カナリヤ 20
3本線編2/2です。最終話⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!!! 大きくなった杖の形状は、敢えて書いてないので適当に妄想して下さい。ただし、「ワースくんにはただしい杖の形が分かっているけど周囲からはワースくんが空間の切れ目に手ェ突っ込んでるように見える」謎設定があります⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝笑 これ本編読んだ人は伝わると思うんですけど、1/2でツララ様がソフィナさんを揶揄うのは、彼女だけが全然問題ないことを知っていたからです⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝小ネタ笑 今回もR指定部分あるのですが、最後の幕間(禁書ちゃん視点)をその後に投稿しています。私的にはR指定部分も含めて作品な気がしてるので、そのままの流れで読んで欲しいからこういう投稿の仕方をしておりますが、未成年&R指定ダメな方はこのまま最後の幕間編に飛んで下さい。
かつて、「吸血鬼の真祖」と呼ばれた化け物がいた。
言論学者、古文辞学者、魔法生物学者、化石研究者、その他様々な学者の中で正確な分類は意見が分かれる。ただひとつ確かな事は、この化け物は「吸血鬼ドラキュラ伯爵」と呼ばれ、好んで女性の血を吸い自らの配下とし、多数の死者を出しながら大陸を横断して、最後には当時の魔法生物学者兼医師のエイブラハム・ヴァン・ヘルシングを代表とする討伐グループに封印されたということである。魔法界では有名な話だ。魔法史で必ず習う。吸血鬼殺しの英雄エイブラハム・ヴァン・ヘルシングを以てしてもドラキュラ伯爵の討伐は叶わなかった。だからドラキュラ伯爵の肉体は棺に収められ、ヘルシングの末裔が管理・監視を行っている。……その筈である。
(……リトルデビル、意見はあるか)
ううーん、とワースの魔導書は困ったように唸った。「たぶん、あれはホンモノだねぇ」と。ワースは眉を顰める。びりびりと身体を刺すような独特の威圧感は、リトルデビルの言葉を信じるに相応しい禍々しさであった。
「一応「わたし」、ドラキュラ伯爵と会ったことがあるんだよね」と、更にとんでもないことを言い始めたリトルデビルにしかし、さもありなんとワースは黙る。なんせ、魔導書の知覚は人知を遥かに超える。直接相見えた記録がなくとも、同時代に生きていれば或いは、空間を超えて「会ったこと」があるかもしれない。その推論にリトルデビルは肯定を返した。しかし、ただし、と注釈が戻る。「アレは多分、本人の一部だと思う」と。
(……なるほど、伝説級の吸血鬼だから封印する時に身体も分けたのか)
そう言われてみれば、ワースも吸血鬼伯爵にさほど関心がないので深く調べたことはなかった。棺が複数あるのはもっともな話である。たぶんそう、とリトルデビルからの返事も戻る。さすが英雄エイブラハム・ヴァン・ヘルシング!とワースが膝を叩くまさにその瞬間、禁書からの追加情報が入った。「アレは頭」。ワースにとって絶望的な知らせだ。
(ダメじゃん!!)
吸血鬼はその名の通り血を吸う種族である。退治するためには口の中にニンニクを詰め込み、十字架で心臓を打つ必要がある。単なる人間のワースもかなりうげっとする退治方法だが、当のドラキュラ伯爵はこれで死んでない。それだけ魔法的にも生物的にもしぶとい。他人の血から魔力を得るのであれば、頭だけでも充分脅威だ。肉体を分けた封印がそれぞれ連動していれば、頭だけで人を襲い血を飲んでいる間に全身を取り戻しかねない。
「…………」
事件の概要がようやくワースにも飲み込めてきた。
この距離でワースもドラキュラ伯爵の気配に気付ける程だ、あの棺の封印は解けかかっていると見て良い。けれど開けるにはまだ足りない。遠目で確証こそ持てないが、魔法陣の描きぶりから見ても、封印自体はあと数十年くらい間違いなく保つ。通常、封印魔法にも種類があって、手順を守り魔力を込めると解けるものと、対抗する魔法をぶつけてこじ開けるものとに大別される。あの棺の封印魔法は明らかに後者だ。床に描かれた魔法陣は封印魔法の対抗術式。つまり、棺にかけられた封印魔法を破れるだけの魔力を何者かが込める必要がある。これをワースの魔導書の魔力でやらせようという腹だろう。
(……バカなのか?)
魔法陣は基本的に、魔力が少ない人間が使う術だ。補助的な魔力インクを用いて、時間を掛けて準備をする。これだけの量の魔法陣を刻んだ努力は認めよう。だがそれは、誘拐犯たちの力の無さを示しているだけだ。いま杖を持たないとはいえ、さすがに魔法陣に頼りきりの人間に負けるほどワースは弱くもない。問題は、どうやって魔力供給を行うつもりか、ということか。当然ワースに協力する意思はない。どう頼まれようとも。力づくが無理なら魔力集積能力が高いリトルデビル本体の強奪の可能性は、なくはないが、それなら最初に捕らえた時にしているべきだし、何よりすでに所有者がいる魔導書に所有者以外が命令を下すことはできない。
(あり得るとしたら、洗脳魔法、幻覚魔法、人質や何らかの脅し……)
有効な可能性があるとしたら後者だ。いつかの事件のように、相手を操る魔法道具によりセコンズを使わされたフィンとワースは根本的に違う。防衛魔法はそれなりに修めているし、そもそも魔法に対する抵抗力が生まれつき1本線のフィンより2本線のワースの方がある。精神を操る魔法はなかなか難しいのだ。人質に取るとしたら……と順に近しい間柄の人間を思い浮かべるが、学生を含め、誰ひとり静かに人質になってはくれなさそうである。むしろ、まさに、この場所。地下室におり、リトルデビルの最大火力で吹っ飛ばしたら容易く潰れてしまいそうな建物にいる今のこの状況は、ある意味危険かも知れない。信者なのか使用人なのかわからないが人間が多過ぎる。これが崩壊したら……。ううーん、とワースは思わず頭を抱えた。誘拐犯たちが分かっているかは定かではないが、ワースとの忍耐勝負というよりは、リトルデビルとの忍耐勝負になる。……どちらかと言えば、魔導書がうっかりキレて誘拐犯たちが殺されないように、ワースが宥める方向の。滅多なことはしないで欲しい、切実に。
(リトルデビル、俺に何か魔法を掛けられそうになったら問答無用で防御してくれるか)
いつものように「わかったー!」と元気の良い返事が戻る。術者を殺さないように念入りに言い付けて、ワースはため息を吐く。
(……本当に、ドラキュラ伯爵を起こすのが狙いなのか?確かにモノはやべーけど、冷静に考えるとこれで成功するとは……)
はっきり言って無謀なのだ。この計画を立てた者はよっぽどバカか、まだ他の手があるとしか思えない。……いやどうだろう。結構単純に人質のワースが出て来られてしまったし、見張りがあの寮長だったことを踏まえるとそこまでは考え過ぎなのかもしれない。取り敢えず地下3階まで降りて、魔法陣の記述を確かめてからでも遅くはないだろう。外に張られた結界魔法をどう破るか、まだ方針は決まっていない。せめて杖か、魔法インクのひと瓶でも見つかれば使える手は増える。見取り図の案内に従って、とにかくそれっぽく見えるようにワースは足を動かす。暫くして階段があると思しき扉を見つけたが、当然のように閉まっている。ワースの部屋につけられていた魔法よりもやや複雑だ。というか。
(これモロに禁書管理局で使われてる結界魔法じゃん!)
結構基礎的な形式の魔法が使われている。少し逡巡して、しかしワースは胸の内に抱いたリトルデビルを開き手を翳す。
罠かも知れない。というか、罠の可能性の方が大いにあり得る。禁書管理局1年目が扱うような超初歩的な封印魔法だからだ。ワースを誘拐したならば、どう考えてもこの封印魔法を使うのは不適切である。……が、ここまで来たら「エイブラハムの棺」の封印がどの程度破られているのか、床に書かれている魔法陣がどのような内容かを確かめてから脱出した方が良い。十中八九、中にいるドラキュラ伯爵を復活させようと目論んだならば、たとえ名門ヘルシング家に連なる貴族であっても罰を受けるだろう。開いた扉に身を滑り込ませるようにしてワースは階段を進む。光魔法も一切ないが、リトルデビルのナビゲートがあれば特に見えずとも支障はなかった。自分の足音ばかりが響く。
(そもそも、なんでこんなところにドラキュラ伯爵の頭部なんかあるんだ?)
普通、こんな危険物はヘルシング本家が扱うはずだ。何らかの理由で騙されて貸し出してしまったのか、あるいは何かの手違いで盗まれたか。そんなに簡単に貸し出すとも思えない。しかし状況として、盗まれる方が輪をかけてあり得ない。……が、無理矢理想定するならば、「盗まれた」とした方が、やや納得がいく。もしもワースがヘルシング家の立場であれば、間違っても管理下にある危険物を盗まれたとは言えない。魔法局にも相談しづらいだろう。それを見越してこの杜撰な計画なのか?
