投稿日:2026年08月10日 21:48 文字数:29,111
カナリヤ 14
とりまお盆の最中1本くらいは上げなきゃでしょ、ということで、魔法警備隊出向編です⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
別名、「ちゃんと彼氏しようと思って頑張ってるオーターさん編(ワースくんにそれが伝わっているかは微妙)」。この話はなんとなくワースくんと全神覚者が絡むようにしたいので、ポッと出でだした事件にはあんまり深い理由はありません(´-ω-`)
最終的に、オタワスの民たぶんみんな想像を膨らませているワースくんの杖の話をしたいので、そこに繋げるためにもう全力で嘘をついています⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
ここまで読んできている人はもう大丈夫でしょうが、私の言っていることは間に受けませんように。
冷たい風を感じながら、ワースはすっと前を見る。人ンちの屋根の上で待機って、結構無法なことすんなァ、というのは正直な感慨だが、この場合は仕方ないかもしれない。ふと、右に付けたイヤホンから雑音が入る。
──……ワース、準備はいいか?
「俺はいつでも行けますよ」
目の前に浮かんだ魔導書が嬉しげに跳ねる。そして早く早くと急かすようにページが開かれた。その様子にふっと笑みが漏れる。少し前まで「重いからつかわない方がいいとおもう」と首を振っていた奴の仕草とは思えない。勿論ワースも、マカロンとソフィナに鍛えられた自負がある。ワースは構えた杖を空に向かって掲げた。
──それじゃあ、頼む。キミたちの目と耳を男前に貸してくれ
さて、どうしてワース・マドルが「男前」にも魔法警備隊に混じって仕事をしているのか。
事の発端は、数週間前に遡る。
◆◇◆◇◆
「魔法警備隊に出向……ですか?」
「……ええ、そうなんです」
こっくりと深く頷く知の神杖ソフィナ・ブリビアの憂鬱そうな顔を見ながら、ワースはこの手の会話は何回目だろう、と無用なことを考えていた。他の幹部候補たちと比べて、ワースは格段に出向が多い気がする。とはいえ、所有する禁書の性質上仕方がないかもしれない。きゅっと手を繋いだ先の魔導書が視線に気が付いて、にこっと微笑む。
「魔法警備隊だなんて珍しいですね」
墓所管理局、魔法魔力管理局と並んだ武闘派の局だ。正直、書庫の内勤が主な仕事である禁書管理局が手を貸すような相手ではないだろう。けれどソフィナは深く頷いた。
「ワースくん。「大泥棒」って知ってますか」
「ああ、最近話題の……」
最近紙面を騒がせている強盗だ。ご丁寧に、毎回特徴的なカードを被害者と新聞社に送り、自らの存在を誇示する。事件が起こった後に。犯行の誇示なら事前に予告状を出すのが筋じゃないか?というかそもそも、事後にカードを送ったところでそれが犯行の告白にはならなくないか?とワースなどは思っているが、紙面を見る限り犯人、或いは限りなく近しい人間でないと書けない手紙を添えているらしく、それを以て推定犯人と目されているらしい。
狙うのは怪しい噂の絶えない貴族や美術館、博物館。お宝ごと不正の証拠も盗まれる。カードには、犯罪の告発も盛り込まれているらしい。やっていることはまるきり義賊だ。正直ワースはこの手の話題にあまり関心はない。元気だなァと思うくらいである。なんせ、狙われるような財産もないし、まるきり関係のない話だ。けれど魔法警備隊がマークしていた貴族の不正も盗み告発されたとか言うから、あちらにしてみればメンツを潰されたようなものだろう。
「ライオ、光魔法の使い手でしょう?暗闇で魔法を使うと目立つし味方も目眩しを喰らうしで、相性が悪いそうなんです」
「………………」
なんともお粗末というか、間が抜けているというか、そもそも神覚者で1番目立つひとだとは思っていたが。これが神覚者最強と謳われるライオ・グランツの弱点と言われると、それはそれでものすごく微妙な気持ちになる。
「……暗視ゴーグルか、光魔法使い以外が捕縛に出れば良いのでは?」
「暗視ゴーグルは機動力が落ちるから嫌なんですって。軽量型のものも研究途上の魔法道具としてはありますけれど、ライオの光で眩まないようにするには重くて魔法式も複雑になるし、壊れるのが分かってて貸し出したくないと、ツララが」
「あー……」
「というか、ライオは「大泥棒」の捕縛に一度参加しているのだけれど、その時も逃がしているんです。単純にそれが悔しいのと、「大泥棒」はそれなりの使い手のようで、捕縛はやはりライオが出た方が良い、との判断で。……ライオが出ると他の者との連携が難しくなるんですが、それを差し引いても、と」
なるほど、それなら理解出来る。……しかし貸し出すのがワースで良いのか、という点は気にならないではないけれど。
ワースの疑問が顔に出ていたのだろう、ソフィナはふっと笑う。
「ライオには条件として、部隊の人間全員にリトルデビルくんの感覚共有魔法を掛けること、ワースくんに魔法陣使用許可を出すことを飲ませました」
「…………!」
「今回の任務ではワースくん自身に感覚共有をさせるだけでなく、他の人間にもかけて貰います」
「……ちなみに人数は」
「ライオを含めて5名。……出来ますね?」
「…………」
週に1回マーガレット・マカロンの音魔法講座を受けていて、ひとつ収穫があった。……いやアイツは殆ど色んな形のフィールドにおける戦いを試しているような節があるし、最近はホテル関係者がどうした訳か見学に来ているものだから、どちらかと言えば「講義」というよりは「遊び」が彼の中の認識だろうけれども。まあ、それはともかく。結論から言えば、リトルデビルの感覚共有魔法は複数人にかけた方が使い勝手の良い魔法であった。というのも、禁書が持つ「視界」は、人間のワースには情報量が多過ぎる。マカロンに「ねェねェ、私もデビルちゃんの魔法かけられたいわァ」と言うからぶつくさ文句を言いながら掛けてやってみたところ、明らかに1人で魔法を使うよりもワースの負担が軽減した。……マカロンは情報過多でひっくり返っていたが。「コイツ、コレ使えば倒せるんだ、」と思ったのは全くの余談である。勿論、実力で真正面から倒したいから使わないけれども。その後ソフィナに報告し、禁書管理局で実験を繰り返してみたところ、人数が増えれば増えるほど、感覚共有魔法の精度は落ちるがその分ひとりひとりに掛かる負荷は減り、魔法の使用可能時間を伸ばせる、ということが分かった。今のところ、ワースが掛けられる最大人数は10名。5名ならばワースの方で出力をいじれば、継続時間含め問題ない範疇である。しかし懸念点もある。初めてマカロンに感覚共有魔法を使った時に彼がひっくり返ったように、リトルデビルの「視界」は強烈だから、初めて魔法をかけられた人間は目を回し戦闘どころではなくなる。恐らく、ライオ・グランツの光魔法による目眩しよりも、効率的に味方を倒してしまう結果になるだろう。
「出来ますけど、練習期間頂けますか。俺はともかく、魔法警備隊のメンバーに魔法を慣らす時間が必要かと」
「ええもちろん」
ソフィナは鷹揚に頷いた。
「来週から、午前中禁書管理局勤務、午後からは魔法警備隊の訓練に参加して貰います。当面のワースくんのお仕事は、この業務の内容をレポートにして提出すること。内容次第では論文にも使いますので、心してデータを取って下さい」
ワースはごくりと喉を鳴らす。「お遊び」や多少の実験程度であれば使ったことはあるが、実践で味方に使用するのは初めてだ。「禁書の魔法を使う」以上の目的がある状況で行使するとなれば、自分も他の者にもそれなりの余力を確保せねばならない。そうした調整をした経験は、まだワースにはない。実践……実戦、だ。禁書使いとしての。高揚に近い緊張を自覚しない訳にはいかなかった。繋いだ小さな手はくいとワースを引っ張り、にっこりと微笑む。
「まかせてー」
「おう、……頼りにしてる」
リトルデビルの小さな頭をくしゃくしゃと撫で回す。不釣り合いに大きな角の重みで彼の身体はぐらぐらと傾ぐが、可愛らしいから良いだろう。脇の下に手を突っ込んで、ひょいと抱き上げる。それをみたソフィナが相好を崩した。
「まぁ、そう気を負わず。どうやらオーターも見学に来るようですから」
「……はぁ!?」
仮にも上司に向かって飛び出るべきではない声が漏れて、ワースは自分で自分の唇を押さえる。瞳を丸くした寛大な上司はその姿をくすくすと笑って見ていた。
***
「オーターのせいでソフィナさんに笑われたんだけど?」
「…………」
ハーブティを片手に、すこしムッとオーターは唇を曲げて沈黙した。恐らく「それは自分のせいではないのでは?」とか考えているのだろう。勿論そうだ。ワースの八つ当たりである。甘い香りを嗅ぎながら、ワースはくっとカップを傾ける。ちなみに魔導書はもう部屋に戻っている。最近のリトルデビルはこういうことをする。ワースと禁書の間には不可視の魔導パスが繋がっているから、双方の状態がわかる。しかしとはいえ2人きりにさせたいのだろう。気遣いが分からないほどワースは強情ではないし、若干の気恥ずかしさがあるとはいえ、好きなひとと2人っきりという状況に否やはない。
「そもそも、なんでオーターが現場に出てくるんだよ」
禁書管理局から禁書使いをひとり寄越してくるくらいだから、それなりに魔法警備隊が苦戦しているだろうことは分かる。けれど、現場の指揮を取るのは光の神杖ライオ・グランツだ。確かに相性が悪い魔法使い相手なのだろうが、砂の神杖オーター・マドルまで出て来るのは明らかに過剰戦力すぎる。ワースが聞かされていないだけで、ひょっとするとそれ程までに厄介な事件なのだろうか。オーターは静かに眼鏡の位置を直す。
「……私はただの見学ですので、気にしないように」
最近気が付いたことだが、オーターは何かを隠したい時、眼鏡の位置を直す。隠したい対象が照れや苛立ちなどの心情によるものなのか、いま口にした言葉の中にあるのかは、さすがに分からないけれど。知の神杖ソフィナ・ブリビアからはこれ以上の指令は出ていない。あとは自分で考えろということか、ワースに知らせる必要はないが神覚者が動くレベルの隠された何かがあるのか。誰よりもワースに甘いオーターが知らせてこないのだから、一旦棚上げにしておくことにする。
それよりも、ワースはちょっとムズムズと落ち着かなげに視線をあらゆるところに這わせた。ゆっくりとハーブティを嗜むオーターはこちらの様子に気がつく素振りはない。
その、折角、同じ現場に出るのだから、きっと上がる時間はオーターも同じだろう。……であればこう、こう……なんというか、なんかないか。ソフィナの方針で禁書管理局は、繁忙期を除いて夜間にまたがる残業があった翌日は1日休みである。この状態で、オーターに「大泥棒」の捕物があった翌日に休みを取ってくれというのはあからさま過ぎるか。ワースは顔を顰めて悩み込む。
(……いや、これで通じない可能性とかあるからな……)
恋愛関係に妙に小慣れてぐいぐい来られてもドン引きする自信があったが、告白前後でこんなに変わらないとも思わなかった。はっきり言って、ワースはちょっぴり困っている。
まぁ、確かに?
心の距離とやらは近くなったような気がする。
物理的な距離は……知らん。
恋人になる前から皿洗いなどの簡単な家事は一緒にしていた。なんとなく、目配せに親愛が篭っているような気がする。……が、それだけである。ほぼ必ず間に子供姿のリトルデビルを挟んでいるせいか、相対しているこちらまで何か老成しているような気さえしてくる。リトルデビルが微妙に聞き分けが良過ぎるせいで、何か、手の掛からない子供がいる夫婦のような。……いやいや待て待て待て待て待て。そこまで歳を取った覚えはない。一応俺ら、付き合いたての筈なんだが?ワースがこう、うじうじと思い悩んでいるせいだろう、魔導書が隙あらば書籍化して形式上2人きりにしようとしてくる。魔力探索能力に長けているオーターに、見た目だけ変えたところでなんの意味もないだろうに。勘弁してほしい。気遣いは分かるから文句をつける気はないけども。なんと切り出してみたものか、とワースは自分のカップを傾ける。……というか、どうなんだろう。オーターの休みって、それこそ1ヶ月以上前に約束する気がするから、こんなに近くなってから「有給取って」と頼んで取ってもらえるものかどうか。ただでさえ多忙なオーターに、厄介な頼み事をする面倒な恋人になりたくはない。……あぁもう、こう言うところでうじうじ悩んでいるから、リトルデビルには「考えすぎ」と呆れられるのだろうけれど。
ワースがうんうん唸っている間、こちらをじっと見つめていたオーターが不意に笑う。
「貴方の活躍を楽しみにしています」
「……プレッシャーじゃね?それ」
「気合が入るでしょう?」
悔しい。
同じ事件に招集されておいて、ちっとも動じていないことが。
ムッとしながらワースは頬杖をついた。よし、わかった。ライオ率いる魔法警備隊との訓練が軌道に乗ったら、オーターに有給休暇を取ってもらうよう頼もうと。その日がオーターにとって有給を取れる期間の時間切れになろうがなるまいが知らん。単にワースの中のけじめである。
(……みてやがれ)
誰に対する負け惜しみか知らないが、ワースは心の中で呟いた。
***
事件ファイルを片手に、リトルデビルの手を引いてワースは魔法警備隊の廊下を歩いていた。墓所管理局に来た時よりも好奇の視線を感じる。それが分かるのか、リトルデビルもいつもよりやや神妙な顔つきをしていた。ひょっとすると、ワースの緊張が伝わっているのかもしれない。光の神杖ライオ・グランツは神覚者の中で最も有名であり、最も最強に近い人物であり、最もワースのような凡人からは遠い存在でもある。
(……しっかし、本当にライオ様がこの事件に手を焼くかね?)
