秋生(鮭の丸焼き)

萌えが滾った時に細々と投稿させて頂くと思います。
好きなジャンルは多種なので、雑多になりそうですがよろしくお願いします!

なお、pixivでは投稿しずらいものをこちらに投稿させて頂こうと思っております。

投稿日:2016年03月29日 00:26    文字数:19,670

【白桃】空っぽの英雄【終】

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空っぽの英雄の続きで、4つ目の終わりの話になります。
白澤“様”と呼ぶようになった桃タロー君と白澤さんの過去の話で、色々と捏造しておりますご了承ください。
【壱】【弐】【参】を読まなくても多少読めるかもしれませんが、所々が続いています。

<注意>
 ・白澤さん/桃太郎君と呼びあっており、途中まで原作通りの呼び方にはなっていません。
 ・桃太郎君は600年間見栄張って生きていたんだろうなという自己解釈から始まった話なので、それが話の根本になっております。

桃太郎君が白澤「様」と呼ぶこと、弟子入りした経緯を考えて自分なりにこんな展開だったらなーなんて思って書いた話でした。
1 / 3

英雄と囃し立てられたその者には誇りがあった

ある時

何かが ぽろりと 落ちた

彼は手を見た その手の中にはまだ残っているものがあった

何だ 何でもないじゃないか

彼は笑った

ほらみろ
まだ俺の手の中にはまだ残っているぞ

その唯一残っていたものを彼は大事に抱えた

それが何なのか
確かめることはせずに



――それが ただの見栄と気が付いたのは


からん、


手から 零れ落ちてからだった


落ちた際に軽い音
そこでようやく落としたことに気が付いた

慌てて自分の手を見る

抱えていたものが見つからない

裏を返してもう一度見る

やはり 何も見つからない

今度は手を振ってみる

かあん、かあん、

鳴るはずのない 空洞な音がそこから響いた

そこで彼は初めて気が付いた

もう  誇れるものは

彼の中に

――桃太郎の中に

何も 残っていないのだと









【一】

まだ陽が昇って間もない時刻。
桃太郎は仙桃園の中心で地面にしゃがみこんでいた。手に取るのは、自分が今まで刈った芝。
言葉を発する事もなく歩を進め、次々に芝を手に取って見つめる。
やがて背の風呂敷から一冊の本を出し、ペ―ジを捲った。それは芝の管理について書かれた本だった。
じっ、と開いたペ―ジと芝を見比べる。
暫くしてから本を風呂敷に包み傍らに置いた。本の代わりに握られたのは手に馴染んだ鎌。
微かに躊躇うような手付きで芝を手に取り、表裏を確認し無言で一列刈り取っていく。一回一回、確かめるような、丁寧な手つきで。
一列終えた所で、大きく息を吐いた彼は後ろを振り返った。
振り返った先には印象の異なる芝が並んだ。
右には昨日まで自分が刈った芝。左は先ほど刈った芝だ。
緑より下の白い部分が見え、隙間から下の土が見えているのは右側。左側は遠目にも緑色だけが均等に並ぶ。
誰の目にもどちらが綺麗に刈られているかは一目瞭然だった。

「全然、違う……」

半ば茫然と。
桃太郎はそう呟き、ただ芝を見つめた。


どれくらいその状態だっただろうか。


陽の位置が少し移動し、木々の間から漏れる陽の光が桃太郎の顔に当たる。
その光にハッと我に返った桃太郎は下に置いていた風呂敷からもう一冊本を取り出し、鎌を置いて仙桃の木に近づいた。
それは、桃の管理について書かれた本だった。
実っている仙桃に触れて顔を近づける。赤みが強いと思えても香りがほとんどしないものもある。逆に赤みが強くなくても香りが強くなっているものがある。
柔らかさ、硬さは触って分かる感触だが香りについては今まで気にならなかった事。仙桃から手を離し、改めて本を手に取り視線を落とす。
ぱらり、ぱらりと本を捲る。俯いた桃太郎の表情は前髪に隠れて見えない。
やがて本を閉じると、再度風呂敷に本を包んだ。その風呂敷に手を重ねて目を閉じる。
今まで間違っていないと思い込んでいた芝刈りも仙桃の収穫も、自分の知らない事ばかりだった。
正しいやり方と見比べてみれば、一目で分かる程の違いがあった。
そして、改めて桃太郎は実感した。

自分が、与えられた仕事を全くできていなかった事を。

目を開けて真っ直ぐ前を見る。「極楽満月」と書かれた看板が視界に入る。
その瞳が揺れて、視線が外れる。
無意識にしてしまったその行動に慌てて首を振った。
大きく息を吸い込むと、両手が勢い良く左右に延びる。

パシン!

乾いた音が仙桃園に鳴り響いた。
己の頬を打ち鳴らした両手を外さずに、ゆっくりと目を開く。

「……行くぞ」

挑むような口調でそれだけ言うと、風呂敷を背中に背負い直し。
一歩、前へと踏み出した。


その足は微かに、震えていた。








【空っぽの英雄 (終)】








扉に掛けた手が微かに震えているのを見て、口の中で小さく舌打ちをする。
落ち着け、落ち着け。口の中で唱える。
まるで呪文だなと頭の隅で思いながら大きく息を吸った。
目を閉じれば中から聞こえて来る物音。白澤がそこにいる。
瞼を開いて扉を見つめ、やがて。大きく息を吐くと、扉に掛けていた手に力を入れた。

「お、はよう……ございます」

扉を開け、声を掛けるとすぐに中に居た白澤と視線が合う。
びく、と桃太郎が肩を跳ねさせたが白澤の方はそれを気にする様子もなく、目を弧の形に細めた。
「ああ、おはよう!」
白澤から出てきたのは、全く昨日と変わらない笑顔と言葉。
それを見た桃太郎は、一瞬で頭の中が真っ白になっていた。
予想していた反応とはかけ離れた白澤の反応に次の行動に移す事が出来なくなっていた。
「ん?どうしたの桃太郎君」
入口を開けたまま微動だにしない桃太郎に白澤は首を傾げる。
白澤の表情には昨日の帰り際に見せたような複雑な感情が垣間見える様子はなく、いつもと何も変わらない。
まるで昨日の事が無かったような。そう桃太郎の心の中に言葉が浮かんだが次の瞬間、急いで首を振った。
そんなわけがないと、肩に掛かる本の重みが教えてくれている。
「――――あ、の」
辛うじて喉の奥から声が出た。
白澤は表情を変えず、微笑みを浮かべたまま「ん?」とまた桃太郎の言葉を待っている。
白澤の心境は分からない。けれど、言わなければいけない事は一つだ。
桃太郎は大きく息を吸うと、足を揃え勢いよく頭を下げた。
「本当に、すみませんでした!」
出てきた声は裏返っていて、己の耳に届いたその声のみっともなさに頬が熱くなるのを感じた。
視線を感じ、顔を上げられなくなる。どくどくと心臓から血流が勢いよく体中を巡って痛くなる。
口の中の水分を吸い取られたように、乾いてしまった舌をどうにか動かして口を開けた。
「俺、何も知りませんでした。
  ……知った、つもりでいました」
身体を巡る血流に針が紛れ混んでいるかのような小さな痛みを体中で感じ、顔をしかめる。
自分の間違いを認める事が、こんな痛みを伴う事も知らなかった。
下を向いている為、浮き出た汗が額から流れて床へと落ちる。
「それなのに、勝手な事を沢山、してしまっていました」
昨日の、いつもと違う表情を浮かべた白澤の姿が思い浮かぶ。
今、彼はどんな顔で俺を見ているんだろうか。
「……こんな事、また、お願いするのは、あの。
……おこがましいにも、程があるって分かっているんですが」
そこまで言って、思わず小さく息が漏れる。
あと、一言。あと、一言だ。
鼓舞するように心の中で呟き、風呂敷の結び目を握っていた手に力を籠める。
「もう一度、やらせて下さい」
そこまで言って頭を振る。
――――違う、言いたい言葉はそうじゃない。
「違う、そうじゃなくて。あの、俺にっ」
慌てて訂正の声を出せば、また声が裏返る。音も無く床へと落ちる滴を視界の端に捉えながら、深呼吸。喉の奥がひりついたように痛い。
「芝の管理と、仙桃の収穫方法を、教えてもらえませんか」
言い切った瞬間、身体を巡っていた針のような血流が少し速度を弱める。しかし、まだ刺す痛みも、乾いた口の中も変わらない。
本当は顔を見て言わないといけない、と分かっているのだがまるで固定されたように体が動かない。
かた、と前方から音がした。
また、ズキズキと針が体を巡る。下を向いた視界の端に、それまで見えなかった白澤の足が見えた。しかし、その足は桃太郎の前で止まる事なく隣を過ぎ去って行く。

――やはり、ダメなのか。

自分で思った言葉に頭をガツンと殴られたような衝撃を覚え、ふらつかないよう慌てて桃太郎が唇を噛み締める。
その時だった。

「ねえ」

隣を過ぎ去ったはずの白澤の声がすぐに後ろから聞こえ、身体が跳ねた。閉じてしまっていた瞼が開く。
「まだ昨日まで手を付けてなかった、芝の所」
いつもと変わらない柔らかい声音の白澤の声。しかし掛けられた言葉がすぐに理解ができず何度も目を瞬かせる。

――あれ、今、俺、声を掛けられてるのか

そう気が付いた瞬間、固定していた見えない力が消えて慌てて体を起こす。勢いのまま振り返ると、白澤は開けっ放しの扉から外を見ていた。後ろ姿しか桃太郎には見えず、その顔は見えない。
「今朝、刈ってきたの?ほら、昨日と刈り方が違う」
「あ、あの……。は、はい」
質問につられて返答すると、急に白澤が体の向きを変えた。桃太郎と視線が合う。
その顔に浮かんでいる表情はいつもの微笑みだった。
まさか微笑んでいると思っていなかった桃太郎は、また動けなくなる。
「偉いねぇ!」
――――偉い?
次いで掛けられた言葉は更に理解ができなかった。
口の中で反芻して、やっと言葉を理解する。しかし、その意味が飲み込めず、ただ白澤を無言で見返す。
今、この人、「偉い」って、言ったのか?
何がだ?何が、偉いんだ??
「あの刈り方は自分で考えたの、それとも調べたの?昨日の刈り方と全然違うよね」
「あ、の、本で調べて……」
しどろもどろになりながらもどうにか返事を返した桃太郎だったが、整理ができず頭の中は再度真っ白になっていた。
「よく調べてみようって思ったね」
それを、偉いと言ってくれている、のか?
整理のつかない脳内でそれだけ思い付いたが、どうもしっくりと来ない。
戸惑う桃太郎に気がついていないのか、白澤は笑顔を変えずに言葉を続けた。
「本でも知識を得られるけど、それでも僕の教えは必要?」
掛けられた言葉。
無意識に背が伸びたのが分かった。自分が問いかけた言葉と、白澤の言葉がやっと繋がった。
笑みを浮かべた表情から、掛けられた言葉の意図はわからない。でも。
「はい」
桃太郎はすぐに返答していた。
そこに迷いは無かった。
「桃源郷は、白澤さんが今までずっと管理していた所です。本には書いてない、いや、白澤さんにしか分からない事もあると思うんです」
それは昨晩、寝ずに本を読んだ上で考えていた事だった。
「勿論、自分でも調べます。それでも文字の上の情報と、実際に作業するのって違うと思って。
だから、できれば、ですけども。俺は、白澤さんから教わりたいんです」
――言えた。
何度も目を逸らしそうになるのを必死で耐えながら言い切る事ができた。
桃太郎は唇を引き結ぶ。後は、白澤の言葉を待つだけだ。何を言われても、それは自分の今までの行動の結果だ。きちんと、受け止めないといけない。
「なるほど」
しばらく桃太郎を見つめていた白澤は、ひらりと白衣の裾を翻すと入口に向き直り顔だけを桃太郎に向けた。
そして、手を上から下へと振って桃太郎見る。
その手の動きに桃太郎は思わず目を開く。
「どうしたの、おいでよ桃太郎君」
反応しない桃太郎に、白澤は手を止めると首を傾げた。
「桃太郎君?」
「――――あ、あの!」
再度自分の名前を呼ぶ白澤に、桃太郎は思わず声を上げていた。
白澤は体の向きを変えて、桃太郎に向き直る。
「……俺の、事……その。
  怒らない、んですか」
恐る恐る、桃太郎は口を開いていた。
白澤はきっと、呆れる、怒る、そんな負の感情を見せるだろうと桃太郎は思っていた。
それなのに、先ほどから白澤の顔に浮かぶ表情は微笑みばかり。
負の感情が一切見えないその態度に桃太郎は逆に不安になり、思わず口に出していた。
「怒る?」
しかし、桃太郎の言葉に白澤は不思議そうに目を瞬かせるだけ。その姿に桃太郎はまた焦ってしまう。
「え、あの、だって、俺」
そこで言葉を区切ると、すぐに背から風呂敷を解いた。中から出てきたのは昨日、白澤に渡された本。それを真っ直ぐ白澤に差し出す。
「俺、芝も仙桃の事も知らないだけじゃなくて、勝手に漢方だってできるって言って。怒られるような事ばかりやったのに、白澤さん、その、そんな様子がない、から」
また口の中が乾いて舌が回らない。怒られたいわけではない。が、怒られて当然の事をしてきたのにと桃太郎は心の中で続ける。
しかし。
「君はまたここに来てくれたでしょう」
桃太郎の差し出した本を受け取りながら白澤の口にした言葉は、桃太郎の頭の中でまた理解ができず、口の中で反芻し、反芻した上で首を傾げる。
そんな桃太郎を見た白澤は、初めて感情が透けるようないつもと違う表情を見せた。
それは、嬉しそうな笑顔だった。
そんな笑顔を初めて見た桃太郎の目は、ただ何度も瞬く。
「僕と地獄は正式な契約を結んで君に来てもらったけど、僕と君は正式な契約はまだ結んでない。君は嫌になったらもう来ないって選択肢もあった」
白澤はその笑みを消す事なく、桃太郎を見つめている。
「それでも君は、またここに来て、僕に本を返すだけじゃなく僕から教わりたいって思ってくれた」
ふわ、と空気が変わる。そして浮かんだ白澤の表情に、また桃太郎は目が離せなくなった。
微笑みではなく、それはそれは楽しそうに白澤が笑ったのだ。
「僕が言った事を色々考えて、この仙桃園の事も真剣に考えてくれたこと。それが僕は凄く嬉しい」
目を開けた白澤は桃太郎と目を合わせる。
「だから、僕が怒る事なんて一つも無いんだよね」
「え、で、でも。今まで俺が刈ってた芝とか、仙桃の収穫は――」
「そんなこと」
言いかけた言葉は明るい白澤の言葉に遮られた。
「さっき君は教えて欲しいって言ってくれたでしょう。
  単純な事だよ、またもう一度やれば良いんだよ」
言われた言葉に桃太郎は完全に返す言葉がなくなってしまった。
どれも想像していなかった。
教えて欲しいと願っていたが、おそらく白澤の機嫌を損ねてしまった今、断られるかもしれない。それならばせめて、謝らせてもらおう。
桃太郎はそう考えていたから、こんなに好意的な反応を返されると思わなかったのだ。
最悪、辞めさせられるのではないかと思っていたのに、白澤にその様子は全く見受けられない。
桃太郎は自分より背の高い白衣の男を改めて見上げる。
出会った頃から変わらない、笑顔を絶やさない人。そして全てを受け入れるかのような態度。