「…………」
ようやく階段が終わり、再び扉が現れた。触れればやはり、入り口同様簡単な結界魔法である。怪しい。怪し過ぎるが、進んでみないことにはなんともならない。
(行くぞ)
リトルデビルが扉の先をスキャンした限り、やはり1番大きな棺の気配以外に気になるものはない、との回答だった。ゆっくりと開き、すぐさま柱の影に隠れる。吹き抜けになっている分、上から誰がみているかは分からない。近場から魔法陣を読んでいくしかあるまい。
(しっかし、まじで古い……)
一応古代の文法には覚えがある方だが、それでもかなり読みにくい。しかもその多くが吸血鬼を賛美する内容であるから、かなり困る。術式に本来関係がない記述なのだ。その割には文法の誤りがないから、本気でこの施設がなんなのか気になる。
(……さっきは随分前に書かれたものだと思ったけど、たぶん違う。結構最近になって書かれたやつだ……)
なんせ、文法に比べてインクが新しい。
どんな魔法であれ、時間が経てばゆっくりと魔力は抜けていく。死者の肉体なんかが代表的であるが、普通、どれだけ効率の良い魔力の込め方をしても経年劣化には敵わない。だが書かれた魔法陣は、いつ発動してもおかしくない程の瑞々しさである。足りないのは魔力。確かに。でも、そうであるならおかしい。
(……この棺は一体いつ、ここに運ばれたんだ?)
魔法陣は、事前に書いて準備しておくものだ。それ以上でも以下でもない。この屋敷の形から考えるに、初めから棺を安置するために準備されたと言われても納得してしまうかも知れない。けれど、本当にそうか。
(あ、そっか。家紋がないから)
ヘルシング家や、それに連なる家系の人間は、当然自分の持っている血筋に対しての自尊心が高い。当然である。英雄の血筋だから。その屋敷であれば、そこかしこの意匠に家紋が使われる。もしもその英雄の血筋の人間が封じたドラキュラ伯爵を復活させようとなるならば、そこには彼らなりの何か正当性を主張するものがあるはずだ。正当性を訴えられるならば、そもそも家紋を隠す理由がない。
(こんなコソ泥みたいな真似をするか?)
そこまで考えた瞬間、足元で何かが発動してごっそり魔力が抜かれる。
「……!?」
慌てて飛び退くが、妙な虚脱感が重く肩にのし掛かる。目を凝らすと、先程までいた地点に崩れていく魔法陣が見える。薄い色の魔法インクで描かれた魔法陣?あんなところに?役割を果たした魔法陣が空気に溶けるように消える。ワースは悪態を吐いた。考え事をしていたせいで、リトルデビルからの「あ、ちょっとまずいかも、」の信号への反応が遅れた。
(なんだ今の……!)
リトルデビルから素直な「分からない」の返事が戻る。ごもっともである。
(魔法インクに床に紛れる色なんか聞いたことねぇんだけど……!?)
いやこの暗さだ。調合割合を弄れば意外と……というか、目の前に巨大で不穏な魔力が鎮座しているせいで、ワースもリトルデビルも気がつくことが出来なかった。奪われた魔力は棺に集積され、さらに存在感が増す。元々リトルデビルの魔力探知は対生物に特化していて無機物を「視る」のは得意ではない。もちろんこの魔法陣も、同様だ。未訓練の波動魔法を選択出来るくらいだ、この点もひょっとすると知られていたのかも知れない。
(どうする……!?)
もう少し身を隠すか、いっそ吹き抜けから飛んで離脱するか。魔法陣が起動した以上何者かがこの講堂に入ったことはバレているだろう。入り口の階段は使えない。
「……ぐ……っ!」
暗がりに向けて踏み出した瞬間、また魔法陣が起動して魔力が抜かれる。思わずワースは膝を付いた。
やばい。
かつてないピンチだと思う。冗談抜きで。
(こんなんアリか……!?)
ありかなしかで言えば、恐らく「あり」だ。自分の中の冷静な部分が即座に判定を下す。
恐らく魔法陣の設定上「泥魔法使いの魔力を奪う」としているのだろう。たとえばここでうっかり杖や魔法インクが手に入ったところでワースの魔法のベースは泥魔法だ。魔法陣そのものを攻撃した瞬間に魔力が奪われる。
ドラキュラ伯爵を目覚めさせるのに必要な魔力がどれだけか分からないけれど、良くて魔力を奪われたワースの為にリトルデビルが魔力供給し続けて魔力暴走を引き起こすか、悪くてドラキュラ伯爵が目覚める。八方塞がりとはこのことか。ふすふすと怒る魔導書の表紙を撫でながら宥める。術者を攻撃されているのだから魔導書が怒るのは当然だ。しかしいま、この出力で「怒り」を示されては、……たぶん普通に地下階がドラキュラ伯爵の棺ごと埋まる。リトルデビルが泥魔法系統の魔法を使わなければ伯爵は目覚めずに済むが、数百人程度いる地下室の人間は関係なく生き埋めとなる。ようは人質だ。先ほどの想像が冗談ではなくなる。敵ながらよく考えていると舌打ちしたくなった。魔法局はある意味で「正義の味方」だ。裁判も受けさせていない、今回の企みにどの程度関わっているかも分からない、たかだか奇矯な宗教を信仰していた程度の人間を犠牲にすることはできない。
(……ここに)
泥魔法使いでなければ良いのだから。
(オーターがいれば……!)
あの砂魔法の鋭さならば、数百の人数がいたとて相手にはならない。即刻制圧する姿が目に浮かぶようだ。……いやバカなことを考えていないで知恵を絞らないと、そう思った瞬間、拍手が鳴り響いた。ワースは思わず身を固める。
「その魔法陣を2度も踏んで意識を保っているとは素晴らしい」
悠々と歩いてきた人物には見覚えがあった。というか、禁書管理局で知らない人物の方が珍しい。
「副、局長……!?」
好々爺然とした男は、にやりと笑った。
「その魔法陣は泥魔法に特化して魔力を奪うものだ。さてワース1級魔法陣技師、条件を絞った魔法陣を描く利点は何かな?」
「…………発動効率が上がる」
「素晴らしい」
いやらしい拍手音が轟く。ワースを禁書管理局内での役職名でなく資格名で呼ぶところが1番いやらしい。
禁書管理局に幹部は数人いるが、ぶっちゃけワースは副局長をあまり知らない。いや、一般的なことは知っている。禁書を所有する名門出身者で自身は禁書使いではない。けれど結界魔法や波動魔法に秀でている。ソフィナとの関係性が悪いとは一切聞いたことはない。というかそもそも、ワースは圧倒的な能力を持つ神覚者を引き摺り下ろそうとする人間が同局内にいることに、昨夜から驚いている。寮長をはじめ、そりゃ多少の不満がある人間が居たとしても、ソフィナは全く、良い上司のはずだ。……まぁ、どうやら目の前の副局長にはそう映っていないようであるが。
リトルデビルに魔法陣を探してマッピングするように言い、意識的に深く息を吸う。魔力が尽きてこの場に倒れでもしたら、何が起こるか分からない。
「しかし、まさかあの部屋から出てくるとは思わなかった。本当に杖なしで禁書を制御出来るんだねぇ」
「……杖をお返し頂ければ、もう少し面白いものを見せられますけど」
副局長は肩をすくめた。
「キミたちの実力は知っている。さすがに私1人ではキミの禁書は抑え込めない」
よく言う、とワースは悪態を吐きかけたが、辛抱する。寮長は挑発したところで問題はなかったが、目の前の人物は違う。恐らく外に張られている結界魔法はこの男が作った結界だ。アレのお陰でだいぶリトルデビルの「視界」は遮られた。……とはいえ、最終的にここが「魔法局から半径10km圏内」と割り出したのだから、それを使って揺さぶるべきか。敢えて隠すべきか。……いや、今はとにかく会話を長引かせて、リトルデビルが周囲の魔法陣の様子を掴む時間を稼がねばならない。
「…………アレ、「エイブラハムの棺」でしょう?どこからそんなものを?」
考えて、全く関係ない話題を振ることにした。下手にリトルデビルの性能をアピールして警戒されても、まぁ今更ではあるが、よろしくはない。副局長は、場面にそぐわず、破顔した。
「良い質問だ、ワースくん。アレは正真正銘、ヘルシングの分家から借り受けたものだ。……ソフィナ・ブリビアの局長印を使用してね」
「…………!」
「彼女の捺印がある時点で当然関与が疑われる。ついでにソフィナ・ブリビア逮捕の号外を出しておいたから今頃魔法局は大忙しだろう」
なるほど、計画が杜撰であった理由が分かった。屋敷に囚われたワースは重要ではなかったのだ。逃げ出したとしても、外の結界魔法はさすがに杖なしでは解けない。「エイブラハムの棺」がある講堂に入ればどこかで魔法陣を踏み魔力を奪われる。どう転んでも構わなかったのだろう。
(ナメやがって……!)
