秋生(鮭の丸焼き)

萌えが滾った時に細々と投稿させて頂くと思います。
好きなジャンルは多種なので、雑多になりそうですがよろしくお願いします!

なお、pixivでは投稿しずらいものをこちらに投稿させて頂こうと思っております。

投稿日:2017年02月04日 20:25    文字数:16,254

【白桃】粉々に砕け散った<前編>

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男のプライドや、譲れないものがある桃タロー君が、自分の頭では処理できない突然の白澤様への体の反応に悩んで、そして。

========
桃タロー君が、頭よりも先に体が動いてしまう性格だとしたら。
男としてのプライドと、理解できない気持ちと板挟みになるとしたら。
そんなお話になります。

下書きしてから一年半くらい掛かっていたので文字数が多くてごめんなさい。
こちら、完成まで要さん(https://pictbland.net/knm_ohut0n)に心からお世話になりました、本当にありがとうございます!
美麗な表紙は別途要さんのアップして頂いた大きな画像をご覧ください。花の描き込みが凄い…!

長いので後編は分けましたがこれからアップします。
また、話の内容的に念のためR-15にしておりますが直接的な表現はほぼありません。
1 / 3
それは本当に些細な出来事だった。

桃太郎が調剤のメモを見ながら手を伸ばした生薬の瓶。そこに白澤も手を伸ばして、指先がぶつかった。

「対不起、先に使って良いよ」

白澤も調剤をしている最中だった為、白澤の視線は白澤の手元にあり桃太郎を見ずに一言、声を掛け。そのまま作業に戻っていった。
だから白澤は知らなかった。
自分の指先が触れた後、桃太郎の頬が赤くなっていた事に。それに気がついた桃太郎が顔を覆い小さく震えた事に。














桃太郎にとって、白澤は恩人であり、雇い主であり、師匠である。
それ以上でもそれ以下でもない。

その時まで、桃太郎は確かにそう思っていた。
















「……」
倉庫兼部屋のベッドに腰掛け、桃太郎はじっと手を見つめた。
何度となく手が触れることなんて、極楽満月に勤めてから何度もあった。手だけじゃない、体だってぶつかる事だって沢山あった。
それなのに、何故。急に。
桃太郎はじっと視線の先の己の手を見つめる。
浮かんだのは、薄白い白澤の手。日に焼けた筋肉質な自分の手とは全く異なる、その指先。
「……」
触れただけ。なんの意味もそこにはく、ただぶつかっただけのそれだけの事。
それなのに。
――俺は、確かにあの時。白澤様の指先がぶつかったと認識して、指先を、顔を、見た時に。
「……顔が、熱くなった」
口に出してその言葉の重みに顔を覆った。
急に、この人の手が俺に触れたのだと認識した瞬間、顔に熱が集まった。心臓が早くなった。白澤から目が離せなくなった。指先を追ってしまった。

そして。

――その指先に、また触れたいと思ってしまった。

覆った顔から冷たい汗が流れ落ちる。
こんな事を思うつもりもなかったし、いつまでも師匠と弟子の関係で居られる事を疑わなかったのに。
あの時に思ったのはそんな事ではなかった。ただ、触れたいと思ってしまった。
それはまるで。
「……最悪だろ……」
覆った手から漏れた声は掠れていた。














白澤様は師匠で雇い主。それ以上でもそれ以下でもない。
毎朝毎晩、呪文のように口の中で呟いて白澤に会うが、一度意識してしまうと元には戻れなかった。
気がつくと視線が白澤を追う。その手が触れる所を見つめてしまう。他の作業をしていても頭の中から白澤の手が離れない。
しかし同時に分からなくなる。
触れたいと思うが、どうしたいとは思わない。触れたいと、それしか頭に浮かばない。
これは恋なのか愛なのかと思ったがそれもピンと来なかった。
いや、そんな人を愛でるような綺麗なものではない気がした。
じゃあ、俺が白澤様に抱いてる想いはなんなんだ。
ふと顔を上げると、白澤はちょうど鬼の娘の接客をしていた。息をするように褒めて口説いて、その手が娘に触れる。
恋や愛だと言うならきっとその行為に嫉妬しそうなものなのにそんな気持ちは湧かない。湧かないがやはり視線を手から外すことが出来なかった。



















白澤の声は柔らかい。
その声が一層柔らかく、優しく桃太郎を呼んだ。
ゆっくりと白澤の手が伸びる。その先に居るのは桃太郎だ。
そっと細身の指が桃太郎の頬に触れる。指先はそこから耳に、鼻に、額に触れ、唇に触れた。
桃太郎の唇が薄く開く。
もう片手がまた伸びて、桃太郎の肩へと触れる。肩から二の腕、肘へと動き、その手が桃太郎の手に触れ、包む。




桃太郎の目の前で。
桃太郎は白澤に笑いかけた。



















「!!」
瞳を開けた桃太郎は体をベッドの上で跳ねさせた。
寝具が冷たい。起こした身体中を汗が流れ落ちる。
「ああ……」
呻くような声が桃太郎の喉から漏れた。
震える手で顔を覆う。
手も、顔も、冷え切っている。
身体中が冷え切っている。
なあそうだろ、そうだよな。
そう、桃太郎が思った時、一つの事に気がついて愕然と瞳が開かれた。
「……」
声ではなく獣のような低い唸り声を小さく上げ、体が震える。

嘘だ嘘だ嘘だ

脳内をそれだけの言葉が埋め尽くして何も考えられなくなる。
いや、そうしたかった。
しかし、身体はそれを許さなかった。

嘘だ

瞼を強く閉じる。
顔を覆っていた手が閉じた瞼を押し付ける。何度も首を振るが現実だけが重くのしかかる。

桃太郎は寝巻きの足を微かに動かし、そのまままた唸り声を上げた。

冷たい身体の、その下で。
己の中心だけが熱を持っている。
否が応でも冷たくなった足に熱が触れ、逃げられなくなる。

「おれ、は」

掠れた声が夜の闇に消えていく。




俺は、白澤様に、触れられて。
欲情、したんだ。
触れて、欲しいんだ。




こんなはずじゃなかった。
慕っていた。尊敬していた。それで良かった。
なのに、どうして。





後戻りの出来ない日常は桃太郎の前で崩れ去り。
粉々に砕けて突き刺さるそれは桃太郎の男としての矜持だった。




恋だ愛だのほうがよっぽど良かった




口の中だけで呻いた声はシーツの白さにずるずると溶けていった。


1 / 3
2 / 3

繰り返される毎日。なんて事のない一日。
その中で桃太郎は一日、一日。時間が過ぎて行く度に砕けた欠片に精神が傷つけられている気がしていた。

――いや、傷つけているのは自分だ。
俺は、あの人に何てことを考えてしまっているんだ。

自分の中に生まれた処理できない体の反応。
何度も何度も自分を責めた。何度も何度も振り払おうとした。しかし自分ではどうする事もできず、桃太郎はまた気がつけば視線が白澤の指先を見つめていることに気がつき。ただ、その目を固く閉じることしか出来なかった。



















「アナタのこと分かってたつもりだったけど、やっぱりアナタの態度ってば酷いわよ!」

女性の甲高い声と乾いた良く響く音。それに桃太郎は慌てて目を開けた。

目の前では、くっきりと手形を頬に付けて困ったように肩を竦める白澤と、真っ赤な顔で白澤を睨む鬼の娘と天女が入り口に立っていた。
「私だけ見てくれないかな、なんて考えた私がバカだったわ! それでもね、やっぱりね、三人で遊ぶ、なんて本当にデリカシーなくて驚いたわよ、ほんと最低!」
「うわっ⁈」
鬼の娘が振り上げた手は白澤の服を掴み、そして綺麗に宙に円を描いたと思えば白澤の体は極楽満月の床に打ち付けられた。
「ふんっ!」
怒りの矛先の当人を振り投げたことであらかた溜飲が下がったのか、鬼の娘はまた激しく音を立てて扉を開けると外へ出て行った。
それを半ば呆然と見ていた天女は、しばらく呆然とその後ろ姿を見送り。それから視線をゆっくりと店内へと戻した。すると床の上で微かに目を回している白澤と目が合ったようで、天女の体が一瞬びく、と反応した。白澤は思わずだったのか、彼女にへらりと笑いかけた、その時だった。天女の瞳から一筋の涙がふっくらとした女性らしいその頬を辿った。その涙に白澤の笑みが顔に張り付いて固まった。
「白澤様の性格は私も分かっていると思っておりました。それでも、それでも、分からないことの方が多かったです。今日もそうです。私は白澤様を好いております。ですがそれと同じくらいに貴方様と共に居るのは辛いと思ってしまいました。……貴方様を憎んでしまう前に、私はさようならと言わせて頂きます。ごきげんよう、白澤様」
ひらり、半透明の布が重なるゆったりとした袖を顔の前に隠した天女は、そう静かに言い残して同じく扉から出て行った。
残されたのは床の上で半身を起こした白澤と、後ろでひとまず視線を軽く外して他の作業をしていた桃太郎。ウサギ達は身の危険を感じたのか室内からいつの間にか居なくなっていた。
「……うーん、今日は酷く怒らせちゃったねえ」
「反省の色が全く見えない声なんですけど」
あっけらかんとした白澤の声。それに桃太郎も慣れたように言葉を返すと、床に座り込んだ状態で白澤は首だけ後ろを振り返る。投げ飛ばされた影響か鼻血がその鼻の下を流れている。
「だって僕はちゃんと始めに遊ぼう! って言ってるからね。それで怒らせてしまうと困ったもんだよなあと思うしかないじゃん? 怒らせたくないし、僕としてはやっぱり皆で楽しく遊びたいんだけど難しいねぇ」
白澤の言葉は他の男が言えば酷い男だと避難されるに違いない言葉である。だが、そこが白澤が白澤であるところであり、白澤には遊びたい以外の他意が本当に無い。だから嘘はついていないが、やはりそれを男女の付き合いで言うには難しい所があるんだよなぁ、と桃太郎は改めて息を吐いた。
白澤が本心で遊びたいのだと気がついた時、桃太郎は驚いたものだったとふと思い出す。
「……とりあえずお客さん来たら驚くんで立ち上がったらどうですか」
「ああ、それもそうだね」
よいしょ、と掛け声を掛けて白澤は立ち上がると体を思い切り伸ばした。
もともと長身の彼がその動きをすると更に大きくなったように桃太郎の瞳には映った。白澤は伸びをしながら頭上で緩く手を組む。
「――!」
桃太郎はふと自分の視線が向いた先に気が付いて息を止めた。視線の先は、やはり。その組まれた手先に自然と動いてしまっていた。桃太郎は悔しそうに唇を噛むとまた強く瞳を閉じた。

























