投稿日:2023年07月31日 22:02 文字数:11,931
9こ目;君じゃなくちゃダメなんだ! 第3話
ステキ数:1
健太中3、色々がんばる!の巻。
下がったり上がったり、とにかく突っ走ります。
健太目線の「あの夜」のお話も。
【今日の注意事項】女子とホテル行ってます。
(はっきりとは書いてません)
↑当時のキャプション↑
2021/07/30公開。
成長してからわかるのですが、この時期の出来事は健太にとってかなり印象深かったようです。
下がったり上がったり、とにかく突っ走ります。
健太目線の「あの夜」のお話も。
【今日の注意事項】女子とホテル行ってます。
(はっきりとは書いてません)
↑当時のキャプション↑
2021/07/30公開。
成長してからわかるのですが、この時期の出来事は健太にとってかなり印象深かったようです。
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もうさ、祟られてるんじゃないかと思うんだよな。オレ何かした?
「たぶんオレ呪われてると思う」
クラス分けの掲示板を隣で眺めていた蒼生が驚いた顔をする。
「えっ。どうしたの? 具合でも悪い?」
「具合は悪い……また蒼生とクラスが別なの、精神がやられる」
とりあえず蒼生にしがみつく。蒼生は小さく笑って、オレの腕をぽんぽん、と撫でるみたいに叩いた。
クラスが別、それだけでもぶっ倒れそうなのに、蒼生のクラスにはまた笹原と森の名前がある。タクトも蒼生と一緒だ。オレは久しぶりにカズキと同じクラスで、それは嬉しい、だけど納得するにはかなり時間がかかりそうだ……。
鬱憤が晴れないオレは、ボールを蹴って発散しようとした。何かが乗り移りでもしたのか、ボールはより正確に思った方向に飛んでいくようになった。部活から離れたら思い通りにいかねえことが多いけどな!
「健太、最近調子いいな~」
チームメイトからは誉められる。でも頭の中はなんかモヤモヤがかかりっぱなしだよ。あー、なんかパッと発散できるようなことねぇかな。
その日は練習試合で、電車で30分の距離にある中学に来ていた。実力がトントンで、よくライバルと称される学校だった。たぶん、少しあっちのほうが強い。どっちが勝つかその日対戦してみるまでわかんないから、親だけでなく近所の人まで見に来るとかで、毎回ギャラリーが多かった。特にディフェンス陣がすごく上手くて、点がなかなか入れられない。だからこそ、そこを掻い潜ってシュートが決まった時の気持ちよさったらねぇんだけど。
なにせ色々発散したいオレは、とにかく目の前の奴を抜くことに集中する。オフサイドぎりぎりに飛び込んで、まっすぐゴールに突き刺さるようなシュートを決めた時はめちゃくちゃスカッとした。結局その1点が決め手となり、この日はオレたちの勝利となった。
少しは気が晴れたかな、と思いながら校舎脇の水道で顔を洗っていると、ひとりの女の人が歩いてきた。
「すごい活躍だったね」
背中まで流れる茶色の髪をさらりと指ですいてその人は笑った。
「……ありがとうございます」
よく見れば、さっき向こうの学校の応援席にいた人だ。試合中何度か目が合った。
「寺田くんだったよね」
「あ、名前……」
「うん、私の妹がマネージャーやってるから聞いちゃった」
相手チームのマネージャーのお姉さんがオレに何の用だろう。
お姉さんは後ろで手を組むと、すいっと近付いてきた。
「ねえ、寺田くんって彼女いるの?」
へっ!?
なんか成り行きで付き合うことになったその人は、幾島ユイナさんといって、オレより3つ年上だった。今まで付き合った人の中で一番年上だ。姉ちゃんよりひとつ上なだけだけど、なんか、なんつうか、ものすごく女の人ーって感じがする。
初めて会った日に交際を申し込んでくるあたりからなんとなくそうかなと思ってたけど、すごく積極的な人だった。とても綺麗な人で魅力的なんだけど、とにかく迫力がすげえ。初めてのデートはいきなり翌日で、コースも全部ユイナさんが決めてくれた。オレは慌てないようにするのが精一杯だ。
今日もデートの誘いをいただいたのは昨日の夜だった。ちょうどなんにもない日でよかった。
「今日はショッピングに付き合ってほしいの」
どこに行くのかなと思ったら、電車を乗り継いで有名店の並ぶ通りに行くんだと言う。そりゃ電車に乗る距離の人と付き合ってりゃ電車にも乗るんだろうけど、わざわざ買い物のために遠くまで行くことってあるんだなあ。ちょっとだけ面倒だなと思ったのはここだけの話な。
あと、普通に腕とか組んで歩くんだ! そういうの、めっちゃドキドキするもんかなと思ってたけど、あまりに自然にするりと組まれてて、最初気付かなかった。
「健太くん、ここの店見ていい?」
「うん」
腕を引かれるように入った店はあちこち金色でラメラメで、眩しい。マネキンが着てるの、あれ、服? 布?
いやでもびくびくしてるのもカッコつかねぇし、平常心、だ。まるごと鏡になった柱に目をやる。……まあ余裕のある顔はしてないわな、でもそれがちょっとクールっぽく見えなくもない、気がする。大丈夫、大丈夫。
「どっちが似合う?」
ユイナさんが赤と青のワンピースを手に取って振り向く。
「どっちも似合うから困るなあ。青のほうはシックで落ち着いててユイナさんの綺麗な顔を引き立てるし、こっちはすごくセクシーで華やかだね」
「えー、どうしよう。両方カワイイ! 健太くんは恋人が隣でどっちの色着て歩いてるのが好き?」
「青かな」
答えると、ちょっと意外そうな顔。
「へえ、健太くんって華やかな色のが好きなのかと思った」
……あれ? んー、そういえば、そうだ。オレ、割と赤好きなんだけどな。でも恋人、って言われて頭の中が真っ青に染まった。だからとっさに口から出たんだ。アレかな? 好きな色と着てほしい色は違う、とかなのかな?
「まあいいや。健太くんが好きなほう買っちゃおう」
そんなかわいらしいことを言いながら、赤いのをラックに戻すと、ユイナさんはレジに向かって行く。ここで「じゃあオレが」が出来れば格好つくんだけど、バイト禁止の中学生にはどうしようもなかった。情けねえ。
店から出たオレたちは、駅から少し離れた方向に向かっていた。正直ここがどこかよくわからん。元々土地勘ないし。ただ腕を組まれてるから任せて歩いていた。ちょっと細い道だけど、きっと彼女はわかってるんだろうな。
「健太くん」
「ん、何?」
「私ちょっと疲れちゃった。休んでいかない?」
………………は?
なんかものすごくスムーズにここまで来ちゃったけど、これってそういうことだよな?
オレはシャワーを浴び終えて、シャワールームから聞こえる水音を聞いてる。つまり、そういうことだよな?
