101こ目;Lovely Days
やがて合流した3人は、馴染みのバーに遊びに行き…。
蒼生と健太と冬矢のラブラブな生活を綴る『僕+君→Waltz!』。
101こ目の今回より「Moreover!!シリーズ」略して「More!シリーズ」として新たに開幕いたしました。
のんびりな更新速度になるかと思ったり、ちょっと短めのお話などを組み込んでいきたいと思ったりしております。
引き続きゆるふわいちゃあまな3人の生活をお楽しみください!
(本日7月20日は蒼生の誕生日です!関係ない話でごめんね!)
↑初公開時キャプション↑
2024/07/20初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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レストランのウェイターが恭しく皿を運んでくる。そこに様々なフルーツが山盛りになっているのがわかると、蒼生はぱっと目を輝かせた。だが、はしゃいでは幼く見えると思ったのだろう。すぐに爽やかな笑顔に戻って、ひとつひとつ頷きながらメニューの説明を聞いている。その視線の動きをじっと見守っていた冬矢は、あまりに可愛らしい仕草に目を細めた。
頭を下げたウェイターが廊下に消えると、蒼生の表情がとたんに幼くなる。
「すごい。思ってたより量が多くてびっくりしちゃった」
「そうだね。フルーツプレートという名称とはいえ、この値段なら4、5種類だろうと思っていたけれど」
「僕もそう思ってた。ちょっとデザートを追加しようと思っただけなのに、ほら、いちごもたくさんあるし、メロンの陰にザクロが隠れてるし、リンゴにオレンジに……マンゴーも1種類じゃないんだね。こっちのちっちゃいケーキ、どれも美味しそう。しかも、いちごのパフェまで載ってるなんて、すっごい贅沢」
蒼生は皿の中央に置いてあった小さなグラスをひょいと持ち上げた。サイズは小さいが、ジャムとクリームと角切りの果肉が層を作り、さらに最上部のストロベリーアイスを囲むように小さく切ったいちごが飾られている。これは立派なパフェだ。
「どうぞ召し上がれ」
「うん。いただきます!」
まずは手前に並んだ色鮮やかなパイナップルにフォークを刺し、ぱくんと口に含んで「すっぱい」と笑う。冬矢は、幸せな光景だな、と顔を綻ばせた。
広い店内はそれぞれの席が大きな木製のパーティションで仕切られているため、ほぼ個室の状態になっている。他の客の気配は感じるが、視線が遮られているので、大好きな恋人の笑顔を独り占めしていられた。しかもその背景は、大通りに面した大きな窓だ。そこから見える街灯の間を繋ぐように年中灯されているガーランドの電球が、愛しい人の穏やかな輪郭を金色の光で柔らかく照らしていた。それはまるで、蒼生自身の輝きを誰の目から見てもわかるようにはっきりと可視化しているようだ。けれど、誰にも見せたくない。この美しい絵画のような瞬間を目にしているのは自分だけなのだ。もしかすると、蒼生よりも自分のほうが贅沢な気分を味わっているのではないだろうか。
どちらにしても、今抱えている悩み自体が既に贅沢だという自覚がある。この眩いばかりの愛しい恋人を世界中に自慢すべきか、閉じ込めて自分だけのものにしてしまうべきか、迷う選択肢の結果にはどちらも蒼生が傍らにいることになるのだから。
「……ねえ、冬矢」
じいっと皿を見つめていた蒼生が、小さな声で呼びかけてくる。
「なに?」
答えた声は、自分でも驚くほど弾んでいた。昔の自分であれば絶対に出なかっただろう甘い声色に、冬矢は思わず笑みを零す。だがそれに対して蒼生はまったく違和感を覚える様子はなく、おずおずと目を上げた。つまり蒼生にとっては聞き慣れた声なのだ。
「あのですね。ちょっと全部食べきれる自信がなくって……。手伝ってもらってもいい?」
「ふふ、さすがにこの量は想定外だったよね。では遠慮なく俺もいただこう。せっかくだから蒼生に食べさせてもらおうかな」
「え、僕もしてほしい!」
ほんのわずかな間を置くこともなく、嬉しそうな答えが返って来た。なんて素直な反応だろう。本心だから迷う必要がなかったのだと思うと、愛おしさがこみあげてくる。食べさせ合うなら近くに行ったほうがいいと判断し、冬矢ははやる心を抑えながら空いている蒼生の隣の椅子に移った。
そう、4人掛けの席は2つ空いている。普段であれば、ここには健太がいるはずだ。だが今日は、大学の仲間内で飲み会があるとかで出かけていった。いや、健太がいないとわかっていたから蒼生とふたりで食事に来たのだ。さらに言えば、飲み会の場所を聞いた蒼生が、つい先日強盗致傷事件があったばかりの地区だとひどく心配していたのを察して連れ出した、というのが最も正解に近い。一緒に行けないまでも、近くにいれば少しは安心だろうと考えたわけだ。
「ほら、蒼生。口開けて」
「はぁい」
しかし、おかげでいつもは真っ先に健太に権利が行く「あーん」と「ふたりで半分こ」を楽しませてもらっている。もはやどれが言い訳だかわからないが、蒼生が美味しそうにいちごを頬張る姿が至近距離で見られているので、細かい理由などどうでもいいかとも思う。
ぴたりと肩を寄せて小さなケーキを半分ずつ味わっていると、冬矢と蒼生の携帯が同時に震えた。目を見合わせて、笑う。
「健ちゃんだ」
「あいつ、変なところでタイミングがいいからな。俺たちが仲睦まじくしているのを野生の勘で察したのかもしれない。仕方ない、反応してやろう」
レストランの中なので音を消していたが、3人だけでやりとりをしているメッセージシステムなので振動だけでもすぐにわかる。ふたりで携帯を覗き込むと、案の定健太からの「終わった」というメッセージが届いていた。冬矢は頭の中の地図を辿る。
「このビルまで健太が来たほうが早いな。健太も待っているより移動するほうが気楽だろう」
「うん。連絡するね」
ぱたぱたと健太へのメッセージを打ち込む蒼生の眼差しに、ほんのわずかにいたずら心が湧いた。その視線を少し邪魔するように、いちごをフォークに刺して差し出してみる。すると、蒼生はこちらに目を向けずにそのままそれをぱくりと頬張った。冬矢が食べさせてくれることをまったく疑問に思っていないようだ。おそらく、邪魔をされたとも思っていない。ふふ、と冬矢は微笑む。合流した健太は上機嫌で蒼生にまとわりつくだろう。冬矢は自分だけが見たこの可愛い景色を、そっと胸にしまい込んだ。
デザートを平らげたふたりは、店を出てエスカレーターで1階に下りる。待ち合わせに指定したエントランスホールの時計の下には、既に健太の姿があった。薄々そんな気はしていたのだが、冬矢の計算より若干早い。
「健ちゃん」
蒼生の小さな声に気付き、健太はほっとしたような笑顔を浮かべた。左右を見渡し、その場にいるほうがいいと判断したのだろう、下げた手をわずかに広げる。蒼生は嬉しそうに小走りで近寄ると、その両手を握った。
「ただいま、蒼生」
「おかえりなさい」
健太を見た後で改めて冬矢のほうを振り返り、ふたりがすぐそばにいることを確認してふにゃりと可愛い笑顔を浮かべる。蒼生のそのふたりにしか見せない気を抜いた笑顔は、健太と冬矢にとってどんなものよりも強い癒やし効果があった。体力も気力もすべてが回復していくような感覚でそれを満喫していると、当の蒼生がはっとしたように目を開く。
「ねえ健ちゃん、嬉しくてついそのまま受け入れそうになっちゃったけど……。こんなに早くてよかったの?」
「ん? 蒼生に会いたくて、めちゃくちゃ早歩きで来たからな」
「そうなの? ふふ、嬉しい。……あ、そうじゃなくて、あの、えっと、それもびっくりしたんだけど。せっかくのお友達との飲み会だから、もっと楽しんで来るんだろうなって思ってたんだ。僕たちが近くにいるのが気になって早く切り上げたんだったらごめんね。健ちゃんの邪魔になっちゃったかも」
心配げな蒼生の言葉に、健太は「ああ」と言ってさらりと笑う。
「ううん、全然! むしろ助かった! ってか、オレ以外にも用事入ってる奴がいて、そもそも店1軒で終わりって話だったからね。なのに、このあと女の人のいる店に行くとか突然言い出した奴がいてさー、じゃあみんなで行こうとかいう方向になりかけたわけ。だから、オレも約束あるんで失礼、って抜けてきた。恋人と会うのかって聞かれたから、そうですって元気よく答えてきたよ。終わったら落ち合う予定だって言ったら、そりゃ早く行ったほうがいいよってなったからいいんだけどさ。まったく、勘弁してほしいよなぁ」
それを聞いた蒼生は、わずかに複雑そうな顔をする。友達と自由に遊んでほしい気持ちと、女性に接待される店に誘われることがあるという現実と、断ってくれて嬉しいという気持ちがないまぜになっているのだろう。そう考えた冬矢は、話を変えるべく蒼生の片手を健太から取り戻す。
「懸命な判断だ。理由を聞いたうえで強引に連れて行くような友人なら、付き合いを考えるよう助言するところだったよ。どちらにせよ、予定より早くなったな。俺はもっと蒼生といちゃいちゃデートを続ける予定だったんだ。健太も飲み足りないだろう? 近くまで来ているし、ちょっとバーに寄るのはどうかな」
「行く!」
「飲んでく!」
蒼生と健太は、ほぼ同時にぱっと顔を輝かせて頷いた。
少し年季が入ったビルに入ると、すぐにエスカレーターがある。上ってまっすぐ歩いた突き当たりにある飴色のドアがバーの入り口だ。開けば、ちりんちりんとドアベルの優しい音がする。
「こんばんは」
蒼生が声をかけると、カウンターの中にいたベスト姿の2人が顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
そう言ってにこりと笑ったのは、奥のほうに立つ蝶ネクタイをつけた小柄な青年だ。蒼生がぺこりと会釈をする。
「こんばんは、ユキさん。ご無沙汰してます」
「お待ちしておりました。マスターも会いたがっていましたよ。あいにく本日はお休をみいただいていますが」
「珍しいですね、ご体調でも?」
「いえ、あまりにも休まず店に出たがるので、旅行券を押し付けて無理矢理休ませました。今頃は温泉旅館でくつろいでいるでしょう。ですから、今日は僕がマスター代理ということで」
「あ、乗っ取りだ」
健太の言葉に、ユキは「ふふっ」といたずらっぽく笑う。
彼は年若いが、マスターの下で修業を積んだバーテンダーだ。腕がいいのはもちろんのこと、物腰の柔らかさも似ているので、ユキが店を継げば安泰だと常連客はひそひそ噂話をする。当然それはマスターの耳にも入っていて「まだまだ引退しませんよ」と笑っていたそうだ。ユキ本人は謙遜しているが「まだ」ということなので、つまりはそういうことなのだろう。ただ3人にとっては、年が近いこともあって、マスターの後継者というより頼れるお兄さんといったイメージがあった。
「立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」
ユキはカウンター中央の空いた席を指した。3人は示される通り、蒼生を挟む形で背の高い椅子に座る。すると、手前のがっしりした体格の青年が温かいおしぼりを手渡してくれた。
「リュウさんもこんばんは。相変わらずバイトは掛け持ちですか」
「こんばんは! ええ、さっきまで駐車場を守ってました!」
元気のいい声に、ソファ席のほうからくすくすと笑い声が聞こえる。はっと目を見開いたリュウは、恥ずかしそうにそちらに向かってぺこりと頭を下げた。それにつられるように店内を見渡せば、のんびりと会話を楽しむ男性同士のカップルで今夜も混雑していた。ここはゲイバーで、相手を探しにやってくる者も当然いるのだが、店の雰囲気がいいせいかカップルで訪れる客が多い。キャストの質が高いのもその要因の一つなのだろう。
「盛況ですね」
冬矢が話しかけると、ユキは中性的な顔をいっそう和ませる。
「おかげさまで。僕が勤め始めたころは落ち着いた年代の方が多かったのですが、今は皆さんみたいな若い方もたくさん来てくださるようになって、本当に嬉しい限りです。おかげで、フードメニューも充実しましたしね」
差し出されたメニューを、健太が嬉しそうに受け取る。そして書かれた料理名を上から下まで眺めながら首を捻る姿に、蒼生はぱちくりと目を瞬かせた。ここの食事が美味しいのは知っているが、健太も食事を終えたばかりのはずだ。
「ごはん足らなかったの?」
「そうなんだよー。さっきの飲み会、ほぼ酒のつまみみたいなもんばっかだったんだもん。酒飲む連中はそれで腹いっぱいにしてたみたいだけど、オレはセーブしてたから足んなくてさ」
「あんまり飲まなかったんだね」
「うん。外でぐだぐだになっちゃったら、そのあとのメインディッシュが楽しめないでしょ」
「そっか、終わってから別にごはん食べるつもりだったのか。……ん? え? なに、その顔。もしかしてメインディッシュって僕のこと?」
「そうですけど?」
ふたりのやりとりを微笑ましく眺めながら、冬矢も蒼生越しにメニューを覗き込む。健太はおそらくボリュームのある料理を頼むのだろう。けれどデザートプレートの量が多くて分け合って食べた自分と蒼生には、軽いものがいい。膝をそっと指先でつつくと、にこにこ顔の蒼生がこちらを向く。
