秋生(鮭の丸焼き)

萌えが滾った時に細々と投稿させて頂くと思います。
好きなジャンルは多種なので、雑多になりそうですがよろしくお願いします!

なお、pixivでは投稿しずらいものをこちらに投稿させて頂こうと思っております。

投稿日:2017年02月04日 20:32    文字数:12,963

【白桃】粉々に砕け散った<後編>

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男のプライドや、譲れないものがある桃タロー君が、自分の頭では処理できない突然の白澤様への体の反応に悩んで、そして。

========
桃タロー君が、頭よりも先に体が動いてしまう性格だとしたら。
男としてのプライドと、理解できない気持ちと板挟みになるとしたら。
そんなお話のこちらの(https://pictbland.net/items/detail/261614)続きになります。

話の内容的に念のためR-15にしておりますが直接的な表現はほぼありません。
要さんには前編と後編の表紙まで桃タロー君の心情の変化から二枚描いて頂きました有難うございます…!

もし最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたらお疲れ様です、有難うございます!

※途中で省いた夜のシーンは宜しければこちらから
https://pictbland.net/items/detail/261625
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桃太郎は白澤と向かい合っていた。
陽の落ちた窓の外からは光は入って来ない。弱めの灯りだけが二人を照らしている。
白澤はベッドに腰掛け、桃太郎はその前で直立している。

そこは白澤の部屋だった。

話すのは白澤の部屋でも良いだろうか、と声を掛けたのは桃太郎だった。
普段の生活がそこかしこにある店内の中ではどうも話しにくく、ほぼ足を踏み入れたことのない白澤の部屋でなら、と考えていた。

しかし、実際に足を踏み入れた事のない白澤の部屋で向かい合った時から、一瞬に桃太郎の頭の中は考えていた言葉が飛散してしまった。
もしかしたら店内の台所で、ご飯を食べるかのようにテーブルを囲んだ方が良かったのかと今更ながらに浮かんだ言葉に桃太郎は頭を振る。それはたぶん逃げの考えなのだと桃太郎は下唇を噛んだ。
「大丈夫?」
その静寂を破ったのは静かな白澤の声だった。
ハッと顔を上げた桃太郎は、自分を見上げている白澤と瞳が合って言葉の代わりに息を飲み込んだ。唾を飲み込み、緊張しているのが渇いた喉を通る水気に嫌という程気が付かされる。
「――えっと、あの、」
桃太郎はそこまで口にしたがその後が続かない。
口にした瞬間に今まで築いてきた色々なものが崩れる、そう分かっていたはずなのにいざその状況なのだと思うと言葉が消えてしまう。
もう一度、白澤を見る。
白澤は素の表情で桃太郎を見ていた。何気ない時に浮かぶどこか捉えどころの無い表情。どんな感情で見上げているのか桃太郎には分からなかったが、促すこともなく自分の言葉を待ってくれていることだけは分かった。
見守って居てくれるのだ、待ってくれるのだこの人は。そんな人に隠し事をしたくない、ちゃんと向き合いたいと思ったのはどこのどいつだ!
桃太郎は改めてそう自分に言えば、真っ直ぐに改めて白澤を見た。
「……あの。俺が、これから話すことは、たぶん。白澤様にとって楽しい話じゃありません」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。白澤は桃太郎の言葉を最後まで聞くと、一度、縦に頷いた。続きを促すようにその瞳が桃太郎を真っ直ぐに捉える。
「俺が、最近調子が悪いように見えてしまっていた原因。それをまずは、聞いてもらおうと思ってます」
白澤は相変わらずじっと桃太郎を見つめ、また一度頷いた。言葉を挟む気は無く、ただ言葉を待ってくれているように思えた。
「ここ最近の話です。今までは何とも無かったし、そんなことを思うことも無かった。だけど、突然意識してしまってから、色々とおかしくなって。……おかしいんですよ、本当に」
そこで桃太郎の言葉が止まった。視線は白澤の深い黒の瞳から下に下がり。膝の上で緩く組まれている筋張った白澤の手へと落ちた。
「……俺、白澤様の手だけを、意識してしまうようになったんです」
「……手、だけを?」
桃太郎から出てきた言葉に、白澤の微かに不思議そうな色が混じった声が被さる。桃太郎はじっと手を見つめたまま頷いた。
冷や汗が背筋を流れた。
「――白澤様の手に触れられた瞬間、一気に熱が上がるんです」
曖昧な言葉は最後に尻すぼみになっていく。少し震える手を強く桃太郎は握りしめる。
「体だけ、が。反応してしまうんです。触れられた、それだけで。……体だけが、興奮状態になってるんです」
ようやく言えた、と、言ってしまった、と反対の言葉が頭の中に浮かんでぶつかって消える。
桃太郎は視線をゆっくりと上げた。白澤は自分のベッドに座ったまま、目を逸らすことなく桃太郎をまだ見ていた。やはり桃太郎には白澤の感情は表情から読み取れなかった。
「なんでか全く分からないんです。例えば綺麗な女性に触れられてドキドキしてしまうのとは、違くて。考えたんですけど、理由が見つからない。だけど俺は白澤様の手に触れられるのが、今、ダメみたいなんです。熱くなってしまうんです、昂ぶってしまうんです」
白澤は桃太郎の言葉を聞き終えると少し視線を外し、白澤の手に視線の先を落とした。
「僕にそれを話してくれた、ということは。桃タロー君はこれからどうしたいのかな」
白澤の顔が上がると、先程よりも何かの感情が浮かんだ瞳が桃太郎を捉える。白澤が口を閉じるとテレビも消えた店内は何の音もしない。
その空間の中で、桃太郎は白澤の反応に心の中で動揺していた。もっと何かの反応が返ってくると思っていた。それなのに、白澤は特に言及することもなくまた桃太郎にどうしたいのか聞いてくる。嫌な気持ちなどに、なっていないのだろうか。目の前の白澤の表情は桃太郎には全く分からず微かに焦りを覚える。
白澤の瞳の色は深く、時折光が当たると濃い緑の色がちらりと光る。そんな風にじっくりと白澤の瞳を見ることの無かった桃太郎は吸い込まれるようにその瞳を見てしまう。底の見えない水の底を覗いているような気分にさえなってきた。
「桃タロー君」
「――あ、えっと、あの」
名前を呼ばれ、その水の底から浮かんだような気分になった桃太郎は慌ててそれだけ口にし。
慌てて頭の中に浮かぶ言葉を必死に掴む。
白澤に言わなければと思ったのは隠し事をしたくなかったからだ。だからここまではきちんと伝えられた、と思う。どうしたい、のは、最終的にはそれでも出来ればまだ弟子として教えを請いたい、ということで。だけども、こんな状態で、しかも理由がわからないからと逃げていても解決策が自分では見出せなかった、だから白澤に、白澤の手に――そこまで考え、桃太郎の視線は白澤の手に落ちる。何度もなんども見てはずっと避けてきたその手。わからないなら、どうして良いのか考えても分からないなら、俺は――

「抱いてくれませんか」
静かな部屋に響いた声。
桃太郎は一瞬、その声が誰かの声のように思え。直後、その言葉が自分の口から出てきたのだと理解した瞬間、一気に血の気が下がっていくのが分かった。冷や汗が吹き出てその気持ち悪さに更に体温が下がっていく。

「あ、いや、違くて、その」

視線を地面に縫い付け、必死に言葉を紡ごうとするが、血の気の下がった頭の中で自分の口から出てきた言葉が留まる。
違う、そんなことを言いたかったのでは、そこまで考えてそれじゃあ何を言おうとしていたのか、と考えれば白澤に触れて欲しいと思っていた。
――触れて欲しいと、思った。
どう触れて欲しいのか、と。そう思った時、触れるだけでも体温が、体が反応してしまうが、恋心など持っていないのであれば。
これがそんな綺麗なものではないのだと、知る為に。理解する為に。
いっそ、触れるよりももっと直接的な方法で、交われば。荒治療だが、もしかしたら。

そこまで浮かんだ自分の言葉。
自分の言葉なのにそれは客観的に己に届き。
やがて、それを自分はずっと望んでいたのかと理解した。

何かが頭の中で割れる。

桃太郎にとってその一言は絶対に言ってはならない最後の砦だった。
理解した瞬間、足元で次々と砕けた音がして奈落へと落ちていくような気がした。
白澤の足先と己の手しかもう視界に入らない。
もう全て砕けて散らばったものは元に戻らないほどにただ、広がるだけだった。