*****

――また、あの夢だ。

桃太郎は瞳を開けた瞬間に、視界の先の光景に皺を寄せた。
見慣れた自分自身と白澤が向かい合って立つその光景。繰り返し見るこの夢の中で、部外者のように二人を見つめる桃太郎は身動きが出来ない。瞳を開けた時から本当に目覚めるまで、この二人を見つめるしかできなくなる。
目の前で白澤と桃太郎はどこか嬉しそうに微笑んでいる。そして白澤の手が伸びる。触れる先は目の前の微笑んでいる桃太郎だ。その手は、ただ、優しく桃太郎に触れる。どこから見ても何度見ても、その手の動きには特に何の他意も感じない。ただ触れるだけで触れられた桃太郎も反応は返さない。

――この世界でみっともなく反応するのは





俺だけだ










「――っ!!!」

声にならない声を喉の奥で殺しながら桃太郎はベッドの上で跳ね起きた。心臓が痛い程に動いていて身体中が痛い。
夢から目覚められたことにまずは一つ息を吐く。逃げられた。あの世界から戻ってこれたことにまずは何度も安堵の息を吐く。だが、背中を伝う汗が次々に冷たく滴り体を冷やしていく。
終わりじゃない。起きて終わりじゃないんだ。
桃太郎は次にゆっくりと掛け布団に手を掛ける。その手は微かに震えている。その手の震えに静かな室内に桃太郎の舌打ちが響いた。
掛け布団を少しずつ持ち上げる。見えてきたのは己の下半身。持ち上げた布団の下、足の付け根、そこで微かに持ち上がっている着物の膨らみに唇を噛む。
「ちくしょう……!」
その体の反応に嫌悪感が込み上げる。
夢に出て来る白澤は性的な触れ合いなんて一度もしたことはない。ただ、触れるだけ。
それなのに。
触れられるだけで桃太郎は欲情している。しかも自分ではなく、夢の中の桃太郎に触れているだけなのに。
その事実を嫌という程に思い知らされ、起きる度に何かがまた自分の中で壊れていく音が聞こえる気がする。
「ちくしょう……!!」
桃太郎は再度小さく呻くと、目を閉じて自分の下半身へと手を伸ばした。触れた自身の硬さと熱に吐きそうになる。自分自身のはずなのに他の人間のモノに触れている気がした。
早く気持ちの悪い熱を追い出したくて頭の中で必死に別の何かを思い浮かべながら手を上下に擦り上げる。それだけでまた吐きそうになり、頭の奥がガンガンと金槌で打ち付けられているような痛みが起こる。
こんなもの単なる生理現象だ、早く吐き出して吐き出して消して、俺はまた、ただの弟子としてここに居たいんだ。
浮かびそうになる師匠の姿を振り払って機械的な行動だけに集中する。
あと少し。
そう思った時だった。
「――っ、あっ……!!」
抑えていた息が一瞬口から漏れた。
同時に桃太郎の手の中に己の昂りが吐き出された。瞬間、桃太郎の顔が青く青く変わり、唇から色が失くなる。
「……なんでなんだよ……っ」
悔しげな絞り出した声は薄く開いた口の中で、微かに荒くなった息に消える。
傍らのティッシュケースを掴むと乱暴に何枚か持ち上げ、手を拭えばまた顔が歪んだ。

最後のその一瞬。
桃太郎の頭に浮かんだのは、筋張った手のひらだった。
頭に浮かんだのは本当にそれだけだった。
それだけで達してしまった自分。そしてその手が誰の手など考えなくても分かる。ずっと見てしまっているその手、それを思い浮かべるだけで、考えるだけで、俺は。

吐き気のする熱を吐き出すだけで虚しさと嫌悪感が体を支配する。
桃太郎は両腕で自分の体を押さえつけるように抱き締める。

こんな反応するのなら、恋しい、愛しいと思いたかった。
恋しい、愛しいと女性達は白澤に怒りそして泣く。恋愛騒動に巻き込まれる白澤を何度も見て、様々な恋や愛の形を見てきた。
だけど、そんな感情を自分はやはり白澤に持っていない。
白澤を想って泣いたりもしない、逆にどんなに白澤が女性と仲良くしようとも嫉妬心も起きなれければ声を掛けられる女性達を羨ましいとも思わない。あの女性達にとって変わりたい、あんな風に付き合いたいなんて思わない。
普通、恋だ愛だという想いを抱くなら相手のことを想って恋しいと泣いたり辛くなったり、時には嫉妬したりしてその人のことを想う。恋愛とはそんなものだ、そう桃太郎は思っていた。
それなのに。触れて欲しいと、そう考える、それだけで欲情する俺のこの体の反応はなんなんだ。その手だけが、その手のみで反応する俺はなんなんだ。

――俺はおかしいのだろうか。

窓のない倉庫の中。
外から鳥のさえずりが聞こえてくる。そろそろ夜が明ける。

こんな俺が、そんな風に考えてしまう相手に師事して欲しいと願うなんて、

そこまで考えて顔を覆う。
夜よどうか明けないでくれ、と。叶うはずのない願いは心の中だけで叫んで消えていった。































頭上で輝く太陽をふと見上げながら桃太郎は小さく溜息を吐いた。溜息を吐くたびにまた腹の底に何かが溜まる気がして首を振る。
今日も朝が来てしまったと、そんな言葉が過ってまた頭を振った。
「よいせ、と」
気分を持ち直そうと大きな掛け声を出した。ほんの少し、気が晴れた気がした。
その手の中には底の浅い籠。店の外で干していた生薬がその中に重なって積まれていた。店に戻ろうと振り返った時、扉が開いたのが見えて足が止まる。扉から白澤が歩いて来た。
先程の溜息の理由を思い出し、一瞬体が強張ったことにまた首を振ると桃太郎は腹に力を入れた。
「白澤様! どうしました?」
大きな声で声を掛けると、白澤は首だけを桃太郎に向ける。
「ちょっと畑の様子で気になることがあってね」
「畑ですか?」
白澤は前へと首を戻すと、真っ直ぐ店の前にある畑に向かって行った。桃太郎も籠を両手で抱えたまま白澤の後ろをついて行く。ちょうど畑には花を付け始めた生薬で色付いていた。
「植物の育て方もね、植えるもの同士の組み合わせがあるのは知ってる?」
「確か、栄養の取り方とかでしたっけ」
「そうそう。今こうして育ててる生薬同士は問題無いんだけど、ほら。ここの根元。植えてない芽が出てるんだよ」
「あ、本当だ」
白澤が指差す方向、その指先は見ないようにしながら畑の土の上に視線を移すと確かに見慣れない芽が出ている。
「もう少し何の芽なのか確認しようかと思ってたけど、やっぱり畑からは早めに外した方が良いかなと思ってね」
「ちょうどこの生薬、ここからが大事ですもんね。引っこ抜きますか?」
桃太郎がそう言うと、白澤は首を左右に振った。
「いや、せっかくこうして芽を出してくれたから植え替えよう。土地はこうして余ってるしね!」
白澤の言葉に桃太郎は目を瞬かせた。そして改めて、この人はやっぱり基本的に優しい人なんだよなとその小さな芽を見つめる。桃太郎には植え替えるという選択肢は浮かんでいなかった。
「その籠はカウンターに置いて、スコップ取ってきて貰っていい?」
「あ、はい! わかりました!」
桃太郎は開けっ放しだった扉から店内に入ると籠を置き、傍に置いてある農作業用の籠からスコップを取り出す。ちょうど近くにあったタオルも引っ張り出して畑へと足を向けた。
「白澤様、スコップです」
「謝謝!」
桃太郎がスコップを差し出すと白澤は微笑みながら受け取った。そしてスコップは器用に芽の周りに差し入れられる。ぐるりと回すようにゆっくりと動いたスコップは、やがて最後にぐ、と深く地面に差し込まれ、少しずつ持ち上げられる。持ち上げられたその上にはくり抜かれた芽と芽の周りの土が綺麗に乗っていた。
「おおー、綺麗に取れるもんですね」
「根を傷つけ無いようにするのが大事だから気をつけ無いとだけどね。さてと、これはあっち、まだ畑作って無い所に植え替えよう」
スコップを両手で持った白澤についていけば、少し畑から離れた所に白澤が歩いていく。ふと思いついて桃太郎は店の中へとまた急いで入って行った。
「桃タロー君、って、あれ?」
「すみませんお待たせしました!」
振り返った白澤が首を傾げたと同時に店から顔を出した桃太郎の手にはもう一つスコップが握られていた。それを見た白澤は嬉しそうに頷く。
「それ、頼もうとしてたところだったんだよ」
白澤の言葉に桃太郎は少し表情を柔らかくした。やはり師事している人に小さなことでも褒められたりするのは嬉しい。
桃太郎は白澤の隣にしゃがみこむと目の前の地面を指し示した。
「ここで良いですよね」
「うん、そう。少し大きめに掘ってね」
柔らかめの土にスコップを差し入れた桃太郎はそのままザクザクと土を掘り返す。白澤の示した場所はちょうど芝のない地面、前から植え替える場所を決めていたのだろうかとまた小さく感心してしまう。
「土を退けたら、ほら店の傍にある腐葉土ちょっと入れて」
顔を上げて店の隣にある薪。立ち上がってその隣にある袋を開ければ微かに不思議な匂いがする土が入っていた。それを手早く持って来れば少し開けた穴に入れる。すると素早く白澤が少し土を払ったその小さな芽のくり抜いたものを穴の中へと入れた。避けていた土をそこに被せれば、軽く地面を叩いて均す。芽に触れないように均し終えた白澤は、満足そうに立ち上がった。
「これで良し、と」
「白澤様、タオルです」
「あ、謝謝!」
持ってきていたタオルを差し出すと白澤は笑みを見せながらそれを受け取って手を拭く。
桃太郎も立ち上がると植え替えられたばかりの芽を見つめた。
「同じ場所にあって良いわけじゃない。たまには動かすことも大事なんだよね」
「そうですね」
「それは人間も同じ」
「え?」
芽を見ながら白澤の言葉に頷いていた桃太郎は白澤の言葉に不思議そうに顔を上げた。すると、少し頭より上にある白澤が真っ直ぐに桃太郎を見下ろしていた。
「最近、疲れてるでしょ」
「……!」
急に掛けられた声に喉の奥で空気だけが喉奥へと飲み込まれる。白澤はまた視線を芽の方へと向けると、肩を小さく竦めた。
「理由はわからないけど、たぶん眠りも浅いでしょう。顔色も良くない。気がついていた?」
白澤の言葉に桃太郎は唇を噛む。
まさか顔に出ていると思わなかった。いつもどおりに、いつもどおりに。そう思っていたのに、体調の悪さを気がつかれていたことに自分への憤りが一気に心の中で噴き出す。不甲斐ない自分に嫌気が差して堪らなくなる。
「あ、責めてるわけじゃないよ? そんな顔しないでって」
「あ、あの、すんません」
「だから謝らなくて良いってば! でも、その顔だと僕には相談しずらいのかな」
「……」
――原因は、自分勝手な貴方への邪な体の反応なんです。
そんなことが言えるわけがない。
それなのに、その白澤が自分を心配してくれているその事実にまた唇を噛んでしまう。冷や汗が出てくるのが背中を伝う冷たい水気に頭の中も一気に冷えてくる。
すると、白澤は持っていたタオルを揺らしながら店へと向かって行った。桃太郎を振り返ることなく歩いていく姿を横目で見つめ、桃太郎は息を吐いた。その息が重くて眉間に皺が寄ってしまう。
心配をしてくれたのに、こんな態度をとるのは無礼すぎるのと分かっていたがどう答えて良いか分からなかった。嘘をつくのは苦手だ。その自分がどう、言えば良かっただろうか。もしかしてこの芽の植え替えもその為に今、目の前でしてくれたのだとしたら。
「……くそっ……!」
低い声が歯の間から漏れ出した時、店の中から軽妙な白澤の声が聞こえてきた。

