投稿日:2017年10月24日 20:52 文字数:9,312
第四章 宵の明星 #1
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◇◆◇
ここに人間は存在していない。
否、存在出来ない…という方が正しいか。
とはいえ。
何も宇宙の果ての異星でも、深い地中や海の底、天上の世界…というわけでもない。
れっきとした地上の、森閑とした山中である。
遙か上空の人工衛星から、地球の表面を余すところなく映し出せる…と言われる時代だが、そんな人間の叡智の賜を以てしても、未だこういった「ダークスポット」は確かに存在している。
ここは、そういった映像にも人の目にも見えぬ場所のひとつ。
…人ならざる「妖」が張った結界内。
決して豪奢では無いが、こぢんまりとしながらも古めかしい、威厳の漂う伽藍。
時の流れが留まったような空気を振動させるように、少年の玲瓏たる声が響く。
「随分話が変わっているでは無いか慈斎。我も謀られたものよな!」
「…えぇ…っと。それ俺に言われましても…ねぇ?」
どうやら少年、と見える者の方が立場が上らしい。
十三、四歳にもとれる外見は、女と見紛う麗しさ。
ひとつに結わえた艶やかな髪に雪の肌、桜色の頬と唇…男であると知ればそれこそ稚児や陰間をも思わせる。
ただ、瞳は微かに金色を湛えて鋭く、そこのみは少年が「人でない」ことを匂わせた。
それが、苛立たしげに袴履きの両脚を動かし続けている。
右往左往する彼の下座に跪くのは二人の男。
先刻慈斎、と呼ばれた方が若手である。
どう見ても前時代的な光景から浮いた、明るい茶の短髪。
この場でこそ修行僧よろしく、白い羽織に黒袴といういでたちだが、派手な色のスーツでも身に纏えば、夜の繁華街に紛れていても違和感がなさそうな垢抜けた印象。
もう一人は慈斎とは真逆に、風景に完全に溶け込んでしまうような、厳格な雰囲気の年長者だった。
見るからに禁欲的な修験者然とした風貌。漆黒の長髪と髭で顔を覆っているものの、不潔さは感じられない。
やはり慈斎と同様の黒袴姿で、ひっそりと控えている。
「高尾殿の口添えもあって、烏の小僧を見守るだけというから、我も大目に見てやったのだ。あやつの心があれほど脆弱だったのは、我も想定外だったからな。だが小僧の拠り所が見付かったのに、慈玄が戻らぬのはどういう了見だ!」
結局ご自分が蒔いた種でしょうに…慈斎は口の中で嘯く。
そもそも慈玄はここ、迦葉の守護を申し使っているのに、昔からろくに山に居着いた例しがない。
そんな男をいつまでもあてにすること自体愚かしいと、慈斎は思う。
慈玄のように封印を決定づけられているのは御免だが、自分達の働きのみで、今でも迦葉はそれなりに平穏なのだ。
あの男をそれほどまで必要とする理由が、慈斎には分からない。
目の前の子供みたいな主…中峰の、馬鹿げた執着ではないのだろうかと内心蔑んでいる。
「加えてこの邪気…慈玄め、何時まで我の手を煩わせれば気が済むのだ…。自らのこのこ戻るならば、このまま留め置けぬのか?!」
「…それが出来れば苦労は無い…のは中峰様もようっく御存知の筈でしょ?いつぞやみたいに大暴れされて、またこの一帯が壊滅状態にされたらどうするんです?今の方が人間も多い分、犠牲も多くなりますよ?」
美しい顔を歪ませ、中峰がぎり、と歯噛みする。
「…とにかく。烏の坊やを手放して尚、慈玄が下界に残りたがる理由は、俺もはっきり確認したわけではないので…。取り敢えずそこらへん探ってみますよ。暫しお待ちを…」
口端をくい、と持ち上げると、慈斎は姿を消した。
彼にしてみれば、面白いことになった…そう思うより他は無かった。
慈斎が立ち去った後も、残された年長者は身じろぎせず傅いたままだった。
年長者…には見えるものの、生きてきた長さは、実は中峰や慈斎よりも彼の方が短い。
妖にとって、見た目は実年齢に比例しないのだ。
中峰は彼に一瞥を送ると、ぽつりと訊ねる。
「貴様は…どう思う、慈海」
「慈玄が仮に覚醒した場合、我等ではなかなか手が付けられぬのは周知のこと。邪気が蠢いているのはあやつも気付きましょう。…その始末だけは一旦あやつ自身にさせれば宜しいかと」
渋い表情で、中峰は鼻を鳴らした。
「ふん…封じてはあるのだからそちらは大した事はないだろうしな。我はあんな下衆な怨霊にはあまり関わりとうない」
「…存じております」
顔色を変えず、慈海は頷く。
人ならざる者達の密談を盗み聞きしていたが如く、大木の枝がざわりと風になびいた。
ここに人間は存在していない。
否、存在出来ない…という方が正しいか。
とはいえ。
何も宇宙の果ての異星でも、深い地中や海の底、天上の世界…というわけでもない。
れっきとした地上の、森閑とした山中である。
遙か上空の人工衛星から、地球の表面を余すところなく映し出せる…と言われる時代だが、そんな人間の叡智の賜を以てしても、未だこういった「ダークスポット」は確かに存在している。
ここは、そういった映像にも人の目にも見えぬ場所のひとつ。
…人ならざる「妖」が張った結界内。
決して豪奢では無いが、こぢんまりとしながらも古めかしい、威厳の漂う伽藍。
時の流れが留まったような空気を振動させるように、少年の玲瓏たる声が響く。
「随分話が変わっているでは無いか慈斎。我も謀られたものよな!」
「…えぇ…っと。それ俺に言われましても…ねぇ?」
どうやら少年、と見える者の方が立場が上らしい。
十三、四歳にもとれる外見は、女と見紛う麗しさ。
ひとつに結わえた艶やかな髪に雪の肌、桜色の頬と唇…男であると知ればそれこそ稚児や陰間をも思わせる。
ただ、瞳は微かに金色を湛えて鋭く、そこのみは少年が「人でない」ことを匂わせた。
それが、苛立たしげに袴履きの両脚を動かし続けている。
右往左往する彼の下座に跪くのは二人の男。
先刻慈斎、と呼ばれた方が若手である。
どう見ても前時代的な光景から浮いた、明るい茶の短髪。
この場でこそ修行僧よろしく、白い羽織に黒袴といういでたちだが、派手な色のスーツでも身に纏えば、夜の繁華街に紛れていても違和感がなさそうな垢抜けた印象。
もう一人は慈斎とは真逆に、風景に完全に溶け込んでしまうような、厳格な雰囲気の年長者だった。
見るからに禁欲的な修験者然とした風貌。漆黒の長髪と髭で顔を覆っているものの、不潔さは感じられない。
やはり慈斎と同様の黒袴姿で、ひっそりと控えている。
「高尾殿の口添えもあって、烏の小僧を見守るだけというから、我も大目に見てやったのだ。あやつの心があれほど脆弱だったのは、我も想定外だったからな。だが小僧の拠り所が見付かったのに、慈玄が戻らぬのはどういう了見だ!」
結局ご自分が蒔いた種でしょうに…慈斎は口の中で嘯く。
