sungen

お知らせ
思い出語りの修行編、続きをpixivで更新しています。
旅路③まで書きました。
鯰尾と今剣は完結しました(^^)pixivに完全版が投稿してあります。
刀剣は最近投稿がpixivメインになりつつありますのでそちらをご覧下さい。
こちらはバックアップとして置いておこうと思ってます。

ただいま鬼滅の刃やってます。のんびりお待ち下さい。同人誌作り始めました。
思い出語り続きは書けた時です。未定。二話分くらいは三日月さん視点の過去の三日鯰です。

誤字を見つけたらしばらくお待ちください。そのうち修正します。

いずれ作品をまとめたり、非公開にしたりするかもしれないので、ステキ数ブクマ数など集計していませんがステキ&ブクマは届いています(^^)ありがとうございます!

またそれぞれの本丸の話の続き書いていこうと思います。
いろいろな本丸のどうしようもない話だとシリーズ名長すぎたので、シリーズ名を鯰尾奇譚に変更しました。

よろしくお願いします。

妄想しすぎで恥ずかしいので、たまにフォロワー限定公開になっている作品があります。普通のフォローでも匿名フォローでも大丈夫です。sungenだったりさんげんだったりしますが、ただの気分です。

投稿日:2019年05月12日 21:47    文字数:43,591

骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章

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一章分まとまってます。R18、R18Gです。 
※本文重複していたのに気が付いてあわてて直しました。誤字も修正済みです。
申し訳ありませんでした…汗
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【注意!】

※こちらはいわゆるブラック本丸ものです。
以前公開していた分+一章最終話(最後のページの分)という感じです。

※鯰尾がとても推されます。骨喰もとても推されます。この二人が主人公のつもりです。

※作者の偏った好みによって書かれた作品です。設定は独自解釈、捏造、虚構です。

※多数BLカップリング(三日月×骨喰、審神者×鯰尾)の作品になります。
その後は三日月×骨喰、鶴丸×鯰尾、男審神者×鯰尾、の話になると思います。

男審神者とのセックスシーンは無いですが、朝チュン的な感じは容赦なく入ります。
※刀剣破壊、刀解は普通にあります。
※刀剣への暴力、グロシーンはあまりないですが、こういう酷いことがありました、というのはいきなりさらっと入ります。

ダメそうだったらブラウザバックお願いします。


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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ① 鯰尾藤四郎

この本丸に、鯰尾藤四郎が来た。
その時にはすでに骨喰藤四郎、一期一振がいた。

「鯰尾兄さんが来たって!?」
「やっとか」
「わぁ!」
粟田口の短刀たちは飛び跳ねた。

骨喰は首を傾げていた。鯰尾?
骨喰藤四郎には昔の記憶が無かった。
だがそれなりにこの本丸に慣れた。一期一振がいたというのが大きい。

――この本丸では、まだ他の刀剣に若干の空きはあるものの、粟田口が早々にそろった。

「早く会いたい」「もうすぐ来るよ!」「鳴狐は会いに行きたいと申しております」
「会いに行こうか?」「そうしようぜ!」
「こら、初めは色々説明とかあるだろ?邪魔するな」
はしゃぐ皆を、薬研が止めた。

今日の近侍は一期一振だ。一期一振には骨喰も懐いている。

鯰尾藤四郎…?
皆が話すその名前を聞いても、記憶の無い骨喰は、特に何も感じなかった。

だが粟田口最後の一振り……というのは一応気になる。
…どんな様子だろう。
そう思って、骨喰はこっそりと抜け出した。

呼び起こしの間。

そう呼ばれている部屋。
鍛刀された刀は、ここで主に呼び起こされる。
鍛刀された後、呼び起こさないで、そのまま刀結される刀もある。保管場所は違う。
――呼び起こされなければ、ただの刀だ。
それは、主の心遣いかもしれないし、決まりなのかもしれないし、苦肉の策なのかもしれなかった。

主に呼び起こされた刀剣は、ここで役目についての説明を受ける。
骨喰は記憶が無かったので、混乱し、大分手間取った。
聞けば鯰尾というのは自分と同じく焼けたらしい。――少し心配だった。
「…くそ…また、失敗か…っ」

主の声が聞こえて、骨喰は障子を少し開け、隙間からのぞいた。

――骨喰が隙間から見たのは。

一期一振が抱き起こす、ぐったりとした黒髪の少年と。
主が掲げ持つ、ひびの入った脇差しだった。

「…くそ…今度こそは、上手く行ったと思ったのに…」
主は俯いて、肩を落としていた。
「主、これはどういう…」
一期一振が、目を覚まさない鯰尾藤四郎を抱えて言った。

「分からない。……実は、前も、いや、良く鯰尾はできたんだ。だが、いつもできたと思えば折れる…。……私の力不足だ……。すまない一期一振…。ぬか喜びさせた。この刀は刀解する」

主の言葉に、骨喰は耳を疑った。
刀解…!?だと?

主は鯰尾藤四郎の額に手を当てて、溜息を付いた。
「やはり上手く行っていない…」
「ですが、息がありますっ」
一期一振が言った。

「…っ駄目だ!!」
骨喰は思わず障子を開けていた。

「!」
主と一期一振が振り返った。

「少しひびが入ってるだけじゃないか!手入れすれば良い!」
骨喰は言っていた。

「やっと助かったんだろう!駄目だ主――」
言って、自分でも驚いた。

「骨喰…」
一期一振が驚いた。
「……この刀は…験(ゲン)が悪いのかもしれない」
主が言った。

「私の力が不安定なのか、他に理由があるのか分からない。手入れしても、目を覚まさないかもしれない。だから情が移る前に破壊…、いや、刀解した方が……」
主も迷っている様子だった。

「駄目だ」
骨喰はなぜかそう言っていた。
「――主、私からも、お願い申し上げます!どうか手入れを!息があるんですよ…!」
一期一振が言った。

か細いが、息がある。

「……」
主は『それ』を見た。

「分かった……、手入れ部屋に運ぼう。骨喰、皆を――、いや、一期一振、お前が先に出て、上手く兄弟に言い含めてくれ。近寄るなと。他の刀剣達も見てはならない」
主がそう言った。一期一振が頷き出て行った。

「骨喰…ついて来い」
「!」

呼ばれたのが意外だったが、骨喰はついていった。

■ ■ ■

手入れ部屋の前では、侍従が待機していて、いつものように札を渡された。

この札は通常、手入れされる刀剣の名前を書き記して、手入れ部屋入り口の柱に掛けておく。
新しい刀剣の場合は適当な者が名を書いて、かけるのだが…。

「何も書かずとも良い。かけるのも少し待て」
と言われたので、骨喰は名札を手に持ったまま奥へと入った。

幸い手入れ部屋はすべて空いていた。
畳部屋に布団が敷いてあり、奥は鍛刀場と繋がっている。

「どうだ、手入れで直りそうか?」
主が侍従に聞く。
「……はい、これくらいなら大丈夫、だと思います」
侍従は少し自信なさげにそう言った。

「では頼む」
侍従に刀身の手入れを任せ、主は鯰尾藤四郎を寝かせた。

「主…なぜ、いつも失敗する?」
骨喰は主に尋ねた。幾度も失敗している、と言っていた。

「…分からない…。他の刀は問題無いのだが…」
主が頭をかきむしった。これからどうするのか、と悩んでいるようだった。
「…体の傷は?どこを怪我しているんだ?」
骨喰は言う。
刀身の損傷は軽から中傷、と言った所だった。
だが鯰尾を見た所、どこも怪我をしていない。

「――そう言えば、そうだな」
刀に傷があるなら、体に傷があるはずだ。

骨喰が上着の合わせ部分を開け、ネクタイを取り、シャツのボタンを外し体を改めたが、どこにも傷はなかった。
そのままにしておくのもどうかと思ったので、またシャツを着せる。脱がせた上着は着せずに畳んだ。

「――軽傷だからか?」
主も首を傾げた。
「――終わりました」
侍従が鯰尾藤四郎を持って来た。

刀身は治っている。
「…が、やはり目は覚まさぬと……」
納得したように主が言った。…主には骨喰に分からない事が分かっているのかもしれなかった。
「どうする主」
骨喰は困って主を見た。

「……骨喰」
主は溜息を付いた。

「仕方無い。私の部屋へ運ぶか……」
「……」
主は刀解はしない事にしたらしい。

「あー…変な噂になったらどうしよう」
主はそんな事を呟いている。
「変とは?」
骨喰が聞いた。

「このまま鯰尾藤四郎が目を開けなれば、戦には出られない。戦にも出さず、皆にも引き合わせずに、四六時中手元に置いておくなんて。刀達に――なんと言われるか、変態って言われたらどうしよう」
「…気にしすぎだ」

そこで骨喰は、ふと思いついた。
「主、俺の部屋はどうだ?」

「骨喰の?――あ」
そう言えば、一期一振、鳴狐、骨喰の部屋は…本丸の少し奥まった場所にある。
初めは粟田口の部屋を横並びにまとめていたが、増えすぎた短刀に追い出され、部屋が足りなくなったのだ。
一期一振は鳴狐と同室。骨喰は…。その隣の部屋を一人で使っている。
つまり、『最後の粟田口』が来たら骨喰の部屋に入るはずだった。
「もともと同室の予定だ。……別にかまわない」
骨喰はそう言った。

「……そうだな……。悪いが頼めるか。政府に問い合わせてみるから――、いや。政府は破棄しろというだろうな……、何とか調べるから、たのむ。…目を覚ませばいいんだが」

「わかった」

■ ■ ■

「骨喰兄さん、鯰尾兄さんは?」
薬研藤四郎が尋ねて来た。今は鳴狐と一期一振が見ている。

「……」
骨喰はどう言えばいいのか分からなかった。まだ言うなと口止めもされていた。
「いきなり手入れ部屋って、どうしたのかって、皆が騒いでる」

――主は何度も失敗していた、と語っていた。
だが骨喰はここに来てから、鯰尾が来たと聞いた覚えがない。
失敗の度に速やかに刀解されていたのだろうか?
主の嘆きようでは、幾度もあったのか。
…骨喰は庭に鯰尾のからっぽの死体を埋める主が浮かんで。ぞっとした。
あるいは一期一振か?……あまり知らない様子だったが…。
――そういえば、刀解された刀剣男子は、一体どんな風に消えるのだろう。
この本丸の主は、おそらく刀解を……ほとんどしたことが無い。
骨喰も今は大分古参となったが、ここに来てからの年月『刀解』という言葉を聞いた覚えすらなかった。
この本丸の主は、刀剣である骨喰からすれば相当優秀で…『破壊』に至っては別の本丸の出来事、という感じだ。

「傷は治った。今は寝ている」
骨喰は端的に言った。主が隠せと言うなら相応の理由があるのだろう。
このまま目覚めないのは確かに不味い。

「焼けたせいで…記憶が無いのか?」
薬研藤四郎が心配そうに言った。

「…いや……。様子をみてくる。薬研は入ってはいけない」
骨喰はそう言って、その場から逃げ出した。


「――骨喰だ。入る。どうだ?兄弟は」
ふすまをあけて骨喰は言った。

骨喰の部屋には新しい布団が運び込まれていて、そこに夜着に着替させられた鯰尾藤四郎が寝ている。枕元には手入れの終わった本体の脇差が、鞘に収まり置かれている。

一期一振と、鳴狐が心配そうに見ている。
「…分からない。起きるまではここで寝かせましょう。骨喰、鯰尾を頼めるかな?」
一期一振に言われ、骨喰はうずいた。
「目が覚めるでしょうか。鳴狐は心配でございます。兄弟達に、なんと言えば良いのでしょうか?」
鳴狐のお供の狐が言った。
「そうだな……、一晩経っても目が覚めないようなら…他の兄弟には、事情を説明しておいた方がいいかもしれないね。主様と相談して来よう」
一期一振はそう言って立ち上がった。

「…早く起きると良いな」
鳴狐が囁くように言った。
「……ああ」

■ ■ ■

「とりあえず、一晩は様子見、明日、他の審神者に聞いてみるそうだ。起きなければ、主様から皆に事情を説明するとおっしゃっていました。ここにいる皆はひとまず他の兄弟に『鯰尾は少し混乱して、寝ている』と伝えてほしい。他の刀剣達には、今夜はまだ黙っておくんだよ。いいね」
一期一振がそう言った。

骨喰は頷いた。

「私達が、主様にわがままを申し上げたんだ。必ず起きると信じよう。今はあまり表沙汰にすると良くないから、そのつもりでいて欲しい。主様は本丸にいる分には問題無いとの仰せだから。――とにかく、鯰尾が起きれば問題は無いのですが…」
そう言って、一期一振は溜息を付く。

「必ず起きる」
骨喰は、…温かい手を握る。

「さっきより温かい。…きっと大丈夫だ」
骨喰はそう言った。

■ ■ ■

その一晩、骨喰藤四郎は鯰尾藤四郎をずっと眺めていた。

「起きろ、兄弟」

「兄弟は起きなければ、いけない」

時折呟いた。
顕現したとき、骨喰は記憶が無く不安だった。
炎だけが記憶にあって、酷くうなされた。
だがこの本丸の兄弟や、自分を知っていた三日月、そのほか全ての仲間、主にも支えられてなんとかやってきた。
いまでは誰もがかけがえのない存在だ。
――兄弟に記憶が無いというなら、今度は自分が助けになろう。
――どこか悪いところがあるというなら、自分が助けよう。
――たとえ刀剣として戦えなくても。一度も目を覚まさずに消えるなどあってはならない。

――だがらどうか目をさまして欲しい……。

明け方…。うめきが聞こえた。

「!」
うたた寝してしまっていた骨喰は飛び起きた。
「――」
鯰尾が眉を潜めている。うなされている。

「っ!起きてくれ!」
骨喰は揺さ振った。

「こっちへ、来い!!」
骨喰が叫んだ。

■ ■ ■

「――骨喰!」
隣に詰めていた一期一振がふすまを開けた。

「――、」
重たげに、ゆっくりと鯰尾の瞼が開いた。
うつろな瞳が、手を強く握りしめ、のぞき込む骨喰を見上げた。

「兄弟!!」
骨喰は目を見開いて言った。自分に似ている、と思った。

「……だれ…?」
「兄弟っ」
「――鯰尾!私が分かるか?一期一振だ」
一期一振りが、膝をついてのぞき込む。

鯰尾は、重たげな様子で頭を動かした。

「…えっ……、あ。いちにい…!――、あ、…おまえ骨喰?」
「良かった…!」

こうして、鯰尾藤四郎は目を覚ました。

■ ■ ■

「鯰尾藤四郎です。燃えて一部記憶が無いけど、過去なんて振り返ってやりませんよ!」
鯰尾藤四郎はにっこりと笑った。

「そうか。何はともあれ良かった。だが、やはり記憶は一部、無いか…」
主は分かっていた、というように頷いた。

「ええ。所々。でも兄弟達の事は覚えてるので大丈夫です。闘いには支障は無いですって」
鯰尾藤四郎はにっこりと笑った。

「…そうだな。これからよろしく頼む。早速だが、今日の合戦場に、骨喰と出てみるか?」
「はい!」
鯰尾藤四郎は笑顔で頷いた。

■ ■ ■

蛍丸、骨喰、一期一振、鶴丸、三日月。
鯰尾以外の布陣は最強。
そして敵の大将に難なく勝った物の、短刀の攻撃を受けた鯰尾は左肩に軽傷を負った。

「兄弟、大丈夫か?」
「平気平気。これくらい何ともない」
「骨喰はすっかり心配症だね」
一期一振が微笑んだ。

「手入れして貰ったら治るって」

――問題は、その手入れ部屋で起きた。

「終わりました」
手入れ部屋の侍従が言った。

「え?もう?」
鯰尾は首を傾げた。傷が――。

左肩に受けた傷が消えない。

「俺…、ちゃんと治ってますか?」

■ ■ ■

「主、どういうことでしょう…」
鯰尾は手入れ部屋を飛び出し、主に申し出た。

「……分からん。刀と躯が上手く繋がっていないのか……」
主が深い溜息を付いた。

「すまない…。私が未熟なばかりに…」
表情は見えない。声はほんの少し震えていた。

「……いえ。……けど主、これって不味いですよね。要するに、俺は失敗作で、重傷を負ったりしたら、人みたいに、治るのに時間が掛かる…って事ですよね」
鯰尾はうつむいて言った。

「……そう、かもしれない」
主は項垂れた。確証はないが、試すのは危険だ。

「……」

鯰尾は下を向いたまま微動だにしなかった。

「主……俺を刀解してください。少しの資源にはなるでしょう?」
すぐに顔を上げてそう言った。

「――っ」
主は息を詰めた。

…この本丸には、何故か鯰尾藤四郎が来なかった。
合戦場で見つけても、呼び起こせない。
鍛刀してもそこで失敗する。粉々に砕けたり、刀身が焼けただれたり。
何とか呼び起こしても、すでに躯が死んでいたりした。…刀解するしかなかった。

自分に力がないのか。いや、三日月、鶴丸、蛍丸。並みいる刀は手に入った。
この自分に力は、十分、あるはずだ。

……演習で他の本丸の鯰尾藤四郎を見ると、記憶の無い骨喰と、どこも上手くやっているようだ。
何としてでも、手に入れたい。なぜできない?
――そしてついに完全な形で鍛刀ができた。霊視しても、おかしな所はない。
傷もない。これなら間違い無く呼び起こせる。

骨喰藤四郎も喜ぶだろう。

だが――呼び起こした後にひびが入った。息はあった。

目を覚ましたと聞いて、今度こそ上手く行ったのだと…そう思いたかった……。

「…、戦に出なければ。他にもまだ練度の低い刀剣はいる」
主は絞り出すように言う。

「いいえ、主。この本丸には、俺以外に練度の低い者は、いません。連結用の刀は呼び起こさない。主がそうお決めになったから。皆が一振だけの刀剣です」
鯰尾が、脇差を抜き、主の前に置いた。

主は連結用の刀の意識を封印し、ずっと目覚めさせないようにしていた。
…出陣中…。
鶴丸は鯰尾に『主の残酷なやさしさゆえだ』と語った。

「…っ」
「主のお気持ちは嬉しいです。ですが俺達の本性は刀です。ただの道具なんです。人にはなれない。それは、きっとどの刀もそう思っています。俺も、俺の宿命として受け入れています」

「……しかし…!」
主は首を振った。

「本丸に置くことくらいは……」
主はかすれた声でそう言った。

「主。道具に情けを掛けてはいけません」

強い口調で言われて主はうなった。
出来る事なら、生かしたいと思っていた。

傷が治らない。それは致命的だが……。

――本当に致命的だ。主は深く長い息を吐いた。
「…、……骨喰にはどう言う…」

「何も言う必要はありません。失敗作だったから、刀解したと」

主が目の前の鯰尾藤四郎を見る。

刀剣は、この鯰尾は……見かけはまるで普通の少年なのだ。

――審神者に就任してしばらくの後。
随行した演習で、他の審神者から刀剣に関する様々な逸話を聞くようになった。
刀剣男士はそもそもが成り立ちを決められた存在だが、希にそこから外れた話が出る。

刀剣とは誠に不思議なものよ……くらいに思っていた。

刀剣に良くする審神者も多い一方で、無体を働く審神者も多い。
…他の審神者から、耳を塞ぎたくなる自慢話を聞かされる事もあった。
穏やかにいさめつつ、自分はそんな事はしない、と軽蔑し過ごしていた。

役目の為と必死になっていた。
…だが。

「……君達は、神なのだな。私はそんな事も分かっていなかった……。君を骨喰藤四郎に連結させる事も出来るが…」
主はやはり情けをかけるつもりで言った。
……鯰尾藤四郎はこの本丸に来て、まだあまりに間もない。せめて兄弟の力となれば。

「必要はありません。俺、そういうの大嫌いです。そのうち、新しい俺が出来ますって」
鯰尾がにっこりと笑った。

「……そうか……」
刀解した刀の映し身が、どのように消えるか?

それは連結する時と同じ。

ただの……とてもきれいな光になるのだ。
そして後に鉄くずが残る。
破壊で無いだけましか。

刀剣より劣る我ら人間が、どうして付喪神を操れよう?

審神者は付喪神と心を通わす唯一無二の存在。
――政府よ――。
やはり私をくるわすのか。


「感謝します、主さま」

■ ■ ■

唸り声と物音を聞き、主の部屋に飛び込んで来たのは、骨喰と従侍の蛍丸だった。
骨喰は鯰尾を迎えに来た。
「主?どうした!?」

主は床に伏せていた。
「主様!?――どうしたの!?」
蛍丸が驚く。

蛍丸が伏せて震える主の背に手を乗せた。
主は……涙をはたはたと面紗の下で流し、畳を濡らすばかりで応えない。

そして気が付いた。
「あれ?鯰尾さんは?さっき入って…」
主の部屋に、ついさっき入っていった鯰尾藤四郎がいない。
この部屋は行き止まりで、他の場所から出ることは出来な――。

「……まさか」
蛍丸が漠然と、そう言った。理解してはいなかった。

骨喰は血の気が引いた。
骨喰はついさきほど、廊下で手入れが終わった鯰尾藤四郎とすれ違った。

『さー手入れも終わったし。主に、俺からも戦課を報告してくる、一応隊長だし。挨拶?』
『そうか。兄弟、夕餉がすぐだから、着替えて来ると良い』
『ん』

おかしな所はなかった。
少し遅いので近侍部屋で待とうと思って。側まで来た所で唸り声を聞いた。

聞いた事の無い慟哭に、どくん、どくん、と心臓が大きく脈打っている。
「――……ぅぅう…――」
主は畳を何度もなぐり、ガリガリとかきむしっている。骨喰は震えた。
…これは憎しみの唸り声だ。
それに驚くよりも、骨喰には、今すぐ確認したい事がある。
「…主。兄弟はどこだ?ここに来たのだろう?」

「……骨喰ぃ」

主は顔を上げた。
面紗で表情は見えないが、布の張り付いた口元が笑っていた。

「大丈夫。すぐ、また新しい鯰尾を作ってあげるよ」

「知っているかい、審神者はフシなんだ」

けけけけけけ!と不気味な笑い声が響いた。

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骨喰と鯰尾と男審神者話 一章 ② 来派

鯰尾藤四郎が刀解された。
理由は失敗作で、重大な欠陥があったため。

それからしばらく、粟田口の刀たちは放心していた。
だが次第に事実として受け入れて、役目に没頭した。

時が経つにつれて、その本丸は、随一と呼ばれる大勢力になっていった。

■ ■ ■

「ばみ兄。今度主様から僕と五虎退に褒賞が出るんだって。何かなぁ」
骨喰の部屋で乱藤四郎が言った。五虎退はとなりではにかんでいる。
「ああ。頑張ったからな」
骨喰はぎこちなく微笑んだ。

と、誰かの気配がした。部屋の外に蛍丸がいた。
「失礼します。あの…一期一振さん、乱さん、骨喰さん、五虎退さん。主様がお呼びです。皆あつまるようにと」

「了解した」「あ。はぁい」
骨喰と乱が立ち上がった。
「あっ…、はい、今行きます。いち兄……」
五虎退は隣の部屋を見た。

「ご用かな?」
隣の部屋にいた一期一振達も出てきた。

…その席で告げられたのは、練度が上がった短刀への、極(きわめ)修行の命だった。
選ばれたのは誉を上げた乱藤四郎と五虎退。
この二人はすでに練度は足りていたが、極修行は必要条件が厳しく、またその間は戦力から外れてしまうので、出陣の多くなった昨今、中々機会が巡ってこなかった。
「僕たちが…」「極修行…!」
乱と五虎退はこれ以上無い褒美と目をきらきら輝かせ、いずまいを正した。

極『きわめ』…この修行を終えた短刀は、とても強力な戦力となる。

主は楽しげだった。
「二人とも、よく頑張った。次は誰がよいかとずっと迷ったが、先の戦を評価した。今剣から修行は厳しいと聞いている。励めよ」
「――はいっ」
二人が声をそろえて返事した。

「準備が整ったので、他の短刀達も順次、修行に送り出す。他の者もうかうかしていたら短刀にひょいと抜かれてしまうぞ?」
皆、主のいつもの冗談だと分かったが、極となった短刀の強さを演習で知っているので、笑えなかった。
極短刀は機動が高く、刀装も使いこなすやっかいな相手だ。
複数に不利な陣形で囲まれたら、かなりの苦戦を強いられる。

「明日からの近侍は、引き続き骨喰藤四郎でいく。来週また決める」

この本丸の主は近侍を二、三日で変えるが、だいたい顔ぶれは決まっている。
骨喰藤四郎が続いているが、これも良くある事なので、誰も気にしなかった。

と言うよりも、適材適所な世話焼き人選にすると自然とそうなるのだ。
…明石国行や三日月宗近などには絶対に任せられないし、鶴丸国永に至っては、はじめの一度きり。彼は主から、悪戯が過ぎて心の蔵に悪いとの言を頂いた。

「それと、最後にひとつ」
主が続けた。

「…実は、このたび私の家族を本丸に住まわせる事にした。といっても一人だけだが…」

刀剣達が少しざわついた。
「家族…?」「えっ…いたの?」「こら」
役目の鬼であるこの審神者に、家族とかいたのか、というのが大方の心境だった。

「けど奥の居所を使うから、君達は北方とは顔を合わせることはない。食事は近侍に運んで貰う。よろしく頼むよ」

北方…。つまり北の方…ということは奥さんなのだろう。

「了解です」「はい」
近侍になる事が多い者達は嬉しげに頷いた。
奥さんか――どんな方だろう。と誰かが呟いた。
「主も隅におけないな」
というさわさわした会話が聞こえる。

ほんの少し浮かない顔をしているのは、来派の者達だったが、誰も気が付くことはなかった。

■ ■ ■

……この本丸は、同じ刀派の刀剣を同室にしている。

第三部隊隊長の国行は、『次の出陣に関して話がある』と主に呼ばれて、一人で主の間に行っている。
もちろん、……お題目だろう。

来派の部屋で、愛染国俊と蛍丸がひそやかに会話する。
「蛍。まさか、……来ちまったのか?」
「うん…国俊…たぶん」
愛染国俊の言葉に、蛍丸が項垂れた。
つまりはこの本丸に、再び鯰尾藤四郎が顕現した。

「――俺は反対だ」
愛染国俊が言った。
蛍丸は溜息を付いた。
「けど、国行は『まあ、しゃーないな、とんだ貧乏くじやけど』って。確かに…僕たち『来派』には直接関わりは無いよ」
「――そんなわけあるか。蛍お前、国行がどう思ってるかわからないのか……!」
愛染国俊に言われ、蛍丸がうつむいた。
「うん…分かってるよ…でも、主様は、仕方無いんだ。僕たちが何もしなければ、何も…問題は無いんだ」

「――くそ」
愛染は、その日の事を思い出した。

一月ほど前、来派の三名が主に呼ばれた。
なんだろう、と思って面倒くさがる国行を連れて行ってみた。

そこには主と、…その側に骨喰藤四郎がひっそりといた。
…鯰尾藤四郎がいなくなってから骨喰は、とても口数が少ない。
全く喋らないと言ってもいい。
鯰尾藤四郎が来る以前は、兄弟たちとよく会話をしていたのに。まだ立ち直れていないのだろう。
蛍丸は骨喰を見て何の気なしに、鯰尾藤四郎が刀解された日の事を思い出した。
あの日はたまたま、自分が近侍だったなぁ。そうのんきに思った。

