55こ目;僕に君がくれたもの
その1年の最後にお届けするのは、蒼生の日常のお話です。
1年前には告白され戸惑っていた蒼生ですが、今ではこんな感じになりました。
まだまだ克服すべきことは残っていますが、これからも1歩ずつ、でも着実に進んでいきます。
最終回っぽいキャプションですが、現在2つ先のお話を執筆中です…!
↑初公開時キャプション↑
2022/06/10初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
※おかげさまで、『僕+君→Waltz!』1こ目公開から明日で丸3年となります。
先日、Pixivにてお話も100こ目を迎えました。
これからものんびりと進んでまいりますので、よろしくお願いします!
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楽しい。板書の文字を目で追いかけて、そのままをノートに写す。ほんの少しそこからズレた話が始まって、それは余談なんだけどちゃんと次の話に繋がってる。だからそれもメモしておく。そうすると、あとで読み返しても楽しいんだ。ほんと、この教授、授業の進め方が上手だなあ。それに、好きで楽しんで研究してるのが伝わってくる。大学の教授って好きを極めた人たちの集まりだと思ってるけど、特にこの教授は「好き」が外に溢れちゃう人なんだな。今度のレポートはどんな内容を課されるんだろう。前回のテーマは面白くて、書いても書いても終わらなくて分厚くなっちゃった。提出する時、教授にはなかなかの量だねって笑われたけど、嬉しそうに受け取ってくれたっけな。
なんだかあっという間に講義は終わった。面白かったからだと思う。どれもこれも、受ける授業が楽しい。好きなことばかり勉強してても怒られない。本ばっか読んでても、資料をひたすら読んでても誰にも怒られない。むしろ褒めてくれる人すらいるんだから、大学ってすごいな。はー、お昼挟んで次も楽しみだ。
隣に座ってた根津くんが息を吐いてノートを閉じる。
「けっこうなスピードだったねえ。追いつくの大変だった……」
あー……。根津くん、丁寧にノート取る人だから、教授のあの勢いに圧倒されちゃうのかも。それでなくとも、好きなものの話をする時は早口になっちゃったりするしね。でも、そう言うけど、根津くんのノートはきちんと読めるから立派だと思うよ。僕なんかたぶん自分にしか読めないもん。
「教授、楽しそうに話してたから、たしかにちょっと早かったね」
「小倉くんにノート頼まれてたんだけど、抜けてないか心配になっちゃう」
「大丈夫でしょ。根津くんのノート綺麗だし」
うん? 小倉くん? そういえば、この授業は小倉くんも一緒のはずだ。普段は気付いたら近くの席に座ってるのに、今日はいないな。
「休みなんだ?」
「風邪ひいちゃったんだって。え、あれ、連絡来てたけど……もしかして。……あ、やっぱり、グループじゃなくて僕宛だ。この前のやりとりにそのままかぶせて送ってきちゃってる。熱あるっていうし、ぼーっとしてて宛先間違えたのかも……。大丈夫かな」
「そっか、心配だね」
へえ、いつの間にか個々でやりとりするくらい仲良くなってたんだなあ。根津くんって引っ込み思案なとこがあって、1対1が苦手だからってわざわざ僕込みのグループにずっと連絡してきてたのに。小倉くんも返事はするものの、自分からの発信はしなかったしね。あ、グループだとこの授業にはいない久我島くんにも連絡行っちゃうからかな。だとしても、それぞれで連絡出来る相手が出来るのはいいと思う。
……まあ僕が言うなって話だけどね。個々にやりとりするの健ちゃんと冬矢だけだもん。それでいいやって思っちゃってるのが僕のダメなとこ。ちゃんとしなくちゃと思ってはいるんだけどさ……。思うだけで、なかなか進めない。根津くんを見習わなくちゃなー……。なんだけど、やっぱり生来の面倒くさがりが出てきちゃって。
「あ、のね、野木沢くん」
「? なに?」
振り向くと、ノートで半分顔を隠した根津くんが僕を見てる。なんだろう。
「もし、野木沢くんがお休みする時は、僕、ちゃんとノート取るから。よかったら、その、頼ってね」
「わ、ありがとう。その時は遠慮なく頼らせてもらうね」
へえ。そういうことを言ってくれる人ってありがたいなあ。僕のことをちゃんと友人だと認めてくれてるのかな。申し訳ないな。僕なんかなんの役にも立ってないのに。根津くんて、ほんとにいい人だ。小倉くんが頼るのもわかるよ。
