アトリ~嵐のデビュウ~
なすすべもなく流されていく3人の元に、「デビュー」の4文字は確実に近付いてきているようです。
なおこのあたりから、どんどん妙なからくりが登場してきて、「世界観とは?」になっていきます。
それをひっくるめたおふざけコメディシリーズですので、そういうものなんだ~と受け止めていただければ幸いです!
(2002/7/13初公開)
↑加筆修正くらいの気持ちでしたが、なんというかほぼ全編書き換えました。
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季節は、夏真っ盛り。休むことを知らない灼熱の太陽が、遮るものもない開けたバイオスフィア城をじりじりと照らす。
それでも本拠地の入り口から門までを貫く目抜き通りは行き交う人々で賑やかだ。到着したばかりの行商人を迎え入れた店主は、慌てて水の入った杯を差し出す。首から汗拭き用の布を提げた人々は、もはや濡れてさほど意味を持たないだろうそれで首筋を拭いながら、暑いですねと全く同じ挨拶を交わす。もはや体温よりも高いのではなかろうかという気温のせいか、人々の距離は心なしかいつもより離れている。近付いてお互いの湿気でより一層暑く感じることを避けているのだろう。かといって、この人数を収容しきれるほどの軒先もない。しかも、休憩が出来る飲食店などは混み合って中に入ることすらできないようだった。
そこで、誰かが氷を売り始めた。一体どこから大量の氷を仕入れたのだろうと訝しむ者もあったが、この暑さには叶わない。露店にはあっという間に人々が群がり、法外な値段を付けられた氷は飛ぶように売れていった。その列がさばききれなくなるようになると、少し離れた場所で同じように氷を売る者が複数現れた。分散されたはずのその列がまったく短くならないほどに、今日は暑かった。
建物の中に入れば日差しが遮られる分だけ気温は幾分か和らぐが、籠もる湿気のせいで不快指数は逆に上がっている。たとえ一番盛り上がる時期を迎えているラブラブカップルでさえ抱き合うことを躊躇うのではないかと思えるほどだ。だがそんな中、とある場所では異常な光景を見ることができた。それは本拠地の端も端、誰も通りがからないだろう隅っこにひっそり新設された部屋の中にある。
しーんと静まり返った部屋。事務机が並ぶその空間にも外と変わらない熱気が淀んでいる。その入り口側に置かれた大きなソファに、互いにもたれかかるように倒れ込んでいるひとかたまりがあった。糸の切れた操り人形が放り出されている姿にも見えるが、よく見ればかすかに呼吸をしている気配がある。
ばたん、と派手な音と共にドアが開いた。
「みんなー! お疲れ!」
同時にその場にそぐわないほど底抜けに明るい声が響いた。同じ勢いで閉じられたドアは、空気をびりびりと震わせる。その振動が届いたからか、微かな風に髪を揺らされたからか、重なったひとかたまりの一番上が視線だけをそちらに向けた。いや、視線だけしか動かせなかった。
入って来たナナミはそれを見て、にっこりと爽やかな笑顔を浮かべる。
「うん、相当疲れてるみたいだね。頑張ってる証拠だと思うよ! 大丈夫、キツイのは最初だけで、すぐに慣れるから! そうそう、カレンちゃんが褒めてたよ~。3人ともなかなか筋がいいって! ボイストレーニングのほうもそれぞれ順調みたいじゃない。うーん、いいねー。あっ、忘れるとこだった、いけない、いけない。疲れてると思って、用意しました~。じゃじゃーん」
ひとかたまりのほうは、しんと固まって反応を返さない。が、それを全く気にも留めず、ナナミは後ろ手に隠し持っていたらしい水筒を高々と掲げた。
「ナナミちゃ~ん特製~疲労回復ジュ~ス~!! これを飲めば一気に体力回復だよ。私とユウキも稽古のあとに飲んでるんだ。おすすめ!」
誇らしげにポーズをとり、どん、とそれをローテーブルの上に置く。やはり一番上だけがのそりとそれに目をやった。
「次の予定も頑張ってね。私もマネージャとしてめっちゃくちゃ頑張るから! じゃ、打ち合わせに行って来ま~す!」
ばたーん。その音を最後に、部屋は再び無音になった。
とても静かだ。部屋に戻ってきてから、いったいどのくらいの時間が経ったのだろう。ソファからは入り口のドアが見えるだけで、外が明るいのか暗いのかさえわからない。はあっと聞こえた息は、一番上にいたレイのものだ。ようやくなんとか顔を上げ、もう一度大きく息を吐いた。
