北都

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投稿日:2026年03月06日 21:22    文字数:22,948

カナリヤ 1

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タイトルの元は、GRANRODEOの「カナリヤ」より。
私この歌かなり好きなんですが、ワースくんったら、この「カナリヤ」みたいよね、と思って……⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
私はわたしの「カナリヤ」ちゃんを幸せにしたいので、そこまでは頑張って書く予定(ง •̀_•́)ง

ワスくん勘当ifです。
「ワスくんのセコンズって、なんであの感じなんだろうなぁ」というところから出発しました。
もうね、腕をぐるんぐるん回して「私、嘘を付きますね⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!!!」って言いながら書きました。ので、訳知り顔に書いてるところは全て捏造です。検証しないで下さい。
今回はほぼオタさん視点で、ワスくんは数えるほどしか喋ってないです。この事件(?)は次回で完結です。
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◆◇◆◇◆




くらい、つめたい。

一面の闇の中で、ぼんやりと瞳を開けた。
しかしそれは、知覚上の誤謬であったかもしれない。なんせこのひやりひやりとした冷たさは、空気を介したものではない。泥だ。上から下までぎっちりと泥に満たされている。ほんの少しの身動ぎも出来はしない。

しかしそれは不思議と、嫌な気分ではなかった。
むしろ、愛おしかった。

「わたし」を満たす泥の底にも、他人の気配を感じることができたから。あのこの魔力は心地良い。かつて見知った魔力に向かってもがくように身体を揺する。泥に塗れた動きはひどく緩慢で、その気配は遠い。けれどもちっとも気にならなかった。

幼き日のあなた。
今度こそ一緒に遊んでくれるだろうか?

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◆◇◆◇◆



実を言えば、オーターはあの日、ちょっぴりだけいつもよりわくわくとしていた。

「無邪気な淵源」との戦いで、オーター・マドルの価値観は大きく揺さぶられた。所謂ところの臨死体験、いや実際少しばかり、本当に死んでいたと思うのだが、ともかく死に瀕してなんから新たな視点が生まれる、ということはよくある事だそうだ。自らの走馬灯を見ながら、自らが顧みてこなかったものを知った。……例えばそう、歳の離れた弟、だとか。
最も年若い同僚と同じ歳の弟は、「無邪気な淵源」との戦いの際に稽古を付けてやった子供たちと同じ学校に通っていた。弟子の顔を見る、なんていう名目があれば存外簡単に校内には入れた。弟子達を探す振りをしながら、オーターは密かに弟を探した。尤も、オーターは弟の顔を知らない。実家にいた頃は何やら小さな影があったことは覚えている。顔に走る線は2本だっただろうか?そこも自信はない。髪は自分よりは深い色だった気がする。……まったくひどい話ではあるが、オーターにはそれら身体的特徴すら朧ろであった。
無気力に生きていた、ちっとも関心を抱かなかった時代を取り戻したいと思った訳ではない。ただ、やり直すのに遅いという事はない、という言葉を信じてみたくなっただけだ。オーターらしくないことは、百も承知である。
首尾良くランス・クラウンとドット・バレットを捕まえ、近況を尋ねる傍ら、弟を呼び出させた。好都合なことに、2人とも弟との交流があったらしい。生意気なことにドットなどは「オーターさんにも弟の顔を見ておきたい、みたいな人間らしいとこあったんスね」と言われた。ランスが「兄が弟妹の心配をするのは当然だろうお前はバカか。いやバカだったな」と言って激しく掴み合いをしていたが、まぁ、何年振りかも分からない弟と顔を合わせる事に期待半分、緊張半分であったオーターには殆どその会話は入ってこなかった。……そういえばランスは「弟妹」と書いて「アンナ」と発音していなかったか?と思ったが、本当に些細な事であろう。マイペース故に殆ど緊張らしい緊張をした事もないオーターは、遂に「弟」と顔を合わせると思うと心臓が破れてしまうのではないかと感じたほどだ。そこへひょっこりと現れたのが、少しばかり毛先に癖のある青年だった。記憶していたよりもずっと上背があり、やはりと言うべきか、良かったと言うべきか、オーターよりももっとずっと深い森の奥のような髪色をしていた。サングラスに一部隠れた顔には、真っ直ぐ輪郭に伸びる2本のアザがある。見覚えがあるようなないような、本当に微妙な塩梅である。ただ、とにかくすっきりとして可愛らしい顔をしているな、とオーターは思った。これが弟だ、と思っている欲目もあったかもしれないし、「弟には慈しみの感情を以て接すべし」という書籍の言葉が頭の中にあったからかもしれない。ただとにかく、鏡で毎日見る自分の顔とはちっとも似ていないと思った。そこが可愛らしいと、じんわりと胸が熱くなった。そんな「弟」は、オーターをキョトンとした瞳で見やり、ランスとドットを順に見やり、存外幼い仕草で小首を傾げた。

「来いっていうから来たけど、……なんだ?」

鋭く、しかし柔らかな声色を聞いて、オーターの緊張は最高潮に達した。朧げに覚えている声はこんな調子ではない。ドッドッドッド、と激しく鳴る音が、指の先まで血潮を運ぶ。

「オーターさんが先輩に会いたいって。……あれ、オレら席外した方が良いんスかね」
「いや……?」
「単細胞にしては気が利いてるじゃないか。兄は弟妹アンナとゆっくり語らいたいものだ」
「ア?誰が単細胞だって?お?」

オーターの瞳にはメンチを切る弟子の姿は入っていなかった。なんせ、未だに弟は事態を受け止めかねるように首を傾げていたものだから。軽く眉を顰めた弟は、言葉に迷うように唇を湿らせる。その緊張した動きはやはりどこか可愛らしくオーターには映った。これが庇護欲というものか。密かにオーターは感じ入った。真っ直ぐにオーターを見つめるその瞳を、その唇が紡ぐ言葉を、焦ったく思いながらとにかく待った。待つ時間すら愛おしかった。しかし、待ち望んだ言葉は、まったく思いもよらないものだった。

「待ってくれ。オレはもう神覚者様の弟じゃねェ」
「はい……?」

オーターを見る瞳には、なんの感情も浮かんではいなかった。胸に手を当て、静かにこうべを垂れる。その動きは、なるほど洗練されていた。

「つい先日付でマドル家から除籍されました。……神覚者様、私は「ただのワース」。神覚者様には弟君などおりません」

わくわくと出掛けたあの日、オーターは自分がどうやって帰宅したのか覚えていない。



***



全く信じられないことであるが、親交を深めようと思ったそのタイミングで、自分には弟がいなくなったらしい。やはり人生には「遅すぎる」ことはあるようだった。

「……いや、それはおかしいのではないか?」

盛大な独り言に、魔法魔力管理局の面々は静かに震えた。厳格すぎるほど厳格に秩序とルールを守り執行する局長が、突如何かに異議を唱え始めたのだから当然である。いま手に持ってる書類は、誰が提出したやつだ?誰もオーターが、まさかいつも通りの顰めっ面に近い無表情で自分の弟のことを考えているなど思いもよらない。しかし部下達の当惑を一切解する事なく、オーターは大きなため息をついた。
除籍、除籍と言ったか。
あの父親は全く度し難い。なるほど確かに戸籍上は兄弟ではなくなったかもしれない。……が、オーターとワースの間に血縁関係があるのは動かぬ事実であろう。互いに今更「実は弟は橋の下からお母さんが拾ってきたの、」なんて与太話を信じる歳でもない。……はず、だが、血縁関係を主張するオーターに、やはり困惑気味のワースはこう言った。「もしかして、臓器とか輸血とか必要だったりしますか?」と。

フ──、と再び深いため息が漏れた。

新人が恐怖のあまりペン立てを倒し、辺りが騒然とした。しかしオーターは憂いを帯びた瞳を無意味に書類に落とす。無論、脳内では訝しげな表情の弟のおずおずとした声が再生されており、目の前の惨劇などちっとも見ていない。
物心ついた頃から殆ど交流がなかった弟と会話してみたら、臓器移植を疑われた。そんなことあって良いのか?この兄はどれだけ非道な人間だと思われているのだ?……ちなみに弟はA型らしいので、輸血可能である。他の臓器も受け取れる可能性が極めて高い。いやこの流れでは知りたくなかった個人情報だ。どういうことだ。弟はオーターをなんだと思っているのか。こんなパターンの会話を転がす術は、当然ながら書物にも書かれていない。
実際のところ、オーターにとってもワースは存在が不確定の弟だ。同じ屋根の下で生活したような気もするし、なんとなく記憶の端に引っかかるソレとは別の存在のような気もする。血のつながりに対する実感がない。弟は、どうだったのだろうか。他人行儀の言葉遣いは、どうにもオーターを拒んでいるようでもあった。彼にとってポッと出の兄など下心を疑うべき相手なのだろう。その心情は理解できたが、その対象が自分だと思えば物悲しい。
オーターは手慰みに羽根ペンをくるりと回した。どうしたら良い。過去を悔いても今更だ。頭の中には依然として、弟の幼少期の姿を結ぶことは出来ない。顔を合わせてぼんやりとした好意をこちらは抱いているが、向こうもオーターを同じ程度にしか記憶していないとすれば、完全に不審者である。というか、どうなりたいのだろうか、自分は。あの弟と。

「…………」

書籍に寄れば、「弟とは食事をしながら親しく話すもの」だそうだ。彼と楽しく話している自分を想像するのは難しいが、いつかは、そうなれるようにしたい。
まずは食事に誘えるように、せめて連絡先の交換を、と考えながら羽根ペンの先をインクに浸す。この間、無言のままの局長に一般職員たちはぶるぶると震えていた。



***



ついていない時は、何をしたってついていないというものだ。例えばそう、仕事を早めに進めて余暇を作って、「弟子の顔を見る」との名目のもと、再び弟に会ってみようとしたのに、肝心の本人が学園内にいないとか。

「インターンシップ、ですか?」

こくり、と弟の寮の寮長は無機質な瞳で頷いた。変に騒がれ好奇の視線を与えられるよりずっと楽であるが、……何か、どこか居心地が悪い。

「ちなみに、どこへ……?」
「魔法局禁書管理局です」

雷に打たれたような衝撃があった。
よりにもよって魔法局へインターンに来るのであれば、自分のところでも良くないか?というか、なぜ禁書管理局なのか。弟は主席にならないまでも成績優秀と聞いているが、禁書に関心があるとは知らなかった。一応弟がこれまで書いたレポートや研究課題の類いは、担当教諭が持っている限り全て事前に目を通したのに。ひと言でも、言ってくれれば。

……言ってくれれば、どうだろうか。

禁書管理局長の知の神杖に口利きをする、という程のことはしない気がする。それは実力でインターンを勝ち取った他の生徒にも失礼な振る舞いである。弟本人にとっても、実力以上の場所に置かれるのは辛いだろう。事によっては命の危険もある。……ただそれでも、言っては欲しかった。これまでの疎遠を棚に上げても。オーター自身、自分の心の動きがすこぶる不可思議であるが。

「砂の神杖様」
「……なんだ」

考え込んでいたオーターに、人形を抱いた青年が声を掛ける。じいっとこちらを見つめる瞳はどこか不躾で、オーターの意図を探っている気配がした。感じは悪いが嫌な気はしない。寮内で弟は3席に据えられているらしい。据えたのはもちろんこの寮長であろう。弟の実力を認め、気に掛けている同輩、ということか。

「……こちらへ来られても、ワースの連絡先はお教えすることはできません」
「…………」
「砂の神杖様は、既にワースとは何の関係もありませんので」

ピシャリ、と目の前でシャッターを下ろすような声に、オーターは目の前の青年の評価をしかねた。オーターが弟とコンタクトを取ろうとしている事を把握し、それなりに社会的地位にある自分の意向を先んじて封じにかかる。友情に厚いといえなくもないが、蛮勇といえなくもない。そして何より、ここに弟の意思はどの程度反映されているのであろうか。じいっとこちらを見つめる瞳には、何の揺らぎもない。顔を合わせた瞬間に臓器移植の依頼を疑った弟なのだ、寮長を味方に引き込んだ可能性は捨てきれなかった。そうであれば、あまりしつこくするのは悪手である。確実に弟に伝わる。
オーターは考えて、懐から名刺を取り出した。その裏に自分の直通番号を綴る。

「……では、弟にこれを。連絡はいつでも待っていると」
「…………」

じいっとオーターが差し出した名刺を見つめ続けていた青年は、一拍あってからそれを受け取った。一瞬だけ眉を顰め、しかし真っ直ぐにこちらを見て言葉を紡ぐ。

「……ワースが受け取るとも、連絡するとも約束は致しかねますが」
「構わない」

言いながら、これは弟から連絡が来ることはないな、とオーターは直感した。青年の言葉は単なる予防線だ。
弟は良い友人を持ったのだろう。きっと弟にとってこの魔法学校での生活は楽しいものであったに違いない。対して、それを覗き見するように弟の周囲をうろちょろとする自分はなんなんだろうか。珍しくオーターは肩を落とした。本当に、弟のことを何にも知らないのだ、と言うことを知らしめられて、落ち込む。
元々オーターは結構怠惰で、無気力で面倒くさがりだ。同じ屋敷で育ったはずの弟のことをちっとも憶えていないのはそのせいでもあろう。自分の人生をがらりと変えたはずだった。弟は、それ以前のオーターの耐えようもない怠惰の象徴のようで居た堪れない。彼はもう、ずっと昔に「兄」という存在を諦めてしまったのかもしれない。
ベンチに座って空を見上げ、はぁ、とオーターはため息を吐いた。突き抜けるような青空が今の自分の気持ちとまるで不釣り合いで、いっそ笑けてくる。「弟と食事をしながら親しく話をする」とは、なんとハードルの高い望みであるのか。思わずため息が出る。そうしてぼんやりとしていたオーターの前を、ゆっくりとした足取りで通り抜けようとする者がいた。特徴的な髪色は年若い同僚の姿を嫌でも思い起こさせる。そういえば同僚にも、長い間疎遠にしていた弟がいた。たしか、その名前は、

