投稿日:2023年06月26日 22:23 文字数:13,032
4こ目;僕は君の宝物 第4話
ステキ数:1
中学3年になった蒼生の走馬灯。
受験生ですね。
ちょこっとずつ変わっていく健太との関係と、ギアを上げた笹原くんのお話。
↑当時のキャプションです↑
2021/07/02公開。
この回の裏側で起きていたことはいずれ別のお話になっておりますのでお楽しみに。
受験生ですね。
ちょこっとずつ変わっていく健太との関係と、ギアを上げた笹原くんのお話。
↑当時のキャプションです↑
2021/07/02公開。
この回の裏側で起きていたことはいずれ別のお話になっておりますのでお楽しみに。
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玄関から外に出ると、さあっと頬を風が撫でた。だいぶあったかくなってきたなあ。家々の庭先にも優しい色の花が咲き始めていて、どんどん景色がカラフルになっていく。春はいいなあ。
「蒼生ーっ」
わっ。後ろからの衝撃に、よろけそうになって何とか耐える。
「おはよう健ちゃん」
「おはよ!」
朝から元気でなによりだ。ただ、ここのところ、また弾き飛ばされそうになってきた。そんなの小さい頃だけで、次第にちゃんと身構えて、動じることなく受け止められていたのに。走り込みしたり筋トレしたりしてるから、瞬発力とか筋力とかでたぶん結構差がついてきてるんだろうなあ。殴りあいの大ゲンカとかになったらどうしよう。僕完全に負けると思う。いや健ちゃんとケンカするなんて想像できないけどさ。
するりと健ちゃんが腕をほどき、隣に並ぶ。
「昨日始業式後のホームルームあったでしょ。蒼生は今年も図書委員やるの?」
「うん。3年だから当番が減るのが残念なんだけどね。受験生になるから仕方ないかな」
「ああ、そっか」
図書室の当番っていったって、そんなに生徒が押し掛けるわけでもなし、静かな環境で本読んでいられるんだから息抜きにちょうどいいのに。
僕と健ちゃんは、学年が上がってクラスがまた別になった。1年間離れたら慣れるかなって思ってたんだけど、やっぱり健ちゃんがいないとなんか不安なのは変わらなかった。でも2年目に入ったということは、いよいよ僕も健ちゃん離れをしないといけないのかな。これまで一緒だったけど、これから先はそういうわけにもいかなくなってくる。どうしたって進路だったり働きに出たりで別々になるんだ。ちゃんと僕も独り立ちしなきゃ。そう思いながら、なにかきっかけがあればちゃんとしよう、って自分を甘やかしてる。ああ、僕はダメだな。
「そっちのクラスはどう?」
鞄を大きく振りながら健ちゃんが聞いてくる。
「去年は最初誰も知り合いいなかったから、それよりはいいかな」
「……笹原と森も一緒だもんな」
「他にも小学校からの友達もいるでしょ、花井くんとか」
「タクトはいいんだよ」
健ちゃんの口調がちょっとだけきつくなる。なんでだろう、健ちゃんは笹原くんと森くんに苦手意識があるらしい。森くんとは比較的話したりもするけど、特に笹原くんとはなんだかピリピリしている。笹原くんも健ちゃんが来ると明らかにそっけなくなるんだ。今まで接点はないっていうし、仲が悪くなるような事件も特になかったと思うんだけどなあ……。
「健ちゃんと同じクラスがよかったなぁ」
これは本音。他の誰が一緒でも、そこに健ちゃんがいたらよかったのに、はどうしても思っちゃう。
「! オレも! オレもそれがよかった!」
ぱっと健ちゃんが顔を輝かせた。
いつできるんだろ、健ちゃん離れ。
ホームルームが始まる前の教室は、まだ元気のある声で溢れている。それに埋もれないように、声のボリュームを大きめに。
「……で、これはこっちにかかってくるから、訳としてはこうだね」
「あー、そっか。そうなるんだ。ありがとう野木沢くん、今日当たるから助かった!」
「どういたしまして」
にっこり笑った彼女は、教科書を抱えて立ち上がる。これはきっとありがたいことなんだと思うんだけど、ひっきりなしにお声がかかるな。そりゃ予習はしてきてるけどね、なんで僕にばっか聞きに来るんだろう。まあね、そのおかげでちゃんと予習しとかないと自分が恥かくなって思えるから、それはそれでいいんだろう。最近は教室で本が読めないのがなー。ちょっとなー。
「野木沢」
今度はなんだ……あれ、笹原くんの声か。
振り向くと、笹原くんがこっちに向かって歩いてきている。そして隣の席の子に軽く挨拶をして、椅子を借りて座った。
「野木沢って、今週末予定ある?」
「今週末?」
なぜか笹原くんはちょっと小声だ。
いや……僕友達少ないし、基本休みの日に予定が入ることはない。家の予定があったら別だけど。あと健ちゃんの襲来ね。お母さんから何か言われてたりしたっけな?
「もしさ、何も予定がなかったら俺の家来ないか?」
「えっ」
「実験レポートまとめる課題あったろ。あれ一緒にやろうぜ」
ああ、来週頭に提出するやつか。あれ結構面倒なやつだ、それはすごく助かる。
「うん。多分大丈夫だと思うけど、ちょっと家の予定確認してみるね。土曜日? 日曜日?」
「せっかくだから土日の泊りで」
わ。え、なんか嬉しい。友達の家に誘われるなんて久し振りだ。しかも泊りがけなんて、ひとりで行くの初めてかも。
「それも一緒に確認するね!」
答えると、笹原くんは目を細めて笑った。
そこに森くんが現れる。
「おはよう。いや、朝練が長引いて遅刻するかと思ったよ」
「大変そうだな。今週末合宿だって?」
「ああ、有名なコーチが見てくれるっていうんで急遽な。それに向けてみんないいところ見せようと思って必死だよ」
……あれ? 森くんは部活? てっきり笹原くんは森くんも誘うつもりかと……。え、僕だけ? なんだ、それは、なんか、緊張するなぁ……。
待ち合わせはファストフード店の前だった。場所わかれば自分で行くよ、と言ったけど、迎えに行くからって言われたのでお願いすることにした。そこまでは迷う道じゃないし、来たことだってあるんだから時間ぴったりに着けばいいものを、なんか気付いたら15分前に着いてた。でも笹原くんが来たのも10分前だったから結果的に良かったんだと思う。
笹原くんは僕に気付くとびっくりした顔で駆けよってくる。
「俺、待ち合わせ時間間違えた?」
「ううん、なんか、早く着いちゃって」
「そっか」
安心したように息を吐いて、それからぱっと顔を上げる。
「昼飯、これでいい? 持って帰って食べながらやろう」
「うん」
こういうのって、なんかすごい、「友達同士」っぽい。
ファストフードでお昼ご飯を買い込むと、僕は笹原くんの後ろについて家に向かう。曲がったことのない道に入ると知らない町みたいだ。駅に近い分、高い建物が多いな。笹原くんが入っていったのも、商店街からさほど遠くないところにある綺麗なマンションだった。割と新しめなんじゃないかな。
エレベーターを降りて、左に並ぶ部屋を一番奥まで行ったところが笹原くんのお宅のようだ。笹原くんは鍵を開け、電気をつけながら、
「どうぞ」
と招き入れてくれる。
「お邪魔します……」
家の中はしーんとしていた。廊下があって、左に3つ、右に1つドアがある。つきあたりにはすりガラスの入ったドア。どこからも人の気配がない。
「家族の人は?」
「ああ、父さんは単身赴任で母さんが明日まで出張。誰もいないから好きにしてていいよ」
へ? え?
