高原 風音

ふんわりいちゃ甘な創作BL小説をメインで活動しています!
基本的にはハピエン厨というより、ハッピーに始まりハッピーに進んでハッピーに終わる、一言で言うと“始終ハッピー主義”。
主にPixivで作品を発表しており、こちらには順次再掲を行っております。現在執筆中のシリーズは3人組のゆるふわいちゃあまラブ『僕+君→Waltz!』(R-18あり)。完結済みのシリーズには、自由奔放な少年がハッピーエンドを迎えるまでのお話『初恋みたいなキスをして』(R-18)があります。
そのほか、ちまちまと短編BLを書いたりしています。
また、ここでは紹介しませんが、ファンタジー?ふうのシリーズ『碧色の軌跡』(完結済み・恋愛要素なし)やオリジナル短編などもあったりしますので、興味がありましたらぜひ。
二次創作もぼちぼちやっております。

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投稿日:2026年03月16日 20:00    文字数:22,256

98こ目;ストロベリー・スウィートハート

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今回は、冬デートのお話。
せっかくなので蒼生と冬らしい遊びをしたいと思う健太ですが、蒼生はインドア派。
どうにか一緒に楽しめることはないだろうかと考えていた時、ある思い出が蘇りました。

ちなみに、おみやげは大福だったとか。
↑初公開時キャプション↑
2025/3/15初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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 健太が家に帰ると、廊下はほのかに暖かかった。覗き込んでもリビングのほうからは何の気配もしないが、目の前にある小型の電気式ヒーターから緩やかに噴き出す風の音がする。このヒーターは暑い時には冷風にも切り替えられる優れものだ。普段は脱衣所に置いてあり、風呂場との寒暖差を緩和するために使っていた。それがここにあるということは、健太より後に帰ってくる蒼生が寒くないようにと冬矢が運んだのだろう。
「ただいまー」
 声をかけながらリビングのドアを開けると、ダイニングテーブルに資料を広げていた冬矢がぱっと顔を上げた。
「おかえり。……ああ、もうそんな時間か」
 健太が帰ってきたことに気付かないほど集中していたのだろう。何を見ていたのか気になって、並べられた本にちらっと目を落とす。びっしりと細かい文字が書かれた資料は、明らかに難解な単語が多数を占めている気配がした。その複雑な文面に、意味を考えるよりもまず読むことすら目が拒否をする。すぐにぷるぷると頭を振り、なんとなく見なかったことにした。
「レポート?」
「そう。まだ提出には余裕があるんだが、参考文献がやたらと多い」
「ふーん」
 冬矢はばさばさと資料をまとめ始める。おそらく蒼生が帰ってくるまでに夕飯の支度をしておくつもりだったのだろう。健太はソファの脇に鞄をどさりと置き、コートを脱いだ。
「おまえそれ片付けんの時間かかるだろ? オレになんかできることある? なんなら、キリのいいとこまでやっちゃえばいいじゃん」
「そうか? 悪いな。……じゃあ、大根をおろしておいてくれるか」
「ん、わかった」
 キッチンに入って引き出しからおろし金を取り出しながら、冬矢も丸くなったものだなとしみじみした気分になる。
 様々な言動を総合して考えてみると、冬矢にとっての料理とは蒼生に愛を捧げるための行為のひとつらしい。そのため、最初から最後まですべてを自分でやるべきだという考えがあったようだ。“蒼生のための”行動であるからなのか、蒼生本人の手伝いは嬉しそうに笑って受け入れていたが、健太が手を出すことについて同棲当初の冬矢は難色を示していた。はっきり拒否をされることはなかったものの、わずかに戸惑った顔をしていたのを覚えているから、そういうことなのだと思う。それがいつの間にか、健太が手伝うことに何の抵抗も示さなくなってきたうえ、たまに「助かる」などと言われるようになった。
 健太と冬矢は、愛する蒼生と暮らしたいという願望が同じだから一緒に住んでいるだけであって、本来ならば生活を共にする必要はない。しかも健太が最も大切にしているのは蒼生なのだから、日常生活の中で冬矢と馬が合わなくとも何の問題もなかった。それはおそらく冬矢も同様だったはずだ。けれど、それが冬矢の中で少しずつ変わってきている。
 そして、健太自身にも同じことが言えるのだと思う。小さなことでも認められていると実感すると、嬉しいと感じるようになった。それは相手が冬矢だから、余計にそう感じるのだろう。世界の何より大切な愛しい蒼生を巡るライバルに、ちゃんと健太も「蒼生の恋人」なのだと認められている気がするからだ。
「すまない、片付け終わった。……早いな」
 腕まくりをしてキッチンに来た冬矢は、健太の手元を見て目を瞠る。大きな塊だった大根は、ほとんどがすり下ろされ、手のひらに収まるくらいになっていた。
「えっへっへ。だろー? もしかしたらオレ、これ得意かもしんない」
「そうだな。馬鹿力もたまには役に立つものだ」
「素直に誉めねえなあ」
 健太の苦情にふっと笑い、冬矢は大きな鍋を置いたコンロの前に立つ。
「何鍋?」
「鶏」
「蒼生が好きなやつだ」
「鶏団子も用意している」
「抜かりねえ」
 まもなく蒼生が帰ってくる時間だ。蒼生に会える。そう思うと、健太の胸はどうしようもなく高鳴る。蒼生とは生まれてこの方ずっと一緒にいるが、日に日に思いは強くなる一方だ。離れればひどく寂しいし、顔が見えればとても嬉しい。それが笑ってくれているとなればさらに嬉しい。冬矢が作る自分の好物に、蒼生はきっと喜ぶだろう。その顔を想像するだけで心が躍る。
 やがて、リビングのドアがわずかに音を立てた。玄関のドアが開いて、空気が動いた証拠だ。
「! 蒼生っ」
「……やはり少し準備が遅かったな。すべて整えて玄関まで迎えに行くつもりでいたんだが」
「あ、オレも手ぇびしょびしょだ。今から拭いても、蒼生、もう来ちゃうよな」
「ふたりでタイミングを逸するとは、計算違いだった」
 そう話しているうちに、ぱたぱたと足音が近付いてくる。その弾むような音に、たとえ慌てて玄関に向かったとしても間に合わなかっただろうことを悟る。
「ただいまっ」
 ドアが開くのと同時に、明るい声が響く。わずかに乱れた息は、おそらく急いで部屋に飛び込んできたせいだ。
「おかえり、蒼生」
「蒼生、おつかれさま」
「うん、もう1回、ただいまぁ。廊下、あったかくしてくれてありがと!」
 ふたりの声にふにゃりと笑った蒼生は、すぐに何かに気付いたようにぱっと目を見開いた。
「……あれ。ふたりとも、元気ない? 何かあった?」
 健太と冬矢は顔を見合わせる。蒼生に心配をさせてしまうほど自分たちは残念そうな顔をしていただろうかと焦った健太は、蒼生に向けてぶんぶんと頭を振る。
「んーん、違う違う。蒼生を玄関まで迎えに行きたかったのに、手が濡れてて行けなかったからがっかりしてるんだ」
「へ?」
「帰って来た蒼生を抱き締めるつもりでいたんだよ。俺の段取りが悪かったせいで、ちょうど手が離せない」
「な、なるほど」
 蒼生の戸惑ったような視線がふたりの手元を撫でる。まさかふたりの表情が、自分を玄関まで迎えに行けなかったというほんの些細な出来事のせいだとは思わなかったのだろう。それでも、冬矢の顔を見て、健太の顔を眺めるうち、その表情は次第に柔らかくなっていく。
「……ふふふふ」
 カウンターの端に齧りつくようにしてちらちらとふたりを見る蒼生に、健太は首を傾げる。
「今度は蒼生がどうした?」
「えー。ふたりが一緒にキッチンに立ってるのが、なんか嬉しい。ふふ、いいなあ。ね、僕も仲間に加わっていい?」
「! もちろん!」
「ぜひそうしてほしいな。早く蒼生をもっと近くに感じたいから」
「じゃあ、荷物置いてくるね!」
 嬉しそうに頷いて身を翻した蒼生の背中を、ふたりは喜びに溶けてしまいそうな笑顔で見送った。

 濡れた髪を適当に拭きながら、健太はテレビをつけてソファに座る。ちょうどニュース番組で、スポーツコーナーに入ったところのようだ。
 けれど一番耳に大きく届くのは解説者の声ではなく、冬矢とふたりでああでもないこうでもないと話しつつチラシの中に紛れていた大きな用紙の文字パズルを解いている蒼生の声だ。大きさで言えばテレビの音よりも小さいのだろうが、常に「聞きたい」と思っているからよく聞こえるのだろう。とても心地の良い声だ。そちらに目をやれば、一生懸命考え込んでいる蒼生の横顔が可愛い。ついじっと見つめてしまっていると、蒼生が気付いて笑顔でぱたぱたと手を振ってくれた。やはりとても可愛くて嬉しくなり、手を振り返す。が、それはつまり気を散らせてしまったということだ。いけないいけない、と背を正し、蒼生の邪魔をしないように強い意志でテレビのほうに視線を戻した。
 画面に、真っ白い坂を滑り降りるスキーヤーの色鮮やかな姿が大きく映し出されている。並ぶ旗の間を器用に滑り抜け、立ちはだかるジャンプ台から綺麗なフォームで飛び出していく。そしてそのままゴールのラインを駆け抜けていった。かっこいいな、と思う。さすがにこの競技のような滑り方はできないものの、広いゲレンデを自由に滑り降りるのはとても気持ちがいい。先日大学の友人たちと行ったスキー旅行は、時間が足りないと思うほど楽しかった。ただ……至る所で、圧倒的に足りないものがあったことに気付かされた。蒼生だ。蒼生がこちらを笑って見守っていて、その笑顔に「今のすごかったでしょ」と話しかけて頷いて貰うことまでセットで満点なのだ。どんなにかっこよく滑れたと思って振り向いても、蒼生の姿がない。蒼生が見ていてくれない。それはとても寂しかった。
 だからといって、蒼生をスキーに誘うというのはなかなか難しい。野木沢寺田両家でも家族旅行として何度か行ったことがあるが、常に蒼生は早々に板を外して健太の妹と雪遊びをしていた。どうやら人目がある状況で積極的に動くことを嫌うらしいのだ。どうしても一緒にやりたいと言えば最終的には折れてくれるかもしれないが、無理強いをしたいわけではない。
「できたー!」
「やっと解けたね。ただのチラシだと思ったけれど、なかなか手が込んでいたな」
「うん。もっと簡単にできるかと思ったのにね。あー、すっきりした」
 明るい声に目をやると、蒼生が大きく背伸びをしたところだった。終わったのなら、もう邪魔をすることはないだろう。それに冬矢と遊んでいたのだから、今度は自分の番であるはずだ。健太が期待を込めてさっと両手を広げると、蒼生はすぐに察して、嬉しそうにいそいそと正面から腕の中に収まってくる。ふわ、とシャンプーの香りがした。可愛い。
「おつかれさまー。結構時間かかってたね」
「あ、ホントだ。時計、かなり進んでる。それがねえ、難問だったんだよ。1か所間違うと他のところも変わってきちゃうから、答えがズレてすぐに辻褄が合わなくなっちゃう」
「蒼生と冬矢がふたりがかりで挑んでそれってことは、普通の人だったら解けないんじゃねえの?」
「そんなことはないと思うけど」
 にこにこ見上げてくる蒼生の表情は、パズルが相当楽しかったことを物語っている。そうだ、蒼生は室内で頭を使っているほうが好きなのだ。やはりスポーツに誘うのは現実的ではなさそうだ。
 蒼生は体からすっかり力を抜いて、健太に寄りかかってくる。それから頭を仰のかせてテレビのほうを見た。
「健ちゃんは何を見て……あ、ウィンタースポーツ大会かあ」
「うん。すげえよな」
 こちらに向き直った蒼生が、健太の膝の上によじ登り、背中をぽすんと預けてきた。風呂でよく温まった体がじんわりと熱を伝えてくる。それが嬉しくて、健太は手を回して蒼生の腰をぎゅっと抱いた。蒼生の手が自分の手に重なってくるので、ますます嬉しくなる健太だ。
「ほんとにすごいよね。あんなに速いスピードでよく曲がれるなあって思う」
「よっぽど練習しなきゃケガするんだろうなー」
「だよねえ」
 優勝インタビューが流れ終わると、画面は小さな子の姿を映す。どうやら優勝者の小学生時代の映像らしい。幼少期から才能がありジュニアの大会で活躍を続けていたというその姿を、蒼生は感心したように眺めていた。そこに羨望の色はない。
「……蒼生は、スキーって苦手だっけ」
「うーん? そうだなあ……出来ないことはない、って感じかなあ。上るのが大変だし、リフトがあんまり好きじゃないんだよね。それに滑ってる時って個人で楽しむだけな感じがして、寂しい。行くなら見てるだけがいい」
 そっか、と呟いて健太は頷く。一応確認をしてみただけだが、あまり乗り気がしないことをはっきり伝えてくれたことがありがたい。昔の蒼生なら有耶無耶にして、健太の希望を聞こうとしただろう。蒼生の意思が大切なのだと伝え続けてきたおかげで、ちゃんと話してくれるようになってきた。
 きょとんと蒼生が仰のいて健太の顔を見る。
「健ちゃんはスキーしに行きたいの?」
「いや、オレはこの前行ってきたから、行きたいっていうか……まあ行きたいのは行きたいんだけど……。んーとね、蒼生と冬にしかできないような遊びがしたいんだ。せっかくだからいろんなことしたいと思ってさ。でも、蒼生も楽しいところがいいなって思ってて」
「冬っぽくて、僕が楽しい遊びかあ」
 蒼生と健太は同じように首を傾げ、うーんと唸った。
「健ちゃんと冬矢と一緒なら僕はどこでも楽しいと思うんだけど……、そこにもう一歩ってことでしょ?」
「うん。蒼生がめんどくさいからやだ、っていうのはオレもやだから。えーと、なんかないかな。ぱっと思いつくことで、蒼生がいいなって思うのはどんなこと?」
