投稿日:2023年12月11日 22:17 文字数:9,364
27こ目;【昔話】Before A
ステキ数:1
蒼生に出会うまでの冬矢のお話。
華やかな外見に反して、何に対しても興味を抱かず、執着もしない冬矢。
彼が経験し、思ってきたことは。
↑初掲載時キャプション↑
2021/11/26初掲載
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
冬矢自身が「どうでもいい」と思っていたのではっきりした時期が表記されておらずぼんやりしておりますが、大体こんな流れだったと思っていただければなによりです。
華やかな外見に反して、何に対しても興味を抱かず、執着もしない冬矢。
彼が経験し、思ってきたことは。
↑初掲載時キャプション↑
2021/11/26初掲載
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
冬矢自身が「どうでもいい」と思っていたのではっきりした時期が表記されておらずぼんやりしておりますが、大体こんな流れだったと思っていただければなによりです。
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大きな水槽の前で、冬矢は両親に囲まれて目の前を泳ぐ魚の群れを見つめていた。ぼんやりとした光に青く染められた顔は整っていて綺麗だったが、それは彫刻を褒めているようなものだ。隣の家族連れの子供たちのように、感想を述べ合ったりはしゃいだり、ましてや走り回ったりはしない。自由に泳ぐ魚の行方を注意深く見ているのはたしかなようだけれども、ひたすらに静かな目をしていた。
母親の志穂は、自分の肩辺りにある冬矢の頭の高さに合わせるように腰を落とした。
「見える? 冬矢。きれいなお魚ね」
「うん」
父親の秋人も上のほうを指さす。
「うわ、サメだ。こっちに来るぞ。大きな口だな」
「大きいね」
無反応ではない。言われた言葉に対して、きちんと返事はする。だが、感情が伴っていない気がするのだ。
「ねえ、冬矢、アイス食べる?」
「ううん、いらない」
「お母さん食べたいなー、付き合ってくれる?」
「うん、わかった」
「冬矢、何かお土産買おうか」
「おばあちゃんの家に持って行くお菓子なんかがいいんじゃないかな」
志穂と秋人は顔を見合わせた。
冬矢が眠った後、2人はリビングのテーブルに向き合って座った。コーヒーの湯気を眺めながら、志穂は大きく溜め息をつく。
「難しいわー……」
水族館のパンフレットをぱらぱらと読むでもなくめくっていた秋人も、斜め上に視線をやる。
「海の生き物図鑑をずいぶん読んでたみたいだから、水族館ははまると思ったんだけどな」
「博物館も動物園も史跡も美術館も……色々行ったんだけどねえ」
「出来れば興味がある分野で楽しませてあげたいんだけど、本人がなかなか興味を示さないからなあ」
「図鑑読んで知識はたくさん覚えちゃうから、文化系かと思ってたけど」
冬矢は、小さな頃から何に対しても興味を持たず、物事に執着しない子だった。物覚えは早く、読み書きもすぐに出来るようになったから、末は研究者か博士か、とそちらの才能を伸ばしてみようと考えた。けれど、与えられたものを頭に入れるだけで、何が好きでどの分野に特化しているのかがわからない。
ならばこっちか、とスポーツの経験もさせてみた。プールに海にスキーに体操にテニスにサッカーに、とりあえず手近なものに触れさせた。運動神経もいいらしく、どの体験教室に行ってもそつなくこなす。どうだった、と聞くと「楽しいよ」「面白かった」と答えるのだが、じゃあやってみるかと聞けば「やらない」の返答。おそらく聞かれたことに対する正解を答えているだけで、本心ではないのだろう。
おかげで、小学校の成績は常にトップにいた。しかし、通信簿に書かれた数字以外のコメントからは、毎回戸惑いが感じられた。勉強やスポーツは出来るのですが、と必ず「ですが」がついてきた。いつの担任も、気にするのは口数の少なさと社交性の低さだ。その証拠だろうか、冬矢が友達を家に連れてきたことは一度もなかった。
「やっぱり……ちょっと考えたほうがいいのかも」
志穂はちらりとリビングの端を見た。そこには、まだ梱包を解いていない大きな箱が3箱重ねて置いてあった。
「僕もそれはちょっと考えてたよ」
「私はね、もう慣れちゃったし、すぐに友達作れるからいいんだけど」
「うーん」
仕事柄、秋人は転勤が多い。案件によって北から南、南から北へと移動し、そのサイクルは早ければ数か月で訪れた。志穂がその環境の変化を面白がったこともあって、冬矢が生まれてからも全国あちこち飛び回り、短期契約の家に仮住まいするような生活を続けていた。
「冬矢は慣れたところをすぐ離れるのが当たり前になってるじゃない。もしかして、何かに固執する感覚がわかんないんじゃないかな」
「すぐ引っ越すから無駄なもの買わないようにしてたし、地元の子との交流もあってないようなものだったし、……やっぱりそれかな」
「一度試してみてもいいのかもしれないね」
志穂の言葉に、秋人は少し考えてから頷いた。
父が単身赴任で南に行く、と告げると、冬矢はただ「ふうん」と言った。秋人はそれが淋しかったらしく、出立の日の朝もしばらく家を出ようとしなかったが、業を煮やした志穂に追い出された。
志穂は腰に片手を当て、もう一方の手を高く突き上げる。
「さ、今日からしばらく2人暮らしよ!」
「どうして急に?」
