投稿日:2026年01月11日 04:42 文字数:13,357
陽海本線/アフターアフターハピハピバス
上官執務室。東海道、山陽の新幹線と本線は、4路線何かと顔を突き合わせ会議する事が多い。本日、早めにひとつ前の打ち合わせを切り上げた山陽本線は何も考えず執務室をノックし、東海道上官だけと知り「しまったな」と思った。あの出来事、東海道本線と付き合っていると宣言してから、東海道上官と二人きりになるのは初めてだ。軽く礼を交わすと、時間稼ぎに茶を入れ、しかし上官も東海道も現れぬのに小さく舌打つ。流しに映った前髪を整えると、すました顔で上官に茶をすすめ、第一声を探しあぐねて自分も茶を啜ったところ。
「山陽本線、東海道とはどうだ」
「は」
上官が言う「東海道」とは当然「東海道本線」であり、晴れて恋人となった男の事である。東海道が兄をそれはそれは慕ってるのは周知の事実。しかしだ。東海道新幹線、考えるとこの兄が弟をどう思ってるかは、いまひとつ知らない。実の所、兄も弟をよくよく想っており『この関係に終止符を打て』と命じたなら。東海道は即座にノーを突き付けてくるに違いない。
ほんの数秒の熟考、深呼吸のち。
「……仲良くやっております」
軽く鳴った喉は聞こえたか、目を伏せる程度に頭を下げる。
「ふむ」
おのずと緊張が走る。東海道上官は指を顎に思案すると、棚から冊子を取り出した。
「ならば山陽本線、見るか」
おそるおそる。一礼して覗き込むと、そこには国鉄服を着て並ぶ兄弟の写真があった。写真館で撮るいかにもな家族写真だった。
「東海道の昔の写真だ」
山陽は数秒、ローディングした。
(東海道の昔の写真だ?)
口振りから察するにおそらく、これはドラマでみる『恋人の家族が、恋人の小さな頃の写真を見せてくれるイベント』のようだ。勿論人間ならではのイベントである。こと東海道本線の場合、自分の方が付き合いが長い。また東海道が本当に小さい頃を知るのは御三家ぐらいで、足を運ぶべきは鉄道博物館である。上官の手元にある写真には、別段今と変わりない東海道がいた。
しかし、ひらめいた。もしかしたら、東海道上官はこういうジョークがお好きなのかも知れない。
弟の恋人となった男と、距離を詰めるジョーク。であれば的確に突っ込むべきだが、いや待て、果たして東海道上官はそのような男だろうか。背に汗が流れる。善意からの披露であれば、指摘で恥をかかせかねん。絶対零度の眼差しで「東海道、いますぐこの男と別れなさい!」と叱る上官、悲し気に俺を振る東海道、は想像に補正がかかっているが… 思い浮かべて背を正す。この茶番に全力で乗るべきだ。俺は西の男、力量を見せる時だとアクセルを踏む。
「なるほど!やはり東海道もいまより小さいですね」
「小さくはない」
「小さくはなかったです」
顔を背け、無音で息をころす。違う、全然違った。
眉頭を寄せ写真を見つめる。まだ兄弟出会い立ての頃だろうか。東海道は凛々しく卒ない顔で、上官は幾分睨むような顔でカメラを見つめている。上官は気にした素振りもなく、ページを捲った。時代同じくか、殺風景なホームに佇む東海道本線が、遠くを見据えていた。上官の信頼を回復すべき一言を至急探す。しかし。
「……今のが楽しそうですね」
なんともな感想しか浮かばなかった。失意の山陽に、上官はほんの僅か目を開いてから瞬き。
「そうだな」
機嫌が良い時の声色で答えた。どうやら、望ましい回答だったらしい。何が何だか分からないが、ひとまず安堵する。東海道上官は手袋を滑らせ新しいページを見せた。
「東海道が初めて描いた私だ」
「……大変、上手ですね」
「私もそう思う」
緻密で達者な絵だった。あれは絵を描く男だったのか。兄を思い、描く東海道を想うと、その顔は嬉しそうでなんだか穏やかな気持ちになった。それからも一緒に作った料理やら、鉄道開業日のイベントやら、さまざま、十程の思い出を見せられた。アルバムに並ぶ思い出は、粒度も時系列もバラバラで『気が向いた時に集めた』ようだった。意外だ。東海道上官は仕事なら厳密さを求める男。仕事では几帳面だが、兄としては大雑把なのかもしれない。その発見は、ほんの一歩、二人の距離を縮めた。