衣摺れの音が目の前から聞こえ、桃太郎は我に返った。しかし、顔は上げられなかった。
白澤がベッドから立ち上がり、ゆっくりと床に腰を付ける。桃太郎の視界に白澤の口元までが入る。それより上を、白澤の表情を桃太郎は見ることができない。
白澤の口元には、いつもの薄い笑みは浮かんでいなかった。
「抱いて欲しいの。僕に」
静かな声が耳に届く。
桃太郎の言葉に白澤は他に何も言う気はないように思えた。
頭の奥で自分の望みを理解してしまった今、嘘をつきたくないとこの状況を望んだ自分が今更嘘を重ねることは出来ず。
桃太郎はゆっくりと頷いた。
「はい」
言葉を外に出した瞬間、割れた何かが喉奥に刺さったように思えた。ズキズキと鈍い痛みが襲う。
「意味、分かってるよね」
白澤の声は静かで抑揚がない。桃太郎にはその感情を全く読み取れない。いや、読み取る余裕はない。
桃太郎はもう一度頷いた。冷や汗が床へと落ち、小さな染みを作った。
「分かってます。白澤様の手で、俺に触れて欲しいんです。俺の体に触れて欲しいんです。抱いて、欲しいんです。
――そして、俺の感情と体は別物なんだって、今だけで、きっとそうしてもらったら俺はいつも通りになって、それで弟子としてちゃんとしたい。だって、俺は今までその状態になると一人でしてしまって、それで――」
言葉の途中で白い白澤の手が伸びたと思えば、その手がゆっくりと桃太郎の頬に触れた。瞬間、桃太郎の体が痺れるように震え、それに桃太郎の表情が変わる。
体の奥底から湧き上がるような。それが腹の奥を熱くする。
ああ、触れてくれた。その想いと同時に
絶望が体を満たす。
なあ俺は明日からどんな顔すりゃ良いんだよ。
そのまま、白澤の手が顎に掛かり、緩くその手が上げられる。桃太郎はその手の意味を考え、やがて。落ちていた視線を上げた。
白澤の瞳は、真剣な瞳になっていた。
「桃タロー君は、僕にどうして触れて欲しいのか考えたかい? 君が真剣に頼むなら僕は応えるよ。でもね、君の心が分からない」
白澤の言葉と共に、桃太郎の頬に触れていた手が顎からもう一度頬に緩く触れられる。指先だけの触れ合い。それだけでまた桃太郎の奥が熱くなる。けれども胸の鼓動が早くなってもそれは昔に感じた恋心のそれとは違った。血流が巡るもっと直接的な体の反応。まるで動物のようだと桃太郎は思う。
彼は小さく息を吐くとその熱を少しでも逃がそうとした。今は、きちんと話をしたい。
「考えました、考えたんですけど、分からないんです。白澤様に触れられると、体の奥が熱くなるんです。触れて欲しいんです。
でも、女性を口説くのを見ても嫌な気持ちにはならないんです。普通、そんな思いを抱えるなら男女の恋愛の一つみたいに俺は白澤様を想ってしまったとか、そんな事を考えたけど、嫉妬すら起きない。なのに熱だけは起こる。体だけが、おかしくなったのかと、思って」
「それは頭の中を整理できていないんじゃないかな。そのまま、うやむやで君の望みを叶えたら本当に分からなくなるよ」
白澤は真剣に、桃太郎にそう伝える。
こんな状態なのに白澤は真剣に、茶化すことも気持ち悪がることもなく、向き合ってくれている。
その白澤を見て桃太郎は腹が決まった。自分の気持ちよりもなによりも。俺はこの人にもう迷惑を掛けたくない。
「それでも良いんです」
桃太郎はまっすぐに答えた。迷いはなかった。
「後悔しない?」
「しません」
桃太郎の言葉に白澤は息を吐いた。しばし、部屋に沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは白澤だった。白澤は息を吸うと、その真剣な瞳で桃太郎を見つめる。桃太郎は背を伸ばした。
「僕は君に触れよう、時間を掛けて。――だけど抱かない。絶対にだ」
桃太郎の瞳が開かれる。冷たくも聞こえたその声に桃太郎の頭から汗が流れる。
しかし次の瞬間、白澤は薄く微笑んだ。頬を撫ぜていた手が離れ、その手は桃太郎の頭を撫でる。その変化と行動に桃太郎は付いていけずに目を白黒させた。
「僕は触れるよ、君に。だから、その間。君は自分の心と向き合ってみようよ。
なあに、時間は沢山ある。焦らなくても僕も君もここにいる。僕は君を追い出したりしないし、逃げたりもしない」
白澤の言葉に桃太郎は何度も瞬きをする。
ね?と白澤はいつもの表情で笑いかけてきた。それはいつも見る白澤の表情で。普通の会話の延長上のようで。
その言葉が、表情が、行動が。
桃太郎の中で粉々に砕けたものが、それだけで。自分の中で少しずつ形を作って戻っていく。
いや一度割れたものが同じように復活はしない。元に戻ることは無い。

しかしそれでも、確かに白澤の手で形を成していく。

桃太郎はただ頷いた。それに白澤は満足そうに頷き返す。

――こんな状態の男が、俺が、アンタの側にそれでも居て良いんだと思っていいですか。

喉まで出てきたその言葉は、口から出てくることはなく。
かろうじて繋ぎとめられた心のまま、微かに縋るように。白澤の手の温度を感じて桃太郎はもう一度頷いた。

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「桃タロー君、黄連……」
「もう出来ますから、さっさと座って待って……つか、そろそろそんなになるまで呑むのやめたらどうスか!」
「そんなの僕じゃないみたいじゃん……!」
「そんなになるまで呑むのが神獣白澤ですってどうなんだよおかしいだろ⁈」

白澤と桃太郎にとって朝の日常茶飯事になった、何の変哲もないお馴染みのやりとり。
桃太郎はやれやれと溜息を吐きながら鍋の火を止めて白澤の湯呑みを用意する。ちらりと白澤を伺えば何か呟きながら彼はテーブルに突っ伏していた。
「はい、白澤様」
その突っ伏している頭の近くに出来立ての黄連湯の入った湯呑みを置く。むくりと顔を上げた白澤はのろのろと下げていた両手をテーブルの上に出し、両手でそれを持てば安心したような息を吐く。その様子にいつものことながら桃太郎は小さく笑う。
「謝謝」
目の前で白い手がゆっくり動く。桃太郎の手に、白い白澤の手が重なった。青白い顔で桃太郎に笑いかけ、その手はまたゆっくりと桃太郎から離れる。
同じ日常の中で、少し変わったこと。
それは、あの夜から白澤がこうして意識的に桃太郎に触れるようになったことだ。
だが、触れると言ってもそれは小さな触れ合い。だが確実に触れる回数が増えた。偶然触れたのとは違う。白澤が意識して、桃太郎に触れている。
桃太郎は湯呑みへと視線を移した白澤に背を向け、流しへ向かう。白澤に触れられた手の甲をそっと触れれば、そこがいつもより温かく感じる気がした。
そして己の腹に触れる。白澤が意識的に触れてくれている。そう考えると夢の中よりも、偶然に触れた時よりも遥かに体の奥が熱くなる。

『僕は触れるよ、君に。だから、その間。君は自分の心と向き合ってみようよ』

桃太郎は考える。
触れて欲しいのは何故なのだろう。触れられて昂ぶるのは何故なのだろう、と。




*****


「白澤様、また私のお店にも来て下さいよ〜」
「行く行く! 次の出勤教えてよ!」
「あら、私のお店には来てくださらないのかしらぁ」
「どっちにも行くってー」

馴染みの遊女達とのこのやりとりもいつもの事。
綺麗な女人に囲まれて鼻の下を伸ばしデレデレになる白澤に半ば呆れ、隣で調剤していた先輩兎と目を合わせれば肩を竦めて苦笑いをする。
また前に視線を向ければ、白澤の手は女性の顔や手に簡単に触れている。
白澤に触れられて熱くなる理由の一つにやはり恋心とか、と何度も考えた。けれども、それならばどうしてこうして白澤に触れられている女人達には嫉妬すら起きないのだろう。そこが引っかかっているのに、考えても考えても納得いく答えに辿り着かず。桃太郎は一人、息を吐いた。