そもそも慈玄はここ、迦葉の守護を申し使っているのに、昔からろくに山に居着いた例しがない。
そんな男をいつまでもあてにすること自体愚かしいと、慈斎は思う。
慈玄のように封印を決定づけられているのは御免だが、自分達の働きのみで、今でも迦葉はそれなりに平穏なのだ。
あの男をそれほどまで必要とする理由が、慈斎には分からない。
目の前の子供みたいな主…中峰の、馬鹿げた執着ではないのだろうかと内心蔑んでいる。
「加えてこの邪気…慈玄め、何時まで我の手を煩わせれば気が済むのだ…。自らのこのこ戻るならば、このまま留め置けぬのか?!」
「…それが出来れば苦労は無い…のは中峰様もようっく御存知の筈でしょ?いつぞやみたいに大暴れされて、またこの一帯が壊滅状態にされたらどうするんです?今の方が人間も多い分、犠牲も多くなりますよ?」
美しい顔を歪ませ、中峰がぎり、と歯噛みする。
「…とにかく。烏の坊やを手放して尚、慈玄が下界に残りたがる理由は、俺もはっきり確認したわけではないので…。取り敢えずそこらへん探ってみますよ。暫しお待ちを…」
口端をくい、と持ち上げると、慈斎は姿を消した。
彼にしてみれば、面白いことになった…そう思うより他は無かった。
慈斎が立ち去った後も、残された年長者は身じろぎせず傅いたままだった。
年長者…には見えるものの、生きてきた長さは、実は中峰や慈斎よりも彼の方が短い。
妖にとって、見た目は実年齢に比例しないのだ。
中峰は彼に一瞥を送ると、ぽつりと訊ねる。
「貴様は…どう思う、慈海」
「慈玄が仮に覚醒した場合、我等ではなかなか手が付けられぬのは周知のこと。邪気が蠢いているのはあやつも気付きましょう。…その始末だけは一旦あやつ自身にさせれば宜しいかと」
渋い表情で、中峰は鼻を鳴らした。
「ふん…封じてはあるのだからそちらは大した事はないだろうしな。我はあんな下衆な怨霊にはあまり関わりとうない」
「…存じております」
顔色を変えず、慈海は頷く。
人ならざる者達の密談を盗み聞きしていたが如く、大木の枝がざわりと風になびいた。
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◇◆◇
五月ともなれば、陽光は既に初夏の気配を匂わせる。
木々の葉は、新緑というには最早色濃い。暑い、と口に出せば真夏はどうなるのだと言われそうだが、日中は摂氏30度に届くかという日もあった。
彼岸を過ぎて後、慈玄の僧侶としての仕事はそれほど多くはなかったが、和宏の方は大型連休中もアルバイトに明け暮れていた。
折しも中学高校の運動部は総合大会の季節であり、バスケットボール部に所属する和宏はカフェのシフトが入って無くても、こちらの数合わせや応援にかり出されたりもした。また学生は、連休明けには中間試験も控えている。
…つまり、和宏にしてみれば結構忙しい黄金週間だった。
彼が慈玄の元…「慈光院」で生活するようになって、一月半ほどが経過している。
桜の花を愛でる暇もほどほどに、その期間はあっという間に過ぎ去った。
こと慈玄にとって、こんなに満ち足りた日々は未だかつて無かったと言って良い。
永らく生きてきた中で初めて、かつ心底「傍にいて欲しい」と願った少年は、その通りに自分の隣にいて、色々と世話を焼いてくれる。
和宏の言動、仕草、総てが可愛らしく、愛おしく思えた。
それこそ性別など大した問題ではなく…元々、彼にしてみればそれは些細な違いに過ぎなかったのだが…「誰かと共に暮らす」喜びを存分に堪能できる日常であった。
それまで和宏が寺を訪れたときと同じく、一緒に食事をし、風呂に浸かり、並んで就寝するだけで至福を感じた。
かつて正体を見極めたいと思った柔らかく温かな気の流れは、こういった生活の中でも明瞭に慈玄を包み込んだ。
未だ確たる解析が出来ぬものではあったが、心地良く感じるのは間違いない。
しかも、恋愛の何たるかさえ曖昧であろうこの少年は、情交の求めを強く拒みもしなかった。
若さ故の好奇心も加わっているのだろう。キス程度なら、自発的にしてくるときもある。
どうやら「身体に触れる」行為とは、即ち愛情表現である…という認識を和宏は疑わなくなったらしい。
羞恥から「嫌だ」と顔を背けることはあっても、口付けからなだれ込む性交から逃れはしない。
さもなくば…無意識のうちにこれが「慈玄の心をも満たすこと」だと、彼は承知していたのかも知れない。
慈玄の方も、それは薄々と感じ取っていた。なればこそ、自分が「欲求」を抑えなければ、とも。
体格の差は歴然であったし、無理をさせるわけにはいかないと常々慈玄は思っていた。
だが、理性を発揮したところで共に過ごす時間が長くなればなるほど、和宏への愛情は深まってゆく。
かつて懐いた懸念や躊躇は日毎薄れ、今となっては和宏への想いは疑いようもなくなった。
情愛が募れば、おのずと性欲も湧く。
受け止めてくれる和宏に甘えてしまうことも多い。
妖である慈玄にとって、「種の存続」という概念はほぼ存在しない。
子をもうける必要がないので、愛する者の性別に頓着は無かった。
人間である和宏に、同様の感覚を植え付けてしまいそうなのには少々後ろめたさを感じたが、少年がそういう「目覚め」を得たとしたら、その時はその時だ、というやや浅慮な目論見もあった。
…そしてそれは、彼が過去より延々と懐き続けてきた「罪の意識」をも消し去るまでに。
慈玄がこれほどまでにくつろぎを感じられたのは、長い間彼の憂慮の源だった鞍吉のこともある。
誰にも心を開かず、転生して尚自分で自分を追い詰め生ける屍のようであった元烏天狗の青年は、和宏の義兄、光一郎と出会って僅かずつではあるが変わり始めたのだ。
各々の現在の「同居生活」を開始して以来、再び顔を合わせる機会も増えてきたが、その都度鞍吉の表情には変化が見られた。
笑顔こそまだほとんど無いとはいえ、澱んだ目付きで俯くか睨むかだけだったのが、時折照れたり困ったり、他人に悟られるのを恐れていたであろう寂しさをも漂わせるようになった。
まだ完全とは言えぬものの、たったそれだけの変調でも慈玄には悦ばしいことであった。
己の決断、選択は間違ってはいなかったと確信するには十分だった。
…だから、ようやく多忙から少しばかり解放された和宏に、おずおずと強請られたことにも苦笑紛れながら承諾してしまった…のだろうと、後々彼は省みる。
「慈玄の思い出の場所に行ってみたい」
……和宏はそう、告げたのだった。
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◇◆◇
慈玄が和宏に己の正体を明かしたのは、学校が新年度を迎えて間もない頃だった。
春の雨は、桜を散らす。