浮世離れしている、ような。

――こんな人、初めてだ。

「ほら、じゃあまずは今日刈ってくれた芝をちゃんと見に行こう」

「え、あ、ちょ、ちょっと待って下さい!」

白衣の裾を翻して外へと出て行ってしまった白澤に慌て、風呂敷をカウンタ―に置いて桃太郎はその背を追いかけた。
先に出た白澤は振り返ると桃太郎が来るのを待ち、また笑いかけた。

「ほら、おいで桃太郎君!」











その日以降、改めて桃太郎は、桃源郷の芝刈りと仙桃収穫を白澤に教えてもらいながら作業をする事になった。

朝、顔を出すと今日行う事を白澤と確認。
仕事終わりの挨拶に顔を出せば、本日の作業内容を白澤に確認。
呑み過ぎて二日酔いの状態の白澤に出くわす場合は、すでに粉末になっている黄連湯の用意を手伝って。
仕事の合間に白澤も仙桃園に来て、刈り方のコツや手入れ、仙桃の収穫のタイミングなどを都度、教えてくれる。
前よりも白澤と話す機会が増え、覚えることは毎日のようにあった。

一日の終わりは、小さなノ―トに書き取った教えてもらった内容を見返す。
そのノ―トは、白澤に勧められ貰ったものだ。
お爺さんやお婆さんに教えてもらいながら、畑仕事などを教えてもらった小さな頃を思い出す。
あの頃も毎日覚えることが多くて、それがまた楽しかった。
でも、それ以降真面目に何かを覚えようとした事があったかと思い出そうとしても何も記憶に引っかからない。
――本当に、ずいぶんと。誰かに教えてもらう事なんて、なかったんだ。
小さく息を吐いて、窓の外を眺める。
この機会を与えてくれた鬼灯に小さく感謝をして、見えないその姿へと桃太郎は頭を下げた。



* * * * * *


新しい桃源郷での日々は前よりもあっという間に過ぎて行った。
しかし、桃太郎にとってはその日々は過ぎるだけの時間ではなく、一日一日が新鮮で、また、楽しいものだった。
そして様々な事を教えてくれるようになった白澤は、桃太郎に毎日驚きを与えてくれる。
一番桃太郎を驚かせたのは、その知識量だった。
一つ聞けば、二つ返って来る。何かを確認する事もなく、どの質問にも白澤はすぐに答えて詳細な説明を付けてくれる。
まるでそれは生き字引。
白澤から教えてもらう事が増える度、桃太郎は白澤の事を自分は何も知らないんだと感じていた。

桃太郎が白澤について知っている事。
白澤という名前、中国の方の生まれであろう事、この桃源郷を管理している事、浮世離れしているような性格、お酒と女性に弱いらしいという事、漢方に詳しい事。
知っているのは、たったこれだけなのである。

白澤の事も知りたい。
そんな事を白澤の隣で思いつくのだが、仕事以外の事、ましてや白澤の個人的な事を聞くのは、桃太郎は躊躇ってできなかった。

例えば、白澤に自分がもう少し認めて貰ったら。
きちんと働く事が恩返しになっているのであれば。
その時は、白澤の事を聞いてみても良いだろうか。

桃太郎はそう考える度、いや自分はまだまだだと首を振るとノ―トに向き直っていた。





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【二】

「桃太郎君、お疲れ様〜」
あくる日、仙桃の収穫をして薬局に寄ると、店の中央で白澤は何やら鍋に向かっていた。
「お疲れ様です、白澤さん」
仙桃の入った籠をカウンタ―に置くと、鍋から手を離さずに籠を掴んで引き寄せる。仙桃を幾つか取り出して手に取った白澤は微笑んだ。
「うん、収穫してくれる仙桃の質が良くなってきたね」
「有難うございます」
褒めてもらえると少しくすぐったいような気持ちで桃太郎は礼を言う。
少しは白澤の教えを自分なりに吸収できているのだと思うと、ホッとする。
「桃太郎君はさ、仙桃の木にも興味ある?」
急に掛けられた言葉に桃太郎は少し考えてから頷いた。それを見た白澤は満足そうに頷く。
「そしたら、収穫だけじゃなくて木の管理自体も少しお願いしてみようかな」
「管理も、俺にやらせてもらえるんですか!?」
「うん。やってみる気ある?」
「あります!」
「よし、じゃあ明日は木の特徴とかについても話をしようね」
その言葉に、桃太郎は白澤が自分を評価してくれたように思えて、顔が緩みそうになって首を振った。白澤の言葉一つで、こんなに嬉しくなるなんて思わなかった。
しかし喜んでばかりではいけない、気を引き締めねば、と白澤の言葉をそっと胸にしまって息を吐く。それから、ふと白澤の手元が気になった。
あれは漢方を作っているんだろうか。
あまりにじっと見ていたのか、白澤は顔を上げると笑いながら鍋を指さした。
「ああ、これ気になる?薬膳粥だよ」
「薬膳粥」
初めて聞いた単語をオウム返しにすると、白澤は「ああ」と呟くとおいでと手招く。お言葉に甘えてカウンタ―の中へ足を踏み入れた桃太郎は、鍋を覗き思わず感嘆の声を上げた。
「わあ、これが粥ですか!?俺の知ってる粥と違う!」
「という事は、君が知ってるのはご飯しか入っていない白粥の事?」
「そうそう、そうです!」
覗き込んだ鍋の中は、掻き混ぜる度にとろみのついたご飯が光に反射して煌めき、そこに食材が赤や白や黒と彩りを添えている。
「医食同源って言葉、知ってる?」
「いしょくどうげん?」
鍋から視線を外して白澤を見た桃太郎は、今度は漢字が思いつかずひとまず聞いた言葉をオウム返しにしてみる。白澤は空中にすらすらと指で漢字を書き始めた。
「医療の医に、食事の食。病気を治す薬も食べ物も、本来の根源は同じだよって事」
「医食同源」
今度は頭に漢字を思い浮かべて再度呟いて鍋を覗き込む。
「美味しく食べて健康になるって素敵でしょ?」
「なるほど…!じゃあこれは具合が悪い時に食べるお粥じゃなくて」
「そう、健康になる為の美味しい食事だよ」
「凄いですね、そんな事食べる時に考えた事なかったですよ」
桃太郎がそう返答した時、白澤の手の動きが止まった。どうしたんだろうと顔を上げると、桃太郎を見ている白澤と視線が合った。
「そういえば。桃太郎君って昼はどうしてるの?」
「家からおにぎり持って来てます」
「おかずは?」
「別に良いかなって、特に……」
桃太郎がそこまで言った瞬間、思い切り白澤が両手を交差させると驚いたような顔になる。
「ダメダメ、食事はちゃんととらないと!」
「で、でもほら亡者だし、なんかそこまで栄養気にしなくてもとか」
「何言ってんの、亡者だって具合悪くなったりするんだよ!?
あ、そうだ。今日の昼はこれ食べなよ」
「え!?」
急に提案された内容に白澤と目の前の薬膳粥を視線が往復し、再度「え!?」と桃太郎は声を出す。
「元々、女の子のお客さんに出したりしようと思って多く作ってるから量はあるしさ」
「あ、あの、でも」
「美味しくなさそう?」
「いや、美味しそうッスけど!」
思わず素直に答えてしまい、あ、と口を隠す。桃太郎の言葉にニコニコと白澤は目を細めていた。
「じゃあ、食べて行きなって。遠慮しても何も得無いよ?
それに、漢方薬局を手伝ってくれてる子が栄養失調で倒れましたなんて事になったら洒落にならないでしょ―」
「あ―……ええと……あの。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
観念した桃太郎が頭を下げると、よし、と白澤は満足そうに微笑み返した。
「じゃあ、そっちの部屋で適当なお椀出してくれる?」
示されたのは隣の部屋。扉は開けられているが桃太郎は足を踏み入れた事の無い場所だった。
「ああ、君。桃太郎君手伝ってもらって良いかな」
君?って、誰だ?
そう思った桃太郎の足元に、一匹の兎が走り寄って来た。
その可愛らしさに思わずしゃがみこみ、兎の頭を撫でると兎は耳をぴく、と動かす。しかし他に誰かが来る様子は無い。
「……兎ですよね?」
確認する意味で白澤を見上げると、別段驚いた様子もなく白澤は頷く。
「うん、兎だよ。ああ、でもペットとかじゃなくてね。この子たちはここの従業員だよ」
「従業員!?」
店内には兎が沢山居ると思っていたが、その答えは予想外だった。
言われて改めて兎達を見てみると兎達の行っている内容を認識して更に驚く。
兎達は、薬草の仕分けをしたり、中には薬草をすり潰している兎までいる。
「そう、この子達は僕のお店手伝ってくれてるんだ。バンダナをつけている子達は薬も扱えるし、つけてない子達は外で雑草を食べて畑の管理を手伝ってくれてるんだよ」
「凄い…」
こんな小さな兎達がしっかりとここで仕事をしている事に驚いて、思わず小さく呟いてしまう。
「君だってそうじゃない」
「え」
白澤の言葉に見上げると、桃太郎はきょとんと目を瞬かせた。
「僕のお店、君だって手伝ってくれてるでしょ」
当たり前のように言われたその一言に桃太郎は一瞬ぽかんと口を開け。すぐに口を閉じて俯き、兎の頭を撫でて表情を見せないよう誤魔化す。
胸の内があったかくなっている。店の手伝いが自分にもできていると、ちゃんと思ってくれていた事が単純に嬉しかった。
「あ、有難うございます。え、っと。じゃあこの子とお椀用意してきますね」
撫でていた手をするりと背中に回し、兎を抱えると多少慌てたように説明された部屋へ足を向ける。緩んだ表情を見せるのが恥ずかしくて顔は下げたままだった。
「あ、待った!そこからは住居スペ―スなんだ。そこで足袋は脱いでね」
「あ。すいません!」
「ごめんね、行き来しやすいように特に何も仕切りとかは置いてないんだよね」
振り返って頭を下げてから、兎を下ろして足袋を脱ぐ。
裸足で上がりこんで、改めて白澤の住居スペ―スに足を踏み入れた事に少し緊張してしまう。
そんな桃太郎の気持ちを知ってか知らずか、兎が肩に昇ってきた。その温かさにホッと息を吐きながら、兎の前足で促された棚からお椀を適当に二つ取り出す。
「教えてくれて有難う、って、なに?」
お礼を言ったが肩の上で兎が首を振る。このお椀では無いのだろうか。
違うお椀を二つ取ると、また首を振られる。ややあって、更に幾つかお椀を取り出して肩の兎に見せてみた。
「これで足りるか?」
表情は変わらなかったが、兎が頷いたのを見て思わず笑う。肩に居る兎と、先ほど店内に居た兎の数を思い出し、そこに桃太郎と白澤を足したのが、この数だったのだ。
「ああ、良く気が付いてくれたね!そう、この子達も一緒に食べるよ」
振り向くと白澤が鍋を持ってこちらに入ってこようとしていた。慌ててお椀をテ―ブルに置くと、目についた鍋つかみを取って手を差し出す。一瞬驚いたように目を開いた白澤はすぐに目を細めて鍋を差し出した。
それを受け取ってテ―ブルに鍋敷きと一緒に置けば、兎達がお椀を持ってやってくる。
その器用な様子に思わず頭を撫でれば兎達はまんざらでもないように鼻をひくつかせた。
「はい、桃太郎君はこれくらいで良いかな?」
掛けられた声に顔を上げると、テ―ブルの反対側でお椀にお粥をよそって差し出す白澤の姿。それを見た桃太郎は慌てて頭を下げる。
「わ、すみません手伝いもしないで!」
「お椀用意してくれてたでしょ、気にしない気にしない」
笑って再度差し出されたお椀を両手で受け取って改めて礼をした。受け取ったお椀が温かい。
「さあ、冷めないうちに食べてみて」
「あ、はい」
席に着けば、白澤はレンゲを差し出して来た。受け取れば、兎達もテ―ブルの上にお椀を置いて各々が腰を下ろしている。
「ほら、どうぞどうぞ」
「じゃ、じゃあ。頂きます!」
レンゲを持ったまま両手を合わせた。
粥を掬うとやはりきらきらと輝いていて、知っているお粥と同じと思えない。
掬った粥を大事そうに口に運んで一口。口に入れた瞬間、思わず目を開き、目の前の白澤を見つめた。
「美味しい!」
「ほんと?嬉しいなぁ」
今度は掬っていたもの全て口に入れてしまうと、自然に口角が上がるのが分かった。笑い出しそうな程に、美味しい。あっと言う間に食べてしまえばもう一口ともう一口と、掬っては口に入れて緩む頬に手を当てる。
もう何口食べたのか忘れた頃、ふと粥の中の白と赤い粒に目が止まる。先ほどから気にせず食べていたが、改めて見てみると見た事が無いものだ。
「これ、なんですか」
「これはね松の実」
「この赤いのは」
「クコの実。どっちも漢方の元にもなるよ」
「これもですか!」
思わずまじまじと見つめる。薬と言えば苦いイメ―ジがあったが、今食べたこの二つは全くそんな感じはしないし、味も美味しい。黒いのは黒ゴマだろう、どれもとてもこの粥に合っている気が桃太郎はしていた。
「薬って飲む気になれない事もあるでしょ、そんな時はご飯と一緒に食べる」
「そんな事ができるんですか」
「だってこれ自体は薬じゃないからね」
言われて確かに、と頷く。
「俺の知ってる薬による治療とかと違うんですね」
「そう、漢方は薬だけじゃないの」
桃太郎は思わず懐からノ―トを出して書き取っていた。
「そうだ、明日からのご飯もここで食べてけば?」
「え!?で、でも」
書き取った頃を見計らっていたか、掛けられた言葉に慌てて顔を上げる。白澤はいつもの笑顔で桃太郎を見ていた。
「ついでに食べた後に君の感想聞かせてよ。新しい食材で薬膳粥の組み合わせも試してみたいって思ってたからさ」
「……俺で良いんですか?」
急に提案された内容に、おずおずとそう答えると白澤は大きく頷いた。
「良いよ!だって君、美味しそうに食べるんだもん」
楽しそうに笑われて桃太郎は頬を掻いた。気が付いたらお椀の中はほぼなくなってた。

