高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2023年11月09日 22:23    文字数:21,521

18こ目;僕は君の宝物 第7話

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前話( https://pictbland.net/items/detail/2155591 )の中盤くらいから始まるお話。
手探りながら、一歩ずつ進んで行く3人。
そんな穏やかで楽しい時間に、石を投げる出来事が。
前話のラストと時系列が重なりますのでご注意ください。

【今日の注意事項】気付かなければそれとは気付かないかもしれないレベルの軽微な自慰表現があります。
前回より少々具体的な無理矢理っぽい表現があります。

↑初掲載時キャプション↑
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
2021/10/01初掲載
蒼生が健太に全部報告して相談するタイプで、健太が常に蒼生の所在を確認するタイプだったのがよかったのだと思います。
1 / 1
 駅の構内から出ると、冷たい風が頬に当たる。すっかり寒くなってきたなあ。今日は曇ってるから余計に寒い。かといって学校指定のコートを着るにはまだ早いんだよね、あれは真冬仕様だから。でも指定以外のコートを着ちゃいけないってわけでもないし、この前買ったばかりの新しいコートを下ろそうかな。
「寒い?」
 隣を歩く冬矢が、肩をすくめて歩く僕の顔を覗く。
「あー、うん。思ってたより寒かった。電車乗る前より寒いよね?」
「そうだな、気温下がって来てるかも」
 言いながら、手に持っていた黒い布を広げると僕の首にふわっと巻いた。
 え、マフラー?
「使い込んだやつだから薄いかもしれないけど」
「ちょ、そしたら冬矢が寒いじゃん!」
「気にするな、一応持って出たけど俺にはまだ必要なくて邪魔だったんだ。俺より蒼生のほうが寒がりだもんな」
「う……じゃあお借りします」
「うん」
 冬矢は嬉しそうに僕の肩をぽんと叩いた。
 どこまで本当なんだろうなあ、気を遣ってもらってる気がものすごくする。でも冬矢の方が寒さに強いのは本当だし、ここは厚意に甘えておこう。さらりとして気持ちいい触り心地のマフラーに顔を埋めると、爽やかだけどどこか甘い香りがする。イケメンってこういうとこもイケメンなんだよなあ。
 それにしてもこれ、ほんと気持ちいいな。眠くなりそう。
「蒼生」
 ん? 冬矢があっち、と指さすほう。その長い指の先に視線を送ると、足首まであるコートを着た女性がガードレールの近くで冊子みたいのを配ってる。あれ、フリーのタウン誌か。
「もらっていこうか」
 配ってるの何度か見かけてるけど、冬矢が興味を示したのは初めてかも。

 おはよう、と声をかけながら教室に入ると、早めに来てたクラスメイトたちから挨拶が返ってくる。
 僕が鞄から教材を出していると、冬矢がさっきのタウン誌を片手に僕の席にやってきた。まだいない隣の席の椅子を引っ張ってきて、そのまま勢いよくがたんと座る。すると、肩がとん、って触れる。ぶつかったのかなと思ったけど、冬矢には離れる様子がなかった。
 あ、これ、意識しての行動なんだな。
 そう思うと、触れたあたりが熱くなって、胸のあたりがざわざわばたばたと大騒ぎになる。
 だから僕もちょっとその肩に寄りかかるようにしてみた。やっぱり冬矢は避けない。なにこれ。嬉しい。
「ああ、隣駅の駅ビル、一部改装してたな。あれ完成したんだ。レストランフロアの新店舗特集だって」
 冬矢が表紙をめくる。そこには大きく駅ビルの写真が載っていた。フロアマップとそれぞれのお店の写真、主なメニューとそれをおすすめする文章で溢れかえった紙面。いいな、見てるだけで美味しそう。
「そういえば再オープンの日付書いてあったような……。電車の窓から見えてたけどちゃんと見てなかった」
「色々あってよさそうだけど、最初は混むのが目に見えてるのがね。落ち着いた頃行こうな」
「そうだね」
 もともと人が集まりやすい場所だから、きっとすごいことになるんだろうなあ。落ち着いてて好きな雰囲気だ、早く行ってみたいけど。
 その特集が終わると、今度はやたらキラキラした写真ばかりになる。なんだ、次の特集は。……クリスマス?
「早っ」
 思わずつぶやく。冬矢もふうんと頷いた。
「まだちょっと先だけど、刊行ペースからするとちょうどいいのかな。公園でクリスマス市もやるんだ。イルミネーションのテーマは冬の星空だって。蒼生はこういうの、どう? 好き?」
「うん。人がいっぱいいる場所は苦手だけど、こういう雰囲気はやっぱいいよね。綺麗だし」
「そっか」
 なんていうのかな、普段の明かりとは違うライトってテンションが上がる。蝋燭の光に近付けた色も好きだし、セロハンを貼ったようなカラフルなのも好きだし、あえて透明感のある冷たい色があるのもいい。我が家にはこうちゃんとみどりちゃん、隣の家にはゆみちゃん、っていう兄姉多め体制だったせいか、彼らの噂話で物心ついた時にはサンタの正体の見当がついてた。それもあってクリスマス自体は大してテンションの上がるイベントではなかったんだけど、町の雰囲気がなんとなくふわっとするのは好きだった。
 冬矢は市場の記事を指で辿っている。珍しいな、熱心に読み込んでいるみたい。でも市場ってどんなふうになるんだろう。どうもお祭りの屋台くらいしかイメージ湧かないんだけど。
「おはよー」
 教室の後ろのドアから聞き慣れた声。冬矢はぱさっとタウン誌を閉じた。なんで?
 それを冬矢に聞くより早く、健ちゃんが後ろから抱きついてきた。
「蒼生おはよ」
「おはよう。今日は朝練短かった?」
「んー、急いで戻って来ただけ」
 ? そうなんだ。
 健ちゃんは手を離して前の席の椅子に座ると、机に置かれた雑誌を見る。
「タウン誌?」
「うん、駅前で配ってたからもらってきた」
「へー。あ、そうそう」
 少し慌てたような態度で、健ちゃんがポケットを探る。なんだろうと思って見ていると、折りたたんだ封筒を取り出した。それを、ひらひらと振る。
「映画行かねえ? 蒼生の観たがってたやつ」
「行く!」
 わ、嬉しい。即答すると、健ちゃんはにこにこ笑って封筒を僕に渡してくれた。早速中を見てみる。そう、これこれ、僕が好きで読んでる小説の実写映画。推理ものなんだけど、最後の謎解きがすごく見事で、発表された時はあれをどうやって映像化するんだろってワクワクしたんだよね。……あれ。これ。枚数が。
 腕を組んだ冬矢がじっとりとした目で健ちゃんを見る。
「抜け駆けとか最低だな」
「言うと思ったわ! 3枚あるわ!」
 だよね、これ3枚あるよね。
「俺の分まで用意してるの? 引く……」
「おいどっちにしてもディスんのやめろ」
 ふふふ。
 なんか、落ち着いて聞いてると、ふたりの会話は楽しい。あんなに不安に思ってたのに。たぶん、この「落ち着く」っていうのが大事なのかな。今は冬矢が隣にいてくれてるし、健ちゃんが普通に触れてくれたから。いや、そうでもしないとすぐ墜落するのは、本当にどうにかしないといけないと思ってる。
 うん、頑張らなくちゃ。支えがないと立ってられないって、駄目でしょ。うん。……うん。頑張る。
 僕の手元を、冬矢が覗き込んでくる。
「蒼生が好きだって言ってたシリーズのか。映画化するのは聞いてたけど公開されたんだな」
「あ、うん」
「俺も読んだよ。イメージ通りの人が演じるみたいだし、楽しみだね」
「えっ? 読んだんだ」
「蒼生がいきいきしながら勧めてくれるから気になってさ」
 おー……。プレゼンが効いたってことか。
 その、うん、プレゼンってほど立派なもんじゃなくて、ただ好きなところをつらつら話しちゃっただけなんだけどね。
 あれ、待てよ。
「健ちゃんは読んだことないよね」
「まあな、自慢じゃないがあんまり字の本読まねえし」
「ほんとに自慢じゃないけど……。こういうジャンルってそもそも見ることあったっけ」
「あんまりないなあ。でもさ、オレも蒼生の話聞いてたもん。蒼生ずっと楽しそうだったじゃんか。だったら未読のオレでも楽しめそうかなって」
 それに、と健ちゃんは声を潜める。
「……好きな人の好きなものって、知りたいもんだろ」
 うわ。
 あ、うん。
 そ、そうだね……。
 耳まで熱くなったの、バレてないといいんだけど……。
 ……そっか。つ、付き合ってから一緒に出掛けるの、初めてかも。勉強会と称して僕の家に集まることはそこそこあったけど。
 てことは、これ、あれだね? デート、だよね?
 ひえ、どうしよう。何着よう。いや今まで散々一緒に遊びに行ったりしてるから今更なんだけど。
 デ、デートかぁ……。
 とりあえず、新しいコート下ろそう。


 前日はドキドキして眠れないものかな、と思ってたんだけど、案外すっきり寝られた。……いや、お誘いが週の半ばだったせいで、そこから何日か寝不足だったからね。明らかにそのせいなんだよね。デートって言ってもただ遊びに行くだけのはずなのに、くっついてるタイトルが違うだけでこんなに気分が違うのが不思議だ。
 それにしても、晴れてよかったなあ。天気予報は直前まで晴れるか曇りか微妙なところだった。だってせっかく出かけるなら天気のいい日がいいもんね。
 家から出て歩き始めると、後ろでがちゃんと勢いよくドアが開く音がした。
「え、蒼生、早くねえ!?」
 慌てた様子の健ちゃんが駆けてくる。……見慣れた顔なのに、なんか嬉しい。
「おはよ。だって待ち合わせで相手待たせるの悪いじゃん」
「おはよー。あーあ、オレにもたまには蒼生のこと待たせてほしいのになぁ」
 とん、と健ちゃんが僕の肩に寄りかかる。うーん。
「そうするともっと僕が早くなって結局待ち合わせの時間の意味がなくなりそう」
「なんかめちゃくちゃあり得るな。待った? ううん、今来たとこ! ってやつやりたいのに」
「ベタなやつだ」
「そ。ベタなやつやりたいの」
 そっかあ。なるほど。たしかに健ちゃんはそういうの好きなとこあるよね。うん。覚えておこ。
 集合場所では既に冬矢が待っていた。そう。そうなんだよ、もう僕と冬矢の間では既にこのどっちが早く着くか問題が勃発してるんだ。たぶん冬矢も待たれたくないほうなんだろうな。
「おはよう、お待たせ」
 冬矢が顔を上げて、笑う。あー。今日も眩しい。
「おはよう。あれ、見たことないコートだ」
「え、気付くの早っ」
「そりゃあもちろん。やっぱり蒼生は綺麗な色が似合うね」
「そ、そう?」
「それじゃ行こうか」
 なんなんだろう、この洞察力というか瞬発力というか記憶力と言うか……。僕は絶対気付かないと思う。頭の回転早いからな、そういうところなんだろうな。
 歩き始めた冬矢についていく、その僕の後ろでは健ちゃんが腕を組んで何か考え込んでいる。なんだなんだ。
「どしたの?」
「冬矢ってすげえ蒼生のこと見てるよな。気付かなくてごめん」
 あー。そんなの、いいのに。
「僕も冬矢のことはすごいと思うけど、普通は気付かないと思うよ」
「でも気付かれたら嬉しいだろ?」
「そりゃまあ……」
「オレもああいう、さらっと褒められるようなスタイリッシュな感じ目指したいな」
 冬矢みたいな健ちゃん? それは……うーん、どうなんだろ。
 僕は健ちゃんの背中をぽんぽん、と叩いた。
「健ちゃんは健ちゃんなんだし、冬矢にならなくてもいいじゃん。一緒だったらふたりと付き合ってる意味ないでしょ」
「蒼生……好き……」
 うん。僕もだよ。
 ……わっ。
 言う前に、ぐいっと腕を引かれた。あ、冬矢。
「なんだよいいとこだったのに」
「させるか」
 ああ、また頭上でバチバチしてる。くすぐったいってば。あと、ここ、天下の往来なんだよなぁ……。