「俺たちはカナッペでも頼もうか」
「いいねえ。あ、チーズも食べたい」
「ふふ、じゃあそうしよう」
やがて、注文通りの品がカウンターに並ぶ。様々な具材が載った明るい色合いのカナッペを嬉しそうに見つめた蒼生は、ちらりと健太が頼んだパスタに目をやって小さく笑った。
「おなかいっぱいで目の前の綺麗なお皿で満足できそうなのに、やっぱりパスタの香りにも惹かれちゃう」
「味見くらいだったらいけそ?」
「うん」
蒼生が心を奪われるのも無理はない。ショートパスタの上で湯気をたてるひき肉のソースは、冬矢のほうまでスパイシーな香りを漂わせている。なんとも食欲をそそる香りだ。結局冬矢もそちらに手を伸ばし、3人は頼んだメニューをお互いにつつきあうことになった。両側から手が交差するのを、蒼生はいちごのカクテルを味わいながら楽しそうに見つめている。それを見ているふたりも嬉しくて仕方がなかった。
話題は自然と分かれて行動していた今日の午後の話になる。その中心は健太だ。健太は蒼生と離れていた間のことをとにかく話したがるし、蒼生が何をしていたのかを知りたがる。健太のこれは幼い頃からの習性だ。冬矢はこの行動を、幼稚園でその日あったことを全部親に報告する子供と同じようなものなのだと思っている。健太はやましいことがあるわけでも蒼生を疑っているわけでもなく、ただひたすら蒼生とのおしゃべりを楽しんでいるのだ。それが結果として、不安になりがちな蒼生の安心材料ともなっているのだろう。
かくいう冬矢も、離れている間の蒼生の行動が気にならないわけではない。むしろ、全部把握したいと思う気持ちは健太より強いかもしれない。だが、自分がそれを行動に移したら、もっと差し迫った雰囲気になりそうな気がする。蒼生を問い詰めるようなこともしかねない。だから健太が根掘り葉掘り聞いたことに対して蒼生がすべて隠さず話してくれるのは、冬矢にとっても有難かった。とはいえ、健太の純粋さは少し羨ましい。冬矢はカウンターの下を探り、蒼生が膝に置いていた手を握った。蒼生はぱっと笑って、小さく首を傾げる。
「なに?」
「ちょっと触れたくなっちゃった」
「ふふ、そっか」
それだけのことでひどく嬉しそうな顔をする蒼生に、冬矢には冬矢の存在意義があるのだと改めて思い直す。冬矢と健太はできることが違うのだから、役割も違っていて当然だ。だからこそ自分は蒼生の隣を独占せず、健太の存在も認めているのだ。そのうえで、蒼生が必要としてくれる人間でありたい。そのためにできることならなんでもするつもりだ。
冬矢がそっと決意を固めていると、ひとつ離れた席に座っていた男性が、突然伏せていた顔をがばっと上げた。
「リュウくん、おかわり~」
「えー? カメさん飲みすぎじゃないですか?」
「いいの! 今日はいいの! 同棲解消記念だから!」
あまり他の客を凝視するのはよろしくないとは誰もがわかっていた。が、あまりの声量に店内の目線が男性に集まる。けれど男性は酔っているせいか、それをまったく気にしていないようだ。
「ってかさあ、同棲ってすっげえいいもんだと思ってたわけぇ。好きな人と一緒の生活って憧れるじゃん? 絶対幸せなんだと思ってたんだ。でも、一緒に暮らすと、好きなとこばっかじゃなくて、嫌なとこも見えちゃうのな! 金銭感覚も全然違うし、生活習慣から合わなかったんだぁ」
しまいには泣き出してしまう男性に、ソファ席にいたカップルの片割れが見かねて駆け寄ってきた。
「カメさん、めちゃくちゃ酔ってるじゃん。もう今日は帰ったほうがいいよ」
「帰る家ないもん……」
「今、ミチにメールしたから。すぐ来るってさ」
その名前には聞き覚えがあった。もともとは蒼生がこの場所で出会った友人で、今では健太と冬矢の友人でもある。その彼のことだろうか。冬矢がそう話しかけようとして振り向くと、蒼生は手元のグラスに目を落として何か考え込んでいるように見える。楽しいことを考えているわけではなさそうだと察した冬矢は、蒼生の耳元に口を寄せた。
「どうしたの?」
蒼生はかすかに目を泳がせ、小さく唇を開く。
「……ふたりが思う、僕の嫌なところってどこ?」
「俺たちが?」
「嫌なとこ?」
突拍子もない蒼生の言葉に、冬矢だけでなく健太も驚いて声を上げた。
「一緒に暮らすと見えてくるって……」
その声は消え入りそうなほど小さい。冬矢と健太は目を見合わせる。なるほど、男性の話を聞いて、ふたりにも自分の嫌なところが見えているのではないかと心配になってしまったのだろう。
「……自覚はあるんだ、こういうのを言いだすのもめんどくさいって。しかも何度も何度も繰り返して、しつこいよね。ほんとにごめんね」
冬矢は改めて蒼生の手をぐっと握り、健太も蒼生のほうに身を寄せてその膝をぽんぽんと叩く。蒼生はそれでもまだ不安げな目をしている。
「謝らなくていいよ。俺だって何度も言うけれど、そういうところも含めて大好きだと思っているんだから。不安になっちゃったんだね。大丈夫だよ。嫌だなんて思ったことは一度もない」
「うん。オレも今、また可愛いこと言いだしたな~って思ってる。一緒になって見えたこと? んー、24時間ぶっ通しでずっと可愛いんだなってわかった、とかじゃない? それじゃあ逆に聞くけどさ、オレたちの嫌なとこってどこ?」
「えっ」
目を丸くした蒼生は、自分が聞き返されることなど微塵も考えていないようだった。ふたりの目をじいっと交互に覗き込み、しばらくしてからふるふると頭を振る。
「……ない」
「なーんだ。お互いにないなら、全然なんの問題もないじゃん」
健太が笑うと、蒼生の肩からすうっと力が抜けた。冬矢は余った手で蒼生の手の甲をゆっくりと撫でる。
「他人同士が生活を共にするんだ、うまくいかないことも当然あるだろう。相性というものもあるし、他人と暮らすことに慣れるまで時間がかかる人もいる。そうやって失敗をしながら大切な人を探していく人たちが大勢いる中で、俺たちは最初から最善の相手と暮らすことができているんだ。仮に認識に齟齬があっても話し合って解決することができるだろう? これはとても幸せなことなんだと思うよ」
「最善……」
「そう。俺たちはお互いに、一番ぴったりな人と出会えたんだね」
健太もほおっと息を吐く。
「ってことは、オレたち、ずっと一緒にいるのも当然だったんだな。だって、生まれた時から最高の相手に出会えてたんだから」
安心したような健太の声に納得したらしい蒼生は、噛みしめるようにゆっくりと頷いた。
冬矢は微笑んで蒼生の手を引き、カウンターの上に載せる。不満があるなら改善したいと互いが常に深く考えているのだ。いつだって、どんなことだって自分たちらしく向上させていける。冬矢にはその自信があった。堂々と人に見える場所で手を繋いだことで、それを伝えたいと思った。ぱちぱちと目を瞬かせて冬矢の手を見つめ、それからふわっと笑った蒼生。おそらく思いは伝わったのだろう。
「ふふ。心配事を今日も素直に伝えてくれてありがとう」
「オレもありがとう、だな。何度でも告白のチャンスくれるんだからさ」
「僕もふたりに出会えて、一緒に暮らせてよかった。いつも本当にありがとう」
見つめ合って、笑い合う。これが自分たちのあるべき姿だと思う3人だ。
そこに、ちりんちりん、とドアのベルが鳴った。
「こんばんはー。ミチでーす」
飛び込んで来た金髪の青年は、思っていたとおりの友人だ。彼は蒼生たち3人の姿に気が付くとにこっと笑い、カウンターの中の店員2人に手を振ると、まずはドアの近くに立っていたカップルの片割れの男性に近付く。
「カッシー、カメさんが潰れてるって?」
「ああ。色々あったみたいでさ……」
「お、ホントだ。きっかり突っ伏してるねえ。うん、カメさんの事情は聴いてるよ。だから助っ人連れてきた。……おーい、カメさん、迎えが来てるよ」
ミチの言うとおり、後ろには体格のいい男性がいた。走ってきたのか肩を激しく上下させ、ネクタイを緩めながらカウンターでリュウと何事かを話している。どうやら突っ伏した彼の分の支払いをしているようだ。
「……え、ミチくん? ……えっ、待って、おまえ、どうしてここに」
「彼に連絡を貰ったんだ。……慌てたよ。奴と別れたんだってな。とりあえず、うち来い。話は聞いてやるから。わかったな」
「……はい」
はあっと大きく息を吐いた男性は、迷いない仕草でカメさんと呼ばれた客の肩を支える。が、相当酔っているせいか、うまく歩けないようだ。それを見た健太が、ぱっと立ち上がる。
「手伝います!」
「すみません」
「あ、カメさん、荷物荷物! 俺が持ちますよ」
続いてリュウがカウンターから飛び出し、椅子の足元に置いてあったスーツケースとぱんぱんの紙袋を抱えた。
4人が出ていくのを眺めていた冬矢が振り向くと、蒼生は可愛らしくにこにこしている。冬矢にはその表情の意味が分かる。人のために迷わずさっと動ける健太が誇らしく嬉しいのだろう。冬矢はふっと息を吐く。今は健太のためのものだが、冬矢が動いた時には自分のために笑ってくれるはずだ。
冬矢の視線に気付いた蒼生が、目を合わせてくれた。「ん?」という自分にしか聞こえない小さな声と、小首を傾げる仕草に、愛おしさが溢れてしまいそうになる。健太は席を外しているのだから、今は自分だけが触れていいはずだ。
「のんちゃん、ハル、こんばんはー」
そこに明るい声が割って入ってきて、冬矢は思わず伸ばしかけた手を止めた。邪魔をされたことに腹を立てそうになったが、一応公共の場であることを思い出す。ここは止めてくれたことを感謝すべきなのだろう。
のんちゃん、というのは蒼生のあだ名だ。ハルとナツは冬矢と健太のことを指す。この店ではトラブル防止のため基本的に本名を名乗ることはなく、皆がお互いをあだ名で呼び合うことになっていた。だから、ここにいる誰の名前も知らない。が、店で声をかけあう間柄ならば、そのくらいでちょうどいいのかもしれない。
蒼生はミチに向かって穏やかに笑いかける。
「こんばんは、ミチさん。早かったですねえ。あの方が連絡したと仰ったのを聞いてから、あんまり時間経ってませんよ。近くにいたんですか?」
「うん。ちょうど駅のあっち側のカフェでお茶してたとこ! いやー、ナツってやっぱ力持ちだね。カメさん結構いい体格してるのに、軽々だったもん。あ、ユキ、ここ座るね」
「どうぞー」
空いているところが健太の席だと把握してくれているようで、ミチはしゃべりながら蒼生からひとつあけた椅子に座った。
「ミチは何飲む?」
「いつものオレンジのやつ~」
「ん」
その会話を聞いて、蒼生がぱちぱちと目を瞬かせる。
「ユキさんってミチさんには砕けた口調で話されるんですね。……って、これも聞かないほうがいいですか」
「ううん、全然大丈夫だよ~。別に秘密主義な店ってわけじゃないし、オレたち自身も怪しい関係ってわけでもないからね。実はさ、ユキとはお互いこの店に関係なかった高校生の頃に1回会ったことがあって。それで偶然ここで再会したの。あれびっくりしたよね」
「まさかこの界隈で出会うとは思ってなかったから、話しかけられても最初誰だかわかんなかったよ。そんなわけで、腐れ縁の友人なんです。他のお客様がいる前では店員の顔をするつもりだったんですが」
「オレがやだって言ったんだ。せめてオレに対応する時だけは友達扱いして! って。いつもタメ口なのに敬語使われるのってすごーく寂しいんだもん」
「そのへんがミチはおこさまだって言ってんの」
「純粋って言って~」
蒼生が軽口を叩き合う2人を楽しそうに眺めているのを見て、冬矢も穏やかな気分になる。おそらく蒼生は2人の気安い雰囲気が心地よいのだろう。ビジネスとしてはユキの言い分の方が正しいと思うが、ミチはそれを拒否しても許される性格をしている。ミチならいいか、と思わせる性質があるようだ。そのせいか、他人に対して慎重な態度を取る蒼生が比較的早いタイミングでミチと仲良くなっている。かくいう冬矢も、もう彼に警戒をする必要はないだろうと思っていた。
みたび軽やかなベルの音がした。ドアを開けて入って来たのは健太とリュウだ。
「ただいまー」
「カメさん、お迎えの方とタクシーに乗って帰られましたよ」
「2人ともありがとー。あの人に任せておけば、後は心配いらないと思うよ。次に聞けるのはいい報告じゃないかな」
ミチがにやりと笑う。それを聞いていた周囲にいた者は一様に首を傾げる。その仕草から察するに、あの男性の正体を誰も知らないようだ。
この謎の交友関係もミチの特徴の一つだ。出会ったばかりの頃、まだミチを信用しきれずにいた冬矢は「顔が広いんですね。危ないことに首を突っ込むタイプですか」とはっきり聞いたことがある。対してミチは無邪気な笑顔で「人脈はオールクリーンだから、大丈夫! 何かあったら安心して頼ってね!」と返してきた。それからも様子を見ていたが、どうやらそれは嘘偽りのない言葉だったらしい。不思議な人だな、と冬矢は大きく息をついた。