「…………あー……。ふたりとも、……生きてる……?」
弱々しい声に、2番目にいたルックがぴくんと肩を震わせる。
「……ぎりぎり、なんとか。……はぁ、まったく……。こんなことをさせるなんて、いったい僕が何をしたっていうのさ……」
最後に、下敷きになっていたシーナが、ぱっと顔を上げて乾いた笑い声をあげる。
「あっははー……。ないない、完全無罪でしょ……」
「あんたはあるだろ、罪」
「ええー……? 記憶にございませ~ん……」
どの言葉にも、まったく覇気がない。声を出すのも精一杯といった様子だ。ふとレイが首を傾げる。
「けど、シーナは喜んでたんじゃなかった? 活動を始めたら女の子にモテるってさ」
「ああ、まあ、それはその、……な?」
「僕に同意を求めないで。あんたのソレ、まったく興味ないから」
「ルックってば塩……。いや、オレも、最初はさ、ちょっと頑張っちゃおうかな~? とか思った。思ったよ? だけどさあ、限度ってもんがあるじゃん?」
その言葉にはレイも異論はない。ルックも黙ったまま何度も頷く。
3人がこの状態になるのも無理はなかった。昨日突然ホールに呼び出されて始まった「ダンスのレッスン」とやらが、日付を超えて先程まで続いていたからだ。日付を超えて、である。さすがにぶっ通しではないとはいえ、あまりにも人権度外視のスケジュールではないだろうか。いくら普段から戦闘に加わっているからといって、超人的な体力があるわけではないのだ。特に体力で比較したら確実に一般人より劣るであろうルックが付き合えるはずもない。「回復魔法があるじゃないですか」などと宣われた時には、「手が滑った」と言って攻撃魔法を繰り出しかけていた。慌ててレイとシーナが2人がかりで止めていなければ、今頃どうなっていたかわからない。
体力というより気力が尽き果てているレイが、なんとか起き上がろうと腕を突っ張る。が、ずるりと滑ってルックの上に倒れ込んだ。
「……レイ……重い」
「ごめーん……。思った以上に体が自由に動かない……」
「あはは。レイでさえそれなんだから、オレなんてホント無理無理。まだ動けませぇん」
「そもそも僕の体力のなさを甘く見てもらっちゃ困る……」
「めずらしー。ルックが体力ないの自分で認めた」
「うるさいな……。あんたの軽口に付き合える体力もないって言ってんの」
「同意」
「わぁ、2人ともひどーい」
最後の言葉は無視をして、レイとルックは再び黙り込んだ。それきりシーナもおとなしくなる。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。しばらくはぐったりしていたレイだが、気合いを入れてゆっくりと体を起こす。
「……はぁ……。しんど。でも水分とらないともっと酷くなるよね、これ……」
体にかかっていた重さがふっと軽くなったルックは、部屋の奥の棚に置かれた水差しに目をやった。たっぷりと水が入ったそれには、一応こちらの体調を気遣っているのか、輪切りにした果物が浮いている。
「水を取って来るだけの元気があるんなら、僕の分も頼んでいい? 僕はまだあそこまで歩く気力がない」
ため息交じりにルックが呟くと、下のほうからくぐもった笑い声が聞こえた。
「……なに。気色悪い」
「えー? それはいいなあと思ってさ。だって、ずっとルックとくっついていられるもんな」
「っ!」
はっと目を見開いたルックが、がばっと勢いよく起き上がる。どうやら、自分がシーナに覆い被さるように倒れ込んでいたことにやっと気が付いたらしい。それだけ疲れ果てているのだろう。
「あれぇ、もっとゆっくりしてていいのに~」
「もう回復した!」
「そんなはずないでしょ~」
ルックとシーナは、そのまま起き上がる上がらないでぎゃあぎゃあと小競り合いを始める。よろよろと水差しのある机まで辿り着いたレイは、その様子をぐったりした目で見つめた。なんだ、割と元気になってるじゃないか、というツッコミを入れるとこちらも巻き込まれそうなので、水と一緒に言葉をごくんと飲み込んだ。
人数分のグラスをローテーブルの上に置くと、その争いも鎮火したようだ。ルックを抱き上げて膝の上に載せようとしたシーナは軽めのゲンコツをもらって嬉しそうにしている。
「ありがとう、レイ。そういえばナナミのジュースもあるけど?」
