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投稿日:2022年07月08日 22:15    文字数:18,613

転生したらボブゲーの主役になっていた件【イベント:ルート分岐編】

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ルート分岐に挑戦してみました。セフィカズ、仁一、拳一は次回のルート分岐で登場する予定です。
未遂に終わりますがありますがカズヤがモブ男性と体を結ぶ約束をしているので苦手な方は注意です
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 さあさあと降っていた雨は既にあがっていた。時間潰しのため入店していたカフェの窓際の席から、曇りの夜空を数秒眺めて席を立つ。会計を済ませて外に出ればムワッとした空気が全身にまとわりついてきた。目的地につくまでこの空気をまとうと思うだけでうんざりする。
 しかし行かなければ何も始まらない。スマホを取り出して受信したメールの文面を改めて読み返す。

『○○駅の北口、2番目のベンチで眼鏡を掛けてスーツを着ているのが私です。緊張するかもしれませんが大丈夫。なにかあったら連絡して下さい』
「……」

 湿った空気を振り払うように足早に目的地へと向かう。
 駅前のロータリーには様々な人がいた。タクシーやバスを待つ人、これから飲み会に行くであろう大学生らしき集団、仕事帰りのサラリーマン、デート中のカップルなど様々だ。その雑踏の中のベンチ、目的の人物はすぐに見つかった。

「……さて」

 躊躇うのはここで最後だ。──そう、自分は今から行きずりの男に抱かれる。
 縋りたい。助けて欲しい。快楽を求めて燻る熱を慰めて。なんて女々しい理由だが仕方ない。どうしようもない。そして正直な話、疲れていた。前世の忌々しい記憶、それは間違いなく一八の心を蝕み今でも心の内側で「アイツを殺せ」「支配しろ」と囁いてくるのだ。

「もう、いい」

 あの世界の三島一八と今の三島一八は別人だ。本人だけど違う、世界の条件が何もかも違う。それなのに蝕む前世が、視界に映るものを憎悪に変えていくのに耐えきれない。
 息子を、義弟を、旧友を、かつての恋人を殺せと囁く前世をこれ以上聞きたくない。だから、これは嫌がらせだ。前世の自分が引っ込むくらいズタズタになって、哀れみの目を貰えれば前世の自分も少しは溜飲が下がるかもしれない。
 それにもし自分が男に犯されて悦ぶような変態だとわかれば、前世の自分もこうだったと嘲笑えるだろう。だから一八はその男に近づいて──


テリー√→2ページ目

ポール√→3ページ目

リュウ√→4ページ目

……誰も周りにいない→5ページ目

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「カズヤ?」

 よく知る声で名前を呼ばれパッと振り返ればそこには赤いキャップとジャンパー、ではなくスカジャンコーデのテリーが手持ち無沙汰な様子で立っていた。

「珍しいなこの時間帯に駅にいるなんて。今日は歩きの気分だったのか?」
「……ああ。そうだ。そのついでに何となく寄っただけだ」

 嘘をつける口を鍛えておいてよかった。この男は誰もを照らす光で、己の闇しっかり受け止める人間だ。あまりにも、今の自分には眩しい存在だ。だからこそ、遠ざけたい。こんな自分を見てほしくない。
 そんな一八の思いなど露知らずテリーはいつも通りの笑顔で、

「そうか!なら丁度良かった!」

 と言いながら近づき肩を組んできた。パーソナルスペースという概念がないのは悩ましい。

「俺も今日はちょっとした用事で近くまで来たんだよ。なあ今から飯でもどうかなって思ったんだけど、どうよ?あ、金は気にすんな。今日はボーナスが」
「いやいい。今から用事があるんだ」
「用事?」

 そうだ、用事だ。貴様には思いつかないほど醜く汚い、最低最悪の用事が待っている。それでも言葉に詰まったのは、これから行うことへの抵抗感からだろうか。

「本当に大丈夫か?元気、ないだろ」
「なんでもないと言っているだろ」

 涙が出てきそうになるのを抑えてテリーから一歩離れた。もうここにいるのは辛い。早くどこかに行ってくれ。そう願いを込めて見つめるが、彼は一八の顔をジッと見たまま動かない。
 居心地の悪さが漂う。
 いっそ怒鳴ってしまおうかと思ったその時、ふっと彼の表情が変わった。それは悲しげな顔。まるで自分の大切な人が目の前から消えてしまうかのような寂しさを感じさせるもの。

「……ッ!」

 思わず息を呑めば悲しみの表情が余計に一八を突き刺す。いっそ目の前から逃げようとまた一歩下がったその直後、手を取られてしまった。

「……逃げるなよ」
「離せ」
「嫌だ」
「……離せ」
「なぁカズヤ、なんかあっただろ」
「……」
「なにも言わねぇけどさ、俺は知ってるぞ」

 何も知らないくせに。貴様の好感度も危険度も俺は見えていて、俺を性的な目で見ていることなんて知っているぞと告げる口よりも早くテリーが歩き始める。必然的に手を取られていた一八も引き摺られ駅の出口へ向かっていく。

「おいどこに行く気だ!?離せ!」
「まずここじゃないところに行く」
「ふざけるな」
「ふざけてない。大真面目さ」

 そう言って振り向いたテリーの顔には先程のような悲しい色はない。あるのは決意に満ちた力強い瞳だけ。

 ──綺麗だと、そう感じた瞬間

「走るぞ!」

 そのままテリーは走り出した。手を取られたままなので引き摺られぬよう走り出す。抵抗しようと思えば出来た。しかし何故か身体は言うことを聞かず、されるがままに駅を出て夜の街を駆け抜けていく。目的地があるわけでもないのに、一八の手を引く力は決して離れないようにと強く握られていた。

「楽しいなカズヤ!」

 途中、そんな言葉を交えながら走っていけば着いたのは公園だ。ベンチに腰掛けて荒くなった呼吸を整える。
 隣ではテリーが同じように肩で息をしていた。一八より体力はあるはずだが、流石にここまで全力疾走すれば疲れるか。一八はポケットに手を入れスマホを取り出す。画面には不在着信が何件も入っていた。予約した男が連絡してきたものだ。手早くメールを打って用事ができた、違約金は払うと送れば了解と一言だけ返ってくる。
 これでもう会うことはない。
 隣にいるテリーを見れば曇りの夜空を眩しそうに眺めている。

「ここは、貴様と初めて会ったところか」
「そうそう。あの時のアンタ、不健康な顔していたな。今は寂しそうだけど健康になったよな」
「寂しそう?」
「どこからどう見ても寂しそうだ。だからこうして連れ出してきたんだ」
「……」
「まあ、理由はそれだけじゃねえんだけどな」

 そう言うとテリーが一八の手を取り、その掌に唇を落とした。

「きさ、ま」

 突然の行動に驚いていればテリーは真っ直ぐこちらを見つめ、満足げに微笑んでいる。
 この男の行動原理はいつだってシンプルだ。
 己の信念、気持ちを貫くこと。それがテリーという人間。真っ直ぐで迷いのない、眩しい光。

「好きだ、カズヤ」

 ああそうだ。だからこそ、こんな自分を見てほしくなかった。

「……理由を聞かせろ」
「好きになるのに理由っているか?」
「いるから話せ。お前は何故俺なんだ」
「んー……強いて言えば一目惚れ?」
「馬鹿にしているのか?」
「違うっつの!あーでも最初は顔かも……」
「死ね」

 軽く脇腹を小突いてやるとテリーは大袈裟に痛がったフリをする。ムカつくから次は本気でやろうか。

「ホント最初は『何か寂しそうだなー』なんて思って色々やっていたけどさ、最近アンタのことを考えながら行動することが増えて、変に甘いところとか逆に冷たいところとか、そういうところもっと見たくなった」
「結局何だ貴様は、俺のことが好きなのか?」

 ストレートに突っ込めばテリーがカッと茹でダコのように赤くなる。なるほど、面白い。

「ここまで来たら、好きに決まってるだろ……」
「そうか」

 好感度の急上昇は止まらず数値が先程からバグっている。ここまで来るともう焦りを通り越して笑えてくるレベルだ。馬鹿だなこの男は、と苦笑すれば返事が欲しいのかこちらを見つめてくる。

「好意は受け取る……が告白は断る」
「マジに言ってる?」
「当たり前だろうが」

 このままエンディングに突入してもいいのかもしれない。だが一八自身はまだテリーの好意に乗り切れていない、円満なエンディングの確率は低いのだ。
 だからテリーの前に立ち、顔を近づいてニンマリと笑ってやる。

「あともうちょっと、俺を惹かせろ。そうしたら俺も貴様を考えてやってもいい」
「……挑戦状か?」
「さぁな」

 そう言って額を指でトン、と押せばテリーの目に情熱が宿った。昔、乱闘したときもこんな目をしてきた気がする。

「いいぜ。この勝負受けて立つ!絶対に、アンタを振り向かせてみせる!!」
「精々頑張れ」
「おうよ!」

 意気揚々と立ち上がったテリーは夜空に向かって拳を突き上げ、そして勢いよくそのまま抱きついてきた。

「おわ!?」
「抱き着くのもアプローチだぜカズヤ!」
「離れろ鬱陶しい!」
「あと少しだけな!」

 ぎゅうぎゅうとした感覚に包まれて暗い感情が仄かに温かくなったのは気の所為。
 好感度:98で危険度:16のテリー、そして主役の一八は雲が晴れてきた夜空の下、楽しげに戯れるのだった。

【テリー√成立フラグ③ 達成】

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「ッ……待てよ!」

 不意に後ろから腕を掴まれる。驚いて振り返るとそこにはゼェゼェと息を切らし汗を流す金髪の男がいた。誰だと一瞬思うがその顔と声でポールだとわかる。いつも電柱のように逆立っている髪が何故か今日に限って下ろされていた。

「貴様か。なんだ?俺に何か用でもあるのか?手短に頼む。俺は今から用事が……」
「うるせぇ!とにかく帰るぞ!!」
「っ!?はなっ……!」

 ぐいっと強引に手を引かれた。抵抗しようと藻掻くが思った以上に力が強く振りほどけない。

「おいポール貴様!」

 呼びかけても止まる気配はない。周りの視線が痛いもののそれよりこの男が自分を連れて帰ろうとする意味がわからなかった。それに纏う雰囲気も怒りのようなものに溢れていて、ますます訳がわからない。
 そうしてずるずると引き摺られ掴まれた腕がそろそろ鬱血しそうになった頃やっと手が離された。着いたのはポールの家で、玄関に入った途端抱き締められる。

「はぁ~~……これで安心だな……」
「何が安心だ!離れろこのバカ!!」

 心底安心したような声を出され思わず怒鳴った。それでもポールは離れようとしない。むしろもっと強く抱きしめられた。そこでようやく気づく。ポールの体は震えている。よく見れば額にも冷や汗を浮かべ、呼吸だって荒かった。

「本当に何なんだ……」

 そう口にしても何らかの理由で自分を案じてここに連れてきた男を無下にする気分にもなれず、大人しくされるがままになっているとやがて落ち着いたらしいポールは体を放してくれた。

「よかった……本当によかった……」
「……とりあえず事情を説明しろ」

 軽く小突いて促せば部屋にあがらせられる。数年ぶりに来たポールのリビングは相変わらず物が散乱していた。クッションに座るよう言われて腰かけると、目の前のテーブルにコーヒーの入ったマグカップが置かれる。それを手に取ると隣にポールが座り、ようやく説明が始まった。

