57こ目;弱気な僕ら
しかし、ふとしたことから、「自分は蒼生に信用されていないのでは?」と考えてしまう。
そこで健太が起こした行動は…。
↑初公開時キャプション↑
2022/6/30初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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日の落ちてきた道を、らしくない足取りで健太は歩いていく。昼間と比べればだいぶ暗いが、街灯が点くにはまだ少し早い。そんな昼と夜の隙間の時間帯なので、街灯が眩しい夜よりもいっそう暗いような気がした。おそらく気分のせいでもあるだろうが。塀の上を歩く白地に黒模様の猫と目が合ったが、びくりと立ち止まると慌てるように塀の向こうに降りて行った。
なんとか気力を振り絞って階段を上り、家のドアを開ける。その瞬間にあれ、と思う。廊下を過ぎてリビングのドアを開け、
「ただいま」
声をかけると、キッチンで目を上げたのは冬矢だった。
「おかえり」
「蒼生は?」
冬矢の声を聞いたかどうか微妙なタイミングだが、冬矢はまったく気にしない。真っ先に蒼生の存在を確認するのはいつものことだからだ。それに、帰ってきて蒼生の姿が見えなかったら、冬矢も全く同じことをする。
すっと冬矢がポケットから携帯を出した。
「ちょうど今、連絡があったよ。教授の手伝いで少し遅くなるそうだ」
「えっ」
慌てて健太も画面を見る。本当にわずか数分前のメッセージ。おそらく健太が階段に足をかけたかどうかのあたりだろう。ふたり宛に綴られた申し訳なさそうな文字列を見るだけで、きゅっと胸が締め付けられる。急いで返事を打ち込み、最後に「早く顔を見たいから、終わったら連絡して」と入れて送信ボタンを押す。そのメッセージが無事に飛んで行ったらしいことを確認すると、健太はソファに倒れるように飛び込んだ。
「蒼生~~~~~」
さすがに様子がおかしいと思ったのか、冬矢はカウンター越しにリビングを覗き込む。
「どうかしたか」
「んー。課題忘れて教授に怒られた……」
「なるほど。今日はそれで落ち込んでるわけか。この光景、最近よく見る気がするな。おまえは豪快な性格っぽく見えるが、意外に繊細だから」
「そうなの。オレって傷つきやすくてかよわいの」
「鬱陶しい」
がばっと健太が起き上がる。
「おまえが言わせたんだろーが」
少々持ち直した様子の健太に笑い、冬矢は冷蔵庫から出したジュースの缶をローテーブルの上に置く。健太の実家から貰い物の横流しとして大量に送られてきた物だ。
「蒼生が帰ってくるまでこれで繋いでおきな」
「うっわ、子供扱いだよ……」
文句を言いながらも、健太は缶を手に取った。
冬矢も自分の分のジュースを開けながら考える。はっきり“蒼生とそれ以外”という区切りがある自分と、きちんと外向けの顔を作り込んでいる蒼生については、内外の落差を昔から把握している。対して、健太は基本的には浮き沈みが少なく、外と中で大きく態度を変えることがない。だが、時々こうしてちょっとしたことで落ち込んでは、蒼生に慰めてもらいたがることがある。冬矢もかつてはそれを蒼生の部屋で見ることがあったが、同じ家で生活するようになってからはわりと頻繁に目にするようになった。なるほど、蒼生にひっついて甘えることは外でもお構いなしにするものの、無防備に弱った姿を他人に見せるつもりはないらしい。
「健太にも、そういう蒼生にしか見せない顔があるのは意外だったな」
冬矢に言われた健太は、ちびちび飲んでいた缶から目を上げる。
「あ? ……んー、まあ、なあ。やっぱ蒼生は特別だから。昔っから、なんかあったらまず真っ先に蒼生に慰めてもらってたしな。繰り返すうちに、蒼生に慰めてもらえばすぐ立ち直れるってふうになったんだよ。蒼生がそばにいたら癒やされるってわかったっていうか。周りに対してかっこつけたくなる時期あるじゃん? そういう時でも蒼生だけにはそうじゃなくていいんだって思えたからさ」
外でなんでも出来るように思えたのは、内に蒼生がいたからだ。どんなに失敗しても、どんなに落ち込んでも、蒼生がいてくれる。蒼生に会えば回復する。
冬矢はそっと窓の外に目をやった。
「おまえと蒼生はひとつの塊だったもんな。後から来た俺だってそうなんだ、おまえが蒼生に癒やされるのはわかる。……じゃあその蒼生は、どうやって立ち直っていたんだろうな」
「え、蒼生が落ち込むことなんてなかっ…………たハズねえよな! ああいう奴だし! えっ……でもオレ、知らな……」
健太は愕然として黙り込む。自分は蒼生に慰めてもらっていた、ならば、蒼生を慰めていたのは誰だ? 少なくとも自分が慰めたような記憶はない。かつての蒼生は誰に対しても本音を隠して笑っていた。じゃあ、誰が?
