投稿日:2024年03月05日 23:08 文字数:8,278
41こ目;後日カメラを買いまして
ステキ数:1
レポートを書く+世話を焼きたい、とある日曜日のお話。
一眼レフカメラは必要ですよね。
↑初公開時キャプション↑
2022/03/04初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
ここからあとの時系列でお出かけする時、明記している時としていない時がありますが、
大体健太はデジタル一眼レフカメラを持ち歩いています。
一眼レフカメラは必要ですよね。
↑初公開時キャプション↑
2022/03/04初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
ここからあとの時系列でお出かけする時、明記している時としていない時がありますが、
大体健太はデジタル一眼レフカメラを持ち歩いています。
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その日曜日は、何も予定の入っていない日だった。たまにはゆっくりして、朝起きないことにしようと昨夜決めた通り、昼近くなるまで家の中は静寂で包まれていた。
まず目を覚まして起き上がったのは冬矢だ。ぐっと背筋を伸ばし、片足を下ろしかけたところで、蒼生がその気配に気付いてぱちぱちと瞬きをする。ほわっとした視線に、冬矢は思わず微笑んだ。
「おはよう、蒼生」
「おはよ、冬矢」
蒼生は自分の胸の上に乗った健太の右腕をぐいっと押し上げ、上半身を起こす。ベッドに静かに置いたはずのその腕は、なぜかそのまま腰に巻き付いてきた。
「んー、おはよ~」
「健ちゃん、おはよ。今日はランニング行かなかったんだ」
「行ったよ。んで、帰ってきて、もっかい寝た」
健太はむにゃむにゃ言いながら、ぎゅっと腕に力を込めて蒼生の腰に懐くと、背骨の凹凸に唇を寄せる。
「ちょっ……くすぐったいったら。起きるならちゃんと起きて?」
「んー……」
走ってきた程度で体力が尽きるはずはない。おそらくわざと甘えているのだろうと思い、蒼生は体を捻って健太の短い髪を撫でる。途端に嬉しそうにでれっとしたので、どうやら正解だったらしい。
それを横目に見ながら寝室を出ていこうとする冬矢の背中に、蒼生が声をかける。
「今日は、なんにもすることないんだよね?」
「うん。だから、来週提出のレポートを進めようかなって思ってる。うまくすれば今日終わらせられるかもしれないんだ」
「ああ、早めにやっちゃうと楽だもんね」
と。
突然、がばっと健太が起き上がった。あまりの勢いに健太の前にころりと転がった蒼生は、不思議そうに首を傾げる。
「びっくりした。どうしたの?」
「……やっべ。オレ、明日提出のヤツあるわ」
「えっ!?」
ものすごい勢いで身なりを整えた健太は、鞄と本棚を何度も行き来して紙束と教科書をローテーブルの上にばさりと置くと、その前にどっかりと座り込んだ。
「もしかして、まだ全然……?」
「いや、あの、資料はちゃんと揃えてあんだ、……まだ読んでねえけども」
「うわぁ……」
蒼生は健太ががさがさとあっちへやったりこっちへやったりする資料を目で追う。分野がまったく違うので、手伝うといってもなかなか難しそうだ。とはいえ、この分量なら、本気になれば間に合うと思う。ただそれを言って、せっかくのやる気を削ぐのも良くないので、黙っておくことにした。
「お昼、片手で食べられたほうがいいかな」
「ありがたいです……。それか蒼生が全部食べさせてくれるんでもいい」
「別にそれでもいいけどさ」
「いいの!?」
何をいまさら、と笑いながら蒼生は立ち上がる。さて、冗談はともかく、予定していたメニューでは健太の手を止めてしまいそうだ。もちろん本当に食べさせることもやぶさかではないのだが、一応変更したほうがいいかもしれない。ちょうどそこに、ケトルが柔らかい電子音を鳴らした。
キッチンに入る蒼生とすれ違うように、着替えと洗顔を済ませた冬矢がリビングに戻ってくる。
「蒼生、ごはんどうしようか。何か買ってくるつもりだったけど」
「うん、たぶん夜のことも考えなきゃいけなそうだし、僕が行ってくるよ。よかったら冬矢は自分の作業始めてて。とりあえず今スープ入れるから、それで繋いでもらえるかなあ」
「助かるよ、ありがとう」
蒼生は嬉しそうに笑う。
「役に立ちたいから、今日はこき使ってね」
そう言って、マグカップに熱いお湯を注いだ。
蒼生に応援されているとわかれば、冬矢にもやる気が出てくる。分厚い本とノートをテーブルにどん、と置くと、勢いよく椅子を引いた。
朝昼兼用のホットドッグをかじりながら、冬矢は難解な言葉遣いの文章を目で追う。ながら食べの自分より一足早く食事を終えた蒼生は、洗面所のほうで掃除をしているようだ。
