北都

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投稿日:2026年08月19日 19:07    文字数:19,738

カナリヤ 16

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ケンカ仲直り編(魔法動物管理局出向編)2/2です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
奪っちゃったー♪(古い)

相変わらず大から小まで嘘をついていますが、この話をしたいからワースくんの資格をでっち上げたんすよね。「そうだった、有資格者……!」って地団駄踏みそうなオーターさんが何気にお気に入りです笑
アギトさんの性格や使役竜含め、だいたい捏造しているので間違っても検証なさいませんよう。
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◆◇◆◇◆



オーターのデスクには、殆ど使用されない内線がある。
なんせ、緊急の連絡は魔法局支給の端末に来るし、個人的な伝言うさぎに連絡を寄越すような猛者は弟子かワースくらいだ。内線番号も、魔法魔力管理局の人間ですらほぼ知らない。恐らく……おそらく、把握しているのは人材管理局の炎の神杖カルド・ゲヘナくらいだろう。そもそもオーターが席にいると確信して掛けられる人物は、カルドしかいない。逆に言えば、そんないわく付きの内線電話が鳴ると言うことは、「そういうこと」なのだ。オーターは、実弟からの連絡にあれだけ逡巡しながら通話に出た人物とはとても思えないような素早さでその着信を取る。

「どこですか?」

最早「何の要件か」など一切聞く気のないオーターは迷いなく頭の中で数日の出張予定を算段する。しかし、電話口のカルドの答えに眉を顰めた。

「水竜保護区?」
──ええ。……今朝の話が現実になって申し訳ないですが

特に申し訳なさそうには聞こえないカルドの声には淡々とした響きがあった。オーターはますます眉間の皺を深くする。

「アギトが抑え込めない事態が起きたのですか?」

悪いがかなり、現実的とは思えない。
アギト・タイロンは魔法動物の取り扱いに関して右に出るものはいない。神覚者のご多分に洩れず歳若くはあるが、使い魔としている「カバたん」が非常に強力で希少なドラゴンでもある。それを使役する以上、凡百のドラゴンは大抵アギトの元にこうべを垂れる。危険動物……とりわけ、竜種における意思疎通と調教の腕は歴代の神覚者、或いは魔法動物の専門家を以てしても、肩を並べる者はない。歴代最高峰と言って良いだろう。あれで危険生物全般に好かれやすい性質も持っているので、水竜保護区域など、寧ろ彼の独壇場の筈である。実のところ、ワースが行かずとも、水竜との意思疎通は測れた筈だ。禁書管理局への支援要請があったのも、半分はソフィナが論文の材料にワースが実践できる案件を探していたことと、不確定な事象ゆえにアギトが自分以外でドラゴンの扱いを任せられる部下を探していたに過ぎない。どちらかといえば、魔法生物管理局内で片が付きそうな話に、ソフィナがワースを捩じ込んだ、と言う方が実情には近かった。アギトは他局から人材の受け入れが可能なほど、余裕があった筈なのだ。

「……もしかして、ワースの身に何かありましたか」
──いえ、そういう報告は受けていません。というか、ワースくん由来の支援要請ではありません

ソフィナの言った「禁書使いに対する配慮」かと身構えたが、ピシャリと応じたカルドの見解は、概ね標準的なものであった。
水竜保護区の保護個体たちに暴走の兆候が見られ、市民に危険が及ぶ恐れがある。水竜出没可能性がある広域な市街地を護れる魔法使いを寄越して欲しい、と。まさしく魔法魔力管理局の所管である。こうなればオーターに否やはない。今からならまだ夜行の列車がまだ残っている筈である。

──出発前に一度、ツララの所に寄ってもらえますか?
「……?」
──ツララから、まだ開発中の移動用魔法道具の貸出をする、と

ライオの時には開発中のゴーグル貸付けを渋った人間とは思えない発言である。彼女にしては破格の申し出だ。怪訝そうなオーターに、カルドは笑う。

──「オーターの恋バナが楽しかったから」とのことです。水竜保護区は遠いですし、借りておいた方が良いですよ
「……分かりました」

あまりにも準備が良すぎる。カルドが事前にどこまで調整してからオーターに話を持って来ているのか、やや空恐ろしいところがあったが、コレが出来るのが人材管理局だろう。オーターは何も考えずにカルドの計画に乗ってやるとする。

「ワースはどうしていますか?その情報は来てますか?」
──アギトからの通信には追加情報はないですね。「やや危険な仕事を任せたが、禁書管理局が出した人材ならやり切れる範囲」とのこと
「…………相変わらず、ですね」

アギトは神覚者の中でもかなり信心深い部類だ。自ら苦諦に身を投じて神への信仰の実践を行う辺り、筋金入りである。その為か非常に純粋で、誇張や見栄は彼に通じない。言われたらそのように受け止め、そのように扱う。それを分かっているソフィナが伝えたワースの人材評価が誤っているとは思わないが、ワースが処理できるギリギリを攻めている可能性はあった。

「支援要請を受け付けます。状況が安定するまで、私は水竜保護区へ出張しますから、そのつもりで」

カルドに答えたその言葉は、そのままフロアにいる魔法魔力管理局員への申し送りだ。内線を切ったオーターはその足で魔法研究局へと足を運んだ。魔法研究局で待ち構えていたツララはカラカラと笑って「たとえ破損してもその残骸を持ち帰ること」を条件に、移動用の試作品魔法道具を手渡してくれた。



***



魔法局がある地点から半日以上を要する移動の幾つかをツララ貸出しの魔法道具でショートカットしたオーターは、それでも太陽が顔を出し人々が動き出した頃合いで、水竜保護区の麓の街に到着した。さすがに車内では仮眠を取ったが、だいぶ強行軍でまだ筋肉に強張りを感じる。カルドが寄越したアギトの支援要請に寄れば、保護区近くの村民たちを丸ごと避難させた市民会館がそのまま対策本部になっており、アギトも研究所職員たちもそこにいる。

「状況は」

想定よりもずっと早いオーターの到着に、しばし驚愕の表情でいたアギトは、しかし部下に記録を持って来させる。ワースからの定期連絡である。

「…………」

時間と地図上の地点、そして出会ったドラゴンの種類、逃げた先を克明に記すその記録上、いくらかの寄り道をしながら水竜の「王」がいる泉を目指したワースが未だその近くに到達できていないことを如実に示していた。オーターが最終の夜行便に乗ったくらいの時刻に、野営をするとの連絡が来ている。
あの子が、野営。……いや、泥魔法使いかつ禁書「リトルデビル」の支援があるのだから、然程の危険はないだろうが、心配は心配である。

「なんにせよ、オーター、貴方が素早く来てくれて助かりました。これでワースくんと合流できます」
「貴方が行くのですか?」

アギトは一瞬だけ虚をつかれた表情をして、しかし大きく頷いた。その表情を見て、オーターは自分が愚問をしたことに気が付いた。

「この中で、最もドラゴンの取り扱いに慣れていますから」
「…………」

そう言って、アギトは使い魔のカバたんの頭を撫でる。彼の考えは尤もだ。市街地という広範囲を守るためにオーターは呼ばれた。たしかに、砂魔法を行使するオーターは、それなりに意味のある結界を市街地と保護区の間に敷いて、単身でやってきたドラゴンを捕獲する程度のことは出来るだろう。その自信はある。禁書管理局長のソフィナは自分の統制下にいる禁書使いの処遇を気にするが、アギトにとっては最優先すべきは魔法生物の状況であって、魔法生物のケアに動いている局員の状況ではない。ワースの元に駆け付けたいと思うのはオーターの私情であって、この状況に相応しい振る舞いではないだろう。

「ワースくんには少々無理をさせましたが……彼は、危険生物取扱甲種の有資格者でしょう。水竜の扱いを任せられます」

オーターは一瞬頭を抱えたくなった。
そう言えばそうだった。ワースはイーストン魔法学校では複数の研究室に顔を出していた影響か、幾らかの難資格を取っている。普通に、学生の時分にドラゴンを含む危険幻想生物を飼育できるような資格を取得しているのはどうかと思う。これはあくまで教員側が持つべき資格で、学生が中等部の時分から持っているのは早熟過ぎないか。お陰でワースはそれなりの年次の職員よりもドラゴン育成経験がある新卒になってしまっている。……いや、いまオーターがジタバタ暴れたところでワースが取得した資格は泡のように消えたりはしないのだけど、気持ち的に。というか、今、年若い同僚の判断力に疑義を唱えた先輩のようになっている。そう言うつもりでは全くないのに。オーターは密かに、自分の至らなさにショックを受けた。

「……すみません、弟が心配で、出過ぎたことを言いました」
「ワース・ウォーカーくんはオーターさんの弟でしたか」
「…………、……彼は他家へ養子に行ってまして」

純粋に驚いた風情のアギトを見ながら、腹の奥がチクチクとする。いや、彼には全く悪意はないのだ。この状況、苗字が違うことに純粋な疑問を抱いているだけで、なんとも言い難いオーターの感情を逆撫でしている訳ではない。一応それなりに同僚と過ごしてきてオーターは理解出来ているが、アギトはこの感じで大丈夫なのか。「なるほど通りで苗字が違う、」と頷いている天然な後輩を前に妙な危機感を抱きながら、オーターもまた頷く。

「市街地の守りは任されました。……襲ってくる可能性があるのは水竜だけですか」

アギトや周囲の研究者に聞き取った限り、怒り狂っているらしい泉の「王」たる水竜が命令できる範囲のドラゴンはざっくりと「水竜保護区域のもの」であるらしい。それは水竜どころか地竜、風竜、その他の亜種が含まれる。まぁ、「王」と呼ばれるほどのドラゴンであればさもありなん、というところではある。一般にドラゴンは千年の時を生きると言われてはいるが、野生では火炎系の魔力を持つ魔法生物はそもそも水竜とは相性が悪く、近くにはいないから、火属性以外は全て、と言うことになる。この保護区における「泉」がそれだけ力のある水源であることの裏返しだろう。
ワースが野営した地点と、そこからドラゴンたちに奇襲されにくい地形を研究者たちが割り出す。一応彼らにもワースを「借りている人材」と思う程度の人の心がある事にオーターは少々安堵した。市街地の状況を確認し、速やかに砂魔法で街を保護する。実際の巡回をどうするか、街にいる魔法警備隊とドラゴン研究者たちと打ち合わせの為にオーターが席を外している間、ワースからの定期連絡が来たそうだ。まさしくアギトが街を出発しその連絡をワースにしようとしていたタイミングであったこと、「事態を引き起こしている水竜を捕らえた。」との内容に、魔法生物管理局の面々が混乱の渦に叩き込まれたのは太陽も揚々として登り始めた時分であった。

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◆◇◆◇◆



ふらふら
ふよふよ
空をいく

濡れていない身体は重くて
空は水の中ほど自由じゃない

大丈夫だろうか
本当に?
ともかくそれでも泉に戻らなくては
私は再び身をくねらせる
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3 / 4

***



ぽつ、と木立が揺れて水滴が落ちる。
髪に当たったそのささやかな衝撃に、ワースは眉を顰めた。

(これじゃ、雨の降り始めかどうか分かったもんじゃねぇな)

研究所から貸し出された雨除けの魔法道具は、所謂雨ガッパだ。ただし、ドラゴンに襲われないようにと迷彩機能も持たせた特注品である。今回のことが起こってから開発したらしく、使えるのは現状、この1枚しかない。難点はポンチョの形をしているから、ひとたび身に付けると魔導書の出し入れに少々難儀する、というくらいか。まぁ、贅沢は言っていられない。
瞬間、リトルデビルから「来るよ、」と感覚が共有される。ワースはそのイメージに従って、横に飛んだ。一瞬前までワースがいた場所を、掠めるように水が貫く。

(あっぶね)

ひょっとすると彼らは威嚇射撃のつもりかもしれないが、生身の人間がドラゴンの攻撃をまともに受けたら無事では済まない。まったく。ぐるぐると唸る水竜の姿を認めて、ワースはため息をついた。
水竜は蛇に似ている。主に川や泉を縄張りにしており、水の中同様に身をくねらせて空を飛ぶこともある。清きも濁りも関係なく、基本的に「水が流れる」場所を好むから、泉であれば水源が湧くところに、川であればどんな急流でも生活用水でも、とにかく何処にでも棲む。この保護区は水源の泉から多数の支流に分かれた川があり、それをすっぽり覆う形で森が茂っている。川の最も下流が人間の住む集落だ。泉にいる水竜の「王」は、水源を縄張りとして治められる竜だからこそ「王」と見做されているのだろう。

(リトルデビル、コイツと話せるか)

見た感じ、どう見てもまなじりを吊り上げて怒りを示している。かちかちと爪を鳴らしている辺りは威嚇だろう。話になるかならないかで言うなら、多分ならない。が、折角出会った水竜に事情聴取を試みない理由もない。
身体に回した魔導書用のホルダーがふと軽くなって、ワースの足元からにょきっとリトルデビルが顔を出す。雨ガッパの魔法道具をえいやと押し退けて出てきた子供に、水竜は明らかにギョッとした。警戒するようにぎゃうぎゃう鳴く水竜に、リトルデビルは珍しく身振り手振りを交えながら熱心に声をかける。しかし……

「……ごめん、ワース、ダメっぽいかも」

くるりと困り顔でこちらを振り向く。瞬間飛んできた水球に、ワースは泥の盾を作った。まぁ、だろうな。頑張っただろうリトルデビルの頭を撫でてやり、ひょいと持ち上げて囮用に泥人形を複数作る。
局地的とは言え、雨が降り続けているせいか、足元は非常に緩く、お陰様でワースの泥魔法は物凄く使いやすい。壁を作りつつ囮の泥人形を作れば、水竜から逃げるのはそう難しくはない。

(……けど、それなりに起伏のある地形で、こんな足元ぐずぐずで大丈夫なのか?)