「……そう、そうそう。大丈夫かな?うんそう、今夜。ああ、出来れば揃ってた方が良いかな」

顔を上げると出入り口近くで白澤が携帯でどこかに電話をしている。桃太郎はそれをぼんやりと見つめる。

「うん、聞いてみてもらえる?あ、大丈夫そう? そっか、ちょうどそこに……そうそう。うん、謝謝! じゃあ今夜! ごめんね電話しているのが僕で。うん、また後で会えるからその時に。うん、じゃあ宜しくね」

いつもの花街への予約だろうか。会話の流れからそう考えていると、電話を切った白澤が店から出てきた。
「ということで。今夜は出掛けておいで」
「ああ、ええとお店にどなたかいらっしゃるんですか」
お誘いの電話だったのかと桃太郎がそう返すと白澤は首を左右に振った。
「ウチにはだれも来ないよ。君が行くの」
「へ? どこに?」
予想しなかった白澤の言葉に桃太郎から素っ頓狂な声が漏れる。だが、続いた白澤の言葉に桃太郎の瞳が更に見開かれた。
「シロちゃん達のところ」
「……はあ⁈」
突然出てきたシロの名前に桃太郎は一瞬頭が真っ白になり。やがて思わず大声でそれだけ叫んでいた。叫ばれた当の白澤はその桃太郎は気にも留めないのか表情を変えずにふらりふらりと手の中の携帯を揺らす。
「君、変な所で頑固だからね。ちゃんと羽を伸ばして自己管理する事も大事だよ」
白澤の言葉に桃太郎はぽかんと口を開けたまま白澤をただ見つめてしまう。しばらくして、急に白澤は桃太郎を指差して噴き出した。
「なにその顔! あっはっはっ、面白いなあ!」
「だっ、ちょ、何人の顔を見て笑ってんスか!!」
「だって君があまりにもポカーンと口を開けっぱなしにしてるからさあ」
「驚いたからに決まってんだろが! っていうか。え、あの、頭が追いついてないんですけど」
ひとしきり笑った白澤は若干柔らかくなった表情で桃太郎を見つめた。その表情に桃太郎の背が無意識に伸びた。
「要は、ちょっと羽を伸ばしてみなってこと。僕は自分の生活の中に店の経営もあるからお休みとるのも自分の取りたいときに、だしもう生活の一部だったけど。君は今までの生活とは全く違う生活でずっと働いてくれてたからね。ちょっと息抜きが必要なのかもしれないかなと思ったわけだ」
白澤の言葉に桃太郎はまた言葉もなく白澤を見てしまう。そんなことを考えてくれていたなんて思ってもみなかった。
「だから、今まで一緒に居たシロちゃん達と今日はゆっくりしておいで。はい、これは店主権限での業務命令です。分かった?」
目の前で楽しそうに自分に声を掛けてくる白澤。その内容に、表情に、心遣いに。桃太郎は深々と頭を下げていた。
「――ありがとうございます…!」
「よし!」
白澤のさり気ない優しさ。それに桃太郎の胸の奥が温かくなる。白澤の人柄の良さを改めて感じた。

だが、同時に。

そんな相手を毎夜毎夜、邪な体の反応で恩を仇で返してしまっているのだと改めて気がつかされ。温かくなった胸の奥に何かがまたひび割れた気がしていた。


2 / 3
3 / 3


「桃太郎ー!」
「おー、シロ久しぶり……って、えっ⁈」

地獄に訪れた夕闇の中、近付いてくる地を駆ける音と白い形に桃太郎は手を振って応え。そこでその手が止まった。視線は近づいてくるシロよりも後ろに伸びる。そこには二つの影がこちらに向かってきていた。
「柿助、ルリオ⁈」
「そうだよ、なんでそんな驚いてんだよ!」
「俺達も一緒だと聞いてなかったのか?」
空は見えない地獄の天、何処からか照らされる夕陽のような光の下、桃太郎に近づいてくるのは見知った三つの影だった。
桃太郎が走り寄ると真っ先にシロがその懐に飛び込んできた。それを受け止めて桃太郎は目を白黒させる。
「大丈夫なのか三人とも、明日の仕事は?」
「半休良いよって言ってくれた!」
「俺も半休して良いよって言ってた〜」
「俺は休みを貰えたから問題ない」
続いて柿助が腕に、ルリオが肩に止まる。しゃがんだ桃太郎の周りでニコニコと笑う三匹を改めて見つめ、桃太郎は胸の辺りのむず痒さから思い切り腕の中に彼らを囲うと頭や背中を思い切り掻き回し始めた。
「うわっ、なんだよ桃太郎ー!」
「うっさい、久しぶりの挨拶だ!」
ぎゃあぎゃあと腕の中で騒ぐ姿はそんなに離れていないはずなのに桃太郎にはとても懐かしく。小さく鼻を啜ったのを隠すようにまた両手で目の前の毛並みを掻き回し、彼らの楽しげな声がまたその場に響いた。




















とっぷりと暮れた空の紺色。空の代わりの岩肌ではなく、本物の空が瞬く星を纏って視界に広がっている。
その下で桃太郎達は大の字になって柔らかい草原の上に仰向けで寝転び、その空を皆で見上げていた。

「まさか野宿とはなあ」

呟いた声には笑い声が混じっていた。


***
集まった後、さあて行くか! と誰とも無しに言った瞬間に全員が顔を見合わせていた。誰も集まった後のことを考えている者が居なかったのだ。
しばらく悩んだ後、急にシロが「天国! 久しぶりに天国行きたい!」と言い出したのをキッカケに、夜でも気候が安定した天国ならば、と酒や食べ物を地獄で買って天国で夜を過ごす事になり。ぷらりぷらりと歩きながらどこへ向かうとも決めず、月明かりの中だけでなんとなく話をしながら歩いていれば、やがて丈の低い草が生える広々とした草原を見つけ、彼らは足を止めた。
そしてその草原で花見ならぬ星見をしながら一通り盛り上がった後、草原に背をつけて全員で今に空を見上げていた。

「どこ行くとか泊まるとか何も考えてなかったもんね!」
「それ威張って言うことじゃねっての!」
「柿助威張ってるけど柿助だって考えてなかったじゃん!」
「いくら周りに何も無いからってもう少し声抑えろ、二人とも」
「ルリオたまにオッさんくさいよね」
「そうかそうか、それならば口を嘴で突いてやろう」
「臨戦態勢入らないでごめんなさい!」
「あっはっは、変わんねぇなあ」
たまに聴こえる虫の音以外に聴こえる音は他には無い。その中で響き渡る三人の遣り取りを聞いていた桃太郎はそれだけ言うと思わず噴き出した。
「えー、変わったよ! 俺、今じゃ立派な社会人だよ!」
「立派なヤツは立派って言わねーよーだっ」
「柿助一言多い!」
「悪い悪い、そうだよなあ俺達全員社会人なんだよなあ」
改めてそう言葉を零した桃太郎は、ふと体を持ち上げて草原に座り込んだ。広々とした緑の他に周りには何も無い。目の前には月の明かりで仄かに明るい群青の空だけが頭上に広がる。
「働くなんてさあ、考えたことなかったよなーってたまに俺、思ったりするんだよ」
ふと手のひらに少し固めの毛並みが触れた。下を向けば、柿助が桃太郎の腕に寄り掛かりながら桃太郎を見上げていた。少しその顔はいつもより赤くなっている。そういえばと、周りを見渡せばすっかりゴミ袋代わりのビニール袋の中は空になった酒の缶や食べ物のパッケージで一杯になっていた。
「柿助おまえ、結構ペース早く呑んでただろ」
「えーそんなことないって、それにこれくらい呑めないと仕事の呑みとかで先輩風吹かせないだろー!」
桃太郎は柿助のその発言に思わずルリオと顔を見合わせ。そしてすぐに噴き出していた。
「柿助、お前また変な所で大見得切るとしっぺ返し食らうから気をつけろよ?」
「大丈夫だってえ、俺だって成長してます!」
「俺だって成長してるもん!」
「おっ⁈」
急に横からやってきた白い塊に突き飛ばされ桃太郎が少し転がれば、乗っかるようにシロが胸を張っていた。やはりこちらも顔が赤い。
「シロお前やっぱり太っただろ⁈」
「太ってないよ! そう言う桃太郎だってお腹出てきてるじゃん!」
「なにをー⁈」
「あ、ほんとだぷよぷよしてる」
「あ、このやろ柿助!」
「俺らの大将がメタボリックか……」
「ルリオまで⁈ おいこらお前らちょっとそこ並べ!」