「それはお気持ちだけ。……とりあえず今日のところはお疲れ様。どっちにしても、あれだよね。レッスンなんていうのが始まっちゃった以上、彼らの本気度は比較的高い……ってことか」
ルックは長く息を吐く。
「そもそも僕ら全員の保護者にご丁寧に許可取ってる時点でアレでしょ」
「だよね~。監視下にあるってなると、かわいー女の子にキャーキャー言われるんでも自由度が違うもんな」
どかっ。
無言でレイとルックが息の合った蹴りをシーナに入れる。「いてっ」と呟いたシーナはソファに倒れ込み、その反動を利用してルックに縋ろうとした。が、軽い身のこなしに阻まれて完全にバランスを失い、そのまま床にごろりと転がり落ちていく。
「えー。さっき女の子の話した時は受け入れてくれたのに……」
「さっきだって元気だったら蹴ってたよ」
「あはは、ひでえ」
見事な落ちっぷりが自分で面白かったらしく床に仰向けになったまま笑いだすシーナに、レイが呆れたように目を落とす。
「あのねえ。シーナの趣味に付き合ってるほど僕も暇じゃないんだよね。女の子にキャーキャー言われたいなんて思ってないんだから。むしろほっといていただきたいんですよ」
ルックも深く頷き、グラスに手を伸ばした。
「僕は老若男女誰であろうとほっといてほしい」
「ああ、うん……。ルック、騒がれるの好きじゃないもんね」
「むしろよく僕とレイを担ぎ出そうなんて考えたなって思うよ。このお祭り騒ぎバカひとりならともかく、どんな想像を膨らませてこんなバカな計画を立てたんだか。きちんとした技術を持っている奴がやるならともかく、ちょっと練習したくらいの素人を人前に立たせたとして誰が喜ぶわけ? そもそもこの城、石板置く位置からして人通り多すぎなんだよ。番をする身にもなってほしいんだけど」
この際とばかりに不満を零すルック。まあまあとなだめたいところではあるが、妙に納得してしまってレイも口を挟めない。
そこにシーナがぱっと起き上がった。何かを思いついたように目を輝かせるシーナに、レイとルックは不審な目を向ける。
「……急にどしたの」
「もしかしてこの状態って、オレたち『運命共同体』ってことじゃない? なんかそれはそれで嬉し」
どかっ。
3人は、机の端に合わせるようにきちんと置かれた1枚の紙から目が離せなくなっていた。ポジティブな意味だったらいい。そうでないから大問題なのだ。見た瞬間、気が遠くなりかけるほどの圧があった。気を失わずに済んだのは、犯人らの手口を考えると、次に目を開けたらステージの上にいたということも十分ありえるだろうと警戒したからだ。
すっかりマネージャの顔をしたナナミが、同じ紙を目の高さでひらひらと振る。
「ってわけで! デビュー日とデビュー曲が正式に決まったので、そろそろ本格的に全員での歌の練習に入ってもらいまーす!」
内部向けの文書なのだから適当でいいはずなのに、本格的な画材を使って描かれたカラフルな書類。でかでかと書かれたデビュー決定の赤い文字が恨めしい。
ちらりとレイが目を上げると、胸を張るナナミの後ろに満面の笑みのアップル、難しい表情を崩してはいないがどこか楽しそうなシュウの姿が見える。この城の最高責任者様はさらに向こう、壁際でおとなしい顔をしてぽつんと立っていた。
「……歌?」
「歌!」
そのスタッフ全員に向けたレイの言葉には、勢いよくナナミが答える。後ろにいた犯人たちはナナミに任せているのか、何の反応もしない。
「具体的にはね、いったん自分のパートを各々で練習してもらって、それから3人そろって合わせる練習を始める感じね!」
「……いや、アイドルって仕事がどういうものか説明は受けたしね、ボイストレーニングとかいうやつで声出す練習もしてたからね、そういうことになるんだろうと覚悟はしてたけど……。あの……僕、すごく小さい頃、うちでお客様招いてやった晩餐会でちびっこの出し物として歌ったことがある程度なんです……」
「それ言ったら、僕なんて今まで一度たりともそういう機会なかったんだけど。だいぶ無理があるよ」
2人の弱音を聞いたナナミは、腕を組んで元気よく頷いた。
「だからこその練習だよ! どんな道でも、最初は一歩目なんだから。まずは踏み出すことが大事なんじゃないかな!」
鬼かこの人、と思うが、最初からわりとそういう扱いだったので今更だ。しかも正論なので返す言葉が見つからない。
肩を落とす2人の横から、シーナがすっと手を伸ばした。そして机の書類を手に取ると、上から下までするりと視線を動かす。
