投稿日:2023年12月04日 22:32 文字数:6,373
25こ目;【昔話】ぼくだけの
ステキ数:1
健太自身すら覚えていない昔のお話。
蒼生はほんのりうっすらくらいの記憶はあるようですが、ほとんど覚えていません。
ただ、根幹というか、きっかけというか、「はじまり」です。
↑初掲載時キャプション↑
2021/11/12初掲載
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
蒼生はほんのりうっすらくらいの記憶はあるようですが、ほとんど覚えていません。
ただ、根幹というか、きっかけというか、「はじまり」です。
↑初掲載時キャプション↑
2021/11/12初掲載
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
| 1 / 1 |
──ずっとずっと小さい頃、家族の中でオレと蒼生は「健太とあーちゃん」だった。
暖かな光に満ちたリビングは、同時に賑やかな声が響く遊び場でもあった。母親たちの楽し気な話し声、時々聞こえる赤ん坊のぐずる声、一番ボリュームが大きいのは走り回る2人の戦いごっこの声。そこに、さらに元気な声が駆け込んでくる。
「ただいまーっ!」
「おかえり」
「おかえりなさーい」
口々に反応が返ってくるのを満足げに聞きながら、紅輝はリビングの真ん中におろしたランドセルを放り投げた。
「こら! 端っこに置かないと危ないでしょ」
「はーい」
しぶしぶランドセルの肩のベルトを掴んで、カーリングの要領で部屋の隅に滑らせる。また怒られるかと思ったが、母はもうおしゃべりに夢中になっていた。ほっとしてランドセルが流れていったほうを見ると、そちらに置いてあるローテーブルでは小さな2人が向き合って小さな椅子に座り、クレヨンを使って一生懸命何かを描いていた。道理でいつもよりかは静かなわけだ。
紅輝は上から覗き込む。片方は丸の中に黒い丸がふたつに赤い半月、下に赤い台形がくっついて、そこから小さい箱が4つ伸びていて、明らかに人間を描いているのだとわかる。もう片方は、青のぐちゃぐちゃした線がかろうじて上下に2つあるような。
「……あーちゃん、健太、何描いてんの?」
黒いクレヨンを手に取って髪を描こうとしていた蒼生がにこにこ顔を上げる。
「けんちゃ」
すり減った青いクレヨンを置いた健太が得意げに画用紙を掲げる。
「あーいちゃ、かいた!」
「おお……うん、なるほど……?」
蒼生が健太を描いたということなら、逆もそういうことなんだろうと思ってはいたが、それはあまりにただの線で。紅輝は答えを濁す。が、蒼生は健太の描いた線をじいっと見つめて頷いた。
「けんちゃ、じょーずね」
「じょうず?」
「うん」
蒼生に褒められると、健太は嬉しそうに自分の描いた絵を眺める。
そこに、駆けまわっていた2人が走り寄り、健太の姉の優美が弟の頭をはたいた。
「いってぇ! ねえちゃんなにすんだよ!」
「健太もこっちのチームはいって! みどにいをやっつけるの!」
「みどにい、てき?」
「2たい1はずるい! こうちゃん!」
「はいはい。手洗ってくるから先にやってて」
適当に追っ払うと、健太を加えた戦いごっこの舞台は廊下のほうに移っていった。
結果、洗面所に向かう紅輝も同じ方向に行かなければならない。帰ったらゲームをしようと思っていた紅輝は、やれやれと息を吐いた。小学生の紅輝にとって、遠慮のない幼稚園児2人と未就学児童1人の相手は結構骨が折れる。少し前は健太が小さくて一緒に遊ぶ体力がなかったからまだよかったのだが。
