投稿日:2023年10月22日 21:59 文字数:12,710
14こ目;Powder Sugar Waltz 第4話
ステキ数:1
冬矢、中3から高1になりました。
3人になったばかりのバタバタは冬矢から見たらこんな感じだったのです。
名前を呼ぶようになった冬矢は、別の「名前」を意識するようになり……。
↑当時キャプション↑
2021/09/03初掲載。
『僕+君→Waltz!』14こ目です。
冬矢がどんどんやる気を出してきたようです。
3人になったばかりのバタバタは冬矢から見たらこんな感じだったのです。
名前を呼ぶようになった冬矢は、別の「名前」を意識するようになり……。
↑当時キャプション↑
2021/09/03初掲載。
『僕+君→Waltz!』14こ目です。
冬矢がどんどんやる気を出してきたようです。
| 1 / 1 |
校庭には卒業生と在校生が入り混じっていた。残っているのはほとんどが部活に入っていた連中だろう。笑い声やすすり泣きがあちこちからざわざわと聞こえてきて、普段とは違う不思議な空間になっていた。俺はどこを見るでもなく、その様子をぼんやりと眺める。
と、向こうの輪の中からひときわ目立つ姿が現れた。森は手を振って笑う。
「ごめん、ごめん。別のクラスの子に捕まっちゃってさ。あとまだ後輩待たせてて」
有名人だからな。あちこちから声をかけられてるのがここからも見えた。
「先に帰っていいか。俺は別に用事ないんだけど」
「まあまあ、もうちょっと待っててくれよ。最後なんだから一緒に帰ろうぜ」
「おまえそういうこと言うタイプだったっけ」
「さすがに感傷的になってるんだろ。それより、野木沢は? もう帰っちゃったかな」
「いや、まだじゃないか」
さっき姿を見かけた。野木沢も人気あるから、最後の思い出作りに付き合わされているんだろう。
「最後に野木沢と話したいんだよな」
「連絡先知ってるんだし今生の別れでもないだろ」
「とはいえ、だよ」
やれやれ。俺はひとつ息を吐いた。
「とりあえず探しといてやるから、おまえはとっとと用事済ませておけば」
「ありがとう!」
森はそう言い残すと、また輪の中に混じっていった。
確信があるわけじゃなかったが、俺は校舎裏のほうに足を向けた。
卒業か……。特に何事もなく過ぎるはずだった3年だった。変わるつもりはなかったし、変えるつもりもなかった。それが、ただひとり、野木沢に出会ったことでこんなに変わるなんて。席が前じゃなかったら。森が野木沢を誘っていなかったら。野木沢が俺たちのほうを向いてくれなかったら。たぶん、こうなってはいなかったと思う。誰かと一緒にいたいだなんてことを思う俺じゃなかったはずだけどな。まさか、共に努力して同じ高校に進むだなんて、2年前までの俺が聞いたら冷たい目で引いていただろう。
寺田が追いかけてきたのも想定外だったな。あいつの成績で合格ラインまで持っていくには相当努力が必要だったろうに。そこまでして野木沢と離れたくなかったってことだ。出会った頃、野木沢は寺田にお気に入りのぬいぐるみ程度に思われてるなんて言ってたけど、あれはそんなもんじゃない。余程の執着がないとここまでは出来ないだろ。
野木沢のほうも切り離して考えているようでいて、寺田の存在に頼り切ってるところがある。おそらくお互いに近過ぎて気付いてないだけだろうな。……だがそんなもの、「そうですか」で済ますつもりはない。
校舎の角から裏を覗き込むと、壁にもたれてぼんやり空を眺めている野木沢の姿があった。他には誰もいないことを確認して、声をかける。
「野木沢」
ぱっとこちらを見た顔は、力ない笑顔だった。
「ラスト・コール?」
聞くと、一瞬目を丸くして、それからやっぱり疲れたような顔で笑う。
「それ。まさか連続して食らうと思わなかったから、もう精神力使い果たしちゃった」
野木沢は告白を断るのにも、いちいち自分が傷付いてるからな。なんとかしてやれればいいが、当の野木沢が自分でケリをつけたがる。
「森が探してたよ。野木沢と話がしたいってさ」
「あ、そうか、森くん遠くの高校に進むんだもんね。しばらくは顔合わせられないだろうし」
俺が歩き出すと、野木沢は小走りについてくる。
校舎裏から出るとざあっと強い風が吹いた。まだ冷たい風だ。
「これでこの校舎ともお別れなんだね」
見上げて、感慨深げに野木沢が言う。
「淋しい?」
「うーん、淋しいけど……でも高校行ってもひとりじゃないでしょ。だからちょっと楽しみのほうが強いかな」
それには、そうか、とだけ答える。一瞬、どっちに対して、なんて突っ込んで聞こうかと思ったが、やめておく。そのかわり、俺は一歩避けるような形で立ち止まり、野木沢と向き合った。
「笹原くん?」
「1つ聞いてほしいお願いがあるんだけど」
「?」
野木沢は不思議そうな顔をして、小さく首を傾げた。
「俺たち、これからも長い付き合いになるわけだろ」
「うん。そうだね」
「名字で呼び合うの、水臭くないかな」
「うん。……へぇっ!?」
裏返った声を出して、野木沢は目を瞬かせる。途端、その頬に朱が差した。
「あ……え、名前……ってこと?」
「そう。嫌?」
「い、嫌じゃない、嫌じゃない、けど、……改まって言われるとすごく恥ずかしいね……」
「嫌じゃないならそうしよう。じゃ、そっちから」
「しかも僕から!?」
うう、と呻いて両手で顔を覆う。覆いきれない頬と、耳まで赤い。
「……と……冬矢くん……」
「敬称もなし」
「ひぇっ……えっと……冬矢」
ふふ。自分の名前が人の口からこぼれるのがこんなに嬉しいことってあるんだな。
「蒼生」
呼ぶと、両手からちらりと目を覗かせる。そしておずおずと両手を下ろし、ふわっと、花が咲くように笑った。
蒼生。
俺は心の中で繰り返す。
入学式は2階にある体育館でやるらしい。建て替えたばかりだというその建物は、外からでも入れるよう立派な階段があった。コンクリートの打ちっぱなし部分と色鮮やかなタイルで飾られた部分があって、なかなか面白い。
受付でクラス分けのカードをもらったので、とりあえず先に会場を覗きに行ってみる。外から見るより中は広々としていて、出来たばかりらしい艶やかさがある。床は土足で上がれるようシートが敷き詰められていた。学校案内によれば、ここ以外に講堂も近々出来るらしいな。そんなに集まる用事があるんだろうか。
ちらほら席は埋まってきているが、まだ蒼生は来ていないようだ。でも蒼生のことだ、そろそろ来るだろう。
階段を降りて受付のほうに歩くと、予想通り蒼生の姿が見えた。隣には……寺田か。まあいるだろうな。寺田が突然蒼生に飛び付く。それでなんとなく察した。
近くまで行くと、寺田の手にあるカードが見えた。やはり俺と同じクラスらしい。ということは蒼生も一緒だな。それはありがたいが、寺田もいるとなると少し事情は変わってくる。
とりあえず周りに戸惑っている奴らがいるようなので声をかけておこう。
「受付の真ん前で何してるの」
寺田が手を離すのと同時に2人は振り返る。蒼生が取り繕うように笑った。
「あ、おはよう笹原く」
「ん?」
咄嗟に遮る。蒼生は「あ」という顔で固まった。そしてすぐ頬を赤くする。
「お、はよ、と、冬矢」
「おはよう、蒼生」
慣れてない感じが初々しくて可愛い。そこまで照れることないだろうに、と思うが、面倒がって色々避けてきただろう蒼生は、本人が思うほど擦れていない。
「えと、冬矢はクラスどうだった?」
照れているのを隠すように蒼生が会話を進める。勿体ぶることもない、俺はクラスカードを差し出した。
「蒼生と同じクラスだよ」
「!」
ぱちぱち、と瞬きをして、蒼生は俺の手のカードと手持ちのカードを見比べる。すぐにわかるだろうに、何度も確認するんだな。
「……ほんとだ。冬矢も一緒だ。今年は健ちゃんと冬矢と一緒なんだ」