「てかさ、今までオレたちダンスは一緒だったけど、ボイスなんちゃらってやつはバラバラにレッスン受けてたわけじゃん。素人なのは全員一緒なんだから、バラバラだとかえって手間だったと思うんだよね。なんか意図でもあったりすんの?」
意外とシーナは順応性が高い。特に、他人……というより女性がいると、平然と順応してのける。レイとルックは、じゃあなんで3人の時は甘えたがるんだよかっこつけやがってこいつ、と思うが、ツッコむとまたあとがやかましいので黙っておくことにした。
「ああ、うん。だって、3人っていつも一緒でしょ」
「オレたち? うん、そうだね」
「は?」
「は?」
黙っておく、のはずが、思わず声が出てしまう。
「だから、今更一緒になにかしても新鮮味がないわけじゃない」
「ああ、なるほどね、そうかも」
「新鮮味?」
「新鮮味?」
ナナミはぴっと人差し指を立てる。
「だったら、直前まで別々にやってもらってたほうが、初めて合わせてみた時の感動が違うんじゃないかなってアップルちゃんと話し合って決めたの」
「そういうことね!」
「余計なことを……」
「余計なんだよ……」
レイとルックは溜め息をつくが、ボリュームが小さすぎてナナミたちには届かなかったようだ。せめてそうだと信じたい。
2人の意思は置いていかれたまま、ナナミは立てた指をぐっと天に掲げた。
「そして! 注目のデビュー曲のタイトルは、『トライアングル・ウォーズ』でぇす!」
「へえ」
「これで乙女の皆さんの心をゲットしちゃってね!」
息のぴったり合ったツッコミを繰り返していたレイとルックだが、さすがに「それはないのでは」という言葉はなんとなく言えなかった。
言うことをすべて言い終えたのか、ナナミは部屋の奥に作られた会議用スペースに走っていく。そしてアップルとシュウと3人で顔を突き合わせて何事かの打ち合わせを始めた。どうせろくでもないことだろうと肩を落としたレイがソファにどさりと座り込むと、ルックとシーナもそれに倣う。
「……あれってかっこいいの?」
ルックが呟くと、なんのことだかすぐに分かった2人は乾いた笑いを浮かべた。
「さあ……。ちょっと僕にはわからないな……」
「中身が想像できない曲名だしなあ……。曲調だってわかんないし」
大体が肝心な説明が抜けているのでは、と思う3人だ。最初からすべてを説明されていれば納得できることもあるだろうに、……いや、ないか。
そこに、軍主殿がひょっこりやってきた。そういえば首脳会議には参加をしていないらしい。
「あの……お疲れ様です」
ぎらりとレイとルックの目が光って、軍主ユウキは半歩後ずさる。が、次の瞬間には何事もなかったかのようにちょこんと向かいのソファに座った。
「大変そうですね」
しかもさらっとそんなことを言うのだから、ずいぶんと度胸があるものだ。ルックの機嫌が悪い時には誰もが石板の前を避けて通るし、レイが怒気を孕んでいる時は全員が無意識に緊張感を持つ。そんな状態の2人に気軽に話しかけられるのはシーナぐらいだ。……のはずだったのだが。優し気な外見をしているとはいえ、さすが軍を率いるだけあって肝が据わっている。普段であれば感心すべき部分であろうが、ここで引き下がっている場合ではない。
「おかげさまで」
あえてレイは酷く棘のある言い方をする。しかし、ユウキはまったく動じる様子がない。
「僕も、御三方のやつれようを見てると、ちょっとは申し訳なかったかもなあ、って思うんですけど」
「ちょっと、ね。ユウキも元凶のひとりだと思うんだけど」
「そうかもしれません。本来なら止めるべきだったのかもって少し思います。だからこそそんな中でも軍のために一肌脱いでいただけるという皆さんの心意気には、感謝しかありません! ナナミも頑張ってて、きっとうまくいくんだろうなって思ってます! それに暴走したナナミが誰にも止められないのは、僕が一番よく知ってるんで」
それはなんの自慢になるのだろう、とルックが心の中で毒づく。声にならないそれをなんとなく察したレイは、わずかに腰を浮かした。今も真剣に話し合いをしているのは向こう側にいる3人だ。しかも「ナナミの暴走」と言い切ったユウキは、共犯者の中でも一番わかりあえる人種なのではなかろうか。