「フィン・エイムズ?」
「はい……?……ふぁいっ!?」

少年と言って良いほど小さなその人物は、同僚がこよなく愛する小動物を思わせる動きで飛び上がった。或いは、同僚があれほどくだんの小動物を愛するのは弟に似ているからかもしれなかった。自らの大きさを小さく見せようとするように腕を折りたたんで身を強張らせた少年は、自分の名前を呼ばれたにも関わらずオーターを見て、自分の周囲を見回して、またオーター見て、ぶるぶると震えた。

「えっ、……えと、……こん、にちは……?」

絞り出したような声は、この状況には不釣り合いであった。まあ不釣り合い具合で言えば、そもそも通り掛かりの学生に声を掛けたオーターこそ、この魔法学校に不釣り合いであるのだから気にするべきではない。オーターがその挨拶に頷くと、フィンはまたぶるっと震えた。

「そっ、……それじゃあ、僕は、ここで……」
「フィン・エイムズ。キミに折り入って頼み事がある」

今にも後方に飛び逃げそうな子ウサギへ被せるようにそう言うと、硬直したフィンは、再び何かを探すように周囲を見回した。

「残念だが、フィン・エイムズはキミしかいない」
「ひぇっ」

髪色は非常によく似ているのに、フィンは同僚とちっとも似てはいない。顔形も、その性格も。
その印象はオーターに強い関心を持たせた。かつては専ら同僚が弟を遠ざける形で疎遠になっていたと聞く。神覚者はそれぞれに得意分野や管轄があるが、とりわけ荒事に関わったり財物に関連する管理をしていると他人からの恨みを買いやすい。魔法具を管轄する同僚が弟を守りきれないと判断して人質としての価値を損なおうとしたのは不器用ながら分かりやすい行動ではある。同僚は、本気で弟の人生を遠巻きに眺めようとしていたのだ。それが今やどうだろう。同僚のデスクには弟の写真が飾られている。時より慌てたように同僚が帰宅するのも、弟の為だと聞く。オーターとは最初の状況そのものが違うとは分かっているが、正直だいぶ羨ましい。

「……あの、な、なんでしょう……?」
「フィン・エイムズ。最近疎遠だった兄と親しくしていると聞く」
「は、はあ……」
「そこで、キミに教えて貰いたい」

小動物のようにびくびくと肩を跳ねさせているフィンを見ながら、はたとオーターは思う。……あれ、何と言ってアドバイスを求めたらいいのだろうか?声を掛けておきながら、オーターが思考の海に沈む。無表情で黙り込んだ目の前の神覚者にフィンの身体の震えが止まらない。なんだってこんなことに。誰か知り合いの1人でも通りかかってくれないだろうか。できれば砂の神杖と面識があるマッシュとか、ランスとか、ドットとか。しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、こう言う時の望みは天に届かないものだ。半泣きのフィンに救いの手は伸びない。そうこうしている間に、言葉に迷うように顎を引いて口元を動かしたオーターが、囁くように口を開く。

「……その、どうなんだろうか。弟側として。そのような兄とは」
「えっ……と?」
「ほとんど面識のなかった兄に誘われたり付き纏われるのは、嫌ではないだろうか」
「……え?」
「……いや、待ってくれすまない、これは卑怯な聞き方だった。答えなくて良い」

下がってもいないメガネを押し上げながら、オーターは重たいため息を吐く。なんだその聞き方は。こちらは砂の神杖、フィンの兄は戦の神杖、「嫌じゃないか?」の質問には「嫌じゃないです」の回答しか出来ない。実際にフィンが兄の振る舞いを嫌がっておらずともそれでオーターがワースに許される筈もない。単に「弟」から自分を否定しないような回答を聞きたいだけではないか。自分が楽になりたいだけで、何の解決にもならない。
フィン・エイムズは零れ落ちそうなほど大きな瞳を2度、大きく瞬かせた。その瞳には、つい先ほどまで浮かんでいた怯えのような感情がすっかり消えている。その割には警戒心の強い小動物のように完全に腰の引けた様子で、オーターが腰掛けるベンチの端の方にちょこんと座った。それをちらりと横目で見ながら、オーターは注意深く口を開いた。さながらそれは、野生動物が足元にやって来た時のような緊張感であった。

「……私には、弟がいる」

ぽつりと呟けば、僅かにフィンの肩が動いた。認識されているのにホッとして、そのまま言葉を続ける。

「昔から、私は周囲の人間にちっとも関心がなく、弟の存在を思い出したのも、「無邪気な淵源」の事件で自分が死にかけたからだ」
「……それは、なんというか……」
「薄情だろう」

フィンは困ったように小首を傾げた。その動作が、あまりにも尤も過ぎてオーターは少し笑う。そう、あまりにも薄情で、自分勝手だ。顧みなかった過去を、自分が気になったタイミングでだけ構うなどとは。分かっている。けれども。

「せっかく生き残ったのだから、縁を結びたい」

口に出してから、オーターは少し驚いた。そうだ。記憶の端に残る「弟」。自分が顧みて来なかった過去。残念なことに、今でさえ、その過去の姿は非常に朧げだ。いかにオーターが「弟」に関心を寄せていなかったかが分かる。けれどもまだ何も終わっていないのだから、今からでも何とかしたい。穏やかな関係を結びたい。それが自分の望みだ。「友好的に食卓を囲む」は、望みが成就した先にある想像図であって、本質ではない。

「……砂の神杖様、は、」

おずおずと、少し震えた声は、想定していたよりも少し高かった。無意識にレインのような声を想像していた自分に苦笑する。弟といえど、全く別の人物であるのに。

「弟さんのことを、好きなものや嫌いなものを、ご存知なんでしょうか……」
「いや、まったく知らない」
「まずは、そこから知っていくのはどうでしょう……?」
「知ろうも何も、連絡先を知らない。……なんなら今さっき、弟の寮長に連絡先を渡しましたが、やんわりと、連絡が戻らなくても文句を言うな、と言われました」
「そっ……それは、なんというか……」

もごもごと子ウサギが俯く。
横目でそれを見て、可愛らしいな、と思う。
庇護欲を煽る、子供らしい姿だ。これはレインが心配するのも無理はない。その点で言えば、ワースはオーターの庇護など必要もなく、自分で全ての道を切り拓いて行ってしまうタイプだろう。それは頼もしい限りだが、同時にすこし、寂しい。

「いまインターンに出ているそうで、どうやら私の管轄外の魔法局に行っています」
「魔法局……ふわぁあ、優秀なんですね……」

いつでも逃げ出せるようにと、外向きに向いていたフィンの膝が、オーターの方に向く。大きく瞳を丸くさせた姿は、本当に感心しているらしい。……この子は大丈夫なんだろうか。けっこう簡単に誘拐されかねないが、レインは把握しているだろうか。こんな善良で良いのだろうか。自分の相談以外の点で、オーターの中に疑念が浮かぶ。密かに心配されている当のウサギは全くそれを感知することもなく、あっ、と閃いたように人差し指をすっと伸ばす。

「そういえば、魔法局の中には食堂があると聞きました。そう言うところで会えたりしないんでしょうか」
「ふむ……」

ないではない。
ないではないが、恐らく慣れないであろうインターンシップ期間に無為にちょっかいを掛けて嫌われたくはない。

「あとは、部署の方にご挨拶がてら、差し入れとか……」
「なるほど」

それを、これだけ無縁な兄からされて、嬉しいのだろうか。甚だ疑問だ。疑問であるが、一生懸命な子ウサギを腐すほどオーターの情緒も死んではいない。それに、案外悪い考えではない気がした。オーターが禁書管理局に行く用事は全くないが、ないならば作ってしまえば良いのだから。

「イーストン学校で魔法局のインターンに行っているひとってことは、すごく優秀ですもんね……あ、どこの寮生なんですか?僕そういえば砂の神杖様の弟の方って知らなくて……」

キラキラとした蜂蜜色の瞳は、単純な好奇心に溢れていた。その瞳の中に、ありし日の弟の姿を探すのはきっと無益なことだろう。フィンはフィンで、ワースはワースだ。けれど年少者を素直に「可愛らしい」と思う感性が自分の中にあったことに、オーターは少し安心した。

「レアン寮だ。名前を、ワース・マドルという」
「わーす、まどる……」

なので、子ウサギが「ひょえ、」と悲鳴を上げて崩れ落ちたのは、不可抗力である、というのは剣の神杖に強く申し入れておきたい、と後にオーターは語ったという。



***



フィン・エイムズの助言は有益であった、というべきであった。というか、言われるまでインターン先に挨拶、という簡単に思い付きそうな手を想像だにしなかったオーターが抜けていた、と言うべきであるかもしれない。しかしながら、それなりの人数分の菓子折りを片手に砂の神杖が、滅多に姿を現すことのない禁書管理局に現れたという珍事は、魔法局内での話題を掻っ攫うには充分すぎるものであった。オーターとしては、若干引き攣った顔ではあるものの目的の弟の姿を見られたのは満足のいく結果であったし、インターン先の司書たちはワースの実習様子を我先にと話してくれた。もちろん若干の阿りを感じないではなかったが、一生懸命努力するワースの様子が感じられたのは僥倖である。

「……まぁ、貴方の言い分は分かりますけどね」

……で、あるので、知の神杖ことソフィナ・ブリビアに呼び出され説教をされている現状は甚だ遺憾であった。

「ならば、何も問題はないだろう」
「弟くんの顔を見に行くことも、インターン先に挨拶に行くことも全く問題はありません。もちろん事前に教えておいて欲しかったですが。貴方は神覚者の中でも殊に目立つことをそろそろ自覚なさい」
「…………」
「それよりも、魔法魔力管理局へワース・ウォーカーくんの引き抜きを図ったんですって?」

オーターはむっつりと黙り込んだ。そもそも、なんだその「ウォーカー」とは。いや知っている。レアン寮の寮長の名前であることも、彼がワースの後見として立って、後ろ盾になっていることも。……そうなると、レアン寮前で「ワースと貴方は関わりがない」と言ったあのひと言には何か別種の意味が付与された気がするが、どう転んでも腹立たしい内容にしかならないので、この際一旦無視しておく。
突然の神覚者の登場に騒然とした禁書管理局は、聞きもしないのに提出された書類に基づくワースの現状をピーチクパーチクとオーターに囀った。インターンシップ参加者に義務付けられている希望局用紙をワースが早々に出したことも、そこには「禁書管理局」としか書かれていなかったことも。
魔法魔力管理局の局長といえど、オーターはあまり人事に関心がない。故に知らなかったが、インターンシップ参加者に対してならば、局長権限で実際の就職試験前に自分の局へ学生を引き抜けるという。通常は学生の希望局の局長が行うものであろうが、局名が挙げられていない局長であっても行使できる、ということも。「弟さんも引き抜けますよ、」と言われたら、普通その書類を回してみるだろう。そんな心情がありありの感じられる太々しい態度のオーターを見て、ソフィナは大きなため息をついた。

「ご存知とは思いますけど、ワースくんは禁書管理局しか希望していません。この意味が分かりますか」

そういうタイプの学生は、ままいる。
「魔法局に就職する」よりも「希望の職種がある」タイプである。人材管理局などは度々頭を悩ませているが、この手のタイプは希望職種を得られなかったらあっさり職を捨てる。なんなら起業までする。
ソフィナも記録を見る限り、ワース・マドルがそれほどまでに禁書管理局にこだわる理由はわからない。司書資格を取ったのも比較的最近である。強いていてば……あの、「無邪気な淵源」の一連の事件以降だろうか。イーストン魔法学校に通っているだけのことはあり、それなりに優秀である彼が論文テーマとして「禁書」を選ぶようになったのは。ただ、それは取り立てて不自然ではなかった。「無邪気な淵源」の事件は、あらゆる人間や物へ名状し難い影響を与えた。オーターが躍起になって「弟」との接点を持ちたがるのもその変化のうちのひとつだ。ワース・マドルは「無邪気な淵源」と関わりを持ってしまった学生のうちの1人であるが、それは築き上げてきた学生としての彼の評価も、事件以後に取り組んだ魔法書に関する洞察も、なんら損なうものではない。名門校に通う学生としての脇の甘さは既に学校が罰を下した。その罰分を差し引いても、ワース・マドル、改めワース・ウォーカーは非常に優秀であったし、インターンシップへの取り組みは勤勉であった。

「彼は、良い学生です。オーター、貴方がこれほど道理に合わないことをするならば、私がワースくんの引き抜きを行います」

実際、泥魔法を操るワースは、自身の泥人形を使って配架を行うなど、万年人手不足の禁書管理局としてはかなり有益な人材であった。本人ほどの精度はないものの、一線魔導師と思えばかなり魔法を使えるレベルの泥人形を最低5体出せるのだから、オーターのちょっかいがなくとも禁書管理局で囲い込みたい人材である。

「…………」

ソフィナならばそう言うだろう、と分かっていたので人材管理局に直接書類を回したのに。事前に言おうが言うまいが、ソフィナから見れば貴重な人材への不当なヘッドハンティングに見えるだろう。まぁ、否定はしない。
無表情のオーターから何を読み取ったのか、ソフィナは、ふぅと大きなため息をついた。

「こんな強引な手ばかり使っていては、良くないですよオーター。私に黙って話を通そうとしたくらいですから、ワースくんにも何も言っていないのでしょう?」
「…………」
「まったく。貴方の個人的な問題に口出しするつもりはありませんけどね、ちゃんと弟くんと話し合うのをおすすめしますよ」

私からは以上です、という涼やかな声を聞きつつ、オーターは肩を落としてソフィナの執務室を後にした。……もっとも、オーターが若干しょげている、と言う事実に気がつく人間は、廊下をすれ違う職員の中には全くいなかったのだが。いつもの無表情はいつもより更に強張り、まるで不機嫌そうに見える。誰も機嫌が悪そうな規律の鬼と呼ばれる神覚者に目を付けられたい者などいない。そそくさと小走りで逃げる職員たちの中を、ひとりゆったりとした足取りでオーターに近付く影があった。