深く息を吐いて、冬矢が腕を組む。
「……ひとりで立ち直るようにしていたんだろうな」
「そ、そんなの寂しいじゃん……。オレ、全然頼られてなかったんだな……」
「だから、あの頃は仕方なかったんだと何度も言っているだろう。まったく、同じことで繰り返し悩むのはふたりとも一緒だな。あれは、気付かなかった周りもよくないが、頑固に孤独を貫こうとしていた蒼生も間違っていたんだから」
「蒼生は何も悪くねえし……」
「だとしてもだ。どちらにせよ、あのままだったらおまえも蒼生もどうなっていたんだか。考えると恐ろしいよ」
冬矢に繊細と評された健太には、自分でも何となくその自覚があった。どうしても、蒼生に関することだけは、ふとしたことで不安になってしまう。蒼生も健太の不安に引きずられるのか、「ふたりのことを信じられてないのかも」と言われたこともある。もしかして本当に信用されていないのではないだろうか。蒼生を癒やすものはなんなのだろう。健太はそれを知らない。
冬矢は机の上に置いたままだったチラシを手に取ると、片付けがてら、軽くそれで健太の額を叩く。
「あの頃と今は違うだろうが」
「……だ、よなぁ」
煮え切らない答えに、冬矢はやれやれと息を吐いた。
改札を出た蒼生は、正面に健太が立っているのを見つけると、とたんに表情を崩した。
「健ちゃん! ほんとに迎えに来てくれたんだ」
嬉しそうな笑顔に、慰めてもらおうと考えていた事柄の半分はすっ飛んでしまう。
「まだ真っ暗でもないし大丈夫なのに」
「万が一なにかあったら困るだろ」
「僕、もう子供じゃないよ」
「子供じゃないから心配なの。オレのかわいこちゃんに色目使う奴がいたらやっつけなくちゃ」
「ふふ、なにそれ」
健太には、この自分にしか見せない笑顔の後ろに、真っ白な羽根が昔から見えていた。きらきらふわふわ眩しくて、蒼生には誰もが惹かれて当然だと思っていた。だから、いつ誰が奪いに来てもおかしくない。なんとなくそれを自分のものだとは思っていたが、絶対誰にも渡してなるものかとはっきり思うようになったのはいつからだっただろうか。
歩き出すと、蒼生がすぐ後ろをついてくる気配がする。駅を出て、大通りから外れて人通りが少なくなると、すいっと隣に並ぶ。ほわりと体温が伝わってくるのが嬉しい。覗くように顔を見ると、優しい目が見上げてくる。愛しい。
「あのさ、蒼生」
「なに?」
「オレ、今日、課題忘れて教授に怒られちゃった」
蒼生は、え、と呟く。
「珍しいね。健ちゃん、いつもはきちんとやってるのに」
「うん。すっかり忘れててさ。でも、そこで口頭で問題にすぐ答えられたから、それで許してもらえた」
「その場で挽回できたんだ。さすがだね」
「……あとでいっぱい褒めて」
「え、今でもいいよ?」
「今だと、もっとしてほしくなって我慢できなくなると困るから、帰ってからにする」
「あー……。そっか。なるほど、わかった」
ほんのわずかに頬を染めて、蒼生が頭を縦に振る。可愛い。
「可愛い……」
「へ」
「うわ、つい思ってたことが口から漏れた」
「思ってはいたんだ」
蒼生は照れながらも、やはり嬉しそうに受け止めてくれる。これで、今日起こったことは全部清算できたうえに、明日からも頑張れる。蒼生がいてくれることは、こんなに力強い。
帰ってきた健太のにこにこ全開の顔を見て、冬矢は事態の解決を悟ったらしい。苦笑いをして「夕飯出来てるよ」と言った。それから蒼生を引き寄せ、
「おかえり、可愛い可愛い蒼生」
言いながら髪にキスをした。
「あっ、オレの天使になにするんだ」
健太が蒼生を引き戻す。
「仕方がないだろう、好きなんだから」
今度は冬矢が。
「そりゃやむを得ないな。可愛くて愛しい大事な恋人だからな」
「そうだよ。さ、愛する俺の蒼生。荷物を置いておいで」
「ちょ……何何何」
完全に間に挟まれる形になって、蒼生は喜んでいいのか戸惑っていいのか困ったようにふたりを交互に見つめる。
「どうしたの?」
はた、とふたりも我に返る。さっきまで落ち込んだ時の蒼生の話をしていたせいで、とにかく蒼生を可愛がりたい欲が湧いてきてしまったのだ。健太が頭を掻いて、蒼生の手を取った。
「あー……その、いろいろあったんだけど、たぶん、蒼生の帰りが遅くなった分、気持ちが溢れちゃったってことでいいんだと思う」
