高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2024年07月07日 15:55    文字数:9,006

58こ目;星に願いを、君には愛を

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健太の買い物のついでに、3人でのデート回です。
まだ一緒に暮らしてそんなに経っていない時期のお話。

↑初公開時キャプション↑
2022/07/07初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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 日課にしているランニングの途中で、健太はふと走りづらさに気が付いた。行程で言えば半分を過ぎたあたり、普段なら一番走りやすいと感じている道だ。全体的に平坦で、川沿いなので見晴らしが良く、道路も舗装されたばかりらしく工事の跡もない。なのに、一歩ごとに何か硬いものを踏んづけているような感触がする。邪魔にならずに立ち止まれる場所を見回して探すと、近くに橋があった。そこまで走り、欄干に寄り掛かる。違和感があるのは右足だ。シューズを脱いで確認してみると、底にわりと太めの釘がダイナミックに刺さっている。
「……マジで?」
 いったいどこで刺さったのだろう。いや、むしろこんなものが落ちていたことが問題なような気もするが。それにしても、これは抜いても傷が残りそうだ。そもそもソールはだいぶすり減り、かかとのあたりも生地が切れてきている。
「もうちょっと使えるかなと思ったけど、そろそろ限界かなぁ」
 長く愛用していたが、それだけに寿命も早かったようだ。
 通常のスピードが出なかったせいか、家に帰る時間が少々遅くなった。いつも通り極力音をたてないように鍵を開けて玄関に滑り込むと、ぱたぱたパジャマ姿の蒼生が駆けてきた。
「おかえり、健ちゃん」
「ただいまぁ。あれ、まだ早いのに、蒼生起きてたの?」
 出迎えてくれたことが嬉しくて、にこにこと蒼生を見ると、心配げだった表情が緩む。
「ちょっと早く目が覚めて……いつもの時間に健ちゃんが帰ってこなかったから、なんだかそのまま起きちゃった」
 ランニングでもさほど上がらなかった心拍数が、安堵したようなその声にぎゅんと跳ねあがる。
「うっわ、そっかあ。心配かけてごめんね。靴がもうだいぶおかしくなっちゃって走りづらくてさ」
「そうだったんだ」
「でけえ釘踏んじゃって、あーこれはもうダメだと」
「釘!? ケガは!? 大丈夫!?」
 慌てて蒼生が健太の両手を掴む。真剣な様子に驚き、申し訳なく思うが、同時に愛おしさもこみ上げてきた。
「んーん、靴だけ。だから最初気付かなかったんだよ」
「そっか……。よかった」
 ほおっと息を吐くと、蒼生は持っていたタオルを健太に手渡し、健太の首にかかっていた汗まみれのタオルを取る。蒼生が洗濯したふわふわのタオルだ。それに顔をうずめ、健太は嬉しくなる。どうせ自分も顔を洗うし、蒼生は湿ったタオルを洗濯籠に入れるだろう。洗面所に向かうのは一緒なのに、乾いたタオルを早く渡してくれたのは、蒼生の優しさだ。朝イチで様々な角度から蒼生成分をたっぷり味わい、健太は幸せな気持ちでいっぱいになった。
 そうして結局ふたりで洗面所に行き、ふたりでリビングに戻る。健太の顔は嬉しそう、を通り過ぎてでれでれと崩れている。その顔を見るなり、冬矢は眉をひそめた。
「うわ。おかえり」
「うわってなんだよ」
「そのままの意味だよ。暑くて顔の筋肉も融けたのか」
「んなわけあるか。ただいま」
 蒼生はそのやりとりを穏やかな気持ちで見つめると、そのまま食器棚に手を伸ばす。健太がすかさずそのサポートに入った。
「ありがとう。……でもさ、靴がダメになっちゃったんじゃ大変だよね。明日から困るんじゃない?」
「そうなんだよなー。予備とかねえから買いに行かないと」
 フライパンにベーコンを並べていた冬矢が顔を上げる。
「毎日走るおまえにとって、ランニングシューズは消耗品だろ? 履きつぶす確率が高いなら、アウトレットを覗いてみてもいいんじゃないか。あるだろ、大学の駅の先に」
「先? あー、はいはい、あるな。駅に看板あったもんな。なるほど、そういうとこも面白そうじゃん。行ってみっかー。蒼生、今日授業3つ?」
「うん」
「冬矢も3限で終わりだったよな」
「は? そうだが、俺は別に」
「よっしゃ、じゃ早速今日行こ。授業終わったら門のとこで待ち合わせしよ。なっ、蒼生ぃ」
「うん!」
 健太は蒼生の手を握り、楽しげにその手を揺らす。蒼生も嬉しそうだ。ベーコンの上に卵を落とし、冬矢は小さく笑った。

 大学から家とは反対の方向の電車に乗る機会は滅多にない。珍しがった蒼生がドアの窓から見慣れない景色を眺め、その後ろから覆い被さるように健太も流れていく家々をじっと見ている。住宅街の向こうにはのどかな景色が広がっているようで、隙間から綺麗な緑が見える。ぼそぼそと話し合うふたりの会話を楽しそうだなと眺める冬矢の目にも、やがて景色を遮るような大きな建物がいくつも見えてきた。有名ホテルのロゴやよく知った企業の名前が見える。目的のアウトレットは、手前のほうに平べったく広がる建物のようだ。
 駅舎から出てロータリーをぐるりと巡った先に、電車から見た2階建ての建物があった。広い通路が真ん中を貫いており、両側に様々なショップが軒を並べているのがロータリー越しでもわかる。
「すげえ、結構な規模だな」
「ちゃんと見たら1日じゃ終わらなそうだね」