「オーター?……珍しいですね、禁書管理局に来ているとは」
「……カルド」
「ソフィナに叱られました?」

にっこにっこと擬音語が付きそうな表情であった。若干の腹立たしさはあるものの、オーターは黙り込んだ。ソフィナにワースの件を伝えたのは間違いなくこのカルドであろう。
顎に手を当てて微笑む人材管理局局長は、「まったくねぇ、」と言葉を続ける。

「そんなに簡単に、人材を損なう不和を起こさないで下さいよ?」
「…………」
「いやぁ、オーターも歳下だったんだなと実感できて僕は嬉しいです」

どう言う意味だ、と食ってかかりたかったが、眉を顰めるだけで留めた。どうせ、良い意味ではない。
いつものように顎に手をやって、カルドは呆れたように「まったくねぇ、」とため息混じりに言った。

「もう少し、距離の詰め方に段階を踏んだらどうです?」
「段階……?」

踏めるような段階があるなら実践するが、今のところ最初の段差さえ見つけられないような状況だが。我ながら険しい視線を向けてしまったと思う。けれど歳上の同僚は肩をすくめて、「これ、なーんだ?」と一通の招待状を差し出した。曰く「イーストン魔法学校卒業式」である。

「いつもならこの手の来賓はライオに任せるんですけどね、顔を出して来たらどうです?これなら貴方がいてもおかしくないし、卒業祝いの品だって贈れる。……どうです?」
「…………」

どうもこうも、カルドが持って来ている時点で決定事項だ。それにしても、卒業祝いの品。全く考えていなかった。オーターに雷に打たれたような衝撃が走る。……いや、考えてみればいかにも「年長者らしい」行動であるのだが。

「定番は、通勤用の箒につける飾りですかねぇ。事故防止用の防御魔法とかが付いているものとか」
「……なるほど」

物凄く、気を使われている気がする。名門の家柄だからか、本人の資質からか、相変わらずの気遣いだが、今回ばかりは本当にありがたい。そうでなければまたオーターは、何をプレゼントしたら良いのかと右往左往しただろう。食えない笑みを浮かべたままのカルドに、オーターは僅かに頷く。

「これでソフィナをあまり刺激しないように。……あ、そうそう、ところで、……キミの家って、子供の魔力を伸ばすために何か特別な訓練をしているんですか?」

今まさに思い付いた、と言わんばかりの白々しい顔で、カルドはオーターの顔を覗き込んだ。いつも通り薄らと笑みを浮かべた瞳の奥は、ちっとも笑っていない。オーターは眉を顰めた。
たとえば魔法を扱う資質ゼロの痣が0本であるならともかく、一般的に訓練次第で魔法の能力は上がっていくものだ。勿論生まれつきの痣の本数は絶大で、熟練の1本線では扱えないような魔法も、幼児の2本線であれば扱えたりなどもする。所謂、才能の差というやつである。しかしそれも適切な訓練を積まなければ上達しない。たとえば生ける伝説として扱われるイーストン魔法学校のウォールバーグは、元々1本線だ。これだけで日頃の研鑽の重要性を語るには充分である。故に、ある程度の家柄であれば「英才教育」と呼ばれるような、ひと通りの子どもの才能を伸ばす訓練を行なっているはずだ。マドル家も無論である。恐らく、オーターも受けたのだろう……と思う。日々与えられた課題がそうであると言われれば、納得はいく。ただ、オーターはマドル家の人生しか知らないから、他家がどのような教育方針を取っているのかは知らない。きっとワースも受けただろう。しかしこれは門外不出の教授であろうし、不躾に訊かれるべきことでもない。
カルドは両手のひらをこちらへ見せるように振った。敵意はない、ということを示したいのだろうが、ならば不用意なことを聞くなと言いたい。オーターの不快感を示す瞳を分かっていながら、カルドはへらりと続けた。

「いえ、このインターンに際して学生たちの面談をしておりましてね。オーター、キミの弟くんの魔力反応が少々気掛かりでして」
「どういうことです」
「彼本人のものと思われる魔力と、……彼のものではないのではないかな、と思われる魔力とが複雑に絡み合っているんです。何か持病があって魔法薬を飲んでいるとか、そういうことはないそうで」

何か心当たりありますか、と尋ねられて、オーターは思案する。イーストン魔法学校で顔を合わせた時も、インターン中の姿を見に行った時も、ワースに違和感を覚えなかった。とはいえオーターは幼少期のワースを覚えてはいないので、どのワースの状態が問題ないかが分からない。

「……そういえば、「無邪気な淵源」事件の時に魔力増強の魔法薬を飲んだと聞く」
「私もそれは考えました。……一応もう治療は完了しているらしくて、後遺症はないそうです」

まぁ、オーターが違和感を持たないなら問題ないですね、とカルドは安請け合いをする。言わんとすることは分かるが、過度な信頼を寄せられても困る。思わず顔を顰めたが、カルドはどこ吹く風と、「良いですか、段階的に、ですよ」とだけ言い残して去って行った。
ワースの顔を思い浮かべる。いつ会っても、こちらの動きを伺うような、探るような瞳で引き攣った愛想笑いを浮かべている。それはとりもなおさず、警戒心、という奴であろう。

「他人の魔力、か……」

あの様子では何かあっても相談などしてはくれないだろう。カルドの話を覚えておくことを胸に決め、箒飾りのカタログを取り寄せる為に、部下へ声を掛けた。



***



「げっ……」

堅苦しい式典が終わり、別れを惜しむ学生や卒業を喜ぶ父兄を尻目に、ひと言小さく声を漏らしたワースは、すっとアベル・ウォーカーの影に隠れた。すこぶる面白くない。面白くないが、弟が咄嗟の時に頼れるほど良い友人を持った、と好意的に捉えておくことにする。書物にも思春期には年長者に反発するという。ワースの年齢では思春期と呼ぶには少々遅過ぎるものの、個人差というやつだろう。ひとつ、オーターは頷いた。

「卒業おめでとう、ワース」

アベルとシュエンと、アビスの視線がワースに集まる。居心地悪そうにワースは身動ぎした。式典では来賓として祝辞を述べたが、正直に言おう、オーターは今の方がよっぽど緊張している。

「……そこで、卒業祝いの品を準備してきた」

カタログを前にうんうんと悩み、そう言えばと連絡先を交換したフィンに相談をし、得意のDYIで自分もレイン宛に箒飾りを作ると言った彼に教えを乞いながら作った一品だ。フィンほど手先は器用ではないから、だいぶ市販品を使った。やんややんやとちょっかいをかけて来るドットは砂で縛り上げたし、何故か一緒に妹宛として箒飾り作りに参加して来るランスとその横でスクワットしているマッシュはすこぶる謎であったが、重要なのはそれなりに見れるものが作れた、ということである。
落下防止用の水平保持の補助魔法、落下した際に自動で発動する防御魔法、それが発動した際に怪我をしないようにする衝撃吸収魔法、万が一魔法攻撃を受けた際の迎撃魔法・盾魔法、……迷子防止用に仕込んだ位置情報魔法。
特に位置情報に関する魔法は年齢的にも個人情報的にもワース本人に嫌がられそうであるので、何重にも隠匿魔法を掛けた。ランスなどは「兄が弟妹アンナの動向を把握しておこうとするのは当然だ」と嘯いていたが、フィンの顔色からして、それが尋常でない事は分かる。……ただまぁ、オーターは兄の立場であるので、ランスの言い分も分かる。ということで、本人には伝えないことにする。……ところで、ランスが「弟妹」と書いて「アンナ」と言ったような気がするのは、オーターの気のせいだろうか?

「……ワース」
「…ちっ」

アベルが短くワースの名前を呼ぶ。
戸籍上、アベル・ウォーカーはワースの養父だ。……いや、同じ歳のくせに「養父」とは一体なにごとかと思うが、そうなってしまっているのだから仕方がない。オーターとしては甚だ納得が行くものではないが、そこは辛抱する。いや、並べ立てようと思えば文句や非難等いくらでも思いつくが、現実がこうなってしまっている以上、オーターの立場からケチを付けられない。なんとも腹立たしいことに、手続き上の瑕疵はないのだから。全く以て、度しがたいけれども。そんな如何ともしがたい感情のままアベルを見、その後ろのワースを見ると、眉をひそめたワースがのっそりと顔を出した。

「……砂の神杖様におかれましては、ご機嫌麗しく。私めのような矮小な者のためにこのような結構なお品までご用意頂き、甚だ恐縮ではございますが、なにぶん、神覚者様に品物を頂くほどの価値がない身の上でありまして、この程はご辞退を、」
「……ワース」
「……はぁ。しっかたねぇな」

物凄く丁重に断られかけたのは分かるのだが、それはそれとしてオーターは感動していた。今日の弟、物凄くよく喋る。これまでに邂逅したどの瞬間よりも多弁ではないか。こんなに喋れる子だったのか、とオーターは震えた。もちろん歓喜で。大変不本意ではあるが、カルドには感謝したい。友人の前では素のワースが見られるのだろう。初めてイーストン魔法学校で顔を合わせて数ヶ月、顔を忘れられないようにとちょくちょく禁書管理局へ行ったり魔法学校に来てみたりとしていたが、未だに警戒されているオーターには不可能なものだ。

「……じゃぁ、ありがたく」

ワースの両手に乗ったプレゼントボックスを見て、ホッとオーターは胸を撫で下ろす。やはり自分が思っていたよりも緊張していたらしい。開く気配がないから、使う気はないのだろう。そこにはワースなりの配慮があるだろうから、さすがにそれ以上求めるのは気が引けた。もっとも、その「配慮」は送り主であるオーターに向けられたものではなく、戸籍上の養父で友人たるアベルに向けられたものであろうが。

「それ、オーターさんがめちゃくちゃ頑張って作ってたんスよ、ワース先輩」
「確かに。随分と色の組み合わせや掛ける補助魔法に時間を掛けて悩んでいた。弟妹アンナを思う兄であれば仕方あるまい」

自分のところの挨拶回りは終わったのだろう、ドットとランスがひょいと会話に入り込んできた。……いま、「弟妹」と書いて「アンナ」と言った気がするが、気のせいだろうか。弟子が狂った音魔法の使い手であるとは、あまり考えたくないのだが……。
ドットとランスの後ろにはフィンとマッシュとレモンもいる。少し離れたところにレインとその友人らしき影も。ワースは眉をひそめた。

「お前らな、」
「……ワース」
「……っち、分かってるっつーの、アベル!」

魔眼がギロリとワースを睨み、まったく、と言うようにため息をついた。彼とアベルとワースの間には、何か理解できるものがあるようだった。正直に言って、オーターにはその機微が全く分からない。ふと視界に入ったシュエンを見れば、オーターの困惑を理解しているのだろう、ただ肩をすくめて見せるだけだった。
なんとも言えない奇妙な疎外感であった。
けれどこれを、くやしく感じる自分の方こそ間違っている、というのは、さすがのオーターでも理解できた。そう、この気持ちに名前を付けるのであれば、きっと「くやしい」が最もふさわしかった。自分はワースのことなどちっとも理解できない。なんなら言葉遣いも、随分とよそよそしい。訳知り顔の彼の友人たちが、彼の心の凹凸にぴったりとフィットしている、そういう情景を見せられるのが、なんと言えばいいのか、……どうにも堪らない。
オーターの葛藤をよそに、ワースはしゅるりとリボンを解いた。アレも、フィンに勧められるまま選んだ装飾だ。フィンは箱そのものも自分で作っていたが、オーターはさすがに市販のギフトセットを使用した。ワースの喜ぶ色は何か、もしそのままリボンを取っておくタイプだったら手元に残っても良いものが良い、と散々こねくり回して考えたものだが、くるくるとリボンを巻き取ったワースはそれをローブのポケットに入れた。あぁ、取っておきたいタイプだったか。その動作ひとつひとつに、オーターは安心した。箱の中の箒飾りをひょいと摘まみ上げて、陽に翳す。ワースに似合うようにと選んだそれは、キラキラと誇らしげに輝いていた。

「……なるほど」

サングラスの奥の瞳は、付与された魔法を読み解いているのだろう。忙しなく瞳が左右に揺れる。分析に気を取られて感情が抜け落ちていくその顔に、シュエンが笑いをこぼした。

「良かったじゃない、ワース。結構いい品だよ?」
「それは……まぁ、その、」

口籠もったワースが、ようやくと言うべきか、まっすぐにオーターを見た。サングラスではっきりとはしないその瞳は、それでも柔らかな感情でオーターを知覚していた。いつも迷惑そうだったり警戒されるのに慣れているオーターにとって、心を揺らすには十分すぎる光であった。

「ありがとう、ございます。使わせて頂きます」
「……えぇ」

サングラス越しではない瞳が見たい、とオーターは思った。きっとそれは、幼少期であれば何のわだかまりもなく見ることが出来ただろう。……けれどあの頃、オーターはそんな瞳にはちっとも価値を見出していなかった。今更になって彼の中に価値を見出すのは、随分と虫の良い話だろう。

「改めて、卒業おめでとうワース。今後の貴方の活躍に期待しています」

オーターは、今日、自分にちょっとだけがっかりとした。きっと今後も、何度も感じる諦念、なのであろうけれども。

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***



新年度を迎え、オーターの魔力管理局にも新人が入ってきた。
何にせよ、切り替わりの時期は忙しない。その為、ワースの顔を見る機会は食堂で見かけるか、その帰りに廊下ですれ違うか程度であったが、会釈をして貰える程度の仲にはなった。オーターとしてはうれしい限りである。卒業祝いに渡した箒飾りもきちんと使ってくれているらしく、毎日独身寮から禁書管理局まで行く魔力が感じられた。元気そうでなによりだ。そんな調子で数ヶ月を過ごし、長期休暇期間、いわゆるホリデーが近付いてくると、局内も浮き足立って感じた。
ワースはこの休暇をどう過ごすのだろうか。
大方、アベル・ウォーカーの領地に行くのだろうとは思われるのだが。

「…………」

やはり若干、面白くない。
ただそれで、駄々を捏ねるほど子供でもない。アベル・ウォーカーの領地には学生時代からの副官としてアビスもいるらしい。そちらもワースと同じ寮室の友人である。彼が行かない理由がない。残念だが、休み期間中はあの後ろ姿も見られないだろう。