 普段は地元のショッピングセンターにある映画館にしか行かないから、ちょっと前に出来たこの映画館に来るのは初めてだ。まずビル自体がオシャレで、僕には用事がなさそうだったし。映画館のある階まで登ると、チケット売り場は吹き抜けになってて、シャンデリアみたいな照明がキラキラしてるし背後は一面ガラス張りで街を一望するような景色が広がってるし、はー、なんか場違い感がすごい。
 当初の予定通り午後から上映する回の席を確保して、まずはお昼ごはんだ。ビルの中には飲食店もたくさん入ってる。手が届かなそうなお店から、ファミリー向けのチェーン店までいろいろあるみたい。選択肢が多すぎて困るタイプのやつだなあと思いながら案内板を眺めてると、この前タウン誌で見たのと同じような写真がある。あ、この名前、新しい駅ビルに入ったのと同じお店だ。へえ、ここにもあるんだ。ちょっといいなって思ってたから覚えてる。
「いろいろあるんだなぁ。蒼生はどこがいい?」
「んー……。多すぎて悩んじゃうな」
「ジャンルも幅広いもんな」
 ふむ、と健ちゃんは顎に手を当てて案内板の上から下までを眺める。
 ちらりと僕を見たのは冬矢だ。目が合うと、なぜか健ちゃんのほうに歩み寄る。
「こういう時、蒼生って自分で店決めないんじゃない?」
 あっ……先にそっちから埋めてくつもりだ……。
「そうだなあ、家族で出かけても、蒼生が主張することってほとんどないかも」
「あの、僕、優柔不断だから……」
「ふーん」
 ひぇ。
 冬矢はそばにあったソファにぽすんと座り込んだ。
「じゃあ話し合いしよう」
 言って、空いた両隣をぱんぱんと叩く。はい。
 僕が冬矢の隣に座ると、健ちゃんも座る。冬矢が示した場所じゃないほうだ。反対側、僕の隣。こういうとこ可愛いよね。
 さて、と冬矢が口にしたのでなんとなく僕と健ちゃんは姿勢を正す。
「それじゃあ、今から思ったことをそのまま口にしてください。ターン制な。まずは健太から」
「へ? えー……と、とにかく腹減ったなー、量食いてぇなー」
「次は俺。どの店も入ったことがないな、このあたりではあまり出店していないチェーン店が多そうだ。はい、蒼生」
 来た、冬矢の無茶振り。急だからいつも上手な言い訳が出てこない。
「う、あ、えと、気になるお店があるけどそれが健ちゃんと冬矢が行きたくないとこだったら嫌だな。ふたりが食べたいもの邪魔したくないな、食べたいもの食べてほしい」
「え」
 びっくりした顔で健ちゃんが僕を見る。ああ、繕った外面がほつれちゃう。こんなのバレたら健ちゃんが気にしちゃうじゃん。健ちゃんって意外と気にしぃだから。僕のことは気にしないで、いつまでも自由な健ちゃんでいてほしいんだ。健ちゃんにぐちゃぐちゃ余計なことを考える面倒な奴って思われたくない。
「……次、健太の番」
「あ、おお。……蒼生っていつもそんなにオレのこと考えてくれてるんだ……。え、優しい……嬉しい……めちゃくちゃ好き……」
「え」
 ……あれ? 僕が思ってた反応と違う。
 健ちゃんは案内板を指さす。
「オレはがっつり肉とか食いたい気分だけど、どこ行っても同じことばっか言ってるなあ。オレが選んでたら毎回同じとこばっかでつまんねえかも。せっかくだから新しいとこ開拓するのアリだな。はい」
「蒼生が気になる店ってどこだろう。蒼生が好きなものをもっと知りたい。あわよくばレパートリーに加えたい。はい」
 また僕の番が来た。
 いいのかな。
「こ、この前、タウン誌で見たのと同じお店が入ってる。……オムレツ食べたい……はい」
「どれだ? お、これか。へー、美味そうじゃん。オレじゃ出てこない発想だな。あ、焼き立てパン食べ放題だってさ。すげぇ、パンの種類いっぱいある!」
「健太の要望にも合ってそうだな。よし、決まりだ」
 本当にいいんだろうか。なんかそわそわする。こういう展開慣れないから……。
「あの、でも、ふたりはほんとに」
 言いかけたところで、健ちゃんが僕の膝をぽんと叩いた。
「んじゃ次は肉のとこにしようぜ」
「次」
「そ。次。だってこれから一緒に出掛ける機会なんていくらでもあるだろ」
 ……そうかあ。
 次があるんだ。
 たくさん一緒にいられるんだ。
 また、胸の真ん中あたりがぎゅっとした。
 今度は反対の膝に、冬矢が手を置く。見ると、なにやら嬉しそうにしている。ううむ。どんどん冬矢に考えてること暴露させられてる気がする。
「……なんか、冬矢って僕のこと身ぐるみ剥がそうとしてるみたい」
「言い得て妙だね。本当に剥がしたっていいんだけど」
「は?」
 は?
 なんだって?
「さ、行こうか」
 待って、せめてなんらかのフォローはして行って!

 あー、面白かった。パンフレット買っちゃった。いやー、まさかの原作のラストに別のテイスト絡ませることで次回もありそうな期待を持たせるあの終わり方、すごくよかったなー。
 隣の冬矢が僕のパンフレットを覗き込んでくる。
「屋敷の構造、絶対に再現不可能だと思ってたけど、見事だったよな」
「トリックの説得力が増してたよね!」
 向かいの健ちゃんが何度も頷く。
「あの最初のほうで後ろに置いてあったトロフィー、まさかあんな意味があるなんてなぁ」
「え、おまえあれ気付いたの?」
「あのリボンが妙に気になってさぁ」
「あれってね、原作読んでると、あっ例のあれだって気付くんだけど……未読の健ちゃんにもわかるようになってたんだ」
「視線の誘導がなされてたんだな」
「あんな後ろにちょびっと映ってただけなのに、思うツボだったってわけか~」
 楽しい……。映画見て、その後わいわい感想話すのめちゃくちゃ楽しい……。
 あと、映画館出たら健ちゃんが流れるようにカフェに連れてきてくれたのもすごく嬉しかった。パンケーキが有名で、予約がないとなかなか入れないお店。ずいぶん前にたしか一度だけ話に出したけど、覚えててくれたんだ、って。
 健ちゃん、昔からそうなんだよ。僕が行きたいって言ったとこよく覚えてて、さりげなく連れてきてくれるの。あの頃意識してくれてたかはわからない、でも僕を喜ばせようって思ってくれてるみたいだった。だから僕は健ちゃんに誘われたら断らない。
 ……あ、だけど時々完全にジャンル違いの誘いをされる時があって、それは断るかな。なんだかんだ健ちゃんはアウトドア派で、体動かすのは僕だって嫌いじゃないけど、時々ガチの体育会系イベントに誘ってくるんだ。さすがにそれは無理だもん。
「原作って小説なんだろ。読んでみようかなぁ」
「読めるの? 健太って字の本読むと寝るんだろ」
「そっ、そういう仕組みじゃねえよ!」
 ああ、違うんだ? 健ちゃんをからかう雰囲気の冬矢に思わず乗っかる。
「字だけかなあ。ちっちゃい頃、寝転んでふたりで図鑑読んでたらいつの間にか僕に凭れて寝ちゃったこともあるよ」
「……だって蒼生が説明のとこ読んでくれてたろ。だからだよ。蒼生の声、気持ちいいから……」
 ……へ。健ちゃんは水の入ったグラスの口を指でぐるぐる撫でる。あの、それ、照れてる? う、わ……僕まで照れるから……ちょっと……。
 冬矢が溜め息をつく。
「蒼生の声も好きだった、ってことか」
 はっきり言わないで……。
 あああ。
 健ちゃんはグラスの水を一気に飲み干す。
「な、なんかデートみたいだな!」
 え?
 机の下でガツッと大きな音がする。
「ってぇ! なんだよ冬矢、いきなり蹴んなよ」
「おまえバカだろ」
「あ!?」
 ……あれ、あれ。
 あー……、勝手に盛り上がってたの僕だけか。そうだよね。そんなわけないよね。
「……デートじゃないの?」
「えっ? デートでいいの?」
「えっ?」
 違うんだ、という意味を込めた僕の言葉。それに健ちゃんがあんまりにも軽くすっとんきょうな返しをするもんだから、暗く沈み込みかけた僕の気分も吹っ飛ぶ。は? なんで健ちゃんがびっくりしてるの?
 健ちゃんはぽかんとした顔だ。
「蒼生に引かれたら困るからあえてデートって言わなかったんだけど」
「? 引くわけないじゃん」
 今度は冬矢が心配そうな表情で僕のほうに向き直る。
「嫌じゃないの?」
「なんで? だって、こっ、恋人同士ならデートするでしょ?」
 わー、自分で言った。恋人って言った。言っちゃった!
「そっか……」
「そうか……」
 健ちゃんが両手で顔を覆って、冬矢が顔を伏せて、息を吐きながら同じことを言う。え、あれ?
「僕、おかしなこと言ったかな」
「いや、安心しただけ」
「うん。オレたち恋人でいいんだーって思って」
 えっ。今の安心するとこ?
 だって健ちゃんと冬矢から言い出したことだったじゃないか。
「……そういう話だったよね?」
「ああ、俺たちが勝手に言い出したことだ。蒼生もそう思ってくれててよかった」
 あー。なるほど……。
 そういうことか。
「僕……。不安にさせてたんだね……」
 冬矢はちょっと笑って、僕の頭にぽんと手を乗せた。…………。
「そんな顔しないで。言っただろ、俺たち全員手探り状態なんだって。わからないこととかすれ違ってることとかたくさんあると思う。そういうの、ひとつひとつ確認しながら進んで行こう? まだ始まったばかりなんだから」
「……うん」
 冬矢の言葉があったかい。
 優しくて、嬉しい。
 だから、乗っけられた手にぞくぞくしちゃったのは、内緒にしておく。

 タイミングよく、そこに頼んでいた料理が運ばれてくる。
 冬矢のところには、紅茶のパウンドケーキ。周りにはカットされたラフランスと柿が花びらの形に並べられてる。綺麗。
 健ちゃんのところには、チキンアンドワッフル。大きなワッフルの上に、どーんとフライドチキンが乗っかってる。腕白だなあ。
 そして僕の前に置かれたのがふわふわのパンケーキ。3つ並んだそれはあんまりにもふわふわで、隣にくたっと寄っかかってるみたい。ホイップクリームは2山あって、チョコソースがかかったほうとキャラメルソースがかかったほう。間にはバニラアイスが鎮座してて、ちょこんとミントの葉っぱが乗ってる。
「すげぇ、これだけテーブルに並ぶと圧巻だなあ」
 しみじみと健ちゃんがつぶやく。うん、見た目が綺麗なのと可愛いのとインパクトあるのとでバラエティ豊かだし。
 冬矢はちょっと呆れた顔。
「昼にあれだけ食べてたのにまだそのボリューム行こうと思うなんて、健太の胃ってどうなってるんだろうな」
「このくらい余裕だし。たぶんその気になったらふたりの分も全部食えるかもな」
「……蒼生、早く食べよう」
「はーい」
 そういえば、僕が何も言わなかったらお昼に健ちゃんは焼肉方向に行くとこだったんだよね。その時点でここに来ることは決まってたうえに、お店入る前から「肉乗ったやつ」とか言ってたから最初からそのメニューが目的だったんだと思う。そう考えるとやっぱすごい。
 僕はくったりしたパンケーキにナイフを入れる。わ、すご。それだけでしゅわっとした感触。わくわくしながらそれを口に運ぶ。
「あ。とけた。わー、美味しい!」
 甘いのが体中にしみわたるー。はー。ホイップクリームも好きなやつだ。あんまり甘くなくて、キャラメルのちょっとしょっぱいのもパンケーキによく合う。
 ……おや。視線? 目を上げると、健ちゃんと冬矢がにこにこしながら僕を見てる。
「なに?」
「んー。蒼生が美味しそうに甘いの食べてる顔、すっげぇ好きなんだよなぁ」
「わかる。ずっと見ていたい」
 っ、ちょっと、恥ずかしいんだけど……!
「ああ、もう、自分のお皿に集中してくださいっ!」
 なんだよ、もー、ほんとに、なんなの。ほんとに嬉しそうなの、なんなの。すっごくむずむずする。僕が笑ってそんなに嬉しいの?
 なんか、どうしたらいいのか全然わかんない。うう、慣れない。
 ようやくふたりが自分の手元に目を落としたので、僕もパンケーキに集中することにする。
「俺のもすごくふわふわだ。結構軽いな」
 ……うっ。
「へー、チキンにシロップってどんなもんだろって思ったけど、美味しいもんなんだ」
 ……うう…………。
 気になる。
 どっちもとても気になる。
「けっ、健ちゃん」
「ん? お、味見?」
「うん」
 健ちゃんは嬉しそうにナイフとフォークを構え、チキンとワッフルを僕が食べやすいように小さめに切り分ける。そしてそれをまとめて刺して、僕のほうに差し出す。
「はいどうぞ」
「いただきます。…………。む。しょっぱいと甘いのが合う。ほんとだ。美味しい」
「オレもオレも。……うわすっげぇふっわふわだな! もうない!」
 お互いのを食べて、美味しいね、なんか言ってたら、ばちりと目が合った。…………。
 あはは。
 微妙な間に、冬矢がくすりと笑う。
「今まで普通にやってたのに、なんで今更照れるんだよ」
 だ、だって。なんか、こう……逆によく今まで普通に出来てたなって感じになっちゃって。
 健ちゃんもそうなんだろうか。窓の外になんて目をやっちゃって、頭を掻いたりしてる。
 ……そうだ。
 出来ることから、ひとつずつ。
「あ、あのね、冬矢」
「どうした?」
「その、僕、冬矢のケーキも、その、たぶん、好きなんですが。……嫌じゃなければ」
 冬矢は一瞬驚いた顔をして、それからとけるようにして柔らかく笑った。
「嫌な訳ないよ」
 そして、フォークに刺したひとかけを、僕の口元に。
「……しっとりしてて、甘い。いい香り」
 ふふ。
 冬矢の笑顔につられて、僕も笑う。
 と、おや。また視線が。ああ、健ちゃん。
「なんだよ。おまえだってやってるだろ」
「だから黙ってやってんだろ」
「まあ、蒼生に手料理振る舞ってるのは俺だけだろうけどね」
「!?」
「!?」
 勝ち誇ったような冬矢の顔。え、何? なんで張り合ってるの!?