さて、次の授業は上の階だ。移動してから昼ご飯にしようかな。
「えっと、野木沢くんは学食?」
「ううん。今日は持って来たから、教室で食べようと思ってる」
「じゃあ一緒に食べよ」
「そうだね」
なんだかんだで学食は学生に優しい値段設定だから、結構お世話になってる。でも、今日はサンドイッチを持ってきた。なんと、冬矢が朝作って詰めてくれたサンドイッチだ! 今朝、冬矢は健ちゃんと一緒に目が覚めちゃったんだって。僕は相変わらず気付かなかったけど。それで、時間があるからって作って持たせてくれた。僕が起きた時にはきちんと包んであったから中身はまだ見てない。食べる時の楽しみに取ってあるんだ。ふふふ。
次の教室には、まだ誰も来ていなかった。そのうちぱらぱらと集まってくるんだろうけど、僕的には静かなほうが嬉しい。
根津くんは僕の隣に座ると、鞄から惣菜パンを取り出した。おや。根津くんはご実家から通ってるから、いつもはお弁当なのにな。小ぶりの、でも彩りがとても綺麗で手の込んだおかずが詰められているお弁当は、いつもなんだか懐かしい気分になる。
「今日はパンなんだ」
「えーっと、今朝は家族全員で寝坊しちゃって」
「そうか、それは大変だったね」
全員が起きられないパターンか、なるほど。そういうこともあるよねえ。僕はすっかり目覚ましのアラームをかけるのをやめちゃった。だって、健ちゃんが僕より早く起きて、いつも起こしてくれるから……。甘えてばかりじゃなくて、しっかり自分で起きなきゃいけないのはわかってるんだけど、おはようって頭撫でてくれて目が覚めるの、あれ、好きなんだよね……。
おや、根津くんが浮かない顔をしてる。
「……大学生にもなって親の作ってくれるお弁当っておかしいよね」
「そんなことはないでしょ」
「野木沢くんはそんなふうに思わない?」
あ、誰かから何か言われたパターンか。くだらないこと言う人もいるもんだなあ。
「全然。僕からしたらありがたいと思うけどな。お弁当って朝から大変な労力だよね。それをきちんとしてくれるのは愛情の証拠じゃないかな。それだけ大切にされているんだね。いずれは機会も減って来ちゃうと思うし、今のうちに堪能しておいたほうがいいんじゃないかなって僕は思うよ」
「……ありがとう」
根津くんはそう言って笑うと、パンの袋に手を伸ばした。
僕はそわそわしながら、青いランチクロスの結び目に指をかける。真ん中が水色でグラデーションになってる、綺麗な布。こんなの家にあったっけ。開くと中には見慣れたタッパー。その蓋を開ける。……昨日の残りだから気にしないでねって言ってた冬矢。うん、たまごサラダは見覚えあるよ。だけど、厚切りハムを焼いたのとか、いちごジャムとか、僕の好きなのばっかり入ってる。絶対僕のために用意してくれたんじゃん。なにが「自分のも作ったついでだから」だよ。あー、もー、冬矢のイケメン! 好き! 大好き!
うう、美味しい。早く会いたい。今すぐぎゅってしたい。
じっくり味わいたかったんだけど、嬉しくて勢いよく食べちゃった。美味しい。ハムサンドに塗られたマスタードのバランスとかホント最高。え、外にいるのに冬矢の作ったもの食べられるの、めちゃくちゃ嬉しい。一緒に食べるほうがもちろん嬉しいけど、なんか、離れてるのに冬矢を感じられるのもすっごく嬉しい。ごちそうさまでした。
僕と根津くんは、ほぼ一緒に食べ終わった。すると、お茶を飲みながら、根津くんが話を切り出す。
「実はね、今朝、変な夢見てね」
「ははぁ……さてはそれが寝坊の原因かな?」
「当たり! あのね、部屋にあるドアを開けて進んで行くんだけど、何度も同じ部屋に出ちゃってなかなか外に出られないんだ」
ゲームによくあるやつだ。無限ループって言うんだっけ。今健ちゃんがやってるゲームにそういう道があって、なかなか進めないってムキになってやってたなぁ。後ろで何度も見てた冬矢のほうが道を覚えちゃったらしくて、冬矢のアドバイスでようやく抜けられたんだよね。悔しがってたけど、ちゃんと「ありがとう」って言う健ちゃんにきゅんとしちゃった。
「ようやく新しいドアを見つけたぞ、ってところで目が覚めちゃってね。その先が気になって、二度寝しちゃったのがいけなかったんだと思う」
「ああ、あるよね」
「でも最終的には、野木沢くんが出てきて、助けてくれたんだよ」