それは桃太郎にとって、本当に久しぶりに美味しい食事だった。







それから桃太郎が仙桃の収穫を届けに行くのが昼の合図になり、白澤とテ―ブルを囲む事になった。
その度に教えてもらう、生薬の数々。
時にはその効能を教えて貰い、思わず書き取る。

家に戻り、知らない名前が並ぶノ―トを見つめる。
その隣には、本。
それは、写真が多く掲載されている生薬の辞典だ。
図書館で借りたそれと、家に帰って書き取った内容を見比べるのが最近の桃太郎の日課になっていた。
名前を調べて本を捲る。教えてもらった名前の下に本に書かれた効能などを改めて書き起こす。
書き起こしながら流れるように説明する白澤を思い出す。
辞典と同じ説明を、いやそれよりももっと詳しく丁寧に説明してくれている事がよくわかった。

白澤と昼を取るようになって変わった事がもう一つある。

桃太郎はまだ朝も早い時間に風呂敷を背負って仙桃園に来るようになった。
風呂敷から取り出したのは日課に使用している生薬の辞典。
仙桃園から離れ、店の前にある畑にしゃがみこんでペ―ジを捲る。
「これかな」
呟きながら、ノ―トにメモを取ってみる。そこに並ぶのは生薬の名前。
文字を追うだけじゃなく、白澤の店の畑では何が育てられているとか。
そういう事も知りたいと思うようになっていたのだ。


白澤の元で働くようになり、桃太郎は幾つもの事を新しく覚えた。


芝の管理、仙桃の収穫と木の管理、食べられる生薬の知識。

黄連湯という漢方の漢字、白澤の店の住居スペ―スは裸足で歩く事、もっぱらものを温めるのはかまどではなく固形燃料を使用している事、兎達は従業員であること。

知っている事が増える度、知りたいと思うことも増えていく。
少しずつだが、白澤は認めてくれているのだろうか。桃太郎は知りたい事が増える度、自分に問いかける。
問いかける度、中国語で書かれた漢方の本を差し出された時を同時に思い出す。
何があの時いけなかったのかと、改めて桃太郎は考えるようになった。
少しずつ白澤の性格が分かってきた桃太郎は、おそらく仙桃と芝だけであれば白澤にあの態度をさせる事はなかったのではないかと思っていた。
すると、あの行動をさせてしまったのは自分が漢方の事を口にした為で。
薬膳粥がきっかけになって、調べれば調べる程漢方は奥が深くて、そして。
桃太郎はそこで一旦思考を止めて辞典を見つめる。生薬の数々がそこに書かれている。
――白澤が伝えたかった事。
桃太郎は、これではないだろうかと思い当たることが心の中に出来ていた。しかし、まだそれに自信が持てない。

そこをきちんと理解した時、白澤にもう一度。
漢方についても教えてもらえないだろうかと再度、頼んでも……良いだろうか。
そう考えて桃太郎は唇を引き結んだ。

まだまだ、それを頼むには早いと心の中だけで呟いた。






* * * * * *


朝の日課が増えて、数日経ったある日。
いつものように朝早くから店の周りに生息している生薬を調べていた時だった。

「――あれ」

さく、と芝を踏む音が聞こえて桃太郎が振り返った瞬間、その目がぎょっと開かれた。
声を上げたのは、まさかこの時間に外に居ると思っていなかった白澤だった。
「桃太郎君、どうしたのこんな朝早くに?」
「え、と、俺は」
白澤の手元にはおそらく摘んだばかりと思われる生薬が小さな籠の中に入っている。自分は、と言われてどう答えればと言葉に詰まっていると白澤は桃太郎の手元に気が付いた。
「それ、もしかして生薬の辞典?」
桃太郎は小さく頷くと立ち上がり、少し躊躇ってから辞典とノ―トを差し出す。
まさか会ってしまうと思っていなくて、どんな反応すればいいのかと先ほどから頭を回転させるが良い言葉が出てこない。
白澤は傍らに籠を置くと、差し出された辞典とノ―トをしばらく見比べてから顔を上げた。
まだ頭の中が整理できない桃太郎が言葉を悩んでると、白澤は受け取った物を返しながら口を開いた。
「生薬、自分で調べてたんだ」
桃太郎は、また無言で頷く。白澤の表情は変わらない。
「漢方、興味があるのかな?」
白澤に問われた瞬間、脳内に蘇ったのは中国語の本を差し出された時の事。
ノ―トを握りながら桃太郎は先ほどまで考えていた事を思い出す。いつかは言いたいと自分は思っていたのだ。きっと今が、その時なんだと思った。
辞典を見つめる。深呼吸して白澤の目を見返す。
「白澤さんの薬膳粥を食べさせてもらいながら、生薬を教えてもらって。それから調べてみるようになりました」
桃太郎はノ―トを何ペ―ジか捲る。書き出した調べた生薬や効能が並ぶ。
「民間療法の延長みたいだな、って思ったのが始めで。そこから調べていく内に、食べ物にも合う合わない組み合わせがあるって思い出して。それがちゃんと意味があるんだって調べているうちに分かって」
そこで口を閉じると、もう一度視線を白澤に戻す。
「俺、初めて漢方の手伝いをしたいって言った時、そんな事も知らなかった。人の体調を左右する事なのに、簡単に考えていたって分かりました」
白澤は、じっと桃太郎を見たまま。表情は変わらない。
「だから、改めてきちんと学びたいって思ったんです。」
仙桃の収穫、芝刈りだけなら人の体調を左右する事は無い。
でも、漢方は違う。人の口に入るものだ。それを責任が持てない状態で触っていけないのだと思った。だからこそ、あの時、白澤は態度は他の時と違ったんだと、桃太郎は生薬を調べるうちに思っていた。
白澤は桃太郎の言葉を聞いて、ふと足元に置いていた籠を持ち上げる。その中には幾つかの種類の生薬が入っている。
「漢方は処方によってはその人の体調を悪化させてしまうし、簡単な気持ちで扱ってはいけない。言葉では分かっていても、それを理解するのって意外に難しいものなんだよ」
そこで一旦言葉を区切った白澤は桃太郎に笑いかけた。
「食べ物の組み合わせでも良い悪いがあるって、よく気が付いたね。そう、根本は同じ事だよ」
その言葉に桃太郎はグッと喉が詰まる気がした。
伝わったんだ、と思った。桃太郎の中でずっと残っていたあの日の出来事が少し、軽くなる。
込み上げてきたものをどうにか息を飲みこんでやり過ごした。
まだ、自分には白澤に伝えたい事がある。
「俺、生薬を調べているうちに、もっと知りたいって思いました」
昼を同じテ―ブルで囲むようになった日を思い出す。胸のあたりを軽く握る。
「だから、あの、俺に、漢方を」
そこまで言って、また喉が急に乾いて唾を飲み込む。舌が乾いて回りにくくなる。
頭を振り、すう、と大きく深呼吸をした。逃げるものか、と心の中で呟く。

「漢方を、教えてくれませんか」

桃太郎は言い切った。白澤をじっと見つめる。

「僕から学びたいの?」

笑顔だが心情が読みにくい表情を浮かべる白澤と視線が合う。
桃太郎は背筋を伸ばして、大きく頷く。

「白澤さんから、学びたいんです」

桃太郎はもう一度、ノ―トを白澤の前に差し出してそこに視線を落とす。
「俺は、自分に足りないのが何なのか、わかってなかった。
気づかせてくれたのは白澤さんです。今の俺があるのは、白澤さんのおかげなんです」
白澤からもらったノ―トには、白澤から教えてもらった知識が溢れている。
見守ってくれる白澤にどれだけ励まされたか。前に進めたか。
「だから、白澤さんに、俺は教わりたいんです。
――だから、どうか、お願いします」
その気持ちを胸に、頭を下げた。
視界の端の入る白澤の靴。初めて謝ったあの日を思い出す。

先ほどまで勢いで話していた脳内が落ち着いてきて、逆に胸が早鐘を打ち始める。また、血がどくどくと体中を巡る。
やがて、視界の端で白澤が籠を掴んだ。それを持ち上げた手が視界から消え、こちらを向いていた足が方向を変える。

「等我一下」

――え

咄嗟に顔を上げると、白澤は早足で店の方へと歩き出していた。その後ろ姿を茫然と見つめる。
何を言われたのか分からない。
分かるのは、白澤が背を向けて去ってしまった事。
俺は、また何かしてしまったんだろうか。
必至に先ほどまで喋っていた内容を思い出すが、思いつかない。

勝手に、きっと、また笑ってくれると思っていた。

視線が低くなり、ハッと我に返る。地面に崩れるように座り込んでしまっているとその時に気がついた。消えてしまった後姿を探してしまい、その視界を覆うように片手で顔を隠す。
次、どんな顔して会えば良い。またきっと白澤はいつもの笑顔で迎えてくれるだろう、でも、でも――――

「桃太郎君!」

「!」

聞こえた声に肩が跳ねる。こちらへ歩いてくる音が聞こえる。
それは消えたはずの、靴の音。
恐る恐る顔を上げれば、白澤が店からこちらに歩いてくる。

何で?

