高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2024年01月14日 22:11    文字数:18,841

34こ目;さいしょの一歩

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新しい生活を始めるということは、
数多くの様々な「一歩」を踏み出さなければいけないということでもあります。
大学生活を始めた蒼生と、蒼生の周りの「一歩」のおはなし。

↑初公開時キャプション↑
2022/01/14初公開
最初は第三者からの目線。追って3人のお話になります。
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
1 / 1
 少し涼しい風が吹く木陰の道は、本格的に授業が始まる時期には早いせいか、校舎裏の抜け道の色合いが濃いせいか、どちらにせよ人の姿はなかった。その道をひとり、斜め掛けにした鞄のベルトを片手で掴み、もう片方の手で書類と冊子を抱えた男子学生が歩いている。背の低い、優しげな少女のような顔立ちで、きょろきょろあたりを不安げに見回しながら構内を歩く姿は、まるで近くにある中高一貫校の生徒が迷い込んでしまったようにも見えた。
 地図ではよくわからなかった初めて行く建物を目指すため、同じ方向に歩いていけば大丈夫だろうと人の後ろについて歩いていたはずが、気が付いた時にはぽつんとひとりぼっちだった。人見知りの自覚がある彼は、無意識にこちらの道を選んでいたらしい。
(こういうとこ、直していかなくちゃダメなのに……)
 彼にはぼんやり考え込んで、周りが見えなくなる癖があった。容姿のことで男女問わず揶揄われることが多かったせいか、周囲の音を聞き流し、いつの間にかひとりの世界に入り込んでいる。それをどうにか克服したいと思っていた。そのためにレベルを上げて入った大学だ。同級生も知り合いもおらず、まったくのゼロから始めることができる。まずは、人に積極的に話しかけ、明るく振舞い、友達を作る。そう意気込んでいたはずなのに、出だしから既に躓きかけている。
 しかも、もともと地理を把握出来ていないうえに、思ってもみなかった道を歩いているので、現在地がよくわからない。本当にこの方向で合っているのだろうか。戻ってわかりやすい道から行けばいいのかもしれないが、それほど時間に余裕もない。とりあえず次の角を曲がって、それでもわからなければどこか建物に飛び込んで助けを求めるしかなさそうだ。
 少々足を速め、ようやく見えた建物の角を、飛び込むように曲がる。
 その瞬間、ざあっと強い風が背中を押すように吹いた。慌てて書類が落ちないように抱え直すと、その一番外側に持っていたパスケースが、するりと手から零れ落ちた。そしてそのまま四隅を弾ませて、面白いように転がっていく。それは追いかける間もなく、茶色い革靴にこつんとぶつかって、ぱたんと倒れた。
 あ、と思った。
 そこには探し求めた構内の案内板があり、人がぽつりと立っていた。人がいた安心感よりも、その人の透明感に驚く。木漏れ日に浮かび上がる、愁いを帯びた静かな横顔。存在感のある黒の瞳。凛とした雰囲気の中に穏やかな空気を併せ持つような佇まい。その横顔に見惚れたのは一瞬だ。足元のパスケースに気付いた彼が、小さく首を傾げて膝を曲げると、それを手に取ったからだ。
「……っ、あの、ごめんなさい! ありがとうございます!」
 駆け寄って、頭を下げる。しゃがんだ彼と目が合った。遠目に見た時よりも、もっと鮮やかで穏やかな深い黒曜の瞳。透けるような肌の色の中で、それはきらきらと光を湛える泉に見えた。美術の教科書で見た絵画に、彼に似た顔を見たことがあった気がする。
 彼はふわっと笑う。それは新緑の中に突然美しい花が咲いたような。
「……いいえ」
 心臓が跳ねる。自分より少し低い声は、さらりと爽やかで、柔らかい。
 パスケースを手渡すと、彼はすっと立ち上がる。近くで見れば、優しい瞳は見上げる位置にあった。
「あ、あの」
 もう少し声が聞きたい。その一心で勇気を振り絞る。
「第三講堂へ行く途中なんですけど、この道で合ってますか!?」
 彼は笑って頷く。
「合ってますよ。講義ガイダンスですよね。僕もそこに行くところです」
「え、新入生の方ですか?」
「はい」
 あまりに落ち着いた雰囲気だったので、まさか同学年だとは思わなかった。同い年ならば、きっとここで勢いのままに突っ走っても問題ない。はずだ。
「迷ってたんです、良ければ連れていってくれませんか?」
「ええ。ではご一緒しましょう」
 彼は目を細め、すっと一歩を踏み出した。それに遅れないように、自分も一歩。
「あ、僕、根津って言います。根津ユウイチです」
 小さく彼は首を傾げた。
「野木沢です」

 講堂と名がついているのでなんとなく劇場をイメージしていた根津は、中に入って驚いた。たしかに段差になった席が並んでいるが、6~7席ごとに長い机が備え付けられており、漫画やドラマでよく見る大学の教室そのものだ。
 野木沢は、まだ空いていた前のほうの壁に近い席に座った。それを追って、さりげなく隣に座る。
「た、たくさん人いますね」
「そうですね。まだ混んでくるかもしれません」
 話しかけると、穏やかな答えが返ってくる。とりあえず拒否されている感じはなさそうだ。
 書類を整理するふりをして、その横顔を改めてこっそりと見る。緑の中で見た、儚く消えそうな美しさは、室内で見ることでようやく現実味を帯びてくる。それでも、周囲に比べて一際輝いて見えるのには変わりがなかった。
(……綺麗な人……。あ、男の人に綺麗って嫌がられちゃうかな。かっこいい、けど、やっぱり綺麗だ……)
 何か話そうと思って、けれど言葉を探せずにいると、急に反対側から声をかけられた。
「すみません……。ここ、空いてますか」
 はっと見回すと、ほとんどの席が埋まってきている。根津は声をかけてきた人影を見上げた。長い前髪から、わずかに眠そうな目を覗かせた長身の男だ。
「は、あの、どうぞ」
 机の上の鞄を引き寄せながら頷くと、「どうも」と短い返事と一緒にぺこりと頭を下げ、1つ座席をあけて座った。今まで会ったことのない不思議な感じのする人物だ。大学というのは様々な人が集まるのだなあと改めて驚く。
 と、そこに、前の扉を開けて、年嵩の男性とアシスタントらしき若い男女が入ってきた。
「皆さん、お待たせしました。これよりガイダンスを始めます」
 全員の視線が前方に注がれる。仕方なく、根津もきちんと座り直した。
 ガイダンスの内容は、単位の説明に始まり、大学での講義の選び方や必須科目と教養科目の説明、履修登録の仕方などの基本的な説明が主だった。野木沢のほうをちらりと見ると、まっすぐで芯の強そうな表情をして、分厚い授業内容の説明冊子に細かい字で何か書き込みをしている。どうやら彼の中では受けたい授業がかなり固まっているようだった。ガイダンスを受ければなんとかなるだろうと思っていた根津は、その真面目な顔にまたどきりとする。
「えー、次に、ゼミの所属前に1年受けるプレゼミについてですが。すみません、講義概要に落丁がありました。直前に判明したのと印刷機の調子が悪いため、訂正資料の印刷が出来ていま……せんかね。まだ? もう少し? ……はい、もう少しかかりそうなので、申し訳ありませんが、まずは机1つにプリント1枚ずつで説明を聞いてください。昔の機械で急ぎ印刷したものなので読みづらいかもしれませんが、ガイダンス終了時には正規のものを皆さんにお配り出来ますので」
 その言葉が終わる前に、アシスタントがぱっと動き出し、机に1枚ずつプリントを置いていった。根津の隣、通路に面した椅子に座っていた長身の男が、すっとこちらにプリントを差し出す。なるほど、文字がじんわりと滲んで読みづらい。
「よろしければこっちに」
 野木沢が小さな声で話しかけたのは、根津側の男と、反対側の端に座っていた明るい茶髪の男だった。彼らは根津と野木沢の間に置かれたプリントを覗き込もうと、席の間を詰めてくる。根津も見やすいようにと野木沢との距離を縮めた。とん、と肩がぶつかる。ふわっと甘い香りがした。
(えっ……香水? 違う、もっと優しい感じの……)
 格好いい人は香りまで違うのか。根津はぽーっと机の上の文字をなんとなく目で追いながら、気付かれないように深呼吸をした。 
「……以上でガイダンスを終了します。仮登録の後、本登録を忘れないように。必ずマークシート用紙を教務課に提出してください」
 はっとする。しまった、最後のほうをほとんど聞いていなかった。戸惑っているうちに壇上から人の姿がなくなり、講堂内は途端にざわめきに包まれる。慌てて野木沢に話しかけようとすると、それより先に茶髪の男が立ち上がった。
「はー、授業受けるのに登録とかいるのな! 大学ってこんな感じなんだー」
 背伸びをしながらそう言うと、配られたプリントを覗き込む。
「落丁の訂正の資料にさらに誤字があったとかウケるよな。慌てて作業しすぎだっつーの。な、そのプリントの書き込み、写さしてもらっていい?」
「もちろんです。じゃあ、前で配ってるの貰ってきてここで」
 野木沢が言いかけたのを男が遮る。
「どうせもう昼だし、飯食いながらやろうぜ。よくわかんねーとこあったから、ついでに教えて。オレ、久我島。おたくらは?」
 ずいぶんとぐいぐい来るタイプのようだ。正直根津にとっては苦手な部類だ。よくこういうタイプにしつこく絡まれていたことを思い出す。どうしよう、と野木沢の顔を見ると、彼はやはりふわっとした笑顔を浮かべていた。
「じゃあそうしましょうか。僕は野木沢です」
「小倉」
 長身の男もさらりと答える。
 ……そうだ。決めたじゃないか。友達を作るって。ぐっと拳を胸の前で握って、根津は腹に力を込めた。
「ねっ、……根津です」
 久我島と名乗った男は、にやっと笑った。
「野木沢に小倉に根津ちゃんね。覚えた。よし、飯いこ、飯」
 3人を引き連れた久我島が向かったのは、大学から駅に向かう通りを1本裏に曲がったところにある定食屋だった。根津はすっかり構内にいくつかある学食のどこかに行くのだと思っていたので戸惑ったが、なんの疑問も抱かず歩いていく野木沢と小倉の背中を心強く思いながら後ろをついていった。
「全員現役? てことは同い年だ。敬語いらんよ。な」
 久我島は席に案内されるなりそう言い切った。ますます苦手なタイプだ。頑張ろうとは思うものの、いきなり克服できるものでもない。出来るだけ距離を離すべく、斜め向かいに座る。隣に野木沢が座ったのが救いに思えた。
 全員でプリントを囲んで、訂正箇所を各々の資料に書き込み、講義の履修方法を再確認する。聞きそびれてしまったところを質問すると、野木沢は面倒がることもなく丁寧に教えてくれた。
「なんだ、オレたち授業けっこうかぶるのな」
「1年の前期は必修科目が多いから」
「じゃあわかんねーことがあったらすぐ聞けるじゃん、助かる~」
 軽口を叩く久我島に、野木沢がふわっと笑う。
「困ったことは助け合っていけたらいいね」
 それを受けた久我島はうんうんと腕を組んで頷いた。
「そう、それそれ。せっかく友達になったんだしな」
 野木沢も小倉も否定はしない。根津はそのやりとりを素直に感心しながら聞いていた。なるほど、友達になりましょう、はい、というやりとりはいらないのか。こういうジャンルの人はこんなふうに交友関係を広げているらしい。
 やがて目の前に料理が運ばれてくる。4人は、必須以外はどんな授業を受けるべきか、というガイダンスの復唱のような話をしながらそれを平らげた。いや、ほとんど久我島が喋っていたか。なんとか根津も話に加わろうとそれに対して一言二言発言したが、ほぼ野木沢が会話を繋いでくれた気がする。しかも、思い返してみると、小倉の声を聞いていない。それでも会話に参加した空気を出しているから不思議だ。
 ようやく小倉の言葉を聞いたのは、食事が終わって温かいお茶を飲んでいる最中だった。
「俺、そろそろバイト」
 ああ、と久我島も腰を上げかける。
「そしたら今日は解散で。……あっ、連絡先交換しよ」
 言われて、どきっとした。初めて言われた言葉かもしれない。慌てて鞄から携帯を取り出す。
「えっと、あの、あんまり使ったことないの、で。どうやってやったらいい、のかな」
「へー。根津ちゃんってアナログタイプ?」
「あ、え、そ、そうかな。携帯新しくしたばかりだからかも」
「ああ、操作全然違ったりするもんな!」
 なんとなく、今まで連絡先を交換する相手がいなかったことは言えなかった。教室で顔を合わせれば済む程度の連絡しかしてこなかったから。
「根津くん。この画面、出る?」
「あ、うん、ここかな。これでいいの?」
「そう。それでこれ押して……はい、出来た」
 ぽこん、と画面に小さな丸が表示される。青一色にわずかに白……ああ、空と雲か。その下には「野木沢」と表示されている。自分のマークはデフォルトのまま、灰色の丸が上部にぽつんと置かれている。それを見ると、ここからが始まりなのだと実感する。まずはこれを、自分の好きな写真に変えることから始めよう。
 立ち上がる時、鞄が椅子に引っかかってよろけた。何も言わずに、野木沢がすっとそれを外してくれる。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 そうだ。ここが第一歩。隣を歩くための。
「……野木沢くん、これから、よろしく」
 優しい笑顔。
「うん。よろしくね」


