高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2024年02月08日 12:43    文字数:8,940

38こ目;君にいちばん効くくすり

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意外と丈夫な3人の、珍しい体調不良のお話。
前回の続きのような、そうでもないような。

↑初掲載時キャプション↑
2022/02/11初掲載
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
1 / 1
 夜中、蒼生はふと目を覚ました。今日は部屋が真っ暗だから、眠ったのは健太が最後だったのだろう。冬矢が後なら常夜灯が点いているはずだ。そのあたりは好みだから、最後に寝る者が決めればいいと思っている。蒼生自身は常夜灯を点けておきたいほうだし、暗闇がちょっと怖いなと思ってはいるのだが、とても困るようなことも今のところはなかったので、ふたりには伝えていない。カーテンも遮光とはいえ、裾から街灯の遠い明かりがわずかに差し込んで、部屋の中がまったく見えないということでもないし。
 そんなことをぼんやり考えながら再度眠りに落ちそうになったが、なんだかうっすらと違和感がある。そうして、何故目が覚めたのかを考えて、すぐに、右半身が涼しいことに気が付いた。普段だったら驚くほど近くにいるはずの健太が、わずかに手を動かした程度では触れない位置にいるようだ。あれっと思って様子を窺うと、何やら荒い息が聞こえる。
「……健ちゃん?」
 小さく呼びかけ、ヘッドボードを探って照明のコントローラーを手に取る。反対側で眠っている冬矢を起こしても悪いので、常夜灯のボタンを押した。小さくピッと音がして、部屋の中が見渡せるようになる。
 健太は、ベッドの端で背を向けるようにして眠っている……ように見えた。丸くなった背中が、睡眠時にしては速い動きで上下している。
「健ちゃん」
 もう一度呼んで、蒼生はそっと足元からベッドを降りた。健太のそばに回り込み、膝をついて顔を覗き込む。体を丸めて口元に手を当てた健太が、薄く目を開けた。
「……ぁおい」
 かすれた声。額に手を当てると、体温計がなくともはっきりわかるほど熱い。手を伸ばし、こちらも熱くなっている背中を撫でる。健太は、はあっと手の中に大きく息を吐いた。
「ぅー……」
「ちょっと待っててね」
「……だ、いじょぶ、だから」
「うんうん」
 蒼生はさっと立ち上がると、そのまま寝室を出る。急いで洗面所に飛び込むと、洗面器とバスタオルを掴み、納戸から水のペットボトルを2本抜いて戻ってくる。気配に気付いたのか、ちょうど冬矢が体を起こしたところだった。
「ごめん、起こしちゃって」
「いや。どうした?」
「健ちゃん、熱があるみたいで」
 言いながら、バスタオルをベッドに置き、それ以外を床に置いて再び膝をつく。健太は同じ体勢で、苦しげな呼吸を繰り返していた。手を首筋に当てると、やはり熱い。
「しんどそう……。冬矢、冷感シートとかなかったよね」
「ああ、買ってない。どうしたらいい?」
「洗面器に氷水入れて、小さめのタオル持ってきてもらっていいかな」
「わかった」
 冬矢もぱっとベッドを降り、部屋を出ていった。
 小さく呻いた健太が、強く目をつむり、首を縮めるようにしてからゆっくり口を開く。
「……気持ちわりぃ……吐きそ……」
「うん、起こすからね。捕まって」
 蒼生は健太に笑いかけ、体の下に腕を差し入れる。縋りついてくる腕の力も借りて上半身を起こさせると、さっと肩にバスタオルをかけた。それから健太の両手に洗面器を持たせて自分もそれを片手で支え、残った手を背中に回す。
「……っぇ……」
 背中をさすって、そっと寄り添う。
「我慢しなくていいからね」
「ぅ……」
 そうしてひとしきり吐いた健太は、少し楽になったのか、荒い息の間でぼそりとつぶやく。
「……はー。もったいねえ、昨夜の魚のやつ、美味かったのに」
「ふふっ。それは冬矢に言ってあげて」
 そんな口が叩けるなら、ひとまずは大丈夫だろう。蒼生はヘッドボードの上のボックスからティッシュを数枚引き抜き、健太の口元を拭う。そして健太に洗面器を任せると、足元のペットボトルの蓋を開けた。
「はい、口ゆすいで」
「ん」
「洗面器にぺってしてね」
「……ん」
「ちょっとすっきりした?」
「ん」
「じゃあ、お水飲んでおいてね」
 言われるまま、健太はペットボトルを傾ける。蒼生は胸を撫でおろし、受け取った洗面器を抱えて、冬矢と入れ違うように寝室を出ていった。
 戻った冬矢は少し迷って、ヘッドボードではなく床に氷水の入った洗面器を置く。そして浸したタオルを絞って、やはり迷うように健太に差し出した。健太はおとなしく受け取り、自分でそれを額に押し当てる。
「つめてぇ。気持ちいい~……」
「変なもの食べさせたかな」
「あー、そういうんじゃねえと思うから大丈夫……。おまえなんともないだろ?」
「ああ」
 力なく笑い、健太はぱたりとベッドに横たわった。それから、冬矢が引き上げる掛布団を受け取ってくるまる。
 そこに綺麗に洗った洗面器を持った蒼生が戻ってきた。
「俺、あとは何をすればいいかな」