ちょ……本当に僕だけなの? 笹原くんと僕だけ? え待ってなんだろ緊張がピークに達してる。
笹原くんには幸いこの妙な緊張は伝わってないらしい、靴を脱いで靴箱の隣の箱から客用と思しきスリッパを取り出してカーペットの上に置き、廊下の右のドアを開けた。
「ここ、俺の部屋。入ってて。で、あっちのドアが洗面所だから、手洗うんならそこで」
は、はい。
もう一度お邪魔します、とつぶやいて、僕は開いたドアから部屋に入る。あんまり物のない部屋だな、っていうのが最初の印象。本棚とポールハンガーと、手前に大きめのベッドと机。床に灰色のラグと黒のローテーブル。カーテンがまとめられた二重窓の向こうには空が広がる。クロゼットに目をやると、その下にまとめられた布団がひとくみ。
……。手、手洗おう。ローテーブルにお昼の袋を置き、窓際に鞄を置いて、僕はさっき案内された洗面所に向かう。そこはドアが開いて、電気がついていた。人の家の設備って使うのどきどきする。そんな必要はないんだけど、こっそりとそこに滑り込む。そこで手を洗っていると、鏡の中に笹原くんの姿。棚からひょいとタオルを出すと、僕の肩にかけた。
「使ったら、空いてるとこかけといて」
「あ、ありがとう」
いちいちかっこいいんだよなあ……。
お昼ご飯を食べながらああでもないこうでもないと話し合うのはすごく楽しかった。笹原くんの、問題点をあぶり出す能力はほんとすごい。思ってもみなかったところに実は問題があったりして、僕ひとりじゃとてもじゃないけどこの完成度に持ってくのは無理だったろうと思う。それから分析力もすごいんだよなあ。笹原くんてすごく勉強できるから、僕ももっと頑張らなくちゃって刺激になる。
そんなこんなで、レポートまとめの課題はあっという間に終わってしまった。めんどくさいやつだから時間かかるかなって思ってただけに、めちゃくちゃラッキーだ。時間、結構余ったぞ。うん。
「気になる?」
笹原くんが突然そう聞いてきた。笑い含みの口調に、本棚ばっかり見てたのがバレてたことを察知する。うわ恥ずかしい。だって、自分以外の本棚ってあんまりじっくり見ることなくない? どんな本を読んでるのかなって気になっちゃうし、もしそこに知らない本が並んでいたら、新たな出会いがそこにあるってことだ。笹原くんの本棚は、辞書とか参考書がずらずら並んでて流石だなって思うと同時に、上下と前後に漫画が並んだ段があってちょっと意外。
「ひとの本棚ってじっくり見たことないから、つい……。漫画読むんだね、なんか意外な気がする」
「ははっ、俺をなんだと思ってるんだよ。普通に読むよ。野木沢も字の本以外読むイメージないけど」
あ、やっぱり? 単に漫画だとすぐ読み終わっちゃうから持ち歩くのは小説にしてるってそれだけなんだけど、まあそういうイメージはついちゃっても仕方ないか。
「僕もそれなりに読むほうだと思う」
「そっか。読む?」
「うん」
ありがたい申し出をいただき、遠慮なく僕は手を伸ばす。僕がいつも読んでる漫画もあって、同じの読んでるんだなと思うと嬉しくなる。でもせっかくだから、読んだことのないやつ読みたい。あ、これ、面白いって話題になってた漫画だ。読んでみたかったけど既刊が多くてちょっと躊躇してたんだよね。
僕はベッドに寄りかかり、色鮮やかな表紙を眺める。笹原くんも分厚い本を手に取り、並んで座る。なんか、楽しい。
あ。目を上げると、窓の外が薄暗くなってきている。どれだけ集中してたんだろ。読み終わった本が積み上がっていて、隣には、……あれ。笹原くんがいない。
廊下に続くドアを開けると、ふわっといい香り。えっ。奥のドアのほうを見ると、明かりがついてる。勝手に行ってもいいものかな。おそるおそるリビングに通じているであろう奥のドアを開ける。あー……いい匂い。
「あれ。読み終わった?」
台所にエプロン姿の笹原くんが立ってて、僕を見るとにこりと笑う。
「え、あの、まだだけど……えっ? ごはん?」
「うん。もう少しかかるから待ってて」
ちょっと、ちょっと、そっちこそ、待って。情報量が多い。何? どういうこと? ああ、そういえば、笹原くんの家はご両親が不在なことが多くて自炊も結構したりするって聞いたっけな、あれいつ聞いたんだっけな、いやそんないつのことかなんてどうでもいいんだ。
「う、うわ、ひとりでのんびりしちゃってごめん! 手伝う!」
「いいよ、今日は俺の腕前を見せつけるって決めたからさ」
え、ええー……。いたたまれないんですけどっ!
普段着に黒いエプロンで手際よく作業する笹原くんに、僕はどういう反応をしたらいいのかわからない。こういうの、知ってる。ハイスペックっていうんだ。泊まりに来た友人に手料理振る舞うって、いい人過ぎない?
「出来たよ」
手伝いを拒否されたうえ追い払われてソファに沈んでいた僕は、その声にぱっと顔を上げる。結局なにひとつやらせてもらえなかったのが申し訳なくてならなかったんだけど、テーブルに並べられたごはんを見たらそんな気分はすっ飛んだ。わー……。
湯気を立てるホワイトソースとチーズの器、中身なんだろ? 鮮やかなグリーンのスープに、スティック野菜のサラダ。ディップソースが添えられた小さい器のひとつまでがオシャレだ。
「こ、こちらは?」
「チキンドリア。で、こっちがブロッコリーのポタージュ。サラダのソースは味噌マヨにしたけど他に要望があれば出すよ」
ひ、ひえ……。洋食屋?
「すごいね……。はー、すごい。ひとりで全部作れるなんて、ほんと、かっこいい」
手伝いは家でよくやるけど、全部やれって言われたらたぶんできないと思う。いや、できないな。そうだよなー、こんなふうにできたらかっこいいよね。
笹原くんは目を細める。
「じゃ、食べよう」
いい匂い。美味しそう。
「いただきます!」
まずはポタージュをいただく。冷たくてなめらかで、しっかりブロッコリーの味がする。美味しい。ドリアもチーズたっぷりでチキンが柔らかくて美味しい。しょっぱいチーズと甘いポタージュのバランスまでこれ計算されてる感じ? ええ、もう、レストランじゃん!
