高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2024年10月21日 20:00    文字数:29,633

68こ目;ひとかかえだけの王国

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大学の学祭にサークルメンバーとして参加した3人。
今回のお話は、それをきっかけに思い出した高校2年生の学祭の思い出話です。

普段より少々長くなってしまいました。
秋の夜長にゆっくりご覧いただければ幸いです。

↑初公開時キャプション↑
2022/10/20初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
1 / 1

 通常の講義室とさほど変わらない大きさの集会室は、ほぼ満席状態でごった返していた。客層は何故か女性がほとんどだ。一応メインであるはずの展示パネルの前にもぱらぱらと人の姿があったが、ほとんどの客は簡単なテーブルクロス代わりの布が掛けられた小さな机にひしめき合って座り、その合間を縫って飲み物を運ぶ一部の学生の姿を目で追っていた。
 パネルで仕切られた裏側のスペースに向かい、健太は覗き込むような仕草で声をかける。
「蒼生、オレンジジュース2つと冷茶1つ」
 裏側でせっせとコップの準備をしていた蒼生が、ぱっと顔を上げた。
「はーい」
 大学祭での読書サークルの参加形態は、あくまでも「休憩所を兼ねたメンバーおすすめの書籍紹介」であり、喫茶店ではない。そのため、用意してある飲み物は市販のペットボトル飲料だけで、それをコップに注いで提供するだけだ。
 表と裏を仕切るように置かれた教卓の上に蒼生がコップを置くと、「ありがと」と笑った健太がそれを持って行く。
 入れ替わるように、冬矢が蒼生の前に来る。明らかに機嫌の悪い笑顔だ。そうだろう、冬矢はそもそもこういう時にフロアに出たがらない。しかも女子に引き留められている姿を何度も目にしているから、疲れていて当然だと思う。
「ねえ、冬矢。僕、そろそろ替わるよ」
「……いや。俺の可愛い蒼生に目を付けられては困るからな」
 小声で冬矢がそう言うと、蒼生も困ったように首を傾げて声のボリュームを下げた。
「それは僕も同じなんだけど」
「ふふ、そうだな。なるべく目立たないようにするよ」
 冬矢はそこでだけ本来の優しい笑顔をふと浮かべると、注文のオレンジジュースを2つ持って行った。
 蒼生は集会室の中を眺める。給仕に走り回るのは健太と冬矢、あと男子学生1名と女子学生2名。その中で、どう見てもふたりは目立っている。座る女子たちの視線の多くは、明らかにふたりに向いているではないか。それだけでも気になって仕方がないのに、普段はまっすぐ自分に向くふたりの目がこちらに向かないことにももやもやしてしまいそうで、ぶんぶんと頭を振ってその考えを振り払う。そう、これはサークルのお仕事だ。せめて同じ服でも着てやれば良かっただろうか、そうしたら3人がひとくくりだと思ってもらえただろうか……いやいや。
 さっきからこんなおかしなことを繰り返し考えてしまっている。
「はー」
 戻ってきた健太が、教卓の上に突っ伏した。
「大丈夫? 健ちゃんも疲れてるでしょ」
「うん……」
「僕、替わろうか。僕ばっかり楽してて悪いよ」
「ううん、オレの蒼生がナンパでもされたら大変だから、蒼生はそこにいて」
 蒼生は思わずくすくすと笑う。言い分がふたりとも全く同じだ。けれど、本当に蒼生のことが大切すぎるから出てくるセリフだと蒼生もわかっている。そのうえおそらく、蒼生がふたりから頼まれた注文を裏でせっせと準備する作業が楽しい、と思っているのもバレてしまっているのだろう。申し訳ないと思いつつ、大事にされている実感に安堵してしまう。
 健太はさらに奥を覗き込み、大学祭の途中報告をサークルのサイトに載せるべく作業している男子学生に向かって声を掛けた。
「ねー、先輩、オレたちのこと働かせすぎじゃないですかぁ?」
 たしかに、と胸の内で蒼生も頷く。そもそも「休憩所」という名目上、さほど人が集まることを想定していないはずだ。実際、昨年まではちらほらとしか人は来なかったというではないか。だから、好きな本を選んで、パネルにそれぞれ書き込みをするだけでほとんどすることはないという話だったのだ。実働部隊は1年と2年だから人手は少ないとはいえ、2~3人ずつでひとり1~2回出番が回ってくるだけだと聞いていた。だが、なんだかんだで蒼生たち3人は、昨日今日とほぼフルでこの部屋に詰めている。
 奥で作業している学生が顔を上げた。
「そりゃおまえ、おまえと笹原が野木沢とシフト分かれんの嫌だとかわがまま言うせいでメンバーの振り分けが面倒になったからっつーのがほぼ原因ですけど?」
「ぐっ……」
 健太が黙り込む。そこに冬矢が戻ってきて、見えないように蒼生の腰に手を回す。
「けれど、当初のシフトでは俺たちは初日の頭と今日の昼過ぎだけでしたよね?」
「仕方ないだろ、おまえら引っ込めたらクレームが来たんだよ……。イケメンがいるって聞いて来たのにいないんですか、って」
「それは俺たちの責任じゃないと思いますけど」
 ひらひら、と手を振って画面に目を戻した先輩は、拗ねたように口を尖らせる。
「休憩室に待ち行列が出来るなんて俺らも想定外だったんだから、諦めてくれ。あー、俺もそんなにモテてみてぇよ。……細谷部長と神崎副部長が、功労賞として終わったら何でも奢ってやるって言ってたから、頑張れ」
 3人は顔を見合わせる。
 そこに、フロアから「すみません、注文いいですか」と声がかかる。ふう、と息を吐いた健太と冬矢がぴっと背中を伸ばした。
「……なんかすっげえもん、奢ってもらおう」
「そうだな」

 大学祭の全行程が終了し片付けを終えた3人と、同じく1年生部員の木之下は、揃って駅前のファミリーレストランにやってきた。まさかの大盛況で全員がへとへとになってしまい、打ち上げは後日ということになったのだ。だがこの状態では夕飯の支度も面倒だ。そこで、最後まで残っていた木之下も誘って食事に来たというわけだ。
 はー、と息を吐いたのは健太だ。
「バイトより疲れた……」
 その横に座っていた木之下が、真面目な顔で頷く。
「労働に対する対価が支払われないわけだからね」
「そうそう。しかも店と違って、祭りだもんな。連絡先渡そうとしてくる子、結構いてさあ。そういうのはごめんなさいーって何度言ったかなあ」
 冬矢の隣で、蒼生がぴくんと肩を揺らす。気付いた冬矢が、椅子に置いた手をそっと握ってくれたので、なんとか平静を装うことができた。そうだろう、あの勢いで視線をいただいていたら、そういう声もあって当然だ。ふたりはかっこいいからな、と納得はするが、いい気はしない。やはりお揃いの服が必要だったか。結局自分たちの仕事が忙しくて歩き回ることも出来ず、大学内で何が行われているか知らないままだったのだが、これ以上かっこいいふたりを人目にさらすのは危険だっただろうからこれで良かったのかもしれない。
「対価っていえば、木之下、先輩たちの奢りの話聞いた?」
「うん。……そうだ、帰りがけに俺、伝言もらってたんだ。1年と2年で別々にやるから、食べたいもの考えておけって、神崎先輩から。日にちも相談してくれって」
「先輩から? そっか、じゃ他の1年のみんなにも確認取らなくちゃだね」
 夏合宿でイメージアップを図って部員を増やしたいという先輩らの計画はうまくいったようで、1年も2年も少しずつではあるが人数が増えた。同学年なので上も下もないはずなのだが、先に入ったこの4人が何故か1年の中心に見られてしまっている。
 木之下は、蒼生に向かって頷いた。
「俺が聞いたし、俺のほうから一応連絡入れておくよ」
「ありがとう、木之下くん。お願いします」
 健太と冬矢は、ふっと窓の外を見た。細谷はともかく、神崎が来るとなると気が抜けない。完全に蒼生に気があるとまでは断定できないが、やたら蒼生に近付いてくる気配があるのだ。合宿で嫌がる蒼生に無理矢理触れたことについても、未だにふたりは許していない。
「それじゃ、そろそろ俺も帰るよ。3人はどうする?」
「まだオレ食い足りないから、もうちょっといるわ」
「そっか。じゃあ、お先に。ご飯代……」
「払っとくから、後で精算しよーぜ」
「うん。じゃあ、今日はお疲れ様」
 手を振って、木之下が席を立った。
 ようやく3人きりになったことで、健太が机に突っ伏し、冬矢が首を回す。その溜め息が見事に重なった。それはもはや今日のことではなく、これから来るであろう神崎とのバトルに対して気合いを入れる為のものだったが、蒼生はふたりが疲れ切ってしまったと思ったらしい。心配そうな顔で、ふたりの手を両手でそっと包み込む。
「本当にお疲れ様……。ごめんね、僕の分まで頑張ってもらっちゃって。どうしよう、僕に何か出来ることないかな」
 ふたりは、どうしようもなく愛おしいものを見つけたような顔で蒼生を見る。蒼生を閉じ込めたのは自分たちのわがままだ、と何度も言っているのに。初日の最初のシフトで蒼生が女子たちの注目の的になったことが怖かっただけなのに。それを、蒼生も知っているのに。
 だから、健太は明るく笑った。
「それじゃあ、今日はいっぱいサービスして」
「今日? えっと、ここを僕が払うとか」
 冬矢が、ふっと意地悪げな顔で笑う。
「さて、そういう意味だと思う?」
 ぱっと蒼生の顔が朱に染まった。
「……あ。そ、そっか。そういうこと、だよね。……で、でも、よけいに疲れちゃわない?」
「最高の癒やしだから大丈夫」
「使う体力が違うから」
「そう、なんだ……」
 ふたりの手を握った蒼生の手が、じんわりと温かくなる。まんざらでもなさそうな様子に、ふたりの“蒼生可愛いメーター“が振り切れそうになった。今すぐにどうにかしてしまいたい衝動から逃れるように、健太は慌ててメニューを手に取る。
「えーっと、そのー、食い足りねえのはマジなんだ。もう少し体力回復させて。そしたら一晩頑張れるから」
「ひ、一晩は、僕のほうが無理だと思うけど……」
「ふふ。俺たちも何かもう1杯飲んで、水分不足を解消しようか」
「うっ、うん」
 追加注文を終えると、わずかに間が空く。その隙間でつい今晩のことを考えてしまい、体の奥がざわっとした健太は、ますます慌てて頭の中を探る。なにか、別の話題はないだろうか。ぐるぐる考えて、そして、「あ」と声を上げる。
「? どしたの?」
「いや、そういえば、高2の学祭も大変だったなーって急に思い出してさ」
 ああ、と蒼生と冬矢が頷く。
「そっか。あの年、うちのクラス喫茶店だったもんね」
「あれも途中で突然にさらなる労働を求められたんだったな」
 健太も全力で働いたが、蒼生と冬矢の気苦労はむしろあの時のほうが大変だったかもしれない。3人は目を合わせて、懐かしい思いに浸る。


 高校2年生。
 秋に行われる学祭に向け、クラスでは議論が白熱していた。クラス替えのない学校であるせいか、ほぼ全員が一丸となって「昨年よりもグレードアップさせたい」という熱意でああでもないこうでもないと意見を出し合っている。1年時は小ホールを借りることができたので、そこを全面に使用した縁日を出し物にした。なかなか好評だったが、今年はホールの抽選に外れてしまった。ではそれに勝るものは何かという議題で、縁日の中で一番楽しかったし評判も良かった冷製クレープをブラッシュアップして喫茶店にしたらどうかという方向でまとまりかけているようだ。現在の議論の中心は、それを普通にやって周りのクラスに埋もれないかということらしい。
 健太は完全にそちら側なので、立ち上がる勢いでアイデアを出している。そのクラスの雰囲気を、後ろのほうからにこにこ見ているようで見ていないのが蒼生と冬矢だ。クラスの中で盛り上がる生徒たちがいる一方、そういう行事が不得意な生徒もいるのは当然だ。その遠巻きに見ている一群の中に、ふたりはすーっと混じって大人しくしている。騒がしい行事が苦手で人混みが嫌いな蒼生と、人に紛れて一緒に何かをすることが嫌いな冬矢が引くのは当然だ。が、嫌そうな顔をするのも大人げないとわかっているので、ただ時間が過ぎていくのを待っていた。だが、ここで離脱するわけにはいかない。一番大切なのは、「何もしない役に就くこと」だからだ。勝手に目立つ位置に配置されるのだけは避けなくてはならない。
「……じゃあいっそ、すっごいドレスにしちゃうのどう!?」
「いいね! 男女ともドレスで!」
「いや待って、向こうのクラスが男女逆転で執事&メイドカフェやるって聞いたよ」
「あー……。そしたら、うちは正攻法で男子が王子、女子が姫にしない?」
「……いいね!」
 視線がちらちらと来ているのがわかるが、気が付かないことにする。
「それでいいかな」
「いいでーす」
「反対の人ー……は、いないか」
 そうして議論は進んでいく。最初は反対の声もちらほらあったのだが、話し合いの時間が長くなってきたのでどうでもよくなってきたのが黙っている彼らの本音だろう。そのおかげで、ほぼその案で決定しそうだ。
「役割はこんなとこかな。部活とかで準備にかけられる時間が限られてる人もいるし……」
「うん。当日は王子と姫の衣装着る人は準備を少し減らして。教室の装飾をやる班は当日バックヤードを交代でって感じかな。衣装については被服部の子中心にみんなでやろう」
「まずは各自の希望を聞いていこうか。やりたくないことやってもつまんないしさ」
「じゃ、まずは面倒なとこから。装飾やりたい人~」
 さっと何人かの手が挙がる。同時に、ガタンと椅子を引く音とどよめきが教室の中に溢れる。それは、その中に蒼生と冬矢の手もあったからだ。
「えっ!? 笹原くん、なんで!?」
「そういう衣装を着るのなら、それなりの装飾が必要だろう? 細かいところまでこだわったら面白そうだと思ってね」
「で、でも」
 健太が「そっか」と大きく言って手を叩く。
「だよなー、冬矢がやるとなんか時代考証? っての? にこだわった装飾が出来そうだよな!」
 そこに、元々手を挙げていた美術部の女子が、さらに元気よく手を上に伸ばす。
「私、油絵描く! 担任の肖像画飾ったらめちゃくちゃ面白そうじゃない!?」
「あ、いいねえ」
「オレ、壺作りたい!」
 あっという間に装飾の希望者は冬矢を中心にまとまり出す。そうなってしまうと、冬矢に王子衣装を着せたい女子も黙らざるを得ない。すると、彼女らの視線は自然と蒼生に向かう。
「野木沢くんは、衣装着ようよ」
 蒼生は少し困ったような穏やかな顔で小さく首を傾けた。
「ごめんね。僕、図書委員のほうで学祭の責任者になっちゃったんだ。だからほとんどそっちのほうに出なくちゃいけなくて」
 それは半分は本当の話だった。委員長に推挙されたのを固辞したのだが、ならば学祭の責任者になれという交換条件を出されてしまっていたのだ。どちらも嫌だったが、数か月の苦労で済むならと後者を取った。だが、学祭を楽しむのも大事だという顧問の発言もあり、持ち場を離れられないのは1日だけで、2日目は委員長に任せることになっている。とはいえ、一応顔を出すつもりだ。それでクラスの出し物が免除になるならそちらのほうがいい。
「そっかぁ」
 委員会を理由に出されては、やはり引き下がるしかない。しぶしぶという形ではあったが、ふたりの装飾班所属は認められることになった。
「……何かをしなければならないのには変わりがない、ということだけどな」
 その役目すら本当はやりたくない冬矢が、蒼生にだけ聞こえる音量でぼやく。蒼生は小さく笑った。
「でも、当日目立つよりマシだもんね」
「ああ。……蒼生と一緒なのは嬉しいから、せめてそれを拠り所にしよう」
「僕もそうしよう」
 目立ちたがり屋が多いのか、給仕係を希望する者は多いようだ。今からシフトをどうしようかという話が始まっている。健太もちゃっかりその中にいた。
「オレ、いっぱい働くからね!」
 その宣言は、クラスに向けられたもののようで、本当はふたりに向けられている。蒼生と冬矢が引っ込む分、自分が頑張るという意思表示だ。健太はふたりが人前に出たくないことを知っているから、精一杯フォローしてくれようとしている。蒼生はそれが素直に嬉しく、冬矢も複雑ながら感謝の気持ちを抱いていた。