「ん? たまにはこういう変化もいいかなーって思ったから、かな」
「ふーん」
「それより、お父さんがいないぶん、たくさんお手伝いしてもらうからね!」
「わかった」
返事通り、冬矢はよく志穂の手伝いをした。学校から帰ると、何も言わなくても夕飯の支度に参加してくる。勉強のほうで手を抜くこともなく、出された宿題も志穂が口を出す暇がないほどさっさと片付けていた。
これだけ手のかからない子も珍しいのではないかと思う。ただ、志穂が楽しみにしていた、学校の友達を連れてくるイベントはいくら待っても起こらなかった。外で友達と遊んでいるということならばいいが、帰ってくる時間を考えるとそういうことでもないらしい。今までの生活のせいで友達の作り方がわからないのではないかと心配になる。
志穂はこれも憧れだった、出来たばかりの「同級生のママ友」に探りを入れてみることにした。
「冬矢くんと仲いい子? うーん、特定の誰かと遊んでることはないみたい」
「そうなんだ……」
「あっ、でも、うちの子が言ってたんだけど、角のパン屋さんの娘さんいるじゃない? 冬矢くん、あの子と付き合ってるんですって。恥ずかしくてお母さんには言えないのかな~?」
「え、そうなの?」
正直初耳だった。友達の噂すら聞こえてこない息子に、まさか彼女がいるだなんて。たしかに、冬矢は自分たちの子とは思えないくらい、いいところをうまい具合に足せたのか、華やかで綺麗な顔立ちをしていた。なるほど女子に人気があるのか、と何故か志穂のほうがテンションが上がってしまい、帰ってきた冬矢に直撃する。
「ねえ冬矢、パン屋さんの子、何ちゃんだっけ、お付き合いしてるんですって?」
けれど冬矢は涼しい顔で答える。
「さあ……なんか付き合えって言われたからそうしただけ」
まるで興味のない言い方だった。
「その子のこと、好きじゃないの?」
「向こうはそうなんだって」
冬矢の答えはどこまでも冷めていた。
志穂は顔を曇らせる。さすがに付き合っている子がいて、この反応はどうなのだろう。
同じ場所にとどまるだけでは足りなかったのだろうか。志穂は、もしかして自分がずっと家にいるから友達と遊ばないのでは、という仮説を立てる。そこで、自分も働きに出てみることにした。自分が仕事をしている日は、親が働いている間に子供たちが遊んだり勉強したり出来る放課後児童館クラスに通わせれば、一人きりにすることもない。さらに言えば、少しでも同年代の子と一緒にいてほしかったし、あわよくば友達が出来たらいいという思惑もあった。
志穂の目論見はある意味当たっていたようだ。
遊び回る子たちの輪から外れた部屋の隅で宿題をやっていた冬矢の元に、1人の少年が歩み寄ってきて声をかけた。
「見ない顔だ!」
誰かが近付いて来たことには気付いていたが、冬矢は気にせず鉛筆を走らせる。すると向こうも気にせず椅子を引いて向かいに座ってくる。仕方なく冬矢は顔を上げた。年上だろうか。ひとまわり大きな体に、人懐こい顔をした少年がにこにこ笑っている。
「……そっちも見ない顔だな」
「ああ、道場が休みの週に1日だけここに来てるから」
「ふーん。こっちも通い始めたばかりだからな」
冬矢は再び目を落とす。それは拒否の姿勢だったが、やはりそれも意に介されなかったらしい。
「俺、柔道やってて。大会とか出ると授業遅れたりすることもあるんだよ。だから、ここで勉強したいんだけど、小さい子多くて遊んでばかりだろ。よかったら一緒にやってくれないか」
「……一緒にやれることあるか? 俺4年だけど」
「なんだ、同い年だ。ちょうどいいな。俺、森。森祐樹」
ぱっとさらに表情を明るくし、森と名乗った少年は冬矢に向かって手を伸ばす。名乗られてしまっては、返さないのも失礼だろう。
「……笹原、冬矢」
「笹原か。よろしくな!」
近寄らないでほしいという雰囲気を常に出していたはずだったが、ここまで無視されるのは初めてだ。まあ、週1で勉強に付き合うくらいならそんなに邪魔にもならないだろう。そう思い、森の差し出した手に仕方なく手を伸ばした。
(……馬鹿力。そうか、柔道やってるんだもんな)
それからというもの、森は児童館に姿を現すや否や、冬矢の元にやってきた。最初は鬱陶しかったが、強く覇気のある見た目とは違って穏やかな気性に慣れてくると、なんだか心地がよかった。
森は交友関係も広く、時々児童館クラスに属していない子たちと遊びに来ることもあったが、それに飽きると冬矢の元にやってくる。彼にとっても物静かな冬矢の雰囲気が落ち着くということらしかった。
しばらくしたある日、森がクラスに来るなり切り出した。
「今日、お小遣いの日でさ。新しいゲームで遊びたいんだけど、ゲーセン行かない?」
冬矢は訝しげに顔を上げる。
「小学生だけで行っていいのか?」
「あー、ほら、ショッピングセンターの端っこにあるこどもだましのやつだから」
おまえも子供だろう、と思いながら、冬矢はノートに目を落とした。
「普段一緒に行ってる奴らと行けばいいだろ。まだ宿題終わってないんだよ」
「それがさあ、全員断られちゃって」
「?」
「頼む! 対戦なんだ。1人じゃ盛り上がんないんだって」
「…………わかった。仕方ないな」
「ああ、よかった。ありがとう」
必死に頼み込んでくる森を不思議に思いながら、冬矢は書きかけのノートを閉じる。
まさか、森がゲームのこととなると人が変わる超上級者で、一度ゲームを始めたら何時間でもやめないうえにこの先何年もずっと付き合わされるようになるとは、この時の冬矢は思いもしなかったのだが、それはまた別の話だ。