そこに、奥のレストルームで手を洗っていた健太がフロアに戻ってきた。先程の席に行きかけて、ぱたっと足を止める。蒼生のひとつ先にミチが座っていることに気付いたようだ。ちょうど健太のグラスは空になっていた。リュウに目配せすると、冬矢の隣に座り、こそっとおかわりを頼む。それに気付いた蒼生は嬉しそうにしているから、蒼生のおしゃべりを邪魔しないようにという健太の気配りだとわかったのだろう。
「タクシー、すぐにつかまったの?」
「うん、わりとすぐ。ちょうど近くで降りた人がいて、そのまんま乗せてくれたんだ」
「このあたりは飲み屋が多いから、拾うのも大変だろうと思っていたんだが。運がよかったんだな」
「オレの日頃の行いがいいせいでしょ」
「うん、そうだね」
「自分で言わなければもっとよかっただろうに」
「ちゃんと自らアピールしていくタイプなんだよ」
「ふふふ」
小声で話していると、ミチがぴょんと蒼生の隣の席に移動してきた。
「のんちゃんたちってさ、仲いいよね」
そして片肘をついてにこにこと3人を覗き込んでくる。が、いつものやりとりをしていただけだった3人は、不思議そうに視線を返す。それを見たミチはさらに楽しそうだ。
「毎日一緒にいるのにずっと仲良しなのっていいよねーってこと。まあカメさんはちょっと特殊なケースだったんだけど、同棲してみてやっぱ違うってなっちゃったカップル、けっこう見てるからさ。本人の問題だけじゃなくて、周りからいろいろ言われちゃうこともあるらしいし。それに、同じ性別同士だから逆に難しいってとこもあるみたいなんだよねえ。だから、3人見てるとなんか安心する~」
「……ああ、そういう面もあるんですね。付き合うことと生活を共にすることはまた違うのでしょうし」
冬矢が答えると、カウンターの中でユキが首を傾げる。
「ミチは彼氏と長いけど、同棲の話は出ないの?」
「いずれはしたいって話はしてるんだけどさあ、タイミングがね~。あっちが大学卒業するときってちょうど仕事でトラブルがあって忙しかったときじゃん? そういう区切りの時期外しちゃうと、なかなかこれだってきっかけがないんだよね。絶対うまくいく自信あんだけどな~」
なるほどと呟いて冬矢と健太は同じように頷く。自分たちは同い年だったから、地方から出て都会の大学へ行くという好機があった。たしかに学年がずれていたとしたら、一緒に暮らせる新しい部屋を探すにせよ、先に住んでいるところへ転がり込むにせよ、やらなければならないことは今より多かったのだろう。同棲が決まるまでは多少ごたついたが、決まってしまえばあとは楽しかった。家電を選んだり、ベッドを探しに行ったり、これから先はいつも蒼生がそばにいてくれるという喜びで満ち溢れていた日々だった。健太に至っては学力が少々心許なかったが、蒼生と一緒に暮らせるという希望の力が受験にも大きな影響を与えたのは間違いないだろうと本人がかつて語っていたのを思い出す。
思い出に浸っていると、ミチが3人のほうにぐいっと距離を詰めてきた。咄嗟に冬矢が蒼生を引き寄せる。ミチは気にした様子もなく、手に持ったグラスをとんとカウンターに置いた。
「うまくいってる3人に、参考までに聞くんだけどさあ。一緒に暮らすうえでなんか困ったことってある?」
「困ったこと?」
「そ。なんかあったら気をつけたいじゃん」
抱きかかえられた格好のまま蒼生がふたりを見ると、冬矢が首を傾げ、健太が腕を組んで唸る。
「……んー……なんかあったっけ?」
「急に言われてもすぐには出てきませんね」
蒼生だけが、ぱちぱちと目を瞬かせている。
「僕は……」
わずかに言い淀んだ蒼生に、ミチはにやっと笑ってさらに詰め寄ってきた。
「あれー。もしかして、恋人が2人いる系のお困りごと~?」
冬矢と健太は、にやけたようなミチの口調に、明らかに色事の返答を期待しているような気配を感じる。おそらく、3人をからかうきっかけだと思ったのだろう。けれど蒼生は少し考えるような眼差しで、カウンターの奥に並んだアルコールの瓶を眺めている。
「……そうですね。だからこそ、の悩みかもしれません」
えっ、と健太が声を上げ、冬矢がわずかに腰を浮かせる。当の蒼生はミチに顔を向けた。
「夜、ふと目が覚めることがあるんです。そうすると、両隣に好きな人が寝てるじゃないですか。だから嬉しくてくっつきたくなるんですけど、右に行こうか左に行こうか悩むんですよね」
ミチはきょとんと目を見開く。驚いたのはふたりも同じだ。それはあまりにも可愛い困り事で、しかも蒼生は真剣だ。そうか。困っていたのか。蒼生は自分たちのことをどちらも好きだから。
「本当は両方行ければいいんですけど、引っ張って起こしちゃうのもよくないですし。そもそもくっつくこと自体で起こしたら悪いなとも思って……」
こっそりと身悶えるふたりをちらりと見て、ミチはくすくすと笑う。
「そっか~、それは悩ましいね! いやー、思いがけないピュア成分摂取しちゃった。のんちゃんって綺麗系だけど、ほんとすっごく可愛いよね」
「えっ」
冬矢はぴくっと肩を揺らす。蒼生の可愛いところは自分たちだけのものだ。他人が見てもそう思えるほどとても可愛いのは十分にわかっているが、口に出されると一気に独占欲が湧いてくる。どうやら健太も同様のことを考えて複雑な顔をしているようだ。
ミチはふたりの微妙な顔に気付いていないのか、カウンターに身を乗り出す。
「ねえユキ、オレとのんちゃん、どっちが可愛い?」
「は? 俺でしょ」
咄嗟のユキの返しに、蒼生はこくこくと首を縦に振る。
「ユキさん、可愛いですもんね」
「ユキが可愛いのはわかってんのー。オレとのんちゃんだとどっちよ」
「……冗談はともかくとして、タイプが違うんだから、一概にどうとは言えないよ」
「いえ、断然ミチさんでしょう? いつも楽しそうににこにこしてるとこ凄く可愛いですもん」
「えー。じゃ、それぞれの彼氏に確認して勝負するぅ?」
蒼生は手をぱたぱたと振るだけでなく、首も一緒に振った。
「無意味な勝負やめましょうよ。クロさんはミチさんが可愛いって言うに決まってますし、うちのふたりだって僕のことが世界一可愛いんだから、勝負になりませんよ」
ぴたり、と蒼生を囲む空気が止まった。カウンターの中でリュウが振っていたシェイカーの音も止んだ。蒼生はぱちくりと周囲を見渡す。
「…………え?」
ミチは空になったグラスを掴み、ユキに差し出した。
「ユキ、おかわり。そしてのんちゃん優勝」
「異議なし」
「へ?」
健太と冬矢は同時に立ち上がった。
「すみません、うちのが可愛くて。至急持ち帰って可愛がります」
「そうしてください」
「へ?」
店を出るまで、蒼生は不思議そうにふたりを眺めていた。
バスタオル1枚を羽織っただけで運ばれてきた蒼生は、運んできた健太にベッドの上に丁寧に転がされてくすくすと笑う。クローゼットのドアを閉じた冬矢がつられたように笑い、蒼生の隣に座った。
「珍しいね。まだびしょびしょじゃないか。健太に攫われてきたのかな?」
「そう。シャワー浴び終わってお風呂場から出てきたところを、そのまんま連れてこられちゃった」
「えっへへ。だって我慢の限界だったんだもん。オレってばめちゃくちゃ偉い。家に帰るまで我慢してたんだからさ」
「それは俺も同感だな。電車での移動がとても長く感じたよ。……ああ、可愛い蒼生。脱がせるのも好きだけど、こんなふうに無防備なまま横たわる姿もたまらなく可愛いね」
言いながら、冬矢はバスタオルの上から優しく水を拭うように蒼生の体を撫でる。それを見た健太が張り合うように太腿のあたりをぱたぱたと拭いた。
「ふ、あはは、くすぐったいよ」
「体を拭いてるだけなので、おとなしくしてくださーい」
「それにしては、ふ、手つきがちょっとえっちなんですけど?」
「そりゃえっちな気持ちで触ってるからな~」
「言い分がころころ変わる奴だな。誠実さに欠ける対応はよろしくない。ほら、逃げておいで、蒼生」
「逃がすもんか!」
「あははははっ」
声を上げて笑う蒼生に、健太と冬矢はますます嬉しそうにぐぐっと近寄り、体ごと擦り寄るように体中を拭いてくれる。それを口実にくっつきたくてたまらないだけに見えるふたりの態度が嬉しい。
ただ、と蒼生は首を捻る。電車に乗るときは節度を持った距離を保つふたりが、今日はずいぶんと近かった気がするのだ。車内の人数が多いことにかこつけて、代わる代わる引き寄せられていた。先程のふたりの言葉からすれば我慢していたということのようだが、それはいつものことではないか。
「……あのさ」
「ん?」
「今日、ふたりともいっぱいぎゅってしてくれるけど、何かあった? バー出たときからそうだよね。もしかして、やっぱり僕、変なこと言ったかなあ」
ミチとユキとの会話の途中で、ふたりは突然立ち上がったのだ。特別な話をしていたわけではない蒼生自身には心当たりがないのだが、気に障ることでも言ってしまったのかもしれない。不安になって左右を見るが、健太と冬矢に笑顔を崩す気配は全くなかった。
「変なことなんて、なにもないよ。早く蒼生に触れたい願望が延々と蓄積されていたのが限界を超えただけ。今日はずいぶん健太がいいところを見せていたからね。俺のことを見てほしいなって思っていたんだ」
「そ。合流する時、エスカレーターで蒼生が下りてくるの見えた瞬間からずーっと、ぎゅってしてちゅーしたかったんだ。冬矢ばっか蒼生を独り占めしてるなって思ってさ」
言うや否や、健太が頬に、それから唇にキスをくれる。冬矢は反対の頬に、髪に。
なるほど、ふたりはお互いにやきもちを妬いていたからか、と納得する。たしかに、今日の自分は健太を褒めたし、冬矢と長い時間ふたりきりだった。それを羨ましがるふたりがとても可愛らしく思える。そうだ、バーを出た瞬間からの行程は“帰り道”になる。3人の場所に戻るだけが目的になるのだ。そう思えば、早く触れ合いたいと思って気が急いても不思議ではない。蒼生自身も早くふたりと抱き合いたいと思っていたのだ。
ほっとして腕を伸ばすと、健太の腕が背中に回り込んできた。
「へへ。ホントはさ、玄関のドア閉めた瞬間にしたかったんだぁ」
冬矢が蒼生の耳元に唇を落としながら、ふふっと小さく笑う。
「気持ちはわかるが、健太はパンを持っていたからな」
優しい声が頭の中に響き、腰のあたりがぞくぞくとざわめく。
「ん、柔らかそうな総菜パン、崩れちゃわないように持ってて、くれたもん、ね」
頷いた健太が、首元に、肩に唇を這わせていく。
「だって、明日の大事な遅い朝ごはんだもん。はぁ……、蒼生、好き……。あのパン屋、閉店間際だったけど、美味しそうなの残っててよかったよな」
「う、ん」
健太が次第に体をずらしていくので、蒼生の腕は少しずつ健太から離れていく。その隙間に冬矢が潜り込み、蒼生の腕を健太から奪うと、覆い被さってのキス。
「……ん、ふ」
「蒼生、口開けて」
「ぁ……」
優しく舌先をつついてくる冬矢の誘いに従えば、あやすように絡まってくる。甘い吐息で体が満たされていくのを感じる。わずかに湧いていた不安は、ふたりの唇が簡単に払い落としてしまったようだ。
全身をくまなく巡るつもりなのか、健太は蒼生の脇腹に跡をつける。ここから先はバスタオルが巻き付いていて進めない。健太の手が迷いなくそれを取り去ると下半身が急に涼しくなり、蒼生は小さく身を震わせた。
「かわいー。蒼生の、ほら。ちょっと反応して、ふるふるしてる」
自分の体に起きている変化だ、蒼生もとっくに気付いていた。早く触れてほしいという期待が、身体の奥から湧き出ている。
「うん……っ、ぁ、僕、も、ずっと期待してた、から、っん」
最後の言葉は、冬矢が塞いで飲み込む。
「んっふふふ。そっかぁ。可愛い」
健太は嬉しそうにそう呟くと、蒼生の内股に吸い付く。
「むー……」
触れてもらえると思った蒼生は、敢えてそこに触れない健太に抗議の声を上げる。けれど健太は笑って、唇を足の先に向かって這わせていく。
「あ、んぅ……」
「……ははっ、健太に意地悪、されたね」
「とぉや、してぇ……」
答えはキスで返ってきた。けれど蒼生は「あれっ」と思う。冬矢の目がいたずらげに笑っていたからだ。
果たして、冬矢が手を伸ばしたのは、蒼生の奥まった蕾だ。そのまま指先が周囲を優しく撫で、ぬるりと入り込んでくる。
「あっ、ん……、やだぁ、そっち……?」
「ふふふ、まずはこっち。一緒にゆっくり気持ちよくなろう?」
「……そっか、うん」
素直に蒼生はこくんと頷く。
そうだ、ここは3人だけの家。誰も邪魔をする者はない。時間はたっぷりある。慌ててはもったいない。急いで快感を得たいと叫ぶ体の中心を、大きく息を吐いてなだめる。ゆっくり。このまま、たゆたうような心地よさに体を預けていればいい。
健太の唇を、舌の温かさを、体のあちこちで感じて。
冬矢の吐息を飲み込みながら、優しく揉みほぐしてくれる指先を感じて。
そうしていると、自分に触れたいと思って触れてくれているふたりの思いがじんわりと伝わってくるような気がする。
愛しいと思う人が、自分を愛しいと思ってくれている。
ここにいるのが自分でいいのだと実感する瞬間を幸せと呼ぶのかもしれない。
蒼生は目の前にいる冬矢にぎゅっと抱きつく。と、指先に触れるのが布であることを少々寂しく感じた。
「ね、服、いらない……裸でぎゅってしたい……」
ぴょん、と飛び上がったのは健太だ。
「そうだよな! オレもそうしたい!」
