秋生(鮭の丸焼き)

萌えが滾った時に細々と投稿させて頂くと思います。
好きなジャンルは多種なので、雑多になりそうですがよろしくお願いします!

なお、pixivでは投稿しずらいものをこちらに投稿させて頂こうと思っております。

投稿日:2016年03月07日 01:21    文字数:12,095

【白桃】空っぽの英雄【参】

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空っぽの英雄の続きです。
地獄に乗り込んでから白澤さんの元で働く所を自己解釈したもので、色々と捏造で書いております、ご了承ください。
【壱】【弐】を読まなくても多少読めるかもしれませんが、所々が続いています。

<注意>
 ・続き物の為、白桃タグですが今回の話はカプにもなっていません
 ・白澤さん/桃太郎君と呼びあっており、まだ原作通りの呼び方にはなっていません。
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【一】


―とおりゃんせ  とおりゃんせ


前を歩く見知らぬ鬼の姿を見ながら、桃太郎の頭の中で童謡が何度も繰り返されていた。意識を散らそうと何度首を振っても、聴いた事のない童の声がまるで耳元で囁くように唄を耳元で紡ぐ。

―行きはよいよい

(さあ いざ 皆で参ろう鬼退治)

―帰りは怖い

(おや おや 周りを見てごらん)

―怖いながらも

(おや おや 誰もいない)

―通りゃんせ  通りゃんせ

(さて はて 何処へ行く)


鬼灯の色の無い瞳を思い出し、瞼を伏せる。
自分はこれから、どこに連れて行かれるのだろうか。どこで何をさせられるのだろうか。
熱い熱気と亡者の叫び声が歩く度に身体に纏わり付く。余りにも自分のいた天国との違いを五感で感じ、言葉にできない、したくない不安感に支配されそうになるのを振り払うように足を早めて顔を上げれば、いつの間にか目の前を歩いている鬼との距離が空いていた事に気がつく。
鬼を追いかける事だけに集中しようと前だけを見つめ、唇を引き結ぶと一目散に前へと駆け出した。
視界に端に見えた上の世界は、本来あるはずの空は見えず。今にも落ちそうな岩肌だけが物も言わず桃太郎を見下ろしていた。





【空っぽの英雄/参】





桃太郎は目の前を跳ねるように歩く男を見ながら、自分の置かれた状況に1人首を傾げていた。
見上げれば、広がる見慣れた快晴に微かに安堵の息を吐く。もうあの落ちてきそうな岩肌は見えない。



地獄での一騒動から数十分後。
彼は地獄から離れ、天国の一角にある桃源郷を歩いていた。その数歩先を歩くのは、三角巾を頭に巻き白衣を着た長身の男性。
「さてと、ここまでが芝刈りしてもらう桃園の範囲ね」
くるりと振り返るその男性の顔に浮かぶのは、柔和な笑顔。会ったばかりだが、その男性の顔には笑顔しか浮かばない事に気がつき、掛けられた言葉に返答しながらまた首を傾げる。
この人は何でこんな笑顔なんだろうか。というか、笑顔が通常の表情なんだろうか。
「じゃあ、明日から宜しくね、桃太郎君」
「あ、はい、白澤さん」
再度声を掛けられて慌てて桃太郎は返答した。
笑顔のまま振り返った男性の名は、白澤。
桃太郎の雇い主となる彼との初対面は、どこかぎこちない物であった。


*****

鬼に連れられ、天国に入った時、桃太郎は慌てた。てっきり地獄で働かされるのだろうとばかり思っていたのだ。聞けば、仕事は天国の一角にある仙桃園の芝刈りと言う。
仕事の内容的にも、場所にも、桃太郎の頭の中は疑問符だらけになる。
脳裏に思い浮かんだ鬼灯と、言われた仕事内容が結びつかなかったのだ。
てっきり厄介払いに押し付けられる仕事かと思っていたのだが、そうでは無いのか。単純に人出が足りない所に現れたから斡旋されたのだろうか。

その疑問は、連れて来られた働き先で更に膨れる事になる。
働き先で待っていたのは天国の中でも観光地として名高い風光明媚な桃源郷にある仙桃園。
そして。
「初次見面!」
雇い主となる、笑顔の絶えない白澤という長身の男性だった。
美しい景色に囲まれた働き先に、人の良さそうな笑顔の絶えない雇い主。
どう考えても騒ぎを起こした人間に対する働き口としては恵まれすぎた環境に拍子抜けしてしまう。

一先ずお互い名前を紹介し合った後、何やら白澤は桃太郎を連れてきた鬼が持ってきた書面にサインと印を押している。ちらりと見えた書類は堅苦しい文章が並び、白澤が聞きなれない言葉を掛けると鬼はその書類を持って一礼し、また地獄へと戻って行った。
その一連の流れをぼんやり眺めていた桃太郎は、これは正式に人員要請していた上で、俺は斡旋された考えて良いんだろうかと一人思う。
「さてと」
パン、と軽く手を叩く音に桃太郎はハッと白澤を見ると、にこやかな笑みを浮かべた白澤が桃太郎を見ていた。
「今日から仕事してもらおうかと思ってたんだけど―…。
君、なんでそんな一張羅着てるの?」
「え?あ、あ、の」
掛けられた言葉に、地獄に乗り込んだ時そのままの格好で来た事を思い出した桃太郎は、慌てて「あの」「その」と言葉のなり損ないばかりを紡いでは、両手を上下させる。その間も白澤は表情を変えぬまま、腕を組んで首を傾げた。
「あと、君の名前。
桃太郎って、ほら昔々に鬼退治して英雄になった、あの桃太郎君だよね。てっきり天国にいると思ってたけど、今まで地獄にいたの?」
続いた言葉に桃太郎は完全に口を閉め、手の動きも止め、代わりに何度も瞬きを繰り返しながら白澤を見つめる。
今の状況は地獄からの紹介だから、そりゃ地獄にいたと思われるだろう。本当の状況は全く違うのだが、ここで今までの状況を説明するなんて事。
そこまで考えて桃太郎は唇を噛みしめる。自分の今までの事を話すなんて、恥ずかしくてたまらない。出来ることなら話さないでいたい。
「あ、あの」
どう誤魔化すべきかと頭に浮かんでは消える言葉と一緒に冷や汗が出て来る。それに気がついたか気がついてないのか、白澤は相変わらず表情を変えずにひらひらと片手を上下に振った。
「別に言いにくい話なら構わないよ、ちょっと気になっただけだから!
とりあえず、服は他にもあるよね?」
「あ、はい、あります」
咄嗟に答えると白澤は頷く。
「一張羅汚しちゃったら嫌だよね、じゃあ明日は普通の服で来てね」
「はい」
「住まいは地獄?通えるかな」
「えっと、住まいは天国なんで…」
そこまで言った時にハッとして言葉を区切る。天国住まいが何で地獄から、とまた聞かれてしまうのではないかと思ったのだ。
しかし、途中で言葉を止めた桃太郎に白澤は一つ頷いてひらりと手を振る。
「そうなんだ。じゃあ大丈夫そうだね!とりあえず今日は仕事内容だけ説明させてもらうよ。良いかな?」
「え、あ、はい!」
てっきりあれこれ質問されるだろうと身構えていたが会話はそこで終了した。
白澤は何事も無かったかのように体を翻し、長身には似つかわしくない、どこか子供のように両手を振りながら園内を歩き始めた。その後ろを、桃太郎は困惑した顔のままその後ろを着いて行った。




*****

「ただいま」
扉を開けてそう切り出してから、桃太郎はゆっくりと顔を上げた。
真っ暗な部屋。彼を迎えてくれたのは人気の無い空間。
「…何言ってんだ俺」
自嘲気味に笑ってしまい、その笑い方に顔が歪んだ。
天国の家には今や誰もいない。
お供してくれた親友達は、今は地獄。育ててくれたお爺さんとお婆さんは現世。
部屋の中を見渡してみると今朝まであったものがなくなっている事に気がついた。
ルリオの愛用していた止まり木、柿助の替えのバンダナ、シロの遊び道具の手毬。一度戻って来たのか、彼らの持ち物は無くなっていた。住み込みで働く事になったのだろうか。
暫く電気も付けずにがらんどうとした部屋の中をじっと見つめていると、机の上に置いてある紙切れが目に止まった。今朝出てきた時には無かったはずだ。
近づいて見ると、紙の上にはお世辞にも綺麗とは言えない文字が踊っていた。
短いその文字を読み、桃太郎は唇を噛むと力いっぱいに両目を擦りあげる。
紙の上に書いてあったのはただ一言。