ちょっと展開が早くて頭の中が整理しきれない。シャワールームのドアが開く音がして、なんか背筋がピンと伸びた。
「あは、緊張してるね。もしかしてラブホ初めて?」
さすがにこのシチュエーションでカッコつける余裕はない。オレは黙って頷いた。
「そっかそっかぁ。あれ、もしかして、こういうコト自体初めてだったりする?」
「……はい」
ユイナさんはにっこり笑う。バカにされた笑いではなかったので、とりあえずほっとした。
「んじゃ、私が教えてあげるね」
「はい、お願いします!」
「フフフッ、ちゃんと手取り足取りしたげるからリラックスして。まずは隣に来て……」
「はい!」
あー。
なんか実技試験を受けに来たような気分になってきた。
ふわふわした気分のまま数日が過ぎた。すぐに色々ぶちまけたかったんだけど、タイミングがまったく合わなくて、蒼生とは行き帰りバラバラだし、部活は顧問の都合で休みになるしでずっとむずむずしてた。今日は部活がある。まずはあいつらに自慢しよう。
終わりがけに3年だけで打ち合わせしたのもちょうどよかった。着替えに来た部室はカズキやタクトたち、仲のいい面子ばかりだった。
「そういえばさ、健太、この前行った中学の女子マネのお姉さんと付き合い始めただろ。どんな感じ?」
「えっ、そうなの!?」
カズキ、ナイスパス。タクトにはそういやまだ言ってなかったっけ。
「まあ、聞いてくれ。実は先日、……初Hを済ませてきた」
全員の動きが止まる。しーんという音が聞こえそうな沈黙のあと、「えええええっ」という声がハモる。ふっふっふ。いいぞ、そのリアクション、待ってた。
「マジ、え、早っ!」
「どんなだった!? どんなだった!?」
「気持ちよかった!?」
「どんな感じ!?」
口々にまくし立てて詰め寄る連中を、どうどう、とたしなめる。
「オレは紳士だからさ、最初から最後まできちんとガッつかず、紳士な対応させていただきましたよ」
「で、どんな!?」
「ふわふわでいい匂いして、すっげぇ包み込まれる感じっていうの? なんか受け止められてるって感じだったなあ。あったかくて、なんか……気持ちよかった」
「はー……」
「いいなあ……」
羨望の目が集まる。気持ちいい。
タクトがすっと手を挙げる。おっ、質問かね。
「はい、花井くん」
「僭越ながら質問させていただきます。……そーいう時って理性なくなっちゃうもんだと聞き及んでおりますが、そういうことってなかったの?」
「いや、あんまり……。ちゃんと相手の言う通りのとこ触ったりしてましたよ」
場がざわめく。なんだよ。次に挙手したのはカズキだ。
「えーと、もしかして全部指示通りだったってことでしょうか」
「そりゃ初めてなんてそんなもんじゃねぇの?」
「で、お相手の評価は?」
「……お手本通りに出来ました、って」
いや何で全員で審議入ってんだよ。物言いがつくようなことあったか? あ、そりゃスポーツが違うか。
えぇ、とカズキが物々しく咳払いをする。
「それってつまり、つまんなかったって感想では?」
「ああ!?」
「ガッつかなかったって発言がありましたが、自分のいいなりなんて物足りなかったのではないかというのが審判団の結論です」
いつのまにか完全アウェーなのはなんでだよ!
「だって初めてなんだから、何をどうしたいとかそんなんわかるわけねえじゃん! さてはおまえら羨ましくて文句つけたいだけなんだろ!!」
場内から同時にブーイング。
「その通りだ馬鹿め!」
「羨ましいぞ!」
「なんでおまえばっかりモテるんだ!」
うるせえうるせえ、何と言おうがオレがゴール決めたのは事実だ!
……とかなんとか言いながら、優越感を感じてニヤニヤするオレだ。せいぜい羨ましがってくれたまえ。
オレが蒼生に話す機会を得たのは、ようやく週末を直前に控えた金曜日の朝のことだ。玄関から出るのが、ちょうど蒼生と同じタイミングだった。ラッキー、今日は図書委員の仕事ねえんだ。3年になったら仕事減るって話だったのに、隣のクラスの委員が休んでるとかで代わりに仕事してるらしい。真面目な蒼生らしいけど。
「蒼生」
呼び掛けると、ふんわりとした笑顔が返ってくる。あー。やっぱこの顔見ないと回復しねえわ。
「おはよう、久しぶり」
「おはよう。ほんと、全然かち合わなかったな!」
肩をすくめて笑う。毎日拝みたい。
さっそく蒼生に自慢を、と思って、……ん?
オレはちょっと躊躇する。サッカー部の悪友どもにははっきり自慢出来たのに。蒼生に、自慢、はなんか違う気がする。んー、なんだ? 報告? うーん。なんだろ、蒼生に言うのがなんか急に恥ずかしくなる。でも言いたい。
「蒼生、あのさ」
「うん?」
「実はオレ、今、年上の人と付き合っててさ」
「うん」
「……初めてHしちゃった」
あれ。蒼生の表情が一瞬止まった?
「そうなんだ、おめでとう」
でも蒼生はすぐにそう言ってくれた。悪友どもからは一切出なかった言葉だ。蒼生ならそう言ってくれると思ってた。オレはちょっと嬉しくなる。
「なんか成り行きっていうのかな、急にホテル行こうって流れになってさ」
「やめて」
……え?
蒼生がオレの話を遮った。
初めて聞いた。蒼生の鋭い声。
え、蒼生……?
立ち止まる蒼生の顔を覗き込むと、なんの表情もない顔をしてる。
「……蒼生?」
「ごめんね、そういう話苦手なんだ」
蒼生は、薄く笑ってそう言った。笑うのに失敗したような。
「あ、蒼生、ごめんな……」
「ううん、悪いのは僕だから。そういう話したかったら、申し訳ないけど他の人にしてほしい。ごめんね」
吐き捨てるようなセリフ。
……ぞっとした。蒼生がこのまま離れていってしまいそうで。
ダメだ。蒼生。蒼生。行かないで。オレから離れて行かないで。オレを置いて行かないで。
「蒼生っ!」
オレは必死に蒼生の腕を掴む。蒼生はうつむいたままだ。
「もうその話は絶対しない。約束する」
蒼生が嫌だって言うなら。絶対。
「だからこっち見て」
優しい蒼生は、そう言うとこっちを見てくれた。あ、今、なんかずるい言い方した気がする。
少しの沈黙のあと、蒼生がオレの手にそっと触れて笑う。笑ってくれる。オレは握り返して、なんとか笑う。
よし、失敗は繰り返さない。もう同じことはしない。蒼生にあんな顔させちゃダメだ。いつも通りに戻ろう。
「ね、天アルの新刊買った?」
腹に力を入れ、精一杯明るい声を出す。
「買ったよ。読みに来ないのかなって思ってた」
「今日、夜読みに行っていい?」
「うん。いいよ」
情けない話、蒼生が頷いてくれて本当にほっとした。もう一度拒否されるかもしれない、と少なからず思ってたから。蒼生はオレ自身を拒否したんじゃない。それがわかっただけ、まだよかった。
夕飯のあとすぐに風呂に入って、もう一度普段着に着替える。
「蒼生んとこ言ってくるー」
一応そう言うと、奥から母さんの声が飛んできた。
「帰ってくるの?」
「たぶんそのまま泊まるわ」
「はーい了解~」
もちろん、拒否られなかったらだけどな!
思った以上にさっきの蒼生の言葉が刺さったらしい。蒼生が本当にもう気にしないでいてくれているのか、一刻も早く確かめないといらんなかった。
部屋まで行くと、蒼生はなんのためらいもなくオレを部屋に入れる。まずここまではセーフ。
漫画を新刊からじゃなく1巻から読み始めてみても、これといって文句は出ない。それどころか、床に座りベッドにもたれて読むオレの手元を、ベッドに寝転んで覗いてくる。可愛い。
ジリジリと時間を稼ぐ。でもちょっとあからさますぎたかな。風呂からあがった蒼生が首を傾げた。
「健ちゃん、もうそろそろ僕寝たいんだけど。全部持って帰っていいよ」
うっ。蒼生が帰れとか言う……。いや、ここで折れたりしねえぞ。踏ん張りどころだ。
「読み終わったら帰るわ」
「それ終わらなくない?」
「じゃ、泊まる」
「え、布団用意してないよ」
「蒼生のベッドで一緒に寝るからいい」
さすがに無茶言い過ぎた? けどたぶんここをクリア出来たら、蒼生はオレを拒んでない。さあ、どうだ? オレのこと、拒否したりしねえよな?