 敷地入り口脇の壁には、正方形に整えられた各店舗の看板がずらりと飾られている。それはビンゴゲームのカードのようで、覗いた店を塗りつぶしていくだけでも面白そうだ。だが今日は目的がある。遊び尽くすのはまた今度だ。3人は看板の下に置かれた案内図を見つけると、揃って覗き込んだ。
「ええっと。靴、靴……。スポーツ用品店のがいいのかな」
「健ちゃんが好きなメーカーのお店は入ってないの?」
「あ、メーカーで探しゃいいのか。んー、……お。これだ。14番、だって。って、どこだ?」
「14……。ここだな。まっすぐ行って、ほぼ突き当たりみたいだね」
 敷地に足を踏み入れる。建物ではあるが、頭上には青空が広がっている。2階の左右を繋ぐ通路はあちこちにあるが、基本的に通路には屋根がないようだ。夏の日差しを遮るものがほとんどないせいか、人の流れは2階の廊下の下に集まっていた。平日の午後にしては多い人出の中を、健太を先頭に奥へと進んでいく。
 一番後ろの冬矢からは、蒼生がじっと健太の頭を見ながら歩いているのがわかる。おそらく蒼生は今まで、背の高い健太をずっと目印にして歩いてきたのだろうな、と思った。問題は、健太が思いつきで突拍子もない方向に歩いて行ってしまう癖があるということだ。健太は思うがままに歩いていき、蒼生は躊躇わずそのあとをついていく。ふたりで迷子になった話をいくつか聞いているが、おそらくこういうことだったのだろう。蒼生がきちんとそれを止めることもあったらしいが、蒼生は心の底に「健太についていきたい」という願望があるような気がする。とりあえず今回は幸いなことに、目的地がはっきり決まっていたおかげで、健太の足は明後日の方向に向かうことがなかった。
 そのスポーツメーカーの店内に入ると、縦にも奥にもずらりとシューズが並んでいるのが目に飛び込んできた。落ち着いたデザインのシューズもあるものの、目がちかちかするほどのカラフルな商品も多い。ウェアもあるようだが、シューズが売り場面積の多くを占めているようだ。
「うっわ、量! なんか倉庫に紛れ込んだみてえだな」
「専門の靴っていっぱいあるんだね。このへんはバスケかな。……あ、ほら、走るのの、あっちにあるみたい」
 健太がきょろきょろしながら進み、蒼生も楽しそうにくっついていく。特にこの辺りに用事のない冬矢は、そのふたりのあとをなんとなく追った。別行動をとってもいいのだろうが、蒼生と離れたくなかったので仕方がない。そのため商品ではなく、ついタグを読んでしまう。
「ふーん、現品限りの品が多いな。サイズも揃っていない……。だからアウトレットなんだな」
「あ、傷物とか売り物にならないとかじゃなくて、そういうことなんだ。確かに店だとこれのサイズ違いありますか、とか聞くもんな。お、かっこいいやつとかあるじゃん」
「試してみたら? 僕荷物持ってるから」
「ん、ありがと」
 気に入ったデザインでもサイズがなかったり、その逆だったり、なかなか見つからないのはストレスになりそうなものだが、健太にとっては楽しいイベントらしい。わくわくした顔で、せっせと試しては戻し、試しては戻ししを繰り返し、ようやくぴったりのシューズを見つけたようだ。
「これ、すごくいい。軽くてらくちん。デザインも気に入ったし、これにしよう」
「よかったねえ。予備はなくていいの?」
「ん、しっくりくるのが変わっても困るし、壊れたらまた買えばいいや。それよかさ、蒼生、サンダル買おうよ」
「え? 僕?」
 突然話を振られた蒼生は、まったくその気がなかったらしくきょとんとする。が、健太のほうはお構いなしに、すぐ近くにあったサンダルをあれこれ見始めた。
「ねえ健ちゃん。僕、あんまりそういうの履かないけど」
「今までは、だろ。ほら、こっち暑いしさ。ちょっと出かけるのに涼しい靴があったほうがいいと思うんだよなー」
 たしかに、駅まで買い物、くらいの外出にサンダルの一足でもあったらいいなと思っていた蒼生だ。だが靴でも困るわけではないから選択肢に入れてこなかった。
「ふうん?」
「それに、ほら。50%オフが、2足買うとさらに20%オフって書いてある」
「なるほどな、健太も得する、というわけだ」
「あー、そうか。そういうことか。だったら僕もひとつ買おうかな」
 迷っていたはずの蒼生は、健太が得をする、という冬矢の一言ですんなり納得したらしい。もちろん冬矢は背中を押すつもりで言ったのだが、こんなに素直に受け入れるとは。やはり、どこかで欲しい気持ちはあったのだろう。
 蒼生はしゃがみ込み、ふたりを見上げる。
「どれがいいかな」
 健太と冬矢も嬉しそうに蒼生と目線を合わせた。
 あれこれ悩んだようだが、蒼生はふたりの助言を元に、気に入ったサンダルを見つけることができた。健太が代表で会計を終え、ふたりがほこほこした顔で店を出ると、冬矢がすっと目の前の店を指さす。
「ここに寄ってもいいか?」
「おー、もちろん」
「雑貨屋さんだねえ」
 今度は冬矢が先頭だ。店頭近くにはソファやラグといった家具が綺麗に陳列されていたが、冬矢はまっすぐに奥に向かう。どうやら食器や家電製品のコーナーを目指しているらしい。使い道のわからないものも多い棚の間を通り抜けていくと、両側に食器が並んだ道に出る。そこにはふんわりとした色合いの食器もあれば、原色が鮮やかな食器もあった。
「あ、見て、鍋がでけぇ」
「たしかに健太にはそのくらい必要かもな」
「ただ、重い」
「綺麗だけどねえ」
 などと言いながら、深いのやら浅いの、大きいものから小さいもの、様々手に取って確かめる。しかし力のある健太でさえ驚いたように、この店の食器は全体的にずっしりと重い。
