48こ目;マシュマロ・サンド
いつもの甘くてふわっふわなやりとりの短編です。
↑初投稿時キャプション↑
2022/04/22初公開
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珍しく、床に視線を落としたままリビングのドアを開けた蒼生を見て、ふたりはぴたりと手を止めた。いつもならすぐに可愛い顔を見せてくれるのに。ただいま、の声も少しトーンが低かった。
「おかえり、どうした?」
「なんかあった?」
冬矢は読んでいた本をしおりも挟まずテーブルに置き、健太はセーブも忘れてゲームのコントローラーを放り投げる。
「あー、ただいまぁ」
ふたりがすっ飛んできたので、蒼生は改めて声を絞り出し、ようやくのっそりと顔を上げた。疲れ切った表情に、慌てて健太が取り落としそうな荷物を受け取る。
「ごめんね、ありがと」
笑う顔もなんだか力なさげだ。
冬矢が導くままゆっくりとソファまで辿り着いた蒼生は、冬矢と一緒にそのままぼすんと座り込む。
「どこかケガしてるとかじゃないよな?」
「うん。大丈夫。……ほんと、あの、心配させるほどのことじゃないんだ、ごめんね。ただちょっと疲れちゃって」
作り置きの冷茶を入れて持って来た健太が、そっと下から覗き込むように蒼生の顔を見た。目が合えば、少し照れたように首を傾げる。
「ただ単に、僕って体力ないなーってだけの話だよ」
「蒼生、そんな体力使うような授業取ってたっけ?」
「授業っていうか、授業に使う資料がね。最初は集めたプリントを仕分けして運ぶだけの予定だったんだけど、持ってった教授の研究室があんまりにもごちゃごちゃだったもんで、一緒にいたメンバーでついでに掃除の手伝いをすることになってね、研究室と図書館の間を重い本とか資料抱えて何往復もしちゃった」
蒼生は手で大きな四角を作る。
「すごいんだよ。こんな。こんなサイズの図録がさ。何冊もあるの。あれ、絶対見始めたら時間がどろっどろに溶けるやつだよ。まあ、見た目通り、おっもいよね。持った瞬間は大丈夫そうだなって思ったんだけど、運んでるうちにどんどん重くなってくの。筋肉が疲れていってるんだろうなっていうのはわかるんだけど、なんか怪談になかったっけ、持ってるとどんどん重くなるやつ。あれかと思った」
冬矢に寄り掛かっているうちに少し元気になったらしい。すらすらと口をつく、張りの出てきた声に、冬矢は胸を撫で下ろす。健太が持って来た冷茶を飲むと、蒼生はふぅっと息を吐いて、いつもの笑顔を浮かべた。
「だけど貴重な資料をたくさん見られたのは嬉しかったな」
それを見るだけで、健太も少し安心したようだ。
よし、と呟いて、冬矢が立ち上がる。寄り掛かる先がなくなって蒼生がわずかに傾いたので、待ってましたとばかりに健太がそこに滑り込んだ。冬矢はそれを見て笑い、ソファの後ろに回り込む。
「お疲れの蒼生を、ちょっとほぐしてあげようか」
言って、そっと蒼生の両肩に手を添えた。そして、親指をするりと肩甲骨に沿わせる。
「あっ」
突然蒼生が声を上げたので、健太が慌てて蒼生を見る。
「なに、どした?」
「いや、……気持ちいい」
「マジか」
「仕事で疲れたって言う母によくやっていたからな」
冬矢は健太に向けて得意げに笑う。明らかに挑発された健太は、羨ましそうにその手元をじっと眺めた。たしかに、手つきがいい。
「わー、すごい、ホントに気持ちいい。冬矢っていろんなこと上手だよね」
「ますます俺から離れられないだろ」
「離れるつもりないもん」
「言ったな?」
「ふふ。うん」
なんとかそこに割り込めないかと健太は思案する。だが、蒼生が喜んでいるのに邪魔をするわけにはいかない。手を伸ばしてもいいか悩んでいるうちに、冬矢の施術が肩と背中を何度も往復する。
「はい、こんな感じ。どうかな」
「気持ちよかったー、ありがとう」
「蒼生、最後、両手挙げて」
