北都

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投稿日:2026年08月28日 21:18    文字数:32,196

カナリヤ 17

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アベル様&アビスくん編1/2です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
義家族問題はどっかで触れておかなきゃなぁ、と思ったら予定よりみるみる長く……笑 たぶん次回ちゃんと締められるかと。

アビスくんの過去、おめめ、家族関係、ワースくんと同室になった経緯、全部元気に捏造してます⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!
どうしよう、嘘つくのすごい楽しい。ひとつも正しくないからそろそろアベルくんファンに刺されそう……ってくらい豪快に嘘付いてるので、どれもこれも信じないで下さい。

ちなみに私はアベアビの民なので、ビミョーにそれっぽい感じを受けん事ないけど……くらいの仕上がりになってます。タグ付けるほどじゃないんだけど……って感じ。微妙なら編集致しますが、ご了承の上お進み下さい。
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◆◇◆◇◆



社交というのは、とかく面倒臭いものである。

──おい、見ろよ
──『コレクター』だ

さざなみのような声に、うんざりしながら首を振る。アビスを置いて来る判断は正しかった。少なくとも、あれを品のない連中の不躾な視線に晒さなかった、という点においては。

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2 / 7

◆◇◆◇◆



アベルの正装を見る機会は、そういえばあまりなかったかもしれない。……まぁそんなことを言い始めたらワースも社会人になってまともな社交界には出なかったから、こうした夜会向きの正装などとんとして来なかったが。

「アベル、どうする?」
「どう、とは?」

キョトンとした顔は、本当にわかっているのか居ないのか、判断が難しい。かるく顎をしゃくれば、「ああ、」とアベルは瞳を細めた。
『コレクター』とは、アベル・ウォーカーに付けられた、所謂あだ名である。魔法界は結構、この手の二つ名好きが多い。かつては貴人に敬意を払って名を呼ばない為だとか謂れがあるそうだが、今の貴族たちにそのような意識はないだろう。彼が側近として領地に連れ帰った「悪魔の目」アビス・レイザー、そして養子としたワースの禁書「リトルデビル」は、それぞれ魔法界においても希少なものだ。希少なモノには、それなりの値打ちが付く。値打ちモノを2人も揃えたアベルはいつしか揶揄を込めて「好事家」だの「コレクター」だのと呼ばれていた。領地持ちのアベルは中央に来るような領主じゃないから、気にしなくて良いと言えば良い。舐めた口を叩く奴を絞めておく必要があればワースが絞める。この手合いは面子を潰すと面倒であるが、どちらが上か早々に序列を教えてやった方が後々に響かない。必要であれば社交の場とは言え、喧嘩を売ってきたのは相手なのだからワースが「ご挨拶」してやってもいい。ちなみに、魔法局内でアベルをそのように呼ぶ人間はいない。耳に入り次第ワースが絞めた。というか、禁書持ちで神覚者の実弟相手に面と向かって喧嘩を売ってくる奴は少ない。逆に言えば、聞こえる距離で噂話をされている時点で、ワースよりもアベルは中央貴族から舐められている。これはなかなか面白くない事態だった。

「放っておいて構わない。……それよりも、魔法局はどうだい?」

穏やかな、しかしそれでいて答えにくい問いにワースは「うーん、」と唸り声を上げた。養父兼懐かしい友人であるアベル・ウォーカーとなぜ貴族のパーティなんかにいるのか。それを整理するには、少々時間を遡らねばならならなかった。



***



ワースは毎月、給料の一部と共に簡単なメッセージカードをアベル宛に送っていた。内容は実に他愛ない。出張先で買ったポストカードや場所の感想、守秘義務に抵触しない程度の近況を伝えたり。アベルから返事が戻ることはほぼない。大抵が三言二言、アビスから伝言うさぎで到着連絡が来る。というのも、アベルは若領主として多忙であったし、ワースとしてもアベルとアビスに話題を提供出来れば、とやっている事だからだ。目論見通り2人とも喜んでいるようで、やや面映いところがある。ワースが禁書を手に入れてからは、どちらかといえば彼らにとって生存確認の意味合いが強いのだろう。アビスは決まって電話で話したがった。「口頭審問受けてるみてぇ、」と言えばだいぶ気まずそうな沈黙があったが、実のところ、アビスにとってはその目的もあったのだろう。いくらワースが「大丈夫」と報告しても、一般的に禁書が危険な書籍であることに変わりはない。だから定例の神祭りに3人でお泊まりをしよう、と打診が来たのも、ワースにとってはさして疑問を挟む余地はなかった。状況を説明し、リトルデビルとは電話越しに話もさせた。それでも、心配は心配なのだろう。その感情は、素直にありがたい。
……が、ここで待ったを掛けたのはオーターだった。時期も非常にまずかった。折しも2週間の水竜保護区出張から戻って来てさほど経っていなかったから。あの後、オーターは市街地に危険なしとして帰ることになったが、ワースは泉と主要河川の修繕が終わるまで出向期間を伸ばしていた。大抵オーターは多忙だから、顔を合わせられるのなんか朝晩の食事時くらいしかない。そんな機会が2週間もなかったのが尾を引いたのだろう。神祭りに参加する地方貴族の滞在は、祭りの前後と合わせてだいたい1ヶ月半程度だ。アビスもアベルも地方貴族一団としては初めての参加となるからもう少し掛かるかもしれない。となれば2ヶ月近くワースは不在となる。それは嫌だ、というのがオーターの主張であった。色々と話し合ったが、結果的に「……というか、警備面で言うなら我が家に泊める選択肢もあるのでは?」という苦渋を滲ませたオーターのひと言にワースが折れることにしたのだ。話の節々から滲む感覚として、オーターはアベルには好印象を抱いていない。それを差し引いてもワースと一緒に過ごしたいと思ってくれている。かつて学園で過ごした頃のように共同生活をするというのも悪くなかった。アベルとアビスの2人に打診したところ、「まぁ、砂の神杖の動向も押さえておきたいし、」との返事で快諾であった。……大丈夫だろうか?というか、アベルとオーターの間に一体何があったのだろうか。ワースがインターンシップで魔法局へ通っていた頃、オーターの対応は寮長兼養父という名目でアベルが行ってくれていたが。ひょっとしてその時何かあったのか。どちらに聞いても捗々しい回答はなく、ただ何か不穏なものを感じるばかりである。
そんなこんなでやや心配な2人の滞在ではあったが、神覚者の格に見合うだけの部屋数がある屋敷で使っていない部屋を来客用に整え、食器やその他雑多な物を揃えている間に神祭りの時期が近付いてきた。
「神祭り」と仰々しい名前が付いているものの、実態は地域によくあるお祭りの大規模版である。杖に宿る神、この世に魔力を与えた神に感謝を捧げ、様々なものを奉納する。それは踊りだったり歌だったり、武闘大会であったり様々だ。神迎えの儀式から始まり神送りの儀式まで、地方貴族はどれかの出し物に参加し、社交に出るのが通例である。人脈作りと情報交換が主たる目的であるが、派閥間の人間関係が重大な意味を持つ中央貴族に比べ、領地を持つ地方貴族はどちらかと言えば領地運営の情報交換や貿易協定を締結したり、若当主では顔見せの意味合いが強い。祭りの主催は魔法局人材管理局であり、警備関係は魔法警備隊の所管であるから、ワースの禁書管理局もオーターの魔法魔力管理局も追加の仕事はない。かといって休暇でもない。オーターはいつも通り多忙だから、祭り装飾された街をちょっとデートに、なんてことはしないだろう。ちょっぴり残念な気もしたが、ワースだってそろそろ学ぶのだ。仕方ない。世界を守る仕事をしているひとだから。我慢するのは慣れている。とはいえ出店も多いだろうから、夕飯がてら屋台料理を買って、神祭りにちなんだ小物を贈ったりすれば少し雰囲気も出るだろう。少しばかりウキウキしてしまう。

(……ま、でも今年はしょうがねぇかな)

アベルは卒業と共に当主の座に就いている。今年の社交は殊に重要だ。なんだかんだ魔法局に入れたのだって希望する禁書管理局へトントン拍子で入れたのだって、ワースの後見に立ってくれたアベルの地方貴族としての信用に寄るものだ。勿論ワース自身もかなり努力はしたが、はっきり言って、彼の後ろ盾なしだったらもう少しややこしかったというか、それこそリトルデビル共々、専用の施設に軟禁状態で今に至る、なんてのはかなり想定出来た未来である。……「砂の神杖の実弟」の名前はどこまでワースを守ってくれたか。ちょっとこの評価は悩むところではあるが、「マドル家を勘当された次男」の方が効力を持ちそうだから微妙である。知の神杖の温情は勿論あれど、これでもかなり、地方貴族の戸籍上の縁者として守られている。その恩に報いる必要が、ワースにはある。……言ったらきっと、少し笑われそうだけども。

「お、来たな」

呼び鈴がして、玄関へリトルデビルと向かう。ドアを開いた先の様子に、ワースは瞳を丸くした。

「あれ?アビスは?」

荷物が少ないのは良い。事前に送ってもらって、それぞれの客間に置いてある。しかしシルクハットを被ったアベルの隣に当然居るはずの人物がおらず、ワースは首を傾げた。久しぶりに会うアベルは色白の肌がいよいよ白く、この日までの苦労がなんとなく偲ばれる。ワースの怪訝そうな顔に、アベルは少し、気まずげに身じろぎをした。珍しい。

「ま、とにかく入れよ。長旅ご苦労さん」
「ありがとう。……ちなみにその横の子供は」
「初めまして、アベルくん!ワースの魔導書の「リトルデビル」です!」

挙手をして元気よくリトルデビルがアベルに挨拶をする。ほんの少し瞳を細めて観察をするアベルが片手を差し出した。握手だろう。躊躇いなくリトルデビルはアベルの手を取った。

「なるほど、よく出来ている」
「ありがとうー!」

自身の魔法が解析かれているというのに、リトルデビルは笑顔で応じている。そういう奴ではあるが、若干ワースの居心地が悪い。
ワースはリトルデビルの頭にポンと手を置く。そしてわしわしと撫でてやった。

「言ったろ、そんな悪い奴じゃねぇから」
「キミがそういうなら信用したいところだけどね」
「だけど、じゃねぇの。……まぁ、1ヶ月かけて判定してくれ」

友人が禁書に取り憑かれた、と聞けばそれは大変な事態だろう。当主として忙しいだろうから、こっちに来なくて良いと説得したのはワースだ。種々時間をかけて行ったそれを、アベルが尊重してくれただけのこと。今回のアベルの神祭り参加には貴族間のやり取りだけでなくワースの査定も含まれている。正しく言えば、リトルデビルへの査定、ではあるが。彼が無理にワースとリトルデビルを引き剥がすとは思えないが、何か手を打つ可能性はあった。
部屋と共有部分を簡単に案内して、ついでとばかりにコーヒーを出す。なかなか手を付けないアベルとくぴくぴホットミルクを飲むリトルデビルを交互に見つつ、ワースは眉を顰めた。

「アビスは?」
「……イーストン魔法学校に用事があるそうだ」
「アイツにアベルより大事な用事ィ?」
「…………」

声に険が混じるのは、仕方ないだろう。
気まずげに視線を逸らす仕草からしても、明らかにアベルは嘘を吐いている。というか、アビスはアベルの護衛役なのだから、本人の一存で離れるとはとても思えない。
アベルはチラリとリトルデビルを見、しかしため息を吐いて、首を振った。

「……すこし、アビスと行き違いがあった」
「ケンカしたってこと?」
「………………まぁ、俗っぽい言い方をすれば」

肩を落とすアベルを見ながら、ワースは目を見張る。非常に珍しい。アビスはあの通り穏やかなタイプだから、滅多なことがない限り怒らないし、アベルに関わる話には沸点低めであるが、大抵は怒らせる方が悪い。なのに、よりにもよってアベルに食ってかかるとは。

「アイツ、成長したなぁ……」
「……どう言う意味かな」
「どうもこうも……」

くっとワースは笑う。
まぁ、アビスには分からないだろう。疑問や違和感があっても、後ろから追従していた方が楽な時は多い。アビスの従順さにはそういう面が少々あった。そこを敢えてケンカして、実質的にも護衛が必要ないと判断しアビスをひとり魔法局まで寄越す。まだイーストン魔法学校に通っていた頃のアベルにそんな大それた判断が出来たはずがない。それを、今回やってのけた。この自我の発露。ワースはこれを褒めてやりたい。

「それで?何しちまったんだよ、アベルは」
「……僕が、悪いことが前提なのか」

アベルはムッと唇を尖らせる。
七魔牙のリーダーでもなく、レアン寮長でもなく、年相応の青年らしき顔は、ワースがあの頃ずっと、友人として向き合い続けていたものである。ワースは行儀悪く頬杖をついて見せた。これだってあの頃、しきりにやっていた行動のひとつである。勿論周囲に示しがつかないからアベルとワース、そして時にアビスがいた時の、気を抜いている時、限定だが。しかしそれだけで簡単に、2人の間の空気があの頃に戻る。無論ワースはいま現在の自分に全く不満はない。けれどそれはそれ、これはこれである。
観念したようにふうとため息を吐いたアベルが順繰りに話した内容は、まあまあ予想通りというか、なんというか。しかし、

「アベル、言い方下手過ぎじゃね?」
「……そう、だろうか?」

アベルの言い分はこうである。
「悪魔の目」を持つアビスを護衛として社交に連れ出すのは相手貴族に嫌がられる可能性がある。故に、そういった場にはワースを連れて行き、アビスは宿であるオーターとワースの家で待機するように。護衛の任はワースだけで十分である。
それは、まぁ、そうだろう。実に簡潔な命令だ。ただし、大きな前提が抜けている。

「……地方より中央貴族たちのが口が悪ィから下手にアビスを誹謗中傷されたくねぇ、とかって言ってやったか?」
「…………わざわざ伝える必要もないだろう」

むっつりと拗ねたようにアベルが視線を剥がす。
昔っから、アベルにはこういうところがあった。これで結構気を使う奴だが、気遣いの方向がなかなか独特過ぎて言葉が足らなくなる。今回の話だって、アビスを連れてきたは良いものの、下手に人前に出せば「悪魔の目」について言及され、アビスが傷付くと心配したのだろう。じゃあアビス以外の人間を護衛として連れてくれば良かったのに、気の置けない友人との久しぶりの旅行を優先したのか、恐らくこんな機会でもなければアベルの側を離れなさそうなアビスの為に旧友や後輩と会う晴れの機会を用意してやりたかったのか、あるいはその両方か、ワースは知らない。アベルはそのような事情を詳らかに口にするような奴でもないからだ。
ただひとつ、あれだけ目立つ特殊な魔眼を持つアビスを、口嵩のない貴族の前に連れ出したくない、という気持ちはよく分かる。

「……けど、アベルの言い方じゃあアビスに問題があるから連れて行かない、みたいに聞こえるぜ?」
「………………」
「訂正しねーのかよ」
「間違いではない」

下唇にぐっと力を入れたアベルは貝のように口を閉ざす。ここまで意固地になるアベルは非常に珍しい。なにか、ワースにすら隠していることでもあるのだろうか。それはそれで、彼の考えだ、勿論尊重はする。尊重は。ワースは笑いながらコーヒーを啜る。

「僕にとって神祭り期間は仕事だが、アビスは必ずしもそうではない。碌に休暇も取らずに今まで頑張ってくれていたのだし、休ませない方が問題ではないかな」
「それは、もう、それとしてアビスに言えよ」

自分の言った言葉にふと既視感を覚え、隣に座る魔導書を見る。にへら、と笑うリトルデビルの顔には何か含みがあった。数ヶ月前まで散々ワースの背中を押しまくっていた神妙な頷きに、ワースは若干の気まずさのまま口を閉ざした。まぁ、たぶんこう言いたいのだろう。「似たもの同士の友人だねぇ、」と。

「…………余計な心労をかけたくない」
「いや現にいま、イーストンに1人で残ったなら心労かけてるだろ」
「久しぶりにマイロ達にも会いたいと」
「んなの口実だろ。レアン寮の片隅で膝抱えてたらどうすんだよ」
「それは…………、………………、迎えに行った方が、良いだろうか」
「俺から連絡入れておく?」

どれだけ強くアビスがアベルの判断に反発しているかは知らないが、どう転んでもしょんぼりしているアビスが目に浮かぶようだった。あれもあれで繊細な性質だから。ふむ、とワースは頷いて伝言うさぎを取り出した。
結果として、その判断はなんとも言い難かった。アビスは若干震える声で後輩達と話し込んでしまったと詫び、夜にはそちらに到着するという。アベルが到着した時分には既にとっぷり日が沈んでいたというのに。声が震えている時点で察するに余りあったが、さすがに追及するのも憚られて、遅くなるならワースだけで出迎えるから着く前に連絡をくれるように言い、伝言うさぎを切った。たぶん、日付が変わる頃には到着するだろう。長いこと同室で生活していたからか、比較的ワースにはアビスは弱いところを見せてくれる。逆に他が起きていると思うと屋敷にも寄り付けないかもしれない。アビスはそういうところがある。帰宅したオーターとアベルの間になんとなく張り詰めた空気を感じつつも、食事や風呂の準備をいつも通り進め、長旅だったはずが妙にソワソワしているアベルを部屋に押し込み、そこからいくらか経った頃、アビスからの連絡が来た。時計を見れば想像通り、まもなく日付が変わろうとする時間帯である。向こうも向こうで、日付が変わればいよいよ締め出されると思ったのだろう。「あと10分程度で着きます」との言葉は頼りなげだった。己の予想の正しさにワースは苦笑しつつも、たっぷり疲弊した友人を迎える準備をした。
「玄関前まで来たらもっかい鳴らせ」とのワースの言葉に従った、ひっそりとした伝言うさぎへの着信に、ワースは忍び笑いを溢す。なんとなくこのへしょげた風情はワースの記憶を揺さぶった。
確か中等部の頃、「悪魔の目」を気に入らない同級生から体操着をボロボロにされたことがあったか。真っ青になって震える身体でアビスは寮室の前に立ち尽くしていた。たぶん、犯人が、分からなかったからだ。今にしてよく考えると家格からしても同室という状況からしても、ワースが他の生徒に命じてアビスの私物を破壊させた可能性は十分にあった。しかしあの頃のワースはとにかく魔法実験が楽しくて、とっととレポートにまとめたいのに部屋の前で突っ立ったままのアビスが邪魔で邪魔で、背後から頭を叩いたのだった。衝撃で手から溢れる破れた体操着と、絶望的な顔をしているアビス。いま思っても嫌なガキだが、ワースは「フツーに邪魔」と言い放って部屋に引き摺り入れたのだ。すわ殴られるのかと部屋の端でぶるぶる震えるアビスがどんな気持ちでいたのか、あの頃も今も分からない。ただひょっとしたら後のワースにとっても幸いなことに、その時ワースが試していたのは復元魔法であった。勿論治癒魔法の基礎訓練として。切り裂かれた体操着など格好の実験台で、ワースは自分の予備の体操着とアビスのボロボロになった体操着を交換した。その頃ワースは、名門イーストン魔法学校に入学したにも関わらず、「悪魔の目」を持つ息子へレイザー家が与える教育費が微々たるもので、アビスが学用品を調達するのにも難儀していたなんて、なまじ両親揃っているそれなりの家格の子供である為に貧民や平民向けの支援や補助が受けられないだなんて、全然知らなかったから。

