アトリ~That, what I really want~
これはその当日に至るまでのお話です。
相変わらず受難の3人、同じ境涯に立たされて少しずつ距離も縮まっているようです。
実はこのお話の前に別シリーズでバレンタインの話をしており、この世界でも普通に行われている行事として捏造させていただいています。
なので、リメイク前の作品ではバレンタインデーを何の疑問もなく受け入れいています。
今回リメイクにあたり、初めてうちの3人組に触れていただく方ばかりだと思いましたのでそのあたりを思い切り修正しました。
サイト掲載のお話とは別次元のお話としてお楽しみいただければ幸いです。
…そもそもアイドルパロの時点で別次元も何も、って話ではあるんですけど。
(2003/2/14初公開:ほぼ全部書き直し)
(2026/5/9修正:シュウの肩書きにミスがありましたので軽微ではありますが訂正しました)
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無事デビューを果たすと、対外的なプロモーション活動は主に事務所が行うため、わずかばかりの時間が空いた。気が休まるかどうかは別として、ひとまず体だけでも休ませることができたのはありがたい。
マネージャの言う通り、ここから立て続けにシングル2枚、その後ファーストアルバムを発売することが決まっていたが、一度表舞台に立って歓声という現実にぶち当たってしまった3人にとって室内かつ自分たちのみで完結する「歌」はひどくハードルの低い作業になっていた。相変わらず3人で声を合わせるとレイとルックの調子はおかしくなるが、強い精神力でなんとか乗り切っている。
淡々と新曲の練習をしていたある日、朝イチに全員で来いと事務所へと呼び出された。
「あ、おはよう! 今日はファーストアルバムの発売日が決まったからお知らせだよ!」
3人の顔を見るなり笑顔でそう告げてきたナナミに、レイはカレンダーに目をやってから首を傾げた。
「セカンドシングルの発売前だけど、もうアルバムの発売日が決まるんだ」
「うん、この業界ってスピード感がものすごいから、あっという間に感じるよね。どっちかっていうと、アルバムの発売があって、それに向けて盛り上げていく意味でセカンドとサードの発売日を決めてく感じかな」
「ふうん。戦略的な根拠があるんだね」
どう考えてもおかしい事態であることに変わりはないし自分が巻き込まれている現状に納得しているわけでは当然ないのだが、きちんと状況を見て様々な計略を張り巡らせて実行に移していくという流れ自体はさすが有能な軍上層部だと素直に感心する。
「それで? そのアルバムとやらは何か月後に出るわけ?」
仕方なさそうにルックが先を促す。ナナミはいっそう嬉しそうに大きな白い板を3人の眼前に出した。どこに持っていたのだろう。
「はいっ! というわけで、アトリビュートファーストアルバム『Scenery in Eyes』、バレンタインデーの発売が決定いたしましたー!」
とたんにわあっと歓声が沸き、拍手の音が事務所内に響き渡る。音の主が3人であろうはずがない。見れば、後ろのほうに普通にいたユウキとアップルが立ち上がって大きく手を叩き合わせていた。3人は明らかに仕込みに思えるその盛り上がりに目を丸くし、それから顔を見合わせる。ルックは首を振り、シーナは首を傾げ、それを見たレイが2度頷いて再びナナミに目線をやった。
「……タイトルとかはもはやどうでもいいや。なんて? バレ……なんて?」
「バレンタインデー」
「とはなんですか」
聞き返されることは想定内だったらしい。ナナミはわざとらしく腕を大きく振ってユウキのほうに体を向けた。
「それでは、説明をお願いします!」
「はいっ!」
元気に手を挙げたユウキが立ち上がる。3人の頭に「茶番」という言葉が浮かんだ。
「説明させていただきます! バレンタインというのはそもそも遠い異国の片隅にいた人で、領主的な偉い人だったそうです! その人がなんやかんやの末いろいろあった結果、愛する人に贈り物をしたことで、感謝の気持ちをお菓子で示す習慣ができたとか。そして時を超え、そのあたりの地域では女の子が気になる男の子にチョコレート菓子をプレゼントするという風習がわずかに残っているという話です!」
「……うん、すべての情報が曖昧だね」
「えへへ。なにせ、古い遺跡の中にあった図書室らしき部屋の中で見つけた古文書のとぎれとぎれになった文章からなんとか読みだした情報なので」
「そんな誰も知らない話をどうして取り上げようと……」
「誰も知らない! そこなんです!」