「ようやく来たか。お前達に話しておくことがある。この事は他言無用だ」
主はそう言った。
来派の三人をあつめたのだ。余程の事なのだろう。

「へぇ。それで?」
国行が興味なさげに言った。
「実は、愛染を、新しく三振作った」
主はそう言った。
「え?」
愛染は意外そうな顔をした。

「蛍丸は『よく』知っていると思うが、あの時できた鯰尾藤四郎には欠陥があった」
…いつのことだったのか添えることもなく。主は淡々と語る。

「二振り目の出来は悪くない。だが合戦には出せない。…いや、鯰尾藤四郎はどこにも出さない。奥向きに住まわせて、私の補佐をさせる」

蛍丸が、ひゅ、と息を吸った。

――まさか。
「主さま…、それは、どういう」

明石国行が顔色を変えた。
「つまり主さん、…愛染の命が惜しければ――鯰尾さんが奥向きにいてはると、他の皆さんに黙っていろちゅう事ですか。正気で言うてはります?」

「なっ」
愛染も意味が分かったのだろう。二の句が継げなかった。
…大太刀の蛍丸は出現しにくいが、短刀の自分はそこまででもない。むしろ余るくらいだ。

「…そういうことだ。だがなに、鯰尾の役目はただの補佐だ。近頃は軍勢も多くなり、色々と私一人では行き届かないのだ。戦に出せないなら、それも良いだろう?以前と同じ鯰尾藤四郎だが、それぞれが代わりのきかない者だ」
その言葉には、特に感情がこもっていなかった。

「そう……他のモノと違って、『彼』はもう、もう二度と。換えがきかぬのだ。大切に、しなければな……」
いつもの主の、優しい言葉に聞こえる。

蛍丸はそれが恐ろしかった。

「奥向きで何か足りぬ事があれば、お前達に手伝わせる。分かったな」

――その宣告に、蛍丸、愛染、国行は戦慄した。

そして、今日の出来事に続く。

「まじで……まじで恐えよ。主はどうちしまったんだ」
愛染が頭を抱えた。今までの主からすると、信じられない言い分だった。
皆の前では普通だったのに。

この本丸では、刀剣男士が暮らす場所と、主が生活をする奥向きが完全に分かれていて、主の居所にはほとんど誰も足を踏み入れたことは無かった。
踏み入った事のある者には三日月がいた。顕現してまもなく、適当に徘徊し迷い込んだらしい。
彼は短刀達に興味津々で尋ねられ「空の部屋が並んでいただけだった。ただの、主の居所のようだ」と答えていた。
――刀剣が増えれば奥向きも使われるかもしれない、と言われていたが、この本丸は十分に広い。

主は今まで、特定の刀剣や刀派贔屓にしたことはない。

ましてや自分の居所に侍らそうなどと……。
そもそも、愛染、蛍丸は、主に男色の気は無いと思っていた。
良く出来た優しい人、というのが蛍丸、愛染、その他の刀剣の認識だった。

「ね…ねえ、国俊。十日くらい前…、国行が…」
言いながら、蛍丸は震えた。

もう十日ほど前だろうか。主に呼ばれた明石国行が、真っ青な顔で帰って来て。
『主には逆らうな。わかったな』
二人にそう言った。

「……何があったとか、考えたくもない。あの国行が青ざめるんだぜ」
愛染が言った。
国行の様子は尋常では無かった。
蛍丸、愛染、この二振りにはいざとなれば、『国行は自分達を守る為に何でもする』と言う確証がある。
国行は主に刃を向けることもするだろう。
その見えない信頼こそが、来派の強さだ。

……人選は、なるほど、適任だろう。
人数が多い粟田口ではどこからか漏れる話も、自分達――、人一倍弟思いな国行、そして兄想いな自分達なら大丈夫だ。

「…僕たちは、これも主への忠誠の形って事で納得したよね…」
蛍丸は言った。声が沈みがちになるのは仕方無い。
「ああ…。国行も…いざとなれば、別のお前を見捨てても良いか、って俺に言ったし。だけど、……俺達より、なあ、蛍。鯰尾さんは大丈夫なのか?」

「――分からない。主は、そんな酷い事をするような人じゃ……ないと、思う」

蛍丸は…主の狂った笑い声を思い出した。
鯰尾さんが刀解されたあの時何があったんだろう。

明石国行が主に呼ばれ、真っ青な顔で帰って来た後も、この本丸は何の問題も無かった。
蛍丸と愛染は忘れていたくらいだ。
だから今日、奥向きに『北方』を住まわせると突然聞いて。

余計に、ぞっとしたのだ。

水面下で主は何をしていた?
…骨喰は多分知っているのだろう。

比較的早く顕現した蛍丸は近侍になる事も多かった。
その頃、主が『一期一振は出来たが、鯰尾藤四郎ができない、何故だ?』とぼやいていた事を覚えていた。
やっと一振りできて、それを失って。半年ほどになる。

主はそれから、まさか、ずっと……?

正気なのだろうか。
蛍丸はそんな事すら思った。いいや、主のただの、一時の熱中だ。
――蛍丸を鍛刀した時もそうだったらしい。

「骨喰が知ってるかもしれないから、それとなく聞いてみるけど……話してくれるかな…、……骨喰に会ってくる。国俊は下手に動かない方がいいよ」
「ハァ…分かった。本当に、ただ仕事を手伝わせるだけなら問題は無いしな!本丸もでっかくなったし。きっと、主は、本当に手が回らなくて困ってるんだぜ」
愛染が膝を打って、少し明るく言った。

「…うん。そうだよね」

蛍丸は心から祈った。
そうであってほしいと。

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ③ 来派2

蛍丸は、骨喰を探しに部屋を出た。足音をころす。
今は何となく、他の刀剣に会いたくなかった。

考えてみれば、審神者が刀剣男士を侍らす事には特に問題は無い。

例えそれが夜に主を慰める為であっても、……言い方は悪いが、蛍丸は審神者の権利、自由だとすら思っていた。
たがそれは、無理強いが無ければの話だ。
蛍丸は、顕現したかもしれない二振り目の鯰尾に、まだ会っていない。
それが本当に奥に居るのかも知らないし、どんな役目をおっているのかも知らない。

蛍丸は溜息をついた。
――なんで、僕たちが。
たまたまあの日近侍だったから?

…だが、来派に関わる重大事項となった以上、きちんと把握しておかなければ…。

何を?
もちろん、鯰尾藤四郎が置かれた状況をだ。

骨喰なら知っているだろう。
酷い目に逢っていなければ、問題は無い。
夜とぎがたまにとか、そのくらいなら、刀剣としての役目の内だ。

近づいてくるこの気配は――。国行だ。もう一人。
見ると骨喰と国行が廊下を曲がって、こちらへ来る所だった。
この廊下で鉢合わせた、つまり骨喰は、国行と一緒に来派の部屋へ行くつもりだったのだろう。

「蛍…」
国行が蛍丸に言った。
「国行、なんの話だったの?ぼく、ちょうど骨喰さんに会いに行こうと思ってたんだけど…」
「ほんなら、部屋に戻ろ。骨喰が説明してくれるて」
国行が言った。

■ ■ ■

来派の三人、真ん中に国行、右に蛍丸、左愛染。

彼らと対峙した骨喰は急に、床に手をつき、深く頭を下げた。
「…すまない…!」
畳に額が付くほどに。

「ちょ」
「俺では、主を止められない」

蛍丸が口を開いた。
「骨喰さん、この本丸に、鯰尾さんが…いるの?」

「…ああ。顕現している…」
骨喰が言った。

「――俺は鍛刀に立ち会った。主は本気だったが、まさか出来るとは思っていなかった。兄弟を見た主は…。おかしくなってしまった。今は、兄弟がどんな状況か、分からない」
近頃の骨喰にしてはかなり長く話した。
それだけ必死なのだろう。

「主は、奥向きへの廊下に刀剣が入れないように細工をしたらしい。どうにかして入ろうと思ったが無理だった」
骨喰は眠れていないのだろう。声もかすれていた。

「主さんは…食事は、空の部屋に置くようにって、言っとった。完璧に主さんに娶られたと思うしかないなぁ」
国行が言う。

「なんや酷い事になってないか……祈ってやるしかないわ…。主さんなら大丈夫やって思いたいわ…」
軽い言葉だったが、目は笑っていない。

「すまない…明石国行…俺は何とかして、兄弟に会う方法を探す……。待遇を聞き出して……人質になっている君達の兄弟たちも、必ず助ける」
骨喰は続けた。

「知ってるんだ?」
と蛍丸が言った。

「――主は、俺、に……」
骨喰は言いよどんだ。

「――まあ、ええわ。ゆっくりな。俺たちは何もせずに待っとる」
「……すまない……俺に力が、無いばかりに」
骨喰は拳を握りながら、深く頭を下げた。

「この事は、皆には、今後、誰にも、一切、絶対に言わないでくれ。俺もお前達が手伝っているとは言わない。兄弟達は何も知らない。兄の一期一振もだ。絶対に言わないでくれ!」

「くれぐれも、どうかお願いする…!」
骨喰は必死な様子だった。

「骨喰…」
愛染が何かを言いかけたが、言葉は出てこない。
国行が同情も露わにしている。…骨喰も兄弟を盾にされているのかもしれない。

愛染は、国行に尋ねても答えてくれないだろうと思った。

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ④ 三日月宗近

「主…」
骨喰藤四郎は、主の部屋を訪れた。

「骨喰だ。入っていいか」
震える声でそう言って、障子を開けて入る。

主は座していた。
待っていたのか。

「骨喰。どうした?」
優しげに聞いてくる。

「主。兄弟に合わせてくれ」
「兄弟?お前には山ほどいるだろう。皆、元気にしているか」

「そうじゃない。鯰尾藤四郎だ」
骨喰が言った途端に、主の雰囲気が一変した。
「何を言っている?」
厳しい声で言う。

「お前ごときが…」
そして、ひひ、ひひ、と笑いを漏らす。

「なぜ会いたい?彼はもう死んだんだ。歴史は変えられない。お前も、そう言っていただろう」
「…、主、だから、俺が言っているのは二振り目の鯰尾藤四郎だ!今、奥にいるのだろう?」
骨喰が言った。

「――、奥向きにいるのは私の妻だ」

それが本気に聞こえて、骨喰は俯いた。
「…頼む、話をさせてくれ。兄弟は、鯰尾は大丈夫なのか!?」

「居ないものは仕方が無い」
主はそう言った。

「……」
骨喰は肩を落とした。
主は一夜明けてからは、あれは妻だの一点張り。
もう骨喰には、どうする事もできないのかもしれない。

……今、奥向きに閉じ込められている兄弟。

刀剣をどう扱おうと主の自由だ。
鯰尾は妻だと言う通り、主はひどい暴力は振るわないのかもしれない。
夜とぎの対象だったとしても、その行為で躯が傷つくこともない。

だが骨喰は、もっと他の……やり方があると思うのだ。
――例えば、いち兄や仲間に囲まれて、兄弟が笑っていられるような。
――戦場で雄々しく闘うような。兄弟にはそうあってほしい。
そんな当たり前の事が、どうしてなされないのかと思うと、喪失感だけがある。
自分の鯰尾に対する感情が漠然としていて、嫌気が差した。

どこかあきらめてしまうのは、二振り目だからか?
確かに骨喰は、二振目の鯰尾に価値は無いと思っていた。
骨喰藤四郎にとって大切なのは以前の、刀解された鯰尾藤四郎だ。

たった一度、共に出陣しただけの、一振り目の鯰尾藤四郎……。

主から刀解の理由を教えられて、仕方が無いと思った。
いっそ後を追うかと思ったが、その方法はよく分からない。

――主の醜愛は、自分にも向けられている。

骨喰はそれを身をもって知っていた。
……鯰尾が出現しなかった間、寝所に呼ばれていたのは自分だ。
骨喰は、鯰尾が来たら飽きるだろうと思って相手をしていた。いずれ鯰尾が出来てしまった時の為にと思い、よがり、媚びる事さえした。

だが恐ろしい事に……。それは終わらない。
面紗布ごしに、自分に対する目線を感じる。それは、鯰尾藤四郎を求める者としての連帯感ではない。
主が骨喰に向けるのは性愛玩具を見る目だ。
無論、他の刀剣は気が付いていない。

二振目がどうした。偽物だ。
そんな事は感じないくらいに疲れている、何も感じ無い。
と思ったが、二振り目の鯰尾藤四郎としばらく話したら、それだけで。

骨喰は、『鯰尾藤四郎』ともう一度共に、闘いたいと思った。
同じで無くても良い。よく来てくれたと、抱きしめたいと思った。
同じで無くても良いから。ただ、自分の側にいて欲しい。笑っていて欲しい。
不幸であってほしくない、それだけなのだ。

「主……。主が、兄弟に固執し、側に置きたいというなら譲歩しよう」
――主に寵愛され、暮らしに不自由がないなら、鯰尾藤四郎は、いつか幸せだと笑う事もあるだろう。主に心を向ける事もあるはずだ。

「だが……、なぜあそこまでする?」

「あそこまで?」
主が首を傾げた。
「……愛染国俊を、他の者たちを。なぜあんな目に遭わせる?頼むから、止めてくれ……!」
骨喰は言った。

「少しばかり苛めただけだ。壊してはいない」

「主…っ!」
骨喰が怒りを含んだ声で言う。

「……」
言っても無駄なのかもしれない。

上手く行かない鍛刀の果て、嬲られたある夜。
『そうだ…』と言われ地下室を見せられた骨喰は、心底震え上がり、主に逆らえなくなってしまった。
主は正気を失っているのではないかと思った。

主の秘密を知る骨喰でさえも。鯰尾のいる奥向きには入れない。
主を殺して、とさえ思ったが、殺気を見透かされ、主が死ねば解ける類いの物では無いと言われた。
――この本丸は、見かけは、全く問題が無い。
これから少しずつ崩れるのかも知れないが、この主なら上手くやってしまうのかもしれないという気もする。

骨喰は……もう、こうして進言するだけが精一杯だ。

主が立ち上がった。
「君は礼儀を知らないようだ。彼は違った。きちんと跪いて――。立派な最後だったよ」
「…!」
骨喰は震えた。

「……無礼だったなら、謝る」
そして膝を折る。

「どうか、愛染国俊を解放して、ください。主様、お願いします…!」
骨喰は畳に額を付けた。

「そうだね――鯰尾と、愛染、どちらが君にとっての大事かな。もちろん鯰尾藤四郎だよね?主に嘘は良くない。彼は嘘をつかないよ?」
今の主は、外では時代がかった言葉で話すが、骨喰には親しげな言葉を使う。
これがこの主の素の話し方なのか、狂った末そうなったのか。
……以前あった、親しみやすさ。気安さ、愛嬌のようなものは無くなってしまった。

「――」
骨喰は何と言えばいいのか分からなかった。

「君は、鯰尾が良ければそれでいいんだろう?その無事を確かめたら、愛染なんてどうでもよくなる。君には記憶が無いんだよね。本当は鯰尾藤四郎の事なんて良く知らないのに、兄弟だからって、求めてる。求めてどうしたいの?君のそれはどういう感情?ちゃんと兄弟愛かな?」

「……わからない、だけど、兄弟愛、だと思う。だが主、さま。俺には愛情という物がなんなのか、それすらよく分からない。……俺は刀だから」

ひひ、ひひ。
と主は笑った。
「――そうだねぇ、そうだねぇ」

がん!!と何か衝撃を感じて、骨喰は畳に頰をぶつけた。
頭を蹴飛ばされたと分かったのは痛みを感じた後だった。
髪を掴まれる。

「お前は本当に、馬鹿で可愛いね。鯰尾が欲しいならそう言えば良いのに。『俺に一振、払い下げて下さい、主のお古で構いませんから』って。だが、お前なんぞに触れられたら妻が汚れる。あれは私の物だ」

骨喰は頭が真っ白になった。
怒りを通り越して、あ然としてしまった。
そして、お古という言葉が示す事を理解し、めまいを起こしそうになる。

――なぜ、主はそんな事を言うのだろう。
――なぜ。兄弟を侮辱する。

「あ、主っ…はなせ」
骨喰は、主の手を振り払った。
起き上がろうとしてふらついた。身を崩したまま、何とか主を見る。

「骨喰…汝、刀剣なり。ひひ。――どうだいこの言葉は?格好良いだろう?彼は、僕に自分はただの道具だと言った。彼は、君より遙かに賢い――。いいか、骨喰。覚えの悪いその頭で、良く覚えておけ!お前達はただの道具だ!」

ふふ、ひひ、ひひひっ!と主は笑った。

「主っ!!愛染は…!!」
「何だ、まだ言うのかい?じゃあ、そうだね、次は五虎退とか、どうかな…?愛染はそろそろ、もうひとり、だめになりそうだから。また国行に埋めて貰わないとね」

にタァ。と主が笑った。

「主…っ!!馬鹿はやめろ!」
「道具に情けをかけてはいけません、…彼はそう言ったなぁ。確かにその通りだった。彼の言った事を、忘れないうちに書き留めておこうか、ひひ、ひひっ!ああ――楽しいなぁ!」

「主っ!」
骨喰藤四郎は立ち上がり、主に取りすがった。

「何だ、まだいたのか。お前は明日出陣だろう。道具はさっさと寝ろ。ああ――彼は失敗作なんかじゃなかったんだなぁ!ああ――私は、――私は、娶ったから鯰尾は私の物だ。はははっ、ああ――楽しい!触るな」
バシ、と手を払われた。

「とっとと、出て行け。私はもう妻の元へ行く」
主は骨喰にそう言った。

■ ■ ■

骨喰は呆然としていた。

視界が勝手に揺れていた。
どうして自分は足を動かしているんだと思った。
彷徨うように、一人になれる場所を探した。

どこなら、泣ける?

――だれにもみつかってはいけない。
あの惨状を思い出し、吐き気がこみ上げてきた。

――口を押さえながら、走り、本丸の外れまで来た。馬小屋の影だ。

「うう、うう…っ!」
げほ、げほっ、と咳き込んだが、あと一歩で吐き戻せない。手足が冷たくて。

涙ばかりが頰を伝う。
声を上げてはいけない。あふれ出る涙を必死でぬぐいながら、骨喰は自分の指を咬んだ。

板壁にすがりついて、ひくひく、と声を上げてすすり泣いた。

「――どうしたのだ」

「――」
心臓が急に飛び跳ねて、頭痛まで感じた。

――みつかっ。

「骨喰…!?」
「――」
言葉が出ない。

見つかったら死。目玉がなかった。

――あああ。
三日月。
そこにあったのは闇夜に浮かぶ美しい三日月だった。

「どうした…!?」
暗いめだま。骨喰は倒れそうになって、三日月に支えられた。
「……、」
ここで気を失ったら、だめだ。

もし全てが明るみに出て、本丸が崩壊したら、主はおそらく鯰尾だけを連れて逃げる。
――確証などないが、そうなるという気がした。
「骨喰、どうしたのだ…!」
「ま…、て!五月蠅い!」

骨喰はそう言って、地面にへたり込んで頭を押さえた。

がたがたと躯が震えている。

おちつけ。気取られてはいけない。

「みか、……つき、おれはさんぽだ」
骨喰は意外にすんなりそう言えた。

「――、」
三日月が、困惑したような反応を返した。
「だからかまうな…」
骨喰が、か細い声で言った。
――これで大丈夫だ。もう涙も止まっている。

「だが、なぜ泣いているのだ?」
「……散歩だから」
骨喰は、また泣きそうになって言った。

「そうか、お前は夜の散歩で泣くのか」
…優しい声色だった。
三日月の――。
目の優しさに、涙があふれ出した。

ああ、やさしい。
気が付く間もなく、すがりついていた。

「おれはだめなとうけんなんだ。だからぜんぶだめなんだ…!」

「おれがばかでよわいから…っ」

骨喰は知らずのうちに三日月の衣を掴んでいた。
声を上げてはいけないと嗚咽をこらえ、口を押さえてしくしくと泣く。

「お主は強いと思うが…」
三日月が、背中をさする。

ぱた、と音がした気がして見上げると、三日月の目から雫がこぼれ落ちていた。

三日月が泣いている。
雫は骨喰の髪を濡らした。

「なぜ、おまえが泣く」

「お前にはわかるまい。年寄り故だ。…あまり思い悩んでくれるな」
三日月は涙のたまった目を閉じた。
強く抱きしめられ、骨喰は何もできなくなった。

■ ■ ■

三日月宗近は、主と骨喰が関係を持っていると、薄々気が付いていた。
骨喰は分かりやすいが…周りに気取られないように上手く立ち回っている。
三日月は、骨喰が主と関係するのは夜ではなく昼間だと思っていた。
鯰尾藤四郎が刀解された後、骨喰藤四郎は絶望し、何を言っても…死んだ目をして深く沈んでいた。
それがある日を境に、少し変わったから。

……三日月はそれだけ、骨喰をよく見ていた。

もしかしたら…兄である一期一振や、勘の鋭い者――例えば鶴丸国永なども言わないだけで、骨喰と主の仲は知っているかもしれない。

だが、今宵のこれはどうしたことか。

主を思い焦がれるのとは違う。
それだけで、これほど秘めるような泣き方をするはずがない。

……見た目の若い者が苦しむのを見るのはつらい。
人の形を得た事で分かった事だ。

今宵は空気が澄み月の弧が見事だったので、夜の散歩をと思って出たが、これは据え膳に近い。
――いっそ骨喰に手を出すか、と三日月は思った。

そんな事より。何があったのか。
今の骨喰の様子は、明らかに普通では無い。

「骨喰、何があったのだ?」
三日月はその場で、骨喰を抱きしめて尋ねた。いま二人は月の下で、土に腰を落としている。
「…何も無い」
骨喰はそう言って、無理矢理ふらつきながら立ち上がった。

「…大丈夫、だ」

三日月は骨喰が主に抱かれた帰りかと思ったが、…そんな匂いはしない。
骨喰藤四郎はどこまでも冷たく澄んだ美しい姿をしている。

「そうか。一人で戻れるか」
三日月は骨喰を支えて言った。
「ああ」

「骨喰、少し上を向いてくれぬか」
三日月がそう言うので、骨喰は久しぶりに顔を上げた。

頬に手を添えられ、掬うように唇が重なった。

短い重なりだったが、色めいている気がして。
お互いに、何もかも話してしまいたくなった。

「…骨喰よ。俺はお前の支えになりたいのだ。ちとたよりないかもしれぬが」
「……」
骨喰は三日月の胸にすっぽりとおさめられた。

「三日月………」
温かくて、骨喰はすがりついてしまった。
しかし、声がかすれ言葉が続かない。

「このじじいには話せないのか?」
三日月がいじけたように言う。
「……誰にも、言えない」
骨喰はそう言ってしまった。

「ちがう。大丈夫だ。三日月がいるから…」
骨喰は、自分が三日月にすがりついているのを不思議に思った。

だれでもいい、そんな心境なのかと思い、三日月だから……だと感じる。

「三日月……」

骨喰に見つめられた三日月が笑った。

「喰ってしまっても良いか?」

[newpage]

二振り目の鯰尾藤四郎に与えられたのは、奥向き丸ごとだった。
それほど広くはない部屋が五つ。

寝室は主の寝室の隣。
ふすまではなく、両開きの板扉が付いていて、外から鍵をかけられるようになっている。
箪笥、鏡台などの調度品は贅沢ではないがしっかりしていた。
まるで女性が使う部屋だったが、元々、北方を住ませる為の部屋だから仕方無いのかもしれない。

その隣に、執務部屋。これも隣に主の仕事部屋がある。
その隣は書庫。間に厠。
中庭があって、池がある。
向かいは訓練場。そして、端に風呂。

……まるで閉じ込められたような。

……閉じ込められているんだろう。
鯰尾藤四郎は書庫で一人溜息を付いた。
骨喰以外に兄弟達がいるなら会いたかったが、きっと無理だろう。

顕現した時に骨喰に会えたのは良かったが、その場ですぐに自分の役割を知って、途方に暮れてしまった。

鯰尾は兄弟達に会いたいと言った。
それが全く叶わないと知って、涙も流した。

それから、結局、主に為されるがままにされた。
刀剣だった時には……予想など出来なかったことだが、長く生きておくものだなぁ、と思った。
行為の意味は理解できた。
意味が全く分からなかったら、狼藉者、とたたき切っていただろう。
……本体は先に取り上げられていた。

別段、無理強いと言う程でも無かったが……あれほどの嫌悪感と、絶望感と、敗北感と、屈辱が伴うとは知らなかった。やめて下さいと泣き叫んだ。
主は、この鯰尾藤四郎を愛でる気らしい。考えようによっては、この上ない名誉だ。
自分はただ受け入れれば良い。主の全てを。

だが刀剣男士である自分に、それができるのか。闘いたい。そう強く思う。あきらめて受け入れれば良いのに、刀剣男子、付喪神としての矜持が邪魔をする。現に殺してやりたいと思う。
――これなら連結用だと言われた方がまだ良い。

鯰尾藤四郎は二振り目だ、と言われて、そこは、『そうか、俺は二振目かぁ…』とすぐ理解した。
まるであらかじめ自らの仕組みを知っていて、拾い上げたように。

顕現して分かったが、複数の自分達とは、つながっていないが、とぎれてもいない感覚がある。
感覚というほど確かな物ではない……。代わりがいるという連帯感、安心感だろうか?
この本丸には鯰尾藤四郎は己一人しか無いらしいが、他の本丸には沢山あるという。

ただの付喪神だった鯰尾藤四郎は、確かに躯を持ち目を覚まし、刀剣男士の一人となったのだろう。
主に従うのは刀剣男士としては当然。主人に使われるのは、刀として当然。主に忠誠を誓うのは刀剣の喜び。
よくよく考えれば、悪い事では無い。
脇差として闘いたいという思いは消えないが、これもお役目と諦めるほかないのかもしれない。

……。
先程。今度は本丸の運営を任されてしまった。
鯰尾は眉をひそめた。

主は、一体何をしようとしている…?