笹原くんと出会ってから、本当にびっくりすることばっかりだ。
なお、びっくりは翌朝にも訪れた。
「野木沢、おはよう」
干したてらしいふわふわの布団でつい熟睡してしまった僕は、笹原くんの声で起こされた。
「ん……おはよ……」
笹原くんのベッドは既に綺麗で、きちんと服を着替えていて、開いたままのドアからはいい香りが……。一気に目が覚めた。
「! ま、まさか」
笹原くんはにっこりと笑う。
「朝ごはん、出来てるよ」
うわあ、やられた。朝は手伝おうと思ってたのに。しかも食卓には焼き立ての鮭が乗っていた。和食もイケるのか! もはやホテルか旅館か、とにかくVIP扱いじゃん。お客どころの騒ぎじゃないじゃん。作り置きだって笑ってたお惣菜も美味しかった……。こんなことさらっとされたら、そりゃあ女の子たちもコロッといっちゃうだろうなあ。なるほどこういう人がモテるんだなあ。笹原くんには常に女子の影があるって森くん言ってたもん、そうだよなあ。
…………。
なんで僕、今、なんかイヤな気持ちになってるんだろ。
VIPなおもてなしを受けてすっかり癒された僕は、すごく楽な気分で1週間を過ごすことが出来た。笹原くんは翌日からもいつも通りで、それってつまりはあれは笹原くんのデフォルトってことなんだろう。すごい人と友達になったなあと思う。途中で感じたモヤッとした気持ちは結局なんだかわからなかったけど。
それにしても今週、健ちゃんと一緒にならないなあ。僕自身が図書委員の当番で朝早く図書室に行かなきゃいけない日があったり健ちゃんが部活で忙しかったり、微妙にすれ違うんだよね。まあね、約束してるわけじゃないから、そういう週もあったりするんだろう。用がなければ離れてるクラスには行かないし、本当に用があれば隣に住んでるわけだし、なんて言ってるとこうなるんだな。
「いってきます」
そして金曜日、今日は普通の時間に家を出る。
「蒼生」
ちょうどドアが開いて、健ちゃんが顔を出した。
「おはよう、久しぶり」
「おはよう。ほんと、全然かち合わなかったな!」
明るい顔。肩から力が抜けた。やっぱり健ちゃんの顔見るとほっとするなあ。ん……? なんかそわそわしてる? また何か言いたいことがあるのかな。こういう時の健ちゃんの話ってあんまりいい予感しないんだけど。
「蒼生、あのさ」
「うん?」
「実はオレ、今、年上の人と付き合っててさ」
「うん」
「……初めてHしちゃった」
あー。
「そうなんだ、おめでとう」
そう、そうか。いつかはそうなるよね。そこまで進むほど好きな人が出来たってことだ。よかった。うん、よかったね。健ちゃんが幸せならいいんだ、それが一番だよ。いい人なのかな、いやどうでもいい、僕には関係がない話だ。これで本当に僕は必要なくなるね。いい機会だ。僕からは離れるのが難しかったから、健ちゃんのほうから離れてくれるのはありがたい。もう本当に終わりなんだ。
「なんか成り行きっていうのかな、急にホテル行こうって流れになってさ」
「やめて」
世の中に色恋沙汰が溢れてることは知ってる。その先どうするのかも知ってる。でも遠い世界のことであってほしかった。近くでそんな行為が行われないでほしかった。だけどどうしたってそうなるんでしょ。わかってる。好きだ嫌いだって騒いだり、セックスだってすればいいよ。そのかわり、僕にそれを聞かせないで。そんなものが僕の周りにあるんだって気付かせないで。僕には関係ない。そのみんなが当たり前のように作る輪の中に僕は入らないんだから。
大丈夫、それはただの僕のわがまま。
「……蒼生?」
「ごめんね、そういう話苦手なんだ」
「あ、蒼生、ごめんな……」
「ううん、悪いのは僕だから。そういう話したかったら、申し訳ないけど他の人にしてほしい。ごめんね」
僕はいつの間にか止めていた足を動かし始める。そうでもしないと泣きそうだった。なんでだかはわからない。輪からズレたがる自分が情けないからなのかな。いや、どうでもいい。めんどくさい。
「蒼生っ!」
健ちゃんが僕の腕を掴む。引っ張られるようにして、また足が止まる。
「もうその話は絶対しない。約束する。だからこっち見て」
振り向いて見た健ちゃんは、怒られた子供のする顔をしていた。……それで僕は、健ちゃんに初めてキツい言い方をしてしまったことに気が付く。健ちゃんは悪くないのに。僕のせいなのに。僕は自分勝手だ。
僕は健ちゃんに幸せでいてほしい。それは紛れもない本音だ。僕がそれを邪魔してどうするんだ。
手を伸ばし、健ちゃんの両手を握って、笑ってみせる。健ちゃんはそれをぎこちなく握り返して、最初は小さく、それからいつもの明るい顔で笑った。
「ね、天アルの新刊買った?」
「買ったよ。読みに来ないのかなって思ってた」
「今日、夜読みに行っていい?」
「うん。いいよ」
やっぱり健ちゃんには、笑っていてほしい。わがままで傷付けた。反省しよう。
その夜、健ちゃんは予告通りにやって来て、新刊の漫画を1巻から順に積み上げた。
「え? 最初から読むの?」
「そのほうが盛り上がるじゃん!」
笑った顔は、すっかりいつもの健ちゃんだ。切り替えが早いのはいいことだと思う。自分のせいだけど、重い空気になったらどうしようかと思った。
健ちゃんは僕のベッドに寄りかかり、1巻の最初から読み始める。僕はベッドに寝転がって、健ちゃんの肩越しになんとなく眺める。先週は笹原くんと漫画読んでたな、と思い出して、シンクロしてるなあとちょっと可笑しくなった。
「どした?」
「ううん。なんでもない。それより次のページまだ?」
「はいよ」
健ちゃんがページをめくる。……それにしても、普段だったらもっと早く読んでるのに、今日に限ってじっくり読んでるなあ。
途中脱落した僕がシャワーを浴びて戻ってくると、まだ読んでる。しかも最新刊に辿り着くまで結構かかりそうだぞ?
「健ちゃん、もうそろそろ僕寝たいんだけど。全部持って帰っていいよ」
しかし健ちゃんは首を振る。
「読み終わったら帰るわ」
「それ終わらなくない?」
「じゃ、泊まる」
「え、布団用意してないよ」
「蒼生のベッドで一緒に寝るからいい」
え。
狭くない? そりゃ小さい頃はベッドひとつで足りたけど。健ちゃんなんてもうすぐ足はみでない? ってくらい大きいんだからいくらなんでもねえ。うーん。まあ健ちゃんがいいなら別にいいけど。
「……僕先に寝てるから、朝起きたら床に落ちてるとかないようにね」
健ちゃんは漫画から目を離さず頷いた。
いいのか……。絶対狭いと思うんだけど。
翌朝目が覚めると、健ちゃんはおとなしくベッドの上ですやすや眠っていた。僕が体を起こしても気付かないみたい。
本棚に目をやる。漫画は綺麗に戻されていた。さては頑張って全部読んじゃったんだな。何時頃まで起きてたんだか。それじゃ起きないのも仕方ないね。
どうせ今日は休みだ。僕はもう一度横になる。目の前に健ちゃんの寝顔。ふふ、無邪気で素直な、子供の頃と同じ寝顔。変わらないよね。
僕はなんだか安心して二度寝したのだった。
図書室のカウンターに座って、布張りの表紙の分厚い本を抱えながら読む。古い風俗史の研究書で、難しいけど結構面白い。こういう本はさすがに家にはないからね。静かだし、空調が効いてて快適だし。この切り離された空間の感じ、最高。ひとりって落ち着く。
でも、最近、ひとりじゃない時間もたまにはいいのかなって思うことがある。笹原くんといる時は驚いたり知らないことに触れたりして、新鮮ですごく楽しい。それから、健ちゃんといる時は賑やかで、でもずっと変わらない安心感もあったりして、やっぱり楽しい。なにせ今まで数えるほどしか発生してなかった「お泊りイベント」が2週続けて発生するんだもんね。なんだか充実してる気がする。
あ、時間だ。僕は本を閉じて立ち上がった。
「すみません、時間ですので図書室を閉めます。貸出が必要な方は申し出てください」
部屋の中にいた数人が、ほぼ同時に席を立つ。今日はみんな調べものというより勉強しに来てたんだな。机の上に広げた教科書やノートを閉じると、そのまま出て行く人たちばかりだ。最後のひとりが慌てたように何かを書き写している。……あれ、花井くんだ。
「大丈夫?」
声をかけると、花井くんはぱっと顔を上げる。
「あ、ちょっと、ちょっとだけ待って! もうすぐ終わるから!」
「うん、わかった。先に片付けしてるね」
僕は返却棚に戻された本と、さっき自分が読んでた本を手に取る。量が少ないからそんなに時間はかからなかった。最後の本を戻したところで、花井くんがひょこっと顔を覗かせた。
「野木沢、ごめん、お待たせ」
電気を消して鍵を閉め、それを教員室に戻すまでを花井くんは付き合ってくれた。もともと健ちゃんが小学校のサッカークラブで一緒だったんだけど、それから僕とも仲良くしてくれてるいい人だ。中学入ってからもサッカー部で健ちゃんと一緒だから、ついいつも健ちゃんの話になってしまう。
「そういえばさ、最近健太となんかあった?」
「え? 何もないけど……。どうかしたの」
「あいつ、ここんとこ挙動不審なんだよね。急に部活に打ち込み始めたなと思ったら、突然上の空になってみたり。今日も一緒に図書室でレポートやる約束だったのに、野木沢が当番だって話したら急に用事が出来たって」
「え?」
僕を避けた……ってこと? 僕がいるから来たくなかった?