わいのわいのと酒も回って赤らんだ顔のまま、四人は静かな夜空の下で笑いながら騒いだ声は風に流れていった。













***
月が天辺を越えた。
その月をぼんやり眺めている桃太郎の腹の上には、すっかり熟睡している柿助が仰向けになり、その小さな手でその剥き出しの腹をぼりぼりと掻き。シロはうつ伏せの姿勢で腹の上で何やら寝言を言いながら伸びていた。
「あーあ、涎垂らしてら」
桃太郎はシロの口元を笑いながら突くと、突っつかれている感触があるのか前足がふらふらと顔のあたりを彷徨うと何やらむにゃむにゃと呟きながらまた腹の上に顔が落ちた。
「……桃太郎」
「ん? ルリオ、寝てなかったのか」
桃太郎の足元で寝ていたはずのルリオの声が聞こえ、羽音と共に桃太郎の肩へ降り立った。
しかしその後でルリオは無言になり。桃太郎も無言のまま、頬にルリオの体温を感じて桃太郎は微かに息を吐いた。
「……今日さ」
口を開いたのは桃太郎だった。
「白澤様に、何て呼ばれてルリオ達集められたんだ?」
桃太郎がルリオの方へと視線を向ければルリオの鋭い瞳が桃太郎をじっと見返す。
「いや、何も言われてない。ただ、桃太郎を夕飯にでも誘って久しぶりに会ってみたらと、だけ」
「お前ら、それだけで集まってくれたのか?」
「久しぶりに会えるなら俺達だって嬉しいさ」
「そっか。……俺だってそうだな」
言葉がまた途切れると、二つの寝息以外には微かな虫の音しか聴こえなくなる。桃太郎がまた小さく息を吐くと、ルリオの嘴が軽く頭に当たった。
「なんだか疲れているように思えたが、平気か」
桃太郎が横目でちらりと肩の上にいる声の主を見ると、その鋭い瞳がじっと見つめている。
長年ずっと一緒に過ごしてきたルリオには変な嘘は通じないか、と桃太郎はまた息を吐いた。
そして視線を下げると眠っているシロと柿助を見つめる。ゆっくりと手を伸ばすと、柿助の手に触れた。小さな小さなその手に触れながら桃太郎の口には薄っすらと笑みが浮かんだ。
この手に触れるだけで色々な思い出が蘇る。家族のように愛しくて、大事な存在。当たり前だが、分かってはいたが、それ以上の気持ちは起こらない。
他の人の手だって何度も思い浮かべたこともあった。しかしどれも、やはりそれぞれ感じる思いは別だが特別変な気持ちは一度も起こらなかった。
「……上手く言えないんだけどさ。俺の価値観とか、そういうのが、なんか、ちょっと。分からなくなってきてて」
言葉を選びながら、ぽつりと。桃太郎の口から言葉が零れた。
静かに風が吹く。心地の良い天国特有の風に桃太郎は目を細めた。
「価値観なんて、置かれた場所で変わるものじゃないだろうか」
低いルリオの声がゆっくりと言葉を紡いだ。桃太郎はじっと自分の手を見つめる。
「俺も地獄で働くようになって今まで自分の中にあった正義とか正しい事とか、そういう価値観が変わった」
桃太郎はゆっくりと顔を肩の方へ向けた。ルリオは嘴で羽根を少し繕え、その顔を空に向ける。桃太郎はその横顔をじっと見つめた。
「価値観とか、感情なんてものは状況や置かれた立場とかで俺は変わることがあると思っている。だから、桃太郎も働き始めて何か変わったならそれはおかしなことではないと、俺は思う」
「そうか……」
桃太郎はルリオの言葉にそれだけ返すと、握ったり伸ばしたりしていた手をシロの頭に乗せた。軽く撫でると馴染んだ毛並みが心地良かった。
「俺は同僚や、シロや柿助と話が出来たから良かったが、桃太郎の職場は人間の従業員は桃太郎だけだ。だから少し心配していたんだ」
桃太郎はルリオの言葉に胸の内が温かくなる気がした。自分達も慣れない環境で大変だっただろうに、そんなことを思ってくれていたのかと改めて思うと鼻の奥が微かにツンとして、慌てて息を吸い込んだ。
「桃太郎が何か思う事があるなら言って欲しい。だが、話しにくいなら、話せるようになったら相談して欲しい。何があっても俺達は桃太郎の価値観を否定はしない」
「……ルリオ……」
桃太郎が肩の方へ視線を向けた時だった。シロの頭に乗せていた手に、小さな指の感触。慌てて前を向くと、それは柿助の手だった。
「そうだよ、俺達は仲間だろー?」
聞こえた声に、その主の方向へと視線を向ければつぶらな瞳と視線がかち合う。いつの間にか起きていた柿助は、桃太郎と視線を合わせると少し眠たげな瞳を細め、歯を剥き出して笑っていた。
「……俺だって、話聞くくらいならいつだってできるし!」
続いて聞こえた声は撫でていた白い頭から。視線を下げればやはり眠たげな瞳を何度も瞬かせながらもシロが桃太郎を見上げていた。
「お前ら……」
桃太郎はそれだけ呟くと、両手でシロと柿助を抱き込むと頭を思い切り掻き回した。
「うわあ桃太郎なにすんだよー!」
「頭ぐっしゃぐしゃじゃん!」
「あっはっはっ!」
不満げな声を出すシロと柿助の頭の上の毛がグシャグシャになっているのを見て桃太郎は思い切り笑っていた。それから肩の上のルリオの頭も思い切り撫でれば、その顔には快活な笑顔が浮かんでいた。
「俺の中で整理ができたら。そしたら聞いてもらえるか」
桃太郎の口から出てきた言葉に三匹は顔を合わせ。やがてニッと笑うと大きく頷いた。その姿を見て桃太郎はまた笑みを顔に浮かべ。そして自分の手をじっと見つめる。
やっぱり「白澤様に触れてもらう」こと「白澤様に触れること」それが自分の中では他と明らかに違うのだと、改めて思って手を握る。
目を反らして逃げ続けても恐らく何も変わりはしない。
もう隠したり誤魔化したくないと、改めて桃太郎は思い、握っていた手をそっと。開けばまたじっと手を見つめた。










****
「桃太郎待たねー!」
「また遊んでくれよなっ」
「体には気をつけろよ」

「おう、本当に有難うな!」

朝焼けの空の下、桃太郎達は地獄へ繋がる門の前で手を振って別れた。門の中へと消えていく後ろ姿を見つめてから桃太郎は歩き出す。

改めて天国の景色を見ながら小さく深呼吸し、ゆっくりと歩いて行く。

もうすっかりと歩き慣れた道の先は豊かな桃色の花が満開に咲き誇る仙桃園の中心。少しずつ周りに増え始める仙桃の木を見上げながら足を進める。青々とした芝は朝露のせいか微かに光っていてその爽やかさに目が細められる。こんなにものんびりとした気持ちで外を歩いたのはどれくらいぶりだろうか。

やがて木々の切れ間、中心にある古風な出で立ちの極楽満月が見えてきた時、桃太郎は足を止めていた。
大きく息を吸う。静かで物音のしない扉へと近づき、ゆっくりと扉を開ける。
「ただいま、戻りました」
「……おかえり……」
「えっ」
早朝の極楽満月の中、返ってくると思わなかった挨拶に驚いて中を見れば、ちょうどお手洗いから真っ青な顔した白澤が出てきた所だった。
「え、朝早いですね⁈ いやそこじゃなくて、ああもうとりあえずほら椅子座ってください!」
フラフラと足元が覚束ない白澤に桃太郎はそれだけ言うと勝手知った台所へと足を早め、手早く白湯を用意してテーブルへと置いた。
「今から黄連湯作るんでちょっと待ってください、なんスか具合悪くて起きちゃったんですか」
手際良く準備をしながら、声が返ってこないことに気がついた桃太郎は振り返る。すると、テーブルに頬杖をついて青白い顔のままではあるが、柔らかく目が細まった白澤が桃太郎を見つめていた。
「少しは気晴らしになったみたいだね。顔色、良くなってる」
桃太郎はその言葉に目を瞬かせた。
そして足を揃えると白澤に真っ直ぐ向き、深々と頭を下げた。
「本当に有難うございます、あいつらと久しぶりに一緒に過ごせてすごく楽しかったです」
「そっか、それは良かった」
顔を上げた桃太郎の顔の前で白澤はやはり顔色は悪いが、その柔らかい目元は崩さずに桃太郎を真っ直ぐに見ていた。桃太郎と視線が合うと、その表情が緩やかな笑みに変わる。
テーブルの上にも流しの上にも宴会を開いた様子は見当たらないことに、もしかしたら、一人で呑んで待っててくれたのだろうか、と思って目の前の人を見つめる。
さり気ない白澤の優しさに桃太郎は有難い気持ちで胸が一杯になる。
自分には無いたくさんのものを持っている人にこれからも師事したい。教わりたいことが沢山ある。桃太郎は改めてそう思い、そして。ずっと避けていたその人の一部に目を向ける。
少し筋張った、高い背丈のせいか大き目の手。肉付きは良く無いが適度に筋肉の付いている白澤の手。
自分は。
――やはり、この手に触れて欲しいのだと、思っている。

「桃タロー君?」
「あ、すみません何かボーッとしてました」

白澤から声を掛けられて桃太郎は我に返った。それだけ返事するとコンロに向き直り黄蓮湯の準備を始める。
その時、後ろで軽く椅子を引く音が聞こえた。振り返ると、そこに白澤が立っていて思わず息が止まる。
「寝てなかったりする? 今日はお休みしても良いけど」
声と共に白澤の手が一瞬、桃太郎の目の下を掠るように触れる。瞬間、桃太郎の体が微かに震えた。
「……いえ、大丈夫、です」
絞り出したような声の出来損ないのような声音で桃太郎はどうにか返事をする。
ああ、やっぱり俺は。白澤に触れられる事で俺は、昂ぶってしまっている。
頭を振って体の要らない熱をどこかに向けようと大きく息を吸う。胸が痛くなりそうなほどに早く動いているのに気がついて唇を噛む。
決めただろう、ここから俺は逃げちゃいけないんだ。
「桃タロー君――」
「あの、今日の仕事の後。白澤様、時間ありますか」
何か言いかけた白澤の言葉を遮り、桃太郎は真っ直ぐに白澤を見つめて言い切った。
「今日? 特に用事は無いよ」
少し驚いたような表情を一瞬見せつつも白澤の言った言葉に、桃太郎は微かに己の手を握りしめた。
「今日、聞いて欲しいことがあるんです。時間、貰えますか」
桃太郎の言葉に白澤は瞬きをして。やがて、ゆっくりと頷いた。