……とまぁ、そんなことで逡巡していたのはほんの数日前の話であった。

オーターは、実家の領地に来ていた。もちろん呑気に帰省しようというのではない。というか、オーターは出奔して以来実家に帰ってはいないし、神覚者になってからは手紙のひとつも出していない。ほぼ、幼少期の記憶のみが残る家である。

異変を感じたのはホリデー初日であった。

ワースの箒がアベルの領地ではない方面に向かって行ったのである。直線距離としては、実家に近い。驚いて箒の詳細を探ると、明らかに実家方面を目指していた。オーターの実家との没交渉は筋金入りだから、ワースがマドル家から追い出されたことも知らなかった。勿論ワースが来るなんてことも聞かされていない。既にマドル家の人間ではないのに目指す先が実家とは。両親に呼び出されているのではないか、そして勘当された時のように彼に何らかの不利益があるのではないか。そう考えると居ても立ってもいられず、オーターも超高速で箒をかっ飛ばして来た、という訳である。奇妙なことに、ワースはマドル家の屋敷から少し離れた寂れた街に宿を取った。自然が多くあると言えば聞こえがいいが、鬱蒼とした森と、思い出したようにぽつぽつと点在する洞窟ばかりの地域である。洞窟の中には魔力反応が複数あり、恐らく何らかの魔法生物が住み着いているか魔法道具があると推察されてはいるが、とにかく洞窟が多過ぎて一切調査の手が入っていない。大昔には子供が奥まで入り過ぎて「神隠し」のような状況になったそうだが、地域の人間は中に「なにか」が居るのは重々承知しているから、この半世紀ほどはそのような行方不明者事件も起こっていない。そういう土地である。
普通に考えれば、両親に呼び出されたにも関わらず実家に泊めないと言われたワースが家から充分に離れた場所に宿を求めたのだろう。うちの両親は、そういう事をする。力を示し、気位の高さを誇示する。そういう、貴族らしい家だから。
意識を集中させると、すぐにワースがいる地点が鮮明に浮かんだ。オーターはただゆるゆるとそちらへ向かえばよかった。

「…………げっ」

折しも、卒業式後に言われたのと全く同じ言葉をワースは吐き付けた。いつもよりも、若干顔が引き攣っている。……あの両親にこれから会うと思うとそうなるのも仕方がない。

「奇遇ですね、ワース」
「……いやまぁ、奇遇っつーか……なんでこんなところに砂の神杖様がいらっしゃるので?」
「帰省です」
「きせい……」
「帰省です。」

なるほど、領地内にいれば「帰省」なんていう荒唐無稽な言い訳で押し通すことが出来る。これは良いことに気が付いた。オーターは密かに嘆息した。もっとも、このような手はそう何度も使えるものではないだろうが。

「お前はどうしてこのような所に来たのですか。……もしも両親に何か言われているようであれば、力になりますが」
「……!」

ワースは大きな瞳を更に大きく見開いた。率直に、こぼれ落ちてしまうのではないかとオーターは心配になったが、そのようなことは現実では起こらなかった。サングラスの奥で感情の読みにくい瞳が揺れている。

言い方が、悪かっただろうか。
勘当されたことも、本人の口から言われないと気が付かないような自分が、今更何を、と思われただろうか。

柄でもなく、オーターの心臓はドキドキと嫌な鼓動を伝える。どんな戦場も怖くないのに、ワースの前に立つのだけは、こんなにも恐ろしい。
静かに、ただ答えを待った。じっと見つめているのに圧を感じたのだろうか、ワースは後頭部を掻き、ため息交じりに肩を落とした。

「……本当にただ、調べたいことがあっただけで、別にマドル家とは関係ないし両親から呼ばれてもいません」

声色は、オーターが知っているいつの時よりもずっと柔らかく優しかった。

「子供の頃、本当によくこの辺には遊びに来てたんだ。だから、その、」
「なるほど」

思い出の地、という訳か。そこに浸るのにたまたまオーターが居合わせたという事か。なるほど、なるほど……。
オーターはさほど信じてもいない神に感謝した。

「では、その調べ物とやらを手伝いましょう」
「……はぁ!?」
「折角こうして会ったのも何かの縁でしょうし……」

実際には、ワースの箒についている箒飾りの導きであるが、そんなことはもちろん言わない。

「私は、お前とできれば仲良くなりたい。幼少のお前が遊んだこの地に関心もありますし、なによりその砕けた喋り方は、気を許されているようでうれしい」
「…………」
「この休暇を、なるべくお前と過ごしたいのです」

オーターにしては珍しく直截な言い方である。カルドの言う通り、または書物の言う通り、段階を踏もうとしてきた中ではだいぶ突出している気もする。ただ、これを逃せば二人で会える機会などそうそうない。相手は、血の繋がりはあるとは言え、局も違えば戸籍も違う相手だ。こちらが機会を作らない限り、すれ違うことさえない、ということはこの数ヶ月の間で嫌というほど知った。オーターにはワースと仲良くなりたい理由があるが、ワースにはないのだ。それを「仕方がない」と諦め続けるのはもう嫌である。

ワースは、形の良い眉をきゅっと寄せて、少し考え込んでいる様子だった。迷うように口籠もり、しかしゆっくりと声を発する。

「……分かった。けど、荷物を取りに行きたいから宿に一回戻らせて欲しい」
「ついて行きますよ」
「いや、ここで待っていてくれ。すぐに戻る」

踵を返して走り出すその後ろ姿に、オーターは感慨深いものを感じた。まだ胸がドキドキと鳴っている。弟とお出かけ…。こう言うと、ひどく偉業を成したような響きさえ合った。ただ、待つこと数分で戻ってきたワースの顔を見て、何度も瞬きを繰り返す羽目にはなったが。

「…………なるほど」
「待たせたな」

コートも箒も持っていないその姿は非常に軽装であった。もしかして自分は彼に相当に気を遣われているのではないか、とチラリと思う。弟と仲良くしようと心に決めて以来、思いも寄らない様々な人物から、好意的な気遣いを受けていると感じてきたが、こんな風に向けられるとは考えてもみなかった。

「とりあえず、あっちに沢があって、昔はよく遊んでて、そこの石が……」

慣れた様子で隣を歩く姿を見上げる。知らないうちにオーターよりも大きくなった弟の姿は、それだけオーターが弟を見てこなかった証に思えた。

「この後、裏山に生えている薬草と、そこに生息する魔法鳥の尾羽を探す。それで今作っている魔法薬が完成するから」
「……なるほど」

その言葉は、これまでのワースの努力を示しているように思えてならなかった。歩きながらゆるゆるとその魔法薬の効果と、この産地でなければならなかった理由を説明してくれる横顔を見つつ、オーターは感嘆のため息をついた。同級生には最年少の神覚者、神覚者の枠に収まらない天才が集まり、粒ぞろいの学年だった。ワースもその「粒」のうちの1つであったのは間違いないが、寮長を務めるような大きな「粒」の前では小粒であったろう。兄が神覚者であるから、マドル家からの重圧も強かったに違いない。事実として、ワースは主席にはなれなかった。結果だけを見れば、それだけだ。けれど、遠くに聞くワースの就労態度も、そしていま話してくれる魔法薬の説明も、ワースが積み上げてきた努力の結果に他ならない。魔法制御も、その胆力も。

「それで、洞窟には何があるんだ?」
「洞窟?……そんなところには行かねぇけど」
「泥人形お前は、だろう。ワース本人について聞いている」
「……は?」

弟の努力に胸打たれながらも、オーターは努めて平静の声で話した。でなければもう、ワースを褒めちぎってやりたいところであった。……いや、きっとこの泥人形の動向くらいは掴んでいるはずだから、頭のひとつでも撫でれば伝わっただろうか。驚愕に歪み、大きく瞳を開く弟の似姿に、そんなことを思う。こちらを睨み付けるその表情も、実に愛らしい。目の前の泥人形は、ちっ、と鋭く舌打ちした。

「……どこで気が付いた。テメェは俺のことなんか何も知らないはずだろう」

神覚者には、それぞれ魔法局でひとつの局の局長の席が与えられる。

それは、神覚者本人の特性であったり、固有魔法の性質を考えて選ばれる席である。例えば自身も高名な研究者であるツララ・ヘイルストーンは魔法研究管理局局長を、剣という形で道具を生み出す固有魔法を持つレイン・エイムズは魔法道具管理局局長を務める、というように。

では、神覚者の中でも武闘派であるはずのオーター・マドルはなぜ魔法魔力管理局局長であるのか。

それは、砂魔法というものが、魔力探知に秀でているからである。砂はそもそも、僅かな振動にさえ反応して、固有の文様を描き出す。魔力はある種の波動のようなものだ。個々の魔力を判別するのに、これ以上に適した固有魔法はない。それに加えて砂のひと粒ひと粒を操る精密な魔法操作はビーコンのように相手の位置を掴むことも出来る。どれほど身軽な人間であっても、細かな粒子のからは逃れられない。
本物のワースの手元には、まだオーターが渡した箒飾りがある。移動速度からして宿で泥人形を作りオーターと泥人形が合流する前に箒で飛んだ。泥人形がオーターを誘導していたのは、本物のワースがいる方角とは真逆である。咄嗟に追い付かれにくいように考えたのだろう。その割には沢の石といい、裏山の薬草や鳥の尾羽といい、その方角に向かう理由がきちんとしている。なんと賢いのだろう。偉い。……もちろん、バレてしまっては意味がないのだけれども。

「良い泥人形だ。精度も高い。……けれど、相手を侮らないようにしなさい」
「……」

そうと分かっていれば、目の前の人間の内部が魔力で押し固められた泥であると見抜くのは容易い。むっつりと泥人形は黙り込んだ。不服そうではある。なんだかその顔もかわいく見えてしまうのは欲目と言う奴だろうか。

「……これは俺の問題だ。マドル家は関係ないし、当然、テメェに助けて欲しい訳でもねぇ」
「…………」
「俺に関わるな」

それだけ言うと、ワースの身体がドロリと溶ける。崩れ落ちた後は、ただの泥である。もう、こちらへ話しかけてくることもない。若干さみしい。

「フ────」

かわいらしい反抗期、と受け止めることはできるが、このままで放置できるとなぜ思うのだろうか。
オーターは肩をすくめ、ひと言呪文を唱える。

「サンズ」

統制が取れた無数の砂は、オーターの身体を包み込み、砂嵐が去った後には何も残らなかった。



***



オーターの箒飾りが付いたワースの箒は、洞窟の入り口に立てかけるように泥で固定されていた。その奥には、ワースの魔力反応と、知っているような知らないような魔力反応がある。恐らく洞窟に棲み着く魔法生物だろう。ワースがそうそうやられることはないとは思うが、「兄とは弟妹を守るものだ」とはランスの言である。……彼の発音が、なんだったか若干混乱するところではあるが、これにはオーターも同意できる。

「ふむ……」

考える必要はなかった。この距離まで近付いてしまえば、箒飾りになど頼らずともワースの位置くらいは分かる。オーターは迷うことなく洞窟へ飛び込む。そのままどの程度走っただろうか。ふと、ジメジメとした湿気を感じた。砂粒が、重い。思わず眉をひそめる。その中心に、黒い巨躯があった。拗くれた角はヤギを思わせる骸骨頭だ。しかし二足歩行の出で立ちは、まるで何かの使い魔だ。それにひとり対峙していたワースは、背後のオーターに気が付くと、鋭く舌打ちをして飛び退いた。骸骨頭の使い魔と、オーター双方が見える位置で抜け目なく構える。オーターからも襲われかねないと思われているのは激しく不服ではあるが、この状態では仕方ないだろう。骸骨頭に杖を向けたまま、横目でオーターを睨む。

「テメェ、……来るなと、申し上げたはずですが。砂の神杖様」
「関係ないと言われただけで来るなとは言われていない」
「はぁ!?」
「それに、私は了承した覚えもない」
「……チッ、屁理屈かよ」
「単純な理屈だ」

ぎり、と奥歯を噛む姿は、なんというか、友人たちを前にしたワースそのもののようだった。気を抜いて接してくれているのは素直にうれしい。

「ところでワース。……アレは、なんだ?」

見たところ、明らかに使い魔の類いである。隆々とした筋肉も、オーターの何倍もあるその身長も、溢れる魔力反応も。しかし、そうであるならば術者が居るはずだ。この洞窟に魔法生物が棲みついているらしいことは知られているが、使い魔がいるなどとは聞いていない。何かを守っているのか?

「…………」

ワースはその問いには答えず、視線を骸骨頭に戻した。そしてよく通る声で「なぁ!」と骸骨頭に向かって話しかける。

「お前と俺の再会に水を差す奴が居るよなァ!こりゃ、どうしたら良いと思う?」
「なにを、」

骸骨頭がワースの声を聞いて、大きく咆哮を上げた。わんわんと響き渡るその音に、オーターは思わず耳を自分の手で覆った。なんだこれは。瞬間、ずるりと地面が揺れる。

「……!」

ワースの声掛けも、使い魔の咆哮も、何の呪文でもなかったはずだ。魔法には杖と呪文が必要である以上、発動のタイミングは分かる。その筈だった。

(なんだこれは……!)

壁に、床にへばり付いていた泥が一斉にオーターへ襲いかかる。その動きはさながら生き物のようであった。まるで洞窟内が何かの腹の中のようだ。辛うじて口と頭は庇ったが、泥に飲み込まれる。
泥ごと、自分の身体の輪郭が揺れるのが分かった。転移魔法だ。魔法をことが出来ない。

「……!」

ぺっ、と吐き出すようにあっさりと、泥はオーターへの拘束を解いた。あの使い魔はまるでオーターに関心がないらしい。周囲を見渡せば、自分がプレゼントした箒飾りをぶら下げた箒が、泥の支えで壁に引っ付いている。

ぽっかりと口を開けていた筈の洞窟の入り口は、泥に固められ硬く閉じられていた。
 
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◆◇◆◇◆



なんてことだ!
なんてこった!
この歓びを、どのような言葉で表せれば良いのか!