「……なるほど。軍のため、というのはたしかに僕たちも納得したところだ。少し時間を持て余しているような節があったのも確かにあるかもしれないね。けど、どうだろう。このままこの計画を進めていいものなのかな? 人選にしても、ルックは騒がしいことが苦手だし、僕とシーナもこういった経験がないうえに、目立つことも好きな訳じゃない」
シーナに関してはそうでもないんだろうけどと思うが、それで乗り切るつもりだ。レイはぐっと身を乗り出す。
「アイドルという案はなかなか面白いと思うよ。だけど、そんな性格の僕たちで果たしてやっていけるのかどうか疑問なんだ。第一、現状を考えると明らかに『敵』がいるわけじゃないか。戦争中なわけだしね。つまり、僕たちをサポートするのがユウキたちだとわかれば、少なくともハイランドから見たら、格好の標的ということにならないだろうか。僕たちだけならともかく、バイオスフィア城自体を危険にさらすことになるんじゃないかな」
おお、とシーナはまばたきだけで拍手を送った。さすが門の紋章戦争のリーダー、我らが英雄! と胸の中で称賛する。
対してルックは冷めた目でユウキを見ていた。レイの言うことはもっともだ。だが、3人の中で最もユウキと共にした時間が長いルックは、彼の図太さが並ではないことを知っている。
果たして、ユウキはにこっと天使のような笑顔を見せる。
「大丈夫です!」
「って?」
「はい! レイさんが僕たちのことを真剣に心配してくださっていることがよくわかりました! 僕たちもそれにきちんと応えていかなければいけないってことですよね! 我々は一団となって、皆さんとこの城を守っていきます!」
きょとんとするレイ。ルックはやっぱり、と息を吐く。ユウキは無邪気ににこにこしながら、足をぶらつかせている。
「いやー、もうすぐ皆さん大人気になりますもんね。羨ましいです!」
「……そう言うなら、交替してくれる?」
わずかにひきつった笑顔でレイが問いかけると、ユウキは純真な笑顔を維持したまま勢いよく首を振った。
「お断りします!」
前言撤回だ。この男が一番手強い。
城の奥にひっそりと隠すように作られた階段の下に、『スタジオ』と称される部屋があった。入り口は鉄製の扉で厳重に鍵が閉まるようになっており、最初案内された時は「地下牢?」と思ったものだ。ナナミ曰く、秘密保持と音漏れ対策ということだが、3人の心情的には地下牢のほうが合っているだろう。
「え、えっと、ですから、ここの音から……」
「ねぇねぇアンネリーちゃん~。そんなことよりオレと遊びに行かない?」
「ええぇっ!?」
「……っ、そこのナンパ野郎! 黙って聞いてりゃうちのアンネリーにっ!!」
「あーらヤダお兄さんヤキモチ~? 男の嫉妬ってヤダねー」
「だっ、誰がだっ!」
「第一オレの性癖についてご意見あるみたいだけど? 似たようなもんなんじゃないの、あんたも」
「何を!」
「毎回毎回飽きないねえ」
目の前で騒ぎが起きているが、きわめてどうでもいい。ソファに座ったレイは手元の楽譜に黙って目を落とし、隣のルックも壁にかけられたよくわからない絵を見つめる。
それにしても、今までどうやって隠してあったのかと不思議になるくらい広い部屋だ。スタジオは音を遮断するためのドアが二重に設置されていて、その間に更衣室を兼ねた控え室がある。それを通り過ぎた奥が、この広い練習用のスペースだった。練習部屋には一通り楽器が揃っており、アンネリーが発声に必要なボイスレッスンを行ってくれていた。何度か発声を練習した後には、ピコとアルバートをバックバンドに音に合わせる歌い方の指導も受けた。さらに、机を並べて楽典の座学をコーネルから学ぶこともあった。
こうしてみると、犠牲者の数が多い。レイとルックは、いったいどんな見返りで懐柔されているのだろうかと彼らを疑いの眼差しで見ていたが、同時に首謀者の強引さを思えば同じ被害者なのかもしれないという同情もあった。ゆえに、1人でのレッスン時はおとなしく言うことに従っていたのである。
レイとルックはちらりとシーナに目を向ける。自分たちがそういう心持ちだったこともあって、なんとなくシーナもそうだろうと想像していたのだ。それがまさかこんなに楽しそうにしていたとは。
「……なんであいつ、あんなにこうなんだろうね。どれがなにとは言わないけどさ……」
レイが呟くと、ルックはうんざりしたように視線を寄越した。
「どれのことを言ってるのか、候補がありすぎてわからないね。まあ少なくとも、あいつだけ毎回帰りが遅かったのはこういうことなんだろうと理解できたよ。できたところでどうでもいいんだけど。さらに言えば、この無駄な時間がなんなのかはなはだ疑問だけど」