「せっかくの初デートだし、まだ帰るの早いだろ」
 お店を出るなりそう言ったのは健ちゃんだ。
「ちょっと歩いたところにゲーセンがあるよ。そこ行こうか」
 提案したのは冬矢。
 冬矢とは2年半くらい一緒にいるけど、たぶんどこか僕と似てるとこがあるんじゃないかな。あ、めんどくさいとことかじゃなくて。好きな場所とか、好きな雰囲気とか、そういう部分で。大体冬矢の提案するところって、抵抗感がなかったりちょうど行きたいとこだったりするんだよね。だからなんだろ、安心感があるっていうのかな。
 でも冬矢って僕と同じで、ゲームセンター行っても見てるほうが好きとかじゃなかったっけ。
 なんて思ってたんだけど、着いてわりとすぐに目的が見えた。
「こいつで勝負しようぜ」
「わかった」
 ああ、そういう。
 なにやら勝ったほうが僕にジュースを奢るんだって。初めて冬矢と来た時のこと思い出すなあ。だけど、勝ったほうが奢るって、それ、逆じゃない?
 そういえば、健ちゃんと一緒にゲーセンに来るなんて、もしかすると初めてかも。遊園地とかショッピングセンターの端っことかにある小さいコーナーは行ったことあるけど。ゲームは基本的に家でやってたからね。でも、他の友達とはよく行ってたんだって。それ聞いた時はちょっともやっとしたけど、僕も一時期森くんと2人だけで遊びに来てたことを考えるとお互い様なのかな。
 でも、そうやって来てただけあって、健ちゃんは上手だった。抜群の反射神経で的確な技を決めまくってる。冬矢のほうは……え、上手じゃん。なんでずっと見てるだけだったのってくらい上手じゃん。ダメージは食らうんだけど、健ちゃんの一瞬の隙を狙って技を決めると、キャラクターが立ち上がる前にがんがんダメージを入れる。これって嵌め技っていうんだっけ? はー、すごい。何やってるかわかんない。でも、あの冬矢が健ちゃんに張り合って全力でプレイしてるのが見られるなんて、なんだか嬉しいな。
 ただ、クレーンゲームでよくわからない顔がついた淡いピンクのもちもちクッションを取ったのは僕だけどね!
「ここはオレが取って蒼生にプレゼントするのが流れだろ……!」
「あと一歩だったんだけどな……」
 なぜか悔しがるふたりの姿に、僕は声を上げて笑ってしまった。ムキになったり悔しがったりする冬矢、ほんとに珍しい。健ちゃんも、それ、見事な地団駄だね?
 ああ、楽しい。
「今度あれやろうぜ」
 健ちゃんが指さしたのは、奥の一角を占める大きな黒い箱のような……部屋? 戦場みたいな風景の帯がその箱をぐるりと囲っている。看板が立っていて、「人気沸騰! 体感型リアルシューティングゲーム! 最大4名協力プレイ」なんて書かれてる。カーテンで仕切られた入り口の前には赤いバーが下りていて、「ただいま体感中!」の文字がぴかぴかと光っていた。わぁっという声が時々漏れて聞こえるけど何を言ってるかまではわからない。中の音が聞こえないようになってるんだな。
「ふぅん……。蒼生ってこういうゲーム得意?」
「残念ながらあんまり」
「そう。健太は?」
「やろうぜ、って誘うくらいには得意。そういう冬矢はどうなんだよ」
「レースとシューティングでは今まで負けたことがない」
 ひぇ、なにそれ。笑みが不敵。えっ、勿体ない、今の顔、写真に撮っておけばよかった。
 入り口の前のバーのランプが消えてするすると上っていくと、中から僕らと同じくらいの男子が2人と女子が2人、はしゃぎながら出てきた。口々に言い合う感想から推察するに、結構激しめのアクションらしい。僕、役に立つのかな。
 カーテンを開けて入ると、両側に手すりの付いた短い板がかかってて、中央にトロッコみたいな形の乗り物がある。周りは入り口以外の360度全部が画面だ。トロッコの手すりの真ん中にそれぞれ銃が備え付けてあって、それが四辺で4つ。3人で乗り込んでそれぞれ横に片手を広げられるくらいの広さがある。
 冬矢は前方、健ちゃんは後方に立って銃を構える。……おお。
「蒼生はサポートよろしく。敵が来たら教えて」
 わー。
 ゲームが始まると、トロッコががたんと揺れた。それに合わせて画面がどんどん進んで行く。最初はそんなに敵の数も多くなくて、健ちゃんの真面目な顔と冬矢のどこか楽しそうな顔を見てることが出来たんだけど、次第にそうも言ってられなくなった。
「健ちゃん、右から来てる!」
「おう!」
「冬矢、後ろからそっちに行った!」
「了解」
「……あっ。こっちに来るっ」
「蒼生っ」
「蒼生!」
 同時に健ちゃんと冬矢が僕の前に割り込んで、横から来た大軍を次々倒していく。別に、実際撃たれるわけじゃないのは全員わかってるんだけど、咄嗟にそうなったのかなって思うと、めちゃくちゃ嬉しい。守られてる肩越しに見る画面が、なんか、もう、もう。
 ヤバイ。このひとたち、かっこいい。惚れそう。……ああ、そうだった。もう惚れてるんだった。

 僕は公園のベンチで、買ってもらったいちごミルクを飲みながら、目の前で悔しがる健ちゃんを眺める。
「あーっ! もうちょっとだったのに!」
「最後の点差がかなりついたからな。仕方ないだろ」
「次回は! 絶対! 勝つ!」
 ほぼ互角だったと思うけどね。たしかに次やったらどうなるかわかんなそう。
 次。うん。楽しみだ。
 僕は飲み干してからっぽになったパックをたたんで、自販機の脇に置いてあるゴミ箱に入れた。
「ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
 ちょっと誇らしげな冬矢が、なんか可愛いなあと思ったりなんかして。
 勝負に熱くなるなんて、知らない一面が見られてすっごく嬉しい。
「でもあれだな、デートっつっても友達同士とあんまり変わらない遊び方だったよな」
 健ちゃんが言う。まあ、ごはんも映画もゲームセンターも、友達同士で行くよね。冬矢は肩をすくめてみせる。
「いいんじゃないか。蒼生とは恋人同士になったけど、友達をやめたわけじゃないんだし」
「さりげなくオレを省いたな」
「そもそもおまえはなんだろうな」
「ライバルか?」
「ずいぶん自信があるじゃないか」
「おっ、なんだ、それほどでもないみたいな発言しやがって」
 漫才みたいなテンポだなぁ。よく息が合うね。
 あ、もう変な誤解はしてないよ。健ちゃんが教えてくれた「立ち位置」はほんとにわかりやすくて心にストンとはまったから。
 それにしても、そうかあ。恋人だけど、友達でも幼馴染みでもあるんだ。それってものすごく贅沢だよね。
 一歩離れてやりとりを見ていた僕を、冬矢がちらりと見た。
 ん?
 それから少し考えるようにして、
「ただ、うん、そうだな。デートらしいこと……あってもいいよな」
 なんて呟いたかなと思うと、
 …………?
 え?
 近……い……?
 いや、これ、
 ……え?
 わ。
 あ。
「……ふふ。甘い。苺の味だ」
 キ……っ。
「おまっ、え、なあ!!」
 たぶん健ちゃんが僕を冬矢から引きはがして抱え込んだので、僕は崩れ落ちずに済んだんだと思う。い、今……僕……冬矢に……。
「いきなりキ、キスするやつがあるか!!」
 だ、だよね、今、キスされたよね……?
 わわわ。
 心臓がヤバい。
 顔もめちゃくちゃ熱いヤバい。
「蒼生が可愛い顔して待ってたから。嫌だった?」
「……とんでもございません……」
 嫌な訳ないじゃん……びっくりはしたけど……。
「くっ……。蒼生が可愛いのは最初からだろ! こっちがタイミングを計ってる隙に!」
「これ以上ないタイミングを見逃したのはおまえだろ」
「……だが残念だったな! 蒼生のファーストキスはオレがとっくの昔に貰ってるんだよ!」
「は?」
 え?
「ま、待って健ちゃん、知ってたの?」
「この前写真見て……え、蒼生こそ知ってたんだ?」
「うん、小学生の頃にななママが写真見せてくれて」
「母さんー……。蒼生もなんで教えてくれなかったんだよぉ」
「だってそういうの、本当に好きな子が最初だと思ってたほうが健ちゃんのためだと思ったから……」
「結果的にはそうなったんだけども!」
 ぱんぱん、と手を叩く音がした。
 僕らがそっちを見ると、冬矢が難しい顔をしていた。
「ちょっといいかな」
「はい」
「蒼生が小学生の頃知った、ってことは……それより前の話だろ。いつの話?」
「えーっと、たぶんオレらが2歳になるちょっと前くらい?」
「……それノーカンだろ」
「カウント1だろっ!」
 うーん。正直僕もあれを1回と数えていいのか、ちょっと悩む部分ではあるんだよね。とはいえ今の僕と健ちゃんは恋人同士な訳で、そうなる前の1回となるとやっぱり1回は1回な気もするし、うーん。
「じゃ、2回目っ。いいよな?」
「へ? あ、……んっ」
 ひゃー……。
 もう、頭の中がショートしそうです……。


 とんとん、と冬矢が参考書をまとめる。
「今日はこのくらいかな」
「あーい。おつかれさんでしたー」
「お疲れ様でしたー」
 そろそろ期末試験のことも考えなきゃな時期なので、勉強会も熱を帯びてきた。
 でもこの前までと違うのは。
「それじゃ蒼生、またね」
「ありがと」
「また明日」
「うん」
 ……最後にキスで締めるようになったことかな……。わー。
 頭に血が上って、せっかく覚えたことがそのまま押し出されて行ってないことを願うばかりです……。
 嬉しい……けどちょっとまだ恥ずかしい。それでもやっぱすごく嬉しくて。
 ああもう、ふわふわする。
 はー。
 ぐちゃぐちゃ考えながらお風呂から上がった僕は、ベッドでにっこり笑ってるクッションに向かって飛び込んだ。この前の初デートで、ゲームセンターから連れ帰ったやつだ。それから、窓の外に目をやる。すっかり暗い。もう明日になっちゃうな。
 あの日、僕たちは間違いなく一歩進んだんだと思う。たぶんあれが結構大きめのハードルで、それを越えたから、もうひとつ越えるのは少し楽なはずだ。おそらく。
 うーん、そうでもない? かな? どうなんだろう。
 前より手を繋ぐようになった。抱き締められることも増えた。キ、キスもした。
 そこから、先。
 そろそろ……って僕が言うの、おかしいかな。恥ずかしいけど言ってもいいのかな。あー、もう、今までお付き合いとかしたことないからタイミングがわかんない……。
 だけど突然そんなこと僕から言い出したらめちゃくちゃ乗り気だと思われたりしないかな。引かれないかな。いや、その、乗り気じゃないかって言われたらそんなことないんだけど……。
 ただ、待てよ。そもそもその先ってふたりは望んでるんだろうか。好きって言い合えて、それで終わりってこともある? うーん、でも、健ちゃんがなんかそれ以上のこと考えちゃってる雰囲気出してたし。冬矢だってそれっぽいことほのめかしたりしてくるし。望んでないってことはない……とは……思う……ものの……。さっき「好きにして」って勢いで言ったの通じてなかったしなー……。
 いろいろパターンは想定しておくに越したことはないな。うん。その気がないならない、で。うん。
 あとは、「ある」場合に備えておくだけだ。ね。
 僕は、クッションを抱き締めたまま、……さっき健ちゃんが抱き締めたクッション……、ベッドの下にある小さなケースをそのまま引っ張り出す。それから、その奥にあるもうひとつのケースの引き出しを開けた。小さな箱と、ボトルがひとつ。
 ……その時が来たら、僕はどうなるんだろう。
 そう。これはいざという時のための準備だから。それだけだから。うん。


 その日は健ちゃんの朝練がなくて、久しぶりに3人で待ち合わせして登校した。
「今週やたら長かった気がしねえ?」
「ああ、突発のテストも多かったから、そんな気がするな」
 やっぱり一緒に登校できるのは嬉しいんだけど、足首が微妙に痛い。たぶん昨日の体育の授業のせいだ。
「僕は昨日の長距離走から体力まだ回復しきれてない……」
「あれも急だったもんな~」
「今日1日乗り切れば週末だ、なんとか乗り切ろう」
「うん」
 なんてことない会話をしながら、昇降口に向かう。下駄箱の周りには人がちらほらいる程度。まだちょっと早いからね。とりあえずふたりとは下駄箱の列が違うのでいったん離れて、校舎の内側に近いところにある自分の下駄箱に手を伸ばす。上履きを取ると、……ひらりと紙が落ちた。
 ああ。ちょっと気分がどんよりとなる。
 仕方なく床のそれに手を伸ばす。小さく折られた紙を広げると、放課後の時間と「第二倉庫前で」とだけ書かれている。裏側も見てみたけど、名前はなかった。
「どうした?」
「……健ちゃん」
 いち早く靴を履き替えた健ちゃんが僕のそばに寄って来て、手元を覗き込む。
「呼び出しか。……んー」
「出来れば今すぐ断りたいんだけど……」
「オレも彼氏としては即突き返してやりてえけど、無記名だから突き返し先もわかんないな。オレも一緒に行こうか」
「うーん……。大丈夫、ちゃんと自分で行って断ってくる」
 健ちゃんには迷惑かけられない。部活もあるし。それでもし健ちゃんが僕の恋人だってバレて、健ちゃんが周りの噂で傷付くようなことがあったら嫌だ。今までだって、距離が近いことで変な噂されたことは一度や二度じゃなかったし、直接揶揄ってくる人もいた。それでどれだけ下品な言葉を聞いたことか。大体そういう人たちは健ちゃんじゃなくて僕に言うので、たぶん健ちゃんの耳に届く前に払い落とせてたと思うけど。
 僕なんかどうでもいいんだ。僕は最初から健ちゃんのお守だったから。健ちゃんを守るのは僕の存在理由だったから。それはこれからだって同じだ。
 ……まあ、こういう関係になった今ならそういうこと言われても「そうですけど、なにか?」とか返しちゃいそうだな。
 もちろん冬矢にも同じ気持ちを抱いてる。だからここはきちんと乗り切ろう。