久しぶりにあのこの気配を感じたと思ったら、「わたし」の棲家までわざわざやって来てくれたらしい。そういえば最近は、この程近くのあのこ自身の家にもあのこは近付いていなかった。それが何故だかは分からないけれど、ともかくあのこが遊んでくれるなら、こんなに嬉しいことはない。

「わたし」にとっては瞬きの間のような時間であるが、人間の一生は短いのだから、どんな瞬間でも惜しむべきである。

かわいいあなた、もっともっと「わたし」とあそぼう。

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カナリヤ 1
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◆◇◆◇◆




くらい、つめたい。

一面の闇の中で、ぼんやりと瞳を開けた。
しかしそれは、知覚上の誤謬であったかもしれない。なんせこのひやりひやりとした冷たさは、空気を介したものではない。泥だ。上から下までぎっちりと泥に満たされている。ほんの少しの身動ぎも出来はしない。

しかしそれは不思議と、嫌な気分ではなかった。
むしろ、愛おしかった。

「わたし」を満たす泥の底にも、他人の気配を感じることができたから。あのこの魔力は心地良い。かつて見知った魔力に向かってもがくように身体を揺する。泥に塗れた動きはひどく緩慢で、その気配は遠い。けれどもちっとも気にならなかった。

幼き日のあなた。
今度こそ一緒に遊んでくれるだろうか?

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◆◇◆◇◆



実を言えば、オーターはあの日、ちょっぴりだけいつもよりわくわくとしていた。

「無邪気な淵源」との戦いで、オーター・マドルの価値観は大きく揺さぶられた。所謂ところの臨死体験、いや実際少しばかり、本当に死んでいたと思うのだが、ともかく死に瀕してなんから新たな視点が生まれる、ということはよくある事だそうだ。自らの走馬灯を見ながら、自らが顧みてこなかったものを知った。……例えばそう、歳の離れた弟、だとか。
最も年若い同僚と同じ歳の弟は、「無邪気な淵源」との戦いの際に稽古を付けてやった子供たちと同じ学校に通っていた。弟子の顔を見る、なんていう名目があれば存外簡単に校内には入れた。弟子達を探す振りをしながら、オーターは密かに弟を探した。尤も、オーターは弟の顔を知らない。実家にいた頃は何やら小さな影があったことは覚えている。顔に走る線は2本だっただろうか?そこも自信はない。髪は自分よりは深い色だった気がする。……まったくひどい話ではあるが、オーターにはそれら身体的特徴すら朧ろであった。
無気力に生きていた、ちっとも関心を抱かなかった時代を取り戻したいと思った訳ではない。ただ、やり直すのに遅いという事はない、という言葉を信じてみたくなっただけだ。オーターらしくないことは、百も承知である。
首尾良くランス・クラウンとドット・バレットを捕まえ、近況を尋ねる傍ら、弟を呼び出させた。好都合なことに、2人とも弟との交流があったらしい。生意気なことにドットなどは「オーターさんにも弟の顔を見ておきたい、みたいな人間らしいとこあったんスね」と言われた。ランスが「兄が弟妹の心配をするのは当然だろうお前はバカか。いやバカだったな」と言って激しく掴み合いをしていたが、まぁ、何年振りかも分からない弟と顔を合わせる事に期待半分、緊張半分であったオーターには殆どその会話は入ってこなかった。……そういえばランスは「弟妹」と書いて「アンナ」と発音していなかったか?と思ったが、本当に些細な事であろう。マイペース故に殆ど緊張らしい緊張をした事もないオーターは、遂に「弟」と顔を合わせると思うと心臓が破れてしまうのではないかと感じたほどだ。そこへひょっこりと現れたのが、少しばかり毛先に癖のある青年だった。記憶していたよりもずっと上背があり、やはりと言うべきか、良かったと言うべきか、オーターよりももっとずっと深い森の奥のような髪色をしていた。サングラスに一部隠れた顔には、真っ直ぐ輪郭に伸びる2本のアザがある。見覚えがあるようなないような、本当に微妙な塩梅である。ただ、とにかくすっきりとして可愛らしい顔をしているな、とオーターは思った。これが弟だ、と思っている欲目もあったかもしれないし、「弟には慈しみの感情を以て接すべし」という書籍の言葉が頭の中にあったからかもしれない。ただとにかく、鏡で毎日見る自分の顔とはちっとも似ていないと思った。そこが可愛らしいと、じんわりと胸が熱くなった。そんな「弟」は、オーターをキョトンとした瞳で見やり、ランスとドットを順に見やり、存外幼い仕草で小首を傾げた。

「来いっていうから来たけど、……なんだ?」

鋭く、しかし柔らかな声色を聞いて、オーターの緊張は最高潮に達した。朧げに覚えている声はこんな調子ではない。ドッドッドッド、と激しく鳴る音が、指の先まで血潮を運ぶ。

「オーターさんが先輩に会いたいって。……あれ、オレら席外した方が良いんスかね」
「いや……?」
「単細胞にしては気が利いてるじゃないか。兄は弟妹アンナとゆっくり語らいたいものだ」
「ア?誰が単細胞だって?お?」

オーターの瞳にはメンチを切る弟子の姿は入っていなかった。なんせ、未だに弟は事態を受け止めかねるように首を傾げていたものだから。軽く眉を顰めた弟は、言葉に迷うように唇を湿らせる。その緊張した動きはやはりどこか可愛らしくオーターには映った。これが庇護欲というものか。密かにオーターは感じ入った。真っ直ぐにオーターを見つめるその瞳を、その唇が紡ぐ言葉を、焦ったく思いながらとにかく待った。待つ時間すら愛おしかった。しかし、待ち望んだ言葉は、まったく思いもよらないものだった。

「待ってくれ。オレはもう神覚者様の弟じゃねェ」
「はい……?」

オーターを見る瞳には、なんの感情も浮かんではいなかった。胸に手を当て、静かにこうべを垂れる。その動きは、なるほど洗練されていた。

「つい先日付でマドル家から除籍されました。……神覚者様、私は「ただのワース」。神覚者様には弟君などおりません」

わくわくと出掛けたあの日、オーターは自分がどうやって帰宅したのか覚えていない。



***



全く信じられないことであるが、親交を深めようと思ったそのタイミングで、自分には弟がいなくなったらしい。やはり人生には「遅すぎる」ことはあるようだった。

「……いや、それはおかしいのではないか?」

盛大な独り言に、魔法魔力管理局の面々は静かに震えた。厳格すぎるほど厳格に秩序とルールを守り執行する局長が、突如何かに異議を唱え始めたのだから当然である。いま手に持ってる書類は、誰が提出したやつだ?誰もオーターが、まさかいつも通りの顰めっ面に近い無表情で自分の弟のことを考えているなど思いもよらない。しかし部下達の当惑を一切解する事なく、オーターは大きなため息をついた。
除籍、除籍と言ったか。
あの父親は全く度し難い。なるほど確かに戸籍上は兄弟ではなくなったかもしれない。……が、オーターとワースの間に血縁関係があるのは動かぬ事実であろう。互いに今更「実は弟は橋の下からお母さんが拾ってきたの、」なんて与太話を信じる歳でもない。……はず、だが、血縁関係を主張するオーターに、やはり困惑気味のワースはこう言った。「もしかして、臓器とか輸血とか必要だったりしますか?」と。

フ──、と再び深いため息が漏れた。

新人が恐怖のあまりペン立てを倒し、辺りが騒然とした。しかしオーターは憂いを帯びた瞳を無意味に書類に落とす。無論、脳内では訝しげな表情の弟のおずおずとした声が再生されており、目の前の惨劇などちっとも見ていない。
物心ついた頃から殆ど交流がなかった弟と会話してみたら、臓器移植を疑われた。そんなことあって良いのか?この兄はどれだけ非道な人間だと思われているのだ?……ちなみに弟はA型らしいので、輸血可能である。他の臓器も受け取れる可能性が極めて高い。いやこの流れでは知りたくなかった個人情報だ。どういうことだ。弟はオーターをなんだと思っているのか。こんなパターンの会話を転がす術は、当然ながら書物にも書かれていない。
実際のところ、オーターにとってもワースは存在が不確定の弟だ。同じ屋根の下で生活したような気もするし、なんとなく記憶の端に引っかかるソレとは別の存在のような気もする。血のつながりに対する実感がない。弟は、どうだったのだろうか。他人行儀の言葉遣いは、どうにもオーターを拒んでいるようでもあった。彼にとってポッと出の兄など下心を疑うべき相手なのだろう。その心情は理解できたが、その対象が自分だと思えば物悲しい。
オーターは手慰みに羽根ペンをくるりと回した。どうしたら良い。過去を悔いても今更だ。頭の中には依然として、弟の幼少期の姿を結ぶことは出来ない。顔を合わせてぼんやりとした好意をこちらは抱いているが、向こうもオーターを同じ程度にしか記憶していないとすれば、完全に不審者である。というか、どうなりたいのだろうか、自分は。あの弟と。

「…………」

書籍に寄れば、「弟とは食事をしながら親しく話すもの」だそうだ。彼と楽しく話している自分を想像するのは難しいが、いつかは、そうなれるようにしたい。
まずは食事に誘えるように、せめて連絡先の交換を、と考えながら羽根ペンの先をインクに浸す。この間、無言のままの局長に一般職員たちはぶるぶると震えていた。



***



ついていない時は、何をしたってついていないというものだ。例えばそう、仕事を早めに進めて余暇を作って、「弟子の顔を見る」との名目のもと、再び弟に会ってみようとしたのに、肝心の本人が学園内にいないとか。

「インターンシップ、ですか?」

こくり、と弟の寮の寮長は無機質な瞳で頷いた。変に騒がれ好奇の視線を与えられるよりずっと楽であるが、……何か、どこか居心地が悪い。

「ちなみに、どこへ……?」
「魔法局禁書管理局です」

雷に打たれたような衝撃があった。
よりにもよって魔法局へインターンに来るのであれば、自分のところでも良くないか?というか、なぜ禁書管理局なのか。弟は主席にならないまでも成績優秀と聞いているが、禁書に関心があるとは知らなかった。一応弟がこれまで書いたレポートや研究課題の類いは、担当教諭が持っている限り全て事前に目を通したのに。ひと言でも、言ってくれれば。

……言ってくれれば、どうだろうか。

禁書管理局長の知の神杖に口利きをする、という程のことはしない気がする。それは実力でインターンを勝ち取った他の生徒にも失礼な振る舞いである。弟本人にとっても、実力以上の場所に置かれるのは辛いだろう。事によっては命の危険もある。……ただそれでも、言っては欲しかった。これまでの疎遠を棚に上げても。オーター自身、自分の心の動きがすこぶる不可思議であるが。

「砂の神杖様」
「……なんだ」

考え込んでいたオーターに、人形を抱いた青年が声を掛ける。じいっとこちらを見つめる瞳はどこか不躾で、オーターの意図を探っている気配がした。感じは悪いが嫌な気はしない。寮内で弟は3席に据えられているらしい。据えたのはもちろんこの寮長であろう。弟の実力を認め、気に掛けている同輩、ということか。

「……こちらへ来られても、ワースの連絡先はお教えすることはできません」
「…………」
「砂の神杖様は、既にワースとは何の関係もありませんので」

ピシャリ、と目の前でシャッターを下ろすような声に、オーターは目の前の青年の評価をしかねた。オーターが弟とコンタクトを取ろうとしている事を把握し、それなりに社会的地位にある自分の意向を先んじて封じにかかる。友情に厚いといえなくもないが、蛮勇といえなくもない。そして何より、ここに弟の意思はどの程度反映されているのであろうか。じいっとこちらを見つめる瞳には、何の揺らぎもない。顔を合わせた瞬間に臓器移植の依頼を疑った弟なのだ、寮長を味方に引き込んだ可能性は捨てきれなかった。そうであれば、あまりしつこくするのは悪手である。確実に弟に伝わる。
オーターは考えて、懐から名刺を取り出した。その裏に自分の直通番号を綴る。

「……では、弟にこれを。連絡はいつでも待っていると」
「…………」

じいっとオーターが差し出した名刺を見つめ続けていた青年は、一拍あってからそれを受け取った。一瞬だけ眉を顰め、しかし真っ直ぐにこちらを見て言葉を紡ぐ。

「……ワースが受け取るとも、連絡するとも約束は致しかねますが」
「構わない」

言いながら、これは弟から連絡が来ることはないな、とオーターは直感した。青年の言葉は単なる予防線だ。
弟は良い友人を持ったのだろう。きっと弟にとってこの魔法学校での生活は楽しいものであったに違いない。対して、それを覗き見するように弟の周囲をうろちょろとする自分はなんなんだろうか。珍しくオーターは肩を落とした。本当に、弟のことを何にも知らないのだ、と言うことを知らしめられて、落ち込む。
元々オーターは結構怠惰で、無気力で面倒くさがりだ。同じ屋敷で育ったはずの弟のことをちっとも憶えていないのはそのせいでもあろう。自分の人生をがらりと変えたはずだった。弟は、それ以前のオーターの耐えようもない怠惰の象徴のようで居た堪れない。彼はもう、ずっと昔に「兄」という存在を諦めてしまったのかもしれない。
ベンチに座って空を見上げ、はぁ、とオーターはため息を吐いた。突き抜けるような青空が今の自分の気持ちとまるで不釣り合いで、いっそ笑けてくる。「弟と食事をしながら親しく話をする」とは、なんとハードルの高い望みであるのか。思わずため息が出る。そうしてぼんやりとしていたオーターの前を、ゆっくりとした足取りで通り抜けようとする者がいた。特徴的な髪色は年若い同僚の姿を嫌でも思い起こさせる。そういえば同僚にも、長い間疎遠にしていた弟がいた。たしか、その名前は、

「フィン・エイムズ?」
「はい……?……ふぁいっ!?」

少年と言って良いほど小さなその人物は、同僚がこよなく愛する小動物を思わせる動きで飛び上がった。或いは、同僚があれほどくだんの小動物を愛するのは弟に似ているからかもしれなかった。自らの大きさを小さく見せようとするように腕を折りたたんで身を強張らせた少年は、自分の名前を呼ばれたにも関わらずオーターを見て、自分の周囲を見回して、またオーター見て、ぶるぶると震えた。