「嬉しい?」
「うん」
ああ、本当に嬉しいんだな。反応が早くて、素直だ。少し呆然としたような幼い顔。この顔を見ると、蒼生の中で俺は「一般枠」よりは高い位置にいるんだろうと思える。問題はそこでの順位だ。
すい、と寺田が蒼生との間に割り込んでくる。そう、こいつがいる。こいつは、今までクラスが離れていた時のように俺が蒼生と並ぶのを許さないだろう。ただ、こうして蒼生の前に進み出た自分に戸惑っている。自分の行動の理由がわかっていない。警戒心だけは剥き出しだけどな。
それは付け入る隙にも見えるし、厄介な障害にも見える。とりあえず、俺だけクラスが離れるようなことにならなくてよかった。
その結果はすぐわかった。寺田の存在はすこぶる厄介だった。
俺が蒼生と話しているだけで近寄ってくる。並んでいると俺を押し退けるように蒼生に抱きつく。
蒼生がそれを少しでも面倒に思うようならなんとかしなければならないと考えるところだが、当の蒼生にその気配がまったくない。実はそれが一番厄介なのかもしれなかった。
まあ……蒼生がいいならそれでいいか。別に寺田をどうこうしようという気持ちはない。気が合わないなら俺自身が寺田と関わらなければいいだけだから。
時々蒼生が暗い顔を見せるようになったのに気付いたのは、それからしばらくしてからだった。最初はクラスの連中としゃべっている時のふわふわの笑顔が少し固いな、と思った程度。次第に、その笑顔が俺にも向くようになった。あれ、と思っているうちにわかったのは、顔を背けてから沈んだ表情をわずかに浮かべていること。
蒼生は気付かれないように努力はしていた。だが隠しきれなくなって零れ落ちたんだろう。思い当たる節がありすぎる。わかってる、俺のせいだ。
「蒼生。久し振りに今週末泊まりにこないか」
驚いた顔で教科書をまとめる手を止めた蒼生は、目を細めて頷いた。
「お邪魔します」
何度か呼んでるだけあって、さすがに蒼生も俺の家には慣れてきたようだ。
「今日ご両親は……」
「不在」
「だよね」
蒼生はさらりと笑って、いつも通り手土産の紐を俺の腕に引っかける。俺は、そのまま俺の横を通り過ぎようとする蒼生の肩に触れた。
「先に言っておくけど、蒼生を紹介したくないとかそういうことじゃないからな。俺、こんなに頻繁に誰かと会ったりしてこなかったから、それがバレたらと思うと気恥ずかしくてさ」
きょとんとした蒼生は、そのままの顔で首を傾けた。
「珍しいね、冬矢がそういうこと言うの」
「おまえに誤解されたくないんだよ」
でないとすぐ曲解する癖があるから。蒼生にはまず言葉で全部伝えたほうがいいんだ。あんまり考える隙を与えないのがたぶん最適だと思う。
ちょっと考えるようにした蒼生は、一瞬照れたように俯いた。そしてすぐ小さく、そっか、と呟いて、スリッパを履くと小走りに廊下を進んでいった。
後を追うようにリビングに入ると、ダイニングテーブルの上に積んだディスクに蒼生が目を止めていた。父さんのコレクションから少し古い映画をいくつか抜いてきたやつだ。
「あ、昔見たのがある」
「蒼生の好きそうなやつ集めてみたけど、見る?」
「うん、見る。わー、懐かしい」
楽しそうにパッケージを並べたり裏返したりしているのに安心して、俺はキッチンに入る。冷蔵庫には幾つものボトルが入れてあった。
「飲み物はどうする? コーヒーと緑茶と紅茶がそれぞれ暖かいのと冷たいの、あとジュースがあるけど」
「……冷たい緑茶を」
「はい、これ。お茶請けはマフィンでいいかな。クリームはいる?」
「はい是非……」
蒼生は怪訝な顔でこちらを覗き込む。
「ね、冬矢って甘いもの好きだった?」
「嫌いじゃないけど、甘すぎるのは苦手かな。だからちょっと甘さ控えめ」
「つまり?」
「作ってみた」
だって、好きだろ?
蒼生は壁にすがるようなポーズで、困惑したように上目遣いで俺を見る。
「もしかして冬矢、餌付けしようとしてる?」
「かもな」
呻く蒼生に、思わず笑う。
別にそんな意図はないけどな。ただ、喜んでほしいだけで。おかげでレパートリーはだいぶ増えた。
肩が触れるくらい近い距離でソファに隣り合って座り、映画を見ながらその内容について話すのは楽しかった。俺たちが小さい頃公開された映画で、テレビで放送したのをたぶんふたりとも見ていたんだと思う。ここはああじゃなかったっけ、これって実はこうだったんだ、なんて、話す中身はたいしたことじゃない。でもやっぱり俺にとっては初めての経験で、どうしようもなく嬉しい。
寺田の距離感がおかしいという話は蒼生と話したことがあったが、こうして仲良くなってみると蒼生も似たようなものだと思う。ずっとあれが近くにいたら移っても仕方ないのかもな。今、俺との距離がほぼゼロなことに気付いてるんだろうか。慣れたらこの距離なんだとしたら、危ないんじゃないか? これは「友人」の距離じゃないんじゃないか? 本当はそれを伝えるべきなんだろうが、まだしばらくこのままでいいかと思う俺がいる。
俺も十分厄介だな。
さて、と。
立ち上がろうとした俺の袖を蒼生が掴む。何故だかきりっとした顔をしている。
「さては夕飯作る気でしょ」
「? そうだけど」
「今日こそ手伝うからね!」
…………。まだ気にしてたのか。全部自分の作ったもので食卓を飾ってから座らせるの、俺の楽しみなんだけどな。
まあ、たまにはいいか。
「じゃあアシスタントをお願いします」
蒼生はにぃっと笑う。
「承知しました!」
なんで嬉しそうなんだろうな。
俺は自分のエプロンをつけると、昔自分が使ってた少し小さめのエプロンをフックから外して蒼生の首に掛ける。蒼生が袖を捲っている間に、だらりと垂れたエプロンの紐を腰の後ろで結んでやる。…………。
「あ。ありがとう」
蒼生はそれに気付いて笑う。
……なんだろう。今、俺……。リボン結びを固くした瞬間、自分の中で何かが合致した感じがした。それが何かはわからなかったし、何に対してそれが起きたのかもわからなかった。なんだか釈然としない。
「さて、まず何をしたらいいですか、先生」
はっとする。
「それではアスパラの根元の皮を剥いてください」
「はーい」
「終わったら冷蔵庫から卵2個な」
「はいっ」
ふふ。いちいち返事しなくてもいいのにな。
家でも手伝いがメインというだけあって、段取りはあまり良くない。時々あっちに行きかけてこっちに来たり、うろうろパタパタしている。でも、それが可愛い。俺の指示を素直に聞いて目の前の作業に没頭する姿は、とても愛しいと思う。
……それは、ともかく。
ふたりでいる時の蒼生は楽しそうに笑う。ずっとそうであってほしいと思う。だから、俺も少し大人にならなくちゃな。
食事がほとんど終わる頃。俺は蒼生に冷たい紅茶を差し出しながら、本題に入る。
「ごめんな」
「ありがとう。……え、僕、冬矢に謝られるようなことあったっけ?」
蒼生はコップを両手で包み込み、不思議そうに一口それを飲んだ。
息を吐き、指を組んで蒼生をまっすぐに見る。
「最近、しんどいだろ。俺と寺田が仲悪いから」
「あ」
瞬間、綺麗な顔に泣きそうな表情が浮かぶ。それをすぐに引っ込め、慌てたように大きく首を振って、両手の指全部でコップを撫でると、口を笑うような形にする。
「いや、あの、ほら。それは、僕がどうこう言うべきじゃないあれだし。気が合う合わないとか、それってその人同士の問題じゃない? 仕方ないと思うんだよね」
……全部ぶちまけたらいっそ楽なのにな。俺と寺田の問題に関しては、蒼生の存在が根底にある、というかそれしかなくて、蒼生が口を出せば一発で解決するだろうって。でもそれじゃあ俺と蒼生の関係すら瓦解しかねない。
正直難しい話ではある。蒼生が間にいなければ、おそらく俺と寺田はせいぜいがクラスメイト止まりのはずだから。