「仕事終わりにたまたまお前を見かけたらビックリしたぜ。何せ今にも死にそうな顔しながらフラフラどこかに歩いてるじゃねぇか!!慌てて後を追ったらまさかあんなところに行こうとしてるなんて思わなくてな」
「貴様、知っていたのか?俺が男に抱かれることを」
「……はぁ!?」

 渾身のはぁ!?が返ってきた。それからすぐにその瞳に困惑の色が見え始めた。あ、これは間違えたなと後悔しても遅い。

「おまッ、男に抱かれ……って、え?」
「忘れろ。……忘れてほしい」
「無理だろそんなの……マジで?」
「…………マジだ」

 沈黙が落ちる。なんとも言えない空気にどうしたものかと思っているとポールが深いため息を吐きながら頭を抱えた。

「……あの時、俺はお前がてっきり飛び込み自殺でもするのかと思ってな。それで必死に追いかけたんだが……まさか男に抱かれるために行っていたのか」
「そうだ。文句あるか」

 いっそ開き直るように言い放つと頬をギュッと摘まれ引っ張られる。痛みに顔を顰めてもギューッと容赦なく引っ張られて堪らず抗議の声をあげた。

「やめろこの馬鹿ポール!」
「やなこった。お前には色々説教してやらないと気が済まない」
「説教なんてお前にされる謂われはないぞ」
「いーや言ってやる。別にお前の恋愛対象が男でも女でもどっちでもいい。何なら人間以外のやつを恋愛対象として見ていてもいい。けど、落ち込んで苦しいときに行きずりのやつとセックスしようとするな!」

 怒鳴られた。それも本気で、怒気を含まれて。予想外すぎて言葉を失うとポールはまた深いため息を吐く。

「落ち込んでいるとな、そこにつけこむ奴が大勢いるんだ。特に知り合いでもない無関係の人間がそういうことをしてくる。だから自暴自棄になったときは知らない奴じゃなくて知っている奴と話した方がいいに決まってる。なのにお前ときたら……」

 そんなこと、自分でもわかっていた。危険な状態につけこむ人間など大勢いて、自分もそんなこと何回も行っていたから。それでもいざ当事者になってみれば、その提案に縋りたい気持ちがわかってしまった。
 段々と胸が苦しくなり、膝を抱えてそこに頭を埋めればポールはそれ以上何も言わず一八の髪を撫でた。それに甘えてそのままの状態でいるとやがてポールはポツリポツリと話し始める。

「お前が自殺すると思ったとき、頭が真っ白になった。いつも自信満々で傲慢で傍若無人なお前が死ぬかもしれないと思うと吐きそうになったよ。まさか男に抱かれるためとも思ってなかったからさっきのは余計に焦ったけどな!どちらにせよ生きた心地がしなかったぜ」
「そうか」
「そうか、ってお前なぁ……まぁ、もう過ぎたことだしこれ以上言わん。とりあえずさっきのやつはここでおしまいだ!」

 そう宣言したポールはポンと一八の頭を一つ叩くと立ち上がってキッチンに向かった。何をしているのだろうかと疑問に思っていると戻ってきたポールの手に2つ缶ビールがあった。

「ま、久しぶりに呑もうぜ。やっすい発泡酒だからお前のグルメ舌には合わないかもしれねぇけど」
「いや、呑む」

 差し出されたそれを受け取ってプルタブを引くとプシュッという小気味良い音が鳴る。久しぶりの缶ビールかもしれない。思わず笑みを浮かべるとポールもつられたように微笑んで自分の分を空けた。

「んじゃ、乾杯」
「ああ」

 カン、と軽い音を立て乾杯し、口内に酒を注ぐ。炭酸が弾け、苦味のある液体が喉を通っていく感覚が心地好くて一気に半分ほど呑み込んだ。隣のポールを見れば彼も美味しそうに飲んでおり、自分の悩みがスッと遠くにいった気がした。
 そこからは何やかんや色々話して、少し口論になりつつも最終的にはお互い笑い合って夜は更けていった。

「……ズヤ……カズ、ヤ」

 フワフワした意識の中、ポールの声が聞こえてくる。目を開けることも億劫なのにその声がとても優しくて、せっかくだからと耳を傾ける。

「……お前のことが好きだ、なんて正面切って言えたらいいんだけどな」

 衝撃の発言。起き上がろうにもフワフワして、ただその声に耳を傾けることしか、できない。

「俺も臆病だなホント。はぁ〜……」
(うるさい、何で、今ここで)
「綺麗な寝顔だな。……起きて悪態ついているときの表情が一番好きだなやっぱ」
(この、馬鹿男)
「……愛してる、カズヤ。誰よりも一番、何よりも」

 額に落ちた柔らかい感覚は、多分唇。そしてそれが離れていくと同時に一八の意識がフワリと遠くへ追いやられていく。

(クソ、色々言ってやりたいのに)

 口に出すことは叶わず、そのまま一八の意識は沈む。酒の効果もあるのか、夢を見ることもなくただただ深い眠りについた。


 翌朝、一八はベッドの上にいた。ポールが床で寝ているということは、運んでくれたということだろう。グーグーとやかましいいびきをかくポールを見れば好感度は96、危険度は21となっていた。

(少しときめいた、なんて口が腐っても言えるものか)

 ポールを見ないようにして再び布団に潜り、目を閉じる。スマホの着信もカーテンの隙間から入ってくる朝日も無視してそのまま二度寝を決め込むことにした。

【ポール√成立フラグ③ 達成】

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「一八?」

 背後から聞こえてきた声が同時に一八の腕を掴む。筋骨隆々の太い腕に、見覚えのある大きな手。振り返った先にいたのはリュウだった。腕を掴んだ理由すらわからないのか、疑問符を顔に浮かべている。

「こんなところで会うとは思ってなかった。最近、ジムに来ていなかったから心配していたんだが」
「……最近、仕事が忙しかったんだ。それより手を離してくれ、痛い」
「ああ、悪い」

 痛みを感じたフリをして適当に誤魔化せばリュウはあっさりと信じたらしい。一八の腕を解放して謝罪の言葉を口にした。それから数秒、何か言いづらそうな表情を浮かべてから口を開く。

「一八、これからどこに行くんだ」
「商談だ商談。貴様も知っての通り、俺は多忙の身なんだ」
「そ、そうか。その割には嫌そうな顔をしていると思ったんだが……俺の気の所為だったか」
「ああ、気の所為だ」

 いつもと違うことに気づかれたのは痛手だ。こいつから離れないとまずい。急いで踵を目的地の方へ向けるが、しかしそれを遮るようにリュウが目の前に立ち塞がった。邪魔をするなと言いかけたその時、グワッと温かいもので包まれる。それがリュウに抱きしめられたと気づくまでに数秒かかった。

「おい!こんなところで……!」
「すまない。でも、お前を放っておけない」

 突然の行動に混乱したせいで抵抗が遅れた。普段なら振り払うことなんて簡単なのに。そう思った時、耳元に唇を寄せられて低い声で囁かれる。

「今にも泣き出しそうなお前を、放っておけるか」

 その言葉を聞いた瞬間、頭の中でプツンッという音が響いて──気づいた時には思い切り突き飛ばしていた。よろめいて尻餅をつくリュウを冷たく睨みつける。

「どけ」
「……わかった」

 低く冷たい命令口調に気圧されたのか、リュウは素直に退いた。だが立ち去る前に一言だけ告げる。

「本当に辛くなったらいつでも言ってくれ」
「……」
「じゃあまたな」

 本当に辛くなったら。その言葉が何度も脳内再生された。一八はスマホを取り出し先程のメール画面を開いたままボーイに短い返信を送って走り出す。
 走り出した先の目標は改札を通り抜けたリュウ。随分遠いところにいるがその背中が見えるなら追いかけることなど容易い。

「はぁっ、はあっ……」

 人混みを掻き分けて走る。息切れして苦しい。肺が焼けるようだ。それでも足を止めずに駆け抜ける。ホームまでの階段を駆け上って最後の一段を踏み出し、その勢いのままジャンプした。

「リュウ!」

 人目も憚らず名前を呼ぶと、電車に乗る直前のリュウがこちらを振り返りホームへ降りてくる。

「カズヤ!?」
「はっ、はー……貴様、足が速すぎるんじゃないか、ゲホッ」
「落ち着け。ベンチに座ろう。水飲むか」
「いや、いい」

 乱れた息を整えるためリュウに促されるままにベンチに腰掛ける。一八は呼吸を整えるため深く深呼吸を繰り返した。その間リュウは何も言わず一八の隣に座っていた。

「はー……」
「大丈夫か?それにしても何故俺を追いかけてきたんだ。仕事は……」
「あれはその場しのぎの嘘だ。商談なんかない」

 一八の返答を聞いてリュウは目を見開くが納得したように頷いている。そんな彼に向かって一八は自嘲気味な笑みを向けた。

「貴様を追いかけた理由、か。……俺にもわからん。ただ、貴様ならこの気持ちを何とかしてくれると思っただけだ」
「そう、なのか」
「ああ」
「……」
「……」

 会話が途切れて沈黙が訪れる。しかしそれは居心地の悪いものではなく、むしろお互いの心の距離が縮まったような感覚さえ覚えるほどの穏やかなものだった。

「一八」
「何だ」
「俺にできることはそんなにないと自分で思っている。だからあまり期待しないでくれ。けど、できることなら俺なりに努力する」
「ああ」

 穏やかな空気が心地好く、一八は思わず微笑んだ。それを見てリュウは一瞬固まると視線を逸らしてしまった。

「リュウ?」
「いや、何でもない!それより今何かしてほしいことはあるか」 

 してほしいこと。この穏やかな空気の中にいるだけで充分すぎるくらい満たされている。その言葉に少し悩んでから答えた。

「そうだな……少し肩を貸してくれないか。貴様を追いかけて疲れた」
「ああ、もちろんだ」

 そう言って彼は自分の右肩を差し出してくる。その好意に甘えて一八は頭を彼の肩に乗せた。すると大きな手が優しく髪を撫でてくれる。

「今日は頑張ったんだな」
「別に。いつも通り仕事をしただけだ」
「それを頑張ったと言うんだ」
「そうか。それなら、頑張ったんだな」
「そうだ」

 ゆっくりとしたリズムで繰り返される言葉のやり取り。それがどうしようもなく幸せに感じられた。ホームのアナウンスも電車の駆動音も人々の喧騒も何もかも聞こえなくなって、世界には彼と自分しかいないのではないかと錯覚してしまうほど静かな時間。
 しかし時間には終わりが来るもので。

「一八、終電の時間だ。俺もお前もそろそろ帰るべきだ」
「もうそんな時間か……」

 名残惜しさを感じながら頭を上げて時計を見れば次の日が迫っている。本音を言えばもっと一緒にいたかったが仕方ない。終電がホームに来ている。

「リュウ、今日は悪かったな。礼は後でいいか?」
「礼なんていらない。お前の役に立てたならそれで良い」
「そういうわけにもいかないだろう」
「気にするな。また連絡してくれれば会えるし、俺はいつでもお前の力になる」
「……助かる」
「ああ」

 電車が到着した。リュウが立ち上がり、電車に乗ろうとする。それを見送るため一八も立ち上がった瞬間、途端に縮まる距離。唇の距離がゼロになった。
 リュウが電車に乗り、ドアが閉まる。発車のベルがやたら遠くに聞こえるくらい顔が燃えるように熱い。

