カナリヤ 5
レナさん局出向編3/3です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝ 長身のワースくんが背中にちっこいワースくん(角付き)を張り付かせながら戦ってるの、なんか良いなって思って……(犯行声明) 最高に努力家で、実際に頭の良い子をどうやって恋に落とそうかな?ってのを真面目に考えました。ベタだね⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝!!笑笑 ……ちなみにシスコンが血を吐くくだりは笑うところです。アイツはそういう事をする( ・᷅ὢ・᷄ ) 「ちょっとこれは、人間が1日に吐いていい嘘の量じゃねぇな?」って思いながらずっと書いておりました。撒きまくった嘘を回収しながら新しい嘘を全然吐いております。やべーですな。「原作に書いてあった覚えないな?」とか思っても検証しないでください。
◆◇◆◇◆
ぼこり、と隆起した土の下から死者が現れる。にやりと笑ったレナトスは、「アンデッツ」とひと言唱えた。その声は夜を切り裂くように伸びる。何かに撃たれたように痙攣した死者は、すぐに動かなくなった。
「おぁ……」
星明かり程度では暗くてまるで見えないが、恐らくレナトスが放った鎖が死者の魔力を奪い取ったのだろう。
死者とまともに戦うのは、実のところ墓地管理局では推奨されていない。なんせ相手には痛覚がない。何をしても怯む期待は出来ないし、なんなら肉体の一部が千切れても、魔力さえ残っていれば千切れた一部でさえも無理矢理動いたり飛んだりしてくる。相当に戦闘に自信があるならともかく、削れる肉体が意味をなさない相手では、いたずらに手数を増やす結果に陥る。更に言えば遺族が残っている場合、遺体を辱めた咎でかなり怒られる。死してなお強い魔力を持つ家柄は大抵貴族なので、そのクレーム対応は、大変厄介である。言葉を選ばなければ、「時間ばっかり掛かって超うぜー」。……言っておくが、これは局長レナトス・リボルのありがたいお言葉である。ワースの見解ではないのでそこは強調しておきたい。ともかくその為、墓地管理局では「死者の魔力を奪うこと」或いは「死者を物理的に動き回れなくすること」が基本的な出歩きへの対処法である。とりわけ魔力を奪うのは、通常なかなか使用する魔法ではないし、生物から魔力を抜くのは禁術の領域でもある。少なくとも何の準備もなくワースには出来ないし、倫理的にもやりたくはない。法的に許される範囲での無機物への魔力の抜き取りやその範囲の制御が出来なければ墓地管理局では働けない。一定以上の精度と制御ある魔法行使が墓地管理局局員である最低条件である。局長を筆頭に局員が皆、武闘派になる訳だ。
「こんなので驚いてンじゃねェぞワース!」
ぐるん、とレナトスが腕を振るう。
え、と思う間もなく、ワースの背後にいた死者が、肩からざっくり斬られてその場に倒れる。切りながら魔力を抜いたのだろう。ぴくぴくと死者が痙攣している姿はちょっと、いやだいぶ、グロテスクだ。血が出ている訳でもないのに。死者とはいえ一般人の魔力は低いから見逃していた。それよりも。
「ちょ、ちょっとレナトスさん、斬っちゃダメなんじゃ……!?」
「だぁいじょうぶ、ウチの方針は、テメェでご遺体を治せない奴はご遺体に攻撃すんな、だからなァ!」
「…………」
治せるならぶった斬っても良いのか、ついこの間までせっせと頭に入れた講義内容は一体何だったのか、というやや釈然としない思いが交錯するが、ワースは賢明にも黙っていた。この短い間にレナトスという神覚者がどのような性格か掴んできた、とも言う。
これまでの事件では、死者の出歩きは1夜に1名程度しか確認されていなかった。いま目視できる範囲でも5人ほど死者が既に出歩き始めている。どう考えても尋常ではない。油断していた訳ではないが、背後を取られたのはワースである。感謝するならともかく文句を言える立場ではないだろう。仕方ない、と前を見据える。
「リトルデビル」
「うん!」
言うが早いか、リトルデビルの姿がどろりと溶ける。子供の姿の丁度胸元に当たる場所から、見慣れた魔導書が現れる。ワースの目の前の定位置に浮かぶリトルデビルは少しばかり誇らしげであった。
「ワース、ここ任せていいか!オレは上に行って魔力供給してる奴をとっ捕まえて来る」
「…………!」
正直に言うと、ある程度出歩きをする死者の位置を特定出来るとはいえ、これだけ広大な、かついつ死者が市街地に出るかも分からない開かれた霊園をひとりでカバーするのは、ワースには荷が重い。しかし死者を止めるには術者を叩かなくてはならないし、自分の仮説をレナトスが信用してくれたのは素直に嬉しい。できるか。これまでの出歩きよりもずっと数の多そうな死者への対応が自分に。
(……やるしか、ねェだろ……!)