■ ■ ■

三日月の部屋に、薄日が差す頃。
籠絡されるというのはこの事だろう、と骨喰は思った。
かなり疲れたというのが正直なところだ。

骨喰は最中に、「どうして主は」と、口走ってしまった事が心配だった。
三日月は起きていて、自分の隣で起き上がろうとする骨喰を見た。

「もう戻る……、他言無用だ」
手を伸ばしてずっと、三日月に抱かれていたかったが、鯰尾の顔がちらついた。
何としてでも。無事を確認したい。

「言ったりせぬよ。俺とお前の秘め事だ」
「……」

骨喰は、何を言えばいいのか分からなかった。
向けられる気持ちに答えたい。
……だが自分はそれではだめだ。
そう考えて、ありがとう、と言ってそこを去った。

残された三日月は、深く溜息をついた。

――脈はいささかあるようだが、振られてしまったようだ。
――あれが何を抱えているのか。
深く抱けば、吐き出せる様な悩みならば……と思い執拗に施したが、どうやらよほど根が深いのだろう。

主に問いただそうか。
三日月はそれは得策ではない。と思った。

鯰尾藤四郎が刀解された経緯は詳しく知らないが、どうやらそれ以来、主は骨喰に執着している。
三日月は、一種の憂さ晴らしではないかと思っていた。

あの男は、……嫉妬深そうだ。

■ ■ ■

翌日、骨喰藤四郎は主の間を訪れた。

「昨日は……失礼を言った。だが鯰尾藤四郎には会わせてくれ」
そう言ってはいけないと、骨喰は思っていた。

「そうかそうか、そんなに会いたいか」
平伏した骨喰は。主に頭を撫でられた。

「欲張りなものよ。愛染より、やはり鯰尾か。――お前のそういう愚直なところが気に入っている」
「主…」
骨喰は頭を下げたまま嘆息する。

……愛染より鯰尾。
言われて、たった今、愛染の事は、仕方ないと結論付けた自分が、確かにいる。
昨日、どちらかを選べとは言われたが、それは答えを求められたわけでは無い。
――骨喰も答えを考えたわけでは無い。
――来派には申し訳無いが、そんな事は忘れていた。
骨喰が鯰尾を求めるのは当然で、だから骨喰藤四郎は、鯰尾藤四郎を求めるしかないのだ。
何故それが当然なのかは記憶の無い骨喰には分からない。無くした記憶は埋まらない。

「主は間違っている」
顔を上げてそう言ったら、なんだその目は、と言われた。

「どう間違っている?――答えてみよ」
「…俺達は人と添い遂げることはできない。戦う為だけに存在している。だから俺は、鯰尾藤四郎が、この本丸にいると皆に言う」
骨喰はそう言った。

「今ここで刀を抜く覚悟も無いのにか?勝手に言う事もしなかったのにか?…出来ぬ事は言うな。言いたければ勝手に言えばいいのだ、だが、あれは私のモノだ。未来永劫。私の物だ、物だ、誰にも渡さない!私のモノだ!自分のモノを自由にして何が悪い!?」

「主……」
骨喰はうつむき首を振った。骨喰が何を言っても主の様子は変わらない。
主は考える事をやめたのか。それとも変わる事をやめたのか。
主命に逆らえないのは刀剣の宿命か。…情か。

このどうしようない感情は……哀れみなのかもしれない。

「主の元で、兄弟は、元気にしているか?ちゃんと食べているか?本当に、心から、笑っているか?」
骨喰はそう言った。

「もし、それが見られたら。俺はあきらめる……。だが愛染だけは開放してくれ。俺は代わりにどうなっても構わないから……、…どうか、お願い申し上げる」
骨喰は平伏した。
もはや自分に出来る事は無いのだろう。聞き入れられるとは思えないせいで、少し捨て鉢だった。

「――新たな合戦場が開放された」
主が言った。

「次の出陣を終えたら、お前を暫く編成から外す。生きて帰れよ」

■ ■ ■

それから、出陣の命はすぐには下されず、一月ほどじれったい日が続いた。
骨喰は相変わらず主に昼夜と呼ばれるが、鯰尾が来たせいか、骨喰が求められる事はない。
主は骨喰を近侍に据えたままにすると言った。
当然反対はおきな。誰を近侍にするも主の自由だし、骨喰は今までもよくやっていたから、適任だろう。
骨喰藤四郎以外の刀剣男子は頻繁に出陣し、乱藤四郎と五虎退は無事に極となって帰ってきた。
そして薬研藤四郎が修行へ赴く。見送ったのは骨喰だ。

この本丸は相変わらず活気がある。

――そう言えば、近頃主の姿を見かけない。
始めにそう言ったのは誰だったか。
今では皆言っているが、骨喰はそれが三日月宗近だったように思う。

その日、久方ぶりに。ようやく骨喰藤四郎は出陣した。
隊長は三日月宗近、二番手に骨喰藤四郎、三番手に宗三左文字、四番手に陸奥守吉行、五番手に今剣、六番手に蛍丸。

もちろん骨喰は、近頃、皆が主を見かけない理由を知っていた。
主は鯰尾に執着し、主の間で骨喰に会うとき以外、奥に籠もっている。
部隊の編成や、内番、作戦などは、見た事の無い手で書かれた紙を渡される。
あまり上手くないその文字は、鯰尾藤四郎が書いたのだろう。

骨喰藤四郎はそれを主の部屋でそっくり、別の紙に書き写す。
そうしろと言われていた。

兄弟が無事なら、もうそれでいいのだろう。骨喰は自分にそう言い聞かせた。

……良いとは言えないが、悪いとも言えない。

胸が締め付けられる。
刀剣として扱ってやってほしい、と主に言いたくなる。

「骨喰。終わったか。帰還しよう」

「ああ…」
闘いを終えた後、道すがら骨喰は三日月と言葉を交わした。

「中々に手強い相手だった」
と三日月は言っている。口元が微笑んで居る。

――骨喰は、放心した。

これはだれだ。

馬を駆る三日月は、確かに三日月だ。
練度も同じだし、装備も同じだ。
ただひたすらに濃い、血の臭いをのぞいて。

「……そうだな。だが三日月は強い」
平静を装い、そう言った。
……自分が悩むそぶりを見せたら、三日月なら何か言うだろう。

「俺は弱いから、やはり、うらやましい」
「お主は強いではないか。気にするな」
「…そうでもない」
「そうなのか?」

――骨喰は会話をそこでやめた。

分かったのだ。
この三日月宗近は、あの夜の三日月ではないと言う事が。

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ⑤ 一期一振

「……っ!!」
ほんとうの三日月への思いと、刀解された鯰尾への思い。
二つが重なって、骨喰は部屋で一人で震えた。
床に這いつくばって、畳を引っ掻く。

骨喰は三日月の目を思い出す。
血の臭いがこびりついた、赤い三日月。
――アレは違う…!

あれは俺を抱いた、優しい三日月じゃない。
俺が本丸に顕現してから、ずっと一緒にいた、三日月宗近ではない!

あの三日月は何処へ行った?

主は何を考えている!!

■ ■ ■

出陣して、戻ってきたはずの骨喰が見当たらず、一期一振は骨喰の部屋を見に来た。
「骨喰……?」

「……、……」
押さえた嗚咽が聞こえて来た。
だがこれは珍しい事ではなかった。鯰尾が刀解されてから、何度もあった事だ。

「……――だれだ」
ふすまの奥から骨喰の声が聞こえて来た。気配を消していないので、分かったのだろう。

「骨喰、私です」

「いち兄か……なんの用だ?」
しばらく間があって、声が帰って来た。
「怪我は無いかな?もうすぐ夕餉です。主が酒を用意してくれました」
「怪我はない。少し休みたい……後で行く」

「……分かりました」

■ ■ ■

戦が一段落し、成果が上がった時には褒賞と共に、宴が催される。
皆たのしげだ。特に一期一振は誇らしげに杯を傾けている。

……骨喰が今回の出陣で多くの誉を勝ち取ったからだ。
もちろん三日月に次いで、だが。
今回の第一部隊の出陣はほぼ完全勝利。敵の将を仕留めることができたし、新たな合戦場への足が掛かりを得る事も出来た。手入れが必要だった者もいない。

「ねえいち兄、ばみ兄は?」
乱藤四郎が言った。側には極となった五虎退がいる。
乱藤四郎、五虎退が修行から戻った際も、盛大な宴が開かれた。

「…もうすぐ来るそうです」
杯が空になった。
……一期一振は先程の骨喰の様子を思い出す。

――何かあったのだろうか。

一期一振は骨喰と主が関係を持っていると、薄々気が付いていた。
もしやそれが骨喰を追い詰めているのか?
あるいは別の事だろうか。
骨喰は近頃、様子がおかしい。聞いても何も話さない。
骨喰は元々口数の多い方ではないし。

一期一振は、鯰尾がいてくれたら…と思った。

この本丸は活気があるが、粟田口は皆、「ずお兄がまた来た時の為に強くなる」と言って頑張っている。
……鯰尾と骨喰は……骨喰は覚えていないだろうが、とても親しかった。
刀解されたあの鯰尾藤四郎の事が思い出される。
あの時の衝撃は未だ忘れられない……。
いきなり弟を失って、一期一振も呆然とした。せっかく、これから一緒に戦えると思ったのに。
弟達に助けられ、弟達を助け、一期一振もなんとか、ようやく立ち直った。
寝酒が増えるのは仕方無い。

喪失感と寂寥感に胸が痛くなった。
どうして、彼はもう少し生きられなかったのか。
後で主から『やはり重大な欠陥があって、自ら刀解を望んだ』と聞いたが、近侍だった蛍丸もそれが何かは知らない様子だ。
その時近くに居たらしい骨喰は、後で主に教えられたらしいが、一期一振達には話さなかった。

……刀として立派な最後だったと、主は褒め称えていた。

兄として、誇らしいが、悲しい。
この傷は、この本丸の者が皆抱えている。兄のひいき目かもしれないが、そう思いたい。
――いずれ、この悲しみが癒える事があるのだろうか。
――鯰尾藤四郎以外は、全て刀剣がそろっている。
この場に彼がいたら、骨喰の誉をどんなに喜んだだろう。
極となった乱と五虎退を見て、なんと言葉をかけたのだろう。涙がにじみそうになった。

「いかんな」
そう呟き気を引き締めた。気を抜くと感傷に浸ってしまう。
「いっぱいどうぞ」
今剣が酌をしに来た。
「おや今剣殿。かたじけない」
「つぎはぼくがきわめになるようです!しゅったつはもうすぐです!」
今剣は頬を紅潮させている。一期一振は目を細めた。
「ほお、それはそれは」
談笑していると、骨喰藤四郎が広間に現れた。

「……良くやったな。これからも頼む」
骨喰は先に主の元へ参じ、声をかけられていた。

■ ■ ■

今日の内番『手合わせ』は極となった乱藤四郎と、骨喰藤四郎。

乱が踏み込み、一気に突きを繰り出す。
骨喰藤四郎はそれを寸前で受け止めた。
「くっ!」
鎬(しのぎ)が合わさり火花が一瞬散る。乱は飛び上がり袈裟切りに切り付ける。
手が早く、裁くのがやっとだった。
キィィン!と高い音が響き骨喰は後ろへ退いた。

骨喰は、本体を構えたまま目を見開く。
骨喰の呼吸が乱れた。

「どう?ばみ兄。僕、強くなったでしょう」
乱藤四郎がにやりと笑った。
「――ああ」

「俺より、強い」
骨喰は言った。
「ありがとう」
乱が短刀を下ろす。
「俺では相手にならない。五虎退か、いち兄に頼むのが良い」
骨喰は、もはや自分では相手にならないだろうと思った。

「ん……」
骨喰なりに褒めたつもりだったが、乱は浮かない様子だった。

「ねえ、疲れちゃった。少し休んでいい?お話ししない?」
そう言って、短刀を収め、壁にもたれる。骨喰も脇差を収めた。

――乱藤四郎は、兄弟の中でも変わった格好をしていると骨喰は思う。
さらさらと長い髪は。全く似ていない色なのに、鯰尾のそれを彷彿とさせた。
――そうか、手触りが似ていそうなんだ。
と、骨喰は思った。骨喰は鯰尾が起きるまでの短い間に、少し髪に触れていた。
その感触をまだ手は覚えている。二振目の鯰尾には触れていない。
どちらも……もう少し一緒に居られたら、もっと触れられたかもしれない。

「けど、ばみ兄ってやっぱり強いよ。ボクは極になったけど、あんまり。だって……。この前、五虎退と闘って、全然勝てなかったんだ」

「……気にするな」
骨喰は言った。

「うん。良いんだ。これから。ボクは主さんのために強くなるって決めた」
乱藤四郎は一人でつぶやいた。
その様子を見て、骨喰は心がざわついた。

乱藤四郎は、主を信じている。

「ばみ兄、そう言えば主さん、今日は見ないよね」
乱藤四郎は思い出したように言った。

「主は忙しいんだろう。修行は…どうだった?」
骨喰は主の話題になるのが嫌で、話を逸らそうとした。
「んー…、言っていいのかな」
乱藤四郎がつぶやいた。

「ねえばみ兄。ばみ兄は昔の記憶が無いんだよね?」
乱藤四郎が、骨喰の方を伺った。
骨喰は小さく頷いた。
「俺の記憶に……あるのは炎だけだ」

目を覚ました時、まず頭の中に自分の名前が浮かんだ。
自分が付喪神だという意識はかろうじてあった。
その後は燃える炎、それしか浮かばなかった。
何か記憶が無いのだろうか、と思って探るが、やはり炎の記憶のみ。
あれは自分が焼けた時の記憶か?
……焼けたときに、記憶もすべて焼き尽くされてしまったのだろう。

「――その記憶、もしかしたら極修行で戻るかもしれない。極になったばみ兄は演習でも見た事が無いし、まだ政府から通達も無いみたいだけど……、ううん。何でも無い。ごめんね。今日は、付き合ってくれてありがとう。……ほら、こんなに汗びっしょりになっちゃった」
乱藤四郎が言った。

■ ■ ■

手合わせを終えた骨喰は、昼食を取りながら、もの思いにふけった。

乱、五虎退。今剣も……修行を終えて強くなった。
自分も練度を上げなければ。

主の為に。
「……」
あるじのために?
骨喰は揺らいでいた。
自分は他の刀剣に比べ、忠誠心が薄いのか?
そんな事は無いと思う。主に仕えたいという強い思いはある。
――ただ。
揺らいでいるのだ。

「なあおい、そのでっかい虎どうするんだ?まさかウサギでも喰うのか?」
厚藤四郎が言った。
「えっと…、ええっと…」「大丈夫、主から、食べられる物を頂いているよ」
戸惑う五虎退に一期一振が言う。

骨喰はあまり話すたちではない。
それでも賑やかな兄弟を見ていると微笑む事もある。

骨喰はこの本丸に、十一番目に来た。
もうずいぶん長い間。皆と一緒にいる。

骨喰が顕現したと聞いて……すぐに会いに来たのは三日月宗近、だった。
『誠に骨喰が来たのか!?』
息せき切って駆け付けてきた。
『骨喰……久しいな』『誰だ?』
それを思い出してしまって、胸が締め付けられた。

広間の片隅を見るとそこに「三日月宗近」がいた。鶴丸国永と何か話しながら食事を取っている。
見た目は同じだが。骨喰にしてみたら、やはり違和感がぬぐえない。

――間違い無く、あれは骨喰が知っている三日月ではない。
骨喰には確信があった。横目で見ずに思う。自分の直感はまちがっていない。

主に問いただすべきか。
三日月はどこへ行ったのかと。なぜそっくりな者がここにいるのかと。

「おまたせ。虎君の分だよ」
にっかり青江が料理を運んで来た。軽く茹でた肉だ。
「うお、うまそう」「ありがとう、ございます」
厚藤四郎が言って五虎退がはにかむ。
虎は嬉しそうにそれを平らげた。


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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ⑥ 前田藤四郎

「とても美味しそうですね」
……前田藤四郎が言った。

ちょうど今はおやつ時で、粟田口には一期一振が大福を持ってきた。
前田は緑茶を一期一振に注いで、その後に鳴狐、そして決まった順番に注いだ。

といっても順番が決まっているのは、一期一振、鳴狐、骨喰、薬研、それくらいで。
だいたいその後は近い位置から注ぐ。
前田は皆に茶を注ぐのが好きだったし、それが自分の役割であると思っていた。

いつも誰がやる、などと決まっていないし、骨喰や五虎退などもたまに手伝う。

だが、これは前田の役割だ。
前田は密かにそう決めていた。何か出来る事があるなら、やりたい。

――この本丸の、前田藤四郎の練度は決して低くない。
それでも前田は、目立とうとは思わない。
他に素晴らしい兄弟刀がいるからだ。

「平野、どうぞ」
「ありがとう」
平野藤四郎が頷く。前田は微笑んだ。

「はい、どうぞ、五虎退」
前田は五虎退に茶を煎れる。
「ありがとう…」
最後の手前で茶を渡された五虎退が微笑む。
そして、前田は自分の分を最後に注ぐ。
――自分は、何かあったときに、例えば兄弟が疲労しているときに役に立てればそれで良い。
五虎退もそういう性格で、話が合う。
五虎退もそう思っているのか、前田には敬語を使わない。

前田は五虎退の優しい性格が好きだった。

「ばみ兄の分、とっておきましょう」
そう言ったのは、平野だった。
平野藤四郎は、前田藤四郎と外見も考え方もよく似ている。
…――ように見えるが、少し違う。
どこがどう違うのか、おそらく平野の方が純粋なのだ、と前田藤四郎は思っていた。

「そうだね」
一期一振が笑い、箱に残っていた二つの大福を眺める。

ふたつ。

……主は、いつもこういうことをする。
残った二つのうちの一つは、出陣している骨喰の分。
そして、もう一つは。

「……じゃんけんだね」
一期一振がそう言った。
「うん!」「よーし勝つぞ」「負けないんだから」
これはいつものやり取りだ。
初めに一期一振がそう提案して、兄弟達もそれを受け入れた。
鳴狐はいつも通りに喋らず、見守っている。

「……僕は一つで十分ですので」
そんな中で。前田は、一人席を外した。

■ ■ ■

一人で中庭まで歩き。
いつもの縁側に座って、まだ花の遠い桜を眺めていると、ぱたぱたと足音がした。
……極となった五虎退だ。虎を置いて来るほど、急いだらしい。

「今日は、また、僕が勝ったんです…」
そう言って、皿にのせたままの大福をみせる。

「前田、ねぇ、半分こ、しよう?」

「…はい」
前田は微笑んだ。
五虎退がそう言うなら、本当に勝ったのだろう。
前田は五虎退の何気ない優しさと、運の良さが好きだった。

五虎退は中座する時は、戻らずにすむ言葉を添える。
先に食べておいて下さい、かたづけておいて下さい、など。
今もそうして来たのだろう。
だから叱られる心配をせずにゆっくり話せる。

「あ。髪の毛跳ねてますよ」
前田はそう言って、乱れた髪にそっと手を置く。
「あれ…?」
「なおりましたよ」
そっと直して、前田が微笑む。
「ありがとう」
五虎退が微笑んだ。
それだけで、前田は春が来たように、心が温かくなる。

前田と五虎退は、縁側に並んで座った。
まだ少し寒いが…。

――五虎退がいれば。暖かい。

二人で大福を分けて、頬張る。
「ねえ、前田、これから何をする?内番も無いし…二人で遊び、ましょうか?」
五虎退が微笑む。
「五虎退、そういえば虎は…?」
「あっ。虎君、おいてきちゃいました…!」
「しょうがない子ですね、五虎退は」
前田は五虎退を撫でる。
「……」
五虎退はすこしはにかんだ。

「僕は、そうですね、主君に呼ばれているので。また明日、遊びましょう。早く春になると良いですね。お花見が楽しみです」
前田は言った。

五虎退が、微笑む。
「前田、この桜が咲いたら……。一緒に」
手が差し出される。
「ええ。二人で一緒にお花見しましょう」
前田は五虎退の手をにぎって。微笑んだ。

■ ■ ■

「今日は五虎退と二人でお花見をする約束をしました」
前田は、笑顔で主に報告をした。

「……そうか。少し暖かいと思ったら。もうすぐ桜の季節だな」

「はい。奥向きにも桜があれば良いのですが……、そうだ、よろしければ。あの桜が咲いたら膳に添えて、お届けさせていただきましょうか」
「良い考えだ。桜は私の妻のように、気むずかしい木だからな。日陰に根付くことは無い」
主がくつくつと笑った。

「では前田。いつものように…」
「はい。お任せ下さい」
前田は頷く。微笑みながら。
そして頭を下げて退出する。

――地下への入り口は、限られた者しか通さない。
主がまじないを掛けた為、そこに続く、階段のある廊下に、だれもたどり着けない。
――前田藤四郎は、その、限られた者だった。

…格子戸を開けると、そこに五虎退がいる。
「……お待たせしました」

「……」
沈んだ瞳。
極で無い『もう一振の五虎退』はこの座敷牢で過ごしている。

前田藤四郎は、地下の五虎退を好きにする代わりに、主の命を聞く。
五虎退を好きにすると言っても、別に何を強要しているわけでもない。
ただそこに無事にいる事を確かめたくて。

前田は、この本丸の奥向きに誰がいるのか知っている。

……本当は、本当は前田は。あの脇差に。
五虎退と同じほどに逢いたい…のかもしれない。

けれどそれは主が許さない。
その気持ちは前田には、痛いほどよく分かる。
前田も、五虎退が人目に触れるのはいやだ。
他の兄弟達に見られるなど。五虎退を、兄達に取られるなど。

――そんな事、耐えられません。
……いつも耐えているのですが。
耐えすぎて、もう慣れてしまったのでしょうか?

前田は目を細めた。

「そうだ、五虎退。今度、桜が咲いたら、持って来て差し上げます」
「……」
五虎退はおびえながら目を伏せ。
「……はい」と震える、か細い声で言った。

地下には絶えず、低い呻きがひびく。
……それを作り出しているのは……。

前田は五虎退が、前田の記憶にある鯰尾藤四郎にいちばん近いのではないか?
――と思っていた。
…近いと言うのは、前田の気のせいかも知れないが、どちらも前田に無い物を持っているには違いない。
だから惹かれるのか。

前田はこうまでして、やっと触れられた。
まぶしくて、憧れていた、大好きで、何よりも大切な存在に。

「大丈夫です。主君は素晴らしいお方です」
前田は、五虎退を抱きしめた。

「あなたは、僕が守って御覧にいれます」
折れそうな細い、五虎退の躯。
なんて、いとおしい。
「……」
五虎退が震えながら、前田を抱きしめ返す。

……この本丸の、前田藤四郎の練度は決して低くない。
それでも前田は、目立とうとは思わない。
他に、素晴らしい兄弟刀がいるからだ。


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旧日本国略史

西暦2109年 時間転移装置/第一号『舞』完成。時の暫定政府、成立。
…暫定政府成立の経緯は謎に包まれている。

西暦2110年 ブラックホール事件。行方不明者大多数。多くの刀剣が消失。
…事件の後、審神者となる素質を持つ者が多数確認される。それは老若男女、果ては動物までに及んだ。

西暦2115年 正歴史書の編さんが完了。
…各時代に時間逆行軍が現れる。
純粋歴史保全主義者と歴史修正主義者の対立が激化。

西暦2115年12月31日 大晦日
…歴史修正主義を唱える者達が一夜にして姿を消した。

西暦2115年 審神者が『■■■』との交信・契約に成功。
…時の政府は付喪神『■■■』と審神者なる者の協力を得て、刀剣男子を誕生させる。プロトタイプとして顕現されたのは消失を免れた短刀『平野藤四郎』だった。平野の証言、その他伝承、資料を基に刀帳が作成される。

西暦2140年 未来転移システム試験運用失敗。■■■消失。政府官邸で初めて検非違使が確認される。
…西暦2140年、時の政府は審神者なる者の力を得て、未来移動システム試験運用開始。
未来転移の目的は2225年以降の時代に歴史修正が行われていないかを確認するため。システム試験運用は失敗し、テスト部隊(6振)が帰還不能、行方不明となる。
…政府は■■■回収部隊(審神者2名、刀剣男子9名)を結成し、再び未来へ派遣するが、審神者1名行方不明、刀剣2振破壊、刀剣4振が行方不明となる。
帰還した審神者1名、刀剣3振には記憶障害が見られた。

西暦2145年 過去転移システム試験運用開始。
…転移は西暦固定方式が採用される。
各審神者の活動拠点は中世の呼び方に合わせ『異空間本丸』と名付けられた。

西暦2180年 審神者正式募集開始
…異空間『本丸』に定住する任務形式だったため、当初は志願者が極端に少なかった。
時の政府は刀剣男子の容姿公開に踏み切る。途端に志願者が急増。
定住→寄宿通勤許可へと緩和され、審神者なる力を持つ者達のライフスタイルとして定着。『まるで恋愛ゲームだ』『戦争ごっこ』『人道的に問題がある』『何で隠してた』『美形』などの批判が相次ぐが、平野藤四郎、三日月宗近を初めとする初期顕現刀は笑っていた。

西暦2205年 検非違使が再び確認される。謎の存在に政府は頭を悩ませた。

西暦2265年 時間遡行軍との最後の戦い
…■■■■■が勝利。(時の政府軍、または時間遡行軍)
時の政府は審神者指揮による刀剣男子大軍を結成。各時代・地域で激しい戦闘が行われた。
審神者なる者達は政府の命を受け、時間遡行軍との最後の戦闘に備えた。

出陣記録
時間軸××××年××月××日 地域…大阪
時間軸××××年××月××日 地域…厚樫山
…(※以下略)

西暦2269年 時の政府、滅亡
 

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ⑦ 鯰尾藤四郎2

「……」
鯰尾が目を覚ますと、赤い着物が掛けられていた。
乱れた髪を撫で付けながら起き上がると、めまいがした。
鯰尾は溜息を付いた。
――そりゃ、こんなに毎夜抱かれたらめまいもしますって……。
いつもの様に、主の姿は見えない。

この部屋の床は漆喰のような素材で、真ん中には大きな寝台がある。
几帳で隔てられた部屋の角には、六畳分の畳が敷いてあって、そこに執務用の、足の短い机と座布団がある。

鯰尾は寝台から下り、まず畳に移動し、卓に置かれた端末を起動させた。
これは主の間にあるのと同じ物だ。
主はこれを使って仕事をする事もあるが、今では殆ど鯰尾が使っている。

各刀剣の練度が表示される。そして政府からの命令、通達、新しい任務。連絡事項。
各時代の詳細情報。敵の動き。他の審神者からの連絡。演習の案内。
鯰尾はそれを一つ一つ確認する。

この本丸は、江戸の探索を許されてる数少ない本丸だが、なまじ期待を掛けられているせいで、政府からのノルマが厳しい。
本丸は無数にあるが、この時代でまともに戦える本丸はまだ少なく、それ故に手を抜けない。

……今日の出陣はどうしようか。
この享延の時代で闘うには、あと数振、極がいないと……。
――歴史改変を食い止めるには力が足りない。

鯰尾は歯を食いしばった。

かりかり、と音がして鯰尾は扉を見た。

おっくうだったが、ふらつきながら立ち上がって鍵を開ける。
足元を見ると。
「おはようございます」
と政府の真っ白な管狐が挨拶をした。
「こんのすけ、旦那様は?」

「……お仕事です」
白いこんのすけが言った。
「そうか……食事の後、進軍計画を練ろう……」

もちろんそれより先に湯浴みをする。

さほど広く無い湯殿で湯浴みを終える。ここは湯が出るので、何度も湯をかぶり髪と体を洗うだけだ。
鯰尾はまた夜に主と入浴するのでこれでいい。
……もちろん、入浴だけであるはずがない。

大分慣れて来たな、と溜息を付く。

「こんのすけ、今日は何だろう?」
湯浴みを終え、与えられた着物に着替え、こんのすけを抱き抱えて、唯一の楽しみである食事を取りに行く。
あまり量がないのが惜しいが、毎度、心のこもった食事が差し入れられる。
時間を合わせれば、温かい料理も食べることが出来る。
夕食は主の分もあるので豪華だ。昼に主がいる場合は鯰尾が給仕をする。

今日の食事当番は燭台切、厚藤四郎。
厚の顔を思い浮かべる。ちょっと料理は出来そうに無いな。けど燭台切がいれば大丈夫だろう。

鯰尾は膝をついて、部屋に置かれた四角い盆を確認した。
「あ、これかー」
今日はご飯と味噌汁、秋刀魚…。蕪の一夜漬け。もうすっかり冷めてしまっている。

鯰尾は食事を隣の部屋へ運ぶ。

この部屋は、食事の置かれる部屋の隣にある、主と鯰尾が食事する為に用意された部屋だ。
洋風の造りで、高足の机に、椅子が二脚。
洗い場はあるが、この空間は閉じられていて排気ができないので、竈を作る事ができない。
食事は三食、本丸で作られた物を食べる。