なんだか楽しくなってきた頃。スポンサーはわが上官らしい、クリスマスケーキのホール半分掲げながら満面の笑みを浮かべてる東海道本線、を最後にアルバムは閉じられた。アルバムを若干名残惜しく見送ると、頬に上官の視線を感じ背を正す。
「どうだ?」
「見せて頂きありがとうございます。とても興味深かったです」
「構わない。またみるといい」
次の機会も頂戴したようだ。手を胸に一礼すると、上官は大変満足そうに頷いた。とタイミングよく扉が開く。
「にーさん!おはよう。兄さんがいるから今日もいい天気だ!なんだ山陽もいたのか」
「そらおるやろ」
「何してたんだ?」
上官に視線をやると、シ、と指を一本たてられた。その仕草があまりスマートでドキリとする。咳払いして東海道に向かい。
「お前には内緒だ」
「えっ!?何だよ、何の話だ!?」
「東海道、そういう事もある」
「兄さん、なんで俺には秘密なの……」
東海道最大級の弟ぶりで兄に甘えてみるも、上官は、ふ、と瞼を伏せ笑うのみだった。からかってるのかも知れない。それ以上食い下がるのは無理と踏んでか、東海道はちょこんとソファに収まり、ふくれっ面で横目に山陽を睨んだ。なんだかいい気になる。
東海道新幹線、元は満州鉄道を兄と呼び出した日の東海道は、正直気でも触れたかと思った。不本意だが、今となっては東海道に先見の明があったと言う他ない。この男以外、東海道新幹線は務まらないだろう。兄に傾倒する東海道は、ずっと何とも言えない気持ちで見つめていた。しかし。兄に不器用にも甘えんとする東海道本線は何とも。
かわいいな。
「に、にいさんの前で、突然何を言ってんだお前は」
「あ?口に出てた」
「仲良いようで何よりだ」
東海道本線はどうやら真面目に自分と付き合ってるようだと、言うなれば自信がついてきたのだろうか。130年以上付き合ってきた腐れ縁じみた感傷が、日々新しい感情に塗り替わる。その変化はくすぐったくも喜ばしい事ばかりだ。こんな日が来るものか、と感慨深く茶を飲みかけ。
「お前たち、結婚はするのか」
山陽は盛大に吹き出した。東海道からの言葉に反射的に身構えると。
「兄さん、まだ結婚しないよ!」
「まだ!?これからするんか!?」
「しないのか?」
「しっ………………」
したい、と言いかけて留まる。したいってなんだ。兄弟の丸い瞳に見つめられ、息を飲む。告白はずぶ濡れでしてしまったのだ。プロポーズするならば、今度こそ山陽の名にかけ歴史に残る一大告白をせねばならない。
「待て」
と先手、東海道上官が掌を差し出した。左手の腕時計をちらり睨む。
「まだ揃っていなかったな」
「何が?」
「昨日山陽に言ったはずだが」
「はい?」
「あ、兄さんが言ってるのはお前じゃなくて山陽さんのことな」
「ああ、うちの。何を言ったんですか?」
とご機嫌な歌声が廊下から聞こえてくる。
「お待たせ~!ちゃぶ台持ってきたよ!」
「遅い」
小ぶりなちゃぶ台を肩に担ぎ、山陽上官が扉をくぐる。
「山陽、ここに」
「え?ここ?」
「ここだ」
「はいはい、分かりましたよ」
「山陽本線、進めて構わん」
「はい………はい?」
立派な執務室の机、オンザ古風なちゃぶ台を取り囲むのは東海道・山陽の上官本線。山陽は察した。これはドラマでみる『恋人のご両親に娘さんをください~ちゃぶ台返し~イベント』ではなかろうか。机オン机でほぼ互い隠れてしまっており、何ともな趣に仕上がっている。首を傾げ、机の隙間から上官に慎重に声をかける。
「東海道上官、その……心苦しいのですが、日を改めても良いでしょうか」
「なぜだ」
「本日はその……大安吉日ではありませんので」
「ふむ……なるほどな。そういう事もあるのか。なら必要な時は言うといい、山陽、さげるように」
「え!?終わり!?てか何に使う予定だったの?」
「山陽上官、それは運搬前に聞いてください」
執務室に不釣り合いなインテリアと化すちゃぶ台を横目に、ふてくされた東海道が呑気に茶を啜った。
「なんだ。ちゃぶ台を華麗に返す兄さん、見たかったのに!」