「……僕先に寝てるから、朝起きたら床に落ちてるとかないようにね」
ふわりとした口調の蒼生。やった!
ようやく安心して漫画に集中出来る。いつものスピードで読み進めて、最新刊までを一気に片付けた。あー、面白かった! 次からの展開がどうなるのかわくわくする終わり方だったな。早く蒼生と感想言い合いたい。
ちらりと見ると、蒼生は壁に近いところで、壁に向かって小さな寝息を立てている。なんでこんな端っこに、と思ったけど、そっか。オレが寝るとこあけてくれてんだ。昼間あんな顔させちゃったのに、蒼生は本当に優しい。改めて反省しよ。
でもなんで蒼生はあんなに嫌がったんだろ。男だったら絶対食い付いてくる話だと思ってたんだけど、みんながみんなそういうわけじゃねえんだな。あれか? 下ネタ苦手とか、そういうことなのかな。理由が知りたいけど、なんとなく聞きづらい。とりあえず、はっきりわかんねえ以上は、その手の話は一切触れないほうがよさそうだ。
オレは蒼生を起こさないようにそっと立ち上がり、抱えた漫画を本棚に戻す。それからカーテンをひき、電気を常夜灯にする。急に部屋が夜になった感じだ。不思議なもんで、とたんに眠くなってきた。
蒼生のかけている布団をめくり、そのあったかい隙間に潜り込む。バスタオルをたたんで作った枕に頭を乗せた。これも蒼生が準備してくれたんだよなあ。
思い返すと、蒼生と一緒の布団で寝るのなんて小学生の低学年以来かもしれない。途中からひとりの寝床が嬉しくなっちゃったんだよな。なんか大人になったみたいでさ。もちろん隣で寝ることはあったけど。
あー……。安心する。
でも今度から枕だけは持ってこよう。バスタオルだとちょっと低いもんな。
オレは蒼生の枕を少々拝借することにした。水色の枕にこっそり頭を乗っけてみる。枕が少し沈んで、蒼生の頭がちょっとだけ傾く。
いてっ。
……………………。
ん?
今、あれ?
オレが枕に侵入したから蒼生の頭とぶつかった、一瞬そう思ったけど、違う。
蒼生の頭が傾いて、オレの鼻先が蒼生の後頭部に当たった。その瞬間、蒼生の頭がオレの頭にぶつかってきた。
……もう一度。試してみたい。そっと。鼻先を近付けて。蒼生のにおい。触れる。
「んっ……」
どくん、と心臓が鳴るのと、蒼生の肩が揺れたのは同時だったと思う。今……蒼生の声……? 小さく、呻くような。
急に、血液が全部逆流するような錯覚。心臓のある場所がはっきりわかる。うるせえ。頭に血がのぼる。めまいがするみたいだ。
声……なあ、蒼生、もっかい声聞かせて?
暗い部屋の中でも黒い髪の間からはっきり見える耳。ちょっと、ちょっとだけ。唇で触れてみる。冷たい感触。ぴくりと蒼生が身動ぎをする。柔らかい耳たぶを唇で噛む。甘い、気が、する。
「……ん」
息が苦しい。酸素が足りねぇ。走り込みを散々やったあとみたいだ。収まらない。蒼生。
襟をちょっと引くと、なだらかな首筋が見えた。きれいな角度。顔を埋めてみると、ああ、蒼生のにおいが濃くなる。ここにも、唇を這わせる。舌先で、触れる程度に撫でる。わずかに蒼生の寝息が乱れて、腰が小さく反る。
腰……。オレと蒼生にかかる布団をゆっくりめくる。肩から背中、腰に向かう直線じゃない線。上下する呼吸の動き。直に見たい。触れたい……っ。
身体が熱い。痛い。苦しい。息が。
中心は熱いのに、指先は冷えて痺れて感覚が鈍い。ぼんやりしているような、やけに芯が冴えているような。
震える手、右手を伸ばして、蒼生の向こう、肩に触れそうなところに置く。ぎしり、ベッドの軋む音。蒼生。見下ろす位置に、無防備な寝顔。キスしたい。触りたい。身体中舐めまわしたい。蒼生、蒼生っ……。
勝手に動いた手が、ボタンにかかる、あと数センチの距離。
「健ちゃん……?」
…………っ!
あ……。
今……オレ……何……?
蒼生が目をこすりながら、きょとんとした顔でオレを見上げていた。
「どしたの……眠れない?」
「ん、あ、いや……ちょっとトイレ行こうと思って」
混乱したままの頭で、適当に答える。蒼生は、そっか、とふんわり微笑むと、再びすうっと眠りに落ちていった。
まだ鼓動がうるさい。深呼吸して息を整える。オレ、今、…………。
あー、マジか。
オレはゆっくりベッドから起き上がる。うん、適当ではあったけど、蒼生に嘘はついてない。だって、急遽トイレに用事が出来ちゃったからな……。
結局あの日は、明け方まで寝られなかった。あれはなんだったんだろう。なんか自分じゃないみたいだった。
「健太ぁ、次移動教室だぞ」
カズキの声で我に返る。
「あ、そうだったっけ。やべ、待って」
オレは慌てて机の中から教科書とノートを引っ張り出した。
カズキに急かされながら教室を出る。あと数分でチャイムが鳴っちまう。急がないと。
っ。心臓が大きく跳ねた。廊下の向こうに蒼生がいたからだ。蒼生はオレに気が付くと、手を振って、声にはせずに「いってらっしゃい」と言った。敬礼のポーズで返すと、楽しそうな笑顔。
……あの夜から、蒼生の顔を見るたびに心臓がぎゅっとする。見慣れた蒼生の顔。何が変わったわけでもない。なのに何かが変わった。なんなんだ、何かって。具体的な答えがまったく出てきやしねえ。
最近蒼生のことばっか考えてるな。前に比べてもっと……ん? 前からオレこんな感じだったっけ?
「健太っ!」
え? あ、うわっ。
飛んできたボールを胸で止める。
「ぼーっとしてんなよー!」
「悪ィ!」
駄目だ、全然集中出来てねえや。今日も朝練からボロボロだ。ここんとこ調子悪いかも。
「ずーっと調子よかったのにな」
部室に戻るとカズキが笑って言った。いや、ほんとにな。なんだろうなあ。
着替えるついでに携帯を見る。あ、やべ、昨夜ユイナさんからメッセージ入ってた。
「あれじゃね、最近健太って野木沢と一緒にいないじゃん。それで調子狂ってんのかもよ」
「さすがにそんなわけないだろ」
適当に笑い飛ばすけど、……それかなあ。別に避けてるとかそういうことじゃなくて、なんか心臓に負担がなあ。
あ、とタクトが声を上げる。
「そういえばさ、この前、レポートやる約束してた時あるじゃん」
「あー、うん。あれ、急に帰っちゃってごめんな」
図書室でやろうって約束してたんだっけ。でも、その日の当番が蒼生だって聞いて、ずっと蒼生の顔が見られるんだと思ったらなんか急に緊張して。それでつい、回避しちまった。
「いや、オレはまあいいんだけど。健太が先に帰ったって話したら、野木沢、気にしてるみたいだったよ」
「……え?」
さっと血の気が引く。ちょ……それじゃオレが蒼生を避けたみたいじゃん! いや実際避けたんだけど、そういう意味じゃねえよ! それでなくともこの前蒼生にしんどい顔させちゃったのに、誤解とかされてたらどうすんだ!