「蒼生にだから正直に話すけど。たぶん俺と寺田は気が合うタイプじゃないと思う」
「……うん」
「でも、そこで話を終わらせて、このまま蒼生がしんどいのは俺も嫌なんだ。妥協点は見つけられると思うんだよ。蒼生だって板挟みになるような状況は打破したいだろ」
「うん」
「とはいえそんな話を俺がしたところで、寺田が聞いてくれるはずないよな。だから、蒼生だ」
「僕?」
俺はゆっくり頷いてみせる。
「そう。俺たちにはまず会話のきっかけがない。そのきっかけになってくれないか」
寺田は蒼生の言うことなら無碍にはしないだろう。別に寺田と仲良くしたいわけじゃない。が、少なくとも会話さえ成立すれば蒼生は今ほどの居心地の悪さは感じないはずだ。
まあ、それでも事態は変わらないんだけどな。どうしたって俺と寺田は対立する。
「…………。うん。努力する」
真剣な顔で蒼生はコップから離した両手を握りしめる。どうにかしてやりたいんだが、俺が当事者だからな。最善で簡単な選択は、俺にとって最悪の結末になる。
ごめんな。俺は心の中でもう一度蒼生に謝る。俺が全部諦めれば、全部解決するのに。
あれから、蒼生はずっと考えこんでいるようだった。蒼生にはああ言ったが、俺から寺田に直接話すことは出来たと思う。森と寺田が話してる時のことを思い返して考えてみると、話をまったく聞かないタイプではないからな。だが、この件に関しては俺から折れたくなかった。完全に自分勝手な理由だ。せめて蒼生の背中を押したい。これも俺の勝手だけど。
午前の授業が終わるや否や机に倒れ込んだ蒼生に近付く。寺田もまだ席にいるな。俺は蒼生の背にそっと手を置いた。
「今日、学食行かない?」
教室じゃ話しづらいだろ。それに少し違う環境のほうがいいかもしれないし。蒼生は俺を不思議そうな目で見て、それからすぐに察したらしい。勢いよく立ち上がると、きりりとした顔をする。
「い、行こう」
その顔のまま、2つ前の席に座っていた寺田の腕を引いた。
「健ちゃんも、行こう!」
「え、オレは……。……うん、行こっか」
さすがに寺田も蒼生が必死なのに気付いたんだろう。少し戸惑った様子を見せたが、すぐに頷いた。
学食は今いる校舎と渡り廊下で繋がれた旧棟のほうにあった。何度か行ってみたが、教室から多少距離があるのと購買が充実しているせいか、昼でもそんなに混んでいることはない。どちらかというと放課後に甘いものをつつきながらおしゃべりする女子生徒が多いイメージだ。それを意識しているのか、白い壁と緑の窓枠に観葉植物が置かれたカフェ風の内装になっている。
「へえ、結構広いんだなあ」
大きなガラスのはまったドアから中に入るなり、寺田がのんきな声を上げる。……こいつ、結構大物なのかもしれない。蒼生が隣でがちがちになってるのに。ああ、でも、寺田の声に蒼生がわずかに肩の線を和らげる。
「初めて来たけど、綺麗だね」
蒼生がこの性格を抱えても潰れずにここまでやってこれたのは、寺田がこういう奴だからなんだろう。
「メニューこっちにあるよ」
先に立って歩き出すと、2人は素直についてきた。寺田はショーケースを覗き込むとすぐにカウンターに向かい、上から下へメニューを眺める蒼生がはっとしたようにそれを追う。
適当に買って席に着く。後から来た蒼生がパスタ、寺田が大盛り焼肉A定食という予想通りのチョイスだ。どうするかと思ったが、蒼生は自ら俺と寺田が向かい合うように座った。
俺は蒼生が口を開くのを黙って待つ。
少し間が開く。
だが急かすつもりもない。
何度が深呼吸をした蒼生は、最後にすっと大きく息を吸った。
「……あ、の……。と、とりあえず名前で呼び合うとこから始めてみるのはどうだろうっ!?」
……は?
ふ、ふふ。小学生みたいなことを言うね。名前で呼べば仲良くなるんじゃないかって。蒼生らしい、可愛い提案だ。そんなめちゃくちゃ可愛いこと言い出すとは思わなかったな。
まあ、でもその程度のことならいいか。本当は名前で呼ばれるのは蒼生だけであってほしかったし、それが特別だと思っていたけど。堅苦しさをなくすっていうなら、ありだろう。特別なことは、これからも増やせるだろうし。
「わかった」
答えようとした矢先、寺田が身を乗り出すようにして言った。へえ、寺田は嫌がると思ってたけど。なるほど、蒼生が何を言い出しても受け入れるつもりでいたか。蒼生に対して潔いんだな、こいつ。そこは認められるかもしれない。
「俺もそれでいいよ」
蒼生は俺を見て、ぱちぱちと瞬きの数を多くする。俺だって蒼生の提案は最初から受けるつもりでいたからな。そばにいて可愛い表情をこうして見ていられるならなんだっていいんだ。
寺田は蒼生と俺を見比べると、両手を合わせる。
「それじゃ可決されたところで! メシが冷めちゃうぜ。いただきます!」
「いただきます」
俺がそれに乗ると、慌てて蒼生も手を合わせた。
「あ、い、いただきます!」
フォークを手に取る蒼生は、わずかに幼い顔を覗かせていた。
呼び方は変えたものの、それ以外に俺が意識して変えたことはなかった。そもそも健太は蒼生の傍に常にいる存在で、それ以上でもそれ以下でもなかったからだ。どちらかといえば、ピリッとした空気を出しながらも俺に話しかけてくるようになったあいつのほうが今回は妥協したということになるんだろう。最初数回は棒読みだったけどな。まあ、蒼生の友人としていようと決めたからには、付き合っていかなきゃいけない人間だ。
ただ、うるさいし、蒼生の横をキープしようとして鬱陶しいし、面白いくらい気が合わない。
「グループ学習のテーマ、AかBかを選ぶわけだけど……」
「A」
「B」
「Aのほうが楽そうじゃねえか」
「楽だけど結論が単純で他のグループとの差別化がはかれないだろ」
「違ってなくてもいいじゃんかそこは。蒼生はどっちがいい?」
「うーん……僕は……個人的にはBのほうが好きだけど……」
「じゃそっちにすっか」
「おまえ自分の主張はどうした」
「いや蒼生に説得されたから」
「されたか?」
一歩進んだようでいて、結局厄介なのは変わらない気がする。悪い奴じゃないのはわかってるんだけどな。
とりあえず、蒼生が困った顔はするもののしんどい顔は見せなくなったから、これでよかったんだろうと思う。
ふた月もすれば、電車通学も慣れてくる。どの電車に乗ればホームルームにギリ間に合うか、どのあたりに乗ればすいているかも把握できてきた。そこそこ混んでいる路線だが、そこを押さえれば比較的快適に乗車できる。何かあったら遅刻しそうだが、今のところ間に合わなかったことはない。
朝、教師が来るまでに待つ時間が昔から苦手だった。それが今もなんとなく癖になってしまっている。別に何があったとかそういうわけじゃない。おそらくざわめく教室でひとり待っている時間が鬱陶しかったんだと思う。
教室に入ると、半分くらいの生徒が席を立ち、半分くらいが座ってホームルームを待っていた。何人かが輪になって話している隙間に、本を読んでいる蒼生の姿が見えた。俺は鞄を机の上に適当に置くと、蒼生の側に行く。席なんて決まってなければいいのに。
「おはよう、蒼生。新刊?」
声をかけると、ぴりっとしていた表情が和らぐ。背中に力が入っていたみたいだ。珍しいな、蒼生がこんな雰囲気を纏わせてるなんて。
「ああ、冬矢、おはよう。あのね、来月新刊が出るから既刊から読み直してるところ」
「前からそのシリーズ好きだもんな」
「そうなんだよ。しかも今度の新刊で今までの事実が覆るほどの大事件が起きるらしくてさ、どこかにヒントがないかなって一文一文確かめてるんだ」
「それは時間かかりそうだな」
「うん、僕も追いつけるか不安になってきた」
話しているうち、蒼生の声から棘が消えていく。なんでもないならいいんだけど。でも蒼生のことだ、なんでもないはずがない。