事件概要を簡単に言えば、貴族のお家乗っ取り事件に関わった幾つかの貴族が順に「大泥棒」の被害を受けている、ということらしい。「大泥棒」が指摘する不正行為も、そのお家乗っ取り事件に纏わる書類の改竄であったり、暗殺事件であったり、汚職事件であったり、様々だ。しかし既にその点と点に過ぎない告発からお家乗っ取り事件を掴んでいるのだから、自ずから「大泥棒」の正体は乗っ取られた貴族の末裔、或いは主家の没落を憂いた当時の使用人だろう。人物名リストこそないが、概ね「大泥棒」が誰か、或いは構成員が誰か、目星がついているに違いない。であれば、無理に現行犯逮捕を選ぶ理由がない。にも関わらず、敢えて自らが不利になる夜の大捕物に挑むのは、一体全体どういう意図だ。
「…………」
長引かせれば、無責任な新聞はライオを糾弾するだろう。言っては悪いが、現に各社の論調は「大泥棒」の不正告発を現代の義賊だとよろこんでいる。まだ矛先が被害者の貴族たちだから良いが、どこかで「不正行為を暴けなかった魔法警備隊」へ批判の的が転じるだろう。ワースの目には軽薄に映るライオだが、そもそもソフィナの同僚だ。尊敬する上司が不死の神杖レナトス・リボルに対するほど苦言を呈さない以上、彼女の目を通してもそれなりの人物であるということだ。……であればこそ、今回の手の打ち方はやはり疑問である。ワースはチラリと自らの魔導書を見る。こちらの視線に気が付いて、にこりと笑う彼の頭を撫でてやりたいが、あいにく今は手が塞がっている。
「お、」
そうこうしている間にライオの執務室前にたどり着いてしまった。ワースは一旦事件資料をリトルデビルに持たせ、その頭をひと撫でしてやり、ドアをノックした。快活とした声の入室許可を得て、そっと扉を開く。いつかの時のようにクラッカーで歓迎されては堪らない。
「やぁ、来たなオーター弟くん!」
「……よろしくお願いします」
開口一番、なんとも言い難い声掛けにワースは若干の苦笑混じりに頭を下げた。「オーター弟」。まぁ、なるほど。光の神杖はオーター・マドルとの方が関係が長い筈だから、そりゃあ「弟」であるワースの方が馴染み深いだろう。ここ最近は「ワース・マドル」或いは「ワース・ウォーカー」と個人名で呼ばれることの方が多かったが、ワース自身も「砂の神杖の弟」と呼称される方が馴染み深い。勿論それは、いつになっても妙に腹の中がグラグラと落ち着かない気持ちになるが。とはいえ「禁書管理局幹部候補」として出向している仕事で、顔に出すほど子供でもない。リトルデビルが困ったように首を傾げ、それを誤魔化すようにワースはその小さな肩をトンと叩いて入室を促す。
「今回の「大泥棒」捕縛作戦に参加させていただくワース・ウォーカーです。短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」
ワースの名字を聞いた瞬間、光の神杖の表情が「あ、」と動いた。そうなるだろうな、と思っていたが、ワースは頭を下げながら、光の神杖の見えないところで小さく舌を出してやった。
***
初日のなんとも言い難いモヤ付きはともかく、意外にも魔法警備隊との連携練習は順調であった。なんせ、魔法をかける人数が丁度良すぎる。ワースの魔法の上限限界でもなく、かと言って少な過ぎて制御を失う程でもなく。魔法警備隊の面々が超エリートでそもそも飲み込みが早いと言うこともあるだろうが、それにしても。事によるとソフィナがワースの限界を見極めて事前に仕組んだのではないか、と思うくらいだ。彼女ならやりかねないし、聞いてもはぐらかすだろう。
(鍛えられてンなぁ……)
ソフィナの丁寧な気遣いは、ワースへの期待の現れとありがたく思っておこう。
それはともかく、最初に定めた通り、感覚共有魔法の訓練はほぼ完璧と言って良い。そろそろオーターに有給休暇をおねだりしても良いだろう。ワースは自分の頭を掻いた。訓練そのものは、もっと早く「軌道に乗った」と断じてよかった。「完璧」と思うくらいまでダラダラと言い出さずにいたのは、少しばかり勇気が出なかったからだ。この優柔不断のお陰で、結局オーターとの時間が取れずとも、そこはもう、ワースの臆病さの問題だから諦めることにしよう。そう言い訳して、本日の献立を考える。オーターからの返事がどうあれ、凹まないくらいの何かご機嫌なメニューを。いやいや、話の切り出し方からするとその場で作りつつ食べられるようなものが良いか。作業しながらなら気まずくないし、恥ずかしながら、断られたらその後の雰囲気が辛いからリトルデビルにもその場にいて欲しい。チラリと手を繋いだ先を見ると、敏感にこちらの考えを読み取っている魔導書は、「えー、」とばかりに顔を顰めた。
「いや、マジでお前が頼みの綱なんだよリトルデビル」
「ふたりっきりじゃ、ダメなの?」
「ダメだろ」
主に、ワースの心の安定が。
そう言うとますます魔導書は顔を顰める。
「デートのお誘いするのにぼくがいる方が変じゃない?」
「デっ……デートじゃ、ねーし……」
語尾がもにょもにょと小さくなる。
まぁデート?……デートっていうか、もうちょっとこう、もう少しこう……、親密な何かを……あ、待て待て待て、そうなるとリトルデビルはどうしたら良い。え、書籍の形になって貰って一緒にいるとか……?別に良いけど、ちょっと恥ず……、
「おーい、おーい、ちょっと待ってくれ!」
ぴり、と嫌な感覚がしてワースは足を止めた。肩が動かないように慎重に深呼吸をして、ゆっくりと振り返る。想像した通りの人物がいて、げんなりとしそうになる表情筋をなんとかそのままキープして、なんとか笑顔を作る。
「お疲れ様です、光の神杖さま」
「なぁに、固いぞワース」
人類最高傑作は少し困ったように首を傾げながらこちらへ向かってくる。やだなぁ、と腹のあたりが少し重くなったが、笑顔を張り付けることに集中する。
「せっかく一緒に作戦を実行する仲間だ、どうだこの後……」
「ワース」
光の神杖の言葉を遮るように、高く幼い声が響く。これには光の神杖ばかりでなく、ワースも瞳を丸くした。基本的に、リトルデビルの行儀は良い。ワースがそのように教育したし、リトルデビル自身も周囲をよく観察するからだ。無作法、と取られる行為には慎重であるはず。であるのにこちらを見上げる表情はどこか無機質であった。
「ワース、抱っこしてー」
「ん、あ、いや……」
「疲れちゃった。抱っこしてー?」
「…………」
リトルデビルに「疲れる」と言う状態は殆どない。というか、彼が「疲れて」いるならば、その使い手であるワースの方が無事では済まない状態になっているはずだ。であるにも関わらず、リトルデビルは無邪気に手を伸ばす。まるで、目の前の光の神杖など目に入っていないかのように。ワースがガリガリと頭を掻いた。まったく。変な気ィの使い方しやがって。
「……ぃよっと」
ひょいと抱き上げると、鎖骨にこつりとリトルデビルの額が当たる。脱力する頭を撫でてやりながらワースは苦笑した。
「……すみません、光の神杖。連日の訓練で疲れてしまっているようで」
「あー、うん、そうか。いやオレの方こそ悪かったな、引き留めて」
「いいえ。……それでは、また」
リトルデビルの身体を抱えなおして光の神杖に背を向ける。自分と同じ髪質を、ワースはゆっくりと撫で付けてやった。トン、トン、と背中でリズムを取ってやりながら、つむじに鼻先を埋める。
「……大丈夫だっつーの」
確かにちょっとばかり、かつての自分を思い出して嫌な気持ちになったが、光の神杖に悪気があるとは思わないし、社会的にはワースはずっと、「砂の神杖オーター・マドルの弟」だ。もちろん数年すればオーターに戸籍上の弟がいないという話が定着していくだろうが、同級生や後輩たちがワースのことを「神覚者の弟」と認識している間は少し難しいだろう。まぁでも、他人は意外とこちらを見ていないものだし、認識など簡単にすり替わる。もう少し、あと数年ばかり、我慢すれば。
わがままかもしれないが、全然ちっとも、恋人になった前後で様子の変わらないオーターを見るに付け、不安になる。ワースで勃つとまで言ったオーターの言葉を信じない訳ではないが、とはいえ行動が伴わないのであれば、それは生理的範疇の挙動であり、オーター自身も勘違いしてワースに恋愛感情を持っていると、思っているだけかもしれない。ワースの懸念など、魔導書の言葉を借りれば「考え過ぎ」なのだろうけれど、ここで悶々とした考えを止められるほど器用ではない。
リトルデビルの頭に生えたねじくれた角に頬を寄せる。相変わらず完成度の高い泥魔法を展開してやがる。
「けど、……ありがとな、リトルデビル」
「んっ!」
小さな腕が、ぎゅうっとワースの首にぶら下がる。ワースがいま背を向けたのは、たぶん光の神杖そのものではない。いずれにせよ、このままでいるのはよろしくない。ワースは小さくため息を吐き出した。
***
悩みに悩んだ末、今日のディナーはお好み焼きにした。ホットプレートを出すのが少々面倒ではあるが、以前にも休みの日にホットケーキをみんなで焼いたことがあるし、まぁまぁ楽しいだろう。何より、作業しながら話せるから、顔を合わせて気まずいタイミングがなくなる。
「いよっし、じゃあひっくり返すぞ」
「…………」
料理面において頗る不器用なオーターは、キラキラした瞳でワースが生地をひっくり返すのを見ている。ヘラを突っ込んで、ころりと回す。当然、ワースは失敗しない。こんがりと狐色に焼けた表面をヘラで撫でつつ、ぱっと顔を上げた。
「そういやさ、オーター。「大泥棒」の捕物、次の新月の日に決まったって」
「報告は受けています」
「大泥棒」は新月の日にしか出てこない。
ここまで分かっているならやはり犯人の目星はついているだろうに、なんだって現場にこだわるのか、結局ワースには魔法警備隊の方針はよく分からなかった。まぁ、取り立てて気にするべき事柄でもない。むにゃ、と唇が不器用に言葉を探して揺れる。ええーい、そろそろ男を見せろ、ワース!
「あの、さ」
「はい?」
「あー、禁書管理局は夜勤の後って絶対に休みになるんだけど、オーターはどうする?」
「……?……どうする、とは……?」
ヘラで切り分けたお好み焼きを、めいめいの皿に分配して、再びプレートに生地を流し込む。じゅわ、と鳴る音を聞きながら、ちらりと視線をやると、オーターは首を傾げていた。
「休み。取らねぇ?」
オーターは虚を突かれたように瞳を丸くする。どこかおずおずと、窺うようにこちらを真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「やすみ……」
「やっ、ほらさ、どうせ上がりは夜じゃん?だからその、なんかその辺ぷらぷらして、なんならちょっとバーで呑んだりして、」
そして、なんかこう、気分が盛り上がったらちょっとエッチな、いや普通にするより、少しイチャイチャして。
計画上の「大泥棒」出没予想地と、家までの道のりを頭に描きながら、後半の方は賢明にも言葉に出さなかった。いや直接的に求めたって良いけれど、さすがにワースの羞恥心はまだ機能している。ちょっとしたボディタッチでも、手や頬にキスをするのでも、なんだって良い。兄弟に対する親愛以上のものを感じられるのであれば。別段自分を安売りしようと言うのではないけれど、結局のところ、不安なのだ。まだまだ。
オーターは不自然に止まったワースの言葉に疑問を挟むでもなく、無表情のまま雰囲気を和らげた。ここ最近、ワースはだいぶオーターの気持ちを表情で読み取れるようになった気がする。表情筋こそ動かないが、オーターは結構、少女漫画のエフェクトのように花を背負っているように感じさせる瞬間がある。ちょっぴり照れたように身を捩り、口元を緩ませたその顔は、やっぱりいつか見たことのあるような柔らかい表情であった。
「嬉しいです。取りましょう、休み」
「あっ、……あー……、その、結構直近だけど大丈夫なのかよ」
「なんとかします」
「ホントに?……大丈夫?」
「問題ないです。なんとでもします」
その言葉に何か不穏なものを感じたが、本人が大丈夫というのだからとりあえず信じることにする。ワースを真正面から見るオーターはキラキラした瞳をしていた。ワースはぎくりとした。
「……貴方と過ごす為ならいくらでも」
「ン゛ン゛ッ…………ありがと」
オーターにしてみれば事実を言っているだけなのかもしれないけれど、あまりにストレート過ぎるからちょっと困るんだよな、と照れ隠しにまだ柔らかい生地をつついた。ワースとオーターの様子を、リトルデビルがにこにこと見守っているのもなんだか居心地が悪い。いや、魔導書がいる時を狙って話題にしたのはワースなのだが。人間は兎角わがままなものだ。
「……ホラ、食べちゃいな。オーターもリトルデビルも」
「はい」
「はーい」
ソースとマヨネーズを順にかけて、2人ともお好み焼きを頬張る。それを気分良く見ながら、ワースも自分のお好み焼きを口にした。キャベツが絶妙に甘くて旨い。不意にオーターがふと何かを思い出したように「あ、」と目を見張って飛び上がる。
「そういえばワース、ライオと何かありました?」
「光の神杖と?」
ぺんっと焼き途中の生地をひっくり返してホットプレートの設定を保温に変える。お茶を飲んで唇を潤し、オーターの顔をまじまじと見た。
「いえ、珍しくあのひとから伝言うさぎがかかってきたものですから」
「…………」
家に帰るまでの自分の動きを慎重に思い出す。まぁ、誘いをしれっと断ってしまったのは少々態度が悪かったかもしれない。相手は一応魔法警備隊のトップであるし。ただそもそもワースも、同僚の飲みの誘いを無碍にするほどではないが喜んで飛んでいくタイプでもない。自分の行動を思い返してみても、面倒な先輩に絡まれた時よりは穏当な動きをしていたと思う。何よりワースが直接言うよりも、リトルデビルが口実を作ってくれた。光の神杖も作為は感じたかも知れないが、言い訳は立つ。ちらりと魔導書を見ると、しれっとしたすまし顔をしている。オーターに自分の動きを喧伝する気はなさそうである。
「全然心当たりねぇよ?むしろ、リトルデビルの魔法の訓練はめちゃくちゃ順調だし。……なぁ?」
「ぼく、頑張ったのよー!」
「そうですか。……2人とも疲労を溜めてはいませんか」
「大丈夫。……リトルデビルがこのナリでも結構強いのは知ってるだろ」
箸で指しながら言うワースを見、元気をアピールする為か力こぶを作ってみせるリトルデビルを見、オーターはひとつ頷いた。
「貴方たちの活躍を、私も楽しみにしています」
頬についたソースをぺろりと舐めて、オーターは口元を楽しげに歪めた。
***
……そんなこと言われると俄然やる気が出てしまう、というのが人間のどうしようもなくダメなところで、一応ワースにも自覚くらいはある。が、期待をかけられた分はなるべく応えたいというのは人情だろう。仕方ない仕方ない。
魔法の準備は、順調過ぎるほどに順調。なんならリトルデビルに「なんか見落としてることねぇかな?」と弱気になって聞いてしまったくらいだ。呆れたような顔で笑うリトルデビルの顔を見ながら何度か目の夜を迎え、今日、まさしく月のない夜がやってきた。
冷たい風を感じながら、ワースはすっと前を見る。人ンちの屋根の上で待機って、結構無法なことすんなァ、というのは正直な感慨だが、この場合は仕方ないかもしれない。ふと、右に付けたイヤホンから雑音が入る。
──……ワース、準備はいいか?
「俺はいつでも行けますよ」
目の前に浮かんだ魔導書が嬉しげに跳ねる。そして早く早くと急かすようにページが開かれた。その様子にふっと笑みが漏れる。少し前まで「重いからつかわない方がいいとおもう」と首を振っていた奴の仕草とは思えない。勿論ワースも、マカロンとソフィナに鍛えられた自負がある。ワースは構えた杖を空に向かって掲げた。
──それじゃあ、頼む。キミたちの目と耳を男前に貸してくれ
その指示に従って、ワースはすうっと息を吸い込んだ。
「▓▇▇█████」
一瞬だけ、パッと魔導書が輝いた。しかしその光はすぐに夜闇に紛れて消える。家の窓から漏れる生活光と同じく。魔導書を使う時、どうしても光が漏れてしまう。とはいえ周囲から見られないところで先に魔法を使うのは発動時間が伸びて得策とは言えない。故に、いまここだ。光の神杖の部隊の人間は既に泥でマーキングしてある。そこ目掛けて不可視の音魔法が飛んでいく。ワースは冷静に、魔導書の魔法が掛かった一人一人を確認する。確かに間違いなく、全員捕捉した。
「終わりました」
──ご苦労だったな!……いやしかし、本当にすごい
内心で、光の神杖ってずっとすごいすごい言ってるからあんま褒められた気がしないんだよなぁ、と思いながら、ワースも配置につく。殆ど補助役とはいえ、ぼんやりしている訳にはいかない。感覚共有魔法を掛けられた魔法警備隊員たちの位置は、意識を集中せずとも分かる。ワースは屋根を伝いながら彼らの動きを追う。
(……見つけた)
今回「大泥棒」のターゲットになったのは、とある貴族の邸宅である。予想通り、月のない晩。……ここまで分かってるなら、もう魔法局は犯人が誰だか掴んでいるのではないか?ワースの頭に埒もあかない疑問が再度浮かんだが、あくまでも貸し出された人材であるワースが魔法警備隊の仕事にとやかく言うべきではないだろう。
(……捕縛の魔法陣は、使って良いって話だったよな)
とはいえ、このタイミングでワースがほいほい本命を捕まえて、角が立たないだろうか。……いやそれを含めてのソフィナの交渉かもしれないが。
「…………」
少し逡巡して、迷いを振り払うように顔を上げる。相変わらずどういう意図でワースが貸し出されたのか、なぜもっと簡単に捕まえられそうな「大泥棒」に定石通りの手を打たないのか、気になるところは沢山ある。けれどいちいち気にしていたって仕方がない。
「リトルデビル……魔法警備隊の誰より先に、「大泥棒」を俺らで捕まえるぞ」
元気の良い返事を感じながら、ワースは杖を構えた。
リトルデビルの「視界」で見る限り、「大泥棒」は1人だけだ。単独犯?いやそれは考えづらい。「大泥棒」が逃げていく方角で待ち伏せの魔法陣を張れそうなところを考えながら思考を巡らせる。実行犯と指示役が別にいるとして、魔法警備隊に目を付けられて危険な橋を渡らされているこの実行犯はどういう人物であるのだろうか。生身の人間か。魔法で生み出した泥人形のような存在か。忽然と消えるのはどういう理屈だ?
(………ん?)
「大泥棒」が逃げる先、右折して20m地点のところに、奇妙な魔力溜まりがある。中で蠢く魔法がどういうものか、この距離で分かるほどリトルデビルと感覚共有をしていないが、少し気になる。
(リトルデビル。「大泥棒」がマジであの地点を目指していたら、あの魔力溜まりは解除する)
考え過ぎ。或いは、罠の可能性もある。
しかし優秀な魔法警備隊、しかも精鋭であるはずの光の神杖が選んだメンバーが毎回「大泥棒」を取り逃すのならば、何か理由があるはずだ。
「大泥棒」が魔力溜まりのある曲がり角付近に近付く。いつどうなっても良いように神経を尖らせていたワースは、「大泥棒」が曲がり角を右折したことを感知して、即座に魔導書に命令を下した。
「魔力溜まりの魔力を吸い取れ」
距離があるから間に合うかな、と一瞬思ったが、リトルデビルはワースの想像を遥かに上回るスピードで漂う魔力を吸い取った。
(……あれ?)
確かにリトルデビルの「視界」を通じて座標指定はしたが……。まるで彼の魔法が空間を飛び越えて直接魔力溜まりに作用したような、奇妙な違和感があった。こんなに速かったか?あ、でも修行してるからリトルデビルも成長したのかも……?違和感の正体を探るより、魔力溜まりが消えた瞬間、動揺するように立ち止まった「大泥棒」が視界に入って、慌ててワースは集中力を引き寄せる。考えるのは後でもできる。今は仕事をしなければ。
報告書によれば、「大泥棒」はどこかへ忽然と消えてしまうという。魔法道具を使っているのか、「大泥棒」の固有魔法なのかは知らない。だが単独犯でないのならば、その魔法を行使するのは共犯者でも良いはずだ。もしもあの魔力溜まりを作った術者が指示役であるならば、いまワースが行っているのと同様に、どこからか実行役の動きを見ているはず。空間転移に関する魔法はいくつかあるが、空間を歪める必要があるので結構複雑だ。正直、消費魔力量を思えば箒で飛んでしまった方がいくらか楽できる部分も多いし至近距離にしか飛べないパターンも多い。それでも空間転移系の魔法を使うならば。
(……この近くに、実行犯がもうひとりいる)
部屋に飛ばしてしまえばおちおち魔法警備隊も踏み込まい。踏み込まれたら、次々に転移を繰り返せば良いだけだ。結構キツイが、それなりの魔法道具を揃えればなんとかなるし、固有魔法ならば補助剤でも使えばそれなりに保つだろう。実行犯が困ったように空を仰ぐ。そこは、一部屋だけ灯りの落ちた、ホテルの一室。
「リトルデビル」
ここだ、と思った。
ワースは無言で杖を握る手に力を込める。
詠唱を必要としない魔法陣はそれだけで反応し、置いた通りの場所に置いた通りの効果を示す。
「……捕まえました」
──こちらからも「見えて」いる!ご苦労ご苦労!
「あ、」
ライオとの通話を繋げたまま、ワースは杖を掲げる。実行犯が見上げたホテルの一室、窓から、誰か乗り出している。その人物に向けて、ワースは再び魔法陣を展開する。
──……どうした?
