高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2023年12月18日 23:22    文字数:24,594

29こ目;僕は君の宝物 第9話

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春というには少し早いある日。
健太と冬矢に、大好きな場所に誘われた蒼生は。

『僕は君の宝物』最終回です。
また、ここでシリーズ“本編”も終了です。半年とちょっとお付き合いいただきありがとうございました!
次回更新は、「エピローグ的な」お話になります!

↑初公開時キャプション↑
2021/12/10初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
1 / 1
「今度ここ誘おうかと思って」
「あ、水族館か。いいんじゃね? 蒼生好きだよ」
「そうなのか」
「青い空間が好きなんだってさ」
「ああ、そうだよな、自分の色扱いされてるうちに青に愛着がわいたって言ってたもんな」
「……へえ? まあ、オレは蒼生がどこの水槽の前で立ち止まるか言い当てられるし?」
「……へえ?」

「ということがありまして」
 僕はふたりの説明をぽかんとしながら聞いた。
 あの、僕を入れなくて、ふたりだけで相談してることがまず面白いなあと思うわけですよ。あんまり聞かないもんね、彼氏同士の相談って。内容も僕のこと考えてくれてるんだなって思えて嬉しいし。だけどさ。
「健ちゃんと冬矢って、僕がいなくてもそんな感じなの?」
「いつも大体こんな感じだな」
 そ、そうなんだ。いつも僕の目の前でわいわいと口喧嘩? 言い争い? いや、漫才? とにかくなんだかテンポのいいやりとりをしてるから、パフォーマンスみたいなものかと思ってた。僕が外しててもそんななんだ。
「それで、どうだろう。今度の休みに」
 冬矢が聞いてくる。
 僕の答えは、ふたりが話を始めた時から決まってた。
「うん! 行く!」


 僕はうきうきしながらクローゼットの中を覗く。なんとか2つまでは絞れたんだよね。どっちの上着にしようかな。落ち着いた感じのほうがいいかな。あったかくしたほうがいいかな。
 嬉しいのは、健ちゃんが僕の水族館好きを覚えててくれたこと。それから、僕と同じで出不精なはずの冬矢が積極的に僕と出かけようとしてくれること。ふたりとも、僕と一緒にいたいって思ってくれてるのかな。ふふ。
 水族館かー、しばらく行ってないなあ。誘ってくれたの、去年とかその前に出来た大きいとこじゃなくて、昔からあるとこなんだよね。久し振りだから色々変わってるんだろうな。楽しみ。本当はひとりでも行きたいくらいなんだ。でも、ひとりの休みの時って、表に出て人目に触れるのが嫌でずっと避けてたし、誰かを誘うのも面倒だったし、誘ってOKもらったところで変なところで立ち止まっちゃうから嫌がられちゃうし……。
 あ、そうだ。思い出した。小学校の遠足で水族館に行った時、周りに合わせるつもりだったのに、つい自分の好きなところで立ち止まっちゃって、「変なの」って言われたんだった。また僕、それやっちゃわないかな。好きな場所で羽目を外して迷惑かけちゃうかも。やだな、健ちゃんと冬矢に迷惑かけるの。……どうしよう。僕、行ってもいいのかな……。
「おはよー!」
「っ!!」
 わ……び、びっくりした。け、健ちゃん!? ドアが開くなり飛び込んでくるから、なにかと思った。うわ、健ちゃんが来る音に気付かなかったなんて。普段だったら絶対わかるのに。
「お、おはよう。まだ待ち合わせには早いよね?」
 健ちゃんはにこにこしながら手提げ袋をどさりと置いた。
「どうせ夕方には戻ってきてここで勉強会するじゃん? だから勉強道具置いておこうと思ってさ」
「すごい、やる気あるね」
 年末の成績がよかったの、健ちゃん自身も嬉しいのかな。僕もこうやって一緒に勉強できるの嬉しいし。
 実は今だってテスト前だ。なんか、いつもテスト前って感じがするけど、きっと学生のうちはずっとこんななんだろうなあ。だけどやっぱり遊びたいもん、テスト前の息抜きって理由なら許されるよね。
「……というのは言い訳で」
 はい?
 健ちゃんは、がばっと大きく手を広げると、捕獲の勢いで僕のことを抱き締めた。いや、ホントに脱走した小動物捕まえてる雰囲気なんだけど。く、苦しい。
「うー……キツい」
「あっ悪ぃ、蒼生と遊びに行けると思ったらテンションが上がっちまって。集合時間まで待ってらんなかったんだよ」
「そ、それは嬉しい、ありがと、でもちょっと緩めてぇ」
「あと10秒」
「も、もつかな」
 いーち、にーい、なんて元気よく数えだす。行くのやめようかなって思ってたほんの数分前の気持ちは、気付けば霧散してた。健ちゃんってすごい。あと冗談抜きにキツい。
「ねえ10秒過ぎてない?」
 いつの間にかカウント止まってる気がするんだけど。健ちゃんはわかりやすくとぼけた顔をする。
「ちょっと途中で数がわかんなくなったもんで」
「それは大変だ、健ちゃんはこのまま部屋で教科書読んでたほうがいいよ」
「うっわ、勘弁して!」
 そこでなんとか解放されたことで踏ん切りがついた僕は、ようやく着ていく上着を決めることが出来たのでした。
 さて、そんなことしてたらそろそろ出かける時間だ。健ちゃんが玄関先にほっぽっていた荷物を持つのを横目に、僕はリビングのドアを開けた。テーブルに座って雑誌を読んでいたお母さんが顔を上げる。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
「いってらっしゃい。今日も健太くんと一緒?」
「うん。あと冬矢と。夕方には戻って3人でまた部屋で勉強するつもり」
「他の子とは遊んだりしないの? その2人とばっかり。ちょっと異常なんじゃない?」
「……え?」
 ずきっとした。異常……。そうなのかな。わかんない。普通がどうだかわかんないから。ふたりとばっかりいる、それは確かにその通りだ。友達だと、その頻度っておかしいのかな? 僕の薄っぺらな知識でも、恋人ならそんなにおかしいことじゃないと思う。ふたりは恋人だ、だからおかしくないよ。だけどそれを明かしたくない。基準がわからない。
 何を言ったらいいんだろう。どう答えたら正解? 正解がわかんないのは、僕が異常だから?
 後ろから、のしっと体重がかかる。
「いーの。オレが蒼生と遊びたいんだもん。蒼生もオレと一緒がいいよな!」
「……うん」
「あら、そうなの。あなたたちがいいならいいんだけど」
 健ちゃんの答えに、お母さんはあっさりそう頷いた。
 あれ。え。それでよかったの? 一緒にいたいから一緒にいる、それだけで? なんか肩がすとんと落ちた感じがする。
 玄関で靴を履いていると、今度は2階からみどりちゃんが下りてきた。
「どこか行くの」
 みどりちゃんが首を傾げると、健ちゃんが嬉しそうに身を乗り出した。
「水族館! 右上の方にあるやつ」
「地図の位置じゃなくてせめて方向で言ってくれ。おまえたちで行くのか」
 健ちゃんの言葉に、みどりちゃんは難しい顔をする。……なんだろう。まさか同じようなことを言われるんだろうか。僕は息を呑む。
「……たしか新しいとこじゃなくてそっちだったよな、この前ニュースでやってた美味しいジュゴンまんじゅう売ってるとこって」
「ああ、そういややってたっけ。じゃあみど兄にはそれお土産で買ってくる」
「よろしくな。あ、じゃあこれ、小遣い」
「わ、ラッキー!」
 あれ?

 入り口を入るとすぐ大きなドームになっていて、映し出されたシルエットの魚がドームすべてをスクリーンにして泳いでいく。
「うっわぁ……」
 それが泳いでいった後には、今やってる企画展示のお知らせが浮かぶように映される。魚の群れが戻ってくると館内案内図が。映像も楽しいんだけど、影が泳ぐのがものすごくテンション上がる。
「前ってこんなのあったっけか?」
「いや、少なくとも俺が小学生の頃にはなかったと思う。ドームはあったけど。何年か前にリニューアルしたろ、その時に出来たんだな」
「すっげえ進化してるんだなあ」
 後ろでふたりも上を見上げていた。そうだよね、なかったよね。
「久々に来るとやっぱ違うもんだな。どっから見る? 企画展示も面白そうだけどまず順路通りに行ってみっか」
「うん」
 大きく開けた扉から中に入ると、薄暗い空間が広がる。お客さんはそんなに多くない。だから、森の上流を模した横に長い水槽が、一気に視界に入ってくる。作られた小さな滝の音が、さわさわと耳に気持ちいい。
 それを通り過ぎると、小さな水槽が画面のようにぽかりとたくさん並んだ通路に出る。1種類か2種類くらいの小さな生き物をじっくり見られるタイプの水槽だ。
「エビだエビ。な、蒼生、エビ」
 健ちゃん、昔からエビの水槽好きだよねえ。よく引き留められてたのを思い出す。それで、ひげが動いてるとか脚が動いてるとか延々実況するんだよ。見てればわかるけど、なんか聞いてると楽しくなってくるのが不思議だ。
「ほら冬矢、エビ」
「言われなくてもエビだよなあ……」
「なんだ、エビの水槽嫌いか」
「どっちかというと大きい水槽のほうが好きだけど」
「でもよく見ろ、赤い」
「そうだな」
「しかも動く。ほらエビ」
「……なるほど、細かい動きがよく見えるわけか」
 そっかあ、冬矢って大きい水槽好きなんだ。だったら、この先に名物の大水槽があるのを、冬矢も当然知ってるはずだ。だけど健ちゃんの話をちゃんと聞いて、小さな四角を覗き込む。付き合いいいんだなあ。子供みたいな実況をする健ちゃんと、いちいち頷いてあげてる冬矢、なんかすごく可愛いかも。
 3人してひとつひとつ見ていったら、あっという間にそのコーナーが終わっちゃった。すると今度は冬矢が好きだって言う大水槽の前に出た。
「わー。いろんな魚がいっぱい泳いでる」
「でっけえな-」
「冬矢はここが好きなんだね」
「ああ。自分より大きい魚が泳いでいるのを見ると、すごく落ち着く感じがする」
 一歩引いて全体を眺めながら、冬矢の目は泳いでいく大きな魚を追う。それはとても静かだったけれど、すごく優しい眼差しだ。そっか。冬矢、本当にここが好きなんだ。ああ、冬矢は自分が好きな場所に、僕を連れてきてくれたんだな。……嬉しい。
 それから、せっかく大きな水槽なのに、すごく近くに寄ってアクリルと底の境目辺りを泳ぐ細長い魚を見てる健ちゃんも、ふふ、好きだなあ。
 僕はどちらでもない場所で、仰ぐように水槽を眺める。小さい水槽も好き。透明ではっきりしてて綺麗だから。大きい水槽も好き。水の色が深くてうっすら見える魚影が幻想的だから。どっちも好き。
「あ、向こう、水槽のトンネルだ」
「行ってみようか」
「うん」
 嬉しそうなふたりの後ろについていく。するとそこに向かう空間に、何本か背の高さ程度の柱みたいなのが立ってるのに気付いた。四角柱の真ん中くらいに、正方形の水槽。あれってもしかして。数歩近付くと、とても小さな青い魚影が見える。……あっ、好きな魚だ。鮮やかな原色の青。
 っと。ふたりに置いてかれちゃう。早く行かなきゃ……え?
 足を踏み出そうとすると、健ちゃんと冬矢がふたり並んでこっちを見ながらこそこそ話してる。中身は聞こえなかったけど、
「ほら、な」
 健ちゃんがそう言ったのははっきり聞こえた。なんだ。怪しい。
「なに?」
 聞くと、冬矢は綺麗な顔で笑う。
「ん?」
 なんでもないって顔。こっちは難しそうだな。ということで、僕は健ちゃんに視線を移す。
「えっ、なっ、なんにもっ?」
「……健ちゃん?」
「だからなんでもな」
「健ちゃん?」
 ほぼぶつかるんじゃないかくらいの位置から健ちゃんを見上げると、明らかにきょろきょろと挙動不審になる。僕に関するなにかを隠してるでしょ。わかるよ、もう何年一緒にいると思ってるの。
 健ちゃんは諦めたように深く息をついた。
「蒼生がどの水槽に興味示すか、冬矢と賭けてた。負けたほうが昼飯奢るルールで」
 ……は?
「あはは、何それ。で、今のところどっちが勝ってるの?」
「五分五分ってとこだな」
 ふふ、そっか。ふたりでそんなことしてたんだ。五分五分かー、そっかー。そうだね、健ちゃんは経験と実績があるし、冬矢は洞察と理解がある。なるほどね。……そう思っちゃうのは自惚れかな?
 健ちゃんは困った顔をする。
「賭けの対象にしてて怒ってない?」
「全然。面白いことするなーと思ってる。あと、それがわかった以上、ここからどう攪乱していこうかなーって」
「え、蒼生が意地悪言う……!」
「だって、健ちゃんが誤魔化そうとするんだもん」
 楽しい。なんだこれ、すごく楽しい。
 もしかすると、僕次第で結果変わってくる感じ? あ、でも、どっちの裏をかくかってことになるわけか。ふむ。
「蒼生には黙ってて後でバラすつもりだったのになあ」
「えー? 本気で? 健ちゃん、昔から素直に顔に出ちゃうタイプだったじゃん。僕に嘘つけないもんね」
「不思議なもんで、ついたところで100パー即バレだからな……」
 僕たちのやりとりを見ていた冬矢が、首を捻る。
「な、蒼生。健太の嘘ってそんなに昔からすぐわかってた? 今も?」
「? うん」
「その認識してるくせに、健太が俺のことを好きなんじゃないかって心配してたの?」
 …………あ。
「ほんとだ……あれ?」
「そっか、確かにそうじゃん! 逆にオレのこと疑えたのすげえな」
 なんで僕、そんな心配してたんだっけ。今はもう、そっちのほうがわからない。
「単じゅ素直な健ちゃんにそんなこと出来るわけなかったのに、ごめんね」
「うん蒼生、はっきり言いな? この前もそれ言いかけてやめたな?」
「えへ」
「そんな顔しても誤魔化されねえぞと言いたいとこだけど……くっ、可愛い……なにそれ変なテクニック覚えんなよ……」
 冬矢は目を和ませる。
「ただ、俺にしてみたら蒼生もわかりやすいと思うよ」
「ええ?」
「嘘も隠し事も全部、見えちゃうから。ね」
 言って、冬矢は顔を近付けてくる。
「だ、だってそれは、冬矢が甘やかすからぁ……」
 ちか、近い。近い。隠せなくしちゃう、それ、冬矢のテクニックじゃん……。
 わ。健ちゃんが僕と冬矢の間に無理矢理腕を差し込んで、僕をぐいっと引き寄せる。そういうのがわかりやすいとこだよね。
「おまえは読めないんだよなあ」
「そう? 俺は心のままに素直に行動しているつもりだけど」
「オレに対しては絶対素直にならなそうだけどな」
「その必要を感じないからな。そのへんはちゃんと読めてるじゃないか」
「……たしかに蒼生にはともかく、オレに素直な冬矢は気持ち悪ぃわ」
「俺もそう思うよ」
 また、僕の上でわいわいやってる。
 なんだか最近、これも心地よくなってきちゃったなあ。

