高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2026年05月15日 22:00    文字数:12,947

アトリ~謀略の予兆~

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久し振りの更新となりました!
無事デビューを果たしアルバムも発売されファンクラブも結成され、順風満帆なアイドルグループ「アトリビュート」。
本日のお仕事は雑誌のインタビューです。
切り替えの出来るレイと外面のいいシーナはともかく、やはりルックは苦手な様子。
しかも今日はそれが2本もあるうえに、2本目は少々違和感を覚える内容で…。
さらにMV撮影もあるようで、…MVってなに?と3人の頭の中には疑問符がたくさん。
やっぱり不憫な3人です。
(2003/9/3初公開:ほぼ全編書き直し)
1 / 1

「なるほど、なるほど。そういった経験が活動に生きてくるというわけですね」
 女性のインタビュアーは、大袈裟なほど深く頷く。
 窓が一つきりの白い小さな部屋にはダークグリーンの応接セットが配置されていた。部屋の隅には申し訳程度の観葉植物があるが、殺風景さを払拭するほどの効果はない。中央にある木製のローテーブルの上では、会話を録音するための小さな黒い箱がじぃじぃと小さな音を立てていた。
「では次の質問です。アトリビュートの皆さんは、休日には何をなさっているんですか? まずリーダーのレイさんから伺わせてください」
 3人並んだ中央のレイが、口元に片手を寄せる。
「そうですね。面白味がなくて恐縮なのですが、部屋に閉じこもって本を読んでいることが多いです。昔から本が好きなんですよ。つい夢中になってしまって、気付いたら日が暮れているなんてこともよくあります」
 ぱしゃぱしゃ、と乾いたシャッターの音。カメラマンは先程から目の前をうろうろしているが、気にしてはならないことになっている。
「なるほど、知的なご趣味ですね。たとえばどんなジャンルのものをお読みになるんですか?」
「ジャンルで選ぶというより手当たり次第読むほうなんですが、最近は古い旅行記を好んで読んでいます。各地に残る伝統やしきたりを知ることができるのが楽しいんです。同じ地方を描いた本でも書き手によって視点が違うので、複数の本を読み比べるのも面白いんですよ」
 左にいたシーナがぱちんと指を鳴らす。
「ああ、それでいつもレイの荷物の中にはたくさん本が入ってるんだな。どさどさ出てくるから重いもの背負って体力作りでもしてるのかと思った」
「そんな修業はしていないよ」
 2人の微笑ましいやりとりに、インタビュアーは肩を震わせている。それを見てにっこり笑ったシーナがぐいっと身を乗り出した。
「レイは普段たくさん動いてるから、休みの日にはしっかり体を休ませるタイプなんだろうな。オレは真逆。外に体を動かしに行きます!」
 インタビュアーは「なるほど」と頷きながらも目を丸くする。
「いつもだと体を動かすっていうとどうしてもダンスになっちゃうから……あっ、ダンスが苦手とか嫌いってわけじゃないんです。ただ頭使って考えながら動くじゃないですか。そればっかやってると、なんか反射で動きたくなるんですよね。どっちに来るかわからないボールに反応できるとスカッとする、あれがいいんですよ」
「スポーツだって頭使うでしょ」
「真面目にやればね。もうあれだよ、グループ分けもしないで、ただひたすらみんなで同じゴールにボールを蹴りこむ、みたいな。あとはほら、かがんだ人の背中を飛び越えてくやつあるじゃん、あれをぐるぐる回りながら延々と」
「あれって体を動かす一環だったの? あんまりにも長いことやってるから、何かの儀式かと思った」
「あはは、たしかに自分たちもいつ終わるんだろって思いながらやってた」
「言ってよ、止めるから」
 レイとシーナは目を合わせて笑う。インタビュアーも堪え切れず声を上げて笑ってしまっている。
「楽しそうですね。そういった運動はスタッフの皆さんと?」
「はい。元気の有り余ってる若手のスタッフと懇親を兼ねて。懇親を兼ねてか、いい言い方したな」
「遊んでるだけだよね」
「そうそう」
 にこやかに何度も深く頷いて、記事のバランスを取りたいインタビュアーはずっと黙っているルックに視線を移した。
「ルックさんはいかがですか。休日はどのように?」
「……僕は……。レイと同じで、本を読んでいることがほとんど……です」
「趣味が似てらっしゃるんですね」
「とはいえルックのほうがたくさん読むし、スピードも速いですよ。知識量ではとてもじゃないですが勝てません」
「だよな、この前もさあ……」


 シーナが後ろ手にドアを閉めると、ばたんと大きく派手な音がした。シーナは「やべっ」と呟き、閉めたばかりのドアの取っ手を労わるように撫でる。思わず力が入ってしまったのを反省しているらしい。
 レイはそれを見て、疲れてるんだよ的なフォローしようかと思ったが、やめた。ずっとにこにこ笑った表情を保ったまましゃべり続けていたので、口を開こうという気になれない。頬を両手で包み込んでもみほぐし、今日のスケジュールを貼り付けたボードに目をやった。
 ルックはただ床を見つめている。人前に出す取り繕った顔を保つだけでも苦手であるのに、不特定多数に配信するためにしゃべらされるというのは苦行以外の何物でもない。はあっと息を吐いて、事務所で手渡された包みをダイニングテーブルの上にどんと置いた。
「立ってる時間がもったいないよ。とっとと昼食にしないと、すぐに次の予定だって呼ばれるだろ。連中には遠慮ってものがないから」
 それを聞いたシーナは、弾かれたように椅子に飛び付く。
「だった、そうだった。午前中で終わり~とかそんな甘いスケジュール寄越してないんだった」
 レイもふらふらと椅子を引いて、力なく座り込む。
「食べられるときに食べておかないとだよね……うん……」
 包みを開くと、長方形の箱が3つ丁寧に重ねられている。綺麗に色が塗られた高級そうな木の箱だ。スケジュールが逼迫している状況であるほど弁当の質が高くなってくるので、今日はそこそこ酷いほうだと言えそうだ。おそらく、それでこちらの機嫌を取っているつもりなのだろうと思う。これが本当に何事もない日であったらきちんとリクエストも通るし、出来立ての料理が届く。我が儘を言うつもりはないが、毎日そうであってくれと願うばかりだ。
 3人はもそもそと弁当をつつく。もちろん準備してくれるのはありがたいし、普段の精神状態ならばもっと美味しくいただけるはずだ。だが午前中にぐったりしているうえに午後もぐったりする予定なので、その心労ゆえかあまり味が感じられない。もったいないなと思いながらレイは機械的に手と口を動かしていた。
 ただ、他の人間が誰もいない「3人の部屋」が確保されているのはありがたいと思う。あの外界へのドアを閉めることで、ようやく自分が「個人」に戻れるような気がするからだ。3人の顔からは表情が抜け落ちていたが、お互いこれが外では決して見せられない気を抜いた姿だとわかっている。それを見ることで安心する、というレベルまで疲れ果てていた。
「んー……で、午後はなんだっけ?」
 冷茶を飲み干したシーナが首を傾げる。レイは先程眺めていたボードに再び目をやった。
「まずは雑誌の撮影とインタビュー」
「えっ、今やってきたばっかじゃん」
「別の雑誌だってさ。今度は写真がメインらしいよ」
「ははぁ……」
 曖昧に頷き、シーナは斜め上を見つめる。
 実は、ライブも相当疲れるのだが「インタビュー」の疲労感はそれにもましてえげつない。歌っている分には練習通りにすればいいし、MCも事前に話すことをまとめて流れを決めてある。しかしインタビューは聞き手が何を聞いてくるかわからないので、なんとか作り上げたアイドルとしての自分を崩さないようにとっさの対応が必要になってくるのだ。レイは解放軍で培ったがっちり表向きの自分を装備し、シーナは父が隣に立っていることをイメージしながら自分を制し、ルックはできるだけ黙り込む。これでなんとか誤魔化しているのであった。
 ルックは明らかに不機嫌な顔で弁当箱の端をつつく。
「僕はその次に書いてあるMV撮影って言葉も気に食わないんだよね。MVってなに」
「さあ……。初めて聞く言葉だよな。もう何もかもが知らない単語過ぎて逆に気にも留めてなかったんだけど……。レイ、なに?」
「僕に聞かないで……。僕が知ってるのはそこに書かれてる、本日は企画説明と衣装合わせのみ行います、っていう文字列だけだよ……」
 弁当のメインらしき肉団子を口の中に放り込んだシーナが、考え込むような唸り声を上げた。そして口の中を空っぽにし、満杯にしたコップの中身も再度空にする。
「……つまり、だ。とりあえず時間のかかる作業ってことだな?」
「あと考えられるのは、衣装がいるんだからただ座ってればいいってわけでもない、と」
「安心できる要素がひとつもないのだけは確かだね」
 足りないのは説明なのか、それすらも許されない時間なのか、経営側の誠意なのか。