「えっ、……えと、……こん、にちは……?」

絞り出したような声は、この状況には不釣り合いであった。まあ不釣り合い具合で言えば、そもそも通り掛かりの学生に声を掛けたオーターこそ、この魔法学校に不釣り合いであるのだから気にするべきではない。オーターがその挨拶に頷くと、フィンはまたぶるっと震えた。

「そっ、……それじゃあ、僕は、ここで……」
「フィン・エイムズ。キミに折り入って頼み事がある」

今にも後方に飛び逃げそうな子ウサギへ被せるようにそう言うと、硬直したフィンは、再び何かを探すように周囲を見回した。

「残念だが、フィン・エイムズはキミしかいない」
「ひぇっ」

髪色は非常によく似ているのに、フィンは同僚とちっとも似てはいない。顔形も、その性格も。
その印象はオーターに強い関心を持たせた。かつては専ら同僚が弟を遠ざける形で疎遠になっていたと聞く。神覚者はそれぞれに得意分野や管轄があるが、とりわけ荒事に関わったり財物に関連する管理をしていると他人からの恨みを買いやすい。魔法具を管轄する同僚が弟を守りきれないと判断して人質としての価値を損なおうとしたのは不器用ながら分かりやすい行動ではある。同僚は、本気で弟の人生を遠巻きに眺めようとしていたのだ。それが今やどうだろう。同僚のデスクには弟の写真が飾られている。時より慌てたように同僚が帰宅するのも、弟の為だと聞く。オーターとは最初の状況そのものが違うとは分かっているが、正直だいぶ羨ましい。

「……あの、な、なんでしょう……?」
「フィン・エイムズ。最近疎遠だった兄と親しくしていると聞く」
「は、はあ……」
「そこで、キミに教えて貰いたい」

小動物のようにびくびくと肩を跳ねさせているフィンを見ながら、はたとオーターは思う。……あれ、何と言ってアドバイスを求めたらいいのだろうか?声を掛けておきながら、オーターが思考の海に沈む。無表情で黙り込んだ目の前の神覚者にフィンの身体の震えが止まらない。なんだってこんなことに。誰か知り合いの1人でも通りかかってくれないだろうか。できれば砂の神杖と面識があるマッシュとか、ランスとか、ドットとか。しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、こう言う時の望みは天に届かないものだ。半泣きのフィンに救いの手は伸びない。そうこうしている間に、言葉に迷うように顎を引いて口元を動かしたオーターが、囁くように口を開く。

「……その、どうなんだろうか。弟側として。そのような兄とは」
「えっ……と?」
「ほとんど面識のなかった兄に誘われたり付き纏われるのは、嫌ではないだろうか」
「……え?」
「……いや、待ってくれすまない、これは卑怯な聞き方だった。答えなくて良い」

下がってもいないメガネを押し上げながら、オーターは重たいため息を吐く。なんだその聞き方は。こちらは砂の神杖、フィンの兄は戦の神杖、「嫌じゃないか?」の質問には「嫌じゃないです」の回答しか出来ない。実際にフィンが兄の振る舞いを嫌がっておらずともそれでオーターがワースに許される筈もない。単に「弟」から自分を否定しないような回答を聞きたいだけではないか。自分が楽になりたいだけで、何の解決にもならない。
フィン・エイムズは零れ落ちそうなほど大きな瞳を2度、大きく瞬かせた。その瞳には、つい先ほどまで浮かんでいた怯えのような感情がすっかり消えている。その割には警戒心の強い小動物のように完全に腰の引けた様子で、オーターが腰掛けるベンチの端の方にちょこんと座った。それをちらりと横目で見ながら、オーターは注意深く口を開いた。さながらそれは、野生動物が足元にやって来た時のような緊張感であった。

「……私には、弟がいる」

ぽつりと呟けば、僅かにフィンの肩が動いた。認識されているのにホッとして、そのまま言葉を続ける。

「昔から、私は周囲の人間にちっとも関心がなく、弟の存在を思い出したのも、「無邪気な淵源」の事件で自分が死にかけたからだ」
「……それは、なんというか……」
「薄情だろう」

フィンは困ったように小首を傾げた。その動作が、あまりにも尤も過ぎてオーターは少し笑う。そう、あまりにも薄情で、自分勝手だ。顧みなかった過去を、自分が気になったタイミングでだけ構うなどとは。分かっている。けれども。

「せっかく生き残ったのだから、縁を結びたい」

口に出してから、オーターは少し驚いた。そうだ。記憶の端に残る「弟」。自分が顧みて来なかった過去。残念なことに、今でさえ、その過去の姿は非常に朧げだ。いかにオーターが「弟」に関心を寄せていなかったかが分かる。けれどもまだ何も終わっていないのだから、今からでも何とかしたい。穏やかな関係を結びたい。それが自分の望みだ。「友好的に食卓を囲む」は、望みが成就した先にある想像図であって、本質ではない。

「……砂の神杖様、は、」

おずおずと、少し震えた声は、想定していたよりも少し高かった。無意識にレインのような声を想像していた自分に苦笑する。弟といえど、全く別の人物であるのに。

「弟さんのことを、好きなものや嫌いなものを、ご存知なんでしょうか……」
「いや、まったく知らない」
「まずは、そこから知っていくのはどうでしょう……?」
「知ろうも何も、連絡先を知らない。……なんなら今さっき、弟の寮長に連絡先を渡しましたが、やんわりと、連絡が戻らなくても文句を言うな、と言われました」
「そっ……それは、なんというか……」

もごもごと子ウサギが俯く。
横目でそれを見て、可愛らしいな、と思う。
庇護欲を煽る、子供らしい姿だ。これはレインが心配するのも無理はない。その点で言えば、ワースはオーターの庇護など必要もなく、自分で全ての道を切り拓いて行ってしまうタイプだろう。それは頼もしい限りだが、同時にすこし、寂しい。

「いまインターンに出ているそうで、どうやら私の管轄外の魔法局に行っています」
「魔法局……ふわぁあ、優秀なんですね……」

いつでも逃げ出せるようにと、外向きに向いていたフィンの膝が、オーターの方に向く。大きく瞳を丸くさせた姿は、本当に感心しているらしい。……この子は大丈夫なんだろうか。けっこう簡単に誘拐されかねないが、レインは把握しているだろうか。こんな善良で良いのだろうか。自分の相談以外の点で、オーターの中に疑念が浮かぶ。密かに心配されている当のウサギは全くそれを感知することもなく、あっ、と閃いたように人差し指をすっと伸ばす。

「そういえば、魔法局の中には食堂があると聞きました。そう言うところで会えたりしないんでしょうか」
「ふむ……」

ないではない。
ないではないが、恐らく慣れないであろうインターンシップ期間に無為にちょっかいを掛けて嫌われたくはない。

「あとは、部署の方にご挨拶がてら、差し入れとか……」
「なるほど」

それを、これだけ無縁な兄からされて、嬉しいのだろうか。甚だ疑問だ。疑問であるが、一生懸命な子ウサギを腐すほどオーターの情緒も死んではいない。それに、案外悪い考えではない気がした。オーターが禁書管理局に行く用事は全くないが、ないならば作ってしまえば良いのだから。

「イーストン学校で魔法局のインターンに行っているひとってことは、すごく優秀ですもんね……あ、どこの寮生なんですか?僕そういえば砂の神杖様の弟の方って知らなくて……」

キラキラとした蜂蜜色の瞳は、単純な好奇心に溢れていた。その瞳の中に、ありし日の弟の姿を探すのはきっと無益なことだろう。フィンはフィンで、ワースはワースだ。けれど年少者を素直に「可愛らしい」と思う感性が自分の中にあったことに、オーターは少し安心した。

「レアン寮だ。名前を、ワース・マドルという」
「わーす、まどる……」

なので、子ウサギが「ひょえ、」と悲鳴を上げて崩れ落ちたのは、不可抗力である、というのは剣の神杖に強く申し入れておきたい、と後にオーターは語ったという。



***



フィン・エイムズの助言は有益であった、というべきであった。というか、言われるまでインターン先に挨拶、という簡単に思い付きそうな手を想像だにしなかったオーターが抜けていた、と言うべきであるかもしれない。しかしながら、それなりの人数分の菓子折りを片手に砂の神杖が、滅多に姿を現すことのない禁書管理局に現れたという珍事は、魔法局内での話題を掻っ攫うには充分すぎるものであった。オーターとしては、若干引き攣った顔ではあるものの目的の弟の姿を見られたのは満足のいく結果であったし、インターン先の司書たちはワースの実習様子を我先にと話してくれた。もちろん若干の阿りを感じないではなかったが、一生懸命努力するワースの様子が感じられたのは僥倖である。

「……まぁ、貴方の言い分は分かりますけどね」

……で、あるので、知の神杖ことソフィナ・ブリビアに呼び出され説教をされている現状は甚だ遺憾であった。

「ならば、何も問題はないだろう」
「弟くんの顔を見に行くことも、インターン先に挨拶に行くことも全く問題はありません。もちろん事前に教えておいて欲しかったですが。貴方は神覚者の中でも殊に目立つことをそろそろ自覚なさい」
「…………」
「それよりも、魔法魔力管理局へワース・ウォーカーくんの引き抜きを図ったんですって?」

オーターはむっつりと黙り込んだ。そもそも、なんだその「ウォーカー」とは。いや知っている。レアン寮の寮長の名前であることも、彼がワースの後見として立って、後ろ盾になっていることも。……そうなると、レアン寮前で「ワースと貴方は関わりがない」と言ったあのひと言には何か別種の意味が付与された気がするが、どう転んでも腹立たしい内容にしかならないので、この際一旦無視しておく。
突然の神覚者の登場に騒然とした禁書管理局は、聞きもしないのに提出された書類に基づくワースの現状をピーチクパーチクとオーターに囀った。インターンシップ参加者に義務付けられている希望局用紙をワースが早々に出したことも、そこには「禁書管理局」としか書かれていなかったことも。
魔法魔力管理局の局長といえど、オーターはあまり人事に関心がない。故に知らなかったが、インターンシップ参加者に対してならば、局長権限で実際の就職試験前に自分の局へ学生を引き抜けるという。通常は学生の希望局の局長が行うものであろうが、局名が挙げられていない局長であっても行使できる、ということも。「弟さんも引き抜けますよ、」と言われたら、普通その書類を回してみるだろう。そんな心情がありありの感じられる太々しい態度のオーターを見て、ソフィナは大きなため息をついた。

「ご存知とは思いますけど、ワースくんは禁書管理局しか希望していません。この意味が分かりますか」

そういうタイプの学生は、ままいる。
「魔法局に就職する」よりも「希望の職種がある」タイプである。人材管理局などは度々頭を悩ませているが、この手のタイプは希望職種を得られなかったらあっさり職を捨てる。なんなら起業までする。
ソフィナも記録を見る限り、ワース・マドルがそれほどまでに禁書管理局にこだわる理由はわからない。司書資格を取ったのも比較的最近である。強いていてば……あの、「無邪気な淵源」の一連の事件以降だろうか。イーストン魔法学校に通っているだけのことはあり、それなりに優秀である彼が論文テーマとして「禁書」を選ぶようになったのは。ただ、それは取り立てて不自然ではなかった。「無邪気な淵源」の事件は、あらゆる人間や物へ名状し難い影響を与えた。オーターが躍起になって「弟」との接点を持ちたがるのもその変化のうちのひとつだ。ワース・マドルは「無邪気な淵源」と関わりを持ってしまった学生のうちの1人であるが、それは築き上げてきた学生としての彼の評価も、事件以後に取り組んだ魔法書に関する洞察も、なんら損なうものではない。名門校に通う学生としての脇の甘さは既に学校が罰を下した。その罰分を差し引いても、ワース・マドル、改めワース・ウォーカーは非常に優秀であったし、インターンシップへの取り組みは勤勉であった。

「彼は、良い学生です。オーター、貴方がこれほど道理に合わないことをするならば、私がワースくんの引き抜きを行います」

実際、泥魔法を操るワースは、自身の泥人形を使って配架を行うなど、万年人手不足の禁書管理局としてはかなり有益な人材であった。本人ほどの精度はないものの、一線魔導師と思えばかなり魔法を使えるレベルの泥人形を最低5体出せるのだから、オーターのちょっかいがなくとも禁書管理局で囲い込みたい人材である。

「…………」

ソフィナならばそう言うだろう、と分かっていたので人材管理局に直接書類を回したのに。事前に言おうが言うまいが、ソフィナから見れば貴重な人材への不当なヘッドハンティングに見えるだろう。まぁ、否定はしない。
無表情のオーターから何を読み取ったのか、ソフィナは、ふぅと大きなため息をついた。

「こんな強引な手ばかり使っていては、良くないですよオーター。私に黙って話を通そうとしたくらいですから、ワースくんにも何も言っていないのでしょう?」
「…………」
「まったく。貴方の個人的な問題に口出しするつもりはありませんけどね、ちゃんと弟くんと話し合うのをおすすめしますよ」

私からは以上です、という涼やかな声を聞きつつ、オーターは肩を落としてソフィナの執務室を後にした。……もっとも、オーターが若干しょげている、と言う事実に気がつく人間は、廊下をすれ違う職員の中には全くいなかったのだが。いつもの無表情はいつもより更に強張り、まるで不機嫌そうに見える。誰も機嫌が悪そうな規律の鬼と呼ばれる神覚者に目を付けられたい者などいない。そそくさと小走りで逃げる職員たちの中を、ひとりゆったりとした足取りでオーターに近付く影があった。

「オーター?……珍しいですね、禁書管理局に来ているとは」
「……カルド」
「ソフィナに叱られました?」

にっこにっこと擬音語が付きそうな表情であった。若干の腹立たしさはあるものの、オーターは黙り込んだ。ソフィナにワースの件を伝えたのは間違いなくこのカルドであろう。
顎に手を当てて微笑む人材管理局局長は、「まったくねぇ、」と言葉を続ける。