ぐるぐると頭の中に言いたいことが様々巡る。けれど、ワースはひとつため息を吐いて全てを誤魔化した。
「他人の魔法印の不正使用は、法律に抵触しますけど」
「なに、問題ない。なんせドラキュラ伯爵の復活で全ての秩序はひっくり返る」
「…………」
「ここからは予定をお話ししよう、ワースくん。キミにはこれから、吸血鬼伯爵に魔力を捧げて貰う。復活したドラキュラ伯爵は自身を信仰していた数百の吸血鬼信仰者をすべて自らの眷属にしてしまうだろう。人の身で吸血鬼を討伐することは叶わないから、封印魔法が使用される」
「……そこで、活躍するって?」
「無論だとも」
副局長は鼻で笑うように胸を張る。
「いにしえより禁書を封じてきた我々なら当然」
「それまでに、どれだけ吸血鬼伯爵の被害が広がると思ってる……!」
「貴重な、しかし些細な犠牲だ」
「ンだと……」
演技でなく、本気で眉根が寄った。これを副局長として頂いていたのかと思うと嫌悪感さえある。しかしワースの憤りなど歯牙にもかけず、ふっと副局長は肩をすくめた。
「アザなしのマッシュ・バーンデッドも「無邪気な淵源」を倒して魔法界に認められただろう?我々が同じことをして何が悪い?」
「……話になんねーな」
「安心したまえワースくん。キミは貴重な禁書に取り憑かれた術者だ。ドラキュラ伯爵復活に尽力してくれるなら、ソフィナ・ブリビアを追い落とした後、キミにもそれなりの席を用意しよう」
ワースはゆっくり立ち上がる。恐る恐るといったように、魔導書が魔力を渡してくれるが、杖がないと力加減が分からないのだろう。多過ぎると魔力過多でぶっ倒れるから、仕方ない。与えられる魔力を慎重に身体の隅々まで行き渡らせる。勿論全然足りないが、ないよりずっとマシだ。本当によくやってくれている。魔導書の表紙をゆっくりと撫でてやる。
「助けは来ない。諦めたまえワース・ウォーカー」
一瞬、あれそっか、と思った自分にワースは苦笑した。いま現在アベルの養子になっているから、ワースの苗字は「ウォーカー」だ。魔法局内部での登録もそうなっている。けれど自分は案外、ずっと長いこと「ワース・マドル」だと自認していたようだ。それはきっと、家名を捨てた後、ずっとオーターと共にいたから。
「助けは来ない?」
知らん、そんなの。
他の誰が禁書管理局の危機に駆けずり回っていても、たぶんたった1人、オーターだけはワースを探してくれるだろう。信頼、というのとは少し違った。たぶん言葉をつけるなら、これは「確信」だ。
ワースは身を翻して、タッと暗がりに駆け出す。
「フン……じきに魔法陣の餌食だぞ」
「本当にそうだと思うか?」
何のために散々時間を稼いだと思っている。リトルデビルが真ん中の「エイブラハムの棺」周辺の魔法陣以外の解析を終えたから動き出したに決まっている。確かに泥魔法から魔力を奪う魔法陣は強力であるし、ワースのような泥魔法使いには危険極まりない。けれど、見えているなら避ければ良い。それだけの話だ。
「無駄なことを……」
遠ざかる声を聞きながら、ワースの足音は暗い回廊の中に紛れていった。
◆◇◆◇◆
この時を、どれほど待ち侘びたことか。
ブリビア家の才媛。
アレさえ居なければと何度思ったことか。
あの小娘さえいなければ、禁書管理局局長の地位は未来永劫我が家門のものだったのに!
私は敢えて、ゆっくりと歩く。
稀代の禁書使いの青年はしかし、2度も魔法陣を踏んだ。あれは特級魔法陣技師に書かせた特別製の魔法陣である。この時のために回廊の真下の暗がりに大量に書かせた。無論1つでワース・ウォーカーの持つ魔力を根こそぎ奪って「エイブラハムの棺」に与えるものだ。それを2度も。意識を保っているのは禁書の力であろう。走り回れるだけ若さを感じるが、どうせ目眩が酷くてじきに動けなくなる。加えて、魔法陣を書かせた紙もまだ手元にあった。再度説得に応じなかったらそれこそ死ぬまで魔力を奪い取っても良い。
「くっくっくっ……」
スラックスの裾が見える。
これで終わりだ。ソフィナ・ブリビアも。目障りな「神覚者」などという青年らを信奉する世界も。
再び魔法界は、あるべき秩序を取り戻す。
◆◇◆◇◆
「禁書管理局、面倒臭いんですよねぇ……」
「…………」
「あ、オーター貴方、人材管理局も似たようなものだろ、って思ってるでしょう。全然違いますよ!」
断っておくが、思っていない。
ソフィナが会議室を離れてからぶうぶう文句を言い始めたカルドに少々呆れているだけである。
「人材管理局は比較的、トラブルを避けたがるタイプが多いんです。……いや時々、権力振り回したいタイプもいますけど、大抵はそういうの面倒臭いので」
「…………」
「禁書管理局は禁書の名家が多いからケンカ上等じゃないですか。あんなの文系ゴリラのソフィナだから保ってるようなもので……」
「カルド」
「はい」
「結局、お前が1番適任なことに変わりはないだろう?」
「……まぁ、それはそうなんですが」
オーターの魔法魔力管理局から見れば、どちらも大差ない面倒臭さぶりである。基本的に、人材管理局と禁書管理局は貴族の派閥が出来やすい。勿論ソフィナ自身も禁書を所有する名家出身者であるから、致し方ない。それこそ魔法局が出来る以前からの軋轢等もあるのだろう。なにより禁書管理局の貴族は結構平然と、ソフィナに対して政変を仕掛けにくる。神覚者の合議制で動く現在の魔法局に不満を持つ歴史ある貴族が多いのだ。無論カルドの理屈では「問題が発生しないよう上手いこと転がす」方が「ただしい」局内運営なのだろう。ソフィナはどうやらあまりそう考えないらしく、多少泳がせて仕掛けてきた時に返り討ちにする、という手をよく使う。勢力を削ぎすぎても困るが、ある程度おとなしく従順に、今後変な野心を持たないように貸しを付けながら丁寧に企みを潰す。実際この方針で他の局が助かっている面がある。末端として不祥事を起こした局員も他局で比較的丁重に再教育すれば、なかなか優秀な魔法局員となる場合もある。派閥から離れた方が良い人材もいるのだ。勿論、ソフィナの「貸し」が魔法局全体で活きることも。故になんだかんだと言いながら皆、彼女の戦闘民族ぶり……カルドの言葉を借りるならば、「文系ゴリラ」ぶりを援助している。今回どこまでが彼女の考えのうちかは知らない。少なくとも、ワースがこのタイミングで誘拐されたのはさすがに予想外であろう。彼女の慌てぶりは、本物だと信じる。……まぁ、本物でなかったら、こんなことにワースを巻き込んだソフィナに報復するだけだからさして重要な問題ではない。目下オーターにとって重要なのは、ワースが一体どこにいるか分からない、という点であった。
まずはカルドと共に禁書管理局の局長室へ赴く。局員たちには現在ソフィナは魔法警備隊との特殊任務のため一時この場はカルドが預かると言って、家探しである。こういう事態に備えて、ソフィナは金庫内に危険人物のリストを入れている。そしてその金庫の暗証番号は神覚者全員が把握していた。
「……はー、なるほどなるほど」
ばっさばっさと資料を繰りながらカルドは感嘆の声を上げる。
「さすがはソフィナ、よく調べています」
「…………」
事の起こりは、ワースが魔法陣技師1級の資格を取得した頃だ。以前から珍しい「取り憑かれた」禁書使いで注目を集めていたが、実際禁書「リトルデビル」が使用できる魔法は恐らく序文の数行に記述された魔法のみで、未だ「リトルデビル」の全貌は明らかではない。保持して1年経っていないから当然であるし、ワースはその程度の「普通の」禁書使いと認識されていた。どのような魔法特性を持ち、どんな規模の魔法が使えるのか、その辺りの評価はまだ保留中なのだ。禁書管理局での評価は当然、禁書を支配下に置き本文中の記述まで扱える他の幹部の方が高い。しかしワースが1級の魔法陣技師となれば話は変わる。禁書を所蔵せずとも、魔法陣は図書館に必須のものである。これを独力で管理、必要であれば作成できる能力は局員としての評価も高まる。現状、元より少数ながらいたワースを局長として推す勢力と、局長としてのソフィナ・ブリビアを煙たく思う勢力が結び付きつつあった。無論ソフィナの椅子を狙う勢力は昔からいたし、彼らは並行して魔法陣技師協会にも働きかけをしている。魔法陣技師協会は兼ねてよりワースの籍を協会に移したがっていた。つまりソフィナに代わる傀儡の局長としてワースを求める動きと、ソフィナに近しい側近候補としてワースを排除しようとする動きは同時に起きている。禁書管理局局長の席を狙う者達にとってはどちらに転んでも問題なかった。