呆然としたアビスの顔を、今でも覚えている。

結局あの時のワースの実験は上手くいかなかった。体操着なんか、手で縫い合わせた方がずっと上手く修復できた。色々と試したが、ワースには余り時や闇に関わる魔法の適性はない。だから結局ワースがアビスから得た体操着はただのボロ布になってしまった。勿論捨てた。けれどお陰様で、体操着に大きく書かれた自分の名前も刺繍される前の布に戻すなんて芸当もできなかったから、アビスに与えた自身の体操着は魔法インクで「アビス・レイザー」の名前を上書きした。ワースの筆跡で。「ホラ、コレで俺の体操着盗んだとか言われねーだろ?」とか何とか言って渡したんだったか。いま思えば本当に何も考えていなかったのだろう。「貴族マドル家の次男」が「悪魔の目」を持つ少年に、自分の名前が印字された体操着を上書きして与えた、なんて行為が持つ意味を、ちっとも。
当時のワースにとっても「悪魔の目」なんてのは様々学説あれど結局は「魔力制御不全症候群」の亜種に過ぎなかったし、症例が少ないだけの単なる疾患だ。勿論迷信として「神への冒涜」と言われることは知っていたが、外見特徴に漏れ出るほど魔力が高いのはむしろ羨ましい……そう考える者が少ないと知ったのは、アビスが仮面を被るようになってからだから、中等部のワース少年もなかなかに鈍い。とはいえルームメイトがコロコロと変わる方が面倒だから新年度の度に同室は誰だと騒ぐ同級生たちを尻目に毎年固定の相手で楽だったし、ワースにとってアビスは仮面で顔を隠す変な同級生であったが、その仮面はなかなかセンスが良かったから気にならなかった。今にして思えば、誰かが上手いこと手を回していたのだろう。でなければ自治が認められる高等部になるまでずっとアビスと同室にされるなんてあり得ない。ワースの中で長らくアビスは、少々物静かな、しかしストレスにならない程度には優秀で面白い友人の1人に過ぎなかった。
玄関先にぼんやりと見える人影に、ドアの先が誰か察してワースはガチャリと鍵を外す。玄関前まで来れている以上、犯罪者でないのは明らかだ。

「よぉ、久しぶり」
「こ、こんばんは……」

顎で示してやれば、ほんの少し気まずそうなアビスは身を縮めながら歩を進める。まったく。

「部屋案内してやるから、早く上がって来い」
「あっ、……待って下さい、ワース」

ひょこひょこと背後をついて来るその姿は、あの頃とちっとも変わり映えはしない。ワースは再び顎をしゃくって合図した。



***



部屋に案内してやり、アベルにしたのと同じ順路で共有部分を説明する。風呂に入っておくよう言いつけた後、夕飯の残りのスープを温めた。食べたかどうかは知らないが、身体を温めた方が良いだろう。そうこうしている内に、他人の気配に気が付いたのか、単にアベルと同様挨拶すべきと思ったのか、のったりした足運びでリトルデビルも部屋から出てきた。目元を擦るその頭を撫でてやり、ついでにビスケットを戸棚から出してやる。アビスばかり食べていたら気を遣わせるだろうから。

「上がりました。……あれ……?」

ひょっこりと顔を出したアビスの視界に魔導書が通る。あ、と思う間もなく、リトルデビルの角から額にかけて、どろりと顔が崩れた。やばい。

「……っ、本に戻れリトルデビル!」
「んー?」

小首を傾げたまま言われた通り書籍の形となったリトルデビルがワースの胸にダイブする。その姿にアビスはただでさえ大きな瞳をさらに大きくさせた。

「えっ?……えっ!?」
「悪ィ、コイツ、禁書なんだ」

おおかたアビスの「悪魔の目」に見られたせいでリトルデビルの泥魔法が崩れたのだろう。「悪魔の目」の能力にも例外はあって、杖や魔導書のように予め魔力が宿っているものへの停止能力は一部例外が存在する。しかしあの魔法のベースはワースの泥魔法だ。ワースは通常、泥人形に認識阻害魔法や幻覚魔法を付与してより人間のように見えるよう維持している。その部分の停止がなされてしまえば泥はただの魔力を含んだ泥になってしまう。アビスが停止した魔法はそこだろう。胸の中で、なにあれなにあれ!と嬉しそうに飛び跳ねる魔導書を撫でてやる。
大抵の場合、魔法の押合いは魔力が高い方が勝つ。これまで他の人間相手にアビスの「悪魔の目」が負けたところを見たことはないが、禁書相手ではひょっとするとひょっとしてしまうかもしれない。ワースはため息をひとつ吐いて、はしゃぐ禁書をあやす。

(こっちの心を読んでる、とは思うけど)

だからといって釘を刺しておかない理由はない。うっかりアビスが禁書を「悪魔の目」で見てしまった場合、禁書が下手に魔法の一時停止に抵抗しようとすると彼に怪我を負わせる可能性がある。

「リトルデビル。コイツは俺の大事な友達なんだ。俺の延長だと思って、大切にしてやれ」

ワースが一瞬で何を懸念したのか分かっているのかいないのか、リトルデビルは元気よくわかった!と返事を返す。まぁ、大丈夫だろう。アビスは別に好戦的な性格ではない。魔導書もこう言っておけば一時停止状態を面白がったとて、アビスに怪我を負わせるほどの無茶はすまい。

「……と、悪いアビス。……アビス?」

禁書の説明をしようと、アビスに視線を戻すと、はらはらと静かに涙を流しながら彼は泣いていた。思わずギョッとする。アビスはだいぶ辛抱強い性格をしている。それはまぁ、彼の生い立ちというか、幼年期のあれやこれやが関係しているのだろうが、まぁ、友人としてはそこは別に良い。アベルの件で怒る姿は見たことがある。けれども、こうして音もなく泣いているところを初めて見た。

「えっ、あっ、あー、」

大慌てでティッシュを取り出し、旧友の顔面に押し当てる。なになに?と楽しげな魔導書とさめざめと泣くアビスに挟まれて、ワースはとにかく混乱していた。



***



「つまり、アベルの役に立ててなくて不安だと、そういうことか?」

こっくり、と未だにしゃっくりをあげるアビスが深く頷くのを見て、ワースは頭を抱えた。
卒業後、アビスを領地に連れ帰る判断をしたのはアベルだ。その信頼と期待に応えるべく、アビスは新領主補佐として仕事に邁進したらしい。けれどもイーストン魔法学校と違って、領地には魔法がほとんど使えない者から生業にほとんど魔法を使わない者など、およそアビスが接したことも想像したこともない人間が多々いる。そしてウォーカー家を支えてきた家臣達も。その中で揉まれるうちに、段々と自分に自信が持てなくなってきてしまったようだった。護衛として剣に覚えがあったが、全ての敵が正攻法で来る訳でもないし、書類整理は元々それを家業にしていた者もいる。イーストン魔法学校での優秀な成績は、実務経験うん十年の先輩達にはとても太刀打ちできない。
本当に自分は、ウォーカー家の、ひいてはアベルの役に立てているのか。むしろ役立たずの自分が実家に戻されないようにアベルは補佐として連れ帰ってくれただけではないか。そう考え始めるとキリがなくなってしまった。加えて、今回の社交パーティーへはアビスの同行は断られ、ワースと行くと言う。結構アビスは自分の腹のうちに問題を抱え込みやすいタイプだ。そんな鬱々とした中でワースに真正面から「大事な友達」と言われ、心の中の何かが決壊してしまったらしい。……いや、悪いって。そんなつもりで言ったんじゃねぇし。

「アベルもそんなつもりじゃねぇと思うけど」

まだすんすんと鼻を鳴らすアビスにホットミルクとビスケットを差し出してやりながらワースは肩をすくめる。やっぱり誤解されていた。
アベルの言い方はどうあれ、正直パーティの類いは、魔法局に勤めるワースの方が適任だ。ソフィナが付けてくれた「禁書管理局幹部候補」の肩書きは、地方領主であるアベルの箔付け程度にはなるだろう。対女性に弱いアビスを華やかなパーティに連れ回す方がアベルの正気を疑う。

けれど、アビスは出たいのだろう。

自分には向かなくて、恐らく楽しくもないであろうその場に。配慮して屋敷に置いて行かれる方が、自分の価値がないように思ってしまう、そんな奴だ。
しんなりとしょげてしまった友人のつむじを見ながら、ワースはうーんと悩む。社交の場に出たら出たで、たぶんアビスは物凄く注目される。正直「悪魔の目」さえなければ見目は良いし、「悪魔の目」があればそれも非常に稀有であるから、どんな意味でも人目を集めてしまう。その視線は間違いなく、アビスへの大きなストレスになる。困った。アベルが正しい。けれどワースはこのへしゃげた友人をどうにかしてやりたい。

「……ようは、「目」に注目が集まらないようにしつつ、「悪魔の目」自体は使用できる状態のままであればいい、……ってことだよな?」
「「悪魔の目」ですよ?……そんなの、無理に決まってます……」

そうだろうか?
……というか、学生の時分は不可能であったが、今ならば、或いは。

「出来る……かも、しれない……」

弱々しい声とは裏腹、ワースは未知への挑戦に、にやりと口角を上げた。
2 / 7
3 / 7

***



そうと決まればワースの動きは早かった。
……というか、「なんとか出来そうな材料」に心当たりがあり過ぎて居ても立ってもいられなくなってしまった。朝イチで有給申請を出し、「神祭り」期間はほぼ開店休業状態である為快く許可が下りる。取り敢えずは1週間。逆に「もっと長い人居るけどいいの?」とまで聞かれる有様だ。

「悪魔の目」に対する研究は、実のところ、膨大な数に及ぶ。

ぶっちゃけ発生・発覚数自体は少ないものの昔から認知されていた魔眼の一種であるし、一方で魔力制御不全症候群との関わりは近年になって注目され始めている。「古くて新しい問題」という奴だ。一般的に魔眼の制御の方が魔力制御不全症候群よりも行い易く、双方の性質を持つ「悪魔の目」は魔力制御不全症候群解決の糸口となるのでは、などと囁かれていた。古くは確かに「神への冒涜」とする宗教的見地があったことは認めるが、全く逆に「神から愛されるあまりに神の力の一端を授かった聖痕」と考える宗派もあり、その意味で言論空間ではやや混乱がある。ただしいずれの説を取ったとて、人間離れした、それこそ神や悪魔の介入を信じたくなるほどの能力であることは言を俟たない。
「悪魔の目」がそれとして目覚めるのは12歳前後。つまり中等部の入学前後である。アビスは入学試験の結果が出る前に「悪魔の目」が発生したというから、ある意味運がいい。レイザー家の息子として既に入学予定者リストに載っていたから両親も彼を「処分」することは出来なかったのだろう。無論「悪魔の目」がアビスの人生にとって幸いだったかは、今は議論しないけれど。

なぜ「悪魔の目」が産まれるのか。

これに関しては全く分かっていない。ある説ではその瞳に悪性のある何者かが侵入し、宿主の防衛反応により見たものの魔法を封じる魔眼に姿を変えるだの、元々遺伝的に封印魔法の資質を持つ子供の魔力制御不全症候群であるだの、何らかの周期的な感染症に罹患した副反応だの、まぁ色々と言われている。正直どれも決め手に欠ける。しかしここで重要なのは、「悪魔の目」は恐らく本人の魔力が関わり変異した魔眼であり、たとえ「悪魔の目」を抉り出そうとも、摘出された瞳は「悪魔の目」の能力を持たないし、逆に何もない眼腔に義眼を入れたら、精度こそ落ちるものの、その義眼が「悪魔の目」として魔法停止能力を持つ、ということだ。精度が落ちるのはその義眼は神経で密接に肉体と繋がったものではなく、実際脳裏に何も映さないからだと言われている。その説についてはワースの中に若干、反論の余地があるものの、つまりは「見えていること」以上に魔法的に作用する何かが「悪魔の目」には存在する。

「興味深いのは、「悪魔の目」ではない方の視力が下がると「悪魔の目」自体の能力にもブレが生じる保持者が多いってこと。「悪魔の目」自体の視力に変化がなくてもね。逆に生まれつき盲目の「悪魔の目」保持者は気配だけで「見えてる」判定になって、寧ろ広範囲の魔法停止能力者になれる。でも布一枚で顔を覆われたくらいで魔法停止が使えなくなるから、本人の空間認識能力がどう規定されているかに寄るんだよねぇコレが」
「……はぁ、まぁ、そうなんスけど……」

ぶるぶると、夏場のセミよりよっぽど震えているアビスを背中に庇いながらワースは氷の神杖ツララ・ヘイルストーンの言葉に頷いた。
有給当日、速やかに必要参考文献を職場書庫から出し、材料の調達として「個人的なお願いなんすけど、」と断りつつツララに申し出たところ、「取り敢えずその「悪魔の目」保持者くん連れてきてくれる?」と言われ今に至る。にまにまと楽しそうに笑うツララはワースが提出した魔法道具設計図を見ながら背後のアビスを窺う。

「……いや、マジですんませんけど、コイツ女の子ダメなんで……」
「この歳で「女の子」って言われると照れちゃうなぁ!可愛い褒め言葉に免じて、出来ればちょっとその魔眼見せて欲しいんだけども!」
「いや、ほんと、マジで、どうかご勘弁を……」

ワースの背中にへばりつくアビスがいよいよ危機を感じてギュウっとローブを握る。すまんて。本当に。
じろじろじろとこちらを見るツララには好奇心の色が濃く見える。にっこり笑って何かを言いかけ、しかし一瞬言葉に詰まりツララは空を仰ぐ。熟考の末に正面に戻した顔は苦渋に満ちていた。

「……あんまりワースくんいじめるとオーターも出て来るんだった。ううーん、今回はしょうがない」

背後でアビスが安堵のため息をつく。
ワースも胸を撫で下ろした。知らない間にオーターに助けられた。無理に突破しようとされたらどうしようかと思った。

「カルドから聞いてるよワースくん。キミ、魔導工2種持ってるんでしょう?それなら工房貸しても構わないし……」
「あざっす!」
「魔法研究管理局としては、その魔法道具の援助してあげるから、完成品の設計図ウチに収めてくれる?必要であればこっちで特許申請するし……」
「いやさすがに、特許のいるような部分ないでしょう……」

簡単な設計図は既に渡している。キョトンと瞳を丸くしたツララは大きく瞬きした。何か言いたげにもにゃもにゃ唇を動かしていたが、何か追加で言う事はなく、まぁでも、と気を取り直して、長い裾に隠された指が檻に入った魔法生物を差す。

「糸紡ぎ蜘蛛ちゃん達はあそこから1匹貸してあげる。あの子達は製造実験に協力出来るように食事制限してるから、そのまま糸吐かせて大丈夫」
「あざっす!」
「あ、その前にワースくんの第1種魔法生物管理者と危険生物取扱乙種の免許番号控えさせてね」
「っす」

糸紡ぎ蜘蛛は危険生物乙種に当たる。本人達にさしたる攻撃性も凶暴性もないが、取扱次第では危険な魔法道具を作成できるからだ。ちなみにリトルデビルのような魔導書に使われる綴じ紐は、基本的に糸紡ぎ蜘蛛の吐いた糸を使用しているし、その糸を織れば魔力の篭った布となる。

「アビス、この中から1匹選べ」
「え、えぇ……私がですか……?」
「そりゃ、お前の魔力に馴染ませるんだもん。ちっとでも相性良さそうな奴の方がいい」

糸紡ぎ蜘蛛は食べた物の魔力を反映した糸を吐き出す。炎に纏わる植物を食べさせれば火属性の糸を、結界魔法を込めた魔法石を食べさせれば結界適性がある糸を、というように。基本的には草食であるが、少量の鉱物であれば食べさせることも出来る。問題は、魔力を直接経口接種出来ない、という点であるが、それは解決出来る手があった。……というか、あるから材料に糸紡ぎ蜘蛛の糸を選んだ。
難しい顔でアビスが両手のひらにすっぽり乗る大きさの蜘蛛を選んでいる間にツララがワースの免許を書き写し終わったらしい。事前に提出した設計図に触れている。

「なるほど水竜の鱗か……、考えたねワースくん」
「ま、実際食べてくれるかは分かんねぇっすけど」

ドラゴンの鱗には魔力を保持する力がある。また、貯められる魔力量に対して非常に薄くて軽いので、糸紡ぎ蜘蛛に食べさせることが出来たら効率的に糸を取ることができる。同レベルで魔力を保持できるのは魔法石くらいだが、アレは粉にしなければならないのと、粉状態の魔法石を食べない蜘蛛がいるから食べさせる為に他に食品を混ぜる必要があり、糸に不純物が混ざり易くなってしまう。いずれにせよ品質管理が難しい。アビス自身の魔力特性を思えば風竜の方が適性があるだろうが、この際贅沢は言わない。勿論水竜の鱗に利点もあった。水竜はその性質上、治癒能力が高い。「悪魔の目」を魔力制御不全症候群の一種、特徴的なあの魔眼を免疫機能による魔力拒否反応と捉えれば、治癒魔法特性を持つ材料を使用することで意図せぬ魔法停止能力を防ぐことが出来る。

「こっちの材料はこれと反発……あ、だから間にコイツ挟んでるのか……んー、んー、でも……」
「なんかあります?」
「これってさ、八咫烏の尾羽で対応できるんじゃない?そうなるとこっちはアビスくんの魔法特性的にも火鼠の毛より人魚の涙を使った方がいいと思う」
「さ……すがにその材料は……」

八咫烏の尾羽はともかく、人魚の涙は激しく値が張る。
いや、出したっていいが、市場に出回らないかもしれない材料だ。今から狙っても買えるかどうかわからない。しかしツララは首を傾げる。

「オーターなら持ってるでしょ?」
「……こんな、レア材料を?」
「うん。定期的に研究管理局に寄贈してくれるよ。どっから貰ってるのかは知らないけど、いつもならそろそろ引き渡してくれる頃だし、今なら持ってるんじゃない?」
「まじっすか…………」

そういえばあの人、砂の神杖だった、と今更ながらに思った。再び設計図に視線を向けたツララは眉を顰める。

「あとここ、定着剤なんだけど、残穢の塵にした方が良いよ」
「……えっと、」
「そっちもレナトスが持ってる奴が1番質がいいから譲って貰って来なよ」

死者の肉体が崩れる時に出る超レア素材だ。所謂肉体と魔力を繋ぐ性質のある砂だが、空気に触れると毒素を出しながら消滅しやすいのでとにかく手に入れにくい。それをけろりと素材に提案するとは、と若干ワースは慄いた。しかし設計図をすっと指差すツララは尚も続ける。

「あとここの核石、ウィンディーネの抱え石と花蜜妖精の溢れ石の方がいいな。これはアギトに言えばくれる気がするからそっちに当たってみてね」
「…………やべーレア素材じゃないですか」
「……?でもこないだワースくんが卸した水竜の鱗もレアだったし、あっちもこっちも喜んでたからこれくらいはいけるよ。全然吹っ掛けてない」

ツララは首を傾げる。

「ソフィナ直々に各局に恩売ってるんだから、これくらいはちょちょいのちょいだよ。もし心配ならソフィナ連れてけば適当に交渉してくれると思うけど……連れ出すまでもなく貰える気がするからなぁ……」
「まじっすか……」
「マジもマジ、大マジ。そもそもリトルデビルくんのお陰で色んなとこの研究進んだし、そういう意味じゃ、魔法動物研究者で素材提供嫌がるひとそんなに居ないんじゃないかなぁ……加えてこないだの水竜騒ぎでしょう?あの時提出した鱗の分布図で、業績的にはお釣り来ると思うけど」

そして再び、すっと設計図の一部を指差す。

「この肌に触れる部分をサンダーベアーのなめし革にしてるのは貴族的だし良いと思うけど、カルドに聞けば良い職人紹介してくれると思うよ。自分で加工するよりずっと良いし、なんせプロだし」
「かっ、……カルド様、ですか……」
「うん。ワースくんだいぶ人材管理局のお願い請け負ってるから話通ると思う。……まぁ、研究補助として研究管理局から一筆書いても良いけど、」

眼帯で隠された、片方しかない瞳が悪戯っぽく撓む。その顔はどこか実年齢よりも子供っぽく見えた。

「ソフィナの弟子ならこれくらい交渉出来るでしょう?」
「…………ちょ、ちょっとソフィナさんに報告してからでも良いっすか……?」
「もちもち。あくまでも、休暇の自由研究だもんね?……あくまでも」
「…………」

なんだか妙に圧を感じる気がするが、どうだろうか。
とりあえずワースはソフィナに報告をした。確かにこれはワースの個人的な望みで作成する魔法道具だ。ツララが言い連ねた「貸し」が、後々禁書管理局へ還元させたい「貸し」では困る。しかしソフィナはけろりと、