初めて行った小さなゲーセンで、冬矢はまるまる数時間拘束され、普段児童館を出るよりも帰りが遅くなった。本格的に対戦ゲームをやったのも初めてだったのだが、森のプレイに付いていこうとしていた結果、冬矢もある程度の技を覚えてしまった。森は気分転換だと言っていたが、確かにちょっとすっとした。思っていた以上に音がうるさくて、それには辟易したが、なんだか楽しかった気がしないでもない。
気持ちが表面に出てきてしまったようなふわふわした足取りで、自宅があるマンションに戻る。エントランスの郵便受けを覗き込んで何もないことを確認すると、エレベーターホールに出た。冬矢は、あ、と思う。エレベーターの前に立つ女性の姿に気付いたからだ。出来れば先に行ってほしかったのだが、ガラスに姿が映ってしまっていた。その中で目が合うと、女性が振り向いた。
「こんにちは、冬矢くん」
「……こんにちは」
長い黒髪が揺れる。よく知った顔だ。隣の家の娘さん。母親同士の話から零れ聞いたところによると、たしか大学2年生だったか。可愛らしい雰囲気の人だったが、冬矢は彼女がどうも苦手だった。時折じっと見られている気がするのが、なんとも居心地が悪い。同じエレベーターに乗るのにも抵抗があったが、この状態で避けるのもおかしな話だろう。
下りてきたエレベーターに乗り込む。冬矢は階数表示を黙って見上げた。
「今日は冬矢くん、遅いんだね」
名前……。志穂とも付き合いがある以上、彼女が自分を名前で呼ぶのは当然だった。だが、ちりちりと胸の奥で何かがくすぶる。それを冬矢は「他人に名字でなく名前を呼ばれるのが気持ち悪いんだ」と理解した。その時はそれ以外に考えられなかった。
「冬矢くんってシャイだよね。いつになったら私に慣れてくれるのかな? あ、私の名前忘れちゃった? いいんだよ、ミレイさん、って呼んで」
一方的に話す声を、増えていく数字を見ながら受け流す。短い電子音と共にエレベーターのドアが開くと、
「遅くなったので、早く戻らないと。失礼します」
彼女が何かを言う前にそう告げると、走るように一番奥のドアを目指した。鞄から鍵を取り出して差し込み、回して、ドアを開ける。ただその行為に集中した。
家に飛び込むと、既に明かりがついていた。すぐに奥のドアが開いて、志穂が顔を覗かせる。
「おかえり、冬矢。今日は遅かったね」
冬矢は息を吐くと、今起きた出来事に蓋をした。
「ごめん。ちょっと寄り道してて」
「へー、珍しい。買い物? 何か足りないものでもあった?」
「いや、友達に誘われてショッピングセンターのゲーセンに」
「友達っ!?」
裏返った声を上げる志穂の脇を抜け、冬矢はリビングに鞄を置く。手を洗いに洗面所に行くと、何故か後ろから志穂がついてくる。
「同じ学校の子?」
「いや。放課後クラスで一緒の奴」
「そ、そうなんだ。仲いいの?」
「さあ。まあ悪い奴ではないかな。柔道やってるから週1でしか来ないんだけど」
志穂は、柔道、と小さく呟く。
「もしかして、……森祐樹くん?」
「知ってるんだ」
「え、有名だもん! 神童って言われてる子で、すっごい強いのよ。ケーブルテレビでこの前特集されてて、冬矢と同い年だからつい見ちゃったんだけど、もー、気迫溢れるすっごい試合で。めちゃくちゃ迫力あって怖いくらいだったの。へーえ、そんな強そうな子と、冬矢友達になったんだ!」
跳ねる勢いで話す志穂に、冬矢は首を傾げる。怖い、か。普段の森からは想像できない。
「今度家に呼んだら? 私も会いたいし」
「なんか、そういうのはいいよ」
えー、と志穂が頬を膨らませる。冬矢は洗った手をタオルで拭くと、そのまま踵を返した。
「夕飯の支度途中だよね。手伝う」
「あ、えっと、ありがとう」
冬矢が初めて友人と認めた森の存在は、やがてきっかけになって冬矢の世界を広げていくだろうと志穂は期待していたようだ。その期待は薄々冬矢も感じていた。だが当の本人にとっては、それは大した出来事ではなかった。
それどころか、ひとところに収まっていたせいで、却って人との関係が煩わしくなったと感じていた。今まではすぐに切ればよかったものが、ただ切り捨てては印象を悪くする。後のことを考えるのがこんなに面倒だとは思わなかった。
学年が上がってクラスが変わると、変わった分だけ顔見知りは増えていく。森以外にも人懐こい人間はいるもので、放課後に遊びに誘われることや家に行きたいとねだられることは日を追うごとに増えた。それをいちいち断るのもひどく億劫だったが、自分のスペースに他人がいることに強い抵抗感があったので、どうしても断る必要があった。
元からその傾向はあったが、それに拍車をかけたのはある日の出来事がきっかけだった。
その日、少しだけ体調が良くなかった冬矢は、児童館に行かずにまっすぐ家に帰ることにした。おそらく志穂が戻るまで寝ておけば直る程度の不調だ。もうすぐ家のドアの前に着く、すんでの所で。
手前のドアが開いた。
「冬矢くんだ。こんにちは。今日は早いね」
ミレイは大きくドアを開き、廊下を塞ぐように立った。
「こんにちは。じゃ」
横を通り過ぎようとした冬矢の腕を、彼女の手がぐっと掴む。細い手のどこに、と思うほどいやに強い力だ。顔をしかめる冬矢を、暗い穴のような瞳が見つめる。まさか本当に穴であるはずはなかったが、何故か冬矢にはそう見えた。
「あれえ、なんだか調子悪そうだね。お母さんいないんでしょ。うちでゆっくりしてって」
「ちょっ……離、せ……っ!」
「うふふ、遠慮しないで」