「思いつく……。やっぱり、顔が見られて、ちゃんと会話が出来るのがいいな」
「あ……、そうだよな」
 よくよく考えてみれば、家族旅行の時、健太は毎回姉と蒼生の兄2人と一緒にひたすら上っては滑るを繰り返していた。蒼生は健太がどこにいるかは背格好やウエアでわかったとしても、深々と帽子を被ってゴーグルを付けていたし、顔自体は見えなかっただろう。きっと蒼生はそれが寂しかったのだ。しかも妹が滑れるようになってからは、彼女も自分たちに合流してしまった。蒼生は大人組に加わるでもなく、ひとりロッジの近くで本を読みながら荷物番をしていた。戻ってきた健太をにこにこ迎え入れてくれるから、そういうものだと思ってしまっていた。笑っていたから楽しいのだと思っていたけれど、本当はどんな気持ちで待っていてくれたのだろう。
 健太は蒼生の腰に回した腕にぎゅっと力を込める。
「ちっちゃい頃、オレ、姉ちゃんたちとばっか遊んでて……蒼生に寂しい思いさせてたんだよな。ごめん」
 首を傾げながら笑った蒼生が、ぽんぽんとその腕を優しく叩いた。
「昔のこと? ああ、僕がひとりでいたのを気にしてくれてるの? 健ちゃんは本当に優しいね。ありがとう。あれはただ単に上って降りることに飽きてて、みんなと一緒に遊ぶより本読んでるほうが楽しかっただけだよ。今考えると全然協調性なかったなーって反省してる。もし今度健ちゃんと行くことになったら、もう少し頑張ってみるから」
「んんん……。その努力する意思は素晴らしいと思うんだけどぉ……。もうちょっとラク~な感じで遊びたいっていうかぁ……」
 難しいなと健太は首を捻る。前向きに頑張りたいと話す蒼生が嬉しくもあるが、がつがつしたくもない。もしかして自分はひどい我が儘を言っているのではないかと不安になる。
 いや、弱気になってはよろしくない。頭を振って思考を切り替える。何かないだろうか。小さい頃からの記憶を辿り、楽しかった思い出を探る。しかし、どれもこれも自分ばかりが楽しんでいて、蒼生は輪の外で見ているばかりだ。どうしてあの頃気付かなかったのだろう。蒼生が本当の意味で踏み込んで来てくれたのは、付き合ってからだと思う。恋人同士になってからの蒼生は、少しずつ本音を話すようになってくれて、
「あ」
 ぽんと健太は手を叩く。
「そーだ、スケート行かね?」
「スケート?」
「うん。前に行って楽しかったじゃん。あれなら話しながら遊べるよ」
 話しながら自分の案に納得する。付き合ってから、で思い出した。高校生の頃、3人でスケートデートをしたことがある。リンクの周りに並んだ屋台で買い食いをしたこともとても楽しかった、大切な思い出だ。何故この瞬間まで出てこなかったのか不思議に思う。もしかすると、蒼生とは様々な思い出を作りたいと思っているから、同じことを避けて考えてしまうのだろうか。だが、楽しいことは何度体験してもいいはずだ。
 蒼生は体勢を変え、健太の上に横向きに座る。
「わあ、いいねえ。行く、行く。この辺ってスケートできるとこってあるの?」
「あるんじゃないかな。下手すりゃ地元よりいっぱいあるかもよ」
 わくわくした顔の蒼生に嬉しくなって、健太はさっそくローテーブルにほったらかしだった携帯電話に手を伸ばす。近くで今やっているスケートリンクを調べてみると、思っていたよりも多くの候補が表示された。
「ほら、期間限定のとこだけでもこんなにやってる。空いてるほうがいいから、完全前売り制のとこがいいな」
「すごい。むしろビルに囲まれたとこに多いんだね」
「てことは行きたいレストランから逆算して選んだっていいってことか」
「あはは、たしかに」
 覗き込んでくる蒼生と一緒に、イベント会場の広さを調べ、周辺のレストランを探す。チケットの売れ行き状態も確認すると、どこも週末は混んでいるところが多かったが、平日は余裕がありそうだ。
「ここよさそうじゃない?」
「だよな。最速のチケット取れる日……、あ、予定大丈夫な日だ。なあ、冬矢もこの日でいいよな」
 キッチンに立っていた冬矢に向かって声をかけると、冬矢はぴっと背筋を伸ばして小さく首を傾げる。
「俺も含めての話だったのか? 健太が蒼生とふたりで出かけたいのかと思って黙っていたが」
「あっ。うわあ、それでもよかったんだった! うー、でもー、蒼生は冬矢もいたほうが喜ぶからなー」
「うん! 喜ぶ!」
「ふふふ、喜んでくれるんだ。それは嬉しいね」
「じゃあ、しょうがねえなー」
 冬矢が手を拭きながらキッチンから出て、ふたりの隣に座る。蒼生はにこにこと健太の手ごと携帯を掴むと、冬矢の前に差し出した。ますます嬉しそうな蒼生に、健太のテンションは上り通しだ。


 乾いた風はひんやりと冷たく、肺いっぱいに吸い込むとすっきりして気持ちがいい。ビルに囲まれてだいぶ小さくしか見えないが、空は青く綺麗に晴れていた。その細長い空間の底に広がる真っ白な氷の上には、開場すぐに訪れたらしいカップルたちが楽しそうにスケートを楽しんでいるのが見えた。
「健ちゃん、待ってぇ」
 慌てた音色の蒼生の声がして振り返ると、スケート靴にまだ慣れない蒼生が冬矢に支えられながらよたよたと歩いてくる。
「え、なにそれ、可愛い」
「だって健ちゃん早いんだもん。ふたりとも、よくすぐに歩けるね。久々に履いたらぐらぐらする……。もうちょっとしたら平気になると思うんだけど」
 さすがに健太も1歩目だけはふらついた。普通の靴の感覚で立ち上がってしまったからだ。だが、一度こういうものだと思い出せば何の問題もなかった。蒼生も運動神経やバランス感覚が悪いわけではないから、自分でも言う通りすぐに慣れるだろう。ただ、冬矢に縋る姿が可愛いのでこのままでいてほしくもある。
「まあ、無理しないで。平気になるまではオレたちに掴まってればいいよ」
「うん」
 手を伸ばすと、蒼生は片手を冬矢の腕に残したまま健太の手を取った。嬉しくて思わずにやけてしまう。その顔を見た冬矢が小さく呟く。
「……蒼生を置いて行ったくせに」
「えっ」
 ぎくりと手が止まる。そんなつもりはまったくなかったのだが、言われてみればその通りだ。リンクで滑りたいという気持ちが先行して、準備をしてすぐひとりでリンクサイドに駆け寄ってしまった。きちんと言い訳しなければと焦って口を開きかけた健太に、当の蒼生はふるふると首を振る。
「置いて行かれたなんて思ってないよぉ。健ちゃんはいつも僕を先導してくれるんだもん」
「あ、蒼生……」
「俺の蒼生は優しいな」
「ちょ、おい、それはオレが言うとこだろ」
 蒼生は、さらりとした顔の冬矢と慌てたような表情の健太を交互に眺めてにっこり笑う。そして、ふたりと繋がった両手をぎゅっと引き、止まっていた1歩を踏み出した。
「さーて。そろそろ滑りに行かないと、僕、普通に歩けるようになるよ」
「わ、もうちょっとふわふわした歩き方の蒼生を堪能したいっ」
「それはどうかな。なんだか少し慣れてきた気がするもんね。地面の上はもう大丈夫かも。あ、うん、歩ける」
 それまでとは反対に、蒼生に手を引かれるようにして3人はリンクの端に立つ。楕円形に作られたリンクの周りはぐるりと手すり付きの低い仕切りで囲まれていた。そのところどころに切れ目を入れるように出入り口が何か所かある。蒼生はそれを見てほっとしていたようだった。たしかに掴まるところがあるとないとでは大違いだ。健太は、昔遊びに行った遊園地のリンクには手すりが全くなかったことを思い出す。父親が派手に転んで家族で大笑いをした記憶があり、蒼生はひどく心配そうに手を差し出していたから、蒼生もその時のことを思い出しているのかもしれない。
「よーし。まずはそれぞれで乗ってみっか」
 お互いに掴まったままでは、バランスがとりづらいだろう。健太が言うと、蒼生も冬矢も頷いた。
 ちゃんと蒼生に気を配るべきだったし、歩きづらいなら自分が支えるべきだったと反省をしている健太だが、同時に「自分のことを常に先導している」と言われたことが嬉しかった。だから格好のいいところを見せたくて、自ら率先して一番に氷に足をつける。靴の底の金属と氷が、こつんと立てた音が心地よく耳に届いた。すいっと足を動かせば、拍子抜けするほど簡単に前に進む。
「うん。大丈夫そう」
 続いて氷の上に立ったのは冬矢だ。一瞬体が揺れたが、すぐに立て直して数メートル進んで戻ってくる。
「ああ、こういう感じだったな」
 それを後ろから見ていた蒼生はじっと氷の表面を見つめる。そして手すりをしっかり掴むと、見るからにおそるおそるといった感じで足を出した。
「……わっ」
 靴の刃がつるりと滑り、蒼生の体が引きずられるように沈む。
「蒼生!」
「蒼生っ」
 慌てたふたりに支えられ、蒼生はなんとか踏みとどまった。というより、ふたりに向かって倒れ込んだという表現が近い。
「び、びっくりした。ごめんね、ありがと……。地面は大丈夫でも、いきなりの氷は無理だったみたい」
 ぱちくりと目を見開く蒼生に思わず「可愛い」と思ってしまいながら、健太はひょいと蒼生の体勢を戻してやる。
「氷に乗っかるとこは手伝えばよかったな」
「そうしてもらえばよかったかも。僕もまさか1歩目でこうなるとは思ってなかったから、ドキドキしたぁ」
「ふふ。そこが一番難しいところだろうね。大丈夫、焦らないで。ゆっくり滑りだそう」
「うん」
 ふたりの手を取り、蒼生はゆっくりと氷を蹴る。1回。2回。まだ少しこわごわと。
「わ」
 再び蒼生がバランスを崩した。
「おっ」
 蒼生はとっさに手を離して道連れを避けようとするが、ふたりはそれを許さない。
 そのまま蒼生は尻餅をつき、健太がその上に倒れ込む。ただ、健太が蒼生の体の下に腕を滑り込ませ、冬矢が手すりを握って蒼生の腕を引いたおかげで、頭を打つことはなかったようだ。
 3人はわずかな間、放心したように黙り込む。けれど、そんなふうにひとかたまりになって黙り込む自分たちの姿が面白かったのか、冬矢が小さく噴き出した。
「ふふふ。蒼生、大丈夫?」
「だ、大丈夫ー。けど、巻き込んじゃった、ごめ」
「謝る必要はないからね。スケートはこういうアクシデントがあってこそだと思っているし」
「そうなの?」
「そうだよ。健太を見てごらん」
 冬矢に言われるまでもなく、健太は頬の緩みを抑えきれなくなっているのが自分でもわかっていた。氷の上に寝転ぶ角度で座る蒼生と、蒼生に跨がるような格好の自分。この光景を頭に焼き付けておきたい。
「……健ちゃん?」
「はあ……。これ。これなんだよ。きゃっきゃしながら転んじゃうやつ! これがやりたかったんだよ!」
「転んでるのに?」
「もちろんケガしなくてよかったと思ってるよ。でも、こういうベタなやつ、めっちゃくっちゃ嬉しくて楽しい!」
「そっか、健ちゃんってそういうの好きだもんね」
 蒼生の言う通りだ。いわゆるカップルがよくやるやつ、というのが、たくさんある蒼生としたいことのひとつである。もちろんそれを形だけやっていくことが恋人の証明だと思っているわけではないが、どうしても憧れがあった。そして健太がそう思っていることを、蒼生はよく理解している。
 そのせいかいつまでもその体勢を崩そうとしない健太に、今度は冬矢が蒼生の手を引いて立たせる。
「なるほどね。この2回の転倒でわかったよ」
「? なにが?」
「蒼生が転ぶ原因。ほら。ここ。足に力が入りすぎているんだ。俺たちに迷惑をかけたくない、転ばせてしまっては悪い、と思っているから緊張してしまうんだね。だけど、蒼生にもわかっただろ? 蒼生が転んでも、俺たちは蒼生がケガをしないようにきちんと支えることができる」
「……うん。どこも痛くなかった」
「でしょ!」
 立ち上がった健太は、蒼生の背中に付いた氷をぱたぱたとはたく。そうしながら、自分たちに迷惑をかけたくないのだろうという冬矢の言葉を蒼生が否定しなかったことを健気でとても愛おしく思う。だとすれば、足下の覚束なさを可愛いと堪能したい欲より、蒼生を安心させるほうが大事だ。
「ん、わかった。そしたら、蒼生はオレを追っかけて」
「えっ」
「冬矢もオレと来い」
「はいはい」
 すいっと冬矢が先に進む。健太も後ろ向きに、緩やかな速度で氷を蹴る。
「なんも考えなくて大丈夫。オレの胸に飛び込んでくる感じで来て」
「えっと、……うん」
 意を決した蒼生が、ついっと滑りだす。それを見て健太と冬矢がスピードを上げる。追いつくために、蒼生も思い切って足を出す。
 するといつの間にか、蒼生は綺麗なフォームで健太たちの後を追っていた。
「できた、できた、そう、こんな感じ!」
「おー。もう大丈夫だな」
「健ちゃん、すごーい! 教え方上手だね」
 蒼生が嬉しそうに声を上げる。それを聞いて健太も嬉しくなった。
「オレはなんにもしてないよ。蒼生が思い出せただけだよ」
「それでもすごいと思う!」
 スピードに乗ったほうがバランスはとり易い。もともと滑れるのだから、いったん感覚を取り戻せば何も難しいことはないと思ったから、怖がらずに勢いに乗せてみようと考えただけだ。けれど、褒められたことは素直に嬉しい。
「へっへへ。もっと褒めて!」
「すごい! さすが健ちゃん! よかったー、このまま滑れないかと思っちゃった」
「ふふふ。心配しなくていいのに。仮に滑り方を完全に忘れてしまったとしても、俺と健太は手を離さないよ」
「……! うん!」
 胸に手を当て、蒼生はほっと息を吐いた。
 健太も何故か同じように息を吐き、蒼生に並んで手を握る。
「じゃあ、改めて一緒に滑ろ」
 冬矢も蒼生の手を取る。
「一緒に行こうね」
 はにかんだように笑い、蒼生はこっくんと首を縦に振った。その嬉しそうな仕草が、健太の心の中を満たしていく。もう手を離しても大丈夫だろうが、やっぱりこのまま繋いだままでいたいな、と思った。どうせ周囲の客たちも、自分たちのことばかりでこちらのことなど気にしていない。見られたところで、転びやすいから支え合っているだけだと思われるくらいだろう。