と、目を落とすと、取り残された蒼生が画用紙をまとめ、散らばったクレヨンを丁寧に片付けている。
「蒼生は行かないの?」
「いかないの。おわったら、けんちゃとあそぶの」
にこにこ言いながら、クレヨンの箱を道具箱に入れる。
蒼生は舌ったらずで無口だ。しゃべり始めるのも遅かった。ほぼ一緒に生まれた健太がやたらとおしゃべりなので周りからはよく比べられていたが、本人は気にしていない様子だ。一時期心配されたのだが、ただ単におとなしくておっとりした本人の性格によるもののようだった。どうやら、健太が必要以上にしゃべるので、自分がしゃべる必要はないと思っているらしかった。
(……本当にこいつ、健太にべったりだな)
紅輝の視線には目もくれず、蒼生は立ち上がるとリビングの端にあるおもちゃ棚に道具箱を運んでいった。
次の春。
蒼生と健太は幼稚園に入った。
「いこ、あーいちゃ」
「健ちゃん、まってえ」
この頃になると、蒼生の言葉もはっきりしてきた。それは入園に向けて読み聞かせをきちんと聞く練習をしている最中、どうしても集中できずすぐどこかへ走り去ってしまう健太に困った大人たちが、
「あーちゃん、健太に読んであげて」
と蒼生に読ませてみたところ、何故か健太がちゃんと座って聞くという現象が起きたのがきっかけだった。それ以降、健太に本を読み聞かせていた蒼生の朗読スキルのほうが上がり、自信になったのか綺麗な発音をするようになった。代わりに聞いている健太が、気持ちよくなるのか寝てしまうようになるという弊害もあったが。
大人たちを驚かせたのはそのことだけではない。蒼生に任せたのは、もちろん苦し紛れの冗談だった。仲のいい蒼生の話なら聞くだろうという遊び心で、字が読めない蒼生に絵本を手渡したのだ。それを、蒼生はつっかえながらもすらすら読んだ。誰も知らなっただけで、頭の中には文字が入っていたらしい。兄2人は字が読めるようになると散々自慢したものだが、蒼生は一切それをしなかったのだ。
母親は、そんな蒼生を少々奇妙に思ったようだった。そもそも子供のくせに、にこにこ笑ってなんでも言うことを聞くこと自体が、上の2人と違い過ぎて酷い違和感を覚えていたのだ。
もちろん、当の2人にとってはそんなことは関係ない。
「あーいちゃ、どこー?」
「はーい」
「あーいちゃ、ごほんよんでー」
「いいよー」
健太はどこに行くにも、何をするにも蒼生と一緒だった。周りがどんなにからかおうと、蒼生から離れようとしなかった。
入園前から唯一変わったことと言えば、
「健太、あーちゃんのことよぶとき、あかちゃんみたい」
と言われたことが気になったのか、しばらくして友達や家族同様「あーちゃん」と呼ぶようになったくらいだ。
その頃の健太は、とにかく甘えっ子で、わがままをよく言い、周りに対して偉ぶる態度が多かった。それはほぼ蒼生のせいだ。隣にいる蒼生が望むことをなんでも叶えてくれるから。
「せんせー、ユウくんがぼくのおもちゃとったー!」
「カズくんがさいしょにとったんだろ!」
教室では、よく物の取り合いでケンカになる友達同士が多い。健太はそれを「ガキだなあ」と上から見ていた。蒼生は、自分が使っている物を健太に取られても、何も文句を言わない。それどころか笑って許してくれる。
蒼生はなんでもしてくれる。蒼生には何をしても怒られない。蒼生という存在を従えている自分がものすごく偉くなったような気がしていた。