どんな結果になるか。
そこまで考え、桃太郎はその考えを首を振って打ち消した。それを考えたらまた、動けなくなることが分かっていた。
俺はこの人に。シロに。柿助に。リルオに。隠し事をしたくない。ちゃんと胸張って立っていたい。白澤様の側でこれからも仕事をしたい。だから、だから。

あの疚しくて後ろめたい気持ちはこれで、最後にするのだと。これで最後にするのだと、何度も心の中で呟いた。

その後ろで、火にかけていたヤカンから甲高い音が静かな部屋に響いた。
それは何かの合図のようだと。桃太郎は感じていた。
 
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【白桃】粉々に砕け散った<前編>
1 / 3
それは本当に些細な出来事だった。

桃太郎が調剤のメモを見ながら手を伸ばした生薬の瓶。そこに白澤も手を伸ばして、指先がぶつかった。

「対不起、先に使って良いよ」

白澤も調剤をしている最中だった為、白澤の視線は白澤の手元にあり桃太郎を見ずに一言、声を掛け。そのまま作業に戻っていった。
だから白澤は知らなかった。
自分の指先が触れた後、桃太郎の頬が赤くなっていた事に。それに気がついた桃太郎が顔を覆い小さく震えた事に。














桃太郎にとって、白澤は恩人であり、雇い主であり、師匠である。
それ以上でもそれ以下でもない。

その時まで、桃太郎は確かにそう思っていた。
















「……」
倉庫兼部屋のベッドに腰掛け、桃太郎はじっと手を見つめた。
何度となく手が触れることなんて、極楽満月に勤めてから何度もあった。手だけじゃない、体だってぶつかる事だって沢山あった。
それなのに、何故。急に。
桃太郎はじっと視線の先の己の手を見つめる。
浮かんだのは、薄白い白澤の手。日に焼けた筋肉質な自分の手とは全く異なる、その指先。
「……」
触れただけ。なんの意味もそこにはく、ただぶつかっただけのそれだけの事。
それなのに。
――俺は、確かにあの時。白澤様の指先がぶつかったと認識して、指先を、顔を、見た時に。
「……顔が、熱くなった」
口に出してその言葉の重みに顔を覆った。
急に、この人の手が俺に触れたのだと認識した瞬間、顔に熱が集まった。心臓が早くなった。白澤から目が離せなくなった。指先を追ってしまった。

そして。

――その指先に、また触れたいと思ってしまった。

覆った顔から冷たい汗が流れ落ちる。
こんな事を思うつもりもなかったし、いつまでも師匠と弟子の関係で居られる事を疑わなかったのに。
あの時に思ったのはそんな事ではなかった。ただ、触れたいと思ってしまった。
それはまるで。
「……最悪だろ……」
覆った手から漏れた声は掠れていた。














白澤様は師匠で雇い主。それ以上でもそれ以下でもない。
毎朝毎晩、呪文のように口の中で呟いて白澤に会うが、一度意識してしまうと元には戻れなかった。
気がつくと視線が白澤を追う。その手が触れる所を見つめてしまう。他の作業をしていても頭の中から白澤の手が離れない。
しかし同時に分からなくなる。
触れたいと思うが、どうしたいとは思わない。触れたいと、それしか頭に浮かばない。
これは恋なのか愛なのかと思ったがそれもピンと来なかった。
いや、そんな人を愛でるような綺麗なものではない気がした。
じゃあ、俺が白澤様に抱いてる想いはなんなんだ。
ふと顔を上げると、白澤はちょうど鬼の娘の接客をしていた。息をするように褒めて口説いて、その手が娘に触れる。
恋や愛だと言うならきっとその行為に嫉妬しそうなものなのにそんな気持ちは湧かない。湧かないがやはり視線を手から外すことが出来なかった。



















白澤の声は柔らかい。
その声が一層柔らかく、優しく桃太郎を呼んだ。
ゆっくりと白澤の手が伸びる。その先に居るのは桃太郎だ。
そっと細身の指が桃太郎の頬に触れる。指先はそこから耳に、鼻に、額に触れ、唇に触れた。
桃太郎の唇が薄く開く。
もう片手がまた伸びて、桃太郎の肩へと触れる。肩から二の腕、肘へと動き、その手が桃太郎の手に触れ、包む。




桃太郎の目の前で。
桃太郎は白澤に笑いかけた。



















「!!」
瞳を開けた桃太郎は体をベッドの上で跳ねさせた。
寝具が冷たい。起こした身体中を汗が流れ落ちる。
「ああ……」
呻くような声が桃太郎の喉から漏れた。
震える手で顔を覆う。
手も、顔も、冷え切っている。
身体中が冷え切っている。
なあそうだろ、そうだよな。
そう、桃太郎が思った時、一つの事に気がついて愕然と瞳が開かれた。
「……」
声ではなく獣のような低い唸り声を小さく上げ、体が震える。

嘘だ嘘だ嘘だ

脳内をそれだけの言葉が埋め尽くして何も考えられなくなる。
いや、そうしたかった。
しかし、身体はそれを許さなかった。

嘘だ

瞼を強く閉じる。
顔を覆っていた手が閉じた瞼を押し付ける。何度も首を振るが現実だけが重くのしかかる。

桃太郎は寝巻きの足を微かに動かし、そのまままた唸り声を上げた。

冷たい身体の、その下で。
己の中心だけが熱を持っている。
否が応でも冷たくなった足に熱が触れ、逃げられなくなる。

「おれ、は」

掠れた声が夜の闇に消えていく。




俺は、白澤様に、触れられて。
欲情、したんだ。
触れて、欲しいんだ。




こんなはずじゃなかった。
慕っていた。尊敬していた。それで良かった。
なのに、どうして。





後戻りの出来ない日常は桃太郎の前で崩れ去り。
粉々に砕けて突き刺さるそれは桃太郎の男としての矜持だった。




恋だ愛だのほうがよっぽど良かった




口の中だけで呻いた声はシーツの白さにずるずると溶けていった。


1 / 3
2 / 3

繰り返される毎日。なんて事のない一日。
その中で桃太郎は一日、一日。時間が過ぎて行く度に砕けた欠片に精神が傷つけられている気がしていた。

――いや、傷つけているのは自分だ。
俺は、あの人に何てことを考えてしまっているんだ。

自分の中に生まれた処理できない体の反応。
何度も何度も自分を責めた。何度も何度も振り払おうとした。しかし自分ではどうする事もできず、桃太郎はまた気がつけば視線が白澤の指先を見つめていることに気がつき。ただ、その目を固く閉じることしか出来なかった。



















「アナタのこと分かってたつもりだったけど、やっぱりアナタの態度ってば酷いわよ!」

女性の甲高い声と乾いた良く響く音。それに桃太郎は慌てて目を開けた。

目の前では、くっきりと手形を頬に付けて困ったように肩を竦める白澤と、真っ赤な顔で白澤を睨む鬼の娘と天女が入り口に立っていた。
「私だけ見てくれないかな、なんて考えた私がバカだったわ! それでもね、やっぱりね、三人で遊ぶ、なんて本当にデリカシーなくて驚いたわよ、ほんと最低!」
「うわっ⁈」
鬼の娘が振り上げた手は白澤の服を掴み、そして綺麗に宙に円を描いたと思えば白澤の体は極楽満月の床に打ち付けられた。
「ふんっ!」
怒りの矛先の当人を振り投げたことであらかた溜飲が下がったのか、鬼の娘はまた激しく音を立てて扉を開けると外へ出て行った。
それを半ば呆然と見ていた天女は、しばらく呆然とその後ろ姿を見送り。それから視線をゆっくりと店内へと戻した。すると床の上で微かに目を回している白澤と目が合ったようで、天女の体が一瞬びく、と反応した。白澤は思わずだったのか、彼女にへらりと笑いかけた、その時だった。天女の瞳から一筋の涙がふっくらとした女性らしいその頬を辿った。その涙に白澤の笑みが顔に張り付いて固まった。
「白澤様の性格は私も分かっていると思っておりました。それでも、それでも、分からないことの方が多かったです。今日もそうです。私は白澤様を好いております。ですがそれと同じくらいに貴方様と共に居るのは辛いと思ってしまいました。……貴方様を憎んでしまう前に、私はさようならと言わせて頂きます。ごきげんよう、白澤様」
ひらり、半透明の布が重なるゆったりとした袖を顔の前に隠した天女は、そう静かに言い残して同じく扉から出て行った。
残されたのは床の上で半身を起こした白澤と、後ろでひとまず視線を軽く外して他の作業をしていた桃太郎。ウサギ達は身の危険を感じたのか室内からいつの間にか居なくなっていた。
「……うーん、今日は酷く怒らせちゃったねえ」
「反省の色が全く見えない声なんですけど」
あっけらかんとした白澤の声。それに桃太郎も慣れたように言葉を返すと、床に座り込んだ状態で白澤は首だけ後ろを振り返る。投げ飛ばされた影響か鼻血がその鼻の下を流れている。
「だって僕はちゃんと始めに遊ぼう! って言ってるからね。それで怒らせてしまうと困ったもんだよなあと思うしかないじゃん? 怒らせたくないし、僕としてはやっぱり皆で楽しく遊びたいんだけど難しいねぇ」
白澤の言葉は他の男が言えば酷い男だと避難されるに違いない言葉である。だが、そこが白澤が白澤であるところであり、白澤には遊びたい以外の他意が本当に無い。だから嘘はついていないが、やはりそれを男女の付き合いで言うには難しい所があるんだよなぁ、と桃太郎は改めて息を吐いた。
白澤が本心で遊びたいのだと気がついた時、桃太郎は驚いたものだったとふと思い出す。
「……とりあえずお客さん来たら驚くんで立ち上がったらどうですか」
「ああ、それもそうだね」
よいしょ、と掛け声を掛けて白澤は立ち上がると体を思い切り伸ばした。
もともと長身の彼がその動きをすると更に大きくなったように桃太郎の瞳には映った。白澤は伸びをしながら頭上で緩く手を組む。
「――!」
桃太郎はふと自分の視線が向いた先に気が付いて息を止めた。視線の先は、やはり。その組まれた手先に自然と動いてしまっていた。桃太郎は悔しそうに唇を噛むとまた強く瞳を閉じた。

