何にもわかっとらん東海道にカチンときて、絶対全路線一のプロポーズを決めてやると誓う。それはもう、感動でえんえん泣かせてやる。
「あほ」
「は?なんだって」
「どあほ!」
「どあほって言う方があほだろ!」
「あ?なんだこの口は」
東海道の頬をつまむ、と叱られるかと指を緩めて東海道上官を見ると何とも穏やかな顔をしていた。それは「兄」の顔だった。山陽本線はその時、不思議な心地だが、東海道兄弟の事をはじめて「兄と弟」なのだと認識した。そしてもしかしたら上官も、弟の恋人の誕生により、兄らしい事を出来て楽しいのかもしれない。自分が新しい感情に出会ったように。
ちょいちょい、と膝をつつかれる。
「山陽、俺も山陽さんに聞いた方がいいか?」
「は?俺は別に上官のもんちゃうし」
「よし、なら報告だな。山陽さん、山陽を頂きました。報告です」
「はい、報告受けました!」
「簡単すぎるやろ!上官もちゃぶ台返せや!」
「えっ、ちゃぶ台返すってなに?」
「知らんのかい!」
東海道が晩飯を奢ってくれるらしい、と横須賀が言ったので。当然京浜が来て、高崎が喜び勇んで、結果的に宇都宮もきた。
東京駅地下街の飲み屋、週半ばとあり席の埋まりはほどほど。百歳超えの路線が揃って、いまだ食欲旺盛。昼飯定食のように、運ばれてきたからあげ二皿があっという間に空になる。おかわりを呼ぶ掌。京浜は目敏く気づいた、東海道の酒を呑むスピードがいつもより早い。これは何か言いたい事がある。兄の話なら伺うべくもなく話し出すはずだ。面倒な話なら聞かなくてもいいかなあ、と正直思ったが、本線に何だかんだ手厚い支線は聴いてやる事にした。丁度上官の悪口が途切れた折。聞き手に回っていた横顔に振る。
「東海道、最近何かあった?」
「ん」
急に尋ねられ目を瞬かせる姿に、つられて三人も東海道を見る。
「いや…」
「なになに、なんだよ」
「別に、あらためて言う事でもないかもしれんが」
「なんだ?」
「そうだな」
東海道はひと呼吸おいてグラスを掴み、唇を開いてから、眉を顰めた。
「うん。……何の話だと思う」
「は?」
こう歯切れの悪いのも珍しい。東海道はしたい話をしたいだけ勝手にする男だ。何となし四人は目配せすると、揃えるでもなく勝手に話し出す。
「借金が出来た!」
「お前じゃあるまいし」
「逆に宝くじが当たった」
「残念ながら違う」
「東海道上官から縁を切られた」
「聞くだけで悲しい事を言うな!!」
「今月の経費精算忘れた」
「……忘れたな」
「東海道、2杯目も日本酒でいいか?」
「ああ…いや飽きるな!」
「はやくしてね」
「すまん」
京浜の巻きが入って、一つ咳払いすると東海道が背を正した。
「恋人が出来たんだ」
しん、とテーブルが静まる。一度天井を仰いだ高崎が、手のひらを口元にこっそりと尋ねる。
「つまり、東海道上官と?」
「よかったね、いや、よかったの?」
「バッ!なんで兄さんなんだよ!兄さんは兄さんだろーが!」
「違うのか!?」
「バカ!兄さんは兄さんである事が最高で至高で唯一無二なんだよ!兄さんはアイドル、俺はファン!」
「君、弟じゃなかったっけ」
「付き合いたいのかと思ってた」
「全くお前らは何にも分かっとらんな」
「じゃあ誰なんだよ」
東海道は目を泳がせた後、また言い淀み。
「誰だと思う?」
宇都宮が露骨に仰け反って顔を顰める。
「え、待って、ダッル。これ東海道の恋バナってこと……ダルすぎるんだけど」
「面倒がるな!奢ってやるからいいだろ!」
「面倒な自覚はあるんだ。すみません、この店で一番高いお酒なんですかー?」
「加減しろよ」
容赦なくボトルを入れる宇都宮、なお本人はさして吞まないので純然たる嫌がらせ、を横目に佇まいを直すと。
「よし、いろいろ聞いてみていいぞ」
これは。どうやら「東海道本線は恋バナしてみたかった」のだと全員が察した。しかしだ。この百歳越えのメンツが集まって恋バナ等した事なく、まして東海道本線である。至極日常的人間的な試みを前に躊躇う。眼差しでどうぞどうぞと譲り合うことしばし、結局京浜がやれやれと控えめに手を挙げた。
「じゃあ僕から」