嘘ではないはずだ。蒼生はふうん、と握られた手に目を落とす。その前に垣間見えた目は、とろんと甘く揺れていた。
「そっか。遅くなってごめんね。僕も、大好きなふたりに早く会いたかったよ。……えと、そういうふうに言ってくれるのも嬉しいから……ありがとう」
健太は、きゅっと握られた指先に、蒼生に告げた言葉がまったく嘘ではなかったことを自ら知る。
「……っ、可愛い、可愛いっ! 蒼生大好き!」
「僕もぉ」
「蒼生、愛してる……」
「うん、大好き、愛してる」
かすかに、蒼生の深呼吸の音が聞こえる。この空気を満喫しているのだろうかと思うと、さらに愛しさが溢れてくる。思わず健太が蒼生のベルトにかけた手を、ぱしんとはたいて止めたのは冬矢だ。
「……夕飯が出来ているのは本当だよ」
「おなかすいたぁ」
「う。そりゃ大変だ」
慌てて健太は手を引っ込めた。
おそらく冬矢も蒼生を待ちわびて手を動かしすぎてしまったのだろう。予定より1品多い夕食を終え、順番に入浴した3人は、のんびりとリビングで過ごす。いろいろと忙しい中でも、出来るだけ3人でゆったりする時間を作るように、常に意識をしていた。それは全員が望むことでもある。
健太がゲームをしているのをソファで眺める蒼生に、冬矢は湯気をたてるマグカップを渡した。
「はい、蒼生」
「ありがとう。わ、いいにおい」
「はちみつ入りホットミルクだよ」
「おー。なんか寝かしつけられちゃいそう」
笑って蒼生はカップの縁に口を付ける。冬矢が隣に座ると、自然にそっと寄り添ってくる。愛しく思って覗き込むと、ほわんとしたその顔は、既に少し眠そうだ。
「今日もお疲れ様。教授の手伝いってなんだったの?」
「うん、あのね。資料の取り込みと、整理と……。後からゼミの先輩方が来ておしゃべりしていったから、それをなんとなく聞いたりしてた」
「ふーん。おしゃべりなんだ。せっかくの教授とゼミ生同士なら議論が聞きたいところだけど、違ったんだね」
「全然。なんだか愚痴みたいな……」
蒼生が口ごもる。怪訝に思って腰に手を回すと、蒼生はがばっと顔を上げた。先程とは違う、不安げな表情。
「……あのね。こ、恋人への不満の話で……。付き合いたてはともかく、長く付き合ってると当然不満なんかたくさん出てくるって。教授なんかは、早ければ3か月で倦怠期が来るよって言うんだ」
冬矢の視線の端で、健太がゲームを中断させたのが見えた。
「でも、僕、どう考えてもふたりへの不満なんかなくて。あれっと思ったことは聞けば言ってくれるし、嫌だなって思ったことも言えば聞いてくれるし。なのに、みんなは不満だらけだって盛り上がってるんだ。……たしかに不満があってそれを解消していくのがいい方法かもしれないって思ったら…………ねえ、僕はおかしいのかな」
えっ、と思って冬矢は目を見開く。そこに健太が寄ってきて、蒼生の前に跪いた。
「オレだって蒼生に不満なんてないよ」
「そんなはずないでしょ……」
「ないって。あったらすぐに言っちゃうし」
「でも」
困ったような顔を突き合わせる蒼生と健太。なるほど、と冬矢はひとり頷く。倦怠期など3か月すら待たず何度となく経験してきた冬矢ならともかく、自分たち以外の事例を知らない蒼生はそう思ってしまうのだろう。冬矢はその経験から、蒼生とは細かく話し合うようにしている。健太ともそうだ。答えは既にふたりが口にしているのだ。
しかも、蒼生はそれを当の健太と冬矢に向けて話してしまっている。それ自体がとても愛おしい。冬矢は、可愛い恋人を改めて両腕で抱き締めた。
「細かい不満はあるかもしれないけれど、俺たちはその都度ちゃんと話し合って解決してるから、蒼生の目に留まっていないだけだよ。今だって、こうして会話しているだろ」
「そうなのかなあ……」
「そうだよ。だから心配しないでいいんだ。……違うな、心配になったら口に出せばいいんだよ」
蒼生はまだ不安そうにしながらも頷く。
「うん。……ふたりとも優しすぎるから、きっと我慢してることたくさんあるんだと思う。だから、ふたりも、ちゃんと言ってね。たくさんある至らないとこ、直していきたいから。だけど、そもそも、こんな細かいことをぐずぐず言い出す僕なんかといて疲れるんじゃないかな」