言いながら勢いよくTシャツをがばっと脱ぎ捨てる。冬矢も笑って、指を引き抜いた。
「っあ」
「ふ、可愛い。蒼生は自分だけ裸だと恥ずかしいんだよね」
「……ん。僕だけやる気みたいなのが恥ずかしいんだもん……。冬矢だって隠してるだけでしょ」
のそっと体を起こし、蒼生は冬矢のズボンに手を伸ばす。そっと触れれば、布越しに熱い鼓動が聞こえてくるようだ。
「ああ……そうだよ。こんな可愛い恋人が、俺の手の動きに合わせて可愛い声を上げていて、興奮しないわけがない」
にいっと笑う冬矢を見たとたん、蒼生の体に電流のような快感が走る。普段穏やかで優しい顔ばかり見せる冬矢が、はっきり欲望を表情に出す瞬間がとても好きだった。本能の一部である性欲が、はっきり自分に向かってきている。それはたまらなく心地いい。
突然後ろから、ぐいっと腰を持ち上げられる。
「わっ、……ぅぐ」
もちろん、健太の仕業だ。バランスを崩してシーツに突っ伏した蒼生が感じたのは、尻の谷間に押しつけられる熱い塊。ぶわっと体が熱くなる。
「冬矢、ほぐすの、もういいだろ?」
「我慢できなくなったか。大丈夫だよ。……蒼生、健太が入りたいそうだ」
「はぁい。健ちゃん、来てぇ」
「んじゃ、失礼しまーす」
健太ののんびりした言葉に笑いそうになる。けれど、健太の熱が押し当てられ、ぐぐっと挿入ってくると、甘い痺れが全身を襲ってきた。
「あ、ぁ……っ、はぁ」
広がって。
ゆっくりと。
「あぅ、ん、う」
シーツに半分埋まったままなので、少し息がしづらい。腕を突っ張って体勢を整えようとする。と、それに気付いた冬矢がそっと蒼生の肩の下に手を差し入れた。
「はあ、ごめ、蒼生、しんどいよな」
健太も蒼生の腰に手をやり、ぐぐっと抱き起こす。
すると、正座をする健太に背中を向けて乗っかるような格好になった。
「ひぁっ……」
ぐり、と健太の先端が、浅い部分にある心地いい部分を擦る。
「あー……っ、あ、きも、ち」
「ここ、好きだよね」
「ん、ぅき……ぃ、あぁっ、ん」
気持ちよさに仰のいてしまった蒼生だが、ふたりを視界に入れたい。はあっと息を吐いて顎を引く。
すると、服を脱いでいる途中の冬矢と目が合う。
まっすぐ向かってくる、うっとりとした眼差し。
蒼生の恍惚の表情を見逃すまいとしているようだ。
それに気付いた健太が、蒼生の腰を掴んでいた手を二の腕に移す。
「っ! あ、やぁ、けんちゃ、深ぁ……っ」
「蒼生、ちゅーしよ」
「は、ぁ、うん……、ん、」
背後から腕を引くように掴まれたので、背を反らせるような体勢になった。そこに健太の後ろからのキスに応じれば、自然と体の正面が無防備になる。
「っあ」
思わず声を上げたのは、ペニスの先に強い刺激を感じたからだ。
反射的に目を落とすと、冬矢が愛おしげに先端を口に含んでいる。
体が痺れる感覚。
「はあっ、あ、く、ん、ぅぅー……」
待ち望んでいた刺激に、歓喜の声が漏れた。
今日はゆっくり、だったはずだ。
それが突然、激流のような快感に飲み込まれそうになっている。
突き上げてくる健太と。
それを飲み込んでしまいそうな冬矢と。
なるほど、このために「ゆっくり」だったのか。
あの優しい愛撫は、ジェットコースターを登っていく、長い坂道だったのだ。
「あっあぁ、ん、りょう、ほう、ぅー……、あ、や、ぁ」
健太が首筋に口づける。
「っ、やだ?」
「じゃ、ないぃ……っ、きもっ、ち、ぃ、あ、あぁっ」
「あー……イッちゃう?」
「う、ん……っ、も、ぉ」
何も言わずに冬矢がペニスに触れる手の速度を上げる。
腰を突き上げる健太も、かすかにその角度を変える。
「あ、ぁ、っ」
「はあっ、オレも、気持ちいい……っ、」
肩をくすぐる健太の短い髪が、しっとりと湿っている。
「ごめ、先、イッていい……?」
「ん、いいよ、いっぱい、ぁ、あ、出してぇ」
「あ、おぃ……っ!」
ぎゅうっと強く腕が掴まれたかと思うと、下で支えてくれている健太の体がびくびくと震える。
それに合わせるように冬矢が舌で扱き上げて。
「……ぁあっ」
ふたり同時に体から力が抜けた。
ぐらりと倒れかけた蒼生の体を、冬矢が正面から抱きとめる。
目を上げれば、口元をわずかに汚しながらも満足そうな表情だ。
「あ……」
綺麗な顔を汚してしまった、と思い、咄嗟に背を伸ばしてその白い残骸に口づける。じわ、と口の中に嫌な味が広がる。
「ああ、こら。美味しくないだろ」
「んぅ……、美味しくないぃ……」
「口直ししよう」
そう言って冬矢が深いキスをくれる。それはまったく同じ味のはずだ。自分が出したものにかわりはないのだから。なのに、冬矢の唾液を介するだけでほんのり甘く感じるのは何故だろう。
恍惚として舌の動きを味わっていると、腹に熱さを感じた。目をやれば、既に薄い膜を纏った冬矢のペニスがこちらを向いている。
「……待っててくれたんだ」
「そうだよ。これも欲しいだろ?」
「欲しい。もう、すぐに欲しい。ちょうだい」
「もちろん」
まだ足に力が入らない。それでも膝をゆっくりと進めて抱き合う。そしてその格好のまま、腰を下ろしていく。
すぐにぴたりと先端がちょうどいい場所に触れ、昂ったペニスが侵入してくるのがわかる。
「……あー……っ」
余韻の抜けていない体に、びりびりと電気が走る。
中身から掻き混ぜられているような奇妙な感覚に、それ以上動けなくなる。
「蒼生……気持ちいいね」
「んっ、うん、ぃ、い……っ、う、んん……っ」
優しく冬矢が髪を撫でてくれる。
それから、耳元にキスを。
冬矢を気持ちよくしたい、と思うのだが、体が言うことを聞かない。
それでもいいよと冬矢の態度が示すほどに、きゅうっと体が縮こまる。
「寄っかかって」
手を伸ばしてくれたのは健太だ。
後ろから蒼生に抱きつき、その足をひょいと持ち上げた。
「あ、ぁっ」
それがより深く冬矢と繋がる格好になる。
「はあっ、あ、あぁ」
ふたりの間に挟まれている。
嬉しい。
泣きたいくらいにせり上がってくる。
「あ、とぉや、ちゅー、してぇ……」
「うん。蒼生、可愛い蒼生……大好きだよ」
「ん、ん……。け、んちゃ、も」
「はーい、こっち向ける? ん、上手。ちゅー」
熱い。
ふたりの体温、それが自分の中に渦を描いていくのを感じる。
ふたりの手が自分にだけ触れていることが嬉しい。
「すき……だいすき……」
蒼生の口から零れた言葉に、ふたりは嬉しそうに笑う。
そうして、ふたりがかりでキスをくれるのだ。
唇に。
頬に。
肩に。
髪に。
耳に。
ぱた、と蒼生の右目から涙が零れる。
「蒼生?」
「きもちぃ……嬉しい……ぁ、うぇし、ぃ……」
「へへ。蒼生が気持ちいいとオレも嬉しい」
すべてが満たされる。
この瞬間は、何も不安に思わなくていい。
なにひとつ心配する必要がない。
ただ、愛し合っているという実感だけがあれば。
「あ、……っあ、は、ぁ、あぇ……」
「ここ、蒼生の好きな、とこ」
「や、ぁ、あ……?」
健太が後ろから抱き締めてくれる。
冬矢が両手を握り締めてくれる。
その瞬間、来る、と思った。
来る。
「ちゃんと気持ちよくなって、いい子だね。ほら。……イッて」
「…………っあ!」
ぐわっと、繋がったところから駆け抜けていく「なにか」。
ぱちぱちと爆ぜて、体を貫く。
「は、……あぁ」
真っ白で。
今度こそ、体の力が崩れるように抜けていった。
残るのは、甘い刺激と高揚感。
どこかに飛んで行ってしまったはずのものが、まだ体の中央でくすぶっている。
はー……と長い息が漏れた。
達してしまった蒼生の体は、ふたりがゆっくりとシーツの上に横たえてくれた。息が荒い。自分でも驚くほど胸が激しく上下しているのが見える。おそらく、頑張れば動けるはずだ。そこで蒼生は自分が動きたくない理由に気付く。動いてしまえば、この甘い痺れのような心地よさが逃げてしまいそうだからだ。
「蒼生、大丈夫?」
元気のいい、それでも心配そうな健太の声。
「疲れちゃったかな」
優しく労る冬矢の声。
ふたりとも満足していないはずなのに、蒼生を優先しようとする。いつもそうだ。
蒼生はふたりに向かって手を伸ばす。
「やだ。もっと……欲しい。もっとシよ」
素直にそう告げる。
蒼生だってまだ満足しているわけではないのだ。
ふたりと同じくらい、蒼生もふたりのことを求めている。
「えへへ。うん。オレも欲しい」
「そうだね。まだ夜は始まったばかりだ」
健太は蒼生の手を握り、冬矢は蒼生の胸元にキスをする。
期待で胸がいっぱいになった蒼生は、ふふっと笑いを零した。
改めて寝室を寝るために整え、順番に風呂に入り、3人で「おやすみなさい」と言葉を交わし合って目を閉じた。それきり部屋は静まりかえる。
だが、しばらく経っても健太はなかなか寝付けずにいた。常日頃から思っていることではあるが、今日も蒼生は可愛かった。可愛すぎた。もっと、と欲しがる姿が愛おしくてならず、その興奮がまだ体の中に残っているせいだ。
隣では、体力を使い果たしてしまったのだろう蒼生がすやすやと穏やかな寝息を立てて眠っている。可愛い。起きていた姿が可愛くて眠れないのに、眠っている姿まで可愛くてはどうしようもない。頭を抱えて身悶えしていると、蒼生の向こうにいた冬矢がごそりと動く気配がした。
「……眠れないのか」
蒼生を起こさないようにと、小さな声。
「なんか……。蒼生が可愛すぎて脳みそが全覚醒してる」
「ははっ。おまえもか」
呆れた色のない素直な声色から察するに、どうやら冬矢も同様の症状らしい。健太はしみじみと頷く。
「だよなー。さっきあんだけ気持ちよさそうに泣きながら縋りついてたのに、……あ、やべ、思い出すとぶり返しちゃうな、あー、可愛い寝顔可愛い寝顔、可愛いから起こしちゃダメ」
健太の己を鎮める呟きに、冬矢が微かに笑った。
「1日のどこの瞬間を切り取っても可愛いんだから、たまらないね。特に今日のあれは可愛かった」
「どれ?」
「バーで話をしていた時だ。ミチさんに困っていることを聞かれただろ」
「ああ、あれか。……あれは……マジで可愛かったな」
同棲で困っていることを聞かれ、起きた時にふたりのどちらに寄り添うかだと迷わずに答えた蒼生。それに困っていると思うこと自体がまず可愛いし、真っ先にそれを言うほど他に何も困っていないらしいのも嬉しい。
「しかも自分で可愛いことを言っている自覚もなかったようだしな。つまりそれは、俺たちが蒼生を世界の誰より可愛いと思っていると心の底から疑うことなく理解しているということだ」
「それって、蒼生がオレたちに愛されてる自信があるってことじゃん。無意識なのも含めて可愛い……」
「ちゃんと想いが伝わっているんだと思うと嬉しいね」
「だな」
慎重で思慮深い蒼生は、小さなことでも不安になってしまう。自身への評価に対してはその傾向が顕著で、少しでも好意的な判定がなされると、とたんに不信感と疑念で動けなくなる。また、その判断の基準がひどく低い。はたから見れば当然の点数も、蒼生にとっては過大な評価に映るらしい。
けれどそんな蒼生が、今では自分たちの向ける愛情を、真正面から受け入れてくれている。他のことについてはまだ途上だが、ふたりの想いだけは全面的に信じてくれている。なんて愛おしいのだろう。
「さあ、今夜の蒼生はどちらに来てくれるかな」
冬矢の言葉に、健太は小さく体を起こす。
「えっ。オレだろ。だって蒼生はオレ不足のはずだもん」
「どうかな。ずっと俺といたんだから、そのまま俺といたいんじゃないかな」
「オレだ」
「俺だよ」
こそこそと言い争いをしていると、蒼生がころんと体勢を変えた。
向かうほうには冬矢がいる。
「ほら、こっちに来た」
「寝返りだろ」
健太のボリュームがわずかに上がる。それがうるさかったのだろうか。
「……うー……」
冬矢の腕の中にいた蒼生が唸る。起こしてしまっただろうかと焦って様子を窺うが、そういうわけではなさそうだ。
覗き込んだ健太がほっと息を吐くと、蒼生の腕がふらりと浮く。そしてそのまま健太のシャツを掴むと、自分の方向に引き寄せた。
「ん……」
ふたりの腕を抱えた蒼生は、満足げな寝顔だ。
健太と冬矢は、しばらくその様子を眺め、ふっと小さく笑う。
「……やっぱどっちも必要だって」
「そのようだな」
可愛い、愛しい、蒼生。
健太と冬矢は間で眠る恋人を抱き締め、再び目を閉じる。
穏やかな寝息を聞いているうちに、愛されている安心感で満たされていく。
やがて、部屋の中に聞こえるのは、3人分の揃った寝息だけになった。
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101こ目;Lovely Days
僕+君→Waltz! 創作BL 創作BL小説 一次創作 幼馴染 三角関係 溺愛 3P R18健太の飲み会に合わせ、近くで食事を楽しむ蒼生と冬矢。
やがて合流した3人は、馴染みのバーに遊びに行き…。
蒼生と健太と冬矢のラブラブな生活を綴る『僕+君→Waltz!』。
101こ目の今回より「Moreover!!シリーズ」略して「More!シリーズ」として新たに開幕いたしました。
のんびりな更新速度になるかと思ったり、ちょっと短めのお話などを組み込んでいきたいと思ったりしております。
引き続きゆるふわいちゃあまな3人の生活をお楽しみください!
