高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2023年12月14日 21:39    文字数:30,118

28こ目;Powder Sugar Waltz 第6話

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蒼生と出会って、自分の知らなかった自分を知ってしまい、戸惑う冬矢。
一緒にいることは嬉しいけれど、それでもずっと引っかかっていることがある。
「本当にこれでいいのだろうか」……。

『Powder Sugar Waltz』最終回です。(やっぱりシリーズは続きます)

↑初公開時キャプション↑
2021/12/3初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
冬矢回の最終回です。この表紙もこれで最後だと思うと寂しいですね。
1 / 1
 蒼生と出会ってから、俺は自分の中に知らない感情が山ほどあったことを知った。まず真っ先にわかったのは、自分の心の狭さだ。付き合っていた彼女が他の男と一緒にいようが手を繋ごうがまったく気にもならなかったのに。今俺は、教室の後ろ、壁際で蒼生と話しているクラスメイトの男に「早く終わらせろ」と念を送っている。そんなくだらないことをする人間だったんだな、俺は。
 そいつの話は、ロングホームルームで出された、各々が1冊ずつおすすめの本を紹介するという課題についての相談のようだ。わかる、読書量が多いうえに図書委員の蒼生は、相談役として適任だろう。普段本を読まない奴にとっては結構厳しめの課題だからな。当然、健太も蒼生に泣きついていた。それが理解出来るのに、蒼生から早く離れてほしいと思っている。
 両手を合わせて礼を言うそいつに、蒼生は笑って首を振る。やっと終わったか。鞄を持って立ち上がり、蒼生が戻るのを待つ……と、横から突進してくる影。それは遠慮なく蒼生に覆い被さった。もちろん健太だ。そうでなければ、咄嗟に引き剥がしていた。
「あれっ、健ちゃん、まだ部活行ってなかったの? 遅れない?」
「今から行くとこ。寒いから蒼生にパワー分けてもらおうと思って」
「はいはい。好きなだけ持ってって。頑張ってきてね」
 ……時々健太が羨ましくなることがある。あれだけ素直に抱きつけるんだからな。場所も時間も気にしないのはどうかと思うこともあるが、それが積み重なった結果、もうクラスの誰ひとりとして何も思わなくなっているようだ。継続はなんとやら、と言ってしまっていいのかはわからない。だが、今更俺が突然そんな態度を取ったら、明らかに奇妙に見えるのはたしかだ。健太がああいうキャラだっていうのもあるんだろうけどな。
「んじゃ、マジで行ってきまーす。ありがと蒼生!」
「また明日ね」
「冬矢もまたなー」
「おまえが持ってった分はちゃんと補充しておくから」
「……ぐっ……」
 健太は悔しそうに顔をしかめると、本当に時間がギリギリだったのか、そのまま教室を飛び出していった。その背が見えなくなるまで、蒼生はひらひらと手を振っていた。
「蒼生、帰ろうか」
「うん」
 蒼生は綺麗な顔で笑った。

 電車のドアが音を立てて閉まる。蒼生はちらちらと周囲を確認してから小さく息を吐く。それから、わずかに頬から力を抜いた。
 俺にはその意味がすべてわかる。周りに知っている人がいないことを確認して、外向けの自分をオフにしたんだよな。知った人間が俺しかいないから、じゃない。周りに誰がいようと俺がいるから、だ。この、蒼生が警戒を解く瞬間が好きだった。実際はそうでなくとも、俺の腕に飛び込んできてくれたような感じがする。
 次の駅に着き、反対側のドアが開く。今日はやけに乗り込んでくる人数が多いな。
「蒼生、こっち」
 腕を引いて壁際に寄せ、その前に立つ。蒼生は次々と入ってくる人の波を眺めながら小さな声で、
「ずいぶん人、多いね」
 と言った。この音量でも聞こえる距離。
「もしかしたらホールで何かイベントでもあったのかな」
「ああ、そっか。この駅が、っん、最寄り駅、だったっけ」
 壁際、見えないほうの手で腰を抱くと、蒼生はぴくんとわずかに身じろぎをする。
「乗換駅でちゃんと降りられればいいんだけどな」
「っ、たぶん、みんな降りるから、大丈夫じゃない?」
 可愛い可愛い俺の蒼生。挟まれたほうの腕がわずかに動いて、俺のズボンを軽くつまんで引っ張ったのが感触でわかる。それから、一瞬だけ、肩に頬を寄せる。意識しての行動なのかどうかはわからない。はっきりしているのは、俺が触れるのを蒼生は嫌がらない、ということだ。
 本当はもっと触れたい。鞄を放り投げて、両腕できつく抱き締めたい。体のすべてで蒼生の熱を味わいたい。だが、そんなことをしたら、もっと欲しくなってしまう。止められなくなってしまう。もどかしいのはそこだ。本能に従いそうになる自分に、理性が「どこで?」と問いかける。蒼生の家は家族がいる。ホテルに行けるような自由な経済力はないし、そもそも未成年で高校生の男がふたりで入れるかという問題もある。公共の場所なんてもってのほかだ。結局、俺の家に誰もいない日を選ぶしかなかった。それも、蒼生の体力を考えれば、一晩母さんが帰ってこない日に限られる。第一、終わって蒼生を家に帰すなんて、それこそ体だけが目的みたいじゃないか。
 長期的に考えていることはある。けれど、俺は「今」も蒼生が欲しい。
 蒼生と一緒の通学時間は短い。あっという間に終わってしまう。地元の駅に着いて、蒼生の家に向かう曲がり角が見えてきても、……離れたくない。もっと一緒にいたい。
「ね。文房具屋寄るんだけど、一緒に行こう?」
 地面を見ていた蒼生がぱっと顔を上げた。
「うん、行く」
 蒼生もそう思ってくれているんだろうか。
 俺たちは、駅からさほど離れていない、細長いビルに入る。古くからある文房具屋で、地元で育った子供たちは必ず世話になったと言われる店だった。華やかな流行りものの文房具こそないが、マニアックな画材も置いてあったりするので、ファンが多いらしい。蒼生も小学生の頃から通っているんだそうだ。俺だって時々来ていたから、もしかするとすれ違っていたこともあるかもしれない。その頃に出会っていたかったと思うのは、やはりこれも健太を羨んでいるからなのだろうか。
「何を見に来たの?」
 ペンの棚の前で立ち止まった俺の腕越しに、蒼生も棚を覗き込んでくる。
「ペンのインクがなくなっちゃいそうだったから、補充しに」
「冬矢ってペンのほうが好きだよね」
「はっきり筆跡が残るのが好きなのかもな」
 詰め替え用リフィルの並んだ棚を1つ1つ見ていくが、上のほうにはない。どんどん辿る視線が体ごと下に行く。こだわった結果、メジャーな路線からずれてしまったせいか、毎回探すのに苦労するのが困りものだ。
「あった、これだ」
「ねえ、それって使いやすい?」
 頭上で本体のほうを興味深げに眺めていた蒼生が、ラベルのあたりを指で辿る。
「ああ、乾きやすくてインクが擦れないのと、字が細くて書きやすいよ」
「そっかあ。僕も使ってみようかな」
 ふーん?
 俺は、見上げる角度を堪能しながら、蒼生に笑いかける。
「お揃い、か」
「へっ!?」
 ぎょっとしたように蒼生は俺を見る。さっと頬が朱に染まった。
「そっ、そういうわけじゃなくて、あの、使いやすいペンとか、僕も探してたから、あの、えっと」
 ふふふ。照れた顔も可愛いな。
 挙動不審の蒼生は、そうやって少しきょろきょろとあたりを見渡した後、突然しゃがみこんで俺の目を覗き込んできた。
「で、でも、そういうわけじゃないけど、お揃いは、嬉しい。……こどもみたいなこと言っておかしいと思うけど、一緒はなんだか安心するから」
「……そうか」
 戸惑ったような、上目遣いの視線。
 ああ、好きだ。
 どうしようもなく好きだ。
「蒼生、お揃い好きだからな。俺も蒼生と一緒は嬉しいよ」
 蒼生はふんわりと笑って、グレーのマフラーをぎゅっと両手で握りしめた。

 文房具屋を出たところで、俺は蒼生に向き直る。今更もう隠すこともない。
「あったかいものでも飲んで行かない? もうちょっと一緒にいたいから」
 すると、ぴょんと跳ねるようなしぐさをした蒼生が、はにかんで笑う。
「嬉しい」
 そうか。嬉しいのか。
 ああ、駅前でなければ手を繋ぎたいところだ。
 ここからすぐ近くに、2階建てのカフェがあった。本当はもう少し奥に行けば、母さんに連れられて何度も行ったカフェがある。そっちにいつか蒼生を連れて行きたいと思っているんだが、オーナーと知り合いになってしまったため、ふたりきりだと少々行きづらい。バイトに誘われてもいるから、働き始めて慣れて来たらいずれ招待するとして、今日は気軽なほうにした。
 1階のカウンターでメニューを眺め、蒼生の好みを聞くと、背中をぽんと叩く。
「席、探しておいて」
「えっ、でも、注文……」
「俺がしておくから」
「だけど」
「付き合ってもらったからそのお礼。ね? スマートに決めようとしてるんだから意を汲んでくれると嬉しいんだけど」
「うう……」
「健太には内緒、な」
「!」
 名前を出すとぴくんと肩が揺れた。ふふ。ようやく、ふたりっきりのデートだってことが実感出来たかな。本当はもっと、1日中……いや、ずっと一緒にいたいのに。今はこんな短い時間だけだ。いつか。絶対にいつか。
 ちらちらとこちらを見ながら2階へ続く階段を上っていく蒼生を見送ってから、カウンターで注文を済ませる。
 ……健太には内緒、か。たぶん俺には黙っている健太との“内緒”もあるんだろうな。俺たちは、3人で付き合ってるということになっているが、厳密に言えば俺と蒼生が、健太と蒼生がそれぞれ付き合ってるわけだ。俺たちがそうなら、健太とも当然恋人同士なのだから、ふたりだけの秘密があっても何の不思議もない。別に何をしていてもいいと思う。3人でなければデートも駄目、だなんて決めたことはないしな。そんな縛りを作っては、全員息が詰まるだろう。そのあたりはふんわりさせておいていいんだと思う。
 そもそも、あいつが蒼生に無茶なことをするはずがない。俺に対しても、3人の関係が崩れるような隠し事はしていないだろう。なにせ、蒼生も健太も嘘をつくのが下手だから。
 まあ……これが正しい形だとは言わない。3人で付き合うなんて、やっぱり歪だ。かといって、じゃあ健太に蒼生を譲るかと言えば、それはまったくの別問題だ。蒼生のことを好きだという気持ちが、あいつに負けているとは思わない。
 トレイにカップを2つ乗せ、2階に上る。時間帯のせいか、席はほどよく空いていた。繁華街でもない駅前の夕方なんてこんなものだろう。その中で、蒼生の姿はすぐに見つかった。窓際の4人掛けのソファ席、奥に座った蒼生はじっと窓の外を眺めている。
「蒼生」
 声をかけると、振り向いて小さく首を傾けた。何の警戒感も抱いていない仕草。
 この席が視界に入る位置に客はいない。俺は向かいではなく、蒼生の隣に座った。蒼生は目を丸くしてから、反対側に首を倒す。ふふ。
 カップを目の前に置くと、わずかに肩の線が上がる。
「ありがとう。……今度、僕がなんかすごいの奢るからね」
「ふ。いいよ。どうせだったら、カラダで返して」
「かっ……ら、だ!?」
 文字通り蒼生が飛び跳ねる。ああ、もう。
「可愛い。……冗談だよ」
「と、冬矢は平然とそういうこと言う……」
 握りしめた右手を左手で包んですり合わせる。もじもじしちゃって、可愛いな。もちろん冗談なんかじゃないのはわかってるんだろうか。纏う空気がぽっと暖かくなった。
 俺は、性欲がないほうだと思う。今まで手を出してきた子の数を考えれば、誰に言っても信じてはもらえないだろうけど。別に、したくてしてたわけじゃない。そうしてほしいと言われれば、生理的な反応で対応していた、それだけだ。布越しならともかく、直接肌を合わせる感覚は、はっきり言ってあまり気持ちのいいものではなかった。いつもただ無言で相手に合わせるだけだった。楽しいと思ったことも、嬉しいと思ったこともない。その感覚が残っているから、正直、蒼生とさえセックスはしなくてもいいと思っている。蒼生とは一緒にいるだけで心地いいし、体温を近くで感じるだけで気持ちいいし、それで満足できるからだ。
 なのに。どうしてだろう。こうやって直接顔を見てしまうと。隣にいてしまうと。……触れたくて仕方がない。そのたびに、初めて触れあった時の、心の一番奥底から溢れてくる未知の衝動が、脳内で鮮やかに再生される。耳元で聞く昂った声に泣きそうになったことも。真正面から至近距離で見た潤んだ瞳に胸が潰れそうになったことも。
 今すぐこのまま、抱いて抱いて抱き潰して、蒼生の中を俺でいっぱいにしたい。こんな感覚、今までに味わったことがない。蒼生だけだ。ただひとり、蒼生だけに。
 衝動に飲み込まれそうになるのを堪え、蒼生の頭を撫でる。蒼生が小さく息を吐いたのが分かった。
「ところで、何を見てたんだ?」
「うん、あれ」
 蒼生が窓の外、下のあたりを指さす。隣のビル1階のショーウィンドウがちらりと見えた。ピンクの壁紙に、茶色のリボン、それから銀の箱。……なるほど。
「もうこんな季節なんだな、と思って」
「バレンタインデーか……。蒼生にはいい思い出になるようなことあった?」
「あ、ない前提で聞いてるね」
「好きじゃなさそうだと思って」
「バレてるなあ……」
 そっと手を伸ばし、蒼生はテーブルの上のカップを取る。そして、「いただきます」と呟いてそっと唇をつけた。
「小学生の頃、やたら義理チョコが流行ったことがあって。向こうがとにかく数を渡すことにこだわるっていう謎のムーブが起きたんだよね。中にはクラス全員に個別包装の小さいチョコ配る子もいてさ」
 ふーん。蒼生も発端の一部な気がするけどな。ひとりに渡すと目立つから、周りにも配るという心理が透けて見える。
「でも、貰ったからには返さなくちゃいけないでしょ。だからお小遣いはたいてお返し用意して……それでも足りないから親に前借りすることになって、しばらくおやつも買えない事態が続いた記憶が鮮明に残ってるんだよね。中学入ったらそこまでではなくなったけど、小学校時代の知り合いも多かったから、やっぱり……」
「中には本命だった子もいたんじゃない?」
「……え?」
 思いもよらなかったように目を丸くすると、すぐに笑って片手を振る。
「ないない。みんな他の子にも渡してたもん」
 まあ、蒼生はそう理解するだろうな。大多数が「もしかして自分だけは本命なのかも」と思うシチュエーションでも、蒼生には届かない。その可能性を最初から否定、いや拒否しているせいだ。
 わずかに目を伏せ、どこか遠くを見るようにして蒼生はカップを握る手に少し力を込めた。
「今思えば、同時に告白してくる子もいたっけ。……そっか、もしかしたらそういう子もいたのかも。だけど、僕には、それが煩わしかった。好かれてるなんて鬱陶しいと思ってた。僕のことなんて見ないでほしかった」
「蒼生……」
 俺の声に、はっとしたように顔を上げ、持っていたカップをテーブルに置く。それから上半身を捻るように俺のほうに身を乗り出した。
「あ、の、今は違うよ? す、好きって言われるの、好きだし、嬉しいし、……ず、ずっと見ててって思ってる」
 ほんのり赤い頬に、真剣な目。素直に、嬉しいと思った。俺に誤解されたくないと思ってくれたのが嬉しいのと、今までの蒼生だったらはっきりと口にしなかっただろう言葉をくれたことが、どうしようもなく嬉しい。
 ああ、好きだな。
「たぶんなんだけど。蒼生には自分が向けている矢印がちゃんとあって、なのに後ろから刺してくる矢印が苦手だったんだと思うよ」
「え?」
「きっと俺の矢印は、蒼生の正面から刺さってる。ね?」
「……そっか。そうだね。えへへ。うん」
 ぽっとさらに頬を赤くして、くすぐったそうに笑う。可愛い。
 それから、きっと。蒼生の矢印は、今、おそらく。願わくは。
 思わず伸びそうになった手から、蒼生は弾かれるようにして脇によけた。嫌がられたわけじゃないことは、俯いた首筋の火照った感じとそわそわと動く指先でわかる。うん。照れてるだけだね。
「え……っと、僕はともかく、冬矢もお返しとか大変だったんじゃない? 前に手作りで返したことはないって言ってたよね、きっと数も多かっただろうし」
「数で言ったら、ほとんどないんじゃないかな」
 言うと、途端に怪訝な表情になる。
「冬矢みたいなイケメンがそんなことある?」
 なんて言ったらいいんだろう。蒼生の誠実さと比べると、俺の行動がひどく冷たいものに見える。いや、実際思い返してみると、ずいぶん冷たく接してきた自覚はある。少し言葉を選ぶ必要があるな。
「小学生の半ばくらいまで、短期間で引越ししてた話はしたよね」
「うん」
「2月にいる場所に、1か月経つといないこともあって、貰ってお返しするっていう習慣が身に着かなかったんだ。それで転校しないで3月を迎えた時に、お返しをくれなかったって大騒ぎされたことがあって。それ以降、全部貰うのを断ることにしたんだ。だから、返すこともほとんどなかった」
「……なるほど。毅然とした態度で断るって手もあったのかあ」
 結局、貰ったものに対して何もしていないのは事実だ。蒼生がそこに突っ込んでくれば正直に明かすつもりだったが、蒼生はそれ以上聞いてこなかった。なにより、断っていたことをそのまま受け止めてくれたことにほっとした。
 それにしても、あの騒動にはうんざりしたな。俺が欲しいと言ったわけではないのに。いや、受け取った当時の俺も悪かったんだろう。今ならそう思う。それ以降、直接渡してこようとする子には断り、間接的に置いてあるものについては完全にスルーしてきた。
「一度、森に言われたことがあったな。さすがに付き合ってる子のはもらえばいいのにって。だけど返す時期に別れてたら余計に面倒だし」
 そんな状況になったら向こうだって困るだろうからな。
 蒼生が緩く指を組んだ。目線がテーブルの端を撫でる。
「……蒼生?」
 ぴくん、と小さく肩が揺れた。
「うん?」
「どうした?」
「なんでもないよ」
「なんでもなくないだろ」
 戸惑ったような沈黙。蒼生の目は手元に落ちたままだった。
「んー……あの、その、……カノジョの話、どんな顔で聞いたらいいかわかんなくて」
 !
 しまった、油断した。
 蒼生にははっきり話さないようにしていたのに。
「ごめん」
「あ、ううん、謝んないで。聞きたがったの僕だし。お付き合いしてるカノジョがいたのは知ってるし。過去のことだっていうのも十分わかってるし。……なのになあ……あー、ごめん」
「いや、俺が悪い。ごめんね」
 組んだ手に、左手を重ねる。それから右手で肩を引き寄せる。蒼生は、されるがままに俺の肩に頭を乗せた。
「うう、僕って嫉妬深かったのかも……」
「ついでにもうひとつ謝ってもいい?」
「?」
「……ごめん、蒼生が嫉妬してくれて嬉しい、って思っちゃった」
 目を瞬かせる蒼生。それから、困ったように笑って、頭を肩に擦り付ける。
 可愛い可愛い俺の蒼生。
 これからはもっと気を付けるようにしよう。