穏やかに花見が出来る時期は、実はそう長くない。
柔らかくもとめどなく降り続ける滴が、花弁を打ち震えさせる春の宵。
その夜も、慈玄は和宏を抱いた。
少年の身体は散らぬ桜のようだと、慈玄は思う。
舌先で転がせば色を増して膨らむ乳首は、開くことのない蕾に似ている。
香りこそしなくても、洩れる吐息はどこまでも甘い。
「ン………っ、ふ…ぁ、ん…っっ!」
浴衣の襟元を噛みしめながら、和宏が声を堪える。
喘ぎはやはり、恥ずかしいのだという。それこそ、雨粒が花や枝を叩く程度の秘めやかさだというのに。
桜の代わりにほころび開くのは、湯上がりのまま情事に至った滑らかな肌。
同じ様に、薄紅色に染まる。火照ったままのしなやかな腹に舌を這わせ、慈玄は改めて問うた。
「和、嫌じゃねぇか?俺にこんなことされんの」
だが、少年はいつも首を横に振り、否定を表す。
「…うぅん?はずかしい、けど…慈玄がシて、くれるの…は、いや、じゃない…」
消え入りそうな小声ではあるが、きっぱりそう慈玄に伝える。
「怖かったりしねぇのか?こういうの、とか、よ」
言いつつ股を押し開く。
艶やかな丸さを保ったままの双丘の狭間に、菊門が覗く。
睾丸から掌を滑らせるようにして指を沈めると、ぬちり、と湿った音をたてた。
水音に呼応するように、既にいきり勃っていた陰茎がひく、と顫動する。
全てを晒しているのが羞恥を煽るのだろう、潤んだ目を和宏はぎゅっと閉じた。
溜まった涙が頬に落ちたが、それでも拒絶の言葉は発しない。
「じげん、の…ねつ、わかる…から……ッ!」
素直に自分を受け止めてくれる和宏に胸の締め付けられるような甘い痛みを感じながらも、決して相手を呵責しない態度に、雄としての僅かな加虐心が芽生える。
そこまで言うなら、自分の熱を存分に感じさせてやろう、と。
指を抜き取り、秘部に自身を突き立てる。
「っぃ、ゃあぁああああぁッッ…!!」
未だ、慈玄の魔羅は根元までは和宏に収まらない。
しかし最初の頃に比べ、和宏の菊門は情交に「馴らされて」きていた。
ビクビクと背を反らせつつも、必死に呼吸を繰り返し、息を吐く毎に慈玄を奥へ奥へと導く。
やがて慈玄の連動と、和宏の鼓動のリズムが合致してくる。
…この瞬間が、慈玄には堪らなく愛おしい。
「あぁ…すげぇイイよ、和…っ!」
痛みはまだあるだろうから、紛らわす為に和宏自身を手で包み扱く。
爆発寸前に勃起していても、少年の陰茎は難なく掌に覆われる。
「や…っ、ソコ、触られる…と、おれ…もぅ……っ!」
「構わねぇ、イけよ和……」
自分が絶頂に達するまでの力加減で握ってやる。が、和宏は程なく精を放出した。
慈玄もまた、和宏の中に迸る熱を注ぎ込む。
雨は、花を散らす。
散らぬ桜を濡らしたのは、雨では無く汗と、どろっとした粘度を有した白濁の体液であった。
…とはいえ。
本当に永久に「散らぬ」ものでないことも慈玄は承知している。
自らの…「人でない」者の寿命と比較すれば、殊更に。
事後の淡い微睡みのなかで、彼はその事実にふと思いを馳せる。
傍らには、尚も薄紅をたたえた肩と項を襟元から覗かせた、少年の肢体。
この「桜」は…一体どれくらい慈しんでいられるのだろうか。
己が生きている間ほど緩やかには流れてくれぬであろう時を考慮する。
と同時に、彼自身の贖罪と宿命にも思い至った。
和宏に夢中になるあまり、頭から薄れかけていた…いやむしろ、自分が忘れたいと望んでいたのかも知れない償い。
「………なぁ、和……」
情交の疲労感で、少年はぐったりと寝具に身を預けていた。
とろんと眠そうな視線のみを慈玄に向ける。
「ん?」
「お前は…俺が何者でも、俺の気持ちを受け止めてくれるか?」
「…何者?…慈玄は、慈玄だろ?…他になんかあるのかよ…」
投げやりではなく、心底「それだけだ」と言わんばかりに、和宏は返した。
くす、とひそやかな苦笑を浮かべる。
その表情がまた愛らしく、いかにも信頼の証のようで、慈玄の胸を刺す。
この相手に、様々な事実を隠し通すのはあまりにも心苦しい気がした。
一から十まで、暴露してしまいたい衝動に駆られる。
しかし、和宏は何も知らぬ、「普通の人間の少年」なのだ。
鞍吉のようにパニックに陥ることは無いだろうが、冗談ととられてしまうかも知れない。
ひとつひとつ、言葉を句切り諭すように、慈玄は打ち明けた。
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「…和、俺ぁな………普通の人間じゃねぇ」
「普通の人間……?え、何?…まさか宇宙人、とか?」
ごろんと横になったまま、くすくすと忍び笑いを洩らす和宏。
やはりジョークだと思っているようだ。無理も無かろう、と慈玄は一つ息を吐く。
「俺は…妖……つまり妖怪…天狗なんだ」
「…………あやか、し?」
耳慣れない言葉だったのか、和宏は首を傾げて聞き返す。
「お化け、っていうか…幽霊みたいなもの?え、でも慈玄、ちゃんと姿は見えるし、こうして…触れられるし…」
「はは。幽霊と妖怪は別もんだな。幽霊は主に人間や動物の霊魂だ。肉体を離れた魂だけの状態だから、確かに触ったりは出来ねぇ。だが妖怪は違う。確かに人目にゃ触れないよう姿を消したり、闇に紛れ込んだりはしているが…『物質』としては存在しているんだ」
ますます少年は首を捻る。今度は慈玄が苦笑する番だった。
「そうさな…これ、でどうだ?」
おもむろに慈玄は、引っかけていただけの浴衣を落とし、裸の背を和宏に向ける。
大きく筋骨が隆々としているのは元々だが、その中央よりやや上部…丁度、肩胛骨の間の辺りが、更にぼこり、と隆起した。
寝そべっていた和宏は、その時初めて上半身を起こし、瞳を見開いた。
彼の目に映ったのは、およそ信じがたい光景だっただろう。
背中の皮膚を骨が突き破ったような突起は、みるみる大きく伸び、豊かな羽毛を纏った。ばさり、と風を切る音が和宏の耳に届く。
寝所としている座敷いっぱいにも広がったそれは、真っ黒い大きな両翼だった。
元妖である鞍吉は、こんなものを見せる前に己の中の奥底に眠っていた記憶の破片が甦ったらしかったが、前世の履歴らしきものが慈玄でさえ全て読み取れぬほどのささやかな「気」でしかない和宏には、正体を知らしめるにはこの方が有効だった。
怖がらせたり怯えさせたりはせぬだろうか、という危惧も慈玄は覚えたが。
かくいう和宏は、頬を微少に紅潮させ、眼を瞠って固まったまま。
呼吸を整え、絞り出すようにやっと声を発した。
「………触ってみても、いい?」
「あぁ、どうぞ?」
少年のしなやかな指先が、黒い威容に伸びる。
和宏の手に伝わったのは、ふわりとした紛れもない羽毛の感触。
小鳥を掌で包んだ時のような、血の通った温かさもある。
明らかに飾りものでは無い、「生きている」翼だ。