(本日7月20日は蒼生の誕生日です!関係ない話でごめんね!)
↑初公開時キャプション↑
2024/07/20初公開
https://pictbland.net/users/series/kazanet-tk/%E5%83%95%EF%BC%8B%E5%90%9B%E2%86%92Waltz%EF%BC%81
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レストランのウェイターが恭しく皿を運んでくる。そこに様々なフルーツが山盛りになっているのがわかると、蒼生はぱっと目を輝かせた。だが、はしゃいでは幼く見えると思ったのだろう。すぐに爽やかな笑顔に戻って、ひとつひとつ頷きながらメニューの説明を聞いている。その視線の動きをじっと見守っていた冬矢は、あまりに可愛らしい仕草に目を細めた。
頭を下げたウェイターが廊下に消えると、蒼生の表情がとたんに幼くなる。
「すごい。思ってたより量が多くてびっくりしちゃった」
「そうだね。フルーツプレートという名称とはいえ、この値段なら4、5種類だろうと思っていたけれど」
「僕もそう思ってた。ちょっとデザートを追加しようと思っただけなのに、ほら、いちごもたくさんあるし、メロンの陰にザクロが隠れてるし、リンゴにオレンジに……マンゴーも1種類じゃないんだね。こっちのちっちゃいケーキ、どれも美味しそう。しかも、いちごのパフェまで載ってるなんて、すっごい贅沢」
蒼生は皿の中央に置いてあった小さなグラスをひょいと持ち上げた。サイズは小さいが、ジャムとクリームと角切りの果肉が層を作り、さらに最上部のストロベリーアイスを囲むように小さく切ったいちごが飾られている。これは立派なパフェだ。
「どうぞ召し上がれ」
「うん。いただきます!」
まずは手前に並んだ色鮮やかなパイナップルにフォークを刺し、ぱくんと口に含んで「すっぱい」と笑う。冬矢は、幸せな光景だな、と顔を綻ばせた。
広い店内はそれぞれの席が大きな木製のパーティションで仕切られているため、ほぼ個室の状態になっている。他の客の気配は感じるが、視線が遮られているので、大好きな恋人の笑顔を独り占めしていられた。しかもその背景は、大通りに面した大きな窓だ。そこから見える街灯の間を繋ぐように年中灯されているガーランドの電球が、愛しい人の穏やかな輪郭を金色の光で柔らかく照らしていた。それはまるで、蒼生自身の輝きを誰の目から見てもわかるようにはっきりと可視化しているようだ。けれど、誰にも見せたくない。この美しい絵画のような瞬間を目にしているのは自分だけなのだ。もしかすると、蒼生よりも自分のほうが贅沢な気分を味わっているのではないだろうか。
どちらにしても、今抱えている悩み自体が既に贅沢だという自覚がある。この眩いばかりの愛しい恋人を世界中に自慢すべきか、閉じ込めて自分だけのものにしてしまうべきか、迷う選択肢の結果にはどちらも蒼生が傍らにいることになるのだから。
「……ねえ、冬矢」
じいっと皿を見つめていた蒼生が、小さな声で呼びかけてくる。
「なに?」
答えた声は、自分でも驚くほど弾んでいた。昔の自分であれば絶対に出なかっただろう甘い声色に、冬矢は思わず笑みを零す。だがそれに対して蒼生はまったく違和感を覚える様子はなく、おずおずと目を上げた。つまり蒼生にとっては聞き慣れた声なのだ。
「あのですね。ちょっと全部食べきれる自信がなくって……。手伝ってもらってもいい?」
「ふふ、さすがにこの量は想定外だったよね。では遠慮なく俺もいただこう。せっかくだから蒼生に食べさせてもらおうかな」
「え、僕もしてほしい!」
ほんのわずかな間を置くこともなく、嬉しそうな答えが返って来た。なんて素直な反応だろう。本心だから迷う必要がなかったのだと思うと、愛おしさがこみあげてくる。食べさせ合うなら近くに行ったほうがいいと判断し、冬矢ははやる心を抑えながら空いている蒼生の隣の椅子に移った。
そう、4人掛けの席は2つ空いている。普段であれば、ここには健太がいるはずだ。だが今日は、大学の仲間内で飲み会があるとかで出かけていった。いや、健太がいないとわかっていたから蒼生とふたりで食事に来たのだ。さらに言えば、飲み会の場所を聞いた蒼生が、つい先日強盗致傷事件があったばかりの地区だとひどく心配していたのを察して連れ出した、というのが最も正解に近い。一緒に行けないまでも、近くにいれば少しは安心だろうと考えたわけだ。
「ほら、蒼生。口開けて」
「はぁい」
しかし、おかげでいつもは真っ先に健太に権利が行く「あーん」と「ふたりで半分こ」を楽しませてもらっている。もはやどれが言い訳だかわからないが、蒼生が美味しそうにいちごを頬張る姿が至近距離で見られているので、細かい理由などどうでもいいかとも思う。
ぴたりと肩を寄せて小さなケーキを半分ずつ味わっていると、冬矢と蒼生の携帯が同時に震えた。目を見合わせて、笑う。
「健ちゃんだ」
「あいつ、変なところでタイミングがいいからな。俺たちが仲睦まじくしているのを野生の勘で察したのかもしれない。仕方ない、反応してやろう」
レストランの中なので音を消していたが、3人だけでやりとりをしているメッセージシステムなので振動だけでもすぐにわかる。ふたりで携帯を覗き込むと、案の定健太からの「終わった」というメッセージが届いていた。冬矢は頭の中の地図を辿る。
「このビルまで健太が来たほうが早いな。健太も待っているより移動するほうが気楽だろう」
「うん。連絡するね」
ぱたぱたと健太へのメッセージを打ち込む蒼生の眼差しに、ほんのわずかにいたずら心が湧いた。その視線を少し邪魔するように、いちごをフォークに刺して差し出してみる。すると、蒼生はこちらに目を向けずにそのままそれをぱくりと頬張った。冬矢が食べさせてくれることをまったく疑問に思っていないようだ。おそらく、邪魔をされたとも思っていない。ふふ、と冬矢は微笑む。合流した健太は上機嫌で蒼生にまとわりつくだろう。冬矢は自分だけが見たこの可愛い景色を、そっと胸にしまい込んだ。
デザートを平らげたふたりは、店を出てエスカレーターで1階に下りる。待ち合わせに指定したエントランスホールの時計の下には、既に健太の姿があった。薄々そんな気はしていたのだが、冬矢の計算より若干早い。
「健ちゃん」
蒼生の小さな声に気付き、健太はほっとしたような笑顔を浮かべた。左右を見渡し、その場にいるほうがいいと判断したのだろう、下げた手をわずかに広げる。蒼生は嬉しそうに小走りで近寄ると、その両手を握った。
「ただいま、蒼生」
「おかえりなさい」
健太を見た後で改めて冬矢のほうを振り返り、ふたりがすぐそばにいることを確認してふにゃりと可愛い笑顔を浮かべる。蒼生のそのふたりにしか見せない気を抜いた笑顔は、健太と冬矢にとってどんなものよりも強い癒やし効果があった。体力も気力もすべてが回復していくような感覚でそれを満喫していると、当の蒼生がはっとしたように目を開く。
「ねえ健ちゃん、嬉しくてついそのまま受け入れそうになっちゃったけど……。こんなに早くてよかったの?」
「ん? 蒼生に会いたくて、めちゃくちゃ早歩きで来たからな」
「そうなの? ふふ、嬉しい。……あ、そうじゃなくて、あの、えっと、それもびっくりしたんだけど。せっかくのお友達との飲み会だから、もっと楽しんで来るんだろうなって思ってたんだ。僕たちが近くにいるのが気になって早く切り上げたんだったらごめんね。健ちゃんの邪魔になっちゃったかも」
心配げな蒼生の言葉に、健太は「ああ」と言ってさらりと笑う。
「ううん、全然! むしろ助かった! ってか、オレ以外にも用事入ってる奴がいて、そもそも店1軒で終わりって話だったからね。なのに、このあと女の人のいる店に行くとか突然言い出した奴がいてさー、じゃあみんなで行こうとかいう方向になりかけたわけ。だから、オレも約束あるんで失礼、って抜けてきた。恋人と会うのかって聞かれたから、そうですって元気よく答えてきたよ。終わったら落ち合う予定だって言ったら、そりゃ早く行ったほうがいいよってなったからいいんだけどさ。まったく、勘弁してほしいよなぁ」
それを聞いた蒼生は、わずかに複雑そうな顔をする。友達と自由に遊んでほしい気持ちと、女性に接待される店に誘われることがあるという現実と、断ってくれて嬉しいという気持ちがないまぜになっているのだろう。そう考えた冬矢は、話を変えるべく蒼生の片手を健太から取り戻す。
「懸命な判断だ。理由を聞いたうえで強引に連れて行くような友人なら、付き合いを考えるよう助言するところだったよ。どちらにせよ、予定より早くなったな。俺はもっと蒼生といちゃいちゃデートを続ける予定だったんだ。健太も飲み足りないだろう? 近くまで来ているし、ちょっとバーに寄るのはどうかな」
「行く!」
「飲んでく!」
蒼生と健太は、ほぼ同時にぱっと顔を輝かせて頷いた。
少し年季が入ったビルに入ると、すぐにエスカレーターがある。上ってまっすぐ歩いた突き当たりにある飴色のドアがバーの入り口だ。開けば、ちりんちりんとドアベルの優しい音がする。
「こんばんは」
蒼生が声をかけると、カウンターの中にいたベスト姿の2人が顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
そう言ってにこりと笑ったのは、奥のほうに立つ蝶ネクタイをつけた小柄な青年だ。蒼生がぺこりと会釈をする。
「こんばんは、ユキさん。ご無沙汰してます」
「お待ちしておりました。マスターも会いたがっていましたよ。あいにく本日はお休をみいただいていますが」
「珍しいですね、ご体調でも?」
「いえ、あまりにも休まず店に出たがるので、旅行券を押し付けて無理矢理休ませました。今頃は温泉旅館でくつろいでいるでしょう。ですから、今日は僕がマスター代理ということで」
「あ、乗っ取りだ」
健太の言葉に、ユキは「ふふっ」といたずらっぽく笑う。
彼は年若いが、マスターの下で修業を積んだバーテンダーだ。腕がいいのはもちろんのこと、物腰の柔らかさも似ているので、ユキが店を継げば安泰だと常連客はひそひそ噂話をする。当然それはマスターの耳にも入っていて「まだまだ引退しませんよ」と笑っていたそうだ。ユキ本人は謙遜しているが「まだ」ということなので、つまりはそういうことなのだろう。ただ3人にとっては、年が近いこともあって、マスターの後継者というより頼れるお兄さんといったイメージがあった。
「立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」
ユキはカウンター中央の空いた席を指した。3人は示される通り、蒼生を挟む形で背の高い椅子に座る。すると、手前のがっしりした体格の青年が温かいおしぼりを手渡してくれた。
「リュウさんもこんばんは。相変わらずバイトは掛け持ちですか」
「こんばんは! ええ、さっきまで駐車場を守ってました!」
元気のいい声に、ソファ席のほうからくすくすと笑い声が聞こえる。はっと目を見開いたリュウは、恥ずかしそうにそちらに向かってぺこりと頭を下げた。それにつられるように店内を見渡せば、のんびりと会話を楽しむ男性同士のカップルで今夜も混雑していた。ここはゲイバーで、相手を探しにやってくる者も当然いるのだが、店の雰囲気がいいせいかカップルで訪れる客が多い。キャストの質が高いのもその要因の一つなのだろう。
「盛況ですね」
冬矢が話しかけると、ユキは中性的な顔をいっそう和ませる。
「おかげさまで。僕が勤め始めたころは落ち着いた年代の方が多かったのですが、今は皆さんみたいな若い方もたくさん来てくださるようになって、本当に嬉しい限りです。おかげで、フードメニューも充実しましたしね」
差し出されたメニューを、健太が嬉しそうに受け取る。そして書かれた料理名を上から下まで眺めながら首を捻る姿に、蒼生はぱちくりと目を瞬かせた。ここの食事が美味しいのは知っているが、健太も食事を終えたばかりのはずだ。
「ごはん足らなかったの?」
「そうなんだよー。さっきの飲み会、ほぼ酒のつまみみたいなもんばっかだったんだもん。酒飲む連中はそれで腹いっぱいにしてたみたいだけど、オレはセーブしてたから足んなくてさ」
「あんまり飲まなかったんだね」
「うん。外でぐだぐだになっちゃったら、そのあとのメインディッシュが楽しめないでしょ」
「そっか、終わってから別にごはん食べるつもりだったのか。……ん? え? なに、その顔。もしかしてメインディッシュって僕のこと?」
「そうですけど?」
ふたりのやりとりを微笑ましく眺めながら、冬矢も蒼生越しにメニューを覗き込む。健太はおそらくボリュームのある料理を頼むのだろう。けれどデザートプレートの量が多くて分け合って食べた自分と蒼生には、軽いものがいい。膝をそっと指先でつつくと、にこにこ顔の蒼生がこちらを向く。
「俺たちはカナッペでも頼もうか」