「あれかなあ。聞いた? 今付き合ってる彼女と……ほら」
「あー……うん、聞いた」
「なんだかんだで照れ臭いのかねえ」
健ちゃんにキツいこと言っちゃったの、まだ気にしてるのかな。だったらやだな。
花井くんが、あ、と突然声を上げた。
「そうだ、今日の夕方からコンビニで限定コラボのドリンク発売するんだった」
「漫画のやつ?」
「そうそう。……あ、もしかして健太それで先行っちゃったのかも。うわ、売り切れちゃう。早くしなきゃ」
それは大変だ。僕と花井くんは少し急ぎ足で教室に飛び込んだ。教室では、笹原くんがたくさんのパンフレットのようなものを眺めていた。花井くんはまっすぐに自分の席に向かう。
「やばい、時間時間。じゃーな! 笹原もばいばい!」
「また明日ね」
大きく手を振って、花井くんは駆け出して行った。お目当てのやつ、間に合うといいね。
さて。僕も帰ろうと思うんだけど、笹原くんは何を見ているんだろう。笹原くんは溶け込むような静かな声で僕を呼ぶ。
「図書委員の仕事?」
「うん。花井くんが今日最後のお客さんだったんだ。笹原くんは何を……」
目を落とすと、それはカラフルな冊子だった。どれもこれも、笑顔が並んでいる上に大きく校名が書かれている。
「あ、学校案内? わ、ちゃんと考えてるんだ。偉いね……。僕も見ていい?」
「もちろん」
はー。そうだよね、ちゃんと調べて、自分に合ったところを探すんだろうな。こんなにいっぱい資料取り寄せてるなんて、本気なんだな。
「高校ってこんなにあるんだ。もうアタリつけたりしてるの?」
「まだなんにも決まってないからこの量だよ」
言って、笹原くんは肩をすくめる。
「野木沢は? 地元受けるの?」
地元、っていうのはここの近くにある高校だ。たぶんこのあたりに住んでる子は大体そこに行くんじゃないかな。だから僕もなんとなくそこに行くのかなって思ってた。
「あー、うん、そう、かな? 悪くないところだし徒歩で行けるのはいいと思ってる」
「じゃあ、寺田と一緒になりそうかな」
……健ちゃん。さっきの話が気にかかる。僕と一緒でいいのかな。
「あんまり進学の話しないから聞いてないけど、そうなるのかなあ……」
言われてみれば、そういう話になったことはない。近くに高校あるんだしなんとなく一緒なのかと思ってたけど、そうか、もしかするとサッカーの強いところとか、探そうとしてるのかもしれない。そうだ、なんだかんだで結局一緒になるような気がしてたけど。健ちゃんには目指せるものがあるんだ。そっか。そうか。
僕もちゃんと考えなきゃいけないのかな。そうなんだろうけど。別に成したいこともなりたいものもないし。めんどくさいな。
ぱらぱらとページをめくる。綺麗な学校だなと思うけど、それ以上は何も……ん?
「え……何ここ」
勝手に声が出た。え、ほんと、何。男子生徒と女子生徒が並んでにこにこ楽しそうな授業風景の写真とか大まかなカリキュラムとかが並んだ中に、本棚が並んだ写真がある。え、広。ぎっしり並べられた本が、ここにどのくらいあるんだろう。さらにその横には建物の写真があるんだけど、入り口が煉瓦のドームみたいになっててめちゃくちゃかっこいい。
笹原くんが僕の手元を覗き込む。
「ああ、図書室じゃなくて図書館、なんだってさ」
「図書館!? 独立した施設なの!?」
「創立者が物書きだったとかで、文学系の資料を筆頭にすごい蔵書量らしいよ」
こ、高校に独立した図書館……こんなかっこいい建物の。え、そんな、
「住みた……あ」
やば。本音が。うわー……笹原くんが大笑いしてるわー……珍しー……。ああ恥ずかし。
ひとしきり笑った笹原くんが顔を上げる。
「な、野木沢」
「何」
めちゃくちゃ笑われたので、そっけなく返させていただく。でも笹原くんは気にしてないみたい。
「一緒にここ、目指そうか」
……え?
「友達と同じ高校目指すとかさ、いいじゃん。青春ぽくて」
せ、青春と来ましたか。本気なのか冗談なのか、笹原くんは笑ってる。
……そうか。なるほど。僕はもう一度パンフレットに目を落とす。ちょっと不純な動機な気はするけど、そういうのもありなのかもしれない。
基本、僕はやる気がないんだけど、目標があるっていいな。なんかちょっと頑張ろうかなって気になる。それもひとりじゃないもんな。負けてられないって思うのはすごいんだなって思う。
それから、笹原くんが誘ってくれたのが嬉しかった。あんなふうに言うってことは、僕と一緒の高校に行ってもいいって思ってくれたってことだ。と思う。たぶん。僕でもいいって思ってくれてるんだ。と思う。たぶん。そう考えるのは自意識過剰な気がする。いや、でも、偶然行きたいとこが一緒でも、嫌だったら誘ってなんかくれない。と思う。たぶん。
よし、頑張ろう。
改めて問題集を開く。ちゃんと目的の高校に合わせたやつだ。すごい、やる気のある人みたいだ。
「蒼生」
教室のドアのところから健ちゃんの声がした。目が合うと、にこにこしながら入ってくる。僕はちょっと胸がずきりとする。この前、僕がいるからって帰っちゃったこと、実はずっと気になってた。
「勉強してたんだ」
「うん」
真面目だなあ、と言いながら、健ちゃんは後ろからぎゅっと僕にしがみついてくる。……そういえば、ここのところ、健ちゃんて飛びついてこなくなったな。前まではすごい勢いでやってきて、すぐに大騒ぎしてたのに。こんなふうに静かに抱きついてくるうえに、なんだか妙な間がある。しかも結構痛い。
やっぱり何か思うところでもあるんだろうか。うう。やだな。でもはっきり聞くのも怖い。
「調子悪い?」
「ん? なんで?」
健ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「なんか……前は僕のこと突き飛ばす勢いだったのに」
「突き飛ばしなんかしねえよ。えっと、あれだ。落ち着きが出てきたんじゃね?」
うーん、落ち着き、でいいのかな? 変なこと言うよなあ。
でも、なんだろ。健ちゃんの言うそれとは違うけど、やっぱりこうやって健ちゃんと一緒にいると安心する。
今の健ちゃんに僕を避けるような気配はなかった。大丈夫かな。気にしてないかな。それなら、いいや。
ふいに健ちゃんが僕から離れた。そして机の上の問題集に手を伸ばす。
「な、蒼生、これ」
「うん、あのね、ここ受けようかなって思って。笹原くんが教えてくれたんだけど、すごい図書館があるんだよ」
「…………」
急に健ちゃんが静かになる。目をやると、じっと机の上を見てる。
「健ちゃん?」
「ん、いや。そっか。頑張ってな」
「? ありがとう」
どうしたんだろう。健ちゃんは少し遠くを見ているようだった。
はあ。あっという間だったなあ。吐く息が白い。
なんだかんだ勉強ばっかしてた気がする。まあね、笹原くんと一緒だったり、健ちゃんと一緒だったりして、それだけで気分転換にはなってたからしんどくはなかったけど。
手ごたえはあったから、きっと大丈夫だと思う。でも合格発表ってものはどうしたって緊張するものだよね。
「野木沢」
駅を出たところで声をかけられる。あれ、笹原くん。笹原くんは笑って手を挙げる。
「同じ電車だったみたいだな」
「だね。ああ、あえて発表見に行くの誘わなかったのに」
「なんで?」
「僕だけ落ちてたら嫌だし……」
「そんなことはないだろ。今からでも別々に行く?」
「置いて行かないでください」
それを聞いた笹原くんはふふ、と楽しそうに笑った。うーん、余裕がある感じ。
校門を入ったところに、大きな掲示板があった。その前にはたくさんの男女と親御さんの姿がある。ああ、そっか、親か。その発想なくて普通にひとりで来ちゃった。結果的には笹原くんと一緒に見ることになったけど。
僕たちは並んで、自分の番号を探す。番号は飛び飛びで、倍率高かったんだなあと改めてドキドキする。あー、でも、あった。ちゃんと僕の番号。よかった。
「俺、番号あるわ」
「僕も」
えへへ。そっか。僕と笹原くんは、顔を見合わせて、笑う。
ざり、と背後で音がして、僕たちは振り向いた。
……え? 健ちゃん?
表情のない顔で、マフラーに顔をうずめるようにして立ってたのは健ちゃんだ。どうして、と問う前に、健ちゃんはすっと1枚の紙を差し出した。それは、受験票? 書かれた番号を、僕は掲示板の中に探す。
……ある。
え?