 放課後。
 全然気の乗らない僕は、疲れたままの足を引きずるような気分で校舎を出た。寒っ。コート着てくればよかったかな。一応学校の敷地内だから大丈夫かと思ってたんだけど、そうだよね、外だもんね。
 第二倉庫は校舎の裏、テニスコートの脇にある古い倉庫だ。テニスコートは校舎と小さな雑木林と工事用のシートで覆われた建物に囲まれている。以前は別の人の持ち物だったらしい雑木林とビルを買い取って、今度ここに新しい研究棟を作るんだそうだ。そのせいでコートには建築資材が置かれてる。追い出された形のテニス部は他のとこで練習してるらしい。つまり、人の気配がない。
 こんなに人目を避けることなんだろうか、とちょっと不安になる。
 着いた第二倉庫の扉は、中途半端に開いていた。誰かが閉め忘れたのかな。なんとなく中を覗くと、ほこりっぽい匂いが鼻についた。窓があるけど、物が多いせいで隅の方が暗い。体育祭で見覚えのあるマットが積まれてて、ボールの入ったカゴがいくつか、白線を引く道具が置かれてて……。
「野木沢」
 突然声をかけられて、飛び上がりそうになる。完全に意識が中に行ってた。
 振り向くと、男の人が1人立っていた。柔和な感じ。だけどなんだろ、妙な威圧感がある。怖い、ような。知らない人……いや、見たことある。たしか、そうだ、委員会の仕事中に何度か見た。先輩のところに来てた人だ。本を借りに来たとかじゃなく、よく先輩と雑談してた。その流れで僕も何度か話しかけられたことがある。
「あ、の……。橋本先輩の……? 僕を呼んだのはあなたですか」
「ああ、覚えてた? どっちの答えも、そう。ちゃんと来てくれて嬉しいよ。それにしても、あれだな。呼び出された相手が男でも動揺しないんだ?」
「えっ」
 そりゃあ今に始まったことじゃないから驚くほどのことじゃない。でもそれはこの人には関係ないことだし、この流れで言われるのはすごくよくない感じがする。
 にこりと彼が笑う。
「野木沢って男もイケるんだろ」
「……は?」
「この前、焼却炉の近くで男とキスしてたじゃん。あれ、見てたよ」
 ……あ……健ちゃんと……。いや、あれは頬にだった、まだごまかせる。
「え、見間違いですよ。たしかにふざけてそれっぽいことしてましたけど。じゃれてただけです。誤解ですよ」
「ふーん。ま、どうでもいいや」
 ネクタイを引っ張られて、一瞬足が浮いた。
「ヤらせてよ」
 …………っ! 痛っ……え、何……。
 景色が突然変わって、僕は混乱する。
 何。
 天井?
 あ、そうか、足をかけられて突き飛ばされて……倉庫の中?
 がり、と重い音がして我に返る。
 扉の音!
 まずいと思って急いで立ち上がる。扉を閉めてる男の姿が見えて、飛びつこうとした僕の目の前で、光の筋が、消えた。
 扉が閉まった、と理解した途端、たぶん後ろ襟を掴まれたんだと思う。
 勢いで引き倒されて、また天井が視界に入る。
 それが少し近いのは、僕がマットの上にいるからだ。
 手の下で、冷たく湿った布の感じ。
 さっきと違うのは、影になった顔が僕の上にあること。
 何?
 これは何?
 両手が、僕の首にかかる。
 何?
 わかんない。
 わからない。
 ただ、ひたすらに苦しくて、息、出来なくて、それを引き剥がそうと、掴む。
 爪がその手に食い込む、人を物理的に傷付けてる感覚が、気持ち悪い。
 でも、そんなのが頭をよぎったのも一瞬だ。
 苦しいほうが先。
 それから逃れることしか考えられない。
 と。
 首に食い込む力と、剥がそうとする力の均衡が、ふいに崩れた。
 外に向いてた僕の手の力が、そいつには都合よかったんだろう。
 あっと思う暇もない。
 僕の両手は頭の上で纏められてた。
 何。
 なんで。
 両手と、腰に乗った全体重で、動けない。
 動けない。
 どうして。
 怖い……っ。
「……助け……っ」
 意識なんかしてない、勝手に声が出ていこうとした。
 でも、それも片手で塞がれる。
 なんで、こんな。
 何が、起きて……。
「大声出すなよ。んなことしたら即ブチ込むからな。そしたら公開生ハメショーに変更だ。ま、喘ぎ声ならいくら上げてもいいけどな」
 笑い含みの声。
 …………あー。
 ああ。
 そう。
 そっか。
 あー。
 なんか、頭の中でぷつんと音がした。
 もういいや。
 めんどくさい。
 どうでもいい。
 なんでもいいや。
 死ぬわけじゃないし。
 死んだら死んだで、ただそれだけの話だ。
 もう、いい。
 どうでも。
 あー。
 窓の外が明るい。
 錆止めが塗ってあるはずの格子は少し剥げてて、端から錆が進んでる。
 なんかもう、今すぐにあれが外れて、落ちてくればいいのに。
 あれに潰されて、僕なんか死んじゃえばいいのに。
 そいつはたぶん何か言ってたと思う。
 ただ僕には聞こえなかった、いや、聞こえてたと思うけど脳にまで届かなかった。
 ブレザーのボタンを外すのにずいぶんもたもたしてるなあ。
 片手だから?
 もう片方はまだ僕の手首にあるもんね。
 そんなでシャツのボタンが外せるわけないよね。
 結局焦れて引き千切ってんの。
 かっこわるい。
 それで、いきなり乳首をつねってくる。
「……っ!」
「へー、反応してんじゃん」
 はー。
 痛いだけなんだけど。
 ただの反射にそんなふうに思うなんて、普段どうしてるんだろ。
 ああ、馬鹿馬鹿しい。
 くだらない。
 全部どうでもいい。
 あちこちを這う手の感覚さえ。
 それでもそいつは僕がアクションを起こしたのが嬉しかったのかな。
 にやにや笑いながら、股間に手を伸ばしてきた。
「そうだよな、こっち弄ってやんなきゃな」
 はー。
 それも雑なんだね。
 ……。
 …………。
 触られたことについてはなにも感じなかった。気色悪いなとは思ったけど。
 でも、
 なんか、
 ……急に腹が立ってきた。
 いや……。
 いやいや。
 なんだよ。
 おかしくない?
 僕に触っていいの、健ちゃんと冬矢だけじゃない?
 なんでこんな奴に?
 は?
 僕は健ちゃんと冬矢のものなんだけど。
 え、ふざけんなよ。
 誰の許可得てるわけ?
 急に、すっと頭が冷えた。
 僕は周りを見渡す。手が届くところに凶器になりそうなものはない、か。ああ、でも、サッカーボールの入ったカゴが隣にある。金属だよな。あれに叩きつければダメージは与えられそうだな。
 幸いかどうかわかんないけど、こいつは僕が抵抗をやめたと思ってる。ボタンの外し方を見ると、不器用なうえに短気だ。絶対両手を使う瞬間がある。絶対僕の手を離すタイミングがある。
 その不器用な手が僕のベルトにかかった。
「ちっ、うまく外れねえな」
 来る。
 集中しろ。

 大きな音がした。言葉にするとガガン、って感じの。
 同時に天井がぱっと明るくなって、僕の上にある顔が真っ黒になった。
 それとの距離が急に遠くなったなって思ったとたん。
 ふっと体が軽くなる。
 え……。
 僕が次に見たのは、健ちゃんの顔だった。
 怒っているような、戸惑っているような、困っているような、……泣いているみたいな。
 あ。
 ごめんなさい。
 頭の中がその言葉でいっぱいになる。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 健ちゃん、……ごめんなさい。
 だけど声にはならなかった。
 ただ唇が空振っただけだった。
 健ちゃんは、そんな僕を引き寄せて、抱き締めてくれた。
 強い手。
 今は何よりそれが嬉しい。
 健ちゃんが抱き上げてくれたおかげで、倉庫の中の様子がようやく見えてくる。
 開け放たれた扉のおかげで隅まで明るい倉庫。
 そいつは扉の前で倒れていて、僕たちの前には冬矢が立っていた。
 頭をさすりながらそいつは健ちゃんと冬矢を睨みつける。
「……誰だ、てめぇらは」
「それはこっちのセリフです」
 冬矢……?
 初めて聞く、冬矢の、刺すような冷たい声。
 後ろで聞いてる僕でさえぞっとするような。
「あなたは野木沢とどのような関係ですか。これは合意の上の行為ではありませんね?」
「は? 男相手に合意もクソもあるかよ!」
「今から警察を呼びます。その手の傷……野木沢を無理矢理襲おうとして抵抗されて受けた傷ですよね? 証拠になると思いますけど」
「…………っ、ふざけんな!」
 そいつはそう叫ぶと、開け放たれたままの扉から、逃げるように飛び出していった。
 しん、と。
 沈黙。
 一瞬、健ちゃんの腕が少し緩んだ。……怖い。やだ。離しちゃやだ。なんで?
 ああ。
 そうか、僕に、その資格がないから?
 僕なんてもともとどこにも好かれる要素なんてないんだ。あいつも、たぶん適当に手が出しやすそうな僕が隙を見せたからこんなことしたんだ。僕に価値があるからじゃない。僕にそんな価値があるはずないんだから。そんな僕を助けてくれるなんて、なんて手間をかけさせちゃったんだろう。ごめんなさい。ふたりに迷惑かけちゃった。ごめんなさい。ごめんなさい。こんな僕のことなんてもう、
「すきだよ」
 …………え。
 絞り出すような健ちゃんの声。すごく強い手が抱え込むように肩を抱く。
「蒼生。好きだよ。大丈夫。オレがいるよ。大好きだよ」
 ……健ちゃん。
 ああ。
 そっか。
 僕が悲しい時や辛い時、いつも健ちゃんがすぐ来てくれた。健ちゃんが来たら、もうそれ以上怖いことは起きないんだ。そうだ。僕は知ってるんだ。
 ふわっと頭に手が乗った。そのまま撫でる指の優しさ。
 ……冬矢。
 見上げると、唇をわずかに噛んだまま、それでも笑ってくれてる。
「どこか痛むところはある?」
 泣きそう。僕は両足をマットの上に上げて、健ちゃんの腕をぎゅっと掴む。
「……めんなさぃ」
 なんとか絞り出した声は、自分でも笑えるくらい掠れてた。
「蒼生っ?」
「何が?」
 ふたりのぎょっとしたような声。
 掴んだ腕に頭を埋める。
「迷惑かけてごめんなさい。ひとりで出来るって言ったのに手間かけさせてごめんなさい。ほかのひとに触られてごめんなさい。僕はふたりを裏切っ……」
「蒼生」
 僕の両頬を、柔らかく包み込む手。上を向かせるゆったりとした動き。合った目の、凪のような静けさ。冬矢?
「怖かったね。たくさん触られた?」
「……うん」
「そうか。嫌だったね」
「うん。今もざわざわして、虫でも這ってるみたい……」
「蒼生。……上書きしようか」
「……上書き?」
「冬矢!?」
 声を上げた健ちゃんを、冬矢はちらりと見る。そしてすぐに僕に視線を戻した。
「こういうことって、恐怖がこびりついたまま放置したら、もっと怖くなると思う。そんな気持ち悪い感覚、早く忘れたほうがいい。本当はね、怖いことじゃないよ。俺たちなら平気だろ?」
 そっか。
 そうだね。
 冬矢の断言が、心強い。
「だけど、冬矢……」
 戸惑った様子の健ちゃんに、振り向いて僕はひとつ頷いた。
「……正直なとこ、1秒でも早く上書きしてほしい……」
 健ちゃんは、それでもやっぱりちょっと迷って、それから僕に頷き返す。
 あー……。
「…………ほっとしたら急に気持ち悪い」
 あっちこっち体がざわっとする。うぇ。吐きそう。
「あ、蒼生」
「ここから出よう、とりあえず落ち着いて、少し休もうな」
「立てる? ほら、オレにつかまって」
 立ち上がろうとしたのに膝ががくんと折れて、健ちゃんが慌ててた。反対側から冬矢も支えてくれて、なんとか歩けそうだ。
 扉から外に出ると、寒い空気が肺の中に一気に入ってくる。
 はあ……。
 なんだか頭がぼーっとする。キャパシティオーバーってたぶんこういう状態なんだろうな……。
 うう、景色が全部霞がかって見える気がする。今の僕にはっきりわかるのは、両側から支えてくれる体温があったかいことだけだった。
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18こ目;僕は君の宝物 第7話
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 駅の構内から出ると、冷たい風が頬に当たる。すっかり寒くなってきたなあ。今日は曇ってるから余計に寒い。かといって学校指定のコートを着るにはまだ早いんだよね、あれは真冬仕様だから。でも指定以外のコートを着ちゃいけないってわけでもないし、この前買ったばかりの新しいコートを下ろそうかな。
「寒い?」
 隣を歩く冬矢が、肩をすくめて歩く僕の顔を覗く。
「あー、うん。思ってたより寒かった。電車乗る前より寒いよね?」
「そうだな、気温下がって来てるかも」
 言いながら、手に持っていた黒い布を広げると僕の首にふわっと巻いた。
 え、マフラー?
「使い込んだやつだから薄いかもしれないけど」
「ちょ、そしたら冬矢が寒いじゃん!」
「気にするな、一応持って出たけど俺にはまだ必要なくて邪魔だったんだ。俺より蒼生のほうが寒がりだもんな」
「う……じゃあお借りします」
「うん」
 冬矢は嬉しそうに僕の肩をぽんと叩いた。
 どこまで本当なんだろうなあ、気を遣ってもらってる気がものすごくする。でも冬矢の方が寒さに強いのは本当だし、ここは厚意に甘えておこう。さらりとして気持ちいい触り心地のマフラーに顔を埋めると、爽やかだけどどこか甘い香りがする。イケメンってこういうとこもイケメンなんだよなあ。
 それにしてもこれ、ほんと気持ちいいな。眠くなりそう。
「蒼生」
 ん? 冬矢があっち、と指さすほう。その長い指の先に視線を送ると、足首まであるコートを着た女性がガードレールの近くで冊子みたいのを配ってる。あれ、フリーのタウン誌か。
「もらっていこうか」
 配ってるの何度か見かけてるけど、冬矢が興味を示したのは初めてかも。