「……ッ」
ぞっとする感覚を覚えたのは、それが初めてだったかもしれない。
────。
しばらくして。
開けたドアを叩きつけるように締め、冬矢は自分の家に駆け込んだ。袖口で乱暴に口をぬぐいながら、鞄を放り投げる。そのまま浴室に飛び込むと、勢いよくシャワーの栓を捻った。頭から冷たい水を浴びると、すべての感触が消えていくような気がした。
(……気持ち悪い)
冷たい手で顔を覆うと、水を吸ったシャツが重しを付けたように腕を引っ張る。
(気持ち悪い)
体が覚えた高揚感とは裏腹に、気分は深く沈んでいく。まるで泥の中にいるようだ。引きずり込まれて、二度と浮かび上がってこられない、底のない泥水。
冬矢はその場に座り込んだ。
なんだか少し笑える。
(今までもつまらないと思ってたけど、ここから先にある“大人の世界”ってこれなのか。なるほど、本当に、…………くだらない)
やたら絡んでくる女子たち。好きだなんだと口ではさも美しいことのように言ってくるが、突き詰めた結果がこれなのか。
馬鹿馬鹿しい。
好いた惚れたなんて関係ない。
こんなもの。
誰とだって出来るじゃないか。
住宅街の中にある一軒家の門から出てきたところで、同じ制服の見知った顔が通りかかるのに気付く。それと同時に向こうも気が付いたようだ。
「あれ、笹原じゃん」
「森? 家こっち方向だったのか」
「もうちょっと向こうだけどな。道場帰りなんだ」
そうだろうな、そういう時間だ。歩き始めた冬矢に、森が足を速めて並んでくる。
「今の家、誰の? もしかして今の彼女か」
「……彼女……なのかな。わからない。そういう話はしてないから」
「そっかー」
森は頷いて、少し声を小さくする。
「いろんな子と寝てて、隣の家の彼女さんってなんにも言わないのか?」
「さあ。あの人、この春就職で出てった。その後は知らない」
「なるほど。それで好きだった彼女さんの代わり探してるってわけか」
冬矢は首を傾げる。
「あの人を好きだったことなんか一度もない」
ただ、体を重ねただけだ。それだけのことだ。求められたから応える、それだけの。
その相手がひとり、またひとりと増えていくたびに、反動のように感情が擦り切れていく気がしていた。いつかきっと何も感じなくなるのだと思う。いや、最初から何も感じていなかったのかもしれない。
そんな感情の薄い冬矢は、凜とした綺麗な顔立ちも手伝ってか、「クールでかっこいい」という女子の評価を受けた。人と関わるのが鬱陶しいと思っている冬矢にとっては真逆の反応だ。だが、もはや切り捨てることに躊躇いがなくなった冬矢は、とりあえず寄ってくるものは拒まないことにした。結果、女子と絶え間なく遊んでいる、告白は断らない、などと噂は広まり、本当に遊ぶだけの相手も増えた。中には本気だった子もいただろうが、正直どうでもよかった。
「真実の愛を探すのは大変だなあ」
軽い口調で森が笑った。
「そんなものを探してるつもりはないんだが」
「まあまあ」
ぽん、と冬矢の肩を叩く。森にとっては軽い力だったのだろうが、冬矢はわずかによろめいた。
「いつか、唯一の誰かに出会えたらいいなあ。おまえも、俺も」
「俺はいいよ。くだらない」
そんなもの、あるわけがないのだから。
真冬の放課後、冬矢は校舎裏に連れ出されていた。帰ろうとしていたところを、無理矢理引っ張ってこられたのだ。相手は、2か月だか3か月だか前に告白してきた先輩の女子だった。ここしばらくは連絡もないから切れたと思っていたのだが。
「どうして連絡くれないの」
「特に用事はなかったから」
「れ、連絡なかったらどうしたんだろうとか心配にならないの?」
「心配も何も、学校には来てただろう」
なるほど、と冬矢は息をつく。急に連絡が途切れたのは、こちらを試していたというわけか。
「笹原くんと私、付き合ってるよね?」
「そういうことになるかな」
「っ、だけど、いつまで経っても家に遊びに行かせてくれないし、名前で呼ばせてくれないし、いつも外で遊ぶかうちでHするかじゃない! それに、してくれた日も、終わったらすぐ帰っちゃうし……。ねえ、私のこと好きじゃないんでしょう!?」
はあ。
今度こそ溜め息になった。
「俺、最初に言っただろ。俺は君のことを好きじゃないけど、それでもいいかって。いいって言ったのは君だろう」
「それでも、途中で好きになってくれるかなって思うじゃない!」
「期待するのは勝手だけど」
「……最低!」
平手が飛んできた。それをあえて冬矢は避けずに受ける。彼女は、ぐるりと背を向けると小走りに校舎の向こうに消えていった。
こういう時、避けると話がこじれる。はたかれてやれば向こうの気もある程度晴れるものだ。いつもそれでやり過ごしてきた。
(このやりとりも飽きてきたな)
毎度毎度同じパターンの終わり方。これがずっと続くのだろうか。
余計な時間を使ってしまったな、と思いながら、冬矢は逆方向から校門に向かう。鉢合わせになってはさらに面倒だ。校舎を回り込んで、昇降口から校門に向かって延びる道に出ると、まだ下校途中の生徒がたくさんいた。これなら顔を合わせても知らないふりが出来そうだ。
その時、後ろから誰かが肩にぶつかった。咄嗟にそちらを見ると、日に焼けた健康そうな男子生徒が、申し訳なさそうに立ち止まるところだった。
「あ、ごめんなさい! 急いでたもんで! ケガない? よね? よかった! ごめんなさい!」
口を挟む隙もなくそう言って何度か頭を下げると、また勢いよく走って行く。思わず目で追うと、前を歩く男子生徒にそのままの勢いで飛び付いていった。