「そういう話は早く言えよっ」
「どうせすぐに顔合わせると思ったから……。え、野木沢と話してないの?」
「してねぇよ……あー、もうチャイム鳴るか」
まずい。せっかくあの時やらかしたのを取り戻せたと思ったのに。ああ、放課後早くこねえかな。蒼生と話しに行かないと。
気もそぞろに授業を受けて、ようやく放課後になった。蒼生が帰る前に捕まえなきゃ。荷物を作るのは後回しにして、とにかくオレは蒼生の教室に向かう。
……緊張してきた。ほんと、どうしちゃったんだオレ。蒼生に緊張するって。
教室を覗くと、オレのクラスよりホームルームが短かったらしい、だいぶ人数の減った中に蒼生の姿があった。ひとり机に向かっている。オレはどきりとして、でもやっぱりほっとする。
「蒼生」
蒼生が振り向く。目が合う。あー。
近付くと、蒼生はふんわり笑ってオレを見上げてくる。机の上には問題集が広がっていた。
「勉強してたんだ」
「うん」
「真面目だなあ」
オレはそっと手を伸ばす。後ろから、座ったままの蒼生を抱き締める。あったかい。蒼生のにおい。ちょっと泣きそう。
最近蒼生にくっつくといつもこうなる。やっぱあの夜からだ。なんだろうな? 安心する? 嬉しい? 楽しい、とは違うしな。なんだこれ。心臓は相変わらず早鐘だったけど、とにかく離したくない。ずっとこのままでいたい。
「調子悪い?」
「ん? なんで?」
こうしてる瞬間は割と絶好調なんだけど。
「なんか……前は僕のこと突き飛ばす勢いだったのに」
「突き飛ばしなんかしねえよ。えっと、あれだ。落ち着きが出てきたんじゃね?」
そうか、きっとそうだ。なんかこう、余裕的な?
腕の中で、蒼生が笑う。
とりあえずオレを拒否する空気はない。大丈夫かな。気にしてないかな。それなら、いっか。
ふと目を上げる。広げられた問題集は、あれ、初めて見るやつだな。それと、過去問? 知らない高校名だ。
「な、蒼生、これ」
体を離して、問題集に触れる。こっちも同じ名前。蒼生は嬉しそうに笑った。
「うん、あのね、ここ受けようかなって思って。笹原くんが教えてくれたんだけど、すごい図書館があるんだよ」
ずきっと心臓が痛む。さっきのとは違う痛み。
……え?
つまり、蒼生は笹原とここに行こうとしてる?
笹原と? オレじゃなくて?
気が遠くなりそうだ。
「健ちゃん?」
「ん、いや。そっか。頑張ってな」
「? ありがとう」
オレはなんとか踏みとどまる。どうにかしなくちゃ。違うクラスでも、同じ学校だから耐えられてるんだ。これで、違う学校に行って、そこに笹原がいるんだと思ったら、無理だ。あいつはダメだ。どうしても。
問題集に目を落として、オレはその高校の名前を頭に叩き込んだ。
あー……。まあ、そうだよなあ。何度調べても変わらない数字を前に、オレは大きく息を吐く。
蒼生と笹原が狙う学校だぞ。常にトップ10にいる2人が、だ。そりゃ一筋縄ではいかねえだろ。でもこればかりはそれで済ませてちゃいけないんだ。
よし。
「父さん、母さん」
リビングに飛び込みながら呼ぶと、まず父さんが振り向いた。それから奥にいた母さんが顔を出す。
「ちょっと聞いてほしい決意と相談があるんだけど」
父さんたちはオレの話を聞いて頷いてくれた。姉ちゃんとみのりは茶化してきたけど、オレも男だ。引けない時はあるんだ。
それからは、まあ、ちょっとした地獄だよな。
部活はサボれない。でも勉強の手を抜くわけにはいかない。プライベートな時間は全部勉強に突っ込む感じで何とかするしかなかった。おかげで恋愛的には完全フリーになったわけだけど、それをどうこう言ってる場合じゃなかったし。
とりあえず夏休み前に蒼生の希望する進路がわかって本当によかった、それだけはよかった。夏も冬も、長期の休みは部活以外家で勉強してるか図書館で勉強してるか蒼生の部屋で勉強してるかのどれかだった。ぶっ倒れそうだったけど、そういう時には選択肢を蒼生の部屋一択にすることで乗り切った。蒼生には迷惑だったかなって思ったりもした、でもきっと同じ問題を解いてたから大丈夫だったと信じることにした。
一番大変だったのは、同じ高校を受けようとしてるのを蒼生に気付かれないようにすることだった。オレからすればひどい高望みだ、蒼生にばれたら蒼生はすごく気にすると思った。だからひたすら内緒にするしかなかったんだ。
そして。
ようやく合格発表の日が来た。
試験自体は、たぶん、なんとか、結構出来た、と思う。でも結果を見るまでは不安でしょうがなかった。最初担任に志望校を報告したときは目ぇ丸くされたからな。そんでその後取られた行動が「説得」だった。そうなるよなあとは思ったけど、そこでひっくり返されるオレじゃないからさ。
「健太、ほんとにお母さんたち一緒じゃなくていいの?」
「いいよ、子供じゃねえし。じゃ、行ってきます」
「結果わかったらすぐ連絡してね!」
早朝の冷え切った空気の中、オレは家を出る。まずは自分が受かってないとなんにもならない。で、それがバレるのも嫌だ。蒼生は、大丈夫だろう。ふんわりしてるけど、意外と本番に強いから。
電車に揺られて辿り着いた校舎は、変な威圧感。校門の前に立つと、入ってすぐの場所に掲示板が見える。人の数はまだ少ないけど、掲示板を見上げて泣いたり笑ったりしてた。さあ、オレはどっちだ。まっすぐにそっちに向かいながら、横目で番号を見る。真ん中の方だからわかりづらい。番号、番号。
え。
うわ。
足が止まる。マジか。すぐに膝から力が抜けて立てなくなった。
「あった……」
思わず声が漏れる。念のため手元の受験票と掲示板を見比べたけど、何度見ても同じ数字がこことあそこにある。吐いた息はものすごく長くなった。あー。もー。
そうだ、家に報告……はまだいいや。まず蒼生だ。蒼生に伝えたい。
周りを見渡して、とりあえずいても大丈夫そうな建物の壁に寄りかかる。蒼生。蒼生はどんな顔するかな。まさか嫌がったりとかしないよな。ちょっと怖ぇな、でも、蒼生なら、きっと。……いや1回オレ蒼生に拒否られてるからもしかして……いやいやいやいや。大丈夫。
日が高くなってきて、昼も近くなってきた頃、蒼生の姿を見つけた。まっすぐに掲示板に向かって、オレには気付かない。隣には、あー、やっぱいるのか、笹原。オレは黙って2人の姿を見つめる。どうだったかな。オレが受かってるくらいだから大丈夫だろうけど。
そして案の定、蒼生たちは自分の番号を見つけたみたいだった。蒼生が笑って、笹原がそれに答えるように笑った。
……もう限界だ、行こう。
勢いよく歩いていくと、蒼生たちは振り向いて、そして同じように驚いた顔をした。瞬きの回数が多くなる蒼生に、オレは受験票を突きつける。それを凝視した蒼生は無言で、背後の掲示板にその番号を探し始めた。それから、大きく息を吸ってオレを見る。嬉しい時の顔だ。知ってる。
「どうしても蒼生と一緒にいたくて。内緒で受けてた」
「じゃ、一緒に通えるの?」
蒼生の声は、ちょっと震えてた。
「うん」
頷くと、蒼生が突然オレに抱きついてきた。首に巻きつく蒼生の腕。え、蒼生。蒼生からこんなことしてくれるの、初めてだよな……?