また、この時期は蒼生のケガが増えた時期でもあった。健太が勢いそのままに蒼生を引きずり回すせいで、足を取られて転ぶことが多かった。けれど、健太はそれを見て笑っていた。
「あーちゃん、どんくさいなー」
「えへへ」
対して蒼生も、自分のミスのように笑う。そしてまた健ちゃん、健ちゃんと後をついてくる。
(あーちゃんには、なにしてもいいんだ)
健太は蒼生の存在が自分に付随しているものだと思っていたのかもしれない。
健太は他の友達ともよく遊ぶが、蒼生は単独行動を好む子だった。その日も遊戯室の端でひとり、蒼生は積み木を積んでいた。長方形の積み木を丁寧にいくつも立て、その上に渡すように同じ形のパーツを積む。三角の屋根の脇には円柱の飾り。
外から走り込んできた健太は、座り込んだ蒼生の肩に届くくらいの造形を見つけると、急にそれで遊びたくなった。まっすぐにそこに向かうと、柱になった長方形の積み木を抜き取る。上に積まれていた積み木がバラバラと大きな音をたてて崩れ落ちた。
「えき、つくる!」
蒼生は一瞬驚いた顔をしてから笑った。
「うん。えき、つくろ」
そして健太が長方形をホームの形に並べ始めると、脇に置いてあった箱の中から車輪の付いたパーツを探して取り出した。
「あーちゃん、でんしゃ、ながくして」
「うん」
車輪パーツの前後には、連結できるような凹凸の部品が付いている。蒼生はひとつひとつ取り出しながらそれを繋げていく。
そこに、1人の園児が駆け寄ってくるなり、
「あーちゃんかして!」
蒼生の手に握られた1両を奪い取った。
「いいよ」
さらっと言い、蒼生は次の車両を探すべく箱の中を覗き込む。園児はそれを持ったまま追いかけっこの輪に混ざっていった。まったく気にしていない蒼生をよそに、カッとなったのが健太だ。
「おい!」
声を荒らげると、健太は立ち上がった勢いで遊戯室の中央に向かっていく。
「いま、あーちゃんがつかってただろ!」
言われた園児もムッとしたように健太の正面に立った。
「あーちゃんがいいっていったじゃんか」
「そんなふうにとったらあぶないだろ!」
「健太だってやってるじゃん!」
「ぼくはいいんだ」
「なんでだよ!」
「うるさい!」
健太は相手の手にある車両に向かって飛び付いた。取られまいと必死に引っ張るのに合わせて脚を踏ん張る。周りではおろおろと園児たちが遠巻きに見ていた。
「こら、何してるの!」
子供たちの争う声を聞いたのか、隣の部屋から教諭が姿を見せる。
「あ、せんせー」
周囲がほっとしたような空気に包まれると、取り合いをしていた園児が怒ったように叫ぶ。
「もう、いいもん!」
そして同時に、手をぱっと離した。小さな子とはいえ、全力で引っ張っていた反動は強い。急に力の均衡がなくなり、健太は勢いよく床に倒れ込んだ。だが、手の中には取り返した車両がある。
あちこち痛いのを我慢して立ち上がる。園児たちはことの顛末を教諭に説明しているようだったが、健太にはどうでもよかった。さっきと同じ場所で呆然としている蒼生の元に歩み寄る。
「とりかえしてきた!」
健太は誇らしげに、蒼生に車両を差し出す。きっと蒼生は感謝するだろう。褒めてくれるだろう。
が。
蒼生は我に返ったのか勢いよく立ち上がり、健太の頬に触れる。
「健ちゃん、ここ、けがしてる……! だいじょうぶ? いたくない?」
健太の頭が一瞬真っ白になった。
それは想定外の言葉だった。蒼生の言葉は「ありがとう」であるべきだったのに。せっかく自分が蒼生のために取り返したのに。
なんで。
どうして。
自分の思った言葉を言わないんだろう?