ワースの調子は、良くも悪くも「普通」だ。というのにワースに従う泥が大量にある時点で、それはもうどこかしこで土砂崩れが起きてもおかしくはない。しっかりと麓の集落を見た訳ではないが、さすがにこれだけの長雨では対応しきれていないのではないか。どこもかしこも緩んでいる。

(村民が何かして、それに対する報復を水竜がしている、と考えることはできなくはないが……)

それなら集落の真上で雨を降らし続けた方が、合理的ではないだろうか。報復としても見せしめとしても分かりやすい。
ううーん、とワースは唸る。先ほどの水竜から充分離れたことを確認して、抱き上げていたリトルデビルを地面に下ろし、ワース自身もしゃがみ込み、視線を合わせる。

「ちっとは聞けたか」
「ううーん……」

水竜と言葉を交わしたリトルデビルも困惑気味に首を傾げた。要領を得なかった、ということだろう。言葉を探すように唇に触れて、やはり唸る。

「土を落として、流れを堰き止めただろう、だって」
「流れを堰き止めた?」
「だから息が出来なくて苦しい……って言ってた」
「…………」

流れが堰き止められて、苦しい。
言いたいことは分かるが……

「それって、土砂崩れのせいじゃねぇの?」

もう少し突っ込んで言えば、長雨による地盤の緩みが原因だ。悪いが、人間にはここまでのことはできない。つまりそれで言えば、原因は「王」に代わって雨を降らし続けている小さな水竜にある。リトルデビルもそこが引っ掛かっているのだろう。うーんと腕組みをして悩んでいる。

「また次に水竜出てきたら聞いてみるか」
「ん!」

元気に答えたリトルデビルは、ワースの雨ガッパの魔法道具をひょいと持ち上げ、中に入るとまた魔導書の形になってホルダーに収まった。その雨ガッパの避け方が、なんだか居酒屋の暖簾になったみてぇ、とワースは場違いなことを連想して笑った。



***



その後も攻撃を仕掛けてくる水竜にちょこちょこ話を聞いたが、全体的には「水源を埋めた」「苦しい」とのことで、雨を降らし続ける水竜についてはどの水竜も何も言っては来ない。あのドラゴンに反感を持っている素振りもない。どう言うことだ。

(もしかして……雨を降らせて滞った流れを取り戻している……つもり、なのか?)

それは普通に「氾濫」という現象で、治水もクソもない。土壌も流出してしまう。悪影響を挙げればキリはない。……が、流れが滞ることを極端に嫌う水竜と思えば、その行動に出る自体は、あり得ない話ではない。
そう考えれば、自ずと各地でゲリラ豪雨を呼んでいる水竜の正体にも見当はつく。泉にいるはずの「王」が黙認するような水竜なのだから。

「取り敢えず、定期連絡入れるか」
「ん!……暫くこの近くにはドラゴン達はいないよ」

泥魔法で簡易的な洞窟を作り、身を隠す。雨ガッパの魔法道具と同じように認識阻害魔法を掛けた泥魔法であるから、しばらくはこれで保つだろう。ワースは耳に取り付けたインカムでアギトを呼び出す。まだ泉には到達していないが、出会った水竜たちから得た情報を伝えた。アギトの方はカバたんの力もあり研究者と集落の村民たちはほぼ市街地の方へ避難が完了したらしい。基本的に水竜は汽車の始発駅に当たる市街地まで、滅多なことがない限りやって来ることはないそうだが、今回は事態が事態であるので、カバたんと水竜が来ないように見張りつつ、魔法局からの応援を待つそうだ。確かに、現状想像しにくいものの、保護区のドラゴン達が市街地目掛けて来たら、いくら竜の神杖とはいえ厳しいだろう。

「人間はもうこっちに残ってないから、多少なら派手にやっちまって良いって」
「んー!」
「ま、民家と研究施設は壊さねぇようにな」

さすがにリトルデビルがわざと物を壊すような真似を働くとは思わないが、自分たちよりも数段身体が大きな魔法生物となると、なかなか取り扱いが難しい。
ウォータードラゴン……縮めて「水竜」と呼ばれる種のドラゴンは、千年程度の寿命があると一般に言われている。とはいえ人間側の記録で水竜が生まれてから死ぬまでを記したものはないし、この「千年」も数百年単位の幅がある。とはいえ、人間よりもずっと長命な種族であることに変わりはない。規模や雨量はともかく、雨乞いと呼ばれる天候を操る力を行使する水竜は、恐らくもう少し長く生きる。この種は昔から「水神」などとして人々の信仰を集めて来た。その膨大な信仰の記録の中には、「水神の代替わり」と称される記載も存在する。この水竜保護区の「王」を務めているドラゴンは、たしか500年ほど前に代替わりしているはずだ。つまり「王」としてはまだまだ健在、特に代替わりをするような年齢ではない。……が、しかし。

「次代の水竜くらいは生まれてンじゃねぇかと思うんだよな」

水竜の多くは生涯で2、3個の卵を産み、ゆっくりと育てる。300年くらいで独り立ちするはずだから、それを思えば「王」の推定年齢からして第一子目のドラゴンを育てていても不思議はない。

「もしも泉にたどり着いたとして、そこに居るはずの「王」と雨を降らせている水竜の血の繋がりって分かったりするか」

リトルデビルはうーんと顎に手をやる。

「ドラゴン達に、触れるなら行けるかも……」
「OK。お前を危険に晒す気はねぇから、今の話はなしな」

無理ではあろうと思ってはいたが、ワースも自分の推論の補強の為なんかに魔導書を矢面に立たせる気はない。取り敢えず現在地の地図を泥魔法で書きつつ、どこのルートから泉へ向かうのが1番安全か思案する。

「とはいえ、だな」

アギトと別れて数時間、陽もとっくの昔に暮れている。リトルデビルの「視界」を以てすれば、夜陰に紛れて泉に近付くことは不可能ではない。ただその場合、ドラゴンたちがどう出るか分からないのが若干怖い。ドラゴンには夜行性のものも昼行性のものもいるが、少なくともこの水竜保護区に棲むドラゴンの多くは昼行性である。故に観光地的にドラゴンが飛ぶ姿を観れるのだが、「闇に紛れて生息地に近づく」そのものを敵対行動と見做される可能性はある。

「……し、リトルデビル。この辺のどこかで野営する」
「はーい」
「水からやや離れていて水竜が近付きそうにない、かつ泉からもそう離れない場所。……ありそうか?」
「んー……」

ぼんやりと虚空を眺めるリトルデビルの眼球は忙しなく動く。ワースは一応地図を取り出した。どこで野営したのか、その情報は残しておかねばなるまい。

「ん!行けそう」
「地図的には?」
「ここー!」

リトルデビルが指差した地点を、ワースは慎重に検討する。いずれにせよワースの泥魔法で洞窟もどきを作るから、襲撃されるほど水竜の動線と重なっていなければ問題ない。等高線から見てやや高台のそこは、ワースが出した条件からみて絶妙な位置にあった。崖沿いに川が流れるが、地形的にも崖を盾に逃げられる。うん、とワースは頷く。

「じゃ、今日はここで野営だな」
「お泊まりー!」
「そ。夜空を見上げながらな」

まるでボーイスカウトの野外活動のようだ。ふっとワースは笑う。ここにオーターが居たらなあ。ロマンチックな星空をどこ吹く風と、「手元が見えにくいですね」くらい言い放ちそうだ。風情がない。……が、その風情のない男が好きなのだ。仕方がない。

「あー、くそ……」

ワースはぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。雨ガッパの魔法道具のお陰で濡れては居ないが幾多のドラゴンと出会し、リトルデビルと会話させる時間を稼ぎ、毎回会話が決裂して逃げてきた。だいぶ汗ばんでいる。いや半日以上掛かる片道からあの濃ゆい神覚者と相対して研究者たちの魔法道具レクチャーを受けて、最終的にいま、野営しようとしている。……これは随分、頑張っているのではないか?

「……オーター、起きちゃいねぇだろうなぁ……」

アギトと会ったら連絡を取ろうと思った。思ってはいた。結局それは、度重なる「不測の事態」とやらで押せ押せになって今そろそろ日付が変わろうとしている。いくらワーカーホリックのオーターでも、この時間から連絡を取るのは、さすがにワースの常識が許さない。

「…………」

シンプルに、声が聞きたいな、と思った。
オーターはかなり寡黙な方だ。それでも、息遣いや静かな呼吸音はかなり雄弁だ。ふっと吐き出される息にはいつも、慈愛が含まれている。それは単にいま、オーターが自分を特別扱いしているから、なのかも知れないけれど。

「ワースはもう少し、オーターのことを信じてみても良いとおもうの」

ぽつりと呟いた禁書は、にっこりとワースを見上げる。自分よりひと回りふた回り小さなその肩は、ワースよりもずっと大きく見える。

「…………」

静かにワースは自分の頭を掻いた。これじゃどっちが「子供」か分からない。
だがワースは、生きてきた年月を軽々しく扱えるほど無謀でもない。相応の敬意を払える程度の余裕は常に持っているつもりだ。

「なぁ、リトルデビル。俺はあのひとになんて言ったらいい」

怒鳴ってしまってからずっとワースの中に温めていた問いだ。人生経験が多いとも少ないとも言い難いワースには未だ、上手い回答はない。恋人と喧嘩して仲直りした経験がないとは言わない。けれどあのひとは、ありとあらゆる意味で特別だ。学生のお遊び程度の間柄とは違う。その視点からしても、オーターにとってはさぞや面倒臭いだろう。上手い言葉を選べずに癇癪を起こす恋人なんて。
大木の根をぴょんと飛び避けた魔導書は、うふふ、と楽しげに笑う。

「そのまま、言えばいいのよ」
「そのまま?」
「そう。……カナリヤがちょっとくらい可愛くて子供っぽくても、オーターは嬉しいとおもう」
「…………だと良いけど」

呆れ返って、ワースなんかもう価値がないと思われたらどうする。不貞腐れたような心の中の独白を、リトルデビルはきゃらきゃらと笑い飛ばした。

「可愛いカナリヤ。貴方は、自信がない事だけが欠点だ」

妙に大人びたリトルデビルのその声は、染み入るようにワースの心に入り込む。まぁ未だに、ワースのような環境で生きてきて、自分に自信を持っていられる奴は馬鹿か身の程知らずだとは思うけれど。
そうこうする間に野営地点に辿り着き、ワースは背負った装備を下ろした。湯を沸かし簡易食を取り、身体についた埃を払う。支給されたテントの寝袋の中にリトルデビルと共に入れば、すぐさまテントごと泥魔法が覆う。
正直言って、ワースにはドラゴン研究者たちが準備してくれた野営用のテントはあまり必要でもなかった。どう言う状況であれリトルデビルを抱いて寝れば、彼が勝手に認識阻害兼盾としての泥魔法を展開する。なんせ、魔導書には眠る必要がない。術者たるワースが触れてさえいれば、魔力を循環させながら魔法行使出来る。ワースにとっていつどこでドラゴンからの奇襲を受けるかも知れない野営は、自宅のベッドで眠るのと大差はなかった。なんせ、あっちでも砂の警備魔法が常時働いているのだから。