「あまり重いと食器棚の負担にもなるし、足にでも落としたら怪我をするからな」
「じゃあちょっと難しい?」
「そうだね。ほら、家に今ある食器は、とりあえず当座困らない程度にと買ったものだから、統一感がないだろ。種類も少ないし。だから揃った食器が並んでいたら彩りになると思ったんだけどな。……まあ、ゆっくり探していくさ」
 冬矢は「先」の話をしている。それが蒼生には嬉しかった。たしかに冬矢が言う通り、食器は引っ越し前にばたばたしている中で用意したものだ。だから、こうしてゆっくり食器を吟味するという行為は、一緒に住んでいる感が強く、それも嬉しい。
 だが料理をしない健太にはあまり響かないのかもしれない。目当ての食器がないと知ると、既に隣の棚を見始めている。そこからは家電が並んでいるようだ。
「あ、家電も売ってる。不思議な形のやつが多いな」
「ほんとだ」
「へえ。輸入家電か。全体的にこの店は輸入雑貨が多いみたいだな。……あ。これ、ガゼット社のブレンダーじゃないか」
「ん?」
「型落ちだが、アタッチメントの種類も多い。なるほど、これも使えそうだな」
 蒼生と健太は顔を見合わせる。冬矢がこんなに食いつくのは珍しい。
「それ、そんなにいいの?」
「ああ。この会社が作る製品は丈夫で耐用年数が長いだけでなく、仕上がりも丁寧で食材に優しいんだ。技術力で言ったら世界でトップを争うだろうな。様々な製品を出しているが、特に調理用家電に強い」
「あ、はい」
「それがこの値段か……。一般の店ではなかなか見ない金額だ。迷うところだな」
 冬矢はアタッチメント、と呼ばれる部品を矯めつ眇めつしている。蒼生と健太にはよくわからない部品でも、冬矢にはピンと来ているらしい。
「はー。おまえってこういうの好きだったんだ」
「好き……なのかな。調理器具を見ていると、どんな料理を作ろうか、これでどこの工程が簡略化できるかと考えてしまうんだ。さらに、それで新しいメニューが出せたらきっと喜んでくれるだろうなと思うと楽しくなる。そうだな、こういうものがあったら、おまえももっと蒼生の手伝いができるかもな」
「あっ、それは嬉しい。じゃ買おうぜ」
「そう言うと思った」
「……えっ、ええー……」
 急にトントンと話が進みだすので、蒼生は困ったように指を組んだ。どう考えても基準がおかしいと思うのだが、ふたりにとって「蒼生」は絶対的な基準のようなのだ。蒼生が喜ぶことが第一、なのだと公言して憚らない。とはいえ今回ばかりは、冬矢が部品を手に取りつつしてくれた説明によれば、家にあるものでは足りない機能がこれで補えるということだ。だとすれば必要なものなのかもしれない。
 と、健太がぱっと振り返り、蒼生に向かって笑いかける。
「また新しい美味しいごはん食べられるってさ! 楽しみだな~」
「あ……。そ、そっか。そうだね。楽しみだよね」
 答えながら、蒼生は少しずつ心が軽くなるのを感じる。たしかに健太の言う通りだ。健太は美味しい食事を楽しめるし、冬矢も好きな道具を自由に使える。自分だけのためではない。それならばいい。
「展示品だけかな。新品があればそっちのほうがいいが」
「したら、聞いてみようぜ。あ、すいませーん」
 あっというまに健太が動く。すぐさまにこやかな店員がやってきてふたりと話を始めるので、手の空いた蒼生はその様々な部品に目をやった。使いこなせるかはわからないが、きっと冬矢が教えてくるのを聞きながら一緒に作業できるのだろう。その時間を考えると、遠慮の気持ちはすぐにわくわくする期待に置き換わる。
 ふと、棚の空間越しに、向こうの棚が見えた。柔らかな色合いのマグカップが何色か揃って並んでいる。それがぽんと心に突き刺さった。ふたりの姿を確認すると、まだ店員と話しているようだ。一応見える場所であるし、移動しても大丈夫だろう。
 近くまで行くと、模様まではっきり見える。思った通りの模様だ。カップの下半分に、少し膨らんだ大き目の星と、へこんだ小さな星が散らされている。外側はカラフルだが、内側はどの色もベージュに塗られていて、とても落ち着いたデザインだ。蒼生が手に取ったのは、明け方のような静かな空を思わせる青色のカップだった。どれも綺麗だが、これが一番引っかかる感じがする。さっきの食器のように重量感はなく、ほどよい重さが手に馴染む。
「綺麗なマグカップだね」
 声に顔を上げると、商品の箱を抱えた冬矢が穏やかに笑っていた。
「あ、うん、見てるだけ」
 健太も割り込むように覗き込む。
「えー、蒼生が好きな柄じゃん」
「そうなんだけど」
「ああ、そういえば、健太は持ってきたカップ、この前割ってたよな。今は来客用の使ってるけど、せっかくだから全員で同じ柄にしようか。まずはここから。ね」
「……冬矢」
「いいじゃん。おそろい!」
「健ちゃん」
「んー、どれがいいかな。よし、このオレンジのにしよう」
「俺は白がいいな。蒼生は、それ?」
 本当に見るだけのつもりだった。けれど。
 ここから、という言葉に、じわりと嬉しさがこみあげてくる。
「……僕は、うん。この青いの。おそろいだね」
「やっぱ、おそろいっていいよなぁ」
「ああ」
 家に、色違いで揃いのマグカップが並ぶのか。健太と冬矢も嬉しそうにカップを持っていることも、蒼生にとってはとても嬉しかった。

 それぞれが、袋を抱えて店の外に出る。
「なんか、すごくすっきりしたぁ」
 蒼生が大きく息を吐く。
「たまにはいいものだよね。好きなものをぽんっと買うと、気分がいい」
「うん」