『がんばれ!』

その隣には、肉球が型押しされた墨。そして、紙の上には綺麗な羽がそっと置いてあった。
「…お前らも、頑張れよ」
小さく呟いて壊れ物を触るかのように羽と紙を優しく持ち上げる。もう一度目を擦ると立ち上がり、ようやく部屋の明かりを付けた。
改めて光の中で、手に包まれた紙と羽を暫くじっと見つめる。
「…俺も、やってみる」
誰ともなく呟くと同時に、自分の雇い主となった白澤の姿を思い出していた。
最初から最後まで、浮かべた笑顔が変わらない、今までに会ったことが無いタイプの人だなと言うのが第一印象。次に感じたのは、恐らくあまり自分に興味が無いだろうという印象だった。
斡旋された経緯も、住まいについても言及されなかったのは、桃太郎が困った様子を見せたからと言うよりも、特に掘り下げなくても良いと判断されたように桃太郎は感じていた。
それが寂しいわけではなく、逆に感謝していた。昔の事を掘り返されて話すのは嫌だった。

与えられた仕事内容は芝刈り。雇い主は温和そうで人当たりの良さそうな人。
あんなに地獄を離れる時は何をされるのかと恐れていたのに、思ったよりも仕事は楽かもしれない。
別れ際に「また明日ね」と微笑んでいた白澤を思い出し、桃太郎はよし、と気合を入れた。



この時、桃太郎は、まだ知らなかった。

去って行く桃太郎の後ろで、白澤が笑顔を消していた事も。
その顔をさせたのは、自分である事も。



―今より少しだけ、むかし。
地獄から天国に戻った、元英雄の、お話。

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【二】


朝起きて、白澤の店に顔を出して挨拶。それから夕方まで仙桃園の芝刈り。
それが桃太郎の日常になって数日経った。
白澤とは、朝と帰りの挨拶のみで特に接点も無い日々だが、その距離感が桃太郎には有難かった。

伸びてしまった芝を刈り、纏めながら園内の一角を見つめる。そこには昨日刈った芝が纏めてある。
二日目に園内に入った時、桃太郎が前日に置いた場所に芝は無く、また見つけた芝も自分が纏めたやり方とも違っていて慌てた事があった。
三日目からは同じやり方、同じ場所に纏めるようにしつつ、白澤から何か話があるかと思って身構えて仕事後に顔を出していた。しかし、迎えるのは相変わらずの笑顔といつもの挨拶だけ。その後も、朝と帰りの挨拶以外は声を特に掛けられなかった。
じゃあ、これで良かったのかと納得した桃太郎からも特にその件について聞くこともなかったのだが、ふと初日の挨拶が急に頭に蘇える。

「これから宜しくね。芝刈りの方法は分かる?」
「はい。家の畑でやってたから大丈夫です」

なんてことのない会話だったと桃太郎は思っているのだが、去り際に視界の端で白澤が肩を竦めているのが見えた気がしていた。
頭の隅にその姿が引っ掛かり、ふとした時に思い出してしまうのだが、どう切り出して良いのか分からず日だけが過ぎていた。
その内、白澤が何も言わないなら別に良いか、纏め方も場所も同じにしたしと、その時の引っ掛かりは徐々に頭の隅に追いやられていた。




それからまた数日経ち、桃太郎の仕事が一つ増えた。
背中には竹網の籠、その中には丸々とした仙桃が幾つか入っている。

「桃太郎君、謝謝…」
白澤の店に入ると、カウンタ―に顔を沈めている白澤が桃太郎を迎えた。
「大丈夫ッスか」
「まあ、よくある事だから…」
億劫そうに頭を持ち上げた色白の肌に生気は無く、青みがかった顔が桃太郎を見上げる。
「今日は、ほらあれ、何でしたっけ。オウレントウ?手伝わなくて大丈夫ッスか」
「今日は、不介意…」
どう書くのかも分からない覚えたばかりの単語を言ってみれば、白澤は細長い指を揺らして掌を上下に振った。中国語らしき言葉の意味は分からなかったが、何と無くもう手伝わなくて大丈夫なのだろうと思った。



この状態の白澤に桃太郎が会ったのは二日前。

いつも通り朝の挨拶に扉を開けると、床で伸びている白澤を見つけて大層慌てた。しかし、聞けば二日酔いで具合が悪かったと返されて一瞬理解が追いつかずに、二日酔いですか?と思わず聞き返していた。笑みが絶えず平和主義そうな白澤が、二日酔いになる程の酒を飲む姿を想像できなかったのだ。
白澤に指示されるままストックの棚から黄連湯の包みを出し、固形燃料の火で白湯を作り、溶かして渡す。
飲み込んでホッと息を吐いた白澤を見て、希望のものは渡せたようだと桃太郎も思わず息を吐いていた。
その後、まだ顔が青白いままの白澤が園内に現れ、仙桃を籠にふらつきながら入れている姿を見かねて、俺ができるならやりますよと声を掛け、仕事が追加される事になった。

「それじゃ、仙桃ここに置いておきますから。俺は芝刈りに戻りますね」
「宜しく~…」
桃太郎が持ってきた籠を手元に引き寄せながら手を振る白澤から視線を外し、店の外に出て行く。
完璧そうに見える人だけど、なんだ、抜けてる所もあるんだな。
そう考えた桃太郎はどこかホッとした顔を見せて店を出る。
その背後で、籠の中の仙桃を見た時の白澤の表情を、彼が見ることは無かった。





桃太郎が働き始めて10日が経った。
広い園内の芝刈りも終わりが見え、額の汗を拭う。汗を流すのを気持ちが良いと思えたのはどれくらいぶりだろうかと、太陽に手をかざしながら考える。
顔を前に戻し、おそらく明日で園内の芝も一通り刈り揃えられそうだと今まで対応した部分を見渡して満足そうに頷いた。
雇われた形で仕事をするのは初めてだったが、順調に進んでいるなと一人心の中で呟いて体を伸ばす。背中の籠を背負い直すと、ころりと仙桃が転がる感触。この疲れも、桃の重みも自分が動いての結果と思うと何だか最近は楽しいと思うようになっていた。