「おやすみ、リトルデビル」

人間の形をした自分の魔導書の頭を撫でながら、ワースはうつらうつらと夢の世界へと誘われていった。



***



今朝も変わらず曇天である。
ワースは朝の定期連絡を終え、周囲を見渡す。

(いやマジで、俺はリトルデビルがいるから迷わないけど)

既に雨による土砂崩れがいくつか起きた様子で、地図上にない通行不能が多数ある。いや、魔法使いなら大抵がその不能をなんとかする術を持つが、事前情報なしに泉に辿り着くのは不可能に近くないか?
ワースと禁書がいなかった場合、どうしていたのだろうか。考えると若干恐ろしいが、とはいえそれは竜の神杖の差配を疑うことを意味する。ワースがどうこういうのは、さすがに越権行為だ。どうせ所属局は違うのでワースは知らないことにしておく。
その時ふと、リトルデビルが空を仰いだ。

「この上、もう少ししたら通るかも」
「水竜?」
「うん。……ずっと雨を降らせている子だ」
「…………!」

なるほど、泉の「王」に会う前にこっちが近いか。ワースは野営用の装備を下ろし、中から長いロープだけ引っ張り出す。これは万一崖から落ちた場合の命綱にするためのロープだが、とにかく頑丈で、多少の魔法攻撃、例えばドラゴンのブレスくらいでは、切れない。

「奇襲を仕掛けるぞ、リトルデビル」
「ん!」

元気の良い自身の魔導書に、ワースはひとつ、頷いた。



***



まぁ奇襲を仕掛けると言っても、ワースは当然、空を飛べないから、取れる手自体は限られている。ただはっきり言って、今この足元の地面の状況は、それこそ実力以上の泥魔法を使える最高の環境であった。仕掛け自体は簡単だ。近くにあるそれなりの高さの樹木にワースの泥を纏わせ、更に木を擬態した泥を付けて身を隠す。勿論リトルデビルは手元に魔導書の形をさせている。遠目には、ちょっと黒っぽい気にしか見えない。よろよろと水竜が近付いてきたタイミングで足場の泥自体を伸ばし、魔導書の音魔法の援助を受けながら跳ぶ。地面に堕ちる可能性はこの際考えない。考えていたら跳べないからだ。

「……りゃっ、」

想定よりも水竜が低い位置を飛んでいたことを除けば、だいたい目論見通りである。距離があったため音魔法で加速を加え、お陰で若干体勢が崩れる。ワースはほぼ水竜の首の根っこを踏み付けるようにして着地した。乗られた側の水竜は一瞬事態を飲み込めていないような悲鳴をあげたものの、すぐに自分の上に跨る不届者に気が付いてギャアギャアと鳴き始める。うるせぇ。串焼きにすんぞ。

「ん、の、やろ……!」

口輪をさせるように縄を投げつける。向こうもそうされたら主導権がワースに移ると理解しているのだろう、ブンブンと首を振って抵抗してくる。ワースの側にぽっかりと浮いた魔導書が問うてくる。どうする?やっちゃう?……いやお前の力で「やっちゃった」ら、そのまま殺っちゃったことになるから。勘弁してくれ。
ドラゴンの扱いはイーストン魔法学校の頃に散々やった。もちろん学校の裏でほぼ放し飼いにされていたようなドラゴンだから、いま目の前にいる水竜よりずっと大人しい。けれどドラゴンはドラゴンだ。

「ナメんじゃねぇぞ……!」

それが果たして何に対する「ナメ」なのかは言っているワースもよく分からない。けれど何か、譲れない戦いがそこにあった。
結局魔導書に見守られたまま20分、きっちり水竜の口を縄で制御したワースは地面に不時着した。未だに水竜は不服そうな瞳をしているが、完全に自分の方が有利な空の上から拘束されて地上まで降りさせられたのだ。一応は大人しくしている。

「んで?こりゃ、一体どういうことだよ?」

誰にともなく呟いた言葉は、しゅるんとワースの手の中から飛び出した魔導書によって応えられる。魔導書から人間の姿に変わった時はギョッとしていたものの、リトルデビルの旋律にきゃうきゃうと何事か返していた。……まぁ、その間逃げられても仕方がないのでワースは縄を握りっぱなしではあったが。ひと通り話し終えたのか、ううーん、とリトルデビルは腕組みをして首を傾げた。

「……これは、ちょっと参ったかも」

唇を曲げた魔導書は、眉を顰める。

「水竜の王様……この子のお母さんがいる泉ね、土砂崩れに巻き込まれて、埋まっちゃってるみたい」
3 / 4
4 / 4

***



「はぁ?」と言いたいところをワースはぐっと堪えた。ううーん、と腕組みをしたリトルデビルが弱り切った顔をしていたからだ。通訳をしてくれているとはいえ、今のこの状況、魔導書が悪い訳では勿論ない。
水竜が言うには、水竜の「王」つまり彼にとっての母の言いつけ通り雨乞いを代行している間に、各地の川が詰まるようになった、と言うことらしい。水の流れば滞れば水竜たちの魔力の循環が悪くなる。故に、各所を回って雨を降らせたが、それでも全く効果がいばかりか、次第に無事だった川でも流れの詰まりが発生するようになり、水が各所から漏れるようになったそうだ。根本的な解決を図るべく泉周辺で雨を降らせてみたところ……

「泉に土が流れ込んだ、ってことか」

縄を解かれた水竜がこっくりと頷く。
先程まで暴れていた勢いはもうない。……というか、大きさからしても水竜としては恐らく成人を迎えたか迎えてないかくらいの300歳前後であろう。小さい。いや、幼い。この身体で森の地盤をぐずぐずにするくらい雨乞いが出来るのは、普通に凄いが、もう魔力切れ寸前だろう。

「うーーーーーん……」

ワースは腕組みをした。リトルデビルが困った理由がよく分かる。この疲弊した小さな水竜に色々と突き付けるのは、正直気は進まない。進まないが、状況として言わねばならないだろう。こちらを見ている魔導書の頭をひと撫して、ワースはひとつ、ため息をついた。

「まずは、誤解を解こう。……川を滞らせたのも泉を埋めたのも俺ら人間じゃねぇ。雨のせいだ」

リトルデビルの翻訳が戻る。そんな筈はないと。今までそんなこと起きたことはなかった、と。まぁ、それはそう、なのかも知れない。汽車から研究所まで案内した地元の人間も言っていた。最近は陸路でなく空路を使う。だから土砂崩れが起きても復興が遅れている。恐らくこれまでは、多少の長雨でもガラスの材料を得るためにも村民が掘って開通させていたのだろう。これも今や子供の小遣い稼ぎだ。はっきり言って主要産業ではないのだろう。つまり今回、村民たちは雨でぐずぐずとなった土壌のメンテナンスを行っていない可能性が高い。しかしこれを、「ドラゴンへの敵対行為」とみなすのは流石に難しいだろう。

「降らせすぎなんだよ。こんな降っちまったら地面は水を保ち続けられない。」

地面に触れると、ぐちゃりと緩んだ土が崩れた。それを瞬きして水竜は見つめる。そしてゆっくりと首を左右に振った。そんな筈はない。では、自分がしていたことは。

「テメェの落ち度を他人に押し付けてんじゃねェぞ」

びく、と小さな水竜は怯んだ。その姿を見ながら、ワースは内心で笑う。刺さるわぁ、と。

(……俺も他人のこと言えたもんじゃねェな)

ちょっと思い通りにならないくらいで癇癪起こしてオーターを怒鳴った。今は認めよう。アレはワースが100悪かった。……いや、オーターにもしも落ち度があるとしても、それはワースが自分で伝えるべきであった。怒るだけ怒って出張で消えるだなんて、ガキも良いところだ。ワースも、そりゃあまだまだ就職したばかりでぺーぺーの1年目だが、もう18だ。恋人がいなかった訳でもないのにこれは情けない。
対する目の前の水竜は初仕事を任されたくらいの歳なのだろう。事態の規模を思えば微笑ましいミスとは言えないものの、これなら全然取り返しが付く。……いや、付かせてやる。しょげ返る水竜の頭にぽんと手を置く。そしてちょっぴりひんやりしてぬらぬらとしたその頭を撫で回してやった。人間になど触られた経験はないだろう、水竜は瞳を白黒とさせた。そしておずおずと、上目遣いでこちらを窺う。その瞳が子犬のようで案外可愛い。ワースはふっと笑う。こんな感じで可愛らしく謝罪すればオーターは許してくれるだろうか。いや許してもらえなかったら、何度でも謝れば良いだけだ。取り返しは付く。付けてみせる。

「んで、ここからはお願いだ。土砂に埋まったっつー泉、俺がなんとかしてやる。……俺を信頼してくれないか?」

リトルデビルの翻訳を通じてワースの言葉を聞いた水竜は、逡巡した末、ゆっくりと頷いた。



***



「アギトさん?そっちにいる研究者に土木の専門家っています?」
──さすがにいませんね
「では、応援ってことで、魔法局から呼んでもらえませんか」

これだけ水を含んだ土壌だ、ワースの泥魔法で地形を変える自信はあった。しかし、水竜たちが望んだ通り土砂を除けたとして、それが今後土砂崩れが起きないように整えられるかは自信がない。ワースはそれなりに「使える」泥魔法使いと自負しているが、それでも今のドロドロでべちゃべちゃの土壌でなければそう上手く動かせるとは思えない。半端な仕事をして、後からやり直す方が手間も労力も掛かる。特に「王」が棲家とする泉など、復元に関わりたいドラゴン研究者はいくらでもいるだろう。

──手配します……が、今は応急処置的な形で構いません。
「あざっす!」

インカムとワースのやり取りを不安げに眺めていた水竜にサムズアップして見せる。分からないだろうとすぐさま魔導書が翻訳をしてくれている。眉を下げていた水竜は、荷が降りたように、ほ、と息を吐き出した。そりゃあ親の力の源の泉が土砂の被害を受けているなど、怖かっただろう。ワースは再び頭を撫でながら立ち上がる。そうと決まれば一刻も早く直してやらねば。
ちなみに、水竜がこのような事態を引き起こしたあらましを説明している間、たぶん竜の神杖アギト・タイロンは泣いていた。声的に。説明しながらワースもちょっとギョッとしたくらいだ。あんな感じなのに意外とやさしい。さすがは魔法生物管理局局長。

──あ、……でも、恐らく支援要請の第一団がやってくる方が速いですね
「第一団?」
──ドラゴン達が暴走する恐れがあったので、市民を守る為の増援を。魔法魔力管理局の局長が来るようです
「……っ!?」

はぁっ?と言いたいところをワースは寸前で堪えた。知の神杖ソフィナ・ブリビアが近しく寛容であるから赦されているのであって、一介の魔法局員が間違っても局長相手にこんな無礼な聞き返しなどしてはならない。ワースは「了解しました……」と静かに通信を切った。

「マジか……」

昨日の今日で、しかもよりにもよってオーターに支援要請が行くか?……いや、「市民の保護」名目であれば魔法魔力管理局のオーターが出てくることもあるかもしれない。状況が混乱していたせいで、オーターに連絡しようかどうしようかと悩んでいたことそのものも忘れていた。やばい、一切連絡も送ってない。

「きゃーう?」
「……悪い、こっちの話だ。急ごう」

水竜が不安げにワースを見上げる。まず解決すべきはこちらだろう。ワースのどうしようもない感情ではなく。頭を掻きむしりたい気持ちに駆られているが、ワースはポンポンと水竜の背中を叩いてやる。どう考えても今1番不安を抱いているのはこの竜だ。口にしたからには、助けてやらねばなるまい。
水竜の案内で道なき道を行く。どうやらこれが最短距離らしい。事前に水竜が大声を出して周囲のドラゴン達に詫びと問題解決の術があると言ってくれたお陰で、他のドラゴンに出くわすこともなかった。水竜の背に乗せてもらってしばらく、たどり着いたのは、ぽっかりとそこだけ浮かぶように開けた場所にある水源であった。半分ほど土砂に埋もれているが、どうやら水草が多数生えていたらしい。

(なるほど)

この地域の土はガラスの材料となるケイ素が多い。つまり、昔から水草が多くある土地なのだろう。上から土砂崩れが起きれば水草は埋もれて死滅する。そりゃあ、息がしづらかっただろう。泉の淵にぐったりとしている水竜がいる。慌てて駆け寄る水竜ともども、治癒の魔法陣で囲んでやった。出した魔法陣は3つ。体力回復と、状態異常回復と、魔力回復。ワースにはさほど治癒魔法の適性はないし、水源から力を得ているドラゴンならはっきり言って荷が重すぎるが、何もしないよりマシだろう。すりすりと小さい水竜に頬を擦り付けられている「王」が、ゆっくりと瞳を開く。ワースは片手を杖ごと泉に浸し、片手を魔導書に翳す。