 トンネルを抜けた向こう側は、天井が見上げるほど高い大きな空間になってた。2階くらいの高さがあるかな? その広いスペースのあちこちに上から覗き込める水槽や円筒型の水槽が配置されてて明るい。その端っこに見える、そこから奥に繋がるもっと明るいスペースは、椅子とテーブルが並んだ喫茶兼休憩所って感じだ。
「食べるもんありそうだな」
 おや。健ちゃんが吸い寄せられるようにふらふらとそっちに歩いてった。お昼前なのに、と一瞬思ったけど、健ちゃんなら関係ないか。僕と冬矢は顔を見合わせて笑うと、健ちゃんの後を追う。
 カウンターの前には立て看板が置かれてて、カラフルな写真と賑やかなイラストでメニューが紹介されてる。へえ、水族館っぽい食べ物がいっぱいだ。海の生き物の人形焼き、クジラをイメージした丸く盛られた青いかき氷、アザラシの形をしたミルクプリン、オットセイの形をした黒ごまプリン、色々考えるなあ。えっ、お寿司みたいなケーキ? それはここに置いて大丈夫なもの? 面白いけども。
「蒼生、アイス食べる?」
 冬矢が指したのは、白と水色で波打ち際を表現したのかな、海の塩アイスだって。美味しそう。
「食べる食べる」
「お昼近いし、わけっこしよ」
「うん!」
 健ちゃんが「あっ」と声を上げる。
「ズルい、俺も蒼生とわけっこしたい!」
「したらいいだろ」
「なるほど、そりゃそうか。じゃあオレはこれ」
 健ちゃんはペンギン焼きか。……名前、名前。ペンギン型のスポンジみたいなのの中にチーズクリームが入った商品らしい。看板の写真も、上下真っ二つにしてクリームがあふれ出す写真を使うというセンス。アレだな。ここのメニュー、ツッコミ待ちのタイプだ。嫌いじゃない。
「はい、これ蒼生の分」
 健ちゃんが頭のとこを千切ってくれる。うーん、ビジュアル。……お? ネーミングと写真はともかくとして、ふわっふわであったかくて甘い生地……あっワッフルだこれ。そこに熱いチーズクリームがマッチしてて、めちゃくちゃ美味しい。え、美味しいじゃん。
「次はこっちな」
 冬矢は白いところと水色のところをうまく両方すくったスプーンを僕に向けてくれる。あれっ、白いほう、ヨーグルト風味かな。しゃりしゃりしてる。水色のほうが塩味で、これも甘いのの後に塩っ気が残って、美味しい。へー。
「どっちも美味しいね」
 健ちゃんと冬矢が僕を見て、笑いながら頷く。うう、至福。
 こうなってくると他のメニューも気になるよね。冗談ぽいラインナップだけど、意外とどれも味はしっかりしてるのかもしれない。だけどお昼前だしなあ。
 立て看板をチラ見していると、頭上でざざっと音がした。なんだろうと見上げると、館内放送が始まる。
『みなさま、本日はご来館いただきありがとうございます。まもなくオープン水槽におきまして、餌やりパフォーマンスを行います。ぜひお集まりくださいませ』
「オープン水槽ってすぐそこに見えるあれだよな」
「そうだね。人が集まってきてる」
「蒼生、オレたちも行こ!」
「えっ」
 健ちゃんは、僕の手を取って立ち上がると、ぐいっと引っ張ってくる。わ。慌てて冬矢のほうを見ると、苦笑しながら立つのが見えた。バランスを崩しかけたのを立て直して健ちゃんのほうを窺う。あーあ、楽しそうな顔しちゃって。ちっちゃい頃、あちこち引っ張り回されたの思い出すなあ。あの頃も嬉しかったけど、今はなんだか別の意味も加わって、それ以上に嬉しい気がした。
 餌やりパフォーマンスは、思ってたより迫力があって面白かった。それが終わる直前を見計らって、僕たちは人の輪から外れる。
「たぶん今ならすいてると思うよ」
 と、小声で冬矢が言ったからだ。
 冬矢が連れてきてくれたのは、リニューアルで作られたっていう部屋だった。壁の一面が全部水槽で、そこに向かって壁の幅で階段が伸びてる。それで、その途中にいくつも大きなソファが設置してあった。うわ、これ、ソファに座ってゆっくり水槽を見られるやつだ!
「これ、蒼生好きだろ」
「好き!」
 わー、嬉しい。向こうでまだイベントやってるせいか、人もいないし。一番下のソファまで下りると、そこに座る。思った以上にふかふかだ。少し角度がついているから、背もたれに背を預けると、視界いっぱいに水槽が見える。
 遅れて下りてきたふたりが、笑いながら僕の両隣に座った。
「結構沈むなぁ、これ」
「時間溶かすタイプの部屋だったかもな」
 僕はちらりと左右を見る。水槽の明かりにぼんやりと照らされるふたりの横顔。すごく嬉しいのが抑えきれない。どうせ今は誰もいないし、いいや。
 両腕を、それぞれの腕に絡める。ふたりはちょっとびっくりしたように僕を見て、健ちゃんは嬉しそうに、冬矢は穏やかな目で笑った。
 あったかい。


 週末からのほこほこ気分がまだ続いてる。3人で朝の電車に乗りながら、にやけてしまいそうなのをなんとかこらえる。あの後、本当にあの部屋でしばらくぼんやりしちゃったり、アザラシプリンとオットセイプリンに挑戦したり、すごく楽しかった。プリン、美味しかった。終始テンションの高い健ちゃんが、幼児がえりしちゃってるみたいなのも嬉しかったなあ。それに対して冬矢が僕に「蒼生は昔から苦労してたんだな」ってしみじみ言ったのが、もう最高に面白くて。
 だけど今日からまた1週間。うん。しゃきっとしなくちゃ。
「おはようございます」
 揃って教室に入る。うん? まだ半分ちょっとくらいしか集まっていない部屋は、入った途端に空気がおかしいのがわかった。教室の真ん中に集まった何人かを中心に、僕たちに一斉に視線が集まって、ざわめきが急にぴたりと消えたからだ。 
 え、やだな。何、この不穏な空気。
 健ちゃんが首を傾げて教室内を見回し、冬矢がすっと視線の温度を下げる。
「どうしたの?」
 僕は掠れそうになる声をどうにか整えて、笑って問いかける。すると、中央の輪の中から兼城さんが一歩進み出た。ものすごく思い詰めたような深刻な顔。やめてほしい。
「あの、ね。野木沢くんと寺田くん、週末水族館に行ってた?」
 あ。
 血の気が引く。
 ……でも大丈夫、そんな顔は見せないから。
「? うん、行ってたよ。それがどうかした?」
「実は、私たちも遊びに行ったのね。それで、たぶん2人だろうなって人を見かけたんだけど、……手、繋いでたよね」
 胸の真ん中辺りがぐっと痛む。健ちゃんに変な噂がたつのは嫌だ。僕みたいな奴と、って思わせたくない。
 だけど、ちょっとだけほっとしたのもたしかだ。手、のくだりかーって思って。もっと近かったり腕組んだり色々してたから、そっちだったら言い訳を考えなきゃだけど。手くらいどうってことないや。
 でもやっぱり教室の空気はなんだか重くて。
「……すごくいい雰囲気に見えたの。もしかして2人って付き合」
「えー? 手くらい普通に繋がない?」
 明るい声を上げたのは健ちゃんだ。なんでもない顔でにこにこ笑ってる。それで教室の雰囲気が少しだけ和らいだ。
 それから健ちゃんは、さらりと僕の手を握った。
「ちっちゃい頃からずーっとこうだからさあ、もう、こういうもんだと思っちゃってんだよな」
 内心動揺がおさまらない僕は、笑って健ちゃんの手を持って、それをゆったりと剥がす。
「幼稚園児から変わらないんだよね。よく迷子になりそうな健ちゃんを必死に捕まえてたっけ」
「そう、オレ、すぐどっかすっ飛んでっちゃうガキだったからな~」
 僕と健ちゃんが表面上は慌てる様子もなくにこにこと対応したからか、空気がすうっと引いていく。
 健ちゃんがうまく立ち回ってくれたのも嬉しい。さっき僕の手に触れた健ちゃんの手、ちょっと汗ばんでた。僕を守ろうとして、得意じゃない言い訳を口にしてくれたんだろう。たしかに嘘は言ってないし。
 満を持して、冬矢が声を上げて笑う。
「気を付けた方がいいよ。このふたり、本当にこんな感じだから。側にいると距離感のバグがうつるかもしれない。……それに、ひとつすごく心外なのは、その場に俺も一緒にいたんだよね。そんなに俺って存在感ないかな」
 最後に残っていた緊張感も、冬矢のその言葉で瓦解した。
「そ、そっか。そういえば私たちも手繋ぐか」
「腕組んで歩いたりもするよね」
「なんだ、笹原くんも一緒だったんだぁ」
「声かければよかったー」
「兼城たちがマジな顔でいい雰囲気とか言うから身構えちゃったけど、そういや寺田ってもとからこういう奴だったよな!」
「だよな~」
 とりあえず乗り切れたかな。兼城さんはちょっと複雑な顔をしたままだけど、他の人たちは納得してくれたみたい。
 たぶん、見られた行動自体はみんなが言うとおり、友達の範疇なんだろう。だけど、雰囲気とかがそれっぽかったのかなあ……。人の目は多少気にしてたけど、知ってる人の目のことは考えてなかった。はしゃいじゃってて、完全に気を抜いてた。もっとしっかりしよう。ふたりに迷惑がかかるようなことは控えなきゃ。
 それと、もう少し周りとの距離感を考えよう。高校に入ってからは、健ちゃんと冬矢がいてくれればそれでよくて、周りなんかどうでもいいかなって思ってたところが僕の中にはあったと思う。それじゃ駄目なんだ。適当な距離で付き合うから誤解されるのであって、ある程度踏み込んで行くことによって逆に踏み込ませない、そういう技術が必要なんだ。
 ってか、本気でふたりがいればそれでいいし、誤解も何も本当に付き合ってるけどね! だけど余計な詮索を周りにさせたくないし、それでふたりが不快に思うようなことがあったら嫌だから、言わない。どうせ3人で付き合ってるなんておかしいって言われるんだ。二股かけてるとかって。ああ、もう、僕が誰と付き合っててもいいじゃん。僕が3人でいいって思ってるんだから。ほっといてほしい。
 というのを抑えて、僕は改めて外壁を作ることにした。今まではハリボテの僕だったけど、大丈夫。今はどんな失敗をしたって、健ちゃんと冬矢だけは側にいてくれるから。
 輪が崩れて、いつも通りの教室になっていく中、冬矢がさりげなく近寄ると、小さな声で言った。
「最初から助けられなくてごめんね」
 僕は首を振る。
「ううん。最後の一言だからこそ、すごく効き目があったと思う。ありがと」
 先に一歩踏み出す健ちゃんと、冷静に事態を見極める冬矢がいて。
 これって、すごく勇気がもらえる。