「疲れるもんかよ、癒やされてばっかだっつーの。……けどあれだよな、その倦怠期ってやつもそうだけど、恋愛の賞味期限って3年だとか言うじゃん。なんでそんな短いことばっか言うんだろうな」
「さ、3年……」
慌てて蒼生が指を折る。付き合ってからの時間を数えているのだろう。たしかにちょうどその頃だ。
ドツボにハマりそうなふたりに、冬矢はふうっと息を吐いた。
「いいか。ふたりとも、落ち着いて考えなよ。恋人になる前、どれだけの期間好きだった? 3年なんて年数で済むか? 恋愛なんて、何もしなければそれで終わるかもしれないけれど、それは更新できるものだと信じているけどな、俺は」
「……更新か」
「そっか」
蒼生はやっと少し表情を和らげ、だいぶ冷めてきたホットミルクをくいっと飲み干した。
いい意味でもよくない意味でも、このふたりはとても純真なのだ。それを改めて実感しながら、冬矢は蒼生の髪をそっと撫でた。
健太はぐるぐると考える。やはり蒼生は自分の中でいろいろ抱えており、自分ばかりが癒やされている。蒼生が健太を信用しているのならば、ああやって抱え込むようなことはないのではないように思う。蒼生はどうやって立ち直るのか、何をあげれば、何をしてあげれば蒼生は回復できるのか。本当に信頼されていればそれを理解することが出来るのではないだろうか。
「オレ、蒼生がどこまでオレのことを信用してるのか確かめることにする」
「は?」
冬矢が呆れた顔で首を傾げる。
「まだこの前のを引きずっているのか」
「だって気になったらなんかずーっと気になっちゃうじゃん」
「それを確かめる意味があるのかな……」
「おまえだって言ったろ、心配になったら口に出せって。行動あるのみだ!」
ぐっと拳を握る健太に、冬矢は軽く頭を抱える。
「……まあ、やってみたらいいんじゃないか」
「蒼生には言うなよ、試してるみたいで申し訳ないからさ」
「はいはい」
だったらしなければいいのに、と思うのだが、健太は一度決めたら突っ走るタイプだ。止めるよりも気が済むまでやらせてみたほうがいいのかもしれない。ただ、それで蒼生が傷つくようなことがあれば、健太がどう言おうが即止めさせよう。そう結論付け、冬矢は黙って見守ることにした。
早速その日から健太は動くことにしたらしい。キッチンに立つ蒼生に向かって、健太がものすごくわかりやすくぎくしゃくしながら話しかける。
「あ、のー。蒼生?」
「はーい」
緊張して同じ方向の手と足が同時に動く、という昔ながらの表現の実例を目にした冬矢は、思わず笑ってしまってからすぐに表情を引き締めた。もともと健太は蒼生に隠し事をするのがひどく苦手なうえに、嘘はその場ですぐバレる。よくそれで信頼度を確かめる、などと言い出せたものだ。
「? どしたの?」
「んー、と。えっとな。ちょっと買い物行きたいんだけど」
「うん」
「その、ちょっと手持ちがなくってさ。あの、えっと、蒼生の財布貸してくれる?」
「うん。鞄の中に入ってるから持ってって」
「えっ」
「え?」
きょとんとする健太に、蒼生は不思議そうに首を傾げる。
冬矢は興味深げにその様子を眺めた。なるほど、まずは金銭的な面からアプローチするのか。しかし蒼生の返答も一瞬だった。一応独立した財布もそれぞれ持っているが、立て替えることも普段からあるので悩むことでもなかったのだろう。それに、奢り奢られも気分次第でお互いによくやっている。ただ、冬矢をスルーするのはともかく、食費の財布を頼らなかったことには疑問を持ってもおかしくないはずだが。
「えっと、鞄、開けていいの?」
「手前のほうに入ってるから」
さらりと蒼生は言う。むしろ、聞いた健太のほうがおそるおそる蒼生の鞄に手を伸ばしていた。
翌日、使った分をきっかり返金した健太は、蒼生にそっとチョコレートケーキを差し出した。
「? 美味しそうだね」
「……駅前のケーキ屋の新商品なんだけど、その、試してみてほしくて?」
「ふうん?」
蒼生にじいっと見つめられ、健太はぴしりと音がしそうなほど固まる。やれやれ、と冬矢は首を振った。このままでは1回目にして調査が終わってしまいそうだ。協力を頼まれたわけではないが、見ていられない。さりげなく蒼生に近付くと、その肩にぽんと手を乗せた。
「俺も駅でのぼりを見たよ。昨日から売り出したんだって。まずは蒼生が食べてみて。甘すぎなかったら一口もらってもいいかな」