開いた魔導書のページに触れる。魔導書の高揚が伝わってきてワースも励まされた。
「いけます!ここは任せて下さい!」
「……ッシャ!頼んだぞ!」
言うが早いかレナトスは宙を駆け上る。方角は間違いなくあの文化施設である。その姿が完全に夜闇にまぎれて見えなくなった後、ワースは深呼吸して心を整えた。そして静かに、魔導書に命じる。
(死者たちを戦闘不能にする)
分かった!とでも言いたげな元気な反応が返ってきて、ワースは口元に笑みを佩く。相変わらず、魔導書の形になると言語によるコミュニケーションが取れなくなるが、子供姿のリトルデビルと四六時中共にいるお陰か、随分と感情が伝わりやすくなったと思う。ふらふらとこちらへ向かって来る死者を見つつ、魔導書に手を翳して杖を構えた。
死者は何を以て死者たり得るのか。
この議論は魔法界の哲学者たちを長年悩ませてきた。論争も、定説もある。ワースとして最も支持している説は、「魔力を自力で生成しなくなること」である。もちろんキノコ頭くんことマッシュ・バーンデッドの登場で、この定義には疑義が突き付けられているが、魔法を使える人間が大半を占める世の中では、まだ例外的な個々を議論する段階であり、ワース自身は現時点での立場の変更は必要ないと考えている。なんせ、「動き出す死者」に対応するのにこれほど分かりやすい定義はない。逆に言えば魔力を全く持たない人間が差別を受けてきたのは、この定義があるからである。長らく魔法界では、一切の魔力を持たない人間は、死者と同列であった。たしかに社会的には、死者と呼んでも差し支えなかっただろう。マッシュが森育ちだと聞くと、尚のことそう思う。ワースはまぁ、貴族側の人間で生まれつきの魔力量も膨大であったので、そんなこと言い始めたら箸にも棒にも引っかからない1本線なんか、俺にとっては魔力がないのと一緒なんだけど、と感じていたのだが、礼儀知らずの物言いであるし、あまり公言することでもなかろう。
「マッドロス」
生み出した泥が、死者の軍勢の足を絡めとる。
「吸い取れリトルデビル!」
ワースの命令に従い、魔導書が光り輝く。回路を繋げた泥もまた、夜に不釣り合いな輝きを得た。その光が増すに従い、死者が一体、また一体と膝をついて行く。
体内の魔力量が豊富でその扱いにも秀でた魔法使いが死後もその体内に残された魔力を吐き出し切るまで出歩いてしまうのは、致し方ない事象だ。しかしこれを人為的に起こしているならば、間違いなく死者の肉体を動かす為に、どこからか魔力を供給しているはずである。であれば、吸い取って動けなくしてしまえば、所詮元の体は一般人、魔法局の局員が遅れを取る筈がない。問題と言えばこちらが魔力を吸い切れなくなる、ということであろうが、こっちは禁書指定を受ける魔導書と、比較的魔力を貯める器が大きいと言われるワースだ。多少の無理は効くし、吸い取った魔力が多くなり過ぎたら魔法をガンガン打てばそれで解決する。
「おら、どんどん行くぞ!」
動きを止めた死者を泥でまとめて保護しつつ、ワースは歩き出した死者の元へと走る。その視界にふと、淡く光る何かが過った。
(なんだ?)
反射で構え、そちらへ振り向く。
墓地には不釣り合いな、可憐な金色の蝶が、はたり、と墓石に止まった。あの蝶には見覚えがある。なんだっけ、と記憶を探る間に、ぼこりと地面が隆起した。
「……はぁ!?」
ずぼ、と地面から出て来たのは人の腕である。間違いなくあの墓の下に眠っているはずの人間だ。
「まっじかよ!」
即座にリトルデビルに魔力を吸わせ、土の下から出かけた死者は動きを止める。なんだ、どう言うことだ。
「……!」
いつの間にか、金色の蝶が数え切れないほど飛び違えている。その幻想的な姿は、こんな時でなければ瞳を奪われるほど美しい。……うつくしい?