ユウキがナナミの隣までぴょんと移動して来る。突進するような勢いに、シーナは一歩後ずさった。
「つまり! 詳細をこちら側で勝手にでっち上げられるんですよね。様々なサイドストーリーを盛り込み、愛する人にお菓子を渡せるとてもロマンチックな行事として話を作り上げ、応援してくださる皆様に愛のプレゼントとしてのアルバムをお届けする、という物語にするわけです!」
ルックが後ろでぼそりと「詐欺か」と呟いたが、盛り上がる姉弟は聞いていない。いや、聞こえなかったふりかもしれない。
「もちろん行事をただの添え物にするつもりはありません。アルバムの中にボーナストラックとしてバレンタインにちなんだ楽曲を盛り込みます。そして、大切な人に贈り物をという古い話を知ってぜひこれを楽曲にしたいと皆さんのうちの誰かが言いだしたことにして、ファンへのプレゼント感を高めていきます! 誰が言いだすかは相談して決めておいてくださいね!」
レイは遠い目をして「はあ」と空返事をする。シーナはうっすらと乾いた笑顔を浮かべてぼそりと呟いた。
「楽しそうでいいなぁ……」
時間が空いたと思っていたが、気のせいだったようだ。
出される課題を粛々とこなしていると、あっという間に時間は過ぎる。
アルバム発売を間近に控えた事務所は宴会場へと姿を変えていた。いつも3人が崩れ落ちているソファはどけられ、事務員たちが使用している机はどこかに隠され、かわりに白いテーブルクロスをかけたテーブルがいくつも並んでいる。テーブルにはそれぞれに異なった種類の美しいバラをふんだんに用いた豪奢な花瓶と、それを取り囲む湯気を立てる豪勢な料理の数々。誰もがテーブルに群がり手に持った皿に好きなだけ料理を盛ると、反対の手でアルコールのグラスを傾ける。奥に置いたままのいつも碌なことが書かれていないホワイトボードには、鮮やかな色で染め抜かれた垂れ幕が巻き付いていた。そこに書かれているのは『祝! ファーストアルバムScenery in Eyes初登場1位!!!!』という力強い文字列だ。
レイはそれをぼんやりと眺め、客たちに気付かれないように肩を落とす。アルバムは発売前だが、予約を含めた速報値という数字があるのだそうで、それと予測を合わせると余裕で1位になるという計算らしい。そもそも他に発売されるアルバムがあるのかとか他にアーティストがいたりしたっけとか次々と疑問が浮かぶが、高揚したスタッフたちは口々にめでたいことであると言う。スタッフたちが大喜びしているのは、まあ、自らの仕事が認められたのだから当然だろう。ただ、嬉しそうな笑顔に囲まれていると、一番の当事者であるはずの自分が落ち込んだ気分でいることに罪悪感が生まれてしまう。首謀者であるユウキ、ナナミ、シュウ、アップルの4人はともかくとして、他の人々は事の発端を知らない。デビューしたばかりの新人アイドルを支えようと純粋に善意で働いてくれているのだ。そうである以上、この不満をぶつける相手は首謀者4人だけにとどめなければならない。レイはもう一度、ふうっと息を吐いた。
改めて、事務所をぐるりと見渡す。そんなに広くないはずの事務所にどうやってこの人数を詰め込んだのだろうとげんなりするほど大勢の人々が集まっていた。ほとんどは事務所の関係者で、スタッフとして一度は見たことがある顔が多い。しかし、中にはまったく知らない人の姿もある。聞くところによると地方の有力者なども招かれているのだそうだ。ちなみにたった今目が合ってしまって近付いてくる恰幅のいい男性も、レイの記憶の中には存在しない。
「やあ、主役がずいぶんと端のほうにおられるのですな! いやいや、アルバム発売おめでとうございます!」
誰かはわからないが、無関係の人間が入り込むことが不可能である以上、この人物は招かれてここにいるということだ。レイはきりりとした笑顔を作って会釈をする。
「ありがとうございます」
「イベントでも多数の集客があったとか。ずいぶん人気があると伺っていますよ」
「そうですね。そのようです。……実のところ、未だ実感が湧かないのです。ありがたいことに大勢の方が支持してくださっているようなのですが、まだ夢を見ているようで。どちらにしても、僕たちというより周りで支えてくださっている皆さんのおかげだと思っています」
「またまたご謙遜を! 御本人に魅力がなければこんな大勢の人間を動かすことなどできませんよ!」
それには柔らかく首を傾げる仕草だけで返した。胸の内ではそれをまるまる全否定していて、むしろ自分は巻き込まれているだけなのだと吐き捨てたい。が、その態度は人としてどうなのかと理性が不満を押しとどめる。
「いやー、私も皆さんの歌を聞かせていただいたんですがね。お顔立ちが華やかなこともさることながら、歌声がまたとてもいいですね。年寄りの耳にも聞きやすいというか、とにかく心地がいい!」