 図書委員会の学祭の出し物は、昨年に続いて本を使った謎解きイベントだ。蒼生が提案したのをきっかけに実際に行われたのだが、これがなかなか好評だった。終了後のアンケートでは「本って色々書いてあって面白いんですね」「普段本に触れる機会がなかったけど、面白かったからもっと読みたい」「ヒントを探すのが楽しかった」と嬉しい言葉が並んでいた。それもあって、委員会のメンバーは蒼生を委員長か学祭責任者に据えたいと思っていたらしい。目立つのが嫌だからと委員長は断ったが、本が好きな蒼生は結局委員長と同程度の仕事をこなしているのだが、蒼生本人は気付いていないようだ。
 今日の作業は、全体的なテーマの選定と謎解きの方向性を決めることだった。
「去年の反省として、ルートの少なさがあったよね。参加人数が増えてくると同じルートを辿るから、目的の本で待ち時間が発生してしまう」
「だとすると、この案はいいんじゃね? 宝を隠した犯人がとある作家のファンだったって設定。Aの犯人の謎を解く班とBの犯人の……っていうルート分け」
「問題の数が増えてしまうからこちらの負担は大きいけれど、出来たら面白そうだね」
「とっとと決めて下調べ早く始めたほうがいいかな」
「そうしよう」
「難易度が一定だったから、難しいって声と簡単だったって声が両方あったよな」
「うん。最初の謎解きをテストみたいな形にして……その正当数と興味の方向性から指令文を分けることができないかな」
「それ、僕にやらせてください。面白そうです」
「ありがとう、任せるね。途中ですりあわせをしていこう」
「はい」
 イベント事は嫌いだ。だが、本を使って謎を作ること自体は楽しくて仕方がない。バランスや難易度を考えるのはとても難しいが、それよりもわくわくする気持ちが勝ってしまう。
「それじゃ、金曜日の打ち合わせまでに各自で担当ルートに使えそうなエピソードを集めておいてください。同時に謎解き問題の案が出来ているといいね。これはエピソードに関係なくてもいいです。謎の部分は、最初はざっくりと、あとで詰めていくようにしましょう。次回はまずエピソードをベースに具体的な物語というか、道筋を立てていきたいと思います。では、今日は解散」
 お疲れ様でした、と声が揃う。ぱっと立ち上がったメンバーは、そのまま昇降口に向かう姿もあれば、一目散に図書館に向かう姿もある。蒼生はそれを少し嬉しい気持ちで見つめた。委員会は強制ではないから、基本的には本が好きな人間が集まっている。そのメンバーたちが賛同してくれて協力してくれるというのは、同じ趣味を共有しているような気分になる。なにより、大人しいタイプが多いから、外の世界の中では比較的気が楽な場所だった。
 とはいえ、問題がないわけではない。
「野木沢先輩」
 会議室のドアを施錠していた蒼生の後ろから、上擦った声がかかる。振り向けば、小柄な少年がくりくりした大きな目をいっぱいに開きながら立っていた。
「桐畑くん、お疲れ様」
「お疲れ様です。あの、先輩、資料運ぶの手伝います」
「ありがとう」
 笑って、抱えていた資料を半分渡す。桐畑は嬉しそうにそれを受け取った。
 ……問題は、彼だった。いや、決して、彼自身が問題だというわけではないのだが。
「……あの。野木沢先輩。少しは僕のこと……考えてくれましたか」
 蒼生は内心頭を抱える。夏休みに入る前、委員会の終わりで捕まった蒼生は校舎裏に連れ出され、そこで彼に告白された。もちろんいつも通りの常套句で断ったのだが、男性相手でも引かなかったことに対して、チャンスがあると思わせてしまったようなのだ。相手を出来るだけ傷付けないで断りたいという態度が裏目に出てしまったらしい。
「桐畑くん。ごめんね。何度でも言うけど、僕には恋人がいるんだ。だから君の思いには応えられないよ」
「どうしてもですか」
「どうしても。誰よりも好きな人だから」
 今までは、一度断れば大体の者が引き下がってくれた。何度かチャレンジしてくる相手もいたにはいたが、ここまで食い下がってきたのは桐畑が初めてだった。
「……せめて、一度でいいから抱いてほしいです……」
 は? と声が出そうになったのを、蒼生はぐっと飲み込んだ。いやいや。いやいや、それはいけないだろう。
「そういうことは、気持ちが通じ合った同士でなくちゃダメだと思う。お互いを思い合って初めて出来る行為じゃないかな」
 穏やかに諭すように、そう言葉に出来た自分の瞬発力に驚く。まさかそんなことを言い出されるとは思わなかった。でも、よく考えたら、そうか。「好き」の次にはそれが来るか。
「でも、そこから始まるものも、あると思うんです。それに、男同士だったら浮気にカウントされないんじゃないかなって……」
 どこをどう取っても100パー浮気なんだよなあ、と蒼生は心の中でそっと溜め息をつく。
「それは誠意に欠ける考え方だと思うよ。桐畑くんは、とても優秀な後輩だ。でも、それ以上の存在にはなり得ない。わかってくれると嬉しいな」
「……先輩。だけど」
「さ、職員室だ。僕は鍵を返してくるから。資料もありがとう。それじゃ、また金曜の打ち合わせの時にね」
「はい……」
 桐畑が持っていた資料を受け取りながら、蒼生は気分がずるずると落ちていくのを感じる。自分が傷付けている事実を見せつけられていることが、どうしようもなく胸に痛い。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。去って行く背中が明らかにしょんぼりしているから、息が苦しくなる。
 資料と鍵を所定の場所に返すと、蒼生は駆け出す勢いで教室に向かう。教室では、仮称王宮喫茶の準備で多くの生徒が残っていた。今日は衣装班の作業がメインのようで、机をどかした広いスペースを使ってせっせと布を切ったり縫ったりする姿で教室の半分が埋め尽くされ、すっかり被服室のようだ。その被服室から借りてきたのか、ミシンが並んでダカダカと大きな音を立てている。
 その半分に押しやられた机の奥に、健太と冬矢が座っていた。ばさばさと広げられる布の陰に蒼生がその姿を見つけようとするよりも早く気付いていたふたりは、目が合う前から手を振ってこちらを見ていた。蒼生は、ほーっと長い息を吐く。
 おかえり、と声を掛けてくれるクラスメイトにただいま、と返しながら、蒼生はふたりの元に辿り着く。そして、ミシンの音がかき消してくれることを信じて、改めて息を大きく吐いた。
「おつかれさまー。委員会の話し合い、大変だった?」
「ううん、結構順調に話し合い進んでる」
 椅子に座りながら、蒼生はふたりの手元を見る。冬矢は装飾班なので当然担当箇所があり、今は木製のフレームを銀色に塗装しているところのようだ。そして健太は、黒いフレームに様々な色のセロファンを合わせていた。
「……あれ? 健ちゃん、当日衣装着て給仕するから、装飾の手伝いはしなくていいんじゃ……」
「だって蒼生と一緒のことやりたいもん」
 健太はさらりと答える。蒼生は嬉しくて赤くなりそうな頬を鎮めようとしているのか、ぎゅっと自分の両手で頬を押さえた。ふたりは「可愛い」の言葉を必死で飲み込む。蒼生はそれには気が付かず、両手を膝の上に置いて握った。
「え、と……うん。僕も健ちゃんと一緒、嬉しい。冬矢と一緒なのも嬉しい。……よし、僕も頑張る。僕が今できる作業は何でしょう」
 ふっと笑い、冬矢が足下に置いていた壺を机の上に上げた。紙粘土で作られたとおぼしき壺が、深緑に塗られている。
「これに金の絵の具で模様を描くんだけど。健太に言ったら速攻断られた」
「そんな細けぇこと、オレできないし」
「ふふ。僕だって上手に出来るかどうかわかんないけど、細かい作業は好き」
 向こうでは慌ただしく衣装製作が続いているが、ミシンの音に遮断されて、なんだか3人だけの作業場のようだ。嬉しくて、ささくれ立っていた心がすっと落ち着いていく。蒼生はにこにこしながら、細い筆で金色の線を引き始めた。
「ところで、蒼生」
「なあに、冬矢」
「今はもう落ち着いたみたいだけど。なにか引っかかることがあったんじゃないのか」
「ぐ」
 手が滑って、描こうとした点が想定より大きくなってしまい、蒼生はそれを花びらの形にして誤魔化す。それからちらりと冬矢を見上げた。
「……持ち直したから大丈夫だよ」
「ふうん?」
 冬矢は見透かす視線で蒼生を見つめる。それは心配によるものだ。わかっているからありのままを伝えたいのだが、先程もらった言葉のインパクトに、話すべきかどうか迷ってしまう。そんな蒼生の代わりに、あっと声を上げたのは健太だった。
「わかった、あいつだろ。桐畑。またなんか言われた?」
「あー……えへへ……うん」
 どうやらこれは、完全にバレている。
 ふたりには、桐畑から告白されたことを報告していた。というより、冬矢が近くできっかりすべてを聞いていた。何が起こるかわからないので、蒼生が呼び出された時にはどちらかが必ず陰で様子を窺うようにしていたからだ。冬矢の記憶の中でもそれはごく普通の告白風景で、蒼生の断りの文句も、いつも通りしっかり脈がない旨を伝えていた。今までのケースで言えばそれで諦めてくれることが多かったのだが。
「まったく、根性あるな。もう何回告られた?」
「もう数えてないよ……。顔合わせるたび言われてるから」
「……じゃあ、今日は少し違うことがあったのかな」
「うーん……。えっと」
 言葉を濁し、蒼生はあたりを窺う。それから殊更小さな声で、囁くようにふたりに告げた。
「せめて体の関係だけでも、って」
「は!?」
 がたんと大きな音を立てて健太が立ちあがる。クラス中から一斉に視線を浴びた健太は、「ごめん、なんでもない」と笑って周りに向かって両手を合わせると、表情を引き締めて椅子に座りながら蒼生に詰め寄る。
「体? 要求されたの?」
「大丈夫? 触られたりしていない?」
 心配そうなふたりに、蒼生は困ったように笑う。
「ううん。お願いされただけ。一度だけでいいからって」
「それはそれで酷い話じゃねえか」
 蒼生は大きく息を吐いた。
「だよね。そっちはそれで満足するかもしれないけど、勝手だよね。だって僕は望んでいないもの。そんなこと言い出すなんて、そういう付き合いに憧れてるようなところがあるんじゃないかなあ。経験してみたいだけなのかもしれない。そういう年頃だもんね。ああ、そうか、そういうのを頼みやすいのが僕だったのかな? そうでなければ僕なんか選んだりしないか。こんな僕が好かれるはずないもんね」
「……蒼生」
「それなら納得できるや、へらへらしてるから御しやすいと思われたんだ。こんな最低ランクに照準合わせるなんて、」
「蒼生」
 がしっと、健太と冬矢が蒼生の腕を掴む。俯く顔を上げた蒼生は、我に返ったような呆然とした表情をしていた。健太は、その顔を覗き込んで笑う。
「……今のは、ちょっと寂しいかな」
「あ……っ。健ちゃ……、ごめ……っ」
 さっと顔色が変わった蒼生の腕を、冬矢がぽんぽん、と叩く。
「大丈夫。蒼生が、俺たち以外から向けられる恋愛感情が苦手なことはわかっているから。それを向けられると、どうしても自分のことが嫌になってしまうんだよね。肉体関係の話をされて、混乱しちゃったのか」
「冬矢……ごめんなさい。今の言い方は本当にふたりに失礼だった。ごめんなさい……」
「ん。そっか、びっくりしちゃったんだ。だよな、蒼生は他の人となんて考えたことないもんな」
 そうだ。ふたり以外とのセックスになんて興味はない。こうして付き合うことになるまでは、どういう感情や感覚を伴うものなのかという興味はあったが、それは自分とは全く関係がなかったからだ。他人事だったから、どんな話も平然と聞くことができた。でも、今は、違う。
「……うん。僕は、健ちゃんと冬矢にだから抱かれたいと思ったんだ」
 ふっとふたりが視線を和ませる。そして、周りに気付かれないように、一瞬だけ頭を撫でてくれた。蒼生はそれを、深い反省と共に受け止めた。

 ひっきりなしに図書館を訪れる人の流れを、蒼生はカウンターの裏から穏やかな気持ちで見つめていた。学祭は外部に向けて公開されているから、生徒の家族だけでなく近所に住む人々もたくさん来ているようだ。老若男女が問題用紙に目を凝らしながら真剣に本に向かっている姿が、なんだか誇らしい。
「あれっ。お客様、白いカーディガンをお召しですね? ああ、本当にいらっしゃるとは! 実は、さっき通りがかった方から、お客様が来たら必ず渡すよう伝言がありまして……こちらです。挑戦状、と書かれていますね。いったいどういうことでしょう……」
 受付に立った後輩女子の流れるような演技の声が楽しい。
「挑戦状の暗号を解かれた? たしかに、これを持ってきた方がいたら代わりに渡してほしいと頼まれているものがありますね。ではお預かりします。少々お待ちください」
 カウンターの隣で「挑戦状」と書かれた問題用紙を受け取り、解答をチェックをしてそれに見合ったルート別の謎解き用冊子を渡すのは、同学年の男子生徒だ。
 蒼生の役割は、今日1日のトラブル対応とヒント要員だ。とはいえ、トラブルは起きにくいイベントだし、ヒントも本の中を探せば必ず出てくる仕組みになっている。だから、その探し方がわからない人へのレクチャーが主な仕事だった。ほとんど話しかけられることのないポジションだが、訪れた2人の幼稚園児くらいの子が声を揃えて、
「ほんのさがしかたを、おしえてください」
 とやって来たのが可愛らしかった。後ろでは、母親と思しき女性がにこにこしていた。きっと、2人が一生懸命図鑑をめくりながら、読めない字を母親に聞きつつ謎を解こうと頑張っている姿を、嬉しく思っているのだろう。なんだか小さい頃の自分と健太を見ているようで、蒼生も同じような気持ちで2人を見守ってしまう。
「野木沢ぁ、交替」
 突然カウンターの向こうから声がかかった。
「ああ、もうそんな時間か」
 どうせ動くこともなく体力も使わないので、丸1日ここにいてもよかった。今日は蒼生が、明日は同じポジションを委員長が担当するが、2人ともそのつもりでいたのだ。が、今朝になって、休憩の予定が入っていないことに顧問が気付いた。そしてさすがにそれは問題だということで、急遽、強制的に休憩時間が与えられることになったのだった。
「それじゃあ、食事をしてくるね。よろしくお願いします」
「うん、ごゆっくりー」
 食事とは言ったが、蒼生にその予定はない。1食抜くくらいどうということはなかったし、休み時間が出来たとしても、この騒がしい校内で落ち着いて食事などできそうもない。ならばどこかの展示を見に行くかというとそんな気分でもないし、アトラクション的な教室に飛び込むつもりもない。つまるところ、蒼生には何もすることがなかった。
「蒼生?」
 人でごった返す校内をふらふらと歩いていた蒼生は、耳に優しく届いた声にはっとした。教室の前では、冬矢が廊下の装飾を手直ししているところだった。
「あ、あれ? 冬矢? あ、ここ、教室……。あれ、自分のクラスには寄らないつもりだったのに」
「どうしたの、今日は1日図書館に詰めているんだと聞いていたけど」
 一度顔を見てしまうと、蒼生の足は引き寄せられるように冬矢のもとに近付いて行ってしまう。愛おしい顔を見てしまっては戻るのが寂しくなるから、我慢する、我慢できるはずだったのに。
 冬矢は、蒼生がほぼ触れ合う距離まで寄ってくると、視線をふたりきりの時のように和らげた。
「もしかして、俺に会いたくなって来てくれた?」
「えっと。休まないとダメだって言われて、休憩になったんだけど……。勝手に足がここに来てた」
「ふうん?」
「うん。……僕、すっごく会いたかったみたい」
「……蒼生」
 外向けの自分があるふたりは、お互いに抱き合いたい気持ちをなんとか堪える。せめて控室として裏口になっている、このドアの中に連れ込めたなら。だが、今この中には。
 と、突然そのドアが開いた。
「蒼生の気配!」
 飛び出してきたのは、金のひらひらのついた赤い服に白いズボンという出で立ちの健太だ。冬矢は小さく舌打ちし、蒼生は目を丸くする。
「け、健ちゃん」
「……もう少しドアから離れて話すべきだったな」
「なんだよ、オレがすぐそこにいること知ってて、蒼生を独占するつもりだったのかよ」
「そうだよ」
「即答か!」
 健太はするりとふたりの間をわざわざ抜けると、教室の反対側にあるドアの前にいた女子生徒に声をかけに行く。
「高坂さん、オレ、休憩入っていい?」
「え、むしろ寺田くん働きすぎ! 今人数足りてるから、きっかり休んできて!」
「ありがとー」
 そして、意気揚々と戻ってきたかと思うと、そのままの勢いで後ろから覆い被さるように蒼生に抱きついた。冬矢の白い眼は、自分が出来なかったことをさらりとやられたことへの羨む気持ちの表れだろう。気付いているのかいないのか、健太は嬉しそうににこにこ笑っている。
「さっきさぁ、うちの家族が総出で来てて。さんっざん似合わないだのコントみたいだの言われて傷ついたから、慰めてー」
 蒼生もつられたように笑うと、腕を伸ばして健太の頭をぽんぽんと撫でた。
「みのりちゃんたち来てたんだね。よしよし、お疲れ様。健ちゃん、すごく似合っててかっこいいのにねえ。最初に見た時、本当の王子様かと思ったもん」
「あ、蒼生~~~~~」
 ぎゅう、と健太が腕に力を込める。ちらちらと辺りの人々から視線が送られているのだが、学祭ではしゃいでいると思われているのか、すぐに通り過ぎていく。これなら頬にキスをするくらいならいけるかもしれない。そう思って健太は顔を上げたのだが。
「そういえば、蒼生のご家族はいらっしゃらないんだよね」
 まるでタイミングを計ったかのように冬矢が蒼生に話しかける。蒼生は表情を変えずに「うん」と頷いた。
「学校行事に参加してくれたのは小学生までじゃないかな。僕、こういう行事苦手でしょ。確実に裏方に回るから来てもつまらないよ、って言ったんだ。それきり誰も来ないね。まあ、3人兄弟の一番下だから、飽きてると思うし」
「オレが一緒にいるからそれだけでいいもん。なー」
「ねー。あ、今は冬矢もいてくれるの、すごく嬉しい」
「……なるほど」
 冬矢は小さく笑って手を伸ばし、蒼生の頬にそっと触れる。触れられた蒼生も嬉しそうだ。健太はその手から蒼生を逃そうとぐいぐい引っ張る。
「家族っつったらさ。おまえんとこの両親も見たことないな」
「俺も断っているんだ。全力で目立たないことを目指しているから、何もしていないと言い張っている」
「そうかなあ、話だけ聞いてると、それでも何かに関わってるなら見に来たいと思ってそうだけど」
「たぶんそうだろうな。だから余計に断るんだ」
 蒼生と健太が顔を見合わせた。つまり、照れくさいということか。ふたりで笑っていると、冬矢がぐいっと顔を近付けてきた。
「……何を想像しているんだ?」
「いえ、なんにも」
 そのやりとりに堪えきれずに蒼生が笑う。そのあまりにも素直で純真な笑顔に、思わずここが学校で、今は学祭の最中だということをふたりは忘れそうになった。
 そこに。
「あーっ、寺田先輩! 何してるんですか!」
 甲高い声が響く。すうっと大人びた表情に戻る蒼生に、健太は唇を尖らせた。せっかく蒼生が可愛い顔を見せてくれていたのに。
 その声は、最近よく聞くようになってしまった声だ。見れば、体の前後に「おばけやしき」と書かれたパネルをくっつけた桐畑が小走りに駆けてくるところだった。その後ろからは、同じパネルをプラカードにした男子学生がついてくる。
「……何してる、ってなんだよ」
「そのまんまの意味ですよ! 野木沢先輩の邪魔になってるでしょう!」
「邪魔じゃねえよ。なあ、蒼生」
「うん。心配してくれてありがとう。でも、これが普通だから」
「ダメです、くっつきすぎですよ! ……っていうか! 王宮喫茶っていうから寄ったのに、何で野木沢先輩、王子様じゃないんですか!」
 蒼生はふわりと笑う。
「僕は装飾班だからね。それに、委員会でずっとこもりきりなのは桐畑くんも知ってるでしょう? 短い休憩時間では不可能だし、クラスでは役目を減らしてもらったんだよ」
「えー……。休憩だって聞いたから、きっと着てると思ったのに。あーあ、野木沢先輩の王子様見たかったな……」
 心底残念そうに肩を落とす桐畑に、着せなくて良かったとつくづく思う健太と冬矢だ。余計な夢を見させては後々面倒くさい。
「そんなことより、桐畑くんは今日はクラスの呼び込みなんだね。明日は委員会のほうで頑張ってもらわなくちゃいけないし、忙しくてごめんね」
「いいえ、いいんです! 野木沢先輩の元で働けるだけで嬉しいです!」
「そう言ってもらえると有難いな。桐畑くんは真面目だし、イベントの準備も効率よくやってくれたから、君がいると助かるよ。僕も明日顔を出せるタイミングがあれば委員会のほうも行くから」
「はい!」
 冬矢は頭を抱える。これは蒼生の通常運転だ。なるべく軋轢を生まないように、円滑に物事が運ぶように、出来るだけ相手を持ち上げる。ギスギスした態度を取られることが怖いから、極力穏やかに柔らかく接する。告白され、それを断り続けている相手に対しても、この有様だ。優しくて臆病な蒼生。蒼生は、冷たい態度を取らないのではない、取れないのだ。
「……桐畑くん。クラスメイトの子、困っているよ。クラスの宣伝で構内を回っているんだろう?」
「あ、笹原先輩」
「学祭の時間は限られているんだから、時間を潰してはもったいないよ」
 言外に、蒼生にまとわりついても時間の無駄だ、と訴える。いくら年下らしいまっすぐな恋心をぶつけようとも、蒼生は自分たちのもとからは離れないし離すつもりもまったくない。
 それを桐畑ともうひとりの生徒は、言葉通りに受け取ったらしい。
「そうですよね。すみません、先輩、お邪魔しました。ほら、桐畑、行こうぜ」
「えー、野木沢先輩~」
「桐畑が先輩の邪魔してるんだろ!」
 そうそう、と冬矢と健太が心の中で深く頷く。
「野木沢先輩、また明日!」
 桐畑はパネルを掴んだクラスメイトに引っ張られながら、廊下の向こうに消えていった。
 はあ、と息を吐いたのは3人同時だ。特に、この状況は蒼生の優しさが招いているのではないかと思っている健太と冬矢の溜め息は深い。だが、そんなところも蒼生のいいところなのだ。長所を改める必要はない。結局、自分たちでなんとかするしかないのだ、とふたりは決意を新たにするのだった。
「……さて、やかましいのもいなくなったところで。蒼生、ごはんまだだよな? 一緒に食べに行かない?」
「うん、行く。冬矢は?」
「俺は早めに休憩をもらったから、先にいただいたよ」
「えー……」
 つい今までの澄ました顔はどこへやら、蒼生は可愛らしく拗ねた顔で冬矢を見る。それを見て微笑みが隠せなくなるのは、仕方がないことだと思う。
「ほら。健太と行っておいで。まだ委員会のほうも頑張るんだろう? ちゃんと昼食は摂ったほうがいいよ」
「そうだよね……」
「冬矢から許可も出たし。な、蒼生。行こ」
「……うん。冬矢も、あとで、ね」
 名残惜しそうな表情だけで満たされた冬矢は、そっと蒼生の頬を撫で、「行ってらっしゃい」と囁いた。そして、頷いた蒼生の、健太と並んで歩きながら何度も振り返る顔を胸に焼き付け、放っておいた作業に戻るのだった。
 連れ立って階段を降りた蒼生と健太は、学祭の間だけ解放されている職員用の通用口から外に出る。校庭の端には、運動部が出店する模擬店が並んでいた。香ばしいのと甘いのと、様々な香りが同時に漂ってくる。
「蒼生、焼きそばはどう?」
「いいね! ……あ、僕、お財布持っ」
「よー、やってんなあ!」
 健太は最初から決めていたのか、蒼生の返事を待つより早く、焼きそばの店舗にまっすぐ向かって行く。ずいぶん気安く声をかけるなと思ってテントを見ると、そこにはサッカー部ののぼりが立っていた。なるほど、健太は半年前まで部に所属していたから、チームメイトがいるのだろう。やめた後では声をかけづらいのではと蒼生は考えるのだが、健太にとってはそうでもないらしい。
「おっ、健太。いらっしゃーい。……って、あはは、すげぇかっこだな! あー、王宮喫茶って、そっか、おまえんとこか!」
「そうそう。どうだ、似合うだろ~」
「うーん、どっちかっていうと隣の野木沢ちゃんのが似合うんじゃねえの?」
「そりゃあ当然だけどさ」
 ぴっと蒼生は背筋を伸ばし、にこにこ無難に笑う。知らない人だと思っていたが、そういえばサッカー部の試合かどこかで見たことがあるような気がする。そうか、健太の友人なら蒼生のことを知らないはずがない。しかし当の蒼生はかかわりがない人間を積極的に覚える気がないからすぐに忘れてしまう。
「いやホント、格好は王子なくせに、全然威厳ねえな。気さくさ半端ねえじゃん」
「あっはっは。あ、焼きそばふたつ。王族専用大盛サービスで」
「そんなサービスないわ!」
 彼はそう言って笑うと、熱々のパックを両手で抱え持って恭しく健太に渡す。健太も「うむご苦労」などと言いながらそれを大げさな所作で受け取った。頭を上げた彼と健太は、目が合うと我慢しきれないように大笑いする。
「なんだこれ」
「おまえだってノリノリじゃん! んじゃ、これ、料金」
「はい毎度ありー!」
 準備されている机と椅子は混み合っていたので、ふたりは近くの花壇に座ることにした。パックを健太から手渡された蒼生は、さっきのやりとりからずっとくすくすと笑っている。
「たしかに、王子様の格好に焼きそばは面白い取り合わせだね」
「そもそも王子と姫が接客するって時点でおかしいんだけどなー。それは召使いにさせろよって」
「ふふ、そうだよね」
 それは当初の想定通りだった。その「おかしさ」「突っ込みどころ」が客に面白がられているらしい。今のところ、評判も上々なのだそうだ。健太が朝からの出来事を楽しそうに話すので、蒼生はそれを自分のことのように嬉しく思いながら聞く。大変そうだが、健太が楽しいならそれでいい。
 が、クラスメイトが盛大にお釣りを間違えたエピソードを聞いて、蒼生ははっとする。
「そうだ、健ちゃん。僕、今、お財布持ってなくて。後で払うね」
「え、いいよ」
「そんなわけにはいかないでしょ」
「マジでいいって」
「でも」
「……あ」
 健太は何かに気付いたように頷き、蒼生の耳元に口を寄せた。
「じゃあさ、あとで、キスで返して」
「え?」
 ぱちぱち、と蒼生が瞬きの数を増やす。驚いて見上げると、これ以上ない良い案を思いついた、とでも言いたげな健太の笑顔。
「そんなことでいいの……?」
「そんなこととはなんだよ。オレにとって、もっのすーっごーっく、価値のあることだよ」
 蒼生はぽかんとして、それからいたずらっぽく笑った。
「わかった。何回?」
「っえ」
「これひとつ分で、僕は何回健ちゃんにキスしたらいい?」
「……えーっと……。うわ、いーっぱいキスしてほしいけど、そしたら1回分の価値がすごくちっちゃくなるってことか。で、でも、じゃあ1回でーって言ったら全然し足りないし……。あ、価値考えたらむしろ1回にもならない……!?」
 真剣な顔で悩み始める健太に、蒼生は眼差しを和らげる。
「冗談だよ。それはそれで承知しました。……あと、ありがとう。ごちそうさま」
「! えっへへ。蒼生に喜んでもらえるの、嬉しい」
 そうか、素直に受け取ってもいいのか。蒼生はまたひとつ反省点を心に刻み、その眩しい笑顔を見つめた。