「リュ、リュウ!」

 電車に向かって名前を叫べば彼がこちらを見る。その顔は真っ赤に染まっていた。

 ──俺だって恥ずかしいんだよ

 そう言いたいのか彼は照れ臭そうに小さく手を振った。
 そして電車が動き出す。一八はしばらく動けずにいたが、やがて踵を返し駅を出た。自宅まで歩く夜道で悶々とした気持ちを抱え込む。キスの感触がまだ残っている気がして口元を押さえた。

「クソガキめ……!」

 そう罵倒してもされたことは取り消せない。それでも文句を言いたくて堪らないほど気持ちが揺れているなんて、自覚したくない。ないのである。

【リュウ√成立フラグ③ 達成】

4 / 9
5 / 9


「いやまさかこんな美人さんとホテルに行けるとは思わなかったです。ミシマさんはこういうの初めてですか?」
「そうだな。経験はない」
「そうでしたか。されて嫌なことがあったらすぐ言ってください」
「助かる」

 一見すれば普通のサラリーマンにしか見えないボーイに連れられホテル街を歩くこと数分。ボーイは軽い自己紹介と共に色んなことを話してくれた。趣味、特技、仕事内容。しかしそれらの情報は右耳から左耳に通り抜け、ホテル街の光へ消えていく。
 ボーイの左手が一八の右手に絡み、指先で手の甲を撫でられる度にムカムカとしてくる。嫌悪感がないと言えば嘘になるが、これも彼の仕事だと思えば我慢できる範囲だ。

(……アイツの手なら、こんな気持ちにならなかった)

 脳裏に浮かぶアイツ──いやアイツらと言っていいか。彼らと接するとき、自分はどんな気持ちでいたのだろうと今更疑問に思う。自分に向けられていた感情が可視できるようになってから色んなものと出会い別れることが多くなった。その度に気持ちがいい意味でも悪い意味でも彼らに滅茶苦茶にされてしまった。しかし不思議とそのことに後悔なく、むしろ心地よかったとさえ思える。

(……ああ、ダメだ)

 思い出すんじゃなかった。余計なことを考えてしまったせいで、抱かれるという心持ちが萎んでいく。それでも予約した以上は仕方ない。なるべく早く終わらせて何事もなかったように帰ろうと決意する。

「ホテルに着きましたよミシマさん。今夜はリラックスしてくださいね」

 気づけば目的地についてしまったらしい。外観は普通のビジネスホテル。最近のラブホテルは随分慎ましくなったらしい。

「ミシマさん?」

 ボーイに呼びかけられ足を一歩踏み出そうと──止まる。

 ──本当にいいのか?

 ここまで来ておいて何を言っているんだと自分でも呆れる。だが足が動かない。見知らぬ男に今世の初めてを奪われる、ただそれだけ。後ろを使うのは前世以来だから少し痛いかもしれないがそれも一瞬で終わり快楽に変わるはず。

 ──それでいいのか?

 いいに決まっている。この体は今世の三島一八のものであって、前世のものではない。前世の記憶に引きずられて初めての行為を穢れたものと思う必要もない。そもそも、だ。前世と今世は別物なのだから。だから……


クラウド√→6ページ目

李超狼√→7ページ目

ラース√→8ページ目

覚悟を決めてホテルに入る→次回

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「カズヤ!」

 ハッと声のする方へ振り返るとそこにクラウドが驚いた顔で立っていた。服や髪の乱れを見るに仕事帰りだとわかる。だがこのホテル街にいる意味がわからない。クラウドの自宅はここの逆方向のはずだ。

「……クラウド、どうしてここにいる」
「そんなのこっちの台詞だ。なんで、こんなところに。それにここはラブホテル……」
「仕事だ」
「その人は、仕事仲間か?」
「……ああ」
「お友達ですか?」

 ボーイの言葉も、クラウドの視線も痛い。どうして今このタイミングで、クラウドと出会うのだ。

「そうだ。こいつは友……」
「違う。この人は、俺の好きな人だ。……カズヤからその手を離してもらっていいか?」

 クラウドの青い瞳がボーイへ鋭く向き、強い口調で言い放つとボーイは一八の右手をそっと離した。ボーイの表情を見ればわかる。彼は困った顔をしていた。そりゃそうだ。いきなりこんなことを言われて困惑しないわけがない。
 一八はクラウドへ向き直り、口を開く。

「俺と貴様は友人だ。仕事仲間とも言えるが。とにかく俺はこれからこいつと用があるんだ。帰れ。タクシー代なら渡してやる」

 財布から3万ほど抜き取りクラウドに渡そうとした瞬間、手首を掴まれ引き寄せられる。バランスが崩れ倒れそうになったがクラウドの腕に支えられたおかげで幸いにも尻餅はつかなかった。だが引き寄せられたせいでクラウドと一気に距離が近くなり、彼が放つ独特の香りが鼻腔を擽る。

「離せ」
「嫌だ」
「……ッ、クソガキが」
「アンタの側にいれるならクソガキで結構だ。ボーイさん、全額払うからカズヤを俺にくれないか」

 クラウドの提案に沈黙が降りる。数秒後、ボーイは困ったような顔をして「全額お支払いしていただけますか」と言った。





 クラウドに手を握られスタスタと夜道を歩く。重い沈黙が心地好く感じられるほど気まずい。
 あの後クラウドはボーイの提案通り全額支払って一八を連れ出し、ホテル街を抜け黙りこくったまま歩き続けている。
 一八の手首を掴む手には力が込められている。しかし痛みを感じるほどのものではなく、あくまで優しく包む程度。 

 ──逃げやしないのに

 逃げるつもりはない。クラウドが一八に対して好意を抱いていることは知っている。それを今は受け止められない理由も持っている。
 けれど心はユラユラと揺れ始めていた。“俺の好きな人”なんてはっきりと言われてしまえば、揺らぐなと言う方が無理な話だ。ユラユラムズムズ、心が変になっていく。

「クラウド」

 やっとの思いで呼びかけるがこちらを振り向いてくれる様子がない。仕方なくされるがまま共に歩いていく繋がれた手が熱い。熱くて溶けてしまいそう。もう、いっそのこと溶けてなくなってしまいたい。そうなればこんな気持ちも一緒に溶かせるのに。

「……クラウド」

 もう一度、必死の思いで名前を呼ぶとやっと立ち止まってくれた。夜道の真ん中で手を繋ぐ男2人。滑稽か不審か。クラウドはゆっくりと振り返り、ようやく一八を見つめてくれた。
 その顔は熟れた林檎のように真っ赤かで、まるで初恋の相手に対面した少女のように目が潤んでいる。

 ──ああ、ダメだ
 ──ダメなのに
 ──この男に惹かれてしまう自分が

「……カズヤ。さっきの言葉、撤回しなくていいよな」
「何の、どの言葉のことだ?」

 意地悪く聞けばクラウドは口を尖らせてムッと眉を寄せた。

「だから!さっき、俺のす、好きな人って言った……ああもう!!」

 手首を掴んでいた手が離され、代わりに腰に腕を回される。そしてそのままクラウドの唇が一八の頬へ触れた。ちゅっ、という小さなリップ音が夜の静寂に包まれていた住宅街へと響き渡る。一瞬のキスで、頬が熱く火照る。

「唇はまだ駄目か?」

 からかうとクラウドの人差し指が唇に触れる。

「いつか、アンタにちゃんと告白できたら奪う。それまで、お預けじゃ駄目か……?」
「好きにしろ」

 返答にクラウドはニコリと笑うと再び歩き出す。先程よりもゆっくりした歩調で、今度は指を絡めて。

「……クラウド」
「なんだ?」
「……貴様、本当に俺のこと好きなのか?」
「ああ、好きだ。でもまだアンタの心は奪えていない。これから全力で奪いにいくんだ。覚悟しろよ、カズヤ」

 ニヤリと不敵に微笑むその表情はどこか楽しげで、これから起こる出来事を楽しみにしているようで。

 ──奪われるのは時間の問題か、それとも

【クラウド√成立フラグ④ 達成】

6 / 9
7 / 9


「一八」

 ハッと声のする方へ振り返るとそこにいたのは李超狼だった。金糸を刺繍した青いコートとローファーに白いスーツ、そして銀髪の隙間から覗くキリリとした眼光。

「貴様、何故ここにいる」

 精一杯怒気を込めて睨みつける。だが彼はそんなこと気にせず一八に近づき、ボーイに握られていた方の手を優雅な仕草で掴んできた。

「お前こそなんでこんなところにいる。それに男と手を握ってラブホテルなんて」

 ──抱かれに来たって言うつもりじゃないだろうな

 耳元で囁かれた声と吐息にゾクッと腰が震え、電流のようなものが走る。
 反論しようと口を開こうとするも言葉は紡げずパクパクと開閉を繰り返すだけ。その様子に満足したのか李はクスリと笑ってボーイの方へ視線を向けた。
 ボーイは一八と超狼の顔を交互に見比べて何かを察したらしく苦笑いを浮かべている。

「どういたしますかミシマ様。今でしたら全額返金でキャンセルもできますが」
「ボーイ、その金は俺が払おう」
「ちょっと待て!」

 しかし制止の言葉は届かず超狼はボーイに金を支払う。金額を確認したボーイはニッコリと笑い、一礼してこの場を去っていってしまった。
 残されたのは呆然とするばかりの一八としたり顔の超狼。それが無性に腹立たしくてこの場を去ろうとすると手首を掴まれる。

「どこに行くつもりだ一八」
「行くつもりも何も、帰るだけだが」
「それなら俺が送る。……ここにいた理由をたっぷり聞かせてもらうためにもな」

 超狼の視線が示した先には立派なリムジンがある。その側に立っている超狼のSPたちを相手取ってまで抵抗する気は今更なく、一八は大人しく車に乗り込んだ。





 車が走り出してから数十分、後部座席で隣り合う2人に会話はない。一八は窓の外を流れる景色を眺めながら一連の出来事を思い出す。あそこで超狼が現れたのは予想外だったが、結果としてあの男に犯されることを回避できたのは幸いだ、と考えることにした。これで心置き無く帰れる。
 問題はここから。超狼は一八がホテル街にいたことを知っていたのか?それだとしたらどういう手段で──まさか監視?その可能性に行き着けば羞恥心と恐怖心が湧き上がってくる。風俗の件については念入りに隠し通していたはずなのに!
 疑問をぶつけるべく超狼の方へ顔を向ける。

「……っ」

 しかし、超狼の顔を見た瞬間思わず言葉を詰まらせた。彼は今まで見たことのない怒りを顔に滲ませていたのだ。
 その怒りの理由なんてわかっている。一八が体を行きずりの男に捧げようとしていたことに対しての怒り、失望、呆れ、その他グチャグチャとした感情が混ざったものだ。
 現在超狼から向けられている好感度:82と危険度:80はその証左。

(……言うならはっきりと言えこの馬鹿弟)

 前世では弟とも思わず憎み合ってきた彼と今世ではそれなりに家族としての情を抱けていると自覚している。だからこそ、ちゃんと言ってくれないとわからない。
 そんな気持ちで彼を見つめ続けていると急に車が止まった。そして超狼が運転手に何かを指示すると運転手は車から出ていく。2人きりの車内に逃げ場など、ない。重い空気の中、最初に口を開いたのは超狼だった。