 スタジオの熱気は凄まじい。出来上がった写真がいくら静かで涼しげでも、実際は大勢の人間がいてライトが煌々と灯っているので室温が尋常ではないのだ。しかも密室だから空気も澱んでいる。誰もいないはずの隅っこで足だけの女性を見た、などという怪談話を聞いたことがあるが、この熱気なら幻を見る連中がいても不思議ではない。
 レイは申し訳程度の送風機が設置してある待ち合いスペースからスタジオの様子を眺めていた。スタッフたちが汗だくで作業に励む様子を見ていると持ち前の性格上思わず手伝いそうになるが、レイに課された仕事は整えられた衣装を汗で汚すことなくあくまでも爽やかで涼しげな印象を与える被写体になることだ。
「それでは撮影を開始します! まずはお2人、レイさーん、シーナさーん、よろしくお願いします!」
「はーい」
「よろしくお願いします」
 呼ばれたので仕方なくサンド・ベージュのシートが敷かれた光の中へ向かう。体感温度が急激に上がって、レイは大きく息を吐いて気合を入れなおす。少し先を歩いていたシーナが振り向いて笑った。
「……あっちぃな」
「ね。これが何らかの攻撃だとしても納得しちゃうよ」
「わかるー」
 しかも2人の指定された立ち位置が、妙に近い。カメラに対して斜に構えるレイの肩にシーナが腕をかけるという体勢で、頭がぶつかってしまいそうなほどに近いのだ。ほぼ密着しているせいで、暑さが倍増している気がする。
 指示に従って何度も体勢を変えるが、そのたびにいちいち近いので、レイは「暑い」という単語を頭の中から振り払うのに必死だった。大丈夫と自己暗示をかけていなければ今すぐに逃げ出してしまっただろう。もう最後のほうは自分がどんなポーズをしていたかも思い出せない。
「はーい、OK! 次はペア変えていきまーす」
 カメラを構えていたニナが顔を上げてにこっと笑う。レイはなんとか笑顔を作って会釈を返した。次はシーナとルックの撮影だから、いったん休める。シーナにぽんと背中を叩かれ、ライトの外へと逃れた。
 途中ルックとすれ違うが、ルックは撮影前にもかかわらず既にレイ以上にぐったりした顔をしていた。少しでも励まそうと手を肩の高さまで上げると、ちら、と目を上げたルックが力なく手を合わせてきた。なんとか返事をくれるくらいのほんのわずかな余裕はあるようでほっとする。
 待ち合いスペースに戻ったレイは、机の上に用意されていたコップで水を1杯飲み干した。あまり冷たくはなかったが、体温より低い温度が体内を駆け抜けていくことでわずかに涼しくなった気がする。
「レイさん、メイク直させてください」
「あっ、はい、お願いします」
 椅子に座るなり飛んできたスタッフが、わずかに浮いた汗を拭い、髪とメイクを整えてくれる。その手の隙間からレイは今まで立っていた撮影位置に目をやった。
「そう……そう、もうちょっと近く。シーナさん、少し顔傾けてー?」
 テンションの高いニナの声が2人に指示を飛ばす。やたら楽しそうに写真を撮っているが……。レイは目の前のスタッフに迷惑が掛からないよう心の中で首を傾げる。
(……ていうか……なんでこの雑誌のカメラマンはあのニナって子なんだろう。いろんな宿星の人たちを巻き込んでるなあとは思ってたけど、そういう才能のある子なのかな?)
 レイが彼女について知っていることと言えば、解放軍時代から世話になっているフリックに猛烈なアタックをしているということくらいだ。同じ城にいる時間はさほど長くないため、それ以上の情報はない。
 メイク直しが終わったので壁側に目をやると、腕を組んでにこにこ満足そうなマネージャ殿の姿があった。撮影現場を見ていたようだが、レイの視線に気付くとすすっとこちらに近寄ってくる。
「どうかした? やっぱ暑いかな、冷たい紅茶でも飲む?」
「えっと、お願いします」
「おっけー」
 ナナミはすぐ後ろにいたスタッフに声をかける。頷いたスタッフはさっと身を翻してスタジオの外に駆けて行った。こういうところは有能なマネージャだと思う。アイドルになりたいわけではないという3人の意思を無視するところを除けば。
「あー……ナナミは、この雑誌のカメラマンが彼女だって知ってたの?」
「うん。一緒に食事してるときに、こういう遊……仕事してるんだよって言ったら興味持ってくれて、仲いい子たちと雑誌を立ち上げてくれたんだ。やっぱターゲットが若い女の子だから、近い目線を持った同じ年代の女子が記事に取り上げてくれるのってすごくいいんじゃないかなって思ったの。たぶん、ファンの子たちが欲しい目線で撮ってくれると思うんだ」
 途中で何か言いかけたなと思ったが、面倒なので「ふうん」で済ませることにした。いちいち突っ込んでいては身が持たない。
 それにしても「近い目線」か。言いたいことはレイにもわかる。「ファンが見たいと欲するもの」が大切なのもわかる。だが。
 先程までレイが立っていたその場所に、今度はルックが立っている。少し顔を上げ、カメラを見下ろす角度の視線。シーナはルックの前に向き合うように立ち、顔をルックのほうに寄せながらカメラに目線を送る。
(さっき、僕とシーナのカットの時も思ったけど……。あそこまで近付く必要ってあるのかな)
 なんだかあまりにも距離が近くて、なんとなくいたたまれない気分になる。目をそらすと再びナナミと目が合った。そこでふとさっき3人で首を傾げた言葉があったことを思い出した。
「そうだ、聞きたいことがあったんだ」
「ん、なに?」
「今日この後の予定なんだけど、MV撮影の企画説明と衣装合わせってあったでしょ。内容もそこで説明してくれるのかなとは思いつつ、まずMVって何なのか知っておきたくて」
 ナナミは「あ」とつぶやくと、自分の頭にこつんと手を当てた。
「いっけなーい。みんなに話しておくの忘れてたかも」
 いかにもうっかりしましたみたいな言い方だが、敢えて隠しておく事務所のやり口を見てきたので信用はならない。レイとルックは3人が逃げ出さないように直前まで黙っておくやり方なのではないかと勘繰っている。
「で? きっと何かの略だよね」
「うん。ミュージック・ビデオだよ。歌ってるとこのライブ映像じゃなくて、なんていうのかな、その曲の世界観を現した映像なの。歌と映像を一緒に楽しむ、みたいな」
「映像……? それはファンの人たちが見るもの……なのかな? それは何? そもそもどうやって?」
「深く考えなくて大丈夫! 絵が動いて音楽が流れるのが見られる箱があるの。不思議だね~!」
 それでまとめてしまっていいものだろうか。
「おっ。2人の撮影、もうすぐ終わりそうだね!」
 あからさまに話題を変えたナナミ。どうせそうだろうと諦めたレイは、ナナミの指さす先を目で追った。が。
 ぎくりとして手にしたコップを取り落としそうになる。
 角度だ。角度が悪い。ルックの横顔にちょうどシーナの頭が重なっていて、それはまるで頬に唇を……。
 ぶんぶんと頭を振る。そんな見間違いをしたことを知られてしまっては、ルックに絶縁状を叩きつけられかねない。
 3回注意深く瞬きをして、2回大きく深呼吸をしてから改めて2人の体勢を見る。案の定レイの錯覚だったようで、シーナはルックの肩に載せた手の上に顎をつけている。
(そりゃ、そう。そりゃそうですよ。もし仮にもそんなことになっちゃってたら、ルックがあの格好を許すはずがないもん。……いや、ルックの機嫌は既にめちゃくちゃ悪いけど)
 2人ともニナの指示に従って凛とした表情でカメラに収まっていた。それは一見指示通りの表情に見えるが、付き合いの長いレイにはわかる。
(たぶんあの距離にイラついてんだろうなあ……。シーナも冷静になろうとしてるけど、目の前でルックがイライラしてるから焦ってるよ。早く終われって願ってるのがひしひしと伝わってくる)
 レイはひとつ息を吐いた。あのシーナの立ち位置に、次はレイが向かうのだ。とっとと終わらせてMVとやらの衝撃に備えなければ。