座り込んだまま白澤を見つめていると、白澤は座り込んでいる桃太郎に手を差し出した。その手を理由がわからず桃太郎はただ見つめる。
その手に握られていたのは、一枚の布だった。

「これ、桃太郎君のね」

俺の、とは。どういう事だ。

――白澤は、白澤の表情は。

慌てて視線を上に移動した桃太郎は、視界に捉えた白澤の表情に何度も瞬きをする。
ふわりと。見た事のない柔らかい笑顔で白澤は桃太郎を見つめていた。

「君の、三角巾だよ」

バンダナをつけていた兎達が従業員だったと白澤が話していた事を思い出す。

「明日から、お店でも宜しくね」

微かに視界が滲み、一瞬意識を外そうと目を瞑って深呼吸をする。

――認めてくれたんだ。

そう思って、握った拳で目を勢いよく擦る。
ゆっくりと目を開けば、白澤の手の中の三角巾が視界いっぱいに広がる。
膝に力を入れて、ゆっくりと立ち上がった。
白澤の手の中の三角巾へと手を伸ばした。触れれば白澤の指が開き、桃太郎の指へと移る。
バンダナではなく、真っ白な三角巾。

――白澤と、同じ三角巾だ。

自分の手に移ったそれを強く握りしめ、桃太郎は背筋を伸ばす。そして深々と頭を下げた。
「有難うございます、俺、頑張ります……!」
込み上げてくる様々な感情が頭と胸の中でぐるぐると回り、やがて。一つに纏まったのを感じて頭を上げる。

「宜しく、お願いします。……白澤様」

するりと、出てきた白澤への尊称。

“白澤様”

尊敬と、お礼と、お詫びと。
全てが混じって、その呼び方が桃太郎の中ですとんと胸に落ちた。
名を呼ばれた白澤は、一瞬目を開いた後。やがて、目を細めて笑った。

「うん、宜しくね桃太郎君」

自然と伸ばされた白澤の手に、桃太郎も手を差し出す。
握手が交わされると、二人で同時に笑い合っていた。



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【三】

「――こうして、桃太郎は白澤の弟子になりました。
 空っぽだったその人間は、600年掛けて、ようやく。
中身を得ることができたのです。

 ……これにて、空っぽだった彼のお話は、おしまい」

桃太郎はそう言い終えると、細く長い息を吐いた。
顔を上げれば、少し月の位置が動いている。話を始めてからどれくらいの時間が経ったのだろか。
視線を下げれば、ゆらゆらと温泉の湯気が夜空を背景に揺らめいている。
それはいつもの桃源郷の風景。

それが自分にとって「いつも」になって、どれくらい経ったろうか。

「……な―んて――」

照れたように頭を掻いてそこまで言った時。
ぱちぱち、と静かなその場所に拍手の音が突如響いた。
桃太郎の目がぎょっと開き、咄嗟に口が閉じる。

いやいや、さっきまで隣は寝息まで立てていた、よな?

そう思っても聞こえる拍手の音は自分の左隣。つまり、眠り込んでいる白澤の方向から。

「……」

恐る恐る、桃太郎は顔を左に向ける。拍手の音はいつの間にか止んでおり、隣の白澤は腰掛に横になって寝ていて顔が見えない。
眺めているだけでは分からないと桃太郎は思い、腰を少し上げて隣に近づく。確かめたいが確かめたくないなんてぶれる感情のまま、やはり恐る恐る顔を近づけた時だった。微かに白澤の首が動いて髪の隙間から覗いた瞳。
その瞳はパッチリと開いて桃太郎の瞳とぶつかる。

「――って、おおおおおい!?」

二秒程白澤と見つめ合った直後、桃太郎は思わず叫び腰を思い切り引き。勢いよく引きすぎたその体は、短い腰掛から転げ落ちていた。
「うわ、桃タロ―君、大丈夫!?」
「大丈夫じゃない、色々大丈夫じゃない!!」
大した衝撃では無かった為、すぐに腰掛に上半身を持ち上げた桃太郎だったが、白澤の言葉にすぐに叫び返す。
顔を上げれば、自分を見下ろす白澤の姿。その顔からほぼ消えている酒の気配に顔をしかめる。
「……あの」
「ん?」
「……いつから聞いてたんですか」
「え―とね。むかしむかし、の所から」
「始めからじゃね―かぁぁあああ!!って、え、だって寝てましたよね!?寝息立ててましたよね!?」
「うん、寝てたんだけど桃タロ―君の声で目が覚めてね」
「うおおおおお……!」
桃太郎は腰掛に乗せた両肘で頭を抱えた。下げた顔からは低い唸り声が響く。
「……起きてるって知ってたら、あんな自分語りなんてしなかったんスけど……!」
唸り声の合間に低い声でそう言えば、いつの間にか桃太郎の近くに来ていた白澤の気配が動く。
「対不起―」
「言い方が軽いッスよ!?悪いって思ってね―だろ……!」
桃太郎は顔を上げない。いや上げられない。
過去の話を聞かれてしまったのが、恥ずかしくてたまらなかった。

「……勝手に聞いちゃったのは、対不起」

少し筋張った細長い指が桃太郎の手に触れる。少し間を開けて聞こえた先ほどよりも申し訳なさそうな声に桃太郎から唸り声が止まった。
「でもね」
言葉を続けた白澤は触れている桃太郎の手を指先で軽く叩く。
「寝ていたとしても、僕が隣に居る状態で話始めたでしょう。
誰かに聞いて欲しいって気持ち、どこかになかった?」
頭を抱えていた桃太郎は、ふと思い出す。
思わず話始めてしまったのは、確かに。隣で幸せそうに眠り込む白澤がいたからだった。
桃源郷の変わらない常春の景色と、ぽかりと浮かぶ月と、隣で眠る白澤の姿。その光景が平和で、ふと昔を思い出したのだった。
そして、始めた昔話。
語るように話していたのは、“誰か”に聞いて欲しかった気持ちがあったと。白澤の言葉に桃太郎は思い当たる。
「君の近しい人にも言えない事ってあるでしょ」
白澤の手がもう一度柔らかく桃太郎の手を叩き、離れる。去ってしまう感覚とその言葉に、思わず頭を抱えていた手をずらす。白澤の手を目だけで微かに追うと、白澤の表情がちらりと見えた。
「それならこんな酔っ払いに言えば良いんだよ。
これでも僕は君の師匠なんだから」
白澤は、桃太郎を見て柔らかく微笑んでいた。
その柔らかい雰囲気に、桃太郎は自分の態度が急に恥ずかしくなった。誤魔化すように勢いよく頭から手を離す。同時に三角巾を取ると頭を掻いて腰を上げた。その視線は地面に向けられたまま、前には向かない。
「……すごく、有難いです。白澤様の、そういう所」
軽く頭を下げながら出てきた言葉は本音。白澤の優しさは桃太郎にとって有難い事が多い。
しかし。
溜息と同時に、恥ずかしさからまだ赤らんだままの頬に手を当てて、眉を寄せた。
「でも、さっきの、話は。みっともなさすぎて、あまり白澤様に聞かれたくなかったです」
言葉が小さく零れ、桃太郎の瞳は白澤を見る事ができず彷徨った。

しばらく、沈黙が続いた。

いや、桃太郎にとってはしばらく、と感じたが実際はそれほど時間は経っていないかもしれない。
やや間を開け、何やら聞こえた衣擦れの音。
突然、彷徨っていた桃太郎の視線の先に酒瓶が現れた。
急に現れた酒瓶に思わず視線がそこに止まり、酒瓶を掴んでいる白澤の手を見つける。
「これは何でしょう」
次いで掛けられた内容に、桃太郎は視線の先の瓶を見つめた。
「……酒瓶」
「そう、酒瓶」
「馬鹿にしてるんスか?」
「してないしてない!」
白澤は片手を左右に振ると、酒瓶を持ち直してもう一度差し出してくる。桃太郎は三角巾を手に持ったまま、仕方なく受け取った。
それは酔っ払った白澤が持ち帰って来た酒瓶の一つ。まだ片方は白澤の手の中だ。
どういう事だと白澤を見ると、満足そうにその人は微笑んでいる。
「それはね、お礼のお酒だよ」
「お礼?何のですか?」
聞き返せば白澤は、自分の膝に肘を置き頬づえをついて桃太郎を見上げる。
「今日、僕が配達に行ったお店覚えてる?ほら、甘味屋さんの店主」
「はい、お得意様の方ですよね」
「そう、その人から」
「ああ、白澤様へのお礼ですか」
白澤は緩く首を左右に振ると、背を伸ばして頬づえをついていた手を外して前を指す。その指先は桃太郎に向かう。
「店主から、桃タロ―君にって」

「……え?俺?」

急に出てきた自分の名前に目を開き、改めて自分の持っている酒瓶を見る。
「僕が届けたのに、桃タロ―君の対応が良かったんだってずっと話をされたよ」
拗ねたような口調で話すが、それに反して白澤の表情は穏やかだった。桃太郎はどう反応して良いのか分からず、ただ白澤を見返す。
「それでね、処方してもらうのも僕じゃなくて桃タロ―君が良いんだって。これからも宜しくお願いしますって、この酒瓶を桃タロ―君にって渡されたの」
手の中にある酒瓶が急に重く感じて慌てて抱え直す。その重く感じたのは、実際の重さではなく。自分の為の、という白澤の言葉を聞いたからで。
――言葉が出ない。
「初めての、君のお得意様だね」
そうして動けなくなった桃太郎の耳に、優しい口調が届いた。桃太郎はじっと酒瓶を見つめている。
いや、そこから視線を動かせなくなっていた。目の奥が微かに熱くなり、慌てて下唇を噛みしめる。
「そしてもう一本」
ずい、とまた視界にまた酒瓶が現れた。それは、白澤が抱えていた酒瓶だった。
二本もくれたのだろうか、と考え自分で抱えている酒瓶を片手で抱え直し、慌ててもう片手で差し出された酒瓶も受け取った。
それは、手元にある酒とは違う銘柄のものだった。
「それは、僕から」
「えっ」
言われた言葉に驚きを隠せず白澤を凝視する。やがて、小振りながらも洒落たラベルの貼ってあるその酒瓶。ラベルに見えた桃の字に目が離せなくなる。
「桃のお酒なんだって。これは僕もお祝いしなくちゃ!って思って、君に喜んでもらえるの何かなって探したらこれ見つけてさ」
二つの酒瓶を抱え直す。顔を上げる事ができないのは、更に熱くなっている瞳の奥のせいだった。
「酒店で試飲させてもらいながら、僕の弟子は凄いでしょ!って自慢してたら良い気分で呑み過ぎちゃったんだよね」
楽しそうな白澤の声。言いたい事は沢山あるのに顔を上げることはできなかった。目の奥が熱くて熱くて、目を瞑る。
「桃タロ―君、改めておめでとう。もう君も立派な薬剤師だね」
優しい言葉がくわんくわんとぼやけて耳に届く。瞼を擦りたいのに両手が塞がっていてできなくて。でもその重みが有難くて嬉しくて。
「……俺が、認めて、もらえたのは」
喉の奥からようやく出した声は、小さく震えていた。それを隠すように酒瓶に顔を埋める。
「……白澤様、の、おかげです」
つっかえながら紡いだ言葉はそれ以上続けることができなかった。

「ね、桃タロ―君」

白澤の手が桃太郎の腕に触れた。
「君は、空っぽなんかじゃない」
その言葉にぴくりと桃太郎の肩が動く。
「空っぽ、じゃなくて。君は大きな器を持ってるんだよ」
酒瓶に隠された桃太郎の顔は見えない。だが、その肩が少し震える。
「君は大きすぎる器に気がついてなくて、少しの量でいっぱいになったと思ってしまってた。
扱いも分かってないから、折角入れてしまっていたものが零れちゃっていたんだ。
だけど君は、どう扱えば良いのか気がつけた。今は器に入れたものを大事にしている」
白澤の言葉はまるで包み込むように桃太郎に届く。
「君にはね、受け入れるだけの器の大きさがあるんだよ」
「……そんな、こと――」
「そんなこと、あるんだよ」
震える声で言いかけた桃太郎の言葉は白澤に遮られた。
「そんなこと、あるの」
理解させるように、確かめさせるように、噛みしめるように。白澤がもう一度言葉を繰り返す。
「だから、君はどんどん受け入れていけば良い。沢山の事を、好きなだけ。
扱いに困ったり悩んだ時には僕に聞けば良い。
――なんたって、僕の世話をしても逃げ出さずに、尚且つ僕の知識を自分のものに出来ちゃう子なんだから」
微かに桃太郎の肩が震える。白澤は桃太郎の背を優しく叩いた。
「今の君が有るのは、昔の君が居たからだよ。
  みっともない事なんて無い。
  大丈夫、僕が保証する」
さわ、と風が吹いた。仙桃の木が揺れ、微かな桃の花の香りが一瞬二人を包む。
「桃タロ―君は立派な英雄だよ」
白澤がそう言い終えた瞬間、俯いている桃太郎から静かに滴が地面へと落ちた。
そして桃太郎が何か小さく呟いた後、体が折り曲がり地面へと膝が着く。そのまま地に座り込み、顔を隠すように背が丸められる。
微かに震えるその桃太郎の肩を、白澤の両腕が、そっと包み込んだ。

「桃タロ―君、僕の弟子になってくれて有難う」

桃太郎の耳元で掛けられた声は聞いた事が無いほどに、優しく。
やがて、小さく、小さく。嗚咽が途切れ途切れで桃太郎から聞こえてきた。

白澤の細身な手が桃太郎の頭に掛かり、白澤の方へ寄せるように動く。
桃太郎は一瞬頭を離すように動くが、力無いその動きは、やがて止まり。
頭と背に感じる白澤の手の温かさに力を抜くと、ゆっくりと。
桃太郎は頭を白澤の胸に寄せた。