 健太と冬矢に会えたことで精神力が最大値まで回復した蒼生は、その後の仕事も積極的にテキパキこなすことが出来た。問題を解いている途中で意見が分かれて喧嘩になりかけたカップルも、蒼生がにこやかに話しかけるだけで落ち着きを取り戻したほどだ。後輩たちはその姿を見てひそひそと「癒やしの神では」と囁き合っていたらしい。後で聞いて思わず笑ってしまった。
 ゆったりした音楽と共に、1日目の開催が終了した旨の放送が流れた。すべての仕事と片付けを終え、明日への引き継ぎを手際よく出来るところまで整えてから蒼生は教室に戻る。健太と冬矢以外に捕まっては困るから、あまり寄りたくはなかったのだが、鞄をロッカーに入れてあるから仕方ない。とはいえ、そこそこ時間がかかったから、クラスメイトたちはもう帰っていることだろう。
 が。
「野木沢くん!」
 教室に一歩踏み込むなり名前を呼ばれて、とてつもなく嫌な予感がする。確信に近い、ものすごく強烈な予感だ。
 教室の中を見渡せば、まだ残ったままの多くの生徒たち。中央にいるのは、困った顔の健太と冬矢だ。なにかふたりに関する問題でもあったのだろうか。ふたりの表情を見ると、頭の中がすうっと冷えて、「どうにかしなくちゃ」という気持ち一色になる。ふたりが困っているのなら助けたい。
「どうしたの? 何かトラブルでもあった?」
 やたらと深刻な空気だ。ふたりと向き合っているのは、主に女子のグループのようだ。
「それがね、さっき、今日の売り上げの速報値が出たの」
「へえ、早いね」
「……これ、見てくれる?」
 クラスの学祭実行委員を務めている子が、1枚のプリントを蒼生に向かって差し出す。受け取って眺めると、棒グラフで各クラスや部活の飲食店部門売り上げが示されている。探してみると、このクラスの出し物は上から2番目にあった。
「2番なんだね。すごいじゃないか」
 男子生徒が、ものすごい勢いで蒼生に近寄る。咄嗟に健太が後ろから蒼生を引き寄せたが、その生徒はそれを気にせず、さらに蒼生に詰め寄る。
「でも、見ろよこれ! 上には男女逆転執事&メイド喫茶で、この差! もう少しでトップに立てるんだよ!」
「そう! 大差じゃないんだよ! もう一歩で届くの!」
 他の生徒たちも、ぐぐっと距離を詰めてくる。はっきり展開が読めた蒼生は、溜め息をつきたいところをなんとか堪える。これでふたりが困っていたのか。なるほど。
「……こうなったら、笹原くんと野木沢くんに衣装、着てもらうしかないの! 逆転するには全力にして最大の一手を打たないと!」
「それで笹原くんを説得してたところで」
 もう一度、なるほど、と思う。冬矢は人前に立つのも、目立つのも苦手だ。遊びの輪の中に加わるのも好きではない。拒否するのは当然だ。だが、冬矢がしたであろう理論的な反論と説得でも引かないほど彼らは必死なのだ。たしかに、あれだけ一生懸命準備したのだ、認められたい気持ちはわかる。それでも冬矢に無理強いするのは違う。
「冬矢は、こういう場で表に出るのが苦手だって話は聞いた?」
「……え、うん……。でも」
「わかった。みんながそんなに勧めてくれる理由はわからないけど、僕が手伝えば、冬矢は免除してもらえるかな?」
「えっ」
「蒼生」
 全員が声を上げる。クラスメイトの声は、喜びの声。当然戸惑ったのは健太と冬矢だ。
「待って、蒼生こそ、そういうのダメじゃん」
「俺のぶんまで無理することはないよ」
 けれど、蒼生はふたりに向かってにこりと笑う。
「大丈夫。僕が頑張って何とかなることなら、なんとでもするよ」
 こうと決めてしまえば、ふたりより蒼生のほうが度胸がある。冬矢のためになるというなら、苦手などたいしたことではないと本気で思っているのだ。
「ありがとう、野木沢くん! 本当に助かる!」
「本当に頼りになるな!」
 それには答えず、蒼生は衣装係の生徒のほうを向く。
「でも、衣装はどうしたらいいのかな」
「そこは心配しないで! 絶対着てほしいなと思ってたから、私たち、2人のぶんも作っておいたから! あ、無理に着せようとしてたわけじゃないんだよ、ただ創作意欲が爆発しちゃっただけ!」
「あはは、そっか」
 蒼生は頭の中で明日のスケジュールを考える。委員会に詰めるつもりだったが、引き継ぎ資料があれだけあるから大丈夫だろう。
 そこに、冬矢が蒼生の前に立ち、正面から肩をがしっと掴んだ。
「……蒼生が着るなら、俺もやる」
「えっ、冬矢」
「うそ! いいの! 嬉しい!」
 泳ぐ蒼生の目を、冬矢は一度まっすぐに見つめ、それから周りに視線を巡らせた。
「さっきも言ったけれど、俺はそういう人前に立つのが苦手だから。出来れば、蒼生とシフトを合わせてほしい。それなら出来ると思う」
「それはもちろん! ね!」
「全然! 問題ないよ!」
 俄然盛り上がり、衣装を探り出すクラスメイトたちをよそに、蒼生と健太は心配そうに冬矢を見る。
「おまえ、大丈夫なのかよ。蒼生も」
「僕は大丈夫。でも」
「蒼生が頑張ろうとしているのに、俺だけ逃げたくないよ。俺だって大丈夫だ。蒼生がいるなら」
「冬矢……」
「……無理そうなら、ふたりともオレがちゃんとフォローするからな」
 蒼生と冬矢は目を合わせ、それから健太を見て頷いた。

 翌日、もともとシフトの入っていなかった冬矢は家の都合で、蒼生は委員会の出し物の引き継ぎで、それぞれ遅れて教室に入った。王宮をイメージした装飾が施された室内では、一番先にシフトが組まれているメンバーでのミーティングが既に始まっていた。一応カーテンも豪奢に見える布に掛け替えられているとはいえ、教室の中に華やかなドレスが並ぶ光景は、なんだか奇妙だ。
「あ、ふたりともおはよう」
 健太が気付いて手を振ると、他のメンバーも口々に「おはよう」と挨拶を寄越した。
「おはよう、遅くなってごめんね」
「ううん、野木沢くんも笹原くんも、本っ当にありがとう!」
「いや、僕もクラスの一員だし。それにしても、ドレスすごいね。みんな似合ってる。すごく華やかだよ」
「わ、野木沢くんに言われると自信ついちゃうなあ! 今日も頑張れちゃう!」
「ホント助かるよな?。2人の分の衣装、そっちのバックヤードに用意してあるから、よろしくな!」
「うん」
 バックヤードは、机を重ねて壁風に整えた奥のスペースだった。ここが控え室兼調理場となっている。調理と言っても、買ってきた食材を皿に乗せたり、少し手を加える程度なので、このくらいの広さで十分なのだ。一応控え室との間にはカーテンが掛けられており、ふたりはその中に入る。すると入ってすぐのところに姿見が置かれていて、その隣には昨日見せられた衣装が2着並んでいた。鮮やかなブルーの衣装と、シックな深緑の衣装。ふたりは覚悟を決め、その衣装に手を伸ばした。
 冬矢はすらりとしたデザインに手の込んだ金糸の刺繍が施された衣装に袖を通しながら息を吐く。その細かさに、どれだけ夢中になって作られたかがわかってしまう。たしか、衣装班の中には明らかに冬矢に気のある素振りを見せる子がいたのを思い出す。なんだか余計な気持ちが込められているようで、肩にずっしりと重くのしかかってくるように思うのは気のせいだろうか。彼女の見る「笹原くん」がこれを着ているのだと見られるのはいい気分がしない。理想を押しつけられても困る。だから、これを着る自分を自分ではないと言い聞かせる為に、持って来たワックスで髪を少し後ろに流すことにした。
 その姿を見た蒼生が、ほうっと息を吐く。
「すごい。冬矢、そういう髪型してるの初めて見たけど、かっこいいねえ。衣装も似合ってる。そうだよね、冬矢はもとから綺麗でかっこいいから、豪華な衣装がすごく合うんだなあ」
 冬矢も視線を返して笑う。
「ありがとう。蒼生も素敵だよ」
 美しいジャケットは蒼生の滑らかな体の線をいっそう綺麗に見せているし、豊かに布を使った首元の白い襟は清楚さを表現しているようだ。誰がデザインしたか知らないが、少なくとも穏やかで優しい蒼生をきちんと見ている者の仕事だと思う。
 けれど、蒼生は、ちらと鏡を見て、そのまますとんと視線を落とした。
「……なんで、みんな、僕にこれを着ろって言ったんだろう」
 冬矢ははっとする。泣き出しそうなのを我慢している顔だとすぐにわかる。
「どうしたの?」
「やっぱり、僕、浮くよ。こんなの……僕じゃないみたい。似合わない。こんな綺麗な格好、僕なんかがしちゃダメだ。気持ち悪いよ」
「蒼生」
 そうか、ここには人の目がない。冬矢しかいない。クラスメイトたちの前であれば、気を張っているから強い気持ちを保つことが出来るのだ。今だって、冬矢がいなければしゃんと背を正して向こうに出て行っていた頃だろう。だが、冬矢は長い時間をかけ、自分の前では不安を口に出来るように少しずつ蒼生の心をほぐしてきた。きっと、蒼生は昨日からずっと不安だった。それが冬矢とふたりきりになったことでこぼれ落ちたのだ。
 冬矢は、蒼生に向き合うと、緩く腰に手を掛けた。
「蒼生。俺の目を見て。魔法をかけてあげるから」
「まほ、う?」
「そうだよ、そのまま俺を見ていてね」
 ゆっくり顔を近付け、驚いて丸く見開かれたままの目と視線を合わせたまま、キスをする。優しく何度かそれを繰り返すと、蒼生の強張っていた表情が少しずつ柔らかくなる。
 それから蒼生を鏡に向き合わせ、横に立って肩を抱く。
「見えるね。蒼生がいて、隣に俺がいる。可愛い蒼生。綺麗だよ」
 囁きながら、頬に、首筋に、髪に、耳に。蒼生に見えるようにキスをする。
「すごく綺麗だ。似合うね。やっぱり蒼生には綺麗な色がすごく合う。それは蒼生が綺麗だからだよ」
 そっと髪を撫で、反対の手を蒼生の手に絡ませる。
「どんな格好をしていても、中身は俺の大好きな蒼生だ。可愛いね。大好きだよ」
 そして、近くにあった椅子を引っ張ると、そこに蒼生を座らせる。
「俺はね、髪を整えて、普段の俺じゃなくなったんだ。だから蒼生にもしてあげる。そうしたら、中身の可愛い蒼生はそのままに、別の蒼生を演じることが出来るよ」
 硬くなりすぎないように、だが蒼生の凜々しさを引き出すように、少し大人びた髪型を作っていく。
「綺麗だ。俺が蒼生をこんなに美人にしているんだと思うと、嬉しいな」
「……この僕は、冬矢が作ってくれた、僕……?」
「そうだよ。俺の作品だ。心配しなくていい、とても綺麗だ。不安になったら思い出して。みんなが褒めるのは、俺が作った俺の作品だ」
 自分のことを褒められるのが苦手な蒼生には、きっとこの言葉は安心材料になる。確信して告げた言葉は、たしかに蒼生に響いたようだった。すうっと蒼生の目に力が戻る。
 支度を調えた冬矢のほうが息を呑んだ。表情を整えた蒼生は、凜々しくも芯が通っていて、驚くほど美しい。……勿体ない、と思った。自分だけのものにしたい。このまま閉じ込めてしまいたい。
 そこに、タイミング良く現れるのが健太という男だ。
「準備出来た?」
 蒼生が着替えているかもしれないと思ったのだろうか、健太は声を掛けてから、カーテンを開けた。
 ぴたっと。
 健太が動きを止める。
「? 健ちゃん?」
「……ま、マジかよ……。えっ? きっ、綺麗……!」
「え」
 そして滑り込むように蒼生の前に跪いて、その手をとる。
「う、わ。普段可愛いのに、凜とした表情を強調するような格好すると、こんなに迫力出るもの? すっごい、美人。やばい。綺麗。こんな美人見たことない。オレ、蒼生のもとで働きたい。忠誠誓ってもいい!?」
「あ、あの」
 慌てた蒼生には、先程の不安そうな表情は残っていない。冬矢は複雑な思いでふたりを見比べた。蒼生の不安を払拭させたのは自分だが、それを確たるものにしたのは健太の素直な言葉だろう。……だが、冬矢と健太の役割は別だ。こうしてふたりがかりで両側から蒼生を支えるのは、特性が違う自分と健太だから出来ることなのだ。
 それに、こんなに美しい蒼生を自分で飾り立てられたこと、その愛おしい存在が自分を頼りにしてくれていることは、冬矢の中にも不思議な自信となって満ち溢れてきていた。そうだ。どうせなら、この宝石のような人が自分たちのものなのだとアピールしてやろう。他の人間には決して触れられない、至高の宝物なのだと。
「……なんだかやる気が出てきたな」
「え、冬矢?」
「せっかくだ、トップをかっさらってやろうじゃないか。蒼生、何か困ったことがあったら、すぐに俺と健太を頼るんだよ。健太も、蒼生と仲がいいことを知らない人にもわかるようにしてやろう」
 蒼生と健太は揃って首を傾げる。いや、このふたりはわかっていないほうがむしろやりやすい。
「えっと。あ、こんな美人な蒼生に悪い虫がつかないように注意しろってこと?」
「まあ、そういうことだ。絡まれそうになったら積極的に俺たちが間に入るんだ」
「そんな人いないと思うけど……」
「学祭でテンションが上がって、ついナンパしてしまう奴が出るかもしれないだろう」
「なるほど」
 素直に頷く蒼生に、冬矢は薄く笑う。本気を出してやろう。そして、自分と蒼生を困らせたクラスの連中に、自分たちを動かすのがどういうことかを教えてやろうではないか。