「いいねえ。あ、チーズも食べたい」
「ふふ、じゃあそうしよう」
やがて、注文通りの品がカウンターに並ぶ。様々な具材が載った明るい色合いのカナッペを嬉しそうに見つめた蒼生は、ちらりと健太が頼んだパスタに目をやって小さく笑った。
「おなかいっぱいで目の前の綺麗なお皿で満足できそうなのに、やっぱりパスタの香りにも惹かれちゃう」
「味見くらいだったらいけそ?」
「うん」
蒼生が心を奪われるのも無理はない。ショートパスタの上で湯気をたてるひき肉のソースは、冬矢のほうまでスパイシーな香りを漂わせている。なんとも食欲をそそる香りだ。結局冬矢もそちらに手を伸ばし、3人は頼んだメニューをお互いにつつきあうことになった。両側から手が交差するのを、蒼生はいちごのカクテルを味わいながら楽しそうに見つめている。それを見ているふたりも嬉しくて仕方がなかった。
話題は自然と分かれて行動していた今日の午後の話になる。その中心は健太だ。健太は蒼生と離れていた間のことをとにかく話したがるし、蒼生が何をしていたのかを知りたがる。健太のこれは幼い頃からの習性だ。冬矢はこの行動を、幼稚園でその日あったことを全部親に報告する子供と同じようなものなのだと思っている。健太はやましいことがあるわけでも蒼生を疑っているわけでもなく、ただひたすら蒼生とのおしゃべりを楽しんでいるのだ。それが結果として、不安になりがちな蒼生の安心材料ともなっているのだろう。
かくいう冬矢も、離れている間の蒼生の行動が気にならないわけではない。むしろ、全部把握したいと思う気持ちは健太より強いかもしれない。だが、自分がそれを行動に移したら、もっと差し迫った雰囲気になりそうな気がする。蒼生を問い詰めるようなこともしかねない。だから健太が根掘り葉掘り聞いたことに対して蒼生がすべて隠さず話してくれるのは、冬矢にとっても有難かった。とはいえ、健太の純粋さは少し羨ましい。冬矢はカウンターの下を探り、蒼生が膝に置いていた手を握った。蒼生はぱっと笑って、小さく首を傾げる。
「なに?」
「ちょっと触れたくなっちゃった」
「ふふ、そっか」
それだけのことでひどく嬉しそうな顔をする蒼生に、冬矢には冬矢の存在意義があるのだと改めて思い直す。冬矢と健太はできることが違うのだから、役割も違っていて当然だ。だからこそ自分は蒼生の隣を独占せず、健太の存在も認めているのだ。そのうえで、蒼生が必要としてくれる人間でありたい。そのためにできることならなんでもするつもりだ。
冬矢がそっと決意を固めていると、ひとつ離れた席に座っていた男性が、突然伏せていた顔をがばっと上げた。
「リュウくん、おかわり~」
「えー? カメさん飲みすぎじゃないですか?」
「いいの! 今日はいいの! 同棲解消記念だから!」
あまり他の客を凝視するのはよろしくないとは誰もがわかっていた。が、あまりの声量に店内の目線が男性に集まる。けれど男性は酔っているせいか、それをまったく気にしていないようだ。
「ってかさあ、同棲ってすっげえいいもんだと思ってたわけぇ。好きな人と一緒の生活って憧れるじゃん? 絶対幸せなんだと思ってたんだ。でも、一緒に暮らすと、好きなとこばっかじゃなくて、嫌なとこも見えちゃうのな! 金銭感覚も全然違うし、生活習慣から合わなかったんだぁ」
しまいには泣き出してしまう男性に、ソファ席にいたカップルの片割れが見かねて駆け寄ってきた。
「カメさん、めちゃくちゃ酔ってるじゃん。もう今日は帰ったほうがいいよ」
「帰る家ないもん……」
「今、ミチにメールしたから。すぐ来るってさ」
その名前には聞き覚えがあった。もともとは蒼生がこの場所で出会った友人で、今では健太と冬矢の友人でもある。その彼のことだろうか。冬矢がそう話しかけようとして振り向くと、蒼生は手元のグラスに目を落として何か考え込んでいるように見える。楽しいことを考えているわけではなさそうだと察した冬矢は、蒼生の耳元に口を寄せた。
「どうしたの?」
蒼生はかすかに目を泳がせ、小さく唇を開く。
「……ふたりが思う、僕の嫌なところってどこ?」
「俺たちが?」
「嫌なとこ?」
突拍子もない蒼生の言葉に、冬矢だけでなく健太も驚いて声を上げた。
「一緒に暮らすと見えてくるって……」
その声は消え入りそうなほど小さい。冬矢と健太は目を見合わせる。なるほど、男性の話を聞いて、ふたりにも自分の嫌なところが見えているのではないかと心配になってしまったのだろう。
「……自覚はあるんだ、こういうのを言いだすのもめんどくさいって。しかも何度も何度も繰り返して、しつこいよね。ほんとにごめんね」
冬矢は改めて蒼生の手をぐっと握り、健太も蒼生のほうに身を寄せてその膝をぽんぽんと叩く。蒼生はそれでもまだ不安げな目をしている。
「謝らなくていいよ。俺だって何度も言うけれど、そういうところも含めて大好きだと思っているんだから。不安になっちゃったんだね。大丈夫だよ。嫌だなんて思ったことは一度もない」
「うん。オレも今、また可愛いこと言いだしたな~って思ってる。一緒になって見えたこと? んー、24時間ぶっ通しでずっと可愛いんだなってわかった、とかじゃない? それじゃあ逆に聞くけどさ、オレたちの嫌なとこってどこ?」
「えっ」
目を丸くした蒼生は、自分が聞き返されることなど微塵も考えていないようだった。ふたりの目をじいっと交互に覗き込み、しばらくしてからふるふると頭を振る。
「……ない」
「なーんだ。お互いにないなら、全然なんの問題もないじゃん」
健太が笑うと、蒼生の肩からすうっと力が抜けた。冬矢は余った手で蒼生の手の甲をゆっくりと撫でる。
「他人同士が生活を共にするんだ、うまくいかないことも当然あるだろう。相性というものもあるし、他人と暮らすことに慣れるまで時間がかかる人もいる。そうやって失敗をしながら大切な人を探していく人たちが大勢いる中で、俺たちは最初から最善の相手と暮らすことができているんだ。仮に認識に齟齬があっても話し合って解決することができるだろう? これはとても幸せなことなんだと思うよ」
「最善……」
「そう。俺たちはお互いに、一番ぴったりな人と出会えたんだね」
健太もほおっと息を吐く。
「ってことは、オレたち、ずっと一緒にいるのも当然だったんだな。だって、生まれた時から最高の相手に出会えてたんだから」
安心したような健太の声に納得したらしい蒼生は、噛みしめるようにゆっくりと頷いた。
冬矢は微笑んで蒼生の手を引き、カウンターの上に載せる。不満があるなら改善したいと互いが常に深く考えているのだ。いつだって、どんなことだって自分たちらしく向上させていける。冬矢にはその自信があった。堂々と人に見える場所で手を繋いだことで、それを伝えたいと思った。ぱちぱちと目を瞬かせて冬矢の手を見つめ、それからふわっと笑った蒼生。おそらく思いは伝わったのだろう。
「ふふ。心配事を今日も素直に伝えてくれてありがとう」
「オレもありがとう、だな。何度でも告白のチャンスくれるんだからさ」
「僕もふたりに出会えて、一緒に暮らせてよかった。いつも本当にありがとう」
見つめ合って、笑い合う。これが自分たちのあるべき姿だと思う3人だ。
そこに、ちりんちりん、とドアのベルが鳴った。
「こんばんはー。ミチでーす」
飛び込んで来た金髪の青年は、思っていたとおりの友人だ。彼は蒼生たち3人の姿に気が付くとにこっと笑い、カウンターの中の店員2人に手を振ると、まずはドアの近くに立っていたカップルの片割れの男性に近付く。
「カッシー、カメさんが潰れてるって?」
「ああ。色々あったみたいでさ……」
「お、ホントだ。きっかり突っ伏してるねえ。うん、カメさんの事情は聴いてるよ。だから助っ人連れてきた。……おーい、カメさん、迎えが来てるよ」
ミチの言うとおり、後ろには体格のいい男性がいた。走ってきたのか肩を激しく上下させ、ネクタイを緩めながらカウンターでリュウと何事かを話している。どうやら突っ伏した彼の分の支払いをしているようだ。
「……え、ミチくん? ……えっ、待って、おまえ、どうしてここに」
「彼に連絡を貰ったんだ。……慌てたよ。奴と別れたんだってな。とりあえず、うち来い。話は聞いてやるから。わかったな」
「……はい」
はあっと大きく息を吐いた男性は、迷いない仕草でカメさんと呼ばれた客の肩を支える。が、相当酔っているせいか、うまく歩けないようだ。それを見た健太が、ぱっと立ち上がる。
「手伝います!」
「すみません」
「あ、カメさん、荷物荷物! 俺が持ちますよ」
続いてリュウがカウンターから飛び出し、椅子の足元に置いてあったスーツケースとぱんぱんの紙袋を抱えた。
4人が出ていくのを眺めていた冬矢が振り向くと、蒼生は可愛らしくにこにこしている。冬矢にはその表情の意味が分かる。人のために迷わずさっと動ける健太が誇らしく嬉しいのだろう。冬矢はふっと息を吐く。今は健太のためのものだが、冬矢が動いた時には自分のために笑ってくれるはずだ。
冬矢の視線に気付いた蒼生が、目を合わせてくれた。「ん?」という自分にしか聞こえない小さな声と、小首を傾げる仕草に、愛おしさが溢れてしまいそうになる。健太は席を外しているのだから、今は自分だけが触れていいはずだ。
「のんちゃん、ハル、こんばんはー」
そこに明るい声が割って入ってきて、冬矢は思わず伸ばしかけた手を止めた。邪魔をされたことに腹を立てそうになったが、一応公共の場であることを思い出す。ここは止めてくれたことを感謝すべきなのだろう。
のんちゃん、というのは蒼生のあだ名だ。ハルとナツは冬矢と健太のことを指す。この店ではトラブル防止のため基本的に本名を名乗ることはなく、皆がお互いをあだ名で呼び合うことになっていた。だから、ここにいる誰の名前も知らない。が、店で声をかけあう間柄ならば、そのくらいでちょうどいいのかもしれない。
蒼生はミチに向かって穏やかに笑いかける。
「こんばんは、ミチさん。早かったですねえ。あの方が連絡したと仰ったのを聞いてから、あんまり時間経ってませんよ。近くにいたんですか?」
「うん。ちょうど駅のあっち側のカフェでお茶してたとこ! いやー、ナツってやっぱ力持ちだね。カメさん結構いい体格してるのに、軽々だったもん。あ、ユキ、ここ座るね」
「どうぞー」
空いているところが健太の席だと把握してくれているようで、ミチはしゃべりながら蒼生からひとつあけた椅子に座った。
「ミチは何飲む?」
「いつものオレンジのやつ~」
「ん」
その会話を聞いて、蒼生がぱちぱちと目を瞬かせる。
「ユキさんってミチさんには砕けた口調で話されるんですね。……って、これも聞かないほうがいいですか」
「ううん、全然大丈夫だよ~。別に秘密主義な店ってわけじゃないし、オレたち自身も怪しい関係ってわけでもないからね。実はさ、ユキとはお互いこの店に関係なかった高校生の頃に1回会ったことがあって。それで偶然ここで再会したの。あれびっくりしたよね」
「まさかこの界隈で出会うとは思ってなかったから、話しかけられても最初誰だかわかんなかったよ。そんなわけで、腐れ縁の友人なんです。他のお客様がいる前では店員の顔をするつもりだったんですが」
「オレがやだって言ったんだ。せめてオレに対応する時だけは友達扱いして! って。いつもタメ口なのに敬語使われるのってすごーく寂しいんだもん」
「そのへんがミチはおこさまだって言ってんの」
「純粋って言って~」
蒼生が軽口を叩き合う2人を楽しそうに眺めているのを見て、冬矢も穏やかな気分になる。おそらく蒼生は2人の気安い雰囲気が心地よいのだろう。ビジネスとしてはユキの言い分の方が正しいと思うが、ミチはそれを拒否しても許される性格をしている。ミチならいいか、と思わせる性質があるようだ。そのせいか、他人に対して慎重な態度を取る蒼生が比較的早いタイミングでミチと仲良くなっている。かくいう冬矢も、もう彼に警戒をする必要はないだろうと思っていた。
みたび軽やかなベルの音がした。ドアを開けて入って来たのは健太とリュウだ。
「ただいまー」
「カメさん、お迎えの方とタクシーに乗って帰られましたよ」
「2人ともありがとー。あの人に任せておけば、後は心配いらないと思うよ。次に聞けるのはいい報告じゃないかな」
ミチがにやりと笑う。それを聞いていた周囲にいた者は一様に首を傾げる。その仕草から察するに、あの男性の正体を誰も知らないようだ。
この謎の交友関係もミチの特徴の一つだ。出会ったばかりの頃、まだミチを信用しきれずにいた冬矢は「顔が広いんですね。危ないことに首を突っ込むタイプですか」とはっきり聞いたことがある。対してミチは無邪気な笑顔で「人脈はオールクリーンだから、大丈夫! 何かあったら安心して頼ってね!」と返してきた。それからも様子を見ていたが、どうやらそれは嘘偽りのない言葉だったらしい。不思議な人だな、と冬矢は大きく息をついた。
