投稿日:2024年04月08日 22:00 文字数:19,520
46こ目;やさしい円の中
ステキ数:1
大学に入ってすぐ、入学式の直後あたりのおはなし。
本来はAfter!シリーズの最初のほうで書くはずだったのですが、
いや暮らし始めてまずはこれだろ、後半で出てくるこれを矛盾なく出すためにはこっちを先に、
などとやっているうちに10話くらい遅くなりました。
しかもその「後半」まで書いていないので、じゃあ先でもよかったじゃん、という。
「後半」の話もいつか出てきます、ええ、そのうち。
↑初公開時キャプション↑
2022/04/08初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
「後半」の話は53こ目、54こ目になります。
お楽しみに~。
本来はAfter!シリーズの最初のほうで書くはずだったのですが、
いや暮らし始めてまずはこれだろ、後半で出てくるこれを矛盾なく出すためにはこっちを先に、
などとやっているうちに10話くらい遅くなりました。
しかもその「後半」まで書いていないので、じゃあ先でもよかったじゃん、という。
「後半」の話もいつか出てきます、ええ、そのうち。
↑初公開時キャプション↑
2022/04/08初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
「後半」の話は53こ目、54こ目になります。
お楽しみに~。
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入学式が終わって、まず最初の行事は健康診断だった。学部ごとに推奨の日時はあるようだが、都合のいい時間に受診してもいいらしい。それを知った3人は、当然同じ時間帯に申し込んだ。
「ちょっとまだ寒かったかも……」
呟いたのは、Tシャツにパーカーを羽織った蒼生だ。前を歩いていたふたりが振り返る。長袖のTシャツ姿の冬矢はまだいい。問題は健太のほうだ。
「ねえ、健ちゃんは半袖1枚で寒くないの?」
思わずパーカーの前を掻き合わせる蒼生に、健太はからっとした笑顔だ。
「ぜんっぜーん。だいぶあったかくなってきたじゃん」
「だいぶ、でしょ」
たしかに昨日までは暖かかったとはいえ、4月になったばかりだ、今日のように急に気温が下がることもある。前日との気温差を考えれば、Tシャツ1枚はさすがにまだ早いと思うのだが。
冬矢は蒼生に歩調を合わせ、そっと肩を寄せる。
「あいつは気候の機微に疎いからな。ちょっと離れて歩こうか」
「うん。見てると寒い」
「あっ、待って待って、蒼生は待って」
がしっと健太が蒼生の肩を抱く。足がもつれそうになった蒼生は、仕方ないなあという目で健太を見上げ、回された腕をポンポンと叩いた。勢いで弾かれる格好になった冬矢が、ひんやりとした目を健太に向ける。
「……覚えてろ」
「うわ気温はあったけえのになんか寒い」
そのやりとりに笑い、蒼生は受診票に目を落とす。そこにはまだ空欄がいくつかあった。高校までの経験から、すべてひとつの建物で済むだろうと勝手に思って気を抜いていたのだが、外を歩くコースもあったうえにメインの会場となる講堂がかなり寒い。ロッカーに入れた着替えの中にコートがあったのだが、持ってく歩くべきだったかもしれない。
文句を言われても蒼生の肩から手を離さなかった健太が、ひょいと顔を覗き込んできた。
「なあ、蒼生」
「うん」
「後でさ、心電図の跡、見せて」
「……うん?」
一瞬何を言われたのか理解できず、蒼生は瞬きの数を増やす。先にピンときた冬矢が、健太から蒼生を引き剥がした。
「やっぱり離れたほうがよさそうだな」
「え?」
「あ、待って待って」
そんなこんなで、わいわいとスタンプラリーで遊ぶようにすべての検査項目を埋め終わった3人は、受付のある体育館に戻ってきた。
「俺がまとめて出しておくから、荷物出して更衣室に行ってて」
「はーい」
冬矢は3人分の受診票を取りまとめ、受付の前にできた列に向かう。それを見送って、蒼生と健太は奥の壁沿いに並ぶコインロッカーの中から一緒にまとめた荷物を取り出し、ロッカーの裏側に位置する広い更衣室に入った。女子とは基本的に時間が別れているうえ、そもそも部屋が別になっているらしく、更衣室にあるのは男性の姿だけだ。見渡したところ、並んだ無料ロッカーの半数くらいの人数がいるだろうか。
「そこそこ人いるなあ……。お、端っこあいてる。行こうぜ、蒼生」
「うん」
ドアから離れたあたりに、ちょうど人の少ない一角がある。あの受付の前にできた列が更衣室に入ってくればきっとそこも混んでくるだろう。冬矢がふたりを先に更衣室に入れたのはおそらくそういう考えがあってのことだ。
健太にも、冬矢が来てすぐにわかるよう入り口付近にいるつもりは一応あった。だがあの空白のような場所を見つけた途端、候補がそこだけに絞られた。蒼生が着替えるのを出来るだけ人目の少ないところにしたかったからだ。周りが男性ばかりだからといって無防備にさせられるわけもないし、むしろだからこそ警戒しなければならないことを健太は身をもって知っている。蒼生は未だにあれを「誰でもよかった」的な犯行だと思っているようだが、健太と冬矢にその意識はない。
さりげなく蒼生を奥に行かせ、健太は着替えと荷物を目の前のベンチに置いた。
「この時間だとこっちのロッカー空いてるんだ」
「さっき、めちゃくちゃ混んでたもんな。もうちょっとで表のも埋まるとこだったし」
「そしたら荷物持って歩かなきゃいけないとこだったね」
言ってパーカーから袖を抜こうとする蒼生に、ふと健太の目が止まった。つられるように手も止まる。あたりを窺うと、人口密度の低いこちらに注目している者は誰もいない。それに、角に柱があるせいで、ロッカーの陰に人ひとり分くらいの隙間があった。健太の脳内に、「ちょっとくらいなら」という思いがよぎる。
「蒼生、跡、今見てもいい?」
「え? ……あ、心電図の? じゃあ、ちょっと脱いじゃうね」
「失礼」
「へ」
そっとその隙間に蒼生の体を押し込む。きょとんと健太を見上げる蒼生の、Tシャツの襟に人差し指をひっかけて引くと、わずかによろめく。構わず、出来た隙間から胸元を覗き込んだ。
その健太の視線がやけに真剣で、蒼生は困惑すると同時に緊張してしまう。腰のあたりがぎゅっとして、蒼生は健太を見つめる目を落とした。すると今度は、力強い指先と、その先に自分の肌が見えてしまい、思わず斜め下に視線を逃がす。
ぱんっ、と軽い音が響いた。
「……いってぇ」
健太が振り返ると、そこにいたのはもちろん冬矢だ。健太の頭をはたいたのであろう書類を片手に、氷のような眼差しで健太をじーっと見ている。
「通報しなかったのをありがたく思え」
「……はい」
素直に頭を下げる健太を押しのけ、冬矢は端で小さくなる蒼生の頭を撫でた。
「蒼生も。人前でそんな可愛い顔をしたらダメだろ。場所をわきまえるように健太を止めてやらなくちゃ」
「はい……」
「どっちの気持ちもわかるから、家に帰ってから。ね」
「はーい」
最後の返事は、仲良くふたり揃っていた。
着替えを終えて体育館から出ると、さきほどより気温が上がったような気がする。シャツのボタンを襟元まできっちりしめた蒼生はそれでも少し寒いらしく、コートの一番上のボタンも留めた。
「あー。Tシャツにパーカーで外にいる蒼生も可愛かったのになあ」
冬矢は、みたび視線の温度を下げる。
「おまえはまったく反省していないな」
「これは正直な反応だからしょうがないだろー。家の中にいるみたいなラフな蒼生を、自然光の中で見たらまた格別だったんだからさ。あ、もちろん今の蒼生も可愛いよ。……大丈夫、わかってます、反省はしてます、外で蒼生にえっちな顔させちゃったことは」
「えっ……」
蒼生はかぁっと頬を赤らめ、慌てたようにふたりの顔を見比べる。
「ぼっ、僕、そんな顔、してた?」
「そうだね……。物陰でよかったと思うよ」
「なー。触ってないのに、触られてるみたいだったもん。蒼生って視線だけでああなっちゃうんだなーって」
「……そりゃ、友達同士だったらああいうのって普通にあるのかもしれないなーって思うんだけど、けっ、健ちゃんだったから、なんか、……妙に意識しちゃって……」
ぐっ、と健太は胸の前で拳を握る。さっき冬矢に止められていなければ、周りに人影がなければ、全力で抱きついていたところだ。自分の目線ひとつでその気になる蒼生なんて、可愛いが過ぎる。
「やっぱりさ……その跡、見るだけじゃなくて、舐めさせて」
「ひぇ」
「おまえ……」
同時に蒼生と冬矢が一歩遠ざかるが、構わずぐいっと詰め寄る。
「だって、健康診断があるからっつって、ここしばらくキスマーク付けさせてくれなかっただろ。そんななのに、人工物に付けられた跡が蒼生にあるのって、なんか、やじゃん。冬矢だってそう思うよな?」
「……まあな」
「!?」
突然健太側についた冬矢を、蒼生は驚いた眼で見た。
「あー、蒼生のお願い聞かずに、首とか胸元とかにいっぱいつけとけばよかった」
「や、やだよ、人に見られるの、なんか恥ずかしいもん……。そんなこと言うと、僕もやるよ?」
「いいよ!」
健太が食い気味にあまりにも元気よく答えるので、その勢いに蒼生はたじろぐ。
「いいんだ……。でも、やったことないけど、僕にも出来るのかな。健ちゃん、上手だからなあ」
「そりゃ愛情があってやってるんだから、跡もつくだろ」
「それなら僕にだってあるんですけど」
「わ」
とうとう我慢できなくなったらしい。健太ががばっと蒼生に抱きつき、とっさに冬矢が支える。
「び、びっくりしたぁ」
「危ないだろ……」
健太は文句を受けてもでれでれと笑って、そのまま蒼生に縋りつく。
「いや、もう、これはしょうがないって。不可抗力だよ。……でもさあ、やっぱ、オレより蒼生のほうが似合うと思うんだよな。色が白いからすっごく映えるし。なあ、冬矢も蒼生が首筋に紅い跡あるの見たいよな?」
さっきのパターンだ、と身構えた蒼生に、冬矢はにっこり笑ってみせる。
「俺は、絶対見えないところにつけるほうが好きだよ」
「なんで?」
「こんなふうにきちんと着込んでるのに、絶対俺にしか見えないところに跡があるんだって俺だけが知っているほうが興奮する」
「……わぁ」
「なんつーか、オレより冬矢のが、がっつりドすけべだよなあ……」
遠くから聞こえていたたくさんの話し声らしき騒音は、正門に向かう角を曲がるとさらにボリュームがあがった。広い道は静かだった朝とは一変して、大勢の学生たちでごった返していた。左右に並んだ折り畳み式の机と椅子、色とりどりの垂れ幕やポスター、その周囲で呼び込みをかける人たち、そして立ち止まって話を聞いているおそらく新入生らしき人の群れ。
「あー、サークルの勧誘ってやつか」
「そういえば、朝から机は出されてたよね。何かと思ってたけど、こういうことなんだ」
道端から向こうに見えるグラウンドまで、いったいいくつのサークルがあるのだろう。兄姉たちの話によると、大学にはサークル以外にもしっかりやりこむ部活や、人数の少ない同好会や愛好会、他の大学と一緒になった合同サークルなどというものもあるらしい。しかも、大学によってもそのくくりは違うらしく、全員の証言が異なっていたから結局詳しいことはよくわからなかった。
それにしても、ここまでたくさんの数があるとは思っていなかった。圧倒的な人の数に、蒼生は完全に腰が引けている。