 おはよう、と声をかけながら教室に入ると、早めに来てたクラスメイトたちから挨拶が返ってくる。
 僕が鞄から教材を出していると、冬矢がさっきのタウン誌を片手に僕の席にやってきた。まだいない隣の席の椅子を引っ張ってきて、そのまま勢いよくがたんと座る。すると、肩がとん、って触れる。ぶつかったのかなと思ったけど、冬矢には離れる様子がなかった。
 あ、これ、意識しての行動なんだな。
 そう思うと、触れたあたりが熱くなって、胸のあたりがざわざわばたばたと大騒ぎになる。
 だから僕もちょっとその肩に寄りかかるようにしてみた。やっぱり冬矢は避けない。なにこれ。嬉しい。
「ああ、隣駅の駅ビル、一部改装してたな。あれ完成したんだ。レストランフロアの新店舗特集だって」
 冬矢が表紙をめくる。そこには大きく駅ビルの写真が載っていた。フロアマップとそれぞれのお店の写真、主なメニューとそれをおすすめする文章で溢れかえった紙面。いいな、見てるだけで美味しそう。
「そういえば再オープンの日付書いてあったような……。電車の窓から見えてたけどちゃんと見てなかった」
「色々あってよさそうだけど、最初は混むのが目に見えてるのがね。落ち着いた頃行こうな」
「そうだね」
 もともと人が集まりやすい場所だから、きっとすごいことになるんだろうなあ。落ち着いてて好きな雰囲気だ、早く行ってみたいけど。
 その特集が終わると、今度はやたらキラキラした写真ばかりになる。なんだ、次の特集は。……クリスマス?
「早っ」
 思わずつぶやく。冬矢もふうんと頷いた。
「まだちょっと先だけど、刊行ペースからするとちょうどいいのかな。公園でクリスマス市もやるんだ。イルミネーションのテーマは冬の星空だって。蒼生はこういうの、どう? 好き?」
「うん。人がいっぱいいる場所は苦手だけど、こういう雰囲気はやっぱいいよね。綺麗だし」
「そっか」
 なんていうのかな、普段の明かりとは違うライトってテンションが上がる。蝋燭の光に近付けた色も好きだし、セロハンを貼ったようなカラフルなのも好きだし、あえて透明感のある冷たい色があるのもいい。我が家にはこうちゃんとみどりちゃん、隣の家にはゆみちゃん、っていう兄姉多め体制だったせいか、彼らの噂話で物心ついた時にはサンタの正体の見当がついてた。それもあってクリスマス自体は大してテンションの上がるイベントではなかったんだけど、町の雰囲気がなんとなくふわっとするのは好きだった。
 冬矢は市場の記事を指で辿っている。珍しいな、熱心に読み込んでいるみたい。でも市場ってどんなふうになるんだろう。どうもお祭りの屋台くらいしかイメージ湧かないんだけど。
「おはよー」
 教室の後ろのドアから聞き慣れた声。冬矢はぱさっとタウン誌を閉じた。なんで?
 それを冬矢に聞くより早く、健ちゃんが後ろから抱きついてきた。
「蒼生おはよ」
「おはよう。今日は朝練短かった?」
「んー、急いで戻って来ただけ」
 ? そうなんだ。
 健ちゃんは手を離して前の席の椅子に座ると、机に置かれた雑誌を見る。
「タウン誌?」
「うん、駅前で配ってたからもらってきた」
「へー。あ、そうそう」
 少し慌てたような態度で、健ちゃんがポケットを探る。なんだろうと思って見ていると、折りたたんだ封筒を取り出した。それを、ひらひらと振る。
「映画行かねえ? 蒼生の観たがってたやつ」
「行く!」
 わ、嬉しい。即答すると、健ちゃんはにこにこ笑って封筒を僕に渡してくれた。早速中を見てみる。そう、これこれ、僕が好きで読んでる小説の実写映画。推理ものなんだけど、最後の謎解きがすごく見事で、発表された時はあれをどうやって映像化するんだろってワクワクしたんだよね。……あれ。これ。枚数が。
 腕を組んだ冬矢がじっとりとした目で健ちゃんを見る。
「抜け駆けとか最低だな」
「言うと思ったわ! 3枚あるわ!」
 だよね、これ3枚あるよね。
「俺の分まで用意してるの? 引く……」
「おいどっちにしてもディスんのやめろ」
 ふふふ。
 なんか、落ち着いて聞いてると、ふたりの会話は楽しい。あんなに不安に思ってたのに。たぶん、この「落ち着く」っていうのが大事なのかな。今は冬矢が隣にいてくれてるし、健ちゃんが普通に触れてくれたから。いや、そうでもしないとすぐ墜落するのは、本当にどうにかしないといけないと思ってる。
 うん、頑張らなくちゃ。支えがないと立ってられないって、駄目でしょ。うん。……うん。頑張る。
 僕の手元を、冬矢が覗き込んでくる。
「蒼生が好きだって言ってたシリーズのか。映画化するのは聞いてたけど公開されたんだな」
「あ、うん」
「俺も読んだよ。イメージ通りの人が演じるみたいだし、楽しみだね」
「えっ? 読んだんだ」
「蒼生がいきいきしながら勧めてくれるから気になってさ」
 おー……。プレゼンが効いたってことか。
 その、うん、プレゼンってほど立派なもんじゃなくて、ただ好きなところをつらつら話しちゃっただけなんだけどね。
 あれ、待てよ。
「健ちゃんは読んだことないよね」
「まあな、自慢じゃないがあんまり字の本読まねえし」
「ほんとに自慢じゃないけど……。こういうジャンルってそもそも見ることあったっけ」
「あんまりないなあ。でもさ、オレも蒼生の話聞いてたもん。蒼生ずっと楽しそうだったじゃんか。だったら未読のオレでも楽しめそうかなって」
 それに、と健ちゃんは声を潜める。
「……好きな人の好きなものって、知りたいもんだろ」
 うわ。
 あ、うん。
 そ、そうだね……。
 耳まで熱くなったの、バレてないといいんだけど……。
 ……そっか。つ、付き合ってから一緒に出掛けるの、初めてかも。勉強会と称して僕の家に集まることはそこそこあったけど。
 てことは、これ、あれだね? デート、だよね?
 ひえ、どうしよう。何着よう。いや今まで散々一緒に遊びに行ったりしてるから今更なんだけど。
 デ、デートかぁ……。
 とりあえず、新しいコート下ろそう。


 前日はドキドキして眠れないものかな、と思ってたんだけど、案外すっきり寝られた。……いや、お誘いが週の半ばだったせいで、そこから何日か寝不足だったからね。明らかにそのせいなんだよね。デートって言ってもただ遊びに行くだけのはずなのに、くっついてるタイトルが違うだけでこんなに気分が違うのが不思議だ。
 それにしても、晴れてよかったなあ。天気予報は直前まで晴れるか曇りか微妙なところだった。だってせっかく出かけるなら天気のいい日がいいもんね。
 家から出て歩き始めると、後ろでがちゃんと勢いよくドアが開く音がした。
「え、蒼生、早くねえ!?」
 慌てた様子の健ちゃんが駆けてくる。……見慣れた顔なのに、なんか嬉しい。
「おはよ。だって待ち合わせで相手待たせるの悪いじゃん」
「おはよー。あーあ、オレにもたまには蒼生のこと待たせてほしいのになぁ」
 とん、と健ちゃんが僕の肩に寄りかかる。うーん。
「そうするともっと僕が早くなって結局待ち合わせの時間の意味がなくなりそう」
「なんかめちゃくちゃあり得るな。待った? ううん、今来たとこ! ってやつやりたいのに」
「ベタなやつだ」
「そ。ベタなやつやりたいの」
 そっかあ。なるほど。たしかに健ちゃんはそういうの好きなとこあるよね。うん。覚えておこ。
 集合場所では既に冬矢が待っていた。そう。そうなんだよ、もう僕と冬矢の間では既にこのどっちが早く着くか問題が勃発してるんだ。たぶん冬矢も待たれたくないほうなんだろうな。
「おはよう、お待たせ」
 冬矢が顔を上げて、笑う。あー。今日も眩しい。
「おはよう。あれ、見たことないコートだ」
「え、気付くの早っ」
「そりゃあもちろん。やっぱり蒼生は綺麗な色が似合うね」
「そ、そう?」
「それじゃ行こうか」
 なんなんだろう、この洞察力というか瞬発力というか記憶力と言うか……。僕は絶対気付かないと思う。頭の回転早いからな、そういうところなんだろうな。
 歩き始めた冬矢についていく、その僕の後ろでは健ちゃんが腕を組んで何か考え込んでいる。なんだなんだ。
「どしたの?」
「冬矢ってすげえ蒼生のこと見てるよな。気付かなくてごめん」
 あー。そんなの、いいのに。
「僕も冬矢のことはすごいと思うけど、普通は気付かないと思うよ」
「でも気付かれたら嬉しいだろ?」
「そりゃまあ……」
「オレもああいう、さらっと褒められるようなスタイリッシュな感じ目指したいな」
 冬矢みたいな健ちゃん? それは……うーん、どうなんだろ。
 僕は健ちゃんの背中をぽんぽん、と叩いた。
「健ちゃんは健ちゃんなんだし、冬矢にならなくてもいいじゃん。一緒だったらふたりと付き合ってる意味ないでしょ」
「蒼生……好き……」
 うん。僕もだよ。
 ……わっ。
 言う前に、ぐいっと腕を引かれた。あ、冬矢。
「なんだよいいとこだったのに」
「させるか」
 ああ、また頭上でバチバチしてる。くすぐったいってば。あと、ここ、天下の往来なんだよなぁ……。