──ああ、良いんですよ。ああいうのは、いざって時に禁書管理局も手を貸しますよ、っていうポーズが出来れば目的を果たしてますから
「そ、……そんなモンっすか……」
──それより個々の人脈が出来る方が大事です。……ね、あくまでも、プライベートってことでお願いしてみたら良いですよ。みんな何とかしてくれますから

伝言うさぎを切って頭を抱えるワースに、にっこりと笑って氷の神杖ツララ・ヘイルストーンが尋ねる。

「ね、良いって言ったでしょ?……あくまでも、休暇中の、プライベートな、ちょっとした自由研究なら、ね?」
「…………」

2人の間でワースの身柄はどう協定されているのか。正直なところ、怖すぎて聞けない。アビスと一緒にぶるぶる震えながら、ワースはこくこくと頷いた。



***



とりあえず難易度順にと、アギトの元へウィンディーネの抱え石と花蜜妖精の溢れ石の提供願いに行ってみたところ、物凄く快く提供されてしまった。逆に不安である。なんならアビスのために魔法道具の作成をしていて、の段階で号泣していた。本当に怖い。いや、感動屋で良いひとなんだろうけれど。苦諦を旨として修行を重ねる竜の神杖アギト・タイロンにとっては、「悪魔の目」など苦諦中の苦諦で、それを体現するアビスへ一定の敬意があるらしい。えっ、本当か?……分からない。ある程度ワースが納得出来る理由でないと恐ろし過ぎて脳が受け付けない。たぶん……多分、そうなのだろう。革袋いっぱいの石を貰ってしまって、寧ろワースも困惑した。なんならカバたんの髭まで2本もくれた。どういうことだ。

「まぁそりゃあ、アギトだからなァ……」

言いながら、死の神杖レナトス・リボルはグラスを煽る。……言っておくが今は、まだ終業時間内である。墓所管理局局長が、自らの執務室で、フツーに飲酒。神祭り期間であってもヤバすぎる。

「……んで?オレのとこには残穢の塵だってェ?」
「ええ、まぁ、あの、はい……」
「ンだよワース、ノリ悪ィぞ?」
「………………」

午前中であるのにすでに出来上がっている感じのレナトスに言われても、正直困る。赤ワインのボトルをそのままラッパ飲みしそうな風情の神覚者を見ながら、ワースは若干怯えた。なんなら珍しいものを見る顔でまじまじとレナトスを見るアビスの方がいくらか勇敢であった。助けを求めてレナトスの副官を見るが、直立のまま左右に首を振られた。ダメらしい。

「良いじゃねぇか、まま、飲めよ」
「いやレナトスさんいま就業時間中なんじゃあ……?」
「オレ様の酒が飲めねェっつーんかエェ!?」
「………………」

言ってない。
言ってないが、どちらかと問われれば、飲みたくはない。ワースは有給休暇中だがレナトスは仕事中であるからだ。しかし妙にキリッとした表情のアビスが恭しくレナトスの杯を受け取り、並々と注がれたワインを一気飲みする。

「お、おいアビス」
「これしきのこと……アベル様のためならば……!」
「良い飲みっぷりじゃねェか、気に入ったぜェ……!」

ありとあらゆる物が間違っている予感に、ワースは再びレナトスの副官を見た。しかし、先ほど同様首を振るばかりだった。そして何を思ったか、レナトスのデスクの机を無遠慮に開き、そこから新たな酒瓶を取り出す。

「わたくしめも、前途ある若者は大好きでして」

いや待て、絶対違うだろ。

「お前なかなか骨があるなァ!「悪魔の目」なんてクソ有利じゃねーか、墓所管理局に来ねえ?」
「わたしは……わたひは……、あべるさまひとすじでして……!」
「ますます気に入った!面白れーヤツじゃん、ワース!」
「……いや、んな簡単に潰さないで下さいよ……」
「あー?……まだ頑張れるよな、アビス?」
「ひゃ、ひゃい……!」

ワースは密かに頭を抱えた。意外な友人の酔いやすさではない。酔っ払いの言動をしつつ、その実よく見れば顔色ひとつ変わっていない死の神杖レナトス・リボルに対して、である。普段人見知りをして警戒心の強いアビスがレナトスをあっさり受け入れているのもさることながら、こう泥酔すると過保護な彼の主人が怒るだろう。「どうする?」と、アビスが来て以来、魔導書の形でホルダーに収まっていてくれているリトルデビルが問いかけてくる。

(どうもこうも……とりあえず静観。アビスが良いようにやらせてやれ)

「そういうもの?」と問いかける魔導書に、ワースは心の中で深く頷いてやる。人間には、色々あるのだ。飲みたい日も、泣きたい日もある。
結局レナトスが「えーと、残穢の塵だったっけか?」とひと抱えもありそうな木箱を持ってきてくれたのはとっぷりと夜も暮れ、一度起きたアビスが二度寝して潰れた頃であった。



***



「それで、私の元に?」
「だぁって、オーターが1番頼みやすいんだもん」

リトルデビルにアビスを部屋まで運ばせ、ほろ酔い状態のワースはオーターに向き直る。
アビスが寝こけている途中、中座して人材管理局に赴けば、カルドは意外にも工房の紹介を軽く請け負った。正直、人材管理局に異動するとかしないとかでソフィナと揉めている姿を見ていたから、こんなにあっさり引くとは思わなかった。てっきり、何か面倒な条件を付けられるかと。そんなワースの心が出ていたのか、カルドは苦笑した。勿論人材としては欲しいですけど、キミはやっぱり禁書管理局が1番合ってますよ、と。そう、笑って見せた。

「…………」

オーターは静かに、眼鏡の位置を直した。見慣れ切ったその仕草は、どことなく安心感をワースに与える。アビスとアベルがいて、オーターも緊張しているのか、こうして2人だけで顔を合わせて喋るのが随分久しぶりのような気がした。また我儘を聞いてもらっちゃって悪いなぁとは思いつつも、長年の友人だ、出来ればオーターにも少し好きになって欲しい。

「……なるほど、確かに有給休暇を取ったと聞いているのに私以外の人間のために使う様子を見ると、すこし落ち着かない気持ちになりますね……」
「……んぁ?……なんか言ったか?オーター」
「……いえ、こちらの話です」

今更になって酔いが回ってきたらしい。ぐらぐらと揺れる頭のまま、ワースは自然と笑みが溢れた。そういえばレナトスから「オーターのどこが良い訳?」と聞かれた。明らかに2人が付き合っていることを分かった上での質問だろう。なんで知ってるの、と言えば、まあまあまあまあ、と宥められた。正直面白くはない。いやオーターから神覚者たちにワースと付き合っていると話した事は聞いていたが。それにしても。

「……神覚者会議でその話題になったんです。私が貴方を本気で好きなので、みんな揶揄っているんですよ」

揶揄う意味が1㎜も分からない。オーターがワースを好きなら、それはそれで良いのではないか。

「私含め、神覚者は新しい刺激を求めていますからね。私に恋人がいる、という時点で楽しいのです」

言いながら、オーターの手がワースの手の甲に触れる。アルコールの影響か、少し鈍い感覚が、もどかしい。

「禁書がいる以上滅多なことは起きないと思いますが……あんまり私以外の男の前で酔わないで下さいね。妬けます」

言いながら、ちゅ、と軽やかな音が耳に響く。
ワースはその前後のことは、薄い霧が掛かったようにはっきりしない。しかし、朝起きた時にハッキリと言えることがあった。

「……なんか、めっちゃ損した気がする」

覚えていた方が良いことを、酔いに任せてすっかり忘れてしまった、そんな心地がした。
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◆◇◆◇◆



ワースは自分の手元のグラスを揺する。本来護衛は飲食しない物だが、アベルの護衛役はむしろワースにぴたりとくっ付くリトルデビルである。彼に酒も何も関係がない。たとえ術者が酔い潰れようが、十全に役割を果たしてくれる。

「……ってな訳で、今頃アビスは糸紡ぎ蜘蛛に食わせる水竜の鱗に魔力込めてるよ」

鱗はなかなか繊細な素材だ。下手に魔力を込め過ぎると粉々になってしまう。勿論蜘蛛は粉になった鱗でも食べられるが、食感がないものを好まない個体が多いからなるべく歯応えを残すようにと伝えている。魔力制御に秀でたアビスでも、それなりに手間取るだろう。腕組みをしたアベルが、首を傾げた。

「解せないな」
「鱗に魔力を込めることが?」
「いいや、……キミが、アビスの為に魔眼制御の魔法道具素材を作らせていることが」

真っ直ぐなアベルの瞳がワースを射抜く。

「アビスには必要のない道具だろう?」

ニヤリ、とワースは口元を歪めた。
さすがはアベル。自らの従者をよく分かっている。
アビスに「悪魔の目」を制御する補助道具は必要ない。なんせ彼はほぼ完璧に「悪魔の目」の能力を制御下に置いている。確かに不意打ちでリトルデビルの泥魔法を消してしまったが、相手が魔導書であったことを差し置いても、あれだけ繊細で他人の気配に聡いアビスの不意を打って出てくる時点で「敵」と認識しても差し支えはない。つまり、あの状態ではリトルデビルの魔法を停止させるのが「正解」だ。なんせ彼の主な仕事はアベルの護衛だから。判断の遅れはアベルを危険に晒す。いつものアビスなら、不意を打たれない限り「うっかり」で魔導書の泥魔法を消すこともない。そろそろリトルデビルをちょろちょろさせてみても良いと思ってはいる。

「しょうがねぇだろ。アベルがアビスを泣かすからさァ」
「…………僕のせいなのか」

せいか、せいでないかと言われると、まぁその辺りは複雑だ。アビスを追い詰めたのはアビス自身と思った方がいい。だがアベルが発端になったのは間違いない。
それなりに長い時間を掛けて、アビスは自信を失ったのだろう。元々そう自己肯定感の高い奴でもない。雇用主サイドと見ればアベルがその精神ケアをしてやるべきだったかもしれないが、アベルもアベルで大変だっただろうことは分かる。信頼する友人の事まで手が回らない、なんてのは、誰が悪いというものではない。
あの状態でひとり屋敷に置いていくのはさすがのワースもどうかと思うが、少なくとも今日は木箱いっぱいの鱗に出来る限り魔力を込めるよう頼んでいるから、鬱々とし続けてはおれまい。ぼやぼやしていると鱗に魔力が入らないし、上の空でいたら鱗を粉々にしてしまう。律儀で真面目なアビスが与えられた課題をこなさないでいるなんてことは、ワースは初めから考えてはいない。少なくともアベルに同行できない夜、魔法道具作りに励んでいれば気も紛れるだろう。

「ま、でも結局よ、魔法道具ひとつで気持ちが落ち着くならそれでも良いんじゃねぇの?」
「僕は別に、アベルに「悪魔の目」を隠して欲しいと思ってないんだが……」
「それは同感」

アレをコンプレックスに思っているアビスには悪いが、特殊な魔法を示すだけで特になんということもない。アベルも恐らく同感だろう。「悪魔の目」を気にして顔が隠れてしまう方が勿体ない。アイツはアレで結構瞳を愉しませる顔をしているのだから。

「まぁでも見てろよアベル」

アビスは、辛抱強く、意地っ張りで、何でもかんでも耐えてしまう。それを、つまらない貴族の口撃で折られるのは、余りにも惜しい。

「神祭りの間に、アビスに自信ってヤツをプレゼントしてやる」
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◆◇◆◇◆



私には1人、気の良い友人がいる。

無謀も無茶も自分だけで決めて、飛び込んでいってしまう、そんな無鉄砲で面倒見の良い友人が。
いつかの日のように泣き出しそうな私を前に、何も聞かずに顎で入室を促すような、そんな優しい友人が。

窓の外を見上げると、満天の星空がこちらを覗く。
手元を見れば、だいたい半分くらいが魔力を入れ終わった鱗、残りが手付かずだ。
「手に入れるの大変だったんだから、絶対割るなよ」と言われると必要以上に肩に力が入って全然上手く扱えない。量からしても今日一日でこの作業を終わらせる気ではないのだろう。まったく、と私はため息を吐く。
彼の分かりにくい気遣いが分からないほど、私は鈍感でも幼くもなかった。
たとえばそう、いつかのあの日。
ぼろぼろに破かれた私の体操着と、彼のぴかぴかの体操着を交換してくれと言われた時よりはずっと。
ワース・マドルという人間を理解している。

「さて……」

拗ねるのはもう終わりにしよう。
旧友がここまで手を貸してくれるのにいつまでもアベル様の隣に居れないことを嘆いては、ちっとも格好が付かないから。
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◆◇◆◇◆



細いシャンパングラスの足を持ちながら、オーターは重たいため息を吐き出した。
アベル・ウォーカーとアビス・レイザーが「神祭り」の為にやってくると聞いてある程度予想していたが、さして面白い状況ではない。ワースの性格からして旧友の、しかも養父として後ろ盾になってくれている元寮長の願いを無視する選択肢は存在しない。社交の場にアベル・ウォーカーがワースを伴うだろうことは分かっていた。なんせ、アビス・レイザーは社交に向かない。……いや、彼自身に難があるという話ではない。寧ろアビスは物静かで余計な口出しをしない、模範的な従者である。ただし、彼の「悪魔の目」は非常に目立つ。警備の関係上隠すことは出来ないのだろう。ある意味で彼がアベルの背後に立っているのは、魔法攻撃への牽制となる。「悪魔の目」の特性を思えば、正しい使い方だ。彼は誰を見ずとも、ただそこに立っているだけで、護衛としての役割を充分に担っている。しかし「悪魔の目」は何か後ろ暗い考えを持つ者にとって非常に都合が悪い。それ故か迷信を盾に反発する貴族は多い。魔力の管理を旨とする局の長を務めるオーターからすれば、他者の魔力を抑え込む魔法道具など掃いて捨てるほどあるし、結界魔法なんかは「悪魔の目」より広範囲、効率的に他人の魔法行使を封じる。そっちの方が余程「神への冒涜」であろうが、結界魔法使いがとやかく騒がれたところをついぞ見たことはない。もう少しまともに、魔法の有用性から判断したらどうだろうか。……とは、思いつつ、そんな面倒臭い忠告をしてやることもない。彼らの目的は、厄介な防壁を一枚剥ぐことで、真実「悪魔の目」がどうと言うわけではないのだから。そういう意味では予想通り、護衛として「ケチ」が付きにくいワースが連れ回されている、と言うことである。
ワースとアビス、どちらがより護衛として秀でているかと問われればオーターの贔屓目を以てしてもアビスに軍配が上がる。なんせ彼は特殊すぎる。汎用性から言えばワースの「リトルデビル」も悪くはないが、いかんせん彼はあくまで「ワースの禁書」であるので、アベルより先にワースを狙えばそちらの守護に回る。ワースの強い意向がなければ護衛対象を術者の上位に置くこともない。勿論ワースが事前にそのように命令していても、実際その時になれば、禁書がどう動くかは分からない。その点で言えば、アビス・レイザーの献身は、襲撃側として非常に厄介だ。……まぁ、それもあってアベルがアビスを側に置かないのであれば、本末転倒であるが。

「…………」

正直なところ、オーターは少し意外であった。アベル・ウォーカーとアビス・レイザーの関係性は、アビスの強い忠誠心に支えられたものだと思っていたから。ワースが2人に等しく友情を感じているのだから当然と言えば当然の話だったのかもしれない。思ったよりも彼らの関係は健全である。ただ、思いやり合う美徳は、貴族社会では時に身動きを取りづらくする楔ともなる。美しい愛情は、はたからは動かしやすい情動だ。オーターの立場からすれば、双方を大切にし合うのは良いから、とっととワースを自由にして欲しい。貴族の前にアビスを連れ出したくない真心は嫌と言うほど理解したので、代わりの護衛を用意するなりしてくれ。折角の祭り期間なのだから他人の恋人を護衛として連れ回すのに、少々遠慮を覚えて欲しい。……とまぁ、こんなオーターの心からの感慨に、たぶん、ワースは絶対に応じないだろう。そこが彼の良いところなのだ。……オーターには、不都合なことに。マドル家から勘当された際に即座にワースを養子としてその身代を守ったアベルに、今でも強い恩を感じている。無論、それは正しい。……正しいのだが、だからこそ結構悔しい。アベルと談笑するワースの年相応な顔を苦々しく思う程度には。
ふと、可憐な声がしてオーターは振り向く。そこには籠に入れられた鳥がいた。深い翠の羽根は、少しばかりワースの瞳を想起させる。だが貴族が持つ鳥としては、やや地味だ。オーター自身も自分の耳に届いた可憐な鳴き声が本当にこの地味な鳥から出たものと自信がない。オーターの視線に気が付いてだろう、主催の男が手揉みする。

「こちらはカナリヤでして」
「カナリヤ?」

オーターは内心ぎくりとする。
「カナリヤ」と言えば、黄色の小鳥ではないか。それ以前に、禁書がワースを呼ぶ名称でもある。思わずまじまじと小鳥を見る。気まずげに身じろぎするその鳥の羽根の色は、やはり見れば見るほどワースの瞳に似た深い森のような色彩をしていた。

「カナリヤは黄色い鳥では」
「こちらは原種に近いカナリヤなのです」

その瞬間、天啓が降りた気がした。

(そう言う意味か……!)

ワースが所有する禁書の成立年代はわかっていない。しかし能力からして間違いなく数千年単位の古い魔導書である。彼が作られた時分には、品種改良された見た目にも鮮やかな小鳥よりも、この原種に近い美しい声を持つ小鳥の方が馴染みがあったであろう。

「通常よく見る黄色いカナリヤよりも、美しい声で歌うと評判で」
「…………なるほど」

禁書がこの世をどのように認識しているのか、これは今を以てしても良く分かっていない。光魔法に影響を受けない超感覚は、建物のように複雑な構造をているものを隔てていても、その先を当然のように見通す。彼のコミュニケーション形態からして音魔法が関わっていることは確かである。その現実認識に、生物すらも「音」で読み替えているのであれば。

(アレは、ワースの何らかの「音」を気に入って術者にした……?)