「お褒めいただき恐縮です」
「実はですね、私の持っている土地にホールを建てているのですが、こけら落とし公演はぜひ皆さんでとお願いしているんですよ。皆さんの軽やかで美しい歌声が私のホールに響くのを楽しみにしていますよ!」
「はい、ご期待に添えるよう頑張ってまいります」
なるほど、コンサートホールの持ち主だったか。だとすれば、いずれ再び挨拶をすることもあるだろう。レイは男性から名前を聞き、しっかりとその容姿を頭に叩き込んだ。
頭を下げつつ去っていく男性の背中を見送る。このような場では社交辞令が多く飛び交うことは経験上よく知っている。だがこの空間で最も上っ面な言葉を口にしているのは自分だろうというおかしな自信があった。もし仮に本音しか話せなくなるような呪いが降りかかったら、今の自分は相当厄介な存在だろう。
「ハ~イ、オレの愛しのレイ様~」
脱力しそうな声が後ろからかかる。水にも浮きそうなくらい軽い言葉だが、普段よりかすかに低い。空元気だなと思いながら振り返ると、案の定引きつった笑顔のシーナがいる。
「……お疲れ様」
「お疲れぇ。なんだ、何の反応もナシ?」
「シーナだってぎりぎりテンション上げてのソレだろ。お互い元気よく絡み合えるほどの気力残ってないでしょ」
「あっはは、バレてら。お偉いさん方に丁寧に対応するの、割ともう限界。……こりゃ、最初っからパスしたルックが正解だな」
「世話になった人に義理があるからって言われて頑張っちゃったけど……断ってもたぶんなんとかなったよね。とはいえパーティの趣旨からいって全員欠席はあんまり印象良くないし……」
「レイは真面目だからな~」
言われたレイは曖昧に笑う。自分が真面目なのだとしたら、それにきっかり付き合うシーナも同じだろう。なんなら、レイひとりに背負わせないようにという気遣いすら感じられる。だがそれに気付いて礼でも言おうものならば、「オレの愛が通じたんだ!」とかまた妙なことを言いだすだろう。だから気付かないふりをしなければならないのだ。
「あ」
シーナが小さく声を漏らす。目を上げてその視線を辿れば、見覚えのある背の高い男性が歩いてくるのが見えた。先程の客は見知らぬ人物だったが、この男性は先日のセカンドシングルでロケ先に使わせてもらった屋敷の持ち主だ。
「お世話になっております」
「先日は素敵なお宅を貸していただきありがとうございました」
頭を下げると、男性は嬉しそうに笑った。
「覚えていてくださったんですね。こちらこそ、素晴らしい作品に関わることが出来て光栄ですよ。おかげさまで、経営するレストランにもファンの方が来てくださいましてね。商売としても大変助かっています」
「ああ、お昼をご馳走になったあのレストランですか。どの料理もとても美味しかったですから、お店の力でしょう」
ナナミたちの口ぶりから察するに、どうやら撮影場所を借りる際に店や施設の宣伝も出来ますよ、ということを交渉材料にしているらしい。偶然立ち寄った場所にファンが集まるということならばやむを得ないと思うが、初めから商売を目的にしているのは少し気が引ける。それでいいのだろうかと悩むところだが、とりあえず双方にとってメリットがあるらしいので口を挟まずにいるレイだ。
「あの、ひとつお願いがございまして。うちの娘たちがね、あれ以来あなた方の大ファンになったようでして……その、申し訳ないですが、こちらにサインをいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。喜んで」
男性が差し出した色紙に、レイはさらさらとサインを書き付ける。シーナに手渡すと、やはり慣れた様子で隣にサインを入れた。
サイン。そう。考えさせられたし、練習もさせられた。色紙の大きさ1枚に1つずつ、ミミズののたくったような字をひたすら書いたあの苦行。適当に放り投げたその紙はいつしか部屋中に呪符をばらまいたようになり、ふと我に返ってぞっとしたのもいつのことだったか。
「2人分ですみません」
「あっ、いえいえ! ルックさんはあまり体が丈夫ではないと伺っています。皆さんはこれからさらにご活躍されるのですからね、無理はなさらないほうがよろしいですよ。……ああ、娘たちが喜びます。ありがとうございました」
いつの間にか、巷ではルック病弱説がまことしやかに囁かれていた。時々レイとシーナだけでプロモーション活動をしていることから出た噂だろう。それに対して肯定も否定もせずにいるうちに真実のように語り継がれ、体が弱いのに皆に歌を届けるためにステージに立っているということになっている。その健気な姿がお嬢さん方の心を射貫いているとかいないとか。