 バレンタインデーも直前に迫ってきた。俺はキッチンの端の棚から、古いレシピ本を取り出す。この家にしばらく根を張ると決めた時に、母さんが買ったオーブンの付録としてついてきた本だった。母さんが働きに出てからは自分で夕飯を作るために見ることもあったけれど、真剣に目を通すようになったのはここ数年のことだ。ソファに座り、なんとなくデザートの項目をぱらぱらとめくり、ひとつ息をつく。
 今まで、イベントごとなんて意識してこなかった。相手に何かしてあげたいなんて思いになったのは本当に蒼生が初めてで、どうしたらいいのかがよくわからない。いや、まったく意識しなかったわけではない。蒼生と出会ってから、バレンタインデー当日を外して、さりげなくチョコは食べさせていた。蒼生が甘いものが好きだというのは知っていたからな。中2の時はコンビニで売っているような小さな箱入りのチョコを半分こにした。中3の時はトリュフチョコを作って、やっぱり半分に分けた。たしかどちらも「貰ったもののお裾分け」と言い訳したような気がする。蒼生はそれを疑っていなかった、と思う。
 蒼生がどういうふうに当日を過ごしていたかは知らない。この前の話から察するに、渡されるものをとにかく貰って困っていたようだが、蒼生自身は何をしていた? 少なくとも俺がなにかしてもらうことはなかった。健太相手にはどうだったかわからないが、無自覚同士が何かしていたなんて考えられないから、おそらく蒼生から動くことはなかったと推測する。
 そんな蒼生に何をしたらいいだろう。恋人同士になった以上、イベントは避けて通れない。違うな、避けて通りたくない。何かしたい。喜んでほしい。笑ってほしい。
 クリスマスなんてわかりやすいイベントはいいんだ。問題はこのバレンタインデーというやつで、女子から男子に送るようなイメージがついてしまっている。だとすれば、俺はどう捉えるべきなんだ? ひとりだけ盛り上がってしまうのも少々違和感があるんだよな。
 …………待てよ。蒼生から何も……?
 去年の冬。俺がトリュフを蒼生の口に放り込んだ時。蒼生らしくてすっかり通常の記憶として流していたけれど、あの時蒼生は持っていた板チョコを俺にくれたよな。
「早速、お返し」
 そう言って笑いながら。板チョコが1枚、偶然鞄の中に入ってることってそんなにあるか? あれは、蒼生からの好意だったんじゃないのか? たしか、ホワイトデーの時にも「準備したのが余っちゃって」と小さなプラスチックのパッケージに入ったキャンディーをくれた。リンゴのキャンディーだ。あのきっちりした蒼生が余らせる?
 考えれば考えるほど、蒼生の想いを受け流してきたような気になってくる。たしかに友達でいなければと自分を抑え込んでいた時期ではある。だが、本当にそうだとしたら、俺は鈍感すぎやしないだろうか。
 居ても立っても居られない。マフラーと鞄を掴むと、急いで玄関に向かった。

 母さんはリビングのドアを開けるなり、
「すっごいチョコの香り!」
 と大きな声を上げた。
「ごめん。キッチン使ってる。あ、おかえり。……夕飯のことすっかり忘れてたな、こんな時間か。レトルトでもいい?」
「ただいま。それは……全然構わないんだけど……なになに?」
 鞄もおろさないままで母さんがキッチンを覗き込んでくる。
「ブラウニーだよ」
「へえ……なんだか本当に最近おしゃれなもの作るようになったよね。えっ、もしかしてバレンタインの?」
「いや、んー……。なんていうかな」
 結局、俺はこのイベントを「恋人に日頃の想いを込めたものを贈る日」と解釈することにした。チョコレートだとあまりにそのままな気がして、このくらいなら大仰にならないだろうとブラウニーを焼こうと思った。
 だけど、そうだよな。第三者の目から見たらバレンタインの準備以外の何物にも見えない。しかも事実だし。だが、蒼生のことを母さんに話していない。蒼生に無断で話すべきではないと思うからだ。どう説明したらいいんだろう。
 母さんは、黙り込んだ俺を見て頷いた。
「まあ理由はどうでもいいか。美味しそうだし。あ、さては私への感謝の品かしら」
「…………うん」
「ずいぶん間が開いたわぁ……。いいのいいの、まだ私に紹介してくれてない大事なお友達くんにあげるんでしょ。甘いものが好きな子みたいね」
「……っ」
 さらりと言った母さんに、なんだか……肩の力が抜けた気がする。……いつか、ちゃんと紹介……してもいいのかもしれない。
「味見する分くらいならあるよ。はい」
「あら嬉しい。いただきまーす。……あ、美味しい。え、ほんとに美味しい」
「よかった」
 突然、母さんが携帯電話を取り出し、壁のカレンダーと見比べ始める。次に何を言い出すのかがなんとなくわかった。
「あのね、冬矢くん」
「はいはい、父さんのところに持ってきたいんだろ。いつ? 当日?」
「話早い! 当日~……はちょっと予定読めないから、翌週かな。その日なら金曜日に仕事先から直接父さんのとこ行けるから、木曜日に作ってくれたら嬉しいな」
「了解」
「金曜発で日曜戻りの便取れるかな……。冬矢の手作りって言ったら父さん大喜びよ」
 2つ目に手を出しながら母さんはにこにこしている。夕飯前なのにな。とりあえずなくならないうちに、本命の分はちゃんと避けておこう。


 学校で渡すのは人目があるし、帰りだとタイミングを逃す可能性がある。一番確実なのは朝だろう。そう思って、蒼生が家を出るだろう時間より早めに家を出た。すっかり慣れた道だが、角度が違う朝の光は、それだけで違う景色に見えてしまう。蒼生の家の前まで来ると、計ったように隣の家のドアが開いた。
「げっ」
「チッ」
 健太の漏らした声と俺の舌打ちが被る。
「朝練はどうしたんだよ」
「今日はねえんだよ。顧問の出張でこちとら1日フリーだ」
「ずいぶん都合がいい部活だな」
「日頃の行いがいいもんで」
 蒼生に会いに来たのに。なんで俺は朝から健太と睨み合っているんだ? 不本意なんだが。
 近くまで歩いてきた健太が、ふっと目をそらす。
「そういえばおまえさ、バイト何回か行っただろ」
「? ああ。それが何か?」
「か、可愛い子とかいたりすんのか」
 は? なんだって? 突然ずいぶんと突拍子もないことを言い出すじゃないか。
「質問の意図が見えないんだが。……おまえ、蒼生がいながら他の子が気になるとか言うんじゃないだろうな? 蒼生を傷付けるつもりなら許さないからな」
「違ぇよ! おまえだよおまえ! 別の環境で目移りしてんじゃねえかって心配してんだよ!」
 そこまで聞いても、何故健太がそんなことを言うのかがわからない。
「世界で一番可愛い蒼生がそばにいるのに、他の子が目に入るわけないだろ」
「……まあ、そうか。世界一可愛いもんな」
「当たり前のことを聞くなよ」
 おかしな奴だ。
 当の蒼生は、そのやり取りのさなかにぽんと降り立つようにドアから出てきた。想定していた時間通りだ。
「……へ? どういう状況?」
 俺たちに気付くなり、不思議そうに首を傾げた。それから小走りにこっちに向かって駆けてくる。おはよう、と挨拶を交わすうち、その表情が溶けるようにふんわり緩んでいく。途端、ささくれ立った気持ちがすっと和む。どうやら隣の健太も同じらしかった。
 どうせ目的も一緒だろう。早速、鞄の中からこげ茶の包装紙でラッピングした箱を取り出す。一拍遅れて、健太も円筒型の赤い包みを出した。それを、蒼生に同時に差し出す。
「えっ。……あ、ありがとう」
 蒼生は両手で受け取ると、にこにこと嬉しそうに左右の手を見比べた。
「健ちゃんの、これ、僕が好きなお店のショコラクッキーだ」
「限定品だって。蒼生にあげたいなって思ったから」
 そうか。こいつ、バレンタインは誰が誰にあげるべきかなんて、そういうこと全く考えてないのか。蒼生にあげたい、ただそういうまっすぐで素直な気持ちなんだな。やっぱり俺は健太が羨ましい。
「冬矢の……」
「ブラウニー焼いたんだ。よかったら食べてほしい」
「ふふ。うん。絶対美味しいやつだ」
 何度も何度も頷いて、蒼生はそのふたつをとても大事そうに胸元で抱き締める。
「嬉しい。どっちも本当に嬉しい。ありがとう」
 もう、それだけで満たされる。蒼生の傍は、こんなにも暖かい。
「あ、の、それでね。えっと……」
 小さく頭を振った蒼生が、丁寧に俺たちが渡したものを鞄をしまう代わりに、可愛らしい水色の箱をふたつ手に取った。
「ぼっ、僕も悩んだんだけど、やっぱりいつもありがとうと大好きの気持ちを込めて……っ」
「蒼生……」
「やっべめちゃくちゃぎゅーってしたい……」
「あっ、ちょっと外なので……」
 ああ。
 そうか、形はともかくとして、大好きを伝えたいのは、俺たち3人とも一緒なんだな。

 駅へ向かう道を3人でゆっくり辿る。時間に余裕があるからというだけではなく、俺たちが蒼生の暖かな雰囲気の余韻に浸っていたかったからだと思う。今がチャンスなのかなと思って、俺は蒼生の袖を引いた。
「なあ蒼生」
「うん?」
「勢いで聞くんだけど、中3の時俺にくれたチョコってさ。あれ、俺宛だった?」
「…………っ」
 蒼生は明らかに狼狽えて指を躍らせ、それを隠すように両手を組む。
「冬矢は……いつも僕に親切に色々してくれるから……喜んでほしいなって思って、買ったんだけど。でも、きっと他の子からたくさんもらってるだろうし迷惑かなって思ったら渡せなかった……」
 そうか。だから俺に「お返し」の体裁を取って渡してくれたんだ。
「ホワイトデーのキャンディーも?」
「うん……」
 指に力を入れて、蒼生は俺の顔をちらりと見た。
「冬矢のほうこそ。もらったの分けてくれたって言ってたけど、この前全部断ってたって言ったよね。やっぱり、僕のために用意してくれてたんだ」
「そうか……そうだよな、あの話したらバレるよな。はっきり言えなくてごめんね」
 もしもあの時、素直に気持ちを全部話せていたら、蒼生は受け止めてくれただろうか。友人だと思おうとしていた俺と、友人だと思っていた蒼生では、何も起きなかった可能性はある。でも、逆の可能性もあったわけだ。
 ぐい、と俺と蒼生の間に健太が割り込んでくる。
「いーなぁ。俺も蒼生から欲しかったなあ」
「そういう雰囲気なかったからね。でもお互いにもらったやつ分けっこして一緒に食べたりしてたじゃん」
「……なるほど、そうだな」
 健太はあっさり引き下がる。たしかにそうやって一緒に過ごすのもいいだろうな。
 ふう、と蒼生は短く息を吐く。
「そんな感じだったから、僕もさすがに2月だけは甘いもの苦手になるんだよね」
「あはは、あの量だもんなあ」
「ちゃんと食べてたの? それは大変だ」
 笑う俺たちに、蒼生が無邪気な顔を見せる。
「でも、もうそんなことはないもんね」
 ……ふふ。そうだね。

 蒼生の委員会もなければ健太の部活もない。休み時間は席を外し、昼は学食へ、帰りは急いで学校を出る。男子生徒が多く教室に残っている状況は、逆にとっとと帰るには目立たなくてよかった。
 それでも声をかけてくる子たちはいた。俺はいつも通り、だが角が立たないように丁寧に断った。健太もいくつか断ったらしい。俺といる時に蒼生が声をかけられることもあったが、
「ごめんなさい。本当に受け取りたい人がいるので」
 そうはっきり伝えていた。優しい蒼生にとって、それはとても勇気のいることだったと思う。俺は感心したし、誇らしくも嬉しくもあった。蒼生は、本当に、俺たち以外から受け取る気がないんだ。
 無駄な接触を避けるために急いで帰ったせいで、課題を蒼生と一緒に出来なかったのは誤算だったけれど、今日くらいは仕方ないかもしれない。ここ最近ひとりで復習することなんてなかったからなんだか味気ない気がするけどな。そのせいかやる気が出なくて、課題の確認をしたのは短針がだいぶ上を向いた頃だった。鞄の中から教科書を出し、…………。
 ん? おかしいな。ペンケースがない。教室の机の上にあったはずだ。蒼生と一緒に急いで片付けて、帰る際に見た時は机の上には何もなかった。もしかして、ばたばたしていたから、蒼生の荷物に紛れてしまっただろうか。土日を挟むとはいえ、家に文房具はあるわけだから、急ぐ必要はない。でももし蒼生が持っていて、俺のペンケースがあることに気付いたら、きっと蒼生は気にしてしまうだろう。一応連絡を入れておくか。
 蒼生からの返信はすぐあった。
『わかった。すぐ確認するね』
 急がなくてもいいよ、と返事をしようとすると、次のメッセージが入ってくる。
『鞄の中に入ってたよ。ごめんね。いそいでなけ』
 蒼生?
 途中でボタンを押してしまったのかとしばらく待ってみたものの、続きはなかなか届かない。仕方なく、「月曜日でいいよ」と送っておいた。
 結局、蒼生の返事は翌日明るくなってから届いた。
『昨夜は途中で間違えて送信しました。ごめんなさい。明後日学校に持っていきます』
 嫌な予感しかしない。


 週明け。駅前で待っていた俺に気付いた瞬間、蒼生は顔を赤くして、健太は白々しいとぼけ顔で、同時に目をそらした。
 やっぱりそういうことか。
 本当にこのふたり、嘘がつけないな。
 俺が笑ってみせると、合わせたようにびくりと肩を揺らした。やれやれ。
「……3人じゃないと駄目だって決めた覚えはないから、いいけどな」
 蒼生の顔を覗き込む。
「蒼生?」
「……はい」
「週末、俺の家ね」
「……はい」
「えっオレ予定入ってるんだけど!」
「健太の予定は聞いてない」
「デショウネ」


 雪が降っていた。景色は灰色で、ぼそぼそと傘に降り積もる白は、影になってやはり灰の色合いだ。
 一度家に帰った蒼生とは、駅前で待ち合わせた。初めて蒼生を家に呼んだ日と同じ場所。あの日蒼生を待たせた俺は、今日は蒼生を待つ側だ。
 やがて現れた蒼生は、鮮やかな空色の傘を傾けて笑う。
「ごめんね、おまたせ」
 同じ店で夕飯を仕入れ、俺たちは家路を急ぐ。季節が違うから、あの時とメニューは違うけれど。
 家に入ると、温めていた空気に蒼生は大きく息を吐いた。
「……怒ってる?」
「え?」
 俺にとって、それは予想外の言葉だった。が、考えてみればそうかもしれない。俺の認識そのままに蒼生が思っているわけではないのだから。蒼生は蒼生なりにこの1週間考え込んでいたんだろう。
「この前も言ったんだけど、本当に怒ってないよ。俺たちは3人で付き合ってるけど、健太が蒼生と付き合ってるっていう事実もちゃんと尊重してる。もちろん、その分俺との交際も健太には尊重してもらわなきゃ割に合わないけどな」
 買ってきたものをダイニングのテーブルの上に置く。
「ただ、いつかふたりきりで一夜を過ごしたいなって俺も思ってたんだよ。先を越されたことは、正直、悔しい」
 蒼生は困った顔をする。だから俺はそっとその髪に触れた。
「でも蒼生は気にしなくていいんだ。こういうのってタイミングだからね。むしろ独り占め出来る日を、思ってたより早く迎えられたのが嬉しいよ」
 頬に唇を寄せると、ようやく蒼生の表情がほころんだ。
 向かい合わせに座って、俺たちはファストフードの包みをテーブルいっぱいに広げた。久し振りに腕を振るいたいところだったが、時間があまりなかった。昨日は母さんが父さんに持っていくブラウニーを焼いていたから。ただ、こういう普通の友達同士みたいな風景も嫌いではない。
 一口目を飲み込んで、俺はさりげなさを装って切り出す。
「健太が我慢できなくなったんだろ」
 蒼生は口の端についたソースを舌で拭いながら首を振った。
「ううん。僕が誘った」
「蒼生から?」
「だってふたりともなかなか手を出してこないんだもん。我慢できなくなったのは僕。泊まりに来るって言うから、チャンスだなって思って」
 ……え?
 たしか、蒼生は「そういう話」が苦手だと健太が言っていた。そういう……つまりセックスに関する話題だ。だから行為自体も苦手なんじゃないかとあいつは心配していた。たしかにその可能性はあると思ったから、蒼生の体力と俺たちの欲望も考慮に入れつつ、慎重に事を進めていた。その結果、最低限しか触れてこなかったのは確かだ。
「嫌、じゃないんだ?」
「冬矢もそう思ってたの? あの……体力ない自覚はあるんだ。毎度バテちゃうのも申し訳ないと思ってるんだよ。でも嫌なんてことは全然なくてね、本当は、あの、もっと、したいなー……なんて思って……おりまして。なんでふたりが僕にその気ないみたいに誤解してるのかが不思議なんだけど」
 なるほど。健太の心配は杞憂だったわけだ。話しぶりを聞いていると、話題が嫌いなのに努力して話を続けているという感じも全くしない。蒼生にとってこの話は苦手な部類ではなさそうだ。でなければ、ポテトを口に運びながら話せるわけがない。
 というか、食事をしながら平然とこういう話が出来るって、ふふ。その可愛い口からこの話題が出てくるイメージないもんな。
「蒼生って清廉潔白な印象を相手に与えるからじゃないか」
「それっぽいこと、健ちゃんにも言われたよ。一般的な高校生男子並みの欲はあるつもりでいるんだけどなぁ……」
 ああ、それを俺の前で言うんだ。つまり、今、俺は誘われてるんだな。一緒にいると無意識にねだってるのかなと思う瞬間が度々あったけれど、あれは意識的な行動だったのか。なんて可愛い。
「じゃあ、今日はそのつもりで来たんだ?」
 敢えて聞く。
 蒼生は、親指の先を小さく舐めて、ちらりと俺を見た。
「……そのつもりで来ました」
 最高に可愛いな。
「イメージと違う僕じゃ駄目?」
「んーん、新発見があるたびに嬉しくなるよ。愛しくて倒れそうだ」
「手を出さない間も、その、僕に……触れたいって思っててくれた?」
「もちろんだよ。誤解しないでほしいのは、いつだって触れたい気持ちはあるんだ。でも、誰にも見つからないで、蒼生が安心して体を預けられる場所と時間を探すのがちょっと難しいだけ。蒼生にはわかるよね」
「あー……そっか。そうだよね。人目につかないって難しいね」
 素直に蒼生は頷いた。

