投稿日:2024年02月16日 22:26 文字数:22,917
39こ目;“可愛い”の定義
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忙しい毎日の中で、ふと「可愛い」がわからなくなってしまう蒼生。
考えれば考えるほど深みにはまってしまう。
「可愛い」とはなんなのだろう。
↑初掲載時キャプション↑
2022/02/18初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
考えれば考えるほど深みにはまってしまう。
「可愛い」とはなんなのだろう。
↑初掲載時キャプション↑
2022/02/18初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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ああ、少し遅くなっちゃったな。僕は隣の建物にある学食に急ぐ。お昼の時間にかかっちゃってるから、近付けば近付くほど人が多い……。座れないってことはないだろうけど、席を探すのがちょっと大変そうな混雑だ。先に入ってもらっててよかった。
楽しそうにわいわい話すグループの脇を抜けて、机と椅子がずらりと並んだ学食の中を覗き込む。そこはさらに賑やかで、話し声のものすごい音圧で弾かれそうになるのをなんとか踏みとどまる。まるで駅に近いショッピングセンターのフードコートみたいだと思ったけど、そこより集まってる年代がぎゅっと狭いから、なんだか特殊な雰囲気だ。見渡す限り、同年代の私服の男女だもんなあ。どうも慣れないや。
「あ、来た来た、野木沢ー」
入り口からそう遠くないところから、声が聞こえた。この騒々しい中で、聞こえるほどの声で呼ばれるのは結構恥ずかしい……。僕は手を振る姿を見つけると、足早に近付いた。
「ごめんね、遅れちゃって」
6人掛けの席には、久我島くんと女子2人が座っている。えーっと、なんだっけ、名前……。思い出そうと頭を回転させてると、久我島くんがぴしっとカウンターのほうを指さす。
「オレたちもちょっと前に来て、昼飯買ったとこ。とりあえずおまえもなんか買ってこいよ」
「うん、ありがとう」
「いってらっしゃーい」
見れば、まだ湯気の立つ料理が3人の前には置かれている。わ、急がなくちゃ。手を振る女子2人に手を振り返して、人でごった返す注文カウンターに向かった。
なんだっけ。名前、名前。プレゼミで一緒になった人たちで、レポート発表の同じ班になった時に自己紹介してくれたはずだ。班でどの箇所を担当するかはちゃんと覚えてるんだけどなあ。
少し迷って、結局週替わりパスタを注文して席に戻る。3人の食事はだいぶ進んでいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
にっこり笑ってくれた斜向かいの女子。物腰の柔らかい子。なんだっけ。
向かいに座ってる子は、サラダをつつきながら久我島くんと話をしてる。
「そういうとこなんだよ久我島はぁ」
「えーっ、だってさあ」
なんか穏やかな話ではなさそうな感じ。できればギスギスするのはやめてほしいなあ、これからレポートの打ち合わせするんだから。……あー……うー…………口、挟んでおくか。
「どうしたの、食事時に険悪な雰囲気出しちゃって」
「おおよ、紺野がどこだか屋で爪弄ってきたっていうんだけど」
「なんか言い方が下品なんだよねえ。ネ・イ・ル・サ・ロ・ン!」
あ、そうそう。紺野さんだ。
紺野さんは、ずいっと僕の目の前に両手を揃えて出してきた。
「野木沢くんはどう思う?」
ええ……。僕がちゃんとした評価出来るとでも思っているんだろうか……。そういうの疎いから話題振るの勘弁してほしいんだけど。
仕方なく彼女の指先を見る。……うわ。すご。え、全部の指で違うんだ。小さなパールみたいな白い玉が並んで爪の上下を分けてて、下が真っ赤で上がマーブル模様になってるの、どうなってるんだろう。こっちは全部マーブルの上に同じく白い石で花が作られてる。
「すごいね、綺麗だ。こんな複雑な模様も表現できるんだね。あ、だから今日、パールのピアス着けてるんだ」
がたん、紺野さんが立ち上がる。えっと、失礼なこと言っちゃったかな……。
「ほらー! 野木沢くんはちゃんとわかってくれてるじゃん!」
あ、間違ってなかった? はあ……。
「おまえすごいな」
「ね、野木沢くん、これ、可愛いよね!」
「…………。うん」
「こいつ、魔女みたいだなとかぬかしたんだよ!」
「他に形容しようがなかったんだから仕方ねえじゃん」
うーん。なるほど。これはこのまま話題が続けば続くほど泥沼になるやつだな。感性の問題はすぐに解決しないから。話題変えたほうがよさそう。
わいわいしてるのをほっといて、僕はお皿と向き合う。今週の日替わりはチーズクリームのパスタだそうだ。
「……あ、このチーズソース美味しい。先週の週替わりなんだったっけ。学食ごとにメニューって違ったりするのかな」
ぼそっと呟いて、ふたくちめのパスタを口に放り込む。久我島くんと紺野さんのやりとりはそれでもまだ続いてる、でも敢えて気にしない。すると斜向かいの彼女がにこっと笑った。
「私も最近知ったんだけど、校内に点在する学食、入ってる企業全部違うんだって」
「え、じゃあメニュー自体全然違ったりするんだ」
「学生人気の鉄板はそれぞれ押さえてあるから、大きく違いはないみたい。だけど得意不得意はあるみたいで、密かにランキングが作られてるって噂だよ。ほら、いかにもカフェっぽいとこもあるでしょ」
「へえ。だから普段の授業で見ない人たちがたくさんいるのか」
「わざわざ遠くの学部から来てる人たちもいるから」
そうかあ。学校が大きいとそういうこともあるんだね。
すると紺野さんがそろそろと椅子に座り、隣の彼女の顔を覗き込んだ。
「それ、マジ? 全然知らなかったんだけど」
「だって。暇な時、一緒に巡ってみよー」
久我島くんもなにやら真剣な顔をしている。
「じゃあ、オレがハズレだと思ってるカツ丼も……」
「総合管理棟の丼ものはハズレがないって噂」
「うわー絶対行こ」
やれやれ。これで話し合いは無事出来そうだね。
それにしても、そうなんだ、違うんだ。じゃあ、いろんなレストランがあるのと同じじゃん。えー、僕も健ちゃんたち誘って食べ歩きしてみよう。
そうなんだよ……やっぱり本格的に授業が始まると、お互い忙しくなってきた。わかってたし覚悟はしてたけど、すれ違うことが多くって、一緒にご飯さえ食べられないこともある。……うーん。お昼にちょっとご飯一緒に食べるくらいなら出来ないかなあ。
意識はそっちに行きつつ、なんとなくおしゃべりしながらお昼を食べて、残った時間でレポートの分担を決めていく。この授業はレポートや論文の書き方、文献の調べ方なんかを学ぶための練習のようなものだ。だからどこに入ってもいいんだけど、今回僕は、狙う本命のゼミを受け持ってる教授のプレゼミに入れた。これで、実際ゼミに所属する時に人数制限がかかっても優先的に枠が確保される。さらに、何回かあるレポートで結果を出せば、確実に入れるんだ。僕なんかが目をかけてもらうには、1回1回が大事だもんね。
まあ……僕が前のめりなせいか、温度差があるのは仕方ない。とりあえず初回に関しては、時間がかかる下調べは僕がやって、あとはレジュメ作る時と発表の時に割り振りかな。どの程度の発表が要求されるのか、スケジュール的に先に発表が回ってくる他のグループの様子も見たいし。そんな感じに方向性がまとまった。おしゃべりの久我島くんがほぼ口を挟んでこなかったのが逆に面白かったけど。
「あっ、そろそろ次の授業始まっちゃう」
紺野さんが立ち上がる。そういえば、周りからもどんどん人がいなくなっていってるようだ。
「結構ぎりぎりだね。片付けはやっておくから早く教室に向かったほうがいいよ」
「でも」
「遅れてきたから、お詫び代わりにね」
「あー、今度奢ってもらおうと思ったのに、うまく逃げられたぁ」
「あはは。それはよかった」
「じゃあねー」
「また授業で」
女子2人は手を振って荷物を抱えると、腕時計を見ながら慌てて食堂を出ていった。僕はこの次が空き時間だから、時間には余裕がある。それに、早くひとりになって一息つきたかったし。全員で片付けなんてやってたらまた時間がかかっちゃう。
……って。久我島くんは行かないのか。
「久我島くん、授業は?」
「あー、ちょっと自主休講」
「ふうん?」
僕は自分のトレイに使い終わった食器を集めて重ねていく。ついでに久我島くんのも一緒に片付けるか。手間は一緒だから。
「野木沢って爽やかな顔して、アピールあからさまなのな」
「え?」
「積極的に片付けかわるなんてさ。うん、わかるわかる、ゼミん中でもあの2人特に可愛いもんなあ」
……ざわざわする。だめなやつだ。だけど、これが一般的な反応なんだ。そういうものだ。わかってる。
「そんなつもりないよ、ほら、返却口混んでるじゃないか。まとめたほうが効率的だっただけ」
「誤魔化すなって。可愛くないぞ!」
「……僕が可愛かったらおかしいでしょう」
「あはは、たしかに気持ち悪いな。で、どっちが好み? オレは田無さんかな~」
「うーん……」
…………。
そうだ、田無さんだ。思い出した。そうそう。班が同じだし、忘れないようにしなくちゃ。
僕は全員分の食器をまとめたトレイを持つ。
「それじゃあ、僕も行くね。自主休講ってことは帰るの?」
「おー。サークル寄って帰るわ」
「うん。お疲れ様」
「あ、調べるやつ、大変そうだったら呼んで? 手伝うから」
「うん、ありがとう」
決して悪い人ではないんだよなあ……。
食器を返して、図書館に向かうことにする。その前に、通りかかったトイレに飛び込んで、まっすぐ手洗い場に向かって、蛇口をひねる。水はあんまり冷たくない。だけど両手首をずっと冷やしていると、体が冷えて少し落ち着いてきた。授業が始まる時間だから誰もいないのも助かる。この、胸の中がぐちゃぐちゃしてる状態で人に会ったら、反射的に逃げてしまいそうだ。完全に不審者だよ。
鏡の中の僕と目が合う。
……そうだよね。ああいう、きらきらした人のことを可愛いっていうんだ。今、僕の目に映る範囲に、可愛いものなんてなにもなかった。
図書館で調べ物をして、最後1コマの授業を受けて、ってしても気持ちが戻ってこない。こうなると、僕は自分がなんで落ち込んでいるのかもわかんなくなる。たぶんそんな落ち込む必要はないくらい些細だったはずなのに。やだやだ、なんで僕ってこんなに面倒な奴なんだろう。こういう時は早く帰るに限る。駅ビルに寄るつもりだったけど、急がなくてもいいから今度にする。とにかく早く帰りたい。
早足で駅からの道を辿る。もう少し。もうちょっと。
階段を駆け上って、鍵を開けて、靴を脱ぎ棄てて、靴下のまま廊下を抜けて、リビングのドアを開ける。
……健ちゃん。
「あれっ。おかえり! 早かったな」
テーブルで本を読んでた健ちゃんがぱっと立ち上がる。あ、泣きそう。ぱたんと本が倒れるのも気にしてないみたいに、いそいそと僕のほうに来てくれる。僕は鞄を床に落とした。健ちゃん、健ちゃん。
「ただいま……」
「おかえりー。予定より早く顔が見られて嬉しい!」
言って、僕のことをぎゅっと抱き締める。うー……。
「ほんとにさ、おんなじ場所にいるってわかってるんだけど、大学内で会えないの寂しいよなあ」
「僕も寂しい……。でも会いたい会いたいってずっと思ってて我慢しきれなくなってからやっと会えるのもすき……」
「くっ……蒼生ってばロマンチックなことを言う……! もー、好き!!」
健ちゃんの腕が、きつくて痛い。でも、今はそれが心地よかった。
こんな僕じゃダメなのに。わかってるのに。
突然、健ちゃんが僕の頭をぽんぽんと叩いた。……僕は目を上げる。にこにこの優しい目。
「なんかあった?」
う。
バレてる。
「……もっと強くなんなきゃなあって、いうのが」
「そっかあ。蒼生はがんばりやだもんなあ。だけど急に走り出しちゃうとケガするからな。ペース保つのって大事だと思うんだ。ゆっくり、ゆっくりな」
「……うん……」
「って、冬矢なら言いそうだよな」
「ふふ、うん……」
ぎゅーってしてもらって、明るい笑顔を見てると、……元気出てきた。なんか全然大したことないやって気になる。大丈夫だ。うん。
「ありがと、健ちゃん。もう大丈夫」
「オレ何もしてねえよ?」
「ううん。大好きな健ちゃんがいてくれれば、それだけで頑張れるんだなってわかったから」
「! 蒼生~」
健ちゃんはそのまま僕を持ち上げて、……えっ? わ、わ。ちょっ……。声を上げられずにいるうちに、健ちゃんがソファに座る。向かい合った僕が健ちゃんの足の上に座ってる格好になった。
「び、びっくりした。重くないの?」
「重くねえな」
ずっとにこにこしてる。なんか、胸がきゅうっとして、嬉しくなって、頬が熱くなる。……健ちゃん。
僕の泳ぐ視線に、健ちゃんは頬を撫でてくれて、それから、キスをくれた。最初は軽く。次は、深いやつ。あやすみたいな舌が歯の裏をくすぐって、たまらず僕は健ちゃんの首に抱き着いた。きもちいい。うう。すき。
腕を離して見た顔が、やっぱり嬉しそうで。ほっとする。
「ごめんね、本読んでたのに」
「だって蒼生のほうが大事だもん」
「そうなの?」
「そうなの!」
僕は、そっか、と息を吐いた。でも、なんか、言わせたみたいだなってちらっと思ってしまって、それがちくりとくる。
「……何の本?」
「ああ、この前やってたドラマの原作漫画。学部の奴らと面白かったよなって話してたら、原作持ってるのがいて、漫画だとだいぶ展開違うよって言って貸してくれた」
へえ。
「短編集なんだけど、そのうちの2本をうまく組み合わせたドラマだったみたいだな。別物って感じで漫画も面白かった。他に収録されてる話も読みごたえあったぜ」
「それは僕にも読めそうなやつ?」
自分には関係ない別世界の物語にでも触れれば、気が紛れるかもしれない。そう思って軽く聞いてみただけだった。でも、健ちゃんは、間をおいてさらに「んんん」と唸った。
なに?
「蒼生にはちょっと早いかもしれない」
……は?
健ちゃんは顔を赤くして、ふいっと顔をそらす。
「あのな、ちょっと……だいぶエロいシーンがあるから……」
「そんな小学生みたいな理由で?」
「だ、だって、蒼生がエロい本読むとか、ちょ、ちょっと違和感がすげえ! 想像できない! 蒼生とエロが繋がらない!」
「ええ……」
つい今しがた深いキスした相手に言うセリフ? さんざん身体中、どころか中までぐちゃぐちゃにしておいて、想像できないってどういうことなんだ。
「健ちゃんの基準がわからない……」
「可愛い天使の幼馴染みがエロコンテンツに触れるなんてちょっとショック受けそうだから、読むならオレがいない時にしてほしい……」
「うーん、よくわかんないけど、わかった」
幼馴染みとえっちなもの、ね。なるほど、戸惑うものなのか。僕は何となくそういうものって年頃の子なんてみんな持ってるものなんだろうなと思ってた。だから中学生の頃、健ちゃんがベッドの下にえっちな雑誌何冊も隠してたのを普通に知ってたけど、ふうんと思っただけで何も言わなかったんだよね。もしかしてこれ、僕が知ってたなんてバレたらまた騒ぎになるんじゃないかなあ。よし、今後も黙っておこう。
……健ちゃんにとって、やっぱり僕は「可愛い幼馴染み」なんだなあ。もちろん、それは根底の話で、ちゃんと恋人だって思ってくれてるって知ってる。
だけど、その「可愛い」がなくなったら、健ちゃんは僕のこと「好き」じゃなくなるんだろうか。
健ちゃんの許可は得たと判断したので、ふたりがいない時に、僕はその漫画を手に取った。ドラマ自体を見てないとはいえ、原作になるだけあってすごく面白い。ただの恋愛もののオムニバスなのかなと思ってたけど、登場人物が男女関わらずみんな秘密を隠してて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って、全体で見た時にあれまさかこれって……って疑問を残す描き方になってる。続きも出てるみたいだ。どうなるんだろう、すごく気になる。
それで、健ちゃんが憂慮してたシーンについては、……うーん。たしかに多めだなあと思うし、けっこうしっかりめに描かれてるけど、目を覆うほどじゃないよな。そもそも性描写も色恋沙汰も、紙の上でならなんとも思わない。健ちゃんが僕に持ってるイメージってなんなんだろう。少し綺麗すぎるんじゃないかな。それが現実の僕と食い違うのに気が付いたら? ……怖い。だけど何年も付き合って一緒に暮らしてて今更、っていう気もするし。
だめだ、考えててもわかんない。
僕は読み終わったページを、もう一度ぱらぱらとめくる。ちょうど指が止まったのが、そういうシーンだった。可愛い女の子。「やだ、恥ずかしいからやめて、だめ」「隠しても無駄だよ」「いやっ……」ていうとこ。本当に嫌がってない表情で描かれてる。そういえば、僕ってこういうとこないよね。恥ずかしがるとか、言葉だけ嫌がるとか、そっか、可愛いよね。嫌よ嫌よも好きのうち、ってやつか。なるほど、僕にはこういう要素、足りてないな。
難しい。可愛い、ってなんだろう。
チャイムが鳴るのとほぼ同時、ぴったり授業が終わった。この教授、タイマーでもついてるのかなってくらい時間に正確なんだよね。僕は最後の一言までをルーズリーフに書き留めて、はあっと息をつく。
今日の授業はこれでおしまい。明日は完全にオフ。夕飯は僕の番。よし。
左に座ってた根津くんが片付けかけた束を覗き込んできた。
「わ、細かいね。こんなに書くところあったっけ……」
「ううん、大丈夫。最後の余談が個人的に面白くて興味があったからメモしただけだよ」
「そっか、重要なところ聞き逃したかと思った」
言って安心したように笑う。不安にさせちゃったのかな、申し訳ない。根津くん真面目だから。ただ、ほんとにこれは僕の趣味。あの教授の話が面白いから、後で調べてみようって思って、つい余計なことまで書いちゃう。今度研究室に顔出してみようかな。もっといろいろ聞いてみたい。
「なあ、この後、暇?」
右から久我島くんがずいっと近付いてきた。うーん。まだ夕飯の買い物してないけど、ちょっとくらいなら大丈夫かな。とりあえず携帯をチェックして……あっ。メッセージが入ってる。冬矢からだ!
『次の授業が休講になったから一緒に帰らない?』
…………! 嬉しい!
「ごめん、予定入ってる。また今度誘って」
「えっ……」
「なーんだ、残念。んじゃ、今度な」
「うん、ごめんね」
僕はすぐさま教室を飛び出して、今から行くねって返事をする。なんだかんだ人と一緒だったりタイミングが合わなかったりで一緒に帰れる日ってなかなかないんだよね。管理棟のとこにいるって言ってた、早く行かなくちゃ。
正門に近い管理棟の周りは、授業が終わった時間のせいか、人がたくさんいる。帰っていく人たちや、これから来る人の流れ。その向こうに掲示板があって、ほとんどの人が通り過ぎる、その前に立ってる姿が見える。そこだけ明るいからすぐわかる。
引っ張られるみたいに、足が進む。すると、ぱっと冬矢が振り向いた。涼しげな表情がふわりと温かくなって、細めた目の下で唇が動く。「あおい」って。……っ。
飛び込んでいきたい。それを我慢するのが大変だった。
「おまたせ」
声が聞こえる距離までなんとか通常の歩幅で歩いて、それだけ伝える。冬矢はふっと微笑んだ。
「いきなり呼んでごめんね。急遽決まったらしくて。せっかく蒼生と同じ時間に帰れるチャンスがあるなら逃したくなかったんだ」
「ううん。嬉しい」
弾みそうな声を抑える。さっきから、背中越しにちらちらと視線を感じてる。そうでしょう、こんなにかっこいい人だから、思わず見ちゃうよね。その気持ちはよくわかるよ。でも、その目は今、僕しか見てないんだ。
あー。穏やかな笑顔の形の唇。今すぐ抱きついてキスしたい。ダメだけど。
「あれ、そこ……」
「え?」
冬矢が僕の肩を見て首を傾げる。なんだろ、つられて見るけど別にどうもなってない。ゴミでもついてるかな。
「ここじゃあれだな、ちょっと来て」
なに? 軽い感じで冬矢が手招きして、僕はそれについていく。掲示板の奥、誰もいない細い通路に進んで行く冬矢。へえ、こんな通路があったんだ。先には裏口みたいなドアがあって、位置的にこれって中庭に出るのかな? 中庭なら向こうの大きな扉から出ないとこっちに道はなかったはずだけ、ど。
……え。
途中で急に振り返った冬矢が、触れるだけのキ……っ。
え? あまりにも一瞬で、え? 冬矢はふふっと笑う。
「キスしたそうだったから」
…………!
「とっ、冬矢といると心臓もたない……」
「そうだね。俺も蒼生に同じこと思ってるよ」
う、うわー。うわー。な、なんか、液体になりそう。よくわかんないけどそんな気がする……!
そ、そこからは特に何もなく、いやあったら大変だし冬矢は絶対に外でそれ以上のことしないってはっきり宣言してるしそれはちょっと残念に思ってるんだけどそれはそれとして、普通に大学を出て、普通に電車に乗った。たぶん、自然に。電車に乗ってる時間は少しだから、冷静な顔で、ただ隣に立ててたと思う。だけど、内心、もう、ほんの少しだけ触れるこの腕に縋りつきたいっていうのでいっぱいになってた。触れてほしい。撫でてほしい。溢れそうになる。
「蒼生」
っ。囁く声。電車内だもんね、そうだよね、周りの迷惑になるから静かにしなくちゃだもんね。
「なっ、なに……」
「買い物行くだろ。一緒に行こう。あとそれから駅ビルに寄るんだったよね」
「え……うん」
あ、この前の。別に急いでないからいいやって思って、結局行ってないんだった。
「蒼生が行った様子ないからって健太が気にしてたよ」
へ? 胸がぎゅっとなる。そんな、些細なこと覚えて、気にしてくれてたの? ……ぼ、僕……本当にふたりに好かれてる、の、かな。そうはっきり自惚れててもいいのかな……。
「何を見に行くの?」
はっ。で、電車内、電車内。ちゃんとしてなくちゃ。深呼吸して整える。
「あの、傘……。折り畳みのがね、壊れちゃったんだ」
「ずいぶん長いこと使ってたあの傘か」
「うん。もともと、あれお下がりだったし骨曲がってたしで使いづらかったんだけど、とうとうこの前の酷い雨で再起不能になっちゃった。ここまで使い込んだら新しいの買ってもいいんじゃないかなって思って」
「それだけ使ってもらえれば、傘も喜んでいるだろうね。蒼生は物持ちがいいから、長く使えるいいものを買ったほうがよさそうだ」
いい傘、かあ。そういえば長い傘もしばらく買い換えてないな。
僕たちは最寄り駅に着いて改札を出ると、すぐそこに見えるエスカレーターに乗った。この駅ビル、いろんなお店が入ってるから便利なんだよね。そんなに大きな建物じゃないんだけど、雑貨とかちょっとおしゃれな日用品とか洋服とかあんまり縁がなさそうな店から、文房具やCD屋にレストラン街まで、一通りここだけで用事が済んじゃう。僕たちがずっと住んでた街は、一応地方都市でも大きいほうで、もっと大規模なビルがたくさんあったけど、このくらいこぢんまりしてるほうが身の丈に合ってる気がする。
雨具が揃っている売り場には、長い傘や日傘に折り畳み傘、子供用の傘なんかが目移りしちゃうくらいたくさん並んでいた。これはマズい、悩んじゃうやつだ。とりあえず目当てのとこだけ見るようにしなきゃ。ええと、出来るだけシンプルで使いやすそうなのはどれかな。
しゃがみ込んでいくつか手に取って比べてみてると、向こうからわあっと楽しそうな声がした。ふと見ると、子供傘の棚の前でお母さんと、幼稚園入る前くらいかな、小さな男の子が楽しそうに傘を選んでいる。
「これ! おそとみえるののかさ!」
「こっちのカエルさんも可愛いよ」
「かわいいの、や! かっこいいがいいんだもん」
「そっか。じゃあこのネコさんは? かっこいいよ」
「や! くじらさんにする!」
「それが気に入ったの。うん、くじらさんにしようね」
可愛いなあ。あんなに小さいのに、こだわりがあるんだね。ああ、思い出す。健ちゃんもあんな感じだったなあ。ある時突然、かっこいいのがいい、って言い出して。ななママが困ってたっけ。男の子なんてそんなもんよ、ってうちのお母さんに慰められてたな。僕はそもそもシンプルなやつのほうが好きだったし、上2人からのお下がりも多かったから、健ちゃんのこだわりを不思議に思いながら見てたっけ。
冬矢も、そのやりとりを穏やかな顔で見てる。
「最近はああいう可愛い傘がたくさんあるんだな」
そうだね。パステルの色合いだったり、同じ生地で大きな耳が付いてたり、取っ手のところの先っぽに顔が付いてたり。僕たちが小さい頃にああいうのってあったっけ。可愛い傘。うん、あの子も、あの傘も、可愛い。ああいうのが「可愛い」だよね。
「あれだけ大きな耳が立ってると、風の抵抗とか受けないのかな」
「それは影響ありそうだな」
そんなちょっと夢のない話をしながら、僕は手元に目を落とす。無難な無地の黒い傘。やっぱり僕が持つならこういうの。それについては抵抗も疑問もなくて、これがベストだと思ってる。「可愛い」ものは似合わないし、そもそも持ちたいと思ってるわけでもない。
「蒼生」
はっとして顔を上げる。冬矢はその手に1本の黒い折り畳み傘を持っていた。
「それもよさそうだけど、こっち、持ってみて」
「うん。……え、軽っ!」
手渡されたそれは、反対の手で持っている傘と比べるとものすごく軽い。びっくりするくらい軽い。袋からも出しやすいし、開くのも簡単でかちりと素直に止まる。たたむ時も骨が折り曲がるからやりやすい。
「使いやすそうだし、軽くて細身で持ち歩くにはいいと思う。蒼生は雰囲気が優しいから、こういうシックな雰囲気の傘をさすと、凜とした綺麗さが引き立ってすごく合うと思うよ」
柄はやっぱり無地で、これだって無難っていえば無難だ。なのに、冬矢の言葉ひとつですごく違って見える。というか、今、傘じゃなくて僕を褒めてた……?