実際のルックは意外と丈夫だ。体力がないのは事実だが、風邪などに対する抵抗力でいえばレイのほうが弱いくらいだったりする。表舞台に出てこないのは「僕はやだ」という一言で拒否しているだけなのだ。当然、これがバレたらおおごとになるのはわかっている。わがままでメンバーに迷惑を掛けているとでも言われたらイメージダウンになってしまうからだ。しかし病弱でクールというイメージがあれば、こういった舞台裏の活動をしなくても誰も疑問に思わない。どころか、心配までしてもらえるというわけだ。
そして、レイとシーナはこの体制がベストだと思っている。苦手なルックが無理をして広報活動をするより、人当たりが良く外面を取り繕える自分たちが表立ったほうが結果として自分たちも気楽だからだ。今更、変なところで気を遣う仲でもない。お互いが得意なことをすればいいのだ。助け合い、支え合う。……そう、周りが自分たちをアイドル扱いしてくる今、助け合えるのは3人だけなのだから。
宴会はほぼお開き状態となり、レイとシーナには部屋に戻るようどこにいるかもよくわからないマネージャから伝言がある。残ったスタッフたちがまだ食事を続けているようだが、自分たちがいたら気が休まらないのだろうと思い、片付けを手伝うことなく自室に向かうドアを開けた。
ぱたん、と後ろ手にドアを閉める。たった1枚のドアに大した防音力はない。とたんに静かになった気がするのはほぼ気のせいなのだが、ようやくプライベートな空間に戻ってこられた安堵が背後のざわめきをかき消したのだろう。2人の口から、はあっと長い息が漏れた。
「……お疲れさま」
静かなルックの声。騒がしい中にいた2人の耳には、それがとても心地よく響く。
「ありがとー」
「ただいま」
ルックは2人の姿を確認すると、ダイニングテーブルの椅子を2つ引いた。それが自分たちのためだとわかったので、レイとシーナはありがたく思いながら遠慮なくその椅子に座った。
「わー、椅子~」
「な、久し振りだよな、椅子。いいな、椅子。座れるもんな」
はしゃいで椅子をがたがた揺らすシーナに、レイはふっと笑う。小さな子のような発言だが、その気持ちはよくわかる。
「レイ、シーナ、食事はちゃんと出来た?」
「うーん、あんまり。一応ちょっとは食べられたんだけど、ほぼいろんな人への挨拶で。シーナもそんな感じだったよね」
「オレは飲み物だけだったわ。次から次へと話しかけられてさあ」
「やっぱりそうか。スープとパンならすぐに用意できるけど、どうする?」
「え、嬉しい! お願いしまーす!」
おやと思ってレイは首を伸ばす。ルックが向かった先のキッチンでは、鍋がくつくつと小さな音を立てている。さらには温かそうな湯気も見えた。気力不足でがちがちに固まっていた体が、それを見るだけで緩むようだ。
「ごめん」
スープの入った深皿を置きながら、ルックは突然そう言った。少し迷うような口調だったものの、はっきりルックの口から出た「ごめん」にレイとシーナは目を丸くした。
「え?」
「なにが?」
「何がって……。毎回こうして僕が籠城するせいで、迷惑をかけているじゃないか。それは、正直2人に悪いなと思ってる」
ぽかんとしてシーナが首を傾げる。
「いや? まあ大変は大変だけど、ルックがいようといまいとそれは変わんないし。しゃべってること自体は苦じゃないしさ。それに、ああいう場が一番苦手なのはルックだってわかってるから」
「でも」
レイも膝に手を置いて、何度も頷く。
「僕もこれでいいと思ってる。いわゆる役割分担ってやつだよ。僕は知らない人間相手にしゃべる耐性がちょこっとあるからね。苦手なことを無理してまですることはないと思うよ」
「……この状況は全員無理してると思うけど」
「あははっ、それはそうだな。ま、そのうえでオレたちは納得してるよ。外でぐったりしたぶん、帰ってきたらこうしてルックがあったかいスープ用意してくれてるのがすっげえ嬉しいんだもん。な、レイ」
「ああ、シーナも思った? 本当にありがたいよねえ。3人で出てたらこの癒やしは感じられなかったわけだもんねえ」
「…………」
ルックは黙ったまま、キッチンからパンを持ってくる。それは鍋に載せた網の上に置いてあったらしく、ふんわりほかほかと温かい。
「わ、スープ美味しい」
「パンもあったかくて、体の中からあったまるねえ」
「……少しでも2人が喜んでくれるならよかったよ」
はっと2人が顔を上げると、ルックはわずかに照れたような表情をしている。シーナは今日1日で一番嬉しそうな顔をした。
「ひゃー! ルックってば、可愛いっ! 頑張って戻ってきた甲斐があったわ!」