「共犯者……の、可能性がある人物もついでに捕らえました」
窓から身を乗り出した不安定な姿のまま、泥でがっちりと固定された人間は、何か叫びながら悶えている。動けないからだろうか、実行犯が心配なのだろうか、とにかく禁書の魔法を展開しながらでは、ワースには少々手に余る。
「すみません、感覚共有魔法解きます。捕まえた場所に向かいますので」
──分かった、こちらももうすぐ着く
語尾を聞くより先に通信を切って、ワースは走り出した。リトルデビルの音魔法の援助を受けて、ぴょんぴょんと屋根の上を飛び越えていく。解除した感覚共有魔法分のリソースを捕縛魔法に注ぎ込んで、がっちがちに逃げられないように、ついでに自殺もされないように犯人2人をくるりと包む。この2人が実行役と指示役で、実は本物の指示役が別にいて、2人まとめて切り捨てる、という手を取る可能性はどれだけあるか。或いは証拠隠滅の為に2人を害する可能性は。
「…………!」
ワースの指示なく、魔導書が勝手に音魔法の盾を展開させた。盾は2枚、場所はワースが泥魔法で固めた2人の目の前である。
「……チッ」
守ったよ、というリトルデビルからの感情を受け止めながら、ワースは足を早めた。ついでに息できる程度に、しかしどこから攻撃されても良いように犯人2人を守る形に泥魔法を展開する。とりあえずの時間稼ぎ程度にはなるだろう。
カッと高い音を立てて爪先が屋根を蹴る。そこにはリトルデビルの「視界」で見ていた世界がきちんと広がっていた。泥魔法で拘束した2人、そしてライオと……、
「えっ、」
「早いお付きだな、感心感心」
言いながら、ライオは魔法警備隊の制服を着た人物に杖を向けていた。ワースは混乱しながら自分の泥魔法で拘束した犯人2人を庇える位置に立って構える。それを見ていたライオは、ふっと笑った。
「流石はオーターの弟でソフィナの秘蔵っ子だ。良い判断してる」
杖を構えて、禁書を携えて、魔法警備隊のそのひとをライオと挟み撃ちにする形で警戒するというのは、なかなか奇妙な心地がした。じわりとワースの頬に汗が伝い落ちる。
「……こりゃ、一体全体どういう状況なんですか」
言いながらこっそりと、犯人2人を包む泥の強度を上げる。何かあったら弾き返せるように。自らの部下に杖を向けているとは思えないほどに飄々としたライオは、軽く肩をすくめた。
「この事件はとある貴族の乗っ取り騒動から始まったことはキミも知っているだろう」
悔しそうに泥に守られた2人が身じろぎするのを、ワースは注意深く掴み直す。「大泥棒」たちにも何か言いたいことがあるだろうが、いずれにせよいま動かれては困る。
まるでスポットライトでも当たっているかのように、胸に手を当てて大業にライオは口を開いた。
「この騒動は勿論不当なものだ。正当な領地の後継者達のために、魔法局は介入する用意がある。しかし……」
不意に、ライオが笑った。
ワースは背筋がぞわりとするのが分かる。光の神杖ライオ・グランツはこのような顔で笑うのか。相対するべき敵を前にして。
「困ったことに、乗っ取った側の貴族に与する者達がいてな。」
ワースは目を見張った。
当然、そのような話は、ワースの元には降りていない。
(……いや、だからこそ、か)
砂の神杖オーター・マドルの実弟で、誰の元にも与していない禁書の使い手。今回の事件を解決するのに、誰が介入しているとは考えにくいワースの手が。自陣にいる内通者を見つけ出すために。
何も知らされていなかったのは、何も知らないワースが捕縛魔法を使うのを期待してのことだ。ふる、と指先が震えた。どこかでワースが判断を違えていたら。いまこの構図は生まれていない。本命の事件は、むしろこちらだろう。
(「大泥棒」ごと囮に使いやがった……!)
これが神覚者と言われると、いまのワースには計り知れない。オーターも仕事上の機密だからと伝えなかったのだろう。それは、たぶん正しい。知っていれば感覚共有魔法をわだかまりなく使えたか。泥魔法で「大泥棒」を包めたか。何より、咄嗟の禁書による音魔法の盾は間に合ったか。ワースにしてみれば、全て不確定の、あやふやな事象である。しかしそれは、裏返せば成功率もまた、あやふやである。それでここに賭けるのか。
ワースは呼吸をひとつして、杖を構える。
正解がどれなのか、まだちっとも分からない。
ただ取り敢えず、いまのワースに期待されているのは、この「大泥棒」の2人を無事に魔法警備隊へ引き渡すことだと言うことは分かる。
ワースが警戒している間に、他の魔法警備隊の面々が揃う。ふっとワースは息を吐き出した。背後に、オーターの気配を感じる。これで滅多なことは起こるまい。慣れた仕草でライオが内通者と判明した隊員を拘束する。
「助かった、ワースくん。実はなかなか、どこかの陣営に属する人間を捕縛するのは難しくてな!」
「…………」
「悪い悪い、敵を騙すならまず味方から、ってな」
からからと快活に笑う姿を見て、呆気に取られる、とはこのことかと、ワースは自覚しない訳には行かなかった。光の神杖ライオ・グランツ。とんでもない男である。リトルデビルをダシに断ってしまった飲み会は出ておいた方が良かったのか。……いや、どちらにせよ面倒そうだから、やっぱり行かなくて正解だったのか。分からん。ワースの頭では、ちっとも。
取り敢えずワースは、ホテルの窓に縫い付けた「大泥棒」の共犯者を泥に包んだまま下し、魔法警備隊の留置所まで運んだ。そこまで運ぶのは事前に言いつけられた仕事ではなかったが、せめてもの厚意である。もしもこの後、「大泥棒」の2人が殺されたとて、ワースの責任ではない。責任ではないが……この仕事に関わった人間として、寝目覚めは悪い。そこには勿論、砂の神杖オーター・マドルがいた。
◆◇◆◇◆
「わたし」は空を見上げる。
キラキラと光る星の輝きに紛れて、カナリヤの魔力の残滓が舞う。これはこれで美しい。
神は、「わたし」が思うよりもずっと慎み深い。
……いやどうなのだろう。
「わたし」に推し量れるほど神は単純でもないだろう。
分からない。
わからない。
でも、これはこれで面白い。
相変わらずカナリヤの声は美しい。
青々として、瑞々しくて、遠くまでよく響く。
とても麗しい。
「わたし」は瞳を閉じて、その音に耳を傾けた。
◆◇◆◇◆
「……ということでソフィナ。ワース・ウォーカーくんを男前に貸して欲しい」
結ばれた言葉に、思わずオーターは眉を顰めた。単純に、ワースに付けられたファミリーネームが気に食わない。しかしなるべく穏便に、かつ丁寧に頼んだつもりでいるライオ・グランツは絶対に気がつかないだろう。その事にもオーターの眉には力が入る。頬に片手を当てたソフィナは「私は男性ではないですけれど、」と断った上で肩をすくめる。
「あまり、ワースくんを出す理由が分からないのですが」
ライオ率いる魔法警備隊がいま追っている事件は「大怪盗」であった。素性人数一切不明。お宝と共に貴族や団体の不正の証拠を盗み出す義賊として世間を騒がせていた。やり口を思うに、貴族か、それに近しい協力者がいるだろう。「大怪盗」が暴いた不正には繋がりがあって、概ねどの貴族関係者が犯人かは目星がついていた。特筆すべきはその情報収集手腕である。魔法局としては、どの貴族がどう没落しようが知ったこっちゃないが、なんとかしてこの「大怪盗」を不正の証人として、あわよくば情報収集部隊にスカウトしたいという思惑があった。だからこそ光の神杖直々に現場に出てきている訳だが、闇夜に出没する「大怪盗」と光の神杖では、相性が悪すぎた。特に、時間帯的な意味での。
「大怪盗」の盗みは基本的に夜行われる。そして翌朝の朝刊に間に合うように盗まれたお宝の隠し場所と貴族の不正行為が書かれたカードが各新聞社に届く。自然、魔法警備隊の警戒も夜になるのだが、ライオの光魔法では穏便に「大怪盗」を捕まえようにも目立って仕方ない。それでも相手に手傷を負わせても良いのなら方法はいくらでもあるが、いかんせんあくまでも「大怪盗」は無傷で捕らえたい。実行犯の奥にいる、首謀者と交渉するためにも。魔法警備隊には一応他に捕縛の魔法使いも複数いるものの、事情が事情だけにライオ自ら指揮を取る必要があり、人選になかなか苦慮しているらしい。下手にどこかの貴族の息がかかった者を入れると、捕まえた「大泥棒」が暗殺されかねない。実際問題、ついでに不正行為に手を染める貴族と内通している隊員まで捕縛出来ればベストである。しかし肝心の「大怪盗」は魔法警備隊の追尾を毎回、まるで煙になってしまったかのように撒く。その手の固有魔法か魔法道具や支援者がいる可能性が極めて高い。
「……そこで、ワースくんだ。彼の禁書は、こと無機物なら、オーターよりも魔力探知に優れているだろう?」
「…………」
別にオーターも自身の魔力探知能力を誇っている訳ではないが、さらっと向こうを持ち上げられると複雑な気持ちになる。しかしまぁ、事実ではあった。
巨人族の事件で明るみになったことであるが、考えてみれば遊園地でカーバンクルの魔法石取引が行われていた時も、禁書はオーターと遜色ない程の速さで気が付いていた。とはいえイーストン魔法学校の事件では概ねカーバンクルの姿を掴んでいたにも関わらず特定に時間はかかっていた。あの時のカーバンクルは衰弱していたし、5冊もの禁書に囲まれ、そして教育機関らしく様々な魔法道具がある中で小さな宝石を見つけ出せと言う方が無理があるものの、恐らく有意に魔法道具を追える条件があるのだろう。事によってはワース自身の体調にも関わりがあるかもしれない。その辺りは依然として不明である。
「……ということで、ワースが「大怪盗」の影を追えるというのは、少々早計では」
「……うーん……」
オーターの反論に、ライオは腕を組んで悩む。たぶん次の反論を考えているな、と当たりをつける。視界の端にすっと手を挙げるものがいた。炎の神杖カルド・ゲヘナである。
「僕から少し補足を。最もワースくんに期待するのは確かにその探査能力ですが、魔法陣技師としての初陣として今回ほど相応しい案件はないかと」
「どういうことですか?」
カルドはオーターに話しかけているように見えて、その実、ソフィナの表情を素早く捕らえている。説得するべき相手をきちんと見極めている辺り、やはりかなり面倒くさい相手だ。
「マーガレット・マカロンと魔法陣を使用した戦闘訓練を行なっているというワースくんの手腕を疑う訳ではないですが、実際問題、戦闘中に魔法陣を描くだなんて離れ業がどこまで可能か分かりませんから」
ちなみに、オーターは未だ、ワースが実際に魔法陣を使うところを見たことはない。一応それとなく頼んだことはあるが、「なんで?」と一蹴された。……いや、本人には一蹴した意識はそもそもないかもしれないが。実際、ワースの疑問は尤もだ。治癒魔法のような特殊魔法でない限り、ほとんどの魔法陣による魔法はオーターも生活魔法や初歩魔法として普通に使うことができる。単に「目の前で魔法陣見せて」は、「魔法陣以外の魔法を使った方が早いのになんでそんな要求をするのか」と問われるのは致し方ない。
ワースの魔法陣は、もちろんその作成スピードもさることながら、禁書の「視界」によって任意の場所に魔法陣を描けることにある。というか、正直どういうやり方をしているのか定かではないが、ワースの魔法陣は「突如」としか表現できない様相で指定した場所に現れるのだ。カルドは杖の力を引き出しているのでは、と言っていたが果たして。
「ワースくんには「チャンスがあれば捕縛の魔法陣を使ってどんどん狙って欲しい」とでも言っておけばやってくれるでしょう」
「まぁ、そうですね」
頷いたのはソフィナであった。彼女はある程度ワースと戦闘訓練をしているから、魔法陣の有効範囲も概ね理解しているだろう。議論の方向が定まりつつあるのを感じてオーターはむっつりと黙り込む。確かに魔法警備隊の後方援護であればワースが危険に曝される心配はないし、強硬に反対する理由もまたない。ただ、また彼が忙しくなって帰りが遅くなるのが嫌なだけである。瞳を細めたカルドがくるりとオーターに視線をやる。
「「大怪盗」が出るタイミングはある程度予測できます。折角ですからオーター、あなたワースくんの働きぶりの見学をしてみては?」
「…………」
「ワースくんの身に何かあった場合に禁書くんの取りなしが出来るあなたが加わってくれると、僕としても非常に安心なのですが」
「……なるほど」
さすがはカルド、全方位に向けて抜かりない。
ワースの仕事は「大怪盗」を捕縛するところまでであろう。魔法警備隊に引き渡してしまえばそれで終わりである。夜の帰り道を、2人でゆっくり家に向かうというのは、なかなか魅力的な話であった。なんせ同じ家に住んでいるのだからどこまででも一緒である。なんて素晴らしい響きだろうか。
オーターがじんわりと胸を温めている最中にも、ソフィナが挙手をしてライオにワース貸し出しの条件を付けている。半分くらい聞き流しながら、毎度のことながら堂に入った交渉捌きだとひそかに舌を巻く。これでワースには「本当は出向させたくないのだけれど、」と言いながら課題を出しているらしいのだから大したものだ。少なくともソフィナ・ブリビアは、向こう2年ほどは研究業績の為の実験となるような出向であれば、ワースの貸し渋りはしないだろう。もちろんそう都合の良い仕事ばかり転がっているかはともかくとして。
先日めでたくワースは魔法技師の試験に受かり、晴れて1級魔法技師の資格を手に入れた。変に禁書管理局内で研究させていては魔法技師協会からちょっかいをかけられる、だからより魔法局内を横断するような仕事をさせたい、という判断もあろう。ワースが忙しくなるのは嫌であるが、それ以上に他所へ行かれるのは嫌だから、オーターは概ねソフィナの方針に納得をしている。
「……ところでこれは、私からの注意事項というか、お願いになるのですが、」
ソフィナの視線がオーターの方へ向く。この流れで何か確認される心当たりのないオーターは素直に首を傾げた。その様子に、予想通りではあったのだろう、ソフィナは困ったように首を傾げた。
「……ワースくんが使用している杖ですが、オーター、貴方、何か聞いていますか」
「何か、とは?」
「具体的に、どんな神が宿っているか、です」
「…………」
思いもよらない質問に、オーターは少したじろいだ。オーターと同じであれば、ワースの杖は魔法学校の中等部にあがる頃に買い与えられたものだろうと思う。基本、魔法使いが杖を選ぶのではなく、杖の方が使い手を選ぶ。これは魔導書の仕組みとそう変わらない。しかし杖の力が引き出せるようになるには、ワースはまだ2本線で、力が足りないはずだ。
「知りませんし、あの子はまだ杖の力を使えないのでは」
「そう……ですよね」
「なにか気になることでも?」
ソフィナにしては珍しく、少し迷う素振りを見せた。きゅっと唇を引き結んで少し考え、ゆっくりと口を開く。
「……ワースくんが泥魔法で魔法陣を作るところを見たことがある方は?」
「僕はありますね、一応。魔法陣にしては非常に素早く作り上げられてはいました。けれど、そう驚くようなものではありませんでしたが」
「……泥が、どこから魔法陣に流れていたか、覚えていますか」
ソフィナの質問に、カルドは首を傾げた。
その顔に「そうですよね、」とソフィナも肩をすくめる。オーターも質問の意図が分からず首を傾げた。どこから泥が流れていたかだって?普通に、杖の先からに決まっている。
「これは魔法陣を使って貰っていて気が付いたのですが、ワースくんの泥は、どうやら杖から出ている訳ではないようなんです」
「……?どういう意味ですか?」
「私の憶測に過ぎませんが……彼、転移魔法を使いながら魔法陣を展開しているのではないかと」
「…………」
呆気に取られて、オーターは目を見張る。転移魔法。はっきり言って泥魔法で魔法陣を生成するよりずっと複雑な魔法だ。それを同時にやっている?
ソフィナは困ったように、しかし大きく頷いた。
「リトルデビルくんの感覚共有魔法で、多少の障害物や距離があろうと、ワースくんは魔法陣を作れます。けれど魔法陣の生まれ方がどうにもおかしい。私は杖の力を同時に使っているのではないかと考えています」
「しかし、オーター弟くんはまだ2本線だろう」
「その通りですライオ。……ひょっとすると、修行の成果が現れ始めたのかも知れないし、単に杖に見込まれたのかも知れない。いずれにせよ、我々が事態を掴んでいないのは問題であろうと思います」
ソフィナの言葉に重々しくカルドが頷く。オーターは眼鏡の位置を静かに直した。ワースの泥魔法に適合する神。転移魔法らしきものを使う神。両方に当てはまるとなると、まるで心当たりがない。
「オーター。今回の任務でワースくんの動きを見ていてもらえますか。リトルデビルくんから杖の様子を聞き出せるのなら、それでも良いのですが」
「……禁書はなんと?」
「ワースくんの杖は「どこにでもあって、どこにもない杖」と……」
「ちびワースも謎掛けかよ」
気怠そうに椅子に腰掛けたレナトスが肘を付いて、笑うように言う。
「めちゃくちゃ面白そう。オレもそっちの捕り物参加しちゃダメか?」
「レナトスまで「大泥棒」にかまけられるとちょっと困りますねぇ」
「ちぇー」
カルドの穏やかな声にレナトスは天井を仰ぐ。ただまぁ、強硬に反論しようという意思はないらしい。ソフィナの瞳がライオと、そしてオーターを捉えた。
「リトルデビルくんが憑いている以上、他の道具に悪さはさせないでしょうけれど、可能であれば、その正体を掴んで頂きたいのです」
オーターの瞳がじいっとソフィナを見つめる。彼女ほど、古今東西の杖の記録に当たれる立場の者はいない。そしてワースの魔法に違和感を抱いておいて、それを放置するとも考えにくい。……とすれば、彼女を以てしても、ワースの杖の「正体」は何か認め難いものであったのだろう。正体を掴むと言ってはいるが、つまりは検証して欲しいという話だ。オーターは静かに眼鏡の位置を直す。ソフィナが自分の調査に不安を覚えさせた杖を示す禁書の謎掛けのような言葉は、一体何を意味している?