「はい、京浜」
「それは動物?」
「な訳あるか!」
「はい!!」
「横須賀!」
「それは猫か?」
「だから動物じゃない!」
「はーい」
「宇都宮!」
「興味ありません」
「持て!」
「はいはい!」
「高崎!」
「年上ですか?」
「年上の訳あるか!んな路線おらんだろ」
路線。まあそうだろうと考えはしたが改めて聞くと感慨深い。ともすると全員が沈黙した。なんとな~く東海道の恋人を知りたくないと思った、それは人間で言うところの「母親の彼氏」みたいな気まずさだった。
「ちなみにそれ……本当に付き合ってる?」
「本当ってなんだよ」
「君が誰かと付き合うなんてにわかには信じがたいな」
失礼だと言いかけ、東海道も「付き合う」の正しい定義は分からず同じポーズで思案する。自分もにわかには信じがたい。いやいやと首を振る。
「……付き合うか聞いて、付き合ってくれと言われた。付き合っている」
「小学生みたいな始まりだね」
「じゃあ何と言って付き合うんだ」
「それは知らないけどさ」
誰も正解を知らないのである。探り探りの会話に、東海道は見たようにいかないなと思ったが、それも面白かった。
「よし、ならヒントだ」
宇都宮に、ぐいとグラスを押しつけられる。
「ヒントお返ししまーす」
「ちゃんと受け取れ!ああ、もういい、面倒になった。言うぞ。だからその……さんようだ」
全員がちょっと天井を仰ぎ、かの人を思い浮かべ、おお……と何とも言えぬ時間差の感嘆。
「まあ、お兄さんに次いで高収入だし、いいんじゃない」
「ん?いやそこまでは稼いでないぞ」
「ハイハイ、嫌い転じて好きになっちゃったんだ、無様~(笑)」
「は?いいだろ別に」
「結局東海道もイケメンが好きってことか~…ええ、何かやだ!」
「イケメン…」
「山陽上官だろ!」
「違う!!なんで山陽さんなんだよ、山陽!山陽本線だ!」
「「山陽本線!?」」
今日一番の反応に仰け反る。
「なんだなんだ、なんで山陽だとそうなる!いや、そうなるか、俺もなった」
「俺もなったって何」
怪訝そうな顔で宇都宮が高崎と横須賀をひょいと指さす。
「東海道が好きなのってほどよく馬鹿で脳筋で面倒みなきゃダメ~な奴じゃない、これとかこれとか」
「今ディスられたよな」
「褒められたんじゃないか!?」
「褒められてはないだろ!?」
「なんでお前が把握してるんだ」
「山陽本線ってそういうタイプじゃないじゃない」
「確かに」
「確認だけど付き合ったんだよね」
「付き合ってる」
回答までの最短距離はどこまで何をしたか聞けばいいのだが、聞きたくないような気もする。
「あのねえ、君、東海道本線なんだよ」
「無論知ってる」
「あんまり不用意な事しないほうがいいんじゃない」
「でも付き合うと決めたからな」
「あーあ、絶対分かってない」
横須賀が京浜に耳打ちする。
「オレオレ詐欺に騙されそうな祖父を止めてる感じだな!」
「まあ、実際近くはあるんじゃない、おじいちゃんだからね」
高崎が足を組み替え頬杖をつく。
「山陽本線ねえ、あんま詳しくねえけどなあ。そういや宇都宮、大昔ちょっかい出した事あったよな」
「あったっけ」
「そうなのか?」
「僕そんなことしないけど」
「したろ、てか東海道も知ってるだろ」
東海道と宇都宮は揃って明後日の方を見て、うっすら記憶を手繰り寄せた。こういう仕草は似ている。
「ああ、確かにそんなこともあったな」
「あったかも。東でデカい顔されたくなかったからね」
「なんだ、随分かわいい理由だな」
「かわいいか!?」
「実は山陽も、意外とかわいいところがある」
「東海道、その話、せっかくだから忘年会の罰ゲームに取っておこうよ」
「そうか?」
「ねえ、君の恋バナ罰ゲームにされてるよ」
酒を傾ける東海道の頬がほんのり赤らみ、気分良く酔ってると分かった。それからも碌に「恋バナ」は出来なかったが、それでも満足そうな横顔を眺める。どうやら我らの本線は今を楽しんでるらしい。京浜は、ふう、と浅い溜息をつくと、東海道の首元に新しいお絞りを当てた。
「気はすんだ?」
「おう」
「ならよかったね」
