投稿日:2026年03月29日 12:13 文字数:36,605
カナリヤ 6
箸休めの遊園地編です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
ワースくんて、自己評価と他己評価が致命的にすれ違ってるよね、と言う話。……意外に長かった……
作成工場の中の人はランドトの民なので作中一部ランドトの混入が見られます……が、タグにするほどじゃないんすよねー、これ、くらいです。まずそうだったらタグ編集いたしますが、お読みになる方はお気をつけ下さい。
当たり前のような顔をして魔法界における法律条文とかでっち上げてますけど、全て私のついた嘘ですので、その辺りよしなに( ✋˘ ˘👌 )
よく晴れて澄んだ空気は、妙に空が高く感じさせた。
まさに行楽日和と言いたくなるような突き抜けるような晴天はこの遊園地に集う人々の顔も明るくさせている。
そう、いま、遊園地のゲート前にいる。このワース・マドルが、である。家族連れや学生グループが進んでいく姿を、若干げんなりとしてワースは見た。なんとなく腕を組んでしまう。腕組みは心理学上、自己防御姿勢の一種で、警戒心なんかを表しているのだそうだ。いまの自分に当てはまりすぎる。押し殺したため息を吐いて、ワースは腕をほどいた。
さて、何がどうしてこんなことになったのか。
ワースは高い空を見上げながら、ここ数日の記憶を辿った。
***
事の起こりは、フィン・エイムズからのメッセージだった。
ワース自身もすっかり忘れていたが、そういえば在学中勉強を見てやった際に連絡先を交換していたのだった。そのお誘いは、遊園地に一緒に行かないかというもので、ワース宛でなければ微笑ましい限りであった。問題はそのメンバーで、レイン、オーター、ランス、ドットだ。
……大丈夫か?これ俺、人数合わせじゃないか?遊園地は偶数人数で行くのがいいもんな?……というのが最初によぎった。後輩の真心に対し、あまりに失礼すぎるが。レインが付いてくるのは良い。……いや、何一つとして良くはないが、あのブラコンが誘拐事件があった直後のフィンを外出させているだけで奇跡的なことなのだから、この際目を瞑ろう。フィン、健やかに生きろ。しかしなんだ後半の師弟は。俺そもそも誰とも親しくないんだけど。クラウン家のあの生意気坊ちゃんとは廊下ですれ違えばそれなりに挨拶もするし話したりしたが、それはあくまでも在学中の話で卒業後には連絡を取ってもいない。更に言えば自戒人の少年は本気でオーターの弟子だということしか知らない。引率兄貴とバランスを取るためにオーターを呼んだのかも知れないが、であるならばワースでなくてマッシュでも誘ってやった方がいくらか良いだろう。どうせマッシュは森育ちだから遊園地に行ったこともないだろうし、このメンバーなら喜ぶに違いない。そう言って固辞したものの、意外にもフィンは頑固だった。いや、意外と最後には意地を張りきれるタイプとは知っていたが、それがまさかこんなところで発揮されるとは思っていなかった、というのが正直な感想だ。まぁこちらも「絶対ワース先輩と遊びたいと思っていて!」「チケットもご用意してますので!」と強く言われると悪い気はしなかった。さすがに学生に遊園地のチケットを奢られるほどせこくはないが、ただなにぶん、出資主はレインだろう。アイツ、マジでなに考えているんだ。本当に意図が読めなかった。
あの誘拐事件は、最終的に「連続白魔導師学生誘拐事件」と物々しい名前が付けられ、大規模内乱未遂事件としてカテゴリ分けされた。墓地管理局や魔法魔力管理局から事前に報告が上がっていたが誰もこの2つの事件を結びつける者はなく、累計80名以上の一般人の死者の出歩きが観測されたのは前代未聞だ。結果的に犯行に関わりがあった者を全て捕らえ、文化施設の倉庫の一部が損壊したのみで人的被害がなかったのは奇跡的な成果だった。神覚者が3人も揃っていたからなんとかなった、とも言える。誘拐被害者たちは治療を受け次第に意識を取り戻しているし、最後の被害者となったフィンも1週間ほど入院をしたものの、心身共に健康だそうだ。ワースは魔法回路が熱暴走した為、救護班に回収され大事を取って1日休ませて貰ったが、翌日には回復した。その頃にはワースの泥魔法とオーターの砂魔法で荒しに荒らされまくった霊園も元通りに戻っていた。
ワースはと言えば、身体の方はまるで問題なかったが、魔導書が非常に荒れていた。荒れたというか、拗ねていた。書籍の形のままぐるぐると宙を回ってみたり、人間の子供の姿を取ってワースの足にずっとしがみ付いてみたり。そのアピールは様々であったが、魔導書の言い分をまとめると、つまり「ワースが自分の身を守る行動を最優先しなかった」ことが腹に据えかねたらしい。確かに死者に殴られ掛けた時、こちらを守ろうとする魔導書を制止して別の魔法を使わせた。「結果的に殴られなかったから良くないか?」と言ったら一日中禁書管理局の天井の隅に張り付いて恨めしそうな瞳で見つめられた。ちょっとしたホラーである。しょうがないので膝に載せて背中を撫でてやりながら魔導書とは話しというか、意見のすり合わせをすることになった。
ワースは魔法局に務めているので、今後も一般人を優先すると思うし、多少の怪我くらいなら覚悟の上である。もちろん怪我をしないに越したことはないのだが、あの局面でワースが魔法を解除して身を守ることを優先すれば、泥魔法で作った柵が死者たちに崩され、市街地に死者が出て行く危険があった。故に、ワースは自分の判断が誤りとは考えていない。あの状況では既に動き始めている死者から魔力を抜くことが最優先だったのである。あの時フィンの蝶に付与された魔法は分かっていなかったから、下手に魔導書に触れられては取り返しが利かないほどの「入れ替え」が起こる可能性があった。結果的に考えすぎではあったが、それはまぁ、所詮結果論である。人間の肉体を持ち、助けが来れば間違いなく治療できるワースと違って、魔導書は唯一無二であるし、ソフィナが修復出来る保証もない。何度考え直しても、ワースにとってはあそこで殴られてでも出歩いている死者たちを止め、魔導書自体に結界を張らせて蝶に触れられないように守る、が最適手である。だから、……だから、いざとなった時のワースは多少の自分の怪我くらいは無視するし、修復しようがない魔導書を優先する。その判断に慣れて欲しい、と、なるべく率直に伝えてみた。だいたい、魔導書はかなりの精度でワースの心の中を読むので、隠し事はそもそも意味がない。工夫出来るとしたら、伝え方や誠意くらいのものである。そしてその手の情趣を意外なほど解する魔導書は、まろい頬を膨らませて「りかいはできるけど、なっとくはいかない」とやはり素直な答えを返した。「どりょくは、する」と。ワースにとっても反省の多い戦闘だったからその辺りは賛同できる。数が多かったとはいえ、そして治癒魔法の燃費の良さが最大限発揮された状況だったとはいえ、そもそも格下相手に苦戦したワースが悪い。レナトスは一般人の死者程度ならワースが押さえ込めると見込んであの場を任せたのだ。その信頼に応えきれなかった。フィンを利用した犯人の方が一枚上手だったとはいえ、ワースももっと工夫出来たはずだ。土壇場の地力が足りてなかった。
自分を納得させる「どりょく」の一環だろう、ぎゅうぎゅうとこちらに抱き付く小さな身体を抱き返しながら、自分はもしかしたら、両親にこう言うことをして欲しかったのではないかな、とぼんやり思った。
両親は魔法局勤めだ。ただ、向こうが意図してるのかは知らないが、一度も魔法局内で顔を合わせたことはない。その事にワースも違和感を持たなかった。なんせ、多忙でワースが子供の頃からまるで家に寄りつかない両親だったのだ。幼い頃はそれなりに両親が恋しかったが、今はもう特に別に。……でも多分、両親を思って夜泣きするような歳の頃に、ワースが魔導書にしたように膝の上に乗せて、「世界を守るために忙しいから会えなくても我慢してくれ」と、ワースは言われたかったのかもしれない。もちろん見た目通りの年齢ではない魔導書ほどは道理を弁えていないので、泣いたり文句を言ったりしたかもしれない。でも、そうやって、自分と向き合って欲しかった。書面上の成績や家庭教師からの評価をもとに賞罰を与えるのではなく。童話で読むような「子供らしい」ふれあいをして欲しかった。膝の上の魔導書ごと身体を揺らしながら、奇妙な寂寞が胸に広がった。過ぎ去ったワースの記憶は変わらないが、幼い頃の自分と同じ顔をしている魔導書に当時の自分が思い描いていたようなことをしてやると、何やら妙に気が晴れた。
兎にも角にも、ワースも「無理はしない」と魔導書と約束をして、双方一旦納得という形にしたのだった。これがまぁ、ワースの個人的な事件の終着だった。
社会人としてのワースの事件の終着は、まあそこそこ大変だった。なんせあの後、ワースはめちゃくちゃソフィナに叱られたのだ。
個人的に連絡先を知っているレインに連絡を取るのは良い、しかし部外者であるマッシュに連絡を取り、今いる座標まで送ったのは、どういうことかと。咄嗟の判断だったとは言え、改めて責められるとワースも弱い。確かに、フィンのことだからと思ってマッシュに頼ってしまったが、アレは「ただしく」はなかった。ワースは既に魔法局に務める社会人である。学生の頃のような気分で、たとえ相手が英雄マッシュ・バーンデットとはいえ、軽々に職務上の秘密に当たる位置情報の送信などするべきではなかった。ああいう場合、レインの魔法道具管理局か、そちらでも繋がらなかったら墓地管理局、そこでもダメならワースが本所属している禁書管理局に掛けて指示を仰ぐべき、とのソフィナの見解は圧倒的に正しい。
……が、そこに噛み付いたのはレナトスであった。
あの混乱状態でフィンの状況確認をしたワースは間違っていないし、学校側を通すよりも同室のマッシュに聞いた方が断然早い。実際に位置情報を送ったのは魔導書であるし、ちびワースのやる事なんだから別に誤送信みたいなモンだろ、それよりあの広範囲を泥魔法でカバーして守り切ったことを褒めろや、とのことであった。「禁書管理局はあの時間じゃいっつも全員帰ってるし、現場出てねーヤツが後から吠えンな」と言い放った瞬間のレナトスは、なるほどこれが墓地管理局のトップかと思わせる気迫があった。……まぁその、全然ワースと一緒にソフィナのお説教を食らう羽目にはなったが。
ソフィナの言い分は分かる。
結果としてあの場に神覚者が3名も揃うことになったから何の問題もなかったが、結果は所詮結果だ。見通しが甘いと言われれば、心情的には認め難いものの、理性は納得できる。全くその通りである。操られていた状態のフィンとワースの連絡で友人を案じて駆けつけてしまったマッシュが戦う羽目になったら大問題だっただろう。どちらも魔法局から見れば保護対象であるし、何よりフィンはほぼ関わりのなかった先輩であるワースの擦り傷姿でさえかなりショックを受けていた様子だった。本当に、戦うには向いていない性格をしている。ワースとしてはあの劣等生が、催眠魔法の力とはいえ並みのネクロマンサー以上の力を見せつけたことに結構感動していたから気にしなくて良いのだが、本人は悪意ある魔法を掛けられた上に他人を傷付けるなんて、とだいぶ悄然としていた。これで相手が友人のマッシュであったらと思うと、想像に難くない。ワースとて、あの連絡一本で子ウサギが精神衰弱になっていたかもしれないと言われると、流石に落ち込む。
もしも今回の話が問題になったと仮定して、間違いなく魔導書に指示を出したのはワースであるし、その判断の責任は問われる。そして現場にワースを出し、ワースをひとりあの場に置いていく判断をしたレナトスも、だ。身を守るためにも、手続き上の「ただしさ」を厳守すべき、というソフィナの言葉はワースに響いた。そしてちょっと面映ゆかった。確かに厳しく叱責はされたものの、その説教はワースの身を心配してのことだというのが分かるからだ。「いま馴れ合いでやり過ごして、正当な連絡経路を知らずに今後困るのはワースくんなんですよ」と言われたレナトスが苦い顔で押し黙った辺りでも、ソフィナの「ただしさ」が知れる。もちろん庇おうとしてくれたレナトスも大変ありがたかった。出向期間中何度も何度も実感したが、なるほど「カリスマ性で墓地管理局を率いている」と評される訳である。前評判は、まったく間違っていない。
ワースは、かなり素直に、「いいな」と思った。二人とも、ワースの目から見れば頼りがいのある格好良い大人である。ああいう風になりたい。漠然と、ワースは思った。子供の姿を取った魔導書と共にいるうちに、考えるようになったのだ。あの幼い魔導書にとって、「良い大人」でありたい、と。幼少期からワースは年長者を特に信用していなかったし、今でも実家や両親が「頼れる大人」であるとは思わない。ただ、学生の頃に感じていたよりも、世の中ずっと、「良い大人」が多くいるように思う。斜に構えていた自分がやや恥ずかしいが、慕ってくれる魔導書の為にも、ちゃんとしていたい。そういう意味で、あの二人は良い手本であった。
結局、「チクショー超怒られた!ま、仕方ねェか!」と元気に伸びをするレナトスの提案の元、最後に送別会と称して闘技場でバーベキュー大会が催され、ワースの1ヶ月に満たない墓地管理局への出向は終わった。間違いなく、実のある出向であった。
……だからまぁ、担当事件の最後の被害者のフィンの様子を、遊びがてら伺うのは、全然良い……のだが。
(……兄貴が来るのか)
頬杖をついて自分の中で独り言を言い、ワースはがっくりと肩を下げた。だいたいもう、「兄貴」ではない。けれど、何て呼んで良いのか分からない。「砂の神杖」は他人行儀すぎるとレナトスに指摘された。確かにそうだ。では「オーターさん」?呼び捨てはさすがに具合が悪かろう。しかしこんなくだらない事を考えている間にも、胸がドキドキとうるさく鳴る。勘弁して欲しい。
吊り橋効果、というものがある。
実はこれに関する論文を、出向が終わってから今日に至るまで、ワースはもう20本も読んだ。どう考えても魔法回路の熱暴走と、攻撃を受ける寸前の緊張、そしてそれまでの戦いの高揚で心拍数も体温も高かった。アドレナリンやらの脳内物質もドバドバと出ていたことだろう。それを、自分を助けてくれたオーターへの恋心だと勘違いしたと考えるのが最も正しい。……だが、原理が分かったところでどうにもならないのが人の心という奴で、どれだけ今の自分を説明する正しい論理が乱立したとて、この胸の鼓動が落ち着く訳ではなかった。
一体、どんな顔をしてどういう風に振る舞ったら良い。「良い大人」と違って、ワースに相応しいロールモデルがまるでいない。まさに暗中模索というやつだ。カバンの中に入れた魔導書が、「どうしたの?」とこちらへ問うような、心配そうな波動を送ってくる。いつもより、その波動が少し遠い。思わずワースはカバンの上から魔導書を撫でた。
出勤時は身体にぴったりとくっ付いたハーネス型のホルダーに納めて、ワースの指示で魔導書が自由に飛び出せるようにしている。イメージとしては抱っこ紐のようなものである。けれど今日は一応「おでかけ」であるので、裏側が透明のポケットになっている特殊なショルダーバッグに納めて連れてきた。ちなみに特注品である。普通、嵩張る魔法道具を持ち歩く魔法使いは空間魔法を利用して亜空間の中に道具をしまうだろうし、恐らくやらせようとすれば、ワースの魔導書ならば自分の大きさを縮めたり出来ただろう。ただ、魔導書にとって正しい姿はこの書籍の形であるし、遊びに来ていて無駄な労力を使わせるのは本意ではない。一応フィンにも魔導書を連れて来ることは伝えているし、中に入ったら魔導書を人間の形にする可能性は伝えていた。リトルデビルが遊びたいなら人間の形で遊ばせるし、本人の気が乗らなかったら書籍の形のままだろう。一応分類上、リトルデビルのように実体を持つ魔法生物はレジャー施設では「使い魔」に当たる。入場料も掛からないしアトラクションへも同乗出来るが、「使い魔の契約者」がきちんと御す必要がある。念のため事前申請用紙はチケット確認時に提出するが、それを提出したからと言って別に許可証などを貰える訳でもない。万が一トラブルが起きた場合は、「使い魔の契約者」の責任となる。……まぁ、リトルデビルに限ってはトラブルも何もないだろうが。
ワースも遊園地などイーストン魔法学校に入ってから初めて来たが、魔導書はこれが全くの初めてだ。ワースは、実を言うとかなり「初めての遊園地」に感動した。恥ずかしいから、誰にも言ってはいないけれども。なんなら当たり前に遊園地の地理に詳しかったラブを少し尊敬した。……ほんの少しだけだが。
こんなに作り込まれた空間に、レクレーション器具がここまで大量に集められた場所が他にあるか?「夢の国」と言われる理由は分からないでもない。経験したことがないから胸を張っては言い難いが、きっと精神年齢が低そうな魔導書は、遊園地を気に入る。幼い自分と同じ姿をした、全く異なる表情をする魔導書が元気いっぱいに喜んでいる姿をワースも見たい。ジェットコースターとかメリーゴーランドとかあるらしいし。というか、ワースが写真に収めたい。その元気いっぱいの魔導書を。実はこの遊園地のガイドブックもしっかり読み込んできてるので、準備は万端である。
「ワース先輩ー!」
「おっ」
ついにフィンが到着したかと思って顔を上げると、ワース以外の全員が揃っていた。というか、ワースを呼んだのは自戒人の少年だった。ぶんぶんと腕を振っている姿は些か元気いっぱい過ぎる。
「チャーッス!今日はお願いしァっす!」
「おー」
「やかましいぞチンピラ」
「ア???挨拶は人間の基本だろうがオラ」
2人とも言っていることは間違っていないが、なんでこう、喧嘩腰なのだろうか。そういえばランスとドットが言い合っていない瞬間など、ワースも見たことがないなと思った。喧嘩仲間という奴か。なるほど分からん。その後ろからひょっこりと、落ち着いた声が顔を覗かせる。
「こんにちは、ワース先輩。本日はよろしくお願いします」
「おー」
言いながら、フィンを上から下まで眺め回した。顔に疲労の跡はない。フィンが入院していた時はまだ墓地管理局に出向中だったから、後始末や報告書に追われて病院の面会時間に間に合わなかったのだ。だから、実際にこうして顔を合わせるのはあの事件以来である。頬に涙の跡を残したままボロボロに泣きじゃくっていた顔が余りにも印象的過ぎて、今の健康そうな笑顔が眩しい。何事もなさそうで本当に良かった。
「声、掛けてくれてありがとな。レインも、……オーター、さんも」
言いながら、背後にいるレインとオーターを順に見る。2人ともいつもと変わらぬ仏頂面であった。またこう、不整脈に胸が騒ぐ。誤魔化す為にワースは意味なくサングラスを触った。2人とも意外とかっちりめの服装で、動きやすさ重視で身体の線を拾いにくいラフな格好をしている自分が若干恥ずかしかった。一応ワースも社会人枠なのに。まぁいいや、と立ち上がる。
「んじゃ、行こうぜ」
はい!だのウッス!だのの声に紛れて、オーターの小さな返事が聞こえたような気がしたが、気のせいだったかもしれない。晴れやかな空に、遊園地のロゴマークが浮かんで見えた。
***
園内に入って、魔導書に人間の姿を取らせた。学生たちは興味津々であったし、あのレインですらリトルデビルが姿を現すと驚きの表情をしていた。オーターはというと、当たり前のことかもしれないが、レナトスが期待したようにメガネが割れることはなかった。
驚いていた様子だったが、どちらかと言うと、なんというか、どことなく目付きが不穏だったというか…。少なくとも学生チームのように好意的にはリトルデビルを見ている素振りはなかった。魔法局では比較的良好に受け止められているし、レナトスも当然のことのようにオーターは好意を抱くと思って話しを進めていたのでワースもそのつもりでいたから、あてが外れたような、どこか期待を裏切られたような奇妙な気持ちになった。まったく我ながら、勝手である。リトルデビルは頭に角こそ生えているとはいえ、顔はまるきりワースと同じだ。幼少期にオーターとの関わりはなかったとワースは思っているが、オーターの方の受け止めは違うのかも知れない。
「ワース、ワース、あれのろう!」
「えー?俺乗るよりお前の写真撮りてェんだけど」
大きな傘が付いた二人乗りのベンチだ。アトラクションが始めるとアレが浮いてくるくると回るらしく、スカイパラソルというのだそうだ。ちらりとフィンを見る。苦笑して首を振るので、多分ダメなのだろう。
ワースにとってはかなり意外だったのだが、フィンは絶叫系の乗り物が苦手らしい。別に箒が下手くそな訳でもないのになんで、とは思うが、自分で運転しているのと他人の魔法によるものなのかは彼にとって雲泥の差らしかった。まあ確かに、いかにもメリーゴーランドだのコーヒーカップだのの可愛らしい系統のアトラクションが似合うから、そういうものなのだろう。乗り物に乗らずとも遊園地は楽しめる。身長制限を見れば、一応はリトルデビルでもひとりで乗れた。もっとも、スカイパラソル自体は二人乗りではあるが。
「えー……と、オーターさんも乗る?」
「いえ、私は結構です。ここで写真を撮って待ってますので」
「そ、そう……」
リトルデビルと二人で乗られても、それはそれで心配なのだが、固辞されてもそれはそれで居心地が悪い。レインはフィンが乗らなければ梃子でも動かないから良いとして、オーターは人形が踊ったり歌ったりする劇場的なアトラクション以外には乗っていない気がする。ちゃんと楽しめているのだろうか。同じ引率役のワースばかりこんなに楽しんでいるのは気が引けた。こちらの気持ちを理解しているだろうリトルデビルはしかし、まったく気にせずにワースの腕をぐいぐいと引っ張っていく。次の回かその次の回で乗れそうではあるものの、珍しく並び列になっていた。リトルデビルの頭を撫でながら、ワースは少しため息を吐く。
「……オーターさん、乗らなくていいのか……」
「いいんじゃないっすか?…あ、でもあのひとが遊園地来たかったんだったっけ」
「は?そうなのか?」
「オレはそう聞いてンすけど……フィンが誘ってきた時、始めっからオーターさんは入ってたっす」
なぁ?とドットがランスに振る。首から提げたロケットの妹の写真を愛でていたランスは僅かに頷く。
「兄とは弟妹が楽しげである姿を眺めていたいものだからな」
(弟妹、ねェ……)
そう言われると、なんだかちょっとがっかりする。……ところで今コイツ、「弟妹」と書いて別の読み方をしなかっただろうか。妹の写真を見ながらだと尚のこと、若干怖い。
(……まぁでも、そうか)
血の繋がりがある実の兄に恋愛感情めいたものを抱いているワースがおかしいのであって、一般的にはランスのように年下を愛でているだけであろう。その割にはワースと同じ顔をしているはずのリトルデビルへ不穏な視線を向けているのが気に掛かるが、そもそもオーターと魔導書が邂逅した洞窟内の時点でだいぶ剣呑とした雰囲気であったから、姿形が多少変わっていても、オーターにとっては「排除すべき魔導書」なのかもしれない。その辺りの機微は、本人に聞かないとなんとも分からないけれど、聞けるほどの度胸はない。前回は地形や状況の全てがワースに味方をしたからオーターを倒せただけで、それこそ障害物のないところで戦う羽目になったら実力差からして負けるのはワースだろう。ただでさえ自分の感情を持て余しているというのに、敵意を向けられたら多分、物凄く落ち込む。どうしたもんかな、と思っていると不意に、ぎゅっと柔らかい手がワースの手を握りしめる。少し低い位置のリトルデビルと目が合うと、にっこりと微笑まれた。
「オーターは、いいひと、だからだいじょうぶ」
ぱちくり、とワースは大きく瞬きした。……いや、失礼な話ではあるが、リトルデビルの立場からしてオーターを「いい人」と見なす理由が分からない。けれどもリトルデビルは嬉しそうにニコニコとしたままである。本気でオーターを気に入っているのが気配で分かった。なんでだ?