こんのすけだけが話し相手だった。
「ねえ。ほら、あのレンジってやつ…旦那様にねだってみようか」
「……申し訳ありません、電子機器は発注できないのです」
「分かってるって。無理言ってごめん。朝は仕方無いよな。林檎食べるか?」
「ですが…」「少しくらい食べてよ」
遠慮するこんのすけに、林檎を食べさせて、撫でた。目を細めるのが可愛い。
食べ終えた食器を洗って、盆にのせて元の部屋に戻す。

「延享の時代はもう……手入れ無しじゃきついよなぁ…新橋、白金台…、江戸城…イベントは……」
知恵を絞りながら、部隊編成を練る。
「乱と五虎退を入れて、蛍丸、三日月…極のお守りを全員に持たせて、遠征回して何とか行けるか…演習は極短刀たちを鍛えないと」
鯰尾は唸った。

それでもまだ無理だ。
今の戦力では、無傷で突破させることはできない。
誰にも怪我をさせてはいけない。手入れが出来ないから。
……主が手入れをしてくれればいいのに。

低練度の者は……ひたすら慎重に、敵の弱い場所で鍛えるしかない。
だがそうやって鍛えた刀剣は、実力が伴わない。
当たり前だ。
弱い相手に経験値だけ稼いでも強くはなれない。
鯰尾はそれを痛感していた。
――その方法で、練度が十二分になったからと厚樫山に組み込んで、あっと言う間に重傷となった。
練度の高い部隊に混じり、強敵と戦い初めて力が付くのだ。

「資材は俺の為にだけ使う?……はぁ……あの人もうおかしいだろ」
いつものようにぼやいて、こんのすけを抱きしめる。
「刀装は何とかなったけど……」
俺はぼやいた。
鯰尾は刀装を作る許可を得る為に、主に『お願い』をした。
懇願の末、聞いて貰えたのだが……。
以来。一つ作る度に同じ事をさせられている。

……暴力や欲望が自分に向かう分にはまだいい。
もっと恐いのは。

鯰尾はこんのすけを抱きしめた。
「……手入れも、お願いしたら聞いてくれるかな……?」
「……仕方ありません。できる限り、練度を上げましょう」
こんのすけが鯰尾の膝の上で項垂れる。
――この『こんのすけ』は特別仕様とかで、貴重な話し相手だが、鯰尾の監視役でもある。

「『資材節約のため、軽傷の場合は手入れ無し』資材はあまってるのに。――駄目な本丸だよなぁ」
今はまだ、無理な行軍はさせていないが、……期日が迫っている。
鯰尾が代理を始めた時には、もう他の時代は全て検非違使の出現が確認されていた。
……修練を積むにしても、最新の注意を払わなければ。手入れが出来ないため、行ってすぐ戻る、つまり刀装を破壊されない事、それが全てだ。

結局、今日も極短刀をメインでとにかく矢を次ぐように時間差で出陣させ、進軍は期限直前に、一軍で一気にする、という事になった。
これ以外に突破する方法は無い。
……夜戦は無いが、夜中進軍組はきついだろう。
とにかく刀装。刀装、怪我を負わないように。
……資源が尽きたら終わりだ。
鯰尾は手の空いた所を探して、遠征に回している。

歴史主義者との戦いは、急を要する事態が無ければ、確認されている時間遡行軍を殺していくだけで良い。
戦っていること、対処をしている事。
それ自体が無限にわき出る敵を足止めし、歴史改変を防ぐ事につながる。
要するに、気を抜いて均衡が崩れると、歴史が変わってしまうのだ。
だから負けられない。相手が十なら、こちらも十。百なら百を出さなければいけない。

鯰尾は『正歴史書』を見た。
時の政府が認めた、正しい歴史の書かれた書物。

これは霊力が籠もった書物で、歴史が改変されると、自動的に、この本の内容も変わる。
各本丸にこの歴史書の写しが配られていて、審神者達はそれを日がな眺めて過ごしているらしい。鯰尾もそうだ。この本の記述に変化があれば、時間遡行軍が頑張っている、という事になるので、審神者は急いでその時代に刀剣男子を派遣する。
…新たな時代に変化があれば、それが記され、審神者は新しい時代に刀剣男子を送り込む。

『正歴史書』……驚くべき事に。これが原本らしい。
といっても、写しも本物も内容は同じなので、原本の付加価値はさほど無い。
大分古くて所々補修され、破れそうだ、というくらい。
あとは奥付の端に『汝、刀剣なり』というおかしな言葉が書かれているくらいか?
まっすぐな、線で引いたような文字で書かれてる。これは他の写しにはないらしい。

なぜ原本がここにあるのか、鯰尾は知らない。

この記述について審神者に尋ねたら。
『これはとても、ありがたい方のお言葉なんだよ。このお言葉があるかぎり、我々は負けないんだ』
と、猫なで声で言われた。

「医療品の追加は届いた?」
「本丸に届いています」
「……」

鯰尾は頭を抱える。
主が不在の時は手入れが出来ない。
行軍は慎重に慎重を重ねているが、怪我が無いとは言い切れないし、槍がいる場合の軽傷は防ぎようが無い。
薬研と歌仙が麻酔や縫合を学べるようにとこんのすけが医学書を手配したが……。
文献だけで手当を覚えろというのは無茶が過ぎる。

効果は上がっているのだろうか?

「……お守りか……」
鯰尾は溜息を付いた。
極守りの、折れた場合の、全回復。それに頼るしか無い。
進軍で中傷の者が出たら、撤退し、その者を単騎で戦場に出す。
そして中傷者には折れてもらい、全回復して戻って来てもらう。

極守り。これだって、無尽蔵には無い。
……鯰尾が主の言う通りにすると一つ貰えるが……その後鯰尾は、二、三日は動けない。

政府から与えられる褒賞金は、全て鯰尾の着物や装飾品に変わる。
もちろん鯰尾はそういうものに興味がない。全てが女物なので当然だ。
着付けは着流しにしているが、花模様が煌びやかなこの着物も、女性の着るもの。
――背が低いから、何を着ても似合う、と笑いながら言われたときには、さすがに怒りそうになった。

不況を買うと、……仲間が大変な事になるので、逆らう事が出来ない。

鯰尾は、無事を祈りながら、編成を組み、進軍を指示を出した。

……鯰尾がここに顕現して、一夜過ぎた後、おそるおそる小さな傷を付けられた。
その後、手入れをされた。
鯰尾の本体はどこにあるか分からないが、傷が治ったので手入れされたのが分かった。
本体から、それほど離れていないという感覚もある。
鯰尾の傷が治って、主は狂喜した。

「はぁ」
鯰尾は立ち上がって、書庫へ向かう。

頭が痛いが、そんな事は言っていられない。
今、鯰尾はとにかく言われた知識を詰め込んでいた。
とにかく主との問答が厳しい。自分を教育してどうするつもりなのだろう。
呪術に関連する物、審神者の力に関する物、敵の分析。
あるごりずむやら、げのむやら時理論や宇宙理論はもう訳が分からない。
そこまではまだ教養の範囲だからいいが、一番重要と言われた歴史修正理論、歴史補正理論、時間工学の課題は必須。これを外すと……。

「うーん。こんのすけ、これ……」
書庫で積まれた本と格闘し、動画で講義を見ても分からずにこんのすけに助けを求めると、こんのすけは眠っていた。
鯰尾は溜息をついて、こんのすけをそっと撫でた。

鯰尾の練度は1のまま。
連結は最大にされたが、弱いにも程がある。
本体を握ったのは、『検分するから』と言われ主に手渡した時のみだった。
――もう少し警戒するべきだったが、言っても仕方無い。
――戦いたいと思うけど。自分の役割はそこじゃ無い。

今は戦績を上げて、いつか目的を果たす。
皆を守って、誰も折らずに。

……守れるのか。
……いや、やるんだ。

鯰尾は集中して、とにかく必死で頭に詰め込んだ。

ぱち。とこんのすけが目を開ける。
「も、もうしわけありません…。奥様、眠ってしまったようです」
――こんのすけは鯰尾を奥様と呼ぶし、鯰尾は主を旦那様と呼ぶ。

「いいよ。何とか終わったから……」
鯰尾は頭を押さえて言った。詰め込みすぎて頭が痛い。
「はい……あの、少しお休みになられた方が」
こんのすけが言った。

『ただ待つだけよりも、他の事をやっていた方が君も気が紛れるだろう』
なんて主……じゃない、旦那様に言われたけど、量が多いですって。

「うん……ここを読んだら……、っとしまった」
鯰尾は顔を上げた。
そろそろ出陣部隊が戻る時間だ。骨喰からの報告を確認しなければ。
鯰尾は書庫を出て、廊下を通り、空の部屋へ向かう。

六畳ほどの畳部屋。この向こうは本丸……。主が呪いをかけたので、出る事ができない。

ここに、行軍の結果を書いた紙がある。
誰かがいると、この空の部屋には入れない。

……鯰尾は審神者ではないので、進軍の様子をのぞき見ることが出来ない。
部隊が帰還したらすぐに戦果をしたためるように言ってある。
軽傷が出たら即撤退するようにと命令もしている。
――今日は、どうだろうか。
敵の本陣を見つける気で出したが……。
誰も怪我をしていなければ……。

■   ■ ■

中傷を負ったのは、陸奥守吉行だった。
肩から胸への大太刀の傷。そして、堀川国広を庇い槍に突かれた傷。
これは本丸の設備では助からない。

「陸奥守吉行……主の命だ。すまないが、行ってきてくれ」
本丸に戻ると、近侍の骨喰が言う。

「陸奥守さん…っ」
庇われた堀川は軽傷で、歌仙が手当をしている。
薬研が陸奥守に麻酔を注射する。
「……陸奥守、どうだ?効いて来たか?」
「……、ああ。なんちゅうこたぁないぜよ!」
と笑って、もう一度単騎で出陣をする。

『資源節約のために、手入れを中止する』

その通達が出たのは一月半前。出したのは骨喰だ。
皆が疑問に思った。
資源は余るほどあるのに。なぜ?

骨喰は無表情で言った。
『中傷、重傷者には、極守が支給される。単騎で指示された合戦場へ出陣し、一度折れて回復して戻るように』

『はぁ?――手入れは?』『手入れすればいいのに』
皆がそう言った。
『これからは、いや、しばらく……手入れはできないと思ってくれ』
骨喰が言うと皆がざわついた。

『主は、薬研と歌仙に傷の手当を学ばせる……。らしい』
骨喰は、鯰尾の指示を写した紙を見て言った。

『骨喰、何言ってんの!?』
加州清光がくって掛かってきた。この本丸の初期刀だ。
『主の命だ』
加州は指示書をひったくった。指示書を指さす。それは骨喰の字だった。
『これ!……主命って言うけどさ!あんたの字だろ!主は……何処なんだよ』
加州が言った。
その声に気遣う様な響きがあって、骨喰は目をそらした。

『すまない……』

■   ■ ■

「陸奥守さんっ、すみません……!!」
堀川が戻ってきた陸奥守に土下座している。
「――あはっははは。なんちゅうない。むしろ慣れて来たぜよ!」
全回復した陸奥守が笑う。

「……慣れはいいが、極守が足りるのかね」
それを見ていた鶴丸国永が言った。
「うむ。これは数が足りなかったら、折れるのみだな。気を付けよう」
三日月宗近が言う。
その目はいつも通り、穏やかに笑っているように見えた。

「だが、そいつは中々厳しいぜ?」
軽く流して、――鶴丸は眉を潜めた。

この三日月は。
見た目は同じだし、練度は変わらないが……やはりどこかキナくさい。

三日月宗近は、元々感情の動きを表に出す太刀では無かったが、かれの瞳は雄弁で……慈悲深さをたたえていたはずだ。
以前は骨喰についてよく相談された物だが、それもぱたりと無くなった。
……意図的に、鶴丸を避けているような気もする。
部隊編成が変わってしまったため、今ではあまり共に出陣する事は無い。

「?どうかしたか?」
三日月が首を傾げた。
――まあ、気のせいか。

編成が込み入っていると口頭では伝え切れない。そういう時は掲示板に貼り出す。
掲示板は主の部屋の前の中庭にあって、骨喰がそこに編成表を貼った。
掲示板の周囲には、出陣服の刀剣がずらりと集まっている。
掲示板に隙間無く張り出された紙は全部で八枚。
そのうちの六枚が部隊編成表で、四枚は昼の出陣編成で、二枚は夜戦編成。

「第二部隊は遠征、行き先は鎌倉。直ちに出立。今日の出陣は第一部隊、第三部隊、第四部隊。一、三、四、一、三、四の順番だ。夜戦は編成を変えて、二、四だ。その後三は遠征、以上だ」
骨喰が言った。
残り二枚は出陣先、遠征先の書かれた紙。全て骨喰の字だ。

「……遠征か」
三日月が言った。三日月は昼の編成では第二部隊。
夜戦は編成が代わるので外される。

つまり大分楽なのだが。
遠征、出陣遠征、出陣、遠征、ようやく非番と思えばその夜は急に夜戦。
……以前から出陣の多い本丸だったが、今ではひっきりなしに入れ替わり立ち替わりだ。
内番着に着替える暇もない。今朝も本丸の全刀剣が戦装束でこの場に集まっている。

――近頃は休む暇もない。三日月も疲れているんだろう。
そのせいで、人が違って見えるのかも知れない。となるとこいつは重傷だな。

「そう言えば、平野が熱を出したらしいな。風邪らしいが」
鶴丸は小耳にはさんだ事を言った。
三日月は平野……粟田口と仲が良かったはずだ。
「平野?……ああ。そうだった。見舞いに行くか……」
三日月が言った。やはり声色に疲労がにじんでいた。

鶴丸は苦笑した。
「お前さん、だいぶ疲れてるんだろう。代わってやるから、少し休んだらどうだ?――今日は休んで、明日の遠征をまた俺と変わってくれれば良い」

「そうか。…………では、頼もう」
三日月が言った。
「……鶴丸国永。勝手は困る」
骨喰が言った。
「おいおい。三日月はここしばらく休み無しじゃないか。そろそろ休ませてやれないか?」
鶴丸が言った。
「……確かに、そうだが。主の命だ」
骨喰が眉を潜めて言った。
「悪いなら、後で謹慎でもするさ」
鶴丸が言った。
「――……。すぐ聞いてくる。少し待て!」
言って骨喰がきびすを返した。

遠征に出ようとしていた面子は立ち止まった。
「ま、いいけどな」
獅子王がつぶやく。
遠征予定の第二部隊は、隊長三日月、獅子王、大和守、加州、博多、青江。
三日月が鶴丸に代わったところで、大した違いは無い。
むしろ鶴丸の方が調子が良さそうだから、その方が上手く行くかも知れない。

「……さー、準備しようっと」
蛍丸が言った。蛍丸は第一部隊で今日も出陣だ。彼は夜戦には滅多に参加しないので、ひたすら昼間に出て行くだけだ。

四半刻後、骨喰は眉を潜めて帰って来た。
「すまない。主は不在のようだ。鶴丸はおそらく、明日出陣がある。……三日月に行かせた方が良いと思う。明日は休ませるように言っておく」

「そうか。では行ってくる」「あ、おい」
三日月が微笑んで、第二部隊は出立した。

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鯰尾と骨喰と男審神者の話 一章 ⑧ 平野藤四郎

「……やれやれ」
人が出払った後、鶴丸は頭をかいた。

「君は、近頃めっきり出陣が無いな。主との仲は大丈夫なのか?」
「……、」
言われた骨喰は鶴丸を見た。

「……」
特に返事が無いので、鶴丸は内番をすることにした。
「と、そうだ。平野の様子はどうだ?」
鶴丸が尋ねると骨喰が驚いた顔をする。
「なんだ、知らなかったか。昨日から、熱を出して寝込んでいると聞いたが」
「……」
骨喰が黙り込む。知らなかったようだ。

「君は食事は食べたのか」
「まだだ。……見舞いの後にする」
骨喰が早足で歩き出したので、鶴丸は後を追った。

■   ■ ■

粟田口の小部屋、前田と平野は同室だが……前田は風邪が移るといけないからと、閉め出されているらしい。
一期一振は出陣で、前田も出陣だ。
鶴丸と骨喰が部屋の前に到着すると、ちょうど薬研が、粥を乗せた盆を持って出て来た所だった。
鶴丸は三日月の代わりに見舞いをしようと思い、骨喰に付いてきた。

「平野の具合はどうだ」
骨喰が言った。
「少し熱があるが、食欲もあるし悪くは無いな……」
薬研が言った。

「そうだ、ばみ兄。……鶴丸も……、ちょっとこっちに来てくれ」
薬研が声を潜めて言うので、二人は顔を見合わせた。
「何だ?」
鶴丸が言った。
「いいから、こっち。俺の部屋で話そう」
促されて、鶴丸と骨喰は薬研の部屋に入った。同室の厚は不在だった。
薬研は卓の上に盆を置いた。

「平野だが。熱は、あるにはあるんだが……」
薬研は溜息を付いた。

「どこか悪いのか?」
骨喰が言った。
「ああ。初めは風邪だって言ってたんだが……嫌がって見せないし、どうやら違う。一昨日の出陣で、どこか負傷したんじゃないのか、って聞いたんだが、違うと言い張る。手を貸してくれ」
「そいつは不味いな」
鶴丸は言った。近頃の手入れ禁止で、遠慮しているのかもしれない。
怪我なら急いだ方が良い。

「――」
三振は薬研の部屋を出て、平野の部屋のふすまを開けた。

■   ■ ■

「平野、邪魔をする」「診察だ」

「……っ」
平野が入って来た三振を見て目を見開く。
抵抗させる隙を与えずに、鶴丸が布団を剥いで、骨喰と薬研が作務衣を問答無用で引きはがす。
鶴丸は顔をしかめた。脇腹に青い痣がある。
薬研がすぐに手をあてて、調べる。痣ではない場所も入念に触っている。
平野は観念したように俯いている。
「肋骨が……折れてるな。何でもっと早く言わなかった……!」
薬研が言った。

「申し訳ありません。ですが……」
平野が俯いて、歯を食いしばった。
「――っ。極守はまだ十分ある、心配するな」
骨喰が言った。
鶴丸は無性に腹が立った。

「――おい、骨喰。いい加減、手入れするように主に言ったらどうだ?主は君の言う事は聞くんだろう」
「……」
骨喰が俯いた。平静を装っているが、こちらも歯を食いしばっているのが分かる。

「主は近頃姿を見ないが、どうしてるんだ。正室の具合が悪い、って聞いたが……?」
鶴丸は言った。骨喰は口をつぐんだままだ。

「……主はいない。そうなのか?」
薬研がぽつりと言った。
「……」
骨喰が薬研を見た。鶴丸と、平野も。
「……、いや、いる。政府の仕事で不在が多くなったが、指示は出してくる」
骨喰が言った。

「このことも報告する。手入れしてもらえるはずだ」
「――陸奥守が駄目だったんだ。平野が手入れしてもらえるって事はあるのか?」
鶴丸は言った。

「……。分からない。ただ、主は……」
「君が、色々抱えているのは分かってる。が、いい加減、白状してくれ。仲間の命がかかってるんだぞ!」
鶴丸は、骨喰が主と関係を持っていることは知っていた。
だからと言って、どうこう言うつもりは無い。
――命。刀剣にそんなものがあるのだろうか。
――平野の怪我は重傷だ。
――この本丸を、今のまま放っておいたら不味いに決まっている。

「……」
骨喰は思案した。
(……潮時かもしれない)

「平野は、少し休んでくれ。薬研、痛み止めを…。――鶴丸……」

骨喰に促されて、鶴丸は部屋を出た。
骨喰はそのまま鶴丸の手を引き、誰もいない部屋に連れ込んだ。

「……鶴丸、この本丸には、鯰尾がいる」
骨喰は切り出した。
――今ならまだ戻れる。骨喰はそう思った。

「主は、おかしくなってしまったのかもしれない」
骨喰は言った。
そして、骨喰は洗いざらい話した。
主が言う『妻』というのは、新しく顕現した鯰尾の事であると言う事。

鶴丸は驚いた顔で聞いていた。
「奥向きの地下に……愛染、五虎退、今剣、小夜、加州が、それぞれ何振りか囚われている。もうすでに幾振りかは折られて、主は政府の仕事が無いときは奥向きで鯰尾と過ごしていて……本丸の者には資源を割く気がない。それから……、」

鶴丸なら――三日月の件について相談できる、と思った。
相談してしまいたい。今ならまだ間に合う。まだ、今なら。

……骨喰は思い出して口を押さえた。
主は――骨喰を呼んで、刀剣達の目玉をくりぬいたり、つり下げて少しずつ切ったり、たくさん切ったり、体中に針を刺したりした。

「主は……囚われている刀剣の……刀剣達に……乱暴な事をしている。少しずつ体を切ったり、目を見えないようにしたり」
骨喰はうつむいた。
鶴丸が眉をひそめた。
「っ――君は見たのか?」
「俺だけじゃない。明石も知ってる。でも、その中に愛染がいるんだ。俺はそんなことをしなくても、兄弟の事は言わないと何度も言った。なのに信じて貰えない――。……お前に言ってしまった」
骨喰は震えた。

「俺のせいで、っ……」
骨喰は口を押さえうろたえた。――鶴丸に話してしまった。
いけないことだった。
囚われた刀剣達、もしかしたら鯰尾にまで。危害が及ぶかもしれない。
もしばれたら。囚われた刀達は……!とんでもない事をしてしまった。歯の根が合わなくなった。
「たのむ。言わないでくれ」

鶴丸はうなずいた。
「ああ。ひとまずは約束する。だが、このままじゃいけないぜ」
鶴丸はここのまま放ってはおけない、と言う。骨喰はうなずく。

「話せなくて……すまなかった。主はおかしくなってしまったのか……。兄弟に執着するだけなら、まだ良かったんだ。なのに何故あんな事をするんだ?分からない!――っ、くそ、もっと早く話せば良かった」
言ってしまった後、骨喰の口を突いて、その言葉が出た。

「――いや。まだだ。何とかなる。地下はともかく、こちらは一振も折れていない」
鶴丸が下ろした拳を握りしめて言った。

「平野は説得して、極守を持たせて、午後から出陣させよう」
「……、折るのか?」
「ああ。その後、出陣を取りやめる。一切だ。聞いた様子だと、主はもう本丸に興味をもっていないんじゃないか。全員に話して、主がどう出るか見る。来派は大人数で説得だ。――奥向きの鯰尾は無事なんだろう?」
「兄弟は、無事でいるのか……分からない。だが、書き付けが、主の字ではないから……おそらく、それが鯰尾だろう」

骨喰は考えた。
「……鶴丸、主が居なくなったら、この本丸はどうなる?」
「遡行軍の襲撃を受けた本丸ってのがある。そいつは、政府が代わりの本丸を用意したらしいが、主に問題があったとなると……」

鶴丸は自分たちの主を思い出した。
理知的で、おおよそそう言う色恋には無縁そうな男。清廉潔白。そういう言葉が似合う。
そんな主がまさか、裏で刀剣に暴力をふるっているとは。
「――あの主が?全く。……こんな驚きはいらないぜ。骨喰、全員刀解かもしれないが、それでもいいのか」
鶴丸が尋ねて来た。
「……俺はどうなっても構わない。……皆に危害が及ぶことは避けたいが。とにかく、地下の刀剣の救出が先だ」
骨喰は言った。

「そうだ鶴丸。三日月がどこかへ行ってしまった」
「――、どういうことだ?」
「別の三日月に入れ替わっているんだ。……もしかしたら、三日月は何か感づいていたのかもしれない。それが主に知られたのか――」

骨喰は三日月に泣いている所を見られた話をした。
あの三日月はもういない。何処へ行ったのか。既に折られたのか。あるいは、地下に囚われているのか。
「なるほどな。通りでおかしいと思ってたんだ。これは俺達だけじゃなくて、全員の意見を聞く必要があるな」
鶴丸が言った。

「!」
骨喰が刀に手を掛け、腰を浮かせた。

「誰か来る」
しとしと、と廊下を歩く音。気配を消してはいない。

障子に影が差して、声がした。
「……骨喰兄さん、鶴丸さん」
前田藤四郎だった。

「主が皆をお呼びです」

■   ■ ■

久しぶりに、主を見た。
「不在の間、迷惑を掛けた。すまない」
広間で主は皆に詫びた。

「主、手入れが出来ないってのはどうしてだ?」
和泉守が言った。

「政府の命で遠方に出ていた。出陣をしなければ、期日には間に合わなかった。その為、骨喰に進軍を任せていた。……すまなかったな。今後は問題ないようにしよう」

「――主っ」
骨喰は言って主を見た。遠方に出ていたというのは……多分嘘だ。
が、主が出てきたことに驚いた。

骨喰は思った。
もうこの場で洗いざらい言うしかない。

――しかし。
喉に手をあて愕然とした。

(……声が出ない!?)

声が出ない。
鶴丸を見ようにも、体が動かない。

固まる骨喰を余所に。主は淡々と告げた。
「鶴丸国永、加州清光、蛍丸、にっかり青江、三日月宗近、燭台切光忠…、明石国行、骨喰藤四郎。以上の八振は、演習の為の部隊の構成員となる。その間の所属は政府に変更。……明日、政府の役人が迎えに来る。準備をするように」

「――なんだって?」
刀剣達がざわついた。
鶴丸国永、加州清光、にっかり青江、三日月宗近、燭台切光忠…、明石国行。
彼等は微動だにせず。落ち着いていた。
あらかじめ知っていたのかもしれない。

唯一の例外は蛍丸で。彼は愛染と一緒に首をかしげた。

「ねえ、主。演習部隊って……あの演習部隊?」
蛍丸が言った。

「ああ。……お前達は、この本丸から離れ、これからしばらく演習部隊で闘う事になる。これは大変名誉なことだよ。ここが優れた本丸として認められた証みたいなモノだね」
主が楽しげに言った。

「でも清光まで?……どのくらい行くの?」
大和守が言った。加州清光はこの本丸の初期刀だ。
初期刀がいなくなる、というのは想像できない。

「時期が来れば呼び戻す。加州は三ヶ月だ」
主が言った。
なんだ、という空気になる。要するに鍛錬の一環だろう。

……骨喰は金縛りのままだった。鶴丸も。明石も。入れ替わった三日月も。青江も、燭台切も。
……加州でさえ。

本当に戻って来られるのかは……分からない。

■   ■ ■

それからは、意識に霞が掛かったようだった。

骨喰はぼんやりと過ごし、ぼんやりと所感を述べて、ぼんやりと支度をした。
……手だけは動く。

「――?」

支度を終えて、後は明日、出るばかり。
夜中ふと。目の端に白いものが映った。

(……つるまる……?)

頭がぼんやりしていて、よく分からなかった。

鶴丸のようなものは、近侍部屋に向かって行った。

■   ■ ■

翌朝。骨喰は門の前で兄弟達にがんばって来て下さい、とか、一期一振には、頑張るんだよ、とかそういう事を言われた。
骨喰は大げさだ、と勝手に答えていた。

(鶴丸――!)