そこに、健太が教室に駆け込んでくる。
「はー、セーフ。危なかったぁ」
サッカー部の朝練だったんだろう。朝早かったり放課後の時間が減ったり休みが削られたり、俺にしてみれば勿体ない気がするんだが、まあ時間の消費の仕方は人それぞれだ。俺への警戒心を考えると部活には入らないのかなと思っていたのだが、そういう思考にはならなかったらしい。
健太はまっすぐこちらへ向かってきた。
「蒼生おはよう。冬矢も」
「おはよう」
俺と蒼生は声を揃える。完全に俺はついで扱いだな。文句でも言ってやろうかと思ったが、健太がわずかに難しい顔をしたので、口をつぐむ。
「蒼生、今朝は大丈夫だった?」
「え? ああ、うん、大丈夫だよ」
なんだ? 蒼生は受け流そうとする態度。
「……何かあったのか?」
焦ったように首を振る蒼生。タイミング悪くチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。
「あ、ほら、2人とも座って、ホームルーム始まるよ」
蒼生に急き立てられ、俺と健太は渋々席に戻る。本当はこのまま蒼生の腕を掴んで引きずり出したいくらいだ。なんとか我慢したけどな。後で覚えてろ。
午前まるまる我慢して、昼休みのチャイムとほぼ同時に俺は蒼生の机に自分の弁当箱を少々乱暴に置いた。蒼生が、ひぇ、と小さく呟く。
「話してもらおうか」
「や、ほんと、たいしたことないんだってば」
蒼生は胸の前で広げた両手をばたばたと振る。それは話を聞いて俺が判断することだ。第一健太に話して俺に話してないのが気に食わない。
そう、気に食わないのはそれだ。俺に話せないことなのか。
そこにふらりと健太が現れ、俺たちの様子を見てきょとんとする。
「どした? 飯食おうぜ?」
「うん、そうしよう」
蒼生が誤魔化そうとしているのも気に食わないけどな。
弁当を広げて雰囲気をそっちに持っていこうとするので、俺は改めて正面から蒼生を見る。
「で?」
蒼生の手が止まる。何か迷っているようだ。しかし頑なだな。
俺は矛先を変えることにする。
「健太は知ってるんだろ」
「ん? あー。それがさ。蒼生、毎朝電車で同じおっさんに会うんだってさ」
は?
健太は困ったように腕を組む。蒼生は先程と同じポーズで手を振り、今度は一緒に頭を振る。
「同じ時間に同じ電車に乗ってれば、同じ人に会うの不思議じゃないでしょ」
「前の駅から別のドアのとこに乗って来てるのに、わざわざ降りて蒼生と同じドアから乗り直すとか絶対普通じゃねえって!」
……は?
「駄目だろ、それ……」
思わず口をついて出た。健太が大きく頷く。
「冬矢もそう思うだろ。オレが朝練なければ一緒に行ってやれるのに……。それ以外にもさ、ドアの近くにいたわけじゃないのに降りる人たちと一緒に降りて蒼生のすぐ後ろから乗り込んできたり、駅に行くとホームで並んでる日もあるとか言うんだぜ。しかも蒼生が乗るまで乗らないんだってさ。ヤバい奴じゃん!」
「完全にアウトだ」
「だろ!?」
それストーカー案件じゃないか。どこが「たいしたことない」だよ!
危機感がないと思っていたが、それどころの問題じゃない。
「なんでそれを俺には言わないんだ?」
「え……。だってちらっと話しただけで健ちゃんがこんなに気にしちゃうんだから、冬矢にも心配かけちゃうなって思って……」
なんだって気を遣うとこそんなに間違うんだよ。
「そりゃするさ! 当然だろ! ……友達が危ない目に遭ってて黙っていられるわけないだろう」
「で、でも、別に何かされたわけじゃないし、偶然の可能性だってあるわけで」
「何かあってからじゃ遅いんだよ。本当に何もされてない? 体が触れたこともない?」
「えーと……それは……混雑した電車だから……」
俺と健太が頭を抱えたのはほぼ同時だった。
翌日、俺は母さんの心底驚いた顔に見送られて家を出た。蒼生の奴、はっきりした時間を言わなかったからな。蒼生自身、何分の電車とはっきり決めているわけではなく、余裕のある時間に家を出て、やって来た電車に乗るんだそうだ。
それで毎朝同じ人間に会うなんて不審すぎるだろう。最近の蒼生は少し気を抜いてるところがある気がする。テンションが上擦っているといってもいいかもしれない。持ち前のネガティブさが押さえられていると考えればいいことなのだろうが、そこに隙が出来るのはよろしくない。
人混みの中から姿を現した蒼生は、入り口の脇に立つ俺の姿を見てがっくりと肩を落とした。
「だから冬矢にバレたくなかったのに……。優しいから絶対早く来てくれちゃうと思ってた……」
はあ。蒼生にとって、この行動は「友情」としては過ぎた行動なんだろうな。俺が仮にそれ以外の何かを考えていたとしても、これは別に「友情」でも不思議ではない行動なはずなのに。
「俺がこうしたくてしてるんだから気にするな」
「でも冬矢って朝ゆっくり来るタイプじゃん」
「いや……よく考えてみたんだけどな。これって蒼生と一緒の時間が増えるってことだから、役得だよ。むしろ今まで損してたのを後悔してるところだ」
「……そうなの?」
「ああ」
蒼生は少し考え込むように左手の親指を右手の親指と人差し指で握った。
黙って見ていると、間を置いてから顔を上げる。
「本当に迷惑じゃない?」
「俺が蒼生に嘘をつくと思う?」
「思わない」
蒼生の即答。
ごめん、ついてるけどな。でもそれは俺が俺に、という括りだから許してほしい。
「俺の足を引っ張ってると思ってるんなら本当に間違いだからな。せっかく頑張って同じ学校に通えるんだ、一緒に登校なんて友達っぽいじゃないか。今まではずっとその立ち位置を健太に譲ってたんだから、俺にも味わわせてくれよ」
言うと、蒼生はようやく笑った。
「そっか」
とりあえず隣に同じ制服の俺がいたせいか、不審な動きをする奴は今朝はいないようだった。だが、混雑具合は俺が選択していた時間とはかなり違う。確実に密着するくらいの混みようだ。
ドアの前、俺と蒼生は向き合うようにして電車に乗り込んだが、本当に近い。拳3つが入るくらいの距離しかない。ドアに背を預けた蒼生が顔を上げる。
「やっぱり冬矢が登校してた時間より混んでる?」
ひっそりした声。普段は聞かない音量。
「そうだな。大丈夫か? 狭くない?」
「うん、大丈夫」
蒼生は嬉しそうに笑う。なんだかんだ言っていたが、蒼生も不安だったんだろう。それを払拭出来るなら、いくらでも早く来てやる。
問題があろうがなかろうが、とっととこうしておけばよかった。こんなに近い距離を、仕方がないで済ませられるんだから。
もっと長い時間乗っていたい。この距離を保ちたい。
ああ、俺はもう駄目かもしれない。
蒼生を堂々と守れる大義名分を探してる。
この距離でいられる関係に名前をつけようとしている。
と、向こうの輪の中からひときわ目立つ姿が現れた。森は手を振って笑う。
「ごめん、ごめん。別のクラスの子に捕まっちゃってさ。あとまだ後輩待たせてて」
有名人だからな。あちこちから声をかけられてるのがここからも見えた。
「先に帰っていいか。俺は別に用事ないんだけど」
「まあまあ、もうちょっと待っててくれよ。最後なんだから一緒に帰ろうぜ」
「おまえそういうこと言うタイプだったっけ」
「さすがに感傷的になってるんだろ。それより、野木沢は? もう帰っちゃったかな」
「いや、まだじゃないか」
さっき姿を見かけた。野木沢も人気あるから、最後の思い出作りに付き合わされているんだろう。
「最後に野木沢と話したいんだよな」
「連絡先知ってるんだし今生の別れでもないだろ」
「とはいえ、だよ」
やれやれ。俺はひとつ息を吐いた。
「とりあえず探しといてやるから、おまえはとっとと用事済ませておけば」
「ありがとう!」
森はそう言い残すと、また輪の中に混じっていった。