「あ、うん」
冬矢が割り込んだことで、気が逸れたらしい。さらに、それはどうやら蒼生のお眼鏡にかなったようだ。にこにこと嬉しそうにフォークを運び、律義にふたりの口にもおすそ分けをくれる。健太はほっと胸を撫でおろした。
「……一度のチャレンジでそんなに罪悪感を抱くなら、やめておいたらいいのに」
「うううううううるせえな」
「まだ続けるのか?」
「諦めねえよ」
冬矢はそのやりとりで若干趣旨のブレを感じたのだが、放っておくことにする。
それにしても。
「あー、携帯の充電切れたわー」
数日後、突然そう言いだした健太に冬矢が眉を顰める。あまりにも大根過ぎやしまいか。対蒼生だからなのかもしれないが、健太の言動は明らかに怪しい。今から蒼生を試します、と言っているようなものだ。冬矢は腕の中の蒼生を抱き締め、出来るだけ警戒感を和らげておく。なぜ自分が健太のために、とも思うが、腕に力を入れた途端擦り寄ってきた蒼生が可愛かったので、蒼生に免じて許すことにした。
「ちょっと見せたいページがあるんだけどさ、蒼生の携帯借りていい?」
「どうぞー」
ほわんとした声で蒼生が即答する。健太は震える手で、ダイニングテーブルに放置してあった蒼生の携帯に手を伸ばした。パスコードはお互いに知っている。
「あれ」
画面を開いた健太の手が止まった。
「どうかしたか?」
「いや、検索履歴……。レシピばっかだ」
蒼生がぱっと顔を上げる。
「ちゃ、ちゃんと課題の調べ物もやってるよ! そういうのは携帯では調べないから、なんか、食いしん坊みたいに見えちゃうけどっ」
「ん、そうじゃなくて、オレが食べたいって言ったもんばっかだな、って」
「あ」
目を見開き、頬を赤くしたかと思うと、蒼生は冬矢の腕の中にすうっと戻っていった。健太が覗き込むと、ますます潜っていく。
「なあ。オレのために作ってくれようとしてるの?」
「……うん。だけど、難しいの多くて、ちょっと待っててね。なんだったら冬矢にお願いしたほうが早いと思うんだけど」
「せっかく蒼生が頑張るつもりになっているんだから、俺は邪魔しないよ」
「だ、そうですけど、蒼生さん」
「えー……頑張ります……」
「嬉しい。楽しみにしてる~」
何気なく言ったことだったはずだが、蒼生はちゃんと聞いて叶えようとしてくれている。それがとても嬉しい。蒼生の中にはいつでも自分がいるのだと思うと胸が熱くなる。
「健ちゃん、それより、見せたいのって何?」
「あ、そうそう。えーっとな。たーしーかー……あったあった。ここ、見て」
健太が表示させたのは、店の中にいくつも天井までの大きな水槽があるレストランだ。壁も一部が水槽になっている。
「うわー、綺麗なお店だね」
「だろ? こう見えて意外とリーズナブルでさ、ごはんも美味しいんだって。今度行こうよ」
「うん、行く!」
「んじゃ3人の予定合わせようぜ」
当初の目的を忘れたように、健太は携帯を蒼生に返し、自分の携帯を取り出すとスケジュールを呼び出した。冬矢はそれを眺めながら、充電が切れた設定ではなかっただろうかと思ったが、店内写真やメニューに目を落とす蒼生が何も言わないので流すことにした。
また、ある日。
そのタイミングで健太の携帯にメッセージが届いたのは偶然だろう。ダイニングテーブルの上で、ちかちか、とランプが光っているのに冬矢が気付く。そこに表示されているのは明らかに女性と思しき名前だ。
「健太。何か届いてるぞ」
「お、サンキュー。……あ、教授の時間取れたのか。えー。明後日とか急だなぁ」
健太はぶつくさと言いながら携帯を掴み、ぱたぱたと返答を打ちこむ。そこに、洗濯物を干していた蒼生がベランダから部屋に戻ってきた。難しい顔をしながらソファに座る健太を見て、首を傾げる。
「健ちゃん、どしたの?」
「ああ、女性から連絡があったらしいよ」
「えっ」
「えっ」
勢いよく健太が顔を上げる。冬矢はなぜそんな誤解を生むような言い方を、と言おうとして、口をつぐんだ。おそらくパスを出してくれた、ということなのだろう。これもひとつの調査になりそうだ。
が。
「……っと、授業の班のリーダーです……」
蒼生の「えっ」が想定以上に刺さったので、思わせぶりな言葉を選ぶことも出来ず、気が付いたら素直に白状していた。蒼生の後ろで冬矢が口元を押さえたのが見えた。