鶴丸は、見送る側にいた。

鶴丸は穏やかに微笑んでいた。
鶴丸は『さすがに戦力が足りなくなるからって、断った』と語った。
主は出てこない。

骨喰はこの呪縛を破りたい、破らなければ、と思い。
「鶴丸っ……!」
やっとそれだけ。かすれた声で言った。

(兄弟を――!!皆を……!!)

鶴丸は、何も言わずに頷いた。

〈おわり〉
 
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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章

キーワードタグ ブラック本丸  主✖刀  男審神者×鯰尾藤四郎  男審神者×骨喰藤四郎  三日骨  鶴鯰  R18 
作品の説明 一章分まとまってます。R18、R18Gです。 
※本文重複していたのに気が付いてあわてて直しました。誤字も修正済みです。
申し訳ありませんでした…汗
骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章
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【注意!】

※こちらはいわゆるブラック本丸ものです。
以前公開していた分+一章最終話(最後のページの分)という感じです。

※鯰尾がとても推されます。骨喰もとても推されます。この二人が主人公のつもりです。

※作者の偏った好みによって書かれた作品です。設定は独自解釈、捏造、虚構です。

※多数BLカップリング(三日月×骨喰、審神者×鯰尾)の作品になります。
その後は三日月×骨喰、鶴丸×鯰尾、男審神者×鯰尾、の話になると思います。

男審神者とのセックスシーンは無いですが、朝チュン的な感じは容赦なく入ります。
※刀剣破壊、刀解は普通にあります。
※刀剣への暴力、グロシーンはあまりないですが、こういう酷いことがありました、というのはいきなりさらっと入ります。

ダメそうだったらブラウザバックお願いします。


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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ① 鯰尾藤四郎

この本丸に、鯰尾藤四郎が来た。
その時にはすでに骨喰藤四郎、一期一振がいた。

「鯰尾兄さんが来たって!?」
「やっとか」
「わぁ!」
粟田口の短刀たちは飛び跳ねた。

骨喰は首を傾げていた。鯰尾?
骨喰藤四郎には昔の記憶が無かった。
だがそれなりにこの本丸に慣れた。一期一振がいたというのが大きい。

――この本丸では、まだ他の刀剣に若干の空きはあるものの、粟田口が早々にそろった。

「早く会いたい」「もうすぐ来るよ!」「鳴狐は会いに行きたいと申しております」
「会いに行こうか?」「そうしようぜ!」
「こら、初めは色々説明とかあるだろ?邪魔するな」
はしゃぐ皆を、薬研が止めた。

今日の近侍は一期一振だ。一期一振には骨喰も懐いている。

鯰尾藤四郎…?
皆が話すその名前を聞いても、記憶の無い骨喰は、特に何も感じなかった。

だが粟田口最後の一振り……というのは一応気になる。
…どんな様子だろう。
そう思って、骨喰はこっそりと抜け出した。

呼び起こしの間。

そう呼ばれている部屋。
鍛刀された刀は、ここで主に呼び起こされる。
鍛刀された後、呼び起こさないで、そのまま刀結される刀もある。保管場所は違う。
――呼び起こされなければ、ただの刀だ。
それは、主の心遣いかもしれないし、決まりなのかもしれないし、苦肉の策なのかもしれなかった。

主に呼び起こされた刀剣は、ここで役目についての説明を受ける。
骨喰は記憶が無かったので、混乱し、大分手間取った。
聞けば鯰尾というのは自分と同じく焼けたらしい。――少し心配だった。
「…くそ…また、失敗か…っ」

主の声が聞こえて、骨喰は障子を少し開け、隙間からのぞいた。

――骨喰が隙間から見たのは。

一期一振が抱き起こす、ぐったりとした黒髪の少年と。
主が掲げ持つ、ひびの入った脇差しだった。

「…くそ…今度こそは、上手く行ったと思ったのに…」
主は俯いて、肩を落としていた。
「主、これはどういう…」
一期一振が、目を覚まさない鯰尾藤四郎を抱えて言った。

「分からない。……実は、前も、いや、良く鯰尾はできたんだ。だが、いつもできたと思えば折れる…。……私の力不足だ……。すまない一期一振…。ぬか喜びさせた。この刀は刀解する」

主の言葉に、骨喰は耳を疑った。
刀解…!?だと?

主は鯰尾藤四郎の額に手を当てて、溜息を付いた。
「やはり上手く行っていない…」
「ですが、息がありますっ」
一期一振が言った。

「…っ駄目だ!!」
骨喰は思わず障子を開けていた。

「!」
主と一期一振が振り返った。

「少しひびが入ってるだけじゃないか!手入れすれば良い!」
骨喰は言っていた。

「やっと助かったんだろう!駄目だ主――」
言って、自分でも驚いた。

「骨喰…」
一期一振が驚いた。
「……この刀は…験(ゲン)が悪いのかもしれない」
主が言った。

「私の力が不安定なのか、他に理由があるのか分からない。手入れしても、目を覚まさないかもしれない。だから情が移る前に破壊…、いや、刀解した方が……」
主も迷っている様子だった。

「駄目だ」
骨喰はなぜかそう言っていた。
「――主、私からも、お願い申し上げます!どうか手入れを!息があるんですよ…!」
一期一振が言った。

か細いが、息がある。

「……」
主は『それ』を見た。

「分かった……、手入れ部屋に運ぼう。骨喰、皆を――、いや、一期一振、お前が先に出て、上手く兄弟に言い含めてくれ。近寄るなと。他の刀剣達も見てはならない」
主がそう言った。一期一振が頷き出て行った。

「骨喰…ついて来い」
「!」

呼ばれたのが意外だったが、骨喰はついていった。

■ ■ ■

手入れ部屋の前では、侍従が待機していて、いつものように札を渡された。

この札は通常、手入れされる刀剣の名前を書き記して、手入れ部屋入り口の柱に掛けておく。
新しい刀剣の場合は適当な者が名を書いて、かけるのだが…。

「何も書かずとも良い。かけるのも少し待て」
と言われたので、骨喰は名札を手に持ったまま奥へと入った。

幸い手入れ部屋はすべて空いていた。
畳部屋に布団が敷いてあり、奥は鍛刀場と繋がっている。

「どうだ、手入れで直りそうか?」
主が侍従に聞く。
「……はい、これくらいなら大丈夫、だと思います」
侍従は少し自信なさげにそう言った。

「では頼む」
侍従に刀身の手入れを任せ、主は鯰尾藤四郎を寝かせた。

「主…なぜ、いつも失敗する?」
骨喰は主に尋ねた。幾度も失敗している、と言っていた。

「…分からない…。他の刀は問題無いのだが…」
主が頭をかきむしった。これからどうするのか、と悩んでいるようだった。
「…体の傷は?どこを怪我しているんだ?」
骨喰は言う。
刀身の損傷は軽から中傷、と言った所だった。
だが鯰尾を見た所、どこも怪我をしていない。

「――そう言えば、そうだな」
刀に傷があるなら、体に傷があるはずだ。

骨喰が上着の合わせ部分を開け、ネクタイを取り、シャツのボタンを外し体を改めたが、どこにも傷はなかった。
そのままにしておくのもどうかと思ったので、またシャツを着せる。脱がせた上着は着せずに畳んだ。

「――軽傷だからか?」
主も首を傾げた。
「――終わりました」
侍従が鯰尾藤四郎を持って来た。

刀身は治っている。
「…が、やはり目は覚まさぬと……」
納得したように主が言った。…主には骨喰に分からない事が分かっているのかもしれなかった。
「どうする主」
骨喰は困って主を見た。

「……骨喰」
主は溜息を付いた。

「仕方無い。私の部屋へ運ぶか……」
「……」
主は刀解はしない事にしたらしい。

「あー…変な噂になったらどうしよう」
主はそんな事を呟いている。
「変とは?」
骨喰が聞いた。

「このまま鯰尾藤四郎が目を開けなれば、戦には出られない。戦にも出さず、皆にも引き合わせずに、四六時中手元に置いておくなんて。刀達に――なんと言われるか、変態って言われたらどうしよう」
「…気にしすぎだ」

そこで骨喰は、ふと思いついた。
「主、俺の部屋はどうだ?」

「骨喰の?――あ」
そう言えば、一期一振、鳴狐、骨喰の部屋は…本丸の少し奥まった場所にある。
初めは粟田口の部屋を横並びにまとめていたが、増えすぎた短刀に追い出され、部屋が足りなくなったのだ。
一期一振は鳴狐と同室。骨喰は…。その隣の部屋を一人で使っている。
つまり、『最後の粟田口』が来たら骨喰の部屋に入るはずだった。
「もともと同室の予定だ。……別にかまわない」
骨喰はそう言った。

「……そうだな……。悪いが頼めるか。政府に問い合わせてみるから――、いや。政府は破棄しろというだろうな……、何とか調べるから、たのむ。…目を覚ませばいいんだが」

「わかった」

■ ■ ■

「骨喰兄さん、鯰尾兄さんは?」
薬研藤四郎が尋ねて来た。今は鳴狐と一期一振が見ている。

「……」
骨喰はどう言えばいいのか分からなかった。まだ言うなと口止めもされていた。
「いきなり手入れ部屋って、どうしたのかって、皆が騒いでる」

――主は何度も失敗していた、と語っていた。
だが骨喰はここに来てから、鯰尾が来たと聞いた覚えがない。
失敗の度に速やかに刀解されていたのだろうか?
主の嘆きようでは、幾度もあったのか。
…骨喰は庭に鯰尾のからっぽの死体を埋める主が浮かんで。ぞっとした。
あるいは一期一振か?……あまり知らない様子だったが…。
――そういえば、刀解された刀剣男子は、一体どんな風に消えるのだろう。
この本丸の主は、おそらく刀解を……ほとんどしたことが無い。
骨喰も今は大分古参となったが、ここに来てからの年月『刀解』という言葉を聞いた覚えすらなかった。
この本丸の主は、刀剣である骨喰からすれば相当優秀で…『破壊』に至っては別の本丸の出来事、という感じだ。

「傷は治った。今は寝ている」
骨喰は端的に言った。主が隠せと言うなら相応の理由があるのだろう。
このまま目覚めないのは確かに不味い。

「焼けたせいで…記憶が無いのか?」
薬研藤四郎が心配そうに言った。

「…いや……。様子をみてくる。薬研は入ってはいけない」
骨喰はそう言って、その場から逃げ出した。


「――骨喰だ。入る。どうだ?兄弟は」
ふすまをあけて骨喰は言った。

骨喰の部屋には新しい布団が運び込まれていて、そこに夜着に着替させられた鯰尾藤四郎が寝ている。枕元には手入れの終わった本体の脇差が、鞘に収まり置かれている。

一期一振と、鳴狐が心配そうに見ている。
「…分からない。起きるまではここで寝かせましょう。骨喰、鯰尾を頼めるかな?」
一期一振に言われ、骨喰はうずいた。
「目が覚めるでしょうか。鳴狐は心配でございます。兄弟達に、なんと言えば良いのでしょうか?」
鳴狐のお供の狐が言った。
「そうだな……、一晩経っても目が覚めないようなら…他の兄弟には、事情を説明しておいた方がいいかもしれないね。主様と相談して来よう」
一期一振はそう言って立ち上がった。

「…早く起きると良いな」
鳴狐が囁くように言った。
「……ああ」

■ ■ ■

「とりあえず、一晩は様子見、明日、他の審神者に聞いてみるそうだ。起きなければ、主様から皆に事情を説明するとおっしゃっていました。ここにいる皆はひとまず他の兄弟に『鯰尾は少し混乱して、寝ている』と伝えてほしい。他の刀剣達には、今夜はまだ黙っておくんだよ。いいね」
一期一振がそう言った。

骨喰は頷いた。

「私達が、主様にわがままを申し上げたんだ。必ず起きると信じよう。今はあまり表沙汰にすると良くないから、そのつもりでいて欲しい。主様は本丸にいる分には問題無いとの仰せだから。――とにかく、鯰尾が起きれば問題は無いのですが…」
そう言って、一期一振は溜息を付く。

「必ず起きる」
骨喰は、…温かい手を握る。

「さっきより温かい。…きっと大丈夫だ」
骨喰はそう言った。

■ ■ ■

その一晩、骨喰藤四郎は鯰尾藤四郎をずっと眺めていた。

「起きろ、兄弟」

「兄弟は起きなければ、いけない」

時折呟いた。
顕現したとき、骨喰は記憶が無く不安だった。
炎だけが記憶にあって、酷くうなされた。
だがこの本丸の兄弟や、自分を知っていた三日月、そのほか全ての仲間、主にも支えられてなんとかやってきた。
いまでは誰もがかけがえのない存在だ。
――兄弟に記憶が無いというなら、今度は自分が助けになろう。
――どこか悪いところがあるというなら、自分が助けよう。
――たとえ刀剣として戦えなくても。一度も目を覚まさずに消えるなどあってはならない。

――だがらどうか目をさまして欲しい……。

明け方…。うめきが聞こえた。

「!」
うたた寝してしまっていた骨喰は飛び起きた。
「――」
鯰尾が眉を潜めている。うなされている。

「っ!起きてくれ!」
骨喰は揺さ振った。

「こっちへ、来い!!」
骨喰が叫んだ。

■ ■ ■

「――骨喰!」
隣に詰めていた一期一振がふすまを開けた。

「――、」
重たげに、ゆっくりと鯰尾の瞼が開いた。
うつろな瞳が、手を強く握りしめ、のぞき込む骨喰を見上げた。

「兄弟!!」
骨喰は目を見開いて言った。自分に似ている、と思った。

「……だれ…?」
「兄弟っ」
「――鯰尾!私が分かるか?一期一振だ」
一期一振りが、膝をついてのぞき込む。

鯰尾は、重たげな様子で頭を動かした。

「…えっ……、あ。いちにい…!――、あ、…おまえ骨喰?」
「良かった…!」

こうして、鯰尾藤四郎は目を覚ました。

■ ■ ■

「鯰尾藤四郎です。燃えて一部記憶が無いけど、過去なんて振り返ってやりませんよ!」
鯰尾藤四郎はにっこりと笑った。

「そうか。何はともあれ良かった。だが、やはり記憶は一部、無いか…」
主は分かっていた、というように頷いた。

「ええ。所々。でも兄弟達の事は覚えてるので大丈夫です。闘いには支障は無いですって」
鯰尾藤四郎はにっこりと笑った。

「…そうだな。これからよろしく頼む。早速だが、今日の合戦場に、骨喰と出てみるか?」
「はい!」
鯰尾藤四郎は笑顔で頷いた。

■ ■ ■

蛍丸、骨喰、一期一振、鶴丸、三日月。
鯰尾以外の布陣は最強。
そして敵の大将に難なく勝った物の、短刀の攻撃を受けた鯰尾は左肩に軽傷を負った。

「兄弟、大丈夫か?」
「平気平気。これくらい何ともない」
「骨喰はすっかり心配症だね」
一期一振が微笑んだ。

「手入れして貰ったら治るって」

――問題は、その手入れ部屋で起きた。

「終わりました」
手入れ部屋の侍従が言った。

「え?もう?」
鯰尾は首を傾げた。傷が――。

左肩に受けた傷が消えない。

「俺…、ちゃんと治ってますか?」

■ ■ ■

「主、どういうことでしょう…」
鯰尾は手入れ部屋を飛び出し、主に申し出た。

「……分からん。刀と躯が上手く繋がっていないのか……」
主が深い溜息を付いた。

「すまない…。私が未熟なばかりに…」
表情は見えない。声はほんの少し震えていた。

「……いえ。……けど主、これって不味いですよね。要するに、俺は失敗作で、重傷を負ったりしたら、人みたいに、治るのに時間が掛かる…って事ですよね」
鯰尾はうつむいて言った。

「……そう、かもしれない」
主は項垂れた。確証はないが、試すのは危険だ。

「……」

鯰尾は下を向いたまま微動だにしなかった。

「主……俺を刀解してください。少しの資源にはなるでしょう?」
すぐに顔を上げてそう言った。

「――っ」
主は息を詰めた。

…この本丸には、何故か鯰尾藤四郎が来なかった。
合戦場で見つけても、呼び起こせない。
鍛刀してもそこで失敗する。粉々に砕けたり、刀身が焼けただれたり。
何とか呼び起こしても、すでに躯が死んでいたりした。…刀解するしかなかった。

自分に力がないのか。いや、三日月、鶴丸、蛍丸。並みいる刀は手に入った。
この自分に力は、十分、あるはずだ。

……演習で他の本丸の鯰尾藤四郎を見ると、記憶の無い骨喰と、どこも上手くやっているようだ。
何としてでも、手に入れたい。なぜできない?
――そしてついに完全な形で鍛刀ができた。霊視しても、おかしな所はない。
傷もない。これなら間違い無く呼び起こせる。

骨喰藤四郎も喜ぶだろう。

だが――呼び起こした後にひびが入った。息はあった。

目を覚ましたと聞いて、今度こそ上手く行ったのだと…そう思いたかった……。

「…、戦に出なければ。他にもまだ練度の低い刀剣はいる」
主は絞り出すように言う。

「いいえ、主。この本丸には、俺以外に練度の低い者は、いません。連結用の刀は呼び起こさない。主がそうお決めになったから。皆が一振だけの刀剣です」
鯰尾が、脇差を抜き、主の前に置いた。

主は連結用の刀の意識を封印し、ずっと目覚めさせないようにしていた。
…出陣中…。
鶴丸は鯰尾に『主の残酷なやさしさゆえだ』と語った。

「…っ」
「主のお気持ちは嬉しいです。ですが俺達の本性は刀です。ただの道具なんです。人にはなれない。それは、きっとどの刀もそう思っています。俺も、俺の宿命として受け入れています」

「……しかし…!」
主は首を振った。

「本丸に置くことくらいは……」
主はかすれた声でそう言った。

「主。道具に情けを掛けてはいけません」

強い口調で言われて主はうなった。
出来る事なら、生かしたいと思っていた。

傷が治らない。それは致命的だが……。

――本当に致命的だ。主は深く長い息を吐いた。
「…、……骨喰にはどう言う…」

「何も言う必要はありません。失敗作だったから、刀解したと」

主が目の前の鯰尾藤四郎を見る。

刀剣は、この鯰尾は……見かけはまるで普通の少年なのだ。

――審神者に就任してしばらくの後。
随行した演習で、他の審神者から刀剣に関する様々な逸話を聞くようになった。
刀剣男士はそもそもが成り立ちを決められた存在だが、希にそこから外れた話が出る。

刀剣とは誠に不思議なものよ……くらいに思っていた。

刀剣に良くする審神者も多い一方で、無体を働く審神者も多い。
…他の審神者から、耳を塞ぎたくなる自慢話を聞かされる事もあった。
穏やかにいさめつつ、自分はそんな事はしない、と軽蔑し過ごしていた。

役目の為と必死になっていた。
…だが。

「……君達は、神なのだな。私はそんな事も分かっていなかった……。君を骨喰藤四郎に連結させる事も出来るが…」
主はやはり情けをかけるつもりで言った。
……鯰尾藤四郎はこの本丸に来て、まだあまりに間もない。せめて兄弟の力となれば。

「必要はありません。俺、そういうの大嫌いです。そのうち、新しい俺が出来ますって」
鯰尾がにっこりと笑った。

「……そうか……」
刀解した刀の映し身が、どのように消えるか?

それは連結する時と同じ。

ただの……とてもきれいな光になるのだ。
そして後に鉄くずが残る。
破壊で無いだけましか。

刀剣より劣る我ら人間が、どうして付喪神を操れよう?

審神者は付喪神と心を通わす唯一無二の存在。
――政府よ――。
やはり私をくるわすのか。


「感謝します、主さま」

■ ■ ■

唸り声と物音を聞き、主の部屋に飛び込んで来たのは、骨喰と従侍の蛍丸だった。
骨喰は鯰尾を迎えに来た。
「主?どうした!?」

主は床に伏せていた。
「主様!?――どうしたの!?」
蛍丸が驚く。

蛍丸が伏せて震える主の背に手を乗せた。
主は……涙をはたはたと面紗の下で流し、畳を濡らすばかりで応えない。

そして気が付いた。
「あれ?鯰尾さんは?さっき入って…」
主の部屋に、ついさっき入っていった鯰尾藤四郎がいない。
この部屋は行き止まりで、他の場所から出ることは出来な――。

「……まさか」
蛍丸が漠然と、そう言った。理解してはいなかった。

骨喰は血の気が引いた。
骨喰はついさきほど、廊下で手入れが終わった鯰尾藤四郎とすれ違った。

『さー手入れも終わったし。主に、俺からも戦課を報告してくる、一応隊長だし。挨拶?』
『そうか。兄弟、夕餉がすぐだから、着替えて来ると良い』
『ん』

おかしな所はなかった。
少し遅いので近侍部屋で待とうと思って。側まで来た所で唸り声を聞いた。

聞いた事の無い慟哭に、どくん、どくん、と心臓が大きく脈打っている。
「――……ぅぅう…――」
主は畳を何度もなぐり、ガリガリとかきむしっている。骨喰は震えた。
…これは憎しみの唸り声だ。
それに驚くよりも、骨喰には、今すぐ確認したい事がある。
「…主。兄弟はどこだ?ここに来たのだろう?」

「……骨喰ぃ」

主は顔を上げた。
面紗で表情は見えないが、布の張り付いた口元が笑っていた。

「大丈夫。すぐ、また新しい鯰尾を作ってあげるよ」

「知っているかい、審神者はフシなんだ」

けけけけけけ!と不気味な笑い声が響いた。

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骨喰と鯰尾と男審神者話 一章 ② 来派

鯰尾藤四郎が刀解された。
理由は失敗作で、重大な欠陥があったため。

それからしばらく、粟田口の刀たちは放心していた。
だが次第に事実として受け入れて、役目に没頭した。

時が経つにつれて、その本丸は、随一と呼ばれる大勢力になっていった。

■ ■ ■

「ばみ兄。今度主様から僕と五虎退に褒賞が出るんだって。何かなぁ」
骨喰の部屋で乱藤四郎が言った。五虎退はとなりではにかんでいる。
「ああ。頑張ったからな」
骨喰はぎこちなく微笑んだ。

と、誰かの気配がした。部屋の外に蛍丸がいた。
「失礼します。あの…一期一振さん、乱さん、骨喰さん、五虎退さん。主様がお呼びです。皆あつまるようにと」

「了解した」「あ。はぁい」
骨喰と乱が立ち上がった。
「あっ…、はい、今行きます。いち兄……」
五虎退は隣の部屋を見た。

「ご用かな?」
隣の部屋にいた一期一振達も出てきた。

…その席で告げられたのは、練度が上がった短刀への、極(きわめ)修行の命だった。
選ばれたのは誉を上げた乱藤四郎と五虎退。
この二人はすでに練度は足りていたが、極修行は必要条件が厳しく、またその間は戦力から外れてしまうので、出陣の多くなった昨今、中々機会が巡ってこなかった。
「僕たちが…」「極修行…!」
乱と五虎退はこれ以上無い褒美と目をきらきら輝かせ、いずまいを正した。

極『きわめ』…この修行を終えた短刀は、とても強力な戦力となる。

主は楽しげだった。
「二人とも、よく頑張った。次は誰がよいかとずっと迷ったが、先の戦を評価した。今剣から修行は厳しいと聞いている。励めよ」
「――はいっ」
二人が声をそろえて返事した。

「準備が整ったので、他の短刀達も順次、修行に送り出す。他の者もうかうかしていたら短刀にひょいと抜かれてしまうぞ?」
皆、主のいつもの冗談だと分かったが、極となった短刀の強さを演習で知っているので、笑えなかった。
極短刀は機動が高く、刀装も使いこなすやっかいな相手だ。
複数に不利な陣形で囲まれたら、かなりの苦戦を強いられる。

「明日からの近侍は、引き続き骨喰藤四郎でいく。来週また決める」

この本丸の主は近侍を二、三日で変えるが、だいたい顔ぶれは決まっている。
骨喰藤四郎が続いているが、これも良くある事なので、誰も気にしなかった。

と言うよりも、適材適所な世話焼き人選にすると自然とそうなるのだ。
…明石国行や三日月宗近などには絶対に任せられないし、鶴丸国永に至っては、はじめの一度きり。彼は主から、悪戯が過ぎて心の蔵に悪いとの言を頂いた。

「それと、最後にひとつ」
主が続けた。

「…実は、このたび私の家族を本丸に住まわせる事にした。といっても一人だけだが…」

刀剣達が少しざわついた。
「家族…?」「えっ…いたの?」「こら」
役目の鬼であるこの審神者に、家族とかいたのか、というのが大方の心境だった。

「けど奥の居所を使うから、君達は北方とは顔を合わせることはない。食事は近侍に運んで貰う。よろしく頼むよ」

北方…。つまり北の方…ということは奥さんなのだろう。

「了解です」「はい」
近侍になる事が多い者達は嬉しげに頷いた。
奥さんか――どんな方だろう。と誰かが呟いた。
「主も隅におけないな」
というさわさわした会話が聞こえる。

ほんの少し浮かない顔をしているのは、来派の者達だったが、誰も気が付くことはなかった。

■ ■ ■

……この本丸は、同じ刀派の刀剣を同室にしている。

第三部隊隊長の国行は、『次の出陣に関して話がある』と主に呼ばれて、一人で主の間に行っている。
もちろん、……お題目だろう。

来派の部屋で、愛染国俊と蛍丸がひそやかに会話する。
「蛍。まさか、……来ちまったのか?」
「うん…国俊…たぶん」
愛染国俊の言葉に、蛍丸が項垂れた。
つまりはこの本丸に、再び鯰尾藤四郎が顕現した。

「――俺は反対だ」
愛染国俊が言った。
蛍丸は溜息を付いた。
「けど、国行は『まあ、しゃーないな、とんだ貧乏くじやけど』って。確かに…僕たち『来派』には直接関わりは無いよ」
「――そんなわけあるか。蛍お前、国行がどう思ってるかわからないのか……!」
愛染国俊に言われ、蛍丸がうつむいた。
「うん…分かってるよ…でも、主様は、仕方無いんだ。僕たちが何もしなければ、何も…問題は無いんだ」

「――くそ」
愛染は、その日の事を思い出した。

一月ほど前、来派の三名が主に呼ばれた。
なんだろう、と思って面倒くさがる国行を連れて行ってみた。

そこには主と、…その側に骨喰藤四郎がひっそりといた。
…鯰尾藤四郎がいなくなってから骨喰は、とても口数が少ない。
全く喋らないと言ってもいい。
鯰尾藤四郎が来る以前は、兄弟たちとよく会話をしていたのに。まだ立ち直れていないのだろう。
蛍丸は骨喰を見て何の気なしに、鯰尾藤四郎が刀解された日の事を思い出した。
あの日はたまたま、自分が近侍だったなぁ。そうのんきに思った。