確信があるわけじゃなかったが、俺は校舎裏のほうに足を向けた。
卒業か……。特に何事もなく過ぎるはずだった3年だった。変わるつもりはなかったし、変えるつもりもなかった。それが、ただひとり、野木沢に出会ったことでこんなに変わるなんて。席が前じゃなかったら。森が野木沢を誘っていなかったら。野木沢が俺たちのほうを向いてくれなかったら。たぶん、こうなってはいなかったと思う。誰かと一緒にいたいだなんてことを思う俺じゃなかったはずだけどな。まさか、共に努力して同じ高校に進むだなんて、2年前までの俺が聞いたら冷たい目で引いていただろう。
寺田が追いかけてきたのも想定外だったな。あいつの成績で合格ラインまで持っていくには相当努力が必要だったろうに。そこまでして野木沢と離れたくなかったってことだ。出会った頃、野木沢は寺田にお気に入りのぬいぐるみ程度に思われてるなんて言ってたけど、あれはそんなもんじゃない。余程の執着がないとここまでは出来ないだろ。
野木沢のほうも切り離して考えているようでいて、寺田の存在に頼り切ってるところがある。おそらくお互いに近過ぎて気付いてないだけだろうな。……だがそんなもの、「そうですか」で済ますつもりはない。
校舎の角から裏を覗き込むと、壁にもたれてぼんやり空を眺めている野木沢の姿があった。他には誰もいないことを確認して、声をかける。
「野木沢」
ぱっとこちらを見た顔は、力ない笑顔だった。
「ラスト・コール?」
聞くと、一瞬目を丸くして、それからやっぱり疲れたような顔で笑う。
「それ。まさか連続して食らうと思わなかったから、もう精神力使い果たしちゃった」
野木沢は告白を断るのにも、いちいち自分が傷付いてるからな。なんとかしてやれればいいが、当の野木沢が自分でケリをつけたがる。
「森が探してたよ。野木沢と話がしたいってさ」
「あ、そうか、森くん遠くの高校に進むんだもんね。しばらくは顔合わせられないだろうし」
俺が歩き出すと、野木沢は小走りについてくる。
校舎裏から出るとざあっと強い風が吹いた。まだ冷たい風だ。
「これでこの校舎ともお別れなんだね」
見上げて、感慨深げに野木沢が言う。
「淋しい?」
「うーん、淋しいけど……でも高校行ってもひとりじゃないでしょ。だからちょっと楽しみのほうが強いかな」
それには、そうか、とだけ答える。一瞬、どっちに対して、なんて突っ込んで聞こうかと思ったが、やめておく。そのかわり、俺は一歩避けるような形で立ち止まり、野木沢と向き合った。
「笹原くん?」
「1つ聞いてほしいお願いがあるんだけど」
「?」
野木沢は不思議そうな顔をして、小さく首を傾げた。
「俺たち、これからも長い付き合いになるわけだろ」
「うん。そうだね」
「名字で呼び合うの、水臭くないかな」
「うん。……へぇっ!?」
裏返った声を出して、野木沢は目を瞬かせる。途端、その頬に朱が差した。
「あ……え、名前……ってこと?」
「そう。嫌?」
「い、嫌じゃない、嫌じゃない、けど、……改まって言われるとすごく恥ずかしいね……」
「嫌じゃないならそうしよう。じゃ、そっちから」
「しかも僕から!?」
うう、と呻いて両手で顔を覆う。覆いきれない頬と、耳まで赤い。
「……と……冬矢くん……」
「敬称もなし」
「ひぇっ……えっと……冬矢」
ふふ。自分の名前が人の口からこぼれるのがこんなに嬉しいことってあるんだな。
「蒼生」
呼ぶと、両手からちらりと目を覗かせる。そしておずおずと両手を下ろし、ふわっと、花が咲くように笑った。
蒼生。
俺は心の中で繰り返す。
入学式は2階にある体育館でやるらしい。建て替えたばかりだというその建物は、外からでも入れるよう立派な階段があった。コンクリートの打ちっぱなし部分と色鮮やかなタイルで飾られた部分があって、なかなか面白い。
受付でクラス分けのカードをもらったので、とりあえず先に会場を覗きに行ってみる。外から見るより中は広々としていて、出来たばかりらしい艶やかさがある。床は土足で上がれるようシートが敷き詰められていた。学校案内によれば、ここ以外に講堂も近々出来るらしいな。そんなに集まる用事があるんだろうか。
ちらほら席は埋まってきているが、まだ蒼生は来ていないようだ。でも蒼生のことだ、そろそろ来るだろう。
階段を降りて受付のほうに歩くと、予想通り蒼生の姿が見えた。隣には……寺田か。まあいるだろうな。寺田が突然蒼生に飛び付く。それでなんとなく察した。
近くまで行くと、寺田の手にあるカードが見えた。やはり俺と同じクラスらしい。ということは蒼生も一緒だな。それはありがたいが、寺田もいるとなると少し事情は変わってくる。
とりあえず周りに戸惑っている奴らがいるようなので声をかけておこう。
「受付の真ん前で何してるの」
寺田が手を離すのと同時に2人は振り返る。蒼生が取り繕うように笑った。
「あ、おはよう笹原く」
「ん?」
咄嗟に遮る。蒼生は「あ」という顔で固まった。そしてすぐ頬を赤くする。
「お、はよ、と、冬矢」
「おはよう、蒼生」
慣れてない感じが初々しくて可愛い。そこまで照れることないだろうに、と思うが、面倒がって色々避けてきただろう蒼生は、本人が思うほど擦れていない。
「えと、冬矢はクラスどうだった?」
照れているのを隠すように蒼生が会話を進める。勿体ぶることもない、俺はクラスカードを差し出した。
「蒼生と同じクラスだよ」
「!」
ぱちぱち、と瞬きをして、蒼生は俺の手のカードと手持ちのカードを見比べる。すぐにわかるだろうに、何度も確認するんだな。
「……ほんとだ。冬矢も一緒だ。今年は健ちゃんと冬矢と一緒なんだ」
「嬉しい?」
「うん」
ああ、本当に嬉しいんだな。反応が早くて、素直だ。少し呆然としたような幼い顔。この顔を見ると、蒼生の中で俺は「一般枠」よりは高い位置にいるんだろうと思える。問題はそこでの順位だ。
すい、と寺田が蒼生との間に割り込んでくる。そう、こいつがいる。こいつは、今までクラスが離れていた時のように俺が蒼生と並ぶのを許さないだろう。ただ、こうして蒼生の前に進み出た自分に戸惑っている。自分の行動の理由がわかっていない。警戒心だけは剥き出しだけどな。
それは付け入る隙にも見えるし、厄介な障害にも見える。とりあえず、俺だけクラスが離れるようなことにならなくてよかった。
その結果はすぐわかった。寺田の存在はすこぶる厄介だった。
俺が蒼生と話しているだけで近寄ってくる。並んでいると俺を押し退けるように蒼生に抱きつく。
蒼生がそれを少しでも面倒に思うようならなんとかしなければならないと考えるところだが、当の蒼生にその気配がまったくない。実はそれが一番厄介なのかもしれなかった。
まあ……蒼生がいいならそれでいいか。別に寺田をどうこうしようという気持ちはない。気が合わないなら俺自身が寺田と関わらなければいいだけだから。
時々蒼生が暗い顔を見せるようになったのに気付いたのは、それからしばらくしてからだった。最初はクラスの連中としゃべっている時のふわふわの笑顔が少し固いな、と思った程度。次第に、その笑顔が俺にも向くようになった。あれ、と思っているうちにわかったのは、顔を背けてから沈んだ表情をわずかに浮かべていること。
蒼生は気付かれないように努力はしていた。だが隠しきれなくなって零れ落ちたんだろう。思い当たる節がありすぎる。わかってる、俺のせいだ。
「蒼生。久し振りに今週末泊まりにこないか」
驚いた顔で教科書をまとめる手を止めた蒼生は、目を細めて頷いた。
「お邪魔します」
何度か呼んでるだけあって、さすがに蒼生も俺の家には慣れてきたようだ。
「今日ご両親は……」
「不在」
「だよね」
蒼生はさらりと笑って、いつも通り手土産の紐を俺の腕に引っかける。俺は、そのまま俺の横を通り過ぎようとする蒼生の肩に触れた。