よかったね、と言われて。東海道も何だか「よかったよかった」と思った。
西の在来陣は『モテる』事に熱心で、嫁持ちの岩徳もおり、時折人間の女と付き合ってはあーだこーだと惚気や文句を垂れている。今や弄りの的となった山陽本線を眺め、なんだか楽しそうだと思った。今までなんてくだらない事に夢中なんだと呆れていたが、変わるものである。東海道自身そうとは自覚していなかったが、付き合い共に生きるなかで似ていく事が好きなのだ。東で話してみるかと腰をあげたら、おそらく失敗したようだが気分が良かった。
「そうだな」
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「という事があった」
「それを俺に話すんだな」
西の宿舎。ハッピーバースデーにより崩壊した部屋だが。元々二人の部屋は隣り合わせだったので、東海道がいっそ一部屋にしてしまおうと提案し大胆なリフォームが施された。半分給料から差っ引かれたが、差し引いても住み心地は良い。東海道はイコぬいを抱えながらまだ新しいソファにもたれている。
先日京浜東北から珍しくLINEがあり、酔って寝いる東海道の写真が無言で送られてきたのはこのためだったかと察する。牽制なのか援助なのかは今一つ分からない。
「…つうかお前、俺と付き合ってるって言っていいんか」
「だめなのか?でももう言ったぞ」
「いやお前がええならええけど」
気のない素振りでそっぽ向くが、かなり、嬉しい。
何となく東海道は絶対に言うなと釘を刺すタイプかと思っていた。兄といい東の連中といい、だれかれ構わずオープンである。兄への愛を隠し立てしないように、良くも悪くも正々堂々正道。別れたら気まずいとか、やっかまれるとか、そういう考えがない。あっても細事だと気にしない。これぞ長年トップを走っていた男の考え方だ。その男の、隠し立てない相手が自分だと思い至ると、誇らしくなる。
東の連中は好かんが、次に会ったら堂々、東海道のツレとして会ってやる。何と言ってやろうか楽しみだと思わずにやつく。
「悪い顔してる」
「男前やろ」
機嫌良く酒を煽る。
「お前も俺の事なにか言ってるか?」
「ん」
「俺と付き合ったって誰かに言ったか」
山陽の事が気になるとは珍しい、素直に感動する。「言って欲しい」というより単純に気になったようだが。130年連れだって今だ知らない事だらけだ。東海道の前髪を指ですくと、伸びる猫のよう目が細まった。胸がくすぐったくなり、頭をなでる。
「と言ってもな、西の路線はもう知っとるし」
「まあなあ。あ、九州はどうだ」
「……そりゃ、燕にか?」
「ああ」
想像の燕に、東海道と付き合いだしたと言ってみる。驚くか、怒るか、喜ぶのか。あの男がどう反応するかいまひとつ確証がない。
「燕は喜ぶだろ」
「そう思うんか」
東海道がそう思うと言う事は、喜ばない気がする。燕は機微のある男だが、東海道は大雑把である。山陽の脳裏に浮かんだ燕は、何とも険しい顔をしていた。くすりと笑う。どちらが正しいか、これも見物である。
テレビから録画したバラエティが流れている。スタジオが爆笑している理由は横目に眺めてたから分からない。イコぬいを抱きしめる掌を重ねると、緩く握り返された。眠気をおびた指先が熱い。頭を寄せる。ゆっくりとした呼吸に目を伏せる。同じボディソープの薫りがして、ぽかぽかとした気になる。
今日は二人の部屋が完成して3カ月になる。カレンダーにバツ印つけて指折り数えた記念日だ。まあ記念日は星の数ほどあるのだがなかでもデカい記念日だろう。しかも大変良いムードだ。意を決して顔をあげると3センチ距離の東海道を見つめ。
「おい」
寝ている……… 深いため息。お付き合い三か月で口づけを交わすだけとは、百歳越えが嘆かわしい。しかもなんとまあぽやぽやと抜けた寝顔だ、その頬を指でつくと口元が緩み、同じ顔になった。それでふと思い出した。忘れがたい、東海道の寝顔を初めて見た日を。
■ビフォーハピハピバス(東海道本線のみた夢)
まだ咽返るほど暑い。