 廊下の向こうから聞こえるシャワーの音に耳を澄ます。
 蒼生のことが好きだ。誰よりも好きだ。蒼生にはずっと幸せでいてほしい。笑っていてほしい。それは変わらず思っている。そして、そんな蒼生の隣に俺もいたい。でも実際には、そこに俺だけではなく健太もいて、蒼生は健太にも笑いかける。
 当初から、俺はこれを歪だと捉えていた。俺が蒼生を失わないためのただの言い訳で、言ってしまえば俺のわがままで、蒼生と健太にはこの状況を強いている。3人で付き合う提案をしたのは俺だ。いずれ奪って蒼生は俺だけのものにすると決めている。それが正しい形だと。だが。
 さっきの蒼生の言葉を聞いていて、ふと思った。
「怒ってる?」
 ただの一言だ。でも、蒼生の後ろめたさを感じるには十分だった。蒼生の幸せを願っていると言いながら、蒼生が恋人である健太と付き合うことに後ろめたさを感じさせてしまっている俺は、本当に正しいのか?
 健太といる蒼生は楽しそうだ。ずっと一緒にいるからこその空気を持っている。それは俺とでは作れない。積み重ねた年月が違うのは、どうしようもない事実だから。俺は、蒼生からそんな健太の存在を奪うのか? もしかしたら、本当に、俺はおまえから健太を奪うだけの存在なのだろうか。
 そろそろ、蒼生がそれに不満を抱いてもおかしくないのかもしれない。
 俺は蒼生の立てる音を黙って聞いていた。やがて足音が近付き、部屋の前でぱたりと止まる。ドアのほうを向くと、蒼生が半分だけ顔を覗かせて俺を見ていた。笑いかけると、ほっとしたように部屋に入ってくる。無理に笑顔を作ったわけじゃない。あんな話をしていながら、いざとなると緊張する蒼生に、自然と笑みがこぼれた。照れるタイミングさえも可愛いんだよな。
「シャワーいただきました」
「おそまつさまでした」
 笑いあってベッドのほうに向かうと、合わせるように側に寄ってくる。肩を抱けば重心が俺にかかり、そっと下に向けて力を入れると何の抵抗もなく俺と一緒にベッドに座る。残った手で膝の上の手を握ると、指先が俺の小指に絡みついた。
 委ねられている、という実感。
 こんな可愛い蒼生に、俺は。
「……蒼生」
「うん?」
「不安とか不満とか、ちゃんと言葉にしてほしい」
 蒼生は背中に少し力を入れて、覗き込むように俺を見る。透明なまなざし。
 それからいったん視線が床を薙ぎ、戻って来た時には少し揺れて見えた。
「……やっぱり、冬矢、悩んでたんだ」
「え?」
「最近、ちょっとおかしかったもん。好きだって言ってくれてるのに、一歩離れてるみたいな。だから悩んでるのかなって。それは僕のことかもしれない。僕を置いていくのかな、やっぱりこんなネガティブな奴は面倒だったのかなって」
 蒼生。
 そんな、俺は。
「不安かあ。あるよ。冬矢ってあんまり話してくれないなあ、とか。そうやってふたりして僕から離れて行っちゃうんじゃないかなあとか。ふたりとももともと彼女がいたし、いずれ僕じゃダメだって思う日が来るんだろうなとか。きっと僕のことが重くなるんだろうなとか。……それから、もうそう思われてるんじゃないか、とか」
 蒼生はそこまでを一気に言った。
 俺とは違う、不安。
 両手に力が入る。
「俺は……嘘をついてたんだ」
「……え?」
「もう、ずーっと蒼生のこと好きだったのに。下心があって、手を出したい、触れたいと思っていたのに、蒼生にはいい友達だよって顔をしてた。そうであろうと努力してたんだ。それは蒼生にも、俺自身にも嘘をついていたってことになるな」
 蒼生はまっすぐな瞳をそらさない。
「俺は……すぐ聞こえのいい言葉を口にしようとする。誤魔化したり、騙すようなことを言ったり。でも、それが必要だと思うこともあって。たぶんこれからも言葉を繕うことはあると思う。……だけど、絶対に嘘は言わないって決めたんだ」
「……うん」
「もしも。もしもだよ? 万が一、蒼生のことを重いと感じたり、心が離れるようなことがあったら、絶対に言う。必ずだ。だから、信じてほしい。今は蒼生しか見えない。蒼生のことが、蒼生だけが好きだ。可愛い可愛い俺の蒼生……」
「冬矢……」
「それにね。たぶん俺のほうが重いよ。だから、蒼生のことを潰してしまわないか、それが心配」
 小さく蒼生が首を傾げる。
「それが冬矢の悩みごと?」
 ああ。そうだな、蒼生にははっきり言わないと。優しい蒼生は必要以上に心配してしまうから。
「別の心配もあるんだ。蒼生は……俺と健太の板挟みになってるって思うことはある?」
「ううん。思わない」
 きっぱりと。
 俺は、健太と俺が渡したものを、両手で大事そうに抱き締めた蒼生の姿を思い出す。
 そうだ。
 あれが、蒼生の本音。
 蒼生がくれた答え。
 もうとっくに蒼生は答えてくれていたんだ。
「……そうか。ありがとう。それが心配だったんだ。蒼生が、俺と健太の間で苦しんでるんじゃないかって」
「僕は……そりゃ不安もあるけど、でも、ふたりといて幸せだとしか思ってないよ」
 今、はっきりわかった。
 蒼生は俺と健太を選べなかったわけじゃない。俺も健太も選んだんだ。
 全てを受け止めたい。
 蒼生の全部を。
 蒼生が健太を想う、その心ごと。
「これからも、蒼生の話を、声を、聞かせてほしい。どんなことでもいい。不安も不満も弱音もわがままも、全部」
「僕の話……」
 わずかに肩から力を抜いて、蒼生はすっと目を落とした。
 何か言いたいことがあるんだな、とわかる。
「…………」
「蒼生。いいよ。話して」
「……あのね。隠してた僕のこと、初めて気が付いてくれたのは冬矢だったけど……。僕の話をこんなに聞いてくれたのも冬矢が初めてだったんだ」
「うん」
「生まれた時からずっと、賑やかで楽しいきょうだいたちに囲まれて。おしゃべりが好きな2人の母親がいて。僕、トロいから、口、挟めなくて。なんとか入り込もうとしても、いつも、余計なこと言うなって言われて。黙ってたら何も言わないんだなって言われて。だから、笑って聞いてることしかできなくなった。……なのに、冬矢は、聞いてくれる。認めてくれる。受け入れてくれる」
 震える語尾。
 ああ、なるほど。
 そうか。
「蒼生は、ずっと寂しかったんだね」
「……はっきり言っちゃダメ……泣いちゃうから」
「いいんだよ。全部俺に見せて。それに、隠したってすぐわかっちゃうからな」
「……ふ。ふふ。そっか。そうだったね」
 ぱっと上げた目は、震える笑顔の中で少し潤んできらきらと光る。胸が締め付けられる。
「ほら。言ってごらん。蒼生はどうされるのが好き? 俺に何をしてほしい?」
「あの、ね。……冬矢に頭、撫でられるの好き……」
「それから?」
「ぎゅってして、ほしい」
 俺は蒼生を両腕できつく抱き締め、それからゆっくり右手を蒼生の頭に伸ばした。さらさらと心地よい手触りの髪。優しい香りのする頭をそっと胸元に引き寄せる。
「…………っ」
 蒼生の手が、俺の服の裾をぎゅっと掴む。左手をその手にそっと添えると、指を絡めて外し、俺の背中のほうに回した。戸惑ったような動きで俺の背を撫でた手が、やがて必死にすがりつくように背中の布を握りしめる。反対の手も背中に届く頃には、蒼生の嗚咽がはっきりと聞こえるようになっていた。
 俺は震える耳に口づける。
 それから、髪に。
 頬に。
 額に。
 何度も。
 “愛おしい”。
 この胸の奥からこみ上げて溢れる感情は、そういう名前なのだと実感する。
 可愛い蒼生。
 大好きな蒼生。
 誰の前でも泣けなかった蒼生。
 その蒼生が、今、俺にすべてを預けて泣きじゃくっている。
 ずっと抱き締めてキスを繰り返す。
 この瞬間、時が止まってしまえばいいのに。
「ごめ、……ごめんね」
 ひとしきり泣いて少し落ち着いてきたかな。しゃくり上げていた息を整えるように、蒼生は何度も深呼吸をする。それでも跳ねてしまう胸元が、どうしようもなく可愛かった。
 だから、俺は改めて唇にキスをする。
 蒼生はぴくんと肩を揺らした。
「……こんなぐちゃぐちゃで酷い顔してるのに」
「どんな蒼生も可愛いよ」
 引っ込んだはずの涙が、また瞳を潤していく。俺はそのまなじりに唇を寄せた。
「蒼生は……自分の話を聞いてくれたって言ってたけど、本当は、俺が蒼生のこと聞きたかっただけだよ。俺だってわがままだ。蒼生のこと、全部知りたい。全部に触れたいって思ってるんだから」
「それが冬矢のわがままなの……? うれしい。そんな冬矢だから、僕、たぶん、冬矢が好きって言ってくれる前から、ずーっと好きだったんだ」
「じゃあ、俺たち、ずーっと両想いだったんだね」
「……うん」
 蒼生が、真っ赤な目で頷いた。
 とても、とても綺麗だと思った。

 俺は蒼生の足の下に手を伸ばし、膝の裏あたりを抱えると、抱きかかえるように後ろに倒れ込む。
「……わっ」
 驚いたのか、蒼生は俺の腕にしがみつく。俺の上に蒼生の全体重がかかる。それすら嬉しくて、抱き締める手に力を込めた。逆に力が抜けたのか、蒼生は肩口に顔を埋めてくる。その状態で頭を撫でてやると、両手が背中側からおずおずとずり上がっていき、俺の肩を柔らかく掴む。
「可愛いね……可愛い、蒼生……好きだよ……」
 耳元で告げると、ほんの少しだけ首が反る。残った手で肩甲骨をなぞり、背骨から腰に下ろしていくと、小さな吐息が漏れる。
 本当に可愛いな……だから揶揄いたくなってしまう。
「1週間の終わりだから疲れてるよな。……このまま寝ちゃってもいいよ」
「えっ」
 がばっと蒼生が上半身を起こす。困惑の表情をまったく隠さない顔。
「ふふ。困った顔も可愛い」
「……冬矢はすぐ意地悪をいう……」
「ごめんね。これはきっと直らないな」
「……いい、直さなくて。そんな冬矢も好きだもん……」
 っ、なるほど。思わぬ反撃を食らったな。
「じゃあ、続き、してもいい?」
「して……」
 その言葉を聞いた瞬間、ゾクッとした。
 心臓が握り潰されたように締め付けられ、指先が震える。蒼生。蒼生。
 勝手に右手が動いて、蒼生の頭を掴み、引き寄せて口づける。
 舌で歯列を割り、中にいた子を裏側から舐めあげる。わずかに引いたと思えば、すぐに追いかけるように絡んでくる。だから敢えて引っこめると、やはり俺の中まで追ってくる。愛しい。それを捉えて強く吸う。
「んっ」
 喉の奥からこぼれた声。
 ああ、もっと触れたい。右手を離しても、蒼生の頭の位置は変わらない。自分から舌を絡めてくれていることが嬉しい。両手で蒼生のボタンに触れると、腕に弱く力が入って、俺の手を掴もうとする。薄く目が開いた。至近距離で揺れる瞳。
「ぃうん、え、できぅよ?」
 俺が封じたせいでうまくしゃべれないのも可愛い。自分で出来る、だよな。ふふ。
 でも、駄目。
「ぜんぶ、おぇに、やらへて」
「ん、う」
 音を立てて舌を吸うと、伸びていた手が俺から離れる。それから両手をベッドにつけて、緩く上半身を支える。俺は手が動かしやすくなってボタンを外す速度が上がるけれど、そんなことしなくてもいいのにな、と思う。全部俺がしたいのに。一挙手一投足まで、俺がしてあげたいのに。でも、今はいいか。そんな蒼生が好きなんだから。
 少し上半身を起こして蒼生を支えながら、腕からパジャマを抜く。その勢いのまま、体を反転させて蒼生をベッドに横たえた。離れたくないが、仕方ない。いったん唇を離す。繋がった糸。それすら断ち切りたくないのに。俺は上をすべて脱ぎ、そのまま蒼生に覆いかぶさった。直接伝わる暖かさ。わずかに汗ばんでしっとりした胸元。抱き締めた背中のさらりとした手触り。
 ……あ。
「くすぐったぃ」
 いつもよりゆったりした、笑い含みの声。
「だって、蒼生の肌って気持ちいいからさ」
「胸ないし、硬くない?」
「そんなことないし、……そういう意味じゃない」
「…………?」
 蒼生の首筋にキスしながら、深呼吸する。
 3人でする時には、こんなにじっくり抱き合うことなんてなかった。だから、俺は今、どの感情を表に出せばいいか、わからなくなっている。肌と肌が合うのが気持ちいいと思えることに、俺は、戸惑っていいのか、嬉しいと思っていいのか、泣いていいのか。わからない。きっと蒼生は、俺がこの瞬間、胸いっぱいに溢れた暖かい気持ちで溺れそうになっていることを知らない。
 こんなに。気持ちがいい。
「蒼生、蒼生……」
 俺の腕に応えるように、蒼生も背中に腕を回してくる。あったかい。蒼生。
「ふふ。うん」
 とても柔らかい蒼生の声。耳元で響く。包まれているみたいだ。
「すきだよ、冬矢」
 それは直接脳に届いた、気がした。
「俺も、だよ」
 腕の中の存在がどうしようもなく愛おしくて、この暖かな体にすべて飲み込まれてしまいたいと思う。外からだけじゃなくて中からも、すべて、すべて触れたい。融け合ってしまいたい。
 両足を膝で割って滑り込む。布越しに感じる熱さ。腰を擦りつけると、吐いた息と同時に体が大きく跳ねる。ああ、待ち侘びているのか。可愛い。
「蒼生……下、脱がすね」
「……うん」
 頷いて、わずかに腰が浮く。隙間に手を差し入れ、下着ごと脱がせてやる。俺がやりたいと言ったから、蒼生は手を出さず、ただ俺がやりやすいように体重を移動させてくれてるんだ。その素直な優しさも、俺を気遣う余裕も、全部奪ってしまいたい。
 蒼生は胸元で緩く指を組んで、困ったように目線を壁にやる。ふふ。何を考えてるか、わかるよ。
「キスだけで、ここ、こんなにトロトロにしちゃってるの、恥ずかしいね」
「う、ん……。だって、ぎゅってしてもらって、嬉しかったから……」
 ずっと赤い頬。このまま突き進んでしまいたい。でも。
 改めて、可愛いそこに視線を落とす。蒼生のペニスはすっかり上を向いて、裏の弱いところを見せつけるように火照って震えている。先端は濡れて、粘度のある雫が溢れるように零れていく。
 可愛い。
「ね、蒼生。食べていい?」
「え? あ、え」
 俺は蒼生の返事を待たない。それどころかそれを遮るように口に含んだ。
「ぁああ……っ!」
 反射的に引かれた腰を掴む。蒼生の匂いしか感じない。頭の中が蒼生でいっぱいになる。唇で上下に撫でてやると、蒼生はがばっと上半身を起こした。
「あっ、……ひ、あぁっ、だ、」
「だめ?」
「じゃ……ない……」
 蒼生が起き上ったことで、伏せたその目と視線が合う。上がった息を抑えるためか、蒼生は左手の人差し指の付け根を噛む。
「んっ……んん、ぅ」
 違う。声。声を聞かせてほしい。俺は手を伸ばして蒼生の口元に寄せられた指を剥がす。
「ほら、どうしてほしい? どこが気持ちいいか教えて?」
「ぇ……それも、いうの……?」
「そうだよ。蒼生を気持ちよくしたいから、ね?」
「う、うん」
 どこが気持ちいいか、本当は知ってる。何度も触れて、その反応を見てるから。だけどこうして口で可愛がってあげることは初めてで、もっと知らないことを知ることが出来るかもしれない。その証拠に、ほら。手で触れた時より、舌で先端との境目をなぞった時のほうが声が高い。
 それに、聞きたい。蒼生の言葉で。
 裏の筋を舐めあげる。
「ここは?」
「あっ……あ、す、すき……」
 境目をくるくると巡る。
「……んっ、はぁ、き、もち……っいぃ……」
 それから、先端に唇を滑らせ、蜜を溢れさせるそこを舌でくすぐる。
「っああぁっ! あ、やぁ……っ!」
 ふうん?
「そっか。ここが好きなんだ」
「っあ、あ、……はぁ、す、き……あ、ちょっ……そん、な」
 両足が緊張していくのがわかる。丸い部分を優しく揉み解し、裏筋をこする動きを加えると、蒼生の息が荒くなる。
「ね、だめ、あ、やっ……ん、だめ、出ちゃ、う、か、らあ……ふ、うぅっ」
 可愛い。噛み締めた唇で、限界が来てるのが見える。
 いいよ。ほら。このまま。
「んんっ……、はっ、あ、ぁあっ、やっ、でっ……」
 熱い迸りを、口の中で受け止める。ちら、と見上げると、蒼生は開いた両手で顔を覆っていた。
「……ちゃった」
 あまりの可愛さに、俺は口の中のものを思わず飲み込んだ。
 この際、味だのなんだのは気にしない。とにかく、蒼生が俺のしたことに感じて、達してくれたことが嬉しかった。愛しかった。
 俺は身を乗り出し、蒼生の手を外すとそのまま口づける。蒼生はわずかに顔をしかめた。ふふ。だろうね。
「うー。美味しくない……」
「はははっ」
「……でも、ちゅーは好きだから、もっと」
 その顔のまま、蒼生は俺に抱きついてくる。そうか。好きなんだ。可愛い。
 なら、遠慮なく。もう一度キスをする。離して、もう一度。それを繰り返すたびに、蒼生の表情から棘が消えていく。肩から力が抜け、うっとりとした表情になる。
 髪を撫でる。指先に手を伸ばし、くすぐるように指を絡める。ぴくりと仰け反った喉に口づける。汗ばんだ前髪を上げて、額にもキスを。俺がどこかに触れるたび、蒼生の口からは声とも吐息ともつかない音が零れる。それが心地いい。
 そして俺は触れようとした胸元に、うっすら残っていた赤い跡に気付いた。それが何かはすぐにわかったし、ああ先週の、と冷静に頷くことが出来た。だからそのまま流すことも出来たんだが、さっき蒼生は板挟みだと感じたことはないと言っていたし、ここはちょっと利用させてもらおうかな。
「あ、お、い」
「……はぁい?」
 眠りから覚めた時のような声で、蒼生が答える。俺はその赤い点をそっと撫でた。
「これ。心当たりはある?」
「あ。……ええっと。その……はい。ですね」
 言い淀む口調が可愛い。俺はさらに調子に乗る。
「悔しいから、俺も跡、付けていい?」
「……うん」
 それには返事をする代わりににこりと笑ってみせた。蒼生からはいつもの「ひぇ」という声が漏れた。ふっ、可愛い。