 結局レイとルックも随分近い距離での撮影となった。お互いシーナとの撮影を終えて少々耐性ができたのか、はたまた長時間の撮影で諦めの境地になってきたのか、2人のターンはだいぶスムーズに終えることができた。
 だが一息つく間もなく、次の打ち合わせのために移動の馬車に放り込まれる。ナナミは先程の撮影の誌面について最終確認をしてから合流するとのことで、移動は3人のみだったのが救いだ。
「なんか変な感じがすんだよな」
 ぼそりとシーナが呟く。2人の返事を待たず、ぐぐっと背を伸ばしたシーナは何もない天井に向かって大きく息を吐いた。
「なんつーのかな。企んでる感じっていうか……」
 視線をすっと床に落としたのがルック、虚空を彷徨わせたのがレイだ。
「最初っから全部が全部彼らの企みなわけで、えー……これ以上はさすがにないんじゃないかなあ。なんにもないよ、うん、きっと、そう、そうに違いない」
 普段らしからぬ弱弱しい声でレイが答えると、シーナはぴょんと座席から腰を浮かせた。
「だっ、だよな! 考えすぎだよな!」
「でしょ、そうだって」
「うんうん、そうだな!」
 乾いた笑いを交わして、レイとシーナは何かにすがるような眼で頷きあう。それはスタッフ陣の善意を信じる精一杯の抵抗だったのだろう。それを難なく打ち崩したのは、レイの隣に座ったルックだ。
「戦場を乗り越えてきた者の発言としてはいささかお人好しがすぎるんじゃない」
 レイとシーナはぎくりと動きを止める。
「信じたいっていうのを止めるつもりはないけどね。なんの策略もないだろうと思って本当にないことがあった? あの連中だよ? 十分に散々な目に遭わされてるのにまだそんな希望が持てるわけ? 大体が僕ら3人を捕まえて“アイドル”って発想が出る時点でおかしいんだ。下手に期待してもそのぶんあとで突き落とされる羽目になるだけだと思うけど」
 まるで先程の不機嫌さをそのまま載せたような口調。だが2人が黙って聞いていたのは、その言葉がただ不機嫌で放たれたものではないと知っていたからだ。なぜならその言葉は紛れもなく真実なのだから。
 しん、と3人の間に沈黙が落ちる。
 やはり少しの期待も無駄だよなと改めて認識し、レイは一見無邪気なナナミの笑顔を思い出す。怖いのは、ナナミには一切の悪意が見えないことだ。戦火の中でファンの人々が喜ぶことを本心から嬉しいと思っている可能性がある。だとすれば余計にたちが悪い。
 レイははっと目を上げた。ナナミの顔を思い浮かべたことで、共有すべき言葉を思い出した。
「話は変わるんだけど、さっきナナミからMVについて聞いたんだ」
「話、変わった?」
「……変わってないかも」
 ルックは腕を組み「で?」と促してくる。頷いたレイの向かいで、シーナが身構えたのが見えた。
「MVってミュージック・ビデオって意味なんだって。よくわからなかったんだけど、歌ってるシーンじゃなくて、歌のイメージとか世界観を楽しむものなんだとか」
「へー、歌ってるとこじゃなくて歌を表現するものってことか。あー……歌劇の踊り子みたいなもんかな?」
「なのかな?」
 ナナミの説明が抽象的だったせいで、レイもうまく説明ができない。結局シーナと2人で首を傾げあう。そんな2人を呆れたように眺めたルックは、ふと目をそらして窓の外を見る。
「衣装合わせがあるってことは、その踊り子の役割を僕らが担うってことだろ。はあ……」
 その目はとても遠くを見ているようだった。レイとシーナは一度目を合わせると、同時にがっくりと肩を落とした。


