好きです!!」
繋いだ手と、反対の手には2本ずつのバラ。
たとえこれが枯れても、きっと俺たちの中でいつまでも咲き続けるんだろう。
隣を歩く可愛い恋人を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。
なんせ、俺はしぶといからな!
「あ。店のバラ、持って来ちゃいましたね」
「いいよ。おまえの初バイト代から引いておくから」
「…………!」
「もうすぐ梅雨だなあ」
雑貨屋の店先に並べられた色鮮やかな傘を眺めて、深山が呟いた。そうか、こっちは少し遅いのか。俺が今まで住んでいたあたりでは、今年はとっくに梅雨に入った。それだけ遠くに越してきたってことなんだな。なんとなくしみじみする。季節の移り変わりで引っ越しを実感するんだなあ……。
が、橋本が発した「わー!」という大きな声で強制的に現実に戻された。こいつの声は、大概でかい。
「なんだなんだ」
「そういえばこの前、傘壊しちゃったんだった! 雨降る前に新しいの買わないとじゃん!」
「橋本って、しょっちゅう物壊してない? なんか、扱いが雑っつうか。もっと愛着持ったら壊さないんじゃないか? そうだ、あの傘なんかどうよ」
「どれ? あれ? あらま~、くまちゃんのお耳ついちゃって、可愛らしいオレに似合っちゃうかしら……って、ちびっこ用だろうが! 肩びっしゃびしゃになるわ!」
2人の掛け合いに、俺も改めてそっちに目をやった。可愛い装飾やアニメ柄の傘が行儀よく飾られているのが見える。その隣のラックの前には4人組の女子がいた。彼女たちは、様々な色が散りばめられたビニールの傘を、手に取って広げたりたたんだりしてはしゃいでいる。へえ、色と色を区切るように黒い線が走っていて、ステンドグラスのようだ。そういえば、あの手の傘、最近よく見るな。
「あれなんかいいんじゃないか。流行ってんだか知らないけど」
「なるほど~、雨の日のわずかな光で色とりどりに染め上げられたオレが見たいと」
「……うーん……」
「いや、せめて乗っかるかツッコむか、して!?」
「深山の持ってる傘っていいよな。あの骨が多いやつ」
「風に強いから便利だよ」
「ほほー、スルーのほうか……」
橋本は何故か満足げに頷いている。
うん。やりとりの軽快さが心地いい。どうなるかまったく見通しのたたなかった高校生活が、こいつらを中心に毎日楽しく過ごせてる。いい友達に巡り会えてよかった。
それにしても、梅雨か。雨の季節になったら、花屋に並ぶ花も変わるんだろうか。カラフルな傘もいいけれど、店の中を彩る鮮やかな花々を心ゆくまで眺めていたい。相変わらず花の名前はわからない俺だが、きっと隣に立つ人が教えてくれるはずだ。
だらだらしゃべりながら歩いていると、見慣れた分岐に辿り着いた。だけど、毎日新鮮にどきっとする。俺はわざとらしく2人に向けてぴっと敬礼のポーズをとってみせた。
「それじゃ、俺はここで」
「おー。バイトだっけ?」
「まだ見習いだけどね」
「なんだそりゃ。まあ、頑張って」
「ありがと」
手を振って、2人の背中を見送る。そしてそのまま体をくるりと家とは違う方向に延びるその道に向け、気合い十分な一歩を踏み出した。すっかり通い慣れた、フラワーエリーに向かう道だ。
あの日、俺はぼんやりと花束を抱えて帰り、ばあちゃんにそれを渡して、夕飯を食べ、風呂に入ったあたりで急に我に返った。で、びっくりした。……俺、暴走してたよな? 朔也さんに再会して嬉しかった、そこまでは自分でも理解出来る。けど、久し振りに会っていきなり「付き合ってください」はちょっと突っ走りすぎじゃないだろうか。でも、だけどさ、言われたほうも驚いただろうけど、言ったほうもびっくりしてたんだから、そのあたりは痛み分けということにしておいてほしい。むしろ、「ダメ」って言われた俺のほうが大打撃だったわけで……。
いや、冷静になれ、俺。俺だってもう高校生だ。朔也さんが言うほど子供じゃない。真面目でしっかりして頼りがいがあるというところをきちんと見せていかなければ、朔也さんに認めてもらえないだろう。心に余裕を持つことが大切だ。冷静に。大人らしく。
フラワーエリーの店舗に足を踏み入れると、つんと花の香りに包まれる。
「いらっしゃいま……って、なんだ、充か」
ぱっと顔を上げた朔也さんが、俺の顔を見ると、その表情を和らげた。
朔也さん!
「また今日も来たんだ」
「朔也さん好きです! 付き合ってください!!」
俺の言葉に、仕事の顔がふにゃりと緩むのが愛おしい。わずかに首を傾ける仕草、なんて魅力的なんだ! たくさんの花に囲まれた姿は、まさに花の妖精と呼ぶにふさわしい。
ふっとその顔がさらに可笑しそうに崩れる。
「まったく、飽きねえ奴だな」
ああっ、今の表情。カメラに収めておくべきだった。国宝級だ。今すぐ申請しよう。誰一人異論を唱える奴なんかいない。
って、朔也さんは重そうな鉢に手をかけた。あっ、美しい手が!