「そんなに簡単に、人材を損なう不和を起こさないで下さいよ?」
「…………」
「いやぁ、オーターも歳下だったんだなと実感できて僕は嬉しいです」

どう言う意味だ、と食ってかかりたかったが、眉を顰めるだけで留めた。どうせ、良い意味ではない。
いつものように顎に手をやって、カルドは呆れたように「まったくねぇ、」とため息混じりに言った。

「もう少し、距離の詰め方に段階を踏んだらどうです?」
「段階……?」

踏めるような段階があるなら実践するが、今のところ最初の段差さえ見つけられないような状況だが。我ながら険しい視線を向けてしまったと思う。けれど歳上の同僚は肩をすくめて、「これ、なーんだ?」と一通の招待状を差し出した。曰く「イーストン魔法学校卒業式」である。

「いつもならこの手の来賓はライオに任せるんですけどね、顔を出して来たらどうです?これなら貴方がいてもおかしくないし、卒業祝いの品だって贈れる。……どうです?」
「…………」

どうもこうも、カルドが持って来ている時点で決定事項だ。それにしても、卒業祝いの品。全く考えていなかった。オーターに雷に打たれたような衝撃が走る。……いや、考えてみればいかにも「年長者らしい」行動であるのだが。

「定番は、通勤用の箒につける飾りですかねぇ。事故防止用の防御魔法とかが付いているものとか」
「……なるほど」

物凄く、気を使われている気がする。名門の家柄だからか、本人の資質からか、相変わらずの気遣いだが、今回ばかりは本当にありがたい。そうでなければまたオーターは、何をプレゼントしたら良いのかと右往左往しただろう。食えない笑みを浮かべたままのカルドに、オーターは僅かに頷く。

「これでソフィナをあまり刺激しないように。……あ、そうそう、ところで、……キミの家って、子供の魔力を伸ばすために何か特別な訓練をしているんですか?」

今まさに思い付いた、と言わんばかりの白々しい顔で、カルドはオーターの顔を覗き込んだ。いつも通り薄らと笑みを浮かべた瞳の奥は、ちっとも笑っていない。オーターは眉を顰めた。
たとえば魔法を扱う資質ゼロの痣が0本であるならともかく、一般的に訓練次第で魔法の能力は上がっていくものだ。勿論生まれつきの痣の本数は絶大で、熟練の1本線では扱えないような魔法も、幼児の2本線であれば扱えたりなどもする。所謂、才能の差というやつである。しかしそれも適切な訓練を積まなければ上達しない。たとえば生ける伝説として扱われるイーストン魔法学校のウォールバーグは、元々1本線だ。これだけで日頃の研鑽の重要性を語るには充分である。故に、ある程度の家柄であれば「英才教育」と呼ばれるような、ひと通りの子どもの才能を伸ばす訓練を行なっているはずだ。マドル家も無論である。恐らく、オーターも受けたのだろう……と思う。日々与えられた課題がそうであると言われれば、納得はいく。ただ、オーターはマドル家の人生しか知らないから、他家がどのような教育方針を取っているのかは知らない。きっとワースも受けただろう。しかしこれは門外不出の教授であろうし、不躾に訊かれるべきことでもない。
カルドは両手のひらをこちらへ見せるように振った。敵意はない、ということを示したいのだろうが、ならば不用意なことを聞くなと言いたい。オーターの不快感を示す瞳を分かっていながら、カルドはへらりと続けた。

「いえ、このインターンに際して学生たちの面談をしておりましてね。オーター、キミの弟くんの魔力反応が少々気掛かりでして」
「どういうことです」
「彼本人のものと思われる魔力と、……彼のものではないのではないかな、と思われる魔力とが複雑に絡み合っているんです。何か持病があって魔法薬を飲んでいるとか、そういうことはないそうで」

何か心当たりありますか、と尋ねられて、オーターは思案する。イーストン魔法学校で顔を合わせた時も、インターン中の姿を見に行った時も、ワースに違和感を覚えなかった。とはいえオーターは幼少期のワースを覚えてはいないので、どのワースの状態が問題ないかが分からない。

「……そういえば、「無邪気な淵源」事件の時に魔力増強の魔法薬を飲んだと聞く」
「私もそれは考えました。……一応もう治療は完了しているらしくて、後遺症はないそうです」

まぁ、オーターが違和感を持たないなら問題ないですね、とカルドは安請け合いをする。言わんとすることは分かるが、過度な信頼を寄せられても困る。思わず顔を顰めたが、カルドはどこ吹く風と、「良いですか、段階的に、ですよ」とだけ言い残して去って行った。
ワースの顔を思い浮かべる。いつ会っても、こちらの動きを伺うような、探るような瞳で引き攣った愛想笑いを浮かべている。それはとりもなおさず、警戒心、という奴であろう。

「他人の魔力、か……」

あの様子では何かあっても相談などしてはくれないだろう。カルドの話を覚えておくことを胸に決め、箒飾りのカタログを取り寄せる為に、部下へ声を掛けた。



***



「げっ……」

堅苦しい式典が終わり、別れを惜しむ学生や卒業を喜ぶ父兄を尻目に、ひと言小さく声を漏らしたワースは、すっとアベル・ウォーカーの影に隠れた。すこぶる面白くない。面白くないが、弟が咄嗟の時に頼れるほど良い友人を持った、と好意的に捉えておくことにする。書物にも思春期には年長者に反発するという。ワースの年齢では思春期と呼ぶには少々遅過ぎるものの、個人差というやつだろう。ひとつ、オーターは頷いた。

「卒業おめでとう、ワース」

アベルとシュエンと、アビスの視線がワースに集まる。居心地悪そうにワースは身動ぎした。式典では来賓として祝辞を述べたが、正直に言おう、オーターは今の方がよっぽど緊張している。

「……そこで、卒業祝いの品を準備してきた」

カタログを前にうんうんと悩み、そう言えばと連絡先を交換したフィンに相談をし、得意のDYIで自分もレイン宛に箒飾りを作ると言った彼に教えを乞いながら作った一品だ。フィンほど手先は器用ではないから、だいぶ市販品を使った。やんややんやとちょっかいをかけて来るドットは砂で縛り上げたし、何故か一緒に妹宛として箒飾り作りに参加して来るランスとその横でスクワットしているマッシュはすこぶる謎であったが、重要なのはそれなりに見れるものが作れた、ということである。
落下防止用の水平保持の補助魔法、落下した際に自動で発動する防御魔法、それが発動した際に怪我をしないようにする衝撃吸収魔法、万が一魔法攻撃を受けた際の迎撃魔法・盾魔法、……迷子防止用に仕込んだ位置情報魔法。
特に位置情報に関する魔法は年齢的にも個人情報的にもワース本人に嫌がられそうであるので、何重にも隠匿魔法を掛けた。ランスなどは「兄が弟妹アンナの動向を把握しておこうとするのは当然だ」と嘯いていたが、フィンの顔色からして、それが尋常でない事は分かる。……ただまぁ、オーターは兄の立場であるので、ランスの言い分も分かる。ということで、本人には伝えないことにする。……ところで、ランスが「弟妹」と書いて「アンナ」と言ったような気がするのは、オーターの気のせいだろうか?

「……ワース」
「…ちっ」

アベルが短くワースの名前を呼ぶ。
戸籍上、アベル・ウォーカーはワースの養父だ。……いや、同じ歳のくせに「養父」とは一体なにごとかと思うが、そうなってしまっているのだから仕方がない。オーターとしては甚だ納得が行くものではないが、そこは辛抱する。いや、並べ立てようと思えば文句や非難等いくらでも思いつくが、現実がこうなってしまっている以上、オーターの立場からケチを付けられない。なんとも腹立たしいことに、手続き上の瑕疵はないのだから。全く以て、度しがたいけれども。そんな如何ともしがたい感情のままアベルを見、その後ろのワースを見ると、眉をひそめたワースがのっそりと顔を出した。

「……砂の神杖様におかれましては、ご機嫌麗しく。私めのような矮小な者のためにこのような結構なお品までご用意頂き、甚だ恐縮ではございますが、なにぶん、神覚者様に品物を頂くほどの価値がない身の上でありまして、この程はご辞退を、」
「……ワース」
「……はぁ。しっかたねぇな」

物凄く丁重に断られかけたのは分かるのだが、それはそれとしてオーターは感動していた。今日の弟、物凄くよく喋る。これまでに邂逅したどの瞬間よりも多弁ではないか。こんなに喋れる子だったのか、とオーターは震えた。もちろん歓喜で。大変不本意ではあるが、カルドには感謝したい。友人の前では素のワースが見られるのだろう。初めてイーストン魔法学校で顔を合わせて数ヶ月、顔を忘れられないようにとちょくちょく禁書管理局へ行ったり魔法学校に来てみたりとしていたが、未だに警戒されているオーターには不可能なものだ。

「……じゃぁ、ありがたく」

ワースの両手に乗ったプレゼントボックスを見て、ホッとオーターは胸を撫で下ろす。やはり自分が思っていたよりも緊張していたらしい。開く気配がないから、使う気はないのだろう。そこにはワースなりの配慮があるだろうから、さすがにそれ以上求めるのは気が引けた。もっとも、その「配慮」は送り主であるオーターに向けられたものではなく、戸籍上の養父で友人たるアベルに向けられたものであろうが。

「それ、オーターさんがめちゃくちゃ頑張って作ってたんスよ、ワース先輩」
「確かに。随分と色の組み合わせや掛ける補助魔法に時間を掛けて悩んでいた。弟妹アンナを思う兄であれば仕方あるまい」

自分のところの挨拶回りは終わったのだろう、ドットとランスがひょいと会話に入り込んできた。……いま、「弟妹」と書いて「アンナ」と言った気がするが、気のせいだろうか。弟子が狂った音魔法の使い手であるとは、あまり考えたくないのだが……。
ドットとランスの後ろにはフィンとマッシュとレモンもいる。少し離れたところにレインとその友人らしき影も。ワースは眉をひそめた。

「お前らな、」
「……ワース」
「……っち、分かってるっつーの、アベル!」

魔眼がギロリとワースを睨み、まったく、と言うようにため息をついた。彼とアベルとワースの間には、何か理解できるものがあるようだった。正直に言って、オーターにはその機微が全く分からない。ふと視界に入ったシュエンを見れば、オーターの困惑を理解しているのだろう、ただ肩をすくめて見せるだけだった。
なんとも言えない奇妙な疎外感であった。
けれどこれを、くやしく感じる自分の方こそ間違っている、というのは、さすがのオーターでも理解できた。そう、この気持ちに名前を付けるのであれば、きっと「くやしい」が最もふさわしかった。自分はワースのことなどちっとも理解できない。なんなら言葉遣いも、随分とよそよそしい。訳知り顔の彼の友人たちが、彼の心の凹凸にぴったりとフィットしている、そういう情景を見せられるのが、なんと言えばいいのか、……どうにも堪らない。
オーターの葛藤をよそに、ワースはしゅるりとリボンを解いた。アレも、フィンに勧められるまま選んだ装飾だ。フィンは箱そのものも自分で作っていたが、オーターはさすがに市販のギフトセットを使用した。ワースの喜ぶ色は何か、もしそのままリボンを取っておくタイプだったら手元に残っても良いものが良い、と散々こねくり回して考えたものだが、くるくるとリボンを巻き取ったワースはそれをローブのポケットに入れた。あぁ、取っておきたいタイプだったか。その動作ひとつひとつに、オーターは安心した。箱の中の箒飾りをひょいと摘まみ上げて、陽に翳す。ワースに似合うようにと選んだそれは、キラキラと誇らしげに輝いていた。

「……なるほど」

サングラスの奥の瞳は、付与された魔法を読み解いているのだろう。忙しなく瞳が左右に揺れる。分析に気を取られて感情が抜け落ちていくその顔に、シュエンが笑いをこぼした。

「良かったじゃない、ワース。結構いい品だよ?」
「それは……まぁ、その、」

口籠もったワースが、ようやくと言うべきか、まっすぐにオーターを見た。サングラスではっきりとはしないその瞳は、それでも柔らかな感情でオーターを知覚していた。いつも迷惑そうだったり警戒されるのに慣れているオーターにとって、心を揺らすには十分すぎる光であった。

「ありがとう、ございます。使わせて頂きます」
「……えぇ」

サングラス越しではない瞳が見たい、とオーターは思った。きっとそれは、幼少期であれば何のわだかまりもなく見ることが出来ただろう。……けれどあの頃、オーターはそんな瞳にはちっとも価値を見出していなかった。今更になって彼の中に価値を見出すのは、随分と虫の良い話だろう。

「改めて、卒業おめでとうワース。今後の貴方の活躍に期待しています」

オーターは、今日、自分にちょっとだけがっかりとした。きっと今後も、何度も感じる諦念、なのであろうけれども。

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***



新年度を迎え、オーターの魔力管理局にも新人が入ってきた。
何にせよ、切り替わりの時期は忙しない。その為、ワースの顔を見る機会は食堂で見かけるか、その帰りに廊下ですれ違うか程度であったが、会釈をして貰える程度の仲にはなった。オーターとしてはうれしい限りである。卒業祝いに渡した箒飾りもきちんと使ってくれているらしく、毎日独身寮から禁書管理局まで行く魔力が感じられた。元気そうでなによりだ。そんな調子で数ヶ月を過ごし、長期休暇期間、いわゆるホリデーが近付いてくると、局内も浮き足立って感じた。
ワースはこの休暇をどう過ごすのだろうか。
大方、アベル・ウォーカーの領地に行くのだろうとは思われるのだが。

「…………」

やはり若干、面白くない。
ただそれで、駄々を捏ねるほど子供でもない。アベル・ウォーカーの領地には学生時代からの副官としてアビスもいるらしい。そちらもワースと同じ寮室の友人である。彼が行かない理由がない。残念だが、休み期間中はあの後ろ姿も見られないだろう。

……とまぁ、そんなことで逡巡していたのはほんの数日前の話であった。

オーターは、実家の領地に来ていた。もちろん呑気に帰省しようというのではない。というか、オーターは出奔して以来実家に帰ってはいないし、神覚者になってからは手紙のひとつも出していない。ほぼ、幼少期の記憶のみが残る家である。