「よかった間に合ったー! 蒼生、一緒に帰ろ!」
「うん」
呆気にとられる冬矢の後ろで、誰かが話しているのが聞こえる。
「相変わらず寺田と野木沢って仲いいのな」
「幼馴染みなんだろ?」
「それにしても距離近すぎねえ?」
なるほど、幼馴染みか。冬矢の周りにはそういう関係に当たる相手がいないから、どういうものかはわからない。けれど、子供のうちにあれだけ仲がよくても、大きくなればまったく別の道に進んでいくのだろう。
すべての関係は、ほんの一瞬だけのものだ。永遠には続かない。
(……今日は冷えるな)
歩き始める、落とした視線の先は、灰色に舗装された地面。
「寒い……」
吐いた息も灰色だ。
そしてすぐ、透明な空気に溶けるように消えていった。
母親の志穂は、自分の肩辺りにある冬矢の頭の高さに合わせるように腰を落とした。
「見える? 冬矢。きれいなお魚ね」
「うん」
父親の秋人も上のほうを指さす。
「うわ、サメだ。こっちに来るぞ。大きな口だな」
「大きいね」
無反応ではない。言われた言葉に対して、きちんと返事はする。だが、感情が伴っていない気がするのだ。
「ねえ、冬矢、アイス食べる?」
「ううん、いらない」
「お母さん食べたいなー、付き合ってくれる?」
「うん、わかった」
「冬矢、何かお土産買おうか」
「おばあちゃんの家に持って行くお菓子なんかがいいんじゃないかな」
志穂と秋人は顔を見合わせた。
冬矢が眠った後、2人はリビングのテーブルに向き合って座った。コーヒーの湯気を眺めながら、志穂は大きく溜め息をつく。
「難しいわー……」
水族館のパンフレットをぱらぱらと読むでもなくめくっていた秋人も、斜め上に視線をやる。
「海の生き物図鑑をずいぶん読んでたみたいだから、水族館ははまると思ったんだけどな」
「博物館も動物園も史跡も美術館も……色々行ったんだけどねえ」
「出来れば興味がある分野で楽しませてあげたいんだけど、本人がなかなか興味を示さないからなあ」
「図鑑読んで知識はたくさん覚えちゃうから、文化系かと思ってたけど」
冬矢は、小さな頃から何に対しても興味を持たず、物事に執着しない子だった。物覚えは早く、読み書きもすぐに出来るようになったから、末は研究者か博士か、とそちらの才能を伸ばしてみようと考えた。けれど、与えられたものを頭に入れるだけで、何が好きでどの分野に特化しているのかがわからない。
ならばこっちか、とスポーツの経験もさせてみた。プールに海にスキーに体操にテニスにサッカーに、とりあえず手近なものに触れさせた。運動神経もいいらしく、どの体験教室に行ってもそつなくこなす。どうだった、と聞くと「楽しいよ」「面白かった」と答えるのだが、じゃあやってみるかと聞けば「やらない」の返答。おそらく聞かれたことに対する正解を答えているだけで、本心ではないのだろう。
おかげで、小学校の成績は常にトップにいた。しかし、通信簿に書かれた数字以外のコメントからは、毎回戸惑いが感じられた。勉強やスポーツは出来るのですが、と必ず「ですが」がついてきた。いつの担任も、気にするのは口数の少なさと社交性の低さだ。その証拠だろうか、冬矢が友達を家に連れてきたことは一度もなかった。
「やっぱり……ちょっと考えたほうがいいのかも」
志穂はちらりとリビングの端を見た。そこには、まだ梱包を解いていない大きな箱が3箱重ねて置いてあった。
「僕もそれはちょっと考えてたよ」
「私はね、もう慣れちゃったし、すぐに友達作れるからいいんだけど」
「うーん」
仕事柄、秋人は転勤が多い。案件によって北から南、南から北へと移動し、そのサイクルは早ければ数か月で訪れた。志穂がその環境の変化を面白がったこともあって、冬矢が生まれてからも全国あちこち飛び回り、短期契約の家に仮住まいするような生活を続けていた。
「冬矢は慣れたところをすぐ離れるのが当たり前になってるじゃない。もしかして、何かに固執する感覚がわかんないんじゃないかな」
「すぐ引っ越すから無駄なもの買わないようにしてたし、地元の子との交流もあってないようなものだったし、……やっぱりそれかな」
「一度試してみてもいいのかもしれないね」
志穂の言葉に、秋人は少し考えてから頷いた。
父が単身赴任で南に行く、と告げると、冬矢はただ「ふうん」と言った。秋人はそれが淋しかったらしく、出立の日の朝もしばらく家を出ようとしなかったが、業を煮やした志穂に追い出された。
志穂は腰に片手を当て、もう一方の手を高く突き上げる。
「さ、今日からしばらく2人暮らしよ!」
「どうして急に?」
「ん? たまにはこういう変化もいいかなーって思ったから、かな」
「ふーん」
「それより、お父さんがいないぶん、たくさんお手伝いしてもらうからね!」
「わかった」
返事通り、冬矢はよく志穂の手伝いをした。学校から帰ると、何も言わなくても夕飯の支度に参加してくる。勉強のほうで手を抜くこともなく、出された宿題も志穂が口を出す暇がないほどさっさと片付けていた。
これだけ手のかからない子も珍しいのではないかと思う。ただ、志穂が楽しみにしていた、学校の友達を連れてくるイベントはいくら待っても起こらなかった。外で友達と遊んでいるということならばいいが、帰ってくる時間を考えるとそういうことでもないらしい。今までの生活のせいで友達の作り方がわからないのではないかと心配になる。
志穂はこれも憧れだった、出来たばかりの「同級生のママ友」に探りを入れてみることにした。