「朔也さん、それ運ぶの? 俺がやります!」
「手伝ってもらわなくても大丈夫だよ」
「いえ! 俺が手伝いたいんです!」
「……バイト代は出ねえよ?」
「あなたの笑顔でじゅうぶんです!!」
「ははっ、なにそれ」
ほら。周りで咲く花より、もっと鮮やかにきらきら輝く笑顔。学校で1日過ごしてきた体力が、一瞬にしてすべて回復した。それ以上に、体中が気力で溢れかえりそうになる。それを朔也さんへの告白として口に出しても、まだまだ体の中は「好き」でいっぱいだ。ずっとずっと、俺の中でくすぶっていた思いを口に出来るだけでも嬉しい。
「じゃ、それ、1つ残して全部倉庫のほうに持って行って」
「承知しました!」
俺はその大きな鉢を持ち上げて、朔也さんに掲げて見せた。眉を寄せながら笑うの、あ、ちょっと可愛い。いやめちゃくちゃ可愛い!
「はいはい、力持ち力持ち。倉庫には糸島くんがいるから」
指示を仰げということですね。了解です!
毎日通ってるから、店内のレイアウトはすっかり覚えてしまった。レジの脇から温室のほうに向かうところに倉庫がある。店先に置ききれない在庫なんかがしまってある場所だ。失礼します、と声をかけてから倉庫に入る。
「あー、新田くん、お疲れ様」
「お疲れ様です!」
床にしゃがんでファイルとにらめっこしてた糸島さんが、ひらりと手を振った。糸島さんは、近くの大学で学ぶ大学生なのだそうだ。近所だから通いやすいって適当な理由でバイトを始めたところ、花束を作るセンスがズバ抜けていて、今ではものすごく重宝されているらしい。見た目は軽いが、とても気のいいお兄さんだ。俺が毎日告白を続けても、まったく邪険にされたりしないから、器が大きいんだと思う。
「新田くんも、無給なのに飽きないな」
「それ、朔也さんにも言われました! 俺、働きに来てるんじゃなくて、朔也さんに頼りになるところを見せたくて来てるんで!」
「ははは、まあこっちはいろんな意味で助かるから、ありがたいよ」
言いながら立ち上がった糸島さんは、俺に持っていたファイルを渡した。
「オレら、頼まれてる花束作らなきゃなんで、こっちよろしく」
「在庫管理ですね! わかりました!」
このお店は、朔也さんのお父さんのご実家だ。お父さんのお父さん、つまりお祖父さんにあたる方が、庭いじりが好きな人で、盆栽から始まり様々な鉢植えに手を出していたんだそうだ。するとあまりの見事さに近所の人から譲ってほしいと言われ、それをきっかけに商売を始めたんだとか。そして、この店名のエリーとは、大好きな奥さんの名前をもじったもの。その奥さん……朔也さんのお祖母さんが体の調子を崩されているため、今は朔也さんが店長代理を務めている。
少しずつ話を聞くうちに、気付けば店の成り立ちから店名の由来まで覚えてしまった。それだけ毎日通って、毎日朔也さんと話をしたということだ。……朔也さんは、あまり自分の話をしてくれないかわりに、店の話はよくしてくれた。朔也さんにとって、この店はそれだけ大切な存在なんだろうな。
そして! 今、俺は! そんな店の! 在庫管理を! 任されている!
これは頼りにされているということで間違いない!
さっき運び込んだ鉢を加えたうえで、倉庫にしまわれた土の袋や鉢などの数がファイルに書かれた数とぴったり合うことを確認すると、俺は意気揚々と店に戻る。糸島さんが花束を作っていて、朔也さんは、……いた! 切り花を整えてる! 綺麗! 似合う! 珠玉の存在!
「朔也さん! 終わりました!」
「お疲れさん。合ってた?」
「バッチリです!」
「ん、優秀」
……ああー……笑顔……。至福……。
「そのファイルをレジ台に置いて、次こっちな」
「はいっ」
言われた通りにして、朔也さんの斜め後ろから作業の仕方を聞く。うなじのあたりでぴょんと跳ねる髪が、呼吸ごとに優しく揺れるのが眩しい。美しい黄色い花を背景に、なんて映える光景なんだろう。
いや、ちゃんと話も聞いてるから大丈夫。俺が朔也さんの話を聞き逃すはずがないからな! ……だから、あの時。昔の朔也さんが告げてくれた言葉も、俺はきちんと聞いたはずなんだ。「もしも……」の続きを。
糸島さんが追加の花を取りに来る。
「若店長、ご機嫌ですね」
「手が多いぶん、楽だからな」
「ふーん……。早いとこ新田くんを正式バイトにすりゃいいじゃないスか。ねえ新田くん」
「えっ、いいんですか!?」
「オレにその権限はありません!」
えー。
そっか、店長は一応お祖父さんだもんな。
いや、でも、ダメだとは言われなかった。来るのはいいんだな。それに、俺も「手」として数えられてる! そうかぁ……俺、朔也さんの「手」なんだなぁ……。
よし。だいぶ認められるっぽい発言を聞いたので、今日もチャレンジだ。
「ところで朔也さん、考えてくれました? デートの件」
朔也さんは次々と切り花を抜き取りながら、「んー」と気のない返事をした。実は、何度も誘ってるんだけど、まだ快い返事がもらえていない。
「だから、付き合うのもまだOKしてないのに、デートもなにもないだろ」
「お試しでお願いしますよ~」
「そもそも休みが合わないって言ってるじゃないか」
そうなんだよな。フラワーエリーの定休日は木曜日だ。普通ならそれ以外に、従業員の休みがあってもいいはずだ。でも今はお祖父さんがいないから、人手が足りないとかで定休日以外に朔也さんが休む日はない。糸島さんだってかなりの頻度でバイトに入ってる。新しいバイトを雇うには、それこそお祖父さんが戻らないとどうしようもないってことか。でも、この体制で本当に大丈夫なのかな。
「……忙しそうですね」
慌ただしそうな朔也さんと糸島さんを目で追う。さっきから2人でいくつ花束を作っているんだろう。
「ああ、今日、シルバーダンスクラブの大会があって。入賞者全員に贈呈するんだってさ」
ふーん。さすがにそれは手伝えない。売り物に手を出すわけにはいかないからさ。店員でもバイトでもない俺は、雑用くらいなら出来るけど、そこまでだ。もっと役に立てたらいいのにな。朔也さん、本当にバイトで雇ってくれないかな……。
家に帰ると、居間の机に何故かありさが座っていて、俺を見るなり不機嫌そうに顔をしかめた。
「みっくん遅ーい!」
? 遅い?