「先に言っておくけど、蒼生を紹介したくないとかそういうことじゃないからな。俺、こんなに頻繁に誰かと会ったりしてこなかったから、それがバレたらと思うと気恥ずかしくてさ」
きょとんとした蒼生は、そのままの顔で首を傾けた。
「珍しいね、冬矢がそういうこと言うの」
「おまえに誤解されたくないんだよ」
でないとすぐ曲解する癖があるから。蒼生にはまず言葉で全部伝えたほうがいいんだ。あんまり考える隙を与えないのがたぶん最適だと思う。
ちょっと考えるようにした蒼生は、一瞬照れたように俯いた。そしてすぐ小さく、そっか、と呟いて、スリッパを履くと小走りに廊下を進んでいった。
後を追うようにリビングに入ると、ダイニングテーブルの上に積んだディスクに蒼生が目を止めていた。父さんのコレクションから少し古い映画をいくつか抜いてきたやつだ。
「あ、昔見たのがある」
「蒼生の好きそうなやつ集めてみたけど、見る?」
「うん、見る。わー、懐かしい」
楽しそうにパッケージを並べたり裏返したりしているのに安心して、俺はキッチンに入る。冷蔵庫には幾つものボトルが入れてあった。
「飲み物はどうする? コーヒーと緑茶と紅茶がそれぞれ暖かいのと冷たいの、あとジュースがあるけど」
「……冷たい緑茶を」
「はい、これ。お茶請けはマフィンでいいかな。クリームはいる?」
「はい是非……」
蒼生は怪訝な顔でこちらを覗き込む。
「ね、冬矢って甘いもの好きだった?」
「嫌いじゃないけど、甘すぎるのは苦手かな。だからちょっと甘さ控えめ」
「つまり?」
「作ってみた」
だって、好きだろ?
蒼生は壁にすがるようなポーズで、困惑したように上目遣いで俺を見る。
「もしかして冬矢、餌付けしようとしてる?」
「かもな」
呻く蒼生に、思わず笑う。
別にそんな意図はないけどな。ただ、喜んでほしいだけで。おかげでレパートリーはだいぶ増えた。
肩が触れるくらい近い距離でソファに隣り合って座り、映画を見ながらその内容について話すのは楽しかった。俺たちが小さい頃公開された映画で、テレビで放送したのをたぶんふたりとも見ていたんだと思う。ここはああじゃなかったっけ、これって実はこうだったんだ、なんて、話す中身はたいしたことじゃない。でもやっぱり俺にとっては初めての経験で、どうしようもなく嬉しい。
寺田の距離感がおかしいという話は蒼生と話したことがあったが、こうして仲良くなってみると蒼生も似たようなものだと思う。ずっとあれが近くにいたら移っても仕方ないのかもな。今、俺との距離がほぼゼロなことに気付いてるんだろうか。慣れたらこの距離なんだとしたら、危ないんじゃないか? これは「友人」の距離じゃないんじゃないか? 本当はそれを伝えるべきなんだろうが、まだしばらくこのままでいいかと思う俺がいる。
俺も十分厄介だな。
さて、と。
立ち上がろうとした俺の袖を蒼生が掴む。何故だかきりっとした顔をしている。
「さては夕飯作る気でしょ」
「? そうだけど」
「今日こそ手伝うからね!」
…………。まだ気にしてたのか。全部自分の作ったもので食卓を飾ってから座らせるの、俺の楽しみなんだけどな。
まあ、たまにはいいか。
「じゃあアシスタントをお願いします」
蒼生はにぃっと笑う。
「承知しました!」
なんで嬉しそうなんだろうな。
俺は自分のエプロンをつけると、昔自分が使ってた少し小さめのエプロンをフックから外して蒼生の首に掛ける。蒼生が袖を捲っている間に、だらりと垂れたエプロンの紐を腰の後ろで結んでやる。…………。
「あ。ありがとう」
蒼生はそれに気付いて笑う。
……なんだろう。今、俺……。リボン結びを固くした瞬間、自分の中で何かが合致した感じがした。それが何かはわからなかったし、何に対してそれが起きたのかもわからなかった。なんだか釈然としない。
「さて、まず何をしたらいいですか、先生」
はっとする。
「それではアスパラの根元の皮を剥いてください」
「はーい」
「終わったら冷蔵庫から卵2個な」
「はいっ」
ふふ。いちいち返事しなくてもいいのにな。
家でも手伝いがメインというだけあって、段取りはあまり良くない。時々あっちに行きかけてこっちに来たり、うろうろパタパタしている。でも、それが可愛い。俺の指示を素直に聞いて目の前の作業に没頭する姿は、とても愛しいと思う。
……それは、ともかく。
ふたりでいる時の蒼生は楽しそうに笑う。ずっとそうであってほしいと思う。だから、俺も少し大人にならなくちゃな。
食事がほとんど終わる頃。俺は蒼生に冷たい紅茶を差し出しながら、本題に入る。
「ごめんな」
「ありがとう。……え、僕、冬矢に謝られるようなことあったっけ?」
蒼生はコップを両手で包み込み、不思議そうに一口それを飲んだ。
息を吐き、指を組んで蒼生をまっすぐに見る。
「最近、しんどいだろ。俺と寺田が仲悪いから」
「あ」
瞬間、綺麗な顔に泣きそうな表情が浮かぶ。それをすぐに引っ込め、慌てたように大きく首を振って、両手の指全部でコップを撫でると、口を笑うような形にする。
「いや、あの、ほら。それは、僕がどうこう言うべきじゃないあれだし。気が合う合わないとか、それってその人同士の問題じゃない? 仕方ないと思うんだよね」
……全部ぶちまけたらいっそ楽なのにな。俺と寺田の問題に関しては、蒼生の存在が根底にある、というかそれしかなくて、蒼生が口を出せば一発で解決するだろうって。でもそれじゃあ俺と蒼生の関係すら瓦解しかねない。
正直難しい話ではある。蒼生が間にいなければ、おそらく俺と寺田はせいぜいがクラスメイト止まりのはずだから。
「蒼生にだから正直に話すけど。たぶん俺と寺田は気が合うタイプじゃないと思う」
「……うん」
「でも、そこで話を終わらせて、このまま蒼生がしんどいのは俺も嫌なんだ。妥協点は見つけられると思うんだよ。蒼生だって板挟みになるような状況は打破したいだろ」
「うん」
「とはいえそんな話を俺がしたところで、寺田が聞いてくれるはずないよな。だから、蒼生だ」
「僕?」
俺はゆっくり頷いてみせる。
「そう。俺たちにはまず会話のきっかけがない。そのきっかけになってくれないか」
寺田は蒼生の言うことなら無碍にはしないだろう。別に寺田と仲良くしたいわけじゃない。が、少なくとも会話さえ成立すれば蒼生は今ほどの居心地の悪さは感じないはずだ。
まあ、それでも事態は変わらないんだけどな。どうしたって俺と寺田は対立する。
「…………。うん。努力する」
真剣な顔で蒼生はコップから離した両手を握りしめる。どうにかしてやりたいんだが、俺が当事者だからな。最善で簡単な選択は、俺にとって最悪の結末になる。
ごめんな。俺は心の中でもう一度蒼生に謝る。俺が全部諦めれば、全部解決するのに。
あれから、蒼生はずっと考えこんでいるようだった。蒼生にはああ言ったが、俺から寺田に直接話すことは出来たと思う。森と寺田が話してる時のことを思い返して考えてみると、話をまったく聞かないタイプではないからな。だが、この件に関しては俺から折れたくなかった。完全に自分勝手な理由だ。せめて蒼生の背中を押したい。これも俺の勝手だけど。
午前の授業が終わるや否や机に倒れ込んだ蒼生に近付く。寺田もまだ席にいるな。俺は蒼生の背にそっと手を置いた。
「今日、学食行かない?」
教室じゃ話しづらいだろ。それに少し違う環境のほうがいいかもしれないし。蒼生は俺を不思議そうな目で見て、それからすぐに察したらしい。勢いよく立ち上がると、きりりとした顔をする。
「い、行こう」
その顔のまま、2つ前の席に座っていた寺田の腕を引いた。
「健ちゃんも、行こう!」
「え、オレは……。……うん、行こっか」
さすがに寺田も蒼生が必死なのに気付いたんだろう。少し戸惑った様子を見せたが、すぐに頷いた。