可能性は十分にあった。
しかしただの思い付きだ。なんなら、検証するほどの意味もない。禁書は既にワースを自分の使い手として選び、今も尚、敬愛を捧げている。これに対してオーターが何か注文をつけることも、またないのだから。しかし何か、妙にすっきりとした感覚がある。ソフィナくらいなら「なるほどあり得る話です」などと頷いてくれそうだ。オーターは翠の羽根を持つカナリヤを愛でながらじっくりと思案する。どうしたら穏便にアベル・ウォーカーとアビス・レイザーからワースを引き離しつつ、この祭り期間中楽しく2人でデート出来るか、を。



***



神祭りの祭日が始まった頃、氷の神杖ツララ・ヘイルストーンから神覚者全員に向けて、あるメッセージが送られた。「詳細は神覚者会議で話すから、とりあえずワース・マドルの頼みを叶えて欲しい」と。そのメッセージ上でオーターが協力を求められたのは「人魚の涙」の提供であった。
実のところ、魔法界では「人魚の涙」はレア素材として取り扱われるものの、海中ではヘドロの原因ともなり、定期的に除去する必要がある。毎年ヘドロ除去の手間賃という名目で魔法魔力管理局は人魚たちから「人魚の涙」を買取り、市場に卸している。一般にレア素材であることから、一部は魔法研究局へ寄贈しているが、どうやらワースはこれを探しているらしい。正直内情を知るオーターとしては、あんなの人魚が出す生活排水だぞ、と思っているが、なまじきらきらしい名前がついているお陰で、夢を持ってあの素材を求めている者も少なくない。流石に品性が問われるので黙っておくことにする。
ツララが指示した「ワースに渡して欲しいもの」は、それぞれ市場ではレア素材として扱われるが、直接それを得る局としては邪魔で邪魔で仕方ないものであった。恐らく何らかをワースがツララへ質問したのだろう。それで調達を指示するのがこれらだと、ツララの意図を疑いたくなる。彼女は局の特性上、市場価格と魔法局内での価値の差を知っているはずだ。
通常の魔法道具技師が手に入れにくく、魔法局の人間であれば手にしやすい素材。それをワースが使うように、誘導したのではないか。その種明かしの機会は、意外にもすぐに来た。その週の神覚者会議のことである。

「これはすっごい雑談なんだけどさぁ……いまワースくんが作ってる「悪魔の目」専用の魔力制御装置、なるべく開発に手を貸してくれないかなァ」

ツララが語尾を伸ばして気だるげに語るのは、ひどく珍しい。たったそれだけの事に、奇妙なほど威圧感があった。即応したのは魔法道具管理局のレイン・エイムズだった。

「ツララさんらしくないですね、業績の少ない研究者の仕事を幇助しろ、だなんて」
「ワースくんともなると、さすがにねー」

アビス・レイザーの「悪魔の目」は、彼自身の弛まぬ努力のお陰で、ほぼ保持者の支配下に置かれた希少な魔眼であった。こうなってくると言葉の定義的に、「保持者」と呼ぶべきか「術者」と呼ぶべきか迷う。
実のところ、「悪魔の目」はとある封印魔法を扱う家の末裔に現れる、大変希少な魔眼であった。家系図を見ればある程度絞り込めるものの、下級貴族は養子も婚姻関係も複雑であるから、特定の血族を炙り出すのは難しい。ただハッキリとしているのは、「悪魔の目」は一定の確率で顕現する奇跡的な先祖返りである、ということだ。しかし本家が絶えて久しいこの家柄において、ほんの少しでも血を引く末裔を見つけ出すのは困難である。結局「悪魔の目」が顕現してみない事には、本当に関係がある血筋であるか調べようもない。そういう意味ではアビス・レイザーは不運な子供であった。古い先祖の血に残る固有魔法のせいで、強力な、しかも不名誉な意味合いを付けられた魔法停止能力が顕現するなど。

「ウォータードラゴンは気性そのものは優しいけど人間には触れたがらない種族だ。体温そのものが違うから仕方がないね。……けど、ワースくんは複数のウォータードラゴンに好かれて、保護区の次の主人にさえ懐かれてる」

禁書の影響だろう。
オーターは深く頷いた。
禁書「リトルデビル」はモノは書籍であるのに、性格が限りなく魔法生物に近い。報告によればカーバンクルに嫉妬する素振りもあったというので、恐らく本当に、動物に近い思考をしているのだろう。それを思えば、あれだけ禁書に敬愛を捧げられるワースが、他の魔法生物に懐かれない理由はなかった。アギトも心当たりがあるのか頷く。

「カバたんにせよ、他の使い魔にせよ、比較的ワースくんは好感度が高いです」
「そう。……たぶんそれでドラゴンに触れて、ウォータードラゴンの鱗に魔力を込める力があるって気が付いたんだと思う」

水竜の鱗は基本的に身体から自然に抜けたものを使用する。しかも水竜は総じてあまり水の中から出ないから、棲家にいない隙に河を浚うことになる。それはつまり、水竜から剥がれ落ち、魔力も何もすっからかんになって流水で削られた鱗、ということになる。昔からあれだけの魔法生物の身体を覆う鱗だけに魔力を保持する力があると囁かれていたが、実際手に入る鱗は経年劣化したものであったからすり潰して粉にし安定剤としての使用しか行われてこなかった。しかし今回のワースの出向で手に入れた鱗は、その殆どが水竜から剥がれて間も無くのものだ。形が最も美しく保たれている上、鱗の主人の魔力さえ残っていた。水竜の再生能力の高さ、魔力保持能力の高さを示す証拠ともなる。

「糸紡ぎ蜘蛛は草食だ。……けど、水草を多分に含んで育つ水竜の鱗を食べさせる実験は、まだ誰もやってないはず。彼らは繊維質を好んで食べるから、」

糸紡ぎ蜘蛛は、便宜上草食だが、正確には雑食だ。筋肉繊維が密集しているところは食べるが他は見向きもしないので別名「グルメ・スパイダー」とも言う。鉱物を食べると言っても基本は石英のように結晶が揃った形をしているものでないと口に入れもしない。繊維の方向が揃った宝石は魔法石と比べさして魔力を蓄える力がないから、これまでは見向きもされてこなかった。
ハァハァと興奮したように息を乱したツララが頭を掻きむしる。

「やば、やばい……これは本当に凄いことなんだよ……!糸紡ぎ蜘蛛が危険生物乙種に数えられるのは当然その糸の汎用性にあるんだけど、これまでは糸に込められる魔力の制限が高すぎて、撚った糸をそれなりの量揃える、つまり布の形をしていないと充分な効力を発揮しないってところが難点だったの……。勿論魔力制御不全症候群の患者向けに服なんかは開発されてきたけど、ワースくんが取り組もうとしてるのはそれよりも濃度の高い糸を吐かせた上で、最も拒絶反応が少ない本人の魔力を使った魔法陣の刺繍だ。こんな、こんなのってあり……?いや、行けそうだから設計図持ってきたんだろうけどさ、勿論魔法陣は起動用の魔力を通さないと発動しない訳だけど、通常時は患部から漏れる魔力を起動スイッチ代わりに、「悪魔の目」起動時にはその魔法使用の魔力がスイッチを切り替える形で浮かぶ魔法陣そのものが変化するって、本気で何考えてるの?そんなこと出来たの?マジであり得な……」

ぶつぶつとツララが自分の世界へと沈む。こうなっては、誰の声も聞こえていないだろう。小首を傾げていたカルドは、ああなるほど、と呟く。

「布自体に魔法陣を透かしで2つ描くということですか?」
「違うの、アレはやばい。使うのは1つの魔法陣なの。通る魔力回路の違いで通常時は全体の中の一部の魔法陣しか使ってない。制御用の魔法陣しか浮かんでなくて、魔眼起動の魔力に反応して普段は使ってない魔法陣にも魔力が行き渡って魔法陣の全体像が浮かぶ形式。二重に魔法陣を描くよりも魔力ロスが少ないし反発もないから患者への負担が少ない。……っていうかフツー、魔法陣の一部までなら制御、全体像が現れると増幅の意味になる術式なんか思い付かないよあんなやり方ってアリな訳?最も身近で「悪魔の目」を観察し続けた同級生、ってことを差し引いてもどこで考えついたんだか本当に、いやそれ以前にどうして思い付けなかったツララ・ヘイルストーン……!」

解説ついでにワースへの賞賛から自身の発想力への叱責が混じり始めたツララへ、ぱちぱちと瞬きしたソフィナがカルドに視線をやる。カルドは肩をすくめた。だいたい意味は「そんなこと出来るんですか?」「いや、僕が知るはずないでしょう、」と言ったところか。オーターも魔法陣はからきしだから、この中で最も正しい評価を下せるのはツララくらいのものだろう。彼女がそう言うのであれば、恐らく何か画期的なのだ。
冷静さを取り戻したのか、ふうふうと息を吐き出すツララはすっかり冷めたコーヒーを啜る。

「取り敢えずワースくんのアレが完成するところが見たい。アビスくんと「悪魔の目」の様子を見たところ、彼、どうシュミレーションしても魔眼の制御を失うようなタイプじゃないから、多少ワースくんが失敗しても問題ないし」

けろりとして言い放つツララの言葉は、少しばかり熱を帯びていた。

「ほぼオーダーメイドで魔力を入れなきゃいけないからすべての患者に対応しきる量産型は難しいだろうけど、あの程度の手間と労力で魔力制御不全症候群がコントロール出来るなら全然良い。寧ろ設計ミスとか出して改良していって欲しいくらい。アビスくんなら増幅魔法が強すぎても恐らく制御しそうだし」
「…………」

失敗は成功のもととはいえ、ここまであからさまに失敗を願われるのは珍しい。しかし無理もないだろう。ツララにとって魔力制御不全症候群の治療法確立は長年の悲願だ。その為に神覚者になったと言っても過言ではない。それに繋がる可能性がある研究はどんなものでもバックアップするだろう。
レインが「なるほど、」と頷く。

「その割にはオレのところに依頼はないですけど」
「あっ、レインにはね、完成した暁にはとっとと特許書類回して欲しくて!やってることだいぶ高度だから出来る技師も限られてるけど、一応権利関係がっちりしておきたいの」

ツララの言葉には合理性があった。権利関係を示す為にどこからどこまでが新規性のある発明かを示しておく必要がある。その際使用された技術は論理式が詳らかに提示されるのだ。あのツララが「だいぶ高度」というくらいだから複雑な術を使うのだろうが、無理と言わないならば研究管理局の研究者たちで対応できるレベルだろう。というか、魔力制御不全症候群の対処療法になるならばツララは必ず使える魔法使いも技術者も揃えるだろう。なんならその為に専門学校くらいは自分で開設する。そういう人間だ。

「ところで、……その魔法道具開発、どのくらいで終わりそうですか」
「終わりぃ?…………わかんない。アビスくんと糸紡ぎ蜘蛛ちゃん次第?どうかした?」
「…………お陰様で、この神祭り期間中、2人の時間が取れていないんですが」
「………………」

オーターは、それはアビスとアベルを泊めているせいだ、とは言わない。言い出せば必ず「それは仕方ないんじゃない?義父だし」と言われかねないからだ。しかし魔法研究管理局が絡む魔法道具作りをワースが取り組んでいるとなれば話は別である。ツララの管理下にあるならば、こちらの抗議もツララが受けるべきだ。
スンっとした顔で黙り込んだツララは腕を組んで唸る。

「……分かった。貸した工房に始業時間と門限を定めて拘束時間は絞る」
「それは最低限の条件ですよね?」
「くっ……、貸し出した糸紡ぎ蜘蛛は研究管理局の管理にしてワースくんには持ち帰りの研究はさせない!」
「……だからそれは、最低限の条件ですね?」
「う、ぅううう〜〜っ!でっ、でも有給休暇期間に何をしてもワースくんの勝手じゃない!?そこまで束縛することなくない!?」
「……と、所属していない局の長が言ってますが、これは不当労働に当たりませんか?」
「ツララ……さすがに人材管理局としては見過ごせない発言ですね」
「うわーん、オーターが正論で殴ってくる!助けてソフィナ!」
「そもそもワースくんの休暇期間だから共同研究を黙認しているだけで、就業扱いにするなら禁書管理局としては従来の取り決め通り……」
「うわわーん、全然味方がいない!」
「当たり前でしょう、他人の恋人をなんだと思ってるんですか」

ぴえぴえと泣き言を漏らすツララにオーター側からワースの研究にストップを入れられるよう釘だけは刺す。ワースは多分、本当に友人のことしか考えていないのだろう。魔法道具開発をストップした方が恨まれかねない。とはいえ放って置かれすぎるのもオーターの気分が良くない。しかしそんなオーターに瞳を眇めてレナトスが頬杖をつく。

「……いや、最近オーターもワースのこと恋人恋人言いすぎじゃね?束縛彼氏か?」
「何か言いましたか」
「なんでもねーわこのブラコン」

二言目にはこの罵倒を言うようになった。確かにワースとオーターに血の繋がりはあるが、現在は戸籍上他人である。切ない。だからこの会議の後、レナトスから「ごめん2人とも潰しちった」と軽やかな連絡が入ったのは何かの意趣返しではないかとオーターは本気で疑った。完全に酔い潰れたアビスをてきぱきと部屋まで運んでやり介抱するようリトルデビルに言い付けている姿はしゃっきりして見えたが、リビングで2人きりになると途端に相好が蕩ける。外で共に飲酒したことがないとは言わないが、ここまでぽやぽやとしているワースを見るのは初めてである。ワースの言葉を信じるのであれば、午前中から夜まで呑んでいたらしいから、レナトスのせいだろうけれども。オーターの片手をふにふにと揉みながらアビスの魔法道具を作ってやることになった経緯と素材提供の依頼を舌っ足らずに話す姿は可愛らしくて、話が半分も入ってこなかった。オーターの指をくすぐるワースの指先が、なんとも言えず堪らない気持ちにさせる。
オーターは握られていない方の手でそっとワースの前髪を退かす。そのまま体温を確かめるように頬に指を滑らせれば、くふくふと声を漏らしたワースが頬を擦り寄せてくる。可愛い。本当に可愛い。

「禁書がいる以上滅多なことは起きないと思いますが、」

ワースはアビスの「悪魔の目」を警戒して暫く彼の前ではリトルデビルを出さない方針らしい。アビスの目と禁書であれば、恐らく禁書の魔力の方が勝つ。リトルデビルなら自らが打ち勝たないよう適宜停止魔法に合わせて魔法を止めることも出来るだろうが、幼い顔をした友人の姿が泥に溶けるのは、さぞアビスの心に負担をかけるだろう。まったく細やかな心遣いである。その心を、ほんの少しでいいからオーターにも向けてくれないか。単なる友人に妬くオーターの方が狭量なのか、自分が知らない6年間を知る他人に苛立ちを覚えるのは正常なのか、よくは分からない。

「……あんまり私以外の男の前で酔わないで下さいね。妬けます」

既に夢うつつのワースがこの言葉も覚えているか分からないが、聞かれていても困らない心根だけ吐き出して、丸い額にキスをする。そして、ほんの少し赤くなった目尻にも。

「リトルデビル」

廊下の先に声を掛ければ、気まずげにひょっこりと、小さな恋人の顔をした禁書が現れる。数日ぶりに姿を見たのに奇妙な懐かしさがあった。頭を撫でてやると、嬉しそうに瞳を細める。

「ワースを部屋に運ぶのを、手伝って貰えますか」
「はーい」

客人が既に寝ているからか、可愛らしい返事はいつもより格段に声が潜められていた。



◆◇◆◇◆



楽しげにアベルと話していたワースが、何かに気が付いたように片手を挙げて何か囁き、さっと席を外す。その場に残ったリトルデビルがパタパタと手を振った。恐らく禁書管理局の知り合いでも見つけたのだろう。このパーティに出席予定の招待客リストを頭に浮かべながら、オーターはワースが座っていた席に何食わぬ顔でつく。護衛役は禁書の方なので中座出来るのだろう。一瞬だけ瞳を丸くしたアベル・ウォーカーはしかし、すぐに何を考えているのか分からない無表情となった。

「ワースなら、少し知り合いに挨拶をするとのことですが」
「今は、アベル・ウォーカー、貴方に用があるので問題ないです」

にこにことしたリトルデビルはそのまま、手に合わない大振りなフォークを持ってサーモンをつつく。ちらりとその様子を窺ったアベルはオーターへ視線を戻した。

「……この子の前で話すなら、ワースの前で話すのと大差ないはずですが」

言外に、パーティ中に話す必要があるのかと問われて、オーターは肩をすくめる。確かに禁書の前で話したことは概ねワースに報告されるが、禁書は意外とデリカシーというものを知っている。

「恋人の義父と話す時、本人がいると気恥ずかしいでしょう?」
「…………」

オーターが神覚者会議で2人の交際について話した、とワースが知った時、「あぁじゃあ俺もアベルに報告しておくかぁ……」と軽く言われた。定期的にワースは義実家へ送金と手紙を出していたからその連絡の際に話したであろうことはオーターも概ね了解している。2人の交際をアベルがどう受け止めているかは知らない。嵐の前の静けさというか、こちらに来てからずっとアベルとオーターの間には微妙な緊張感が漂っていた。

「ワースとは、結婚を前提に、お付き合いをさせて頂いています」
「僕は、」

何食わぬ顔でアベルはグラスを取る。

「貴方が、ワースに吊り合うとはとても思っていない」
「…………」

こちらを見もせずグラスの中のワインを揺らすその仕草は、いつかの日「ワースはここには居ません」とレアン寮の前で言い切った姿とまるで同じだった。懐かしい。学生にして神覚者へのあの態度。あの時はワースと付き合うどころか一緒に食事することも想像できなかったくらいだから、ここ一年で同居して毎日顔を突き合わせて食事をしているなど、当時の自分が知ったらその場で倒れてしまいそうだ。ついにやけてしまいそうな顔を隠すために、眼鏡の位置を直す。そんなオーターにアベルは眉を顰めた。挑発的な物言いをしながらこの程度のことで表情を崩すとは、若いな、とオーターは思った。或いはきっと、本当にワースに友情を感じているのだろう、とも。
ぴくり、とリトルデビルの表情が動く。

「あれ、オーターじゃん。これ来てたの?」

追加の料理を載せた皿を持ったままワースが小首を傾げる。給仕からひとつグラスを受け取って、リトルデビルへ渡している辺り、用事は完全に済んだのだろう。つい先程まで自分が座っていた椅子にオーターがいることを怪訝そうに見遣りつつ、ワースも空いている向かいの椅子に座る。今回オーターは「砂の神杖」として呼ばれているので家には戻らず会場まで直行している。パーティ用に着飾ったワースの姿は新鮮であった。特に前髪を上げるところなど、普段はなかなか見ない。可愛い。トレードマークのサングラスがなくとも十分可愛い。ほっこりと和んでいるオーターに、ワースは怪訝そうに眉を顰めた。

「オーター、これ美味しいよ、食べる?」

にこにことしたリトルデビルが先程までつついていたサーモンをフォークに差し、オーターの口元へ運ぶ。口を開けばえいやとばかりにフォークが突っ込まれた。ふわりと爽やかなオレンジの香りとねっとりとしたサーモン、そして玉ねぎの軽やかな歯応えがする。他人のフォークで食事をするなど、少々行儀は悪いが、リトルデビルの見目は子供なので多少は大目に見られるだろう。オーターはさっと自分の唇をナプキンで拭い、リトルデビルの頭を撫でてやる。

「美味しいです、ありがとう」
「でしょでしょー」
「……でもいきなり他人の口にフォークを突っ込まないように」
「はぁい」

分かったのだか分からないのだか、リトルデビルはにこにこしながら「これも美味しいよー!」と今度は焼き菓子をオーターの口元へ持って来る。仕方なく齧ると、禁書は子供っぽく喜んだ。……いや確かに美味しいが。
ふと視線を感じてそちらを見ると、アベル・ウォーカーがぱちぱちと瞬きを繰り返していた。ワースが気まずそうに頭を掻く。

「……いつもは、家でしかやらねーんだけど」
「家でなら、やるのか」
「オーターが乗ってやるのが悪い」

中身はどうあれ見た目は完全に幼いワースだ。無碍に扱える訳がないだろう、そう何度かワースには言っているが、相変わらずあまり理解はしてくれない。憮然としたオーターの表情にそれを読み取ってか、ワースはむくれる。

「オーター」
「……分かっています」
「ねーねー、オーター、お膝乗って良い?」
「う……っ」

にこにことリトルデビルは小首を傾げる。ワースが滅多にしないその表情はシンプルに可愛い。返事に詰まってワースを見れば、彼は大袈裟なまでにため息を吐く。

「リトルデビル、揶揄うな。オーターも迷うな」
「はぁい」

オーターはなんとなく眼鏡の位置を直した。確かにいま禁書はアベル・ウォーカーの護衛中だが、彼がこれだけ気を抜いているということは、つまり、そういうことではないか。周囲に危険がないと言う、証左というか。……小さいワースを膝に乗せられないのは少々残念であるが。
一連のやり取りを見ていたアベル・ウォーカーは意外そうにぽつりと呟く。

「なるほど、そういう感じか……」
「…………?」

言葉の意味を、オーターはこの時掴みかねた。
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◆◇◆◇◆



「ワースの朝食は美味しいですから、食べておいた方が良いですよ」

こっそり砂の神杖を盗み見ていた私は大袈裟なまでに飛び上がった。友人との血のつながりを感じさせるその瞳はただじいっとこちらを見つめていた。朝はコーヒーだけなので、と固辞すると、少し残念そうに「そうですか、」とだけ言った。

砂の神杖はこれほど表情が動くひとだっただろうか?