「こう?」
ばんざいの形に蒼生が挙げた手首を冬矢が両手で掴み、そのままぐっと上へ伸ばした。
「……んっ……」
思わず漏れた声。
さすがに我慢が限界になる。がばっと体を起こし、健太はソファの上に膝で立った。
「オレも! オレも蒼生にマッサージしたい!」
冬矢が「よく我慢したな」という目で笑い、蒼生は純粋に嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、お願いしちゃう」
「やった!」
ぱちん、と指を弾いたかと思うと、健太は座っていた蒼生をひょいと抱え上げる。
「えっ?」
呟いたのは、蒼生と冬矢同時だ。驚くふたりを気にも留めず、寝室のドアを足で開け、ベッドの中央に蒼生を仰向けにそっと横たえる。ついてきた冬矢が何事かと覗き込むが、にこにこと嬉しそうな健太はやはり気にせず、びっくりしたままの蒼生の足に触れた。
「結構歩いたんだろ。じゃあここ、気持ちいいと思うよ。すねの骨の、ちょうど横のここ」
「あっ。痛……っくて、気持ちいい」
「だろー」
なるほど、スポーツをやっていた健太はそのあたりに詳しいらしい。力加減も絶妙だ。
「そうか、おまえこういう特技があったんだな」
「まあなー。今まで発揮する機会がなかったんだよ。この3人でガチでスポーツやることないしな。アフターケアとかいらないだろ?」
それを聞いて、ふと蒼生が斜め上を見上げる。それからぼそりと呟いた。
「そっか……腰……健ちゃんにケアしてもらうって手があったのか」
「あ」
機会がなかったどころではない。むしろ機会ばかりだったことにたった今気付いたらしい健太に、蒼生はくすくすと笑った。
「これからはちゃんとします」
「えー、嬉しい。お願いします」
素直に頭を下げるついでに、健太は両手をずいっと上に滑らせ、太ももの脇を押していく。疲れているのがわかる感触が手に伝わってくる。ここまで疲れをためるなんて、いったい何度往復したのだろうか。大学内に複数ある図書館の中でも蒼生の学部がよく使用する図書館は研究室に近い場所にあるが、蒼生のことだ、他のメンバーよりたくさん働いてきたに違いない。さらに気持ちよさそうな蒼生に気を良くし、そのままの姿勢で前から両腕をぐいっと揉みあげる。
「重いもの持ったんなら、ここも気持ちよくない?」
「んっ、うん。気持ちいい……けど、ここ揉んでくれる時って、向き合う姿勢であってる? 顔がめちゃくちゃ近いね」
「なんと、オレがリラックスするという効果も同時に得られるわけだ」
「あはは、そっかぁ」
蒼生は楽しそうに笑う。
「足と腕、ちょっと柔らかくなった気がする。少しは楽になったかな」
一通りコースを終えた健太がそう言いながら名残惜しそうに上半身を起こすと、蒼生も腰を捻って起き上がった。
「んー、ありがと。だいぶ楽になった気がする。あ、そうだ、僕もお返しにマッサージしようか」
両腕を伸ばしながらのセリフに、冬矢は笑って首を振る。
「大丈夫だよ。蒼生のほうがもっと疲れちゃうだろ。ちょっと揉みほぐした程度じゃ治らないだろうし、今日はゆっくりお風呂に入ってリラックスしな」
「そうだね、あったまるといいかも」
健太もそれに頷く。たしかに、今腕を伸ばした時、蒼生は少ししんどそうな顔をした。ここは冬矢の言うとおりにしたほうがいい。わかっている。……そう、わかってはいるのだが。健太はそわそわと視線を迷わせ、それから蒼生の腰をつん、とつついた。
「ひゃっ」
可愛い声を上げて、蒼生がぴょんと腰を浮かせる。
「……オレはやってもらおう、かな」
疲れているのに悪いな、とはもちろん思う。が、蒼生に触られたい、という気持ちがぽこぽこ湧いてきてしまった。
だが、健太の申し訳なさとは裏腹に、蒼生はぱっと顔を輝かせた。
「はーいっ!」