「お、リトデビはオーターさんのこと好きなのか?」
「んー………、すき!」
「あるよなァ、オトナに憧れちゃう年頃って」
「お前はもう少し年相応の落ち着きを身に付けろ、このチンピラ」
「あ?????」
突然の罵倒にメンチ切り始めたドットにワースの気も抜ける。なんだってこう、ランスはドットに絡むのか。顔を左右に動かしながらやり取りを見ていたリトルデビルは、くふくふと笑う。
「ランスは、ドットがすきなのね」
「……おいワース、お前の魔導書は目が悪いのか?」
「はぁ?……リトルデビルの教育に悪いから変な絡み方すんなよ」
言っている間に順番が来たので、まだ何か言いたげなランスを放ってリトルデビルを座らせる。うりうりと肘でランスをつついていたドットは魔法で地面に沈められていた。おいおいおい、座らなきゃアトラクション始まらねェだろうが。
写真を撮ってくれるというので、リトルデビルの前髪を手櫛で梳いて形を整える。嬉しそうに瞳を閉じていたリトルデビルは「ありがとぉ!」と言った。最近覚えたらしい。何かをして貰ったら、お礼を言う、と。「どういたしまして」と返せばへにゃへにゃと笑った。可愛い。
自分の制御ではないベンチがふわりと空に浮かぶ。開いたパラソルがくるくると回ってそれに繋がったベンチもくるくると音に合わせて回転する。隣で絶叫するリトルデビルに合わせて、ワースも大きな声を上げる。思いの外楽しい。瞬きするような時間で終わってしまったアトラクションが名残惜しく、ワースはリトルデビルを肩車してくるくる回ってみた。生身だから他人の魔法ほどの勢いも力もないが、内臓が浮き上がるようなぞくぞくとした心地を思い出して、これはこれで楽しい。
かしゃり、と小さなシャッター音に気が付いてワースはそちらに視線をやる。カメラを構えたオーターが口元に笑みを浮かべながらファインダーから顔を離していた。思わず胸がドキドキと高鳴る。カメラを構えていただけなのに、妙に絵になるひとだ。しかも撮っていたのが自分だと思うとより心臓が煩くなる。変な顔をしていなかっただろうか?
リトルデビルがくいくいとワースの髪を引っ張る。オーターの方へ行け、という事らしい。リトルデビルが恋愛感情を理解できているかは定かではないが、少なくともワースがオーターを憎からず思っていることは伝わっているはずだ。変な気を遣われているような気がして恥ずかしい。しかし物怖じしないリトルデビルは幾分はしゃいだ声でオーターに話し掛ける。
「しゃしんとれた?」
「……ええ、まあ」
ここでワースが話し掛けないのは、不自然すぎるだろう。ドキドキとうるさい音を抱えながら、ワースもカメラの方へと身体を寄せる。
「へぇ、どんな感じ?」
一瞬だけ瞳を丸くしたオーターは、すぐに目元を緩めた。無表情だ無表情だと思い続けていたが、意外に顔に出やすいらしい。優しげな表情のままついついと画面を弄ると、スカイパラソルに乗ったワースとリトルデビルの写真が現れた。2人して顔を見合わせながら叫んでいる顔だ。かなり楽しかったのは事実であるが、写真から声が飛び出てきそうな様子である。こんな子供っぽいところを撮られていたと思うと恥ずかしい。良い、写真だとは思うけど。
「ワース、しゃしんほしー」
「…………っ」
リトルデビルの発言の主語は、間違いなく「ワース」であった。本人もちょっと誇らしげである。ワースが言えない分を代わりに言ってやったと、えっへん、とでも言いそうな雰囲気がこちらへ伝わってきた。
待て待て待て待て、オーターに子供っぽい奴とがっかりされたらどうする。思わず心のうちで文句をつけるが、ぱふ、とワースの頭を叩くように感情を返すリトルデビルはだいじょうぶだいじょうぶ、と取り合いもしない。
「データで送りますよ」
軽く請け負ったオーターはワースを見ていなかった。にこにことしているリトルデビルの方を見上げていた。そのことに、ほ、とワースはため息を吐き出す。ね、言ったでしょ、と言わんばかりのリトルデビルの膝を、ぺし、と叩いて抗議は伝えるが、オーターがワースの子供っぽさに気が付いていないならそれで良い。
ポケットから自分の端末を取り出して、フィンが今日のために作ったグループチャット画面を出す。実のところ、まだオーターの連絡先を登録していなかった。なんとなく、本人の断りもなく何かするのが気が引けていたのだ。
「これ、オーターさんだよな。連絡先に追加しちゃって良い?」
「勿論です。……それから、あの」
珍しくオーターが口篭っている。
ワースは首を傾げながら、その言葉を待った。オーターがらしくなく唇を湿らせて、意を結したようにこちらを見た。なんだろう。ちょっと緊張する。
「オーター、で良いです。……さんは要らない」
そのひと言は、ワースにはひどく意外だった。なんせ、オーターとワースには、それこそ雲泥の差がある。友人になりたいと言ってくれたとて、どちらにしても歳の差もあるのだから、これくらいの敬意は当然だと思っていた。でも、呼び方を指定してくれるなら、その方がありがたい。
「わかった……オーター、後で、俺のとこに画像送っといて」
「……はい」
我ながら、どうにもぎこちない。
くふくふと嬉しそうな気配がリトルデビルの方から感じる。コイツ、そういうことか、オーターを気に入っているのは。帰ったら、オトナの難しい心の機微について講義してやる。冷やかされるのも嫌だが、変に助け舟のようなものを出されても嫌なのだ。ひとの心とは、兎角わがままで面倒臭いものである。
ぽんぽんとリトルデビルの腿を叩いて顔を上げると、オーターがどこか遠くを眺めている。ざらりと揺れる風は、少しばかり砂を含んでいて、ワースはちょっと慄いた。小さく名前を呼べば、オーターの視線が戻ってくる。しかしその意識はどうにもこっちに向いてはいない感覚がした。肌が泡立つような嫌な感覚である。
「……そろそろ昼時ですね。何か食べたいものはありますか?」
「あー……学生チームに聞いてみるか。確かフィンが昼食候補に挙げてたレストランがこの辺だったと思う」
……気のせい、だろうか。
オーターが魔法を使っていたような気がするのだけども。こんな長閑な遊園地内で砂の神杖がひっそり魔法を使う機会なんかそうあるものでもない。本人が言わないのであれば、ワースも軽々に聞くべきではないだろう。違和感に蓋をして、ワースはフィンたちの方へと爪先を向けた。
***
「あ、」とフィンが弾んだ声を上げた。
「ここ、入ってみようよ」
そう言って指さしたのはホーンテッドマンション、所謂「お化け屋敷」だ。3人ずつ乗り込むと自動で動き出し、「お化け」が脅かしてくるのを眺めていられるだけの、比較的平和なアトラクションだ。子供だましと言えば子供だましだが、暗闇の中、人形が踊ったり突然光ったり謎の冷風が吹いたり、とにかく飽きるということがないらしい。何より、にこにこと楽しそうな素振りではあるもののアトラクションに全然参加して来れなかったフィンが自発的に乗りたいと言っているのが良い。
「いいじゃねェか、行こうぜ」
あぁでも、3人3人で乗ろうとしたらリトルデビルを入れると一人余る。ワースは別に乗らなくて良いとして、と思ったところでカーゴパンツの裾が引かれる。にっぱりと笑ったリトルデビルの姿がしゅるしゅると小さくなり、それに合わせて衣類も縮む。というか、デザインそのものが布をたっぷりと使ったフリルブラウスへと変わる。あれよあれよと言う間に洞窟で初めて魔導書と出会った頃のワースの姿、つまり就学前の子供の姿になった。そして注意事項をちょいちょいと指さす。未就学の子供ならば、大人の膝の上でアトラクション参加できるらしかった。
「みんなで、のれりゅ、ね!」
満面の笑みで当たり前のようにこちらへ手を伸ばし、抱っこをせがんでくる。ワースは若干頭が痛くなりながら抱き上げてやった。リトルデビルはちょくちょくこういう事をする。やっぱり舌っ足らずだしワースにとっては幼児の自分など恥ずかしい姿だが、リトルデビルはこの姿がお気に入りらしかった。頭を撫でてやるとぎゅうぎゅうと首に抱きついてくる。まぁ、可愛い。可愛いのだが、……この羞恥心は耐えるしかないのか。
ちらりと後輩たちの様子を見ると、ランスの顔色が尋常じゃなく悪かった。
「お、……おい、お前顔死んでるけど大丈夫かよ」
「……だいじょうぶにきまっているだろうこのていどのこどもだましくらいなんてことないにきまってる」
「めっちゃ早口じゃねェか」
よく見るとガタガタと震えてもいる。幽霊関係だめなのか。意外である。ニヤニヤとしたドットが近付いて来た。
「なァんだよスカシピアス、お前こういうのもダメなのか?しっかたねェなァ、オレが……いだだだだだだ!?」
「大丈夫だと言っただろうがこのチンピラ」
真正面からドットの額辺りを掴んだランスは言い切った。掴まれた部分はミシミシと、人体としてはあまり鳴ってはいけない音がしている気がするが大丈夫だろうか。あばあばしているフィンが慌てて止めに入る。なんだかこの様子、喧嘩をしている人間の間に割り込む犬のようだ。どう見ても小型犬系なのに。可愛い。いつもこんな感じなのだろうと窺える。
「お前ら仲良いな……」
「貴様の目はどこに付いている。オレとコイツが仲良い訳ないだろ」
「オレもスカシピアスと仲良くなった覚えとかないっす」
「あ?」
「やんのか?お???」
どう見ても仲良いだろ、と思ったが、ツッコミを入れると先に進めないのでワースは黙っておくことにする。ちなみにホーンテッドマンションはランス、ドット、フィン、そしてレイン、ワースとリトルデビル、オーターの順で乗った。直前まで喧嘩していた割にフィンを間に挟まないのか、というのと、なんで俺ふたりに挟まれたんだろう、と思ったが、あまり気にしないことにする。終わった後のランスの魂は口から出ていた。これもまた、致し方ないことだっただろう。「仕方ねェなァ、」と言いながらペットボトルの水を買ってやったりあれこれと世話をしてやっているドットを見るに付け、やっぱりこいつら仲良いだろ、とは思った。正直、仲良いならアイアン・クローをそんなにカジュアルにかまさないで欲しいのだが。
ランスの回復を待つまでの間、小休憩となった。オーターとレインが人数分の飲み物と軽食を買ってくると言うので、フィンとワースとリトルデビルで場所取りである。誰が買い出しに行くかで微妙にモメたので、取り敢えず問答無用でワースが2人に行かせた。フィンを1人座らせておくのも心配だが人混みに連れて行くのも心配とか、レインのブラコンもなかな極まっている。並んでいる2人が見える位置の席なので、レインへ向かってフィンに手を振らせたが……相変わらずの仏頂面だなオイ。愛しの弟が手を振ってるんだからふり返しやがれよ、と思ったが、フィンが満足そうなので変に突っ込むのは辞めておいた。ドットはトイレに行くランスに付き添っている。……ホーンテッドマンションに吐くほど気分が悪くなる要素があるかどうかは、ちょっとワースには分からない。
考えてみれば今日はよく歩いた。テーブルベンチで足をゆらゆらとさせていると、意を結したように胸の前で拳を握りしめたフィンが、「ワース先輩……!」と話し掛けて来た。
「じ、実は、ワース先輩にお礼を言いたくて……!」
「お礼?」
ワースは瞳を丸くさせる。悪いが、この子ウサギに感謝されるようなことをした覚えがない。誘拐事件の時はワースは下の墓地で戦っていて実際の救出には関わっていないし、その後はレインに抱き締められながら泣いているのをやや羨ましく横目に見たくらいだ。本当に心当たりがない。妙にこう、張り切った顔をされても、知らねェもんは知らん。
「い、頂いたノートのことなんですが……!」
「ノート?」
「マッシュくんとのお勉強会にワース先輩が来て下さった時、もう要らないから、って2年生のノートを頂きまして……」
「……あぁ、そういえば」
結構記憶力はある方だと思っていたワースでさえ思い出すのにやや掛かった。なんせ、ワースのノートは比較的よく取引されていたものだから、写本は結構出回っているのだ。知り合いに貸した回数も、両手足の数では足りない。オリジナルは長らく取っておいたが、どうせ卒業したら使わないし嵩張るばかりなので、欲しがるレアン寮の後輩にだいたい譲り渡した。なんやかんやで主要教科はレアン寮の共有財産とされていた筈だ。フィンに渡したのは多分、補助系・治癒系の講義に出ていた時のものだ。ワースの周辺はこれで血の気が多いものだから、あまり白魔導系統の魔法に関心がある後輩がいない。ワース自身も中級魔法が使えるようになった程度でそんなに適性がなかったから、1年くらい授業には出て、プラスアルファで多少興味のあることを調べて、それをまとめたくらいだった。埋もれるくらいなら誰かに渡した方が有意義であろうし、ワースが知る中で一番白魔導師になりそうだったのはフィンだ。実技はともかく資格を取るなら筆記も必要になる。はっきり言ってフィンも進級が怪しい枠の後輩であるから、ちょっとした餞別のつもりだった。
「あったなァ、そんなこと」
「はい!……そ、その、ワース先輩から頂いたノートのお陰で、最近勉強が楽しくて……!」
「お、やったじゃねェか」
フィンは、ワースの目から見れば随分と分かりやすい劣等生だった。そもそも本人がだいぶ要領が悪いところもあるのだろうが、実際に勉強を見てやって、恐らく初等部の頃に学ぶべきいくらかのカリキュラムが抜けているような気がした。兄のレインが神覚者になった際に、彼の生い立ちはそれなりにニュースに取り上げられたから、まぁ、たぶん、そういうことなのだろう。兄は早熟で、要領が良く、多少の逆境にも動じないほどの才能があった。弟のフィンはそうではなかった。ただの、それだけだ。
言ってなんだが森育ちのマッシュも、正直フィンよりも初等・中等部で学んでおくべき事柄の欠落が多いので、勉強会の際2日ほど掛けてその辺りを総ざらいしてやった。はっきり言って試験範囲外ではあるが、学年末は大抵こういう教養も一部出されるものだし、基礎がないところに応用を積み上げることなんか誰にだって出来ない。そう言い切って、結構無理矢理中等部までの基礎を叩き込んだので、もとより勉強が苦手なマッシュはかなりグロッキーであったが、フィンも負けず劣らず苦しげであった。まぁそれを土台にさらに1学年の試験範囲をドカドカと積上げさせたので、我ながらなかなかの地獄の勉強会だった気がするが、最終的に平均点よりも上だったり競っていたりする答案を二人して見せに来てくれたのだから、結果オーライという奴である。その報告の時に寮の掃除をしていたものだから、ついでにノートもフィンに渡したのだった。思い出してきた思い出してきた。
もじもじと、フィンは指を捏ね回すように落ち着きがない。何か言いたいことがあるんだろう。ワースはそれを見下ろしながら待ってやった。
「あっ、あの後、ちょっぴりだけ前より授業が分かるようにはなったんですけど、2年生の範囲って難しくて……。中間テスト前にこれはやばい!ってワース先輩のノートを見直したんですけど、そしたらするする頭の中に入っていって……先生の授業より面白くって」
「はははっ!マジかよ。あの先生、寝てるヤツから指すはずだから気を付けろよ」
「分かります。マッシュくんもの凄い当てられます」
なんで魔法が使えないのに講義を受けているんだろう?と思ったが、それはさすがに無粋な問いだろう。丁寧に、胸にしまい込む。
確かワースのノートには、当時ワースが調べた補足情報もだいぶ載っているはずだ。ただ、ノートを読んでそれなりに理解しているのだから、恐らく初めて聞いた講義内容よりも復習で読み直したノートの方が既知の内容である分頭に入りやすかっただけだろう。ワースのノートに、なにか特別な価値があった訳では全くない。……全くないが、そんなしょぼくれた話を一生懸命に感謝を伝えようとする後輩に言う必要はない。
「そういや上級学校目指してんの?」
「………まだ、悩み中で」
正直、赤魔導師よりも白魔導師の方が就職は良い。なんせ、希少な専門職だ。大抵は医療・看護系の専門学校や上級学校に進んで更に論理や患者対応を学ぶ。イーストン魔法学校でもそれなりに白魔導師の育成は行っているが、そもそも学校の設立からして魔法局に務める局員を育成する学校だから、現場に出ると言うよりは監督官になるような白魔導師の育成が主だ。2年生のこの時期に進路を決定してしまうのは、些か早すぎるきらいはあるが、受験科目がいくつか異なるので、早く決まればその分早く勉強を始められる。遅くて困ることはあっても、早くて困ることはない。
「無邪気な淵源」事件の際にあれだけ立ち回れるのだから、フィンの実技は一切心配していない。ただ、あまり書類仕事や官僚仕事は向いていないように思った。無理に兄を追って魔法局に入る必要もないだろう。フィンも困ったように「うーん」と唸る。
「兄さまは学費なら出す、と言ってくれてはいるんですが……」
「いいじゃねェか、頼っちまえよ」
レインの貯金残高ヤバそう。っていうか、弟用の積立貯金とかしてそう。
「無邪気な淵源」事件以前の姿の方がワースには馴染みがあったエイムズ兄弟だったが、事件の後和解して、かなり印象が変わった。主にレインの。
昔からウサギ好きのやばいヤツ、と思っていたが、あのウサギ好きがまさか弟に向けられない愛着の終着地だったと誰が気が付くだろうか。ワースはもちろん、気が付かなかった側の人間だ。いま現在、レインの魔法道具管理局の執務室には、フィンから贈られた品で作られた祭壇らしきものが出来ているらしい。祭壇が出来はじめた当初、同期の魔法道具管理局の局員が「うちの上司やべー!笑」と画像付のメッセージを同期会へ送ってきた。当時ワースも爆笑していたが、段々洒落にならない規模になっていったらしい。しかもそれを送りつけてきた同期たちは「もうオレは弟くんの幸せを祈ることしか出来ない」「私たちの平和は弟くんに掛かってる」「俺今週でもう2回弟くんの祭壇に祈ったわ」とかなんとか言っていた。恐らくは職務上のトラブルが発生した時にフィンの祭壇が何かの威力を発揮するのだろうが、怖すぎてワースは聞いていない。世の中には知らなくて良い事だってあるのだ。本人こんなにぼやぼやしているってのに、魔法道具管理局局員たちから知らないところで拝まれてるって、マジで何。あそこで何が起きてるんだよ。
「……あ、そういやイーストンに1番近い治癒系の上級学校にいる、魔力増幅系の専門家の教授なら俺、紹介できるぜ」
「えっ!?」
「いや、授業でレポート課題が出てきたから、調べてて面白くなったから教授に何回か質問に行って、……そしたらなんか気に入られて」
年に1回治癒系の学会の研究発表があるのだが、毎年ワースは足を運んでいる。というか、学会からお知らせが来る。どう考えても一介の学生のレポートの世話をしてくれた教授の好意であったし、こちらも感謝しているので分からないなりに毎年拝聴させて貰っていた。お陰様で、ワースは大して治癒系の魔法は使えないのに、余計な知識ばっかりついた気がするが。
ポカンと口を開くフィンに、その教授の名前を告げると、「僕、最近そのひとの本読みました……」と小さく呟いた。初級向けの本をめちゃくちゃ書いている教授だから、あり得る話だろう。魔力増幅系補助魔法の教育分野では、第一人者と呼ばれるような人物だ。むしろこの劣等生が自分から進んで書籍で学ぶなんて偉い。思わずワースはフィンの頭を撫でた。
「ワース先輩って」
「うん?」
「何気に、めちゃくちゃ、凄いですよね……」
「いや全然すごくねェだろ」
ワースの同級生だったオルカ寮生なんかは、在学中に論文コンテストに出して賞を貰っていたし、それを引っ提げて上級学校への進級も決めていた。「凄い」とは、そういう奴のことを言う。ワースも幾つかのコンテストに論文を出して記念品のような賞を貰ったが、誰でも貰えるようなモノを貰ったとて、別に価値はない。まぁ、学んだことは間違いなく身になったと思うけれど、それはどうせワースの自己満足に過ぎない。
「治癒魔法はマジで才能がモノを言う世界だから。俺なんか、論理式は分かってるのに全然発動しねーもん」
「そ、そういうものですかね……」
「上級魔法並みのセコンズ使ってる奴に言われると気が抜けるな……」
論理式の中には魔法陣を書いて後は魔力を流すだけ、のようなお手軽な形式のものがある。それならワースも中級魔法まで発動させられる。というか、それが論理式の利点である。正しい論理構成能力と魔力量さえあれば適性のない魔法でもある程度扱えるようになるのだ。勿論、適性があればあるほど使用する魔力も少なくて済むので、やはり才能とは切っても切り離せないのだが。
中級魔法の定義は「重症患者を治癒できる程度」となっているので、ワースも道具の力を借りれば才能がなくてもそこまでは行ける。問題はその先である。上級魔法は「欠損を治癒できる程度」となる。フィンのバタフライ・サニタテムズは恐らくその領域だ。本人はたぶん、論理的になにが起こっているのかを理解していない。無意識の領域で人体の複雑な構造を認識して組み替えているのだから、尋常なことではない。どれだけ本を読んで、知識を蓄えても、ワースには辿り着けない領域だ。
「フィンの立ち位置は才能なんだから、目一杯、魔法の使い方を学んだら良いと思うぞ」