 多少強引に話を進めたかな、という自覚があった健太だが、にこにこ嬉しそうに3個のマグカップが入った袋を抱き締める蒼生にテンションが上がっていた。蒼生の笑顔は何物にも代えがたいご褒美だ。自分のシューズが壊れたのも、この笑顔をもらうための貴い犠牲だったのかもしれない。
 しかし、はしゃぎすぎたせいか、小腹が空いてきた。
「あのさ、さっきの案内板に書いてあったんだけど、あっちの広場のほうにクレープ屋があるんだって」
「ふーん? あの一瞬でよくそこまで見ていたな」
「食べ物屋は頭に入っちゃうんだよなあ」
「あはは、健ちゃんらしいね」
「でしょー。だから、おやつにしない?」
 冬矢と蒼生は目を見合わせ、それから同時に頭上の大きな時計に目をやった。
「もうおやつって時間じゃないと思うけど……」
「だけどさー、ちょっと甘いもん欲しくないー?」
「う」
 健太に子供のような目で見つめられ、蒼生が明らかにうろたえる。それでなくとも好物の名前を出されているのだ、惹かれないはずはない。蒼生は難しい顔で健太を見て、それから困ったように冬矢を見た。その仕草が可愛くて、思わず冬矢も笑ってしまう。
「わかったよ、食べに行こう。夕飯はそのぶん軽くして、何か買って帰るか……あるいはどこかで食べて帰ってもいいしね」
「そうする!」
「よっしゃ!」
「どんなのがあるかな~」
「蒼生の好きなのあるかな~」
「冬矢は何にする?」
「そうだな、暑いし冷たいのがあるといいね」
「いいねえ」
 並んで広場に向かっていくと、だんだんと甘い香りが漂ってきた。次第にそこに生地の焼ける香ばしい香りも重なり、蒼生の頭の中はクレープ一色になってしまう。そのせいか、角を曲がった途端、クレープ屋ではなく木の緑色がたくさん見えたので驚いてしまった。
 木? いや、落ち着いてよく見てみると竹か笹のようだ。広場に面して数本設置されていて、背丈より高く揺れる枝には、たくさんの飾りが吊されている。
「なんだこれ。七夕みたいだな」
「どう見ても七夕じゃないか?」
「じゃあ、これ笹なんだ。……あれ? 今の時期だっけ」
 不思議そうな3人だが、はたと冬矢が手を打った。
「そういえば、七夕は時期がずれる地域があるんじゃなかったかな」
「あー……そっか。このへんは今なんだ」
 奥にちらりと覗くクレープ屋にも早く行きたいところだが、この華やかな雰囲気も捨てがたい。誰からともなく吸い寄せられるように、3人はイベントスペースに入った。近くにはテーブルが設置してあって、誰でも短冊に願い事を書いて吊してもいいようになっているらしい。何組かがそのテーブルを囲んで短冊を書いているようだ。
 近付いて見た笹には、輪っかの飾りや天の川を模した飾りの下に短冊が数多く吊されており、そこに様々な願い事が書かれている。字が書かれていると、つい読んでしまうのは人の性というものだろう。3人もつい目についた短冊の字を追ってしまう。
「へー。犬飼いたいとかウサギが飼いたいとか、このへん動物ものが多いな。あれ、こっちは、逃げた小鳥が戻ってきますように~、だって。大変だなあ。早く戻ってくるといいなぁ」
「こっちは、字がうまくなりますように、とか卓球が上手になりたいです、だって」
「そもそも七夕は技術の上達を願うものだから、理に適っているね」
「え、そういうもんなの?」
「うん。けど、今ではそこまできちんとこだわる人は少ないと思うよ」
「よく知ってるねえ」
 書かれた願いは無邪気なものから強欲なものまで様々だ。一度自分の手を離れてしまえば、誰が書いたかわからない。だからこそ素直に願望を吐き出せるのだろう。
 蒼生はテーブルで短冊に向き合う人たちに目をやる。中学生くらいの女の子2人組は、「恋人が出来ますようにって書く!」とはしゃいで楽しそうだ。小さな男の子は、両親に見守られながら一生懸命にひらがなで自分の名前を書こうとしている。いい光景だな、と思う。
「せっかくだからオレたちも書いて行こうよ」
 健太の提案に、蒼生も冬矢も迷うことなく頷いた。
 笹の近くにあるラックに、ペンが数本置かれている。その脇には短冊と書かれた缶があった。覗いてみると、そこにはたった1枚、黄色い短冊が残っていた。
「あれ。もう1枚しかないや」
「どこかでもらえたりしないかな」
 きょろきょろしながら蒼生が言うと、健太はうーんと首を傾げた。
「んー。もしかすると1枚でいいんじゃないかな」
「え?」
「だってさ……。冬矢、何書くつもりだった?」
「もちろん、これからも愛する蒼生と一緒に幸せに暮らしていけますように、だよ」
「オレもだよ。大好きな蒼生と仲良くたくさん愛し合って楽しい日々を過ごせますようにって」
 蒼生はきょとんとして、それからふんわりと笑う。
「……たしかに1枚でいいや。全員一緒だもの」
 健太は嬉しそうに頷いて短冊を取り、冬矢も微笑んで蒼生にペンを差し出す。蒼生は、すべてを託された気分でそれを受け取った。
「じゃあ。……あ、でも、そのまま書いたら普通過ぎるかなあ」
「いいんだよ、普通で。それが一番難しかったりするじゃないか」
「そ。何も起きなくていいんだ。ずーっと一緒にいられればさ」
「……そうだね」
 蒼生は短冊に向き合い、「3人でいつまでもいつまでも幸せに暮らせますように」と丁寧に書いた。そして、左下に、「あおい」と綴る。
「あれ、なんでひらがな?」
「あっ。……そこでちっちゃい子が書いてた名前見てたからつられちゃった……」
 冬矢がふっと笑う。
「可愛くていいじゃないか」
 そうして蒼生からペンを受け取ると、右隣にひらがなで名前を書く。
「あ、オレも!」
 健太も、同じように左に。
 書き上げた短冊を、蒼生が目線の位置にそっと結ぶ。
「よし。いい感じ」
「そうだな」
 ふたりは満足げにそれを眺める。