「……………飛べるの?」
「勿論」
大型の猛禽類が羽根を畳む動作で、双翼が慈玄の身体に引き寄せられる。
と、あっという間に跡形も無く消え失せた。
既に慈玄の背は和宏がいつも風呂場で洗い流し見慣れている、広く、筋肉のみが盛り上がった元の状態に戻っていた。
「…音はしなくなったな…」
浴衣に袖を通した慈玄が、立ち上がり縁側に面した障子を開ける。
雨はもう上がっていた。
宵闇はほの白く春霞にけぶり、未だ微かな雨雲で滲んだ朧月が覗いている。
慈玄は微笑を浮かべ、手招きした。
襟を合わせ直し帯を結わえながら、和宏が応えて近づく。
「時間も遅ぇし、さっきまでの雨だ…。今頃空を見上げる奴ぁいねぇだろ」
屈み込んで和宏を抱きかかえると、縁側から素足で庭に降り立った…と、思われた。
しかし慈玄の両足は地面に触れることはなく、真っ直ぐに上昇する。
腕の中から和宏が見下ろせば、本堂と住居部分の瓦葺きの屋根がどんどん小さくなっていく。逆に首を捻って上を見れば、霞んだ月が近づいていた。
「うわ…………ぁ……」
元々高台に所在している慈光院だが、その門前から見るよりもっと遙か遠くが見渡せた。
雨は霧に変わり、遠景を薄布で覆ったようではあったが、それでも疎らに灯る建物の明かりが、深海の夜光虫よろしく揺らめいている。
四月の夜はまだ肌寒い。上空になれば尚更。冷気を遮るようにして、慈玄はしっかりと和宏を抱き締めた。
「驚いたか?」
眼下に広がる絶景を見たまま、少年は頷く。
「……っていうか、服着たままでも出せるんじゃん…」
「そりゃそうだ。裸で飛び回るわけにはいかねぇからな?」
少々場違いな気もする不服を、慈玄はニヤリと笑って受ける。
「妖の変化ってのぁ、ちっと科学的に言や、物質を構成する原子の数や連鎖を組み替えて行う。つっても現代風にその理屈を解明することは出来ねぇんだが。翼を生やしたり消したりは、皮膚や骨や筋肉を『鳥の翼の形状にもってく、元の形状に戻す』っていう作業だ。その際、細胞が服などの繊維の微細な隙間を縫えば、着たままでも変化は出来る。…まぁそんな細けぇ話はどうだっていいんだが…」
学業の成績は優秀な和宏だが、こんな非現実的な状況の中でそんなことを言われてもさっぱり理解不能だろう。
眉を顰め、頭を捻る様子を目視して、慈玄は話を締めた。
「…俺が『妖』だって証明するには、あぁして見せた方が分かりやすかっただろ?」
おどけた口調で言う。が、慈玄にとってこれは一種「賭け」でもある。
「人ではない化け物」だと和宏に明かして、それでも尚この少年は自分の傍に居てくれるのだろうかと。
寺の裏手は山地にさしかかる。
斜面を手前に旋回し、翼を持つ異形の住職は居住する家屋の縁側に着地した。
ばさり、と羽ばたく音だけを残して、双翼は再び慈玄の背に消える。
抱えられた和宏は、寒さもあったのかも知れない、しがみついて僅かに震えている。
「やっぱり…信じられねぇか?それとも怖ぇか?」
畳の上に身体を下ろして、慈玄は和宏の顔を伺う。
当の少年はゆっくりと身を離すと、目を閉じ、はぁ、と深呼吸をひとつ。
…緊張が走る。その口から、どんな返事が飛び出すのか…固唾を呑んで見つめる慈玄。
開いた大きな双眸には、いつもと変わらぬ煌めきが宿っていた。
いやむしろ…薄暗い座敷で、それは通常よりも強い光を放っているように見える。
張らずとも、澄み渡る水のような鮮明さで、和宏は言った。
「それでも…たとえ人間じゃ無くて妖怪でも…慈玄は、慈玄だよ」
戸惑いが全く無かったわけではないだろう。
だがこの少年はいつだって、揺れ動く気持ちの果てにこうして一条の道筋を見出す。
決意は光の軌跡となり、後続の者を導くのだ。
改めて慈玄は、和宏の持つ不思議な「力」を思い知る。
自覚など無いだろうし、当人にしてみれば確信し背負えば重荷にもなりかねないものだと考えはしても…実に希有な、何物にも代え難い能力。
「だから、何も変わらない。慈玄がいやだ、って言うまで、俺はここにいる」
気の流れが強まる。
和宏が何事かを決心する度、この「光」は気高さを増す。
きっぱり伝えたのが少し照れ臭かったのか、頬を染めて和宏は小さく笑った。
「あぁ……ありがとな、和」
やはりこの少年は、自分の闇をも照らすかけがえのない存在なのだ…慈玄はそう再認識する。
柔らかな赤茶の髪を撫でた手は、ふいにその頭部を引き寄せた。
「いやだなんて、間違っても有り得ねぇよ」
口付けを落とした髪に、慈玄の呟き声が埋れた。
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◇◆◇
「俺、慈玄のこともっともっと知りたいんだ。もちろん、人間の俺…にはわからないこととか、知っちゃいけないこととか…もあるかもだけど…でも、俺が知っていいことだけでも…だめ、かな…」
和宏が慈玄の本当の姿を知った後も、それまでは普段となんら変わりない生活が続いた。
進級後の落ち着かなさが一段落したと思えば、その頃はもうゴールデンウィーク目前だ。連休中も和宏には予定が詰まっていた。
「折角良い季節なんだから、中間テストが終わったら一泊くれぇでどっか出掛けるか?」
そう提案した慈玄に対し、和宏の返答は即刻かつ明快だった。
「俺、慈玄の生まれ故郷とかに行ってみたい!」
これには慈玄の方が暫したじろいだ。
生まれは大陸だが、最早自身ですら記憶が相当薄れている程、遠い遠い昔のことだ。
「慈玄」として「生まれ変わった」…という意味ならば、現在も「在籍」はしているところの迦葉山…なのだが。
それはそれで雑多な問題が生じてくる。
「い、いや…それは…」
「……無理に、じゃないんだけどさ。ちょっと思っただけだし」
苦笑する和宏に慈玄は「参ったな」といわんばかりに頭を掻く。
和宏の想いは有難くも、若干頭を抱えざるを得ない。
慈玄の事を知りたいと力説する愛しき少年とは逆に、彼は言葉を詰まらせた。
帰山する「不都合」を和宏に説得するならば、過去の彼の罪から語らなくてはならない。先月ようやく正体を明かしたばかりだというのに、今総てを洗いざらい話しても、和宏の処理能力はきっと追いつかないだろう。
それ以前に…慈玄はまだ、和宏には知られたくなかった。
彼が犯した恥ずべき「罪悪」を。
ならばと折れて、要望に応えてやることにした。
弥勒寺辺りは今時分参拝客も多いし、そこらへんまでならおいそれと「彼等」は手出ししては来ないだろう…と、慈玄は踏んだ。
「分かった。確かに、人間の踏み込めねぇ領域があるから近くまで、だが…行ってみるか?」
満面の笑みで頷く和宏に、表情を緩める。
こうして、迦葉への小旅行は決定したのだった。
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第四章 宵の明星 #1