 さて。
 時間は少し巻き戻り、視点は蒼生に移動する。
 大学の敷地に入ってすぐ、総合管理棟の中にある学食に3人の姿があった。構内にある学食の中では一番古くからある学食らしいが、そこそこ広くて綺麗な施設だ。エリアは解放されているのだが、食堂自体はまだ閉まっていて照明が落とされている。とはいえ、二方向の壁のほぼ全面がガラス窓になっており、さらには吹き抜けになった箇所があるため、十分に明るかった。しかも、やたら数が多い自販機は常に稼働しており、時間を潰す新入生らしき人影がぽつぽつ見える。
 蒼生は講義概要の冊子を読みながら、まだ湯気の立つ紙コップの紅茶を一口飲んだ。
「どれ受けるか決めてあんの?」
 炭酸のペットボトルをぶらぶらと振りながら、健太が冊子を覗き込む。
「うーん……、一応、この方向かな? っていうのはあるんだけど。実際受けてみたら違うなっていうのもあるって聞くし、悩んでる」
 缶コーヒーに口をつけていた冬矢も、自分の冊子をぱらりとめくる。
「仮登録で初回受けてから本登録できるからね。最初はいろいろ試してみるのもいいかもしれない」
「なんかそう聞くと面白そうだよなあ」
「たしかに。自分で選んで授業組み立てるのってちょっと楽しいよね」
 ふふ、と笑って腕時計を見た蒼生は、息を吐き、表情を引っ込めてぱたんと冊子を閉じた。
「あ、そろそろガイダンスの時間?」
「うん。僕の学部棟、ちょっと距離あるから早めに出る。健ちゃんの学部は午後だよね」
「そー」
 健太が頷く。冬矢もプリントを見ながら同じように息を吐いた。
「俺のところも午後で、そのあとゼミの紹介もあるらしい」
「そっか。学部によって授業始まるまでの流れも違うから、よくわかんなくなっちゃうね。……僕だけが午前スタートなんだから、ふたりが合わせることなかったのに」
「ちょっとでも長く蒼生と一緒にいたいもん。あー、同じ大学にいるのに、構内広すぎだろ。遠距離恋愛じゃん!」
 我慢しきれなくなったのか、健太の声のボリュームが次第に上がる。蒼生はぽっと頬を染め、口の中で小さく「えんきょりれんあい」と呟いた。冬矢は向こうにある人影から視線が届くのを感じ、呆れたように片肘をついて健太を眺める。
「大袈裟だな。一応は同じ構内にいるんだから」
「そうなんだけどさ。一緒に暮らし始めてから四六時中そばにいたから、何時間も会えないなんて、考えるだけでさみしいんだよ」
「健ちゃん……」
 それは蒼生にもよくわかる。出来ればこのままふたりとのんびり過ごしたい。だが、やることはきちんとやらないと、反対を押しきって独立した意味がないこともしっかり理解している。
 自分に勢いをつけようと「よし」と呟き、蒼生は立ち上がった。
「うん。がんばろ」
「なあ、飲み残しオレがもらってもいい?」
「あ、ごめん。ありがとう」
 健太は蒼生からカップを受け取り、両手でそっと包み込む。それを横目に見ながら、冬矢が半分腰を浮かせた。
「蒼生。気を付けてね。周りの人をちゃんと警戒するんだよ。少しでもおかしいと思ったら逃げられるように意識して。電話はすぐ出せるところにしまっておいて、何か起きたら、いや起きそうになったら俺か健太に必ず連絡する心づもりでいてね。それから……」
「長ぇよ。ほら、蒼生。いってらっしゃい」
「うん。いってきます。……また後で」
 ちらちらと何度も振り向きながら食堂から出ていく蒼生の背を見送って、ふたりは大きく息をついた。
「……おまえも大概過保護だよな」
「……過保護にもなるだろう。どこの誰とも知らない奴らの中に蒼生を放り込むんだぞ。しっかりしてるから上手に人間関係は築けるだろうが、なにせ優しすぎる。付け込まれて余計なものを背負わされかねない」
「まあな。……それに可愛いもんなぁ……! あんな可愛いのがひとりでいたら絶対狙われる……あー、やっぱついていけばよかった……ガイダンスくらいなら紛れ込んでもバレないんじゃねえか」
「蒼生にはバレて怒られそうだけどな」
「うあー、だよなー……」
 健太は手元のカップを口元に持っていくと、飲み口を噛んでからそれを一気に飲み干した。

 管理棟を出た蒼生は、まず右足で石のタイルを強く踏みしめる。目の前には敷地を貫くようにまっすぐに伸びるメインストリートがあったが、敢えて外れた道に入った。手続きで訪れた際に、3人でひとしきり敷地内を探索したので、ガイダンスの会場になっている第三講堂へは建物の裏側の出入り口を目指したほうが早いことがわかっていたからだ。メインストリートも街路樹の緑が鮮やかだったが、裏道はその色がさらに濃い。ざわざわと耳に届くのは風に擦れる木の葉の音だけだ。
 爽やかな空気は心を弾ませるには十分だったはずだが、蒼生の心の中を占めているのはほとんどが不安だった。初めての場所。初めての環境。初めて会う人たち。それに全部ひとりで立ち向かって行かなければならない。それが酷く面倒なことに思えて、足が止まりそうになる。逃げ出してしまいそうになる。
 それでもなんとか自分をなだめて足を進めて行くと、行く手に案内板があるのが見えた。近付いて見上げれば、構内の建物が描かれている平面図の端のほうに、現在位置を示す赤い印がある。学部棟の名前が書かれた幾つもの建物。構内はとても広い。その中から、健太の学部と、そこから近い冬矢の学部の名前を探して、じっと見つめた。
(……大丈夫。健ちゃんは近くにいる。冬矢は近くにいる。大丈夫。頑張らなくちゃ)
 早く、会いたい。
 口にしそうになって、蒼生は小さく唇を噛んだ。
 そこに強めの風が吹いて、わずかに足を取られる。それが立ち止まる自分への警告のようで。
(……なんか急かされてるみたい。……そうだよね、とにかく、目の前のことから片付けていこう。帰ってからの予定もあるんだし!)
 蒼生には、今日2つのタスクがあった。1つは、今直面している、未知の場所に乗り込んでいくこと。もう1つは、今晩の食事の支度だった。当番制にしてローテーションを組もう、という話になっていたが、今まではほとんど家にいたため、冬矢を中心にふたりで手伝うことが多かった。つまり、本格的な当番制は今日から始まるのだ。そしてそのトップバッターを任されたのが蒼生だ。これは健太と冬矢のたっての希望でもあった。
 そうだ、まずはそれを楽しみに、ひとつめのタスクを乗り切っていこう。
 思って足を踏み出そうとした時、その足にこつんと何かがぶつかった。目を落とすと、四角い茶色の何かが落ちている。パスケースだろうか。なんとなく拾うと、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。
「ごめんなさい! ありがとうございます!」
 駆けてきたのは、男子学生だ。たぶん。年下に見えるが、構内にいるということは学生だろう。
「いいえ」
 話しかけられるとは思っていなかったから、蒼生はぎこちなく笑ってそれを渡す。しばらくだらだら過ごしてしまったせいか、愛想笑いがきちんと出来ているか心配になる。
 立ち上がって見ると、彼は困ったような顔でパスケースを握り締めたまま、こちらを窺っているようだ。
「……あの、第三講堂へ行く途中なんですけど、この道で合ってますか!?」
 蒼生は少しだけ緊張を解く。なるほど、迷子か。なぜ急に声をかけられたのか、もしかして落とし物もわざとなんじゃ、とさっきの冬矢の言葉を思い出して警戒したのだが、道がわからないということならば不安になって目についた人間に助けを求めても当然だろう。なぜか自分はこの手の迷子に声をかけられがちだ。御しやすそうに見えているのかもしれない。どちらにしても同じ場所に行くのだ、無下に断っても角が立つし、とりあえず連れ立って向かうことにした。
 彼は、根津と名乗った。おとなしい人柄のようで、そこからの会話が始まらない。ただ黙って歩くのは居心地が悪いから何か会話を、と思って脳内を探るのだが、あいにく蒼生も自分から話題を振るタイプではない。せめて初対面でなければなんとかなったかもしれないが、相手がどういう会話を好むかもわからない。結局、自然なきっかけが掴み切れないまま会場に着いてしまった。
 目立たなそうで人が少ないあたりを探して蒼生が席に着くと、おそらく流れで根津も隣に座った。自分といても会話がなくてつまらないだろうに、と蒼生は申し訳ない気分になる。そこに及んでもまだ会話の糸口を探っていると、ふいに反対側から声をかけられた。
「ここ空いてる?」
「はい、空いてます」
 咄嗟に返事をしてから相手を見る。金に近い茶色の髪をした男子学生が立っていて、目が合うや否やにぃっと笑った。
「いやー、余裕もって来たつもりだったんだけどさ、ここ遠いのなー。大学って広いわ、入り口から端っこまで行くのに一駅ぶんくらい余裕でありそうだよな。しかも朝電車反対方向乗っちゃってさー、ガチで間に合わんかと思ったけどまあ間に合ってよかったわ」
 言いながら、座る。
 ずいぶんフランクな人だなあと思う。が、実はこういうタイプのほうが、にこにこ笑って話を聞いていれば済むので楽だったりする。
 大学に入るにあたり、ひとつ蒼生には目標があった。それは、人間関係をなるべく面倒がらない、ということだ。ひとりですべてやらなければならない以上、情報を得る人脈は必要だと思う。出来れば、広く。……可能ならば浅く。いや、それがダメなのだということは重々承知しているのだが、そのあたりは自分の根源に抵触するので、なかなか難しい。だから「なるべく」なのだ。
 ガイダンスを聞き終えた蒼生は、大きく息を吐いた。説明を聞く限りでは、受けたいと思っている講義はそこそこ理想通りのようだ。必修科目と被る講義もあったのでそれは諦めざるを得ないが、来年という選択肢もある。詰め込むのもある程度余裕を持たせるのも自分次第なのは面白いと思った。
 さて、と帰る気満々だった蒼生が立ち上がるより早く、隣の久我島と名乗る男子生徒が昼食に誘ってきた。反射的に断りかけて、蒼生はぐっとそれを押さえ込む。人脈、人脈。いろんな人とのお付き合い。
「オレさー、田舎の離島から出てきたんだあ。で、この近くの学生用アパートに住んでんの。だから店とか詳しいのよ。なんか昼飯とか困ったらオレに聞いて!」
 歩きながらも久我島は延々としゃべり続けている。
「やっぱ大学だと全国各地いろんなとこから来てる奴多いんだろーな。ちなみに野木沢はこっち出身?」
「僕も地方ですね」
「はー、そっかあ。じゃあ暮らし始めか、一人暮らし? 大変だよな、オレもさぁ、もう何から手を着けていいかわかんねえもんで、部屋の中まだ箱だらけだわ」
「わかります」
 相槌に徹して、話を聞く。引っ越しの荷物はとっくに片付け終わっているし、ひとりなわけではない。けれど、踏み込んだ話はしなくていいかな、と思う。変に噂でも立って健太と冬矢に迷惑をかけたくないからだ。
 とはいえ、少し素っ気ない対応で気を悪くしてないだろうか。心配になったのだが、彼は特に気にしていなかったようだ。蒼生と根津と、もうひとりついてきた小倉をさらりと「友達」と言った。
 小倉はどうしてついてきたのかわからないくらい何もしゃべらなかったが、会話に反応はしていたから、きっとおっとりしたタイプなのだろう。根津も大人しいが一生懸命さを感じる。久我島も、たぶん、嘘はない感じがする。全員、悪い人ではなさそうだ。と、思う。
 迷ったが、結局全員と連絡先を交換した。とりあえず、一歩は踏み出せたかもしれない。