井上さんの遺骨が日本に到着した知らせを受け、東海道本線が出迎えに参じたのは炎天下の夏だった。遠い地ですませた火葬、大きく見上げた背中は、両掌に収まるほどになってしまった。顔を見なくて良かったのかもしれない。さすがに顔をみれば気持ちが溢れてしまいそうだった。東海道本線は、人前で弱みを見せない。敬礼を交わし、粛々としたムードの中、東海道は列車に乗り込んだ。霊柩列車として特別手配された車両は、がらんと人気がなかった。
東海道は黙って窓越しに景色を眺めた。夕暮れに燃える広い海、青々と茂る尾根、ホームに賑わう人々を。そのいずれも井上さんと見た。列車が走り出す。あまりに美しい夕暮れだった。開いた唇から感嘆がこぼれる。きれいですね、と心のうちに話したが、答えは返ってこなかった。
私鉄の買収により鉄道作業局の規模は膨れ上がり、路線も随分と増えた。東海道の胸に熱く熱く燃えていた情熱は、いまそっと風に耐える蝋燭のように揺れていた。
心もとない。ずっと心もとないのに背負うものは重い。背筋がぶるりと震えた。
この頃、東海道は随分と長く参っていた。路線達に厳格な顔を見せながら、一人ぼんやりと不安を抱える。サリサリと心臓を削られるようだった。救いを求めて目を瞑っては思い返す。救わねばならぬ。誰でもない、俺が。
小さな骨壺を手に、東海道本線は初めて自分の終わりを考えた。偉大な父が自分に与えた使命をまっとうすべきである。しかし、その父の眼差しがない今、自分の背を誰が見ていると言うのか。
底冷えるようにぞっとした。これは悲しさだろうか。
いま感傷的なだけだと、衝動を宥める。宥める術はある。理性、節度、忍耐、不屈。けれどまるで永遠で、目の前のレールはどこまでも続いている。東海道が東海道である限りこのレールを走り続けなければならない。夏の陽に当てられ、軽い目眩がした。目を伏せて骨壺を抱える。ぼんやりと爪先を眺めていたら、それがもうふたつ増えた。
「すこし寝たらどうだ」
顔をあげずに返す。
「別段眠くはない」
「んな顔されちゃ周りも迷惑だろ」
「後で頬紅でも足す」
「まるで、後追いでもしそうやな」
そこで東海道は初めて顔をあげ、誰とも知れずぼそぼそと返した相手が山陽本線であったと知り、意外に思った。浅く被った官帽から赤い瞳が覗いていた。それからその言葉を反芻する。
「出来るのか」
二人はしばらく見つめ合った。東海道の青白い顔に何の感慨もないのを見て、山陽は黙り、ただ横に座った。東海道はしばらく待っていたが、続かないのを見るとないのだろうと判断し、ならって前を向いた。別に後追いするつもりなどないが、何だか山陽なら知っていそうな気がした。がたがたと列車が走る。陽を背に、二人の影が対向座席に伸びている。洞窟で消え、木洩れ日に埋もれ、道に揺れあちこちに伸びている。どのぐらい立ったか、山陽が降りるべき駅を過ぎたと気づいた。
「東京まで来るのか」
「ああ」
別に構わないが何のため。口に出して尋ねるのは億劫で、山陽を見つめた。言い出すのを待ったが、何も言わなかった。しばらく瞳が合い、トンネルに飲まれる。揺れる電車の音しか聞こえない。真っ暗闇に赤い陽がさしこむ頃、山陽はもう余所を向いていた。ただ、憮然とした表情で、それからも山陽は傍にいた。そのおかげか知れない、東海道も、自分は東海道本線であると思い出し、背筋が伸びた。ぼんやりと窓越しの景色を眺めながら、いくどか掌の感触を確かめた。
東京駅につくと駅員達に囲まれる。山陽本線はぴたりと近づき、東海道のポケットに書き付けを忍ばせた。目配せすると、何も言わずそのまま去っていく。しばらくそれを見る間もなく、忙しなく段取りは進んだ。
すっかり日は落ちて夜道を照らす街灯の元、東海道は吹きつける風の冷たさに掌をポケットに突っ込み、それを思い出した。書き付けを開くと宿の住所だった。宿舎に泊まれば良いのに、あまり考えも廻らず足を向ける。胸がもやもやと重たい。長い時を生きる路線達のなかには、正気と向き合うのが難しい時は薬に手を出す同僚もいたが、東海道は好かなかった。一時でも幹線が正気を失うのは望ましくない。