「他にも見てみようか」
「ううん、これにする……」
冬矢が僕に合うって言ってくれた傘だから。
……冬矢は、僕が「可愛い」じゃなくなっても、それでも、こんなふうに言ってくれるのかな。僕を嫌いになったりしないかな。
立ち上がって冬矢と向き合う。
「あの、さ。冬矢。もし、僕が」
…………あ。無理だ。僕は言葉を飲み込む。ダメだった時が怖すぎる。そんなの好きじゃないよって言われたら。
「? 蒼生?」
「ごめん、なんでもない」
「気になるな」
「うーん……。もうちょっと整理してからしゃべる……」
「……わかった。整理できたら言ってね?」
怖い。そういえば、可愛いって初めて言われたのは、付き合ったばかりの頃だ。あれから何年経ってる? 大人に近付いた僕は、まだ、ふたりにそう思ってもらえるんだろうか。
どうしようかな。昨日は魚だったから、今日は肉かな。うん、そうだ、野菜と一緒に炒めよう。
「えっと、キャベツ……」
「もう入ってるよ」
カートを押してる冬矢がにこにこと答える。早い。僕が悩んでいる間に、いろんな野菜がカゴの中に入ってる。僕なんかはまだ初心者だから、メニューを決めてそこから食材を集めてくんだけど、冬矢はその時冷蔵庫にあるものでアレンジしてさらっと美味しいごはんを作る。かっこいいよなあ。僕もそういう境地に至りたい。
……という真面目な決意をしながら、僕はめちゃくちゃドキドキしてた。カートを押してついてくる冬矢、っていうこのシチュエーションが、なんか、すごく、なんていうのかな、うーん。「慣れない」? 買い物に付き合って後ろから付いてくのは子供の頃からやってたから、それと同じはずなのに。一緒に食材を選んで、一緒に帰って、一緒にごはん食べるんだって思うと、うわああああってなる。僕がケースから取ったパックを受け取ってカゴに入れるの見てると、一緒に暮らしてるんだって……実感が……! 実感も何も、ちゃんと一緒に暮らしてるのに、ふとした瞬間に、こんなふうにうわあってなっちゃうんだよなあ……。
「それにしても、健太みたいなタイプって野菜嫌いが多いような勝手なイメージ持っていたけど。食べられないものがないって、選択肢が広がっていいよな」
カゴの中を眺めながら、冬矢が言う。あっ、うん、そうだねえ。
「最初から食いしん坊で何でも食べてたよ、健ちゃんは。幼稚園の頃に野菜嫌いの子がいて、なんでだかそれがかっこよく見えたらしくって、一時期ファッション好き嫌いしてたけど」
「ファッション?」
「そう。ピーマン食べないにんじん食べない何でも拒否するオレ! って。一種の反抗期だったんじゃないかなー」
「簡単に想像つくな。けどちゃんと直ったんだ」
「うん。実はねえ、野菜嫌いだったのは僕のほうなんだ」
今でも辛いのとか苦いのは苦手なんだけど、あの頃はまったく食べられないほどだった。それこそ最初はピーマンだったように思う。苦い、ダメだ、と思ったら他の野菜も食べられなくなっちゃって。
「なるほどな。それでふたり同時に克服できたわけか」
冬矢が頷く。え、ちょっと待って?
「……僕まだ何も言ってないんだけど」
「察してるけど、一応聞く」
「えっと。家で残すと怒られるじゃない? 僕と健ちゃんのお皿には、どっちも最後にピーマンが残るんだよね。このままだとふたりとも怒られるけど、健ちゃんが食べたくないんだから僕が頑張らなくちゃって思って、必死でふたりぶんのピーマンを吐きそうになりながら食べてたんだ。そしたら、健ちゃんが、僕が食べさせてくれたらきっと美味しいから食べられるって言い出して」
「まあ、あいつは元から食べられるんだからな」
「その時はファッションだって知らなかったからね。言われて健ちゃんに食べさせてみたら、美味しい美味しいって食べちゃってさあ。それならオレが食べさせたら蒼生も美味しいんじゃない? って言うから、なるほどそうなんだーって思って」
「それで?」
「……美味しかったんだよ」
はー、と冬矢は深く息を吐いた。
いや、あの、暗示ってすごいなってお話ですよ。それ以来きっかり食べられるようになったんだからさ。
「蒼生」
「はっ、はい」
「そろそろ健太も授業終わる頃だから、荷物持ちに呼び出してやろう。それから、買い物終わったらそこのコーヒーショップ寄ろうね」
「? はい。……?」
それってどういう流れ?
食材の買い物が終わると、宣言通り冬矢は僕を連れてチェーンのコーヒーショップに寄った。で、生クリームの乗った冷たくて甘いのをひとつだけ注文する。夕飯前なのにいいのかなあ。それから冬矢は人目につきにくい席の奥に僕を押し込むと、ぐいっと体を寄せて、そのカップと僕と一緒に写真を撮った。
「……何してるの?」
「健太に送る」
ええ? 何て?
冬矢は僕にカップを渡して、携帯を弄る。本当に健ちゃんに写真送ってるのかな。……ところで、これ、渡されたんだから飲んでいいんだよね。コーヒーの類いはまったく飲めないわけじゃなくて、めちゃくちゃ甘ければ飲めるんだ。ストローを差して一口飲む。するとまずキャラメルの味がする。ふむ、甘い。クランチがさくさくで美味しい。
「……よし、と。それ、どう?」
「美味しい~」
「じゃあ俺も」
手じゃなくて顔を寄せてくる。冬矢のほうにカップを傾けると、ストローをぱくりと咥えた。……わ。それだけのことできゅんとしちゃう。
「うん、美味しいね」
「ね」
えへへ。わけっこだ。嬉しい。
飲み終わる頃に、健ちゃんから短文のメッセージが入る。「駅」「着いた」って連続して。慌てて打った文って感じ。
店の外に出てちょっとすると、健ちゃんが人の流れを気にしながらダッシュでこっちに来るのが見える。とたんに胸元がさみしくなる。嫌な意味じゃない。ここに、熱がほしい。ぎゅって。して。欲しい。
目が合った健ちゃんは、にこっと笑って、走ってきた勢いで、僕にがばっと抱きついた。あ、と思う間もなく離れちゃったけど。たぶん周りからは気が付かれなかったか、バレてもふざけてぶつかったくらいに見えたと思う。
僕の両肩を掴んだまま、健ちゃんはじとっと冬矢を睨む。
「おまえさぁ……。オレ呼び出す時、いちいち煽るのなんなの」
「羨ましかっただろ?」
「めちゃくちゃ羨ましかったわ!」
……あれ。これって。もしかしてなんだけど、唐突にわかったような気がする。冬矢、僕と健ちゃんの昔の話聞いて、やきもちやいたんじゃないの? だから健ちゃんにも羨ましがらせたくてわざと仲良くしてる写真送ったんじゃ。
うわぁ。
健ちゃんは冬矢にぶつぶつ文句を言いながら、すっと僕の手から買い物袋を取った。そのままふたりして歩いていく後ろ姿を見ると、胸の中がぎゅうってして、叫びたくなる。人がほとんどいない道に入る頃には、それが体を突き破って溢れそうになった。
「あの」
涼しい顔の冬矢と、険しい顔の健ちゃんは、呼び掛けると、振り向いた時にはすごく優しい表情をしてる。
「うん?」
「どうした?」
ああ、好きだなぁ……。
「あ、の……その……きょ、今日……抱いてほしい……です……」
僕の言葉に、ふたりは別々の、でもどっちも嬉しそうな顔で頷いた。
健ちゃんに後ろから抱き締められて、頬や首筋に繰り返し貰うキスは、くすぐったくてきもちよくてふわふわする。冬矢は、真正面の近い距離から、髪を撫でて僕の目を覗き込んでくる。
全部が見えちゃうから、電気つけっぱなしって恥ずかしいかもって思ってた頃もあるんだけど、今は明るいほうが好き。だって、僕もふたりの顔をちゃんと見たいもん。
「蒼生……可愛い……」
吐息混じりに健ちゃんが呟く。
あ。
そうだ。意識しなくちゃ。可愛く、可愛く。
なにを、どうしたら? ここのところずっと考えててもわかんなかったんだから、もう、僕が「可愛い」と思ったものの真似をするしかない。ええと。たとえば、そう。言葉だけ嫌がる、だ。
健ちゃんの指が、するりと乳首に下りてくる。軽く弾かれて、っ、それからやわやわと先端を撫でられる。うー。気持ちいい。
「やっ、……やだぁ」
「そっか、嫌か」
……え?
健ちゃんはそのまま手を滑らせ、腰骨の辺りをゆっくり触る。それも、気持ちいいけど。
「蒼生、ここ、いい?」
上半身を落とした冬矢が、僕のちんちんに触る。あ、な、舐めてくれる、のかな。
「恥ずかしい、だめ……」
「うん」
冬矢は体を起こして、頬にキスをくれる。
あれ?
「じゃあ、蒼生、オレの、してくれる?」
さっきから腰で感じてる、健ちゃんの熱。背中でもわかるくらい、びくびくしてる。
「無理、そんな、できない……」
「わかった」
なんで?
あれ?
どうして?
「なんで?」
頭で思ってる言葉が勝手に口から出てきた。
「なんでやめちゃうの?」
冬矢が首を傾げる。健ちゃんが不思議そうな顔で後ろから覗き込んでくる。
「なんでって、そりゃ。蒼生が嫌だって言うことは出来ないし、したくないよ」
「い、いつもしてるから、ダメじゃないってわかるのに?」
「いつも大丈夫でも、なんかあって今日はダメってこともあるだろ?」
違うのか。こういうの、求められてないんだ。
そうか……そうだよね……。ふたりは優しいから。ちゃんと話を聞いてくれるひとたちだから。考えてみれば当然だった……。
「蒼生?」
心配そうな声で、健ちゃんが僕の横に来る。肩を抱いてくれる手が優しい。
「あの……こういう態度、可愛いと思ったんだけど、違う……かな……?」
「どういうこと?」
僕の膝をそっと撫でながら、冬矢は微笑むような眼差しを僕にくれる。
「……あのね」
いったん口を開くと、そこから先は、止められなかった。
「ふたりが僕を可愛いって言ってくれることの意味がわからなくなった……。それが好意の意味だっていうのは最初から知ってたし、ふたりがそう思ってくれるなら、ふたりにとってはそうなんだろうって思ってたんだ。だけど、“可愛い”って見渡す限りそこら中にたくさんあって。どれもこれも僕とはまったく違うんだ。鏡を見たって、内面を省みてみたって、どう考えても僕は“可愛い”じゃないんだ。ふたりは“好き”って意味で“可愛い”って言ってくれてる。だから、“可愛い”じゃなくなれば“好き”じゃなくなるのかなって急に怖くなった。こんなの……僕のどこが“可愛い”の?」
言っちゃった。
こんなめんどくさいと思われること、言いたくなかったのに。
あー。
ふたりの顔を見るのが怖くて、途中から僕は顔を伏せていた。はっきり面倒って言われたら、……どうしようかな。どうしよう。
沈黙が、怖い。
「……今のもめちゃくちゃ可愛いけどなあ?」
「え?」
心底不思議そうな健ちゃんの声がして、僕は思わず顔を上げた。そこには、声通りの顔をした健ちゃん。どういう意味かわかんなくて意図を探ってると、急に「あっ」と言って手を叩いた。
「さっきのやつ、あれだ! オレが借りてきた漫画の真似だ!」
……うわ、バレて……っ。
事情を知らない冬矢が健ちゃんを見る。
「漫画?」
「そう、ドラマの原作のやつ。友達が貸してくれて、蒼生も読みたそうにしてたあれ、そっか、読んだんだ。あー、はいはい。恥ずかしがり屋で素直になれないで本心隠そうとしてたのにドSの彼氏にどんどん暴かれていっちゃう、あの子の真似してたのか!」
「なるほど、道理で棒読みだったわけだ」
えええ……。冬矢、さっきの、「棒読みだな」って思いながら聞いてたの?
「……バレてたの恥ずかしい……」
「あ、これはホントに恥ずかしいって思ってるやつ!」
追い討ちを食らって、僕はそのままベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。健ちゃん、正解なんだけど、……はっきり言わないで……。
ああ……ほんとに恥ずかしい。
肩の下に手が差し込まれて、僕の体はころんと上向きにされる。そんなことをさらっとするのは健ちゃんだ。健ちゃんは僕の両頬を両手で包み込む。あったかい。それから目を覗き込んできて、にぃっと笑う。
「蒼生はえっちなこと好きだろ」
「好き」
「へへ。そうはっきり即答できちゃう蒼生のことが好きなんだからさ、それでいいんじゃねえの? 好きなとことか気持ちいいとことかちゃんと言えるの、すごく可愛いと思ってるよ」
「……そうかなぁ」
なんかがっつきすぎというか……はしたないんじゃないかなあ。
冬矢が横から髪を撫でてくれる。髪の間を滑る指がきもちいい。
「まあ、俺は恥ずかしがる蒼生も可愛いと思うけどね。無理とか嫌って、これから先、いろんなことをしているうちに口に出てしまうこともあるだろうし。それでも文脈や態度でちゃんと判断するから、もし言っちゃっても大丈夫だから気にしないで。……さっきは全然そんなこと思ってもいないくせにわざと嫌だって言うから、意地悪しただけだよ」
「やっぱり、バレバレだったんだ……」
「えっ。オレ本気かと思った」
「さすが健太」
「おっ、バカにしてる?」
「いや、素直さを褒めたんだよ。おまえはそれでいいんだ。だからこそ蒼生が素直になれるんだと思うよ」
健ちゃんにそう言うと、冬矢は僕の手に指を絡ませて、改めてまっすぐに僕を見た。
「だけどね。蒼生が言葉だけで嫌がる、それが癖になって、本当に嫌なことを見逃したら困るから……。やっぱりそのままの蒼生でいてほしいな」
……あっ。
僕は、すごく、大事なことを忘れてたことに気が付いた。
約束だったのに。
冬矢の手をぎゅっと掴んで、健ちゃんの手に僕の手を重ねる。
「ごめんなさい。最初にえっちした時、約束したよね。嘘つかないって。全部言うって。……約束破ってごめんなさい……」
ふっと空気が優しくなる。それから、ふたりして、触れるだけのキスを、額に、肩に、くれる。
耳元で、冬矢が。
「そこまで不安にさせちゃった俺の責任だよ。ごめんね。ここのところ少し忙しかったから、甘やかし足りなかった。反省してる。……今日は、蒼生のどこが可愛いか、思った時に全部伝えながらシようね」
え。
健ちゃんは楽しそうに笑った。
「なるほど、そういうことか。よし、全部言うからな。それじゃあ仕切り直しってことで」
僕が反応するより早く、健ちゃんは僕の口に舌を突っ込んできた。激しく僕の舌を絡めとって、それから、思いっきり吸う。い、息が。
「んっ……んんーっ、ぅ……」
「っ、は、キスですぐとろんとしちゃうとこ、可愛い」
冬矢が胸元に舌を這わせて、ちゅ、と音をさせながら短く乳首を弾く。
「……ぁっ」
「くすぐったいって言うけど、乳首弄られるの好きなの隠せてないの可愛いね」
健ちゃんも胸に降りてきて、
「しゃぶりついて舌で転がされるのが一番好きなとこも可愛い」
「んっ……」
……こ、こういうことか! 待って、これ、どう対応したらいいかわかんない。顔っていうか、頭に血がのぼってくらくらしてくる。
「蒼生のここ、もうぴくぴくしてる。可愛い」
「あ、はぁ……!」
冬矢は今度は何も聞かず、ちんちんを咥えてきた。あっ、あ、ぬるって絡み付いてくる、熱い舌が、ぐりぐりって裏の先端に近いとこ、を、
「あ、気持ち、い、あっ、んぅ……っ」
「……ぁわい……」
「しゃべ、っちゃ……あ、やぁ……」
強くつついてきたかと思うと、優しく辿られて、それから吸い上げられて、くるくる先端を舐められて、あー……。
その間も、健ちゃんは、乳首をころころしたり、やんわり噛んだり、赤ちゃんみたいにちゅうって吸ったり、して、きて。
……きもちい。
もっと。
もっとほしい。
健ちゃんの手が、にゅるりと僕の後ろに触れる。
「っあ」
「……ここ、ひくひくしてる。可愛い」
あ、ぐちゅって、入ってくる。あー。
「ま、前と後ろ、ん……っあ、いっぺん、は、や、うー……あ、あっ」
きもちい。
「さっき、“待て”食らっちゃったから。これ以上我慢できねえよ?」
顔を上げた健ちゃんが耳元で囁く。
そっか……。
じゃあ、もうすぐ、くれるんだぁ……。
「……う、れしぃ……いっぱいに、して……」
「はっ……。これで自分が可愛いことわかんねえっていうんだから、無自覚って怖ぇ」
「へ……?」
健ちゃんが言った言葉の意味を考えようとする前に、ふたりの口と指が、僕から、離れる。ぞくぞくっとして、思考がぽんっと飛んだ。
え。なんで。もっと。
「欲しがる顔も可愛い」
健ちゃんが覆い被さるみたいにキスをくれる。舌で唇をくすぐられて、……もっと。口の中まで来てほしい。
急に、腰が持ち上げられる。あ、冬矢だ、って思った時には、挿入って……っ、
「あ……あぁっ、あー……っ!」
ずぶずぶと、僕の、中、あ、拡がる。
足りなかったものが、元の場所に収まった、ような。
「こんなにきゅうきゅうさせて……可愛いね」
冬矢が腰の後ろをさする。ぞわっとする。
「ふふ。そんなに俺が挿入るの、気持ちいいんだ」
「うん……っ、あ、きもちい……ぃ」
「声震えてるの可愛い……」
丁寧に、中をなでてくれる。
ふわふわする。
羽毛布団で全身を包まれてるみたい。
頬に大きな手がかかる。
「蒼生。こっち、嫌?」
あ、健ちゃん気にしてる。ごめんね。
「……や、じゃない、……ちょう、だい」
揺らされながら、手を伸ばす。腰が持ち上げられてる、から、ちょっとくるしい、けど、上半身を捻って、健ちゃんのちんちんにキスをする。こっちも、熱い。手に余る質量を、口いっぱいに。あ、もう、濡れてて、ぐちゅって音がする。
「んっ……んー、っは、んっ……ぷ、は、ん……っ」
はいりきらない。
どっちも。
あー。
冬矢がきもちいとこを少しずつ角度を変えてこすってくれて。
健ちゃんを舌で、上顎で、口いっぱい感じて。
自分と違う鼓動が、僕を支配してく。
「……おいしいの?」
耳を優しくなぞりながら、あ、きもちい、そんなことを、っ、聞く。たぶん、僕は頷いた。なんか、上も下も、両方で感じたくていっぱいいっぱいで、よくわかんない。健ちゃんが笑ったから、たぶん、頷いたんだと思う。
「そっか。口いっぱい頬張るの、可愛い」
「……んんっ!」
冬矢が、とん、って、ここにいるよ、って僕の中から呼ぶ。
知ってる。
左手を伸ばす。
冬矢がそれを握ってくれる。
「……必死な指も可愛いね……」
処理しきれない……。
僕のちんちんに誰か触れた。この感じは、あ、健ちゃんだ。
だめ。
「んうー、ん、んっ、ぁめ、らめ、も、」
今、触ったら、だめ。
だけど、そうだよね、わかっちゃうよね、文脈、だっけ。
この、だめは、だめじゃない。
「ひっひゃう……う、う」
伝わんない気もした、だけど、口も離したくなくて。
「……んーっ! っあ!」
だけど、咄嗟にその瞬間、口を離した。危なかった、噛んじゃうとこだった。でも、
「……っ!」
数秒遅れて、健ちゃんが僕の口の中に、熱いのを出した。
それを待ってたわけじゃないはずだけど、冬矢がぐりっと僕の中を抉る。
「んっ!」
……あ。飲み込んじゃった。ぜんぶ。うー。
「ふふ。それは美味しくないよね。……可愛い……っ」
「あ……んっ、はぁ、あ、んーっ、ん……」
僕の言葉を奪うみたいに、冬矢が動く。それが、少しずつ、早くなってって。
びくっ、と、震えた。
それは僕の中でも。
はーっと息を吐いたのは、冬矢だったのか、僕だったのか。
冬矢は僕の中からずるりと出ていくと、僕の肩に手を伸ばす。それからその手にぐっと力を入れると、僕ごと後ろに倒れ込んだ。冬矢に覆い被さる形になって、重くないかなって心配になったけど、冬矢は嬉しそうに僕を両手で抱き締める。
「やっぱり蒼生は可愛いよ」
うー。なんだかキャパシティがいっぱいになってきたぞ。
「あ、ふたりともそのまま」
「え?」
健ちゃんが、僕の背中にのしかかってくる。
熱い、え?
「健ちゃん、復活早くない……?」
「冬矢に喘がされるの見てたらたまんなくなった」
そ、そうなんだ……。
「ふ。俺に抱かれる蒼生は可愛いだろ」
「……むぐぐ。可愛いよ! めちゃくちゃ可愛いよ! だけどもっと可愛いの見せてやるからな!」
「見せてもらおうか」
まったく、変なとこで張り合うんだよね。
僕は、顔だけを健ちゃんに向ける。
「健ちゃん、ちゅ」
「!」
はっとしたように、健ちゃんは僕に短いキスをくれた。
「……はやく、きて……」
「ここでもう可愛いもんな……っ」
「あ、あぁっ……」
ぬるぬるってして。すぐ。ぐーって。あ。あっ。
「はっ……あ、き、もち……」
冬矢が穏やかな目で笑って、僕の頭を撫でてくれる。
胸がぎゅってなる。
僕の中をたくさん広げた健ちゃんが、ゆるりと腰を動かした。
ぐりって、
「っ! ……いま、の、そこ、すき……」
「ここ?」
「んっ、そこぉ……」
ちんちんの、先っぽと、境目のとこで、きもちいとこ、こりこりするの……あ、脳みそがぐちゃぐちゃになりそ……っ。
そこを、健ちゃんは、勢いよくこすってくる。
さっきとは違う、突き上げられてるような、きもちよさ。
「あっ、あ、は、あ、あー……っ」
撫でていた頭の手にぐいっと力を入れ、僕の唇を、冬矢が塞ぐ。
「……ふ、んぅ……う、」
舌が入ってくる。優しく、僕の舌の裏側をなぞる。
健ちゃんが、僕の腰を下に押しつけるように、ぐぐっと入り込んでくる。
あ、また、違うとこが、気持ちいい。
わ。
「こぇ……んっ、あ、んんっ!」
「俺にこすりつけちゃって。えっちで可愛いね」
「ひが……ぅ、ぇんひゃん、あ」
冬矢は僕の舌を離してくれない。違う、健ちゃんが、って言ったんだ、角度変えたから、それで、ぼくのちんちんが、ちょうど、冬矢のと擦れる位置に……。
あー。
でも、きもちぃ……。
「……えっひ、で、いい……?」
「いいよ。えっちな蒼生大好き」
そっか。
じゃあ、いいやぁ……。
「オレもえっちな蒼生好きぃ……」
耳に近付いて、健ちゃんが囁く。
なんかもうぐちゃぐちゃ。
浮かされて、揺らされて、かき混ぜられて。
ぼーっとする頭で、初めての夜のことを思い出していた。
あの時も、たしかこんな感じだった。
健ちゃんと冬矢の間に挟まれて。
好きだよって、可愛いって、たくさん言われて。
あいしてくれてるって、実感したあの日のことを。
……動きたくない。
いやシャワー浴びなくちゃとてもじゃないけど寝られない、だけどまだちょっと無理。
うつ伏せで枕を抱き締めてぼんやりしている僕の背中に、健ちゃんが寒くないようにとタオルを掛けてくれた。優しい。
「おわかりいただけただろうか……」
なんか聞いたことのある言い回し。
「なにが?」
聞くと、反対側の冬矢がぽんっと頭に手を乗せてきた。
「だから、蒼生のどこが可愛いか……だっけ」
「うーん……。わかんなかった。だって、しょっちゅう言うんだもん。口開くたび全部言うから、一体どれのことなのか」
「なんだ、わかってんじゃん」
「へ?」
僕はちょっと頭を上げる。あっ、腰痛っ。
「だからさあ、全部だよ。髪の先から爪の先まで、ひとつひとつのパーツも一挙手一投足も言葉も声も吐く息も、とにかく全部なんだってば」
なんだそれ。
体を起こそうと腕を突っ張ると、冬矢が助けてくれて、冬矢に寄っかかる体勢になった。健ちゃんもあぐらをかいて僕の正面に座る。
「蒼生は、蒼生自身に“可愛い”を探してるみたいだけどさ。オレが口にするそれは、蒼生を見たオレの中から出てくる可愛いなんだよ。オレは蒼生が何しても、蒼生のことを“可愛い”って感じるんだ。だからさ、自分から可愛いがなくなったらなんて、全然いらない心配ってこと。オレが生きてる限り、蒼生の可愛いは無限に生まれてくるんだからさ」
「…………」
僕はぽかんと健ちゃんを見る。後ろの冬矢にも念のため確認すると、冬矢は優しく頷いた。
「……思ってたよりスケールが大きい話だった」
素直な感想を口にする。僕の主観は関係なくて、健ちゃんと冬矢の主観の問題なの? そんなのいつか変わってしまうものだ、人間の価値観はそういうものだ、って頭では理解してるんだけど、不思議と健ちゃんが言い切ると「そうなのか」って納得しちゃう。
そっか。
健ちゃんは、冬矢は、ずーっとそう思ってくれるんだ。
でも、ダメだ。
「そ、それはわかった。だけど、それで、ああよかった……って僕がサボってちゃいけないと思うんだ」
「ふーん?」
「ふたりの愛情に甘えてるばかりじゃなくて、僕だってちゃんとふたりに返したいと思ってるんだよ」
優しいから、そのままでいいって言ってくれるけど。
それじゃ僕自身が納得できないから。
「甘えられてばっかな気はしてねえし、逆に蒼生にはもらってばっかだと思ってんだけど、……蒼生としてはもっと何かしたいって思ってるってことか」
「うん……。でもどうしたらいいのかわかんなくて。た、たとえばなんだけど、今も、僕だけ気持ちよくしてもらってるのがもどかしくて。噂によると、なっ、中で気持ちよくなってもらうテクニックもあるらしいんだけどっ……」
や、やり方? そのへんがよくわかんないんだ。
だけど僕だってふたりに気持ちよくなってもらいたいし。
健ちゃんと冬矢は目を見合わせる。
「うーん。オレは、そんなに気にしなくてもいいと思うけどなあ。蒼生が気持ちいいって反応してくれると、あーオレが蒼生のこと気持ちよくしてるんだーって精神的にものすごく満足する。なあ、冬矢?」
「ああ。そっちの満足感を得ることのほうが嬉しいからな」
「それにさ、蒼生は自分だけって言うけど、オレ、ちゃんと気持ちいいよ。蒼生が気持ちいいって言う瞬間あるじゃん? あの時オレもめちゃくちゃ気持ちいいんだよな、言い当てられてんじゃねえかってくらい同時にさ。だから、蒼生には遠慮なく気持ちよくなっててほしいわけですよ」
「……そうなの?」
頷いて、健ちゃんは腕を組む。
「たぶん、蒼生は最中に余裕がないから、オレたちが気持ちいいの気付いてだけなんじゃない?」
「あー……」
「あ、でも、余裕ないほど感じさせたいと思ってるからそれはそれで成功なんだぜ? 気持ちよさそうにしてナカで吸い付いて離してくれない蒼生、最高に色っぽいし」
たしかに、余裕はない感じは自分でもわかってる。だって気持ちよくて、もう、ほんと真っ白になっちゃって……。
冬矢が僕の両手をそっと自分の両手で包み込んでくる。
「健太の言うとおり、蒼生が思っているより俺たちは満足してる。けど、蒼生が気にするなら、そうだな、数をこなすしかないんじゃないか?」
健ちゃんがぴくっと肩を揺らす。
「数?」
「俺もナカのテクニック云々はよくわからない。世間的には、例えばそれ用の道具を使って訓練するとかって聞いたことはあるんだけど。……ただ、蒼生が気持ちよくしたいって思ってくれているのは俺たちなんだから、俺たちとシながら覚えていけばいいんじゃないのかな。それこそ、ちょっと余裕がある時に俺たちの反応窺うとかね」
「……たしかに、そうだね」
他の人のことを考える必要はまったくないんだから。そうか。健ちゃんと冬矢が気持ちいいと思ってくれたことを覚えていればいいんだ。
ぼそりと健ちゃんが、
「それって結局もっと……いや何でもねえや。願ったり叶ったりか」
珍しく言いかけてやめた。
気になるから聞いてみようとした時、冬矢が後ろからぎゅっと僕を抱き締めた。
「いっぱい話して、いっぱい触れ合って、いっぱい確かめ合おう。ずーっとそうやって一緒にいようね」
一緒……。
健ちゃんはずいっと膝立ちで近付いて、
「いてくれる?」
と笑顔で聞いてきた。
「うん」
僕が頷くと、ふたりとも嬉しそうだった。
なんだか腑に落ちた。
僕にまだ足りないのは「余裕」なんだな。
だから急に不安になったりするのか。
頑張らなくちゃいけないこと、たくさんあるなあ。
ふたりの優しさに甘えてばかりじゃダメだけど、それを足がかりに頑張れることは、ちゃんと頑張っていかなくちゃ。
で、でも。
そうかあ。
可愛い、は、健ちゃんと冬矢から生まれてくるんだあ。
心配しなくてもいいんだ。
なくならないんだ。
少し、ほっとした。