「冬矢は寝てて。朝になったら代わってもらうかもしれないから」
「……わかった」
 頷いてベッドに戻る冬矢の背を蒼生は目で追う。さすが、理解が早くて助かる。
 そして蒼生は洗面器を並べて置いて、健太の下敷きになったバスタオルを体を支えながら引き抜くと、掛布団の首元にかけた。
「僕、隣で起きてるからね。ちょっとでも変だなって思ったら声かけてね」
「ごめんな蒼生……」
「謝罪とか反省は、元気になってからゆっくりやりなさい。……今はちゃんと寝なよ」
 ゆったり、あやすように蒼生が健太の頭を撫でる。健太は静かに目を閉じた。

 次に健太が目を開けたのは、昼を少し回ろうかという時間だった。ベッドに寄りかかるように座って本を読んでいた蒼生がぱっと顔を上げる。
「おはよう、健ちゃん」
「おはよ……」
 冷やしている額は避け、ぼんやりしたままの健太の首筋に手を当てる。やはりまだ熱い。
「まだ熱あるね。今日は1日おとなしくしてたほうがいいよ」
「うー」
「気持ち悪いのはまだある?」
「平気……。のどがちょっと痛いのと頭がひたすら重いだけ」
「そっかそっか。じゃあ少し様子を見ようね。はい、お水」
「ありがと……」
 蒼生の温かいはずの手は、自分の体温のせいでひんやりと冷たく感じる。それが気持ちいい。起き上がらせてもらってペットボトルの水を飲むと、体の中心をすーっと水が流れていくのも心地よかった。
 そこに、開け放したままのドアから、冬矢が顔を覗かせた。
「起きたか。食事はとれそうかな」
「……おなかすいた。昨日の魚のやつ、美味かったのに、もったいないことしてごめんなぁ。またあれ食べたい」
 聞いた蒼生が口元だけで笑う。冬矢に伝えれば、と言ったのは蒼生だが、本当に素直に言うとは。冬矢も笑って肩をすくめる。
「それはどうも。今、お粥作ってるからな」
「ええ、おかゆー?」
「昨夜吐いたんだ、空っぽの胃をいきなり刺激するわけにはいかないじゃないか」
「味しないからやだ」
「…………。美味しくすればいいんだろう」
 言って、冬矢は踵を返す。蒼生は今度こそ我慢できずに噴き出した。普段ならば呆れたセリフを吐くはずの冬矢が、言葉を飲み込んだのが微笑ましかったからだ。さすがに風邪っぴき相手には遠慮するらしい。健太がずいぶん子供っぽい口調なのも可愛く思える。
「……蒼生、嬉しそうじゃん」
「うん? ふたりとも可愛いなって」
「蒼生のが可愛いもん」
「はい、はい。で、どうする? リビング行く? それともこっちに持ってきてもらう?」
「行く……」
 そうだろう、蒼生は心の中で頷く。健太は基本的に、じっとしているのが苦手なタイプだ。熱を出して寝ていたはずが、目を離した隙に外へ遊びに行ってしまって風邪を悪化させたことは一度や二度ではない。曰く、天井だけを見つめているのが嫌だったのだそうだ。さすがにこの歳になってそんなことはしないと思うが、少しでも気分を変えたい願望があるのだろう。
 蒼生に助けられながら健太が食卓に着くと、冬矢が深皿を持ってキッチンから出てくる。風邪のたびに家で出された粥が、食感もないし何の味もないし、まるで米の匂いのする重ったるいお湯のようで苦手だった健太は、げんなりと置かれた皿の中を見る。おや、と思った。きちんと粒がある。いい香りもしてくる。そのうえ、冬矢がいくつかの小皿を並べた。どうやら、今までとは様子が違うようだ。
 スプーンにすくい、恐る恐る口に運ぶ。
「! 美味い!」
 味がする。いや、それだけではない。ふんわりといい香りがスプーンを近付けるたびに強くなり、口に入れればしっかりと味がある。それまでのぐったりしたスピードが嘘のように、健太はせっせとスプーンを口に運んだ。
 向かいに座った冬矢が溜め息をつく。
「白がゆは苦手だって蒼生から聞いたからな。どうだ、これならいいだろ」
「すっげ、これなら普段でも食えるわ!」
「一応、こっちに生姜と梅干しとごま油用意したから、味を変えたかったら使え」
「わー、至れり尽くせりじゃん!」
 ソファに座っていた蒼生が、背筋を伸ばしてテーブルの上を覗き見る。
「いいなあ。美味しそう」
「多めに作ったから、俺たちも昼ご飯これにしよう」
「やった!」
 粥に夢中になっていた健太が、ふたりの会話にふと手を止めた。
「蒼生たちは? 一緒に食べないの」
「後で食べるよ。別々にしたほうが、風邪が移る確率が減るかなと思って。まあこれだけ接触していれば無駄だと思うけど」
「でも万が一があるからね。ふたりいっぺんに倒れられたら、さすがに僕も困るもん」
 笑う蒼生に、健太が深く頷き、冬矢が首を傾げる。
「蒼生は自分にはうつらないって思っているみたいだな」
 冬矢が不思議がるのも当然だ。蒼生の言い回しは、そうとしか聞こえない。もちろん、蒼生にも断言は出来ないのだが、なんとなくそんな気がしていた。
「自慢じゃないけど、僕、学校を病欠したこと一度もないんだ」
「なー。蒼生って体力全然ないけど、すっげぇ頑丈だよな」
「うん。同じことしてても、一緒に寝てても、健ちゃんが風邪引く隣で僕は平然としてたからね」
 言われてみれば、冬矢の記憶に蒼生が学校を休んだ日は数えるほどしかない。そのどれもが法事などの家の都合だったような気がする。
「逆に、健ちゃんって、体力めちゃくちゃあるのにすぐ風邪引くよね」
「なんなんだろうな?」