桃太郎の瞳から落ちる雫が止まるまで、白澤は何も言わず、ただ。
桃太郎に寄り添っていた。








――むかし、むかし

見栄っ張りだった英雄がおりました

ある時 彼はすべてなくしてしまいました

誇りも 驕りも 仲間も 

すっかり抱えていたものは全て 零れ落ちてしまったのです

しかし

彼は 小さな光が手の中にあることに気がつきました

その光は ある神様が彼にくれたものでした

彼は それを大事に大事に胸の中にしまいました

まだ小さい光は彼の胸の中で きらきら 輝きはじめました


さて


ここからは 彼が歩んでいく


誰も知らない 新しい お話



/空っぽの英雄/終

3 / 3
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    04月12日 12:00 〜 11月30日 00:00
【白桃】空っぽの英雄【終】
1 / 3

英雄と囃し立てられたその者には誇りがあった

ある時

何かが ぽろりと 落ちた

彼は手を見た その手の中にはまだ残っているものがあった

何だ 何でもないじゃないか

彼は笑った

ほらみろ
まだ俺の手の中にはまだ残っているぞ

その唯一残っていたものを彼は大事に抱えた

それが何なのか
確かめることはせずに



――それが ただの見栄と気が付いたのは


からん、


手から 零れ落ちてからだった


落ちた際に軽い音
そこでようやく落としたことに気が付いた

慌てて自分の手を見る

抱えていたものが見つからない

裏を返してもう一度見る

やはり 何も見つからない

今度は手を振ってみる

かあん、かあん、

鳴るはずのない 空洞な音がそこから響いた

そこで彼は初めて気が付いた

もう  誇れるものは

彼の中に

――桃太郎の中に

何も 残っていないのだと









【一】

まだ陽が昇って間もない時刻。
桃太郎は仙桃園の中心で地面にしゃがみこんでいた。手に取るのは、自分が今まで刈った芝。
言葉を発する事もなく歩を進め、次々に芝を手に取って見つめる。
やがて背の風呂敷から一冊の本を出し、ペ―ジを捲った。それは芝の管理について書かれた本だった。
じっ、と開いたペ―ジと芝を見比べる。
暫くしてから本を風呂敷に包み傍らに置いた。本の代わりに握られたのは手に馴染んだ鎌。
微かに躊躇うような手付きで芝を手に取り、表裏を確認し無言で一列刈り取っていく。一回一回、確かめるような、丁寧な手つきで。
一列終えた所で、大きく息を吐いた彼は後ろを振り返った。
振り返った先には印象の異なる芝が並んだ。
右には昨日まで自分が刈った芝。左は先ほど刈った芝だ。
緑より下の白い部分が見え、隙間から下の土が見えているのは右側。左側は遠目にも緑色だけが均等に並ぶ。
誰の目にもどちらが綺麗に刈られているかは一目瞭然だった。

「全然、違う……」

半ば茫然と。
桃太郎はそう呟き、ただ芝を見つめた。


どれくらいその状態だっただろうか。


陽の位置が少し移動し、木々の間から漏れる陽の光が桃太郎の顔に当たる。
その光にハッと我に返った桃太郎は下に置いていた風呂敷からもう一冊本を取り出し、鎌を置いて仙桃の木に近づいた。
それは、桃の管理について書かれた本だった。
実っている仙桃に触れて顔を近づける。赤みが強いと思えても香りがほとんどしないものもある。逆に赤みが強くなくても香りが強くなっているものがある。
柔らかさ、硬さは触って分かる感触だが香りについては今まで気にならなかった事。仙桃から手を離し、改めて本を手に取り視線を落とす。
ぱらり、ぱらりと本を捲る。俯いた桃太郎の表情は前髪に隠れて見えない。
やがて本を閉じると、再度風呂敷に本を包んだ。その風呂敷に手を重ねて目を閉じる。
今まで間違っていないと思い込んでいた芝刈りも仙桃の収穫も、自分の知らない事ばかりだった。
正しいやり方と見比べてみれば、一目で分かる程の違いがあった。
そして、改めて桃太郎は実感した。

自分が、与えられた仕事を全くできていなかった事を。

目を開けて真っ直ぐ前を見る。「極楽満月」と書かれた看板が視界に入る。
その瞳が揺れて、視線が外れる。
無意識にしてしまったその行動に慌てて首を振った。
大きく息を吸い込むと、両手が勢い良く左右に延びる。

パシン!

乾いた音が仙桃園に鳴り響いた。
己の頬を打ち鳴らした両手を外さずに、ゆっくりと目を開く。

「……行くぞ」

挑むような口調でそれだけ言うと、風呂敷を背中に背負い直し。
一歩、前へと踏み出した。


その足は微かに、震えていた。








【空っぽの英雄 (終)】








扉に掛けた手が微かに震えているのを見て、口の中で小さく舌打ちをする。
落ち着け、落ち着け。口の中で唱える。
まるで呪文だなと頭の隅で思いながら大きく息を吸った。
目を閉じれば中から聞こえて来る物音。白澤がそこにいる。
瞼を開いて扉を見つめ、やがて。大きく息を吐くと、扉に掛けていた手に力を入れた。

「お、はよう……ございます」

扉を開け、声を掛けるとすぐに中に居た白澤と視線が合う。
びく、と桃太郎が肩を跳ねさせたが白澤の方はそれを気にする様子もなく、目を弧の形に細めた。
「ああ、おはよう!」
白澤から出てきたのは、全く昨日と変わらない笑顔と言葉。
それを見た桃太郎は、一瞬で頭の中が真っ白になっていた。
予想していた反応とはかけ離れた白澤の反応に次の行動に移す事が出来なくなっていた。
「ん?どうしたの桃太郎君」
入口を開けたまま微動だにしない桃太郎に白澤は首を傾げる。
白澤の表情には昨日の帰り際に見せたような複雑な感情が垣間見える様子はなく、いつもと何も変わらない。
まるで昨日の事が無かったような。そう桃太郎の心の中に言葉が浮かんだが次の瞬間、急いで首を振った。
そんなわけがないと、肩に掛かる本の重みが教えてくれている。
「――――あ、の」
辛うじて喉の奥から声が出た。
白澤は表情を変えず、微笑みを浮かべたまま「ん?」とまた桃太郎の言葉を待っている。
白澤の心境は分からない。けれど、言わなければいけない事は一つだ。
桃太郎は大きく息を吸うと、足を揃え勢いよく頭を下げた。
「本当に、すみませんでした!」
出てきた声は裏返っていて、己の耳に届いたその声のみっともなさに頬が熱くなるのを感じた。
視線を感じ、顔を上げられなくなる。どくどくと心臓から血流が勢いよく体中を巡って痛くなる。
口の中の水分を吸い取られたように、乾いてしまった舌をどうにか動かして口を開けた。
「俺、何も知りませんでした。
  ……知った、つもりでいました」
身体を巡る血流に針が紛れ混んでいるかのような小さな痛みを体中で感じ、顔をしかめる。
自分の間違いを認める事が、こんな痛みを伴う事も知らなかった。
下を向いている為、浮き出た汗が額から流れて床へと落ちる。
「それなのに、勝手な事を沢山、してしまっていました」
昨日の、いつもと違う表情を浮かべた白澤の姿が思い浮かぶ。
今、彼はどんな顔で俺を見ているんだろうか。
「……こんな事、また、お願いするのは、あの。
……おこがましいにも、程があるって分かっているんですが」
そこまで言って、思わず小さく息が漏れる。
あと、一言。あと、一言だ。
鼓舞するように心の中で呟き、風呂敷の結び目を握っていた手に力を籠める。
「もう一度、やらせて下さい」
そこまで言って頭を振る。
――――違う、言いたい言葉はそうじゃない。
「違う、そうじゃなくて。あの、俺にっ」
慌てて訂正の声を出せば、また声が裏返る。音も無く床へと落ちる滴を視界の端に捉えながら、深呼吸。喉の奥がひりついたように痛い。
「芝の管理と、仙桃の収穫方法を、教えてもらえませんか」
言い切った瞬間、身体を巡っていた針のような血流が少し速度を弱める。しかし、まだ刺す痛みも、乾いた口の中も変わらない。
本当は顔を見て言わないといけない、と分かっているのだがまるで固定されたように体が動かない。
かた、と前方から音がした。
また、ズキズキと針が体を巡る。下を向いた視界の端に、それまで見えなかった白澤の足が見えた。しかし、その足は桃太郎の前で止まる事なく隣を過ぎ去って行く。

――やはり、ダメなのか。

自分で思った言葉に頭をガツンと殴られたような衝撃を覚え、ふらつかないよう慌てて桃太郎が唇を噛み締める。
その時だった。

「ねえ」

隣を過ぎ去ったはずの白澤の声がすぐに後ろから聞こえ、身体が跳ねた。閉じてしまっていた瞼が開く。
「まだ昨日まで手を付けてなかった、芝の所」
いつもと変わらない柔らかい声音の白澤の声。しかし掛けられた言葉がすぐに理解ができず何度も目を瞬かせる。

――あれ、今、俺、声を掛けられてるのか

そう気が付いた瞬間、固定していた見えない力が消えて慌てて体を起こす。勢いのまま振り返ると、白澤は開けっ放しの扉から外を見ていた。後ろ姿しか桃太郎には見えず、その顔は見えない。
「今朝、刈ってきたの?ほら、昨日と刈り方が違う」
「あ、あの……。は、はい」
質問につられて返答すると、急に白澤が体の向きを変えた。桃太郎と視線が合う。
その顔に浮かんでいる表情はいつもの微笑みだった。
まさか微笑んでいると思っていなかった桃太郎は、また動けなくなる。
「偉いねぇ!」
――――偉い?
次いで掛けられた言葉は更に理解ができなかった。
口の中で反芻して、やっと言葉を理解する。しかし、その意味が飲み込めず、ただ白澤を無言で見返す。
今、この人、「偉い」って、言ったのか?
何がだ?何が、偉いんだ??
「あの刈り方は自分で考えたの、それとも調べたの?昨日の刈り方と全然違うよね」
「あ、の、本で調べて……」
しどろもどろになりながらもどうにか返事を返した桃太郎だったが、整理ができず頭の中は再度真っ白になっていた。
「よく調べてみようって思ったね」
それを、偉いと言ってくれている、のか?
整理のつかない脳内でそれだけ思い付いたが、どうもしっくりと来ない。
戸惑う桃太郎に気がついていないのか、白澤は笑顔を変えずに言葉を続けた。
「本でも知識を得られるけど、それでも僕の教えは必要?」
掛けられた言葉。
無意識に背が伸びたのが分かった。自分が問いかけた言葉と、白澤の言葉がやっと繋がった。
笑みを浮かべた表情から、掛けられた言葉の意図はわからない。でも。
「はい」
桃太郎はすぐに返答していた。
そこに迷いは無かった。
「桃源郷は、白澤さんが今までずっと管理していた所です。本には書いてない、いや、白澤さんにしか分からない事もあると思うんです」
それは昨晩、寝ずに本を読んだ上で考えていた事だった。
「勿論、自分でも調べます。それでも文字の上の情報と、実際に作業するのって違うと思って。
だから、できれば、ですけども。俺は、白澤さんから教わりたいんです」
――言えた。
何度も目を逸らしそうになるのを必死で耐えながら言い切る事ができた。
桃太郎は唇を引き結ぶ。後は、白澤の言葉を待つだけだ。何を言われても、それは自分の今までの行動の結果だ。きちんと、受け止めないといけない。
「なるほど」
しばらく桃太郎を見つめていた白澤は、ひらりと白衣の裾を翻すと入口に向き直り顔だけを桃太郎に向けた。
そして、手を上から下へと振って桃太郎見る。
その手の動きに桃太郎は思わず目を開く。
「どうしたの、おいでよ桃太郎君」
反応しない桃太郎に、白澤は手を止めると首を傾げた。
「桃太郎君?」
「――――あ、あの!」
再度自分の名前を呼ぶ白澤に、桃太郎は思わず声を上げていた。
白澤は体の向きを変えて、桃太郎に向き直る。
「……俺の、事……その。
  怒らない、んですか」
恐る恐る、桃太郎は口を開いていた。
白澤はきっと、呆れる、怒る、そんな負の感情を見せるだろうと桃太郎は思っていた。
それなのに、先ほどから白澤の顔に浮かぶ表情は微笑みばかり。
負の感情が一切見えないその態度に桃太郎は逆に不安になり、思わず口に出していた。
「怒る?」
しかし、桃太郎の言葉に白澤は不思議そうに目を瞬かせるだけ。その姿に桃太郎はまた焦ってしまう。
「え、あの、だって、俺」
そこで言葉を区切ると、すぐに背から風呂敷を解いた。中から出てきたのは昨日、白澤に渡された本。それを真っ直ぐ白澤に差し出す。
「俺、芝も仙桃の事も知らないだけじゃなくて、勝手に漢方だってできるって言って。怒られるような事ばかりやったのに、白澤さん、その、そんな様子がない、から」
また口の中が乾いて舌が回らない。怒られたいわけではない。が、怒られて当然の事をしてきたのにと桃太郎は心の中で続ける。
しかし。
「君はまたここに来てくれたでしょう」
桃太郎の差し出した本を受け取りながら白澤の口にした言葉は、桃太郎の頭の中でまた理解ができず、口の中で反芻し、反芻した上で首を傾げる。
そんな桃太郎を見た白澤は、初めて感情が透けるようないつもと違う表情を見せた。
それは、嬉しそうな笑顔だった。
そんな笑顔を初めて見た桃太郎の目は、ただ何度も瞬く。
「僕と地獄は正式な契約を結んで君に来てもらったけど、僕と君は正式な契約はまだ結んでない。君は嫌になったらもう来ないって選択肢もあった」
白澤はその笑みを消す事なく、桃太郎を見つめている。
「それでも君は、またここに来て、僕に本を返すだけじゃなく僕から教わりたいって思ってくれた」
ふわ、と空気が変わる。そして浮かんだ白澤の表情に、また桃太郎は目が離せなくなった。
微笑みではなく、それはそれは楽しそうに白澤が笑ったのだ。
「僕が言った事を色々考えて、この仙桃園の事も真剣に考えてくれたこと。それが僕は凄く嬉しい」
目を開けた白澤は桃太郎と目を合わせる。
「だから、僕が怒る事なんて一つも無いんだよね」
「え、で、でも。今まで俺が刈ってた芝とか、仙桃の収穫は――」
「そんなこと」
言いかけた言葉は明るい白澤の言葉に遮られた。
「さっき君は教えて欲しいって言ってくれたでしょう。
  単純な事だよ、またもう一度やれば良いんだよ」
言われた言葉に桃太郎は完全に返す言葉がなくなってしまった。
どれも想像していなかった。
教えて欲しいと願っていたが、おそらく白澤の機嫌を損ねてしまった今、断られるかもしれない。それならばせめて、謝らせてもらおう。
桃太郎はそう考えていたから、こんなに好意的な反応を返されると思わなかったのだ。
最悪、辞めさせられるのではないかと思っていたのに、白澤にその様子は全く見受けられない。
桃太郎は自分より背の高い白衣の男を改めて見上げる。
出会った頃から変わらない、笑顔を絶やさない人。そして全てを受け入れるかのような態度。