小さなころから健太の世話を焼いていただけのことはある、蒼生は基本的にそういうタイプなのだと改めて冬矢は思う。昔は嫌々先生の手伝いをしていたというが、今、少なくとも健太と冬矢に対しては、まったくそんな気持ちを抱いている様子はない。それどころか、嬉しそうにぱたぱたとよく動いている。
「やべ……足痺れた……あの、蒼生さーん……」
「飲み物だね、冷たいお茶にする? あったかいの?」
「あったかいコーヒーを……」
「はーい」
「ありがとー」
「蒼生、ごめん、ここの文章見てもらっていい?」
「どこどこ?」
「ここ、言葉遣いおかしくないかな」
「大丈夫だと思うけど、あ、これ、この修飾語、こっちにあったほうがわかりやすくないかな」
「なるほど、ありがとう」
蒼生は声をかけられるたび、にこにこと近寄ってくる。はっきりそうとわかる、嬉しそうな顔だ。先程の「役に立ちたい」は本心なのだろうと冬矢は深く納得した。
実際、蒼生はこうしてふたりに頼みごとをされるのが嬉しくて仕方がなかった。頼ってくれるのが嬉しい。声をかけてくれるのが嬉しい。時々健太がスキンシップを求めてくるのが嬉しい。それを見た冬矢が張り合って引き寄せてくれるのも嬉しい。ふたりと一緒にいるようになって、それまであまり感じなかった「嬉しい」がそこかしこに溢れているのを感じる。
ただひとつ物足りないことがあるとしたら、いくらサポートは出来てもレポートの内容にまでは口を挟めないことだ。同じ学部であれば、今までのように一緒に同じ課題に取り組めたのだろうが、どうしてもそれぞれが違う作業になってしまう。大学は、学部が違えば建物さえ違う。そこを寂しいと思うのはいくらなんでも贅沢すぎると思う。わかってはいるが、たまには同じことがしたいな、と思ってしまっても仕方がないのではないだろうか。
ぷるぷる、と頭を振って、蒼生は途中になっていた風呂場の掃除に戻ることにした。寂しい、なんて個人的な感傷で、一生懸命レポートに取り組むふたりの邪魔をしてはいけないのだから。
掃除といっても、普段から気を付けているせいか目立った汚れは見えない。だから細かいところや裏側を丁寧に洗っていく。そうしていると、ひとりやることがない寂しさも少しは紛れる気がした。
しばらくは自分のたてる音しか聞こえない、静かな時間が続いた。そこに。
「蒼生ぃ……」
はっとした。健太の声だ。磨かれてぴかぴかになった洗面器を壁際に立てかけ、洗面所からリビングのほうを覗き込む。健太の手が……いや指だけがおいでおいでと招いている。だいぶ疲れてきたみたいだな、と苦笑し、蒼生は濡れた足を拭いて健太の側まで戻った。ローテーブルの上を見ると、走り書きのメモが散らばっていて、なんとかそれをまとめようとしている形跡が見えた。
「ダメだ……ここから進まない……。蒼生……甘いのほしい……なんかもういっそめちゃくちゃ甘いやつ」
「うーん、めちゃくちゃ、かあ。何か買ってくる?」
「できればお願いしたい……」
「健太、蒼生に甘えすぎだろ」
「だってさぁ……」
ぐだっとソファの座面に崩れ落ちる健太が、申し訳ないが小学生時代に見ていた姿とまるきり同じで、蒼生はくすくすと笑った。
「いいよ、ずっと紙とにらめっこじゃ疲れるでしょ。3人でおやつにしよう。冬矢は何が食べたい?」
「…………。俺もめちゃくちゃ甘いやつ」
「あははっ、わかった。買ってくるから待っててね」
迷った挙げ句、酷くすまなそうな顔で告げた冬矢も愛おしい。さっきまでの寂しい気持ちが、ぽーんとどこかへ飛んでいってしまったのが、くすぐったくも嬉しかった。蒼生は気持ちがそのまま表れたような弾む足取りで、玄関に向かっていった。
がちゃん。鍵のかかった音。
蒼生が出て行ってしまうと、部屋は急にしんと静かになった。そのせいで、さっきまでは全く聞こえなかった、ペンを走らせる音と紙をめくる音がやけに響く。それどころか、心なしか室温が下がったような気さえする。
「……空気が違う」
ペンを止めないまま、ぼそっと健太が呟いた。
「なんかピリピリしてて痛ぇわ」
一応頷いた冬矢も、手元からまったく目を離さない。
「蒼生の影響がどれだけ大きいかってことだな。存在自体が癒しだから」
「100パー同意する」
締切が目前の健太にとって、ここまでの数時間を冷静に進めてこられたのは蒼生のおかげなのだと痛感する。暗い空気に潰されそうなせいか、時間が少なくなりつつある現状に焦っているせいか、文章自体も攻撃的になりそうだ。
沈黙が重い。
どのくらい経っただろうか。文章が途中で破綻し、体感温度が氷点下になりかけたところで、蒼生が戻ってくる。リビングのドアが開くや否や、
「おかえりっ! 窒息して凍死するとこだった!」
健太が叫んで両手を広げた。
「? ただいま」
不思議そうにしながらも、蒼生はにこにこと買い物袋を置く。
「今、邪魔じゃないかな。アップルパイ買ってきた。甘いのが欲しいってリクエストだったから、生クリームも買っちゃった。いっぱい乗せよー。あ、せっかくだから、あっためてアイスも添えちゃう?」