「▓▇▇█████」

頭の中に、リトルデビルの視界を通した世界が流れ込む。ワース視点では知る由もない水の下が、文字通り手に取るように分かる。しかし1人で使う感覚共有魔法は相変わらず強烈だ。くらりと揺れる視界の中で、まったく、とワースは自身を笑う。さっさとけりを付けねばこちらが保たない。

「マッドロス……!」

ワースの呪文に応じて、泉の底がゆらりと揺れる。起こっている事態に気がついたらしい水竜の親子がのっそりと窺っている。ワースの下手くそな中級治癒魔法陣ごときじゃそんなにすぐ動けるほど回復もしないだろう。視界の端の彼等にいいから寝とけよ、と言えるほどの余裕はワースにはない。
今から泥を動かしたとて、既に死滅している水草は多数ある。これをどうにかすることは……以前のように水竜が呼吸しやすい泉に戻すことは、現時点のワースには難しいかもしれない。ただ、それでも。

「こんっくらいのミスなんかなァ……!」

これから一方的に怒鳴ってしまった恋人に会うよりも、ずっと巻き返すのは簡単なのである。たぶん。きっと。……少なくとも、ワースはそう信じる。
ワースは泉に浸した手に魔力を込める。呼応する魔導書が、ドンドン魔力を供給する。ずごごごご、と泉は音を立てながら、溜まった土砂を傍に積み上げていった。

「ど、りゃぁあああ!」

こんもりと盛り上がった泥の小山を見て、ワースはフンと鼻を鳴らす。そしてこちらを見ている水竜の親子を見て、笑う。

「ほら、もう大丈夫だろ?」

というか、大丈夫じゃなければ何度だってやり直してやる。その決意で見つめると、呆気に取られたように小さい方の水竜がぱちぱちと瞬きを繰り返した。



***



「きゃーうきゃーう」
「うん、分かった、分かったって」

泉からある程度土砂を撤去した後、地底に溜まってしまったヘドロを取ってやると、ポストカードで見たことがあるような姿にまで泉は回復した。親である「王」の方はワースの頬に鼻先を擦り付けるように挨拶をしてくれたが、子供の水竜の方はワースの身体に巻き付いて離れない。余程嬉しかったのだろう。チラリと魔導書の方を窺うが、リトルデビルもニコニコとしたままである。少し前は魔法動物や魔法道具にワースがかまけていると嫌そうな顔をしていたのに、大した変化だ。

「僕の方がおにーちゃんだから、今はちっちゃい子に譲ってあげる」
「きゅーう!」
「頑張ったねぇ、▅▅▓▅」

言いながらたてがみを梳いてやるほどの余裕がある。なるほど、おにーちゃんと来たか。リトルデビルが呼んだその音は水竜の名前だろうか。ワースの耳にもなんとなく聞こえたが、あくまでも彼等は野生の魔法動物であるし、ワースがみだりに呼ぶべきでもないだろう。とりあえず「王」に、大きな川はいま、ワースの力が及ぶ限り、残りの川は魔法局から治水の専門家が来たらその指導のもと直すから、他のドラゴン達に数日待ってくれと伝達をお願いする。「王」がしゅるしゅると天に昇って何事かの鳴き声をあげて戻ってくると、数分も経たないうちに水竜達が泉に集まって来た。

「お、おお……?」
「なんかね、氾濫しちゃった川のドラゴンたち、一回泉に避難させるんだって」
「な、なるほど……?」

水竜は蛇に似た姿をしている。知識としてはある程度知ってはいたが、泉で所狭しと身をくねらせるドラゴンたちは、鱗もたてがみもそれぞれである。川か泉かで色の違いがあるのだろうか。白銀の鱗の中に鮮やかな鉱石のような赤や緑の鱗も混じる。なかなか一堂に会することはないその姿は余りにも美しい。

「やっべー……うお、」

そのドラゴンたちが、代わる代わるワースとリトルデビルの頬に鼻先を擦り付ける。リトルデビルはきゃっきゃと笑いながら言葉を返していた。

「ありがとう、よろしくね……だって」
「……責任重大だなァおい」
「大丈夫だよ」

うふふ、と笑うリトルデビルはワースを見て、泉を見て、ワースが作り上げた土砂の山を見て、笑顔でワースの方を向く。ワースが使う泥魔法にしてはかなり力技であったが、リトルデビルのことだ、それは理解しているだろう。その上で頷く。

「だいじょうぶ」

その声には確信めいた何かがあった。ワースは乱雑に頭を掻く。ぱらぱらと付着した鱗が落ちた。水竜の子供に「信頼しろ」と言った。今後また土砂崩れが起きないように川を造営するのが難しいだけで、泥を動かす分には問題がない。なにより、自分の魔導書が出来ると確信している。ここで引くのはあまりに格好が付かない。

「……あー、まぁ、やるか」
「あとね、オーターにごめんなさいするのもね」
「う……」

1番頭が痛い話である。ワースは耳に取り付けた通信機の電源を入れて、アギトに報告をすべく息を吸う。瞬間、耳に飛び込んできた声は、ワースが想像したものではなかった。

──ワース!?無事ですか!?

びっくりして何を言うつもりだったのか、全てのものが頭から抜け落ちる。瞳を丸くしたワースにはにっこりとリトルデビルは笑ってみせた。

「来てるよ、オーター。もう麓にいる」

それは、もうちっと早く教えて欲しかったなぁ!
しかし、通常の乗り継ぎでは半日以上かかる筈の道のりを、どうやって。いやきっと正攻法ではない方法を使ったのだろうけれど。耳元で響く声に、ワースは若干気が遠くなった。胸に手を当てて、一回だけ、深呼吸をする。

「大丈夫、無事」
──……はぁ、よかった……
「ん、心配かけてごめん」
──今どこにいますか?動けますか
「動けるし、「王」の泉にいる。……あー、アギトさん、そこにいる?」

もしも何の情報もなしに泉に来た一団がいたら、恐らく今の状況は目を剥くことになるだろう。どうやら器用にもスピーカーフォンになった端末に、まずは地図を準備してもらえるよう頼む。

「俺は今から川にかかる土砂崩れを直しながら研究所方面に降ります。水竜と一緒に回るので、たぶんそっちが研究所に戻る頃には合流出来るかと」

移動は水竜の機動力に任せるにしても、最終的にはワースが手を加えた箇所は専門家に正しく直してもらわねばなるまい。これはあくまでも応急措置だ。

「地図上マッピングしながら水路を開通させていくので、後で治水の専門家になんとかしてもらって、」
──大丈夫ですか

響くようなオーターの声に、ワースは一瞬目を丸くする。その問い掛けの答えは、ほんの少し前、自分の魔導書が既に答えた。奇妙な重なりが面白くなって、ふっと笑みが溢れる。

「俺は大丈夫。それに、」

小さな水竜のぬらぬらとするたてがみを、揉み込むように撫でる。魔導書いわく「小さい子」が頑張るのであれば、ワースもそれに応えてやらねば。

「きゃーう?」
「水竜の手を借りる」

正確には「背」だろうけど。
ともかく追加の雨が降らないならば、地盤が緩んでいるところは、専門家でなくとも地元の人間はいくつか心当たりがあるようだった。泉から伸びる大きな支流の土砂を泥魔法で固めて取り除き、地図に落とし込んだ土砂崩れ危険地域の補強材として利用する。ついでにワースが制御できる範囲で地面から水を抜き、その抜いた分の水は川に戻す。言う分にはなかなか易いが木々を掻き分けて飛ぶ水竜の背に乗りながら何往復もするのはそれなりの重労働であった。しかし棲家の流れが回復したドラゴンたちが1匹、また1匹と川に戻るのは妙に達成感があった。……まぁ、専門家から見たら全然なっていない応急処置だとしても。泉に何匹か避難して来た水竜達を残したまま、ワースは研究所に戻ることになった。暫くは「王」がドラゴンたちを引き受けてくれるらしい。

「お前もお疲れ様」
「きゃーう!」

研究所の近くまで送り届けてくれた小さな水竜の頭を撫でてやる。本格的な復旧作業は明日からになるだろうが、原則として保護区域のドラゴンたちは野生の魔法動物だ。あまり人間が近しく振る舞っても双方に良くないだろう。リトルデビルを通じて「王」にそう取りなして貰えば、「王」は仰々しく頷いた。その上で小さな水竜を遣わしてくれたのだ。泉と川の応急処置をした礼として。そう言われると、ワースも断る理由はない。
しゅるりと泳ぐように空を駆ける水竜の姿を仰ぎ見る。こうして見ると、やはり神としてそれなりに信仰を集める理由が、分かる気がする。

「ワース」

くるりと振り向けば、砂の神杖オーター・マドルがいつも通りの風情でそこにいた。相変わらず少し肩を巻き込むようにした猫背に、神経質そうにメガネを直す仕草。一日二日で変わるものでもないだろうに、妙に懐かしく思えた。

「オーター」
「お疲れ様でした。貴方の手入れした川と土砂崩れ危険地域を元に、いま研究者達が会議を」
「来てくれて、ありがと」
「……、」

オーターの動きがぎこちなく止まった。ワースも少しぎくりとする。あれ、これじゃなかったか。素直になってみたつもりなのに。くっそ。

「い、いえ、あの、その……、……職務、ですから……」
「でも大変だったんじゃねぇの?……到着早過ぎじゃね?」
「…………なんとかしました」
「…………」

短い沈黙の中に、何か色々と含まれていそうである。大丈夫なんだろうか?……いや、五体満足でここに来ている以上、大丈夫なのだろうけれど。眼鏡を直すオーターの顔からは、何も窺えない。ワースの為に、半日掛かるような道のりを色々と何とかしてくれていたのならば、結構嬉しいのだけれど。さすがに「俺のために頑張って来てくれたの?」とか聞けるほど面の皮も厚くはない。誰に聞かせるでもなく、ワースは咳払いをひとつする。緊張に弾む胸を、上から押さえつけた。

「……あー、あと、ごめん。出張前に、勝手にキレて」
「……いえ、私にも至らないところがあったのでしょう」
「ねぇよ、そんなん」

ただちょっと、ワースが臆病であっただけだ。今に至っても、オーターを目の前にしてそれを認めるのは、やっぱり少し難しい。ぐしゃぐしゃとワースは自分の髪をかき混ぜた。

「俺、結構言葉で言うの、苦手だったみたいなんだけど」
「は……はい、」

緊張気味にオーターは頷く。なんか変な勘違いさせている気がする。気がするが、ええい、こんにゃろ。
ワースはオーターの胸ぐらを掴んだ。こんな日なのにきっちりネクタイを結んでいる。ワースは汗やら泥やら、ドラゴンたちの鱗にまみれているのに。
さすがに動き回って野営までした姿で近付くのは憚られ、しかし距離を取ってばかりでは何も伝わらないと覚悟を定める。身体が密着しすぎないように気を付けながらもその頬に唇を押し当てた。少し顔を離せば、びっくり、と分かりやすく書いてある。それを見ながら、わざと音を立てて唇にキスをした。そして、と、と身体を押すようにオーターの胸ぐらを解放すると、呆然としたような顔で唇を抑えたオーターは、ボッと音がするほど真っ赤になった。なんだ、照れるのかこの人も、ちゃんと。

「あー、その、怒っちゃったのは、なんか上手く伝えられなくて」

上手な言葉が出てこない。
なんだ、水竜の子供みたく上目遣いで窺えば可愛くしおらしく見えるか?……俺の方が身長高いのに?
結局羞恥心は捨てられず、さりとて言わねば伝わらない。たっぷり5秒、悩んだワースは唇を尖らせて、直球を投げてみることにした。

「……俺、もっとアンタと恋人っぽいことしたいんだけど」
「か、……考えて、おきます……」

そういえば水竜の背に乗っていた時までは一緒にいた筈のリトルデビルがいつの間にかホルダーに収まっている。こんにゃろう。正気に返ったら恥ずかしくなって来た。2人してもじもじと視線も合わせられない状況は、痺れを切らしたドラゴン研究者たちの手によって中断されることとなった。
小さな水竜は勿論のこと、ワースに挨拶をして来たドラゴン達はほぼ、この保護区域に棲む水竜の全個体だったらしい。頬に鼻先を寄せられているから当然、彼らの鱗がワースの服や髪に付着している。「ここ50年で最大の収穫かもしれない……!」と妙に鼻息の荒い研究者たちにピンセットでつつき回されたのは、この出向で最も苦痛な時間であった。