「一八、単刀直入に聞く。……お前は今日、男に抱かれようとしたのか」

 ここまでストレートに言われた以上、言い訳はできない。観念したように目を閉じて息を吐き出す。

「そうだ。貴様の想像通り、俺は見ず知らずの男に犯される予定だった」
「何で、そんなこと」
「大した理由が必要か?俺は男に抱かれて乱れて、快楽に浸りたかっただけだ」
「それなら……」
「それなら、何だ?貴様が俺の願いを叶えてくれるというのか?」

 超狼に対する苛立ちが一八の心を黒く染めていく。お前には関係ないことだと言外に告げるも超狼は退かない。それどころか真剣な眼差しで一八を見据えてくる。
 ああ、そんな目で見つめられるのがひどく恐ろしい。

「今、俺を抱いてもいいぞ」

 これ以上踏み込まれたら心を奪われそうで──

「そんなこと簡単に言うな!!」

 荒い声が一八の鼓膜を突き刺す。それと同時に押し倒され、超狼が覆い被さってきた。突然のことに思考が追いつかずされるがままになっていると超狼は一八のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを開けて肌を露出させてきた。

「いいか一八。お前が今日されそうになったことはこんなことなんだ。……怖いと思わないか」
「……いや」

 強がりでしかない言葉が超狼に納得を与えるわけもなく、彼の手が頬に触れそのまま唇を指でなぞられた。それだけでゾクッと腰が動き出し、期待するように喉が鳴る。だがその期待は裏切られた。超狼は一八から手を離し、代わりに自分の服を脱ぎ始めたのだ。上半身裸になった超狼は一八の手を取り自らの胸に当てさせる。
 心音がドクドクと激しく手に響く。それを感じた瞬間、一八は理解してしまった。ホテルに連れ込まれそうになった自分を見つけたであろう超狼の心臓が激しく脈打っていたことを。

「あ……」
「仕事帰りの車窓で男と連れ歩くお前を見つけたときは心臓が止まりそうだった。慌てて車を止めさせて追いかけたらホテル、しかもラブホテルに入ろうとしていたんだぞ。俺がどんな思いだったか当てられるか?」
「…………嫉妬」
「Excellent! ご褒美として唇を貰うぜ」

 そうして唇が重ねられる。最初は触れるだけの小さなキス。それから角度を変えられ何度も繰り返されるうちに一八は舌を差し出す。それを待っていたと言わんばかりに超狼の舌が絡みつき、強く吸われる。酩酊する頭は考えることを放棄している。ただ与えられる快感だけを追い求め、それに従っていると不意に離れた。 

「……好き、とは言わないんだな」

 そう告げると超狼の表情が固まる。痛い所を衝かれたような、母親に嘘を隠す子どものような、複雑な感情が入り交じった顔。それに思わず笑いを零せばムッと不満げな表情を向けられ、更に笑ってしまう。

「好きはまだ言えないのか?」
「う、うるさい」
「そういうところだぞ貴様。俺を惚れさせるくらいの気概をもっと見せろ」
「お前を惚れさせるのに30年は使っているぞ!いい加減お前から靡け!!」
「断る」
「ぐ……うぅ……と、とにかく今日みたいなことはもうするな!次やったら……その、何と言うか、……お前を抱くつもり、だ!!」
「ほう、その前にちゃんと告白する勇気を出せ。超狼?」

 名前をわざと艶めかしく呼べば色々撃沈したのか一八の体から離れていく。
 全く面倒な義弟だ、と好感度:86と危険度:71に変動した数値を見ながら口角を上げるとまたもグギギと悔しげな声を漏らされる。
 それを一笑に付し、車窓から空を見上げる。曇りの夜空はいつの間にか晴れ渡っており、月がこちらを怪訝そうに見つめている気がした。

【李超狼√達成フラグ⑥ 達成】

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8 / 9


「何しているんだアンタ」

 怒気を含んだ声が一八の背後から聞こえた。一瞬自分に向けられたものなのか否か判断がつかなかったもののとりあえず振り返ると、そこにはシャリ感のある黒シャツと白パンツのモノトーンスタイルで決めた異母弟、ラースが立っていた。

「何でも何も、貴様には関係ないことだ」
「いや関係ある。……おい、隣のヤツ。一八からその手を離せ」

 ボーイを睨みつけるラースの目つきは鋭く、言葉には有無を言わせない圧があった。しかし当のボーイはというと。

「えーっと……あ、なるほど。そういうことでしたか」

 など1人で納得したのか一八から手をスルリと離した。

「こういうこと、よくあるんですよね。どういたしますかミシマ様。今なら全額返金でキャンセル料は発生しませんが」
「返金?そういうサービスだったのか。なら俺が払う」

 まだ怒りを含めたままのラースが財布から何万円か取り出しボーイに手渡す。ボーイはお釣りを渡しながらニコリと微笑み、

「ご利用ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」

 と告げてあっさり立ち去ってしまった。ホテルの入り口に取り残された2人。正直、気まずい。重たい空気の中で一八がラースの方を見ると、視線に気づいたのか彼は一八を真っ直ぐ見つめてきた。

「話が聞きたい」

 その一言がひどく重いものだと感じたのは、気の所為ではない。





 駅近くのネットカフェに男2人で入る、なんて光景はあまり想像できないだろうが幸いなことに何か聞かれることもなく普通に部屋を取れた。受付で部屋番号が書かれたキーを受け取り指定された個室へ向かう。
 小さなリクライニングチェアとPC設備だけの簡素な部屋。2人用のルームとはいえ体格のでかい一八とラースだとかなり狭苦しく感じた。
 チェアを移動させ、互いに向き合う。

「何を、していたんだ」

 ラースの問いかけに一八は一つため息をつく。どうせここで誤魔化してもいずれバレるなら素直に白状するか、と腹を括る。

「何を、か……男に抱かれるつもりだった、と言えば貴様はどうするんだ?」
「ッ!」

 ラースの眉間に血管が浮かぶ。当然といえば当然。好意を抱いている男が別の男に抱かれるなんて、大抵の人間は未遂でも怒るだろう。しかし一八の予想に反してラースは怒りを湛えた雰囲気のまま黙り込んでしまった。

 ──存分に怒ればいいものを

 この男は優しかった。あのクソジジイの血を引いていると思えないほどに優しく正義感に溢れていて、そして甘かった。

「言いたいことがあるなら言え。怒るなり殴るなりなんだってすればいい。今ここにいるのは俺と貴様だけだ」
「……なんで、そんなことをしようとしたんだ」

 絞り出すような声で尋ねてくる。なぜ?どうして?そう聞いてくるあたりやはりこの異母弟は甘い。

「理由がなければいけないのか?」
「当たり前だろ!アンタがそこまでして男に抱かれなきゃいけない理由、教えてくれないなら俺はアンタを許さない」

 許さないと言われても困る。別に許されようと思っていないし、それにこれは自分が望んだ行為だ。

「別に、経験としてそういうことをするのもいいだろう?」

 突き放したのはまどろっこしいから。それに前世が理由でどうのこうのなんて、理解されたくもなかったから。理解されないことの辛さは、前世でも今世でもよく知っている。だから誤魔化すように言葉を並べた。

「なら、俺で経験してもいいだろ」

 トン、と肩を軽く突かれ一八はバランスを失い倒れ込む。当然のようにラースはその上に覆い被さってきた。この展開は予想済みだ。異母弟なら、いや自分に好意を抱く男ならそうしてくれるだろうと分かっていた。
 だから抵抗はしない。されるがまま、欲望のまま体を傷つけられる。そうすればきっとラースは自分自身を責め、一八から離れていくだろう。攻略対象が1人減るなら万々歳だ。見つめてくる瞳にほくそ笑めば、ラースは更に怒って──

「……ぅ」

 ポタリポタリと一八の頬に落ちてきた雨。それはラースの目から降ってきたものだった。
 何故泣く。何故涙を流す。ぽたり、また雨が落ちてきて今度は唇に当たった。塩辛くない、甘めの雨を舌に感じる。

「悪い……アンタの気持ち、考えてなかった」

 ラースの声が震えている。泣いていた。一八のために、涙を流していたのだ。

「貴様な……」

 苛立ちを覚えるほどの優しさ。それを踏み躙ろうと挑発した自分への不甲斐なさ、情けなさ。それら全てを飲み込みながら一八は口を開く。

「悪かった。貴様の言う通り、俺は男に抱かれたいと思ったからあそこにいた」
「そう、だったのか」
「まあ抱かれてみたいと思う人間はいなかったから、ボーイは適当に選んだ」
「適当に選んだって……ていうか今更だがその、抱かれる側なんだな、一八」
「何だ、“抱かれる側でよかった”とでも思ったのか?」
「い、いやそんなこと、そんな、こと……」

 先程までの怒りが嘘のようにプシューと縮こまっていくラースを押し退け苦笑いを浮かべてしまう。

「俺の乱れる姿でも想像したか?」
「なっ……!そん、そんなわけないだろう!」
「そうムキになるな。童貞か?」
「ど、どうて……うぐ」

 ラースの顔がトマトのようになって俯く。なるほど、童貞なのかと今更すぎる情報を得てしまった。

「俺が処女か非処女か知りたいか?」
「……もう、勘弁してくれ」
「冗談だ」

 泣きそうな顔で言われてしまったので少し虐めすぎたかと反省する。ラースも自分のせいとはいえ、ここまでダメージを受けるとは思っていなかったようで気まずげに視線を逸らしていた。

「で、どうする。俺が今後他の男に抱かれないようにするために何かするか?」
「いや、今日はここで勘弁してほしい……次こんなことがあったらその時は本気で、」
「本気で?」

 チラリと瞳の奥を見つめるとラースの喉仏がゴクリと動いた。そして意を決したように拳を握って宣言する。

「お、怒る。アンタが本気で反省するくらいまで怒ってやるから覚悟してくれ」
「ふッ……!」
「笑うな!」

 いや笑うなと言われても無理だ。あまりにも愛らしい提案に一八は腹を抱えてしまう。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。というよりそんなことでいいのか?もっと他に要求があるのではないか?そう思うのだが、それがラースにとっての妥協点なのだろう。

(本当に甘い)

 一頻り笑って満足したところでスマホを見るとイベント完了の通知。どうやら今回も無事乗り越えられたようだ。好感度:88、危険度:56を指している。

「帰るか。ここの代金は俺が払う。さっきボーイに渡した金も返してやる。元は俺が払うべきやつだからな」

 そう言って立ち上がり部屋を出ていこうとすると服の袖をクイ、と引っ張られる。振り向くとラースが真剣な表情をしていた。それをじっと見つめて一秒、唇に柔らかいものが当たる。すぐに離れたそれの感覚が脳にジリリと焼き付いた。

「覚悟しておけよ。俺はアンタをこういう目で見ているんだからな」

 そんなのとっくに知っている、なんて言えるわけもなく。

「貴様も覚悟しておけ。ライバルは多いぞ」

 なんて塩まで送ったのはラースの優しさに絆されたからかもしれない。

【ラース√達成フラグ④ 成立】

8 / 9
9 / 9


【おまけ:攻略難易度】

・バッドエンドになりにくいのはテリー・ポール。その代わりエンディングに持ち込みにくい(友人関係で終わりやすい)。
 バッドエンドになりやすいのはセフィロス・仁。更にこの2人はルート分岐も多い(前世を思い出したりなんなりetc.)