宿につく頃には日を跨ぐ時間になっていた。暗い廊下に、開いた扉から光が伸びる。山陽本線は、無言で扉を開け迎え入れた。狭い玄関にふたり。しばらく見つめあい、東海道が山陽の肩に額を寄せると、驚いたように跳ねた。しばらく、無言の時が流れる。肩口、山陽の浮いた掌を眺めて溜息をついた。
「慰めると言ったろ」
「……言うとらん」
すぐ傍にみた東海道の瞳はいつになく消沈し、何も映してないようだった。
「俺を抱けるか」
山陽は息をのんだ。暗く静かな廊下に、二人の影が伸びている。聞きたい事はいくつもあった。抱かれたことがあるのか、お前はそれでいいのか。……俺でいいのか。しかしどの言葉も今は相応しくなく思え、口を噤む。随分と暴力的な気持ちで、東海道を手に入れたいと何度も思った。だが今の東海道を抱く事は、得る事でなく失う事だと察した。眉間に皺を寄せる。頼りのない背を抱き寄せかけ、拳を握る。数秒の沈黙を否定と取り、東海道は一歩引いた。思わずその腕を掴む。
「泊まっていけ」
「当てはある」
「ここにおれ!」
半ば強引に連れ込まれると、山陽はばさばさと手早く乱暴に寝床を整えた。東海道は大きな枕のように寝かしつけられ、呆れた眼差しで山陽を睨んだ。だが悪くはない、この無遠慮さに期待してきた。東海道の消沈は周りの士気を下げ、弱音は過分に受け取られる。今はそれこそ物のように、気兼ねなく扱われたかった。
支度を整える山陽のどたどたとした物音が、揺れる電車のようで眠気を誘った。体は泥をあびたように疲れている。今さら、たいそうな事を言ったときまり悪く感じた。山陽次第、別に抱かれてみても良かったし、怒らせても良かったが。
ぼーっと橙の明かりを見上げていると、山陽の掌が遮った。叩かれる、反射的に息を吐き小さく身構えると……そっと額をなでられた。たいそう柔らかなもののように。窺うよう薄目でみた顔は、本人もどうしたらいいか分かりかねるようだった。顔を見れば切先突きつけてくる男が、不慣れに頭をなでている。
互いに、何とも言えず、黙る。
かえって居心地が悪い。しかし暖かに扱われると、慰められた気にもなった。山陽の掌が熱くて、随分冷えていた事を知った。
「…この俺を、子ども扱いか」
「今日は子供やろ、お前も」
山陽の言葉の意味を図りかね、素直に返す。
「井上さんには、ご子息がいる」
彼の人を父と呼ぶのは、都合の話であり事実ではない。「父さん」と何度も呼んだ自分は、遺骨の近くに参列できない。本当は家族ではないのだから。自分はどうあっても鉄道で、人間ではない。人間を信頼しながら、人間とは区別することがこの長い時を歩く術でもある。
「それでも。井上さんにとって子供やったろ、お前は。そういうもんを託されたんやろ」
眉を顰めて、それから、山陽本線はそうだったのだと察した。随分と感傷的で、人間的だ。呆れたような、羨ましいような不思議な心地がした。1番目は1人と同義で誰かと分かち合う事は出来ない。それを誇りに思い、重荷に感じることを隠している。この男は井上さんを父と慕う事を肯定する。肯定されたかったのかは東海道にも分からなかった。
分からない。
山陽の髪をすく掌が、耳を掠める。まだ小さな頃、井上さんが頭をなでて夢を語ってくれた。全てが輝かしく、懐かしい。懐かしさのなか、あの低く穏やかな声が聞こえた。井上さんの夢、俺の夢。二度と聞けなければ、そのうち忘れてしまうだろうか。目頭が熱く、視界がぼやけた。
「お前が泣くのは…」
目を瞑ると、頬を濡らす前に指先で拭われた。そのまま、瞼をそっと、山陽の掌が覆う。
「気色悪いわ」
「…もっともだな」
吐息ほどの笑い。掌は暖かくぴりぴりと張りつめた気持ちが穏やかに凪いだ。
「鉄道にも…心はあるべきなんだろう」
俺にあるすべてのものは、鉄道としてあるべきものだ。なければ良いとは言えずに、ぼんやりとした言いざまになった。しかし山陽には分かったようだった。掌をつたい話し出す声が響いた。
「…あって、良かったと思う日も来るやろ。いつかな」
「いつか…」
「ああ」
まだ、そうとは思えなかったが、否定する気も起きなかった。なんだか安心した。その安心が重く重く厚みある布団のようで、ただ今は眠たい。眠りに身を任せ、深く落ちていく。