 冬矢と健太に褒められたことで落ち着きを取り戻して愛想モードが最大限になった蒼生と、蒼生を守るために完全に開き直りスイッチの入った冬矢の威力はすさまじかった。どんな相手にもにこやかで礼儀正しく対応する見目麗しいふたりの噂は、あっという間に教室の外へと流れていった。また、蒼生が同じ部屋にいることが嬉しくて仕方がない健太も全開の笑顔で対応するものだから、王宮喫茶は前日に増して評判がうなぎ登りらしい。
 しかし客が増えればトラブルも発生する。
「姫~、連絡先教えてよ」
「その……困ります……」
 ドレス姿の女子の腕を掴んだ客の手を、するりと間に入った冬矢が柔らかく払う。
「失礼。姫は我が国の花でございます。ご注文以外のお声がけはご遠慮いただいております」
 そうにっこり笑えば、周りの女子から黄色い声が上がり、圧倒された客が黙り込む。
「すみません、オーダーいいですか」
 呼び止められた蒼生が、にこりと微笑みかける。
「はい、承ります」
「! あっ、あのぉ……モンブランをください!」
「承知致しました。ただいまお持ちしますので少々お待ちください」
「あと、しゃ、写真、撮らせてもらいたいんですけど……!」
「すみません、撮影はNGとさせていただいております。もしもご希望でしたら、こちらのセットをご注文いただくと、インスタントカメラでの撮影となりますが、並んでの写真撮影が可能でございます」
「じゃあそれで!!」
 セットの内容はケーキと飲み物だが、そこにカメラのフィルム代が加算されている。そのため少々割高なのだが、蒼生と冬矢が加わったことで、注文が殺到することになった。
「野木沢くん、撮影お願いします!」
「はい、お願いします」
「えっと、笹原くん一緒に撮ってもらえますか!」
「喜んで」
 健太は、ぱたぱたと忙しく駆けずり回る蒼生が心配なのだが、同時に嬉しくもあった。大好きな蒼生が、あんなに人気がある。みんなが眩しいものを見るように蒼生を見ている。みんなが口々に通り過ぎる蒼生を褒めている。昔から、人に囲まれている蒼生を見るのが好きだった。オレの蒼生は素晴らしい人なんですよ、綺麗でしょう、美人でしょう、物腰の柔らかさは王子様そのものでしょう、と思うととても誇らしい。なお、冬矢については「あの猫かぶりはすごいな」と思う。
 にこにこふたりを見ていると、近くのテーブルから声がかかる。
「すみません、王子様~」
「はい! ご用命はなんでしょ!」
 元気よく振り向いた健太に、2人組の女子はくすくすと笑う。
「王子のおすすめはなぁに?」
「よく注文が出るのはチーズケーキだけど、オレが食べて一番美味しかったのは冷製バナナクレープかな。生地もっちもちで美味しいよ」
「じゃあそれを2つください」
「ありがとうございまーす!」
 健太は健太で、明るく爽やかで王子らしくないところが逆に推せる、と人気なのだが、当の本人は蒼生が褒められることが嬉しくてそれどころではない。
 と、蒼生がトレイを両手で運んでいるのが目に入ってきた。
「蒼生、半分持つよ」
「健ちゃん。ありがとう」
「いいのいいの」
 すかさずそこに冬矢もやってくる。
「ああ、髪が少し乱れてるよ。蒼生、ちょっとこっち向いて」
「引っかけちゃったかな。ありがとう、冬矢」
「どういたしまして」
 そのやりとりを、女子たちはじいっと見つめている。見目好い王子たちが仲良く笑い合っている姿は、それだけで目の保養になるだろう。しかもそれを携帯に収めることも出来ない、唯一その姿を残す手段が少々値の張るメニューのサービスだとしたら、つい頼みたくなってしまうはずだ。実際、蒼生が健太や冬矢と言葉を交わすたび、セットメニューの注文が増えた。冬矢はふっと笑う。これだけ目論見通りに物事が進むのはなかなか面白い。
 3人は時折休憩を取りつつも、ほぼひっきりなしに働いていた。ここまで来るとランナーズハイではないが、似たような状態になっていたのかもしれない。
 そんな中、間もなくラストスパートをかけようかという時間帯に、他校の男子生徒が3人、ドレスの女子に案内されて席に着いた。彼女に注文を伝えた彼らは、その後もきょろきょろと部屋の中を見渡している。それに最初に気が付いたのは蒼生だった。普段ならこっそり姿を隠すところであるが、今日はそんなわけで少々ハイになっているので、つい近寄ってしまう。
「花井くんたちだ。久し振り」
 声をかけてきた蒼生にはっとして、彼らは目を丸くした。よく知った顔だ。小学校、中学校と友達だった花井と辻、それから……。誰だったか。
「え……っ、野木沢? マジ、野木沢!? 久し振り! 元気してた!?」
「うん、おかげさまで」
「……えっと、誰だっけ」
「嘘だろ笠森、野木沢だよ! あ、クラス一緒になんなかったっけ? 健太といつも一緒にいただろ?」
 蒼生は小さく頷く。そうだ、思い出した。笠森ヨシヒト、か。健太の中学校のサッカー部仲間で、直接関わったことはないが、健太を介して何度かやりとりをしたことがある。
 笠森も言われて思い出したらしい、ぱっと蒼生を見ると、仰々しく手を叩いた。
「……あー! 健太のツレの!」
「ふふふ。そう。健ちゃんのツレの野木沢です」
 ツレ、と表現されたことがなんだか嬉しくて、思わず頬が緩む。ニコイチ扱いされることに複雑な思いを抱いていた時期もあったが、今となってはそれも嬉しい。
 遠くから蒼生が立ち止まったことに気付いた冬矢は、そこに飲み物を運ぶつもりだった女子からトレイを譲り受ける。まさか蒼生に何か、と思って近付くと、どこかで見た顔だと冬矢もうっすら思い出した。
「蒼生」
「あ、冬矢。花井くんと辻くんと笠森くん。中学の卒業式以来だよね」
「……え、笹原もすっげぇかっこしてんなあ……!」
「ははは。仕方なく、ね」
 蒼生と冬矢を見上げた3人は、さっきからぽかんとした表情のままだ。当然だろう、あの無愛想で近寄りがたくてよからぬ噂が囁かれていたあの冬矢が、にこにことこちらを見ている。たしかに蒼生相手にはそういう顔を見せることもあったが、まさか自分たちにもそんな表情をするとはまるっきり想像もしていなかった。
「あ、健ちゃんに会いに来たんだよね。冬矢、健ちゃんって今」
「健太は今控え室にいるよ」
「わかった。ちょっと待っててね」
 蒼生が行ってしまうと、冬矢は持って来たグラスをそれぞれ3人の前に置いた。
「……さ、笹原ってこんな愛想良かったっけ?」
「ちょ、おま、はっきり本人に向かって聞くことかよ」
 あまりにも無邪気な反応に、思わず冬矢も笑ってしまう。
「昔の俺はいじけていたからな。蒼生と健太のおかげでだいぶマシになったんじゃないかな」
「へえ……。ずーっと健太と仲悪いイメージあったから、オレたちもその感じで見ちゃってたのかも。なんか、ごめんな」
「仕方ないよ、そういう態度を取っていたのは俺だし」
「イケメンは変わんないんだけど、笑ってると親しみやすさ増してよけいかっこよく見えるもんなんだな」
「なー。ここまで行くと羨ましいとかでもないわ」
 たしかに、彼らは健太の友人だから、健太と対立していた自分は悪役のポジションに見えていたことだろう。花井はそうでもなかったが、辻と笠森には嫌われている自信があった。まさか、この程度のことで敵対心を解かれるとは思わなかったので、冬矢は少し驚く。
「わ、なんだよ! 来るなら一言くれよな!」
 大きな声と共にバックヤードから飛び出してきた健太が、テーブルに駆け寄る。
「サプラ~イズ」
「いやサプライズだけどさあ! 嬉しいけど、先週メッセージやりとりした時、なんも言ってなかったじゃん」
「学祭来週だよな、って聞いただろ」
「そうだよっつったらその後ノーリアクションだから、興味ねえもんだと思うじゃん」
 楽しそうに級友たちとやりとりをする健太の肩を、冬矢はぽんと叩いた。
「じゃ、俺はいったん奥行くから」
「おお、蒼生がもう一回衣装見てくれって」
「わかった」
 ひらひら、と冬矢が手を振って、代わりにバックヤードに消えていった。
「……健太、いつの間に笹原と仲良くなったん?」
「あ? あー……まあ、いろいろあって? ってか、その、間に挟まれる蒼生に悪いよなって、ことになって、まあ……いろいろ?」
 歯切れの悪い健太に、3人は顔を見合わせる。あ、と呟いたのは辻だ。
「そうだ、野木沢といえばさ、なんだ、アレ!」
「なんだとは何だよ」
「健太、おまえ、野木沢になんかした?」
「なんっ!? か!?」
 まさか勘付かれただろうか、と健太は身構える。が、3人はそれに気付かず、うんうんと頷き合う。
「な。イメチェン指導みたいなこと、さ」
「キラキラした服すっごい似合ってたもんね。王子様って、きっとこういうもんなんだろうな~って思っちゃった」
「元から綺麗な顔してるなとは思ってたけど、野木沢ってあんなに色気ある奴だったっけ」
 それはもう、毎日のように愛を囁いているから。きっとその蓄積が蒼生を美しくしているんだろう。……と、口に出してしまいそうだ。危うくそれが零れかかったところで、笠森がメニューを指さした。
「これさ、セットで写真撮れんだろ? 何人も一緒に撮れるのか?」
「えー……っと、一応1セットでひとり指名出来る感じになってる」
「そっか、じゃあ3人でこれ頼んで、健太たちも3人並べて写真撮ろうぜ!」
「いいな! そうしよう!」
 ノリノリの提案に、健太は少し迷ってから頷いた。花井たちの手元にそれが残るのはどうかと思うが、自分も蒼生と一緒に映りたい。それで、あとで写真を携帯で撮らせてもらおう。
 断るかと思った蒼生と冬矢だが、すんなりと承諾してくれた。もう今更断る理由もなかったのかもしれない。写真撮影では、前に置いた椅子に花井たちが座り、後ろの中央に蒼生、左右に健太と冬矢が並んだ。
「おまえら3人がいる王国って、なんか女子のファンの数がエグそうだよな」
 ぼそりと辻が呟いたのが、やけに印象に残った。


 ミルクティーの表面を見つめていた蒼生が、懐かしさにふっと息を吐いた。
「結局、あの商売のおかげで売り上げ一位になったんだよね」
「な。あいつらが複数指名出来るって前例示しちゃったから、そこから追い上げすごかったもんな」
「あの後、俺たちはほとんど給仕せずに写真対応ばかりしていたんだっけ」
 本当なら、あの写真の数々は、すべて回収したい。自分たちはともかく、蒼生の姿を他人の元に残しておきたくない。唯一救いだと思えるのは、あれがインスタントカメラで撮った写真だということだ。おそらく今頃は薄くぼんやりと消え始めているに違いない。
 記念に、と、3人だけで撮った写真はきちんと残してある。本当はそれだけでいい。
「桐畑くんかぁ。元気かなあ」
 突然蒼生がそんなことを言い出すので、健太と冬矢はぴくっと肩を揺らす。桐畑といえば、学祭の後しばらくしてから蒼生が王子の衣装を着ていたことを人づてに聞いたようで、何故か健太がぐちぐちと文句を言われた。彼は、蒼生がどこかで図書館に顔を出すと言っていたから、入れ違いにならないように当番以外の時間もずっと図書館にいたのだそうだ。それを知ったら蒼生は申し訳なく思ってしまうだろうから、それは蒼生には言っていない。桐畑自身も蒼生に言うつもりはなく、だがどうしても誰かに吐き出したくて健太にぶつけたらしい。その恨みがましい様子に、ますます当日知られなくてよかったと心底思った健太だ。
「……なんであいつのこと気にするんだよ」
「一応、仲のいい後輩だったし、仕事もちゃんとしてくれてたから……」
 言われてみれば、蒼生は一定距離を保って人と付き合ってきたから、強引に近付かない限り長く付き合う人間はいない。桐畑はそういった意味では息の長い友人と呼べるかもしれないのか。いや、蒼生に対して恋愛感情を持っていた以上、健太と冬矢には排除対象でしかないが。
「あいつ結局、卒業までずーっと言い寄ってたよな。いい加減、蒼生のこと諦めたかな」
「卒業してもう半年経ってるんだよ? もう忘れてるでしょ。そうであって欲しいよ。ちゃんとした好きな人を見つけてくれてたらいいけど」
「……そうか。そうだといいな」
 なるほど、と冬矢は納得する。蒼生は桐畑の告白を断り続けたことを気に病んでいるのか。振るたびに傷付けているように感じていたのだろう。だから、迷惑だと思っていたはずなのに、彼の心配をしてしまう。優しい蒼生が、小さなことで傷を増やしてしまうのがもどかしい。健太もそう感じていたのかどうかはわからないが、ぐいっと身を乗り出して蒼生の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。あいつ、あんなぐいぐい行くタイプなんだから。その勢いで次の恋を見つけてんじゃねえか?」
「そうだねえ」
 蒼生はほっとしたように頷く。だが、健太はそのまま蒼生の手を握った。
「あいつの話はもういいよ。それより、あの時の蒼生、本当に綺麗だったよなあ。だっこして連れ去らなかった自分の理性を褒めてやりたいね」
 しみじみ呟く健太に、蒼生も笑みを零す。
「健ちゃんも爽やかでかっこよかったよ。冬矢も威厳があってかっこよかった。他に誰もいなかったら、ずーっと眺めていたかったのに」
「えー、嬉しい」
「俺もずっと蒼生だけを見つめていたかった。でも、あの場では仕方なかったよね」
 普段とは違うお互いの姿をもっと堪能したいという気持ちはあったが、あの時は本当に忙しかった。それに、「誰かが私情を込めた衣装」に違和感があったことも確かだ。目の前の恋人が輝いているのは当然だが、その服には他の誰かがその人を思う心がある。そんな些細なことはお互いの愛の前ではどうでもいいはずだが、気にし始めると爪のささくれのように引っかかってしまう。やはり、第三者の絡むイベントはなかなかに心の整理が難しい。
 健太は席に座り直すと、ほとんど冷めてしまっているコーヒーを飲み干した。
「あとさ、終わった後の貢ぎ物すごかったよなー」
「あはは、そうだったね。しばらく貢ぎ物コント流行ったの、すごく面白かった。いちいち王子様こちらをどうぞ、お姫様お茶はいかがですか、って」
「なんでだか、冬矢だけ王子様じゃなくて王様って呼ばれてたよな」
「やっぱり貫禄があったからじゃないの。絶対王冠が似合ったと思うよ」
 アイスティーを飲みながら、冬矢は肩をすくめる。
「本当に俺が王だったとしたら、おそらく相当評判の悪い王だっただろうな」
「なんで?」
「蒼生のためだけに法律を作る自信がある」
「ふふ、自信って」
 蒼生は笑うが、健太は妙に納得してしまう。考えてみれば、無愛想で人付き合いが悪く非協力的で冷たい対応をしてクラスで浮いていてもまったく気にしなかった冬矢が、ただ蒼生と周囲の関係を悪化させないように……つまりは蒼生のためだけに王子様の衣装を着て給仕に終始するまでしたのだ。蒼生のため、という名目ならば、本当に国を傾けてまで蒼生に尽くすのではなかろうか。
 蒼生はにこにことカップに口を付けた。
「でも、あれは経験してよかったかも。目立つ格好をして注目されちゃうのすごく苦手だったけど、健ちゃんと冬矢がいれば頑張れたんだもん。苦手なこともふたりとなら乗り越えられるんだなって思った」
 優しい瞳で冬矢が頷く。
「そうだね。俺も意外にやれば出来るんだなと思ったよ。普段外に見せている顔とおんなじだ。あくまで役柄として演じればいいんだから」
「本当の自分は、ふたりが知っててくれたらいいんだもんね」
「うん」
 蒼生はごくんと喉を鳴らす。そうだ、いっそ、それを演じることを楽しんでしまえばいい。難しいかもしれないが、本当の自分が保たれているのならきっと出来るような気がする。健太と冬矢がいれば大丈夫だ。
 蒼生と冬矢が飲み物を空にするのを見守ると、健太がよし、と立ち上がる。
「それじゃ、オレたちだけの王宮に帰りますかね」
 ふたりは首を傾げてから、顔を見合わせてふっと笑う。
「そうだね。僕たちだけの王宮に」
「だとすれば、健太は掃除大臣だ」
「なんか微妙だな。じゃ、冬矢は料理長じゃねえか」
「んー……じゃあ僕は、洗濯当番?」
「役職じゃねえじゃん」
「あ」
「そもそも、今の役割分担じゃ、誰も王族じゃないと思うんだけど」
「あっ」
「本当だ」
 くすくすと、笑う声が重なる。