 なんらかの動きがあるだろうなと思っていたら、きっかり放課後。僕が健ちゃんと冬矢と一緒にいるところに、兼城さんを中心に何人かの子がやってきた。
「朝はごめんなさい。お詫びにお茶奢らせて!」
 ここは乗っておくべきだなと思うけど、きっちり社交辞令は押さえておく。
「いいよそんなの。気にしてないし。みんなも気にしないで」
「でもそれじゃ私たちの気が済まなくて」
「そうか……。わかった、じゃあ、それでチャラってことにしよう」
 兼城さんたちはほっと胸をなで下ろしてる。逆に健ちゃんと冬矢はびっくりしたように僕を見た。そうだよね、僕だったら全力で断る……あ、いや、何回か断ってから押し込まれるパターンのやつだから、2度目でOKを出したのはふたりにとっては意外だったかもしれない。
 でもね、僕はね、片を付けたいんだ。
「寺田くんと、あの、笹原くんも……」
 篠崎さんの小さな言葉に、健ちゃんは我に返ったみたいに頷き、冬矢はさらっとした笑顔を浮かべた。
「お、あ、うん、行く」
「俺にも権利あるかな?」
 彼女たちが僕らを連れて行ったのは、学校とは駅を挟んで反対側にあるコーヒーチェーン店だった。学校に近すぎると大勢の制服姿はさすがに目立つからだろう。店に入ると、そこには木村くんたちもいた。ん?
 女子グループが飲み物を買いに行ったので、僕たちは彼女たちの指示通り、4人の男子が座ってる席に向かう。
 健ちゃんは、腰に手を当てて肩をすくめてみせる。
「なんだなんだ、大所帯だなあ」
 木村くんたちは照れたように笑う。
「いや、オレたちは完全に便乗。野木沢と笹原がこういうとこ来るのってなかなかないじゃん?」
「そ。2人とも仲良くしたいと思ってたからさ、来るって聞いて集まっちゃった」
 ……へえ? 僕? なんで? 冬矢ならわかるけど……。
「いっつも寺田ばっかり2人を独占してるの、羨ましいと思ってたんだよな」
「女子にきゃーきゃー言われてる奴って大体やな奴なんだけどさー、なんか2人ってそういう感じしないじゃん。話してみたいとは思ってたんだぜ?」
「そうそう、成績いいし。きっとテストのヤマ張る時に教えてくれんじゃねえかなって」
「ええ? それが目当て?」
 あっ。しまった。口挟んじゃった。途端に座ってた全員がくだけた笑顔になる。
「野木沢ってちゃんと突っ込んでくれるタイプなんだー」
 あー……つい……。
 ただ隣の冬矢が完全に外向けの笑顔になってるのがちょっと怖いんですけど。
「とにかく座って座って」
 わらわらと取り囲まれてるうちに、引っ張り込まれて椅子に座る。とりあえず、健ちゃんと冬矢が両脇で助かった。そうじゃなきゃ、さすがに逃げ出しそうだ。
 そこに、女の子たちが飲み物を手にやってくる。
「ちょっと、なんであんたたちで野木沢くんたち囲んでんの!?」
「うるせ、親睦深めてるんですー」
 おお。若者の間に囲まれてるって感じがすごい。僕はそれをにこにこ見てる。もちろん、何しゃべったらいいかわかんないので、場に馴染むためだけの笑顔だ。これで結構乗り切れるからね。
 でも、さすがに今日はそれだけでは済まない。
 兼城さんが、僕たちの前にずいっとコーヒーのカップを並べる。いい香りがする。飲めはしないんだけど。
 女子の皆さんは、改めて頭を下げてくれた。
「変な誤解したうえに、他のクラスメイトもいる中で騒ぎにしちゃってごめんなさい!」
 僕は笑顔を崩さないように、ひとつ深呼吸をする。
「逆にびっくりさせちゃってごめんね。学校の外でも、僕たちああいう感じで」
「そうだよね、いつもと変わらないのに……。なんでか、すごくいい雰囲気に見えちゃって」
 冬矢が小さく笑った。
「暗くてムードのある場所だからね。なんでもなくてもそう見えてしまうのかもしれないな」
 僕はそれに苦笑するようにして頷いた。
「そういうことなんだろうね。お詫びの品もこうしていただいたし、この話はこれでおしまい。いいよね?」
 並んだ顔をざっと見渡しながら言うと、全員黙って頷いてくれた。
 はい、ひとつクリア。
 それで区切りが付いたのか、そこからは誰からともなくあちこちで適当な話が始まった。よし、しばらくはこっちに話は来ないな。僕はいただいたコーヒーカップをそっと持ち上げる。うう、苦。でもせっかくもらったから無駄には出来ない。
「そういえば木村、なんで黙ってたんだよ。おまえ、高坂さんと付き合い始めたんだって?」
「え、あははー。照れくさいから黙ってたんだけど、バレた?」
「なーにが照れくさいだ、体育終わりにイチャイチャしてたの見たぞ!」
 せめて甘いやつだったらまだよかったのになあ。ところで、高坂さんって誰だっけ。ああ、兼城さんたちのリーダー格の子か。なんだ、木村くんの隣にちゃんと座ってたんだ。赤い顔をしてちょこんと小さく体を縮めてる。
「まったくいつの間にだよ~」
「実は先月から……」
「おおー」
「こっちはちゃんと付き合ってるやつだから、安心してからかってやろうぜ」
 …………。
 ちょっと今、ズキッときたな。僕たちだってちゃんと付き合ってるのに。もういっそ言っちゃいたい気持ちと、ふたりを守りたい気持ちで揺れる。でも大丈夫、ちゃんと後者の気持ちが強いから。
「え、きっかけ何?」
「なんかさー、ずっと同じグループで一緒に行動してるうちに、なんか気が合うなって」
「最初からかっこいいなとは思ってたんだけど」
「じゃあ告白は」
「はい、オレからでーす!」
「おおー」
 んー。
 ちょっともやもやするのは仕方ない。だけど、案外、僕、平気で聞いていられるな。あれ? あれあれ? 本当になんとも思わないな。
 ……すごく不思議だ。前は、周りでこういう恋愛話されると、耐えられないくらいしんどかったのに。吐きそうになったり倒れそうになったりしてたのに。なんだか普通の世間話と同じ感じに聞けてる。
 向こうの端に座った兼城さんが、はあっと大きな息を吐いた。
「いいな~、幸せそうで。ついでだから聞いちゃおうかな。ねえ、野木沢くんってどんな子がタイプ?」
 うわ、来た。回りくどいようで、結構ストレートに来たな。
 隣で冬矢が体を硬くしたのがわかる。息を吸ったのも。うん、大丈夫だよ。
 僕にはそう思えないんだけど、冬矢曰く、兼城さんは僕のことが気になっているんだそうだ。だから、ごめんなさい。ここで片を付けさせてもらいます。
「……好みかあ。なかなか難しいね。はっきりとは言えないけど、そうだね。その時に好きな子が自分のタイプなのかなって思ったりはするかな」
 すらすら言えた。
「えっ。もしかして……野木沢くんて、好きな人、いる?」
「うん」
「ええっ。じゃ、つ、付き合ったりしてる……?」
「うん」
「えーっ!」
 話の中にいなかったはずの周りの皆さんまで、全員が驚いたように僕を見てる。僕はちゃんと笑ってる。というか、ちょっと気分がよかった。誰とは言えないけど。でも、好きな人がいます。付き合ってます。はっきり言えた。
 やっぱり隣のふたりも目を瞠ってた。周りと一緒に驚いてるようで、きっと違う意味でびっくりしてるんだろう。
「だ、誰!? 私たちが知ってる人!? それとも校外の人!?」
 俄然周囲が沸き立つ。想定の範囲内だ。
「やきもち焼かれちゃうと困るから、全部秘密。それも、ここだけの話にしてね」
 唇の前に人差し指を立てて、僕は笑ってみせる。もちろん、隣にいるこのひとたちですって言葉は心の中で叫びながら。
 高坂さんが、あ、と声を上げる。
「もしかして、バレンタインの時、もらいたい人がいるからって断られたの、そっか。彼女がいるんだったらそうだよね」
 彼氏だけどね。
 すると木村くんががたんと音を立てて椅子から立ち上がる。
「えっ、バレンタインって、その時もうオレと付き合ってたじゃん。野木沢にもあげようとしてたのかよ!」
「木村くんにはちゃんと本命のあげたじゃん。そうじゃなくて、私、このグループ全員に友チョコ渡してるの見てたでしょ。それ、野木沢くんにも渡そうとしたんだけど、友達って意味でも受け取れないって言われたの」
「あ。そっか。オレだけ手作りもらってたな」
「ちょっ! バラさないでよ!」
 なんだか勝手に向こうのカップルが危機を迎えそうになってたけど、何事もなく収まりそうでよかった。なによりです。
「へえ、そっかー。野木沢って彼女いたんだぁ。たしかに綺麗な顔してるしいい奴だし、そりゃ彼女もいるか。でも絶対可愛いんだぜ~知ってる~」
「あ~、だろうな~!」
 可愛い、か。そうだね。可愛いとこ、いっぱい知ってる。
 だけどあえて誤魔化すように、ちょっと曖昧に笑う。それで終わるかなと思ったんだけど、そういうものでもないのかな。普通に聞いていられるようになった気がしているとはいえ、やっぱり僕はこういう話は苦手で、早く終わってほしいのに。
 なんだか、女子のみなさんよりも男子のみなさんのほうが興味津々に身を乗り出してくる。
「寺田と笹原は、仲いいから野木沢の彼女のこと知ってんだろ」
「えっ」
 あっ。
 そっかー。そっち行くか。なるほど、そうだよね。
 健ちゃんは戸惑った顔で、冬矢は少し悩むような顔をしてる。あとで謝ろう、今僕が面白く思っちゃってることは。だって、周りのみんなは気付いてないけど、自分たち自身のこと聞かれてるんだもんね。
「……ああ、よく知ってる」
「え、どんな子?」
「僕は秘密だって言ってるのに、ふたりに聞いちゃうの?」
「まあまあ野木沢、客観的で個人情報のバレない程度を教えてもらうだけだから、な!」
 そんなに聞きたいものなのかあ。
 健ちゃんが、居住まいを正した。
「あー…………まあ、そうだな……。顔は……めちゃくちゃいい。頭も切れるタイプだな。オレに対しては態度厳しいけど、なんだかんだで面倒見はいいし、優しいよ。蒼生のことをすごく大事にしてる感じ」
 へ。
 冬矢は持っていたカップをゆっくりとテーブルに置く。
「明るくて素直で、おおらかな人なんだと思う。ムードメーカーと言ったらちょうどいいかな。何事にもまっすぐで一生懸命に立ち向かえるところはすごいと思う。蒼生第一なんだろうなっていうのは、俺も同意見」
 わ。
 これ、嬉しい。健ちゃんは冬矢のことを、冬矢は健ちゃんのことを言ってる。あんなにつっかかって言い合いばっかりしてるのに、なんだかんだでお互いのこと認めてるんだ。えー、そうなんだ。ちょっと、ほっとした、かも。
 男子のみなさんは一様に頭を抱える。
「なんだよそれ、めっちゃいい子じゃん……」
「しかもやっぱり美少女の気配がする……」
「くっそ、羨ましい!」
 僕はそれをにこにこ見てる。これは、どっちかっていうと、抑えた笑顔。だって、ふふ、改めて聞くと、僕って最高の人たちとお付き合いしてるんだなあって。
 高坂さんが向こうで首を傾げる。
「でも、それだけ寺田くんたちと休日に遊びに行ったり仲良しで、彼女さんって嫉妬したりしないの?」
「してるよな」
 冬矢が食い気味で答える。……そうなんだ。
「え、そんなに?」
 健ちゃんも初耳らしい。
 僕は膝に手を置いて、ひとつ息を吐く。
「でも、その子に言われたんだ。恋人と親友、どっちも大切にしていいんだよって。……だから、どっちも大切」
 ね、健ちゃん。
「……うわー、やっぱ羨ましい!!」
 一斉に崩れ落ちる周りを、僕はさっぱりした気持ちで見回した。

 風の冷たい公園で、思い切り息を吸い込んだ。この冷たいのが、今は気持ちいい。
 健ちゃんが、いちごミルクのパックを手渡してくれる。……甘いやつ。ふっふふ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 僕は、ベンチの隣に座る冬矢と、目の前に立ってる健ちゃんを交互に見る。
 まずは、ちゃんと。
「今日は、ごめんね」
「えっ?」
「何が?」
「巻き込んじゃって。なんかもういろいろすっきりさせてやろうと思ったんだけど、やっぱりひとりじゃ怖かったから。本当はこうなる前に相談したかったんだけど、事後報告になっちゃった」
 冬矢が僕の肩に手をかける。
「それはいいよ。俺だってどうにかしたかったからね。それより、蒼生のほうだ。あんな……疲れてないか?」
「疲れてないって言ったらやっぱり嘘だろうなあ……。大勢に囲まれるのってしんどい、けど、思ってたよりは平気だった」
「それもそうだし、蒼生、苦手だろ。その……恋愛話を聞くのとか話すのとか」
「ああ、うん、それはやっぱり苦手だと改めて思った。けど」
 ちょいちょい、と手招きをすると、健ちゃんは頷いて僕の隣に座る。両側に感じる温度。安心する。
 そもそもなんで僕はそういう話が苦手なんだろう。自分に関係ない話だから? 関係ないと思う自分が暗に否定されることがしんどかったんだろうか。僕にはそんなもの手に入らない、その事実を突きつけられるのが苦しかったんだろうか。
「……僕、余裕がなかったのかなあ。そんなこと、きっと、たぶん誰も言ってないのに、おまえには手に入らないだろって言われてる気がしてたんだ。そのたびに、ああその通りだなーって思って、ざくざく刺されてた。だから、その痛みから自分を守りたくて、最初からそんなものいらないって思うようにしてた。誰も僕に気付かないで、ほっといてって。なのにそんな話は周りに転がってて。それに触れるたびに吐き気がしてた。……でも、いらないって思おうとしてたってことは、やっぱり僕も欲しかったのかな」
「蒼生」
 冬矢が反対の手で、僕の手を握る。優しい手。
「刺してたのは僕自身なんだよね。それで開いた穴が、たぶん僕の中のそこらじゅうにぼこぼこあって。いちいちそれに躓いてたんだろうな、って思う」
「……それは、今も?」
 健ちゃんがまっすぐに僕の目を見る。あったかい色。
「だいぶ埋まってきた気がする。ふたりが、たくさん“好き”を注いでくれたから。……だから、そういう話を聞いても大丈夫だったんじゃないかな」
 長い間、手当たり次第に開けてきた穴だから。全部が埋まってることはまだないと思う。それに、僕自身が変われたわけじゃない。今でも気が付いたら穴を掘ってる。だけど、そのペースもきっと落ちてると思うんだよ。
 僕は穴を掘るしか出来ない人間だ。だから、僕は考え続けなきゃいけない。その穴を埋めてくれるふたりに、何を返していけるのか。
 健ちゃんが、少しだけ目線を落とした。地面のほうを見て、もう一度僕を見た時には、わずかに迷うような目。
「あのさ、蒼生が苦手なのって、恋愛話ってこと?」
「? うん」
 もう一度健ちゃんは下を見て、上を見て、また僕を見る。なんだなんだ、忙しいな。
「じゃ、えっちな話は?」
「えっ」
 ん?
 なんで今、突然話の方向が変わったの?
 だけどなんだか、健ちゃんはやけに真面目な顔をしてる。これ、包み隠さず話したほうがよさそうな感じだな。
「……あー、それは、うーんと、苦手ってわけでもないかな。色恋の話だと自分に関わりがあるかも、いやないんだった、とか思っちゃって落ち込むんだけど。え、えっちな話? は、さ、絶対に自分の身には起こりえないから、完全に他人事としてどういうものなのかなーって興味はあったよ。だから話としては全然平気で、そういう話が始まると、何も聞いてませんって顔でしれっと聞いてた」
 こうして言葉にして整理してみると、やっぱり僕は自分絡みで何かが起こるのが嫌だったんだな。……あれ。じゃあ、それはなんで? 僕はどうしてそう思うようになったんだ?
 健ちゃんは、僕にぐいっと体を近付ける。
「でも、オレがその、初めて女の子と……って話した時、蒼生、そういう話は嫌だってはっきり言ったじゃん」
 え? あー……。あの時か。そういえばそういう言い方をした気がする。頭に血が上っててあんまり覚えてないんだよね。思い出そうとすると、あ、吐き気がする。たしかあの時もそうだ。健ちゃんがその話をし始めた途端、胸の奥がぐっとなって、吐きそうになった。
 なんで? だって僕はそういう話が苦手じゃなかったはずだ。しかも一番話をしやすい相手で、ともすれば具体的にどういう内容だったのか詳しく聞き出すことだって出来たはずなのに。
 僕はあの時、はっきり止めた。それまで健ちゃんの話を遮ることなんかほとんどなかったのに。だって健ちゃんの話を、声を聞くのがずっと好きで、
 ……あ。
 突然、繋がった。なんだ。そうか。そういうことか。
「わかった」
「ん?」
「僕が健ちゃんの話を聞きたくなかった理由。そうだ、聞きたいわけなかったんだ。だって健ちゃんが誰かとそういうことしたなんて、考えたくなかった。……健ちゃんがその手で……誰かに触ったんだって思うのが嫌だったんだ」
 それしか考えられない。
 他の人なら大丈夫で、健ちゃんだけがだめ、だなんて。
「……それって、やきもちだったってこと?」
「たぶん……」
「じゃあその時、蒼生はもうオレのこと好きだったの?」
「だと思う……」
 はあっと息を吐くと、健ちゃんはベンチから滑り落ちるように地面に膝をついた。
「えっ、ちょっと、健ちゃん!?」
「そっかー……そうだったのかー……。オレのことが嫌だったわけじゃなかったんだ……。蒼生に拒否られたの、トラウマだった……」
 そ、そんなに!?
 僕のたった一言で!?
「ご、ごめんね! ごめんね!」
 あー、まさかそんなに健ちゃんが気にしてるなんて思ってなかった。しかもこれ、今の今までずーっと気にしてたってことだよね。あの後、仲直りして一緒に過ごしたし、もうとっくの昔に終わったことだと思ってた……!
 冬矢が苦笑して、僕越しに健ちゃんの腕に手をかける。健ちゃんは、よろよろとベンチに戻った。あーあ、膝に砂が。それをぱたぱたはたいてあげると、健ちゃんは僕の肩に頭を乗っけてきた。冬矢は肩をすくめる。
「その頃はお互い自覚してなかったんだから仕方ないだろ。よかったじゃないか、誤解が解けて」
「それは、たしかに、よかった。だけどさ、あれを思い出すたびに、もしかして蒼生ってオレのこと好きじゃないのかもって一瞬考えちゃうんだよ」
「一瞬か」
「一瞬だな」
 ……うん? 今、ズキッて胸が痛かった。
「その時の話題が止められただけで、それ以外は何もなかったんだろ?」
「まあなー。でもあの時の強いインパクトがさー」
 ふたりが会話を続けてるのに、僕は聞いてなかった。なんで急にこんなに痛かったんだろうって、そのことが気になって。健ちゃんの言葉を頭の中で繰り返す。“オレのこと好きじゃないかも”……?
「蒼生?」
「どした?」
 僕は気付いてしまった。僕がかつて投げた言葉の重さに。
「……“好き”を疑われるのって、すごく悲しいんだね。僕、無神経にふたりのこと傷付けてたんだ。ごめんなさい。もう疑わない」
 僕は健ちゃんが好きだ。冬矢が好きだ。
 それを疑われることが、こんな泣きたいくらい悲しいなんて。
 ふたりは顔を見合わせて、それから僕を見る。健ちゃんが僕の手をぎゅっと握る。冬矢はそっと頭を撫でてくれる。
「いいよ、疑っても」
「……え?」
「いいんだ。お互いのことがどんなに好きだって、不安になることはあるし、疑問を抱くこともあるよ。そのかわり、そのたびにちゃんと聞いて。何度でも、好きだって答えるから」
 健ちゃんも頷く。
 どうしてこの人たちは、こんなに優しいんだろう。
 僕にはもったいない。
「ありがとう。……ふたりとも、大好き」
 そう言うと、ふたりは嬉しそうに笑った。