楽しそうにわいわい話すグループの脇を抜けて、机と椅子がずらりと並んだ学食の中を覗き込む。そこはさらに賑やかで、話し声のものすごい音圧で弾かれそうになるのをなんとか踏みとどまる。まるで駅に近いショッピングセンターのフードコートみたいだと思ったけど、そこより集まってる年代がぎゅっと狭いから、なんだか特殊な雰囲気だ。見渡す限り、同年代の私服の男女だもんなあ。どうも慣れないや。
「あ、来た来た、野木沢ー」
入り口からそう遠くないところから、声が聞こえた。この騒々しい中で、聞こえるほどの声で呼ばれるのは結構恥ずかしい……。僕は手を振る姿を見つけると、足早に近付いた。
「ごめんね、遅れちゃって」
6人掛けの席には、久我島くんと女子2人が座っている。えーっと、なんだっけ、名前……。思い出そうと頭を回転させてると、久我島くんがぴしっとカウンターのほうを指さす。
「オレたちもちょっと前に来て、昼飯買ったとこ。とりあえずおまえもなんか買ってこいよ」
「うん、ありがとう」
「いってらっしゃーい」
見れば、まだ湯気の立つ料理が3人の前には置かれている。わ、急がなくちゃ。手を振る女子2人に手を振り返して、人でごった返す注文カウンターに向かった。
なんだっけ。名前、名前。プレゼミで一緒になった人たちで、レポート発表の同じ班になった時に自己紹介してくれたはずだ。班でどの箇所を担当するかはちゃんと覚えてるんだけどなあ。
少し迷って、結局週替わりパスタを注文して席に戻る。3人の食事はだいぶ進んでいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
にっこり笑ってくれた斜向かいの女子。物腰の柔らかい子。なんだっけ。
向かいに座ってる子は、サラダをつつきながら久我島くんと話をしてる。
「そういうとこなんだよ久我島はぁ」
「えーっ、だってさあ」
なんか穏やかな話ではなさそうな感じ。できればギスギスするのはやめてほしいなあ、これからレポートの打ち合わせするんだから。……あー……うー…………口、挟んでおくか。
「どうしたの、食事時に険悪な雰囲気出しちゃって」
「おおよ、紺野がどこだか屋で爪弄ってきたっていうんだけど」
「なんか言い方が下品なんだよねえ。ネ・イ・ル・サ・ロ・ン!」
あ、そうそう。紺野さんだ。
紺野さんは、ずいっと僕の目の前に両手を揃えて出してきた。
「野木沢くんはどう思う?」
ええ……。僕がちゃんとした評価出来るとでも思っているんだろうか……。そういうの疎いから話題振るの勘弁してほしいんだけど。
仕方なく彼女の指先を見る。……うわ。すご。え、全部の指で違うんだ。小さなパールみたいな白い玉が並んで爪の上下を分けてて、下が真っ赤で上がマーブル模様になってるの、どうなってるんだろう。こっちは全部マーブルの上に同じく白い石で花が作られてる。
「すごいね、綺麗だ。こんな複雑な模様も表現できるんだね。あ、だから今日、パールのピアス着けてるんだ」
がたん、紺野さんが立ち上がる。えっと、失礼なこと言っちゃったかな……。
「ほらー! 野木沢くんはちゃんとわかってくれてるじゃん!」
あ、間違ってなかった? はあ……。
「おまえすごいな」
「ね、野木沢くん、これ、可愛いよね!」
「…………。うん」
「こいつ、魔女みたいだなとかぬかしたんだよ!」
「他に形容しようがなかったんだから仕方ねえじゃん」
うーん。なるほど。これはこのまま話題が続けば続くほど泥沼になるやつだな。感性の問題はすぐに解決しないから。話題変えたほうがよさそう。
わいわいしてるのをほっといて、僕はお皿と向き合う。今週の日替わりはチーズクリームのパスタだそうだ。
「……あ、このチーズソース美味しい。先週の週替わりなんだったっけ。学食ごとにメニューって違ったりするのかな」
ぼそっと呟いて、ふたくちめのパスタを口に放り込む。久我島くんと紺野さんのやりとりはそれでもまだ続いてる、でも敢えて気にしない。すると斜向かいの彼女がにこっと笑った。
「私も最近知ったんだけど、校内に点在する学食、入ってる企業全部違うんだって」
「え、じゃあメニュー自体全然違ったりするんだ」
「学生人気の鉄板はそれぞれ押さえてあるから、大きく違いはないみたい。だけど得意不得意はあるみたいで、密かにランキングが作られてるって噂だよ。ほら、いかにもカフェっぽいとこもあるでしょ」
「へえ。だから普段の授業で見ない人たちがたくさんいるのか」
「わざわざ遠くの学部から来てる人たちもいるから」
そうかあ。学校が大きいとそういうこともあるんだね。
すると紺野さんがそろそろと椅子に座り、隣の彼女の顔を覗き込んだ。
「それ、マジ? 全然知らなかったんだけど」
「だって。暇な時、一緒に巡ってみよー」
久我島くんもなにやら真剣な顔をしている。
「じゃあ、オレがハズレだと思ってるカツ丼も……」
「総合管理棟の丼ものはハズレがないって噂」
「うわー絶対行こ」
やれやれ。これで話し合いは無事出来そうだね。
それにしても、そうなんだ、違うんだ。じゃあ、いろんなレストランがあるのと同じじゃん。えー、僕も健ちゃんたち誘って食べ歩きしてみよう。
そうなんだよ……やっぱり本格的に授業が始まると、お互い忙しくなってきた。わかってたし覚悟はしてたけど、すれ違うことが多くって、一緒にご飯さえ食べられないこともある。……うーん。お昼にちょっとご飯一緒に食べるくらいなら出来ないかなあ。
意識はそっちに行きつつ、なんとなくおしゃべりしながらお昼を食べて、残った時間でレポートの分担を決めていく。この授業はレポートや論文の書き方、文献の調べ方なんかを学ぶための練習のようなものだ。だからどこに入ってもいいんだけど、今回僕は、狙う本命のゼミを受け持ってる教授のプレゼミに入れた。これで、実際ゼミに所属する時に人数制限がかかっても優先的に枠が確保される。さらに、何回かあるレポートで結果を出せば、確実に入れるんだ。僕なんかが目をかけてもらうには、1回1回が大事だもんね。
まあ……僕が前のめりなせいか、温度差があるのは仕方ない。とりあえず初回に関しては、時間がかかる下調べは僕がやって、あとはレジュメ作る時と発表の時に割り振りかな。どの程度の発表が要求されるのか、スケジュール的に先に発表が回ってくる他のグループの様子も見たいし。そんな感じに方向性がまとまった。おしゃべりの久我島くんがほぼ口を挟んでこなかったのが逆に面白かったけど。
「あっ、そろそろ次の授業始まっちゃう」
紺野さんが立ち上がる。そういえば、周りからもどんどん人がいなくなっていってるようだ。
「結構ぎりぎりだね。片付けはやっておくから早く教室に向かったほうがいいよ」
「でも」
「遅れてきたから、お詫び代わりにね」
「あー、今度奢ってもらおうと思ったのに、うまく逃げられたぁ」
「あはは。それはよかった」
「じゃあねー」
「また授業で」
女子2人は手を振って荷物を抱えると、腕時計を見ながら慌てて食堂を出ていった。僕はこの次が空き時間だから、時間には余裕がある。それに、早くひとりになって一息つきたかったし。全員で片付けなんてやってたらまた時間がかかっちゃう。
……って。久我島くんは行かないのか。
「久我島くん、授業は?」
「あー、ちょっと自主休講」
「ふうん?」
僕は自分のトレイに使い終わった食器を集めて重ねていく。ついでに久我島くんのも一緒に片付けるか。手間は一緒だから。
「野木沢って爽やかな顔して、アピールあからさまなのな」
「え?」
「積極的に片付けかわるなんてさ。うん、わかるわかる、ゼミん中でもあの2人特に可愛いもんなあ」
……ざわざわする。だめなやつだ。だけど、これが一般的な反応なんだ。そういうものだ。わかってる。
「そんなつもりないよ、ほら、返却口混んでるじゃないか。まとめたほうが効率的だっただけ」
「誤魔化すなって。可愛くないぞ!」
「……僕が可愛かったらおかしいでしょう」
「あはは、たしかに気持ち悪いな。で、どっちが好み? オレは田無さんかな~」
「うーん……」
…………。
そうだ、田無さんだ。思い出した。そうそう。班が同じだし、忘れないようにしなくちゃ。
僕は全員分の食器をまとめたトレイを持つ。
「それじゃあ、僕も行くね。自主休講ってことは帰るの?」
「おー。サークル寄って帰るわ」
「うん。お疲れ様」
「あ、調べるやつ、大変そうだったら呼んで? 手伝うから」
「うん、ありがとう」
決して悪い人ではないんだよなあ……。
食器を返して、図書館に向かうことにする。その前に、通りかかったトイレに飛び込んで、まっすぐ手洗い場に向かって、蛇口をひねる。水はあんまり冷たくない。だけど両手首をずっと冷やしていると、体が冷えて少し落ち着いてきた。授業が始まる時間だから誰もいないのも助かる。この、胸の中がぐちゃぐちゃしてる状態で人に会ったら、反射的に逃げてしまいそうだ。完全に不審者だよ。
鏡の中の僕と目が合う。
……そうだよね。ああいう、きらきらした人のことを可愛いっていうんだ。今、僕の目に映る範囲に、可愛いものなんてなにもなかった。
図書館で調べ物をして、最後1コマの授業を受けて、ってしても気持ちが戻ってこない。こうなると、僕は自分がなんで落ち込んでいるのかもわかんなくなる。たぶんそんな落ち込む必要はないくらい些細だったはずなのに。やだやだ、なんで僕ってこんなに面倒な奴なんだろう。こういう時は早く帰るに限る。駅ビルに寄るつもりだったけど、急がなくてもいいから今度にする。とにかく早く帰りたい。
早足で駅からの道を辿る。もう少し。もうちょっと。
階段を駆け上って、鍵を開けて、靴を脱ぎ棄てて、靴下のまま廊下を抜けて、リビングのドアを開ける。
……健ちゃん。
「あれっ。おかえり! 早かったな」
テーブルで本を読んでた健ちゃんがぱっと立ち上がる。あ、泣きそう。ぱたんと本が倒れるのも気にしてないみたいに、いそいそと僕のほうに来てくれる。僕は鞄を床に落とした。健ちゃん、健ちゃん。
「ただいま……」
「おかえりー。予定より早く顔が見られて嬉しい!」
言って、僕のことをぎゅっと抱き締める。うー……。
「ほんとにさ、おんなじ場所にいるってわかってるんだけど、大学内で会えないの寂しいよなあ」
「僕も寂しい……。でも会いたい会いたいってずっと思ってて我慢しきれなくなってからやっと会えるのもすき……」
「くっ……蒼生ってばロマンチックなことを言う……! もー、好き!!」
健ちゃんの腕が、きつくて痛い。でも、今はそれが心地よかった。
こんな僕じゃダメなのに。わかってるのに。
突然、健ちゃんが僕の頭をぽんぽんと叩いた。……僕は目を上げる。にこにこの優しい目。
「なんかあった?」
う。
バレてる。
「……もっと強くなんなきゃなあって、いうのが」
「そっかあ。蒼生はがんばりやだもんなあ。だけど急に走り出しちゃうとケガするからな。ペース保つのって大事だと思うんだ。ゆっくり、ゆっくりな」
「……うん……」
「って、冬矢なら言いそうだよな」
「ふふ、うん……」
ぎゅーってしてもらって、明るい笑顔を見てると、……元気出てきた。なんか全然大したことないやって気になる。大丈夫だ。うん。
「ありがと、健ちゃん。もう大丈夫」
「オレ何もしてねえよ?」
「ううん。大好きな健ちゃんがいてくれれば、それだけで頑張れるんだなってわかったから」
「! 蒼生~」
健ちゃんはそのまま僕を持ち上げて、……えっ? わ、わ。ちょっ……。声を上げられずにいるうちに、健ちゃんがソファに座る。向かい合った僕が健ちゃんの足の上に座ってる格好になった。
「び、びっくりした。重くないの?」
「重くねえな」
ずっとにこにこしてる。なんか、胸がきゅうっとして、嬉しくなって、頬が熱くなる。……健ちゃん。
僕の泳ぐ視線に、健ちゃんは頬を撫でてくれて、それから、キスをくれた。最初は軽く。次は、深いやつ。あやすみたいな舌が歯の裏をくすぐって、たまらず僕は健ちゃんの首に抱き着いた。きもちいい。うう。すき。
腕を離して見た顔が、やっぱり嬉しそうで。ほっとする。
「ごめんね、本読んでたのに」
「だって蒼生のほうが大事だもん」
「そうなの?」
「そうなの!」
僕は、そっか、と息を吐いた。でも、なんか、言わせたみたいだなってちらっと思ってしまって、それがちくりとくる。
「……何の本?」
「ああ、この前やってたドラマの原作漫画。学部の奴らと面白かったよなって話してたら、原作持ってるのがいて、漫画だとだいぶ展開違うよって言って貸してくれた」
へえ。
「短編集なんだけど、そのうちの2本をうまく組み合わせたドラマだったみたいだな。別物って感じで漫画も面白かった。他に収録されてる話も読みごたえあったぜ」
「それは僕にも読めそうなやつ?」
自分には関係ない別世界の物語にでも触れれば、気が紛れるかもしれない。そう思って軽く聞いてみただけだった。でも、健ちゃんは、間をおいてさらに「んんん」と唸った。
なに?
「蒼生にはちょっと早いかもしれない」
……は?
健ちゃんは顔を赤くして、ふいっと顔をそらす。
「あのな、ちょっと……だいぶエロいシーンがあるから……」
「そんな小学生みたいな理由で?」
「だ、だって、蒼生がエロい本読むとか、ちょ、ちょっと違和感がすげえ! 想像できない! 蒼生とエロが繋がらない!」
「ええ……」
つい今しがた深いキスした相手に言うセリフ? さんざん身体中、どころか中までぐちゃぐちゃにしておいて、想像できないってどういうことなんだ。
「健ちゃんの基準がわからない……」
「可愛い天使の幼馴染みがエロコンテンツに触れるなんてちょっとショック受けそうだから、読むならオレがいない時にしてほしい……」
「うーん、よくわかんないけど、わかった」
幼馴染みとえっちなもの、ね。なるほど、戸惑うものなのか。僕は何となくそういうものって年頃の子なんてみんな持ってるものなんだろうなと思ってた。だから中学生の頃、健ちゃんがベッドの下にえっちな雑誌何冊も隠してたのを普通に知ってたけど、ふうんと思っただけで何も言わなかったんだよね。もしかしてこれ、僕が知ってたなんてバレたらまた騒ぎになるんじゃないかなあ。よし、今後も黙っておこう。
……健ちゃんにとって、やっぱり僕は「可愛い幼馴染み」なんだなあ。もちろん、それは根底の話で、ちゃんと恋人だって思ってくれてるって知ってる。
だけど、その「可愛い」がなくなったら、健ちゃんは僕のこと「好き」じゃなくなるんだろうか。
健ちゃんの許可は得たと判断したので、ふたりがいない時に、僕はその漫画を手に取った。ドラマ自体を見てないとはいえ、原作になるだけあってすごく面白い。ただの恋愛もののオムニバスなのかなと思ってたけど、登場人物が男女関わらずみんな秘密を隠してて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って、全体で見た時にあれまさかこれって……って疑問を残す描き方になってる。続きも出てるみたいだ。どうなるんだろう、すごく気になる。
それで、健ちゃんが憂慮してたシーンについては、……うーん。たしかに多めだなあと思うし、けっこうしっかりめに描かれてるけど、目を覆うほどじゃないよな。そもそも性描写も色恋沙汰も、紙の上でならなんとも思わない。健ちゃんが僕に持ってるイメージってなんなんだろう。少し綺麗すぎるんじゃないかな。それが現実の僕と食い違うのに気が付いたら? ……怖い。だけど何年も付き合って一緒に暮らしてて今更、っていう気もするし。
だめだ、考えててもわかんない。
僕は読み終わったページを、もう一度ぱらぱらとめくる。ちょうど指が止まったのが、そういうシーンだった。可愛い女の子。「やだ、恥ずかしいからやめて、だめ」「隠しても無駄だよ」「いやっ……」ていうとこ。本当に嫌がってない表情で描かれてる。そういえば、僕ってこういうとこないよね。恥ずかしがるとか、言葉だけ嫌がるとか、そっか、可愛いよね。嫌よ嫌よも好きのうち、ってやつか。なるほど、僕にはこういう要素、足りてないな。
難しい。可愛い、ってなんだろう。
チャイムが鳴るのとほぼ同時、ぴったり授業が終わった。この教授、タイマーでもついてるのかなってくらい時間に正確なんだよね。僕は最後の一言までをルーズリーフに書き留めて、はあっと息をつく。
今日の授業はこれでおしまい。明日は完全にオフ。夕飯は僕の番。よし。
左に座ってた根津くんが片付けかけた束を覗き込んできた。
「わ、細かいね。こんなに書くところあったっけ……」
「ううん、大丈夫。最後の余談が個人的に面白くて興味があったからメモしただけだよ」
「そっか、重要なところ聞き逃したかと思った」
言って安心したように笑う。不安にさせちゃったのかな、申し訳ない。根津くん真面目だから。ただ、ほんとにこれは僕の趣味。あの教授の話が面白いから、後で調べてみようって思って、つい余計なことまで書いちゃう。今度研究室に顔出してみようかな。もっといろいろ聞いてみたい。
「なあ、この後、暇?」
右から久我島くんがずいっと近付いてきた。うーん。まだ夕飯の買い物してないけど、ちょっとくらいなら大丈夫かな。とりあえず携帯をチェックして……あっ。メッセージが入ってる。冬矢からだ!
『次の授業が休講になったから一緒に帰らない?』
…………! 嬉しい!
「ごめん、予定入ってる。また今度誘って」
「えっ……」
「なーんだ、残念。んじゃ、今度な」
「うん、ごめんね」
僕はすぐさま教室を飛び出して、今から行くねって返事をする。なんだかんだ人と一緒だったりタイミングが合わなかったりで一緒に帰れる日ってなかなかないんだよね。管理棟のとこにいるって言ってた、早く行かなくちゃ。
正門に近い管理棟の周りは、授業が終わった時間のせいか、人がたくさんいる。帰っていく人たちや、これから来る人の流れ。その向こうに掲示板があって、ほとんどの人が通り過ぎる、その前に立ってる姿が見える。そこだけ明るいからすぐわかる。
引っ張られるみたいに、足が進む。すると、ぱっと冬矢が振り向いた。涼しげな表情がふわりと温かくなって、細めた目の下で唇が動く。「あおい」って。……っ。
飛び込んでいきたい。それを我慢するのが大変だった。
「おまたせ」
声が聞こえる距離までなんとか通常の歩幅で歩いて、それだけ伝える。冬矢はふっと微笑んだ。
「いきなり呼んでごめんね。急遽決まったらしくて。せっかく蒼生と同じ時間に帰れるチャンスがあるなら逃したくなかったんだ」
「ううん。嬉しい」
弾みそうな声を抑える。さっきから、背中越しにちらちらと視線を感じてる。そうでしょう、こんなにかっこいい人だから、思わず見ちゃうよね。その気持ちはよくわかるよ。でも、その目は今、僕しか見てないんだ。
あー。穏やかな笑顔の形の唇。今すぐ抱きついてキスしたい。ダメだけど。
「あれ、そこ……」
「え?」
冬矢が僕の肩を見て首を傾げる。なんだろ、つられて見るけど別にどうもなってない。ゴミでもついてるかな。
「ここじゃあれだな、ちょっと来て」
なに? 軽い感じで冬矢が手招きして、僕はそれについていく。掲示板の奥、誰もいない細い通路に進んで行く冬矢。へえ、こんな通路があったんだ。先には裏口みたいなドアがあって、位置的にこれって中庭に出るのかな? 中庭なら向こうの大きな扉から出ないとこっちに道はなかったはずだけ、ど。
……え。
途中で急に振り返った冬矢が、触れるだけのキ……っ。
え? あまりにも一瞬で、え? 冬矢はふふっと笑う。
「キスしたそうだったから」
…………!
「とっ、冬矢といると心臓もたない……」
「そうだね。俺も蒼生に同じこと思ってるよ」
う、うわー。うわー。な、なんか、液体になりそう。よくわかんないけどそんな気がする……!
そ、そこからは特に何もなく、いやあったら大変だし冬矢は絶対に外でそれ以上のことしないってはっきり宣言してるしそれはちょっと残念に思ってるんだけどそれはそれとして、普通に大学を出て、普通に電車に乗った。たぶん、自然に。電車に乗ってる時間は少しだから、冷静な顔で、ただ隣に立ててたと思う。だけど、内心、もう、ほんの少しだけ触れるこの腕に縋りつきたいっていうのでいっぱいになってた。触れてほしい。撫でてほしい。溢れそうになる。
「蒼生」
っ。囁く声。電車内だもんね、そうだよね、周りの迷惑になるから静かにしなくちゃだもんね。
「なっ、なに……」
「買い物行くだろ。一緒に行こう。あとそれから駅ビルに寄るんだったよね」
「え……うん」
あ、この前の。別に急いでないからいいやって思って、結局行ってないんだった。
「蒼生が行った様子ないからって健太が気にしてたよ」
へ? 胸がぎゅっとなる。そんな、些細なこと覚えて、気にしてくれてたの? ……ぼ、僕……本当にふたりに好かれてる、の、かな。そうはっきり自惚れててもいいのかな……。
「何を見に行くの?」
はっ。で、電車内、電車内。ちゃんとしてなくちゃ。深呼吸して整える。
「あの、傘……。折り畳みのがね、壊れちゃったんだ」
「ずいぶん長いこと使ってたあの傘か」
「うん。もともと、あれお下がりだったし骨曲がってたしで使いづらかったんだけど、とうとうこの前の酷い雨で再起不能になっちゃった。ここまで使い込んだら新しいの買ってもいいんじゃないかなって思って」
「それだけ使ってもらえれば、傘も喜んでいるだろうね。蒼生は物持ちがいいから、長く使えるいいものを買ったほうがよさそうだ」
いい傘、かあ。そういえば長い傘もしばらく買い換えてないな。
僕たちは最寄り駅に着いて改札を出ると、すぐそこに見えるエスカレーターに乗った。この駅ビル、いろんなお店が入ってるから便利なんだよね。そんなに大きな建物じゃないんだけど、雑貨とかちょっとおしゃれな日用品とか洋服とかあんまり縁がなさそうな店から、文房具やCD屋にレストラン街まで、一通りここだけで用事が済んじゃう。僕たちがずっと住んでた街は、一応地方都市でも大きいほうで、もっと大規模なビルがたくさんあったけど、このくらいこぢんまりしてるほうが身の丈に合ってる気がする。
雨具が揃っている売り場には、長い傘や日傘に折り畳み傘、子供用の傘なんかが目移りしちゃうくらいたくさん並んでいた。これはマズい、悩んじゃうやつだ。とりあえず目当てのとこだけ見るようにしなきゃ。ええと、出来るだけシンプルで使いやすそうなのはどれかな。
しゃがみ込んでいくつか手に取って比べてみてると、向こうからわあっと楽しそうな声がした。ふと見ると、子供傘の棚の前でお母さんと、幼稚園入る前くらいかな、小さな男の子が楽しそうに傘を選んでいる。
「これ! おそとみえるののかさ!」
「こっちのカエルさんも可愛いよ」
「かわいいの、や! かっこいいがいいんだもん」
「そっか。じゃあこのネコさんは? かっこいいよ」
「や! くじらさんにする!」
「それが気に入ったの。うん、くじらさんにしようね」
可愛いなあ。あんなに小さいのに、こだわりがあるんだね。ああ、思い出す。健ちゃんもあんな感じだったなあ。ある時突然、かっこいいのがいい、って言い出して。ななママが困ってたっけ。男の子なんてそんなもんよ、ってうちのお母さんに慰められてたな。僕はそもそもシンプルなやつのほうが好きだったし、上2人からのお下がりも多かったから、健ちゃんのこだわりを不思議に思いながら見てたっけ。
冬矢も、そのやりとりを穏やかな顔で見てる。
「最近はああいう可愛い傘がたくさんあるんだな」
そうだね。パステルの色合いだったり、同じ生地で大きな耳が付いてたり、取っ手のところの先っぽに顔が付いてたり。僕たちが小さい頃にああいうのってあったっけ。可愛い傘。うん、あの子も、あの傘も、可愛い。ああいうのが「可愛い」だよね。
「あれだけ大きな耳が立ってると、風の抵抗とか受けないのかな」
「それは影響ありそうだな」
そんなちょっと夢のない話をしながら、僕は手元に目を落とす。無難な無地の黒い傘。やっぱり僕が持つならこういうの。それについては抵抗も疑問もなくて、これがベストだと思ってる。「可愛い」ものは似合わないし、そもそも持ちたいと思ってるわけでもない。
「蒼生」
はっとして顔を上げる。冬矢はその手に1本の黒い折り畳み傘を持っていた。
「それもよさそうだけど、こっち、持ってみて」
「うん。……え、軽っ!」
手渡されたそれは、反対の手で持っている傘と比べるとものすごく軽い。びっくりするくらい軽い。袋からも出しやすいし、開くのも簡単でかちりと素直に止まる。たたむ時も骨が折り曲がるからやりやすい。
「使いやすそうだし、軽くて細身で持ち歩くにはいいと思う。蒼生は雰囲気が優しいから、こういうシックな雰囲気の傘をさすと、凜とした綺麗さが引き立ってすごく合うと思うよ」
柄はやっぱり無地で、これだって無難っていえば無難だ。なのに、冬矢の言葉ひとつですごく違って見える。というか、今、傘じゃなくて僕を褒めてた……?
「他にも見てみようか」
「ううん、これにする……」
冬矢が僕に合うって言ってくれた傘だから。
……冬矢は、僕が「可愛い」じゃなくなっても、それでも、こんなふうに言ってくれるのかな。僕を嫌いになったりしないかな。
立ち上がって冬矢と向き合う。
「あの、さ。冬矢。もし、僕が」
…………あ。無理だ。僕は言葉を飲み込む。ダメだった時が怖すぎる。そんなの好きじゃないよって言われたら。
「? 蒼生?」
「ごめん、なんでもない」
「気になるな」
「うーん……。もうちょっと整理してからしゃべる……」
「……わかった。整理できたら言ってね?」
怖い。そういえば、可愛いって初めて言われたのは、付き合ったばかりの頃だ。あれから何年経ってる? 大人に近付いた僕は、まだ、ふたりにそう思ってもらえるんだろうか。
どうしようかな。昨日は魚だったから、今日は肉かな。うん、そうだ、野菜と一緒に炒めよう。
「えっと、キャベツ……」
「もう入ってるよ」
カートを押してる冬矢がにこにこと答える。早い。僕が悩んでいる間に、いろんな野菜がカゴの中に入ってる。僕なんかはまだ初心者だから、メニューを決めてそこから食材を集めてくんだけど、冬矢はその時冷蔵庫にあるものでアレンジしてさらっと美味しいごはんを作る。かっこいいよなあ。僕もそういう境地に至りたい。
……という真面目な決意をしながら、僕はめちゃくちゃドキドキしてた。カートを押してついてくる冬矢、っていうこのシチュエーションが、なんか、すごく、なんていうのかな、うーん。「慣れない」? 買い物に付き合って後ろから付いてくのは子供の頃からやってたから、それと同じはずなのに。一緒に食材を選んで、一緒に帰って、一緒にごはん食べるんだって思うと、うわああああってなる。僕がケースから取ったパックを受け取ってカゴに入れるの見てると、一緒に暮らしてるんだって……実感が……! 実感も何も、ちゃんと一緒に暮らしてるのに、ふとした瞬間に、こんなふうにうわあってなっちゃうんだよなあ……。
「それにしても、健太みたいなタイプって野菜嫌いが多いような勝手なイメージ持っていたけど。食べられないものがないって、選択肢が広がっていいよな」
カゴの中を眺めながら、冬矢が言う。あっ、うん、そうだねえ。
「最初から食いしん坊で何でも食べてたよ、健ちゃんは。幼稚園の頃に野菜嫌いの子がいて、なんでだかそれがかっこよく見えたらしくって、一時期ファッション好き嫌いしてたけど」
「ファッション?」
「そう。ピーマン食べないにんじん食べない何でも拒否するオレ! って。一種の反抗期だったんじゃないかなー」
「簡単に想像つくな。けどちゃんと直ったんだ」
「うん。実はねえ、野菜嫌いだったのは僕のほうなんだ」
今でも辛いのとか苦いのは苦手なんだけど、あの頃はまったく食べられないほどだった。それこそ最初はピーマンだったように思う。苦い、ダメだ、と思ったら他の野菜も食べられなくなっちゃって。
「なるほどな。それでふたり同時に克服できたわけか」
冬矢が頷く。え、ちょっと待って?