才能にも色々あるが、持って生まれたモノは全て「才能」のうちだとワースは思う。兄を追いかけて名門イーストン魔法学校に入学できる向上心も、後に魔法界を救う英雄と進学早々友人となった人柄も、いざとなれば財布の紐をゆるゆるにする保護者がいることも。この環境は十二分に恵まれている。しかしフィンの顔が、少しばかり曇った。
「そっ、それはそう、なんですけど……」
「なんだよ、どうかしたのか?」
「じっ、じつは……、ところどころ授業に付いていけなくて……!」
ワースはずっこけた。
なるほど、相談したい本命はこっちか。
もちろん感謝を伝えたかったのも、本命であろうが。
確かに学年末試験の為にワースはかなり無理矢理フィンへ詰め込み教育を施してやったが、本来なら数年かけて覚えさせる話を一気に教え込んだのだ。齟齬が出ない筈がない。むしろ、この劣等生が治癒魔法に関しては楽しく勉強出来ていたのだから、頑張っている方だ。ワースはそう思ったが、以前教えられた手前、フィンはあばばばば、と慌てる。その揶揄い甲斐のありそうな顔にちょっぴりだけワースのいたずら心が疼いた。
「いっ、いや違うんですよ!治癒魔法の授業が楽しいのは本当で……!問題はそれ以外で……!」
「ふざけんな2年は選択科目より必修科目のが多いだろうが」
「そっ、そうなんですが……!」
「……つーか、レインだって神覚者になってるんだから普通に勉強見てもらえるだろ。兄弟の団欒しとけよ」
「あ、あんまりその、……兄さまに、勉強が苦手とか、恥ずかしいところを見せたくなくて……」
しゅんと俯くフィンのつむじを見て、ワースは密かに反省した。フィンは確かに、明らかな劣等生であるが、だからと言ってプライドがない訳でもない、普通の10代だ。その羞恥心をなげうてと言うのは、流石に酷な要求であろう。どうせ成績が出ればレインには筒抜けになるだろうが、ワースと2人きりになってからこんな話をし始めたのにはフィンなりの意味があったのだろう。面白くなって配慮が足りなさ過ぎた。フィンの言わんとすることは分かる。ワースも、もっとずっと捩くれた感情であるとは言え、見栄を張りたくなる気持ちがある。がりがりと乱暴に頭を掻いた。仕方ない、「神覚者の弟」だなんて厄介な立場であった先輩として、一肌脱いでやろう。
「事情は分かった。……けど、俺も別にそんなに助けてやれねェよ?」
「ワース先輩のノートで勉強が楽しくなったので、他の科目のノートも見られたらなって……」
「あー……」
なるほど、それなら教師陣がほぼ変わっていないのでテスト対策にもなる。が、生憎とワースの手元にはない。
「原本は全部レアン寮の後輩にやっちまったんだよな……」
「そう……ですよね……」
「けど、写本を持ってる後輩はそこそこいるし、言えば写させてくれるんじゃねェかな。フィンが知ってるとこだと、オルカ寮のカルパッチョとかも持ってる筈だぞ」
「…………あの辺を「知ってるとこ」とは思いにくいですね……」
フィンは遠い目をした。確かにあれだけボコボコにされて友情が芽生えるのは物語世界だけの話だろう。ワースは自分の端末を取り出して、上から順に名前を見ていく。比較的カルパッチョと関わりが薄く、ワースの写本を全教科揃えていそうで、劣等生を前に小馬鹿にしない程度には人間性がまともな奴。ちなみに、人間性がまともである条件は、フィンの為であり選ばれる後輩の為でもある。態度が最悪のせいでマッシュにシメられても可哀想であるし、事が大きくなるとレインまで出てくる可能性がある。
「んー……コイツかな」
ワースがメッセージを送ると、早速返事があった。想像通り写本を全部持っているらしい。写させたい後輩がいるんだけど、と打つと二つ返事でOKが来た。
「良いってよ。コイツ知ってる?」
「いつも成績上位に張り出されてるひとだ……!」
そうだっけ、と思ったが、そういえばフィンの代は座学上位をカルパッチョが総嘗めにしているが、上位5位くらいは殆ど競り合っていたのだった。この後輩はその競り合っている内の1人である。そんなことを考えている間にも、後輩からの追いメッセージが続く。
「あ……?」
「どうかしましたか?」
「……いや、大丈夫。月曜日に貸してくれるらしいから、フィンの連絡先コイツに教えても良いか?」
「はい、助かります!」
フィンと後輩それぞれに双方の連絡先を送り付けて、ワースはこっそりと、しかしじっくりと、後輩からのメッセージを読む。
曰く、ワースのノートの原本は当初レアン寮の談話室に収められていたらしいのだが、学校側からの要請で接収されそうになったらしい。名こそ明かせないが、学外の人間がぜひ欲しい、とのことで圧力をかけて来た、との理由で、である。困ったレアン寮生はワースのノートを丸々図書委員管理図書として図書館に収めさせたのだと言う。こうすれば管理上は学校側と、図書館側と、生徒会の図書委員の共同となる。とはいえ扱いは「寄託」にしたので所有権はワースが譲り渡した各々のレアン寮生達にあるらしい。抜け目ないと言うかなんと言うか。ここまで所有者を複雑にしたお陰で原本は取られることはなかったものの、どうやら圧力をかけて来た者は、ワースの原本を元に写本を作ったらしい。後輩が言い張るには、それは砂の神杖の手の者、だそうなのだが。
(いや、ないない。ないだろ)
憤り混じりの興奮したような後輩のメッセージに失笑で返す。時期的にもワースが魔導書を手に入れて入院する少し前のことだから、ワース本人の思想や信条を調べられた、とは考えにくかった。オーターがそんなことする理由がない。
(そ、ん、な、こ、と、よ、り、ポスター発表は、と……)
近々行われる研究発表の話題を振ってやれば、文面からしても後輩が震え上がった。OB達がしたようにワースも後輩の頑張りは見に行ってやりたい。くだらない発表したら許さないからな?と書けばスタンプだけ残して後輩がチャットから離脱する。フィンの面倒見てくれた礼と激励に、今度何か持って行ってやろう。
若干血の気が戻ったランスがドットに支えられてフラフラとワースたちの元へと戻ってくる。いやだから、ホーンテッドマンションに乗り物酔いの要素はないと思うんだが?そうこうしている間にオーター達も戻って来て、ワースとフィンは顔を見合わせて笑う。勉強の相談事は、取り敢えず一旦棚上げとなった。
◆◇◆◇◆
かわいいなぁ!
「わたし」は思わずスキップをした。状況が許すのであれば、本の形のままくるくると何処かへ漂っていたかった。カナリヤから、「それはちょっと、書籍としてどうかと思う」と以前に苦言を呈されたから、抗議の意味でしかやらないと決めているけれど。
「わたし」に届くカナリヤの歌は、いつもよりずっと爽やかに響いた。甘くて、酸っぱくて、初々しい。実に可愛らしい歌だ。「わたし」は嬉しくなってしまう。
ちらりと見上げた先の砂は、無表情ながら「わたし」を警戒していた。これもまた、実に良い。
かわいいカナリヤ。
どうかこのまま、素敵な歌をうたい続けておくれ。
◆◇◆◇◆
花壇に沿ったサークルベンチに腰掛けてぼんやりと遠くを眺める姿に、オーターは息が止まるかと思った。
(本当にいる……)
袖口や裾が広がったシンプルなシャツに大きなポケットが印象的なダボっとしたカーゴパンツを履いて、少し足を投げ出すように佇むその姿は、ファッション誌の1ページのようであった。遊園地の入り口へ向かう家族連れや学生グループのちらちらとワースを見ながら通り過ぎていく。なんなら、撮影のカメラを探しているような素振りの者もいたくらいだ。分かる。オーターも撮れるものなら写真を撮らせて欲しい。ダメなら雑誌の切り抜きでも妥協する。スクラップノートを作りたい。
「んだよ、ワース先輩もう来てんじゃん」
言って、止める間もなくドットが「ワース先輩ー!」と言いながら駆け出す。正気か。その勇気が凄い。普段冷静そうに見えるランスも小走りで追う。オーターはドットを止めようとした手を静かに下ろした。自らの名前を呼ばれて振り向いたワースがこちらへ視線をくれたからだ。万が一にも、挙動不審の変な奴とは思われたくなかった。なんせ昨日は楽しみ過ぎて眠れなく……なることは分かっていたので、事前に用意した睡眠導入用の魔法が掛かった音楽を聴いて眠った。体感としてはそんなものに頼ってもだいぶ寝付きは悪かったので、準備しておいて本当に良かった。寝不足の頭ではワースの私服を脳裏に焼き付けておくのは難しかったかもしれない。
相変わらず緊張でうるさい胸を抱えながら、オーターは、ほ、と安堵のため息を吐き出した。
「声、掛けてくれてありがとな。レインも、……オーター、さんも」
付け足された敬称に、自分は呼び捨てではないのだと驚いた。驚いたが、じゃあワースになんと呼ばれていたのか、正直ちょっと思い出せなかった。呼ばれた覚えがあるのは「砂の神杖さま」。関係性を思えば呼ばれていた可能性があるのは「兄さま」?……いやこれは、エイムズ兄弟の姿に記憶をすり替えられている可能性が非常に高い。なんせ、ワースの幼い頃の声をオーターは思い出すことが出来ない。対外的には「兄」と呼ばれていそうだな、と思った。貴族は基本的に早熟な子供を可愛がり、愛するので。幼い子供が作法正しく親類を呼称すれば、だいたい褒められただろう。ワースは、恐らくそのような機微を掴むタイプだ。
入園ゲートをくぐると、おもむろにワースはカバンから1冊の本を取り出した。オーターは少し眉を顰める。事前に話は聞いていた。
「魔導書にひとの形を取らせてもいいか?」
礼儀のつもりか、ワースは同行者の面々を見渡して聞く。学生チームは「それが噂の!」と色めき立っていた。恐らく、魔導書というものをあまりきちんと理解していないのだろう。ワースも軽く言ってはいるが、人間の形を取る魔導書など前代未聞だ。もし出来る魔導書が他にあったとしても、すべて禁書扱いになるだろう。変身魔法や強化魔法として想像されるよりもずっと複雑な魔法を使っているはずだから。そもそも、術者が「皮を被らせる」のではなく魔導書本体が「自分の魔法を自分に展開する」時点で、希少性が高い。
「もちろんです!リトルデビルくんに会ってみたいですし」
フィンの言葉にワースは目元を緩める。そして魔導書の周囲の空間が若干歪んだ。ワースと同じ泥魔法が発動する気配がして、その歪んだ空間ごと泥が包み込んでいく。
「…………」
初めて間近で見るが、なるほどとオーターは密かに嘆息した。歪んだ空間は恐らく魔導書が作り上げた結界だ。それを核として人間の外側を作っている。魔導書は基本的に本を開いた状態で術者に触れられていなければ魔法を使えない。魔導パスを適切に繋げないからだ。聞くところによるとこの禁書は泥人形の身体で自立したまま魔法を使っているという。一体どういう仕組みなのか。間近で見てもよく分からない。最初に展開した結界がワースと繋がっているのだろうか。であるとすれば泥人形の身体の耐久性はいかばかりか。じっと見つめている間に身体が組み上がる。印象的なねじくれた角を頭に頂いた、小さな少年だった。顔に走るアザは2本線。ワースと同じデザインの服を着ていて、角さえなければ瓜二つの歳の離れた兄弟のようだった。あまりの衝撃にオーターは言葉を失う。聞いて知っていたことではあるが、実家にあるアルバム内のワースとまるで同じ姿だった。もちろん、家族写真のワースはいつも無表情か口角をほんの少しだけ上げた姿であったので、瞳を細めて口を大きく開ける目の前の子供らしい表情とは全く違った。……違ったのだが、あの写真の中の行儀の良い少年がレンズの外ではこんな表情をしたのではないかと、思わせるような風情であった。マドル家は貴族らしい貴族の家なので、当然、日常生活でもいま目の前にいるような不躾な表情を浮かべることは許されていた筈がない。それを理解しているオーターの頭でさえ、混乱するほどの、本当に良く出来た姿であった。思わずオーターは眼鏡の位置を直す。平静を装うのは少し難しかった。ワースがちらりとオーターを見て、少しばかり意外そうな表情を浮かべた。自分のリアクションは彼にとって意外だったのだろうか。そうだろう、自分にとっても、かなり意外だ。
幼く無邪気な表情を浮かべるワースの似姿を愛おしく思うと同時に、無遠慮に彼の姿を取る禁書への狂おしいほどの怒りを感じる、だなんて。
***
ワースの墓地管理局への出向は、比較的、恙なく終わった。……いや、恐らく今後の魔法道具規制に関係するような大きな事件を担当しておいて「恙なく」というのはさすがに言い過ぎであったが、人材の移動という意味では非常に穏当に終わった。なんせ、出向終了の日取りを決める神覚者会議で大きめな爆弾を落とされたからである。
「ワースくんは未熟ですので出向などさせず、引き続き禁書管理局で面倒を見ますから」
にっこり笑ったソフィナはいつものように涼やかな声で言った。あの事件でワースがマッシュへ位置情報を送った判断ミスは、ソフィナにとって渡りに船だったのだろう。オーターに言わせれば被害者がフィン・エイムズであったこと、連絡者がマッシュ・バーンデッドであったことを思えばさしたる「ミス」とは思わないが、これは「身内への贔屓目」と言われれば否定するのは難しい。原則的には、ソフィナがやはり正論である。……とはいえ、そんなものは建前だろう。ソフィナがワースを外に出したがらない理由は、概ね心得ている。
禁書の使い手というのは、実際非常に珍しい。ソフィナのように自身の魔法で禁書を支配下に置いているタイプもかなり珍しいが、ワースのようにあれだけ魔導書に想われていて精神に破綻を来していないというのは、恐らく魔法界でも数える程しかいない。ソフィナが自分の局で育てたいと思っているのも尤もな話だろう。興味深い禁書研究を行う論者兼貴重な後進を逃したくない、というのもまま分かる。オーターの立場からすれば禁書管理局にこのまま所属させておく、というのは十分妥協できる範囲だ。結局のところ禁書についてはソフィナほど詳しい者はいないのだから、彼女に預けているのが最もワースにとって危険が少ない。レナトスはまだぐちゃぐちゃと「アイツらまーじで適性あったんだけど…」とか「万霊祭の時だけでもピンチヒッターってことで借りられねェ?」とか往生際の悪いことを言っていたが、「まだ判断力に不安のある新卒ですので」とソフィナにばっさりやられていた。難しい顔をしているツララにも意味ありげな笑みを寄越していたから、すでに話はついているだろう。それをまた、食えない笑みで眺めていたカルドが何を考えているのか、オーターには図りかねた。ワースの働きは、はっきり言って期待以上だった。最後に美味しいところを攫ってしまったオーターが言うのは不遜過ぎるが、ワースが泥で周囲に柵を作って守っていなければ、事を納めるのはもっと難しかっただろう。的確に出歩く可能性がある範囲を見定め、区画ごとに柵を張り巡らせたその手腕には文句の付けようがなかった。そんなこと、会議に集まった神覚者全員が認識している。勿論カルドも、だ。発展途上の力を秘める新卒魔法使いを、この人事の専門家はどう見る。また変なところに出向させるなよ、とは念を送ってみたが、届いたところで動じるような相手でもない。
とはいえワースを墓地管理局へ出向させて、分かったことがある。あの禁書の性質だ。
ワースの報告やソフィナの分析から、禁書自身が大気中から魔力を集めることができる、というのは判明していたが、どうやらアレは「生きていないものから魔力を奪うことが出来る」性質を持つらしい。死者の肉体は、言ってみれば遺体であり、既に生きてはいない。戦闘訓練中も、ワースが命じればかなりの精度で魔力を吸ってくると、レナトスが証言していた。実際霊園で泥魔法を介して魔力を奪っていた時も、その場にある草木はまったくの無事であったから、概ね正しい推論であろう。……ただし、あくまでワースの指示対象が死者であったから、それに禁書が従ったのだ、と言われると少々反論はしにくい。しかし一方でワースがはっきりと指示語として「死者」を使用していない場面も多く、禁書がワースの言外の意図を読み取って攻撃をしていたとなれば、それはそれで重要な観点である。結果としてオーターが間に合ってしまったとはいえ、術者が危険にさらされていても、禁書はワースの「こっちはいい」の指示に従えていた。術者に惚れ込むタイプの禁書は、何においても術者の身の安全を優先する。それを思えば静止の命令だけで術者の危険を放置できるなど、禁書が持つ自制心としてはかなり高い方だ。術者の指示に従おうとする禁書の意思が強いのか、ワースがそれだけ禁書を自身の支配下に置けているのか、評価としてはやや迷うものの、いずれにせよ禁書を手放す気がなさそうなワースにとっては有利な材料ではある。……オーターとしてはあんなもの、さっさと禁書庫に収めるなりなんなりで処分して貰いたいものだが。
魔法の使いすぎで一時的に身体中に熱を持っていたワースであったが、簡単な応急処置と1日しっかり休ませればすぐに回復した。禁書が治癒魔法系統のセコンズによる出歩きをした死者80名程度の魔力を集められる性能を思えば、その使い手たるワースには今後もまたこのようなことがあるだろう。そのたび魔法回路に負荷が掛かってワースの魔法許容量が増えていくのは彼にとっては良いことだろうが、それだけ開ける禁書のページが増えると思うと、手放しには喜べない。
見た目や言動で誤魔化されてしまうのだろうが、結局のところ禁書は禁書だ。危険な書籍であることに変わりはない。どうにもワースはアレに愛着を感じているようだが、それも含めてもどかしかった。
今日も、ほら。
子供のフリをして、ワースの手を引いて走っている。
フィンはあまり激しく機体が動くタイプのアトラクションを好まないらしく、そういう場合は決まって見学だ。となれば勿論レインはフィンに付き添うので、自然、写真を撮りたがるワースやランスたちの為にカメラを構えてやるのは専らオーターになる。オーターとしては誰に気兼ねなくワースの写真を撮れるしアトラクションに関心がないのでちょうど良いのだが、微妙にワースが困ったような素振りを見せているのが気になった。あの禁書、術者に気を遣わせているのか。けしからん。
しばらく見守っているうちに、スカイパラソルに乗ったワースと禁書の2人組がくるくると空を舞う。他の客の声に合わせて「きゃー」とでも叫んでいるのだろう、禁書が大きく口を開いて、ワースも目配せしながら同じ形に口を開く。禁書を見つめる瞳には慈愛が宿っていて、とにかく優しそうである。尊い。とりあえずオーターは指が許す限り連射した。
出口から戻ってきたドットは何故か地面にめり込んだように土がついていたが、ワースは禁書を肩車してやっていた。スカイパラソルと同じようにくるくると回ると、禁書が幼児のように喜ぶ。アレが術者に取り憑くような禁書でなければ、大変可愛らしい風情であるのにな、と思いつつ、オーターはその姿も1回だけ、シャッターを切った。
「オーターさん楽しそうですね」
「…………?そうですか?」
フィンがふにゃふにゃと微笑んで言うのに、オーターは首を傾げる。楽しいと、呼ぶには些か複雑な気持ちだ。その感情を複雑にしている禁書が、ワースに肩車されたままこちらを覗き込む。
「しゃしんとれた?」
「……ええ、まあ」
「へぇ、どんな感じ?」
禁書が覗き込む距離だから、自然とワースも近い。少し緊張しながら端末を操り、ちょうどいま先ほど撮った写真を見せる。ワースと禁書が楽しげに絶叫している写真だ。画面から歓声が聞こえてきそうなくらい良い表情をしている。
「ワース、しゃしんほしー」
視線を上げると、キラキラとした瞳の禁書がいた。禁書にも、この写真の良さが分かるのか。というか、所有欲めいたものがあるのか。ちょっぴりだけオーターは感心した。どうせ管理するのはワースだろうし、意地の悪いことをする理由もない。
「データで送りますよ」
そこで、はたと気が付いた。そういえばワースと連絡先の交換をしていない。いや、この遊園地に誘う際にフィンがグループチャットを立ち上げたから、連絡を取ること自体は容易い。ただ、なんとなく本人に了承を取る前に登録をしてはいけない気がしていて、連絡先に追加していなかった。
どうしよう、と思う間もなく、自分の端末を取り出したワースがひょいひょいと何かを操作して、画面を見せる。
「これ、オーターさんだよな。連絡先に追加しちゃって良い?」
「勿論です。……それから、あの」
「……?」
「オーター、で良いです。さんは要らない」
朝から、言おうかどうしようかとずっと思っていたのだ。年齢差のある友人同士と思えば敬称が付いていてもあまり気にならないが、ワース相手と思うと何かよそよそしくて嫌だ。ぱちぱちと瞬きを繰り返すワースは、はにかんで小さく、「わかった」と呟く。それをうんうんと頷きながら禁書が見ている。
「……オーター、後で、俺のとこに画像送っといて」
「……はい」
我ながら、どうにもぎこちない返事だ。
だが本当に緊張しているのだから仕方がない。今も胸がばくばくとうるさく鳴っている。
ふと、ワースの髪を握り締めている禁書が、遠くを見るように視線を彷徨わせた。そこには先ほどのような子供らしい雰囲気は一切ない。なんだ、と思いながらその視線の先を追う。そこには遊園地に不釣り合いなアタッシュケースを持つ3人組がいた。中に着ているシャツこそラフな物であるが、3人ともジャケットを羽織っていて、どこか浮いている。
(…………?)