「添えちゃうー!」
「うん、お願いします」
蒼生がふたりの返答に嬉しそうに頷き、明るい足取りでキッチンに入っていくのを、冬矢はじっと眺める。まさに、空気が違う。蒼生がいる空間は、景色さえ柔和に見える。本当についさっきまで、電気を消してしまったのではないかと思うくらい、部屋の中は暗かったのだ。それが今はどうだ。こんなにも、優しい光で満たされている。
それだけでも落ち着くというのに、触れ合うとまた回復力が桁違いだ。テーブルもローテーブルも資料を広げたままだから、と肩を寄せ合うようにソファでアップルパイを食べていると、周囲の空間ごととろけていくような気さえした。
「狭いなあ」
左右どちらからも寄りかかられて、蒼生はそう言って笑っていたけれど、逃れる気配はまったくなかった。優しい笑顔は、糖分よりももっと甘い栄養だ。それが蓄積されていた疲れを吹き飛ばしてしまう。おそらく健太も同じように感じているだろう。
その栄養によって頭が回るようになってくると、集中できるせいか、時間があっという間に過ぎていく。気が付けば窓の外はだいぶ暗くなっていた。キッチンからそーっと出てきた蒼生が、おずおずと皿をふたりの前に置いた。
「手が空いたら食べてね。……上手に三角にならなくてごめん」
ぱっとふたりは同時に顔を上げた。皿の上には、大きめな球体が3つ、健太のところには4つ乗っている。手が汚れないようにという配慮なのだろう、ひとつずつ丁寧にフィルムに包まれている。隣には茎を長めにしたブロッコリーとマヨネーズ。
「次はきっと三角になるから……!」
「初おにぎり……?」
「う……。そう……。だいぶ大きかったなあ……丸いし……。脳内イメージではちゃんと三角だったんだけど……」
蒼生は肩を落としてキッチンに戻っていく。
早速、健太は端の球体を手に取った。大きいと言うが、健太の手にはちょうどいい。フィルムを開けて一口かじると、ほんのりとした塩味とごはんの甘みが口いっぱいに広がる。外側はしっかりしていて崩れないし、中はふんわりしている。以前、妹主宰のパーティの手伝いをさせられた時に、力いっぱい握りすぎて「硬い! 餅か!」と怒られた自分の初おにぎりに比べると、ずいぶん立派だと思う。さらに一口いくと、中から唐揚げが出てきた。まだ温かくて、じゅわっと肉汁があふれる。
「! 蒼生!」
「なぁにー」
「これ、唐揚げ入ってる! うまい!」
「……ほんと?」
「わー、すげえ、これ、うまいわ。びっくりしたし嬉しいし!」
健太の反応に、冬矢もそれを手に取る。健太が持っているのとは違う、少し茶色っぽい球だ。口に入れれば甘く、すぐに衣をまとったエビが口に入る。これは天つゆか。
「こっちも美味しい。へえ……硬さもちょうどいいよ。蒼生、上手だね」
「出来合いの入れただけだし、見様見真似だけど……そう言ってもらえると嬉しい」
ほっとしたように蒼生が微笑む。
「え、冬矢の違うの?」
「健ちゃんのところにもあるよ。唐揚げが2つ、海老天が1つ、鮭が1つ乗ってるはず。もし足りないようなら、ごはんはあるから」
「リクエストあり?」
「あり」
「どうしよっかな迷うなぁ。おかずおにぎり、いいなあ」
直前までしかめっ面でレポートに向き合っていた健太は、子供のような笑顔でおにぎりを食べている。対する蒼生はすっかりにこにこ顔だ。この空気が心地よくて、冬矢もふた口めにかじりついた。3つは多いかもしれない。だが、蒼生が作ってくれたものは残らず食べつくしたいとも思うのだった。
日付が変わる頃になっても、ふたりのレポートはまだ終わらなかった。
風呂から上がった蒼生が、パジャマ姿でリビングに戻ってきた。ふたりの様子を交互に眺め、小さく息を吐く。
「他に僕にできることはない?」
「ありがとう。もう大丈夫だから、蒼生は先に寝てて」
きっと、睡眠まで邪魔したくない、と思ってくれているから出た言葉だろう。それはわかる。けれど、もっと構ってほしい、役に立ちたい、という気持ちが寝室へ向かう足を重くする。とはいえ、わがままを言って足を引っ張るのも嫌だ。これ以上うろうろして視界に入るのも邪魔だろうし。
仕方なくキッチンで麦茶を飲み、寝室へ向かおうと決心したところで健太の小さな声が届いた。
「……これは徹夜かなあ」
「えっ」
思わず蒼生はリビングへ飛び出す。
健太は頭を掻きながら、ちらりと冬矢を見た。
「おまえは? 終わりそう?」
「この感じならそう時間はかからず終わりそうだな。朝まではならないだろう。せっかく勢いづいたところだからこのまま続ける」
真剣にレポートに向き合う顔に、邪魔をしたくない気持ちより心配のほうが勝る。目を伏せた蒼生は、視線の先の胸元で指を組んだ。
「頑張るのはいいけど、無理はダメだよ。……それに、……終わったら一緒に寝てくれないとさみしい……」
「!」