*****

――また、あの夢だ。

桃太郎は瞳を開けた瞬間に、視界の先の光景に皺を寄せた。
見慣れた自分自身と白澤が向かい合って立つその光景。繰り返し見るこの夢の中で、部外者のように二人を見つめる桃太郎は身動きが出来ない。瞳を開けた時から本当に目覚めるまで、この二人を見つめるしかできなくなる。
目の前で白澤と桃太郎はどこか嬉しそうに微笑んでいる。そして白澤の手が伸びる。触れる先は目の前の微笑んでいる桃太郎だ。その手は、ただ、優しく桃太郎に触れる。どこから見ても何度見ても、その手の動きには特に何の他意も感じない。ただ触れるだけで触れられた桃太郎も反応は返さない。

――この世界でみっともなく反応するのは





俺だけだ










「――っ!!!」

声にならない声を喉の奥で殺しながら桃太郎はベッドの上で跳ね起きた。心臓が痛い程に動いていて身体中が痛い。
夢から目覚められたことにまずは一つ息を吐く。逃げられた。あの世界から戻ってこれたことにまずは何度も安堵の息を吐く。だが、背中を伝う汗が次々に冷たく滴り体を冷やしていく。
終わりじゃない。起きて終わりじゃないんだ。
桃太郎は次にゆっくりと掛け布団に手を掛ける。その手は微かに震えている。その手の震えに静かな室内に桃太郎の舌打ちが響いた。
掛け布団を少しずつ持ち上げる。見えてきたのは己の下半身。持ち上げた布団の下、足の付け根、そこで微かに持ち上がっている着物の膨らみに唇を噛む。
「ちくしょう……!」
その体の反応に嫌悪感が込み上げる。
夢に出て来る白澤は性的な触れ合いなんて一度もしたことはない。ただ、触れるだけ。
それなのに。
触れられるだけで桃太郎は欲情している。しかも自分ではなく、夢の中の桃太郎に触れているだけなのに。
その事実を嫌という程に思い知らされ、起きる度に何かがまた自分の中で壊れていく音が聞こえる気がする。
「ちくしょう……!!」
桃太郎は再度小さく呻くと、目を閉じて自分の下半身へと手を伸ばした。触れた自身の硬さと熱に吐きそうになる。自分自身のはずなのに他の人間のモノに触れている気がした。
早く気持ちの悪い熱を追い出したくて頭の中で必死に別の何かを思い浮かべながら手を上下に擦り上げる。それだけでまた吐きそうになり、頭の奥がガンガンと金槌で打ち付けられているような痛みが起こる。
こんなもの単なる生理現象だ、早く吐き出して吐き出して消して、俺はまた、ただの弟子としてここに居たいんだ。
浮かびそうになる師匠の姿を振り払って機械的な行動だけに集中する。
あと少し。
そう思った時だった。
「――っ、あっ……!!」
抑えていた息が一瞬口から漏れた。
同時に桃太郎の手の中に己の昂りが吐き出された。瞬間、桃太郎の顔が青く青く変わり、唇から色が失くなる。
「……なんでなんだよ……っ」
悔しげな絞り出した声は薄く開いた口の中で、微かに荒くなった息に消える。
傍らのティッシュケースを掴むと乱暴に何枚か持ち上げ、手を拭えばまた顔が歪んだ。

最後のその一瞬。
桃太郎の頭に浮かんだのは、筋張った手のひらだった。
頭に浮かんだのは本当にそれだけだった。
それだけで達してしまった自分。そしてその手が誰の手など考えなくても分かる。ずっと見てしまっているその手、それを思い浮かべるだけで、考えるだけで、俺は。

吐き気のする熱を吐き出すだけで虚しさと嫌悪感が体を支配する。
桃太郎は両腕で自分の体を押さえつけるように抱き締める。

こんな反応するのなら、恋しい、愛しいと思いたかった。
恋しい、愛しいと女性達は白澤に怒りそして泣く。恋愛騒動に巻き込まれる白澤を何度も見て、様々な恋や愛の形を見てきた。
だけど、そんな感情を自分はやはり白澤に持っていない。
白澤を想って泣いたりもしない、逆にどんなに白澤が女性と仲良くしようとも嫉妬心も起きなれければ声を掛けられる女性達を羨ましいとも思わない。あの女性達にとって変わりたい、あんな風に付き合いたいなんて思わない。
普通、恋だ愛だという想いを抱くなら相手のことを想って恋しいと泣いたり辛くなったり、時には嫉妬したりしてその人のことを想う。恋愛とはそんなものだ、そう桃太郎は思っていた。
それなのに。触れて欲しいと、そう考える、それだけで欲情する俺のこの体の反応はなんなんだ。その手だけが、その手のみで反応する俺はなんなんだ。

――俺はおかしいのだろうか。

窓のない倉庫の中。
外から鳥のさえずりが聞こえてくる。そろそろ夜が明ける。

こんな俺が、そんな風に考えてしまう相手に師事して欲しいと願うなんて、

そこまで考えて顔を覆う。
夜よどうか明けないでくれ、と。叶うはずのない願いは心の中だけで叫んで消えていった。































頭上で輝く太陽をふと見上げながら桃太郎は小さく溜息を吐いた。溜息を吐くたびにまた腹の底に何かが溜まる気がして首を振る。
今日も朝が来てしまったと、そんな言葉が過ってまた頭を振った。
「よいせ、と」
気分を持ち直そうと大きな掛け声を出した。ほんの少し、気が晴れた気がした。
その手の中には底の浅い籠。店の外で干していた生薬がその中に重なって積まれていた。店に戻ろうと振り返った時、扉が開いたのが見えて足が止まる。扉から白澤が歩いて来た。
先程の溜息の理由を思い出し、一瞬体が強張ったことにまた首を振ると桃太郎は腹に力を入れた。
「白澤様! どうしました?」
大きな声で声を掛けると、白澤は首だけを桃太郎に向ける。
「ちょっと畑の様子で気になることがあってね」
「畑ですか?」
白澤は前へと首を戻すと、真っ直ぐ店の前にある畑に向かって行った。桃太郎も籠を両手で抱えたまま白澤の後ろをついて行く。ちょうど畑には花を付け始めた生薬で色付いていた。
「植物の育て方もね、植えるもの同士の組み合わせがあるのは知ってる?」
「確か、栄養の取り方とかでしたっけ」
「そうそう。今こうして育ててる生薬同士は問題無いんだけど、ほら。ここの根元。植えてない芽が出てるんだよ」
「あ、本当だ」
白澤が指差す方向、その指先は見ないようにしながら畑の土の上に視線を移すと確かに見慣れない芽が出ている。
「もう少し何の芽なのか確認しようかと思ってたけど、やっぱり畑からは早めに外した方が良いかなと思ってね」
「ちょうどこの生薬、ここからが大事ですもんね。引っこ抜きますか?」
桃太郎がそう言うと、白澤は首を左右に振った。
「いや、せっかくこうして芽を出してくれたから植え替えよう。土地はこうして余ってるしね!」
白澤の言葉に桃太郎は目を瞬かせた。そして改めて、この人はやっぱり基本的に優しい人なんだよなとその小さな芽を見つめる。桃太郎には植え替えるという選択肢は浮かんでいなかった。
「その籠はカウンターに置いて、スコップ取ってきて貰っていい?」
「あ、はい! わかりました!」
桃太郎は開けっ放しだった扉から店内に入ると籠を置き、傍に置いてある農作業用の籠からスコップを取り出す。ちょうど近くにあったタオルも引っ張り出して畑へと足を向けた。
「白澤様、スコップです」
「謝謝!」
桃太郎がスコップを差し出すと白澤は微笑みながら受け取った。そしてスコップは器用に芽の周りに差し入れられる。ぐるりと回すようにゆっくりと動いたスコップは、やがて最後にぐ、と深く地面に差し込まれ、少しずつ持ち上げられる。持ち上げられたその上にはくり抜かれた芽と芽の周りの土が綺麗に乗っていた。
「おおー、綺麗に取れるもんですね」
「根を傷つけ無いようにするのが大事だから気をつけ無いとだけどね。さてと、これはあっち、まだ畑作って無い所に植え替えよう」
スコップを両手で持った白澤についていけば、少し畑から離れた所に白澤が歩いていく。ふと思いついて桃太郎は店の中へとまた急いで入って行った。
「桃タロー君、って、あれ?」
「すみませんお待たせしました!」
振り返った白澤が首を傾げたと同時に店から顔を出した桃太郎の手にはもう一つスコップが握られていた。それを見た白澤は嬉しそうに頷く。
「それ、頼もうとしてたところだったんだよ」
白澤の言葉に桃太郎は少し表情を柔らかくした。やはり師事している人に小さなことでも褒められたりするのは嬉しい。
桃太郎は白澤の隣にしゃがみこむと目の前の地面を指し示した。
「ここで良いですよね」
「うん、そう。少し大きめに掘ってね」
柔らかめの土にスコップを差し入れた桃太郎はそのままザクザクと土を掘り返す。白澤の示した場所はちょうど芝のない地面、前から植え替える場所を決めていたのだろうかとまた小さく感心してしまう。
「土を退けたら、ほら店の傍にある腐葉土ちょっと入れて」
顔を上げて店の隣にある薪。立ち上がってその隣にある袋を開ければ微かに不思議な匂いがする土が入っていた。それを手早く持って来れば少し開けた穴に入れる。すると素早く白澤が少し土を払ったその小さな芽のくり抜いたものを穴の中へと入れた。避けていた土をそこに被せれば、軽く地面を叩いて均す。芽に触れないように均し終えた白澤は、満足そうに立ち上がった。
「これで良し、と」
「白澤様、タオルです」
「あ、謝謝!」
持ってきていたタオルを差し出すと白澤は笑みを見せながらそれを受け取って手を拭く。
桃太郎も立ち上がると植え替えられたばかりの芽を見つめた。
「同じ場所にあって良いわけじゃない。たまには動かすことも大事なんだよね」
「そうですね」
「それは人間も同じ」
「え?」
芽を見ながら白澤の言葉に頷いていた桃太郎は白澤の言葉に不思議そうに顔を上げた。すると、少し頭より上にある白澤が真っ直ぐに桃太郎を見下ろしていた。
「最近、疲れてるでしょ」
「……!」
急に掛けられた声に喉の奥で空気だけが喉奥へと飲み込まれる。白澤はまた視線を芽の方へと向けると、肩を小さく竦めた。
「理由はわからないけど、たぶん眠りも浅いでしょう。顔色も良くない。気がついていた?」
白澤の言葉に桃太郎は唇を噛む。
まさか顔に出ていると思わなかった。いつもどおりに、いつもどおりに。そう思っていたのに、体調の悪さを気がつかれていたことに自分への憤りが一気に心の中で噴き出す。不甲斐ない自分に嫌気が差して堪らなくなる。
「あ、責めてるわけじゃないよ? そんな顔しないでって」
「あ、あの、すんません」
「だから謝らなくて良いってば! でも、その顔だと僕には相談しずらいのかな」
「……」
――原因は、自分勝手な貴方への邪な体の反応なんです。
そんなことが言えるわけがない。
それなのに、その白澤が自分を心配してくれているその事実にまた唇を噛んでしまう。冷や汗が出てくるのが背中を伝う冷たい水気に頭の中も一気に冷えてくる。
すると、白澤は持っていたタオルを揺らしながら店へと向かって行った。桃太郎を振り返ることなく歩いていく姿を横目で見つめ、桃太郎は息を吐いた。その息が重くて眉間に皺が寄ってしまう。
心配をしてくれたのに、こんな態度をとるのは無礼すぎるのと分かっていたがどう答えて良いか分からなかった。嘘をつくのは苦手だ。その自分がどう、言えば良かっただろうか。もしかしてこの芽の植え替えもその為に今、目の前でしてくれたのだとしたら。
「……くそっ……!」
低い声が歯の間から漏れ出した時、店の中から軽妙な白澤の声が聞こえてきた。