 ふたりは顔を見合わせて不思議そうにしている。
 なるほど、道理で蒼生がテキパキと動けるはずだ、と納得する。冬矢も風邪を引くことはまれにあるが、その時に親が何をしてくれていたかはあまり覚えていない。熱を出してぼんやりしているのだから無理もない話だ。おそらく蒼生は、健太に付き添っているうちに看病慣れしたのだろう。
 健太が冬矢に向かってにやりと笑う。
「あ。おまえ、蒼生に世話されるの羨ましいんだろー」
 冬矢はひらひらと手を振ってそれを否定した。
「どちらかといえば、俺は蒼生を看病したかったほうだな。布団の中から、熱出してる蒼生に、潤んだ瞳で見上げられたい」
「……へー。たしかに、なんか、……いいな。そうだよな、風邪引いた恋人の家にお見舞いに行くってシチュエーション憧れるわ!」
「制服で恋人の眠る姿を見るイベントはあってもよかったのになと思うよ。ただ、今後も蒼生の健康管理はきっちりやっていくつもりだから風邪なんかひかせないけどな」
「あー、おまえっぽいや」
 蒼生は、そのやりとりを微笑ましく思いながらも黙って聞いていた。冬矢の想像通り、健太が体調を崩すたびに心配になって部屋に押しかけていたからだ。それを口にしては、また健太と冬矢の火種になるかもしれない。健太には大人しくしていてほしいので、言いかけたが黙ることにしたのだった。

 昼食に満足してベッドでごろごろしていた健太だが、しばらくすると本格的に飽きてきた。頭の重さは相変わらずだが、ずいぶんすっきりしてきた気がする。
 耳を澄ませると、キッチンのほうから洗い物の音がする。蒼生が後片付けをしている音だ。冬矢はさっき買い物に出て行ったまま、まだ帰ってこない。
「あーおーいー」
 呼び掛ける。
 するとすぐに、ぱたぱた、スリッパの音。
「はい。どうしたの?」
 笑顔がひょこりと覗く。
「あー……好き」
「へ?」
「間違えた、いや、間違いじゃないんだけど、真理なんだけど、そうじゃなくて、……なあ、まだ熱あるかな」
「どれどれ」
 蒼生は健太の額、首筋、腕、と次々に触れる。が、その冷たさに思わずびくりとしてしまった。
「あ、ごめん。……うーん、だいぶ下がってきた気がするけど、まだ高そうだよ。冬矢が体温計も買ってきてくれるし、帰ってきたら計ってみよう」
「まだかあ」
「ただ、洗い物してたから僕の手も今あてにならないんだよね……。そうだ、健ちゃんが僕に触ってみて」
「え」
 がばっと健太は遠慮なく蒼生に手を伸ばした。ほぼ反射の速度だ。まずは、頬に。額に。首に。腕に。シャツの下の肌に。それから、
「ちょ……、健ちゃん! 触りすぎ!」
「えー、だって、触っていいって言うから。なんか他んとこの熱上がりそ」
「もー……」
 赤い顔で呆れたように息を吐いた蒼生は、健太の頬を両手で包み込んだ。やはり手は冷たい、だがその近さに健太はどきりと心臓を跳ねさせる。
「それで、僕に触ってどうだった?」
「なんかいつもよりひんやりした」
「じゃあ、やっぱまだ熱あるんじゃないの」
「そっか」
 呟き、健太は思いきり両腕と足を伸ばす。じっとしているばかりで、なんだか固まってしまいそうだ。せめて体を起こしていたい。
 あ、と健太が顔を上げる。
「そうだ、せめてさ、ソファでテレビ見たい」
「起きてて平気そう?」
「ん、大丈夫。かえって寝っ転がってるほうが具合悪くなりそう」
「ふふ、なるほど」
 蒼生が手を差し伸べる。その手を引いて立ち上がっても、ちょっとふらつく程度だ。だいぶ歩くのも辛くなくなってきた。
 健太がソファに座ると、蒼生はローテーブルにペットボトルとデッキのコントローラーを並べて置き、肩にタオルを掛けてさらに薄手の掛け布団を前から体にかけてくれる。
「何見るの?」
「先週やってたドラマ」
「へえ、どのジャンルのやつ?」
「んー……っと、恋愛もの」
「じゃ、僕はあっちで本読んでるから、何かあったらすぐ呼んでね」
「わかった」
 ここまで色々やってもらったから、蒼生もそろそろ休ませたい。自分が見たかったというのも正直なところではあるが、ちょうどよかったかもしれない。笑って寝室に引っ込む蒼生を見送り、健太はコントローラーを手に取った。
 周囲からはよく意外だと言われるのだが、健太はそこそこドラマを見るほうだ。大体その言葉の後には「スポーツ中継くらいしか見ないと思ってた」が付く。たしかにスポーツを見るのも嫌いではないが、休みの日になると母、姉、妹が揃って恋愛ドラマを見ていたので、なんとなくその後ろで見るようになった。そのせいか、サスペンスや職業ものも見るが、つい恋愛もののほうを選んで見てしまう。
 対して、蒼生は基本的に恋愛ドラマは見ない。むしろ苦手な部類に入るそうだ。ただ、それを理由に健太が見ない選択をすれば、きっと蒼生は気にするだろう。だから見たい時には遠慮なく見ることにしている。お互いに見たいものと見たくないものが違うのは当然なので、自然とこういう形になった。それでいいのかもな、と思っている。
 健太はぼんやりと画面を見る。内容は、よくある勘違いで話がこじれていく男女の物語だ。2組のカップルが浮気を疑ってお互いを調べていくうちに、実はその関係がクロスしていることがわかって、そこに現れた謎の女にさらに翻弄されていく……。蒼生が隣にいたら、冒頭の彼女同士のケンカシーンで脱落していただろう。諍いのシーンを見るのが苦手だから。さらにどちらの男も不誠実だったり頼りなかったりで、こちらの面からもダメそうだ。