「フィン・エイムズか……!」
彼のバタフライサニタテムズは「無邪気な淵源」事件の時に映像として見ている。蝶の形をした治癒魔法である。あまりに美しく神々しい魔法は、あの事件の後もかなり話題になった。なんせ治療系の魔法使いはただでさえ珍しいし、あれだけの精度で治癒を行える者は少ない。それがあの最年少神覚者のレイン・エイムズの実弟とくれば注目されないはずがない。
「リトルデビル!」
「うん?」
慌ててワースは飛び退きながら、魔導書の形から子供の姿を取らせたリトルデビルを呼ぶ。ワースの背中に負ぶわれる形で顕現したリトルデビルは、その首にしがみ付きながら首を傾げた。そこに、ひょいと端末を差し出す。
「一旦距離を取る。その間にレインと連絡を。繋がらなかったらフィンを知る別のやつでも良い!」
言いながら、自身もレナトスの任務用のインカムへ掛けてみるが、応答はない。どうせ交戦中だから期待はしていなかったが、舌打ちしそうになった。
レナトスが手こずるような事件に、フィン・エイムズが関わっている筈がない。そもそも彼に死者を甦らせる理由はない。……であれば、犯人に従わされているか、何らかの理由で魔法を奪われているのか……とにかく、正常な状態にあるとは考え辛かった。まぁ、それは仕方がない。フィン・エイムズはイーストン魔法学校の劣等生だ。はっきり言って、あのレインの弟であるのにどうしてここまで差が付く、と言いたくなるほどに要領が悪い。いっそもう気の毒になるくらいだ。在学中は、彼を見るたびに神覚者になれない自分を重ねて、正直ワースは他人事ながらちょっと腹がキリキリとしていた。それくらい、フィンは一生懸命であるのにまるで結果が伴わない。そういう生徒である。だからどこかで事件に巻き込まれていても、ちっとも驚かない。この状況下で彼のセコンズが出て来るのはかなり困るが。
実のところ、フィン・エイムズよりも厄介なのは兄貴の方だった。
「無邪気な淵源」事件後にイーストン魔法学校で起きた「エイムズの粛清事件」がある。イーストン魔法学校の学生どころか教員たちにも激震が走った、恐らく今後何十年と語り継がれることになる大事件である。
中等部の頃より遡って、フィン・エイムズに危害を加えた経験がある者、いじめをしていた者をレインが一斉に粛正を始めたのだ。もちろん、教員も例外ではなかった。戦の神杖の暴力は苛烈で、だいたい2週間程度で入院者や負傷者の山が出来た。……いや、どれだけいじめられていたんだフィンは。レインも学年こそ違えど把握していただろう。ワースに言わせれば、後になって報復したくなるくらいなら当時から弟を助けてやれば良かったのに、今更遅ェんだよ、というところだが、まぁそこの辺りは本人にしか分からない事情という奴が合ったのだろう。詮索はしないし、当時ワースも魔法局のインターンに向けて忙しかった。なので詳しいことは知らない。しかし恐ろしい事に、いじめに加担していなかったアドラ寮生たちが謎の結束を見せ、かなり大々的に行っていたはずなのに当事者の1人でもあるフィンが事態に全く気が付いていなかったのである。生来彼が臆病で平穏を愛するという事もあっただろう。寮室が同じマッシュや隣室のランス、ドットが巧みに粛清現場へとフィンが近付かないよう取り計らっていた、という事もあっただろう。結局、神覚者候補選抜試験の際に執拗にフィンを痛めつけた神童カルパッチョ・ローヤンも粛正対象とされ、その事態を喜んだマーガレット・マカロンが介入して、二人を完封したレインが運動場ごと二人を叩き潰そうとした所に、嘘を吐き続けられなくなったマッシュに連れられたフィンが現れた。そこでひと言、こう言い放ったのである。
「これ以上すると、兄様のこと嫌いになるから!」と。
レインはその場に崩れ落ちた。効果覿面であった。
ついでに何故かランスが血を吐いて倒れた。本当に謎であった。
ワースは爆笑した。正座をして神妙な面持ちで「暴力よくない」との弟の拙い説教を聞く神覚者があまりにも面白かった。できれば映像で残しておきたかったが、さすがにレインに睨まれて出来なかった。しかしイーストン魔法学校生にはしっかりと刻まれた。「フィン・エイムズに手を出すと、保護者が黙っていない」と。
今にして思えば、あればレインの示威行為だったのだろう。フィンを子ウサギと侮れば、自分が出てくる。子ウサギは神覚者の虎の尻尾であると。可能な限り好意的に見れば、それだけ自分が卒業し、後に残していく弟が心配だったのだろう。まぁ、気持ちは分かる。ひと言であのシスコンにも血を吐かせることが出来るフィンは、「弟力」なんてものがあったら測定不能なほど高いだろう。まるで関係ないワースでさえ庇護欲をそそられるが、つまりもの凄く弱々しくて頼りない人物であるとの裏返しだ。
しかしワースに言わせれば、レインの心配なんてのは杞憂だし、無意味だ。なんせフィンは英雄マッシュ・バーンデッドの友人である。マッシュ自身「初めての友達」と公言してフィンを大切にしている。そうそう滅多なことは起きない。それに、これはワースの持論だが、弱者には弱者の領分というものがある。手に負えないと思ったら泣いて助けを求めるなんてのは、その最たるものだ。フィンはこれが抜群に上手い。それを「卑怯者」だの「臆病者」だのと見るきらいもあるだろう。そういう見解を、ワースは別に否定はしない。ただ、自分の弱さを自覚している点においては、フィンを大いに評価している。あれだけ身を守る術を持たないのだから、下手に意地を張るよりもさっさと逃げた方が良いに決まっている。
(フィンが操られていると仮定して、……それをぶちのめしたら、レインの奴ってキレてくるか……?)