「……そう、そうそう。大丈夫かな?うんそう、今夜。ああ、出来れば揃ってた方が良いかな」

顔を上げると出入り口近くで白澤が携帯でどこかに電話をしている。桃太郎はそれをぼんやりと見つめる。

「うん、聞いてみてもらえる?あ、大丈夫そう? そっか、ちょうどそこに……そうそう。うん、謝謝! じゃあ今夜! ごめんね電話しているのが僕で。うん、また後で会えるからその時に。うん、じゃあ宜しくね」

いつもの花街への予約だろうか。会話の流れからそう考えていると、電話を切った白澤が店から出てきた。
「ということで。今夜は出掛けておいで」
「ああ、ええとお店にどなたかいらっしゃるんですか」
お誘いの電話だったのかと桃太郎がそう返すと白澤は首を左右に振った。
「ウチにはだれも来ないよ。君が行くの」
「へ? どこに?」
予想しなかった白澤の言葉に桃太郎から素っ頓狂な声が漏れる。だが、続いた白澤の言葉に桃太郎の瞳が更に見開かれた。
「シロちゃん達のところ」
「……はあ⁈」
突然出てきたシロの名前に桃太郎は一瞬頭が真っ白になり。やがて思わず大声でそれだけ叫んでいた。叫ばれた当の白澤はその桃太郎は気にも留めないのか表情を変えずにふらりふらりと手の中の携帯を揺らす。
「君、変な所で頑固だからね。ちゃんと羽を伸ばして自己管理する事も大事だよ」
白澤の言葉に桃太郎はぽかんと口を開けたまま白澤をただ見つめてしまう。しばらくして、急に白澤は桃太郎を指差して噴き出した。
「なにその顔! あっはっはっ、面白いなあ!」
「だっ、ちょ、何人の顔を見て笑ってんスか!!」
「だって君があまりにもポカーンと口を開けっぱなしにしてるからさあ」
「驚いたからに決まってんだろが! っていうか。え、あの、頭が追いついてないんですけど」
ひとしきり笑った白澤は若干柔らかくなった表情で桃太郎を見つめた。その表情に桃太郎の背が無意識に伸びた。
「要は、ちょっと羽を伸ばしてみなってこと。僕は自分の生活の中に店の経営もあるからお休みとるのも自分の取りたいときに、だしもう生活の一部だったけど。君は今までの生活とは全く違う生活でずっと働いてくれてたからね。ちょっと息抜きが必要なのかもしれないかなと思ったわけだ」
白澤の言葉に桃太郎はまた言葉もなく白澤を見てしまう。そんなことを考えてくれていたなんて思ってもみなかった。
「だから、今まで一緒に居たシロちゃん達と今日はゆっくりしておいで。はい、これは店主権限での業務命令です。分かった?」
目の前で楽しそうに自分に声を掛けてくる白澤。その内容に、表情に、心遣いに。桃太郎は深々と頭を下げていた。
「――ありがとうございます…!」
「よし!」
白澤のさり気ない優しさ。それに桃太郎の胸の奥が温かくなる。白澤の人柄の良さを改めて感じた。

だが、同時に。

そんな相手を毎夜毎夜、邪な体の反応で恩を仇で返してしまっているのだと改めて気がつかされ。温かくなった胸の奥に何かがまたひび割れた気がしていた。


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「桃太郎ー!」
「おー、シロ久しぶり……って、えっ⁈」

地獄に訪れた夕闇の中、近付いてくる地を駆ける音と白い形に桃太郎は手を振って応え。そこでその手が止まった。視線は近づいてくるシロよりも後ろに伸びる。そこには二つの影がこちらに向かってきていた。
「柿助、ルリオ⁈」
「そうだよ、なんでそんな驚いてんだよ!」
「俺達も一緒だと聞いてなかったのか?」
空は見えない地獄の天、何処からか照らされる夕陽のような光の下、桃太郎に近づいてくるのは見知った三つの影だった。
桃太郎が走り寄ると真っ先にシロがその懐に飛び込んできた。それを受け止めて桃太郎は目を白黒させる。
「大丈夫なのか三人とも、明日の仕事は?」
「半休良いよって言ってくれた!」
「俺も半休して良いよって言ってた〜」
「俺は休みを貰えたから問題ない」
続いて柿助が腕に、ルリオが肩に止まる。しゃがんだ桃太郎の周りでニコニコと笑う三匹を改めて見つめ、桃太郎は胸の辺りのむず痒さから思い切り腕の中に彼らを囲うと頭や背中を思い切り掻き回し始めた。
「うわっ、なんだよ桃太郎ー!」
「うっさい、久しぶりの挨拶だ!」
ぎゃあぎゃあと腕の中で騒ぐ姿はそんなに離れていないはずなのに桃太郎にはとても懐かしく。小さく鼻を啜ったのを隠すようにまた両手で目の前の毛並みを掻き回し、彼らの楽しげな声がまたその場に響いた。




















とっぷりと暮れた空の紺色。空の代わりの岩肌ではなく、本物の空が瞬く星を纏って視界に広がっている。
その下で桃太郎達は大の字になって柔らかい草原の上に仰向けで寝転び、その空を皆で見上げていた。

「まさか野宿とはなあ」

呟いた声には笑い声が混じっていた。


***
集まった後、さあて行くか! と誰とも無しに言った瞬間に全員が顔を見合わせていた。誰も集まった後のことを考えている者が居なかったのだ。
しばらく悩んだ後、急にシロが「天国! 久しぶりに天国行きたい!」と言い出したのをキッカケに、夜でも気候が安定した天国ならば、と酒や食べ物を地獄で買って天国で夜を過ごす事になり。ぷらりぷらりと歩きながらどこへ向かうとも決めず、月明かりの中だけでなんとなく話をしながら歩いていれば、やがて丈の低い草が生える広々とした草原を見つけ、彼らは足を止めた。
そしてその草原で花見ならぬ星見をしながら一通り盛り上がった後、草原に背をつけて全員で今に空を見上げていた。

「どこ行くとか泊まるとか何も考えてなかったもんね!」
「それ威張って言うことじゃねっての!」
「柿助威張ってるけど柿助だって考えてなかったじゃん!」
「いくら周りに何も無いからってもう少し声抑えろ、二人とも」
「ルリオたまにオッさんくさいよね」
「そうかそうか、それならば口を嘴で突いてやろう」
「臨戦態勢入らないでごめんなさい!」
「あっはっは、変わんねぇなあ」
たまに聴こえる虫の音以外に聴こえる音は他には無い。その中で響き渡る三人の遣り取りを聞いていた桃太郎はそれだけ言うと思わず噴き出した。
「えー、変わったよ! 俺、今じゃ立派な社会人だよ!」
「立派なヤツは立派って言わねーよーだっ」
「柿助一言多い!」
「悪い悪い、そうだよなあ俺達全員社会人なんだよなあ」
改めてそう言葉を零した桃太郎は、ふと体を持ち上げて草原に座り込んだ。広々とした緑の他に周りには何も無い。目の前には月の明かりで仄かに明るい群青の空だけが頭上に広がる。
「働くなんてさあ、考えたことなかったよなーってたまに俺、思ったりするんだよ」
ふと手のひらに少し固めの毛並みが触れた。下を向けば、柿助が桃太郎の腕に寄り掛かりながら桃太郎を見上げていた。少しその顔はいつもより赤くなっている。そういえばと、周りを見渡せばすっかりゴミ袋代わりのビニール袋の中は空になった酒の缶や食べ物のパッケージで一杯になっていた。
「柿助おまえ、結構ペース早く呑んでただろ」
「えーそんなことないって、それにこれくらい呑めないと仕事の呑みとかで先輩風吹かせないだろー!」
桃太郎は柿助のその発言に思わずルリオと顔を見合わせ。そしてすぐに噴き出していた。
「柿助、お前また変な所で大見得切るとしっぺ返し食らうから気をつけろよ?」
「大丈夫だってえ、俺だって成長してます!」
「俺だって成長してるもん!」
「おっ⁈」
急に横からやってきた白い塊に突き飛ばされ桃太郎が少し転がれば、乗っかるようにシロが胸を張っていた。やはりこちらも顔が赤い。
「シロお前やっぱり太っただろ⁈」
「太ってないよ! そう言う桃太郎だってお腹出てきてるじゃん!」
「なにをー⁈」
「あ、ほんとだぷよぷよしてる」
「あ、このやろ柿助!」
「俺らの大将がメタボリックか……」
「ルリオまで⁈ おいこらお前らちょっとそこ並べ!」