「……僕まだ何も言ってないんだけど」
「察してるけど、一応聞く」
「えっと。家で残すと怒られるじゃない? 僕と健ちゃんのお皿には、どっちも最後にピーマンが残るんだよね。このままだとふたりとも怒られるけど、健ちゃんが食べたくないんだから僕が頑張らなくちゃって思って、必死でふたりぶんのピーマンを吐きそうになりながら食べてたんだ。そしたら、健ちゃんが、僕が食べさせてくれたらきっと美味しいから食べられるって言い出して」
「まあ、あいつは元から食べられるんだからな」
「その時はファッションだって知らなかったからね。言われて健ちゃんに食べさせてみたら、美味しい美味しいって食べちゃってさあ。それならオレが食べさせたら蒼生も美味しいんじゃない? って言うから、なるほどそうなんだーって思って」
「それで?」
「……美味しかったんだよ」
はー、と冬矢は深く息を吐いた。
いや、あの、暗示ってすごいなってお話ですよ。それ以来きっかり食べられるようになったんだからさ。
「蒼生」
「はっ、はい」
「そろそろ健太も授業終わる頃だから、荷物持ちに呼び出してやろう。それから、買い物終わったらそこのコーヒーショップ寄ろうね」
「? はい。……?」
それってどういう流れ?
食材の買い物が終わると、宣言通り冬矢は僕を連れてチェーンのコーヒーショップに寄った。で、生クリームの乗った冷たくて甘いのをひとつだけ注文する。夕飯前なのにいいのかなあ。それから冬矢は人目につきにくい席の奥に僕を押し込むと、ぐいっと体を寄せて、そのカップと僕と一緒に写真を撮った。
「……何してるの?」
「健太に送る」
ええ? 何て?
冬矢は僕にカップを渡して、携帯を弄る。本当に健ちゃんに写真送ってるのかな。……ところで、これ、渡されたんだから飲んでいいんだよね。コーヒーの類いはまったく飲めないわけじゃなくて、めちゃくちゃ甘ければ飲めるんだ。ストローを差して一口飲む。するとまずキャラメルの味がする。ふむ、甘い。クランチがさくさくで美味しい。
「……よし、と。それ、どう?」
「美味しい~」
「じゃあ俺も」
手じゃなくて顔を寄せてくる。冬矢のほうにカップを傾けると、ストローをぱくりと咥えた。……わ。それだけのことできゅんとしちゃう。
「うん、美味しいね」
「ね」
えへへ。わけっこだ。嬉しい。
飲み終わる頃に、健ちゃんから短文のメッセージが入る。「駅」「着いた」って連続して。慌てて打った文って感じ。
店の外に出てちょっとすると、健ちゃんが人の流れを気にしながらダッシュでこっちに来るのが見える。とたんに胸元がさみしくなる。嫌な意味じゃない。ここに、熱がほしい。ぎゅって。して。欲しい。
目が合った健ちゃんは、にこっと笑って、走ってきた勢いで、僕にがばっと抱きついた。あ、と思う間もなく離れちゃったけど。たぶん周りからは気が付かれなかったか、バレてもふざけてぶつかったくらいに見えたと思う。
僕の両肩を掴んだまま、健ちゃんはじとっと冬矢を睨む。
「おまえさぁ……。オレ呼び出す時、いちいち煽るのなんなの」
「羨ましかっただろ?」
「めちゃくちゃ羨ましかったわ!」
……あれ。これって。もしかしてなんだけど、唐突にわかったような気がする。冬矢、僕と健ちゃんの昔の話聞いて、やきもちやいたんじゃないの? だから健ちゃんにも羨ましがらせたくてわざと仲良くしてる写真送ったんじゃ。
うわぁ。
健ちゃんは冬矢にぶつぶつ文句を言いながら、すっと僕の手から買い物袋を取った。そのままふたりして歩いていく後ろ姿を見ると、胸の中がぎゅうってして、叫びたくなる。人がほとんどいない道に入る頃には、それが体を突き破って溢れそうになった。
「あの」
涼しい顔の冬矢と、険しい顔の健ちゃんは、呼び掛けると、振り向いた時にはすごく優しい表情をしてる。
「うん?」
「どうした?」
ああ、好きだなぁ……。
「あ、の……その……きょ、今日……抱いてほしい……です……」
僕の言葉に、ふたりは別々の、でもどっちも嬉しそうな顔で頷いた。
健ちゃんに後ろから抱き締められて、頬や首筋に繰り返し貰うキスは、くすぐったくてきもちよくてふわふわする。冬矢は、真正面の近い距離から、髪を撫でて僕の目を覗き込んでくる。
全部が見えちゃうから、電気つけっぱなしって恥ずかしいかもって思ってた頃もあるんだけど、今は明るいほうが好き。だって、僕もふたりの顔をちゃんと見たいもん。
「蒼生……可愛い……」
吐息混じりに健ちゃんが呟く。
あ。
そうだ。意識しなくちゃ。可愛く、可愛く。
なにを、どうしたら? ここのところずっと考えててもわかんなかったんだから、もう、僕が「可愛い」と思ったものの真似をするしかない。ええと。たとえば、そう。言葉だけ嫌がる、だ。
健ちゃんの指が、するりと乳首に下りてくる。軽く弾かれて、っ、それからやわやわと先端を撫でられる。うー。気持ちいい。
「やっ、……やだぁ」
「そっか、嫌か」
……え?
健ちゃんはそのまま手を滑らせ、腰骨の辺りをゆっくり触る。それも、気持ちいいけど。
「蒼生、ここ、いい?」
上半身を落とした冬矢が、僕のちんちんに触る。あ、な、舐めてくれる、のかな。
「恥ずかしい、だめ……」
「うん」
冬矢は体を起こして、頬にキスをくれる。
あれ?
「じゃあ、蒼生、オレの、してくれる?」
さっきから腰で感じてる、健ちゃんの熱。背中でもわかるくらい、びくびくしてる。
「無理、そんな、できない……」
「わかった」
なんで?
あれ?
どうして?
「なんで?」
頭で思ってる言葉が勝手に口から出てきた。
「なんでやめちゃうの?」
冬矢が首を傾げる。健ちゃんが不思議そうな顔で後ろから覗き込んでくる。
「なんでって、そりゃ。蒼生が嫌だって言うことは出来ないし、したくないよ」
「い、いつもしてるから、ダメじゃないってわかるのに?」
「いつも大丈夫でも、なんかあって今日はダメってこともあるだろ?」
違うのか。こういうの、求められてないんだ。
そうか……そうだよね……。ふたりは優しいから。ちゃんと話を聞いてくれるひとたちだから。考えてみれば当然だった……。
「蒼生?」
心配そうな声で、健ちゃんが僕の横に来る。肩を抱いてくれる手が優しい。
「あの……こういう態度、可愛いと思ったんだけど、違う……かな……?」
「どういうこと?」
僕の膝をそっと撫でながら、冬矢は微笑むような眼差しを僕にくれる。
「……あのね」
いったん口を開くと、そこから先は、止められなかった。
「ふたりが僕を可愛いって言ってくれることの意味がわからなくなった……。それが好意の意味だっていうのは最初から知ってたし、ふたりがそう思ってくれるなら、ふたりにとってはそうなんだろうって思ってたんだ。だけど、“可愛い”って見渡す限りそこら中にたくさんあって。どれもこれも僕とはまったく違うんだ。鏡を見たって、内面を省みてみたって、どう考えても僕は“可愛い”じゃないんだ。ふたりは“好き”って意味で“可愛い”って言ってくれてる。だから、“可愛い”じゃなくなれば“好き”じゃなくなるのかなって急に怖くなった。こんなの……僕のどこが“可愛い”の?」
言っちゃった。
こんなめんどくさいと思われること、言いたくなかったのに。
あー。
ふたりの顔を見るのが怖くて、途中から僕は顔を伏せていた。はっきり面倒って言われたら、……どうしようかな。どうしよう。
沈黙が、怖い。
「……今のもめちゃくちゃ可愛いけどなあ?」
「え?」
心底不思議そうな健ちゃんの声がして、僕は思わず顔を上げた。そこには、声通りの顔をした健ちゃん。どういう意味かわかんなくて意図を探ってると、急に「あっ」と言って手を叩いた。
「さっきのやつ、あれだ! オレが借りてきた漫画の真似だ!」
……うわ、バレて……っ。
事情を知らない冬矢が健ちゃんを見る。
「漫画?」
「そう、ドラマの原作のやつ。友達が貸してくれて、蒼生も読みたそうにしてたあれ、そっか、読んだんだ。あー、はいはい。恥ずかしがり屋で素直になれないで本心隠そうとしてたのにドSの彼氏にどんどん暴かれていっちゃう、あの子の真似してたのか!」
「なるほど、道理で棒読みだったわけだ」
えええ……。冬矢、さっきの、「棒読みだな」って思いながら聞いてたの?
「……バレてたの恥ずかしい……」
「あ、これはホントに恥ずかしいって思ってるやつ!」
追い討ちを食らって、僕はそのままベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。健ちゃん、正解なんだけど、……はっきり言わないで……。
ああ……ほんとに恥ずかしい。
肩の下に手が差し込まれて、僕の体はころんと上向きにされる。そんなことをさらっとするのは健ちゃんだ。健ちゃんは僕の両頬を両手で包み込む。あったかい。それから目を覗き込んできて、にぃっと笑う。
「蒼生はえっちなこと好きだろ」
「好き」
「へへ。そうはっきり即答できちゃう蒼生のことが好きなんだからさ、それでいいんじゃねえの? 好きなとことか気持ちいいとことかちゃんと言えるの、すごく可愛いと思ってるよ」
「……そうかなぁ」
なんかがっつきすぎというか……はしたないんじゃないかなあ。
冬矢が横から髪を撫でてくれる。髪の間を滑る指がきもちいい。
「まあ、俺は恥ずかしがる蒼生も可愛いと思うけどね。無理とか嫌って、これから先、いろんなことをしているうちに口に出てしまうこともあるだろうし。それでも文脈や態度でちゃんと判断するから、もし言っちゃっても大丈夫だから気にしないで。……さっきは全然そんなこと思ってもいないくせにわざと嫌だって言うから、意地悪しただけだよ」
「やっぱり、バレバレだったんだ……」
「えっ。オレ本気かと思った」
「さすが健太」
「おっ、バカにしてる?」
「いや、素直さを褒めたんだよ。おまえはそれでいいんだ。だからこそ蒼生が素直になれるんだと思うよ」
健ちゃんにそう言うと、冬矢は僕の手に指を絡ませて、改めてまっすぐに僕を見た。
「だけどね。蒼生が言葉だけで嫌がる、それが癖になって、本当に嫌なことを見逃したら困るから……。やっぱりそのままの蒼生でいてほしいな」
……あっ。
僕は、すごく、大事なことを忘れてたことに気が付いた。
約束だったのに。
冬矢の手をぎゅっと掴んで、健ちゃんの手に僕の手を重ねる。
「ごめんなさい。最初にえっちした時、約束したよね。嘘つかないって。全部言うって。……約束破ってごめんなさい……」
ふっと空気が優しくなる。それから、ふたりして、触れるだけのキスを、額に、肩に、くれる。
耳元で、冬矢が。
「そこまで不安にさせちゃった俺の責任だよ。ごめんね。ここのところ少し忙しかったから、甘やかし足りなかった。反省してる。……今日は、蒼生のどこが可愛いか、思った時に全部伝えながらシようね」
え。
健ちゃんは楽しそうに笑った。
「なるほど、そういうことか。よし、全部言うからな。それじゃあ仕切り直しってことで」
僕が反応するより早く、健ちゃんは僕の口に舌を突っ込んできた。激しく僕の舌を絡めとって、それから、思いっきり吸う。い、息が。
「んっ……んんーっ、ぅ……」
「っ、は、キスですぐとろんとしちゃうとこ、可愛い」
冬矢が胸元に舌を這わせて、ちゅ、と音をさせながら短く乳首を弾く。
「……ぁっ」
「くすぐったいって言うけど、乳首弄られるの好きなの隠せてないの可愛いね」
健ちゃんも胸に降りてきて、
「しゃぶりついて舌で転がされるのが一番好きなとこも可愛い」
「んっ……」
……こ、こういうことか! 待って、これ、どう対応したらいいかわかんない。顔っていうか、頭に血がのぼってくらくらしてくる。
「蒼生のここ、もうぴくぴくしてる。可愛い」
「あ、はぁ……!」
冬矢は今度は何も聞かず、ちんちんを咥えてきた。あっ、あ、ぬるって絡み付いてくる、熱い舌が、ぐりぐりって裏の先端に近いとこ、を、
「あ、気持ち、い、あっ、んぅ……っ」
「……ぁわい……」
「しゃべ、っちゃ……あ、やぁ……」
強くつついてきたかと思うと、優しく辿られて、それから吸い上げられて、くるくる先端を舐められて、あー……。
その間も、健ちゃんは、乳首をころころしたり、やんわり噛んだり、赤ちゃんみたいにちゅうって吸ったり、して、きて。
……きもちい。
もっと。
もっとほしい。
健ちゃんの手が、にゅるりと僕の後ろに触れる。
「っあ」
「……ここ、ひくひくしてる。可愛い」
あ、ぐちゅって、入ってくる。あー。
「ま、前と後ろ、ん……っあ、いっぺん、は、や、うー……あ、あっ」
きもちい。
「さっき、“待て”食らっちゃったから。これ以上我慢できねえよ?」
顔を上げた健ちゃんが耳元で囁く。
そっか……。
じゃあ、もうすぐ、くれるんだぁ……。
「……う、れしぃ……いっぱいに、して……」
「はっ……。これで自分が可愛いことわかんねえっていうんだから、無自覚って怖ぇ」
「へ……?」
健ちゃんが言った言葉の意味を考えようとする前に、ふたりの口と指が、僕から、離れる。ぞくぞくっとして、思考がぽんっと飛んだ。
え。なんで。もっと。
「欲しがる顔も可愛い」
健ちゃんが覆い被さるみたいにキスをくれる。舌で唇をくすぐられて、……もっと。口の中まで来てほしい。
急に、腰が持ち上げられる。あ、冬矢だ、って思った時には、挿入って……っ、
「あ……あぁっ、あー……っ!」
ずぶずぶと、僕の、中、あ、拡がる。
足りなかったものが、元の場所に収まった、ような。
「こんなにきゅうきゅうさせて……可愛いね」
冬矢が腰の後ろをさする。ぞわっとする。
「ふふ。そんなに俺が挿入るの、気持ちいいんだ」
「うん……っ、あ、きもちい……ぃ」
「声震えてるの可愛い……」
丁寧に、中をなでてくれる。
ふわふわする。
羽毛布団で全身を包まれてるみたい。
頬に大きな手がかかる。
「蒼生。こっち、嫌?」
あ、健ちゃん気にしてる。ごめんね。
「……や、じゃない、……ちょう、だい」
揺らされながら、手を伸ばす。腰が持ち上げられてる、から、ちょっとくるしい、けど、上半身を捻って、健ちゃんのちんちんにキスをする。こっちも、熱い。手に余る質量を、口いっぱいに。あ、もう、濡れてて、ぐちゅって音がする。
「んっ……んー、っは、んっ……ぷ、は、ん……っ」
はいりきらない。
どっちも。
あー。
冬矢がきもちいとこを少しずつ角度を変えてこすってくれて。
健ちゃんを舌で、上顎で、口いっぱい感じて。
自分と違う鼓動が、僕を支配してく。
「……おいしいの?」
耳を優しくなぞりながら、あ、きもちい、そんなことを、っ、聞く。たぶん、僕は頷いた。なんか、上も下も、両方で感じたくていっぱいいっぱいで、よくわかんない。健ちゃんが笑ったから、たぶん、頷いたんだと思う。
「そっか。口いっぱい頬張るの、可愛い」
「……んんっ!」
冬矢が、とん、って、ここにいるよ、って僕の中から呼ぶ。
知ってる。
左手を伸ばす。
冬矢がそれを握ってくれる。
「……必死な指も可愛いね……」
処理しきれない……。
僕のちんちんに誰か触れた。この感じは、あ、健ちゃんだ。
だめ。
「んうー、ん、んっ、ぁめ、らめ、も、」
今、触ったら、だめ。
だけど、そうだよね、わかっちゃうよね、文脈、だっけ。
この、だめは、だめじゃない。
「ひっひゃう……う、う」
伝わんない気もした、だけど、口も離したくなくて。
「……んーっ! っあ!」
だけど、咄嗟にその瞬間、口を離した。危なかった、噛んじゃうとこだった。でも、
「……っ!」
数秒遅れて、健ちゃんが僕の口の中に、熱いのを出した。
それを待ってたわけじゃないはずだけど、冬矢がぐりっと僕の中を抉る。
「んっ!」
……あ。飲み込んじゃった。ぜんぶ。うー。
「ふふ。それは美味しくないよね。……可愛い……っ」
「あ……んっ、はぁ、あ、んーっ、ん……」
僕の言葉を奪うみたいに、冬矢が動く。それが、少しずつ、早くなってって。
びくっ、と、震えた。
それは僕の中でも。
はーっと息を吐いたのは、冬矢だったのか、僕だったのか。
冬矢は僕の中からずるりと出ていくと、僕の肩に手を伸ばす。それからその手にぐっと力を入れると、僕ごと後ろに倒れ込んだ。冬矢に覆い被さる形になって、重くないかなって心配になったけど、冬矢は嬉しそうに僕を両手で抱き締める。
「やっぱり蒼生は可愛いよ」
うー。なんだかキャパシティがいっぱいになってきたぞ。
「あ、ふたりともそのまま」
「え?」
健ちゃんが、僕の背中にのしかかってくる。
熱い、え?
「健ちゃん、復活早くない……?」
「冬矢に喘がされるの見てたらたまんなくなった」
そ、そうなんだ……。
「ふ。俺に抱かれる蒼生は可愛いだろ」
「……むぐぐ。可愛いよ! めちゃくちゃ可愛いよ! だけどもっと可愛いの見せてやるからな!」
「見せてもらおうか」
まったく、変なとこで張り合うんだよね。
僕は、顔だけを健ちゃんに向ける。
「健ちゃん、ちゅ」
「!」
はっとしたように、健ちゃんは僕に短いキスをくれた。
「……はやく、きて……」
「ここでもう可愛いもんな……っ」
「あ、あぁっ……」
ぬるぬるってして。すぐ。ぐーって。あ。あっ。
「はっ……あ、き、もち……」
冬矢が穏やかな目で笑って、僕の頭を撫でてくれる。
胸がぎゅってなる。
僕の中をたくさん広げた健ちゃんが、ゆるりと腰を動かした。
ぐりって、
「っ! ……いま、の、そこ、すき……」
「ここ?」
「んっ、そこぉ……」
ちんちんの、先っぽと、境目のとこで、きもちいとこ、こりこりするの……あ、脳みそがぐちゃぐちゃになりそ……っ。
そこを、健ちゃんは、勢いよくこすってくる。
さっきとは違う、突き上げられてるような、きもちよさ。
「あっ、あ、は、あ、あー……っ」
撫でていた頭の手にぐいっと力を入れ、僕の唇を、冬矢が塞ぐ。
「……ふ、んぅ……う、」
舌が入ってくる。優しく、僕の舌の裏側をなぞる。
健ちゃんが、僕の腰を下に押しつけるように、ぐぐっと入り込んでくる。
あ、また、違うとこが、気持ちいい。
わ。
「こぇ……んっ、あ、んんっ!」
「俺にこすりつけちゃって。えっちで可愛いね」
「ひが……ぅ、ぇんひゃん、あ」
冬矢は僕の舌を離してくれない。違う、健ちゃんが、って言ったんだ、角度変えたから、それで、ぼくのちんちんが、ちょうど、冬矢のと擦れる位置に……。
あー。
でも、きもちぃ……。
「……えっひ、で、いい……?」
「いいよ。えっちな蒼生大好き」
そっか。
じゃあ、いいやぁ……。
「オレもえっちな蒼生好きぃ……」
耳に近付いて、健ちゃんが囁く。
なんかもうぐちゃぐちゃ。
浮かされて、揺らされて、かき混ぜられて。
ぼーっとする頭で、初めての夜のことを思い出していた。
あの時も、たしかこんな感じだった。
健ちゃんと冬矢の間に挟まれて。
好きだよって、可愛いって、たくさん言われて。
あいしてくれてるって、実感したあの日のことを。
……動きたくない。
いやシャワー浴びなくちゃとてもじゃないけど寝られない、だけどまだちょっと無理。
うつ伏せで枕を抱き締めてぼんやりしている僕の背中に、健ちゃんが寒くないようにとタオルを掛けてくれた。優しい。
「おわかりいただけただろうか……」
なんか聞いたことのある言い回し。
「なにが?」
聞くと、反対側の冬矢がぽんっと頭に手を乗せてきた。
「だから、蒼生のどこが可愛いか……だっけ」
「うーん……。わかんなかった。だって、しょっちゅう言うんだもん。口開くたび全部言うから、一体どれのことなのか」
「なんだ、わかってんじゃん」
「へ?」
僕はちょっと頭を上げる。あっ、腰痛っ。
「だからさあ、全部だよ。髪の先から爪の先まで、ひとつひとつのパーツも一挙手一投足も言葉も声も吐く息も、とにかく全部なんだってば」
なんだそれ。
体を起こそうと腕を突っ張ると、冬矢が助けてくれて、冬矢に寄っかかる体勢になった。健ちゃんもあぐらをかいて僕の正面に座る。
「蒼生は、蒼生自身に“可愛い”を探してるみたいだけどさ。オレが口にするそれは、蒼生を見たオレの中から出てくる可愛いなんだよ。オレは蒼生が何しても、蒼生のことを“可愛い”って感じるんだ。だからさ、自分から可愛いがなくなったらなんて、全然いらない心配ってこと。オレが生きてる限り、蒼生の可愛いは無限に生まれてくるんだからさ」
「…………」
僕はぽかんと健ちゃんを見る。後ろの冬矢にも念のため確認すると、冬矢は優しく頷いた。
「……思ってたよりスケールが大きい話だった」
素直な感想を口にする。僕の主観は関係なくて、健ちゃんと冬矢の主観の問題なの? そんなのいつか変わってしまうものだ、人間の価値観はそういうものだ、って頭では理解してるんだけど、不思議と健ちゃんが言い切ると「そうなのか」って納得しちゃう。
そっか。
健ちゃんは、冬矢は、ずーっとそう思ってくれるんだ。
でも、ダメだ。
「そ、それはわかった。だけど、それで、ああよかった……って僕がサボってちゃいけないと思うんだ」
「ふーん?」
「ふたりの愛情に甘えてるばかりじゃなくて、僕だってちゃんとふたりに返したいと思ってるんだよ」
優しいから、そのままでいいって言ってくれるけど。
それじゃ僕自身が納得できないから。
「甘えられてばっかな気はしてねえし、逆に蒼生にはもらってばっかだと思ってんだけど、……蒼生としてはもっと何かしたいって思ってるってことか」
「うん……。でもどうしたらいいのかわかんなくて。た、たとえばなんだけど、今も、僕だけ気持ちよくしてもらってるのがもどかしくて。噂によると、なっ、中で気持ちよくなってもらうテクニックもあるらしいんだけどっ……」
や、やり方? そのへんがよくわかんないんだ。
だけど僕だってふたりに気持ちよくなってもらいたいし。
健ちゃんと冬矢は目を見合わせる。
「うーん。オレは、そんなに気にしなくてもいいと思うけどなあ。蒼生が気持ちいいって反応してくれると、あーオレが蒼生のこと気持ちよくしてるんだーって精神的にものすごく満足する。なあ、冬矢?」
「ああ。そっちの満足感を得ることのほうが嬉しいからな」
「それにさ、蒼生は自分だけって言うけど、オレ、ちゃんと気持ちいいよ。蒼生が気持ちいいって言う瞬間あるじゃん? あの時オレもめちゃくちゃ気持ちいいんだよな、言い当てられてんじゃねえかってくらい同時にさ。だから、蒼生には遠慮なく気持ちよくなっててほしいわけですよ」
「……そうなの?」
頷いて、健ちゃんは腕を組む。
「たぶん、蒼生は最中に余裕がないから、オレたちが気持ちいいの気付いてだけなんじゃない?」
「あー……」
「あ、でも、余裕ないほど感じさせたいと思ってるからそれはそれで成功なんだぜ? 気持ちよさそうにしてナカで吸い付いて離してくれない蒼生、最高に色っぽいし」
たしかに、余裕はない感じは自分でもわかってる。だって気持ちよくて、もう、ほんと真っ白になっちゃって……。
冬矢が僕の両手をそっと自分の両手で包み込んでくる。
「健太の言うとおり、蒼生が思っているより俺たちは満足してる。けど、蒼生が気にするなら、そうだな、数をこなすしかないんじゃないか?」
健ちゃんがぴくっと肩を揺らす。
「数?」
「俺もナカのテクニック云々はよくわからない。世間的には、例えばそれ用の道具を使って訓練するとかって聞いたことはあるんだけど。……ただ、蒼生が気持ちよくしたいって思ってくれているのは俺たちなんだから、俺たちとシながら覚えていけばいいんじゃないのかな。それこそ、ちょっと余裕がある時に俺たちの反応窺うとかね」
「……たしかに、そうだね」
他の人のことを考える必要はまったくないんだから。そうか。健ちゃんと冬矢が気持ちいいと思ってくれたことを覚えていればいいんだ。
ぼそりと健ちゃんが、
「それって結局もっと……いや何でもねえや。願ったり叶ったりか」
珍しく言いかけてやめた。
気になるから聞いてみようとした時、冬矢が後ろからぎゅっと僕を抱き締めた。
「いっぱい話して、いっぱい触れ合って、いっぱい確かめ合おう。ずーっとそうやって一緒にいようね」
一緒……。
健ちゃんはずいっと膝立ちで近付いて、
「いてくれる?」
と笑顔で聞いてきた。
「うん」
僕が頷くと、ふたりとも嬉しそうだった。
なんだか腑に落ちた。
僕にまだ足りないのは「余裕」なんだな。
だから急に不安になったりするのか。
頑張らなくちゃいけないこと、たくさんあるなあ。
ふたりの優しさに甘えてばかりじゃダメだけど、それを足がかりに頑張れることは、ちゃんと頑張っていかなくちゃ。
で、でも。
そうかあ。
可愛い、は、健ちゃんと冬矢から生まれてくるんだあ。
心配しなくてもいいんだ。
なくならないんだ。
少し、ほっとした。
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39こ目;“可愛い”の定義
僕+君→Waltz! 創作BL 創作BL小説 幼馴染 三角関係 3P R18忙しい毎日の中で、ふと「可愛い」がわからなくなってしまう蒼生。
考えれば考えるほど深みにはまってしまう。
「可愛い」とはなんなのだろう。
↑初掲載時キャプション↑
2022/02/18初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
39こ目;“可愛い”の定義