 店を出ると、少し冷たい風が頬を撫でていく。
 3人は肩を触れ合わせながら、駅に向かって歩いて行った。
 とても小さく……けれど穏やかで暖かい、3人だけの王国を目指して。

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68こ目;ひとかかえだけの王国
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 通常の講義室とさほど変わらない大きさの集会室は、ほぼ満席状態でごった返していた。客層は何故か女性がほとんどだ。一応メインであるはずの展示パネルの前にもぱらぱらと人の姿があったが、ほとんどの客は簡単なテーブルクロス代わりの布が掛けられた小さな机にひしめき合って座り、その合間を縫って飲み物を運ぶ一部の学生の姿を目で追っていた。
 パネルで仕切られた裏側のスペースに向かい、健太は覗き込むような仕草で声をかける。
「蒼生、オレンジジュース2つと冷茶1つ」
 裏側でせっせとコップの準備をしていた蒼生が、ぱっと顔を上げた。
「はーい」
 大学祭での読書サークルの参加形態は、あくまでも「休憩所を兼ねたメンバーおすすめの書籍紹介」であり、喫茶店ではない。そのため、用意してある飲み物は市販のペットボトル飲料だけで、それをコップに注いで提供するだけだ。
 表と裏を仕切るように置かれた教卓の上に蒼生がコップを置くと、「ありがと」と笑った健太がそれを持って行く。
 入れ替わるように、冬矢が蒼生の前に来る。明らかに機嫌の悪い笑顔だ。そうだろう、冬矢はそもそもこういう時にフロアに出たがらない。しかも女子に引き留められている姿を何度も目にしているから、疲れていて当然だと思う。
「ねえ、冬矢。僕、そろそろ替わるよ」
「……いや。俺の可愛い蒼生に目を付けられては困るからな」
 小声で冬矢がそう言うと、蒼生も困ったように首を傾げて声のボリュームを下げた。
「それは僕も同じなんだけど」
「ふふ、そうだな。なるべく目立たないようにするよ」
 冬矢はそこでだけ本来の優しい笑顔をふと浮かべると、注文のオレンジジュースを2つ持って行った。
 蒼生は集会室の中を眺める。給仕に走り回るのは健太と冬矢、あと男子学生1名と女子学生2名。その中で、どう見てもふたりは目立っている。座る女子たちの視線の多くは、明らかにふたりに向いているではないか。それだけでも気になって仕方がないのに、普段はまっすぐ自分に向くふたりの目がこちらに向かないことにももやもやしてしまいそうで、ぶんぶんと頭を振ってその考えを振り払う。そう、これはサークルのお仕事だ。せめて同じ服でも着てやれば良かっただろうか、そうしたら3人がひとくくりだと思ってもらえただろうか……いやいや。
 さっきからこんなおかしなことを繰り返し考えてしまっている。
「はー」
 戻ってきた健太が、教卓の上に突っ伏した。
「大丈夫? 健ちゃんも疲れてるでしょ」
「うん……」
「僕、替わろうか。僕ばっかり楽してて悪いよ」
「ううん、オレの蒼生がナンパでもされたら大変だから、蒼生はそこにいて」
 蒼生は思わずくすくすと笑う。言い分がふたりとも全く同じだ。けれど、本当に蒼生のことが大切すぎるから出てくるセリフだと蒼生もわかっている。そのうえおそらく、蒼生がふたりから頼まれた注文を裏でせっせと準備する作業が楽しい、と思っているのもバレてしまっているのだろう。申し訳ないと思いつつ、大事にされている実感に安堵してしまう。
 健太はさらに奥を覗き込み、大学祭の途中報告をサークルのサイトに載せるべく作業している男子学生に向かって声を掛けた。
「ねー、先輩、オレたちのこと働かせすぎじゃないですかぁ?」
 たしかに、と胸の内で蒼生も頷く。そもそも「休憩所」という名目上、さほど人が集まることを想定していないはずだ。実際、昨年まではちらほらとしか人は来なかったというではないか。だから、好きな本を選んで、パネルにそれぞれ書き込みをするだけでほとんどすることはないという話だったのだ。実働部隊は1年と2年だから人手は少ないとはいえ、2~3人ずつでひとり1~2回出番が回ってくるだけだと聞いていた。だが、なんだかんだで蒼生たち3人は、昨日今日とほぼフルでこの部屋に詰めている。
 奥で作業している学生が顔を上げた。
「そりゃおまえ、おまえと笹原が野木沢とシフト分かれんの嫌だとかわがまま言うせいでメンバーの振り分けが面倒になったからっつーのがほぼ原因ですけど?」
「ぐっ……」
 健太が黙り込む。そこに冬矢が戻ってきて、見えないように蒼生の腰に手を回す。
「けれど、当初のシフトでは俺たちは初日の頭と今日の昼過ぎだけでしたよね?」
「仕方ないだろ、おまえら引っ込めたらクレームが来たんだよ……。イケメンがいるって聞いて来たのにいないんですか、って」
「それは俺たちの責任じゃないと思いますけど」
 ひらひら、と手を振って画面に目を戻した先輩は、拗ねたように口を尖らせる。
「休憩室に待ち行列が出来るなんて俺らも想定外だったんだから、諦めてくれ。あー、俺もそんなにモテてみてぇよ。……細谷部長と神崎副部長が、功労賞として終わったら何でも奢ってやるって言ってたから、頑張れ」
 3人は顔を見合わせる。
 そこに、フロアから「すみません、注文いいですか」と声がかかる。ふう、と息を吐いた健太と冬矢がぴっと背中を伸ばした。
「……なんかすっげえもん、奢ってもらおう」
「そうだな」

 大学祭の全行程が終了し片付けを終えた3人と、同じく1年生部員の木之下は、揃って駅前のファミリーレストランにやってきた。まさかの大盛況で全員がへとへとになってしまい、打ち上げは後日ということになったのだ。だがこの状態では夕飯の支度も面倒だ。そこで、最後まで残っていた木之下も誘って食事に来たというわけだ。
 はー、と息を吐いたのは健太だ。
「バイトより疲れた……」
 その横に座っていた木之下が、真面目な顔で頷く。
「労働に対する対価が支払われないわけだからね」
「そうそう。しかも店と違って、祭りだもんな。連絡先渡そうとしてくる子、結構いてさあ。そういうのはごめんなさいーって何度言ったかなあ」
 冬矢の隣で、蒼生がぴくんと肩を揺らす。気付いた冬矢が、椅子に置いた手をそっと握ってくれたので、なんとか平静を装うことができた。そうだろう、あの勢いで視線をいただいていたら、そういう声もあって当然だ。ふたりはかっこいいからな、と納得はするが、いい気はしない。やはりお揃いの服が必要だったか。結局自分たちの仕事が忙しくて歩き回ることも出来ず、大学内で何が行われているか知らないままだったのだが、これ以上かっこいいふたりを人目にさらすのは危険だっただろうからこれで良かったのかもしれない。
「対価っていえば、木之下、先輩たちの奢りの話聞いた?」
「うん。……そうだ、帰りがけに俺、伝言もらってたんだ。1年と2年で別々にやるから、食べたいもの考えておけって、神崎先輩から。日にちも相談してくれって」
「先輩から? そっか、じゃ他の1年のみんなにも確認取らなくちゃだね」
 夏合宿でイメージアップを図って部員を増やしたいという先輩らの計画はうまくいったようで、1年も2年も少しずつではあるが人数が増えた。同学年なので上も下もないはずなのだが、先に入ったこの4人が何故か1年の中心に見られてしまっている。
 木之下は、蒼生に向かって頷いた。
「俺が聞いたし、俺のほうから一応連絡入れておくよ」
「ありがとう、木之下くん。お願いします」
 健太と冬矢は、ふっと窓の外を見た。細谷はともかく、神崎が来るとなると気が抜けない。完全に蒼生に気があるとまでは断定できないが、やたら蒼生に近付いてくる気配があるのだ。合宿で嫌がる蒼生に無理矢理触れたことについても、未だにふたりは許していない。
「それじゃ、そろそろ俺も帰るよ。3人はどうする?」
「まだオレ食い足りないから、もうちょっといるわ」
「そっか。じゃあ、お先に。ご飯代……」
「払っとくから、後で精算しよーぜ」
「うん。じゃあ、今日はお疲れ様」
 手を振って、木之下が席を立った。
 ようやく3人きりになったことで、健太が机に突っ伏し、冬矢が首を回す。その溜め息が見事に重なった。それはもはや今日のことではなく、これから来るであろう神崎とのバトルに対して気合いを入れる為のものだったが、蒼生はふたりが疲れ切ってしまったと思ったらしい。心配そうな顔で、ふたりの手を両手でそっと包み込む。
「本当にお疲れ様……。ごめんね、僕の分まで頑張ってもらっちゃって。どうしよう、僕に何か出来ることないかな」
 ふたりは、どうしようもなく愛おしいものを見つけたような顔で蒼生を見る。蒼生を閉じ込めたのは自分たちのわがままだ、と何度も言っているのに。初日の最初のシフトで蒼生が女子たちの注目の的になったことが怖かっただけなのに。それを、蒼生も知っているのに。
 だから、健太は明るく笑った。
「それじゃあ、今日はいっぱいサービスして」
「今日? えっと、ここを僕が払うとか」
 冬矢が、ふっと意地悪げな顔で笑う。
「さて、そういう意味だと思う?」
 ぱっと蒼生の顔が朱に染まった。
「……あ。そ、そっか。そういうこと、だよね。……で、でも、よけいに疲れちゃわない?」
「最高の癒やしだから大丈夫」
「使う体力が違うから」
「そう、なんだ……」
 ふたりの手を握った蒼生の手が、じんわりと温かくなる。まんざらでもなさそうな様子に、ふたりの“蒼生可愛いメーター“が振り切れそうになった。今すぐにどうにかしてしまいたい衝動から逃れるように、健太は慌ててメニューを手に取る。
「えーっと、そのー、食い足りねえのはマジなんだ。もう少し体力回復させて。そしたら一晩頑張れるから」
「ひ、一晩は、僕のほうが無理だと思うけど……」
「ふふ。俺たちも何かもう1杯飲んで、水分不足を解消しようか」
「うっ、うん」
 追加注文を終えると、わずかに間が空く。その隙間でつい今晩のことを考えてしまい、体の奥がざわっとした健太は、ますます慌てて頭の中を探る。なにか、別の話題はないだろうか。ぐるぐる考えて、そして、「あ」と声を上げる。
「? どしたの?」
「いや、そういえば、高2の学祭も大変だったなーって急に思い出してさ」
 ああ、と蒼生と冬矢が頷く。
「そっか。あの年、うちのクラス喫茶店だったもんね」
「あれも途中で突然にさらなる労働を求められたんだったな」
 健太も全力で働いたが、蒼生と冬矢の気苦労はむしろあの時のほうが大変だったかもしれない。3人は目を合わせて、懐かしい思いに浸る。


 高校2年生。
 秋に行われる学祭に向け、クラスでは議論が白熱していた。クラス替えのない学校であるせいか、ほぼ全員が一丸となって「昨年よりもグレードアップさせたい」という熱意でああでもないこうでもないと意見を出し合っている。1年時は小ホールを借りることができたので、そこを全面に使用した縁日を出し物にした。なかなか好評だったが、今年はホールの抽選に外れてしまった。ではそれに勝るものは何かという議題で、縁日の中で一番楽しかったし評判も良かった冷製クレープをブラッシュアップして喫茶店にしたらどうかという方向でまとまりかけているようだ。現在の議論の中心は、それを普通にやって周りのクラスに埋もれないかということらしい。
 健太は完全にそちら側なので、立ち上がる勢いでアイデアを出している。そのクラスの雰囲気を、後ろのほうからにこにこ見ているようで見ていないのが蒼生と冬矢だ。クラスの中で盛り上がる生徒たちがいる一方、そういう行事が不得意な生徒もいるのは当然だ。その遠巻きに見ている一群の中に、ふたりはすーっと混じって大人しくしている。騒がしい行事が苦手で人混みが嫌いな蒼生と、人に紛れて一緒に何かをすることが嫌いな冬矢が引くのは当然だ。が、嫌そうな顔をするのも大人げないとわかっているので、ただ時間が過ぎていくのを待っていた。だが、ここで離脱するわけにはいかない。一番大切なのは、「何もしない役に就くこと」だからだ。勝手に目立つ位置に配置されるのだけは避けなくてはならない。
「……じゃあいっそ、すっごいドレスにしちゃうのどう!?」
「いいね! 男女ともドレスで!」
「いや待って、向こうのクラスが男女逆転で執事&メイドカフェやるって聞いたよ」
「あー……。そしたら、うちは正攻法で男子が王子、女子が姫にしない?」
「……いいね!」
 視線がちらちらと来ているのがわかるが、気が付かないことにする。
「それでいいかな」
「いいでーす」
「反対の人ー……は、いないか」
 そうして議論は進んでいく。最初は反対の声もちらほらあったのだが、話し合いの時間が長くなってきたのでどうでもよくなってきたのが黙っている彼らの本音だろう。そのおかげで、ほぼその案で決定しそうだ。
「役割はこんなとこかな。部活とかで準備にかけられる時間が限られてる人もいるし……」
「うん。当日は王子と姫の衣装着る人は準備を少し減らして。教室の装飾をやる班は当日バックヤードを交代でって感じかな。衣装については被服部の子中心にみんなでやろう」
「まずは各自の希望を聞いていこうか。やりたくないことやってもつまんないしさ」
「じゃ、まずは面倒なとこから。装飾やりたい人~」
 さっと何人かの手が挙がる。同時に、ガタンと椅子を引く音とどよめきが教室の中に溢れる。それは、その中に蒼生と冬矢の手もあったからだ。
「えっ!? 笹原くん、なんで!?」
「そういう衣装を着るのなら、それなりの装飾が必要だろう? 細かいところまでこだわったら面白そうだと思ってね」
「で、でも」
 健太が「そっか」と大きく言って手を叩く。
「だよなー、冬矢がやるとなんか時代考証? っての? にこだわった装飾が出来そうだよな!」
 そこに、元々手を挙げていた美術部の女子が、さらに元気よく手を上に伸ばす。
「私、油絵描く! 担任の肖像画飾ったらめちゃくちゃ面白そうじゃない!?」
「あ、いいねえ」
「オレ、壺作りたい!」
 あっという間に装飾の希望者は冬矢を中心にまとまり出す。そうなってしまうと、冬矢に王子衣装を着せたい女子も黙らざるを得ない。すると、彼女らの視線は自然と蒼生に向かう。
「野木沢くんは、衣装着ようよ」
 蒼生は少し困ったような穏やかな顔で小さく首を傾けた。
「ごめんね。僕、図書委員のほうで学祭の責任者になっちゃったんだ。だからほとんどそっちのほうに出なくちゃいけなくて」
 それは半分は本当の話だった。委員長に推挙されたのを固辞したのだが、ならば学祭の責任者になれという交換条件を出されてしまっていたのだ。どちらも嫌だったが、数か月の苦労で済むならと後者を取った。だが、学祭を楽しむのも大事だという顧問の発言もあり、持ち場を離れられないのは1日だけで、2日目は委員長に任せることになっている。とはいえ、一応顔を出すつもりだ。それでクラスの出し物が免除になるならそちらのほうがいい。
「そっかぁ」
 委員会を理由に出されては、やはり引き下がるしかない。しぶしぶという形ではあったが、ふたりの装飾班所属は認められることになった。
「……何かをしなければならないのには変わりがない、ということだけどな」
 その役目すら本当はやりたくない冬矢が、蒼生にだけ聞こえる音量でぼやく。蒼生は小さく笑った。
「でも、当日目立つよりマシだもんね」
「ああ。……蒼生と一緒なのは嬉しいから、せめてそれを拠り所にしよう」
「僕もそうしよう」
 目立ちたがり屋が多いのか、給仕係を希望する者は多いようだ。今からシフトをどうしようかという話が始まっている。健太もちゃっかりその中にいた。
「オレ、いっぱい働くからね!」
 その宣言は、クラスに向けられたもののようで、本当はふたりに向けられている。蒼生と冬矢が引っ込む分、自分が頑張るという意思表示だ。健太はふたりが人前に出たくないことを知っているから、精一杯フォローしてくれようとしている。蒼生はそれが素直に嬉しく、冬矢も複雑ながら感謝の気持ちを抱いていた。