 少し笑える。結局、健太は蒼生のことばかり考えてしまっているのだから。
「ただいま」
 ドアが開いて、冬矢が戻ってくる。
「おお、おかえり」
「起きていて大丈夫なのか」
「おとなしくしてるからな」
「そうか」
 冬矢は持っていた袋の中身を冷蔵庫にしまい込み、健太のそばに歩み寄ると、鞄の中から細長い箱を出して健太の目の前に置いた。
「体温計。だいぶ良くなってきてるみたいだけど、一応計ってみな」
「んー、ありがと」
 ごそごそと箱を開ける健太に頷いて、冬矢はくるりと後ろを向く。寝室を覗き込むと、蒼生がベッドの上でうつ伏せに伸びているのが見えた。
 部屋に一歩足を入れると、蒼生ががばっと頭をあげた。手元にあった本がぱたんと倒れる。
「……あっ、おかえりなさい」
「ただいま。頼まれたもの買ってきたよ」
「ありがとう。やっぱり常備薬とか用意しておくべきだったね。傷薬はともかく、風邪のほうは全然考えてなかったんだ。今度ちょうどいい薬箱もほしいなあ」
 慌てて起き上がり、シャツを直して蒼生は笑う。寝転がって本を読むことはほとんどない蒼生だ、おそらくうとうととしていたのだろう。隣に座って髪を撫でると、すぐにことんと頭を肩に乗せてきた。思わず頬が緩む。
「蒼生はバテてない?」
「うん、余裕です」
「でも今寝てただろ」
「えっ、や、その、ちょっと意識がふわっとしてただけで……」
「ふわっと、ね。可愛い」
 残った手で蒼生の手を取り、指を絡ませる。額にキスを落とすと、くすぐったそうに身をよじらせる。
「……健太がドラマ見てるから避難したんだろ」
 小さな声で聞く。蒼生はちょっと困ったように目を上げた。
「そういうわけじゃないんだけど、……そういうわけかなあ」
「恋愛話はドラマでも苦手なんだね」
 すると、蒼生は急に目が覚めたようにぴんと背を伸ばし、両手を冬矢の膝に置いた。
「あのね。実際に目の前で聞く話はわりとうっすら平気な感じになってきたのに、どうしてドラマはダメなんだろって考えてみたんだ」
「ふうん?」
「それでちょっと思ったのが、人が話す自分の色恋沙汰って、大体がいい瞬間か悪い瞬間の話だよね。つまり、歌で言えばサビなんだよ。だけどドラマって最初から最後までやるでしょ。ということは、僕ってサビ以外の平歌の部分が苦手なんじゃないかなあ?」
 少しわかる気がする。過程にある戸惑いや悩みがささくれのように引っかかるということなのかもしれない。
 冬矢は改めて蒼生を抱き締める。
「まあ、全部が得意な人なんていないんだから、それでいいんだよ」
「いいのかなあ」
「それに本なら平気だろ」
「うん、本なら平気」
「ふふふ」
 なかなか、蒼生の苦手は一筋縄ではいかない。だが、それが可愛いなと思う冬矢だ。
「おい」
 甘い気配を察したのだろうか、リビングから健太の声が響く。勘が働く奴だと冬矢は溜め息をつく。蒼生も迷うようにきょろきょろするので、仕方なく腕を離した。
 ふたりで寝室を出ると、健太がじとっとした目で冬矢を軽く睨む。
「ひとをほっといて、なに蒼生を堪能しようとしてんだよ」
「そりゃあおまえだって、外から帰ってきたら、まず蒼生を堪能したいだろう」
「…………たしかに」
 すんなり納得する健太に少し笑って、蒼生は健太が先程から頭上に持ってアピールしている体温計を受け取った。
「まだ平熱より高いね」
「ダメか。あー、無性に外走りてぇ……」
 健太が掛布団に突っ伏す。蒼生はその肩をぽんぽん、と叩いた。

 もういいんじゃないかと意見が一致したので、夕飯は3人で一緒に食べた。消化がいいからと冬矢が煮込みうどんを作ったが、やはり健太は満足しきれていないらしい。
「……もっと食ぃてえ」
「鶏肉入れてやったろ。美味しくなかったか?」
「美味かった! 鶏肉も歯ごたえざくってして美味かった! けど、量が足りねえ~……」
 ぐったりと椅子にもたれかかる健太に、蒼生が慌てて手を伸ばす。具合が悪いわけではもちろんないのだが、役得とばかりに健太は蒼生のほうに体重をかける。
「だ、大丈夫?」
「うん。だけど、もっとがっつりしたもん食いたい。体力戻すのに、量食うの必要だと思う。なんならもっと肉が必要なんじゃねえかな」
 ちら、と健太が冬矢を見ると、冬矢は腕を組んで息をついた。
「わかった。きちんと治して元気になったら、リクエスト聞いてやるから」
「マジで!? よし、じゃあ明日の朝までに治す!」
「そんな無茶な」
 不審げな顔をする冬矢に、健太は自信満々だ。
「蒼生をだっこして寝れば治る!」
「……は?」
 健太を支えようと踏ん張っている蒼生が、冬矢の視線に気が付いて苦く笑う。
「健ちゃん、8割くらいの確率だけど、ほんとにそれで治るんだよ」
「効くぞ! 蒼生は!」
 どんな民間療法だ、と呆れるが、たしかにこれだけ甲斐甲斐しく世話をされていたら治るかもしれない。冬矢はふっと笑って肩をすくめた。
「それじゃあ、今度風邪をひくようなことがあったら試してみるよ」
 言いながら、独占できる言質をとったなと、思う。問題は、自分の中にいる“蒼生に迷惑をかけたくない自分”に勝てるかどうかだ。

 ちなみに、蒼生を抱き締めて寝た健太は、言葉通り翌朝には完全復活していた。