「…………」
オーターにとっても、ぶっちゃけこれはどちらでも構わない。後者の方が最悪ワースが死んでも構わないと思っていそうだが、身柄を奪った時点でどちらであっても重罪である。砂で締め上げる以外の選択肢はない。資料を読み込んでいたカルドが「おっと、」と声を上げる。
「反ソフィナ派、吸血鬼信仰のやばいところまで取り込んでません?」
一般にエイブラハム・ヴァン・ヘルシングのドラキュラ伯爵討伐をもって、吸血鬼は絶滅したと看做される。しかし当然そんなことはない。ドラキュラ伯爵のような真祖の吸血鬼から分かれたより人間に近い種は未だに残っているが、通常そう多く人間の体液を取り込まなくて済む代わりに真祖吸血鬼ほどの魔力行使も長命な寿命もない。大抵はドラキュラ伯爵のような討伐・迫害を恐れて大人しく暮らしているから魔法局がわざわざ付け狙うこともない。むしろ絶滅が危惧されるような稀有な種であるため、その一族の動向と、必要があれば援助支援を人材管理局と研究管理局が行っていた。これもまた一般には然程知られていないが、亜種の吸血鬼の血によって作られる治療薬もあり、現在魔法局は彼らと良好な関係を築いている。
吸血鬼信仰とは、そうした現存する絶滅危惧種の亜種吸血鬼ではなく、討伐された真祖ドラキュラ伯爵を信奉する一派だ。亜種吸血鬼の過激派が開いた宗派と言われるが、なにぶんなかなかの地下組織なので全貌はようとして知れない。ドラキュラ伯爵の眷属となった者も不老不死を手にしたという逸話から、いつかドラキュラ伯爵が復活して自分たちを不老不死にしてくれると信じる者達である。信者は数百人規模であるので大したことはないが、実際にドラキュラ伯爵は「封印された」だけに過ぎないので、彼らの野望は荒唐無稽な夢ではない。封印が解かれれば未曾有の災害となる。テロ準備行為の可能性を視野に魔法警備隊とドラキュラ伯爵の封印された肉体を所有するヘルシング家が伝統的に目を光らせている。……もちろんおいそれと復活するようなことはないと思うが。しかし今朝方、ライオとソフィナが連れ立って会議を後にしたことを思うと、
「…………少し気になりますね」
資料を当たりながら地図を広げる。
知の神杖ソフィナ・ブリビアが入局した頃は数限りなくいた「反ソフィナ派」や「反神覚者派」ではあるが、彼女が根気よく叩き潰した影響で現在大きな家がいくつか残る程度だ。勿論ソフィナは相手の顔も立てるので禁書管理局幹部にも名を連ねている。吸血鬼信仰との関わりが示唆されているそれらの名前を突き合わせると、ひとつ気になる貴族がいた。
「この家」
「なんです?」
「ワースの帰還想定ルート上に別荘を持っています」
そもそも水竜保護区は遠いので、空から行けばそれなりにいくつもルートがある。ここにワースがいる可能性はそう高くはないが、少し引っかかる。魔法局から直線距離で10km程度か。市街地近くの別荘と思えば少しばかり近すぎる気がしないではないが、そこまで奇異ではない。どちらかといえば、ソフィナがつけた注釈が気になった。購入ルートをかなり複雑化させ、所有者が誰か分からないように工作されているが、この屋敷を実際に使用しているのは禁書管理局幹部である可能性が高い、と。周囲は森に囲まれ休暇を少し郊外で過ごす、というならばあまり気にもならないレベルだ。ただ、二階建ての屋敷は届出されている広大な敷地面積に比べてあまりに小さく違和感があった。山小屋のような離れもない。ごく僅かな家族と使用人が遊びに行くには少々手狭である。こういう物件の場合、オーターの経験上、まずは地下室を疑う。それを裏付けるように魔法局側の敷地の淵に裏門があった。なんの変哲もないが、裏門にしてはやや広すぎる。ここで表に出せないような物を荷下ろしして、地下階へ運ぶ入り口があるのではないかと想像させるような。
「禁書管理局幹部かつワースくんへの対応で蠢いた記録があるかつ吸血鬼信仰の団体とも面会記録がある……確かに気になりますね」
「私はこちらから当たってみます。そう遠くないですし」
「分かりました。……じゃあ私はちょっと「監査」ということで」
ぐるんぐるんと腕を回すカルドに、オーターはため息を吐いた。ソフィナを「戦闘民族」や「文系ゴリラ」と評すカルドであるが、その実、彼自身もあまり変わりはしない。
「……戻ってきたソフィナに怒られないように」
「大丈夫ですよぉ、帰ってきてから文句言わない、って言ったのはあちらですから」
書類検査をさせる為だろう、ノリノリで人材管理局に電話をしているカルドを横目に、オーターは肩をすくめた。
***
箒を走らせて10分程度、オーターはとある貴族所有の別荘の正門前にいた。魔法局からそう離れていないが、屋敷の周辺にはぐるりと広大な森が生い茂っていた。上空から確認した限りでも、敷地内を半円状に覆うように結界魔法が敷かれている。正直、非常に珍しい。確かに敷地の上空を飛ばれるのを嫌がる貴族は多いが、その場合事前に申請を出して、通行不可の魔法なり注意なりを空中に浮かべるものだ。勿論浮かべずに結界魔法にしても良い。けれど空中で飛行中の相手を問答無用で叩き落としてしまうと、損害賠償問題に発展することが多いから、近年はあまり強硬な魔法を使わない貴族が多いのだ。そういったセオリーからも外れているのはやはり気になった。
ドアノッカーを叩く。通常オーターの敏感な魔力探査能力であれば、内部に響く通信魔法の経路まで感じられる。しかし今回、それらの波動は一切感じなかった。もう一度ノッカーを手に取る。間違いなく、魔法が刻まれている。オーターは思わず、ぐるりと敷地を囲む結界を見上げた。
(……禁書管理局が使用する結界に似ている)
禁書管理局はその性質上、何階層にも渡って強さの異なる結界魔法を使用する。なんせ所蔵されている魔導書の危険度も多種多様だ。当然最深部の最も危険な禁書庫はオーターでも先を見通せない程に完成された結界魔法で塞ぐ。ほぼ封印魔法のようなものだ。いまここに敷かれている魔法は限りなくその手の結界魔法に近い。怪しさを自己紹介しているのようなものだ。
「…………」
小さな屋敷だ。
先に鳴らしたドアノッカーの魔法が響いているはず。なのに待てど暮らせど、中からの応答がない。
「フ───……」
オーターは眼鏡の位置を直しながら、大きくため息を吐いた。そして徐に杖を構える。オーターの心に従って砂がうねりをあげて舞い上がった。
「念の為、警告をしておきます。この結界を解いて中に入れて貰えますか?」
尋ね口調ではあるが、オーターは「Yes」以外の回答は求めていない。仕方なしに、威嚇射撃として砂魔法を放る。しかしオーターの想定よりもずっと硬い結界魔法はびくともしなかった。
(……ソフィナ以外にこのレベルの結界魔法を行使できる人間は限られている)
知の神杖ソフィナ・ブリビアは天才だ。それでいて努力家だ。禁書に纏わる魔法で彼女の右に出る者はいない。しかしそれは、最上級が彼女なだけで、禁書を抑えるに足る能力を保持する禁書の名門は複数存在する。例えば現在の禁書管理局の副局長、幹部候補の中堅数名、魔法局に属していない家門当主。オーターの頭の中でも数名の名前が上がる。
「…………」
中からは何の回答もない。
仕方がないのでもう1発、先ほどより強く結界を打つ。すると慌てたような声がドアノッカーから響いてきた。
──……だ、旦那様はいま、来客のご対応で出られません!
「そうですか。中で待たせて頂いても?」
──ほ、本日は、誰ともお会いになりません!!