 蒼生も、願い事と、並んだ名前を見つめた。
 それだけで、もう幸せな気分だった。
 同じ願いを込めた短冊は、ひらひらと優しい風に吹かれて揺れていた。

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58こ目;星に願いを、君には愛を
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 日課にしているランニングの途中で、健太はふと走りづらさに気が付いた。行程で言えば半分を過ぎたあたり、普段なら一番走りやすいと感じている道だ。全体的に平坦で、川沿いなので見晴らしが良く、道路も舗装されたばかりらしく工事の跡もない。なのに、一歩ごとに何か硬いものを踏んづけているような感触がする。邪魔にならずに立ち止まれる場所を見回して探すと、近くに橋があった。そこまで走り、欄干に寄り掛かる。違和感があるのは右足だ。シューズを脱いで確認してみると、底にわりと太めの釘がダイナミックに刺さっている。
「……マジで?」
 いったいどこで刺さったのだろう。いや、むしろこんなものが落ちていたことが問題なような気もするが。それにしても、これは抜いても傷が残りそうだ。そもそもソールはだいぶすり減り、かかとのあたりも生地が切れてきている。
「もうちょっと使えるかなと思ったけど、そろそろ限界かなぁ」
 長く愛用していたが、それだけに寿命も早かったようだ。
 通常のスピードが出なかったせいか、家に帰る時間が少々遅くなった。いつも通り極力音をたてないように鍵を開けて玄関に滑り込むと、ぱたぱたパジャマ姿の蒼生が駆けてきた。
「おかえり、健ちゃん」
「ただいまぁ。あれ、まだ早いのに、蒼生起きてたの?」
 出迎えてくれたことが嬉しくて、にこにこと蒼生を見ると、心配げだった表情が緩む。
「ちょっと早く目が覚めて……いつもの時間に健ちゃんが帰ってこなかったから、なんだかそのまま起きちゃった」
 ランニングでもさほど上がらなかった心拍数が、安堵したようなその声にぎゅんと跳ねあがる。
「うっわ、そっかあ。心配かけてごめんね。靴がもうだいぶおかしくなっちゃって走りづらくてさ」
「そうだったんだ」
「でけえ釘踏んじゃって、あーこれはもうダメだと」
「釘!? ケガは!? 大丈夫!?」
 慌てて蒼生が健太の両手を掴む。真剣な様子に驚き、申し訳なく思うが、同時に愛おしさもこみ上げてきた。
「んーん、靴だけ。だから最初気付かなかったんだよ」
「そっか……。よかった」
 ほおっと息を吐くと、蒼生は持っていたタオルを健太に手渡し、健太の首にかかっていた汗まみれのタオルを取る。蒼生が洗濯したふわふわのタオルだ。それに顔をうずめ、健太は嬉しくなる。どうせ自分も顔を洗うし、蒼生は湿ったタオルを洗濯籠に入れるだろう。洗面所に向かうのは一緒なのに、乾いたタオルを早く渡してくれたのは、蒼生の優しさだ。朝イチで様々な角度から蒼生成分をたっぷり味わい、健太は幸せな気持ちでいっぱいになった。
 そうして結局ふたりで洗面所に行き、ふたりでリビングに戻る。健太の顔は嬉しそう、を通り過ぎてでれでれと崩れている。その顔を見るなり、冬矢は眉をひそめた。
「うわ。おかえり」
「うわってなんだよ」
「そのままの意味だよ。暑くて顔の筋肉も融けたのか」
「んなわけあるか。ただいま」
 蒼生はそのやりとりを穏やかな気持ちで見つめると、そのまま食器棚に手を伸ばす。健太がすかさずそのサポートに入った。
「ありがとう。……でもさ、靴がダメになっちゃったんじゃ大変だよね。明日から困るんじゃない?」
「そうなんだよなー。予備とかねえから買いに行かないと」
 フライパンにベーコンを並べていた冬矢が顔を上げる。
「毎日走るおまえにとって、ランニングシューズは消耗品だろ? 履きつぶす確率が高いなら、アウトレットを覗いてみてもいいんじゃないか。あるだろ、大学の駅の先に」
「先? あー、はいはい、あるな。駅に看板あったもんな。なるほど、そういうとこも面白そうじゃん。行ってみっかー。蒼生、今日授業3つ?」
「うん」
「冬矢も3限で終わりだったよな」
「は? そうだが、俺は別に」
「よっしゃ、じゃ早速今日行こ。授業終わったら門のとこで待ち合わせしよ。なっ、蒼生ぃ」
「うん!」
 健太は蒼生の手を握り、楽しげにその手を揺らす。蒼生も嬉しそうだ。ベーコンの上に卵を落とし、冬矢は小さく笑った。

 大学から家とは反対の方向の電車に乗る機会は滅多にない。珍しがった蒼生がドアの窓から見慣れない景色を眺め、その後ろから覆い被さるように健太も流れていく家々をじっと見ている。住宅街の向こうにはのどかな景色が広がっているようで、隙間から綺麗な緑が見える。ぼそぼそと話し合うふたりの会話を楽しそうだなと眺める冬矢の目にも、やがて景色を遮るような大きな建物がいくつも見えてきた。有名ホテルのロゴやよく知った企業の名前が見える。目的のアウトレットは、手前のほうに平べったく広がる建物のようだ。
 駅舎から出てロータリーをぐるりと巡った先に、電車から見た2階建ての建物があった。広い通路が真ん中を貫いており、両側に様々なショップが軒を並べているのがロータリー越しでもわかる。
「すげえ、結構な規模だな」
「ちゃんと見たら1日じゃ終わらなそうだね」
 敷地入り口脇の壁には、正方形に整えられた各店舗の看板がずらりと飾られている。それはビンゴゲームのカードのようで、覗いた店を塗りつぶしていくだけでも面白そうだ。だが今日は目的がある。遊び尽くすのはまた今度だ。3人は看板の下に置かれた案内図を見つけると、揃って覗き込んだ。