「桃タロー君、今日は遊びに行っても良い?」

白澤から声がかかり、慌てて顔を上げれば遊女に囲まれ、デレデレと嬉しそうな師匠の姿。改めてしまりのない顔だなと笑いながら桃太郎はひらひらと手を振った。

「大丈夫ですよ、どうぞ! ただし明日早い納品あるからべろべろになるのだけは止めて早めに帰って来てくださいね」
「是! よし、調剤できたの今用意するから二人とも待っててね〜」

白澤が彼女達から離れて桃太郎の側に来た。
「はい、出来上がりです」
用意した調剤済みの漢方を差し出すと白澤は桃太郎の両手を包んだ。
「これ、貰ってくね」
時間にして一秒あるか無いか。その短時間で手はまた離れ、桃太郎の手の中から漢方の入った包みを持って離れていく。その時だった。

「す、すんません…! 頭痛に効く薬って、ありますかね」

入口の扉が開いて苦しげな男性の声がした。そちらを見ると、頭を抑えて辛そうな男鬼が入って来た。
「あれ、どうしたの。頭って具体的にはどこが痛い?」
「なんか目の後ろあたりが……」
「ちょっと自分で目の下を引っ張って眼球見せて。そうそう、それで次は舌出して」
余程具合悪そうに見えたその様子に店頭で始まった白澤の診察。それを見ながら、桃太郎は想像できる生薬と出来上がりの漢方を確認し始めた。
その時、何か引っかかって振り返る。
そこにはあれこれ男鬼に指示して症状を確認する白澤の姿。白澤の手は自分の腰。
目の前の男鬼に触れる様子は無いのだと、桃太郎は気がついた。
「白澤様、じゃあ私達は行きますわね」
「あ、うん! 夜遊び行くね!」
白澤から受け取った漢方を片手に、伸ばされたしなやかなその手を、白澤は腰から手を離すと二人の手を交互に握り締めて笑う。
その時、あの晩の白澤の言葉が蘇った。

『なあに、時間は沢山ある。焦らなくても僕も君もここにいる。僕は君を追い出したりしないし、逃げたりもしない』

白澤は、ちゃんと俺だと意識して触れてくれているんだと。目の前の光景をぼんやりと視界に捉えて桃太郎は考える。
白澤の手が触れた所は温かい。じわりと温かさと嬉しさが体を巡る。
女性に触れる白澤を見ても、女性を見ても悔しくも悲しくも無い。
だが、触れられると腹の奥が熱くなってドクドクと血が通う気がする。
桃太郎は白澤の触れた手をじっと見つめた。

――俺は。白澤様が、「俺」だと認識して触れてくれることが。
――嬉しい、のか。

そこまで考えて桃太郎は顔を上げる。
美しい女人に囲まれた白澤が桃太郎に気がついて視線を向けて、笑った。

瞬間、触れられてもいないのに桃太郎の心臓が跳ねる。
――そうだ。俺は、男なんだ。女じゃない。白澤様の言う、そこに居るだけの存在と認識される、男と言う性別。

だから、俺は――
















*****
人工的な光の無い天国の空に、深い深い夜が訪れた。その下を、多少赤みのある顔だが、足取りは真っ直ぐに白澤は夜道を歩いていた。
「桃タロー君、我回了〜」
扉を開けた白澤は扉を開けたまま首を傾げた。やがて店を見回し、それから閉まっていた台所へと続く扉を開ける。
扉が開くと、そこにはテーブルに向かい合って座っている桃太郎が居た。
「桃タロー君?」
「あ、あ! すみません、おかえりなさい!」
桃太郎はハッと顔を上げると白澤を見て。そしてその視線をまた白澤から外した。椅子に座った桃太郎の背は、神妙に伸びている。
「どうかした?」
少し赤らんだ酒の残る顔だが、しっかりとした声で白澤が問う。そのまま白澤は桃太郎の向かいにゆっくりと座った。
チクタク、機械的な秒針の音が静かに響く。
「……俺、わかりました」
しばらくして、ぽつりと。桃太郎の口から言葉が漏れた。桃太郎の視線はテーブルの上で組んだ自分の手に注がれる。
「昼間、女性に囲まれてた白澤様と、男鬼の診察する白澤様を見て気がつきました」
桃太郎の言葉はまた静かな空間に落ちていく。それから聞こえるのは台所の時計の秒針の音のみ。
微かに不安になった桃太郎が顔を上げると、白澤は桃太郎をじっと見つめていた。その顔が一度、頷く。言葉を待ってくれているのだと桃太郎は分かった。
「白澤様に、触れて欲しい。触れて欲しいのは、何でだろう。触れられるだけで、何で反応してしまうんだろうと。でも、白澤様が触れる女性の方に何も思わないのは何でだろうと」
そこで言葉を区切る。テーブルの上の組まれた両手に力が入ったのが自分の目に映る。
「――それは、男の、俺だから。白澤様がきちんと、男の俺を認識して触れてくれるのが嬉しいんだと、分かったんです」
昼間の店頭でのやり取りを思い出す。白澤は女性には簡単に触れるが、男性には興味ないと豪語するだけあって、必要がなければ触れない。
「女性になりたいわけではないし、そこを代わって欲しいとかじゃなくて。むしろ、本当に女性と一緒の白澤様を見ても何も思わない。
だけど、例えば、白澤様が女性に触れるように男にも触れるとしたら、と考えた時に俺は初めて、それは羨ましいと思った。
白澤様が躊躇なく触れられる女性じゃなくて。白澤様が男だと理解して、その上で触れるのは、俺だけが良いと――」
そこまで言って桃太郎は我に返った。思わず出てきた言葉を隠すように慌てて口を覆う。強く握り締めていたせいか、口を覆った自分の手は驚くほど冷たかった。その冷たさが頭にも伝わり冷や汗が出てくる。
確かにあの晩、自分に触れてくれと言った時点で全てが終わると思っていた。それでも白澤の言葉に手を伸ばしてしまったのは自分だ。
けれども、ただ触れて欲しいと願っていたのとは違って。
自分はずっと。
白澤が男として触れるのが自分だけであって欲しいなんて。思っていたのか。
自分の口から出てきた言葉で自分の望みを改めて理解して体が強張る。
次は。
次はどうすれば良い。
動こうにも体が固まって動かない。喉が動かない。かろうじて息をしながら耳の奥に聞こえる時計の秒針の音だけを感じる。