山陽は、そっと瞼を覆う掌を離すと。途方もない気持ちでその寝顔を見つめた。長い時間をかけ、ちょん、とだけ触れた頬がまだ冷たくて、息をころして離れた。東海道を起こさぬよう窓際に腰掛け、静寂のなか煙草を咥えた。火も付けず、ぼんやり、窓に映る顔はひどく曇っている。
東海道本線は、いつまでも憎たらしく、惨い男でいてくれなければ。
「クソ…」
心に触れたりしたくなかった。いつも通り吹っ掛ければ、血気盛んに言い返すものだと思った。後追いが出来るのか問われ、鉛を飲んだ気になった。帯刀を許されてから何度その背を斬ったかと思う。死にようのない、傷つかない男。なのにこの男が山陽の胸を抉るには、刀すら必要ない。結局泣かなかった男の代わりに、涙が出た。
家族がいたらよかったのかも知れない、この男にも。本当に、家族と思えるものが。
あまりに似合わず笑って、腹も立った。この男がずっと一人きりなら良いと思っていた。いや、まだ。この男が、ずっと一人である事を願っている。すると堪らない気持ちになり、傍にはいられなかった。外套を羽織る。昼は咽るほど暑かったのに、夜は不気味に冷える。夜はまだ暗い。
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東海道の意識が、は、と浮上する。
あんな昔の事を夢に見るなんて、本当に珍しい。目の前の山陽が驚いたように瞬く。
「なんや、起こしたか」
「山陽……」
あの日目が覚めて、山陽がどうしていたか、まだ宿にいたんだろうか、そこまでは思い出せなかった。暖かな掌だけが、ほのかに記憶を湿らせている。
「ん」
「……」
「なんや。寝ぼけとんのか」
わしゃわしゃと髪を撫でられる。初めて山陽に撫でられたのは、あの時だった。感情が苦しかった時代、長い時を経て兄さんが現れ、2番目になり、また仲間も増え、この人生を、楽しんでもよくなった。
楽しい……
いつからこの感情がこの胸にあったんだろうか。鉄道に心があって良かったと。あの頃なら、この手は繋げなかった。ふと東海道の頭でさまざまな思いが浮かんでは繋がり、やがて暖かな気持ちになった。予想外に現れたこの男との恋と言うものが、巡り合わせと言うべきか、今この時で良かった、と思った。いつか、はきちんとやってきた。
穏やかに腑に落ちて、山陽本線を見つめる。
山陽と付き合いだしてから、こうしてよくこの男を見つめる。薄茶色の髪先からくっきりとした輪郭をたどり、すっと通った鼻をこえ、涼しげな目を覗く。ずっと変わらず、親しみ深く思う日もあれば、こんな顔をしていたか、と新しく思う日もある。150を越し今だ知らない事を知る時、海沿いを走る時のように浮わついて、良い心地になる。
「顔を見ては駄目か」
青色の瞳に映る東海道本線は、楽しそうだった。その言いぶりに山陽が驚いた。自分を好いている東海道というのは、魅了そのもので加減がない。起きたての瞳がうっすらと潤み、ちかちかときらめいている。抗いがたい眼差しが山陽の心を溶かしてしまう。いつでも初めて出会った時のように、心臓が跳ねる。ふ、と息をついて胸を張る。
「見てもおもろないやろ!」
「おもしろい」
「人の顔見ておもろいとは何や!」
「お前が言ったんだろ!」
フン!とふざけて山陽の肩に顔を寄せると、首筋は熱かった。鼓動に耳を澄ませる。大きくて正直な規則に落ちついて目を伏せた。
「山陽、俺を抱けるか」
山陽にとっても随分と昔の事だ。だがぴたりとあの場面が浮かんだ。浮かんで、懐かしく寂びた思いが押し寄せ、すぐ消えた。東海道の睫毛を見つめる。
「… … ああ。時代が変わったからな」
「ふ、いい言い回しだ。そうだな、それはそうだ。変わったな」
確かめるような手つき。肩甲骨のあたりで止まり、やわらかに力がこもる。いつも遠慮なく横柄なのに、背を抱きよせる山陽の掌はいまだ緊張しており、かわいげがある。笑みがこぼれた。笑った事に、眉を顰めたのが分かる。しあわせだな、とぽつりこぼれたら、微かに息を飲んだ山陽に髪をわしゃわしゃにされた。いまは暗い夜も、暖かだ。