「……ふたりがいてよかった。僕、絶対ここ通れない」
陰に隠れるようにして、きゅっとそれぞれの服の裾を掴む。それを見て、ますます早く帰ろうと決心する健太だ。
正門から帰るには、この雑踏を突っ切るほかない。それを狙ってここに勧誘の場を設けているのだろう。やむを得ずその人ごみに足を踏み入れると、心なしかあたりからざわめきが起こったような気がする。首を傾げつつ、蒼生を背中で庇うように歩き始めると、なんだか無数の敵から守っているようで健太は少し気分がよかった。
突っ切れそうだと一瞬思ったのも束の間。いくらも進まないうちに、机の後ろにいた人々がわさっと出てきて、ほぼ囲まれるような形になる。
「お兄さん、体格いいね、スポーツやってたでしょ。テニスやらない?」
「あー、昔やってましたけど引退して長いんで!」
「飲みサーなんだけどどう? 絶対モテるよ」
「間に合ってますので」
「オールラウンドサークルだけど興味ない?」
「あ、ごめんなさい」
「人間観察やってます」
「えっと」
「話だけでもちょっと聞いていかない?」
「体動かす機会大事だよね!?」
「他校の友達がたくさん出来るよ!」
「昔の遊び研究してるんだけど」
「ゲームばっかやってて楽しいよー」
返事を返す隙も無く次々話しかけられるので、なんだか何を聞いているのかもよくわからなくなってくる。口々に断りの言葉を投げながら無理矢理進んでいく。途中、明らかにジャンル違いの女子学生たちも積極的に押しかけてきて、それがまっすぐに健太と冬矢を見ているものだから、蒼生は後ろで見ていて正直気が気ではなかった。
密度で言えばグラウンドのほうがマシなので、なんとかそちらに抜ける。ここもテーブルはたくさん並んでいるものの、隙間が多いのでうまくすればそのまま通過できそうだ。
はあっ、と蒼生は溜め息を隠さない。
「大丈夫? ひどい混雑だったな」
「……腕とか掴まれたし、ズボンのポケットに手を突っ込んで引っ張ってくる人もいて、もう、へとへと」
健太と冬矢はぎょっとする。それは目的がずれているのではないだろうか。問い詰めようかとも考えたが、蒼生がそのまま座り込んでしまいそうになって、それどころではなくなった。両側から慌てて支えると、その腕に体を預けた蒼生がへにゃっと笑った。
「それにしても、健ちゃんも冬矢も、いっぱい話しかけられてたね。女の子もいっぱい集まってたし。ふたりともかっこいいからなあ」
「え、蒼生だって声かけられてただろ」
「ついででしょ。どこも人が欲しいんだろうねえ」
「蒼生だってかっこいいよ」
「あはは、ありがと。……ちょっと休憩していい?」
横にベンチを見つけた蒼生が、ぐったりしながら指をさす。
「あ、うん」
そこに蒼生を座らせると、健太は鞄の中からペットボトルを取り出して渡す。何かあった時のために、常に持っているようにしていたのが役に立った。
「準備いいなあ。ありがとう」
「蒼生こそ、持ってないの珍しいね」
「忘れてきちゃった」
蒼生は肩をすくめて、ふふ、と笑う。それから蓋を開けて何口か飲むと、はあっとまた息をついた。
一度首を傾げた健太は、グラウンドを囲む木に手をかけ、背伸びしてあたりを見渡す。そうして人の少ない最短ルートを探っていると、すっと冬矢が近付いてきた。
「第三者からの外見の評価って、絶対受け入れないよな」
ぼんやり頭上の枝を見つめる蒼生には聞こえない程度の音量で話しかけてきたので、健太も同様の音量で返す。
「ああ。昔っからプラス評価を聞きゃしねえ。自分がどんっだけ可愛くて美人なのか、周りからどう見られてるかっての意識してねえんだ」
「受け止めるのは……もしかして、俺たちからの評価だけか」
「それもどこまでちゃんとわかってんだろうなあ」
健太が大きく息を吐く。
冬矢は目線を落として黙り込んだ。そうして、しばらくしてから迷うように腕を組む。
「…………。なにか嫌な思いでもしたことがあるのかな」
ぱっと健太は顔を上げる。
「え? 可愛いのに? ……心当たりはないけど」
「可愛いからこそやっかまれることもあるだろうって話だ。子供の頃なんてそういう理不尽がまかり通るものだからな」
「なるほど」
おそらく冬矢には身に覚えがあるのだろう。女子が放っておかない外見で、本人にも自覚があった。たしかに同じ男子としては羨ましいしなんだか悔しいし腹立たしい。それが突き抜けて嫌がらせがあったとしてもおかしくないのかもしれない。聞くのが怖いから聞かないが、彼女を奪ったとかいうようなエピソードもあり得そうだ。
ただ、それが蒼生の話となると、まったくわからない。健太の目には、蒼生はいつも綺麗でふわふわ優しくて、誰かの敵意を受けるようには思えなかった。本気で、周りはみんな蒼生が好きなのだと思っていた。ましてややっかみを受けるなんて、考えもしなかった。
「とはいえ、蒼生を見ていると……外見の自己否定をするわりには落ち込む様子がない。癖になっているからか、本人の中で本当に大したことではないのか、純粋にそう思っているだけなのか、何かあったとしても忘れているのか。少なくとも否定の自覚はないんだろう。かといって、下手に突っ込んで、嫌な記憶を呼び覚ましてしまってもいけない。……はっきりした原因がわからないのがつらいな」
冬矢が悩むほどだ。自分が考えてもわからないだろうと、健太は木から離した手をぱんぱんとはたいた。
「とりあえず、自覚があろうがなかろうが可愛いもんは可愛いんだって、今日帰ったらとことん体にわからせてやろうと思う」
「それはその通りだな」
そんな話をされているとは微塵も思っていない蒼生は、ペットボトルの蓋を閉め、ふうっと深呼吸をした。立ち上がって背を伸ばし、鞄を抱え直す。
「ごめんね、もう大丈夫。……何の話してたの?」
ふたりは笑顔を浮かべて首を振る。
「大したことじゃないよ。ここをどう通ろうかっていうルートの相談をね」
「あと早く帰ってめっちゃくちゃに可愛がってやろうって話」
「えっ」
冬矢は肩をすくめる。嘘のつけない健太がどう返すか一瞬ひやりとしたが、端的なところにまとまった。たしかに、健康診断を受けている最中からずっとそっちに頭が行っていたようだし、素直な感想なのかもしれない。対する蒼生も、小首を傾げて頬を赤くしていたから、まんざらでもないのだろう。
3人は並んで、グラウンドを斜めに突っ切る。開けているせいか、道路上がバーゲン会場だとしたら、グラウンドはフリーマーケットくらいの気楽な雰囲気がある。勧誘に声を上げる学生たちも、こちらはほとんど殺気立った様子がない。中には机を置いているものの仲間内で談笑しているサークルもあった。おそらく道路側のほうが激戦区で、その場所取りに負けたのか最初から勝負する気がない団体がこちらに集まっているのだろう。声をかけられることも極端に減ったので、足元は悪いがこちらのほうがずいぶんと歩きやすい。
「本格的なのから遊びみたいなのもあるようだが、健太はどこにも入らないのか」
「んー。時間取られちゃうのがなあ。たぶん最初なんて授業とかでいっぱいいっぱいだろ。今んとこいいかなー。冬矢は?」
「俺はそもそも何かに所属するのが得意じゃない」
「あー……」
ふたりの会話を聞いていた蒼生は、ふいに足を取られてよろけた。驚いて足元を見ると、ちょうど靴の半分くらいの大きさで草がえぐれて穴が開いていた。転ばなくてよかった、と息を吐き、数歩遅れたふたりに追いつくように顔を上げた。その目に。
蒼生が足を止めた気配に気付いて、冬矢が目を向ける。蒼生は少し離れた机のほうを見ていた。
「蒼生?」
冬矢の声に、蒼生と、健太もぱっと振り向いた。
「ん? どした?」
「え、ううん、なんでもない。早く帰ろ」
蒼生はふるふると頭を振る。冬矢は蒼生が見ていた方向を辿り、「ああ」と笑った。つられて視線を追った健太も、ふっと表情を和らげる。その先には、白い画用紙に黒のマジックで「読書愛好サークル」とだけ書かれた、シンプルな案内ボードが掲げられていた。机の向こうには女子学生がひとり、座って本を読んでいる。
たしかに、早く、今すぐ、全力で帰りたい健太だが、蒼生が興味を示すならそれを我慢するくらいわけもない。ぽん、と蒼生の肩に手を置く。
「すげえ、蒼生のためにあるみたいなサークルじゃん」
「で、でも」
「寄っていこうか」
「だけど」
「気になるんだろ? 話だけでも聞いてみたら?」
興味はある。ものすごくある。けれど健太と冬矢と過ごす時間を削りたくはない。その合間で揺れる蒼生だったが、他でもないふたりが背中を押すので、迷いながらも一歩を踏み出した。
さく、とグラウンドの草を踏み、その机の前に立つ。女子学生は、机に落ちた影に気付いて顔を上げた。そしてすぐに怪訝な顔をする。まずは蒼生の顔をじっと見つめ、それから後ろに並んで立つ健太と冬矢をかわるがわる見た。
「……あの。活動内容を伺ってもいいですか?」
ふわっと笑った蒼生が柔らかい声でそう尋ねると、彼女はさらに不審げに眉を顰める。
「なんの目的ですか?」
「え?」
意外な答えが返ってきた。蒼生がきょとんとしたのを見て、読んでいた本で顔の半分を隠して後ずさる。それから後ろのほうに向かって声を上げた。
「ちょっと私では対応できないので……部長! 部長!」
反応したのは、少し離れた場所に椅子を置いて、やはりそこでも本を読んでいた眼鏡の男性だった。顔を上げて不思議そうにこちらを見ると、本を持ったまま椅子を引きずって駆け寄ってくる。
「何? 白幡さん。あ、もしかして、入部希望の方?」
「そんな、まさか。こんなところに来る人なんていませんよ」
彼女がそう言うと、部長と呼ばれた男性は困ったように笑った。健太は、ちょっとだけ蒼生と雰囲気が似ているな、と思う。
そこに蒼生が、あ、と声を上げた。全員が注目する中、蒼生が見ているのは男性が抱えてきた本だ。
「その表紙、もしかして『白き空の物語』のシリーズでは……。まさか新刊ですか? 完結したと思っていました」
がたん、と勢いよく男性が机に手をつく。
「知ってるの!? そう、完結したはずだったんだよ。謎をたくさん残したままだったけど、作者が完結って言い切ったから終わりなんだろうって。でもやっぱり続けたいって言って、先月末に新刊が出たんだ!」
「そうだったんですね、全然知りませんでした」
「新シリーズになっても面白いよ。俺、もう3回読んだし、よかったら貸すよ」
「えっ、いいんですか」
「ぜひぜひ」
男性はさっと本を差し出し、蒼生はすっとそれを受け取る。
そこで我に返った2人は、じっと自分たちに注がれる視線にようやく気が付いたようだ。蒼生は冷静な顔を装ってふたりに首を傾げて見せ、男性は照れたように頭を掻いた。
「あー……失礼しました。うちのサークルに興味がある感じですかね」
「はい、本が好きで。サークル活動自体まったく考えていなかったので、どうするかはわからないのですが、まず話だけ聞かせていただきたいなと思いまして。よろしいですか」
「もちろんです」
男性は笑い、折り畳みの椅子を勧めてくる。それから自分も白幡と呼ばれた女性と一緒に座った。
「ごめんなさい、椅子の数が少なくて。後ろのお2人は」
「あ、オレら、付き添いなので大丈夫です」
「そうですか」
頷いて、男性が机の上のファイルから1枚のチラシを取り出す。
「俺たちのサークルは、正式名称が読書愛好サークル、通称が“夜明かしの会”です」
「“稲城作次郎”ですね」
「さすが、読書家でいらっしゃる。改めまして、俺が部長の細谷。こっちが副部長の白幡です」