「最後まで、言わないの?」

その時計の秒針を掻き消すように聞こえた声は前方から。
桃太郎は口を押さえたまま、更に体を強張らせる。
「僕は逃げないし、君を追い出さない、と言った上で考えてごらんって言ったよね。それは君がどんな答えを見つけてもそれは変わらないってことだ」
続けて耳に届いた白澤の声は柔らかかった。
どくんどくん、と身体中が心臓になったように鼓動が大きく、体が震える。
「桃タロー君、君が見つけた答えを僕にも教えて」
桃太郎はゆっくりと視線を上げた。白澤は柔らかい瞳で、しかし真剣に桃太郎を見ていた。
ひゅう、と吸い込んだ空気が喉からする。破裂しそうなほどに鼓動が大きくなる。それでも。
白澤が桃太郎に触れてくれたのはただの興味や哀れみでは無かったのだと。そう、思いたいと。桃太郎は口から手を離すと、白澤を真っ直ぐに見つめ返した。
「俺、は。……白澤様の特別に、なりたいです。誰でも良い、とかじゃなくて。白澤様が触れてくれる唯一の男に。そんな、白澤様の、特別に、なりたい、です」
少し言い淀みながらもしっかりと言葉を紡ぐ。白澤は視線を逸らさない。まっすぐに視線を、言葉を受け止めて一つ、小さく頷く。
「君にとって、僕は特別?」
その言葉に桃太郎は瞬きをした。それからすぐに大きく頷いた。
「特別、です。恋とか愛とか、そういう自分が知ってる感情のどれも当てはまらなくて、でも、じゃあ何と言えば、と悩んだ。自分でもこの感情が今まで知ってるどれとも違うし、こんな事を考えて頼むなんてこと、なかった。
だから、言葉にするなら、特別なんです。白澤様だけなんです。今まで女性にも、もちろん男性とも違う。白澤様が、特別です」
「そっか」
白澤はそれだけ相槌を返すと、テーブルの上に片手を出した。その手のひらを開くと上に向ける。桃太郎は白澤とその手を交互に見る。
「桃タロー君も、手を出して」
突然の白澤の言葉。それにいまいち要領を得ず、しばらく迷った後。テーブルに所在無さげに置いていた手を白澤の方へと伸ばす。白澤の手から少しだけ離れた所に、そっとテーブルの上に手を置く。
すると、白澤の手が動いた。テーブルの上の桃太郎の手に白澤の手が静かに重なる。少し骨張った感触が桃太郎の手に伝わる。
「桃太郎君って、周りを結構見てるようで見てないよね」
続いた言葉は微かに笑い声が混じっていた。重なった手に落ちていた視線を上げれば、白澤は目を細め口元に薄く笑みを浮かべていた。
「あと考えすぎ。せっかく体の方が素直に反応してくれてるのに」
白澤の手に力が篭り、桃太郎の手を崩される。少し太めの桃太郎の人差し指と中指の間に、白澤の細めの指が絡まる。その仕草は今までされたことのない動きで桃太郎の鼓動が早くなる。
「それがまた、桃タロー君らしいとは思うけど」
白澤の口調は手の動きと反していつもと変わらず飄々としている。桃太郎はその言葉を聞きながら絡まる指先と、白澤の顔を交互に見てしまう。
「あのさ、割と自分の好きなように僕が動くのは知ってるよね。ついでに好き嫌いもハッキリしてる」
重なった指と指が絡まって、緩く白澤の手に桃太郎の他の指も絡め取られる。
「僕はね、どうでもいい、ましてや野郎なんか死んでも僕の家に泊めたりしない。ましてや男を、女の子みたいに触るとか言語道断、絶対無理!」
心底嫌そうに首を振る白澤。だが、その指は男の桃太郎の指を絡めたまま力を込める。桃太郎の手に、顔に、熱が集まって行く。
「……その僕が、いくら弟子だからってこんな風に男に触れたりすると思う?」
その瞳が、重なる指が、どこも熱くて桃太郎は言葉を出せず、ただ首を左右に振る。その姿に白澤は笑った。
「僕はね、僕が触れて熱くなるって言ってくれた時嬉しかったんだよ」
白澤の突然のその言葉に桃太郎は頭が真っ白になる。嬉しい、と言った。白澤が、あの言葉を、嬉しいと、言った。
「僕も同じだ。もうとっくのとうに、桃タロー君は僕にとって特別だよ。後にも先にも、触れたいなんて思う男は君だけだろうね」
続いた白澤の言葉。その言葉に桃太郎は微かに背筋を伸ばした。
白澤は自分とは全く違う悠久の時を生きている。時間感覚は明らかに違う。その人が。ハッキリと。白澤のその時間の中で、桃太郎を特別だと言ってくれた。それがどんなに凄いことなのかと、考えると背筋が伸びる。それが嘘ではないことは、重なる手の熱さが教えてくれる。
桃太郎を見つめる白澤の瞳が更に細くなった。微かに覗く瞳の色がいつもと違う気がして桃太郎は思わず、じっと見つめる。
腹の奥が、顔が、体全体が更に熱くなる気がした。
「恋とか愛とは違う、と桃タロー君は言ったけれど。僕ね、その感情も簡単には括れないんじゃないかなって思うんだ」
桃太郎は白澤の言葉を聞いて、そのままじっと瞳を見つめ返す。白澤が続ける言葉が想像できなくて続きの言葉を待つ。
「感情なんて千差万別。これも一つの形だと思うんだよね。僕なんて心も体も素直でしょ」
白澤の物言いに桃太郎は思わず吹き出した。確かに白澤は思うままに生きているイメージがある。
「僕が色んな女の子に声をかけて遊びたいのも一つの恋だろうし、そうだね君が昔に恋した子も居たろうね。でもみんな同じような順序で好きになったわけじゃないでしょ。それこそ人によって変わる」
言われてみればそうだと桃太郎は思った。ずっと、恋愛とはかくあるべき、と思い込んでいるところがあった。綺麗で儚くて、キラキラしていて。だから心が先に惹かれてそれから体が、とか。そんなことを思っていたかもしれない。
「……その、あの。おかしくないですか、俺のこの体と心の反応は」
「おかしくないさ」
白澤の瞳が温かい。手が温かい。重なっているのは手だけなのに、まるで全部包み込まれている気がしてきて軽く桃太郎は目を閉じた。
「じゃあ、もう一つ、教えて」
瞳を閉じた矢先に白澤のそんな声が届いた。目を開くと、先程までとはまた違う白澤の瞳が桃太郎を捉える。
「桃タロー君は、僕にどう触れて欲しい?」
咄嗟にあの晩が脳裏に蘇った。
あの時と状況は似ている、けれども全く違うのは。
「お、俺は――」
絡め取られている桃太郎の指が微かに動く。白澤の指に自ら絡まるように、桃太郎の指に力がこもった。
最後の、最後の砦。
もう色んなものを白澤に見せてしまった。ぶちまけた。崩れて粉々になった誇りも男の矜持も白澤によって繋ぎとめられて、今、ここにいる。けれども。
自覚した途端にまた見栄のようなものが邪魔をする。喉奥で言葉が息になり消えて抜けていく。
その時カタン、と椅子を引く音が静かな部屋に響いた。
顔を上げれば白澤は重なった手は外さないままに立ち上がり、桃太郎の方へと歩いてきた。その顔に微笑みが浮かぶ。桃太郎の見たことのない、微笑みだった。
白澤は桃太郎の前に立った。あの晩と反対だ、なんてぼんやり桃太郎が思っていると繋がった手がそのまま白澤の方へと持ち上がり。ほんの少しだけ。桃太郎の手の甲に白澤の唇が落ちた。
瞬間、今まで感じたことのない痺れが背筋を走る。一気に身体中の熱が上がるのが分かった。
ぼうっとする頭の片隅でこれはどんな熱なんだろうと、そんなことを思いながら熱に押されて口が開いていた。

「白澤様の手で。白澤様の気持ちを、俺に――教えて、くれますか」

桃太郎の口から出てきた言葉はそんな曖昧な言葉だったが、その声音はあの時の晩とは違う温度だった。
白澤はその言葉に目を細め。やがて片手を桃太郎の首筋に指先を這わせ。静脈をなぞるように滑らせながら、その顔を桃太郎へと近づけた。
桃太郎の耳に小さく白澤の声が届いた。

「君が望んでくれるだけ、いくらでも」




















******

太陽が奥の山々に姿を半分ほど隠した頃、伸びをしながら白澤と桃太郎が極楽満月から出てきた。
カタリ、と音を立ててその扉に「閉店」の札が掛かる。
あの夜から数日が経っていた。

「さてと今日の業務はおしまい!という事は、そろそろ彼らが来る頃かな」
「そ、そうですね……」
白澤が振り返ると、桃太郎はちらちらと極楽満月の前にある先へと続く道を見たり視線を外したりと忙しない。
「いやいや俺が誘ったのに俺が動揺してどうする! 言うって決めたっつの!」
自分に言い聞かせるようにそう桃太郎は叫ぶと深呼吸をする。すると聞こえてきたのは盛大に吹き出した音。振り返れば口元を隠すことなく笑う白澤がそこに居た。
「ちょ、何笑ってんスか!!」
「いや〜ころころ変わる表情が面白くて」
「仕方ないだろ!いやなんか色々緊張して――」
そこまで言いかけて桃太郎の言葉はピタリと止まる。あちこちに動いていた手も止まる。その右手。それは白澤の左手に掴まれていた。
「じゃあ、ほら。安心するおまじない」
「え、ど、え⁈」
「きちんと言うぞって言ってたなら初めから手でも繋いで迎えちゃえば良いでしょ」
「そ、そんなモンですかね⁈」
桃太郎は多少上ずった声でそう言うと視線を握られた手に落とす。緩く目の前でその手が白澤に揺らされる。

「おーい! 桃太郎ー!」

「あっ、シロの声」
その時、聞こえてきた声に桃太郎が前を向く。逆光の中、見慣れた三つの影がこちらに歩いてくるのが見えた。

「おお、シロちゃん相変わらず元気だねえ」
繋いだ手を揺らしながら白澤が笑う。その横顔と繋いだ手を改めて見つめ。桃太郎は白澤の手に自分の指を絡めると勢い良くその手を上に上げた。

「おーい! こっちだこっち!」

桃太郎が大きくその手を空中で振れば三つの影は歩くのを止め。やがて首をそれぞれ傾げたのが見えた。
それから一斉に三つの声がしてそれぞれ何を言っているか混じり合って聞こえないが、彼らは走り寄ってきた。