「そっか、この前言ってた班面談の時間が決まったんだ」
「それです」
「よかったね」
安堵の表情を浮かべ、蒼生は抱えた洗濯かごを置きに洗面所に向かって行った。
冬矢はその背を見送り、ちらりと健太に目線をやる。
「……おまえは蒼生に嘘をつけない体質とかになっているんだろうな」
「笑うなよ……」
「いや無理だろ。……なあ、作戦の方向を少し考え直したらどうだ? 今までのやりとりを見ていると、おまえが下手に動くんじゃなく、普段の蒼生を見ているほうがよさそうだが」
「んー。そうなのかもなあ」
ぽんと送信ボタンを叩いた健太は、ソファに携帯を伏せながら大きく息を吐いた。
冬矢は胸を撫で下ろす。これで納得したならば、健太は妙な行動を起こすのをやめるだろう。すなわち、蒼生に迷惑がかかることもなくなる。
そのふたりの間を、片付けを終えた蒼生が横切り、健太の隣に黙ってぽすんと座った。隙間のないゼロ距離で、しかもぐいっと押すように寄りかかってくる。
「……あっ、おい?」
「ちょっとだけこうしてていい?」
少しばかり拗ねた顔。ぐわっと健太の中で何かが盛り上がる。勢いのまま抱き締めてしまいたいが、肩に乗せられた頭が可愛すぎて身動きが取れない。そこへ冬矢がやってきて、反対側に座るとぎゅっと蒼生を抱き締めた。
「蒼生、可愛い」
突然横取りをされた健太は、慌てて蒼生に抱きつく。
「今抱き締めるのはオレだったろ!」
「隙を見せたのはおまえだろ」
両側から遠慮のない圧力を受けた蒼生は、表情を和らげ、くすくすと嬉しそうに笑っていた。
数回の挙動不審に対する助言を素直に受けたらしい健太は、その通り、蒼生を観察する方向に切り替えたようだ。冬矢が気が付いた範囲で、健太は常に蒼生を目で追っていた。とはいえ、健太の目線の先には普段から蒼生がいる。意識しているかどうかの違いでしかないと思う。
とりあえず「蒼生にバレないように」という変な気を遣わずに済むようになった冬矢は、ソファでゆったりと科学番組を見ていた。時間は日付をまたぐところだが、なかなか面白くて目が離せない。
一応画面を眺めていた健太が大きくあくびをした。
「ダメだ、全っ然わかんねえ。頭にも入ってこねえし。オレ、先寝るわ」
言いながらソファに近付き、冬矢の隣に座る蒼生の顔を覗き込む。
「蒼生、一緒に寝よ」
「うー……。でも、いいとこ……」
冬矢の腕を掴んで舟を漕ぎかけている蒼生は、なんとか目を覚まそうと首を振る。それでも瞼は重そうだ。
「なあ、蒼生~。一緒。な?」
「…………ん。うん。寝る……。冬矢、明日、結論だけ教えて……」
「ふふっ。わかった」
健太が手を取ると、温かい手がきゅっと握り返してくる。
「おやすみ、蒼生」
「おやぅみ……」
これはもう半分寝ているな、とふたりは微笑ましく思う。
それでも寝室まで歩いているうちに、少しだけ目が覚めたらしい。ちらちらとテレビのほうを窺っていたが、健太がドアを閉めるとようやく諦めたようだ。のそのそとベッドの脇でスリッパを脱ぐ蒼生に、さっさと横になった健太が笑顔で両腕を開く。
「蒼生。おーいで」
振り向いた蒼生は、ふにゃっと笑い、ベッドに這い上がると健太の腕に頭を乗せた。
「へへ……。かーわいぃ。おやすみ、蒼生」
「おやすみ、健ちゃ……」
瞼が落ちたと思うと、蒼生はもうすやすやと寝息を立てている。今日も蒼生は学校にバイトにと頑張っていたから、相当疲れていたのだろう。それにしても、腕の中で眠りに落ちてしまう蒼生は可愛すぎる。
ふと健太は、「あれっ」と思う。それから、明日試すことを決め、蒼生に布団をかけてやると、そっと寝室の電気を消した。
翌日の夜。冬矢をリビングに置いて、蒼生を寝室に連れてきた健太は、ベッド脇に着くと早々に蒼生のパジャマのボタンに手をかけた。
「? するの?」
「ううん、今日はしないよ」
「でも脱ぐんだ」
「ほら、寝てる時、体を締め付けないほうがいいっていうじゃん? どうなのかなーと思って」
「え、僕が試すの?」
「オレも一緒にするからさ」
「ふーん、そっか」
蒼生は頷くと、されるがままに一糸纏わぬ姿にされていく。健太に抱きあげられベッドに横たわった蒼生は、そのままの体勢で、着ていたものを脱ぎ捨てていく健太をにこにこと見上げてくる。
「じゃ、掛布団かけるよ」
「はーい」