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カナリヤ 16
1 / 4

◆◇◆◇◆



オーターのデスクには、殆ど使用されない内線がある。
なんせ、緊急の連絡は魔法局支給の端末に来るし、個人的な伝言うさぎに連絡を寄越すような猛者は弟子かワースくらいだ。内線番号も、魔法魔力管理局の人間ですらほぼ知らない。恐らく……おそらく、把握しているのは人材管理局の炎の神杖カルド・ゲヘナくらいだろう。そもそもオーターが席にいると確信して掛けられる人物は、カルドしかいない。逆に言えば、そんないわく付きの内線電話が鳴ると言うことは、「そういうこと」なのだ。オーターは、実弟からの連絡にあれだけ逡巡しながら通話に出た人物とはとても思えないような素早さでその着信を取る。

「どこですか?」

最早「何の要件か」など一切聞く気のないオーターは迷いなく頭の中で数日の出張予定を算段する。しかし、電話口のカルドの答えに眉を顰めた。

「水竜保護区?」
──ええ。……今朝の話が現実になって申し訳ないですが

特に申し訳なさそうには聞こえないカルドの声には淡々とした響きがあった。オーターはますます眉間の皺を深くする。

「アギトが抑え込めない事態が起きたのですか?」

悪いがかなり、現実的とは思えない。
アギト・タイロンは魔法動物の取り扱いに関して右に出るものはいない。神覚者のご多分に洩れず歳若くはあるが、使い魔としている「カバたん」が非常に強力で希少なドラゴンでもある。それを使役する以上、凡百のドラゴンは大抵アギトの元にこうべを垂れる。危険動物……とりわけ、竜種における意思疎通と調教の腕は歴代の神覚者、或いは魔法動物の専門家を以てしても、肩を並べる者はない。歴代最高峰と言って良いだろう。あれで危険生物全般に好かれやすい性質も持っているので、水竜保護区域など、寧ろ彼の独壇場の筈である。実のところ、ワースが行かずとも、水竜との意思疎通は測れた筈だ。禁書管理局への支援要請があったのも、半分はソフィナが論文の材料にワースが実践できる案件を探していたことと、不確定な事象ゆえにアギトが自分以外でドラゴンの扱いを任せられる部下を探していたに過ぎない。どちらかといえば、魔法生物管理局内で片が付きそうな話に、ソフィナがワースを捩じ込んだ、と言う方が実情には近かった。アギトは他局から人材の受け入れが可能なほど、余裕があった筈なのだ。

「……もしかして、ワースの身に何かありましたか」
──いえ、そういう報告は受けていません。というか、ワースくん由来の支援要請ではありません

ソフィナの言った「禁書使いに対する配慮」かと身構えたが、ピシャリと応じたカルドの見解は、概ね標準的なものであった。
水竜保護区の保護個体たちに暴走の兆候が見られ、市民に危険が及ぶ恐れがある。水竜出没可能性がある広域な市街地を護れる魔法使いを寄越して欲しい、と。まさしく魔法魔力管理局の所管である。こうなればオーターに否やはない。今からならまだ夜行の列車がまだ残っている筈である。

──出発前に一度、ツララの所に寄ってもらえますか?
「……?」
──ツララから、まだ開発中の移動用魔法道具の貸出をする、と

ライオの時には開発中のゴーグル貸付けを渋った人間とは思えない発言である。彼女にしては破格の申し出だ。怪訝そうなオーターに、カルドは笑う。

──「オーターの恋バナが楽しかったから」とのことです。水竜保護区は遠いですし、借りておいた方が良いですよ
「……分かりました」

あまりにも準備が良すぎる。カルドが事前にどこまで調整してからオーターに話を持って来ているのか、やや空恐ろしいところがあったが、コレが出来るのが人材管理局だろう。オーターは何も考えずにカルドの計画に乗ってやるとする。

「ワースはどうしていますか?その情報は来てますか?」
──アギトからの通信には追加情報はないですね。「やや危険な仕事を任せたが、禁書管理局が出した人材ならやり切れる範囲」とのこと
「…………相変わらず、ですね」

アギトは神覚者の中でもかなり信心深い部類だ。自ら苦諦に身を投じて神への信仰の実践を行う辺り、筋金入りである。その為か非常に純粋で、誇張や見栄は彼に通じない。言われたらそのように受け止め、そのように扱う。それを分かっているソフィナが伝えたワースの人材評価が誤っているとは思わないが、ワースが処理できるギリギリを攻めている可能性はあった。

「支援要請を受け付けます。状況が安定するまで、私は水竜保護区へ出張しますから、そのつもりで」

カルドに答えたその言葉は、そのままフロアにいる魔法魔力管理局員への申し送りだ。内線を切ったオーターはその足で魔法研究局へと足を運んだ。魔法研究局で待ち構えていたツララはカラカラと笑って「たとえ破損してもその残骸を持ち帰ること」を条件に、移動用の試作品魔法道具を手渡してくれた。



***



魔法局がある地点から半日以上を要する移動の幾つかをツララ貸出しの魔法道具でショートカットしたオーターは、それでも太陽が顔を出し人々が動き出した頃合いで、水竜保護区の麓の街に到着した。さすがに車内では仮眠を取ったが、だいぶ強行軍でまだ筋肉に強張りを感じる。カルドが寄越したアギトの支援要請に寄れば、保護区近くの村民たちを丸ごと避難させた市民会館がそのまま対策本部になっており、アギトも研究所職員たちもそこにいる。

「状況は」

想定よりもずっと早いオーターの到着に、しばし驚愕の表情でいたアギトは、しかし部下に記録を持って来させる。ワースからの定期連絡である。

「…………」

時間と地図上の地点、そして出会ったドラゴンの種類、逃げた先を克明に記すその記録上、いくらかの寄り道をしながら水竜の「王」がいる泉を目指したワースが未だその近くに到達できていないことを如実に示していた。オーターが最終の夜行便に乗ったくらいの時刻に、野営をするとの連絡が来ている。
あの子が、野営。……いや、泥魔法使いかつ禁書「リトルデビル」の支援があるのだから、然程の危険はないだろうが、心配は心配である。

「なんにせよ、オーター、貴方が素早く来てくれて助かりました。これでワースくんと合流できます」
「貴方が行くのですか?」

アギトは一瞬だけ虚をつかれた表情をして、しかし大きく頷いた。その表情を見て、オーターは自分が愚問をしたことに気が付いた。

「この中で、最もドラゴンの取り扱いに慣れていますから」
「…………」

そう言って、アギトは使い魔のカバたんの頭を撫でる。彼の考えは尤もだ。市街地という広範囲を守るためにオーターは呼ばれた。たしかに、砂魔法を行使するオーターは、それなりに意味のある結界を市街地と保護区の間に敷いて、単身でやってきたドラゴンを捕獲する程度のことは出来るだろう。その自信はある。禁書管理局長のソフィナは自分の統制下にいる禁書使いの処遇を気にするが、アギトにとっては最優先すべきは魔法生物の状況であって、魔法生物のケアに動いている局員の状況ではない。ワースの元に駆け付けたいと思うのはオーターの私情であって、この状況に相応しい振る舞いではないだろう。

「ワースくんには少々無理をさせましたが……彼は、危険生物取扱甲種の有資格者でしょう。水竜の扱いを任せられます」

オーターは一瞬頭を抱えたくなった。
そう言えばそうだった。ワースはイーストン魔法学校では複数の研究室に顔を出していた影響か、幾らかの難資格を取っている。普通に、学生の時分にドラゴンを含む危険幻想生物を飼育できるような資格を取得しているのはどうかと思う。これはあくまで教員側が持つべき資格で、学生が中等部の時分から持っているのは早熟過ぎないか。お陰でワースはそれなりの年次の職員よりもドラゴン育成経験がある新卒になってしまっている。……いや、いまオーターがジタバタ暴れたところでワースが取得した資格は泡のように消えたりはしないのだけど、気持ち的に。というか、今、年若い同僚の判断力に疑義を唱えた先輩のようになっている。そう言うつもりでは全くないのに。オーターは密かに、自分の至らなさにショックを受けた。

「……すみません、弟が心配で、出過ぎたことを言いました」
「ワース・ウォーカーくんはオーターさんの弟でしたか」
「…………、……彼は他家へ養子に行ってまして」

純粋に驚いた風情のアギトを見ながら、腹の奥がチクチクとする。いや、彼には全く悪意はないのだ。この状況、苗字が違うことに純粋な疑問を抱いているだけで、なんとも言い難いオーターの感情を逆撫でしている訳ではない。一応それなりに同僚と過ごしてきてオーターは理解出来ているが、アギトはこの感じで大丈夫なのか。「なるほど通りで苗字が違う、」と頷いている天然な後輩を前に妙な危機感を抱きながら、オーターもまた頷く。

「市街地の守りは任されました。……襲ってくる可能性があるのは水竜だけですか」

アギトや周囲の研究者に聞き取った限り、怒り狂っているらしい泉の「王」たる水竜が命令できる範囲のドラゴンはざっくりと「水竜保護区域のもの」であるらしい。それは水竜どころか地竜、風竜、その他の亜種が含まれる。まぁ、「王」と呼ばれるほどのドラゴンであればさもありなん、というところではある。一般にドラゴンは千年の時を生きると言われてはいるが、野生では火炎系の魔力を持つ魔法生物はそもそも水竜とは相性が悪く、近くにはいないから、火属性以外は全て、と言うことになる。この保護区における「泉」がそれだけ力のある水源であることの裏返しだろう。
ワースが野営した地点と、そこからドラゴンたちに奇襲されにくい地形を研究者たちが割り出す。一応彼らにもワースを「借りている人材」と思う程度の人の心がある事にオーターは少々安堵した。市街地の状況を確認し、速やかに砂魔法で街を保護する。実際の巡回をどうするか、街にいる魔法警備隊とドラゴン研究者たちと打ち合わせの為にオーターが席を外している間、ワースからの定期連絡が来たそうだ。まさしくアギトが街を出発しその連絡をワースにしようとしていたタイミングであったこと、「事態を引き起こしている水竜を捕らえた。」との内容に、魔法生物管理局の面々が混乱の渦に叩き込まれたのは太陽も揚々として登り始めた時分であった。

1 / 4
2 / 4

◆◇◆◇◆



ふらふら
ふよふよ
空をいく

濡れていない身体は重くて
空は水の中ほど自由じゃない

大丈夫だろうか
本当に?
ともかくそれでも泉に戻らなくては
私は再び身をくねらせる
2 / 4
3 / 4

***



ぽつ、と木立が揺れて水滴が落ちる。
髪に当たったそのささやかな衝撃に、ワースは眉を顰めた。

(これじゃ、雨の降り始めかどうか分かったもんじゃねぇな)

研究所から貸し出された雨除けの魔法道具は、所謂雨ガッパだ。ただし、ドラゴンに襲われないようにと迷彩機能も持たせた特注品である。今回のことが起こってから開発したらしく、使えるのは現状、この1枚しかない。難点はポンチョの形をしているから、ひとたび身に付けると魔導書の出し入れに少々難儀する、というくらいか。まぁ、贅沢は言っていられない。
瞬間、リトルデビルから「来るよ、」と感覚が共有される。ワースはそのイメージに従って、横に飛んだ。一瞬前までワースがいた場所を、掠めるように水が貫く。

(あっぶね)

ひょっとすると彼らは威嚇射撃のつもりかもしれないが、生身の人間がドラゴンの攻撃をまともに受けたら無事では済まない。まったく。ぐるぐると唸る水竜の姿を認めて、ワースはため息をついた。
水竜は蛇に似ている。主に川や泉を縄張りにしており、水の中同様に身をくねらせて空を飛ぶこともある。清きも濁りも関係なく、基本的に「水が流れる」場所を好むから、泉であれば水源が湧くところに、川であればどんな急流でも生活用水でも、とにかく何処にでも棲む。この保護区は水源の泉から多数の支流に分かれた川があり、それをすっぽり覆う形で森が茂っている。川の最も下流が人間の住む集落だ。泉にいる水竜の「王」は、水源を縄張りとして治められる竜だからこそ「王」と見做されているのだろう。

(リトルデビル、コイツと話せるか)

見た感じ、どう見てもまなじりを吊り上げて怒りを示している。かちかちと爪を鳴らしている辺りは威嚇だろう。話になるかならないかで言うなら、多分ならない。が、折角出会った水竜に事情聴取を試みない理由もない。
身体に回した魔導書用のホルダーがふと軽くなって、ワースの足元からにょきっとリトルデビルが顔を出す。雨ガッパの魔法道具をえいやと押し退けて出てきた子供に、水竜は明らかにギョッとした。警戒するようにぎゃうぎゃう鳴く水竜に、リトルデビルは珍しく身振り手振りを交えながら熱心に声をかける。しかし……

「……ごめん、ワース、ダメっぽいかも」

くるりと困り顔でこちらを振り向く。瞬間飛んできた水球に、ワースは泥の盾を作った。まぁ、だろうな。頑張っただろうリトルデビルの頭を撫でてやり、ひょいと持ち上げて囮用に泥人形を複数作る。
局地的とは言え、雨が降り続けているせいか、足元は非常に緩く、お陰様でワースの泥魔法は物凄く使いやすい。壁を作りつつ囮の泥人形を作れば、水竜から逃げるのはそう難しくはない。

(……けど、それなりに起伏のある地形で、こんな足元ぐずぐずで大丈夫なのか?)