「へえ。ちゃんとアドバイスできてた?」
「すっごく助かった、ありがとう」
「あはは。夢だけど、どういたしまして」
僕ってお助けキャラのイメージでもあるのかな。とりあえず役に立ったなら嬉しいけど。ま、夢って思ってもみない友達が出てくることあるしね。
「あのね。僕、今日だけじゃなくて、扉の夢ってよく見るの。種類もいろいろで、開けた先が全然違ったり、開けたり出来ないけどずっと目の前にあったりとか。なんなんだろう。野木沢くんもよく見る変な夢ってある?」
「よく見る夢?」
うーん。最近はあんまり夢を見ない。いや、みんな夢は見てるんだけど、覚えてないだけだってどこかで読んだ気がする。つまり、僕はほぼ覚えてないってことなんだろうな。こっちに越してきてからは、あの、その、疲れ果てて寝ることが多くて、深く寝てはっと目が覚めるから、その衝撃で忘れちゃうのかも。あとは、目が覚めて好きな人の顔が目の前にあると……全部すっ飛んじゃうっていうか……。
あ。でも、子供の頃からよく見る変な夢ならあるな。時々だけど、今でも見る。昔よりだいぶ頻度は減ったけど。
「うーん……。よく見るのは、変っていうより、怖い夢かな。夜中にふと目を覚ますと、僕の顔を覗き込んでる誰かがいる。本当に誰だかわからない。その向こうの天井ははっきり見えるのに、目の前のそれだけが本当に真っ黒で、人の形をしてることしかわからないんだ。ただ、唯一、血走った目だけがはっきりと見える。口も鼻も見えないのに荒い息だけが聞こえて、逃げ出したいのに体が動かない。どうしても怖くて仕方なくて、飛び起きる。それで毎回夢だって気が付くんだ」
「え、完全にホラーだよね。映画とかドラマの1シーンみたい」
「きっと物心つかないうちに見ちゃったそういうのに影響されてるんだろうね」
想像しちゃったのか、根津くんは自分の体を抱いてぶるっと震えた。
いや、ホント、ああいう不思議な夢ってなんなんだろうなあ。なにか深層心理的な分析をしたら何かわかるのかな。自分の願望とか? でも、願望だとしたら、10年以上も繰り返し同じ夢を見るもの? それとも昼間何かあった時に引っ張られて夢に見るのか。考えてみたこともあるけど、結局わかんなかった。でも、意外と根津くんの言うとおりなのかもしれない。
次の授業もすぐに終わった。さっきよりは長かったけど。何故長くなったのかについては僕の中で仮説が立てられて、即正式に認められた。それは、僕が冬矢に会いたくなっちゃったからだ。楽しいことはすぐに終わるんだけど、まだ終わらないかなって思ってるものは終わらない。でも、冬矢は今日バイト入ってるから、どっちにしても夜まで会えないんだよね……。
根津くんは今度は元気よく教科書を閉じた。
「あの、野木沢くん。今日は急いで帰る?」
「ううん、大丈夫」
冬矢はバイトだし、健ちゃんは授業残ってるし。夕飯は僕の当番だけど、材料は揃ってるから、ちょっと余裕がある。
「そしたら、いっ、一緒にドーナツ屋さん行かない? 野木沢くんって、甘いの好きだよね。えっと、駅の裏側にオープンしたお店があって」
「へえ、いいね」
おや? いつの間にか甘いの好きなのバレてる? 気を付けてたんだけどなー。昔それがバレた時、みんなが甘いものたくさんくれるようになっちゃって、ちょっと重くなっちゃったことがある。あの頃は「うわー」で済んだけど、今は少々困る。……だって、あんまり重いと持ち上げてもらえなくなっちゃうし……。だらしないって思われるのもやだし……! いやふたりともそんなこと思ったりしないと思うけど!
でもちょっとくらいなら。大丈夫。のはず。
僕と根津くんは2人で建物の外に出る。今日もいい天気だ。根津くんは次から次へ、なんでもない話をしてくれる。僕は自分から話題振るの苦手だから、助かるなあ。最初に会った時、お互い会話に困ってたのが懐かしいくらい。いつのまにか、こんなテンポよく話せるようになったんだなって、なんだか成長を見守ってる気分になる。相変わらず相槌しか打てない自分が情けないよ。
…………あれ。
あたりをなんとなく眺めながら根津くんの半歩後ろを歩いてた僕は、なんかざわざわする感じに気が付いた。なんていうんだろ、背中がざわざわする、としか言いようがない。なんでだろ。改めてちゃんと周りを見回してみて、
あ。わかった。
向こうの方から歩いてくる一団だ。その真ん中あたり。健ちゃんだ。健ちゃんがいる。健ちゃん!