やや遠いから判然とはしないものの、彼らが持っているアタッシュケースには見覚えがあった。魔力探知を阻害する特別製のブランド品である。魔法道具以外にも世の中には魔力を含有したものは数多くあり、中には周囲の魔力と反発する品もある。それらを安全に運搬する為のケースだ。魔法道具売買業者には必需品とも言える。……が、当然ながら、遊園地には似つかわしくない。
「オーター?」
「……そろそろ昼時ですね。何か食べたいものはありますか?」
眼鏡を直しながらワースを見る。どうやら彼は、頭上の禁書が何を見ているのか分からないらしかった。
ワースと禁書が感覚の共有をしている節がある、と言ったのはソフィナであるが、これについてはハッキリとしたことは分かっていない。聞いても、ワースは誤魔化すからだ。疑いが浮上したのはワースが禁書を手にしてすぐの入院していた頃、禁書を隔離して、ワースとの繋がりが断てないものかと様々な検証が行われた時だ。その一環として先ほど見たアタッシュケースに使われているのと同じ素材、同じ魔法の箱に入れてみたことがある。数日と経たぬ間に、ワースから物品要望が上がったのだ。本人ではなく魔導書宛に、子供向けの道徳と倫理を説く書籍を、との話だった。一応窓口担当者がワースにその意図を問い直したらしいが、返ってきたのは「アイツが退屈してるみたいだから」だった。特殊な箱に保管しているのだから、禁書が「退屈」かどうかは術者に分かるはずがない。むしろ禁書との繋がりが突然断たれたワースの精神的揺らぎを心配されていたのに、本人は至ってけろりとしていた。……まるで、箱が意味を成していないかのように。ワースが禁書に読ませようとした書籍の内容は「ひとを傷付けてはいけません」「死んだひとは戻ってきません」というような若干説教じみたものであり、この局面で禁書に、そして注文を通じて禁書管理局に見せるのは些かメッセージ性が高かった為、早急に禁書は箱から取り出された。ワースに何らかの符牒の意図はなくとも、危険な書籍を扱っている自負は、禁書管理局局員たちにあったのだから。禁書が、他の書籍を読めるかどうかは分からない。けれどワースからの道徳の本が届いて以降、禁書はしぶしぶながら禁書管理局の調査に協力するようになったらしい。ソフィナの言葉を借りるなら、「猫ちゃんが爪を立てながら施術台の上で予防接種を受けてるみたい」とのことだった。その辺りの感覚的な機微はオーターには全く分からないが、ワースから何らかを諭されたのであろうことは、想定された。その方法がどのようなものであるかは全く分からなかったけれども。勿論この後ワースが禁書に言葉を覚えさせようとするから、言語的なコミュニケーションを計れていた訳ではないだろう。逆に言えば、外部から言えることはその程度だ。
念のため、怪しげな3人組に魔力を付与した砂でマーキングをする。砂の動きを追うように視線を這わせていた禁書は、砂が3人組に付くと、オーターに視線を戻してにっこりと笑った。なんだ、その表情は。まるでワースと似ても似つかないのに、同じ顔ゆえ可愛らしいから苛立ちが募る。
こちらの苛立ちに気が付いているのかいないのか、とにかく禁書は機嫌が良いようだった。正午に近いからとレストランへ行く間もワースと手を繋ぎながら不恰好なスキップをしている。見かねたワースがスキップの見本を見せてやり、ドットが真似をしてランスが揶揄う。頭の角さえなければまるきり大きなお兄さん達に遊んでもらう子供である。しかも、最初よりずっとスキップが上達していた。
「可愛いですね」
にこにことしたフィンが禁書を眺めながら言う。なんとなく、眼鏡の位置を直した。半分ほどはオーターも同意できる。あの顔は、確かに可愛い。中身が禁書でさえなければ。
報告の通り魔力を持つ食べ物ならば大抵食べられるらしい禁書はお子様ランチと期間限定のフルーツサイダーを選んでいた。子供用の小さなカトラリーをギュッと握り締めて、飾り切りの可愛らしい食材を頬張っていく。それを見ているのは、胸の奥が、ジリジリと焼け付くようだった。
(……ワースにも、きっとこんな頃があったのでしょう)
生憎と、オーターは覚えてなどいないが。
というか、一緒の食卓を囲んだことも、数えるほどしかなかっただろう。実家暮らしの頃は部屋で食事を摂ることも多かったし、魔法学校に通うような年頃になると寮生活であったから、ホリデー期間などの限られた時期しか家に戻らなかった。なんなら、戻らないことさえあった。子供らしく稚い振る舞いは、オーターが見落とし続けた「弟」そのものであった。よりにもよって禁書にそれを見せつけられ続けるのは、腹の中がモヤモヤとして気分が悪い。
惰性でオーターが食事を摂っている間にも、ドットが戯け、ランスが突っ込み、フィンが笑う。和やかである。学生達に声をかけて本当に良かった。彼らを見るワースの瞳も柔らかく弛んでいる。そろそろ食べ終えるだろうワースは、話に夢中になる学生達のために、手を止める。ひと口分ほど食事を残している姿を見た禁書は、星やハート型のゼリーと季節の果物が入ったフルーツサイダーをひょいと取って、ずい、とワースの方へと押しやる。
「ワースの」
「あ?お前飲むだろ」
「ワースすきでしょ?」
ぱちぱちと、オーターは瞬きした。いまこの禁書、極めて重要な発言をしなかったか?
「炭酸が好きなんですか?」
「えっ、あ、いや……」
「ワースはね、フルーツポンチがすきなのよ」
えへへ、とスプーンを握りしめた禁書が言った。お前に聞いていないと言いたいところであるが、今回ばかりは、でかしたと言いたい。フルーツサイダーは飲料として提供されているから当たり前にサイダー部分が多いが、苺やさくらんぼ、キウイや柑橘系の何かが入っていた。ストローだけではなく長いスプーンも付いているから、確かにフルーツポンチに似ている。
「……なるほど」
「あっ、今ちょっと子供っぽいと思っただろ。今フルポンはすげーんだぞ。デパートでも瓶入りのフルーツポンチはよく売ってて、アレを炭酸水で割って食うと美味いんだ」
「瓶入りの。それは知りませんでした」
オーターの知らない世界である。
ワースはフルーツポンチが好き。よし、頭に刻み込んだ。
ドットが端末を操って、「あ、ホントだ」と言いながら検索画面を見せてくる。色とりどりのフルーツが収められた瓶が並んでいた。それを見ながら「これは食ったことある」とか「これアベルに貰った」とかワースはひとしきり感想を言った。そのひと言ひと言を聞き逃さないようにオーターは集中した。本当に色々食べている。見た目も鮮やかであるし、なんて良い食の趣味なのか。その可愛らしい慧眼にひとしきり感じ入る。
ふと気が付くと、禁書がこちらを見てニコニコとしている。なんだか微妙に居心地が悪かった。
「ワース、どこかのおみせのフルポンたべてみたいって、いってなかった?」
「ん?ああ、あの専門店のな。でもあそこ予約不可だし並ぶんだよなァ」
「……なるほど」
もしかしてさっきからのコレは、禁書からの助け舟なのかもしれない。禁書が一体どの程度ワースと親しくしたいオーターの心情を掴んでいるかは分からないが、ここまで来ると「その店にワースを誘っていけ」と暗に仄めかしているように聞こえる。禁書との微妙なやり取りに気が付いているのかいないのか、ワースは胡乱な視線をこちらへくれた。
「…………言っとくけど、神覚者権限で無茶なこととかするなよ?」
「…………」
「おい黙るな」
無茶なことは何ひとつとして存在しない。ワースにおいしく食べてもらえるのだとしたら、予約不可にしている店だって本望だろう。……と、思ったが、きっとワースに怒られるので神妙な顔で頷くにとどめた。
ちらりと禁書を見る。
ワースとオーターを見ながらニコニコとしていた。その表情になんとも言えない気持ちにはなったが、賢明なオーターは黙り込んでいた。
この禁書の目的はなんなんだろうか。ワースと親しくなりたいのは本心であるが、それを後押しして禁書になんの利点がある。得体の知れないものに対する根源的な気味の悪さを、お冷を飲んで誤魔化した。
***
ホーンテッドマンションに乗って小休憩を挟み、ぷらぷらと遊園地内を散策している間にそれなりの時間になって来た。学生達をイーストン魔法学校まで送り届けることを考えるなら、そろそろ最後のアトラクションに乗って土産物屋などを見ても良さそうな頃合いだ。そこにちょうど良く現れたジェットコースターを指差して、ドットが「これ乗りたい!んで、最後にコーヒーカップ皆で乗って終わろ!」と言ってきたのはちょうど良いタイミングであった。
フィンは絶叫系が苦手なので当然見学、となればオーターとレインはその付き添いだ。今日何度も繰り返された流れにもはや誰も何も言わず、るんるんとはしゃぐ禁書の背中を見送る。
(ん……?)
自分の砂魔法の残滓を感じてオーターは思わず視線を彷徨わせた。昼食前に見た3人組がいる。更に、3人、人数が増えていた。いずれも着衣からして「遊園地に遊びに来た大人」とは思い難い風態だった。こちらは魔力探知を阻害するアタッシュケースではなく、普通のアタッシュケースを持っている。見た感じからして、どうにも怪しそうであるが。
ジェットコースター出口付近の少し奥まったベンチであるから、陰になっているつもりなのだろうか。最初に見た方の3人組がアタッシュケースを開いた。ぴくりとオーターの肩が動く。開かれたアタッシュケースから感じるのは間違いなく魔力であった。特注のケースを使っているから当然であろうが、その魔力の形には覚えがあった。
「レイン」
「なんだ」
「少し離れますが、1人で大丈夫ですね?」
実のところ、「フィンの護衛をする」というのが、フィンにワースを誘ってもらう条件だった。この条件自体はフィンには知らせていないが、「園内ではオーターかレインのどちらかと行動をすること」とレインが約束させたと聞いている。例外はホーンテッドマンションとその後の休憩の時くらいだ。あの時はドットとランスがフィンを離さなかったので割り込めなかったし、後者はワースがレインが目視できる範囲に座ったから妥協した。フィンも珍しい先輩が一緒にいるのにずっとレインと一緒では気詰まりだろうと渋るレインは納得せたが、戻って来た後はニコニコとしていたので、恐らく2人きりにしてやったのは正しかったのだろう。
誘拐犯とブローカーを一網打尽にしたとは言え、人身売買の市場を壊滅状態に追いやった訳ではないし、そもそもそこまでの危ない橋を早々渡れない。けれどいま合法で出回っている魔法道具を使えばフィン・エイムズの力で死者を大量に呼び起こせることは実証されてしまった。勿論、事件の詳細は公表していないものの、人間のすることだからどこでどう漏れるのかは計り知れない。レインが出した死者を操る魔法道具の規制関連法案が通るまでは、或いは通っても尚、防衛能力の低いフィンは要警護対象であった。フィンとは入院中に様々話したそうで、ようやくフィンへその立場の危うさを説明し、理解して貰ったらしい。まずは、一歩前進ではある。ただ長いこと普通の平民として生きて来たので、いきなり護衛を増やすのも具合が悪い。そのうちにイーストン魔法学校内部にも梃入れはするが、今回は護衛につくレインの交代要員としてオーターがついた。フィンには、常に自分を守る誰かが側にいる、という環境そのものに慣れてもらう。そのうち、護衛チームに任せる予定だ。今回の遊園地遠足は、その為の予行演習とオーターのわがままを聞いてもらう二つの面があった。だから、ここでオーターが護衛から外れるのは少々問題がある。レインが眉を顰めるのは尤もなことだった。
「なんか問題があったか」
「……恐らく、違法取引の現場に居合わせているかと」
「…………どういうことだ」
「…………」
軽く顎をしゃくると、レインもアタッシュケースを持つ男たちに気が付く。向こうもこちらの視線に気がついたのか、ケースを閉じてそそくさとその場を離れ始めた。……泳がせても良いが、放っておく理由も特にない。眉を顰めたレインが頷く。
「……こっちは大丈夫です」
「たすかります」
言いながら、走り出す。
この距離でオーターが自分の砂でマーキングした物を見失うはずはないが、早く解決するに越したことはない。案の定、茂みの奥で、なにやら言い争う声が聞こえる。随分と抑えてはいるようだが、それと分かっているオーターに取ってはうるさく感じる程だ。相手を見失わずに済むのは助かるが、面倒ごとは勘弁して欲しい。
「そこまでです」
「んな!?」
「砂の神杖……!?」
ひょいと生け垣を越えると、男たちは場違いなオーターの登場に度肝を抜かれたらしい。3対3で向き合った男たちの手にはそれぞれアタッシュケースがあった。慌てて閉じ合わせたが、中にキラリと光る物が入っていたのは目視した。いや、目視しなくとも中身は分かるのだが。
「このような場で魔宝石の取引を行うのは違法ですよ」
宝石の中には、魔力を溜め込む性質を持つ物やそもそも何らかの魔法が刻まれている物がある。これらを総称して、魔宝石と呼ぶ。種類によって込められた魔力が異なるが、あのケースの中には発火する魔宝石も含まれるので、魔導書が異変を察知して反応するのは当然のことであった。炎が天敵であることも間違いないがアレは、ワースよりも魔力探知に優れているのだろう。
魔宝石は装飾品の一種であるが、扱いが難しく特殊な品でもあるので、それなりの資格とそれなりの場所でしか取り扱いは許可されていない。資格があろうとも届け出がされていない場所、たとえば魔宝石に刻まれた魔法が誤って発動してしまった際に一般人を巻き込む恐れがある路上その他の公共空間、またはそれに準じる施設での取引は、これを禁止している。魔法魔力管理局に属する者であれば初歩的な条文の一部である。当然、それを生業とする業者が知らないはずがない。
「い、嫌だな魔宝石だなんて、こんなところにある訳ないじゃないですか……」
「そ、そうそう、これはイミテーションですよ。本物そっくりに作った、偽物ですので……」
「……で、あれば、アタッシュケースを開いて見せて頂けますか。当然、2つともを」
馬鹿馬鹿しいなと思いながら、オーターは言った。悪いが、魔法探知に優れているオーターが間違える筈がないのだ。手に取ってルーペで確認する必要さえないのだが、男たちは往生際悪く、「任意ですよね?」だの「一般人の荷物を暴こうとするのはどうかと…」だのと言っている。
「フ──────」
重苦しいオーターのため息が辺りに響き渡った。
びくりと目の前の男たちが身を竦ませる。眼鏡の位置を直しながら、この程度で怯える可愛げがあるならば、初めからこのような場所で闇取引など企てるなと言いたくなった。もっとも、魔宝石の取引であればオーターの魔法魔力管理局の所管であるから、いずれどこかで摘発したことだろう。ただ、何も今この瞬間、よりにもよってオーターの鼻先で取引するなど言語道断である。
「申し訳ありませんが、手短に済ませましょう」
いつものように杖を構えると、ぶわりと、足下に風が巻き起こる。動き出した砂が、乾燥した空気が辺りを支配していく。
「アトラクションを終えたあの子が、戻ってきてしまいますから」
ふと、オーターの口元に笑みが刻まれた。それは多分に慈愛を含んでいたものだったが、当然ながら目の前の男たちへ向けたものではない。オーターが杖を持った手を振りかぶる。全てはそれで終わりだった。
***
魔法魔力管理局に連絡をして、捜査員を派遣して貰う。魔宝石の取引捜査を担当している捜査員は恐縮しきりだったが、担当者にとっても、珍しく有休取得をしているオーターにとっても不幸な事故と言わざるを得ない。悪いのは遊園地だなんて平和な場所で闇取引をした業者であるので、一応担当者にねぎらいの言葉をかけ、くれぐれも内密に来るように厳命する。容疑者移送用の装甲車で現場に乗り付けるのが通常の作法であるが、そんな大捕物になっては遊園地が閉鎖、休業してしまう。……まぁ、オーターが砂で縛り上げた違法業者は6名なのでそこそこの大捕物であるのは間違いないのだが、今日その作法を守られては困るのだ。オーターが今日という日のためにどれだけやりくりして時間に都合を付け、フィンに頑張って貰ってワースを連れ出したと思っている。実は、フィンがワース宛のお誘い連絡をしていた時、オーターはその場にいた。そして二人のやりとりを見ていた。「俺よりマッシュを誘ってやった方が良いんじゃねぇの?」の返信に絶望しそうになったが、フィンが一生懸命駄々を捏ねてくれたお陰で折れてくれたのだ、この貴重な機会を臨時休業で潰される訳にはいかない。
捜査員の到着を待つかたわら、さっさと現場検証を終わらせてしまおうと、アタッシュケースを開く。そこに収められた色とりどりの宝石は、ひとつひとつから魔力を感じる明らかに魔宝石であった。絶滅危惧種指定されている魔法生物からしか採れないものも含まれるので、間違いなく違法である。
「ん?」
アタッシュケースの中には、不自然なくぼみがあった。まるで、1cm程度の宝石を収めていたような、微妙な空白が。
「………………」
オーターは若干考えて、しかし見たままを正直に記録してアタッシュケースを閉じた。なるほど、男たちが言い争っていたのはこの微妙な空白のせいか、と勝手に納得する。くぼみに当てはまりそうな魔宝石をひとつひとつ検討するが、この魔宝石の大きさであれば、何か問題が起こるようなものではないだろう。どうせ実況見分は行うのだし、初めからないものについてとやかく言うべきではない。ひっそりと箒で降り立った捜査担当者にオーターは僅かに頷いて、その場で引き継ぎを済ませると足早に去る。捜査員としてはかなり早く来てくれた方だが、アトラクションは終わってしまっているだろう。レインには言っておいたが、大丈夫だっただろうか。
フィンに付けたマーキングを頼りに小走りで戻れば、丁度みなアイスで小休憩を取っているところであった。ホーンテッドマンションでグロッキーになっていた筈のランスもケロリとした顔で棒アイスを食べている。……そもそもお化け屋敷に乗り物酔いの要素はあるのだろうか。その辺り強いオーターが計り知れるものではないけれども。
「お待たせしました」
「おー」
言いながら、ワースは禁書の頭を撫でている。禁書はというと、変わらずニコニコとしていた。……何を考えているのか、さっぱり分からない。
「オーターは何か食わなくていいのか?」
「ええまあ」
特段腹が減っている訳でもないし、疲弊するほど魔法も使っていない。レインがなんと言って誤魔化したかは知らないが、移動時間を考えるとそろそろコーヒーカップに向かった方が良さそうである。チラリとフィンとレインを見ると、もう飲み終えていたのだろう、紙コップを潰してゴミ箱に投擲したところだった。それを見て、ワースは禁書に「さっさと食べちゃいな」と促す。アイスを頬張る姿は見下ろしながら、奇妙な感慨が生まれた。禁書の考えは丸一日共にいてもよく分からないが、それでも有意義なワースの情報をこちらへ寄越したのは確かである。禁書本体に、いささか興味が湧いた。
「そういえば」
「ん?」
「その、……彼は、何が好きなのですか?」
朝会った時よりは苛立ちがだいぶ薄れたものの、それでもなんとなく禁書をワースが付けた名前で呼ぶのには抵抗があった。禁書にひとつの人格を認めたような気がするからだ。ワースが教育を施して可愛がっている以上、禁書にはなんらか他人と心を通わせる「なにか」があると考えた方が良いのだろう。けれど、である。……逆にそれほど確立した人格をもつ存在が、四六時中ワースと共にいると思うと、何かモヤモヤと嫌な心地になる。
ぱちくりと目を丸くしたワースが「うーん」と顎に手をやって悩む。
「そういや、リトルデビルって好物って言えるほど好きな食べ物とかねェよな」
「ぼくはね、ワースのすきなものがすきー!」
「それじゃフルーツポンチになっちまうぞ」
アイスを食べ終えワースの足に絡みつく禁書は、相変わらずニコニコとしている。
「ニンジンと、ピーマンもすき」
「野菜は食っといた方が良いからな」
魔力が含まれる食品であれば、魔導書は問題なく摂取するらしいとの報告は既に聞いている。とはいえ育つべき肉体がないのであれば食におけるバランスの良さはあまり関係ないだろう。食育的な行為をしているのは、ワースの実験のうちなのかもしれない。ワースの太ももにしがみ付く禁書は、はにかみながら続ける。
「オーターのこともすき」
「……お前な、」
「いたっ」
禁書の額をワースが指先で弾く。大した攻撃ではないから、言うほどのダメージでもないだろう。けれど、本当の子供のように額を抑えている。
「ワースいたいー……」
「自業自得だ、ばーか」
虚を突かれた発言であるが、体罰を与えるほどの話でもない。ワースが何に過剰反応したのか分からず首を傾げた。背中を伸ばしたワースがこちらを振り向く。傾いて来た太陽に、ワースの耳が赤く照らされていた。ちょっぴり拗ねたような、恥ずかしそうなその表情は、オーターの知らないものだ。とくりとひとつ、大きく心臓が跳ねる。
ああ、可愛らしいな。
胸の奥がジリジリと焼け付くような感覚を覚えながら、ぼんやりと、そんなことを思った。
◆◇◆◇◆
「なんだこれ」
陽の光に赤い石を翳す瞳がキラキラと輝いている。その指に摘まれた石の輝きよりも、ずっと眩しくて俺は瞳を細めた。
「妙なものを拾うな。犬か」
「犬じゃねーよ!」
コイツは、この粗野ななりに見合わず趣味は良い。ひょいと覗き込んだ石は、小指の爪ほどの小ささではあったが、宝石商が見繕う石のような、奇妙な存在感があった。よくもまあ、砂利や砂の中から見つけたものだ。
「ほらこれ」
「ん?」
「そのままだと潰すだろう」
手のひらに収まるほどの小さな巾着袋にはアンナの写真があしらってある。勿論、特注品だ。
一瞬だけ顔を顰めたチンピラは、けれどアンナの素晴らしさに心打たれたのだろう。「借りとく」とだけ言って、丁寧に石を巾着袋に収めた。
ふと、けぶるような炎の香りがした。
どうせ爆殺を操るコイツの魔力の残滓だろうと、嗅ぎ慣れた香りに疑問は持たなかった。
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カナリヤ 6
よく晴れて澄んだ空気は、妙に空が高く感じさせた。
まさに行楽日和と言いたくなるような突き抜けるような晴天はこの遊園地に集う人々の顔も明るくさせている。
そう、いま、遊園地のゲート前にいる。このワース・マドルが、である。家族連れや学生グループが進んでいく姿を、若干げんなりとしてワースは見た。なんとなく腕を組んでしまう。腕組みは心理学上、自己防御姿勢の一種で、警戒心なんかを表しているのだそうだ。いまの自分に当てはまりすぎる。押し殺したため息を吐いて、ワースは腕をほどいた。