 普段は地元のショッピングセンターにある映画館にしか行かないから、ちょっと前に出来たこの映画館に来るのは初めてだ。まずビル自体がオシャレで、僕には用事がなさそうだったし。映画館のある階まで登ると、チケット売り場は吹き抜けになってて、シャンデリアみたいな照明がキラキラしてるし背後は一面ガラス張りで街を一望するような景色が広がってるし、はー、なんか場違い感がすごい。
 当初の予定通り午後から上映する回の席を確保して、まずはお昼ごはんだ。ビルの中には飲食店もたくさん入ってる。手が届かなそうなお店から、ファミリー向けのチェーン店までいろいろあるみたい。選択肢が多すぎて困るタイプのやつだなあと思いながら案内板を眺めてると、この前タウン誌で見たのと同じような写真がある。あ、この名前、新しい駅ビルに入ったのと同じお店だ。へえ、ここにもあるんだ。ちょっといいなって思ってたから覚えてる。
「いろいろあるんだなぁ。蒼生はどこがいい?」
「んー……。多すぎて悩んじゃうな」
「ジャンルも幅広いもんな」
 ふむ、と健ちゃんは顎に手を当てて案内板の上から下までを眺める。
 ちらりと僕を見たのは冬矢だ。目が合うと、なぜか健ちゃんのほうに歩み寄る。
「こういう時、蒼生って自分で店決めないんじゃない?」
 あっ……先にそっちから埋めてくつもりだ……。
「そうだなあ、家族で出かけても、蒼生が主張することってほとんどないかも」
「あの、僕、優柔不断だから……」
「ふーん」
 ひぇ。
 冬矢はそばにあったソファにぽすんと座り込んだ。
「じゃあ話し合いしよう」
 言って、空いた両隣をぱんぱんと叩く。はい。
 僕が冬矢の隣に座ると、健ちゃんも座る。冬矢が示した場所じゃないほうだ。反対側、僕の隣。こういうとこ可愛いよね。
 さて、と冬矢が口にしたのでなんとなく僕と健ちゃんは姿勢を正す。
「それじゃあ、今から思ったことをそのまま口にしてください。ターン制な。まずは健太から」
「へ? えー……と、とにかく腹減ったなー、量食いてぇなー」
「次は俺。どの店も入ったことがないな、このあたりではあまり出店していないチェーン店が多そうだ。はい、蒼生」
 来た、冬矢の無茶振り。急だからいつも上手な言い訳が出てこない。
「う、あ、えと、気になるお店があるけどそれが健ちゃんと冬矢が行きたくないとこだったら嫌だな。ふたりが食べたいもの邪魔したくないな、食べたいもの食べてほしい」
「え」
 びっくりした顔で健ちゃんが僕を見る。ああ、繕った外面がほつれちゃう。こんなのバレたら健ちゃんが気にしちゃうじゃん。健ちゃんって意外と気にしぃだから。僕のことは気にしないで、いつまでも自由な健ちゃんでいてほしいんだ。健ちゃんにぐちゃぐちゃ余計なことを考える面倒な奴って思われたくない。
「……次、健太の番」
「あ、おお。……蒼生っていつもそんなにオレのこと考えてくれてるんだ……。え、優しい……嬉しい……めちゃくちゃ好き……」
「え」
 ……あれ? 僕が思ってた反応と違う。
 健ちゃんは案内板を指さす。
「オレはがっつり肉とか食いたい気分だけど、どこ行っても同じことばっか言ってるなあ。オレが選んでたら毎回同じとこばっかでつまんねえかも。せっかくだから新しいとこ開拓するのアリだな。はい」
「蒼生が気になる店ってどこだろう。蒼生が好きなものをもっと知りたい。あわよくばレパートリーに加えたい。はい」
 また僕の番が来た。
 いいのかな。
「こ、この前、タウン誌で見たのと同じお店が入ってる。……オムレツ食べたい……はい」
「どれだ? お、これか。へー、美味そうじゃん。オレじゃ出てこない発想だな。あ、焼き立てパン食べ放題だってさ。すげぇ、パンの種類いっぱいある!」
「健太の要望にも合ってそうだな。よし、決まりだ」
 本当にいいんだろうか。なんかそわそわする。こういう展開慣れないから……。
「あの、でも、ふたりはほんとに」
 言いかけたところで、健ちゃんが僕の膝をぽんと叩いた。
「んじゃ次は肉のとこにしようぜ」
「次」
「そ。次。だってこれから一緒に出掛ける機会なんていくらでもあるだろ」
 ……そうかあ。
 次があるんだ。
 たくさん一緒にいられるんだ。
 また、胸の真ん中あたりがぎゅっとした。
 今度は反対の膝に、冬矢が手を置く。見ると、なにやら嬉しそうにしている。ううむ。どんどん冬矢に考えてること暴露させられてる気がする。
「……なんか、冬矢って僕のこと身ぐるみ剥がそうとしてるみたい」
「言い得て妙だね。本当に剥がしたっていいんだけど」
「は?」
 は?
 なんだって?
「さ、行こうか」
 待って、せめてなんらかのフォローはして行って!

 あー、面白かった。パンフレット買っちゃった。いやー、まさかの原作のラストに別のテイスト絡ませることで次回もありそうな期待を持たせるあの終わり方、すごくよかったなー。
 隣の冬矢が僕のパンフレットを覗き込んでくる。
「屋敷の構造、絶対に再現不可能だと思ってたけど、見事だったよな」
「トリックの説得力が増してたよね!」
 向かいの健ちゃんが何度も頷く。
「あの最初のほうで後ろに置いてあったトロフィー、まさかあんな意味があるなんてなぁ」
「え、おまえあれ気付いたの?」
「あのリボンが妙に気になってさぁ」
「あれってね、原作読んでると、あっ例のあれだって気付くんだけど……未読の健ちゃんにもわかるようになってたんだ」
「視線の誘導がなされてたんだな」
「あんな後ろにちょびっと映ってただけなのに、思うツボだったってわけか~」
 楽しい……。映画見て、その後わいわい感想話すのめちゃくちゃ楽しい……。
 あと、映画館出たら健ちゃんが流れるようにカフェに連れてきてくれたのもすごく嬉しかった。パンケーキが有名で、予約がないとなかなか入れないお店。ずいぶん前にたしか一度だけ話に出したけど、覚えててくれたんだ、って。
 健ちゃん、昔からそうなんだよ。僕が行きたいって言ったとこよく覚えてて、さりげなく連れてきてくれるの。あの頃意識してくれてたかはわからない、でも僕を喜ばせようって思ってくれてるみたいだった。だから僕は健ちゃんに誘われたら断らない。
 ……あ、だけど時々完全にジャンル違いの誘いをされる時があって、それは断るかな。なんだかんだ健ちゃんはアウトドア派で、体動かすのは僕だって嫌いじゃないけど、時々ガチの体育会系イベントに誘ってくるんだ。さすがにそれは無理だもん。
「原作って小説なんだろ。読んでみようかなぁ」
「読めるの? 健太って字の本読むと寝るんだろ」
「そっ、そういう仕組みじゃねえよ!」
 ああ、違うんだ? 健ちゃんをからかう雰囲気の冬矢に思わず乗っかる。
「字だけかなあ。ちっちゃい頃、寝転んでふたりで図鑑読んでたらいつの間にか僕に凭れて寝ちゃったこともあるよ」
「……だって蒼生が説明のとこ読んでくれてたろ。だからだよ。蒼生の声、気持ちいいから……」
 ……へ。健ちゃんは水の入ったグラスの口を指でぐるぐる撫でる。あの、それ、照れてる? う、わ……僕まで照れるから……ちょっと……。
 冬矢が溜め息をつく。
「蒼生の声も好きだった、ってことか」
 はっきり言わないで……。
 あああ。
 健ちゃんはグラスの水を一気に飲み干す。
「な、なんかデートみたいだな!」
 え?
 机の下でガツッと大きな音がする。
「ってぇ! なんだよ冬矢、いきなり蹴んなよ」
「おまえバカだろ」
「あ!?」
 ……あれ、あれ。
 あー……、勝手に盛り上がってたの僕だけか。そうだよね。そんなわけないよね。
「……デートじゃないの?」
「えっ? デートでいいの?」
「えっ?」
 違うんだ、という意味を込めた僕の言葉。それに健ちゃんがあんまりにも軽くすっとんきょうな返しをするもんだから、暗く沈み込みかけた僕の気分も吹っ飛ぶ。は? なんで健ちゃんがびっくりしてるの?
 健ちゃんはぽかんとした顔だ。
「蒼生に引かれたら困るからあえてデートって言わなかったんだけど」
「? 引くわけないじゃん」
 今度は冬矢が心配そうな表情で僕のほうに向き直る。
「嫌じゃないの?」
「なんで? だって、こっ、恋人同士ならデートするでしょ?」
 わー、自分で言った。恋人って言った。言っちゃった!
「そっか……」
「そうか……」
 健ちゃんが両手で顔を覆って、冬矢が顔を伏せて、息を吐きながら同じことを言う。え、あれ?
「僕、おかしなこと言ったかな」
「いや、安心しただけ」
「うん。オレたち恋人でいいんだーって思って」
 えっ。今の安心するとこ?
 だって健ちゃんと冬矢から言い出したことだったじゃないか。
「……そういう話だったよね?」
「ああ、俺たちが勝手に言い出したことだ。蒼生もそう思ってくれててよかった」
 あー。なるほど……。
 そういうことか。
「僕……。不安にさせてたんだね……」
 冬矢はちょっと笑って、僕の頭にぽんと手を乗せた。…………。
「そんな顔しないで。言っただろ、俺たち全員手探り状態なんだって。わからないこととかすれ違ってることとかたくさんあると思う。そういうの、ひとつひとつ確認しながら進んで行こう? まだ始まったばかりなんだから」
「……うん」
 冬矢の言葉があったかい。
 優しくて、嬉しい。
 だから、乗っけられた手にぞくぞくしちゃったのは、内緒にしておく。

 タイミングよく、そこに頼んでいた料理が運ばれてくる。
 冬矢のところには、紅茶のパウンドケーキ。周りにはカットされたラフランスと柿が花びらの形に並べられてる。綺麗。
 健ちゃんのところには、チキンアンドワッフル。大きなワッフルの上に、どーんとフライドチキンが乗っかってる。腕白だなあ。
 そして僕の前に置かれたのがふわふわのパンケーキ。3つ並んだそれはあんまりにもふわふわで、隣にくたっと寄っかかってるみたい。ホイップクリームは2山あって、チョコソースがかかったほうとキャラメルソースがかかったほう。間にはバニラアイスが鎮座してて、ちょこんとミントの葉っぱが乗ってる。
「すげぇ、これだけテーブルに並ぶと圧巻だなあ」
 しみじみと健ちゃんがつぶやく。うん、見た目が綺麗なのと可愛いのとインパクトあるのとでバラエティ豊かだし。
 冬矢はちょっと呆れた顔。
「昼にあれだけ食べてたのにまだそのボリューム行こうと思うなんて、健太の胃ってどうなってるんだろうな」
「このくらい余裕だし。たぶんその気になったらふたりの分も全部食えるかもな」
「……蒼生、早く食べよう」
「はーい」
 そういえば、僕が何も言わなかったらお昼に健ちゃんは焼肉方向に行くとこだったんだよね。その時点でここに来ることは決まってたうえに、お店入る前から「肉乗ったやつ」とか言ってたから最初からそのメニューが目的だったんだと思う。そう考えるとやっぱすごい。
 僕はくったりしたパンケーキにナイフを入れる。わ、すご。それだけでしゅわっとした感触。わくわくしながらそれを口に運ぶ。
「あ。とけた。わー、美味しい!」
 甘いのが体中にしみわたるー。はー。ホイップクリームも好きなやつだ。あんまり甘くなくて、キャラメルのちょっとしょっぱいのもパンケーキによく合う。
 ……おや。視線? 目を上げると、健ちゃんと冬矢がにこにこしながら僕を見てる。
「なに?」
「んー。蒼生が美味しそうに甘いの食べてる顔、すっげぇ好きなんだよなぁ」
「わかる。ずっと見ていたい」
 っ、ちょっと、恥ずかしいんだけど……!
「ああ、もう、自分のお皿に集中してくださいっ!」
 なんだよ、もー、ほんとに、なんなの。ほんとに嬉しそうなの、なんなの。すっごくむずむずする。僕が笑ってそんなに嬉しいの?
 なんか、どうしたらいいのか全然わかんない。うう、慣れない。
 ようやくふたりが自分の手元に目を落としたので、僕もパンケーキに集中することにする。
「俺のもすごくふわふわだ。結構軽いな」
 ……うっ。
「へー、チキンにシロップってどんなもんだろって思ったけど、美味しいもんなんだ」
 ……うう…………。
 気になる。
 どっちもとても気になる。
「けっ、健ちゃん」
「ん? お、味見?」
「うん」
 健ちゃんは嬉しそうにナイフとフォークを構え、チキンとワッフルを僕が食べやすいように小さめに切り分ける。そしてそれをまとめて刺して、僕のほうに差し出す。
「はいどうぞ」
「いただきます。…………。む。しょっぱいと甘いのが合う。ほんとだ。美味しい」
「オレもオレも。……うわすっげぇふっわふわだな! もうない!」
 お互いのを食べて、美味しいね、なんか言ってたら、ばちりと目が合った。…………。
 あはは。
 微妙な間に、冬矢がくすりと笑う。
「今まで普通にやってたのに、なんで今更照れるんだよ」
 だ、だって。なんか、こう……逆によく今まで普通に出来てたなって感じになっちゃって。
 健ちゃんもそうなんだろうか。窓の外になんて目をやっちゃって、頭を掻いたりしてる。
 ……そうだ。
 出来ることから、ひとつずつ。
「あ、あのね、冬矢」
「どうした?」
「その、僕、冬矢のケーキも、その、たぶん、好きなんですが。……嫌じゃなければ」
 冬矢は一瞬驚いた顔をして、それからとけるようにして柔らかく笑った。
「嫌な訳ないよ」
 そして、フォークに刺したひとかけを、僕の口元に。
「……しっとりしてて、甘い。いい香り」
 ふふ。
 冬矢の笑顔につられて、僕も笑う。
 と、おや。また視線が。ああ、健ちゃん。
「なんだよ。おまえだってやってるだろ」
「だから黙ってやってんだろ」
「まあ、蒼生に手料理振る舞ってるのは俺だけだろうけどね」
「!?」
「!?」
 勝ち誇ったような冬矢の顔。え、何? なんで張り合ってるの!?