「冬矢くんと仲いい子? うーん、特定の誰かと遊んでることはないみたい」
「そうなんだ……」
「あっ、でも、うちの子が言ってたんだけど、角のパン屋さんの娘さんいるじゃない? 冬矢くん、あの子と付き合ってるんですって。恥ずかしくてお母さんには言えないのかな~?」
「え、そうなの?」
正直初耳だった。友達の噂すら聞こえてこない息子に、まさか彼女がいるだなんて。たしかに、冬矢は自分たちの子とは思えないくらい、いいところをうまい具合に足せたのか、華やかで綺麗な顔立ちをしていた。なるほど女子に人気があるのか、と何故か志穂のほうがテンションが上がってしまい、帰ってきた冬矢に直撃する。
「ねえ冬矢、パン屋さんの子、何ちゃんだっけ、お付き合いしてるんですって?」
けれど冬矢は涼しい顔で答える。
「さあ……なんか付き合えって言われたからそうしただけ」
まるで興味のない言い方だった。
「その子のこと、好きじゃないの?」
「向こうはそうなんだって」
冬矢の答えはどこまでも冷めていた。
志穂は顔を曇らせる。さすがに付き合っている子がいて、この反応はどうなのだろう。
同じ場所にとどまるだけでは足りなかったのだろうか。志穂は、もしかして自分がずっと家にいるから友達と遊ばないのでは、という仮説を立てる。そこで、自分も働きに出てみることにした。自分が仕事をしている日は、親が働いている間に子供たちが遊んだり勉強したり出来る放課後児童館クラスに通わせれば、一人きりにすることもない。さらに言えば、少しでも同年代の子と一緒にいてほしかったし、あわよくば友達が出来たらいいという思惑もあった。
志穂の目論見はある意味当たっていたようだ。
遊び回る子たちの輪から外れた部屋の隅で宿題をやっていた冬矢の元に、1人の少年が歩み寄ってきて声をかけた。
「見ない顔だ!」
誰かが近付いて来たことには気付いていたが、冬矢は気にせず鉛筆を走らせる。すると向こうも気にせず椅子を引いて向かいに座ってくる。仕方なく冬矢は顔を上げた。年上だろうか。ひとまわり大きな体に、人懐こい顔をした少年がにこにこ笑っている。
「……そっちも見ない顔だな」
「ああ、道場が休みの週に1日だけここに来てるから」
「ふーん。こっちも通い始めたばかりだからな」
冬矢は再び目を落とす。それは拒否の姿勢だったが、やはりそれも意に介されなかったらしい。
「俺、柔道やってて。大会とか出ると授業遅れたりすることもあるんだよ。だから、ここで勉強したいんだけど、小さい子多くて遊んでばかりだろ。よかったら一緒にやってくれないか」
「……一緒にやれることあるか? 俺4年だけど」
「なんだ、同い年だ。ちょうどいいな。俺、森。森祐樹」
ぱっとさらに表情を明るくし、森と名乗った少年は冬矢に向かって手を伸ばす。名乗られてしまっては、返さないのも失礼だろう。
「……笹原、冬矢」
「笹原か。よろしくな!」
近寄らないでほしいという雰囲気を常に出していたはずだったが、ここまで無視されるのは初めてだ。まあ、週1で勉強に付き合うくらいならそんなに邪魔にもならないだろう。そう思い、森の差し出した手に仕方なく手を伸ばした。
(……馬鹿力。そうか、柔道やってるんだもんな)
それからというもの、森は児童館に姿を現すや否や、冬矢の元にやってきた。最初は鬱陶しかったが、強く覇気のある見た目とは違って穏やかな気性に慣れてくると、なんだか心地がよかった。
森は交友関係も広く、時々児童館クラスに属していない子たちと遊びに来ることもあったが、それに飽きると冬矢の元にやってくる。彼にとっても物静かな冬矢の雰囲気が落ち着くということらしかった。
しばらくしたある日、森がクラスに来るなり切り出した。
「今日、お小遣いの日でさ。新しいゲームで遊びたいんだけど、ゲーセン行かない?」
冬矢は訝しげに顔を上げる。
「小学生だけで行っていいのか?」
「あー、ほら、ショッピングセンターの端っこにあるこどもだましのやつだから」
おまえも子供だろう、と思いながら、冬矢はノートに目を落とした。
「普段一緒に行ってる奴らと行けばいいだろ。まだ宿題終わってないんだよ」
「それがさあ、全員断られちゃって」
「?」
「頼む! 対戦なんだ。1人じゃ盛り上がんないんだって」
「…………わかった。仕方ないな」
「ああ、よかった。ありがとう」
必死に頼み込んでくる森を不思議に思いながら、冬矢は書きかけのノートを閉じる。
まさか、森がゲームのこととなると人が変わる超上級者で、一度ゲームを始めたら何時間でもやめないうえにこの先何年もずっと付き合わされるようになるとは、この時の冬矢は思いもしなかったのだが、それはまた別の話だ。
初めて行った小さなゲーセンで、冬矢はまるまる数時間拘束され、普段児童館を出るよりも帰りが遅くなった。本格的に対戦ゲームをやったのも初めてだったのだが、森のプレイに付いていこうとしていた結果、冬矢もある程度の技を覚えてしまった。森は気分転換だと言っていたが、確かにちょっとすっとした。思っていた以上に音がうるさくて、それには辟易したが、なんだか楽しかった気がしないでもない。
気持ちが表面に出てきてしまったようなふわふわした足取りで、自宅があるマンションに戻る。エントランスの郵便受けを覗き込んで何もないことを確認すると、エレベーターホールに出た。冬矢は、あ、と思う。エレベーターの前に立つ女性の姿に気付いたからだ。出来れば先に行ってほしかったのだが、ガラスに姿が映ってしまっていた。その中で目が合うと、女性が振り向いた。
「こんにちは、冬矢くん」