さて、何がどうしてこんなことになったのか。
ワースは高い空を見上げながら、ここ数日の記憶を辿った。
***
事の起こりは、フィン・エイムズからのメッセージだった。
ワース自身もすっかり忘れていたが、そういえば在学中勉強を見てやった際に連絡先を交換していたのだった。そのお誘いは、遊園地に一緒に行かないかというもので、ワース宛でなければ微笑ましい限りであった。問題はそのメンバーで、レイン、オーター、ランス、ドットだ。
……大丈夫か?これ俺、人数合わせじゃないか?遊園地は偶数人数で行くのがいいもんな?……というのが最初によぎった。後輩の真心に対し、あまりに失礼すぎるが。レインが付いてくるのは良い。……いや、何一つとして良くはないが、あのブラコンが誘拐事件があった直後のフィンを外出させているだけで奇跡的なことなのだから、この際目を瞑ろう。フィン、健やかに生きろ。しかしなんだ後半の師弟は。俺そもそも誰とも親しくないんだけど。クラウン家のあの生意気坊ちゃんとは廊下ですれ違えばそれなりに挨拶もするし話したりしたが、それはあくまでも在学中の話で卒業後には連絡を取ってもいない。更に言えば自戒人の少年は本気でオーターの弟子だということしか知らない。引率兄貴とバランスを取るためにオーターを呼んだのかも知れないが、であるならばワースでなくてマッシュでも誘ってやった方がいくらか良いだろう。どうせマッシュは森育ちだから遊園地に行ったこともないだろうし、このメンバーなら喜ぶに違いない。そう言って固辞したものの、意外にもフィンは頑固だった。いや、意外と最後には意地を張りきれるタイプとは知っていたが、それがまさかこんなところで発揮されるとは思っていなかった、というのが正直な感想だ。まぁこちらも「絶対ワース先輩と遊びたいと思っていて!」「チケットもご用意してますので!」と強く言われると悪い気はしなかった。さすがに学生に遊園地のチケットを奢られるほどせこくはないが、ただなにぶん、出資主はレインだろう。アイツ、マジでなに考えているんだ。本当に意図が読めなかった。
あの誘拐事件は、最終的に「連続白魔導師学生誘拐事件」と物々しい名前が付けられ、大規模内乱未遂事件としてカテゴリ分けされた。墓地管理局や魔法魔力管理局から事前に報告が上がっていたが誰もこの2つの事件を結びつける者はなく、累計80名以上の一般人の死者の出歩きが観測されたのは前代未聞だ。結果的に犯行に関わりがあった者を全て捕らえ、文化施設の倉庫の一部が損壊したのみで人的被害がなかったのは奇跡的な成果だった。神覚者が3人も揃っていたからなんとかなった、とも言える。誘拐被害者たちは治療を受け次第に意識を取り戻しているし、最後の被害者となったフィンも1週間ほど入院をしたものの、心身共に健康だそうだ。ワースは魔法回路が熱暴走した為、救護班に回収され大事を取って1日休ませて貰ったが、翌日には回復した。その頃にはワースの泥魔法とオーターの砂魔法で荒しに荒らされまくった霊園も元通りに戻っていた。
ワースはと言えば、身体の方はまるで問題なかったが、魔導書が非常に荒れていた。荒れたというか、拗ねていた。書籍の形のままぐるぐると宙を回ってみたり、人間の子供の姿を取ってワースの足にずっとしがみ付いてみたり。そのアピールは様々であったが、魔導書の言い分をまとめると、つまり「ワースが自分の身を守る行動を最優先しなかった」ことが腹に据えかねたらしい。確かに死者に殴られ掛けた時、こちらを守ろうとする魔導書を制止して別の魔法を使わせた。「結果的に殴られなかったから良くないか?」と言ったら一日中禁書管理局の天井の隅に張り付いて恨めしそうな瞳で見つめられた。ちょっとしたホラーである。しょうがないので膝に載せて背中を撫でてやりながら魔導書とは話しというか、意見のすり合わせをすることになった。
ワースは魔法局に務めているので、今後も一般人を優先すると思うし、多少の怪我くらいなら覚悟の上である。もちろん怪我をしないに越したことはないのだが、あの局面でワースが魔法を解除して身を守ることを優先すれば、泥魔法で作った柵が死者たちに崩され、市街地に死者が出て行く危険があった。故に、ワースは自分の判断が誤りとは考えていない。あの状況では既に動き始めている死者から魔力を抜くことが最優先だったのである。あの時フィンの蝶に付与された魔法は分かっていなかったから、下手に魔導書に触れられては取り返しが利かないほどの「入れ替え」が起こる可能性があった。結果的に考えすぎではあったが、それはまぁ、所詮結果論である。人間の肉体を持ち、助けが来れば間違いなく治療できるワースと違って、魔導書は唯一無二であるし、ソフィナが修復出来る保証もない。何度考え直しても、ワースにとってはあそこで殴られてでも出歩いている死者たちを止め、魔導書自体に結界を張らせて蝶に触れられないように守る、が最適手である。だから、……だから、いざとなった時のワースは多少の自分の怪我くらいは無視するし、修復しようがない魔導書を優先する。その判断に慣れて欲しい、と、なるべく率直に伝えてみた。だいたい、魔導書はかなりの精度でワースの心の中を読むので、隠し事はそもそも意味がない。工夫出来るとしたら、伝え方や誠意くらいのものである。そしてその手の情趣を意外なほど解する魔導書は、まろい頬を膨らませて「りかいはできるけど、なっとくはいかない」とやはり素直な答えを返した。「どりょくは、する」と。ワースにとっても反省の多い戦闘だったからその辺りは賛同できる。数が多かったとはいえ、そして治癒魔法の燃費の良さが最大限発揮された状況だったとはいえ、そもそも格下相手に苦戦したワースが悪い。レナトスは一般人の死者程度ならワースが押さえ込めると見込んであの場を任せたのだ。その信頼に応えきれなかった。フィンを利用した犯人の方が一枚上手だったとはいえ、ワースももっと工夫出来たはずだ。土壇場の地力が足りてなかった。
自分を納得させる「どりょく」の一環だろう、ぎゅうぎゅうとこちらに抱き付く小さな身体を抱き返しながら、自分はもしかしたら、両親にこう言うことをして欲しかったのではないかな、とぼんやり思った。
両親は魔法局勤めだ。ただ、向こうが意図してるのかは知らないが、一度も魔法局内で顔を合わせたことはない。その事にワースも違和感を持たなかった。なんせ、多忙でワースが子供の頃からまるで家に寄りつかない両親だったのだ。幼い頃はそれなりに両親が恋しかったが、今はもう特に別に。……でも多分、両親を思って夜泣きするような歳の頃に、ワースが魔導書にしたように膝の上に乗せて、「世界を守るために忙しいから会えなくても我慢してくれ」と、ワースは言われたかったのかもしれない。もちろん見た目通りの年齢ではない魔導書ほどは道理を弁えていないので、泣いたり文句を言ったりしたかもしれない。でも、そうやって、自分と向き合って欲しかった。書面上の成績や家庭教師からの評価をもとに賞罰を与えるのではなく。童話で読むような「子供らしい」ふれあいをして欲しかった。膝の上の魔導書ごと身体を揺らしながら、奇妙な寂寞が胸に広がった。過ぎ去ったワースの記憶は変わらないが、幼い頃の自分と同じ顔をしている魔導書に当時の自分が思い描いていたようなことをしてやると、何やら妙に気が晴れた。
兎にも角にも、ワースも「無理はしない」と魔導書と約束をして、双方一旦納得という形にしたのだった。これがまぁ、ワースの個人的な事件の終着だった。
社会人としてのワースの事件の終着は、まあそこそこ大変だった。なんせあの後、ワースはめちゃくちゃソフィナに叱られたのだ。
個人的に連絡先を知っているレインに連絡を取るのは良い、しかし部外者であるマッシュに連絡を取り、今いる座標まで送ったのは、どういうことかと。咄嗟の判断だったとは言え、改めて責められるとワースも弱い。確かに、フィンのことだからと思ってマッシュに頼ってしまったが、アレは「ただしく」はなかった。ワースは既に魔法局に務める社会人である。学生の頃のような気分で、たとえ相手が英雄マッシュ・バーンデットとはいえ、軽々に職務上の秘密に当たる位置情報の送信などするべきではなかった。ああいう場合、レインの魔法道具管理局か、そちらでも繋がらなかったら墓地管理局、そこでもダメならワースが本所属している禁書管理局に掛けて指示を仰ぐべき、とのソフィナの見解は圧倒的に正しい。
……が、そこに噛み付いたのはレナトスであった。
あの混乱状態でフィンの状況確認をしたワースは間違っていないし、学校側を通すよりも同室のマッシュに聞いた方が断然早い。実際に位置情報を送ったのは魔導書であるし、ちびワースのやる事なんだから別に誤送信みたいなモンだろ、それよりあの広範囲を泥魔法でカバーして守り切ったことを褒めろや、とのことであった。「禁書管理局はあの時間じゃいっつも全員帰ってるし、現場出てねーヤツが後から吠えンな」と言い放った瞬間のレナトスは、なるほどこれが墓地管理局のトップかと思わせる気迫があった。……まぁその、全然ワースと一緒にソフィナのお説教を食らう羽目にはなったが。
ソフィナの言い分は分かる。
結果としてあの場に神覚者が3名も揃うことになったから何の問題もなかったが、結果は所詮結果だ。見通しが甘いと言われれば、心情的には認め難いものの、理性は納得できる。全くその通りである。操られていた状態のフィンとワースの連絡で友人を案じて駆けつけてしまったマッシュが戦う羽目になったら大問題だっただろう。どちらも魔法局から見れば保護対象であるし、何よりフィンはほぼ関わりのなかった先輩であるワースの擦り傷姿でさえかなりショックを受けていた様子だった。本当に、戦うには向いていない性格をしている。ワースとしてはあの劣等生が、催眠魔法の力とはいえ並みのネクロマンサー以上の力を見せつけたことに結構感動していたから気にしなくて良いのだが、本人は悪意ある魔法を掛けられた上に他人を傷付けるなんて、とだいぶ悄然としていた。これで相手が友人のマッシュであったらと思うと、想像に難くない。ワースとて、あの連絡一本で子ウサギが精神衰弱になっていたかもしれないと言われると、流石に落ち込む。
もしも今回の話が問題になったと仮定して、間違いなく魔導書に指示を出したのはワースであるし、その判断の責任は問われる。そして現場にワースを出し、ワースをひとりあの場に置いていく判断をしたレナトスも、だ。身を守るためにも、手続き上の「ただしさ」を厳守すべき、というソフィナの言葉はワースに響いた。そしてちょっと面映ゆかった。確かに厳しく叱責はされたものの、その説教はワースの身を心配してのことだというのが分かるからだ。「いま馴れ合いでやり過ごして、正当な連絡経路を知らずに今後困るのはワースくんなんですよ」と言われたレナトスが苦い顔で押し黙った辺りでも、ソフィナの「ただしさ」が知れる。もちろん庇おうとしてくれたレナトスも大変ありがたかった。出向期間中何度も何度も実感したが、なるほど「カリスマ性で墓地管理局を率いている」と評される訳である。前評判は、まったく間違っていない。
ワースは、かなり素直に、「いいな」と思った。二人とも、ワースの目から見れば頼りがいのある格好良い大人である。ああいう風になりたい。漠然と、ワースは思った。子供の姿を取った魔導書と共にいるうちに、考えるようになったのだ。あの幼い魔導書にとって、「良い大人」でありたい、と。幼少期からワースは年長者を特に信用していなかったし、今でも実家や両親が「頼れる大人」であるとは思わない。ただ、学生の頃に感じていたよりも、世の中ずっと、「良い大人」が多くいるように思う。斜に構えていた自分がやや恥ずかしいが、慕ってくれる魔導書の為にも、ちゃんとしていたい。そういう意味で、あの二人は良い手本であった。
結局、「チクショー超怒られた!ま、仕方ねェか!」と元気に伸びをするレナトスの提案の元、最後に送別会と称して闘技場でバーベキュー大会が催され、ワースの1ヶ月に満たない墓地管理局への出向は終わった。間違いなく、実のある出向であった。
……だからまぁ、担当事件の最後の被害者のフィンの様子を、遊びがてら伺うのは、全然良い……のだが。
(……兄貴が来るのか)
頬杖をついて自分の中で独り言を言い、ワースはがっくりと肩を下げた。だいたいもう、「兄貴」ではない。けれど、何て呼んで良いのか分からない。「砂の神杖」は他人行儀すぎるとレナトスに指摘された。確かにそうだ。では「オーターさん」?呼び捨てはさすがに具合が悪かろう。しかしこんなくだらない事を考えている間にも、胸がドキドキとうるさく鳴る。勘弁して欲しい。
吊り橋効果、というものがある。
実はこれに関する論文を、出向が終わってから今日に至るまで、ワースはもう20本も読んだ。どう考えても魔法回路の熱暴走と、攻撃を受ける寸前の緊張、そしてそれまでの戦いの高揚で心拍数も体温も高かった。アドレナリンやらの脳内物質もドバドバと出ていたことだろう。それを、自分を助けてくれたオーターへの恋心だと勘違いしたと考えるのが最も正しい。……だが、原理が分かったところでどうにもならないのが人の心という奴で、どれだけ今の自分を説明する正しい論理が乱立したとて、この胸の鼓動が落ち着く訳ではなかった。
一体、どんな顔をしてどういう風に振る舞ったら良い。「良い大人」と違って、ワースに相応しいロールモデルがまるでいない。まさに暗中模索というやつだ。カバンの中に入れた魔導書が、「どうしたの?」とこちらへ問うような、心配そうな波動を送ってくる。いつもより、その波動が少し遠い。思わずワースはカバンの上から魔導書を撫でた。
出勤時は身体にぴったりとくっ付いたハーネス型のホルダーに納めて、ワースの指示で魔導書が自由に飛び出せるようにしている。イメージとしては抱っこ紐のようなものである。けれど今日は一応「おでかけ」であるので、裏側が透明のポケットになっている特殊なショルダーバッグに納めて連れてきた。ちなみに特注品である。普通、嵩張る魔法道具を持ち歩く魔法使いは空間魔法を利用して亜空間の中に道具をしまうだろうし、恐らくやらせようとすれば、ワースの魔導書ならば自分の大きさを縮めたり出来ただろう。ただ、魔導書にとって正しい姿はこの書籍の形であるし、遊びに来ていて無駄な労力を使わせるのは本意ではない。一応フィンにも魔導書を連れて来ることは伝えているし、中に入ったら魔導書を人間の形にする可能性は伝えていた。リトルデビルが遊びたいなら人間の形で遊ばせるし、本人の気が乗らなかったら書籍の形のままだろう。一応分類上、リトルデビルのように実体を持つ魔法生物はレジャー施設では「使い魔」に当たる。入場料も掛からないしアトラクションへも同乗出来るが、「使い魔の契約者」がきちんと御す必要がある。念のため事前申請用紙はチケット確認時に提出するが、それを提出したからと言って別に許可証などを貰える訳でもない。万が一トラブルが起きた場合は、「使い魔の契約者」の責任となる。……まぁ、リトルデビルに限ってはトラブルも何もないだろうが。
ワースも遊園地などイーストン魔法学校に入ってから初めて来たが、魔導書はこれが全くの初めてだ。ワースは、実を言うとかなり「初めての遊園地」に感動した。恥ずかしいから、誰にも言ってはいないけれども。なんなら当たり前に遊園地の地理に詳しかったラブを少し尊敬した。……ほんの少しだけだが。
こんなに作り込まれた空間に、レクレーション器具がここまで大量に集められた場所が他にあるか?「夢の国」と言われる理由は分からないでもない。経験したことがないから胸を張っては言い難いが、きっと精神年齢が低そうな魔導書は、遊園地を気に入る。幼い自分と同じ姿をした、全く異なる表情をする魔導書が元気いっぱいに喜んでいる姿をワースも見たい。ジェットコースターとかメリーゴーランドとかあるらしいし。というか、ワースが写真に収めたい。その元気いっぱいの魔導書を。実はこの遊園地のガイドブックもしっかり読み込んできてるので、準備は万端である。
「ワース先輩ー!」
「おっ」
ついにフィンが到着したかと思って顔を上げると、ワース以外の全員が揃っていた。というか、ワースを呼んだのは自戒人の少年だった。ぶんぶんと腕を振っている姿は些か元気いっぱい過ぎる。
「チャーッス!今日はお願いしァっす!」
「おー」
「やかましいぞチンピラ」
「ア???挨拶は人間の基本だろうがオラ」
2人とも言っていることは間違っていないが、なんでこう、喧嘩腰なのだろうか。そういえばランスとドットが言い合っていない瞬間など、ワースも見たことがないなと思った。喧嘩仲間という奴か。なるほど分からん。その後ろからひょっこりと、落ち着いた声が顔を覗かせる。
「こんにちは、ワース先輩。本日はよろしくお願いします」
「おー」
言いながら、フィンを上から下まで眺め回した。顔に疲労の跡はない。フィンが入院していた時はまだ墓地管理局に出向中だったから、後始末や報告書に追われて病院の面会時間に間に合わなかったのだ。だから、実際にこうして顔を合わせるのはあの事件以来である。頬に涙の跡を残したままボロボロに泣きじゃくっていた顔が余りにも印象的過ぎて、今の健康そうな笑顔が眩しい。何事もなさそうで本当に良かった。
「声、掛けてくれてありがとな。レインも、……オーター、さんも」
言いながら、背後にいるレインとオーターを順に見る。2人ともいつもと変わらぬ仏頂面であった。またこう、不整脈に胸が騒ぐ。誤魔化す為にワースは意味なくサングラスを触った。2人とも意外とかっちりめの服装で、動きやすさ重視で身体の線を拾いにくいラフな格好をしている自分が若干恥ずかしかった。一応ワースも社会人枠なのに。まぁいいや、と立ち上がる。
「んじゃ、行こうぜ」
はい!だのウッス!だのの声に紛れて、オーターの小さな返事が聞こえたような気がしたが、気のせいだったかもしれない。晴れやかな空に、遊園地のロゴマークが浮かんで見えた。
***
園内に入って、魔導書に人間の姿を取らせた。学生たちは興味津々であったし、あのレインですらリトルデビルが姿を現すと驚きの表情をしていた。オーターはというと、当たり前のことかもしれないが、レナトスが期待したようにメガネが割れることはなかった。
驚いていた様子だったが、どちらかと言うと、なんというか、どことなく目付きが不穏だったというか…。少なくとも学生チームのように好意的にはリトルデビルを見ている素振りはなかった。魔法局では比較的良好に受け止められているし、レナトスも当然のことのようにオーターは好意を抱くと思って話しを進めていたのでワースもそのつもりでいたから、あてが外れたような、どこか期待を裏切られたような奇妙な気持ちになった。まったく我ながら、勝手である。リトルデビルは頭に角こそ生えているとはいえ、顔はまるきりワースと同じだ。幼少期にオーターとの関わりはなかったとワースは思っているが、オーターの方の受け止めは違うのかも知れない。
「ワース、ワース、あれのろう!」
「えー?俺乗るよりお前の写真撮りてェんだけど」
大きな傘が付いた二人乗りのベンチだ。アトラクションが始めるとアレが浮いてくるくると回るらしく、スカイパラソルというのだそうだ。ちらりとフィンを見る。苦笑して首を振るので、多分ダメなのだろう。
ワースにとってはかなり意外だったのだが、フィンは絶叫系の乗り物が苦手らしい。別に箒が下手くそな訳でもないのになんで、とは思うが、自分で運転しているのと他人の魔法によるものなのかは彼にとって雲泥の差らしかった。まあ確かに、いかにもメリーゴーランドだのコーヒーカップだのの可愛らしい系統のアトラクションが似合うから、そういうものなのだろう。乗り物に乗らずとも遊園地は楽しめる。身長制限を見れば、一応はリトルデビルでもひとりで乗れた。もっとも、スカイパラソル自体は二人乗りではあるが。
「えー……と、オーターさんも乗る?」
「いえ、私は結構です。ここで写真を撮って待ってますので」
「そ、そう……」
リトルデビルと二人で乗られても、それはそれで心配なのだが、固辞されてもそれはそれで居心地が悪い。レインはフィンが乗らなければ梃子でも動かないから良いとして、オーターは人形が踊ったり歌ったりする劇場的なアトラクション以外には乗っていない気がする。ちゃんと楽しめているのだろうか。同じ引率役のワースばかりこんなに楽しんでいるのは気が引けた。こちらの気持ちを理解しているだろうリトルデビルはしかし、まったく気にせずにワースの腕をぐいぐいと引っ張っていく。次の回かその次の回で乗れそうではあるものの、珍しく並び列になっていた。リトルデビルの頭を撫でながら、ワースは少しため息を吐く。
「……オーターさん、乗らなくていいのか……」
「いいんじゃないっすか?…あ、でもあのひとが遊園地来たかったんだったっけ」
「は?そうなのか?」
「オレはそう聞いてンすけど……フィンが誘ってきた時、始めっからオーターさんは入ってたっす」
なぁ?とドットがランスに振る。首から提げたロケットの妹の写真を愛でていたランスは僅かに頷く。
「兄とは弟妹が楽しげである姿を眺めていたいものだからな」
(弟妹、ねェ……)
そう言われると、なんだかちょっとがっかりする。……ところで今コイツ、「弟妹」と書いて別の読み方をしなかっただろうか。妹の写真を見ながらだと尚のこと、若干怖い。
(……まぁでも、そうか)
血の繋がりがある実の兄に恋愛感情めいたものを抱いているワースがおかしいのであって、一般的にはランスのように年下を愛でているだけであろう。その割にはワースと同じ顔をしているはずのリトルデビルへ不穏な視線を向けているのが気に掛かるが、そもそもオーターと魔導書が邂逅した洞窟内の時点でだいぶ剣呑とした雰囲気であったから、姿形が多少変わっていても、オーターにとっては「排除すべき魔導書」なのかもしれない。その辺りの機微は、本人に聞かないとなんとも分からないけれど、聞けるほどの度胸はない。前回は地形や状況の全てがワースに味方をしたからオーターを倒せただけで、それこそ障害物のないところで戦う羽目になったら実力差からして負けるのはワースだろう。ただでさえ自分の感情を持て余しているというのに、敵意を向けられたら多分、物凄く落ち込む。どうしたもんかな、と思っていると不意に、ぎゅっと柔らかい手がワースの手を握りしめる。少し低い位置のリトルデビルと目が合うと、にっこりと微笑まれた。
「オーターは、いいひと、だからだいじょうぶ」
ぱちくり、とワースは大きく瞬きした。……いや、失礼な話ではあるが、リトルデビルの立場からしてオーターを「いい人」と見なす理由が分からない。けれどもリトルデビルは嬉しそうにニコニコとしたままである。本気でオーターを気に入っているのが気配で分かった。なんでだ?