 うーん。
 ここだけの話って、はっきり言ったつもりだったんだけどな。僕の噂はいつのまにかだいぶ広まっていったようだった。まあ、それはいいや。
 同時に広まった噂が、何だって? 冬矢がポイ捨ての冷たい男だって?
「なんでそんな話になるんだよっ!」
 僕は両手で机を叩いた。痛っ。……うー。
 僕の部屋でいつもの勉強会だけど、今日はなんだか身が入らない。机の上に広げた教科書を左右から覗き込んでいた健ちゃんと冬矢が、目を見開いて僕を見てる。
「蒼生って怒ることあるんだ」
「すっげぇレアだぜ。オレも人生で何度かしか見たことねえ」
「動画で残しておけばよかったかな」
「その価値はあったかもしれん」
「すっかり蒼生は自分の部屋の中では素を出すこと覚えたな」
「オレたち相手にだけだけどな」
「いい傾向だ」
 よくない。
 あー。僕は机に額を付けた。ちょっと勢い付けすぎてこっちも痛かった。
 健ちゃんが手を伸ばして、机の下から僕の手を撫でる。
「自分の噂が広まったことはいいのかよ」
「だいぶ尾ひれがついてるみたいだけど、噂は噂だからどうでもいい。かえって告白の呼び出しがほぼなくなったから助かったって思ってるくらい。そう言えば楽だったんだって今更気付いて、無駄な労力割いてきた自分にがっかりはしてるけど」
「今後のことを考えれば、よかったじゃないか」
「だから、よくない……」
 なんだよ。冬矢のことよく知らないで、勝手なこと言って。
 冬矢は溜め息みたいに息を吐く。
「俺も別に構わないんだ。実際、そうやって捨ててきた子はたくさんいるからね。恨まれていても仕方がないと思うし、なんなら夜道で刺されても言い訳すら出来ないな。そういう酷い人間なんだよ、俺は。冷たいとか人の心がないとかクズだとか、よく言われてきた。きっとつらい思いをさせてしまった誰かが流した噂なんだろうけど、それが事実だからな。どういう言われ方をしても、罰だと受け止めるしかない。当然の報いってやつだろ」
 やだ。
 冬矢が仮にそれでもいいって思ってても、僕はやだ。
 すごいわがままだけど、悲しい。泣きたい。
「そ、そういうことがあって、悲しい思いしてきた子、いっぱいいるのかもしれないけど。それは、今までの冬矢が、人との付き合い方をちょっと間違えてただけだと思う。だから冬矢自身までそんなこと言わないで。冬矢はすっごくあったかくて、優しいひとだよ。僕は知ってるもん」
 小さく笑う声がした。
 え?
 僕が顔を上げると、冬矢が優しい顔で笑ってる。
 なんで?
「……蒼生に大きなブーメランが刺さってるのが見える」
「?」
 何を言われたのかさっぱりわからない。冬矢はすっと立ち上がり、僕の隣に座り直した。手を握り、指を絡めてくる。
「いつか俺とふたりで、ネガティブな主人公の話したこと、覚えてる?」
「あったっけ……」
「覚えてないか。自分のことを散々卑下する主人公に、ヒロインが『私の好きな人のことを悪く言わないで、そういうのすごく傷付く』って言うシーン。ああいうのすごく落ち込む、って蒼生は言ってた」
 正直、そんな話をしたかどうかは覚えてない。でも、たしかに、いろんな物語で見るそのシーンは、ずっと苦手だと思ってた。自分には関係ないはずなのに、毎回胸が痛くなった。そんなこと言われても、だって主人公は自分のことをそう思ってるんだから。なんでそれすら否定するの? って思って。そう思うことすら許されないの? って。だからそれを言うヒロインのことが、どの物語でもどうしても好きになれなかった。
「蒼生、今あのヒロインと同じことを俺に言ったの、わかってる?」
「……あ」
 自分に驚いた。
 同じだ。同じことを。僕が好きじゃないキャラクターと、僕は。
「ぼ、僕、自分が言われたら傷付くことを冬矢に言っちゃったんだ……。なんで僕はいつもこんな後先のこと考えられないんだろ……」
「あーおい」
 冬矢はなだめるような、穏やかな声色で僕の名前を呼ぶ。
「今の蒼生の言葉は、主人公側だね。俺たちは今、物語の2人の立場をかわりばんこに味わってる。両方の気持ちがわかる状態だ。落ち着いて考えてごらん。素直な気持ちで、今どう思ってるか、言葉にしてごらん」
 僕の、素直な気持ち?
 冬矢がゆっくり僕の指を撫でる。
 …………。
「……好きな人の悪口は、悔しい。好きな人が自分の悪口を言うのは、……悲しい。ほんとだ。すごく悲しい」
 健ちゃんが四つん這いで僕の側に来て、隣に座る。
「オレさあ、蒼生がそうやって自分を責めるのって、蒼生が優しいからなんだろうなーって思ってるんだけど。これも蒼生の考えを否定してることになるかな。傷付く?」
「……ううん。健ちゃんが言うならそうなのかなって思う。そう思ってもいいのかなって」
 冬矢は握ったままの僕の手を、そっと自分の足の上に乗せた。
「たぶんあの頃の蒼生は、自分がひとりぼっちだと思い込んでたから、そうやって傷付いてたんだろうな。どうしてあのシーンで主人公がヒロインの言葉を素直に受け入れられたのかって、今ならわかるんじゃないかな」
「今なら……?」
「そう。あの頃と今で違うこと。あるだろ。……俺はね、彼がそれを受け止めたのは、好きな人の言葉だったからじゃないかと思う。彼が彼女のことを好きじゃなかったら、たしかに蒼生みたいに傷付いてたかもしれないね」
 そっか。
 僕は主人公の気持ちに同調できてなかっただけなのか。たくさん本を読んで、いろんな人の気持ちを見てきたから、どんな人の気持ちも理解出来るような気がしていたけど。ずっと僕は、誰かに好かれる自分を拒否してた。誰かが僕を好きになるわけがないって、最初から考えを捨ててた。だから理解出来なかったのか。無駄に傷付いてたのか。
 今ならわかる、か。あの時と今と違うこと。
 好きな人の悪口は傷付く、って、好きな人が出来た今だからわかるんだ。
 好きな人がいて、好きでいてくれる人がいて、初めてわかる気持ちだったんだ。
 じゃあ、冬矢は?
「冬矢……。あの頃の僕なら傷付いてた言葉を、冬矢はどんな気持ちで聞いたの?」
 冬矢は目を細め、空いた手で僕の頬を撫でる。
「蒼生が怒ってくれて嬉しかったよ」
 ああ、それは。「好き」だからわかるやつ……?
「ねえ、蒼生。彼女は、主人公以上に主人公のことを理解していて、彼が卑下したところも彼自身が見えていなかったところも、全部ひっくるめて好きだったんだよ。だからあんなふうに言ったんだろうな」
 健ちゃんは、僕の背を撫でながら、なるほどと頷く。
「もう全部バレてるもんなあ。めんどくさがりなとことか、ネガティブなとことか、落ち込みがちなとことか、よく考え込んで深みにはまってるとことか、あとそれ以上にものすごく可愛いとこもな。つまり、冬矢の解釈を全面的に信じるなら、オレたちは蒼生のことが大好きだし、蒼生はオレたちのことが大好きだって証明になりそうだな」
 ……健ちゃんが、ちょっと難しい言い回しでまとめようとしてる。心が凪いでいくのがわかる。健ちゃんの、冬矢の言葉が、胸にすーっと染みていく。
「そういう結論でOK?」
「大体はな」
「おっ、どこが違うってんだ」
「この流れはほぼ俺と蒼生の話であって、おまえそんなに関係ないんじゃないか?」
「ん? ……でもまあそういうことだろ?」
 なんだかほかほかした気持ちになってきた。ふふ。
「僕は、それで合ってると思う」
「だよな!」
 健ちゃんが笑って僕を抱き締める。
 冬矢が僕の頬に自分の頬をすり寄せる。
 そうか。
 ちゃんと僕は、ふたりのことが大好きなんだ。
 それから、ふたりも、僕を。
 ああ、そっか。
 そうなんだ。

 あ、でも。
「やっぱり釈然としないから、もっと冬矢のいいところはちゃんとアピールしていく所存です」
 力が抜けきってた体を起こし、僕は宣言する。
 それぞれ僕の上のほうと下のほうに伸びかけてたふたりの手がぴたっと止まった。
 ……あっぶな。
 家族も起きてる時間帯の、誰が突然来るかわからない自分の部屋で、なにかが始まるとこだった。
 なんかこの前、安心して僕が体を預けられる時間と場所が云々って、冬矢言ってたよね?
 あ、冬矢が知らん顔してる。
 健ちゃんは不満げに座り直す。
「そんなんやって冬矢がもっとモテたらどうすんだ」
「そ、それはそれで阻止する」
「何があってもなびかないからそこは安心して」
 そう言ってから、冬矢は両手を床に付けて、はあっと息を吐いた。
「やっぱり俺も付き合ってます宣言しようかな」
「それが最善かもしれねえけど、も少し間を開けようぜ」
「なんで? 健ちゃんが取り残されちゃう感じがするから?」
「別にそれは構わねぇけどさ。こんな短期間で蒼生と冬矢が恋人できました宣言したら、蒼生と冬矢がそうだって誤解されかねないだろ!」
「そうだけど?」
「そうだけど! それこそオレが可哀想!」
 あはは。健ちゃん、必死だね。思わず笑っちゃう。冬矢も、それからつられて健ちゃんも笑う。
 突然、冬矢がぽんと手を叩いた。
「忘れてた」
 え? なにを?
 壁際に置いてあった鞄まで行くと、なにやら冬矢はごそごそと中を探る。そして取り出したのは、なんだ? パンフレットの束?
「やっぱり近場でのデートだと目撃される可能性があるだろ。どうせなら大々的に目撃させて、俺たちは常にこういうものだと思わせるのも手だし、どちらかといえばそっちのほうが個人的には好きなんだが、他にもこういう手があると思ってね」
 ばさり、冬矢は教科書やノートを広げたままの机の上に、それを置いた。どれもこれも、旅行のパンフレットだ。
「わあ」
「まだ高校生だし、親の承諾的にも金銭的にも近距離1泊だとは思うけど。どう?」
「行く!」
「楽しそうじゃん!」
 僕たちは、思い思いのパンフレットを手に取る。
 食べ放題つきに? ゆったりプランに? 史跡巡りまで!
 すごい、いろいろある。冬矢が、これを店頭でもらってきたんだ。ふふ、健ちゃんが好きそうなのもちゃんとあるね。
 僕はパンフレットで口元を隠して、笑う。
 楽しい。
 本当に楽しい。


 まったく、いい天気だなあ。
 僕はあったかいココアをすすりながら、ベンチで薄い雲が柔らかく浮かぶ青空を見上げる。空、広いなあ。暑くもなく、寒くもなく。過ごしやすくて、気持ちのいい風が吹いてる。
 ああ、気分がいい。
 ちらりと目をやる先では、健ちゃんと冬矢が静かに睨み合ってる。
 なんて穏やかな日なんだろう。
 それにしてもこのココア美味しいな。どこのメーカーだろ。あとでもう一度あそこの自販機覗いてこよう。
「ねえ、バスでどっちが隣に座るか決まった?」
「もうちょい待って」
「まもなく結論が出るはずだから」
 出るかな~。朝からずーっとやっててまだ決まんないだもんなぁ。
 小さな雲は、動いてるかどうかもわからないくらいにのんびりと浮かんでる。のどかだ。
 いつ終わるのかな、あれ。ここまでの経路は3人で並んで座れたから、勝負は持ち越しになってるみたいだけど。
 なんでふたりが次の行程の席にこだわってるかというと、ここから先、すべてが交互に行われるルールだからなんだそうだ。本来は朝の電車からだったらしい。すべてっていうのは、ほんとに「すべて」。バスの座席に始まって、お昼ごはんの席だとか、手を繋ぐのとかに至るまで。ただ、何が起きるかわからないから、自分が思った手順が回ってくるかどうかがわからないんだけど、それが醍醐味なんだって。しかも、夜の手順までその中に含まれてるらしいよ。
 ……なんかとんでもない気がするけど、微笑ましい気もしちゃったりするので、ほっとくことにした。
 それにしても、まだ?
「なかなか決まんないね」
「ここで先手を取るか否かで先が全部決まるんだから、真剣勝負なんだよ」
「場合によっては重要な一手を取られかねないからね」
「順番が決まったからって、手順すっ飛ばして無茶すんのはナシだぜ」
「それは蒼生に誓って、しない」
 なぜそこまで真剣に……。
「なんなの、将棋かチェスでもしてるみたいだね」
 僕の何気ない一言に、健ちゃんと冬矢はきりっとした目を僕に向けた。
「そりゃ、もう。宝物の取り合いしてんだからな」
「へ?」
「世界で一番大切な宝物だから、必死にもなるよ」
 え?
 なんて?
 その言い方は、まるで。
「……なんか、僕のことを言ってるみたい」
「そうだよ」
 綺麗に、健ちゃんと冬矢が声を揃えた。
「宝物? 僕が?」
 冗談を言っているようには見えない顔で、ふたりは頷く。
 そうだった。
 このふたり、その手の冗談は言わないんだった。
 あのね。
 ふたりとも、僕のこと、過大評価しすぎだよ。
 だけど。
 ふたりにとって、僕がそうだっていうのなら、きっとそうなんだろう。
 そういうことだ。

「もういっそ、ジャンケンで決めるしかねぇな……」
「そうだね、まもなくバスが到着する時間だ」
「よし、負けても文句言うんじゃねえぞ」
「わかってる」
「せーの、ジャンケン、」
 ぽん。
「あっ」
「えっ」
「やった、僕の勝ち! ね、この場合はどうするの?」
 あれ。
 健ちゃんと冬矢の目がマジだ。
 あらら。
「……真剣勝負に水を差したらどうなるか、わかってる?」
「これはおしおき案件じゃねえの?」
「ひぇ」
 わー、ふたりが同時に僕に詰め寄ってくる。その勢いに、思わず僕は目をつぶる。
 と。
 ん?
 ほっぺに、キス?
 両側から?
 目を開けると、にやけ顔の健ちゃんと、ちょっと意地悪な笑顔の冬矢。
 ふ。
 ふふ。
 なんだかおかしくなって笑う僕に、ふたりの笑い声も重なる。
 広い空の下で、笑い声が続く。
 それは、きっと。
 これからも、
 ずっと。