「……嬉しい」
腕の中で、蒼生のこもった声。オレにはそれがなにより嬉しかった。蒼生が、オレと一緒にいられることを嬉しいって。そう言ってくれてる。
「これからもよろしくな」
伝えると、蒼生は何度も何度も頷いた。
よかった。
蒼生といられる。
ふと視線を感じて目を上げる。笹原。
笹原はわずかに表情を緩めると、肩をすくませた。
「ちょっとは見直した」
ちょっとかよ。
「たぶんオレ呪われてると思う」
クラス分けの掲示板を隣で眺めていた蒼生が驚いた顔をする。
「えっ。どうしたの? 具合でも悪い?」
「具合は悪い……また蒼生とクラスが別なの、精神がやられる」
とりあえず蒼生にしがみつく。蒼生は小さく笑って、オレの腕をぽんぽん、と撫でるみたいに叩いた。
クラスが別、それだけでもぶっ倒れそうなのに、蒼生のクラスにはまた笹原と森の名前がある。タクトも蒼生と一緒だ。オレは久しぶりにカズキと同じクラスで、それは嬉しい、だけど納得するにはかなり時間がかかりそうだ……。
鬱憤が晴れないオレは、ボールを蹴って発散しようとした。何かが乗り移りでもしたのか、ボールはより正確に思った方向に飛んでいくようになった。部活から離れたら思い通りにいかねえことが多いけどな!
「健太、最近調子いいな~」
チームメイトからは誉められる。でも頭の中はなんかモヤモヤがかかりっぱなしだよ。あー、なんかパッと発散できるようなことねぇかな。
その日は練習試合で、電車で30分の距離にある中学に来ていた。実力がトントンで、よくライバルと称される学校だった。たぶん、少しあっちのほうが強い。どっちが勝つかその日対戦してみるまでわかんないから、親だけでなく近所の人まで見に来るとかで、毎回ギャラリーが多かった。特にディフェンス陣がすごく上手くて、点がなかなか入れられない。だからこそ、そこを掻い潜ってシュートが決まった時の気持ちよさったらねぇんだけど。
なにせ色々発散したいオレは、とにかく目の前の奴を抜くことに集中する。オフサイドぎりぎりに飛び込んで、まっすぐゴールに突き刺さるようなシュートを決めた時はめちゃくちゃスカッとした。結局その1点が決め手となり、この日はオレたちの勝利となった。
少しは気が晴れたかな、と思いながら校舎脇の水道で顔を洗っていると、ひとりの女の人が歩いてきた。
「すごい活躍だったね」
背中まで流れる茶色の髪をさらりと指ですいてその人は笑った。
「……ありがとうございます」
よく見れば、さっき向こうの学校の応援席にいた人だ。試合中何度か目が合った。
「寺田くんだったよね」
「あ、名前……」
「うん、私の妹がマネージャーやってるから聞いちゃった」
相手チームのマネージャーのお姉さんがオレに何の用だろう。
お姉さんは後ろで手を組むと、すいっと近付いてきた。
「ねえ、寺田くんって彼女いるの?」
へっ!?
なんか成り行きで付き合うことになったその人は、幾島ユイナさんといって、オレより3つ年上だった。今まで付き合った人の中で一番年上だ。姉ちゃんよりひとつ上なだけだけど、なんか、なんつうか、ものすごく女の人ーって感じがする。
初めて会った日に交際を申し込んでくるあたりからなんとなくそうかなと思ってたけど、すごく積極的な人だった。とても綺麗な人で魅力的なんだけど、とにかく迫力がすげえ。初めてのデートはいきなり翌日で、コースも全部ユイナさんが決めてくれた。オレは慌てないようにするのが精一杯だ。
今日もデートの誘いをいただいたのは昨日の夜だった。ちょうどなんにもない日でよかった。
「今日はショッピングに付き合ってほしいの」
どこに行くのかなと思ったら、電車を乗り継いで有名店の並ぶ通りに行くんだと言う。そりゃ電車に乗る距離の人と付き合ってりゃ電車にも乗るんだろうけど、わざわざ買い物のために遠くまで行くことってあるんだなあ。ちょっとだけ面倒だなと思ったのはここだけの話な。
あと、普通に腕とか組んで歩くんだ! そういうの、めっちゃドキドキするもんかなと思ってたけど、あまりに自然にするりと組まれてて、最初気付かなかった。
「健太くん、ここの店見ていい?」
「うん」
腕を引かれるように入った店はあちこち金色でラメラメで、眩しい。マネキンが着てるの、あれ、服? 布?
いやでもびくびくしてるのもカッコつかねぇし、平常心、だ。まるごと鏡になった柱に目をやる。……まあ余裕のある顔はしてないわな、でもそれがちょっとクールっぽく見えなくもない、気がする。大丈夫、大丈夫。
「どっちが似合う?」
ユイナさんが赤と青のワンピースを手に取って振り向く。
「どっちも似合うから困るなあ。青のほうはシックで落ち着いててユイナさんの綺麗な顔を引き立てるし、こっちはすごくセクシーで華やかだね」
「えー、どうしよう。両方カワイイ! 健太くんは恋人が隣でどっちの色着て歩いてるのが好き?」
「青かな」
答えると、ちょっと意外そうな顔。
「へえ、健太くんって華やかな色のが好きなのかと思った」
……あれ? んー、そういえば、そうだ。オレ、割と赤好きなんだけどな。でも恋人、って言われて頭の中が真っ青に染まった。だからとっさに口から出たんだ。アレかな? 好きな色と着てほしい色は違う、とかなのかな?
「まあいいや。健太くんが好きなほう買っちゃおう」
そんなかわいらしいことを言いながら、赤いのをラックに戻すと、ユイナさんはレジに向かって行く。ここで「じゃあオレが」が出来れば格好つくんだけど、バイト禁止の中学生にはどうしようもなかった。情けねえ。
店から出たオレたちは、駅から少し離れた方向に向かっていた。正直ここがどこかよくわからん。元々土地勘ないし。ただ腕を組まれてるから任せて歩いていた。ちょっと細い道だけど、きっと彼女はわかってるんだろうな。
「健太くん」
「ん、何?」
「私ちょっと疲れちゃった。休んでいかない?」
………………は?
なんかものすごくスムーズにここまで来ちゃったけど、これってそういうことだよな?
オレはシャワーを浴び終えて、シャワールームから聞こえる水音を聞いてる。つまり、そういうことだよな?