「うるさい黙れやかましい」
「なあなあ、これ自作? ルックが作ったスープ?」
「残念だったね、これはスタッフの人が差し入れでくれたスープだよ」
「でもあっためておいてくれたのはオレへの愛情かな~!」
「ではない」
「またまた~」
シーナとルックが仲良く言い争いを始めたので、レイは穏やかな気持ちでスープを口に運ぶ。鶏肉がごろごろと入っていて、ボリュームがある。そしてこの味は、滋養強壮に良いと言われる野菜も使われているようだ。もしかすると、これを持って来たスタッフもルックの病弱説を信じているのかもしれない。とりあえず、3人の本性は自分たちの中にだけとどめておき、周りから思われているイメージは利用しておこう。改めて意志を固めるレイだった。
掛け合いに一段落ついたのか、ルックが大きく息を吐く。
「……まあ、今後はこうやってサボることもなかなかできなくなるんだろうけどね」
「えっ? なんで?」
無邪気に問い返したシーナに、ルックはじろっと冷たい目を向ける。
「アルバムとかいうのが発売されたら、またイベントとか言い出すだろ。それだけじゃなくて、曲数が増えれば歌をたくさん披露するようなイベントだってあるんじゃないの」
「……あっ」
「どうしたレイ」
「さっき挨拶した人、自分の土地にホールを建ててるから……よろしくって……」
すると、シーナも「あっ」と声を上げた。
「今度は何」
「さっきナナミが言ってたのってそれか。アルバムが出来たら、お披露目ライブだね~って。しゃべるとかじゃなくて歌うのをライブっていうんじゃ」
3人は目を見合わせる。
「……ええと。歌う、んだよね。デビューの時は1曲だったけど。たくさんの歌を」
「だろうね。しかも、ソロとかいってそれぞれの歌もあるだろ」
「えええええ。ルックとシーナが一緒だからなんとかなるのに、ひとりでぇ!?」
「なるほどなあ、録音して世に出しゃ終わりってわけじゃないかあ。そうだよなあ」
「はあ。なんでこうも次から次へとがっかりする話しか出てこないんだろうね」
「待てよ。あのさあ、まさかとは思うけど、それぞれの曲にダンスがあったりなんて……」
「するね! 絶対あったりするね!」
「全部覚えなきゃいけないんだよな、それ!」
「また疲れることが増えるわけ……?」
「オレにそれをしれっと伝えたってことは、そろそろそういう話が正式にされちゃったりなんかして……」
「……とりあえず、今日は早く寝よう。明日何が起きるかわかんないんだから」
レイの言葉に、2人は静かに頷くのだった。
それからは比較的大人しいスケジュール進行だった。もちろんアルバム発売に向けての雑誌の撮影やインタビューは増えたが、ジャケット周りの撮影や曲収録自体は既に終わっているので時間に追われることは減っていた。
ライブの話もいつ出てくるか戦々恐々としていたのだが、持ち歌がまだ少ないため、少し間を開けてから開催することになったらしい。一説には、3人の人気が想定を上回っているので、それなりの規模があるホールを探すのに手間取っているという噂もある。実際、建設中のホールは近場で起きた諍いのせいで完成が遅れているそうだ。
同時に怯えていた、ファーストアルバム発売イベントも行わないという。1か月ほど時間を置き、アルバムが売れたことが世間に広まったタイミングで「アトリビュートからお礼をしたい」という名目でファンイベントを開催するのだそうだ。おかげで、実は今日がそのアルバム発売日なのだが、特にすることもなく穏やかな気持ちで目が覚めた3人だ。
「あれ、レイ。事務所行くの? オレも呼ばれてるっけ」
「ううん。ちょっと書類の書き直しを依頼されてて。それを置いてくるだけだよ」
「いってらっしゃい。何もないといいね」
「ちょ……ルック、不吉な送り出しやめて……」
少々不安がないわけではない。レイは一度決めた覚悟を揺らがせつつ、やむを得ず事務所に向かうドアを開けた。
ごつっ。
何かが引っかかる。首を傾げつつドアを閉めると、ぶつかった物の正体がわかった。大小様々な箱……しかもやたらカラフルな箱が積み上がっている。レイの身長を超えるほどの箱たち。それが一山。二山。いやもっとある。よく見れば、事務所のあちこちに同じような山があるではないか。
「……? なにこれ」
「ああ、おはようございます。レイ殿」
怪訝な声に返事をしたのは、ソファに座って優雅に雑誌を広げているシュウだった。ちらりとこちらを見たものの、すぐに視線を雑誌に戻す。その手には大きな茶色い物体があるが、口に運んでいるところを見ると焼き菓子のようだ。昨日まではなかった荷物が事務所に溢れていることについて、自分から説明するつもりはないらしい。