「分かった。お前の部下はこの光の神杖ライオ・グランツに男前に任せておけ」
「…………ワースのことであれば、私に断る理由はありません」
ソフィナへ向けて告げるライオとオーターを見、ぐるりと一帯を見渡して、カルド・ゲヘナが頷く。
「よろしい。ではワースくんへの説明は頼みましたよ、ソフィナ。……さて、次の議題にいきましょうか」
資料を斜め見しながら、ワースの身に浮上した新たな問題をどう対処したものか、とオーターは思索を巡らせていた。
***
結局のところ、医学的アプローチでも判明しないような状況を炙り出すのであれば、取り憑いた禁書本人に話を聞くのが1番早い。少し前のオーターであれば躊躇いつつも却下したであろうその手は、今はあまり逡巡をもたらさない。なんせ、
「リトルデビル」
丸みを帯びた形の良い頭に厳めしくねじくれた角を付けた子どもが、小首を傾げながらこちらを見上げる。ぱちぱち、と瞬きする姿はまるきり無防備な小動物だ。
いつの頃からかあまり覚えてはいないが、共同生活が始まってから、ワースが風呂に入っている時などの少し席を外している間、この小さな禁書はオーターの近くにいる。ワースがそのような命令を出しているのかと言うとそんなこともなく、ただまぁ、なんとなく、気が付いたらちょこんと膝の上に座っている。時々「撫でて」とおねだりしてくるくらいだから、禁書としては何か意味のある行動なのだろう。禁書がどこまで術者の感情を読み取っているのかは、オーターの知るところではないが、少なくとも警戒心なく近付いてくるところを見るに付け、ワースにも気を許されている感覚がして嬉しい。
「お前は、ワースの持つ杖に宿る神が何だか分かりますか」
くすぐるように頭を撫でてやりながら、直球に尋ねてみる。言葉を選んでみても良いが、あまり意味はないだろう。ワースと繋がっている以上、術者の頭の中をよく読む、というのは確からしいが、禁書は結構他人の心の機微を読み取る。恐らくそもそもそのような性質を持つ禁書なのであろう。それが表情なのか、声色なのか、はたまた人間には聞こえない心音や微かな筋肉の変化なのかは分からない。ただ確かなのは、見た目通りにこにこと笑っている子供ではないと言うことだ。ある程度の規律と、それに伴う敬意を表するに値する。
禁書は眉を顰めて、少しばかり困ったように首を傾げた。彼が作る表情にしては珍しい。帰ってきた答えは、微妙にオーターの質問とは噛み合わないものであった。
「杖の神さまは、たぶん、出ては来れないから大丈夫よ」
「……出て来れない?」
オーターの言葉に、こっくりと深く禁書は頷いた。その瞳はすうっとここではないどこかを見る。家主であるオーターにはすぐに分かった。そちらは、風呂場だ。ちょうど今、ワースがいる。
「神さまを支えるには、カナリヤは小さ過ぎる」
不意に、禁書は子供らしからぬ笑みを浮かべた。小さく口にした「カナリヤ」とい名が彼にその顔をさせたのだろうと感じさせた。そう言えばずっと、何故禁書がワースを「カナリヤ」と呼ぶのか分からないままだ。普段はもちろん、「ワース」と名前で呼ぶ。しかしそれは、禁書が人間の社会に馴染むために使っている方便のようなものだ。深くは、禁書「リトルデビル」の視界の解析が進めば明らかになるだろう。しかし固有魔法やそれに付随した何らかの形以外の呼称をされているのは、ワースだけである。単に、術者とそれ以外で、彼の中に何らかのルールが存在している、と言うことかもしれないが。まぁ、今聞くことでもなかろうとオーターはひとつ頷いて、禁書の頬をもちもちと揉んでやる。
「神を「喚ぶ」のではなく、「支える」のですか?」
普通、顔に走る痣が3本になって使える魔法は、召喚魔法である。杖に宿る神々を現世に呼び出すための魔法だ。召喚された神を現世に留める為に、確かに魔力を使う。だが、感覚としてそれは「支える」というよりは「引き留める」に近い。もちもちと静かに頬を揉まれていた禁書は楽しげに笑った。
「だって神さま、形を保てないもの」
「…………」
これは、禁書なりのヒントだろうか。
それとも彼にそんな気はないだろうか。
いずれにせよ、オーターには心当たりはなかった。
禁書は杖に宿る神を知っている。しかし恐らくこちらに伝える気はない。ワースが神を呼び出せるとは考えていないから。この回答に砂の神杖オーター・マドルは満足できるか。答えは否だ。けれど禁書の口を割らせるのは、術者のワースであっても難しい。のらりくらりと躱されるだけであろう。オーターは少し考えて、再度質問を練る。
「その神は、」
「…………」
「ワースに何か不利益をもたらしますか」
「……ううーん……」
禁書の表情が動いた。腕組みをして唸る。顔にはありありと「なんとも言い難い」と書いてあった。
「……今のところは、だいじょうぶ……だと、おもう……」
悩みながら絞り出された回答は、禁書にしてはやや曖昧であった。ぎゅっと眉を顰めたまま唇をへの字に曲げる。その頬はふっくらとしていて、内容に反して子供らしくあどけない。
「カナリヤが扉を支えきれなければ、勝手に閉じて神さまも還る。「わたし」と違って魔力回路に負荷をかける訳じゃないし……」
「…………」
「……でも、ちょっと嫌」
それは、なんに対しての「嫌」かを問う前に、バスルームから音がする。オーターは問いを飲み込み、禁書の顔を見つめながら唇の前で人差し指を挙げた。ぱちぱちと瞬きを繰り返す禁書はすぐににっこりと笑って「しー、ね」とオーターと同じポーズをする。とたとたと廊下を歩く音が聞こえ始めた辺りで、オーターは頭の中を切り替えた。
***
相変わらず魔法魔力管理局は仕事で溢れかえっている。これでも事前に仕事を選り分けて担当者にやらせる、という形式がうまく動き始めて、オーターはじめ戦闘力が高い局員の負担は減ったが、そうなると逆に人材不足を感じる。間違いなくワースと過ごせる時間が増えたから、なんとかこの形式で続けたいものだが。
「……ん?」
伝言うさぎが震え、着信の相手を見てその意外さにオーターは眉を持ち上げた。ライオ・グランツ。丁度ワースが出向している先の神覚者だ。私用でオーターに連絡を取るはずがないから、まず間違いなくワースの件であろう。迷いなくオーターは通話ボタンをスライドした。
「はい」
──お、繋がった。よぅオーター
「何の用ですか」
ライオのことだから変な質問はしないだろうが、とはいえ一般局員に聞かせて良い話ではないかもしれない。ふらりと立ち上がったオーターは廊下へ出る。爽やかな風が頬を撫でて通り抜けていった。挨拶じみた会話を二、三して、電話口で聞いてもひどく言い出しづらそうにライオが口ごもる。
──いや〜……もしかして、なんだが、弟くんって人見知りするタイプか?
「ワースが?……あまりイメージはないですが」
基本的に物怖じしないし周囲を見ているから馴染まれやすい。……そういえば、墓所管理局に出向していた際もかなり早く打ち解けていて、未だにワースに声を掛ける局員がいるようだ。仕方ないとはいえ目の届かないところで他人と親しくしているところを想像すると、面白くない気持ちになる。
「何か問題でも?」
──んー、……いや、大丈夫。時間を取らせてすまなかったな
やけにあっさりと引いたライオに内心首を傾げるが、いつも光のように現れて光のように去っていく男だから仕方ないか、とオーターは失礼なことを考えつつ伝言うさぎをしまった。
***
ひゅうっと吹き抜ける風を感じながら、オーターは高台でずっと、ワースの動きを見ていた。屋根の上での位置取りから順に降らせる魔法陣を見ていると動きに無駄も迷いもないのが分かる。恐らくこれは、マーガレット・マカロンやソフィナ・ブリビアの薫陶の成果であろう。少し妬けるが、彼女たちがワースの師匠としては最適であったのは間違いない。しかし、それにしても。
(……やはりあの魔法陣の展開の仕方は、余りにも奇妙では)
ワースは、魔法陣を生成する場所を目視していない。禁書の感覚共有魔法を展開しているのだから、禁書の「視界」で座標を確認しているのだろう。これもだいぶ特殊な事例ではあるが、まぁ、分かる。けれどオーターの目から見ても、ワースの魔法は異常であった。どこからともなく魔法陣の紋様が生成されている。まるでそう、空間に突然泥魔法が現れたかのように。
オーターの砂魔法含め、普通魔法は杖の先から展開して伸びていく。目には見えない魔力の流れが存在するからだ。普通は。あくまでも、普通は。当てはまらない魔法も確かに存在する。……が、オーターが知る限り泥魔法はその例外に該当しない。
「…………」
ソフィナが指摘する通り、禁書の力でないならば、杖の力であろう。しかしそれも、オーターの中の常識が待ったを掛ける。「最古の十三杖」のように、常時展開する固有の魔法を持つ杖は存在する。けれど、ワースの杖は、こう言っては悪いが、「普通の」杖のはずだ。これまで一度だって、ワースの杖は特殊魔法を顕現させたことはないはずだし、杖の力を引き出せる程の痣も顔に浮かんではいない。しかしワースの杖の先を見る限り、泥は生まれた先からどこかへと消えて、彼の目視可能範囲を遥かに超えた場所に泥の魔法陣が現れていた。
禁書が言うところによれば、「どうせ出て来れないから」とのことだが、それはそれで、危険ではないか。禁書を使用している時、ワースの身体には大量の魔力が流れているから、実際のところ、杖の力を引き出すためにどれほどの魔力を使っているのかは分からない。使っていたとしてもほんの微量だろう。だが、使いこなせない力をそれと知らずに使っている、これこそか問題であろう。現状に不具合が出ているかどうかはこの際関係ない。
オーターが観測する限り3回、ワースは奇妙な魔法の展開をした。うち2回は魔法陣の魔力行使、うち1回は禁書を使った魔法行使。いずれにせよ、ワースが感覚共有魔法で知覚していても、通常の魔法ではあり得ない距離とスピードで展開している。転移魔法、の可能性を考えるべきである。
(……本当にそう、か?)
3本目の痣が浮かぶ前から、杖に宿った神の魔法を使う?ワースの背後には禁書がいるとはいえ、それは流石にあり得るのだろうか。
オーターは少し考え、しかし湧いた疑問は腹の中にしまう。なんせ、ワースの足は早い。うかうかしていると置いて行かれてしまう。
元々身体能力が高い子だったが、マカロンとの修行で着々と音魔法を会得しているのだろう。音速で動くマカロンと比べるべくもないが、初学者としては及第点である。走り出しが遅かったオーターが「大泥棒」の捕物の現場にたどり着いた時には殆どが終わっていた。なんでも魔法警備隊の中に不正貴族の内通者がおり、「大泥棒」の捕縛をしつつ内通者を逮捕する手筈だったようだ。当初の計画上の、ベストの結果である。勿論ここまでやるとはオーターの耳には届いていないが、結局のところ魔法警備隊はライオの管轄する隊であるから、オーターには関係ないといえばない。律儀に「大泥棒」を魔法警備隊に引き渡すワースの背中を見ながら、オーターは柄にもなくワクワクとしていた。夜の散歩。もう、それだけで何か特別な響きがある。
「オーター、お待たせ」
「お疲れ様でした」
おや、とオーターは目を見張る。ワースの身体の影に常であればリトルデビルの姿があるはずだ。しかし禁書はワースの身体にぴったりと装着されたハーネスの中に収まっている。オーターの視線に気が付いてだろう、ワースも、「あー、」と少し言いづらそうに視線を離した。
「……ふた、2人っきりの、デートだろうからって」
「…………」
「いや突然そんなの言われちゃ困るよな!?リトルデビルもちゃんと自分で歩かせて……」
「いえ、」
なるほど、禁書は確かに、変な気遣いを見せるらしい。オーターは眼鏡の位置をそっと直した。ずり落ちている訳でもないのに、なんとなく。
「……貴方も、デートだと思ってくれているのは、嬉しいです」
「…………」
ワースはひと呼吸分沈黙したものの、ぱっと顔を逸らす。月明かりに照らされたその横顔の、髪から覗く小さな耳が赤くなっている。可愛い。物凄く。
「行きましょうか」
実は夜までやっているここ周辺の店は既にリサーチしていた。ちょっと向こうに行けばバーがあるし、ちょっとそっちに行けば夜カフェがある。ワースはフルーツポンチが好きだから、コンセプト性の高いパフェを出す夜カフェの方が好きかもしれない。
「ワース、」
「ん?」
「あちらに、夜カフェがあるそうで。行きましょう」
「……おう」
ひょいと当たり前のように隣を歩くその姿に、オーターは柄にもなくドギマギとした。間に禁書を挟んでいない分、肩が近い。ワースの方が少し上背があるから肩の位置もややオーターの方が低いが、その分、指の先が彼の腕に触れそうだ。
「…………」
ごくり、と思わず唾を飲み込む。
ワースの手に触れたことがないとは言わないが、手を繋いでどこかを歩くようなことはした事がない。そう思うと、この月もない夜は誰に憚るでもなく手を繋いで散歩ができる、絶好の機会ではないか。緊張に、オーターの手は無意味に開閉を繰り返した。
「オーター?」
「……っ、はい、なんですか?」
「……あ、いや、アンタはいつから魔法警備隊に内通者がいるって、知ってたのかなぁって……」
オーターはパチパチと瞬きを繰り返した。真剣そうなワースの横顔はどこか精悍としていて美しい。けれど、質問の意図はよく分からなかった。
「……知りませんでしたよ?」
「え、それは流石にウソだろ」
「嘘ではないです。そもそも、魔法警備隊を率いるライオが自分の部下の統制を行うのは当然ですし、部署違いの我々から何か言うような話でもありません」
確かに、大掛かりな不正であれば神覚者全体が動くこともあるかも知れないが、少なくとも今回のケースは違う。納得が行かなそうなワースの顔に小首を傾げながら、仕事の話ならばとオーターも少し頭を切り替える。
「他局員の出向は、基本的には人材管理局の所管です。通常貸し出しを求める局から人材管理局に打診して、貸し出す局が許可すれば成立します。カルドは多少事情に通じていたかも知れませんが」
「…………」
「そもそも捕縛対象の殺害を目論む隊員がいるのはライオに取っても嫌なスキャンダルですし」
光魔法と夜闇に紛れる「大泥棒」の相性が悪い、という説明は、ある意味では正しかったしある意味では間違っていたのだろう。内通者に目を光らせ、決定的な場面を以て逮捕するのに、肝心の「大泥棒」の捕縛まで魔法警備隊の中で行うのは骨だ。どの程度ライオが内通者に目星をつけていたかは知らないが、わざわざ内通者に「大泥棒」を殺せる隙を与えることになる。その点ワースならば内通の心配は要らないし、禁書の実験のためと言えばソフィナは間違いなく出してくるし、オーターを現場に引き込むことも出来る。実際ワースは見事に「大泥棒」を守り切った。
しかし何か気にかかるのだろう、腕組みをしてワースは少し唸る。遠くなった手のひらに、オーターは少し残念な心地がした。
「あれでもじゃあ、なんで今回オーターも現場に出ることになったんだ?」
「…………」
「いやてっきり、オーターも内通者のことは知ってて、俺の代わりに「大泥棒」を守ってやる役割だったのかな、と思ったんだけど……」
オーターは、静かに眼鏡の位置を直した。杖の魔法を、ワースは恐らく無意識に使っているのだろう。治癒魔法が代表的であるが、論理とは別に無意識の領域で膨大な情報量を処理する魔法は、確かに存在する。しかし恐らくソフィナはワースの魔法陣について、なんらの指摘を行なっていない。そういう判断を下したと言うことだ。
「……私が駄々をこねました」
「………………は?」
「貴方と同じ現場で働きたかったので」
実際カルドからの打診だが、半分くらいは本当であるし、嘘と言うほどではない。展開するワースの魔法陣を見てみたかったのもまた、本当である。
「貴方の魔法陣の仕組みは単純ではありますが、その分わかりやすくて面白い。2人目の「大泥棒」を捕まえた展開スピードもさすがでした。なにより、」
「ちょ、ちょお、ちょっと待て!」
「美しい紋様通りの素晴らしく正確な座標指定で」
確かにあれならば、マーガレット・マカロンと対峙できるかもしれない。正直近距離の格闘ではやや無駄が多いような気がしたが、これだけの広さで逃げる犯人を捕まえるならば、高い適性があるだろう。
滔々と語るオーターの肩に、自分の肩をぶつけるようにワースが体当たりしてくる。痛くはない。けれど唇を尖らせるワースはあまりに可愛い。
「いっ、……いきなり変なこと言うな、ばか」
「事実です。良い魔法でした」
密着する今なら行けるか。
そうっと脱力するワースの手に触れる。ぴくりと肩を跳ねさせたワースはしかし、逃げることなくオーターの手を受け入れる。どちらからともなく指を絡ませて握った手は、どこか熱い。
ぴったりとくっ付いた手のひらに。かすかに触れ合う肩に、オーターは嬉しくなって瞳をゆるめた。星明かりに浮かぶワースの顔は、いつも知るよりも甘やかであった。
「甘いものは、好きですか?」
「ん?……んー、なんつうか……」
ワースの掌が、きゅっとオーターの手を握る。らしくなくバクバクと心臓が弾けそうな気がした。少し照れくさそうに、ワースは自分の足元に目をやる。
「……いろんな果物が、キラキラしてるのが、すき」
「なるほど」
可愛らしい。
そんなこと言われたらどれ程パフェを並べたっていい。きっとワースは「食べきれねぇもん頼むな」と怒るだろうけど。ムッと唇を尖らせたワースがこちらを睨む。
「なァに笑ってんだよ」
「いえ、可愛らしいと思って」
「……そりゃどーゆー意味だ」
少し大袈裟なくらいワースが手を振り回す。きゅっと指を絡めた手のひらは離れることはないが、きちんと結び付いているのを確認するかのようだ。不意にその手を持ち上げて、ワースの手の甲に唇を寄せる。外気に当たっていたせいか、触れたそこは少し冷たい。ちらりとワースの顔を伺えば、瞳を丸くして顔を赤くしている。可愛い。意外と彼は、なんでも顔に出す。
「楽しみですね」
夜更かしして、パフェを食べて、普通の休日のように、のんびりと2人で過ごす。たぶん途中で禁書が人間の姿で現れて、にこにことこちらを見ていることだろう。
オーターが想像する限り穏やかで優しい有給休暇に思いを馳せて、自然と口元が緩んだ。
カナリヤ 14
冷たい風を感じながら、ワースはすっと前を見る。人ンちの屋根の上で待機って、結構無法なことすんなァ、というのは正直な感慨だが、この場合は仕方ないかもしれない。ふと、右に付けたイヤホンから雑音が入る。
──……ワース、準備はいいか?