 そして、夕飯には分厚いステーキを2枚ぺろりと平らげ、ふたりを呆れさせたのであった。
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38こ目;君にいちばん効くくすり
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 夜中、蒼生はふと目を覚ました。今日は部屋が真っ暗だから、眠ったのは健太が最後だったのだろう。冬矢が後なら常夜灯が点いているはずだ。そのあたりは好みだから、最後に寝る者が決めればいいと思っている。蒼生自身は常夜灯を点けておきたいほうだし、暗闇がちょっと怖いなと思ってはいるのだが、とても困るようなことも今のところはなかったので、ふたりには伝えていない。カーテンも遮光とはいえ、裾から街灯の遠い明かりがわずかに差し込んで、部屋の中がまったく見えないということでもないし。
 そんなことをぼんやり考えながら再度眠りに落ちそうになったが、なんだかうっすらと違和感がある。そうして、何故目が覚めたのかを考えて、すぐに、右半身が涼しいことに気が付いた。普段だったら驚くほど近くにいるはずの健太が、わずかに手を動かした程度では触れない位置にいるようだ。あれっと思って様子を窺うと、何やら荒い息が聞こえる。
「……健ちゃん?」
 小さく呼びかけ、ヘッドボードを探って照明のコントローラーを手に取る。反対側で眠っている冬矢を起こしても悪いので、常夜灯のボタンを押した。小さくピッと音がして、部屋の中が見渡せるようになる。
 健太は、ベッドの端で背を向けるようにして眠っている……ように見えた。丸くなった背中が、睡眠時にしては速い動きで上下している。
「健ちゃん」
 もう一度呼んで、蒼生はそっと足元からベッドを降りた。健太のそばに回り込み、膝をついて顔を覗き込む。体を丸めて口元に手を当てた健太が、薄く目を開けた。
「……ぁおい」
 かすれた声。額に手を当てると、体温計がなくともはっきりわかるほど熱い。手を伸ばし、こちらも熱くなっている背中を撫でる。健太は、はあっと手の中に大きく息を吐いた。
「ぅー……」
「ちょっと待っててね」
「……だ、いじょぶ、だから」
「うんうん」
 蒼生はさっと立ち上がると、そのまま寝室を出る。急いで洗面所に飛び込むと、洗面器とバスタオルを掴み、納戸から水のペットボトルを2本抜いて戻ってくる。気配に気付いたのか、ちょうど冬矢が体を起こしたところだった。
「ごめん、起こしちゃって」
「いや。どうした?」
「健ちゃん、熱があるみたいで」
 言いながら、バスタオルをベッドに置き、それ以外を床に置いて再び膝をつく。健太は同じ体勢で、苦しげな呼吸を繰り返していた。手を首筋に当てると、やはり熱い。
「しんどそう……。冬矢、冷感シートとかなかったよね」
「ああ、買ってない。どうしたらいい?」
「洗面器に氷水入れて、小さめのタオル持ってきてもらっていいかな」
「わかった」
 冬矢もぱっとベッドを降り、部屋を出ていった。
 小さく呻いた健太が、強く目をつむり、首を縮めるようにしてからゆっくり口を開く。
「……気持ちわりぃ……吐きそ……」
「うん、起こすからね。捕まって」
 蒼生は健太に笑いかけ、体の下に腕を差し入れる。縋りついてくる腕の力も借りて上半身を起こさせると、さっと肩にバスタオルをかけた。それから健太の両手に洗面器を持たせて自分もそれを片手で支え、残った手を背中に回す。
「……っぇ……」
 背中をさすって、そっと寄り添う。
「我慢しなくていいからね」
「ぅ……」
 そうしてひとしきり吐いた健太は、少し楽になったのか、荒い息の間でぼそりとつぶやく。
「……はー。もったいねえ、昨夜の魚のやつ、美味かったのに」
「ふふっ。それは冬矢に言ってあげて」
 そんな口が叩けるなら、ひとまずは大丈夫だろう。蒼生はヘッドボードの上のボックスからティッシュを数枚引き抜き、健太の口元を拭う。そして健太に洗面器を任せると、足元のペットボトルの蓋を開けた。
「はい、口ゆすいで」
「ん」
「洗面器にぺってしてね」
「……ん」
「ちょっとすっきりした?」
「ん」
「じゃあ、お水飲んでおいてね」
 言われるまま、健太はペットボトルを傾ける。蒼生は胸を撫でおろし、受け取った洗面器を抱えて、冬矢と入れ違うように寝室を出ていった。
 戻った冬矢は少し迷って、ヘッドボードではなく床に氷水の入った洗面器を置く。そして浸したタオルを絞って、やはり迷うように健太に差し出した。健太はおとなしく受け取り、自分でそれを額に押し当てる。
「つめてぇ。気持ちいい~……」
「変なもの食べさせたかな」
「あー、そういうんじゃねえと思うから大丈夫……。おまえなんともないだろ?」
「ああ」
 力なく笑い、健太はぱたりとベッドに横たわった。それから、冬矢が引き上げる掛布団を受け取ってくるまる。
 そこに綺麗に洗った洗面器を持った蒼生が戻ってきた。
「俺、あとは何をすればいいかな」
「冬矢は寝てて。朝になったら代わってもらうかもしれないから」
「……わかった」
 頷いてベッドに戻る冬矢の背を蒼生は目で追う。さすが、理解が早くて助かる。
 そして蒼生は洗面器を並べて置いて、健太の下敷きになったバスタオルを体を支えながら引き抜くと、掛布団の首元にかけた。