わいのわいのと酒も回って赤らんだ顔のまま、四人は静かな夜空の下で笑いながら騒いだ声は風に流れていった。













***
月が天辺を越えた。
その月をぼんやり眺めている桃太郎の腹の上には、すっかり熟睡している柿助が仰向けになり、その小さな手でその剥き出しの腹をぼりぼりと掻き。シロはうつ伏せの姿勢で腹の上で何やら寝言を言いながら伸びていた。
「あーあ、涎垂らしてら」
桃太郎はシロの口元を笑いながら突くと、突っつかれている感触があるのか前足がふらふらと顔のあたりを彷徨うと何やらむにゃむにゃと呟きながらまた腹の上に顔が落ちた。
「……桃太郎」
「ん? ルリオ、寝てなかったのか」
桃太郎の足元で寝ていたはずのルリオの声が聞こえ、羽音と共に桃太郎の肩へ降り立った。
しかしその後でルリオは無言になり。桃太郎も無言のまま、頬にルリオの体温を感じて桃太郎は微かに息を吐いた。
「……今日さ」
口を開いたのは桃太郎だった。
「白澤様に、何て呼ばれてルリオ達集められたんだ?」
桃太郎がルリオの方へと視線を向ければルリオの鋭い瞳が桃太郎をじっと見返す。
「いや、何も言われてない。ただ、桃太郎を夕飯にでも誘って久しぶりに会ってみたらと、だけ」
「お前ら、それだけで集まってくれたのか?」
「久しぶりに会えるなら俺達だって嬉しいさ」
「そっか。……俺だってそうだな」
言葉がまた途切れると、二つの寝息以外には微かな虫の音しか聴こえなくなる。桃太郎がまた小さく息を吐くと、ルリオの嘴が軽く頭に当たった。
「なんだか疲れているように思えたが、平気か」
桃太郎が横目でちらりと肩の上にいる声の主を見ると、その鋭い瞳がじっと見つめている。
長年ずっと一緒に過ごしてきたルリオには変な嘘は通じないか、と桃太郎はまた息を吐いた。
そして視線を下げると眠っているシロと柿助を見つめる。ゆっくりと手を伸ばすと、柿助の手に触れた。小さな小さなその手に触れながら桃太郎の口には薄っすらと笑みが浮かんだ。
この手に触れるだけで色々な思い出が蘇る。家族のように愛しくて、大事な存在。当たり前だが、分かってはいたが、それ以上の気持ちは起こらない。
他の人の手だって何度も思い浮かべたこともあった。しかしどれも、やはりそれぞれ感じる思いは別だが特別変な気持ちは一度も起こらなかった。
「……上手く言えないんだけどさ。俺の価値観とか、そういうのが、なんか、ちょっと。分からなくなってきてて」
言葉を選びながら、ぽつりと。桃太郎の口から言葉が零れた。
静かに風が吹く。心地の良い天国特有の風に桃太郎は目を細めた。
「価値観なんて、置かれた場所で変わるものじゃないだろうか」
低いルリオの声がゆっくりと言葉を紡いだ。桃太郎はじっと自分の手を見つめる。
「俺も地獄で働くようになって今まで自分の中にあった正義とか正しい事とか、そういう価値観が変わった」
桃太郎はゆっくりと顔を肩の方へ向けた。ルリオは嘴で羽根を少し繕え、その顔を空に向ける。桃太郎はその横顔をじっと見つめた。
「価値観とか、感情なんてものは状況や置かれた立場とかで俺は変わることがあると思っている。だから、桃太郎も働き始めて何か変わったならそれはおかしなことではないと、俺は思う」
「そうか……」
桃太郎はルリオの言葉にそれだけ返すと、握ったり伸ばしたりしていた手をシロの頭に乗せた。軽く撫でると馴染んだ毛並みが心地良かった。
「俺は同僚や、シロや柿助と話が出来たから良かったが、桃太郎の職場は人間の従業員は桃太郎だけだ。だから少し心配していたんだ」
桃太郎はルリオの言葉に胸の内が温かくなる気がした。自分達も慣れない環境で大変だっただろうに、そんなことを思ってくれていたのかと改めて思うと鼻の奥が微かにツンとして、慌てて息を吸い込んだ。
「桃太郎が何か思う事があるなら言って欲しい。だが、話しにくいなら、話せるようになったら相談して欲しい。何があっても俺達は桃太郎の価値観を否定はしない」
「……ルリオ……」
桃太郎が肩の方へ視線を向けた時だった。シロの頭に乗せていた手に、小さな指の感触。慌てて前を向くと、それは柿助の手だった。
「そうだよ、俺達は仲間だろー?」
聞こえた声に、その主の方向へと視線を向ければつぶらな瞳と視線がかち合う。いつの間にか起きていた柿助は、桃太郎と視線を合わせると少し眠たげな瞳を細め、歯を剥き出して笑っていた。
「……俺だって、話聞くくらいならいつだってできるし!」
続いて聞こえた声は撫でていた白い頭から。視線を下げればやはり眠たげな瞳を何度も瞬かせながらもシロが桃太郎を見上げていた。
「お前ら……」
桃太郎はそれだけ呟くと、両手でシロと柿助を抱き込むと頭を思い切り掻き回した。
「うわあ桃太郎なにすんだよー!」
「頭ぐっしゃぐしゃじゃん!」
「あっはっはっ!」
不満げな声を出すシロと柿助の頭の上の毛がグシャグシャになっているのを見て桃太郎は思い切り笑っていた。それから肩の上のルリオの頭も思い切り撫でれば、その顔には快活な笑顔が浮かんでいた。
「俺の中で整理ができたら。そしたら聞いてもらえるか」
桃太郎の口から出てきた言葉に三匹は顔を合わせ。やがてニッと笑うと大きく頷いた。その姿を見て桃太郎はまた笑みを顔に浮かべ。そして自分の手をじっと見つめる。
やっぱり「白澤様に触れてもらう」こと「白澤様に触れること」それが自分の中では他と明らかに違うのだと、改めて思って手を握る。
目を反らして逃げ続けても恐らく何も変わりはしない。
もう隠したり誤魔化したくないと、改めて桃太郎は思い、握っていた手をそっと。開けばまたじっと手を見つめた。










****
「桃太郎待たねー!」
「また遊んでくれよなっ」
「体には気をつけろよ」

「おう、本当に有難うな!」

朝焼けの空の下、桃太郎達は地獄へ繋がる門の前で手を振って別れた。門の中へと消えていく後ろ姿を見つめてから桃太郎は歩き出す。

改めて天国の景色を見ながら小さく深呼吸し、ゆっくりと歩いて行く。

もうすっかりと歩き慣れた道の先は豊かな桃色の花が満開に咲き誇る仙桃園の中心。少しずつ周りに増え始める仙桃の木を見上げながら足を進める。青々とした芝は朝露のせいか微かに光っていてその爽やかさに目が細められる。こんなにものんびりとした気持ちで外を歩いたのはどれくらいぶりだろうか。

やがて木々の切れ間、中心にある古風な出で立ちの極楽満月が見えてきた時、桃太郎は足を止めていた。
大きく息を吸う。静かで物音のしない扉へと近づき、ゆっくりと扉を開ける。
「ただいま、戻りました」
「……おかえり……」
「えっ」
早朝の極楽満月の中、返ってくると思わなかった挨拶に驚いて中を見れば、ちょうどお手洗いから真っ青な顔した白澤が出てきた所だった。
「え、朝早いですね⁈ いやそこじゃなくて、ああもうとりあえずほら椅子座ってください!」
フラフラと足元が覚束ない白澤に桃太郎はそれだけ言うと勝手知った台所へと足を早め、手早く白湯を用意してテーブルへと置いた。
「今から黄連湯作るんでちょっと待ってください、なんスか具合悪くて起きちゃったんですか」
手際良く準備をしながら、声が返ってこないことに気がついた桃太郎は振り返る。すると、テーブルに頬杖をついて青白い顔のままではあるが、柔らかく目が細まった白澤が桃太郎を見つめていた。
「少しは気晴らしになったみたいだね。顔色、良くなってる」
桃太郎はその言葉に目を瞬かせた。
そして足を揃えると白澤に真っ直ぐ向き、深々と頭を下げた。
「本当に有難うございます、あいつらと久しぶりに一緒に過ごせてすごく楽しかったです」
「そっか、それは良かった」
顔を上げた桃太郎の顔の前で白澤はやはり顔色は悪いが、その柔らかい目元は崩さずに桃太郎を真っ直ぐに見ていた。桃太郎と視線が合うと、その表情が緩やかな笑みに変わる。
テーブルの上にも流しの上にも宴会を開いた様子は見当たらないことに、もしかしたら、一人で呑んで待っててくれたのだろうか、と思って目の前の人を見つめる。
さり気ない白澤の優しさに桃太郎は有難い気持ちで胸が一杯になる。
自分には無いたくさんのものを持っている人にこれからも師事したい。教わりたいことが沢山ある。桃太郎は改めてそう思い、そして。ずっと避けていたその人の一部に目を向ける。
少し筋張った、高い背丈のせいか大き目の手。肉付きは良く無いが適度に筋肉の付いている白澤の手。
自分は。
――やはり、この手に触れて欲しいのだと、思っている。

「桃タロー君?」
「あ、すみません何かボーッとしてました」

白澤から声を掛けられて桃太郎は我に返った。それだけ返事するとコンロに向き直り黄蓮湯の準備を始める。
その時、後ろで軽く椅子を引く音が聞こえた。振り返ると、そこに白澤が立っていて思わず息が止まる。
「寝てなかったりする? 今日はお休みしても良いけど」
声と共に白澤の手が一瞬、桃太郎の目の下を掠るように触れる。瞬間、桃太郎の体が微かに震えた。
「……いえ、大丈夫、です」
絞り出したような声の出来損ないのような声音で桃太郎はどうにか返事をする。
ああ、やっぱり俺は。白澤に触れられる事で俺は、昂ぶってしまっている。
頭を振って体の要らない熱をどこかに向けようと大きく息を吸う。胸が痛くなりそうなほどに早く動いているのに気がついて唇を噛む。
決めただろう、ここから俺は逃げちゃいけないんだ。
「桃タロー君――」
「あの、今日の仕事の後。白澤様、時間ありますか」
何か言いかけた白澤の言葉を遮り、桃太郎は真っ直ぐに白澤を見つめて言い切った。
「今日? 特に用事は無いよ」
少し驚いたような表情を一瞬見せつつも白澤の言った言葉に、桃太郎は微かに己の手を握りしめた。
「今日、聞いて欲しいことがあるんです。時間、貰えますか」
桃太郎の言葉に白澤は瞬きをして。やがて、ゆっくりと頷いた。

どんな結果になるか。
そこまで考え、桃太郎はその考えを首を振って打ち消した。それを考えたらまた、動けなくなることが分かっていた。
俺はこの人に。シロに。柿助に。リルオに。隠し事をしたくない。ちゃんと胸張って立っていたい。白澤様の側でこれからも仕事をしたい。だから、だから。

あの疚しくて後ろめたい気持ちはこれで、最後にするのだと。これで最後にするのだと、何度も心の中で呟いた。

その後ろで、火にかけていたヤカンから甲高い音が静かな部屋に響いた。
それは何かの合図のようだと。桃太郎は感じていた。
 
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