 蒼生の吐息で部屋が満たされる。キスで塞げば、その瞬間だけはしんと静かになる。それを狙って、蒼生の中に潜り込ませた3本の指を撫でるように動かす。
「んーっ……」
 くぐもった甲高い声。
「っは、うぅ、はぁ、はぁ……っ」
 唇を離すと、溜め込んだ分を零したように声が大きくなる。
 左手で頬を撫でながら、舌先を顎から喉元へ、鎖骨へと下ろす。同時に、右手の中指の節で、背中側の襞をくすぐる。小さく腰が反る。少し奥を探るように指を進め、ふっくりとした場所の上で1度だけ円を描く。
「あ!」
 今度は大きく、背中まで反り返る。それをそろりと引き、一番締め付けるところをぐるりと撫でてやる。
「……はっ、あー……、んっ」
 そろり、蒼生の右手が動く。震えて透明な液体を零すペニスに伸びていく。俺はその手をとり、指を絡めて枕元まで戻す。
「もうちょっと、我慢。ね」
「う、うんっ……」
 蒼生はすっかり涙ぐんだような声だ。可愛い。最高に可愛い。
 もう、幾つの跡が付いただろう。肩の下から内股まで、思うがままに吸い付いた。蒼生の白く柔らかな肌は、跡を付けると鮮やかな花が咲くようだった。
 俺はそれだけの跡を付けつつ、ずっと後ろを弄っていた。時々中の弱いところに触れるだけで、後は一度も乳首やペニスに触れない。蒼生が少しずつ焦れていくのが手に取るようにわかる。敏感な場所に近付いても俺は触れない、途中から蒼生もそれに気付いていただろうけれど、そのたびに切なげな声をあげるのがたまらなく可愛かった。
 中の指を波打つように動かし、ぴんと存在を主張する乳首にそっと息を吹きかける。
「うー……」
 蒼生は両手をベッドの上に投げ出したまま、シーツを固く握りしめた。
「……とぉやぁ」
 とろけた声。
「どうしたの?」
「……も、むり……おねがい、とぉや、……いれて」
「ん?」
「いれてぇ……」
 ゾクゾクする。体中の血液が歓喜に踊るようだ。
 ああ。
 なんて、可愛い。
「俺の、ほしいの?」
「ほしいの……ぉ」
「わかった。……いい子。よく我慢したね」
 荒い息の下で、蒼生は微笑む。
 ……綺麗だ。
 指を引き抜くと、体が大きく震えた。
 俺だって、限界は近い。むしろよくここまで耐えたと思う。ズボンを下ろすと、一番素直な感情が、蒼生を求めて屹立していた。
 だが、ここからも焦らない。脱いだものをベッドの下に落とし、ゴムを付ける動作を、あえて蒼生に見せつけるようにゆっくり行う。蒼生は、その俺の手元を、期待の眼差しで見ている。
 蒼生の欲情した眼差し。
 ……たまらない。
「今から、これ。蒼生の中に、挿入れるからね」
「うん……うんっ……」
 蒼生は両腕を俺に向かって差し出す。それだけで満たされる。
 俺は、蒼生の両足を抱え、散々ならしたその奥まった穴に、自身のペニスを擦り付ける。ゆっくり。ゆっくり進む。
「あー……」
 それは快感からなのか、安堵からなのか。声が響く。
 暖かい蒼生の中は、俺を待っていたようだ。ゆっくり進もうとする俺の意思とは裏腹に、どんどん俺を奥に誘い込もうとしてくる。飲み込まれてしまいそうだ。
「……んっ……あぁっ……」
 進んで行くと、俺の首に蒼生の手が届く距離まで来た。蒼生は必死に手を伸ばし、俺の首にすがりついてくる。
「はー……っあ、あ、ふっ……う……」
 俺の首の後ろで、蒼生が強く指を組んでいるのがわかる。
 可愛い蒼生。
 腰が蒼生の体に密着するところまで進んだ。
 ふと思い立って、最後の短い距離だけ、
 少し勢いをつけて打ちつける。
「っ!」
 その瞬間、蒼生の体が、びくんと大きく震えた。
 中がぎゅーっと締まって、くっ……搾り取られるみたいだ……っ。
「……あ……ぁ……?」
 突然蒼生の手が離れ、ベッドにそのまま倒れ込む。
 どこか呆然として天井を見つめる蒼生には、胸元まで白いものが散っていた。
 ……へえ?
 俺は力の抜けた頬にキスをする。
「イッちゃったの?」
「そ、そうみた、い……? ぁれ……?」
「ふふ。可愛い。それだけ我慢出来てたんだね。気持ちいいのがいっぺんにきちゃったんだ」
「うん……きもちよかった……びっくりした……」
 なにひとつ飾らない素直な言葉がこぼれるのが、こんなに愛おしいなんて。
 髪を撫で、隙間を開けたままの唇を吸う。
「もっと、気持ちよくなろうね」
「……っひ、ぁ……うん……」
 自分でも驚くくらい馴染んだ蒼生の中を、探るように動く。ゆっくり。
「あー……っ、あ、んんっ……」
 ぴくん、ぴくんと何度も体が跳ねる。大きく上下する胸。投げ出されたままの腕。俺に焦点を合わせようと揺れる瞳。何もかもが可愛い。可愛いよ蒼生……。
 指の背で、そっと乳首を撫でる。
「んっ……」
 ここも、待たせてごめんね。やわやわとくすぐり、指で挟む。反対のほうを舌で転がすと、蒼生は体をひねらせる。滑らかな舌触り。可愛い。ああ、鼓動が早鐘を打っているのが、唇でもわかる。暖かい肌。呼吸の音。
 両手を蒼生の手に重ね、指を絡ませてシーツに押し付ける。その態勢のままゆっくり出し入れしたり、時々少し早くしてみたり。奥を探ったり手前をくすぐったり。蒼生はそのたびに濡れた声で体を震わせる。同時に、中がきゅうきゅう締まる。それがまるで愛情をもって扱かれているようで。ふわふわで温かいのに、ぎゅうっと絞られてもいる。はあ……気持ちいい。
「……蒼生。蒼生っ」
「んっ、ん、あ、あ、とぉ、やぁ……っ」
 可愛い。愛しい。好きだ。蒼生。
 同じ速度に揺れる、ひとつの塊になってしまったようだ。
 蒼生。
「っ、あ、おい、……イく……っ」
「は、っあ、あ、ぁあ……うん……うん……っ」
 何度も蒼生が頷く。
 持っていかれる。
 蒼生。
 なんて。
 なんて愛しい。
 …………っ。
 俺は、溜めていた想いを、放った。
 ああ、頭が空っぽになりそうだ。
 気持ちいい。
 俺の下で、蒼生は目を閉じて、まだぴくぴくと肩を震わせている。俺は腰を引いて、蒼生の中から出る。名残惜しいけどな。だいぶ蒼生を疲れさせてしまったから、休ませてあげないと。ただ、蒼生の熱は引いていない。ここだけ処理して、
 ぼんやり目を開けた蒼生が、指を離そうとした俺の手をぎゅっと掴む。
「……ん? ごめんね、俺だけ。ちゃんと蒼生も」
「もっと……」
「え?」
「もっと、してぇ……」
 ……ああ。
 可愛い。
 素直におねだりしてくるなんて。
 どれだけ俺の理性を削りにかかってくるんだろう。
「疲れてない? 無理はしちゃだめだよ」
「だいじょぶ……だから。もっと。とぉや、もっと……」
 とろりと溶けた表情。それに抗えるほど、俺の理性は強くない。なにより、抗う必要はないんだ。俺を欲しがってくれる蒼生。蒼生を欲しがる俺。なんの問題もないじゃないか。
 俺のほうの準備は、もうほとんど必要なかった。蒼生を守る薄い膜を纏うだけ。
 蒼生の背に腕を差し入れ、起こしてやりながらベッドに座る。腰を抱き締め仰のいて、降りてくる蒼生の唇を受け止める。蒼生の指が、俺の肩を掴む。
「挿入れるよ」
「ん……ぅん……」
 そっとあてがい、蒼生の腰を下ろしていく。
「……っん! は、ぁ」
 それは最初だけで、後は、蒼生自身の体重で、ゆるゆる入り込んでいく。びくりとして体を起こそうとするけれど、もう足に力の入らない蒼生は、そのまま落ちていくしかない。
「あ! あ! ああっ……あー……」
 その声の余韻が耳に響く。心地いい。お返しに、耳朶をそっと吸う。
「う、うぅ」
 ぴくんと震え、呻いた蒼生が俺の背に手を伸ばし、ぎゅっと抱きついてくる。
「と、おや、……こ、れ、きもち、ぃ……っ」
「うん」
 髪を撫でる。
「……気持ちいいね」
「……ぎゅって……んっ、でき……る……うれしぃ……」
 そうか。
 うん。
 そうだね。
「……蒼生。好きだよ……」
「うんっ……僕も……っ、好き……」
 何度も、何度も。キスを。
「蒼生ぃ……」
「あー……っあ、あ、ん、うぅ……んっ」
 交わして。
 好きだ。
 好きだよ蒼生。
「可愛いね……俺の可愛い蒼生……」
 ねだるようにくねらせた腰。背中にしがみつく手。潤んだ瞳。愛しくて、心臓が止まってしまいそうだよ。
 可愛く震えて俺の手を待ち侘びるぺニスに手を伸ばす。
「……っひ……あぁっ……あー……」
 俺の肩に額を押し付ける蒼生。
 その赤い耳にキスをする。
 蒼生の体が、がくがく、と震える。
 可愛い声が、俺の耳に直接飛び込んできた。
「と、おやぁ……っ」
 俺の名前を呼びながら果てる蒼生が。
 ああ。
 泣きたくなるくらい愛おしい。

 湯船に少なめに張った湯が背中に触れると、ぴりっとした痛みが走った。
「つっ……」
 思わず声が出てしまうと、洗い場の蒼生がぱっと顔をこちらに向ける。
「どうしたの?」
「大丈夫、ちょっとしみただけ」
 シャワーは平気だったのに、おそらく沸いたばかりで温度が高かったかな。蒼生は心配そうに首を傾ける。
「ケガしてたの?」
「いや……」
 言葉を濁すのを不審に思ったのか、体を乗り出すように俺の背中を覗き込んだ。
「あれ、ちょっとミミズ腫れみたいになってる。ここのへんにだけ何本も…………」
「…………」
「あっ。……ぼ、僕かぁ……」
 だいぶ必死で縋り付いてたから、まあそうなっているだろうとは思った。気にするから言わないつもりでいたけれど。
「ご、ごめんね」
「いいんだよ。それだけ俺に夢中になってくれてたってことなんだから。それで言ったら、俺のほうが謝らなきゃいけないかもな」
「うん?」
 俺は笑って、立てた人差し指でなぞるように上から下に空を切る。蒼生は少し不思議そうな顔をして、すぐに自分の体を指しているのだと気付いて目を落とす。そこには無数の赤い跡。
「……ぇ!」
 慌てて、持っていた泡だらけのタオルで体を覆おうとする。……ふふっ。
「あははは、それ付けたの俺なのに、俺に隠す必要ある?」
「そ、その理屈はわかるっ! わかるんだけど!」
「ふふふ、ははっ。……ああもう、可愛いなあ」
「執拗だなあとは思ったけど、こ、これだけ数があるとは思ってなかったんだよぉ……」
 蒼生は真っ赤にした顔を伏せ、誤魔化すようにタオルを動かしている。さっきはあれだけとろとろになって俺を煽ってたくせに。
 そういう、スイッチが切り替わっちゃうところも、好きだな、と思う。
「あーおい。おいで」
 俺は両手を伸ばす。蒼生はちらりと俺を見て、急いだ手つきでレバーを捻り、シャワーを浴びる。ふるふると頭を振って、それから俺の手を取った。立ち上がるところから手に力が入っていて、……ああ、疲れているんだな。
「お湯溢れないかな」
「少なくしてあるから大丈夫だよ。ほら」
 肩を支えて、浴槽に入る蒼生をサポートする……ふりをして、引き寄せて後ろから抱き締める。波立つ水面に、蒼生はくすくすと笑った。
「強引だあ」
「早く抱き締めたかったからね。狭い浴槽もこういう時にはいいな」
「ふふ、うん。くっつけるもんね」
 蒼生は俺に背中を預けたまま、肩口に頬を摺り寄せてくる。可愛い。
「一応気を付けたつもりだけど……体、痛いとこはない?」
 両方の手を取り、指を絡めると、蒼生はきゅっとそれを握り返してきた。
「ちょっとやっぱだるい感じはするけど、痛くないよ。た、たくさんきもちかった、し」
 わずかに肩をすくめて、俺をちらりと見る照れた顔。俺はたまらず首筋にキスをする。
「そうか。それならよかった」
「うん。……くすぐったい」
「だって嬉しいから、つい。恋人に気持ちよかったなんて言われると、こんな最高の気分なんだな」
 蒼生が体を起こす。
 なんだろうと思っていると、体をねじって俺のほうを向いた。
「……冬矢は? その……きもちよかった……?」
 ……ふ。
「ああ。すごく気持ちよかったよ。蒼生のとろけた声も顔もめちゃくちゃ可愛くて。見てるだけでも満たされるのに、触れたらもっと気持ちいい。こんな感覚初めて味わうよ」
「そ……そっか……」
「蒼生?」
「……なるほど、うん、冬矢の言ってた最高の気分って、こういうことか」
 ぱしゃん、水音を立てて、蒼生が俺にもたれかかる。
 それから、あ、と声を上げた。
 ……誤魔化そうとする時の顔をしてる。
「僕、今日は寝落ちしなかったでしょ。少しずつ体力ついてきてるのかなあ」
 さて、どうかな。
「2対1じゃないからなんとか耐えられてる感じかもしれないね」
「あ、そういう可能性もあるのか」
「……だったら、これからはずーっとふたりでする?」
「え」
 蒼生はちょっと困った顔をする。ふふ。
「冗談だよ。本気なわけないだろ。……じゃあ今度は3人でも寝落ちしないか試してみようか」
「今度こそは、大丈夫だよ。たぶん。おそらく。……きっと」
「あはは。そう言われたら本気出すしかないな」
「……ひぇ」
 そうだな。
 このままでいいのかもしれない。蒼生がそれを望むなら。俺は蒼生が望むようにしたい。してやりたい。自分だけが隣にいるわけじゃないけれど、他の誰がいようが隣で蒼生が笑っている。それが唯一の望みだ。
 それに、それが健太なら、いいか。
 気が付かなかったけれど、いつの間にか俺は、本気でそう考えている。
 ……俺は昔から、相手の本性に気付いてしまうと、それを相手に告げてしまう悪癖があった。今思えば悪癖だというだけで、当時はそうは思っていなかった。俺に隠している顔を暴くことで、俺を騙している相手を遠ざけようとしていたんだ。誰にだって、人に見せたくない顔くらい当然あるものだと気付かないほど、俺はずっと幼かった。それでどれだけの人間を遠ざけてきたかな。引かなかったのは森くらいだった。
 だけど、それをしてしまった俺から遠ざかるどころか、次々と自分をさらけ出してきたのが蒼生だった。こんな俺を、素直にとことん信頼して、どんどん心を許していく蒼生。俺にとって、それは許しのようなものだったのかな。蒼生と関わって、初めて愛されているのかもしれないと感じた。蒼生が俺にくれていたのは、たしかにずっと愛だった。そんな蒼生に、俺は惹かれずにいられなかった。
 今ではもう、俺の中でこんなにも大きい存在だ。俺の中は蒼生と、蒼生への思いでいっぱいだ。愛しくて、愛しくて、たまらない。蒼生。俺の唯一の人。
 ……好きだよ。

 明かりを落とした静かな部屋。
 ベッドに寝転んで手を伸ばすと、蒼生は嬉しそうに飛び込んできた。
 ふわりと、同じシャンプーの香り。
 ぎゅっと抱き締めてその髪に口づけると、くすぐったそうに笑った。
「……なんか、とてつもなく甘やかされてる気がする」
 可愛いことを言う背中を、ぽんぽんと叩く。
「気がする、じゃないよ。とてつもなく甘やかしてるんだから」
「うー、なんか申し訳ない感じ」
「まさか」
 俺はさらに腕に力を籠める。
「本当に、初めて知ったんだけど。俺はね、好きな人をとことん甘やかすのが好きらしい。だから蒼生を甘やかしたいし、全力で甘えてほしい。これが俺のわがまま」
 嘘偽りない言葉を、蒼生に渡す。
 可愛い、俺の、蒼生。
 蒼生は何度か瞬きをして、俺の顔を見上げた。
「……僕のわがままも、なんでも聞いてくれるって言ったよね」
「ああ、言ったよ。なに?」
「あのね、」
 腕の中で微笑む。
「……ずーっと一緒にいて、僕のこと離さないでね」
 綺麗な。
 とても綺麗な笑顔。
「……もちろん。ずーっと離さない」
「うれしい。……好きだよ、冬矢」
「俺も。世界中で一番、蒼生のことが好きだよ。大好きだよ」
 満足そうに、蒼生は俺の背に手をまわした。


 蒼生に出会って、初めて知った自分の感情がたくさんある。
 俺の知らなかった本当の俺をくれたのは、蒼生だ。
 もしかして、俺の初恋は蒼生なのかもしれない。
 名前のせいにするわけではないけれど、ずっと俺の中は凍えるような吹雪で荒れているのだと思っていた。
 けれど、蒼生に出会ってからは。
 それは、穏やかな雪景色に変わっていったんだ。

 いつしか俺の中に降り積もるのは、
 どこまでも真っ白で、
 甘い甘い、
 粉砂糖みたいな君の心。
1 / 1
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28こ目;Powder Sugar Waltz 第6話