 蒼生はずいぶん重くなった買い物袋をキッチンの床に置いた。袋から覗く食材に目を落とし、ぐいっと袖をまくる。
 今日を迎えるにあたり、冬矢はこう言った。
「最初から頑張りすぎちゃうと息切れしちゃうからね。あんまり凝ったことをしようと思わなくていいよ」
 たしかに、そのとおりだ。今日1日の話ではない、これからずっと続く「生活」なのだ。第一、ほぼ初心者の蒼生が、ここ数年きっちりキャリアを積み上げてきた冬矢にいきなり敵うはずはないし、ふたりもそれを期待しているわけではないと思う。
 とはいえ、知識だけはだいぶ入れてきたつもりだ。教科書をさらうところから始まり、料理の基礎の基礎を教える本を読み耽り、レシピ本にも手を出した。最初はいろいろ検索して調べていたものの、どうしても目が滑ってしまい、結局紙の本に落ち着いた。頭の中で手順を再生するとぐちゃぐちゃになってしまったが、読書と同じだと考えればすんなり頭に入ってきた。自分以外がキッチンに入ることを嫌がる母だったので実践はしていないが、簡単なところから始めれば、おそらく何とかなる。
 とりあえず、今日は失敗が少ないだろうと思われるカレーを作ることにした。健太も好きだし、きっと喜んでくれる。
 ルウの箱の裏面を見てから、食材を切り、箱を見つつ炒め、箱を見て水を入れ、サラダを作り、改めて箱を読んでいるところで玄関から物音が聞こえた。それはすぐばたばたと大きな足音になり、勢いよく開くドアの音と重なって、
「ただいまぁ!」
 大きな声。蒼生はあまりの勢いにこらえきれず吹き出して笑う。それと同時に、肩からすうっと力が抜けたのを感じた。
「おかえり、健ちゃん。音量おかしくなってるよ」
 いったいどこから走ってきたのか、珍しく深呼吸する健太と目が合った。途端、蒼生の頭の中は「嬉しい」でいっぱいになる。嬉しい。健太が目の前にいる。嬉しい。
 健太は蒼生の姿を頭から足まで何度も往復しながら見ていたと思うと、急にしゃがみこんだ。驚いて蒼生が駆け寄る。割といつもの光景だが、やっぱり毎回心配になってしまう。
「ど、どうしたの?」
「……かわいぃ……」
「は?」
 呻くようなセリフに、蒼生は首を傾げる。健太はぱっと顔を上げ、また視線を上から下へを繰り返す。
「エプロン可愛い……」
「えぇ……毎日使ってるのに、今?」
 先日買い物に行った時に冬矢が提案し、色違いの揃いで買ったエプロンだ。その日から使っているので、何度も目にしているはずなのだが。勢いよく立ち上がった健太が蒼生に詰め寄る。
「違うんだよ、毎日可愛いと思ってたけど、エプロンでおかえり、はまた違うんだよ……!」
「そう……なの?」
 まだ疑問符を浮かべる蒼生を、健太はそのままぎゅっと力いっぱい抱き締めた。
「そうなの。あー、もー、可愛い、あー、好きー」
 言い返すべきかとも思ったが、温かさに包まれてまず思うのはやはり「嬉しい」だったので、蒼生は何も言わなかった。そのかわり、健太の背中にそっと両手を寄せる。健太が笑う気配がして、肩に置かれた指が優しくなでるように動く。頭の中がふんわりとしてきて、蒼生は健太の肩口に頬を擦り付けた。
 髪に顔をうずめていた健太が「あ」と声を上げたので、蒼生はぴくんと跳ねる。
「うん……?」
「や、あの、ごめん。一生懸命ごはん作ってくれてるのに、オレ邪魔してるよな」
「大丈夫。今煮込んでるとこだから、そばにいて様子見てれば」
「そっか」
 健太はほっと息を吐いて、小さな泡を立て始めた鍋を蒼生ごしに覗き込む。
「今日のごはんは何?」
「カレー作ってる」
「わ、やった! そういや引っ越してからカレーしてなかったな。あー、わかった、蒼生の好きなチキンのやつだ!」
「ううん、今日はビーフカレーにしたよ」
「え? オレが好きなほう?」
「うん。健ちゃんが好きなほう」
 わずかに力を緩めた健太が腕の中に目を落とすと、蒼生はとろりと潤んだ目で見上げてくる。
「……なんか、オレ、蒼生のことずーっと好きだと思ってたけど、昨日よりも好きっていうのをこんなに毎日更新できるもんだとはさすがに思わなかったわ……」
 はあっと健太が吐いた息が耳をくすぐり、蒼生は小さく体をよじる。と、それを追いかけるように唇でそっと耳を噛んでくる。
「んっ……」
「あー……ヤバい。今すぐ抱きたい」
「だっ、ダメ、ごはん作れなくなっちゃうからぁ」
「そりゃ困るなあ……」
 言葉ではそう言うが、健太に腕を離す気はまったくなさそうだ。蒼生は自分の腕を健太との間にねじ込み、そっと胸を押す。蒼生のほうも、完全に健太の腕から逃れるつもりはないらしい。
「えっと、えーっと……あ、ガイダンスどうだった? 講義面白そう?」
「んー」
 健太はすっと天井のほうに目をやる。
「そうだなあ、いろいろ難しそうでちょっとビビってるかも。今までと違って蒼生に頼れないから、頑張んねえとなーって」
「そっかあ」
「あ、でも高校の先輩が同じ学部にいるって奴と友達になったからさ、今度話聞くことにしたよ」
「へえ」
 蒼生は健太をまぶしそうに見つめる。
 そうだろう、健太はすぐ友達ができる人だ。幼い頃からそうだったが、少しでも新しい環境に足を踏み入れると、健太の口からは次々に知らない名前が飛び出してきた。自分の占める割合がどんどん小さくなっていく気がして寂しかったけれど、人に囲まれる健太はいつもきらきらしていた。それがとても誇らしくもあったのだ。
「結構声かけられたし、自分からもかけたかなー」
「さすがだねえ。しかも男女問わずでしょ」
「ん。気になる? 連絡先見る?」
「いいよ、健ちゃんの交友関係って多すぎて絶対把握できないもん」
「えー。蒼生だってきっと声かけられたんだろ」
「! そうそう、僕、初めて携帯に他人の連絡先入れたよ」
 健太はぱちぱち、と瞬きをした。あの。蒼生が。健太と冬矢以外の連絡先を。
「へー、ずっとクラスグループには所属しても絶対に個人とのやりとりしなかったのに、とうとう入れることにしたんだ」
「僕も健ちゃんと同じだよ。健ちゃんに頼れないから、近場で人脈作らなきゃと思って」
 少し間が開いた。何事か考えていたような健太は、心配げに蒼生の顔を覗き込む。
「……言い寄られたりはしてない?」
「あはは、ないない。考えすぎだって。今日話したのは男の子3人だったし」
「んー……オレらの前例があるからなー。なら安心、とはなんねえんだよなあ。……どんな奴?」
「そっかあ。うーんと、明るくてよく喋る人と、あんまり喋らない人と、おとなしい人。あ、おとなしい人は桐畑くんにちょっと雰囲気似てたかも」
「桐畑? ああ、高校の図書委員の後輩か。……あいつもなあ……」
 蒼生はきりっと表情を引き締める。
「大丈夫、って言い切れるかどうかはわかんないけど、健ちゃんたちに心配かけないように、すっごく気を付けるね」
 それを聞いて、ふっと健太が笑う。
「助かる。なんってったって、蒼生の周りにいるのはオレのこと知らない奴なんだからさ」
「そうだね、健ちゃんの友達も、僕のことは全然知らない……」
 はた、と。
 驚いたような顔で、蒼生と健太は顔を見合わせる。
「……え、オレの友達、蒼生のこと知らない奴なんだ。うわ、怖」
「僕もだ。こ、怖……」