「約束してたか?」
「して……っ、ないけど! なんか最近毎日遅いんでしょ? そんなんで勉強大丈夫なの!?」
「もちろん、問題ナシ」
そりゃ、毎日遅くても大丈夫なように、日々の授業をマジで真剣に聞いてるからな。予習は早起きでカバーしてるし。朔也さんに会うためなら、そんなの大した苦労じゃない。
「んで、今日はどうした」
「その……ちょっと勉強教えてほしくて」
「けど俺、今からばあちゃんと夕飯の支度が」
すると台所のほうから、ばあちゃんがひょいと顔を出す。
「こっちは大丈夫だから。充ちゃんはありさちゃんの宿題見てあげて」
半分は断る口実だったんだけどな。ばあちゃんにそう言われちゃ仕方ないか……。
「うん、わかった。高いとこの皿取る時には呼んで」
「そうさせてもらうね」
ばあちゃんはにこにこしながら、タマネギを手に台所に戻っていった。
しかしなあ。別にわざわざ俺のところに聞きに来なくても、他に適任はいるだろうに。俺が遅いとわかってるなら尚更さ。
「どこがわかんないの」
「えっとね……。こことここ、それからこことこっち。このへんは全部」
「大量だな。授業中なにしてんの?」
「じゅ、授業中はわかるんだもん」
ああ、よくあるやつだ。教科書の文字を教師の言葉で聞いてると、なんとなく理解した気になるんだよな。で、あとで見返すと理解出来なくて、首を傾げる結果になる。俺も昔経験した。集中のおかげか最近はなくなったけどな。
それにしても、この量か。まったく、仕方ない奴だ。俺はありさが広げた教科書を覗き込む。学校が違うから、俺が中学時代に使ってた教科書とは違う。とはいえ、書いてあることは大して変わらないはずだ。受験からさほど間もあいてないし、記憶が抜けてるってことはないだろ。……うん、大丈夫そうだ。
「……ねえ、みっくん」
「ん? どこか引っかかった?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど。あのー、高校生活、楽しい?」
「楽しいよ」
何が聞きたいんだろう。ありさの声は、なにかを探るような雰囲気だ。なんだ、まだ高校入るまで1年近くあるのに、もう不安になってるのか。中学から高校にそのまま上がる友達だってかなりの人数いるだろうし、心配することないのにな。
ありさはチラッと下から俺の顔を覗き込んでくる。その頃にはすっかりにやにや顔だ。
「あー、もしかして彼女とかできたとか~? でもー、みっくん鈍いから、まさかね~」
「ありさに心配されなくても大丈夫だよ」
俺のが年上だけれど、何故か昔からありさは俺を弟のように扱う。実際は俺のほうが面倒みてやってることのほうが多いんだけどなぁ。
「ねえ、仕方ないから、来週の開校記念日、遊びに連れてってあげようかー?」
開校記念日? ああ、同じ付属校だから中学と高校で日付が一緒なのか。
「ね、予定ないでしょ。来週の木曜日」
「……木曜日?」
教えなきゃならない量の多さになんとなく眠くなってきていた頭が、一気に覚めた。木曜日……木曜日!? フラワーエリーの定休日だ!
「悪い。予定あるわ」
「えっ」
「さっさと終わらせよう。ほら、次の問題」
ありさは戸惑った様子を見せながらペンを握ったけれど、俺の脳内はもうそれどころではなかった。これはもはや、運命に違いない!
翌週、木曜日。空はよく晴れて雲一つなく、頬を撫でる風が爽やかな、外出にはこれ以上ない、もってこいの天気だ。けれど、俺は駅前にある自販機の横に立って、頭を抱えていた。
冷静に考えて……これは正しい選択だったんだろうか。
ありさから情報を得た日の翌日、学校が終わると俺はまっすぐ朔也さんのところに走った。
「今度の木曜、休みが被るんですけど、遊びに行きませんか!」
店に入るなり俺が詰め寄ると、朔也さんは横目でカレンダーを見た。
「へ? ああ、おまえんとこ、開校記念日か。なるほどな。うん、いいよ。どこへ連れてってくれるんだ?」
「……えっ」
いつもの感じからすると絶対玉砕するだろうなと思っていたから、まさかのOKの返事に思考がフリーズした。どこへ? どこ? 俺はこのあたりのどこを知ってる? ぐるぐる考え込む俺に、朔也さんが噴き出した。
「ふっ、ふ、ははっ。だよな。わかんないよな。おまえ地元じゃないもんな。じゃあ、オレの行きたいところでいい?」
「っあ、はいっ、もちろんです!」
そして俺は今、こうして朔也さんから指定された待ち合わせ場所に来ているわけだ。
だが……。
自分でもわかっていたじゃないか。忙しい朔也さんは、木曜日しか休みがない。1週間の疲れを癒すとしたら今日しかないんだ。それを、俺に付き合わせていいんだろうか。そう考えると、急に悪いことをしている気分になってくる。
「充」
「うええっ、はいっ!」
突然声をかけられて、俺は文字通り飛び上がった。ぽかんと手を振りかけた体勢のまま止まっていた朔也さんは、その手をそのまま口に持って行った。
「……っ、こんな絵に描いたみたいな驚き方する奴、本当にいるんだな」
うわぁ……。口を押さえて笑う姿が、可愛い。店名が書かれたエプロン姿も可愛いと思ったけど、七分袖のグリーンのシャツが似合ってる。え、革紐のネックレスとか付けるんだ。ぼ、帽子が、ちょっと大きめなのが、うわ、似合う、可愛い!