キーワードタグ 僕+君→Waltz!  創作BL  創作BL小説  幼馴染  三角関係  R18 
作品の説明 蒼生と出会って、自分の知らなかった自分を知ってしまい、戸惑う冬矢。
一緒にいることは嬉しいけれど、それでもずっと引っかかっていることがある。
「本当にこれでいいのだろうか」……。

『Powder Sugar Waltz』最終回です。(やっぱりシリーズは続きます)

↑初公開時キャプション↑
2021/12/3初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
冬矢回の最終回です。この表紙もこれで最後だと思うと寂しいですね。
28こ目;Powder Sugar Waltz 第6話
1 / 1
 蒼生と出会ってから、俺は自分の中に知らない感情が山ほどあったことを知った。まず真っ先にわかったのは、自分の心の狭さだ。付き合っていた彼女が他の男と一緒にいようが手を繋ごうがまったく気にもならなかったのに。今俺は、教室の後ろ、壁際で蒼生と話しているクラスメイトの男に「早く終わらせろ」と念を送っている。そんなくだらないことをする人間だったんだな、俺は。
 そいつの話は、ロングホームルームで出された、各々が1冊ずつおすすめの本を紹介するという課題についての相談のようだ。わかる、読書量が多いうえに図書委員の蒼生は、相談役として適任だろう。普段本を読まない奴にとっては結構厳しめの課題だからな。当然、健太も蒼生に泣きついていた。それが理解出来るのに、蒼生から早く離れてほしいと思っている。
 両手を合わせて礼を言うそいつに、蒼生は笑って首を振る。やっと終わったか。鞄を持って立ち上がり、蒼生が戻るのを待つ……と、横から突進してくる影。それは遠慮なく蒼生に覆い被さった。もちろん健太だ。そうでなければ、咄嗟に引き剥がしていた。
「あれっ、健ちゃん、まだ部活行ってなかったの? 遅れない?」
「今から行くとこ。寒いから蒼生にパワー分けてもらおうと思って」
「はいはい。好きなだけ持ってって。頑張ってきてね」
 ……時々健太が羨ましくなることがある。あれだけ素直に抱きつけるんだからな。場所も時間も気にしないのはどうかと思うこともあるが、それが積み重なった結果、もうクラスの誰ひとりとして何も思わなくなっているようだ。継続はなんとやら、と言ってしまっていいのかはわからない。だが、今更俺が突然そんな態度を取ったら、明らかに奇妙に見えるのはたしかだ。健太がああいうキャラだっていうのもあるんだろうけどな。
「んじゃ、マジで行ってきまーす。ありがと蒼生!」
「また明日ね」
「冬矢もまたなー」
「おまえが持ってった分はちゃんと補充しておくから」
「……ぐっ……」
 健太は悔しそうに顔をしかめると、本当に時間がギリギリだったのか、そのまま教室を飛び出していった。その背が見えなくなるまで、蒼生はひらひらと手を振っていた。
「蒼生、帰ろうか」
「うん」
 蒼生は綺麗な顔で笑った。

 電車のドアが音を立てて閉まる。蒼生はちらちらと周囲を確認してから小さく息を吐く。それから、わずかに頬から力を抜いた。
 俺にはその意味がすべてわかる。周りに知っている人がいないことを確認して、外向けの自分をオフにしたんだよな。知った人間が俺しかいないから、じゃない。周りに誰がいようと俺がいるから、だ。この、蒼生が警戒を解く瞬間が好きだった。実際はそうでなくとも、俺の腕に飛び込んできてくれたような感じがする。
 次の駅に着き、反対側のドアが開く。今日はやけに乗り込んでくる人数が多いな。
「蒼生、こっち」
 腕を引いて壁際に寄せ、その前に立つ。蒼生は次々と入ってくる人の波を眺めながら小さな声で、
「ずいぶん人、多いね」
 と言った。この音量でも聞こえる距離。
「もしかしたらホールで何かイベントでもあったのかな」
「ああ、そっか。この駅が、っん、最寄り駅、だったっけ」
 壁際、見えないほうの手で腰を抱くと、蒼生はぴくんとわずかに身じろぎをする。
「乗換駅でちゃんと降りられればいいんだけどな」
「っ、たぶん、みんな降りるから、大丈夫じゃない?」
 可愛い可愛い俺の蒼生。挟まれたほうの腕がわずかに動いて、俺のズボンを軽くつまんで引っ張ったのが感触でわかる。それから、一瞬だけ、肩に頬を寄せる。意識しての行動なのかどうかはわからない。はっきりしているのは、俺が触れるのを蒼生は嫌がらない、ということだ。
 本当はもっと触れたい。鞄を放り投げて、両腕できつく抱き締めたい。体のすべてで蒼生の熱を味わいたい。だが、そんなことをしたら、もっと欲しくなってしまう。止められなくなってしまう。もどかしいのはそこだ。本能に従いそうになる自分に、理性が「どこで?」と問いかける。蒼生の家は家族がいる。ホテルに行けるような自由な経済力はないし、そもそも未成年で高校生の男がふたりで入れるかという問題もある。公共の場所なんてもってのほかだ。結局、俺の家に誰もいない日を選ぶしかなかった。それも、蒼生の体力を考えれば、一晩母さんが帰ってこない日に限られる。第一、終わって蒼生を家に帰すなんて、それこそ体だけが目的みたいじゃないか。
 長期的に考えていることはある。けれど、俺は「今」も蒼生が欲しい。
 蒼生と一緒の通学時間は短い。あっという間に終わってしまう。地元の駅に着いて、蒼生の家に向かう曲がり角が見えてきても、……離れたくない。もっと一緒にいたい。
「ね。文房具屋寄るんだけど、一緒に行こう?」
 地面を見ていた蒼生がぱっと顔を上げた。
「うん、行く」
 蒼生もそう思ってくれているんだろうか。
 俺たちは、駅からさほど離れていない、細長いビルに入る。古くからある文房具屋で、地元で育った子供たちは必ず世話になったと言われる店だった。華やかな流行りものの文房具こそないが、マニアックな画材も置いてあったりするので、ファンが多いらしい。蒼生も小学生の頃から通っているんだそうだ。俺だって時々来ていたから、もしかするとすれ違っていたこともあるかもしれない。その頃に出会っていたかったと思うのは、やはりこれも健太を羨んでいるからなのだろうか。
「何を見に来たの?」
 ペンの棚の前で立ち止まった俺の腕越しに、蒼生も棚を覗き込んでくる。
「ペンのインクがなくなっちゃいそうだったから、補充しに」
「冬矢ってペンのほうが好きだよね」
「はっきり筆跡が残るのが好きなのかもな」
 詰め替え用リフィルの並んだ棚を1つ1つ見ていくが、上のほうにはない。どんどん辿る視線が体ごと下に行く。こだわった結果、メジャーな路線からずれてしまったせいか、毎回探すのに苦労するのが困りものだ。
「あった、これだ」
「ねえ、それって使いやすい?」
 頭上で本体のほうを興味深げに眺めていた蒼生が、ラベルのあたりを指で辿る。
「ああ、乾きやすくてインクが擦れないのと、字が細くて書きやすいよ」
「そっかあ。僕も使ってみようかな」
 ふーん?
 俺は、見上げる角度を堪能しながら、蒼生に笑いかける。
「お揃い、か」
「へっ!?」
 ぎょっとしたように蒼生は俺を見る。さっと頬が朱に染まった。
「そっ、そういうわけじゃなくて、あの、使いやすいペンとか、僕も探してたから、あの、えっと」
 ふふふ。照れた顔も可愛いな。
 挙動不審の蒼生は、そうやって少しきょろきょろとあたりを見渡した後、突然しゃがみこんで俺の目を覗き込んできた。
「で、でも、そういうわけじゃないけど、お揃いは、嬉しい。……こどもみたいなこと言っておかしいと思うけど、一緒はなんだか安心するから」
「……そうか」
 戸惑ったような、上目遣いの視線。
 ああ、好きだ。
 どうしようもなく好きだ。
「蒼生、お揃い好きだからな。俺も蒼生と一緒は嬉しいよ」
 蒼生はふんわりと笑って、グレーのマフラーをぎゅっと両手で握りしめた。

 文房具屋を出たところで、俺は蒼生に向き直る。今更もう隠すこともない。
「あったかいものでも飲んで行かない? もうちょっと一緒にいたいから」
 すると、ぴょんと跳ねるようなしぐさをした蒼生が、はにかんで笑う。
「嬉しい」
 そうか。嬉しいのか。
 ああ、駅前でなければ手を繋ぎたいところだ。
 ここからすぐ近くに、2階建てのカフェがあった。本当はもう少し奥に行けば、母さんに連れられて何度も行ったカフェがある。そっちにいつか蒼生を連れて行きたいと思っているんだが、オーナーと知り合いになってしまったため、ふたりきりだと少々行きづらい。バイトに誘われてもいるから、働き始めて慣れて来たらいずれ招待するとして、今日は気軽なほうにした。
 1階のカウンターでメニューを眺め、蒼生の好みを聞くと、背中をぽんと叩く。
「席、探しておいて」
「えっ、でも、注文……」
「俺がしておくから」
「だけど」
「付き合ってもらったからそのお礼。ね? スマートに決めようとしてるんだから意を汲んでくれると嬉しいんだけど」
「うう……」
「健太には内緒、な」
「!」
 名前を出すとぴくんと肩が揺れた。ふふ。ようやく、ふたりっきりのデートだってことが実感出来たかな。本当はもっと、1日中……いや、ずっと一緒にいたいのに。今はこんな短い時間だけだ。いつか。絶対にいつか。
 ちらちらとこちらを見ながら2階へ続く階段を上っていく蒼生を見送ってから、カウンターで注文を済ませる。
 ……健太には内緒、か。たぶん俺には黙っている健太との“内緒”もあるんだろうな。俺たちは、3人で付き合ってるということになっているが、厳密に言えば俺と蒼生が、健太と蒼生がそれぞれ付き合ってるわけだ。俺たちがそうなら、健太とも当然恋人同士なのだから、ふたりだけの秘密があっても何の不思議もない。別に何をしていてもいいと思う。3人でなければデートも駄目、だなんて決めたことはないしな。そんな縛りを作っては、全員息が詰まるだろう。そのあたりはふんわりさせておいていいんだと思う。
 そもそも、あいつが蒼生に無茶なことをするはずがない。俺に対しても、3人の関係が崩れるような隠し事はしていないだろう。なにせ、蒼生も健太も嘘をつくのが下手だから。
 まあ……これが正しい形だとは言わない。3人で付き合うなんて、やっぱり歪だ。かといって、じゃあ健太に蒼生を譲るかと言えば、それはまったくの別問題だ。蒼生のことを好きだという気持ちが、あいつに負けているとは思わない。
 トレイにカップを2つ乗せ、2階に上る。時間帯のせいか、席はほどよく空いていた。繁華街でもない駅前の夕方なんてこんなものだろう。その中で、蒼生の姿はすぐに見つかった。窓際の4人掛けのソファ席、奥に座った蒼生はじっと窓の外を眺めている。
「蒼生」
 声をかけると、振り向いて小さく首を傾けた。何の警戒感も抱いていない仕草。
 この席が視界に入る位置に客はいない。俺は向かいではなく、蒼生の隣に座った。蒼生は目を丸くしてから、反対側に首を倒す。ふふ。
 カップを目の前に置くと、わずかに肩の線が上がる。
「ありがとう。……今度、僕がなんかすごいの奢るからね」
「ふ。いいよ。どうせだったら、カラダで返して」
「かっ……ら、だ!?」
 文字通り蒼生が飛び跳ねる。ああ、もう。
「可愛い。……冗談だよ」
「と、冬矢は平然とそういうこと言う……」
 握りしめた右手を左手で包んですり合わせる。もじもじしちゃって、可愛いな。もちろん冗談なんかじゃないのはわかってるんだろうか。纏う空気がぽっと暖かくなった。
 俺は、性欲がないほうだと思う。今まで手を出してきた子の数を考えれば、誰に言っても信じてはもらえないだろうけど。別に、したくてしてたわけじゃない。そうしてほしいと言われれば、生理的な反応で対応していた、それだけだ。布越しならともかく、直接肌を合わせる感覚は、はっきり言ってあまり気持ちのいいものではなかった。いつもただ無言で相手に合わせるだけだった。楽しいと思ったことも、嬉しいと思ったこともない。その感覚が残っているから、正直、蒼生とさえセックスはしなくてもいいと思っている。蒼生とは一緒にいるだけで心地いいし、体温を近くで感じるだけで気持ちいいし、それで満足できるからだ。
 なのに。どうしてだろう。こうやって直接顔を見てしまうと。隣にいてしまうと。……触れたくて仕方がない。そのたびに、初めて触れあった時の、心の一番奥底から溢れてくる未知の衝動が、脳内で鮮やかに再生される。耳元で聞く昂った声に泣きそうになったことも。真正面から至近距離で見た潤んだ瞳に胸が潰れそうになったことも。
 今すぐこのまま、抱いて抱いて抱き潰して、蒼生の中を俺でいっぱいにしたい。こんな感覚、今までに味わったことがない。蒼生だけだ。ただひとり、蒼生だけに。
 衝動に飲み込まれそうになるのを堪え、蒼生の頭を撫でる。蒼生が小さく息を吐いたのが分かった。
「ところで、何を見てたんだ?」
「うん、あれ」
 蒼生が窓の外、下のあたりを指さす。隣のビル1階のショーウィンドウがちらりと見えた。ピンクの壁紙に、茶色のリボン、それから銀の箱。……なるほど。
「もうこんな季節なんだな、と思って」
「バレンタインデーか……。蒼生にはいい思い出になるようなことあった?」
「あ、ない前提で聞いてるね」
「好きじゃなさそうだと思って」
「バレてるなあ……」
 そっと手を伸ばし、蒼生はテーブルの上のカップを取る。そして、「いただきます」と呟いてそっと唇をつけた。
「小学生の頃、やたら義理チョコが流行ったことがあって。向こうがとにかく数を渡すことにこだわるっていう謎のムーブが起きたんだよね。中にはクラス全員に個別包装の小さいチョコ配る子もいてさ」
 ふーん。蒼生も発端の一部な気がするけどな。ひとりに渡すと目立つから、周りにも配るという心理が透けて見える。
「でも、貰ったからには返さなくちゃいけないでしょ。だからお小遣いはたいてお返し用意して……それでも足りないから親に前借りすることになって、しばらくおやつも買えない事態が続いた記憶が鮮明に残ってるんだよね。中学入ったらそこまでではなくなったけど、小学校時代の知り合いも多かったから、やっぱり……」
「中には本命だった子もいたんじゃない?」
「……え?」
 思いもよらなかったように目を丸くすると、すぐに笑って片手を振る。
「ないない。みんな他の子にも渡してたもん」
 まあ、蒼生はそう理解するだろうな。大多数が「もしかして自分だけは本命なのかも」と思うシチュエーションでも、蒼生には届かない。その可能性を最初から否定、いや拒否しているせいだ。
 わずかに目を伏せ、どこか遠くを見るようにして蒼生はカップを握る手に少し力を込めた。
「今思えば、同時に告白してくる子もいたっけ。……そっか、もしかしたらそういう子もいたのかも。だけど、僕には、それが煩わしかった。好かれてるなんて鬱陶しいと思ってた。僕のことなんて見ないでほしかった」
「蒼生……」
 俺の声に、はっとしたように顔を上げ、持っていたカップをテーブルに置く。それから上半身を捻るように俺のほうに身を乗り出した。
「あ、の、今は違うよ? す、好きって言われるの、好きだし、嬉しいし、……ず、ずっと見ててって思ってる」
 ほんのり赤い頬に、真剣な目。素直に、嬉しいと思った。俺に誤解されたくないと思ってくれたのが嬉しいのと、今までの蒼生だったらはっきりと口にしなかっただろう言葉をくれたことが、どうしようもなく嬉しい。
 ああ、好きだな。
「たぶんなんだけど。蒼生には自分が向けている矢印がちゃんとあって、なのに後ろから刺してくる矢印が苦手だったんだと思うよ」
「え?」
「きっと俺の矢印は、蒼生の正面から刺さってる。ね?」
「……そっか。そうだね。えへへ。うん」
 ぽっとさらに頬を赤くして、くすぐったそうに笑う。可愛い。
 それから、きっと。蒼生の矢印は、今、おそらく。願わくは。
 思わず伸びそうになった手から、蒼生は弾かれるようにして脇によけた。嫌がられたわけじゃないことは、俯いた首筋の火照った感じとそわそわと動く指先でわかる。うん。照れてるだけだね。
「え……っと、僕はともかく、冬矢もお返しとか大変だったんじゃない? 前に手作りで返したことはないって言ってたよね、きっと数も多かっただろうし」
「数で言ったら、ほとんどないんじゃないかな」
 言うと、途端に怪訝な表情になる。
「冬矢みたいなイケメンがそんなことある?」
 なんて言ったらいいんだろう。蒼生の誠実さと比べると、俺の行動がひどく冷たいものに見える。いや、実際思い返してみると、ずいぶん冷たく接してきた自覚はある。少し言葉を選ぶ必要があるな。
「小学生の半ばくらいまで、短期間で引越ししてた話はしたよね」
「うん」
「2月にいる場所に、1か月経つといないこともあって、貰ってお返しするっていう習慣が身に着かなかったんだ。それで転校しないで3月を迎えた時に、お返しをくれなかったって大騒ぎされたことがあって。それ以降、全部貰うのを断ることにしたんだ。だから、返すこともほとんどなかった」
「……なるほど。毅然とした態度で断るって手もあったのかあ」
 結局、貰ったものに対して何もしていないのは事実だ。蒼生がそこに突っ込んでくれば正直に明かすつもりだったが、蒼生はそれ以上聞いてこなかった。なにより、断っていたことをそのまま受け止めてくれたことにほっとした。
 それにしても、あの騒動にはうんざりしたな。俺が欲しいと言ったわけではないのに。いや、受け取った当時の俺も悪かったんだろう。今ならそう思う。それ以降、直接渡してこようとする子には断り、間接的に置いてあるものについては完全にスルーしてきた。
「一度、森に言われたことがあったな。さすがに付き合ってる子のはもらえばいいのにって。だけど返す時期に別れてたら余計に面倒だし」
 そんな状況になったら向こうだって困るだろうからな。
 蒼生が緩く指を組んだ。目線がテーブルの端を撫でる。
「……蒼生?」
 ぴくん、と小さく肩が揺れた。
「うん?」
「どうした?」
「なんでもないよ」
「なんでもなくないだろ」
 戸惑ったような沈黙。蒼生の目は手元に落ちたままだった。
「んー……あの、その、……カノジョの話、どんな顔で聞いたらいいかわかんなくて」
 !
 しまった、油断した。
 蒼生にははっきり話さないようにしていたのに。
「ごめん」
「あ、ううん、謝んないで。聞きたがったの僕だし。お付き合いしてるカノジョがいたのは知ってるし。過去のことだっていうのも十分わかってるし。……なのになあ……あー、ごめん」
「いや、俺が悪い。ごめんね」
 組んだ手に、左手を重ねる。それから右手で肩を引き寄せる。蒼生は、されるがままに俺の肩に頭を乗せた。
「うう、僕って嫉妬深かったのかも……」
「ついでにもうひとつ謝ってもいい?」
「?」
「……ごめん、蒼生が嫉妬してくれて嬉しい、って思っちゃった」
 目を瞬かせる蒼生。それから、困ったように笑って、頭を肩に擦り付ける。
 可愛い可愛い俺の蒼生。
 これからはもっと気を付けるようにしよう。