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ああ、少し遅くなっちゃったな。僕は隣の建物にある学食に急ぐ。お昼の時間にかかっちゃってるから、近付けば近付くほど人が多い……。座れないってことはないだろうけど、席を探すのがちょっと大変そうな混雑だ。先に入ってもらっててよかった。
楽しそうにわいわい話すグループの脇を抜けて、机と椅子がずらりと並んだ学食の中を覗き込む。そこはさらに賑やかで、話し声のものすごい音圧で弾かれそうになるのをなんとか踏みとどまる。まるで駅に近いショッピングセンターのフードコートみたいだと思ったけど、そこより集まってる年代がぎゅっと狭いから、なんだか特殊な雰囲気だ。見渡す限り、同年代の私服の男女だもんなあ。どうも慣れないや。
「あ、来た来た、野木沢ー」
入り口からそう遠くないところから、声が聞こえた。この騒々しい中で、聞こえるほどの声で呼ばれるのは結構恥ずかしい……。僕は手を振る姿を見つけると、足早に近付いた。
「ごめんね、遅れちゃって」
6人掛けの席には、久我島くんと女子2人が座っている。えーっと、なんだっけ、名前……。思い出そうと頭を回転させてると、久我島くんがぴしっとカウンターのほうを指さす。
「オレたちもちょっと前に来て、昼飯買ったとこ。とりあえずおまえもなんか買ってこいよ」
「うん、ありがとう」
「いってらっしゃーい」
見れば、まだ湯気の立つ料理が3人の前には置かれている。わ、急がなくちゃ。手を振る女子2人に手を振り返して、人でごった返す注文カウンターに向かった。
なんだっけ。名前、名前。プレゼミで一緒になった人たちで、レポート発表の同じ班になった時に自己紹介してくれたはずだ。班でどの箇所を担当するかはちゃんと覚えてるんだけどなあ。
少し迷って、結局週替わりパスタを注文して席に戻る。3人の食事はだいぶ進んでいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
にっこり笑ってくれた斜向かいの女子。物腰の柔らかい子。なんだっけ。
向かいに座ってる子は、サラダをつつきながら久我島くんと話をしてる。
「そういうとこなんだよ久我島はぁ」
「えーっ、だってさあ」
なんか穏やかな話ではなさそうな感じ。できればギスギスするのはやめてほしいなあ、これからレポートの打ち合わせするんだから。……あー……うー…………口、挟んでおくか。
「どうしたの、食事時に険悪な雰囲気出しちゃって」
「おおよ、紺野がどこだか屋で爪弄ってきたっていうんだけど」
「なんか言い方が下品なんだよねえ。ネ・イ・ル・サ・ロ・ン!」
あ、そうそう。紺野さんだ。
紺野さんは、ずいっと僕の目の前に両手を揃えて出してきた。
「野木沢くんはどう思う?」
ええ……。僕がちゃんとした評価出来るとでも思っているんだろうか……。そういうの疎いから話題振るの勘弁してほしいんだけど。
仕方なく彼女の指先を見る。……うわ。すご。え、全部の指で違うんだ。小さなパールみたいな白い玉が並んで爪の上下を分けてて、下が真っ赤で上がマーブル模様になってるの、どうなってるんだろう。こっちは全部マーブルの上に同じく白い石で花が作られてる。
「すごいね、綺麗だ。こんな複雑な模様も表現できるんだね。あ、だから今日、パールのピアス着けてるんだ」
がたん、紺野さんが立ち上がる。えっと、失礼なこと言っちゃったかな……。
「ほらー! 野木沢くんはちゃんとわかってくれてるじゃん!」
あ、間違ってなかった? はあ……。
「おまえすごいな」
「ね、野木沢くん、これ、可愛いよね!」
「…………。うん」
「こいつ、魔女みたいだなとかぬかしたんだよ!」
「他に形容しようがなかったんだから仕方ねえじゃん」
うーん。なるほど。これはこのまま話題が続けば続くほど泥沼になるやつだな。感性の問題はすぐに解決しないから。話題変えたほうがよさそう。
わいわいしてるのをほっといて、僕はお皿と向き合う。今週の日替わりはチーズクリームのパスタだそうだ。
「……あ、このチーズソース美味しい。先週の週替わりなんだったっけ。学食ごとにメニューって違ったりするのかな」
ぼそっと呟いて、ふたくちめのパスタを口に放り込む。久我島くんと紺野さんのやりとりはそれでもまだ続いてる、でも敢えて気にしない。すると斜向かいの彼女がにこっと笑った。
「私も最近知ったんだけど、校内に点在する学食、入ってる企業全部違うんだって」
「え、じゃあメニュー自体全然違ったりするんだ」
「学生人気の鉄板はそれぞれ押さえてあるから、大きく違いはないみたい。だけど得意不得意はあるみたいで、密かにランキングが作られてるって噂だよ。ほら、いかにもカフェっぽいとこもあるでしょ」
「へえ。だから普段の授業で見ない人たちがたくさんいるのか」
「わざわざ遠くの学部から来てる人たちもいるから」
そうかあ。学校が大きいとそういうこともあるんだね。
すると紺野さんがそろそろと椅子に座り、隣の彼女の顔を覗き込んだ。
「それ、マジ? 全然知らなかったんだけど」
「だって。暇な時、一緒に巡ってみよー」
久我島くんもなにやら真剣な顔をしている。
「じゃあ、オレがハズレだと思ってるカツ丼も……」
「総合管理棟の丼ものはハズレがないって噂」
「うわー絶対行こ」
やれやれ。これで話し合いは無事出来そうだね。
それにしても、そうなんだ、違うんだ。じゃあ、いろんなレストランがあるのと同じじゃん。えー、僕も健ちゃんたち誘って食べ歩きしてみよう。
そうなんだよ……やっぱり本格的に授業が始まると、お互い忙しくなってきた。わかってたし覚悟はしてたけど、すれ違うことが多くって、一緒にご飯さえ食べられないこともある。……うーん。お昼にちょっとご飯一緒に食べるくらいなら出来ないかなあ。
意識はそっちに行きつつ、なんとなくおしゃべりしながらお昼を食べて、残った時間でレポートの分担を決めていく。この授業はレポートや論文の書き方、文献の調べ方なんかを学ぶための練習のようなものだ。だからどこに入ってもいいんだけど、今回僕は、狙う本命のゼミを受け持ってる教授のプレゼミに入れた。これで、実際ゼミに所属する時に人数制限がかかっても優先的に枠が確保される。さらに、何回かあるレポートで結果を出せば、確実に入れるんだ。僕なんかが目をかけてもらうには、1回1回が大事だもんね。
まあ……僕が前のめりなせいか、温度差があるのは仕方ない。とりあえず初回に関しては、時間がかかる下調べは僕がやって、あとはレジュメ作る時と発表の時に割り振りかな。どの程度の発表が要求されるのか、スケジュール的に先に発表が回ってくる他のグループの様子も見たいし。そんな感じに方向性がまとまった。おしゃべりの久我島くんがほぼ口を挟んでこなかったのが逆に面白かったけど。
「あっ、そろそろ次の授業始まっちゃう」
紺野さんが立ち上がる。そういえば、周りからもどんどん人がいなくなっていってるようだ。
「結構ぎりぎりだね。片付けはやっておくから早く教室に向かったほうがいいよ」
「でも」
「遅れてきたから、お詫び代わりにね」
「あー、今度奢ってもらおうと思ったのに、うまく逃げられたぁ」
「あはは。それはよかった」
「じゃあねー」
「また授業で」
女子2人は手を振って荷物を抱えると、腕時計を見ながら慌てて食堂を出ていった。僕はこの次が空き時間だから、時間には余裕がある。それに、早くひとりになって一息つきたかったし。全員で片付けなんてやってたらまた時間がかかっちゃう。
……って。久我島くんは行かないのか。
「久我島くん、授業は?」
「あー、ちょっと自主休講」
「ふうん?」
僕は自分のトレイに使い終わった食器を集めて重ねていく。ついでに久我島くんのも一緒に片付けるか。手間は一緒だから。
「野木沢って爽やかな顔して、アピールあからさまなのな」
「え?」
「積極的に片付けかわるなんてさ。うん、わかるわかる、ゼミん中でもあの2人特に可愛いもんなあ」
……ざわざわする。だめなやつだ。だけど、これが一般的な反応なんだ。そういうものだ。わかってる。
「そんなつもりないよ、ほら、返却口混んでるじゃないか。まとめたほうが効率的だっただけ」
「誤魔化すなって。可愛くないぞ!」
「……僕が可愛かったらおかしいでしょう」
「あはは、たしかに気持ち悪いな。で、どっちが好み? オレは田無さんかな~」
「うーん……」
…………。
そうだ、田無さんだ。思い出した。そうそう。班が同じだし、忘れないようにしなくちゃ。
僕は全員分の食器をまとめたトレイを持つ。
「それじゃあ、僕も行くね。自主休講ってことは帰るの?」
「おー。サークル寄って帰るわ」
「うん。お疲れ様」
「あ、調べるやつ、大変そうだったら呼んで? 手伝うから」
「うん、ありがとう」
決して悪い人ではないんだよなあ……。
食器を返して、図書館に向かうことにする。その前に、通りかかったトイレに飛び込んで、まっすぐ手洗い場に向かって、蛇口をひねる。水はあんまり冷たくない。だけど両手首をずっと冷やしていると、体が冷えて少し落ち着いてきた。授業が始まる時間だから誰もいないのも助かる。この、胸の中がぐちゃぐちゃしてる状態で人に会ったら、反射的に逃げてしまいそうだ。完全に不審者だよ。
鏡の中の僕と目が合う。
……そうだよね。ああいう、きらきらした人のことを可愛いっていうんだ。今、僕の目に映る範囲に、可愛いものなんてなにもなかった。
図書館で調べ物をして、最後1コマの授業を受けて、ってしても気持ちが戻ってこない。こうなると、僕は自分がなんで落ち込んでいるのかもわかんなくなる。たぶんそんな落ち込む必要はないくらい些細だったはずなのに。やだやだ、なんで僕ってこんなに面倒な奴なんだろう。こういう時は早く帰るに限る。駅ビルに寄るつもりだったけど、急がなくてもいいから今度にする。とにかく早く帰りたい。
早足で駅からの道を辿る。もう少し。もうちょっと。
階段を駆け上って、鍵を開けて、靴を脱ぎ棄てて、靴下のまま廊下を抜けて、リビングのドアを開ける。
……健ちゃん。
「あれっ。おかえり! 早かったな」
テーブルで本を読んでた健ちゃんがぱっと立ち上がる。あ、泣きそう。ぱたんと本が倒れるのも気にしてないみたいに、いそいそと僕のほうに来てくれる。僕は鞄を床に落とした。健ちゃん、健ちゃん。
「ただいま……」
「おかえりー。予定より早く顔が見られて嬉しい!」
言って、僕のことをぎゅっと抱き締める。うー……。
「ほんとにさ、おんなじ場所にいるってわかってるんだけど、大学内で会えないの寂しいよなあ」
「僕も寂しい……。でも会いたい会いたいってずっと思ってて我慢しきれなくなってからやっと会えるのもすき……」
「くっ……蒼生ってばロマンチックなことを言う……! もー、好き!!」
健ちゃんの腕が、きつくて痛い。でも、今はそれが心地よかった。
こんな僕じゃダメなのに。わかってるのに。
突然、健ちゃんが僕の頭をぽんぽんと叩いた。……僕は目を上げる。にこにこの優しい目。
「なんかあった?」
う。
バレてる。
「……もっと強くなんなきゃなあって、いうのが」
「そっかあ。蒼生はがんばりやだもんなあ。だけど急に走り出しちゃうとケガするからな。ペース保つのって大事だと思うんだ。ゆっくり、ゆっくりな」
「……うん……」
「って、冬矢なら言いそうだよな」
「ふふ、うん……」
ぎゅーってしてもらって、明るい笑顔を見てると、……元気出てきた。なんか全然大したことないやって気になる。大丈夫だ。うん。
「ありがと、健ちゃん。もう大丈夫」
「オレ何もしてねえよ?」
「ううん。大好きな健ちゃんがいてくれれば、それだけで頑張れるんだなってわかったから」
「! 蒼生~」
健ちゃんはそのまま僕を持ち上げて、……えっ? わ、わ。ちょっ……。声を上げられずにいるうちに、健ちゃんがソファに座る。向かい合った僕が健ちゃんの足の上に座ってる格好になった。
「び、びっくりした。重くないの?」
「重くねえな」
ずっとにこにこしてる。なんか、胸がきゅうっとして、嬉しくなって、頬が熱くなる。……健ちゃん。
僕の泳ぐ視線に、健ちゃんは頬を撫でてくれて、それから、キスをくれた。最初は軽く。次は、深いやつ。あやすみたいな舌が歯の裏をくすぐって、たまらず僕は健ちゃんの首に抱き着いた。きもちいい。うう。すき。
腕を離して見た顔が、やっぱり嬉しそうで。ほっとする。
「ごめんね、本読んでたのに」
「だって蒼生のほうが大事だもん」
「そうなの?」
「そうなの!」
僕は、そっか、と息を吐いた。でも、なんか、言わせたみたいだなってちらっと思ってしまって、それがちくりとくる。
「……何の本?」
「ああ、この前やってたドラマの原作漫画。学部の奴らと面白かったよなって話してたら、原作持ってるのがいて、漫画だとだいぶ展開違うよって言って貸してくれた」
へえ。
「短編集なんだけど、そのうちの2本をうまく組み合わせたドラマだったみたいだな。別物って感じで漫画も面白かった。他に収録されてる話も読みごたえあったぜ」
「それは僕にも読めそうなやつ?」
自分には関係ない別世界の物語にでも触れれば、気が紛れるかもしれない。そう思って軽く聞いてみただけだった。でも、健ちゃんは、間をおいてさらに「んんん」と唸った。
なに?
「蒼生にはちょっと早いかもしれない」
……は?
健ちゃんは顔を赤くして、ふいっと顔をそらす。
「あのな、ちょっと……だいぶエロいシーンがあるから……」
「そんな小学生みたいな理由で?」
「だ、だって、蒼生がエロい本読むとか、ちょ、ちょっと違和感がすげえ! 想像できない! 蒼生とエロが繋がらない!」
「ええ……」
つい今しがた深いキスした相手に言うセリフ? さんざん身体中、どころか中までぐちゃぐちゃにしておいて、想像できないってどういうことなんだ。
「健ちゃんの基準がわからない……」
「可愛い天使の幼馴染みがエロコンテンツに触れるなんてちょっとショック受けそうだから、読むならオレがいない時にしてほしい……」
「うーん、よくわかんないけど、わかった」
幼馴染みとえっちなもの、ね。なるほど、戸惑うものなのか。僕は何となくそういうものって年頃の子なんてみんな持ってるものなんだろうなと思ってた。だから中学生の頃、健ちゃんがベッドの下にえっちな雑誌何冊も隠してたのを普通に知ってたけど、ふうんと思っただけで何も言わなかったんだよね。もしかしてこれ、僕が知ってたなんてバレたらまた騒ぎになるんじゃないかなあ。よし、今後も黙っておこう。
……健ちゃんにとって、やっぱり僕は「可愛い幼馴染み」なんだなあ。もちろん、それは根底の話で、ちゃんと恋人だって思ってくれてるって知ってる。
だけど、その「可愛い」がなくなったら、健ちゃんは僕のこと「好き」じゃなくなるんだろうか。
健ちゃんの許可は得たと判断したので、ふたりがいない時に、僕はその漫画を手に取った。ドラマ自体を見てないとはいえ、原作になるだけあってすごく面白い。ただの恋愛もののオムニバスなのかなと思ってたけど、登場人物が男女関わらずみんな秘密を隠してて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って、全体で見た時にあれまさかこれって……って疑問を残す描き方になってる。続きも出てるみたいだ。どうなるんだろう、すごく気になる。
それで、健ちゃんが憂慮してたシーンについては、……うーん。たしかに多めだなあと思うし、けっこうしっかりめに描かれてるけど、目を覆うほどじゃないよな。そもそも性描写も色恋沙汰も、紙の上でならなんとも思わない。健ちゃんが僕に持ってるイメージってなんなんだろう。少し綺麗すぎるんじゃないかな。それが現実の僕と食い違うのに気が付いたら? ……怖い。だけど何年も付き合って一緒に暮らしてて今更、っていう気もするし。
だめだ、考えててもわかんない。
僕は読み終わったページを、もう一度ぱらぱらとめくる。ちょうど指が止まったのが、そういうシーンだった。可愛い女の子。「やだ、恥ずかしいからやめて、だめ」「隠しても無駄だよ」「いやっ……」ていうとこ。本当に嫌がってない表情で描かれてる。そういえば、僕ってこういうとこないよね。恥ずかしがるとか、言葉だけ嫌がるとか、そっか、可愛いよね。嫌よ嫌よも好きのうち、ってやつか。なるほど、僕にはこういう要素、足りてないな。
難しい。可愛い、ってなんだろう。
チャイムが鳴るのとほぼ同時、ぴったり授業が終わった。この教授、タイマーでもついてるのかなってくらい時間に正確なんだよね。僕は最後の一言までをルーズリーフに書き留めて、はあっと息をつく。
今日の授業はこれでおしまい。明日は完全にオフ。夕飯は僕の番。よし。
左に座ってた根津くんが片付けかけた束を覗き込んできた。
「わ、細かいね。こんなに書くところあったっけ……」
「ううん、大丈夫。最後の余談が個人的に面白くて興味があったからメモしただけだよ」
「そっか、重要なところ聞き逃したかと思った」
言って安心したように笑う。不安にさせちゃったのかな、申し訳ない。根津くん真面目だから。ただ、ほんとにこれは僕の趣味。あの教授の話が面白いから、後で調べてみようって思って、つい余計なことまで書いちゃう。今度研究室に顔出してみようかな。もっといろいろ聞いてみたい。
「なあ、この後、暇?」
右から久我島くんがずいっと近付いてきた。うーん。まだ夕飯の買い物してないけど、ちょっとくらいなら大丈夫かな。とりあえず携帯をチェックして……あっ。メッセージが入ってる。冬矢からだ!
『次の授業が休講になったから一緒に帰らない?』
…………! 嬉しい!
「ごめん、予定入ってる。また今度誘って」
「えっ……」
「なーんだ、残念。んじゃ、今度な」
「うん、ごめんね」
僕はすぐさま教室を飛び出して、今から行くねって返事をする。なんだかんだ人と一緒だったりタイミングが合わなかったりで一緒に帰れる日ってなかなかないんだよね。管理棟のとこにいるって言ってた、早く行かなくちゃ。
正門に近い管理棟の周りは、授業が終わった時間のせいか、人がたくさんいる。帰っていく人たちや、これから来る人の流れ。その向こうに掲示板があって、ほとんどの人が通り過ぎる、その前に立ってる姿が見える。そこだけ明るいからすぐわかる。
引っ張られるみたいに、足が進む。すると、ぱっと冬矢が振り向いた。涼しげな表情がふわりと温かくなって、細めた目の下で唇が動く。「あおい」って。……っ。
飛び込んでいきたい。それを我慢するのが大変だった。
「おまたせ」
声が聞こえる距離までなんとか通常の歩幅で歩いて、それだけ伝える。冬矢はふっと微笑んだ。
「いきなり呼んでごめんね。急遽決まったらしくて。せっかく蒼生と同じ時間に帰れるチャンスがあるなら逃したくなかったんだ」
「ううん。嬉しい」
弾みそうな声を抑える。さっきから、背中越しにちらちらと視線を感じてる。そうでしょう、こんなにかっこいい人だから、思わず見ちゃうよね。その気持ちはよくわかるよ。でも、その目は今、僕しか見てないんだ。
あー。穏やかな笑顔の形の唇。今すぐ抱きついてキスしたい。ダメだけど。
「あれ、そこ……」
「え?」
冬矢が僕の肩を見て首を傾げる。なんだろ、つられて見るけど別にどうもなってない。ゴミでもついてるかな。
「ここじゃあれだな、ちょっと来て」
なに? 軽い感じで冬矢が手招きして、僕はそれについていく。掲示板の奥、誰もいない細い通路に進んで行く冬矢。へえ、こんな通路があったんだ。先には裏口みたいなドアがあって、位置的にこれって中庭に出るのかな? 中庭なら向こうの大きな扉から出ないとこっちに道はなかったはずだけ、ど。
……え。
途中で急に振り返った冬矢が、触れるだけのキ……っ。
え? あまりにも一瞬で、え? 冬矢はふふっと笑う。
「キスしたそうだったから」
…………!
「とっ、冬矢といると心臓もたない……」
「そうだね。俺も蒼生に同じこと思ってるよ」
う、うわー。うわー。な、なんか、液体になりそう。よくわかんないけどそんな気がする……!
そ、そこからは特に何もなく、いやあったら大変だし冬矢は絶対に外でそれ以上のことしないってはっきり宣言してるしそれはちょっと残念に思ってるんだけどそれはそれとして、普通に大学を出て、普通に電車に乗った。たぶん、自然に。電車に乗ってる時間は少しだから、冷静な顔で、ただ隣に立ててたと思う。だけど、内心、もう、ほんの少しだけ触れるこの腕に縋りつきたいっていうのでいっぱいになってた。触れてほしい。撫でてほしい。溢れそうになる。
「蒼生」
っ。囁く声。電車内だもんね、そうだよね、周りの迷惑になるから静かにしなくちゃだもんね。
「なっ、なに……」
「買い物行くだろ。一緒に行こう。あとそれから駅ビルに寄るんだったよね」
「え……うん」
あ、この前の。別に急いでないからいいやって思って、結局行ってないんだった。
「蒼生が行った様子ないからって健太が気にしてたよ」
へ? 胸がぎゅっとなる。そんな、些細なこと覚えて、気にしてくれてたの? ……ぼ、僕……本当にふたりに好かれてる、の、かな。そうはっきり自惚れててもいいのかな……。
「何を見に行くの?」
はっ。で、電車内、電車内。ちゃんとしてなくちゃ。深呼吸して整える。
「あの、傘……。折り畳みのがね、壊れちゃったんだ」
「ずいぶん長いこと使ってたあの傘か」
「うん。もともと、あれお下がりだったし骨曲がってたしで使いづらかったんだけど、とうとうこの前の酷い雨で再起不能になっちゃった。ここまで使い込んだら新しいの買ってもいいんじゃないかなって思って」
「それだけ使ってもらえれば、傘も喜んでいるだろうね。蒼生は物持ちがいいから、長く使えるいいものを買ったほうがよさそうだ」
いい傘、かあ。そういえば長い傘もしばらく買い換えてないな。
僕たちは最寄り駅に着いて改札を出ると、すぐそこに見えるエスカレーターに乗った。この駅ビル、いろんなお店が入ってるから便利なんだよね。そんなに大きな建物じゃないんだけど、雑貨とかちょっとおしゃれな日用品とか洋服とかあんまり縁がなさそうな店から、文房具やCD屋にレストラン街まで、一通りここだけで用事が済んじゃう。僕たちがずっと住んでた街は、一応地方都市でも大きいほうで、もっと大規模なビルがたくさんあったけど、このくらいこぢんまりしてるほうが身の丈に合ってる気がする。
雨具が揃っている売り場には、長い傘や日傘に折り畳み傘、子供用の傘なんかが目移りしちゃうくらいたくさん並んでいた。これはマズい、悩んじゃうやつだ。とりあえず目当てのとこだけ見るようにしなきゃ。ええと、出来るだけシンプルで使いやすそうなのはどれかな。
しゃがみ込んでいくつか手に取って比べてみてると、向こうからわあっと楽しそうな声がした。ふと見ると、子供傘の棚の前でお母さんと、幼稚園入る前くらいかな、小さな男の子が楽しそうに傘を選んでいる。
「これ! おそとみえるののかさ!」
「こっちのカエルさんも可愛いよ」
「かわいいの、や! かっこいいがいいんだもん」
「そっか。じゃあこのネコさんは? かっこいいよ」
「や! くじらさんにする!」
「それが気に入ったの。うん、くじらさんにしようね」
可愛いなあ。あんなに小さいのに、こだわりがあるんだね。ああ、思い出す。健ちゃんもあんな感じだったなあ。ある時突然、かっこいいのがいい、って言い出して。ななママが困ってたっけ。男の子なんてそんなもんよ、ってうちのお母さんに慰められてたな。僕はそもそもシンプルなやつのほうが好きだったし、上2人からのお下がりも多かったから、健ちゃんのこだわりを不思議に思いながら見てたっけ。
冬矢も、そのやりとりを穏やかな顔で見てる。
「最近はああいう可愛い傘がたくさんあるんだな」
そうだね。パステルの色合いだったり、同じ生地で大きな耳が付いてたり、取っ手のところの先っぽに顔が付いてたり。僕たちが小さい頃にああいうのってあったっけ。可愛い傘。うん、あの子も、あの傘も、可愛い。ああいうのが「可愛い」だよね。
「あれだけ大きな耳が立ってると、風の抵抗とか受けないのかな」
「それは影響ありそうだな」
そんなちょっと夢のない話をしながら、僕は手元に目を落とす。無難な無地の黒い傘。やっぱり僕が持つならこういうの。それについては抵抗も疑問もなくて、これがベストだと思ってる。「可愛い」ものは似合わないし、そもそも持ちたいと思ってるわけでもない。
「蒼生」
はっとして顔を上げる。冬矢はその手に1本の黒い折り畳み傘を持っていた。
「それもよさそうだけど、こっち、持ってみて」
「うん。……え、軽っ!」
手渡されたそれは、反対の手で持っている傘と比べるとものすごく軽い。びっくりするくらい軽い。袋からも出しやすいし、開くのも簡単でかちりと素直に止まる。たたむ時も骨が折り曲がるからやりやすい。
「使いやすそうだし、軽くて細身で持ち歩くにはいいと思う。蒼生は雰囲気が優しいから、こういうシックな雰囲気の傘をさすと、凜とした綺麗さが引き立ってすごく合うと思うよ」
柄はやっぱり無地で、これだって無難っていえば無難だ。なのに、冬矢の言葉ひとつですごく違って見える。というか、今、傘じゃなくて僕を褒めてた……?