「そうですか」
再度、強めに結界魔法を砂魔法で打つ。か細い悲鳴がノッカーの先から響いた。それに全く取り合わず、オーターは眼鏡の位置を直す。かなり硬いが、どちらかといえばこの結界は中のものを逃さないようにと構築されたものだ。当然、外側からの攻撃には脆い。普通の結界魔法に比べればかなり硬いが、まぁ、やってやれないものでもない。
「分かりにくかったようなので、」
ざらりと砂が舞い上がる。
「もう一度、申し上げましょうか。……中に入れろ、と言っています」
中に隠しているものが一体何か、勿論オーターには分からない。
しかしひとつはっきりしていることがある。オーターの勘が、ワースはここにいると告げていた。
◆◇◆◇◆
カルドが「ソフィナ・ブリビア逮捕」の号外の報を得たのは、禁書管理局の監査を始めたそのタイミングであった。
人材管理局は魔法局内の別の部署に「監査」と呼ばれる内部調査を行う権限がある。今回その手を取ったのは、単にソフィナ不在の時間を稼ぐためだった。監査としておけば誰がどこにいなくても気に留められることはないし、何より関係性が既に構築されている他局に入り込んでその指揮を取る必要がなくなる。
(……これ、どうやら首謀者に読まれていたようですね……?)
最も自分に不利益がないように、と立ち回っていたつもりだが、どうにも。ソフィナ逮捕の報が出て、実際に人材管理局が監査に乗り出したら、まるで報道を補強しているようではないか。
(良いといえば良いんですが……面白くはない、ですねぇ……)
あぁもう、これだから禁書管理局は嫌なのだ。どいつもこいつも姦計を張り巡らせる。ぐっとカルドは背筋を伸ばして周囲を眺める。局員たちに動揺が走っている様子ではあるが、一部緊張感が薄い面々もいる。
(……顔に出し過ぎですよ)
気乗りしない今回の事件であったが、仕方あるまい。ふっと思わず、笑みが溢れた。
このカルド・ゲヘナを利用しようとは良い度胸ではないか。
とはいえ、舐められっぱなしは性分に合わないので。
「はい、皆さん、落ち着いて持ち場を離れないで下さいね?」
パンパン、と2回の拍手と共にカルドの声が禁書管理局内に響き渡った。
***
想定した通り、奥に行けば行くほど魔力を奪う魔法陣の数は減っていった。そりゃあそうである。あの規模の魔法陣をそうホイホイ書けるはずがない。
(……ちゅーか、普通に1級クラスの魔法陣技師何人かが手を貸してるんじゃねぇの?)
あり得ない、話ではない。
吸血鬼を本気で封印しようと思うならば、魔法陣の封印魔法も併用する可能性がある。……これ、だいぶ結構な不祥事じゃないか?
柱を背にして深呼吸を繰り返す。「エイブラハムの棺」に近い。強い魔力を感じる。
「逃げられると思うのかい?」
そんなん知るか。
ふと、上階が騒がしい。ワースが見上げると、リトルデビルが即座に反応する。オーター来てるみたい、と。
(まじか)
あの人がこれまた、一体どう言う経緯で。
いやでもチャンスかもしれない。
「良いのかよ?俺にかかずらってて。砂の神杖が表まで来てるらしいぜ?」
「……まさか」
「そう思うんなら部下にでも確認させたら良いんじゃないっすか?」
言いながら、ワースはまた暗がりを掛ける。
ほぼ「エイブラハムの棺」の裏側だ。棺を盾に動きつつ、周囲を検分する。どちらにせよコレが起きないように何とかしなければならないのだ。
(この時点から魔法陣に何か手を加えられるか?)
いやどう見てもちょっとやそっと記述を切り替えるなど出来そうにない。いやでも何かないか。何もなくとも、何か出来ないか。
周囲の声を拾ってきたのか、リトルデビルが「オーター、門の前で暴れてるみたい」と言葉が続く。となると結界の前か。地上の門まで来ているらしいから、直線距離ではもう目と鼻の先である。けれど状況から考えて屋敷に張り巡らせてる結界魔法は禁書管理局で使用されるものと同等のもの。さすがの砂の神杖オーター・マドルとはいえ中にワースと魔導書がいるとは分からないだろう。もしも2人が中に囚われていると分かったとて、どういう名目で結界魔法を破るのだ。まだここでは、何も起こっていない。令状は出ない。強制捜査は流石に不可能だ。オーターも、ワースがここにいると確信できない限り踏み込むことは出来ないだろう。
(くっそ)
こんなところで終わりなのか?
打つ手はないのか?
本当に?
しかし何度考えても、いまこの状況を打破する手立てはない。万事休す。勿論、オーターがここに辿り着けることを信じて逃げ回る手がないではない、が、別に棺に魔力を込める人間はワースである必要はない。ドラキュラ伯爵を起こす以上、相手は数千、事によれば数万の被害は最初から織り込んでいるだろう。となれば棺に魔力を吸われて倒れる人間などものの数ではない。逃げている間に他の信者が魔力を入れたら?封印を破る必要量が貯まるまでに結界の外に出られるのか?出たとして、応援を呼ぶのにどれだけ掛かる。それまで自分の体力は保つのか。全く分からない。いや、考えろ、考えろ。
ぎゅっとワースが瞳を閉じた瞬間、カツーン、と、高い音がして反射的に振り返った。
しかしそこには、副局長はおろか、誰もいない。
ただ、ころころとひとつ、杖が転がってくる。それを信じられない思いでワースは見守った。
(これ……)
見間違える筈がない。
ワースの杖だ。
イーストン魔法学校入学とともに両親から贈られた、それなりの価値の杖。捕まった当初にワースの手を離れどこかへ持って行かれた筈の。拾い上げると、使い慣れた手触りは当然のように手に馴染む。
(……リトルデビル)
最初のきっかけはいつだろうか?
光の神杖に従って「大泥棒」の捕物に参加した時だっただろうか。
リトルデビルの音魔法で相手の位置も様子も把握できる。だがあたかも目の前に相手がいるように知覚出来るのはリトルデビルの「視界」であって、「大泥棒」は直線距離にしても、100m以上間違いなく離れていた。更に建物が乱立していて障害物も多い。そこへ一瞬で魔法を届かせる術はワースにはない。にも関わらず、ワースの魔法は届いた。今だと思ったその一瞬、頭の中のイメージと一切の遅延なく。これはワースの泥魔法で出来る事ではない。
それからマカロンとの修行を進めるうちに、魔法陣を描く泥魔法が杖の先から出ていない事に気がついた。勿論狙った位置に誤差なく魔法陣は現れる。けれど速すぎる。音魔法使いマーガレット・マカロンとスピード勝負が出来てしまうくらいに。
勿論ワースは辞書を繰った。
杖に宿る神が如何なるものか探した。
ワースの杖はそれなりに価値のある杖であるが、たとえばカルパッチョの女神の杖のように「最古の十三杖」とか称されるような杖ではない。図版に描かれるような杖でもない。作用する杖の力と比して、見た目はあまりに一般的だ。……だから考えた。もしかして、絵図に描かけないほど詳細が判明していない杖ではないか、と。
数ある詳細不明の杖のうち、ワースの泥魔法と親和性がある神は、一柱しかない。
(魔力を回せ。……杖の力を解放して、この状況を打破する)
歌うように揶揄うように、魔導書が問いかける。「神様の名前は分かる?」と。決まってる。いま突然現れた杖。こんなことが出来る神なんか。
かっと頬に熱が走る。バリバリバリと何かが破裂する音が響いた。恐らく、痣が一本増えている。身体に漲る魔力に思わずワースはたたらを踏んだ。けれど根性で前を向く。
(来い……こい……!)
手の中の杖から魔力が漏れる。
今なら出来る。不思議と確信があった。
「サモンズ、
ぶわりと光が溢れ出す。
手の中の杖がどろりと姿を崩し、再構築されていく。
原初の神カオスとは、そもそもその存在すら論争になる位置付けが非常に怪しい神である。最も支持される学説曰く、世界が構築する前に存在した切れ目とそこにあるドロドロと固まり切っていない世界を構築する全てを「カオス」と呼ぶ。だからこれは「神」と称して良いのか、それともそういう「現象」と受け止めるべきか、長らく決着はついていない。初めてその論争を知った時、単純に似ているな、と思った。この、「ドロドロとした世界の構築物」というイメージが、自分の操る泥に。泥魔法も一掴みの泥から世の中にあるありとあらゆる物を生み出す。ワースの想像力が続く限り、泥はどんなものにも姿を変える。勿論、それで世界なんて巨大な物を創れるとは思っていないけれど。
現れた身の丈を超えるほどの杖を両手で支えて、う、とワースは息に詰まりかけた。
(重っ!)
確かに杖は大きくなった。レインやオーターが杖の力を引き出した時と同様である。しかしこれではとても振えそうにない。ワースは一応、それなりに戦うタイプの禁書管理局員として、まあそこそこに鍛えている。常時治安維持に邁進する墓所管理局や魔法警備隊、魔法魔力管理局の局員ほどではないが、禁書管理局員としてはかなり頑張っている方と自負していた。それでも、この杖は支えているだけで精一杯だ。は?これで戦う?世の中の3本線は正気か?
じわじわと嫌な脂汗が出てきたワースに、ひょいと魔導書が顔を向ける。
(……は?)