「白澤さん、仙桃の収穫と今日の芝刈り終えました」
店に入って声を掛けると、丁度白澤は女性のお客と遣り取りをしている所だった。
「桃太郎君、謝謝。ちょっと待ってて」
それだけ言うと、女性に向き直り手早く棚の中から袋を取り出す。
「君の症状だとこれが効くよ。まずはお試しで使ってみてね。一週間経ったらもう一度相談しに来てよ。
その時の体調に合ったのを改めて処方するから!ねえ、調子が良くなったら僕と遊んでくれる?」
「有難うございます!ふふ、良くなったら遊んでも良いかなぁ」
何気無く女性の掌を握りながら掛ける言葉に、その手の主も満更でもない表情で笑い返す。代金を払った女性は、何度か白澤を振り返りながら手を振って店の外へと出て行った。その姿を見ていた桃太郎は頬を掻きながら白澤を見る。
「白澤さんって、もしかして女性の方を口説くの趣味なんですか?」
「趣味かどうかは分からないけれど、女の子は皆可愛いね!大好き!あれ、僕、君の前でいつも口説いてたりした?」
思わず訪ねた桃太郎の言葉に、白澤はそう返答してきた。
俺がいつ店に顔を出してたのか記憶にも無いのか?と思いつつ、何度か見掛けた事のある客対応している白澤を思い出すと、どれも女性にお誘いを掛ける所ばかりで。二日酔いの時にも思ったが、当初感じた完璧そうな白澤の印象がここだいぶ崩れ始めていた。だが、桃太郎にとってそれは悪い事では無く、そんな白澤なら、気をあまり張らなくても良いかもしれないと思い始めていた。
そんな事を考えながら、桃太郎はぐるりと店内を見渡す。漢方名の書かれた棚、草花の吊るされた天井。ややあって、桃太郎は一人頷いて白澤を見た。
「白澤さん、俺、芝刈り明日で終わりそうなんです」
「へえ、そんな進んだんだ。謝謝!」
「だから、一段落したら今度は店の手伝いやってみたいです!」
「手伝い?」
桃太郎の言葉を反芻し、仙桃の入っている籠を手繰り寄せていた白澤の手が止まる。白澤が自分を見ると、桃太郎は大きく頷いた。
「漢方、俺にも売ったり用意したり対応できるかなって!」
店もそんなに忙しくなさそうだし、棚から漢方出して対応するくらい、白澤さんに出来るのなら俺にだって出来るだろうし、他の仕事もしてみるのも楽しそうだよな。そんな事を考えていると、白澤から声が掛かった。
「なんでまた、僕の店?」
すぐに了承が出ると考えていた桃太郎は、白澤からの予想外の質問に一瞬目を丸くした。
「え、え―と。働かせてもらってるんで、園内の仕事終わったら店も手伝ったら良いかなって、思ったんスけど…」
一応答えてみると、白澤は笑みを浮かべたまま口を開く。
「僕のお店では漢方を扱ってるのは知ってるよね。手伝いって、店番だけ?処方もしてみたいのかな?」
今までこんなに質問をしてきた事無いのに、何でだ?
質問を次々に返してくる白澤に内心首を傾げながら桃太郎は頷いた。
「えっと、処方までできたら楽しそうかなとは思いました、けど。あの、何か?」
笑顔はいつもと変わらないのに、何故か感じる違和感。微かに心配の首が擡げる。
「ふうん」
白澤の笑顔は、変わらない。その笑顔のまま、白澤は籠の中から仙桃を取り出して一瞥する。やがてカウンタ―の端から短いナイフを取り出すと、素早く剥いて切り分け始めた。
「桃太郎君は、漢方についての知識はあるのかな」
「いや、ほぼ無い状態ですけど」
「知識はどこから得る予定かな?」
「え?」
手元の仙桃だけに視線を注ぐ白澤を見ながら桃太郎が怪訝な顔になった時、おいでと白澤が優しく足元に声を掛けると店内にいるウサギ達がカウンタ―に現れた。更に手の上で小さく切り分けた桃をその口元に差し出すのを見て、桃太郎は首を傾げる。
「あれ。ウサギ達に上げる為に必要だったんスか?」
「いいや、違うよ。単に薬に使えない仙桃をおやつ代わりにあげてるだけ」
「…は?」
桃太郎を見ることなく告げられた一言は、とても軽い口調だったが、桃太郎の脳髄を揺らすのに充分だった。
「―そ、んなの、俺、聞いてない」
「何がだい?」
「仙桃を、薬に使うとか」
「うん、そうだね。聞かれてないから答えなかったよ」
「聞かれてないからって、そんな!」
「君は、仙桃を持って来てくれた。その中で使えるのだけ、薬に使わせてもらってるだけ」
白澤が桃太郎を見る。いつもと変わらない笑顔。そのはずなのに、何故だか背筋が一瞬震える。
「君は、自分で判断して、取ってきてくれたんでしょ?」
「だ、だって、取ってきてくれとしか言わなかったじゃないスか!」
「僕は聞いたよ。どれを取れば良いのか、分かる?って」
返された言葉に桃太郎の言葉が詰まる。思い出せば、仙桃の収獲を引き受けた時に聞かれた事があった気がする。
「で、でも、それなら持ってきた時に言ってくれれば!」
「君はこれで良いですかって、聞かなかったと思ったけど?」
また言葉に詰まる。
同時に徐々に頬が熱くなって行くのを感じて、眉間に皺が寄っていく。
何なんだよ、俺が悪いって言いたいのか。何も言われなければそれで良いって、普通思うだろ!?
黙り込んだ桃太郎を暫く見つめた白澤は、手を拭きながら席を立ち、カウンタ―の奥から何かを持ってくる。
「漢方、やってみたかったらさ。この本を読み切ったら、良いよ」
人の良さそうな笑顔が、桃太郎を見下ろす。この笑顔がこんなにも冷たく感じるのは何故だ。
つい先程まで、この人とならもう少し気兼ねなく話せるかもなんて思っていたのに。仕事は楽しいと思っていたのに。
何故だ。何故だ。

「―帰ります!」

視線を先に逸らしたのは桃太郎だった。
そのまま、引ったくるように白澤から本を掴み取ると、桃太郎は勢い良く踵を返し店の外へと飛び出していた。

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【三】

燻る胸の内のまま家へと辿り着いた時、ほぼ走って家まで戻ったせいか息が上がっている事に気が付いて、小さく舌打ちをする。
何で、俺が、こんな気分にならないといけないんだ。俺が何をした?ちゃんと仕事してたじゃないか。
緩慢に扉を閉め、溜息を吐く。深呼吸しながら息を整え、片手に抱えていた本をしばらく見下ろす。
もう一度深呼吸をして、本を開いた瞬間、ペ―ジを捲った手が止まった。ぽかんと口は開いたまま、何ペ―ジか捲る。やがて、眉間に皺が寄っていった。
「こんなの…!」
低く呟き、思わず本を叩きつけたい衝動に駆られ寸出の所で手を必死に止める。押さえつけた片手が震えて、胸の中で様々な感情が混ざり合って頭に血がまた上っていく。

その本は、桃太郎が見慣れた漢字の中に、見た事もない漢字が多く並んでいた。

――全て、日本語ではなく中国語で書かれていた。

「―読めるわけないだろ!」

叫んで本を閉じ、苦々しく本を見下ろす。
数時間前まではあんなに楽しく思えていた仕事なのに、何でこんな気分になるんだ。白澤さんは良い人だと思っていたのに。
何が原因なんだ、と考えても答えが出ない。
納得いかない事があるのならその場で言ってくれれば俺だって。そうだ、白澤さんは何も言ってくれなかったじゃないか。何も言わない利点はどこにあるんだ、非は俺にあるのか、違うだろ、白澤さんにもあるじゃないか!
そう叫びたくても伝える相手はここにはいない。いや、今は顔は見たくない。

この本を読み切るなんて無理な話だ、と思ったが、ここで諦めるのも負けたようで癪だと唇を噛む。だが、中国語なんてわかるはずもない。
その時、ふと昔に尋ねてきた亡者が言っていた言葉を急に思い出した。

『天国に、本を借りれる所があって、そこにも桃太郎さんの話が置いてありましたよ!』

本が借りられる所。
そこなら、何か調べたりできるだろうか。
そう考えれば居ても立っても居られず、本を持って外にまた飛び出していた。






*****


闇雲にただ、走っていた。

しかし、ふと。我に返って速度が弱まる。
亡者の言っていた場所とは、何処なのだろうか。
足はとうとう勢いをなくして地面に止まる。
行き先も分からず飛び出したのか、俺は。

…何してんだ、俺。

完全に我に返り、周りを見渡してみると、まだ見覚えのある景色に、そう家から離れていない事が分かり、多少安堵して息を吐く。しかし、探している建物の名前は疎か、外見も場所も聞いた事が無いのに気がついて天を仰ぐ。
胸の気持ち悪さが消えない。頭に上った血がまだ落ち着かない。
…どうしろってんだよ。
怒りなのか、悲しいのか、悔しいのか。どの感情が一番しっくり来るのか、桃太郎にはよくわからなくなっていた。