 そういえば、と健太は思い出す。それは小さな屋内施設の記憶だ。
「ねえ蒼生、覚えてる? スケート教えてもらった初日もこんなふうに手を繋いで滑ったよね」
「初日? あー……、そういえばそうだったね。先生を先頭に、全員で一列になって」
「そうそう。近くにいる人と手を繋いでーって言われたから、オレ蒼生のそばに無理矢理割り込んだんだよな」
 他の記憶はぼんやりしているが、そこだけはっきり覚えている。自分の手は蒼生が握るものだと思っていたから、蒼生が他の子に手を伸ばしたのを見てとても嫌な気持ちがしたのだ。
 冬矢が小さく首を傾げる。
「蒼生たちはスケート教室に通っていたの?」
「ううん、小学校の時のイベントで何回か教えてもらっただけだよ。あのね、昔、僕たちの住んでた街から有名な選手が出たんだって。それで、わが町の歴史を体験したり触れたりして学ぶ、みたいな授業の一環でスケートに親しもうって行事があったんだ。低学年だけなんだけど、いくつかの小学校合同でやるんだよね。年に2回か、3回の年もあったかな? だから、あのへんにいた子たちはみんな、飛ぶとか回るとか難しいことはできなくても、まっすぐ滑るくらいなら出来るんだ」
 健太は蒼生の手をぶんぶんと振り回しつつもぱちくりと冬矢の顔を覗き込んだ。
「そっかー。周りみんな滑れるから忘れてたけど、全員が通った道じゃないのか。そういや冬矢って低学年の頃はうちの地元じゃなかったんだもんな。そのわりには上手だけど」
「ね。すごく上手」
 ふっと笑って冬矢は蒼生の腰に手を回す。
「俺も小さい頃に覚えたんだよ。ちょうど両親の仕事がスケートの盛んな地域だった時に、体験入部のような形でスケートクラブに通ったことがある」
「えっ、すごいね」
「本当に数日だけだよ。だから俺も進むくらいしかできない」
 謙遜する冬矢を、蒼生はにこにこと眺める。
「ふふ、3人で一緒に滑れるんだもん、僕はそれだけでも嬉しいなあ」
「俺も蒼生とこんなふうに楽しめるなら、経験しておいてよかったと思うよ」
 なるほどなあ、と健太はひとり頷く。冬矢は転勤の多い親に連れられて、小学生の途中までは全国あちこちを巡っていた。だからひとつの物事に長く取り組むより、様々な体験を少しずつすることのほうが多かったのだろう。それでもきちんと身についているのは、冬矢がそれぞれの出来事と真摯に向き合った結果なのではないだろうか。
「おまえって意外と真面目だよなあ」
「なんだ、いきなり」
「んー、しれっとなんでもできるような顔して、実は努力の人なんだなって」
「……何が目的だ?」
「ええっ。純粋に褒めてんのに、ひでえなあ!」
 ふふ、と間で蒼生が笑う。
「冬矢も健ちゃんも、ふたりとも努力の人だよ。いつも頑張ってる姿を見てるもん。かっこいいよね。僕の自慢の彼氏なんだ」
 それを口にした蒼生は満足げに胸を張って、本当に誇らしそうだ。
「かっ、可愛い……!」
「ありがとう。蒼生だって、俺の自慢の彼氏だよ」
「えへへ、嬉しい」
 可愛い。あまりにも可愛すぎて、健太は思わず蒼生の腰を掴むと、ふわっと持ち上げた。
「わ」
「健太、危ないぞ」
 ふたりは驚いた顔をするが、健太は瞬間的に「大丈夫だ」と確信する。それは、蒼生がおとなしく持ち上げられているからだ。自分が思うよりも前に、蒼生は健太を全面的に信頼して「大丈夫だ」と思ってくれている。
 しかし、冬矢の言うことも当然で、いくら健太の運動神経が抜群だとしても技として習ったことがあるわけではない。ただの素人が気軽に行うのは危険だろう。テンションは上がったままだが、すぐに蒼生をそっと氷の上に下ろした。
 ところが蒼生は危ないなどと微塵も思っていなかったらしい。わずかにくるりと回るように身を翻すと、楽しそうに植木の方角を指さした。
「今の、面白かった! あとね、あっちに今日のお昼ごはんで行くお店があったよ」
「あ、マジで?」
「うん。一瞬だけだけど、看板がぶら下がってたのが見えたんだ」
「よかった。それなら、後で迷わなくて済むね」
 それは3人で商業施設のサイトを眺めながら、どこにしようかここも美味しそうだとあれこれ悩んで決めた、ビーフシチューが名物の店だ。肉の塊がどんと載った写真に健太が食いつき、ほろほろとろける肉という宣伝文句に蒼生が目を奪われた。冬矢はおそらくその味を盗むつもりでいるのだろう。
 いつまでもくっついている健太から蒼生を引き離した冬矢は、にやにやと笑う健太に首を傾げる。
「どうした。そんなに楽しみなのか」
「それも楽しみなんだけど……。あんまり食べ過ぎちゃダメだぜ。デザートはできれば無しの方向で」
「えっ」
 健太が何を企んでいるのか、ふたりはすぐに察したようだ。冬矢は呆れたように小さく笑い、蒼生は目をきらきらと輝かせた。

 食事の後、健太がふたりを引き連れてやって来たのは、隣の商業ビルの中にある施設だった。大きな通路からひとつ角を曲がると、両側に本物のように作られた木が緑の葉を茂らせており、その間に横断幕を模した看板が掲げられている。奥にはピクニックを楽しむ動物たちがコミカルに描かれた壁が視界を遮っていて、左右に通路が繋がっているようだ。右に入口、左に出口という表示と矢印があるので、ここを回り込んで中に入る構造らしい。
 看板を見上げた冬矢が、感心したように腕を組む。
「ふーん。スイーツの森、ね。健太はこういう施設を探すのが上手いな」
「なんか……冬矢に褒められると背中辺りがもぞもぞするんだけど」
「おまえだってさっきやっただろ」
「仕返しか」
「素直に褒めただけだが」
 後ろでそんなやりとりをしているのを聞いているのかどうか、蒼生は足取りも軽く右の木に近寄ると、幹に備え付けられたラックからパンフレットを取って開く。手元の写真と壁のイラストを交互に見ながらそわそわしている姿にきゅんとして、ふたりは蒼生の傍に歩み寄った。
「美味しいのありそう?」
 健太の声に、蒼生はぱっと振り向く。その眉尻を下げた無邪気な表情のあまりの可愛さに、思わず健太はしゃがみ込んだ。
「うぐー……」
「え。け、健ちゃん、大丈夫?」
「心配することはないよ、蒼生が可愛すぎて限界を突破したんだろう」
「ひぇ……」
「それより、俺にも見せてね」
 冬矢はさりげなく蒼生の肩を抱いて引き寄せ、その手元を覗き込む。すると蒼生の表情がほころんだことを野生の勘で察知した健太が、冬矢にだけいい思いはさせないとばかりにがばっと立ち上がって正面から蒼生の両手を握った。一連の流れに蒼生はにっこり笑って、ふたりに見やすいようにパンフレットを広げる。
「見て。こんなにたくさんお店が入ってるんだって。ねえ、これって、よくテレビに出る人のお店だよね。こっちは行列ができるって有名なところだ。すごい、ケーキ屋さんだけでもこんなにいっぱいある」
「ああ、しかも今は苺フェアなんだね」
「そうみたい。どうしよう、どこのお店にしたらいいかな?」
 右から左、上から下、と蒼生の目線は落ち着かない様子だ。自分の思惑通りに蒼生がはしゃいでくれて嬉しい健太は、そっとその両手を引く。
「とりあえず、実際のデザート見てみようぜ! 写真じゃちっちゃくてわかんないもんな」
「そうだね!」
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
 3人は並んで看板の下を通る。壁の可愛らしいイラストを間近に見ながら入り口のほうに回り込むと、細い廊下が暗い空間に向かって伸びていた。森という施設名の通り、数メートルおきに作り物の木が設置されている。床を見れば曲がりくねった道の絵があり、天井を見れば葉っぱと青空の絵が絵本のようなタッチで描かれていた。さらに壁には木の合間を縫うように店の宣伝ポスターが貼られていて、蒼生はそれを興味深そうに眺めている。
 しかし、それはどうも妙な光景だ。健太は蒼生の肩にとすんと顎を載せる。
「なあなあ。この木と木の間ってさ、ただの空間なはずじゃん。ポスター浮いてる設定なのかな」
「え? ……あ。ふふ、そう言われてみればそうだね」
 目を細めて、蒼生は背中にほとんどくっつく距離にいる健太の腕に自分の手を回す。すると、反対の手を冬矢が取った。
「そこまで世界観を重視して見る人もなかなかいないんだろうね。健太の言う通り、森を意識するならあり得ない配置だ。そういう物語的な背景を気にするよりも、商品を紹介したほうが施設としても売り上げに繋がるから現実的なんだろうな」
「そうだね。せっかくだから、宣伝したほうがいいもんね。あ、だけど、健ちゃんが言うみたいにそういうファンタジーの世界だって思っても面白いかも。あっちの絵も、動物たちが食器持ってピクニックしてたくらいだし」
 自分の言葉に納得したように蒼生が頷く。その横で、健太は冬矢のセリフが自分に同意したようでいて、実は蒼生と先を急ぎたいだけだとピンと来る。言葉の端がどことなくぞんざいだったからだ。ちゃんと話を聞け、と文句を言ってやろうかとも思ったが、早く施設の中を蒼生と歩きたい気持ちは一緒なので、とりあえず今は黙ることにした。何より、ファンタジーだと口にして目を輝かせる蒼生が可愛かったので、それが見られただけで満足だ。
 ただもちろん、それで終わりにするつもりはない。蒼生が回してくれた手をぎゅっと握り、ぶんぶんと振る。
「これ、いちごバーガーって気になるな!」
「あはは。健ちゃん、お昼もいっぱい食べたのに、まだ食べる気だ」
「もちろん、別腹だからさ!」
「それは食事とデザートの関係だと思うんだが……」
「デザートだと思えば、ハンバーガーもデザートだろ」
 そうして蒼生を中心に小さくかたまりになって笑って言葉を交わしていると、短い廊下はあっという間に過ぎていった。
「わぁ」
 蒼生が声を上げる。ぱっと開けたそこは吹き抜けの広場だった。中央には時計が埋め込まれた高い木があり、天井にはその木と繋がるように葉が大きく広がる様子が描かれている。照明が薄暗いのは、大きな木の陰にいるからという設定なのだろう。木の根近くには石造りの噴水がある。それを囲むようにキノコの形をした色とりどりのテーブルが並んでいて、楽しそうにケーキを食べる人々の姿が見えた。
 視線を巡らせると、店はその外周にある。先程の廊下と同様に、壁に沿うように太い木が作られて、大きく口を開けたうろの中が店舗となっていた。ショーウィンドウがすっぽりはまったテイクアウト専用の店もあれば、中にも席がある店、上の階に客席がある店など形態は様々だ。よく見ると、広場から奥に向かってさらに通路があり、そちらにも小さな店があるようだ。
「ほんとにテーマパークみたいだね」
「思ってたより壮大だな。あのへんの上の階、ツリーハウスみたいになってる。あれはレストランなのかな?」
「あ、パンフレットのこのお店だ」
「なるほど、あそこの階段から上るわけか」
 蒼生は再びそわそわしながら、パンフレットと店舗を見比べている。はっきり決めるのが苦手な蒼生には、この店舗の数は多すぎるかもしれない。そう思った健太は、敢えて冬矢の顔を覗き込んだ。
「冬矢、おまえ幾つイケる?」
「俺? そうだな。2つ……いや、3つくらいは」
「だよな、ちょっと歩いたからオレも胃に余裕できたもん。ってことはさ、自分が食べたいやつそれぞれ何個かずつ買ってさ、分けっこして食べたらいろんな種類食べれるんじゃない?」
 何を健太が言おうとしているのか、冬矢はすぐに理解したらしい。ふっと笑って頷く。
「ふうん。最初からそのつもりで切り分けてあれば、俺と健太でもお互いに試せるというわけか」
「そ。ふたりで分けるのはなんかヤだけど、蒼生と3人で分けっこなら問題ないもんな。んで、絶対自分で1個まるまる食べたいっていうのがあれば、そうすればいいんだしさ。蒼生はどう思う?」
 今度は蒼生の顔を見る。蒼生は瞬きの数を増やしながら、ふたりを見上げた。
「いいな、って思う。けど、ちゃんと美味しいの選べるかなあ」
 どうやら蒼生の心配は、健太と冬矢が食べるものに失敗したくないという思いから来ていそうだ。真面目で臆病な蒼生らしい不安だと思う。そんな心配はいらないのにな、と健太は蒼生の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「もしちょっと口に合わないのがあっても、3分の1になるんだから平気だろ」
「逆に、気に入ったものがあれば、買って帰ってもいいしね」
「……そっか、気楽に選んでいいんだ」
「もちろん! だって初めて見るやつがホントに美味しいかどうかなんて、食べてみなきゃわかんないじゃん。だから適当に見た目で選んでもいいと思うよ。あっ、そうだ、せっかくだからバラバラに探して持ち寄るのって面白そうじゃない? それこそ買いすぎちゃっても持って帰れるでしょ。……お、ほら、あそこに“お持ち帰り用の箱は売店でお買い求めください”って書いてある。売店ってあそこか。へー、後で見てみようぜ!」
「うん」
 健太の勢いに、蒼生が微笑んで頷く。健太がゲーム感覚で楽しんでいることが伝わったのだろう。これは健太の経験による実感だが、蒼生は健太が楽しいと思っているとそれだけで安心するらしい。
 その空気を冬矢も察したようだ。先行して足を踏み出し、蒼生の手を一度きゅっと握った。
「それじゃあ、それぞれ気になるものを買ってこよう。集合場所は、あの噴水に近いあたりのテーブルでどうかな」
「わかった。探してくるね」
「よーし。んじゃ、出発ー!」
 こくんと深く頷き、蒼生は一度辺りを見渡してから奥の通路に向かって歩いていく。冬矢もその背を見送ってからすっと左に進路を取った。残った健太は、きょろきょろ迷いながら歩く蒼生の姿をじっくり堪能してから、冬矢と反対の方向に進むことにした。