 図書委員会の学祭の出し物は、昨年に続いて本を使った謎解きイベントだ。蒼生が提案したのをきっかけに実際に行われたのだが、これがなかなか好評だった。終了後のアンケートでは「本って色々書いてあって面白いんですね」「普段本に触れる機会がなかったけど、面白かったからもっと読みたい」「ヒントを探すのが楽しかった」と嬉しい言葉が並んでいた。それもあって、委員会のメンバーは蒼生を委員長か学祭責任者に据えたいと思っていたらしい。目立つのが嫌だからと委員長は断ったが、本が好きな蒼生は結局委員長と同程度の仕事をこなしているのだが、蒼生本人は気付いていないようだ。
 今日の作業は、全体的なテーマの選定と謎解きの方向性を決めることだった。
「去年の反省として、ルートの少なさがあったよね。参加人数が増えてくると同じルートを辿るから、目的の本で待ち時間が発生してしまう」
「だとすると、この案はいいんじゃね? 宝を隠した犯人がとある作家のファンだったって設定。Aの犯人の謎を解く班とBの犯人の……っていうルート分け」
「問題の数が増えてしまうからこちらの負担は大きいけれど、出来たら面白そうだね」
「とっとと決めて下調べ早く始めたほうがいいかな」
「そうしよう」
「難易度が一定だったから、難しいって声と簡単だったって声が両方あったよな」
「うん。最初の謎解きをテストみたいな形にして……その正当数と興味の方向性から指令文を分けることができないかな」
「それ、僕にやらせてください。面白そうです」
「ありがとう、任せるね。途中ですりあわせをしていこう」
「はい」
 イベント事は嫌いだ。だが、本を使って謎を作ること自体は楽しくて仕方がない。バランスや難易度を考えるのはとても難しいが、それよりもわくわくする気持ちが勝ってしまう。
「それじゃ、金曜日の打ち合わせまでに各自で担当ルートに使えそうなエピソードを集めておいてください。同時に謎解き問題の案が出来ているといいね。これはエピソードに関係なくてもいいです。謎の部分は、最初はざっくりと、あとで詰めていくようにしましょう。次回はまずエピソードをベースに具体的な物語というか、道筋を立てていきたいと思います。では、今日は解散」
 お疲れ様でした、と声が揃う。ぱっと立ち上がったメンバーは、そのまま昇降口に向かう姿もあれば、一目散に図書館に向かう姿もある。蒼生はそれを少し嬉しい気持ちで見つめた。委員会は強制ではないから、基本的には本が好きな人間が集まっている。そのメンバーたちが賛同してくれて協力してくれるというのは、同じ趣味を共有しているような気分になる。なにより、大人しいタイプが多いから、外の世界の中では比較的気が楽な場所だった。
 とはいえ、問題がないわけではない。
「野木沢先輩」
 会議室のドアを施錠していた蒼生の後ろから、上擦った声がかかる。振り向けば、小柄な少年がくりくりした大きな目をいっぱいに開きながら立っていた。
「桐畑くん、お疲れ様」
「お疲れ様です。あの、先輩、資料運ぶの手伝います」
「ありがとう」
 笑って、抱えていた資料を半分渡す。桐畑は嬉しそうにそれを受け取った。
 ……問題は、彼だった。いや、決して、彼自身が問題だというわけではないのだが。
「……あの。野木沢先輩。少しは僕のこと……考えてくれましたか」
 蒼生は内心頭を抱える。夏休みに入る前、委員会の終わりで捕まった蒼生は校舎裏に連れ出され、そこで彼に告白された。もちろんいつも通りの常套句で断ったのだが、男性相手でも引かなかったことに対して、チャンスがあると思わせてしまったようなのだ。相手を出来るだけ傷付けないで断りたいという態度が裏目に出てしまったらしい。
「桐畑くん。ごめんね。何度でも言うけど、僕には恋人がいるんだ。だから君の思いには応えられないよ」
「どうしてもですか」
「どうしても。誰よりも好きな人だから」
 今までは、一度断れば大体の者が引き下がってくれた。何度かチャレンジしてくる相手もいたにはいたが、ここまで食い下がってきたのは桐畑が初めてだった。
「……せめて、一度でいいから抱いてほしいです……」
 は? と声が出そうになったのを、蒼生はぐっと飲み込んだ。いやいや。いやいや、それはいけないだろう。
「そういうことは、気持ちが通じ合った同士でなくちゃダメだと思う。お互いを思い合って初めて出来る行為じゃないかな」
 穏やかに諭すように、そう言葉に出来た自分の瞬発力に驚く。まさかそんなことを言い出されるとは思わなかった。でも、よく考えたら、そうか。「好き」の次にはそれが来るか。
「でも、そこから始まるものも、あると思うんです。それに、男同士だったら浮気にカウントされないんじゃないかなって……」
 どこをどう取っても100パー浮気なんだよなあ、と蒼生は心の中でそっと溜め息をつく。
「それは誠意に欠ける考え方だと思うよ。桐畑くんは、とても優秀な後輩だ。でも、それ以上の存在にはなり得ない。わかってくれると嬉しいな」
「……先輩。だけど」
「さ、職員室だ。僕は鍵を返してくるから。資料もありがとう。それじゃ、また金曜の打ち合わせの時にね」
「はい……」
 桐畑が持っていた資料を受け取りながら、蒼生は気分がずるずると落ちていくのを感じる。自分が傷付けている事実を見せつけられていることが、どうしようもなく胸に痛い。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。去って行く背中が明らかにしょんぼりしているから、息が苦しくなる。
 資料と鍵を所定の場所に返すと、蒼生は駆け出す勢いで教室に向かう。教室では、仮称王宮喫茶の準備で多くの生徒が残っていた。今日は衣装班の作業がメインのようで、机をどかした広いスペースを使ってせっせと布を切ったり縫ったりする姿で教室の半分が埋め尽くされ、すっかり被服室のようだ。その被服室から借りてきたのか、ミシンが並んでダカダカと大きな音を立てている。
 その半分に押しやられた机の奥に、健太と冬矢が座っていた。ばさばさと広げられる布の陰に蒼生がその姿を見つけようとするよりも早く気付いていたふたりは、目が合う前から手を振ってこちらを見ていた。蒼生は、ほーっと長い息を吐く。
 おかえり、と声を掛けてくれるクラスメイトにただいま、と返しながら、蒼生はふたりの元に辿り着く。そして、ミシンの音がかき消してくれることを信じて、改めて息を大きく吐いた。
「おつかれさまー。委員会の話し合い、大変だった?」
「ううん、結構順調に話し合い進んでる」
 椅子に座りながら、蒼生はふたりの手元を見る。冬矢は装飾班なので当然担当箇所があり、今は木製のフレームを銀色に塗装しているところのようだ。そして健太は、黒いフレームに様々な色のセロファンを合わせていた。
「……あれ? 健ちゃん、当日衣装着て給仕するから、装飾の手伝いはしなくていいんじゃ……」
「だって蒼生と一緒のことやりたいもん」
 健太はさらりと答える。蒼生は嬉しくて赤くなりそうな頬を鎮めようとしているのか、ぎゅっと自分の両手で頬を押さえた。ふたりは「可愛い」の言葉を必死で飲み込む。蒼生はそれには気が付かず、両手を膝の上に置いて握った。
「え、と……うん。僕も健ちゃんと一緒、嬉しい。冬矢と一緒なのも嬉しい。……よし、僕も頑張る。僕が今できる作業は何でしょう」
 ふっと笑い、冬矢が足下に置いていた壺を机の上に上げた。紙粘土で作られたとおぼしき壺が、深緑に塗られている。
「これに金の絵の具で模様を描くんだけど。健太に言ったら速攻断られた」
「そんな細けぇこと、オレできないし」
「ふふ。僕だって上手に出来るかどうかわかんないけど、細かい作業は好き」
 向こうでは慌ただしく衣装製作が続いているが、ミシンの音に遮断されて、なんだか3人だけの作業場のようだ。嬉しくて、ささくれ立っていた心がすっと落ち着いていく。蒼生はにこにこしながら、細い筆で金色の線を引き始めた。
「ところで、蒼生」
「なあに、冬矢」
「今はもう落ち着いたみたいだけど。なにか引っかかることがあったんじゃないのか」
「ぐ」
 手が滑って、描こうとした点が想定より大きくなってしまい、蒼生はそれを花びらの形にして誤魔化す。それからちらりと冬矢を見上げた。
「……持ち直したから大丈夫だよ」
「ふうん?」
 冬矢は見透かす視線で蒼生を見つめる。それは心配によるものだ。わかっているからありのままを伝えたいのだが、先程もらった言葉のインパクトに、話すべきかどうか迷ってしまう。そんな蒼生の代わりに、あっと声を上げたのは健太だった。
「わかった、あいつだろ。桐畑。またなんか言われた?」
「あー……えへへ……うん」
 どうやらこれは、完全にバレている。
 ふたりには、桐畑から告白されたことを報告していた。というより、冬矢が近くできっかりすべてを聞いていた。何が起こるかわからないので、蒼生が呼び出された時にはどちらかが必ず陰で様子を窺うようにしていたからだ。冬矢の記憶の中でもそれはごく普通の告白風景で、蒼生の断りの文句も、いつも通りしっかり脈がない旨を伝えていた。今までのケースで言えばそれで諦めてくれることが多かったのだが。
「まったく、根性あるな。もう何回告られた?」
「もう数えてないよ……。顔合わせるたび言われてるから」
「……じゃあ、今日は少し違うことがあったのかな」
「うーん……。えっと」
 言葉を濁し、蒼生はあたりを窺う。それから殊更小さな声で、囁くようにふたりに告げた。
「せめて体の関係だけでも、って」
「は!?」
 がたんと大きな音を立てて健太が立ちあがる。クラス中から一斉に視線を浴びた健太は、「ごめん、なんでもない」と笑って周りに向かって両手を合わせると、表情を引き締めて椅子に座りながら蒼生に詰め寄る。
「体? 要求されたの?」
「大丈夫? 触られたりしていない?」
 心配そうなふたりに、蒼生は困ったように笑う。
「ううん。お願いされただけ。一度だけでいいからって」
「それはそれで酷い話じゃねえか」
 蒼生は大きく息を吐いた。
「だよね。そっちはそれで満足するかもしれないけど、勝手だよね。だって僕は望んでいないもの。そんなこと言い出すなんて、そういう付き合いに憧れてるようなところがあるんじゃないかなあ。経験してみたいだけなのかもしれない。そういう年頃だもんね。ああ、そうか、そういうのを頼みやすいのが僕だったのかな? そうでなければ僕なんか選んだりしないか。こんな僕が好かれるはずないもんね」
「……蒼生」
「それなら納得できるや、へらへらしてるから御しやすいと思われたんだ。こんな最低ランクに照準合わせるなんて、」
「蒼生」
 がしっと、健太と冬矢が蒼生の腕を掴む。俯く顔を上げた蒼生は、我に返ったような呆然とした表情をしていた。健太は、その顔を覗き込んで笑う。
「……今のは、ちょっと寂しいかな」
「あ……っ。健ちゃ……、ごめ……っ」
 さっと顔色が変わった蒼生の腕を、冬矢がぽんぽん、と叩く。
「大丈夫。蒼生が、俺たち以外から向けられる恋愛感情が苦手なことはわかっているから。それを向けられると、どうしても自分のことが嫌になってしまうんだよね。肉体関係の話をされて、混乱しちゃったのか」
「冬矢……ごめんなさい。今の言い方は本当にふたりに失礼だった。ごめんなさい……」
「ん。そっか、びっくりしちゃったんだ。だよな、蒼生は他の人となんて考えたことないもんな」
 そうだ。ふたり以外とのセックスになんて興味はない。こうして付き合うことになるまでは、どういう感情や感覚を伴うものなのかという興味はあったが、それは自分とは全く関係がなかったからだ。他人事だったから、どんな話も平然と聞くことができた。でも、今は、違う。
「……うん。僕は、健ちゃんと冬矢にだから抱かれたいと思ったんだ」
 ふっとふたりが視線を和ませる。そして、周りに気付かれないように、一瞬だけ頭を撫でてくれた。蒼生はそれを、深い反省と共に受け止めた。

 ひっきりなしに図書館を訪れる人の流れを、蒼生はカウンターの裏から穏やかな気持ちで見つめていた。学祭は外部に向けて公開されているから、生徒の家族だけでなく近所に住む人々もたくさん来ているようだ。老若男女が問題用紙に目を凝らしながら真剣に本に向かっている姿が、なんだか誇らしい。
「あれっ。お客様、白いカーディガンをお召しですね? ああ、本当にいらっしゃるとは! 実は、さっき通りがかった方から、お客様が来たら必ず渡すよう伝言がありまして……こちらです。挑戦状、と書かれていますね。いったいどういうことでしょう……」
 受付に立った後輩女子の流れるような演技の声が楽しい。
「挑戦状の暗号を解かれた? たしかに、これを持ってきた方がいたら代わりに渡してほしいと頼まれているものがありますね。ではお預かりします。少々お待ちください」
 カウンターの隣で「挑戦状」と書かれた問題用紙を受け取り、解答をチェックをしてそれに見合ったルート別の謎解き用冊子を渡すのは、同学年の男子生徒だ。
 蒼生の役割は、今日1日のトラブル対応とヒント要員だ。とはいえ、トラブルは起きにくいイベントだし、ヒントも本の中を探せば必ず出てくる仕組みになっている。だから、その探し方がわからない人へのレクチャーが主な仕事だった。ほとんど話しかけられることのないポジションだが、訪れた2人の幼稚園児くらいの子が声を揃えて、
「ほんのさがしかたを、おしえてください」
 とやって来たのが可愛らしかった。後ろでは、母親と思しき女性がにこにこしていた。きっと、2人が一生懸命図鑑をめくりながら、読めない字を母親に聞きつつ謎を解こうと頑張っている姿を、嬉しく思っているのだろう。なんだか小さい頃の自分と健太を見ているようで、蒼生も同じような気持ちで2人を見守ってしまう。
「野木沢ぁ、交替」
 突然カウンターの向こうから声がかかった。
「ああ、もうそんな時間か」
 どうせ動くこともなく体力も使わないので、丸1日ここにいてもよかった。今日は蒼生が、明日は同じポジションを委員長が担当するが、2人ともそのつもりでいたのだ。が、今朝になって、休憩の予定が入っていないことに顧問が気付いた。そしてさすがにそれは問題だということで、急遽、強制的に休憩時間が与えられることになったのだった。
「それじゃあ、食事をしてくるね。よろしくお願いします」
「うん、ごゆっくりー」
 食事とは言ったが、蒼生にその予定はない。1食抜くくらいどうということはなかったし、休み時間が出来たとしても、この騒がしい校内で落ち着いて食事などできそうもない。ならばどこかの展示を見に行くかというとそんな気分でもないし、アトラクション的な教室に飛び込むつもりもない。つまるところ、蒼生には何もすることがなかった。
「蒼生?」
 人でごった返す校内をふらふらと歩いていた蒼生は、耳に優しく届いた声にはっとした。教室の前では、冬矢が廊下の装飾を手直ししているところだった。
「あ、あれ? 冬矢? あ、ここ、教室……。あれ、自分のクラスには寄らないつもりだったのに」
「どうしたの、今日は1日図書館に詰めているんだと聞いていたけど」
 一度顔を見てしまうと、蒼生の足は引き寄せられるように冬矢のもとに近付いて行ってしまう。愛おしい顔を見てしまっては戻るのが寂しくなるから、我慢する、我慢できるはずだったのに。
 冬矢は、蒼生がほぼ触れ合う距離まで寄ってくると、視線をふたりきりの時のように和らげた。
「もしかして、俺に会いたくなって来てくれた?」
「えっと。休まないとダメだって言われて、休憩になったんだけど……。勝手に足がここに来てた」
「ふうん?」
「うん。……僕、すっごく会いたかったみたい」
「……蒼生」
 外向けの自分があるふたりは、お互いに抱き合いたい気持ちをなんとか堪える。せめて控室として裏口になっている、このドアの中に連れ込めたなら。だが、今この中には。
 と、突然そのドアが開いた。
「蒼生の気配!」
 飛び出してきたのは、金のひらひらのついた赤い服に白いズボンという出で立ちの健太だ。冬矢は小さく舌打ちし、蒼生は目を丸くする。
「け、健ちゃん」
「……もう少しドアから離れて話すべきだったな」
「なんだよ、オレがすぐそこにいること知ってて、蒼生を独占するつもりだったのかよ」
「そうだよ」
「即答か!」
 健太はするりとふたりの間をわざわざ抜けると、教室の反対側にあるドアの前にいた女子生徒に声をかけに行く。
「高坂さん、オレ、休憩入っていい?」
「え、むしろ寺田くん働きすぎ! 今人数足りてるから、きっかり休んできて!」
「ありがとー」
 そして、意気揚々と戻ってきたかと思うと、そのままの勢いで後ろから覆い被さるように蒼生に抱きついた。冬矢の白い眼は、自分が出来なかったことをさらりとやられたことへの羨む気持ちの表れだろう。気付いているのかいないのか、健太は嬉しそうににこにこ笑っている。
「さっきさぁ、うちの家族が総出で来てて。さんっざん似合わないだのコントみたいだの言われて傷ついたから、慰めてー」
 蒼生もつられたように笑うと、腕を伸ばして健太の頭をぽんぽんと撫でた。
「みのりちゃんたち来てたんだね。よしよし、お疲れ様。健ちゃん、すごく似合っててかっこいいのにねえ。最初に見た時、本当の王子様かと思ったもん」
「あ、蒼生~~~~~」
 ぎゅう、と健太が腕に力を込める。ちらちらと辺りの人々から視線が送られているのだが、学祭ではしゃいでいると思われているのか、すぐに通り過ぎていく。これなら頬にキスをするくらいならいけるかもしれない。そう思って健太は顔を上げたのだが。
「そういえば、蒼生のご家族はいらっしゃらないんだよね」
 まるでタイミングを計ったかのように冬矢が蒼生に話しかける。蒼生は表情を変えずに「うん」と頷いた。
「学校行事に参加してくれたのは小学生までじゃないかな。僕、こういう行事苦手でしょ。確実に裏方に回るから来てもつまらないよ、って言ったんだ。それきり誰も来ないね。まあ、3人兄弟の一番下だから、飽きてると思うし」
「オレが一緒にいるからそれだけでいいもん。なー」
「ねー。あ、今は冬矢もいてくれるの、すごく嬉しい」
「……なるほど」
 冬矢は小さく笑って手を伸ばし、蒼生の頬にそっと触れる。触れられた蒼生も嬉しそうだ。健太はその手から蒼生を逃そうとぐいぐい引っ張る。
「家族っつったらさ。おまえんとこの両親も見たことないな」
「俺も断っているんだ。全力で目立たないことを目指しているから、何もしていないと言い張っている」
「そうかなあ、話だけ聞いてると、それでも何かに関わってるなら見に来たいと思ってそうだけど」
「たぶんそうだろうな。だから余計に断るんだ」
 蒼生と健太が顔を見合わせた。つまり、照れくさいということか。ふたりで笑っていると、冬矢がぐいっと顔を近付けてきた。
「……何を想像しているんだ?」
「いえ、なんにも」
 そのやりとりに堪えきれずに蒼生が笑う。そのあまりにも素直で純真な笑顔に、思わずここが学校で、今は学祭の最中だということをふたりは忘れそうになった。
 そこに。
「あーっ、寺田先輩! 何してるんですか!」
 甲高い声が響く。すうっと大人びた表情に戻る蒼生に、健太は唇を尖らせた。せっかく蒼生が可愛い顔を見せてくれていたのに。
 その声は、最近よく聞くようになってしまった声だ。見れば、体の前後に「おばけやしき」と書かれたパネルをくっつけた桐畑が小走りに駆けてくるところだった。その後ろからは、同じパネルをプラカードにした男子学生がついてくる。
「……何してる、ってなんだよ」
「そのまんまの意味ですよ! 野木沢先輩の邪魔になってるでしょう!」
「邪魔じゃねえよ。なあ、蒼生」
「うん。心配してくれてありがとう。でも、これが普通だから」
「ダメです、くっつきすぎですよ! ……っていうか! 王宮喫茶っていうから寄ったのに、何で野木沢先輩、王子様じゃないんですか!」
 蒼生はふわりと笑う。
「僕は装飾班だからね。それに、委員会でずっとこもりきりなのは桐畑くんも知ってるでしょう? 短い休憩時間では不可能だし、クラスでは役目を減らしてもらったんだよ」
「えー……。休憩だって聞いたから、きっと着てると思ったのに。あーあ、野木沢先輩の王子様見たかったな……」
 心底残念そうに肩を落とす桐畑に、着せなくて良かったとつくづく思う健太と冬矢だ。余計な夢を見させては後々面倒くさい。
「そんなことより、桐畑くんは今日はクラスの呼び込みなんだね。明日は委員会のほうで頑張ってもらわなくちゃいけないし、忙しくてごめんね」
「いいえ、いいんです! 野木沢先輩の元で働けるだけで嬉しいです!」
「そう言ってもらえると有難いな。桐畑くんは真面目だし、イベントの準備も効率よくやってくれたから、君がいると助かるよ。僕も明日顔を出せるタイミングがあれば委員会のほうも行くから」
「はい!」
 冬矢は頭を抱える。これは蒼生の通常運転だ。なるべく軋轢を生まないように、円滑に物事が運ぶように、出来るだけ相手を持ち上げる。ギスギスした態度を取られることが怖いから、極力穏やかに柔らかく接する。告白され、それを断り続けている相手に対しても、この有様だ。優しくて臆病な蒼生。蒼生は、冷たい態度を取らないのではない、取れないのだ。
「……桐畑くん。クラスメイトの子、困っているよ。クラスの宣伝で構内を回っているんだろう?」
「あ、笹原先輩」
「学祭の時間は限られているんだから、時間を潰してはもったいないよ」
 言外に、蒼生にまとわりついても時間の無駄だ、と訴える。いくら年下らしいまっすぐな恋心をぶつけようとも、蒼生は自分たちのもとからは離れないし離すつもりもまったくない。
 それを桐畑ともうひとりの生徒は、言葉通りに受け取ったらしい。
「そうですよね。すみません、先輩、お邪魔しました。ほら、桐畑、行こうぜ」
「えー、野木沢先輩~」
「桐畑が先輩の邪魔してるんだろ!」
 そうそう、と冬矢と健太が心の中で深く頷く。
「野木沢先輩、また明日!」
 桐畑はパネルを掴んだクラスメイトに引っ張られながら、廊下の向こうに消えていった。
 はあ、と息を吐いたのは3人同時だ。特に、この状況は蒼生の優しさが招いているのではないかと思っている健太と冬矢の溜め息は深い。だが、そんなところも蒼生のいいところなのだ。長所を改める必要はない。結局、自分たちでなんとかするしかないのだ、とふたりは決意を新たにするのだった。
「……さて、やかましいのもいなくなったところで。蒼生、ごはんまだだよな? 一緒に食べに行かない?」
「うん、行く。冬矢は?」
「俺は早めに休憩をもらったから、先にいただいたよ」
「えー……」
 つい今までの澄ました顔はどこへやら、蒼生は可愛らしく拗ねた顔で冬矢を見る。それを見て微笑みが隠せなくなるのは、仕方がないことだと思う。
「ほら。健太と行っておいで。まだ委員会のほうも頑張るんだろう? ちゃんと昼食は摂ったほうがいいよ」
「そうだよね……」
「冬矢から許可も出たし。な、蒼生。行こ」
「……うん。冬矢も、あとで、ね」
 名残惜しそうな表情だけで満たされた冬矢は、そっと蒼生の頬を撫で、「行ってらっしゃい」と囁いた。そして、頷いた蒼生の、健太と並んで歩きながら何度も振り返る顔を胸に焼き付け、放っておいた作業に戻るのだった。
 連れ立って階段を降りた蒼生と健太は、学祭の間だけ解放されている職員用の通用口から外に出る。校庭の端には、運動部が出店する模擬店が並んでいた。香ばしいのと甘いのと、様々な香りが同時に漂ってくる。
「蒼生、焼きそばはどう?」
「いいね! ……あ、僕、お財布持っ」
「よー、やってんなあ!」
 健太は最初から決めていたのか、蒼生の返事を待つより早く、焼きそばの店舗にまっすぐ向かって行く。ずいぶん気安く声をかけるなと思ってテントを見ると、そこにはサッカー部ののぼりが立っていた。なるほど、健太は半年前まで部に所属していたから、チームメイトがいるのだろう。やめた後では声をかけづらいのではと蒼生は考えるのだが、健太にとってはそうでもないらしい。
「おっ、健太。いらっしゃーい。……って、あはは、すげぇかっこだな! あー、王宮喫茶って、そっか、おまえんとこか!」
「そうそう。どうだ、似合うだろ~」
「うーん、どっちかっていうと隣の野木沢ちゃんのが似合うんじゃねえの?」
「そりゃあ当然だけどさ」
 ぴっと蒼生は背筋を伸ばし、にこにこ無難に笑う。知らない人だと思っていたが、そういえばサッカー部の試合かどこかで見たことがあるような気がする。そうか、健太の友人なら蒼生のことを知らないはずがない。しかし当の蒼生はかかわりがない人間を積極的に覚える気がないからすぐに忘れてしまう。
「いやホント、格好は王子なくせに、全然威厳ねえな。気さくさ半端ねえじゃん」
「あっはっは。あ、焼きそばふたつ。王族専用大盛サービスで」
「そんなサービスないわ!」
 彼はそう言って笑うと、熱々のパックを両手で抱え持って恭しく健太に渡す。健太も「うむご苦労」などと言いながらそれを大げさな所作で受け取った。頭を上げた彼と健太は、目が合うと我慢しきれないように大笑いする。
「なんだこれ」
「おまえだってノリノリじゃん! んじゃ、これ、料金」
「はい毎度ありー!」
 準備されている机と椅子は混み合っていたので、ふたりは近くの花壇に座ることにした。パックを健太から手渡された蒼生は、さっきのやりとりからずっとくすくすと笑っている。
「たしかに、王子様の格好に焼きそばは面白い取り合わせだね」
「そもそも王子と姫が接客するって時点でおかしいんだけどなー。それは召使いにさせろよって」
「ふふ、そうだよね」
 それは当初の想定通りだった。その「おかしさ」「突っ込みどころ」が客に面白がられているらしい。今のところ、評判も上々なのだそうだ。健太が朝からの出来事を楽しそうに話すので、蒼生はそれを自分のことのように嬉しく思いながら聞く。大変そうだが、健太が楽しいならそれでいい。
 が、クラスメイトが盛大にお釣りを間違えたエピソードを聞いて、蒼生ははっとする。
「そうだ、健ちゃん。僕、今、お財布持ってなくて。後で払うね」
「え、いいよ」
「そんなわけにはいかないでしょ」
「マジでいいって」
「でも」
「……あ」
 健太は何かに気付いたように頷き、蒼生の耳元に口を寄せた。
「じゃあさ、あとで、キスで返して」
「え?」
 ぱちぱち、と蒼生が瞬きの数を増やす。驚いて見上げると、これ以上ない良い案を思いついた、とでも言いたげな健太の笑顔。
「そんなことでいいの……?」
「そんなこととはなんだよ。オレにとって、もっのすーっごーっく、価値のあることだよ」
 蒼生はぽかんとして、それからいたずらっぽく笑った。
「わかった。何回?」
「っえ」
「これひとつ分で、僕は何回健ちゃんにキスしたらいい?」
「……えーっと……。うわ、いーっぱいキスしてほしいけど、そしたら1回分の価値がすごくちっちゃくなるってことか。で、でも、じゃあ1回でーって言ったら全然し足りないし……。あ、価値考えたらむしろ1回にもならない……!?」
 真剣な顔で悩み始める健太に、蒼生は眼差しを和らげる。
「冗談だよ。それはそれで承知しました。……あと、ありがとう。ごちそうさま」
「! えっへへ。蒼生に喜んでもらえるの、嬉しい」
 そうか、素直に受け取ってもいいのか。蒼生はまたひとつ反省点を心に刻み、その眩しい笑顔を見つめた。