 鍋が沸騰すると、健太は名残惜しそうに蒼生を離した。それでも近くには居たいようで、カウンターに寄りかかって延々今日聞いたガイダンスの内容を話してくる。蒼生もにこにこしながらそれを聞いていた。
 ようやく出来上がり、刺激的な香りに健太が我慢出来ずそろそろと手を伸ばし始めた途端、きっかり計算したように冬矢が帰ってくる。
「ただいま。いい匂いだね」
「おかえりなさい」
 蒼生がキッチンから飛び出すようにして迎えると、冬矢は嬉しそうに笑った。
 一応全部ひとりでやってみる、がテーマではあるが、配膳はそこに含まれないはずだとせっせと手伝う健太が大体の作業を終えたところで、冬矢が席に着く。健太も座ると、最後に蒼生がスープのカップを3人分テーブルに置いて、座る。そして3人仲良く手を揃えた。
「いただきます!」
 健太と冬矢がスプーンを手に取るのを、蒼生はドキドキしながら見守る。ちゃんと書いてあった通りにしたから大丈夫なはずだ。間違えてはいないと思う。だが、どうしても緊張してしまう。
 健太はぱっと顔を輝かせた。
「美味しい!」
 冬矢も目を細めて頷く。
「うん、美味しい」
 胸がぽっと温かくなる。嬉しい。ただ一言が、嬉しい。けれど、蒼生は首を振る。嬉しいけれど、自分の力というわけでもない。
「は、箱に書いてある通りに作っただけだよ。スープも粉末の溶かしただけだし」
 そんな蒼生に、冬矢は優しい笑顔を向ける。
「それをちゃんと読んで作ってくれたのは蒼生だろ。この味に合うようにスープの種類を選んだのも蒼生だよ」
「冬矢……」
 皿の上を半分ほど綺麗にした健太が、ごくんと口の中のカレーを飲み込む。
「あのさ冬矢、わかる? ビーフカレーなんだぜ?」
「ああ、そうだな。健太の大好物じゃないか」
「そ。嬉しいよなあ! すごく美味しい! めちゃくちゃ愛情感じる! 蒼生大好き!」
 蒼生はぴっと背筋を伸ばして「あ、あいじょう」と呟いた。
 一方、テーブルの中央、大皿に並べられた輪切りのトマトとタマネギのサラダを皿に取り、冬矢はさらに嬉しそうにする。
「ねえ蒼生。辛いの苦手だから、生のタマネギだめだよね」
「え、うん」
「でもサラダ、タマネギだよね。俺が好きだから作ってくれた?」
「……あー、うん」
「ふふ。好きな人が自分のためにしてくれることって、本当に嬉しいね。ありがとう。……うん、美味しい。塩加減がちょうどいいよ。これ、初めて食べるけど、気に入ったな」
 蒼生はさらに照れたように、そっと俯いて皿の上のカレーをかき混ぜた。
「だ、だけど、冬矢のごはんのほうが美味しいよ」
「俺だって、蒼生に喜んでほしいから。だから俺たち、一緒の気持ちで作ってるんだね」
 野菜の皮を剥きながら、食べやすい大きさに肉を切りながら、少しずつ色を変えていく鍋の中を眺めながら、蒼生はずっと健太と冬矢が喜んでくれたらいいなと思っていた。ふたりのために何かが出来るということが、嬉しくて仕方なかった。それだけでも満足だったのに、こうしてふたりが本当に喜んでくれている。それが、こんなに幸せなことだなんて。
 蒼生は、タマネギ相手に耐えきった涙をこぼしそうになって、誤魔化すようにスープを飲んだ。
 その隙におかわりをこんもりとよそってきた健太は、座りながらしみじみ呟く。
「食事ってさー、今までなんとなく食べてきてたじゃん? だけど、ごはんって愛情だったんだなぁ」
「……なんか、わかる気がする」
 それ自体にかかる手間だけでなく、献立を考えるのも、脳内のリソースをかなり食う。これを毎日こなすのは大変な作業だ。ひとりだけでやってみてわかったが、生半可なことじゃない。
「あと」
 健太が繋げる。
「エプロン姿で、ひとりキッチンに立ってる蒼生、めちゃくちゃえっちだったなぁ……。マジ、手ぇ出さないようにすんの必死だった」
「……ん?」
 …………。沈黙が降りる。
 今、いい話をしていたのではなかったか。
 冬矢は心底呆れた目で涼しい顔の健太を見る。
「……おまえはいいんだか悪いんだか、本当に素直な奴だな」
「しょーがねえじゃん、なんか反応しちまったんだよ」
「ひぇ」
「で? ちゃんと我慢出来たんだろうな?」
 ぴたっと健太が手を止める。
「…………。味見、は、した」
「……ほう」
「! 言い方! 言い方が誤解を招く! ぎゅーってしてくれただけじゃん!」
「でも反応してたんだろ?」
「……蒼生にバレてなかったみたいなんでセーフ」
「今バラしたらアウトだろ」
 なるほど、と蒼生と健太は同時に呟いた。けれどそれはまったく別の意味だ。健太は、冬矢の論理に納得したから。蒼生は、あの時出来心で許していたら、今頃とんでもないことになっていたんだなと気付いたからだった。ふたりにばれないように、こっそり蒼生は安堵の息をついた。

 皿の上がすっかり綺麗になると、冬矢はすっとキッチンを指さした。
「今日の洗い物は健太が全部やること。味見の分、しっかり働け」
「へいへい」
 言われた健太はしぶしぶ立ち上がる。両手で皿を持ちながら、
「やきもち焼きめ……」
 呟いてキッチンへと歩いていく。
「えっえっ」
 蒼生は困ったようにふたりを交互に見て、それから健太を追うように立ち上がる。それを冬矢が手招きでとどめた。
「蒼生はこっち」
「でも」
「おいで?」
 やはり困った顔で、蒼生は冬矢のもとに歩み寄る。蒼生の腕を引いた冬矢は、そのまま蒼生を膝に座らせて横抱きにした。
「ああ、落ち着く」
 洗い物まで自分でやったほうがと戸惑っていた蒼生だが、冬矢の声が本当に安堵したような色だったので、体中から力が勝手に抜けていってしまった。だからそのまま冬矢の肩に頬を寄せる。冬矢はさらに嬉しそうに、蒼生の体をぎゅっと抱き締めた。
「長時間だったから、冬矢も疲れた?」
 そう聞くと、乾いた笑いが返ってくる。
「まあね。やりがいはありそうかな」
「冬矢がそんなふうに言うなら相当だね……」
「ふふ。こうして毎日蒼生に癒してもらうことになりそうだよ」
「癒せるかなあ……」
 心配げに目を上げると、冬矢は蒼生の髪に指を絡ませるようにして撫でてくる。
「もちろん」
 はっきりと言い切った冬矢に、蒼生は安心して再び肩口に顔を埋めた。
 それをじっとりとカウンター越しに見て話の糸口を探っていた健太が、はっと身を乗り出す。
「そういえばさ、びっくりしたんだけどさ、今日出来たオレの友達って、蒼生のこと知らねえんだよ」
「は?」
 聞いた蒼生もばっと顔を上げる。
「あ、うん。そうなんだよ。健ちゃんを知らない人が僕の知り合いになったんだ」
「え?」
「さっき蒼生と話してて、怖ぇなって話してたんだよな」
「うん。冬矢の周りの人たちも、僕たちのこと知らないんだよ。怖いよね」
「こんなに離れて過ごすのも初めてだしさー」
 戸惑う冬矢をよそに、健太と蒼生は会話を続ける。
 逆ならわかるのだが。冬矢が知らない人間が、蒼生の周りに集うのだ。それが怖いのはわかる。いざという時、蒼生本人と話せないことがあったとして、ちょうど蒼生の近くにいるだろう人間に連絡が取れないというのは、なるほど、これまで思い至らなかったが、考えるとぞっとする。
 だが、蒼生の周囲の人間が冬矢を知らないのが怖い? ふたりの言い方からすればそういうことだ。しかし、そもそもそういうものではないだろうか。お互いが知らない人間関係なんて、これからいくらでも増えていくだろう。
 そこまで考えて、冬矢は蒼生と健太の特殊な関係性を思い出す。生まれた時から一緒のふたりに近付く者は、どうしたってもう片方を目に入れることになる。彼らが最大に離れたのは、クラスが分かれた時だけ、それだって同じ学校の中にいた。相手の友人が片割れである自分を知らないことなんてなかったということか。蒼生も健太も、本当にひとりきりになったことがないのだ。どんな時も必ず繋がっていて、引き離そうとしても強い引力で戻ってしまう。それどころか、存在そのものが牽制になっていたことも多いだろう。
 とはいえ、独り立ちする機会は何度もあったはずだ。冷静に考えると、それを引き留めたのは他でもない、冬矢自身だ。付き合うことも、一緒に暮らすことも、提案したのは自分だった。つまり、蒼生と健太をセットの存在として完全に確立させてしまったわけだ。
 それに対しては少し複雑な気分にもなる。が、後悔はしないと決めた。
 それより、今はふたりが出してきた話題のほうが重要だ。はっきりしたのは、本人に連絡が付かなければお互いがどこにいるかわからないということだ。周りの人間と繋がりを持って連絡を取るという方法はあるだろうが、その人間が本当に信頼できるかどうかもわからない。
「……お互いの位置情報、わかるようにしておこうか」
 わいわいと話を続けるふたりが一瞬沈黙した隙を狙って、冬矢はそう声をかけた。不思議そうな視線が冬矢に向かう。
「位置?」
「そう。携帯でね、そういうことができるんだ。3人が今どこにいるかが地図上でわかる。そこから緊急で連絡を入れることもできる」
「へー」
 感心したようにふたりが頷く。基本的にメッセージのやり取りしかしないし、会って話すほうが早いから、あまり機能には詳しくない。かくいう冬矢も、何か安心材料がないかと調べる中で見つけた機能だ。
 ただ、気になることがないわけではない。
「でも、ちょっと問題があって。どんな時も、どこにいても、相手に場所がわかってしまうんだ。つまり、プライバシーが守れなくなるってことだ。もちろん、嫌な時はオフにすることも出来るんだけど」
 蒼生と健太が顔を見合わせる。
「それってオレたちの間だけ?」
「ああ」
「んー。オレがどこにいるかわかるのは蒼生と冬矢だけなんだ。……ん? じゃあ別に問題なくね?」
「だよね。居場所を把握してもらってたほうが僕も安心だし」
 ふうん、と冬矢は頷いた。健太と蒼生のバグった距離感の中に、すっかり自分も取り込まれているらしい。
 ふたりが気にしないのならそれでいい。実は、検討はしていたものの、さすがにやりすぎではないかと気にしていた。把握といえば聞こえはいいが、「監視」と取られてしまいかねないからだ。実際、蒼生に対してそういう気持ちがないわけではない。つくづく、冬矢は自分が許されているのだと感じる。
 その冬矢の膝の上で、蒼生はとても穏やかな気持ちでいた。ふたりが喜んでくれたことと、冬矢がそこまで自分の身を案じてくれているのがわかったことで、すごく満たされた感じがしている。嬉しくて、足の上に置かれた冬矢の手をそっと握った。すると冬矢がそれを握り返す。
「ねえ、蒼生」
「うん?」
「初めて一緒に料理したのは、中学2年の校外学習の時だったの、覚えてる? あの時もカレーだったね」
 あ、と声を上げ、蒼生は冬矢に視線を合わせる。優しいまなざし。
「そっか、そういえばそうだったね。あれが最初?」
「そう。だからね、今日、すごく嬉しかったんだ。あの時、俺が料理するって言ったら、蒼生、褒めてくれただろ。あれで決めたんだ。いつか蒼生に俺の作った料理を美味しいって言ってもらうんだって。俺の第一歩のきっかけをくれたメニューを、蒼生が初めての料理として作ってくれた。本当に嬉しい」
「冬、矢」
 瞬きの数を増やす蒼生を、冬矢は改めてぎゅっと抱き締める。
 まさか自分の一言がきっかけだなんて思ってもいなかった蒼生は、驚いて冬矢の表情を探る。けれど、強く胸元に当てられた頭が見えるばかりだ。ただ、だからこそ、冬矢が本当に喜んでくれていることを知る。
 こんこん。健太がカウンターを指の節で叩く。
「さっきから聞いてりゃさあ。蒼生に褒められたから、蒼生にごはん作ろうと思った? それさあ、もう、好きってことじゃん!」
 ぱっと冬矢が顔を上げる。その時にはいつもの理知的な表情に戻っている。ちょっと残念に思う蒼生だ。
「ああ、好きだったよ」
「出会ったばっかの頃で?」
「そう」
「えっ、怖っ。オレいつ奪われるかわかんなかったんじゃん」
「今考えるともったいないことをしたと思うよ。まあ、その頃はおまえのものでもなかったんだけどな」
「いやっ、んー……ううう。……ってか、いつまで蒼生のことだっこしてんだよ! そろそろ替われよ!」
「おまえだってさっき蒼生を離さなかったんだろ?」
「そ、……そんな長時間じゃねえし」
 蒼生は小さく笑う。また、いつものが始まってしまった。
「な、蒼生! そんな長くなかったよな?」
 矛先がこっちへ来たか。
「うーん、あったまってきたお湯が沸騰するまでくらいかな?」
「じゃあまだ足りないな」
「蒼生~!」
 頭の上で繰り広げられる応酬に、蒼生はにこにこしながら足をぶらつかせる。
 ここまで歩いてきてよかった。
 連綿と続いてきた一歩は、ここからもまた始まっていくのだから。
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34こ目;さいしょの一歩
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 少し涼しい風が吹く木陰の道は、本格的に授業が始まる時期には早いせいか、校舎裏の抜け道の色合いが濃いせいか、どちらにせよ人の姿はなかった。その道をひとり、斜め掛けにした鞄のベルトを片手で掴み、もう片方の手で書類と冊子を抱えた男子学生が歩いている。背の低い、優しげな少女のような顔立ちで、きょろきょろあたりを不安げに見回しながら構内を歩く姿は、まるで近くにある中高一貫校の生徒が迷い込んでしまったようにも見えた。
 地図ではよくわからなかった初めて行く建物を目指すため、同じ方向に歩いていけば大丈夫だろうと人の後ろについて歩いていたはずが、気が付いた時にはぽつんとひとりぼっちだった。人見知りの自覚がある彼は、無意識にこちらの道を選んでいたらしい。
(こういうとこ、直していかなくちゃダメなのに……)
 彼にはぼんやり考え込んで、周りが見えなくなる癖があった。容姿のことで男女問わず揶揄われることが多かったせいか、周囲の音を聞き流し、いつの間にかひとりの世界に入り込んでいる。それをどうにか克服したいと思っていた。そのためにレベルを上げて入った大学だ。同級生も知り合いもおらず、まったくのゼロから始めることができる。まずは、人に積極的に話しかけ、明るく振舞い、友達を作る。そう意気込んでいたはずなのに、出だしから既に躓きかけている。
 しかも、もともと地理を把握出来ていないうえに、思ってもみなかった道を歩いているので、現在地がよくわからない。本当にこの方向で合っているのだろうか。戻ってわかりやすい道から行けばいいのかもしれないが、それほど時間に余裕もない。とりあえず次の角を曲がって、それでもわからなければどこか建物に飛び込んで助けを求めるしかなさそうだ。
 少々足を速め、ようやく見えた建物の角を、飛び込むように曲がる。
 その瞬間、ざあっと強い風が背中を押すように吹いた。慌てて書類が落ちないように抱え直すと、その一番外側に持っていたパスケースが、するりと手から零れ落ちた。そしてそのまま四隅を弾ませて、面白いように転がっていく。それは追いかける間もなく、茶色い革靴にこつんとぶつかって、ぱたんと倒れた。
 あ、と思った。
 そこには探し求めた構内の案内板があり、人がぽつりと立っていた。人がいた安心感よりも、その人の透明感に驚く。木漏れ日に浮かび上がる、愁いを帯びた静かな横顔。存在感のある黒の瞳。凛とした雰囲気の中に穏やかな空気を併せ持つような佇まい。その横顔に見惚れたのは一瞬だ。足元のパスケースに気付いた彼が、小さく首を傾げて膝を曲げると、それを手に取ったからだ。
「……っ、あの、ごめんなさい! ありがとうございます!」
 駆け寄って、頭を下げる。しゃがんだ彼と目が合った。遠目に見た時よりも、もっと鮮やかで穏やかな深い黒曜の瞳。透けるような肌の色の中で、それはきらきらと光を湛える泉に見えた。美術の教科書で見た絵画に、彼に似た顔を見たことがあった気がする。
 彼はふわっと笑う。それは新緑の中に突然美しい花が咲いたような。
「……いいえ」
 心臓が跳ねる。自分より少し低い声は、さらりと爽やかで、柔らかい。
 パスケースを手渡すと、彼はすっと立ち上がる。近くで見れば、優しい瞳は見上げる位置にあった。
「あ、あの」
 もう少し声が聞きたい。その一心で勇気を振り絞る。
「第三講堂へ行く途中なんですけど、この道で合ってますか!?」
 彼は笑って頷く。
「合ってますよ。講義ガイダンスですよね。僕もそこに行くところです」
「え、新入生の方ですか?」
「はい」
 あまりに落ち着いた雰囲気だったので、まさか同学年だとは思わなかった。同い年ならば、きっとここで勢いのままに突っ走っても問題ない。はずだ。
「迷ってたんです、良ければ連れていってくれませんか?」
「ええ。ではご一緒しましょう」
 彼は目を細め、すっと一歩を踏み出した。それに遅れないように、自分も一歩。
「あ、僕、根津って言います。根津ユウイチです」
 小さく彼は首を傾げた。
「野木沢です」