イーストン魔法学校卒業間近、ワースを追い回していた砂の神杖は、本当に何を考えているか分からなかった。辟易しているワースを見るにつけ、アレに追い回されるのは怖い、と私も納得したものだった。
けれど今はどうだろう。配膳する禁書に礼を言う砂の神杖の瞳は柔らかい。

(あ…………)

コーヒーの香りを嗅いでいるとばかり思っていた砂の神杖の視線の先を追って、私は初めて、ワースの報告が正確だった事を知る。だって、何か伏せたい事情があると思うじゃないか。砂の神杖に告白されて、付き合うようになったなんて、現実味がなさすぎる。
ワースを見ながら微笑む砂の神杖の瞳には、どんな言葉よりも雄弁な愛情が燻っていた。

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カナリヤ 17
1 / 7

◆◇◆◇◆



社交というのは、とかく面倒臭いものである。

──おい、見ろよ
──『コレクター』だ

さざなみのような声に、うんざりしながら首を振る。アビスを置いて来る判断は正しかった。少なくとも、あれを品のない連中の不躾な視線に晒さなかった、という点においては。

1 / 7
2 / 7

◆◇◆◇◆



アベルの正装を見る機会は、そういえばあまりなかったかもしれない。……まぁそんなことを言い始めたらワースも社会人になってまともな社交界には出なかったから、こうした夜会向きの正装などとんとして来なかったが。

「アベル、どうする?」
「どう、とは?」

キョトンとした顔は、本当にわかっているのか居ないのか、判断が難しい。かるく顎をしゃくれば、「ああ、」とアベルは瞳を細めた。
『コレクター』とは、アベル・ウォーカーに付けられた、所謂あだ名である。魔法界は結構、この手の二つ名好きが多い。かつては貴人に敬意を払って名を呼ばない為だとか謂れがあるそうだが、今の貴族たちにそのような意識はないだろう。彼が側近として領地に連れ帰った「悪魔の目」アビス・レイザー、そして養子としたワースの禁書「リトルデビル」は、それぞれ魔法界においても希少なものだ。希少なモノには、それなりの値打ちが付く。値打ちモノを2人も揃えたアベルはいつしか揶揄を込めて「好事家」だの「コレクター」だのと呼ばれていた。領地持ちのアベルは中央に来るような領主じゃないから、気にしなくて良いと言えば良い。舐めた口を叩く奴を絞めておく必要があればワースが絞める。この手合いは面子を潰すと面倒であるが、どちらが上か早々に序列を教えてやった方が後々に響かない。必要であれば社交の場とは言え、喧嘩を売ってきたのは相手なのだからワースが「ご挨拶」してやってもいい。ちなみに、魔法局内でアベルをそのように呼ぶ人間はいない。耳に入り次第ワースが絞めた。というか、禁書持ちで神覚者の実弟相手に面と向かって喧嘩を売ってくる奴は少ない。逆に言えば、聞こえる距離で噂話をされている時点で、ワースよりもアベルは中央貴族から舐められている。これはなかなか面白くない事態だった。

「放っておいて構わない。……それよりも、魔法局はどうだい?」

穏やかな、しかしそれでいて答えにくい問いにワースは「うーん、」と唸り声を上げた。養父兼懐かしい友人であるアベル・ウォーカーとなぜ貴族のパーティなんかにいるのか。それを整理するには、少々時間を遡らねばならならなかった。



***



ワースは毎月、給料の一部と共に簡単なメッセージカードをアベル宛に送っていた。内容は実に他愛ない。出張先で買ったポストカードや場所の感想、守秘義務に抵触しない程度の近況を伝えたり。アベルから返事が戻ることはほぼない。大抵が三言二言、アビスから伝言うさぎで到着連絡が来る。というのも、アベルは若領主として多忙であったし、ワースとしてもアベルとアビスに話題を提供出来れば、とやっている事だからだ。目論見通り2人とも喜んでいるようで、やや面映いところがある。ワースが禁書を手に入れてからは、どちらかといえば彼らにとって生存確認の意味合いが強いのだろう。アビスは決まって電話で話したがった。「口頭審問受けてるみてぇ、」と言えばだいぶ気まずそうな沈黙があったが、実のところ、アビスにとってはその目的もあったのだろう。いくらワースが「大丈夫」と報告しても、一般的に禁書が危険な書籍であることに変わりはない。だから定例の神祭りに3人でお泊まりをしよう、と打診が来たのも、ワースにとってはさして疑問を挟む余地はなかった。状況を説明し、リトルデビルとは電話越しに話もさせた。それでも、心配は心配なのだろう。その感情は、素直にありがたい。
……が、ここで待ったを掛けたのはオーターだった。時期も非常にまずかった。折しも2週間の水竜保護区出張から戻って来てさほど経っていなかったから。あの後、オーターは市街地に危険なしとして帰ることになったが、ワースは泉と主要河川の修繕が終わるまで出向期間を伸ばしていた。大抵オーターは多忙だから、顔を合わせられるのなんか朝晩の食事時くらいしかない。そんな機会が2週間もなかったのが尾を引いたのだろう。神祭りに参加する地方貴族の滞在は、祭りの前後と合わせてだいたい1ヶ月半程度だ。アビスもアベルも地方貴族一団としては初めての参加となるからもう少し掛かるかもしれない。となれば2ヶ月近くワースは不在となる。それは嫌だ、というのがオーターの主張であった。色々と話し合ったが、結果的に「……というか、警備面で言うなら我が家に泊める選択肢もあるのでは?」という苦渋を滲ませたオーターのひと言にワースが折れることにしたのだ。話の節々から滲む感覚として、オーターはアベルには好印象を抱いていない。それを差し引いてもワースと一緒に過ごしたいと思ってくれている。かつて学園で過ごした頃のように共同生活をするというのも悪くなかった。アベルとアビスの2人に打診したところ、「まぁ、砂の神杖の動向も押さえておきたいし、」との返事で快諾であった。……大丈夫だろうか?というか、アベルとオーターの間に一体何があったのだろうか。ワースがインターンシップで魔法局へ通っていた頃、オーターの対応は寮長兼養父という名目でアベルが行ってくれていたが。ひょっとしてその時何かあったのか。どちらに聞いても捗々しい回答はなく、ただ何か不穏なものを感じるばかりである。
そんなこんなでやや心配な2人の滞在ではあったが、神覚者の格に見合うだけの部屋数がある屋敷で使っていない部屋を来客用に整え、食器やその他雑多な物を揃えている間に神祭りの時期が近付いてきた。
「神祭り」と仰々しい名前が付いているものの、実態は地域によくあるお祭りの大規模版である。杖に宿る神、この世に魔力を与えた神に感謝を捧げ、様々なものを奉納する。それは踊りだったり歌だったり、武闘大会であったり様々だ。神迎えの儀式から始まり神送りの儀式まで、地方貴族はどれかの出し物に参加し、社交に出るのが通例である。人脈作りと情報交換が主たる目的であるが、派閥間の人間関係が重大な意味を持つ中央貴族に比べ、領地を持つ地方貴族はどちらかと言えば領地運営の情報交換や貿易協定を締結したり、若当主では顔見せの意味合いが強い。祭りの主催は魔法局人材管理局であり、警備関係は魔法警備隊の所管であるから、ワースの禁書管理局もオーターの魔法魔力管理局も追加の仕事はない。かといって休暇でもない。オーターはいつも通り多忙だから、祭り装飾された街をちょっとデートに、なんてことはしないだろう。ちょっぴり残念な気もしたが、ワースだってそろそろ学ぶのだ。仕方ない。世界を守る仕事をしているひとだから。我慢するのは慣れている。とはいえ出店も多いだろうから、夕飯がてら屋台料理を買って、神祭りにちなんだ小物を贈ったりすれば少し雰囲気も出るだろう。少しばかりウキウキしてしまう。

(……ま、でも今年はしょうがねぇかな)

アベルは卒業と共に当主の座に就いている。今年の社交は殊に重要だ。なんだかんだ魔法局に入れたのだって希望する禁書管理局へトントン拍子で入れたのだって、ワースの後見に立ってくれたアベルの地方貴族としての信用に寄るものだ。勿論ワース自身もかなり努力はしたが、はっきり言って、彼の後ろ盾なしだったらもう少しややこしかったというか、それこそリトルデビル共々、専用の施設に軟禁状態で今に至る、なんてのはかなり想定出来た未来である。……「砂の神杖の実弟」の名前はどこまでワースを守ってくれたか。ちょっとこの評価は悩むところではあるが、「マドル家を勘当された次男」の方が効力を持ちそうだから微妙である。知の神杖の温情は勿論あれど、これでもかなり、地方貴族の戸籍上の縁者として守られている。その恩に報いる必要が、ワースにはある。……言ったらきっと、少し笑われそうだけども。

「お、来たな」

呼び鈴がして、玄関へリトルデビルと向かう。ドアを開いた先の様子に、ワースは瞳を丸くした。

「あれ?アビスは?」

荷物が少ないのは良い。事前に送ってもらって、それぞれの客間に置いてある。しかしシルクハットを被ったアベルの隣に当然居るはずの人物がおらず、ワースは首を傾げた。久しぶりに会うアベルは色白の肌がいよいよ白く、この日までの苦労がなんとなく偲ばれる。ワースの怪訝そうな顔に、アベルは少し、気まずげに身じろぎをした。珍しい。

「ま、とにかく入れよ。長旅ご苦労さん」
「ありがとう。……ちなみにその横の子供は」
「初めまして、アベルくん!ワースの魔導書の「リトルデビル」です!」

挙手をして元気よくリトルデビルがアベルに挨拶をする。ほんの少し瞳を細めて観察をするアベルが片手を差し出した。握手だろう。躊躇いなくリトルデビルはアベルの手を取った。

「なるほど、よく出来ている」
「ありがとうー!」

自身の魔法が解析かれているというのに、リトルデビルは笑顔で応じている。そういう奴ではあるが、若干ワースの居心地が悪い。
ワースはリトルデビルの頭にポンと手を置く。そしてわしわしと撫でてやった。

「言ったろ、そんな悪い奴じゃねぇから」
「キミがそういうなら信用したいところだけどね」
「だけど、じゃねぇの。……まぁ、1ヶ月かけて判定してくれ」

友人が禁書に取り憑かれた、と聞けばそれは大変な事態だろう。当主として忙しいだろうから、こっちに来なくて良いと説得したのはワースだ。種々時間をかけて行ったそれを、アベルが尊重してくれただけのこと。今回のアベルの神祭り参加には貴族間のやり取りだけでなくワースの査定も含まれている。正しく言えば、リトルデビルへの査定、ではあるが。彼が無理にワースとリトルデビルを引き剥がすとは思えないが、何か手を打つ可能性はあった。
部屋と共有部分を簡単に案内して、ついでとばかりにコーヒーを出す。なかなか手を付けないアベルとくぴくぴホットミルクを飲むリトルデビルを交互に見つつ、ワースは眉を顰めた。

「アビスは?」
「……イーストン魔法学校に用事があるそうだ」
「アイツにアベルより大事な用事ィ?」
「…………」

声に険が混じるのは、仕方ないだろう。
気まずげに視線を逸らす仕草からしても、明らかにアベルは嘘を吐いている。というか、アビスはアベルの護衛役なのだから、本人の一存で離れるとはとても思えない。
アベルはチラリとリトルデビルを見、しかしため息を吐いて、首を振った。

「……すこし、アビスと行き違いがあった」
「ケンカしたってこと?」
「………………まぁ、俗っぽい言い方をすれば」

肩を落とすアベルを見ながら、ワースは目を見張る。非常に珍しい。アビスはあの通り穏やかなタイプだから、滅多なことがない限り怒らないし、アベルに関わる話には沸点低めであるが、大抵は怒らせる方が悪い。なのに、よりにもよってアベルに食ってかかるとは。

「アイツ、成長したなぁ……」
「……どう言う意味かな」
「どうもこうも……」

くっとワースは笑う。
まぁ、アビスには分からないだろう。疑問や違和感があっても、後ろから追従していた方が楽な時は多い。アビスの従順さにはそういう面が少々あった。そこを敢えてケンカして、実質的にも護衛が必要ないと判断しアビスをひとり魔法局まで寄越す。まだイーストン魔法学校に通っていた頃のアベルにそんな大それた判断が出来たはずがない。それを、今回やってのけた。この自我の発露。ワースはこれを褒めてやりたい。

「それで?何しちまったんだよ、アベルは」
「……僕が、悪いことが前提なのか」

アベルはムッと唇を尖らせる。
七魔牙のリーダーでもなく、レアン寮長でもなく、年相応の青年らしき顔は、ワースがあの頃ずっと、友人として向き合い続けていたものである。ワースは行儀悪く頬杖をついて見せた。これだってあの頃、しきりにやっていた行動のひとつである。勿論周囲に示しがつかないからアベルとワース、そして時にアビスがいた時の、気を抜いている時、限定だが。しかしそれだけで簡単に、2人の間の空気があの頃に戻る。無論ワースはいま現在の自分に全く不満はない。けれどそれはそれ、これはこれである。
観念したようにふうとため息を吐いたアベルが順繰りに話した内容は、まあまあ予想通りというか、なんというか。しかし、

「アベル、言い方下手過ぎじゃね?」
「……そう、だろうか?」

アベルの言い分はこうである。
「悪魔の目」を持つアビスを護衛として社交に連れ出すのは相手貴族に嫌がられる可能性がある。故に、そういった場にはワースを連れて行き、アビスは宿であるオーターとワースの家で待機するように。護衛の任はワースだけで十分である。
それは、まぁ、そうだろう。実に簡潔な命令だ。ただし、大きな前提が抜けている。

「……地方より中央貴族たちのが口が悪ィから下手にアビスを誹謗中傷されたくねぇ、とかって言ってやったか?」
「…………わざわざ伝える必要もないだろう」

むっつりと拗ねたようにアベルが視線を剥がす。
昔っから、アベルにはこういうところがあった。これで結構気を使う奴だが、気遣いの方向がなかなか独特過ぎて言葉が足らなくなる。今回の話だって、アビスを連れてきたは良いものの、下手に人前に出せば「悪魔の目」について言及され、アビスが傷付くと心配したのだろう。じゃあアビス以外の人間を護衛として連れてくれば良かったのに、気の置けない友人との久しぶりの旅行を優先したのか、恐らくこんな機会でもなければアベルの側を離れなさそうなアビスの為に旧友や後輩と会う晴れの機会を用意してやりたかったのか、あるいはその両方か、ワースは知らない。アベルはそのような事情を詳らかに口にするような奴でもないからだ。
ただひとつ、あれだけ目立つ特殊な魔眼を持つアビスを、口嵩のない貴族の前に連れ出したくない、という気持ちはよく分かる。

「……けど、アベルの言い方じゃあアビスに問題があるから連れて行かない、みたいに聞こえるぜ?」
「………………」
「訂正しねーのかよ」
「間違いではない」

下唇にぐっと力を入れたアベルは貝のように口を閉ざす。ここまで意固地になるアベルは非常に珍しい。なにか、ワースにすら隠していることでもあるのだろうか。それはそれで、彼の考えだ、勿論尊重はする。尊重は。ワースは笑いながらコーヒーを啜る。

「僕にとって神祭り期間は仕事だが、アビスは必ずしもそうではない。碌に休暇も取らずに今まで頑張ってくれていたのだし、休ませない方が問題ではないかな」
「それは、もう、それとしてアビスに言えよ」

自分の言った言葉にふと既視感を覚え、隣に座る魔導書を見る。にへら、と笑うリトルデビルの顔には何か含みがあった。数ヶ月前まで散々ワースの背中を押しまくっていた神妙な頷きに、ワースは若干の気まずさのまま口を閉ざした。まぁ、たぶんこう言いたいのだろう。「似たもの同士の友人だねぇ、」と。

「…………余計な心労をかけたくない」
「いや現にいま、イーストンに1人で残ったなら心労かけてるだろ」
「久しぶりにマイロ達にも会いたいと」
「んなの口実だろ。レアン寮の片隅で膝抱えてたらどうすんだよ」
「それは…………、………………、迎えに行った方が、良いだろうか」
「俺から連絡入れておく?」

どれだけ強くアビスがアベルの判断に反発しているかは知らないが、どう転んでもしょんぼりしているアビスが目に浮かぶようだった。あれもあれで繊細な性質だから。ふむ、とワースは頷いて伝言うさぎを取り出した。
結果として、その判断はなんとも言い難かった。アビスは若干震える声で後輩達と話し込んでしまったと詫び、夜にはそちらに到着するという。アベルが到着した時分には既にとっぷり日が沈んでいたというのに。声が震えている時点で察するに余りあったが、さすがに追及するのも憚られて、遅くなるならワースだけで出迎えるから着く前に連絡をくれるように言い、伝言うさぎを切った。たぶん、日付が変わる頃には到着するだろう。長いこと同室で生活していたからか、比較的ワースにはアビスは弱いところを見せてくれる。逆に他が起きていると思うと屋敷にも寄り付けないかもしれない。アビスはそういうところがある。帰宅したオーターとアベルの間になんとなく張り詰めた空気を感じつつも、食事や風呂の準備をいつも通り進め、長旅だったはずが妙にソワソワしているアベルを部屋に押し込み、そこからいくらか経った頃、アビスからの連絡が来た。時計を見れば想像通り、まもなく日付が変わろうとする時間帯である。向こうも向こうで、日付が変わればいよいよ締め出されると思ったのだろう。「あと10分程度で着きます」との言葉は頼りなげだった。己の予想の正しさにワースは苦笑しつつも、たっぷり疲弊した友人を迎える準備をした。
「玄関前まで来たらもっかい鳴らせ」とのワースの言葉に従った、ひっそりとした伝言うさぎへの着信に、ワースは忍び笑いを溢す。なんとなくこのへしょげた風情はワースの記憶を揺さぶった。
確か中等部の頃、「悪魔の目」を気に入らない同級生から体操着をボロボロにされたことがあったか。真っ青になって震える身体でアビスは寮室の前に立ち尽くしていた。たぶん、犯人が、分からなかったからだ。今にしてよく考えると家格からしても同室という状況からしても、ワースが他の生徒に命じてアビスの私物を破壊させた可能性は十分にあった。しかしあの頃のワースはとにかく魔法実験が楽しくて、とっととレポートにまとめたいのに部屋の前で突っ立ったままのアビスが邪魔で邪魔で、背後から頭を叩いたのだった。衝撃で手から溢れる破れた体操着と、絶望的な顔をしているアビス。いま思っても嫌なガキだが、ワースは「フツーに邪魔」と言い放って部屋に引き摺り入れたのだ。すわ殴られるのかと部屋の端でぶるぶる震えるアビスがどんな気持ちでいたのか、あの頃も今も分からない。ただひょっとしたら後のワースにとっても幸いなことに、その時ワースが試していたのは復元魔法であった。勿論治癒魔法の基礎訓練として。切り裂かれた体操着など格好の実験台で、ワースは自分の予備の体操着とアビスのボロボロになった体操着を交換した。その頃ワースは、名門イーストン魔法学校に入学したにも関わらず、「悪魔の目」を持つ息子へレイザー家が与える教育費が微々たるもので、アビスが学用品を調達するのにも難儀していたなんて、なまじ両親揃っているそれなりの家格の子供である為に貧民や平民向けの支援や補助が受けられないだなんて、全然知らなかったから。