「まさかこの手を振ると思わなかった」
白澤の声に桃太郎が顔を上げると、白澤は楽しそうに笑って桃太郎を見下ろしていた。その顔に桃太郎も笑う。

やがて飛びついてきた三つの影に突き飛ばされた二人は、陽の暮れた桃源郷の中でまた困ったような笑い声を上げ。
その中に混じる三つの声に何か答える。

陽が傾いて辺りが暗がりになっていく。

その中で繋いだその手は離されることは、なかった。
 


――どんなに不恰好でも変な形でもそれは一つの形なのだと。
桃太郎は隣の白澤に笑いかければ、白澤も笑い返した。

互いの胸の中で、この手を繋いでいる相手が特別なのだと。
そんな想いを繋げた手のひらに込めて。

2Q==
2 / 2
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【白桃】粉々に砕け散った<後編>
1 / 2
桃太郎は白澤と向かい合っていた。
陽の落ちた窓の外からは光は入って来ない。弱めの灯りだけが二人を照らしている。
白澤はベッドに腰掛け、桃太郎はその前で直立している。

そこは白澤の部屋だった。

話すのは白澤の部屋でも良いだろうか、と声を掛けたのは桃太郎だった。
普段の生活がそこかしこにある店内の中ではどうも話しにくく、ほぼ足を踏み入れたことのない白澤の部屋でなら、と考えていた。

しかし、実際に足を踏み入れた事のない白澤の部屋で向かい合った時から、一瞬に桃太郎の頭の中は考えていた言葉が飛散してしまった。
もしかしたら店内の台所で、ご飯を食べるかのようにテーブルを囲んだ方が良かったのかと今更ながらに浮かんだ言葉に桃太郎は頭を振る。それはたぶん逃げの考えなのだと桃太郎は下唇を噛んだ。
「大丈夫?」
その静寂を破ったのは静かな白澤の声だった。
ハッと顔を上げた桃太郎は、自分を見上げている白澤と瞳が合って言葉の代わりに息を飲み込んだ。唾を飲み込み、緊張しているのが渇いた喉を通る水気に嫌という程気が付かされる。
「――えっと、あの、」
桃太郎はそこまで口にしたがその後が続かない。
口にした瞬間に今まで築いてきた色々なものが崩れる、そう分かっていたはずなのにいざその状況なのだと思うと言葉が消えてしまう。
もう一度、白澤を見る。
白澤は素の表情で桃太郎を見ていた。何気ない時に浮かぶどこか捉えどころの無い表情。どんな感情で見上げているのか桃太郎には分からなかったが、促すこともなく自分の言葉を待ってくれていることだけは分かった。
見守って居てくれるのだ、待ってくれるのだこの人は。そんな人に隠し事をしたくない、ちゃんと向き合いたいと思ったのはどこのどいつだ!
桃太郎は改めてそう自分に言えば、真っ直ぐに改めて白澤を見た。
「……あの。俺が、これから話すことは、たぶん。白澤様にとって楽しい話じゃありません」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。白澤は桃太郎の言葉を最後まで聞くと、一度、縦に頷いた。続きを促すようにその瞳が桃太郎を真っ直ぐに捉える。
「俺が、最近調子が悪いように見えてしまっていた原因。それをまずは、聞いてもらおうと思ってます」
白澤は相変わらずじっと桃太郎を見つめ、また一度頷いた。言葉を挟む気は無く、ただ言葉を待ってくれているように思えた。
「ここ最近の話です。今までは何とも無かったし、そんなことを思うことも無かった。だけど、突然意識してしまってから、色々とおかしくなって。……おかしいんですよ、本当に」
そこで桃太郎の言葉が止まった。視線は白澤の深い黒の瞳から下に下がり。膝の上で緩く組まれている筋張った白澤の手へと落ちた。
「……俺、白澤様の手だけを、意識してしまうようになったんです」
「……手、だけを?」
桃太郎から出てきた言葉に、白澤の微かに不思議そうな色が混じった声が被さる。桃太郎はじっと手を見つめたまま頷いた。
冷や汗が背筋を流れた。
「――白澤様の手に触れられた瞬間、一気に熱が上がるんです」
曖昧な言葉は最後に尻すぼみになっていく。少し震える手を強く桃太郎は握りしめる。
「体だけ、が。反応してしまうんです。触れられた、それだけで。……体だけが、興奮状態になってるんです」
ようやく言えた、と、言ってしまった、と反対の言葉が頭の中に浮かんでぶつかって消える。
桃太郎は視線をゆっくりと上げた。白澤は自分のベッドに座ったまま、目を逸らすことなく桃太郎をまだ見ていた。やはり桃太郎には白澤の感情は表情から読み取れなかった。
「なんでか全く分からないんです。例えば綺麗な女性に触れられてドキドキしてしまうのとは、違くて。考えたんですけど、理由が見つからない。だけど俺は白澤様の手に触れられるのが、今、ダメみたいなんです。熱くなってしまうんです、昂ぶってしまうんです」
白澤は桃太郎の言葉を聞き終えると少し視線を外し、白澤の手に視線の先を落とした。
「僕にそれを話してくれた、ということは。桃タロー君はこれからどうしたいのかな」
白澤の顔が上がると、先程よりも何かの感情が浮かんだ瞳が桃太郎を捉える。白澤が口を閉じるとテレビも消えた店内は何の音もしない。
その空間の中で、桃太郎は白澤の反応に心の中で動揺していた。もっと何かの反応が返ってくると思っていた。それなのに、白澤は特に言及することもなくまた桃太郎にどうしたいのか聞いてくる。嫌な気持ちなどに、なっていないのだろうか。目の前の白澤の表情は桃太郎には全く分からず微かに焦りを覚える。
白澤の瞳の色は深く、時折光が当たると濃い緑の色がちらりと光る。そんな風にじっくりと白澤の瞳を見ることの無かった桃太郎は吸い込まれるようにその瞳を見てしまう。底の見えない水の底を覗いているような気分にさえなってきた。
「桃タロー君」
「――あ、えっと、あの」
名前を呼ばれ、その水の底から浮かんだような気分になった桃太郎は慌ててそれだけ口にし。
慌てて頭の中に浮かぶ言葉を必死に掴む。
白澤に言わなければと思ったのは隠し事をしたくなかったからだ。だからここまではきちんと伝えられた、と思う。どうしたい、のは、最終的にはそれでも出来ればまだ弟子として教えを請いたい、ということで。だけども、こんな状態で、しかも理由がわからないからと逃げていても解決策が自分では見出せなかった、だから白澤に、白澤の手に――そこまで考え、桃太郎の視線は白澤の手に落ちる。何度もなんども見てはずっと避けてきたその手。わからないなら、どうして良いのか考えても分からないなら、俺は――

「抱いてくれませんか」
静かな部屋に響いた声。
桃太郎は一瞬、その声が誰かの声のように思え。直後、その言葉が自分の口から出てきたのだと理解した瞬間、一気に血の気が下がっていくのが分かった。冷や汗が吹き出てその気持ち悪さに更に体温が下がっていく。

「あ、いや、違くて、その」

視線を地面に縫い付け、必死に言葉を紡ごうとするが、血の気の下がった頭の中で自分の口から出てきた言葉が留まる。
違う、そんなことを言いたかったのでは、そこまで考えてそれじゃあ何を言おうとしていたのか、と考えれば白澤に触れて欲しいと思っていた。
――触れて欲しいと、思った。
どう触れて欲しいのか、と。そう思った時、触れるだけでも体温が、体が反応してしまうが、恋心など持っていないのであれば。
これがそんな綺麗なものではないのだと、知る為に。理解する為に。
いっそ、触れるよりももっと直接的な方法で、交われば。荒治療だが、もしかしたら。

そこまで浮かんだ自分の言葉。
自分の言葉なのにそれは客観的に己に届き。
やがて、それを自分はずっと望んでいたのかと理解した。

何かが頭の中で割れる。

桃太郎にとってその一言は絶対に言ってはならない最後の砦だった。
理解した瞬間、足元で次々と砕けた音がして奈落へと落ちていくような気がした。
白澤の足先と己の手しかもう視界に入らない。
もう全て砕けて散らばったものは元に戻らないほどにただ、広がるだけだった。