きっと無意識のうちに、健ちゃんの姿に気付いてたんだろう。だから反応しちゃったんだな。あー、叫んで走り出したい。うー。飛びつきたい。だ、だけど、我慢だ。お友達さんと一緒だもん。邪魔しちゃダメだ。そうだよね、このへん、健ちゃんの学部に近いもんね。大学の中でばったり会うなんて、運命的なのに、……あー。
それにしても、大人数だなあ。さすが健ちゃん。友達多いんだね。構成は男女が半々くらい。健ちゃんの両隣で楽しそうに健ちゃんに話しかけてるのは、どっちも女の子だ。健ちゃんもにこにこ対応してる。一瞬ドキッとしたけど、…………でも、健ちゃんが好きなのは僕だし。うん。僕だ。
「野木沢くん?」
「ああ、ごめんごめん。そのお店ってこの前まで立ち飲み屋さんだったところだよね」
「その店が駅の反対側の広いところに移って……」
……健ちゃんも、帰ってきたら絶対ぎゅーしよ。
根津くんが連れてきてくれたのは、何度か通った道だった。でも途中にあるその店は綺麗に改装されていて、真っ白な外装が眩しい。中の壁はミントグリーンで、ちらっと見てた前のお店と全然雰囲気が違う。ショーケースには、いろんな味と見た目のドーナツが並んでた。僕は根津くんおすすめだと言う桜味のとプレーンのドーナツを選ぶ。奥にはイートインコーナーがあって、女の子たちが何組かいたけど、ちょうど空いてる席があった。
「最初はちょっと恥ずかしかったんだけど、一度入ってみたら美味しくて。まだ出来たばかりだけど、季節ごとに違う味を出していくんだって」
「じゃあ何度でも楽しめるね」
ふむ。しっとりしてて美味しい。ピンクの桜味はずいぶん甘くて、でもそれに負けないくらい桜の香りが強いから、その香りが鼻に残って、総合すると爽やかな印象だな。プレーンは綺麗な卵色で、味も濃厚だ。あー、カステラみたいな感じかも。ずっしりしてて腹持ちがよさそう。たぶんこれ、健ちゃん、好きだと思う。
「美味しかったからお土産に買って帰ろうかな」
「あ、じゃあ、僕も家族に」
健ちゃんと冬矢と一緒に食べたい。どれにしようかな。どれどれ、こっちの一口ドーナツは、それぞれの味と食感がそのまま小さいサイズになってるんだな。なるほど、いろんな種類が楽しめそう。味見にいいかも。よし、これにしよう。3人でデザートにするんだ。
家に帰ると、しんと静かだった。だよね、ふたりともまだ帰ってないもん。とりあえず景気づけに、
「ただいまぁ」
と声を出す。当然何も返ってこない。わかってるのになんか寂しい。だからまっすぐ寝室に入って、健ちゃんの枕に向かって飛び込む。……深呼吸。それから、次は冬矢のほう。はー。ふたりとも、早く帰ってこないかなあ……。
っと、でも、それにはまずごはんを作らなきゃ。バイトと授業で、きっとおなかをすかせて帰ってくるはずだから。僕はキッチンに立って、エプロンに手を伸ばす。僕も少しは上達したと思うし、美味しいと思ってくれたら嬉しいんだけど……。さて、今日は上手に出来るかな。
いや、そりゃ冬矢はもっと先に行ってるよ。最初から美味しいと思ってたけど、どんどんバリエーションが増えてきて、時々聞いたことない名前のごはんが出てきたりもする。それがまた美味しいんだよね。将来は料理方向にも進めるんじゃないかって健ちゃんが冗談めかして言ったら、「俺が食べて欲しいのは蒼生にだけだから」って真面目な顔で返した。健ちゃんも当たり前のように「だよなー」とか言ってた。びっくりするんだけど、冬矢のそれは本当に本音みたいなんだ。バイト先のカフェでも、かたくなに料理できることはバラしてなくて、ホールしかやらないらしい。まあ、かっこいいから、奥に引っ込めておくのはもったいないというのは非常によくわかる。欲目ってやつを取り除いても、すっごくかっこいいもんね。
