「──ここは本当に"あなたの"部屋なのかしら」

　今回の報酬は俺が普段使っている隠し部屋──そこにある本棚を見せること、だった。
　部屋に入り、軽く本棚を上から下まで見やると、魔女──ミカーナはそう訊ねた。
「……どういう意味だ？」
　質問の意味をわかっていながら──それでもあえて、とぼけたフリをして訊き返す。
「そのままの意味よ」
　およそきちんと収められているとは言えない本の背表紙を指でなぞりながらミカーナは答えた。
「ここにはたくさんの本があるけれど、どれも久しく読まれていないようね。この子たち自身がそう言っているわ」
　こいつは本が"詠める"。そのこいつが、「本たち自身が言っている」と言うならその通りなのだろう。実際、ここにある本に俺が目を通したのは"遥か昔"のことだった。
「……それとこの部屋が俺のものじゃないことがどう繋がるんだ？」
「そうね。長い──とても、とても長い間読まれていないというのもあるけれど、長い間読んでいない割には何か執着があるみたいだから」
　──執着？ここにある本に？
　ほんの少しさざめき立った心を隠すように、口調に揶揄を滲ませる。
「それも"詠んだ"のか？」
「詠まなくてもわかることだってあるわよ」
　こちらを向いて答えたミカーナは、どこか含みのあるいつもの笑みをしていた。
　たしかにこいつの言う通り、この部屋は元々俺のものではない。ここにある本の数々も同じだ。そしてその本たちにも、一度は目を通している。──"異空の女神"についての資料が何か残っていないかと。
　結果から言えばめぼしいものは何もなかった。用意周到だったこの部屋の持ち主だ、"儀式"の前に全て処分したのだろう。資料が残っていないこと自体想像はついていたが、それでも調べずにはいられなかった。"敵"を知るには情報から──基本中の基本だ。
　目的のものが見つからなかった時点でこの部屋に用はない。ただ、"儀式"の際にできた地下の空洞──その近くにこの隠し部屋が残っていたから、そのままここを利用することにした。それだけだ。
　──"魔書"のことといい、どうもこいつといると"過去"を思い出してしまう。あまり思い出したくなどないというのに。
「……今回の報酬はこの本棚だろう。それ以上は契約違反だ」
　そう告げるとミカーナは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにまたあの笑みを浮かべた。
「……まぁいいわ。それじゃあ心置きなく見させてもらうわね」
「あぁ。好きにしろ」
　再び本棚へ目を向けるミカーナを後にその場を離れる。

　読むことはなくともそこにある本。触れることもなければ手放すこともできずにいる。俺はどうしたいのだろう。ここの本を。部屋を。──"過去"を。

「──ねぇ、ボス。一つ、いいかしら」
　背を向けた俺に、後ろから声がかかる。

「この部屋があなたのものにしろそうでないにしろ──鏡を置いたら少しはマシになるんじゃないかしら」



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ハローハロー。
こちらカナ。聞こえるかしら？

ハローハロー。
こちらゼファー。ああ、聞こえてるよ。

ハローハロー。
それはよかったわ。あのね、こっちはとてもきれいよ。真っ暗だけど、真っ暗じゃないの。

ハローハロー。
真っ暗なのか真っ暗じゃないのか一体どっちなんだ、それは。

ハローハロー。
えぇと、周りは真っ暗なんだけど、でも時々光るものがあって、だからずっと真っ暗ってことはないの。

ハローハロー。
わかるようなわからんような感じだな。楽しいのか、そこは？

ハローハロー。
いろいろな光を見るのは楽しいわ！ ただ、ここには私しかいないからそれが少し寂しいかしら。

ハローハロー。
なんでお前はそんなところにいるんだ。

ハローハロー。
私が自分でそうしたの。それが一番だと思ったから。

ハローハロー。
俺にはわからないな。

ハローハロー。
そう……ら。ゼファーも……と……。

ハローハロー。
おい、どうした。よく聞こえない。

ハロ……ハ……。
ゼファ……。ゼ……。

ハローハロー。
カナ？ カナ！？ 応答しろ！ カナ！！

……。

ハローハロー。
なぁ、どうしたんだよ……。何かあったのか？ それとも、もう声の届かないくらい遠くへ行ってしまったのか？

……。

ハローハロー。ハローハロー。
──いくら呼びかけても返事がない。本当に、遠くへ行ってしまったのか？ たった一人で……。
寂しい、って言っていたな。そうだよな。真っ暗な世界に自分しかいないってのはきっとすごく、寂しいことなんだろう。

……。

ハローハロー。
……なら、せめて……。そうだ、せめて俺がそこへ行ってやるよ。お前が一人で寂しくないように。なに、子守り──お前がどこかへふらふら行かないようにするのはいつだって俺の役目だったからな。

……。

ハローハロー。
すぐに行くから、大人しくしてろよ。

……。

ハローハロー。
にしても深いな、この海は。どこまで潜っても先が見えない。それに、本当に真っ暗だ。なぁ、お前は一人でここにいたのか？ 俺にはとても"楽しい"ところには思えない。お前が言っていた"光"とやらも見えないし……。あぁ、なに価値観の違いってやつだ。お前が楽しいと思ったのならそれでいいんじゃないか？ そうだな、会ったらぜひその辺りのことを教えてもらいたいもんだ。

……。

ハローハロー。
……もうここに来てからどれくらい経ったんだろうな。よくわからなくなってきた。
ったく、どこまで行ったんだ？ お前は。"あいつら"のことも置いてきちまったし……。まぁ俺がいなくても"あいつ"が何とかしてくれるとは思うが……。
──"あいつら"？ "あいつ"？ ……誰のことだ？
俺が探しているのは"お前"だけで、俺はお前を……お前だけを──。

……。

……。




ハローハロー。
こちらカナ。聞こえるかしら？

……。

ハローハロー。
ねぇ、ゼファー。違うの。そうじゃないの。あなたの声も、もうこっちには届かないけれど、ずっと見ていたわ。ここは全てが見渡せる場所だから。遠い、遠い昔にきらめいた輝きが今も届く場所。とても──とても高いところ。私はずっとここにいるの。ここからあなたが深く──深く沈んでいくのを見ていたわ。

……。

ハローハロー。
ねぇ、ゼファー。ゼファーまで一人ぼっちになってしまうのはすごく、悲しいことよ。

……。

ハローハロー。

ハローハロー。

……。













ハローハロー。

ハローハロー。


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