「せっかくの初デートだし、まだ帰るの早いだろ」
 お店を出るなりそう言ったのは健ちゃんだ。
「ちょっと歩いたところにゲーセンがあるよ。そこ行こうか」
 提案したのは冬矢。
 冬矢とは2年半くらい一緒にいるけど、たぶんどこか僕と似てるとこがあるんじゃないかな。あ、めんどくさいとことかじゃなくて。好きな場所とか、好きな雰囲気とか、そういう部分で。大体冬矢の提案するところって、抵抗感がなかったりちょうど行きたいとこだったりするんだよね。だからなんだろ、安心感があるっていうのかな。
 でも冬矢って僕と同じで、ゲームセンター行っても見てるほうが好きとかじゃなかったっけ。
 なんて思ってたんだけど、着いてわりとすぐに目的が見えた。
「こいつで勝負しようぜ」
「わかった」
 ああ、そういう。
 なにやら勝ったほうが僕にジュースを奢るんだって。初めて冬矢と来た時のこと思い出すなあ。だけど、勝ったほうが奢るって、それ、逆じゃない?
 そういえば、健ちゃんと一緒にゲーセンに来るなんて、もしかすると初めてかも。遊園地とかショッピングセンターの端っことかにある小さいコーナーは行ったことあるけど。ゲームは基本的に家でやってたからね。でも、他の友達とはよく行ってたんだって。それ聞いた時はちょっともやっとしたけど、僕も一時期森くんと2人だけで遊びに来てたことを考えるとお互い様なのかな。
 でも、そうやって来てただけあって、健ちゃんは上手だった。抜群の反射神経で的確な技を決めまくってる。冬矢のほうは……え、上手じゃん。なんでずっと見てるだけだったのってくらい上手じゃん。ダメージは食らうんだけど、健ちゃんの一瞬の隙を狙って技を決めると、キャラクターが立ち上がる前にがんがんダメージを入れる。これって嵌め技っていうんだっけ? はー、すごい。何やってるかわかんない。でも、あの冬矢が健ちゃんに張り合って全力でプレイしてるのが見られるなんて、なんだか嬉しいな。
 ただ、クレーンゲームでよくわからない顔がついた淡いピンクのもちもちクッションを取ったのは僕だけどね!
「ここはオレが取って蒼生にプレゼントするのが流れだろ……!」
「あと一歩だったんだけどな……」
 なぜか悔しがるふたりの姿に、僕は声を上げて笑ってしまった。ムキになったり悔しがったりする冬矢、ほんとに珍しい。健ちゃんも、それ、見事な地団駄だね?
 ああ、楽しい。
「今度あれやろうぜ」
 健ちゃんが指さしたのは、奥の一角を占める大きな黒い箱のような……部屋? 戦場みたいな風景の帯がその箱をぐるりと囲っている。看板が立っていて、「人気沸騰! 体感型リアルシューティングゲーム! 最大4名協力プレイ」なんて書かれてる。カーテンで仕切られた入り口の前には赤いバーが下りていて、「ただいま体感中!」の文字がぴかぴかと光っていた。わぁっという声が時々漏れて聞こえるけど何を言ってるかまではわからない。中の音が聞こえないようになってるんだな。
「ふぅん……。蒼生ってこういうゲーム得意?」
「残念ながらあんまり」
「そう。健太は?」
「やろうぜ、って誘うくらいには得意。そういう冬矢はどうなんだよ」
「レースとシューティングでは今まで負けたことがない」
 ひぇ、なにそれ。笑みが不敵。えっ、勿体ない、今の顔、写真に撮っておけばよかった。
 入り口の前のバーのランプが消えてするすると上っていくと、中から僕らと同じくらいの男子が2人と女子が2人、はしゃぎながら出てきた。口々に言い合う感想から推察するに、結構激しめのアクションらしい。僕、役に立つのかな。
 カーテンを開けて入ると、両側に手すりの付いた短い板がかかってて、中央にトロッコみたいな形の乗り物がある。周りは入り口以外の360度全部が画面だ。トロッコの手すりの真ん中にそれぞれ銃が備え付けてあって、それが四辺で4つ。3人で乗り込んでそれぞれ横に片手を広げられるくらいの広さがある。
 冬矢は前方、健ちゃんは後方に立って銃を構える。……おお。
「蒼生はサポートよろしく。敵が来たら教えて」
 わー。
 ゲームが始まると、トロッコががたんと揺れた。それに合わせて画面がどんどん進んで行く。最初はそんなに敵の数も多くなくて、健ちゃんの真面目な顔と冬矢のどこか楽しそうな顔を見てることが出来たんだけど、次第にそうも言ってられなくなった。
「健ちゃん、右から来てる!」
「おう!」
「冬矢、後ろからそっちに行った!」
「了解」
「……あっ。こっちに来るっ」
「蒼生っ」
「蒼生!」
 同時に健ちゃんと冬矢が僕の前に割り込んで、横から来た大軍を次々倒していく。別に、実際撃たれるわけじゃないのは全員わかってるんだけど、咄嗟にそうなったのかなって思うと、めちゃくちゃ嬉しい。守られてる肩越しに見る画面が、なんか、もう、もう。
 ヤバイ。このひとたち、かっこいい。惚れそう。……ああ、そうだった。もう惚れてるんだった。

 僕は公園のベンチで、買ってもらったいちごミルクを飲みながら、目の前で悔しがる健ちゃんを眺める。
「あーっ! もうちょっとだったのに!」
「最後の点差がかなりついたからな。仕方ないだろ」
「次回は! 絶対! 勝つ!」
 ほぼ互角だったと思うけどね。たしかに次やったらどうなるかわかんなそう。
 次。うん。楽しみだ。
 僕は飲み干してからっぽになったパックをたたんで、自販機の脇に置いてあるゴミ箱に入れた。
「ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
 ちょっと誇らしげな冬矢が、なんか可愛いなあと思ったりなんかして。
 勝負に熱くなるなんて、知らない一面が見られてすっごく嬉しい。
「でもあれだな、デートっつっても友達同士とあんまり変わらない遊び方だったよな」
 健ちゃんが言う。まあ、ごはんも映画もゲームセンターも、友達同士で行くよね。冬矢は肩をすくめてみせる。
「いいんじゃないか。蒼生とは恋人同士になったけど、友達をやめたわけじゃないんだし」
「さりげなくオレを省いたな」
「そもそもおまえはなんだろうな」
「ライバルか?」
「ずいぶん自信があるじゃないか」
「おっ、なんだ、それほどでもないみたいな発言しやがって」
 漫才みたいなテンポだなぁ。よく息が合うね。
 あ、もう変な誤解はしてないよ。健ちゃんが教えてくれた「立ち位置」はほんとにわかりやすくて心にストンとはまったから。
 それにしても、そうかあ。恋人だけど、友達でも幼馴染みでもあるんだ。それってものすごく贅沢だよね。
 一歩離れてやりとりを見ていた僕を、冬矢がちらりと見た。
 ん?
 それから少し考えるようにして、
「ただ、うん、そうだな。デートらしいこと……あってもいいよな」
 なんて呟いたかなと思うと、
 …………?
 え?
 近……い……?
 いや、これ、
 ……え?
 わ。
 あ。
「……ふふ。甘い。苺の味だ」
 キ……っ。
「おまっ、え、なあ!!」
 たぶん健ちゃんが僕を冬矢から引きはがして抱え込んだので、僕は崩れ落ちずに済んだんだと思う。い、今……僕……冬矢に……。
「いきなりキ、キスするやつがあるか!!」
 だ、だよね、今、キスされたよね……?
 わわわ。
 心臓がヤバい。
 顔もめちゃくちゃ熱いヤバい。
「蒼生が可愛い顔して待ってたから。嫌だった?」
「……とんでもございません……」
 嫌な訳ないじゃん……びっくりはしたけど……。
「くっ……。蒼生が可愛いのは最初からだろ! こっちがタイミングを計ってる隙に!」
「これ以上ないタイミングを見逃したのはおまえだろ」
「……だが残念だったな! 蒼生のファーストキスはオレがとっくの昔に貰ってるんだよ!」
「は?」
 え?
「ま、待って健ちゃん、知ってたの?」
「この前写真見て……え、蒼生こそ知ってたんだ?」
「うん、小学生の頃にななママが写真見せてくれて」
「母さんー……。蒼生もなんで教えてくれなかったんだよぉ」
「だってそういうの、本当に好きな子が最初だと思ってたほうが健ちゃんのためだと思ったから……」
「結果的にはそうなったんだけども!」
 ぱんぱん、と手を叩く音がした。
 僕らがそっちを見ると、冬矢が難しい顔をしていた。
「ちょっといいかな」
「はい」
「蒼生が小学生の頃知った、ってことは……それより前の話だろ。いつの話?」
「えーっと、たぶんオレらが2歳になるちょっと前くらい?」
「……それノーカンだろ」
「カウント1だろっ!」
 うーん。正直僕もあれを1回と数えていいのか、ちょっと悩む部分ではあるんだよね。とはいえ今の僕と健ちゃんは恋人同士な訳で、そうなる前の1回となるとやっぱり1回は1回な気もするし、うーん。
「じゃ、2回目っ。いいよな?」
「へ? あ、……んっ」
 ひゃー……。
 もう、頭の中がショートしそうです……。


 とんとん、と冬矢が参考書をまとめる。
「今日はこのくらいかな」
「あーい。おつかれさんでしたー」
「お疲れ様でしたー」
 そろそろ期末試験のことも考えなきゃな時期なので、勉強会も熱を帯びてきた。
 でもこの前までと違うのは。
「それじゃ蒼生、またね」
「ありがと」
「また明日」
「うん」
 ……最後にキスで締めるようになったことかな……。わー。
 頭に血が上って、せっかく覚えたことがそのまま押し出されて行ってないことを願うばかりです……。
 嬉しい……けどちょっとまだ恥ずかしい。それでもやっぱすごく嬉しくて。
 ああもう、ふわふわする。
 はー。
 ぐちゃぐちゃ考えながらお風呂から上がった僕は、ベッドでにっこり笑ってるクッションに向かって飛び込んだ。この前の初デートで、ゲームセンターから連れ帰ったやつだ。それから、窓の外に目をやる。すっかり暗い。もう明日になっちゃうな。
 あの日、僕たちは間違いなく一歩進んだんだと思う。たぶんあれが結構大きめのハードルで、それを越えたから、もうひとつ越えるのは少し楽なはずだ。おそらく。
 うーん、そうでもない? かな? どうなんだろう。
 前より手を繋ぐようになった。抱き締められることも増えた。キ、キスもした。
 そこから、先。
 そろそろ……って僕が言うの、おかしいかな。恥ずかしいけど言ってもいいのかな。あー、もう、今までお付き合いとかしたことないからタイミングがわかんない……。
 だけど突然そんなこと僕から言い出したらめちゃくちゃ乗り気だと思われたりしないかな。引かれないかな。いや、その、乗り気じゃないかって言われたらそんなことないんだけど……。
 ただ、待てよ。そもそもその先ってふたりは望んでるんだろうか。好きって言い合えて、それで終わりってこともある? うーん、でも、健ちゃんがなんかそれ以上のこと考えちゃってる雰囲気出してたし。冬矢だってそれっぽいことほのめかしたりしてくるし。望んでないってことはない……とは……思う……ものの……。さっき「好きにして」って勢いで言ったの通じてなかったしなー……。
 いろいろパターンは想定しておくに越したことはないな。うん。その気がないならない、で。うん。
 あとは、「ある」場合に備えておくだけだ。ね。
 僕は、クッションを抱き締めたまま、……さっき健ちゃんが抱き締めたクッション……、ベッドの下にある小さなケースをそのまま引っ張り出す。それから、その奥にあるもうひとつのケースの引き出しを開けた。小さな箱と、ボトルがひとつ。
 ……その時が来たら、僕はどうなるんだろう。
 そう。これはいざという時のための準備だから。それだけだから。うん。


 その日は健ちゃんの朝練がなくて、久しぶりに3人で待ち合わせして登校した。
「今週やたら長かった気がしねえ?」
「ああ、突発のテストも多かったから、そんな気がするな」
 やっぱり一緒に登校できるのは嬉しいんだけど、足首が微妙に痛い。たぶん昨日の体育の授業のせいだ。
「僕は昨日の長距離走から体力まだ回復しきれてない……」
「あれも急だったもんな~」
「今日1日乗り切れば週末だ、なんとか乗り切ろう」
「うん」
 なんてことない会話をしながら、昇降口に向かう。下駄箱の周りには人がちらほらいる程度。まだちょっと早いからね。とりあえずふたりとは下駄箱の列が違うのでいったん離れて、校舎の内側に近いところにある自分の下駄箱に手を伸ばす。上履きを取ると、……ひらりと紙が落ちた。
 ああ。ちょっと気分がどんよりとなる。
 仕方なく床のそれに手を伸ばす。小さく折られた紙を広げると、放課後の時間と「第二倉庫前で」とだけ書かれている。裏側も見てみたけど、名前はなかった。
「どうした?」
「……健ちゃん」
 いち早く靴を履き替えた健ちゃんが僕のそばに寄って来て、手元を覗き込む。
「呼び出しか。……んー」
「出来れば今すぐ断りたいんだけど……」
「オレも彼氏としては即突き返してやりてえけど、無記名だから突き返し先もわかんないな。オレも一緒に行こうか」
「うーん……。大丈夫、ちゃんと自分で行って断ってくる」
 健ちゃんには迷惑かけられない。部活もあるし。それでもし健ちゃんが僕の恋人だってバレて、健ちゃんが周りの噂で傷付くようなことがあったら嫌だ。今までだって、距離が近いことで変な噂されたことは一度や二度じゃなかったし、直接揶揄ってくる人もいた。それでどれだけ下品な言葉を聞いたことか。大体そういう人たちは健ちゃんじゃなくて僕に言うので、たぶん健ちゃんの耳に届く前に払い落とせてたと思うけど。
 僕なんかどうでもいいんだ。僕は最初から健ちゃんのお守だったから。健ちゃんを守るのは僕の存在理由だったから。それはこれからだって同じだ。
 ……まあ、こういう関係になった今ならそういうこと言われても「そうですけど、なにか?」とか返しちゃいそうだな。
 もちろん冬矢にも同じ気持ちを抱いてる。だからここはきちんと乗り切ろう。