 僕は、ふたりの。
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29こ目;僕は君の宝物 第9話
1 / 1
「今度ここ誘おうかと思って」
「あ、水族館か。いいんじゃね? 蒼生好きだよ」
「そうなのか」
「青い空間が好きなんだってさ」
「ああ、そうだよな、自分の色扱いされてるうちに青に愛着がわいたって言ってたもんな」
「……へえ? まあ、オレは蒼生がどこの水槽の前で立ち止まるか言い当てられるし?」
「……へえ?」

「ということがありまして」
 僕はふたりの説明をぽかんとしながら聞いた。
 あの、僕を入れなくて、ふたりだけで相談してることがまず面白いなあと思うわけですよ。あんまり聞かないもんね、彼氏同士の相談って。内容も僕のこと考えてくれてるんだなって思えて嬉しいし。だけどさ。
「健ちゃんと冬矢って、僕がいなくてもそんな感じなの?」
「いつも大体こんな感じだな」
 そ、そうなんだ。いつも僕の目の前でわいわいと口喧嘩? 言い争い? いや、漫才? とにかくなんだかテンポのいいやりとりをしてるから、パフォーマンスみたいなものかと思ってた。僕が外しててもそんななんだ。
「それで、どうだろう。今度の休みに」
 冬矢が聞いてくる。
 僕の答えは、ふたりが話を始めた時から決まってた。
「うん! 行く!」


 僕はうきうきしながらクローゼットの中を覗く。なんとか2つまでは絞れたんだよね。どっちの上着にしようかな。落ち着いた感じのほうがいいかな。あったかくしたほうがいいかな。
 嬉しいのは、健ちゃんが僕の水族館好きを覚えててくれたこと。それから、僕と同じで出不精なはずの冬矢が積極的に僕と出かけようとしてくれること。ふたりとも、僕と一緒にいたいって思ってくれてるのかな。ふふ。
 水族館かー、しばらく行ってないなあ。誘ってくれたの、去年とかその前に出来た大きいとこじゃなくて、昔からあるとこなんだよね。久し振りだから色々変わってるんだろうな。楽しみ。本当はひとりでも行きたいくらいなんだ。でも、ひとりの休みの時って、表に出て人目に触れるのが嫌でずっと避けてたし、誰かを誘うのも面倒だったし、誘ってOKもらったところで変なところで立ち止まっちゃうから嫌がられちゃうし……。
 あ、そうだ。思い出した。小学校の遠足で水族館に行った時、周りに合わせるつもりだったのに、つい自分の好きなところで立ち止まっちゃって、「変なの」って言われたんだった。また僕、それやっちゃわないかな。好きな場所で羽目を外して迷惑かけちゃうかも。やだな、健ちゃんと冬矢に迷惑かけるの。……どうしよう。僕、行ってもいいのかな……。
「おはよー!」
「っ!!」
 わ……び、びっくりした。け、健ちゃん!? ドアが開くなり飛び込んでくるから、なにかと思った。うわ、健ちゃんが来る音に気付かなかったなんて。普段だったら絶対わかるのに。
「お、おはよう。まだ待ち合わせには早いよね?」
 健ちゃんはにこにこしながら手提げ袋をどさりと置いた。
「どうせ夕方には戻ってきてここで勉強会するじゃん? だから勉強道具置いておこうと思ってさ」
「すごい、やる気あるね」
 年末の成績がよかったの、健ちゃん自身も嬉しいのかな。僕もこうやって一緒に勉強できるの嬉しいし。
 実は今だってテスト前だ。なんか、いつもテスト前って感じがするけど、きっと学生のうちはずっとこんななんだろうなあ。だけどやっぱり遊びたいもん、テスト前の息抜きって理由なら許されるよね。
「……というのは言い訳で」
 はい?
 健ちゃんは、がばっと大きく手を広げると、捕獲の勢いで僕のことを抱き締めた。いや、ホントに脱走した小動物捕まえてる雰囲気なんだけど。く、苦しい。
「うー……キツい」
「あっ悪ぃ、蒼生と遊びに行けると思ったらテンションが上がっちまって。集合時間まで待ってらんなかったんだよ」
「そ、それは嬉しい、ありがと、でもちょっと緩めてぇ」
「あと10秒」
「も、もつかな」
 いーち、にーい、なんて元気よく数えだす。行くのやめようかなって思ってたほんの数分前の気持ちは、気付けば霧散してた。健ちゃんってすごい。あと冗談抜きにキツい。
「ねえ10秒過ぎてない?」
 いつの間にかカウント止まってる気がするんだけど。健ちゃんはわかりやすくとぼけた顔をする。
「ちょっと途中で数がわかんなくなったもんで」
「それは大変だ、健ちゃんはこのまま部屋で教科書読んでたほうがいいよ」
「うっわ、勘弁して!」
 そこでなんとか解放されたことで踏ん切りがついた僕は、ようやく着ていく上着を決めることが出来たのでした。
 さて、そんなことしてたらそろそろ出かける時間だ。健ちゃんが玄関先にほっぽっていた荷物を持つのを横目に、僕はリビングのドアを開けた。テーブルに座って雑誌を読んでいたお母さんが顔を上げる。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
「いってらっしゃい。今日も健太くんと一緒?」
「うん。あと冬矢と。夕方には戻って3人でまた部屋で勉強するつもり」
「他の子とは遊んだりしないの? その2人とばっかり。ちょっと異常なんじゃない?」
「……え?」
 ずきっとした。異常……。そうなのかな。わかんない。普通がどうだかわかんないから。ふたりとばっかりいる、それは確かにその通りだ。友達だと、その頻度っておかしいのかな? 僕の薄っぺらな知識でも、恋人ならそんなにおかしいことじゃないと思う。ふたりは恋人だ、だからおかしくないよ。だけどそれを明かしたくない。基準がわからない。
 何を言ったらいいんだろう。どう答えたら正解? 正解がわかんないのは、僕が異常だから?
 後ろから、のしっと体重がかかる。
「いーの。オレが蒼生と遊びたいんだもん。蒼生もオレと一緒がいいよな!」
「……うん」
「あら、そうなの。あなたたちがいいならいいんだけど」
 健ちゃんの答えに、お母さんはあっさりそう頷いた。
 あれ。え。それでよかったの? 一緒にいたいから一緒にいる、それだけで? なんか肩がすとんと落ちた感じがする。
 玄関で靴を履いていると、今度は2階からみどりちゃんが下りてきた。
「どこか行くの」
 みどりちゃんが首を傾げると、健ちゃんが嬉しそうに身を乗り出した。
「水族館! 右上の方にあるやつ」
「地図の位置じゃなくてせめて方向で言ってくれ。おまえたちで行くのか」
 健ちゃんの言葉に、みどりちゃんは難しい顔をする。……なんだろう。まさか同じようなことを言われるんだろうか。僕は息を呑む。
「……たしか新しいとこじゃなくてそっちだったよな、この前ニュースでやってた美味しいジュゴンまんじゅう売ってるとこって」
「ああ、そういややってたっけ。じゃあみど兄にはそれお土産で買ってくる」
「よろしくな。あ、じゃあこれ、小遣い」
「わ、ラッキー!」
 あれ?

 入り口を入るとすぐ大きなドームになっていて、映し出されたシルエットの魚がドームすべてをスクリーンにして泳いでいく。
「うっわぁ……」
 それが泳いでいった後には、今やってる企画展示のお知らせが浮かぶように映される。魚の群れが戻ってくると館内案内図が。映像も楽しいんだけど、影が泳ぐのがものすごくテンション上がる。
「前ってこんなのあったっけか?」
「いや、少なくとも俺が小学生の頃にはなかったと思う。ドームはあったけど。何年か前にリニューアルしたろ、その時に出来たんだな」
「すっげえ進化してるんだなあ」
 後ろでふたりも上を見上げていた。そうだよね、なかったよね。
「久々に来るとやっぱ違うもんだな。どっから見る? 企画展示も面白そうだけどまず順路通りに行ってみっか」
「うん」
 大きく開けた扉から中に入ると、薄暗い空間が広がる。お客さんはそんなに多くない。だから、森の上流を模した横に長い水槽が、一気に視界に入ってくる。作られた小さな滝の音が、さわさわと耳に気持ちいい。
 それを通り過ぎると、小さな水槽が画面のようにぽかりとたくさん並んだ通路に出る。1種類か2種類くらいの小さな生き物をじっくり見られるタイプの水槽だ。
「エビだエビ。な、蒼生、エビ」
 健ちゃん、昔からエビの水槽好きだよねえ。よく引き留められてたのを思い出す。それで、ひげが動いてるとか脚が動いてるとか延々実況するんだよ。見てればわかるけど、なんか聞いてると楽しくなってくるのが不思議だ。
「ほら冬矢、エビ」
「言われなくてもエビだよなあ……」
「なんだ、エビの水槽嫌いか」
「どっちかというと大きい水槽のほうが好きだけど」
「でもよく見ろ、赤い」
「そうだな」
「しかも動く。ほらエビ」
「……なるほど、細かい動きがよく見えるわけか」
 そっかあ、冬矢って大きい水槽好きなんだ。だったら、この先に名物の大水槽があるのを、冬矢も当然知ってるはずだ。だけど健ちゃんの話をちゃんと聞いて、小さな四角を覗き込む。付き合いいいんだなあ。子供みたいな実況をする健ちゃんと、いちいち頷いてあげてる冬矢、なんかすごく可愛いかも。
 3人してひとつひとつ見ていったら、あっという間にそのコーナーが終わっちゃった。すると今度は冬矢が好きだって言う大水槽の前に出た。
「わー。いろんな魚がいっぱい泳いでる」
「でっけえな-」
「冬矢はここが好きなんだね」
「ああ。自分より大きい魚が泳いでいるのを見ると、すごく落ち着く感じがする」
 一歩引いて全体を眺めながら、冬矢の目は泳いでいく大きな魚を追う。それはとても静かだったけれど、すごく優しい眼差しだ。そっか。冬矢、本当にここが好きなんだ。ああ、冬矢は自分が好きな場所に、僕を連れてきてくれたんだな。……嬉しい。
 それから、せっかく大きな水槽なのに、すごく近くに寄ってアクリルと底の境目辺りを泳ぐ細長い魚を見てる健ちゃんも、ふふ、好きだなあ。
 僕はどちらでもない場所で、仰ぐように水槽を眺める。小さい水槽も好き。透明ではっきりしてて綺麗だから。大きい水槽も好き。水の色が深くてうっすら見える魚影が幻想的だから。どっちも好き。
「あ、向こう、水槽のトンネルだ」
「行ってみようか」
「うん」
 嬉しそうなふたりの後ろについていく。するとそこに向かう空間に、何本か背の高さ程度の柱みたいなのが立ってるのに気付いた。四角柱の真ん中くらいに、正方形の水槽。あれってもしかして。数歩近付くと、とても小さな青い魚影が見える。……あっ、好きな魚だ。鮮やかな原色の青。
 っと。ふたりに置いてかれちゃう。早く行かなきゃ……え?
 足を踏み出そうとすると、健ちゃんと冬矢がふたり並んでこっちを見ながらこそこそ話してる。中身は聞こえなかったけど、
「ほら、な」
 健ちゃんがそう言ったのははっきり聞こえた。なんだ。怪しい。
「なに?」
 聞くと、冬矢は綺麗な顔で笑う。
「ん?」
 なんでもないって顔。こっちは難しそうだな。ということで、僕は健ちゃんに視線を移す。
「えっ、なっ、なんにもっ?」
「……健ちゃん?」
「だからなんでもな」
「健ちゃん?」
 ほぼぶつかるんじゃないかくらいの位置から健ちゃんを見上げると、明らかにきょろきょろと挙動不審になる。僕に関するなにかを隠してるでしょ。わかるよ、もう何年一緒にいると思ってるの。
 健ちゃんは諦めたように深く息をついた。
「蒼生がどの水槽に興味示すか、冬矢と賭けてた。負けたほうが昼飯奢るルールで」
 ……は?
「あはは、何それ。で、今のところどっちが勝ってるの?」
「五分五分ってとこだな」
 ふふ、そっか。ふたりでそんなことしてたんだ。五分五分かー、そっかー。そうだね、健ちゃんは経験と実績があるし、冬矢は洞察と理解がある。なるほどね。……そう思っちゃうのは自惚れかな?
 健ちゃんは困った顔をする。
「賭けの対象にしてて怒ってない?」
「全然。面白いことするなーと思ってる。あと、それがわかった以上、ここからどう攪乱していこうかなーって」
「え、蒼生が意地悪言う……!」
「だって、健ちゃんが誤魔化そうとするんだもん」
 楽しい。なんだこれ、すごく楽しい。
 もしかすると、僕次第で結果変わってくる感じ? あ、でも、どっちの裏をかくかってことになるわけか。ふむ。
「蒼生には黙ってて後でバラすつもりだったのになあ」
「えー? 本気で? 健ちゃん、昔から素直に顔に出ちゃうタイプだったじゃん。僕に嘘つけないもんね」
「不思議なもんで、ついたところで100パー即バレだからな……」
 僕たちのやりとりを見ていた冬矢が、首を捻る。
「な、蒼生。健太の嘘ってそんなに昔からすぐわかってた? 今も?」
「? うん」
「その認識してるくせに、健太が俺のことを好きなんじゃないかって心配してたの?」
 …………あ。
「ほんとだ……あれ?」
「そっか、確かにそうじゃん! 逆にオレのこと疑えたのすげえな」
 なんで僕、そんな心配してたんだっけ。今はもう、そっちのほうがわからない。
「単じゅ素直な健ちゃんにそんなこと出来るわけなかったのに、ごめんね」
「うん蒼生、はっきり言いな? この前もそれ言いかけてやめたな?」
「えへ」
「そんな顔しても誤魔化されねえぞと言いたいとこだけど……くっ、可愛い……なにそれ変なテクニック覚えんなよ……」
 冬矢は目を和ませる。
「ただ、俺にしてみたら蒼生もわかりやすいと思うよ」
「ええ?」
「嘘も隠し事も全部、見えちゃうから。ね」
 言って、冬矢は顔を近付けてくる。
「だ、だってそれは、冬矢が甘やかすからぁ……」
 ちか、近い。近い。隠せなくしちゃう、それ、冬矢のテクニックじゃん……。
 わ。健ちゃんが僕と冬矢の間に無理矢理腕を差し込んで、僕をぐいっと引き寄せる。そういうのがわかりやすいとこだよね。
「おまえは読めないんだよなあ」
「そう? 俺は心のままに素直に行動しているつもりだけど」
「オレに対しては絶対素直にならなそうだけどな」
「その必要を感じないからな。そのへんはちゃんと読めてるじゃないか」
「……たしかに蒼生にはともかく、オレに素直な冬矢は気持ち悪ぃわ」
「俺もそう思うよ」
 また、僕の上でわいわいやってる。
 なんだか最近、これも心地よくなってきちゃったなあ。