 バレンタインデーも直前に迫ってきた。俺はキッチンの端の棚から、古いレシピ本を取り出す。この家にしばらく根を張ると決めた時に、母さんが買ったオーブンの付録としてついてきた本だった。母さんが働きに出てからは自分で夕飯を作るために見ることもあったけれど、真剣に目を通すようになったのはここ数年のことだ。ソファに座り、なんとなくデザートの項目をぱらぱらとめくり、ひとつ息をつく。
 今まで、イベントごとなんて意識してこなかった。相手に何かしてあげたいなんて思いになったのは本当に蒼生が初めてで、どうしたらいいのかがよくわからない。いや、まったく意識しなかったわけではない。蒼生と出会ってから、バレンタインデー当日を外して、さりげなくチョコは食べさせていた。蒼生が甘いものが好きだというのは知っていたからな。中2の時はコンビニで売っているような小さな箱入りのチョコを半分こにした。中3の時はトリュフチョコを作って、やっぱり半分に分けた。たしかどちらも「貰ったもののお裾分け」と言い訳したような気がする。蒼生はそれを疑っていなかった、と思う。
 蒼生がどういうふうに当日を過ごしていたかは知らない。この前の話から察するに、渡されるものをとにかく貰って困っていたようだが、蒼生自身は何をしていた? 少なくとも俺がなにかしてもらうことはなかった。健太相手にはどうだったかわからないが、無自覚同士が何かしていたなんて考えられないから、おそらく蒼生から動くことはなかったと推測する。
 そんな蒼生に何をしたらいいだろう。恋人同士になった以上、イベントは避けて通れない。違うな、避けて通りたくない。何かしたい。喜んでほしい。笑ってほしい。
 クリスマスなんてわかりやすいイベントはいいんだ。問題はこのバレンタインデーというやつで、女子から男子に送るようなイメージがついてしまっている。だとすれば、俺はどう捉えるべきなんだ? ひとりだけ盛り上がってしまうのも少々違和感があるんだよな。
 …………待てよ。蒼生から何も……?
 去年の冬。俺がトリュフを蒼生の口に放り込んだ時。蒼生らしくてすっかり通常の記憶として流していたけれど、あの時蒼生は持っていた板チョコを俺にくれたよな。
「早速、お返し」
 そう言って笑いながら。板チョコが1枚、偶然鞄の中に入ってることってそんなにあるか? あれは、蒼生からの好意だったんじゃないのか? たしか、ホワイトデーの時にも「準備したのが余っちゃって」と小さなプラスチックのパッケージに入ったキャンディーをくれた。リンゴのキャンディーだ。あのきっちりした蒼生が余らせる?
 考えれば考えるほど、蒼生の想いを受け流してきたような気になってくる。たしかに友達でいなければと自分を抑え込んでいた時期ではある。だが、本当にそうだとしたら、俺は鈍感すぎやしないだろうか。
 居ても立っても居られない。マフラーと鞄を掴むと、急いで玄関に向かった。

 母さんはリビングのドアを開けるなり、
「すっごいチョコの香り!」
 と大きな声を上げた。
「ごめん。キッチン使ってる。あ、おかえり。……夕飯のことすっかり忘れてたな、こんな時間か。レトルトでもいい?」
「ただいま。それは……全然構わないんだけど……なになに?」
 鞄もおろさないままで母さんがキッチンを覗き込んでくる。
「ブラウニーだよ」
「へえ……なんだか本当に最近おしゃれなもの作るようになったよね。えっ、もしかしてバレンタインの?」
「いや、んー……。なんていうかな」
 結局、俺はこのイベントを「恋人に日頃の想いを込めたものを贈る日」と解釈することにした。チョコレートだとあまりにそのままな気がして、このくらいなら大仰にならないだろうとブラウニーを焼こうと思った。
 だけど、そうだよな。第三者の目から見たらバレンタインの準備以外の何物にも見えない。しかも事実だし。だが、蒼生のことを母さんに話していない。蒼生に無断で話すべきではないと思うからだ。どう説明したらいいんだろう。
 母さんは、黙り込んだ俺を見て頷いた。
「まあ理由はどうでもいいか。美味しそうだし。あ、さては私への感謝の品かしら」
「…………うん」
「ずいぶん間が開いたわぁ……。いいのいいの、まだ私に紹介してくれてない大事なお友達くんにあげるんでしょ。甘いものが好きな子みたいね」
「……っ」
 さらりと言った母さんに、なんだか……肩の力が抜けた気がする。……いつか、ちゃんと紹介……してもいいのかもしれない。
「味見する分くらいならあるよ。はい」
「あら嬉しい。いただきまーす。……あ、美味しい。え、ほんとに美味しい」
「よかった」
 突然、母さんが携帯電話を取り出し、壁のカレンダーと見比べ始める。次に何を言い出すのかがなんとなくわかった。
「あのね、冬矢くん」
「はいはい、父さんのところに持ってきたいんだろ。いつ? 当日?」
「話早い! 当日~……はちょっと予定読めないから、翌週かな。その日なら金曜日に仕事先から直接父さんのとこ行けるから、木曜日に作ってくれたら嬉しいな」
「了解」
「金曜発で日曜戻りの便取れるかな……。冬矢の手作りって言ったら父さん大喜びよ」
 2つ目に手を出しながら母さんはにこにこしている。夕飯前なのにな。とりあえずなくならないうちに、本命の分はちゃんと避けておこう。


 学校で渡すのは人目があるし、帰りだとタイミングを逃す可能性がある。一番確実なのは朝だろう。そう思って、蒼生が家を出るだろう時間より早めに家を出た。すっかり慣れた道だが、角度が違う朝の光は、それだけで違う景色に見えてしまう。蒼生の家の前まで来ると、計ったように隣の家のドアが開いた。
「げっ」
「チッ」
 健太の漏らした声と俺の舌打ちが被る。
「朝練はどうしたんだよ」
「今日はねえんだよ。顧問の出張でこちとら1日フリーだ」
「ずいぶん都合がいい部活だな」
「日頃の行いがいいもんで」
 蒼生に会いに来たのに。なんで俺は朝から健太と睨み合っているんだ? 不本意なんだが。
 近くまで歩いてきた健太が、ふっと目をそらす。
「そういえばおまえさ、バイト何回か行っただろ」
「? ああ。それが何か?」
「か、可愛い子とかいたりすんのか」
 は? なんだって? 突然ずいぶんと突拍子もないことを言い出すじゃないか。
「質問の意図が見えないんだが。……おまえ、蒼生がいながら他の子が気になるとか言うんじゃないだろうな? 蒼生を傷付けるつもりなら許さないからな」
「違ぇよ! おまえだよおまえ! 別の環境で目移りしてんじゃねえかって心配してんだよ!」
 そこまで聞いても、何故健太がそんなことを言うのかがわからない。
「世界で一番可愛い蒼生がそばにいるのに、他の子が目に入るわけないだろ」
「……まあ、そうか。世界一可愛いもんな」
「当たり前のことを聞くなよ」
 おかしな奴だ。
 当の蒼生は、そのやり取りのさなかにぽんと降り立つようにドアから出てきた。想定していた時間通りだ。
「……へ? どういう状況?」
 俺たちに気付くなり、不思議そうに首を傾げた。それから小走りにこっちに向かって駆けてくる。おはよう、と挨拶を交わすうち、その表情が溶けるようにふんわり緩んでいく。途端、ささくれ立った気持ちがすっと和む。どうやら隣の健太も同じらしかった。
 どうせ目的も一緒だろう。早速、鞄の中からこげ茶の包装紙でラッピングした箱を取り出す。一拍遅れて、健太も円筒型の赤い包みを出した。それを、蒼生に同時に差し出す。
「えっ。……あ、ありがとう」
 蒼生は両手で受け取ると、にこにこと嬉しそうに左右の手を見比べた。
「健ちゃんの、これ、僕が好きなお店のショコラクッキーだ」
「限定品だって。蒼生にあげたいなって思ったから」
 そうか。こいつ、バレンタインは誰が誰にあげるべきかなんて、そういうこと全く考えてないのか。蒼生にあげたい、ただそういうまっすぐで素直な気持ちなんだな。やっぱり俺は健太が羨ましい。
「冬矢の……」
「ブラウニー焼いたんだ。よかったら食べてほしい」
「ふふ。うん。絶対美味しいやつだ」
 何度も何度も頷いて、蒼生はそのふたつをとても大事そうに胸元で抱き締める。
「嬉しい。どっちも本当に嬉しい。ありがとう」
 もう、それだけで満たされる。蒼生の傍は、こんなにも暖かい。
「あ、の、それでね。えっと……」
 小さく頭を振った蒼生が、丁寧に俺たちが渡したものを鞄をしまう代わりに、可愛らしい水色の箱をふたつ手に取った。
「ぼっ、僕も悩んだんだけど、やっぱりいつもありがとうと大好きの気持ちを込めて……っ」
「蒼生……」
「やっべめちゃくちゃぎゅーってしたい……」
「あっ、ちょっと外なので……」
 ああ。
 そうか、形はともかくとして、大好きを伝えたいのは、俺たち3人とも一緒なんだな。

 駅へ向かう道を3人でゆっくり辿る。時間に余裕があるからというだけではなく、俺たちが蒼生の暖かな雰囲気の余韻に浸っていたかったからだと思う。今がチャンスなのかなと思って、俺は蒼生の袖を引いた。
「なあ蒼生」
「うん?」
「勢いで聞くんだけど、中3の時俺にくれたチョコってさ。あれ、俺宛だった?」
「…………っ」
 蒼生は明らかに狼狽えて指を躍らせ、それを隠すように両手を組む。
「冬矢は……いつも僕に親切に色々してくれるから……喜んでほしいなって思って、買ったんだけど。でも、きっと他の子からたくさんもらってるだろうし迷惑かなって思ったら渡せなかった……」
 そうか。だから俺に「お返し」の体裁を取って渡してくれたんだ。
「ホワイトデーのキャンディーも?」
「うん……」
 指に力を入れて、蒼生は俺の顔をちらりと見た。
「冬矢のほうこそ。もらったの分けてくれたって言ってたけど、この前全部断ってたって言ったよね。やっぱり、僕のために用意してくれてたんだ」
「そうか……そうだよな、あの話したらバレるよな。はっきり言えなくてごめんね」
 もしもあの時、素直に気持ちを全部話せていたら、蒼生は受け止めてくれただろうか。友人だと思おうとしていた俺と、友人だと思っていた蒼生では、何も起きなかった可能性はある。でも、逆の可能性もあったわけだ。
 ぐい、と俺と蒼生の間に健太が割り込んでくる。
「いーなぁ。俺も蒼生から欲しかったなあ」
「そういう雰囲気なかったからね。でもお互いにもらったやつ分けっこして一緒に食べたりしてたじゃん」
「……なるほど、そうだな」
 健太はあっさり引き下がる。たしかにそうやって一緒に過ごすのもいいだろうな。
 ふう、と蒼生は短く息を吐く。
「そんな感じだったから、僕もさすがに2月だけは甘いもの苦手になるんだよね」
「あはは、あの量だもんなあ」
「ちゃんと食べてたの? それは大変だ」
 笑う俺たちに、蒼生が無邪気な顔を見せる。
「でも、もうそんなことはないもんね」
 ……ふふ。そうだね。

 蒼生の委員会もなければ健太の部活もない。休み時間は席を外し、昼は学食へ、帰りは急いで学校を出る。男子生徒が多く教室に残っている状況は、逆にとっとと帰るには目立たなくてよかった。
 それでも声をかけてくる子たちはいた。俺はいつも通り、だが角が立たないように丁寧に断った。健太もいくつか断ったらしい。俺といる時に蒼生が声をかけられることもあったが、
「ごめんなさい。本当に受け取りたい人がいるので」
 そうはっきり伝えていた。優しい蒼生にとって、それはとても勇気のいることだったと思う。俺は感心したし、誇らしくも嬉しくもあった。蒼生は、本当に、俺たち以外から受け取る気がないんだ。
 無駄な接触を避けるために急いで帰ったせいで、課題を蒼生と一緒に出来なかったのは誤算だったけれど、今日くらいは仕方ないかもしれない。ここ最近ひとりで復習することなんてなかったからなんだか味気ない気がするけどな。そのせいかやる気が出なくて、課題の確認をしたのは短針がだいぶ上を向いた頃だった。鞄の中から教科書を出し、…………。
 ん? おかしいな。ペンケースがない。教室の机の上にあったはずだ。蒼生と一緒に急いで片付けて、帰る際に見た時は机の上には何もなかった。もしかして、ばたばたしていたから、蒼生の荷物に紛れてしまっただろうか。土日を挟むとはいえ、家に文房具はあるわけだから、急ぐ必要はない。でももし蒼生が持っていて、俺のペンケースがあることに気付いたら、きっと蒼生は気にしてしまうだろう。一応連絡を入れておくか。
 蒼生からの返信はすぐあった。
『わかった。すぐ確認するね』
 急がなくてもいいよ、と返事をしようとすると、次のメッセージが入ってくる。
『鞄の中に入ってたよ。ごめんね。いそいでなけ』
 蒼生?
 途中でボタンを押してしまったのかとしばらく待ってみたものの、続きはなかなか届かない。仕方なく、「月曜日でいいよ」と送っておいた。
 結局、蒼生の返事は翌日明るくなってから届いた。
『昨夜は途中で間違えて送信しました。ごめんなさい。明後日学校に持っていきます』
 嫌な予感しかしない。


 週明け。駅前で待っていた俺に気付いた瞬間、蒼生は顔を赤くして、健太は白々しいとぼけ顔で、同時に目をそらした。
 やっぱりそういうことか。
 本当にこのふたり、嘘がつけないな。
 俺が笑ってみせると、合わせたようにびくりと肩を揺らした。やれやれ。
「……3人じゃないと駄目だって決めた覚えはないから、いいけどな」
 蒼生の顔を覗き込む。
「蒼生?」
「……はい」
「週末、俺の家ね」
「……はい」
「えっオレ予定入ってるんだけど!」
「健太の予定は聞いてない」
「デショウネ」


 雪が降っていた。景色は灰色で、ぼそぼそと傘に降り積もる白は、影になってやはり灰の色合いだ。
 一度家に帰った蒼生とは、駅前で待ち合わせた。初めて蒼生を家に呼んだ日と同じ場所。あの日蒼生を待たせた俺は、今日は蒼生を待つ側だ。
 やがて現れた蒼生は、鮮やかな空色の傘を傾けて笑う。
「ごめんね、おまたせ」
 同じ店で夕飯を仕入れ、俺たちは家路を急ぐ。季節が違うから、あの時とメニューは違うけれど。
 家に入ると、温めていた空気に蒼生は大きく息を吐いた。
「……怒ってる?」
「え?」
 俺にとって、それは予想外の言葉だった。が、考えてみればそうかもしれない。俺の認識そのままに蒼生が思っているわけではないのだから。蒼生は蒼生なりにこの1週間考え込んでいたんだろう。
「この前も言ったんだけど、本当に怒ってないよ。俺たちは3人で付き合ってるけど、健太が蒼生と付き合ってるっていう事実もちゃんと尊重してる。もちろん、その分俺との交際も健太には尊重してもらわなきゃ割に合わないけどな」
 買ってきたものをダイニングのテーブルの上に置く。
「ただ、いつかふたりきりで一夜を過ごしたいなって俺も思ってたんだよ。先を越されたことは、正直、悔しい」
 蒼生は困った顔をする。だから俺はそっとその髪に触れた。
「でも蒼生は気にしなくていいんだ。こういうのってタイミングだからね。むしろ独り占め出来る日を、思ってたより早く迎えられたのが嬉しいよ」
 頬に唇を寄せると、ようやく蒼生の表情がほころんだ。
 向かい合わせに座って、俺たちはファストフードの包みをテーブルいっぱいに広げた。久し振りに腕を振るいたいところだったが、時間があまりなかった。昨日は母さんが父さんに持っていくブラウニーを焼いていたから。ただ、こういう普通の友達同士みたいな風景も嫌いではない。
 一口目を飲み込んで、俺はさりげなさを装って切り出す。
「健太が我慢できなくなったんだろ」
 蒼生は口の端についたソースを舌で拭いながら首を振った。
「ううん。僕が誘った」
「蒼生から?」
「だってふたりともなかなか手を出してこないんだもん。我慢できなくなったのは僕。泊まりに来るって言うから、チャンスだなって思って」
 ……え?
 たしか、蒼生は「そういう話」が苦手だと健太が言っていた。そういう……つまりセックスに関する話題だ。だから行為自体も苦手なんじゃないかとあいつは心配していた。たしかにその可能性はあると思ったから、蒼生の体力と俺たちの欲望も考慮に入れつつ、慎重に事を進めていた。その結果、最低限しか触れてこなかったのは確かだ。
「嫌、じゃないんだ?」
「冬矢もそう思ってたの? あの……体力ない自覚はあるんだ。毎度バテちゃうのも申し訳ないと思ってるんだよ。でも嫌なんてことは全然なくてね、本当は、あの、もっと、したいなー……なんて思って……おりまして。なんでふたりが僕にその気ないみたいに誤解してるのかが不思議なんだけど」
 なるほど。健太の心配は杞憂だったわけだ。話しぶりを聞いていると、話題が嫌いなのに努力して話を続けているという感じも全くしない。蒼生にとってこの話は苦手な部類ではなさそうだ。でなければ、ポテトを口に運びながら話せるわけがない。
 というか、食事をしながら平然とこういう話が出来るって、ふふ。その可愛い口からこの話題が出てくるイメージないもんな。
「蒼生って清廉潔白な印象を相手に与えるからじゃないか」
「それっぽいこと、健ちゃんにも言われたよ。一般的な高校生男子並みの欲はあるつもりでいるんだけどなぁ……」
 ああ、それを俺の前で言うんだ。つまり、今、俺は誘われてるんだな。一緒にいると無意識にねだってるのかなと思う瞬間が度々あったけれど、あれは意識的な行動だったのか。なんて可愛い。
「じゃあ、今日はそのつもりで来たんだ?」
 敢えて聞く。
 蒼生は、親指の先を小さく舐めて、ちらりと俺を見た。
「……そのつもりで来ました」
 最高に可愛いな。
「イメージと違う僕じゃ駄目?」
「んーん、新発見があるたびに嬉しくなるよ。愛しくて倒れそうだ」
「手を出さない間も、その、僕に……触れたいって思っててくれた?」
「もちろんだよ。誤解しないでほしいのは、いつだって触れたい気持ちはあるんだ。でも、誰にも見つからないで、蒼生が安心して体を預けられる場所と時間を探すのがちょっと難しいだけ。蒼生にはわかるよね」
「あー……そっか。そうだよね。人目につかないって難しいね」
 素直に蒼生は頷いた。