ただ少しだけ、健ちゃんに冷たいんじゃないかなって引っかかることもあるんだけど……、お互いそれでいいんだって。今でも、冬矢がごはんを作るのは僕のためで、健ちゃんはついでって線引きをすることで、“彼氏同士”っていう距離を保ってるんだそうだ。僕にはよくわかんないけど、そうさせてるのは僕のせいなので、口は出さないことにした。ふたりにはふたりの取り決めがある。僕がそれをちょっと寂しいと思うのは、いくらなんでも干渉しすぎだと思うんだ。ふたりが考えるのは僕のことだけじゃないんだしね。たぶん数パーセントしか占めないだろう僕が足を引っ張るのは違うし。
……やっぱりもう引っ張ってるんだろうな。一緒に暮らしてきて、そろそろ、違うなって思われてる頃だったりするかな。いや、そんなこと……。でも……。
…………。
違う、違う。大丈夫。落ち着こう。お鍋の泡を見て落ち着こう。
ぼこぼこする泡を眺めてるうちに、玄関でドアの開いた音がする。なんだかほっとして、キッチンから出ようかってところでドアが開いた。冬矢。
「ただいま、蒼生」
「おかえりなさい」
嬉しい。冬矢が笑って僕を見てる。よかった。
僕を見てちょっと首を傾げた冬矢は、荷物を壁際に置くと、両腕を広げた。わ、わ、あ。……何かを考える余裕もなく、僕はその腕の中に飛び込んでた。あったかい、冬矢の匂いがして、肩と腰に手が回って、ぎゅーって。うれしい。
「大好きな蒼生。今日もその可愛い顔が見られて嬉しいよ」
「僕も嬉しい。ぎゅーってしてほしかった。好き。……大好き」
あー……安心する。僕が好きって言ったら、冬矢は嬉しそうに僕の肩に顔を埋めて笑った。嬉しいんだなあ。……そっか。僕が冬矢のこと好きだと、冬矢は嬉しいんだ。
そうだ。まだ伝えることがあった。
「冬矢、サンドイッチありがとう。すっごく美味しかったよ。外にいるのに冬矢が作ってくれたものを食べられるのも、嬉しかった」
「そうか。じゃあ、たまにお弁当作ろうか」
「……えっ、でも大変でしょ」
「蒼生が喜んでくれるならいくらでも出来るよ。それに、他の人といる時も、ひとりでいる時も、俺のこと思い出せるだろ?」
「……っ、いつも思ってるもん」
「ふふ。そうか」
「……じゃ、本当に、余裕ある時、たまに……お願いします」
「承りました」
「ありがと……」
冬矢ぁ。僕も背中に手を伸ばして、ぎゅっと服を握る。好き……。
そこに、ぴぴぴぴ、とタイマーが鳴った。あー。お鍋。
僕は名残惜しいけど冬矢から離れる。冬矢はそれをにこにこと見ててくれた。
「今日は何を作ってくれてるの?」
「あ、うん、グラタン」
「へえ、すごいね」
「だけど分量見誤って、鶏肉が入りきらないことが発覚したので、じゃがいものグラタンとチキンソテーになりました……」
「あはは、それは健太が喜びそうだな」
楽しそうに冬矢が笑う。……やっぱり冬矢、健ちゃんにもちゃんと優しい。ほんとに健ちゃんが喜ぶだろうなって思って言ってる。僕の好きな人が、僕の好きな人に優しいのは、やっぱり嬉しい。
僕がキッチンに引っ込んでがさがさやってるうちに、冬矢は使ってた教科書を棚にしまいに行った。この壁の向こうにいる物音。それがすごく安心する。
「あれ、机の上の袋」
あ、気付いた?
「それね、今日友達が連れてってくれたドーナツ屋さんで買ってきたの。美味しかったからふたりと一緒に食べたいなって思って」
「ふーん、いい匂いだね」
がさがさと袋の中を見ていたらしい冬矢が、キッチンに入ってきた。手には、小さくてまんまるい茶色のドーナツ。
「味見してもいいかな。蒼生の作ってくれるごはんを美味しく食べたいから、ひとつだけ」
「うん、もちろん。どうぞー」
「共犯になろうよ」
「うん……え?」
冬矢は、その小さいのを口にくわえる。あ。
僕は手を伸ばして、冬矢の首に手を回す。それから、冬矢の口のドーナツを目指して、口を開ける。……チョコレート生地の深い甘さとしっとりした感触。冬矢の唇の柔らかさ。
「……えへへ」
「健太には内緒な」
頷いてみせる。でも、バレちゃったらその時は仕方ないよね?