 一体どんな移動手段を使ったのか、馬車を降りた3人を出迎えたのはナナミだった。さらには軍主にして事務所を取りまとめる社長であるユウキもいる。楽しそうに迎え入れる姉弟をスルーして建物の中に入ると、短い廊下の先にある広い部屋に案内された。ダンスレッスンに使うような全身が映る鏡が一面に張ってあり、片隅に折り畳み式の机と椅子が置いてある。レッスンと違うのは壁際にずらりと様々な衣装がかかったラックがあることだ。すっかり衣装担当となったのか、カミュがせっせと衣装を整えていた。きらりと効果音が付きそうなほど爽やかな会釈にはぐったりした会釈で返す。
「さて、今日のメインは映像を撮ってくれる監督さんとの打合せと、着る衣装を何パターンか選んで合わせてどれが一番世界観に合うかを決めてーってことなんだけど、その顔はまず何の曲でイメージ映像を撮るか説明したほうがいい感じだね?」
「ぜひそっちからでお願いします……」
 案外素直に頷いたナナミに促され、3人は椅子に座らせられる。そこにせっせとお茶を運んできたのはユウキだ。ナナミがユウキに向かって目配せすると、ユウキは机の上に置いた鞄をごそごそ探り出した。ナナミは得意げに胸を張る。
「先日ね、音楽を再生できる箱が発明されて、私たちはCDを発売することができるようになったんだけど、その箱に音楽を流しながら動く絵を映せる機能が追加されてねー。せっかくだからいろんな曲をファンの皆さんにお届けしたいなって思って! それで、まず最初にどれがいいかなーってみんなで考えたんだけど、ファンクラブのお便りでいただく一番人気の曲からやってみようってことになったの」
 はあ、とレイが覇気のない声で答える。普通その「みんな」の中にプレイヤーである自分たちが含まれていてもおかしくないはずだが、そんな話は聞いたことがない。とはいえ、じゃあ3人で選んでねと言われても頭を抱えて床を転げ回る姿しか想像できないので、もはやそれでもいいのかもしれない。
 ユウキが3人の前に紙製の紐で綴じられた書類をぽんと置いた。
「あぁ……これか」
 目にするなり零したのはルックだ。3人の中で一番不機嫌にこの現実を見ているルックこそが実は一番冷静に状況を分析しているのだろう。それを心強く感じるレイだ。
 表紙には、「『Parting Way~君が見ていた雫~』ミュージック・ビデオ制作計画書」と書かれていた。
「そう! 人気あるよね。ライブのアンケートでも熱い感想がいっぱいだったでしょ」
 心底楽しそうなナナミのセリフが重い。レイは先日のライブの終了後にどさりと手渡された紙の束を思い出す。氏名や住所などを書く欄のほかには自由に感想をお書きくださいとだけ記載された白い紙は、どれも余白がないほどびっしりと感想が書き込まれていた。中でも新曲として発表したこの曲への感想は多かった。
『メインボーカルのレイくんの切なげな歌声がものすごくよかったです!』
『次のアルバムに収録されるんですよね! とても楽しみです!』
『静かだけれどそれだからこそ隠そうとする強い思いがじんわり染み渡ってきて素敵でした!』
『レイくんに寄り添うようなルックくんとシーナくんのコーラスが泣けました!』
『何度も繰り返して聞きたい歌です! サビのメロディがものすごく好きです!』
 など、など。ライブのテンションそのままに書き殴ったようなコメントに圧倒されて吹き飛ばされるかと思ったほどだ。これを仕事にされてしまった以上は責務としてやらなければならないのだろうという半分諦めの境地ではあるが、恐ろしいものは恐ろしい。あれを映像化するとどうなるというのだろう。
 ちらりと横を見ると、ルックは天井を見上げており、シーナも目を見開いて表紙を見たまま凍っている。2人も曲の内容を思い返しているらしい。
 曲の概要は、こうだ。
『部屋の中から雨の降る窓を見ている2人。かすかな別れの気配を感じながらも気付かないふりをしている。すれ違う心を埋めようとすること自体が新しい傷を作ってしまう。それでもお互いを想う心は真実で。互いの重荷となることを悲しむがゆえに共にいることが苦痛になって。想い合うからこそ背を向けて歩き出すことを選ぶ恋人。その愛をわかっているからこそ追えない“僕”』
 つまり恋人たちの別れの歌だ。その切ない歌詞とメロディラインが心を揺さぶるらしい。レイと疑似恋愛をしているようだ、この前別れた彼氏もこんなふうに思ってくれていたらいいな、などの感想も寄せられていた。それに対してシーナが「オレなんか疑似じゃなくて本当にレイと想い合っ」まで言ってルックに睨まれていたのも記憶の片隅にある。
 レイ自身も、自分の経験にはまったく当てはまらない内容ではあるけれど、他人事として詞を読めば綺麗にまとまった物語であるとは思う。だが、それを形にしようとするのが問題なのだ。たとえば動く絵といってもそのへんの自然物を背景に歌っているだけならばたいしたことではない。ルックの言葉を借りれば、「踊り子の役割を僕らが担う」。すなわち、それが意味することとは。
「それじゃ、企画書の真ん中あたりから見てくれる? 簡単な絵コンテになってるから」
 絵コンテとはなんぞやと思ったが、説明を聞くより見たほうが早いだろうと企画書に目を落とすと、簡単な絵が描かれた長方形の横に絵の説明と歌詞が記載されている。なるほど、これは映像の設計図のようなものらしい。
 が、わかったところでなんだというのだ。問題はその中身だ。さっきルックが言った「あとで突き落とされる」というシビアな一言が見事に現実のものとなっているではないか。
 描かれた映像の流れは、歌詞の中の物語に沿って進んでいく。愛し合う2人、ひとりは恋人を置いて去っていき、ひとりは去っていく恋人の背中を見つめる。それを俯瞰するように歌う人物。この曲において、メインボーカルはレイだ。ということは、残りの2人の役割はおのずから決まってくる。
「僕と? こいつが? 冗談だろ?」
 ぼそりとつぶやくルックの目は完全に据わっている。
 あろうことか、ルックとシーナに与えられる役柄は「恋人同士」。もちろんルックはその言葉を口にすること自体も拒否したようだ。3人が3人ともなんとなくうっすら朧げにそういうことなんだろうと想像はしていたが、改めて現実を突きつけられたルックは不満が抑えられなくなったらしい。レイもその反応は当然だと思う。
 ところが、ルックがナナミに鋭い目を向ける一方、シーナは少々複雑な顔をしている。どうやら喜んでいいのかいったんルックを宥めるべきなのか迷っているようだ。この状況で喜べる要素があるというのだからいい度胸だ。
 しかしナナミはにっこりと笑うと顔の前で大仰に手を振った。
「違うよぉ! あくまでイメージ! お芝居とは違って、物語全部を追ってくわけじゃないからね。歌詞の世界を表現するのにわかりやすいってだけ!」
 たしかに冷静になって絵コンテを読み込んでいくと、ナナミの言う通り、恋人同士だとはっきりわかるようなシーンはない。しかも実は元の歌詞自体にも「恋人同士」とは明記されていないのだ。想うだの惹かれ合うだのとは書かれているものの、愛だの恋だのという言葉も避けられている。強引だが、多少行き過ぎた友情と考えても差し支えはないだろう。
 芝居ではなくイメージ、というナナミの言葉になんとなくレイも納得しかけたその時だ。
「まあ、企画段階ではやっぱ恋人同士のほうがわかりやすいっていうんで、ルックくんには女装してもらおうかって意見もないわけじゃなかったんだけどね」
 余計な一言を、と血の気が引く。何事もなく流されることを期待したレイだが、当然ルックが聞き逃すはずはない。
「ちょっと待った。今、なんて言った?」
「うん、ドレスを着てもらって、カップル感を強調しようかって」
「っ、……冗談じゃないっ」
 もともと限界に近付いてきていたルックの怒りゲージがますます上がっていくのが、近くにいたレイにはひしひしと伝わってくる。だが机を挟んだ向こうにいるナナミとユウキはそれをものともせずにこやかに視線を交わす。
「だよね~。そう言うと思った。ね」
「うん。そこまでやると芝居っぽさが強くなってかえって白々しいよねってなって却下になったんですよ~」
 この机に何か障壁でも立っているのか。それともこの義姉弟が本当に怖いもの知らずなだけなのだろうか。
「あっ、そろそろ監督さん来る頃だね」
「そうだね、迎えに出よう」
 レイはふうっと息を吐く。冷静になろう。大丈夫だ。場を掻きまわす義姉弟が席を外したからには、冷静に話し合えばルックも落ち着いてくれるはず。
 そう思っていたのだが、ルックの冷ややかな目はぐるりと横に向く。
「……そこの奴。何にやにやしてるんだよ」
 ぴっとレイは姿勢を正した。しかしどうやら矛先は自分ではないらしい。明らかに動揺した様子でシーナが顔の前で手を振る。
「いやっ。そんなにやけてるつもりは」
「言ってみろ。今考えてること」
「うぇっ」
 ぴしりと命令形のセリフを浴びて、シーナはレイ以上に体を固まらせる。言ってみろとはすなわち「口にしたらただではおかないぞ」と同意だ。だが黙っていたらそれはそれで事態が悪化するだろう。それをよく理解しているシーナがおそるおそる口を開く。
「そりゃあ……ルックは美人だし……ドレスでも似合うだろうなあ……可愛いだろうなあ、と思ってました……」
 ルックはすうっと目を細め、足を組んで椅子を揺らす。
「ふうん。そうなんだ。女の格好でもしてないと、僕はあんたをその気にさせることもできないんだ?」
 レイはぎょっとした。明らかにルックらしくない物言いは、ブチ切れの証拠だ。
「落ち着いてルック、掘っちゃいけない穴掘ってる!」
「レイは黙ってて。ほら、答えてみろよ」
「や、全然、そんなことないですっ! 普段のままのルックが一番好きです!」
「じゃあさっきのセリフは何」
「ドレスが似合うってのは綺麗な人が綺麗な恰好をしたら美しさが倍増するって意味でそれ以上の意味はないですっ! 普段からちゃんと欲情してるし!」
「ふーん、どうだか」
「オレはルックとレイのことが大好きなの!」
「誠意を感じたことないんだけど」
 頭に血の上ったルックと慌てているシーナはおそらくこの言い争いの子細を覚えていることはないだろう。ならば忘れることが一番だ。レイはこっそり耳をふさいだ。


 本番のスタジオには雨が降っていた。
 もちろん、室内だから偽物の雨だ。開発部のアダリーが持ってきた人工降雨機とかいう馬鹿でかいシャワーのようなものを用いて本物の雨のように見せている。
 その雨の中で、レイが歌う。3人が円形に並んで歌うシーンがある。そして、ルックとシーナが向き合うシーンが。切なげな曲にとてもよくマッチした3人の表情や仕草はスタッフたちにひどく好評だった。
 が、当人たちの頭の中は「無」だ。
 わずかな休憩時間、隅っこで濡れた髪を拭きながら3人はどんよりとした顔を合わせる。
「……すごく疲れる」
「大した動きをしてるわけじゃないけど、ずっと水に濡れてるんだ。体力が削られて当然だろうね」
「ここまで濡れる必要あんのかなー。めっちゃ寒いんだけど」
「スタッフさんからはリアリティがあってすごいって」
「完全に他人事じゃん」
「というより、僕らは曲のキャラクターとは無関係なのにリアリティってなんだよ」
「それな」
 一体どんな作品が出来上がるというのやら。全体の流れは知っているものの、完成した作品を見て初めて全容を知るということを今まで何度も繰り返してきた。告知ポスターもCDジャケットも雑誌掲載用写真もファンクラブ用のブロマイドも、すべてがそうだ。きっと今回も数日後に打ちのめされるのだろう。
 事務所連中は、確実に何かを企んでいる。わかりそうだけれど、わかりたくもない。
 はあ……。
 平穏を願う3人の溜め息が、ぴったりと見事にハモった。