「僕、隣で起きてるからね。ちょっとでも変だなって思ったら声かけてね」
「ごめんな蒼生……」
「謝罪とか反省は、元気になってからゆっくりやりなさい。……今はちゃんと寝なよ」
 ゆったり、あやすように蒼生が健太の頭を撫でる。健太は静かに目を閉じた。

 次に健太が目を開けたのは、昼を少し回ろうかという時間だった。ベッドに寄りかかるように座って本を読んでいた蒼生がぱっと顔を上げる。
「おはよう、健ちゃん」
「おはよ……」
 冷やしている額は避け、ぼんやりしたままの健太の首筋に手を当てる。やはりまだ熱い。
「まだ熱あるね。今日は1日おとなしくしてたほうがいいよ」
「うー」
「気持ち悪いのはまだある?」
「平気……。のどがちょっと痛いのと頭がひたすら重いだけ」
「そっかそっか。じゃあ少し様子を見ようね。はい、お水」
「ありがと……」
 蒼生の温かいはずの手は、自分の体温のせいでひんやりと冷たく感じる。それが気持ちいい。起き上がらせてもらってペットボトルの水を飲むと、体の中心をすーっと水が流れていくのも心地よかった。
 そこに、開け放したままのドアから、冬矢が顔を覗かせた。
「起きたか。食事はとれそうかな」
「……おなかすいた。昨日の魚のやつ、美味かったのに、もったいないことしてごめんなぁ。またあれ食べたい」
 聞いた蒼生が口元だけで笑う。冬矢に伝えれば、と言ったのは蒼生だが、本当に素直に言うとは。冬矢も笑って肩をすくめる。
「それはどうも。今、お粥作ってるからな」
「ええ、おかゆー?」
「昨夜吐いたんだ、空っぽの胃をいきなり刺激するわけにはいかないじゃないか」
「味しないからやだ」
「…………。美味しくすればいいんだろう」
 言って、冬矢は踵を返す。蒼生は今度こそ我慢できずに噴き出した。普段ならば呆れたセリフを吐くはずの冬矢が、言葉を飲み込んだのが微笑ましかったからだ。さすがに風邪っぴき相手には遠慮するらしい。健太がずいぶん子供っぽい口調なのも可愛く思える。
「……蒼生、嬉しそうじゃん」
「うん? ふたりとも可愛いなって」
「蒼生のが可愛いもん」
「はい、はい。で、どうする? リビング行く? それともこっちに持ってきてもらう?」
「行く……」
 そうだろう、蒼生は心の中で頷く。健太は基本的に、じっとしているのが苦手なタイプだ。熱を出して寝ていたはずが、目を離した隙に外へ遊びに行ってしまって風邪を悪化させたことは一度や二度ではない。曰く、天井だけを見つめているのが嫌だったのだそうだ。さすがにこの歳になってそんなことはしないと思うが、少しでも気分を変えたい願望があるのだろう。
 蒼生に助けられながら健太が食卓に着くと、冬矢が深皿を持ってキッチンから出てくる。風邪のたびに家で出された粥が、食感もないし何の味もないし、まるで米の匂いのする重ったるいお湯のようで苦手だった健太は、げんなりと置かれた皿の中を見る。おや、と思った。きちんと粒がある。いい香りもしてくる。そのうえ、冬矢がいくつかの小皿を並べた。どうやら、今までとは様子が違うようだ。
 スプーンにすくい、恐る恐る口に運ぶ。
「! 美味い!」
 味がする。いや、それだけではない。ふんわりといい香りがスプーンを近付けるたびに強くなり、口に入れればしっかりと味がある。それまでのぐったりしたスピードが嘘のように、健太はせっせとスプーンを口に運んだ。
 向かいに座った冬矢が溜め息をつく。
「白がゆは苦手だって蒼生から聞いたからな。どうだ、これならいいだろ」
「すっげ、これなら普段でも食えるわ!」
「一応、こっちに生姜と梅干しとごま油用意したから、味を変えたかったら使え」
「わー、至れり尽くせりじゃん!」
 ソファに座っていた蒼生が、背筋を伸ばしてテーブルの上を覗き見る。
「いいなあ。美味しそう」
「多めに作ったから、俺たちも昼ご飯これにしよう」
「やった!」
 粥に夢中になっていた健太が、ふたりの会話にふと手を止めた。
「蒼生たちは? 一緒に食べないの」
「後で食べるよ。別々にしたほうが、風邪が移る確率が減るかなと思って。まあこれだけ接触していれば無駄だと思うけど」
「でも万が一があるからね。ふたりいっぺんに倒れられたら、さすがに僕も困るもん」
 笑う蒼生に、健太が深く頷き、冬矢が首を傾げる。
「蒼生は自分にはうつらないって思っているみたいだな」
 冬矢が不思議がるのも当然だ。蒼生の言い回しは、そうとしか聞こえない。もちろん、蒼生にも断言は出来ないのだが、なんとなくそんな気がしていた。
「自慢じゃないけど、僕、学校を病欠したこと一度もないんだ」
「なー。蒼生って体力全然ないけど、すっげぇ頑丈だよな」
「うん。同じことしてても、一緒に寝てても、健ちゃんが風邪引く隣で僕は平然としてたからね」
 言われてみれば、冬矢の記憶に蒼生が学校を休んだ日は数えるほどしかない。そのどれもが法事などの家の都合だったような気がする。
「逆に、健ちゃんって、体力めちゃくちゃあるのにすぐ風邪引くよね」
「なんなんだろうな?」
 ふたりは顔を見合わせて不思議そうにしている。
 なるほど、道理で蒼生がテキパキと動けるはずだ、と納得する。冬矢も風邪を引くことはまれにあるが、その時に親が何をしてくれていたかはあまり覚えていない。熱を出してぼんやりしているのだから無理もない話だ。おそらく蒼生は、健太に付き添っているうちに看病慣れしたのだろう。