冬矢が手伝いに入ってくれて、夕飯の支度はさくさく進む。そうしてるうちに、健ちゃんも帰ってきた。
「おかえりー」
「ただいまぁ」
健ちゃんも、僕を見るなり、外にいた緊張を解いたみたいに見えた。……さっき出来なかったこと、したいな。うずうずしたのが伝わっちゃったのかも、冬矢が僕の手から黙って菜箸を取った。やさしい……。
冬矢の許しが出たので、僕はそのまま健ちゃんの胸に飛び込んだ。健ちゃんは一瞬びっくりしたみたいだけど、すぐに受け止めて、ぎゅーって抱き締め返してくれる。
「どーしたんだよ。そんなにオレに会いたかった?」
「うん。会いたかった」
「! そーかぁ……オレも会いたかったよ」
健ちゃんの声が柔らかくなる。あったかい。好き。はー。
やっぱり残り香よりも、本物のにおいが好きだなあ。どっちも、すごく、安心する。僕の全部を許してくれるような気がする。
あ、またキッチンタイマーが鳴っちゃった。冬矢が止めてくれたけど。
「……健ちゃん、僕、お鍋に呼ばれてる」
「やだ、ずっとオレに呼ばれてて」
「そうこうしているうちに、健ちゃんのぶんのごはんがかっさかさになりますけども」
「うぐ」
ぷるぷる震えながら、健ちゃんが僕から手を離す。
「……着替えたら手伝うから!」
そんな捨て台詞を残して、健ちゃんは奥の部屋に飛び込んでいった。ふふふ。
僕はまたキッチンに戻る。そして冬矢の隣に並ぶ。作業中だからくっついたりはしないけども、体温は感じる。ふと、冬矢の視線がこっちに向く。嬉しくて笑うと、冬矢も笑う。そこに急いで戻ってきた健ちゃんが、僕たちの間に入ってくる。
「料理中に危ないだろ」
「だからゆっくり割り込んだだろ」
なんだ、その理屈は。ふふっ。ゆっくり割り込むって、ふふふ。
でも健ちゃんがそこにいても、今はちょうど、やることないんだよねえ。冬矢に追い立てられた健ちゃんが、戸棚からお皿を出す。もう、適当な特徴を言うだけで健ちゃんは食器を正確に出してくるようになった。作ってるものを考えながら先に出してくれることもあるし。実家では絶対手伝わなかったのにね。
ああ、そうだ。
「ね、健ちゃん。今日、キャンパスで健ちゃん見かけたよ」
「えっ!?」
健ちゃんはカウンター越しにものすごい勢いで身を乗り出してくる。
「い、いつ? どこで!?」
「僕の授業が終わって帰る時に、健ちゃんの学部の近くで。たくさんの人に囲まれてたねえ。やっぱり健ちゃんは友達多いんだなーって思った。さすが、人気者だね」
「なんだ、どうして声かけてくれなかったんだよぉ」
「だって友達といるとこ邪魔しちゃ悪いかなって」
「……せっかくの……大学で蒼生に会えるチャンスを……オレは見逃してしまったのか……」
「もう、大げさだなあ」
そりゃあもちろん僕だって、せっかくの、って思ってたけど。
「でもね。あそこで顔見ちゃったから、よけいに会いたくて会いたくて仕方なかったよ。だから、今、嬉しい」
「あ、蒼生……!」
家に帰ったら、こうして大好きな健ちゃんと冬矢に会えるんだもんなあ。お付き合いする前は、こんなあったかい気持ちで家に帰ることがあるなんて思わなかった。
健ちゃんが、ふいに首を捻る。
「……あのさ、蒼生? オレ……その時……隣」
「女の子だったねえ」
「まさか誤解っ……」
「してないよ。だって、健ちゃんは僕が好きなんだもんね?」
「!! そ、そう! そうだよ!! ……なあ、やっぱ、今すぐ抱き締めたいんだけど!!」
「だめ、ごはんが先~」
「ぐぅ……そうだ……今日は蒼生のごはん……!」
なんか本当に悔しそうに健ちゃんがカウンターに突っ伏す。やっぱり大げさだ。
冬矢が、とんっと僕の肩に肩を寄せてきた。
「ねえ。俺にも言って」
へ? 冬矢が珍しく拗ねた目をしてる。えっ、可愛い。……冬矢にも? それは、今僕が健ちゃんに言ったことを、ってこと?