 それまでずっと蒼生のことばかり気にしていたため気付かなかったが、周りはずいぶんと若いカップルが多い。小さな子を連れた母親たちのグループ以外は、ほぼカップル同士だ。おそらく平日の日中だからこういった人数構成になるのだろう。スケートをしている時も思ったが、お互いにしか興味のない人々ばかりなのはありがたい。少なくとも自分たちに声をかける者はいないだろうからだ。
 最初の店を目指しながら、売店にちらりと目をやった。ログハウスふうになった店の中では、入り口の壁にいた動物たちのグッズが売られている。どうやらあれはこの施設のマスコットキャラクターたちだったらしい。キーホルダーや文具などの実用品がほとんどで、ありがちな土産用菓子が見当たらないのは、施設内の店と売り物が競合しないようにという配慮だろうか。それにしても、シンプルで使いやすいものも多そうなので、やはり帰りに蒼生とチェックしよう。
 そこを過ぎると間口の小さな店だ。木製のカウンターに立っている店員と目が合ったので思わず会釈をすると、にこりと笑顔が返って来た。彼女は手のひらをくるりと上に向け、頭上に掲げられたメニューを指し示す。ここはサンドイッチやハンバーガーなどの軽食や、様々な飲み物を売っているらしい。先程見かけたポスターのいちごバーガーはこの店のメニューではないようだが、甘いものが苦手な人や、口直しが欲しい時には重宝しそうだ。蒼生は紅茶が好きだから、と思ってドリンクメニューを見れば、紅茶だけでもいくつか種類がある。
「後で来ます!」
「お待ちしてます!」
 声をかけて通り過ぎると、元気のいい返事が響いた。これはリップサービスではなく、本当にそのつもりだ。甘いものをたくさん食べるには、塩気のあるものが必要だろう。
 さて、どんなものを蒼生と一緒に食べようか。考えながら、次々と店を覗いていく。フェアというだけあって、苺を使ったケーキの数は驚くほど多い。蒼生が果物の中で一番好きなのは苺だ。ということは、どれを選んでも間違いではないはずだ。だが、できれば蒼生が一番笑顔になれるものを選びたい。とにかく蒼生が喜んでくれる姿が見たい。サイズは? 大きくてインパクトのあるケーキがいいだろうか、控えめなサイズのほうがいいだろうか。種類を食べるなら小さめがいいかもしれない。では、見た目は? 蒼生は持ち物ではシンプルなものを好むが、甘いものは綺麗で可愛らしいほうが喜ぶ。どうせなら可愛らしさに振り切った方向で行こう。
 そして健太は何軒かの店をはしごし、とりあえず3つデザートを買った。ウサギの顔を模したピンク色のストロベリームース、苺の赤が引き立つチョコレートケーキ、ハート型に切られた苺がたっぷり乗ったプリンアラモード。トレイの上の華やかさに思わず口元が緩む。蒼生の「わあ、可愛い」という声が聞こえた気がしたからだ。
 広場に戻ると、ちょうど冬矢が席を選んでいるところだった。白い斑点のある緑のキノコ風テーブルをじっくり見る姿は、普段のイメージとはずいぶんかけ離れている。中学までの知り合いがこの姿を見たら卒倒するだろうなと思いながら、同じテーブルにトレイを置いた。
「飲み物があったほうがいいよな。ついでだからおまえの分も買うけれど、何がいい」
「あ、サンキュ。あのちっちゃい店、いろんな飲み物売ってたよ。紅茶も何種類かあったけど、オレにはよくわかんないから、任せるわ」
「コーヒーもあるようだが、紅茶でいいのか?」
「おお。あったかいやつな」
 冬矢は頷き、先程健太が覗いた店に向かって行った。となれば、蒼生が来るまですることはない。テーブルとは違って何の変哲もない金属製の椅子を引き、どすんと座り込む。
 今でも健太は紅茶よりコーヒーのほうが好きだ。小さい頃はどちらも癖が強くて得意ではなかったのだが、中学生の頃に「コーヒーを飲めるとかっこいい」と友人たちが言っていたことにそれもそうだなと思って飲めるように訓練した結果だ。だが朝から数杯飲んでいるので、違う種類の飲み物がほしくなった。ならばそれよりも好きな炭酸飲料を選ぶという手もあったが、甘いものと一緒に飲むので、その選択肢も除いた。それに、蒼生はコーヒーが飲めないし、炭酸も苦手だ。だから一口味見という言い訳で間接キスをしたい時などは、蒼生が好きな飲み物を選びたい。おかげで、紅茶もだいぶ飲めるようになったと思う。
 視線の先では、冬矢が注文をしている姿が見える。冬矢も元々コーヒー派だったが、蒼生に影響されてよく紅茶を飲むようになった。ちらりと目を落として冬矢が置いたトレイを見ると、綺麗に苺が積み上がったタルトと、その左右にふわふわしていそうなケーキがある。どれも苺がたっぷりと使われているようだ。蒼生が好きそうだと一目でわかる。そうだろう、冬矢もただひたすらに蒼生のことを考えている、蒼生に対してひどく実直な男なのだ。
 飲み物を買う背中に、ずいぶん前にファミレスのドリンクバーで飲み物を任せた時、様々な飲料をミックスした妙な味のするジュースを渡してきた悪友のことをふと思い出す。それが冬矢の姿と一瞬ダブって見えた。が、冬矢がそんなことをするはずはないので、すぐにその記憶を振り払う。そもそもそんな悪ふざけをするようなタイプではないし、健太が飲むものは蒼生も口にする可能性があるのだから。そんなことを考えているうちに冬矢が戻ってくる。手に持ったトレイには、想像通り蓋のついた紙コップが3つ大人しく並んでいた。
 そうして冬矢が椅子に座った途端、奥の通路からふわりと軽やかな足取りで愛しい姿が現れた。薄暗い広場が、ぱっと明るくなったようだ。
「蒼生っ」
 大きな声で呼んだわけではない。胸の中から溢れ出してこぼれ落ちたような呟きの音量だった。けれど蒼生はすぐに健太に気が付き、ほわっと温かな笑顔を浮かべる。わずかに歩みが早くなるのが愛くるしい。
「やっぱり僕が一番遅かったね」
「俺たちも今戻ったばかりだよ。急がせてしまってごめんね」
「ううん。僕も早くふたりに会いたかったもん」
「へへ、オレも蒼生の顔がこんな早く見れて嬉しいよ」
 蒼生はにこにこと嬉しそうに頷く。それから、テーブルの上に目を落とし、健太と冬矢が買ってきたケーキを眺めた。
「わぁ、健ちゃんの、どれもすっごく可愛いね! 冬矢のも綺麗で美味しそう! ……あれ」
「ん?」
 可愛い笑顔に心が弾むのを感じていた健太は、蒼生のほんの少し戸惑った顔に首を傾げる。
「どうかした?」
「え、ううん。自分が食べたいやつ買ってくる、だったよね? なんだか、ふたりの……僕が好きなものばっかりじゃない?」
 蒼生が何を思っているのか、ふたりはすぐに理解をする。だから健太はにぃっと笑った。
「そりゃ、そうさ。だって蒼生と一緒に食べたいなって基準で選んでるんだから。オレも美味しい、蒼生も嬉しい、が一番だろ」
 ひとつ頷いて、冬矢が蒼生のぶんの椅子を引く。
「そう言う蒼生は何を買ってきたの?」
「……あ、えっと」
 座りながら、蒼生がトレイを置いた。そこに載ったケーキは、4つ。オレンジが載ったケーキにレモンの形のケーキ。それに焼きリンゴのカップケーキと、苺がたくさんあしらわれたショートケーキだ。
「ふ、ふ。どの口が可愛いことを言うんだろうね。苺じゃなくて他のフルーツを選んだのはどうして?」
「え、と……」
「俺たちが好きなもの、無意識に選んでた? ほら、同じことを考えていたんじゃないか」
 ぽん、と音がしそうなくらいに、蒼生が顔を赤くする。本当に無意識だったのだろうか。だとしたら可愛すぎる。
「んっふふふっ」
 思わず抱き締めたくなって手が勝手に動きそうになる。健太はそれをなんとか抑えつけて、自分の頬を両手で包み込むことに成功した。
「どうした、健太。奇妙な声を上げて」
「んえー? おまえだって気分的にはそんな感じなくせに、どうしたじゃねえだろー。だって蒼生がオレたちの好きなのを選んで買ってきてくれたなんて、めっちゃ可愛くて、そりゃ変な声も出るよ。へへへ。蒼生、苺は好きだけどショートケーキは苦手なのにね」
「っあ、……僕は苦手だけど、健ちゃんは好きだから……」
 はにかんだように笑う、蒼生。自分の苦手より、恋人の好きを優先してくれる。大好き、と高らかに宣言してしまいたい。一応周囲の人の迷惑になりかねないから我慢するが、こんな可愛い恋人を自慢したい気持ちが溢れ出して、体の中が愛おしさという水で水浸しになってしまった気がする。
 健太が悶えているのを一瞥し、冬矢は蒼生に笑いかける。
「それじゃあ、いただこうか。どれも美味しそうだね」
「……ふふ、うん。こんなにたくさん、食べられるかな」
「なんか全然余裕な気がしてきた! いただきまーす!」
 3人はフォークを取り、それぞれ目の前のケーキを切り分ける。キノコのテーブルは、そのとたんにパーティ会場になった。
「冬矢のタルト、綺麗だねえ。断面も綺麗。そっちのふわふわは?」
「苺のシフォンケーキと、苺のスフレチーズケーキ。あはは、あまりにも偏りすぎてしまったかな」
「んっ、美味しいっ。すごいね、全然違うね。スフレ、じゅんわりしてる。タルトのさくさくも美味しい、わぁ、全部好きー」
「蒼生の選んだオレンジケーキもとても美味しいよ。挟まっているジャムがさらに大人っぽい味わいだ」
「うわあ、りんごしゃっきしゃきじゃん。すっげえ香ばしい。美味しいなこれ。蒼生のチョイス天才だわ」
「健ちゃんの買ってきたプリン、しっかりめで味が濃くて美味しい! ウサギの顔崩すの可哀想だけど、……ん、美味しい。わあ、中にもゼリーが入ってる。かためで苺の味が濃くて、美味しい」
「蒼生は奥のほうまで行ってきたんだよね。どうだった?」
「あのね、壁の絵はあったけど、普通のビルの廊下みたいになっててかえって面白かったよ。あ、お饅頭とかあんみつ売ってるお店もあった」
「へえ、それもいいな」
 みるみるうちにケーキたちは小さくなっていく。すべてを並べた段階では多すぎるような気もしていたのだが、味の違う商品を少しずつ食べていると不思議と物足りない気がしてくる。健太はそれを自分だけの感覚かと思っていた。しかし、蒼生の目線がちらちらと店のほうを窺っている。どうやら向かいに座っている冬矢もその様子に気が付いたようだ。
「まだ食べられる気がするな。もう少し買い足そうか。蒼生ももう少しいけるかな?」
「えっ? あ、うん」
「そしたらさ、オレ口直しにちょっとしょっぱいのも買ってくる。蒼生はここで荷物守ってて」
「わかった」
 遠慮がちな蒼生のことだ、もうちょっと食べたい、という言葉を飲み込んでいたのだろう。健太と冬矢がそう思っていなかったらどうしようと考えて言いだせなかったに違いない。それを可愛いなあと思いながら、健太は売店の横の店に向かう。
 もう買うものは決めていたので、カウンターで注文をさくっと済ませると、待っている蒼生のほうを見る。蒼生は入り口近くの店に行った冬矢を眺めていた。そして、すぐに健太のほうを向く。自分たちの姿を常に追おうとしている姿が、とても愛おしい。目が合った瞬間ふにゃりと笑った蒼生に手を振れば、小さく手を振って返してくれる。蒼生が笑って見ていてくれることが本当に嬉しい。幼い頃から、それは健太にとって一番の喜びだったのだ。
「ただいま、蒼生」
「おかえり冬矢。わ、ミルクレープにチーズケーキに、へえ、ソフトクリームもあったんだぁ」
「オレも戻ったよー」
「おかえり健ちゃん。健ちゃんは……えっ」
 蒼生は健太が持ち帰って来たトレイを見て目を丸くする。それは、大盛りのフライドポテトの横に、厚めの肉が2枚挟まったハンバーガーがどんっと鎮座していたからだろう。
「おまえは……本当によく食べるな」
「甘いもん食べたらしょっぱいもん食べたくなるだろ」
「限度があると思うんだがな」
 ぎゅっと蒼生が健太の袖を握った。残った手で口元を覆っているが、次第に笑いが堪えられなくなっていくのが見ていてすぐにわかる。
「……ふ、ふふっ、あははっ。すごい、こんなに大きいの食べられるんだ」
「一番デカいやつにしたからな!」
「今の今まで可愛らしいケーキ見てたから、あんまりにもワイルドでギャップがすごい。だけど美味しそうだね」
「でしょ!」
 胸を張る健太に、冬矢は小さく笑った。
「まあ、健太らしいな。ポテトはソフトクリームと一緒に食べても美味しいから、そこの選択は褒めてやろう」
「よかったー。実は唐揚げと迷ったんだよ。付けて食べんの止まらなくなるよな」
「ふふふ。僕もその食べ方、大好き。健ちゃんと冬矢、気が合ってるよねぇ」
「えー。合ってるか?」
 健太と冬矢が顔を見合わせる。冬矢の顔には、わずかに不本意だという表情が浮かんでいた。が、すぐに冬矢は首を振る。
「少し複雑だけれど……結果的に蒼生が喜ぶならそれでもいいかな」
「ん、そっか。たしかに。うん、美味しいことには間違いねえし」
「そこは頑なだよね。僕のことばっかり考えてるから、対応が似ちゃうってさっき話したばっかりなのに。ふふ、そんなやりとりも可愛くて好きだなって思うけど。お先にいただきまーす」
 ふたりが驚いて蒼生に視線をやると、ソフトクリームをたっぷり載せたフライドポテトをにこにこと嬉しそうに頬張っている。可愛い子に可愛いと言われた衝撃に、妙な言い争いなんてどうでもよくなった。
 両隣に座っておとなしくポテトに手を出すふたりを、蒼生はとても楽しそうに眺める。
「美味しいね」
「ああ、美味しい」
「ますます食欲湧いてくるわ」
「あははっ」
 蒼生が笑っている。その屈託のない表情を見ると、いつも健太の心は晴れやかになる。蒼生の笑顔は、ショートケーキで言えば上に載っている大きな苺だ。それがあるからこそ、ショートケーキは完成する。一番大切で、なくてはならないものだ。
 健太と視線がぶつかると、蒼生はいたずらっぽく笑って、皿の上に残っていた大きな苺をフォークで刺した。
「はい、健ちゃん、あーんして」
「えっ、いいの?」
「美味しそうだから、健ちゃん、どうぞ」
 一番大切なのに。何のためらいもなく、健太の口に。
 ぱくん、と頬張る。