 健太が冬矢に向かってにやりと笑う。
「あ。おまえ、蒼生に世話されるの羨ましいんだろー」
 冬矢はひらひらと手を振ってそれを否定した。
「どちらかといえば、俺は蒼生を看病したかったほうだな。布団の中から、熱出してる蒼生に、潤んだ瞳で見上げられたい」
「……へー。たしかに、なんか、……いいな。そうだよな、風邪引いた恋人の家にお見舞いに行くってシチュエーション憧れるわ!」
「制服で恋人の眠る姿を見るイベントはあってもよかったのになと思うよ。ただ、今後も蒼生の健康管理はきっちりやっていくつもりだから風邪なんかひかせないけどな」
「あー、おまえっぽいや」
 蒼生は、そのやりとりを微笑ましく思いながらも黙って聞いていた。冬矢の想像通り、健太が体調を崩すたびに心配になって部屋に押しかけていたからだ。それを口にしては、また健太と冬矢の火種になるかもしれない。健太には大人しくしていてほしいので、言いかけたが黙ることにしたのだった。

 昼食に満足してベッドでごろごろしていた健太だが、しばらくすると本格的に飽きてきた。頭の重さは相変わらずだが、ずいぶんすっきりしてきた気がする。
 耳を澄ませると、キッチンのほうから洗い物の音がする。蒼生が後片付けをしている音だ。冬矢はさっき買い物に出て行ったまま、まだ帰ってこない。
「あーおーいー」
 呼び掛ける。
 するとすぐに、ぱたぱた、スリッパの音。
「はい。どうしたの?」
 笑顔がひょこりと覗く。
「あー……好き」
「へ?」
「間違えた、いや、間違いじゃないんだけど、真理なんだけど、そうじゃなくて、……なあ、まだ熱あるかな」
「どれどれ」
 蒼生は健太の額、首筋、腕、と次々に触れる。が、その冷たさに思わずびくりとしてしまった。
「あ、ごめん。……うーん、だいぶ下がってきた気がするけど、まだ高そうだよ。冬矢が体温計も買ってきてくれるし、帰ってきたら計ってみよう」
「まだかあ」
「ただ、洗い物してたから僕の手も今あてにならないんだよね……。そうだ、健ちゃんが僕に触ってみて」
「え」
 がばっと健太は遠慮なく蒼生に手を伸ばした。ほぼ反射の速度だ。まずは、頬に。額に。首に。腕に。シャツの下の肌に。それから、
「ちょ……、健ちゃん! 触りすぎ!」
「えー、だって、触っていいって言うから。なんか他んとこの熱上がりそ」
「もー……」
 赤い顔で呆れたように息を吐いた蒼生は、健太の頬を両手で包み込んだ。やはり手は冷たい、だがその近さに健太はどきりと心臓を跳ねさせる。
「それで、僕に触ってどうだった?」
「なんかいつもよりひんやりした」
「じゃあ、やっぱまだ熱あるんじゃないの」
「そっか」
 呟き、健太は思いきり両腕と足を伸ばす。じっとしているばかりで、なんだか固まってしまいそうだ。せめて体を起こしていたい。
 あ、と健太が顔を上げる。
「そうだ、せめてさ、ソファでテレビ見たい」
「起きてて平気そう?」
「ん、大丈夫。かえって寝っ転がってるほうが具合悪くなりそう」
「ふふ、なるほど」
 蒼生が手を差し伸べる。その手を引いて立ち上がっても、ちょっとふらつく程度だ。だいぶ歩くのも辛くなくなってきた。
 健太がソファに座ると、蒼生はローテーブルにペットボトルとデッキのコントローラーを並べて置き、肩にタオルを掛けてさらに薄手の掛け布団を前から体にかけてくれる。
「何見るの?」
「先週やってたドラマ」
「へえ、どのジャンルのやつ?」
「んー……っと、恋愛もの」
「じゃ、僕はあっちで本読んでるから、何かあったらすぐ呼んでね」
「わかった」
 ここまで色々やってもらったから、蒼生もそろそろ休ませたい。自分が見たかったというのも正直なところではあるが、ちょうどよかったかもしれない。笑って寝室に引っ込む蒼生を見送り、健太はコントローラーを手に取った。
 周囲からはよく意外だと言われるのだが、健太はそこそこドラマを見るほうだ。大体その言葉の後には「スポーツ中継くらいしか見ないと思ってた」が付く。たしかにスポーツを見るのも嫌いではないが、休みの日になると母、姉、妹が揃って恋愛ドラマを見ていたので、なんとなくその後ろで見るようになった。そのせいか、サスペンスや職業ものも見るが、つい恋愛もののほうを選んで見てしまう。
 対して、蒼生は基本的に恋愛ドラマは見ない。むしろ苦手な部類に入るそうだ。ただ、それを理由に健太が見ない選択をすれば、きっと蒼生は気にするだろう。だから見たい時には遠慮なく見ることにしている。お互いに見たいものと見たくないものが違うのは当然なので、自然とこういう形になった。それでいいのかもな、と思っている。
 健太はぼんやりと画面を見る。内容は、よくある勘違いで話がこじれていく男女の物語だ。2組のカップルが浮気を疑ってお互いを調べていくうちに、実はその関係がクロスしていることがわかって、そこに現れた謎の女にさらに翻弄されていく……。蒼生が隣にいたら、冒頭の彼女同士のケンカシーンで脱落していただろう。諍いのシーンを見るのが苦手だから。さらにどちらの男も不誠実だったり頼りなかったりで、こちらの面からもダメそうだ。
 少し笑える。結局、健太は蒼生のことばかり考えてしまっているのだから。
「ただいま」