「朔也さん今日も素敵です……」
「ははっ、ありがと」
こんな綺麗な人と並んで歩けるなんて、今更ながら緊張してきた。大丈夫かな。俺は浮いてないかな。一緒に出掛けられるんだと思って、先週末に浮き足だって繁華街に買いに行った服だけど。テンションで選んだから、ちょっと自信がない。ちら、と近くのコンビニに目をやる。ガラスに映った姿を確認して、……うん、大丈夫だ。たぶん。
「何を確認してるんだよ。だーいじょうぶ、モテそうな感じ出てるから」
「えっ! モテますか!? 朔也さんに!」
「やっぱりオレか~」
なんで考えてたことがバレてるんだろう。なんだか朔也さんには隠し事をしても無駄な気がする。いや、隠すより先に俺が自分で言っちゃってるのもあるんだけど。
そうだ。思っていることはちゃんと言うべきだ。朔也さんの前では堂々としていたい。
「さ、行くか」
「あの、朔也さん。本当に今日、大丈夫でしたか」
「? なにが?」
「だって、1週間に1日しかないお休みで、」
「あー」
朔也さんは本当に今気が付いたように、ぽんと手を叩いた。
「なるほど、そういうことも気にしてくれるわけね。ありがとな。でも、気にすんな。オレのほうから行きたいとこ指定したんだし。それに、こんな機会は滅多にないだろ? たまには外でぱーっと遊びたいしさ」
あ。たしかに。学生だったら、授業はまあ……アレだけど、友達と遊ぶ時間もある。だから週に5日だか6日だか行ったところで、つまんないってことはない。でも、朔也さんがしているのは「仕事」だ。それもほとんど忙しくて外にも出られないらしい。土日の昼食はほぼ宅配だって言ってた。それじゃあ、まったく違った場所に行きたくなっても不思議はない。働いた経験はないけど、なんとなくわかる気がする。
すると、ほんの少しむすっとしたような顔で、朔也さんが俺を見上げてくる。うわー、やたらとキュート。初めて見る顔かも。
「てか。おまえの中のオレって幾つなの。まだ全然体力ありますけど」
「えっ。えーと……」
年齢? 朔也さんの? 考えたことなかったけど、……妖精みたいに可愛いしなあ。
「15歳くらい?」
「なんでおまえと年齢逆転してんだよ」
「だって、めちゃくちゃ可愛いから……」
「どういう夢の見方だよ。せめてハタチくらいに見られてんのかと思ってた。実際はそれよりちょっと上。充より8つ上だよ」
「8……ってことは22? それでそんなに可愛いんですか!? 奇跡!?」
「あはは、欲目って怖いねえ。おまえから見たオレってどんな顔してんだろな。……あー、ほら、そんなことより、さっさと行こう。もうすぐバスが出る時間だ」
8歳差……。ということは、出会った頃の朔也さんは……中学生くらいか。花のような美少年だとは思っていたけれど、今の俺より年下だったんだな。はあ……思い出すたび美しい……。
朔也さんが連れて来てくれたのは、小さな遊園地だった。いや、広い公園の中の一角に幾つか遊具があるような感じかな。入園料はかからなくて、それぞれの乗り物に乗るためにチケットを買う仕組みだ。つい数か月前まで近所だったトレジャーパークとシステムは同じだけれど、規模が違う。乗り物の数は少ないし、小さな子向けの乗り物も多いし、客の数もまばらだった。まあ、空いているのは平日の昼間だからっていうのもあるんだろうけどな。幼稚園にもまだ通っていなそうな子とおじいちゃんおばあちゃんの組み合わせが目立つ。でも朔也さんは気にせず、小さなコースターに並んだ。
「まずはこれな。乗りたいのあったら教えて」
「はい!」
そう頷いたけど、ここはベテランらしい朔也さんにお任せしたほうがよさそうだ。
朔也さんは、効率よくあちこちを巡る。規模が小さいからつまんないとか、そんなことはなかった。ドーナツ状の水路をただぐるぐる回るだけのボートも、遠心力でひたすら回されるブランコも、向こう側が見えるほどの短い距離をぐるりと回る小さな電車も、……いや、回るの多いな。動きは全部単調で、スピードもそんなに速くない。でも、隣で朔也さんが笑っていると、それだけで楽しかった。目が合うたびに、すごく嬉しかった。友達と来ても楽しいとは思うけど、好きな人がこんなに近くにいることが、こんなに幸せなことだとは知らなかった。こういうところって、誰と来るかが大事なんだな。
そういえば、俺がもっともっと小さかった頃は、あちこちの遊園地に連れて行ってもらってたっけ。昔過ぎて記憶が曖昧だけど、いろんな景色が頭の中に残ってる。でも、楽しかったことより、両親が小さな諍いを繰り返してたことのほうが印象深い。それが嫌で、ひとりでうろちょろして迷子になることも多かったっけ。今思い返せば、それが余計に両親の溝を深めてたのかもしれない。ちゃんと見ていないからだとかなんとか、お決まりのフレーズを何回も聞いた。
「充? どした?」
「あっ。いえ! 好きな人と来る遊園地の醍醐味を噛みしめてました!」
「それならいいけど。次、あれいこう」
長い綺麗な指がすいっと指し示したのは、ずっと視界に入っていた、ひときわ存在感のある観覧車だった。
今までやたらでかいのを毎日間近で見てたから、それに比べればかなり小ぶりだ。順番が来て乗り込んだカゴも、うーん。男2人だと、少し窮屈な感じだな。でも、そのぶん、向かい合う距離が近くてドキドキする。窓枠に肘を乗せ、頬杖をつくみたいに景色を眺める横顔は、どこか愁いを帯びて美しい。ああ、どの角度でも絵になる。
どこか遠くを見つめたまま、朔也さんがぽつりとつぶやいた。
「なあ。昔、ここに来たことがあったのは覚えてる?」
「え」
突然の質問に驚く。ここ? はっきりした思い出はない、と思う。今日来てから、懐かしいという感じはしなかったから。ただ、来ていてもおかしくないんだよな。ばあちゃんちに泊っていたら、遊びに来る先としてはちょうどいいし。
あれ、だけど。
「どうして朔也さんがそれを知ってるんですか」
「だって、オレとおまえが初めて会ったのここだもん」
「……は」
「そうかぁ、それ含めて覚えてないか。そうだよな、ちびっこだったもんな」
…………え?