「野木沢です」
何の話だか分からず、健太は困ったように冬矢を見る。冬矢も肩をすくめたところを見ると、あまり詳しくは知らないらしい。
「基本的には、名前の通り集まって本を読むだけの活動内容です。月に大体2回から3回くらいかな。おすすめの本を紹介したり、めったに手に入らない貴重な本を貸し借りしたり、絶版本の情報を交換したりね。参加も必須じゃなくて、決めた日時に来られる人とか来たい人が集まる感じで、まあ、ゆったりしたサークルです。静かだからって自分の課題やってる奴もいるくらい。でも、一応、学校公認サークルなのでちゃんと予算はつきます。他には、たまーに飲み会とか……学祭も参加するけど、これも自由参加だね」
「なるほど」
「あ、それから、学部長が顧問なので、閉架書庫に比較的入り放題」
「! 閉架書庫ですか……」
ぴくん、と蒼生が肩を揺らす。
「気になる? 結構便利なんだ。4月の半ばに最初の活動をするから、よかったら見学しにおいでよ。ええっと、白幡さん、いつだっけ」
「3週目の月曜日です」
「だって。初回はサークル棟にあるサークル集会室でやるから、直接来てね。その本返すのは、その時でも。もし心変わりして、来たくないなって思ったら、本だけ部室に置いておいてくれたらいいから。あ、部室はサークル棟の2階ね」
「はい。じゃあ、考えさせていただきます」
「うん。無理はしなくていいから、気が向いたら来てください」
蒼生は頷き、差し出されたチラシを手に取ると、黙ってその文字を見つめた。
ローテーブルの上に置かれた本を眺め、ソファの背もたれにぽすんと倒れ込む。見学の約束をした日は明日に迫っていた。この期に及んでも、蒼生は行くべきかどうか迷っている。
目の前の本は、面白かった。さんざん読み倒した前作から勢いの変わっていない、一文一文が跳ねるようなわくわくする文体で、あっという間に2回読み終えた。出来ればシリーズの最初から読み直したいところだが、完結したと思っていたから手放してしまった。ひとりで暮らすわけではないから出来るだけ場所を取らないようにと考えたのは間違いだと思っていないが、こういう時にもったいなかったかなと思う。きっと、サークルに入れば、少なくともあの部長とは話ができるだろう。だが。
ソファの端っこに置かれていた、部屋には不似合いなピンクのクッションに手を伸ばす。20センチくらいの正方形をしたそれは、だいぶ色褪せてきたが、相変わらずにっこりと笑っている。
「……僕はどうしたらいいのかなぁ……」
なんとなく話しかけるが、刺繍で作られた表情は、当然何も答えない。だよね、と呟いて、隣にぽんと座らせた。
迷っている理由を考える。その中に「ひとりで行動する不安」があった。昔からなんでもひとりでこなしてきたし、今だって単独で大学に通っている。知り合いも出来たし、連絡先を知っている人も増えた。だから、きっとなんだって出来るはずだ。踏み出してしまえばそれなりに対応できる自信はある。けれど3人でいることに慣れすぎて、ふいに「本当に大丈夫なのか?」と寒気がすることがあった。それに、実際、それでふたりに心配をかけたことがある。不安の理由の一番底にはおそらくそれがあるのだと思う。
なにより、ふたりと一緒にいたいのに、その時間を削ってまでするべきことだろうか。本くらい、図書館で借りてくればいい。ふたりだってそうするのが一番安心だろう。
だが、面倒な手続きを経ずに閉架書庫に入れるという。その特典がわずかに後ろ髪を引く。
「はあ……」
長く息を吐いた。
そこに、がちゃりと小さく鍵の開く音がした。買い物に行っていた冬矢と、荷物持ちに引っ張って行かれた健太が戻ってきたのだろう。悩んでいることを気取られたくない。ぷるぷると頭を振ると、蒼生は勢いよく立ち上がった。
「おかえり!」
リビングに入ってきた健太は、とたんにでれっと表情を崩す。
「ただいまぁ~」
荷物を持ったまま腕を広げる健太に一瞬躊躇したが、そのままえいやと飛び込んだ。ぎゅっと抱き締められると、健太の体温に包まれて安心する……が、案の定、買い物袋が背中に当たる。そこからひんやりした空気が伝わってきた。
「……寒い」
「あ」
後ろから入ってきた冬矢が、健太に呆れた視線を送る。
「こら、蒼生を冷やすな。……冷凍食品が安かったから、いろいろ買ってきたんだ。冷凍庫に余裕もあったしね」
「えっ、大変だ。早く入れないとじゃん」
蒼生が体を捻って買い物袋の中身を覗き込むと、健太はしぶしぶ腕を離した。
「蒼生はこっち、洗剤の買い置き、しまっておいてくれる?」
「はーい」
ぱっと健太の腕から冬矢のもとに駆け寄り、受け取った袋の中身を所定の場所に片付ける。リビングに戻ると、ちょうど食料品のほうも片付いたところのようだ。
「ありがとう」
蒼生を見ると、冬矢がそう言って笑い、健太が小さな箱を掲げて得意げな顔をする。
「留守番の蒼生におやつ買ってきたぜ」
「えー、こども扱い?」
「なんつってな、ただオレが食いたかっただけ。でも、夕飯前になるし、ひとり分買うのものすごく気が引けたから、ふたりにも共犯になってもらおうと思ってさ。ほーら、蒼生の好きそうな、いちごのタルト~」
ちらりと見せられたタルトの上には、大きくて真っ赤ないちごがまるごと乗って、その周りを半分にカットされたいちごが囲み、そこに薄く被せられたゼリーがきらきら光っている。
「……うわっ、抗えない……」
「あはははは」
「むぐぐ……。健ちゃんと冬矢のは?」
「俺のがチーズスフレで、健太がバナナのミルフィーユ」
「~~~~~~……」
声にならない声を上げる蒼生に、ふたりは揃って噴き出した。
「ほら、座って。冷たいうちに食べよう」
「うん……」
皿を出してその上に乗せると、蒼生はじいっとタルトを見つめる。フォークを手渡せば、「ありがとう」と言って別の皿に置かれた2つのケーキをちらりと見る。思わず「可愛い」を噛みしめるふたりだ。明らかに全部に興味があります、という顔。きっとこんな表情をするんだろうなと想像していた通りの反応をしてくれる蒼生が可愛くて仕方がない。
「いただきまーす。……わ、さっくさく。色濃いなって思ったら、これ、ココアのクッキーだ。美味しい。いちご甘い。美味しい。中もいちごのムースだあ」
フォークを口に含んだとたん、蒼生の顔が明るくなった。可愛らしいタルトをにこにこ口に運ぶ蒼生を見ていると、なんとも幸せな気分になる。冬矢は自分のスフレにフォークを刺した。
「蒼生、こっちも美味しいよ。ほら」
「あー、しゅわってなくなるやつだ。チーズの味もしっかり濃くて美味しい。……はい、おかえし」
「……なるほど、ほろ苦い生地とバランスがいいね」
隣の健太もひとくち大にしたミルフィーユをフォークに乗せる。
「オレのもどうぞ」
「わ、嬉しい」
「んー……、あの、さ、蒼生」
「むぐ?」
健太の差し出したフォークを咥えたまま、蒼生は首を傾げる。健太はちら、とローテーブルの上に置いたままの本に目をやった。
「例の、ほら。明日じゃん? サークルの見学に行く日」
「……あー、……うん」
「冬矢と話し合ったんだけどな。あ、いや、信用してないとかそういうことじゃねえんだ、けど、その……やっぱまるっきり知らねえ人間が集まるとこに行くわけじゃんか。んで、サークルって、授業とかと雰囲気も違うだろうし、学生以外の大人がいないわけだし、オレらもどういうもんかわかんねえからさ、ちょっと心配なわけさ。……だから、鬱陶しいと思われてもしょうがねえんだけど、オレらも付き添っちゃダメかな」
「いいの!?」
蒼生はぱっと顔を輝かせる。
健太と冬矢が驚いて顔を見合わせた。おそらく、今までの言動から、蒼生は「迷惑かけるし、いいよ」と断ると思っていた。それを前提に、順序だてて説得するやりとりも想定していたのだ。まさか素直に受け入れると思っていなかったので、冬矢は困惑した目を蒼生に向ける。
「蒼生こそ、いいの?」
「なんで? 嬉しい。僕もちょっと不安だったんだ。まさか取り囲まれてなんかの書類にはんこ押させられるとかまでは思ってないけど、対処しきれないことが起きたらどうしようって」
胸に手を当てながら、蒼生は肩から力を抜く。
「よかった、ふたりがいるならなんの心配もないや。よろしくお願いします!」
にこにこと再びタルトに向き合う蒼生に、健太は懸念が消えたように朗らかに笑い、冬矢はまだ少し複雑そうに頷いた。
サークル棟は管理棟の真裏あたりに位置していた。学生数の多い大学なだけあって、そこそこの大きさがある。その1階最奥に位置するのが集会室だ。与えられた部室では手狭なサークルや、普段使用している教室が使えない場合に貸し出されている。読書愛好サークルは、蔵書が多い部室が近いため、よくこの部屋を利用していた。
活動中の札がかけられた部屋の中には既に何人かの姿があり、早々に本を開いている。副部長の白幡は、その総じておとなしい雰囲気のメンバーを眺めてから、手元の活動日誌に目を落とした。そこに、開いたままのドアからその姿を確認したらしい部長の細谷が廊下から走り込んでくる。
「おつかれさま。ごめんね、すっかり準備してもらっちゃって」
「いいえ、それは部長の仕事ではないと思いますし」
「うち書記を置いてないからなあ。……ああ、ところで、今日だったよね。例の新入生が来るの」
ぴくん、と肩を揺らして、白幡が日誌をぱたりと閉じる。
「来ないと思いますよ」
「そうかな」
のほほんとした細谷に、白幡は顔をしかめる。
「うちみたいな地味なサークルに、あんなイケメンが入ってくるわけないじゃないですか!」
「……それはなんというか……こっちにもダメージが」
「だって見ました? 本人もイケメンでしたけど、後ろにあれだけ派手なイケメン2人も従えるような男、真面目に活動なんかするはずありませんって。絶対からかわれたに決まってますよ!」
「うーん、それは言いすぎじゃないかなあ……」
細谷は曖昧に笑う。白幡が何を根拠に言っているかわからない以上、あまり突っ込んだことも言えないからだ。ただ、自分の印象では、とても真面目で誠実そうだと感じた。マイナーな小説も知っているようだし、一概に冗談だとも言えないのではないだろうか。たしかに、付き添いというには華やかな2人組は気になるところではあったが。
「え、そんなすごいのが来るの?」
後ろのほうに座っていた女子学生が立ち上がる。
「たしかにそんなのがうちに来るとは思えないなあ。可愛い女の子なら歓迎なんだけど」
真ん中あたりにいた男子学生が笑う。それに苦笑を返し、細谷は両腰に手をやった。
「どちらにせよ、別に入会条件があるわけじゃないんだ。来るなら受け入れるし、来ないならそれまでだろ」
「だよね~」
おそらく来ないんだろうな、という空気に包まれ、とりあえずその話はそこで終わった。
そしてさらに数人が集会室にぱらぱらと集まり、なんとなく集合時間を迎えようとしていた時だ。開けたままの扉を、わざわざ叩く音がした。全員の視線がそこに集まる。
「こんにちは」
にっこり笑って、ぺこりと腰を折ったのは蒼生だ。その姿を認めると、細谷は顔を輝かせて入り口に駆け寄った。
「ああ、ようこそ、野木沢くん」
「すみません、遠慮なく見学させていただくことにしました」
「どうぞどうぞ、入って」
蒼生が部屋に入った途端ぴたりと静まり返った室内は、後ろに健太と冬矢が続いたことで、色めき立つ女子とざわめく男子で突然ヒートアップした。
「今日は、3人で見学? 後ろの君たちも興味出てきた?」