「他にも見てみようか」
「ううん、これにする……」
冬矢が僕に合うって言ってくれた傘だから。
……冬矢は、僕が「可愛い」じゃなくなっても、それでも、こんなふうに言ってくれるのかな。僕を嫌いになったりしないかな。
立ち上がって冬矢と向き合う。
「あの、さ。冬矢。もし、僕が」
…………あ。無理だ。僕は言葉を飲み込む。ダメだった時が怖すぎる。そんなの好きじゃないよって言われたら。
「? 蒼生?」
「ごめん、なんでもない」
「気になるな」
「うーん……。もうちょっと整理してからしゃべる……」
「……わかった。整理できたら言ってね?」
怖い。そういえば、可愛いって初めて言われたのは、付き合ったばかりの頃だ。あれから何年経ってる? 大人に近付いた僕は、まだ、ふたりにそう思ってもらえるんだろうか。
どうしようかな。昨日は魚だったから、今日は肉かな。うん、そうだ、野菜と一緒に炒めよう。
「えっと、キャベツ……」
「もう入ってるよ」
カートを押してる冬矢がにこにこと答える。早い。僕が悩んでいる間に、いろんな野菜がカゴの中に入ってる。僕なんかはまだ初心者だから、メニューを決めてそこから食材を集めてくんだけど、冬矢はその時冷蔵庫にあるものでアレンジしてさらっと美味しいごはんを作る。かっこいいよなあ。僕もそういう境地に至りたい。
……という真面目な決意をしながら、僕はめちゃくちゃドキドキしてた。カートを押してついてくる冬矢、っていうこのシチュエーションが、なんか、すごく、なんていうのかな、うーん。「慣れない」? 買い物に付き合って後ろから付いてくのは子供の頃からやってたから、それと同じはずなのに。一緒に食材を選んで、一緒に帰って、一緒にごはん食べるんだって思うと、うわああああってなる。僕がケースから取ったパックを受け取ってカゴに入れるの見てると、一緒に暮らしてるんだって……実感が……! 実感も何も、ちゃんと一緒に暮らしてるのに、ふとした瞬間に、こんなふうにうわあってなっちゃうんだよなあ……。
「それにしても、健太みたいなタイプって野菜嫌いが多いような勝手なイメージ持っていたけど。食べられないものがないって、選択肢が広がっていいよな」
カゴの中を眺めながら、冬矢が言う。あっ、うん、そうだねえ。
「最初から食いしん坊で何でも食べてたよ、健ちゃんは。幼稚園の頃に野菜嫌いの子がいて、なんでだかそれがかっこよく見えたらしくって、一時期ファッション好き嫌いしてたけど」
「ファッション?」
「そう。ピーマン食べないにんじん食べない何でも拒否するオレ! って。一種の反抗期だったんじゃないかなー」
「簡単に想像つくな。けどちゃんと直ったんだ」
「うん。実はねえ、野菜嫌いだったのは僕のほうなんだ」
今でも辛いのとか苦いのは苦手なんだけど、あの頃はまったく食べられないほどだった。それこそ最初はピーマンだったように思う。苦い、ダメだ、と思ったら他の野菜も食べられなくなっちゃって。
「なるほどな。それでふたり同時に克服できたわけか」
冬矢が頷く。え、ちょっと待って?
「……僕まだ何も言ってないんだけど」
「察してるけど、一応聞く」
「えっと。家で残すと怒られるじゃない? 僕と健ちゃんのお皿には、どっちも最後にピーマンが残るんだよね。このままだとふたりとも怒られるけど、健ちゃんが食べたくないんだから僕が頑張らなくちゃって思って、必死でふたりぶんのピーマンを吐きそうになりながら食べてたんだ。そしたら、健ちゃんが、僕が食べさせてくれたらきっと美味しいから食べられるって言い出して」
「まあ、あいつは元から食べられるんだからな」
「その時はファッションだって知らなかったからね。言われて健ちゃんに食べさせてみたら、美味しい美味しいって食べちゃってさあ。それならオレが食べさせたら蒼生も美味しいんじゃない? って言うから、なるほどそうなんだーって思って」
「それで?」
「……美味しかったんだよ」
はー、と冬矢は深く息を吐いた。
いや、あの、暗示ってすごいなってお話ですよ。それ以来きっかり食べられるようになったんだからさ。
「蒼生」
「はっ、はい」
「そろそろ健太も授業終わる頃だから、荷物持ちに呼び出してやろう。それから、買い物終わったらそこのコーヒーショップ寄ろうね」
「? はい。……?」
それってどういう流れ?
食材の買い物が終わると、宣言通り冬矢は僕を連れてチェーンのコーヒーショップに寄った。で、生クリームの乗った冷たくて甘いのをひとつだけ注文する。夕飯前なのにいいのかなあ。それから冬矢は人目につきにくい席の奥に僕を押し込むと、ぐいっと体を寄せて、そのカップと僕と一緒に写真を撮った。
「……何してるの?」
「健太に送る」
ええ? 何て?
冬矢は僕にカップを渡して、携帯を弄る。本当に健ちゃんに写真送ってるのかな。……ところで、これ、渡されたんだから飲んでいいんだよね。コーヒーの類いはまったく飲めないわけじゃなくて、めちゃくちゃ甘ければ飲めるんだ。ストローを差して一口飲む。するとまずキャラメルの味がする。ふむ、甘い。クランチがさくさくで美味しい。
「……よし、と。それ、どう?」
「美味しい~」
「じゃあ俺も」
手じゃなくて顔を寄せてくる。冬矢のほうにカップを傾けると、ストローをぱくりと咥えた。……わ。それだけのことできゅんとしちゃう。
「うん、美味しいね」
「ね」
えへへ。わけっこだ。嬉しい。
飲み終わる頃に、健ちゃんから短文のメッセージが入る。「駅」「着いた」って連続して。慌てて打った文って感じ。
店の外に出てちょっとすると、健ちゃんが人の流れを気にしながらダッシュでこっちに来るのが見える。とたんに胸元がさみしくなる。嫌な意味じゃない。ここに、熱がほしい。ぎゅって。して。欲しい。
目が合った健ちゃんは、にこっと笑って、走ってきた勢いで、僕にがばっと抱きついた。あ、と思う間もなく離れちゃったけど。たぶん周りからは気が付かれなかったか、バレてもふざけてぶつかったくらいに見えたと思う。
僕の両肩を掴んだまま、健ちゃんはじとっと冬矢を睨む。
「おまえさぁ……。オレ呼び出す時、いちいち煽るのなんなの」
「羨ましかっただろ?」
「めちゃくちゃ羨ましかったわ!」
……あれ。これって。もしかしてなんだけど、唐突にわかったような気がする。冬矢、僕と健ちゃんの昔の話聞いて、やきもちやいたんじゃないの? だから健ちゃんにも羨ましがらせたくてわざと仲良くしてる写真送ったんじゃ。
うわぁ。
健ちゃんは冬矢にぶつぶつ文句を言いながら、すっと僕の手から買い物袋を取った。そのままふたりして歩いていく後ろ姿を見ると、胸の中がぎゅうってして、叫びたくなる。人がほとんどいない道に入る頃には、それが体を突き破って溢れそうになった。
「あの」
涼しい顔の冬矢と、険しい顔の健ちゃんは、呼び掛けると、振り向いた時にはすごく優しい表情をしてる。
「うん?」
「どうした?」
ああ、好きだなぁ……。
「あ、の……その……きょ、今日……抱いてほしい……です……」
僕の言葉に、ふたりは別々の、でもどっちも嬉しそうな顔で頷いた。
健ちゃんに後ろから抱き締められて、頬や首筋に繰り返し貰うキスは、くすぐったくてきもちよくてふわふわする。冬矢は、真正面の近い距離から、髪を撫でて僕の目を覗き込んでくる。
全部が見えちゃうから、電気つけっぱなしって恥ずかしいかもって思ってた頃もあるんだけど、今は明るいほうが好き。だって、僕もふたりの顔をちゃんと見たいもん。
「蒼生……可愛い……」
吐息混じりに健ちゃんが呟く。
あ。
そうだ。意識しなくちゃ。可愛く、可愛く。
なにを、どうしたら? ここのところずっと考えててもわかんなかったんだから、もう、僕が「可愛い」と思ったものの真似をするしかない。ええと。たとえば、そう。言葉だけ嫌がる、だ。
健ちゃんの指が、するりと乳首に下りてくる。軽く弾かれて、っ、それからやわやわと先端を撫でられる。うー。気持ちいい。
「やっ、……やだぁ」
「そっか、嫌か」
……え?
健ちゃんはそのまま手を滑らせ、腰骨の辺りをゆっくり触る。それも、気持ちいいけど。
「蒼生、ここ、いい?」
上半身を落とした冬矢が、僕のちんちんに触る。あ、な、舐めてくれる、のかな。
「恥ずかしい、だめ……」
「うん」
冬矢は体を起こして、頬にキスをくれる。
あれ?
「じゃあ、蒼生、オレの、してくれる?」
さっきから腰で感じてる、健ちゃんの熱。背中でもわかるくらい、びくびくしてる。
「無理、そんな、できない……」
「わかった」
なんで?
あれ?
どうして?
「なんで?」
頭で思ってる言葉が勝手に口から出てきた。
「なんでやめちゃうの?」
冬矢が首を傾げる。健ちゃんが不思議そうな顔で後ろから覗き込んでくる。
「なんでって、そりゃ。蒼生が嫌だって言うことは出来ないし、したくないよ」
「い、いつもしてるから、ダメじゃないってわかるのに?」
「いつも大丈夫でも、なんかあって今日はダメってこともあるだろ?」
違うのか。こういうの、求められてないんだ。
そうか……そうだよね……。ふたりは優しいから。ちゃんと話を聞いてくれるひとたちだから。考えてみれば当然だった……。
「蒼生?」
心配そうな声で、健ちゃんが僕の横に来る。肩を抱いてくれる手が優しい。
「あの……こういう態度、可愛いと思ったんだけど、違う……かな……?」
「どういうこと?」
僕の膝をそっと撫でながら、冬矢は微笑むような眼差しを僕にくれる。
「……あのね」
いったん口を開くと、そこから先は、止められなかった。
「ふたりが僕を可愛いって言ってくれることの意味がわからなくなった……。それが好意の意味だっていうのは最初から知ってたし、ふたりがそう思ってくれるなら、ふたりにとってはそうなんだろうって思ってたんだ。だけど、“可愛い”って見渡す限りそこら中にたくさんあって。どれもこれも僕とはまったく違うんだ。鏡を見たって、内面を省みてみたって、どう考えても僕は“可愛い”じゃないんだ。ふたりは“好き”って意味で“可愛い”って言ってくれてる。だから、“可愛い”じゃなくなれば“好き”じゃなくなるのかなって急に怖くなった。こんなの……僕のどこが“可愛い”の?」
言っちゃった。
こんなめんどくさいと思われること、言いたくなかったのに。
あー。
ふたりの顔を見るのが怖くて、途中から僕は顔を伏せていた。はっきり面倒って言われたら、……どうしようかな。どうしよう。
沈黙が、怖い。
「……今のもめちゃくちゃ可愛いけどなあ?」
「え?」
心底不思議そうな健ちゃんの声がして、僕は思わず顔を上げた。そこには、声通りの顔をした健ちゃん。どういう意味かわかんなくて意図を探ってると、急に「あっ」と言って手を叩いた。
「さっきのやつ、あれだ! オレが借りてきた漫画の真似だ!」
……うわ、バレて……っ。
事情を知らない冬矢が健ちゃんを見る。
「漫画?」
「そう、ドラマの原作のやつ。友達が貸してくれて、蒼生も読みたそうにしてたあれ、そっか、読んだんだ。あー、はいはい。恥ずかしがり屋で素直になれないで本心隠そうとしてたのにドSの彼氏にどんどん暴かれていっちゃう、あの子の真似してたのか!」
「なるほど、道理で棒読みだったわけだ」
えええ……。冬矢、さっきの、「棒読みだな」って思いながら聞いてたの?
「……バレてたの恥ずかしい……」
「あ、これはホントに恥ずかしいって思ってるやつ!」
追い討ちを食らって、僕はそのままベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。健ちゃん、正解なんだけど、……はっきり言わないで……。
ああ……ほんとに恥ずかしい。
肩の下に手が差し込まれて、僕の体はころんと上向きにされる。そんなことをさらっとするのは健ちゃんだ。健ちゃんは僕の両頬を両手で包み込む。あったかい。それから目を覗き込んできて、にぃっと笑う。
「蒼生はえっちなこと好きだろ」
「好き」
「へへ。そうはっきり即答できちゃう蒼生のことが好きなんだからさ、それでいいんじゃねえの? 好きなとことか気持ちいいとことかちゃんと言えるの、すごく可愛いと思ってるよ」
「……そうかなぁ」
なんかがっつきすぎというか……はしたないんじゃないかなあ。
冬矢が横から髪を撫でてくれる。髪の間を滑る指がきもちいい。
「まあ、俺は恥ずかしがる蒼生も可愛いと思うけどね。無理とか嫌って、これから先、いろんなことをしているうちに口に出てしまうこともあるだろうし。それでも文脈や態度でちゃんと判断するから、もし言っちゃっても大丈夫だから気にしないで。……さっきは全然そんなこと思ってもいないくせにわざと嫌だって言うから、意地悪しただけだよ」
「やっぱり、バレバレだったんだ……」
「えっ。オレ本気かと思った」
「さすが健太」
「おっ、バカにしてる?」
「いや、素直さを褒めたんだよ。おまえはそれでいいんだ。だからこそ蒼生が素直になれるんだと思うよ」
健ちゃんにそう言うと、冬矢は僕の手に指を絡ませて、改めてまっすぐに僕を見た。
「だけどね。蒼生が言葉だけで嫌がる、それが癖になって、本当に嫌なことを見逃したら困るから……。やっぱりそのままの蒼生でいてほしいな」
……あっ。
僕は、すごく、大事なことを忘れてたことに気が付いた。
約束だったのに。
冬矢の手をぎゅっと掴んで、健ちゃんの手に僕の手を重ねる。
「ごめんなさい。最初にえっちした時、約束したよね。嘘つかないって。全部言うって。……約束破ってごめんなさい……」
ふっと空気が優しくなる。それから、ふたりして、触れるだけのキスを、額に、肩に、くれる。
耳元で、冬矢が。
「そこまで不安にさせちゃった俺の責任だよ。ごめんね。ここのところ少し忙しかったから、甘やかし足りなかった。反省してる。……今日は、蒼生のどこが可愛いか、思った時に全部伝えながらシようね」
え。
健ちゃんは楽しそうに笑った。
「なるほど、そういうことか。よし、全部言うからな。それじゃあ仕切り直しってことで」
僕が反応するより早く、健ちゃんは僕の口に舌を突っ込んできた。激しく僕の舌を絡めとって、それから、思いっきり吸う。い、息が。
「んっ……んんーっ、ぅ……」
「っ、は、キスですぐとろんとしちゃうとこ、可愛い」
冬矢が胸元に舌を這わせて、ちゅ、と音をさせながら短く乳首を弾く。
「……ぁっ」
「くすぐったいって言うけど、乳首弄られるの好きなの隠せてないの可愛いね」
健ちゃんも胸に降りてきて、
「しゃぶりついて舌で転がされるのが一番好きなとこも可愛い」
「んっ……」
……こ、こういうことか! 待って、これ、どう対応したらいいかわかんない。顔っていうか、頭に血がのぼってくらくらしてくる。
「蒼生のここ、もうぴくぴくしてる。可愛い」
「あ、はぁ……!」
冬矢は今度は何も聞かず、ちんちんを咥えてきた。あっ、あ、ぬるって絡み付いてくる、熱い舌が、ぐりぐりって裏の先端に近いとこ、を、
「あ、気持ち、い、あっ、んぅ……っ」
「……ぁわい……」
「しゃべ、っちゃ……あ、やぁ……」
強くつついてきたかと思うと、優しく辿られて、それから吸い上げられて、くるくる先端を舐められて、あー……。
その間も、健ちゃんは、乳首をころころしたり、やんわり噛んだり、赤ちゃんみたいにちゅうって吸ったり、して、きて。
……きもちい。
もっと。
もっとほしい。
健ちゃんの手が、にゅるりと僕の後ろに触れる。
「っあ」
「……ここ、ひくひくしてる。可愛い」
あ、ぐちゅって、入ってくる。あー。
「ま、前と後ろ、ん……っあ、いっぺん、は、や、うー……あ、あっ」
きもちい。
「さっき、“待て”食らっちゃったから。これ以上我慢できねえよ?」
顔を上げた健ちゃんが耳元で囁く。
そっか……。
じゃあ、もうすぐ、くれるんだぁ……。
「……う、れしぃ……いっぱいに、して……」
「はっ……。これで自分が可愛いことわかんねえっていうんだから、無自覚って怖ぇ」
「へ……?」
健ちゃんが言った言葉の意味を考えようとする前に、ふたりの口と指が、僕から、離れる。ぞくぞくっとして、思考がぽんっと飛んだ。
え。なんで。もっと。
「欲しがる顔も可愛い」
健ちゃんが覆い被さるみたいにキスをくれる。舌で唇をくすぐられて、……もっと。口の中まで来てほしい。
急に、腰が持ち上げられる。あ、冬矢だ、って思った時には、挿入って……っ、
「あ……あぁっ、あー……っ!」
ずぶずぶと、僕の、中、あ、拡がる。
足りなかったものが、元の場所に収まった、ような。
「こんなにきゅうきゅうさせて……可愛いね」
冬矢が腰の後ろをさする。ぞわっとする。
「ふふ。そんなに俺が挿入るの、気持ちいいんだ」
「うん……っ、あ、きもちい……ぃ」
「声震えてるの可愛い……」
丁寧に、中をなでてくれる。
ふわふわする。
羽毛布団で全身を包まれてるみたい。
頬に大きな手がかかる。
「蒼生。こっち、嫌?」
あ、健ちゃん気にしてる。ごめんね。
「……や、じゃない、……ちょう、だい」
揺らされながら、手を伸ばす。腰が持ち上げられてる、から、ちょっとくるしい、けど、上半身を捻って、健ちゃんのちんちんにキスをする。こっちも、熱い。手に余る質量を、口いっぱいに。あ、もう、濡れてて、ぐちゅって音がする。
「んっ……んー、っは、んっ……ぷ、は、ん……っ」
はいりきらない。
どっちも。
あー。
冬矢がきもちいとこを少しずつ角度を変えてこすってくれて。
健ちゃんを舌で、上顎で、口いっぱい感じて。
自分と違う鼓動が、僕を支配してく。
「……おいしいの?」
耳を優しくなぞりながら、あ、きもちい、そんなことを、っ、聞く。たぶん、僕は頷いた。なんか、上も下も、両方で感じたくていっぱいいっぱいで、よくわかんない。健ちゃんが笑ったから、たぶん、頷いたんだと思う。
「そっか。口いっぱい頬張るの、可愛い」
「……んんっ!」
冬矢が、とん、って、ここにいるよ、って僕の中から呼ぶ。
知ってる。
左手を伸ばす。
冬矢がそれを握ってくれる。
「……必死な指も可愛いね……」
処理しきれない……。
僕のちんちんに誰か触れた。この感じは、あ、健ちゃんだ。
だめ。
「んうー、ん、んっ、ぁめ、らめ、も、」
今、触ったら、だめ。
だけど、そうだよね、わかっちゃうよね、文脈、だっけ。
この、だめは、だめじゃない。
「ひっひゃう……う、う」
伝わんない気もした、だけど、口も離したくなくて。
「……んーっ! っあ!」
だけど、咄嗟にその瞬間、口を離した。危なかった、噛んじゃうとこだった。でも、
「……っ!」
数秒遅れて、健ちゃんが僕の口の中に、熱いのを出した。
それを待ってたわけじゃないはずだけど、冬矢がぐりっと僕の中を抉る。
「んっ!」
……あ。飲み込んじゃった。ぜんぶ。うー。
「ふふ。それは美味しくないよね。……可愛い……っ」
「あ……んっ、はぁ、あ、んーっ、ん……」
僕の言葉を奪うみたいに、冬矢が動く。それが、少しずつ、早くなってって。
びくっ、と、震えた。
それは僕の中でも。
はーっと息を吐いたのは、冬矢だったのか、僕だったのか。
冬矢は僕の中からずるりと出ていくと、僕の肩に手を伸ばす。それからその手にぐっと力を入れると、僕ごと後ろに倒れ込んだ。冬矢に覆い被さる形になって、重くないかなって心配になったけど、冬矢は嬉しそうに僕を両手で抱き締める。
「やっぱり蒼生は可愛いよ」
うー。なんだかキャパシティがいっぱいになってきたぞ。
「あ、ふたりともそのまま」
「え?」
健ちゃんが、僕の背中にのしかかってくる。
熱い、え?
「健ちゃん、復活早くない……?」
「冬矢に喘がされるの見てたらたまんなくなった」
そ、そうなんだ……。
「ふ。俺に抱かれる蒼生は可愛いだろ」
「……むぐぐ。可愛いよ! めちゃくちゃ可愛いよ! だけどもっと可愛いの見せてやるからな!」
「見せてもらおうか」
まったく、変なとこで張り合うんだよね。
僕は、顔だけを健ちゃんに向ける。
「健ちゃん、ちゅ」
「!」
はっとしたように、健ちゃんは僕に短いキスをくれた。
「……はやく、きて……」
「ここでもう可愛いもんな……っ」
「あ、あぁっ……」
ぬるぬるってして。すぐ。ぐーって。あ。あっ。
「はっ……あ、き、もち……」
冬矢が穏やかな目で笑って、僕の頭を撫でてくれる。
胸がぎゅってなる。
僕の中をたくさん広げた健ちゃんが、ゆるりと腰を動かした。
ぐりって、
「っ! ……いま、の、そこ、すき……」
「ここ?」
「んっ、そこぉ……」
ちんちんの、先っぽと、境目のとこで、きもちいとこ、こりこりするの……あ、脳みそがぐちゃぐちゃになりそ……っ。
そこを、健ちゃんは、勢いよくこすってくる。
さっきとは違う、突き上げられてるような、きもちよさ。
「あっ、あ、は、あ、あー……っ」
撫でていた頭の手にぐいっと力を入れ、僕の唇を、冬矢が塞ぐ。
「……ふ、んぅ……う、」
舌が入ってくる。優しく、僕の舌の裏側をなぞる。
健ちゃんが、僕の腰を下に押しつけるように、ぐぐっと入り込んでくる。
あ、また、違うとこが、気持ちいい。
わ。
「こぇ……んっ、あ、んんっ!」
「俺にこすりつけちゃって。えっちで可愛いね」
「ひが……ぅ、ぇんひゃん、あ」
冬矢は僕の舌を離してくれない。違う、健ちゃんが、って言ったんだ、角度変えたから、それで、ぼくのちんちんが、ちょうど、冬矢のと擦れる位置に……。
あー。
でも、きもちぃ……。
「……えっひ、で、いい……?」
「いいよ。えっちな蒼生大好き」
そっか。
じゃあ、いいやぁ……。
「オレもえっちな蒼生好きぃ……」
耳に近付いて、健ちゃんが囁く。
なんかもうぐちゃぐちゃ。
浮かされて、揺らされて、かき混ぜられて。
ぼーっとする頭で、初めての夜のことを思い出していた。
あの時も、たしかこんな感じだった。
健ちゃんと冬矢の間に挟まれて。
好きだよって、可愛いって、たくさん言われて。
あいしてくれてるって、実感したあの日のことを。
……動きたくない。
いやシャワー浴びなくちゃとてもじゃないけど寝られない、だけどまだちょっと無理。
うつ伏せで枕を抱き締めてぼんやりしている僕の背中に、健ちゃんが寒くないようにとタオルを掛けてくれた。優しい。
「おわかりいただけただろうか……」
なんか聞いたことのある言い回し。
「なにが?」
聞くと、反対側の冬矢がぽんっと頭に手を乗せてきた。
「だから、蒼生のどこが可愛いか……だっけ」
「うーん……。わかんなかった。だって、しょっちゅう言うんだもん。口開くたび全部言うから、一体どれのことなのか」
「なんだ、わかってんじゃん」
「へ?」
僕はちょっと頭を上げる。あっ、腰痛っ。
「だからさあ、全部だよ。髪の先から爪の先まで、ひとつひとつのパーツも一挙手一投足も言葉も声も吐く息も、とにかく全部なんだってば」
なんだそれ。
体を起こそうと腕を突っ張ると、冬矢が助けてくれて、冬矢に寄っかかる体勢になった。健ちゃんもあぐらをかいて僕の正面に座る。
「蒼生は、蒼生自身に“可愛い”を探してるみたいだけどさ。オレが口にするそれは、蒼生を見たオレの中から出てくる可愛いなんだよ。オレは蒼生が何しても、蒼生のことを“可愛い”って感じるんだ。だからさ、自分から可愛いがなくなったらなんて、全然いらない心配ってこと。オレが生きてる限り、蒼生の可愛いは無限に生まれてくるんだからさ」
「…………」
僕はぽかんと健ちゃんを見る。後ろの冬矢にも念のため確認すると、冬矢は優しく頷いた。
「……思ってたよりスケールが大きい話だった」
素直な感想を口にする。僕の主観は関係なくて、健ちゃんと冬矢の主観の問題なの? そんなのいつか変わってしまうものだ、人間の価値観はそういうものだ、って頭では理解してるんだけど、不思議と健ちゃんが言い切ると「そうなのか」って納得しちゃう。
そっか。
健ちゃんは、冬矢は、ずーっとそう思ってくれるんだ。
でも、ダメだ。
「そ、それはわかった。だけど、それで、ああよかった……って僕がサボってちゃいけないと思うんだ」
「ふーん?」
「ふたりの愛情に甘えてるばかりじゃなくて、僕だってちゃんとふたりに返したいと思ってるんだよ」
優しいから、そのままでいいって言ってくれるけど。
それじゃ僕自身が納得できないから。
「甘えられてばっかな気はしてねえし、逆に蒼生にはもらってばっかだと思ってんだけど、……蒼生としてはもっと何かしたいって思ってるってことか」
「うん……。でもどうしたらいいのかわかんなくて。た、たとえばなんだけど、今も、僕だけ気持ちよくしてもらってるのがもどかしくて。噂によると、なっ、中で気持ちよくなってもらうテクニックもあるらしいんだけどっ……」
や、やり方? そのへんがよくわかんないんだ。
だけど僕だってふたりに気持ちよくなってもらいたいし。
健ちゃんと冬矢は目を見合わせる。
「うーん。オレは、そんなに気にしなくてもいいと思うけどなあ。蒼生が気持ちいいって反応してくれると、あーオレが蒼生のこと気持ちよくしてるんだーって精神的にものすごく満足する。なあ、冬矢?」
「ああ。そっちの満足感を得ることのほうが嬉しいからな」
「それにさ、蒼生は自分だけって言うけど、オレ、ちゃんと気持ちいいよ。蒼生が気持ちいいって言う瞬間あるじゃん? あの時オレもめちゃくちゃ気持ちいいんだよな、言い当てられてんじゃねえかってくらい同時にさ。だから、蒼生には遠慮なく気持ちよくなっててほしいわけですよ」
「……そうなの?」
頷いて、健ちゃんは腕を組む。
「たぶん、蒼生は最中に余裕がないから、オレたちが気持ちいいの気付いてだけなんじゃない?」
「あー……」
「あ、でも、余裕ないほど感じさせたいと思ってるからそれはそれで成功なんだぜ? 気持ちよさそうにしてナカで吸い付いて離してくれない蒼生、最高に色っぽいし」
たしかに、余裕はない感じは自分でもわかってる。だって気持ちよくて、もう、ほんと真っ白になっちゃって……。
冬矢が僕の両手をそっと自分の両手で包み込んでくる。
「健太の言うとおり、蒼生が思っているより俺たちは満足してる。けど、蒼生が気にするなら、そうだな、数をこなすしかないんじゃないか?」
健ちゃんがぴくっと肩を揺らす。
「数?」
「俺もナカのテクニック云々はよくわからない。世間的には、例えばそれ用の道具を使って訓練するとかって聞いたことはあるんだけど。……ただ、蒼生が気持ちよくしたいって思ってくれているのは俺たちなんだから、俺たちとシながら覚えていけばいいんじゃないのかな。それこそ、ちょっと余裕がある時に俺たちの反応窺うとかね」
「……たしかに、そうだね」
他の人のことを考える必要はまったくないんだから。そうか。健ちゃんと冬矢が気持ちいいと思ってくれたことを覚えていればいいんだ。
ぼそりと健ちゃんが、
「それって結局もっと……いや何でもねえや。願ったり叶ったりか」
珍しく言いかけてやめた。
気になるから聞いてみようとした時、冬矢が後ろからぎゅっと僕を抱き締めた。
「いっぱい話して、いっぱい触れ合って、いっぱい確かめ合おう。ずーっとそうやって一緒にいようね」
一緒……。
健ちゃんはずいっと膝立ちで近付いて、
「いてくれる?」
と笑顔で聞いてきた。
「うん」
僕が頷くと、ふたりとも嬉しそうだった。
なんだか腑に落ちた。
僕にまだ足りないのは「余裕」なんだな。
だから急に不安になったりするのか。
頑張らなくちゃいけないこと、たくさんあるなあ。
ふたりの優しさに甘えてばかりじゃダメだけど、それを足がかりに頑張れることは、ちゃんと頑張っていかなくちゃ。
で、でも。
そうかあ。
可愛い、は、健ちゃんと冬矢から生まれてくるんだあ。
心配しなくてもいいんだ。
なくならないんだ。
少し、ほっとした。