粛清事件での狂犬ぶりを思えば、ない、とは言い切れない。やば過ぎる。カルパッチョとマカロンを2人まとめて平気で下せる奴と戦いたくない。
なんならマッシュまで出て来て殴り倒される。勘弁願いたい。じゃあそもそも、操られるような状況を作るなと言いたい。……2人とも、ワースの言い分を聞くようなタイプとは思えないが。
しかし問題点はそれだけではない。
「リトルデビル、絶対にあの蝶に触れるなよ」
フィンの固有魔法はチェンジズ、つまり、入れ替え魔法だ。取るに足らない魔法である。しかし何をどうした訳か、これを最高の治癒魔法にまで高めてみせた。原理としては「細胞を交換することで治療する」とのことだが、……これ、本人にその意思があれば普通に攻撃魔法として使えないか?しかも、細胞レベルで相手にダメージを与えられる、物凄く強力な。
フィン本人に、赤魔導師としての適性はない。能力の問題ではなく、性格が戦闘に向いていない。そういう人間はままいる。……が、操られているとなると、そのような性質のストッパーが機能しなくなるから、攻撃してくる可能性を考えねばならない。
ワースは魔法を受けても治療できるだろうが、魔導書の方はどうだろう。だいたい、何と「入れ替え」が成立するのか。もし魔導書の紙の繊維ひとつひとつが他の何かと入れ替えられてしまった場合、きちんと復元出来るのか。中の記述は。魔導書本体の意識は。まったくの未知数である。
魔法の押し合いは、魔力が高い方が勝つ。普通に考えれば魔導書がフィン・エイムズに押し負ける道理がない。しかし万が一が起こらないとも限らないし、ワースは魔導書に無理をさせる気はない。それに魔力の押し合いで子ウサギに手傷を負わせれば、保護者が黙っていないだろう。詰みだ。どちらにせよ戦況を動かせない。
片手で端末を操っていたリトルデビルが、へにゃりと眉を下げる。
「れいんでないー」
「マッシュ・バーンデッドは」
「かけてみる」
筋肉に悪いからと、寝てそうだなァとワースは思った。これでダメなら魔法道具管理局か。レインの部下に状況を伝えれば後で文句出ないだろうか。微妙な塩梅だ。うるるるる、と呼び出し音の後、はい、と聞き覚えのある声が響いた。リトルデビルがさっとスピーカーに切り替える。良い子だ。
「マッシュか」
──えーと、どちらさま……?
「ワース・マドルだ。……お前の同室のフィン・エイムズ、いまどうなってる」
──…………
「俺が担当してる事件の現場に、フィンの蝶が出て来てる。本人が自発的に使ってるとは、とても思えねェ」
──…………!
「レインどこだ。弟のピンチだ、なんとかしろ。本人の姿も見当たらないからこちらで保護してやることもできねェ」
話している間にも、金色の蝶の数が増えていく。フィンがどの程度蝶を出せるのかは知らないが、そろそろ限界が来るのではないかとハラハラする。それなりの治癒魔法使いとは分かっていても、ワースにとっては小さな劣等生だ。魔力切れを起こしても、フィンに何かをしたその犯人はちゃんと介抱するのか?……しねェだろ。事によると、レナトスに追われて既に逃げている可能性だってあった。目の前で知り合いを使い捨てにされるなんて勘弁しろ。精神荒れるわ。
蝶が戯れのように墓に触れると、ぼこっと土が盛り上がり、新たな死者が現れる。敵ばっかり増えるじゃねェか。対処し切れない。
リトルデビルを本の形に戻して懐にしまうか。曲がりなりにも肉体があった方が蝶への防御になるか。かなり微妙なところだ。目の届かない背後から煌めく蝶に襲われては堪らないと、リトルデビルを腕の中へ抱き直す。
──フィンくんは行方不明で……いまみんなで探してます
「じゃあ俺の今いる座標を送る」
目配せだけで察したリトルデビルがメッセージアプリを立ち上げ、ワースの位置情報を送る。マッシュと、レイン宛に。出来た子だ、とこんな状況ではあるが、頭を撫でてやる。
「フィンの魔法の有効範囲は分かるか?そう広くないなら、間違いなくこの近くにいる。レナトスさんが1番可能性が高い近くの博物館を調べてる」
──……うっす
気の抜ける返事だ。だが、ワースはこの返事でマッシュが不可能をひっくり返し続けて来たことを知っている。リトルデビルを蝶から守りつつ、レナトスが犯人グループを叩くまでの時間を稼いで、市街地に死者が出ないようガードして、マッシュやレインの到着を待つ。やる事が多くてかなり荷が重いが、そんなこと言っていられる状況ではない。腕の中のリトルデビルをギュッと抱き込んだ。
「しっかり捕まっておけよリトルデビル」
「うんっ」
小さな腕が首に周り、ギュッとしがみ付くのを確かめてから、ワースは星明かりの眩しい墓地で身軽に飛び上がった。
***
満天の空には星が輝いている。群青の夜空を彩るその光と同じように、地上には金色の蝶が飛び違える。蝶が舞うように跳ねるその背後を行くのが死者でなければ、幻想的な姿に見えたかもしれない。レナトスと別れた時には5名ほどしか見えなかった死者たちは、既に10名以上の数になっていた。数えるのも億劫である。この場を任された以上、ワースが自体を納めるべき、であるのだが。