そこに、奥のレストルームで手を洗っていた健太がフロアに戻ってきた。先程の席に行きかけて、ぱたっと足を止める。蒼生のひとつ先にミチが座っていることに気付いたようだ。ちょうど健太のグラスは空になっていた。リュウに目配せすると、冬矢の隣に座り、こそっとおかわりを頼む。それに気付いた蒼生は嬉しそうにしているから、蒼生のおしゃべりを邪魔しないようにという健太の気配りだとわかったのだろう。
「タクシー、すぐにつかまったの?」
「うん、わりとすぐ。ちょうど近くで降りた人がいて、そのまんま乗せてくれたんだ」
「このあたりは飲み屋が多いから、拾うのも大変だろうと思っていたんだが。運がよかったんだな」
「オレの日頃の行いがいいせいでしょ」
「うん、そうだね」
「自分で言わなければもっとよかっただろうに」
「ちゃんと自らアピールしていくタイプなんだよ」
「ふふふ」
小声で話していると、ミチがぴょんと蒼生の隣の席に移動してきた。
「のんちゃんたちってさ、仲いいよね」
そして片肘をついてにこにこと3人を覗き込んでくる。が、いつものやりとりをしていただけだった3人は、不思議そうに視線を返す。それを見たミチはさらに楽しそうだ。
「毎日一緒にいるのにずっと仲良しなのっていいよねーってこと。まあカメさんはちょっと特殊なケースだったんだけど、同棲してみてやっぱ違うってなっちゃったカップル、けっこう見てるからさ。本人の問題だけじゃなくて、周りからいろいろ言われちゃうこともあるらしいし。それに、同じ性別同士だから逆に難しいってとこもあるみたいなんだよねえ。だから、3人見てるとなんか安心する~」
「……ああ、そういう面もあるんですね。付き合うことと生活を共にすることはまた違うのでしょうし」
冬矢が答えると、カウンターの中でユキが首を傾げる。
「ミチは彼氏と長いけど、同棲の話は出ないの?」
「いずれはしたいって話はしてるんだけどさあ、タイミングがね~。あっちが大学卒業するときってちょうど仕事でトラブルがあって忙しかったときじゃん? そういう区切りの時期外しちゃうと、なかなかこれだってきっかけがないんだよね。絶対うまくいく自信あんだけどな~」
なるほどと呟いて冬矢と健太は同じように頷く。自分たちは同い年だったから、地方から出て都会の大学へ行くという好機があった。たしかに学年がずれていたとしたら、一緒に暮らせる新しい部屋を探すにせよ、先に住んでいるところへ転がり込むにせよ、やらなければならないことは今より多かったのだろう。同棲が決まるまでは多少ごたついたが、決まってしまえばあとは楽しかった。家電を選んだり、ベッドを探しに行ったり、これから先はいつも蒼生がそばにいてくれるという喜びで満ち溢れていた日々だった。健太に至っては学力が少々心許なかったが、蒼生と一緒に暮らせるという希望の力が受験にも大きな影響を与えたのは間違いないだろうと本人がかつて語っていたのを思い出す。
思い出に浸っていると、ミチが3人のほうにぐいっと距離を詰めてきた。咄嗟に冬矢が蒼生を引き寄せる。ミチは気にした様子もなく、手に持ったグラスをとんとカウンターに置いた。
「うまくいってる3人に、参考までに聞くんだけどさあ。一緒に暮らすうえでなんか困ったことってある?」
「困ったこと?」
「そ。なんかあったら気をつけたいじゃん」
抱きかかえられた格好のまま蒼生がふたりを見ると、冬矢が首を傾げ、健太が腕を組んで唸る。
「……んー……なんかあったっけ?」
「急に言われてもすぐには出てきませんね」
蒼生だけが、ぱちぱちと目を瞬かせている。
「僕は……」
わずかに言い淀んだ蒼生に、ミチはにやっと笑ってさらに詰め寄ってきた。
「あれー。もしかして、恋人が2人いる系のお困りごと~?」
冬矢と健太は、にやけたようなミチの口調に、明らかに色事の返答を期待しているような気配を感じる。おそらく、3人をからかうきっかけだと思ったのだろう。けれど蒼生は少し考えるような眼差しで、カウンターの奥に並んだアルコールの瓶を眺めている。
「……そうですね。だからこそ、の悩みかもしれません」
えっ、と健太が声を上げ、冬矢がわずかに腰を浮かせる。当の蒼生はミチに顔を向けた。
「夜、ふと目が覚めることがあるんです。そうすると、両隣に好きな人が寝てるじゃないですか。だから嬉しくてくっつきたくなるんですけど、右に行こうか左に行こうか悩むんですよね」
ミチはきょとんと目を見開く。驚いたのはふたりも同じだ。それはあまりにも可愛い困り事で、しかも蒼生は真剣だ。そうか。困っていたのか。蒼生は自分たちのことをどちらも好きだから。
「本当は両方行ければいいんですけど、引っ張って起こしちゃうのもよくないですし。そもそもくっつくこと自体で起こしたら悪いなとも思って……」
こっそりと身悶えるふたりをちらりと見て、ミチはくすくすと笑う。
「そっか~、それは悩ましいね! いやー、思いがけないピュア成分摂取しちゃった。のんちゃんって綺麗系だけど、ほんとすっごく可愛いよね」
「えっ」
冬矢はぴくっと肩を揺らす。蒼生の可愛いところは自分たちだけのものだ。他人が見てもそう思えるほどとても可愛いのは十分にわかっているが、口に出されると一気に独占欲が湧いてくる。どうやら健太も同様のことを考えて複雑な顔をしているようだ。
ミチはふたりの微妙な顔に気付いていないのか、カウンターに身を乗り出す。
「ねえユキ、オレとのんちゃん、どっちが可愛い?」
「は? 俺でしょ」
咄嗟のユキの返しに、蒼生はこくこくと首を縦に振る。
「ユキさん、可愛いですもんね」
「ユキが可愛いのはわかってんのー。オレとのんちゃんだとどっちよ」
「……冗談はともかくとして、タイプが違うんだから、一概にどうとは言えないよ」
「いえ、断然ミチさんでしょう? いつも楽しそうににこにこしてるとこ凄く可愛いですもん」
「えー。じゃ、それぞれの彼氏に確認して勝負するぅ?」
蒼生は手をぱたぱたと振るだけでなく、首も一緒に振った。
「無意味な勝負やめましょうよ。クロさんはミチさんが可愛いって言うに決まってますし、うちのふたりだって僕のことが世界一可愛いんだから、勝負になりませんよ」
ぴたり、と蒼生を囲む空気が止まった。カウンターの中でリュウが振っていたシェイカーの音も止んだ。蒼生はぱちくりと周囲を見渡す。
「…………え?」
ミチは空になったグラスを掴み、ユキに差し出した。
「ユキ、おかわり。そしてのんちゃん優勝」
「異議なし」
「へ?」
健太と冬矢は同時に立ち上がった。
「すみません、うちのが可愛くて。至急持ち帰って可愛がります」
「そうしてください」
「へ?」
店を出るまで、蒼生は不思議そうにふたりを眺めていた。
バスタオル1枚を羽織っただけで運ばれてきた蒼生は、運んできた健太にベッドの上に丁寧に転がされてくすくすと笑う。クローゼットのドアを閉じた冬矢がつられたように笑い、蒼生の隣に座った。
「珍しいね。まだびしょびしょじゃないか。健太に攫われてきたのかな?」
「そう。シャワー浴び終わってお風呂場から出てきたところを、そのまんま連れてこられちゃった」
「えっへへ。だって我慢の限界だったんだもん。オレってばめちゃくちゃ偉い。家に帰るまで我慢してたんだからさ」
「それは俺も同感だな。電車での移動がとても長く感じたよ。……ああ、可愛い蒼生。脱がせるのも好きだけど、こんなふうに無防備なまま横たわる姿もたまらなく可愛いね」
言いながら、冬矢はバスタオルの上から優しく水を拭うように蒼生の体を撫でる。それを見た健太が張り合うように太腿のあたりをぱたぱたと拭いた。
「ふ、あはは、くすぐったいよ」
「体を拭いてるだけなので、おとなしくしてくださーい」
「それにしては、ふ、手つきがちょっとえっちなんですけど?」
「そりゃえっちな気持ちで触ってるからな~」
「言い分がころころ変わる奴だな。誠実さに欠ける対応はよろしくない。ほら、逃げておいで、蒼生」
「逃がすもんか!」
「あははははっ」
声を上げて笑う蒼生に、健太と冬矢はますます嬉しそうにぐぐっと近寄り、体ごと擦り寄るように体中を拭いてくれる。それを口実にくっつきたくてたまらないだけに見えるふたりの態度が嬉しい。
ただ、と蒼生は首を捻る。電車に乗るときは節度を持った距離を保つふたりが、今日はずいぶんと近かった気がするのだ。車内の人数が多いことにかこつけて、代わる代わる引き寄せられていた。先程のふたりの言葉からすれば我慢していたということのようだが、それはいつものことではないか。
「……あのさ」
「ん?」
「今日、ふたりともいっぱいぎゅってしてくれるけど、何かあった? バー出たときからそうだよね。もしかして、やっぱり僕、変なこと言ったかなあ」
ミチとユキとの会話の途中で、ふたりは突然立ち上がったのだ。特別な話をしていたわけではない蒼生自身には心当たりがないのだが、気に障ることでも言ってしまったのかもしれない。不安になって左右を見るが、健太と冬矢に笑顔を崩す気配は全くなかった。
「変なことなんて、なにもないよ。早く蒼生に触れたい願望が延々と蓄積されていたのが限界を超えただけ。今日はずいぶん健太がいいところを見せていたからね。俺のことを見てほしいなって思っていたんだ」
「そ。合流する時、エスカレーターで蒼生が下りてくるの見えた瞬間からずーっと、ぎゅってしてちゅーしたかったんだ。冬矢ばっか蒼生を独り占めしてるなって思ってさ」
言うや否や、健太が頬に、それから唇にキスをくれる。冬矢は反対の頬に、髪に。
なるほど、ふたりはお互いにやきもちを妬いていたからか、と納得する。たしかに、今日の自分は健太を褒めたし、冬矢と長い時間ふたりきりだった。それを羨ましがるふたりがとても可愛らしく思える。そうだ、バーを出た瞬間からの行程は“帰り道”になる。3人の場所に戻るだけが目的になるのだ。そう思えば、早く触れ合いたいと思って気が急いても不思議ではない。蒼生自身も早くふたりと抱き合いたいと思っていたのだ。
ほっとして腕を伸ばすと、健太の腕が背中に回り込んできた。
「へへ。ホントはさ、玄関のドア閉めた瞬間にしたかったんだぁ」
冬矢が蒼生の耳元に唇を落としながら、ふふっと小さく笑う。
「気持ちはわかるが、健太はパンを持っていたからな」
優しい声が頭の中に響き、腰のあたりがぞくぞくとざわめく。
「ん、柔らかそうな総菜パン、崩れちゃわないように持ってて、くれたもん、ね」
頷いた健太が、首元に、肩に唇を這わせていく。
「だって、明日の大事な遅い朝ごはんだもん。はぁ……、蒼生、好き……。あのパン屋、閉店間際だったけど、美味しそうなの残っててよかったよな」
「う、ん」
健太が次第に体をずらしていくので、蒼生の腕は少しずつ健太から離れていく。その隙間に冬矢が潜り込み、蒼生の腕を健太から奪うと、覆い被さってのキス。
「……ん、ふ」
「蒼生、口開けて」
「ぁ……」
優しく舌先をつついてくる冬矢の誘いに従えば、あやすように絡まってくる。甘い吐息で体が満たされていくのを感じる。わずかに湧いていた不安は、ふたりの唇が簡単に払い落としてしまったようだ。
全身をくまなく巡るつもりなのか、健太は蒼生の脇腹に跡をつける。ここから先はバスタオルが巻き付いていて進めない。健太の手が迷いなくそれを取り去ると下半身が急に涼しくなり、蒼生は小さく身を震わせた。
「かわいー。蒼生の、ほら。ちょっと反応して、ふるふるしてる」
自分の体に起きている変化だ、蒼生もとっくに気付いていた。早く触れてほしいという期待が、身体の奥から湧き出ている。
「うん……っ、ぁ、僕、も、ずっと期待してた、から、っん」
最後の言葉は、冬矢が塞いで飲み込む。
「んっふふふ。そっかぁ。可愛い」
健太は嬉しそうにそう呟くと、蒼生の内股に吸い付く。
「むー……」
触れてもらえると思った蒼生は、敢えてそこに触れない健太に抗議の声を上げる。けれど健太は笑って、唇を足の先に向かって這わせていく。
「あ、んぅ……」
「……ははっ、健太に意地悪、されたね」
「とぉや、してぇ……」
答えはキスで返ってきた。けれど蒼生は「あれっ」と思う。冬矢の目がいたずらげに笑っていたからだ。
果たして、冬矢が手を伸ばしたのは、蒼生の奥まった蕾だ。そのまま指先が周囲を優しく撫で、ぬるりと入り込んでくる。
「あっ、ん……、やだぁ、そっち……?」
「ふふふ、まずはこっち。一緒にゆっくり気持ちよくなろう?」
「……そっか、うん」
素直に蒼生はこくんと頷く。
そうだ、ここは3人だけの家。誰も邪魔をする者はない。時間はたっぷりある。慌ててはもったいない。急いで快感を得たいと叫ぶ体の中心を、大きく息を吐いてなだめる。ゆっくり。このまま、たゆたうような心地よさに体を預けていればいい。
健太の唇を、舌の温かさを、体のあちこちで感じて。
冬矢の吐息を飲み込みながら、優しく揉みほぐしてくれる指先を感じて。
そうしていると、自分に触れたいと思って触れてくれているふたりの思いがじんわりと伝わってくるような気がする。