「ね、健ちゃ」
「あーちゃんなんてきらい!」
自分の思い通りにならない蒼生なんて。
蒼生に馬鹿にされたような、否定されたような気持ちでいっぱいになる。
蒼生なんて、蒼生なんて。
「…………ご、めん」
小さな声。そんなので許すもんか、と思って落とした視線をゆっくり上げた。
蒼生は組んだ指を震わせていた。
あれ、と思う。
さらに目を上げると、見たことがないくらい真っ青な顔をしていた。
大きな目をさらに見開いているのに、健太のことは見ていない。
どこか遠く、地の底でも見るような目。
ぞっとした。
その時、健太は今まで考えたこともなかった「自分がとても悪いことをした」という自覚をした。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
繰り返す蒼生。焦点の合わない瞳。
初めて、蒼生を傷付けた、その事実に気付く。
蒼生のその顔が、とにかくショックだった。
こんな顔をさせてはいけなかったのに。そんな顔をさせたいわけではなかったのに。
胸がズキリと痛む。
蒼生から笑顔が消えることが、こんなにも悲しいことだったとは。
「ご、ごめん……あーちゃん。ごめんね。きらいなんていってごめん。あーちゃんのこと、きらいになんてならないよ」
そう言った時には、健太のほうがぼろぼろ涙をこぼして泣いていた。蒼生ははっとしたように健太を見る。
「なかないで、健ちゃん。ごめんね」
「ぼくのほうがごめんね……」
ぽんぽん、と頭を撫でる蒼生に、健太はぎゅっと抱きつく。それから泣き止むまで、ずっとずっと蒼生にくっついていた。蒼生はただ黙って健太の腕をあやすように叩き続けた。
(……もう、ぜったい、あーちゃんのあんなかお、みたくない。あーちゃんは、ずっとわらっててほしい)
それからも健太は、蒼生を連れ回すことは変わらなかった。ただ、蒼生の意思を無視して動くことはなくなった。むしろ、蒼生の気持ちを尊重したいという思いが生まれたようだった。
遊戯室で向かい合ってクレヨンを使って絵を描いていた2人に、例の園児がまた近付いてくる。そしてまた蒼生の使っていたクレヨンを箱ごとぱっと持ち去る。
「あーちゃん、かして!」
後から声だけが聞こえてきた。蒼生は相変わらず平然と、
「いいよー」
とこちらも声だけで答える。
健太としては面白くない。だが蒼生の話を聞かずにくってかかるとまた同じことになってしまう。
「……なんで、いいの」
蒼生は健太に声をかけられると、ふんわり笑う。
「健ちゃんのつかってるのを、いっしょにつかったらいいんだもん」
「ぼくのもとられちゃったら?」
「そしたらほかのことして、いっしょにあそぼ」
そうか。あえて事を荒立てなくてもいいと思っているのか。諦めの良さといえば聞こえのいい蒼生の言葉は、健太にはやけに大人びて格好よく響いた。
ただ、なんの反応もされなかった園児はイラッとしたらしい。持っていったクレヨンを机に叩きつけると、健太の腕を引っ張った。
「健太、そといこう!」
「ええー、いま、」
「だめ」
きっぱりとした声。
健太は自分が声をあげたのかと思って驚いた。園児もびっくりした顔をしている。声の主はにこにこしたままの蒼生だった。
「健ちゃんは、ぼくとあそんでるから、だめ」
さっきとはまるきり反対の言い分。健太の中で、すべての線が繋がった。
「……うん、あーちゃんとあそんでるから、だめ」
言い切ると、勢いに押されたのか園児は拗ねた顔で舌を出して見せ、向こうで遊んでいた子たちの輪の中に走っていった。
「健ちゃん、むらさきかして」
「うん」
動じない蒼生を眩しく思いながら、健太は紫のクレヨンを手渡した。返されたほうではなく、健太が使っていたクレヨン。
蒼生は何を取られても気にしないのに、健太を取られることだけは嫌だと言ったのだ。蒼生にとって奪われたくないものは自分だけなのだ。
健太の中に、誇らしい気持ちが蘇る。「蒼生を従えている」という歪んだ思いではなく、「蒼生が傍にいてくれている」と。