(……つったってよォ、)
正直、けっこうキツい。
とりあえず死者を外に出さないように泥魔法で霊園に柵を作った。これでしばらくは保つが、流石に範囲が広過ぎる。なんせ蝶は、それくらいの柵は簡単にすり抜けてしまうのだ。
「マッドロス!」
網状にした泥を投げ付けて蝶を捕らえる。一応は魔法で作られた仮の姿であるから、翅を泥に絡み取られようが地に這いつくばろうが「死ぬ」という状態にならないことは理解しているが、苦しげにはたはたと翅を動かす様子は、苦しそうに眉を寄せるフィン自身を想像してしまって、ワースの精神にすこぶる悪い。
(くっそ……)
魔導書は出していても人間の姿を取らせていても危険なので、ワースの懐にいる。本人にシールドを張らせているから魔法的にも物理的にも干渉できないはずだ。お陰様で孤軍奮闘しているが、随分とバテてきた。息が苦しいし、熱い。
魔法はその大半がイメージの力だ。形成するところまでは無意識でも、その後形を取り、或いは生き物のように宙を舞い、対象を捕まえて動けなくする、などは術者が描いた軌道通りに動く。リアルタイムで軌道を書くかそもそも先に準備していた軌道通りに動かすかは好みの範疇だが、いずれにせよ神経を使う。ワースは、不測の事態に対応できるようリアルタイムに軌道を書くタイプだが、金の蝶の捕捉率は高いものの、削れる精神力に比して適当と思われるほどフィンの蝶を捕らえられていない。どれだけ蝶を出せるのか。ワースが蝶を捕らえ死者たちを動けなくさせて行っても、それを上回るスピードで蝶は現れ、新たな死者を目覚めさせる。魔力吸収も泥魔法による拘束も、まるで追い付いていない。むしろこちらの魔法の限界が見えてきたような気さえした。
例えるならば魔力が水で、それを魔法へと変換する魔法回路がホースだ。そのホースを通じて初めて魔法が身体の外へ放出される。無論肉体であるから、使えば使うほど魔法回路は強化されていくが、短期的には魔力を流して使い過ぎれば疲弊する。筋肉痛と同じだ。無茶をし過ぎると、動けなくなる。死者から吸い上げる分も含めて、魔導書から魔力が次から次へと供給されているものの、魔法を扱うワース自身は無尽蔵に魔法を吐き出せるほど強くはない。魔法の使い過ぎだ。主要な魔法回路はおろか指の先まで熱い。ふと、暗闇の中でさえも影が見えた。まずい。
「……ちっ」
死角から殴りかかって来た死者の一撃を、咄嗟に盾を作って防ぐが、衝撃で吹っ飛ばされた。くるりと空中で1回転して着地する。近寄らせすぎた。人間には出せない腕力だ。生前は肉体強化系の固有魔法持ちだったのだろう。痛覚もない身体に魔力を通されて操られているせいで、筋肉が引きちぎれるのも度外視で攻撃して来る。こんなのも呼び起こして来るとか、マジで治癒魔法厄介過ぎる。
死者の追撃を、再び盾を作って防ぐが、ワースの方の出力が足りない。硬い泥で作ったはずの盾は簡単に破られる。ワースを攻撃された魔導書の悲鳴のような怒りがひしひしと伝わって来る。
(いやだから、お前は出て来るな!)
だいぶ泥で捕らえて動けなくしたとは言え、まだフィンの蝶は飛んでいる。アレに触れて魔導書がどうなるかは、今のところ考えたくない。
ワースは魔力量が多い方だ。だから、普通に戦ったらフィンなど相手にもならない。しかし治癒魔法を通じて死者を操る、というのは敵ながらなかなか悪くない手だな、と素直に感心している。拮抗するどころか、自分が若干押されていることを、ワースは認識していた。死者が市街地に出ないように気を遣わねばならなかったり、フィンを探しつつの防御体制でいなければならなかったりする条件をさし置いておいても、かなり手強い。
「……おっもしれェじゃねェか」
言いながら、墓地に張り巡らせた泥の柵を強化する。万が一にも、自分が倒れた時に残り続けるように。視認できる距離にいる死者は5名、かなり減らした。金色の蝶は追加で増えて再び数え切れないほどになった。魔法回路の熱暴走で、使える魔法はあと1つか2つか。身体を休めて再び魔法が使えるようになるまでどれくらいかかる?それまでに、死者たちを足止めできる最適な魔法はなんだ?
ありとあらゆる選択肢が頭の中を駆け巡る。
それはあたかも、難解な方程式を解くようなものだった。必ず「正答」に辿り着かねばならないのに、その難しさが楽しくて胸が高鳴る。自分の高揚をありありと感じる。
「ふ─────」
息を吐き出して、意識を集中させる。
使うべき魔法は、この時この瞬間、これしかあり得ない。これがワースの「正答」だ。
「マッドロス!」
地面に手をついて呪文を唱える。ワースを中心として、足元がぐらりと揺れた。草も、敷き詰められた砂利も関係ない。今この瞬間から、地面はワースの泥である。泥に足を取られた死者たちがたたらを踏む。しかしそれでは終わらせない。
「ようやくの出番だぜリトルデビル!」
ワースの声を聞きつけて、魔導書がホルダーから飛び出た。しゃがみ込んだワースの目の前だから、ワース自身の身体が盾となって金の蝶に割り込む隙を与えない。あげる腕すら億劫なほど、とにかく身体が熱い。……だが、まだ行ける!