自分の魔導書の声にならない伝達に、珍しくワースは首を傾げた。その杖はそれでいい。動かせないものだから、と。
(そりゃ、どういうことだリトルデビル)
魔導書はゆっくりと頷くようにこちらへ寄り添う。そもそも人間がコレを振るえるとは思えないし、動く必要はない、と。
情報が直接ワースの頭に流れてくる。原初の神カオスは、切れ目から覗く混沌である。有であり無だ。それはどこにでもあって、どこにも何もない。望めばそこに門が開かれ、出入りは自由である。
(……なるほど?)
魔法陣を戦いに使うようになって、瞬間移動のように泥が移動していたのはやっぱりコイツか。とりあえず杖を支えることに集中する。そこに場違いな拍手の音が響いた。
「素晴らしい、ワースくん。まさか3本目の痣が現れるとは」
「…………」
「しかし私が結界使いというのを忘れていたのではないかね?」
うるせぇこちとら、身体に魔導書の巨大な魔力を巡らせる基礎訓練しかしてないのだ。そりゃあまあいずれ、サードまで使えたらめちゃくちゃかっけーな、と思ってはいたが、それは単なる想像で、それに相応しい訓練なんか全く行っていない。高等部ながら世界を左右するような戦いに身を投じるどこぞの神杖のお弟子様達とは違うのだ。お陰で、杖が全く安定しない。
床を剥がしたのだろう、タイルごと魔法陣が飛んでくる。思わず自前の泥魔法で叩き落とすが、瞬間またごっそり魔力を抜かれる。
「ぐっ……」
リトルデビルが「ワースのおばかー!」と頭の中に声を響かせる。んなの分かってるわ!思わず!!避けらんねぇと思っちまったから!!!気恥ずかしさに叫び返すとケラケラと笑うリトルデビルの声が頭に響く。
欠けた魔力は即座に魔導書が補填した。杖のお陰か先ほどよりもずっとスムーズな魔力の受け渡しだった。ふうふうと、息を整える。
ワース・マドルは天才なんかじゃない。
自身の頬に3本目の痣が走ったのも、術者の願いを叶えようとする魔導書の真心でしかないし、依然としてワースに愛を捧げるこの魔導書がなぜ自分にここまで執心するのかも分からない。少なくとも、持って生まれた魔力量や固有魔法でないことだけは確かだ。この禁書に相応しい属性のより魔力量のある魔法使いなんか掃いて捨てるほどいる。今だって、力を顕した杖を支えるので精一杯で、瞬間移動とかそういう力を行使できるはずなのに、他の3本線がするように神の力を満足に扱える訳じゃない。
けれど。
それでも。
呼ぶべき相手の名前は、分かっているつもりだ。
キッとワースは天を仰ぐ。この屋敷の結界に阻まれた人間くらいなら、才能のないワースにだって呼び出せるはずだ。
「リトルデビル!」
マーガレット・マカロンの下で音魔法を学んできたのは、ひょっとしたらこの為かもしれない。まるでなにか、予定調和的な、或いは運命論的な妄言が頭の中に浮かんだ。バッカ野郎、アイツに助力を頼んだのは踏み台にしてより強くなる為であって、あんなヤツを褒め称える為ではない。断じてない。気の迷い過ぎる。……けれど今だけは、感謝してやろうじゃないか。
重た過ぎる杖を身体全体で支え、すっと寄ってきた魔導書によろめきながら手を翳す。唱えるべき呪文は既にワースの中にある。
「▓▇▇█████」
杖の援助を受けた魔導書の知覚世界はぐんぐんと広がっていく。張り巡らされた結界も、知覚の上では問題にならない。レーダーのように伸びていく音魔法が、よく知った波動を検知した。ワースは杖を握りしめたまま叫ぶ。
「サモンズ!」
カオスの杖が空間同士を繋ぐのならば。
「来いッ!……オーター・マドル!!」
彼を呼び出すなんて、神を呼ぶよりずっと簡単なはずだ。
◆◇◆◇◆
ソレを唇で挟んだカバたんの頭をよしよし、と撫でる。ほんの少し細まったその瞳に気持ちも和む。
「な、なぜ……?」
カバたんの口の中でモゾモゾと蠢く男に首を傾げた。なぜ、という疑問は当たらない。むしろこちらの方が疑問である。
「あなた方は、少し神に祈りを捧げた方が良い」
知の神杖ソフィナ・ブリビアに調査依頼されたことは2つ。ワース誘拐に際して、水竜や研究者、麓住民の中にワース同様不自然に消えた……人質にされたような人物がいないかどうか。そして、風竜を使役しようとする人物がいないかどうか。
風竜はその性質上、調査用の機器を取り付けた個体がいる。勿論それは許可制であるが、中には許可もなく野生の風竜に使役魔法道具をつけ偵察機代わりに使用しようとする不届き者がいる。たとえ魔法でも、ドラゴンの生命に関わるような危険な命令をさせることはできない。けれど操られた風竜は危険地帯にも平気で立ち入ってしまう。偵察対象に攻撃を受けることもあるだろう。彼らの安全のためにも不法使役を取り締まるのは当然、魔法生物管理局の所管である。
水竜保護区から魔法局方面へしらみ潰しに空を当たったところ、周囲の風竜の情報から2匹、使役魔法道具を使用されていると思しきドラゴンの情報が寄せられた。その動きは明らかな魔法局の監視であった。空を駆け回らされた風竜に治療薬を与えてやり、頭を撫でる。カバたんの口に咥えさせた犯人はこの後、魔法警備隊に引き渡す手筈だ。
「こうしたパターンでは人間よりも魔法動物を使った方が足が付かなくて良い……と考えるだろう、とは知の神杖の言です」
カバたんに挟まれたその男は、ギリ、と歯軋りをした。
◆◇◆◇◆
くらりと足元が崩れる気配にオーターは目を見張る。ちなみに、オーターが起こした地響きではない。恐らく次に放とうと決めた砂魔法が炸裂すれば、結界ごと屋敷まで揺らしたと思うが。
(……なんだこれは)
不思議と悪意を感じないそれは、ただの穴であった。転移魔法とも少し異なる感覚だ。普通「転移」は座標を細かく設定する。けれどこの穴は、オーターがどこに逃れようともどこまででも追いかけてきて飲み込みかねない気配さえあった。
(…………泥?)