どれくらい呆然とその場で立ち尽くしていただろうか。
急にポンと肩を叩かれ、跳ねるように振り返ると、後ろに居た見知らぬ人物もビクリと体を跳ねさせた。
「あ、すみません、そんな驚くと思わなくて。あの、そんな立ったままで、どうしました?」
驚きつつも、そう声を掛けられて桃太郎はハッと目を開いて我に返る。どれくらい時間が経ったのだろうか。また溜息をついて声を掛けてくれた人物を見つめ、また息を飲んだ。
そうだ、もしかしたら。この人が知っていたりしないだろうか。
「あ、あの」
「はい」
にこやかに笑みを返され、咄嗟に目を逸らす。どう聞けば、良いのだろうか。知っているのだろうか。
「えっと、ですね。本を…」
「本を?」
オウム返しに聞き返され、桃太郎は大きく頷くともう一度目の前の人を見た。
「本を、借りれる所があるって、聞いたんですけど…どこにあるか分からなくて」
「ああ、そんな事ですか!知ってますよ、案内しましょうか?」
「え、良いんスか?」
「ええ、もちろん」
爽やかに笑いながら言われた言葉に思わず笑みが零れた。天国にいる人物の気性の柔らかさと人の良さにホッとし、案内まで引き受けてくれた事に心底礼を言いたくなっていた。






教えてもらったその場所は家から思ったよりも離れていない場所にあった。
連れて来てもらった人と別れ、中に恐る恐る入ってみる。建物の中は天井まで届く本棚がびっしりと並び、その中に様々な書物が収納されていた。見た事の無い蔵書数の圧巻さに思わず口をぽかんと開けたまま棚の間を歩く。
目当ての本を探さないと、と思ったが異国の言葉を調べるには何の本を見つけ出せば良いのだろうかとはたと考える。歩きながら、上へ下へと視線を彷徨わせていると、服の端が何か引っかかった。
何だろうと体を捻った瞬間、背後で何か落ちた音がして慌てて振り返ると服の端が本に引っ掛かっていたようで、何冊か落ちてしまっている事に気がついた。慌てて拾い上げて元に戻し始めた時、一冊の本が目に留まる。
「芝、の管理…?」
それは何の変哲もない芝の管理について書かれた参考書。桃太郎の目が留まったのは、思ったよりも本の厚みがあったからだった。
芝の手入れに、こんなに書く事があるのか。
他の本を元に戻してから、白澤から渡された本を小脇に抱えて何となく開いてみる。目次に並ぶのは、芝の種類、芝刈りの方法から月ごとの手入れなど多岐に渡る項目。
せっかくだしと、芝刈りのペ―ジを開く。そこには図解付きで芝の刈り方が書かれていたのだが、そこで思わず体が強張った。
図解付きで細かく書かれたペ―ジ内には、刈る時の高さ、刈る頻度の注意が書かれていたのだが、刈る時の高さの説明から目が離れない。
「生長点を切ると、芝が傷つく…?」
図で書かれている生長点とは、芝の緑の下にある白い茎の部分の境目。そんなの気にしたことがなかったし、そんな言葉も知らなかったし、芝なんてまた伸びるだろうと思って緑の部分をほぼ刈っていたのを思い出す。
果たして自分が刈った部分は大丈夫だっただろうか。桃園の芝を傷つけてはいなかっただろうか。
「……こんなの、知らない」
自分で呟いた言葉に思わず眉間に皺が寄る。
芝の刈り方なんて、長くなった所を刈れば、より短く刈れば十分と思っていた。
今の、今まで。
ふと棚を見上げると、そこは園芸書が並ぶ棚だった。無意識に背表紙の文字列を確認し始めると、探していた文字を見つけて思わず手を伸ばす。
手に収まったのは、桃の管理の本。それも、分厚い本だった。
芝の本を傍らに置いて、目次で確認すると慌てて収穫について書かれたペ―ジを捲ってみる。
「香りが出てからが収穫時期…」
書かれている収穫の目安の言葉を読み上げて、視線をそこから移動出来なくなった。
実が桃色になっていれば良いのだと、思っていた。どのくらいが収穫に向いている実なのかなんて、食べれそうと思ったら、十分と思っていた。
香りなんて、気にした事が無かった。
ハッと気が付き、棚を見上げて再度右から左へ探してみるが、ただの桃について書かれた本はあれど仙桃についての本なんてどこにも、見当たらない。仙桃の事を確認したいのに。
いや、そもそも、仙桃はどこにでも生えるものではないのではないだろうか。桃源郷など一部でしか生えない門外不出の果物では無いだろうか。
そこまで考えて、また動きが止まる。
仙桃と桃の違いも、いや、違いがあるのかどうかも、知らない。そもそも、仙桃についての知識なんて、それこそ皆無じゃないか。

それなのに。

俺は、自分の知識で十分と、思っていた。


気がつくと、吸い寄せられるように、目についた芝と桃の管理の本を取り出してはペ―ジを捲る。

知らない事ばかりが本の上に現れる。ペ―ジを捲れば捲る程、自分が知らない事がこんなにもあるのだと思い知らされて愕然とする。

芝刈りも。
薬に使う為の仙桃の収穫も。
ましてや桃の知識も。
自分が知っていて役に立てる知識は、一つも。

(無かった)

「…」

床に座り込んで呆然と目の前に無造作に開かれたままの何冊もの本を見つめる。胸の内がまた、掻き混ぜられて気持ちが悪くなる。
「教えて、くれれば…」
そこまで呟いてすぐに口を閉ざした。

違う。

違う。

心の中でそう呟いて両手で顔を覆った。
思い出したくない、分かった、分かったから、事実を突きつけないでくれ!
そう思っても、脳は少し前の記憶を引っ張り出してくる。

思い出した記憶の中で、白澤は桃太郎に、同じ言葉を紡いでいた。

何度も、何度も。

『分かる?』

白澤は、教えが必要かどうか、桃太郎に聞いてくれていたのだ。
その一言がどんなに大事だったのか、まるで責めるように記憶は何度も質問する白澤をフラッシュバックする。
桃太郎が白澤に確認する機会は何度とあったのだ。

その機会を全て潰したのは。

「…俺だ…」

思わず呟いた言葉は、想像以上に胸を抉った。

初めて会った日は、仕事内容は分かるかと。
一日目の時は、芝刈りの方法が分かるかと。
桃の収穫を始める時も、どれを取れば良いか分かるかと。
都度、白澤は聞いてくれていた。
それだけじゃない。
帰りの挨拶の時にも、どんな感じ?と毎回聞いてくれていた。

それを全て台無しにして、自分勝手に動いていたのは、誰でもない。
自分自身だ。



『知っていますか。肯定しかしない人達に囲まれた人間の話』



唐突に鬼灯に言われた言葉が頭に蘇り、今は地獄にいる親友達が脳裏に現れる。
何度も、諌めようとしてくれたり、注意してくれようとしていた姿を思い出して顔が歪む。最終的に、どんな話であろうと彼らを無理やり肯定させていた自分の姿が過って唇を噛む。

自分が正しい、間違ってない。
そう思い込んでいた。
それが正しくないと教えてくれなければ。
いや、その注意を聞こうとしなければ。

『その人間は、最後に何が正しいのかわからなくなり破滅の道を歩むんですよ』

「その通りだ…」

此処には居ない、鬼神の声に1人、返事を返すと、顔から両手を外した。

『今の話の最後が何故そうなるのか、少しは貴方の頭で考えてみなさい』

鬼神の言葉に耳も傾けなかった自分に悔しさが募る。
あの時は何を言っているのか、理解出来なかった。
でも、今は。
苦しい程に理解が、出来る。

いつの間にか。
もう思い出せない程に、随分と昔から。
与えられるのが普通と思ってしまっていた。
与えられるものを受け入れてだけいれば、自分が進む道に間違いは無いのだと、思い込んでいた。

英雄と囃し立てられてから、俺は誰かに。
何かを教えて欲しいと。
頼んだ事が、あっただろうか。

(――――いや、無い)

自分自身に返答した言葉に、再度顔を覆う。

聞かなくとも、俺はできると。思っていたんだ。


傍らにあった、白澤から渡された本をもう一度、開く。
目に飛び込むのは、見知らぬ異国の漢字。
聞こえるはずのない声が、耳元で聞こえた。

『分かる?』

分かるわけが無い。
白澤に何が知りたいと教えを請う事も、漢方の事も碌に調べもしていないのだから。

「分かりません…」

零れた言葉は人気の無い空間に溶けて行った。










腕一杯に本を抱え、暗くなった外を1人、ふらりふらりと歩む。
朧月夜の空の下、自分の影も覚束ない。

(からん から)

歩く度に音がする。

(からん から からん から)