ワースの調子は、良くも悪くも「普通」だ。というのにワースに従う泥が大量にある時点で、それはもうどこかしこで土砂崩れが起きてもおかしくはない。しっかりと麓の集落を見た訳ではないが、さすがにこれだけの長雨では対応しきれていないのではないか。どこもかしこも緩んでいる。

(村民が何かして、それに対する報復を水竜がしている、と考えることはできなくはないが……)

それなら集落の真上で雨を降らし続けた方が、合理的ではないだろうか。報復としても見せしめとしても分かりやすい。
ううーん、とワースは唸る。先ほどの水竜から充分離れたことを確認して、抱き上げていたリトルデビルを地面に下ろし、ワース自身もしゃがみ込み、視線を合わせる。

「ちっとは聞けたか」
「ううーん……」

水竜と言葉を交わしたリトルデビルも困惑気味に首を傾げた。要領を得なかった、ということだろう。言葉を探すように唇に触れて、やはり唸る。

「土を落として、流れを堰き止めただろう、だって」
「流れを堰き止めた?」
「だから息が出来なくて苦しい……って言ってた」
「…………」

流れが堰き止められて、苦しい。
言いたいことは分かるが……

「それって、土砂崩れのせいじゃねぇの?」

もう少し突っ込んで言えば、長雨による地盤の緩みが原因だ。悪いが、人間にはここまでのことはできない。つまりそれで言えば、原因は「王」に代わって雨を降らし続けている小さな水竜にある。リトルデビルもそこが引っ掛かっているのだろう。うーんと腕組みをして悩んでいる。

「また次に水竜出てきたら聞いてみるか」
「ん!」

元気に答えたリトルデビルは、ワースの雨ガッパの魔法道具をひょいと持ち上げ、中に入るとまた魔導書の形になってホルダーに収まった。その雨ガッパの避け方が、なんだか居酒屋の暖簾になったみてぇ、とワースは場違いなことを連想して笑った。



***



その後も攻撃を仕掛けてくる水竜にちょこちょこ話を聞いたが、全体的には「水源を埋めた」「苦しい」とのことで、雨を降らし続ける水竜についてはどの水竜も何も言っては来ない。あのドラゴンに反感を持っている素振りもない。どう言うことだ。

(もしかして……雨を降らせて滞った流れを取り戻している……つもり、なのか?)

それは普通に「氾濫」という現象で、治水もクソもない。土壌も流出してしまう。悪影響を挙げればキリはない。……が、流れが滞ることを極端に嫌う水竜と思えば、その行動に出る自体は、あり得ない話ではない。
そう考えれば、自ずと各地でゲリラ豪雨を呼んでいる水竜の正体にも見当はつく。泉にいるはずの「王」が黙認するような水竜なのだから。

「取り敢えず、定期連絡入れるか」
「ん!……暫くこの近くにはドラゴン達はいないよ」

泥魔法で簡易的な洞窟を作り、身を隠す。雨ガッパの魔法道具と同じように認識阻害魔法を掛けた泥魔法であるから、しばらくはこれで保つだろう。ワースは耳に取り付けたインカムでアギトを呼び出す。まだ泉には到達していないが、出会った水竜たちから得た情報を伝えた。アギトの方はカバたんの力もあり研究者と集落の村民たちはほぼ市街地の方へ避難が完了したらしい。基本的に水竜は汽車の始発駅に当たる市街地まで、滅多なことがない限りやって来ることはないそうだが、今回は事態が事態であるので、カバたんと水竜が来ないように見張りつつ、魔法局からの応援を待つそうだ。確かに、現状想像しにくいものの、保護区のドラゴン達が市街地目掛けて来たら、いくら竜の神杖とはいえ厳しいだろう。

「人間はもうこっちに残ってないから、多少なら派手にやっちまって良いって」
「んー!」
「ま、民家と研究施設は壊さねぇようにな」

さすがにリトルデビルがわざと物を壊すような真似を働くとは思わないが、自分たちよりも数段身体が大きな魔法生物となると、なかなか取り扱いが難しい。
ウォータードラゴン……縮めて「水竜」と呼ばれる種のドラゴンは、千年程度の寿命があると一般に言われている。とはいえ人間側の記録で水竜が生まれてから死ぬまでを記したものはないし、この「千年」も数百年単位の幅がある。とはいえ、人間よりもずっと長命な種族であることに変わりはない。規模や雨量はともかく、雨乞いと呼ばれる天候を操る力を行使する水竜は、恐らくもう少し長く生きる。この種は昔から「水神」などとして人々の信仰を集めて来た。その膨大な信仰の記録の中には、「水神の代替わり」と称される記載も存在する。この水竜保護区の「王」を務めているドラゴンは、たしか500年ほど前に代替わりしているはずだ。つまり「王」としてはまだまだ健在、特に代替わりをするような年齢ではない。……が、しかし。

「次代の水竜くらいは生まれてンじゃねぇかと思うんだよな」

水竜の多くは生涯で2、3個の卵を産み、ゆっくりと育てる。300年くらいで独り立ちするはずだから、それを思えば「王」の推定年齢からして第一子目のドラゴンを育てていても不思議はない。

「もしも泉にたどり着いたとして、そこに居るはずの「王」と雨を降らせている水竜の血の繋がりって分かったりするか」

リトルデビルはうーんと顎に手をやる。

「ドラゴン達に、触れるなら行けるかも……」
「OK。お前を危険に晒す気はねぇから、今の話はなしな」

無理ではあろうと思ってはいたが、ワースも自分の推論の補強の為なんかに魔導書を矢面に立たせる気はない。取り敢えず現在地の地図を泥魔法で書きつつ、どこのルートから泉へ向かうのが1番安全か思案する。

「とはいえ、だな」

アギトと別れて数時間、陽もとっくの昔に暮れている。リトルデビルの「視界」を以てすれば、夜陰に紛れて泉に近付くことは不可能ではない。ただその場合、ドラゴンたちがどう出るか分からないのが若干怖い。ドラゴンには夜行性のものも昼行性のものもいるが、少なくともこの水竜保護区に棲むドラゴンの多くは昼行性である。故に観光地的にドラゴンが飛ぶ姿を観れるのだが、「闇に紛れて生息地に近づく」そのものを敵対行動と見做される可能性はある。

「……し、リトルデビル。この辺のどこかで野営する」
「はーい」
「水からやや離れていて水竜が近付きそうにない、かつ泉からもそう離れない場所。……ありそうか?」
「んー……」

ぼんやりと虚空を眺めるリトルデビルの眼球は忙しなく動く。ワースは一応地図を取り出した。どこで野営したのか、その情報は残しておかねばなるまい。

「ん!行けそう」
「地図的には?」
「ここー!」

リトルデビルが指差した地点を、ワースは慎重に検討する。いずれにせよワースの泥魔法で洞窟もどきを作るから、襲撃されるほど水竜の動線と重なっていなければ問題ない。等高線から見てやや高台のそこは、ワースが出した条件からみて絶妙な位置にあった。崖沿いに川が流れるが、地形的にも崖を盾に逃げられる。うん、とワースは頷く。

「じゃ、今日はここで野営だな」
「お泊まりー!」
「そ。夜空を見上げながらな」

まるでボーイスカウトの野外活動のようだ。ふっとワースは笑う。ここにオーターが居たらなあ。ロマンチックな星空をどこ吹く風と、「手元が見えにくいですね」くらい言い放ちそうだ。風情がない。……が、その風情のない男が好きなのだ。仕方がない。

「あー、くそ……」

ワースはぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。雨ガッパの魔法道具のお陰で濡れては居ないが幾多のドラゴンと出会し、リトルデビルと会話させる時間を稼ぎ、毎回会話が決裂して逃げてきた。だいぶ汗ばんでいる。いや半日以上掛かる片道からあの濃ゆい神覚者と相対して研究者たちの魔法道具レクチャーを受けて、最終的にいま、野営しようとしている。……これは随分、頑張っているのではないか?

「……オーター、起きちゃいねぇだろうなぁ……」

アギトと会ったら連絡を取ろうと思った。思ってはいた。結局それは、度重なる「不測の事態」とやらで押せ押せになって今そろそろ日付が変わろうとしている。いくらワーカーホリックのオーターでも、この時間から連絡を取るのは、さすがにワースの常識が許さない。

「…………」

シンプルに、声が聞きたいな、と思った。
オーターはかなり寡黙な方だ。それでも、息遣いや静かな呼吸音はかなり雄弁だ。ふっと吐き出される息にはいつも、慈愛が含まれている。それは単にいま、オーターが自分を特別扱いしているから、なのかも知れないけれど。

「ワースはもう少し、オーターのことを信じてみても良いとおもうの」

ぽつりと呟いた禁書は、にっこりとワースを見上げる。自分よりひと回りふた回り小さなその肩は、ワースよりもずっと大きく見える。

「…………」

静かにワースは自分の頭を掻いた。これじゃどっちが「子供」か分からない。
だがワースは、生きてきた年月を軽々しく扱えるほど無謀でもない。相応の敬意を払える程度の余裕は常に持っているつもりだ。

「なぁ、リトルデビル。俺はあのひとになんて言ったらいい」

怒鳴ってしまってからずっとワースの中に温めていた問いだ。人生経験が多いとも少ないとも言い難いワースには未だ、上手い回答はない。恋人と喧嘩して仲直りした経験がないとは言わない。けれどあのひとは、ありとあらゆる意味で特別だ。学生のお遊び程度の間柄とは違う。その視点からしても、オーターにとってはさぞや面倒臭いだろう。上手い言葉を選べずに癇癪を起こす恋人なんて。
大木の根をぴょんと飛び避けた魔導書は、うふふ、と楽しげに笑う。

「そのまま、言えばいいのよ」
「そのまま?」
「そう。……カナリヤがちょっとくらい可愛くて子供っぽくても、オーターは嬉しいとおもう」
「…………だと良いけど」

呆れ返って、ワースなんかもう価値がないと思われたらどうする。不貞腐れたような心の中の独白を、リトルデビルはきゃらきゃらと笑い飛ばした。

「可愛いカナリヤ。貴方は、自信がない事だけが欠点だ」

妙に大人びたリトルデビルのその声は、染み入るようにワースの心に入り込む。まぁ未だに、ワースのような環境で生きてきて、自分に自信を持っていられる奴は馬鹿か身の程知らずだとは思うけれど。
そうこうする間に野営地点に辿り着き、ワースは背負った装備を下ろした。湯を沸かし簡易食を取り、身体についた埃を払う。支給されたテントの寝袋の中にリトルデビルと共に入れば、すぐさまテントごと泥魔法が覆う。
正直言って、ワースにはドラゴン研究者たちが準備してくれた野営用のテントはあまり必要でもなかった。どう言う状況であれリトルデビルを抱いて寝れば、彼が勝手に認識阻害兼盾としての泥魔法を展開する。なんせ、魔導書には眠る必要がない。術者たるワースが触れてさえいれば、魔力を循環させながら魔法行使出来る。ワースにとっていつどこでドラゴンからの奇襲を受けるかも知れない野営は、自宅のベッドで眠るのと大差はなかった。なんせ、あっちでも砂の警備魔法が常時働いているのだから。

「おやすみ、リトルデビル」

人間の形をした自分の魔導書の頭を撫でながら、ワースはうつらうつらと夢の世界へと誘われていった。



***



今朝も変わらず曇天である。
ワースは朝の定期連絡を終え、周囲を見渡す。

(いやマジで、俺はリトルデビルがいるから迷わないけど)