「ようやく来たか。お前達に話しておくことがある。この事は他言無用だ」
主はそう言った。
来派の三人をあつめたのだ。余程の事なのだろう。

「へぇ。それで?」
国行が興味なさげに言った。
「実は、愛染を、新しく三振作った」
主はそう言った。
「え?」
愛染は意外そうな顔をした。

「蛍丸は『よく』知っていると思うが、あの時できた鯰尾藤四郎には欠陥があった」
…いつのことだったのか添えることもなく。主は淡々と語る。

「二振り目の出来は悪くない。だが合戦には出せない。…いや、鯰尾藤四郎はどこにも出さない。奥向きに住まわせて、私の補佐をさせる」

蛍丸が、ひゅ、と息を吸った。

――まさか。
「主さま…、それは、どういう」

明石国行が顔色を変えた。
「つまり主さん、…愛染の命が惜しければ――鯰尾さんが奥向きにいてはると、他の皆さんに黙っていろちゅう事ですか。正気で言うてはります?」

「なっ」
愛染も意味が分かったのだろう。二の句が継げなかった。
…大太刀の蛍丸は出現しにくいが、短刀の自分はそこまででもない。むしろ余るくらいだ。

「…そういうことだ。だがなに、鯰尾の役目はただの補佐だ。近頃は軍勢も多くなり、色々と私一人では行き届かないのだ。戦に出せないなら、それも良いだろう?以前と同じ鯰尾藤四郎だが、それぞれが代わりのきかない者だ」
その言葉には、特に感情がこもっていなかった。

「そう……他のモノと違って、『彼』はもう、もう二度と。換えがきかぬのだ。大切に、しなければな……」
いつもの主の、優しい言葉に聞こえる。

蛍丸はそれが恐ろしかった。

「奥向きで何か足りぬ事があれば、お前達に手伝わせる。分かったな」

――その宣告に、蛍丸、愛染、国行は戦慄した。

そして、今日の出来事に続く。

「まじで……まじで恐えよ。主はどうちしまったんだ」
愛染が頭を抱えた。今までの主からすると、信じられない言い分だった。
皆の前では普通だったのに。

この本丸では、刀剣男士が暮らす場所と、主が生活をする奥向きが完全に分かれていて、主の居所にはほとんど誰も足を踏み入れたことは無かった。
踏み入った事のある者には三日月がいた。顕現してまもなく、適当に徘徊し迷い込んだらしい。
彼は短刀達に興味津々で尋ねられ「空の部屋が並んでいただけだった。ただの、主の居所のようだ」と答えていた。
――刀剣が増えれば奥向きも使われるかもしれない、と言われていたが、この本丸は十分に広い。

主は今まで、特定の刀剣や刀派贔屓にしたことはない。

ましてや自分の居所に侍らそうなどと……。
そもそも、愛染、蛍丸は、主に男色の気は無いと思っていた。
良く出来た優しい人、というのが蛍丸、愛染、その他の刀剣の認識だった。

「ね…ねえ、国俊。十日くらい前…、国行が…」
言いながら、蛍丸は震えた。

もう十日ほど前だろうか。主に呼ばれた明石国行が、真っ青な顔で帰って来て。
『主には逆らうな。わかったな』
二人にそう言った。

「……何があったとか、考えたくもない。あの国行が青ざめるんだぜ」
愛染が言った。
国行の様子は尋常では無かった。
蛍丸、愛染、この二振りにはいざとなれば、『国行は自分達を守る為に何でもする』と言う確証がある。
国行は主に刃を向けることもするだろう。
その見えない信頼こそが、来派の強さだ。

……人選は、なるほど、適任だろう。
人数が多い粟田口ではどこからか漏れる話も、自分達――、人一倍弟思いな国行、そして兄想いな自分達なら大丈夫だ。

「…僕たちは、これも主への忠誠の形って事で納得したよね…」
蛍丸は言った。声が沈みがちになるのは仕方無い。
「ああ…。国行も…いざとなれば、別のお前を見捨てても良いか、って俺に言ったし。だけど、……俺達より、なあ、蛍。鯰尾さんは大丈夫なのか?」

「――分からない。主は、そんな酷い事をするような人じゃ……ないと、思う」

蛍丸は…主の狂った笑い声を思い出した。
鯰尾さんが刀解されたあの時何があったんだろう。

明石国行が主に呼ばれ、真っ青な顔で帰って来た後も、この本丸は何の問題も無かった。
蛍丸と愛染は忘れていたくらいだ。
だから今日、奥向きに『北方』を住まわせると突然聞いて。

余計に、ぞっとしたのだ。

水面下で主は何をしていた?
…骨喰は多分知っているのだろう。

比較的早く顕現した蛍丸は近侍になる事も多かった。
その頃、主が『一期一振は出来たが、鯰尾藤四郎ができない、何故だ?』とぼやいていた事を覚えていた。
やっと一振りできて、それを失って。半年ほどになる。

主はそれから、まさか、ずっと……?

正気なのだろうか。
蛍丸はそんな事すら思った。いいや、主のただの、一時の熱中だ。
――蛍丸を鍛刀した時もそうだったらしい。

「骨喰が知ってるかもしれないから、それとなく聞いてみるけど……話してくれるかな…、……骨喰に会ってくる。国俊は下手に動かない方がいいよ」
「ハァ…分かった。本当に、ただ仕事を手伝わせるだけなら問題は無いしな!本丸もでっかくなったし。きっと、主は、本当に手が回らなくて困ってるんだぜ」
愛染が膝を打って、少し明るく言った。

「…うん。そうだよね」

蛍丸は心から祈った。
そうであってほしいと。

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ③ 来派2

蛍丸は、骨喰を探しに部屋を出た。足音をころす。
今は何となく、他の刀剣に会いたくなかった。

考えてみれば、審神者が刀剣男士を侍らす事には特に問題は無い。

例えそれが夜に主を慰める為であっても、……言い方は悪いが、蛍丸は審神者の権利、自由だとすら思っていた。
たがそれは、無理強いが無ければの話だ。
蛍丸は、顕現したかもしれない二振り目の鯰尾に、まだ会っていない。
それが本当に奥に居るのかも知らないし、どんな役目をおっているのかも知らない。

蛍丸は溜息をついた。
――なんで、僕たちが。
たまたまあの日近侍だったから?

…だが、来派に関わる重大事項となった以上、きちんと把握しておかなければ…。

何を?
もちろん、鯰尾藤四郎が置かれた状況をだ。

骨喰なら知っているだろう。
酷い目に逢っていなければ、問題は無い。
夜とぎがたまにとか、そのくらいなら、刀剣としての役目の内だ。

近づいてくるこの気配は――。国行だ。もう一人。
見ると骨喰と国行が廊下を曲がって、こちらへ来る所だった。
この廊下で鉢合わせた、つまり骨喰は、国行と一緒に来派の部屋へ行くつもりだったのだろう。

「蛍…」
国行が蛍丸に言った。
「国行、なんの話だったの?ぼく、ちょうど骨喰さんに会いに行こうと思ってたんだけど…」
「ほんなら、部屋に戻ろ。骨喰が説明してくれるて」
国行が言った。

■ ■ ■

来派の三人、真ん中に国行、右に蛍丸、左愛染。

彼らと対峙した骨喰は急に、床に手をつき、深く頭を下げた。
「…すまない…!」
畳に額が付くほどに。

「ちょ」
「俺では、主を止められない」

蛍丸が口を開いた。
「骨喰さん、この本丸に、鯰尾さんが…いるの?」

「…ああ。顕現している…」
骨喰が言った。

「――俺は鍛刀に立ち会った。主は本気だったが、まさか出来るとは思っていなかった。兄弟を見た主は…。おかしくなってしまった。今は、兄弟がどんな状況か、分からない」
近頃の骨喰にしてはかなり長く話した。
それだけ必死なのだろう。

「主は、奥向きへの廊下に刀剣が入れないように細工をしたらしい。どうにかして入ろうと思ったが無理だった」
骨喰は眠れていないのだろう。声もかすれていた。

「主さんは…食事は、空の部屋に置くようにって、言っとった。完璧に主さんに娶られたと思うしかないなぁ」
国行が言う。

「なんや酷い事になってないか……祈ってやるしかないわ…。主さんなら大丈夫やって思いたいわ…」
軽い言葉だったが、目は笑っていない。

「すまない…明石国行…俺は何とかして、兄弟に会う方法を探す……。待遇を聞き出して……人質になっている君達の兄弟たちも、必ず助ける」
骨喰は続けた。

「知ってるんだ?」
と蛍丸が言った。

「――主は、俺、に……」
骨喰は言いよどんだ。

「――まあ、ええわ。ゆっくりな。俺たちは何もせずに待っとる」
「……すまない……俺に力が、無いばかりに」
骨喰は拳を握りながら、深く頭を下げた。

「この事は、皆には、今後、誰にも、一切、絶対に言わないでくれ。俺もお前達が手伝っているとは言わない。兄弟達は何も知らない。兄の一期一振もだ。絶対に言わないでくれ!」

「くれぐれも、どうかお願いする…!」
骨喰は必死な様子だった。

「骨喰…」
愛染が何かを言いかけたが、言葉は出てこない。
国行が同情も露わにしている。…骨喰も兄弟を盾にされているのかもしれない。

愛染は、国行に尋ねても答えてくれないだろうと思った。

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ④ 三日月宗近

「主…」
骨喰藤四郎は、主の部屋を訪れた。

「骨喰だ。入っていいか」
震える声でそう言って、障子を開けて入る。

主は座していた。
待っていたのか。

「骨喰。どうした?」
優しげに聞いてくる。

「主。兄弟に合わせてくれ」
「兄弟?お前には山ほどいるだろう。皆、元気にしているか」

「そうじゃない。鯰尾藤四郎だ」
骨喰が言った途端に、主の雰囲気が一変した。
「何を言っている?」
厳しい声で言う。

「お前ごときが…」
そして、ひひ、ひひ、と笑いを漏らす。

「なぜ会いたい?彼はもう死んだんだ。歴史は変えられない。お前も、そう言っていただろう」
「…、主、だから、俺が言っているのは二振り目の鯰尾藤四郎だ!今、奥にいるのだろう?」
骨喰が言った。

「――、奥向きにいるのは私の妻だ」

それが本気に聞こえて、骨喰は俯いた。
「…頼む、話をさせてくれ。兄弟は、鯰尾は大丈夫なのか!?」

「居ないものは仕方が無い」
主はそう言った。

「……」
骨喰は肩を落とした。
主は一夜明けてからは、あれは妻だの一点張り。
もう骨喰には、どうする事もできないのかもしれない。

……今、奥向きに閉じ込められている兄弟。

刀剣をどう扱おうと主の自由だ。
鯰尾は妻だと言う通り、主はひどい暴力は振るわないのかもしれない。
夜とぎの対象だったとしても、その行為で躯が傷つくこともない。

だが骨喰は、もっと他の……やり方があると思うのだ。
――例えば、いち兄や仲間に囲まれて、兄弟が笑っていられるような。
――戦場で雄々しく闘うような。兄弟にはそうあってほしい。
そんな当たり前の事が、どうしてなされないのかと思うと、喪失感だけがある。
自分の鯰尾に対する感情が漠然としていて、嫌気が差した。

どこかあきらめてしまうのは、二振り目だからか?
確かに骨喰は、二振目の鯰尾に価値は無いと思っていた。
骨喰藤四郎にとって大切なのは以前の、刀解された鯰尾藤四郎だ。

たった一度、共に出陣しただけの、一振り目の鯰尾藤四郎……。

主から刀解の理由を教えられて、仕方が無いと思った。
いっそ後を追うかと思ったが、その方法はよく分からない。

――主の醜愛は、自分にも向けられている。

骨喰はそれを身をもって知っていた。
……鯰尾が出現しなかった間、寝所に呼ばれていたのは自分だ。
骨喰は、鯰尾が来たら飽きるだろうと思って相手をしていた。いずれ鯰尾が出来てしまった時の為にと思い、よがり、媚びる事さえした。

だが恐ろしい事に……。それは終わらない。
面紗布ごしに、自分に対する目線を感じる。それは、鯰尾藤四郎を求める者としての連帯感ではない。
主が骨喰に向けるのは性愛玩具を見る目だ。
無論、他の刀剣は気が付いていない。

二振目がどうした。偽物だ。
そんな事は感じないくらいに疲れている、何も感じ無い。
と思ったが、二振り目の鯰尾藤四郎としばらく話したら、それだけで。

骨喰は、『鯰尾藤四郎』ともう一度共に、闘いたいと思った。
同じで無くても良い。よく来てくれたと、抱きしめたいと思った。
同じで無くても良いから。ただ、自分の側にいて欲しい。笑っていて欲しい。
不幸であってほしくない、それだけなのだ。

「主……。主が、兄弟に固執し、側に置きたいというなら譲歩しよう」
――主に寵愛され、暮らしに不自由がないなら、鯰尾藤四郎は、いつか幸せだと笑う事もあるだろう。主に心を向ける事もあるはずだ。

「だが……、なぜあそこまでする?」

「あそこまで?」
主が首を傾げた。
「……愛染国俊を、他の者たちを。なぜあんな目に遭わせる?頼むから、止めてくれ……!」
骨喰は言った。

「少しばかり苛めただけだ。壊してはいない」

「主…っ!」
骨喰が怒りを含んだ声で言う。

「……」
言っても無駄なのかもしれない。

上手く行かない鍛刀の果て、嬲られたある夜。
『そうだ…』と言われ地下室を見せられた骨喰は、心底震え上がり、主に逆らえなくなってしまった。
主は正気を失っているのではないかと思った。

主の秘密を知る骨喰でさえも。鯰尾のいる奥向きには入れない。
主を殺して、とさえ思ったが、殺気を見透かされ、主が死ねば解ける類いの物では無いと言われた。
――この本丸は、見かけは、全く問題が無い。
これから少しずつ崩れるのかも知れないが、この主なら上手くやってしまうのかもしれないという気もする。

骨喰は……もう、こうして進言するだけが精一杯だ。

主が立ち上がった。
「君は礼儀を知らないようだ。彼は違った。きちんと跪いて――。立派な最後だったよ」
「…!」
骨喰は震えた。

「……無礼だったなら、謝る」
そして膝を折る。

「どうか、愛染国俊を解放して、ください。主様、お願いします…!」
骨喰は畳に額を付けた。

「そうだね――鯰尾と、愛染、どちらが君にとっての大事かな。もちろん鯰尾藤四郎だよね?主に嘘は良くない。彼は嘘をつかないよ?」
今の主は、外では時代がかった言葉で話すが、骨喰には親しげな言葉を使う。
これがこの主の素の話し方なのか、狂った末そうなったのか。
……以前あった、親しみやすさ。気安さ、愛嬌のようなものは無くなってしまった。

「――」
骨喰は何と言えばいいのか分からなかった。

「君は、鯰尾が良ければそれでいいんだろう?その無事を確かめたら、愛染なんてどうでもよくなる。君には記憶が無いんだよね。本当は鯰尾藤四郎の事なんて良く知らないのに、兄弟だからって、求めてる。求めてどうしたいの?君のそれはどういう感情?ちゃんと兄弟愛かな?」

「……わからない、だけど、兄弟愛、だと思う。だが主、さま。俺には愛情という物がなんなのか、それすらよく分からない。……俺は刀だから」

ひひ、ひひ。
と主は笑った。
「――そうだねぇ、そうだねぇ」

がん!!と何か衝撃を感じて、骨喰は畳に頰をぶつけた。
頭を蹴飛ばされたと分かったのは痛みを感じた後だった。
髪を掴まれる。

「お前は本当に、馬鹿で可愛いね。鯰尾が欲しいならそう言えば良いのに。『俺に一振、払い下げて下さい、主のお古で構いませんから』って。だが、お前なんぞに触れられたら妻が汚れる。あれは私の物だ」

骨喰は頭が真っ白になった。
怒りを通り越して、あ然としてしまった。
そして、お古という言葉が示す事を理解し、めまいを起こしそうになる。

――なぜ、主はそんな事を言うのだろう。
――なぜ。兄弟を侮辱する。

「あ、主っ…はなせ」
骨喰は、主の手を振り払った。
起き上がろうとしてふらついた。身を崩したまま、何とか主を見る。

「骨喰…汝、刀剣なり。ひひ。――どうだいこの言葉は?格好良いだろう?彼は、僕に自分はただの道具だと言った。彼は、君より遙かに賢い――。いいか、骨喰。覚えの悪いその頭で、良く覚えておけ!お前達はただの道具だ!」

ふふ、ひひ、ひひひっ!と主は笑った。

「主っ!!愛染は…!!」
「何だ、まだ言うのかい?じゃあ、そうだね、次は五虎退とか、どうかな…?愛染はそろそろ、もうひとり、だめになりそうだから。また国行に埋めて貰わないとね」

にタァ。と主が笑った。

「主…っ!!馬鹿はやめろ!」
「道具に情けをかけてはいけません、…彼はそう言ったなぁ。確かにその通りだった。彼の言った事を、忘れないうちに書き留めておこうか、ひひ、ひひっ!ああ――楽しいなぁ!」

「主っ!」
骨喰藤四郎は立ち上がり、主に取りすがった。

「何だ、まだいたのか。お前は明日出陣だろう。道具はさっさと寝ろ。ああ――彼は失敗作なんかじゃなかったんだなぁ!ああ――私は、――私は、娶ったから鯰尾は私の物だ。はははっ、ああ――楽しい!触るな」
バシ、と手を払われた。

「とっとと、出て行け。私はもう妻の元へ行く」
主は骨喰にそう言った。

■ ■ ■

骨喰は呆然としていた。

視界が勝手に揺れていた。
どうして自分は足を動かしているんだと思った。
彷徨うように、一人になれる場所を探した。

どこなら、泣ける?

――だれにもみつかってはいけない。
あの惨状を思い出し、吐き気がこみ上げてきた。

――口を押さえながら、走り、本丸の外れまで来た。馬小屋の影だ。

「うう、うう…っ!」
げほ、げほっ、と咳き込んだが、あと一歩で吐き戻せない。手足が冷たくて。

涙ばかりが頰を伝う。
声を上げてはいけない。あふれ出る涙を必死でぬぐいながら、骨喰は自分の指を咬んだ。

板壁にすがりついて、ひくひく、と声を上げてすすり泣いた。

「――どうしたのだ」

「――」
心臓が急に飛び跳ねて、頭痛まで感じた。

――みつかっ。

「骨喰…!?」
「――」
言葉が出ない。

見つかったら死。目玉がなかった。

――あああ。
三日月。
そこにあったのは闇夜に浮かぶ美しい三日月だった。

「どうした…!?」
暗いめだま。骨喰は倒れそうになって、三日月に支えられた。
「……、」
ここで気を失ったら、だめだ。

もし全てが明るみに出て、本丸が崩壊したら、主はおそらく鯰尾だけを連れて逃げる。
――確証などないが、そうなるという気がした。
「骨喰、どうしたのだ…!」
「ま…、て!五月蠅い!」

骨喰はそう言って、地面にへたり込んで頭を押さえた。

がたがたと躯が震えている。

おちつけ。気取られてはいけない。

「みか、……つき、おれはさんぽだ」
骨喰は意外にすんなりそう言えた。

「――、」
三日月が、困惑したような反応を返した。
「だからかまうな…」
骨喰が、か細い声で言った。
――これで大丈夫だ。もう涙も止まっている。

「だが、なぜ泣いているのだ?」
「……散歩だから」
骨喰は、また泣きそうになって言った。

「そうか、お前は夜の散歩で泣くのか」
…優しい声色だった。
三日月の――。
目の優しさに、涙があふれ出した。

ああ、やさしい。
気が付く間もなく、すがりついていた。

「おれはだめなとうけんなんだ。だからぜんぶだめなんだ…!」

「おれがばかでよわいから…っ」

骨喰は知らずのうちに三日月の衣を掴んでいた。
声を上げてはいけないと嗚咽をこらえ、口を押さえてしくしくと泣く。

「お主は強いと思うが…」
三日月が、背中をさする。

ぱた、と音がした気がして見上げると、三日月の目から雫がこぼれ落ちていた。

三日月が泣いている。
雫は骨喰の髪を濡らした。

「なぜ、おまえが泣く」

「お前にはわかるまい。年寄り故だ。…あまり思い悩んでくれるな」
三日月は涙のたまった目を閉じた。
強く抱きしめられ、骨喰は何もできなくなった。

■ ■ ■

三日月宗近は、主と骨喰が関係を持っていると、薄々気が付いていた。
骨喰は分かりやすいが…周りに気取られないように上手く立ち回っている。
三日月は、骨喰が主と関係するのは夜ではなく昼間だと思っていた。
鯰尾藤四郎が刀解された後、骨喰藤四郎は絶望し、何を言っても…死んだ目をして深く沈んでいた。
それがある日を境に、少し変わったから。

……三日月はそれだけ、骨喰をよく見ていた。

もしかしたら…兄である一期一振や、勘の鋭い者――例えば鶴丸国永なども言わないだけで、骨喰と主の仲は知っているかもしれない。

だが、今宵のこれはどうしたことか。

主を思い焦がれるのとは違う。
それだけで、これほど秘めるような泣き方をするはずがない。

……見た目の若い者が苦しむのを見るのはつらい。
人の形を得た事で分かった事だ。

今宵は空気が澄み月の弧が見事だったので、夜の散歩をと思って出たが、これは据え膳に近い。
――いっそ骨喰に手を出すか、と三日月は思った。

そんな事より。何があったのか。
今の骨喰の様子は、明らかに普通では無い。

「骨喰、何があったのだ?」
三日月はその場で、骨喰を抱きしめて尋ねた。いま二人は月の下で、土に腰を落としている。
「…何も無い」
骨喰はそう言って、無理矢理ふらつきながら立ち上がった。

「…大丈夫、だ」

三日月は骨喰が主に抱かれた帰りかと思ったが、…そんな匂いはしない。
骨喰藤四郎はどこまでも冷たく澄んだ美しい姿をしている。

「そうか。一人で戻れるか」
三日月は骨喰を支えて言った。
「ああ」

「骨喰、少し上を向いてくれぬか」
三日月がそう言うので、骨喰は久しぶりに顔を上げた。

頬に手を添えられ、掬うように唇が重なった。

短い重なりだったが、色めいている気がして。
お互いに、何もかも話してしまいたくなった。

「…骨喰よ。俺はお前の支えになりたいのだ。ちとたよりないかもしれぬが」
「……」
骨喰は三日月の胸にすっぽりとおさめられた。

「三日月………」
温かくて、骨喰はすがりついてしまった。
しかし、声がかすれ言葉が続かない。

「このじじいには話せないのか?」
三日月がいじけたように言う。
「……誰にも、言えない」
骨喰はそう言ってしまった。

「ちがう。大丈夫だ。三日月がいるから…」
骨喰は、自分が三日月にすがりついているのを不思議に思った。

だれでもいい、そんな心境なのかと思い、三日月だから……だと感じる。

「三日月……」

骨喰に見つめられた三日月が笑った。

「喰ってしまっても良いか?」

[newpage]

二振り目の鯰尾藤四郎に与えられたのは、奥向き丸ごとだった。
それほど広くはない部屋が五つ。

寝室は主の寝室の隣。
ふすまではなく、両開きの板扉が付いていて、外から鍵をかけられるようになっている。
箪笥、鏡台などの調度品は贅沢ではないがしっかりしていた。
まるで女性が使う部屋だったが、元々、北方を住ませる為の部屋だから仕方無いのかもしれない。

その隣に、執務部屋。これも隣に主の仕事部屋がある。
その隣は書庫。間に厠。
中庭があって、池がある。
向かいは訓練場。そして、端に風呂。

……まるで閉じ込められたような。

……閉じ込められているんだろう。
鯰尾藤四郎は書庫で一人溜息を付いた。
骨喰以外に兄弟達がいるなら会いたかったが、きっと無理だろう。

顕現した時に骨喰に会えたのは良かったが、その場ですぐに自分の役割を知って、途方に暮れてしまった。

鯰尾は兄弟達に会いたいと言った。
それが全く叶わないと知って、涙も流した。

それから、結局、主に為されるがままにされた。
刀剣だった時には……予想など出来なかったことだが、長く生きておくものだなぁ、と思った。
行為の意味は理解できた。
意味が全く分からなかったら、狼藉者、とたたき切っていただろう。
……本体は先に取り上げられていた。

別段、無理強いと言う程でも無かったが……あれほどの嫌悪感と、絶望感と、敗北感と、屈辱が伴うとは知らなかった。やめて下さいと泣き叫んだ。
主は、この鯰尾藤四郎を愛でる気らしい。考えようによっては、この上ない名誉だ。
自分はただ受け入れれば良い。主の全てを。

だが刀剣男士である自分に、それができるのか。闘いたい。そう強く思う。あきらめて受け入れれば良いのに、刀剣男子、付喪神としての矜持が邪魔をする。現に殺してやりたいと思う。
――これなら連結用だと言われた方がまだ良い。

鯰尾藤四郎は二振り目だ、と言われて、そこは、『そうか、俺は二振目かぁ…』とすぐ理解した。
まるであらかじめ自らの仕組みを知っていて、拾い上げたように。

顕現して分かったが、複数の自分達とは、つながっていないが、とぎれてもいない感覚がある。
感覚というほど確かな物ではない……。代わりがいるという連帯感、安心感だろうか?
この本丸には鯰尾藤四郎は己一人しか無いらしいが、他の本丸には沢山あるという。

ただの付喪神だった鯰尾藤四郎は、確かに躯を持ち目を覚まし、刀剣男士の一人となったのだろう。
主に従うのは刀剣男士としては当然。主人に使われるのは、刀として当然。主に忠誠を誓うのは刀剣の喜び。
よくよく考えれば、悪い事では無い。
脇差として闘いたいという思いは消えないが、これもお役目と諦めるほかないのかもしれない。

……。
先程。今度は本丸の運営を任されてしまった。
鯰尾は眉をひそめた。

主は、一体何をしようとしている…?