 講堂と名がついているのでなんとなく劇場をイメージしていた根津は、中に入って驚いた。たしかに段差になった席が並んでいるが、6~7席ごとに長い机が備え付けられており、漫画やドラマでよく見る大学の教室そのものだ。
 野木沢は、まだ空いていた前のほうの壁に近い席に座った。それを追って、さりげなく隣に座る。
「た、たくさん人いますね」
「そうですね。まだ混んでくるかもしれません」
 話しかけると、穏やかな答えが返ってくる。とりあえず拒否されている感じはなさそうだ。
 書類を整理するふりをして、その横顔を改めてこっそりと見る。緑の中で見た、儚く消えそうな美しさは、室内で見ることでようやく現実味を帯びてくる。それでも、周囲に比べて一際輝いて見えるのには変わりがなかった。
(……綺麗な人……。あ、男の人に綺麗って嫌がられちゃうかな。かっこいい、けど、やっぱり綺麗だ……)
 何か話そうと思って、けれど言葉を探せずにいると、急に反対側から声をかけられた。
「すみません……。ここ、空いてますか」
 はっと見回すと、ほとんどの席が埋まってきている。根津は声をかけてきた人影を見上げた。長い前髪から、わずかに眠そうな目を覗かせた長身の男だ。
「は、あの、どうぞ」
 机の上の鞄を引き寄せながら頷くと、「どうも」と短い返事と一緒にぺこりと頭を下げ、1つ座席をあけて座った。今まで会ったことのない不思議な感じのする人物だ。大学というのは様々な人が集まるのだなあと改めて驚く。
 と、そこに、前の扉を開けて、年嵩の男性とアシスタントらしき若い男女が入ってきた。
「皆さん、お待たせしました。これよりガイダンスを始めます」
 全員の視線が前方に注がれる。仕方なく、根津もきちんと座り直した。
 ガイダンスの内容は、単位の説明に始まり、大学での講義の選び方や必須科目と教養科目の説明、履修登録の仕方などの基本的な説明が主だった。野木沢のほうをちらりと見ると、まっすぐで芯の強そうな表情をして、分厚い授業内容の説明冊子に細かい字で何か書き込みをしている。どうやら彼の中では受けたい授業がかなり固まっているようだった。ガイダンスを受ければなんとかなるだろうと思っていた根津は、その真面目な顔にまたどきりとする。
「えー、次に、ゼミの所属前に1年受けるプレゼミについてですが。すみません、講義概要に落丁がありました。直前に判明したのと印刷機の調子が悪いため、訂正資料の印刷が出来ていま……せんかね。まだ? もう少し? ……はい、もう少しかかりそうなので、申し訳ありませんが、まずは机1つにプリント1枚ずつで説明を聞いてください。昔の機械で急ぎ印刷したものなので読みづらいかもしれませんが、ガイダンス終了時には正規のものを皆さんにお配り出来ますので」
 その言葉が終わる前に、アシスタントがぱっと動き出し、机に1枚ずつプリントを置いていった。根津の隣、通路に面した椅子に座っていた長身の男が、すっとこちらにプリントを差し出す。なるほど、文字がじんわりと滲んで読みづらい。
「よろしければこっちに」
 野木沢が小さな声で話しかけたのは、根津側の男と、反対側の端に座っていた明るい茶髪の男だった。彼らは根津と野木沢の間に置かれたプリントを覗き込もうと、席の間を詰めてくる。根津も見やすいようにと野木沢との距離を縮めた。とん、と肩がぶつかる。ふわっと甘い香りがした。
(えっ……香水? 違う、もっと優しい感じの……)
 格好いい人は香りまで違うのか。根津はぽーっと机の上の文字をなんとなく目で追いながら、気付かれないように深呼吸をした。 
「……以上でガイダンスを終了します。仮登録の後、本登録を忘れないように。必ずマークシート用紙を教務課に提出してください」
 はっとする。しまった、最後のほうをほとんど聞いていなかった。戸惑っているうちに壇上から人の姿がなくなり、講堂内は途端にざわめきに包まれる。慌てて野木沢に話しかけようとすると、それより先に茶髪の男が立ち上がった。
「はー、授業受けるのに登録とかいるのな! 大学ってこんな感じなんだー」
 背伸びをしながらそう言うと、配られたプリントを覗き込む。
「落丁の訂正の資料にさらに誤字があったとかウケるよな。慌てて作業しすぎだっつーの。な、そのプリントの書き込み、写さしてもらっていい?」
「もちろんです。じゃあ、前で配ってるの貰ってきてここで」
 野木沢が言いかけたのを男が遮る。
「どうせもう昼だし、飯食いながらやろうぜ。よくわかんねーとこあったから、ついでに教えて。オレ、久我島。おたくらは?」
 ずいぶんとぐいぐい来るタイプのようだ。正直根津にとっては苦手な部類だ。よくこういうタイプにしつこく絡まれていたことを思い出す。どうしよう、と野木沢の顔を見ると、彼はやはりふわっとした笑顔を浮かべていた。
「じゃあそうしましょうか。僕は野木沢です」
「小倉」
 長身の男もさらりと答える。
 ……そうだ。決めたじゃないか。友達を作るって。ぐっと拳を胸の前で握って、根津は腹に力を込めた。
「ねっ、……根津です」
 久我島と名乗った男は、にやっと笑った。
「野木沢に小倉に根津ちゃんね。覚えた。よし、飯いこ、飯」
 3人を引き連れた久我島が向かったのは、大学から駅に向かう通りを1本裏に曲がったところにある定食屋だった。根津はすっかり構内にいくつかある学食のどこかに行くのだと思っていたので戸惑ったが、なんの疑問も抱かず歩いていく野木沢と小倉の背中を心強く思いながら後ろをついていった。
「全員現役? てことは同い年だ。敬語いらんよ。な」
 久我島は席に案内されるなりそう言い切った。ますます苦手なタイプだ。頑張ろうとは思うものの、いきなり克服できるものでもない。出来るだけ距離を離すべく、斜め向かいに座る。隣に野木沢が座ったのが救いに思えた。
 全員でプリントを囲んで、訂正箇所を各々の資料に書き込み、講義の履修方法を再確認する。聞きそびれてしまったところを質問すると、野木沢は面倒がることもなく丁寧に教えてくれた。
「なんだ、オレたち授業けっこうかぶるのな」
「1年の前期は必修科目が多いから」
「じゃあわかんねーことがあったらすぐ聞けるじゃん、助かる~」
 軽口を叩く久我島に、野木沢がふわっと笑う。
「困ったことは助け合っていけたらいいね」
 それを受けた久我島はうんうんと腕を組んで頷いた。
「そう、それそれ。せっかく友達になったんだしな」
 野木沢も小倉も否定はしない。根津はそのやりとりを素直に感心しながら聞いていた。なるほど、友達になりましょう、はい、というやりとりはいらないのか。こういうジャンルの人はこんなふうに交友関係を広げているらしい。
 やがて目の前に料理が運ばれてくる。4人は、必須以外はどんな授業を受けるべきか、というガイダンスの復唱のような話をしながらそれを平らげた。いや、ほとんど久我島が喋っていたか。なんとか根津も話に加わろうとそれに対して一言二言発言したが、ほぼ野木沢が会話を繋いでくれた気がする。しかも、思い返してみると、小倉の声を聞いていない。それでも会話に参加した空気を出しているから不思議だ。
 ようやく小倉の言葉を聞いたのは、食事が終わって温かいお茶を飲んでいる最中だった。
「俺、そろそろバイト」
 ああ、と久我島も腰を上げかける。
「そしたら今日は解散で。……あっ、連絡先交換しよ」
 言われて、どきっとした。初めて言われた言葉かもしれない。慌てて鞄から携帯を取り出す。
「えっと、あの、あんまり使ったことないの、で。どうやってやったらいい、のかな」
「へー。根津ちゃんってアナログタイプ?」
「あ、え、そ、そうかな。携帯新しくしたばかりだからかも」
「ああ、操作全然違ったりするもんな!」
 なんとなく、今まで連絡先を交換する相手がいなかったことは言えなかった。教室で顔を合わせれば済む程度の連絡しかしてこなかったから。
「根津くん。この画面、出る?」
「あ、うん、ここかな。これでいいの?」
「そう。それでこれ押して……はい、出来た」
 ぽこん、と画面に小さな丸が表示される。青一色にわずかに白……ああ、空と雲か。その下には「野木沢」と表示されている。自分のマークはデフォルトのまま、灰色の丸が上部にぽつんと置かれている。それを見ると、ここからが始まりなのだと実感する。まずはこれを、自分の好きな写真に変えることから始めよう。
 立ち上がる時、鞄が椅子に引っかかってよろけた。何も言わずに、野木沢がすっとそれを外してくれる。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 そうだ。ここが第一歩。隣を歩くための。
「……野木沢くん、これから、よろしく」
 優しい笑顔。
「うん。よろしくね」