学食は今いる校舎と渡り廊下で繋がれた旧棟のほうにあった。何度か行ってみたが、教室から多少距離があるのと購買が充実しているせいか、昼でもそんなに混んでいることはない。どちらかというと放課後に甘いものをつつきながらおしゃべりする女子生徒が多いイメージだ。それを意識しているのか、白い壁と緑の窓枠に観葉植物が置かれたカフェ風の内装になっている。
「へえ、結構広いんだなあ」
大きなガラスのはまったドアから中に入るなり、寺田がのんきな声を上げる。……こいつ、結構大物なのかもしれない。蒼生が隣でがちがちになってるのに。ああ、でも、寺田の声に蒼生がわずかに肩の線を和らげる。
「初めて来たけど、綺麗だね」
蒼生がこの性格を抱えても潰れずにここまでやってこれたのは、寺田がこういう奴だからなんだろう。
「メニューこっちにあるよ」
先に立って歩き出すと、2人は素直についてきた。寺田はショーケースを覗き込むとすぐにカウンターに向かい、上から下へメニューを眺める蒼生がはっとしたようにそれを追う。
適当に買って席に着く。後から来た蒼生がパスタ、寺田が大盛り焼肉A定食という予想通りのチョイスだ。どうするかと思ったが、蒼生は自ら俺と寺田が向かい合うように座った。
俺は蒼生が口を開くのを黙って待つ。
少し間が開く。
だが急かすつもりもない。
何度が深呼吸をした蒼生は、最後にすっと大きく息を吸った。
「……あ、の……。と、とりあえず名前で呼び合うとこから始めてみるのはどうだろうっ!?」
……は?
ふ、ふふ。小学生みたいなことを言うね。名前で呼べば仲良くなるんじゃないかって。蒼生らしい、可愛い提案だ。そんなめちゃくちゃ可愛いこと言い出すとは思わなかったな。
まあ、でもその程度のことならいいか。本当は名前で呼ばれるのは蒼生だけであってほしかったし、それが特別だと思っていたけど。堅苦しさをなくすっていうなら、ありだろう。特別なことは、これからも増やせるだろうし。
「わかった」
答えようとした矢先、寺田が身を乗り出すようにして言った。へえ、寺田は嫌がると思ってたけど。なるほど、蒼生が何を言い出しても受け入れるつもりでいたか。蒼生に対して潔いんだな、こいつ。そこは認められるかもしれない。
「俺もそれでいいよ」
蒼生は俺を見て、ぱちぱちと瞬きの数を多くする。俺だって蒼生の提案は最初から受けるつもりでいたからな。そばにいて可愛い表情をこうして見ていられるならなんだっていいんだ。
寺田は蒼生と俺を見比べると、両手を合わせる。
「それじゃ可決されたところで! メシが冷めちゃうぜ。いただきます!」
「いただきます」
俺がそれに乗ると、慌てて蒼生も手を合わせた。
「あ、い、いただきます!」
フォークを手に取る蒼生は、わずかに幼い顔を覗かせていた。
呼び方は変えたものの、それ以外に俺が意識して変えたことはなかった。そもそも健太は蒼生の傍に常にいる存在で、それ以上でもそれ以下でもなかったからだ。どちらかといえば、ピリッとした空気を出しながらも俺に話しかけてくるようになったあいつのほうが今回は妥協したということになるんだろう。最初数回は棒読みだったけどな。まあ、蒼生の友人としていようと決めたからには、付き合っていかなきゃいけない人間だ。
ただ、うるさいし、蒼生の横をキープしようとして鬱陶しいし、面白いくらい気が合わない。
「グループ学習のテーマ、AかBかを選ぶわけだけど……」
「A」
「B」
「Aのほうが楽そうじゃねえか」
「楽だけど結論が単純で他のグループとの差別化がはかれないだろ」
「違ってなくてもいいじゃんかそこは。蒼生はどっちがいい?」
「うーん……僕は……個人的にはBのほうが好きだけど……」
「じゃそっちにすっか」
「おまえ自分の主張はどうした」
「いや蒼生に説得されたから」
「されたか?」
一歩進んだようでいて、結局厄介なのは変わらない気がする。悪い奴じゃないのはわかってるんだけどな。
とりあえず、蒼生が困った顔はするもののしんどい顔は見せなくなったから、これでよかったんだろうと思う。
ふた月もすれば、電車通学も慣れてくる。どの電車に乗ればホームルームにギリ間に合うか、どのあたりに乗ればすいているかも把握できてきた。そこそこ混んでいる路線だが、そこを押さえれば比較的快適に乗車できる。何かあったら遅刻しそうだが、今のところ間に合わなかったことはない。
朝、教師が来るまでに待つ時間が昔から苦手だった。それが今もなんとなく癖になってしまっている。別に何があったとかそういうわけじゃない。おそらくざわめく教室でひとり待っている時間が鬱陶しかったんだと思う。
教室に入ると、半分くらいの生徒が席を立ち、半分くらいが座ってホームルームを待っていた。何人かが輪になって話している隙間に、本を読んでいる蒼生の姿が見えた。俺は鞄を机の上に適当に置くと、蒼生の側に行く。席なんて決まってなければいいのに。
「おはよう、蒼生。新刊?」
声をかけると、ぴりっとしていた表情が和らぐ。背中に力が入っていたみたいだ。珍しいな、蒼生がこんな雰囲気を纏わせてるなんて。
「ああ、冬矢、おはよう。あのね、来月新刊が出るから既刊から読み直してるところ」
「前からそのシリーズ好きだもんな」
「そうなんだよ。しかも今度の新刊で今までの事実が覆るほどの大事件が起きるらしくてさ、どこかにヒントがないかなって一文一文確かめてるんだ」
「それは時間かかりそうだな」
「うん、僕も追いつけるか不安になってきた」
話しているうち、蒼生の声から棘が消えていく。なんでもないならいいんだけど。でも蒼生のことだ、なんでもないはずがない。
そこに、健太が教室に駆け込んでくる。
「はー、セーフ。危なかったぁ」
サッカー部の朝練だったんだろう。朝早かったり放課後の時間が減ったり休みが削られたり、俺にしてみれば勿体ない気がするんだが、まあ時間の消費の仕方は人それぞれだ。俺への警戒心を考えると部活には入らないのかなと思っていたのだが、そういう思考にはならなかったらしい。
健太はまっすぐこちらへ向かってきた。
「蒼生おはよう。冬矢も」
「おはよう」
俺と蒼生は声を揃える。完全に俺はついで扱いだな。文句でも言ってやろうかと思ったが、健太がわずかに難しい顔をしたので、口をつぐむ。
「蒼生、今朝は大丈夫だった?」
「え? ああ、うん、大丈夫だよ」
なんだ? 蒼生は受け流そうとする態度。
「……何かあったのか?」
焦ったように首を振る蒼生。タイミング悪くチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。
「あ、ほら、2人とも座って、ホームルーム始まるよ」
蒼生に急き立てられ、俺と健太は渋々席に戻る。本当はこのまま蒼生の腕を掴んで引きずり出したいくらいだ。なんとか我慢したけどな。後で覚えてろ。
午前まるまる我慢して、昼休みのチャイムとほぼ同時に俺は蒼生の机に自分の弁当箱を少々乱暴に置いた。蒼生が、ひぇ、と小さく呟く。
「話してもらおうか」
「や、ほんと、たいしたことないんだってば」
蒼生は胸の前で広げた両手をばたばたと振る。それは話を聞いて俺が判断することだ。第一健太に話して俺に話してないのが気に食わない。
そう、気に食わないのはそれだ。俺に話せないことなのか。
そこにふらりと健太が現れ、俺たちの様子を見てきょとんとする。
「どした? 飯食おうぜ?」
「うん、そうしよう」
蒼生が誤魔化そうとしているのも気に食わないけどな。
弁当を広げて雰囲気をそっちに持っていこうとするので、俺は改めて正面から蒼生を見る。
「で?」
蒼生の手が止まる。何か迷っているようだ。しかし頑なだな。
俺は矛先を変えることにする。
「健太は知ってるんだろ」
「ん? あー。それがさ。蒼生、毎朝電車で同じおっさんに会うんだってさ」
は?