「お、リトデビはオーターさんのこと好きなのか?」
「んー………、すき!」
「あるよなァ、オトナに憧れちゃう年頃って」
「お前はもう少し年相応の落ち着きを身に付けろ、このチンピラ」
「あ?????」
突然の罵倒にメンチ切り始めたドットにワースの気も抜ける。なんだってこう、ランスはドットに絡むのか。顔を左右に動かしながらやり取りを見ていたリトルデビルは、くふくふと笑う。
「ランスは、ドットがすきなのね」
「……おいワース、お前の魔導書は目が悪いのか?」
「はぁ?……リトルデビルの教育に悪いから変な絡み方すんなよ」
言っている間に順番が来たので、まだ何か言いたげなランスを放ってリトルデビルを座らせる。うりうりと肘でランスをつついていたドットは魔法で地面に沈められていた。おいおいおい、座らなきゃアトラクション始まらねェだろうが。
写真を撮ってくれるというので、リトルデビルの前髪を手櫛で梳いて形を整える。嬉しそうに瞳を閉じていたリトルデビルは「ありがとぉ!」と言った。最近覚えたらしい。何かをして貰ったら、お礼を言う、と。「どういたしまして」と返せばへにゃへにゃと笑った。可愛い。
自分の制御ではないベンチがふわりと空に浮かぶ。開いたパラソルがくるくると回ってそれに繋がったベンチもくるくると音に合わせて回転する。隣で絶叫するリトルデビルに合わせて、ワースも大きな声を上げる。思いの外楽しい。瞬きするような時間で終わってしまったアトラクションが名残惜しく、ワースはリトルデビルを肩車してくるくる回ってみた。生身だから他人の魔法ほどの勢いも力もないが、内臓が浮き上がるようなぞくぞくとした心地を思い出して、これはこれで楽しい。
かしゃり、と小さなシャッター音に気が付いてワースはそちらに視線をやる。カメラを構えたオーターが口元に笑みを浮かべながらファインダーから顔を離していた。思わず胸がドキドキと高鳴る。カメラを構えていただけなのに、妙に絵になるひとだ。しかも撮っていたのが自分だと思うとより心臓が煩くなる。変な顔をしていなかっただろうか?
リトルデビルがくいくいとワースの髪を引っ張る。オーターの方へ行け、という事らしい。リトルデビルが恋愛感情を理解できているかは定かではないが、少なくともワースがオーターを憎からず思っていることは伝わっているはずだ。変な気を遣われているような気がして恥ずかしい。しかし物怖じしないリトルデビルは幾分はしゃいだ声でオーターに話し掛ける。
「しゃしんとれた?」
「……ええ、まあ」
ここでワースが話し掛けないのは、不自然すぎるだろう。ドキドキとうるさい音を抱えながら、ワースもカメラの方へと身体を寄せる。
「へぇ、どんな感じ?」
一瞬だけ瞳を丸くしたオーターは、すぐに目元を緩めた。無表情だ無表情だと思い続けていたが、意外に顔に出やすいらしい。優しげな表情のままついついと画面を弄ると、スカイパラソルに乗ったワースとリトルデビルの写真が現れた。2人して顔を見合わせながら叫んでいる顔だ。かなり楽しかったのは事実であるが、写真から声が飛び出てきそうな様子である。こんな子供っぽいところを撮られていたと思うと恥ずかしい。良い、写真だとは思うけど。
「ワース、しゃしんほしー」
「…………っ」
リトルデビルの発言の主語は、間違いなく「ワース」であった。本人もちょっと誇らしげである。ワースが言えない分を代わりに言ってやったと、えっへん、とでも言いそうな雰囲気がこちらへ伝わってきた。
待て待て待て待て、オーターに子供っぽい奴とがっかりされたらどうする。思わず心のうちで文句をつけるが、ぱふ、とワースの頭を叩くように感情を返すリトルデビルはだいじょうぶだいじょうぶ、と取り合いもしない。
「データで送りますよ」
軽く請け負ったオーターはワースを見ていなかった。にこにことしているリトルデビルの方を見上げていた。そのことに、ほ、とワースはため息を吐き出す。ね、言ったでしょ、と言わんばかりのリトルデビルの膝を、ぺし、と叩いて抗議は伝えるが、オーターがワースの子供っぽさに気が付いていないならそれで良い。
ポケットから自分の端末を取り出して、フィンが今日のために作ったグループチャット画面を出す。実のところ、まだオーターの連絡先を登録していなかった。なんとなく、本人の断りもなく何かするのが気が引けていたのだ。
「これ、オーターさんだよな。連絡先に追加しちゃって良い?」
「勿論です。……それから、あの」
珍しくオーターが口篭っている。
ワースは首を傾げながら、その言葉を待った。オーターがらしくなく唇を湿らせて、意を結したようにこちらを見た。なんだろう。ちょっと緊張する。
「オーター、で良いです。……さんは要らない」
そのひと言は、ワースにはひどく意外だった。なんせ、オーターとワースには、それこそ雲泥の差がある。友人になりたいと言ってくれたとて、どちらにしても歳の差もあるのだから、これくらいの敬意は当然だと思っていた。でも、呼び方を指定してくれるなら、その方がありがたい。
「わかった……オーター、後で、俺のとこに画像送っといて」
「……はい」
我ながら、どうにもぎこちない。
くふくふと嬉しそうな気配がリトルデビルの方から感じる。コイツ、そういうことか、オーターを気に入っているのは。帰ったら、オトナの難しい心の機微について講義してやる。冷やかされるのも嫌だが、変に助け舟のようなものを出されても嫌なのだ。ひとの心とは、兎角わがままで面倒臭いものである。
ぽんぽんとリトルデビルの腿を叩いて顔を上げると、オーターがどこか遠くを眺めている。ざらりと揺れる風は、少しばかり砂を含んでいて、ワースはちょっと慄いた。小さく名前を呼べば、オーターの視線が戻ってくる。しかしその意識はどうにもこっちに向いてはいない感覚がした。肌が泡立つような嫌な感覚である。
「……そろそろ昼時ですね。何か食べたいものはありますか?」
「あー……学生チームに聞いてみるか。確かフィンが昼食候補に挙げてたレストランがこの辺だったと思う」
……気のせい、だろうか。
オーターが魔法を使っていたような気がするのだけども。こんな長閑な遊園地内で砂の神杖がひっそり魔法を使う機会なんかそうあるものでもない。本人が言わないのであれば、ワースも軽々に聞くべきではないだろう。違和感に蓋をして、ワースはフィンたちの方へと爪先を向けた。
***
「あ、」とフィンが弾んだ声を上げた。
「ここ、入ってみようよ」
そう言って指さしたのはホーンテッドマンション、所謂「お化け屋敷」だ。3人ずつ乗り込むと自動で動き出し、「お化け」が脅かしてくるのを眺めていられるだけの、比較的平和なアトラクションだ。子供だましと言えば子供だましだが、暗闇の中、人形が踊ったり突然光ったり謎の冷風が吹いたり、とにかく飽きるということがないらしい。何より、にこにこと楽しそうな素振りではあるもののアトラクションに全然参加して来れなかったフィンが自発的に乗りたいと言っているのが良い。
「いいじゃねェか、行こうぜ」
あぁでも、3人3人で乗ろうとしたらリトルデビルを入れると一人余る。ワースは別に乗らなくて良いとして、と思ったところでカーゴパンツの裾が引かれる。にっぱりと笑ったリトルデビルの姿がしゅるしゅると小さくなり、それに合わせて衣類も縮む。というか、デザインそのものが布をたっぷりと使ったフリルブラウスへと変わる。あれよあれよと言う間に洞窟で初めて魔導書と出会った頃のワースの姿、つまり就学前の子供の姿になった。そして注意事項をちょいちょいと指さす。未就学の子供ならば、大人の膝の上でアトラクション参加できるらしかった。
「みんなで、のれりゅ、ね!」
満面の笑みで当たり前のようにこちらへ手を伸ばし、抱っこをせがんでくる。ワースは若干頭が痛くなりながら抱き上げてやった。リトルデビルはちょくちょくこういう事をする。やっぱり舌っ足らずだしワースにとっては幼児の自分など恥ずかしい姿だが、リトルデビルはこの姿がお気に入りらしかった。頭を撫でてやるとぎゅうぎゅうと首に抱きついてくる。まぁ、可愛い。可愛いのだが、……この羞恥心は耐えるしかないのか。
ちらりと後輩たちの様子を見ると、ランスの顔色が尋常じゃなく悪かった。
「お、……おい、お前顔死んでるけど大丈夫かよ」
「……だいじょうぶにきまっているだろうこのていどのこどもだましくらいなんてことないにきまってる」
「めっちゃ早口じゃねェか」
よく見るとガタガタと震えてもいる。幽霊関係だめなのか。意外である。ニヤニヤとしたドットが近付いて来た。
「なァんだよスカシピアス、お前こういうのもダメなのか?しっかたねェなァ、オレが……いだだだだだだ!?」
「大丈夫だと言っただろうがこのチンピラ」
真正面からドットの額辺りを掴んだランスは言い切った。掴まれた部分はミシミシと、人体としてはあまり鳴ってはいけない音がしている気がするが大丈夫だろうか。あばあばしているフィンが慌てて止めに入る。なんだかこの様子、喧嘩をしている人間の間に割り込む犬のようだ。どう見ても小型犬系なのに。可愛い。いつもこんな感じなのだろうと窺える。
「お前ら仲良いな……」
「貴様の目はどこに付いている。オレとコイツが仲良い訳ないだろ」
「オレもスカシピアスと仲良くなった覚えとかないっす」
「あ?」
「やんのか?お???」
どう見ても仲良いだろ、と思ったが、ツッコミを入れると先に進めないのでワースは黙っておくことにする。ちなみにホーンテッドマンションはランス、ドット、フィン、そしてレイン、ワースとリトルデビル、オーターの順で乗った。直前まで喧嘩していた割にフィンを間に挟まないのか、というのと、なんで俺ふたりに挟まれたんだろう、と思ったが、あまり気にしないことにする。終わった後のランスの魂は口から出ていた。これもまた、致し方ないことだっただろう。「仕方ねェなァ、」と言いながらペットボトルの水を買ってやったりあれこれと世話をしてやっているドットを見るに付け、やっぱりこいつら仲良いだろ、とは思った。正直、仲良いならアイアン・クローをそんなにカジュアルにかまさないで欲しいのだが。
ランスの回復を待つまでの間、小休憩となった。オーターとレインが人数分の飲み物と軽食を買ってくると言うので、フィンとワースとリトルデビルで場所取りである。誰が買い出しに行くかで微妙にモメたので、取り敢えず問答無用でワースが2人に行かせた。フィンを1人座らせておくのも心配だが人混みに連れて行くのも心配とか、レインのブラコンもなかな極まっている。並んでいる2人が見える位置の席なので、レインへ向かってフィンに手を振らせたが……相変わらずの仏頂面だなオイ。愛しの弟が手を振ってるんだからふり返しやがれよ、と思ったが、フィンが満足そうなので変に突っ込むのは辞めておいた。ドットはトイレに行くランスに付き添っている。……ホーンテッドマンションに吐くほど気分が悪くなる要素があるかどうかは、ちょっとワースには分からない。
考えてみれば今日はよく歩いた。テーブルベンチで足をゆらゆらとさせていると、意を結したように胸の前で拳を握りしめたフィンが、「ワース先輩……!」と話し掛けて来た。
「じ、実は、ワース先輩にお礼を言いたくて……!」
「お礼?」
ワースは瞳を丸くさせる。悪いが、この子ウサギに感謝されるようなことをした覚えがない。誘拐事件の時はワースは下の墓地で戦っていて実際の救出には関わっていないし、その後はレインに抱き締められながら泣いているのをやや羨ましく横目に見たくらいだ。本当に心当たりがない。妙にこう、張り切った顔をされても、知らねェもんは知らん。
「い、頂いたノートのことなんですが……!」
「ノート?」
「マッシュくんとのお勉強会にワース先輩が来て下さった時、もう要らないから、って2年生のノートを頂きまして……」
「……あぁ、そういえば」
結構記憶力はある方だと思っていたワースでさえ思い出すのにやや掛かった。なんせ、ワースのノートは比較的よく取引されていたものだから、写本は結構出回っているのだ。知り合いに貸した回数も、両手足の数では足りない。オリジナルは長らく取っておいたが、どうせ卒業したら使わないし嵩張るばかりなので、欲しがるレアン寮の後輩にだいたい譲り渡した。なんやかんやで主要教科はレアン寮の共有財産とされていた筈だ。フィンに渡したのは多分、補助系・治癒系の講義に出ていた時のものだ。ワースの周辺はこれで血の気が多いものだから、あまり白魔導系統の魔法に関心がある後輩がいない。ワース自身も中級魔法が使えるようになった程度でそんなに適性がなかったから、1年くらい授業には出て、プラスアルファで多少興味のあることを調べて、それをまとめたくらいだった。埋もれるくらいなら誰かに渡した方が有意義であろうし、ワースが知る中で一番白魔導師になりそうだったのはフィンだ。実技はともかく資格を取るなら筆記も必要になる。はっきり言ってフィンも進級が怪しい枠の後輩であるから、ちょっとした餞別のつもりだった。
「あったなァ、そんなこと」
「はい!……そ、その、ワース先輩から頂いたノートのお陰で、最近勉強が楽しくて……!」
「お、やったじゃねェか」
フィンは、ワースの目から見れば随分と分かりやすい劣等生だった。そもそも本人がだいぶ要領が悪いところもあるのだろうが、実際に勉強を見てやって、恐らく初等部の頃に学ぶべきいくらかのカリキュラムが抜けているような気がした。兄のレインが神覚者になった際に、彼の生い立ちはそれなりにニュースに取り上げられたから、まぁ、たぶん、そういうことなのだろう。兄は早熟で、要領が良く、多少の逆境にも動じないほどの才能があった。弟のフィンはそうではなかった。ただの、それだけだ。
言ってなんだが森育ちのマッシュも、正直フィンよりも初等・中等部で学んでおくべき事柄の欠落が多いので、勉強会の際2日ほど掛けてその辺りを総ざらいしてやった。はっきり言って試験範囲外ではあるが、学年末は大抵こういう教養も一部出されるものだし、基礎がないところに応用を積み上げることなんか誰にだって出来ない。そう言い切って、結構無理矢理中等部までの基礎を叩き込んだので、もとより勉強が苦手なマッシュはかなりグロッキーであったが、フィンも負けず劣らず苦しげであった。まぁそれを土台にさらに1学年の試験範囲をドカドカと積上げさせたので、我ながらなかなかの地獄の勉強会だった気がするが、最終的に平均点よりも上だったり競っていたりする答案を二人して見せに来てくれたのだから、結果オーライという奴である。その報告の時に寮の掃除をしていたものだから、ついでにノートもフィンに渡したのだった。思い出してきた思い出してきた。
もじもじと、フィンは指を捏ね回すように落ち着きがない。何か言いたいことがあるんだろう。ワースはそれを見下ろしながら待ってやった。
「あっ、あの後、ちょっぴりだけ前より授業が分かるようにはなったんですけど、2年生の範囲って難しくて……。中間テスト前にこれはやばい!ってワース先輩のノートを見直したんですけど、そしたらするする頭の中に入っていって……先生の授業より面白くって」
「はははっ!マジかよ。あの先生、寝てるヤツから指すはずだから気を付けろよ」
「分かります。マッシュくんもの凄い当てられます」
なんで魔法が使えないのに講義を受けているんだろう?と思ったが、それはさすがに無粋な問いだろう。丁寧に、胸にしまい込む。
確かワースのノートには、当時ワースが調べた補足情報もだいぶ載っているはずだ。ただ、ノートを読んでそれなりに理解しているのだから、恐らく初めて聞いた講義内容よりも復習で読み直したノートの方が既知の内容である分頭に入りやすかっただけだろう。ワースのノートに、なにか特別な価値があった訳では全くない。……全くないが、そんなしょぼくれた話を一生懸命に感謝を伝えようとする後輩に言う必要はない。
「そういや上級学校目指してんの?」
「………まだ、悩み中で」
正直、赤魔導師よりも白魔導師の方が就職は良い。なんせ、希少な専門職だ。大抵は医療・看護系の専門学校や上級学校に進んで更に論理や患者対応を学ぶ。イーストン魔法学校でもそれなりに白魔導師の育成は行っているが、そもそも学校の設立からして魔法局に務める局員を育成する学校だから、現場に出ると言うよりは監督官になるような白魔導師の育成が主だ。2年生のこの時期に進路を決定してしまうのは、些か早すぎるきらいはあるが、受験科目がいくつか異なるので、早く決まればその分早く勉強を始められる。遅くて困ることはあっても、早くて困ることはない。
「無邪気な淵源」事件の際にあれだけ立ち回れるのだから、フィンの実技は一切心配していない。ただ、あまり書類仕事や官僚仕事は向いていないように思った。無理に兄を追って魔法局に入る必要もないだろう。フィンも困ったように「うーん」と唸る。
「兄さまは学費なら出す、と言ってくれてはいるんですが……」
「いいじゃねェか、頼っちまえよ」
レインの貯金残高ヤバそう。っていうか、弟用の積立貯金とかしてそう。
「無邪気な淵源」事件以前の姿の方がワースには馴染みがあったエイムズ兄弟だったが、事件の後和解して、かなり印象が変わった。主にレインの。
昔からウサギ好きのやばいヤツ、と思っていたが、あのウサギ好きがまさか弟に向けられない愛着の終着地だったと誰が気が付くだろうか。ワースはもちろん、気が付かなかった側の人間だ。いま現在、レインの魔法道具管理局の執務室には、フィンから贈られた品で作られた祭壇らしきものが出来ているらしい。祭壇が出来はじめた当初、同期の魔法道具管理局の局員が「うちの上司やべー!笑」と画像付のメッセージを同期会へ送ってきた。当時ワースも爆笑していたが、段々洒落にならない規模になっていったらしい。しかもそれを送りつけてきた同期たちは「もうオレは弟くんの幸せを祈ることしか出来ない」「私たちの平和は弟くんに掛かってる」「俺今週でもう2回弟くんの祭壇に祈ったわ」とかなんとか言っていた。恐らくは職務上のトラブルが発生した時にフィンの祭壇が何かの威力を発揮するのだろうが、怖すぎてワースは聞いていない。世の中には知らなくて良い事だってあるのだ。本人こんなにぼやぼやしているってのに、魔法道具管理局局員たちから知らないところで拝まれてるって、マジで何。あそこで何が起きてるんだよ。
「……あ、そういやイーストンに1番近い治癒系の上級学校にいる、魔力増幅系の専門家の教授なら俺、紹介できるぜ」
「えっ!?」
「いや、授業でレポート課題が出てきたから、調べてて面白くなったから教授に何回か質問に行って、……そしたらなんか気に入られて」
年に1回治癒系の学会の研究発表があるのだが、毎年ワースは足を運んでいる。というか、学会からお知らせが来る。どう考えても一介の学生のレポートの世話をしてくれた教授の好意であったし、こちらも感謝しているので分からないなりに毎年拝聴させて貰っていた。お陰様で、ワースは大して治癒系の魔法は使えないのに、余計な知識ばっかりついた気がするが。
ポカンと口を開くフィンに、その教授の名前を告げると、「僕、最近そのひとの本読みました……」と小さく呟いた。初級向けの本をめちゃくちゃ書いている教授だから、あり得る話だろう。魔力増幅系補助魔法の教育分野では、第一人者と呼ばれるような人物だ。むしろこの劣等生が自分から進んで書籍で学ぶなんて偉い。思わずワースはフィンの頭を撫でた。
「ワース先輩って」
「うん?」
「何気に、めちゃくちゃ、凄いですよね……」
「いや全然すごくねェだろ」
ワースの同級生だったオルカ寮生なんかは、在学中に論文コンテストに出して賞を貰っていたし、それを引っ提げて上級学校への進級も決めていた。「凄い」とは、そういう奴のことを言う。ワースも幾つかのコンテストに論文を出して記念品のような賞を貰ったが、誰でも貰えるようなモノを貰ったとて、別に価値はない。まぁ、学んだことは間違いなく身になったと思うけれど、それはどうせワースの自己満足に過ぎない。
「治癒魔法はマジで才能がモノを言う世界だから。俺なんか、論理式は分かってるのに全然発動しねーもん」
「そ、そういうものですかね……」
「上級魔法並みのセコンズ使ってる奴に言われると気が抜けるな……」
論理式の中には魔法陣を書いて後は魔力を流すだけ、のようなお手軽な形式のものがある。それならワースも中級魔法まで発動させられる。というか、それが論理式の利点である。正しい論理構成能力と魔力量さえあれば適性のない魔法でもある程度扱えるようになるのだ。勿論、適性があればあるほど使用する魔力も少なくて済むので、やはり才能とは切っても切り離せないのだが。
中級魔法の定義は「重症患者を治癒できる程度」となっているので、ワースも道具の力を借りれば才能がなくてもそこまでは行ける。問題はその先である。上級魔法は「欠損を治癒できる程度」となる。フィンのバタフライ・サニタテムズは恐らくその領域だ。本人はたぶん、論理的になにが起こっているのかを理解していない。無意識の領域で人体の複雑な構造を認識して組み替えているのだから、尋常なことではない。どれだけ本を読んで、知識を蓄えても、ワースには辿り着けない領域だ。
「フィンの立ち位置は才能なんだから、目一杯、魔法の使い方を学んだら良いと思うぞ」