受験票にはたしかに健ちゃんの名前。
健ちゃんを見ると、そこでようやく明るい笑顔になる。
「どうしても蒼生と一緒にいたくて。内緒で受けてた」
「じゃ、一緒に通えるの?」
「うん」
あ。やばい。泣く。
それがバレるのが恥ずかしかったので、僕は咄嗟に健ちゃんに飛びついた。健ちゃんは僕を抱きとめてくれる。
「……嬉しい」
「これからもよろしくな」
頭上からの健ちゃんの声。
ああ。
健ちゃん、すごい。
どうしようもなく嬉しいのが、僕には言葉にならなかった。
「蒼生ーっ」
わっ。後ろからの衝撃に、よろけそうになって何とか耐える。
「おはよう健ちゃん」
「おはよ!」
朝から元気でなによりだ。ただ、ここのところ、また弾き飛ばされそうになってきた。そんなの小さい頃だけで、次第にちゃんと身構えて、動じることなく受け止められていたのに。走り込みしたり筋トレしたりしてるから、瞬発力とか筋力とかでたぶん結構差がついてきてるんだろうなあ。殴りあいの大ゲンカとかになったらどうしよう。僕完全に負けると思う。いや健ちゃんとケンカするなんて想像できないけどさ。
するりと健ちゃんが腕をほどき、隣に並ぶ。
「昨日始業式後のホームルームあったでしょ。蒼生は今年も図書委員やるの?」
「うん。3年だから当番が減るのが残念なんだけどね。受験生になるから仕方ないかな」
「ああ、そっか」
図書室の当番っていったって、そんなに生徒が押し掛けるわけでもなし、静かな環境で本読んでいられるんだから息抜きにちょうどいいのに。
僕と健ちゃんは、学年が上がってクラスがまた別になった。1年間離れたら慣れるかなって思ってたんだけど、やっぱり健ちゃんがいないとなんか不安なのは変わらなかった。でも2年目に入ったということは、いよいよ僕も健ちゃん離れをしないといけないのかな。これまで一緒だったけど、これから先はそういうわけにもいかなくなってくる。どうしたって進路だったり働きに出たりで別々になるんだ。ちゃんと僕も独り立ちしなきゃ。そう思いながら、なにかきっかけがあればちゃんとしよう、って自分を甘やかしてる。ああ、僕はダメだな。
「そっちのクラスはどう?」
鞄を大きく振りながら健ちゃんが聞いてくる。
「去年は最初誰も知り合いいなかったから、それよりはいいかな」
「……笹原と森も一緒だもんな」
「他にも小学校からの友達もいるでしょ、花井くんとか」
「タクトはいいんだよ」
健ちゃんの口調がちょっとだけきつくなる。なんでだろう、健ちゃんは笹原くんと森くんに苦手意識があるらしい。森くんとは比較的話したりもするけど、特に笹原くんとはなんだかピリピリしている。笹原くんも健ちゃんが来ると明らかにそっけなくなるんだ。今まで接点はないっていうし、仲が悪くなるような事件も特になかったと思うんだけどなあ……。
「健ちゃんと同じクラスがよかったなぁ」
これは本音。他の誰が一緒でも、そこに健ちゃんがいたらよかったのに、はどうしても思っちゃう。
「! オレも! オレもそれがよかった!」
ぱっと健ちゃんが顔を輝かせた。
いつできるんだろ、健ちゃん離れ。
ホームルームが始まる前の教室は、まだ元気のある声で溢れている。それに埋もれないように、声のボリュームを大きめに。
「……で、これはこっちにかかってくるから、訳としてはこうだね」
「あー、そっか。そうなるんだ。ありがとう野木沢くん、今日当たるから助かった!」
「どういたしまして」
にっこり笑った彼女は、教科書を抱えて立ち上がる。これはきっとありがたいことなんだと思うんだけど、ひっきりなしにお声がかかるな。そりゃ予習はしてきてるけどね、なんで僕にばっか聞きに来るんだろう。まあね、そのおかげでちゃんと予習しとかないと自分が恥かくなって思えるから、それはそれでいいんだろう。最近は教室で本が読めないのがなー。ちょっとなー。
「野木沢」
今度はなんだ……あれ、笹原くんの声か。
振り向くと、笹原くんがこっちに向かって歩いてきている。そして隣の席の子に軽く挨拶をして、椅子を借りて座った。
「野木沢って、今週末予定ある?」
「今週末?」
なぜか笹原くんはちょっと小声だ。
いや……僕友達少ないし、基本休みの日に予定が入ることはない。家の予定があったら別だけど。あと健ちゃんの襲来ね。お母さんから何か言われてたりしたっけな?
「もしさ、何も予定がなかったら俺の家来ないか?」
「えっ」
「実験レポートまとめる課題あったろ。あれ一緒にやろうぜ」
ああ、来週頭に提出するやつか。あれ結構面倒なやつだ、それはすごく助かる。
「うん。多分大丈夫だと思うけど、ちょっと家の予定確認してみるね。土曜日? 日曜日?」
「せっかくだから土日の泊りで」
わ。え、なんか嬉しい。友達の家に誘われるなんて久し振りだ。しかも泊りがけなんて、ひとりで行くの初めてかも。
「それも一緒に確認するね!」
答えると、笹原くんは目を細めて笑った。
そこに森くんが現れる。
「おはよう。いや、朝練が長引いて遅刻するかと思ったよ」
「大変そうだな。今週末合宿だって?」
「ああ、有名なコーチが見てくれるっていうんで急遽な。それに向けてみんないいところ見せようと思って必死だよ」
……あれ? 森くんは部活? てっきり笹原くんは森くんも誘うつもりかと……。え、僕だけ? なんだ、それは、なんか、緊張するなぁ……。
待ち合わせはファストフード店の前だった。場所わかれば自分で行くよ、と言ったけど、迎えに行くからって言われたのでお願いすることにした。そこまでは迷う道じゃないし、来たことだってあるんだから時間ぴったりに着けばいいものを、なんか気付いたら15分前に着いてた。でも笹原くんが来たのも10分前だったから結果的に良かったんだと思う。
笹原くんは僕に気付くとびっくりした顔で駆けよってくる。
「俺、待ち合わせ時間間違えた?」
「ううん、なんか、早く着いちゃって」
「そっか」
安心したように息を吐いて、それからぱっと顔を上げる。
「昼飯、これでいい? 持って帰って食べながらやろう」
「うん」
こういうのって、なんかすごい、「友達同士」っぽい。
ファストフードでお昼ご飯を買い込むと、僕は笹原くんの後ろについて家に向かう。曲がったことのない道に入ると知らない町みたいだ。駅に近い分、高い建物が多いな。笹原くんが入っていったのも、商店街からさほど遠くないところにある綺麗なマンションだった。割と新しめなんじゃないかな。
エレベーターを降りて、左に並ぶ部屋を一番奥まで行ったところが笹原くんのお宅のようだ。笹原くんは鍵を開け、電気をつけながら、
「どうぞ」
と招き入れてくれる。
「お邪魔します……」
家の中はしーんとしていた。廊下があって、左に3つ、右に1つドアがある。つきあたりにはすりガラスの入ったドア。どこからも人の気配がない。
「家族の人は?」
「ああ、父さんは単身赴任で母さんが明日まで出張。誰もいないから好きにしてていいよ」
へ? え?