朔也さんと……。
俺が言葉を探しているのに気が付いているのかどうか、朔也さんは静かな顔で窓の外を指さす。
「充、下見てみ。見える? あのへん。生垣の迷路があるの」
観覧車のカゴはほぼ頂上にあった。窓から見下ろすと、緑の壁が複雑な道を作っているのがはっきり見える。
「おまえ、あそこで迷子になってたんだぜ。いとことはぐれたっつって」
「そうでしたっけ……」
「んじゃ、降りたら行ってみよっか」
思考が、迷路に入る前からあっち行ったりこっち行ったり大騒ぎで走り回ってる。そういえば、そうだ。神々しいほど美しい朔也さんの姿は、脳に焼き付くようにしっかり覚えていたけれど、どこで出会ったかなんてまったく意識していなかった。まず出会わなければ告白なんて話にはならないもんな、出会った瞬間があるのは当然だ。でも、朔也さんに再会できたことが嬉しくて、そんな基本的なことにすら考えが至らなかった。俺と朔也さんが出会った場所? あそこが?
観覧車を降りて、迷路の入り口に向かう。真新しい看板には、にこやかなウサギとクマが描かれていた。見覚え……が、あるような、ないような。
係の人にチケットを渡して中に入ると、両側は鮮やかな緑の生垣だ。看板にもいたウサギが「チェックポイントを目指そう!」と跳ねている絵が括りつけられている。見覚え……と思ってじっとそれを見つめていると、「おまえとイラストのギャップがすごい」と朔也さんがけたけた笑う。ほんの少し幼く見えて、可愛い。
「ってか、すご。充、ほぼ生垣と同じサイズじゃん」
「うわ、ほんとですね。背伸びすればゴール見えるんじゃないかな」
「どうだ?」
「うーん……ダメだ、ぎりぎりわかんないです」
「あははははっ、そりゃそっか」
残念、と言いながら俺の肩をぽんと叩き、朔也さんは迷路を進み始める。俺はその背に遅れないように追いかける。迷路の中ではぐれてしまったら、きっとゴールまで会えない。もう離れるのは嫌だ。
ちらりと朔也さんが俺を見る。それから、わずかに目を細める。まるで、俺がついてきてることを確認してるみたいだ。
「……ここ、ちょっと前にリニューアルしてさ。今はだいぶ小さい子でもゴールできるように作り替えられてるんだけど。あの頃は、この生垣ももっと高くて、大人でもなかなか出られないくらいに複雑だったんだ」
話しながら、朔也さんはさくさくと進む。分かれ道でも悩まない。でも時々行き止まりにぶつかるから、正しい道を知っているというわけではなさそうだ。自分の判断に迷いがないってことなのかな、と思うと、頼もしいしかっこいい。
「どのあたりだったかなあ……。オレは一緒に来てた友達何人かと、ゴールまでのタイムを競ってたんだよね。そしたら、泣きそうになりながら十字路の真ん中できょろきょろしてるおまえがいてさ。そこに出くわしたのが、オレ」
「運命の出会いですね」
「はは、そりゃどうか知らんけど。でも、ま、おまえにはそう思えたかもな。助けてもらえると思ったのか、ずーっとぐじゅぐじゅ言いながらオレの服の裾掴んで、必死についてきたっけ」
う。
俺は、幼少時から知的で思慮深くてクールで大人びた性格、という自覚があった。のに、朔也さんの昔話を聞くごとに、どんどんそのイメージが崩れていく。
「2人で外に出たら、オレの友達とおまえの家族が待ち構えてた。もう少しで係員呼ぶとこだったんだってさ。で、助けてくれてありがとうってすっげえ感謝されて、オレたちは昼飯をごちそうになったんだけど」
「……記憶がないです」
「そこ覚えてないで、よく好きだって言い続けるよなあ。……あ、嫌味じゃなくてな。オレの何がおまえの心に響いたんだろうなって、単純な疑問」
さらりとした朔也さんの言葉は、たしかに深い響きはなさそうだった。
でも、それは俺の心にポツンと水を落とした。
朔也さんの。
なにが。
なに、と聞かれると、正直困る。だって、理由なんてない。とにかく綺麗で、目が離せなかった。花に呼ばれる虫みたいに、ただひたすら引き寄せられた。衝撃……に近いんだろうか。考えれば考えるほど、最初の小さな思いが、波紋のように心の中で広がっていく。ただ、心が、好きだと言った。それがどんどん俺の中ではっきりとしていく。ただ、それをどうやって説明したらいいんだろう。
説明に悩む俺をまったく気にしない様子で、朔也さんが「あ」と声を上げた。俺もつられて目を上げる。そこにはさっきのウサギがいて、チェックポイントと大きく表記されていた。脇には屋根が付いた小さな台があり、その上にはスタンプが置いてある。朔也さんはすたすたとそれに近付くと、入り口で貰った用紙にスタンプを押した。なんだろう。よくわからない、三角が散らばったような緑の絵。絵、というより、マーク?