才能にも色々あるが、持って生まれたモノは全て「才能」のうちだとワースは思う。兄を追いかけて名門イーストン魔法学校に入学できる向上心も、後に魔法界を救う英雄と進学早々友人となった人柄も、いざとなれば財布の紐をゆるゆるにする保護者がいることも。この環境は十二分に恵まれている。しかしフィンの顔が、少しばかり曇った。
「そっ、それはそう、なんですけど……」
「なんだよ、どうかしたのか?」
「じっ、じつは……、ところどころ授業に付いていけなくて……!」
ワースはずっこけた。
なるほど、相談したい本命はこっちか。
もちろん感謝を伝えたかったのも、本命であろうが。
確かに学年末試験の為にワースはかなり無理矢理フィンへ詰め込み教育を施してやったが、本来なら数年かけて覚えさせる話を一気に教え込んだのだ。齟齬が出ない筈がない。むしろ、この劣等生が治癒魔法に関しては楽しく勉強出来ていたのだから、頑張っている方だ。ワースはそう思ったが、以前教えられた手前、フィンはあばばばば、と慌てる。その揶揄い甲斐のありそうな顔にちょっぴりだけワースのいたずら心が疼いた。
「いっ、いや違うんですよ!治癒魔法の授業が楽しいのは本当で……!問題はそれ以外で……!」
「ふざけんな2年は選択科目より必修科目のが多いだろうが」
「そっ、そうなんですが……!」
「……つーか、レインだって神覚者になってるんだから普通に勉強見てもらえるだろ。兄弟の団欒しとけよ」
「あ、あんまりその、……兄さまに、勉強が苦手とか、恥ずかしいところを見せたくなくて……」
しゅんと俯くフィンのつむじを見て、ワースは密かに反省した。フィンは確かに、明らかな劣等生であるが、だからと言ってプライドがない訳でもない、普通の10代だ。その羞恥心をなげうてと言うのは、流石に酷な要求であろう。どうせ成績が出ればレインには筒抜けになるだろうが、ワースと2人きりになってからこんな話をし始めたのにはフィンなりの意味があったのだろう。面白くなって配慮が足りなさ過ぎた。フィンの言わんとすることは分かる。ワースも、もっとずっと捩くれた感情であるとは言え、見栄を張りたくなる気持ちがある。がりがりと乱暴に頭を掻いた。仕方ない、「神覚者の弟」だなんて厄介な立場であった先輩として、一肌脱いでやろう。
「事情は分かった。……けど、俺も別にそんなに助けてやれねェよ?」
「ワース先輩のノートで勉強が楽しくなったので、他の科目のノートも見られたらなって……」
「あー……」
なるほど、それなら教師陣がほぼ変わっていないのでテスト対策にもなる。が、生憎とワースの手元にはない。
「原本は全部レアン寮の後輩にやっちまったんだよな……」
「そう……ですよね……」
「けど、写本を持ってる後輩はそこそこいるし、言えば写させてくれるんじゃねェかな。フィンが知ってるとこだと、オルカ寮のカルパッチョとかも持ってる筈だぞ」
「…………あの辺を「知ってるとこ」とは思いにくいですね……」
フィンは遠い目をした。確かにあれだけボコボコにされて友情が芽生えるのは物語世界だけの話だろう。ワースは自分の端末を取り出して、上から順に名前を見ていく。比較的カルパッチョと関わりが薄く、ワースの写本を全教科揃えていそうで、劣等生を前に小馬鹿にしない程度には人間性がまともな奴。ちなみに、人間性がまともである条件は、フィンの為であり選ばれる後輩の為でもある。態度が最悪のせいでマッシュにシメられても可哀想であるし、事が大きくなるとレインまで出てくる可能性がある。
「んー……コイツかな」
ワースがメッセージを送ると、早速返事があった。想像通り写本を全部持っているらしい。写させたい後輩がいるんだけど、と打つと二つ返事でOKが来た。
「良いってよ。コイツ知ってる?」
「いつも成績上位に張り出されてるひとだ……!」
そうだっけ、と思ったが、そういえばフィンの代は座学上位をカルパッチョが総嘗めにしているが、上位5位くらいは殆ど競り合っていたのだった。この後輩はその競り合っている内の1人である。そんなことを考えている間にも、後輩からの追いメッセージが続く。
「あ……?」
「どうかしましたか?」
「……いや、大丈夫。月曜日に貸してくれるらしいから、フィンの連絡先コイツに教えても良いか?」
「はい、助かります!」
フィンと後輩それぞれに双方の連絡先を送り付けて、ワースはこっそりと、しかしじっくりと、後輩からのメッセージを読む。
曰く、ワースのノートの原本は当初レアン寮の談話室に収められていたらしいのだが、学校側からの要請で接収されそうになったらしい。名こそ明かせないが、学外の人間がぜひ欲しい、とのことで圧力をかけて来た、との理由で、である。困ったレアン寮生はワースのノートを丸々図書委員管理図書として図書館に収めさせたのだと言う。こうすれば管理上は学校側と、図書館側と、生徒会の図書委員の共同となる。とはいえ扱いは「寄託」にしたので所有権はワースが譲り渡した各々のレアン寮生達にあるらしい。抜け目ないと言うかなんと言うか。ここまで所有者を複雑にしたお陰で原本は取られることはなかったものの、どうやら圧力をかけて来た者は、ワースの原本を元に写本を作ったらしい。後輩が言い張るには、それは砂の神杖の手の者、だそうなのだが。
(いや、ないない。ないだろ)
憤り混じりの興奮したような後輩のメッセージに失笑で返す。時期的にもワースが魔導書を手に入れて入院する少し前のことだから、ワース本人の思想や信条を調べられた、とは考えにくかった。オーターがそんなことする理由がない。
(そ、ん、な、こ、と、よ、り、ポスター発表は、と……)
近々行われる研究発表の話題を振ってやれば、文面からしても後輩が震え上がった。OB達がしたようにワースも後輩の頑張りは見に行ってやりたい。くだらない発表したら許さないからな?と書けばスタンプだけ残して後輩がチャットから離脱する。フィンの面倒見てくれた礼と激励に、今度何か持って行ってやろう。
若干血の気が戻ったランスがドットに支えられてフラフラとワースたちの元へと戻ってくる。いやだから、ホーンテッドマンションに乗り物酔いの要素はないと思うんだが?そうこうしている間にオーター達も戻って来て、ワースとフィンは顔を見合わせて笑う。勉強の相談事は、取り敢えず一旦棚上げとなった。
◆◇◆◇◆
かわいいなぁ!
「わたし」は思わずスキップをした。状況が許すのであれば、本の形のままくるくると何処かへ漂っていたかった。カナリヤから、「それはちょっと、書籍としてどうかと思う」と以前に苦言を呈されたから、抗議の意味でしかやらないと決めているけれど。
「わたし」に届くカナリヤの歌は、いつもよりずっと爽やかに響いた。甘くて、酸っぱくて、初々しい。実に可愛らしい歌だ。「わたし」は嬉しくなってしまう。
ちらりと見上げた先の砂は、無表情ながら「わたし」を警戒していた。これもまた、実に良い。
かわいいカナリヤ。
どうかこのまま、素敵な歌をうたい続けておくれ。
◆◇◆◇◆
花壇に沿ったサークルベンチに腰掛けてぼんやりと遠くを眺める姿に、オーターは息が止まるかと思った。
(本当にいる……)
袖口や裾が広がったシンプルなシャツに大きなポケットが印象的なダボっとしたカーゴパンツを履いて、少し足を投げ出すように佇むその姿は、ファッション誌の1ページのようであった。遊園地の入り口へ向かう家族連れや学生グループのちらちらとワースを見ながら通り過ぎていく。なんなら、撮影のカメラを探しているような素振りの者もいたくらいだ。分かる。オーターも撮れるものなら写真を撮らせて欲しい。ダメなら雑誌の切り抜きでも妥協する。スクラップノートを作りたい。
「んだよ、ワース先輩もう来てんじゃん」
言って、止める間もなくドットが「ワース先輩ー!」と言いながら駆け出す。正気か。その勇気が凄い。普段冷静そうに見えるランスも小走りで追う。オーターはドットを止めようとした手を静かに下ろした。自らの名前を呼ばれて振り向いたワースがこちらへ視線をくれたからだ。万が一にも、挙動不審の変な奴とは思われたくなかった。なんせ昨日は楽しみ過ぎて眠れなく……なることは分かっていたので、事前に用意した睡眠導入用の魔法が掛かった音楽を聴いて眠った。体感としてはそんなものに頼ってもだいぶ寝付きは悪かったので、準備しておいて本当に良かった。寝不足の頭ではワースの私服を脳裏に焼き付けておくのは難しかったかもしれない。
相変わらず緊張でうるさい胸を抱えながら、オーターは、ほ、と安堵のため息を吐き出した。
「声、掛けてくれてありがとな。レインも、……オーター、さんも」
付け足された敬称に、自分は呼び捨てではないのだと驚いた。驚いたが、じゃあワースになんと呼ばれていたのか、正直ちょっと思い出せなかった。呼ばれた覚えがあるのは「砂の神杖さま」。関係性を思えば呼ばれていた可能性があるのは「兄さま」?……いやこれは、エイムズ兄弟の姿に記憶をすり替えられている可能性が非常に高い。なんせ、ワースの幼い頃の声をオーターは思い出すことが出来ない。対外的には「兄」と呼ばれていそうだな、と思った。貴族は基本的に早熟な子供を可愛がり、愛するので。幼い子供が作法正しく親類を呼称すれば、だいたい褒められただろう。ワースは、恐らくそのような機微を掴むタイプだ。
入園ゲートをくぐると、おもむろにワースはカバンから1冊の本を取り出した。オーターは少し眉を顰める。事前に話は聞いていた。
「魔導書にひとの形を取らせてもいいか?」
礼儀のつもりか、ワースは同行者の面々を見渡して聞く。学生チームは「それが噂の!」と色めき立っていた。恐らく、魔導書というものをあまりきちんと理解していないのだろう。ワースも軽く言ってはいるが、人間の形を取る魔導書など前代未聞だ。もし出来る魔導書が他にあったとしても、すべて禁書扱いになるだろう。変身魔法や強化魔法として想像されるよりもずっと複雑な魔法を使っているはずだから。そもそも、術者が「皮を被らせる」のではなく魔導書本体が「自分の魔法を自分に展開する」時点で、希少性が高い。
「もちろんです!リトルデビルくんに会ってみたいですし」
フィンの言葉にワースは目元を緩める。そして魔導書の周囲の空間が若干歪んだ。ワースと同じ泥魔法が発動する気配がして、その歪んだ空間ごと泥が包み込んでいく。
「…………」
初めて間近で見るが、なるほどとオーターは密かに嘆息した。歪んだ空間は恐らく魔導書が作り上げた結界だ。それを核として人間の外側を作っている。魔導書は基本的に本を開いた状態で術者に触れられていなければ魔法を使えない。魔導パスを適切に繋げないからだ。聞くところによるとこの禁書は泥人形の身体で自立したまま魔法を使っているという。一体どういう仕組みなのか。間近で見てもよく分からない。最初に展開した結界がワースと繋がっているのだろうか。であるとすれば泥人形の身体の耐久性はいかばかりか。じっと見つめている間に身体が組み上がる。印象的なねじくれた角を頭に頂いた、小さな少年だった。顔に走るアザは2本線。ワースと同じデザインの服を着ていて、角さえなければ瓜二つの歳の離れた兄弟のようだった。あまりの衝撃にオーターは言葉を失う。聞いて知っていたことではあるが、実家にあるアルバム内のワースとまるで同じ姿だった。もちろん、家族写真のワースはいつも無表情か口角をほんの少しだけ上げた姿であったので、瞳を細めて口を大きく開ける目の前の子供らしい表情とは全く違った。……違ったのだが、あの写真の中の行儀の良い少年がレンズの外ではこんな表情をしたのではないかと、思わせるような風情であった。マドル家は貴族らしい貴族の家なので、当然、日常生活でもいま目の前にいるような不躾な表情を浮かべることは許されていた筈がない。それを理解しているオーターの頭でさえ、混乱するほどの、本当に良く出来た姿であった。思わずオーターは眼鏡の位置を直す。平静を装うのは少し難しかった。ワースがちらりとオーターを見て、少しばかり意外そうな表情を浮かべた。自分のリアクションは彼にとって意外だったのだろうか。そうだろう、自分にとっても、かなり意外だ。
幼く無邪気な表情を浮かべるワースの似姿を愛おしく思うと同時に、無遠慮に彼の姿を取る禁書への狂おしいほどの怒りを感じる、だなんて。
***
ワースの墓地管理局への出向は、比較的、恙なく終わった。……いや、恐らく今後の魔法道具規制に関係するような大きな事件を担当しておいて「恙なく」というのはさすがに言い過ぎであったが、人材の移動という意味では非常に穏当に終わった。なんせ、出向終了の日取りを決める神覚者会議で大きめな爆弾を落とされたからである。
「ワースくんは未熟ですので出向などさせず、引き続き禁書管理局で面倒を見ますから」
にっこり笑ったソフィナはいつものように涼やかな声で言った。あの事件でワースがマッシュへ位置情報を送った判断ミスは、ソフィナにとって渡りに船だったのだろう。オーターに言わせれば被害者がフィン・エイムズであったこと、連絡者がマッシュ・バーンデッドであったことを思えばさしたる「ミス」とは思わないが、これは「身内への贔屓目」と言われれば否定するのは難しい。原則的には、ソフィナがやはり正論である。……とはいえ、そんなものは建前だろう。ソフィナがワースを外に出したがらない理由は、概ね心得ている。
禁書の使い手というのは、実際非常に珍しい。ソフィナのように自身の魔法で禁書を支配下に置いているタイプもかなり珍しいが、ワースのようにあれだけ魔導書に想われていて精神に破綻を来していないというのは、恐らく魔法界でも数える程しかいない。ソフィナが自分の局で育てたいと思っているのも尤もな話だろう。興味深い禁書研究を行う論者兼貴重な後進を逃したくない、というのもまま分かる。オーターの立場からすれば禁書管理局にこのまま所属させておく、というのは十分妥協できる範囲だ。結局のところ禁書についてはソフィナほど詳しい者はいないのだから、彼女に預けているのが最もワースにとって危険が少ない。レナトスはまだぐちゃぐちゃと「アイツらまーじで適性あったんだけど…」とか「万霊祭の時だけでもピンチヒッターってことで借りられねェ?」とか往生際の悪いことを言っていたが、「まだ判断力に不安のある新卒ですので」とソフィナにばっさりやられていた。難しい顔をしているツララにも意味ありげな笑みを寄越していたから、すでに話はついているだろう。それをまた、食えない笑みで眺めていたカルドが何を考えているのか、オーターには図りかねた。ワースの働きは、はっきり言って期待以上だった。最後に美味しいところを攫ってしまったオーターが言うのは不遜過ぎるが、ワースが泥で周囲に柵を作って守っていなければ、事を納めるのはもっと難しかっただろう。的確に出歩く可能性がある範囲を見定め、区画ごとに柵を張り巡らせたその手腕には文句の付けようがなかった。そんなこと、会議に集まった神覚者全員が認識している。勿論カルドも、だ。発展途上の力を秘める新卒魔法使いを、この人事の専門家はどう見る。また変なところに出向させるなよ、とは念を送ってみたが、届いたところで動じるような相手でもない。
とはいえワースを墓地管理局へ出向させて、分かったことがある。あの禁書の性質だ。
ワースの報告やソフィナの分析から、禁書自身が大気中から魔力を集めることができる、というのは判明していたが、どうやらアレは「生きていないものから魔力を奪うことが出来る」性質を持つらしい。死者の肉体は、言ってみれば遺体であり、既に生きてはいない。戦闘訓練中も、ワースが命じればかなりの精度で魔力を吸ってくると、レナトスが証言していた。実際霊園で泥魔法を介して魔力を奪っていた時も、その場にある草木はまったくの無事であったから、概ね正しい推論であろう。……ただし、あくまでワースの指示対象が死者であったから、それに禁書が従ったのだ、と言われると少々反論はしにくい。しかし一方でワースがはっきりと指示語として「死者」を使用していない場面も多く、禁書がワースの言外の意図を読み取って攻撃をしていたとなれば、それはそれで重要な観点である。結果としてオーターが間に合ってしまったとはいえ、術者が危険にさらされていても、禁書はワースの「こっちはいい」の指示に従えていた。術者に惚れ込むタイプの禁書は、何においても術者の身の安全を優先する。それを思えば静止の命令だけで術者の危険を放置できるなど、禁書が持つ自制心としてはかなり高い方だ。術者の指示に従おうとする禁書の意思が強いのか、ワースがそれだけ禁書を自身の支配下に置けているのか、評価としてはやや迷うものの、いずれにせよ禁書を手放す気がなさそうなワースにとっては有利な材料ではある。……オーターとしてはあんなもの、さっさと禁書庫に収めるなりなんなりで処分して貰いたいものだが。
魔法の使いすぎで一時的に身体中に熱を持っていたワースであったが、簡単な応急処置と1日しっかり休ませればすぐに回復した。禁書が治癒魔法系統のセコンズによる出歩きをした死者80名程度の魔力を集められる性能を思えば、その使い手たるワースには今後もまたこのようなことがあるだろう。そのたび魔法回路に負荷が掛かってワースの魔法許容量が増えていくのは彼にとっては良いことだろうが、それだけ開ける禁書のページが増えると思うと、手放しには喜べない。
見た目や言動で誤魔化されてしまうのだろうが、結局のところ禁書は禁書だ。危険な書籍であることに変わりはない。どうにもワースはアレに愛着を感じているようだが、それも含めてもどかしかった。
今日も、ほら。
子供のフリをして、ワースの手を引いて走っている。
フィンはあまり激しく機体が動くタイプのアトラクションを好まないらしく、そういう場合は決まって見学だ。となれば勿論レインはフィンに付き添うので、自然、写真を撮りたがるワースやランスたちの為にカメラを構えてやるのは専らオーターになる。オーターとしては誰に気兼ねなくワースの写真を撮れるしアトラクションに関心がないのでちょうど良いのだが、微妙にワースが困ったような素振りを見せているのが気になった。あの禁書、術者に気を遣わせているのか。けしからん。
しばらく見守っているうちに、スカイパラソルに乗ったワースと禁書の2人組がくるくると空を舞う。他の客の声に合わせて「きゃー」とでも叫んでいるのだろう、禁書が大きく口を開いて、ワースも目配せしながら同じ形に口を開く。禁書を見つめる瞳には慈愛が宿っていて、とにかく優しそうである。尊い。とりあえずオーターは指が許す限り連射した。
出口から戻ってきたドットは何故か地面にめり込んだように土がついていたが、ワースは禁書を肩車してやっていた。スカイパラソルと同じようにくるくると回ると、禁書が幼児のように喜ぶ。アレが術者に取り憑くような禁書でなければ、大変可愛らしい風情であるのにな、と思いつつ、オーターはその姿も1回だけ、シャッターを切った。
「オーターさん楽しそうですね」
「…………?そうですか?」
フィンがふにゃふにゃと微笑んで言うのに、オーターは首を傾げる。楽しいと、呼ぶには些か複雑な気持ちだ。その感情を複雑にしている禁書が、ワースに肩車されたままこちらを覗き込む。
「しゃしんとれた?」
「……ええ、まあ」
「へぇ、どんな感じ?」
禁書が覗き込む距離だから、自然とワースも近い。少し緊張しながら端末を操り、ちょうどいま先ほど撮った写真を見せる。ワースと禁書が楽しげに絶叫している写真だ。画面から歓声が聞こえてきそうなくらい良い表情をしている。
「ワース、しゃしんほしー」
視線を上げると、キラキラとした瞳の禁書がいた。禁書にも、この写真の良さが分かるのか。というか、所有欲めいたものがあるのか。ちょっぴりだけオーターは感心した。どうせ管理するのはワースだろうし、意地の悪いことをする理由もない。
「データで送りますよ」
そこで、はたと気が付いた。そういえばワースと連絡先の交換をしていない。いや、この遊園地に誘う際にフィンがグループチャットを立ち上げたから、連絡を取ること自体は容易い。ただ、なんとなく本人に了承を取る前に登録をしてはいけない気がしていて、連絡先に追加していなかった。
どうしよう、と思う間もなく、自分の端末を取り出したワースがひょいひょいと何かを操作して、画面を見せる。
「これ、オーターさんだよな。連絡先に追加しちゃって良い?」
「勿論です。……それから、あの」
「……?」
「オーター、で良いです。さんは要らない」
朝から、言おうかどうしようかとずっと思っていたのだ。年齢差のある友人同士と思えば敬称が付いていてもあまり気にならないが、ワース相手と思うと何かよそよそしくて嫌だ。ぱちぱちと瞬きを繰り返すワースは、はにかんで小さく、「わかった」と呟く。それをうんうんと頷きながら禁書が見ている。
「……オーター、後で、俺のとこに画像送っといて」
「……はい」
我ながら、どうにもぎこちない返事だ。
だが本当に緊張しているのだから仕方がない。今も胸がばくばくとうるさく鳴っている。
ふと、ワースの髪を握り締めている禁書が、遠くを見るように視線を彷徨わせた。そこには先ほどのような子供らしい雰囲気は一切ない。なんだ、と思いながらその視線の先を追う。そこには遊園地に不釣り合いなアタッシュケースを持つ3人組がいた。中に着ているシャツこそラフな物であるが、3人ともジャケットを羽織っていて、どこか浮いている。
(…………?)