 廊下の向こうから聞こえるシャワーの音に耳を澄ます。
 蒼生のことが好きだ。誰よりも好きだ。蒼生にはずっと幸せでいてほしい。笑っていてほしい。それは変わらず思っている。そして、そんな蒼生の隣に俺もいたい。でも実際には、そこに俺だけではなく健太もいて、蒼生は健太にも笑いかける。
 当初から、俺はこれを歪だと捉えていた。俺が蒼生を失わないためのただの言い訳で、言ってしまえば俺のわがままで、蒼生と健太にはこの状況を強いている。3人で付き合う提案をしたのは俺だ。いずれ奪って蒼生は俺だけのものにすると決めている。それが正しい形だと。だが。
 さっきの蒼生の言葉を聞いていて、ふと思った。
「怒ってる?」
 ただの一言だ。でも、蒼生の後ろめたさを感じるには十分だった。蒼生の幸せを願っていると言いながら、蒼生が恋人である健太と付き合うことに後ろめたさを感じさせてしまっている俺は、本当に正しいのか?
 健太といる蒼生は楽しそうだ。ずっと一緒にいるからこその空気を持っている。それは俺とでは作れない。積み重ねた年月が違うのは、どうしようもない事実だから。俺は、蒼生からそんな健太の存在を奪うのか? もしかしたら、本当に、俺はおまえから健太を奪うだけの存在なのだろうか。
 そろそろ、蒼生がそれに不満を抱いてもおかしくないのかもしれない。
 俺は蒼生の立てる音を黙って聞いていた。やがて足音が近付き、部屋の前でぱたりと止まる。ドアのほうを向くと、蒼生が半分だけ顔を覗かせて俺を見ていた。笑いかけると、ほっとしたように部屋に入ってくる。無理に笑顔を作ったわけじゃない。あんな話をしていながら、いざとなると緊張する蒼生に、自然と笑みがこぼれた。照れるタイミングさえも可愛いんだよな。
「シャワーいただきました」
「おそまつさまでした」
 笑いあってベッドのほうに向かうと、合わせるように側に寄ってくる。肩を抱けば重心が俺にかかり、そっと下に向けて力を入れると何の抵抗もなく俺と一緒にベッドに座る。残った手で膝の上の手を握ると、指先が俺の小指に絡みついた。
 委ねられている、という実感。
 こんな可愛い蒼生に、俺は。
「……蒼生」
「うん?」
「不安とか不満とか、ちゃんと言葉にしてほしい」
 蒼生は背中に少し力を入れて、覗き込むように俺を見る。透明なまなざし。
 それからいったん視線が床を薙ぎ、戻って来た時には少し揺れて見えた。
「……やっぱり、冬矢、悩んでたんだ」
「え?」
「最近、ちょっとおかしかったもん。好きだって言ってくれてるのに、一歩離れてるみたいな。だから悩んでるのかなって。それは僕のことかもしれない。僕を置いていくのかな、やっぱりこんなネガティブな奴は面倒だったのかなって」
 蒼生。
 そんな、俺は。
「不安かあ。あるよ。冬矢ってあんまり話してくれないなあ、とか。そうやってふたりして僕から離れて行っちゃうんじゃないかなあとか。ふたりとももともと彼女がいたし、いずれ僕じゃダメだって思う日が来るんだろうなとか。きっと僕のことが重くなるんだろうなとか。……それから、もうそう思われてるんじゃないか、とか」
 蒼生はそこまでを一気に言った。
 俺とは違う、不安。
 両手に力が入る。
「俺は……嘘をついてたんだ」
「……え?」
「もう、ずーっと蒼生のこと好きだったのに。下心があって、手を出したい、触れたいと思っていたのに、蒼生にはいい友達だよって顔をしてた。そうであろうと努力してたんだ。それは蒼生にも、俺自身にも嘘をついていたってことになるな」
 蒼生はまっすぐな瞳をそらさない。
「俺は……すぐ聞こえのいい言葉を口にしようとする。誤魔化したり、騙すようなことを言ったり。でも、それが必要だと思うこともあって。たぶんこれからも言葉を繕うことはあると思う。……だけど、絶対に嘘は言わないって決めたんだ」
「……うん」
「もしも。もしもだよ? 万が一、蒼生のことを重いと感じたり、心が離れるようなことがあったら、絶対に言う。必ずだ。だから、信じてほしい。今は蒼生しか見えない。蒼生のことが、蒼生だけが好きだ。可愛い可愛い俺の蒼生……」
「冬矢……」
「それにね。たぶん俺のほうが重いよ。だから、蒼生のことを潰してしまわないか、それが心配」
 小さく蒼生が首を傾げる。
「それが冬矢の悩みごと?」
 ああ。そうだな、蒼生にははっきり言わないと。優しい蒼生は必要以上に心配してしまうから。
「別の心配もあるんだ。蒼生は……俺と健太の板挟みになってるって思うことはある?」
「ううん。思わない」
 きっぱりと。
 俺は、健太と俺が渡したものを、両手で大事そうに抱き締めた蒼生の姿を思い出す。
 そうだ。
 あれが、蒼生の本音。
 蒼生がくれた答え。
 もうとっくに蒼生は答えてくれていたんだ。
「……そうか。ありがとう。それが心配だったんだ。蒼生が、俺と健太の間で苦しんでるんじゃないかって」
「僕は……そりゃ不安もあるけど、でも、ふたりといて幸せだとしか思ってないよ」
 今、はっきりわかった。
 蒼生は俺と健太を選べなかったわけじゃない。俺も健太も選んだんだ。
 全てを受け止めたい。
 蒼生の全部を。
 蒼生が健太を想う、その心ごと。
「これからも、蒼生の話を、声を、聞かせてほしい。どんなことでもいい。不安も不満も弱音もわがままも、全部」
「僕の話……」
 わずかに肩から力を抜いて、蒼生はすっと目を落とした。
 何か言いたいことがあるんだな、とわかる。
「…………」
「蒼生。いいよ。話して」
「……あのね。隠してた僕のこと、初めて気が付いてくれたのは冬矢だったけど……。僕の話をこんなに聞いてくれたのも冬矢が初めてだったんだ」
「うん」
「生まれた時からずっと、賑やかで楽しいきょうだいたちに囲まれて。おしゃべりが好きな2人の母親がいて。僕、トロいから、口、挟めなくて。なんとか入り込もうとしても、いつも、余計なこと言うなって言われて。黙ってたら何も言わないんだなって言われて。だから、笑って聞いてることしかできなくなった。……なのに、冬矢は、聞いてくれる。認めてくれる。受け入れてくれる」
 震える語尾。
 ああ、なるほど。
 そうか。
「蒼生は、ずっと寂しかったんだね」
「……はっきり言っちゃダメ……泣いちゃうから」
「いいんだよ。全部俺に見せて。それに、隠したってすぐわかっちゃうからな」
「……ふ。ふふ。そっか。そうだったね」
 ぱっと上げた目は、震える笑顔の中で少し潤んできらきらと光る。胸が締め付けられる。
「ほら。言ってごらん。蒼生はどうされるのが好き? 俺に何をしてほしい?」
「あの、ね。……冬矢に頭、撫でられるの好き……」
「それから?」
「ぎゅってして、ほしい」
 俺は蒼生を両腕できつく抱き締め、それからゆっくり右手を蒼生の頭に伸ばした。さらさらと心地よい手触りの髪。優しい香りのする頭をそっと胸元に引き寄せる。
「…………っ」
 蒼生の手が、俺の服の裾をぎゅっと掴む。左手をその手にそっと添えると、指を絡めて外し、俺の背中のほうに回した。戸惑ったような動きで俺の背を撫でた手が、やがて必死にすがりつくように背中の布を握りしめる。反対の手も背中に届く頃には、蒼生の嗚咽がはっきりと聞こえるようになっていた。
 俺は震える耳に口づける。
 それから、髪に。
 頬に。
 額に。
 何度も。
 “愛おしい”。
 この胸の奥からこみ上げて溢れる感情は、そういう名前なのだと実感する。
 可愛い蒼生。
 大好きな蒼生。
 誰の前でも泣けなかった蒼生。
 その蒼生が、今、俺にすべてを預けて泣きじゃくっている。
 ずっと抱き締めてキスを繰り返す。
 この瞬間、時が止まってしまえばいいのに。
「ごめ、……ごめんね」
 ひとしきり泣いて少し落ち着いてきたかな。しゃくり上げていた息を整えるように、蒼生は何度も深呼吸をする。それでも跳ねてしまう胸元が、どうしようもなく可愛かった。
 だから、俺は改めて唇にキスをする。
 蒼生はぴくんと肩を揺らした。
「……こんなぐちゃぐちゃで酷い顔してるのに」
「どんな蒼生も可愛いよ」
 引っ込んだはずの涙が、また瞳を潤していく。俺はそのまなじりに唇を寄せた。
「蒼生は……自分の話を聞いてくれたって言ってたけど、本当は、俺が蒼生のこと聞きたかっただけだよ。俺だってわがままだ。蒼生のこと、全部知りたい。全部に触れたいって思ってるんだから」
「それが冬矢のわがままなの……? うれしい。そんな冬矢だから、僕、たぶん、冬矢が好きって言ってくれる前から、ずーっと好きだったんだ」
「じゃあ、俺たち、ずーっと両想いだったんだね」
「……うん」
 蒼生が、真っ赤な目で頷いた。
 とても、とても綺麗だと思った。

 俺は蒼生の足の下に手を伸ばし、膝の裏あたりを抱えると、抱きかかえるように後ろに倒れ込む。
「……わっ」
 驚いたのか、蒼生は俺の腕にしがみつく。俺の上に蒼生の全体重がかかる。それすら嬉しくて、抱き締める手に力を込めた。逆に力が抜けたのか、蒼生は肩口に顔を埋めてくる。その状態で頭を撫でてやると、両手が背中側からおずおずとずり上がっていき、俺の肩を柔らかく掴む。
「可愛いね……可愛い、蒼生……好きだよ……」
 耳元で告げると、ほんの少しだけ首が反る。残った手で肩甲骨をなぞり、背骨から腰に下ろしていくと、小さな吐息が漏れる。
 本当に可愛いな……だから揶揄いたくなってしまう。
「1週間の終わりだから疲れてるよな。……このまま寝ちゃってもいいよ」
「えっ」
 がばっと蒼生が上半身を起こす。困惑の表情をまったく隠さない顔。
「ふふ。困った顔も可愛い」
「……冬矢はすぐ意地悪をいう……」
「ごめんね。これはきっと直らないな」
「……いい、直さなくて。そんな冬矢も好きだもん……」
 っ、なるほど。思わぬ反撃を食らったな。
「じゃあ、続き、してもいい?」
「して……」
 その言葉を聞いた瞬間、ゾクッとした。
 心臓が握り潰されたように締め付けられ、指先が震える。蒼生。蒼生。
 勝手に右手が動いて、蒼生の頭を掴み、引き寄せて口づける。
 舌で歯列を割り、中にいた子を裏側から舐めあげる。わずかに引いたと思えば、すぐに追いかけるように絡んでくる。だから敢えて引っこめると、やはり俺の中まで追ってくる。愛しい。それを捉えて強く吸う。
「んっ」
 喉の奥からこぼれた声。
 ああ、もっと触れたい。右手を離しても、蒼生の頭の位置は変わらない。自分から舌を絡めてくれていることが嬉しい。両手で蒼生のボタンに触れると、腕に弱く力が入って、俺の手を掴もうとする。薄く目が開いた。至近距離で揺れる瞳。
「ぃうん、え、できぅよ?」
 俺が封じたせいでうまくしゃべれないのも可愛い。自分で出来る、だよな。ふふ。
 でも、駄目。
「ぜんぶ、おぇに、やらへて」
「ん、う」
 音を立てて舌を吸うと、伸びていた手が俺から離れる。それから両手をベッドにつけて、緩く上半身を支える。俺は手が動かしやすくなってボタンを外す速度が上がるけれど、そんなことしなくてもいいのにな、と思う。全部俺がしたいのに。一挙手一投足まで、俺がしてあげたいのに。でも、今はいいか。そんな蒼生が好きなんだから。
 少し上半身を起こして蒼生を支えながら、腕からパジャマを抜く。その勢いのまま、体を反転させて蒼生をベッドに横たえた。離れたくないが、仕方ない。いったん唇を離す。繋がった糸。それすら断ち切りたくないのに。俺は上をすべて脱ぎ、そのまま蒼生に覆いかぶさった。直接伝わる暖かさ。わずかに汗ばんでしっとりした胸元。抱き締めた背中のさらりとした手触り。
 ……あ。
「くすぐったぃ」
 いつもよりゆったりした、笑い含みの声。
「だって、蒼生の肌って気持ちいいからさ」
「胸ないし、硬くない?」
「そんなことないし、……そういう意味じゃない」
「…………?」
 蒼生の首筋にキスしながら、深呼吸する。
 3人でする時には、こんなにじっくり抱き合うことなんてなかった。だから、俺は今、どの感情を表に出せばいいか、わからなくなっている。肌と肌が合うのが気持ちいいと思えることに、俺は、戸惑っていいのか、嬉しいと思っていいのか、泣いていいのか。わからない。きっと蒼生は、俺がこの瞬間、胸いっぱいに溢れた暖かい気持ちで溺れそうになっていることを知らない。
 こんなに。気持ちがいい。
「蒼生、蒼生……」
 俺の腕に応えるように、蒼生も背中に腕を回してくる。あったかい。蒼生。
「ふふ。うん」
 とても柔らかい蒼生の声。耳元で響く。包まれているみたいだ。
「すきだよ、冬矢」
 それは直接脳に届いた、気がした。
「俺も、だよ」
 腕の中の存在がどうしようもなく愛おしくて、この暖かな体にすべて飲み込まれてしまいたいと思う。外からだけじゃなくて中からも、すべて、すべて触れたい。融け合ってしまいたい。
 両足を膝で割って滑り込む。布越しに感じる熱さ。腰を擦りつけると、吐いた息と同時に体が大きく跳ねる。ああ、待ち侘びているのか。可愛い。
「蒼生……下、脱がすね」
「……うん」
 頷いて、わずかに腰が浮く。隙間に手を差し入れ、下着ごと脱がせてやる。俺がやりたいと言ったから、蒼生は手を出さず、ただ俺がやりやすいように体重を移動させてくれてるんだ。その素直な優しさも、俺を気遣う余裕も、全部奪ってしまいたい。
 蒼生は胸元で緩く指を組んで、困ったように目線を壁にやる。ふふ。何を考えてるか、わかるよ。
「キスだけで、ここ、こんなにトロトロにしちゃってるの、恥ずかしいね」
「う、ん……。だって、ぎゅってしてもらって、嬉しかったから……」
 ずっと赤い頬。このまま突き進んでしまいたい。でも。
 改めて、可愛いそこに視線を落とす。蒼生のペニスはすっかり上を向いて、裏の弱いところを見せつけるように火照って震えている。先端は濡れて、粘度のある雫が溢れるように零れていく。
 可愛い。
「ね、蒼生。食べていい?」
「え? あ、え」
 俺は蒼生の返事を待たない。それどころかそれを遮るように口に含んだ。
「ぁああ……っ!」
 反射的に引かれた腰を掴む。蒼生の匂いしか感じない。頭の中が蒼生でいっぱいになる。唇で上下に撫でてやると、蒼生はがばっと上半身を起こした。
「あっ、……ひ、あぁっ、だ、」
「だめ?」
「じゃ……ない……」
 蒼生が起き上ったことで、伏せたその目と視線が合う。上がった息を抑えるためか、蒼生は左手の人差し指の付け根を噛む。
「んっ……んん、ぅ」
 違う。声。声を聞かせてほしい。俺は手を伸ばして蒼生の口元に寄せられた指を剥がす。
「ほら、どうしてほしい? どこが気持ちいいか教えて?」
「ぇ……それも、いうの……?」
「そうだよ。蒼生を気持ちよくしたいから、ね?」
「う、うん」
 どこが気持ちいいか、本当は知ってる。何度も触れて、その反応を見てるから。だけどこうして口で可愛がってあげることは初めてで、もっと知らないことを知ることが出来るかもしれない。その証拠に、ほら。手で触れた時より、舌で先端との境目をなぞった時のほうが声が高い。
 それに、聞きたい。蒼生の言葉で。
 裏の筋を舐めあげる。
「ここは?」
「あっ……あ、す、すき……」
 境目をくるくると巡る。
「……んっ、はぁ、き、もち……っいぃ……」
 それから、先端に唇を滑らせ、蜜を溢れさせるそこを舌でくすぐる。
「っああぁっ! あ、やぁ……っ!」
 ふうん?
「そっか。ここが好きなんだ」
「っあ、あ、……はぁ、す、き……あ、ちょっ……そん、な」
 両足が緊張していくのがわかる。丸い部分を優しく揉み解し、裏筋をこする動きを加えると、蒼生の息が荒くなる。
「ね、だめ、あ、やっ……ん、だめ、出ちゃ、う、か、らあ……ふ、うぅっ」
 可愛い。噛み締めた唇で、限界が来てるのが見える。
 いいよ。ほら。このまま。
「んんっ……、はっ、あ、ぁあっ、やっ、でっ……」
 熱い迸りを、口の中で受け止める。ちら、と見上げると、蒼生は開いた両手で顔を覆っていた。
「……ちゃった」
 あまりの可愛さに、俺は口の中のものを思わず飲み込んだ。
 この際、味だのなんだのは気にしない。とにかく、蒼生が俺のしたことに感じて、達してくれたことが嬉しかった。愛しかった。
 俺は身を乗り出し、蒼生の手を外すとそのまま口づける。蒼生はわずかに顔をしかめた。ふふ。だろうね。
「うー。美味しくない……」
「はははっ」
「……でも、ちゅーは好きだから、もっと」
 その顔のまま、蒼生は俺に抱きついてくる。そうか。好きなんだ。可愛い。
 なら、遠慮なく。もう一度キスをする。離して、もう一度。それを繰り返すたびに、蒼生の表情から棘が消えていく。肩から力が抜け、うっとりとした表情になる。
 髪を撫でる。指先に手を伸ばし、くすぐるように指を絡める。ぴくりと仰け反った喉に口づける。汗ばんだ前髪を上げて、額にもキスを。俺がどこかに触れるたび、蒼生の口からは声とも吐息ともつかない音が零れる。それが心地いい。
 そして俺は触れようとした胸元に、うっすら残っていた赤い跡に気付いた。それが何かはすぐにわかったし、ああ先週の、と冷静に頷くことが出来た。だからそのまま流すことも出来たんだが、さっき蒼生は板挟みだと感じたことはないと言っていたし、ここはちょっと利用させてもらおうかな。
「あ、お、い」
「……はぁい?」
 眠りから覚めた時のような声で、蒼生が答える。俺はその赤い点をそっと撫でた。
「これ。心当たりはある?」
「あ。……ええっと。その……はい。ですね」
 言い淀む口調が可愛い。俺はさらに調子に乗る。
「悔しいから、俺も跡、付けていい?」
「……うん」
 それには返事をする代わりににこりと笑ってみせた。蒼生からはいつもの「ひぇ」という声が漏れた。ふっ、可愛い。