浮世離れしている、ような。

――こんな人、初めてだ。

「ほら、じゃあまずは今日刈ってくれた芝をちゃんと見に行こう」

「え、あ、ちょ、ちょっと待って下さい!」

白衣の裾を翻して外へと出て行ってしまった白澤に慌て、風呂敷をカウンタ―に置いて桃太郎はその背を追いかけた。
先に出た白澤は振り返ると桃太郎が来るのを待ち、また笑いかけた。

「ほら、おいで桃太郎君!」











その日以降、改めて桃太郎は、桃源郷の芝刈りと仙桃収穫を白澤に教えてもらいながら作業をする事になった。

朝、顔を出すと今日行う事を白澤と確認。
仕事終わりの挨拶に顔を出せば、本日の作業内容を白澤に確認。
呑み過ぎて二日酔いの状態の白澤に出くわす場合は、すでに粉末になっている黄連湯の用意を手伝って。
仕事の合間に白澤も仙桃園に来て、刈り方のコツや手入れ、仙桃の収穫のタイミングなどを都度、教えてくれる。
前よりも白澤と話す機会が増え、覚えることは毎日のようにあった。

一日の終わりは、小さなノ―トに書き取った教えてもらった内容を見返す。
そのノ―トは、白澤に勧められ貰ったものだ。
お爺さんやお婆さんに教えてもらいながら、畑仕事などを教えてもらった小さな頃を思い出す。
あの頃も毎日覚えることが多くて、それがまた楽しかった。
でも、それ以降真面目に何かを覚えようとした事があったかと思い出そうとしても何も記憶に引っかからない。
――本当に、ずいぶんと。誰かに教えてもらう事なんて、なかったんだ。
小さく息を吐いて、窓の外を眺める。
この機会を与えてくれた鬼灯に小さく感謝をして、見えないその姿へと桃太郎は頭を下げた。



* * * * * *


新しい桃源郷での日々は前よりもあっという間に過ぎて行った。
しかし、桃太郎にとってはその日々は過ぎるだけの時間ではなく、一日一日が新鮮で、また、楽しいものだった。
そして様々な事を教えてくれるようになった白澤は、桃太郎に毎日驚きを与えてくれる。
一番桃太郎を驚かせたのは、その知識量だった。
一つ聞けば、二つ返って来る。何かを確認する事もなく、どの質問にも白澤はすぐに答えて詳細な説明を付けてくれる。
まるでそれは生き字引。
白澤から教えてもらう事が増える度、桃太郎は白澤の事を自分は何も知らないんだと感じていた。

桃太郎が白澤について知っている事。
白澤という名前、中国の方の生まれであろう事、この桃源郷を管理している事、浮世離れしているような性格、お酒と女性に弱いらしいという事、漢方に詳しい事。
知っているのは、たったこれだけなのである。

白澤の事も知りたい。
そんな事を白澤の隣で思いつくのだが、仕事以外の事、ましてや白澤の個人的な事を聞くのは、桃太郎は躊躇ってできなかった。

例えば、白澤に自分がもう少し認めて貰ったら。
きちんと働く事が恩返しになっているのであれば。
その時は、白澤の事を聞いてみても良いだろうか。

桃太郎はそう考える度、いや自分はまだまだだと首を振るとノ―トに向き直っていた。





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【二】

「桃太郎君、お疲れ様〜」
あくる日、仙桃の収穫をして薬局に寄ると、店の中央で白澤は何やら鍋に向かっていた。
「お疲れ様です、白澤さん」
仙桃の入った籠をカウンタ―に置くと、鍋から手を離さずに籠を掴んで引き寄せる。仙桃を幾つか取り出して手に取った白澤は微笑んだ。
「うん、収穫してくれる仙桃の質が良くなってきたね」
「有難うございます」
褒めてもらえると少しくすぐったいような気持ちで桃太郎は礼を言う。
少しは白澤の教えを自分なりに吸収できているのだと思うと、ホッとする。
「桃太郎君はさ、仙桃の木にも興味ある?」
急に掛けられた言葉に桃太郎は少し考えてから頷いた。それを見た白澤は満足そうに頷く。
「そしたら、収穫だけじゃなくて木の管理自体も少しお願いしてみようかな」
「管理も、俺にやらせてもらえるんですか!?」
「うん。やってみる気ある?」
「あります!」
「よし、じゃあ明日は木の特徴とかについても話をしようね」
その言葉に、桃太郎は白澤が自分を評価してくれたように思えて、顔が緩みそうになって首を振った。白澤の言葉一つで、こんなに嬉しくなるなんて思わなかった。
しかし喜んでばかりではいけない、気を引き締めねば、と白澤の言葉をそっと胸にしまって息を吐く。それから、ふと白澤の手元が気になった。
あれは漢方を作っているんだろうか。
あまりにじっと見ていたのか、白澤は顔を上げると笑いながら鍋を指さした。
「ああ、これ気になる?薬膳粥だよ」
「薬膳粥」
初めて聞いた単語をオウム返しにすると、白澤は「ああ」と呟くとおいでと手招く。お言葉に甘えてカウンタ―の中へ足を踏み入れた桃太郎は、鍋を覗き思わず感嘆の声を上げた。
「わあ、これが粥ですか!?俺の知ってる粥と違う!」
「という事は、君が知ってるのはご飯しか入っていない白粥の事?」
「そうそう、そうです!」
覗き込んだ鍋の中は、掻き混ぜる度にとろみのついたご飯が光に反射して煌めき、そこに食材が赤や白や黒と彩りを添えている。
「医食同源って言葉、知ってる?」
「いしょくどうげん?」
鍋から視線を外して白澤を見た桃太郎は、今度は漢字が思いつかずひとまず聞いた言葉をオウム返しにしてみる。白澤は空中にすらすらと指で漢字を書き始めた。
「医療の医に、食事の食。病気を治す薬も食べ物も、本来の根源は同じだよって事」
「医食同源」
今度は頭に漢字を思い浮かべて再度呟いて鍋を覗き込む。
「美味しく食べて健康になるって素敵でしょ?」
「なるほど…!じゃあこれは具合が悪い時に食べるお粥じゃなくて」
「そう、健康になる為の美味しい食事だよ」
「凄いですね、そんな事食べる時に考えた事なかったですよ」
桃太郎がそう返答した時、白澤の手の動きが止まった。どうしたんだろうと顔を上げると、桃太郎を見ている白澤と視線が合った。
「そういえば。桃太郎君って昼はどうしてるの?」
「家からおにぎり持って来てます」
「おかずは?」
「別に良いかなって、特に……」
桃太郎がそこまで言った瞬間、思い切り白澤が両手を交差させると驚いたような顔になる。
「ダメダメ、食事はちゃんととらないと!」
「で、でもほら亡者だし、なんかそこまで栄養気にしなくてもとか」
「何言ってんの、亡者だって具合悪くなったりするんだよ!?
あ、そうだ。今日の昼はこれ食べなよ」
「え!?」
急に提案された内容に白澤と目の前の薬膳粥を視線が往復し、再度「え!?」と桃太郎は声を出す。
「元々、女の子のお客さんに出したりしようと思って多く作ってるから量はあるしさ」
「あ、あの、でも」
「美味しくなさそう?」
「いや、美味しそうッスけど!」
思わず素直に答えてしまい、あ、と口を隠す。桃太郎の言葉にニコニコと白澤は目を細めていた。
「じゃあ、食べて行きなって。遠慮しても何も得無いよ?
それに、漢方薬局を手伝ってくれてる子が栄養失調で倒れましたなんて事になったら洒落にならないでしょ―」
「あ―……ええと……あの。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
観念した桃太郎が頭を下げると、よし、と白澤は満足そうに微笑み返した。
「じゃあ、そっちの部屋で適当なお椀出してくれる?」
示されたのは隣の部屋。扉は開けられているが桃太郎は足を踏み入れた事の無い場所だった。
「ああ、君。桃太郎君手伝ってもらって良いかな」
君?って、誰だ?
そう思った桃太郎の足元に、一匹の兎が走り寄って来た。
その可愛らしさに思わずしゃがみこみ、兎の頭を撫でると兎は耳をぴく、と動かす。しかし他に誰かが来る様子は無い。
「……兎ですよね?」
確認する意味で白澤を見上げると、別段驚いた様子もなく白澤は頷く。
「うん、兎だよ。ああ、でもペットとかじゃなくてね。この子たちはここの従業員だよ」
「従業員!?」
店内には兎が沢山居ると思っていたが、その答えは予想外だった。
言われて改めて兎達を見てみると兎達の行っている内容を認識して更に驚く。
兎達は、薬草の仕分けをしたり、中には薬草をすり潰している兎までいる。
「そう、この子達は僕のお店手伝ってくれてるんだ。バンダナをつけている子達は薬も扱えるし、つけてない子達は外で雑草を食べて畑の管理を手伝ってくれてるんだよ」
「凄い…」
こんな小さな兎達がしっかりとここで仕事をしている事に驚いて、思わず小さく呟いてしまう。
「君だってそうじゃない」
「え」
白澤の言葉に見上げると、桃太郎はきょとんと目を瞬かせた。
「僕のお店、君だって手伝ってくれてるでしょ」
当たり前のように言われたその一言に桃太郎は一瞬ぽかんと口を開け。すぐに口を閉じて俯き、兎の頭を撫でて表情を見せないよう誤魔化す。
胸の内があったかくなっている。店の手伝いが自分にもできていると、ちゃんと思ってくれていた事が単純に嬉しかった。
「あ、有難うございます。え、っと。じゃあこの子とお椀用意してきますね」
撫でていた手をするりと背中に回し、兎を抱えると多少慌てたように説明された部屋へ足を向ける。緩んだ表情を見せるのが恥ずかしくて顔は下げたままだった。
「あ、待った!そこからは住居スペ―スなんだ。そこで足袋は脱いでね」
「あ。すいません!」
「ごめんね、行き来しやすいように特に何も仕切りとかは置いてないんだよね」
振り返って頭を下げてから、兎を下ろして足袋を脱ぐ。
裸足で上がりこんで、改めて白澤の住居スペ―スに足を踏み入れた事に少し緊張してしまう。
そんな桃太郎の気持ちを知ってか知らずか、兎が肩に昇ってきた。その温かさにホッと息を吐きながら、兎の前足で促された棚からお椀を適当に二つ取り出す。
「教えてくれて有難う、って、なに?」
お礼を言ったが肩の上で兎が首を振る。このお椀では無いのだろうか。
違うお椀を二つ取ると、また首を振られる。ややあって、更に幾つかお椀を取り出して肩の兎に見せてみた。
「これで足りるか?」
表情は変わらなかったが、兎が頷いたのを見て思わず笑う。肩に居る兎と、先ほど店内に居た兎の数を思い出し、そこに桃太郎と白澤を足したのが、この数だったのだ。
「ああ、良く気が付いてくれたね!そう、この子達も一緒に食べるよ」
振り向くと白澤が鍋を持ってこちらに入ってこようとしていた。慌ててお椀をテ―ブルに置くと、目についた鍋つかみを取って手を差し出す。一瞬驚いたように目を開いた白澤はすぐに目を細めて鍋を差し出した。
それを受け取ってテ―ブルに鍋敷きと一緒に置けば、兎達がお椀を持ってやってくる。
その器用な様子に思わず頭を撫でれば兎達はまんざらでもないように鼻をひくつかせた。
「はい、桃太郎君はこれくらいで良いかな?」
掛けられた声に顔を上げると、テ―ブルの反対側でお椀にお粥をよそって差し出す白澤の姿。それを見た桃太郎は慌てて頭を下げる。
「わ、すみません手伝いもしないで!」
「お椀用意してくれてたでしょ、気にしない気にしない」
笑って再度差し出されたお椀を両手で受け取って改めて礼をした。受け取ったお椀が温かい。
「さあ、冷めないうちに食べてみて」
「あ、はい」
席に着けば、白澤はレンゲを差し出して来た。受け取れば、兎達もテ―ブルの上にお椀を置いて各々が腰を下ろしている。
「ほら、どうぞどうぞ」
「じゃ、じゃあ。頂きます!」
レンゲを持ったまま両手を合わせた。
粥を掬うとやはりきらきらと輝いていて、知っているお粥と同じと思えない。
掬った粥を大事そうに口に運んで一口。口に入れた瞬間、思わず目を開き、目の前の白澤を見つめた。
「美味しい!」
「ほんと?嬉しいなぁ」
今度は掬っていたもの全て口に入れてしまうと、自然に口角が上がるのが分かった。笑い出しそうな程に、美味しい。あっと言う間に食べてしまえばもう一口ともう一口と、掬っては口に入れて緩む頬に手を当てる。
もう何口食べたのか忘れた頃、ふと粥の中の白と赤い粒に目が止まる。先ほどから気にせず食べていたが、改めて見てみると見た事が無いものだ。
「これ、なんですか」
「これはね松の実」
「この赤いのは」
「クコの実。どっちも漢方の元にもなるよ」
「これもですか!」
思わずまじまじと見つめる。薬と言えば苦いイメ―ジがあったが、今食べたこの二つは全くそんな感じはしないし、味も美味しい。黒いのは黒ゴマだろう、どれもとてもこの粥に合っている気が桃太郎はしていた。
「薬って飲む気になれない事もあるでしょ、そんな時はご飯と一緒に食べる」
「そんな事ができるんですか」
「だってこれ自体は薬じゃないからね」
言われて確かに、と頷く。
「俺の知ってる薬による治療とかと違うんですね」
「そう、漢方は薬だけじゃないの」
桃太郎は思わず懐からノ―トを出して書き取っていた。
「そうだ、明日からのご飯もここで食べてけば?」
「え!?で、でも」
書き取った頃を見計らっていたか、掛けられた言葉に慌てて顔を上げる。白澤はいつもの笑顔で桃太郎を見ていた。
「ついでに食べた後に君の感想聞かせてよ。新しい食材で薬膳粥の組み合わせも試してみたいって思ってたからさ」
「……俺で良いんですか?」
急に提案された内容に、おずおずとそう答えると白澤は大きく頷いた。
「良いよ!だって君、美味しそうに食べるんだもん」
楽しそうに笑われて桃太郎は頬を掻いた。気が付いたらお椀の中はほぼなくなってた。