帰り道、母親たちの後ろを蒼生と並んで歩く健太の心は晴れやかだった。
健太は蒼生の手を握る。それは引っ張るためでなく、繋ぐための手だ。
にこりと笑って、蒼生はその手を握り返してきた。
嬉しさでいっぱいになった健太は、さらにぎゅっと握る。
それから、
「あおい」
と呼んだ。蒼生はきょとんと首を傾げた。
「なまえ?」
「うん。ほかにだれもよんでないから」
健太は笑う。
「だから、ぼくだけのよびかたでよぶの」
「……そっか」
健太にとって蒼生は特別だから。蒼生だけが。
「あおい」
「はい」
はしゃいで呼んだだけなのに、言葉が返るのが嬉しい。蒼生も嬉しそうに繋いだ手を大きく振る。
「はやくかえって、いっしょにあそぼうね、健ちゃん!」
あっ、と思った。
その呼び方で呼ぶのは蒼生だけだ。
蒼生にとって、健太はとっくに。
“ぼくだけの”
暖かな光に満ちたリビングは、同時に賑やかな声が響く遊び場でもあった。母親たちの楽し気な話し声、時々聞こえる赤ん坊のぐずる声、一番ボリュームが大きいのは走り回る2人の戦いごっこの声。そこに、さらに元気な声が駆け込んでくる。
「ただいまーっ!」
「おかえり」
「おかえりなさーい」
口々に反応が返ってくるのを満足げに聞きながら、紅輝はリビングの真ん中におろしたランドセルを放り投げた。
「こら! 端っこに置かないと危ないでしょ」
「はーい」
しぶしぶランドセルの肩のベルトを掴んで、カーリングの要領で部屋の隅に滑らせる。また怒られるかと思ったが、母はもうおしゃべりに夢中になっていた。ほっとしてランドセルが流れていったほうを見ると、そちらに置いてあるローテーブルでは小さな2人が向き合って小さな椅子に座り、クレヨンを使って一生懸命何かを描いていた。道理でいつもよりかは静かなわけだ。
紅輝は上から覗き込む。片方は丸の中に黒い丸がふたつに赤い半月、下に赤い台形がくっついて、そこから小さい箱が4つ伸びていて、明らかに人間を描いているのだとわかる。もう片方は、青のぐちゃぐちゃした線がかろうじて上下に2つあるような。
「……あーちゃん、健太、何描いてんの?」
黒いクレヨンを手に取って髪を描こうとしていた蒼生がにこにこ顔を上げる。
「けんちゃ」
すり減った青いクレヨンを置いた健太が得意げに画用紙を掲げる。
「あーいちゃ、かいた!」
「おお……うん、なるほど……?」
蒼生が健太を描いたということなら、逆もそういうことなんだろうと思ってはいたが、それはあまりにただの線で。紅輝は答えを濁す。が、蒼生は健太の描いた線をじいっと見つめて頷いた。
「けんちゃ、じょーずね」
「じょうず?」
「うん」
蒼生に褒められると、健太は嬉しそうに自分の描いた絵を眺める。
そこに、駆けまわっていた2人が走り寄り、健太の姉の優美が弟の頭をはたいた。
「いってぇ! ねえちゃんなにすんだよ!」
「健太もこっちのチームはいって! みどにいをやっつけるの!」
「みどにい、てき?」
「2たい1はずるい! こうちゃん!」
「はいはい。手洗ってくるから先にやってて」
適当に追っ払うと、健太を加えた戦いごっこの舞台は廊下のほうに移っていった。
結果、洗面所に向かう紅輝も同じ方向に行かなければならない。帰ったらゲームをしようと思っていた紅輝は、やれやれと息を吐いた。小学生の紅輝にとって、遠慮のない幼稚園児2人と未就学児童1人の相手は結構骨が折れる。少し前は健太が小さくて一緒に遊ぶ体力がなかったからまだよかったのだが。
と、目を落とすと、取り残された蒼生が画用紙をまとめ、散らばったクレヨンを丁寧に片付けている。
「蒼生は行かないの?」
「いかないの。おわったら、けんちゃとあそぶの」
にこにこ言いながら、クレヨンの箱を道具箱に入れる。
蒼生は舌ったらずで無口だ。しゃべり始めるのも遅かった。ほぼ一緒に生まれた健太がやたらとおしゃべりなので周りからはよく比べられていたが、本人は気にしていない様子だ。一時期心配されたのだが、ただ単におとなしくておっとりした本人の性格によるもののようだった。どうやら、健太が必要以上にしゃべるので、自分がしゃべる必要はないと思っているらしかった。