既に雨による土砂崩れがいくつか起きた様子で、地図上にない通行不能が多数ある。いや、魔法使いなら大抵がその不能をなんとかする術を持つが、事前情報なしに泉に辿り着くのは不可能に近くないか?
ワースと禁書がいなかった場合、どうしていたのだろうか。考えると若干恐ろしいが、とはいえそれは竜の神杖の差配を疑うことを意味する。ワースがどうこういうのは、さすがに越権行為だ。どうせ所属局は違うのでワースは知らないことにしておく。
その時ふと、リトルデビルが空を仰いだ。

「この上、もう少ししたら通るかも」
「水竜?」
「うん。……ずっと雨を降らせている子だ」
「…………!」

なるほど、泉の「王」に会う前にこっちが近いか。ワースは野営用の装備を下ろし、中から長いロープだけ引っ張り出す。これは万一崖から落ちた場合の命綱にするためのロープだが、とにかく頑丈で、多少の魔法攻撃、例えばドラゴンのブレスくらいでは、切れない。

「奇襲を仕掛けるぞ、リトルデビル」
「ん!」

元気の良い自身の魔導書に、ワースはひとつ、頷いた。



***



まぁ奇襲を仕掛けると言っても、ワースは当然、空を飛べないから、取れる手自体は限られている。ただはっきり言って、今この足元の地面の状況は、それこそ実力以上の泥魔法を使える最高の環境であった。仕掛け自体は簡単だ。近くにあるそれなりの高さの樹木にワースの泥を纏わせ、更に木を擬態した泥を付けて身を隠す。勿論リトルデビルは手元に魔導書の形をさせている。遠目には、ちょっと黒っぽい気にしか見えない。よろよろと水竜が近付いてきたタイミングで足場の泥自体を伸ばし、魔導書の音魔法の援助を受けながら跳ぶ。地面に堕ちる可能性はこの際考えない。考えていたら跳べないからだ。

「……りゃっ、」

想定よりも水竜が低い位置を飛んでいたことを除けば、だいたい目論見通りである。距離があったため音魔法で加速を加え、お陰で若干体勢が崩れる。ワースはほぼ水竜の首の根っこを踏み付けるようにして着地した。乗られた側の水竜は一瞬事態を飲み込めていないような悲鳴をあげたものの、すぐに自分の上に跨る不届者に気が付いてギャアギャアと鳴き始める。うるせぇ。串焼きにすんぞ。

「ん、の、やろ……!」

口輪をさせるように縄を投げつける。向こうもそうされたら主導権がワースに移ると理解しているのだろう、ブンブンと首を振って抵抗してくる。ワースの側にぽっかりと浮いた魔導書が問うてくる。どうする?やっちゃう?……いやお前の力で「やっちゃった」ら、そのまま殺っちゃったことになるから。勘弁してくれ。
ドラゴンの扱いはイーストン魔法学校の頃に散々やった。もちろん学校の裏でほぼ放し飼いにされていたようなドラゴンだから、いま目の前にいる水竜よりずっと大人しい。けれどドラゴンはドラゴンだ。

「ナメんじゃねぇぞ……!」

それが果たして何に対する「ナメ」なのかは言っているワースもよく分からない。けれど何か、譲れない戦いがそこにあった。
結局魔導書に見守られたまま20分、きっちり水竜の口を縄で制御したワースは地面に不時着した。未だに水竜は不服そうな瞳をしているが、完全に自分の方が有利な空の上から拘束されて地上まで降りさせられたのだ。一応は大人しくしている。

「んで?こりゃ、一体どういうことだよ?」

誰にともなく呟いた言葉は、しゅるんとワースの手の中から飛び出した魔導書によって応えられる。魔導書から人間の姿に変わった時はギョッとしていたものの、リトルデビルの旋律にきゃうきゃうと何事か返していた。……まぁ、その間逃げられても仕方がないのでワースは縄を握りっぱなしではあったが。ひと通り話し終えたのか、ううーん、とリトルデビルは腕組みをして首を傾げた。

「……これは、ちょっと参ったかも」

唇を曲げた魔導書は、眉を顰める。

「水竜の王様……この子のお母さんがいる泉ね、土砂崩れに巻き込まれて、埋まっちゃってるみたい」
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***



「はぁ?」と言いたいところをワースはぐっと堪えた。ううーん、と腕組みをしたリトルデビルが弱り切った顔をしていたからだ。通訳をしてくれているとはいえ、今のこの状況、魔導書が悪い訳では勿論ない。
水竜が言うには、水竜の「王」つまり彼にとっての母の言いつけ通り雨乞いを代行している間に、各地の川が詰まるようになった、と言うことらしい。水の流れば滞れば水竜たちの魔力の循環が悪くなる。故に、各所を回って雨を降らせたが、それでも全く効果がいばかりか、次第に無事だった川でも流れの詰まりが発生するようになり、水が各所から漏れるようになったそうだ。根本的な解決を図るべく泉周辺で雨を降らせてみたところ……

「泉に土が流れ込んだ、ってことか」

縄を解かれた水竜がこっくりと頷く。
先程まで暴れていた勢いはもうない。……というか、大きさからしても水竜としては恐らく成人を迎えたか迎えてないかくらいの300歳前後であろう。小さい。いや、幼い。この身体で森の地盤をぐずぐずにするくらい雨乞いが出来るのは、普通に凄いが、もう魔力切れ寸前だろう。

「うーーーーーん……」

ワースは腕組みをした。リトルデビルが困った理由がよく分かる。この疲弊した小さな水竜に色々と突き付けるのは、正直気は進まない。進まないが、状況として言わねばならないだろう。こちらを見ている魔導書の頭をひと撫して、ワースはひとつ、ため息をついた。

「まずは、誤解を解こう。……川を滞らせたのも泉を埋めたのも俺ら人間じゃねぇ。雨のせいだ」

リトルデビルの翻訳が戻る。そんな筈はないと。今までそんなこと起きたことはなかった、と。まぁ、それはそう、なのかも知れない。汽車から研究所まで案内した地元の人間も言っていた。最近は陸路でなく空路を使う。だから土砂崩れが起きても復興が遅れている。恐らくこれまでは、多少の長雨でもガラスの材料を得るためにも村民が掘って開通させていたのだろう。これも今や子供の小遣い稼ぎだ。はっきり言って主要産業ではないのだろう。つまり今回、村民たちは雨でぐずぐずとなった土壌のメンテナンスを行っていない可能性が高い。しかしこれを、「ドラゴンへの敵対行為」とみなすのは流石に難しいだろう。

「降らせすぎなんだよ。こんな降っちまったら地面は水を保ち続けられない。」

地面に触れると、ぐちゃりと緩んだ土が崩れた。それを瞬きして水竜は見つめる。そしてゆっくりと首を左右に振った。そんな筈はない。では、自分がしていたことは。

「テメェの落ち度を他人に押し付けてんじゃねェぞ」

びく、と小さな水竜は怯んだ。その姿を見ながら、ワースは内心で笑う。刺さるわぁ、と。

(……俺も他人のこと言えたもんじゃねェな)

ちょっと思い通りにならないくらいで癇癪起こしてオーターを怒鳴った。今は認めよう。アレはワースが100悪かった。……いや、オーターにもしも落ち度があるとしても、それはワースが自分で伝えるべきであった。怒るだけ怒って出張で消えるだなんて、ガキも良いところだ。ワースも、そりゃあまだまだ就職したばかりでぺーぺーの1年目だが、もう18だ。恋人がいなかった訳でもないのにこれは情けない。
対する目の前の水竜は初仕事を任されたくらいの歳なのだろう。事態の規模を思えば微笑ましいミスとは言えないものの、これなら全然取り返しが付く。……いや、付かせてやる。しょげ返る水竜の頭にぽんと手を置く。そしてちょっぴりひんやりしてぬらぬらとしたその頭を撫で回してやった。人間になど触られた経験はないだろう、水竜は瞳を白黒とさせた。そしておずおずと、上目遣いでこちらを窺う。その瞳が子犬のようで案外可愛い。ワースはふっと笑う。こんな感じで可愛らしく謝罪すればオーターは許してくれるだろうか。いや許してもらえなかったら、何度でも謝れば良いだけだ。取り返しは付く。付けてみせる。

「んで、ここからはお願いだ。土砂に埋まったっつー泉、俺がなんとかしてやる。……俺を信頼してくれないか?」

リトルデビルの翻訳を通じてワースの言葉を聞いた水竜は、逡巡した末、ゆっくりと頷いた。



***



「アギトさん?そっちにいる研究者に土木の専門家っています?」
──さすがにいませんね
「では、応援ってことで、魔法局から呼んでもらえませんか」

これだけ水を含んだ土壌だ、ワースの泥魔法で地形を変える自信はあった。しかし、水竜たちが望んだ通り土砂を除けたとして、それが今後土砂崩れが起きないように整えられるかは自信がない。ワースはそれなりに「使える」泥魔法使いと自負しているが、それでも今のドロドロでべちゃべちゃの土壌でなければそう上手く動かせるとは思えない。半端な仕事をして、後からやり直す方が手間も労力も掛かる。特に「王」が棲家とする泉など、復元に関わりたいドラゴン研究者はいくらでもいるだろう。

──手配します……が、今は応急処置的な形で構いません。
「あざっす!」

インカムとワースのやり取りを不安げに眺めていた水竜にサムズアップして見せる。分からないだろうとすぐさま魔導書が翻訳をしてくれている。眉を下げていた水竜は、荷が降りたように、ほ、と息を吐き出した。そりゃあ親の力の源の泉が土砂の被害を受けているなど、怖かっただろう。ワースは再び頭を撫でながら立ち上がる。そうと決まれば一刻も早く直してやらねば。
ちなみに、水竜がこのような事態を引き起こしたあらましを説明している間、たぶん竜の神杖アギト・タイロンは泣いていた。声的に。説明しながらワースもちょっとギョッとしたくらいだ。あんな感じなのに意外とやさしい。さすがは魔法生物管理局局長。

──あ、……でも、恐らく支援要請の第一団がやってくる方が速いですね
「第一団?」
──ドラゴン達が暴走する恐れがあったので、市民を守る為の増援を。魔法魔力管理局の局長が来るようです
「……っ!?」

はぁっ?と言いたいところをワースは寸前で堪えた。知の神杖ソフィナ・ブリビアが近しく寛容であるから赦されているのであって、一介の魔法局員が間違っても局長相手にこんな無礼な聞き返しなどしてはならない。ワースは「了解しました……」と静かに通信を切った。

「マジか……」

昨日の今日で、しかもよりにもよってオーターに支援要請が行くか?……いや、「市民の保護」名目であれば魔法魔力管理局のオーターが出てくることもあるかもしれない。状況が混乱していたせいで、オーターに連絡しようかどうしようかと悩んでいたことそのものも忘れていた。やばい、一切連絡も送ってない。

「きゃーう?」
「……悪い、こっちの話だ。急ごう」

水竜が不安げにワースを見上げる。まず解決すべきはこちらだろう。ワースのどうしようもない感情ではなく。頭を掻きむしりたい気持ちに駆られているが、ワースはポンポンと水竜の背中を叩いてやる。どう考えても今1番不安を抱いているのはこの竜だ。口にしたからには、助けてやらねばなるまい。
水竜の案内で道なき道を行く。どうやらこれが最短距離らしい。事前に水竜が大声を出して周囲のドラゴン達に詫びと問題解決の術があると言ってくれたお陰で、他のドラゴンに出くわすこともなかった。水竜の背に乗せてもらってしばらく、たどり着いたのは、ぽっかりとそこだけ浮かぶように開けた場所にある水源であった。半分ほど土砂に埋もれているが、どうやら水草が多数生えていたらしい。

(なるほど)

この地域の土はガラスの材料となるケイ素が多い。つまり、昔から水草が多くある土地なのだろう。上から土砂崩れが起きれば水草は埋もれて死滅する。そりゃあ、息がしづらかっただろう。泉の淵にぐったりとしている水竜がいる。慌てて駆け寄る水竜ともども、治癒の魔法陣で囲んでやった。出した魔法陣は3つ。体力回復と、状態異常回復と、魔力回復。ワースにはさほど治癒魔法の適性はないし、水源から力を得ているドラゴンならはっきり言って荷が重すぎるが、何もしないよりマシだろう。すりすりと小さい水竜に頬を擦り付けられている「王」が、ゆっくりと瞳を開く。ワースは片手を杖ごと泉に浸し、片手を魔導書に翳す。