「おはようございます。あの……所長」
シュウは、ユウキ率いる会社『スフィア=レーベル』内の事務所『プロジェクト・アトリ』、すなわちレイたちの事務所の所長なのだそうだ。今でも何の冗談だ、と思っているので、嫌味に聞こえても構わない口調でそう声を掛ける。
「はい。何か」
しかし残念ながらシュウに動じる気配は全くなく、上品な仕草でお茶を飲む。近付いて覗き込めば、広げたページにはレイたちの顔が載っていた。どうやらアルバムの宣伝用インタビューをチェックしていたらしい。悪ノリでふざけているだけかと持っていたが、一応事務所仕事っぽいこともしているようだ。
「事務所に見知らぬ荷物が山積みになっているのですが。……もしかして、バレンタイン、とかいうやつでしょうか」
「そうですね」
あまりにもさらっと答えられて、レイは膝を折りそうになった。すんでの所で踏みとどまり、シュウに向かい合う形でソファに座る。
バレンタインというイベントを広めるのだと決めたのはこの事務所だ。拒否権のないレイたちは、その方針に従ってインタビューでバレンタインに関する話をした。
── この最後の曲はボーナストラックとして収録されていますね
『はい。最初はまったく予定がなかったんです』
『アルバムを作っている時に、遠い国にバレンタインというイベントがあることを知りまして(中略)ってわけで、その感謝の気持ちをお菓子に込めて大切な人に伝える日になったんですって。なんだかすごくロマンチックじゃないですか。ああ、この気持ちって、オレたちがファンの皆さんに伝えたい気持ちと同じだなあって。このアルバムを感謝の心を込めてプレゼントしたいなーと思ったので、無理言って入れてもらいました』
などと、このような話を様々な媒体に載せた。こちらからのプレゼントという体裁はとるが、反応したファンからも贈り物は届くだろう。その算段はあった。が。見渡す限りの箱が、すべてそれだというのか。
ゆったりとシュウが顔を上げる。
「ご心配には及びません。今食べているこれは皆さんへの贈り物ではなく、アップルが個人的に持って来てくれたものですから」
「そうですか……」
これは果たして意思の疎通が出来ているのかとレイが不安になっているところに、ばたーん、と大きな音を立ててドアが開いた。
「あ、レイさんだ。おはようございまーす! 所長っ、会場の手配できました!」
自称敏腕マネージャのナナミがぴしっと片手を挙げる。レイは少々ほっとした。そんな自分に少々落ち込むが、シュウよりナナミのほうがまだ状況を説明してくれるだけマシなのだ。
「ありがとう。では、よろしく頼む」
「はーいっ!」
「レイ殿も、本日のイベント、楽しみにしております」
「そのへんはわたくしナナミにお任せください!」
シュウは満足げに頷くと、焼き菓子をもぐもぐと咀嚼しながら事務所を出て行った。
ナナミは胸を張った格好でシュウを見送ると、そわそわした様子でシュウが座っていた場所にぼすんと座る。
「……マネージャ」
「はい!」
「聞きたいことがいくつかあるんだけど、順番に聞いてもいいかな」
「いいよ~」
今一瞬見せた落ち着かない様子はなんだったのだろう。にこにこと楽しそうな笑顔でナナミは両腕を開く。なんでも聞いてくれ、のポーズだろうか。
「まず、このたくさんの荷物は……バレンタインの贈り物だと聞いたけど、これ、本当にファンの人たちから……?」
「うん。レイさんたちの“大切な人たちに感謝の気持ちを送りたい”ってメッセージが伝わったんだね。感動しました、私たちの気持ちも届けます、ってメモがついたのもたくさんあったよ。一緒に届いた手紙は後で仕分けて3人に渡すからね」
「はあ。しかし、こんなにたくさん来るとは……」
「えっ。これほんの一部だけど。広間に置いて入りきらないぶんを事務所に置いてるだけで」
「えっ」
思わずレイは目を丸くする。今目の前にあるこれだけでものすごい重圧なのに、ほんの一部とか言ったか。そりゃあレイだって一軍を率いていたリーダーだ。自分ではそんな風には思わなかったが、若いながらカリスマ性があると言われていたことも知っている。反感をすべて踏みつぶす勢いでレイは人々に好かれていたし、そうであろうと必死に虚勢を張っていた。……だがデビュー後に思い知ったのは、寄せられる好意が今までのそれらとはまったく意味合いが違うということだ。種類が違う、と言ってもいい。
「……この時点でだいぶ僕の頭の許容量を超えてるけど、もうひとつの質問をさせていただきます。さっき、本日のイベントって会話が聞こえたけど。まさか、僕たちに関係することじゃないよね?」
「えっ」
「えっ?」
ナナミが舌を出して、「てへっ」と言った。