衣摺れの音が目の前から聞こえ、桃太郎は我に返った。しかし、顔は上げられなかった。
白澤がベッドから立ち上がり、ゆっくりと床に腰を付ける。桃太郎の視界に白澤の口元までが入る。それより上を、白澤の表情を桃太郎は見ることができない。
白澤の口元には、いつもの薄い笑みは浮かんでいなかった。
「抱いて欲しいの。僕に」
静かな声が耳に届く。
桃太郎の言葉に白澤は他に何も言う気はないように思えた。
頭の奥で自分の望みを理解してしまった今、嘘をつきたくないとこの状況を望んだ自分が今更嘘を重ねることは出来ず。
桃太郎はゆっくりと頷いた。
「はい」
言葉を外に出した瞬間、割れた何かが喉奥に刺さったように思えた。ズキズキと鈍い痛みが襲う。
「意味、分かってるよね」
白澤の声は静かで抑揚がない。桃太郎にはその感情を全く読み取れない。いや、読み取る余裕はない。
桃太郎はもう一度頷いた。冷や汗が床へと落ち、小さな染みを作った。
「分かってます。白澤様の手で、俺に触れて欲しいんです。俺の体に触れて欲しいんです。抱いて、欲しいんです。
――そして、俺の感情と体は別物なんだって、今だけで、きっとそうしてもらったら俺はいつも通りになって、それで弟子としてちゃんとしたい。だって、俺は今までその状態になると一人でしてしまって、それで――」
言葉の途中で白い白澤の手が伸びたと思えば、その手がゆっくりと桃太郎の頬に触れた。瞬間、桃太郎の体が痺れるように震え、それに桃太郎の表情が変わる。
体の奥底から湧き上がるような。それが腹の奥を熱くする。
ああ、触れてくれた。その想いと同時に
絶望が体を満たす。
なあ俺は明日からどんな顔すりゃ良いんだよ。
そのまま、白澤の手が顎に掛かり、緩くその手が上げられる。桃太郎はその手の意味を考え、やがて。落ちていた視線を上げた。
白澤の瞳は、真剣な瞳になっていた。
「桃タロー君は、僕にどうして触れて欲しいのか考えたかい? 君が真剣に頼むなら僕は応えるよ。でもね、君の心が分からない」
白澤の言葉と共に、桃太郎の頬に触れていた手が顎からもう一度頬に緩く触れられる。指先だけの触れ合い。それだけでまた桃太郎の奥が熱くなる。けれども胸の鼓動が早くなってもそれは昔に感じた恋心のそれとは違った。血流が巡るもっと直接的な体の反応。まるで動物のようだと桃太郎は思う。
彼は小さく息を吐くとその熱を少しでも逃がそうとした。今は、きちんと話をしたい。
「考えました、考えたんですけど、分からないんです。白澤様に触れられると、体の奥が熱くなるんです。触れて欲しいんです。
でも、女性を口説くのを見ても嫌な気持ちにはならないんです。普通、そんな思いを抱えるなら男女の恋愛の一つみたいに俺は白澤様を想ってしまったとか、そんな事を考えたけど、嫉妬すら起きない。なのに熱だけは起こる。体だけが、おかしくなったのかと、思って」
「それは頭の中を整理できていないんじゃないかな。そのまま、うやむやで君の望みを叶えたら本当に分からなくなるよ」
白澤は真剣に、桃太郎にそう伝える。
こんな状態なのに白澤は真剣に、茶化すことも気持ち悪がることもなく、向き合ってくれている。
その白澤を見て桃太郎は腹が決まった。自分の気持ちよりもなによりも。俺はこの人にもう迷惑を掛けたくない。
「それでも良いんです」
桃太郎はまっすぐに答えた。迷いはなかった。
「後悔しない?」
「しません」
桃太郎の言葉に白澤は息を吐いた。しばし、部屋に沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは白澤だった。白澤は息を吸うと、その真剣な瞳で桃太郎を見つめる。桃太郎は背を伸ばした。
「僕は君に触れよう、時間を掛けて。――だけど抱かない。絶対にだ」
桃太郎の瞳が開かれる。冷たくも聞こえたその声に桃太郎の頭から汗が流れる。
しかし次の瞬間、白澤は薄く微笑んだ。頬を撫ぜていた手が離れ、その手は桃太郎の頭を撫でる。その変化と行動に桃太郎は付いていけずに目を白黒させた。
「僕は触れるよ、君に。だから、その間。君は自分の心と向き合ってみようよ。
なあに、時間は沢山ある。焦らなくても僕も君もここにいる。僕は君を追い出したりしないし、逃げたりもしない」
白澤の言葉に桃太郎は何度も瞬きをする。
ね?と白澤はいつもの表情で笑いかけてきた。それはいつも見る白澤の表情で。普通の会話の延長上のようで。
その言葉が、表情が、行動が。
桃太郎の中で粉々に砕けたものが、それだけで。自分の中で少しずつ形を作って戻っていく。
いや一度割れたものが同じように復活はしない。元に戻ることは無い。

しかしそれでも、確かに白澤の手で形を成していく。

桃太郎はただ頷いた。それに白澤は満足そうに頷き返す。

――こんな状態の男が、俺が、アンタの側にそれでも居て良いんだと思っていいですか。

喉まで出てきたその言葉は、口から出てくることはなく。
かろうじて繋ぎとめられた心のまま、微かに縋るように。白澤の手の温度を感じて桃太郎はもう一度頷いた。

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「桃タロー君、黄連……」
「もう出来ますから、さっさと座って待って……つか、そろそろそんなになるまで呑むのやめたらどうスか!」
「そんなの僕じゃないみたいじゃん……!」
「そんなになるまで呑むのが神獣白澤ですってどうなんだよおかしいだろ⁈」

白澤と桃太郎にとって朝の日常茶飯事になった、何の変哲もないお馴染みのやりとり。
桃太郎はやれやれと溜息を吐きながら鍋の火を止めて白澤の湯呑みを用意する。ちらりと白澤を伺えば何か呟きながら彼はテーブルに突っ伏していた。
「はい、白澤様」
その突っ伏している頭の近くに出来立ての黄連湯の入った湯呑みを置く。むくりと顔を上げた白澤はのろのろと下げていた両手をテーブルの上に出し、両手でそれを持てば安心したような息を吐く。その様子にいつものことながら桃太郎は小さく笑う。
「謝謝」
目の前で白い手がゆっくり動く。桃太郎の手に、白い白澤の手が重なった。青白い顔で桃太郎に笑いかけ、その手はまたゆっくりと桃太郎から離れる。
同じ日常の中で、少し変わったこと。
それは、あの夜から白澤がこうして意識的に桃太郎に触れるようになったことだ。
だが、触れると言ってもそれは小さな触れ合い。だが確実に触れる回数が増えた。偶然触れたのとは違う。白澤が意識して、桃太郎に触れている。
桃太郎は湯呑みへと視線を移した白澤に背を向け、流しへ向かう。白澤に触れられた手の甲をそっと触れれば、そこがいつもより温かく感じる気がした。
そして己の腹に触れる。白澤が意識的に触れてくれている。そう考えると夢の中よりも、偶然に触れた時よりも遥かに体の奥が熱くなる。

『僕は触れるよ、君に。だから、その間。君は自分の心と向き合ってみようよ』

桃太郎は考える。
触れて欲しいのは何故なのだろう。触れられて昂ぶるのは何故なのだろう、と。




*****


「白澤様、また私のお店にも来て下さいよ〜」
「行く行く! 次の出勤教えてよ!」
「あら、私のお店には来てくださらないのかしらぁ」
「どっちにも行くってー」

馴染みの遊女達とのこのやりとりもいつもの事。
綺麗な女人に囲まれて鼻の下を伸ばしデレデレになる白澤に半ば呆れ、隣で調剤していた先輩兎と目を合わせれば肩を竦めて苦笑いをする。
また前に視線を向ければ、白澤の手は女性の顔や手に簡単に触れている。
白澤に触れられて熱くなる理由の一つにやはり恋心とか、と何度も考えた。けれども、それならばどうしてこうして白澤に触れられている女人達には嫉妬すら起きないのだろう。そこが引っかかっているのに、考えても考えても納得いく答えに辿り着かず。桃太郎は一人、息を吐いた。

「桃タロー君、今日は遊びに行っても良い?」

白澤から声がかかり、慌てて顔を上げれば遊女に囲まれ、デレデレと嬉しそうな師匠の姿。改めてしまりのない顔だなと笑いながら桃太郎はひらひらと手を振った。

「大丈夫ですよ、どうぞ! ただし明日早い納品あるからべろべろになるのだけは止めて早めに帰って来てくださいね」
「是! よし、調剤できたの今用意するから二人とも待っててね〜」

白澤が彼女達から離れて桃太郎の側に来た。
「はい、出来上がりです」
用意した調剤済みの漢方を差し出すと白澤は桃太郎の両手を包んだ。
「これ、貰ってくね」
時間にして一秒あるか無いか。その短時間で手はまた離れ、桃太郎の手の中から漢方の入った包みを持って離れていく。その時だった。