ちょ……本当に僕だけなの? 笹原くんと僕だけ? え待ってなんだろ緊張がピークに達してる。
笹原くんには幸いこの妙な緊張は伝わってないらしい、靴を脱いで靴箱の隣の箱から客用と思しきスリッパを取り出してカーペットの上に置き、廊下の右のドアを開けた。
「ここ、俺の部屋。入ってて。で、あっちのドアが洗面所だから、手洗うんならそこで」
は、はい。
もう一度お邪魔します、とつぶやいて、僕は開いたドアから部屋に入る。あんまり物のない部屋だな、っていうのが最初の印象。本棚とポールハンガーと、手前に大きめのベッドと机。床に灰色のラグと黒のローテーブル。カーテンがまとめられた二重窓の向こうには空が広がる。クロゼットに目をやると、その下にまとめられた布団がひとくみ。
……。手、手洗おう。ローテーブルにお昼の袋を置き、窓際に鞄を置いて、僕はさっき案内された洗面所に向かう。そこはドアが開いて、電気がついていた。人の家の設備って使うのどきどきする。そんな必要はないんだけど、こっそりとそこに滑り込む。そこで手を洗っていると、鏡の中に笹原くんの姿。棚からひょいとタオルを出すと、僕の肩にかけた。
「使ったら、空いてるとこかけといて」
「あ、ありがとう」
いちいちかっこいいんだよなあ……。
お昼ご飯を食べながらああでもないこうでもないと話し合うのはすごく楽しかった。笹原くんの、問題点をあぶり出す能力はほんとすごい。思ってもみなかったところに実は問題があったりして、僕ひとりじゃとてもじゃないけどこの完成度に持ってくのは無理だったろうと思う。それから分析力もすごいんだよなあ。笹原くんてすごく勉強できるから、僕ももっと頑張らなくちゃって刺激になる。
そんなこんなで、レポートまとめの課題はあっという間に終わってしまった。めんどくさいやつだから時間かかるかなって思ってただけに、めちゃくちゃラッキーだ。時間、結構余ったぞ。うん。
「気になる?」
笹原くんが突然そう聞いてきた。笑い含みの口調に、本棚ばっかり見てたのがバレてたことを察知する。うわ恥ずかしい。だって、自分以外の本棚ってあんまりじっくり見ることなくない? どんな本を読んでるのかなって気になっちゃうし、もしそこに知らない本が並んでいたら、新たな出会いがそこにあるってことだ。笹原くんの本棚は、辞書とか参考書がずらずら並んでて流石だなって思うと同時に、上下と前後に漫画が並んだ段があってちょっと意外。
「ひとの本棚ってじっくり見たことないから、つい……。漫画読むんだね、なんか意外な気がする」
「ははっ、俺をなんだと思ってるんだよ。普通に読むよ。野木沢も字の本以外読むイメージないけど」
あ、やっぱり? 単に漫画だとすぐ読み終わっちゃうから持ち歩くのは小説にしてるってそれだけなんだけど、まあそういうイメージはついちゃっても仕方ないか。
「僕もそれなりに読むほうだと思う」
「そっか。読む?」
「うん」
ありがたい申し出をいただき、遠慮なく僕は手を伸ばす。僕がいつも読んでる漫画もあって、同じの読んでるんだなと思うと嬉しくなる。でもせっかくだから、読んだことのないやつ読みたい。あ、これ、面白いって話題になってた漫画だ。読んでみたかったけど既刊が多くてちょっと躊躇してたんだよね。
僕はベッドに寄りかかり、色鮮やかな表紙を眺める。笹原くんも分厚い本を手に取り、並んで座る。なんか、楽しい。
あ。目を上げると、窓の外が薄暗くなってきている。どれだけ集中してたんだろ。読み終わった本が積み上がっていて、隣には、……あれ。笹原くんがいない。
廊下に続くドアを開けると、ふわっといい香り。えっ。奥のドアのほうを見ると、明かりがついてる。勝手に行ってもいいものかな。おそるおそるリビングに通じているであろう奥のドアを開ける。あー……いい匂い。
「あれ。読み終わった?」
台所にエプロン姿の笹原くんが立ってて、僕を見るとにこりと笑う。
「え、あの、まだだけど……えっ? ごはん?」
「うん。もう少しかかるから待ってて」
ちょっと、ちょっと、そっちこそ、待って。情報量が多い。何? どういうこと? ああ、そういえば、笹原くんの家はご両親が不在なことが多くて自炊も結構したりするって聞いたっけな、あれいつ聞いたんだっけな、いやそんないつのことかなんてどうでもいいんだ。
「う、うわ、ひとりでのんびりしちゃってごめん! 手伝う!」
「いいよ、今日は俺の腕前を見せつけるって決めたからさ」
え、ええー……。いたたまれないんですけどっ!
普段着に黒いエプロンで手際よく作業する笹原くんに、僕はどういう反応をしたらいいのかわからない。こういうの、知ってる。ハイスペックっていうんだ。泊まりに来た友人に手料理振る舞うって、いい人過ぎない?
「出来たよ」
手伝いを拒否されたうえ追い払われてソファに沈んでいた僕は、その声にぱっと顔を上げる。結局なにひとつやらせてもらえなかったのが申し訳なくてならなかったんだけど、テーブルに並べられたごはんを見たらそんな気分はすっ飛んだ。わー……。
湯気を立てるホワイトソースとチーズの器、中身なんだろ? 鮮やかなグリーンのスープに、スティック野菜のサラダ。ディップソースが添えられた小さい器のひとつまでがオシャレだ。
「こ、こちらは?」
「チキンドリア。で、こっちがブロッコリーのポタージュ。サラダのソースは味噌マヨにしたけど他に要望があれば出すよ」
ひ、ひえ……。洋食屋?
「すごいね……。はー、すごい。ひとりで全部作れるなんて、ほんと、かっこいい」
手伝いは家でよくやるけど、全部やれって言われたらたぶんできないと思う。いや、できないな。そうだよなー、こんなふうにできたらかっこいいよね。
笹原くんは目を細める。
「じゃ、食べよう」
いい匂い。美味しそう。
「いただきます!」
まずはポタージュをいただく。冷たくてなめらかで、しっかりブロッコリーの味がする。美味しい。ドリアもチーズたっぷりでチキンが柔らかくて美味しい。しょっぱいチーズと甘いポタージュのバランスまでこれ計算されてる感じ? ええ、もう、レストランじゃん!
笹原くんと出会ってから、本当にびっくりすることばっかりだ。
なお、びっくりは翌朝にも訪れた。
「野木沢、おはよう」
干したてらしいふわふわの布団でつい熟睡してしまった僕は、笹原くんの声で起こされた。
「ん……おはよ……」
笹原くんのベッドは既に綺麗で、きちんと服を着替えていて、開いたままのドアからはいい香りが……。一気に目が覚めた。
「! ま、まさか」
笹原くんはにっこりと笑う。
「朝ごはん、出来てるよ」
うわあ、やられた。朝は手伝おうと思ってたのに。しかも食卓には焼き立ての鮭が乗っていた。和食もイケるのか! もはやホテルか旅館か、とにかくVIP扱いじゃん。お客どころの騒ぎじゃないじゃん。作り置きだって笑ってたお惣菜も美味しかった……。こんなことさらっとされたら、そりゃあ女の子たちもコロッといっちゃうだろうなあ。なるほどこういう人がモテるんだなあ。笹原くんには常に女子の影があるって森くん言ってたもん、そうだよなあ。
…………。
なんで僕、今、なんかイヤな気持ちになってるんだろ。
VIPなおもてなしを受けてすっかり癒された僕は、すごく楽な気分で1週間を過ごすことが出来た。笹原くんは翌日からもいつも通りで、それってつまりはあれは笹原くんのデフォルトってことなんだろう。すごい人と友達になったなあと思う。途中で感じたモヤッとした気持ちは結局なんだかわからなかったけど。
それにしても今週、健ちゃんと一緒にならないなあ。僕自身が図書委員の当番で朝早く図書室に行かなきゃいけない日があったり健ちゃんが部活で忙しかったり、微妙にすれ違うんだよね。まあね、約束してるわけじゃないから、そういう週もあったりするんだろう。用がなければ離れてるクラスには行かないし、本当に用があれば隣に住んでるわけだし、なんて言ってるとこうなるんだな。