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アトリ~謀略の予兆~
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「なるほど、なるほど。そういった経験が活動に生きてくるというわけですね」
 女性のインタビュアーは、大袈裟なほど深く頷く。
 窓が一つきりの白い小さな部屋にはダークグリーンの応接セットが配置されていた。部屋の隅には申し訳程度の観葉植物があるが、殺風景さを払拭するほどの効果はない。中央にある木製のローテーブルの上では、会話を録音するための小さな黒い箱がじぃじぃと小さな音を立てていた。
「では次の質問です。アトリビュートの皆さんは、休日には何をなさっているんですか? まずリーダーのレイさんから伺わせてください」
 3人並んだ中央のレイが、口元に片手を寄せる。
「そうですね。面白味がなくて恐縮なのですが、部屋に閉じこもって本を読んでいることが多いです。昔から本が好きなんですよ。つい夢中になってしまって、気付いたら日が暮れているなんてこともよくあります」
 ぱしゃぱしゃ、と乾いたシャッターの音。カメラマンは先程から目の前をうろうろしているが、気にしてはならないことになっている。
「なるほど、知的なご趣味ですね。たとえばどんなジャンルのものをお読みになるんですか?」
「ジャンルで選ぶというより手当たり次第読むほうなんですが、最近は古い旅行記を好んで読んでいます。各地に残る伝統やしきたりを知ることができるのが楽しいんです。同じ地方を描いた本でも書き手によって視点が違うので、複数の本を読み比べるのも面白いんですよ」
 左にいたシーナがぱちんと指を鳴らす。
「ああ、それでいつもレイの荷物の中にはたくさん本が入ってるんだな。どさどさ出てくるから重いもの背負って体力作りでもしてるのかと思った」
「そんな修業はしていないよ」
 2人の微笑ましいやりとりに、インタビュアーは肩を震わせている。それを見てにっこり笑ったシーナがぐいっと身を乗り出した。
「レイは普段たくさん動いてるから、休みの日にはしっかり体を休ませるタイプなんだろうな。オレは真逆。外に体を動かしに行きます!」
 インタビュアーは「なるほど」と頷きながらも目を丸くする。
「いつもだと体を動かすっていうとどうしてもダンスになっちゃうから……あっ、ダンスが苦手とか嫌いってわけじゃないんです。ただ頭使って考えながら動くじゃないですか。そればっかやってると、なんか反射で動きたくなるんですよね。どっちに来るかわからないボールに反応できるとスカッとする、あれがいいんですよ」
「スポーツだって頭使うでしょ」
「真面目にやればね。もうあれだよ、グループ分けもしないで、ただひたすらみんなで同じゴールにボールを蹴りこむ、みたいな。あとはほら、かがんだ人の背中を飛び越えてくやつあるじゃん、あれをぐるぐる回りながら延々と」
「あれって体を動かす一環だったの? あんまりにも長いことやってるから、何かの儀式かと思った」
「あはは、たしかに自分たちもいつ終わるんだろって思いながらやってた」
「言ってよ、止めるから」
 レイとシーナは目を合わせて笑う。インタビュアーも堪え切れず声を上げて笑ってしまっている。
「楽しそうですね。そういった運動はスタッフの皆さんと?」
「はい。元気の有り余ってる若手のスタッフと懇親を兼ねて。懇親を兼ねてか、いい言い方したな」
「遊んでるだけだよね」
「そうそう」
 にこやかに何度も深く頷いて、記事のバランスを取りたいインタビュアーはずっと黙っているルックに視線を移した。
「ルックさんはいかがですか。休日はどのように?」
「……僕は……。レイと同じで、本を読んでいることがほとんど……です」
「趣味が似てらっしゃるんですね」
「とはいえルックのほうがたくさん読むし、スピードも速いですよ。知識量ではとてもじゃないですが勝てません」
「だよな、この前もさあ……」


 シーナが後ろ手にドアを閉めると、ばたんと大きく派手な音がした。シーナは「やべっ」と呟き、閉めたばかりのドアの取っ手を労わるように撫でる。思わず力が入ってしまったのを反省しているらしい。
 レイはそれを見て、疲れてるんだよ的なフォローしようかと思ったが、やめた。ずっとにこにこ笑った表情を保ったまましゃべり続けていたので、口を開こうという気になれない。頬を両手で包み込んでもみほぐし、今日のスケジュールを貼り付けたボードに目をやった。
 ルックはただ床を見つめている。人前に出す取り繕った顔を保つだけでも苦手であるのに、不特定多数に配信するためにしゃべらされるというのは苦行以外の何物でもない。はあっと息を吐いて、事務所で手渡された包みをダイニングテーブルの上にどんと置いた。
「立ってる時間がもったいないよ。とっとと昼食にしないと、すぐに次の予定だって呼ばれるだろ。連中には遠慮ってものがないから」
 それを聞いたシーナは、弾かれたように椅子に飛び付く。
「だった、そうだった。午前中で終わり~とかそんな甘いスケジュール寄越してないんだった」
 レイもふらふらと椅子を引いて、力なく座り込む。
「食べられるときに食べておかないとだよね……うん……」
 包みを開くと、長方形の箱が3つ丁寧に重ねられている。綺麗に色が塗られた高級そうな木の箱だ。スケジュールが逼迫している状況であるほど弁当の質が高くなってくるので、今日はそこそこ酷いほうだと言えそうだ。おそらく、それでこちらの機嫌を取っているつもりなのだろうと思う。これが本当に何事もない日であったらきちんとリクエストも通るし、出来立ての料理が届く。我が儘を言うつもりはないが、毎日そうであってくれと願うばかりだ。
 3人はもそもそと弁当をつつく。もちろん準備してくれるのはありがたいし、普段の精神状態ならばもっと美味しくいただけるはずだ。だが午前中にぐったりしているうえに午後もぐったりする予定なので、その心労ゆえかあまり味が感じられない。もったいないなと思いながらレイは機械的に手と口を動かしていた。
 ただ、他の人間が誰もいない「3人の部屋」が確保されているのはありがたいと思う。あの外界へのドアを閉めることで、ようやく自分が「個人」に戻れるような気がするからだ。3人の顔からは表情が抜け落ちていたが、お互いこれが外では決して見せられない気を抜いた姿だとわかっている。それを見ることで安心する、というレベルまで疲れ果てていた。
「んー……で、午後はなんだっけ?」
 冷茶を飲み干したシーナが首を傾げる。レイは先程眺めていたボードに再び目をやった。
「まずは雑誌の撮影とインタビュー」
「えっ、今やってきたばっかじゃん」
「別の雑誌だってさ。今度は写真がメインらしいよ」
「ははぁ……」
 曖昧に頷き、シーナは斜め上を見つめる。
 実は、ライブも相当疲れるのだが「インタビュー」の疲労感はそれにもましてえげつない。歌っている分には練習通りにすればいいし、MCも事前に話すことをまとめて流れを決めてある。しかしインタビューは聞き手が何を聞いてくるかわからないので、なんとか作り上げたアイドルとしての自分を崩さないようにとっさの対応が必要になってくるのだ。レイは解放軍で培ったがっちり表向きの自分を装備し、シーナは父が隣に立っていることをイメージしながら自分を制し、ルックはできるだけ黙り込む。これでなんとか誤魔化しているのであった。
 ルックは明らかに不機嫌な顔で弁当箱の端をつつく。
「僕はその次に書いてあるMV撮影って言葉も気に食わないんだよね。MVってなに」
「さあ……。初めて聞く言葉だよな。もう何もかもが知らない単語過ぎて逆に気にも留めてなかったんだけど……。レイ、なに?」
「僕に聞かないで……。僕が知ってるのはそこに書かれてる、本日は企画説明と衣装合わせのみ行います、っていう文字列だけだよ……」
 弁当のメインらしき肉団子を口の中に放り込んだシーナが、考え込むような唸り声を上げた。そして口の中を空っぽにし、満杯にしたコップの中身も再度空にする。
「……つまり、だ。とりあえず時間のかかる作業ってことだな?」
「あと考えられるのは、衣装がいるんだからただ座ってればいいってわけでもない、と」
「安心できる要素がひとつもないのだけは確かだね」
 足りないのは説明なのか、それすらも許されない時間なのか、経営側の誠意なのか。