「魔力を、吸い取れ!」
カッと魔導書が光を放ち、呼応してワースの泥魔法も光る。金色の蝶が戸惑うように揺蕩った。
蝶がいくら死者に力を与えようとも、泥の及ぶ範囲の死者の魔力を奪う。はっきり言って乱暴な魔法の使い方だし、いまのワースにはかなりキツい。しかしこれが、今できるワースの全力である。こちらも座ったまま立ち上がれないが、泥の下の死者は起こせないし、地上の死者は動けないだろう?
「…………!」
最もワースの近くにいた死者が腕を振りかぶる。魔力を失って殆ど倒れながら殴りかかって来るのに、ワースは息を呑んだ。フィンが魔力を与えていると思しきこの死者たちの、それこそ死に物狂いの動きはなんだ。ある種の痛々しい動きはフィン本人の悲鳴に思えてならなかった。彼の身に、本当に何が起こっているのだろう。
避けられるほど身体は動かない。
いま地面から手を離せば泥の制御を失い、魔導書が正常に魔力を吸い上げ切れない可能性さえあった。
狙いは顔か。
なるほど、これなら。
殴られたって、構わないかも。
自分に迫る拳を見ながら、歯を食い縛る。我慢する為と口腔を噛まない為だ。反射的に出来るほど慣れた動きに、魔導書が本気の怒りを示すが、聞いてはやらない。お前には、術者を守るよりやるべき事があるだろう。言葉にするよりずっと早くワースの意思を読み取った魔導書は、拗ねた様子で死者から魔力を吸い上げるスピードを上げた。えらい、いいこだ。それでこそワースの魔導書である。仕事が終わったら存分に褒めてやる。
拳が当たるその瞬間、ワースと死者の間に細かな粒子が割り込んだ。
え、と思う間もなく、砂は死者の腕を絡め取り、そのまま関節を決めて動けなくする。攻撃に備えて身を固めていた分、力が抜けてワースはポカンと口を開いた。その場に、術者が降り立つ。
凛と立つその背中には、光が差しているようだった。
「無事ですか?ワース」
穏やかな声はまったくブレず、しかし目の前の敵を見据えている。ワースは答えあぐねた。無事といえば無事だ。無事でないといえば無事ではない。それよりもなぜ、オーター・マドルがここに居る。
返事が戻らないことに焦れたのか、オーターが振り返る。「あ、」と思わず声が出そうになった。オーターの瞳は心配そうに揺れている。その視線がゆらゆらと揺れ、ワースの怪我の具合を確認すると、その奥に灯ったのは純粋な「怒り」だった。
「……なるほど、お前たちはすぐに潰してやらなければならないらしいな」
かちゃり、と眼鏡を押し上げ隙なく杖を構える。
その姿が余りにも頼もしくて、ワースはただ、それを見上げることしかできなかった。
静謐な夜の湿度が下がっていく。墓地を固める泥が、ワースの制御を離れ、砂の支配者に従って砂嵐を巻き起こす。ワースは素直に泥魔法を解いた。これ以上意地を張って展開していても、オーターが戦う邪魔にしかならない。流れる砂が星明かりに照らされてキラキラと光った。金色の蝶が飛び違えているのも相まって、こんな時でなければ大変幻想的だ。「あ、」とワースは思った。オーターはさほどフィンを知らないかもしれない。
「あの金色の蝶はフィン……レインの弟の魔法で、触ったら、」
すぱん、と効果音でも付きそうなほど見事に、砂が蝶を両断した。切られた蝶はひらひらと墜落しながら光の粒になって消えていく。儚いその最後にさすがのワースも言葉を失う。しかし前を見据えたオーターは動じていない。
「フィンの救出へはレインが向かっています」
「そ、その蝶、切っちゃっても良かったのかよ……」
「……?ええ、魔力供給と増幅しか付与されていませんので」
他人の魔法を初見でそこまで分かる訳ないだろ、と思ったが、それが出来るのがオーター・マドルを神覚者たらしめた素地であろう。ワースはがっくりと肩を落とした。数十分前からのワースの格闘は何だったのかと言いたい。始めから蝶を切っていれば或いは……いやでもそれでも追加の蝶の数やばかったしいつかは魔法回路の熱暴走まで魔法を使わされていたような……頭の中に詮のない反省が湧き上がる。実際には、オーターの砂魔法が魔法探知に優れている故、オーター自身も魔法を読み解くのが得意である、という事情があるのだが、幼少期より常時兄と比べられていたワースには、勘案する内容ではない。魔導書を懐に抱いて表紙をそっと撫でる。ありもしない罠を疑った術者のせいで、魔導書には余計な振る舞いをさせてしまった。しかしそれとは全く関係なく、魔導書はぽこぽこと怒っている。先ほど殴られてでも魔力吸収を優先しようとしたのがよっぽど腹に据えかねているらしい。いやでもお前、俺の命令の方を優先出来たじゃん、めちゃくちゃ偉いじゃん、と心で言いながら撫でてやるが、褒められて一瞬機嫌が上向き、すぐに拗ね、そして思い出したように怒り出すのを繰り返している。情緒不安定である。禁書と呼ばれるような魔導書の性質を思えば、ちょっと極端な指示を出しすぎたかもしれない。