 蒼生に食べさせてもらった苺は、酸っぱさはほとんど感じない。とても甘くて甘くて、瑞々しくて、頬が落ちそうなほど美味しかった。
「いいな。俺にも食べさせて」
「うん、どれにする?」
 目の前では嫉妬したらしい冬矢が蒼生に近付いていたが、健太の心は大好きな蒼生の笑顔でいっぱいで、やきもちを妬く隙間はなかった。
 大好きな蒼生。
 甘くて可愛い、愛おしい恋人。
 けれど、
「蒼生っ、オレももっとあーんする!」
 やはり一粒では足りない。
 もっと、たくさん、君の甘い甘い笑顔が欲しい。

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コメントは作品投稿者とあなたにしかコメントの内容が表示されず、文字制限は140文字までとなりますので、あまり長いコメントを考える必要はありません。
是非、コメントを投稿して頂き、皆様と共にBLを愛する場所としてpictBLandを盛り上げていければと思います。
98こ目;ストロベリー・スウィートハート
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 健太が家に帰ると、廊下はほのかに暖かかった。覗き込んでもリビングのほうからは何の気配もしないが、目の前にある小型の電気式ヒーターから緩やかに噴き出す風の音がする。このヒーターは暑い時には冷風にも切り替えられる優れものだ。普段は脱衣所に置いてあり、風呂場との寒暖差を緩和するために使っていた。それがここにあるということは、健太より後に帰ってくる蒼生が寒くないようにと冬矢が運んだのだろう。
「ただいまー」
 声をかけながらリビングのドアを開けると、ダイニングテーブルに資料を広げていた冬矢がぱっと顔を上げた。
「おかえり。……ああ、もうそんな時間か」
 健太が帰ってきたことに気付かないほど集中していたのだろう。何を見ていたのか気になって、並べられた本にちらっと目を落とす。びっしりと細かい文字が書かれた資料は、明らかに難解な単語が多数を占めている気配がした。その複雑な文面に、意味を考えるよりもまず読むことすら目が拒否をする。すぐにぷるぷると頭を振り、なんとなく見なかったことにした。
「レポート?」
「そう。まだ提出には余裕があるんだが、参考文献がやたらと多い」
「ふーん」
 冬矢はばさばさと資料をまとめ始める。おそらく蒼生が帰ってくるまでに夕飯の支度をしておくつもりだったのだろう。健太はソファの脇に鞄をどさりと置き、コートを脱いだ。
「おまえそれ片付けんの時間かかるだろ? オレになんかできることある? なんなら、キリのいいとこまでやっちゃえばいいじゃん」
「そうか? 悪いな。……じゃあ、大根をおろしておいてくれるか」
「ん、わかった」
 キッチンに入って引き出しからおろし金を取り出しながら、冬矢も丸くなったものだなとしみじみした気分になる。
 様々な言動を総合して考えてみると、冬矢にとっての料理とは蒼生に愛を捧げるための行為のひとつらしい。そのため、最初から最後まですべてを自分でやるべきだという考えがあったようだ。“蒼生のための”行動であるからなのか、蒼生本人の手伝いは嬉しそうに笑って受け入れていたが、健太が手を出すことについて同棲当初の冬矢は難色を示していた。はっきり拒否をされることはなかったものの、わずかに戸惑った顔をしていたのを覚えているから、そういうことなのだと思う。それがいつの間にか、健太が手伝うことに何の抵抗も示さなくなってきたうえ、たまに「助かる」などと言われるようになった。
 健太と冬矢は、愛する蒼生と暮らしたいという願望が同じだから一緒に住んでいるだけであって、本来ならば生活を共にする必要はない。しかも健太が最も大切にしているのは蒼生なのだから、日常生活の中で冬矢と馬が合わなくとも何の問題もなかった。それはおそらく冬矢も同様だったはずだ。けれど、それが冬矢の中で少しずつ変わってきている。
 そして、健太自身にも同じことが言えるのだと思う。小さなことでも認められていると実感すると、嬉しいと感じるようになった。それは相手が冬矢だから、余計にそう感じるのだろう。世界の何より大切な愛しい蒼生を巡るライバルに、ちゃんと健太も「蒼生の恋人」なのだと認められている気がするからだ。
「すまない、片付け終わった。……早いな」
 腕まくりをしてキッチンに来た冬矢は、健太の手元を見て目を瞠る。大きな塊だった大根は、ほとんどがすり下ろされ、手のひらに収まるくらいになっていた。
「えっへっへ。だろー? もしかしたらオレ、これ得意かもしんない」
「そうだな。馬鹿力もたまには役に立つものだ」
「素直に誉めねえなあ」
 健太の苦情にふっと笑い、冬矢は大きな鍋を置いたコンロの前に立つ。
「何鍋?」
「鶏」
「蒼生が好きなやつだ」
「鶏団子も用意している」
「抜かりねえ」
 まもなく蒼生が帰ってくる時間だ。蒼生に会える。そう思うと、健太の胸はどうしようもなく高鳴る。蒼生とは生まれてこの方ずっと一緒にいるが、日に日に思いは強くなる一方だ。離れればひどく寂しいし、顔が見えればとても嬉しい。それが笑ってくれているとなればさらに嬉しい。冬矢が作る自分の好物に、蒼生はきっと喜ぶだろう。その顔を想像するだけで心が躍る。
 やがて、リビングのドアがわずかに音を立てた。玄関のドアが開いて、空気が動いた証拠だ。
「! 蒼生っ」
「……やはり少し準備が遅かったな。すべて整えて玄関まで迎えに行くつもりでいたんだが」
「あ、オレも手ぇびしょびしょだ。今から拭いても、蒼生、もう来ちゃうよな」
「ふたりでタイミングを逸するとは、計算違いだった」
 そう話しているうちに、ぱたぱたと足音が近付いてくる。その弾むような音に、たとえ慌てて玄関に向かったとしても間に合わなかっただろうことを悟る。
「ただいまっ」
 ドアが開くのと同時に、明るい声が響く。わずかに乱れた息は、おそらく急いで部屋に飛び込んできたせいだ。
「おかえり、蒼生」
「蒼生、おつかれさま」
「うん、もう1回、ただいまぁ。廊下、あったかくしてくれてありがと!」
 ふたりの声にふにゃりと笑った蒼生は、すぐに何かに気付いたようにぱっと目を見開いた。
「……あれ。ふたりとも、元気ない? 何かあった?」
 健太と冬矢は顔を見合わせる。蒼生に心配をさせてしまうほど自分たちは残念そうな顔をしていただろうかと焦った健太は、蒼生に向けてぶんぶんと頭を振る。
「んーん、違う違う。蒼生を玄関まで迎えに行きたかったのに、手が濡れてて行けなかったからがっかりしてるんだ」
「へ?」
「帰って来た蒼生を抱き締めるつもりでいたんだよ。俺の段取りが悪かったせいで、ちょうど手が離せない」
「な、なるほど」
 蒼生の戸惑ったような視線がふたりの手元を撫でる。まさかふたりの表情が、自分を玄関まで迎えに行けなかったというほんの些細な出来事のせいだとは思わなかったのだろう。それでも、冬矢の顔を見て、健太の顔を眺めるうち、その表情は次第に柔らかくなっていく。
「……ふふふふ」
 カウンターの端に齧りつくようにしてちらちらとふたりを見る蒼生に、健太は首を傾げる。
「今度は蒼生がどうした?」
「えー。ふたりが一緒にキッチンに立ってるのが、なんか嬉しい。ふふ、いいなあ。ね、僕も仲間に加わっていい?」
「! もちろん!」
「ぜひそうしてほしいな。早く蒼生をもっと近くに感じたいから」
「じゃあ、荷物置いてくるね!」
 嬉しそうに頷いて身を翻した蒼生の背中を、ふたりは喜びに溶けてしまいそうな笑顔で見送った。

 濡れた髪を適当に拭きながら、健太はテレビをつけてソファに座る。ちょうどニュース番組で、スポーツコーナーに入ったところのようだ。
 けれど一番耳に大きく届くのは解説者の声ではなく、冬矢とふたりでああでもないこうでもないと話しつつチラシの中に紛れていた大きな用紙の文字パズルを解いている蒼生の声だ。大きさで言えばテレビの音よりも小さいのだろうが、常に「聞きたい」と思っているからよく聞こえるのだろう。とても心地の良い声だ。そちらに目をやれば、一生懸命考え込んでいる蒼生の横顔が可愛い。ついじっと見つめてしまっていると、蒼生が気付いて笑顔でぱたぱたと手を振ってくれた。やはりとても可愛くて嬉しくなり、手を振り返す。が、それはつまり気を散らせてしまったということだ。いけないいけない、と背を正し、蒼生の邪魔をしないように強い意志でテレビのほうに視線を戻した。
 画面に、真っ白い坂を滑り降りるスキーヤーの色鮮やかな姿が大きく映し出されている。並ぶ旗の間を器用に滑り抜け、立ちはだかるジャンプ台から綺麗なフォームで飛び出していく。そしてそのままゴールのラインを駆け抜けていった。かっこいいな、と思う。さすがにこの競技のような滑り方はできないものの、広いゲレンデを自由に滑り降りるのはとても気持ちがいい。先日大学の友人たちと行ったスキー旅行は、時間が足りないと思うほど楽しかった。ただ……至る所で、圧倒的に足りないものがあったことに気付かされた。蒼生だ。蒼生がこちらを笑って見守っていて、その笑顔に「今のすごかったでしょ」と話しかけて頷いて貰うことまでセットで満点なのだ。どんなにかっこよく滑れたと思って振り向いても、蒼生の姿がない。蒼生が見ていてくれない。それはとても寂しかった。
 だからといって、蒼生をスキーに誘うというのはなかなか難しい。野木沢寺田両家でも家族旅行として何度か行ったことがあるが、常に蒼生は早々に板を外して健太の妹と雪遊びをしていた。どうやら人目がある状況で積極的に動くことを嫌うらしいのだ。どうしても一緒にやりたいと言えば最終的には折れてくれるかもしれないが、無理強いをしたいわけではない。
「できたー!」
「やっと解けたね。ただのチラシだと思ったけれど、なかなか手が込んでいたな」
「うん。もっと簡単にできるかと思ったのにね。あー、すっきりした」
 明るい声に目をやると、蒼生が大きく背伸びをしたところだった。終わったのなら、もう邪魔をすることはないだろう。それに冬矢と遊んでいたのだから、今度は自分の番であるはずだ。健太が期待を込めてさっと両手を広げると、蒼生はすぐに察して、嬉しそうにいそいそと正面から腕の中に収まってくる。ふわ、とシャンプーの香りがした。可愛い。
「おつかれさまー。結構時間かかってたね」
「あ、ホントだ。時計、かなり進んでる。それがねえ、難問だったんだよ。1か所間違うと他のところも変わってきちゃうから、答えがズレてすぐに辻褄が合わなくなっちゃう」
「蒼生と冬矢がふたりがかりで挑んでそれってことは、普通の人だったら解けないんじゃねえの?」
「そんなことはないと思うけど」
 にこにこ見上げてくる蒼生の表情は、パズルが相当楽しかったことを物語っている。そうだ、蒼生は室内で頭を使っているほうが好きなのだ。やはりスポーツに誘うのは現実的ではなさそうだ。
 蒼生は体からすっかり力を抜いて、健太に寄りかかってくる。それから頭を仰のかせてテレビのほうを見た。
「健ちゃんは何を見て……あ、ウィンタースポーツ大会かあ」
「うん。すげえよな」
 こちらに向き直った蒼生が、健太の膝の上によじ登り、背中をぽすんと預けてきた。風呂でよく温まった体がじんわりと熱を伝えてくる。それが嬉しくて、健太は手を回して蒼生の腰をぎゅっと抱いた。蒼生の手が自分の手に重なってくるので、ますます嬉しくなる健太だ。
「ほんとにすごいよね。あんなに速いスピードでよく曲がれるなあって思う」
「よっぽど練習しなきゃケガするんだろうなー」
「だよねえ」
 優勝インタビューが流れ終わると、画面は小さな子の姿を映す。どうやら優勝者の小学生時代の映像らしい。幼少期から才能がありジュニアの大会で活躍を続けていたというその姿を、蒼生は感心したように眺めていた。そこに羨望の色はない。
「……蒼生は、スキーって苦手だっけ」
「うーん? そうだなあ……出来ないことはない、って感じかなあ。上るのが大変だし、リフトがあんまり好きじゃないんだよね。それに滑ってる時って個人で楽しむだけな感じがして、寂しい。行くなら見てるだけがいい」
 そっか、と呟いて健太は頷く。一応確認をしてみただけだが、あまり乗り気がしないことをはっきり伝えてくれたことがありがたい。昔の蒼生なら有耶無耶にして、健太の希望を聞こうとしただろう。蒼生の意思が大切なのだと伝え続けてきたおかげで、ちゃんと話してくれるようになってきた。
 きょとんと蒼生が仰のいて健太の顔を見る。
「健ちゃんはスキーしに行きたいの?」
「いや、オレはこの前行ってきたから、行きたいっていうか……まあ行きたいのは行きたいんだけど……。んーとね、蒼生と冬にしかできないような遊びがしたいんだ。せっかくだからいろんなことしたいと思ってさ。でも、蒼生も楽しいところがいいなって思ってて」
「冬っぽくて、僕が楽しい遊びかあ」
 蒼生と健太は同じように首を傾げ、うーんと唸った。
「健ちゃんと冬矢と一緒なら僕はどこでも楽しいと思うんだけど……、そこにもう一歩ってことでしょ?」
「うん。蒼生がめんどくさいからやだ、っていうのはオレもやだから。えーと、なんかないかな。ぱっと思いつくことで、蒼生がいいなって思うのはどんなこと?」
「思いつく……。やっぱり、顔が見られて、ちゃんと会話が出来るのがいいな」
「あ……、そうだよな」
 よくよく考えてみれば、家族旅行の時、健太は毎回姉と蒼生の兄2人と一緒にひたすら上っては滑るを繰り返していた。蒼生は健太がどこにいるかは背格好やウエアでわかったとしても、深々と帽子を被ってゴーグルを付けていたし、顔自体は見えなかっただろう。きっと蒼生はそれが寂しかったのだ。しかも妹が滑れるようになってからは、彼女も自分たちに合流してしまった。蒼生は大人組に加わるでもなく、ひとりロッジの近くで本を読みながら荷物番をしていた。戻ってきた健太をにこにこ迎え入れてくれるから、そういうものだと思ってしまっていた。笑っていたから楽しいのだと思っていたけれど、本当はどんな気持ちで待っていてくれたのだろう。