 スタジオの熱気は凄まじい。出来上がった写真がいくら静かで涼しげでも、実際は大勢の人間がいてライトが煌々と灯っているので室温が尋常ではないのだ。しかも密室だから空気も澱んでいる。誰もいないはずの隅っこで足だけの女性を見た、などという怪談話を聞いたことがあるが、この熱気なら幻を見る連中がいても不思議ではない。
 レイは申し訳程度の送風機が設置してある待ち合いスペースからスタジオの様子を眺めていた。スタッフたちが汗だくで作業に励む様子を見ていると持ち前の性格上思わず手伝いそうになるが、レイに課された仕事は整えられた衣装を汗で汚すことなくあくまでも爽やかで涼しげな印象を与える被写体になることだ。
「それでは撮影を開始します! まずはお2人、レイさーん、シーナさーん、よろしくお願いします!」
「はーい」
「よろしくお願いします」
 呼ばれたので仕方なくサンド・ベージュのシートが敷かれた光の中へ向かう。体感温度が急激に上がって、レイは大きく息を吐いて気合を入れなおす。少し先を歩いていたシーナが振り向いて笑った。
「……あっちぃな」
「ね。これが何らかの攻撃だとしても納得しちゃうよ」
「わかるー」
 しかも2人の指定された立ち位置が、妙に近い。カメラに対して斜に構えるレイの肩にシーナが腕をかけるという体勢で、頭がぶつかってしまいそうなほどに近いのだ。ほぼ密着しているせいで、暑さが倍増している気がする。
 指示に従って何度も体勢を変えるが、そのたびにいちいち近いので、レイは「暑い」という単語を頭の中から振り払うのに必死だった。大丈夫と自己暗示をかけていなければ今すぐに逃げ出してしまっただろう。もう最後のほうは自分がどんなポーズをしていたかも思い出せない。
「はーい、OK! 次はペア変えていきまーす」
 カメラを構えていたニナが顔を上げてにこっと笑う。レイはなんとか笑顔を作って会釈を返した。次はシーナとルックの撮影だから、いったん休める。シーナにぽんと背中を叩かれ、ライトの外へと逃れた。
 途中ルックとすれ違うが、ルックは撮影前にもかかわらず既にレイ以上にぐったりした顔をしていた。少しでも励まそうと手を肩の高さまで上げると、ちら、と目を上げたルックが力なく手を合わせてきた。なんとか返事をくれるくらいのほんのわずかな余裕はあるようでほっとする。
 待ち合いスペースに戻ったレイは、机の上に用意されていたコップで水を1杯飲み干した。あまり冷たくはなかったが、体温より低い温度が体内を駆け抜けていくことでわずかに涼しくなった気がする。
「レイさん、メイク直させてください」
「あっ、はい、お願いします」
 椅子に座るなり飛んできたスタッフが、わずかに浮いた汗を拭い、髪とメイクを整えてくれる。その手の隙間からレイは今まで立っていた撮影位置に目をやった。
「そう……そう、もうちょっと近く。シーナさん、少し顔傾けてー?」
 テンションの高いニナの声が2人に指示を飛ばす。やたら楽しそうに写真を撮っているが……。レイは目の前のスタッフに迷惑が掛からないよう心の中で首を傾げる。
(……ていうか……なんでこの雑誌のカメラマンはあのニナって子なんだろう。いろんな宿星の人たちを巻き込んでるなあとは思ってたけど、そういう才能のある子なのかな?)
 レイが彼女について知っていることと言えば、解放軍時代から世話になっているフリックに猛烈なアタックをしているということくらいだ。同じ城にいる時間はさほど長くないため、それ以上の情報はない。
 メイク直しが終わったので壁側に目をやると、腕を組んでにこにこ満足そうなマネージャ殿の姿があった。撮影現場を見ていたようだが、レイの視線に気付くとすすっとこちらに近寄ってくる。
「どうかした? やっぱ暑いかな、冷たい紅茶でも飲む?」
「えっと、お願いします」
「おっけー」
 ナナミはすぐ後ろにいたスタッフに声をかける。頷いたスタッフはさっと身を翻してスタジオの外に駆けて行った。こういうところは有能なマネージャだと思う。アイドルになりたいわけではないという3人の意思を無視するところを除けば。
「あー……ナナミは、この雑誌のカメラマンが彼女だって知ってたの?」
「うん。一緒に食事してるときに、こういう遊……仕事してるんだよって言ったら興味持ってくれて、仲いい子たちと雑誌を立ち上げてくれたんだ。やっぱターゲットが若い女の子だから、近い目線を持った同じ年代の女子が記事に取り上げてくれるのってすごくいいんじゃないかなって思ったの。たぶん、ファンの子たちが欲しい目線で撮ってくれると思うんだ」
 途中で何か言いかけたなと思ったが、面倒なので「ふうん」で済ませることにした。いちいち突っ込んでいては身が持たない。
 それにしても「近い目線」か。言いたいことはレイにもわかる。「ファンが見たいと欲するもの」が大切なのもわかる。だが。
 先程までレイが立っていたその場所に、今度はルックが立っている。少し顔を上げ、カメラを見下ろす角度の視線。シーナはルックの前に向き合うように立ち、顔をルックのほうに寄せながらカメラに目線を送る。
(さっき、僕とシーナのカットの時も思ったけど……。あそこまで近付く必要ってあるのかな)
 なんだかあまりにも距離が近くて、なんとなくいたたまれない気分になる。目をそらすと再びナナミと目が合った。そこでふとさっき3人で首を傾げた言葉があったことを思い出した。
「そうだ、聞きたいことがあったんだ」
「ん、なに?」
「今日この後の予定なんだけど、MV撮影の企画説明と衣装合わせってあったでしょ。内容もそこで説明してくれるのかなとは思いつつ、まずMVって何なのか知っておきたくて」
 ナナミは「あ」とつぶやくと、自分の頭にこつんと手を当てた。
「いっけなーい。みんなに話しておくの忘れてたかも」
 いかにもうっかりしましたみたいな言い方だが、敢えて隠しておく事務所のやり口を見てきたので信用はならない。レイとルックは3人が逃げ出さないように直前まで黙っておくやり方なのではないかと勘繰っている。
「で? きっと何かの略だよね」
「うん。ミュージック・ビデオだよ。歌ってるとこのライブ映像じゃなくて、なんていうのかな、その曲の世界観を現した映像なの。歌と映像を一緒に楽しむ、みたいな」
「映像……? それはファンの人たちが見るもの……なのかな? それは何? そもそもどうやって?」
「深く考えなくて大丈夫! 絵が動いて音楽が流れるのが見られる箱があるの。不思議だね~!」
 それでまとめてしまっていいものだろうか。
「おっ。2人の撮影、もうすぐ終わりそうだね!」
 あからさまに話題を変えたナナミ。どうせそうだろうと諦めたレイは、ナナミの指さす先を目で追った。が。
 ぎくりとして手にしたコップを取り落としそうになる。
 角度だ。角度が悪い。ルックの横顔にちょうどシーナの頭が重なっていて、それはまるで頬に唇を……。
 ぶんぶんと頭を振る。そんな見間違いをしたことを知られてしまっては、ルックに絶縁状を叩きつけられかねない。
 3回注意深く瞬きをして、2回大きく深呼吸をしてから改めて2人の体勢を見る。案の定レイの錯覚だったようで、シーナはルックの肩に載せた手の上に顎をつけている。
(そりゃ、そう。そりゃそうですよ。もし仮にもそんなことになっちゃってたら、ルックがあの格好を許すはずがないもん。……いや、ルックの機嫌は既にめちゃくちゃ悪いけど)
 2人ともニナの指示に従って凛とした表情でカメラに収まっていた。それは一見指示通りの表情に見えるが、付き合いの長いレイにはわかる。
(たぶんあの距離にイラついてんだろうなあ……。シーナも冷静になろうとしてるけど、目の前でルックがイライラしてるから焦ってるよ。早く終われって願ってるのがひしひしと伝わってくる)
 レイはひとつ息を吐いた。あのシーナの立ち位置に、次はレイが向かうのだ。とっとと終わらせてMVとやらの衝撃に備えなければ。