「はい。サークルがどういうものか見てみたいというのもありまして。純粋な動機でなくてすみません」
「そういうのでもいいんだよ、サークルなんて気楽な集まりなんだから。……はーい、みんな、ちょっと静かに」
細谷が前に立って手を挙げると、すうっと音量が減っていく。なるほど、信頼を得ている部長のようだ。ひそひそと耳打ちしあう姿は見えるが、大部分が静かに蒼生たちを見ていた。
「今日、見学に来てくれた3人です。今日は……大体半分くらい来てるかな。入会してくれるかどうかは今日次第だと思うけど、あんまり普段と違う姿を見せてもいけないと思うので、普通にね。それじゃ、一応名前だけでも」
「はい。……野木沢です。本を読むのが好きなので、活動内容に興味がありました。本日はお邪魔させていただきます。よろしくお願いします」
「えーっと、寺田です。とりあえず見学させてもらいます!」
「同じく、笹原です」
なんの意味を持つのかよくわからない拍手が3人に浴びせられる。おそらく半分弱は歓迎の意で、残りは周りに倣ったものだろう。満足げに頷いた細谷は、ぱんと大きくひとつ手を叩いた。
「それではみなさん。今年度の活動を始めます。今年も1年よろしくお願いします」
「はーい」
「おねがいしまーす」
そのぬるい返事を合図に、それぞれが手元の本を開いた。中には2人で本を覗き込んでいる者もいるし、堂々とノートを広げた者もいる。たしかにのんびりしたサークルのようだ。
蒼生はさっそく鞄から借りた本を出すと、細谷のもとに歩み寄る。
「ありがとうございました」
「どうだった?」
「やっぱり面白いですね。中盤のタワーでのやりとりが……」
「そう、パネルの……」
周りに読書中のメンバーがいるのを慮ってか、小声で感想を言い合い始める。机ひとつ挟んだだけだが、内容までは聞こえてこない。だが、楽しそうな横顔だ。それを見るのは、健太は純粋に、冬矢は少し複雑な思いをしながらだったが、どちらにしてもふたりとも嬉しいと思っていた。蒼生が大切だ。蒼生が楽しいならそれでいい。突き詰めればそれだけだ。
他人に向けられているおとなしい笑顔から目をそらし、冬矢は部屋の中を改めて見渡す。部長の細谷と副部長の白幡を含めると、集まったメンバーは11人いた。これが約半分だとすれば、大体20人くらいが所属していることになる。今見る限りでは、派手なことは好まなそうな雰囲気の人物が多いようだ。もちろん見た目ですべてがわかるとは思わないが、とりあえず静かに本を読む集中力と真面目さがあるのは間違いない。文章をよく読むタイプなら、話が通じないということもないだろう。ひとりひとり、じっと顔を見る。蒼生の周りに存在するようになるかもしれない人間だ、よく見ておく必要があった。
その時、軽い足音と共に、男子学生がさらりと集会室に入ってきた。長めの明るい茶髪をきちんと整えた爽やかないでたちの男は、なんだかあまりこの部屋にそぐわない気がする、というのが冬矢の第一印象だった。
「細谷」
「あれ、神崎? 今日は顔出さないって言ってなかったっけ」
「そのつもりだったんだけど、部室の書棚のカギ、預かったままだったのを思い出してね」
「あ、ああ! そっか、受け取るつもりだったの忘れてた。ごめんごめん」
「じゃあ、これで。……って、新入会の子?」
細谷の隣にいた蒼生は、男の視線を受けてふわっと微笑む。
「まだ見学の段階だよ。彼が野木沢くんで、そちらが寺田くんと笹原くん」
健太と冬矢がぱっと立ち上がる。彼は会釈した健太たちをさらりと見ると、もう一度視線を蒼生に戻した。
「副部長の片割れ、神崎です。幽霊部員気味だけど。人数が増えると活気も出てくると思うし、ぜひ入ってくれたら嬉しいな」
健太がぴくん、と肩を揺らす。
「じゃ、行くわ。次回はちゃんと出るから」
「よろしく」
細谷にそう告げた神崎は、蒼生の肩に軽くぽんっと触れると、後ろのほうに座ったメンバーに向けて手を振って出ていった。
なにか釈然としない思いで椅子に座った冬矢の目の前で、健太がじっとドアのほうに顔を向けたまま立ち尽くしている。
「健太」
呼びかけると、苦虫を噛み潰したような表情で、がたんと音を立てて座る。
「どうした」
「なんだろ。あの神崎って人。……初めておまえに会った時みたいな感じがする。すげぇぞわぞわする」
それは健太の野生の勘だろうか。自分で言うのもおかしいが、突然蒼生の前に現れて、幼馴染みの健太に割り込むような形で恋人の座を得た自分。健太があの時と同じようなイメージを受けたというなら。それは警戒すべき相手なのかもしれない。
そこに蒼生が戻ってきた。見れば、細谷は白幡と何かを話しながらテーブルの上の冊子に書き込みをしている。
「ただいまぁ」
「おかえり」
蒼生は本が好きだ。きっとここは蒼生がいるにふさわしい場所だろう。けれど、心配だ。どうしても心配があとからあとから湧いてきて、止められない。だが蒼生が望むなら。蒼生のためなら。冬矢はぐっと不安と心配を飲み込むと、蒼生に笑いかけた。
「楽しそうだったね。入ることにしたんだろう?」
すぐに頷くだろうと思った蒼生は、わずかに眉頭を上げて口ごもる。それからふたりの間に座ると、そっと顔を寄せてきた。
「……うーん。たぶん、やめとくと思う」
「えっ、なんで?」
反射的に健太が声を上げ、蒼生は苦笑いでしぃっと口の前に指を立てた。健太は体を小さく縮めると小さな声で改めて、
「なんで?」
と聞いた。
「だって、どこでも出来ることでしょ。楽しいし……すごく落ち着く感じはするけど……たぶんこれから授業が始まって、バイトとかもしなくちゃいけないし、ふたりとの時間を減らすのは違うと思う」
その言葉は、自分に言い聞かせているように聞こえた。きっと蒼生の気持ちは、入会に傾いている。それを押し戻そうとしているのだと思う。蒼生の言葉は、冬矢の望むものだ。そうだね、と言って頷きたい。でも。
健太がまっすぐに蒼生の目を覗き込む。
「蒼生が諦めようとしてるの、オレたちのせい?」
「え? や、ううん、そうじゃなくて、違くてっ」
「だったらオレらも入ればよくね?」
「……へ?」
冬矢がはっとして健太を見る。そんな冬矢に気が付いているのかいないのか、健太は蒼生から目を離さず、その両膝に手を置いた。
「そうだよ。やっぱ同年代の知らない人の中に蒼生おいとくの心配だし、オレらが出られる時だけ一緒に参加するのはどう? 別に全部参加しなきゃいけなくないって部長さんも言ってたじゃん。そしたら、蒼生も参加できるし、オレたちも心配しなくていいし、てか一緒にいられる時間が増えるし。いいことばっかじゃね?」
「……なるほど。そうか。その手があったな」
「え、あ、でも、」
蒼生は健太と冬矢の顔を、かわるがわる見つめる。
ふたりは、笑っていた。
「え……」
その目が、うっすらと潤む。
「……ぼ、僕……そこまでふたりに甘えていいのかな……」
「だから言ってるだろ。オレにとってもいいことなんだって。な、冬矢」
「そうだな。蒼生といられるなら」
きゅっと唇を噛んだ蒼生が、膝の上に置かれた健太の手を強く握った。
決まったのなら、これ以上迷うことはない。勢いに任せ、3人分サークル入会届を書いて出してきた。
サークル棟から出ると既に薄暗くなっている。蒼生は、一歩土を踏むなり、両側にいたふたりの腕をぎゅっと抱え込む。
「お。どした、外だぞ?」
健太が笑うと、蒼生は伏せた頭を勢いよく振る。
「いい。なんか、今日は、いい」
冬矢は目を細め、蒼生が握った手を反対の手で優しく包み込んだ。
「蒼生」
「……ごめんね。ありがとう」
「? なにがごめん?」
蒼生は頭を上げない。
「冬矢、この前言ってたじゃん。組織に属すの好きじゃないって。なのに」
ああ、と冬矢が頷く。
「たしかにそれはあるね。だけど、わざわざひとりで乗り込んで人間関係を構築するのが面倒だってだけの話だよ。蒼生が一緒にいるのなら、それはもう“蒼生と共にある場所”だからね」
「うー……。あ、と、健ちゃんはそもそも、本読まないでしょ」
「本読みに入ったんじゃねえもん。蒼生と一緒にいたかっただけだし」
「うー」
蒼生は言葉に迷っているようだ。だから冬矢はあえて健太に目を向ける。
「むしろ健太にはいい機会だったんじゃないか。今まではなんとかなっていたかもしれないが、今後は資料をたくさん読むことになるんだぞ。少し文字に慣れておいたほうがいい」
「あ、そっか。……すげえ、冬矢が真面目にアドバイスしてくれてる」
「教科書だって俺たちとは違うんだ。ひとりで読めないと困るだろ」
「たしかに。よし、がんばろ」
健太がぐっと拳を握ると、蒼生はほんの少しだけ顔を上げた。それを覗き込むように、冬矢はわずかに身をかがめる。
「むしろ、謝るのは俺のほうかもしれない」
「えっ?」
見開かれた目を、まっすぐにとらえて笑う。戸惑いの色を隠さない蒼生がその視線を揺らす。
「なんて言ったらいいかな。ずっとね、“本”って、蒼生の“場所”だと思っていたんだ。図書館でひとりで静かに過ごす時間、好きだろ。だからそこにまで俺が浸食してしまったら、蒼生が自由にいられる場所を奪ってしまうんじゃないかって。ひとりになりたい時間を邪魔してしまうんじゃないかって」
なにか悩み事があると、こっそり図書館に籠りに行っていたのを冬矢は知っていた。そういう時間が必要なこともあるだろうと考えて何も言わなかっただけで。蒼生には蒼生の世界があるはずで、そこまで縛ってはいけないはずだ。
「……そう思うと複雑なんだ。心配だし、そばにいられるのは嬉しいけど、ずっと一緒にいるのは息苦しくないかな」
「ない」
かぶせるように、はっきり、蒼生は言い切った。
ふたりの腕を掴む手に力がこもる。
「たしかに、図書館って自分の場所だと思ってた。そこに他の誰かがいるとしんどかった。だけど、そこに健ちゃんと冬矢がいるのは全然平気だったよ。僕が思う僕の領域は、最初からふたりを拒否してないんだと思う。……逆かな、僕の場所にいてくれるってことは、僕を認めてくれてるってことだと思ってた、のかもしれない」
今度こそしっかり顔を上げた蒼生が、ふたりの顔を交互に見る。
「それに、今の僕にとっての“自分の場所”って、健ちゃんと冬矢と暮らす家のことだよ。健ちゃんと冬矢自体が僕の居場所だと思ってる。……んだけど、どう思う?」
「オレも、それだ」
健太は明るい顔で、元気よく頷いた。ふたりは図書館を蒼生の場所だと言ったけれど、自分は小学生の頃から、図書館でずっと蒼生の席の隣に座っていた。正直蒼生の言葉は少し難しかったが、つまり自分と一緒にいるのが嬉しいと言ってくれている、そう判断した。きっとかけ離れた結論ではないだろう。
「なるほど、うん」
冬矢は、感慨深げに頷いた。蒼生は、自分で自分の周りに線を引くタイプの人間だ。ぐるりと「円」を描き、そこに踏み込もうとする者には極端に警戒する。いつか誰かが言った結界という言葉を、冬矢はそう捉えていた。他人を拒み、寄せ付けない「円」。けれど蒼生は、自分と健太をその「中」の存在だと認識しているのだ。
蒼生は、ふたりの存在を、今こうして腕を組んでいる距離と同じように感じてくれている。そう実感すると、愛おしさと嬉しさで胸が溢れそうになる。
ぎゅう、と。健太が蒼生の腕を締め返した。
「い、いたた。健ちゃん、痛い」
「素直じゃない蒼生にはお仕置きだー! ほらほら、言っちゃえ。ホントはどう思ってんだよ!」
「え、えぇ……?」
「言わねえと、人目があるとこ選んで熱烈なちゅーする」
「ひぇ」