「俺はいつでも行けますよ」
目の前に浮かんだ魔導書が嬉しげに跳ねる。そして早く早くと急かすようにページが開かれた。その様子にふっと笑みが漏れる。少し前まで「重いからつかわない方がいいとおもう」と首を振っていた奴の仕草とは思えない。勿論ワースも、マカロンとソフィナに鍛えられた自負がある。ワースは構えた杖を空に向かって掲げた。
──それじゃあ、頼む。キミたちの目と耳を男前に貸してくれ
さて、どうしてワース・マドルが「男前」にも魔法警備隊に混じって仕事をしているのか。
事の発端は、数週間前に遡る。
◆◇◆◇◆
「魔法警備隊に出向……ですか?」
「……ええ、そうなんです」
こっくりと深く頷く知の神杖ソフィナ・ブリビアの憂鬱そうな顔を見ながら、ワースはこの手の会話は何回目だろう、と無用なことを考えていた。他の幹部候補たちと比べて、ワースは格段に出向が多い気がする。とはいえ、所有する禁書の性質上仕方がないかもしれない。きゅっと手を繋いだ先の魔導書が視線に気が付いて、にこっと微笑む。
「魔法警備隊だなんて珍しいですね」
墓所管理局、魔法魔力管理局と並んだ武闘派の局だ。正直、書庫の内勤が主な仕事である禁書管理局が手を貸すような相手ではないだろう。けれどソフィナは深く頷いた。
「ワースくん。「大泥棒」って知ってますか」
「ああ、最近話題の……」
最近紙面を騒がせている強盗だ。ご丁寧に、毎回特徴的なカードを被害者と新聞社に送り、自らの存在を誇示する。事件が起こった後に。犯行の誇示なら事前に予告状を出すのが筋じゃないか?というかそもそも、事後にカードを送ったところでそれが犯行の告白にはならなくないか?とワースなどは思っているが、紙面を見る限り犯人、或いは限りなく近しい人間でないと書けない手紙を添えているらしく、それを以て推定犯人と目されているらしい。
狙うのは怪しい噂の絶えない貴族や美術館、博物館。お宝ごと不正の証拠も盗まれる。カードには、犯罪の告発も盛り込まれているらしい。やっていることはまるきり義賊だ。正直ワースはこの手の話題にあまり関心はない。元気だなァと思うくらいである。なんせ、狙われるような財産もないし、まるきり関係のない話だ。けれど魔法警備隊がマークしていた貴族の不正も盗み告発されたとか言うから、あちらにしてみればメンツを潰されたようなものだろう。
「ライオ、光魔法の使い手でしょう?暗闇で魔法を使うと目立つし味方も目眩しを喰らうしで、相性が悪いそうなんです」
「………………」
なんともお粗末というか、間が抜けているというか、そもそも神覚者で1番目立つひとだとは思っていたが。これが神覚者最強と謳われるライオ・グランツの弱点と言われると、それはそれでものすごく微妙な気持ちになる。
「……暗視ゴーグルか、光魔法使い以外が捕縛に出れば良いのでは?」
「暗視ゴーグルは機動力が落ちるから嫌なんですって。軽量型のものも研究途上の魔法道具としてはありますけれど、ライオの光で眩まないようにするには重くて魔法式も複雑になるし、壊れるのが分かってて貸し出したくないと、ツララが」
「あー……」
「というか、ライオは「大泥棒」の捕縛に一度参加しているのだけれど、その時も逃がしているんです。単純にそれが悔しいのと、「大泥棒」はそれなりの使い手のようで、捕縛はやはりライオが出た方が良い、との判断で。……ライオが出ると他の者との連携が難しくなるんですが、それを差し引いても、と」
なるほど、それなら理解出来る。……しかし貸し出すのがワースで良いのか、という点は気にならないではないけれど。
ワースの疑問が顔に出ていたのだろう、ソフィナはふっと笑う。
「ライオには条件として、部隊の人間全員にリトルデビルくんの感覚共有魔法を掛けること、ワースくんに魔法陣使用許可を出すことを飲ませました」
「…………!」
「今回の任務ではワースくん自身に感覚共有をさせるだけでなく、他の人間にもかけて貰います」
「……ちなみに人数は」
「ライオを含めて5名。……出来ますね?」
「…………」
週に1回マーガレット・マカロンの音魔法講座を受けていて、ひとつ収穫があった。……いやアイツは殆ど色んな形のフィールドにおける戦いを試しているような節があるし、最近はホテル関係者がどうした訳か見学に来ているものだから、どちらかと言えば「講義」というよりは「遊び」が彼の中の認識だろうけれども。まあ、それはともかく。結論から言えば、リトルデビルの感覚共有魔法は複数人にかけた方が使い勝手の良い魔法であった。というのも、禁書が持つ「視界」は、人間のワースには情報量が多過ぎる。マカロンに「ねェねェ、私もデビルちゃんの魔法かけられたいわァ」と言うからぶつくさ文句を言いながら掛けてやってみたところ、明らかに1人で魔法を使うよりもワースの負担が軽減した。……マカロンは情報過多でひっくり返っていたが。「コイツ、コレ使えば倒せるんだ、」と思ったのは全くの余談である。勿論、実力で真正面から倒したいから使わないけれども。その後ソフィナに報告し、禁書管理局で実験を繰り返してみたところ、人数が増えれば増えるほど、感覚共有魔法の精度は落ちるがその分ひとりひとりに掛かる負荷は減り、魔法の使用可能時間を伸ばせる、ということが分かった。今のところ、ワースが掛けられる最大人数は10名。5名ならばワースの方で出力をいじれば、継続時間含め問題ない範疇である。しかし懸念点もある。初めてマカロンに感覚共有魔法を使った時に彼がひっくり返ったように、リトルデビルの「視界」は強烈だから、初めて魔法をかけられた人間は目を回し戦闘どころではなくなる。恐らく、ライオ・グランツの光魔法による目眩しよりも、効率的に味方を倒してしまう結果になるだろう。
「出来ますけど、練習期間頂けますか。俺はともかく、魔法警備隊のメンバーに魔法を慣らす時間が必要かと」
「ええもちろん」
ソフィナは鷹揚に頷いた。
「来週から、午前中禁書管理局勤務、午後からは魔法警備隊の訓練に参加して貰います。当面のワースくんのお仕事は、この業務の内容をレポートにして提出すること。内容次第では論文にも使いますので、心してデータを取って下さい」
ワースはごくりと喉を鳴らす。「お遊び」や多少の実験程度であれば使ったことはあるが、実践で味方に使用するのは初めてだ。「禁書の魔法を使う」以上の目的がある状況で行使するとなれば、自分も他の者にもそれなりの余力を確保せねばならない。そうした調整をした経験は、まだワースにはない。実践……実戦、だ。禁書使いとしての。高揚に近い緊張を自覚しない訳にはいかなかった。繋いだ小さな手はくいとワースを引っ張り、にっこりと微笑む。
「まかせてー」
「おう、……頼りにしてる」
リトルデビルの小さな頭をくしゃくしゃと撫で回す。不釣り合いに大きな角の重みで彼の身体はぐらぐらと傾ぐが、可愛らしいから良いだろう。脇の下に手を突っ込んで、ひょいと抱き上げる。それをみたソフィナが相好を崩した。
「まぁ、そう気を負わず。どうやらオーターも見学に来るようですから」
「……はぁ!?」
仮にも上司に向かって飛び出るべきではない声が漏れて、ワースは自分で自分の唇を押さえる。瞳を丸くした寛大な上司はその姿をくすくすと笑って見ていた。
***
「オーターのせいでソフィナさんに笑われたんだけど?」
「…………」
ハーブティを片手に、すこしムッとオーターは唇を曲げて沈黙した。恐らく「それは自分のせいではないのでは?」とか考えているのだろう。勿論そうだ。ワースの八つ当たりである。甘い香りを嗅ぎながら、ワースはくっとカップを傾ける。ちなみに魔導書はもう部屋に戻っている。最近のリトルデビルはこういうことをする。ワースと禁書の間には不可視の魔導パスが繋がっているから、双方の状態がわかる。しかしとはいえ2人きりにさせたいのだろう。気遣いが分からないほどワースは強情ではないし、若干の気恥ずかしさがあるとはいえ、好きなひとと2人っきりという状況に否やはない。
「そもそも、なんでオーターが現場に出てくるんだよ」
禁書管理局から禁書使いをひとり寄越してくるくらいだから、それなりに魔法警備隊が苦戦しているだろうことは分かる。けれど、現場の指揮を取るのは光の神杖ライオ・グランツだ。確かに相性が悪い魔法使い相手なのだろうが、砂の神杖オーター・マドルまで出て来るのは明らかに過剰戦力すぎる。ワースが聞かされていないだけで、ひょっとするとそれ程までに厄介な事件なのだろうか。オーターは静かに眼鏡の位置を直す。
「……私はただの見学ですので、気にしないように」
最近気が付いたことだが、オーターは何かを隠したい時、眼鏡の位置を直す。隠したい対象が照れや苛立ちなどの心情によるものなのか、いま口にした言葉の中にあるのかは、さすがに分からないけれど。知の神杖ソフィナ・ブリビアからはこれ以上の指令は出ていない。あとは自分で考えろということか、ワースに知らせる必要はないが神覚者が動くレベルの隠された何かがあるのか。誰よりもワースに甘いオーターが知らせてこないのだから、一旦棚上げにしておくことにする。
それよりも、ワースはちょっとムズムズと落ち着かなげに視線をあらゆるところに這わせた。ゆっくりとハーブティを嗜むオーターはこちらの様子に気がつく素振りはない。
その、折角、同じ現場に出るのだから、きっと上がる時間はオーターも同じだろう。……であればこう、こう……なんというか、なんかないか。ソフィナの方針で禁書管理局は、繁忙期を除いて夜間にまたがる残業があった翌日は1日休みである。この状態で、オーターに「大泥棒」の捕物があった翌日に休みを取ってくれというのはあからさま過ぎるか。ワースは顔を顰めて悩み込む。
(……いや、これで通じない可能性とかあるからな……)
恋愛関係に妙に小慣れてぐいぐい来られてもドン引きする自信があったが、告白前後でこんなに変わらないとも思わなかった。はっきり言って、ワースはちょっぴり困っている。
まぁ、確かに?
心の距離とやらは近くなったような気がする。
物理的な距離は……知らん。
恋人になる前から皿洗いなどの簡単な家事は一緒にしていた。なんとなく、目配せに親愛が篭っているような気がする。……が、それだけである。ほぼ必ず間に子供姿のリトルデビルを挟んでいるせいか、相対しているこちらまで何か老成しているような気さえしてくる。リトルデビルが微妙に聞き分けが良過ぎるせいで、何か、手の掛からない子供がいる夫婦のような。……いやいや待て待て待て待て待て。そこまで歳を取った覚えはない。一応俺ら、付き合いたての筈なんだが?ワースがこう、うじうじと思い悩んでいるせいだろう、魔導書が隙あらば書籍化して形式上2人きりにしようとしてくる。魔力探索能力に長けているオーターに、見た目だけ変えたところでなんの意味もないだろうに。勘弁してほしい。気遣いは分かるから文句をつける気はないけども。なんと切り出してみたものか、とワースは自分のカップを傾ける。……というか、どうなんだろう。オーターの休みって、それこそ1ヶ月以上前に約束する気がするから、こんなに近くなってから「有給取って」と頼んで取ってもらえるものかどうか。ただでさえ多忙なオーターに、厄介な頼み事をする面倒な恋人になりたくはない。……あぁもう、こう言うところでうじうじ悩んでいるから、リトルデビルには「考えすぎ」と呆れられるのだろうけれど。
ワースがうんうん唸っている間、こちらをじっと見つめていたオーターが不意に笑う。
「貴方の活躍を楽しみにしています」
「……プレッシャーじゃね?それ」
「気合が入るでしょう?」
悔しい。
同じ事件に招集されておいて、ちっとも動じていないことが。
ムッとしながらワースは頬杖をついた。よし、わかった。ライオ率いる魔法警備隊との訓練が軌道に乗ったら、オーターに有給休暇を取ってもらうよう頼もうと。その日がオーターにとって有給を取れる期間の時間切れになろうがなるまいが知らん。単にワースの中のけじめである。
(……みてやがれ)
誰に対する負け惜しみか知らないが、ワースは心の中で呟いた。
***
事件ファイルを片手に、リトルデビルの手を引いてワースは魔法警備隊の廊下を歩いていた。墓所管理局に来た時よりも好奇の視線を感じる。それが分かるのか、リトルデビルもいつもよりやや神妙な顔つきをしていた。ひょっとすると、ワースの緊張が伝わっているのかもしれない。光の神杖ライオ・グランツは神覚者の中で最も有名であり、最も最強に近い人物であり、最もワースのような凡人からは遠い存在でもある。
(……しっかし、本当にライオ様がこの事件に手を焼くかね?)