 トンネルを抜けた向こう側は、天井が見上げるほど高い大きな空間になってた。2階くらいの高さがあるかな? その広いスペースのあちこちに上から覗き込める水槽や円筒型の水槽が配置されてて明るい。その端っこに見える、そこから奥に繋がるもっと明るいスペースは、椅子とテーブルが並んだ喫茶兼休憩所って感じだ。
「食べるもんありそうだな」
 おや。健ちゃんが吸い寄せられるようにふらふらとそっちに歩いてった。お昼前なのに、と一瞬思ったけど、健ちゃんなら関係ないか。僕と冬矢は顔を見合わせて笑うと、健ちゃんの後を追う。
 カウンターの前には立て看板が置かれてて、カラフルな写真と賑やかなイラストでメニューが紹介されてる。へえ、水族館っぽい食べ物がいっぱいだ。海の生き物の人形焼き、クジラをイメージした丸く盛られた青いかき氷、アザラシの形をしたミルクプリン、オットセイの形をした黒ごまプリン、色々考えるなあ。えっ、お寿司みたいなケーキ? それはここに置いて大丈夫なもの? 面白いけども。
「蒼生、アイス食べる?」
 冬矢が指したのは、白と水色で波打ち際を表現したのかな、海の塩アイスだって。美味しそう。
「食べる食べる」
「お昼近いし、わけっこしよ」
「うん!」
 健ちゃんが「あっ」と声を上げる。
「ズルい、俺も蒼生とわけっこしたい!」
「したらいいだろ」
「なるほど、そりゃそうか。じゃあオレはこれ」
 健ちゃんはペンギン焼きか。……名前、名前。ペンギン型のスポンジみたいなのの中にチーズクリームが入った商品らしい。看板の写真も、上下真っ二つにしてクリームがあふれ出す写真を使うというセンス。アレだな。ここのメニュー、ツッコミ待ちのタイプだ。嫌いじゃない。
「はい、これ蒼生の分」
 健ちゃんが頭のとこを千切ってくれる。うーん、ビジュアル。……お? ネーミングと写真はともかくとして、ふわっふわであったかくて甘い生地……あっワッフルだこれ。そこに熱いチーズクリームがマッチしてて、めちゃくちゃ美味しい。え、美味しいじゃん。
「次はこっちな」
 冬矢は白いところと水色のところをうまく両方すくったスプーンを僕に向けてくれる。あれっ、白いほう、ヨーグルト風味かな。しゃりしゃりしてる。水色のほうが塩味で、これも甘いのの後に塩っ気が残って、美味しい。へー。
「どっちも美味しいね」
 健ちゃんと冬矢が僕を見て、笑いながら頷く。うう、至福。
 こうなってくると他のメニューも気になるよね。冗談ぽいラインナップだけど、意外とどれも味はしっかりしてるのかもしれない。だけどお昼前だしなあ。
 立て看板をチラ見していると、頭上でざざっと音がした。なんだろうと見上げると、館内放送が始まる。
『みなさま、本日はご来館いただきありがとうございます。まもなくオープン水槽におきまして、餌やりパフォーマンスを行います。ぜひお集まりくださいませ』
「オープン水槽ってすぐそこに見えるあれだよな」
「そうだね。人が集まってきてる」
「蒼生、オレたちも行こ!」
「えっ」
 健ちゃんは、僕の手を取って立ち上がると、ぐいっと引っ張ってくる。わ。慌てて冬矢のほうを見ると、苦笑しながら立つのが見えた。バランスを崩しかけたのを立て直して健ちゃんのほうを窺う。あーあ、楽しそうな顔しちゃって。ちっちゃい頃、あちこち引っ張り回されたの思い出すなあ。あの頃も嬉しかったけど、今はなんだか別の意味も加わって、それ以上に嬉しい気がした。
 餌やりパフォーマンスは、思ってたより迫力があって面白かった。それが終わる直前を見計らって、僕たちは人の輪から外れる。
「たぶん今ならすいてると思うよ」
 と、小声で冬矢が言ったからだ。
 冬矢が連れてきてくれたのは、リニューアルで作られたっていう部屋だった。壁の一面が全部水槽で、そこに向かって壁の幅で階段が伸びてる。それで、その途中にいくつも大きなソファが設置してあった。うわ、これ、ソファに座ってゆっくり水槽を見られるやつだ!
「これ、蒼生好きだろ」
「好き!」
 わー、嬉しい。向こうでまだイベントやってるせいか、人もいないし。一番下のソファまで下りると、そこに座る。思った以上にふかふかだ。少し角度がついているから、背もたれに背を預けると、視界いっぱいに水槽が見える。
 遅れて下りてきたふたりが、笑いながら僕の両隣に座った。
「結構沈むなぁ、これ」
「時間溶かすタイプの部屋だったかもな」
 僕はちらりと左右を見る。水槽の明かりにぼんやりと照らされるふたりの横顔。すごく嬉しいのが抑えきれない。どうせ今は誰もいないし、いいや。
 両腕を、それぞれの腕に絡める。ふたりはちょっとびっくりしたように僕を見て、健ちゃんは嬉しそうに、冬矢は穏やかな目で笑った。
 あったかい。


 週末からのほこほこ気分がまだ続いてる。3人で朝の電車に乗りながら、にやけてしまいそうなのをなんとかこらえる。あの後、本当にあの部屋でしばらくぼんやりしちゃったり、アザラシプリンとオットセイプリンに挑戦したり、すごく楽しかった。プリン、美味しかった。終始テンションの高い健ちゃんが、幼児がえりしちゃってるみたいなのも嬉しかったなあ。それに対して冬矢が僕に「蒼生は昔から苦労してたんだな」ってしみじみ言ったのが、もう最高に面白くて。
 だけど今日からまた1週間。うん。しゃきっとしなくちゃ。
「おはようございます」
 揃って教室に入る。うん? まだ半分ちょっとくらいしか集まっていない部屋は、入った途端に空気がおかしいのがわかった。教室の真ん中に集まった何人かを中心に、僕たちに一斉に視線が集まって、ざわめきが急にぴたりと消えたからだ。 
 え、やだな。何、この不穏な空気。
 健ちゃんが首を傾げて教室内を見回し、冬矢がすっと視線の温度を下げる。
「どうしたの?」
 僕は掠れそうになる声をどうにか整えて、笑って問いかける。すると、中央の輪の中から兼城さんが一歩進み出た。ものすごく思い詰めたような深刻な顔。やめてほしい。
「あの、ね。野木沢くんと寺田くん、週末水族館に行ってた?」
 あ。
 血の気が引く。
 ……でも大丈夫、そんな顔は見せないから。
「? うん、行ってたよ。それがどうかした?」
「実は、私たちも遊びに行ったのね。それで、たぶん2人だろうなって人を見かけたんだけど、……手、繋いでたよね」
 胸の真ん中辺りがぐっと痛む。健ちゃんに変な噂がたつのは嫌だ。僕みたいな奴と、って思わせたくない。
 だけど、ちょっとだけほっとしたのもたしかだ。手、のくだりかーって思って。もっと近かったり腕組んだり色々してたから、そっちだったら言い訳を考えなきゃだけど。手くらいどうってことないや。
 でもやっぱり教室の空気はなんだか重くて。
「……すごくいい雰囲気に見えたの。もしかして2人って付き合」
「えー? 手くらい普通に繋がない?」
 明るい声を上げたのは健ちゃんだ。なんでもない顔でにこにこ笑ってる。それで教室の雰囲気が少しだけ和らいだ。
 それから健ちゃんは、さらりと僕の手を握った。
「ちっちゃい頃からずーっとこうだからさあ、もう、こういうもんだと思っちゃってんだよな」
 内心動揺がおさまらない僕は、笑って健ちゃんの手を持って、それをゆったりと剥がす。
「幼稚園児から変わらないんだよね。よく迷子になりそうな健ちゃんを必死に捕まえてたっけ」
「そう、オレ、すぐどっかすっ飛んでっちゃうガキだったからな~」
 僕と健ちゃんが表面上は慌てる様子もなくにこにこと対応したからか、空気がすうっと引いていく。
 健ちゃんがうまく立ち回ってくれたのも嬉しい。さっき僕の手に触れた健ちゃんの手、ちょっと汗ばんでた。僕を守ろうとして、得意じゃない言い訳を口にしてくれたんだろう。たしかに嘘は言ってないし。
 満を持して、冬矢が声を上げて笑う。
「気を付けた方がいいよ。このふたり、本当にこんな感じだから。側にいると距離感のバグがうつるかもしれない。……それに、ひとつすごく心外なのは、その場に俺も一緒にいたんだよね。そんなに俺って存在感ないかな」
 最後に残っていた緊張感も、冬矢のその言葉で瓦解した。
「そ、そっか。そういえば私たちも手繋ぐか」
「腕組んで歩いたりもするよね」
「なんだ、笹原くんも一緒だったんだぁ」
「声かければよかったー」
「兼城たちがマジな顔でいい雰囲気とか言うから身構えちゃったけど、そういや寺田ってもとからこういう奴だったよな!」
「だよな~」
 とりあえず乗り切れたかな。兼城さんはちょっと複雑な顔をしたままだけど、他の人たちは納得してくれたみたい。
 たぶん、見られた行動自体はみんなが言うとおり、友達の範疇なんだろう。だけど、雰囲気とかがそれっぽかったのかなあ……。人の目は多少気にしてたけど、知ってる人の目のことは考えてなかった。はしゃいじゃってて、完全に気を抜いてた。もっとしっかりしよう。ふたりに迷惑がかかるようなことは控えなきゃ。
 それと、もう少し周りとの距離感を考えよう。高校に入ってからは、健ちゃんと冬矢がいてくれればそれでよくて、周りなんかどうでもいいかなって思ってたところが僕の中にはあったと思う。それじゃ駄目なんだ。適当な距離で付き合うから誤解されるのであって、ある程度踏み込んで行くことによって逆に踏み込ませない、そういう技術が必要なんだ。
 ってか、本気でふたりがいればそれでいいし、誤解も何も本当に付き合ってるけどね! だけど余計な詮索を周りにさせたくないし、それでふたりが不快に思うようなことがあったら嫌だから、言わない。どうせ3人で付き合ってるなんておかしいって言われるんだ。二股かけてるとかって。ああ、もう、僕が誰と付き合っててもいいじゃん。僕が3人でいいって思ってるんだから。ほっといてほしい。
 というのを抑えて、僕は改めて外壁を作ることにした。今まではハリボテの僕だったけど、大丈夫。今はどんな失敗をしたって、健ちゃんと冬矢だけは側にいてくれるから。
 輪が崩れて、いつも通りの教室になっていく中、冬矢がさりげなく近寄ると、小さな声で言った。
「最初から助けられなくてごめんね」
 僕は首を振る。
「ううん。最後の一言だからこそ、すごく効き目があったと思う。ありがと」
 先に一歩踏み出す健ちゃんと、冷静に事態を見極める冬矢がいて。
 これって、すごく勇気がもらえる。