蒼生はぴんっと背筋を伸ばし、ふたりの腕にぶら下がる勢いでぴょんと跳ねる。
「あ、あの! 今まで、クラスとかは一緒だったけど、部活とか委員会とか、そういう授業以外で一緒に活動したことなかったから、う、嬉しい! すごく嬉しい!」
健太が声を上げて笑い、冬矢も優しく微笑む。そして、蒼生がいつまでも離さない腕と反対の手で、ぽんぽん、と頭を撫でた。
優しい手。
ようやく蒼生は、ふにゃりと笑った。
「同じ時間を共有できるの、楽しみだね」
「うん!」
「よし、今日は祝杯あげて帰ろうぜ! バナナジュースとかで!」
「重い杯だな」
これからどんなことが起こるかわからない。不安と警戒心は健太と冬矢の中に残されている。けれど、蒼生が笑ってくれるならいい。そうなるように努力したい。
結局、ふたりはどこまでも蒼生に甘いのだった。
「ちょっとまだ寒かったかも……」
呟いたのは、Tシャツにパーカーを羽織った蒼生だ。前を歩いていたふたりが振り返る。長袖のTシャツ姿の冬矢はまだいい。問題は健太のほうだ。
「ねえ、健ちゃんは半袖1枚で寒くないの?」
思わずパーカーの前を掻き合わせる蒼生に、健太はからっとした笑顔だ。
「ぜんっぜーん。だいぶあったかくなってきたじゃん」
「だいぶ、でしょ」
たしかに昨日までは暖かかったとはいえ、4月になったばかりだ、今日のように急に気温が下がることもある。前日との気温差を考えれば、Tシャツ1枚はさすがにまだ早いと思うのだが。
冬矢は蒼生に歩調を合わせ、そっと肩を寄せる。
「あいつは気候の機微に疎いからな。ちょっと離れて歩こうか」
「うん。見てると寒い」
「あっ、待って待って、蒼生は待って」
がしっと健太が蒼生の肩を抱く。足がもつれそうになった蒼生は、仕方ないなあという目で健太を見上げ、回された腕をポンポンと叩いた。勢いで弾かれる格好になった冬矢が、ひんやりとした目を健太に向ける。
「……覚えてろ」
「うわ気温はあったけえのになんか寒い」
そのやりとりに笑い、蒼生は受診票に目を落とす。そこにはまだ空欄がいくつかあった。高校までの経験から、すべてひとつの建物で済むだろうと勝手に思って気を抜いていたのだが、外を歩くコースもあったうえにメインの会場となる講堂がかなり寒い。ロッカーに入れた着替えの中にコートがあったのだが、持ってく歩くべきだったかもしれない。
文句を言われても蒼生の肩から手を離さなかった健太が、ひょいと顔を覗き込んできた。
「なあ、蒼生」
「うん」
「後でさ、心電図の跡、見せて」
「……うん?」
一瞬何を言われたのか理解できず、蒼生は瞬きの数を増やす。先にピンときた冬矢が、健太から蒼生を引き剥がした。
「やっぱり離れたほうがよさそうだな」
「え?」
「あ、待って待って」
そんなこんなで、わいわいとスタンプラリーで遊ぶようにすべての検査項目を埋め終わった3人は、受付のある体育館に戻ってきた。
「俺がまとめて出しておくから、荷物出して更衣室に行ってて」
「はーい」
冬矢は3人分の受診票を取りまとめ、受付の前にできた列に向かう。それを見送って、蒼生と健太は奥の壁沿いに並ぶコインロッカーの中から一緒にまとめた荷物を取り出し、ロッカーの裏側に位置する広い更衣室に入った。女子とは基本的に時間が別れているうえ、そもそも部屋が別になっているらしく、更衣室にあるのは男性の姿だけだ。見渡したところ、並んだ無料ロッカーの半数くらいの人数がいるだろうか。
「そこそこ人いるなあ……。お、端っこあいてる。行こうぜ、蒼生」
「うん」
ドアから離れたあたりに、ちょうど人の少ない一角がある。あの受付の前にできた列が更衣室に入ってくればきっとそこも混んでくるだろう。冬矢がふたりを先に更衣室に入れたのはおそらくそういう考えがあってのことだ。
健太にも、冬矢が来てすぐにわかるよう入り口付近にいるつもりは一応あった。だがあの空白のような場所を見つけた途端、候補がそこだけに絞られた。蒼生が着替えるのを出来るだけ人目の少ないところにしたかったからだ。周りが男性ばかりだからといって無防備にさせられるわけもないし、むしろだからこそ警戒しなければならないことを健太は身をもって知っている。蒼生は未だにあれを「誰でもよかった」的な犯行だと思っているようだが、健太と冬矢にその意識はない。
さりげなく蒼生を奥に行かせ、健太は着替えと荷物を目の前のベンチに置いた。
「この時間だとこっちのロッカー空いてるんだ」
「さっき、めちゃくちゃ混んでたもんな。もうちょっとで表のも埋まるとこだったし」
「そしたら荷物持って歩かなきゃいけないとこだったね」
言ってパーカーから袖を抜こうとする蒼生に、ふと健太の目が止まった。つられるように手も止まる。あたりを窺うと、人口密度の低いこちらに注目している者は誰もいない。それに、角に柱があるせいで、ロッカーの陰に人ひとり分くらいの隙間があった。健太の脳内に、「ちょっとくらいなら」という思いがよぎる。
「蒼生、跡、今見てもいい?」
「え? ……あ、心電図の? じゃあ、ちょっと脱いじゃうね」
「失礼」
「へ」
そっとその隙間に蒼生の体を押し込む。きょとんと健太を見上げる蒼生の、Tシャツの襟に人差し指をひっかけて引くと、わずかによろめく。構わず、出来た隙間から胸元を覗き込んだ。
その健太の視線がやけに真剣で、蒼生は困惑すると同時に緊張してしまう。腰のあたりがぎゅっとして、蒼生は健太を見つめる目を落とした。すると今度は、力強い指先と、その先に自分の肌が見えてしまい、思わず斜め下に視線を逃がす。
ぱんっ、と軽い音が響いた。
「……いってぇ」
健太が振り返ると、そこにいたのはもちろん冬矢だ。健太の頭をはたいたのであろう書類を片手に、氷のような眼差しで健太をじーっと見ている。
「通報しなかったのをありがたく思え」
「……はい」
素直に頭を下げる健太を押しのけ、冬矢は端で小さくなる蒼生の頭を撫でた。
「蒼生も。人前でそんな可愛い顔をしたらダメだろ。場所をわきまえるように健太を止めてやらなくちゃ」
「はい……」
「どっちの気持ちもわかるから、家に帰ってから。ね」
「はーい」
最後の返事は、仲良くふたり揃っていた。
着替えを終えて体育館から出ると、さきほどより気温が上がったような気がする。シャツのボタンを襟元まできっちりしめた蒼生はそれでも少し寒いらしく、コートの一番上のボタンも留めた。
「あー。Tシャツにパーカーで外にいる蒼生も可愛かったのになあ」
冬矢は、みたび視線の温度を下げる。
「おまえはまったく反省していないな」
「これは正直な反応だからしょうがないだろー。家の中にいるみたいなラフな蒼生を、自然光の中で見たらまた格別だったんだからさ。あ、もちろん今の蒼生も可愛いよ。……大丈夫、わかってます、反省はしてます、外で蒼生にえっちな顔させちゃったことは」
「えっ……」
蒼生はかぁっと頬を赤らめ、慌てたようにふたりの顔を見比べる。
「ぼっ、僕、そんな顔、してた?」
「そうだね……。物陰でよかったと思うよ」
「なー。触ってないのに、触られてるみたいだったもん。蒼生って視線だけでああなっちゃうんだなーって」
「……そりゃ、友達同士だったらああいうのって普通にあるのかもしれないなーって思うんだけど、けっ、健ちゃんだったから、なんか、……妙に意識しちゃって……」
ぐっ、と健太は胸の前で拳を握る。さっき冬矢に止められていなければ、周りに人影がなければ、全力で抱きついていたところだ。自分の目線ひとつでその気になる蒼生なんて、可愛いが過ぎる。
「やっぱりさ……その跡、見るだけじゃなくて、舐めさせて」
「ひぇ」
「おまえ……」
同時に蒼生と冬矢が一歩遠ざかるが、構わずぐいっと詰め寄る。
「だって、健康診断があるからっつって、ここしばらくキスマーク付けさせてくれなかっただろ。そんななのに、人工物に付けられた跡が蒼生にあるのって、なんか、やじゃん。冬矢だってそう思うよな?」
「……まあな」
「!?」
突然健太側についた冬矢を、蒼生は驚いた眼で見た。
「あー、蒼生のお願い聞かずに、首とか胸元とかにいっぱいつけとけばよかった」
「や、やだよ、人に見られるの、なんか恥ずかしいもん……。そんなこと言うと、僕もやるよ?」
「いいよ!」
健太が食い気味にあまりにも元気よく答えるので、その勢いに蒼生はたじろぐ。
「いいんだ……。でも、やったことないけど、僕にも出来るのかな。健ちゃん、上手だからなあ」
「そりゃ愛情があってやってるんだから、跡もつくだろ」
「それなら僕にだってあるんですけど」
「わ」
とうとう我慢できなくなったらしい。健太ががばっと蒼生に抱きつき、とっさに冬矢が支える。
「び、びっくりしたぁ」
「危ないだろ……」
健太は文句を受けてもでれでれと笑って、そのまま蒼生に縋りつく。
「いや、もう、これはしょうがないって。不可抗力だよ。……でもさあ、やっぱ、オレより蒼生のほうが似合うと思うんだよな。色が白いからすっごく映えるし。なあ、冬矢も蒼生が首筋に紅い跡あるの見たいよな?」
さっきのパターンだ、と身構えた蒼生に、冬矢はにっこり笑ってみせる。
「俺は、絶対見えないところにつけるほうが好きだよ」
「なんで?」
「こんなふうにきちんと着込んでるのに、絶対俺にしか見えないところに跡があるんだって俺だけが知っているほうが興奮する」
「……わぁ」
「なんつーか、オレより冬矢のが、がっつりドすけべだよなあ……」
遠くから聞こえていたたくさんの話し声らしき騒音は、正門に向かう角を曲がるとさらにボリュームがあがった。広い道は静かだった朝とは一変して、大勢の学生たちでごった返していた。左右に並んだ折り畳み式の机と椅子、色とりどりの垂れ幕やポスター、その周囲で呼び込みをかける人たち、そして立ち止まって話を聞いているおそらく新入生らしき人の群れ。
「あー、サークルの勧誘ってやつか」
「そういえば、朝から机は出されてたよね。何かと思ってたけど、こういうことなんだ」
道端から向こうに見えるグラウンドまで、いったいいくつのサークルがあるのだろう。兄姉たちの話によると、大学にはサークル以外にもしっかりやりこむ部活や、人数の少ない同好会や愛好会、他の大学と一緒になった合同サークルなどというものもあるらしい。しかも、大学によってもそのくくりは違うらしく、全員の証言が異なっていたから結局詳しいことはよくわからなかった。
それにしても、ここまでたくさんの数があるとは思っていなかった。圧倒的な人の数に、蒼生は完全に腰が引けている。
「……ふたりがいてよかった。僕、絶対ここ通れない」
陰に隠れるようにして、きゅっとそれぞれの服の裾を掴む。それを見て、ますます早く帰ろうと決心する健太だ。
正門から帰るには、この雑踏を突っ切るほかない。それを狙ってここに勧誘の場を設けているのだろう。やむを得ずその人ごみに足を踏み入れると、心なしかあたりからざわめきが起こったような気がする。首を傾げつつ、蒼生を背中で庇うように歩き始めると、なんだか無数の敵から守っているようで健太は少し気分がよかった。
突っ切れそうだと一瞬思ったのも束の間。いくらも進まないうちに、机の後ろにいた人々がわさっと出てきて、ほぼ囲まれるような形になる。
「お兄さん、体格いいね、スポーツやってたでしょ。テニスやらない?」
「あー、昔やってましたけど引退して長いんで!」
「飲みサーなんだけどどう? 絶対モテるよ」
「間に合ってますので」
「オールラウンドサークルだけど興味ない?」
「あ、ごめんなさい」