「結論から言うと、レイさんたちが出席するイベントです」
やっぱりか、とレイは肩を落とす。そうだった。この事務所、突然予定をぶち込んでくるのだ。安穏な日々などあるはずがなかった。
ずい、とナナミが身を乗り出す。
「まあまあ、聞いて。この量のお菓子が届くなんて、さすがに私たちも考えてなかったんだ。少しはあるだろうなって思ってたけどね」
わずかにナナミが真面目な顔をした。雰囲気を悟ったレイも背筋を伸ばす。
「正直な話、これって食品だよね。この量を僕らだけで捌ききれるかが問題だと思う。そんなに長い期間もたないだろうし、無駄にしてしまっては送ってくれた方にも製造してくれた方にも申し訳ない。そのうえ、ユウキの立場にとってもよくないだろう」
「うん。だから急遽、各地の施設に寄付しようってことになったの。まあそこの人たちに名前を知ってもらえるっていう利点も考えてるけど、第一に食料を無駄にしないためにね」
レイは胸を撫でおろす。常識外れな要求をしてくる上層部だが、全部が全部おちゃらけているというわけではないようだ。なるほど、先程のナナミの落ち着かない態度は、真面目な話を言い出すタイミングを計っていたというところか。
「イベントは施設への寄贈式をやるということかな」
「メインはそうだね。たくさんいただいた贈り物と一緒に記念撮影したあと、代表の1施設の方に目録の形で渡す感じ。さすがにファンの人たちは集められないから、音楽雑誌の記者さんたちに声をかけてるところだよ。それで、発案は……」
「僕のほうから提案したって形にすればいいんだろ。わかってる」
「ありがとう。……でね、大規模にはできないんだけど、小さいライブを何か所かでやりたくて、その告知もしたいんだよね」
「なんとなく察した。僕たちのためにと贈ってくれたものを僕たちが口にしないというのは送り主に悪い。そのための代替案としてライブをやるってことかな。たくさんのプレゼントをありがとう、という格好で」
「さすがレイさん! 理解が早い~」
ふっと遠い目をして、レイは箱の山を眺める。仕方がない。この量の好意を無駄にしては反動が怖い。こうするしかない。こうするしかないのだ。
無事イベントが終了し、3人はよたよたと部屋に戻って来た。
「本日のご予定はぁ、すべて終了いたしましたぁ」
冗談めかして声を張り上げたシーナは、その言葉と共にソファに倒れ込んだ。後ろから部屋に入ったレイとルックに至っては声もない。そのまま2人は部屋の奥まで進むと、コップに水を注いで喉に流し込んだ。
「……はー……」
ようやくわずかに喉が潤ったルックは、発声を確かめるように息を吐いた。
レイはぐったりした様子の2人を眺めて深々と頭を下げる。
「お疲れ様でした……ありがとうございました……」
ぱっと2人がレイを見た。
「ん? どしたどした」
「レイが頭を下げる必要ってどこかにあった?」
その、と口ごもりながら、レイは両手の指先をもぞもぞと擦り合わせる。
「……今日のイベント、独断で受けちゃって。しかもミニツアーもやるって言っちゃったし」
「ああ」
ひょい、とシーナが体を起こして笑った。
「事情は聞いたもん。レイの判断は間違ってないと思うよ。いや、ありゃしょうがないでしょ」
「結局ファン対応もしなくちゃいけなくなったし」
「それだってレイのせいじゃないだろ。むしろ、突然決まった一般非公開のイベント会場外にファンがどっと押し寄せる予想をしろというほうが不可能じゃない?」
3人は、先程の光景を同時に頭に蘇らせ、ふいっと視線を逸らす。
寄贈をしようと決まったのが朝。そこから寄贈先の代表者に連絡をして出席できる相手を探し、同時に会場を手配し、どたばたの打ち合わせを経てのイベント開催が夕方。仮にそれを途中で誰かが外部に漏らしたとして、会場周辺の道を塞ぐほどの人数が突然集まるはずはない。おそらくアルバム発売日だから何か起こるだろうと期待して最初から事務所近くに集まっていたファンたちがいたのだろう。さらにイベント前に撮影があって、3人が会場入りしてからの時間が長かったことも運が悪かったと言えるかもしれない。3人が移動しているのを目撃したファンから「あそこで見た」と情報が広まった可能性がある。それでイベント終了までにファンが集合する結果になってしまった、と推測できるわけだ。
「まあ、どっちにしても、今後こっちから集まってほしい時はそう言うから~みたいな通達はされるみたいだし、こういうことはなくなるでしょ。たぶん」
「どうせ、無駄に集まられると困るからみたいな理由をつけて、仕方なく前もってイベントを設定しておきましたって言い訳する方向になるんだろ。人のことを何だと思ってるんだか。まったく、いくら3人分とはいえ、知り合いでもない僕たちにあれだけの情熱を向けるだなんて、よっぽど暇なんだろうね」