「いってきます」
そして金曜日、今日は普通の時間に家を出る。
「蒼生」
ちょうどドアが開いて、健ちゃんが顔を出した。
「おはよう、久しぶり」
「おはよう。ほんと、全然かち合わなかったな!」
明るい顔。肩から力が抜けた。やっぱり健ちゃんの顔見るとほっとするなあ。ん……? なんかそわそわしてる? また何か言いたいことがあるのかな。こういう時の健ちゃんの話ってあんまりいい予感しないんだけど。
「蒼生、あのさ」
「うん?」
「実はオレ、今、年上の人と付き合っててさ」
「うん」
「……初めてHしちゃった」
あー。
「そうなんだ、おめでとう」
そう、そうか。いつかはそうなるよね。そこまで進むほど好きな人が出来たってことだ。よかった。うん、よかったね。健ちゃんが幸せならいいんだ、それが一番だよ。いい人なのかな、いやどうでもいい、僕には関係がない話だ。これで本当に僕は必要なくなるね。いい機会だ。僕からは離れるのが難しかったから、健ちゃんのほうから離れてくれるのはありがたい。もう本当に終わりなんだ。
「なんか成り行きっていうのかな、急にホテル行こうって流れになってさ」
「やめて」
世の中に色恋沙汰が溢れてることは知ってる。その先どうするのかも知ってる。でも遠い世界のことであってほしかった。近くでそんな行為が行われないでほしかった。だけどどうしたってそうなるんでしょ。わかってる。好きだ嫌いだって騒いだり、セックスだってすればいいよ。そのかわり、僕にそれを聞かせないで。そんなものが僕の周りにあるんだって気付かせないで。僕には関係ない。そのみんなが当たり前のように作る輪の中に僕は入らないんだから。
大丈夫、それはただの僕のわがまま。
「……蒼生?」
「ごめんね、そういう話苦手なんだ」
「あ、蒼生、ごめんな……」
「ううん、悪いのは僕だから。そういう話したかったら、申し訳ないけど他の人にしてほしい。ごめんね」
僕はいつの間にか止めていた足を動かし始める。そうでもしないと泣きそうだった。なんでだかはわからない。輪からズレたがる自分が情けないからなのかな。いや、どうでもいい。めんどくさい。
「蒼生っ!」
健ちゃんが僕の腕を掴む。引っ張られるようにして、また足が止まる。
「もうその話は絶対しない。約束する。だからこっち見て」
振り向いて見た健ちゃんは、怒られた子供のする顔をしていた。……それで僕は、健ちゃんに初めてキツい言い方をしてしまったことに気が付く。健ちゃんは悪くないのに。僕のせいなのに。僕は自分勝手だ。
僕は健ちゃんに幸せでいてほしい。それは紛れもない本音だ。僕がそれを邪魔してどうするんだ。
手を伸ばし、健ちゃんの両手を握って、笑ってみせる。健ちゃんはそれをぎこちなく握り返して、最初は小さく、それからいつもの明るい顔で笑った。
「ね、天アルの新刊買った?」
「買ったよ。読みに来ないのかなって思ってた」
「今日、夜読みに行っていい?」
「うん。いいよ」
やっぱり健ちゃんには、笑っていてほしい。わがままで傷付けた。反省しよう。
その夜、健ちゃんは予告通りにやって来て、新刊の漫画を1巻から順に積み上げた。
「え? 最初から読むの?」
「そのほうが盛り上がるじゃん!」
笑った顔は、すっかりいつもの健ちゃんだ。切り替えが早いのはいいことだと思う。自分のせいだけど、重い空気になったらどうしようかと思った。
健ちゃんは僕のベッドに寄りかかり、1巻の最初から読み始める。僕はベッドに寝転がって、健ちゃんの肩越しになんとなく眺める。先週は笹原くんと漫画読んでたな、と思い出して、シンクロしてるなあとちょっと可笑しくなった。
「どした?」
「ううん。なんでもない。それより次のページまだ?」
「はいよ」
健ちゃんがページをめくる。……それにしても、普段だったらもっと早く読んでるのに、今日に限ってじっくり読んでるなあ。
途中脱落した僕がシャワーを浴びて戻ってくると、まだ読んでる。しかも最新刊に辿り着くまで結構かかりそうだぞ?
「健ちゃん、もうそろそろ僕寝たいんだけど。全部持って帰っていいよ」
しかし健ちゃんは首を振る。
「読み終わったら帰るわ」
「それ終わらなくない?」
「じゃ、泊まる」
「え、布団用意してないよ」
「蒼生のベッドで一緒に寝るからいい」
え。
狭くない? そりゃ小さい頃はベッドひとつで足りたけど。健ちゃんなんてもうすぐ足はみでない? ってくらい大きいんだからいくらなんでもねえ。うーん。まあ健ちゃんがいいなら別にいいけど。
「……僕先に寝てるから、朝起きたら床に落ちてるとかないようにね」
健ちゃんは漫画から目を離さず頷いた。
いいのか……。絶対狭いと思うんだけど。
翌朝目が覚めると、健ちゃんはおとなしくベッドの上ですやすや眠っていた。僕が体を起こしても気付かないみたい。
本棚に目をやる。漫画は綺麗に戻されていた。さては頑張って全部読んじゃったんだな。何時頃まで起きてたんだか。それじゃ起きないのも仕方ないね。
どうせ今日は休みだ。僕はもう一度横になる。目の前に健ちゃんの寝顔。ふふ、無邪気で素直な、子供の頃と同じ寝顔。変わらないよね。
僕はなんだか安心して二度寝したのだった。
図書室のカウンターに座って、布張りの表紙の分厚い本を抱えながら読む。古い風俗史の研究書で、難しいけど結構面白い。こういう本はさすがに家にはないからね。静かだし、空調が効いてて快適だし。この切り離された空間の感じ、最高。ひとりって落ち着く。
でも、最近、ひとりじゃない時間もたまにはいいのかなって思うことがある。笹原くんといる時は驚いたり知らないことに触れたりして、新鮮ですごく楽しい。それから、健ちゃんといる時は賑やかで、でもずっと変わらない安心感もあったりして、やっぱり楽しい。なにせ今まで数えるほどしか発生してなかった「お泊りイベント」が2週続けて発生するんだもんね。なんだか充実してる気がする。
あ、時間だ。僕は本を閉じて立ち上がった。
「すみません、時間ですので図書室を閉めます。貸出が必要な方は申し出てください」
部屋の中にいた数人が、ほぼ同時に席を立つ。今日はみんな調べものというより勉強しに来てたんだな。机の上に広げた教科書やノートを閉じると、そのまま出て行く人たちばかりだ。最後のひとりが慌てたように何かを書き写している。……あれ、花井くんだ。
「大丈夫?」
声をかけると、花井くんはぱっと顔を上げる。
「あ、ちょっと、ちょっとだけ待って! もうすぐ終わるから!」
「うん、わかった。先に片付けしてるね」
僕は返却棚に戻された本と、さっき自分が読んでた本を手に取る。量が少ないからそんなに時間はかからなかった。最後の本を戻したところで、花井くんがひょこっと顔を覗かせた。
「野木沢、ごめん、お待たせ」
電気を消して鍵を閉め、それを教員室に戻すまでを花井くんは付き合ってくれた。もともと健ちゃんが小学校のサッカークラブで一緒だったんだけど、それから僕とも仲良くしてくれてるいい人だ。中学入ってからもサッカー部で健ちゃんと一緒だから、ついいつも健ちゃんの話になってしまう。
「そういえばさ、最近健太となんかあった?」
「え? 何もないけど……。どうかしたの」
「あいつ、ここんとこ挙動不審なんだよね。急に部活に打ち込み始めたなと思ったら、突然上の空になってみたり。今日も一緒に図書室でレポートやる約束だったのに、野木沢が当番だって話したら急に用事が出来たって」
「え?」
僕を避けた……ってこと? 僕がいるから来たくなかった?