異変を感じたのはホリデー初日であった。

ワースの箒がアベルの領地ではない方面に向かって行ったのである。直線距離としては、実家に近い。驚いて箒の詳細を探ると、明らかに実家方面を目指していた。オーターの実家との没交渉は筋金入りだから、ワースがマドル家から追い出されたことも知らなかった。勿論ワースが来るなんてことも聞かされていない。既にマドル家の人間ではないのに目指す先が実家とは。両親に呼び出されているのではないか、そして勘当された時のように彼に何らかの不利益があるのではないか。そう考えると居ても立ってもいられず、オーターも超高速で箒をかっ飛ばして来た、という訳である。奇妙なことに、ワースはマドル家の屋敷から少し離れた寂れた街に宿を取った。自然が多くあると言えば聞こえがいいが、鬱蒼とした森と、思い出したようにぽつぽつと点在する洞窟ばかりの地域である。洞窟の中には魔力反応が複数あり、恐らく何らかの魔法生物が住み着いているか魔法道具があると推察されてはいるが、とにかく洞窟が多過ぎて一切調査の手が入っていない。大昔には子供が奥まで入り過ぎて「神隠し」のような状況になったそうだが、地域の人間は中に「なにか」が居るのは重々承知しているから、この半世紀ほどはそのような行方不明者事件も起こっていない。そういう土地である。
普通に考えれば、両親に呼び出されたにも関わらず実家に泊めないと言われたワースが家から充分に離れた場所に宿を求めたのだろう。うちの両親は、そういう事をする。力を示し、気位の高さを誇示する。そういう、貴族らしい家だから。
意識を集中させると、すぐにワースがいる地点が鮮明に浮かんだ。オーターはただゆるゆるとそちらへ向かえばよかった。

「…………げっ」

折しも、卒業式後に言われたのと全く同じ言葉をワースは吐き付けた。いつもよりも、若干顔が引き攣っている。……あの両親にこれから会うと思うとそうなるのも仕方がない。

「奇遇ですね、ワース」
「……いやまぁ、奇遇っつーか……なんでこんなところに砂の神杖様がいらっしゃるので?」
「帰省です」
「きせい……」
「帰省です。」

なるほど、領地内にいれば「帰省」なんていう荒唐無稽な言い訳で押し通すことが出来る。これは良いことに気が付いた。オーターは密かに嘆息した。もっとも、このような手はそう何度も使えるものではないだろうが。

「お前はどうしてこのような所に来たのですか。……もしも両親に何か言われているようであれば、力になりますが」
「……!」

ワースは大きな瞳を更に大きく見開いた。率直に、こぼれ落ちてしまうのではないかとオーターは心配になったが、そのようなことは現実では起こらなかった。サングラスの奥で感情の読みにくい瞳が揺れている。

言い方が、悪かっただろうか。
勘当されたことも、本人の口から言われないと気が付かないような自分が、今更何を、と思われただろうか。

柄でもなく、オーターの心臓はドキドキと嫌な鼓動を伝える。どんな戦場も怖くないのに、ワースの前に立つのだけは、こんなにも恐ろしい。
静かに、ただ答えを待った。じっと見つめているのに圧を感じたのだろうか、ワースは後頭部を掻き、ため息交じりに肩を落とした。

「……本当にただ、調べたいことがあっただけで、別にマドル家とは関係ないし両親から呼ばれてもいません」

声色は、オーターが知っているいつの時よりもずっと柔らかく優しかった。

「子供の頃、本当によくこの辺には遊びに来てたんだ。だから、その、」
「なるほど」

思い出の地、という訳か。そこに浸るのにたまたまオーターが居合わせたという事か。なるほど、なるほど……。
オーターはさほど信じてもいない神に感謝した。

「では、その調べ物とやらを手伝いましょう」
「……はぁ!?」
「折角こうして会ったのも何かの縁でしょうし……」

実際には、ワースの箒についている箒飾りの導きであるが、そんなことはもちろん言わない。

「私は、お前とできれば仲良くなりたい。幼少のお前が遊んだこの地に関心もありますし、なによりその砕けた喋り方は、気を許されているようでうれしい」
「…………」
「この休暇を、なるべくお前と過ごしたいのです」

オーターにしては珍しく直截な言い方である。カルドの言う通り、または書物の言う通り、段階を踏もうとしてきた中ではだいぶ突出している気もする。ただ、これを逃せば二人で会える機会などそうそうない。相手は、血の繋がりはあるとは言え、局も違えば戸籍も違う相手だ。こちらが機会を作らない限り、すれ違うことさえない、ということはこの数ヶ月の間で嫌というほど知った。オーターにはワースと仲良くなりたい理由があるが、ワースにはないのだ。それを「仕方がない」と諦め続けるのはもう嫌である。

ワースは、形の良い眉をきゅっと寄せて、少し考え込んでいる様子だった。迷うように口籠もり、しかしゆっくりと声を発する。

「……分かった。けど、荷物を取りに行きたいから宿に一回戻らせて欲しい」
「ついて行きますよ」
「いや、ここで待っていてくれ。すぐに戻る」

踵を返して走り出すその後ろ姿に、オーターは感慨深いものを感じた。まだ胸がドキドキと鳴っている。弟とお出かけ…。こう言うと、ひどく偉業を成したような響きさえ合った。ただ、待つこと数分で戻ってきたワースの顔を見て、何度も瞬きを繰り返す羽目にはなったが。

「…………なるほど」
「待たせたな」

コートも箒も持っていないその姿は非常に軽装であった。もしかして自分は彼に相当に気を遣われているのではないか、とチラリと思う。弟と仲良くしようと心に決めて以来、思いも寄らない様々な人物から、好意的な気遣いを受けていると感じてきたが、こんな風に向けられるとは考えてもみなかった。

「とりあえず、あっちに沢があって、昔はよく遊んでて、そこの石が……」

慣れた様子で隣を歩く姿を見上げる。知らないうちにオーターよりも大きくなった弟の姿は、それだけオーターが弟を見てこなかった証に思えた。

「この後、裏山に生えている薬草と、そこに生息する魔法鳥の尾羽を探す。それで今作っている魔法薬が完成するから」
「……なるほど」

その言葉は、これまでのワースの努力を示しているように思えてならなかった。歩きながらゆるゆるとその魔法薬の効果と、この産地でなければならなかった理由を説明してくれる横顔を見つつ、オーターは感嘆のため息をついた。同級生には最年少の神覚者、神覚者の枠に収まらない天才が集まり、粒ぞろいの学年だった。ワースもその「粒」のうちの1つであったのは間違いないが、寮長を務めるような大きな「粒」の前では小粒であったろう。兄が神覚者であるから、マドル家からの重圧も強かったに違いない。事実として、ワースは主席にはなれなかった。結果だけを見れば、それだけだ。けれど、遠くに聞くワースの就労態度も、そしていま話してくれる魔法薬の説明も、ワースが積み上げてきた努力の結果に他ならない。魔法制御も、その胆力も。

「それで、洞窟には何があるんだ?」
「洞窟?……そんなところには行かねぇけど」
「泥人形お前は、だろう。ワース本人について聞いている」
「……は?」

弟の努力に胸打たれながらも、オーターは努めて平静の声で話した。でなければもう、ワースを褒めちぎってやりたいところであった。……いや、きっとこの泥人形の動向くらいは掴んでいるはずだから、頭のひとつでも撫でれば伝わっただろうか。驚愕に歪み、大きく瞳を開く弟の似姿に、そんなことを思う。こちらを睨み付けるその表情も、実に愛らしい。目の前の泥人形は、ちっ、と鋭く舌打ちした。

「……どこで気が付いた。テメェは俺のことなんか何も知らないはずだろう」

神覚者には、それぞれ魔法局でひとつの局の局長の席が与えられる。

それは、神覚者本人の特性であったり、固有魔法の性質を考えて選ばれる席である。例えば自身も高名な研究者であるツララ・ヘイルストーンは魔法研究管理局局長を、剣という形で道具を生み出す固有魔法を持つレイン・エイムズは魔法道具管理局局長を務める、というように。

では、神覚者の中でも武闘派であるはずのオーター・マドルはなぜ魔法魔力管理局局長であるのか。

それは、砂魔法というものが、魔力探知に秀でているからである。砂はそもそも、僅かな振動にさえ反応して、固有の文様を描き出す。魔力はある種の波動のようなものだ。個々の魔力を判別するのに、これ以上に適した固有魔法はない。それに加えて砂のひと粒ひと粒を操る精密な魔法操作はビーコンのように相手の位置を掴むことも出来る。どれほど身軽な人間であっても、細かな粒子のからは逃れられない。
本物のワースの手元には、まだオーターが渡した箒飾りがある。移動速度からして宿で泥人形を作りオーターと泥人形が合流する前に箒で飛んだ。泥人形がオーターを誘導していたのは、本物のワースがいる方角とは真逆である。咄嗟に追い付かれにくいように考えたのだろう。その割には沢の石といい、裏山の薬草や鳥の尾羽といい、その方角に向かう理由がきちんとしている。なんと賢いのだろう。偉い。……もちろん、バレてしまっては意味がないのだけれども。

「良い泥人形だ。精度も高い。……けれど、相手を侮らないようにしなさい」
「……」

そうと分かっていれば、目の前の人間の内部が魔力で押し固められた泥であると見抜くのは容易い。むっつりと泥人形は黙り込んだ。不服そうではある。なんだかその顔もかわいく見えてしまうのは欲目と言う奴だろうか。

「……これは俺の問題だ。マドル家は関係ないし、当然、テメェに助けて欲しい訳でもねぇ」
「…………」
「俺に関わるな」

それだけ言うと、ワースの身体がドロリと溶ける。崩れ落ちた後は、ただの泥である。もう、こちらへ話しかけてくることもない。若干さみしい。

「フ────」

かわいらしい反抗期、と受け止めることはできるが、このままで放置できるとなぜ思うのだろうか。
オーターは肩をすくめ、ひと言呪文を唱える。

「サンズ」

統制が取れた無数の砂は、オーターの身体を包み込み、砂嵐が去った後には何も残らなかった。



***



オーターの箒飾りが付いたワースの箒は、洞窟の入り口に立てかけるように泥で固定されていた。その奥には、ワースの魔力反応と、知っているような知らないような魔力反応がある。恐らく洞窟に棲み着く魔法生物だろう。ワースがそうそうやられることはないとは思うが、「兄とは弟妹を守るものだ」とはランスの言である。……彼の発音が、なんだったか若干混乱するところではあるが、これにはオーターも同意できる。

「ふむ……」

考える必要はなかった。この距離まで近付いてしまえば、箒飾りになど頼らずともワースの位置くらいは分かる。オーターは迷うことなく洞窟へ飛び込む。そのままどの程度走っただろうか。ふと、ジメジメとした湿気を感じた。砂粒が、重い。思わず眉をひそめる。その中心に、黒い巨躯があった。拗くれた角はヤギを思わせる骸骨頭だ。しかし二足歩行の出で立ちは、まるで何かの使い魔だ。それにひとり対峙していたワースは、背後のオーターに気が付くと、鋭く舌打ちをして飛び退いた。骸骨頭の使い魔と、オーター双方が見える位置で抜け目なく構える。オーターからも襲われかねないと思われているのは激しく不服ではあるが、この状態では仕方ないだろう。骸骨頭に杖を向けたまま、横目でオーターを睨む。

「テメェ、……来るなと、申し上げたはずですが。砂の神杖様」
「関係ないと言われただけで来るなとは言われていない」
「はぁ!?」
「それに、私は了承した覚えもない」
「……チッ、屁理屈かよ」
「単純な理屈だ」

ぎり、と奥歯を噛む姿は、なんというか、友人たちを前にしたワースそのもののようだった。気を抜いて接してくれているのは素直にうれしい。

「ところでワース。……アレは、なんだ?」

見たところ、明らかに使い魔の類いである。隆々とした筋肉も、オーターの何倍もあるその身長も、溢れる魔力反応も。しかし、そうであるならば術者が居るはずだ。この洞窟に魔法生物が棲みついているらしいことは知られているが、使い魔がいるなどとは聞いていない。何かを守っているのか?

「…………」

ワースはその問いには答えず、視線を骸骨頭に戻した。そしてよく通る声で「なぁ!」と骸骨頭に向かって話しかける。

「お前と俺の再会に水を差す奴が居るよなァ!こりゃ、どうしたら良いと思う?」
「なにを、」

骸骨頭がワースの声を聞いて、大きく咆哮を上げた。わんわんと響き渡るその音に、オーターは思わず耳を自分の手で覆った。なんだこれは。瞬間、ずるりと地面が揺れる。

「……!」

ワースの声掛けも、使い魔の咆哮も、何の呪文でもなかったはずだ。魔法には杖と呪文が必要である以上、発動のタイミングは分かる。その筈だった。

(なんだこれは……!)

壁に、床にへばり付いていた泥が一斉にオーターへ襲いかかる。その動きはさながら生き物のようであった。まるで洞窟内が何かの腹の中のようだ。辛うじて口と頭は庇ったが、泥に飲み込まれる。
泥ごと、自分の身体の輪郭が揺れるのが分かった。転移魔法だ。魔法をことが出来ない。

「……!」

ぺっ、と吐き出すようにあっさりと、泥はオーターへの拘束を解いた。あの使い魔はまるでオーターに関心がないらしい。周囲を見渡せば、自分がプレゼントした箒飾りをぶら下げた箒が、泥の支えで壁に引っ付いている。

ぽっかりと口を開けていた筈の洞窟の入り口は、泥に固められ硬く閉じられていた。
 
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◆◇◆◇◆



なんてことだ!
なんてこった!
この歓びを、どのような言葉で表せれば良いのか!

久しぶりにあのこの気配を感じたと思ったら、「わたし」の棲家までわざわざやって来てくれたらしい。そういえば最近は、この程近くのあのこ自身の家にもあのこは近付いていなかった。それが何故だかは分からないけれど、ともかくあのこが遊んでくれるなら、こんなに嬉しいことはない。

「わたし」にとっては瞬きの間のような時間であるが、人間の一生は短いのだから、どんな瞬間でも惜しむべきである。

かわいいあなた、もっともっと「わたし」とあそぼう。

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