楽しそうにわいわい話すグループの脇を抜けて、机と椅子がずらりと並んだ学食の中を覗き込む。そこはさらに賑やかで、話し声のものすごい音圧で弾かれそうになるのをなんとか踏みとどまる。まるで駅に近いショッピングセンターのフードコートみたいだと思ったけど、そこより集まってる年代がぎゅっと狭いから、なんだか特殊な雰囲気だ。見渡す限り、同年代の私服の男女だもんなあ。どうも慣れないや。
「あ、来た来た、野木沢ー」
入り口からそう遠くないところから、声が聞こえた。この騒々しい中で、聞こえるほどの声で呼ばれるのは結構恥ずかしい……。僕は手を振る姿を見つけると、足早に近付いた。
「ごめんね、遅れちゃって」
6人掛けの席には、久我島くんと女子2人が座っている。えーっと、なんだっけ、名前……。思い出そうと頭を回転させてると、久我島くんがぴしっとカウンターのほうを指さす。
「オレたちもちょっと前に来て、昼飯買ったとこ。とりあえずおまえもなんか買ってこいよ」
「うん、ありがとう」
「いってらっしゃーい」
見れば、まだ湯気の立つ料理が3人の前には置かれている。わ、急がなくちゃ。手を振る女子2人に手を振り返して、人でごった返す注文カウンターに向かった。
なんだっけ。名前、名前。プレゼミで一緒になった人たちで、レポート発表の同じ班になった時に自己紹介してくれたはずだ。班でどの箇所を担当するかはちゃんと覚えてるんだけどなあ。
少し迷って、結局週替わりパスタを注文して席に戻る。3人の食事はだいぶ進んでいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
にっこり笑ってくれた斜向かいの女子。物腰の柔らかい子。なんだっけ。
向かいに座ってる子は、サラダをつつきながら久我島くんと話をしてる。
「そういうとこなんだよ久我島はぁ」
「えーっ、だってさあ」
なんか穏やかな話ではなさそうな感じ。できればギスギスするのはやめてほしいなあ、これからレポートの打ち合わせするんだから。……あー……うー…………口、挟んでおくか。
「どうしたの、食事時に険悪な雰囲気出しちゃって」
「おおよ、紺野がどこだか屋で爪弄ってきたっていうんだけど」
「なんか言い方が下品なんだよねえ。ネ・イ・ル・サ・ロ・ン!」
あ、そうそう。紺野さんだ。
紺野さんは、ずいっと僕の目の前に両手を揃えて出してきた。
「野木沢くんはどう思う?」
ええ……。僕がちゃんとした評価出来るとでも思っているんだろうか……。そういうの疎いから話題振るの勘弁してほしいんだけど。
仕方なく彼女の指先を見る。……うわ。すご。え、全部の指で違うんだ。小さなパールみたいな白い玉が並んで爪の上下を分けてて、下が真っ赤で上がマーブル模様になってるの、どうなってるんだろう。こっちは全部マーブルの上に同じく白い石で花が作られてる。
「すごいね、綺麗だ。こんな複雑な模様も表現できるんだね。あ、だから今日、パールのピアス着けてるんだ」
がたん、紺野さんが立ち上がる。えっと、失礼なこと言っちゃったかな……。
「ほらー! 野木沢くんはちゃんとわかってくれてるじゃん!」
あ、間違ってなかった? はあ……。
「おまえすごいな」
「ね、野木沢くん、これ、可愛いよね!」
「…………。うん」
「こいつ、魔女みたいだなとかぬかしたんだよ!」
「他に形容しようがなかったんだから仕方ねえじゃん」
うーん。なるほど。これはこのまま話題が続けば続くほど泥沼になるやつだな。感性の問題はすぐに解決しないから。話題変えたほうがよさそう。
わいわいしてるのをほっといて、僕はお皿と向き合う。今週の日替わりはチーズクリームのパスタだそうだ。
「……あ、このチーズソース美味しい。先週の週替わりなんだったっけ。学食ごとにメニューって違ったりするのかな」
ぼそっと呟いて、ふたくちめのパスタを口に放り込む。久我島くんと紺野さんのやりとりはそれでもまだ続いてる、でも敢えて気にしない。すると斜向かいの彼女がにこっと笑った。
「私も最近知ったんだけど、校内に点在する学食、入ってる企業全部違うんだって」
「え、じゃあメニュー自体全然違ったりするんだ」
「学生人気の鉄板はそれぞれ押さえてあるから、大きく違いはないみたい。だけど得意不得意はあるみたいで、密かにランキングが作られてるって噂だよ。ほら、いかにもカフェっぽいとこもあるでしょ」
「へえ。だから普段の授業で見ない人たちがたくさんいるのか」
「わざわざ遠くの学部から来てる人たちもいるから」
そうかあ。学校が大きいとそういうこともあるんだね。
すると紺野さんがそろそろと椅子に座り、隣の彼女の顔を覗き込んだ。
「それ、マジ? 全然知らなかったんだけど」
「だって。暇な時、一緒に巡ってみよー」
久我島くんもなにやら真剣な顔をしている。
「じゃあ、オレがハズレだと思ってるカツ丼も……」
「総合管理棟の丼ものはハズレがないって噂」
「うわー絶対行こ」
やれやれ。これで話し合いは無事出来そうだね。
それにしても、そうなんだ、違うんだ。じゃあ、いろんなレストランがあるのと同じじゃん。えー、僕も健ちゃんたち誘って食べ歩きしてみよう。
そうなんだよ……やっぱり本格的に授業が始まると、お互い忙しくなってきた。わかってたし覚悟はしてたけど、すれ違うことが多くって、一緒にご飯さえ食べられないこともある。……うーん。お昼にちょっとご飯一緒に食べるくらいなら出来ないかなあ。
意識はそっちに行きつつ、なんとなくおしゃべりしながらお昼を食べて、残った時間でレポートの分担を決めていく。この授業はレポートや論文の書き方、文献の調べ方なんかを学ぶための練習のようなものだ。だからどこに入ってもいいんだけど、今回僕は、狙う本命のゼミを受け持ってる教授のプレゼミに入れた。これで、実際ゼミに所属する時に人数制限がかかっても優先的に枠が確保される。さらに、何回かあるレポートで結果を出せば、確実に入れるんだ。僕なんかが目をかけてもらうには、1回1回が大事だもんね。
まあ……僕が前のめりなせいか、温度差があるのは仕方ない。とりあえず初回に関しては、時間がかかる下調べは僕がやって、あとはレジュメ作る時と発表の時に割り振りかな。どの程度の発表が要求されるのか、スケジュール的に先に発表が回ってくる他のグループの様子も見たいし。そんな感じに方向性がまとまった。おしゃべりの久我島くんがほぼ口を挟んでこなかったのが逆に面白かったけど。
「あっ、そろそろ次の授業始まっちゃう」
紺野さんが立ち上がる。そういえば、周りからもどんどん人がいなくなっていってるようだ。
「結構ぎりぎりだね。片付けはやっておくから早く教室に向かったほうがいいよ」
「でも」
「遅れてきたから、お詫び代わりにね」
「あー、今度奢ってもらおうと思ったのに、うまく逃げられたぁ」
「あはは。それはよかった」
「じゃあねー」
「また授業で」
女子2人は手を振って荷物を抱えると、腕時計を見ながら慌てて食堂を出ていった。僕はこの次が空き時間だから、時間には余裕がある。それに、早くひとりになって一息つきたかったし。全員で片付けなんてやってたらまた時間がかかっちゃう。
……って。久我島くんは行かないのか。
「久我島くん、授業は?」
「あー、ちょっと自主休講」
「ふうん?」
僕は自分のトレイに使い終わった食器を集めて重ねていく。ついでに久我島くんのも一緒に片付けるか。手間は一緒だから。
「野木沢って爽やかな顔して、アピールあからさまなのな」
「え?」
「積極的に片付けかわるなんてさ。うん、わかるわかる、ゼミん中でもあの2人特に可愛いもんなあ」
……ざわざわする。だめなやつだ。だけど、これが一般的な反応なんだ。そういうものだ。わかってる。
「そんなつもりないよ、ほら、返却口混んでるじゃないか。まとめたほうが効率的だっただけ」
「誤魔化すなって。可愛くないぞ!」
「……僕が可愛かったらおかしいでしょう」
「あはは、たしかに気持ち悪いな。で、どっちが好み? オレは田無さんかな~」
「うーん……」
…………。
そうだ、田無さんだ。思い出した。そうそう。班が同じだし、忘れないようにしなくちゃ。
僕は全員分の食器をまとめたトレイを持つ。
「それじゃあ、僕も行くね。自主休講ってことは帰るの?」
「おー。サークル寄って帰るわ」
「うん。お疲れ様」
「あ、調べるやつ、大変そうだったら呼んで? 手伝うから」
「うん、ありがとう」
決して悪い人ではないんだよなあ……。
食器を返して、図書館に向かうことにする。その前に、通りかかったトイレに飛び込んで、まっすぐ手洗い場に向かって、蛇口をひねる。水はあんまり冷たくない。だけど両手首をずっと冷やしていると、体が冷えて少し落ち着いてきた。授業が始まる時間だから誰もいないのも助かる。この、胸の中がぐちゃぐちゃしてる状態で人に会ったら、反射的に逃げてしまいそうだ。完全に不審者だよ。
鏡の中の僕と目が合う。
……そうだよね。ああいう、きらきらした人のことを可愛いっていうんだ。今、僕の目に映る範囲に、可愛いものなんてなにもなかった。
図書館で調べ物をして、最後1コマの授業を受けて、ってしても気持ちが戻ってこない。こうなると、僕は自分がなんで落ち込んでいるのかもわかんなくなる。たぶんそんな落ち込む必要はないくらい些細だったはずなのに。やだやだ、なんで僕ってこんなに面倒な奴なんだろう。こういう時は早く帰るに限る。駅ビルに寄るつもりだったけど、急がなくてもいいから今度にする。とにかく早く帰りたい。
早足で駅からの道を辿る。もう少し。もうちょっと。
階段を駆け上って、鍵を開けて、靴を脱ぎ棄てて、靴下のまま廊下を抜けて、リビングのドアを開ける。
……健ちゃん。
「あれっ。おかえり! 早かったな」
テーブルで本を読んでた健ちゃんがぱっと立ち上がる。あ、泣きそう。ぱたんと本が倒れるのも気にしてないみたいに、いそいそと僕のほうに来てくれる。僕は鞄を床に落とした。健ちゃん、健ちゃん。
「ただいま……」
「おかえりー。予定より早く顔が見られて嬉しい!」
言って、僕のことをぎゅっと抱き締める。うー……。
「ほんとにさ、おんなじ場所にいるってわかってるんだけど、大学内で会えないの寂しいよなあ」
「僕も寂しい……。でも会いたい会いたいってずっと思ってて我慢しきれなくなってからやっと会えるのもすき……」
「くっ……蒼生ってばロマンチックなことを言う……! もー、好き!!」
健ちゃんの腕が、きつくて痛い。でも、今はそれが心地よかった。
こんな僕じゃダメなのに。わかってるのに。
突然、健ちゃんが僕の頭をぽんぽんと叩いた。……僕は目を上げる。にこにこの優しい目。
「なんかあった?」
う。
バレてる。
「……もっと強くなんなきゃなあって、いうのが」
「そっかあ。蒼生はがんばりやだもんなあ。だけど急に走り出しちゃうとケガするからな。ペース保つのって大事だと思うんだ。ゆっくり、ゆっくりな」
「……うん……」
「って、冬矢なら言いそうだよな」
「ふふ、うん……」
ぎゅーってしてもらって、明るい笑顔を見てると、……元気出てきた。なんか全然大したことないやって気になる。大丈夫だ。うん。
「ありがと、健ちゃん。もう大丈夫」
「オレ何もしてねえよ?」
「ううん。大好きな健ちゃんがいてくれれば、それだけで頑張れるんだなってわかったから」
「! 蒼生~」
健ちゃんはそのまま僕を持ち上げて、……えっ? わ、わ。ちょっ……。声を上げられずにいるうちに、健ちゃんがソファに座る。向かい合った僕が健ちゃんの足の上に座ってる格好になった。
「び、びっくりした。重くないの?」
「重くねえな」
ずっとにこにこしてる。なんか、胸がきゅうっとして、嬉しくなって、頬が熱くなる。……健ちゃん。
僕の泳ぐ視線に、健ちゃんは頬を撫でてくれて、それから、キスをくれた。最初は軽く。次は、深いやつ。あやすみたいな舌が歯の裏をくすぐって、たまらず僕は健ちゃんの首に抱き着いた。きもちいい。うう。すき。
腕を離して見た顔が、やっぱり嬉しそうで。ほっとする。
「ごめんね、本読んでたのに」
「だって蒼生のほうが大事だもん」
「そうなの?」
「そうなの!」
僕は、そっか、と息を吐いた。でも、なんか、言わせたみたいだなってちらっと思ってしまって、それがちくりとくる。
「……何の本?」
「ああ、この前やってたドラマの原作漫画。学部の奴らと面白かったよなって話してたら、原作持ってるのがいて、漫画だとだいぶ展開違うよって言って貸してくれた」
へえ。
「短編集なんだけど、そのうちの2本をうまく組み合わせたドラマだったみたいだな。別物って感じで漫画も面白かった。他に収録されてる話も読みごたえあったぜ」
「それは僕にも読めそうなやつ?」
自分には関係ない別世界の物語にでも触れれば、気が紛れるかもしれない。そう思って軽く聞いてみただけだった。でも、健ちゃんは、間をおいてさらに「んんん」と唸った。
なに?
「蒼生にはちょっと早いかもしれない」
……は?
健ちゃんは顔を赤くして、ふいっと顔をそらす。
「あのな、ちょっと……だいぶエロいシーンがあるから……」
「そんな小学生みたいな理由で?」
「だ、だって、蒼生がエロい本読むとか、ちょ、ちょっと違和感がすげえ! 想像できない! 蒼生とエロが繋がらない!」
「ええ……」
つい今しがた深いキスした相手に言うセリフ? さんざん身体中、どころか中までぐちゃぐちゃにしておいて、想像できないってどういうことなんだ。
「健ちゃんの基準がわからない……」
「可愛い天使の幼馴染みがエロコンテンツに触れるなんてちょっとショック受けそうだから、読むならオレがいない時にしてほしい……」
「うーん、よくわかんないけど、わかった」
幼馴染みとえっちなもの、ね。なるほど、戸惑うものなのか。僕は何となくそういうものって年頃の子なんてみんな持ってるものなんだろうなと思ってた。だから中学生の頃、健ちゃんがベッドの下にえっちな雑誌何冊も隠してたのを普通に知ってたけど、ふうんと思っただけで何も言わなかったんだよね。もしかしてこれ、僕が知ってたなんてバレたらまた騒ぎになるんじゃないかなあ。よし、今後も黙っておこう。
……健ちゃんにとって、やっぱり僕は「可愛い幼馴染み」なんだなあ。もちろん、それは根底の話で、ちゃんと恋人だって思ってくれてるって知ってる。
だけど、その「可愛い」がなくなったら、健ちゃんは僕のこと「好き」じゃなくなるんだろうか。
健ちゃんの許可は得たと判断したので、ふたりがいない時に、僕はその漫画を手に取った。ドラマ自体を見てないとはいえ、原作になるだけあってすごく面白い。ただの恋愛もののオムニバスなのかなと思ってたけど、登場人物が男女関わらずみんな秘密を隠してて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って、全体で見た時にあれまさかこれって……って疑問を残す描き方になってる。続きも出てるみたいだ。どうなるんだろう、すごく気になる。
それで、健ちゃんが憂慮してたシーンについては、……うーん。たしかに多めだなあと思うし、けっこうしっかりめに描かれてるけど、目を覆うほどじゃないよな。そもそも性描写も色恋沙汰も、紙の上でならなんとも思わない。健ちゃんが僕に持ってるイメージってなんなんだろう。少し綺麗すぎるんじゃないかな。それが現実の僕と食い違うのに気が付いたら? ……怖い。だけど何年も付き合って一緒に暮らしてて今更、っていう気もするし。
だめだ、考えててもわかんない。
僕は読み終わったページを、もう一度ぱらぱらとめくる。ちょうど指が止まったのが、そういうシーンだった。可愛い女の子。「やだ、恥ずかしいからやめて、だめ」「隠しても無駄だよ」「いやっ……」ていうとこ。本当に嫌がってない表情で描かれてる。そういえば、僕ってこういうとこないよね。恥ずかしがるとか、言葉だけ嫌がるとか、そっか、可愛いよね。嫌よ嫌よも好きのうち、ってやつか。なるほど、僕にはこういう要素、足りてないな。
難しい。可愛い、ってなんだろう。
チャイムが鳴るのとほぼ同時、ぴったり授業が終わった。この教授、タイマーでもついてるのかなってくらい時間に正確なんだよね。僕は最後の一言までをルーズリーフに書き留めて、はあっと息をつく。
今日の授業はこれでおしまい。明日は完全にオフ。夕飯は僕の番。よし。
左に座ってた根津くんが片付けかけた束を覗き込んできた。
「わ、細かいね。こんなに書くところあったっけ……」
「ううん、大丈夫。最後の余談が個人的に面白くて興味があったからメモしただけだよ」
「そっか、重要なところ聞き逃したかと思った」
言って安心したように笑う。不安にさせちゃったのかな、申し訳ない。根津くん真面目だから。ただ、ほんとにこれは僕の趣味。あの教授の話が面白いから、後で調べてみようって思って、つい余計なことまで書いちゃう。今度研究室に顔出してみようかな。もっといろいろ聞いてみたい。
「なあ、この後、暇?」
右から久我島くんがずいっと近付いてきた。うーん。まだ夕飯の買い物してないけど、ちょっとくらいなら大丈夫かな。とりあえず携帯をチェックして……あっ。メッセージが入ってる。冬矢からだ!
『次の授業が休講になったから一緒に帰らない?』
…………! 嬉しい!
「ごめん、予定入ってる。また今度誘って」
「えっ……」
「なーんだ、残念。んじゃ、今度な」
「うん、ごめんね」
僕はすぐさま教室を飛び出して、今から行くねって返事をする。なんだかんだ人と一緒だったりタイミングが合わなかったりで一緒に帰れる日ってなかなかないんだよね。管理棟のとこにいるって言ってた、早く行かなくちゃ。
正門に近い管理棟の周りは、授業が終わった時間のせいか、人がたくさんいる。帰っていく人たちや、これから来る人の流れ。その向こうに掲示板があって、ほとんどの人が通り過ぎる、その前に立ってる姿が見える。そこだけ明るいからすぐわかる。
引っ張られるみたいに、足が進む。すると、ぱっと冬矢が振り向いた。涼しげな表情がふわりと温かくなって、細めた目の下で唇が動く。「あおい」って。……っ。
飛び込んでいきたい。それを我慢するのが大変だった。
「おまたせ」
声が聞こえる距離までなんとか通常の歩幅で歩いて、それだけ伝える。冬矢はふっと微笑んだ。
「いきなり呼んでごめんね。急遽決まったらしくて。せっかく蒼生と同じ時間に帰れるチャンスがあるなら逃したくなかったんだ」
「ううん。嬉しい」
弾みそうな声を抑える。さっきから、背中越しにちらちらと視線を感じてる。そうでしょう、こんなにかっこいい人だから、思わず見ちゃうよね。その気持ちはよくわかるよ。でも、その目は今、僕しか見てないんだ。
あー。穏やかな笑顔の形の唇。今すぐ抱きついてキスしたい。ダメだけど。
「あれ、そこ……」
「え?」
冬矢が僕の肩を見て首を傾げる。なんだろ、つられて見るけど別にどうもなってない。ゴミでもついてるかな。
「ここじゃあれだな、ちょっと来て」
なに? 軽い感じで冬矢が手招きして、僕はそれについていく。掲示板の奥、誰もいない細い通路に進んで行く冬矢。へえ、こんな通路があったんだ。先には裏口みたいなドアがあって、位置的にこれって中庭に出るのかな? 中庭なら向こうの大きな扉から出ないとこっちに道はなかったはずだけ、ど。
……え。
途中で急に振り返った冬矢が、触れるだけのキ……っ。
え? あまりにも一瞬で、え? 冬矢はふふっと笑う。
「キスしたそうだったから」
…………!
「とっ、冬矢といると心臓もたない……」
「そうだね。俺も蒼生に同じこと思ってるよ」
う、うわー。うわー。な、なんか、液体になりそう。よくわかんないけどそんな気がする……!
そ、そこからは特に何もなく、いやあったら大変だし冬矢は絶対に外でそれ以上のことしないってはっきり宣言してるしそれはちょっと残念に思ってるんだけどそれはそれとして、普通に大学を出て、普通に電車に乗った。たぶん、自然に。電車に乗ってる時間は少しだから、冷静な顔で、ただ隣に立ててたと思う。だけど、内心、もう、ほんの少しだけ触れるこの腕に縋りつきたいっていうのでいっぱいになってた。触れてほしい。撫でてほしい。溢れそうになる。
「蒼生」
っ。囁く声。電車内だもんね、そうだよね、周りの迷惑になるから静かにしなくちゃだもんね。
「なっ、なに……」
「買い物行くだろ。一緒に行こう。あとそれから駅ビルに寄るんだったよね」
「え……うん」
あ、この前の。別に急いでないからいいやって思って、結局行ってないんだった。
「蒼生が行った様子ないからって健太が気にしてたよ」
へ? 胸がぎゅっとなる。そんな、些細なこと覚えて、気にしてくれてたの? ……ぼ、僕……本当にふたりに好かれてる、の、かな。そうはっきり自惚れててもいいのかな……。
「何を見に行くの?」
はっ。で、電車内、電車内。ちゃんとしてなくちゃ。深呼吸して整える。
「あの、傘……。折り畳みのがね、壊れちゃったんだ」
「ずいぶん長いこと使ってたあの傘か」
「うん。もともと、あれお下がりだったし骨曲がってたしで使いづらかったんだけど、とうとうこの前の酷い雨で再起不能になっちゃった。ここまで使い込んだら新しいの買ってもいいんじゃないかなって思って」
「それだけ使ってもらえれば、傘も喜んでいるだろうね。蒼生は物持ちがいいから、長く使えるいいものを買ったほうがよさそうだ」
いい傘、かあ。そういえば長い傘もしばらく買い換えてないな。
僕たちは最寄り駅に着いて改札を出ると、すぐそこに見えるエスカレーターに乗った。この駅ビル、いろんなお店が入ってるから便利なんだよね。そんなに大きな建物じゃないんだけど、雑貨とかちょっとおしゃれな日用品とか洋服とかあんまり縁がなさそうな店から、文房具やCD屋にレストラン街まで、一通りここだけで用事が済んじゃう。僕たちがずっと住んでた街は、一応地方都市でも大きいほうで、もっと大規模なビルがたくさんあったけど、このくらいこぢんまりしてるほうが身の丈に合ってる気がする。
雨具が揃っている売り場には、長い傘や日傘に折り畳み傘、子供用の傘なんかが目移りしちゃうくらいたくさん並んでいた。これはマズい、悩んじゃうやつだ。とりあえず目当てのとこだけ見るようにしなきゃ。ええと、出来るだけシンプルで使いやすそうなのはどれかな。
しゃがみ込んでいくつか手に取って比べてみてると、向こうからわあっと楽しそうな声がした。ふと見ると、子供傘の棚の前でお母さんと、幼稚園入る前くらいかな、小さな男の子が楽しそうに傘を選んでいる。
「これ! おそとみえるののかさ!」
「こっちのカエルさんも可愛いよ」
「かわいいの、や! かっこいいがいいんだもん」
「そっか。じゃあこのネコさんは? かっこいいよ」
「や! くじらさんにする!」
「それが気に入ったの。うん、くじらさんにしようね」
可愛いなあ。あんなに小さいのに、こだわりがあるんだね。ああ、思い出す。健ちゃんもあんな感じだったなあ。ある時突然、かっこいいのがいい、って言い出して。ななママが困ってたっけ。男の子なんてそんなもんよ、ってうちのお母さんに慰められてたな。僕はそもそもシンプルなやつのほうが好きだったし、上2人からのお下がりも多かったから、健ちゃんのこだわりを不思議に思いながら見てたっけ。
冬矢も、そのやりとりを穏やかな顔で見てる。
「最近はああいう可愛い傘がたくさんあるんだな」
そうだね。パステルの色合いだったり、同じ生地で大きな耳が付いてたり、取っ手のところの先っぽに顔が付いてたり。僕たちが小さい頃にああいうのってあったっけ。可愛い傘。うん、あの子も、あの傘も、可愛い。ああいうのが「可愛い」だよね。
「あれだけ大きな耳が立ってると、風の抵抗とか受けないのかな」
「それは影響ありそうだな」
そんなちょっと夢のない話をしながら、僕は手元に目を落とす。無難な無地の黒い傘。やっぱり僕が持つならこういうの。それについては抵抗も疑問もなくて、これがベストだと思ってる。「可愛い」ものは似合わないし、そもそも持ちたいと思ってるわけでもない。
「蒼生」
はっとして顔を上げる。冬矢はその手に1本の黒い折り畳み傘を持っていた。
「それもよさそうだけど、こっち、持ってみて」
「うん。……え、軽っ!」
手渡されたそれは、反対の手で持っている傘と比べるとものすごく軽い。びっくりするくらい軽い。袋からも出しやすいし、開くのも簡単でかちりと素直に止まる。たたむ時も骨が折り曲がるからやりやすい。
「使いやすそうだし、軽くて細身で持ち歩くにはいいと思う。蒼生は雰囲気が優しいから、こういうシックな雰囲気の傘をさすと、凜とした綺麗さが引き立ってすごく合うと思うよ」
柄はやっぱり無地で、これだって無難っていえば無難だ。なのに、冬矢の言葉ひとつですごく違って見える。というか、今、傘じゃなくて僕を褒めてた……?
「他にも見てみようか」
「ううん、これにする……」
冬矢が僕に合うって言ってくれた傘だから。
……冬矢は、僕が「可愛い」じゃなくなっても、それでも、こんなふうに言ってくれるのかな。僕を嫌いになったりしないかな。
立ち上がって冬矢と向き合う。
「あの、さ。冬矢。もし、僕が」
…………あ。無理だ。僕は言葉を飲み込む。ダメだった時が怖すぎる。そんなの好きじゃないよって言われたら。
「? 蒼生?」
「ごめん、なんでもない」
「気になるな」
「うーん……。もうちょっと整理してからしゃべる……」
「……わかった。整理できたら言ってね?」
怖い。そういえば、可愛いって初めて言われたのは、付き合ったばかりの頃だ。あれから何年経ってる? 大人に近付いた僕は、まだ、ふたりにそう思ってもらえるんだろうか。
どうしようかな。昨日は魚だったから、今日は肉かな。うん、そうだ、野菜と一緒に炒めよう。
「えっと、キャベツ……」
「もう入ってるよ」
カートを押してる冬矢がにこにこと答える。早い。僕が悩んでいる間に、いろんな野菜がカゴの中に入ってる。僕なんかはまだ初心者だから、メニューを決めてそこから食材を集めてくんだけど、冬矢はその時冷蔵庫にあるものでアレンジしてさらっと美味しいごはんを作る。かっこいいよなあ。僕もそういう境地に至りたい。
……という真面目な決意をしながら、僕はめちゃくちゃドキドキしてた。カートを押してついてくる冬矢、っていうこのシチュエーションが、なんか、すごく、なんていうのかな、うーん。「慣れない」? 買い物に付き合って後ろから付いてくのは子供の頃からやってたから、それと同じはずなのに。一緒に食材を選んで、一緒に帰って、一緒にごはん食べるんだって思うと、うわああああってなる。僕がケースから取ったパックを受け取ってカゴに入れるの見てると、一緒に暮らしてるんだって……実感が……! 実感も何も、ちゃんと一緒に暮らしてるのに、ふとした瞬間に、こんなふうにうわあってなっちゃうんだよなあ……。
「それにしても、健太みたいなタイプって野菜嫌いが多いような勝手なイメージ持っていたけど。食べられないものがないって、選択肢が広がっていいよな」
カゴの中を眺めながら、冬矢が言う。あっ、うん、そうだねえ。
「最初から食いしん坊で何でも食べてたよ、健ちゃんは。幼稚園の頃に野菜嫌いの子がいて、なんでだかそれがかっこよく見えたらしくって、一時期ファッション好き嫌いしてたけど」
「ファッション?」
「そう。ピーマン食べないにんじん食べない何でも拒否するオレ! って。一種の反抗期だったんじゃないかなー」
「簡単に想像つくな。けどちゃんと直ったんだ」
「うん。実はねえ、野菜嫌いだったのは僕のほうなんだ」
今でも辛いのとか苦いのは苦手なんだけど、あの頃はまったく食べられないほどだった。それこそ最初はピーマンだったように思う。苦い、ダメだ、と思ったら他の野菜も食べられなくなっちゃって。
「なるほどな。それでふたり同時に克服できたわけか」
冬矢が頷く。え、ちょっと待って?