「……こんにちは」
長い黒髪が揺れる。よく知った顔だ。隣の家の娘さん。母親同士の話から零れ聞いたところによると、たしか大学2年生だったか。可愛らしい雰囲気の人だったが、冬矢は彼女がどうも苦手だった。時折じっと見られている気がするのが、なんとも居心地が悪い。同じエレベーターに乗るのにも抵抗があったが、この状態で避けるのもおかしな話だろう。
下りてきたエレベーターに乗り込む。冬矢は階数表示を黙って見上げた。
「今日は冬矢くん、遅いんだね」
名前……。志穂とも付き合いがある以上、彼女が自分を名前で呼ぶのは当然だった。だが、ちりちりと胸の奥で何かがくすぶる。それを冬矢は「他人に名字でなく名前を呼ばれるのが気持ち悪いんだ」と理解した。その時はそれ以外に考えられなかった。
「冬矢くんってシャイだよね。いつになったら私に慣れてくれるのかな? あ、私の名前忘れちゃった? いいんだよ、ミレイさん、って呼んで」
一方的に話す声を、増えていく数字を見ながら受け流す。短い電子音と共にエレベーターのドアが開くと、
「遅くなったので、早く戻らないと。失礼します」
彼女が何かを言う前にそう告げると、走るように一番奥のドアを目指した。鞄から鍵を取り出して差し込み、回して、ドアを開ける。ただその行為に集中した。
家に飛び込むと、既に明かりがついていた。すぐに奥のドアが開いて、志穂が顔を覗かせる。
「おかえり、冬矢。今日は遅かったね」
冬矢は息を吐くと、今起きた出来事に蓋をした。
「ごめん。ちょっと寄り道してて」
「へー、珍しい。買い物? 何か足りないものでもあった?」
「いや、友達に誘われてショッピングセンターのゲーセンに」
「友達っ!?」
裏返った声を上げる志穂の脇を抜け、冬矢はリビングに鞄を置く。手を洗いに洗面所に行くと、何故か後ろから志穂がついてくる。
「同じ学校の子?」
「いや。放課後クラスで一緒の奴」
「そ、そうなんだ。仲いいの?」
「さあ。まあ悪い奴ではないかな。柔道やってるから週1でしか来ないんだけど」
志穂は、柔道、と小さく呟く。
「もしかして、……森祐樹くん?」
「知ってるんだ」
「え、有名だもん! 神童って言われてる子で、すっごい強いのよ。ケーブルテレビでこの前特集されてて、冬矢と同い年だからつい見ちゃったんだけど、もー、気迫溢れるすっごい試合で。めちゃくちゃ迫力あって怖いくらいだったの。へーえ、そんな強そうな子と、冬矢友達になったんだ!」
跳ねる勢いで話す志穂に、冬矢は首を傾げる。怖い、か。普段の森からは想像できない。
「今度家に呼んだら? 私も会いたいし」
「なんか、そういうのはいいよ」
えー、と志穂が頬を膨らませる。冬矢は洗った手をタオルで拭くと、そのまま踵を返した。
「夕飯の支度途中だよね。手伝う」
「あ、えっと、ありがとう」
冬矢が初めて友人と認めた森の存在は、やがてきっかけになって冬矢の世界を広げていくだろうと志穂は期待していたようだ。その期待は薄々冬矢も感じていた。だが当の本人にとっては、それは大した出来事ではなかった。
それどころか、ひとところに収まっていたせいで、却って人との関係が煩わしくなったと感じていた。今まではすぐに切ればよかったものが、ただ切り捨てては印象を悪くする。後のことを考えるのがこんなに面倒だとは思わなかった。
学年が上がってクラスが変わると、変わった分だけ顔見知りは増えていく。森以外にも人懐こい人間はいるもので、放課後に遊びに誘われることや家に行きたいとねだられることは日を追うごとに増えた。それをいちいち断るのもひどく億劫だったが、自分のスペースに他人がいることに強い抵抗感があったので、どうしても断る必要があった。
元からその傾向はあったが、それに拍車をかけたのはある日の出来事がきっかけだった。
その日、少しだけ体調が良くなかった冬矢は、児童館に行かずにまっすぐ家に帰ることにした。おそらく志穂が戻るまで寝ておけば直る程度の不調だ。もうすぐ家のドアの前に着く、すんでの所で。
手前のドアが開いた。
「冬矢くんだ。こんにちは。今日は早いね」
ミレイは大きくドアを開き、廊下を塞ぐように立った。
「こんにちは。じゃ」
横を通り過ぎようとした冬矢の腕を、彼女の手がぐっと掴む。細い手のどこに、と思うほどいやに強い力だ。顔をしかめる冬矢を、暗い穴のような瞳が見つめる。まさか本当に穴であるはずはなかったが、何故か冬矢にはそう見えた。
「あれえ、なんだか調子悪そうだね。お母さんいないんでしょ。うちでゆっくりしてって」
「ちょっ……離、せ……っ!」
「うふふ、遠慮しないで」
「……ッ」
ぞっとする感覚を覚えたのは、それが初めてだったかもしれない。
────。
しばらくして。
開けたドアを叩きつけるように締め、冬矢は自分の家に駆け込んだ。袖口で乱暴に口をぬぐいながら、鞄を放り投げる。そのまま浴室に飛び込むと、勢いよくシャワーの栓を捻った。頭から冷たい水を浴びると、すべての感触が消えていくような気がした。
(……気持ち悪い)
冷たい手で顔を覆うと、水を吸ったシャツが重しを付けたように腕を引っ張る。
(気持ち悪い)
体が覚えた高揚感とは裏腹に、気分は深く沈んでいく。まるで泥の中にいるようだ。引きずり込まれて、二度と浮かび上がってこられない、底のない泥水。
冬矢はその場に座り込んだ。
なんだか少し笑える。
(今までもつまらないと思ってたけど、ここから先にある“大人の世界”ってこれなのか。なるほど、本当に、…………くだらない)