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◇◆◇
ここに人間は存在していない。
否、存在出来ない…という方が正しいか。
とはいえ。
何も宇宙の果ての異星でも、深い地中や海の底、天上の世界…というわけでもない。
れっきとした地上の、森閑とした山中である。
遙か上空の人工衛星から、地球の表面を余すところなく映し出せる…と言われる時代だが、そんな人間の叡智の賜を以てしても、未だこういった「ダークスポット」は確かに存在している。
ここは、そういった映像にも人の目にも見えぬ場所のひとつ。
…人ならざる「妖」が張った結界内。
決して豪奢では無いが、こぢんまりとしながらも古めかしい、威厳の漂う伽藍。
時の流れが留まったような空気を振動させるように、少年の玲瓏たる声が響く。
「随分話が変わっているでは無いか慈斎。我も謀られたものよな!」
「…えぇ…っと。それ俺に言われましても…ねぇ?」
どうやら少年、と見える者の方が立場が上らしい。
十三、四歳にもとれる外見は、女と見紛う麗しさ。
ひとつに結わえた艶やかな髪に雪の肌、桜色の頬と唇…男であると知ればそれこそ稚児や陰間をも思わせる。
ただ、瞳は微かに金色を湛えて鋭く、そこのみは少年が「人でない」ことを匂わせた。
それが、苛立たしげに袴履きの両脚を動かし続けている。
右往左往する彼の下座に跪くのは二人の男。
先刻慈斎、と呼ばれた方が若手である。
どう見ても前時代的な光景から浮いた、明るい茶の短髪。
この場でこそ修行僧よろしく、白い羽織に黒袴といういでたちだが、派手な色のスーツでも身に纏えば、夜の繁華街に紛れていても違和感がなさそうな垢抜けた印象。
もう一人は慈斎とは真逆に、風景に完全に溶け込んでしまうような、厳格な雰囲気の年長者だった。
見るからに禁欲的な修験者然とした風貌。漆黒の長髪と髭で顔を覆っているものの、不潔さは感じられない。
やはり慈斎と同様の黒袴姿で、ひっそりと控えている。
「高尾殿の口添えもあって、烏の小僧を見守るだけというから、我も大目に見てやったのだ。あやつの心があれほど脆弱だったのは、我も想定外だったからな。だが小僧の拠り所が見付かったのに、慈玄が戻らぬのはどういう了見だ!」
結局ご自分が蒔いた種でしょうに…慈斎は口の中で嘯く。
そもそも慈玄はここ、迦葉の守護を申し使っているのに、昔からろくに山に居着いた例しがない。
そんな男をいつまでもあてにすること自体愚かしいと、慈斎は思う。
慈玄のように封印を決定づけられているのは御免だが、自分達の働きのみで、今でも迦葉はそれなりに平穏なのだ。
あの男をそれほどまで必要とする理由が、慈斎には分からない。
目の前の子供みたいな主…中峰の、馬鹿げた執着ではないのだろうかと内心蔑んでいる。
「加えてこの邪気…慈玄め、何時まで我の手を煩わせれば気が済むのだ…。自らのこのこ戻るならば、このまま留め置けぬのか?!」
「…それが出来れば苦労は無い…のは中峰様もようっく御存知の筈でしょ?いつぞやみたいに大暴れされて、またこの一帯が壊滅状態にされたらどうするんです?今の方が人間も多い分、犠牲も多くなりますよ?」
美しい顔を歪ませ、中峰がぎり、と歯噛みする。
「…とにかく。烏の坊やを手放して尚、慈玄が下界に残りたがる理由は、俺もはっきり確認したわけではないので…。取り敢えずそこらへん探ってみますよ。暫しお待ちを…」
口端をくい、と持ち上げると、慈斎は姿を消した。
彼にしてみれば、面白いことになった…そう思うより他は無かった。
慈斎が立ち去った後も、残された年長者は身じろぎせず傅いたままだった。
年長者…には見えるものの、生きてきた長さは、実は中峰や慈斎よりも彼の方が短い。
妖にとって、見た目は実年齢に比例しないのだ。
中峰は彼に一瞥を送ると、ぽつりと訊ねる。
「貴様は…どう思う、慈海」
「慈玄が仮に覚醒した場合、我等ではなかなか手が付けられぬのは周知のこと。邪気が蠢いているのはあやつも気付きましょう。…その始末だけは一旦あやつ自身にさせれば宜しいかと」
渋い表情で、中峰は鼻を鳴らした。
「ふん…封じてはあるのだからそちらは大した事はないだろうしな。我はあんな下衆な怨霊にはあまり関わりとうない」
「…存じております」
顔色を変えず、慈海は頷く。
人ならざる者達の密談を盗み聞きしていたが如く、大木の枝がざわりと風になびいた。
ここに人間は存在していない。
否、存在出来ない…という方が正しいか。
とはいえ。
何も宇宙の果ての異星でも、深い地中や海の底、天上の世界…というわけでもない。
れっきとした地上の、森閑とした山中である。
遙か上空の人工衛星から、地球の表面を余すところなく映し出せる…と言われる時代だが、そんな人間の叡智の賜を以てしても、未だこういった「ダークスポット」は確かに存在している。
ここは、そういった映像にも人の目にも見えぬ場所のひとつ。
…人ならざる「妖」が張った結界内。
決して豪奢では無いが、こぢんまりとしながらも古めかしい、威厳の漂う伽藍。
時の流れが留まったような空気を振動させるように、少年の玲瓏たる声が響く。
「随分話が変わっているでは無いか慈斎。我も謀られたものよな!」
「…えぇ…っと。それ俺に言われましても…ねぇ?」
どうやら少年、と見える者の方が立場が上らしい。
十三、四歳にもとれる外見は、女と見紛う麗しさ。
ひとつに結わえた艶やかな髪に雪の肌、桜色の頬と唇…男であると知ればそれこそ稚児や陰間をも思わせる。
ただ、瞳は微かに金色を湛えて鋭く、そこのみは少年が「人でない」ことを匂わせた。
それが、苛立たしげに袴履きの両脚を動かし続けている。
右往左往する彼の下座に跪くのは二人の男。
先刻慈斎、と呼ばれた方が若手である。
どう見ても前時代的な光景から浮いた、明るい茶の短髪。
この場でこそ修行僧よろしく、白い羽織に黒袴といういでたちだが、派手な色のスーツでも身に纏えば、夜の繁華街に紛れていても違和感がなさそうな垢抜けた印象。
もう一人は慈斎とは真逆に、風景に完全に溶け込んでしまうような、厳格な雰囲気の年長者だった。
見るからに禁欲的な修験者然とした風貌。漆黒の長髪と髭で顔を覆っているものの、不潔さは感じられない。
やはり慈斎と同様の黒袴姿で、ひっそりと控えている。
「高尾殿の口添えもあって、烏の小僧を見守るだけというから、我も大目に見てやったのだ。あやつの心があれほど脆弱だったのは、我も想定外だったからな。だが小僧の拠り所が見付かったのに、慈玄が戻らぬのはどういう了見だ!」
結局ご自分が蒔いた種でしょうに…慈斎は口の中で嘯く。