言い淀む、小さな蒼生の声。ぴっと健太の背筋が伸びた。冬矢もはっと顔を上げる。
「わかった! 頑張る!」
「早く終わらせるね。だから蒼生はベッドで待ってて」
「……うん」
頷いて、それでも心配そうに寝室に向かう。
「気が散るといけないから、とりあえず閉めるね。なにかあったら起こしてね。おやすみなさい」
「おやすみ」
最後には笑って、蒼生は寝室のドアを閉めた。
蒼生が待っている。待たせている。それは健太にとって今日一番の起爆剤になった。胸の奥で「蒼生」と呟いた瞬間、あれだけ迷っていた結論がぽこんと脳裏に現れる。書き散らかした思考のメモを重ねて、貫いた先にあるような結論だ。道筋は完全に見えた。
冬矢もさっき読んだ資料の中に、今向かおうとしてる終着点に導くのにぴったりの文言があったことを急に思い出す。あの段階では少しずれているような気がしたが、視点を変えればいいアプローチになる。導入部分とも矛盾がない。なるほど、と勢いよく手を動かす。
こうなってしまえば、時間の問題だ。まだ深夜と呼んでいい時間に、健太は資料を放り投げた。
「終わ……ったぁー……!!」
はー、と大きく息を吐き、後ろのソファに寄りかかって腕をいっぱいに伸ばす。
「お疲れ」
「おー。おまえは?」
「今まとめの文を書いてるところ。もう終わる」
「そっか。お疲れさん」
こんなに動かずに1日を過ごしたのは久しぶりかもしれない。体のあちこちが固まっている気がして、健太は床に座ったまま軽めのストレッチをする。ただそれもほんのわずかな時間だけだ。本来ならもう少し筋肉を伸ばしてやりたいところではあるが、なにより気になるのは、自分の体より蒼生のことだ。数時間で何が起こるはずもないのに、とにかく蒼生の顔が見たい。どうしているのか心配だ。
そろそろと立ち上がり、静かにドアに近付いて、ゆっくりとドアを横にスライドさせていく。
寝室の電気は点いていた。ドアの中央、磨りガラスの窓が明るかったからそれはわかっていたけれど、改めてそれを確認する。自分たちが寝室に来る時に、暗いといけないと思ったのだろう。蒼生はそういうタイプだ。そしてその姿は、真ん中より、こちら側にあった。蒼生が頭を乗せているあの枕は、健太の枕だ。それから、何かを抱き締めている? かすかな記憶を辿ってみると、あれは冬矢のパジャマではないだろうか。
ぐう……っと喉から音が漏れた。たまらず、寝室を覗いたまま、ダイニングテーブルに向かって大きく手招きをする。
「冬矢……おい冬矢、来てみろよ」
出来る限りの小声で呼ぶと、冬矢が心配そうな表情を浮かべて静かに立ち上がる。
「どうした? 蒼生になにかあったか?」
「すっげぇ、可愛いの」
それはいつものことだろうと思いながら、冬矢は健太の脇からそっと寝室を覗き込む。そして、健太の言わんとすることをすべて把握する。なるほど。これは健太でなくとも震えるだろう。しかし、この可愛さを独占したいと思って当然なのに、冬矢を呼んでしまう健太の純粋さには改めて感心する。
健太は、何度目とも知れない大きな息を吐いた。
「あー……なんでこんなにも可愛いかな……。さっきの丸いおにぎりもめっ……ちゃくちゃ可愛かったもんな」
「真面目で努力家な蒼生のことだ、すぐ綺麗な三角になるよ」
「期間限定なのもったいないくらい可愛いのに……写真撮っといてよかった。でも、努力してる蒼生も、めちゃくちゃ可愛いもんなあ。好きな子が頑張って作ってくれるごはんって最高にイイよな……」
ちら、と冬矢は健太を見る。
「おまえだって最初は蒼生のために頑張るつもりだったくせに、早々に挫折したからな」
「うっ。……い、いずれなんとかなる、はず、だ。人には向き不向きってモンがあるだろーがよ」
「まあ、俺はまだ自分の特権だと思ってるから、おまえが料理できなくてもなんの問題もないけど」
「ぐぅ……」
言い返す言葉がなくなり、健太は黙って携帯電話を取り出してそっと構えた。この光景を残しておくつもりなのだろう。
名残惜しいが、冬矢はその場をついと離れる。自分のレポートの仕上げをするためだ。あんなに寂しげに眠っている蒼生を、これ以上ひとりにするわけにはいかない。早く隣に行かなければ。
そしてあっという間に、文末を悩んでいたとは思えないほど切れ味のいい言葉でレポートの最後を締めると、冬矢はざっと机の上を片付けた。あとは提出用に体裁を整えて出すだけだ。急いで戻ると、健太は蒼生のそばにまで近付いて、携帯を構えている。
「……可愛い。マジ、蒼生のためなら死ねる……」
その思わず零れたのだろう独り言に、冬矢は深く息をついた。
「バカが。残されて、おまえのことを想って泣く蒼生なんて見たくないんだが」
健太がはっとしたように顔を上げる。
「なるほど、もっともだ」
そう言って、すぐにまた蒼生に携帯を向ける。やれやれ、と冬矢は腕を組む。
「いつまで撮ってるんだ? こうしてる間も寝ている蒼生を待たせてるんだぞ」