 健太は蒼生の腰に回した腕にぎゅっと力を込める。
「ちっちゃい頃、オレ、姉ちゃんたちとばっか遊んでて……蒼生に寂しい思いさせてたんだよな。ごめん」
 首を傾げながら笑った蒼生が、ぽんぽんとその腕を優しく叩いた。
「昔のこと? ああ、僕がひとりでいたのを気にしてくれてるの? 健ちゃんは本当に優しいね。ありがとう。あれはただ単に上って降りることに飽きてて、みんなと一緒に遊ぶより本読んでるほうが楽しかっただけだよ。今考えると全然協調性なかったなーって反省してる。もし今度健ちゃんと行くことになったら、もう少し頑張ってみるから」
「んんん……。その努力する意思は素晴らしいと思うんだけどぉ……。もうちょっとラク~な感じで遊びたいっていうかぁ……」
 難しいなと健太は首を捻る。前向きに頑張りたいと話す蒼生が嬉しくもあるが、がつがつしたくもない。もしかして自分はひどい我が儘を言っているのではないかと不安になる。
 いや、弱気になってはよろしくない。頭を振って思考を切り替える。何かないだろうか。小さい頃からの記憶を辿り、楽しかった思い出を探る。しかし、どれもこれも自分ばかりが楽しんでいて、蒼生は輪の外で見ているばかりだ。どうしてあの頃気付かなかったのだろう。蒼生が本当の意味で踏み込んで来てくれたのは、付き合ってからだと思う。恋人同士になってからの蒼生は、少しずつ本音を話すようになってくれて、
「あ」
 ぽんと健太は手を叩く。
「そーだ、スケート行かね?」
「スケート?」
「うん。前に行って楽しかったじゃん。あれなら話しながら遊べるよ」
 話しながら自分の案に納得する。付き合ってから、で思い出した。高校生の頃、3人でスケートデートをしたことがある。リンクの周りに並んだ屋台で買い食いをしたこともとても楽しかった、大切な思い出だ。何故この瞬間まで出てこなかったのか不思議に思う。もしかすると、蒼生とは様々な思い出を作りたいと思っているから、同じことを避けて考えてしまうのだろうか。だが、楽しいことは何度体験してもいいはずだ。
 蒼生は体勢を変え、健太の上に横向きに座る。
「わあ、いいねえ。行く、行く。この辺ってスケートできるとこってあるの?」
「あるんじゃないかな。下手すりゃ地元よりいっぱいあるかもよ」
 わくわくした顔の蒼生に嬉しくなって、健太はさっそくローテーブルにほったらかしだった携帯電話に手を伸ばす。近くで今やっているスケートリンクを調べてみると、思っていたよりも多くの候補が表示された。
「ほら、期間限定のとこだけでもこんなにやってる。空いてるほうがいいから、完全前売り制のとこがいいな」
「すごい。むしろビルに囲まれたとこに多いんだね」
「てことは行きたいレストランから逆算して選んだっていいってことか」
「あはは、たしかに」
 覗き込んでくる蒼生と一緒に、イベント会場の広さを調べ、周辺のレストランを探す。チケットの売れ行き状態も確認すると、どこも週末は混んでいるところが多かったが、平日は余裕がありそうだ。
「ここよさそうじゃない?」
「だよな。最速のチケット取れる日……、あ、予定大丈夫な日だ。なあ、冬矢もこの日でいいよな」
 キッチンに立っていた冬矢に向かって声をかけると、冬矢はぴっと背筋を伸ばして小さく首を傾げる。
「俺も含めての話だったのか? 健太が蒼生とふたりで出かけたいのかと思って黙っていたが」
「あっ。うわあ、それでもよかったんだった! うー、でもー、蒼生は冬矢もいたほうが喜ぶからなー」
「うん! 喜ぶ!」
「ふふふ、喜んでくれるんだ。それは嬉しいね」
「じゃあ、しょうがねえなー」
 冬矢が手を拭きながらキッチンから出て、ふたりの隣に座る。蒼生はにこにこと健太の手ごと携帯を掴むと、冬矢の前に差し出した。ますます嬉しそうな蒼生に、健太のテンションは上り通しだ。


 乾いた風はひんやりと冷たく、肺いっぱいに吸い込むとすっきりして気持ちがいい。ビルに囲まれてだいぶ小さくしか見えないが、空は青く綺麗に晴れていた。その細長い空間の底に広がる真っ白な氷の上には、開場すぐに訪れたらしいカップルたちが楽しそうにスケートを楽しんでいるのが見えた。
「健ちゃん、待ってぇ」
 慌てた音色の蒼生の声がして振り返ると、スケート靴にまだ慣れない蒼生が冬矢に支えられながらよたよたと歩いてくる。
「え、なにそれ、可愛い」
「だって健ちゃん早いんだもん。ふたりとも、よくすぐに歩けるね。久々に履いたらぐらぐらする……。もうちょっとしたら平気になると思うんだけど」
 さすがに健太も1歩目だけはふらついた。普通の靴の感覚で立ち上がってしまったからだ。だが、一度こういうものだと思い出せば何の問題もなかった。蒼生も運動神経やバランス感覚が悪いわけではないから、自分でも言う通りすぐに慣れるだろう。ただ、冬矢に縋る姿が可愛いのでこのままでいてほしくもある。
「まあ、無理しないで。平気になるまではオレたちに掴まってればいいよ」
「うん」
 手を伸ばすと、蒼生は片手を冬矢の腕に残したまま健太の手を取った。嬉しくて思わずにやけてしまう。その顔を見た冬矢が小さく呟く。
「……蒼生を置いて行ったくせに」
「えっ」
 ぎくりと手が止まる。そんなつもりはまったくなかったのだが、言われてみればその通りだ。リンクで滑りたいという気持ちが先行して、準備をしてすぐひとりでリンクサイドに駆け寄ってしまった。きちんと言い訳しなければと焦って口を開きかけた健太に、当の蒼生はふるふると首を振る。
「置いて行かれたなんて思ってないよぉ。健ちゃんはいつも僕を先導してくれるんだもん」
「あ、蒼生……」
「俺の蒼生は優しいな」
「ちょ、おい、それはオレが言うとこだろ」
 蒼生は、さらりとした顔の冬矢と慌てたような表情の健太を交互に眺めてにっこり笑う。そして、ふたりと繋がった両手をぎゅっと引き、止まっていた1歩を踏み出した。
「さーて。そろそろ滑りに行かないと、僕、普通に歩けるようになるよ」
「わ、もうちょっとふわふわした歩き方の蒼生を堪能したいっ」
「それはどうかな。なんだか少し慣れてきた気がするもんね。地面の上はもう大丈夫かも。あ、うん、歩ける」
 それまでとは反対に、蒼生に手を引かれるようにして3人はリンクの端に立つ。楕円形に作られたリンクの周りはぐるりと手すり付きの低い仕切りで囲まれていた。そのところどころに切れ目を入れるように出入り口が何か所かある。蒼生はそれを見てほっとしていたようだった。たしかに掴まるところがあるとないとでは大違いだ。健太は、昔遊びに行った遊園地のリンクには手すりが全くなかったことを思い出す。父親が派手に転んで家族で大笑いをした記憶があり、蒼生はひどく心配そうに手を差し出していたから、蒼生もその時のことを思い出しているのかもしれない。
「よーし。まずはそれぞれで乗ってみっか」
 お互いに掴まったままでは、バランスがとりづらいだろう。健太が言うと、蒼生も冬矢も頷いた。
 ちゃんと蒼生に気を配るべきだったし、歩きづらいなら自分が支えるべきだったと反省をしている健太だが、同時に「自分のことを常に先導している」と言われたことが嬉しかった。だから格好のいいところを見せたくて、自ら率先して一番に氷に足をつける。靴の底の金属と氷が、こつんと立てた音が心地よく耳に届いた。すいっと足を動かせば、拍子抜けするほど簡単に前に進む。
「うん。大丈夫そう」
 続いて氷の上に立ったのは冬矢だ。一瞬体が揺れたが、すぐに立て直して数メートル進んで戻ってくる。
「ああ、こういう感じだったな」
 それを後ろから見ていた蒼生はじっと氷の表面を見つめる。そして手すりをしっかり掴むと、見るからにおそるおそるといった感じで足を出した。
「……わっ」
 靴の刃がつるりと滑り、蒼生の体が引きずられるように沈む。
「蒼生!」
「蒼生っ」
 慌てたふたりに支えられ、蒼生はなんとか踏みとどまった。というより、ふたりに向かって倒れ込んだという表現が近い。
「び、びっくりした。ごめんね、ありがと……。地面は大丈夫でも、いきなりの氷は無理だったみたい」
 ぱちくりと目を見開く蒼生に思わず「可愛い」と思ってしまいながら、健太はひょいと蒼生の体勢を戻してやる。
「氷に乗っかるとこは手伝えばよかったな」
「そうしてもらえばよかったかも。僕もまさか1歩目でこうなるとは思ってなかったから、ドキドキしたぁ」
「ふふ。そこが一番難しいところだろうね。大丈夫、焦らないで。ゆっくり滑りだそう」
「うん」
 ふたりの手を取り、蒼生はゆっくりと氷を蹴る。1回。2回。まだ少しこわごわと。
「わ」
 再び蒼生がバランスを崩した。
「おっ」
 蒼生はとっさに手を離して道連れを避けようとするが、ふたりはそれを許さない。
 そのまま蒼生は尻餅をつき、健太がその上に倒れ込む。ただ、健太が蒼生の体の下に腕を滑り込ませ、冬矢が手すりを握って蒼生の腕を引いたおかげで、頭を打つことはなかったようだ。
 3人はわずかな間、放心したように黙り込む。けれど、そんなふうにひとかたまりになって黙り込む自分たちの姿が面白かったのか、冬矢が小さく噴き出した。
「ふふふ。蒼生、大丈夫?」
「だ、大丈夫ー。けど、巻き込んじゃった、ごめ」
「謝る必要はないからね。スケートはこういうアクシデントがあってこそだと思っているし」
「そうなの?」
「そうだよ。健太を見てごらん」
 冬矢に言われるまでもなく、健太は頬の緩みを抑えきれなくなっているのが自分でもわかっていた。氷の上に寝転ぶ角度で座る蒼生と、蒼生に跨がるような格好の自分。この光景を頭に焼き付けておきたい。
「……健ちゃん?」
「はあ……。これ。これなんだよ。きゃっきゃしながら転んじゃうやつ! これがやりたかったんだよ!」
「転んでるのに?」
「もちろんケガしなくてよかったと思ってるよ。でも、こういうベタなやつ、めっちゃくっちゃ嬉しくて楽しい!」
「そっか、健ちゃんってそういうの好きだもんね」
 蒼生の言う通りだ。いわゆるカップルがよくやるやつ、というのが、たくさんある蒼生としたいことのひとつである。もちろんそれを形だけやっていくことが恋人の証明だと思っているわけではないが、どうしても憧れがあった。そして健太がそう思っていることを、蒼生はよく理解している。
 そのせいかいつまでもその体勢を崩そうとしない健太に、今度は冬矢が蒼生の手を引いて立たせる。
「なるほどね。この2回の転倒でわかったよ」
「? なにが?」
「蒼生が転ぶ原因。ほら。ここ。足に力が入りすぎているんだ。俺たちに迷惑をかけたくない、転ばせてしまっては悪い、と思っているから緊張してしまうんだね。だけど、蒼生にもわかっただろ? 蒼生が転んでも、俺たちは蒼生がケガをしないようにきちんと支えることができる」
「……うん。どこも痛くなかった」
「でしょ!」
 立ち上がった健太は、蒼生の背中に付いた氷をぱたぱたとはたく。そうしながら、自分たちに迷惑をかけたくないのだろうという冬矢の言葉を蒼生が否定しなかったことを健気でとても愛おしく思う。だとすれば、足下の覚束なさを可愛いと堪能したい欲より、蒼生を安心させるほうが大事だ。
「ん、わかった。そしたら、蒼生はオレを追っかけて」
「えっ」
「冬矢もオレと来い」
「はいはい」
 すいっと冬矢が先に進む。健太も後ろ向きに、緩やかな速度で氷を蹴る。
「なんも考えなくて大丈夫。オレの胸に飛び込んでくる感じで来て」
「えっと、……うん」
 意を決した蒼生が、ついっと滑りだす。それを見て健太と冬矢がスピードを上げる。追いつくために、蒼生も思い切って足を出す。
 するといつの間にか、蒼生は綺麗なフォームで健太たちの後を追っていた。
「できた、できた、そう、こんな感じ!」
「おー。もう大丈夫だな」
「健ちゃん、すごーい! 教え方上手だね」
 蒼生が嬉しそうに声を上げる。それを聞いて健太も嬉しくなった。
「オレはなんにもしてないよ。蒼生が思い出せただけだよ」
「それでもすごいと思う!」
 スピードに乗ったほうがバランスはとり易い。もともと滑れるのだから、いったん感覚を取り戻せば何も難しいことはないと思ったから、怖がらずに勢いに乗せてみようと考えただけだ。けれど、褒められたことは素直に嬉しい。
「へっへへ。もっと褒めて!」
「すごい! さすが健ちゃん! よかったー、このまま滑れないかと思っちゃった」
「ふふふ。心配しなくていいのに。仮に滑り方を完全に忘れてしまったとしても、俺と健太は手を離さないよ」
「……! うん!」
 胸に手を当て、蒼生はほっと息を吐いた。
 健太も何故か同じように息を吐き、蒼生に並んで手を握る。
「じゃあ、改めて一緒に滑ろ」
 冬矢も蒼生の手を取る。
「一緒に行こうね」
 はにかんだように笑い、蒼生はこっくんと首を縦に振った。その嬉しそうな仕草が、健太の心の中を満たしていく。もう手を離しても大丈夫だろうが、やっぱりこのまま繋いだままでいたいな、と思った。どうせ周囲の客たちも、自分たちのことばかりでこちらのことなど気にしていない。見られたところで、転びやすいから支え合っているだけだと思われるくらいだろう。
 そういえば、と健太は思い出す。それは小さな屋内施設の記憶だ。
「ねえ蒼生、覚えてる? スケート教えてもらった初日もこんなふうに手を繋いで滑ったよね」
「初日? あー……、そういえばそうだったね。先生を先頭に、全員で一列になって」
「そうそう。近くにいる人と手を繋いでーって言われたから、オレ蒼生のそばに無理矢理割り込んだんだよな」
 他の記憶はぼんやりしているが、そこだけはっきり覚えている。自分の手は蒼生が握るものだと思っていたから、蒼生が他の子に手を伸ばしたのを見てとても嫌な気持ちがしたのだ。
 冬矢が小さく首を傾げる。