ずるりと引き込むその先は、わずかに湿り気を感じる。かと言って濡れる訳でもない。非常に微妙で、それでいて奇妙な感覚であった。連想した物体に思わず中をよく見ようと目を見張る。確かに気配を探れば、なんとなくワースのような感じもある。……様々混ざり合ってよく分からないが。
「…………」
オーターは展開していた攻撃用の砂魔法を解いた。そしてまるで子供が手を引くように、優しい力でこちらを誘ってくる力に身を任せる。これが正解か不正解かは分からないが、泥に纏わるならばワースの魔法の可能性は高い。ふ、と力を抜くと、とぷりと泥がオーターの身を飲み込んだ。その感覚があったのは一瞬だけであった。
次に瞳を開いた瞬間、オーターは見知らぬところに立っていた。禍々しい気配のする棺が傍にあり、床には夥しい量の魔法陣が書き込まれている。当然見覚えはない。しかし驚くべきことに、背後にはワースの気配がある。思わず振り向きたくなるが、オーターは辛抱して前を見据えた。真っ直ぐに杖を構える。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね?禁書管理局副局長」
目の前の人物の頬は、分かりやすいほど引き攣っていた。ワースと禁書の気配の背後に、禍々しい強い魔力の塊。この時点で何が起きているか、だいたい想像がつく。
ワースが禁書を行使して倒れてから、ひとつ、取り決めがなされた。
同じように魔法の使いすぎで倒れた時、ワース本人に医療的な援助を必要としない場合は、禁書は術者を守りつつワースが目覚めるまでその場に待機すること。もし医療的支援を必要とする場合は、ワースの体調に支障がない範囲でその場を速やかに離脱すること、治療を行える機関、或いは医師の元へ搬送すること。そして、それらの最中に知の神杖、または砂の神杖と出会った場合はその指示に従うこと。
禁書が術者の意識不明を契機に暴走してしまうのであれば、予め倒れた時の行動を規定しておけば良い。なんともワースらしい対策である。その際に選ばれた禁書に命令を下すことができる上位者の選定も、彼らしく妥当であると言わざるを得ない。実際、ワースが出るような前線で、彼の身に何かが発生した場合、駆け付けるのは間違いなくソフィナかオーターのどちらかである。
「状況は」
オーターは隙なく杖を構えながら、後方の禁書に声を掛けた。魔法で転移させられた時はさすがに驚いたが、ワースの杖の候補リストには目を通していたから、意外性はない。よりにもよってアレを引くのか、と思わないではないが、原初の神カオスの杖であれば、離れた地にいたオーターを呼び付けるくらいは容易いだろう。
「……大丈夫、だと思う」
いつもよりも幾分かしっかりした応答に、オーターの視線が思わず背後を彷徨う。その場にいたのは確かに捩くれた角を持つ禁書である。しかしその年齢がいつもとは違った。常ならばほんの10歳ばかりの見た目で行動している禁書は、いま殆どワースと同じ程の年齢の見た目をしている。そして、ぐったりと倒れ込むワースの膝裏に手を突っ込んで、いつでも抱えて動ける体勢だ。なるほど、いつもの姿では、もちろん魔法を使うという手はあれど、術者を運んで離脱することは難しかろう。合理的な選択である。そのワースといえば、左頬の痣のすぐ横に、稲妻ともイバラともつかない線がうっすらと残っている。3本線の魔法を行使した後、ということだろう。その手に握られたいつもの杖は、オーターもいつも見るワース愛用の杖であった。オーターのサードと同じであれば身の丈を超えるほどに巨大化したはずであるが、そんな素振りはちっともない。オーターはひとつ頷いた。
「ワースのことは、お前に任せます」
任せるというか、それ以上の選択はない。なんせ、いま最もワースの状態を理解しているのは、禁書の他にいないのだ。
「く……っ」
「副局長は、動かれませんように」
ト、とオーターが地面を踏み締めた瞬間に、既に勝負はついていた。相手は禁書管理局幹部とはいえ、そもそも非戦闘員である。知の神杖ソフィナ・ブリビアに次ぐほどの結界魔法が使える。ワースを捕らえソフィナを罠に掛けるために時間をかけてこの屋敷を整えたのだろう。
だが、それがどうした。
彼女は最前線に立てるほどの禁書使いであるが、結局結界使いは後方支援や攻め込まれる前の事前準備が主たる仕事となる。攻撃魔法の発動スピードに結界魔法が及ぶはずがない。副局長を砂で締め上げた辺りで、「あ!」と禁書が声を上げる。
「ついでだから、魔法陣壊してくれる?」
「?」
「泥魔法のね、魔力を吸うやつ」
ぽいと泥で矢印を飛ばし、この真下、と禁書が指定する。なるほど、アレに触れるかして魔力を奪われたのか、とオーターは砂の雨を念入りに降らせた。他人の恋人の魔力をそうホイホイ奪うなど、万死に値する。
「これで大丈夫ですか?」
「うん。もーちょっとしたらワース起きるから」
その言葉に安堵のため息を吐き出した。きゅっと副局長を締めて気絶させると、オーターは頷いてワースの様子を見るべく、いくぶん駆け足に歩を進めた。
◆◇◆◇◆
小さな取調室で、そこにいないはずの人物が、品よく笑う。
いつもと変わらない微笑のはずだ。しかし今の自分には、獰猛な獣が舌舐めずりをしているようにさえ写る。だらだらだらと、汗が滲み出た。
「実はこれ、ツララにお願いして作成したジョーク用の魔法道具でして」
氷の神杖。
この局面で。
魔法界最高峰の頭脳が出てくるなど。
こちらの動揺を他所に、くるりと印鑑を回す。その箱も、設えも、知の神杖が使用している紋章のはずだった。
「これで魔法捺印をした人間の手の甲に、「私が犯人です」ってイラストが出てくるんですよ。可愛いでしょう?」
空中に大写しにされたのは、氷の神杖が舌を出して笑っているイラストだ。「私が犯人です」「悪い事はしちゃダメだよ?」と文字が踊る。
「使用後12時間程度で浮かび上がるように設定してあります」
思わず自分の手の甲を隠した。
12時間。
あの取引はいつだ。
時計を見上げる。しかしそこにはにっこりと微笑む知の神杖がいた。腕組みをしたままの光の神杖も。
「さて、」
こてんと、この状況でなければいささか可愛らしく、知の神杖は小首を傾げた。微笑まで湛えて。しかし瞳の奥は一切笑っていない。
「その手の甲を、見せてもらえますか?」
鈴を転がすようなその声は、殆ど命令であった。
◆◇◆◇◆
失敗した呼吸に身体が跳ねて、ワースの意識は唐突に浮上する。妙にクリアな思考のまま、視線だけが忙しなく周囲を彷徨った。
(……やっべ、気絶してた!)
跳ね起きようとするワースの動きを抑え込むように、腹の上に手が置かれる。そのローブは自分が着ているものと全く同じもの。手の甲の形も、指先の長さも。自らを支える何者かを仰ぎ見れば、ワースと瓜二つの顔をした魔導書はにっこりと微笑んだ。
「……悪ィ、俺、どのくらい寝てた?」
「5分くらい、……かな」
「…………」
リトルデビルがこう言うのならば、10分以上昏倒していたと見るべきだ。ワースは自分の不甲斐なさに舌打ちしそうになったが、今は反省するべき時ではない。それを見降ろすリトルデビルの表情は非常に柔らかい。まるで、幼な子を見るかのような。実年齢差を思えば正しい感想であるが、何かばつの悪い気持ちになって、ワースはただただ沈黙した。
このような事態に備えて、あらかじめ準備をしていた。当然、自分と同じ程の年齢に成長させたリトルデビルの姿を知らない訳ではない。というか、ここまで育っては「リトル」と付けるのは少々不遜だろう。ワースと並べば少し、いやだいぶ、歳上に感じる。鏡で見慣れた顔なのにそう感じるのは、中身の禁書の本性がずっと歳上だからだろう。
視線を喧騒に向けると、見慣れた砂埃が舞っていた。慣れた魔力を感じて、ほ、と息を吐き出す。
オーター・マドルの召喚は、その場の思い付きだった。たとえどんな状況であっても、オーターなら何とかするだろう、というワースの甘えとも言う。実際これで何とかしているのだから、さすがは砂の神杖と呼ぶべきか。砂埃が収まって、その場に立っていたのは見慣れた後ろ姿だけであった。足元に描かれていたはずの魔法陣がいくつか崩されている。リトルデビルの助言だろう。
「大丈夫ですか?」
「おー……」
ゆっくりと片腕を上げるが、もうとにかく身体が重い。そりゃあそうだ、ワースは本来3本線を顕現させられるほど訓練を積んでいない。魔導書の力で基礎力を底上げしただけだ。にも関わらずその状態でリトルデビルの音魔法を使い、杖自身の力を引き出してどこからかオーターを引っ張り出したのだから、バテて当然である。いつの間にか杖もいつものサイズに戻っていた。その表面をそっと撫でる。お前のお陰で助かった、ありがとう。
しゃがみ込んだオーターが、ワースの手をそっと握る。ほんの少し汗ばんだ手は、いつもより温かい気がした。リトルデビルが掴んだ情報が正しければ屋敷の入り口でも大暴れしていたのだろう。そして今は秒で副局長を沈めた。それほどになるまで、戦ってくれたのだと思うと妙にドキドキとした。
「無事で、良かったです……」
「ありがと」
きゅっとオーターの手を握った瞬間、急速に睡魔がやって来る。安心したのも手伝って、身体が休息を求めているらしい。リトルデビルに心の中で、この後はオーターに従うように、と言い付けると、元気な返事が戻る。いつも通りの様子で何よりだ。
「オーター、」
ぐらりと傾ぐ額が、ぽすり、とオーターの首筋に埋まる。だからこれは、きちんと発音できたか、正直ワースにはわからない。
「昨日電話出来なくて、ごめん……」
うつらうつらとする意識は、そのまま沈んでいった。
◆◇◆◇◆