「あれかなあ。聞いた? 今付き合ってる彼女と……ほら」
「あー……うん、聞いた」
「なんだかんだで照れ臭いのかねえ」
健ちゃんにキツいこと言っちゃったの、まだ気にしてるのかな。だったらやだな。
花井くんが、あ、と突然声を上げた。
「そうだ、今日の夕方からコンビニで限定コラボのドリンク発売するんだった」
「漫画のやつ?」
「そうそう。……あ、もしかして健太それで先行っちゃったのかも。うわ、売り切れちゃう。早くしなきゃ」
それは大変だ。僕と花井くんは少し急ぎ足で教室に飛び込んだ。教室では、笹原くんがたくさんのパンフレットのようなものを眺めていた。花井くんはまっすぐに自分の席に向かう。
「やばい、時間時間。じゃーな! 笹原もばいばい!」
「また明日ね」
大きく手を振って、花井くんは駆け出して行った。お目当てのやつ、間に合うといいね。
さて。僕も帰ろうと思うんだけど、笹原くんは何を見ているんだろう。笹原くんは溶け込むような静かな声で僕を呼ぶ。
「図書委員の仕事?」
「うん。花井くんが今日最後のお客さんだったんだ。笹原くんは何を……」
目を落とすと、それはカラフルな冊子だった。どれもこれも、笑顔が並んでいる上に大きく校名が書かれている。
「あ、学校案内? わ、ちゃんと考えてるんだ。偉いね……。僕も見ていい?」
「もちろん」
はー。そうだよね、ちゃんと調べて、自分に合ったところを探すんだろうな。こんなにいっぱい資料取り寄せてるなんて、本気なんだな。
「高校ってこんなにあるんだ。もうアタリつけたりしてるの?」
「まだなんにも決まってないからこの量だよ」
言って、笹原くんは肩をすくめる。
「野木沢は? 地元受けるの?」
地元、っていうのはここの近くにある高校だ。たぶんこのあたりに住んでる子は大体そこに行くんじゃないかな。だから僕もなんとなくそこに行くのかなって思ってた。
「あー、うん、そう、かな? 悪くないところだし徒歩で行けるのはいいと思ってる」
「じゃあ、寺田と一緒になりそうかな」
……健ちゃん。さっきの話が気にかかる。僕と一緒でいいのかな。
「あんまり進学の話しないから聞いてないけど、そうなるのかなあ……」
言われてみれば、そういう話になったことはない。近くに高校あるんだしなんとなく一緒なのかと思ってたけど、そうか、もしかするとサッカーの強いところとか、探そうとしてるのかもしれない。そうだ、なんだかんだで結局一緒になるような気がしてたけど。健ちゃんには目指せるものがあるんだ。そっか。そうか。
僕もちゃんと考えなきゃいけないのかな。そうなんだろうけど。別に成したいこともなりたいものもないし。めんどくさいな。
ぱらぱらとページをめくる。綺麗な学校だなと思うけど、それ以上は何も……ん?
「え……何ここ」
勝手に声が出た。え、ほんと、何。男子生徒と女子生徒が並んでにこにこ楽しそうな授業風景の写真とか大まかなカリキュラムとかが並んだ中に、本棚が並んだ写真がある。え、広。ぎっしり並べられた本が、ここにどのくらいあるんだろう。さらにその横には建物の写真があるんだけど、入り口が煉瓦のドームみたいになっててめちゃくちゃかっこいい。
笹原くんが僕の手元を覗き込む。
「ああ、図書室じゃなくて図書館、なんだってさ」
「図書館!? 独立した施設なの!?」
「創立者が物書きだったとかで、文学系の資料を筆頭にすごい蔵書量らしいよ」
こ、高校に独立した図書館……こんなかっこいい建物の。え、そんな、
「住みた……あ」
やば。本音が。うわー……笹原くんが大笑いしてるわー……珍しー……。ああ恥ずかし。
ひとしきり笑った笹原くんが顔を上げる。
「な、野木沢」
「何」
めちゃくちゃ笑われたので、そっけなく返させていただく。でも笹原くんは気にしてないみたい。
「一緒にここ、目指そうか」
……え?
「友達と同じ高校目指すとかさ、いいじゃん。青春ぽくて」
せ、青春と来ましたか。本気なのか冗談なのか、笹原くんは笑ってる。
……そうか。なるほど。僕はもう一度パンフレットに目を落とす。ちょっと不純な動機な気はするけど、そういうのもありなのかもしれない。
基本、僕はやる気がないんだけど、目標があるっていいな。なんかちょっと頑張ろうかなって気になる。それもひとりじゃないもんな。負けてられないって思うのはすごいんだなって思う。
それから、笹原くんが誘ってくれたのが嬉しかった。あんなふうに言うってことは、僕と一緒の高校に行ってもいいって思ってくれたってことだ。と思う。たぶん。僕でもいいって思ってくれてるんだ。と思う。たぶん。そう考えるのは自意識過剰な気がする。いや、でも、偶然行きたいとこが一緒でも、嫌だったら誘ってなんかくれない。と思う。たぶん。
よし、頑張ろう。
改めて問題集を開く。ちゃんと目的の高校に合わせたやつだ。すごい、やる気のある人みたいだ。
「蒼生」
教室のドアのところから健ちゃんの声がした。目が合うと、にこにこしながら入ってくる。僕はちょっと胸がずきりとする。この前、僕がいるからって帰っちゃったこと、実はずっと気になってた。
「勉強してたんだ」
「うん」
真面目だなあ、と言いながら、健ちゃんは後ろからぎゅっと僕にしがみついてくる。……そういえば、ここのところ、健ちゃんて飛びついてこなくなったな。前まではすごい勢いでやってきて、すぐに大騒ぎしてたのに。こんなふうに静かに抱きついてくるうえに、なんだか妙な間がある。しかも結構痛い。
やっぱり何か思うところでもあるんだろうか。うう。やだな。でもはっきり聞くのも怖い。
「調子悪い?」
「ん? なんで?」
健ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「なんか……前は僕のこと突き飛ばす勢いだったのに」
「突き飛ばしなんかしねえよ。えっと、あれだ。落ち着きが出てきたんじゃね?」
うーん、落ち着き、でいいのかな? 変なこと言うよなあ。
でも、なんだろ。健ちゃんの言うそれとは違うけど、やっぱりこうやって健ちゃんと一緒にいると安心する。
今の健ちゃんに僕を避けるような気配はなかった。大丈夫かな。気にしてないかな。それなら、いいや。
ふいに健ちゃんが僕から離れた。そして机の上の問題集に手を伸ばす。
「な、蒼生、これ」
「うん、あのね、ここ受けようかなって思って。笹原くんが教えてくれたんだけど、すごい図書館があるんだよ」
「…………」
急に健ちゃんが静かになる。目をやると、じっと机の上を見てる。
「健ちゃん?」
「ん、いや。そっか。頑張ってな」
「? ありがとう」
どうしたんだろう。健ちゃんは少し遠くを見ているようだった。
はあ。あっという間だったなあ。吐く息が白い。
なんだかんだ勉強ばっかしてた気がする。まあね、笹原くんと一緒だったり、健ちゃんと一緒だったりして、それだけで気分転換にはなってたからしんどくはなかったけど。
手ごたえはあったから、きっと大丈夫だと思う。でも合格発表ってものはどうしたって緊張するものだよね。
「野木沢」
駅を出たところで声をかけられる。あれ、笹原くん。笹原くんは笑って手を挙げる。
「同じ電車だったみたいだな」
「だね。ああ、あえて発表見に行くの誘わなかったのに」
「なんで?」
「僕だけ落ちてたら嫌だし……」
「そんなことはないだろ。今からでも別々に行く?」
「置いて行かないでください」
それを聞いた笹原くんはふふ、と楽しそうに笑った。うーん、余裕がある感じ。
校門を入ったところに、大きな掲示板があった。その前にはたくさんの男女と親御さんの姿がある。ああ、そっか、親か。その発想なくて普通にひとりで来ちゃった。結果的には笹原くんと一緒に見ることになったけど。
僕たちは並んで、自分の番号を探す。番号は飛び飛びで、倍率高かったんだなあと改めてドキドキする。あー、でも、あった。ちゃんと僕の番号。よかった。
「俺、番号あるわ」
「僕も」
えへへ。そっか。僕と笹原くんは、顔を見合わせて、笑う。
ざり、と背後で音がして、僕たちは振り向いた。
……え? 健ちゃん?
表情のない顔で、マフラーに顔をうずめるようにして立ってたのは健ちゃんだ。どうして、と問う前に、健ちゃんはすっと1枚の紙を差し出した。それは、受験票? 書かれた番号を、僕は掲示板の中に探す。
……ある。
え?
受験票にはたしかに健ちゃんの名前。
健ちゃんを見ると、そこでようやく明るい笑顔になる。
「どうしても蒼生と一緒にいたくて。内緒で受けてた」
「じゃ、一緒に通えるの?」
「うん」
あ。やばい。泣く。
それがバレるのが恥ずかしかったので、僕は咄嗟に健ちゃんに飛びついた。健ちゃんは僕を抱きとめてくれる。
「……嬉しい」
「これからもよろしくな」
頭上からの健ちゃんの声。
ああ。
健ちゃん、すごい。
どうしようもなく嬉しいのが、僕には言葉にならなかった。
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