 さて。
 時間は少し巻き戻り、視点は蒼生に移動する。
 大学の敷地に入ってすぐ、総合管理棟の中にある学食に3人の姿があった。構内にある学食の中では一番古くからある学食らしいが、そこそこ広くて綺麗な施設だ。エリアは解放されているのだが、食堂自体はまだ閉まっていて照明が落とされている。とはいえ、二方向の壁のほぼ全面がガラス窓になっており、さらには吹き抜けになった箇所があるため、十分に明るかった。しかも、やたら数が多い自販機は常に稼働しており、時間を潰す新入生らしき人影がぽつぽつ見える。
 蒼生は講義概要の冊子を読みながら、まだ湯気の立つ紙コップの紅茶を一口飲んだ。
「どれ受けるか決めてあんの?」
 炭酸のペットボトルをぶらぶらと振りながら、健太が冊子を覗き込む。
「うーん……、一応、この方向かな? っていうのはあるんだけど。実際受けてみたら違うなっていうのもあるって聞くし、悩んでる」
 缶コーヒーに口をつけていた冬矢も、自分の冊子をぱらりとめくる。
「仮登録で初回受けてから本登録できるからね。最初はいろいろ試してみるのもいいかもしれない」
「なんかそう聞くと面白そうだよなあ」
「たしかに。自分で選んで授業組み立てるのってちょっと楽しいよね」
 ふふ、と笑って腕時計を見た蒼生は、息を吐き、表情を引っ込めてぱたんと冊子を閉じた。
「あ、そろそろガイダンスの時間?」
「うん。僕の学部棟、ちょっと距離あるから早めに出る。健ちゃんの学部は午後だよね」
「そー」
 健太が頷く。冬矢もプリントを見ながら同じように息を吐いた。
「俺のところも午後で、そのあとゼミの紹介もあるらしい」
「そっか。学部によって授業始まるまでの流れも違うから、よくわかんなくなっちゃうね。……僕だけが午前スタートなんだから、ふたりが合わせることなかったのに」
「ちょっとでも長く蒼生と一緒にいたいもん。あー、同じ大学にいるのに、構内広すぎだろ。遠距離恋愛じゃん!」
 我慢しきれなくなったのか、健太の声のボリュームが次第に上がる。蒼生はぽっと頬を染め、口の中で小さく「えんきょりれんあい」と呟いた。冬矢は向こうにある人影から視線が届くのを感じ、呆れたように片肘をついて健太を眺める。
「大袈裟だな。一応は同じ構内にいるんだから」
「そうなんだけどさ。一緒に暮らし始めてから四六時中そばにいたから、何時間も会えないなんて、考えるだけでさみしいんだよ」
「健ちゃん……」
 それは蒼生にもよくわかる。出来ればこのままふたりとのんびり過ごしたい。だが、やることはきちんとやらないと、反対を押しきって独立した意味がないこともしっかり理解している。
 自分に勢いをつけようと「よし」と呟き、蒼生は立ち上がった。
「うん。がんばろ」
「なあ、飲み残しオレがもらってもいい?」
「あ、ごめん。ありがとう」
 健太は蒼生からカップを受け取り、両手でそっと包み込む。それを横目に見ながら、冬矢が半分腰を浮かせた。
「蒼生。気を付けてね。周りの人をちゃんと警戒するんだよ。少しでもおかしいと思ったら逃げられるように意識して。電話はすぐ出せるところにしまっておいて、何か起きたら、いや起きそうになったら俺か健太に必ず連絡する心づもりでいてね。それから……」
「長ぇよ。ほら、蒼生。いってらっしゃい」
「うん。いってきます。……また後で」
 ちらちらと何度も振り向きながら食堂から出ていく蒼生の背を見送って、ふたりは大きく息をついた。
「……おまえも大概過保護だよな」
「……過保護にもなるだろう。どこの誰とも知らない奴らの中に蒼生を放り込むんだぞ。しっかりしてるから上手に人間関係は築けるだろうが、なにせ優しすぎる。付け込まれて余計なものを背負わされかねない」
「まあな。……それに可愛いもんなぁ……! あんな可愛いのがひとりでいたら絶対狙われる……あー、やっぱついていけばよかった……ガイダンスくらいなら紛れ込んでもバレないんじゃねえか」
「蒼生にはバレて怒られそうだけどな」
「うあー、だよなー……」
 健太は手元のカップを口元に持っていくと、飲み口を噛んでからそれを一気に飲み干した。

 管理棟を出た蒼生は、まず右足で石のタイルを強く踏みしめる。目の前には敷地を貫くようにまっすぐに伸びるメインストリートがあったが、敢えて外れた道に入った。手続きで訪れた際に、3人でひとしきり敷地内を探索したので、ガイダンスの会場になっている第三講堂へは建物の裏側の出入り口を目指したほうが早いことがわかっていたからだ。メインストリートも街路樹の緑が鮮やかだったが、裏道はその色がさらに濃い。ざわざわと耳に届くのは風に擦れる木の葉の音だけだ。
 爽やかな空気は心を弾ませるには十分だったはずだが、蒼生の心の中を占めているのはほとんどが不安だった。初めての場所。初めての環境。初めて会う人たち。それに全部ひとりで立ち向かって行かなければならない。それが酷く面倒なことに思えて、足が止まりそうになる。逃げ出してしまいそうになる。
 それでもなんとか自分をなだめて足を進めて行くと、行く手に案内板があるのが見えた。近付いて見上げれば、構内の建物が描かれている平面図の端のほうに、現在位置を示す赤い印がある。学部棟の名前が書かれた幾つもの建物。構内はとても広い。その中から、健太の学部と、そこから近い冬矢の学部の名前を探して、じっと見つめた。
(……大丈夫。健ちゃんは近くにいる。冬矢は近くにいる。大丈夫。頑張らなくちゃ)
 早く、会いたい。
 口にしそうになって、蒼生は小さく唇を噛んだ。
 そこに強めの風が吹いて、わずかに足を取られる。それが立ち止まる自分への警告のようで。
(……なんか急かされてるみたい。……そうだよね、とにかく、目の前のことから片付けていこう。帰ってからの予定もあるんだし!)
 蒼生には、今日2つのタスクがあった。1つは、今直面している、未知の場所に乗り込んでいくこと。もう1つは、今晩の食事の支度だった。当番制にしてローテーションを組もう、という話になっていたが、今まではほとんど家にいたため、冬矢を中心にふたりで手伝うことが多かった。つまり、本格的な当番制は今日から始まるのだ。そしてそのトップバッターを任されたのが蒼生だ。これは健太と冬矢のたっての希望でもあった。
 そうだ、まずはそれを楽しみに、ひとつめのタスクを乗り切っていこう。
 思って足を踏み出そうとした時、その足にこつんと何かがぶつかった。目を落とすと、四角い茶色の何かが落ちている。パスケースだろうか。なんとなく拾うと、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。
「ごめんなさい! ありがとうございます!」
 駆けてきたのは、男子学生だ。たぶん。年下に見えるが、構内にいるということは学生だろう。
「いいえ」
 話しかけられるとは思っていなかったから、蒼生はぎこちなく笑ってそれを渡す。しばらくだらだら過ごしてしまったせいか、愛想笑いがきちんと出来ているか心配になる。
 立ち上がって見ると、彼は困ったような顔でパスケースを握り締めたまま、こちらを窺っているようだ。
「……あの、第三講堂へ行く途中なんですけど、この道で合ってますか!?」
 蒼生は少しだけ緊張を解く。なるほど、迷子か。なぜ急に声をかけられたのか、もしかして落とし物もわざとなんじゃ、とさっきの冬矢の言葉を思い出して警戒したのだが、道がわからないということならば不安になって目についた人間に助けを求めても当然だろう。なぜか自分はこの手の迷子に声をかけられがちだ。御しやすそうに見えているのかもしれない。どちらにしても同じ場所に行くのだ、無下に断っても角が立つし、とりあえず連れ立って向かうことにした。
 彼は、根津と名乗った。おとなしい人柄のようで、そこからの会話が始まらない。ただ黙って歩くのは居心地が悪いから何か会話を、と思って脳内を探るのだが、あいにく蒼生も自分から話題を振るタイプではない。せめて初対面でなければなんとかなったかもしれないが、相手がどういう会話を好むかもわからない。結局、自然なきっかけが掴み切れないまま会場に着いてしまった。
 目立たなそうで人が少ないあたりを探して蒼生が席に着くと、おそらく流れで根津も隣に座った。自分といても会話がなくてつまらないだろうに、と蒼生は申し訳ない気分になる。そこに及んでもまだ会話の糸口を探っていると、ふいに反対側から声をかけられた。
「ここ空いてる?」
「はい、空いてます」
 咄嗟に返事をしてから相手を見る。金に近い茶色の髪をした男子学生が立っていて、目が合うや否やにぃっと笑った。
「いやー、余裕もって来たつもりだったんだけどさ、ここ遠いのなー。大学って広いわ、入り口から端っこまで行くのに一駅ぶんくらい余裕でありそうだよな。しかも朝電車反対方向乗っちゃってさー、ガチで間に合わんかと思ったけどまあ間に合ってよかったわ」
 言いながら、座る。
 ずいぶんフランクな人だなあと思う。が、実はこういうタイプのほうが、にこにこ笑って話を聞いていれば済むので楽だったりする。
 大学に入るにあたり、ひとつ蒼生には目標があった。それは、人間関係をなるべく面倒がらない、ということだ。ひとりですべてやらなければならない以上、情報を得る人脈は必要だと思う。出来れば、広く。……可能ならば浅く。いや、それがダメなのだということは重々承知しているのだが、そのあたりは自分の根源に抵触するので、なかなか難しい。だから「なるべく」なのだ。
 ガイダンスを聞き終えた蒼生は、大きく息を吐いた。説明を聞く限りでは、受けたいと思っている講義はそこそこ理想通りのようだ。必修科目と被る講義もあったのでそれは諦めざるを得ないが、来年という選択肢もある。詰め込むのもある程度余裕を持たせるのも自分次第なのは面白いと思った。
 さて、と帰る気満々だった蒼生が立ち上がるより早く、隣の久我島と名乗る男子生徒が昼食に誘ってきた。反射的に断りかけて、蒼生はぐっとそれを押さえ込む。人脈、人脈。いろんな人とのお付き合い。
「オレさー、田舎の離島から出てきたんだあ。で、この近くの学生用アパートに住んでんの。だから店とか詳しいのよ。なんか昼飯とか困ったらオレに聞いて!」
 歩きながらも久我島は延々としゃべり続けている。
「やっぱ大学だと全国各地いろんなとこから来てる奴多いんだろーな。ちなみに野木沢はこっち出身?」
「僕も地方ですね」
「はー、そっかあ。じゃあ暮らし始めか、一人暮らし? 大変だよな、オレもさぁ、もう何から手を着けていいかわかんねえもんで、部屋の中まだ箱だらけだわ」
「わかります」
 相槌に徹して、話を聞く。引っ越しの荷物はとっくに片付け終わっているし、ひとりなわけではない。けれど、踏み込んだ話はしなくていいかな、と思う。変に噂でも立って健太と冬矢に迷惑をかけたくないからだ。
 とはいえ、少し素っ気ない対応で気を悪くしてないだろうか。心配になったのだが、彼は特に気にしていなかったようだ。蒼生と根津と、もうひとりついてきた小倉をさらりと「友達」と言った。
 小倉はどうしてついてきたのかわからないくらい何もしゃべらなかったが、会話に反応はしていたから、きっとおっとりしたタイプなのだろう。根津も大人しいが一生懸命さを感じる。久我島も、たぶん、嘘はない感じがする。全員、悪い人ではなさそうだ。と、思う。
 迷ったが、結局全員と連絡先を交換した。とりあえず、一歩は踏み出せたかもしれない。