「……あっ。だよな。……んー、だけどさ、いくら撮っても足りねえんだよ。角度がたった一度違うだけで、可愛さもまた違ってくるからさ」
「それはそうだな。……一眼レフカメラが必要かもしれないな」
「それだ」
小声とはいえ、それだけ近くで長々と話していれば、当然蒼生も気が付く。
ぱちりと薄く目を開けた蒼生は、そばにいるふたりをゆっくりと順に見つめる。
「……終わったの?」
冬矢はそっと近寄り、優しく頬を撫でる。
「終わったよ」
「だから一緒に寝ような」
蒼生は、とても嬉しそうに、「うん」と笑った。
まず目を覚まして起き上がったのは冬矢だ。ぐっと背筋を伸ばし、片足を下ろしかけたところで、蒼生がその気配に気付いてぱちぱちと瞬きをする。ほわっとした視線に、冬矢は思わず微笑んだ。
「おはよう、蒼生」
「おはよ、冬矢」
蒼生は自分の胸の上に乗った健太の右腕をぐいっと押し上げ、上半身を起こす。ベッドに静かに置いたはずのその腕は、なぜかそのまま腰に巻き付いてきた。
「んー、おはよ~」
「健ちゃん、おはよ。今日はランニング行かなかったんだ」
「行ったよ。んで、帰ってきて、もっかい寝た」
健太はむにゃむにゃ言いながら、ぎゅっと腕に力を込めて蒼生の腰に懐くと、背骨の凹凸に唇を寄せる。
「ちょっ……くすぐったいったら。起きるならちゃんと起きて?」
「んー……」
走ってきた程度で体力が尽きるはずはない。おそらくわざと甘えているのだろうと思い、蒼生は体を捻って健太の短い髪を撫でる。途端に嬉しそうにでれっとしたので、どうやら正解だったらしい。
それを横目に見ながら寝室を出ていこうとする冬矢の背中に、蒼生が声をかける。
「今日は、なんにもすることないんだよね?」
「うん。だから、来週提出のレポートを進めようかなって思ってる。うまくすれば今日終わらせられるかもしれないんだ」
「ああ、早めにやっちゃうと楽だもんね」
と。
突然、がばっと健太が起き上がった。あまりの勢いに健太の前にころりと転がった蒼生は、不思議そうに首を傾げる。
「びっくりした。どうしたの?」
「……やっべ。オレ、明日提出のヤツあるわ」
「えっ!?」
ものすごい勢いで身なりを整えた健太は、鞄と本棚を何度も行き来して紙束と教科書をローテーブルの上にばさりと置くと、その前にどっかりと座り込んだ。
「もしかして、まだ全然……?」
「いや、あの、資料はちゃんと揃えてあんだ、……まだ読んでねえけども」
「うわぁ……」
蒼生は健太ががさがさとあっちへやったりこっちへやったりする資料を目で追う。分野がまったく違うので、手伝うといってもなかなか難しそうだ。とはいえ、この分量なら、本気になれば間に合うと思う。ただそれを言って、せっかくのやる気を削ぐのも良くないので、黙っておくことにした。
「お昼、片手で食べられたほうがいいかな」
「ありがたいです……。それか蒼生が全部食べさせてくれるんでもいい」
「別にそれでもいいけどさ」
「いいの!?」
何をいまさら、と笑いながら蒼生は立ち上がる。さて、冗談はともかく、予定していたメニューでは健太の手を止めてしまいそうだ。もちろん本当に食べさせることもやぶさかではないのだが、一応変更したほうがいいかもしれない。ちょうどそこに、ケトルが柔らかい電子音を鳴らした。
キッチンに入る蒼生とすれ違うように、着替えと洗顔を済ませた冬矢がリビングに戻ってくる。
「蒼生、ごはんどうしようか。何か買ってくるつもりだったけど」
「うん、たぶん夜のことも考えなきゃいけなそうだし、僕が行ってくるよ。よかったら冬矢は自分の作業始めてて。とりあえず今スープ入れるから、それで繋いでもらえるかなあ」
「助かるよ、ありがとう」
蒼生は嬉しそうに笑う。
「役に立ちたいから、今日はこき使ってね」
そう言って、マグカップに熱いお湯を注いだ。
蒼生に応援されているとわかれば、冬矢にもやる気が出てくる。分厚い本とノートをテーブルにどん、と置くと、勢いよく椅子を引いた。
朝昼兼用のホットドッグをかじりながら、冬矢は難解な言葉遣いの文章を目で追う。ながら食べの自分より一足早く食事を終えた蒼生は、洗面所のほうで掃除をしているようだ。
小さなころから健太の世話を焼いていただけのことはある、蒼生は基本的にそういうタイプなのだと改めて冬矢は思う。昔は嫌々先生の手伝いをしていたというが、今、少なくとも健太と冬矢に対しては、まったくそんな気持ちを抱いている様子はない。それどころか、嬉しそうにぱたぱたとよく動いている。
「やべ……足痺れた……あの、蒼生さーん……」
「飲み物だね、冷たいお茶にする? あったかいの?」
「あったかいコーヒーを……」
「はーい」
「ありがとー」
「蒼生、ごめん、ここの文章見てもらっていい?」
「どこどこ?」
「ここ、言葉遣いおかしくないかな」
「大丈夫だと思うけど、あ、これ、この修飾語、こっちにあったほうがわかりやすくないかな」
「なるほど、ありがとう」