ちょっと展開が早くて頭の中が整理しきれない。シャワールームのドアが開く音がして、なんか背筋がピンと伸びた。
「あは、緊張してるね。もしかしてラブホ初めて?」
さすがにこのシチュエーションでカッコつける余裕はない。オレは黙って頷いた。
「そっかそっかぁ。あれ、もしかして、こういうコト自体初めてだったりする?」
「……はい」
ユイナさんはにっこり笑う。バカにされた笑いではなかったので、とりあえずほっとした。
「んじゃ、私が教えてあげるね」
「はい、お願いします!」
「フフフッ、ちゃんと手取り足取りしたげるからリラックスして。まずは隣に来て……」
「はい!」
あー。
なんか実技試験を受けに来たような気分になってきた。
ふわふわした気分のまま数日が過ぎた。すぐに色々ぶちまけたかったんだけど、タイミングがまったく合わなくて、蒼生とは行き帰りバラバラだし、部活は顧問の都合で休みになるしでずっとむずむずしてた。今日は部活がある。まずはあいつらに自慢しよう。
終わりがけに3年だけで打ち合わせしたのもちょうどよかった。着替えに来た部室はカズキやタクトたち、仲のいい面子ばかりだった。
「そういえばさ、健太、この前行った中学の女子マネのお姉さんと付き合い始めただろ。どんな感じ?」
「えっ、そうなの!?」
カズキ、ナイスパス。タクトにはそういやまだ言ってなかったっけ。
「まあ、聞いてくれ。実は先日、……初Hを済ませてきた」
全員の動きが止まる。しーんという音が聞こえそうな沈黙のあと、「えええええっ」という声がハモる。ふっふっふ。いいぞ、そのリアクション、待ってた。
「マジ、え、早っ!」
「どんなだった!? どんなだった!?」
「気持ちよかった!?」
「どんな感じ!?」
口々にまくし立てて詰め寄る連中を、どうどう、とたしなめる。
「オレは紳士だからさ、最初から最後まできちんとガッつかず、紳士な対応させていただきましたよ」
「で、どんな!?」
「ふわふわでいい匂いして、すっげぇ包み込まれる感じっていうの? なんか受け止められてるって感じだったなあ。あったかくて、なんか……気持ちよかった」
「はー……」
「いいなあ……」
羨望の目が集まる。気持ちいい。
タクトがすっと手を挙げる。おっ、質問かね。
「はい、花井くん」
「僭越ながら質問させていただきます。……そーいう時って理性なくなっちゃうもんだと聞き及んでおりますが、そういうことってなかったの?」
「いや、あんまり……。ちゃんと相手の言う通りのとこ触ったりしてましたよ」
場がざわめく。なんだよ。次に挙手したのはカズキだ。
「えーと、もしかして全部指示通りだったってことでしょうか」
「そりゃ初めてなんてそんなもんじゃねぇの?」
「で、お相手の評価は?」
「……お手本通りに出来ました、って」
いや何で全員で審議入ってんだよ。物言いがつくようなことあったか? あ、そりゃスポーツが違うか。
えぇ、とカズキが物々しく咳払いをする。
「それってつまり、つまんなかったって感想では?」
「ああ!?」
「ガッつかなかったって発言がありましたが、自分のいいなりなんて物足りなかったのではないかというのが審判団の結論です」
いつのまにか完全アウェーなのはなんでだよ!
「だって初めてなんだから、何をどうしたいとかそんなんわかるわけねえじゃん! さてはおまえら羨ましくて文句つけたいだけなんだろ!!」
場内から同時にブーイング。
「その通りだ馬鹿め!」
「羨ましいぞ!」
「なんでおまえばっかりモテるんだ!」
うるせえうるせえ、何と言おうがオレがゴール決めたのは事実だ!
……とかなんとか言いながら、優越感を感じてニヤニヤするオレだ。せいぜい羨ましがってくれたまえ。
オレが蒼生に話す機会を得たのは、ようやく週末を直前に控えた金曜日の朝のことだ。玄関から出るのが、ちょうど蒼生と同じタイミングだった。ラッキー、今日は図書委員の仕事ねえんだ。3年になったら仕事減るって話だったのに、隣のクラスの委員が休んでるとかで代わりに仕事してるらしい。真面目な蒼生らしいけど。
「蒼生」
呼び掛けると、ふんわりとした笑顔が返ってくる。あー。やっぱこの顔見ないと回復しねえわ。
「おはよう、久しぶり」
「おはよう。ほんと、全然かち合わなかったな!」
肩をすくめて笑う。毎日拝みたい。
さっそく蒼生に自慢を、と思って、……ん?
オレはちょっと躊躇する。サッカー部の悪友どもにははっきり自慢出来たのに。蒼生に、自慢、はなんか違う気がする。んー、なんだ? 報告? うーん。なんだろ、蒼生に言うのがなんか急に恥ずかしくなる。でも言いたい。
「蒼生、あのさ」
「うん?」
「実はオレ、今、年上の人と付き合っててさ」
「うん」
「……初めてHしちゃった」
あれ。蒼生の表情が一瞬止まった?
「そうなんだ、おめでとう」
でも蒼生はすぐにそう言ってくれた。悪友どもからは一切出なかった言葉だ。蒼生ならそう言ってくれると思ってた。オレはちょっと嬉しくなる。
「なんか成り行きっていうのかな、急にホテル行こうって流れになってさ」
「やめて」
……え?
蒼生がオレの話を遮った。
初めて聞いた。蒼生の鋭い声。
え、蒼生……?
立ち止まる蒼生の顔を覗き込むと、なんの表情もない顔をしてる。
「……蒼生?」
「ごめんね、そういう話苦手なんだ」
蒼生は、薄く笑ってそう言った。笑うのに失敗したような。
「あ、蒼生、ごめんな……」
「ううん、悪いのは僕だから。そういう話したかったら、申し訳ないけど他の人にしてほしい。ごめんね」
吐き捨てるようなセリフ。
……ぞっとした。蒼生がこのまま離れていってしまいそうで。
ダメだ。蒼生。蒼生。行かないで。オレから離れて行かないで。オレを置いて行かないで。
「蒼生っ!」
オレは必死に蒼生の腕を掴む。蒼生はうつむいたままだ。
「もうその話は絶対しない。約束する」
蒼生が嫌だって言うなら。絶対。
「だからこっち見て」
優しい蒼生は、そう言うとこっちを見てくれた。あ、今、なんかずるい言い方した気がする。
少しの沈黙のあと、蒼生がオレの手にそっと触れて笑う。笑ってくれる。オレは握り返して、なんとか笑う。
よし、失敗は繰り返さない。もう同じことはしない。蒼生にあんな顔させちゃダメだ。いつも通りに戻ろう。
「ね、天アルの新刊買った?」
腹に力を入れ、精一杯明るい声を出す。
「買ったよ。読みに来ないのかなって思ってた」
「今日、夜読みに行っていい?」
「うん。いいよ」
情けない話、蒼生が頷いてくれて本当にほっとした。もう一度拒否されるかもしれない、と少なからず思ってたから。蒼生はオレ自身を拒否したんじゃない。それがわかっただけ、まだよかった。
夕飯のあとすぐに風呂に入って、もう一度普段着に着替える。
「蒼生んとこ言ってくるー」
一応そう言うと、奥から母さんの声が飛んできた。
「帰ってくるの?」
「たぶんそのまま泊まるわ」
「はーい了解~」
もちろん、拒否られなかったらだけどな!
思った以上にさっきの蒼生の言葉が刺さったらしい。蒼生が本当にもう気にしないでいてくれているのか、一刻も早く確かめないといらんなかった。
部屋まで行くと、蒼生はなんのためらいもなくオレを部屋に入れる。まずここまではセーフ。
漫画を新刊からじゃなく1巻から読み始めてみても、これといって文句は出ない。それどころか、床に座りベッドにもたれて読むオレの手元を、ベッドに寝転んで覗いてくる。可愛い。
ジリジリと時間を稼ぐ。でもちょっとあからさますぎたかな。風呂からあがった蒼生が首を傾げた。
「健ちゃん、もうそろそろ僕寝たいんだけど。全部持って帰っていいよ」
うっ。蒼生が帰れとか言う……。いや、ここで折れたりしねえぞ。踏ん張りどころだ。
「読み終わったら帰るわ」
「それ終わらなくない?」
「じゃ、泊まる」
「え、布団用意してないよ」
「蒼生のベッドで一緒に寝るからいい」
さすがに無茶言い過ぎた? けどたぶんここをクリア出来たら、蒼生はオレを拒んでない。さあ、どうだ? オレのこと、拒否したりしねえよな?
「……僕先に寝てるから、朝起きたら床に落ちてるとかないようにね」
ふわりとした口調の蒼生。やった!