自分の中から、音がする。

(からん から からん から からん から)

ああ、なんて、中身の無い音なんだろうか。

だけど、この音が。
これが、今の俺だ。


桃太郎にしか聞こえないその音は消えることなく。

いつまでも、体の中から聞こえていた。

(からん から からん から からん から からん から)



それは、何百年もの間

桃太郎の中で、誇っていたものが

零れ落ちていく音だった
 

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【白桃】空っぽの英雄【参】
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【一】


―とおりゃんせ  とおりゃんせ


前を歩く見知らぬ鬼の姿を見ながら、桃太郎の頭の中で童謡が何度も繰り返されていた。意識を散らそうと何度首を振っても、聴いた事のない童の声がまるで耳元で囁くように唄を耳元で紡ぐ。

―行きはよいよい

(さあ いざ 皆で参ろう鬼退治)

―帰りは怖い

(おや おや 周りを見てごらん)

―怖いながらも

(おや おや 誰もいない)

―通りゃんせ  通りゃんせ

(さて はて 何処へ行く)


鬼灯の色の無い瞳を思い出し、瞼を伏せる。
自分はこれから、どこに連れて行かれるのだろうか。どこで何をさせられるのだろうか。
熱い熱気と亡者の叫び声が歩く度に身体に纏わり付く。余りにも自分のいた天国との違いを五感で感じ、言葉にできない、したくない不安感に支配されそうになるのを振り払うように足を早めて顔を上げれば、いつの間にか目の前を歩いている鬼との距離が空いていた事に気がつく。
鬼を追いかける事だけに集中しようと前だけを見つめ、唇を引き結ぶと一目散に前へと駆け出した。
視界に端に見えた上の世界は、本来あるはずの空は見えず。今にも落ちそうな岩肌だけが物も言わず桃太郎を見下ろしていた。





【空っぽの英雄/参】





桃太郎は目の前を跳ねるように歩く男を見ながら、自分の置かれた状況に1人首を傾げていた。
見上げれば、広がる見慣れた快晴に微かに安堵の息を吐く。もうあの落ちてきそうな岩肌は見えない。



地獄での一騒動から数十分後。
彼は地獄から離れ、天国の一角にある桃源郷を歩いていた。その数歩先を歩くのは、三角巾を頭に巻き白衣を着た長身の男性。
「さてと、ここまでが芝刈りしてもらう桃園の範囲ね」
くるりと振り返るその男性の顔に浮かぶのは、柔和な笑顔。会ったばかりだが、その男性の顔には笑顔しか浮かばない事に気がつき、掛けられた言葉に返答しながらまた首を傾げる。
この人は何でこんな笑顔なんだろうか。というか、笑顔が通常の表情なんだろうか。
「じゃあ、明日から宜しくね、桃太郎君」
「あ、はい、白澤さん」
再度声を掛けられて慌てて桃太郎は返答した。
笑顔のまま振り返った男性の名は、白澤。
桃太郎の雇い主となる彼との初対面は、どこかぎこちない物であった。


*****

鬼に連れられ、天国に入った時、桃太郎は慌てた。てっきり地獄で働かされるのだろうとばかり思っていたのだ。聞けば、仕事は天国の一角にある仙桃園の芝刈りと言う。
仕事の内容的にも、場所にも、桃太郎の頭の中は疑問符だらけになる。
脳裏に思い浮かんだ鬼灯と、言われた仕事内容が結びつかなかったのだ。
てっきり厄介払いに押し付けられる仕事かと思っていたのだが、そうでは無いのか。単純に人出が足りない所に現れたから斡旋されたのだろうか。

その疑問は、連れて来られた働き先で更に膨れる事になる。
働き先で待っていたのは天国の中でも観光地として名高い風光明媚な桃源郷にある仙桃園。
そして。
「初次見面!」
雇い主となる、笑顔の絶えない白澤という長身の男性だった。
美しい景色に囲まれた働き先に、人の良さそうな笑顔の絶えない雇い主。
どう考えても騒ぎを起こした人間に対する働き口としては恵まれすぎた環境に拍子抜けしてしまう。

一先ずお互い名前を紹介し合った後、何やら白澤は桃太郎を連れてきた鬼が持ってきた書面にサインと印を押している。ちらりと見えた書類は堅苦しい文章が並び、白澤が聞きなれない言葉を掛けると鬼はその書類を持って一礼し、また地獄へと戻って行った。
その一連の流れをぼんやり眺めていた桃太郎は、これは正式に人員要請していた上で、俺は斡旋された考えて良いんだろうかと一人思う。
「さてと」
パン、と軽く手を叩く音に桃太郎はハッと白澤を見ると、にこやかな笑みを浮かべた白澤が桃太郎を見ていた。
「今日から仕事してもらおうかと思ってたんだけど―…。
君、なんでそんな一張羅着てるの?」
「え?あ、あ、の」
掛けられた言葉に、地獄に乗り込んだ時そのままの格好で来た事を思い出した桃太郎は、慌てて「あの」「その」と言葉のなり損ないばかりを紡いでは、両手を上下させる。その間も白澤は表情を変えぬまま、腕を組んで首を傾げた。
「あと、君の名前。
桃太郎って、ほら昔々に鬼退治して英雄になった、あの桃太郎君だよね。てっきり天国にいると思ってたけど、今まで地獄にいたの?」
続いた言葉に桃太郎は完全に口を閉め、手の動きも止め、代わりに何度も瞬きを繰り返しながら白澤を見つめる。
今の状況は地獄からの紹介だから、そりゃ地獄にいたと思われるだろう。本当の状況は全く違うのだが、ここで今までの状況を説明するなんて事。
そこまで考えて桃太郎は唇を噛みしめる。自分の今までの事を話すなんて、恥ずかしくてたまらない。出来ることなら話さないでいたい。
「あ、あの」
どう誤魔化すべきかと頭に浮かんでは消える言葉と一緒に冷や汗が出て来る。それに気がついたか気がついてないのか、白澤は相変わらず表情を変えずにひらひらと片手を上下に振った。
「別に言いにくい話なら構わないよ、ちょっと気になっただけだから!
とりあえず、服は他にもあるよね?」
「あ、はい、あります」
咄嗟に答えると白澤は頷く。
「一張羅汚しちゃったら嫌だよね、じゃあ明日は普通の服で来てね」
「はい」
「住まいは地獄?通えるかな」
「えっと、住まいは天国なんで…」
そこまで言った時にハッとして言葉を区切る。天国住まいが何で地獄から、とまた聞かれてしまうのではないかと思ったのだ。
しかし、途中で言葉を止めた桃太郎に白澤は一つ頷いてひらりと手を振る。
「そうなんだ。じゃあ大丈夫そうだね!とりあえず今日は仕事内容だけ説明させてもらうよ。良いかな?」
「え、あ、はい!」
てっきりあれこれ質問されるだろうと身構えていたが会話はそこで終了した。
白澤は何事も無かったかのように体を翻し、長身には似つかわしくない、どこか子供のように両手を振りながら園内を歩き始めた。その後ろを、桃太郎は困惑した顔のままその後ろを着いて行った。




*****

「ただいま」
扉を開けてそう切り出してから、桃太郎はゆっくりと顔を上げた。
真っ暗な部屋。彼を迎えてくれたのは人気の無い空間。
「…何言ってんだ俺」
自嘲気味に笑ってしまい、その笑い方に顔が歪んだ。
天国の家には今や誰もいない。
お供してくれた親友達は、今は地獄。育ててくれたお爺さんとお婆さんは現世。
部屋の中を見渡してみると今朝まであったものがなくなっている事に気がついた。
ルリオの愛用していた止まり木、柿助の替えのバンダナ、シロの遊び道具の手毬。一度戻って来たのか、彼らの持ち物は無くなっていた。住み込みで働く事になったのだろうか。
暫く電気も付けずにがらんどうとした部屋の中をじっと見つめていると、机の上に置いてある紙切れが目に止まった。今朝出てきた時には無かったはずだ。
近づいて見ると、紙の上にはお世辞にも綺麗とは言えない文字が踊っていた。
短いその文字を読み、桃太郎は唇を噛むと力いっぱいに両目を擦りあげる。
紙の上に書いてあったのはただ一言。