 ドアが開いて、冬矢が戻ってくる。
「おお、おかえり」
「起きていて大丈夫なのか」
「おとなしくしてるからな」
「そうか」
 冬矢は持っていた袋の中身を冷蔵庫にしまい込み、健太のそばに歩み寄ると、鞄の中から細長い箱を出して健太の目の前に置いた。
「体温計。だいぶ良くなってきてるみたいだけど、一応計ってみな」
「んー、ありがと」
 ごそごそと箱を開ける健太に頷いて、冬矢はくるりと後ろを向く。寝室を覗き込むと、蒼生がベッドの上でうつ伏せに伸びているのが見えた。
 部屋に一歩足を入れると、蒼生ががばっと頭をあげた。手元にあった本がぱたんと倒れる。
「……あっ、おかえりなさい」
「ただいま。頼まれたもの買ってきたよ」
「ありがとう。やっぱり常備薬とか用意しておくべきだったね。傷薬はともかく、風邪のほうは全然考えてなかったんだ。今度ちょうどいい薬箱もほしいなあ」
 慌てて起き上がり、シャツを直して蒼生は笑う。寝転がって本を読むことはほとんどない蒼生だ、おそらくうとうととしていたのだろう。隣に座って髪を撫でると、すぐにことんと頭を肩に乗せてきた。思わず頬が緩む。
「蒼生はバテてない?」
「うん、余裕です」
「でも今寝てただろ」
「えっ、や、その、ちょっと意識がふわっとしてただけで……」
「ふわっと、ね。可愛い」
 残った手で蒼生の手を取り、指を絡ませる。額にキスを落とすと、くすぐったそうに身をよじらせる。
「……健太がドラマ見てるから避難したんだろ」
 小さな声で聞く。蒼生はちょっと困ったように目を上げた。
「そういうわけじゃないんだけど、……そういうわけかなあ」
「恋愛話はドラマでも苦手なんだね」
 すると、蒼生は急に目が覚めたようにぴんと背を伸ばし、両手を冬矢の膝に置いた。
「あのね。実際に目の前で聞く話はわりとうっすら平気な感じになってきたのに、どうしてドラマはダメなんだろって考えてみたんだ」
「ふうん?」
「それでちょっと思ったのが、人が話す自分の色恋沙汰って、大体がいい瞬間か悪い瞬間の話だよね。つまり、歌で言えばサビなんだよ。だけどドラマって最初から最後までやるでしょ。ということは、僕ってサビ以外の平歌の部分が苦手なんじゃないかなあ?」
 少しわかる気がする。過程にある戸惑いや悩みがささくれのように引っかかるということなのかもしれない。
 冬矢は改めて蒼生を抱き締める。
「まあ、全部が得意な人なんていないんだから、それでいいんだよ」
「いいのかなあ」
「それに本なら平気だろ」
「うん、本なら平気」
「ふふふ」
 なかなか、蒼生の苦手は一筋縄ではいかない。だが、それが可愛いなと思う冬矢だ。
「おい」
 甘い気配を察したのだろうか、リビングから健太の声が響く。勘が働く奴だと冬矢は溜め息をつく。蒼生も迷うようにきょろきょろするので、仕方なく腕を離した。
 ふたりで寝室を出ると、健太がじとっとした目で冬矢を軽く睨む。
「ひとをほっといて、なに蒼生を堪能しようとしてんだよ」
「そりゃあおまえだって、外から帰ってきたら、まず蒼生を堪能したいだろう」
「…………たしかに」
 すんなり納得する健太に少し笑って、蒼生は健太が先程から頭上に持ってアピールしている体温計を受け取った。
「まだ平熱より高いね」
「ダメか。あー、無性に外走りてぇ……」
 健太が掛布団に突っ伏す。蒼生はその肩をぽんぽん、と叩いた。

 もういいんじゃないかと意見が一致したので、夕飯は3人で一緒に食べた。消化がいいからと冬矢が煮込みうどんを作ったが、やはり健太は満足しきれていないらしい。
「……もっと食ぃてえ」
「鶏肉入れてやったろ。美味しくなかったか?」
「美味かった! 鶏肉も歯ごたえざくってして美味かった! けど、量が足りねえ~……」
 ぐったりと椅子にもたれかかる健太に、蒼生が慌てて手を伸ばす。具合が悪いわけではもちろんないのだが、役得とばかりに健太は蒼生のほうに体重をかける。
「だ、大丈夫?」
「うん。だけど、もっとがっつりしたもん食いたい。体力戻すのに、量食うの必要だと思う。なんならもっと肉が必要なんじゃねえかな」
 ちら、と健太が冬矢を見ると、冬矢は腕を組んで息をついた。
「わかった。きちんと治して元気になったら、リクエスト聞いてやるから」
「マジで!? よし、じゃあ明日の朝までに治す!」
「そんな無茶な」
 不審げな顔をする冬矢に、健太は自信満々だ。
「蒼生をだっこして寝れば治る!」
「……は?」
 健太を支えようと踏ん張っている蒼生が、冬矢の視線に気が付いて苦く笑う。
「健ちゃん、8割くらいの確率だけど、ほんとにそれで治るんだよ」
「効くぞ! 蒼生は!」
 どんな民間療法だ、と呆れるが、たしかにこれだけ甲斐甲斐しく世話をされていたら治るかもしれない。冬矢はふっと笑って肩をすくめた。
「それじゃあ、今度風邪をひくようなことがあったら試してみるよ」
 言いながら、独占できる言質をとったなと、思う。問題は、自分の中にいる“蒼生に迷惑をかけたくない自分”に勝てるかどうかだ。

 ちなみに、蒼生を抱き締めて寝た健太は、言葉通り翌朝には完全復活していた。
 そして、夕飯には分厚いステーキを2枚ぺろりと平らげ、ふたりを呆れさせたのであった。
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