呆然としたアビスの顔を、今でも覚えている。

結局あの時のワースの実験は上手くいかなかった。体操着なんか、手で縫い合わせた方がずっと上手く修復できた。色々と試したが、ワースには余り時や闇に関わる魔法の適性はない。だから結局ワースがアビスから得た体操着はただのボロ布になってしまった。勿論捨てた。けれどお陰様で、体操着に大きく書かれた自分の名前も刺繍される前の布に戻すなんて芸当もできなかったから、アビスに与えた自身の体操着は魔法インクで「アビス・レイザー」の名前を上書きした。ワースの筆跡で。「ホラ、コレで俺の体操着盗んだとか言われねーだろ?」とか何とか言って渡したんだったか。いま思えば本当に何も考えていなかったのだろう。「貴族マドル家の次男」が「悪魔の目」を持つ少年に、自分の名前が印字された体操着を上書きして与えた、なんて行為が持つ意味を、ちっとも。
当時のワースにとっても「悪魔の目」なんてのは様々学説あれど結局は「魔力制御不全症候群」の亜種に過ぎなかったし、症例が少ないだけの単なる疾患だ。勿論迷信として「神への冒涜」と言われることは知っていたが、外見特徴に漏れ出るほど魔力が高いのはむしろ羨ましい……そう考える者が少ないと知ったのは、アビスが仮面を被るようになってからだから、中等部のワース少年もなかなかに鈍い。とはいえルームメイトがコロコロと変わる方が面倒だから新年度の度に同室は誰だと騒ぐ同級生たちを尻目に毎年固定の相手で楽だったし、ワースにとってアビスは仮面で顔を隠す変な同級生であったが、その仮面はなかなかセンスが良かったから気にならなかった。今にして思えば、誰かが上手いこと手を回していたのだろう。でなければ自治が認められる高等部になるまでずっとアビスと同室にされるなんてあり得ない。ワースの中で長らくアビスは、少々物静かな、しかしストレスにならない程度には優秀で面白い友人の1人に過ぎなかった。
玄関先にぼんやりと見える人影に、ドアの先が誰か察してワースはガチャリと鍵を外す。玄関前まで来れている以上、犯罪者でないのは明らかだ。

「よぉ、久しぶり」
「こ、こんばんは……」

顎で示してやれば、ほんの少し気まずそうなアビスは身を縮めながら歩を進める。まったく。

「部屋案内してやるから、早く上がって来い」
「あっ、……待って下さい、ワース」

ひょこひょこと背後をついて来るその姿は、あの頃とちっとも変わり映えはしない。ワースは再び顎をしゃくって合図した。



***



部屋に案内してやり、アベルにしたのと同じ順路で共有部分を説明する。風呂に入っておくよう言いつけた後、夕飯の残りのスープを温めた。食べたかどうかは知らないが、身体を温めた方が良いだろう。そうこうしている内に、他人の気配に気が付いたのか、単にアベルと同様挨拶すべきと思ったのか、のったりした足運びでリトルデビルも部屋から出てきた。目元を擦るその頭を撫でてやり、ついでにビスケットを戸棚から出してやる。アビスばかり食べていたら気を遣わせるだろうから。

「上がりました。……あれ……?」

ひょっこりと顔を出したアビスの視界に魔導書が通る。あ、と思う間もなく、リトルデビルの角から額にかけて、どろりと顔が崩れた。やばい。

「……っ、本に戻れリトルデビル!」
「んー?」

小首を傾げたまま言われた通り書籍の形となったリトルデビルがワースの胸にダイブする。その姿にアビスはただでさえ大きな瞳をさらに大きくさせた。

「えっ?……えっ!?」
「悪ィ、コイツ、禁書なんだ」

おおかたアビスの「悪魔の目」に見られたせいでリトルデビルの泥魔法が崩れたのだろう。「悪魔の目」の能力にも例外はあって、杖や魔導書のように予め魔力が宿っているものへの停止能力は一部例外が存在する。しかしあの魔法のベースはワースの泥魔法だ。ワースは通常、泥人形に認識阻害魔法や幻覚魔法を付与してより人間のように見えるよう維持している。その部分の停止がなされてしまえば泥はただの魔力を含んだ泥になってしまう。アビスが停止した魔法はそこだろう。胸の中で、なにあれなにあれ!と嬉しそうに飛び跳ねる魔導書を撫でてやる。
大抵の場合、魔法の押合いは魔力が高い方が勝つ。これまで他の人間相手にアビスの「悪魔の目」が負けたところを見たことはないが、禁書相手ではひょっとするとひょっとしてしまうかもしれない。ワースはため息をひとつ吐いて、はしゃぐ禁書をあやす。

(こっちの心を読んでる、とは思うけど)

だからといって釘を刺しておかない理由はない。うっかりアビスが禁書を「悪魔の目」で見てしまった場合、禁書が下手に魔法の一時停止に抵抗しようとすると彼に怪我を負わせる可能性がある。

「リトルデビル。コイツは俺の大事な友達なんだ。俺の延長だと思って、大切にしてやれ」

ワースが一瞬で何を懸念したのか分かっているのかいないのか、リトルデビルは元気よくわかった!と返事を返す。まぁ、大丈夫だろう。アビスは別に好戦的な性格ではない。魔導書もこう言っておけば一時停止状態を面白がったとて、アビスに怪我を負わせるほどの無茶はすまい。

「……と、悪いアビス。……アビス?」

禁書の説明をしようと、アビスに視線を戻すと、はらはらと静かに涙を流しながら彼は泣いていた。思わずギョッとする。アビスはだいぶ辛抱強い性格をしている。それはまぁ、彼の生い立ちというか、幼年期のあれやこれやが関係しているのだろうが、まぁ、友人としてはそこは別に良い。アベルの件で怒る姿は見たことがある。けれども、こうして音もなく泣いているところを初めて見た。

「えっ、あっ、あー、」

大慌てでティッシュを取り出し、旧友の顔面に押し当てる。なになに?と楽しげな魔導書とさめざめと泣くアビスに挟まれて、ワースはとにかく混乱していた。



***



「つまり、アベルの役に立ててなくて不安だと、そういうことか?」

こっくり、と未だにしゃっくりをあげるアビスが深く頷くのを見て、ワースは頭を抱えた。
卒業後、アビスを領地に連れ帰る判断をしたのはアベルだ。その信頼と期待に応えるべく、アビスは新領主補佐として仕事に邁進したらしい。けれどもイーストン魔法学校と違って、領地には魔法がほとんど使えない者から生業にほとんど魔法を使わない者など、およそアビスが接したことも想像したこともない人間が多々いる。そしてウォーカー家を支えてきた家臣達も。その中で揉まれるうちに、段々と自分に自信が持てなくなってきてしまったようだった。護衛として剣に覚えがあったが、全ての敵が正攻法で来る訳でもないし、書類整理は元々それを家業にしていた者もいる。イーストン魔法学校での優秀な成績は、実務経験うん十年の先輩達にはとても太刀打ちできない。
本当に自分は、ウォーカー家の、ひいてはアベルの役に立てているのか。むしろ役立たずの自分が実家に戻されないようにアベルは補佐として連れ帰ってくれただけではないか。そう考え始めるとキリがなくなってしまった。加えて、今回の社交パーティーへはアビスの同行は断られ、ワースと行くと言う。結構アビスは自分の腹のうちに問題を抱え込みやすいタイプだ。そんな鬱々とした中でワースに真正面から「大事な友達」と言われ、心の中の何かが決壊してしまったらしい。……いや、悪いって。そんなつもりで言ったんじゃねぇし。

「アベルもそんなつもりじゃねぇと思うけど」

まだすんすんと鼻を鳴らすアビスにホットミルクとビスケットを差し出してやりながらワースは肩をすくめる。やっぱり誤解されていた。
アベルの言い方はどうあれ、正直パーティの類いは、魔法局に勤めるワースの方が適任だ。ソフィナが付けてくれた「禁書管理局幹部候補」の肩書きは、地方領主であるアベルの箔付け程度にはなるだろう。対女性に弱いアビスを華やかなパーティに連れ回す方がアベルの正気を疑う。

けれど、アビスは出たいのだろう。

自分には向かなくて、恐らく楽しくもないであろうその場に。配慮して屋敷に置いて行かれる方が、自分の価値がないように思ってしまう、そんな奴だ。
しんなりとしょげてしまった友人のつむじを見ながら、ワースはうーんと悩む。社交の場に出たら出たで、たぶんアビスは物凄く注目される。正直「悪魔の目」さえなければ見目は良いし、「悪魔の目」があればそれも非常に稀有であるから、どんな意味でも人目を集めてしまう。その視線は間違いなく、アビスへの大きなストレスになる。困った。アベルが正しい。けれどワースはこのへしゃげた友人をどうにかしてやりたい。

「……ようは、「目」に注目が集まらないようにしつつ、「悪魔の目」自体は使用できる状態のままであればいい、……ってことだよな?」
「「悪魔の目」ですよ?……そんなの、無理に決まってます……」

そうだろうか?
……というか、学生の時分は不可能であったが、今ならば、或いは。

「出来る……かも、しれない……」

弱々しい声とは裏腹、ワースは未知への挑戦に、にやりと口角を上げた。
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***



そうと決まればワースの動きは早かった。
……というか、「なんとか出来そうな材料」に心当たりがあり過ぎて居ても立ってもいられなくなってしまった。朝イチで有給申請を出し、「神祭り」期間はほぼ開店休業状態である為快く許可が下りる。取り敢えずは1週間。逆に「もっと長い人居るけどいいの?」とまで聞かれる有様だ。

「悪魔の目」に対する研究は、実のところ、膨大な数に及ぶ。

ぶっちゃけ発生・発覚数自体は少ないものの昔から認知されていた魔眼の一種であるし、一方で魔力制御不全症候群との関わりは近年になって注目され始めている。「古くて新しい問題」という奴だ。一般的に魔眼の制御の方が魔力制御不全症候群よりも行い易く、双方の性質を持つ「悪魔の目」は魔力制御不全症候群解決の糸口となるのでは、などと囁かれていた。古くは確かに「神への冒涜」とする宗教的見地があったことは認めるが、全く逆に「神から愛されるあまりに神の力の一端を授かった聖痕」と考える宗派もあり、その意味で言論空間ではやや混乱がある。ただしいずれの説を取ったとて、人間離れした、それこそ神や悪魔の介入を信じたくなるほどの能力であることは言を俟たない。
「悪魔の目」がそれとして目覚めるのは12歳前後。つまり中等部の入学前後である。アビスは入学試験の結果が出る前に「悪魔の目」が発生したというから、ある意味運がいい。レイザー家の息子として既に入学予定者リストに載っていたから両親も彼を「処分」することは出来なかったのだろう。無論「悪魔の目」がアビスの人生にとって幸いだったかは、今は議論しないけれど。

なぜ「悪魔の目」が産まれるのか。

これに関しては全く分かっていない。ある説ではその瞳に悪性のある何者かが侵入し、宿主の防衛反応により見たものの魔法を封じる魔眼に姿を変えるだの、元々遺伝的に封印魔法の資質を持つ子供の魔力制御不全症候群であるだの、何らかの周期的な感染症に罹患した副反応だの、まぁ色々と言われている。正直どれも決め手に欠ける。しかしここで重要なのは、「悪魔の目」は恐らく本人の魔力が関わり変異した魔眼であり、たとえ「悪魔の目」を抉り出そうとも、摘出された瞳は「悪魔の目」の能力を持たないし、逆に何もない眼腔に義眼を入れたら、精度こそ落ちるものの、その義眼が「悪魔の目」として魔法停止能力を持つ、ということだ。精度が落ちるのはその義眼は神経で密接に肉体と繋がったものではなく、実際脳裏に何も映さないからだと言われている。その説についてはワースの中に若干、反論の余地があるものの、つまりは「見えていること」以上に魔法的に作用する何かが「悪魔の目」には存在する。

「興味深いのは、「悪魔の目」ではない方の視力が下がると「悪魔の目」自体の能力にもブレが生じる保持者が多いってこと。「悪魔の目」自体の視力に変化がなくてもね。逆に生まれつき盲目の「悪魔の目」保持者は気配だけで「見えてる」判定になって、寧ろ広範囲の魔法停止能力者になれる。でも布一枚で顔を覆われたくらいで魔法停止が使えなくなるから、本人の空間認識能力がどう規定されているかに寄るんだよねぇコレが」
「……はぁ、まぁ、そうなんスけど……」

ぶるぶると、夏場のセミよりよっぽど震えているアビスを背中に庇いながらワースは氷の神杖ツララ・ヘイルストーンの言葉に頷いた。
有給当日、速やかに必要参考文献を職場書庫から出し、材料の調達として「個人的なお願いなんすけど、」と断りつつツララに申し出たところ、「取り敢えずその「悪魔の目」保持者くん連れてきてくれる?」と言われ今に至る。にまにまと楽しそうに笑うツララはワースが提出した魔法道具設計図を見ながら背後のアビスを窺う。

「……いや、マジですんませんけど、コイツ女の子ダメなんで……」
「この歳で「女の子」って言われると照れちゃうなぁ!可愛い褒め言葉に免じて、出来ればちょっとその魔眼見せて欲しいんだけども!」
「いや、ほんと、マジで、どうかご勘弁を……」

ワースの背中にへばりつくアビスがいよいよ危機を感じてギュウっとローブを握る。すまんて。本当に。
じろじろじろとこちらを見るツララには好奇心の色が濃く見える。にっこり笑って何かを言いかけ、しかし一瞬言葉に詰まりツララは空を仰ぐ。熟考の末に正面に戻した顔は苦渋に満ちていた。

「……あんまりワースくんいじめるとオーターも出て来るんだった。ううーん、今回はしょうがない」

背後でアビスが安堵のため息をつく。
ワースも胸を撫で下ろした。知らない間にオーターに助けられた。無理に突破しようとされたらどうしようかと思った。

「カルドから聞いてるよワースくん。キミ、魔導工2種持ってるんでしょう?それなら工房貸しても構わないし……」
「あざっす!」
「魔法研究管理局としては、その魔法道具の援助してあげるから、完成品の設計図ウチに収めてくれる?必要であればこっちで特許申請するし……」
「いやさすがに、特許のいるような部分ないでしょう……」

簡単な設計図は既に渡している。キョトンと瞳を丸くしたツララは大きく瞬きした。何か言いたげにもにゃもにゃ唇を動かしていたが、何か追加で言う事はなく、まぁでも、と気を取り直して、長い裾に隠された指が檻に入った魔法生物を差す。

「糸紡ぎ蜘蛛ちゃん達はあそこから1匹貸してあげる。あの子達は製造実験に協力出来るように食事制限してるから、そのまま糸吐かせて大丈夫」
「あざっす!」
「あ、その前にワースくんの第1種魔法生物管理者と危険生物取扱乙種の免許番号控えさせてね」
「っす」

糸紡ぎ蜘蛛は危険生物乙種に当たる。本人達にさしたる攻撃性も凶暴性もないが、取扱次第では危険な魔法道具を作成できるからだ。ちなみにリトルデビルのような魔導書に使われる綴じ紐は、基本的に糸紡ぎ蜘蛛の吐いた糸を使用しているし、その糸を織れば魔力の篭った布となる。

「アビス、この中から1匹選べ」
「え、えぇ……私がですか……?」
「そりゃ、お前の魔力に馴染ませるんだもん。ちっとでも相性良さそうな奴の方がいい」

糸紡ぎ蜘蛛は食べた物の魔力を反映した糸を吐き出す。炎に纏わる植物を食べさせれば火属性の糸を、結界魔法を込めた魔法石を食べさせれば結界適性がある糸を、というように。基本的には草食であるが、少量の鉱物であれば食べさせることも出来る。問題は、魔力を直接経口接種出来ない、という点であるが、それは解決出来る手があった。……というか、あるから材料に糸紡ぎ蜘蛛の糸を選んだ。
難しい顔でアビスが両手のひらにすっぽり乗る大きさの蜘蛛を選んでいる間にツララがワースの免許を書き写し終わったらしい。事前に提出した設計図に触れている。

「なるほど水竜の鱗か……、考えたねワースくん」
「ま、実際食べてくれるかは分かんねぇっすけど」

ドラゴンの鱗には魔力を保持する力がある。また、貯められる魔力量に対して非常に薄くて軽いので、糸紡ぎ蜘蛛に食べさせることが出来たら効率的に糸を取ることができる。同レベルで魔力を保持できるのは魔法石くらいだが、アレは粉にしなければならないのと、粉状態の魔法石を食べない蜘蛛がいるから食べさせる為に他に食品を混ぜる必要があり、糸に不純物が混ざり易くなってしまう。いずれにせよ品質管理が難しい。アビス自身の魔力特性を思えば風竜の方が適性があるだろうが、この際贅沢は言わない。勿論水竜の鱗に利点もあった。水竜はその性質上、治癒能力が高い。「悪魔の目」を魔力制御不全症候群の一種、特徴的なあの魔眼を免疫機能による魔力拒否反応と捉えれば、治癒魔法特性を持つ材料を使用することで意図せぬ魔法停止能力を防ぐことが出来る。

「こっちの材料はこれと反発……あ、だから間にコイツ挟んでるのか……んー、んー、でも……」
「なんかあります?」
「これってさ、八咫烏の尾羽で対応できるんじゃない?そうなるとこっちはアビスくんの魔法特性的にも火鼠の毛より人魚の涙を使った方がいいと思う」
「さ……すがにその材料は……」

八咫烏の尾羽はともかく、人魚の涙は激しく値が張る。
いや、出したっていいが、市場に出回らないかもしれない材料だ。今から狙っても買えるかどうかわからない。しかしツララは首を傾げる。

「オーターなら持ってるでしょ?」
「……こんな、レア材料を?」
「うん。定期的に研究管理局に寄贈してくれるよ。どっから貰ってるのかは知らないけど、いつもならそろそろ引き渡してくれる頃だし、今なら持ってるんじゃない?」
「まじっすか…………」

そういえばあの人、砂の神杖だった、と今更ながらに思った。再び設計図に視線を向けたツララは眉を顰める。

「あとここ、定着剤なんだけど、残穢の塵にした方が良いよ」
「……えっと、」
「そっちもレナトスが持ってる奴が1番質がいいから譲って貰って来なよ」

死者の肉体が崩れる時に出る超レア素材だ。所謂肉体と魔力を繋ぐ性質のある砂だが、空気に触れると毒素を出しながら消滅しやすいのでとにかく手に入れにくい。それをけろりと素材に提案するとは、と若干ワースは慄いた。しかし設計図をすっと指差すツララは尚も続ける。

「あとここの核石、ウィンディーネの抱え石と花蜜妖精の溢れ石の方がいいな。これはアギトに言えばくれる気がするからそっちに当たってみてね」
「…………やべーレア素材じゃないですか」
「……?でもこないだワースくんが卸した水竜の鱗もレアだったし、あっちもこっちも喜んでたからこれくらいはいけるよ。全然吹っ掛けてない」

ツララは首を傾げる。

「ソフィナ直々に各局に恩売ってるんだから、これくらいはちょちょいのちょいだよ。もし心配ならソフィナ連れてけば適当に交渉してくれると思うけど……連れ出すまでもなく貰える気がするからなぁ……」
「まじっすか……」
「マジもマジ、大マジ。そもそもリトルデビルくんのお陰で色んなとこの研究進んだし、そういう意味じゃ、魔法動物研究者で素材提供嫌がるひとそんなに居ないんじゃないかなぁ……加えてこないだの水竜騒ぎでしょう?あの時提出した鱗の分布図で、業績的にはお釣り来ると思うけど」

そして再び、すっと設計図の一部を指差す。

「この肌に触れる部分をサンダーベアーのなめし革にしてるのは貴族的だし良いと思うけど、カルドに聞けば良い職人紹介してくれると思うよ。自分で加工するよりずっと良いし、なんせプロだし」
「かっ、……カルド様、ですか……」
「うん。ワースくんだいぶ人材管理局のお願い請け負ってるから話通ると思う。……まぁ、研究補助として研究管理局から一筆書いても良いけど、」

眼帯で隠された、片方しかない瞳が悪戯っぽく撓む。その顔はどこか実年齢よりも子供っぽく見えた。

「ソフィナの弟子ならこれくらい交渉出来るでしょう?」
「…………ちょ、ちょっとソフィナさんに報告してからでも良いっすか……?」
「もちもち。あくまでも、休暇の自由研究だもんね?……あくまでも」
「…………」

なんだか妙に圧を感じる気がするが、どうだろうか。
とりあえずワースはソフィナに報告をした。確かにこれはワースの個人的な望みで作成する魔法道具だ。ツララが言い連ねた「貸し」が、後々禁書管理局へ還元させたい「貸し」では困る。しかしソフィナはけろりと、

──ああ、良いんですよ。ああいうのは、いざって時に禁書管理局も手を貸しますよ、っていうポーズが出来れば目的を果たしてますから
「そ、……そんなモンっすか……」
──それより個々の人脈が出来る方が大事です。……ね、あくまでも、プライベートってことでお願いしてみたら良いですよ。みんな何とかしてくれますから