「蒼生。俺は?」
「あ、あーっと。今の? 冬矢が僕を好きだってこと? えっ、違わないよね? 僕のこと、好きでいてくれてるよね?」
「……うん。大好き」
よかった。確認が入るなんて、一体どうしたのかと思っちゃった。
ちなみに、ふたりが手伝ってくれたごはんは、とても上手に出来たと思う。だって、ふたりがものすごく褒めてくれて、美味しい美味しいって食べてくれたから。こっちも、ほんとによかったぁ。
今日のバイトはわりと長丁場だった。ちょっと面倒なこともちょいちょいあったりして、頬の筋肉が疲れちゃった。挨拶をして奥に引っ込むと、休憩室では越野さんが雑誌を読んでいた。ベテランのパートさんで、僕より年上の息子さんがいて、いつも野菜とか惣菜とかをくれる人だ。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様。野木沢くんはもう上がり?」
「はい」
「じゃあそろそろ私が入る時間ね。うーん、もうちょっと大丈夫か」
言いながら時計をちらりと見る。どうやら読んでるんじゃなくて、雑誌の後ろにあるパズルを解いてるみたい。わかる、こういうのって夢中になっちゃうんだよね。前に、物足りなくなって一冊まるまるパズルの本を買って、止まらなくなっちゃったこともあったな。冬矢とふたりがかりで一晩中ああでもないこうでもないって話し合いながら解いてたら、やきもち妬いた健ちゃんに、同じ時間だけ離してやらないってずーっと抱き締められて大変だった。完全に拗ねちゃってたから、ちゃんと謝るつもりだったんだよ。でも、あったかい腕が嬉しくて気持ちよくて、しかも寝てなかったから……ついそのまま寝ちゃった。そしたらなんでか許してくれたけど。あれ以来、夢中になってもいいけど健ちゃんが止めたらやめるってことになったんだよね。僕と冬矢だけじゃ止め時がわかんないから、これでよかったんだろうなって思ってる。
ロッカーで身支度を調えて休憩室に戻ると、越野さんはまだ雑誌を眺めていた。
「ね、野木沢くんってこういうとこ好きそうじゃない?」
ん? なんだろう。覗き込むと、暗い写真がいっぱい並んでる。いや、でも、きらきらして。ああ、プラネタリウムか。僕たちの地元近くには古くて小さい施設がひとつあって、たしか小学生の頃に学校行事で行ったことがある。
「実はあんまり行ったことないんですよね。星は好きなんですけど」
「そうなの? うちの息子は星とか全然興味なくてね、高校生の頃デートで彼女に連れてかれたんだけど、始まるなり熟睡しちゃったのよ。怒られて機嫌取るのにもう大変だーって大騒ぎでねえ。それが、ほら、ここなの」
越野さんが指さしたのは、自治体がやってるとこだ。こぢんまりとしてて、なんか懐かしい感じ。
「僕の地元にあったのもこういうところでした。ふふ、高校生の男の子なら寝ちゃっても仕方ないかもですね」
「ロマンチックとか縁遠い息子だったからね~」
健ちゃんも興味なくてすぐ寝ちゃいそう。いや、でもそれで言うと、健ちゃんって意外とロマンチストだからなあ。もしかしたら食いつきはいいかもしれない。冬矢はどうかな、冬矢のほうこそ興味ないかな。ああ、学術的な話だとしたら乗ってくるかもしれないなあ。
「……野木沢くん、この雑誌持ってきなさいな。もう読み終わったから」
「えっ、でも」
「今、好きな子とデートすること考えてたでしょ。わかっちゃうんだから」
「えっえっ」
いや……その……っ。
「ぜひデートしたらその時の感想教えてちょうだいね!」
「あっ……ありがとうございます」
ぱしん、と僕の肩を叩くと、越野さんはフロアに出て行った。あああ。もらっちゃった。すみません、いつもいつもいろんなものを……。
僕は改めてそのページを眺める。へえ、やっぱりこっちには施設がいくつもあるんだなあ。最新機器を取り入れたとこ、もはや遊園地の乗り物みたいになってるとこ、解説に力を入れてるとこ、とか。
なるほど。
ふーん。
なんだか頭の中がふわふわしてて、帰り道もずーっと浮いてるみたいな感じがした。とにかく早く帰りたくて。だからどうやって帰ったかよくわかんない。気が付いたら家が見えてて、ちょっと自分でも驚いた。
「たっ、ただいま!」
「おー。おかえりぃ」
「おかえり、蒼生」
あー。
嬉しい。嬉しい。好き。
「あのね、ふたりって、星、好き?」
「星? 空の星ってこと?」
ふたりは怪訝な顔をして僕のほうに来る。だよね、急に何を言い出すんだって思われたよね。でも、