『がんばれ!』

その隣には、肉球が型押しされた墨。そして、紙の上には綺麗な羽がそっと置いてあった。
「…お前らも、頑張れよ」
小さく呟いて壊れ物を触るかのように羽と紙を優しく持ち上げる。もう一度目を擦ると立ち上がり、ようやく部屋の明かりを付けた。
改めて光の中で、手に包まれた紙と羽を暫くじっと見つめる。
「…俺も、やってみる」
誰ともなく呟くと同時に、自分の雇い主となった白澤の姿を思い出していた。
最初から最後まで、浮かべた笑顔が変わらない、今までに会ったことが無いタイプの人だなと言うのが第一印象。次に感じたのは、恐らくあまり自分に興味が無いだろうという印象だった。
斡旋された経緯も、住まいについても言及されなかったのは、桃太郎が困った様子を見せたからと言うよりも、特に掘り下げなくても良いと判断されたように桃太郎は感じていた。
それが寂しいわけではなく、逆に感謝していた。昔の事を掘り返されて話すのは嫌だった。

与えられた仕事内容は芝刈り。雇い主は温和そうで人当たりの良さそうな人。
あんなに地獄を離れる時は何をされるのかと恐れていたのに、思ったよりも仕事は楽かもしれない。
別れ際に「また明日ね」と微笑んでいた白澤を思い出し、桃太郎はよし、と気合を入れた。



この時、桃太郎は、まだ知らなかった。

去って行く桃太郎の後ろで、白澤が笑顔を消していた事も。
その顔をさせたのは、自分である事も。



―今より少しだけ、むかし。
地獄から天国に戻った、元英雄の、お話。

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【二】


朝起きて、白澤の店に顔を出して挨拶。それから夕方まで仙桃園の芝刈り。
それが桃太郎の日常になって数日経った。
白澤とは、朝と帰りの挨拶のみで特に接点も無い日々だが、その距離感が桃太郎には有難かった。

伸びてしまった芝を刈り、纏めながら園内の一角を見つめる。そこには昨日刈った芝が纏めてある。
二日目に園内に入った時、桃太郎が前日に置いた場所に芝は無く、また見つけた芝も自分が纏めたやり方とも違っていて慌てた事があった。
三日目からは同じやり方、同じ場所に纏めるようにしつつ、白澤から何か話があるかと思って身構えて仕事後に顔を出していた。しかし、迎えるのは相変わらずの笑顔といつもの挨拶だけ。その後も、朝と帰りの挨拶以外は声を特に掛けられなかった。
じゃあ、これで良かったのかと納得した桃太郎からも特にその件について聞くこともなかったのだが、ふと初日の挨拶が急に頭に蘇える。

「これから宜しくね。芝刈りの方法は分かる?」
「はい。家の畑でやってたから大丈夫です」

なんてことのない会話だったと桃太郎は思っているのだが、去り際に視界の端で白澤が肩を竦めているのが見えた気がしていた。
頭の隅にその姿が引っ掛かり、ふとした時に思い出してしまうのだが、どう切り出して良いのか分からず日だけが過ぎていた。
その内、白澤が何も言わないなら別に良いか、纏め方も場所も同じにしたしと、その時の引っ掛かりは徐々に頭の隅に追いやられていた。




それからまた数日経ち、桃太郎の仕事が一つ増えた。
背中には竹網の籠、その中には丸々とした仙桃が幾つか入っている。

「桃太郎君、謝謝…」
白澤の店に入ると、カウンタ―に顔を沈めている白澤が桃太郎を迎えた。
「大丈夫ッスか」
「まあ、よくある事だから…」
億劫そうに頭を持ち上げた色白の肌に生気は無く、青みがかった顔が桃太郎を見上げる。
「今日は、ほらあれ、何でしたっけ。オウレントウ?手伝わなくて大丈夫ッスか」
「今日は、不介意…」
どう書くのかも分からない覚えたばかりの単語を言ってみれば、白澤は細長い指を揺らして掌を上下に振った。中国語らしき言葉の意味は分からなかったが、何と無くもう手伝わなくて大丈夫なのだろうと思った。



この状態の白澤に桃太郎が会ったのは二日前。

いつも通り朝の挨拶に扉を開けると、床で伸びている白澤を見つけて大層慌てた。しかし、聞けば二日酔いで具合が悪かったと返されて一瞬理解が追いつかずに、二日酔いですか?と思わず聞き返していた。笑みが絶えず平和主義そうな白澤が、二日酔いになる程の酒を飲む姿を想像できなかったのだ。
白澤に指示されるままストックの棚から黄連湯の包みを出し、固形燃料の火で白湯を作り、溶かして渡す。
飲み込んでホッと息を吐いた白澤を見て、希望のものは渡せたようだと桃太郎も思わず息を吐いていた。
その後、まだ顔が青白いままの白澤が園内に現れ、仙桃を籠にふらつきながら入れている姿を見かねて、俺ができるならやりますよと声を掛け、仕事が追加される事になった。

「それじゃ、仙桃ここに置いておきますから。俺は芝刈りに戻りますね」
「宜しく~…」
桃太郎が持ってきた籠を手元に引き寄せながら手を振る白澤から視線を外し、店の外に出て行く。
完璧そうに見える人だけど、なんだ、抜けてる所もあるんだな。
そう考えた桃太郎はどこかホッとした顔を見せて店を出る。
その背後で、籠の中の仙桃を見た時の白澤の表情を、彼が見ることは無かった。





桃太郎が働き始めて10日が経った。
広い園内の芝刈りも終わりが見え、額の汗を拭う。汗を流すのを気持ちが良いと思えたのはどれくらいぶりだろうかと、太陽に手をかざしながら考える。
顔を前に戻し、おそらく明日で園内の芝も一通り刈り揃えられそうだと今まで対応した部分を見渡して満足そうに頷いた。
雇われた形で仕事をするのは初めてだったが、順調に進んでいるなと一人心の中で呟いて体を伸ばす。背中の籠を背負い直すと、ころりと仙桃が転がる感触。この疲れも、桃の重みも自分が動いての結果と思うと何だか最近は楽しいと思うようになっていた。