事件概要を簡単に言えば、貴族のお家乗っ取り事件に関わった幾つかの貴族が順に「大泥棒」の被害を受けている、ということらしい。「大泥棒」が指摘する不正行為も、そのお家乗っ取り事件に纏わる書類の改竄であったり、暗殺事件であったり、汚職事件であったり、様々だ。しかし既にその点と点に過ぎない告発からお家乗っ取り事件を掴んでいるのだから、自ずから「大泥棒」の正体は乗っ取られた貴族の末裔、或いは主家の没落を憂いた当時の使用人だろう。人物名リストこそないが、概ね「大泥棒」が誰か、或いは構成員が誰か、目星がついているに違いない。であれば、無理に現行犯逮捕を選ぶ理由がない。にも関わらず、敢えて自らが不利になる夜の大捕物に挑むのは、一体全体どういう意図だ。
「…………」
長引かせれば、無責任な新聞はライオを糾弾するだろう。言っては悪いが、現に各社の論調は「大泥棒」の不正告発を現代の義賊だとよろこんでいる。まだ矛先が被害者の貴族たちだから良いが、どこかで「不正行為を暴けなかった魔法警備隊」へ批判の的が転じるだろう。ワースの目には軽薄に映るライオだが、そもそもソフィナの同僚だ。尊敬する上司が不死の神杖レナトス・リボルに対するほど苦言を呈さない以上、彼女の目を通してもそれなりの人物であるということだ。……であればこそ、今回の手の打ち方はやはり疑問である。ワースはチラリと自らの魔導書を見る。こちらの視線に気が付いて、にこりと笑う彼の頭を撫でてやりたいが、あいにく今は手が塞がっている。
「お、」
そうこうしている間にライオの執務室前にたどり着いてしまった。ワースは一旦事件資料をリトルデビルに持たせ、その頭をひと撫でしてやり、ドアをノックした。快活とした声の入室許可を得て、そっと扉を開く。いつかの時のようにクラッカーで歓迎されては堪らない。
「やぁ、来たなオーター弟くん!」
「……よろしくお願いします」
開口一番、なんとも言い難い声掛けにワースは若干の苦笑混じりに頭を下げた。「オーター弟」。まぁ、なるほど。光の神杖はオーター・マドルとの方が関係が長い筈だから、そりゃあ「弟」であるワースの方が馴染み深いだろう。ここ最近は「ワース・マドル」或いは「ワース・ウォーカー」と個人名で呼ばれることの方が多かったが、ワース自身も「砂の神杖の弟」と呼称される方が馴染み深い。勿論それは、いつになっても妙に腹の中がグラグラと落ち着かない気持ちになるが。とはいえ「禁書管理局幹部候補」として出向している仕事で、顔に出すほど子供でもない。リトルデビルが困ったように首を傾げ、それを誤魔化すようにワースはその小さな肩をトンと叩いて入室を促す。
「今回の「大泥棒」捕縛作戦に参加させていただくワース・ウォーカーです。短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」
ワースの名字を聞いた瞬間、光の神杖の表情が「あ、」と動いた。そうなるだろうな、と思っていたが、ワースは頭を下げながら、光の神杖の見えないところで小さく舌を出してやった。
***
初日のなんとも言い難いモヤ付きはともかく、意外にも魔法警備隊との連携練習は順調であった。なんせ、魔法をかける人数が丁度良すぎる。ワースの魔法の上限限界でもなく、かと言って少な過ぎて制御を失う程でもなく。魔法警備隊の面々が超エリートでそもそも飲み込みが早いと言うこともあるだろうが、それにしても。事によるとソフィナがワースの限界を見極めて事前に仕組んだのではないか、と思うくらいだ。彼女ならやりかねないし、聞いてもはぐらかすだろう。
(鍛えられてンなぁ……)
ソフィナの丁寧な気遣いは、ワースへの期待の現れとありがたく思っておこう。
それはともかく、最初に定めた通り、感覚共有魔法の訓練はほぼ完璧と言って良い。そろそろオーターに有給休暇をおねだりしても良いだろう。ワースは自分の頭を掻いた。訓練そのものは、もっと早く「軌道に乗った」と断じてよかった。「完璧」と思うくらいまでダラダラと言い出さずにいたのは、少しばかり勇気が出なかったからだ。この優柔不断のお陰で、結局オーターとの時間が取れずとも、そこはもう、ワースの臆病さの問題だから諦めることにしよう。そう言い訳して、本日の献立を考える。オーターからの返事がどうあれ、凹まないくらいの何かご機嫌なメニューを。いやいや、話の切り出し方からするとその場で作りつつ食べられるようなものが良いか。作業しながらなら気まずくないし、恥ずかしながら、断られたらその後の雰囲気が辛いからリトルデビルにもその場にいて欲しい。チラリと手を繋いだ先を見ると、敏感にこちらの考えを読み取っている魔導書は、「えー、」とばかりに顔を顰めた。
「いや、マジでお前が頼みの綱なんだよリトルデビル」
「ふたりっきりじゃ、ダメなの?」
「ダメだろ」
主に、ワースの心の安定が。
そう言うとますます魔導書は顔を顰める。
「デートのお誘いするのにぼくがいる方が変じゃない?」
「デっ……デートじゃ、ねーし……」
語尾がもにょもにょと小さくなる。
まぁデート?……デートっていうか、もうちょっとこう、もう少しこう……、親密な何かを……あ、待て待て待て、そうなるとリトルデビルはどうしたら良い。え、書籍の形になって貰って一緒にいるとか……?別に良いけど、ちょっと恥ず……、
「おーい、おーい、ちょっと待ってくれ!」
ぴり、と嫌な感覚がしてワースは足を止めた。肩が動かないように慎重に深呼吸をして、ゆっくりと振り返る。想像した通りの人物がいて、げんなりとしそうになる表情筋をなんとかそのままキープして、なんとか笑顔を作る。
「お疲れ様です、光の神杖さま」
「なぁに、固いぞワース」
人類最高傑作は少し困ったように首を傾げながらこちらへ向かってくる。やだなぁ、と腹のあたりが少し重くなったが、笑顔を張り付けることに集中する。
「せっかく一緒に作戦を実行する仲間だ、どうだこの後……」
「ワース」
光の神杖の言葉を遮るように、高く幼い声が響く。これには光の神杖ばかりでなく、ワースも瞳を丸くした。基本的に、リトルデビルの行儀は良い。ワースがそのように教育したし、リトルデビル自身も周囲をよく観察するからだ。無作法、と取られる行為には慎重であるはず。であるのにこちらを見上げる表情はどこか無機質であった。
「ワース、抱っこしてー」
「ん、あ、いや……」
「疲れちゃった。抱っこしてー?」
「…………」
リトルデビルに「疲れる」と言う状態は殆どない。というか、彼が「疲れて」いるならば、その使い手であるワースの方が無事では済まない状態になっているはずだ。であるにも関わらず、リトルデビルは無邪気に手を伸ばす。まるで、目の前の光の神杖など目に入っていないかのように。ワースがガリガリと頭を掻いた。まったく。変な気ィの使い方しやがって。
「……ぃよっと」
ひょいと抱き上げると、鎖骨にこつりとリトルデビルの額が当たる。脱力する頭を撫でてやりながらワースは苦笑した。
「……すみません、光の神杖。連日の訓練で疲れてしまっているようで」
「あー、うん、そうか。いやオレの方こそ悪かったな、引き留めて」
「いいえ。……それでは、また」
リトルデビルの身体を抱えなおして光の神杖に背を向ける。自分と同じ髪質を、ワースはゆっくりと撫で付けてやった。トン、トン、と背中でリズムを取ってやりながら、つむじに鼻先を埋める。
「……大丈夫だっつーの」
確かにちょっとばかり、かつての自分を思い出して嫌な気持ちになったが、光の神杖に悪気があるとは思わないし、社会的にはワースはずっと、「砂の神杖オーター・マドルの弟」だ。もちろん数年すればオーターに戸籍上の弟がいないという話が定着していくだろうが、同級生や後輩たちがワースのことを「神覚者の弟」と認識している間は少し難しいだろう。まぁでも、他人は意外とこちらを見ていないものだし、認識など簡単にすり替わる。もう少し、あと数年ばかり、我慢すれば。
わがままかもしれないが、全然ちっとも、恋人になった前後で様子の変わらないオーターを見るに付け、不安になる。ワースで勃つとまで言ったオーターの言葉を信じない訳ではないが、とはいえ行動が伴わないのであれば、それは生理的範疇の挙動であり、オーター自身も勘違いしてワースに恋愛感情を持っていると、思っているだけかもしれない。ワースの懸念など、魔導書の言葉を借りれば「考え過ぎ」なのだろうけれど、ここで悶々とした考えを止められるほど器用ではない。
リトルデビルの頭に生えたねじくれた角に頬を寄せる。相変わらず完成度の高い泥魔法を展開してやがる。
「けど、……ありがとな、リトルデビル」
「んっ!」
小さな腕が、ぎゅうっとワースの首にぶら下がる。ワースがいま背を向けたのは、たぶん光の神杖そのものではない。いずれにせよ、このままでいるのはよろしくない。ワースは小さくため息を吐き出した。
***
悩みに悩んだ末、今日のディナーはお好み焼きにした。ホットプレートを出すのが少々面倒ではあるが、以前にも休みの日にホットケーキをみんなで焼いたことがあるし、まぁまぁ楽しいだろう。何より、作業しながら話せるから、顔を合わせて気まずいタイミングがなくなる。
「いよっし、じゃあひっくり返すぞ」
「…………」
料理面において頗る不器用なオーターは、キラキラした瞳でワースが生地をひっくり返すのを見ている。ヘラを突っ込んで、ころりと回す。当然、ワースは失敗しない。こんがりと狐色に焼けた表面をヘラで撫でつつ、ぱっと顔を上げた。
「そういやさ、オーター。「大泥棒」の捕物、次の新月の日に決まったって」
「報告は受けています」
「大泥棒」は新月の日にしか出てこない。
ここまで分かっているならやはり犯人の目星はついているだろうに、なんだって現場にこだわるのか、結局ワースには魔法警備隊の方針はよく分からなかった。まぁ、取り立てて気にするべき事柄でもない。むにゃ、と唇が不器用に言葉を探して揺れる。ええーい、そろそろ男を見せろ、ワース!
「あの、さ」
「はい?」
「あー、禁書管理局は夜勤の後って絶対に休みになるんだけど、オーターはどうする?」
「……?……どうする、とは……?」
ヘラで切り分けたお好み焼きを、めいめいの皿に分配して、再びプレートに生地を流し込む。じゅわ、と鳴る音を聞きながら、ちらりと視線をやると、オーターは首を傾げていた。
「休み。取らねぇ?」
オーターは虚を突かれたように瞳を丸くする。どこかおずおずと、窺うようにこちらを真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「やすみ……」
「やっ、ほらさ、どうせ上がりは夜じゃん?だからその、なんかその辺ぷらぷらして、なんならちょっとバーで呑んだりして、」
そして、なんかこう、気分が盛り上がったらちょっとエッチな、いや普通にするより、少しイチャイチャして。
計画上の「大泥棒」出没予想地と、家までの道のりを頭に描きながら、後半の方は賢明にも言葉に出さなかった。いや直接的に求めたって良いけれど、さすがにワースの羞恥心はまだ機能している。ちょっとしたボディタッチでも、手や頬にキスをするのでも、なんだって良い。兄弟に対する親愛以上のものを感じられるのであれば。別段自分を安売りしようと言うのではないけれど、結局のところ、不安なのだ。まだまだ。
オーターは不自然に止まったワースの言葉に疑問を挟むでもなく、無表情のまま雰囲気を和らげた。ここ最近、ワースはだいぶオーターの気持ちを表情で読み取れるようになった気がする。表情筋こそ動かないが、オーターは結構、少女漫画のエフェクトのように花を背負っているように感じさせる瞬間がある。ちょっぴり照れたように身を捩り、口元を緩ませたその顔は、やっぱりいつか見たことのあるような柔らかい表情であった。
「嬉しいです。取りましょう、休み」
「あっ、……あー……、その、結構直近だけど大丈夫なのかよ」
「なんとかします」
「ホントに?……大丈夫?」
「問題ないです。なんとでもします」
その言葉に何か不穏なものを感じたが、本人が大丈夫というのだからとりあえず信じることにする。ワースを真正面から見るオーターはキラキラした瞳をしていた。ワースはぎくりとした。
「……貴方と過ごす為ならいくらでも」
「ン゛ン゛ッ…………ありがと」
オーターにしてみれば事実を言っているだけなのかもしれないけれど、あまりにストレート過ぎるからちょっと困るんだよな、と照れ隠しにまだ柔らかい生地をつついた。ワースとオーターの様子を、リトルデビルがにこにこと見守っているのもなんだか居心地が悪い。いや、魔導書がいる時を狙って話題にしたのはワースなのだが。人間は兎角わがままなものだ。
「……ホラ、食べちゃいな。オーターもリトルデビルも」
「はい」
「はーい」
ソースとマヨネーズを順にかけて、2人ともお好み焼きを頬張る。それを気分良く見ながら、ワースも自分のお好み焼きを口にした。キャベツが絶妙に甘くて旨い。不意にオーターがふと何かを思い出したように「あ、」と目を見張って飛び上がる。
「そういえばワース、ライオと何かありました?」
「光の神杖と?」
ぺんっと焼き途中の生地をひっくり返してホットプレートの設定を保温に変える。お茶を飲んで唇を潤し、オーターの顔をまじまじと見た。
「いえ、珍しくあのひとから伝言うさぎがかかってきたものですから」
「…………」
家に帰るまでの自分の動きを慎重に思い出す。まぁ、誘いをしれっと断ってしまったのは少々態度が悪かったかもしれない。相手は一応魔法警備隊のトップであるし。ただそもそもワースも、同僚の飲みの誘いを無碍にするほどではないが喜んで飛んでいくタイプでもない。自分の行動を思い返してみても、面倒な先輩に絡まれた時よりは穏当な動きをしていたと思う。何よりワースが直接言うよりも、リトルデビルが口実を作ってくれた。光の神杖も作為は感じたかも知れないが、言い訳は立つ。ちらりと魔導書を見ると、しれっとしたすまし顔をしている。オーターに自分の動きを喧伝する気はなさそうである。
「全然心当たりねぇよ?むしろ、リトルデビルの魔法の訓練はめちゃくちゃ順調だし。……なぁ?」
「ぼく、頑張ったのよー!」
「そうですか。……2人とも疲労を溜めてはいませんか」
「大丈夫。……リトルデビルがこのナリでも結構強いのは知ってるだろ」
箸で指しながら言うワースを見、元気をアピールする為か力こぶを作ってみせるリトルデビルを見、オーターはひとつ頷いた。
「貴方たちの活躍を、私も楽しみにしています」
頬についたソースをぺろりと舐めて、オーターは口元を楽しげに歪めた。
***
……そんなこと言われると俄然やる気が出てしまう、というのが人間のどうしようもなくダメなところで、一応ワースにも自覚くらいはある。が、期待をかけられた分はなるべく応えたいというのは人情だろう。仕方ない仕方ない。
魔法の準備は、順調過ぎるほどに順調。なんならリトルデビルに「なんか見落としてることねぇかな?」と弱気になって聞いてしまったくらいだ。呆れたような顔で笑うリトルデビルの顔を見ながら何度か目の夜を迎え、今日、まさしく月のない夜がやってきた。
冷たい風を感じながら、ワースはすっと前を見る。人ンちの屋根の上で待機って、結構無法なことすんなァ、というのは正直な感慨だが、この場合は仕方ないかもしれない。ふと、右に付けたイヤホンから雑音が入る。
──……ワース、準備はいいか?
「俺はいつでも行けますよ」
目の前に浮かんだ魔導書が嬉しげに跳ねる。そして早く早くと急かすようにページが開かれた。その様子にふっと笑みが漏れる。少し前まで「重いからつかわない方がいいとおもう」と首を振っていた奴の仕草とは思えない。勿論ワースも、マカロンとソフィナに鍛えられた自負がある。ワースは構えた杖を空に向かって掲げた。
──それじゃあ、頼む。キミたちの目と耳を男前に貸してくれ
その指示に従って、ワースはすうっと息を吸い込んだ。
「▓▇▇█████」
一瞬だけ、パッと魔導書が輝いた。しかしその光はすぐに夜闇に紛れて消える。家の窓から漏れる生活光と同じく。魔導書を使う時、どうしても光が漏れてしまう。とはいえ周囲から見られないところで先に魔法を使うのは発動時間が伸びて得策とは言えない。故に、いまここだ。光の神杖の部隊の人間は既に泥でマーキングしてある。そこ目掛けて不可視の音魔法が飛んでいく。ワースは冷静に、魔導書の魔法が掛かった一人一人を確認する。確かに間違いなく、全員捕捉した。
「終わりました」
──ご苦労だったな!……いやしかし、本当にすごい
内心で、光の神杖ってずっとすごいすごい言ってるからあんま褒められた気がしないんだよなぁ、と思いながら、ワースも配置につく。殆ど補助役とはいえ、ぼんやりしている訳にはいかない。感覚共有魔法を掛けられた魔法警備隊員たちの位置は、意識を集中せずとも分かる。ワースは屋根を伝いながら彼らの動きを追う。
(……見つけた)
今回「大泥棒」のターゲットになったのは、とある貴族の邸宅である。予想通り、月のない晩。……ここまで分かってるなら、もう魔法局は犯人が誰だか掴んでいるのではないか?ワースの頭に埒もあかない疑問が再度浮かんだが、あくまでも貸し出された人材であるワースが魔法警備隊の仕事にとやかく言うべきではないだろう。
(……捕縛の魔法陣は、使って良いって話だったよな)
とはいえ、このタイミングでワースがほいほい本命を捕まえて、角が立たないだろうか。……いやそれを含めてのソフィナの交渉かもしれないが。
「…………」
少し逡巡して、迷いを振り払うように顔を上げる。相変わらずどういう意図でワースが貸し出されたのか、なぜもっと簡単に捕まえられそうな「大泥棒」に定石通りの手を打たないのか、気になるところは沢山ある。けれどいちいち気にしていたって仕方がない。
「リトルデビル……魔法警備隊の誰より先に、「大泥棒」を俺らで捕まえるぞ」
元気の良い返事を感じながら、ワースは杖を構えた。
リトルデビルの「視界」で見る限り、「大泥棒」は1人だけだ。単独犯?いやそれは考えづらい。「大泥棒」が逃げていく方角で待ち伏せの魔法陣を張れそうなところを考えながら思考を巡らせる。実行犯と指示役が別にいるとして、魔法警備隊に目を付けられて危険な橋を渡らされているこの実行犯はどういう人物であるのだろうか。生身の人間か。魔法で生み出した泥人形のような存在か。忽然と消えるのはどういう理屈だ?
(………ん?)
「大泥棒」が逃げる先、右折して20m地点のところに、奇妙な魔力溜まりがある。中で蠢く魔法がどういうものか、この距離で分かるほどリトルデビルと感覚共有をしていないが、少し気になる。
(リトルデビル。「大泥棒」がマジであの地点を目指していたら、あの魔力溜まりは解除する)
考え過ぎ。或いは、罠の可能性もある。
しかし優秀な魔法警備隊、しかも精鋭であるはずの光の神杖が選んだメンバーが毎回「大泥棒」を取り逃すのならば、何か理由があるはずだ。
「大泥棒」が魔力溜まりのある曲がり角付近に近付く。いつどうなっても良いように神経を尖らせていたワースは、「大泥棒」が曲がり角を右折したことを感知して、即座に魔導書に命令を下した。
「魔力溜まりの魔力を吸い取れ」
距離があるから間に合うかな、と一瞬思ったが、リトルデビルはワースの想像を遥かに上回るスピードで漂う魔力を吸い取った。
(……あれ?)
確かにリトルデビルの「視界」を通じて座標指定はしたが……。まるで彼の魔法が空間を飛び越えて直接魔力溜まりに作用したような、奇妙な違和感があった。こんなに速かったか?あ、でも修行してるからリトルデビルも成長したのかも……?違和感の正体を探るより、魔力溜まりが消えた瞬間、動揺するように立ち止まった「大泥棒」が視界に入って、慌ててワースは集中力を引き寄せる。考えるのは後でもできる。今は仕事をしなければ。
報告書によれば、「大泥棒」はどこかへ忽然と消えてしまうという。魔法道具を使っているのか、「大泥棒」の固有魔法なのかは知らない。だが単独犯でないのならば、その魔法を行使するのは共犯者でも良いはずだ。もしもあの魔力溜まりを作った術者が指示役であるならば、いまワースが行っているのと同様に、どこからか実行役の動きを見ているはず。空間転移に関する魔法はいくつかあるが、空間を歪める必要があるので結構複雑だ。正直、消費魔力量を思えば箒で飛んでしまった方がいくらか楽できる部分も多いし至近距離にしか飛べないパターンも多い。それでも空間転移系の魔法を使うならば。
(……この近くに、実行犯がもうひとりいる)
部屋に飛ばしてしまえばおちおち魔法警備隊も踏み込まい。踏み込まれたら、次々に転移を繰り返せば良いだけだ。結構キツイが、それなりの魔法道具を揃えればなんとかなるし、固有魔法ならば補助剤でも使えばそれなりに保つだろう。実行犯が困ったように空を仰ぐ。そこは、一部屋だけ灯りの落ちた、ホテルの一室。
「リトルデビル」
ここだ、と思った。
ワースは無言で杖を握る手に力を込める。
詠唱を必要としない魔法陣はそれだけで反応し、置いた通りの場所に置いた通りの効果を示す。
「……捕まえました」
──こちらからも「見えて」いる!ご苦労ご苦労!
「あ、」
ライオとの通話を繋げたまま、ワースは杖を掲げる。実行犯が見上げたホテルの一室、窓から、誰か乗り出している。その人物に向けて、ワースは再び魔法陣を展開する。
──……どうした?