よほど疲れているのだろう、ルックの言葉には普段よりも棘がびっしりとついている。無理もない。目に入るすべてのきらびやかな包装が自分たちに向けてぎらぎらと見知らぬ好意を寄せてくる状況は、その場にいるだけで疲労感が押し寄せてくる。
甘い匂いを思い出して頭痛を覚えたレイは、重い荷物を下ろすように持っていた2つの小箱を机に置いた。それを見たルックとシーナも、懐からそれぞれ小箱を2つ取り出す。黄色とオレンジ、色違いの同じ箱だ。これは事務所から部屋に戻る際、ナナミとアップルが手渡してくれたものだ。バレンタインの贈り物には「本命」「義理」などの種類があるというが、あからさまな「義理」である。レイはシュウが今朝食べていた迫力のある焼き菓子との大きさの違いに気付いたが、どうでもいいので忘れることにした。
「えーとさ。バレンタインにもらった贈り物って、たしかお返しが必要なんだよね。この、自分たちが発信した物語だっていうののついでに渡されたものに対しても僕はお返しをすべきだと思う?」
「いらないでしょ。外にやたら並べられてたあれと同じだよ。“アイドルグループの誰々さん”宛なんだ。僕たちにじゃない」
「だよね……」
安心したようにレイが置いたばかりの箱を拾う。よく考えれば、自分たちの苦労に見合った品物だろうか?
しかし、シーナだけ受け取り方が違うようだ。
「えー。オレはちゃんともらったものは返すよ! そりゃファンのみんなからもらったのに1個1個返すのはちょっと難しいと思うけどさ。アップルとナナミがいつも頑張ってるオレにって準備してくれたんだもん! 愛じゃんか、愛~」
「…………ふーん」
「……あれだけのことをされておきながらまだ愛とか言えるんだから、その純真さには感心するよ」
ちら、とレイがルックを見る。ルックは視線を受けて腕を組み、天井を睨む。そのままの格好で一度首をぐるりと回すと、レイの何かを言いたげな目に頷いてみせた。
シーナはふいにそれぞれの部屋へと歩き出した2人に驚き、わずかにソファから腰を浮かせる。何か2人の機嫌を損ねるようなことを言っただろうか。まずい。何だ。何が悪かったのだろう。焦って言い訳を探すが、原因が定かではないので対策の取りようがない。
と、おろおろしているシーナのもとに、レイが戻ってくる。すぐにルックも追いついた。そして2人がシーナの前に置いたのは。
「……え。これ」
赤いリボンが巻かれたベージュの薄い箱。
白いレースのリボンで留められた可愛らしいピンクの袋。
思わず手に取って、シーナは目を上げる。
「これ」
「……義理だから」
「深い意味はないし」
混乱して大騒ぎする頭で考える。が、レイとルックから渡されたものは、間違いなく今日、バレンタインという日に合わせた贈り物だ。レイとルックから。自分に。
「ふ、2人とも……オレにお菓子用意してくれてたんだ……!」
「だから、」
ただの義理だしと言おうとしたレイだが、言う前にシーナが飛び付いてきた。反対の腕で掴まえられたルックは逃れようともがいているものの、シーナは離す気がないらしい。
「嬉しい! やっば、すっげぇ嬉しい! オレに渡そうって思ってくれた2人の気持ちがほんとに嬉しい! あ、どうしよ、リボンの結び目さえ愛しい! これこのままとっておきたい! 保管したい! 記念にとっておきたい!!」
「いやそこは食べてよ」
「あー、最高! ありがとう! レイ大好き! ルックも大好き! いやあ、オレ、愛されちゃってるなー!! 2人の愛で明日からも頑張る!!」
「いや愛とかないから」
「大丈夫! オレは感じてるから!!」
「今日の贈り物は感謝の心、だろ」
「愛する人への、ってのが元の話だったの知ってるしー!!」
はあ、とレイとルックは適当な相槌を打つ。しかし、先程のぐったりした様子から一転テンション高く2人を腕に抱き寄せたままぴょんぴょん跳ね回るシーナの様子に、少し心が軽くなったのも確かだ。
「まぁ……この馬鹿のパワーも充填されたことだし、明日からも頑張りますか」
「そうだね」
ルックの言葉に、レイは小さく笑って頷いた。
その夜。すっかり世間が騒ぐようになってしまったイベントの裏側で、3人はゆったりと静かな食事を楽しんだ。このささやかな時間が嬉しいと思う気持ちは同じだ。それがいっそう「3人きり」という結束を強めているような気がするが、レイとルックはそれをスルーすることにした。
さて、彼らの明日は一体どっちだ。
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