それは桃太郎にとって、本当に久しぶりに美味しい食事だった。







それから桃太郎が仙桃の収穫を届けに行くのが昼の合図になり、白澤とテ―ブルを囲む事になった。
その度に教えてもらう、生薬の数々。
時にはその効能を教えて貰い、思わず書き取る。

家に戻り、知らない名前が並ぶノ―トを見つめる。
その隣には、本。
それは、写真が多く掲載されている生薬の辞典だ。
図書館で借りたそれと、家に帰って書き取った内容を見比べるのが最近の桃太郎の日課になっていた。
名前を調べて本を捲る。教えてもらった名前の下に本に書かれた効能などを改めて書き起こす。
書き起こしながら流れるように説明する白澤を思い出す。
辞典と同じ説明を、いやそれよりももっと詳しく丁寧に説明してくれている事がよくわかった。

白澤と昼を取るようになって変わった事がもう一つある。

桃太郎はまだ朝も早い時間に風呂敷を背負って仙桃園に来るようになった。
風呂敷から取り出したのは日課に使用している生薬の辞典。
仙桃園から離れ、店の前にある畑にしゃがみこんでペ―ジを捲る。
「これかな」
呟きながら、ノ―トにメモを取ってみる。そこに並ぶのは生薬の名前。
文字を追うだけじゃなく、白澤の店の畑では何が育てられているとか。
そういう事も知りたいと思うようになっていたのだ。


白澤の元で働くようになり、桃太郎は幾つもの事を新しく覚えた。


芝の管理、仙桃の収穫と木の管理、食べられる生薬の知識。

黄連湯という漢方の漢字、白澤の店の住居スペ―スは裸足で歩く事、もっぱらものを温めるのはかまどではなく固形燃料を使用している事、兎達は従業員であること。

知っている事が増える度、知りたいと思うことも増えていく。
少しずつだが、白澤は認めてくれているのだろうか。桃太郎は知りたい事が増える度、自分に問いかける。
問いかける度、中国語で書かれた漢方の本を差し出された時を同時に思い出す。
何があの時いけなかったのかと、改めて桃太郎は考えるようになった。
少しずつ白澤の性格が分かってきた桃太郎は、おそらく仙桃と芝だけであれば白澤にあの態度をさせる事はなかったのではないかと思っていた。
すると、あの行動をさせてしまったのは自分が漢方の事を口にした為で。
薬膳粥がきっかけになって、調べれば調べる程漢方は奥が深くて、そして。
桃太郎はそこで一旦思考を止めて辞典を見つめる。生薬の数々がそこに書かれている。
――白澤が伝えたかった事。
桃太郎は、これではないだろうかと思い当たることが心の中に出来ていた。しかし、まだそれに自信が持てない。

そこをきちんと理解した時、白澤にもう一度。
漢方についても教えてもらえないだろうかと再度、頼んでも……良いだろうか。
そう考えて桃太郎は唇を引き結んだ。

まだまだ、それを頼むには早いと心の中だけで呟いた。






* * * * * *


朝の日課が増えて、数日経ったある日。
いつものように朝早くから店の周りに生息している生薬を調べていた時だった。

「――あれ」

さく、と芝を踏む音が聞こえて桃太郎が振り返った瞬間、その目がぎょっと開かれた。
声を上げたのは、まさかこの時間に外に居ると思っていなかった白澤だった。
「桃太郎君、どうしたのこんな朝早くに?」
「え、と、俺は」
白澤の手元にはおそらく摘んだばかりと思われる生薬が小さな籠の中に入っている。自分は、と言われてどう答えればと言葉に詰まっていると白澤は桃太郎の手元に気が付いた。
「それ、もしかして生薬の辞典?」
桃太郎は小さく頷くと立ち上がり、少し躊躇ってから辞典とノ―トを差し出す。
まさか会ってしまうと思っていなくて、どんな反応すればいいのかと先ほどから頭を回転させるが良い言葉が出てこない。
白澤は傍らに籠を置くと、差し出された辞典とノ―トをしばらく見比べてから顔を上げた。
まだ頭の中が整理できない桃太郎が言葉を悩んでると、白澤は受け取った物を返しながら口を開いた。
「生薬、自分で調べてたんだ」
桃太郎は、また無言で頷く。白澤の表情は変わらない。
「漢方、興味があるのかな?」
白澤に問われた瞬間、脳内に蘇ったのは中国語の本を差し出された時の事。
ノ―トを握りながら桃太郎は先ほどまで考えていた事を思い出す。いつかは言いたいと自分は思っていたのだ。きっと今が、その時なんだと思った。
辞典を見つめる。深呼吸して白澤の目を見返す。
「白澤さんの薬膳粥を食べさせてもらいながら、生薬を教えてもらって。それから調べてみるようになりました」
桃太郎はノ―トを何ペ―ジか捲る。書き出した調べた生薬や効能が並ぶ。
「民間療法の延長みたいだな、って思ったのが始めで。そこから調べていく内に、食べ物にも合う合わない組み合わせがあるって思い出して。それがちゃんと意味があるんだって調べているうちに分かって」
そこで口を閉じると、もう一度視線を白澤に戻す。
「俺、初めて漢方の手伝いをしたいって言った時、そんな事も知らなかった。人の体調を左右する事なのに、簡単に考えていたって分かりました」
白澤は、じっと桃太郎を見たまま。表情は変わらない。
「だから、改めてきちんと学びたいって思ったんです。」
仙桃の収穫、芝刈りだけなら人の体調を左右する事は無い。
でも、漢方は違う。人の口に入るものだ。それを責任が持てない状態で触っていけないのだと思った。だからこそ、あの時、白澤は態度は他の時と違ったんだと、桃太郎は生薬を調べるうちに思っていた。
白澤は桃太郎の言葉を聞いて、ふと足元に置いていた籠を持ち上げる。その中には幾つかの種類の生薬が入っている。
「漢方は処方によってはその人の体調を悪化させてしまうし、簡単な気持ちで扱ってはいけない。言葉では分かっていても、それを理解するのって意外に難しいものなんだよ」
そこで一旦言葉を区切った白澤は桃太郎に笑いかけた。
「食べ物の組み合わせでも良い悪いがあるって、よく気が付いたね。そう、根本は同じ事だよ」
その言葉に桃太郎はグッと喉が詰まる気がした。
伝わったんだ、と思った。桃太郎の中でずっと残っていたあの日の出来事が少し、軽くなる。
込み上げてきたものをどうにか息を飲みこんでやり過ごした。
まだ、自分には白澤に伝えたい事がある。
「俺、生薬を調べているうちに、もっと知りたいって思いました」
昼を同じテ―ブルで囲むようになった日を思い出す。胸のあたりを軽く握る。
「だから、あの、俺に、漢方を」
そこまで言って、また喉が急に乾いて唾を飲み込む。舌が乾いて回りにくくなる。
頭を振り、すう、と大きく深呼吸をした。逃げるものか、と心の中で呟く。

「漢方を、教えてくれませんか」

桃太郎は言い切った。白澤をじっと見つめる。

「僕から学びたいの?」

笑顔だが心情が読みにくい表情を浮かべる白澤と視線が合う。
桃太郎は背筋を伸ばして、大きく頷く。

「白澤さんから、学びたいんです」

桃太郎はもう一度、ノ―トを白澤の前に差し出してそこに視線を落とす。
「俺は、自分に足りないのが何なのか、わかってなかった。
気づかせてくれたのは白澤さんです。今の俺があるのは、白澤さんのおかげなんです」
白澤からもらったノ―トには、白澤から教えてもらった知識が溢れている。
見守ってくれる白澤にどれだけ励まされたか。前に進めたか。
「だから、白澤さんに、俺は教わりたいんです。
――だから、どうか、お願いします」
その気持ちを胸に、頭を下げた。
視界の端の入る白澤の靴。初めて謝ったあの日を思い出す。

先ほどまで勢いで話していた脳内が落ち着いてきて、逆に胸が早鐘を打ち始める。また、血がどくどくと体中を巡る。
やがて、視界の端で白澤が籠を掴んだ。それを持ち上げた手が視界から消え、こちらを向いていた足が方向を変える。

「等我一下」

――え

咄嗟に顔を上げると、白澤は早足で店の方へと歩き出していた。その後ろ姿を茫然と見つめる。
何を言われたのか分からない。
分かるのは、白澤が背を向けて去ってしまった事。
俺は、また何かしてしまったんだろうか。
必至に先ほどまで喋っていた内容を思い出すが、思いつかない。

勝手に、きっと、また笑ってくれると思っていた。

視線が低くなり、ハッと我に返る。地面に崩れるように座り込んでしまっているとその時に気がついた。消えてしまった後姿を探してしまい、その視界を覆うように片手で顔を隠す。
次、どんな顔して会えば良い。またきっと白澤はいつもの笑顔で迎えてくれるだろう、でも、でも――――

「桃太郎君!」

「!」

聞こえた声に肩が跳ねる。こちらへ歩いてくる音が聞こえる。
それは消えたはずの、靴の音。
恐る恐る顔を上げれば、白澤が店からこちらに歩いてくる。

何で?