 なんらかの動きがあるだろうなと思っていたら、きっかり放課後。僕が健ちゃんと冬矢と一緒にいるところに、兼城さんを中心に何人かの子がやってきた。
「朝はごめんなさい。お詫びにお茶奢らせて!」
 ここは乗っておくべきだなと思うけど、きっちり社交辞令は押さえておく。
「いいよそんなの。気にしてないし。みんなも気にしないで」
「でもそれじゃ私たちの気が済まなくて」
「そうか……。わかった、じゃあ、それでチャラってことにしよう」
 兼城さんたちはほっと胸をなで下ろしてる。逆に健ちゃんと冬矢はびっくりしたように僕を見た。そうだよね、僕だったら全力で断る……あ、いや、何回か断ってから押し込まれるパターンのやつだから、2度目でOKを出したのはふたりにとっては意外だったかもしれない。
 でもね、僕はね、片を付けたいんだ。
「寺田くんと、あの、笹原くんも……」
 篠崎さんの小さな言葉に、健ちゃんは我に返ったみたいに頷き、冬矢はさらっとした笑顔を浮かべた。
「お、あ、うん、行く」
「俺にも権利あるかな?」
 彼女たちが僕らを連れて行ったのは、学校とは駅を挟んで反対側にあるコーヒーチェーン店だった。学校に近すぎると大勢の制服姿はさすがに目立つからだろう。店に入ると、そこには木村くんたちもいた。ん?
 女子グループが飲み物を買いに行ったので、僕たちは彼女たちの指示通り、4人の男子が座ってる席に向かう。
 健ちゃんは、腰に手を当てて肩をすくめてみせる。
「なんだなんだ、大所帯だなあ」
 木村くんたちは照れたように笑う。
「いや、オレたちは完全に便乗。野木沢と笹原がこういうとこ来るのってなかなかないじゃん?」
「そ。2人とも仲良くしたいと思ってたからさ、来るって聞いて集まっちゃった」
 ……へえ? 僕? なんで? 冬矢ならわかるけど……。
「いっつも寺田ばっかり2人を独占してるの、羨ましいと思ってたんだよな」
「女子にきゃーきゃー言われてる奴って大体やな奴なんだけどさー、なんか2人ってそういう感じしないじゃん。話してみたいとは思ってたんだぜ?」
「そうそう、成績いいし。きっとテストのヤマ張る時に教えてくれんじゃねえかなって」
「ええ? それが目当て?」
 あっ。しまった。口挟んじゃった。途端に座ってた全員がくだけた笑顔になる。
「野木沢ってちゃんと突っ込んでくれるタイプなんだー」
 あー……つい……。
 ただ隣の冬矢が完全に外向けの笑顔になってるのがちょっと怖いんですけど。
「とにかく座って座って」
 わらわらと取り囲まれてるうちに、引っ張り込まれて椅子に座る。とりあえず、健ちゃんと冬矢が両脇で助かった。そうじゃなきゃ、さすがに逃げ出しそうだ。
 そこに、女の子たちが飲み物を手にやってくる。
「ちょっと、なんであんたたちで野木沢くんたち囲んでんの!?」
「うるせ、親睦深めてるんですー」
 おお。若者の間に囲まれてるって感じがすごい。僕はそれをにこにこ見てる。もちろん、何しゃべったらいいかわかんないので、場に馴染むためだけの笑顔だ。これで結構乗り切れるからね。
 でも、さすがに今日はそれだけでは済まない。
 兼城さんが、僕たちの前にずいっとコーヒーのカップを並べる。いい香りがする。飲めはしないんだけど。
 女子の皆さんは、改めて頭を下げてくれた。
「変な誤解したうえに、他のクラスメイトもいる中で騒ぎにしちゃってごめんなさい!」
 僕は笑顔を崩さないように、ひとつ深呼吸をする。
「逆にびっくりさせちゃってごめんね。学校の外でも、僕たちああいう感じで」
「そうだよね、いつもと変わらないのに……。なんでか、すごくいい雰囲気に見えちゃって」
 冬矢が小さく笑った。
「暗くてムードのある場所だからね。なんでもなくてもそう見えてしまうのかもしれないな」
 僕はそれに苦笑するようにして頷いた。
「そういうことなんだろうね。お詫びの品もこうしていただいたし、この話はこれでおしまい。いいよね?」
 並んだ顔をざっと見渡しながら言うと、全員黙って頷いてくれた。
 はい、ひとつクリア。
 それで区切りが付いたのか、そこからは誰からともなくあちこちで適当な話が始まった。よし、しばらくはこっちに話は来ないな。僕はいただいたコーヒーカップをそっと持ち上げる。うう、苦。でもせっかくもらったから無駄には出来ない。
「そういえば木村、なんで黙ってたんだよ。おまえ、高坂さんと付き合い始めたんだって?」
「え、あははー。照れくさいから黙ってたんだけど、バレた?」
「なーにが照れくさいだ、体育終わりにイチャイチャしてたの見たぞ!」
 せめて甘いやつだったらまだよかったのになあ。ところで、高坂さんって誰だっけ。ああ、兼城さんたちのリーダー格の子か。なんだ、木村くんの隣にちゃんと座ってたんだ。赤い顔をしてちょこんと小さく体を縮めてる。
「まったくいつの間にだよ~」
「実は先月から……」
「おおー」
「こっちはちゃんと付き合ってるやつだから、安心してからかってやろうぜ」
 …………。
 ちょっと今、ズキッときたな。僕たちだってちゃんと付き合ってるのに。もういっそ言っちゃいたい気持ちと、ふたりを守りたい気持ちで揺れる。でも大丈夫、ちゃんと後者の気持ちが強いから。
「え、きっかけ何?」
「なんかさー、ずっと同じグループで一緒に行動してるうちに、なんか気が合うなって」
「最初からかっこいいなとは思ってたんだけど」
「じゃあ告白は」
「はい、オレからでーす!」
「おおー」
 んー。
 ちょっともやもやするのは仕方ない。だけど、案外、僕、平気で聞いていられるな。あれ? あれあれ? 本当になんとも思わないな。
 ……すごく不思議だ。前は、周りでこういう恋愛話されると、耐えられないくらいしんどかったのに。吐きそうになったり倒れそうになったりしてたのに。なんだか普通の世間話と同じ感じに聞けてる。
 向こうの端に座った兼城さんが、はあっと大きな息を吐いた。
「いいな~、幸せそうで。ついでだから聞いちゃおうかな。ねえ、野木沢くんってどんな子がタイプ?」
 うわ、来た。回りくどいようで、結構ストレートに来たな。
 隣で冬矢が体を硬くしたのがわかる。息を吸ったのも。うん、大丈夫だよ。
 僕にはそう思えないんだけど、冬矢曰く、兼城さんは僕のことが気になっているんだそうだ。だから、ごめんなさい。ここで片を付けさせてもらいます。
「……好みかあ。なかなか難しいね。はっきりとは言えないけど、そうだね。その時に好きな子が自分のタイプなのかなって思ったりはするかな」
 すらすら言えた。
「えっ。もしかして……野木沢くんて、好きな人、いる?」
「うん」
「ええっ。じゃ、つ、付き合ったりしてる……?」
「うん」
「えーっ!」
 話の中にいなかったはずの周りの皆さんまで、全員が驚いたように僕を見てる。僕はちゃんと笑ってる。というか、ちょっと気分がよかった。誰とは言えないけど。でも、好きな人がいます。付き合ってます。はっきり言えた。
 やっぱり隣のふたりも目を瞠ってた。周りと一緒に驚いてるようで、きっと違う意味でびっくりしてるんだろう。
「だ、誰!? 私たちが知ってる人!? それとも校外の人!?」
 俄然周囲が沸き立つ。想定の範囲内だ。
「やきもち焼かれちゃうと困るから、全部秘密。それも、ここだけの話にしてね」
 唇の前に人差し指を立てて、僕は笑ってみせる。もちろん、隣にいるこのひとたちですって言葉は心の中で叫びながら。
 高坂さんが、あ、と声を上げる。
「もしかして、バレンタインの時、もらいたい人がいるからって断られたの、そっか。彼女がいるんだったらそうだよね」
 彼氏だけどね。
 すると木村くんががたんと音を立てて椅子から立ち上がる。
「えっ、バレンタインって、その時もうオレと付き合ってたじゃん。野木沢にもあげようとしてたのかよ!」
「木村くんにはちゃんと本命のあげたじゃん。そうじゃなくて、私、このグループ全員に友チョコ渡してるの見てたでしょ。それ、野木沢くんにも渡そうとしたんだけど、友達って意味でも受け取れないって言われたの」
「あ。そっか。オレだけ手作りもらってたな」
「ちょっ! バラさないでよ!」
 なんだか勝手に向こうのカップルが危機を迎えそうになってたけど、何事もなく収まりそうでよかった。なによりです。
「へえ、そっかー。野木沢って彼女いたんだぁ。たしかに綺麗な顔してるしいい奴だし、そりゃ彼女もいるか。でも絶対可愛いんだぜ~知ってる~」
「あ~、だろうな~!」
 可愛い、か。そうだね。可愛いとこ、いっぱい知ってる。
 だけどあえて誤魔化すように、ちょっと曖昧に笑う。それで終わるかなと思ったんだけど、そういうものでもないのかな。普通に聞いていられるようになった気がしているとはいえ、やっぱり僕はこういう話は苦手で、早く終わってほしいのに。
 なんだか、女子のみなさんよりも男子のみなさんのほうが興味津々に身を乗り出してくる。
「寺田と笹原は、仲いいから野木沢の彼女のこと知ってんだろ」
「えっ」
 あっ。
 そっかー。そっち行くか。なるほど、そうだよね。
 健ちゃんは戸惑った顔で、冬矢は少し悩むような顔をしてる。あとで謝ろう、今僕が面白く思っちゃってることは。だって、周りのみんなは気付いてないけど、自分たち自身のこと聞かれてるんだもんね。
「……ああ、よく知ってる」
「え、どんな子?」
「僕は秘密だって言ってるのに、ふたりに聞いちゃうの?」
「まあまあ野木沢、客観的で個人情報のバレない程度を教えてもらうだけだから、な!」
 そんなに聞きたいものなのかあ。
 健ちゃんが、居住まいを正した。
「あー…………まあ、そうだな……。顔は……めちゃくちゃいい。頭も切れるタイプだな。オレに対しては態度厳しいけど、なんだかんだで面倒見はいいし、優しいよ。蒼生のことをすごく大事にしてる感じ」
 へ。
 冬矢は持っていたカップをゆっくりとテーブルに置く。
「明るくて素直で、おおらかな人なんだと思う。ムードメーカーと言ったらちょうどいいかな。何事にもまっすぐで一生懸命に立ち向かえるところはすごいと思う。蒼生第一なんだろうなっていうのは、俺も同意見」
 わ。
 これ、嬉しい。健ちゃんは冬矢のことを、冬矢は健ちゃんのことを言ってる。あんなにつっかかって言い合いばっかりしてるのに、なんだかんだでお互いのこと認めてるんだ。えー、そうなんだ。ちょっと、ほっとした、かも。
 男子のみなさんは一様に頭を抱える。
「なんだよそれ、めっちゃいい子じゃん……」
「しかもやっぱり美少女の気配がする……」
「くっそ、羨ましい!」
 僕はそれをにこにこ見てる。これは、どっちかっていうと、抑えた笑顔。だって、ふふ、改めて聞くと、僕って最高の人たちとお付き合いしてるんだなあって。
 高坂さんが向こうで首を傾げる。
「でも、それだけ寺田くんたちと休日に遊びに行ったり仲良しで、彼女さんって嫉妬したりしないの?」
「してるよな」
 冬矢が食い気味で答える。……そうなんだ。
「え、そんなに?」
 健ちゃんも初耳らしい。
 僕は膝に手を置いて、ひとつ息を吐く。
「でも、その子に言われたんだ。恋人と親友、どっちも大切にしていいんだよって。……だから、どっちも大切」
 ね、健ちゃん。
「……うわー、やっぱ羨ましい!!」
 一斉に崩れ落ちる周りを、僕はさっぱりした気持ちで見回した。

 風の冷たい公園で、思い切り息を吸い込んだ。この冷たいのが、今は気持ちいい。
 健ちゃんが、いちごミルクのパックを手渡してくれる。……甘いやつ。ふっふふ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 僕は、ベンチの隣に座る冬矢と、目の前に立ってる健ちゃんを交互に見る。
 まずは、ちゃんと。
「今日は、ごめんね」
「えっ?」
「何が?」
「巻き込んじゃって。なんかもういろいろすっきりさせてやろうと思ったんだけど、やっぱりひとりじゃ怖かったから。本当はこうなる前に相談したかったんだけど、事後報告になっちゃった」
 冬矢が僕の肩に手をかける。
「それはいいよ。俺だってどうにかしたかったからね。それより、蒼生のほうだ。あんな……疲れてないか?」
「疲れてないって言ったらやっぱり嘘だろうなあ……。大勢に囲まれるのってしんどい、けど、思ってたよりは平気だった」
「それもそうだし、蒼生、苦手だろ。その……恋愛話を聞くのとか話すのとか」
「ああ、うん、それはやっぱり苦手だと改めて思った。けど」
 ちょいちょい、と手招きをすると、健ちゃんは頷いて僕の隣に座る。両側に感じる温度。安心する。
 そもそもなんで僕はそういう話が苦手なんだろう。自分に関係ない話だから? 関係ないと思う自分が暗に否定されることがしんどかったんだろうか。僕にはそんなもの手に入らない、その事実を突きつけられるのが苦しかったんだろうか。
「……僕、余裕がなかったのかなあ。そんなこと、きっと、たぶん誰も言ってないのに、おまえには手に入らないだろって言われてる気がしてたんだ。そのたびに、ああその通りだなーって思って、ざくざく刺されてた。だから、その痛みから自分を守りたくて、最初からそんなものいらないって思うようにしてた。誰も僕に気付かないで、ほっといてって。なのにそんな話は周りに転がってて。それに触れるたびに吐き気がしてた。……でも、いらないって思おうとしてたってことは、やっぱり僕も欲しかったのかな」
「蒼生」
 冬矢が反対の手で、僕の手を握る。優しい手。
「刺してたのは僕自身なんだよね。それで開いた穴が、たぶん僕の中のそこらじゅうにぼこぼこあって。いちいちそれに躓いてたんだろうな、って思う」
「……それは、今も?」
 健ちゃんがまっすぐに僕の目を見る。あったかい色。
「だいぶ埋まってきた気がする。ふたりが、たくさん“好き”を注いでくれたから。……だから、そういう話を聞いても大丈夫だったんじゃないかな」
 長い間、手当たり次第に開けてきた穴だから。全部が埋まってることはまだないと思う。それに、僕自身が変われたわけじゃない。今でも気が付いたら穴を掘ってる。だけど、そのペースもきっと落ちてると思うんだよ。
 僕は穴を掘るしか出来ない人間だ。だから、僕は考え続けなきゃいけない。その穴を埋めてくれるふたりに、何を返していけるのか。
 健ちゃんが、少しだけ目線を落とした。地面のほうを見て、もう一度僕を見た時には、わずかに迷うような目。
「あのさ、蒼生が苦手なのって、恋愛話ってこと?」
「? うん」
 もう一度健ちゃんは下を見て、上を見て、また僕を見る。なんだなんだ、忙しいな。
「じゃ、えっちな話は?」
「えっ」
 ん?
 なんで今、突然話の方向が変わったの?
 だけどなんだか、健ちゃんはやけに真面目な顔をしてる。これ、包み隠さず話したほうがよさそうな感じだな。
「……あー、それは、うーんと、苦手ってわけでもないかな。色恋の話だと自分に関わりがあるかも、いやないんだった、とか思っちゃって落ち込むんだけど。え、えっちな話? は、さ、絶対に自分の身には起こりえないから、完全に他人事としてどういうものなのかなーって興味はあったよ。だから話としては全然平気で、そういう話が始まると、何も聞いてませんって顔でしれっと聞いてた」
 こうして言葉にして整理してみると、やっぱり僕は自分絡みで何かが起こるのが嫌だったんだな。……あれ。じゃあ、それはなんで? 僕はどうしてそう思うようになったんだ?
 健ちゃんは、僕にぐいっと体を近付ける。
「でも、オレがその、初めて女の子と……って話した時、蒼生、そういう話は嫌だってはっきり言ったじゃん」
 え? あー……。あの時か。そういえばそういう言い方をした気がする。頭に血が上っててあんまり覚えてないんだよね。思い出そうとすると、あ、吐き気がする。たしかあの時もそうだ。健ちゃんがその話をし始めた途端、胸の奥がぐっとなって、吐きそうになった。
 なんで? だって僕はそういう話が苦手じゃなかったはずだ。しかも一番話をしやすい相手で、ともすれば具体的にどういう内容だったのか詳しく聞き出すことだって出来たはずなのに。
 僕はあの時、はっきり止めた。それまで健ちゃんの話を遮ることなんかほとんどなかったのに。だって健ちゃんの話を、声を聞くのがずっと好きで、
 ……あ。
 突然、繋がった。なんだ。そうか。そういうことか。
「わかった」
「ん?」
「僕が健ちゃんの話を聞きたくなかった理由。そうだ、聞きたいわけなかったんだ。だって健ちゃんが誰かとそういうことしたなんて、考えたくなかった。……健ちゃんがその手で……誰かに触ったんだって思うのが嫌だったんだ」
 それしか考えられない。
 他の人なら大丈夫で、健ちゃんだけがだめ、だなんて。
「……それって、やきもちだったってこと?」
「たぶん……」
「じゃあその時、蒼生はもうオレのこと好きだったの?」
「だと思う……」
 はあっと息を吐くと、健ちゃんはベンチから滑り落ちるように地面に膝をついた。
「えっ、ちょっと、健ちゃん!?」
「そっかー……そうだったのかー……。オレのことが嫌だったわけじゃなかったんだ……。蒼生に拒否られたの、トラウマだった……」
 そ、そんなに!?
 僕のたった一言で!?
「ご、ごめんね! ごめんね!」
 あー、まさかそんなに健ちゃんが気にしてるなんて思ってなかった。しかもこれ、今の今までずーっと気にしてたってことだよね。あの後、仲直りして一緒に過ごしたし、もうとっくの昔に終わったことだと思ってた……!
 冬矢が苦笑して、僕越しに健ちゃんの腕に手をかける。健ちゃんは、よろよろとベンチに戻った。あーあ、膝に砂が。それをぱたぱたはたいてあげると、健ちゃんは僕の肩に頭を乗っけてきた。冬矢は肩をすくめる。
「その頃はお互い自覚してなかったんだから仕方ないだろ。よかったじゃないか、誤解が解けて」
「それは、たしかに、よかった。だけどさ、あれを思い出すたびに、もしかして蒼生ってオレのこと好きじゃないのかもって一瞬考えちゃうんだよ」
「一瞬か」
「一瞬だな」
 ……うん? 今、ズキッて胸が痛かった。
「その時の話題が止められただけで、それ以外は何もなかったんだろ?」
「まあなー。でもあの時の強いインパクトがさー」
 ふたりが会話を続けてるのに、僕は聞いてなかった。なんで急にこんなに痛かったんだろうって、そのことが気になって。健ちゃんの言葉を頭の中で繰り返す。“オレのこと好きじゃないかも”……?
「蒼生?」
「どした?」
 僕は気付いてしまった。僕がかつて投げた言葉の重さに。
「……“好き”を疑われるのって、すごく悲しいんだね。僕、無神経にふたりのこと傷付けてたんだ。ごめんなさい。もう疑わない」
 僕は健ちゃんが好きだ。冬矢が好きだ。
 それを疑われることが、こんな泣きたいくらい悲しいなんて。
 ふたりは顔を見合わせて、それから僕を見る。健ちゃんが僕の手をぎゅっと握る。冬矢はそっと頭を撫でてくれる。
「いいよ、疑っても」
「……え?」
「いいんだ。お互いのことがどんなに好きだって、不安になることはあるし、疑問を抱くこともあるよ。そのかわり、そのたびにちゃんと聞いて。何度でも、好きだって答えるから」
 健ちゃんも頷く。
 どうしてこの人たちは、こんなに優しいんだろう。
 僕にはもったいない。
「ありがとう。……ふたりとも、大好き」
 そう言うと、ふたりは嬉しそうに笑った。