「蒼生たちはスケート教室に通っていたの?」
「ううん、小学校の時のイベントで何回か教えてもらっただけだよ。あのね、昔、僕たちの住んでた街から有名な選手が出たんだって。それで、わが町の歴史を体験したり触れたりして学ぶ、みたいな授業の一環でスケートに親しもうって行事があったんだ。低学年だけなんだけど、いくつかの小学校合同でやるんだよね。年に2回か、3回の年もあったかな? だから、あのへんにいた子たちはみんな、飛ぶとか回るとか難しいことはできなくても、まっすぐ滑るくらいなら出来るんだ」
 健太は蒼生の手をぶんぶんと振り回しつつもぱちくりと冬矢の顔を覗き込んだ。
「そっかー。周りみんな滑れるから忘れてたけど、全員が通った道じゃないのか。そういや冬矢って低学年の頃はうちの地元じゃなかったんだもんな。そのわりには上手だけど」
「ね。すごく上手」
 ふっと笑って冬矢は蒼生の腰に手を回す。
「俺も小さい頃に覚えたんだよ。ちょうど両親の仕事がスケートの盛んな地域だった時に、体験入部のような形でスケートクラブに通ったことがある」
「えっ、すごいね」
「本当に数日だけだよ。だから俺も進むくらいしかできない」
 謙遜する冬矢を、蒼生はにこにこと眺める。
「ふふ、3人で一緒に滑れるんだもん、僕はそれだけでも嬉しいなあ」
「俺も蒼生とこんなふうに楽しめるなら、経験しておいてよかったと思うよ」
 なるほどなあ、と健太はひとり頷く。冬矢は転勤の多い親に連れられて、小学生の途中までは全国あちこちを巡っていた。だからひとつの物事に長く取り組むより、様々な体験を少しずつすることのほうが多かったのだろう。それでもきちんと身についているのは、冬矢がそれぞれの出来事と真摯に向き合った結果なのではないだろうか。
「おまえって意外と真面目だよなあ」
「なんだ、いきなり」
「んー、しれっとなんでもできるような顔して、実は努力の人なんだなって」
「……何が目的だ?」
「ええっ。純粋に褒めてんのに、ひでえなあ!」
 ふふ、と間で蒼生が笑う。
「冬矢も健ちゃんも、ふたりとも努力の人だよ。いつも頑張ってる姿を見てるもん。かっこいいよね。僕の自慢の彼氏なんだ」
 それを口にした蒼生は満足げに胸を張って、本当に誇らしそうだ。
「かっ、可愛い……!」
「ありがとう。蒼生だって、俺の自慢の彼氏だよ」
「えへへ、嬉しい」
 可愛い。あまりにも可愛すぎて、健太は思わず蒼生の腰を掴むと、ふわっと持ち上げた。
「わ」
「健太、危ないぞ」
 ふたりは驚いた顔をするが、健太は瞬間的に「大丈夫だ」と確信する。それは、蒼生がおとなしく持ち上げられているからだ。自分が思うよりも前に、蒼生は健太を全面的に信頼して「大丈夫だ」と思ってくれている。
 しかし、冬矢の言うことも当然で、いくら健太の運動神経が抜群だとしても技として習ったことがあるわけではない。ただの素人が気軽に行うのは危険だろう。テンションは上がったままだが、すぐに蒼生をそっと氷の上に下ろした。
 ところが蒼生は危ないなどと微塵も思っていなかったらしい。わずかにくるりと回るように身を翻すと、楽しそうに植木の方角を指さした。
「今の、面白かった! あとね、あっちに今日のお昼ごはんで行くお店があったよ」
「あ、マジで?」
「うん。一瞬だけだけど、看板がぶら下がってたのが見えたんだ」
「よかった。それなら、後で迷わなくて済むね」
 それは3人で商業施設のサイトを眺めながら、どこにしようかここも美味しそうだとあれこれ悩んで決めた、ビーフシチューが名物の店だ。肉の塊がどんと載った写真に健太が食いつき、ほろほろとろける肉という宣伝文句に蒼生が目を奪われた。冬矢はおそらくその味を盗むつもりでいるのだろう。
 いつまでもくっついている健太から蒼生を引き離した冬矢は、にやにやと笑う健太に首を傾げる。
「どうした。そんなに楽しみなのか」
「それも楽しみなんだけど……。あんまり食べ過ぎちゃダメだぜ。デザートはできれば無しの方向で」
「えっ」
 健太が何を企んでいるのか、ふたりはすぐに察したようだ。冬矢は呆れたように小さく笑い、蒼生は目をきらきらと輝かせた。

 食事の後、健太がふたりを引き連れてやって来たのは、隣の商業ビルの中にある施設だった。大きな通路からひとつ角を曲がると、両側に本物のように作られた木が緑の葉を茂らせており、その間に横断幕を模した看板が掲げられている。奥にはピクニックを楽しむ動物たちがコミカルに描かれた壁が視界を遮っていて、左右に通路が繋がっているようだ。右に入口、左に出口という表示と矢印があるので、ここを回り込んで中に入る構造らしい。
 看板を見上げた冬矢が、感心したように腕を組む。
「ふーん。スイーツの森、ね。健太はこういう施設を探すのが上手いな」
「なんか……冬矢に褒められると背中辺りがもぞもぞするんだけど」
「おまえだってさっきやっただろ」
「仕返しか」
「素直に褒めただけだが」
 後ろでそんなやりとりをしているのを聞いているのかどうか、蒼生は足取りも軽く右の木に近寄ると、幹に備え付けられたラックからパンフレットを取って開く。手元の写真と壁のイラストを交互に見ながらそわそわしている姿にきゅんとして、ふたりは蒼生の傍に歩み寄った。
「美味しいのありそう?」
 健太の声に、蒼生はぱっと振り向く。その眉尻を下げた無邪気な表情のあまりの可愛さに、思わず健太はしゃがみ込んだ。
「うぐー……」
「え。け、健ちゃん、大丈夫?」
「心配することはないよ、蒼生が可愛すぎて限界を突破したんだろう」
「ひぇ……」
「それより、俺にも見せてね」
 冬矢はさりげなく蒼生の肩を抱いて引き寄せ、その手元を覗き込む。すると蒼生の表情がほころんだことを野生の勘で察知した健太が、冬矢にだけいい思いはさせないとばかりにがばっと立ち上がって正面から蒼生の両手を握った。一連の流れに蒼生はにっこり笑って、ふたりに見やすいようにパンフレットを広げる。
「見て。こんなにたくさんお店が入ってるんだって。ねえ、これって、よくテレビに出る人のお店だよね。こっちは行列ができるって有名なところだ。すごい、ケーキ屋さんだけでもこんなにいっぱいある」
「ああ、しかも今は苺フェアなんだね」
「そうみたい。どうしよう、どこのお店にしたらいいかな?」
 右から左、上から下、と蒼生の目線は落ち着かない様子だ。自分の思惑通りに蒼生がはしゃいでくれて嬉しい健太は、そっとその両手を引く。
「とりあえず、実際のデザート見てみようぜ! 写真じゃちっちゃくてわかんないもんな」
「そうだね!」
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
 3人は並んで看板の下を通る。壁の可愛らしいイラストを間近に見ながら入り口のほうに回り込むと、細い廊下が暗い空間に向かって伸びていた。森という施設名の通り、数メートルおきに作り物の木が設置されている。床を見れば曲がりくねった道の絵があり、天井を見れば葉っぱと青空の絵が絵本のようなタッチで描かれていた。さらに壁には木の合間を縫うように店の宣伝ポスターが貼られていて、蒼生はそれを興味深そうに眺めている。
 しかし、それはどうも妙な光景だ。健太は蒼生の肩にとすんと顎を載せる。
「なあなあ。この木と木の間ってさ、ただの空間なはずじゃん。ポスター浮いてる設定なのかな」
「え? ……あ。ふふ、そう言われてみればそうだね」
 目を細めて、蒼生は背中にほとんどくっつく距離にいる健太の腕に自分の手を回す。すると、反対の手を冬矢が取った。
「そこまで世界観を重視して見る人もなかなかいないんだろうね。健太の言う通り、森を意識するならあり得ない配置だ。そういう物語的な背景を気にするよりも、商品を紹介したほうが施設としても売り上げに繋がるから現実的なんだろうな」
「そうだね。せっかくだから、宣伝したほうがいいもんね。あ、だけど、健ちゃんが言うみたいにそういうファンタジーの世界だって思っても面白いかも。あっちの絵も、動物たちが食器持ってピクニックしてたくらいだし」
 自分の言葉に納得したように蒼生が頷く。その横で、健太は冬矢のセリフが自分に同意したようでいて、実は蒼生と先を急ぎたいだけだとピンと来る。言葉の端がどことなくぞんざいだったからだ。ちゃんと話を聞け、と文句を言ってやろうかとも思ったが、早く施設の中を蒼生と歩きたい気持ちは一緒なので、とりあえず今は黙ることにした。何より、ファンタジーだと口にして目を輝かせる蒼生が可愛かったので、それが見られただけで満足だ。
 ただもちろん、それで終わりにするつもりはない。蒼生が回してくれた手をぎゅっと握り、ぶんぶんと振る。
「これ、いちごバーガーって気になるな!」
「あはは。健ちゃん、お昼もいっぱい食べたのに、まだ食べる気だ」
「もちろん、別腹だからさ!」
「それは食事とデザートの関係だと思うんだが……」
「デザートだと思えば、ハンバーガーもデザートだろ」
 そうして蒼生を中心に小さくかたまりになって笑って言葉を交わしていると、短い廊下はあっという間に過ぎていった。
「わぁ」
 蒼生が声を上げる。ぱっと開けたそこは吹き抜けの広場だった。中央には時計が埋め込まれた高い木があり、天井にはその木と繋がるように葉が大きく広がる様子が描かれている。照明が薄暗いのは、大きな木の陰にいるからという設定なのだろう。木の根近くには石造りの噴水がある。それを囲むようにキノコの形をした色とりどりのテーブルが並んでいて、楽しそうにケーキを食べる人々の姿が見えた。
 視線を巡らせると、店はその外周にある。先程の廊下と同様に、壁に沿うように太い木が作られて、大きく口を開けたうろの中が店舗となっていた。ショーウィンドウがすっぽりはまったテイクアウト専用の店もあれば、中にも席がある店、上の階に客席がある店など形態は様々だ。よく見ると、広場から奥に向かってさらに通路があり、そちらにも小さな店があるようだ。
「ほんとにテーマパークみたいだね」
「思ってたより壮大だな。あのへんの上の階、ツリーハウスみたいになってる。あれはレストランなのかな?」
「あ、パンフレットのこのお店だ」
「なるほど、あそこの階段から上るわけか」
 蒼生は再びそわそわしながら、パンフレットと店舗を見比べている。はっきり決めるのが苦手な蒼生には、この店舗の数は多すぎるかもしれない。そう思った健太は、敢えて冬矢の顔を覗き込んだ。
「冬矢、おまえ幾つイケる?」
「俺? そうだな。2つ……いや、3つくらいは」
「だよな、ちょっと歩いたからオレも胃に余裕できたもん。ってことはさ、自分が食べたいやつそれぞれ何個かずつ買ってさ、分けっこして食べたらいろんな種類食べれるんじゃない?」
 何を健太が言おうとしているのか、冬矢はすぐに理解したらしい。ふっと笑って頷く。
「ふうん。最初からそのつもりで切り分けてあれば、俺と健太でもお互いに試せるというわけか」
「そ。ふたりで分けるのはなんかヤだけど、蒼生と3人で分けっこなら問題ないもんな。んで、絶対自分で1個まるまる食べたいっていうのがあれば、そうすればいいんだしさ。蒼生はどう思う?」
 今度は蒼生の顔を見る。蒼生は瞬きの数を増やしながら、ふたりを見上げた。
「いいな、って思う。けど、ちゃんと美味しいの選べるかなあ」
 どうやら蒼生の心配は、健太と冬矢が食べるものに失敗したくないという思いから来ていそうだ。真面目で臆病な蒼生らしい不安だと思う。そんな心配はいらないのにな、と健太は蒼生の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「もしちょっと口に合わないのがあっても、3分の1になるんだから平気だろ」
「逆に、気に入ったものがあれば、買って帰ってもいいしね」
「……そっか、気楽に選んでいいんだ」
「もちろん! だって初めて見るやつがホントに美味しいかどうかなんて、食べてみなきゃわかんないじゃん。だから適当に見た目で選んでもいいと思うよ。あっ、そうだ、せっかくだからバラバラに探して持ち寄るのって面白そうじゃない? それこそ買いすぎちゃっても持って帰れるでしょ。……お、ほら、あそこに“お持ち帰り用の箱は売店でお買い求めください”って書いてある。売店ってあそこか。へー、後で見てみようぜ!」
「うん」
 健太の勢いに、蒼生が微笑んで頷く。健太がゲーム感覚で楽しんでいることが伝わったのだろう。これは健太の経験による実感だが、蒼生は健太が楽しいと思っているとそれだけで安心するらしい。
 その空気を冬矢も察したようだ。先行して足を踏み出し、蒼生の手を一度きゅっと握った。
「それじゃあ、それぞれ気になるものを買ってこよう。集合場所は、あの噴水に近いあたりのテーブルでどうかな」
「わかった。探してくるね」
「よーし。んじゃ、出発ー!」
 こくんと深く頷き、蒼生は一度辺りを見渡してから奥の通路に向かって歩いていく。冬矢もその背を見送ってからすっと左に進路を取った。残った健太は、きょろきょろ迷いながら歩く蒼生の姿をじっくり堪能してから、冬矢と反対の方向に進むことにした。
 それまでずっと蒼生のことばかり気にしていたため気付かなかったが、周りはずいぶんと若いカップルが多い。小さな子を連れた母親たちのグループ以外は、ほぼカップル同士だ。おそらく平日の日中だからこういった人数構成になるのだろう。スケートをしている時も思ったが、お互いにしか興味のない人々ばかりなのはありがたい。少なくとも自分たちに声をかける者はいないだろうからだ。
 最初の店を目指しながら、売店にちらりと目をやった。ログハウスふうになった店の中では、入り口の壁にいた動物たちのグッズが売られている。どうやらあれはこの施設のマスコットキャラクターたちだったらしい。キーホルダーや文具などの実用品がほとんどで、ありがちな土産用菓子が見当たらないのは、施設内の店と売り物が競合しないようにという配慮だろうか。それにしても、シンプルで使いやすいものも多そうなので、やはり帰りに蒼生とチェックしよう。