はー、とルックが長い溜め息をつく。突っ込むのが面倒で黙っていたが、レイもそう思っていた。まさかあの騒ぎがシーナの発声練習というわけでもないだろうに。
「えーと。……それで? 今日の練習のスケジュールはどんな感じ?」
このまま放っておいても自分の時間が削られていくだけだと諦め、レイは営業スマイルで話しかける。するとピコとシーナの間でおろおろしていたアンネリーがぱっと顔を上げた。
「あっ、はい、前回でそれぞれのパートは練習してもらっているので、まずは一度合わせるところから……。ではあちらの部屋にお願いします」
「わかった。ほら、シーナ。手伝ってくれてる人たちを困らせちゃいけないだろ」
「ちぇー。……いってぇ」
わざとらしく口を尖らせるシーナを、立ち上がる勢いを利用したルックが小突く。それに文句を言うかと思いきや、何故かシーナはにやにやと笑っている。ルックは気味悪げに眉を顰め、すっと視線を逸らしてレイの後に続いた。するとさらにシーナは機嫌よくルックについていく。ますますルックは鬱陶しそうだ。
3人はバンドに続いて隣の部屋に入った。そこは録音ブースと聞いていたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。まず目に入ったのは、何に使うのか全く想像のつかない大きな平べったい箱だ。部屋の半分くらいを占めるどーんと存在感のあるその表面には、丸いものや四角いもの、様々な突起が数えられないくらいついていた。さらには明らかにそれらを動かすことを前提としたような溝がある。からくりの類だと思うが、専門家ではない3人にはまったく理解ができなかった。
その狭い部屋に対する説明はまったくなく、奥に見えていた大きなガラス窓のある個室にそのまま通される。窓はブースとの境にあるその窓だけで、殺風景で小ぢんまりとした部屋だ。中央には間隔をあけて先の太った黒い棒が3本立っていて、それぞれの前にご丁寧に名前入りのカードが挟まった譜面台があった。
「これ……名前のあるとこが自分の場所ってこと?」
「足元にマークがついてんな。ここに立てばいいのか」
「だるい」
3人で確認し合って指定の位置につく。自分たち以外はガラスの向こうだ。まだ時間があるようなので、レイは楽譜を譜面台に置き、息を落ち着かせながら眺める。貰ったアドバイスがきっちり書き込まれた楽譜。タイトルを聞いた時にはどうかと思ったが、実際に音を聞いてみるとさほど悪くなかった。アップテンポで音の流れが心地よくて、自分が関わっていなければ人にも聞かせたい音楽だと感じる。他に適任もいただろうに。
「準備はよろしいですか?」
向こう側からの籠もった声が聞こえる。駄目と言って聞いてもらえたらよかったのだが。
「……はい」
「ありがとうございます。ではまず一番だけ、通してお願いします」
短いカウント。そのあとで、イントロが入る。どういう仕組みかはわからない。とにかく、様々な楽器が入り混じった音楽が頭上から聞こえてくる。
曲の構成は、Aパートでレイのソロから始まり、ルック、シーナと続いた後でBパートが掛け合いになり、Cパートで全員の声が揃うことになっていた。合わせたことがないから、どうなるのかは皆目見当がつかない。それをデビュー直前のこの時期になってようやく初めてやるのだから、彼らの計画が綿密なのかガバガバなのかの判別がつかない。一体どういうつもりなのだろう。先日の発言では「初めての感動」のためだと言っていたが、客相手ならともかく、それを内部にまで持ち込む必要はあるのだろうか。
レイは、大きく息を吸い込んだ。
(……結局、2人の歌声って聞いたことがないんだよね。僕も歌ってるの聞かせるの、ちょっと照れるな……)
直前まで話をしていたせいか、すんなりと声が出る。
(! へえ……。レイ、めちゃくちゃ不安そうにしてたけど、上手いや! すっごい素直な声。わー、いいな。こういうとこにも性格出るんだなあ)
(ふうん。仮にどこかで聞かれていたとしたら、目を付けられて当然だろうね。なるほど、これは売れるって言われると否定できないな。……あー、僕の番か……)
レイがほっと息を吐き、ルックががくんと肩を落とす。
(うっわ! いい! いい!! 可愛いんだけど、それだけじゃなくて艶がある!)