蒼生は声をかけられるたび、にこにこと近寄ってくる。はっきりそうとわかる、嬉しそうな顔だ。先程の「役に立ちたい」は本心なのだろうと冬矢は深く納得した。
実際、蒼生はこうしてふたりに頼みごとをされるのが嬉しくて仕方がなかった。頼ってくれるのが嬉しい。声をかけてくれるのが嬉しい。時々健太がスキンシップを求めてくるのが嬉しい。それを見た冬矢が張り合って引き寄せてくれるのも嬉しい。ふたりと一緒にいるようになって、それまであまり感じなかった「嬉しい」がそこかしこに溢れているのを感じる。
ただひとつ物足りないことがあるとしたら、いくらサポートは出来てもレポートの内容にまでは口を挟めないことだ。同じ学部であれば、今までのように一緒に同じ課題に取り組めたのだろうが、どうしてもそれぞれが違う作業になってしまう。大学は、学部が違えば建物さえ違う。そこを寂しいと思うのはいくらなんでも贅沢すぎると思う。わかってはいるが、たまには同じことがしたいな、と思ってしまっても仕方がないのではないだろうか。
ぷるぷる、と頭を振って、蒼生は途中になっていた風呂場の掃除に戻ることにした。寂しい、なんて個人的な感傷で、一生懸命レポートに取り組むふたりの邪魔をしてはいけないのだから。
掃除といっても、普段から気を付けているせいか目立った汚れは見えない。だから細かいところや裏側を丁寧に洗っていく。そうしていると、ひとりやることがない寂しさも少しは紛れる気がした。
しばらくは自分のたてる音しか聞こえない、静かな時間が続いた。そこに。
「蒼生ぃ……」
はっとした。健太の声だ。磨かれてぴかぴかになった洗面器を壁際に立てかけ、洗面所からリビングのほうを覗き込む。健太の手が……いや指だけがおいでおいでと招いている。だいぶ疲れてきたみたいだな、と苦笑し、蒼生は濡れた足を拭いて健太の側まで戻った。ローテーブルの上を見ると、走り書きのメモが散らばっていて、なんとかそれをまとめようとしている形跡が見えた。
「ダメだ……ここから進まない……。蒼生……甘いのほしい……なんかもういっそめちゃくちゃ甘いやつ」
「うーん、めちゃくちゃ、かあ。何か買ってくる?」
「できればお願いしたい……」
「健太、蒼生に甘えすぎだろ」
「だってさぁ……」
ぐだっとソファの座面に崩れ落ちる健太が、申し訳ないが小学生時代に見ていた姿とまるきり同じで、蒼生はくすくすと笑った。
「いいよ、ずっと紙とにらめっこじゃ疲れるでしょ。3人でおやつにしよう。冬矢は何が食べたい?」
「…………。俺もめちゃくちゃ甘いやつ」
「あははっ、わかった。買ってくるから待っててね」
迷った挙げ句、酷くすまなそうな顔で告げた冬矢も愛おしい。さっきまでの寂しい気持ちが、ぽーんとどこかへ飛んでいってしまったのが、くすぐったくも嬉しかった。蒼生は気持ちがそのまま表れたような弾む足取りで、玄関に向かっていった。
がちゃん。鍵のかかった音。
蒼生が出て行ってしまうと、部屋は急にしんと静かになった。そのせいで、さっきまでは全く聞こえなかった、ペンを走らせる音と紙をめくる音がやけに響く。それどころか、心なしか室温が下がったような気さえする。
「……空気が違う」
ペンを止めないまま、ぼそっと健太が呟いた。
「なんかピリピリしてて痛ぇわ」
一応頷いた冬矢も、手元からまったく目を離さない。
「蒼生の影響がどれだけ大きいかってことだな。存在自体が癒しだから」
「100パー同意する」
締切が目前の健太にとって、ここまでの数時間を冷静に進めてこられたのは蒼生のおかげなのだと痛感する。暗い空気に潰されそうなせいか、時間が少なくなりつつある現状に焦っているせいか、文章自体も攻撃的になりそうだ。
沈黙が重い。
どのくらい経っただろうか。文章が途中で破綻し、体感温度が氷点下になりかけたところで、蒼生が戻ってくる。リビングのドアが開くや否や、
「おかえりっ! 窒息して凍死するとこだった!」
健太が叫んで両手を広げた。
「? ただいま」
不思議そうにしながらも、蒼生はにこにこと買い物袋を置く。
「今、邪魔じゃないかな。アップルパイ買ってきた。甘いのが欲しいってリクエストだったから、生クリームも買っちゃった。いっぱい乗せよー。あ、せっかくだから、あっためてアイスも添えちゃう?」
「添えちゃうー!」
「うん、お願いします」
蒼生がふたりの返答に嬉しそうに頷き、明るい足取りでキッチンに入っていくのを、冬矢はじっと眺める。まさに、空気が違う。蒼生がいる空間は、景色さえ柔和に見える。本当についさっきまで、電気を消してしまったのではないかと思うくらい、部屋の中は暗かったのだ。それが今はどうだ。こんなにも、優しい光で満たされている。
それだけでも落ち着くというのに、触れ合うとまた回復力が桁違いだ。テーブルもローテーブルも資料を広げたままだから、と肩を寄せ合うようにソファでアップルパイを食べていると、周囲の空間ごととろけていくような気さえした。