やや遠いから判然とはしないものの、彼らが持っているアタッシュケースには見覚えがあった。魔力探知を阻害する特別製のブランド品である。魔法道具以外にも世の中には魔力を含有したものは数多くあり、中には周囲の魔力と反発する品もある。それらを安全に運搬する為のケースだ。魔法道具売買業者には必需品とも言える。……が、当然ながら、遊園地には似つかわしくない。
「オーター?」
「……そろそろ昼時ですね。何か食べたいものはありますか?」
眼鏡を直しながらワースを見る。どうやら彼は、頭上の禁書が何を見ているのか分からないらしかった。
ワースと禁書が感覚の共有をしている節がある、と言ったのはソフィナであるが、これについてはハッキリとしたことは分かっていない。聞いても、ワースは誤魔化すからだ。疑いが浮上したのはワースが禁書を手にしてすぐの入院していた頃、禁書を隔離して、ワースとの繋がりが断てないものかと様々な検証が行われた時だ。その一環として先ほど見たアタッシュケースに使われているのと同じ素材、同じ魔法の箱に入れてみたことがある。数日と経たぬ間に、ワースから物品要望が上がったのだ。本人ではなく魔導書宛に、子供向けの道徳と倫理を説く書籍を、との話だった。一応窓口担当者がワースにその意図を問い直したらしいが、返ってきたのは「アイツが退屈してるみたいだから」だった。特殊な箱に保管しているのだから、禁書が「退屈」かどうかは術者に分かるはずがない。むしろ禁書との繋がりが突然断たれたワースの精神的揺らぎを心配されていたのに、本人は至ってけろりとしていた。……まるで、箱が意味を成していないかのように。ワースが禁書に読ませようとした書籍の内容は「ひとを傷付けてはいけません」「死んだひとは戻ってきません」というような若干説教じみたものであり、この局面で禁書に、そして注文を通じて禁書管理局に見せるのは些かメッセージ性が高かった為、早急に禁書は箱から取り出された。ワースに何らかの符牒の意図はなくとも、危険な書籍を扱っている自負は、禁書管理局局員たちにあったのだから。禁書が、他の書籍を読めるかどうかは分からない。けれどワースからの道徳の本が届いて以降、禁書はしぶしぶながら禁書管理局の調査に協力するようになったらしい。ソフィナの言葉を借りるなら、「猫ちゃんが爪を立てながら施術台の上で予防接種を受けてるみたい」とのことだった。その辺りの感覚的な機微はオーターには全く分からないが、ワースから何らかを諭されたのであろうことは、想定された。その方法がどのようなものであるかは全く分からなかったけれども。勿論この後ワースが禁書に言葉を覚えさせようとするから、言語的なコミュニケーションを計れていた訳ではないだろう。逆に言えば、外部から言えることはその程度だ。
念のため、怪しげな3人組に魔力を付与した砂でマーキングをする。砂の動きを追うように視線を這わせていた禁書は、砂が3人組に付くと、オーターに視線を戻してにっこりと笑った。なんだ、その表情は。まるでワースと似ても似つかないのに、同じ顔ゆえ可愛らしいから苛立ちが募る。
こちらの苛立ちに気が付いているのかいないのか、とにかく禁書は機嫌が良いようだった。正午に近いからとレストランへ行く間もワースと手を繋ぎながら不恰好なスキップをしている。見かねたワースがスキップの見本を見せてやり、ドットが真似をしてランスが揶揄う。頭の角さえなければまるきり大きなお兄さん達に遊んでもらう子供である。しかも、最初よりずっとスキップが上達していた。
「可愛いですね」
にこにことしたフィンが禁書を眺めながら言う。なんとなく、眼鏡の位置を直した。半分ほどはオーターも同意できる。あの顔は、確かに可愛い。中身が禁書でさえなければ。
報告の通り魔力を持つ食べ物ならば大抵食べられるらしい禁書はお子様ランチと期間限定のフルーツサイダーを選んでいた。子供用の小さなカトラリーをギュッと握り締めて、飾り切りの可愛らしい食材を頬張っていく。それを見ているのは、胸の奥が、ジリジリと焼け付くようだった。
(……ワースにも、きっとこんな頃があったのでしょう)
生憎と、オーターは覚えてなどいないが。
というか、一緒の食卓を囲んだことも、数えるほどしかなかっただろう。実家暮らしの頃は部屋で食事を摂ることも多かったし、魔法学校に通うような年頃になると寮生活であったから、ホリデー期間などの限られた時期しか家に戻らなかった。なんなら、戻らないことさえあった。子供らしく稚い振る舞いは、オーターが見落とし続けた「弟」そのものであった。よりにもよって禁書にそれを見せつけられ続けるのは、腹の中がモヤモヤとして気分が悪い。
惰性でオーターが食事を摂っている間にも、ドットが戯け、ランスが突っ込み、フィンが笑う。和やかである。学生達に声をかけて本当に良かった。彼らを見るワースの瞳も柔らかく弛んでいる。そろそろ食べ終えるだろうワースは、話に夢中になる学生達のために、手を止める。ひと口分ほど食事を残している姿を見た禁書は、星やハート型のゼリーと季節の果物が入ったフルーツサイダーをひょいと取って、ずい、とワースの方へと押しやる。
「ワースの」
「あ?お前飲むだろ」
「ワースすきでしょ?」
ぱちぱちと、オーターは瞬きした。いまこの禁書、極めて重要な発言をしなかったか?
「炭酸が好きなんですか?」
「えっ、あ、いや……」
「ワースはね、フルーツポンチがすきなのよ」
えへへ、とスプーンを握りしめた禁書が言った。お前に聞いていないと言いたいところであるが、今回ばかりは、でかしたと言いたい。フルーツサイダーは飲料として提供されているから当たり前にサイダー部分が多いが、苺やさくらんぼ、キウイや柑橘系の何かが入っていた。ストローだけではなく長いスプーンも付いているから、確かにフルーツポンチに似ている。
「……なるほど」
「あっ、今ちょっと子供っぽいと思っただろ。今フルポンはすげーんだぞ。デパートでも瓶入りのフルーツポンチはよく売ってて、アレを炭酸水で割って食うと美味いんだ」
「瓶入りの。それは知りませんでした」
オーターの知らない世界である。
ワースはフルーツポンチが好き。よし、頭に刻み込んだ。
ドットが端末を操って、「あ、ホントだ」と言いながら検索画面を見せてくる。色とりどりのフルーツが収められた瓶が並んでいた。それを見ながら「これは食ったことある」とか「これアベルに貰った」とかワースはひとしきり感想を言った。そのひと言ひと言を聞き逃さないようにオーターは集中した。本当に色々食べている。見た目も鮮やかであるし、なんて良い食の趣味なのか。その可愛らしい慧眼にひとしきり感じ入る。
ふと気が付くと、禁書がこちらを見てニコニコとしている。なんだか微妙に居心地が悪かった。
「ワース、どこかのおみせのフルポンたべてみたいって、いってなかった?」
「ん?ああ、あの専門店のな。でもあそこ予約不可だし並ぶんだよなァ」
「……なるほど」
もしかしてさっきからのコレは、禁書からの助け舟なのかもしれない。禁書が一体どの程度ワースと親しくしたいオーターの心情を掴んでいるかは分からないが、ここまで来ると「その店にワースを誘っていけ」と暗に仄めかしているように聞こえる。禁書との微妙なやり取りに気が付いているのかいないのか、ワースは胡乱な視線をこちらへくれた。
「…………言っとくけど、神覚者権限で無茶なこととかするなよ?」
「…………」
「おい黙るな」
無茶なことは何ひとつとして存在しない。ワースにおいしく食べてもらえるのだとしたら、予約不可にしている店だって本望だろう。……と、思ったが、きっとワースに怒られるので神妙な顔で頷くにとどめた。
ちらりと禁書を見る。
ワースとオーターを見ながらニコニコとしていた。その表情になんとも言えない気持ちにはなったが、賢明なオーターは黙り込んでいた。
この禁書の目的はなんなんだろうか。ワースと親しくなりたいのは本心であるが、それを後押しして禁書になんの利点がある。得体の知れないものに対する根源的な気味の悪さを、お冷を飲んで誤魔化した。
***
ホーンテッドマンションに乗って小休憩を挟み、ぷらぷらと遊園地内を散策している間にそれなりの時間になって来た。学生達をイーストン魔法学校まで送り届けることを考えるなら、そろそろ最後のアトラクションに乗って土産物屋などを見ても良さそうな頃合いだ。そこにちょうど良く現れたジェットコースターを指差して、ドットが「これ乗りたい!んで、最後にコーヒーカップ皆で乗って終わろ!」と言ってきたのはちょうど良いタイミングであった。
フィンは絶叫系が苦手なので当然見学、となればオーターとレインはその付き添いだ。今日何度も繰り返された流れにもはや誰も何も言わず、るんるんとはしゃぐ禁書の背中を見送る。
(ん……?)
自分の砂魔法の残滓を感じてオーターは思わず視線を彷徨わせた。昼食前に見た3人組がいる。更に、3人、人数が増えていた。いずれも着衣からして「遊園地に遊びに来た大人」とは思い難い風態だった。こちらは魔力探知を阻害するアタッシュケースではなく、普通のアタッシュケースを持っている。見た感じからして、どうにも怪しそうであるが。
ジェットコースター出口付近の少し奥まったベンチであるから、陰になっているつもりなのだろうか。最初に見た方の3人組がアタッシュケースを開いた。ぴくりとオーターの肩が動く。開かれたアタッシュケースから感じるのは間違いなく魔力であった。特注のケースを使っているから当然であろうが、その魔力の形には覚えがあった。
「レイン」
「なんだ」
「少し離れますが、1人で大丈夫ですね?」
実のところ、「フィンの護衛をする」というのが、フィンにワースを誘ってもらう条件だった。この条件自体はフィンには知らせていないが、「園内ではオーターかレインのどちらかと行動をすること」とレインが約束させたと聞いている。例外はホーンテッドマンションとその後の休憩の時くらいだ。あの時はドットとランスがフィンを離さなかったので割り込めなかったし、後者はワースがレインが目視できる範囲に座ったから妥協した。フィンも珍しい先輩が一緒にいるのにずっとレインと一緒では気詰まりだろうと渋るレインは納得せたが、戻って来た後はニコニコとしていたので、恐らく2人きりにしてやったのは正しかったのだろう。
誘拐犯とブローカーを一網打尽にしたとは言え、人身売買の市場を壊滅状態に追いやった訳ではないし、そもそもそこまでの危ない橋を早々渡れない。けれどいま合法で出回っている魔法道具を使えばフィン・エイムズの力で死者を大量に呼び起こせることは実証されてしまった。勿論、事件の詳細は公表していないものの、人間のすることだからどこでどう漏れるのかは計り知れない。レインが出した死者を操る魔法道具の規制関連法案が通るまでは、或いは通っても尚、防衛能力の低いフィンは要警護対象であった。フィンとは入院中に様々話したそうで、ようやくフィンへその立場の危うさを説明し、理解して貰ったらしい。まずは、一歩前進ではある。ただ長いこと普通の平民として生きて来たので、いきなり護衛を増やすのも具合が悪い。そのうちにイーストン魔法学校内部にも梃入れはするが、今回は護衛につくレインの交代要員としてオーターがついた。フィンには、常に自分を守る誰かが側にいる、という環境そのものに慣れてもらう。そのうち、護衛チームに任せる予定だ。今回の遊園地遠足は、その為の予行演習とオーターのわがままを聞いてもらう二つの面があった。だから、ここでオーターが護衛から外れるのは少々問題がある。レインが眉を顰めるのは尤もなことだった。
「なんか問題があったか」
「……恐らく、違法取引の現場に居合わせているかと」
「…………どういうことだ」
「…………」
軽く顎をしゃくると、レインもアタッシュケースを持つ男たちに気が付く。向こうもこちらの視線に気がついたのか、ケースを閉じてそそくさとその場を離れ始めた。……泳がせても良いが、放っておく理由も特にない。眉を顰めたレインが頷く。
「……こっちは大丈夫です」
「たすかります」
言いながら、走り出す。
この距離でオーターが自分の砂でマーキングした物を見失うはずはないが、早く解決するに越したことはない。案の定、茂みの奥で、なにやら言い争う声が聞こえる。随分と抑えてはいるようだが、それと分かっているオーターに取ってはうるさく感じる程だ。相手を見失わずに済むのは助かるが、面倒ごとは勘弁して欲しい。
「そこまでです」
「んな!?」
「砂の神杖……!?」
ひょいと生け垣を越えると、男たちは場違いなオーターの登場に度肝を抜かれたらしい。3対3で向き合った男たちの手にはそれぞれアタッシュケースがあった。慌てて閉じ合わせたが、中にキラリと光る物が入っていたのは目視した。いや、目視しなくとも中身は分かるのだが。
「このような場で魔宝石の取引を行うのは違法ですよ」
宝石の中には、魔力を溜め込む性質を持つ物やそもそも何らかの魔法が刻まれている物がある。これらを総称して、魔宝石と呼ぶ。種類によって込められた魔力が異なるが、あのケースの中には発火する魔宝石も含まれるので、魔導書が異変を察知して反応するのは当然のことであった。炎が天敵であることも間違いないがアレは、ワースよりも魔力探知に優れているのだろう。
魔宝石は装飾品の一種であるが、扱いが難しく特殊な品でもあるので、それなりの資格とそれなりの場所でしか取り扱いは許可されていない。資格があろうとも届け出がされていない場所、たとえば魔宝石に刻まれた魔法が誤って発動してしまった際に一般人を巻き込む恐れがある路上その他の公共空間、またはそれに準じる施設での取引は、これを禁止している。魔法魔力管理局に属する者であれば初歩的な条文の一部である。当然、それを生業とする業者が知らないはずがない。
「い、嫌だな魔宝石だなんて、こんなところにある訳ないじゃないですか……」
「そ、そうそう、これはイミテーションですよ。本物そっくりに作った、偽物ですので……」
「……で、あれば、アタッシュケースを開いて見せて頂けますか。当然、2つともを」
馬鹿馬鹿しいなと思いながら、オーターは言った。悪いが、魔法探知に優れているオーターが間違える筈がないのだ。手に取ってルーペで確認する必要さえないのだが、男たちは往生際悪く、「任意ですよね?」だの「一般人の荷物を暴こうとするのはどうかと…」だのと言っている。
「フ──────」
重苦しいオーターのため息が辺りに響き渡った。
びくりと目の前の男たちが身を竦ませる。眼鏡の位置を直しながら、この程度で怯える可愛げがあるならば、初めからこのような場所で闇取引など企てるなと言いたくなった。もっとも、魔宝石の取引であればオーターの魔法魔力管理局の所管であるから、いずれどこかで摘発したことだろう。ただ、何も今この瞬間、よりにもよってオーターの鼻先で取引するなど言語道断である。
「申し訳ありませんが、手短に済ませましょう」
いつものように杖を構えると、ぶわりと、足下に風が巻き起こる。動き出した砂が、乾燥した空気が辺りを支配していく。
「アトラクションを終えたあの子が、戻ってきてしまいますから」
ふと、オーターの口元に笑みが刻まれた。それは多分に慈愛を含んでいたものだったが、当然ながら目の前の男たちへ向けたものではない。オーターが杖を持った手を振りかぶる。全てはそれで終わりだった。
***
魔法魔力管理局に連絡をして、捜査員を派遣して貰う。魔宝石の取引捜査を担当している捜査員は恐縮しきりだったが、担当者にとっても、珍しく有休取得をしているオーターにとっても不幸な事故と言わざるを得ない。悪いのは遊園地だなんて平和な場所で闇取引をした業者であるので、一応担当者にねぎらいの言葉をかけ、くれぐれも内密に来るように厳命する。容疑者移送用の装甲車で現場に乗り付けるのが通常の作法であるが、そんな大捕物になっては遊園地が閉鎖、休業してしまう。……まぁ、オーターが砂で縛り上げた違法業者は6名なのでそこそこの大捕物であるのは間違いないのだが、今日その作法を守られては困るのだ。オーターが今日という日のためにどれだけやりくりして時間に都合を付け、フィンに頑張って貰ってワースを連れ出したと思っている。実は、フィンがワース宛のお誘い連絡をしていた時、オーターはその場にいた。そして二人のやりとりを見ていた。「俺よりマッシュを誘ってやった方が良いんじゃねぇの?」の返信に絶望しそうになったが、フィンが一生懸命駄々を捏ねてくれたお陰で折れてくれたのだ、この貴重な機会を臨時休業で潰される訳にはいかない。
捜査員の到着を待つかたわら、さっさと現場検証を終わらせてしまおうと、アタッシュケースを開く。そこに収められた色とりどりの宝石は、ひとつひとつから魔力を感じる明らかに魔宝石であった。絶滅危惧種指定されている魔法生物からしか採れないものも含まれるので、間違いなく違法である。
「ん?」
アタッシュケースの中には、不自然なくぼみがあった。まるで、1cm程度の宝石を収めていたような、微妙な空白が。
「………………」
オーターは若干考えて、しかし見たままを正直に記録してアタッシュケースを閉じた。なるほど、男たちが言い争っていたのはこの微妙な空白のせいか、と勝手に納得する。くぼみに当てはまりそうな魔宝石をひとつひとつ検討するが、この魔宝石の大きさであれば、何か問題が起こるようなものではないだろう。どうせ実況見分は行うのだし、初めからないものについてとやかく言うべきではない。ひっそりと箒で降り立った捜査担当者にオーターは僅かに頷いて、その場で引き継ぎを済ませると足早に去る。捜査員としてはかなり早く来てくれた方だが、アトラクションは終わってしまっているだろう。レインには言っておいたが、大丈夫だっただろうか。
フィンに付けたマーキングを頼りに小走りで戻れば、丁度みなアイスで小休憩を取っているところであった。ホーンテッドマンションでグロッキーになっていた筈のランスもケロリとした顔で棒アイスを食べている。……そもそもお化け屋敷に乗り物酔いの要素はあるのだろうか。その辺り強いオーターが計り知れるものではないけれども。
「お待たせしました」
「おー」
言いながら、ワースは禁書の頭を撫でている。禁書はというと、変わらずニコニコとしていた。……何を考えているのか、さっぱり分からない。
「オーターは何か食わなくていいのか?」
「ええまあ」
特段腹が減っている訳でもないし、疲弊するほど魔法も使っていない。レインがなんと言って誤魔化したかは知らないが、移動時間を考えるとそろそろコーヒーカップに向かった方が良さそうである。チラリとフィンとレインを見ると、もう飲み終えていたのだろう、紙コップを潰してゴミ箱に投擲したところだった。それを見て、ワースは禁書に「さっさと食べちゃいな」と促す。アイスを頬張る姿は見下ろしながら、奇妙な感慨が生まれた。禁書の考えは丸一日共にいてもよく分からないが、それでも有意義なワースの情報をこちらへ寄越したのは確かである。禁書本体に、いささか興味が湧いた。
「そういえば」
「ん?」
「その、……彼は、何が好きなのですか?」
朝会った時よりは苛立ちがだいぶ薄れたものの、それでもなんとなく禁書をワースが付けた名前で呼ぶのには抵抗があった。禁書にひとつの人格を認めたような気がするからだ。ワースが教育を施して可愛がっている以上、禁書にはなんらか他人と心を通わせる「なにか」があると考えた方が良いのだろう。けれど、である。……逆にそれほど確立した人格をもつ存在が、四六時中ワースと共にいると思うと、何かモヤモヤと嫌な心地になる。
ぱちくりと目を丸くしたワースが「うーん」と顎に手をやって悩む。
「そういや、リトルデビルって好物って言えるほど好きな食べ物とかねェよな」
「ぼくはね、ワースのすきなものがすきー!」
「それじゃフルーツポンチになっちまうぞ」
アイスを食べ終えワースの足に絡みつく禁書は、相変わらずニコニコとしている。
「ニンジンと、ピーマンもすき」
「野菜は食っといた方が良いからな」
魔力が含まれる食品であれば、魔導書は問題なく摂取するらしいとの報告は既に聞いている。とはいえ育つべき肉体がないのであれば食におけるバランスの良さはあまり関係ないだろう。食育的な行為をしているのは、ワースの実験のうちなのかもしれない。ワースの太ももにしがみ付く禁書は、はにかみながら続ける。
「オーターのこともすき」
「……お前な、」
「いたっ」
禁書の額をワースが指先で弾く。大した攻撃ではないから、言うほどのダメージでもないだろう。けれど、本当の子供のように額を抑えている。
「ワースいたいー……」
「自業自得だ、ばーか」
虚を突かれた発言であるが、体罰を与えるほどの話でもない。ワースが何に過剰反応したのか分からず首を傾げた。背中を伸ばしたワースがこちらを振り向く。傾いて来た太陽に、ワースの耳が赤く照らされていた。ちょっぴり拗ねたような、恥ずかしそうなその表情は、オーターの知らないものだ。とくりとひとつ、大きく心臓が跳ねる。
ああ、可愛らしいな。
胸の奥がジリジリと焼け付くような感覚を覚えながら、ぼんやりと、そんなことを思った。