ワースが魔導書を宥めている間にも、ざっくざっくと金色の蝶を切り裂き、死者たちを砂が拘束する。魔力を与える大元の蝶が消されていくのだ、死者が増える数も高が知れている。
オーターの動きは、ある種の舞のようであった。構えた杖の動きに従って、砂が大きく動き、ひとつの生き物のように空を飛んでいる。そのうねりは、さながらのんびりと泳ぐ鯨のようだ。
「…………」
格好いいな、と思った。地を這うようなワースの魔法ではきっとこうは行かない。鮮やかで優美で正確無比な魔法は、次々と死者を捕らえ、拘束していく。星明かりが砂を照らして、キラキラと輝いていた。
不意に、残っている金色の蝶がぶるぶると震える。そうして、ふっと空気に溶けるように消えた。オーターが遠くを見据えるようにすっと顔を上げた。ワースも同じ方角を見てみるが、さっぱり分からない。
「レインが終わらせましたね」
レインは結構派手な魔法を使う癖に、剣がもたらす地響きや建物が倒壊する音なんかもまるでしなかった。……ただ、オーターが「終わった」と言うのならば、きっと終わったのだろう。脱力してその場でごろりと倒れたいのを堪えつつ、ワースは大きくため息を吐き出した。
***
オーターは、救護班を含めた魔法魔力管理局の局員と墓地管理局の本部詰めの局員と来ていたらしかった。魔導書が魔力を吸い上げている時の光を見て、尋常じゃない事が起きていると察して局員たちを置き去りにさっさとここまで駆け付けてくれたという。お陰でワースは無駄に殴られることはなかったが、頭の中で「なぐられ、」と思い浮かべるだけで魔導書の情緒がすこぶる不安定になるので、とりあえずオーターにしおらしく感謝を述べることしかできなかった。
少ししてフィンを背負ったレインが文化施設のある高台方面から降りてきて、ワースにも一応、事件の全貌が見えてきた。どうやら、ワースが想像した通り、死者の出歩きは高台の文化施設が夜間には無人で静まり返ることを知っていた犯人グループが起こしたものだったのだ。白魔導師の卵誘拐事件を起こしていたグループと同一の犯人で、「死者を操る魔法道具」の性能を確認していたらしい。元々この事件の狙いはフィン・エイムズ。強力な治癒魔法を使える割に守りの薄い彼を誘拐し、催眠魔法でセコンズと魔法道具を使わせ、死者を兵器とするその効果を見せ付けた上で、魔法道具ごと闇のブローカーに売る手筈だったという。本人には「身近なひとが死にかける夢」を見せてセコンズを使わせながら、その無意識に入り込み死者を魔法道具で操らせた。1人の人間に同時に掛けていい魔法の複雑さじゃねぇだろ、とワースは思うが、あの規模で死者を操られては、なるほど無理をする程の価値はある。魔法道具ごと売ってから、買い手が暴力等を用いてフィンを「躾け」直せば良いという腹だったのだろう。結局レナトスとレインが揃っていたから、そして墓地はワースがバテた後もオーターが死者を逃さなかったから、犯人グループもブローカーも一網打尽に出来たが、レナトスとワースの2人だけだったら混乱は必至であったし、フィンも取り戻せたかどうかさえ怪しいところである。
簡易ベットとして大きな布の上に寝かされたフィンの頬には涙の跡が残っている。泣きながらセコンズを使っていたのだろう。死者が妙に手強かった理由もわかる。彼はずっと、レインやマッシュや、とにかく思いつく限りの仲の良い人物を守ろうとしていたのだ。セコンズを使わなければならないような状況の夢の中で。そりゃあ泣きたくもなる。その風情だけでも余りに哀れである。
不意に、フィンの瞼が揺れた。あ、と誰からともなく声が漏れる。ゆっくりと瞼が持ち上がり、大きな瞳がぼんやりと辺りを彷徨う。
「にいさ……」
ちいさく、頼りない声が墓地に響いた。キラキラと降り注ぐ金色は、星明かりではなくフィン自身の魔法の残滓であろう。鱗粉の細かな粒子がぼんやりと辺りを照らす。ゆっくりと身を起こして左右を見遣るその瞳が、求める相手を見つけた。気が付いたレインも小走りでフィンの元へ戻って来る。
そっとレインが手を握ると、満月色の瞳が、うりゅりゅりゅ、と潤んでいく。ワースはそれを、治療魔法が度々見せる奇跡的な瞬間のように見守った。
「に゛い゛さ゛ま゛……!」
貯めきれなくなった水分が決壊して、頬に再び跡を作る。わあわあと子供のように涙を流すその小さな姿に、ワースは嘆息した。
(……やっぱ、すげェな)
弱者には弱者の領分がある。これは、ワースの持論だ。「強く」あらねばならない自分の為に、ある種、世界の一部を自分から切り離した、とも言える。自分と違う存在だと初めから思っていれば、嫉妬も羨望も息を潜める。アレは、自分とは違うことわりで動く生き物だから。違っていて当たり前なのだと。