 そこを過ぎると間口の小さな店だ。木製のカウンターに立っている店員と目が合ったので思わず会釈をすると、にこりと笑顔が返って来た。彼女は手のひらをくるりと上に向け、頭上に掲げられたメニューを指し示す。ここはサンドイッチやハンバーガーなどの軽食や、様々な飲み物を売っているらしい。先程見かけたポスターのいちごバーガーはこの店のメニューではないようだが、甘いものが苦手な人や、口直しが欲しい時には重宝しそうだ。蒼生は紅茶が好きだから、と思ってドリンクメニューを見れば、紅茶だけでもいくつか種類がある。
「後で来ます!」
「お待ちしてます!」
 声をかけて通り過ぎると、元気のいい返事が響いた。これはリップサービスではなく、本当にそのつもりだ。甘いものをたくさん食べるには、塩気のあるものが必要だろう。
 さて、どんなものを蒼生と一緒に食べようか。考えながら、次々と店を覗いていく。フェアというだけあって、苺を使ったケーキの数は驚くほど多い。蒼生が果物の中で一番好きなのは苺だ。ということは、どれを選んでも間違いではないはずだ。だが、できれば蒼生が一番笑顔になれるものを選びたい。とにかく蒼生が喜んでくれる姿が見たい。サイズは? 大きくてインパクトのあるケーキがいいだろうか、控えめなサイズのほうがいいだろうか。種類を食べるなら小さめがいいかもしれない。では、見た目は? 蒼生は持ち物ではシンプルなものを好むが、甘いものは綺麗で可愛らしいほうが喜ぶ。どうせなら可愛らしさに振り切った方向で行こう。
 そして健太は何軒かの店をはしごし、とりあえず3つデザートを買った。ウサギの顔を模したピンク色のストロベリームース、苺の赤が引き立つチョコレートケーキ、ハート型に切られた苺がたっぷり乗ったプリンアラモード。トレイの上の華やかさに思わず口元が緩む。蒼生の「わあ、可愛い」という声が聞こえた気がしたからだ。
 広場に戻ると、ちょうど冬矢が席を選んでいるところだった。白い斑点のある緑のキノコ風テーブルをじっくり見る姿は、普段のイメージとはずいぶんかけ離れている。中学までの知り合いがこの姿を見たら卒倒するだろうなと思いながら、同じテーブルにトレイを置いた。
「飲み物があったほうがいいよな。ついでだからおまえの分も買うけれど、何がいい」
「あ、サンキュ。あのちっちゃい店、いろんな飲み物売ってたよ。紅茶も何種類かあったけど、オレにはよくわかんないから、任せるわ」
「コーヒーもあるようだが、紅茶でいいのか?」
「おお。あったかいやつな」
 冬矢は頷き、先程健太が覗いた店に向かって行った。となれば、蒼生が来るまですることはない。テーブルとは違って何の変哲もない金属製の椅子を引き、どすんと座り込む。
 今でも健太は紅茶よりコーヒーのほうが好きだ。小さい頃はどちらも癖が強くて得意ではなかったのだが、中学生の頃に「コーヒーを飲めるとかっこいい」と友人たちが言っていたことにそれもそうだなと思って飲めるように訓練した結果だ。だが朝から数杯飲んでいるので、違う種類の飲み物がほしくなった。ならばそれよりも好きな炭酸飲料を選ぶという手もあったが、甘いものと一緒に飲むので、その選択肢も除いた。それに、蒼生はコーヒーが飲めないし、炭酸も苦手だ。だから一口味見という言い訳で間接キスをしたい時などは、蒼生が好きな飲み物を選びたい。おかげで、紅茶もだいぶ飲めるようになったと思う。
 視線の先では、冬矢が注文をしている姿が見える。冬矢も元々コーヒー派だったが、蒼生に影響されてよく紅茶を飲むようになった。ちらりと目を落として冬矢が置いたトレイを見ると、綺麗に苺が積み上がったタルトと、その左右にふわふわしていそうなケーキがある。どれも苺がたっぷりと使われているようだ。蒼生が好きそうだと一目でわかる。そうだろう、冬矢もただひたすらに蒼生のことを考えている、蒼生に対してひどく実直な男なのだ。
 飲み物を買う背中に、ずいぶん前にファミレスのドリンクバーで飲み物を任せた時、様々な飲料をミックスした妙な味のするジュースを渡してきた悪友のことをふと思い出す。それが冬矢の姿と一瞬ダブって見えた。が、冬矢がそんなことをするはずはないので、すぐにその記憶を振り払う。そもそもそんな悪ふざけをするようなタイプではないし、健太が飲むものは蒼生も口にする可能性があるのだから。そんなことを考えているうちに冬矢が戻ってくる。手に持ったトレイには、想像通り蓋のついた紙コップが3つ大人しく並んでいた。
 そうして冬矢が椅子に座った途端、奥の通路からふわりと軽やかな足取りで愛しい姿が現れた。薄暗い広場が、ぱっと明るくなったようだ。
「蒼生っ」
 大きな声で呼んだわけではない。胸の中から溢れ出してこぼれ落ちたような呟きの音量だった。けれど蒼生はすぐに健太に気が付き、ほわっと温かな笑顔を浮かべる。わずかに歩みが早くなるのが愛くるしい。
「やっぱり僕が一番遅かったね」
「俺たちも今戻ったばかりだよ。急がせてしまってごめんね」
「ううん。僕も早くふたりに会いたかったもん」
「へへ、オレも蒼生の顔がこんな早く見れて嬉しいよ」
 蒼生はにこにこと嬉しそうに頷く。それから、テーブルの上に目を落とし、健太と冬矢が買ってきたケーキを眺めた。
「わぁ、健ちゃんの、どれもすっごく可愛いね! 冬矢のも綺麗で美味しそう! ……あれ」
「ん?」
 可愛い笑顔に心が弾むのを感じていた健太は、蒼生のほんの少し戸惑った顔に首を傾げる。
「どうかした?」
「え、ううん。自分が食べたいやつ買ってくる、だったよね? なんだか、ふたりの……僕が好きなものばっかりじゃない?」
 蒼生が何を思っているのか、ふたりはすぐに理解をする。だから健太はにぃっと笑った。
「そりゃ、そうさ。だって蒼生と一緒に食べたいなって基準で選んでるんだから。オレも美味しい、蒼生も嬉しい、が一番だろ」
 ひとつ頷いて、冬矢が蒼生のぶんの椅子を引く。
「そう言う蒼生は何を買ってきたの?」
「……あ、えっと」
 座りながら、蒼生がトレイを置いた。そこに載ったケーキは、4つ。オレンジが載ったケーキにレモンの形のケーキ。それに焼きリンゴのカップケーキと、苺がたくさんあしらわれたショートケーキだ。
「ふ、ふ。どの口が可愛いことを言うんだろうね。苺じゃなくて他のフルーツを選んだのはどうして?」
「え、と……」
「俺たちが好きなもの、無意識に選んでた? ほら、同じことを考えていたんじゃないか」
 ぽん、と音がしそうなくらいに、蒼生が顔を赤くする。本当に無意識だったのだろうか。だとしたら可愛すぎる。
「んっふふふっ」
 思わず抱き締めたくなって手が勝手に動きそうになる。健太はそれをなんとか抑えつけて、自分の頬を両手で包み込むことに成功した。
「どうした、健太。奇妙な声を上げて」
「んえー? おまえだって気分的にはそんな感じなくせに、どうしたじゃねえだろー。だって蒼生がオレたちの好きなのを選んで買ってきてくれたなんて、めっちゃ可愛くて、そりゃ変な声も出るよ。へへへ。蒼生、苺は好きだけどショートケーキは苦手なのにね」
「っあ、……僕は苦手だけど、健ちゃんは好きだから……」
 はにかんだように笑う、蒼生。自分の苦手より、恋人の好きを優先してくれる。大好き、と高らかに宣言してしまいたい。一応周囲の人の迷惑になりかねないから我慢するが、こんな可愛い恋人を自慢したい気持ちが溢れ出して、体の中が愛おしさという水で水浸しになってしまった気がする。
 健太が悶えているのを一瞥し、冬矢は蒼生に笑いかける。
「それじゃあ、いただこうか。どれも美味しそうだね」
「……ふふ、うん。こんなにたくさん、食べられるかな」
「なんか全然余裕な気がしてきた! いただきまーす!」
 3人はフォークを取り、それぞれ目の前のケーキを切り分ける。キノコのテーブルは、そのとたんにパーティ会場になった。
「冬矢のタルト、綺麗だねえ。断面も綺麗。そっちのふわふわは?」
「苺のシフォンケーキと、苺のスフレチーズケーキ。あはは、あまりにも偏りすぎてしまったかな」
「んっ、美味しいっ。すごいね、全然違うね。スフレ、じゅんわりしてる。タルトのさくさくも美味しい、わぁ、全部好きー」
「蒼生の選んだオレンジケーキもとても美味しいよ。挟まっているジャムがさらに大人っぽい味わいだ」
「うわあ、りんごしゃっきしゃきじゃん。すっげえ香ばしい。美味しいなこれ。蒼生のチョイス天才だわ」
「健ちゃんの買ってきたプリン、しっかりめで味が濃くて美味しい! ウサギの顔崩すの可哀想だけど、……ん、美味しい。わあ、中にもゼリーが入ってる。かためで苺の味が濃くて、美味しい」
「蒼生は奥のほうまで行ってきたんだよね。どうだった?」
「あのね、壁の絵はあったけど、普通のビルの廊下みたいになっててかえって面白かったよ。あ、お饅頭とかあんみつ売ってるお店もあった」
「へえ、それもいいな」
 みるみるうちにケーキたちは小さくなっていく。すべてを並べた段階では多すぎるような気もしていたのだが、味の違う商品を少しずつ食べていると不思議と物足りない気がしてくる。健太はそれを自分だけの感覚かと思っていた。しかし、蒼生の目線がちらちらと店のほうを窺っている。どうやら向かいに座っている冬矢もその様子に気が付いたようだ。
「まだ食べられる気がするな。もう少し買い足そうか。蒼生ももう少しいけるかな?」
「えっ? あ、うん」
「そしたらさ、オレ口直しにちょっとしょっぱいのも買ってくる。蒼生はここで荷物守ってて」
「わかった」
 遠慮がちな蒼生のことだ、もうちょっと食べたい、という言葉を飲み込んでいたのだろう。健太と冬矢がそう思っていなかったらどうしようと考えて言いだせなかったに違いない。それを可愛いなあと思いながら、健太は売店の横の店に向かう。
 もう買うものは決めていたので、カウンターで注文をさくっと済ませると、待っている蒼生のほうを見る。蒼生は入り口近くの店に行った冬矢を眺めていた。そして、すぐに健太のほうを向く。自分たちの姿を常に追おうとしている姿が、とても愛おしい。目が合った瞬間ふにゃりと笑った蒼生に手を振れば、小さく手を振って返してくれる。蒼生が笑って見ていてくれることが本当に嬉しい。幼い頃から、それは健太にとって一番の喜びだったのだ。
「ただいま、蒼生」
「おかえり冬矢。わ、ミルクレープにチーズケーキに、へえ、ソフトクリームもあったんだぁ」
「オレも戻ったよー」
「おかえり健ちゃん。健ちゃんは……えっ」
 蒼生は健太が持ち帰って来たトレイを見て目を丸くする。それは、大盛りのフライドポテトの横に、厚めの肉が2枚挟まったハンバーガーがどんっと鎮座していたからだろう。
「おまえは……本当によく食べるな」
「甘いもん食べたらしょっぱいもん食べたくなるだろ」
「限度があると思うんだがな」
 ぎゅっと蒼生が健太の袖を握った。残った手で口元を覆っているが、次第に笑いが堪えられなくなっていくのが見ていてすぐにわかる。
「……ふ、ふふっ、あははっ。すごい、こんなに大きいの食べられるんだ」
「一番デカいやつにしたからな!」
「今の今まで可愛らしいケーキ見てたから、あんまりにもワイルドでギャップがすごい。だけど美味しそうだね」
「でしょ!」
 胸を張る健太に、冬矢は小さく笑った。
「まあ、健太らしいな。ポテトはソフトクリームと一緒に食べても美味しいから、そこの選択は褒めてやろう」
「よかったー。実は唐揚げと迷ったんだよ。付けて食べんの止まらなくなるよな」
「ふふふ。僕もその食べ方、大好き。健ちゃんと冬矢、気が合ってるよねぇ」
「えー。合ってるか?」
 健太と冬矢が顔を見合わせる。冬矢の顔には、わずかに不本意だという表情が浮かんでいた。が、すぐに冬矢は首を振る。
「少し複雑だけれど……結果的に蒼生が喜ぶならそれでもいいかな」
「ん、そっか。たしかに。うん、美味しいことには間違いねえし」
「そこは頑なだよね。僕のことばっかり考えてるから、対応が似ちゃうってさっき話したばっかりなのに。ふふ、そんなやりとりも可愛くて好きだなって思うけど。お先にいただきまーす」
 ふたりが驚いて蒼生に視線をやると、ソフトクリームをたっぷり載せたフライドポテトをにこにこと嬉しそうに頬張っている。可愛い子に可愛いと言われた衝撃に、妙な言い争いなんてどうでもよくなった。
 両隣に座っておとなしくポテトに手を出すふたりを、蒼生はとても楽しそうに眺める。
「美味しいね」
「ああ、美味しい」
「ますます食欲湧いてくるわ」
「あははっ」
 蒼生が笑っている。その屈託のない表情を見ると、いつも健太の心は晴れやかになる。蒼生の笑顔は、ショートケーキで言えば上に載っている大きな苺だ。それがあるからこそ、ショートケーキは完成する。一番大切で、なくてはならないものだ。
 健太と視線がぶつかると、蒼生はいたずらっぽく笑って、皿の上に残っていた大きな苺をフォークで刺した。
「はい、健ちゃん、あーんして」
「えっ、いいの?」
「美味しそうだから、健ちゃん、どうぞ」
 一番大切なのに。何のためらいもなく、健太の口に。
 ぱくん、と頬張る。
 蒼生に食べさせてもらった苺は、酸っぱさはほとんど感じない。とても甘くて甘くて、瑞々しくて、頬が落ちそうなほど美味しかった。
「いいな。俺にも食べさせて」
「うん、どれにする?」
 目の前では嫉妬したらしい冬矢が蒼生に近付いていたが、健太の心は大好きな蒼生の笑顔でいっぱいで、やきもちを妬く隙間はなかった。
 大好きな蒼生。
 甘くて可愛い、愛おしい恋人。
 けれど、
「蒼生っ、オレももっとあーんする!」
 やはり一粒では足りない。
 もっと、たくさん、君の甘い甘い笑顔が欲しい。

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