座り込んだまま白澤を見つめていると、白澤は座り込んでいる桃太郎に手を差し出した。その手を理由がわからず桃太郎はただ見つめる。
その手に握られていたのは、一枚の布だった。

「これ、桃太郎君のね」

俺の、とは。どういう事だ。

――白澤は、白澤の表情は。

慌てて視線を上に移動した桃太郎は、視界に捉えた白澤の表情に何度も瞬きをする。
ふわりと。見た事のない柔らかい笑顔で白澤は桃太郎を見つめていた。

「君の、三角巾だよ」

バンダナをつけていた兎達が従業員だったと白澤が話していた事を思い出す。

「明日から、お店でも宜しくね」

微かに視界が滲み、一瞬意識を外そうと目を瞑って深呼吸をする。

――認めてくれたんだ。

そう思って、握った拳で目を勢いよく擦る。
ゆっくりと目を開けば、白澤の手の中の三角巾が視界いっぱいに広がる。
膝に力を入れて、ゆっくりと立ち上がった。
白澤の手の中の三角巾へと手を伸ばした。触れれば白澤の指が開き、桃太郎の指へと移る。
バンダナではなく、真っ白な三角巾。

――白澤と、同じ三角巾だ。

自分の手に移ったそれを強く握りしめ、桃太郎は背筋を伸ばす。そして深々と頭を下げた。
「有難うございます、俺、頑張ります……!」
込み上げてくる様々な感情が頭と胸の中でぐるぐると回り、やがて。一つに纏まったのを感じて頭を上げる。

「宜しく、お願いします。……白澤様」

するりと、出てきた白澤への尊称。

“白澤様”

尊敬と、お礼と、お詫びと。
全てが混じって、その呼び方が桃太郎の中ですとんと胸に落ちた。
名を呼ばれた白澤は、一瞬目を開いた後。やがて、目を細めて笑った。

「うん、宜しくね桃太郎君」

自然と伸ばされた白澤の手に、桃太郎も手を差し出す。
握手が交わされると、二人で同時に笑い合っていた。



2 / 3
3 / 3


【三】

「――こうして、桃太郎は白澤の弟子になりました。
 空っぽだったその人間は、600年掛けて、ようやく。
中身を得ることができたのです。

 ……これにて、空っぽだった彼のお話は、おしまい」

桃太郎はそう言い終えると、細く長い息を吐いた。
顔を上げれば、少し月の位置が動いている。話を始めてからどれくらいの時間が経ったのだろか。
視線を下げれば、ゆらゆらと温泉の湯気が夜空を背景に揺らめいている。
それはいつもの桃源郷の風景。

それが自分にとって「いつも」になって、どれくらい経ったろうか。

「……な―んて――」

照れたように頭を掻いてそこまで言った時。
ぱちぱち、と静かなその場所に拍手の音が突如響いた。
桃太郎の目がぎょっと開き、咄嗟に口が閉じる。

いやいや、さっきまで隣は寝息まで立てていた、よな?

そう思っても聞こえる拍手の音は自分の左隣。つまり、眠り込んでいる白澤の方向から。

「……」

恐る恐る、桃太郎は顔を左に向ける。拍手の音はいつの間にか止んでおり、隣の白澤は腰掛に横になって寝ていて顔が見えない。
眺めているだけでは分からないと桃太郎は思い、腰を少し上げて隣に近づく。確かめたいが確かめたくないなんてぶれる感情のまま、やはり恐る恐る顔を近づけた時だった。微かに白澤の首が動いて髪の隙間から覗いた瞳。
その瞳はパッチリと開いて桃太郎の瞳とぶつかる。

「――って、おおおおおい!?」

二秒程白澤と見つめ合った直後、桃太郎は思わず叫び腰を思い切り引き。勢いよく引きすぎたその体は、短い腰掛から転げ落ちていた。
「うわ、桃タロ―君、大丈夫!?」
「大丈夫じゃない、色々大丈夫じゃない!!」
大した衝撃では無かった為、すぐに腰掛に上半身を持ち上げた桃太郎だったが、白澤の言葉にすぐに叫び返す。
顔を上げれば、自分を見下ろす白澤の姿。その顔からほぼ消えている酒の気配に顔をしかめる。
「……あの」
「ん?」
「……いつから聞いてたんですか」
「え―とね。むかしむかし、の所から」
「始めからじゃね―かぁぁあああ!!って、え、だって寝てましたよね!?寝息立ててましたよね!?」
「うん、寝てたんだけど桃タロ―君の声で目が覚めてね」
「うおおおおお……!」
桃太郎は腰掛に乗せた両肘で頭を抱えた。下げた顔からは低い唸り声が響く。
「……起きてるって知ってたら、あんな自分語りなんてしなかったんスけど……!」
唸り声の合間に低い声でそう言えば、いつの間にか桃太郎の近くに来ていた白澤の気配が動く。
「対不起―」
「言い方が軽いッスよ!?悪いって思ってね―だろ……!」
桃太郎は顔を上げない。いや上げられない。
過去の話を聞かれてしまったのが、恥ずかしくてたまらなかった。

「……勝手に聞いちゃったのは、対不起」

少し筋張った細長い指が桃太郎の手に触れる。少し間を開けて聞こえた先ほどよりも申し訳なさそうな声に桃太郎から唸り声が止まった。
「でもね」
言葉を続けた白澤は触れている桃太郎の手を指先で軽く叩く。
「寝ていたとしても、僕が隣に居る状態で話始めたでしょう。
誰かに聞いて欲しいって気持ち、どこかになかった?」
頭を抱えていた桃太郎は、ふと思い出す。
思わず話始めてしまったのは、確かに。隣で幸せそうに眠り込む白澤がいたからだった。
桃源郷の変わらない常春の景色と、ぽかりと浮かぶ月と、隣で眠る白澤の姿。その光景が平和で、ふと昔を思い出したのだった。
そして、始めた昔話。
語るように話していたのは、“誰か”に聞いて欲しかった気持ちがあったと。白澤の言葉に桃太郎は思い当たる。
「君の近しい人にも言えない事ってあるでしょ」
白澤の手がもう一度柔らかく桃太郎の手を叩き、離れる。去ってしまう感覚とその言葉に、思わず頭を抱えていた手をずらす。白澤の手を目だけで微かに追うと、白澤の表情がちらりと見えた。
「それならこんな酔っ払いに言えば良いんだよ。
これでも僕は君の師匠なんだから」
白澤は、桃太郎を見て柔らかく微笑んでいた。
その柔らかい雰囲気に、桃太郎は自分の態度が急に恥ずかしくなった。誤魔化すように勢いよく頭から手を離す。同時に三角巾を取ると頭を掻いて腰を上げた。その視線は地面に向けられたまま、前には向かない。
「……すごく、有難いです。白澤様の、そういう所」
軽く頭を下げながら出てきた言葉は本音。白澤の優しさは桃太郎にとって有難い事が多い。
しかし。
溜息と同時に、恥ずかしさからまだ赤らんだままの頬に手を当てて、眉を寄せた。
「でも、さっきの、話は。みっともなさすぎて、あまり白澤様に聞かれたくなかったです」
言葉が小さく零れ、桃太郎の瞳は白澤を見る事ができず彷徨った。

しばらく、沈黙が続いた。

いや、桃太郎にとってはしばらく、と感じたが実際はそれほど時間は経っていないかもしれない。
やや間を開け、何やら聞こえた衣擦れの音。
突然、彷徨っていた桃太郎の視線の先に酒瓶が現れた。
急に現れた酒瓶に思わず視線がそこに止まり、酒瓶を掴んでいる白澤の手を見つける。
「これは何でしょう」
次いで掛けられた内容に、桃太郎は視線の先の瓶を見つめた。
「……酒瓶」
「そう、酒瓶」
「馬鹿にしてるんスか?」
「してないしてない!」
白澤は片手を左右に振ると、酒瓶を持ち直してもう一度差し出してくる。桃太郎は三角巾を手に持ったまま、仕方なく受け取った。
それは酔っ払った白澤が持ち帰って来た酒瓶の一つ。まだ片方は白澤の手の中だ。
どういう事だと白澤を見ると、満足そうにその人は微笑んでいる。
「それはね、お礼のお酒だよ」
「お礼?何のですか?」
聞き返せば白澤は、自分の膝に肘を置き頬づえをついて桃太郎を見上げる。
「今日、僕が配達に行ったお店覚えてる?ほら、甘味屋さんの店主」
「はい、お得意様の方ですよね」
「そう、その人から」
「ああ、白澤様へのお礼ですか」
白澤は緩く首を左右に振ると、背を伸ばして頬づえをついていた手を外して前を指す。その指先は桃太郎に向かう。
「店主から、桃タロ―君にって」

「……え?俺?」

急に出てきた自分の名前に目を開き、改めて自分の持っている酒瓶を見る。
「僕が届けたのに、桃タロ―君の対応が良かったんだってずっと話をされたよ」
拗ねたような口調で話すが、それに反して白澤の表情は穏やかだった。桃太郎はどう反応して良いのか分からず、ただ白澤を見返す。
「それでね、処方してもらうのも僕じゃなくて桃タロ―君が良いんだって。これからも宜しくお願いしますって、この酒瓶を桃タロ―君にって渡されたの」
手の中にある酒瓶が急に重く感じて慌てて抱え直す。その重く感じたのは、実際の重さではなく。自分の為の、という白澤の言葉を聞いたからで。
――言葉が出ない。
「初めての、君のお得意様だね」
そうして動けなくなった桃太郎の耳に、優しい口調が届いた。桃太郎はじっと酒瓶を見つめている。
いや、そこから視線を動かせなくなっていた。目の奥が微かに熱くなり、慌てて下唇を噛みしめる。
「そしてもう一本」
ずい、とまた視界にまた酒瓶が現れた。それは、白澤が抱えていた酒瓶だった。
二本もくれたのだろうか、と考え自分で抱えている酒瓶を片手で抱え直し、慌ててもう片手で差し出された酒瓶も受け取った。
それは、手元にある酒とは違う銘柄のものだった。
「それは、僕から」
「えっ」
言われた言葉に驚きを隠せず白澤を凝視する。やがて、小振りながらも洒落たラベルの貼ってあるその酒瓶。ラベルに見えた桃の字に目が離せなくなる。
「桃のお酒なんだって。これは僕もお祝いしなくちゃ!って思って、君に喜んでもらえるの何かなって探したらこれ見つけてさ」
二つの酒瓶を抱え直す。顔を上げる事ができないのは、更に熱くなっている瞳の奥のせいだった。
「酒店で試飲させてもらいながら、僕の弟子は凄いでしょ!って自慢してたら良い気分で呑み過ぎちゃったんだよね」
楽しそうな白澤の声。言いたい事は沢山あるのに顔を上げることはできなかった。目の奥が熱くて熱くて、目を瞑る。
「桃タロ―君、改めておめでとう。もう君も立派な薬剤師だね」
優しい言葉がくわんくわんとぼやけて耳に届く。瞼を擦りたいのに両手が塞がっていてできなくて。でもその重みが有難くて嬉しくて。
「……俺が、認めて、もらえたのは」
喉の奥からようやく出した声は、小さく震えていた。それを隠すように酒瓶に顔を埋める。
「……白澤様、の、おかげです」
つっかえながら紡いだ言葉はそれ以上続けることができなかった。

「ね、桃タロ―君」

白澤の手が桃太郎の腕に触れた。
「君は、空っぽなんかじゃない」
その言葉にぴくりと桃太郎の肩が動く。
「空っぽ、じゃなくて。君は大きな器を持ってるんだよ」
酒瓶に隠された桃太郎の顔は見えない。だが、その肩が少し震える。
「君は大きすぎる器に気がついてなくて、少しの量でいっぱいになったと思ってしまってた。
扱いも分かってないから、折角入れてしまっていたものが零れちゃっていたんだ。
だけど君は、どう扱えば良いのか気がつけた。今は器に入れたものを大事にしている」
白澤の言葉はまるで包み込むように桃太郎に届く。
「君にはね、受け入れるだけの器の大きさがあるんだよ」
「……そんな、こと――」
「そんなこと、あるんだよ」
震える声で言いかけた桃太郎の言葉は白澤に遮られた。
「そんなこと、あるの」
理解させるように、確かめさせるように、噛みしめるように。白澤がもう一度言葉を繰り返す。
「だから、君はどんどん受け入れていけば良い。沢山の事を、好きなだけ。
扱いに困ったり悩んだ時には僕に聞けば良い。
――なんたって、僕の世話をしても逃げ出さずに、尚且つ僕の知識を自分のものに出来ちゃう子なんだから」
微かに桃太郎の肩が震える。白澤は桃太郎の背を優しく叩いた。
「今の君が有るのは、昔の君が居たからだよ。
  みっともない事なんて無い。
  大丈夫、僕が保証する」
さわ、と風が吹いた。仙桃の木が揺れ、微かな桃の花の香りが一瞬二人を包む。
「桃タロ―君は立派な英雄だよ」
白澤がそう言い終えた瞬間、俯いている桃太郎から静かに滴が地面へと落ちた。
そして桃太郎が何か小さく呟いた後、体が折り曲がり地面へと膝が着く。そのまま地に座り込み、顔を隠すように背が丸められる。
微かに震えるその桃太郎の肩を、白澤の両腕が、そっと包み込んだ。

「桃タロ―君、僕の弟子になってくれて有難う」

桃太郎の耳元で掛けられた声は聞いた事が無いほどに、優しく。
やがて、小さく、小さく。嗚咽が途切れ途切れで桃太郎から聞こえてきた。

白澤の細身な手が桃太郎の頭に掛かり、白澤の方へ寄せるように動く。
桃太郎は一瞬頭を離すように動くが、力無いその動きは、やがて止まり。
頭と背に感じる白澤の手の温かさに力を抜くと、ゆっくりと。
桃太郎は頭を白澤の胸に寄せた。


桃太郎の瞳から落ちる雫が止まるまで、白澤は何も言わず、ただ。
桃太郎に寄り添っていた。








――むかし、むかし

見栄っ張りだった英雄がおりました

ある時 彼はすべてなくしてしまいました

誇りも 驕りも 仲間も 

すっかり抱えていたものは全て 零れ落ちてしまったのです

しかし

彼は 小さな光が手の中にあることに気がつきました

その光は ある神様が彼にくれたものでした

彼は それを大事に大事に胸の中にしまいました

まだ小さい光は彼の胸の中で きらきら 輝きはじめました


さて


ここからは 彼が歩んでいく


誰も知らない 新しい お話



/空っぽの英雄/終

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