 放課後。
 全然気の乗らない僕は、疲れたままの足を引きずるような気分で校舎を出た。寒っ。コート着てくればよかったかな。一応学校の敷地内だから大丈夫かと思ってたんだけど、そうだよね、外だもんね。
 第二倉庫は校舎の裏、テニスコートの脇にある古い倉庫だ。テニスコートは校舎と小さな雑木林と工事用のシートで覆われた建物に囲まれている。以前は別の人の持ち物だったらしい雑木林とビルを買い取って、今度ここに新しい研究棟を作るんだそうだ。そのせいでコートには建築資材が置かれてる。追い出された形のテニス部は他のとこで練習してるらしい。つまり、人の気配がない。
 こんなに人目を避けることなんだろうか、とちょっと不安になる。
 着いた第二倉庫の扉は、中途半端に開いていた。誰かが閉め忘れたのかな。なんとなく中を覗くと、ほこりっぽい匂いが鼻についた。窓があるけど、物が多いせいで隅の方が暗い。体育祭で見覚えのあるマットが積まれてて、ボールの入ったカゴがいくつか、白線を引く道具が置かれてて……。
「野木沢」
 突然声をかけられて、飛び上がりそうになる。完全に意識が中に行ってた。
 振り向くと、男の人が1人立っていた。柔和な感じ。だけどなんだろ、妙な威圧感がある。怖い、ような。知らない人……いや、見たことある。たしか、そうだ、委員会の仕事中に何度か見た。先輩のところに来てた人だ。本を借りに来たとかじゃなく、よく先輩と雑談してた。その流れで僕も何度か話しかけられたことがある。
「あ、の……。橋本先輩の……? 僕を呼んだのはあなたですか」
「ああ、覚えてた? どっちの答えも、そう。ちゃんと来てくれて嬉しいよ。それにしても、あれだな。呼び出された相手が男でも動揺しないんだ?」
「えっ」
 そりゃあ今に始まったことじゃないから驚くほどのことじゃない。でもそれはこの人には関係ないことだし、この流れで言われるのはすごくよくない感じがする。
 にこりと彼が笑う。
「野木沢って男もイケるんだろ」
「……は?」
「この前、焼却炉の近くで男とキスしてたじゃん。あれ、見てたよ」
 ……あ……健ちゃんと……。いや、あれは頬にだった、まだごまかせる。
「え、見間違いですよ。たしかにふざけてそれっぽいことしてましたけど。じゃれてただけです。誤解ですよ」
「ふーん。ま、どうでもいいや」
 ネクタイを引っ張られて、一瞬足が浮いた。
「ヤらせてよ」
 …………っ! 痛っ……え、何……。
 景色が突然変わって、僕は混乱する。
 何。
 天井?
 あ、そうか、足をかけられて突き飛ばされて……倉庫の中?
 がり、と重い音がして我に返る。
 扉の音!
 まずいと思って急いで立ち上がる。扉を閉めてる男の姿が見えて、飛びつこうとした僕の目の前で、光の筋が、消えた。
 扉が閉まった、と理解した途端、たぶん後ろ襟を掴まれたんだと思う。
 勢いで引き倒されて、また天井が視界に入る。
 それが少し近いのは、僕がマットの上にいるからだ。
 手の下で、冷たく湿った布の感じ。
 さっきと違うのは、影になった顔が僕の上にあること。
 何?
 これは何?
 両手が、僕の首にかかる。
 何?
 わかんない。
 わからない。
 ただ、ひたすらに苦しくて、息、出来なくて、それを引き剥がそうと、掴む。
 爪がその手に食い込む、人を物理的に傷付けてる感覚が、気持ち悪い。
 でも、そんなのが頭をよぎったのも一瞬だ。
 苦しいほうが先。
 それから逃れることしか考えられない。
 と。
 首に食い込む力と、剥がそうとする力の均衡が、ふいに崩れた。
 外に向いてた僕の手の力が、そいつには都合よかったんだろう。
 あっと思う暇もない。
 僕の両手は頭の上で纏められてた。
 何。
 なんで。
 両手と、腰に乗った全体重で、動けない。
 動けない。
 どうして。
 怖い……っ。
「……助け……っ」
 意識なんかしてない、勝手に声が出ていこうとした。
 でも、それも片手で塞がれる。
 なんで、こんな。
 何が、起きて……。
「大声出すなよ。んなことしたら即ブチ込むからな。そしたら公開生ハメショーに変更だ。ま、喘ぎ声ならいくら上げてもいいけどな」
 笑い含みの声。
 …………あー。
 ああ。
 そう。
 そっか。
 あー。
 なんか、頭の中でぷつんと音がした。
 もういいや。
 めんどくさい。
 どうでもいい。
 なんでもいいや。
 死ぬわけじゃないし。
 死んだら死んだで、ただそれだけの話だ。
 もう、いい。
 どうでも。
 あー。
 窓の外が明るい。
 錆止めが塗ってあるはずの格子は少し剥げてて、端から錆が進んでる。
 なんかもう、今すぐにあれが外れて、落ちてくればいいのに。
 あれに潰されて、僕なんか死んじゃえばいいのに。
 そいつはたぶん何か言ってたと思う。
 ただ僕には聞こえなかった、いや、聞こえてたと思うけど脳にまで届かなかった。
 ブレザーのボタンを外すのにずいぶんもたもたしてるなあ。
 片手だから?
 もう片方はまだ僕の手首にあるもんね。
 そんなでシャツのボタンが外せるわけないよね。
 結局焦れて引き千切ってんの。
 かっこわるい。
 それで、いきなり乳首をつねってくる。
「……っ!」
「へー、反応してんじゃん」
 はー。
 痛いだけなんだけど。
 ただの反射にそんなふうに思うなんて、普段どうしてるんだろ。
 ああ、馬鹿馬鹿しい。
 くだらない。
 全部どうでもいい。
 あちこちを這う手の感覚さえ。
 それでもそいつは僕がアクションを起こしたのが嬉しかったのかな。
 にやにや笑いながら、股間に手を伸ばしてきた。
「そうだよな、こっち弄ってやんなきゃな」
 はー。
 それも雑なんだね。
 ……。
 …………。
 触られたことについてはなにも感じなかった。気色悪いなとは思ったけど。
 でも、
 なんか、
 ……急に腹が立ってきた。
 いや……。
 いやいや。
 なんだよ。
 おかしくない?
 僕に触っていいの、健ちゃんと冬矢だけじゃない?
 なんでこんな奴に?
 は?
 僕は健ちゃんと冬矢のものなんだけど。
 え、ふざけんなよ。
 誰の許可得てるわけ?
 急に、すっと頭が冷えた。
 僕は周りを見渡す。手が届くところに凶器になりそうなものはない、か。ああ、でも、サッカーボールの入ったカゴが隣にある。金属だよな。あれに叩きつければダメージは与えられそうだな。
 幸いかどうかわかんないけど、こいつは僕が抵抗をやめたと思ってる。ボタンの外し方を見ると、不器用なうえに短気だ。絶対両手を使う瞬間がある。絶対僕の手を離すタイミングがある。
 その不器用な手が僕のベルトにかかった。
「ちっ、うまく外れねえな」
 来る。
 集中しろ。

 大きな音がした。言葉にするとガガン、って感じの。
 同時に天井がぱっと明るくなって、僕の上にある顔が真っ黒になった。
 それとの距離が急に遠くなったなって思ったとたん。
 ふっと体が軽くなる。
 え……。
 僕が次に見たのは、健ちゃんの顔だった。
 怒っているような、戸惑っているような、困っているような、……泣いているみたいな。
 あ。
 ごめんなさい。
 頭の中がその言葉でいっぱいになる。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 健ちゃん、……ごめんなさい。
 だけど声にはならなかった。
 ただ唇が空振っただけだった。
 健ちゃんは、そんな僕を引き寄せて、抱き締めてくれた。
 強い手。
 今は何よりそれが嬉しい。
 健ちゃんが抱き上げてくれたおかげで、倉庫の中の様子がようやく見えてくる。
 開け放たれた扉のおかげで隅まで明るい倉庫。
 そいつは扉の前で倒れていて、僕たちの前には冬矢が立っていた。
 頭をさすりながらそいつは健ちゃんと冬矢を睨みつける。
「……誰だ、てめぇらは」
「それはこっちのセリフです」
 冬矢……?
 初めて聞く、冬矢の、刺すような冷たい声。
 後ろで聞いてる僕でさえぞっとするような。
「あなたは野木沢とどのような関係ですか。これは合意の上の行為ではありませんね?」
「は? 男相手に合意もクソもあるかよ!」
「今から警察を呼びます。その手の傷……野木沢を無理矢理襲おうとして抵抗されて受けた傷ですよね? 証拠になると思いますけど」
「…………っ、ふざけんな!」
 そいつはそう叫ぶと、開け放たれたままの扉から、逃げるように飛び出していった。
 しん、と。
 沈黙。
 一瞬、健ちゃんの腕が少し緩んだ。……怖い。やだ。離しちゃやだ。なんで?
 ああ。
 そうか、僕に、その資格がないから?
 僕なんてもともとどこにも好かれる要素なんてないんだ。あいつも、たぶん適当に手が出しやすそうな僕が隙を見せたからこんなことしたんだ。僕に価値があるからじゃない。僕にそんな価値があるはずないんだから。そんな僕を助けてくれるなんて、なんて手間をかけさせちゃったんだろう。ごめんなさい。ふたりに迷惑かけちゃった。ごめんなさい。ごめんなさい。こんな僕のことなんてもう、
「すきだよ」
 …………え。
 絞り出すような健ちゃんの声。すごく強い手が抱え込むように肩を抱く。
「蒼生。好きだよ。大丈夫。オレがいるよ。大好きだよ」
 ……健ちゃん。
 ああ。
 そっか。
 僕が悲しい時や辛い時、いつも健ちゃんがすぐ来てくれた。健ちゃんが来たら、もうそれ以上怖いことは起きないんだ。そうだ。僕は知ってるんだ。
 ふわっと頭に手が乗った。そのまま撫でる指の優しさ。
 ……冬矢。
 見上げると、唇をわずかに噛んだまま、それでも笑ってくれてる。
「どこか痛むところはある?」
 泣きそう。僕は両足をマットの上に上げて、健ちゃんの腕をぎゅっと掴む。
「……めんなさぃ」
 なんとか絞り出した声は、自分でも笑えるくらい掠れてた。
「蒼生っ?」
「何が?」
 ふたりのぎょっとしたような声。
 掴んだ腕に頭を埋める。
「迷惑かけてごめんなさい。ひとりで出来るって言ったのに手間かけさせてごめんなさい。ほかのひとに触られてごめんなさい。僕はふたりを裏切っ……」
「蒼生」
 僕の両頬を、柔らかく包み込む手。上を向かせるゆったりとした動き。合った目の、凪のような静けさ。冬矢?
「怖かったね。たくさん触られた?」
「……うん」
「そうか。嫌だったね」
「うん。今もざわざわして、虫でも這ってるみたい……」
「蒼生。……上書きしようか」
「……上書き?」
「冬矢!?」
 声を上げた健ちゃんを、冬矢はちらりと見る。そしてすぐに僕に視線を戻した。
「こういうことって、恐怖がこびりついたまま放置したら、もっと怖くなると思う。そんな気持ち悪い感覚、早く忘れたほうがいい。本当はね、怖いことじゃないよ。俺たちなら平気だろ?」
 そっか。
 そうだね。
 冬矢の断言が、心強い。
「だけど、冬矢……」
 戸惑った様子の健ちゃんに、振り向いて僕はひとつ頷いた。
「……正直なとこ、1秒でも早く上書きしてほしい……」
 健ちゃんは、それでもやっぱりちょっと迷って、それから僕に頷き返す。
 あー……。
「…………ほっとしたら急に気持ち悪い」
 あっちこっち体がざわっとする。うぇ。吐きそう。
「あ、蒼生」
「ここから出よう、とりあえず落ち着いて、少し休もうな」
「立てる? ほら、オレにつかまって」
 立ち上がろうとしたのに膝ががくんと折れて、健ちゃんが慌ててた。反対側から冬矢も支えてくれて、なんとか歩けそうだ。
 扉から外に出ると、寒い空気が肺の中に一気に入ってくる。
 はあ……。
 なんだか頭がぼーっとする。キャパシティオーバーってたぶんこういう状態なんだろうな……。
 うう、景色が全部霞がかって見える気がする。今の僕にはっきりわかるのは、両側から支えてくれる体温があったかいことだけだった。
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