「す、すんません…! 頭痛に効く薬って、ありますかね」

入口の扉が開いて苦しげな男性の声がした。そちらを見ると、頭を抑えて辛そうな男鬼が入って来た。
「あれ、どうしたの。頭って具体的にはどこが痛い?」
「なんか目の後ろあたりが……」
「ちょっと自分で目の下を引っ張って眼球見せて。そうそう、それで次は舌出して」
余程具合悪そうに見えたその様子に店頭で始まった白澤の診察。それを見ながら、桃太郎は想像できる生薬と出来上がりの漢方を確認し始めた。
その時、何か引っかかって振り返る。
そこにはあれこれ男鬼に指示して症状を確認する白澤の姿。白澤の手は自分の腰。
目の前の男鬼に触れる様子は無いのだと、桃太郎は気がついた。
「白澤様、じゃあ私達は行きますわね」
「あ、うん! 夜遊び行くね!」
白澤から受け取った漢方を片手に、伸ばされたしなやかなその手を、白澤は腰から手を離すと二人の手を交互に握り締めて笑う。
その時、あの晩の白澤の言葉が蘇った。

『なあに、時間は沢山ある。焦らなくても僕も君もここにいる。僕は君を追い出したりしないし、逃げたりもしない』

白澤は、ちゃんと俺だと意識して触れてくれているんだと。目の前の光景をぼんやりと視界に捉えて桃太郎は考える。
白澤の手が触れた所は温かい。じわりと温かさと嬉しさが体を巡る。
女性に触れる白澤を見ても、女性を見ても悔しくも悲しくも無い。
だが、触れられると腹の奥が熱くなってドクドクと血が通う気がする。
桃太郎は白澤の触れた手をじっと見つめた。

――俺は。白澤様が、「俺」だと認識して触れてくれることが。
――嬉しい、のか。

そこまで考えて桃太郎は顔を上げる。
美しい女人に囲まれた白澤が桃太郎に気がついて視線を向けて、笑った。

瞬間、触れられてもいないのに桃太郎の心臓が跳ねる。
――そうだ。俺は、男なんだ。女じゃない。白澤様の言う、そこに居るだけの存在と認識される、男と言う性別。

だから、俺は――
















*****
人工的な光の無い天国の空に、深い深い夜が訪れた。その下を、多少赤みのある顔だが、足取りは真っ直ぐに白澤は夜道を歩いていた。
「桃タロー君、我回了〜」
扉を開けた白澤は扉を開けたまま首を傾げた。やがて店を見回し、それから閉まっていた台所へと続く扉を開ける。
扉が開くと、そこにはテーブルに向かい合って座っている桃太郎が居た。
「桃タロー君?」
「あ、あ! すみません、おかえりなさい!」
桃太郎はハッと顔を上げると白澤を見て。そしてその視線をまた白澤から外した。椅子に座った桃太郎の背は、神妙に伸びている。
「どうかした?」
少し赤らんだ酒の残る顔だが、しっかりとした声で白澤が問う。そのまま白澤は桃太郎の向かいにゆっくりと座った。
チクタク、機械的な秒針の音が静かに響く。
「……俺、わかりました」
しばらくして、ぽつりと。桃太郎の口から言葉が漏れた。桃太郎の視線はテーブルの上で組んだ自分の手に注がれる。
「昼間、女性に囲まれてた白澤様と、男鬼の診察する白澤様を見て気がつきました」
桃太郎の言葉はまた静かな空間に落ちていく。それから聞こえるのは台所の時計の秒針の音のみ。
微かに不安になった桃太郎が顔を上げると、白澤は桃太郎をじっと見つめていた。その顔が一度、頷く。言葉を待ってくれているのだと桃太郎は分かった。
「白澤様に、触れて欲しい。触れて欲しいのは、何でだろう。触れられるだけで、何で反応してしまうんだろうと。でも、白澤様が触れる女性の方に何も思わないのは何でだろうと」
そこで言葉を区切る。テーブルの上の組まれた両手に力が入ったのが自分の目に映る。
「――それは、男の、俺だから。白澤様がきちんと、男の俺を認識して触れてくれるのが嬉しいんだと、分かったんです」
昼間の店頭でのやり取りを思い出す。白澤は女性には簡単に触れるが、男性には興味ないと豪語するだけあって、必要がなければ触れない。
「女性になりたいわけではないし、そこを代わって欲しいとかじゃなくて。むしろ、本当に女性と一緒の白澤様を見ても何も思わない。
だけど、例えば、白澤様が女性に触れるように男にも触れるとしたら、と考えた時に俺は初めて、それは羨ましいと思った。
白澤様が躊躇なく触れられる女性じゃなくて。白澤様が男だと理解して、その上で触れるのは、俺だけが良いと――」
そこまで言って桃太郎は我に返った。思わず出てきた言葉を隠すように慌てて口を覆う。強く握り締めていたせいか、口を覆った自分の手は驚くほど冷たかった。その冷たさが頭にも伝わり冷や汗が出てくる。
確かにあの晩、自分に触れてくれと言った時点で全てが終わると思っていた。それでも白澤の言葉に手を伸ばしてしまったのは自分だ。
けれども、ただ触れて欲しいと願っていたのとは違って。
自分はずっと。
白澤が男として触れるのが自分だけであって欲しいなんて。思っていたのか。
自分の口から出てきた言葉で自分の望みを改めて理解して体が強張る。
次は。
次はどうすれば良い。
動こうにも体が固まって動かない。喉が動かない。かろうじて息をしながら耳の奥に聞こえる時計の秒針の音だけを感じる。