そもそも慈玄はここ、迦葉の守護を申し使っているのに、昔からろくに山に居着いた例しがない。
そんな男をいつまでもあてにすること自体愚かしいと、慈斎は思う。
慈玄のように封印を決定づけられているのは御免だが、自分達の働きのみで、今でも迦葉はそれなりに平穏なのだ。
あの男をそれほどまで必要とする理由が、慈斎には分からない。
目の前の子供みたいな主…中峰の、馬鹿げた執着ではないのだろうかと内心蔑んでいる。
「加えてこの邪気…慈玄め、何時まで我の手を煩わせれば気が済むのだ…。自らのこのこ戻るならば、このまま留め置けぬのか?!」
「…それが出来れば苦労は無い…のは中峰様もようっく御存知の筈でしょ?いつぞやみたいに大暴れされて、またこの一帯が壊滅状態にされたらどうするんです?今の方が人間も多い分、犠牲も多くなりますよ?」
美しい顔を歪ませ、中峰がぎり、と歯噛みする。
「…とにかく。烏の坊やを手放して尚、慈玄が下界に残りたがる理由は、俺もはっきり確認したわけではないので…。取り敢えずそこらへん探ってみますよ。暫しお待ちを…」
口端をくい、と持ち上げると、慈斎は姿を消した。
彼にしてみれば、面白いことになった…そう思うより他は無かった。
慈斎が立ち去った後も、残された年長者は身じろぎせず傅いたままだった。
年長者…には見えるものの、生きてきた長さは、実は中峰や慈斎よりも彼の方が短い。
妖にとって、見た目は実年齢に比例しないのだ。
中峰は彼に一瞥を送ると、ぽつりと訊ねる。
「貴様は…どう思う、慈海」
「慈玄が仮に覚醒した場合、我等ではなかなか手が付けられぬのは周知のこと。邪気が蠢いているのはあやつも気付きましょう。…その始末だけは一旦あやつ自身にさせれば宜しいかと」
渋い表情で、中峰は鼻を鳴らした。
「ふん…封じてはあるのだからそちらは大した事はないだろうしな。我はあんな下衆な怨霊にはあまり関わりとうない」
「…存じております」
顔色を変えず、慈海は頷く。
人ならざる者達の密談を盗み聞きしていたが如く、大木の枝がざわりと風になびいた。
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◇◆◇
五月ともなれば、陽光は既に初夏の気配を匂わせる。
木々の葉は、新緑というには最早色濃い。暑い、と口に出せば真夏はどうなるのだと言われそうだが、日中は摂氏30度に届くかという日もあった。
彼岸を過ぎて後、慈玄の僧侶としての仕事はそれほど多くはなかったが、和宏の方は大型連休中もアルバイトに明け暮れていた。
折しも中学高校の運動部は総合大会の季節であり、バスケットボール部に所属する和宏はカフェのシフトが入って無くても、こちらの数合わせや応援にかり出されたりもした。また学生は、連休明けには中間試験も控えている。
…つまり、和宏にしてみれば結構忙しい黄金週間だった。
彼が慈玄の元…「慈光院」で生活するようになって、一月半ほどが経過している。
桜の花を愛でる暇もほどほどに、その期間はあっという間に過ぎ去った。
こと慈玄にとって、こんなに満ち足りた日々は未だかつて無かったと言って良い。
永らく生きてきた中で初めて、かつ心底「傍にいて欲しい」と願った少年は、その通りに自分の隣にいて、色々と世話を焼いてくれる。
和宏の言動、仕草、総てが可愛らしく、愛おしく思えた。
それこそ性別など大した問題ではなく…元々、彼にしてみればそれは些細な違いに過ぎなかったのだが…「誰かと共に暮らす」喜びを存分に堪能できる日常であった。
それまで和宏が寺を訪れたときと同じく、一緒に食事をし、風呂に浸かり、並んで就寝するだけで至福を感じた。
かつて正体を見極めたいと思った柔らかく温かな気の流れは、こういった生活の中でも明瞭に慈玄を包み込んだ。
未だ確たる解析が出来ぬものではあったが、心地良く感じるのは間違いない。
しかも、恋愛の何たるかさえ曖昧であろうこの少年は、情交の求めを強く拒みもしなかった。
若さ故の好奇心も加わっているのだろう。キス程度なら、自発的にしてくるときもある。
どうやら「身体に触れる」行為とは、即ち愛情表現である…という認識を和宏は疑わなくなったらしい。
羞恥から「嫌だ」と顔を背けることはあっても、口付けからなだれ込む性交から逃れはしない。
さもなくば…無意識のうちにこれが「慈玄の心をも満たすこと」だと、彼は承知していたのかも知れない。
慈玄の方も、それは薄々と感じ取っていた。なればこそ、自分が「欲求」を抑えなければ、とも。
体格の差は歴然であったし、無理をさせるわけにはいかないと常々慈玄は思っていた。
だが、理性を発揮したところで共に過ごす時間が長くなればなるほど、和宏への愛情は深まってゆく。
かつて懐いた懸念や躊躇は日毎薄れ、今となっては和宏への想いは疑いようもなくなった。
情愛が募れば、おのずと性欲も湧く。
受け止めてくれる和宏に甘えてしまうことも多い。
妖である慈玄にとって、「種の存続」という概念はほぼ存在しない。
子をもうける必要がないので、愛する者の性別に頓着は無かった。
人間である和宏に、同様の感覚を植え付けてしまいそうなのには少々後ろめたさを感じたが、少年がそういう「目覚め」を得たとしたら、その時はその時だ、というやや浅慮な目論見もあった。
…そしてそれは、彼が過去より延々と懐き続けてきた「罪の意識」をも消し去るまでに。
慈玄がこれほどまでにくつろぎを感じられたのは、長い間彼の憂慮の源だった鞍吉のこともある。
誰にも心を開かず、転生して尚自分で自分を追い詰め生ける屍のようであった元烏天狗の青年は、和宏の義兄、光一郎と出会って僅かずつではあるが変わり始めたのだ。
各々の現在の「同居生活」を開始して以来、再び顔を合わせる機会も増えてきたが、その都度鞍吉の表情には変化が見られた。
笑顔こそまだほとんど無いとはいえ、澱んだ目付きで俯くか睨むかだけだったのが、時折照れたり困ったり、他人に悟られるのを恐れていたであろう寂しさをも漂わせるようになった。
まだ完全とは言えぬものの、たったそれだけの変調でも慈玄には悦ばしいことであった。
己の決断、選択は間違ってはいなかったと確信するには十分だった。
…だから、ようやく多忙から少しばかり解放された和宏に、おずおずと強請られたことにも苦笑紛れながら承諾してしまった…のだろうと、後々彼は省みる。
「慈玄の思い出の場所に行ってみたい」
……和宏はそう、告げたのだった。
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◇◆◇
慈玄が和宏に己の正体を明かしたのは、学校が新年度を迎えて間もない頃だった。
春の雨は、桜を散らす。
穏やかに花見が出来る時期は、実はそう長くない。