伝言うさぎを切って頭を抱えるワースに、にっこりと笑って氷の神杖ツララ・ヘイルストーンが尋ねる。

「ね、良いって言ったでしょ?……あくまでも、休暇中の、プライベートな、ちょっとした自由研究なら、ね?」
「…………」

2人の間でワースの身柄はどう協定されているのか。正直なところ、怖すぎて聞けない。アビスと一緒にぶるぶる震えながら、ワースはこくこくと頷いた。



***



とりあえず難易度順にと、アギトの元へウィンディーネの抱え石と花蜜妖精の溢れ石の提供願いに行ってみたところ、物凄く快く提供されてしまった。逆に不安である。なんならアビスのために魔法道具の作成をしていて、の段階で号泣していた。本当に怖い。いや、感動屋で良いひとなんだろうけれど。苦諦を旨として修行を重ねる竜の神杖アギト・タイロンにとっては、「悪魔の目」など苦諦中の苦諦で、それを体現するアビスへ一定の敬意があるらしい。えっ、本当か?……分からない。ある程度ワースが納得出来る理由でないと恐ろし過ぎて脳が受け付けない。たぶん……多分、そうなのだろう。革袋いっぱいの石を貰ってしまって、寧ろワースも困惑した。なんならカバたんの髭まで2本もくれた。どういうことだ。

「まぁそりゃあ、アギトだからなァ……」

言いながら、死の神杖レナトス・リボルはグラスを煽る。……言っておくが今は、まだ終業時間内である。墓所管理局局長が、自らの執務室で、フツーに飲酒。神祭り期間であってもヤバすぎる。

「……んで?オレのとこには残穢の塵だってェ?」
「ええ、まぁ、あの、はい……」
「ンだよワース、ノリ悪ィぞ?」
「………………」

午前中であるのにすでに出来上がっている感じのレナトスに言われても、正直困る。赤ワインのボトルをそのままラッパ飲みしそうな風情の神覚者を見ながら、ワースは若干怯えた。なんなら珍しいものを見る顔でまじまじとレナトスを見るアビスの方がいくらか勇敢であった。助けを求めてレナトスの副官を見るが、直立のまま左右に首を振られた。ダメらしい。

「良いじゃねぇか、まま、飲めよ」
「いやレナトスさんいま就業時間中なんじゃあ……?」
「オレ様の酒が飲めねェっつーんかエェ!?」
「………………」

言ってない。
言ってないが、どちらかと問われれば、飲みたくはない。ワースは有給休暇中だがレナトスは仕事中であるからだ。しかし妙にキリッとした表情のアビスが恭しくレナトスの杯を受け取り、並々と注がれたワインを一気飲みする。

「お、おいアビス」
「これしきのこと……アベル様のためならば……!」
「良い飲みっぷりじゃねェか、気に入ったぜェ……!」

ありとあらゆる物が間違っている予感に、ワースは再びレナトスの副官を見た。しかし、先ほど同様首を振るばかりだった。そして何を思ったか、レナトスのデスクの机を無遠慮に開き、そこから新たな酒瓶を取り出す。

「わたくしめも、前途ある若者は大好きでして」

いや待て、絶対違うだろ。

「お前なかなか骨があるなァ!「悪魔の目」なんてクソ有利じゃねーか、墓所管理局に来ねえ?」
「わたしは……わたひは……、あべるさまひとすじでして……!」
「ますます気に入った!面白れーヤツじゃん、ワース!」
「……いや、んな簡単に潰さないで下さいよ……」
「あー?……まだ頑張れるよな、アビス?」
「ひゃ、ひゃい……!」

ワースは密かに頭を抱えた。意外な友人の酔いやすさではない。酔っ払いの言動をしつつ、その実よく見れば顔色ひとつ変わっていない死の神杖レナトス・リボルに対して、である。普段人見知りをして警戒心の強いアビスがレナトスをあっさり受け入れているのもさることながら、こう泥酔すると過保護な彼の主人が怒るだろう。「どうする?」と、アビスが来て以来、魔導書の形でホルダーに収まっていてくれているリトルデビルが問いかけてくる。

(どうもこうも……とりあえず静観。アビスが良いようにやらせてやれ)

「そういうもの?」と問いかける魔導書に、ワースは心の中で深く頷いてやる。人間には、色々あるのだ。飲みたい日も、泣きたい日もある。
結局レナトスが「えーと、残穢の塵だったっけか?」とひと抱えもありそうな木箱を持ってきてくれたのはとっぷりと夜も暮れ、一度起きたアビスが二度寝して潰れた頃であった。



***



「それで、私の元に?」
「だぁって、オーターが1番頼みやすいんだもん」

リトルデビルにアビスを部屋まで運ばせ、ほろ酔い状態のワースはオーターに向き直る。
アビスが寝こけている途中、中座して人材管理局に赴けば、カルドは意外にも工房の紹介を軽く請け負った。正直、人材管理局に異動するとかしないとかでソフィナと揉めている姿を見ていたから、こんなにあっさり引くとは思わなかった。てっきり、何か面倒な条件を付けられるかと。そんなワースの心が出ていたのか、カルドは苦笑した。勿論人材としては欲しいですけど、キミはやっぱり禁書管理局が1番合ってますよ、と。そう、笑って見せた。

「…………」

オーターは静かに、眼鏡の位置を直した。見慣れ切ったその仕草は、どことなく安心感をワースに与える。アビスとアベルがいて、オーターも緊張しているのか、こうして2人だけで顔を合わせて喋るのが随分久しぶりのような気がした。また我儘を聞いてもらっちゃって悪いなぁとは思いつつも、長年の友人だ、出来ればオーターにも少し好きになって欲しい。

「……なるほど、確かに有給休暇を取ったと聞いているのに私以外の人間のために使う様子を見ると、すこし落ち着かない気持ちになりますね……」
「……んぁ?……なんか言ったか?オーター」
「……いえ、こちらの話です」

今更になって酔いが回ってきたらしい。ぐらぐらと揺れる頭のまま、ワースは自然と笑みが溢れた。そういえばレナトスから「オーターのどこが良い訳?」と聞かれた。明らかに2人が付き合っていることを分かった上での質問だろう。なんで知ってるの、と言えば、まあまあまあまあ、と宥められた。正直面白くはない。いやオーターから神覚者たちにワースと付き合っていると話した事は聞いていたが。それにしても。

「……神覚者会議でその話題になったんです。私が貴方を本気で好きなので、みんな揶揄っているんですよ」

揶揄う意味が1㎜も分からない。オーターがワースを好きなら、それはそれで良いのではないか。

「私含め、神覚者は新しい刺激を求めていますからね。私に恋人がいる、という時点で楽しいのです」

言いながら、オーターの手がワースの手の甲に触れる。アルコールの影響か、少し鈍い感覚が、もどかしい。

「禁書がいる以上滅多なことは起きないと思いますが……あんまり私以外の男の前で酔わないで下さいね。妬けます」

言いながら、ちゅ、と軽やかな音が耳に響く。
ワースはその前後のことは、薄い霧が掛かったようにはっきりしない。しかし、朝起きた時にハッキリと言えることがあった。

「……なんか、めっちゃ損した気がする」

覚えていた方が良いことを、酔いに任せてすっかり忘れてしまった、そんな心地がした。
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◆◇◆◇◆



ワースは自分の手元のグラスを揺する。本来護衛は飲食しない物だが、アベルの護衛役はむしろワースにぴたりとくっ付くリトルデビルである。彼に酒も何も関係がない。たとえ術者が酔い潰れようが、十全に役割を果たしてくれる。

「……ってな訳で、今頃アビスは糸紡ぎ蜘蛛に食わせる水竜の鱗に魔力込めてるよ」

鱗はなかなか繊細な素材だ。下手に魔力を込め過ぎると粉々になってしまう。勿論蜘蛛は粉になった鱗でも食べられるが、食感がないものを好まない個体が多いからなるべく歯応えを残すようにと伝えている。魔力制御に秀でたアビスでも、それなりに手間取るだろう。腕組みをしたアベルが、首を傾げた。

「解せないな」
「鱗に魔力を込めることが?」
「いいや、……キミが、アビスの為に魔眼制御の魔法道具素材を作らせていることが」

真っ直ぐなアベルの瞳がワースを射抜く。

「アビスには必要のない道具だろう?」

ニヤリ、とワースは口元を歪めた。
さすがはアベル。自らの従者をよく分かっている。
アビスに「悪魔の目」を制御する補助道具は必要ない。なんせ彼はほぼ完璧に「悪魔の目」の能力を制御下に置いている。確かに不意打ちでリトルデビルの泥魔法を消してしまったが、相手が魔導書であったことを差し置いても、あれだけ繊細で他人の気配に聡いアビスの不意を打って出てくる時点で「敵」と認識しても差し支えはない。つまり、あの状態ではリトルデビルの魔法を停止させるのが「正解」だ。なんせ彼の主な仕事はアベルの護衛だから。判断の遅れはアベルを危険に晒す。いつものアビスなら、不意を打たれない限り「うっかり」で魔導書の泥魔法を消すこともない。そろそろリトルデビルをちょろちょろさせてみても良いと思ってはいる。

「しょうがねぇだろ。アベルがアビスを泣かすからさァ」
「…………僕のせいなのか」

せいか、せいでないかと言われると、まぁその辺りは複雑だ。アビスを追い詰めたのはアビス自身と思った方がいい。だがアベルが発端になったのは間違いない。
それなりに長い時間を掛けて、アビスは自信を失ったのだろう。元々そう自己肯定感の高い奴でもない。雇用主サイドと見ればアベルがその精神ケアをしてやるべきだったかもしれないが、アベルもアベルで大変だっただろうことは分かる。信頼する友人の事まで手が回らない、なんてのは、誰が悪いというものではない。
あの状態でひとり屋敷に置いていくのはさすがのワースもどうかと思うが、少なくとも今日は木箱いっぱいの鱗に出来る限り魔力を込めるよう頼んでいるから、鬱々とし続けてはおれまい。ぼやぼやしていると鱗に魔力が入らないし、上の空でいたら鱗を粉々にしてしまう。律儀で真面目なアビスが与えられた課題をこなさないでいるなんてことは、ワースは初めから考えてはいない。少なくともアベルに同行できない夜、魔法道具作りに励んでいれば気も紛れるだろう。

「ま、でも結局よ、魔法道具ひとつで気持ちが落ち着くならそれでも良いんじゃねぇの?」
「僕は別に、アベルに「悪魔の目」を隠して欲しいと思ってないんだが……」
「それは同感」

アレをコンプレックスに思っているアビスには悪いが、特殊な魔法を示すだけで特になんということもない。アベルも恐らく同感だろう。「悪魔の目」を気にして顔が隠れてしまう方が勿体ない。アイツはアレで結構瞳を愉しませる顔をしているのだから。

「まぁでも見てろよアベル」

アビスは、辛抱強く、意地っ張りで、何でもかんでも耐えてしまう。それを、つまらない貴族の口撃で折られるのは、余りにも惜しい。

「神祭りの間に、アビスに自信ってヤツをプレゼントしてやる」
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私には1人、気の良い友人がいる。

無謀も無茶も自分だけで決めて、飛び込んでいってしまう、そんな無鉄砲で面倒見の良い友人が。
いつかの日のように泣き出しそうな私を前に、何も聞かずに顎で入室を促すような、そんな優しい友人が。

窓の外を見上げると、満天の星空がこちらを覗く。
手元を見れば、だいたい半分くらいが魔力を入れ終わった鱗、残りが手付かずだ。
「手に入れるの大変だったんだから、絶対割るなよ」と言われると必要以上に肩に力が入って全然上手く扱えない。量からしても今日一日でこの作業を終わらせる気ではないのだろう。まったく、と私はため息を吐く。
彼の分かりにくい気遣いが分からないほど、私は鈍感でも幼くもなかった。
たとえばそう、いつかのあの日。
ぼろぼろに破かれた私の体操着と、彼のぴかぴかの体操着を交換してくれと言われた時よりはずっと。
ワース・マドルという人間を理解している。

「さて……」

拗ねるのはもう終わりにしよう。
旧友がここまで手を貸してくれるのにいつまでもアベル様の隣に居れないことを嘆いては、ちっとも格好が付かないから。
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細いシャンパングラスの足を持ちながら、オーターは重たいため息を吐き出した。
アベル・ウォーカーとアビス・レイザーが「神祭り」の為にやってくると聞いてある程度予想していたが、さして面白い状況ではない。ワースの性格からして旧友の、しかも養父として後ろ盾になってくれている元寮長の願いを無視する選択肢は存在しない。社交の場にアベル・ウォーカーがワースを伴うだろうことは分かっていた。なんせ、アビス・レイザーは社交に向かない。……いや、彼自身に難があるという話ではない。寧ろアビスは物静かで余計な口出しをしない、模範的な従者である。ただし、彼の「悪魔の目」は非常に目立つ。警備の関係上隠すことは出来ないのだろう。ある意味で彼がアベルの背後に立っているのは、魔法攻撃への牽制となる。「悪魔の目」の特性を思えば、正しい使い方だ。彼は誰を見ずとも、ただそこに立っているだけで、護衛としての役割を充分に担っている。しかし「悪魔の目」は何か後ろ暗い考えを持つ者にとって非常に都合が悪い。それ故か迷信を盾に反発する貴族は多い。魔力の管理を旨とする局の長を務めるオーターからすれば、他者の魔力を抑え込む魔法道具など掃いて捨てるほどあるし、結界魔法なんかは「悪魔の目」より広範囲、効率的に他人の魔法行使を封じる。そっちの方が余程「神への冒涜」であろうが、結界魔法使いがとやかく騒がれたところをついぞ見たことはない。もう少しまともに、魔法の有用性から判断したらどうだろうか。……とは、思いつつ、そんな面倒臭い忠告をしてやることもない。彼らの目的は、厄介な防壁を一枚剥ぐことで、真実「悪魔の目」がどうと言うわけではないのだから。そういう意味では予想通り、護衛として「ケチ」が付きにくいワースが連れ回されている、と言うことである。
ワースとアビス、どちらがより護衛として秀でているかと問われればオーターの贔屓目を以てしてもアビスに軍配が上がる。なんせ彼は特殊すぎる。汎用性から言えばワースの「リトルデビル」も悪くはないが、いかんせん彼はあくまで「ワースの禁書」であるので、アベルより先にワースを狙えばそちらの守護に回る。ワースの強い意向がなければ護衛対象を術者の上位に置くこともない。勿論ワースが事前にそのように命令していても、実際その時になれば、禁書がどう動くかは分からない。その点で言えば、アビス・レイザーの献身は、襲撃側として非常に厄介だ。……まぁ、それもあってアベルがアビスを側に置かないのであれば、本末転倒であるが。

「…………」

正直なところ、オーターは少し意外であった。アベル・ウォーカーとアビス・レイザーの関係性は、アビスの強い忠誠心に支えられたものだと思っていたから。ワースが2人に等しく友情を感じているのだから当然と言えば当然の話だったのかもしれない。思ったよりも彼らの関係は健全である。ただ、思いやり合う美徳は、貴族社会では時に身動きを取りづらくする楔ともなる。美しい愛情は、はたからは動かしやすい情動だ。オーターの立場からすれば、双方を大切にし合うのは良いから、とっととワースを自由にして欲しい。貴族の前にアビスを連れ出したくない真心は嫌と言うほど理解したので、代わりの護衛を用意するなりしてくれ。折角の祭り期間なのだから他人の恋人を護衛として連れ回すのに、少々遠慮を覚えて欲しい。……とまぁ、こんなオーターの心からの感慨に、たぶん、ワースは絶対に応じないだろう。そこが彼の良いところなのだ。……オーターには、不都合なことに。マドル家から勘当された際に即座にワースを養子としてその身代を守ったアベルに、今でも強い恩を感じている。無論、それは正しい。……正しいのだが、だからこそ結構悔しい。アベルと談笑するワースの年相応な顔を苦々しく思う程度には。
ふと、可憐な声がしてオーターは振り向く。そこには籠に入れられた鳥がいた。深い翠の羽根は、少しばかりワースの瞳を想起させる。だが貴族が持つ鳥としては、やや地味だ。オーター自身も自分の耳に届いた可憐な鳴き声が本当にこの地味な鳥から出たものと自信がない。オーターの視線に気が付いてだろう、主催の男が手揉みする。

「こちらはカナリヤでして」
「カナリヤ?」

オーターは内心ぎくりとする。
「カナリヤ」と言えば、黄色の小鳥ではないか。それ以前に、禁書がワースを呼ぶ名称でもある。思わずまじまじと小鳥を見る。気まずげに身じろぎするその鳥の羽根の色は、やはり見れば見るほどワースの瞳に似た深い森のような色彩をしていた。

「カナリヤは黄色い鳥では」
「こちらは原種に近いカナリヤなのです」

その瞬間、天啓が降りた気がした。

(そう言う意味か……!)

ワースが所有する禁書の成立年代はわかっていない。しかし能力からして間違いなく数千年単位の古い魔導書である。彼が作られた時分には、品種改良された見た目にも鮮やかな小鳥よりも、この原種に近い美しい声を持つ小鳥の方が馴染みがあったであろう。

「通常よく見る黄色いカナリヤよりも、美しい声で歌うと評判で」
「…………なるほど」

禁書がこの世をどのように認識しているのか、これは今を以てしても良く分かっていない。光魔法に影響を受けない超感覚は、建物のように複雑な構造をているものを隔てていても、その先を当然のように見通す。彼のコミュニケーション形態からして音魔法が関わっていることは確かである。その現実認識に、生物すらも「音」で読み替えているのであれば。

(アレは、ワースの何らかの「音」を気に入って術者にした……?)