■ ■ ■

三日月の部屋に、薄日が差す頃。
籠絡されるというのはこの事だろう、と骨喰は思った。
かなり疲れたというのが正直なところだ。

骨喰は最中に、「どうして主は」と、口走ってしまった事が心配だった。
三日月は起きていて、自分の隣で起き上がろうとする骨喰を見た。

「もう戻る……、他言無用だ」
手を伸ばしてずっと、三日月に抱かれていたかったが、鯰尾の顔がちらついた。
何としてでも。無事を確認したい。

「言ったりせぬよ。俺とお前の秘め事だ」
「……」

骨喰は、何を言えばいいのか分からなかった。
向けられる気持ちに答えたい。
……だが自分はそれではだめだ。
そう考えて、ありがとう、と言ってそこを去った。

残された三日月は、深く溜息をついた。

――脈はいささかあるようだが、振られてしまったようだ。
――あれが何を抱えているのか。
深く抱けば、吐き出せる様な悩みならば……と思い執拗に施したが、どうやらよほど根が深いのだろう。

主に問いただそうか。
三日月はそれは得策ではない。と思った。

鯰尾藤四郎が刀解された経緯は詳しく知らないが、どうやらそれ以来、主は骨喰に執着している。
三日月は、一種の憂さ晴らしではないかと思っていた。

あの男は、……嫉妬深そうだ。

■ ■ ■

翌日、骨喰藤四郎は主の間を訪れた。

「昨日は……失礼を言った。だが鯰尾藤四郎には会わせてくれ」
そう言ってはいけないと、骨喰は思っていた。

「そうかそうか、そんなに会いたいか」
平伏した骨喰は。主に頭を撫でられた。

「欲張りなものよ。愛染より、やはり鯰尾か。――お前のそういう愚直なところが気に入っている」
「主…」
骨喰は頭を下げたまま嘆息する。

……愛染より鯰尾。
言われて、たった今、愛染の事は、仕方ないと結論付けた自分が、確かにいる。
昨日、どちらかを選べとは言われたが、それは答えを求められたわけでは無い。
――骨喰も答えを考えたわけでは無い。
――来派には申し訳無いが、そんな事は忘れていた。
骨喰が鯰尾を求めるのは当然で、だから骨喰藤四郎は、鯰尾藤四郎を求めるしかないのだ。
何故それが当然なのかは記憶の無い骨喰には分からない。無くした記憶は埋まらない。

「主は間違っている」
顔を上げてそう言ったら、なんだその目は、と言われた。

「どう間違っている?――答えてみよ」
「…俺達は人と添い遂げることはできない。戦う為だけに存在している。だから俺は、鯰尾藤四郎が、この本丸にいると皆に言う」
骨喰はそう言った。

「今ここで刀を抜く覚悟も無いのにか?勝手に言う事もしなかったのにか?…出来ぬ事は言うな。言いたければ勝手に言えばいいのだ、だが、あれは私のモノだ。未来永劫。私の物だ、物だ、誰にも渡さない!私のモノだ!自分のモノを自由にして何が悪い!?」

「主……」
骨喰はうつむき首を振った。骨喰が何を言っても主の様子は変わらない。
主は考える事をやめたのか。それとも変わる事をやめたのか。
主命に逆らえないのは刀剣の宿命か。…情か。

このどうしようない感情は……哀れみなのかもしれない。

「主の元で、兄弟は、元気にしているか?ちゃんと食べているか?本当に、心から、笑っているか?」
骨喰はそう言った。

「もし、それが見られたら。俺はあきらめる……。だが愛染だけは開放してくれ。俺は代わりにどうなっても構わないから……、…どうか、お願い申し上げる」
骨喰は平伏した。
もはや自分に出来る事は無いのだろう。聞き入れられるとは思えないせいで、少し捨て鉢だった。

「――新たな合戦場が開放された」
主が言った。

「次の出陣を終えたら、お前を暫く編成から外す。生きて帰れよ」

■ ■ ■

それから、出陣の命はすぐには下されず、一月ほどじれったい日が続いた。
骨喰は相変わらず主に昼夜と呼ばれるが、鯰尾が来たせいか、骨喰が求められる事はない。
主は骨喰を近侍に据えたままにすると言った。
当然反対はおきな。誰を近侍にするも主の自由だし、骨喰は今までもよくやっていたから、適任だろう。
骨喰藤四郎以外の刀剣男子は頻繁に出陣し、乱藤四郎と五虎退は無事に極となって帰ってきた。
そして薬研藤四郎が修行へ赴く。見送ったのは骨喰だ。

この本丸は相変わらず活気がある。

――そう言えば、近頃主の姿を見かけない。
始めにそう言ったのは誰だったか。
今では皆言っているが、骨喰はそれが三日月宗近だったように思う。

その日、久方ぶりに。ようやく骨喰藤四郎は出陣した。
隊長は三日月宗近、二番手に骨喰藤四郎、三番手に宗三左文字、四番手に陸奥守吉行、五番手に今剣、六番手に蛍丸。

もちろん骨喰は、近頃、皆が主を見かけない理由を知っていた。
主は鯰尾に執着し、主の間で骨喰に会うとき以外、奥に籠もっている。
部隊の編成や、内番、作戦などは、見た事の無い手で書かれた紙を渡される。
あまり上手くないその文字は、鯰尾藤四郎が書いたのだろう。

骨喰藤四郎はそれを主の部屋でそっくり、別の紙に書き写す。
そうしろと言われていた。

兄弟が無事なら、もうそれでいいのだろう。骨喰は自分にそう言い聞かせた。

……良いとは言えないが、悪いとも言えない。

胸が締め付けられる。
刀剣として扱ってやってほしい、と主に言いたくなる。

「骨喰。終わったか。帰還しよう」

「ああ…」
闘いを終えた後、道すがら骨喰は三日月と言葉を交わした。

「中々に手強い相手だった」
と三日月は言っている。口元が微笑んで居る。

――骨喰は、放心した。

これはだれだ。

馬を駆る三日月は、確かに三日月だ。
練度も同じだし、装備も同じだ。
ただひたすらに濃い、血の臭いをのぞいて。

「……そうだな。だが三日月は強い」
平静を装い、そう言った。
……自分が悩むそぶりを見せたら、三日月なら何か言うだろう。

「俺は弱いから、やはり、うらやましい」
「お主は強いではないか。気にするな」
「…そうでもない」
「そうなのか?」

――骨喰は会話をそこでやめた。

分かったのだ。
この三日月宗近は、あの夜の三日月ではないと言う事が。

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ⑤ 一期一振

「……っ!!」
ほんとうの三日月への思いと、刀解された鯰尾への思い。
二つが重なって、骨喰は部屋で一人で震えた。
床に這いつくばって、畳を引っ掻く。

骨喰は三日月の目を思い出す。
血の臭いがこびりついた、赤い三日月。
――アレは違う…!

あれは俺を抱いた、優しい三日月じゃない。
俺が本丸に顕現してから、ずっと一緒にいた、三日月宗近ではない!

あの三日月は何処へ行った?

主は何を考えている!!

■ ■ ■

出陣して、戻ってきたはずの骨喰が見当たらず、一期一振は骨喰の部屋を見に来た。
「骨喰……?」

「……、……」
押さえた嗚咽が聞こえて来た。
だがこれは珍しい事ではなかった。鯰尾が刀解されてから、何度もあった事だ。

「……――だれだ」
ふすまの奥から骨喰の声が聞こえて来た。気配を消していないので、分かったのだろう。

「骨喰、私です」

「いち兄か……なんの用だ?」
しばらく間があって、声が帰って来た。
「怪我は無いかな?もうすぐ夕餉です。主が酒を用意してくれました」
「怪我はない。少し休みたい……後で行く」

「……分かりました」

■ ■ ■

戦が一段落し、成果が上がった時には褒賞と共に、宴が催される。
皆たのしげだ。特に一期一振は誇らしげに杯を傾けている。

……骨喰が今回の出陣で多くの誉を勝ち取ったからだ。
もちろん三日月に次いで、だが。
今回の第一部隊の出陣はほぼ完全勝利。敵の将を仕留めることができたし、新たな合戦場への足が掛かりを得る事も出来た。手入れが必要だった者もいない。

「ねえいち兄、ばみ兄は?」
乱藤四郎が言った。側には極となった五虎退がいる。
乱藤四郎、五虎退が修行から戻った際も、盛大な宴が開かれた。

「…もうすぐ来るそうです」
杯が空になった。
……一期一振は先程の骨喰の様子を思い出す。

――何かあったのだろうか。

一期一振は骨喰と主が関係を持っていると、薄々気が付いていた。
もしやそれが骨喰を追い詰めているのか?
あるいは別の事だろうか。
骨喰は近頃、様子がおかしい。聞いても何も話さない。
骨喰は元々口数の多い方ではないし。

一期一振は、鯰尾がいてくれたら…と思った。

この本丸は活気があるが、粟田口は皆、「ずお兄がまた来た時の為に強くなる」と言って頑張っている。
……鯰尾と骨喰は……骨喰は覚えていないだろうが、とても親しかった。
刀解されたあの鯰尾藤四郎の事が思い出される。
あの時の衝撃は未だ忘れられない……。
いきなり弟を失って、一期一振も呆然とした。せっかく、これから一緒に戦えると思ったのに。
弟達に助けられ、弟達を助け、一期一振もなんとか、ようやく立ち直った。
寝酒が増えるのは仕方無い。

喪失感と寂寥感に胸が痛くなった。
どうして、彼はもう少し生きられなかったのか。
後で主から『やはり重大な欠陥があって、自ら刀解を望んだ』と聞いたが、近侍だった蛍丸もそれが何かは知らない様子だ。
その時近くに居たらしい骨喰は、後で主に教えられたらしいが、一期一振達には話さなかった。

……刀として立派な最後だったと、主は褒め称えていた。

兄として、誇らしいが、悲しい。
この傷は、この本丸の者が皆抱えている。兄のひいき目かもしれないが、そう思いたい。
――いずれ、この悲しみが癒える事があるのだろうか。
――鯰尾藤四郎以外は、全て刀剣がそろっている。
この場に彼がいたら、骨喰の誉をどんなに喜んだだろう。
極となった乱と五虎退を見て、なんと言葉をかけたのだろう。涙がにじみそうになった。

「いかんな」
そう呟き気を引き締めた。気を抜くと感傷に浸ってしまう。
「いっぱいどうぞ」
今剣が酌をしに来た。
「おや今剣殿。かたじけない」
「つぎはぼくがきわめになるようです!しゅったつはもうすぐです!」
今剣は頬を紅潮させている。一期一振は目を細めた。
「ほお、それはそれは」
談笑していると、骨喰藤四郎が広間に現れた。

「……良くやったな。これからも頼む」
骨喰は先に主の元へ参じ、声をかけられていた。

■ ■ ■

今日の内番『手合わせ』は極となった乱藤四郎と、骨喰藤四郎。

乱が踏み込み、一気に突きを繰り出す。
骨喰藤四郎はそれを寸前で受け止めた。
「くっ!」
鎬(しのぎ)が合わさり火花が一瞬散る。乱は飛び上がり袈裟切りに切り付ける。
手が早く、裁くのがやっとだった。
キィィン!と高い音が響き骨喰は後ろへ退いた。

骨喰は、本体を構えたまま目を見開く。
骨喰の呼吸が乱れた。

「どう?ばみ兄。僕、強くなったでしょう」
乱藤四郎がにやりと笑った。
「――ああ」

「俺より、強い」
骨喰は言った。
「ありがとう」
乱が短刀を下ろす。
「俺では相手にならない。五虎退か、いち兄に頼むのが良い」
骨喰は、もはや自分では相手にならないだろうと思った。

「ん……」
骨喰なりに褒めたつもりだったが、乱は浮かない様子だった。

「ねえ、疲れちゃった。少し休んでいい?お話ししない?」
そう言って、短刀を収め、壁にもたれる。骨喰も脇差を収めた。

――乱藤四郎は、兄弟の中でも変わった格好をしていると骨喰は思う。
さらさらと長い髪は。全く似ていない色なのに、鯰尾のそれを彷彿とさせた。
――そうか、手触りが似ていそうなんだ。
と、骨喰は思った。骨喰は鯰尾が起きるまでの短い間に、少し髪に触れていた。
その感触をまだ手は覚えている。二振目の鯰尾には触れていない。
どちらも……もう少し一緒に居られたら、もっと触れられたかもしれない。

「けど、ばみ兄ってやっぱり強いよ。ボクは極になったけど、あんまり。だって……。この前、五虎退と闘って、全然勝てなかったんだ」

「……気にするな」
骨喰は言った。

「うん。良いんだ。これから。ボクは主さんのために強くなるって決めた」
乱藤四郎は一人でつぶやいた。
その様子を見て、骨喰は心がざわついた。

乱藤四郎は、主を信じている。

「ばみ兄、そう言えば主さん、今日は見ないよね」
乱藤四郎は思い出したように言った。

「主は忙しいんだろう。修行は…どうだった?」
骨喰は主の話題になるのが嫌で、話を逸らそうとした。
「んー…、言っていいのかな」
乱藤四郎がつぶやいた。

「ねえばみ兄。ばみ兄は昔の記憶が無いんだよね?」
乱藤四郎が、骨喰の方を伺った。
骨喰は小さく頷いた。
「俺の記憶に……あるのは炎だけだ」

目を覚ました時、まず頭の中に自分の名前が浮かんだ。
自分が付喪神だという意識はかろうじてあった。
その後は燃える炎、それしか浮かばなかった。
何か記憶が無いのだろうか、と思って探るが、やはり炎の記憶のみ。
あれは自分が焼けた時の記憶か?
……焼けたときに、記憶もすべて焼き尽くされてしまったのだろう。

「――その記憶、もしかしたら極修行で戻るかもしれない。極になったばみ兄は演習でも見た事が無いし、まだ政府から通達も無いみたいだけど……、ううん。何でも無い。ごめんね。今日は、付き合ってくれてありがとう。……ほら、こんなに汗びっしょりになっちゃった」
乱藤四郎が言った。

■ ■ ■

手合わせを終えた骨喰は、昼食を取りながら、もの思いにふけった。

乱、五虎退。今剣も……修行を終えて強くなった。
自分も練度を上げなければ。

主の為に。
「……」
あるじのために?
骨喰は揺らいでいた。
自分は他の刀剣に比べ、忠誠心が薄いのか?
そんな事は無いと思う。主に仕えたいという強い思いはある。
――ただ。
揺らいでいるのだ。

「なあおい、そのでっかい虎どうするんだ?まさかウサギでも喰うのか?」
厚藤四郎が言った。
「えっと…、ええっと…」「大丈夫、主から、食べられる物を頂いているよ」
戸惑う五虎退に一期一振が言う。

骨喰はあまり話すたちではない。
それでも賑やかな兄弟を見ていると微笑む事もある。

骨喰はこの本丸に、十一番目に来た。
もうずいぶん長い間。皆と一緒にいる。

骨喰が顕現したと聞いて……すぐに会いに来たのは三日月宗近、だった。
『誠に骨喰が来たのか!?』
息せき切って駆け付けてきた。
『骨喰……久しいな』『誰だ?』
それを思い出してしまって、胸が締め付けられた。

広間の片隅を見るとそこに「三日月宗近」がいた。鶴丸国永と何か話しながら食事を取っている。
見た目は同じだが。骨喰にしてみたら、やはり違和感がぬぐえない。

――間違い無く、あれは骨喰が知っている三日月ではない。
骨喰には確信があった。横目で見ずに思う。自分の直感はまちがっていない。

主に問いただすべきか。
三日月はどこへ行ったのかと。なぜそっくりな者がここにいるのかと。

「おまたせ。虎君の分だよ」
にっかり青江が料理を運んで来た。軽く茹でた肉だ。
「うお、うまそう」「ありがとう、ございます」
厚藤四郎が言って五虎退がはにかむ。
虎は嬉しそうにそれを平らげた。


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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ⑥ 前田藤四郎

「とても美味しそうですね」
……前田藤四郎が言った。

ちょうど今はおやつ時で、粟田口には一期一振が大福を持ってきた。
前田は緑茶を一期一振に注いで、その後に鳴狐、そして決まった順番に注いだ。

といっても順番が決まっているのは、一期一振、鳴狐、骨喰、薬研、それくらいで。
だいたいその後は近い位置から注ぐ。
前田は皆に茶を注ぐのが好きだったし、それが自分の役割であると思っていた。

いつも誰がやる、などと決まっていないし、骨喰や五虎退などもたまに手伝う。

だが、これは前田の役割だ。
前田は密かにそう決めていた。何か出来る事があるなら、やりたい。

――この本丸の、前田藤四郎の練度は決して低くない。
それでも前田は、目立とうとは思わない。
他に素晴らしい兄弟刀がいるからだ。

「平野、どうぞ」
「ありがとう」
平野藤四郎が頷く。前田は微笑んだ。

「はい、どうぞ、五虎退」
前田は五虎退に茶を煎れる。
「ありがとう…」
最後の手前で茶を渡された五虎退が微笑む。
そして、前田は自分の分を最後に注ぐ。
――自分は、何かあったときに、例えば兄弟が疲労しているときに役に立てればそれで良い。
五虎退もそういう性格で、話が合う。
五虎退もそう思っているのか、前田には敬語を使わない。

前田は五虎退の優しい性格が好きだった。

「ばみ兄の分、とっておきましょう」
そう言ったのは、平野だった。
平野藤四郎は、前田藤四郎と外見も考え方もよく似ている。
…――ように見えるが、少し違う。
どこがどう違うのか、おそらく平野の方が純粋なのだ、と前田藤四郎は思っていた。

「そうだね」
一期一振が笑い、箱に残っていた二つの大福を眺める。

ふたつ。

……主は、いつもこういうことをする。
残った二つのうちの一つは、出陣している骨喰の分。
そして、もう一つは。

「……じゃんけんだね」
一期一振がそう言った。
「うん!」「よーし勝つぞ」「負けないんだから」
これはいつものやり取りだ。
初めに一期一振がそう提案して、兄弟達もそれを受け入れた。
鳴狐はいつも通りに喋らず、見守っている。

「……僕は一つで十分ですので」
そんな中で。前田は、一人席を外した。

■ ■ ■

一人で中庭まで歩き。
いつもの縁側に座って、まだ花の遠い桜を眺めていると、ぱたぱたと足音がした。
……極となった五虎退だ。虎を置いて来るほど、急いだらしい。

「今日は、また、僕が勝ったんです…」
そう言って、皿にのせたままの大福をみせる。

「前田、ねぇ、半分こ、しよう?」

「…はい」
前田は微笑んだ。
五虎退がそう言うなら、本当に勝ったのだろう。
前田は五虎退の何気ない優しさと、運の良さが好きだった。

五虎退は中座する時は、戻らずにすむ言葉を添える。
先に食べておいて下さい、かたづけておいて下さい、など。
今もそうして来たのだろう。
だから叱られる心配をせずにゆっくり話せる。

「あ。髪の毛跳ねてますよ」
前田はそう言って、乱れた髪にそっと手を置く。
「あれ…?」
「なおりましたよ」
そっと直して、前田が微笑む。
「ありがとう」
五虎退が微笑んだ。
それだけで、前田は春が来たように、心が温かくなる。

前田と五虎退は、縁側に並んで座った。
まだ少し寒いが…。

――五虎退がいれば。暖かい。

二人で大福を分けて、頬張る。
「ねえ、前田、これから何をする?内番も無いし…二人で遊び、ましょうか?」
五虎退が微笑む。
「五虎退、そういえば虎は…?」
「あっ。虎君、おいてきちゃいました…!」
「しょうがない子ですね、五虎退は」
前田は五虎退を撫でる。
「……」
五虎退はすこしはにかんだ。

「僕は、そうですね、主君に呼ばれているので。また明日、遊びましょう。早く春になると良いですね。お花見が楽しみです」
前田は言った。

五虎退が、微笑む。
「前田、この桜が咲いたら……。一緒に」
手が差し出される。
「ええ。二人で一緒にお花見しましょう」
前田は五虎退の手をにぎって。微笑んだ。

■ ■ ■

「今日は五虎退と二人でお花見をする約束をしました」
前田は、笑顔で主に報告をした。

「……そうか。少し暖かいと思ったら。もうすぐ桜の季節だな」

「はい。奥向きにも桜があれば良いのですが……、そうだ、よろしければ。あの桜が咲いたら膳に添えて、お届けさせていただきましょうか」
「良い考えだ。桜は私の妻のように、気むずかしい木だからな。日陰に根付くことは無い」
主がくつくつと笑った。

「では前田。いつものように…」
「はい。お任せ下さい」
前田は頷く。微笑みながら。
そして頭を下げて退出する。

――地下への入り口は、限られた者しか通さない。
主がまじないを掛けた為、そこに続く、階段のある廊下に、だれもたどり着けない。
――前田藤四郎は、その、限られた者だった。

…格子戸を開けると、そこに五虎退がいる。
「……お待たせしました」

「……」
沈んだ瞳。
極で無い『もう一振の五虎退』はこの座敷牢で過ごしている。

前田藤四郎は、地下の五虎退を好きにする代わりに、主の命を聞く。
五虎退を好きにすると言っても、別に何を強要しているわけでもない。
ただそこに無事にいる事を確かめたくて。

前田は、この本丸の奥向きに誰がいるのか知っている。

……本当は、本当は前田は。あの脇差に。
五虎退と同じほどに逢いたい…のかもしれない。

けれどそれは主が許さない。
その気持ちは前田には、痛いほどよく分かる。
前田も、五虎退が人目に触れるのはいやだ。
他の兄弟達に見られるなど。五虎退を、兄達に取られるなど。

――そんな事、耐えられません。
……いつも耐えているのですが。
耐えすぎて、もう慣れてしまったのでしょうか?

前田は目を細めた。

「そうだ、五虎退。今度、桜が咲いたら、持って来て差し上げます」
「……」
五虎退はおびえながら目を伏せ。
「……はい」と震える、か細い声で言った。

地下には絶えず、低い呻きがひびく。
……それを作り出しているのは……。

前田は五虎退が、前田の記憶にある鯰尾藤四郎にいちばん近いのではないか?
――と思っていた。
…近いと言うのは、前田の気のせいかも知れないが、どちらも前田に無い物を持っているには違いない。
だから惹かれるのか。

前田はこうまでして、やっと触れられた。
まぶしくて、憧れていた、大好きで、何よりも大切な存在に。

「大丈夫です。主君は素晴らしいお方です」
前田は、五虎退を抱きしめた。

「あなたは、僕が守って御覧にいれます」
折れそうな細い、五虎退の躯。
なんて、いとおしい。
「……」
五虎退が震えながら、前田を抱きしめ返す。

……この本丸の、前田藤四郎の練度は決して低くない。
それでも前田は、目立とうとは思わない。
他に、素晴らしい兄弟刀がいるからだ。


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旧日本国略史

西暦2109年 時間転移装置/第一号『舞』完成。時の暫定政府、成立。
…暫定政府成立の経緯は謎に包まれている。

西暦2110年 ブラックホール事件。行方不明者大多数。多くの刀剣が消失。
…事件の後、審神者となる素質を持つ者が多数確認される。それは老若男女、果ては動物までに及んだ。

西暦2115年 正歴史書の編さんが完了。
…各時代に時間逆行軍が現れる。
純粋歴史保全主義者と歴史修正主義者の対立が激化。

西暦2115年12月31日 大晦日
…歴史修正主義を唱える者達が一夜にして姿を消した。

西暦2115年 審神者が『■■■』との交信・契約に成功。
…時の政府は付喪神『■■■』と審神者なる者の協力を得て、刀剣男子を誕生させる。プロトタイプとして顕現されたのは消失を免れた短刀『平野藤四郎』だった。平野の証言、その他伝承、資料を基に刀帳が作成される。

西暦2140年 未来転移システム試験運用失敗。■■■消失。政府官邸で初めて検非違使が確認される。
…西暦2140年、時の政府は審神者なる者の力を得て、未来移動システム試験運用開始。
未来転移の目的は2225年以降の時代に歴史修正が行われていないかを確認するため。システム試験運用は失敗し、テスト部隊(6振)が帰還不能、行方不明となる。
…政府は■■■回収部隊(審神者2名、刀剣男子9名)を結成し、再び未来へ派遣するが、審神者1名行方不明、刀剣2振破壊、刀剣4振が行方不明となる。
帰還した審神者1名、刀剣3振には記憶障害が見られた。

西暦2145年 過去転移システム試験運用開始。
…転移は西暦固定方式が採用される。
各審神者の活動拠点は中世の呼び方に合わせ『異空間本丸』と名付けられた。

西暦2180年 審神者正式募集開始
…異空間『本丸』に定住する任務形式だったため、当初は志願者が極端に少なかった。
時の政府は刀剣男子の容姿公開に踏み切る。途端に志願者が急増。
定住→寄宿通勤許可へと緩和され、審神者なる力を持つ者達のライフスタイルとして定着。『まるで恋愛ゲームだ』『戦争ごっこ』『人道的に問題がある』『何で隠してた』『美形』などの批判が相次ぐが、平野藤四郎、三日月宗近を初めとする初期顕現刀は笑っていた。

西暦2205年 検非違使が再び確認される。謎の存在に政府は頭を悩ませた。

西暦2265年 時間遡行軍との最後の戦い
…■■■■■が勝利。(時の政府軍、または時間遡行軍)
時の政府は審神者指揮による刀剣男子大軍を結成。各時代・地域で激しい戦闘が行われた。
審神者なる者達は政府の命を受け、時間遡行軍との最後の戦闘に備えた。

出陣記録
時間軸××××年××月××日 地域…大阪
時間軸××××年××月××日 地域…厚樫山
…(※以下略)

西暦2269年 時の政府、滅亡
 

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骨喰と鯰尾と男審神者の話 一章 ⑦ 鯰尾藤四郎2

「……」
鯰尾が目を覚ますと、赤い着物が掛けられていた。
乱れた髪を撫で付けながら起き上がると、めまいがした。
鯰尾は溜息を付いた。
――そりゃ、こんなに毎夜抱かれたらめまいもしますって……。
いつもの様に、主の姿は見えない。

この部屋の床は漆喰のような素材で、真ん中には大きな寝台がある。
几帳で隔てられた部屋の角には、六畳分の畳が敷いてあって、そこに執務用の、足の短い机と座布団がある。

鯰尾は寝台から下り、まず畳に移動し、卓に置かれた端末を起動させた。
これは主の間にあるのと同じ物だ。
主はこれを使って仕事をする事もあるが、今では殆ど鯰尾が使っている。

各刀剣の練度が表示される。そして政府からの命令、通達、新しい任務。連絡事項。
各時代の詳細情報。敵の動き。他の審神者からの連絡。演習の案内。
鯰尾はそれを一つ一つ確認する。

この本丸は、江戸の探索を許されてる数少ない本丸だが、なまじ期待を掛けられているせいで、政府からのノルマが厳しい。
本丸は無数にあるが、この時代でまともに戦える本丸はまだ少なく、それ故に手を抜けない。

……今日の出陣はどうしようか。
この享延の時代で闘うには、あと数振、極がいないと……。
――歴史改変を食い止めるには力が足りない。

鯰尾は歯を食いしばった。

かりかり、と音がして鯰尾は扉を見た。

おっくうだったが、ふらつきながら立ち上がって鍵を開ける。
足元を見ると。
「おはようございます」
と政府の真っ白な管狐が挨拶をした。
「こんのすけ、旦那様は?」

「……お仕事です」
白いこんのすけが言った。
「そうか……食事の後、進軍計画を練ろう……」

もちろんそれより先に湯浴みをする。

さほど広く無い湯殿で湯浴みを終える。ここは湯が出るので、何度も湯をかぶり髪と体を洗うだけだ。
鯰尾はまた夜に主と入浴するのでこれでいい。
……もちろん、入浴だけであるはずがない。

大分慣れて来たな、と溜息を付く。

「こんのすけ、今日は何だろう?」
湯浴みを終え、与えられた着物に着替え、こんのすけを抱き抱えて、唯一の楽しみである食事を取りに行く。
あまり量がないのが惜しいが、毎度、心のこもった食事が差し入れられる。
時間を合わせれば、温かい料理も食べることが出来る。
夕食は主の分もあるので豪華だ。昼に主がいる場合は鯰尾が給仕をする。

今日の食事当番は燭台切、厚藤四郎。
厚の顔を思い浮かべる。ちょっと料理は出来そうに無いな。けど燭台切がいれば大丈夫だろう。

鯰尾は膝をついて、部屋に置かれた四角い盆を確認した。
「あ、これかー」
今日はご飯と味噌汁、秋刀魚…。蕪の一夜漬け。もうすっかり冷めてしまっている。

鯰尾は食事を隣の部屋へ運ぶ。

この部屋は、食事の置かれる部屋の隣にある、主と鯰尾が食事する為に用意された部屋だ。
洋風の造りで、高足の机に、椅子が二脚。
洗い場はあるが、この空間は閉じられていて排気ができないので、竈を作る事ができない。
食事は三食、本丸で作られた物を食べる。