柔らかくもとめどなく降り続ける滴が、花弁を打ち震えさせる春の宵。
その夜も、慈玄は和宏を抱いた。
少年の身体は散らぬ桜のようだと、慈玄は思う。
舌先で転がせば色を増して膨らむ乳首は、開くことのない蕾に似ている。
香りこそしなくても、洩れる吐息はどこまでも甘い。
「ン………っ、ふ…ぁ、ん…っっ!」
浴衣の襟元を噛みしめながら、和宏が声を堪える。
喘ぎはやはり、恥ずかしいのだという。それこそ、雨粒が花や枝を叩く程度の秘めやかさだというのに。
桜の代わりにほころび開くのは、湯上がりのまま情事に至った滑らかな肌。
同じ様に、薄紅色に染まる。火照ったままのしなやかな腹に舌を這わせ、慈玄は改めて問うた。
「和、嫌じゃねぇか?俺にこんなことされんの」
だが、少年はいつも首を横に振り、否定を表す。
「…うぅん?はずかしい、けど…慈玄がシて、くれるの…は、いや、じゃない…」
消え入りそうな小声ではあるが、きっぱりそう慈玄に伝える。
「怖かったりしねぇのか?こういうの、とか、よ」
言いつつ股を押し開く。
艶やかな丸さを保ったままの双丘の狭間に、菊門が覗く。
睾丸から掌を滑らせるようにして指を沈めると、ぬちり、と湿った音をたてた。
水音に呼応するように、既にいきり勃っていた陰茎がひく、と顫動する。
全てを晒しているのが羞恥を煽るのだろう、潤んだ目を和宏はぎゅっと閉じた。
溜まった涙が頬に落ちたが、それでも拒絶の言葉は発しない。
「じげん、の…ねつ、わかる…から……ッ!」
素直に自分を受け止めてくれる和宏に胸の締め付けられるような甘い痛みを感じながらも、決して相手を呵責しない態度に、雄としての僅かな加虐心が芽生える。
そこまで言うなら、自分の熱を存分に感じさせてやろう、と。
指を抜き取り、秘部に自身を突き立てる。
「っぃ、ゃあぁああああぁッッ…!!」
未だ、慈玄の魔羅は根元までは和宏に収まらない。
しかし最初の頃に比べ、和宏の菊門は情交に「馴らされて」きていた。
ビクビクと背を反らせつつも、必死に呼吸を繰り返し、息を吐く毎に慈玄を奥へ奥へと導く。
やがて慈玄の連動と、和宏の鼓動のリズムが合致してくる。
…この瞬間が、慈玄には堪らなく愛おしい。
「あぁ…すげぇイイよ、和…っ!」
痛みはまだあるだろうから、紛らわす為に和宏自身を手で包み扱く。
爆発寸前に勃起していても、少年の陰茎は難なく掌に覆われる。
「や…っ、ソコ、触られる…と、おれ…もぅ……っ!」
「構わねぇ、イけよ和……」
自分が絶頂に達するまでの力加減で握ってやる。が、和宏は程なく精を放出した。
慈玄もまた、和宏の中に迸る熱を注ぎ込む。
雨は、花を散らす。
散らぬ桜を濡らしたのは、雨では無く汗と、どろっとした粘度を有した白濁の体液であった。
…とはいえ。
本当に永久に「散らぬ」ものでないことも慈玄は承知している。
自らの…「人でない」者の寿命と比較すれば、殊更に。
事後の淡い微睡みのなかで、彼はその事実にふと思いを馳せる。
傍らには、尚も薄紅をたたえた肩と項を襟元から覗かせた、少年の肢体。
この「桜」は…一体どれくらい慈しんでいられるのだろうか。
己が生きている間ほど緩やかには流れてくれぬであろう時を考慮する。
と同時に、彼自身の贖罪と宿命にも思い至った。
和宏に夢中になるあまり、頭から薄れかけていた…いやむしろ、自分が忘れたいと望んでいたのかも知れない償い。
「………なぁ、和……」
情交の疲労感で、少年はぐったりと寝具に身を預けていた。
とろんと眠そうな視線のみを慈玄に向ける。
「ん?」
「お前は…俺が何者でも、俺の気持ちを受け止めてくれるか?」
「…何者?…慈玄は、慈玄だろ?…他になんかあるのかよ…」
投げやりではなく、心底「それだけだ」と言わんばかりに、和宏は返した。
くす、とひそやかな苦笑を浮かべる。
その表情がまた愛らしく、いかにも信頼の証のようで、慈玄の胸を刺す。
この相手に、様々な事実を隠し通すのはあまりにも心苦しい気がした。
一から十まで、暴露してしまいたい衝動に駆られる。
しかし、和宏は何も知らぬ、「普通の人間の少年」なのだ。
鞍吉のようにパニックに陥ることは無いだろうが、冗談ととられてしまうかも知れない。
ひとつひとつ、言葉を句切り諭すように、慈玄は打ち明けた。
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「…和、俺ぁな………普通の人間じゃねぇ」
「普通の人間……?え、何?…まさか宇宙人、とか?」
ごろんと横になったまま、くすくすと忍び笑いを洩らす和宏。
やはりジョークだと思っているようだ。無理も無かろう、と慈玄は一つ息を吐く。
「俺は…妖……つまり妖怪…天狗なんだ」
「…………あやか、し?」
耳慣れない言葉だったのか、和宏は首を傾げて聞き返す。
「お化け、っていうか…幽霊みたいなもの?え、でも慈玄、ちゃんと姿は見えるし、こうして…触れられるし…」
「はは。幽霊と妖怪は別もんだな。幽霊は主に人間や動物の霊魂だ。肉体を離れた魂だけの状態だから、確かに触ったりは出来ねぇ。だが妖怪は違う。確かに人目にゃ触れないよう姿を消したり、闇に紛れ込んだりはしているが…『物質』としては存在しているんだ」
ますます少年は首を捻る。今度は慈玄が苦笑する番だった。
「そうさな…これ、でどうだ?」
おもむろに慈玄は、引っかけていただけの浴衣を落とし、裸の背を和宏に向ける。
大きく筋骨が隆々としているのは元々だが、その中央よりやや上部…丁度、肩胛骨の間の辺りが、更にぼこり、と隆起した。
寝そべっていた和宏は、その時初めて上半身を起こし、瞳を見開いた。
彼の目に映ったのは、およそ信じがたい光景だっただろう。
背中の皮膚を骨が突き破ったような突起は、みるみる大きく伸び、豊かな羽毛を纏った。ばさり、と風を切る音が和宏の耳に届く。
寝所としている座敷いっぱいにも広がったそれは、真っ黒い大きな両翼だった。
元妖である鞍吉は、こんなものを見せる前に己の中の奥底に眠っていた記憶の破片が甦ったらしかったが、前世の履歴らしきものが慈玄でさえ全て読み取れぬほどのささやかな「気」でしかない和宏には、正体を知らしめるにはこの方が有効だった。
怖がらせたり怯えさせたりはせぬだろうか、という危惧も慈玄は覚えたが。
かくいう和宏は、頬を微少に紅潮させ、眼を瞠って固まったまま。
呼吸を整え、絞り出すようにやっと声を発した。
「………触ってみても、いい?」
「あぁ、どうぞ?」
少年のしなやかな指先が、黒い威容に伸びる。
和宏の手に伝わったのは、ふわりとした紛れもない羽毛の感触。
小鳥を掌で包んだ時のような、血の通った温かさもある。
明らかに飾りものでは無い、「生きている」翼だ。
「……………飛べるの?」