役に立つのが心底嬉しい、というのが蒼生の本音だ。まだ健太の下敷きになっていた足をいそいそと抜いて健太の後ろに回り込むと、ぐっとその背中を押した。当然、蒼生が力を入れたところでどうなる健太でもないが、おそらくベッドに倒したいのだろうと思ったので、素直に力を抜いてうつ伏せになった。すると蒼生が腰の上に乗ってくる。
「うわ……」
一気にテンションが上がった。蒼生が。自分を倒して。腰の上に乗っている。その事実を並べただけで、いろんなゲージが振り切れそうだ。
あまりにも嬉しいので、蒼生の体温に集中する。座ったすぐ上のあたりを指がそろりと触れたかと思うと、ぐぐっと体重がかかってくる。触り方の優しさと、力を入れる時の思い切りの良さが、蒼生らしくてなんだか嬉しい。
「力加減、いかがですか?」
「ちょうどいいですー」
マッサージ店の店員のような言い回しが可愛い。ついノって返してしまう。
「ご希望ありましたら仰ってくださーい」
「あ、そのあたりもう少し強めにしていただけますか?」
「はい、承知致しました、お客様」
楽しい。ノリが合うのが、とても楽しい。
真面目だと思われている蒼生に、周囲はこんなノリでは話しかけない。仮に勇気のある人間が勢いで話しかけたとしても、こんな冗談めいた言葉では返さないだろうなと思う。きっと自分だからだ。そう思うと嬉しくてたまらない。
なにか察したのだろうか、冬矢が「そういえば」と口を挟んできた。
「スポーツ選手の筋肉って、素人がマッサージとかしないほうがいいという話を聞いたことがあるな」
「え、そうなの?」
「噂程度だけど」
「じゃああんまりやらないほうがいいのかな」
「ちょ」
健太は乗っかる蒼生の邪魔にならない程度に、勢いよく首を回す。
「その真偽はよく知らねえけども! もう選手じゃねえから! 気にしないでいっぱい触ってください!」
「触る、って」
必死な様子の健太に、蒼生は思わず吹き出した。
「それじゃあ大人しくしててくださーい」
再び、ぎゅっと腕に力が入る。健太はぽすっと枕に頭を乗せ、すっかり堪能する体勢に落ち着いた。暖かい手が背中を上下する。気持ちいい。気が抜ける。
そのせいか、つい、口が滑った。
「あー、蒼生の体重が乗っかってるの、めちゃくちゃ気持ちいい……。これ、服、邪魔だったな」
ぴたり、と蒼生の手が止まる。
そうと気付かず、口が滑り続けるのは健太の悪い癖かもしれない。
「ふたりともすっぽんぽんでさあ。ぬるぬるにしたら、もっと気持ちよさそう」
「ふーん」
ようやくはっと口をつぐむ。今度はおそるおそる首を後ろに向けた。白い目の冬矢と、戸惑ったような蒼生と。
目が合うと、蒼生は困った顔で首を傾げた。
「あの……。僕はそういうのあんまり詳しくないからはっきりわかんないんだけど、趣旨がズレてるのはなんとなく感じる……」
「ごっ、ごめんなさい……」
「ううん、その、ええと、……そういうのは、また、いずれ」
「いずれ」
そうか、そういうのも興味があるのか。蒼生はそっちの方向の好奇心を自分たちに隠さないのが可愛いと思う。
そわっとしたところで、案の定間に入ってくる者がいる。視線だけではない、声色までもがずいぶんひんやりしている。
「せっかく蒼生が疲れている体で、わざわざおまえを労ってくれているというのに。まさか、そんなやましいことを考えているなんて、なあ。これは教育的指導が必要じゃないか?」
「えっ、いや、そのっ」
「蒼生、交代」
「は?」
「え?」
一体何を言い出すんだろう、健太と蒼生は同時に「?」で頭をいっぱいにした。けれど冬矢の勢いに、思わず蒼生は腰を浮かせた。そして健太が起き上がる隙を与えず、腰の辺りにどすんと座る。
「ぐっ」
ついでとばかりに、片手で首の付け根あたりを押さえる。
「感想は?」
「……あっ。全然違ぇ。なんだこれ! うっわ! 気持ちよさのカケラもねえ! ひたすらめっちゃくっちゃ屈辱!」
「だろうな」