こんのすけだけが話し相手だった。
「ねえ。ほら、あのレンジってやつ…旦那様にねだってみようか」
「……申し訳ありません、電子機器は発注できないのです」
「分かってるって。無理言ってごめん。朝は仕方無いよな。林檎食べるか?」
「ですが…」「少しくらい食べてよ」
遠慮するこんのすけに、林檎を食べさせて、撫でた。目を細めるのが可愛い。
食べ終えた食器を洗って、盆にのせて元の部屋に戻す。

「延享の時代はもう……手入れ無しじゃきついよなぁ…新橋、白金台…、江戸城…イベントは……」
知恵を絞りながら、部隊編成を練る。
「乱と五虎退を入れて、蛍丸、三日月…極のお守りを全員に持たせて、遠征回して何とか行けるか…演習は極短刀たちを鍛えないと」
鯰尾は唸った。

それでもまだ無理だ。
今の戦力では、無傷で突破させることはできない。
誰にも怪我をさせてはいけない。手入れが出来ないから。
……主が手入れをしてくれればいいのに。

低練度の者は……ひたすら慎重に、敵の弱い場所で鍛えるしかない。
だがそうやって鍛えた刀剣は、実力が伴わない。
当たり前だ。
弱い相手に経験値だけ稼いでも強くはなれない。
鯰尾はそれを痛感していた。
――その方法で、練度が十二分になったからと厚樫山に組み込んで、あっと言う間に重傷となった。
練度の高い部隊に混じり、強敵と戦い初めて力が付くのだ。

「資材は俺の為にだけ使う?……はぁ……あの人もうおかしいだろ」
いつものようにぼやいて、こんのすけを抱きしめる。
「刀装は何とかなったけど……」
俺はぼやいた。
鯰尾は刀装を作る許可を得る為に、主に『お願い』をした。
懇願の末、聞いて貰えたのだが……。
以来。一つ作る度に同じ事をさせられている。

……暴力や欲望が自分に向かう分にはまだいい。
もっと恐いのは。

鯰尾はこんのすけを抱きしめた。
「……手入れも、お願いしたら聞いてくれるかな……?」
「……仕方ありません。できる限り、練度を上げましょう」
こんのすけが鯰尾の膝の上で項垂れる。
――この『こんのすけ』は特別仕様とかで、貴重な話し相手だが、鯰尾の監視役でもある。

「『資材節約のため、軽傷の場合は手入れ無し』資材はあまってるのに。――駄目な本丸だよなぁ」
今はまだ、無理な行軍はさせていないが、……期日が迫っている。
鯰尾が代理を始めた時には、もう他の時代は全て検非違使の出現が確認されていた。
……修練を積むにしても、最新の注意を払わなければ。手入れが出来ないため、行ってすぐ戻る、つまり刀装を破壊されない事、それが全てだ。

結局、今日も極短刀をメインでとにかく矢を次ぐように時間差で出陣させ、進軍は期限直前に、一軍で一気にする、という事になった。
これ以外に突破する方法は無い。
……夜戦は無いが、夜中進軍組はきついだろう。
とにかく刀装。刀装、怪我を負わないように。
……資源が尽きたら終わりだ。
鯰尾は手の空いた所を探して、遠征に回している。

歴史主義者との戦いは、急を要する事態が無ければ、確認されている時間遡行軍を殺していくだけで良い。
戦っていること、対処をしている事。
それ自体が無限にわき出る敵を足止めし、歴史改変を防ぐ事につながる。
要するに、気を抜いて均衡が崩れると、歴史が変わってしまうのだ。
だから負けられない。相手が十なら、こちらも十。百なら百を出さなければいけない。

鯰尾は『正歴史書』を見た。
時の政府が認めた、正しい歴史の書かれた書物。

これは霊力が籠もった書物で、歴史が改変されると、自動的に、この本の内容も変わる。
各本丸にこの歴史書の写しが配られていて、審神者達はそれを日がな眺めて過ごしているらしい。鯰尾もそうだ。この本の記述に変化があれば、時間遡行軍が頑張っている、という事になるので、審神者は急いでその時代に刀剣男子を派遣する。
…新たな時代に変化があれば、それが記され、審神者は新しい時代に刀剣男子を送り込む。

『正歴史書』……驚くべき事に。これが原本らしい。
といっても、写しも本物も内容は同じなので、原本の付加価値はさほど無い。
大分古くて所々補修され、破れそうだ、というくらい。
あとは奥付の端に『汝、刀剣なり』というおかしな言葉が書かれているくらいか?
まっすぐな、線で引いたような文字で書かれてる。これは他の写しにはないらしい。

なぜ原本がここにあるのか、鯰尾は知らない。

この記述について審神者に尋ねたら。
『これはとても、ありがたい方のお言葉なんだよ。このお言葉があるかぎり、我々は負けないんだ』
と、猫なで声で言われた。

「医療品の追加は届いた?」
「本丸に届いています」
「……」

鯰尾は頭を抱える。
主が不在の時は手入れが出来ない。
行軍は慎重に慎重を重ねているが、怪我が無いとは言い切れないし、槍がいる場合の軽傷は防ぎようが無い。
薬研と歌仙が麻酔や縫合を学べるようにとこんのすけが医学書を手配したが……。
文献だけで手当を覚えろというのは無茶が過ぎる。

効果は上がっているのだろうか?

「……お守りか……」
鯰尾は溜息を付いた。
極守りの、折れた場合の、全回復。それに頼るしか無い。
進軍で中傷の者が出たら、撤退し、その者を単騎で戦場に出す。
そして中傷者には折れてもらい、全回復して戻って来てもらう。

極守り。これだって、無尽蔵には無い。
……鯰尾が主の言う通りにすると一つ貰えるが……その後鯰尾は、二、三日は動けない。

政府から与えられる褒賞金は、全て鯰尾の着物や装飾品に変わる。
もちろん鯰尾はそういうものに興味がない。全てが女物なので当然だ。
着付けは着流しにしているが、花模様が煌びやかなこの着物も、女性の着るもの。
――背が低いから、何を着ても似合う、と笑いながら言われたときには、さすがに怒りそうになった。

不況を買うと、……仲間が大変な事になるので、逆らう事が出来ない。

鯰尾は、無事を祈りながら、編成を組み、進軍を指示を出した。

……鯰尾がここに顕現して、一夜過ぎた後、おそるおそる小さな傷を付けられた。
その後、手入れをされた。
鯰尾の本体はどこにあるか分からないが、傷が治ったので手入れされたのが分かった。
本体から、それほど離れていないという感覚もある。
鯰尾の傷が治って、主は狂喜した。

「はぁ」
鯰尾は立ち上がって、書庫へ向かう。

頭が痛いが、そんな事は言っていられない。
今、鯰尾はとにかく言われた知識を詰め込んでいた。
とにかく主との問答が厳しい。自分を教育してどうするつもりなのだろう。
呪術に関連する物、審神者の力に関する物、敵の分析。
あるごりずむやら、げのむやら時理論や宇宙理論はもう訳が分からない。
そこまではまだ教養の範囲だからいいが、一番重要と言われた歴史修正理論、歴史補正理論、時間工学の課題は必須。これを外すと……。

「うーん。こんのすけ、これ……」
書庫で積まれた本と格闘し、動画で講義を見ても分からずにこんのすけに助けを求めると、こんのすけは眠っていた。
鯰尾は溜息をついて、こんのすけをそっと撫でた。

鯰尾の練度は1のまま。
連結は最大にされたが、弱いにも程がある。
本体を握ったのは、『検分するから』と言われ主に手渡した時のみだった。
――もう少し警戒するべきだったが、言っても仕方無い。
――戦いたいと思うけど。自分の役割はそこじゃ無い。

今は戦績を上げて、いつか目的を果たす。
皆を守って、誰も折らずに。

……守れるのか。
……いや、やるんだ。

鯰尾は集中して、とにかく必死で頭に詰め込んだ。

ぱち。とこんのすけが目を開ける。
「も、もうしわけありません…。奥様、眠ってしまったようです」
――こんのすけは鯰尾を奥様と呼ぶし、鯰尾は主を旦那様と呼ぶ。

「いいよ。何とか終わったから……」
鯰尾は頭を押さえて言った。詰め込みすぎて頭が痛い。
「はい……あの、少しお休みになられた方が」
こんのすけが言った。

『ただ待つだけよりも、他の事をやっていた方が君も気が紛れるだろう』
なんて主……じゃない、旦那様に言われたけど、量が多いですって。

「うん……ここを読んだら……、っとしまった」
鯰尾は顔を上げた。
そろそろ出陣部隊が戻る時間だ。骨喰からの報告を確認しなければ。
鯰尾は書庫を出て、廊下を通り、空の部屋へ向かう。

六畳ほどの畳部屋。この向こうは本丸……。主が呪いをかけたので、出る事ができない。

ここに、行軍の結果を書いた紙がある。
誰かがいると、この空の部屋には入れない。

……鯰尾は審神者ではないので、進軍の様子をのぞき見ることが出来ない。
部隊が帰還したらすぐに戦果をしたためるように言ってある。
軽傷が出たら即撤退するようにと命令もしている。
――今日は、どうだろうか。
敵の本陣を見つける気で出したが……。
誰も怪我をしていなければ……。

■   ■ ■

中傷を負ったのは、陸奥守吉行だった。
肩から胸への大太刀の傷。そして、堀川国広を庇い槍に突かれた傷。
これは本丸の設備では助からない。

「陸奥守吉行……主の命だ。すまないが、行ってきてくれ」
本丸に戻ると、近侍の骨喰が言う。

「陸奥守さん…っ」
庇われた堀川は軽傷で、歌仙が手当をしている。
薬研が陸奥守に麻酔を注射する。
「……陸奥守、どうだ?効いて来たか?」
「……、ああ。なんちゅうこたぁないぜよ!」
と笑って、もう一度単騎で出陣をする。

『資源節約のために、手入れを中止する』

その通達が出たのは一月半前。出したのは骨喰だ。
皆が疑問に思った。
資源は余るほどあるのに。なぜ?

骨喰は無表情で言った。
『中傷、重傷者には、極守が支給される。単騎で指示された合戦場へ出陣し、一度折れて回復して戻るように』

『はぁ?――手入れは?』『手入れすればいいのに』
皆がそう言った。
『これからは、いや、しばらく……手入れはできないと思ってくれ』
骨喰が言うと皆がざわついた。

『主は、薬研と歌仙に傷の手当を学ばせる……。らしい』
骨喰は、鯰尾の指示を写した紙を見て言った。

『骨喰、何言ってんの!?』
加州清光がくって掛かってきた。この本丸の初期刀だ。
『主の命だ』
加州は指示書をひったくった。指示書を指さす。それは骨喰の字だった。
『これ!……主命って言うけどさ!あんたの字だろ!主は……何処なんだよ』
加州が言った。
その声に気遣う様な響きがあって、骨喰は目をそらした。

『すまない……』

■   ■ ■

「陸奥守さんっ、すみません……!!」
堀川が戻ってきた陸奥守に土下座している。
「――あはっははは。なんちゅうない。むしろ慣れて来たぜよ!」
全回復した陸奥守が笑う。

「……慣れはいいが、極守が足りるのかね」
それを見ていた鶴丸国永が言った。
「うむ。これは数が足りなかったら、折れるのみだな。気を付けよう」
三日月宗近が言う。
その目はいつも通り、穏やかに笑っているように見えた。

「だが、そいつは中々厳しいぜ?」
軽く流して、――鶴丸は眉を潜めた。

この三日月は。
見た目は同じだし、練度は変わらないが……やはりどこかキナくさい。

三日月宗近は、元々感情の動きを表に出す太刀では無かったが、かれの瞳は雄弁で……慈悲深さをたたえていたはずだ。
以前は骨喰についてよく相談された物だが、それもぱたりと無くなった。
……意図的に、鶴丸を避けているような気もする。
部隊編成が変わってしまったため、今ではあまり共に出陣する事は無い。

「?どうかしたか?」
三日月が首を傾げた。
――まあ、気のせいか。

編成が込み入っていると口頭では伝え切れない。そういう時は掲示板に貼り出す。
掲示板は主の部屋の前の中庭にあって、骨喰がそこに編成表を貼った。
掲示板の周囲には、出陣服の刀剣がずらりと集まっている。
掲示板に隙間無く張り出された紙は全部で八枚。
そのうちの六枚が部隊編成表で、四枚は昼の出陣編成で、二枚は夜戦編成。

「第二部隊は遠征、行き先は鎌倉。直ちに出立。今日の出陣は第一部隊、第三部隊、第四部隊。一、三、四、一、三、四の順番だ。夜戦は編成を変えて、二、四だ。その後三は遠征、以上だ」
骨喰が言った。
残り二枚は出陣先、遠征先の書かれた紙。全て骨喰の字だ。

「……遠征か」
三日月が言った。三日月は昼の編成では第二部隊。
夜戦は編成が代わるので外される。

つまり大分楽なのだが。
遠征、出陣遠征、出陣、遠征、ようやく非番と思えばその夜は急に夜戦。
……以前から出陣の多い本丸だったが、今ではひっきりなしに入れ替わり立ち替わりだ。
内番着に着替える暇もない。今朝も本丸の全刀剣が戦装束でこの場に集まっている。

――近頃は休む暇もない。三日月も疲れているんだろう。
そのせいで、人が違って見えるのかも知れない。となるとこいつは重傷だな。

「そう言えば、平野が熱を出したらしいな。風邪らしいが」
鶴丸は小耳にはさんだ事を言った。
三日月は平野……粟田口と仲が良かったはずだ。
「平野?……ああ。そうだった。見舞いに行くか……」
三日月が言った。やはり声色に疲労がにじんでいた。

鶴丸は苦笑した。
「お前さん、だいぶ疲れてるんだろう。代わってやるから、少し休んだらどうだ?――今日は休んで、明日の遠征をまた俺と変わってくれれば良い」

「そうか。…………では、頼もう」
三日月が言った。
「……鶴丸国永。勝手は困る」
骨喰が言った。
「おいおい。三日月はここしばらく休み無しじゃないか。そろそろ休ませてやれないか?」
鶴丸が言った。
「……確かに、そうだが。主の命だ」
骨喰が眉を潜めて言った。
「悪いなら、後で謹慎でもするさ」
鶴丸が言った。
「――……。すぐ聞いてくる。少し待て!」
言って骨喰がきびすを返した。

遠征に出ようとしていた面子は立ち止まった。
「ま、いいけどな」
獅子王がつぶやく。
遠征予定の第二部隊は、隊長三日月、獅子王、大和守、加州、博多、青江。
三日月が鶴丸に代わったところで、大した違いは無い。
むしろ鶴丸の方が調子が良さそうだから、その方が上手く行くかも知れない。

「……さー、準備しようっと」
蛍丸が言った。蛍丸は第一部隊で今日も出陣だ。彼は夜戦には滅多に参加しないので、ひたすら昼間に出て行くだけだ。

四半刻後、骨喰は眉を潜めて帰って来た。
「すまない。主は不在のようだ。鶴丸はおそらく、明日出陣がある。……三日月に行かせた方が良いと思う。明日は休ませるように言っておく」

「そうか。では行ってくる」「あ、おい」
三日月が微笑んで、第二部隊は出立した。

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鯰尾と骨喰と男審神者の話 一章 ⑧ 平野藤四郎

「……やれやれ」
人が出払った後、鶴丸は頭をかいた。

「君は、近頃めっきり出陣が無いな。主との仲は大丈夫なのか?」
「……、」
言われた骨喰は鶴丸を見た。

「……」
特に返事が無いので、鶴丸は内番をすることにした。
「と、そうだ。平野の様子はどうだ?」
鶴丸が尋ねると骨喰が驚いた顔をする。
「なんだ、知らなかったか。昨日から、熱を出して寝込んでいると聞いたが」
「……」
骨喰が黙り込む。知らなかったようだ。

「君は食事は食べたのか」
「まだだ。……見舞いの後にする」
骨喰が早足で歩き出したので、鶴丸は後を追った。

■   ■ ■

粟田口の小部屋、前田と平野は同室だが……前田は風邪が移るといけないからと、閉め出されているらしい。
一期一振は出陣で、前田も出陣だ。
鶴丸と骨喰が部屋の前に到着すると、ちょうど薬研が、粥を乗せた盆を持って出て来た所だった。
鶴丸は三日月の代わりに見舞いをしようと思い、骨喰に付いてきた。

「平野の具合はどうだ」
骨喰が言った。
「少し熱があるが、食欲もあるし悪くは無いな……」
薬研が言った。

「そうだ、ばみ兄。……鶴丸も……、ちょっとこっちに来てくれ」
薬研が声を潜めて言うので、二人は顔を見合わせた。
「何だ?」
鶴丸が言った。
「いいから、こっち。俺の部屋で話そう」
促されて、鶴丸と骨喰は薬研の部屋に入った。同室の厚は不在だった。
薬研は卓の上に盆を置いた。

「平野だが。熱は、あるにはあるんだが……」
薬研は溜息を付いた。

「どこか悪いのか?」
骨喰が言った。
「ああ。初めは風邪だって言ってたんだが……嫌がって見せないし、どうやら違う。一昨日の出陣で、どこか負傷したんじゃないのか、って聞いたんだが、違うと言い張る。手を貸してくれ」
「そいつは不味いな」
鶴丸は言った。近頃の手入れ禁止で、遠慮しているのかもしれない。
怪我なら急いだ方が良い。

「――」
三振は薬研の部屋を出て、平野の部屋のふすまを開けた。

■   ■ ■

「平野、邪魔をする」「診察だ」

「……っ」
平野が入って来た三振を見て目を見開く。
抵抗させる隙を与えずに、鶴丸が布団を剥いで、骨喰と薬研が作務衣を問答無用で引きはがす。
鶴丸は顔をしかめた。脇腹に青い痣がある。
薬研がすぐに手をあてて、調べる。痣ではない場所も入念に触っている。
平野は観念したように俯いている。
「肋骨が……折れてるな。何でもっと早く言わなかった……!」
薬研が言った。

「申し訳ありません。ですが……」
平野が俯いて、歯を食いしばった。
「――っ。極守はまだ十分ある、心配するな」
骨喰が言った。
鶴丸は無性に腹が立った。

「――おい、骨喰。いい加減、手入れするように主に言ったらどうだ?主は君の言う事は聞くんだろう」
「……」
骨喰が俯いた。平静を装っているが、こちらも歯を食いしばっているのが分かる。

「主は近頃姿を見ないが、どうしてるんだ。正室の具合が悪い、って聞いたが……?」
鶴丸は言った。骨喰は口をつぐんだままだ。

「……主はいない。そうなのか?」
薬研がぽつりと言った。
「……」
骨喰が薬研を見た。鶴丸と、平野も。
「……、いや、いる。政府の仕事で不在が多くなったが、指示は出してくる」
骨喰が言った。

「このことも報告する。手入れしてもらえるはずだ」
「――陸奥守が駄目だったんだ。平野が手入れしてもらえるって事はあるのか?」
鶴丸は言った。

「……。分からない。ただ、主は……」
「君が、色々抱えているのは分かってる。が、いい加減、白状してくれ。仲間の命がかかってるんだぞ!」
鶴丸は、骨喰が主と関係を持っていることは知っていた。
だからと言って、どうこう言うつもりは無い。
――命。刀剣にそんなものがあるのだろうか。
――平野の怪我は重傷だ。
――この本丸を、今のまま放っておいたら不味いに決まっている。

「……」
骨喰は思案した。
(……潮時かもしれない)

「平野は、少し休んでくれ。薬研、痛み止めを…。――鶴丸……」

骨喰に促されて、鶴丸は部屋を出た。
骨喰はそのまま鶴丸の手を引き、誰もいない部屋に連れ込んだ。

「……鶴丸、この本丸には、鯰尾がいる」
骨喰は切り出した。
――今ならまだ戻れる。骨喰はそう思った。

「主は、おかしくなってしまったのかもしれない」
骨喰は言った。
そして、骨喰は洗いざらい話した。
主が言う『妻』というのは、新しく顕現した鯰尾の事であると言う事。

鶴丸は驚いた顔で聞いていた。
「奥向きの地下に……愛染、五虎退、今剣、小夜、加州が、それぞれ何振りか囚われている。もうすでに幾振りかは折られて、主は政府の仕事が無いときは奥向きで鯰尾と過ごしていて……本丸の者には資源を割く気がない。それから……、」

鶴丸なら――三日月の件について相談できる、と思った。
相談してしまいたい。今ならまだ間に合う。まだ、今なら。

……骨喰は思い出して口を押さえた。
主は――骨喰を呼んで、刀剣達の目玉をくりぬいたり、つり下げて少しずつ切ったり、たくさん切ったり、体中に針を刺したりした。

「主は……囚われている刀剣の……刀剣達に……乱暴な事をしている。少しずつ体を切ったり、目を見えないようにしたり」
骨喰はうつむいた。
鶴丸が眉をひそめた。
「っ――君は見たのか?」
「俺だけじゃない。明石も知ってる。でも、その中に愛染がいるんだ。俺はそんなことをしなくても、兄弟の事は言わないと何度も言った。なのに信じて貰えない――。……お前に言ってしまった」
骨喰は震えた。

「俺のせいで、っ……」
骨喰は口を押さえうろたえた。――鶴丸に話してしまった。
いけないことだった。
囚われた刀剣達、もしかしたら鯰尾にまで。危害が及ぶかもしれない。
もしばれたら。囚われた刀達は……!とんでもない事をしてしまった。歯の根が合わなくなった。
「たのむ。言わないでくれ」

鶴丸はうなずいた。
「ああ。ひとまずは約束する。だが、このままじゃいけないぜ」
鶴丸はここのまま放ってはおけない、と言う。骨喰はうなずく。

「話せなくて……すまなかった。主はおかしくなってしまったのか……。兄弟に執着するだけなら、まだ良かったんだ。なのに何故あんな事をするんだ?分からない!――っ、くそ、もっと早く話せば良かった」
言ってしまった後、骨喰の口を突いて、その言葉が出た。

「――いや。まだだ。何とかなる。地下はともかく、こちらは一振も折れていない」
鶴丸が下ろした拳を握りしめて言った。

「平野は説得して、極守を持たせて、午後から出陣させよう」
「……、折るのか?」
「ああ。その後、出陣を取りやめる。一切だ。聞いた様子だと、主はもう本丸に興味をもっていないんじゃないか。全員に話して、主がどう出るか見る。来派は大人数で説得だ。――奥向きの鯰尾は無事なんだろう?」
「兄弟は、無事でいるのか……分からない。だが、書き付けが、主の字ではないから……おそらく、それが鯰尾だろう」

骨喰は考えた。
「……鶴丸、主が居なくなったら、この本丸はどうなる?」
「遡行軍の襲撃を受けた本丸ってのがある。そいつは、政府が代わりの本丸を用意したらしいが、主に問題があったとなると……」

鶴丸は自分たちの主を思い出した。
理知的で、おおよそそう言う色恋には無縁そうな男。清廉潔白。そういう言葉が似合う。
そんな主がまさか、裏で刀剣に暴力をふるっているとは。
「――あの主が?全く。……こんな驚きはいらないぜ。骨喰、全員刀解かもしれないが、それでもいいのか」
鶴丸が尋ねて来た。
「……俺はどうなっても構わない。……皆に危害が及ぶことは避けたいが。とにかく、地下の刀剣の救出が先だ」
骨喰は言った。

「そうだ鶴丸。三日月がどこかへ行ってしまった」
「――、どういうことだ?」
「別の三日月に入れ替わっているんだ。……もしかしたら、三日月は何か感づいていたのかもしれない。それが主に知られたのか――」

骨喰は三日月に泣いている所を見られた話をした。
あの三日月はもういない。何処へ行ったのか。既に折られたのか。あるいは、地下に囚われているのか。
「なるほどな。通りでおかしいと思ってたんだ。これは俺達だけじゃなくて、全員の意見を聞く必要があるな」
鶴丸が言った。

「!」
骨喰が刀に手を掛け、腰を浮かせた。

「誰か来る」
しとしと、と廊下を歩く音。気配を消してはいない。

障子に影が差して、声がした。
「……骨喰兄さん、鶴丸さん」
前田藤四郎だった。

「主が皆をお呼びです」

■   ■ ■

久しぶりに、主を見た。
「不在の間、迷惑を掛けた。すまない」
広間で主は皆に詫びた。

「主、手入れが出来ないってのはどうしてだ?」
和泉守が言った。

「政府の命で遠方に出ていた。出陣をしなければ、期日には間に合わなかった。その為、骨喰に進軍を任せていた。……すまなかったな。今後は問題ないようにしよう」

「――主っ」
骨喰は言って主を見た。遠方に出ていたというのは……多分嘘だ。
が、主が出てきたことに驚いた。

骨喰は思った。
もうこの場で洗いざらい言うしかない。

――しかし。
喉に手をあて愕然とした。

(……声が出ない!?)

声が出ない。
鶴丸を見ようにも、体が動かない。

固まる骨喰を余所に。主は淡々と告げた。
「鶴丸国永、加州清光、蛍丸、にっかり青江、三日月宗近、燭台切光忠…、明石国行、骨喰藤四郎。以上の八振は、演習の為の部隊の構成員となる。その間の所属は政府に変更。……明日、政府の役人が迎えに来る。準備をするように」

「――なんだって?」
刀剣達がざわついた。
鶴丸国永、加州清光、にっかり青江、三日月宗近、燭台切光忠…、明石国行。
彼等は微動だにせず。落ち着いていた。
あらかじめ知っていたのかもしれない。

唯一の例外は蛍丸で。彼は愛染と一緒に首をかしげた。

「ねえ、主。演習部隊って……あの演習部隊?」
蛍丸が言った。

「ああ。……お前達は、この本丸から離れ、これからしばらく演習部隊で闘う事になる。これは大変名誉なことだよ。ここが優れた本丸として認められた証みたいなモノだね」
主が楽しげに言った。

「でも清光まで?……どのくらい行くの?」
大和守が言った。加州清光はこの本丸の初期刀だ。
初期刀がいなくなる、というのは想像できない。

「時期が来れば呼び戻す。加州は三ヶ月だ」
主が言った。
なんだ、という空気になる。要するに鍛錬の一環だろう。

……骨喰は金縛りのままだった。鶴丸も。明石も。入れ替わった三日月も。青江も、燭台切も。
……加州でさえ。

本当に戻って来られるのかは……分からない。

■   ■ ■

それからは、意識に霞が掛かったようだった。

骨喰はぼんやりと過ごし、ぼんやりと所感を述べて、ぼんやりと支度をした。
……手だけは動く。

「――?」

支度を終えて、後は明日、出るばかり。
夜中ふと。目の端に白いものが映った。

(……つるまる……?)

頭がぼんやりしていて、よく分からなかった。

鶴丸のようなものは、近侍部屋に向かって行った。

■   ■ ■

翌朝。骨喰は門の前で兄弟達にがんばって来て下さい、とか、一期一振には、頑張るんだよ、とかそういう事を言われた。
骨喰は大げさだ、と勝手に答えていた。

(鶴丸――!)

鶴丸は、見送る側にいた。

鶴丸は穏やかに微笑んでいた。
鶴丸は『さすがに戦力が足りなくなるからって、断った』と語った。
主は出てこない。

骨喰はこの呪縛を破りたい、破らなければ、と思い。
「鶴丸っ……!」
やっとそれだけ。かすれた声で言った。

(兄弟を――!!皆を……!!)

鶴丸は、何も言わずに頷いた。

〈おわり〉
 
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