・エンディングにはハッピーとバッド以外にも三角関係エンド、友情エンド、ハーレムエンド等色々ある。
 友情エンドは難易度が高いものの成功すれば誰もいがみ合うことなくハッピーに終われるが続編、番外編が始まる可能性あり。
 ハーレムエンドは攻略対象全員の手で監禁されるのでカズヤにとってはバッドエンド。
9 / 9
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転生したらボブゲーの主役になっていた件【イベント:ルート分岐編】
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 さあさあと降っていた雨は既にあがっていた。時間潰しのため入店していたカフェの窓際の席から、曇りの夜空を数秒眺めて席を立つ。会計を済ませて外に出ればムワッとした空気が全身にまとわりついてきた。目的地につくまでこの空気をまとうと思うだけでうんざりする。
 しかし行かなければ何も始まらない。スマホを取り出して受信したメールの文面を改めて読み返す。

『○○駅の北口、2番目のベンチで眼鏡を掛けてスーツを着ているのが私です。緊張するかもしれませんが大丈夫。なにかあったら連絡して下さい』
「……」

 湿った空気を振り払うように足早に目的地へと向かう。
 駅前のロータリーには様々な人がいた。タクシーやバスを待つ人、これから飲み会に行くであろう大学生らしき集団、仕事帰りのサラリーマン、デート中のカップルなど様々だ。その雑踏の中のベンチ、目的の人物はすぐに見つかった。

「……さて」

 躊躇うのはここで最後だ。──そう、自分は今から行きずりの男に抱かれる。
 縋りたい。助けて欲しい。快楽を求めて燻る熱を慰めて。なんて女々しい理由だが仕方ない。どうしようもない。そして正直な話、疲れていた。前世の忌々しい記憶、それは間違いなく一八の心を蝕み今でも心の内側で「アイツを殺せ」「支配しろ」と囁いてくるのだ。

「もう、いい」

 あの世界の三島一八と今の三島一八は別人だ。本人だけど違う、世界の条件が何もかも違う。それなのに蝕む前世が、視界に映るものを憎悪に変えていくのに耐えきれない。
 息子を、義弟を、旧友を、かつての恋人を殺せと囁く前世をこれ以上聞きたくない。だから、これは嫌がらせだ。前世の自分が引っ込むくらいズタズタになって、哀れみの目を貰えれば前世の自分も少しは溜飲が下がるかもしれない。
 それにもし自分が男に犯されて悦ぶような変態だとわかれば、前世の自分もこうだったと嘲笑えるだろう。だから一八はその男に近づいて──


テリー√→2ページ目

ポール√→3ページ目

リュウ√→4ページ目

……誰も周りにいない→5ページ目

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「カズヤ?」

 よく知る声で名前を呼ばれパッと振り返ればそこには赤いキャップとジャンパー、ではなくスカジャンコーデのテリーが手持ち無沙汰な様子で立っていた。

「珍しいなこの時間帯に駅にいるなんて。今日は歩きの気分だったのか?」
「……ああ。そうだ。そのついでに何となく寄っただけだ」

 嘘をつける口を鍛えておいてよかった。この男は誰もを照らす光で、己の闇しっかり受け止める人間だ。あまりにも、今の自分には眩しい存在だ。だからこそ、遠ざけたい。こんな自分を見てほしくない。
 そんな一八の思いなど露知らずテリーはいつも通りの笑顔で、

「そうか!なら丁度良かった!」

 と言いながら近づき肩を組んできた。パーソナルスペースという概念がないのは悩ましい。

「俺も今日はちょっとした用事で近くまで来たんだよ。なあ今から飯でもどうかなって思ったんだけど、どうよ?あ、金は気にすんな。今日はボーナスが」
「いやいい。今から用事があるんだ」
「用事?」

 そうだ、用事だ。貴様には思いつかないほど醜く汚い、最低最悪の用事が待っている。それでも言葉に詰まったのは、これから行うことへの抵抗感からだろうか。

「本当に大丈夫か?元気、ないだろ」
「なんでもないと言っているだろ」

 涙が出てきそうになるのを抑えてテリーから一歩離れた。もうここにいるのは辛い。早くどこかに行ってくれ。そう願いを込めて見つめるが、彼は一八の顔をジッと見たまま動かない。
 居心地の悪さが漂う。
 いっそ怒鳴ってしまおうかと思ったその時、ふっと彼の表情が変わった。それは悲しげな顔。まるで自分の大切な人が目の前から消えてしまうかのような寂しさを感じさせるもの。

「……ッ!」

 思わず息を呑めば悲しみの表情が余計に一八を突き刺す。いっそ目の前から逃げようとまた一歩下がったその直後、手を取られてしまった。

「……逃げるなよ」
「離せ」
「嫌だ」
「……離せ」
「なぁカズヤ、なんかあっただろ」
「……」
「なにも言わねぇけどさ、俺は知ってるぞ」

 何も知らないくせに。貴様の好感度も危険度も俺は見えていて、俺を性的な目で見ていることなんて知っているぞと告げる口よりも早くテリーが歩き始める。必然的に手を取られていた一八も引き摺られ駅の出口へ向かっていく。

「おいどこに行く気だ!?離せ!」
「まずここじゃないところに行く」
「ふざけるな」
「ふざけてない。大真面目さ」

 そう言って振り向いたテリーの顔には先程のような悲しい色はない。あるのは決意に満ちた力強い瞳だけ。

 ──綺麗だと、そう感じた瞬間

「走るぞ!」

 そのままテリーは走り出した。手を取られたままなので引き摺られぬよう走り出す。抵抗しようと思えば出来た。しかし何故か身体は言うことを聞かず、されるがままに駅を出て夜の街を駆け抜けていく。目的地があるわけでもないのに、一八の手を引く力は決して離れないようにと強く握られていた。

「楽しいなカズヤ!」

 途中、そんな言葉を交えながら走っていけば着いたのは公園だ。ベンチに腰掛けて荒くなった呼吸を整える。
 隣ではテリーが同じように肩で息をしていた。一八より体力はあるはずだが、流石にここまで全力疾走すれば疲れるか。一八はポケットに手を入れスマホを取り出す。画面には不在着信が何件も入っていた。予約した男が連絡してきたものだ。手早くメールを打って用事ができた、違約金は払うと送れば了解と一言だけ返ってくる。
 これでもう会うことはない。
 隣にいるテリーを見れば曇りの夜空を眩しそうに眺めている。

「ここは、貴様と初めて会ったところか」
「そうそう。あの時のアンタ、不健康な顔していたな。今は寂しそうだけど健康になったよな」
「寂しそう?」
「どこからどう見ても寂しそうだ。だからこうして連れ出してきたんだ」
「……」
「まあ、理由はそれだけじゃねえんだけどな」

 そう言うとテリーが一八の手を取り、その掌に唇を落とした。

「きさ、ま」

 突然の行動に驚いていればテリーは真っ直ぐこちらを見つめ、満足げに微笑んでいる。
 この男の行動原理はいつだってシンプルだ。
 己の信念、気持ちを貫くこと。それがテリーという人間。真っ直ぐで迷いのない、眩しい光。

「好きだ、カズヤ」

 ああそうだ。だからこそ、こんな自分を見てほしくなかった。

「……理由を聞かせろ」
「好きになるのに理由っているか?」
「いるから話せ。お前は何故俺なんだ」
「んー……強いて言えば一目惚れ?」
「馬鹿にしているのか?」
「違うっつの!あーでも最初は顔かも……」
「死ね」

 軽く脇腹を小突いてやるとテリーは大袈裟に痛がったフリをする。ムカつくから次は本気でやろうか。

「ホント最初は『何か寂しそうだなー』なんて思って色々やっていたけどさ、最近アンタのことを考えながら行動することが増えて、変に甘いところとか逆に冷たいところとか、そういうところもっと見たくなった」
「結局何だ貴様は、俺のことが好きなのか?」

 ストレートに突っ込めばテリーがカッと茹でダコのように赤くなる。なるほど、面白い。

「ここまで来たら、好きに決まってるだろ……」
「そうか」

 好感度の急上昇は止まらず数値が先程からバグっている。ここまで来るともう焦りを通り越して笑えてくるレベルだ。馬鹿だなこの男は、と苦笑すれば返事が欲しいのかこちらを見つめてくる。

「好意は受け取る……が告白は断る」
「マジに言ってる?」
「当たり前だろうが」

 このままエンディングに突入してもいいのかもしれない。だが一八自身はまだテリーの好意に乗り切れていない、円満なエンディングの確率は低いのだ。
 だからテリーの前に立ち、顔を近づいてニンマリと笑ってやる。

「あともうちょっと、俺を惹かせろ。そうしたら俺も貴様を考えてやってもいい」
「……挑戦状か?」
「さぁな」

 そう言って額を指でトン、と押せばテリーの目に情熱が宿った。昔、乱闘したときもこんな目をしてきた気がする。

「いいぜ。この勝負受けて立つ!絶対に、アンタを振り向かせてみせる!!」
「精々頑張れ」
「おうよ!」

 意気揚々と立ち上がったテリーは夜空に向かって拳を突き上げ、そして勢いよくそのまま抱きついてきた。

「おわ!?」
「抱き着くのもアプローチだぜカズヤ!」
「離れろ鬱陶しい!」
「あと少しだけな!」

 ぎゅうぎゅうとした感覚に包まれて暗い感情が仄かに温かくなったのは気の所為。
 好感度:98で危険度:16のテリー、そして主役の一八は雲が晴れてきた夜空の下、楽しげに戯れるのだった。

【テリー√成立フラグ③ 達成】

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「ッ……待てよ!」

 不意に後ろから腕を掴まれる。驚いて振り返るとそこにはゼェゼェと息を切らし汗を流す金髪の男がいた。誰だと一瞬思うがその顔と声でポールだとわかる。いつも電柱のように逆立っている髪が何故か今日に限って下ろされていた。

「貴様か。なんだ?俺に何か用でもあるのか?手短に頼む。俺は今から用事が……」
「うるせぇ!とにかく帰るぞ!!」
「っ!?はなっ……!」

 ぐいっと強引に手を引かれた。抵抗しようと藻掻くが思った以上に力が強く振りほどけない。

「おいポール貴様!」

 呼びかけても止まる気配はない。周りの視線が痛いもののそれよりこの男が自分を連れて帰ろうとする意味がわからなかった。それに纏う雰囲気も怒りのようなものに溢れていて、ますます訳がわからない。
 そうしてずるずると引き摺られ掴まれた腕がそろそろ鬱血しそうになった頃やっと手が離された。着いたのはポールの家で、玄関に入った途端抱き締められる。

「はぁ~~……これで安心だな……」
「何が安心だ!離れろこのバカ!!」

 心底安心したような声を出され思わず怒鳴った。それでもポールは離れようとしない。むしろもっと強く抱きしめられた。そこでようやく気づく。ポールの体は震えている。よく見れば額にも冷や汗を浮かべ、呼吸だって荒かった。

「本当に何なんだ……」

 そう口にしても何らかの理由で自分を案じてここに連れてきた男を無下にする気分にもなれず、大人しくされるがままになっているとやがて落ち着いたらしいポールは体を放してくれた。

「よかった……本当によかった……」
「……とりあえず事情を説明しろ」

 軽く小突いて促せば部屋にあがらせられる。数年ぶりに来たポールのリビングは相変わらず物が散乱していた。クッションに座るよう言われて腰かけると、目の前のテーブルにコーヒーの入ったマグカップが置かれる。それを手に取ると隣にポールが座り、ようやく説明が始まった。