「……僕まだ何も言ってないんだけど」
「察してるけど、一応聞く」
「えっと。家で残すと怒られるじゃない? 僕と健ちゃんのお皿には、どっちも最後にピーマンが残るんだよね。このままだとふたりとも怒られるけど、健ちゃんが食べたくないんだから僕が頑張らなくちゃって思って、必死でふたりぶんのピーマンを吐きそうになりながら食べてたんだ。そしたら、健ちゃんが、僕が食べさせてくれたらきっと美味しいから食べられるって言い出して」
「まあ、あいつは元から食べられるんだからな」
「その時はファッションだって知らなかったからね。言われて健ちゃんに食べさせてみたら、美味しい美味しいって食べちゃってさあ。それならオレが食べさせたら蒼生も美味しいんじゃない? って言うから、なるほどそうなんだーって思って」
「それで?」
「……美味しかったんだよ」
はー、と冬矢は深く息を吐いた。
いや、あの、暗示ってすごいなってお話ですよ。それ以来きっかり食べられるようになったんだからさ。
「蒼生」
「はっ、はい」
「そろそろ健太も授業終わる頃だから、荷物持ちに呼び出してやろう。それから、買い物終わったらそこのコーヒーショップ寄ろうね」
「? はい。……?」
それってどういう流れ?
食材の買い物が終わると、宣言通り冬矢は僕を連れてチェーンのコーヒーショップに寄った。で、生クリームの乗った冷たくて甘いのをひとつだけ注文する。夕飯前なのにいいのかなあ。それから冬矢は人目につきにくい席の奥に僕を押し込むと、ぐいっと体を寄せて、そのカップと僕と一緒に写真を撮った。
「……何してるの?」
「健太に送る」
ええ? 何て?
冬矢は僕にカップを渡して、携帯を弄る。本当に健ちゃんに写真送ってるのかな。……ところで、これ、渡されたんだから飲んでいいんだよね。コーヒーの類いはまったく飲めないわけじゃなくて、めちゃくちゃ甘ければ飲めるんだ。ストローを差して一口飲む。するとまずキャラメルの味がする。ふむ、甘い。クランチがさくさくで美味しい。
「……よし、と。それ、どう?」
「美味しい~」
「じゃあ俺も」
手じゃなくて顔を寄せてくる。冬矢のほうにカップを傾けると、ストローをぱくりと咥えた。……わ。それだけのことできゅんとしちゃう。
「うん、美味しいね」
「ね」
えへへ。わけっこだ。嬉しい。
飲み終わる頃に、健ちゃんから短文のメッセージが入る。「駅」「着いた」って連続して。慌てて打った文って感じ。
店の外に出てちょっとすると、健ちゃんが人の流れを気にしながらダッシュでこっちに来るのが見える。とたんに胸元がさみしくなる。嫌な意味じゃない。ここに、熱がほしい。ぎゅって。して。欲しい。
目が合った健ちゃんは、にこっと笑って、走ってきた勢いで、僕にがばっと抱きついた。あ、と思う間もなく離れちゃったけど。たぶん周りからは気が付かれなかったか、バレてもふざけてぶつかったくらいに見えたと思う。
僕の両肩を掴んだまま、健ちゃんはじとっと冬矢を睨む。
「おまえさぁ……。オレ呼び出す時、いちいち煽るのなんなの」
「羨ましかっただろ?」
「めちゃくちゃ羨ましかったわ!」
……あれ。これって。もしかしてなんだけど、唐突にわかったような気がする。冬矢、僕と健ちゃんの昔の話聞いて、やきもちやいたんじゃないの? だから健ちゃんにも羨ましがらせたくてわざと仲良くしてる写真送ったんじゃ。
うわぁ。
健ちゃんは冬矢にぶつぶつ文句を言いながら、すっと僕の手から買い物袋を取った。そのままふたりして歩いていく後ろ姿を見ると、胸の中がぎゅうってして、叫びたくなる。人がほとんどいない道に入る頃には、それが体を突き破って溢れそうになった。
「あの」
涼しい顔の冬矢と、険しい顔の健ちゃんは、呼び掛けると、振り向いた時にはすごく優しい表情をしてる。
「うん?」
「どうした?」
ああ、好きだなぁ……。
「あ、の……その……きょ、今日……抱いてほしい……です……」
僕の言葉に、ふたりは別々の、でもどっちも嬉しそうな顔で頷いた。
健ちゃんに後ろから抱き締められて、頬や首筋に繰り返し貰うキスは、くすぐったくてきもちよくてふわふわする。冬矢は、真正面の近い距離から、髪を撫でて僕の目を覗き込んでくる。
全部が見えちゃうから、電気つけっぱなしって恥ずかしいかもって思ってた頃もあるんだけど、今は明るいほうが好き。だって、僕もふたりの顔をちゃんと見たいもん。
「蒼生……可愛い……」
吐息混じりに健ちゃんが呟く。
あ。
そうだ。意識しなくちゃ。可愛く、可愛く。
なにを、どうしたら? ここのところずっと考えててもわかんなかったんだから、もう、僕が「可愛い」と思ったものの真似をするしかない。ええと。たとえば、そう。言葉だけ嫌がる、だ。
健ちゃんの指が、するりと乳首に下りてくる。軽く弾かれて、っ、それからやわやわと先端を撫でられる。うー。気持ちいい。
「やっ、……やだぁ」
「そっか、嫌か」
……え?
健ちゃんはそのまま手を滑らせ、腰骨の辺りをゆっくり触る。それも、気持ちいいけど。
「蒼生、ここ、いい?」
上半身を落とした冬矢が、僕のちんちんに触る。あ、な、舐めてくれる、のかな。
「恥ずかしい、だめ……」
「うん」
冬矢は体を起こして、頬にキスをくれる。
あれ?
「じゃあ、蒼生、オレの、してくれる?」
さっきから腰で感じてる、健ちゃんの熱。背中でもわかるくらい、びくびくしてる。
「無理、そんな、できない……」
「わかった」
なんで?
あれ?
どうして?
「なんで?」
頭で思ってる言葉が勝手に口から出てきた。
「なんでやめちゃうの?」
冬矢が首を傾げる。健ちゃんが不思議そうな顔で後ろから覗き込んでくる。
「なんでって、そりゃ。蒼生が嫌だって言うことは出来ないし、したくないよ」
「い、いつもしてるから、ダメじゃないってわかるのに?」
「いつも大丈夫でも、なんかあって今日はダメってこともあるだろ?」
違うのか。こういうの、求められてないんだ。
そうか……そうだよね……。ふたりは優しいから。ちゃんと話を聞いてくれるひとたちだから。考えてみれば当然だった……。
「蒼生?」
心配そうな声で、健ちゃんが僕の横に来る。肩を抱いてくれる手が優しい。
「あの……こういう態度、可愛いと思ったんだけど、違う……かな……?」
「どういうこと?」
僕の膝をそっと撫でながら、冬矢は微笑むような眼差しを僕にくれる。
「……あのね」
いったん口を開くと、そこから先は、止められなかった。
「ふたりが僕を可愛いって言ってくれることの意味がわからなくなった……。それが好意の意味だっていうのは最初から知ってたし、ふたりがそう思ってくれるなら、ふたりにとってはそうなんだろうって思ってたんだ。だけど、“可愛い”って見渡す限りそこら中にたくさんあって。どれもこれも僕とはまったく違うんだ。鏡を見たって、内面を省みてみたって、どう考えても僕は“可愛い”じゃないんだ。ふたりは“好き”って意味で“可愛い”って言ってくれてる。だから、“可愛い”じゃなくなれば“好き”じゃなくなるのかなって急に怖くなった。こんなの……僕のどこが“可愛い”の?」
言っちゃった。
こんなめんどくさいと思われること、言いたくなかったのに。
あー。
ふたりの顔を見るのが怖くて、途中から僕は顔を伏せていた。はっきり面倒って言われたら、……どうしようかな。どうしよう。
沈黙が、怖い。
「……今のもめちゃくちゃ可愛いけどなあ?」
「え?」
心底不思議そうな健ちゃんの声がして、僕は思わず顔を上げた。そこには、声通りの顔をした健ちゃん。どういう意味かわかんなくて意図を探ってると、急に「あっ」と言って手を叩いた。
「さっきのやつ、あれだ! オレが借りてきた漫画の真似だ!」
……うわ、バレて……っ。
事情を知らない冬矢が健ちゃんを見る。
「漫画?」
「そう、ドラマの原作のやつ。友達が貸してくれて、蒼生も読みたそうにしてたあれ、そっか、読んだんだ。あー、はいはい。恥ずかしがり屋で素直になれないで本心隠そうとしてたのにドSの彼氏にどんどん暴かれていっちゃう、あの子の真似してたのか!」
「なるほど、道理で棒読みだったわけだ」
えええ……。冬矢、さっきの、「棒読みだな」って思いながら聞いてたの?
「……バレてたの恥ずかしい……」
「あ、これはホントに恥ずかしいって思ってるやつ!」
追い討ちを食らって、僕はそのままベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。健ちゃん、正解なんだけど、……はっきり言わないで……。
ああ……ほんとに恥ずかしい。
肩の下に手が差し込まれて、僕の体はころんと上向きにされる。そんなことをさらっとするのは健ちゃんだ。健ちゃんは僕の両頬を両手で包み込む。あったかい。それから目を覗き込んできて、にぃっと笑う。
「蒼生はえっちなこと好きだろ」
「好き」
「へへ。そうはっきり即答できちゃう蒼生のことが好きなんだからさ、それでいいんじゃねえの? 好きなとことか気持ちいいとことかちゃんと言えるの、すごく可愛いと思ってるよ」
「……そうかなぁ」
なんかがっつきすぎというか……はしたないんじゃないかなあ。
冬矢が横から髪を撫でてくれる。髪の間を滑る指がきもちいい。
「まあ、俺は恥ずかしがる蒼生も可愛いと思うけどね。無理とか嫌って、これから先、いろんなことをしているうちに口に出てしまうこともあるだろうし。それでも文脈や態度でちゃんと判断するから、もし言っちゃっても大丈夫だから気にしないで。……さっきは全然そんなこと思ってもいないくせにわざと嫌だって言うから、意地悪しただけだよ」
「やっぱり、バレバレだったんだ……」
「えっ。オレ本気かと思った」
「さすが健太」
「おっ、バカにしてる?」
「いや、素直さを褒めたんだよ。おまえはそれでいいんだ。だからこそ蒼生が素直になれるんだと思うよ」
健ちゃんにそう言うと、冬矢は僕の手に指を絡ませて、改めてまっすぐに僕を見た。
「だけどね。蒼生が言葉だけで嫌がる、それが癖になって、本当に嫌なことを見逃したら困るから……。やっぱりそのままの蒼生でいてほしいな」
……あっ。
僕は、すごく、大事なことを忘れてたことに気が付いた。
約束だったのに。
冬矢の手をぎゅっと掴んで、健ちゃんの手に僕の手を重ねる。
「ごめんなさい。最初にえっちした時、約束したよね。嘘つかないって。全部言うって。……約束破ってごめんなさい……」
ふっと空気が優しくなる。それから、ふたりして、触れるだけのキスを、額に、肩に、くれる。
耳元で、冬矢が。
「そこまで不安にさせちゃった俺の責任だよ。ごめんね。ここのところ少し忙しかったから、甘やかし足りなかった。反省してる。……今日は、蒼生のどこが可愛いか、思った時に全部伝えながらシようね」
え。
健ちゃんは楽しそうに笑った。
「なるほど、そういうことか。よし、全部言うからな。それじゃあ仕切り直しってことで」
僕が反応するより早く、健ちゃんは僕の口に舌を突っ込んできた。激しく僕の舌を絡めとって、それから、思いっきり吸う。い、息が。
「んっ……んんーっ、ぅ……」
「っ、は、キスですぐとろんとしちゃうとこ、可愛い」
冬矢が胸元に舌を這わせて、ちゅ、と音をさせながら短く乳首を弾く。
「……ぁっ」
「くすぐったいって言うけど、乳首弄られるの好きなの隠せてないの可愛いね」
健ちゃんも胸に降りてきて、
「しゃぶりついて舌で転がされるのが一番好きなとこも可愛い」
「んっ……」
……こ、こういうことか! 待って、これ、どう対応したらいいかわかんない。顔っていうか、頭に血がのぼってくらくらしてくる。
「蒼生のここ、もうぴくぴくしてる。可愛い」
「あ、はぁ……!」
冬矢は今度は何も聞かず、ちんちんを咥えてきた。あっ、あ、ぬるって絡み付いてくる、熱い舌が、ぐりぐりって裏の先端に近いとこ、を、
「あ、気持ち、い、あっ、んぅ……っ」
「……ぁわい……」
「しゃべ、っちゃ……あ、やぁ……」
強くつついてきたかと思うと、優しく辿られて、それから吸い上げられて、くるくる先端を舐められて、あー……。
その間も、健ちゃんは、乳首をころころしたり、やんわり噛んだり、赤ちゃんみたいにちゅうって吸ったり、して、きて。
……きもちい。
もっと。
もっとほしい。
健ちゃんの手が、にゅるりと僕の後ろに触れる。
「っあ」
「……ここ、ひくひくしてる。可愛い」
あ、ぐちゅって、入ってくる。あー。
「ま、前と後ろ、ん……っあ、いっぺん、は、や、うー……あ、あっ」
きもちい。
「さっき、“待て”食らっちゃったから。これ以上我慢できねえよ?」
顔を上げた健ちゃんが耳元で囁く。
そっか……。
じゃあ、もうすぐ、くれるんだぁ……。
「……う、れしぃ……いっぱいに、して……」
「はっ……。これで自分が可愛いことわかんねえっていうんだから、無自覚って怖ぇ」
「へ……?」
健ちゃんが言った言葉の意味を考えようとする前に、ふたりの口と指が、僕から、離れる。ぞくぞくっとして、思考がぽんっと飛んだ。
え。なんで。もっと。
「欲しがる顔も可愛い」
健ちゃんが覆い被さるみたいにキスをくれる。舌で唇をくすぐられて、……もっと。口の中まで来てほしい。
急に、腰が持ち上げられる。あ、冬矢だ、って思った時には、挿入って……っ、
「あ……あぁっ、あー……っ!」
ずぶずぶと、僕の、中、あ、拡がる。
足りなかったものが、元の場所に収まった、ような。
「こんなにきゅうきゅうさせて……可愛いね」
冬矢が腰の後ろをさする。ぞわっとする。
「ふふ。そんなに俺が挿入るの、気持ちいいんだ」
「うん……っ、あ、きもちい……ぃ」
「声震えてるの可愛い……」
丁寧に、中をなでてくれる。
ふわふわする。
羽毛布団で全身を包まれてるみたい。
頬に大きな手がかかる。
「蒼生。こっち、嫌?」
あ、健ちゃん気にしてる。ごめんね。
「……や、じゃない、……ちょう、だい」
揺らされながら、手を伸ばす。腰が持ち上げられてる、から、ちょっとくるしい、けど、上半身を捻って、健ちゃんのちんちんにキスをする。こっちも、熱い。手に余る質量を、口いっぱいに。あ、もう、濡れてて、ぐちゅって音がする。
「んっ……んー、っは、んっ……ぷ、は、ん……っ」
はいりきらない。
どっちも。
あー。
冬矢がきもちいとこを少しずつ角度を変えてこすってくれて。
健ちゃんを舌で、上顎で、口いっぱい感じて。
自分と違う鼓動が、僕を支配してく。
「……おいしいの?」
耳を優しくなぞりながら、あ、きもちい、そんなことを、っ、聞く。たぶん、僕は頷いた。なんか、上も下も、両方で感じたくていっぱいいっぱいで、よくわかんない。健ちゃんが笑ったから、たぶん、頷いたんだと思う。
「そっか。口いっぱい頬張るの、可愛い」
「……んんっ!」
冬矢が、とん、って、ここにいるよ、って僕の中から呼ぶ。
知ってる。
左手を伸ばす。
冬矢がそれを握ってくれる。
「……必死な指も可愛いね……」
処理しきれない……。
僕のちんちんに誰か触れた。この感じは、あ、健ちゃんだ。
だめ。
「んうー、ん、んっ、ぁめ、らめ、も、」
今、触ったら、だめ。
だけど、そうだよね、わかっちゃうよね、文脈、だっけ。
この、だめは、だめじゃない。
「ひっひゃう……う、う」
伝わんない気もした、だけど、口も離したくなくて。
「……んーっ! っあ!」
だけど、咄嗟にその瞬間、口を離した。危なかった、噛んじゃうとこだった。でも、
「……っ!」
数秒遅れて、健ちゃんが僕の口の中に、熱いのを出した。
それを待ってたわけじゃないはずだけど、冬矢がぐりっと僕の中を抉る。
「んっ!」
……あ。飲み込んじゃった。ぜんぶ。うー。
「ふふ。それは美味しくないよね。……可愛い……っ」
「あ……んっ、はぁ、あ、んーっ、ん……」
僕の言葉を奪うみたいに、冬矢が動く。それが、少しずつ、早くなってって。
びくっ、と、震えた。
それは僕の中でも。
はーっと息を吐いたのは、冬矢だったのか、僕だったのか。
冬矢は僕の中からずるりと出ていくと、僕の肩に手を伸ばす。それからその手にぐっと力を入れると、僕ごと後ろに倒れ込んだ。冬矢に覆い被さる形になって、重くないかなって心配になったけど、冬矢は嬉しそうに僕を両手で抱き締める。
「やっぱり蒼生は可愛いよ」
うー。なんだかキャパシティがいっぱいになってきたぞ。
「あ、ふたりともそのまま」
「え?」
健ちゃんが、僕の背中にのしかかってくる。
熱い、え?
「健ちゃん、復活早くない……?」
「冬矢に喘がされるの見てたらたまんなくなった」
そ、そうなんだ……。
「ふ。俺に抱かれる蒼生は可愛いだろ」
「……むぐぐ。可愛いよ! めちゃくちゃ可愛いよ! だけどもっと可愛いの見せてやるからな!」
「見せてもらおうか」
まったく、変なとこで張り合うんだよね。
僕は、顔だけを健ちゃんに向ける。
「健ちゃん、ちゅ」
「!」
はっとしたように、健ちゃんは僕に短いキスをくれた。
「……はやく、きて……」
「ここでもう可愛いもんな……っ」
「あ、あぁっ……」
ぬるぬるってして。すぐ。ぐーって。あ。あっ。
「はっ……あ、き、もち……」
冬矢が穏やかな目で笑って、僕の頭を撫でてくれる。
胸がぎゅってなる。
僕の中をたくさん広げた健ちゃんが、ゆるりと腰を動かした。
ぐりって、
「っ! ……いま、の、そこ、すき……」
「ここ?」
「んっ、そこぉ……」
ちんちんの、先っぽと、境目のとこで、きもちいとこ、こりこりするの……あ、脳みそがぐちゃぐちゃになりそ……っ。
そこを、健ちゃんは、勢いよくこすってくる。
さっきとは違う、突き上げられてるような、きもちよさ。
「あっ、あ、は、あ、あー……っ」
撫でていた頭の手にぐいっと力を入れ、僕の唇を、冬矢が塞ぐ。
「……ふ、んぅ……う、」
舌が入ってくる。優しく、僕の舌の裏側をなぞる。
健ちゃんが、僕の腰を下に押しつけるように、ぐぐっと入り込んでくる。
あ、また、違うとこが、気持ちいい。
わ。
「こぇ……んっ、あ、んんっ!」
「俺にこすりつけちゃって。えっちで可愛いね」
「ひが……ぅ、ぇんひゃん、あ」
冬矢は僕の舌を離してくれない。違う、健ちゃんが、って言ったんだ、角度変えたから、それで、ぼくのちんちんが、ちょうど、冬矢のと擦れる位置に……。
あー。
でも、きもちぃ……。
「……えっひ、で、いい……?」
「いいよ。えっちな蒼生大好き」
そっか。
じゃあ、いいやぁ……。
「オレもえっちな蒼生好きぃ……」
耳に近付いて、健ちゃんが囁く。
なんかもうぐちゃぐちゃ。
浮かされて、揺らされて、かき混ぜられて。
ぼーっとする頭で、初めての夜のことを思い出していた。
あの時も、たしかこんな感じだった。
健ちゃんと冬矢の間に挟まれて。
好きだよって、可愛いって、たくさん言われて。
あいしてくれてるって、実感したあの日のことを。
……動きたくない。
いやシャワー浴びなくちゃとてもじゃないけど寝られない、だけどまだちょっと無理。
うつ伏せで枕を抱き締めてぼんやりしている僕の背中に、健ちゃんが寒くないようにとタオルを掛けてくれた。優しい。
「おわかりいただけただろうか……」
なんか聞いたことのある言い回し。
「なにが?」
聞くと、反対側の冬矢がぽんっと頭に手を乗せてきた。
「だから、蒼生のどこが可愛いか……だっけ」
「うーん……。わかんなかった。だって、しょっちゅう言うんだもん。口開くたび全部言うから、一体どれのことなのか」
「なんだ、わかってんじゃん」
「へ?」
僕はちょっと頭を上げる。あっ、腰痛っ。
「だからさあ、全部だよ。髪の先から爪の先まで、ひとつひとつのパーツも一挙手一投足も言葉も声も吐く息も、とにかく全部なんだってば」
なんだそれ。
体を起こそうと腕を突っ張ると、冬矢が助けてくれて、冬矢に寄っかかる体勢になった。健ちゃんもあぐらをかいて僕の正面に座る。
「蒼生は、蒼生自身に“可愛い”を探してるみたいだけどさ。オレが口にするそれは、蒼生を見たオレの中から出てくる可愛いなんだよ。オレは蒼生が何しても、蒼生のことを“可愛い”って感じるんだ。だからさ、自分から可愛いがなくなったらなんて、全然いらない心配ってこと。オレが生きてる限り、蒼生の可愛いは無限に生まれてくるんだからさ」
「…………」
僕はぽかんと健ちゃんを見る。後ろの冬矢にも念のため確認すると、冬矢は優しく頷いた。
「……思ってたよりスケールが大きい話だった」
素直な感想を口にする。僕の主観は関係なくて、健ちゃんと冬矢の主観の問題なの? そんなのいつか変わってしまうものだ、人間の価値観はそういうものだ、って頭では理解してるんだけど、不思議と健ちゃんが言い切ると「そうなのか」って納得しちゃう。
そっか。
健ちゃんは、冬矢は、ずーっとそう思ってくれるんだ。
でも、ダメだ。
「そ、それはわかった。だけど、それで、ああよかった……って僕がサボってちゃいけないと思うんだ」
「ふーん?」
「ふたりの愛情に甘えてるばかりじゃなくて、僕だってちゃんとふたりに返したいと思ってるんだよ」
優しいから、そのままでいいって言ってくれるけど。
それじゃ僕自身が納得できないから。
「甘えられてばっかな気はしてねえし、逆に蒼生にはもらってばっかだと思ってんだけど、……蒼生としてはもっと何かしたいって思ってるってことか」
「うん……。でもどうしたらいいのかわかんなくて。た、たとえばなんだけど、今も、僕だけ気持ちよくしてもらってるのがもどかしくて。噂によると、なっ、中で気持ちよくなってもらうテクニックもあるらしいんだけどっ……」
や、やり方? そのへんがよくわかんないんだ。
だけど僕だってふたりに気持ちよくなってもらいたいし。
健ちゃんと冬矢は目を見合わせる。
「うーん。オレは、そんなに気にしなくてもいいと思うけどなあ。蒼生が気持ちいいって反応してくれると、あーオレが蒼生のこと気持ちよくしてるんだーって精神的にものすごく満足する。なあ、冬矢?」
「ああ。そっちの満足感を得ることのほうが嬉しいからな」
「それにさ、蒼生は自分だけって言うけど、オレ、ちゃんと気持ちいいよ。蒼生が気持ちいいって言う瞬間あるじゃん? あの時オレもめちゃくちゃ気持ちいいんだよな、言い当てられてんじゃねえかってくらい同時にさ。だから、蒼生には遠慮なく気持ちよくなっててほしいわけですよ」
「……そうなの?」
頷いて、健ちゃんは腕を組む。
「たぶん、蒼生は最中に余裕がないから、オレたちが気持ちいいの気付いてだけなんじゃない?」
「あー……」
「あ、でも、余裕ないほど感じさせたいと思ってるからそれはそれで成功なんだぜ? 気持ちよさそうにしてナカで吸い付いて離してくれない蒼生、最高に色っぽいし」
たしかに、余裕はない感じは自分でもわかってる。だって気持ちよくて、もう、ほんと真っ白になっちゃって……。
冬矢が僕の両手をそっと自分の両手で包み込んでくる。
「健太の言うとおり、蒼生が思っているより俺たちは満足してる。けど、蒼生が気にするなら、そうだな、数をこなすしかないんじゃないか?」
健ちゃんがぴくっと肩を揺らす。
「数?」
「俺もナカのテクニック云々はよくわからない。世間的には、例えばそれ用の道具を使って訓練するとかって聞いたことはあるんだけど。……ただ、蒼生が気持ちよくしたいって思ってくれているのは俺たちなんだから、俺たちとシながら覚えていけばいいんじゃないのかな。それこそ、ちょっと余裕がある時に俺たちの反応窺うとかね」
「……たしかに、そうだね」
他の人のことを考える必要はまったくないんだから。そうか。健ちゃんと冬矢が気持ちいいと思ってくれたことを覚えていればいいんだ。
ぼそりと健ちゃんが、
「それって結局もっと……いや何でもねえや。願ったり叶ったりか」
珍しく言いかけてやめた。
気になるから聞いてみようとした時、冬矢が後ろからぎゅっと僕を抱き締めた。
「いっぱい話して、いっぱい触れ合って、いっぱい確かめ合おう。ずーっとそうやって一緒にいようね」
一緒……。
健ちゃんはずいっと膝立ちで近付いて、
「いてくれる?」
と笑顔で聞いてきた。
「うん」
僕が頷くと、ふたりとも嬉しそうだった。
なんだか腑に落ちた。
僕にまだ足りないのは「余裕」なんだな。
だから急に不安になったりするのか。
頑張らなくちゃいけないこと、たくさんあるなあ。
ふたりの優しさに甘えてばかりじゃダメだけど、それを足がかりに頑張れることは、ちゃんと頑張っていかなくちゃ。
で、でも。
そうかあ。
可愛い、は、健ちゃんと冬矢から生まれてくるんだあ。
心配しなくてもいいんだ。
なくならないんだ。
少し、ほっとした。
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