「……うーん、なるほど。こんな感じかあ」
「まだ布団がさらさらだから気持ちいいね。でもちょっと心許ないかも」
布団の中でもぞもぞと動きながら、ふたりで笑いあう。
部屋に入ってきた冬矢が、その様子に足を止めた。
「どうしたんだ? するのか?」
「しないんだって」
「そ。裸で寝る健康法試してみようって、な」
「ねー」
冬矢はちらっと健太を見る。すると、すっと視線をそらせたので、例の信頼度調査なのだろうとすぐに理解した。まだ納得できていないのか。
「冬矢もやる?」
「そうだな、ふたりが今夜寝てみて、その結果次第かな」
無邪気な蒼生に笑いかけると、そっか、と少し残念そうな声が返ってくる。可哀想な返事をしたな、と思うが、自制できる自信がないので、こればかりは仕方がない。
普段は寝つきのいい蒼生だが、電気を消してからもしばらくごそごそと寝返りを繰り返していた。肌触りが違うせいで寝づらかったのかもしれない。それが気になって冬矢もしばらく寝付けずにいた。
ようやく静かな寝息が聞こえ始めた頃、今度はぎしりとベッドが軋む音がする。目をやると、健太が上半身を起こして蒼生を見下ろしていた。それだけならともかく、布団からわずかにはみ出した肩に向けて手が伸びていく。
「……しないって約束したんだろ」
声をかけると、その手がびくりと止まった。
「だっ、だって……なんだかんだで服脱がせたまま寝かせることってねぇじゃん……。み、見てえじゃんか……」
「見るだけで済むならいいけどな」
「うっ」
蒼生が寝落ちた時でも、必ず何か着せるようにしているのは、万が一でも風邪をひかせたくないからだ。同時に、自分たちがそれ以上手を出さない自制のためでもある。
「なにもされないって信頼して眠った蒼生に手を出すつもりなら、全力で止めるぞ」
「……やっぱ……されてるよな。信頼」
今度は冬矢が体を起こす。
「蒼生がおまえを疑う気配を感じたか?」
「いや、これっぽっちも……」
金銭面でも、プライバシーに踏み込もうとしても、裸で転がしても、何をしても蒼生は微塵も健太を疑わなかった。そもそも、腕の中ですやすや眠るなんて、余程の信頼がなければしないだろう。
「だから言っただろ。確かめる意味があるかって」
健太は穏やかに眠る蒼生の顔をじっと見つめた。
「……なにしても可愛かった」
「それを見たかっただけか」
「そういうわけじゃねえけど。……あとめちゃくちゃ愛を感じた」
ふっと冬矢が笑う。
「その愛を裏切らないように、寝ろ」
「寝られるかなー……」
「自業自得だな」
「否定できねえ」
ぱたりとふたりは体を倒す。それきり、しんと会話が途切れた。
翌朝、珍しく健太は早起きが出来なかったようだ。それでも蒼生より先に目を覚ます。朝出て行かなかったことに気が付いた蒼生が、健太の顔を見るなり布団の中に潜り込んだ。
「おはよ。どした?」
「……健ちゃん、これ、ダメだ。何も着てないと、……さっ、触ってほしくなっちゃって寝られない……」
「っ! そっ、そ、そうだな! おっ、オレも触りたくてヤバかった!」
それを聞いた冬矢は笑い、寝転がったまま布団ごと蒼生を抱き締める。
「じゃあ、今夜、いっぱい触ろうね」
「お、オレも!」
蒼生はぴょこんと顔を出して、
「うん」
元気よく頷いた。
健太はそれで満足したらしい。実は当初の目的を果たしていないことに冬矢だけがもやもやして、また数日が過ぎた。
「ただいまー」
バイトが終わって蒼生が帰ってきた。
「おかえり」
「お疲れ様~」
蒼生はきょろきょろと室内を見回す。冬矢は鍋に向かって何かを煮込んでいる。この香りはビーフシチューだろうか。健太はダイニングテーブルに広げた教科書を唸りながら読んでいる。レポートの課題でも出ているのだろう。ふたりの様子を交互に何度も見て、蒼生は荷物を置いた。
「あのね。全然急いでないし、用事終わってからでいいから、あとで手を貸してくれる?」
「? すぐでもいいぜ?」
「あ、ほんと、あとでいいから」
ふたりは首を傾げたが、実際蒼生に急ぐ様子はない。部屋着に着替えたり、置いたままだった雑誌を眺めたり、床のラグに座り込んで携帯を覗いたりとのんびりとしているようだ。
かちりと冬矢がコンロの火を止めたのと、健太が教科書を閉じたのはほぼ同時だった。
「よし、準備できた」