「ええっと。靴、靴……。スポーツ用品店のがいいのかな」
「健ちゃんが好きなメーカーのお店は入ってないの?」
「あ、メーカーで探しゃいいのか。んー、……お。これだ。14番、だって。って、どこだ?」
「14……。ここだな。まっすぐ行って、ほぼ突き当たりみたいだね」
 敷地に足を踏み入れる。建物ではあるが、頭上には青空が広がっている。2階の左右を繋ぐ通路はあちこちにあるが、基本的に通路には屋根がないようだ。夏の日差しを遮るものがほとんどないせいか、人の流れは2階の廊下の下に集まっていた。平日の午後にしては多い人出の中を、健太を先頭に奥へと進んでいく。
 一番後ろの冬矢からは、蒼生がじっと健太の頭を見ながら歩いているのがわかる。おそらく蒼生は今まで、背の高い健太をずっと目印にして歩いてきたのだろうな、と思った。問題は、健太が思いつきで突拍子もない方向に歩いて行ってしまう癖があるということだ。健太は思うがままに歩いていき、蒼生は躊躇わずそのあとをついていく。ふたりで迷子になった話をいくつか聞いているが、おそらくこういうことだったのだろう。蒼生がきちんとそれを止めることもあったらしいが、蒼生は心の底に「健太についていきたい」という願望があるような気がする。とりあえず今回は幸いなことに、目的地がはっきり決まっていたおかげで、健太の足は明後日の方向に向かうことがなかった。
 そのスポーツメーカーの店内に入ると、縦にも奥にもずらりとシューズが並んでいるのが目に飛び込んできた。落ち着いたデザインのシューズもあるものの、目がちかちかするほどのカラフルな商品も多い。ウェアもあるようだが、シューズが売り場面積の多くを占めているようだ。
「うっわ、量! なんか倉庫に紛れ込んだみてえだな」
「専門の靴っていっぱいあるんだね。このへんはバスケかな。……あ、ほら、走るのの、あっちにあるみたい」
 健太がきょろきょろしながら進み、蒼生も楽しそうにくっついていく。特にこの辺りに用事のない冬矢は、そのふたりのあとをなんとなく追った。別行動をとってもいいのだろうが、蒼生と離れたくなかったので仕方がない。そのため商品ではなく、ついタグを読んでしまう。
「ふーん、現品限りの品が多いな。サイズも揃っていない……。だからアウトレットなんだな」
「あ、傷物とか売り物にならないとかじゃなくて、そういうことなんだ。確かに店だとこれのサイズ違いありますか、とか聞くもんな。お、かっこいいやつとかあるじゃん」
「試してみたら? 僕荷物持ってるから」
「ん、ありがと」
 気に入ったデザインでもサイズがなかったり、その逆だったり、なかなか見つからないのはストレスになりそうなものだが、健太にとっては楽しいイベントらしい。わくわくした顔で、せっせと試しては戻し、試しては戻ししを繰り返し、ようやくぴったりのシューズを見つけたようだ。
「これ、すごくいい。軽くてらくちん。デザインも気に入ったし、これにしよう」
「よかったねえ。予備はなくていいの?」
「ん、しっくりくるのが変わっても困るし、壊れたらまた買えばいいや。それよかさ、蒼生、サンダル買おうよ」
「え? 僕?」
 突然話を振られた蒼生は、まったくその気がなかったらしくきょとんとする。が、健太のほうはお構いなしに、すぐ近くにあったサンダルをあれこれ見始めた。
「ねえ健ちゃん。僕、あんまりそういうの履かないけど」
「今までは、だろ。ほら、こっち暑いしさ。ちょっと出かけるのに涼しい靴があったほうがいいと思うんだよなー」
 たしかに、駅まで買い物、くらいの外出にサンダルの一足でもあったらいいなと思っていた蒼生だ。だが靴でも困るわけではないから選択肢に入れてこなかった。
「ふうん?」
「それに、ほら。50%オフが、2足買うとさらに20%オフって書いてある」
「なるほどな、健太も得する、というわけだ」
「あー、そうか。そういうことか。だったら僕もひとつ買おうかな」
 迷っていたはずの蒼生は、健太が得をする、という冬矢の一言ですんなり納得したらしい。もちろん冬矢は背中を押すつもりで言ったのだが、こんなに素直に受け入れるとは。やはり、どこかで欲しい気持ちはあったのだろう。
 蒼生はしゃがみ込み、ふたりを見上げる。
「どれがいいかな」
 健太と冬矢も嬉しそうに蒼生と目線を合わせた。
 あれこれ悩んだようだが、蒼生はふたりの助言を元に、気に入ったサンダルを見つけることができた。健太が代表で会計を終え、ふたりがほこほこした顔で店を出ると、冬矢がすっと目の前の店を指さす。
「ここに寄ってもいいか?」
「おー、もちろん」
「雑貨屋さんだねえ」
 今度は冬矢が先頭だ。店頭近くにはソファやラグといった家具が綺麗に陳列されていたが、冬矢はまっすぐに奥に向かう。どうやら食器や家電製品のコーナーを目指しているらしい。使い道のわからないものも多い棚の間を通り抜けていくと、両側に食器が並んだ道に出る。そこにはふんわりとした色合いの食器もあれば、原色が鮮やかな食器もあった。
「あ、見て、鍋がでけぇ」
「たしかに健太にはそのくらい必要かもな」
「ただ、重い」
「綺麗だけどねえ」
 などと言いながら、深いのやら浅いの、大きいものから小さいもの、様々手に取って確かめる。しかし力のある健太でさえ驚いたように、この店の食器は全体的にずっしりと重い。
「あまり重いと食器棚の負担にもなるし、足にでも落としたら怪我をするからな」
「じゃあちょっと難しい?」
「そうだね。ほら、家に今ある食器は、とりあえず当座困らない程度にと買ったものだから、統一感がないだろ。種類も少ないし。だから揃った食器が並んでいたら彩りになると思ったんだけどな。……まあ、ゆっくり探していくさ」