「狭いなあ」
左右どちらからも寄りかかられて、蒼生はそう言って笑っていたけれど、逃れる気配はまったくなかった。優しい笑顔は、糖分よりももっと甘い栄養だ。それが蓄積されていた疲れを吹き飛ばしてしまう。おそらく健太も同じように感じているだろう。
その栄養によって頭が回るようになってくると、集中できるせいか、時間があっという間に過ぎていく。気が付けば窓の外はだいぶ暗くなっていた。キッチンからそーっと出てきた蒼生が、おずおずと皿をふたりの前に置いた。
「手が空いたら食べてね。……上手に三角にならなくてごめん」
ぱっとふたりは同時に顔を上げた。皿の上には、大きめな球体が3つ、健太のところには4つ乗っている。手が汚れないようにという配慮なのだろう、ひとつずつ丁寧にフィルムに包まれている。隣には茎を長めにしたブロッコリーとマヨネーズ。
「次はきっと三角になるから……!」
「初おにぎり……?」
「う……。そう……。だいぶ大きかったなあ……丸いし……。脳内イメージではちゃんと三角だったんだけど……」
蒼生は肩を落としてキッチンに戻っていく。
早速、健太は端の球体を手に取った。大きいと言うが、健太の手にはちょうどいい。フィルムを開けて一口かじると、ほんのりとした塩味とごはんの甘みが口いっぱいに広がる。外側はしっかりしていて崩れないし、中はふんわりしている。以前、妹主宰のパーティの手伝いをさせられた時に、力いっぱい握りすぎて「硬い! 餅か!」と怒られた自分の初おにぎりに比べると、ずいぶん立派だと思う。さらに一口いくと、中から唐揚げが出てきた。まだ温かくて、じゅわっと肉汁があふれる。
「! 蒼生!」
「なぁにー」
「これ、唐揚げ入ってる! うまい!」
「……ほんと?」
「わー、すげえ、これ、うまいわ。びっくりしたし嬉しいし!」
健太の反応に、冬矢もそれを手に取る。健太が持っているのとは違う、少し茶色っぽい球だ。口に入れれば甘く、すぐに衣をまとったエビが口に入る。これは天つゆか。
「こっちも美味しい。へえ……硬さもちょうどいいよ。蒼生、上手だね」
「出来合いの入れただけだし、見様見真似だけど……そう言ってもらえると嬉しい」
ほっとしたように蒼生が微笑む。
「え、冬矢の違うの?」
「健ちゃんのところにもあるよ。唐揚げが2つ、海老天が1つ、鮭が1つ乗ってるはず。もし足りないようなら、ごはんはあるから」
「リクエストあり?」
「あり」
「どうしよっかな迷うなぁ。おかずおにぎり、いいなあ」
直前までしかめっ面でレポートに向き合っていた健太は、子供のような笑顔でおにぎりを食べている。対する蒼生はすっかりにこにこ顔だ。この空気が心地よくて、冬矢もふた口めにかじりついた。3つは多いかもしれない。だが、蒼生が作ってくれたものは残らず食べつくしたいとも思うのだった。
日付が変わる頃になっても、ふたりのレポートはまだ終わらなかった。
風呂から上がった蒼生が、パジャマ姿でリビングに戻ってきた。ふたりの様子を交互に眺め、小さく息を吐く。
「他に僕にできることはない?」
「ありがとう。もう大丈夫だから、蒼生は先に寝てて」
きっと、睡眠まで邪魔したくない、と思ってくれているから出た言葉だろう。それはわかる。けれど、もっと構ってほしい、役に立ちたい、という気持ちが寝室へ向かう足を重くする。とはいえ、わがままを言って足を引っ張るのも嫌だ。これ以上うろうろして視界に入るのも邪魔だろうし。
仕方なくキッチンで麦茶を飲み、寝室へ向かおうと決心したところで健太の小さな声が届いた。
「……これは徹夜かなあ」
「えっ」
思わず蒼生はリビングへ飛び出す。
健太は頭を掻きながら、ちらりと冬矢を見た。
「おまえは? 終わりそう?」
「この感じならそう時間はかからず終わりそうだな。朝まではならないだろう。せっかく勢いづいたところだからこのまま続ける」
真剣にレポートに向き合う顔に、邪魔をしたくない気持ちより心配のほうが勝る。目を伏せた蒼生は、視線の先の胸元で指を組んだ。
「頑張るのはいいけど、無理はダメだよ。……それに、……終わったら一緒に寝てくれないとさみしい……」
「!」
言い淀む、小さな蒼生の声。ぴっと健太の背筋が伸びた。冬矢もはっと顔を上げる。
「わかった! 頑張る!」
「早く終わらせるね。だから蒼生はベッドで待ってて」
「……うん」
頷いて、それでも心配そうに寝室に向かう。
「気が散るといけないから、とりあえず閉めるね。なにかあったら起こしてね。おやすみなさい」
「おやすみ」
最後には笑って、蒼生は寝室のドアを閉めた。
蒼生が待っている。待たせている。それは健太にとって今日一番の起爆剤になった。胸の奥で「蒼生」と呟いた瞬間、あれだけ迷っていた結論がぽこんと脳裏に現れる。書き散らかした思考のメモを重ねて、貫いた先にあるような結論だ。道筋は完全に見えた。