「オレも終わったよ~」
ふたりが歩いてくるのを見て、蒼生はおもむろに立ち上がる。そして右側に来た健太の右手を取って自分の左腰に当てる。次に左側にいる冬矢の左手を右肩に乗せさせた。
「……蒼生?」
「どうかしたの……?」
蒼生は、へらっと笑う。
「んふふ。今日、やなことがあって。ちょっとへこんでたから、ぎゅってして欲しかったんだ」
「は!? 超緊急事態じゃねえか!」
「ちゃんと言わなきゃ駄目だろ!」
「あはは。邪魔しちゃいけないと思って」
「邪魔なもんかよ!」
慌てて、ふたりはしっかりと左右から蒼生を抱き締める。ふたりの腕に添えられた蒼生の両手が、ぎゅっとその服を掴んだ。
健太が肩に頬を埋め、冬矢が髪にキスを落としてくるのが嬉しかったようで、蒼生ははあっと大きく息を吐いた。
「あー。幸せ。僕には健ちゃんと冬矢がいるから、ちゃんと頑張れるんだ。いつも僕のこと癒やしてくれてありがとう」
心の底からにじみ出るような言葉。
健太はぱっと顔を上げた。
癒やし。
そうだった。やっと健太は思い出す。
「なあ、蒼生。蒼生はオレたちといると癒やされるの?」
「? そうだよ。美味しいものに癒やされたり、綺麗な場所に癒やされたりもするけど。やっぱりふたりの顔を見て、体温を感じるのが一番安心する」
「……オレと一緒だ」
呆然と呟いた健太に、蒼生はふんわりと笑う。
「昔から、僕を助けてくれたのはふたりの存在だよ」
「蒼生……」
それに安堵したのは健太だけではない。冬矢もだ。自分たちの存在が、今の蒼生の癒やしなのだろうとは思っていたけれど、それはあくまで「そうであってほしい」という冬矢の願望でしかなかったのだから。蒼生がそれを口にしたことで、ようやくそれが独りよがりではなかったことを知る。
冬矢は、すっかりにこにこしている健太の肩をぽんと叩く。
「今のうちに種明かしをしておいたほうがいいんじゃないか?」
「種明かし?」
「おそらく蒼生は気付いているよ。おまえのおかしな行動に」
え、と健太が呟く。蒼生はほとんどふたりに体重をかけるくらい力を抜いていたが、その声に顔を上げた。まっすぐな目に見据えられて、健太はぐっと腕に力を込める。
「……ええと。蒼生がどうやって立ち直ってんのかな~何に癒やされてるのかな~ってすごい気になって、面と向かって聞くと蒼生は優しいからはぐらかすんじゃねえかなって思ったから、自然に話してもらえるようにいろいろ不自然な行動を取りました」
蒼生は合点がいったように、何度か頷く。
「なるほど、そういうわけだったんだね」
「気付いてた?」
「おかしいなあとは思ってた。でも嘘をついてるって感じでもなかったし、健ちゃんに限って僕が本当にやだと思うようなことするはずないし。それに、冬矢が止めないってことは、たぶんふたりの間では話し合いが済んでるんだろうなって思ったから」
「やっぱりな。蒼生が気付かないわけはないと思っていたよ」
健太の行動は、冬矢を巻き込んでいることまできっかり読まれていたらしい。だとすると、蒼生は自分が納得するまで、ずっと付き合ってくれていたのか。
「やっぱりオレばっか蒼生に甘やかされてる……」
「違うでしょ。そうやって僕のために何か考えてくれてる健ちゃんのこと、大好きだよ。僕はそんな健ちゃんと冬矢に、ずーっと甘やかされてる自信がある。こんなに愛されて甘やかされてる生活、どうにかなっちゃいそう」
穏やかな表情で、蒼生はふたりの腕を抱き締め、交互に擦り寄る。
「……大丈夫? 蒼生、オレに甘やかされてる?」
「いっぱいされてるよぉ。それでも甘やかし足りないって言うなら、……あ、そうだ、この前言ってたレストラン連れてって」
蒼生はいたずらっぽくそう健太に笑いかける。
「! も、もちろん!」
健太が勢いよく頷くと、蒼生は満足げに健太に寄り掛かる。すると、冬矢がぐいっと蒼生を引き寄せる。
「3人で行こうな。俺にもその資格はあるはずだから」
「……へーい」
「ふふ、嬉しい」
そう言って、本当に嬉しそうにしている蒼生の可愛い顔を眺めながら、やっぱり蒼生の笑顔は一番の癒やしだな、と健太は思う。そして、蒼生も自分に同じことを思っていて欲しいなと願うのだった。
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