 冬矢は「先」の話をしている。それが蒼生には嬉しかった。たしかに冬矢が言う通り、食器は引っ越し前にばたばたしている中で用意したものだ。だから、こうしてゆっくり食器を吟味するという行為は、一緒に住んでいる感が強く、それも嬉しい。
 だが料理をしない健太にはあまり響かないのかもしれない。目当ての食器がないと知ると、既に隣の棚を見始めている。そこからは家電が並んでいるようだ。
「あ、家電も売ってる。不思議な形のやつが多いな」
「ほんとだ」
「へえ。輸入家電か。全体的にこの店は輸入雑貨が多いみたいだな。……あ。これ、ガゼット社のブレンダーじゃないか」
「ん?」
「型落ちだが、アタッチメントの種類も多い。なるほど、これも使えそうだな」
 蒼生と健太は顔を見合わせる。冬矢がこんなに食いつくのは珍しい。
「それ、そんなにいいの?」
「ああ。この会社が作る製品は丈夫で耐用年数が長いだけでなく、仕上がりも丁寧で食材に優しいんだ。技術力で言ったら世界でトップを争うだろうな。様々な製品を出しているが、特に調理用家電に強い」
「あ、はい」
「それがこの値段か……。一般の店ではなかなか見ない金額だ。迷うところだな」
 冬矢はアタッチメント、と呼ばれる部品を矯めつ眇めつしている。蒼生と健太にはよくわからない部品でも、冬矢にはピンと来ているらしい。
「はー。おまえってこういうの好きだったんだ」
「好き……なのかな。調理器具を見ていると、どんな料理を作ろうか、これでどこの工程が簡略化できるかと考えてしまうんだ。さらに、それで新しいメニューが出せたらきっと喜んでくれるだろうなと思うと楽しくなる。そうだな、こういうものがあったら、おまえももっと蒼生の手伝いができるかもな」
「あっ、それは嬉しい。じゃ買おうぜ」
「そう言うと思った」
「……えっ、ええー……」
 急にトントンと話が進みだすので、蒼生は困ったように指を組んだ。どう考えても基準がおかしいと思うのだが、ふたりにとって「蒼生」は絶対的な基準のようなのだ。蒼生が喜ぶことが第一、なのだと公言して憚らない。とはいえ今回ばかりは、冬矢が部品を手に取りつつしてくれた説明によれば、家にあるものでは足りない機能がこれで補えるということだ。だとすれば必要なものなのかもしれない。
 と、健太がぱっと振り返り、蒼生に向かって笑いかける。
「また新しい美味しいごはん食べられるってさ! 楽しみだな~」
「あ……。そ、そっか。そうだね。楽しみだよね」
 答えながら、蒼生は少しずつ心が軽くなるのを感じる。たしかに健太の言う通りだ。健太は美味しい食事を楽しめるし、冬矢も好きな道具を自由に使える。自分だけのためではない。それならばいい。
「展示品だけかな。新品があればそっちのほうがいいが」
「したら、聞いてみようぜ。あ、すいませーん」
 あっというまに健太が動く。すぐさまにこやかな店員がやってきてふたりと話を始めるので、手の空いた蒼生はその様々な部品に目をやった。使いこなせるかはわからないが、きっと冬矢が教えてくるのを聞きながら一緒に作業できるのだろう。その時間を考えると、遠慮の気持ちはすぐにわくわくする期待に置き換わる。
 ふと、棚の空間越しに、向こうの棚が見えた。柔らかな色合いのマグカップが何色か揃って並んでいる。それがぽんと心に突き刺さった。ふたりの姿を確認すると、まだ店員と話しているようだ。一応見える場所であるし、移動しても大丈夫だろう。
 近くまで行くと、模様まではっきり見える。思った通りの模様だ。カップの下半分に、少し膨らんだ大き目の星と、へこんだ小さな星が散らされている。外側はカラフルだが、内側はどの色もベージュに塗られていて、とても落ち着いたデザインだ。蒼生が手に取ったのは、明け方のような静かな空を思わせる青色のカップだった。どれも綺麗だが、これが一番引っかかる感じがする。さっきの食器のように重量感はなく、ほどよい重さが手に馴染む。
「綺麗なマグカップだね」
 声に顔を上げると、商品の箱を抱えた冬矢が穏やかに笑っていた。
「あ、うん、見てるだけ」
 健太も割り込むように覗き込む。
「えー、蒼生が好きな柄じゃん」
「そうなんだけど」
「ああ、そういえば、健太は持ってきたカップ、この前割ってたよな。今は来客用の使ってるけど、せっかくだから全員で同じ柄にしようか。まずはここから。ね」
「……冬矢」
「いいじゃん。おそろい!」
「健ちゃん」
「んー、どれがいいかな。よし、このオレンジのにしよう」
「俺は白がいいな。蒼生は、それ?」
 本当に見るだけのつもりだった。けれど。
 ここから、という言葉に、じわりと嬉しさがこみあげてくる。
「……僕は、うん。この青いの。おそろいだね」
「やっぱ、おそろいっていいよなぁ」
「ああ」
 家に、色違いで揃いのマグカップが並ぶのか。健太と冬矢も嬉しそうにカップを持っていることも、蒼生にとってはとても嬉しかった。

 それぞれが、袋を抱えて店の外に出る。
「なんか、すごくすっきりしたぁ」
 蒼生が大きく息を吐く。
「たまにはいいものだよね。好きなものをぽんっと買うと、気分がいい」
「うん」
 多少強引に話を進めたかな、という自覚があった健太だが、にこにこ嬉しそうに3個のマグカップが入った袋を抱き締める蒼生にテンションが上がっていた。蒼生の笑顔は何物にも代えがたいご褒美だ。自分のシューズが壊れたのも、この笑顔をもらうための貴い犠牲だったのかもしれない。
 しかし、はしゃぎすぎたせいか、小腹が空いてきた。
「あのさ、さっきの案内板に書いてあったんだけど、あっちの広場のほうにクレープ屋があるんだって」