(……本当にこいつ、健太にべったりだな)
紅輝の視線には目もくれず、蒼生は立ち上がるとリビングの端にあるおもちゃ棚に道具箱を運んでいった。
次の春。
蒼生と健太は幼稚園に入った。
「いこ、あーいちゃ」
「健ちゃん、まってえ」
この頃になると、蒼生の言葉もはっきりしてきた。それは入園に向けて読み聞かせをきちんと聞く練習をしている最中、どうしても集中できずすぐどこかへ走り去ってしまう健太に困った大人たちが、
「あーちゃん、健太に読んであげて」
と蒼生に読ませてみたところ、何故か健太がちゃんと座って聞くという現象が起きたのがきっかけだった。それ以降、健太に本を読み聞かせていた蒼生の朗読スキルのほうが上がり、自信になったのか綺麗な発音をするようになった。代わりに聞いている健太が、気持ちよくなるのか寝てしまうようになるという弊害もあったが。
大人たちを驚かせたのはそのことだけではない。蒼生に任せたのは、もちろん苦し紛れの冗談だった。仲のいい蒼生の話なら聞くだろうという遊び心で、字が読めない蒼生に絵本を手渡したのだ。それを、蒼生はつっかえながらもすらすら読んだ。誰も知らなっただけで、頭の中には文字が入っていたらしい。兄2人は字が読めるようになると散々自慢したものだが、蒼生は一切それをしなかったのだ。
母親は、そんな蒼生を少々奇妙に思ったようだった。そもそも子供のくせに、にこにこ笑ってなんでも言うことを聞くこと自体が、上の2人と違い過ぎて酷い違和感を覚えていたのだ。
もちろん、当の2人にとってはそんなことは関係ない。
「あーいちゃ、どこー?」
「はーい」
「あーいちゃ、ごほんよんでー」
「いいよー」
健太はどこに行くにも、何をするにも蒼生と一緒だった。周りがどんなにからかおうと、蒼生から離れようとしなかった。
入園前から唯一変わったことと言えば、
「健太、あーちゃんのことよぶとき、あかちゃんみたい」
と言われたことが気になったのか、しばらくして友達や家族同様「あーちゃん」と呼ぶようになったくらいだ。
その頃の健太は、とにかく甘えっ子で、わがままをよく言い、周りに対して偉ぶる態度が多かった。それはほぼ蒼生のせいだ。隣にいる蒼生が望むことをなんでも叶えてくれるから。
「せんせー、ユウくんがぼくのおもちゃとったー!」
「カズくんがさいしょにとったんだろ!」
教室では、よく物の取り合いでケンカになる友達同士が多い。健太はそれを「ガキだなあ」と上から見ていた。蒼生は、自分が使っている物を健太に取られても、何も文句を言わない。それどころか笑って許してくれる。
蒼生はなんでもしてくれる。蒼生には何をしても怒られない。蒼生という存在を従えている自分がものすごく偉くなったような気がしていた。
また、この時期は蒼生のケガが増えた時期でもあった。健太が勢いそのままに蒼生を引きずり回すせいで、足を取られて転ぶことが多かった。けれど、健太はそれを見て笑っていた。
「あーちゃん、どんくさいなー」
「えへへ」
対して蒼生も、自分のミスのように笑う。そしてまた健ちゃん、健ちゃんと後をついてくる。
(あーちゃんには、なにしてもいいんだ)
健太は蒼生の存在が自分に付随しているものだと思っていたのかもしれない。
健太は他の友達ともよく遊ぶが、蒼生は単独行動を好む子だった。その日も遊戯室の端でひとり、蒼生は積み木を積んでいた。長方形の積み木を丁寧にいくつも立て、その上に渡すように同じ形のパーツを積む。三角の屋根の脇には円柱の飾り。
外から走り込んできた健太は、座り込んだ蒼生の肩に届くくらいの造形を見つけると、急にそれで遊びたくなった。まっすぐにそこに向かうと、柱になった長方形の積み木を抜き取る。上に積まれていた積み木がバラバラと大きな音をたてて崩れ落ちた。
「えき、つくる!」