 うーん。
 ここだけの話って、はっきり言ったつもりだったんだけどな。僕の噂はいつのまにかだいぶ広まっていったようだった。まあ、それはいいや。
 同時に広まった噂が、何だって? 冬矢がポイ捨ての冷たい男だって?
「なんでそんな話になるんだよっ!」
 僕は両手で机を叩いた。痛っ。……うー。
 僕の部屋でいつもの勉強会だけど、今日はなんだか身が入らない。机の上に広げた教科書を左右から覗き込んでいた健ちゃんと冬矢が、目を見開いて僕を見てる。
「蒼生って怒ることあるんだ」
「すっげぇレアだぜ。オレも人生で何度かしか見たことねえ」
「動画で残しておけばよかったかな」
「その価値はあったかもしれん」
「すっかり蒼生は自分の部屋の中では素を出すこと覚えたな」
「オレたち相手にだけだけどな」
「いい傾向だ」
 よくない。
 あー。僕は机に額を付けた。ちょっと勢い付けすぎてこっちも痛かった。
 健ちゃんが手を伸ばして、机の下から僕の手を撫でる。
「自分の噂が広まったことはいいのかよ」
「だいぶ尾ひれがついてるみたいだけど、噂は噂だからどうでもいい。かえって告白の呼び出しがほぼなくなったから助かったって思ってるくらい。そう言えば楽だったんだって今更気付いて、無駄な労力割いてきた自分にがっかりはしてるけど」
「今後のことを考えれば、よかったじゃないか」
「だから、よくない……」
 なんだよ。冬矢のことよく知らないで、勝手なこと言って。
 冬矢は溜め息みたいに息を吐く。
「俺も別に構わないんだ。実際、そうやって捨ててきた子はたくさんいるからね。恨まれていても仕方がないと思うし、なんなら夜道で刺されても言い訳すら出来ないな。そういう酷い人間なんだよ、俺は。冷たいとか人の心がないとかクズだとか、よく言われてきた。きっとつらい思いをさせてしまった誰かが流した噂なんだろうけど、それが事実だからな。どういう言われ方をしても、罰だと受け止めるしかない。当然の報いってやつだろ」
 やだ。
 冬矢が仮にそれでもいいって思ってても、僕はやだ。
 すごいわがままだけど、悲しい。泣きたい。
「そ、そういうことがあって、悲しい思いしてきた子、いっぱいいるのかもしれないけど。それは、今までの冬矢が、人との付き合い方をちょっと間違えてただけだと思う。だから冬矢自身までそんなこと言わないで。冬矢はすっごくあったかくて、優しいひとだよ。僕は知ってるもん」
 小さく笑う声がした。
 え?
 僕が顔を上げると、冬矢が優しい顔で笑ってる。
 なんで?
「……蒼生に大きなブーメランが刺さってるのが見える」
「?」
 何を言われたのかさっぱりわからない。冬矢はすっと立ち上がり、僕の隣に座り直した。手を握り、指を絡めてくる。
「いつか俺とふたりで、ネガティブな主人公の話したこと、覚えてる?」
「あったっけ……」
「覚えてないか。自分のことを散々卑下する主人公に、ヒロインが『私の好きな人のことを悪く言わないで、そういうのすごく傷付く』って言うシーン。ああいうのすごく落ち込む、って蒼生は言ってた」
 正直、そんな話をしたかどうかは覚えてない。でも、たしかに、いろんな物語で見るそのシーンは、ずっと苦手だと思ってた。自分には関係ないはずなのに、毎回胸が痛くなった。そんなこと言われても、だって主人公は自分のことをそう思ってるんだから。なんでそれすら否定するの? って思って。そう思うことすら許されないの? って。だからそれを言うヒロインのことが、どの物語でもどうしても好きになれなかった。
「蒼生、今あのヒロインと同じことを俺に言ったの、わかってる?」
「……あ」
 自分に驚いた。
 同じだ。同じことを。僕が好きじゃないキャラクターと、僕は。
「ぼ、僕、自分が言われたら傷付くことを冬矢に言っちゃったんだ……。なんで僕はいつもこんな後先のこと考えられないんだろ……」
「あーおい」
 冬矢はなだめるような、穏やかな声色で僕の名前を呼ぶ。
「今の蒼生の言葉は、主人公側だね。俺たちは今、物語の2人の立場をかわりばんこに味わってる。両方の気持ちがわかる状態だ。落ち着いて考えてごらん。素直な気持ちで、今どう思ってるか、言葉にしてごらん」
 僕の、素直な気持ち?
 冬矢がゆっくり僕の指を撫でる。
 …………。
「……好きな人の悪口は、悔しい。好きな人が自分の悪口を言うのは、……悲しい。ほんとだ。すごく悲しい」
 健ちゃんが四つん這いで僕の側に来て、隣に座る。
「オレさあ、蒼生がそうやって自分を責めるのって、蒼生が優しいからなんだろうなーって思ってるんだけど。これも蒼生の考えを否定してることになるかな。傷付く?」
「……ううん。健ちゃんが言うならそうなのかなって思う。そう思ってもいいのかなって」
 冬矢は握ったままの僕の手を、そっと自分の足の上に乗せた。
「たぶんあの頃の蒼生は、自分がひとりぼっちだと思い込んでたから、そうやって傷付いてたんだろうな。どうしてあのシーンで主人公がヒロインの言葉を素直に受け入れられたのかって、今ならわかるんじゃないかな」
「今なら……?」
「そう。あの頃と今で違うこと。あるだろ。……俺はね、彼がそれを受け止めたのは、好きな人の言葉だったからじゃないかと思う。彼が彼女のことを好きじゃなかったら、たしかに蒼生みたいに傷付いてたかもしれないね」
 そっか。
 僕は主人公の気持ちに同調できてなかっただけなのか。たくさん本を読んで、いろんな人の気持ちを見てきたから、どんな人の気持ちも理解出来るような気がしていたけど。ずっと僕は、誰かに好かれる自分を拒否してた。誰かが僕を好きになるわけがないって、最初から考えを捨ててた。だから理解出来なかったのか。無駄に傷付いてたのか。
 今ならわかる、か。あの時と今と違うこと。
 好きな人の悪口は傷付く、って、好きな人が出来た今だからわかるんだ。
 好きな人がいて、好きでいてくれる人がいて、初めてわかる気持ちだったんだ。
 じゃあ、冬矢は?
「冬矢……。あの頃の僕なら傷付いてた言葉を、冬矢はどんな気持ちで聞いたの?」
 冬矢は目を細め、空いた手で僕の頬を撫でる。
「蒼生が怒ってくれて嬉しかったよ」
 ああ、それは。「好き」だからわかるやつ……?
「ねえ、蒼生。彼女は、主人公以上に主人公のことを理解していて、彼が卑下したところも彼自身が見えていなかったところも、全部ひっくるめて好きだったんだよ。だからあんなふうに言ったんだろうな」
 健ちゃんは、僕の背を撫でながら、なるほどと頷く。
「もう全部バレてるもんなあ。めんどくさがりなとことか、ネガティブなとことか、落ち込みがちなとことか、よく考え込んで深みにはまってるとことか、あとそれ以上にものすごく可愛いとこもな。つまり、冬矢の解釈を全面的に信じるなら、オレたちは蒼生のことが大好きだし、蒼生はオレたちのことが大好きだって証明になりそうだな」
 ……健ちゃんが、ちょっと難しい言い回しでまとめようとしてる。心が凪いでいくのがわかる。健ちゃんの、冬矢の言葉が、胸にすーっと染みていく。
「そういう結論でOK?」
「大体はな」
「おっ、どこが違うってんだ」
「この流れはほぼ俺と蒼生の話であって、おまえそんなに関係ないんじゃないか?」
「ん? ……でもまあそういうことだろ?」
 なんだかほかほかした気持ちになってきた。ふふ。
「僕は、それで合ってると思う」
「だよな!」
 健ちゃんが笑って僕を抱き締める。
 冬矢が僕の頬に自分の頬をすり寄せる。
 そうか。
 ちゃんと僕は、ふたりのことが大好きなんだ。
 それから、ふたりも、僕を。
 ああ、そっか。
 そうなんだ。

 あ、でも。
「やっぱり釈然としないから、もっと冬矢のいいところはちゃんとアピールしていく所存です」
 力が抜けきってた体を起こし、僕は宣言する。
 それぞれ僕の上のほうと下のほうに伸びかけてたふたりの手がぴたっと止まった。
 ……あっぶな。
 家族も起きてる時間帯の、誰が突然来るかわからない自分の部屋で、なにかが始まるとこだった。
 なんかこの前、安心して僕が体を預けられる時間と場所が云々って、冬矢言ってたよね?
 あ、冬矢が知らん顔してる。
 健ちゃんは不満げに座り直す。
「そんなんやって冬矢がもっとモテたらどうすんだ」
「そ、それはそれで阻止する」
「何があってもなびかないからそこは安心して」
 そう言ってから、冬矢は両手を床に付けて、はあっと息を吐いた。
「やっぱり俺も付き合ってます宣言しようかな」
「それが最善かもしれねえけど、も少し間を開けようぜ」
「なんで? 健ちゃんが取り残されちゃう感じがするから?」
「別にそれは構わねぇけどさ。こんな短期間で蒼生と冬矢が恋人できました宣言したら、蒼生と冬矢がそうだって誤解されかねないだろ!」
「そうだけど?」
「そうだけど! それこそオレが可哀想!」
 あはは。健ちゃん、必死だね。思わず笑っちゃう。冬矢も、それからつられて健ちゃんも笑う。
 突然、冬矢がぽんと手を叩いた。
「忘れてた」
 え? なにを?
 壁際に置いてあった鞄まで行くと、なにやら冬矢はごそごそと中を探る。そして取り出したのは、なんだ? パンフレットの束?
「やっぱり近場でのデートだと目撃される可能性があるだろ。どうせなら大々的に目撃させて、俺たちは常にこういうものだと思わせるのも手だし、どちらかといえばそっちのほうが個人的には好きなんだが、他にもこういう手があると思ってね」
 ばさり、冬矢は教科書やノートを広げたままの机の上に、それを置いた。どれもこれも、旅行のパンフレットだ。
「わあ」
「まだ高校生だし、親の承諾的にも金銭的にも近距離1泊だとは思うけど。どう?」
「行く!」
「楽しそうじゃん!」
 僕たちは、思い思いのパンフレットを手に取る。
 食べ放題つきに? ゆったりプランに? 史跡巡りまで!
 すごい、いろいろある。冬矢が、これを店頭でもらってきたんだ。ふふ、健ちゃんが好きそうなのもちゃんとあるね。
 僕はパンフレットで口元を隠して、笑う。
 楽しい。
 本当に楽しい。


 まったく、いい天気だなあ。
 僕はあったかいココアをすすりながら、ベンチで薄い雲が柔らかく浮かぶ青空を見上げる。空、広いなあ。暑くもなく、寒くもなく。過ごしやすくて、気持ちのいい風が吹いてる。
 ああ、気分がいい。
 ちらりと目をやる先では、健ちゃんと冬矢が静かに睨み合ってる。
 なんて穏やかな日なんだろう。
 それにしてもこのココア美味しいな。どこのメーカーだろ。あとでもう一度あそこの自販機覗いてこよう。
「ねえ、バスでどっちが隣に座るか決まった?」
「もうちょい待って」
「まもなく結論が出るはずだから」
 出るかな~。朝からずーっとやっててまだ決まんないだもんなぁ。
 小さな雲は、動いてるかどうかもわからないくらいにのんびりと浮かんでる。のどかだ。
 いつ終わるのかな、あれ。ここまでの経路は3人で並んで座れたから、勝負は持ち越しになってるみたいだけど。
 なんでふたりが次の行程の席にこだわってるかというと、ここから先、すべてが交互に行われるルールだからなんだそうだ。本来は朝の電車からだったらしい。すべてっていうのは、ほんとに「すべて」。バスの座席に始まって、お昼ごはんの席だとか、手を繋ぐのとかに至るまで。ただ、何が起きるかわからないから、自分が思った手順が回ってくるかどうかがわからないんだけど、それが醍醐味なんだって。しかも、夜の手順までその中に含まれてるらしいよ。
 ……なんかとんでもない気がするけど、微笑ましい気もしちゃったりするので、ほっとくことにした。
 それにしても、まだ?
「なかなか決まんないね」
「ここで先手を取るか否かで先が全部決まるんだから、真剣勝負なんだよ」
「場合によっては重要な一手を取られかねないからね」
「順番が決まったからって、手順すっ飛ばして無茶すんのはナシだぜ」
「それは蒼生に誓って、しない」
 なぜそこまで真剣に……。
「なんなの、将棋かチェスでもしてるみたいだね」
 僕の何気ない一言に、健ちゃんと冬矢はきりっとした目を僕に向けた。
「そりゃ、もう。宝物の取り合いしてんだからな」
「へ?」
「世界で一番大切な宝物だから、必死にもなるよ」
 え?
 なんて?
 その言い方は、まるで。
「……なんか、僕のことを言ってるみたい」
「そうだよ」
 綺麗に、健ちゃんと冬矢が声を揃えた。
「宝物? 僕が?」
 冗談を言っているようには見えない顔で、ふたりは頷く。
 そうだった。
 このふたり、その手の冗談は言わないんだった。
 あのね。
 ふたりとも、僕のこと、過大評価しすぎだよ。
 だけど。
 ふたりにとって、僕がそうだっていうのなら、きっとそうなんだろう。
 そういうことだ。

「もういっそ、ジャンケンで決めるしかねぇな……」
「そうだね、まもなくバスが到着する時間だ」
「よし、負けても文句言うんじゃねえぞ」
「わかってる」
「せーの、ジャンケン、」
 ぽん。
「あっ」
「えっ」
「やった、僕の勝ち! ね、この場合はどうするの?」
 あれ。
 健ちゃんと冬矢の目がマジだ。
 あらら。
「……真剣勝負に水を差したらどうなるか、わかってる?」
「これはおしおき案件じゃねえの?」
「ひぇ」
 わー、ふたりが同時に僕に詰め寄ってくる。その勢いに、思わず僕は目をつぶる。
 と。
 ん?
 ほっぺに、キス?
 両側から?
 目を開けると、にやけ顔の健ちゃんと、ちょっと意地悪な笑顔の冬矢。
 ふ。
 ふふ。
 なんだかおかしくなって笑う僕に、ふたりの笑い声も重なる。
 広い空の下で、笑い声が続く。
 それは、きっと。
 これからも、
 ずっと。


 僕は、ふたりの。
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