愛しいと思う人が、自分を愛しいと思ってくれている。
ここにいるのが自分でいいのだと実感する瞬間を幸せと呼ぶのかもしれない。
蒼生は目の前にいる冬矢にぎゅっと抱きつく。と、指先に触れるのが布であることを少々寂しく感じた。
「ね、服、いらない……裸でぎゅってしたい……」
ぴょん、と飛び上がったのは健太だ。
「そうだよな! オレもそうしたい!」
言いながら勢いよくTシャツをがばっと脱ぎ捨てる。冬矢も笑って、指を引き抜いた。
「っあ」
「ふ、可愛い。蒼生は自分だけ裸だと恥ずかしいんだよね」
「……ん。僕だけやる気みたいなのが恥ずかしいんだもん……。冬矢だって隠してるだけでしょ」
のそっと体を起こし、蒼生は冬矢のズボンに手を伸ばす。そっと触れれば、布越しに熱い鼓動が聞こえてくるようだ。
「ああ……そうだよ。こんな可愛い恋人が、俺の手の動きに合わせて可愛い声を上げていて、興奮しないわけがない」
にいっと笑う冬矢を見たとたん、蒼生の体に電流のような快感が走る。普段穏やかで優しい顔ばかり見せる冬矢が、はっきり欲望を表情に出す瞬間がとても好きだった。本能の一部である性欲が、はっきり自分に向かってきている。それはたまらなく心地いい。
突然後ろから、ぐいっと腰を持ち上げられる。
「わっ、……ぅぐ」
もちろん、健太の仕業だ。バランスを崩してシーツに突っ伏した蒼生が感じたのは、尻の谷間に押しつけられる熱い塊。ぶわっと体が熱くなる。
「冬矢、ほぐすの、もういいだろ?」
「我慢できなくなったか。大丈夫だよ。……蒼生、健太が入りたいそうだ」
「はぁい。健ちゃん、来てぇ」
「んじゃ、失礼しまーす」
健太ののんびりした言葉に笑いそうになる。けれど、健太の熱が押し当てられ、ぐぐっと挿入ってくると、甘い痺れが全身を襲ってきた。
「あ、ぁ……っ、はぁ」
広がって。
ゆっくりと。
「あぅ、ん、う」
シーツに半分埋まったままなので、少し息がしづらい。腕を突っ張って体勢を整えようとする。と、それに気付いた冬矢がそっと蒼生の肩の下に手を差し入れた。
「はあ、ごめ、蒼生、しんどいよな」
健太も蒼生の腰に手をやり、ぐぐっと抱き起こす。
すると、正座をする健太に背中を向けて乗っかるような格好になった。
「ひぁっ……」
ぐり、と健太の先端が、浅い部分にある心地いい部分を擦る。
「あー……っ、あ、きも、ち」
「ここ、好きだよね」
「ん、ぅき……ぃ、あぁっ、ん」
気持ちよさに仰のいてしまった蒼生だが、ふたりを視界に入れたい。はあっと息を吐いて顎を引く。
すると、服を脱いでいる途中の冬矢と目が合う。
まっすぐ向かってくる、うっとりとした眼差し。
蒼生の恍惚の表情を見逃すまいとしているようだ。
それに気付いた健太が、蒼生の腰を掴んでいた手を二の腕に移す。
「っ! あ、やぁ、けんちゃ、深ぁ……っ」
「蒼生、ちゅーしよ」
「は、ぁ、うん……、ん、」
背後から腕を引くように掴まれたので、背を反らせるような体勢になった。そこに健太の後ろからのキスに応じれば、自然と体の正面が無防備になる。
「っあ」
思わず声を上げたのは、ペニスの先に強い刺激を感じたからだ。
反射的に目を落とすと、冬矢が愛おしげに先端を口に含んでいる。
体が痺れる感覚。
「はあっ、あ、く、ん、ぅぅー……」
待ち望んでいた刺激に、歓喜の声が漏れた。
今日はゆっくり、だったはずだ。
それが突然、激流のような快感に飲み込まれそうになっている。
突き上げてくる健太と。
それを飲み込んでしまいそうな冬矢と。
なるほど、このために「ゆっくり」だったのか。
あの優しい愛撫は、ジェットコースターを登っていく、長い坂道だったのだ。
「あっあぁ、ん、りょう、ほう、ぅー……、あ、や、ぁ」
健太が首筋に口づける。
「っ、やだ?」
「じゃ、ないぃ……っ、きもっ、ち、ぃ、あ、あぁっ」
「あー……イッちゃう?」
「う、ん……っ、も、ぉ」
何も言わずに冬矢がペニスに触れる手の速度を上げる。
腰を突き上げる健太も、かすかにその角度を変える。
「あ、ぁ、っ」
「はあっ、オレも、気持ちいい……っ、」
肩をくすぐる健太の短い髪が、しっとりと湿っている。
「ごめ、先、イッていい……?」
「ん、いいよ、いっぱい、ぁ、あ、出してぇ」
「あ、おぃ……っ!」
ぎゅうっと強く腕が掴まれたかと思うと、下で支えてくれている健太の体がびくびくと震える。
それに合わせるように冬矢が舌で扱き上げて。
「……ぁあっ」
ふたり同時に体から力が抜けた。
ぐらりと倒れかけた蒼生の体を、冬矢が正面から抱きとめる。
目を上げれば、口元をわずかに汚しながらも満足そうな表情だ。
「あ……」
綺麗な顔を汚してしまった、と思い、咄嗟に背を伸ばしてその白い残骸に口づける。じわ、と口の中に嫌な味が広がる。
「ああ、こら。美味しくないだろ」
「んぅ……、美味しくないぃ……」
「口直ししよう」
そう言って冬矢が深いキスをくれる。それはまったく同じ味のはずだ。自分が出したものにかわりはないのだから。なのに、冬矢の唾液を介するだけでほんのり甘く感じるのは何故だろう。
恍惚として舌の動きを味わっていると、腹に熱さを感じた。目をやれば、既に薄い膜を纏った冬矢のペニスがこちらを向いている。
「……待っててくれたんだ」
「そうだよ。これも欲しいだろ?」
「欲しい。もう、すぐに欲しい。ちょうだい」
「もちろん」
まだ足に力が入らない。それでも膝をゆっくりと進めて抱き合う。そしてその格好のまま、腰を下ろしていく。
すぐにぴたりと先端がちょうどいい場所に触れ、昂ったペニスが侵入してくるのがわかる。
「……あー……っ」
余韻の抜けていない体に、びりびりと電気が走る。
中身から掻き混ぜられているような奇妙な感覚に、それ以上動けなくなる。
「蒼生……気持ちいいね」
「んっ、うん、ぃ、い……っ、う、んん……っ」
優しく冬矢が髪を撫でてくれる。
それから、耳元にキスを。
冬矢を気持ちよくしたい、と思うのだが、体が言うことを聞かない。
それでもいいよと冬矢の態度が示すほどに、きゅうっと体が縮こまる。
「寄っかかって」
手を伸ばしてくれたのは健太だ。
後ろから蒼生に抱きつき、その足をひょいと持ち上げた。
「あ、ぁっ」
それがより深く冬矢と繋がる格好になる。
「はあっ、あ、あぁ」
ふたりの間に挟まれている。
嬉しい。
泣きたいくらいにせり上がってくる。
「あ、とぉや、ちゅー、してぇ……」
「うん。蒼生、可愛い蒼生……大好きだよ」
「ん、ん……。け、んちゃ、も」
「はーい、こっち向ける? ん、上手。ちゅー」
熱い。
ふたりの体温、それが自分の中に渦を描いていくのを感じる。
ふたりの手が自分にだけ触れていることが嬉しい。
「すき……だいすき……」
蒼生の口から零れた言葉に、ふたりは嬉しそうに笑う。
そうして、ふたりがかりでキスをくれるのだ。
唇に。
頬に。
肩に。
髪に。
耳に。
ぱた、と蒼生の右目から涙が零れる。
「蒼生?」
「きもちぃ……嬉しい……ぁ、うぇし、ぃ……」
「へへ。蒼生が気持ちいいとオレも嬉しい」
すべてが満たされる。
この瞬間は、何も不安に思わなくていい。
なにひとつ心配する必要がない。
ただ、愛し合っているという実感だけがあれば。
「あ、……っあ、は、ぁ、あぇ……」
「ここ、蒼生の好きな、とこ」
「や、ぁ、あ……?」
健太が後ろから抱き締めてくれる。
冬矢が両手を握り締めてくれる。
その瞬間、来る、と思った。
来る。
「ちゃんと気持ちよくなって、いい子だね。ほら。……イッて」
「…………っあ!」
ぐわっと、繋がったところから駆け抜けていく「なにか」。
ぱちぱちと爆ぜて、体を貫く。
「は、……あぁ」
真っ白で。
今度こそ、体の力が崩れるように抜けていった。
残るのは、甘い刺激と高揚感。
どこかに飛んで行ってしまったはずのものが、まだ体の中央でくすぶっている。
はー……と長い息が漏れた。
達してしまった蒼生の体は、ふたりがゆっくりとシーツの上に横たえてくれた。息が荒い。自分でも驚くほど胸が激しく上下しているのが見える。おそらく、頑張れば動けるはずだ。そこで蒼生は自分が動きたくない理由に気付く。動いてしまえば、この甘い痺れのような心地よさが逃げてしまいそうだからだ。
「蒼生、大丈夫?」
元気のいい、それでも心配そうな健太の声。
「疲れちゃったかな」
優しく労る冬矢の声。
ふたりとも満足していないはずなのに、蒼生を優先しようとする。いつもそうだ。
蒼生はふたりに向かって手を伸ばす。
「やだ。もっと……欲しい。もっとシよ」
素直にそう告げる。
蒼生だってまだ満足しているわけではないのだ。
ふたりと同じくらい、蒼生もふたりのことを求めている。
「えへへ。うん。オレも欲しい」
「そうだね。まだ夜は始まったばかりだ」
健太は蒼生の手を握り、冬矢は蒼生の胸元にキスをする。
期待で胸がいっぱいになった蒼生は、ふふっと笑いを零した。
改めて寝室を寝るために整え、順番に風呂に入り、3人で「おやすみなさい」と言葉を交わし合って目を閉じた。それきり部屋は静まりかえる。
だが、しばらく経っても健太はなかなか寝付けずにいた。常日頃から思っていることではあるが、今日も蒼生は可愛かった。可愛すぎた。もっと、と欲しがる姿が愛おしくてならず、その興奮がまだ体の中に残っているせいだ。
隣では、体力を使い果たしてしまったのだろう蒼生がすやすやと穏やかな寝息を立てて眠っている。可愛い。起きていた姿が可愛くて眠れないのに、眠っている姿まで可愛くてはどうしようもない。頭を抱えて身悶えしていると、蒼生の向こうにいた冬矢がごそりと動く気配がした。
「……眠れないのか」
蒼生を起こさないようにと、小さな声。
「なんか……。蒼生が可愛すぎて脳みそが全覚醒してる」
「ははっ。おまえもか」
呆れた色のない素直な声色から察するに、どうやら冬矢も同様の症状らしい。健太はしみじみと頷く。
「だよなー。さっきあんだけ気持ちよさそうに泣きながら縋りついてたのに、……あ、やべ、思い出すとぶり返しちゃうな、あー、可愛い寝顔可愛い寝顔、可愛いから起こしちゃダメ」
健太の己を鎮める呟きに、冬矢が微かに笑った。
「1日のどこの瞬間を切り取っても可愛いんだから、たまらないね。特に今日のあれは可愛かった」
「どれ?」
「バーで話をしていた時だ。ミチさんに困っていることを聞かれただろ」
「ああ、あれか。……あれは……マジで可愛かったな」
同棲で困っていることを聞かれ、起きた時にふたりのどちらに寄り添うかだと迷わずに答えた蒼生。それに困っていると思うこと自体がまず可愛いし、真っ先にそれを言うほど他に何も困っていないらしいのも嬉しい。
「しかも自分で可愛いことを言っている自覚もなかったようだしな。つまりそれは、俺たちが蒼生を世界の誰より可愛いと思っていると心の底から疑うことなく理解しているということだ」
「それって、蒼生がオレたちに愛されてる自信があるってことじゃん。無意識なのも含めて可愛い……」
「ちゃんと想いが伝わっているんだと思うと嬉しいね」
「だな」
慎重で思慮深い蒼生は、小さなことでも不安になってしまう。自身への評価に対してはその傾向が顕著で、少しでも好意的な判定がなされると、とたんに不信感と疑念で動けなくなる。また、その判断の基準がひどく低い。はたから見れば当然の点数も、蒼生にとっては過大な評価に映るらしい。
けれどそんな蒼生が、今では自分たちの向ける愛情を、真正面から受け入れてくれている。他のことについてはまだ途上だが、ふたりの想いだけは全面的に信じてくれている。なんて愛おしいのだろう。
「さあ、今夜の蒼生はどちらに来てくれるかな」
冬矢の言葉に、健太は小さく体を起こす。
「えっ。オレだろ。だって蒼生はオレ不足のはずだもん」
「どうかな。ずっと俺といたんだから、そのまま俺といたいんじゃないかな」
「オレだ」
「俺だよ」
こそこそと言い争いをしていると、蒼生がころんと体勢を変えた。
向かうほうには冬矢がいる。
「ほら、こっちに来た」
「寝返りだろ」
健太のボリュームがわずかに上がる。それがうるさかったのだろうか。
「……うー……」
冬矢の腕の中にいた蒼生が唸る。起こしてしまっただろうかと焦って様子を窺うが、そういうわけではなさそうだ。
覗き込んだ健太がほっと息を吐くと、蒼生の腕がふらりと浮く。そしてそのまま健太のシャツを掴むと、自分の方向に引き寄せた。
「ん……」
ふたりの腕を抱えた蒼生は、満足げな寝顔だ。
健太と冬矢は、しばらくその様子を眺め、ふっと小さく笑う。
「……やっぱどっちも必要だって」
「そのようだな」
可愛い、愛しい、蒼生。
健太と冬矢は間で眠る恋人を抱き締め、再び目を閉じる。
穏やかな寝息を聞いているうちに、愛されている安心感で満たされていく。
やがて、部屋の中に聞こえるのは、3人分の揃った寝息だけになった。
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