蒼生は一瞬驚いた顔をしてから笑った。
「うん。えき、つくろ」
そして健太が長方形をホームの形に並べ始めると、脇に置いてあった箱の中から車輪の付いたパーツを探して取り出した。
「あーちゃん、でんしゃ、ながくして」
「うん」
車輪パーツの前後には、連結できるような凹凸の部品が付いている。蒼生はひとつひとつ取り出しながらそれを繋げていく。
そこに、1人の園児が駆け寄ってくるなり、
「あーちゃんかして!」
蒼生の手に握られた1両を奪い取った。
「いいよ」
さらっと言い、蒼生は次の車両を探すべく箱の中を覗き込む。園児はそれを持ったまま追いかけっこの輪に混ざっていった。まったく気にしていない蒼生をよそに、カッとなったのが健太だ。
「おい!」
声を荒らげると、健太は立ち上がった勢いで遊戯室の中央に向かっていく。
「いま、あーちゃんがつかってただろ!」
言われた園児もムッとしたように健太の正面に立った。
「あーちゃんがいいっていったじゃんか」
「そんなふうにとったらあぶないだろ!」
「健太だってやってるじゃん!」
「ぼくはいいんだ」
「なんでだよ!」
「うるさい!」
健太は相手の手にある車両に向かって飛び付いた。取られまいと必死に引っ張るのに合わせて脚を踏ん張る。周りではおろおろと園児たちが遠巻きに見ていた。
「こら、何してるの!」
子供たちの争う声を聞いたのか、隣の部屋から教諭が姿を見せる。
「あ、せんせー」
周囲がほっとしたような空気に包まれると、取り合いをしていた園児が怒ったように叫ぶ。
「もう、いいもん!」
そして同時に、手をぱっと離した。小さな子とはいえ、全力で引っ張っていた反動は強い。急に力の均衡がなくなり、健太は勢いよく床に倒れ込んだ。だが、手の中には取り返した車両がある。
あちこち痛いのを我慢して立ち上がる。園児たちはことの顛末を教諭に説明しているようだったが、健太にはどうでもよかった。さっきと同じ場所で呆然としている蒼生の元に歩み寄る。
「とりかえしてきた!」
健太は誇らしげに、蒼生に車両を差し出す。きっと蒼生は感謝するだろう。褒めてくれるだろう。
が。
蒼生は我に返ったのか勢いよく立ち上がり、健太の頬に触れる。
「健ちゃん、ここ、けがしてる……! だいじょうぶ? いたくない?」
健太の頭が一瞬真っ白になった。
それは想定外の言葉だった。蒼生の言葉は「ありがとう」であるべきだったのに。せっかく自分が蒼生のために取り返したのに。
なんで。
どうして。
自分の思った言葉を言わないんだろう?
「ね、健ちゃ」
「あーちゃんなんてきらい!」
自分の思い通りにならない蒼生なんて。
蒼生に馬鹿にされたような、否定されたような気持ちでいっぱいになる。
蒼生なんて、蒼生なんて。
「…………ご、めん」
小さな声。そんなので許すもんか、と思って落とした視線をゆっくり上げた。
蒼生は組んだ指を震わせていた。
あれ、と思う。
さらに目を上げると、見たことがないくらい真っ青な顔をしていた。
大きな目をさらに見開いているのに、健太のことは見ていない。
どこか遠く、地の底でも見るような目。
ぞっとした。
その時、健太は今まで考えたこともなかった「自分がとても悪いことをした」という自覚をした。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
繰り返す蒼生。焦点の合わない瞳。
初めて、蒼生を傷付けた、その事実に気付く。
蒼生のその顔が、とにかくショックだった。
こんな顔をさせてはいけなかったのに。そんな顔をさせたいわけではなかったのに。
胸がズキリと痛む。
蒼生から笑顔が消えることが、こんなにも悲しいことだったとは。
「ご、ごめん……あーちゃん。ごめんね。きらいなんていってごめん。あーちゃんのこと、きらいになんてならないよ」
そう言った時には、健太のほうがぼろぼろ涙をこぼして泣いていた。蒼生ははっとしたように健太を見る。
「なかないで、健ちゃん。ごめんね」
「ぼくのほうがごめんね……」