きょとんとしていた蒼生は、悔しそうな健太と、何故か勝ち誇ったような冬矢を見比べているうちに、なんだか面白くなってきてしまった。健太に、冬矢が乗っかっている。絶対見られないはずの光景ではないか。
「ふ……ふふふふ」
健太は拗ねたように蒼生のほうを見た。
「何笑ってんだよ。おまえの彼氏、暴漢に襲われてるんですけど」
「風紀を乱す悪党を取り押さえただけだが?」
「ふ、あははは。乗ってるほうも彼氏だからなあ」
珍しい光景が楽しくて仕方ないらしい。蒼生は膝を抱えたまま、声を上げて笑っている。ならいいか、と思う健太だ。
そのデレっとした健太の顔を見た冬矢は、この行動がまったく制裁になっていないことに気が付く。もちろん嫌がるだろうと思っていたし、実際いい気はしていないようだが、それを簡単にどうでもよく思わせてしまうほど健太は蒼生に甘い。であれば、もうひとつ出来ることがある。
「じゃあ、蒼生もおいで」
「へ?」
「ひとり乗ったくらいじゃ、びくともしないようだから」
「え……、い、いいのかな」
少々迷っていたようだが、蒼生はそーっと足を上げると、冬矢と向き合う形で健太にまたがった。
「失礼しまぁす……」
健太は黙ったまま、背中の真ん中辺りに座る蒼生の感触に集中しているようだ。冬矢はふっと笑う。
「大丈夫? 健ちゃん、さすがに重いでしょ?」
「蒼生」
冬矢は、後ろを向いて心配げな声を出す蒼生の顎を掴んで自分のほうに向けさせると、唇に吸い付くようなキスをした。ちゅ、と大げさな音がする。
「!」
ふたりの体の下で、健太が大きくもがいた。
「おまっ、ちょ、え、冬矢!」
「あーおい。可愛いね」
「ん、んぅ」
「……てっめ……」
健太は投げ出していた両手を自分の顔の横まで持ってくると、ぐっと力を込めた。冬矢と蒼生を乗せたまま、健太の上半身がわずかに浮く。
「……へえ、すごいな」
「わ、わ、健ちゃん、無理しないで!」
「……おまえらふたり分くらいなら、どってこと、ねえんだ、よっ」
「わ」
さらに力を入れた健太は、ぐいっと体を捻り、ふたりの体を振り落とした。
冬矢の上に蒼生が抱き合う形になってベッドに落ちたのを確認し、健太はくるりとふたりに向かい合うと、そのまま蒼生の背中を抱くように覆い被さる。
「食らえ! 反撃!」
「あはははは、重い!」
「ふっ、はははっ、わかりやすい嫉妬だな」
「そりゃするだろうよ! 蒼生! オレも! オレもちゅーする!」
笑って蒼生は首を後ろに向ける。健太は噛みつくように頭を落とした。
「あはは、ん、ん……っ、ふふっ」
健太の下で、蒼生と冬矢はまだ笑い続けている。その振動が伝わってくると、なんだか健太まで楽しい気分になってきた。
「……ははっ。なんだよこれぇ」
「わっかんない。ふ、ふふふっ」
寝室は、そうしてしばらく3人分の笑い声で満たされた。
しばらくして、蒼生を抱き締めたまま、冬矢がはあっと大きく息を吐く。
「……なんだか疲れたな」
「うん。学校で疲れたのは吹き飛んだけど、笑い疲れちゃった」
楽しそうに蒼生が頷く。
「今日は外に夕飯食べに行くか」
「そうだね」
健太が元気よく手を挙げた。
「あ、じゃあオレ肉。肉肉」
「いつもじゃないか。蒼生は?」
「クリーム系のパスタ」
「なるほど。俺は和食の気分なんだよな」
「ってことはファミレスだな」
「あ、パフェも食べたい!」
「んー。そういえば駅向こうのファミレス、フルーツたっぷりパンケーキフェアってのやってたぞ」
「え……。パンケーキ……」
「ふっ。行ってから悩もうな」
「大丈夫、オレめちゃくちゃ腹減ってるからさ」
「それであの力持ち発揮するのはすごいなあ」
3人で起き上がると、当然、くっついていたところが離れる。
蒼生は、それをちょっと寂しく思った。
けれど頭を振って顔を上げる。
そして、またあとでたくさん抱き締めてもらおう、とひとり頷いた。
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