「よし、1個目だ。あと3つか? この調子ならすぐに見つかりそうだな」
「この枠の中に押せばいいんですよね」
「そうだけど……。ははっ、だいぶズレてる。充って結構不器用なんだ」
「ち、違……。手が震えてるんですよ! 今日はずっと心臓バクバクなんですから。ほら、手のひらだって汗びっしょりでしょ。触ってみてください」
「どさくさに紛れて手を繋ごうとしてない?」
「ぎくーっ」
あははは、と朔也さんの明るい笑い声が響く。ちぇ、ダメか。
でも……。今日、たくさん笑ってくれてるな。それに、たくさん話をしてくれる。嬉しい。好きな人が楽しそうにしてるのって、見てるこっちも嬉しくなるんだな。
チェックポイントは全部で4つ。それを探しながら、やっぱり朔也さんはおしゃべりだった。俺たち、ここで出会った日のあとも、何度か会って遊んでいたらしい。俺がばあちゃんに頼んで、公園に呼び出して一緒に遊んでたんだそうだ。なんで俺はそこを覚えてないんだ。勿体なすぎる。だってあんな美少年、もっと記憶に残しておくべきだろ。今の朔也さんはとても綺麗だ。美しい。でも美少年の時も儚げで可愛かったのに。
ていうか、ばあちゃん。俺がフラワーエリーに行くって言った時に、その店に昔よく遊んでた子がいるよって教えてくれたらよかったのに! そしたらもっとクールに再会出来たのになあ。
ポイントにあるスタンプは、次が水色だった。上半分を切り取ったそれは、空のように見える。次の黄緑色は、さっきの緑と合わせると、葉っぱの濃淡になった。最後に埋まった濃いピンクは、バラだ。そうか。全部スタンプを押すと、バラの絵が出来上がる仕組みなのか。
出来上がったそれを、朔也さんは満足そうに見つめていた。
夢中で遊んでいたせいか、ふと見上げた時計はすっかり午後になっていた。目の前の可愛い顔を見るのにいっぱいいっぱいで、時計なんか見る暇なかったから。
「朔也さん、おなかすきません?」
「ん? ああ、こんな時間か。じゃ、飯食って帰ろう」
えっ。
「ちょっと早くないですか!?」
「夕方までにはおうち帰んないといけないからな」
「子供扱いじゃないですか」
「子供だろ」
そう言って、ちょっと意地悪な顔で笑う。むむむ。そりゃ年齢的にはそうですけど、と言い返しかけて、やめた。いくら本人が大丈夫だって言っても、朔也さんは明日からまたお仕事だ。少しでも早く帰って、体を休めてもらったほうがいい。俺のせいで疲れさせちゃうわけにはいかないから。
遅めの昼食は、年季の入った建物の中にあるフードコートだった。なんとなく、初めての一緒の食事はもう少し豪華なところを考えていたけれど、遊園地の中でちゃんと食べられるところはここだけみたいだった。他には外にフードワゴンがあるくらいだし。
でも、なんの変哲もないラーメンが、めちゃくちゃ美味しかった。それだけじゃなくて、箸を上げる仕草とか、髪をかき上げる指先とか、麺をすする唇の動きとかが、手を伸ばせば届く距離で見放題だったのはすごい。なんか、もう、色気の見本市のようだ。体全部が朔也さんの名前を叫びながら飛びつきそうなのを、ぎりぎり押さえ込めた俺はとても立派だと思う。
まあ、朔也さんがにっこり笑って拒否の姿勢を見せたせいだけど。ガードが堅い。
外に出ると、夏が近いせいか、空はまだ明るい。帰ることに納得はしたけど、本当はこんなに早く帰りたくない。朔也さんとまだ一緒にいたい。
そう思っていると、朔也さんがまたさっさと歩きだした。……そっちは遊園地の奥では?