ぽんぽん、と頭を撫でる蒼生に、健太はぎゅっと抱きつく。それから泣き止むまで、ずっとずっと蒼生にくっついていた。蒼生はただ黙って健太の腕をあやすように叩き続けた。
(……もう、ぜったい、あーちゃんのあんなかお、みたくない。あーちゃんは、ずっとわらっててほしい)
それからも健太は、蒼生を連れ回すことは変わらなかった。ただ、蒼生の意思を無視して動くことはなくなった。むしろ、蒼生の気持ちを尊重したいという思いが生まれたようだった。
遊戯室で向かい合ってクレヨンを使って絵を描いていた2人に、例の園児がまた近付いてくる。そしてまた蒼生の使っていたクレヨンを箱ごとぱっと持ち去る。
「あーちゃん、かして!」
後から声だけが聞こえてきた。蒼生は相変わらず平然と、
「いいよー」
とこちらも声だけで答える。
健太としては面白くない。だが蒼生の話を聞かずにくってかかるとまた同じことになってしまう。
「……なんで、いいの」
蒼生は健太に声をかけられると、ふんわり笑う。
「健ちゃんのつかってるのを、いっしょにつかったらいいんだもん」
「ぼくのもとられちゃったら?」
「そしたらほかのことして、いっしょにあそぼ」
そうか。あえて事を荒立てなくてもいいと思っているのか。諦めの良さといえば聞こえのいい蒼生の言葉は、健太にはやけに大人びて格好よく響いた。
ただ、なんの反応もされなかった園児はイラッとしたらしい。持っていったクレヨンを机に叩きつけると、健太の腕を引っ張った。
「健太、そといこう!」
「ええー、いま、」
「だめ」
きっぱりとした声。
健太は自分が声をあげたのかと思って驚いた。園児もびっくりした顔をしている。声の主はにこにこしたままの蒼生だった。
「健ちゃんは、ぼくとあそんでるから、だめ」
さっきとはまるきり反対の言い分。健太の中で、すべての線が繋がった。
「……うん、あーちゃんとあそんでるから、だめ」
言い切ると、勢いに押されたのか園児は拗ねた顔で舌を出して見せ、向こうで遊んでいた子たちの輪の中に走っていった。
「健ちゃん、むらさきかして」
「うん」
動じない蒼生を眩しく思いながら、健太は紫のクレヨンを手渡した。返されたほうではなく、健太が使っていたクレヨン。
蒼生は何を取られても気にしないのに、健太を取られることだけは嫌だと言ったのだ。蒼生にとって奪われたくないものは自分だけなのだ。
健太の中に、誇らしい気持ちが蘇る。「蒼生を従えている」という歪んだ思いではなく、「蒼生が傍にいてくれている」と。
帰り道、母親たちの後ろを蒼生と並んで歩く健太の心は晴れやかだった。
健太は蒼生の手を握る。それは引っ張るためでなく、繋ぐための手だ。
にこりと笑って、蒼生はその手を握り返してきた。
嬉しさでいっぱいになった健太は、さらにぎゅっと握る。
それから、
「あおい」
と呼んだ。蒼生はきょとんと首を傾げた。
「なまえ?」
「うん。ほかにだれもよんでないから」
健太は笑う。
「だから、ぼくだけのよびかたでよぶの」
「……そっか」
健太にとって蒼生は特別だから。蒼生だけが。
「あおい」
「はい」
はしゃいで呼んだだけなのに、言葉が返るのが嬉しい。蒼生も嬉しそうに繋いだ手を大きく振る。
「はやくかえって、いっしょにあそぼうね、健ちゃん!」
あっ、と思った。
その呼び方で呼ぶのは蒼生だけだ。
蒼生にとって、健太はとっくに。
“ぼくだけの”
| 1 / 1 |
コメントを送りました
コメント
ログインするとコメントを投稿できます
あなたのひとことが作者の支えになります。
コメントを投稿する事で作者の支えとなり次作品に繋がるかもしれません。
あまり長いコメントを考えずひとこと投稿だけでも大丈夫です。
コメントは作品投稿者とあなたにしか表示されないため、お気軽に投稿頂ければ幸いです。
あまり長いコメントを考えずひとこと投稿だけでも大丈夫です。
コメントは作品投稿者とあなたにしか表示されないため、お気軽に投稿頂ければ幸いです。