「▓▇▇█████」

頭の中に、リトルデビルの視界を通した世界が流れ込む。ワース視点では知る由もない水の下が、文字通り手に取るように分かる。しかし1人で使う感覚共有魔法は相変わらず強烈だ。くらりと揺れる視界の中で、まったく、とワースは自身を笑う。さっさとけりを付けねばこちらが保たない。

「マッドロス……!」

ワースの呪文に応じて、泉の底がゆらりと揺れる。起こっている事態に気がついたらしい水竜の親子がのっそりと窺っている。ワースの下手くそな中級治癒魔法陣ごときじゃそんなにすぐ動けるほど回復もしないだろう。視界の端の彼等にいいから寝とけよ、と言えるほどの余裕はワースにはない。
今から泥を動かしたとて、既に死滅している水草は多数ある。これをどうにかすることは……以前のように水竜が呼吸しやすい泉に戻すことは、現時点のワースには難しいかもしれない。ただ、それでも。

「こんっくらいのミスなんかなァ……!」

これから一方的に怒鳴ってしまった恋人に会うよりも、ずっと巻き返すのは簡単なのである。たぶん。きっと。……少なくとも、ワースはそう信じる。
ワースは泉に浸した手に魔力を込める。呼応する魔導書が、ドンドン魔力を供給する。ずごごごご、と泉は音を立てながら、溜まった土砂を傍に積み上げていった。

「ど、りゃぁあああ!」

こんもりと盛り上がった泥の小山を見て、ワースはフンと鼻を鳴らす。そしてこちらを見ている水竜の親子を見て、笑う。

「ほら、もう大丈夫だろ?」

というか、大丈夫じゃなければ何度だってやり直してやる。その決意で見つめると、呆気に取られたように小さい方の水竜がぱちぱちと瞬きを繰り返した。



***



「きゃーうきゃーう」
「うん、分かった、分かったって」

泉からある程度土砂を撤去した後、地底に溜まってしまったヘドロを取ってやると、ポストカードで見たことがあるような姿にまで泉は回復した。親である「王」の方はワースの頬に鼻先を擦り付けるように挨拶をしてくれたが、子供の水竜の方はワースの身体に巻き付いて離れない。余程嬉しかったのだろう。チラリと魔導書の方を窺うが、リトルデビルもニコニコとしたままである。少し前は魔法動物や魔法道具にワースがかまけていると嫌そうな顔をしていたのに、大した変化だ。

「僕の方がおにーちゃんだから、今はちっちゃい子に譲ってあげる」
「きゅーう!」
「頑張ったねぇ、▅▅▓▅」

言いながらたてがみを梳いてやるほどの余裕がある。なるほど、おにーちゃんと来たか。リトルデビルが呼んだその音は水竜の名前だろうか。ワースの耳にもなんとなく聞こえたが、あくまでも彼等は野生の魔法動物であるし、ワースがみだりに呼ぶべきでもないだろう。とりあえず「王」に、大きな川はいま、ワースの力が及ぶ限り、残りの川は魔法局から治水の専門家が来たらその指導のもと直すから、他のドラゴン達に数日待ってくれと伝達をお願いする。「王」がしゅるしゅると天に昇って何事かの鳴き声をあげて戻ってくると、数分も経たないうちに水竜達が泉に集まって来た。

「お、おお……?」
「なんかね、氾濫しちゃった川のドラゴンたち、一回泉に避難させるんだって」
「な、なるほど……?」

水竜は蛇に似た姿をしている。知識としてはある程度知ってはいたが、泉で所狭しと身をくねらせるドラゴンたちは、鱗もたてがみもそれぞれである。川か泉かで色の違いがあるのだろうか。白銀の鱗の中に鮮やかな鉱石のような赤や緑の鱗も混じる。なかなか一堂に会することはないその姿は余りにも美しい。

「やっべー……うお、」

そのドラゴンたちが、代わる代わるワースとリトルデビルの頬に鼻先を擦り付ける。リトルデビルはきゃっきゃと笑いながら言葉を返していた。

「ありがとう、よろしくね……だって」
「……責任重大だなァおい」
「大丈夫だよ」

うふふ、と笑うリトルデビルはワースを見て、泉を見て、ワースが作り上げた土砂の山を見て、笑顔でワースの方を向く。ワースが使う泥魔法にしてはかなり力技であったが、リトルデビルのことだ、それは理解しているだろう。その上で頷く。

「だいじょうぶ」

その声には確信めいた何かがあった。ワースは乱雑に頭を掻く。ぱらぱらと付着した鱗が落ちた。水竜の子供に「信頼しろ」と言った。今後また土砂崩れが起きないように川を造営するのが難しいだけで、泥を動かす分には問題がない。なにより、自分の魔導書が出来ると確信している。ここで引くのはあまりに格好が付かない。

「……あー、まぁ、やるか」
「あとね、オーターにごめんなさいするのもね」
「う……」

1番頭が痛い話である。ワースは耳に取り付けた通信機の電源を入れて、アギトに報告をすべく息を吸う。瞬間、耳に飛び込んできた声は、ワースが想像したものではなかった。

──ワース!?無事ですか!?

びっくりして何を言うつもりだったのか、全てのものが頭から抜け落ちる。瞳を丸くしたワースにはにっこりとリトルデビルは笑ってみせた。

「来てるよ、オーター。もう麓にいる」

それは、もうちっと早く教えて欲しかったなぁ!
しかし、通常の乗り継ぎでは半日以上かかる筈の道のりを、どうやって。いやきっと正攻法ではない方法を使ったのだろうけれど。耳元で響く声に、ワースは若干気が遠くなった。胸に手を当てて、一回だけ、深呼吸をする。

「大丈夫、無事」
──……はぁ、よかった……
「ん、心配かけてごめん」
──今どこにいますか?動けますか
「動けるし、「王」の泉にいる。……あー、アギトさん、そこにいる?」

もしも何の情報もなしに泉に来た一団がいたら、恐らく今の状況は目を剥くことになるだろう。どうやら器用にもスピーカーフォンになった端末に、まずは地図を準備してもらえるよう頼む。

「俺は今から川にかかる土砂崩れを直しながら研究所方面に降ります。水竜と一緒に回るので、たぶんそっちが研究所に戻る頃には合流出来るかと」

移動は水竜の機動力に任せるにしても、最終的にはワースが手を加えた箇所は専門家に正しく直してもらわねばなるまい。これはあくまでも応急措置だ。

「地図上マッピングしながら水路を開通させていくので、後で治水の専門家になんとかしてもらって、」
──大丈夫ですか

響くようなオーターの声に、ワースは一瞬目を丸くする。その問い掛けの答えは、ほんの少し前、自分の魔導書が既に答えた。奇妙な重なりが面白くなって、ふっと笑みが溢れる。

「俺は大丈夫。それに、」

小さな水竜のぬらぬらとするたてがみを、揉み込むように撫でる。魔導書いわく「小さい子」が頑張るのであれば、ワースもそれに応えてやらねば。

「きゃーう?」
「水竜の手を借りる」

正確には「背」だろうけど。
ともかく追加の雨が降らないならば、地盤が緩んでいるところは、専門家でなくとも地元の人間はいくつか心当たりがあるようだった。泉から伸びる大きな支流の土砂を泥魔法で固めて取り除き、地図に落とし込んだ土砂崩れ危険地域の補強材として利用する。ついでにワースが制御できる範囲で地面から水を抜き、その抜いた分の水は川に戻す。言う分にはなかなか易いが木々を掻き分けて飛ぶ水竜の背に乗りながら何往復もするのはそれなりの重労働であった。しかし棲家の流れが回復したドラゴンたちが1匹、また1匹と川に戻るのは妙に達成感があった。……まぁ、専門家から見たら全然なっていない応急処置だとしても。泉に何匹か避難して来た水竜達を残したまま、ワースは研究所に戻ることになった。暫くは「王」がドラゴンたちを引き受けてくれるらしい。

「お前もお疲れ様」
「きゃーう!」

研究所の近くまで送り届けてくれた小さな水竜の頭を撫でてやる。本格的な復旧作業は明日からになるだろうが、原則として保護区域のドラゴンたちは野生の魔法動物だ。あまり人間が近しく振る舞っても双方に良くないだろう。リトルデビルを通じて「王」にそう取りなして貰えば、「王」は仰々しく頷いた。その上で小さな水竜を遣わしてくれたのだ。泉と川の応急処置をした礼として。そう言われると、ワースも断る理由はない。
しゅるりと泳ぐように空を駆ける水竜の姿を仰ぎ見る。こうして見ると、やはり神としてそれなりに信仰を集める理由が、分かる気がする。

「ワース」

くるりと振り向けば、砂の神杖オーター・マドルがいつも通りの風情でそこにいた。相変わらず少し肩を巻き込むようにした猫背に、神経質そうにメガネを直す仕草。一日二日で変わるものでもないだろうに、妙に懐かしく思えた。

「オーター」
「お疲れ様でした。貴方の手入れした川と土砂崩れ危険地域を元に、いま研究者達が会議を」
「来てくれて、ありがと」
「……、」

オーターの動きがぎこちなく止まった。ワースも少しぎくりとする。あれ、これじゃなかったか。素直になってみたつもりなのに。くっそ。

「い、いえ、あの、その……、……職務、ですから……」
「でも大変だったんじゃねぇの?……到着早過ぎじゃね?」
「…………なんとかしました」
「…………」

短い沈黙の中に、何か色々と含まれていそうである。大丈夫なんだろうか?……いや、五体満足でここに来ている以上、大丈夫なのだろうけれど。眼鏡を直すオーターの顔からは、何も窺えない。ワースの為に、半日掛かるような道のりを色々と何とかしてくれていたのならば、結構嬉しいのだけれど。さすがに「俺のために頑張って来てくれたの?」とか聞けるほど面の皮も厚くはない。誰に聞かせるでもなく、ワースは咳払いをひとつする。緊張に弾む胸を、上から押さえつけた。

「……あー、あと、ごめん。出張前に、勝手にキレて」
「……いえ、私にも至らないところがあったのでしょう」
「ねぇよ、そんなん」

ただちょっと、ワースが臆病であっただけだ。今に至っても、オーターを目の前にしてそれを認めるのは、やっぱり少し難しい。ぐしゃぐしゃとワースは自分の髪をかき混ぜた。

「俺、結構言葉で言うの、苦手だったみたいなんだけど」
「は……はい、」

緊張気味にオーターは頷く。なんか変な勘違いさせている気がする。気がするが、ええい、こんにゃろ。
ワースはオーターの胸ぐらを掴んだ。こんな日なのにきっちりネクタイを結んでいる。ワースは汗やら泥やら、ドラゴンたちの鱗にまみれているのに。
さすがに動き回って野営までした姿で近付くのは憚られ、しかし距離を取ってばかりでは何も伝わらないと覚悟を定める。身体が密着しすぎないように気を付けながらもその頬に唇を押し当てた。少し顔を離せば、びっくり、と分かりやすく書いてある。それを見ながら、わざと音を立てて唇にキスをした。そして、と、と身体を押すようにオーターの胸ぐらを解放すると、呆然としたような顔で唇を抑えたオーターは、ボッと音がするほど真っ赤になった。なんだ、照れるのかこの人も、ちゃんと。

「あー、その、怒っちゃったのは、なんか上手く伝えられなくて」

上手な言葉が出てこない。
なんだ、水竜の子供みたく上目遣いで窺えば可愛くしおらしく見えるか?……俺の方が身長高いのに?
結局羞恥心は捨てられず、さりとて言わねば伝わらない。たっぷり5秒、悩んだワースは唇を尖らせて、直球を投げてみることにした。

「……俺、もっとアンタと恋人っぽいことしたいんだけど」
「か、……考えて、おきます……」

そういえば水竜の背に乗っていた時までは一緒にいた筈のリトルデビルがいつの間にかホルダーに収まっている。こんにゃろう。正気に返ったら恥ずかしくなって来た。2人してもじもじと視線も合わせられない状況は、痺れを切らしたドラゴン研究者たちの手によって中断されることとなった。
小さな水竜は勿論のこと、ワースに挨拶をして来たドラゴン達はほぼ、この保護区域に棲む水竜の全個体だったらしい。頬に鼻先を寄せられているから当然、彼らの鱗がワースの服や髪に付着している。「ここ50年で最大の収穫かもしれない……!」と妙に鼻息の荒い研究者たちにピンセットでつつき回されたのは、この出向で最も苦痛な時間であった。

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