「白澤さん、仙桃の収穫と今日の芝刈り終えました」
店に入って声を掛けると、丁度白澤は女性のお客と遣り取りをしている所だった。
「桃太郎君、謝謝。ちょっと待ってて」
それだけ言うと、女性に向き直り手早く棚の中から袋を取り出す。
「君の症状だとこれが効くよ。まずはお試しで使ってみてね。一週間経ったらもう一度相談しに来てよ。
その時の体調に合ったのを改めて処方するから!ねえ、調子が良くなったら僕と遊んでくれる?」
「有難うございます!ふふ、良くなったら遊んでも良いかなぁ」
何気無く女性の掌を握りながら掛ける言葉に、その手の主も満更でもない表情で笑い返す。代金を払った女性は、何度か白澤を振り返りながら手を振って店の外へと出て行った。その姿を見ていた桃太郎は頬を掻きながら白澤を見る。
「白澤さんって、もしかして女性の方を口説くの趣味なんですか?」
「趣味かどうかは分からないけれど、女の子は皆可愛いね!大好き!あれ、僕、君の前でいつも口説いてたりした?」
思わず訪ねた桃太郎の言葉に、白澤はそう返答してきた。
俺がいつ店に顔を出してたのか記憶にも無いのか?と思いつつ、何度か見掛けた事のある客対応している白澤を思い出すと、どれも女性にお誘いを掛ける所ばかりで。二日酔いの時にも思ったが、当初感じた完璧そうな白澤の印象がここだいぶ崩れ始めていた。だが、桃太郎にとってそれは悪い事では無く、そんな白澤なら、気をあまり張らなくても良いかもしれないと思い始めていた。
そんな事を考えながら、桃太郎はぐるりと店内を見渡す。漢方名の書かれた棚、草花の吊るされた天井。ややあって、桃太郎は一人頷いて白澤を見た。
「白澤さん、俺、芝刈り明日で終わりそうなんです」
「へえ、そんな進んだんだ。謝謝!」
「だから、一段落したら今度は店の手伝いやってみたいです!」
「手伝い?」
桃太郎の言葉を反芻し、仙桃の入っている籠を手繰り寄せていた白澤の手が止まる。白澤が自分を見ると、桃太郎は大きく頷いた。
「漢方、俺にも売ったり用意したり対応できるかなって!」
店もそんなに忙しくなさそうだし、棚から漢方出して対応するくらい、白澤さんに出来るのなら俺にだって出来るだろうし、他の仕事もしてみるのも楽しそうだよな。そんな事を考えていると、白澤から声が掛かった。
「なんでまた、僕の店?」
すぐに了承が出ると考えていた桃太郎は、白澤からの予想外の質問に一瞬目を丸くした。
「え、え―と。働かせてもらってるんで、園内の仕事終わったら店も手伝ったら良いかなって、思ったんスけど…」
一応答えてみると、白澤は笑みを浮かべたまま口を開く。
「僕のお店では漢方を扱ってるのは知ってるよね。手伝いって、店番だけ?処方もしてみたいのかな?」
今までこんなに質問をしてきた事無いのに、何でだ?
質問を次々に返してくる白澤に内心首を傾げながら桃太郎は頷いた。
「えっと、処方までできたら楽しそうかなとは思いました、けど。あの、何か?」
笑顔はいつもと変わらないのに、何故か感じる違和感。微かに心配の首が擡げる。
「ふうん」
白澤の笑顔は、変わらない。その笑顔のまま、白澤は籠の中から仙桃を取り出して一瞥する。やがてカウンタ―の端から短いナイフを取り出すと、素早く剥いて切り分け始めた。
「桃太郎君は、漢方についての知識はあるのかな」
「いや、ほぼ無い状態ですけど」
「知識はどこから得る予定かな?」
「え?」
手元の仙桃だけに視線を注ぐ白澤を見ながら桃太郎が怪訝な顔になった時、おいでと白澤が優しく足元に声を掛けると店内にいるウサギ達がカウンタ―に現れた。更に手の上で小さく切り分けた桃をその口元に差し出すのを見て、桃太郎は首を傾げる。
「あれ。ウサギ達に上げる為に必要だったんスか?」
「いいや、違うよ。単に薬に使えない仙桃をおやつ代わりにあげてるだけ」
「…は?」
桃太郎を見ることなく告げられた一言は、とても軽い口調だったが、桃太郎の脳髄を揺らすのに充分だった。
「―そ、んなの、俺、聞いてない」
「何がだい?」
「仙桃を、薬に使うとか」
「うん、そうだね。聞かれてないから答えなかったよ」
「聞かれてないからって、そんな!」
「君は、仙桃を持って来てくれた。その中で使えるのだけ、薬に使わせてもらってるだけ」
白澤が桃太郎を見る。いつもと変わらない笑顔。そのはずなのに、何故だか背筋が一瞬震える。
「君は、自分で判断して、取ってきてくれたんでしょ?」
「だ、だって、取ってきてくれとしか言わなかったじゃないスか!」
「僕は聞いたよ。どれを取れば良いのか、分かる?って」
返された言葉に桃太郎の言葉が詰まる。思い出せば、仙桃の収獲を引き受けた時に聞かれた事があった気がする。
「で、でも、それなら持ってきた時に言ってくれれば!」
「君はこれで良いですかって、聞かなかったと思ったけど?」
また言葉に詰まる。
同時に徐々に頬が熱くなって行くのを感じて、眉間に皺が寄っていく。
何なんだよ、俺が悪いって言いたいのか。何も言われなければそれで良いって、普通思うだろ!?
黙り込んだ桃太郎を暫く見つめた白澤は、手を拭きながら席を立ち、カウンタ―の奥から何かを持ってくる。
「漢方、やってみたかったらさ。この本を読み切ったら、良いよ」
人の良さそうな笑顔が、桃太郎を見下ろす。この笑顔がこんなにも冷たく感じるのは何故だ。
つい先程まで、この人とならもう少し気兼ねなく話せるかもなんて思っていたのに。仕事は楽しいと思っていたのに。
何故だ。何故だ。

「―帰ります!」

視線を先に逸らしたのは桃太郎だった。
そのまま、引ったくるように白澤から本を掴み取ると、桃太郎は勢い良く踵を返し店の外へと飛び出していた。

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【三】

燻る胸の内のまま家へと辿り着いた時、ほぼ走って家まで戻ったせいか息が上がっている事に気が付いて、小さく舌打ちをする。
何で、俺が、こんな気分にならないといけないんだ。俺が何をした?ちゃんと仕事してたじゃないか。
緩慢に扉を閉め、溜息を吐く。深呼吸しながら息を整え、片手に抱えていた本をしばらく見下ろす。
もう一度深呼吸をして、本を開いた瞬間、ペ―ジを捲った手が止まった。ぽかんと口は開いたまま、何ペ―ジか捲る。やがて、眉間に皺が寄っていった。
「こんなの…!」
低く呟き、思わず本を叩きつけたい衝動に駆られ寸出の所で手を必死に止める。押さえつけた片手が震えて、胸の中で様々な感情が混ざり合って頭に血がまた上っていく。

その本は、桃太郎が見慣れた漢字の中に、見た事もない漢字が多く並んでいた。

――全て、日本語ではなく中国語で書かれていた。

「―読めるわけないだろ!」

叫んで本を閉じ、苦々しく本を見下ろす。
数時間前まではあんなに楽しく思えていた仕事なのに、何でこんな気分になるんだ。白澤さんは良い人だと思っていたのに。
何が原因なんだ、と考えても答えが出ない。
納得いかない事があるのならその場で言ってくれれば俺だって。そうだ、白澤さんは何も言ってくれなかったじゃないか。何も言わない利点はどこにあるんだ、非は俺にあるのか、違うだろ、白澤さんにもあるじゃないか!
そう叫びたくても伝える相手はここにはいない。いや、今は顔は見たくない。

この本を読み切るなんて無理な話だ、と思ったが、ここで諦めるのも負けたようで癪だと唇を噛む。だが、中国語なんてわかるはずもない。
その時、ふと昔に尋ねてきた亡者が言っていた言葉を急に思い出した。

『天国に、本を借りれる所があって、そこにも桃太郎さんの話が置いてありましたよ!』

本が借りられる所。
そこなら、何か調べたりできるだろうか。
そう考えれば居ても立っても居られず、本を持って外にまた飛び出していた。






*****


闇雲にただ、走っていた。

しかし、ふと。我に返って速度が弱まる。
亡者の言っていた場所とは、何処なのだろうか。
足はとうとう勢いをなくして地面に止まる。
行き先も分からず飛び出したのか、俺は。

…何してんだ、俺。

完全に我に返り、周りを見渡してみると、まだ見覚えのある景色に、そう家から離れていない事が分かり、多少安堵して息を吐く。しかし、探している建物の名前は疎か、外見も場所も聞いた事が無いのに気がついて天を仰ぐ。
胸の気持ち悪さが消えない。頭に上った血がまだ落ち着かない。
…どうしろってんだよ。
怒りなのか、悲しいのか、悔しいのか。どの感情が一番しっくり来るのか、桃太郎にはよくわからなくなっていた。


どれくらい呆然とその場で立ち尽くしていただろうか。
急にポンと肩を叩かれ、跳ねるように振り返ると、後ろに居た見知らぬ人物もビクリと体を跳ねさせた。
「あ、すみません、そんな驚くと思わなくて。あの、そんな立ったままで、どうしました?」
驚きつつも、そう声を掛けられて桃太郎はハッと目を開いて我に返る。どれくらい時間が経ったのだろうか。また溜息をついて声を掛けてくれた人物を見つめ、また息を飲んだ。
そうだ、もしかしたら。この人が知っていたりしないだろうか。
「あ、あの」
「はい」
にこやかに笑みを返され、咄嗟に目を逸らす。どう聞けば、良いのだろうか。知っているのだろうか。
「えっと、ですね。本を…」
「本を?」
オウム返しに聞き返され、桃太郎は大きく頷くともう一度目の前の人を見た。
「本を、借りれる所があるって、聞いたんですけど…どこにあるか分からなくて」
「ああ、そんな事ですか!知ってますよ、案内しましょうか?」
「え、良いんスか?」
「ええ、もちろん」
爽やかに笑いながら言われた言葉に思わず笑みが零れた。天国にいる人物の気性の柔らかさと人の良さにホッとし、案内まで引き受けてくれた事に心底礼を言いたくなっていた。