健太は困ったように腕を組む。蒼生は先程と同じポーズで手を振り、今度は一緒に頭を振る。
「同じ時間に同じ電車に乗ってれば、同じ人に会うの不思議じゃないでしょ」
「前の駅から別のドアのとこに乗って来てるのに、わざわざ降りて蒼生と同じドアから乗り直すとか絶対普通じゃねえって!」
……は?
「駄目だろ、それ……」
思わず口をついて出た。健太が大きく頷く。
「冬矢もそう思うだろ。オレが朝練なければ一緒に行ってやれるのに……。それ以外にもさ、ドアの近くにいたわけじゃないのに降りる人たちと一緒に降りて蒼生のすぐ後ろから乗り込んできたり、駅に行くとホームで並んでる日もあるとか言うんだぜ。しかも蒼生が乗るまで乗らないんだってさ。ヤバい奴じゃん!」
「完全にアウトだ」
「だろ!?」
それストーカー案件じゃないか。どこが「たいしたことない」だよ!
危機感がないと思っていたが、それどころの問題じゃない。
「なんでそれを俺には言わないんだ?」
「え……。だってちらっと話しただけで健ちゃんがこんなに気にしちゃうんだから、冬矢にも心配かけちゃうなって思って……」
なんだって気を遣うとこそんなに間違うんだよ。
「そりゃするさ! 当然だろ! ……友達が危ない目に遭ってて黙っていられるわけないだろう」
「で、でも、別に何かされたわけじゃないし、偶然の可能性だってあるわけで」
「何かあってからじゃ遅いんだよ。本当に何もされてない? 体が触れたこともない?」
「えーと……それは……混雑した電車だから……」
俺と健太が頭を抱えたのはほぼ同時だった。
翌日、俺は母さんの心底驚いた顔に見送られて家を出た。蒼生の奴、はっきりした時間を言わなかったからな。蒼生自身、何分の電車とはっきり決めているわけではなく、余裕のある時間に家を出て、やって来た電車に乗るんだそうだ。
それで毎朝同じ人間に会うなんて不審すぎるだろう。最近の蒼生は少し気を抜いてるところがある気がする。テンションが上擦っているといってもいいかもしれない。持ち前のネガティブさが押さえられていると考えればいいことなのだろうが、そこに隙が出来るのはよろしくない。
人混みの中から姿を現した蒼生は、入り口の脇に立つ俺の姿を見てがっくりと肩を落とした。
「だから冬矢にバレたくなかったのに……。優しいから絶対早く来てくれちゃうと思ってた……」
はあ。蒼生にとって、この行動は「友情」としては過ぎた行動なんだろうな。俺が仮にそれ以外の何かを考えていたとしても、これは別に「友情」でも不思議ではない行動なはずなのに。
「俺がこうしたくてしてるんだから気にするな」
「でも冬矢って朝ゆっくり来るタイプじゃん」
「いや……よく考えてみたんだけどな。これって蒼生と一緒の時間が増えるってことだから、役得だよ。むしろ今まで損してたのを後悔してるところだ」
「……そうなの?」
「ああ」
蒼生は少し考え込むように左手の親指を右手の親指と人差し指で握った。
黙って見ていると、間を置いてから顔を上げる。
「本当に迷惑じゃない?」
「俺が蒼生に嘘をつくと思う?」
「思わない」
蒼生の即答。
ごめん、ついてるけどな。でもそれは俺が俺に、という括りだから許してほしい。
「俺の足を引っ張ってると思ってるんなら本当に間違いだからな。せっかく頑張って同じ学校に通えるんだ、一緒に登校なんて友達っぽいじゃないか。今まではずっとその立ち位置を健太に譲ってたんだから、俺にも味わわせてくれよ」
言うと、蒼生はようやく笑った。
「そっか」
とりあえず隣に同じ制服の俺がいたせいか、不審な動きをする奴は今朝はいないようだった。だが、混雑具合は俺が選択していた時間とはかなり違う。確実に密着するくらいの混みようだ。
ドアの前、俺と蒼生は向き合うようにして電車に乗り込んだが、本当に近い。拳3つが入るくらいの距離しかない。ドアに背を預けた蒼生が顔を上げる。
「やっぱり冬矢が登校してた時間より混んでる?」
ひっそりした声。普段は聞かない音量。
「そうだな。大丈夫か? 狭くない?」
「うん、大丈夫」
蒼生は嬉しそうに笑う。なんだかんだ言っていたが、蒼生も不安だったんだろう。それを払拭出来るなら、いくらでも早く来てやる。
問題があろうがなかろうが、とっととこうしておけばよかった。こんなに近い距離を、仕方がないで済ませられるんだから。
もっと長い時間乗っていたい。この距離を保ちたい。
ああ、俺はもう駄目かもしれない。
蒼生を堂々と守れる大義名分を探してる。
この距離でいられる関係に名前をつけようとしている。
| 1 / 1 |
コメントを送りました
コメント
ログインするとコメントを投稿できます
是非、コメントを投稿しましょう
ほとんどの作者の方は、「萌えた」の一言でも、好意的なコメントがあれば次作品への意欲や、モチベーションの向上につながります。
コメントは作品投稿者とあなたにしかコメントの内容が表示されず、文字制限は140文字までとなりますので、あまり長いコメントを考える必要はありません。
是非、コメントを投稿して頂き、皆様と共にBLを愛する場所としてpictBLandを盛り上げていければと思います。
コメントは作品投稿者とあなたにしかコメントの内容が表示されず、文字制限は140文字までとなりますので、あまり長いコメントを考える必要はありません。
是非、コメントを投稿して頂き、皆様と共にBLを愛する場所としてpictBLandを盛り上げていければと思います。
この作品に関連のあるpictSQUAREのイベント
-
2026年06月20日 10:00〜翌23:00受付中RE:RE:RE:Dream!!!!家庭教師ヒットマンREBORN! 復活夢 夢小説 夢絵 夢漫画 夢創作 オールジャンル 当日不在OK 既刊のみOK 展示のみOKサークル参加受付期間2 / 50sp
09月23日 19:00 〜 05月24日 19:00
2027年02月06日 11:00〜翌00:00受付中ものがたりWEBマルシェ小説 小説オンリー 二次創作OK ナマモノOK カット不要 展示のみ可 作品リンクのみ可 ネットプリント可サークル参加受付期間8 / 200sp
03月06日 00:00 〜 10月11日 00:00