 健太と冬矢に会えたことで精神力が最大値まで回復した蒼生は、その後の仕事も積極的にテキパキこなすことが出来た。問題を解いている途中で意見が分かれて喧嘩になりかけたカップルも、蒼生がにこやかに話しかけるだけで落ち着きを取り戻したほどだ。後輩たちはその姿を見てひそひそと「癒やしの神では」と囁き合っていたらしい。後で聞いて思わず笑ってしまった。
 ゆったりした音楽と共に、1日目の開催が終了した旨の放送が流れた。すべての仕事と片付けを終え、明日への引き継ぎを手際よく出来るところまで整えてから蒼生は教室に戻る。健太と冬矢以外に捕まっては困るから、あまり寄りたくはなかったのだが、鞄をロッカーに入れてあるから仕方ない。とはいえ、そこそこ時間がかかったから、クラスメイトたちはもう帰っていることだろう。
 が。
「野木沢くん!」
 教室に一歩踏み込むなり名前を呼ばれて、とてつもなく嫌な予感がする。確信に近い、ものすごく強烈な予感だ。
 教室の中を見渡せば、まだ残ったままの多くの生徒たち。中央にいるのは、困った顔の健太と冬矢だ。なにかふたりに関する問題でもあったのだろうか。ふたりの表情を見ると、頭の中がすうっと冷えて、「どうにかしなくちゃ」という気持ち一色になる。ふたりが困っているのなら助けたい。
「どうしたの? 何かトラブルでもあった?」
 やたらと深刻な空気だ。ふたりと向き合っているのは、主に女子のグループのようだ。
「それがね、さっき、今日の売り上げの速報値が出たの」
「へえ、早いね」
「……これ、見てくれる?」
 クラスの学祭実行委員を務めている子が、1枚のプリントを蒼生に向かって差し出す。受け取って眺めると、棒グラフで各クラスや部活の飲食店部門売り上げが示されている。探してみると、このクラスの出し物は上から2番目にあった。
「2番なんだね。すごいじゃないか」
 男子生徒が、ものすごい勢いで蒼生に近寄る。咄嗟に健太が後ろから蒼生を引き寄せたが、その生徒はそれを気にせず、さらに蒼生に詰め寄る。
「でも、見ろよこれ! 上には男女逆転執事&メイド喫茶で、この差! もう少しでトップに立てるんだよ!」
「そう! 大差じゃないんだよ! もう一歩で届くの!」
 他の生徒たちも、ぐぐっと距離を詰めてくる。はっきり展開が読めた蒼生は、溜め息をつきたいところをなんとか堪える。これでふたりが困っていたのか。なるほど。
「……こうなったら、笹原くんと野木沢くんに衣装、着てもらうしかないの! 逆転するには全力にして最大の一手を打たないと!」
「それで笹原くんを説得してたところで」
 もう一度、なるほど、と思う。冬矢は人前に立つのも、目立つのも苦手だ。遊びの輪の中に加わるのも好きではない。拒否するのは当然だ。だが、冬矢がしたであろう理論的な反論と説得でも引かないほど彼らは必死なのだ。たしかに、あれだけ一生懸命準備したのだ、認められたい気持ちはわかる。それでも冬矢に無理強いするのは違う。
「冬矢は、こういう場で表に出るのが苦手だって話は聞いた?」
「……え、うん……。でも」
「わかった。みんながそんなに勧めてくれる理由はわからないけど、僕が手伝えば、冬矢は免除してもらえるかな?」
「えっ」
「蒼生」
 全員が声を上げる。クラスメイトの声は、喜びの声。当然戸惑ったのは健太と冬矢だ。
「待って、蒼生こそ、そういうのダメじゃん」
「俺のぶんまで無理することはないよ」
 けれど、蒼生はふたりに向かってにこりと笑う。
「大丈夫。僕が頑張って何とかなることなら、なんとでもするよ」
 こうと決めてしまえば、ふたりより蒼生のほうが度胸がある。冬矢のためになるというなら、苦手などたいしたことではないと本気で思っているのだ。
「ありがとう、野木沢くん! 本当に助かる!」
「本当に頼りになるな!」
 それには答えず、蒼生は衣装係の生徒のほうを向く。
「でも、衣装はどうしたらいいのかな」
「そこは心配しないで! 絶対着てほしいなと思ってたから、私たち、2人のぶんも作っておいたから! あ、無理に着せようとしてたわけじゃないんだよ、ただ創作意欲が爆発しちゃっただけ!」
「あはは、そっか」
 蒼生は頭の中で明日のスケジュールを考える。委員会に詰めるつもりだったが、引き継ぎ資料があれだけあるから大丈夫だろう。
 そこに、冬矢が蒼生の前に立ち、正面から肩をがしっと掴んだ。
「……蒼生が着るなら、俺もやる」
「えっ、冬矢」
「うそ! いいの! 嬉しい!」
 泳ぐ蒼生の目を、冬矢は一度まっすぐに見つめ、それから周りに視線を巡らせた。
「さっきも言ったけれど、俺はそういう人前に立つのが苦手だから。出来れば、蒼生とシフトを合わせてほしい。それなら出来ると思う」
「それはもちろん! ね!」
「全然! 問題ないよ!」
 俄然盛り上がり、衣装を探り出すクラスメイトたちをよそに、蒼生と健太は心配そうに冬矢を見る。
「おまえ、大丈夫なのかよ。蒼生も」
「僕は大丈夫。でも」
「蒼生が頑張ろうとしているのに、俺だけ逃げたくないよ。俺だって大丈夫だ。蒼生がいるなら」
「冬矢……」
「……無理そうなら、ふたりともオレがちゃんとフォローするからな」
 蒼生と冬矢は目を合わせ、それから健太を見て頷いた。

 翌日、もともとシフトの入っていなかった冬矢は家の都合で、蒼生は委員会の出し物の引き継ぎで、それぞれ遅れて教室に入った。王宮をイメージした装飾が施された室内では、一番先にシフトが組まれているメンバーでのミーティングが既に始まっていた。一応カーテンも豪奢に見える布に掛け替えられているとはいえ、教室の中に華やかなドレスが並ぶ光景は、なんだか奇妙だ。
「あ、ふたりともおはよう」
 健太が気付いて手を振ると、他のメンバーも口々に「おはよう」と挨拶を寄越した。
「おはよう、遅くなってごめんね」
「ううん、野木沢くんも笹原くんも、本っ当にありがとう!」
「いや、僕もクラスの一員だし。それにしても、ドレスすごいね。みんな似合ってる。すごく華やかだよ」
「わ、野木沢くんに言われると自信ついちゃうなあ! 今日も頑張れちゃう!」
「ホント助かるよな?。2人の分の衣装、そっちのバックヤードに用意してあるから、よろしくな!」
「うん」
 バックヤードは、机を重ねて壁風に整えた奥のスペースだった。ここが控え室兼調理場となっている。調理と言っても、買ってきた食材を皿に乗せたり、少し手を加える程度なので、このくらいの広さで十分なのだ。一応控え室との間にはカーテンが掛けられており、ふたりはその中に入る。すると入ってすぐのところに姿見が置かれていて、その隣には昨日見せられた衣装が2着並んでいた。鮮やかなブルーの衣装と、シックな深緑の衣装。ふたりは覚悟を決め、その衣装に手を伸ばした。
 冬矢はすらりとしたデザインに手の込んだ金糸の刺繍が施された衣装に袖を通しながら息を吐く。その細かさに、どれだけ夢中になって作られたかがわかってしまう。たしか、衣装班の中には明らかに冬矢に気のある素振りを見せる子がいたのを思い出す。なんだか余計な気持ちが込められているようで、肩にずっしりと重くのしかかってくるように思うのは気のせいだろうか。彼女の見る「笹原くん」がこれを着ているのだと見られるのはいい気分がしない。理想を押しつけられても困る。だから、これを着る自分を自分ではないと言い聞かせる為に、持って来たワックスで髪を少し後ろに流すことにした。
 その姿を見た蒼生が、ほうっと息を吐く。
「すごい。冬矢、そういう髪型してるの初めて見たけど、かっこいいねえ。衣装も似合ってる。そうだよね、冬矢はもとから綺麗でかっこいいから、豪華な衣装がすごく合うんだなあ」
 冬矢も視線を返して笑う。
「ありがとう。蒼生も素敵だよ」
 美しいジャケットは蒼生の滑らかな体の線をいっそう綺麗に見せているし、豊かに布を使った首元の白い襟は清楚さを表現しているようだ。誰がデザインしたか知らないが、少なくとも穏やかで優しい蒼生をきちんと見ている者の仕事だと思う。
 けれど、蒼生は、ちらと鏡を見て、そのまますとんと視線を落とした。
「……なんで、みんな、僕にこれを着ろって言ったんだろう」
 冬矢ははっとする。泣き出しそうなのを我慢している顔だとすぐにわかる。
「どうしたの?」
「やっぱり、僕、浮くよ。こんなの……僕じゃないみたい。似合わない。こんな綺麗な格好、僕なんかがしちゃダメだ。気持ち悪いよ」
「蒼生」
 そうか、ここには人の目がない。冬矢しかいない。クラスメイトたちの前であれば、気を張っているから強い気持ちを保つことが出来るのだ。今だって、冬矢がいなければしゃんと背を正して向こうに出て行っていた頃だろう。だが、冬矢は長い時間をかけ、自分の前では不安を口に出来るように少しずつ蒼生の心をほぐしてきた。きっと、蒼生は昨日からずっと不安だった。それが冬矢とふたりきりになったことでこぼれ落ちたのだ。
 冬矢は、蒼生に向き合うと、緩く腰に手を掛けた。
「蒼生。俺の目を見て。魔法をかけてあげるから」
「まほ、う?」
「そうだよ、そのまま俺を見ていてね」
 ゆっくり顔を近付け、驚いて丸く見開かれたままの目と視線を合わせたまま、キスをする。優しく何度かそれを繰り返すと、蒼生の強張っていた表情が少しずつ柔らかくなる。
 それから蒼生を鏡に向き合わせ、横に立って肩を抱く。
「見えるね。蒼生がいて、隣に俺がいる。可愛い蒼生。綺麗だよ」
 囁きながら、頬に、首筋に、髪に、耳に。蒼生に見えるようにキスをする。
「すごく綺麗だ。似合うね。やっぱり蒼生には綺麗な色がすごく合う。それは蒼生が綺麗だからだよ」
 そっと髪を撫で、反対の手を蒼生の手に絡ませる。
「どんな格好をしていても、中身は俺の大好きな蒼生だ。可愛いね。大好きだよ」
 そして、近くにあった椅子を引っ張ると、そこに蒼生を座らせる。
「俺はね、髪を整えて、普段の俺じゃなくなったんだ。だから蒼生にもしてあげる。そうしたら、中身の可愛い蒼生はそのままに、別の蒼生を演じることが出来るよ」
 硬くなりすぎないように、だが蒼生の凜々しさを引き出すように、少し大人びた髪型を作っていく。
「綺麗だ。俺が蒼生をこんなに美人にしているんだと思うと、嬉しいな」
「……この僕は、冬矢が作ってくれた、僕……?」
「そうだよ。俺の作品だ。心配しなくていい、とても綺麗だ。不安になったら思い出して。みんなが褒めるのは、俺が作った俺の作品だ」
 自分のことを褒められるのが苦手な蒼生には、きっとこの言葉は安心材料になる。確信して告げた言葉は、たしかに蒼生に響いたようだった。すうっと蒼生の目に力が戻る。
 支度を調えた冬矢のほうが息を呑んだ。表情を整えた蒼生は、凜々しくも芯が通っていて、驚くほど美しい。……勿体ない、と思った。自分だけのものにしたい。このまま閉じ込めてしまいたい。
 そこに、タイミング良く現れるのが健太という男だ。
「準備出来た?」
 蒼生が着替えているかもしれないと思ったのだろうか、健太は声を掛けてから、カーテンを開けた。
 ぴたっと。
 健太が動きを止める。
「? 健ちゃん?」
「……ま、マジかよ……。えっ? きっ、綺麗……!」
「え」
 そして滑り込むように蒼生の前に跪いて、その手をとる。
「う、わ。普段可愛いのに、凜とした表情を強調するような格好すると、こんなに迫力出るもの? すっごい、美人。やばい。綺麗。こんな美人見たことない。オレ、蒼生のもとで働きたい。忠誠誓ってもいい!?」
「あ、あの」
 慌てた蒼生には、先程の不安そうな表情は残っていない。冬矢は複雑な思いでふたりを見比べた。蒼生の不安を払拭させたのは自分だが、それを確たるものにしたのは健太の素直な言葉だろう。……だが、冬矢と健太の役割は別だ。こうしてふたりがかりで両側から蒼生を支えるのは、特性が違う自分と健太だから出来ることなのだ。
 それに、こんなに美しい蒼生を自分で飾り立てられたこと、その愛おしい存在が自分を頼りにしてくれていることは、冬矢の中にも不思議な自信となって満ち溢れてきていた。そうだ。どうせなら、この宝石のような人が自分たちのものなのだとアピールしてやろう。他の人間には決して触れられない、至高の宝物なのだと。
「……なんだかやる気が出てきたな」
「え、冬矢?」
「せっかくだ、トップをかっさらってやろうじゃないか。蒼生、何か困ったことがあったら、すぐに俺と健太を頼るんだよ。健太も、蒼生と仲がいいことを知らない人にもわかるようにしてやろう」
 蒼生と健太は揃って首を傾げる。いや、このふたりはわかっていないほうがむしろやりやすい。
「えっと。あ、こんな美人な蒼生に悪い虫がつかないように注意しろってこと?」
「まあ、そういうことだ。絡まれそうになったら積極的に俺たちが間に入るんだ」
「そんな人いないと思うけど……」
「学祭でテンションが上がって、ついナンパしてしまう奴が出るかもしれないだろう」
「なるほど」
 素直に頷く蒼生に、冬矢は薄く笑う。本気を出してやろう。そして、自分と蒼生を困らせたクラスの連中に、自分たちを動かすのがどういうことかを教えてやろうではないか。