「共犯者……の、可能性がある人物もついでに捕らえました」
窓から身を乗り出した不安定な姿のまま、泥でがっちりと固定された人間は、何か叫びながら悶えている。動けないからだろうか、実行犯が心配なのだろうか、とにかく禁書の魔法を展開しながらでは、ワースには少々手に余る。
「すみません、感覚共有魔法解きます。捕まえた場所に向かいますので」
──分かった、こちらももうすぐ着く
語尾を聞くより先に通信を切って、ワースは走り出した。リトルデビルの音魔法の援助を受けて、ぴょんぴょんと屋根の上を飛び越えていく。解除した感覚共有魔法分のリソースを捕縛魔法に注ぎ込んで、がっちがちに逃げられないように、ついでに自殺もされないように犯人2人をくるりと包む。この2人が実行役と指示役で、実は本物の指示役が別にいて、2人まとめて切り捨てる、という手を取る可能性はどれだけあるか。或いは証拠隠滅の為に2人を害する可能性は。
「…………!」
ワースの指示なく、魔導書が勝手に音魔法の盾を展開させた。盾は2枚、場所はワースが泥魔法で固めた2人の目の前である。
「……チッ」
守ったよ、というリトルデビルからの感情を受け止めながら、ワースは足を早めた。ついでに息できる程度に、しかしどこから攻撃されても良いように犯人2人を守る形に泥魔法を展開する。とりあえずの時間稼ぎ程度にはなるだろう。
カッと高い音を立てて爪先が屋根を蹴る。そこにはリトルデビルの「視界」で見ていた世界がきちんと広がっていた。泥魔法で拘束した2人、そしてライオと……、
「えっ、」
「早いお付きだな、感心感心」
言いながら、ライオは魔法警備隊の制服を着た人物に杖を向けていた。ワースは混乱しながら自分の泥魔法で拘束した犯人2人を庇える位置に立って構える。それを見ていたライオは、ふっと笑った。
「流石はオーターの弟でソフィナの秘蔵っ子だ。良い判断してる」
杖を構えて、禁書を携えて、魔法警備隊のそのひとをライオと挟み撃ちにする形で警戒するというのは、なかなか奇妙な心地がした。じわりとワースの頬に汗が伝い落ちる。
「……こりゃ、一体全体どういう状況なんですか」
言いながらこっそりと、犯人2人を包む泥の強度を上げる。何かあったら弾き返せるように。自らの部下に杖を向けているとは思えないほどに飄々としたライオは、軽く肩をすくめた。
「この事件はとある貴族の乗っ取り騒動から始まったことはキミも知っているだろう」
悔しそうに泥に守られた2人が身じろぎするのを、ワースは注意深く掴み直す。「大泥棒」たちにも何か言いたいことがあるだろうが、いずれにせよいま動かれては困る。
まるでスポットライトでも当たっているかのように、胸に手を当てて大業にライオは口を開いた。
「この騒動は勿論不当なものだ。正当な領地の後継者達のために、魔法局は介入する用意がある。しかし……」
不意に、ライオが笑った。
ワースは背筋がぞわりとするのが分かる。光の神杖ライオ・グランツはこのような顔で笑うのか。相対するべき敵を前にして。
「困ったことに、乗っ取った側の貴族に与する者達がいてな。」
ワースは目を見張った。
当然、そのような話は、ワースの元には降りていない。
(……いや、だからこそ、か)
砂の神杖オーター・マドルの実弟で、誰の元にも与していない禁書の使い手。今回の事件を解決するのに、誰が介入しているとは考えにくいワースの手が。自陣にいる内通者を見つけ出すために。
何も知らされていなかったのは、何も知らないワースが捕縛魔法を使うのを期待してのことだ。ふる、と指先が震えた。どこかでワースが判断を違えていたら。いまこの構図は生まれていない。本命の事件は、むしろこちらだろう。
(「大泥棒」ごと囮に使いやがった……!)
これが神覚者と言われると、いまのワースには計り知れない。オーターも仕事上の機密だからと伝えなかったのだろう。それは、たぶん正しい。知っていれば感覚共有魔法をわだかまりなく使えたか。泥魔法で「大泥棒」を包めたか。何より、咄嗟の禁書による音魔法の盾は間に合ったか。ワースにしてみれば、全て不確定の、あやふやな事象である。しかしそれは、裏返せば成功率もまた、あやふやである。それでここに賭けるのか。
ワースは呼吸をひとつして、杖を構える。
正解がどれなのか、まだちっとも分からない。
ただ取り敢えず、いまのワースに期待されているのは、この「大泥棒」の2人を無事に魔法警備隊へ引き渡すことだと言うことは分かる。
ワースが警戒している間に、他の魔法警備隊の面々が揃う。ふっとワースは息を吐き出した。背後に、オーターの気配を感じる。これで滅多なことは起こるまい。慣れた仕草でライオが内通者と判明した隊員を拘束する。
「助かった、ワースくん。実はなかなか、どこかの陣営に属する人間を捕縛するのは難しくてな!」
「…………」
「悪い悪い、敵を騙すならまず味方から、ってな」
からからと快活に笑う姿を見て、呆気に取られる、とはこのことかと、ワースは自覚しない訳には行かなかった。光の神杖ライオ・グランツ。とんでもない男である。リトルデビルをダシに断ってしまった飲み会は出ておいた方が良かったのか。……いや、どちらにせよ面倒そうだから、やっぱり行かなくて正解だったのか。分からん。ワースの頭では、ちっとも。
取り敢えずワースは、ホテルの窓に縫い付けた「大泥棒」の共犯者を泥に包んだまま下し、魔法警備隊の留置所まで運んだ。そこまで運ぶのは事前に言いつけられた仕事ではなかったが、せめてもの厚意である。もしもこの後、「大泥棒」の2人が殺されたとて、ワースの責任ではない。責任ではないが……この仕事に関わった人間として、寝目覚めは悪い。そこには勿論、砂の神杖オーター・マドルがいた。
◆◇◆◇◆
「わたし」は空を見上げる。
キラキラと光る星の輝きに紛れて、カナリヤの魔力の残滓が舞う。これはこれで美しい。
神は、「わたし」が思うよりもずっと慎み深い。
……いやどうなのだろう。
「わたし」に推し量れるほど神は単純でもないだろう。
分からない。
わからない。
でも、これはこれで面白い。
相変わらずカナリヤの声は美しい。
青々として、瑞々しくて、遠くまでよく響く。
とても麗しい。
「わたし」は瞳を閉じて、その音に耳を傾けた。
◆◇◆◇◆
「……ということでソフィナ。ワース・ウォーカーくんを男前に貸して欲しい」
結ばれた言葉に、思わずオーターは眉を顰めた。単純に、ワースに付けられたファミリーネームが気に食わない。しかしなるべく穏便に、かつ丁寧に頼んだつもりでいるライオ・グランツは絶対に気がつかないだろう。その事にもオーターの眉には力が入る。頬に片手を当てたソフィナは「私は男性ではないですけれど、」と断った上で肩をすくめる。
「あまり、ワースくんを出す理由が分からないのですが」
ライオ率いる魔法警備隊がいま追っている事件は「大怪盗」であった。素性人数一切不明。お宝と共に貴族や団体の不正の証拠を盗み出す義賊として世間を騒がせていた。やり口を思うに、貴族か、それに近しい協力者がいるだろう。「大怪盗」が暴いた不正には繋がりがあって、概ねどの貴族関係者が犯人かは目星がついていた。特筆すべきはその情報収集手腕である。魔法局としては、どの貴族がどう没落しようが知ったこっちゃないが、なんとかしてこの「大怪盗」を不正の証人として、あわよくば情報収集部隊にスカウトしたいという思惑があった。だからこそ光の神杖直々に現場に出てきている訳だが、闇夜に出没する「大怪盗」と光の神杖では、相性が悪すぎた。特に、時間帯的な意味での。
「大怪盗」の盗みは基本的に夜行われる。そして翌朝の朝刊に間に合うように盗まれたお宝の隠し場所と貴族の不正行為が書かれたカードが各新聞社に届く。自然、魔法警備隊の警戒も夜になるのだが、ライオの光魔法では穏便に「大怪盗」を捕まえようにも目立って仕方ない。それでも相手に手傷を負わせても良いのなら方法はいくらでもあるが、いかんせんあくまでも「大怪盗」は無傷で捕らえたい。実行犯の奥にいる、首謀者と交渉するためにも。魔法警備隊には一応他に捕縛の魔法使いも複数いるものの、事情が事情だけにライオ自ら指揮を取る必要があり、人選になかなか苦慮しているらしい。下手にどこかの貴族の息がかかった者を入れると、捕まえた「大泥棒」が暗殺されかねない。実際問題、ついでに不正行為に手を染める貴族と内通している隊員まで捕縛出来ればベストである。しかし肝心の「大怪盗」は魔法警備隊の追尾を毎回、まるで煙になってしまったかのように撒く。その手の固有魔法か魔法道具や支援者がいる可能性が極めて高い。
「……そこで、ワースくんだ。彼の禁書は、こと無機物なら、オーターよりも魔力探知に優れているだろう?」
「…………」
別にオーターも自身の魔力探知能力を誇っている訳ではないが、さらっと向こうを持ち上げられると複雑な気持ちになる。しかしまぁ、事実ではあった。
巨人族の事件で明るみになったことであるが、考えてみれば遊園地でカーバンクルの魔法石取引が行われていた時も、禁書はオーターと遜色ない程の速さで気が付いていた。とはいえイーストン魔法学校の事件では概ねカーバンクルの姿を掴んでいたにも関わらず特定に時間はかかっていた。あの時のカーバンクルは衰弱していたし、5冊もの禁書に囲まれ、そして教育機関らしく様々な魔法道具がある中で小さな宝石を見つけ出せと言う方が無理があるものの、恐らく有意に魔法道具を追える条件があるのだろう。事によってはワース自身の体調にも関わりがあるかもしれない。その辺りは依然として不明である。
「……ということで、ワースが「大怪盗」の影を追えるというのは、少々早計では」
「……うーん……」
オーターの反論に、ライオは腕を組んで悩む。たぶん次の反論を考えているな、と当たりをつける。視界の端にすっと手を挙げるものがいた。炎の神杖カルド・ゲヘナである。
「僕から少し補足を。最もワースくんに期待するのは確かにその探査能力ですが、魔法陣技師としての初陣として今回ほど相応しい案件はないかと」
「どういうことですか?」
カルドはオーターに話しかけているように見えて、その実、ソフィナの表情を素早く捕らえている。説得するべき相手をきちんと見極めている辺り、やはりかなり面倒くさい相手だ。
「マーガレット・マカロンと魔法陣を使用した戦闘訓練を行なっているというワースくんの手腕を疑う訳ではないですが、実際問題、戦闘中に魔法陣を描くだなんて離れ業がどこまで可能か分かりませんから」
ちなみに、オーターは未だ、ワースが実際に魔法陣を使うところを見たことはない。一応それとなく頼んだことはあるが、「なんで?」と一蹴された。……いや、本人には一蹴した意識はそもそもないかもしれないが。実際、ワースの疑問は尤もだ。治癒魔法のような特殊魔法でない限り、ほとんどの魔法陣による魔法はオーターも生活魔法や初歩魔法として普通に使うことができる。単に「目の前で魔法陣見せて」は、「魔法陣以外の魔法を使った方が早いのになんでそんな要求をするのか」と問われるのは致し方ない。
ワースの魔法陣は、もちろんその作成スピードもさることながら、禁書の「視界」によって任意の場所に魔法陣を描けることにある。というか、正直どういうやり方をしているのか定かではないが、ワースの魔法陣は「突如」としか表現できない様相で指定した場所に現れるのだ。カルドは杖の力を引き出しているのでは、と言っていたが果たして。
「ワースくんには「チャンスがあれば捕縛の魔法陣を使ってどんどん狙って欲しい」とでも言っておけばやってくれるでしょう」
「まぁ、そうですね」
頷いたのはソフィナであった。彼女はある程度ワースと戦闘訓練をしているから、魔法陣の有効範囲も概ね理解しているだろう。議論の方向が定まりつつあるのを感じてオーターはむっつりと黙り込む。確かに魔法警備隊の後方援護であればワースが危険に曝される心配はないし、強硬に反対する理由もまたない。ただ、また彼が忙しくなって帰りが遅くなるのが嫌なだけである。瞳を細めたカルドがくるりとオーターに視線をやる。
「「大怪盗」が出るタイミングはある程度予測できます。折角ですからオーター、あなたワースくんの働きぶりの見学をしてみては?」
「…………」
「ワースくんの身に何かあった場合に禁書くんの取りなしが出来るあなたが加わってくれると、僕としても非常に安心なのですが」
「……なるほど」
さすがはカルド、全方位に向けて抜かりない。
ワースの仕事は「大怪盗」を捕縛するところまでであろう。魔法警備隊に引き渡してしまえばそれで終わりである。夜の帰り道を、2人でゆっくり家に向かうというのは、なかなか魅力的な話であった。なんせ同じ家に住んでいるのだからどこまででも一緒である。なんて素晴らしい響きだろうか。
オーターがじんわりと胸を温めている最中にも、ソフィナが挙手をしてライオにワース貸し出しの条件を付けている。半分くらい聞き流しながら、毎度のことながら堂に入った交渉捌きだとひそかに舌を巻く。これでワースには「本当は出向させたくないのだけれど、」と言いながら課題を出しているらしいのだから大したものだ。少なくともソフィナ・ブリビアは、向こう2年ほどは研究業績の為の実験となるような出向であれば、ワースの貸し渋りはしないだろう。もちろんそう都合の良い仕事ばかり転がっているかはともかくとして。
先日めでたくワースは魔法技師の試験に受かり、晴れて1級魔法技師の資格を手に入れた。変に禁書管理局内で研究させていては魔法技師協会からちょっかいをかけられる、だからより魔法局内を横断するような仕事をさせたい、という判断もあろう。ワースが忙しくなるのは嫌であるが、それ以上に他所へ行かれるのは嫌だから、オーターは概ねソフィナの方針に納得をしている。
「……ところでこれは、私からの注意事項というか、お願いになるのですが、」
ソフィナの視線がオーターの方へ向く。この流れで何か確認される心当たりのないオーターは素直に首を傾げた。その様子に、予想通りではあったのだろう、ソフィナは困ったように首を傾げた。
「……ワースくんが使用している杖ですが、オーター、貴方、何か聞いていますか」
「何か、とは?」
「具体的に、どんな神が宿っているか、です」
「…………」
思いもよらない質問に、オーターは少したじろいだ。オーターと同じであれば、ワースの杖は魔法学校の中等部にあがる頃に買い与えられたものだろうと思う。基本、魔法使いが杖を選ぶのではなく、杖の方が使い手を選ぶ。これは魔導書の仕組みとそう変わらない。しかし杖の力が引き出せるようになるには、ワースはまだ2本線で、力が足りないはずだ。
「知りませんし、あの子はまだ杖の力を使えないのでは」
「そう……ですよね」
「なにか気になることでも?」
ソフィナにしては珍しく、少し迷う素振りを見せた。きゅっと唇を引き結んで少し考え、ゆっくりと口を開く。
「……ワースくんが泥魔法で魔法陣を作るところを見たことがある方は?」
「僕はありますね、一応。魔法陣にしては非常に素早く作り上げられてはいました。けれど、そう驚くようなものではありませんでしたが」
「……泥が、どこから魔法陣に流れていたか、覚えていますか」
ソフィナの質問に、カルドは首を傾げた。
その顔に「そうですよね、」とソフィナも肩をすくめる。オーターも質問の意図が分からず首を傾げた。どこから泥が流れていたかだって?普通に、杖の先からに決まっている。
「これは魔法陣を使って貰っていて気が付いたのですが、ワースくんの泥は、どうやら杖から出ている訳ではないようなんです」
「……?どういう意味ですか?」
「私の憶測に過ぎませんが……彼、転移魔法を使いながら魔法陣を展開しているのではないかと」
「…………」
呆気に取られて、オーターは目を見張る。転移魔法。はっきり言って泥魔法で魔法陣を生成するよりずっと複雑な魔法だ。それを同時にやっている?
ソフィナは困ったように、しかし大きく頷いた。
「リトルデビルくんの感覚共有魔法で、多少の障害物や距離があろうと、ワースくんは魔法陣を作れます。けれど魔法陣の生まれ方がどうにもおかしい。私は杖の力を同時に使っているのではないかと考えています」
「しかし、オーター弟くんはまだ2本線だろう」
「その通りですライオ。……ひょっとすると、修行の成果が現れ始めたのかも知れないし、単に杖に見込まれたのかも知れない。いずれにせよ、我々が事態を掴んでいないのは問題であろうと思います」
ソフィナの言葉に重々しくカルドが頷く。オーターは眼鏡の位置を静かに直した。ワースの泥魔法に適合する神。転移魔法らしきものを使う神。両方に当てはまるとなると、まるで心当たりがない。
「オーター。今回の任務でワースくんの動きを見ていてもらえますか。リトルデビルくんから杖の様子を聞き出せるのなら、それでも良いのですが」
「……禁書はなんと?」
「ワースくんの杖は「どこにでもあって、どこにもない杖」と……」
「ちびワースも謎掛けかよ」
気怠そうに椅子に腰掛けたレナトスが肘を付いて、笑うように言う。
「めちゃくちゃ面白そう。オレもそっちの捕り物参加しちゃダメか?」
「レナトスまで「大泥棒」にかまけられるとちょっと困りますねぇ」
「ちぇー」
カルドの穏やかな声にレナトスは天井を仰ぐ。ただまぁ、強硬に反論しようという意思はないらしい。ソフィナの瞳がライオと、そしてオーターを捉えた。
「リトルデビルくんが憑いている以上、他の道具に悪さはさせないでしょうけれど、可能であれば、その正体を掴んで頂きたいのです」
オーターの瞳がじいっとソフィナを見つめる。彼女ほど、古今東西の杖の記録に当たれる立場の者はいない。そしてワースの魔法に違和感を抱いておいて、それを放置するとも考えにくい。……とすれば、彼女を以てしても、ワースの杖の「正体」は何か認め難いものであったのだろう。正体を掴むと言ってはいるが、つまりは検証して欲しいという話だ。オーターは静かに眼鏡の位置を直す。ソフィナが自分の調査に不安を覚えさせた杖を示す禁書の謎掛けのような言葉は、一体何を意味している?