(綺麗だなあ……。ああ、声が優しいんだ。普段つっけんどんな物言いしてるから、いっそう引き立つな……)
歌い終えたルックがふと目を上げると、安心した様子のレイと視線が合う。それで体の芯から力が抜けたのがわかった。どうやら意識はしていなかったが、自分たちは相当緊張していたらしい。よく考えれば、いやよく考えなくとも自分たちは初心者なのだから当然だ。よくもまあ無茶なスケジュールをこなしていると思う。どのタイミングだったら逃げ出せたかなという無駄な妄想を何度繰り返したかわからない。だが、今はそれを頭から振り払う。余計に気が滅入りそうだったからだ。
が、次の瞬間、レイとルックはそれどころではなくなる。
(! えっ?)
(……なに……これ)
一瞬そちらを見た視線が、瞬時にお互いに戻る。呆然と視線を交わすが、できることといったらそれだけだ。
2人はすぐ我に返って譜面に目を落とした。シーナのソロパートは間もなく終わる。何拍か置いて、Bパートが始まる。会話をするように声を音に載せていく。
そして、とうとう。
3人の声が、揃う。
(!!)
(……うわ)
(わー!)
レイとルックは目を見開く。
どう歌おうか、打ち合わせをしたわけではない。ただ、楽譜があって、その通りに歌っているだけだ。
なのに。
これは。
まずい。
最初のサビが終わったあと、アンネリーが曲を止めた。
「はい、ありがとうございます。素晴らしいです。みなさん、とてもよく……って、えええっ!? あ、あの、レイさんっ!? ルックさんも……、ど、どうしたんですか?」
全員の目が、スタジオの中央に向かう。そこには、床にへたりと座り込むレイとルックの姿があった。
シーナはぎょっとしてしゃがみこみ、2人に視線の高さを合わせる。
「ちょっ、レイ! ルック! 大丈夫か!?」
ぎしっと音がしそうなほどぎこちなく顔を上げたレイが、小さく笑う。
「あ……、うん、平気。ちょっと、…………いや、初めての経験で緊張しちゃって。なんとか声が裏返らなかったなぁよかったなぁって思ったら、ほっとしたんだ、それだけだよ」
「僕もそんな感じ」
「そう? それならいいんだけど……大丈夫なんだな?」
「うん……」
煮え切らない返事で頷く2人に、やはりシーナは心配そうな顔のままだ。レイが今度はきちんと笑って「水がほしいな」と言うと、ようやく安心したように立ち上がってブースのほうに水差しを取りに行く。
その背中を見送って、レイは膝立ちでそっとルックに近付いた。
「……ルック。平気?」
「駄目……かも。意味がわからない。腰がぞくぞくして、うまく立ってらんない」
「だよね、僕も背中から腰あたりがもぞもぞして変な感じ。……まさかあいつ、あんなに上手かったなんて」
「なんなの? あいつの器用さからしたら、まあ、うまくやるんだろうとは思ってたけど……ここまでなんて」
「3人で歌った瞬間、雷が落ちた感じがしたもん……鳥肌たったし……」
「……声が合うってこういうことか、って……」
シーナは楽団のメンバーと楽しそうに話しながら、水差しとコップを受け取っているところだ。その笑顔を眺め、2人してはあっと溜め息を吐いた。
「僕たちがどうしてこうなっちゃったかは、シーナには絶対黙っとこうね」
「当然だろ。こんな悔しいことはないよ」
「これから今後……あれと一緒にいることになるかと思うと……めまいがするけど……」
「レイ、それは言わないで……」
録音ブースの外で盗み聞きをしていたシュウは、不敵な笑いを浮かべてそろばんを弾いた。
それを3人は知る由もない。
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