「ふーん? あの一瞬でよくそこまで見ていたな」
「食べ物屋は頭に入っちゃうんだよなあ」
「あはは、健ちゃんらしいね」
「でしょー。だから、おやつにしない?」
 冬矢と蒼生は目を見合わせ、それから同時に頭上の大きな時計に目をやった。
「もうおやつって時間じゃないと思うけど……」
「だけどさー、ちょっと甘いもん欲しくないー?」
「う」
 健太に子供のような目で見つめられ、蒼生が明らかにうろたえる。それでなくとも好物の名前を出されているのだ、惹かれないはずはない。蒼生は難しい顔で健太を見て、それから困ったように冬矢を見た。その仕草が可愛くて、思わず冬矢も笑ってしまう。
「わかったよ、食べに行こう。夕飯はそのぶん軽くして、何か買って帰るか……あるいはどこかで食べて帰ってもいいしね」
「そうする!」
「よっしゃ!」
「どんなのがあるかな~」
「蒼生の好きなのあるかな~」
「冬矢は何にする?」
「そうだな、暑いし冷たいのがあるといいね」
「いいねえ」
 並んで広場に向かっていくと、だんだんと甘い香りが漂ってきた。次第にそこに生地の焼ける香ばしい香りも重なり、蒼生の頭の中はクレープ一色になってしまう。そのせいか、角を曲がった途端、クレープ屋ではなく木の緑色がたくさん見えたので驚いてしまった。
 木? いや、落ち着いてよく見てみると竹か笹のようだ。広場に面して数本設置されていて、背丈より高く揺れる枝には、たくさんの飾りが吊されている。
「なんだこれ。七夕みたいだな」
「どう見ても七夕じゃないか?」
「じゃあ、これ笹なんだ。……あれ? 今の時期だっけ」
 不思議そうな3人だが、はたと冬矢が手を打った。
「そういえば、七夕は時期がずれる地域があるんじゃなかったかな」
「あー……そっか。このへんは今なんだ」
 奥にちらりと覗くクレープ屋にも早く行きたいところだが、この華やかな雰囲気も捨てがたい。誰からともなく吸い寄せられるように、3人はイベントスペースに入った。近くにはテーブルが設置してあって、誰でも短冊に願い事を書いて吊してもいいようになっているらしい。何組かがそのテーブルを囲んで短冊を書いているようだ。
 近付いて見た笹には、輪っかの飾りや天の川を模した飾りの下に短冊が数多く吊されており、そこに様々な願い事が書かれている。字が書かれていると、つい読んでしまうのは人の性というものだろう。3人もつい目についた短冊の字を追ってしまう。
「へー。犬飼いたいとかウサギが飼いたいとか、このへん動物ものが多いな。あれ、こっちは、逃げた小鳥が戻ってきますように~、だって。大変だなあ。早く戻ってくるといいなぁ」
「こっちは、字がうまくなりますように、とか卓球が上手になりたいです、だって」
「そもそも七夕は技術の上達を願うものだから、理に適っているね」
「え、そういうもんなの?」
「うん。けど、今ではそこまできちんとこだわる人は少ないと思うよ」
「よく知ってるねえ」
 書かれた願いは無邪気なものから強欲なものまで様々だ。一度自分の手を離れてしまえば、誰が書いたかわからない。だからこそ素直に願望を吐き出せるのだろう。
 蒼生はテーブルで短冊に向き合う人たちに目をやる。中学生くらいの女の子2人組は、「恋人が出来ますようにって書く!」とはしゃいで楽しそうだ。小さな男の子は、両親に見守られながら一生懸命にひらがなで自分の名前を書こうとしている。いい光景だな、と思う。
「せっかくだからオレたちも書いて行こうよ」
 健太の提案に、蒼生も冬矢も迷うことなく頷いた。
 笹の近くにあるラックに、ペンが数本置かれている。その脇には短冊と書かれた缶があった。覗いてみると、そこにはたった1枚、黄色い短冊が残っていた。
「あれ。もう1枚しかないや」
「どこかでもらえたりしないかな」
 きょろきょろしながら蒼生が言うと、健太はうーんと首を傾げた。
「んー。もしかすると1枚でいいんじゃないかな」
「え?」
「だってさ……。冬矢、何書くつもりだった?」
「もちろん、これからも愛する蒼生と一緒に幸せに暮らしていけますように、だよ」
「オレもだよ。大好きな蒼生と仲良くたくさん愛し合って楽しい日々を過ごせますようにって」
 蒼生はきょとんとして、それからふんわりと笑う。
「……たしかに1枚でいいや。全員一緒だもの」
 健太は嬉しそうに頷いて短冊を取り、冬矢も微笑んで蒼生にペンを差し出す。蒼生は、すべてを託された気分でそれを受け取った。
「じゃあ。……あ、でも、そのまま書いたら普通過ぎるかなあ」
「いいんだよ、普通で。それが一番難しかったりするじゃないか」
「そ。何も起きなくていいんだ。ずーっと一緒にいられればさ」
「……そうだね」
 蒼生は短冊に向き合い、「3人でいつまでもいつまでも幸せに暮らせますように」と丁寧に書いた。そして、左下に、「あおい」と綴る。
「あれ、なんでひらがな?」
「あっ。……そこでちっちゃい子が書いてた名前見てたからつられちゃった……」
 冬矢がふっと笑う。
「可愛くていいじゃないか」
 そうして蒼生からペンを受け取ると、右隣にひらがなで名前を書く。
「あ、オレも!」
 健太も、同じように左に。
 書き上げた短冊を、蒼生が目線の位置にそっと結ぶ。
「よし。いい感じ」
「そうだな」
 ふたりは満足げにそれを眺める。
 蒼生も、願い事と、並んだ名前を見つめた。
 それだけで、もう幸せな気分だった。
 同じ願いを込めた短冊は、ひらひらと優しい風に吹かれて揺れていた。

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