「分かった。お前の部下はこの光の神杖ライオ・グランツに男前に任せておけ」
「…………ワースのことであれば、私に断る理由はありません」
ソフィナへ向けて告げるライオとオーターを見、ぐるりと一帯を見渡して、カルド・ゲヘナが頷く。
「よろしい。ではワースくんへの説明は頼みましたよ、ソフィナ。……さて、次の議題にいきましょうか」
資料を斜め見しながら、ワースの身に浮上した新たな問題をどう対処したものか、とオーターは思索を巡らせていた。
***
結局のところ、医学的アプローチでも判明しないような状況を炙り出すのであれば、取り憑いた禁書本人に話を聞くのが1番早い。少し前のオーターであれば躊躇いつつも却下したであろうその手は、今はあまり逡巡をもたらさない。なんせ、
「リトルデビル」
丸みを帯びた形の良い頭に厳めしくねじくれた角を付けた子どもが、小首を傾げながらこちらを見上げる。ぱちぱち、と瞬きする姿はまるきり無防備な小動物だ。
いつの頃からかあまり覚えてはいないが、共同生活が始まってから、ワースが風呂に入っている時などの少し席を外している間、この小さな禁書はオーターの近くにいる。ワースがそのような命令を出しているのかと言うとそんなこともなく、ただまぁ、なんとなく、気が付いたらちょこんと膝の上に座っている。時々「撫でて」とおねだりしてくるくらいだから、禁書としては何か意味のある行動なのだろう。禁書がどこまで術者の感情を読み取っているのかは、オーターの知るところではないが、少なくとも警戒心なく近付いてくるところを見るに付け、ワースにも気を許されている感覚がして嬉しい。
「お前は、ワースの持つ杖に宿る神が何だか分かりますか」
くすぐるように頭を撫でてやりながら、直球に尋ねてみる。言葉を選んでみても良いが、あまり意味はないだろう。ワースと繋がっている以上、術者の頭の中をよく読む、というのは確からしいが、禁書は結構他人の心の機微を読み取る。恐らくそもそもそのような性質を持つ禁書なのであろう。それが表情なのか、声色なのか、はたまた人間には聞こえない心音や微かな筋肉の変化なのかは分からない。ただ確かなのは、見た目通りにこにこと笑っている子供ではないと言うことだ。ある程度の規律と、それに伴う敬意を表するに値する。
禁書は眉を顰めて、少しばかり困ったように首を傾げた。彼が作る表情にしては珍しい。帰ってきた答えは、微妙にオーターの質問とは噛み合わないものであった。
「杖の神さまは、たぶん、出ては来れないから大丈夫よ」
「……出て来れない?」
オーターの言葉に、こっくりと深く禁書は頷いた。その瞳はすうっとここではないどこかを見る。家主であるオーターにはすぐに分かった。そちらは、風呂場だ。ちょうど今、ワースがいる。
「神さまを支えるには、カナリヤは小さ過ぎる」
不意に、禁書は子供らしからぬ笑みを浮かべた。小さく口にした「カナリヤ」とい名が彼にその顔をさせたのだろうと感じさせた。そう言えばずっと、何故禁書がワースを「カナリヤ」と呼ぶのか分からないままだ。普段はもちろん、「ワース」と名前で呼ぶ。しかしそれは、禁書が人間の社会に馴染むために使っている方便のようなものだ。深くは、禁書「リトルデビル」の視界の解析が進めば明らかになるだろう。しかし固有魔法やそれに付随した何らかの形以外の呼称をされているのは、ワースだけである。単に、術者とそれ以外で、彼の中に何らかのルールが存在している、と言うことかもしれないが。まぁ、今聞くことでもなかろうとオーターはひとつ頷いて、禁書の頬をもちもちと揉んでやる。
「神を「喚ぶ」のではなく、「支える」のですか?」
普通、顔に走る痣が3本になって使える魔法は、召喚魔法である。杖に宿る神々を現世に呼び出すための魔法だ。召喚された神を現世に留める為に、確かに魔力を使う。だが、感覚としてそれは「支える」というよりは「引き留める」に近い。もちもちと静かに頬を揉まれていた禁書は楽しげに笑った。
「だって神さま、形を保てないもの」
「…………」
これは、禁書なりのヒントだろうか。
それとも彼にそんな気はないだろうか。
いずれにせよ、オーターには心当たりはなかった。
禁書は杖に宿る神を知っている。しかし恐らくこちらに伝える気はない。ワースが神を呼び出せるとは考えていないから。この回答に砂の神杖オーター・マドルは満足できるか。答えは否だ。けれど禁書の口を割らせるのは、術者のワースであっても難しい。のらりくらりと躱されるだけであろう。オーターは少し考えて、再度質問を練る。
「その神は、」
「…………」
「ワースに何か不利益をもたらしますか」
「……ううーん……」
禁書の表情が動いた。腕組みをして唸る。顔にはありありと「なんとも言い難い」と書いてあった。
「……今のところは、だいじょうぶ……だと、おもう……」
悩みながら絞り出された回答は、禁書にしてはやや曖昧であった。ぎゅっと眉を顰めたまま唇をへの字に曲げる。その頬はふっくらとしていて、内容に反して子供らしくあどけない。
「カナリヤが扉を支えきれなければ、勝手に閉じて神さまも還る。「わたし」と違って魔力回路に負荷をかける訳じゃないし……」
「…………」
「……でも、ちょっと嫌」
それは、なんに対しての「嫌」かを問う前に、バスルームから音がする。オーターは問いを飲み込み、禁書の顔を見つめながら唇の前で人差し指を挙げた。ぱちぱちと瞬きを繰り返す禁書はすぐににっこりと笑って「しー、ね」とオーターと同じポーズをする。とたとたと廊下を歩く音が聞こえ始めた辺りで、オーターは頭の中を切り替えた。
***
相変わらず魔法魔力管理局は仕事で溢れかえっている。これでも事前に仕事を選り分けて担当者にやらせる、という形式がうまく動き始めて、オーターはじめ戦闘力が高い局員の負担は減ったが、そうなると逆に人材不足を感じる。間違いなくワースと過ごせる時間が増えたから、なんとかこの形式で続けたいものだが。
「……ん?」
伝言うさぎが震え、着信の相手を見てその意外さにオーターは眉を持ち上げた。ライオ・グランツ。丁度ワースが出向している先の神覚者だ。私用でオーターに連絡を取るはずがないから、まず間違いなくワースの件であろう。迷いなくオーターは通話ボタンをスライドした。
「はい」
──お、繋がった。よぅオーター
「何の用ですか」
ライオのことだから変な質問はしないだろうが、とはいえ一般局員に聞かせて良い話ではないかもしれない。ふらりと立ち上がったオーターは廊下へ出る。爽やかな風が頬を撫でて通り抜けていった。挨拶じみた会話を二、三して、電話口で聞いてもひどく言い出しづらそうにライオが口ごもる。
──いや〜……もしかして、なんだが、弟くんって人見知りするタイプか?
「ワースが?……あまりイメージはないですが」
基本的に物怖じしないし周囲を見ているから馴染まれやすい。……そういえば、墓所管理局に出向していた際もかなり早く打ち解けていて、未だにワースに声を掛ける局員がいるようだ。仕方ないとはいえ目の届かないところで他人と親しくしているところを想像すると、面白くない気持ちになる。
「何か問題でも?」
──んー、……いや、大丈夫。時間を取らせてすまなかったな
やけにあっさりと引いたライオに内心首を傾げるが、いつも光のように現れて光のように去っていく男だから仕方ないか、とオーターは失礼なことを考えつつ伝言うさぎをしまった。
***
ひゅうっと吹き抜ける風を感じながら、オーターは高台でずっと、ワースの動きを見ていた。屋根の上での位置取りから順に降らせる魔法陣を見ていると動きに無駄も迷いもないのが分かる。恐らくこれは、マーガレット・マカロンやソフィナ・ブリビアの薫陶の成果であろう。少し妬けるが、彼女たちがワースの師匠としては最適であったのは間違いない。しかし、それにしても。
(……やはりあの魔法陣の展開の仕方は、余りにも奇妙では)
ワースは、魔法陣を生成する場所を目視していない。禁書の感覚共有魔法を展開しているのだから、禁書の「視界」で座標を確認しているのだろう。これもだいぶ特殊な事例ではあるが、まぁ、分かる。けれどオーターの目から見ても、ワースの魔法は異常であった。どこからともなく魔法陣の紋様が生成されている。まるでそう、空間に突然泥魔法が現れたかのように。
オーターの砂魔法含め、普通魔法は杖の先から展開して伸びていく。目には見えない魔力の流れが存在するからだ。普通は。あくまでも、普通は。当てはまらない魔法も確かに存在する。……が、オーターが知る限り泥魔法はその例外に該当しない。
「…………」
ソフィナが指摘する通り、禁書の力でないならば、杖の力であろう。しかしそれも、オーターの中の常識が待ったを掛ける。「最古の十三杖」のように、常時展開する固有の魔法を持つ杖は存在する。けれど、ワースの杖は、こう言っては悪いが、「普通の」杖のはずだ。これまで一度だって、ワースの杖は特殊魔法を顕現させたことはないはずだし、杖の力を引き出せる程の痣も顔に浮かんではいない。しかしワースの杖の先を見る限り、泥は生まれた先からどこかへと消えて、彼の目視可能範囲を遥かに超えた場所に泥の魔法陣が現れていた。
禁書が言うところによれば、「どうせ出て来れないから」とのことだが、それはそれで、危険ではないか。禁書を使用している時、ワースの身体には大量の魔力が流れているから、実際のところ、杖の力を引き出すためにどれほどの魔力を使っているのかは分からない。使っていたとしてもほんの微量だろう。だが、使いこなせない力をそれと知らずに使っている、これこそか問題であろう。現状に不具合が出ているかどうかはこの際関係ない。
オーターが観測する限り3回、ワースは奇妙な魔法の展開をした。うち2回は魔法陣の魔力行使、うち1回は禁書を使った魔法行使。いずれにせよ、ワースが感覚共有魔法で知覚していても、通常の魔法ではあり得ない距離とスピードで展開している。転移魔法、の可能性を考えるべきである。
(……本当にそう、か?)
3本目の痣が浮かぶ前から、杖に宿った神の魔法を使う?ワースの背後には禁書がいるとはいえ、それは流石にあり得るのだろうか。
オーターは少し考え、しかし湧いた疑問は腹の中にしまう。なんせ、ワースの足は早い。うかうかしていると置いて行かれてしまう。
元々身体能力が高い子だったが、マカロンとの修行で着々と音魔法を会得しているのだろう。音速で動くマカロンと比べるべくもないが、初学者としては及第点である。走り出しが遅かったオーターが「大泥棒」の捕物の現場にたどり着いた時には殆どが終わっていた。なんでも魔法警備隊の中に不正貴族の内通者がおり、「大泥棒」の捕縛をしつつ内通者を逮捕する手筈だったようだ。当初の計画上の、ベストの結果である。勿論ここまでやるとはオーターの耳には届いていないが、結局のところ魔法警備隊はライオの管轄する隊であるから、オーターには関係ないといえばない。律儀に「大泥棒」を魔法警備隊に引き渡すワースの背中を見ながら、オーターは柄にもなくワクワクとしていた。夜の散歩。もう、それだけで何か特別な響きがある。
「オーター、お待たせ」
「お疲れ様でした」
おや、とオーターは目を見張る。ワースの身体の影に常であればリトルデビルの姿があるはずだ。しかし禁書はワースの身体にぴったりと装着されたハーネスの中に収まっている。オーターの視線に気が付いてだろう、ワースも、「あー、」と少し言いづらそうに視線を離した。
「……ふた、2人っきりの、デートだろうからって」
「…………」
「いや突然そんなの言われちゃ困るよな!?リトルデビルもちゃんと自分で歩かせて……」
「いえ、」
なるほど、禁書は確かに、変な気遣いを見せるらしい。オーターは眼鏡の位置をそっと直した。ずり落ちている訳でもないのに、なんとなく。
「……貴方も、デートだと思ってくれているのは、嬉しいです」
「…………」
ワースはひと呼吸分沈黙したものの、ぱっと顔を逸らす。月明かりに照らされたその横顔の、髪から覗く小さな耳が赤くなっている。可愛い。物凄く。
「行きましょうか」
実は夜までやっているここ周辺の店は既にリサーチしていた。ちょっと向こうに行けばバーがあるし、ちょっとそっちに行けば夜カフェがある。ワースはフルーツポンチが好きだから、コンセプト性の高いパフェを出す夜カフェの方が好きかもしれない。
「ワース、」
「ん?」
「あちらに、夜カフェがあるそうで。行きましょう」
「……おう」
ひょいと当たり前のように隣を歩くその姿に、オーターは柄にもなくドギマギとした。間に禁書を挟んでいない分、肩が近い。ワースの方が少し上背があるから肩の位置もややオーターの方が低いが、その分、指の先が彼の腕に触れそうだ。
「…………」
ごくり、と思わず唾を飲み込む。
ワースの手に触れたことがないとは言わないが、手を繋いでどこかを歩くようなことはした事がない。そう思うと、この月もない夜は誰に憚るでもなく手を繋いで散歩ができる、絶好の機会ではないか。緊張に、オーターの手は無意味に開閉を繰り返した。
「オーター?」
「……っ、はい、なんですか?」
「……あ、いや、アンタはいつから魔法警備隊に内通者がいるって、知ってたのかなぁって……」
オーターはパチパチと瞬きを繰り返した。真剣そうなワースの横顔はどこか精悍としていて美しい。けれど、質問の意図はよく分からなかった。
「……知りませんでしたよ?」
「え、それは流石にウソだろ」
「嘘ではないです。そもそも、魔法警備隊を率いるライオが自分の部下の統制を行うのは当然ですし、部署違いの我々から何か言うような話でもありません」
確かに、大掛かりな不正であれば神覚者全体が動くこともあるかも知れないが、少なくとも今回のケースは違う。納得が行かなそうなワースの顔に小首を傾げながら、仕事の話ならばとオーターも少し頭を切り替える。
「他局員の出向は、基本的には人材管理局の所管です。通常貸し出しを求める局から人材管理局に打診して、貸し出す局が許可すれば成立します。カルドは多少事情に通じていたかも知れませんが」
「…………」
「そもそも捕縛対象の殺害を目論む隊員がいるのはライオに取っても嫌なスキャンダルですし」
光魔法と夜闇に紛れる「大泥棒」の相性が悪い、という説明は、ある意味では正しかったしある意味では間違っていたのだろう。内通者に目を光らせ、決定的な場面を以て逮捕するのに、肝心の「大泥棒」の捕縛まで魔法警備隊の中で行うのは骨だ。どの程度ライオが内通者に目星をつけていたかは知らないが、わざわざ内通者に「大泥棒」を殺せる隙を与えることになる。その点ワースならば内通の心配は要らないし、禁書の実験のためと言えばソフィナは間違いなく出してくるし、オーターを現場に引き込むことも出来る。実際ワースは見事に「大泥棒」を守り切った。
しかし何か気にかかるのだろう、腕組みをしてワースは少し唸る。遠くなった手のひらに、オーターは少し残念な心地がした。
「あれでもじゃあ、なんで今回オーターも現場に出ることになったんだ?」
「…………」
「いやてっきり、オーターも内通者のことは知ってて、俺の代わりに「大泥棒」を守ってやる役割だったのかな、と思ったんだけど……」
オーターは、静かに眼鏡の位置を直した。杖の魔法を、ワースは恐らく無意識に使っているのだろう。治癒魔法が代表的であるが、論理とは別に無意識の領域で膨大な情報量を処理する魔法は、確かに存在する。しかし恐らくソフィナはワースの魔法陣について、なんらの指摘を行なっていない。そういう判断を下したと言うことだ。
「……私が駄々をこねました」
「………………は?」
「貴方と同じ現場で働きたかったので」
実際カルドからの打診だが、半分くらいは本当であるし、嘘と言うほどではない。展開するワースの魔法陣を見てみたかったのもまた、本当である。
「貴方の魔法陣の仕組みは単純ではありますが、その分わかりやすくて面白い。2人目の「大泥棒」を捕まえた展開スピードもさすがでした。なにより、」
「ちょ、ちょお、ちょっと待て!」
「美しい紋様通りの素晴らしく正確な座標指定で」
確かにあれならば、マーガレット・マカロンと対峙できるかもしれない。正直近距離の格闘ではやや無駄が多いような気がしたが、これだけの広さで逃げる犯人を捕まえるならば、高い適性があるだろう。
滔々と語るオーターの肩に、自分の肩をぶつけるようにワースが体当たりしてくる。痛くはない。けれど唇を尖らせるワースはあまりに可愛い。
「いっ、……いきなり変なこと言うな、ばか」
「事実です。良い魔法でした」
密着する今なら行けるか。
そうっと脱力するワースの手に触れる。ぴくりと肩を跳ねさせたワースはしかし、逃げることなくオーターの手を受け入れる。どちらからともなく指を絡ませて握った手は、どこか熱い。
ぴったりとくっ付いた手のひらに。かすかに触れ合う肩に、オーターは嬉しくなって瞳をゆるめた。星明かりに浮かぶワースの顔は、いつも知るよりも甘やかであった。
「甘いものは、好きですか?」
「ん?……んー、なんつうか……」
ワースの掌が、きゅっとオーターの手を握る。らしくなくバクバクと心臓が弾けそうな気がした。少し照れくさそうに、ワースは自分の足元に目をやる。
「……いろんな果物が、キラキラしてるのが、すき」
「なるほど」
可愛らしい。
そんなこと言われたらどれ程パフェを並べたっていい。きっとワースは「食べきれねぇもん頼むな」と怒るだろうけど。ムッと唇を尖らせたワースがこちらを睨む。
「なァに笑ってんだよ」
「いえ、可愛らしいと思って」
「……そりゃどーゆー意味だ」
少し大袈裟なくらいワースが手を振り回す。きゅっと指を絡めた手のひらは離れることはないが、きちんと結び付いているのを確認するかのようだ。不意にその手を持ち上げて、ワースの手の甲に唇を寄せる。外気に当たっていたせいか、触れたそこは少し冷たい。ちらりとワースの顔を伺えば、瞳を丸くして顔を赤くしている。可愛い。意外と彼は、なんでも顔に出す。
「楽しみですね」
夜更かしして、パフェを食べて、普通の休日のように、のんびりと2人で過ごす。たぶん途中で禁書が人間の姿で現れて、にこにことこちらを見ていることだろう。
オーターが想像する限り穏やかで優しい有給休暇に思いを馳せて、自然と口元が緩んだ。