「朔也さん?」
「こっちからも出られるんだよ」
なるほど、公園の中を通って帰る道があるんだな。後ろからついていくと、たしかに奥のほうに「公園側出口」と書かれたゲートがあった。ああ、今日が終わってしまう。
ゲートと言っても、入場料があるわけじゃないから、ただの木でできたアーチがあるだけだった。それをくぐれば、公園の中を貫く大きな道に出る。緑豊かな公園だから、遊園地から急に森の中に入ったみたいに感じる。朔也さんはそのまま道を突っ切ると、向かいにある同じようなアーチをくぐった。
ここは、さっきまでの遊園地とも、公園の道とも、また少し雰囲気が違う。急に空が広がった感じ。植木が俺の背よりも高く整えられて、壁のようにぐるりとその空間を外界から切り離していた。生垣の迷路と似ているけれど、あっちより全然広い空間だ。緑の壁に囲まれたそこは、庭園というほうがイメージに合う。中央に高い木が植えられていて、それを囲むように花壇が何重もの輪を作っていた。どの花壇にも、色鮮やかに咲き乱れる、綺麗なバラ。見渡す限りのバラは、朔也さんの店の一角を思い出させた。あれは、この庭をイメージしたんだろうか。
「わー。綺麗ですね。バラがこんなに……」
「さっきの迷路のスタンプ、バラだっただろ。ここの公園の目玉が、このローズガーデンなんだ」
弾むような言葉に朔也さんの横顔を見る。朔也さんはうっとりとした表情でその景色を眺めていた。なにか、愛おしいものを見つめるような眼差し。ちょっとだけ、胸の奥がずきっとする。その理由は、少し考えてなんとなくわかった。朔也さんが俺を見ていないからだ。
「すごい眺めだろ」
「……はい。やっぱり、朔也さんは花が好きなんですね。だからお祖父さんの後を継いで花屋になったんですか」
朔也さんはすっと視線を動かして俺を見ると、少し考え込むような表情をした。それから、少し間を開けて、ふっと笑う。
「昔はそうでもなかったんだけどな。今は好きだよ。だから、まあ、そうなのかもな」
また目を一瞬落として、再び庭園を見渡す。その表情は、とても綺麗だけれど、やっぱりどこか遠くて。なぜか、寂しそうに見えた。
さく、と朔也さんが足元の土を踏む。あ、置いて行かれる。嫌だ。慌ててそのあとを追う。
庭園の反対側に、出入り口がもうひとつあるようだ。朔也さんはまっすぐそこに向かっている。さっきの植木で出来たアーチと形は似ているけれど、向かう先にあるのは金属のフレームで出来てるようだ。そこに葉っぱが絡みついていて、幾つも蕾が付いていた。それはまもなく花開くだろう、柔らかな蕾だ。可愛らしい薄いピンクの、
……バラ?
ピンクのバラのアーチ。
あれは。
ばあちゃんの家から、自分の家に帰る日。
離れたくない気持ちが溢れて、思いに気付いた日。
「朔也さ……っ」
「帰ろう、充」
足早にアーチを潜り抜けた朔也さんは、それきり何も言わなかった。
翌日、授業が終わると、俺は脇目も振らず学校を飛び出した。
フラワーエリーに着く頃にはさすがに息も上がっていたけれど、そんなのを気にしている余裕なんてなかった。
朔也さんは切り花のコーナーで、オレンジの花を整えていた。
「おー、充。昨日の今日でもう会いに来たのか」
昨日見せた寂しそうな表情は微塵も感じさせない、いつも通りの明るい笑顔。
「っ、朔也さん」
ああ、落ち着け、呼吸。もうわかった。全部わかったんだ。早く。早く、伝えたい。
俺は手を伸ばして、こちらを向いて咲いていたバラを一輪、筒の中から引き抜き、朔也さんに差し出した。淡い、ピンクの。
「一目惚れでした。あなたしかいない。俺、あなたの心を射止めるためにここに戻って来たんです」
ぜえぜえと息の音がうるさい、我ながら、なんともかっこ悪い告白だ。でも、今更だろ。
呆然と、俺の差し出したバラを見つめる目が、かすかに揺れる。
「……思い出したんだ?」
「はい。今はまだお互い子供だから、もしも、このバラの花言葉が調べられるくらい大きくなって、それでもまだ好きだったら……もう一度告白してくれって。そういう約束でしたよね。思い出して、昨日家に帰ってからあれこれ調べました。でも、花言葉って種類がたくさんあって、同じ花でもいろんな意味があるから、どれが朔也さんに似合うか悩んで……いや」
俺は頭を振る。
もっと大事なことを伝えなくちゃ。
「大好きです。付き合ってください」
何度も告げた言葉を、今は自信を持って言える。
朔也さんはまっすぐに俺を見る。俺を見てる。それだけでいいけど、それだけじゃ嫌だ。
「約束……。案の定、忘れてたから。おまえはオレが好きなんじゃなくて、……ただ思い出にこだわってるだけだと思ってた」
だから、ダメだって言ったんですか。
「それを俺が覚えていることに賭けて、ずっと俺を試していたんですね」
「……ごめん」
「いえ、そういうところがとてもチャーミングで可愛いと思います」
「昨日も言ったけど、オレ、結構な年上だぞ」
「可愛いもんは可愛いです。事実は曲げられません」
そうか、と朔也さんが呟いた。
いや、だって、可愛いよ。告白を断り続けてる俺との初めてのデートに、俺と出会って俺に告白された場所をわざわざ選んだんだ。ずっと、俺に思い出してほしかったんだ。覚えていない俺をもどかしく感じていたんだ。もう一度、ちゃんと告白させるために。そう考えると、愛しくて愛しくてどうしようもなくなる。
「それで……答えは」
答えを促すのはかっこ悪いような気もしたけれど、もう待ちきれない。でも、朔也さんは、そんな俺を許してくれたんだろう。
泣きそうな顔で、笑う。
それから、俺に抱きついてきて……っ。
「待たせすぎだ、ばーか。しかも、うちの店のバラを勝手に小道具にしやがって」
「あっ」
で、でも、他の店で買うのも違うと思ったし。
てか、あの、うわ。手。背中に。手が。ぎゅって。あの。えっと。ええっと。これ。どうしたら、
背中にあった手が、ふっと動いた。俺は思わず目で追う。柔らかく動いて、指先が、俺と同じ薄ピンクのバラを2本抜き取った。それを俺との間にあるバラに合わせる。
「……オレだって、一目惚れだったよ。でも小さいおまえにオレの想いを背負わせるのはいけないと思ってた。だからあんな意地悪な約束をした。ごめんな」
後半部分はなるほど、と思ったけど、一番大事なとこは最初だった。一目惚れ? つまり、好きってこと? 朔也さんも? 俺を?