「最後まで、言わないの?」

その時計の秒針を掻き消すように聞こえた声は前方から。
桃太郎は口を押さえたまま、更に体を強張らせる。
「僕は逃げないし、君を追い出さない、と言った上で考えてごらんって言ったよね。それは君がどんな答えを見つけてもそれは変わらないってことだ」
続けて耳に届いた白澤の声は柔らかかった。
どくんどくん、と身体中が心臓になったように鼓動が大きく、体が震える。
「桃タロー君、君が見つけた答えを僕にも教えて」
桃太郎はゆっくりと視線を上げた。白澤は柔らかい瞳で、しかし真剣に桃太郎を見ていた。
ひゅう、と吸い込んだ空気が喉からする。破裂しそうなほどに鼓動が大きくなる。それでも。
白澤が桃太郎に触れてくれたのはただの興味や哀れみでは無かったのだと。そう、思いたいと。桃太郎は口から手を離すと、白澤を真っ直ぐに見つめ返した。
「俺、は。……白澤様の特別に、なりたいです。誰でも良い、とかじゃなくて。白澤様が触れてくれる唯一の男に。そんな、白澤様の、特別に、なりたい、です」
少し言い淀みながらもしっかりと言葉を紡ぐ。白澤は視線を逸らさない。まっすぐに視線を、言葉を受け止めて一つ、小さく頷く。
「君にとって、僕は特別?」
その言葉に桃太郎は瞬きをした。それからすぐに大きく頷いた。
「特別、です。恋とか愛とか、そういう自分が知ってる感情のどれも当てはまらなくて、でも、じゃあ何と言えば、と悩んだ。自分でもこの感情が今まで知ってるどれとも違うし、こんな事を考えて頼むなんてこと、なかった。
だから、言葉にするなら、特別なんです。白澤様だけなんです。今まで女性にも、もちろん男性とも違う。白澤様が、特別です」
「そっか」
白澤はそれだけ相槌を返すと、テーブルの上に片手を出した。その手のひらを開くと上に向ける。桃太郎は白澤とその手を交互に見る。
「桃タロー君も、手を出して」
突然の白澤の言葉。それにいまいち要領を得ず、しばらく迷った後。テーブルに所在無さげに置いていた手を白澤の方へと伸ばす。白澤の手から少しだけ離れた所に、そっとテーブルの上に手を置く。
すると、白澤の手が動いた。テーブルの上の桃太郎の手に白澤の手が静かに重なる。少し骨張った感触が桃太郎の手に伝わる。
「桃太郎君って、周りを結構見てるようで見てないよね」
続いた言葉は微かに笑い声が混じっていた。重なった手に落ちていた視線を上げれば、白澤は目を細め口元に薄く笑みを浮かべていた。
「あと考えすぎ。せっかく体の方が素直に反応してくれてるのに」
白澤の手に力が篭り、桃太郎の手を崩される。少し太めの桃太郎の人差し指と中指の間に、白澤の細めの指が絡まる。その仕草は今までされたことのない動きで桃太郎の鼓動が早くなる。
「それがまた、桃タロー君らしいとは思うけど」
白澤の口調は手の動きと反していつもと変わらず飄々としている。桃太郎はその言葉を聞きながら絡まる指先と、白澤の顔を交互に見てしまう。
「あのさ、割と自分の好きなように僕が動くのは知ってるよね。ついでに好き嫌いもハッキリしてる」
重なった指と指が絡まって、緩く白澤の手に桃太郎の他の指も絡め取られる。
「僕はね、どうでもいい、ましてや野郎なんか死んでも僕の家に泊めたりしない。ましてや男を、女の子みたいに触るとか言語道断、絶対無理!」
心底嫌そうに首を振る白澤。だが、その指は男の桃太郎の指を絡めたまま力を込める。桃太郎の手に、顔に、熱が集まって行く。
「……その僕が、いくら弟子だからってこんな風に男に触れたりすると思う?」
その瞳が、重なる指が、どこも熱くて桃太郎は言葉を出せず、ただ首を左右に振る。その姿に白澤は笑った。
「僕はね、僕が触れて熱くなるって言ってくれた時嬉しかったんだよ」
白澤の突然のその言葉に桃太郎は頭が真っ白になる。嬉しい、と言った。白澤が、あの言葉を、嬉しいと、言った。
「僕も同じだ。もうとっくのとうに、桃タロー君は僕にとって特別だよ。後にも先にも、触れたいなんて思う男は君だけだろうね」
続いた白澤の言葉。その言葉に桃太郎は微かに背筋を伸ばした。
白澤は自分とは全く違う悠久の時を生きている。時間感覚は明らかに違う。その人が。ハッキリと。白澤のその時間の中で、桃太郎を特別だと言ってくれた。それがどんなに凄いことなのかと、考えると背筋が伸びる。それが嘘ではないことは、重なる手の熱さが教えてくれる。
桃太郎を見つめる白澤の瞳が更に細くなった。微かに覗く瞳の色がいつもと違う気がして桃太郎は思わず、じっと見つめる。
腹の奥が、顔が、体全体が更に熱くなる気がした。
「恋とか愛とは違う、と桃タロー君は言ったけれど。僕ね、その感情も簡単には括れないんじゃないかなって思うんだ」
桃太郎は白澤の言葉を聞いて、そのままじっと瞳を見つめ返す。白澤が続ける言葉が想像できなくて続きの言葉を待つ。
「感情なんて千差万別。これも一つの形だと思うんだよね。僕なんて心も体も素直でしょ」
白澤の物言いに桃太郎は思わず吹き出した。確かに白澤は思うままに生きているイメージがある。
「僕が色んな女の子に声をかけて遊びたいのも一つの恋だろうし、そうだね君が昔に恋した子も居たろうね。でもみんな同じような順序で好きになったわけじゃないでしょ。それこそ人によって変わる」
言われてみればそうだと桃太郎は思った。ずっと、恋愛とはかくあるべき、と思い込んでいるところがあった。綺麗で儚くて、キラキラしていて。だから心が先に惹かれてそれから体が、とか。そんなことを思っていたかもしれない。
「……その、あの。おかしくないですか、俺のこの体と心の反応は」
「おかしくないさ」
白澤の瞳が温かい。手が温かい。重なっているのは手だけなのに、まるで全部包み込まれている気がしてきて軽く桃太郎は目を閉じた。
「じゃあ、もう一つ、教えて」
瞳を閉じた矢先に白澤のそんな声が届いた。目を開くと、先程までとはまた違う白澤の瞳が桃太郎を捉える。
「桃タロー君は、僕にどう触れて欲しい?」
咄嗟にあの晩が脳裏に蘇った。
あの時と状況は似ている、けれども全く違うのは。
「お、俺は――」
絡め取られている桃太郎の指が微かに動く。白澤の指に自ら絡まるように、桃太郎の指に力がこもった。
最後の、最後の砦。
もう色んなものを白澤に見せてしまった。ぶちまけた。崩れて粉々になった誇りも男の矜持も白澤によって繋ぎとめられて、今、ここにいる。けれども。
自覚した途端にまた見栄のようなものが邪魔をする。喉奥で言葉が息になり消えて抜けていく。
その時カタン、と椅子を引く音が静かな部屋に響いた。
顔を上げれば白澤は重なった手は外さないままに立ち上がり、桃太郎の方へと歩いてきた。その顔に微笑みが浮かぶ。桃太郎の見たことのない、微笑みだった。
白澤は桃太郎の前に立った。あの晩と反対だ、なんてぼんやり桃太郎が思っていると繋がった手がそのまま白澤の方へと持ち上がり。ほんの少しだけ。桃太郎の手の甲に白澤の唇が落ちた。
瞬間、今まで感じたことのない痺れが背筋を走る。一気に身体中の熱が上がるのが分かった。
ぼうっとする頭の片隅でこれはどんな熱なんだろうと、そんなことを思いながら熱に押されて口が開いていた。

「白澤様の手で。白澤様の気持ちを、俺に――教えて、くれますか」

桃太郎の口から出てきた言葉はそんな曖昧な言葉だったが、その声音はあの時の晩とは違う温度だった。
白澤はその言葉に目を細め。やがて片手を桃太郎の首筋に指先を這わせ。静脈をなぞるように滑らせながら、その顔を桃太郎へと近づけた。
桃太郎の耳に小さく白澤の声が届いた。

「君が望んでくれるだけ、いくらでも」




















******

太陽が奥の山々に姿を半分ほど隠した頃、伸びをしながら白澤と桃太郎が極楽満月から出てきた。
カタリ、と音を立ててその扉に「閉店」の札が掛かる。
あの夜から数日が経っていた。

「さてと今日の業務はおしまい!という事は、そろそろ彼らが来る頃かな」
「そ、そうですね……」
白澤が振り返ると、桃太郎はちらちらと極楽満月の前にある先へと続く道を見たり視線を外したりと忙しない。
「いやいや俺が誘ったのに俺が動揺してどうする! 言うって決めたっつの!」
自分に言い聞かせるようにそう桃太郎は叫ぶと深呼吸をする。すると聞こえてきたのは盛大に吹き出した音。振り返れば口元を隠すことなく笑う白澤がそこに居た。
「ちょ、何笑ってんスか!!」
「いや〜ころころ変わる表情が面白くて」
「仕方ないだろ!いやなんか色々緊張して――」
そこまで言いかけて桃太郎の言葉はピタリと止まる。あちこちに動いていた手も止まる。その右手。それは白澤の左手に掴まれていた。
「じゃあ、ほら。安心するおまじない」
「え、ど、え⁈」
「きちんと言うぞって言ってたなら初めから手でも繋いで迎えちゃえば良いでしょ」
「そ、そんなモンですかね⁈」
桃太郎は多少上ずった声でそう言うと視線を握られた手に落とす。緩く目の前でその手が白澤に揺らされる。

「おーい! 桃太郎ー!」

「あっ、シロの声」
その時、聞こえてきた声に桃太郎が前を向く。逆光の中、見慣れた三つの影がこちらに歩いてくるのが見えた。

「おお、シロちゃん相変わらず元気だねえ」
繋いだ手を揺らしながら白澤が笑う。その横顔と繋いだ手を改めて見つめ。桃太郎は白澤の手に自分の指を絡めると勢い良くその手を上に上げた。

「おーい! こっちだこっち!」

桃太郎が大きくその手を空中で振れば三つの影は歩くのを止め。やがて首をそれぞれ傾げたのが見えた。
それから一斉に三つの声がしてそれぞれ何を言っているか混じり合って聞こえないが、彼らは走り寄ってきた。

「まさかこの手を振ると思わなかった」
白澤の声に桃太郎が顔を上げると、白澤は楽しそうに笑って桃太郎を見下ろしていた。その顔に桃太郎も笑う。

やがて飛びついてきた三つの影に突き飛ばされた二人は、陽の暮れた桃源郷の中でまた困ったような笑い声を上げ。
その中に混じる三つの声に何か答える。

陽が傾いて辺りが暗がりになっていく。

その中で繋いだその手は離されることは、なかった。
 


――どんなに不恰好でも変な形でもそれは一つの形なのだと。
桃太郎は隣の白澤に笑いかければ、白澤も笑い返した。

互いの胸の中で、この手を繋いでいる相手が特別なのだと。
そんな想いを繋げた手のひらに込めて。

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