「人間観察やってます」
「えっと」
「話だけでもちょっと聞いていかない?」
「体動かす機会大事だよね!?」
「他校の友達がたくさん出来るよ!」
「昔の遊び研究してるんだけど」
「ゲームばっかやってて楽しいよー」
返事を返す隙も無く次々話しかけられるので、なんだか何を聞いているのかもよくわからなくなってくる。口々に断りの言葉を投げながら無理矢理進んでいく。途中、明らかにジャンル違いの女子学生たちも積極的に押しかけてきて、それがまっすぐに健太と冬矢を見ているものだから、蒼生は後ろで見ていて正直気が気ではなかった。
密度で言えばグラウンドのほうがマシなので、なんとかそちらに抜ける。ここもテーブルはたくさん並んでいるものの、隙間が多いのでうまくすればそのまま通過できそうだ。
はあっ、と蒼生は溜め息を隠さない。
「大丈夫? ひどい混雑だったな」
「……腕とか掴まれたし、ズボンのポケットに手を突っ込んで引っ張ってくる人もいて、もう、へとへと」
健太と冬矢はぎょっとする。それは目的がずれているのではないだろうか。問い詰めようかとも考えたが、蒼生がそのまま座り込んでしまいそうになって、それどころではなくなった。両側から慌てて支えると、その腕に体を預けた蒼生がへにゃっと笑った。
「それにしても、健ちゃんも冬矢も、いっぱい話しかけられてたね。女の子もいっぱい集まってたし。ふたりともかっこいいからなあ」
「え、蒼生だって声かけられてただろ」
「ついででしょ。どこも人が欲しいんだろうねえ」
「蒼生だってかっこいいよ」
「あはは、ありがと。……ちょっと休憩していい?」
横にベンチを見つけた蒼生が、ぐったりしながら指をさす。
「あ、うん」
そこに蒼生を座らせると、健太は鞄の中からペットボトルを取り出して渡す。何かあった時のために、常に持っているようにしていたのが役に立った。
「準備いいなあ。ありがとう」
「蒼生こそ、持ってないの珍しいね」
「忘れてきちゃった」
蒼生は肩をすくめて、ふふ、と笑う。それから蓋を開けて何口か飲むと、はあっとまた息をついた。
一度首を傾げた健太は、グラウンドを囲む木に手をかけ、背伸びしてあたりを見渡す。そうして人の少ない最短ルートを探っていると、すっと冬矢が近付いてきた。
「第三者からの外見の評価って、絶対受け入れないよな」
ぼんやり頭上の枝を見つめる蒼生には聞こえない程度の音量で話しかけてきたので、健太も同様の音量で返す。
「ああ。昔っからプラス評価を聞きゃしねえ。自分がどんっだけ可愛くて美人なのか、周りからどう見られてるかっての意識してねえんだ」
「受け止めるのは……もしかして、俺たちからの評価だけか」
「それもどこまでちゃんとわかってんだろうなあ」
健太が大きく息を吐く。
冬矢は目線を落として黙り込んだ。そうして、しばらくしてから迷うように腕を組む。
「…………。なにか嫌な思いでもしたことがあるのかな」
ぱっと健太は顔を上げる。
「え? 可愛いのに? ……心当たりはないけど」
「可愛いからこそやっかまれることもあるだろうって話だ。子供の頃なんてそういう理不尽がまかり通るものだからな」
「なるほど」
おそらく冬矢には身に覚えがあるのだろう。女子が放っておかない外見で、本人にも自覚があった。たしかに同じ男子としては羨ましいしなんだか悔しいし腹立たしい。それが突き抜けて嫌がらせがあったとしてもおかしくないのかもしれない。聞くのが怖いから聞かないが、彼女を奪ったとかいうようなエピソードもあり得そうだ。
ただ、それが蒼生の話となると、まったくわからない。健太の目には、蒼生はいつも綺麗でふわふわ優しくて、誰かの敵意を受けるようには思えなかった。本気で、周りはみんな蒼生が好きなのだと思っていた。ましてややっかみを受けるなんて、考えもしなかった。
「とはいえ、蒼生を見ていると……外見の自己否定をするわりには落ち込む様子がない。癖になっているからか、本人の中で本当に大したことではないのか、純粋にそう思っているだけなのか、何かあったとしても忘れているのか。少なくとも否定の自覚はないんだろう。かといって、下手に突っ込んで、嫌な記憶を呼び覚ましてしまってもいけない。……はっきりした原因がわからないのがつらいな」
冬矢が悩むほどだ。自分が考えてもわからないだろうと、健太は木から離した手をぱんぱんとはたいた。
「とりあえず、自覚があろうがなかろうが可愛いもんは可愛いんだって、今日帰ったらとことん体にわからせてやろうと思う」
「それはその通りだな」
そんな話をされているとは微塵も思っていない蒼生は、ペットボトルの蓋を閉め、ふうっと深呼吸をした。立ち上がって背を伸ばし、鞄を抱え直す。
「ごめんね、もう大丈夫。……何の話してたの?」
ふたりは笑顔を浮かべて首を振る。
「大したことじゃないよ。ここをどう通ろうかっていうルートの相談をね」
「あと早く帰ってめっちゃくちゃに可愛がってやろうって話」
「えっ」
冬矢は肩をすくめる。嘘のつけない健太がどう返すか一瞬ひやりとしたが、端的なところにまとまった。たしかに、健康診断を受けている最中からずっとそっちに頭が行っていたようだし、素直な感想なのかもしれない。対する蒼生も、小首を傾げて頬を赤くしていたから、まんざらでもないのだろう。
3人は並んで、グラウンドを斜めに突っ切る。開けているせいか、道路上がバーゲン会場だとしたら、グラウンドはフリーマーケットくらいの気楽な雰囲気がある。勧誘に声を上げる学生たちも、こちらはほとんど殺気立った様子がない。中には机を置いているものの仲間内で談笑しているサークルもあった。おそらく道路側のほうが激戦区で、その場所取りに負けたのか最初から勝負する気がない団体がこちらに集まっているのだろう。声をかけられることも極端に減ったので、足元は悪いがこちらのほうがずいぶんと歩きやすい。
「本格的なのから遊びみたいなのもあるようだが、健太はどこにも入らないのか」
「んー。時間取られちゃうのがなあ。たぶん最初なんて授業とかでいっぱいいっぱいだろ。今んとこいいかなー。冬矢は?」
「俺はそもそも何かに所属するのが得意じゃない」
「あー……」
ふたりの会話を聞いていた蒼生は、ふいに足を取られてよろけた。驚いて足元を見ると、ちょうど靴の半分くらいの大きさで草がえぐれて穴が開いていた。転ばなくてよかった、と息を吐き、数歩遅れたふたりに追いつくように顔を上げた。その目に。
蒼生が足を止めた気配に気付いて、冬矢が目を向ける。蒼生は少し離れた机のほうを見ていた。
「蒼生?」
冬矢の声に、蒼生と、健太もぱっと振り向いた。
「ん? どした?」
「え、ううん、なんでもない。早く帰ろ」
蒼生はふるふると頭を振る。冬矢は蒼生が見ていた方向を辿り、「ああ」と笑った。つられて視線を追った健太も、ふっと表情を和らげる。その先には、白い画用紙に黒のマジックで「読書愛好サークル」とだけ書かれた、シンプルな案内ボードが掲げられていた。机の向こうには女子学生がひとり、座って本を読んでいる。
たしかに、早く、今すぐ、全力で帰りたい健太だが、蒼生が興味を示すならそれを我慢するくらいわけもない。ぽん、と蒼生の肩に手を置く。
「すげえ、蒼生のためにあるみたいなサークルじゃん」
「で、でも」
「寄っていこうか」
「だけど」
「気になるんだろ? 話だけでも聞いてみたら?」
興味はある。ものすごくある。けれど健太と冬矢と過ごす時間を削りたくはない。その合間で揺れる蒼生だったが、他でもないふたりが背中を押すので、迷いながらも一歩を踏み出した。
さく、とグラウンドの草を踏み、その机の前に立つ。女子学生は、机に落ちた影に気付いて顔を上げた。そしてすぐに怪訝な顔をする。まずは蒼生の顔をじっと見つめ、それから後ろに並んで立つ健太と冬矢をかわるがわる見た。
「……あの。活動内容を伺ってもいいですか?」
ふわっと笑った蒼生が柔らかい声でそう尋ねると、彼女はさらに不審げに眉を顰める。
「なんの目的ですか?」
「え?」
意外な答えが返ってきた。蒼生がきょとんとしたのを見て、読んでいた本で顔の半分を隠して後ずさる。それから後ろのほうに向かって声を上げた。
「ちょっと私では対応できないので……部長! 部長!」
反応したのは、少し離れた場所に椅子を置いて、やはりそこでも本を読んでいた眼鏡の男性だった。顔を上げて不思議そうにこちらを見ると、本を持ったまま椅子を引きずって駆け寄ってくる。
「何? 白幡さん。あ、もしかして、入部希望の方?」
「そんな、まさか。こんなところに来る人なんていませんよ」
彼女がそう言うと、部長と呼ばれた男性は困ったように笑った。健太は、ちょっとだけ蒼生と雰囲気が似ているな、と思う。
そこに蒼生が、あ、と声を上げた。全員が注目する中、蒼生が見ているのは男性が抱えてきた本だ。
「その表紙、もしかして『白き空の物語』のシリーズでは……。まさか新刊ですか? 完結したと思っていました」
がたん、と勢いよく男性が机に手をつく。
「知ってるの!? そう、完結したはずだったんだよ。謎をたくさん残したままだったけど、作者が完結って言い切ったから終わりなんだろうって。でもやっぱり続けたいって言って、先月末に新刊が出たんだ!」
「そうだったんですね、全然知りませんでした」
「新シリーズになっても面白いよ。俺、もう3回読んだし、よかったら貸すよ」
「えっ、いいんですか」
「ぜひぜひ」
男性はさっと本を差し出し、蒼生はすっとそれを受け取る。
そこで我に返った2人は、じっと自分たちに注がれる視線にようやく気が付いたようだ。蒼生は冷静な顔を装ってふたりに首を傾げて見せ、男性は照れたように頭を掻いた。
「あー……失礼しました。うちのサークルに興味がある感じですかね」
「はい、本が好きで。サークル活動自体まったく考えていなかったので、どうするかはわからないのですが、まず話だけ聞かせていただきたいなと思いまして。よろしいですか」
「もちろんです」
男性は笑い、折り畳みの椅子を勧めてくる。それから自分も白幡と呼ばれた女性と一緒に座った。
「ごめんなさい、椅子の数が少なくて。後ろのお2人は」
「あ、オレら、付き添いなので大丈夫です」
「そうですか」
頷いて、男性が机の上のファイルから1枚のチラシを取り出す。
「俺たちのサークルは、正式名称が読書愛好サークル、通称が“夜明かしの会”です」
「“稲城作次郎”ですね」
「さすが、読書家でいらっしゃる。改めまして、俺が部長の細谷。こっちが副部長の白幡です」
「野木沢です」
何の話だか分からず、健太は困ったように冬矢を見る。冬矢も肩をすくめたところを見ると、あまり詳しくは知らないらしい。
「基本的には、名前の通り集まって本を読むだけの活動内容です。月に大体2回から3回くらいかな。おすすめの本を紹介したり、めったに手に入らない貴重な本を貸し借りしたり、絶版本の情報を交換したりね。参加も必須じゃなくて、決めた日時に来られる人とか来たい人が集まる感じで、まあ、ゆったりしたサークルです。静かだからって自分の課題やってる奴もいるくらい。でも、一応、学校公認サークルなのでちゃんと予算はつきます。他には、たまーに飲み会とか……学祭も参加するけど、これも自由参加だね」
「なるほど」
「あ、それから、学部長が顧問なので、閉架書庫に比較的入り放題」
「! 閉架書庫ですか……」
ぴくん、と蒼生が肩を揺らす。
「気になる? 結構便利なんだ。4月の半ばに最初の活動をするから、よかったら見学しにおいでよ。ええっと、白幡さん、いつだっけ」