「仕事終わりにたまたまお前を見かけたらビックリしたぜ。何せ今にも死にそうな顔しながらフラフラどこかに歩いてるじゃねぇか!!慌てて後を追ったらまさかあんなところに行こうとしてるなんて思わなくてな」
「貴様、知っていたのか?俺が男に抱かれることを」
「……はぁ!?」

 渾身のはぁ!?が返ってきた。それからすぐにその瞳に困惑の色が見え始めた。あ、これは間違えたなと後悔しても遅い。

「おまッ、男に抱かれ……って、え?」
「忘れろ。……忘れてほしい」
「無理だろそんなの……マジで?」
「…………マジだ」

 沈黙が落ちる。なんとも言えない空気にどうしたものかと思っているとポールが深いため息を吐きながら頭を抱えた。

「……あの時、俺はお前がてっきり飛び込み自殺でもするのかと思ってな。それで必死に追いかけたんだが……まさか男に抱かれるために行っていたのか」
「そうだ。文句あるか」

 いっそ開き直るように言い放つと頬をギュッと摘まれ引っ張られる。痛みに顔を顰めてもギューッと容赦なく引っ張られて堪らず抗議の声をあげた。

「やめろこの馬鹿ポール!」
「やなこった。お前には色々説教してやらないと気が済まない」
「説教なんてお前にされる謂われはないぞ」
「いーや言ってやる。別にお前の恋愛対象が男でも女でもどっちでもいい。何なら人間以外のやつを恋愛対象として見ていてもいい。けど、落ち込んで苦しいときに行きずりのやつとセックスしようとするな!」

 怒鳴られた。それも本気で、怒気を含まれて。予想外すぎて言葉を失うとポールはまた深いため息を吐く。

「落ち込んでいるとな、そこにつけこむ奴が大勢いるんだ。特に知り合いでもない無関係の人間がそういうことをしてくる。だから自暴自棄になったときは知らない奴じゃなくて知っている奴と話した方がいいに決まってる。なのにお前ときたら……」

 そんなこと、自分でもわかっていた。危険な状態につけこむ人間など大勢いて、自分もそんなこと何回も行っていたから。それでもいざ当事者になってみれば、その提案に縋りたい気持ちがわかってしまった。
 段々と胸が苦しくなり、膝を抱えてそこに頭を埋めればポールはそれ以上何も言わず一八の髪を撫でた。それに甘えてそのままの状態でいるとやがてポールはポツリポツリと話し始める。

「お前が自殺すると思ったとき、頭が真っ白になった。いつも自信満々で傲慢で傍若無人なお前が死ぬかもしれないと思うと吐きそうになったよ。まさか男に抱かれるためとも思ってなかったからさっきのは余計に焦ったけどな!どちらにせよ生きた心地がしなかったぜ」
「そうか」
「そうか、ってお前なぁ……まぁ、もう過ぎたことだしこれ以上言わん。とりあえずさっきのやつはここでおしまいだ!」

 そう宣言したポールはポンと一八の頭を一つ叩くと立ち上がってキッチンに向かった。何をしているのだろうかと疑問に思っていると戻ってきたポールの手に2つ缶ビールがあった。

「ま、久しぶりに呑もうぜ。やっすい発泡酒だからお前のグルメ舌には合わないかもしれねぇけど」
「いや、呑む」

 差し出されたそれを受け取ってプルタブを引くとプシュッという小気味良い音が鳴る。久しぶりの缶ビールかもしれない。思わず笑みを浮かべるとポールもつられたように微笑んで自分の分を空けた。

「んじゃ、乾杯」
「ああ」

 カン、と軽い音を立て乾杯し、口内に酒を注ぐ。炭酸が弾け、苦味のある液体が喉を通っていく感覚が心地好くて一気に半分ほど呑み込んだ。隣のポールを見れば彼も美味しそうに飲んでおり、自分の悩みがスッと遠くにいった気がした。
 そこからは何やかんや色々話して、少し口論になりつつも最終的にはお互い笑い合って夜は更けていった。

「……ズヤ……カズ、ヤ」

 フワフワした意識の中、ポールの声が聞こえてくる。目を開けることも億劫なのにその声がとても優しくて、せっかくだからと耳を傾ける。

「……お前のことが好きだ、なんて正面切って言えたらいいんだけどな」

 衝撃の発言。起き上がろうにもフワフワして、ただその声に耳を傾けることしか、できない。

「俺も臆病だなホント。はぁ〜……」
(うるさい、何で、今ここで)
「綺麗な寝顔だな。……起きて悪態ついているときの表情が一番好きだなやっぱ」
(この、馬鹿男)
「……愛してる、カズヤ。誰よりも一番、何よりも」

 額に落ちた柔らかい感覚は、多分唇。そしてそれが離れていくと同時に一八の意識がフワリと遠くへ追いやられていく。

(クソ、色々言ってやりたいのに)

 口に出すことは叶わず、そのまま一八の意識は沈む。酒の効果もあるのか、夢を見ることもなくただただ深い眠りについた。


 翌朝、一八はベッドの上にいた。ポールが床で寝ているということは、運んでくれたということだろう。グーグーとやかましいいびきをかくポールを見れば好感度は96、危険度は21となっていた。

(少しときめいた、なんて口が腐っても言えるものか)

 ポールを見ないようにして再び布団に潜り、目を閉じる。スマホの着信もカーテンの隙間から入ってくる朝日も無視してそのまま二度寝を決め込むことにした。

【ポール√成立フラグ③ 達成】

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「一八?」

 背後から聞こえてきた声が同時に一八の腕を掴む。筋骨隆々の太い腕に、見覚えのある大きな手。振り返った先にいたのはリュウだった。腕を掴んだ理由すらわからないのか、疑問符を顔に浮かべている。

「こんなところで会うとは思ってなかった。最近、ジムに来ていなかったから心配していたんだが」
「……最近、仕事が忙しかったんだ。それより手を離してくれ、痛い」
「ああ、悪い」

 痛みを感じたフリをして適当に誤魔化せばリュウはあっさりと信じたらしい。一八の腕を解放して謝罪の言葉を口にした。それから数秒、何か言いづらそうな表情を浮かべてから口を開く。

「一八、これからどこに行くんだ」
「商談だ商談。貴様も知っての通り、俺は多忙の身なんだ」
「そ、そうか。その割には嫌そうな顔をしていると思ったんだが……俺の気の所為だったか」
「ああ、気の所為だ」

 いつもと違うことに気づかれたのは痛手だ。こいつから離れないとまずい。急いで踵を目的地の方へ向けるが、しかしそれを遮るようにリュウが目の前に立ち塞がった。邪魔をするなと言いかけたその時、グワッと温かいもので包まれる。それがリュウに抱きしめられたと気づくまでに数秒かかった。

「おい!こんなところで……!」
「すまない。でも、お前を放っておけない」

 突然の行動に混乱したせいで抵抗が遅れた。普段なら振り払うことなんて簡単なのに。そう思った時、耳元に唇を寄せられて低い声で囁かれる。

「今にも泣き出しそうなお前を、放っておけるか」

 その言葉を聞いた瞬間、頭の中でプツンッという音が響いて──気づいた時には思い切り突き飛ばしていた。よろめいて尻餅をつくリュウを冷たく睨みつける。

「どけ」
「……わかった」

 低く冷たい命令口調に気圧されたのか、リュウは素直に退いた。だが立ち去る前に一言だけ告げる。

「本当に辛くなったらいつでも言ってくれ」
「……」
「じゃあまたな」

 本当に辛くなったら。その言葉が何度も脳内再生された。一八はスマホを取り出し先程のメール画面を開いたままボーイに短い返信を送って走り出す。
 走り出した先の目標は改札を通り抜けたリュウ。随分遠いところにいるがその背中が見えるなら追いかけることなど容易い。

「はぁっ、はあっ……」

 人混みを掻き分けて走る。息切れして苦しい。肺が焼けるようだ。それでも足を止めずに駆け抜ける。ホームまでの階段を駆け上って最後の一段を踏み出し、その勢いのままジャンプした。

「リュウ!」

 人目も憚らず名前を呼ぶと、電車に乗る直前のリュウがこちらを振り返りホームへ降りてくる。

「カズヤ!?」
「はっ、はー……貴様、足が速すぎるんじゃないか、ゲホッ」
「落ち着け。ベンチに座ろう。水飲むか」
「いや、いい」

 乱れた息を整えるためリュウに促されるままにベンチに腰掛ける。一八は呼吸を整えるため深く深呼吸を繰り返した。その間リュウは何も言わず一八の隣に座っていた。

「はー……」
「大丈夫か?それにしても何故俺を追いかけてきたんだ。仕事は……」
「あれはその場しのぎの嘘だ。商談なんかない」

 一八の返答を聞いてリュウは目を見開くが納得したように頷いている。そんな彼に向かって一八は自嘲気味な笑みを向けた。

「貴様を追いかけた理由、か。……俺にもわからん。ただ、貴様ならこの気持ちを何とかしてくれると思っただけだ」
「そう、なのか」
「ああ」
「……」
「……」

 会話が途切れて沈黙が訪れる。しかしそれは居心地の悪いものではなく、むしろお互いの心の距離が縮まったような感覚さえ覚えるほどの穏やかなものだった。

「一八」
「何だ」
「俺にできることはそんなにないと自分で思っている。だからあまり期待しないでくれ。けど、できることなら俺なりに努力する」
「ああ」

 穏やかな空気が心地好く、一八は思わず微笑んだ。それを見てリュウは一瞬固まると視線を逸らしてしまった。

「リュウ?」
「いや、何でもない!それより今何かしてほしいことはあるか」 

 してほしいこと。この穏やかな空気の中にいるだけで充分すぎるくらい満たされている。その言葉に少し悩んでから答えた。

「そうだな……少し肩を貸してくれないか。貴様を追いかけて疲れた」
「ああ、もちろんだ」

 そう言って彼は自分の右肩を差し出してくる。その好意に甘えて一八は頭を彼の肩に乗せた。すると大きな手が優しく髪を撫でてくれる。

「今日は頑張ったんだな」
「別に。いつも通り仕事をしただけだ」
「それを頑張ったと言うんだ」
「そうか。それなら、頑張ったんだな」
「そうだ」

 ゆっくりとしたリズムで繰り返される言葉のやり取り。それがどうしようもなく幸せに感じられた。ホームのアナウンスも電車の駆動音も人々の喧騒も何もかも聞こえなくなって、世界には彼と自分しかいないのではないかと錯覚してしまうほど静かな時間。
 しかし時間には終わりが来るもので。

「一八、終電の時間だ。俺もお前もそろそろ帰るべきだ」
「もうそんな時間か……」

 名残惜しさを感じながら頭を上げて時計を見れば次の日が迫っている。本音を言えばもっと一緒にいたかったが仕方ない。終電がホームに来ている。

「リュウ、今日は悪かったな。礼は後でいいか?」
「礼なんていらない。お前の役に立てたならそれで良い」
「そういうわけにもいかないだろう」
「気にするな。また連絡してくれれば会えるし、俺はいつでもお前の力になる」
「……助かる」
「ああ」

 電車が到着した。リュウが立ち上がり、電車に乗ろうとする。それを見送るため一八も立ち上がった瞬間、途端に縮まる距離。唇の距離がゼロになった。
 リュウが電車に乗り、ドアが閉まる。発車のベルがやたら遠くに聞こえるくらい顔が燃えるように熱い。