ようやく安心して漫画に集中出来る。いつものスピードで読み進めて、最新刊までを一気に片付けた。あー、面白かった! 次からの展開がどうなるのかわくわくする終わり方だったな。早く蒼生と感想言い合いたい。
ちらりと見ると、蒼生は壁に近いところで、壁に向かって小さな寝息を立てている。なんでこんな端っこに、と思ったけど、そっか。オレが寝るとこあけてくれてんだ。昼間あんな顔させちゃったのに、蒼生は本当に優しい。改めて反省しよ。
でもなんで蒼生はあんなに嫌がったんだろ。男だったら絶対食い付いてくる話だと思ってたんだけど、みんながみんなそういうわけじゃねえんだな。あれか? 下ネタ苦手とか、そういうことなのかな。理由が知りたいけど、なんとなく聞きづらい。とりあえず、はっきりわかんねえ以上は、その手の話は一切触れないほうがよさそうだ。
オレは蒼生を起こさないようにそっと立ち上がり、抱えた漫画を本棚に戻す。それからカーテンをひき、電気を常夜灯にする。急に部屋が夜になった感じだ。不思議なもんで、とたんに眠くなってきた。
蒼生のかけている布団をめくり、そのあったかい隙間に潜り込む。バスタオルをたたんで作った枕に頭を乗せた。これも蒼生が準備してくれたんだよなあ。
思い返すと、蒼生と一緒の布団で寝るのなんて小学生の低学年以来かもしれない。途中からひとりの寝床が嬉しくなっちゃったんだよな。なんか大人になったみたいでさ。もちろん隣で寝ることはあったけど。
あー……。安心する。
でも今度から枕だけは持ってこよう。バスタオルだとちょっと低いもんな。
オレは蒼生の枕を少々拝借することにした。水色の枕にこっそり頭を乗っけてみる。枕が少し沈んで、蒼生の頭がちょっとだけ傾く。
いてっ。
……………………。
ん?
今、あれ?
オレが枕に侵入したから蒼生の頭とぶつかった、一瞬そう思ったけど、違う。
蒼生の頭が傾いて、オレの鼻先が蒼生の後頭部に当たった。その瞬間、蒼生の頭がオレの頭にぶつかってきた。
……もう一度。試してみたい。そっと。鼻先を近付けて。蒼生のにおい。触れる。
「んっ……」
どくん、と心臓が鳴るのと、蒼生の肩が揺れたのは同時だったと思う。今……蒼生の声……? 小さく、呻くような。
急に、血液が全部逆流するような錯覚。心臓のある場所がはっきりわかる。うるせえ。頭に血がのぼる。めまいがするみたいだ。
声……なあ、蒼生、もっかい声聞かせて?
暗い部屋の中でも黒い髪の間からはっきり見える耳。ちょっと、ちょっとだけ。唇で触れてみる。冷たい感触。ぴくりと蒼生が身動ぎをする。柔らかい耳たぶを唇で噛む。甘い、気が、する。
「……ん」
息が苦しい。酸素が足りねぇ。走り込みを散々やったあとみたいだ。収まらない。蒼生。
襟をちょっと引くと、なだらかな首筋が見えた。きれいな角度。顔を埋めてみると、ああ、蒼生のにおいが濃くなる。ここにも、唇を這わせる。舌先で、触れる程度に撫でる。わずかに蒼生の寝息が乱れて、腰が小さく反る。
腰……。オレと蒼生にかかる布団をゆっくりめくる。肩から背中、腰に向かう直線じゃない線。上下する呼吸の動き。直に見たい。触れたい……っ。
身体が熱い。痛い。苦しい。息が。
中心は熱いのに、指先は冷えて痺れて感覚が鈍い。ぼんやりしているような、やけに芯が冴えているような。
震える手、右手を伸ばして、蒼生の向こう、肩に触れそうなところに置く。ぎしり、ベッドの軋む音。蒼生。見下ろす位置に、無防備な寝顔。キスしたい。触りたい。身体中舐めまわしたい。蒼生、蒼生っ……。
勝手に動いた手が、ボタンにかかる、あと数センチの距離。
「健ちゃん……?」
…………っ!
あ……。
今……オレ……何……?
蒼生が目をこすりながら、きょとんとした顔でオレを見上げていた。
「どしたの……眠れない?」
「ん、あ、いや……ちょっとトイレ行こうと思って」
混乱したままの頭で、適当に答える。蒼生は、そっか、とふんわり微笑むと、再びすうっと眠りに落ちていった。
まだ鼓動がうるさい。深呼吸して息を整える。オレ、今、…………。
あー、マジか。
オレはゆっくりベッドから起き上がる。うん、適当ではあったけど、蒼生に嘘はついてない。だって、急遽トイレに用事が出来ちゃったからな……。
結局あの日は、明け方まで寝られなかった。あれはなんだったんだろう。なんか自分じゃないみたいだった。
「健太ぁ、次移動教室だぞ」
カズキの声で我に返る。
「あ、そうだったっけ。やべ、待って」
オレは慌てて机の中から教科書とノートを引っ張り出した。
カズキに急かされながら教室を出る。あと数分でチャイムが鳴っちまう。急がないと。
っ。心臓が大きく跳ねた。廊下の向こうに蒼生がいたからだ。蒼生はオレに気が付くと、手を振って、声にはせずに「いってらっしゃい」と言った。敬礼のポーズで返すと、楽しそうな笑顔。
……あの夜から、蒼生の顔を見るたびに心臓がぎゅっとする。見慣れた蒼生の顔。何が変わったわけでもない。なのに何かが変わった。なんなんだ、何かって。具体的な答えがまったく出てきやしねえ。
最近蒼生のことばっか考えてるな。前に比べてもっと……ん? 前からオレこんな感じだったっけ?
「健太っ!」
え? あ、うわっ。
飛んできたボールを胸で止める。
「ぼーっとしてんなよー!」
「悪ィ!」
駄目だ、全然集中出来てねえや。今日も朝練からボロボロだ。ここんとこ調子悪いかも。
「ずーっと調子よかったのにな」
部室に戻るとカズキが笑って言った。いや、ほんとにな。なんだろうなあ。
着替えるついでに携帯を見る。あ、やべ、昨夜ユイナさんからメッセージ入ってた。
「あれじゃね、最近健太って野木沢と一緒にいないじゃん。それで調子狂ってんのかもよ」
「さすがにそんなわけないだろ」
適当に笑い飛ばすけど、……それかなあ。別に避けてるとかそういうことじゃなくて、なんか心臓に負担がなあ。
あ、とタクトが声を上げる。
「そういえばさ、この前、レポートやる約束してた時あるじゃん」
「あー、うん。あれ、急に帰っちゃってごめんな」
図書室でやろうって約束してたんだっけ。でも、その日の当番が蒼生だって聞いて、ずっと蒼生の顔が見られるんだと思ったらなんか急に緊張して。それでつい、回避しちまった。
「いや、オレはまあいいんだけど。健太が先に帰ったって話したら、野木沢、気にしてるみたいだったよ」
「……え?」
さっと血の気が引く。ちょ……それじゃオレが蒼生を避けたみたいじゃん! いや実際避けたんだけど、そういう意味じゃねえよ! それでなくともこの前蒼生にしんどい顔させちゃったのに、誤解とかされてたらどうすんだ!