可能性は十分にあった。
しかしただの思い付きだ。なんなら、検証するほどの意味もない。禁書は既にワースを自分の使い手として選び、今も尚、敬愛を捧げている。これに対してオーターが何か注文をつけることも、またないのだから。しかし何か、妙にすっきりとした感覚がある。ソフィナくらいなら「なるほどあり得る話です」などと頷いてくれそうだ。オーターは翠の羽根を持つカナリヤを愛でながらじっくりと思案する。どうしたら穏便にアベル・ウォーカーとアビス・レイザーからワースを引き離しつつ、この祭り期間中楽しく2人でデート出来るか、を。



***



神祭りの祭日が始まった頃、氷の神杖ツララ・ヘイルストーンから神覚者全員に向けて、あるメッセージが送られた。「詳細は神覚者会議で話すから、とりあえずワース・マドルの頼みを叶えて欲しい」と。そのメッセージ上でオーターが協力を求められたのは「人魚の涙」の提供であった。
実のところ、魔法界では「人魚の涙」はレア素材として取り扱われるものの、海中ではヘドロの原因ともなり、定期的に除去する必要がある。毎年ヘドロ除去の手間賃という名目で魔法魔力管理局は人魚たちから「人魚の涙」を買取り、市場に卸している。一般にレア素材であることから、一部は魔法研究局へ寄贈しているが、どうやらワースはこれを探しているらしい。正直内情を知るオーターとしては、あんなの人魚が出す生活排水だぞ、と思っているが、なまじきらきらしい名前がついているお陰で、夢を持ってあの素材を求めている者も少なくない。流石に品性が問われるので黙っておくことにする。
ツララが指示した「ワースに渡して欲しいもの」は、それぞれ市場ではレア素材として扱われるが、直接それを得る局としては邪魔で邪魔で仕方ないものであった。恐らく何らかをワースがツララへ質問したのだろう。それで調達を指示するのがこれらだと、ツララの意図を疑いたくなる。彼女は局の特性上、市場価格と魔法局内での価値の差を知っているはずだ。
通常の魔法道具技師が手に入れにくく、魔法局の人間であれば手にしやすい素材。それをワースが使うように、誘導したのではないか。その種明かしの機会は、意外にもすぐに来た。その週の神覚者会議のことである。

「これはすっごい雑談なんだけどさぁ……いまワースくんが作ってる「悪魔の目」専用の魔力制御装置、なるべく開発に手を貸してくれないかなァ」

ツララが語尾を伸ばして気だるげに語るのは、ひどく珍しい。たったそれだけの事に、奇妙なほど威圧感があった。即応したのは魔法道具管理局のレイン・エイムズだった。

「ツララさんらしくないですね、業績の少ない研究者の仕事を幇助しろ、だなんて」
「ワースくんともなると、さすがにねー」

アビス・レイザーの「悪魔の目」は、彼自身の弛まぬ努力のお陰で、ほぼ保持者の支配下に置かれた希少な魔眼であった。こうなってくると言葉の定義的に、「保持者」と呼ぶべきか「術者」と呼ぶべきか迷う。
実のところ、「悪魔の目」はとある封印魔法を扱う家の末裔に現れる、大変希少な魔眼であった。家系図を見ればある程度絞り込めるものの、下級貴族は養子も婚姻関係も複雑であるから、特定の血族を炙り出すのは難しい。ただハッキリとしているのは、「悪魔の目」は一定の確率で顕現する奇跡的な先祖返りである、ということだ。しかし本家が絶えて久しいこの家柄において、ほんの少しでも血を引く末裔を見つけ出すのは困難である。結局「悪魔の目」が顕現してみない事には、本当に関係がある血筋であるか調べようもない。そういう意味ではアビス・レイザーは不運な子供であった。古い先祖の血に残る固有魔法のせいで、強力な、しかも不名誉な意味合いを付けられた魔法停止能力が顕現するなど。

「ウォータードラゴンは気性そのものは優しいけど人間には触れたがらない種族だ。体温そのものが違うから仕方がないね。……けど、ワースくんは複数のウォータードラゴンに好かれて、保護区の次の主人にさえ懐かれてる」

禁書の影響だろう。
オーターは深く頷いた。
禁書「リトルデビル」はモノは書籍であるのに、性格が限りなく魔法生物に近い。報告によればカーバンクルに嫉妬する素振りもあったというので、恐らく本当に、動物に近い思考をしているのだろう。それを思えば、あれだけ禁書に敬愛を捧げられるワースが、他の魔法生物に懐かれない理由はなかった。アギトも心当たりがあるのか頷く。

「カバたんにせよ、他の使い魔にせよ、比較的ワースくんは好感度が高いです」
「そう。……たぶんそれでドラゴンに触れて、ウォータードラゴンの鱗に魔力を込める力があるって気が付いたんだと思う」

水竜の鱗は基本的に身体から自然に抜けたものを使用する。しかも水竜は総じてあまり水の中から出ないから、棲家にいない隙に河を浚うことになる。それはつまり、水竜から剥がれ落ち、魔力も何もすっからかんになって流水で削られた鱗、ということになる。昔からあれだけの魔法生物の身体を覆う鱗だけに魔力を保持する力があると囁かれていたが、実際手に入る鱗は経年劣化したものであったからすり潰して粉にし安定剤としての使用しか行われてこなかった。しかし今回のワースの出向で手に入れた鱗は、その殆どが水竜から剥がれて間も無くのものだ。形が最も美しく保たれている上、鱗の主人の魔力さえ残っていた。水竜の再生能力の高さ、魔力保持能力の高さを示す証拠ともなる。

「糸紡ぎ蜘蛛は草食だ。……けど、水草を多分に含んで育つ水竜の鱗を食べさせる実験は、まだ誰もやってないはず。彼らは繊維質を好んで食べるから、」

糸紡ぎ蜘蛛は、便宜上草食だが、正確には雑食だ。筋肉繊維が密集しているところは食べるが他は見向きもしないので別名「グルメ・スパイダー」とも言う。鉱物を食べると言っても基本は石英のように結晶が揃った形をしているものでないと口に入れもしない。繊維の方向が揃った宝石は魔法石と比べさして魔力を蓄える力がないから、これまでは見向きもされてこなかった。
ハァハァと興奮したように息を乱したツララが頭を掻きむしる。

「やば、やばい……これは本当に凄いことなんだよ……!糸紡ぎ蜘蛛が危険生物乙種に数えられるのは当然その糸の汎用性にあるんだけど、これまでは糸に込められる魔力の制限が高すぎて、撚った糸をそれなりの量揃える、つまり布の形をしていないと充分な効力を発揮しないってところが難点だったの……。勿論魔力制御不全症候群の患者向けに服なんかは開発されてきたけど、ワースくんが取り組もうとしてるのはそれよりも濃度の高い糸を吐かせた上で、最も拒絶反応が少ない本人の魔力を使った魔法陣の刺繍だ。こんな、こんなのってあり……?いや、行けそうだから設計図持ってきたんだろうけどさ、勿論魔法陣は起動用の魔力を通さないと発動しない訳だけど、通常時は患部から漏れる魔力を起動スイッチ代わりに、「悪魔の目」起動時にはその魔法使用の魔力がスイッチを切り替える形で浮かぶ魔法陣そのものが変化するって、本気で何考えてるの?そんなこと出来たの?マジであり得な……」

ぶつぶつとツララが自分の世界へと沈む。こうなっては、誰の声も聞こえていないだろう。小首を傾げていたカルドは、ああなるほど、と呟く。

「布自体に魔法陣を透かしで2つ描くということですか?」
「違うの、アレはやばい。使うのは1つの魔法陣なの。通る魔力回路の違いで通常時は全体の中の一部の魔法陣しか使ってない。制御用の魔法陣しか浮かんでなくて、魔眼起動の魔力に反応して普段は使ってない魔法陣にも魔力が行き渡って魔法陣の全体像が浮かぶ形式。二重に魔法陣を描くよりも魔力ロスが少ないし反発もないから患者への負担が少ない。……っていうかフツー、魔法陣の一部までなら制御、全体像が現れると増幅の意味になる術式なんか思い付かないよあんなやり方ってアリな訳?最も身近で「悪魔の目」を観察し続けた同級生、ってことを差し引いてもどこで考えついたんだか本当に、いやそれ以前にどうして思い付けなかったツララ・ヘイルストーン……!」

解説ついでにワースへの賞賛から自身の発想力への叱責が混じり始めたツララへ、ぱちぱちと瞬きしたソフィナがカルドに視線をやる。カルドは肩をすくめた。だいたい意味は「そんなこと出来るんですか?」「いや、僕が知るはずないでしょう、」と言ったところか。オーターも魔法陣はからきしだから、この中で最も正しい評価を下せるのはツララくらいのものだろう。彼女がそう言うのであれば、恐らく何か画期的なのだ。
冷静さを取り戻したのか、ふうふうと息を吐き出すツララはすっかり冷めたコーヒーを啜る。

「取り敢えずワースくんのアレが完成するところが見たい。アビスくんと「悪魔の目」の様子を見たところ、彼、どうシュミレーションしても魔眼の制御を失うようなタイプじゃないから、多少ワースくんが失敗しても問題ないし」

けろりとして言い放つツララの言葉は、少しばかり熱を帯びていた。

「ほぼオーダーメイドで魔力を入れなきゃいけないからすべての患者に対応しきる量産型は難しいだろうけど、あの程度の手間と労力で魔力制御不全症候群がコントロール出来るなら全然良い。寧ろ設計ミスとか出して改良していって欲しいくらい。アビスくんなら増幅魔法が強すぎても恐らく制御しそうだし」
「…………」

失敗は成功のもととはいえ、ここまであからさまに失敗を願われるのは珍しい。しかし無理もないだろう。ツララにとって魔力制御不全症候群の治療法確立は長年の悲願だ。その為に神覚者になったと言っても過言ではない。それに繋がる可能性がある研究はどんなものでもバックアップするだろう。
レインが「なるほど、」と頷く。

「その割にはオレのところに依頼はないですけど」
「あっ、レインにはね、完成した暁にはとっとと特許書類回して欲しくて!やってることだいぶ高度だから出来る技師も限られてるけど、一応権利関係がっちりしておきたいの」

ツララの言葉には合理性があった。権利関係を示す為にどこからどこまでが新規性のある発明かを示しておく必要がある。その際使用された技術は論理式が詳らかに提示されるのだ。あのツララが「だいぶ高度」というくらいだから複雑な術を使うのだろうが、無理と言わないならば研究管理局の研究者たちで対応できるレベルだろう。というか、魔力制御不全症候群の対処療法になるならばツララは必ず使える魔法使いも技術者も揃えるだろう。なんならその為に専門学校くらいは自分で開設する。そういう人間だ。

「ところで、……その魔法道具開発、どのくらいで終わりそうですか」
「終わりぃ?…………わかんない。アビスくんと糸紡ぎ蜘蛛ちゃん次第?どうかした?」
「…………お陰様で、この神祭り期間中、2人の時間が取れていないんですが」
「………………」

オーターは、それはアビスとアベルを泊めているせいだ、とは言わない。言い出せば必ず「それは仕方ないんじゃない?義父だし」と言われかねないからだ。しかし魔法研究管理局が絡む魔法道具作りをワースが取り組んでいるとなれば話は別である。ツララの管理下にあるならば、こちらの抗議もツララが受けるべきだ。
スンっとした顔で黙り込んだツララは腕を組んで唸る。

「……分かった。貸した工房に始業時間と門限を定めて拘束時間は絞る」
「それは最低限の条件ですよね?」
「くっ……、貸し出した糸紡ぎ蜘蛛は研究管理局の管理にしてワースくんには持ち帰りの研究はさせない!」
「……だからそれは、最低限の条件ですね?」
「う、ぅううう〜〜っ!でっ、でも有給休暇期間に何をしてもワースくんの勝手じゃない!?そこまで束縛することなくない!?」
「……と、所属していない局の長が言ってますが、これは不当労働に当たりませんか?」
「ツララ……さすがに人材管理局としては見過ごせない発言ですね」
「うわーん、オーターが正論で殴ってくる!助けてソフィナ!」
「そもそもワースくんの休暇期間だから共同研究を黙認しているだけで、就業扱いにするなら禁書管理局としては従来の取り決め通り……」
「うわわーん、全然味方がいない!」
「当たり前でしょう、他人の恋人をなんだと思ってるんですか」

ぴえぴえと泣き言を漏らすツララにオーター側からワースの研究にストップを入れられるよう釘だけは刺す。ワースは多分、本当に友人のことしか考えていないのだろう。魔法道具開発をストップした方が恨まれかねない。とはいえ放って置かれすぎるのもオーターの気分が良くない。しかしそんなオーターに瞳を眇めてレナトスが頬杖をつく。

「……いや、最近オーターもワースのこと恋人恋人言いすぎじゃね?束縛彼氏か?」
「何か言いましたか」
「なんでもねーわこのブラコン」

二言目にはこの罵倒を言うようになった。確かにワースとオーターに血の繋がりはあるが、現在は戸籍上他人である。切ない。だからこの会議の後、レナトスから「ごめん2人とも潰しちった」と軽やかな連絡が入ったのは何かの意趣返しではないかとオーターは本気で疑った。完全に酔い潰れたアビスをてきぱきと部屋まで運んでやり介抱するようリトルデビルに言い付けている姿はしゃっきりして見えたが、リビングで2人きりになると途端に相好が蕩ける。外で共に飲酒したことがないとは言わないが、ここまでぽやぽやとしているワースを見るのは初めてである。ワースの言葉を信じるのであれば、午前中から夜まで呑んでいたらしいから、レナトスのせいだろうけれども。オーターの片手をふにふにと揉みながらアビスの魔法道具を作ってやることになった経緯と素材提供の依頼を舌っ足らずに話す姿は可愛らしくて、話が半分も入ってこなかった。オーターの指をくすぐるワースの指先が、なんとも言えず堪らない気持ちにさせる。
オーターは握られていない方の手でそっとワースの前髪を退かす。そのまま体温を確かめるように頬に指を滑らせれば、くふくふと声を漏らしたワースが頬を擦り寄せてくる。可愛い。本当に可愛い。

「禁書がいる以上滅多なことは起きないと思いますが、」

ワースはアビスの「悪魔の目」を警戒して暫く彼の前ではリトルデビルを出さない方針らしい。アビスの目と禁書であれば、恐らく禁書の魔力の方が勝つ。リトルデビルなら自らが打ち勝たないよう適宜停止魔法に合わせて魔法を止めることも出来るだろうが、幼い顔をした友人の姿が泥に溶けるのは、さぞアビスの心に負担をかけるだろう。まったく細やかな心遣いである。その心を、ほんの少しでいいからオーターにも向けてくれないか。単なる友人に妬くオーターの方が狭量なのか、自分が知らない6年間を知る他人に苛立ちを覚えるのは正常なのか、よくは分からない。

「……あんまり私以外の男の前で酔わないで下さいね。妬けます」

既に夢うつつのワースがこの言葉も覚えているか分からないが、聞かれていても困らない心根だけ吐き出して、丸い額にキスをする。そして、ほんの少し赤くなった目尻にも。

「リトルデビル」

廊下の先に声を掛ければ、気まずげにひょっこりと、小さな恋人の顔をした禁書が現れる。数日ぶりに姿を見たのに奇妙な懐かしさがあった。頭を撫でてやると、嬉しそうに瞳を細める。

「ワースを部屋に運ぶのを、手伝って貰えますか」
「はーい」

客人が既に寝ているからか、可愛らしい返事はいつもより格段に声が潜められていた。



◆◇◆◇◆



楽しげにアベルと話していたワースが、何かに気が付いたように片手を挙げて何か囁き、さっと席を外す。その場に残ったリトルデビルがパタパタと手を振った。恐らく禁書管理局の知り合いでも見つけたのだろう。このパーティに出席予定の招待客リストを頭に浮かべながら、オーターはワースが座っていた席に何食わぬ顔でつく。護衛役は禁書の方なので中座出来るのだろう。一瞬だけ瞳を丸くしたアベル・ウォーカーはしかし、すぐに何を考えているのか分からない無表情となった。

「ワースなら、少し知り合いに挨拶をするとのことですが」
「今は、アベル・ウォーカー、貴方に用があるので問題ないです」

にこにことしたリトルデビルはそのまま、手に合わない大振りなフォークを持ってサーモンをつつく。ちらりとその様子を窺ったアベルはオーターへ視線を戻した。

「……この子の前で話すなら、ワースの前で話すのと大差ないはずですが」

言外に、パーティ中に話す必要があるのかと問われて、オーターは肩をすくめる。確かに禁書の前で話したことは概ねワースに報告されるが、禁書は意外とデリカシーというものを知っている。

「恋人の義父と話す時、本人がいると気恥ずかしいでしょう?」
「…………」

オーターが神覚者会議で2人の交際について話した、とワースが知った時、「あぁじゃあ俺もアベルに報告しておくかぁ……」と軽く言われた。定期的にワースは義実家へ送金と手紙を出していたからその連絡の際に話したであろうことはオーターも概ね了解している。2人の交際をアベルがどう受け止めているかは知らない。嵐の前の静けさというか、こちらに来てからずっとアベルとオーターの間には微妙な緊張感が漂っていた。

「ワースとは、結婚を前提に、お付き合いをさせて頂いています」
「僕は、」

何食わぬ顔でアベルはグラスを取る。

「貴方が、ワースに吊り合うとはとても思っていない」
「…………」

こちらを見もせずグラスの中のワインを揺らすその仕草は、いつかの日「ワースはここには居ません」とレアン寮の前で言い切った姿とまるで同じだった。懐かしい。学生にして神覚者へのあの態度。あの時はワースと付き合うどころか一緒に食事することも想像できなかったくらいだから、ここ一年で同居して毎日顔を突き合わせて食事をしているなど、当時の自分が知ったらその場で倒れてしまいそうだ。ついにやけてしまいそうな顔を隠すために、眼鏡の位置を直す。そんなオーターにアベルは眉を顰めた。挑発的な物言いをしながらこの程度のことで表情を崩すとは、若いな、とオーターは思った。或いはきっと、本当にワースに友情を感じているのだろう、とも。
ぴくり、とリトルデビルの表情が動く。

「あれ、オーターじゃん。これ来てたの?」

追加の料理を載せた皿を持ったままワースが小首を傾げる。給仕からひとつグラスを受け取って、リトルデビルへ渡している辺り、用事は完全に済んだのだろう。つい先程まで自分が座っていた椅子にオーターがいることを怪訝そうに見遣りつつ、ワースも空いている向かいの椅子に座る。今回オーターは「砂の神杖」として呼ばれているので家には戻らず会場まで直行している。パーティ用に着飾ったワースの姿は新鮮であった。特に前髪を上げるところなど、普段はなかなか見ない。可愛い。トレードマークのサングラスがなくとも十分可愛い。ほっこりと和んでいるオーターに、ワースは怪訝そうに眉を顰めた。

「オーター、これ美味しいよ、食べる?」

にこにことしたリトルデビルが先程までつついていたサーモンをフォークに差し、オーターの口元へ運ぶ。口を開けばえいやとばかりにフォークが突っ込まれた。ふわりと爽やかなオレンジの香りとねっとりとしたサーモン、そして玉ねぎの軽やかな歯応えがする。他人のフォークで食事をするなど、少々行儀は悪いが、リトルデビルの見目は子供なので多少は大目に見られるだろう。オーターはさっと自分の唇をナプキンで拭い、リトルデビルの頭を撫でてやる。

「美味しいです、ありがとう」
「でしょでしょー」
「……でもいきなり他人の口にフォークを突っ込まないように」
「はぁい」

分かったのだか分からないのだか、リトルデビルはにこにこしながら「これも美味しいよー!」と今度は焼き菓子をオーターの口元へ持って来る。仕方なく齧ると、禁書は子供っぽく喜んだ。……いや確かに美味しいが。
ふと視線を感じてそちらを見ると、アベル・ウォーカーがぱちぱちと瞬きを繰り返していた。ワースが気まずそうに頭を掻く。

「……いつもは、家でしかやらねーんだけど」
「家でなら、やるのか」
「オーターが乗ってやるのが悪い」

中身はどうあれ見た目は完全に幼いワースだ。無碍に扱える訳がないだろう、そう何度かワースには言っているが、相変わらずあまり理解はしてくれない。憮然としたオーターの表情にそれを読み取ってか、ワースはむくれる。

「オーター」
「……分かっています」
「ねーねー、オーター、お膝乗って良い?」
「う……っ」

にこにことリトルデビルは小首を傾げる。ワースが滅多にしないその表情はシンプルに可愛い。返事に詰まってワースを見れば、彼は大袈裟なまでにため息を吐く。

「リトルデビル、揶揄うな。オーターも迷うな」
「はぁい」

オーターはなんとなく眼鏡の位置を直した。確かにいま禁書はアベル・ウォーカーの護衛中だが、彼がこれだけ気を抜いているということは、つまり、そういうことではないか。周囲に危険がないと言う、証左というか。……小さいワースを膝に乗せられないのは少々残念であるが。
一連のやり取りを見ていたアベル・ウォーカーは意外そうにぽつりと呟く。

「なるほど、そういう感じか……」
「…………?」

言葉の意味を、オーターはこの時掴みかねた。
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◆◇◆◇◆



「ワースの朝食は美味しいですから、食べておいた方が良いですよ」

こっそり砂の神杖を盗み見ていた私は大袈裟なまでに飛び上がった。友人との血のつながりを感じさせるその瞳はただじいっとこちらを見つめていた。朝はコーヒーだけなので、と固辞すると、少し残念そうに「そうですか、」とだけ言った。

砂の神杖はこれほど表情が動くひとだっただろうか?

イーストン魔法学校卒業間近、ワースを追い回していた砂の神杖は、本当に何を考えているか分からなかった。辟易しているワースを見るにつけ、アレに追い回されるのは怖い、と私も納得したものだった。
けれど今はどうだろう。配膳する禁書に礼を言う砂の神杖の瞳は柔らかい。

(あ…………)

コーヒーの香りを嗅いでいるとばかり思っていた砂の神杖の視線の先を追って、私は初めて、ワースの報告が正確だった事を知る。だって、何か伏せたい事情があると思うじゃないか。砂の神杖に告白されて、付き合うようになったなんて、現実味がなさすぎる。
ワースを見ながら微笑む砂の神杖の瞳には、どんな言葉よりも雄弁な愛情が燻っていた。

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