「朔也さんっ」
思わず手が動いて、朔也さんの背中を抱き締める。
「っあ、充、バラが潰れるっ」
「わ、ぁっ」
慌てて2人の間に挟まれたバラを両手で掴んだ。一度手を放して、体で挟んでしまった……ということは、エプロンの朔也さんはいいけど、俺は……。
「ふ、ははっ。制服濡れてんじゃん。おまえ、決まんないなあ」
あーあ。ちょこっとだけだからすぐに乾くと思うけど、決まらない、というのは朔也さんの言う通りだ。
でも。
どうでもいいや。
かっこつかなくたって、俺のことが好きだって言ってくれた。
……りょ、両想い。これが。噂の。
「でもさ。ちょっと不安だったんだ」
「え? 俺がなかなか思い出さなかったことにですか」
「それもあったけど。充の親、離婚したんだろ。愛が壊れるところを見てきたおまえは、もしかしたらオレが振り向いた途端、興味をなくすんじゃないかって。……オレが頷いた今でも、オレのこと、好き?」
「当たり前じゃないですか。親と俺は別です」
むしろ、愛情はお互いにきちんと育てていかないといけないんだって教えてもらったように思う。俺はずっと朔也さんのことが好きだった。壊れる愛の形を見ても、その気持ちは変わらなかった。でも、これからは、それをもっと育てていくんだ。
「そうか。……じゃあ、もう1本」
朔也さんは、俺にバラをもう1本手渡した。4本。
「この意味は、わかるか? それでもオレにくれるつもりはあるか?」
はい。
昨日じっくり調べましたからね。
「もちろんです。“死ぬまで気持ちは変わりません”から」
「正解」
朔也さんは、また泣きそうな目で、柔らかく笑った。
とても綺麗だ。
美しい花だ。
俺はそれに惹きつけられて、
「だっ、ダメだ!」
寸前まで近付けた顔を、朔也さんに両手で押さえつけられる。もうちょっとだったのに。
「んぐぐ、なんでですか! 今いい雰囲気だったでしょ!」
「高校生のうちはダメだろっ」
「キスもダメなんですか!? 普通、そういうのってその先の話でしょ!」
「……っ、ぅー……、じゃ、じゃあ、き、キスはそのうち……。だけど、その先はダメ!」
「高校生の性欲なめてんですか!」
「ああもう、オレだってさんざん待たされたんだから、我慢しろ!」
「へ? 待ってたんですか? そういうコトも? 俺が成長して会いに来るまで?」
「ぐぅ……っ」
目の前の朔也さんの顔が、ぱっと赤く色づく。みるみるうちに、耳まで赤くなっていく。
えっ……可愛い。
「くそっ……。ちびっこの告白だったと思ってたのに……っ」
「ちびっこだって成長しますもん。純粋な好意だって成長していくものでしょう? それとも、俺があなたをそういう目で見ているの、嫌でした?」
「……嫌だったら、我慢しろとか言わないだろ……」
うわ。
うわ。
可愛い。
そうですよね、嫌なら「我慢しろ」じゃなくて「諦めろ」とかですもんね!
「朔也さっ」
ごほん、と咳払い。
あれ。
「えー……。カップル成立おめでとうございます。よかったですね若店長、さんっざんオレに愚痴ってましたもんね。あんたらがウブで健気ながら、ドすけべなことにも興味津々だということはしーっかり伝わりました。もう今日は2人とも帰ってください。若店長もそんなんじゃ仕事になんないでしょ」
「い、糸島くん」
ばん、と机を叩く音。
「うるせー! 出てけバカップル!」
バイトの糸島さんに追い払われて、俺と朔也さんは店の前で目を見合わせた。ってか、いたんだ。
「追い出されたな」
「追い出されましたね」
朔也さんは代理だけど、店長なのに。店長がバイトに叩き出されるなんて。なんだかおかしくなってきて、笑ってしまった。朔也さんもつられるみたいに笑う。
そうして2人で笑い合っていると、「嬉しい」で体の中がいっぱいになる。
まだいまいち実感はないけれど、今日からこの人が俺の恋人なんだ。
おぼろげな記憶の中にしかいなかったこの人は、たしかに俺の隣にいてくれてるんだ。
ようやく笑いが収まったらしい朔也さんが、エプロンを外す。
「まあ、追い出された以上、戻るわけにはいかないよな。どうする?」
夕日の赤に隠されているけれど、朔也さんの頬はまだ赤い。だから、たぶん、俺の誘いも、朔也さんの答えも決まってる。
「じゃあ、付き合って初めてのデート、行きましょ」
ほら。
頷く笑顔が、キラキラ眩しい。
俺が手を差し出す。
朔也さんが俺の手を握る。
あったかい。
「……好きだよ、充」
「! 俺も大好きです!!」
繋いだ手と、反対の手には2本ずつのバラ。
たとえこれが枯れても、きっと俺たちの中でいつまでも咲き続けるんだろう。
隣を歩く可愛い恋人を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。
なんせ、俺はしぶといからな!
「あ。店のバラ、持って来ちゃいましたね」
「いいよ。おまえの初バイト代から引いておくから」
「…………!」
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