「3週目の月曜日です」
「だって。初回はサークル棟にあるサークル集会室でやるから、直接来てね。その本返すのは、その時でも。もし心変わりして、来たくないなって思ったら、本だけ部室に置いておいてくれたらいいから。あ、部室はサークル棟の2階ね」
「はい。じゃあ、考えさせていただきます」
「うん。無理はしなくていいから、気が向いたら来てください」
蒼生は頷き、差し出されたチラシを手に取ると、黙ってその文字を見つめた。
ローテーブルの上に置かれた本を眺め、ソファの背もたれにぽすんと倒れ込む。見学の約束をした日は明日に迫っていた。この期に及んでも、蒼生は行くべきかどうか迷っている。
目の前の本は、面白かった。さんざん読み倒した前作から勢いの変わっていない、一文一文が跳ねるようなわくわくする文体で、あっという間に2回読み終えた。出来ればシリーズの最初から読み直したいところだが、完結したと思っていたから手放してしまった。ひとりで暮らすわけではないから出来るだけ場所を取らないようにと考えたのは間違いだと思っていないが、こういう時にもったいなかったかなと思う。きっと、サークルに入れば、少なくともあの部長とは話ができるだろう。だが。
ソファの端っこに置かれていた、部屋には不似合いなピンクのクッションに手を伸ばす。20センチくらいの正方形をしたそれは、だいぶ色褪せてきたが、相変わらずにっこりと笑っている。
「……僕はどうしたらいいのかなぁ……」
なんとなく話しかけるが、刺繍で作られた表情は、当然何も答えない。だよね、と呟いて、隣にぽんと座らせた。
迷っている理由を考える。その中に「ひとりで行動する不安」があった。昔からなんでもひとりでこなしてきたし、今だって単独で大学に通っている。知り合いも出来たし、連絡先を知っている人も増えた。だから、きっとなんだって出来るはずだ。踏み出してしまえばそれなりに対応できる自信はある。けれど3人でいることに慣れすぎて、ふいに「本当に大丈夫なのか?」と寒気がすることがあった。それに、実際、それでふたりに心配をかけたことがある。不安の理由の一番底にはおそらくそれがあるのだと思う。
なにより、ふたりと一緒にいたいのに、その時間を削ってまでするべきことだろうか。本くらい、図書館で借りてくればいい。ふたりだってそうするのが一番安心だろう。
だが、面倒な手続きを経ずに閉架書庫に入れるという。その特典がわずかに後ろ髪を引く。
「はあ……」
長く息を吐いた。
そこに、がちゃりと小さく鍵の開く音がした。買い物に行っていた冬矢と、荷物持ちに引っ張って行かれた健太が戻ってきたのだろう。悩んでいることを気取られたくない。ぷるぷると頭を振ると、蒼生は勢いよく立ち上がった。
「おかえり!」
リビングに入ってきた健太は、とたんにでれっと表情を崩す。
「ただいまぁ~」
荷物を持ったまま腕を広げる健太に一瞬躊躇したが、そのままえいやと飛び込んだ。ぎゅっと抱き締められると、健太の体温に包まれて安心する……が、案の定、買い物袋が背中に当たる。そこからひんやりした空気が伝わってきた。
「……寒い」
「あ」
後ろから入ってきた冬矢が、健太に呆れた視線を送る。
「こら、蒼生を冷やすな。……冷凍食品が安かったから、いろいろ買ってきたんだ。冷凍庫に余裕もあったしね」
「えっ、大変だ。早く入れないとじゃん」
蒼生が体を捻って買い物袋の中身を覗き込むと、健太はしぶしぶ腕を離した。
「蒼生はこっち、洗剤の買い置き、しまっておいてくれる?」
「はーい」
ぱっと健太の腕から冬矢のもとに駆け寄り、受け取った袋の中身を所定の場所に片付ける。リビングに戻ると、ちょうど食料品のほうも片付いたところのようだ。
「ありがとう」
蒼生を見ると、冬矢がそう言って笑い、健太が小さな箱を掲げて得意げな顔をする。
「留守番の蒼生におやつ買ってきたぜ」
「えー、こども扱い?」
「なんつってな、ただオレが食いたかっただけ。でも、夕飯前になるし、ひとり分買うのものすごく気が引けたから、ふたりにも共犯になってもらおうと思ってさ。ほーら、蒼生の好きそうな、いちごのタルト~」
ちらりと見せられたタルトの上には、大きくて真っ赤ないちごがまるごと乗って、その周りを半分にカットされたいちごが囲み、そこに薄く被せられたゼリーがきらきら光っている。
「……うわっ、抗えない……」
「あはははは」
「むぐぐ……。健ちゃんと冬矢のは?」
「俺のがチーズスフレで、健太がバナナのミルフィーユ」
「~~~~~~……」
声にならない声を上げる蒼生に、ふたりは揃って噴き出した。
「ほら、座って。冷たいうちに食べよう」
「うん……」
皿を出してその上に乗せると、蒼生はじいっとタルトを見つめる。フォークを手渡せば、「ありがとう」と言って別の皿に置かれた2つのケーキをちらりと見る。思わず「可愛い」を噛みしめるふたりだ。明らかに全部に興味があります、という顔。きっとこんな表情をするんだろうなと想像していた通りの反応をしてくれる蒼生が可愛くて仕方がない。
「いただきまーす。……わ、さっくさく。色濃いなって思ったら、これ、ココアのクッキーだ。美味しい。いちご甘い。美味しい。中もいちごのムースだあ」
フォークを口に含んだとたん、蒼生の顔が明るくなった。可愛らしいタルトをにこにこ口に運ぶ蒼生を見ていると、なんとも幸せな気分になる。冬矢は自分のスフレにフォークを刺した。
「蒼生、こっちも美味しいよ。ほら」
「あー、しゅわってなくなるやつだ。チーズの味もしっかり濃くて美味しい。……はい、おかえし」
「……なるほど、ほろ苦い生地とバランスがいいね」
隣の健太もひとくち大にしたミルフィーユをフォークに乗せる。
「オレのもどうぞ」
「わ、嬉しい」
「んー……、あの、さ、蒼生」
「むぐ?」
健太の差し出したフォークを咥えたまま、蒼生は首を傾げる。健太はちら、とローテーブルの上に置いたままの本に目をやった。
「例の、ほら。明日じゃん? サークルの見学に行く日」
「……あー、……うん」
「冬矢と話し合ったんだけどな。あ、いや、信用してないとかそういうことじゃねえんだ、けど、その……やっぱまるっきり知らねえ人間が集まるとこに行くわけじゃんか。んで、サークルって、授業とかと雰囲気も違うだろうし、学生以外の大人がいないわけだし、オレらもどういうもんかわかんねえからさ、ちょっと心配なわけさ。……だから、鬱陶しいと思われてもしょうがねえんだけど、オレらも付き添っちゃダメかな」
「いいの!?」
蒼生はぱっと顔を輝かせる。
健太と冬矢が驚いて顔を見合わせた。おそらく、今までの言動から、蒼生は「迷惑かけるし、いいよ」と断ると思っていた。それを前提に、順序だてて説得するやりとりも想定していたのだ。まさか素直に受け入れると思っていなかったので、冬矢は困惑した目を蒼生に向ける。
「蒼生こそ、いいの?」
「なんで? 嬉しい。僕もちょっと不安だったんだ。まさか取り囲まれてなんかの書類にはんこ押させられるとかまでは思ってないけど、対処しきれないことが起きたらどうしようって」
胸に手を当てながら、蒼生は肩から力を抜く。
「よかった、ふたりがいるならなんの心配もないや。よろしくお願いします!」
にこにこと再びタルトに向き合う蒼生に、健太は懸念が消えたように朗らかに笑い、冬矢はまだ少し複雑そうに頷いた。
サークル棟は管理棟の真裏あたりに位置していた。学生数の多い大学なだけあって、そこそこの大きさがある。その1階最奥に位置するのが集会室だ。与えられた部室では手狭なサークルや、普段使用している教室が使えない場合に貸し出されている。読書愛好サークルは、蔵書が多い部室が近いため、よくこの部屋を利用していた。
活動中の札がかけられた部屋の中には既に何人かの姿があり、早々に本を開いている。副部長の白幡は、その総じておとなしい雰囲気のメンバーを眺めてから、手元の活動日誌に目を落とした。そこに、開いたままのドアからその姿を確認したらしい部長の細谷が廊下から走り込んでくる。
「おつかれさま。ごめんね、すっかり準備してもらっちゃって」
「いいえ、それは部長の仕事ではないと思いますし」
「うち書記を置いてないからなあ。……ああ、ところで、今日だったよね。例の新入生が来るの」
ぴくん、と肩を揺らして、白幡が日誌をぱたりと閉じる。
「来ないと思いますよ」
「そうかな」
のほほんとした細谷に、白幡は顔をしかめる。
「うちみたいな地味なサークルに、あんなイケメンが入ってくるわけないじゃないですか!」
「……それはなんというか……こっちにもダメージが」
「だって見ました? 本人もイケメンでしたけど、後ろにあれだけ派手なイケメン2人も従えるような男、真面目に活動なんかするはずありませんって。絶対からかわれたに決まってますよ!」
「うーん、それは言いすぎじゃないかなあ……」
細谷は曖昧に笑う。白幡が何を根拠に言っているかわからない以上、あまり突っ込んだことも言えないからだ。ただ、自分の印象では、とても真面目で誠実そうだと感じた。マイナーな小説も知っているようだし、一概に冗談だとも言えないのではないだろうか。たしかに、付き添いというには華やかな2人組は気になるところではあったが。
「え、そんなすごいのが来るの?」
後ろのほうに座っていた女子学生が立ち上がる。
「たしかにそんなのがうちに来るとは思えないなあ。可愛い女の子なら歓迎なんだけど」
真ん中あたりにいた男子学生が笑う。それに苦笑を返し、細谷は両腰に手をやった。
「どちらにせよ、別に入会条件があるわけじゃないんだ。来るなら受け入れるし、来ないならそれまでだろ」
「だよね~」
おそらく来ないんだろうな、という空気に包まれ、とりあえずその話はそこで終わった。
そしてさらに数人が集会室にぱらぱらと集まり、なんとなく集合時間を迎えようとしていた時だ。開けたままの扉を、わざわざ叩く音がした。全員の視線がそこに集まる。
「こんにちは」
にっこり笑って、ぺこりと腰を折ったのは蒼生だ。その姿を認めると、細谷は顔を輝かせて入り口に駆け寄った。
「ああ、ようこそ、野木沢くん」
「すみません、遠慮なく見学させていただくことにしました」
「どうぞどうぞ、入って」
蒼生が部屋に入った途端ぴたりと静まり返った室内は、後ろに健太と冬矢が続いたことで、色めき立つ女子とざわめく男子で突然ヒートアップした。
「今日は、3人で見学? 後ろの君たちも興味出てきた?」
「はい。サークルがどういうものか見てみたいというのもありまして。純粋な動機でなくてすみません」
「そういうのでもいいんだよ、サークルなんて気楽な集まりなんだから。……はーい、みんな、ちょっと静かに」
細谷が前に立って手を挙げると、すうっと音量が減っていく。なるほど、信頼を得ている部長のようだ。ひそひそと耳打ちしあう姿は見えるが、大部分が静かに蒼生たちを見ていた。
「今日、見学に来てくれた3人です。今日は……大体半分くらい来てるかな。入会してくれるかどうかは今日次第だと思うけど、あんまり普段と違う姿を見せてもいけないと思うので、普通にね。それじゃ、一応名前だけでも」
「はい。……野木沢です。本を読むのが好きなので、活動内容に興味がありました。本日はお邪魔させていただきます。よろしくお願いします」
「えーっと、寺田です。とりあえず見学させてもらいます!」
「同じく、笹原です」