「勿論」
大型の猛禽類が羽根を畳む動作で、双翼が慈玄の身体に引き寄せられる。
と、あっという間に跡形も無く消え失せた。
既に慈玄の背は和宏がいつも風呂場で洗い流し見慣れている、広く、筋肉のみが盛り上がった元の状態に戻っていた。
「…音はしなくなったな…」
浴衣に袖を通した慈玄が、立ち上がり縁側に面した障子を開ける。
雨はもう上がっていた。
宵闇はほの白く春霞にけぶり、未だ微かな雨雲で滲んだ朧月が覗いている。
慈玄は微笑を浮かべ、手招きした。
襟を合わせ直し帯を結わえながら、和宏が応えて近づく。
「時間も遅ぇし、さっきまでの雨だ…。今頃空を見上げる奴ぁいねぇだろ」
屈み込んで和宏を抱きかかえると、縁側から素足で庭に降り立った…と、思われた。
しかし慈玄の両足は地面に触れることはなく、真っ直ぐに上昇する。
腕の中から和宏が見下ろせば、本堂と住居部分の瓦葺きの屋根がどんどん小さくなっていく。逆に首を捻って上を見れば、霞んだ月が近づいていた。
「うわ…………ぁ……」
元々高台に所在している慈光院だが、その門前から見るよりもっと遙か遠くが見渡せた。
雨は霧に変わり、遠景を薄布で覆ったようではあったが、それでも疎らに灯る建物の明かりが、深海の夜光虫よろしく揺らめいている。
四月の夜はまだ肌寒い。上空になれば尚更。冷気を遮るようにして、慈玄はしっかりと和宏を抱き締めた。
「驚いたか?」
眼下に広がる絶景を見たまま、少年は頷く。
「……っていうか、服着たままでも出せるんじゃん…」
「そりゃそうだ。裸で飛び回るわけにはいかねぇからな?」
少々場違いな気もする不服を、慈玄はニヤリと笑って受ける。
「妖の変化ってのぁ、ちっと科学的に言や、物質を構成する原子の数や連鎖を組み替えて行う。つっても現代風にその理屈を解明することは出来ねぇんだが。翼を生やしたり消したりは、皮膚や骨や筋肉を『鳥の翼の形状にもってく、元の形状に戻す』っていう作業だ。その際、細胞が服などの繊維の微細な隙間を縫えば、着たままでも変化は出来る。…まぁそんな細けぇ話はどうだっていいんだが…」
学業の成績は優秀な和宏だが、こんな非現実的な状況の中でそんなことを言われてもさっぱり理解不能だろう。
眉を顰め、頭を捻る様子を目視して、慈玄は話を締めた。
「…俺が『妖』だって証明するには、あぁして見せた方が分かりやすかっただろ?」
おどけた口調で言う。が、慈玄にとってこれは一種「賭け」でもある。
「人ではない化け物」だと和宏に明かして、それでも尚この少年は自分の傍に居てくれるのだろうかと。
寺の裏手は山地にさしかかる。
斜面を手前に旋回し、翼を持つ異形の住職は居住する家屋の縁側に着地した。
ばさり、と羽ばたく音だけを残して、双翼は再び慈玄の背に消える。
抱えられた和宏は、寒さもあったのかも知れない、しがみついて僅かに震えている。
「やっぱり…信じられねぇか?それとも怖ぇか?」
畳の上に身体を下ろして、慈玄は和宏の顔を伺う。
当の少年はゆっくりと身を離すと、目を閉じ、はぁ、と深呼吸をひとつ。
…緊張が走る。その口から、どんな返事が飛び出すのか…固唾を呑んで見つめる慈玄。
開いた大きな双眸には、いつもと変わらぬ煌めきが宿っていた。
いやむしろ…薄暗い座敷で、それは通常よりも強い光を放っているように見える。
張らずとも、澄み渡る水のような鮮明さで、和宏は言った。
「それでも…たとえ人間じゃ無くて妖怪でも…慈玄は、慈玄だよ」
戸惑いが全く無かったわけではないだろう。
だがこの少年はいつだって、揺れ動く気持ちの果てにこうして一条の道筋を見出す。
決意は光の軌跡となり、後続の者を導くのだ。
改めて慈玄は、和宏の持つ不思議な「力」を思い知る。
自覚など無いだろうし、当人にしてみれば確信し背負えば重荷にもなりかねないものだと考えはしても…実に希有な、何物にも代え難い能力。
「だから、何も変わらない。慈玄がいやだ、って言うまで、俺はここにいる」
気の流れが強まる。
和宏が何事かを決心する度、この「光」は気高さを増す。
きっぱり伝えたのが少し照れ臭かったのか、頬を染めて和宏は小さく笑った。
「あぁ……ありがとな、和」
やはりこの少年は、自分の闇をも照らすかけがえのない存在なのだ…慈玄はそう再認識する。
柔らかな赤茶の髪を撫でた手は、ふいにその頭部を引き寄せた。
「いやだなんて、間違っても有り得ねぇよ」
口付けを落とした髪に、慈玄の呟き声が埋れた。
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「俺、慈玄のこともっともっと知りたいんだ。もちろん、人間の俺…にはわからないこととか、知っちゃいけないこととか…もあるかもだけど…でも、俺が知っていいことだけでも…だめ、かな…」
和宏が慈玄の本当の姿を知った後も、それまでは普段となんら変わりない生活が続いた。
進級後の落ち着かなさが一段落したと思えば、その頃はもうゴールデンウィーク目前だ。連休中も和宏には予定が詰まっていた。
「折角良い季節なんだから、中間テストが終わったら一泊くれぇでどっか出掛けるか?」
そう提案した慈玄に対し、和宏の返答は即刻かつ明快だった。
「俺、慈玄の生まれ故郷とかに行ってみたい!」
これには慈玄の方が暫したじろいだ。
生まれは大陸だが、最早自身ですら記憶が相当薄れている程、遠い遠い昔のことだ。
「慈玄」として「生まれ変わった」…という意味ならば、現在も「在籍」はしているところの迦葉山…なのだが。
それはそれで雑多な問題が生じてくる。
「い、いや…それは…」
「……無理に、じゃないんだけどさ。ちょっと思っただけだし」
苦笑する和宏に慈玄は「参ったな」といわんばかりに頭を掻く。
和宏の想いは有難くも、若干頭を抱えざるを得ない。
慈玄の事を知りたいと力説する愛しき少年とは逆に、彼は言葉を詰まらせた。
帰山する「不都合」を和宏に説得するならば、過去の彼の罪から語らなくてはならない。先月ようやく正体を明かしたばかりだというのに、今総てを洗いざらい話しても、和宏の処理能力はきっと追いつかないだろう。
それ以前に…慈玄はまだ、和宏には知られたくなかった。
彼が犯した恥ずべき「罪悪」を。
ならばと折れて、要望に応えてやることにした。
弥勒寺辺りは今時分参拝客も多いし、そこらへんまでならおいそれと「彼等」は手出ししては来ないだろう…と、慈玄は踏んだ。
「分かった。確かに、人間の踏み込めねぇ領域があるから近くまで、だが…行ってみるか?」
満面の笑みで頷く和宏に、表情を緩める。
こうして、迦葉への小旅行は決定したのだった。
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