 冬矢と健太に褒められたことで落ち着きを取り戻して愛想モードが最大限になった蒼生と、蒼生を守るために完全に開き直りスイッチの入った冬矢の威力はすさまじかった。どんな相手にもにこやかで礼儀正しく対応する見目麗しいふたりの噂は、あっという間に教室の外へと流れていった。また、蒼生が同じ部屋にいることが嬉しくて仕方がない健太も全開の笑顔で対応するものだから、王宮喫茶は前日に増して評判がうなぎ登りらしい。
 しかし客が増えればトラブルも発生する。
「姫~、連絡先教えてよ」
「その……困ります……」
 ドレス姿の女子の腕を掴んだ客の手を、するりと間に入った冬矢が柔らかく払う。
「失礼。姫は我が国の花でございます。ご注文以外のお声がけはご遠慮いただいております」
 そうにっこり笑えば、周りの女子から黄色い声が上がり、圧倒された客が黙り込む。
「すみません、オーダーいいですか」
 呼び止められた蒼生が、にこりと微笑みかける。
「はい、承ります」
「! あっ、あのぉ……モンブランをください!」
「承知致しました。ただいまお持ちしますので少々お待ちください」
「あと、しゃ、写真、撮らせてもらいたいんですけど……!」
「すみません、撮影はNGとさせていただいております。もしもご希望でしたら、こちらのセットをご注文いただくと、インスタントカメラでの撮影となりますが、並んでの写真撮影が可能でございます」
「じゃあそれで!!」
 セットの内容はケーキと飲み物だが、そこにカメラのフィルム代が加算されている。そのため少々割高なのだが、蒼生と冬矢が加わったことで、注文が殺到することになった。
「野木沢くん、撮影お願いします!」
「はい、お願いします」
「えっと、笹原くん一緒に撮ってもらえますか!」
「喜んで」
 健太は、ぱたぱたと忙しく駆けずり回る蒼生が心配なのだが、同時に嬉しくもあった。大好きな蒼生が、あんなに人気がある。みんなが眩しいものを見るように蒼生を見ている。みんなが口々に通り過ぎる蒼生を褒めている。昔から、人に囲まれている蒼生を見るのが好きだった。オレの蒼生は素晴らしい人なんですよ、綺麗でしょう、美人でしょう、物腰の柔らかさは王子様そのものでしょう、と思うととても誇らしい。なお、冬矢については「あの猫かぶりはすごいな」と思う。
 にこにこふたりを見ていると、近くのテーブルから声がかかる。
「すみません、王子様~」
「はい! ご用命はなんでしょ!」
 元気よく振り向いた健太に、2人組の女子はくすくすと笑う。
「王子のおすすめはなぁに?」
「よく注文が出るのはチーズケーキだけど、オレが食べて一番美味しかったのは冷製バナナクレープかな。生地もっちもちで美味しいよ」
「じゃあそれを2つください」
「ありがとうございまーす!」
 健太は健太で、明るく爽やかで王子らしくないところが逆に推せる、と人気なのだが、当の本人は蒼生が褒められることが嬉しくてそれどころではない。
 と、蒼生がトレイを両手で運んでいるのが目に入ってきた。
「蒼生、半分持つよ」
「健ちゃん。ありがとう」
「いいのいいの」
 すかさずそこに冬矢もやってくる。
「ああ、髪が少し乱れてるよ。蒼生、ちょっとこっち向いて」
「引っかけちゃったかな。ありがとう、冬矢」
「どういたしまして」
 そのやりとりを、女子たちはじいっと見つめている。見目好い王子たちが仲良く笑い合っている姿は、それだけで目の保養になるだろう。しかもそれを携帯に収めることも出来ない、唯一その姿を残す手段が少々値の張るメニューのサービスだとしたら、つい頼みたくなってしまうはずだ。実際、蒼生が健太や冬矢と言葉を交わすたび、セットメニューの注文が増えた。冬矢はふっと笑う。これだけ目論見通りに物事が進むのはなかなか面白い。
 3人は時折休憩を取りつつも、ほぼひっきりなしに働いていた。ここまで来るとランナーズハイではないが、似たような状態になっていたのかもしれない。
 そんな中、間もなくラストスパートをかけようかという時間帯に、他校の男子生徒が3人、ドレスの女子に案内されて席に着いた。彼女に注文を伝えた彼らは、その後もきょろきょろと部屋の中を見渡している。それに最初に気が付いたのは蒼生だった。普段ならこっそり姿を隠すところであるが、今日はそんなわけで少々ハイになっているので、つい近寄ってしまう。
「花井くんたちだ。久し振り」
 声をかけてきた蒼生にはっとして、彼らは目を丸くした。よく知った顔だ。小学校、中学校と友達だった花井と辻、それから……。誰だったか。
「え……っ、野木沢? マジ、野木沢!? 久し振り! 元気してた!?」
「うん、おかげさまで」
「……えっと、誰だっけ」
「嘘だろ笠森、野木沢だよ! あ、クラス一緒になんなかったっけ? 健太といつも一緒にいただろ?」
 蒼生は小さく頷く。そうだ、思い出した。笠森ヨシヒト、か。健太の中学校のサッカー部仲間で、直接関わったことはないが、健太を介して何度かやりとりをしたことがある。
 笠森も言われて思い出したらしい、ぱっと蒼生を見ると、仰々しく手を叩いた。
「……あー! 健太のツレの!」
「ふふふ。そう。健ちゃんのツレの野木沢です」
 ツレ、と表現されたことがなんだか嬉しくて、思わず頬が緩む。ニコイチ扱いされることに複雑な思いを抱いていた時期もあったが、今となってはそれも嬉しい。
 遠くから蒼生が立ち止まったことに気付いた冬矢は、そこに飲み物を運ぶつもりだった女子からトレイを譲り受ける。まさか蒼生に何か、と思って近付くと、どこかで見た顔だと冬矢もうっすら思い出した。
「蒼生」
「あ、冬矢。花井くんと辻くんと笠森くん。中学の卒業式以来だよね」
「……え、笹原もすっげぇかっこしてんなあ……!」
「ははは。仕方なく、ね」
 蒼生と冬矢を見上げた3人は、さっきからぽかんとした表情のままだ。当然だろう、あの無愛想で近寄りがたくてよからぬ噂が囁かれていたあの冬矢が、にこにことこちらを見ている。たしかに蒼生相手にはそういう顔を見せることもあったが、まさか自分たちにもそんな表情をするとはまるっきり想像もしていなかった。
「あ、健ちゃんに会いに来たんだよね。冬矢、健ちゃんって今」
「健太は今控え室にいるよ」
「わかった。ちょっと待っててね」
 蒼生が行ってしまうと、冬矢は持って来たグラスをそれぞれ3人の前に置いた。
「……さ、笹原ってこんな愛想良かったっけ?」
「ちょ、おま、はっきり本人に向かって聞くことかよ」
 あまりにも無邪気な反応に、思わず冬矢も笑ってしまう。
「昔の俺はいじけていたからな。蒼生と健太のおかげでだいぶマシになったんじゃないかな」
「へえ……。ずーっと健太と仲悪いイメージあったから、オレたちもその感じで見ちゃってたのかも。なんか、ごめんな」
「仕方ないよ、そういう態度を取っていたのは俺だし」
「イケメンは変わんないんだけど、笑ってると親しみやすさ増してよけいかっこよく見えるもんなんだな」
「なー。ここまで行くと羨ましいとかでもないわ」
 たしかに、彼らは健太の友人だから、健太と対立していた自分は悪役のポジションに見えていたことだろう。花井はそうでもなかったが、辻と笠森には嫌われている自信があった。まさか、この程度のことで敵対心を解かれるとは思わなかったので、冬矢は少し驚く。
「わ、なんだよ! 来るなら一言くれよな!」
 大きな声と共にバックヤードから飛び出してきた健太が、テーブルに駆け寄る。
「サプラ~イズ」
「いやサプライズだけどさあ! 嬉しいけど、先週メッセージやりとりした時、なんも言ってなかったじゃん」
「学祭来週だよな、って聞いただろ」
「そうだよっつったらその後ノーリアクションだから、興味ねえもんだと思うじゃん」
 楽しそうに級友たちとやりとりをする健太の肩を、冬矢はぽんと叩いた。
「じゃ、俺はいったん奥行くから」
「おお、蒼生がもう一回衣装見てくれって」
「わかった」
 ひらひら、と冬矢が手を振って、代わりにバックヤードに消えていった。
「……健太、いつの間に笹原と仲良くなったん?」
「あ? あー……まあ、いろいろあって? ってか、その、間に挟まれる蒼生に悪いよなって、ことになって、まあ……いろいろ?」
 歯切れの悪い健太に、3人は顔を見合わせる。あ、と呟いたのは辻だ。
「そうだ、野木沢といえばさ、なんだ、アレ!」
「なんだとは何だよ」
「健太、おまえ、野木沢になんかした?」
「なんっ!? か!?」
 まさか勘付かれただろうか、と健太は身構える。が、3人はそれに気付かず、うんうんと頷き合う。
「な。イメチェン指導みたいなこと、さ」
「キラキラした服すっごい似合ってたもんね。王子様って、きっとこういうもんなんだろうな~って思っちゃった」
「元から綺麗な顔してるなとは思ってたけど、野木沢ってあんなに色気ある奴だったっけ」
 それはもう、毎日のように愛を囁いているから。きっとその蓄積が蒼生を美しくしているんだろう。……と、口に出してしまいそうだ。危うくそれが零れかかったところで、笠森がメニューを指さした。
「これさ、セットで写真撮れんだろ? 何人も一緒に撮れるのか?」
「えー……っと、一応1セットでひとり指名出来る感じになってる」
「そっか、じゃあ3人でこれ頼んで、健太たちも3人並べて写真撮ろうぜ!」
「いいな! そうしよう!」
 ノリノリの提案に、健太は少し迷ってから頷いた。花井たちの手元にそれが残るのはどうかと思うが、自分も蒼生と一緒に映りたい。それで、あとで写真を携帯で撮らせてもらおう。
 断るかと思った蒼生と冬矢だが、すんなりと承諾してくれた。もう今更断る理由もなかったのかもしれない。写真撮影では、前に置いた椅子に花井たちが座り、後ろの中央に蒼生、左右に健太と冬矢が並んだ。
「おまえら3人がいる王国って、なんか女子のファンの数がエグそうだよな」
 ぼそりと辻が呟いたのが、やけに印象に残った。


 ミルクティーの表面を見つめていた蒼生が、懐かしさにふっと息を吐いた。
「結局、あの商売のおかげで売り上げ一位になったんだよね」
「な。あいつらが複数指名出来るって前例示しちゃったから、そこから追い上げすごかったもんな」
「あの後、俺たちはほとんど給仕せずに写真対応ばかりしていたんだっけ」
 本当なら、あの写真の数々は、すべて回収したい。自分たちはともかく、蒼生の姿を他人の元に残しておきたくない。唯一救いだと思えるのは、あれがインスタントカメラで撮った写真だということだ。おそらく今頃は薄くぼんやりと消え始めているに違いない。
 記念に、と、3人だけで撮った写真はきちんと残してある。本当はそれだけでいい。
「桐畑くんかぁ。元気かなあ」
 突然蒼生がそんなことを言い出すので、健太と冬矢はぴくっと肩を揺らす。桐畑といえば、学祭の後しばらくしてから蒼生が王子の衣装を着ていたことを人づてに聞いたようで、何故か健太がぐちぐちと文句を言われた。彼は、蒼生がどこかで図書館に顔を出すと言っていたから、入れ違いにならないように当番以外の時間もずっと図書館にいたのだそうだ。それを知ったら蒼生は申し訳なく思ってしまうだろうから、それは蒼生には言っていない。桐畑自身も蒼生に言うつもりはなく、だがどうしても誰かに吐き出したくて健太にぶつけたらしい。その恨みがましい様子に、ますます当日知られなくてよかったと心底思った健太だ。
「……なんであいつのこと気にするんだよ」
「一応、仲のいい後輩だったし、仕事もちゃんとしてくれてたから……」
 言われてみれば、蒼生は一定距離を保って人と付き合ってきたから、強引に近付かない限り長く付き合う人間はいない。桐畑はそういった意味では息の長い友人と呼べるかもしれないのか。いや、蒼生に対して恋愛感情を持っていた以上、健太と冬矢には排除対象でしかないが。
「あいつ結局、卒業までずーっと言い寄ってたよな。いい加減、蒼生のこと諦めたかな」
「卒業してもう半年経ってるんだよ? もう忘れてるでしょ。そうであって欲しいよ。ちゃんとした好きな人を見つけてくれてたらいいけど」
「……そうか。そうだといいな」
 なるほど、と冬矢は納得する。蒼生は桐畑の告白を断り続けたことを気に病んでいるのか。振るたびに傷付けているように感じていたのだろう。だから、迷惑だと思っていたはずなのに、彼の心配をしてしまう。優しい蒼生が、小さなことで傷を増やしてしまうのがもどかしい。健太もそう感じていたのかどうかはわからないが、ぐいっと身を乗り出して蒼生の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。あいつ、あんなぐいぐい行くタイプなんだから。その勢いで次の恋を見つけてんじゃねえか?」
「そうだねえ」
 蒼生はほっとしたように頷く。だが、健太はそのまま蒼生の手を握った。
「あいつの話はもういいよ。それより、あの時の蒼生、本当に綺麗だったよなあ。だっこして連れ去らなかった自分の理性を褒めてやりたいね」
 しみじみ呟く健太に、蒼生も笑みを零す。
「健ちゃんも爽やかでかっこよかったよ。冬矢も威厳があってかっこよかった。他に誰もいなかったら、ずーっと眺めていたかったのに」
「えー、嬉しい」
「俺もずっと蒼生だけを見つめていたかった。でも、あの場では仕方なかったよね」
 普段とは違うお互いの姿をもっと堪能したいという気持ちはあったが、あの時は本当に忙しかった。それに、「誰かが私情を込めた衣装」に違和感があったことも確かだ。目の前の恋人が輝いているのは当然だが、その服には他の誰かがその人を思う心がある。そんな些細なことはお互いの愛の前ではどうでもいいはずだが、気にし始めると爪のささくれのように引っかかってしまう。やはり、第三者の絡むイベントはなかなかに心の整理が難しい。
 健太は席に座り直すと、ほとんど冷めてしまっているコーヒーを飲み干した。
「あとさ、終わった後の貢ぎ物すごかったよなー」
「あはは、そうだったね。しばらく貢ぎ物コント流行ったの、すごく面白かった。いちいち王子様こちらをどうぞ、お姫様お茶はいかがですか、って」
「なんでだか、冬矢だけ王子様じゃなくて王様って呼ばれてたよな」
「やっぱり貫禄があったからじゃないの。絶対王冠が似合ったと思うよ」
 アイスティーを飲みながら、冬矢は肩をすくめる。
「本当に俺が王だったとしたら、おそらく相当評判の悪い王だっただろうな」
「なんで?」
「蒼生のためだけに法律を作る自信がある」
「ふふ、自信って」
 蒼生は笑うが、健太は妙に納得してしまう。考えてみれば、無愛想で人付き合いが悪く非協力的で冷たい対応をしてクラスで浮いていてもまったく気にしなかった冬矢が、ただ蒼生と周囲の関係を悪化させないように……つまりは蒼生のためだけに王子様の衣装を着て給仕に終始するまでしたのだ。蒼生のため、という名目ならば、本当に国を傾けてまで蒼生に尽くすのではなかろうか。
 蒼生はにこにことカップに口を付けた。
「でも、あれは経験してよかったかも。目立つ格好をして注目されちゃうのすごく苦手だったけど、健ちゃんと冬矢がいれば頑張れたんだもん。苦手なこともふたりとなら乗り越えられるんだなって思った」
 優しい瞳で冬矢が頷く。
「そうだね。俺も意外にやれば出来るんだなと思ったよ。普段外に見せている顔とおんなじだ。あくまで役柄として演じればいいんだから」
「本当の自分は、ふたりが知っててくれたらいいんだもんね」
「うん」
 蒼生はごくんと喉を鳴らす。そうだ、いっそ、それを演じることを楽しんでしまえばいい。難しいかもしれないが、本当の自分が保たれているのならきっと出来るような気がする。健太と冬矢がいれば大丈夫だ。
 蒼生と冬矢が飲み物を空にするのを見守ると、健太がよし、と立ち上がる。
「それじゃ、オレたちだけの王宮に帰りますかね」
 ふたりは首を傾げてから、顔を見合わせてふっと笑う。
「そうだね。僕たちだけの王宮に」
「だとすれば、健太は掃除大臣だ」
「なんか微妙だな。じゃ、冬矢は料理長じゃねえか」
「んー……じゃあ僕は、洗濯当番?」
「役職じゃねえじゃん」
「あ」
「そもそも、今の役割分担じゃ、誰も王族じゃないと思うんだけど」
「あっ」
「本当だ」
 くすくすと、笑う声が重なる。

 店を出ると、少し冷たい風が頬を撫でていく。
 3人は肩を触れ合わせながら、駅に向かって歩いて行った。
 とても小さく……けれど穏やかで暖かい、3人だけの王国を目指して。

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