 蒼生の吐息で部屋が満たされる。キスで塞げば、その瞬間だけはしんと静かになる。それを狙って、蒼生の中に潜り込ませた3本の指を撫でるように動かす。
「んーっ……」
 くぐもった甲高い声。
「っは、うぅ、はぁ、はぁ……っ」
 唇を離すと、溜め込んだ分を零したように声が大きくなる。
 左手で頬を撫でながら、舌先を顎から喉元へ、鎖骨へと下ろす。同時に、右手の中指の節で、背中側の襞をくすぐる。小さく腰が反る。少し奥を探るように指を進め、ふっくりとした場所の上で1度だけ円を描く。
「あ!」
 今度は大きく、背中まで反り返る。それをそろりと引き、一番締め付けるところをぐるりと撫でてやる。
「……はっ、あー……、んっ」
 そろり、蒼生の右手が動く。震えて透明な液体を零すペニスに伸びていく。俺はその手をとり、指を絡めて枕元まで戻す。
「もうちょっと、我慢。ね」
「う、うんっ……」
 蒼生はすっかり涙ぐんだような声だ。可愛い。最高に可愛い。
 もう、幾つの跡が付いただろう。肩の下から内股まで、思うがままに吸い付いた。蒼生の白く柔らかな肌は、跡を付けると鮮やかな花が咲くようだった。
 俺はそれだけの跡を付けつつ、ずっと後ろを弄っていた。時々中の弱いところに触れるだけで、後は一度も乳首やペニスに触れない。蒼生が少しずつ焦れていくのが手に取るようにわかる。敏感な場所に近付いても俺は触れない、途中から蒼生もそれに気付いていただろうけれど、そのたびに切なげな声をあげるのがたまらなく可愛かった。
 中の指を波打つように動かし、ぴんと存在を主張する乳首にそっと息を吹きかける。
「うー……」
 蒼生は両手をベッドの上に投げ出したまま、シーツを固く握りしめた。
「……とぉやぁ」
 とろけた声。
「どうしたの?」
「……も、むり……おねがい、とぉや、……いれて」
「ん?」
「いれてぇ……」
 ゾクゾクする。体中の血液が歓喜に踊るようだ。
 ああ。
 なんて、可愛い。
「俺の、ほしいの?」
「ほしいの……ぉ」
「わかった。……いい子。よく我慢したね」
 荒い息の下で、蒼生は微笑む。
 ……綺麗だ。
 指を引き抜くと、体が大きく震えた。
 俺だって、限界は近い。むしろよくここまで耐えたと思う。ズボンを下ろすと、一番素直な感情が、蒼生を求めて屹立していた。
 だが、ここからも焦らない。脱いだものをベッドの下に落とし、ゴムを付ける動作を、あえて蒼生に見せつけるようにゆっくり行う。蒼生は、その俺の手元を、期待の眼差しで見ている。
 蒼生の欲情した眼差し。
 ……たまらない。
「今から、これ。蒼生の中に、挿入れるからね」
「うん……うんっ……」
 蒼生は両腕を俺に向かって差し出す。それだけで満たされる。
 俺は、蒼生の両足を抱え、散々ならしたその奥まった穴に、自身のペニスを擦り付ける。ゆっくり。ゆっくり進む。
「あー……」
 それは快感からなのか、安堵からなのか。声が響く。
 暖かい蒼生の中は、俺を待っていたようだ。ゆっくり進もうとする俺の意思とは裏腹に、どんどん俺を奥に誘い込もうとしてくる。飲み込まれてしまいそうだ。
「……んっ……あぁっ……」
 進んで行くと、俺の首に蒼生の手が届く距離まで来た。蒼生は必死に手を伸ばし、俺の首にすがりついてくる。
「はー……っあ、あ、ふっ……う……」
 俺の首の後ろで、蒼生が強く指を組んでいるのがわかる。
 可愛い蒼生。
 腰が蒼生の体に密着するところまで進んだ。
 ふと思い立って、最後の短い距離だけ、
 少し勢いをつけて打ちつける。
「っ!」
 その瞬間、蒼生の体が、びくんと大きく震えた。
 中がぎゅーっと締まって、くっ……搾り取られるみたいだ……っ。
「……あ……ぁ……?」
 突然蒼生の手が離れ、ベッドにそのまま倒れ込む。
 どこか呆然として天井を見つめる蒼生には、胸元まで白いものが散っていた。
 ……へえ?
 俺は力の抜けた頬にキスをする。
「イッちゃったの?」
「そ、そうみた、い……? ぁれ……?」
「ふふ。可愛い。それだけ我慢出来てたんだね。気持ちいいのがいっぺんにきちゃったんだ」
「うん……きもちよかった……びっくりした……」
 なにひとつ飾らない素直な言葉がこぼれるのが、こんなに愛おしいなんて。
 髪を撫で、隙間を開けたままの唇を吸う。
「もっと、気持ちよくなろうね」
「……っひ、ぁ……うん……」
 自分でも驚くくらい馴染んだ蒼生の中を、探るように動く。ゆっくり。
「あー……っ、あ、んんっ……」
 ぴくん、ぴくんと何度も体が跳ねる。大きく上下する胸。投げ出されたままの腕。俺に焦点を合わせようと揺れる瞳。何もかもが可愛い。可愛いよ蒼生……。
 指の背で、そっと乳首を撫でる。
「んっ……」
 ここも、待たせてごめんね。やわやわとくすぐり、指で挟む。反対のほうを舌で転がすと、蒼生は体をひねらせる。滑らかな舌触り。可愛い。ああ、鼓動が早鐘を打っているのが、唇でもわかる。暖かい肌。呼吸の音。
 両手を蒼生の手に重ね、指を絡ませてシーツに押し付ける。その態勢のままゆっくり出し入れしたり、時々少し早くしてみたり。奥を探ったり手前をくすぐったり。蒼生はそのたびに濡れた声で体を震わせる。同時に、中がきゅうきゅう締まる。それがまるで愛情をもって扱かれているようで。ふわふわで温かいのに、ぎゅうっと絞られてもいる。はあ……気持ちいい。
「……蒼生。蒼生っ」
「んっ、ん、あ、あ、とぉ、やぁ……っ」
 可愛い。愛しい。好きだ。蒼生。
 同じ速度に揺れる、ひとつの塊になってしまったようだ。
 蒼生。
「っ、あ、おい、……イく……っ」
「は、っあ、あ、ぁあ……うん……うん……っ」
 何度も蒼生が頷く。
 持っていかれる。
 蒼生。
 なんて。
 なんて愛しい。
 …………っ。
 俺は、溜めていた想いを、放った。
 ああ、頭が空っぽになりそうだ。
 気持ちいい。
 俺の下で、蒼生は目を閉じて、まだぴくぴくと肩を震わせている。俺は腰を引いて、蒼生の中から出る。名残惜しいけどな。だいぶ蒼生を疲れさせてしまったから、休ませてあげないと。ただ、蒼生の熱は引いていない。ここだけ処理して、
 ぼんやり目を開けた蒼生が、指を離そうとした俺の手をぎゅっと掴む。
「……ん? ごめんね、俺だけ。ちゃんと蒼生も」
「もっと……」
「え?」
「もっと、してぇ……」
 ……ああ。
 可愛い。
 素直におねだりしてくるなんて。
 どれだけ俺の理性を削りにかかってくるんだろう。
「疲れてない? 無理はしちゃだめだよ」
「だいじょぶ……だから。もっと。とぉや、もっと……」
 とろりと溶けた表情。それに抗えるほど、俺の理性は強くない。なにより、抗う必要はないんだ。俺を欲しがってくれる蒼生。蒼生を欲しがる俺。なんの問題もないじゃないか。
 俺のほうの準備は、もうほとんど必要なかった。蒼生を守る薄い膜を纏うだけ。
 蒼生の背に腕を差し入れ、起こしてやりながらベッドに座る。腰を抱き締め仰のいて、降りてくる蒼生の唇を受け止める。蒼生の指が、俺の肩を掴む。
「挿入れるよ」
「ん……ぅん……」
 そっとあてがい、蒼生の腰を下ろしていく。
「……っん! は、ぁ」
 それは最初だけで、後は、蒼生自身の体重で、ゆるゆる入り込んでいく。びくりとして体を起こそうとするけれど、もう足に力の入らない蒼生は、そのまま落ちていくしかない。
「あ! あ! ああっ……あー……」
 その声の余韻が耳に響く。心地いい。お返しに、耳朶をそっと吸う。
「う、うぅ」
 ぴくんと震え、呻いた蒼生が俺の背に手を伸ばし、ぎゅっと抱きついてくる。
「と、おや、……こ、れ、きもち、ぃ……っ」
「うん」
 髪を撫でる。
「……気持ちいいね」
「……ぎゅって……んっ、でき……る……うれしぃ……」
 そうか。
 うん。
 そうだね。
「……蒼生。好きだよ……」
「うんっ……僕も……っ、好き……」
 何度も、何度も。キスを。
「蒼生ぃ……」
「あー……っあ、あ、ん、うぅ……んっ」
 交わして。
 好きだ。
 好きだよ蒼生。
「可愛いね……俺の可愛い蒼生……」
 ねだるようにくねらせた腰。背中にしがみつく手。潤んだ瞳。愛しくて、心臓が止まってしまいそうだよ。
 可愛く震えて俺の手を待ち侘びるぺニスに手を伸ばす。
「……っひ……あぁっ……あー……」
 俺の肩に額を押し付ける蒼生。
 その赤い耳にキスをする。
 蒼生の体が、がくがく、と震える。
 可愛い声が、俺の耳に直接飛び込んできた。
「と、おやぁ……っ」
 俺の名前を呼びながら果てる蒼生が。
 ああ。
 泣きたくなるくらい愛おしい。

 湯船に少なめに張った湯が背中に触れると、ぴりっとした痛みが走った。
「つっ……」
 思わず声が出てしまうと、洗い場の蒼生がぱっと顔をこちらに向ける。
「どうしたの?」
「大丈夫、ちょっとしみただけ」
 シャワーは平気だったのに、おそらく沸いたばかりで温度が高かったかな。蒼生は心配そうに首を傾ける。
「ケガしてたの?」
「いや……」
 言葉を濁すのを不審に思ったのか、体を乗り出すように俺の背中を覗き込んだ。
「あれ、ちょっとミミズ腫れみたいになってる。ここのへんにだけ何本も…………」
「…………」
「あっ。……ぼ、僕かぁ……」
 だいぶ必死で縋り付いてたから、まあそうなっているだろうとは思った。気にするから言わないつもりでいたけれど。
「ご、ごめんね」
「いいんだよ。それだけ俺に夢中になってくれてたってことなんだから。それで言ったら、俺のほうが謝らなきゃいけないかもな」
「うん?」
 俺は笑って、立てた人差し指でなぞるように上から下に空を切る。蒼生は少し不思議そうな顔をして、すぐに自分の体を指しているのだと気付いて目を落とす。そこには無数の赤い跡。
「……ぇ!」
 慌てて、持っていた泡だらけのタオルで体を覆おうとする。……ふふっ。
「あははは、それ付けたの俺なのに、俺に隠す必要ある?」
「そ、その理屈はわかるっ! わかるんだけど!」
「ふふふ、ははっ。……ああもう、可愛いなあ」
「執拗だなあとは思ったけど、こ、これだけ数があるとは思ってなかったんだよぉ……」
 蒼生は真っ赤にした顔を伏せ、誤魔化すようにタオルを動かしている。さっきはあれだけとろとろになって俺を煽ってたくせに。
 そういう、スイッチが切り替わっちゃうところも、好きだな、と思う。
「あーおい。おいで」
 俺は両手を伸ばす。蒼生はちらりと俺を見て、急いだ手つきでレバーを捻り、シャワーを浴びる。ふるふると頭を振って、それから俺の手を取った。立ち上がるところから手に力が入っていて、……ああ、疲れているんだな。
「お湯溢れないかな」
「少なくしてあるから大丈夫だよ。ほら」
 肩を支えて、浴槽に入る蒼生をサポートする……ふりをして、引き寄せて後ろから抱き締める。波立つ水面に、蒼生はくすくすと笑った。
「強引だあ」
「早く抱き締めたかったからね。狭い浴槽もこういう時にはいいな」
「ふふ、うん。くっつけるもんね」
 蒼生は俺に背中を預けたまま、肩口に頬を摺り寄せてくる。可愛い。
「一応気を付けたつもりだけど……体、痛いとこはない?」
 両方の手を取り、指を絡めると、蒼生はきゅっとそれを握り返してきた。
「ちょっとやっぱだるい感じはするけど、痛くないよ。た、たくさんきもちかった、し」
 わずかに肩をすくめて、俺をちらりと見る照れた顔。俺はたまらず首筋にキスをする。
「そうか。それならよかった」
「うん。……くすぐったい」
「だって嬉しいから、つい。恋人に気持ちよかったなんて言われると、こんな最高の気分なんだな」
 蒼生が体を起こす。
 なんだろうと思っていると、体をねじって俺のほうを向いた。
「……冬矢は? その……きもちよかった……?」
 ……ふ。
「ああ。すごく気持ちよかったよ。蒼生のとろけた声も顔もめちゃくちゃ可愛くて。見てるだけでも満たされるのに、触れたらもっと気持ちいい。こんな感覚初めて味わうよ」
「そ……そっか……」
「蒼生?」
「……なるほど、うん、冬矢の言ってた最高の気分って、こういうことか」
 ぱしゃん、水音を立てて、蒼生が俺にもたれかかる。
 それから、あ、と声を上げた。
 ……誤魔化そうとする時の顔をしてる。
「僕、今日は寝落ちしなかったでしょ。少しずつ体力ついてきてるのかなあ」
 さて、どうかな。
「2対1じゃないからなんとか耐えられてる感じかもしれないね」
「あ、そういう可能性もあるのか」
「……だったら、これからはずーっとふたりでする?」
「え」
 蒼生はちょっと困った顔をする。ふふ。
「冗談だよ。本気なわけないだろ。……じゃあ今度は3人でも寝落ちしないか試してみようか」
「今度こそは、大丈夫だよ。たぶん。おそらく。……きっと」
「あはは。そう言われたら本気出すしかないな」
「……ひぇ」
 そうだな。
 このままでいいのかもしれない。蒼生がそれを望むなら。俺は蒼生が望むようにしたい。してやりたい。自分だけが隣にいるわけじゃないけれど、他の誰がいようが隣で蒼生が笑っている。それが唯一の望みだ。
 それに、それが健太なら、いいか。
 気が付かなかったけれど、いつの間にか俺は、本気でそう考えている。
 ……俺は昔から、相手の本性に気付いてしまうと、それを相手に告げてしまう悪癖があった。今思えば悪癖だというだけで、当時はそうは思っていなかった。俺に隠している顔を暴くことで、俺を騙している相手を遠ざけようとしていたんだ。誰にだって、人に見せたくない顔くらい当然あるものだと気付かないほど、俺はずっと幼かった。それでどれだけの人間を遠ざけてきたかな。引かなかったのは森くらいだった。
 だけど、それをしてしまった俺から遠ざかるどころか、次々と自分をさらけ出してきたのが蒼生だった。こんな俺を、素直にとことん信頼して、どんどん心を許していく蒼生。俺にとって、それは許しのようなものだったのかな。蒼生と関わって、初めて愛されているのかもしれないと感じた。蒼生が俺にくれていたのは、たしかにずっと愛だった。そんな蒼生に、俺は惹かれずにいられなかった。
 今ではもう、俺の中でこんなにも大きい存在だ。俺の中は蒼生と、蒼生への思いでいっぱいだ。愛しくて、愛しくて、たまらない。蒼生。俺の唯一の人。
 ……好きだよ。

 明かりを落とした静かな部屋。
 ベッドに寝転んで手を伸ばすと、蒼生は嬉しそうに飛び込んできた。
 ふわりと、同じシャンプーの香り。
 ぎゅっと抱き締めてその髪に口づけると、くすぐったそうに笑った。
「……なんか、とてつもなく甘やかされてる気がする」
 可愛いことを言う背中を、ぽんぽんと叩く。
「気がする、じゃないよ。とてつもなく甘やかしてるんだから」
「うー、なんか申し訳ない感じ」
「まさか」
 俺はさらに腕に力を籠める。
「本当に、初めて知ったんだけど。俺はね、好きな人をとことん甘やかすのが好きらしい。だから蒼生を甘やかしたいし、全力で甘えてほしい。これが俺のわがまま」
 嘘偽りない言葉を、蒼生に渡す。
 可愛い、俺の、蒼生。
 蒼生は何度か瞬きをして、俺の顔を見上げた。
「……僕のわがままも、なんでも聞いてくれるって言ったよね」
「ああ、言ったよ。なに?」
「あのね、」
 腕の中で微笑む。
「……ずーっと一緒にいて、僕のこと離さないでね」
 綺麗な。
 とても綺麗な笑顔。
「……もちろん。ずーっと離さない」
「うれしい。……好きだよ、冬矢」
「俺も。世界中で一番、蒼生のことが好きだよ。大好きだよ」
 満足そうに、蒼生は俺の背に手をまわした。


 蒼生に出会って、初めて知った自分の感情がたくさんある。
 俺の知らなかった本当の俺をくれたのは、蒼生だ。
 もしかして、俺の初恋は蒼生なのかもしれない。
 名前のせいにするわけではないけれど、ずっと俺の中は凍えるような吹雪で荒れているのだと思っていた。
 けれど、蒼生に出会ってからは。
 それは、穏やかな雪景色に変わっていったんだ。

 いつしか俺の中に降り積もるのは、
 どこまでも真っ白で、
 甘い甘い、
 粉砂糖みたいな君の心。
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