なんの意味を持つのかよくわからない拍手が3人に浴びせられる。おそらく半分弱は歓迎の意で、残りは周りに倣ったものだろう。満足げに頷いた細谷は、ぱんと大きくひとつ手を叩いた。
「それではみなさん。今年度の活動を始めます。今年も1年よろしくお願いします」
「はーい」
「おねがいしまーす」
そのぬるい返事を合図に、それぞれが手元の本を開いた。中には2人で本を覗き込んでいる者もいるし、堂々とノートを広げた者もいる。たしかにのんびりしたサークルのようだ。
蒼生はさっそく鞄から借りた本を出すと、細谷のもとに歩み寄る。
「ありがとうございました」
「どうだった?」
「やっぱり面白いですね。中盤のタワーでのやりとりが……」
「そう、パネルの……」
周りに読書中のメンバーがいるのを慮ってか、小声で感想を言い合い始める。机ひとつ挟んだだけだが、内容までは聞こえてこない。だが、楽しそうな横顔だ。それを見るのは、健太は純粋に、冬矢は少し複雑な思いをしながらだったが、どちらにしてもふたりとも嬉しいと思っていた。蒼生が大切だ。蒼生が楽しいならそれでいい。突き詰めればそれだけだ。
他人に向けられているおとなしい笑顔から目をそらし、冬矢は部屋の中を改めて見渡す。部長の細谷と副部長の白幡を含めると、集まったメンバーは11人いた。これが約半分だとすれば、大体20人くらいが所属していることになる。今見る限りでは、派手なことは好まなそうな雰囲気の人物が多いようだ。もちろん見た目ですべてがわかるとは思わないが、とりあえず静かに本を読む集中力と真面目さがあるのは間違いない。文章をよく読むタイプなら、話が通じないということもないだろう。ひとりひとり、じっと顔を見る。蒼生の周りに存在するようになるかもしれない人間だ、よく見ておく必要があった。
その時、軽い足音と共に、男子学生がさらりと集会室に入ってきた。長めの明るい茶髪をきちんと整えた爽やかないでたちの男は、なんだかあまりこの部屋にそぐわない気がする、というのが冬矢の第一印象だった。
「細谷」
「あれ、神崎? 今日は顔出さないって言ってなかったっけ」
「そのつもりだったんだけど、部室の書棚のカギ、預かったままだったのを思い出してね」
「あ、ああ! そっか、受け取るつもりだったの忘れてた。ごめんごめん」
「じゃあ、これで。……って、新入会の子?」
細谷の隣にいた蒼生は、男の視線を受けてふわっと微笑む。
「まだ見学の段階だよ。彼が野木沢くんで、そちらが寺田くんと笹原くん」
健太と冬矢がぱっと立ち上がる。彼は会釈した健太たちをさらりと見ると、もう一度視線を蒼生に戻した。
「副部長の片割れ、神崎です。幽霊部員気味だけど。人数が増えると活気も出てくると思うし、ぜひ入ってくれたら嬉しいな」
健太がぴくん、と肩を揺らす。
「じゃ、行くわ。次回はちゃんと出るから」
「よろしく」
細谷にそう告げた神崎は、蒼生の肩に軽くぽんっと触れると、後ろのほうに座ったメンバーに向けて手を振って出ていった。
なにか釈然としない思いで椅子に座った冬矢の目の前で、健太がじっとドアのほうに顔を向けたまま立ち尽くしている。
「健太」
呼びかけると、苦虫を噛み潰したような表情で、がたんと音を立てて座る。
「どうした」
「なんだろ。あの神崎って人。……初めておまえに会った時みたいな感じがする。すげぇぞわぞわする」
それは健太の野生の勘だろうか。自分で言うのもおかしいが、突然蒼生の前に現れて、幼馴染みの健太に割り込むような形で恋人の座を得た自分。健太があの時と同じようなイメージを受けたというなら。それは警戒すべき相手なのかもしれない。
そこに蒼生が戻ってきた。見れば、細谷は白幡と何かを話しながらテーブルの上の冊子に書き込みをしている。
「ただいまぁ」
「おかえり」
蒼生は本が好きだ。きっとここは蒼生がいるにふさわしい場所だろう。けれど、心配だ。どうしても心配があとからあとから湧いてきて、止められない。だが蒼生が望むなら。蒼生のためなら。冬矢はぐっと不安と心配を飲み込むと、蒼生に笑いかけた。
「楽しそうだったね。入ることにしたんだろう?」
すぐに頷くだろうと思った蒼生は、わずかに眉頭を上げて口ごもる。それからふたりの間に座ると、そっと顔を寄せてきた。
「……うーん。たぶん、やめとくと思う」
「えっ、なんで?」
反射的に健太が声を上げ、蒼生は苦笑いでしぃっと口の前に指を立てた。健太は体を小さく縮めると小さな声で改めて、
「なんで?」
と聞いた。
「だって、どこでも出来ることでしょ。楽しいし……すごく落ち着く感じはするけど……たぶんこれから授業が始まって、バイトとかもしなくちゃいけないし、ふたりとの時間を減らすのは違うと思う」
その言葉は、自分に言い聞かせているように聞こえた。きっと蒼生の気持ちは、入会に傾いている。それを押し戻そうとしているのだと思う。蒼生の言葉は、冬矢の望むものだ。そうだね、と言って頷きたい。でも。
健太がまっすぐに蒼生の目を覗き込む。
「蒼生が諦めようとしてるの、オレたちのせい?」
「え? や、ううん、そうじゃなくて、違くてっ」
「だったらオレらも入ればよくね?」
「……へ?」
冬矢がはっとして健太を見る。そんな冬矢に気が付いているのかいないのか、健太は蒼生から目を離さず、その両膝に手を置いた。
「そうだよ。やっぱ同年代の知らない人の中に蒼生おいとくの心配だし、オレらが出られる時だけ一緒に参加するのはどう? 別に全部参加しなきゃいけなくないって部長さんも言ってたじゃん。そしたら、蒼生も参加できるし、オレたちも心配しなくていいし、てか一緒にいられる時間が増えるし。いいことばっかじゃね?」
「……なるほど。そうか。その手があったな」
「え、あ、でも、」
蒼生は健太と冬矢の顔を、かわるがわる見つめる。
ふたりは、笑っていた。
「え……」
その目が、うっすらと潤む。
「……ぼ、僕……そこまでふたりに甘えていいのかな……」
「だから言ってるだろ。オレにとってもいいことなんだって。な、冬矢」
「そうだな。蒼生といられるなら」
きゅっと唇を噛んだ蒼生が、膝の上に置かれた健太の手を強く握った。
決まったのなら、これ以上迷うことはない。勢いに任せ、3人分サークル入会届を書いて出してきた。
サークル棟から出ると既に薄暗くなっている。蒼生は、一歩土を踏むなり、両側にいたふたりの腕をぎゅっと抱え込む。
「お。どした、外だぞ?」
健太が笑うと、蒼生は伏せた頭を勢いよく振る。
「いい。なんか、今日は、いい」
冬矢は目を細め、蒼生が握った手を反対の手で優しく包み込んだ。
「蒼生」
「……ごめんね。ありがとう」
「? なにがごめん?」
蒼生は頭を上げない。
「冬矢、この前言ってたじゃん。組織に属すの好きじゃないって。なのに」
ああ、と冬矢が頷く。
「たしかにそれはあるね。だけど、わざわざひとりで乗り込んで人間関係を構築するのが面倒だってだけの話だよ。蒼生が一緒にいるのなら、それはもう“蒼生と共にある場所”だからね」
「うー……。あ、と、健ちゃんはそもそも、本読まないでしょ」
「本読みに入ったんじゃねえもん。蒼生と一緒にいたかっただけだし」
「うー」
蒼生は言葉に迷っているようだ。だから冬矢はあえて健太に目を向ける。
「むしろ健太にはいい機会だったんじゃないか。今まではなんとかなっていたかもしれないが、今後は資料をたくさん読むことになるんだぞ。少し文字に慣れておいたほうがいい」
「あ、そっか。……すげえ、冬矢が真面目にアドバイスしてくれてる」
「教科書だって俺たちとは違うんだ。ひとりで読めないと困るだろ」
「たしかに。よし、がんばろ」
健太がぐっと拳を握ると、蒼生はほんの少しだけ顔を上げた。それを覗き込むように、冬矢はわずかに身をかがめる。
「むしろ、謝るのは俺のほうかもしれない」
「えっ?」
見開かれた目を、まっすぐにとらえて笑う。戸惑いの色を隠さない蒼生がその視線を揺らす。
「なんて言ったらいいかな。ずっとね、“本”って、蒼生の“場所”だと思っていたんだ。図書館でひとりで静かに過ごす時間、好きだろ。だからそこにまで俺が浸食してしまったら、蒼生が自由にいられる場所を奪ってしまうんじゃないかって。ひとりになりたい時間を邪魔してしまうんじゃないかって」
なにか悩み事があると、こっそり図書館に籠りに行っていたのを冬矢は知っていた。そういう時間が必要なこともあるだろうと考えて何も言わなかっただけで。蒼生には蒼生の世界があるはずで、そこまで縛ってはいけないはずだ。
「……そう思うと複雑なんだ。心配だし、そばにいられるのは嬉しいけど、ずっと一緒にいるのは息苦しくないかな」
「ない」
かぶせるように、はっきり、蒼生は言い切った。
ふたりの腕を掴む手に力がこもる。
「たしかに、図書館って自分の場所だと思ってた。そこに他の誰かがいるとしんどかった。だけど、そこに健ちゃんと冬矢がいるのは全然平気だったよ。僕が思う僕の領域は、最初からふたりを拒否してないんだと思う。……逆かな、僕の場所にいてくれるってことは、僕を認めてくれてるってことだと思ってた、のかもしれない」
今度こそしっかり顔を上げた蒼生が、ふたりの顔を交互に見る。
「それに、今の僕にとっての“自分の場所”って、健ちゃんと冬矢と暮らす家のことだよ。健ちゃんと冬矢自体が僕の居場所だと思ってる。……んだけど、どう思う?」
「オレも、それだ」
健太は明るい顔で、元気よく頷いた。ふたりは図書館を蒼生の場所だと言ったけれど、自分は小学生の頃から、図書館でずっと蒼生の席の隣に座っていた。正直蒼生の言葉は少し難しかったが、つまり自分と一緒にいるのが嬉しいと言ってくれている、そう判断した。きっとかけ離れた結論ではないだろう。
「なるほど、うん」
冬矢は、感慨深げに頷いた。蒼生は、自分で自分の周りに線を引くタイプの人間だ。ぐるりと「円」を描き、そこに踏み込もうとする者には極端に警戒する。いつか誰かが言った結界という言葉を、冬矢はそう捉えていた。他人を拒み、寄せ付けない「円」。けれど蒼生は、自分と健太をその「中」の存在だと認識しているのだ。
蒼生は、ふたりの存在を、今こうして腕を組んでいる距離と同じように感じてくれている。そう実感すると、愛おしさと嬉しさで胸が溢れそうになる。
ぎゅう、と。健太が蒼生の腕を締め返した。
「い、いたた。健ちゃん、痛い」
「素直じゃない蒼生にはお仕置きだー! ほらほら、言っちゃえ。ホントはどう思ってんだよ!」
「え、えぇ……?」
「言わねえと、人目があるとこ選んで熱烈なちゅーする」
「ひぇ」
蒼生はぴんっと背筋を伸ばし、ふたりの腕にぶら下がる勢いでぴょんと跳ねる。
「あ、あの! 今まで、クラスとかは一緒だったけど、部活とか委員会とか、そういう授業以外で一緒に活動したことなかったから、う、嬉しい! すごく嬉しい!」
健太が声を上げて笑い、冬矢も優しく微笑む。そして、蒼生がいつまでも離さない腕と反対の手で、ぽんぽん、と頭を撫でた。
優しい手。
ようやく蒼生は、ふにゃりと笑った。
「同じ時間を共有できるの、楽しみだね」
「うん!」
「よし、今日は祝杯あげて帰ろうぜ! バナナジュースとかで!」
「重い杯だな」
これからどんなことが起こるかわからない。不安と警戒心は健太と冬矢の中に残されている。けれど、蒼生が笑ってくれるならいい。そうなるように努力したい。
結局、ふたりはどこまでも蒼生に甘いのだった。
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