 結局レイとルックも随分近い距離での撮影となった。お互いシーナとの撮影を終えて少々耐性ができたのか、はたまた長時間の撮影で諦めの境地になってきたのか、2人のターンはだいぶスムーズに終えることができた。
 だが一息つく間もなく、次の打ち合わせのために移動の馬車に放り込まれる。ナナミは先程の撮影の誌面について最終確認をしてから合流するとのことで、移動は3人のみだったのが救いだ。
「なんか変な感じがすんだよな」
 ぼそりとシーナが呟く。2人の返事を待たず、ぐぐっと背を伸ばしたシーナは何もない天井に向かって大きく息を吐いた。
「なんつーのかな。企んでる感じっていうか……」
 視線をすっと床に落としたのがルック、虚空を彷徨わせたのがレイだ。
「最初っから全部が全部彼らの企みなわけで、えー……これ以上はさすがにないんじゃないかなあ。なんにもないよ、うん、きっと、そう、そうに違いない」
 普段らしからぬ弱弱しい声でレイが答えると、シーナはぴょんと座席から腰を浮かせた。
「だっ、だよな! 考えすぎだよな!」
「でしょ、そうだって」
「うんうん、そうだな!」
 乾いた笑いを交わして、レイとシーナは何かにすがるような眼で頷きあう。それはスタッフ陣の善意を信じる精一杯の抵抗だったのだろう。それを難なく打ち崩したのは、レイの隣に座ったルックだ。
「戦場を乗り越えてきた者の発言としてはいささかお人好しがすぎるんじゃない」
 レイとシーナはぎくりと動きを止める。
「信じたいっていうのを止めるつもりはないけどね。なんの策略もないだろうと思って本当にないことがあった? あの連中だよ? 十分に散々な目に遭わされてるのにまだそんな希望が持てるわけ? 大体が僕ら3人を捕まえて“アイドル”って発想が出る時点でおかしいんだ。下手に期待してもそのぶんあとで突き落とされる羽目になるだけだと思うけど」
 まるで先程の不機嫌さをそのまま載せたような口調。だが2人が黙って聞いていたのは、その言葉がただ不機嫌で放たれたものではないと知っていたからだ。なぜならその言葉は紛れもなく真実なのだから。
 しん、と3人の間に沈黙が落ちる。
 やはり少しの期待も無駄だよなと改めて認識し、レイは一見無邪気なナナミの笑顔を思い出す。怖いのは、ナナミには一切の悪意が見えないことだ。戦火の中でファンの人々が喜ぶことを本心から嬉しいと思っている可能性がある。だとすれば余計にたちが悪い。
 レイははっと目を上げた。ナナミの顔を思い浮かべたことで、共有すべき言葉を思い出した。
「話は変わるんだけど、さっきナナミからMVについて聞いたんだ」
「話、変わった?」
「……変わってないかも」
 ルックは腕を組み「で?」と促してくる。頷いたレイの向かいで、シーナが身構えたのが見えた。
「MVってミュージック・ビデオって意味なんだって。よくわからなかったんだけど、歌ってるシーンじゃなくて、歌のイメージとか世界観を楽しむものなんだとか」
「へー、歌ってるとこじゃなくて歌を表現するものってことか。あー……歌劇の踊り子みたいなもんかな?」
「なのかな?」
 ナナミの説明が抽象的だったせいで、レイもうまく説明ができない。結局シーナと2人で首を傾げあう。そんな2人を呆れたように眺めたルックは、ふと目をそらして窓の外を見る。
「衣装合わせがあるってことは、その踊り子の役割を僕らが担うってことだろ。はあ……」
 その目はとても遠くを見ているようだった。レイとシーナは一度目を合わせると、同時にがっくりと肩を落とした。