 蒼生はずいぶん重くなった買い物袋をキッチンの床に置いた。袋から覗く食材に目を落とし、ぐいっと袖をまくる。
 今日を迎えるにあたり、冬矢はこう言った。
「最初から頑張りすぎちゃうと息切れしちゃうからね。あんまり凝ったことをしようと思わなくていいよ」
 たしかに、そのとおりだ。今日1日の話ではない、これからずっと続く「生活」なのだ。第一、ほぼ初心者の蒼生が、ここ数年きっちりキャリアを積み上げてきた冬矢にいきなり敵うはずはないし、ふたりもそれを期待しているわけではないと思う。
 とはいえ、知識だけはだいぶ入れてきたつもりだ。教科書をさらうところから始まり、料理の基礎の基礎を教える本を読み耽り、レシピ本にも手を出した。最初はいろいろ検索して調べていたものの、どうしても目が滑ってしまい、結局紙の本に落ち着いた。頭の中で手順を再生するとぐちゃぐちゃになってしまったが、読書と同じだと考えればすんなり頭に入ってきた。自分以外がキッチンに入ることを嫌がる母だったので実践はしていないが、簡単なところから始めれば、おそらく何とかなる。
 とりあえず、今日は失敗が少ないだろうと思われるカレーを作ることにした。健太も好きだし、きっと喜んでくれる。
 ルウの箱の裏面を見てから、食材を切り、箱を見つつ炒め、箱を見て水を入れ、サラダを作り、改めて箱を読んでいるところで玄関から物音が聞こえた。それはすぐばたばたと大きな足音になり、勢いよく開くドアの音と重なって、
「ただいまぁ!」
 大きな声。蒼生はあまりの勢いにこらえきれず吹き出して笑う。それと同時に、肩からすうっと力が抜けたのを感じた。
「おかえり、健ちゃん。音量おかしくなってるよ」
 いったいどこから走ってきたのか、珍しく深呼吸する健太と目が合った。途端、蒼生の頭の中は「嬉しい」でいっぱいになる。嬉しい。健太が目の前にいる。嬉しい。
 健太は蒼生の姿を頭から足まで何度も往復しながら見ていたと思うと、急にしゃがみこんだ。驚いて蒼生が駆け寄る。割といつもの光景だが、やっぱり毎回心配になってしまう。
「ど、どうしたの?」
「……かわいぃ……」
「は?」
 呻くようなセリフに、蒼生は首を傾げる。健太はぱっと顔を上げ、また視線を上から下へを繰り返す。
「エプロン可愛い……」
「えぇ……毎日使ってるのに、今?」
 先日買い物に行った時に冬矢が提案し、色違いの揃いで買ったエプロンだ。その日から使っているので、何度も目にしているはずなのだが。勢いよく立ち上がった健太が蒼生に詰め寄る。
「違うんだよ、毎日可愛いと思ってたけど、エプロンでおかえり、はまた違うんだよ……!」
「そう……なの?」
 まだ疑問符を浮かべる蒼生を、健太はそのままぎゅっと力いっぱい抱き締めた。
「そうなの。あー、もー、可愛い、あー、好きー」
 言い返すべきかとも思ったが、温かさに包まれてまず思うのはやはり「嬉しい」だったので、蒼生は何も言わなかった。そのかわり、健太の背中にそっと両手を寄せる。健太が笑う気配がして、肩に置かれた指が優しくなでるように動く。頭の中がふんわりとしてきて、蒼生は健太の肩口に頬を擦り付けた。
 髪に顔をうずめていた健太が「あ」と声を上げたので、蒼生はぴくんと跳ねる。
「うん……?」
「や、あの、ごめん。一生懸命ごはん作ってくれてるのに、オレ邪魔してるよな」
「大丈夫。今煮込んでるとこだから、そばにいて様子見てれば」
「そっか」
 健太はほっと息を吐いて、小さな泡を立て始めた鍋を蒼生ごしに覗き込む。
「今日のごはんは何?」
「カレー作ってる」
「わ、やった! そういや引っ越してからカレーしてなかったな。あー、わかった、蒼生の好きなチキンのやつだ!」
「ううん、今日はビーフカレーにしたよ」
「え? オレが好きなほう?」
「うん。健ちゃんが好きなほう」
 わずかに力を緩めた健太が腕の中に目を落とすと、蒼生はとろりと潤んだ目で見上げてくる。
「……なんか、オレ、蒼生のことずーっと好きだと思ってたけど、昨日よりも好きっていうのをこんなに毎日更新できるもんだとはさすがに思わなかったわ……」
 はあっと健太が吐いた息が耳をくすぐり、蒼生は小さく体をよじる。と、それを追いかけるように唇でそっと耳を噛んでくる。
「んっ……」
「あー……ヤバい。今すぐ抱きたい」
「だっ、ダメ、ごはん作れなくなっちゃうからぁ」
「そりゃ困るなあ……」
 言葉ではそう言うが、健太に腕を離す気はまったくなさそうだ。蒼生は自分の腕を健太との間にねじ込み、そっと胸を押す。蒼生のほうも、完全に健太の腕から逃れるつもりはないらしい。
「えっと、えーっと……あ、ガイダンスどうだった? 講義面白そう?」
「んー」
 健太はすっと天井のほうに目をやる。
「そうだなあ、いろいろ難しそうでちょっとビビってるかも。今までと違って蒼生に頼れないから、頑張んねえとなーって」
「そっかあ」
「あ、でも高校の先輩が同じ学部にいるって奴と友達になったからさ、今度話聞くことにしたよ」
「へえ」
 蒼生は健太をまぶしそうに見つめる。
 そうだろう、健太はすぐ友達ができる人だ。幼い頃からそうだったが、少しでも新しい環境に足を踏み入れると、健太の口からは次々に知らない名前が飛び出してきた。自分の占める割合がどんどん小さくなっていく気がして寂しかったけれど、人に囲まれる健太はいつもきらきらしていた。それがとても誇らしくもあったのだ。
「結構声かけられたし、自分からもかけたかなー」
「さすがだねえ。しかも男女問わずでしょ」
「ん。気になる? 連絡先見る?」
「いいよ、健ちゃんの交友関係って多すぎて絶対把握できないもん」
「えー。蒼生だってきっと声かけられたんだろ」
「! そうそう、僕、初めて携帯に他人の連絡先入れたよ」
 健太はぱちぱち、と瞬きをした。あの。蒼生が。健太と冬矢以外の連絡先を。
「へー、ずっとクラスグループには所属しても絶対に個人とのやりとりしなかったのに、とうとう入れることにしたんだ」
「僕も健ちゃんと同じだよ。健ちゃんに頼れないから、近場で人脈作らなきゃと思って」
 少し間が開いた。何事か考えていたような健太は、心配げに蒼生の顔を覗き込む。
「……言い寄られたりはしてない?」
「あはは、ないない。考えすぎだって。今日話したのは男の子3人だったし」
「んー……オレらの前例があるからなー。なら安心、とはなんねえんだよなあ。……どんな奴?」
「そっかあ。うーんと、明るくてよく喋る人と、あんまり喋らない人と、おとなしい人。あ、おとなしい人は桐畑くんにちょっと雰囲気似てたかも」
「桐畑? ああ、高校の図書委員の後輩か。……あいつもなあ……」
 蒼生はきりっと表情を引き締める。
「大丈夫、って言い切れるかどうかはわかんないけど、健ちゃんたちに心配かけないように、すっごく気を付けるね」
 それを聞いて、ふっと健太が笑う。
「助かる。なんってったって、蒼生の周りにいるのはオレのこと知らない奴なんだからさ」
「そうだね、健ちゃんの友達も、僕のことは全然知らない……」
 はた、と。
 驚いたような顔で、蒼生と健太は顔を見合わせる。
「……え、オレの友達、蒼生のこと知らない奴なんだ。うわ、怖」
「僕もだ。こ、怖……」