教えてもらったその場所は家から思ったよりも離れていない場所にあった。
連れて来てもらった人と別れ、中に恐る恐る入ってみる。建物の中は天井まで届く本棚がびっしりと並び、その中に様々な書物が収納されていた。見た事の無い蔵書数の圧巻さに思わず口をぽかんと開けたまま棚の間を歩く。
目当ての本を探さないと、と思ったが異国の言葉を調べるには何の本を見つけ出せば良いのだろうかとはたと考える。歩きながら、上へ下へと視線を彷徨わせていると、服の端が何か引っかかった。
何だろうと体を捻った瞬間、背後で何か落ちた音がして慌てて振り返ると服の端が本に引っ掛かっていたようで、何冊か落ちてしまっている事に気がついた。慌てて拾い上げて元に戻し始めた時、一冊の本が目に留まる。
「芝、の管理…?」
それは何の変哲もない芝の管理について書かれた参考書。桃太郎の目が留まったのは、思ったよりも本の厚みがあったからだった。
芝の手入れに、こんなに書く事があるのか。
他の本を元に戻してから、白澤から渡された本を小脇に抱えて何となく開いてみる。目次に並ぶのは、芝の種類、芝刈りの方法から月ごとの手入れなど多岐に渡る項目。
せっかくだしと、芝刈りのペ―ジを開く。そこには図解付きで芝の刈り方が書かれていたのだが、そこで思わず体が強張った。
図解付きで細かく書かれたペ―ジ内には、刈る時の高さ、刈る頻度の注意が書かれていたのだが、刈る時の高さの説明から目が離れない。
「生長点を切ると、芝が傷つく…?」
図で書かれている生長点とは、芝の緑の下にある白い茎の部分の境目。そんなの気にしたことがなかったし、そんな言葉も知らなかったし、芝なんてまた伸びるだろうと思って緑の部分をほぼ刈っていたのを思い出す。
果たして自分が刈った部分は大丈夫だっただろうか。桃園の芝を傷つけてはいなかっただろうか。
「……こんなの、知らない」
自分で呟いた言葉に思わず眉間に皺が寄る。
芝の刈り方なんて、長くなった所を刈れば、より短く刈れば十分と思っていた。
今の、今まで。
ふと棚を見上げると、そこは園芸書が並ぶ棚だった。無意識に背表紙の文字列を確認し始めると、探していた文字を見つけて思わず手を伸ばす。
手に収まったのは、桃の管理の本。それも、分厚い本だった。
芝の本を傍らに置いて、目次で確認すると慌てて収穫について書かれたペ―ジを捲ってみる。
「香りが出てからが収穫時期…」
書かれている収穫の目安の言葉を読み上げて、視線をそこから移動出来なくなった。
実が桃色になっていれば良いのだと、思っていた。どのくらいが収穫に向いている実なのかなんて、食べれそうと思ったら、十分と思っていた。
香りなんて、気にした事が無かった。
ハッと気が付き、棚を見上げて再度右から左へ探してみるが、ただの桃について書かれた本はあれど仙桃についての本なんてどこにも、見当たらない。仙桃の事を確認したいのに。
いや、そもそも、仙桃はどこにでも生えるものではないのではないだろうか。桃源郷など一部でしか生えない門外不出の果物では無いだろうか。
そこまで考えて、また動きが止まる。
仙桃と桃の違いも、いや、違いがあるのかどうかも、知らない。そもそも、仙桃についての知識なんて、それこそ皆無じゃないか。

それなのに。

俺は、自分の知識で十分と、思っていた。


気がつくと、吸い寄せられるように、目についた芝と桃の管理の本を取り出してはペ―ジを捲る。

知らない事ばかりが本の上に現れる。ペ―ジを捲れば捲る程、自分が知らない事がこんなにもあるのだと思い知らされて愕然とする。

芝刈りも。
薬に使う為の仙桃の収穫も。
ましてや桃の知識も。
自分が知っていて役に立てる知識は、一つも。

(無かった)

「…」

床に座り込んで呆然と目の前に無造作に開かれたままの何冊もの本を見つめる。胸の内がまた、掻き混ぜられて気持ちが悪くなる。
「教えて、くれれば…」
そこまで呟いてすぐに口を閉ざした。

違う。

違う。

心の中でそう呟いて両手で顔を覆った。
思い出したくない、分かった、分かったから、事実を突きつけないでくれ!
そう思っても、脳は少し前の記憶を引っ張り出してくる。

思い出した記憶の中で、白澤は桃太郎に、同じ言葉を紡いでいた。

何度も、何度も。

『分かる?』

白澤は、教えが必要かどうか、桃太郎に聞いてくれていたのだ。
その一言がどんなに大事だったのか、まるで責めるように記憶は何度も質問する白澤をフラッシュバックする。
桃太郎が白澤に確認する機会は何度とあったのだ。

その機会を全て潰したのは。

「…俺だ…」

思わず呟いた言葉は、想像以上に胸を抉った。

初めて会った日は、仕事内容は分かるかと。
一日目の時は、芝刈りの方法が分かるかと。
桃の収穫を始める時も、どれを取れば良いか分かるかと。
都度、白澤は聞いてくれていた。
それだけじゃない。
帰りの挨拶の時にも、どんな感じ?と毎回聞いてくれていた。

それを全て台無しにして、自分勝手に動いていたのは、誰でもない。
自分自身だ。



『知っていますか。肯定しかしない人達に囲まれた人間の話』



唐突に鬼灯に言われた言葉が頭に蘇り、今は地獄にいる親友達が脳裏に現れる。
何度も、諌めようとしてくれたり、注意してくれようとしていた姿を思い出して顔が歪む。最終的に、どんな話であろうと彼らを無理やり肯定させていた自分の姿が過って唇を噛む。

自分が正しい、間違ってない。
そう思い込んでいた。
それが正しくないと教えてくれなければ。
いや、その注意を聞こうとしなければ。

『その人間は、最後に何が正しいのかわからなくなり破滅の道を歩むんですよ』

「その通りだ…」

此処には居ない、鬼神の声に1人、返事を返すと、顔から両手を外した。

『今の話の最後が何故そうなるのか、少しは貴方の頭で考えてみなさい』

鬼神の言葉に耳も傾けなかった自分に悔しさが募る。
あの時は何を言っているのか、理解出来なかった。
でも、今は。
苦しい程に理解が、出来る。

いつの間にか。
もう思い出せない程に、随分と昔から。
与えられるのが普通と思ってしまっていた。
与えられるものを受け入れてだけいれば、自分が進む道に間違いは無いのだと、思い込んでいた。

英雄と囃し立てられてから、俺は誰かに。
何かを教えて欲しいと。
頼んだ事が、あっただろうか。

(――――いや、無い)

自分自身に返答した言葉に、再度顔を覆う。

聞かなくとも、俺はできると。思っていたんだ。


傍らにあった、白澤から渡された本をもう一度、開く。
目に飛び込むのは、見知らぬ異国の漢字。
聞こえるはずのない声が、耳元で聞こえた。

『分かる?』

分かるわけが無い。
白澤に何が知りたいと教えを請う事も、漢方の事も碌に調べもしていないのだから。

「分かりません…」

零れた言葉は人気の無い空間に溶けて行った。










腕一杯に本を抱え、暗くなった外を1人、ふらりふらりと歩む。
朧月夜の空の下、自分の影も覚束ない。

(からん から)

歩く度に音がする。

(からん から からん から)

自分の中から、音がする。

(からん から からん から からん から)

ああ、なんて、中身の無い音なんだろうか。

だけど、この音が。
これが、今の俺だ。


桃太郎にしか聞こえないその音は消えることなく。

いつまでも、体の中から聞こえていた。

(からん から からん から からん から からん から)



それは、何百年もの間

桃太郎の中で、誇っていたものが

零れ落ちていく音だった
 

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