 一体どんな移動手段を使ったのか、馬車を降りた3人を出迎えたのはナナミだった。さらには軍主にして事務所を取りまとめる社長であるユウキもいる。楽しそうに迎え入れる姉弟をスルーして建物の中に入ると、短い廊下の先にある広い部屋に案内された。ダンスレッスンに使うような全身が映る鏡が一面に張ってあり、片隅に折り畳み式の机と椅子が置いてある。レッスンと違うのは壁際にずらりと様々な衣装がかかったラックがあることだ。すっかり衣装担当となったのか、カミュがせっせと衣装を整えていた。きらりと効果音が付きそうなほど爽やかな会釈にはぐったりした会釈で返す。
「さて、今日のメインは映像を撮ってくれる監督さんとの打合せと、着る衣装を何パターンか選んで合わせてどれが一番世界観に合うかを決めてーってことなんだけど、その顔はまず何の曲でイメージ映像を撮るか説明したほうがいい感じだね?」
「ぜひそっちからでお願いします……」
 案外素直に頷いたナナミに促され、3人は椅子に座らせられる。そこにせっせとお茶を運んできたのはユウキだ。ナナミがユウキに向かって目配せすると、ユウキは机の上に置いた鞄をごそごそ探り出した。ナナミは得意げに胸を張る。
「先日ね、音楽を再生できる箱が発明されて、私たちはCDを発売することができるようになったんだけど、その箱に音楽を流しながら動く絵を映せる機能が追加されてねー。せっかくだからいろんな曲をファンの皆さんにお届けしたいなって思って! それで、まず最初にどれがいいかなーってみんなで考えたんだけど、ファンクラブのお便りでいただく一番人気の曲からやってみようってことになったの」
 はあ、とレイが覇気のない声で答える。普通その「みんな」の中にプレイヤーである自分たちが含まれていてもおかしくないはずだが、そんな話は聞いたことがない。とはいえ、じゃあ3人で選んでねと言われても頭を抱えて床を転げ回る姿しか想像できないので、もはやそれでもいいのかもしれない。
 ユウキが3人の前に紙製の紐で綴じられた書類をぽんと置いた。
「あぁ……これか」
 目にするなり零したのはルックだ。3人の中で一番不機嫌にこの現実を見ているルックこそが実は一番冷静に状況を分析しているのだろう。それを心強く感じるレイだ。
 表紙には、「『Parting Way~君が見ていた雫~』ミュージック・ビデオ制作計画書」と書かれていた。
「そう! 人気あるよね。ライブのアンケートでも熱い感想がいっぱいだったでしょ」
 心底楽しそうなナナミのセリフが重い。レイは先日のライブの終了後にどさりと手渡された紙の束を思い出す。氏名や住所などを書く欄のほかには自由に感想をお書きくださいとだけ記載された白い紙は、どれも余白がないほどびっしりと感想が書き込まれていた。中でも新曲として発表したこの曲への感想は多かった。
『メインボーカルのレイくんの切なげな歌声がものすごくよかったです!』
『次のアルバムに収録されるんですよね! とても楽しみです!』
『静かだけれどそれだからこそ隠そうとする強い思いがじんわり染み渡ってきて素敵でした!』
『レイくんに寄り添うようなルックくんとシーナくんのコーラスが泣けました!』
『何度も繰り返して聞きたい歌です! サビのメロディがものすごく好きです!』
 など、など。ライブのテンションそのままに書き殴ったようなコメントに圧倒されて吹き飛ばされるかと思ったほどだ。これを仕事にされてしまった以上は責務としてやらなければならないのだろうという半分諦めの境地ではあるが、恐ろしいものは恐ろしい。あれを映像化するとどうなるというのだろう。
 ちらりと横を見ると、ルックは天井を見上げており、シーナも目を見開いて表紙を見たまま凍っている。2人も曲の内容を思い返しているらしい。
 曲の概要は、こうだ。
『部屋の中から雨の降る窓を見ている2人。かすかな別れの気配を感じながらも気付かないふりをしている。すれ違う心を埋めようとすること自体が新しい傷を作ってしまう。それでもお互いを想う心は真実で。互いの重荷となることを悲しむがゆえに共にいることが苦痛になって。想い合うからこそ背を向けて歩き出すことを選ぶ恋人。その愛をわかっているからこそ追えない“僕”』
 つまり恋人たちの別れの歌だ。その切ない歌詞とメロディラインが心を揺さぶるらしい。レイと疑似恋愛をしているようだ、この前別れた彼氏もこんなふうに思ってくれていたらいいな、などの感想も寄せられていた。それに対してシーナが「オレなんか疑似じゃなくて本当にレイと想い合っ」まで言ってルックに睨まれていたのも記憶の片隅にある。
 レイ自身も、自分の経験にはまったく当てはまらない内容ではあるけれど、他人事として詞を読めば綺麗にまとまった物語であるとは思う。だが、それを形にしようとするのが問題なのだ。たとえば動く絵といってもそのへんの自然物を背景に歌っているだけならばたいしたことではない。ルックの言葉を借りれば、「踊り子の役割を僕らが担う」。すなわち、それが意味することとは。
「それじゃ、企画書の真ん中あたりから見てくれる? 簡単な絵コンテになってるから」
 絵コンテとはなんぞやと思ったが、説明を聞くより見たほうが早いだろうと企画書に目を落とすと、簡単な絵が描かれた長方形の横に絵の説明と歌詞が記載されている。なるほど、これは映像の設計図のようなものらしい。
 が、わかったところでなんだというのだ。問題はその中身だ。さっきルックが言った「あとで突き落とされる」というシビアな一言が見事に現実のものとなっているではないか。
 描かれた映像の流れは、歌詞の中の物語に沿って進んでいく。愛し合う2人、ひとりは恋人を置いて去っていき、ひとりは去っていく恋人の背中を見つめる。それを俯瞰するように歌う人物。この曲において、メインボーカルはレイだ。ということは、残りの2人の役割はおのずから決まってくる。
「僕と? こいつが? 冗談だろ?」
 ぼそりとつぶやくルックの目は完全に据わっている。
 あろうことか、ルックとシーナに与えられる役柄は「恋人同士」。もちろんルックはその言葉を口にすること自体も拒否したようだ。3人が3人ともなんとなくうっすら朧げにそういうことなんだろうと想像はしていたが、改めて現実を突きつけられたルックは不満が抑えられなくなったらしい。レイもその反応は当然だと思う。
 ところが、ルックがナナミに鋭い目を向ける一方、シーナは少々複雑な顔をしている。どうやら喜んでいいのかいったんルックを宥めるべきなのか迷っているようだ。この状況で喜べる要素があるというのだからいい度胸だ。
 しかしナナミはにっこりと笑うと顔の前で大仰に手を振った。
「違うよぉ! あくまでイメージ! お芝居とは違って、物語全部を追ってくわけじゃないからね。歌詞の世界を表現するのにわかりやすいってだけ!」
 たしかに冷静になって絵コンテを読み込んでいくと、ナナミの言う通り、恋人同士だとはっきりわかるようなシーンはない。しかも実は元の歌詞自体にも「恋人同士」とは明記されていないのだ。想うだの惹かれ合うだのとは書かれているものの、愛だの恋だのという言葉も避けられている。強引だが、多少行き過ぎた友情と考えても差し支えはないだろう。
 芝居ではなくイメージ、というナナミの言葉になんとなくレイも納得しかけたその時だ。
「まあ、企画段階ではやっぱ恋人同士のほうがわかりやすいっていうんで、ルックくんには女装してもらおうかって意見もないわけじゃなかったんだけどね」
 余計な一言を、と血の気が引く。何事もなく流されることを期待したレイだが、当然ルックが聞き逃すはずはない。
「ちょっと待った。今、なんて言った?」
「うん、ドレスを着てもらって、カップル感を強調しようかって」
「っ、……冗談じゃないっ」
 もともと限界に近付いてきていたルックの怒りゲージがますます上がっていくのが、近くにいたレイにはひしひしと伝わってくる。だが机を挟んだ向こうにいるナナミとユウキはそれをものともせずにこやかに視線を交わす。
「だよね~。そう言うと思った。ね」
「うん。そこまでやると芝居っぽさが強くなってかえって白々しいよねってなって却下になったんですよ~」
 この机に何か障壁でも立っているのか。それともこの義姉弟が本当に怖いもの知らずなだけなのだろうか。
「あっ、そろそろ監督さん来る頃だね」
「そうだね、迎えに出よう」
 レイはふうっと息を吐く。冷静になろう。大丈夫だ。場を掻きまわす義姉弟が席を外したからには、冷静に話し合えばルックも落ち着いてくれるはず。
 そう思っていたのだが、ルックの冷ややかな目はぐるりと横に向く。
「……そこの奴。何にやにやしてるんだよ」
 ぴっとレイは姿勢を正した。しかしどうやら矛先は自分ではないらしい。明らかに動揺した様子でシーナが顔の前で手を振る。
「いやっ。そんなにやけてるつもりは」
「言ってみろ。今考えてること」
「うぇっ」
 ぴしりと命令形のセリフを浴びて、シーナはレイ以上に体を固まらせる。言ってみろとはすなわち「口にしたらただではおかないぞ」と同意だ。だが黙っていたらそれはそれで事態が悪化するだろう。それをよく理解しているシーナがおそるおそる口を開く。
「そりゃあ……ルックは美人だし……ドレスでも似合うだろうなあ……可愛いだろうなあ、と思ってました……」
 ルックはすうっと目を細め、足を組んで椅子を揺らす。
「ふうん。そうなんだ。女の格好でもしてないと、僕はあんたをその気にさせることもできないんだ?」
 レイはぎょっとした。明らかにルックらしくない物言いは、ブチ切れの証拠だ。
「落ち着いてルック、掘っちゃいけない穴掘ってる!」
「レイは黙ってて。ほら、答えてみろよ」
「や、全然、そんなことないですっ! 普段のままのルックが一番好きです!」
「じゃあさっきのセリフは何」
「ドレスが似合うってのは綺麗な人が綺麗な恰好をしたら美しさが倍増するって意味でそれ以上の意味はないですっ! 普段からちゃんと欲情してるし!」
「ふーん、どうだか」
「オレはルックとレイのことが大好きなの!」
「誠意を感じたことないんだけど」
 頭に血の上ったルックと慌てているシーナはおそらくこの言い争いの子細を覚えていることはないだろう。ならば忘れることが一番だ。レイはこっそり耳をふさいだ。


 本番のスタジオには雨が降っていた。
 もちろん、室内だから偽物の雨だ。開発部のアダリーが持ってきた人工降雨機とかいう馬鹿でかいシャワーのようなものを用いて本物の雨のように見せている。
 その雨の中で、レイが歌う。3人が円形に並んで歌うシーンがある。そして、ルックとシーナが向き合うシーンが。切なげな曲にとてもよくマッチした3人の表情や仕草はスタッフたちにひどく好評だった。
 が、当人たちの頭の中は「無」だ。
 わずかな休憩時間、隅っこで濡れた髪を拭きながら3人はどんよりとした顔を合わせる。
「……すごく疲れる」
「大した動きをしてるわけじゃないけど、ずっと水に濡れてるんだ。体力が削られて当然だろうね」
「ここまで濡れる必要あんのかなー。めっちゃ寒いんだけど」
「スタッフさんからはリアリティがあってすごいって」
「完全に他人事じゃん」
「というより、僕らは曲のキャラクターとは無関係なのにリアリティってなんだよ」
「それな」
 一体どんな作品が出来上がるというのやら。全体の流れは知っているものの、完成した作品を見て初めて全容を知るということを今まで何度も繰り返してきた。告知ポスターもCDジャケットも雑誌掲載用写真もファンクラブ用のブロマイドも、すべてがそうだ。きっと今回も数日後に打ちのめされるのだろう。
 事務所連中は、確実に何かを企んでいる。わかりそうだけれど、わかりたくもない。
 はあ……。
 平穏を願う3人の溜め息が、ぴったりと見事にハモった。

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