 鍋が沸騰すると、健太は名残惜しそうに蒼生を離した。それでも近くには居たいようで、カウンターに寄りかかって延々今日聞いたガイダンスの内容を話してくる。蒼生もにこにこしながらそれを聞いていた。
 ようやく出来上がり、刺激的な香りに健太が我慢出来ずそろそろと手を伸ばし始めた途端、きっかり計算したように冬矢が帰ってくる。
「ただいま。いい匂いだね」
「おかえりなさい」
 蒼生がキッチンから飛び出すようにして迎えると、冬矢は嬉しそうに笑った。
 一応全部ひとりでやってみる、がテーマではあるが、配膳はそこに含まれないはずだとせっせと手伝う健太が大体の作業を終えたところで、冬矢が席に着く。健太も座ると、最後に蒼生がスープのカップを3人分テーブルに置いて、座る。そして3人仲良く手を揃えた。
「いただきます!」
 健太と冬矢がスプーンを手に取るのを、蒼生はドキドキしながら見守る。ちゃんと書いてあった通りにしたから大丈夫なはずだ。間違えてはいないと思う。だが、どうしても緊張してしまう。
 健太はぱっと顔を輝かせた。
「美味しい!」
 冬矢も目を細めて頷く。
「うん、美味しい」
 胸がぽっと温かくなる。嬉しい。ただ一言が、嬉しい。けれど、蒼生は首を振る。嬉しいけれど、自分の力というわけでもない。
「は、箱に書いてある通りに作っただけだよ。スープも粉末の溶かしただけだし」
 そんな蒼生に、冬矢は優しい笑顔を向ける。
「それをちゃんと読んで作ってくれたのは蒼生だろ。この味に合うようにスープの種類を選んだのも蒼生だよ」
「冬矢……」
 皿の上を半分ほど綺麗にした健太が、ごくんと口の中のカレーを飲み込む。
「あのさ冬矢、わかる? ビーフカレーなんだぜ?」
「ああ、そうだな。健太の大好物じゃないか」
「そ。嬉しいよなあ! すごく美味しい! めちゃくちゃ愛情感じる! 蒼生大好き!」
 蒼生はぴっと背筋を伸ばして「あ、あいじょう」と呟いた。
 一方、テーブルの中央、大皿に並べられた輪切りのトマトとタマネギのサラダを皿に取り、冬矢はさらに嬉しそうにする。
「ねえ蒼生。辛いの苦手だから、生のタマネギだめだよね」
「え、うん」
「でもサラダ、タマネギだよね。俺が好きだから作ってくれた?」
「……あー、うん」
「ふふ。好きな人が自分のためにしてくれることって、本当に嬉しいね。ありがとう。……うん、美味しい。塩加減がちょうどいいよ。これ、初めて食べるけど、気に入ったな」
 蒼生はさらに照れたように、そっと俯いて皿の上のカレーをかき混ぜた。
「だ、だけど、冬矢のごはんのほうが美味しいよ」
「俺だって、蒼生に喜んでほしいから。だから俺たち、一緒の気持ちで作ってるんだね」
 野菜の皮を剥きながら、食べやすい大きさに肉を切りながら、少しずつ色を変えていく鍋の中を眺めながら、蒼生はずっと健太と冬矢が喜んでくれたらいいなと思っていた。ふたりのために何かが出来るということが、嬉しくて仕方なかった。それだけでも満足だったのに、こうしてふたりが本当に喜んでくれている。それが、こんなに幸せなことだなんて。
 蒼生は、タマネギ相手に耐えきった涙をこぼしそうになって、誤魔化すようにスープを飲んだ。
 その隙におかわりをこんもりとよそってきた健太は、座りながらしみじみ呟く。
「食事ってさー、今までなんとなく食べてきてたじゃん? だけど、ごはんって愛情だったんだなぁ」
「……なんか、わかる気がする」
 それ自体にかかる手間だけでなく、献立を考えるのも、脳内のリソースをかなり食う。これを毎日こなすのは大変な作業だ。ひとりだけでやってみてわかったが、生半可なことじゃない。
「あと」
 健太が繋げる。
「エプロン姿で、ひとりキッチンに立ってる蒼生、めちゃくちゃえっちだったなぁ……。マジ、手ぇ出さないようにすんの必死だった」
「……ん?」
 …………。沈黙が降りる。
 今、いい話をしていたのではなかったか。
 冬矢は心底呆れた目で涼しい顔の健太を見る。
「……おまえはいいんだか悪いんだか、本当に素直な奴だな」
「しょーがねえじゃん、なんか反応しちまったんだよ」
「ひぇ」
「で? ちゃんと我慢出来たんだろうな?」
 ぴたっと健太が手を止める。
「…………。味見、は、した」
「……ほう」
「! 言い方! 言い方が誤解を招く! ぎゅーってしてくれただけじゃん!」
「でも反応してたんだろ?」
「……蒼生にバレてなかったみたいなんでセーフ」
「今バラしたらアウトだろ」
 なるほど、と蒼生と健太は同時に呟いた。けれどそれはまったく別の意味だ。健太は、冬矢の論理に納得したから。蒼生は、あの時出来心で許していたら、今頃とんでもないことになっていたんだなと気付いたからだった。ふたりにばれないように、こっそり蒼生は安堵の息をついた。

 皿の上がすっかり綺麗になると、冬矢はすっとキッチンを指さした。
「今日の洗い物は健太が全部やること。味見の分、しっかり働け」
「へいへい」
 言われた健太はしぶしぶ立ち上がる。両手で皿を持ちながら、
「やきもち焼きめ……」
 呟いてキッチンへと歩いていく。
「えっえっ」
 蒼生は困ったようにふたりを交互に見て、それから健太を追うように立ち上がる。それを冬矢が手招きでとどめた。
「蒼生はこっち」
「でも」
「おいで?」
 やはり困った顔で、蒼生は冬矢のもとに歩み寄る。蒼生の腕を引いた冬矢は、そのまま蒼生を膝に座らせて横抱きにした。
「ああ、落ち着く」
 洗い物まで自分でやったほうがと戸惑っていた蒼生だが、冬矢の声が本当に安堵したような色だったので、体中から力が勝手に抜けていってしまった。だからそのまま冬矢の肩に頬を寄せる。冬矢はさらに嬉しそうに、蒼生の体をぎゅっと抱き締めた。
「長時間だったから、冬矢も疲れた?」
 そう聞くと、乾いた笑いが返ってくる。
「まあね。やりがいはありそうかな」
「冬矢がそんなふうに言うなら相当だね……」
「ふふ。こうして毎日蒼生に癒してもらうことになりそうだよ」
「癒せるかなあ……」
 心配げに目を上げると、冬矢は蒼生の髪に指を絡ませるようにして撫でてくる。
「もちろん」
 はっきりと言い切った冬矢に、蒼生は安心して再び肩口に顔を埋めた。
 それをじっとりとカウンター越しに見て話の糸口を探っていた健太が、はっと身を乗り出す。
「そういえばさ、びっくりしたんだけどさ、今日出来たオレの友達って、蒼生のこと知らねえんだよ」
「は?」
 聞いた蒼生もばっと顔を上げる。
「あ、うん。そうなんだよ。健ちゃんを知らない人が僕の知り合いになったんだ」
「え?」
「さっき蒼生と話してて、怖ぇなって話してたんだよな」
「うん。冬矢の周りの人たちも、僕たちのこと知らないんだよ。怖いよね」
「こんなに離れて過ごすのも初めてだしさー」
 戸惑う冬矢をよそに、健太と蒼生は会話を続ける。
 逆ならわかるのだが。冬矢が知らない人間が、蒼生の周りに集うのだ。それが怖いのはわかる。いざという時、蒼生本人と話せないことがあったとして、ちょうど蒼生の近くにいるだろう人間に連絡が取れないというのは、なるほど、これまで思い至らなかったが、考えるとぞっとする。
 だが、蒼生の周囲の人間が冬矢を知らないのが怖い? ふたりの言い方からすればそういうことだ。しかし、そもそもそういうものではないだろうか。お互いが知らない人間関係なんて、これからいくらでも増えていくだろう。
 そこまで考えて、冬矢は蒼生と健太の特殊な関係性を思い出す。生まれた時から一緒のふたりに近付く者は、どうしたってもう片方を目に入れることになる。彼らが最大に離れたのは、クラスが分かれた時だけ、それだって同じ学校の中にいた。相手の友人が片割れである自分を知らないことなんてなかったということか。蒼生も健太も、本当にひとりきりになったことがないのだ。どんな時も必ず繋がっていて、引き離そうとしても強い引力で戻ってしまう。それどころか、存在そのものが牽制になっていたことも多いだろう。
 とはいえ、独り立ちする機会は何度もあったはずだ。冷静に考えると、それを引き留めたのは他でもない、冬矢自身だ。付き合うことも、一緒に暮らすことも、提案したのは自分だった。つまり、蒼生と健太をセットの存在として完全に確立させてしまったわけだ。
 それに対しては少し複雑な気分にもなる。が、後悔はしないと決めた。
 それより、今はふたりが出してきた話題のほうが重要だ。はっきりしたのは、本人に連絡が付かなければお互いがどこにいるかわからないということだ。周りの人間と繋がりを持って連絡を取るという方法はあるだろうが、その人間が本当に信頼できるかどうかもわからない。
「……お互いの位置情報、わかるようにしておこうか」
 わいわいと話を続けるふたりが一瞬沈黙した隙を狙って、冬矢はそう声をかけた。不思議そうな視線が冬矢に向かう。
「位置?」
「そう。携帯でね、そういうことができるんだ。3人が今どこにいるかが地図上でわかる。そこから緊急で連絡を入れることもできる」
「へー」
 感心したようにふたりが頷く。基本的にメッセージのやり取りしかしないし、会って話すほうが早いから、あまり機能には詳しくない。かくいう冬矢も、何か安心材料がないかと調べる中で見つけた機能だ。
 ただ、気になることがないわけではない。
「でも、ちょっと問題があって。どんな時も、どこにいても、相手に場所がわかってしまうんだ。つまり、プライバシーが守れなくなるってことだ。もちろん、嫌な時はオフにすることも出来るんだけど」
 蒼生と健太が顔を見合わせる。
「それってオレたちの間だけ?」
「ああ」
「んー。オレがどこにいるかわかるのは蒼生と冬矢だけなんだ。……ん? じゃあ別に問題なくね?」
「だよね。居場所を把握してもらってたほうが僕も安心だし」
 ふうん、と冬矢は頷いた。健太と蒼生のバグった距離感の中に、すっかり自分も取り込まれているらしい。
 ふたりが気にしないのならそれでいい。実は、検討はしていたものの、さすがにやりすぎではないかと気にしていた。把握といえば聞こえはいいが、「監視」と取られてしまいかねないからだ。実際、蒼生に対してそういう気持ちがないわけではない。つくづく、冬矢は自分が許されているのだと感じる。
 その冬矢の膝の上で、蒼生はとても穏やかな気持ちでいた。ふたりが喜んでくれたことと、冬矢がそこまで自分の身を案じてくれているのがわかったことで、すごく満たされた感じがしている。嬉しくて、足の上に置かれた冬矢の手をそっと握った。すると冬矢がそれを握り返す。
「ねえ、蒼生」
「うん?」
「初めて一緒に料理したのは、中学2年の校外学習の時だったの、覚えてる? あの時もカレーだったね」
 あ、と声を上げ、蒼生は冬矢に視線を合わせる。優しいまなざし。
「そっか、そういえばそうだったね。あれが最初?」
「そう。だからね、今日、すごく嬉しかったんだ。あの時、俺が料理するって言ったら、蒼生、褒めてくれただろ。あれで決めたんだ。いつか蒼生に俺の作った料理を美味しいって言ってもらうんだって。俺の第一歩のきっかけをくれたメニューを、蒼生が初めての料理として作ってくれた。本当に嬉しい」
「冬、矢」
 瞬きの数を増やす蒼生を、冬矢は改めてぎゅっと抱き締める。
 まさか自分の一言がきっかけだなんて思ってもいなかった蒼生は、驚いて冬矢の表情を探る。けれど、強く胸元に当てられた頭が見えるばかりだ。ただ、だからこそ、冬矢が本当に喜んでくれていることを知る。
 こんこん。健太がカウンターを指の節で叩く。
「さっきから聞いてりゃさあ。蒼生に褒められたから、蒼生にごはん作ろうと思った? それさあ、もう、好きってことじゃん!」
 ぱっと冬矢が顔を上げる。その時にはいつもの理知的な表情に戻っている。ちょっと残念に思う蒼生だ。
「ああ、好きだったよ」
「出会ったばっかの頃で?」
「そう」
「えっ、怖っ。オレいつ奪われるかわかんなかったんじゃん」
「今考えるともったいないことをしたと思うよ。まあ、その頃はおまえのものでもなかったんだけどな」
「いやっ、んー……ううう。……ってか、いつまで蒼生のことだっこしてんだよ! そろそろ替われよ!」
「おまえだってさっき蒼生を離さなかったんだろ?」
「そ、……そんな長時間じゃねえし」
 蒼生は小さく笑う。また、いつものが始まってしまった。
「な、蒼生! そんな長くなかったよな?」
 矛先がこっちへ来たか。
「うーん、あったまってきたお湯が沸騰するまでくらいかな?」
「じゃあまだ足りないな」
「蒼生~!」
 頭の上で繰り広げられる応酬に、蒼生はにこにこしながら足をぶらつかせる。
 ここまで歩いてきてよかった。
 連綿と続いてきた一歩は、ここからもまた始まっていくのだから。
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