やたら絡んでくる女子たち。好きだなんだと口ではさも美しいことのように言ってくるが、突き詰めた結果がこれなのか。
馬鹿馬鹿しい。
好いた惚れたなんて関係ない。
こんなもの。
誰とだって出来るじゃないか。
住宅街の中にある一軒家の門から出てきたところで、同じ制服の見知った顔が通りかかるのに気付く。それと同時に向こうも気が付いたようだ。
「あれ、笹原じゃん」
「森? 家こっち方向だったのか」
「もうちょっと向こうだけどな。道場帰りなんだ」
そうだろうな、そういう時間だ。歩き始めた冬矢に、森が足を速めて並んでくる。
「今の家、誰の? もしかして今の彼女か」
「……彼女……なのかな。わからない。そういう話はしてないから」
「そっかー」
森は頷いて、少し声を小さくする。
「いろんな子と寝てて、隣の家の彼女さんってなんにも言わないのか?」
「さあ。あの人、この春就職で出てった。その後は知らない」
「なるほど。それで好きだった彼女さんの代わり探してるってわけか」
冬矢は首を傾げる。
「あの人を好きだったことなんか一度もない」
ただ、体を重ねただけだ。それだけのことだ。求められたから応える、それだけの。
その相手がひとり、またひとりと増えていくたびに、反動のように感情が擦り切れていく気がしていた。いつかきっと何も感じなくなるのだと思う。いや、最初から何も感じていなかったのかもしれない。
そんな感情の薄い冬矢は、凜とした綺麗な顔立ちも手伝ってか、「クールでかっこいい」という女子の評価を受けた。人と関わるのが鬱陶しいと思っている冬矢にとっては真逆の反応だ。だが、もはや切り捨てることに躊躇いがなくなった冬矢は、とりあえず寄ってくるものは拒まないことにした。結果、女子と絶え間なく遊んでいる、告白は断らない、などと噂は広まり、本当に遊ぶだけの相手も増えた。中には本気だった子もいただろうが、正直どうでもよかった。
「真実の愛を探すのは大変だなあ」
軽い口調で森が笑った。
「そんなものを探してるつもりはないんだが」
「まあまあ」
ぽん、と冬矢の肩を叩く。森にとっては軽い力だったのだろうが、冬矢はわずかによろめいた。
「いつか、唯一の誰かに出会えたらいいなあ。おまえも、俺も」
「俺はいいよ。くだらない」
そんなもの、あるわけがないのだから。
真冬の放課後、冬矢は校舎裏に連れ出されていた。帰ろうとしていたところを、無理矢理引っ張ってこられたのだ。相手は、2か月だか3か月だか前に告白してきた先輩の女子だった。ここしばらくは連絡もないから切れたと思っていたのだが。
「どうして連絡くれないの」
「特に用事はなかったから」
「れ、連絡なかったらどうしたんだろうとか心配にならないの?」
「心配も何も、学校には来てただろう」
なるほど、と冬矢は息をつく。急に連絡が途切れたのは、こちらを試していたというわけか。
「笹原くんと私、付き合ってるよね?」
「そういうことになるかな」
「っ、だけど、いつまで経っても家に遊びに行かせてくれないし、名前で呼ばせてくれないし、いつも外で遊ぶかうちでHするかじゃない! それに、してくれた日も、終わったらすぐ帰っちゃうし……。ねえ、私のこと好きじゃないんでしょう!?」
はあ。
今度こそ溜め息になった。
「俺、最初に言っただろ。俺は君のことを好きじゃないけど、それでもいいかって。いいって言ったのは君だろう」
「それでも、途中で好きになってくれるかなって思うじゃない!」
「期待するのは勝手だけど」
「……最低!」
平手が飛んできた。それをあえて冬矢は避けずに受ける。彼女は、ぐるりと背を向けると小走りに校舎の向こうに消えていった。
こういう時、避けると話がこじれる。はたかれてやれば向こうの気もある程度晴れるものだ。いつもそれでやり過ごしてきた。
(このやりとりも飽きてきたな)
毎度毎度同じパターンの終わり方。これがずっと続くのだろうか。
余計な時間を使ってしまったな、と思いながら、冬矢は逆方向から校門に向かう。鉢合わせになってはさらに面倒だ。校舎を回り込んで、昇降口から校門に向かって延びる道に出ると、まだ下校途中の生徒がたくさんいた。これなら顔を合わせても知らないふりが出来そうだ。
その時、後ろから誰かが肩にぶつかった。咄嗟にそちらを見ると、日に焼けた健康そうな男子生徒が、申し訳なさそうに立ち止まるところだった。
「あ、ごめんなさい! 急いでたもんで! ケガない? よね? よかった! ごめんなさい!」
口を挟む隙もなくそう言って何度か頭を下げると、また勢いよく走って行く。思わず目で追うと、前を歩く男子生徒にそのままの勢いで飛び付いていった。
「よかった間に合ったー! 蒼生、一緒に帰ろ!」
「うん」
呆気にとられる冬矢の後ろで、誰かが話しているのが聞こえる。
「相変わらず寺田と野木沢って仲いいのな」
「幼馴染みなんだろ?」
「それにしても距離近すぎねえ?」
なるほど、幼馴染みか。冬矢の周りにはそういう関係に当たる相手がいないから、どういうものかはわからない。けれど、子供のうちにあれだけ仲がよくても、大きくなればまったく別の道に進んでいくのだろう。
すべての関係は、ほんの一瞬だけのものだ。永遠には続かない。
(……今日は冷えるな)
歩き始める、落とした視線の先は、灰色に舗装された地面。
「寒い……」
吐いた息も灰色だ。
そしてすぐ、透明な空気に溶けるように消えていった。
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