カナリヤが眠ったのを確かめて、「わたし」はくるりと振り返った。そして、えいや、とばかりに目の前の棺を開く。中身を見て「わたし」は嬉しくなって笑った。
「はーろー?ドラちゃん起きちゃった?」
棺の中に収められた壮年の男性は異様であった。何と言っても首から下がない。脊椎のようにぶっつりと剣が刺さったままだ。むかしはこんなじゃなかったけど、これはこれでオシャレかも?どこか瑞々しい肌はむにゃむにゃと動き、眩しそうに瞳を開く。その色は溢れ出た血のように真っ赤であった。まだ身を起こせる程ではないけれど、カナリヤが奪われた魔力量を思えば、充分、ドラキュラ伯爵の意識はあるはずだ。思った通り、瞬きを繰り返しながらもこちらと瞳が合う。
「……あれ、デビちゃん?」
「そう。おはよ、ドラちゃん」
「知らない間にすごい可愛い姿になってない?」
「でしょ?気に入ってるの」
圧倒的な禍々しさ、威圧的な魔力に反して、交わされる言葉は親しげで軽やかだ。うふふ、と再び「わたし」は笑った。
「ところでドラちゃん、起こされちゃったけど……どうする?もうちょっと寝る?寝るのも起きるのも、ぼく、お手伝いできるけど」
「……ヘルシングくんは?」
「ここにはいないよ」
ぱりっと答えた言葉は正しい。ドラキュラ伯爵が指すのは「エイブラハム・ヴァン・ヘルシング」ただひとりだ。この世界中のどこを探しても、もうどこにもいないだろう。
くわりと欠伸をひとつしたドラキュラ伯爵は肩をすくめるように首を僅かに動かした。
「じゃあ、吾輩、もう少し寝ていこうかな」
「はぁい」
おやすみー、と言って棺を閉じてやる。そしてそのまま、カナリヤから奪われた魔力を抜き取った。なんせ、彼の穏やかな眠りには必要ないものだ。
「ドラちゃん、寝るからしばらく大丈夫だよー」
顔を上げれば、カナリヤを抱きしめる砂が、ひどく難しい顔をしていた。あまり、納得はしていないらしい。彼は時々、人間社会の秩序を強く重んじる。好きなひとの為なら世界を滅ぼせるタイプの性格なのになぁ、と「わたし」はそのチグハグさを結構不思議に思う。
「それは、……その、大丈夫なのですか?」
「ワースはちゃんと解決したかったみたいだしー、ぼくは頑張るワースを見たかったしー、ドラちゃんは寝たかったみたいだからホラ」
うふっ、と思わず声が出る。
「これ、三方よし、って言うんでしょう?」
たぶんカナリヤが起きていたら「おっ前なぁ!」と言いながら再び道徳の絵本読み聞かせの刑に処されるかもしれない。「わたし」はカナリヤが構ってくれるならそれでも良いけども。
少し考える素振りを見せる砂は、ひとつ頷いた。
「確かに、問題ないかもしれません」
そして大きな手のひらを伸ばして、少しぎこちなく「わたし」を撫でる。昔に比べれば、まぁ、器用になった方だ。「わたし」は人間の変化が大好きだから、こうして彼が「わたし」を褒めようとする心の動きも可愛らしいと思う。
「……貴方のおかげでワースは無事でした。ありがとう、リトルデビル」
砂の不器用な感情は心地よい。
「わたし」はくふくふと感情のままに笑った。
◆◇◆◇◆
ワース誘拐事件改め、「ドラキュラ伯爵復活未遂事件」は魔法局にとっても大きな事件となった。まぁ、そもそも巻き込んだ相手が悪い。よりにもよってかの英雄エイブラハム・ヴァン・ヘルシングを輩出したヘルシング家の頭越しに「エイブラハムの棺」の最も重要な頭部を収めた棺を奪ったのだから、盛大な抗議と厳罰を求める声が上がって当然である。……どうやらその背後でヘルシング家を焚き付けに焚き付けまくっていた人材管理局の局長がいたという話だったが、オーターは全てに目を瞑った。というか、全体的に「魔法局内部での政変未遂」ではなく「一部反魔法局派貴族の反乱」ということで事を収めてきたので、一体どういう理屈、取引をしたのだか全く分からない。ソフィナ逮捕の誤報は陽動であった訳だが、その誤報に信憑性を持たせる働きをさせられたのがひどく癪に触ったらしい。やはりカルドもソフィナのことを「文系ゴリラ」とか言える立場ではない。
結局、被害者ヘルシング家の強い意向で、首謀者たちの裁判は公開されることになった。加害者が貴族の、それも禁書の名門を思うとこれは大変珍しい。一種の晒し者である。いま魔法警備隊は留置所で彼らが自殺を図らないか大いに心配している。入れ知恵をしたと思しき男は「まぁでも、一般人は原則公開裁判を受けるものですし、ね?」と朗らかに笑っていた。まったく。
ワースの3本目の痣、そしてカオスの杖については、禁書管理局、人材管理局、研究管理局の3局合同での預かりとなった。ワースが検査入院中に並行して杖の調査も進められたが、ワース本人に許可を取って持ち出しても、収めた箱から杖が忽然と姿を消す、ということが複数回発生した。もちろんその度に3局は大混乱に陥ったものの、持ち主のワースは体調回復の為によく寝ていたものだから、「いつの間にか検査が終わって手元に戻ってきたのかな、」と思っていたらしい。病室に鎮座する禁書が「神さま、隠れんぼ楽しいみたい。遊んでくれてありがと、だって」とにこにこと伝えて来た辺りで、研究所に持ち帰っての調査は打ち切られた。空間を移動する神を捕まえるのは不可能である。禁書といい杖といい、悪魔とも神とも呼ばれる、自我を持ち過ぎで強力な道具に囲まれているワースはもう、そういう星の元に生まれついたというか、そういう存在に好かれやすい体質なのだろうというのが氷の神杖ツララ・ヘイルストーンの見解だ。稀によくあるパターン、だそうだ。ひとつの部類に好かれると、連鎖的に引き寄せがちだという。勘弁してほしい。「引き寄せられ度じゃテメェも似たようなモンじゃねェか」とは墓地管理局局長の言だが、一緒にしないで貰いたい。オーターには悪魔とも神とも違って自制心もあれば良識もある。
ワースが3本目の痣を獲得したの報に最も喜んでいたのはマーガレット・マカロンだろう。これは面倒臭いからオーターが面会謝絶としておいた。というのも、研究管理局の見解によれば、ワースの3本目の痣はまだ不安定なのだそうだ。「無邪気な淵源」との戦いの際に3本目の痣を習得したランス・クラウン、ドット・バレットと同様に、まだ自在に操るには肉体も精神も付いてきていない。特にワースは魔力そのものを禁書の力で底上げしているのも手伝って、ほぼ気力だけで力を解放した杖を操っていたらしい。恐らくマカロンは3本目の痣を解放したワースと戦闘訓練をしたがるだろうが、暫くは基礎訓練を重ねて、自らの意思で痣を顕現させるようになること、そして絶対に無理はしないこと、させないこと。第一の師匠ソフィナ・ブリビアからもマカロンに厳命されている。
「はへぇ……」
他から聞くよりは、と見舞いついでに事件の進展を話してやると、しゃくしゃくしゃくとりんごを食べるワースは分かっているのだかいないのだか、気の抜けた声を漏らした。ベッドサイドチェストには愛用の杖が、そして膝の上には禁書がちょこんと鎮座している。ちなみにりんごを剥いたのはワースである。オーターはまだ、まな板も無しにそんな複雑な真似は出来ない。
「そういやさ、寮長どうなんの?」
「……ああ」
ワースが嫌に気にしていた誘拐の実行犯である。やや狂信的なきらいはあるが、後ろ盾のない平民出身者だ。ワースが気にするから一応魔法警備隊に様子を聞いているが、今は憑き物が落ちたように反省しているという。身分を思えばずっと高位の副局長の言葉に逆らえなかった、と供述しても良いところを、そうした面は否定しないものの、自らの過ちを素直に認めている。
「処遇はまだはっきりしませんが、カルド預かりですね」
カルドの見解は「更生の余地あり」であるが、どう転ぶかは分からない。それなりに逮捕者が出た以上、禁書管理局にも新しい人材の確保が必要になろう。けれど今回の事件をやんわり想定していたソフィナは「まぁ、派閥の問題で閑職に押しやられていたひとを戻すので、新卒採用をやや増やしてくれれば大丈夫です」との話だった。今回の件に関わった者がどの程度処分を受けるかは定かではない。しかし、ほ、とワースは明らかに安堵に息を吐き出した。オーターとしては少々面白くないが、寛大なところを見せるのも良いだろう。仕方ない。フォークを手に取ってりんごをしゃくしゃくと齧る。
「オーター」
フォークを置いたワースが、視線を若干外しながら禁書を撫でている。構われるのが嬉しいのか、禁書は瞳を細めて上機嫌にしていた。その表情と比べ、ワース本人の顔は少し気まずげである。
「その、……助けに来てくれて、ありがとう」
「…………とんでもないです」
ワースはきちんと訓練を積んでいて、それなりに強いから。時々不安になる。オーターがおらずとも、1人で何でもかんでも解決できてしまうくらいには優秀だから。彼が自分を必要としてくれる、最も重要なタイミングに、また間に合わないのではないかと。カオスが開いた亜空間に敷き詰められた泥のようなものに手を引かれた時、実はオーターは、少しだけ嬉しかった。幼い頃にあった筈の、躊躇いがちにこちらの手を引くちいさな弟の姿をようやく掴んだような気がして。
「私の方こそ、」
前のめりの声に喉がひり付く。自分のこんな変化にオーターは苦笑した。
「私の方こそ、頼ってくれて、ありがとう」
一瞬だけキョトンと瞳を丸くしたワースはすぐに破顔した。
「なんっだそれ」
からからと笑う声が病室の中に響く。その姿はまだ禁書を手に入れたばかりの頃を髣髴とさせる。あの時から今を見たら、きっと関係性の変わりようにオーターも笑ってしまうだろう。
「ふふっ」
唇から思わず笑い声がこぼれ落ちた。
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