「そういう話は早く言えよっ」
「どうせすぐに顔合わせると思ったから……。え、野木沢と話してないの?」
「してねぇよ……あー、もうチャイム鳴るか」
まずい。せっかくあの時やらかしたのを取り戻せたと思ったのに。ああ、放課後早くこねえかな。蒼生と話しに行かないと。
気もそぞろに授業を受けて、ようやく放課後になった。蒼生が帰る前に捕まえなきゃ。荷物を作るのは後回しにして、とにかくオレは蒼生の教室に向かう。
……緊張してきた。ほんと、どうしちゃったんだオレ。蒼生に緊張するって。
教室を覗くと、オレのクラスよりホームルームが短かったらしい、だいぶ人数の減った中に蒼生の姿があった。ひとり机に向かっている。オレはどきりとして、でもやっぱりほっとする。
「蒼生」
蒼生が振り向く。目が合う。あー。
近付くと、蒼生はふんわり笑ってオレを見上げてくる。机の上には問題集が広がっていた。
「勉強してたんだ」
「うん」
「真面目だなあ」
オレはそっと手を伸ばす。後ろから、座ったままの蒼生を抱き締める。あったかい。蒼生のにおい。ちょっと泣きそう。
最近蒼生にくっつくといつもこうなる。やっぱあの夜からだ。なんだろうな? 安心する? 嬉しい? 楽しい、とは違うしな。なんだこれ。心臓は相変わらず早鐘だったけど、とにかく離したくない。ずっとこのままでいたい。
「調子悪い?」
「ん? なんで?」
こうしてる瞬間は割と絶好調なんだけど。
「なんか……前は僕のこと突き飛ばす勢いだったのに」
「突き飛ばしなんかしねえよ。えっと、あれだ。落ち着きが出てきたんじゃね?」
そうか、きっとそうだ。なんかこう、余裕的な?
腕の中で、蒼生が笑う。
とりあえずオレを拒否する空気はない。大丈夫かな。気にしてないかな。それなら、いっか。
ふと目を上げる。広げられた問題集は、あれ、初めて見るやつだな。それと、過去問? 知らない高校名だ。
「な、蒼生、これ」
体を離して、問題集に触れる。こっちも同じ名前。蒼生は嬉しそうに笑った。
「うん、あのね、ここ受けようかなって思って。笹原くんが教えてくれたんだけど、すごい図書館があるんだよ」
ずきっと心臓が痛む。さっきのとは違う痛み。
……え?
つまり、蒼生は笹原とここに行こうとしてる?
笹原と? オレじゃなくて?
気が遠くなりそうだ。
「健ちゃん?」
「ん、いや。そっか。頑張ってな」
「? ありがとう」
オレはなんとか踏みとどまる。どうにかしなくちゃ。違うクラスでも、同じ学校だから耐えられてるんだ。これで、違う学校に行って、そこに笹原がいるんだと思ったら、無理だ。あいつはダメだ。どうしても。
問題集に目を落として、オレはその高校の名前を頭に叩き込んだ。
あー……。まあ、そうだよなあ。何度調べても変わらない数字を前に、オレは大きく息を吐く。
蒼生と笹原が狙う学校だぞ。常にトップ10にいる2人が、だ。そりゃ一筋縄ではいかねえだろ。でもこればかりはそれで済ませてちゃいけないんだ。
よし。
「父さん、母さん」
リビングに飛び込みながら呼ぶと、まず父さんが振り向いた。それから奥にいた母さんが顔を出す。
「ちょっと聞いてほしい決意と相談があるんだけど」
父さんたちはオレの話を聞いて頷いてくれた。姉ちゃんとみのりは茶化してきたけど、オレも男だ。引けない時はあるんだ。
それからは、まあ、ちょっとした地獄だよな。
部活はサボれない。でも勉強の手を抜くわけにはいかない。プライベートな時間は全部勉強に突っ込む感じで何とかするしかなかった。おかげで恋愛的には完全フリーになったわけだけど、それをどうこう言ってる場合じゃなかったし。
とりあえず夏休み前に蒼生の希望する進路がわかって本当によかった、それだけはよかった。夏も冬も、長期の休みは部活以外家で勉強してるか図書館で勉強してるか蒼生の部屋で勉強してるかのどれかだった。ぶっ倒れそうだったけど、そういう時には選択肢を蒼生の部屋一択にすることで乗り切った。蒼生には迷惑だったかなって思ったりもした、でもきっと同じ問題を解いてたから大丈夫だったと信じることにした。
一番大変だったのは、同じ高校を受けようとしてるのを蒼生に気付かれないようにすることだった。オレからすればひどい高望みだ、蒼生にばれたら蒼生はすごく気にすると思った。だからひたすら内緒にするしかなかったんだ。
そして。
ようやく合格発表の日が来た。
試験自体は、たぶん、なんとか、結構出来た、と思う。でも結果を見るまでは不安でしょうがなかった。最初担任に志望校を報告したときは目ぇ丸くされたからな。そんでその後取られた行動が「説得」だった。そうなるよなあとは思ったけど、そこでひっくり返されるオレじゃないからさ。
「健太、ほんとにお母さんたち一緒じゃなくていいの?」
「いいよ、子供じゃねえし。じゃ、行ってきます」
「結果わかったらすぐ連絡してね!」
早朝の冷え切った空気の中、オレは家を出る。まずは自分が受かってないとなんにもならない。で、それがバレるのも嫌だ。蒼生は、大丈夫だろう。ふんわりしてるけど、意外と本番に強いから。
電車に揺られて辿り着いた校舎は、変な威圧感。校門の前に立つと、入ってすぐの場所に掲示板が見える。人の数はまだ少ないけど、掲示板を見上げて泣いたり笑ったりしてた。さあ、オレはどっちだ。まっすぐにそっちに向かいながら、横目で番号を見る。真ん中の方だからわかりづらい。番号、番号。
え。
うわ。
足が止まる。マジか。すぐに膝から力が抜けて立てなくなった。
「あった……」
思わず声が漏れる。念のため手元の受験票と掲示板を見比べたけど、何度見ても同じ数字がこことあそこにある。吐いた息はものすごく長くなった。あー。もー。
そうだ、家に報告……はまだいいや。まず蒼生だ。蒼生に伝えたい。
周りを見渡して、とりあえずいても大丈夫そうな建物の壁に寄りかかる。蒼生。蒼生はどんな顔するかな。まさか嫌がったりとかしないよな。ちょっと怖ぇな、でも、蒼生なら、きっと。……いや1回オレ蒼生に拒否られてるからもしかして……いやいやいやいや。大丈夫。
日が高くなってきて、昼も近くなってきた頃、蒼生の姿を見つけた。まっすぐに掲示板に向かって、オレには気付かない。隣には、あー、やっぱいるのか、笹原。オレは黙って2人の姿を見つめる。どうだったかな。オレが受かってるくらいだから大丈夫だろうけど。
そして案の定、蒼生たちは自分の番号を見つけたみたいだった。蒼生が笑って、笹原がそれに答えるように笑った。
……もう限界だ、行こう。
勢いよく歩いていくと、蒼生たちは振り向いて、そして同じように驚いた顔をした。瞬きの回数が多くなる蒼生に、オレは受験票を突きつける。それを凝視した蒼生は無言で、背後の掲示板にその番号を探し始めた。それから、大きく息を吸ってオレを見る。嬉しい時の顔だ。知ってる。
「どうしても蒼生と一緒にいたくて。内緒で受けてた」
「じゃ、一緒に通えるの?」
蒼生の声は、ちょっと震えてた。
「うん」
頷くと、蒼生が突然オレに抱きついてきた。首に巻きつく蒼生の腕。え、蒼生。蒼生からこんなことしてくれるの、初めてだよな……?
「……嬉しい」
腕の中で、蒼生のこもった声。オレにはそれがなにより嬉しかった。蒼生が、オレと一緒にいられることを嬉しいって。そう言ってくれてる。
「これからもよろしくな」
伝えると、蒼生は何度も何度も頷いた。
よかった。
蒼生といられる。
ふと視線を感じて目を上げる。笹原。
笹原はわずかに表情を緩めると、肩をすくませた。
「ちょっとは見直した」
ちょっとかよ。
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