「リュ、リュウ!」

 電車に向かって名前を叫べば彼がこちらを見る。その顔は真っ赤に染まっていた。

 ──俺だって恥ずかしいんだよ

 そう言いたいのか彼は照れ臭そうに小さく手を振った。
 そして電車が動き出す。一八はしばらく動けずにいたが、やがて踵を返し駅を出た。自宅まで歩く夜道で悶々とした気持ちを抱え込む。キスの感触がまだ残っている気がして口元を押さえた。

「クソガキめ……!」

 そう罵倒してもされたことは取り消せない。それでも文句を言いたくて堪らないほど気持ちが揺れているなんて、自覚したくない。ないのである。

【リュウ√成立フラグ③ 達成】

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「いやまさかこんな美人さんとホテルに行けるとは思わなかったです。ミシマさんはこういうの初めてですか?」
「そうだな。経験はない」
「そうでしたか。されて嫌なことがあったらすぐ言ってください」
「助かる」

 一見すれば普通のサラリーマンにしか見えないボーイに連れられホテル街を歩くこと数分。ボーイは軽い自己紹介と共に色んなことを話してくれた。趣味、特技、仕事内容。しかしそれらの情報は右耳から左耳に通り抜け、ホテル街の光へ消えていく。
 ボーイの左手が一八の右手に絡み、指先で手の甲を撫でられる度にムカムカとしてくる。嫌悪感がないと言えば嘘になるが、これも彼の仕事だと思えば我慢できる範囲だ。

(……アイツの手なら、こんな気持ちにならなかった)

 脳裏に浮かぶアイツ──いやアイツらと言っていいか。彼らと接するとき、自分はどんな気持ちでいたのだろうと今更疑問に思う。自分に向けられていた感情が可視できるようになってから色んなものと出会い別れることが多くなった。その度に気持ちがいい意味でも悪い意味でも彼らに滅茶苦茶にされてしまった。しかし不思議とそのことに後悔なく、むしろ心地よかったとさえ思える。

(……ああ、ダメだ)

 思い出すんじゃなかった。余計なことを考えてしまったせいで、抱かれるという心持ちが萎んでいく。それでも予約した以上は仕方ない。なるべく早く終わらせて何事もなかったように帰ろうと決意する。

「ホテルに着きましたよミシマさん。今夜はリラックスしてくださいね」

 気づけば目的地についてしまったらしい。外観は普通のビジネスホテル。最近のラブホテルは随分慎ましくなったらしい。

「ミシマさん?」

 ボーイに呼びかけられ足を一歩踏み出そうと──止まる。

 ──本当にいいのか?

 ここまで来ておいて何を言っているんだと自分でも呆れる。だが足が動かない。見知らぬ男に今世の初めてを奪われる、ただそれだけ。後ろを使うのは前世以来だから少し痛いかもしれないがそれも一瞬で終わり快楽に変わるはず。

 ──それでいいのか?

 いいに決まっている。この体は今世の三島一八のものであって、前世のものではない。前世の記憶に引きずられて初めての行為を穢れたものと思う必要もない。そもそも、だ。前世と今世は別物なのだから。だから……


クラウド√→6ページ目

李超狼√→7ページ目

ラース√→8ページ目

覚悟を決めてホテルに入る→次回

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「カズヤ!」

 ハッと声のする方へ振り返るとそこにクラウドが驚いた顔で立っていた。服や髪の乱れを見るに仕事帰りだとわかる。だがこのホテル街にいる意味がわからない。クラウドの自宅はここの逆方向のはずだ。

「……クラウド、どうしてここにいる」
「そんなのこっちの台詞だ。なんで、こんなところに。それにここはラブホテル……」
「仕事だ」
「その人は、仕事仲間か?」
「……ああ」
「お友達ですか?」

 ボーイの言葉も、クラウドの視線も痛い。どうして今このタイミングで、クラウドと出会うのだ。

「そうだ。こいつは友……」
「違う。この人は、俺の好きな人だ。……カズヤからその手を離してもらっていいか?」

 クラウドの青い瞳がボーイへ鋭く向き、強い口調で言い放つとボーイは一八の右手をそっと離した。ボーイの表情を見ればわかる。彼は困った顔をしていた。そりゃそうだ。いきなりこんなことを言われて困惑しないわけがない。
 一八はクラウドへ向き直り、口を開く。

「俺と貴様は友人だ。仕事仲間とも言えるが。とにかく俺はこれからこいつと用があるんだ。帰れ。タクシー代なら渡してやる」

 財布から3万ほど抜き取りクラウドに渡そうとした瞬間、手首を掴まれ引き寄せられる。バランスが崩れ倒れそうになったがクラウドの腕に支えられたおかげで幸いにも尻餅はつかなかった。だが引き寄せられたせいでクラウドと一気に距離が近くなり、彼が放つ独特の香りが鼻腔を擽る。

「離せ」
「嫌だ」
「……ッ、クソガキが」
「アンタの側にいれるならクソガキで結構だ。ボーイさん、全額払うからカズヤを俺にくれないか」

 クラウドの提案に沈黙が降りる。数秒後、ボーイは困ったような顔をして「全額お支払いしていただけますか」と言った。





 クラウドに手を握られスタスタと夜道を歩く。重い沈黙が心地好く感じられるほど気まずい。
 あの後クラウドはボーイの提案通り全額支払って一八を連れ出し、ホテル街を抜け黙りこくったまま歩き続けている。
 一八の手首を掴む手には力が込められている。しかし痛みを感じるほどのものではなく、あくまで優しく包む程度。 

 ──逃げやしないのに

 逃げるつもりはない。クラウドが一八に対して好意を抱いていることは知っている。それを今は受け止められない理由も持っている。
 けれど心はユラユラと揺れ始めていた。“俺の好きな人”なんてはっきりと言われてしまえば、揺らぐなと言う方が無理な話だ。ユラユラムズムズ、心が変になっていく。

「クラウド」

 やっとの思いで呼びかけるがこちらを振り向いてくれる様子がない。仕方なくされるがまま共に歩いていく繋がれた手が熱い。熱くて溶けてしまいそう。もう、いっそのこと溶けてなくなってしまいたい。そうなればこんな気持ちも一緒に溶かせるのに。

「……クラウド」

 もう一度、必死の思いで名前を呼ぶとやっと立ち止まってくれた。夜道の真ん中で手を繋ぐ男2人。滑稽か不審か。クラウドはゆっくりと振り返り、ようやく一八を見つめてくれた。
 その顔は熟れた林檎のように真っ赤かで、まるで初恋の相手に対面した少女のように目が潤んでいる。

 ──ああ、ダメだ
 ──ダメなのに
 ──この男に惹かれてしまう自分が

「……カズヤ。さっきの言葉、撤回しなくていいよな」
「何の、どの言葉のことだ?」

 意地悪く聞けばクラウドは口を尖らせてムッと眉を寄せた。

「だから!さっき、俺のす、好きな人って言った……ああもう!!」

 手首を掴んでいた手が離され、代わりに腰に腕を回される。そしてそのままクラウドの唇が一八の頬へ触れた。ちゅっ、という小さなリップ音が夜の静寂に包まれていた住宅街へと響き渡る。一瞬のキスで、頬が熱く火照る。

「唇はまだ駄目か?」

 からかうとクラウドの人差し指が唇に触れる。

「いつか、アンタにちゃんと告白できたら奪う。それまで、お預けじゃ駄目か……?」
「好きにしろ」

 返答にクラウドはニコリと笑うと再び歩き出す。先程よりもゆっくりした歩調で、今度は指を絡めて。

「……クラウド」
「なんだ?」
「……貴様、本当に俺のこと好きなのか?」
「ああ、好きだ。でもまだアンタの心は奪えていない。これから全力で奪いにいくんだ。覚悟しろよ、カズヤ」

 ニヤリと不敵に微笑むその表情はどこか楽しげで、これから起こる出来事を楽しみにしているようで。

 ──奪われるのは時間の問題か、それとも

【クラウド√成立フラグ④ 達成】

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「一八」

 ハッと声のする方へ振り返るとそこにいたのは李超狼だった。金糸を刺繍した青いコートとローファーに白いスーツ、そして銀髪の隙間から覗くキリリとした眼光。

「貴様、何故ここにいる」

 精一杯怒気を込めて睨みつける。だが彼はそんなこと気にせず一八に近づき、ボーイに握られていた方の手を優雅な仕草で掴んできた。

「お前こそなんでこんなところにいる。それに男と手を握ってラブホテルなんて」

 ──抱かれに来たって言うつもりじゃないだろうな

 耳元で囁かれた声と吐息にゾクッと腰が震え、電流のようなものが走る。
 反論しようと口を開こうとするも言葉は紡げずパクパクと開閉を繰り返すだけ。その様子に満足したのか李はクスリと笑ってボーイの方へ視線を向けた。
 ボーイは一八と超狼の顔を交互に見比べて何かを察したらしく苦笑いを浮かべている。

「どういたしますかミシマ様。今でしたら全額返金でキャンセルもできますが」
「ボーイ、その金は俺が払おう」
「ちょっと待て!」

 しかし制止の言葉は届かず超狼はボーイに金を支払う。金額を確認したボーイはニッコリと笑い、一礼してこの場を去っていってしまった。
 残されたのは呆然とするばかりの一八としたり顔の超狼。それが無性に腹立たしくてこの場を去ろうとすると手首を掴まれる。

「どこに行くつもりだ一八」
「行くつもりも何も、帰るだけだが」
「それなら俺が送る。……ここにいた理由をたっぷり聞かせてもらうためにもな」

 超狼の視線が示した先には立派なリムジンがある。その側に立っている超狼のSPたちを相手取ってまで抵抗する気は今更なく、一八は大人しく車に乗り込んだ。





 車が走り出してから数十分、後部座席で隣り合う2人に会話はない。一八は窓の外を流れる景色を眺めながら一連の出来事を思い出す。あそこで超狼が現れたのは予想外だったが、結果としてあの男に犯されることを回避できたのは幸いだ、と考えることにした。これで心置き無く帰れる。
 問題はここから。超狼は一八がホテル街にいたことを知っていたのか?それだとしたらどういう手段で──まさか監視?その可能性に行き着けば羞恥心と恐怖心が湧き上がってくる。風俗の件については念入りに隠し通していたはずなのに!
 疑問をぶつけるべく超狼の方へ顔を向ける。

「……っ」

 しかし、超狼の顔を見た瞬間思わず言葉を詰まらせた。彼は今まで見たことのない怒りを顔に滲ませていたのだ。
 その怒りの理由なんてわかっている。一八が体を行きずりの男に捧げようとしていたことに対しての怒り、失望、呆れ、その他グチャグチャとした感情が混ざったものだ。
 現在超狼から向けられている好感度:82と危険度:80はその証左。

(……言うならはっきりと言えこの馬鹿弟)

 前世では弟とも思わず憎み合ってきた彼と今世ではそれなりに家族としての情を抱けていると自覚している。だからこそ、ちゃんと言ってくれないとわからない。
 そんな気持ちで彼を見つめ続けていると急に車が止まった。そして超狼が運転手に何かを指示すると運転手は車から出ていく。2人きりの車内に逃げ場など、ない。重い空気の中、最初に口を開いたのは超狼だった。

「一八、単刀直入に聞く。……お前は今日、男に抱かれようとしたのか」

 ここまでストレートに言われた以上、言い訳はできない。観念したように目を閉じて息を吐き出す。

「そうだ。貴様の想像通り、俺は見ず知らずの男に犯される予定だった」
「何で、そんなこと」
「大した理由が必要か?俺は男に抱かれて乱れて、快楽に浸りたかっただけだ」
「それなら……」
「それなら、何だ?貴様が俺の願いを叶えてくれるというのか?」