冬矢もさっき読んだ資料の中に、今向かおうとしてる終着点に導くのにぴったりの文言があったことを急に思い出す。あの段階では少しずれているような気がしたが、視点を変えればいいアプローチになる。導入部分とも矛盾がない。なるほど、と勢いよく手を動かす。
こうなってしまえば、時間の問題だ。まだ深夜と呼んでいい時間に、健太は資料を放り投げた。
「終わ……ったぁー……!!」
はー、と大きく息を吐き、後ろのソファに寄りかかって腕をいっぱいに伸ばす。
「お疲れ」
「おー。おまえは?」
「今まとめの文を書いてるところ。もう終わる」
「そっか。お疲れさん」
こんなに動かずに1日を過ごしたのは久しぶりかもしれない。体のあちこちが固まっている気がして、健太は床に座ったまま軽めのストレッチをする。ただそれもほんのわずかな時間だけだ。本来ならもう少し筋肉を伸ばしてやりたいところではあるが、なにより気になるのは、自分の体より蒼生のことだ。数時間で何が起こるはずもないのに、とにかく蒼生の顔が見たい。どうしているのか心配だ。
そろそろと立ち上がり、静かにドアに近付いて、ゆっくりとドアを横にスライドさせていく。
寝室の電気は点いていた。ドアの中央、磨りガラスの窓が明るかったからそれはわかっていたけれど、改めてそれを確認する。自分たちが寝室に来る時に、暗いといけないと思ったのだろう。蒼生はそういうタイプだ。そしてその姿は、真ん中より、こちら側にあった。蒼生が頭を乗せているあの枕は、健太の枕だ。それから、何かを抱き締めている? かすかな記憶を辿ってみると、あれは冬矢のパジャマではないだろうか。
ぐう……っと喉から音が漏れた。たまらず、寝室を覗いたまま、ダイニングテーブルに向かって大きく手招きをする。
「冬矢……おい冬矢、来てみろよ」
出来る限りの小声で呼ぶと、冬矢が心配そうな表情を浮かべて静かに立ち上がる。
「どうした? 蒼生になにかあったか?」
「すっげぇ、可愛いの」
それはいつものことだろうと思いながら、冬矢は健太の脇からそっと寝室を覗き込む。そして、健太の言わんとすることをすべて把握する。なるほど。これは健太でなくとも震えるだろう。しかし、この可愛さを独占したいと思って当然なのに、冬矢を呼んでしまう健太の純粋さには改めて感心する。
健太は、何度目とも知れない大きな息を吐いた。
「あー……なんでこんなにも可愛いかな……。さっきの丸いおにぎりもめっ……ちゃくちゃ可愛かったもんな」
「真面目で努力家な蒼生のことだ、すぐ綺麗な三角になるよ」
「期間限定なのもったいないくらい可愛いのに……写真撮っといてよかった。でも、努力してる蒼生も、めちゃくちゃ可愛いもんなあ。好きな子が頑張って作ってくれるごはんって最高にイイよな……」
ちら、と冬矢は健太を見る。
「おまえだって最初は蒼生のために頑張るつもりだったくせに、早々に挫折したからな」
「うっ。……い、いずれなんとかなる、はず、だ。人には向き不向きってモンがあるだろーがよ」
「まあ、俺はまだ自分の特権だと思ってるから、おまえが料理できなくてもなんの問題もないけど」
「ぐぅ……」
言い返す言葉がなくなり、健太は黙って携帯電話を取り出してそっと構えた。この光景を残しておくつもりなのだろう。
名残惜しいが、冬矢はその場をついと離れる。自分のレポートの仕上げをするためだ。あんなに寂しげに眠っている蒼生を、これ以上ひとりにするわけにはいかない。早く隣に行かなければ。
そしてあっという間に、文末を悩んでいたとは思えないほど切れ味のいい言葉でレポートの最後を締めると、冬矢はざっと机の上を片付けた。あとは提出用に体裁を整えて出すだけだ。急いで戻ると、健太は蒼生のそばにまで近付いて、携帯を構えている。
「……可愛い。マジ、蒼生のためなら死ねる……」
その思わず零れたのだろう独り言に、冬矢は深く息をついた。
「バカが。残されて、おまえのことを想って泣く蒼生なんて見たくないんだが」
健太がはっとしたように顔を上げる。
「なるほど、もっともだ」
そう言って、すぐにまた蒼生に携帯を向ける。やれやれ、と冬矢は腕を組む。
「いつまで撮ってるんだ? こうしてる間も寝ている蒼生を待たせてるんだぞ」
「……あっ。だよな。……んー、だけどさ、いくら撮っても足りねえんだよ。角度がたった一度違うだけで、可愛さもまた違ってくるからさ」
「それはそうだな。……一眼レフカメラが必要かもしれないな」
「それだ」
小声とはいえ、それだけ近くで長々と話していれば、当然蒼生も気が付く。
ぱちりと薄く目を開けた蒼生は、そばにいるふたりをゆっくりと順に見つめる。
「……終わったの?」
冬矢はそっと近寄り、優しく頬を撫でる。
「終わったよ」
「だから一緒に寝ような」
蒼生は、とても嬉しそうに、「うん」と笑った。
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