「結構好きかな。山のほうとか行くとさ、急にばーっと細かい星が見えんじゃん。あれ、ぞくぞくする。ああいうとこでしばらく寝転んでぼんやり眺めてたら気持ちいいんじゃねえかなって」
「俺は……実際の星も嫌いじゃないけど、星についての本を読んでいるほうが好きかも」
「本の星は光ってねえじゃん」
「面白いんだよ。目に見える光と実際その光が放たれた時間差を考えると、その距離感に圧倒されそうになったり。それに実は目に見えない信号が」
「おっ。授業始まる?」
そうやって、ちゃんと答えてくれるんだなあ。それで、やっぱり健ちゃんはロマンチストで、冬矢が学術的に考えてるんだ。
うん、でも、そうか。ふたりとも、嫌いではないんだな。きっと健ちゃんは光の綺麗さを見るんだろう。冬矢は語られる解説に耳を傾けるんだろう。
「……で? どうしたんだよ、急に」
「うん、えっと」
僕はもらった雑誌を鞄から出すと、特集のページを開いた。たくさんある中で、見開きの右下に紹介されている施設。
「これ、ここ見て。最新式ってわけじゃなくて、昔ながらのプラネタリウムなんだけど、併設のカフェがリニューアルされてこだわりのメニューになりました、って書いてあるでしょ。ほら。星の形をしたゼリーが浮かんだドリンクとか、星形プリンとか、星雲をイメージしたパフェとか、星にちなんだのがいっぱいあるんだって」
「へー、面白いのいっぱいあるな」
「でしょ。ここ、行きたいんだ。ねえ、一緒に行こうよ」
どれもこれも美味しそう。予約とか出来るのかな。
…………。
あれ。
何の反応も返ってこない。
あれ。
全然響かない感じ……?
「……興味ない?」
僕が言うと、固まったみたいだったふたりが僕を見た。びっくりしたような、笑ってるような、泣きだす寸前みたいな、見たことのないような顔。
「いや、……いや。うん」
「びっくりして……」
それから、いきなり、僕の腕を引いて、ふたりがかりで抱き締めてきた。ぎゅうっと、すごく強い力で。痛いくらい。だから今度は僕が驚く番だった。
「え、なに、ど、どしたの? 僕、なにかおかしなこと言った?」
健ちゃんも冬矢も、僕の肩に顔を埋めてて、はっきり表情が見えない。だけど、小さく震えてるのがわかる。力を入れすぎてるんじゃなくて、震えてる……?
「……蒼生が……蒼生が初めて普通にデートに誘ってくれた」
え?
初めて?
「待って、え、そうだっけ?」
「今まで、学校の中でどこに行こうとか、勉強を一緒にしようとか、……えっちなこととか。そういうのは自分から言ってくれたことはあるんだ。それも嬉しかったよ。でも、いつか、蒼生からデートに誘ってほしいと思ってたんだ」
…………そっか。
意識したことなかった。
そうか。言ってなかったんだ。
自分にすごくびっくりする。
「いつも、ふたりとも、僕の行きたいとこに連れてってくれるから……、僕、自分が行きたいって言ったんだと思ってたのかも。うわー、僕、ずっと甘えてたんだね。ごめんなさい」
あー、思ったこと、言ったつもりで言ってないってことが結構ある気がする。
そうだよね。
思ってても、ちゃんと伝えなきゃ伝わらないんだ。
冬矢が僕の肩の上で首を振る。
「謝らなくていいんだ。蒼生は優しいから、俺たちのことを考えすぎて自分から誘えないってことはわかってたから。でも、だから、……嬉しい」
「……冬矢」
「はー。オレも嬉しい。ホントに嬉しい。ありがとな、蒼生。……蒼生ぃ、大好き」
「健ちゃん」
ふたりの声は本当に嬉しそうで。
「……ね。顔、あげて」
ああ。
ふたりの顔。
自分から誘うだけで、こんなに喜んでくれるなんて思わなかった。
……そういえば、昔は自分から何かをしたいなんて考えたことなかったな。
だから自分がしたいことなんてなにもないって思ってたんだ。
でも、それが、ふたりといればこんなに簡単にできる。
ふたりが、僕をそういうふうに育ててくれたんだ。
たくさんの優しさとか、
たくさんの愛をくれたから。
「健ちゃん、好き。冬矢、好き。ふたりのこと、大好き。これからも、いろんなとこ、一緒に行こうね」
ふたりはにっこり頷いて、交互にキスをくれた。
ああ、あいしてる。
後日。
僕たちの家のソファには、大きな星形のクッションが増えた。
僕から誘った初デートの記念、だって。
ふふ。
そんな理由じゃ、これからもたくさん記念が増えちゃうじゃん。
ね?
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