 超狼に対する苛立ちが一八の心を黒く染めていく。お前には関係ないことだと言外に告げるも超狼は退かない。それどころか真剣な眼差しで一八を見据えてくる。
 ああ、そんな目で見つめられるのがひどく恐ろしい。

「今、俺を抱いてもいいぞ」

 これ以上踏み込まれたら心を奪われそうで──

「そんなこと簡単に言うな!!」

 荒い声が一八の鼓膜を突き刺す。それと同時に押し倒され、超狼が覆い被さってきた。突然のことに思考が追いつかずされるがままになっていると超狼は一八のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを開けて肌を露出させてきた。

「いいか一八。お前が今日されそうになったことはこんなことなんだ。……怖いと思わないか」
「……いや」

 強がりでしかない言葉が超狼に納得を与えるわけもなく、彼の手が頬に触れそのまま唇を指でなぞられた。それだけでゾクッと腰が動き出し、期待するように喉が鳴る。だがその期待は裏切られた。超狼は一八から手を離し、代わりに自分の服を脱ぎ始めたのだ。上半身裸になった超狼は一八の手を取り自らの胸に当てさせる。
 心音がドクドクと激しく手に響く。それを感じた瞬間、一八は理解してしまった。ホテルに連れ込まれそうになった自分を見つけたであろう超狼の心臓が激しく脈打っていたことを。

「あ……」
「仕事帰りの車窓で男と連れ歩くお前を見つけたときは心臓が止まりそうだった。慌てて車を止めさせて追いかけたらホテル、しかもラブホテルに入ろうとしていたんだぞ。俺がどんな思いだったか当てられるか?」
「…………嫉妬」
「Excellent! ご褒美として唇を貰うぜ」

 そうして唇が重ねられる。最初は触れるだけの小さなキス。それから角度を変えられ何度も繰り返されるうちに一八は舌を差し出す。それを待っていたと言わんばかりに超狼の舌が絡みつき、強く吸われる。酩酊する頭は考えることを放棄している。ただ与えられる快感だけを追い求め、それに従っていると不意に離れた。 

「……好き、とは言わないんだな」

 そう告げると超狼の表情が固まる。痛い所を衝かれたような、母親に嘘を隠す子どものような、複雑な感情が入り交じった顔。それに思わず笑いを零せばムッと不満げな表情を向けられ、更に笑ってしまう。

「好きはまだ言えないのか?」
「う、うるさい」
「そういうところだぞ貴様。俺を惚れさせるくらいの気概をもっと見せろ」
「お前を惚れさせるのに30年は使っているぞ!いい加減お前から靡け!!」
「断る」
「ぐ……うぅ……と、とにかく今日みたいなことはもうするな!次やったら……その、何と言うか、……お前を抱くつもり、だ!!」
「ほう、その前にちゃんと告白する勇気を出せ。超狼?」

 名前をわざと艶めかしく呼べば色々撃沈したのか一八の体から離れていく。
 全く面倒な義弟だ、と好感度:86と危険度:71に変動した数値を見ながら口角を上げるとまたもグギギと悔しげな声を漏らされる。
 それを一笑に付し、車窓から空を見上げる。曇りの夜空はいつの間にか晴れ渡っており、月がこちらを怪訝そうに見つめている気がした。

【李超狼√達成フラグ⑥ 達成】

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「何しているんだアンタ」

 怒気を含んだ声が一八の背後から聞こえた。一瞬自分に向けられたものなのか否か判断がつかなかったもののとりあえず振り返ると、そこにはシャリ感のある黒シャツと白パンツのモノトーンスタイルで決めた異母弟、ラースが立っていた。

「何でも何も、貴様には関係ないことだ」
「いや関係ある。……おい、隣のヤツ。一八からその手を離せ」

 ボーイを睨みつけるラースの目つきは鋭く、言葉には有無を言わせない圧があった。しかし当のボーイはというと。

「えーっと……あ、なるほど。そういうことでしたか」

 など1人で納得したのか一八から手をスルリと離した。

「こういうこと、よくあるんですよね。どういたしますかミシマ様。今なら全額返金でキャンセル料は発生しませんが」
「返金?そういうサービスだったのか。なら俺が払う」

 まだ怒りを含めたままのラースが財布から何万円か取り出しボーイに手渡す。ボーイはお釣りを渡しながらニコリと微笑み、

「ご利用ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」

 と告げてあっさり立ち去ってしまった。ホテルの入り口に取り残された2人。正直、気まずい。重たい空気の中で一八がラースの方を見ると、視線に気づいたのか彼は一八を真っ直ぐ見つめてきた。

「話が聞きたい」

 その一言がひどく重いものだと感じたのは、気の所為ではない。





 駅近くのネットカフェに男2人で入る、なんて光景はあまり想像できないだろうが幸いなことに何か聞かれることもなく普通に部屋を取れた。受付で部屋番号が書かれたキーを受け取り指定された個室へ向かう。
 小さなリクライニングチェアとPC設備だけの簡素な部屋。2人用のルームとはいえ体格のでかい一八とラースだとかなり狭苦しく感じた。
 チェアを移動させ、互いに向き合う。

「何を、していたんだ」

 ラースの問いかけに一八は一つため息をつく。どうせここで誤魔化してもいずれバレるなら素直に白状するか、と腹を括る。

「何を、か……男に抱かれるつもりだった、と言えば貴様はどうするんだ?」
「ッ!」

 ラースの眉間に血管が浮かぶ。当然といえば当然。好意を抱いている男が別の男に抱かれるなんて、大抵の人間は未遂でも怒るだろう。しかし一八の予想に反してラースは怒りを湛えた雰囲気のまま黙り込んでしまった。

 ──存分に怒ればいいものを

 この男は優しかった。あのクソジジイの血を引いていると思えないほどに優しく正義感に溢れていて、そして甘かった。

「言いたいことがあるなら言え。怒るなり殴るなりなんだってすればいい。今ここにいるのは俺と貴様だけだ」
「……なんで、そんなことをしようとしたんだ」

 絞り出すような声で尋ねてくる。なぜ?どうして?そう聞いてくるあたりやはりこの異母弟は甘い。

「理由がなければいけないのか?」
「当たり前だろ!アンタがそこまでして男に抱かれなきゃいけない理由、教えてくれないなら俺はアンタを許さない」

 許さないと言われても困る。別に許されようと思っていないし、それにこれは自分が望んだ行為だ。

「別に、経験としてそういうことをするのもいいだろう?」

 突き放したのはまどろっこしいから。それに前世が理由でどうのこうのなんて、理解されたくもなかったから。理解されないことの辛さは、前世でも今世でもよく知っている。だから誤魔化すように言葉を並べた。

「なら、俺で経験してもいいだろ」

 トン、と肩を軽く突かれ一八はバランスを失い倒れ込む。当然のようにラースはその上に覆い被さってきた。この展開は予想済みだ。異母弟なら、いや自分に好意を抱く男ならそうしてくれるだろうと分かっていた。
 だから抵抗はしない。されるがまま、欲望のまま体を傷つけられる。そうすればきっとラースは自分自身を責め、一八から離れていくだろう。攻略対象が1人減るなら万々歳だ。見つめてくる瞳にほくそ笑めば、ラースは更に怒って──

「……ぅ」

 ポタリポタリと一八の頬に落ちてきた雨。それはラースの目から降ってきたものだった。
 何故泣く。何故涙を流す。ぽたり、また雨が落ちてきて今度は唇に当たった。塩辛くない、甘めの雨を舌に感じる。

「悪い……アンタの気持ち、考えてなかった」

 ラースの声が震えている。泣いていた。一八のために、涙を流していたのだ。

「貴様な……」

 苛立ちを覚えるほどの優しさ。それを踏み躙ろうと挑発した自分への不甲斐なさ、情けなさ。それら全てを飲み込みながら一八は口を開く。

「悪かった。貴様の言う通り、俺は男に抱かれたいと思ったからあそこにいた」
「そう、だったのか」
「まあ抱かれてみたいと思う人間はいなかったから、ボーイは適当に選んだ」
「適当に選んだって……ていうか今更だがその、抱かれる側なんだな、一八」
「何だ、“抱かれる側でよかった”とでも思ったのか?」
「い、いやそんなこと、そんな、こと……」

 先程までの怒りが嘘のようにプシューと縮こまっていくラースを押し退け苦笑いを浮かべてしまう。

「俺の乱れる姿でも想像したか?」
「なっ……!そん、そんなわけないだろう!」
「そうムキになるな。童貞か?」
「ど、どうて……うぐ」

 ラースの顔がトマトのようになって俯く。なるほど、童貞なのかと今更すぎる情報を得てしまった。

「俺が処女か非処女か知りたいか?」
「……もう、勘弁してくれ」
「冗談だ」

 泣きそうな顔で言われてしまったので少し虐めすぎたかと反省する。ラースも自分のせいとはいえ、ここまでダメージを受けるとは思っていなかったようで気まずげに視線を逸らしていた。

「で、どうする。俺が今後他の男に抱かれないようにするために何かするか?」
「いや、今日はここで勘弁してほしい……次こんなことがあったらその時は本気で、」
「本気で?」

 チラリと瞳の奥を見つめるとラースの喉仏がゴクリと動いた。そして意を決したように拳を握って宣言する。

「お、怒る。アンタが本気で反省するくらいまで怒ってやるから覚悟してくれ」
「ふッ……!」
「笑うな!」

 いや笑うなと言われても無理だ。あまりにも愛らしい提案に一八は腹を抱えてしまう。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。というよりそんなことでいいのか?もっと他に要求があるのではないか?そう思うのだが、それがラースにとっての妥協点なのだろう。

(本当に甘い)

 一頻り笑って満足したところでスマホを見るとイベント完了の通知。どうやら今回も無事乗り越えられたようだ。好感度:88、危険度:56を指している。

「帰るか。ここの代金は俺が払う。さっきボーイに渡した金も返してやる。元は俺が払うべきやつだからな」

 そう言って立ち上がり部屋を出ていこうとすると服の袖をクイ、と引っ張られる。振り向くとラースが真剣な表情をしていた。それをじっと見つめて一秒、唇に柔らかいものが当たる。すぐに離れたそれの感覚が脳にジリリと焼き付いた。

「覚悟しておけよ。俺はアンタをこういう目で見ているんだからな」

 そんなのとっくに知っている、なんて言えるわけもなく。

「貴様も覚悟しておけ。ライバルは多いぞ」

 なんて塩まで送ったのはラースの優しさに絆されたからかもしれない。

【ラース√達成フラグ④ 成立】

8 / 9
9 / 9


【おまけ:攻略難易度】

・バッドエンドになりにくいのはテリー・ポール。その代わりエンディングに持ち込みにくい(友人関係で終わりやすい)。
 バッドエンドになりやすいのはセフィロス・仁。更にこの2人はルート分岐も多い(前世を思い出したりなんなりetc.)

・エンディングにはハッピーとバッド以外にも三角関係エンド、友情エンド、ハーレムエンド等色々ある。
 友情エンドは難易度が高いものの成功すれば誰もいがみ合うことなくハッピーに終われるが続編、番外編が始まる可能性あり。
 ハーレムエンドは攻略対象全員の手で監禁されるのでカズヤにとってはバッドエンド。
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