あんな風に誰かに助けを求めて、素直に泣くことなんか、自分に出来やしない。
レインに抱き締められて泣きじゃくる姿を、仕方ねェな、と見ながら立ち上がる。まだ少し身体は熱いがなんのことはない。ワースは、このくらいどうという事もないくらいには、強いから。
ワースには、泣けば助けてくれる相手なんかいなかった。埃まみれになって駆けつけてくれる相手も。それだけの、無垢な信頼を寄せられる相手も。……まぁ、こんな形で誘拐されたり捕まったりするほど弱くもなかったけど。ほんの少しだけ胸の奥が疼く……けど、弱々しく小さなウサギが救出された姿には、どうしたって安堵が勝る。小汚い嫉妬は、見なかったことにするのが1番なのだ。
「……ワース」
「?……なんだよ、その腕は」
振り返るとオーターが自分の腕を広げて立っていた。さながら、「胸へ飛び込まれ待ち」といった姿だ。フィンとレインを見て何か感化されたのかもしれない。若干の恥ずかしさを頭を掻いて誤魔化しつつ、ワースは肩をすくめる。
「やらねェよ、バカ。そこまでガキじゃない」
「……そうですか」
言えばあっさり腕を下す。ダメ元なら初めから言ってくるな。
さて、要救護者の為に病院を手配して、ぼこぼこにされてしまった墓地を直せるだけ直して、可能であれば死体はそれぞれの墓の下に戻して、報告書を書いて……やる事は山積みである。まず優先順位が高いのはフィンの手当てかな、と感動的な兄弟の再会を横目で見つつワースが救護班を探したところで、頭の上にぽん、と温かいものが載る。
「……は……?」
その手は、ひどく不器用に左右に動いた。たぶん、撫でられているのだろう。そう思った瞬間ぼ、と身体中の熱が上がる。そうだ、先ほどのワースの認識は、すこし間違っていた。埃まみれになって助けに来てくれるひとはいない、というのは正しくなかった。埃にまみれないほど鮮やかで、優美で、素早いだけで、連れて来た人員を放っぽり出してワースの危機に駆け付けてくれるひとは、いたのだ。昔は知らないが、今夜は確かに。
自分よりもやや低い位置にある瞳が、やわらかく弛んだ。率直に言おう、びっくりした。このひとがこんなに優しそうに微笑む事が出来るだなんて、知らなくて。
「よく頑張りましたね、ワース」
ぎこちない動きで、もうひと撫でしたオーターは、若干上から押さえつけるようにワースをその場に座らせると、どこぞへ電話を掛けながら歩いて行ってしまう。その遠くを見る横顔は、星明かりの下、高名な画家が描いた一枚絵のようであった。ワースは緩慢な動きで、自分の頭に触れた。ドキドキと心臓が早鐘を打つ。通り抜ける頬に当たる風が冷たい。それだけいま、自分は熱を持っている。
(……は……!?)
まったく考えたくないこと、ではあるが。
ワースの視線が吸い寄せられるようにオーターの背中へ向かう。そしてつい先ほど、守ってくれた記憶が怒涛のように駆け巡る。その一瞬一瞬に、胸が高鳴る。
……ひょっとすると、自分は恋をしてしまったかもしれない。
遠くに「フィンくん無事?」という呑気な声とあり得ない速度のモノが止まる破裂音を聞きながら、ワースは呆然と砂の印を持つ背中を見ていた。
◆◇◆◇◆
ひとは兎角、視覚的情報を無視できない。
たとえばそう、年端も行かない子どもの姿から「禁書」の力を想像するのは難しい。
「わたし」のカナリヤの姿を取ってみる、というのはなかなか愉しい試みであった。カナリヤは自分の子供の頃の姿に多少の不満を持っていたようだけど、最終的には赦してくれたし、手を引いて歩いてくれる。あの大きな手が「わたし」の小さな手を優しく包むのが、「わたし」は好きだ。
「わたし」を抱き締めてくれるのも好きだ。庇護すべき子供に見えるからだろう、あの金色の蝶から「わたし」を護らねばと奮闘してくれたのも嬉しかった。あんな蝶をバラバラにするのなんて訳ないのに。
でも、カナリヤが身体を張ろうとしたのは本当に許せなかった。あんなの「わたし」ならなんとでも出来たのに。どうして頼ってくれないのだろう。褒めてくれたのは嬉しいけれど、「わたし」はどうしてもカナリヤの判断を認められない。砂が間に合わなければどうしていたつもりなんだろうか。
「わたし」の可愛いカナリヤ。
あなたの姿で、あなたと話せるのはこんなに楽しい。
「わたし」があなたを大切に想うように、あなたもあなた自身をもっともっと愛して大切にくれると、「わたし」は嬉しいのになぁ。
その為に、なにか「わたし」に出来ることはないだろうか。
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